『巷談坡堤庵』−解題と翻刻−
高 木  元

【解題】

 本作は一柳斎豊広画で三巻三冊、文化五年に慶賀堂から刊行された。同年同板元刊の『敵討枕石夜話』と共に、曲亭馬琴の中本型読本としては最後の作品である。ただ、序文の年記は文化丙寅(三)年と成っており、刊行が一年遅れたものの思われる。
 後摺本としては、序文を文化七年の山東京山序に付け替えた本がある。序文に拠れば文亀堂(伊賀屋勘右衛門)板のようだが、残念ながらこの板は管見に入っていない。この序文中に「此繪草紙」と見えており、本作が中本型読本としては珍しく挿絵中に詞書が書込まれている点、やや合巻寄りの性格が窺える。此時期に何作か見られるような絵題簽付の体裁で出されたのかもしれない。
 この本の更に後摺本として、「翰山房梓」「乙亥」と見返に象嵌した半紙本三巻五冊があり、刊記は「文化十二年己亥年孟春新刻/書肆/江戸日本橋通一町目/須原屋茂兵衛/京三條通柳馬場西へ入/近江屋治助」となっている(天理図書館本)。目録などを彫り直し、内題等の「巷談」を削り「坡〓庵」とし、巻下巻末の「附言」も省かれている。この体裁の本には、刊記を欠いた本(学習院大本)の他に、「河内屋喜兵衛/大文字屋與三郎」板があり(広島大本)、また天保期の後摺本と思われる『粂平内坡〓庵』(外題)という江戸・丁子屋平兵衛から大坂・河内屋茂兵衛まで四都六書肆が刊記に並ぶ、口絵の薄墨をも省いた半紙本五冊もある(個人蔵)。何時の改竄だか判らないが、口絵の薄墨板(薄雲の姿4オ)を掘り直した本もある(立命館大学林美一コレクション蔵)
 実は本作には序文と口絵を彫り直した中本三巻五冊の再刻板が存在する(都立中央図書館本)。幕末期の出来だと推測されるが、改装裏打されている上、見返や刊記を欠くため出板事項は未詳である。口絵には濃淡二色の薄墨が入れられ、本文は内題の「巷談」を削り「坡〓庵」とした板を用いているようであるが、挿絵第六図(巻中3ウ4オ)は薄墨板が無いと間が抜けてしまうためか削除されている。
 新刻された序末には「于時乙丑鶉月仲旬/飯台児山丹花の窗下に/曲亭馬琴誌/松亭金水書」とあるが、この「乙丑」は不可解である。慶応元年ならば既に馬琴は歿しているし、文化二年なら原板の序より早くなってしまうからである。また、どう見ても馬琴の文体とは考えられず、恐らくは松亭金水の仕業ではないかと思われる。金水はこの時期に『敵討枕石夜話』の再刻本『観音利生記』の序文を書いており、更に『江都浅草・観世音略記』(中本一冊、弘化四年、文渓堂板)を編んだりと、浅草関連の本に手を染めているのである(拙稿「馬琴の中本型読本−改題本再刻本をめぐって−」(『讀本研究』第五輯上套、後に『江戸読本の研究』所収)
 さて内容であるが、「援引書籍目録」に江戸の地誌や風俗関係の書を二十点も挙げ、本文中でも割注を用いて考証を加えるなど、近世初期の江戸風俗に対する興味を示しつつ、作品背景として用いている。この点に就いて大高洋司氏は、山東京伝の『近世奇跡考』巻之一の十一・十二・十七、巻之二の四・十・十一、巻之三の八、計七ヶ所の引用と、『骨董集』上之巻の二十所収「耳垢取古図」と本作挿絵第十五図(巻下11ウ12オ)との関係を指摘されている(「いずみ通信」11、一九八八年十月)
 言及していない資料を用いて、薄雲をはじめ、雁金屋の采女、向坂甚内、久米平内等に関わる伝承を散りばめつつ、形の上では敵討ものとなっているが、複数の伝承を酌み合わせた点に面白さが存する。そして「巷談」を標榜し、「皆虚なり比喩なり」(附言)といいながらも、考証を等閑視はしていないのである。
 尚、後摺本で付け替えられた京山序、並びに再刻本の序文と口絵とを、本稿末に掲げた。

【書誌】
編 成 中本 三巻三冊  十八・五×十二・九糎
表 紙 鶸無地(雲英末雄氏所蔵本)
題 簽 無し(剥離跡十二・五×二・四)(同右)
見 返 四周子持枠。右側に「巷談坡堤庵」、その左に「曲亭馬琴戲編 戊辰發販」「一柳齋豊廣畫 慶賀堂梓」、
間に「題詞」「大堤春水満 相映送春衣/日暮逢公子 不知何處歸」。
叙 題 「巷談坡〓庵叙(こうだんつゝみのいほじよ)」 叙末に「文化丙寅ふみひろけ月なぬかのゆふべ/曲亭馬琴みづから叙」
目録題 「巷談坡〓庵總目録(こうだんつゝみのいほそうもくろく)
内 題 「巷談坡〓庵(こうだんつゝみのいほ)巻上(中下)
柱 刻 「坡〓庵巻上(中下) ○(丁付)
尾 題 「巷談坡〓庵巻下 大尾」
匡 郭 単辺 十五・九×十・八糎
丁 付 上巻 叙一丁半(1オ〜2オ) 口絵三丁三図(2ウ〜5オ) 目録一丁半(5ウ〜6ウ) 本文十八丁半(7オ〜25オ) 計二十四丁半。 中巻 本文三十丁(1オ〜30ウ) 計三十丁。 下巻 本文二十八丁(1オ〜28ウ) 附言三丁(29オ〜31ウ) 刊記半丁(31ウ) 広告一丁(丁付なし) 計三十二丁。
行 数 叙七行 本文と附言九行
刊 記 「文化五戊辰年/正月吉日發販」「江戸通油町/村田次郎兵衞/同日本橋新右衞門町/上總屋忠助梓」
その他 「筆耕 嶋五六六謄冩」「剞〓/綉像 朝倉卯八刀/筆耕 三猿刀」
諸 本 後摺本(文化七年山東京山序、半紙本五冊)、再刻本(乙丑序、中本五冊)。解題参照。
翻 刻 林美一氏『未刊江戸文学』十四、十七号(未刊江戸文学刊行会)

【凡例】

一、基本的には原本の本文を忠実に再現するよう心掛けた。漢字も旧字俗字異体字にかかわららず、「JIS情報交換用漢字符号系(JIS X 0208-1990)」に存する字体の場合は生かした。但し、コード化されていない場合は次の様に近似の字体を採用した。

〓↓胤  〓↓誤  〓↓憖  〓↓曽  〓↓弟  〓↓弔  〓↓雁
〓↓陰  〓↓隠  〓↓條  〓↓歟  〓↓霊  〓↓解  〓↓形
〓↓負  〓↓析  〓↓疑  〓↓遷  〓↓面  〓↓答  〓↓修
〓↓携  〓↓偏  〓↓暦  〓↓佯  〓↓崛  〓↓雜  〓↓寄

この他、JISに規定されていない字に就いては原本通りにした。尚、これは問題の多いJIS漢字コードに義理立てしたわけではなく、本稿の機械可読テキストを公開する場合の便宜を考慮した為である。更に同様の趣旨から、敢えて字体の勝手な改竄で悪評高いJIS90年版(JIS X 0208-1990)に準拠して作成した。
二、片仮名は、特に片仮名の意識をもって書かれていると思われるもの以外は平仮名に直した。
三、本文中では句読点の区別無く「。」が用いられているが、行末等で句読点があるべきところに省略されている場合は「、」を補った。ただし、叙文では句読点の区別無く「、」が用いられている。
四、表記上の誤りと思われる箇所(衍字脱字等)は訂正せずにママと傍記した。
五、各丁に」印を付し、原則として各丁の裏に」15の如く丁数を示した。
六、表紙、見返し、口絵、挿絵は全て写真を掲載した。
七、割注は[ ]に入れて示したが、改行は記さなかった。
八、底本には天理図書館蔵の初板本を用い(天理大学附属天理図書館本翻刻第六五一号)、対校本として雲英末雄氏御所蔵の上巻と、向井信夫氏御所蔵の下巻とを参照した。再刻本の図版は東京都立中央図書館蔵の物を使用した。

【翻刻】

巷談坡〓庵叙(こうだんつゝみのいほのじよ)
如是(によぜ)我聞(がもん)、如来(によらい)龍華會(りうげゑ)の説法(せつほう)は、悉皆(しつかい)比喩(ひゆ)の手管(てくだ)に出(い)づ、ぼん/\凡夫(ぼんぶ)の智惠輪(ちゑのわ)は、とけども却(かへつて)疑念(ぎねん)あり、疑(うたが)ふ故(ゆゑ)に應報(おうほう)なき、これや一切(いつさい)衆生(しゆじよう)のうへ、下(した)から見れば木瓜(ぼけ)の花(はな)、草木(さうもく)非情(ひじよう)なれば智惠(ちゑ)もなし無智(むち)なる故(ゆゑ)に疑(うたがは)はず、疑(うたがは)ざれば得道(とくどう)す、今(いま)」また義(ぎ)を取(と)るこれに斉(ひと)し、余(よ)か説(とく)ところ偏〓(へんてつ)ならねど、疑(うたがは)ずしてその身(み)に引被(ひつかけ)、善(ぜん)を奨(はげま)し悪(あく)を懲(こら)さず、宵寝(よひね)まどひの油(あぶら)かすりて、物讀(ものよま)ぬには勝(まさ)るべし、されば此書(このしよ)は阿耨夛羅(あのくだら)、三冊(さんさつ)(そろ)ひし假名(かな)(もの)かたり、趣向(しゆこう)は元来(もとより)無盡意(むじんゐ)にて、舎利(しやり)發端(ほつたん)から結(けち)(ぐわん)まで、随縁(ずいえん)新編(しんへん)清浄(きよき)を根(もと)とす、實相(じつさう)(むろ)」 1咲(さき)の梅(うめ)とゝもに、春(はる)を含(ふくめ)る作者(さくしや)の勤行(ごんぎやう)、彼(かの)雪山(せつさん)の薪(たきゞ)ならで、しつては思案(しあん)にあたはじとて、漫(そゞろ)に筆(ふで)を走(はし)らするのみ

  文化丙寅ふみひろけ月なぬかのゆふべ

曲亭馬琴みづから叙 [印] [印]」

【口絵第一図】(2ウ3オ)雁金屋うねめ「名はそれとしらすともしれ猿沢の/あとを鏡か池にしつめは うねめ」

【口絵第二図】(3ウ4オ)久米平内左衛門・三浦屋薄雲「我袖の蔦や時雨てむら紅葉 薄雲」

【口絵第三図】(4ウ5オ)道哲法師・向坂甚内「俗情原淺薄豈識道心堅到得/成因果方知各一天 巡誉道哲」

援引書籍目録(ゑんいんしよじやくもくろく)

昔々物語(むかし/\ものかたり)     そゝろ物語(ものかたり)
事迹合考(じせきがつこう)        江戸名所記(えどめいしよき)
江戸咄(えどはなし)           江戸〓鹿子(えどそうかのこ)
いなもの               浅草拾遺物語(あさくさしうゐものかたり)
両巴巵言(りやうはしげん)        箕山大鑑(きさんおほかゞみ)
五元集(ごげんしう)           若菜合(わかなあはせ)
諸買物重宝記(しよかひものちやうほうき)  丸鑑(まるかゞみ) この類數夲
たきつけ草(くさ)            洞房語園(とうぼうごゑん)」 5
紫一夲(むらさきのひともと)        菱川師宣繪巻物(ひしかはもろのぶゑまきもの)
奥村政信妓像折本(おくむらまさのぶぎぞうのをりほん)  新著聞集(しくちよもんしう)
通計(つがう)二十餘部(よぶ)

○戲作(けさく)は原(もと)寓言(ぐうげん)を宗(むね)とすなれは。古書(こしよ)を引(ひい)てその事實(じじつ)を述(のぶ)るとしにもあらねど。亦(また)(これ)好事(こうず)の一癖(いつへき)のみ。古人(こじん)小説(しようせつ)を批(ひ)するに。動(やゝも)すれば史傳(しでん)を附會(ふくわい)し。假(か)を弄(ろう)して真(しん)となすの類(たぐひ)にあらず。且(かつ)文辞(ぶんぢ)に時代(じだい)の錯誤(さくご)あるは強(しい)て用捨(ようしや)の筆(ふで)に操(あやつ)るもの也。閲者(みるひと)(あやしみ)給ふことなかれ。」

巷談坡堤庵總目録(こうだんつゝみのいほそうもくろく)  全本(ぜんぽん)三冊(さんさつ)

  ○黄金(こかね)長者(ちやうじや)の廓通(さとかよひ)
  ○浅草(あさくさ)河原(かはら)の暗撃(やみうち)
  ○薄雲(うすくも)が猫(ねこ)
  ○兄弟(はらから)の太刀合(たちあはせ)
  ○道哲(どうてつ)が垣間見(かいまみ)(さか)
  ○鏡(かゞみ)が池(いけ)辞世(ぢせい)の和歌(わか)
  ○甚内橋(じんないばし)の仇討(あたうち)
  ○久米(くめの)平内(へいない)左衛門(さゑもん)が誓言(ちかごと)目録完」 6

巷談坡〓庵(こうだんつゝみのいほ)巻上(まきのじやう)

曲亭馬琴戲編

   黄金(こがね)長者(ちやうじや)の廓通(さとかよひ)

いづれの御時(おんとき)にかありけん。武藏國(むさしのくに)豊島郡(としまのこふり)渋谷(しぶや)の郷(さと)に。渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)宗順(むねまさ)といふ。いと冨(とみ)たる郷士(ごうさふらひ)ありけり。家(いへ)は保元(ほげん)平治(へいじ)以来(このかた)数代(すだい)相續(さうぞく)し。貨(たから)は蓬莱(ほうらい)の玉(たま)の枝(えだ)。燕(つばめ)の子(こ)やす貝(かひ)なんど。世(よ)にも亦(また)(まれ)なるべきを。数(かず)かぎりなく倉廩(ぬりこめ)におさめたり。まいて黄金(こかね)は弥生(やよひ)の茶〓(やまぶき)ならで。笆(かき)するばかりに充満(みち/\)。白銀(しろかね)は師走(しはす)の深雪(みゆき)ならで。簷(のき)にもおきあまりつべし。こゝをもて人(ひと)(なへ)て。黄金(こかね)の長者(ちやうじや)と稱(とな)ふ。妻(つま)は朝霧(あさきり)と呼(よば)れて。年(とし)は廿(はたち)のうへをやゝ三ッ四(よつ)には過(すぎ)ず。容止(かほばせ)の比(たぐひ)」なきのみならで。心ざまいと怜悧(さかし)ければ。夫婦(ふうふ)の睦(むつま)しきこと魚(うを)と水(みづ)とのごとく。一子(いつし)を金王(こんわう)と名(な)つけて。はづかに三才(さんさい)なり。家隷(いへのこ)おほかる中(なか)に。粂平内左衛門(くめのへいないさゑもん)といふものありけり。原(もと)は九州(きうしう)の諸侯(しよこう)に仕(つかへ)たるが。故(ゆゑ)あつて壮年(そうねん)に浪人(らうにん)し。この五七年(ねん)已前(いぜん)に江戸(えど)に来(きた)り。劍術(けんじゆつ)の指南(しなん)して生活(なりはひ)とはしたれども。その性(さが)剛毅(ごうき)にして。露(つゆ)ばかりも諂(へつら)ふことなきをもて。家(いへ)は究(きはめ)て貧(まづし)かりけり。しかるに渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)は。彼(かれ)が武藝(ぶげい)の弟子(でし)なりしかば。その赤貧(せきひん)を憐(あはれ)みて。近曽(ちかころ)渋谷(しぶや)の宅地(やしき)に呼(よ)びとり。別(べち)に室(いへ)をしつらひて。其処(そこ)に住(すま)し。よろづ叮嚀(ねんごろ)に扶持(ふち)しけり。この平内(へいない)が武藝(ぶげい)に秀(ひいで)たるはいふもさら也。膂力(ちから)(また)(ひと)に」 7勝(すぐ)れ。石平(せきへい)道人(どうじん)の門(もん)に遊(あそ)びて。二王(にわう)坐禅(ざぜん)の法術(ほふじゆつ)さへ得(え)たり。さるによつて。庄司(せうじ)は平内(へいない)を家(いへ)の老黨(おとな)よりもたのもしく思ひて。なほ師の禮(れい)を竭(つく)し。心くまなく款待(もてなす)にぞ。平内(へいない)もふかくその庇(めぐみ)を感激(かんげき)して信(まめ)やかに仕(つか)へけり。この頃(ころ)浅草(あさくさ)の郷内(ごうない)。三谷(さんや)といふ処(ところ)に。遊女(うかれめ)の長(ちやう)ども夥(あまた)(のき)をならべたり。三谷(さんや)はいにしへ三谷戸(みやと)といふ歟(か)。今(いま)も浅草川(あさくさかは)を宮戸川(みやとかは)といふ。三谷(みや)と宮(みや)と訓(よみ)おなじ。後世(こうせい)字音(じおん)に稱(となへ)て三谷(さんや)と呼(よび)。又(また)山谷(さんや)とも書(かけ)り。この邉(へん)に花川戸(はなかはど)[古名(こめい)舩川戸(ふなかはど)]など稱(となふ)るところあるをもてしるべし。さて彼此(をちこち)の風流士(みやびを)の交加(ゆきかひ)するを三谷(さんや)かよひといふ。[今この地(ち)に妓院(きいん)なしといへども。なほ三谷(さんや)かよひととなふることは。古言(こげん)の餘波(なごり)なるよし。昔々(むかし/\)物語(ものかたり)にいへり]その為体(ていたらく)(いま)とは大に事(こと)かはりて。美男(びなん)」【挿絵第一図】(8ウ9オ)ならざるものゝ花街(さと)かよひするは稀(まれ)也。しかるべき艶冶郎(ゑんやらう)。彼処(かしこ)に到(いた)らんと思ふのはじめ。隔(へだて)なき友(とも)の功者(こうしや)なるに。意気地(ゐきぢ)を傳受(でんじゆ)し。小袖(こそで)(はかま)(たち)など。もつはら時勢粧(いまやう)を盡(つく)し。よき伽羅(きやら)をもとめて焼(たき)こめ。物(もの)のいひざま立(たち)ふるまひなども。その徒(ともがら)に笑(わらは)れじとするほどに。稽古(けいこ)の間(あはひ)(あるひ)は四(し)(ご)(か)(つき)。或(あるひ)は半年(はんねん)(よ)に及(およ)び。しかして後(のち)その友(とも)に導(みちびか)れて。彼地(かのち)に到(いた)るといへども。いまだ遊女(うかれめ)を呼(よ)ばず。かくすること数遍(あまたゝび)にして。いよ/\風流(みやび)の藪澤(さと)の趣(おもむき)を解(げ)し。さてはじめて妓(あそび)にあひしとぞ。この故(ゆゑ)に銭(ぜに)なき人の企(くはだて)(およ)ぶべきにあらず。人その衣裳(いしよう)の花美(くはび)なると。ものゝいひざまの風流(みやび)たるをもて。何がしは三谷(さんや)か」 9よひするならんといひあへりしとかや。すべてそのころの武士(ぶし)は。路(みち)をゆくに袴(はかま)のそば高(たか)くとりて膝(ひざ)をあらはし。膝頭(ひざがしら)の下(した)には。紙(かみ)を三角(さんかく)に折(をり)て巻(まき)(つけ)るを。三里(さんり)かくしといふ。これ灸(やいと)の迹(あと)をかくす也。髪(かみ)は立髪(たてかみ)。巻立(まきたて)その好(このみ)にまかし。額(ひたひ)立派(りつぱ)に抜(ぬい)て。長(なが)き両刀(りやうとう)を〓(よこたへ)。巻羽織(まきはをり)とて。羽織(はをり)のさがりを前(まへ)にて結(むす)びあはし。遊里(ゆうり)にかよふ人は。ます/\かひ/\しく出立(いでたつ)なり。こは何故(なにゆへ)ぞといふに。貴(たかき)も賤(いやしき)も。男(をとこ)は柔弱(じゆうじやく)なるを羞(はぢ)とし。途中(とちう)に於(おい)ていかなる椿事(ちんじ)の出来(いできた)らんとき。走(はし)りまはりに便(たより)よくせんが為(ため)也。殊(こと)さら柳巷(くるわ)は繁花(はんくは)の魔処(ましよ)にて。ゆくも帰(かへ)るも夜道(よみち)」をもつはらとすれば。常(つね)よりもなほ一際(ひときわ)(たけ)く出立(いでたち)けり。[以上昔昔(むかしむかしの)物語(ものがたり)の説(せつ)なり要(よう)を摘(つむ)]今も稀(まれ)に菱川(ひしかは)師宣(もろのふ)が筆(ふで)に。その圖(づ)のこれるを見ることぞかし。又山谷(さんや)かよひするもの舩(ふね)に乗(の)らず轎(かご)に乗(の)らず。多(おほ)くは馬(うま)にてかよへり。これを土手(どて)(うま)といふ。若菜合(わかなあはせ)[嵐雪(らんせつ)(ひやう)]に其角(きかく)が。  土手(どて)の馬(うま)くはんを無下(むげ)に菜摘(なつみ)かな。といへりしはこれ也。その花馬(はなうま)日夲橋(にほんばし)より三谷(さんや)まで。口附(くちつき)の馬士(まご)(あるひ)は二人(ふたり)。或は一人(ひとり)。路(みち)すがら小室節(こむろぶし)うたふ。駄賃(だちん)は馬士(まご)の衆(おほき)と寡(すけなき)とによつて定(さだ)めあり。馬(うま)は人/\白馬(しろうま)を徴(もと)む。このときの流行(はやり)小唄(こうた)に。春(はる)の日(ひ)の糸(いと)ゆふわけて柳(やなぎ)手折(たを)るはたれ/\ぞ。白(しろ)き馬(うま)にめしたると」10のごよな。とうたへり。すべて色(いろ)は白(しろ)きをよしとして。白〓組(しらつかくみ)などいふ侠者(きやうしや)さへあり。故(ゆゑ)に馬(うま)も白馬(しろうま)を愛(めで)おもへり。[以上諸説(しよせつ)をならべ抄(せう)す]妓楼(ぎろう)の名(な)たゝるもの。西田屋(にしたや)[庄司(せうじ)(うぢ)]三浦(みうら)。兵庫屋(ひやうごや)。巴(ともへ)雁金屋(かりかねや)なんど。妓(あそび)には勝山(かつやま)。高尾(たかを)。薄雲(うすくも)。高橋(たかはし)。定家(ていか)。吾妻(あづま)。奥州(おうしう)。[大鑑(おほかゞみ)(また)両巴巵言(りやうはしげん)にくはし]枚挙(かぞへあぐる)に遑(いとま)あらず。但(たゞ)しこの名目(みやうもく)に初代(しよだい)二代(にだい)三代(さんだい)あり。音曲(おんきよく)は。まづ浄瑠璃(じやうるり)に虎屋(とらや)永閑(えいかん)。近江(あふみ)語斎(ごさい)。説経(せつきやう)には村山(むらやま)(きん)太夫。大坂(おほさか)七郎(しちらう)太夫(だいふ)[惣かのこに出たり]哥(うた)は隆達節(りうたつぶし)[これを投(なげ)ぶしといふ]籠斎節(ろうさいぶし)。土手節(どてぶし)。籬節(まがきぶし)。いなもの節(ぶし)など。なほくさ/\あるべし。間話(むだはなし)はさておく。渋谷庄司(しぶやのせうじ)は今(いま)この泰平(たいへい)の時(とき)に生(うまれ)あひ。齢(よはひ)さへなほわかくて。財宝(たから)に事(こと)(か)く身(み)に」しあらねば。一たびは風流(みやび)たる遊(あそ)びをもして。老後(ろうご)の語(かたり)くさにせばやとて。ある日(ひ)浅草寺(あさくさてら)の観世音(くわんぜおん)に詣(まふで)たるかへさ。三浦(みうら)の薄雲(うすくも)とかいへる遊女(うかれめ)にあひそめしより。花(はな)の朝(あした)(ゆき)の夕(ゆふべ)。折(をり)にふれてかよひ路(ぢ)の数(かず)もかさなりぬ。薄雲(うすくも)は冨人(とむひと)にしも愛(めづ)るにあらねど。庄司(せうじ)が男風流(をとこぶり)の人なみに勝(すぐ)れて。その志(こゝろざし)(また)(た)に超(こえ)たれば。いと憎(にく)からず待(もてな)して。川竹(かはたけ)の浅(あさ)き流(なが)れに。深(ふか)き心(こゝろ)の底(そこ)さへうちあかし。比目(ひもく)の契(ちぎり)に連理(れんり)の枕(まくら)をならべ。飽(あか)ぬ別(わか)れに暁(あかつき)の鐘(かね)を恨(うらむ)るも切(せつ)なり。かゝるすぢに誠(まこと)あるはいと稀(まれ)なれば。塒(ねぐら)の鶏(とり)も八声(やこゑ)をとゞめて。方(けた)なる卵(かひこ)や生(うみ)ぬべき。しかあれど庄司(せうじ)が妻(つま)は。聊(いさゝか)も」11妬(ねたみ)のこゝろなく。風ふかば沖津(おきつ)しら浪(なみ)と詠(えい)しけん。いにしへの賢(かしこ)き女(をんな)にも勝(まさ)りて見(み)ゆれば。夫(をとこ)もさすがに羞(はぢ)て。いよ/\妻(つま)にも信(まめ)やかにぞありける。彼(かの)薄雲(うすくも)は。年来(としころ)一ッの牡猫(をねこ)を養(かひ)て。これを愛(あい)すること人の親(おや)の子(こ)をおもふに異(こと)ならず。出(いづ)るにもかいもて抱(いだ)きて。束(つか)の間(ま)もそのほとりを放(はな)つことなし。されば世(よ)の人(ひと)女三(によさん)の宮(みや)の故事(ふること)さへ思ひ出(いで)。彼(かれ)を渾名(あだな)して猫児(ねこ)といふ。俳諧師(はいかいし)(しん)其角(きかく)が。
 京町(きやうまち)の猫(ねこ)かよひけり揚屋町(あげやまち)といへりしはこれが事也。三浦(みうら)が家(いへ)は京町(きやうまち)にありし。ゆゑに京町(きやうまち)の猫(ねこ)とはいへり。この遊女(あそび)全盛(ぜんせい)」【挿絵第二図】(12ウ13オ)(たぐひ)なかりし程(ほど)に。年(とし)を經(へ)て花紫(はなむらさき)といふ阿曽比(あそび)。衣服(いふく)の模様(もやう)に大(おほひ)なる猫(ねこ)をつけたり。是(これ)薄雲(うすくも)が全盛(ぜんぜい)を慕(した)ふもの也。[この圖(づ)奥村(おくむら)源八(げんはち)政信(まさのぶ)が妓女ぎぢよ合(あはせ)の折本(をりほん)に見えたり花紫(はなむらさき)が定(ぢやう)もんはむかふ梅(うめ)也]かゝりし程(ほと)に彼(かの)(ねこ)も。よく主(しゆう)に狎(なれ)て。常住坐臥(ぢやうぢうさぐわ)その裳(もすそ)にまつはる為体(ていたら)。あまりに怪(あや)しく見ゆれば。人みな薄雲(うすくも)は猫(ねこ)に憑(つか)れたりといひ罵(のゝし)る折(をり)しも。薄雲(うすくも)懐胎(みごもり)てけり。よつてますます風聞(ふうぶん)(たか)くなりしかば。渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)(つたへ)(きい)て。いと浅(あさ)ましくおぼえ。是(これ)より後(のち)は不通(ふつ)に交加(ゆきかひ)せず。薄雲(うすくも)は夥(あまた)の嫖客(まれびと)あれども。誠心(まごゝろ)もてあふ人は。庄司(せうじ)のみなれば。豫(かね)てより。わが身(み)にかゝる事あり。こは全(まつた)く君(きみ)が子(こ)なり。産(うみ)おとしなばよきに〓育(はぐゝみ)」13給はるべしとて。潜(ひそか)に聞(きこ)えおきたりしに。今(いま)ははや臨月(りんげつ)もやゝ近(ちか)づきぬれど。絶(たえ)て音耗(おとづれ)なければ。心のうちふかく不審(いぶかし)み。過(すぎ)にし春(はる)は夢(ゆめ)にして。人の心に秋風(あきかぜ)のたつことは。かくも早(はや)きかと恨(うら)みながら。明白(あからさま)には人に語(かた)らず。片(かた)しく袖(そで)も涙(なみだ)に浸(ひた)して。思ひ寝(ね)の心くるしきさへあるに。主人(あるじ)が老女(おうな)をもて。汝(なんぢ)が腹(はら)なる子(こ)の父(ちゝ)は誰(たれ)なるぞ。来(き)ませる嫖客(まれびと)に心あてありやなど問(とは)るゝもいと悲(かな)しくて。この事はつや/\思ひわきまへ侍(はべ)らずとのみ回答(いらへ)て。何事もいはず。さて月(つき)も満(みち)て安(やす)らかに産(よろこび)せしが。生(うま)れ出たるは男子(をのこゞ)なり。世(よ)にある人は氏族(うから)親族(やから)つどひて。さゞれ石(いし)の巖(いはほ)までもと祝(ことぶ)くべきに。」遊女(うかれめ)の子(こ)を産(うめ)るは。いと羞(はぢ)也。とわれも思ひ。人も怪(あやし)むめり。さるあひだ庄司(せうじ)にかくと書簡(ふみ)にしらして。情由(ことのよし)を訴知(つぐる)さへ。筆(ふで)もあやなく見ゆめれど。庄司(せうじ)はます/\気疎(けうと)く思ひて。果敢々々(はか%\)しく回答(いらへ)もせざりければ。縦(たとひ)わが身にさゝやかナル過(あやまち)ありとも。誓(ちかひ)しことを仇(あだ)にして。その事は露(つゆ)ばかりも聞(きこ)え給はず。かくも強面(つれなき)はいかにぞや。元来(もとより)(うとま)るべきおぼえなし。こは嫡室(ほんさい)の妬(ねたみ)ふかきに怕(おそ)れ給ふもの歟(か)。又(また)遊女(うかれめ)に子(こ)をうませたりなどいはれんを厭(いと)ひ給ふかとて。とさまかうさま思ひやる程(ほど)。鈍(おぞ)ましくも形(あぢき)なくて。昼(ひる)さへ燃(もゆ)る胸(むね)の火(ひ)の。よしやわが身(み)は消(きゆ)るとも。此(この)うらみ一(ひと)たび聞(きこ)えでやはと」14憤激(ふんげき)し。少(すこ)し肥立(ひだち)て後(のち)。頃日(このころ)の願(ぐわん)ほどきに。浅草寺(あさくさでら)の観世音(くわんぜおん)へ詣(まふで)。路(みち)の次(ついで)にゆくべき処(ところ)もあればなどいひこしらへ。心しりたる老女(おうな)と。妓有(ぎう・ワカキモノ)の男(をとこ)と只(たゞ)二人(ふたり)を將(い)て。淺草寺(あさくさてら)へ詣(まふづ)るにも。いとゞしく心いそがれ。潜(ひそか)に渋谷(しぶや)に赴(おもむ)きて。面(まの)あたり庄司(せうじ)に恨(うらみ)を述(のべ)んとて。思ひ定(さだ)めしも哀(あは)れ也。

   浅草(あさくさ)河原(かはら)の暗撃(やみうち)

こゝに又(また)鳥越(とりこえ)の片(かた)ほとりに。向坂(こうさか)甚内(じんない)といふ武士(ぶし)の浪人(らうにん)ありけり。その心ざま〓悪(かんあく)なるものなるが。年(とし)なほ三十にも満(みた)ず。殊更(ことさら)に婬酒(いんしゆ)を嗜(たし)み。不義(ふぎ)の銭(ぜに)を掠(かすめ)とりて。糞土(ふんと)のごとく遣(つか)ひ捨(すて)。い」ぬるころ薄雲(うすくも)が許(もと)にかよひしに。薄雲(うすくも)は渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)に志(こゝろざし)を運(はこ)びぬる折(をり)なれば。たえて一夜(ひとよ)もあはざりける。しかれども庄司(せうじ)は黄金(こがね)の長者(ちやうじや)と呼(よば)るゝほどの財主(だいじん)なれば。甚内(じんない)これと張(はり)あふことかなはず。既(すで)に銭(ぜに)(つき)ていかにともせんすべなく。世(よ)の胡慮(ものわらひ)となりしかば。ふかくうらみ憤(いきどほ)り。他國(たこく)に赴(おもむ)くとて家(いへ)をば人に賣(うり)わたし。なほ処(ところ)をも定(さだ)めず彼此(をちこち)にかくれゐて。庄司(せうじ)をや撃(うた)ん。薄雲(うすくも)をや殺(ころ)さんとて。もつはらその便(たより)を窺(うかゞ)ふに。庄司(せうじ)は久(ひさ)しく花街(さと)に至(いた)らず。薄雲(うすくも)も近曽(ちかころ)引籠(ひきこも)りてありと聞(きこ)えしほどに。力(ちから)(およ)ばて黙止(もだ)せしに。この日(ひ)薄雲(うすくも)が浅草寺(あさくさてら)へ詣(まふづ)るよしを聞(きゝ)しりて」15潜(ひそか)によろこび。舩川戸(ふなかはど)のこなた。人家(じんか)まばらなる芦(あし)の中(なか)にかくろひて。今か/\と待(まち)(ゐ)たり。とはしらずして薄雲(うすくも)は。心いそがはしければ。河原(かはら)の好景(よきけい)にも眼(め)をとめず。寺(てら)を出(いで)て河原(かはら)つたひに。西南(せいなん)を投(さし)てたどりゆくを。甚内(じんない)はすこし遣(や)り過(すぐ)して。芦(あし)の繁(しげ)みより。跳出(おどりいで)。刀(かたな)を閃(ひらめか)して打(うつ)てかゝれば。妓有(ぎう)も老女(おうな)も阿呀(あゝ)とばかり驚(おどろ)き怕(おそ)れ。命(いのち)を限(かぎ)りに迯(にげ)たりける。薄雲(うすくも)も路(みち)を横(よこ)ぎりて走(はし)り避(さけ)んとするを。甚内(じんない)はやく追(おひ)とめて。〓(かたさき)四五寸(すん)切著(きりつく)れば。薄雲(うすくも)は一声(ひとこゑ)(さけび)て。仰(のけ)さまに倒(たふ)るゝを。起(おこ)しもたてず乗(のり)かゝりて。胸(むね)のあたりを刺(さゝ)んとす。薄雲(うすくも)は刺(さゝ)れじと。黄金(こがね)の」笄(かんざし)を抜(ぬき)(もつ)て。甚内(じんない)が左(ひだり)の耳(みゝ)をしたゝかに突(つい)たりければ。耳垂房(みゝたぶ)を突(つき)ぬきて。血(ち)の出(いづ)ること夥(おびたゞ)し。さる程(ほど)に二人(ふたり)の男女(なんによ)は。迯(にげ)つゝも家(いへ)あるかたに向(むか)ひ。賊(ぞく)の人(ひと)をころすあり。とく出(いで)あひ給へと呼(よび)たつれば。里人(さとひと)(ら)(て)に/\棒(ぼう)を引提(ひつさげ)て走出(はせいで)たり。甚内(じんない)はこの形勢(ありさま)を見て。とゞめの刀(かたな)を刺(さす)に及(およ)ばず。何地(いづち)ともなく脱去(にげさ)りぬ。さて老女(おうな)と妓有(ぎう)は。里人(さとびと)(ら)とゝもに。薄雲(うすくも)を扶起(たすけおこ)して。さま%\に勦(いたは)るに。痍(きず)は幸(さいはひ)に灸処(きうしよ)を外(はづ)れたれば。いまだ死(し)なず。さはとて人(ひと)を走(はし)らせて。妓院(さと)に縁由(ことのよし)を告(つげ)しらすれば。時(とき)を移(うつ)さず三浦(みうら)が家僕(かぼく)(ら)。轎(かご)を扛(かゝ)して出来(いできた)り。やがて手負(ておひ)を扶乗(たすけの)」16し。里(さと)人に厚(あつ)く謝(しや)して。勦(いたは)り冊(かしづき)つゝ立帰(たちかへ)れは。主人(あるじ)は嚮(さき)より門方(かどべ)に立望(たゝずみ)て。轎(かご)なから裡(うち)に擡入(もたげい)れさせ。俄頃(にはか)に醫師(くすし)を呼(よ)びて療治(りやうぢ)もつはら心を竭(つく)し。この日附添(つきそひ)てゆきたる老女(おうな)と妓有(ぎう)を呼(よ)びて。縁故(ことのもと)を問(とふ)に。二人言(こと)をひとしくしていふやう。賊(ぞく)は頭巾(づきん)をもてふかく面(つら)を裹(つゝみ)。不意(ふゐ)に蘆(よし)の中(うち)より跳出(おどりいで)たれは。何人なりとも認得(みとめえ)ず。まいていかなる意趣(ゐしゆ)ありて。刃傷(じんじやう)におよびしにや。更(さら)に考(かんがふ)るところなしと答(こた)ふ。かくては仇(あた)をしるべき手(て)がゝりもなし。こは全(まつた)く薄雲(うすくも)に遺恨(いこん)あるにはあらで。物(もの)をとらん為(ため)にやあらん。とかく薄雲(うすくも)か」【挿絵第三図】(17ウ18オ)【挿絵第四図】(18ウ19オ)(きず)平愈(へいゆ)するの後(のち)。しづやかに問考(とひかんがへ)なば。事おのづからしることもあらんとて。ます/\看病(かんびやう)等閑(なほざり)ならずぞもて扱(あつか)ひける。かくて薄雲(うすくも)が痍(きず)は。日を追(おふ)て少(すこ)し愈(いえ)なんとすれば。人みなよろこびあひぬれど。その身(み)はこゝろ鬱々(うつ/\)としてたのしめる気色(けしき)もなく。ある夜(よ)(ひと)(しづまつ)て後(のち)。畜猫(かひねこ)のこのころ病(やまひ)の床(ゆか)を去(さ)らず。物(もの)をもはか/\しく得(え)(く)はで。いと愁(うれふ)るがごとく。この夜(よ)も主(しゆう)の枕方(まくらへ)にありけるを見かへりて。汝(なんぢ)は年来(としころ)よくわが心をしりて。いふことをも聞(きゝ)わくるなるに。今(いま)(きこ)えおくことを。よくなしてんや。わが身(み)去年(こぞ)の春(はる)より。黄金(こがね)の長者(ちやうじや)に馴(なれ)まゐらせ。子(こ)まで」19産(うみ)たる誠心(まこゝろ)は。彼人(かのひと)ならで誰(たれ)かはしらん。しかるに中(なか)ぞらに遠(とほ)ざかり給ひぬか。恨(うらみ)のかず%\は。言(こと)の葉(は)につくすべうもあらねど。面(まの)あたり思ふ程(ほど)を聞(きこ)えて。児(ちご)を逓与(わた)し。わが身(み)の随意(まゝ)になるをまちて。尼(あま)ともなるべくおもひ定(さだ)め。いくそばくその心を竭(つく)し。潜(ひそか)に渋谷(しぶやの)へ赴(おもむか)んとする途中(とちう)。わが身(み)忽地(たちまち)(きづゝけ)られ。命(いのち)さへ危(あやう)かりき。その時(とき)(あた)を何人とも認(みとめ)ねど庄司(せうじ)の君(きみ)の人(ひと)に命(めい)じて。かくはからせ給ふかとおぼし。熟(つら/\)縁故(ことのもと)を考(かんがふ)るに。わが身(み)(なんぢ)を鐘愛(ちやうあひ)し。汝(なんぢ)も又われを慕(した)ふことのふかければ。世(よ)の人いたく怪(あや)しみて。あらぬ事さへいへりしとぞ。」わが身(み)もをさ/\この事(こと)を。いと朽(くち)をしくは思ひながら。全(まつた)く妬(ねた)むものゝ讒言(さかしらこと)なれは。誰(たれ)を咎(とが)むべきやうもなくて過(すぎ)つるが。もし庄司(せうじ)の君(きみ)。この言(こと)を傳聞(つたへきゝ)。畜生(ちくしよう)の子(こ)を孕(はらめ)るかと思ひ誤(あやま)りて。ふかくも疎(うと)み給へるもの歟(か)。又嫡室(ほんさい)のもの妬(ねた)み甚(はなはだ)しくて。かよひ路(ぢ)に関(せき)を居(すえ)。あはせぬかの二ッを出(いづ)べからず。われ汝(なんぢ)を愛(あい)するゆゑに。情郎(おもふをとこ)に疎(うとま)るゝならば。汝(なんぢ)(おん)を禀(うけ)て報(ほう)ずるに。仇(あた)をもてするにあらずや。色(いろ)を賣(うり)。媚(こび)を鬻(ひさく)なる遊女(うかれめ)の。躯(み)に痍(きず)をつけられて羞(はぢ)に羞(はぢ)をかさねたれば。とても存命(ながらへ)(はつ)べきとは思はず。わが身(み)なからん後(のち)に。汝(なんぢ)(かの)(きみ)の家(いへ)に至(いた)り。わが汚(けが)されたる名(な)を」20雪(すゝ)ぎ。清(きよ)き志(こゝろざし)のほどをしらせよかし。わが身(み)に父(ちゝ)あれども。稚(おさな)き時(とき)わかれまゐらせてより以来(このかた)。たえて信(たより)もなし。今この事を委(ゆだね)んもの。汝(なんぢ)ならではありともおぼえぬに。よう心を得(え)よかしとかき口説(くどく)も。さながら人にものいふごとく。涙(なみだ)に胸(むね)のみふたがれと。人に聞(きか)れじとすれば声(こゑ)をだに得(え)(たて)ず。袂(たもと)を顔(かほ)に押(おし)あてゝ。しばし泣(なき)しづみけるにぞ。猫(ねこ)は只(たゞ)(かうべ)を低(たれ)て。もろともに涙(なみだ)さしぐみけり。さてはいひつる事を聞(きゝ)わきたりと思ふに。いとうれしくて。しのび/\に書写(かいしたゝめ)たる一封(いつふう)をとり出(いで)て。猫(ねこ)の首環(くびたま)に結(むす)び著(つけ)しかば。猫(ねこ)はいと名残(なごり)をしげにて。高(たか)く」鳴(なき)つゝ外面(とのかた)へ走去(はせさ)りぬ。薄雲(うすくも)はこの景迹(ありさま)を見て。今は心(こゝろ)(やす)しとて。用意(ようゐ)の剃刀(かみそり)を袿(うちぎ)の袖(そで)に楚(しか)と巻(まき)そえ。既(すで)に咽喉(のんど)をかき切(き)らら(ママ)んとすれば。憖(なまじい)に嬰児(みどりご)の面影(おもかげ)さへ目(め)に見(み)えて。覚期(かくご)きはめし拳(こぶし)も撓(たゆ)み。思はず撲地(はた)と轉輾(ふしまろび)しが。打(うち)おどろきて身(み)を起(おこ)し。さてもわが子(こ)は果報(くわほう)なきものかな。由緒(よし)ある人の胤(たね)にはあれども。父(ちゝ)とも鳴(なか)ぬ簑虫(みのむし)の。涙(なみだ)の雨(あめ)にそぼ濡(ぬれ)て。秋(あき)の蛍(ほたる)と消(きえ)てゆく。母(はゝ)が顔(かほ)だに認(みし)らぬ間(はし)に。死別(しにわかれ)する不便(ふびん)さは。うしとも憂(う)しやうかれ女(め)の。わかれといふは後朝(きぬ/\)に。うらみし鐘(かね)もけふは又(また)。諸行(しよぎやう)無常(むじよう)を身(み)にぞしる。親子(おやこ)の因(ちなみ)。うす」21雲(くも)が暗(くら)きに迷(まよ)ふ子(こ)ゆゑの闇(やみ)は。真如(しんによ)の月も出(いて)やらぬ。けふ晦日(つこもり)を命(めい)日とは。後(のち)にしりてぞ歎(なけ)くべき。と思ふほど顕身(うつせみ)の。息(いき)の内(うち)なる束(つか)の間(ま)も。名残(なこり)をしやいと惜(を)しやと。心のかぎり声(こゑ)(たて)て。泣(なか)ぬは泣(なく)にいやましたり。これさへ今般(いまは)の惑(まよ)ひぞ。と思ひかへして眼(まなこ)を閉(とち)。念佛(ねんぶつ)十遍(へん)ばかり唱(となへ)つゝ。忽地(たちまち)(やいは)に命(めい)を断(たち)て。暁(あかつき)の燈(ともしび)とゝもに消(きえ)にけり。享年(きやうねん)廾一才なり。天明(よあけ)て後(のち)に人はしめてこれをしり。頻(しきり)に驚(おとろ)きさわぐといへども既(すて)に縡切(ことき)れたれば。いかにともせんすべなく。主人(あるじ)は千々(ちゞ)の黄金(こかね)をうしなへる心持(こゝち)しつ。親(したし)きも疎(うと)きも哀悼(あはれみいたみ)て。そも何事のありて」【挿絵第五図】(22ウ23オ)自害(かい)したるかといぶかしめど書遺(かきのこ)せしものなければ。縁故(ことのもと)しるべうもあらず。元来(もとより)薄雲(うすくも)に親(おや)兄弟(はらから)さへあることを聞(きか)ねば。後(のち)の事も。主人(あるじ)よりよきにはからひて。榧寺(かやてら)とかいふ蘭若(みてら)に葬(ほうふり)て。跡叮嚀(ねんころ)に弔(とふら)ひ得(え)させけり。しかるに浅茅(あさぢ)が原(はら)に小七(こしち)といふもの夫婦(ふうふ)(す)みて紙(かみ)を漉(すき)て活業(なりわひ)とせしが。妻(つま)を小妙(をだへ)といふ。女児(むすめ)ひとりもちて。今茲(ことし)五才(こさい)になりぬ。極(きはめ)て貧(まづし)きものなるに。彼(かの)小七久(ひさ)しく病(やみ)て。いかにともすべなけれは。夫婦(ふうふ)談合(だんかう)して女児(むすめ)を三浦(みうら)が家(いへ)に賣(う)りて。金(かね)五両(ごりやう)あまりを得(え)たり。小七が児(ちご)はなほいはけなけれども。こゝろざま」23怜悧(さかしく)て。容止(かほばせ)も尋常(よのつね)に勝(すぐ)れて見ゆれば。是(これ)を時雨(しぐれ)と名(な)づけて薄雲(うすくも)に領(あづけ)たりしに。いまだいくばくならで。薄雲(うすくも)(み)まかりしほどに。時雨(しぐれ)はいたくうち泣(なき)て。哀慕(あいぼ)やるかたなかりけり。こは日来(ひごろ)薄雲(うすくも)が。彼(かれ)を愛(めづ)ること。子(こ)のごとくしたりしかば。稚(おさな)ごゝろにも。その恩(めぐみ)を感(かん)じてうち歎(なげ)くめり。しからばなき人(ひと)の調度(ちやうど)などは。時雨(しぐれ)にとらせよとて。これが母(はゝ)の小妙(をだへ)を呼(よび)て。縁由(ことのよし)を説示(ときしめし)し。薄雲(うすくも)が手道具(てどうぐ)を残(のこ)りなく与(あた)へける。小妙(をだへ)は貪(むさぶり)て飽(あく)ことをしらざるものなれば。今(いま)薄雲(うすくも)が横死(わうし)して。おもひもかけず得(とく)つきたるをふかく歓(よろこ)び。両三(りやうさん)」年(ねん)はこれを賣食(うりぐひ)にして。その日(ひ)をおくりしが。時雨(しぐれ)八九歳(さい)に及(およ)びては。磨(みがゝ)ざる玉(たま)のやうやく光(ひかり)をあらはすがごとく。顔(かんばせ)とし%\に麗(うるは)しくなりにければ。小妙(をだへ)ははじめ僅(はづか)なる身價(みのしろ)を得(え)て。彼(かれ)を手放(てはな)したることを悔(くひ)て。をり/\三浦(みうら)が家(いへ)に至(いた)り。小七(こしち)が長病(ちやうびやう)に手(て)かはりして。看病(かんびやう)するものゝなきを歎(なげ)き。舊(もと)の身價(みのしろ)を贖(つくのひ)(はべ)らんに。あはれ時雨(しぐれ)をかへし得(え)させ給へとてかき口説(くどき)ぬ。主人(あるじ)もはじめの程(ほど)は。たえて承引(うけひく)気色(けしき)なかりしが。あまりにかこたれて已(やむ)ことを得(え)ず。身價(みのしろ)五両(ごりやう)を返(かへ)し納(いれ)させて。時雨(しぐれ)が身(み)の」24暇(いとま)とらせけり。小妙(をだへ)はかくたばかりて。時雨(しぐれ)を將(い)てかへり。一両(いちりやう)(げつ)をおきて。ふたゝび堺町(さかひまち)の雁金屋(かりがねや)へ。三十両(りやう)に賣(うり)しとぞ。三浦(みうら)も後(のち)にこの事をしりて。ふかく憤(いきどほ)るといへども。舊(もと)の身價(みのしろ)を贖(つくのは)せたれば。明白(あからさま)に咎(とがむる)ことあたはず。時雨(しぐれ)は成長(ひとゝなる)の後(のち)全盛(ぜんせい)(たぐひ)なく。雁金屋(かりがねや)の畷女(うねめ)と呼(よば)れしはこれなり。

巷談坡〓庵巻上畢

巷談坡〓庵(こうだんつゝみのいほ)巻中

曲亭馬琴戲編

   薄雲(うすくも)が猫(ねこ)

渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)宗順(むねまさ)は。薄雲(うすくも)が横死(わうし)せしをしらず。ある日(ひ)浅草寺(あさくさでら)へ参詣(さんけい)したりけるに。日来(ひごろ)相識(あひし)れる柳巷(さと)の何がし男(をとこ)に行(ゆき)あひて。薄雲(うすくも)が子(こ)を産(うみ)し事。且(かつ)自害(じがい)して亡(うせ)たる首尾(はじめをはり)。審(つまびらか)に聞(きゝ)て驚(おどろ)き怪(あやし)み。さすがに憐(あはれ)みおもひて心たのしまず。やがて家路(いへぢ)に赴(おもむ)くとて。榧寺(かやてら)のほとりを過(よぎ)るとき。何となく川風(かはかぜ)の膚(はだへ)を浸(おか)すとおぼえしが。立(たち)かへりてより心持(こゝち)いと悩(なやま)しく。假初(かりそめ)にうち臥(ふし)てながく首(まくら)あがらず。醫師(くすし)をえらみ。張氏(ちやうし)が論(ろん)ずるところ。孫氏(そんし)が」説(とく)ところ。陰陽(いんよう)補写(ほしや)の術(じゆつ)を盡(つく)すに。衆議(しゆぎ)(まつた)く鬼病(きびやう)なるべしと一決(いつけつ)して。鬼邪(きじや)十三穴(けつ)に鍼(はり)さし。湯藥(とうやく)醫論(ゐろん)に隨(したがつ)て。方劑(ほうざい)を定(さだ)むといへども。針灸(しんきう)藥餌(やくじ)もそのかひなきがごとく。顔色(がんしよく)やうやく憔悴(せうすい)す。妻(つま)の朝霧(あさきり)はいふもさら也。闔宅(やうち)の奴婢等(ぬひら)に至(いた)るまで。安(やす)き心もなく。日に/\氷川(ひかは)の神社(やしろ)。渋谷(しぶや)の八幡(はちまん)に参詣(さんけい)し。家公(あるじ)の病痾(やまひ)平愈(へいゆ)を祷(いの)るの外(ほか)他事(たじ)なし。こゝに久米(くめの)平内(へいない)左衛門(さゑもん)は。はじめより庄司(せうじ)が病体(びやうてい)をいと不審(いぶかしく)おもひしが。その傍(かたはら)に人なき折(をり)を伺(うかゞ)ひ。ちかく膝(ひざ)をすゝめていふやう。このごろ君(きみ)が夜毎(よごと)に魘(おそは)れ給ふを見れは。醫師(くすし)の考(かんがへ)申すに違(たが)はず。」 1こは全(まつた)く鬼病(きびやう)なるべし。縦(たとひ)いかばかり怪(あや)しき事ありとも。われには匿(かく)し給ふべきにあらず。心におもふ限(かぎり)をは。語(かた)り給へかしといへば。庄司(せうじ)やゝ枕(まくら)を擡(もたげ)て。げにいはるゝごとく。わが身(み)心持(こゝち)あしかりつるその日より。夜毎(よごと)に怪(あや)しきものを見て。心はなはだ穩(おだやか)ならず。この事(こと)は妻(つま)にも明白(あからさま)に告(つげ)がたきをもて。けふまでは黙止(もだ)せしなり。そはかゝる條(すぢ)なりとて。薄雲(うすくも)に疎(うとく)なりし始終(はじめをはり)を物(もの)がたり。さていふやう。われ彼(かれ)が自害(じがい)せしともしらで。いぬる日浅草寺(あさくさてら)へ詣(まうで)しとき。人にその事を聞(きゝ)て。何となく哀(あは)れにおぼえてより。俄頃(にはか)に心持(こゝち)あしうなりて。つや/\睡(ねふ)ること」なし。殊(こと)に怪(あや)しきは。人定(ひとしづまつ)て後(のち)。彼(かの)薄雲(うすくも)。夜(よ)な/\わが枕方(まくらべ)に来(き)て。通宵(よもすがら)(さ)らず。こなたを見つる眼(まなこ)の光(ひかり)も。ありし面影(おもかげ)には異(こと)にして。その竒怪(きくわい)言語(ことば)をもて説盡(ときつく)すべうもあらず。われ中(なか)ぞらにして彼(かれ)に疎(うと)くなりゆきしは。養猫(かひねこ)とあやしき名(な)のたちたるを憎(にく)みてなれど。こは世の人の流言(わざこと)にて。その身(み)に于(おい)ておぼえなければ。却(かへつ)てふかくわれを恨(うらみ)み。自害(じがい)して亡(うせ)たるもの歟(か)。又(また)面目(めんもく)なくて刃(やいば)に伏(ふ)したるもの歟(か)。今(いま)にしてはます/\暁得(さとり)がたし。因(よて)わが病源(やまひのみなもと)は薄雲(うすくも)が寃鬼(ゆうれい)のなすところといへども。妻(つま)にしらせんも鈍(おぞ)ましければ。心ひとつ」 2に思ひくしたる也。さていかにしてこの陰鬼(おに)を退(しりぞ)くべきといふ。平内(へいない)左衛門(さゑもん)つく/\と聞(きゝ)て。人死(し)するときは三魂(こん)(てん)に帰(き)し。六魄(はく)(ち)に帰(き)し。消(きえ)て一物(いちもつ)の遺(のこ)すなし。譬(たとひ)は。火(ひ)の滅(きえ)て迹(あと)なきがごとし。しかれども女子(ぢよし)小人(しようじん)たま/\臨終(りんじう)に執着(しうじやく)して。悪念(あくねん)を引(ひく)ときは。且(しばら)く凝滞(きたい)して銷鑠(せうれき・キエヌ)せず。是亦(これまた)(くさ)きものを焼(たく)に。その物(もの)は灰(はひ)となれども。嗅気(しうき)は暫時(しばらく)(のこ)るに似(に)たり。さはあれ死(し)したるものゝ再(ふたゝ)び形(かたち)をあらはして。人に見(まみ)ゆべき理(ことわり)なし。人(ひと)(し)して形(かたち)(すで)に腐爛(ふらん)すなるに。躯(むくろ)にかけがえなくば。出(いで)て人に見(まみゆ)ることなし難(がた)からん夫(それ)鬼神(きしん)は形(かたち)なし。輪廻(りんゑ)の説(せつ)は浮屠氏(ふとし)の誣言(しひごと)のみ。薄雲(うすくも)が寃鬼(ゆうれい)は。君(きみ)」【挿絵第六図】(3ウ4オ)がこゝろより生(しよう)じて。君(きみ)が眼中(がんちう)にあり。是(これ)むかし眼(め)を病(やむ)もの。天(てん)を仰瞻(あほきみる)に。かならず華(はな)を見るといふが如(ごと)し。華(はな)は實(じつ)に天(てん)にあるにあらず。眼(め)の病(やまひ)のいたすところ也。君(きみ)が薄雲(うすくも)を見(み)給ふも。又しかり。理(り)に暗(くら)きものゝ悟(さと)るべきにあらねば。亡者(もうじや)人間(にんけん)に往来(わうらい)するの談(だん)。公然(こうぜん)として疑(うたが)はず。尤(もつとも)一笑(いつせう)を發(はつ)するにたえたり。心易(こゝろやす)かれ、それがし今夜(こんや)その病根(びやうこん)を除(のぞ)き候べしといふに。庄司(せうじ)大に歓(よろこび)て。潜(ひそか)にその事を示(しめ)しあはし。この夜(よ)平内(へいない)は人にもしらさず。庄司(せうじ)が〓(よぎ)の裾(すそ)に躱(かく)れ伏(ふ)して。時刻(じこく)をまつに。遠(とほ)き寺々(てら/\)の鐘(かね)(かすか)に聞(きこ)え。やゝ丑三(うしみつ)とおぼしきころ。薄雲(うすくも)が姿(すがた)。忽然(こつぜん)とあらはれて。庄司(せうじ)が枕方(まくらべ)」 4にあり。その形容(さま)(たけ)なる黒髪(くろかみ)をふり乱(みだ)して。雪(ゆき)より白(しろ)き無垢(むく)の小袖(こそで)の裳(もすそ)を引(ひ)き。胸(むね)のあたりより溜(したゝ)り流(なが)るゝ鮮血(ちしほ)は。負丘(ふきう)の山(やま)にありといふ。赤泉(あかきいづみ)に異(こと)ならず。しばしまなじりをかへして庄司(せうじ)を疾視(にらみ)。又〓然(さめ/\)とうち泣(なき)けり。そのとき妻(つま)の朝霧(あさきり)と。看病(かんびやう)したる奴婢等(ぬひら)は。屏風(びやうぶ)のあなたに睡輾(ねふりこけ)て前後(ぜんご)をしらず。平内(へいない)も頻(しきり)に眠(ねふり)を催(もよほ)すを。みづから志(こゝろざし)を励(はげま)して睡魔(すいま)を退(しりぞ)けつゝ。今この景迹(ありさま)をよく/\見究(みきは)め。岸破(がは)と反起(はねおき)て無手(むづ)と引組(ひつくみ)。上(うへ)を下(した)へと挑(いど)みしが。平内(へいない)が膂力(ちから)尋常(よのつね)に勝(すぐ)れたれは。遂(つひ)に妖怪(ようくわい)をとつて壓(おさへ)。短刀(のだち)を引抜(ひきぬき)て数回(あまたゝび)(さす)ほどに。やうやくよはりて動(うご)き得(え)ず。衆(みな)」皆(みな)この胖響(ものおと)にはじめて覺(さめ)。こは何事ぞとさわきまどふに。燈(ともしび)(こと%\)くゆり滅(け)して物(もの)の善悪(あやめ)もわかたねば。とかくしてふたゝび燭(ひ)を点(とも)して見るに。思ひもかけず平内(へいない)は妖怪(ようくわい)を刺留(さしとめ)てありしかば。ます/\驚(おどろ)き怪(あやし)みて。更(さら)に口(くち)を開(ひら)くものなし。平内(へいない)はしづかに刺(さし)とめたるものを引起(ひきおこ)すに。薄雲(うすくも)が幽霊(ゆうれい)と見えつるは。大なる猫(ねこ)なりけり。庄司(せうじ)はこれを見て。ふかく平内(へいない)が智勇(ちゆう)を賞嘆(せうたん・ホメル)し。かばかりのものに。久(ひさ)しく悩(なやま)されたるこそ安からねといふに。朝霧(あさぎり)は更(さら)に心(こゝろ)を得(え)ず。怪(あやし)みおそれてその故(ゆゑ)を問(とへ)は。平内(へいない)首尾(はじめをはり)を説(とく)こと一遍(いつへん)。庄司(せうじ)も今(いま)は匿(つゝむ)に堪(たへ)ず。薄雲(うすくも)が近曽(ちかごろ)(こ)を産(うみ)たる事。又自害(じがい)して亡(うせ)たる事。且(かつ)」 5頃日(このころ)如此々々(しか%\)の物(もの)の怪(け)ありしを。彼(かの)遊女(うかれめ)が寃(あた)するよと思ひつる故(ゆゑ)に。たえて告(つぐ)ることもなかりけるに。粂氏(くめうぢ)の勇力(ゆうりき)によつて。その寃鬼(ゆうれい)ならざるをしれりとて。ありし事どもを物(もの)かたるに。朝霧(あさきり)はふかく薄雲(うすくも)が横死(わうし)をあはれみ。遊女(うかれめ)にして子(こ)を産(うめ)は。父(ちゝ)を定(さだ)かに指(さし)がたかめれど。君(きみ)と恩愛(おんあい)(こまやか)なりし事は。わらはもをさ/\しりてぞ侍(はへ)る。しかるを忽地(たちまち)に疎(うと)み給へば。いかて些(ちと)の怨(うらみ)なるらん。この怪(あやし)みにあひ給ふも。ふかき故(ゆゑ)こそあらめとて。只顧(ひたすら)に悔(くひ)かこてば。闔宅(やうち)の男女(なんによ)その事を聞(きゝ)て。駭然(がいぜん)として舌(した)を掉(ふる)ひ顔(かほ)うち見あはするばかり也。しかるに庄司(せうじ)は。重病(じうびやう)(とみ)に愈(いえ)て。心持(こゝち)」【挿絵第七図】(6ウ7オ)清々(すが%\)しくなりしかば。やをら身(み)を起(おこ)して。死(しゝ)たる猫(ねこ)をよく/\見(み)つゝ眉根(まゆね)をよせ。怪(あや)しきかなこの猫(ねこ)は。薄雲(うすくも)が愛(めで)やしなひたるものに露(つゆ)たがはず。しかもその首環(くびたま)に何やらん著(つけ)たるあり。解(とき)て見給へかしといへば。平内(へいない)はじめて心つき。忙(いそがは)しく取(とつ)て朝霧(あさきり)に逓与(わた)すを。燈(ともしび)にさしよせて熟視(つら/\み)れば。上(うへ)に書(かき)おきとしるしたるにぞ。いよ/\不審(いぶかしみ)て。血(ち)に塗(まみ)れしを破(やぶ)らじとてしつかにうちひらきて讀(よ)むに。痛(いたま)しきかな。薄雲(うすくも)が終(をはり)に臨(のぞみ)て書遺(かきのこ)せし。水莖(みづくき)の蹟(あと)にして。はじめには身(み)の形(あぢき)なきを書(かき)つらね中(なか)ころには庄司(せうじ)が薄情(はくじよう)をうらみ。君(きみ)が誓言(ちかこと)の他(あた)なるより。われに誠心(まこゝろ)な」 7しとやし給ふ。かく子(こ)まで産(うま)せ給ひしを。外(よそ)に見給ふは。こゝろ穢(きたな)し。児(ちご)の父(ちゝ)は誰(たれ)なりや。君(きみ)こそよくしり給ひけめ。さめぬ枕(まくら)に秋風(あきかぜ)のたてはにや。尾花(をはな)がすゑも招(まね)きつくせど。たえて見かへり給はぬは。淺(あさ)はかなる流言(わさごと)を。實事(まこと)と聞(きゝ)て諱(いみ)給ふか。さなくは内(うち)の物妬(ものねた)みに。指(ゆび)も食(くは)れんかとおどろ/\しくて。情(なさけ)なく過(すぎ)給ふなるべし。世(よ)に遊女(うかれめ)に実(まこと)なしといふは。譯(わけ)だにしらぬむくつけ人のいひそめたりけん。嫖客(まれびと)にぞ虚言(そらこと)はおほかめれ。とてもかくても恨(うらみ)のかず%\。筆(ふで)には筑波(つくば)の峯(みね)より高(たか)く。みなの川の底(そこ)(はかり)しらすべうもあらねど。憖(なまじい)に産(うみ)たるは男児(をのこゞ)にて。面影(おもかげ)もよく」君(きみ)に肖(に)て侍(はべ)るなるを。明白(あからさま)に人にも告(つげ)ざりし。心くるしさ。いかにあらんかとおもひ給へる。彼(かれ)も亦(また)(はゝ)ありて父(ちゝ)なくは。物(もの)ごゝろしりての後(のち)は。さそな悲(かな)しう侍(はべ)るべし。一(ひと)たび見(まみ)えまゐらせて。この恨(うらみ)をも聞(きこ)え。児(ちご)を君(きみ)に逓与(わた)しまゐらせて。わが身(み)はともかうもなりなんと思ひ定(さだ)め。神詣(かみまふで)に假托(かこつけ)て。君(きみ)が住家(すみか)へとて赴(おもむ)く折(をり)しも。君(きみ)はやくもこの事を知(しり)て人をかたらひ。わが身(み)をうしなはんとし給ふこそ。しうねくもいとおそろし。わらはが太刀(たち)をつけられし時(とき)。笄(かうがい)もてその人の耳(みゝ)を突破(つきやぶり)たる事など。よくしりて坐(おは)すべければ。くはしうは申さず。このころ家公(あるじ)の叮嚀(ねんごろ)に」 8勦(いたは)りたまはして。痍(きず)も憖(なまじい)に愈(いえ)なんとはすなれど。わが身(み)數遍(あまたたび)(はぢ)(み)せられ。剰(あまさへ)身体(みのうち)に太刀(たち)の痕(あと)を著(つけ)られて。彼(かれ)こそ如此(しか)如此(じか)の女子(をなご)よと。いはれんも面(おも)なきに。なでう存命(ながらへ)(はべ)るべき。よて今(いま)畜猫(かひねこ)に一封(いつゝう)をよせまゐらせて。おもふ事の十が二二(ママ)を聞(きこ)え侍(はべ)り。生(しよう)あるものとて猫(ねこ)だにも。恩(おん)を感(かん)じては主(しゆう)の別(わかれ)を哀(かなし)み。いふことをさへ聞(きゝ)わきて。かく使(つかひ)し侍(はべ)るものを。君(きみ)が怜悧(さかしき)(み)こゝろをもて。いかでか是非(ぜひ)に惑(まど)ひ給ふべき。わが申つるを道理(ことはり)とも思ひあはし給はゞ。嬰児(みどりこ)を養(やしなひ)とり。成長(ひとゝなら)ば法師(ほうし)となして母(はゝ)が菩提(ぼだい)を弔(と)はし給へかし。申さん事は是(これ)のみならねど。涙(なみだ)の」露(つゆ)もおきあまる。死出(しで)の道芝(みちしば)いそがれて。筆(ふで)のはこびもあやなきを。よきに察(さつ)し給へかしく。と書(かき)てそのおくに。  わが袖(そで)の蔦(つた)やしぐれてむらもみぢ。と書(かき)とゞめたるは。刄(やいば)に伏(ふ)して懐(おもひ)を述(のぶ)。末期(まつご)の一句(いつく)としられたり。朝霧(あさぎり)これらをよみをはり。いたくうち泣(なき)て夫(をつと)に見すれば。庄司(せうじ)も今さらに胸(むね)さへさわぎて。軈(やが)てそのふみを巻(まき)かへして讀(よみ)くだち。哀悼(あいたう)の涙(なみだ)(きん)ずることあたはず。寔(まこと)にわれ慮(おもひ)(あさく)して。よくその事を聞定(きゝさだ)めず。疎(うとん)じ遠(とほ)ざかりて一言(ひとこと)を通(つう)ぜざれは。彼(かれ)いたく恨(うらみ)を抱(いだ)きて。死(しゝ)たるを。いかに悔(くゆ)るとも及(およ)ばねど。人を相語(かたらひ)て殺(ころ)さんと」 9はかりしなどいはれん事。いと朽(くち)をし。さて痛(いたま)しき事かなとて。慚愧(ざんき・ハヂイル)して已(やま)ざれば。朝霧(あさきり)はいよゝいたく悲(かなしみ)て。はふり落(おつ)る涙(なみだ)をかき拭(ぬぐ)ひ。今この筆(ふで)の迹(あと)を見れば。わが身(み)物妬(ものねたみ)のふかき故(ゆゑ)に子(こ)まで産(うま)せ給ひし人を。わりなくあはせざりけるかと。疑(うたがは)れしこそ浅(あさ)ましけれ。白銅鏡(ますかゞみ)(くも)らぬ心はわが夫(つま)も。よくしろしめすべけれどその人既(すで)に死(し)したれば。いかにいひとくとも。世(よ)の人口(じんこう)を掩(おほひ)がたく。草葉(くさば)の蔭(かげ)にてなき人に。怨(うらみ)られんも胸(むね)くるし。只(たゞ)このうへは薄雲(うすくも)の産(うめ)りし児(ちご)を〓(やしなひ)とり。成長(ひとゝなる)の後(のち)。家(いへ)を嗣(つが)して。わが誠心(まごゝろ)をもしらし給へ。わらは又子(こ)とし慈(いつくし)み。あらき風(かぜ)に」【挿絵第八図】(10ウ11オ)も當(あて)じとて。かき口説(くどき)つゝよゝと泣(なけ)ば。平内(へいない)(たなそこ)を丁(ちやう)と打(うち)。今(いま)縁故(ことのもと)を考(かんがふ)れば。薄雲(うすくも)が疎(うとま)れまゐらせしも。この猫(ねこ)の故(ゆゑ)なれば。彼(かの)畜生(ちくしよう)心ありてこれを朽(くち)をしく思ひ。主(しゆう)のぬれ衣(きぬ)を乾(ほさ)ん為(ため)に。おのれ薄雲(うすくも)の寃鬼(ゆうれい)と変(へん)じ。庄司(せうじ)ぬしを悩(なやま)して。その身(み)を殺(ころ)し。終(つひ)に人を感(かん)じ動(うごか)して。主(しゆう)の宿意(しゆくゐ)を果(はた)せる事。人間(にんげん)(かへつ)て及(およ)ぶべからず。鳴呼(あゝ)(ちう)なるかな義(ぎ)なるかな。こは/\不思議(ふしぎ)の因縁(いんえん)なりとて。頻(しきり)に嗟嘆(さたん)したりければ。庄司(せうじ)もふかく後悔(こうくわい)し。猫(ねこ)をは薄雲(うすくも)が菩提処(ぼだいしよ)なる。榧寺(かやてら)に送(おく)りて〓(うづめ)させ。夥(あまた)の施物(せもつ)をおくりて。薄雲(うすくも)が追善(ついぜん)し。又猫(ねこ)の為(ため)にも経(きやう)よませけるとぞ。今(いま)なほ彼寺(かのてら)に」11猫塚(ねこつか)ありといふ。さる程(ほど)に庄司(せうじ)夫婦(ふうふ)は。粂平内(くめのへいない)と相語(かたらひ)て。三浦(みうら)が家(いへ)に人を遣(つかは)し。薄雲(うすくも)が産(うみ)たる児(ちご)を養(やしなひ)とりて。これを瀬太郎(せたらう)と名(な)づけ。〓子(うひこ)金王(こんわう)が弟(おとゝ)と披露(ひらう)して。乳母(めのと)を〓(おき)て養育(はぐゝむ)に。朝霧(あさきり)は瀬(せ)太郎を愛慈(めでいつくし)むこと。生(うみ)の子(こ)なる金王(こんわう)にもまさりしかば。奴婢(ぬひ)もおのづから等閑(なほざり)ならずおもひて。重(おも)く敬(うやま)ひ傅(かしづ)きける。

   兄弟(はらから)の太刀合(たちあはせ)

かゝりしかは光陰(くわういん)はやく過(すぎ)て。金王(こんわう)十一才瀬太郎(せたらう)九才になりぬ。父(ちゝ)の庄司(せうじ)は薄雲(うすくも)が遺言(ゆいげん)にまかし。瀬(せ)太郎をば。久後(ゆくすゑ)法師(ほふし)に」せんと思ひし程(ほど)に。手習(てならひ)学問(がくもん)のみを教(をし)へ。金王(こんわう)をは平内(へいない)左衛門(さゑもん)に領(あづけ)て。もつはら武藝(ぶげい)をならはしけるを。妻(つま)の朝霧(あさきり)は。その志(こゝろざし)(をつと)とは異(こと)にして。瀬(せ)太郎に實母(じつぼ)の仇(あた)を撃(うた)し。又家(いへ)をも嗣(つが)し。金王(こんわう)を出家(しゆつけ)さして。薄雲(うすくも)の菩提(ぼだい)を弔(とは)せ。わが清(きよ)き心の中(うち)を。なき人にもしらせばやとおもひて。をり/\此事(このこと)を夫(をつと)に申すゝめ。平内(へいない)にもたのみ聞(きこ)えて。金王(こんわう)ともろともに瀬(せ)太郎に武藝(ふげい)をならはしける。されば彼(かの)兄弟(きやうだい)が太刀(たち)を合(あは)し。的(まと)を射(い)たる所(ところ)を。今も禿山(かぶろやま)といふ。こは童(はらはべ)のつどひたる処(ところ)なればなるべし。又日毎(ひごと)に馬(うま)を走(はし)らしたる処(ところ)を。駒牽澤(こまひきさは)と稱(となへ)て。今(いま)も渋谷(しぶや)に」12ありとかや。是(これ)は扨(さて)おき金王(こんわう)瀬太郎(せたらう)は。文(ぶん)を學(まな)び武(ぶ)を習(なら)ひ。春(はる)と暮(くれ)(あき)と過(すぐ)して。兄(あに)は十九弟(おとゝ)は十六才になりぬ。瀬(せ)太郎はその面影(おもかげ)も。よく父(ちゝ)に肖(に)て。心ざまも尋常(よのつね)に秀(ひいで)て賢(かしこ)かりしかば。是(これ)に家(いへ)を嗣(つが)すべうもやと思ふに。朝霧(あさきり)又しば%\瀬(せ)太郎を賞美(せうび)し。兄(あに)も弟(おとゝ)も母(はゝ)こそかはれ君(きみ)が子(こ)也。殊(こと)さら瀬(せ)太郎は才學(さいがく)(あに)に超(こへ)。又彼(かれ)には実母(じつぼ)の仇(あた)あり。何事(なにごと)も彼(か)の人には告(つげ)ざるをもて。わらはを実(まこと)の母(はゝ)と思ふめれど。これを法師(ほふし)とし給ふ事。大に宜(よろし)からず。おなじくは金王(こんわう)に出家(しゆつけ)さし給へかしといふに。庄司(せうじ)(こたへ)て。薄雲(うすくも)に痍(きず)つけたるものは。誰(たれ)也とも得(え)しれざるを。いかにして瀬(せ)太郎に」仇(あた)を撃(うた)すべき。加之(しかのみならず)(かれ)はその手(て)にて死(しゝ)たるにはあらで。事に迫(せま)りて自害(じがい)せしからは。仇(あた)を撃(うた)ずとも。敢(あへ)て不孝(ふこう)とはいふべからず。又瀬(せ)太郎は幼(いとけ)きより。實母(じつぼ)のある事をしらせたりしかば。今(いま)(なまじひ)にかゝる事をいひ出(いで)んは。疑(うたがひ)を慝(ひく)の媒(なかだち)なり。家督(かとく)を定(さだむ)ることは。なほ折もあるべしと回答(いらへ)ける。粂平内(くめのへいない)左衛門(さへもん)はやくその気色(けしき)を暁得(さとり)。潜(ひそか)に庄司(せうじ)にいへりけるは。いにしへより愛(あい)に溺(おぼ)れて庶子(しよし)に家(いへ)を嗣(つが)し。その家(いへ)滅亡(めつぼう)に及(およ)びぬる事。和漢(わかん)に例(ためし)(おほ)し。金王丸(こんわうまる)も今はとしころになり給ひぬ。などて家嫡(かちやく)の披露(ひろう)をし給はざるぞといふ。庄司(せうじ)點頭(うなづき)て。われもこの事を思はざるに」13あらねど。朝霧(あさきり)がとにかくに請(こひ)すゝめて。金王(こんわう)に出家(しゆつけ)させよといふ。つら/\子(こ)どもが挙止(ふるまひ)に心をつくれば。金王(こんわう)が才(さい)。瀬(せ)太郎に及(およ)ばず。こゝをもて黙止(もだ)せし也といふを。平内(へいない)かさねて。夫(それ)(おとゝ)をして。兄(あに)に超(こえ)しむるは。父(ちゝ)その子(こ)に無礼(ぶれい)非義(ひぎ)を教(をしゆる)る也。且(かつ)長子(ちやうし)といへども。母(はゝ)(いやし)ければ。下(くだつ)て臣(しん)の列(れつ)に著(つく)。これ古今(ここん)の通礼(つうれい)なり。みづから惑(まどひ)をとつて過(あやまち)給ひそと諌(いさめ)ければ。庄司(せうじ)がいふやう。御邊(ごへん)のいふところ善(よし)といへども。一家(いつけ)帰伏(きぶく)せざれば。禍(わざはひ)を生(しよう)ずるの端(はし)となるべし。われ近日(きんじつ)二人(ふたり)の子(こ)どもが武藝(ぶげい)を試(こゝろ)み。いづれにもあれ。勝(まさ)れるものに家(いへ)を嗣(つが)すべし。これ天命(てんめい)に任(まか)」するなれば。誰(たれ)かうらみ誰(たれ)か叛(そむ)かん。この事に就(つい)ては。よろづ足下(そくか)を労(ろう)することあるべしと回答(いらへ)するに。平内(へいない)はなほ爭(あらそ)ひ諌(いさむ)ることを得(へ)ず。こゝろ得(え)(はて)て退(しりぞき)けり。さて庄司(せうじ)は妻(つま)の朝霧(あさきり)と。二人(ふたり)の子(こ)どもにも。その事を聞(きこ)えて日(ひ)を卜(さだめ)。もつはら件(くだん)の用意(ようゐ)をなせり。しかるに朝霧(あさきり)は。いかにもして太刀合(たちあはせ)の日(ひ)。瀬(せ)太郎に勝(かた)せんと思ひて。潜(ひそか)に平内(へいない)左衛門(さゑもん)を招(まね)き。子(こ)どもらが事に于(おい)ては。よくもあしくも御身が心ひとつもて。ともかうもなりぬべきことぞかし。豫(かね)て申しらせつるごとく。いづれも夫(をつと)の子(こ)にしあれど。瀬(せ)太郎(たらう)は義理(ぎり)ある子(こ)なり。彼(かれ)には母(はゝ)の仇(あた)をもうたして。家(いへ)をも」14嗣(つが)せざれば。一度(ひとたび)(ちか)ひつる言葉(ことば)の徒事(いたつらこと)となるのみならず。わらはが清(きよ)き胸鏡(むねのかゞみ)も。隈(くま)なき影(かげ)をうつしがたし。しかあれど。この年来(としころ)(せ)太郎に實(まこと)の母(はゝ)ありし事をしらせずして。わが産(うめ)るごとくにもてなしたるは。彼(かれ)(なまじい)に養育(よういく)の恩(おん)をおもひ。金王(こんわう)を超(こえ)て。家督(かとく)たらんことを辞(ぢ)すべきかとて。奴婢等(ぬひら)にもその口(くち)を鉗(ふたぎ)おきしかば。わらはを實(まこと)の母(はゝ)とし慕(した)ひて。孝心(こうしん)等閑(なほざり)ならざるも可愛(かあい)し。御身その日に至(いた)らば。必(かならず)心してようせさせ給へと耳語(さゝやき)けれは。平内(へいない)点頭(うなづき)て。仰(おふせ)うけ給はりぬ。しかれども勝(かつ)と負(まくる)は天(てん)なり命(めい)なり。人おの/\命運(めいうん)のよくするところは。人力(じんりき)に」及(およ)びかたからんとぞ回答(いらへ)ける。金王(こんわう)は年(とし)こそ長(たけ)たれ。武藝(ぶげい)は瀬(せ)太郎に劣(おと)りて見ゆれは。奴婢等(ぬひら)も今度(こんど)の太刀合(たちあはせ)には。金王(こんわう)かならず負(まけ)て。弟(おとゝ)に家(いへ)を嗣(つが)れ給ふべしとさゞめきあひしとぞ。かくてその日(ひ)にもなりしかば。渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)夫婦(ふうふ)は。前栽(ぜんさい)に假屋(かりや)を修理(しつらひ)。家(いへ)の老黨等(おとなら)を將(い)て假屋(かりや)に入り。高(たか)く幕(まく)をしぼらせたり。その為体(ていたらく)いと晴(はれ)がまし。今もその処(ところ)を物見(ものみ)の臺(だい)といふ。さて粂平内(くめのへいない)左衛門(さゑもん)は。乳母子等(めのとこら)とゝもに。金王(こんわう)(せ)太郎をかひがひしく打扮(いでたゝ)せて。東(ひがし)のかたよりは金王丸(こんわうまる)。西(にし)の方(かた)よりは瀬(せ)太郎。しづやかに歩(あゆ)み出(いで)て圏(かこい)のうちに入り。礼義(れいぎ)を厚(あつく)してまづ射(ゆ)」15法(み)を試(こゝろみ)るに。いかにかしけん。この日に限(かぎ)りて瀬(せ)太郎が發(はな)つ矢(や)。的(まと)に當(あた)らず。金王(こんわう)十分(ぶん)に勝得(かちえ)たり。朝霧(あさきり)はこの景迹(ありさま)を見て。いと本意(ほゐ)なくおぼえ。心(こゝろ)の中(うち)に神仏(しんぶつ)を祈念(きねん)して。後(のち)の勝負(せうぶ)いかにと見るところに。次(つぎ)は馬術(ばじゆつ)を方(たくらべ)て。その勝劣(せうれつ)を試(こゝろみ)るに。動(やゝも)すれば瀬(せ)太郎が馬(うま)(はるか)に後(おく)れて。これさへ金王(こんわう)に及(およば)ず。今ははや太刀(たち)を合(あは)する雌雄(しゆう)によつて。兄弟(きやうだい)命運(めいうん)を定(さだ)むるなれば。朝霧(あさきり)はいよ/\安(やす)きこゝろもなく。乳母子等(めのとこら)も迭(たがひ)に拳(こぶし)を握(にぎ)り堅(かた)め。瞬(またゝき)もせで瞻(まもり)(ゐ)たり。時(とき)に兄弟(きやうだい)木刀(きだち)に手(て)をかけつゝ。やと声(こゑ)して打(うち)あひけるが。一往一来(いちわういちらい)一上一下(いちじよういちげ)。悉(こと%\)くその法(ほう)にかなひ。活人(くわつにん)」【挿絵第九図】(16ウ17オ)殺人(さつにん)。向上(こうしよう)。極意(ごくゐ)。十字(じ)手裏劍(しゆりけん)。沓(くつ)ほう身(しん)。手(て)を摧(くだい)て戦(たゝか)ふ処(ところ)に。いかにかしけん瀬(せ)太郎が木刀(きだち)。鍔際(つばぎわ)よりほつきと折(を)れ。圏子(かまへ)の外(そと)へ跳出(おどりいづ)れば。衆皆(みな/\)夲意(ほゐ)なき勝負(せうぶ)かなといひあひぬ。朝霧(あさきり)はふたゝび太刀(たち)を更(あらため)て。雌雄(しゆう)を決(けつ)せさし給へとすゝむるを。庄司(せうじ)(かうべ)を左右(さゆう)に掉(ふり)て。金王(こんわう)は既(すで)に弓馬(きうば)の両藝(りやうげい)に勝(かち)たり。よしや太刀合(たちあはせ)に負(まく)るとも。三ッにその二ッを得(え)たれば。甲乙(こうをつ)は明(あき)らけし。しかるを太刀合(たちあはせ)に全(まつた)くその雌雄(しゆう)を析(わかた)ずといへども。瀬(せ)太郎が太刀(たち)の折(を)れたるは是(これ)(てん)のしからしむるところなり。もし真劍(しんけん)ならは。いかでか太刀(たち)を更(かゆ)るに遑(いとま)あらんといふに。平内(へいない)も」17宜(のたま)ふ所(ところ)大に道理(どうり)に稱(かな)へり。みな金王丸(こんわうまる)の勝利(せうり)なりと申せしかば。朝霧(あさきり)もあらそひ阻(こば)むことを得(え)ず。ふかく望(のぞみ)をうしなひて。心(こゝろ)鬱々(うつ/\)とたのしまず。かくて五七日の後(のち)。平内(へいない)は庄司(せうじ)に瀬(せ)太郎が祝髪(しくはつ)の事を申すゝめ。君(きみ)などてはやく事をなし果(はた)し給はざるとさゝやきける程(ほど)に。庄司(せうじ)げにとうけ引て。道玄坂(どうげんさか)のあなたに。年来(としころ)庄司(せうじ)が帰依(きえ)(そう)ありしかば。この聖僧(ひじり)に瀬(せ)太郎が剃髪(ていはつ)の事を頼(たの)み遣(つかは)し。袈裟(けさ)僧衣(ころも)度牒(ど やう)なんど。すべての僧具(そうぐ)をとゝのへ。用意(ようゐ)(まつた)く備(そなは)りければ。庄司(せうじ)は瀬(せ)太郎を將(い)て件(くだん)の精舎(しようしや)に至(いた)る。聖僧(ひじり)すなはち二三十人の僧(そう)を聚會(つどへ)。鐘(かね)を」【挿絵第十図】(18ウ19オ)(なら)し経(きやう)を誦(よ)み。瀬(せ)太郎を剃度(ていと)するよしを。三世(さんぜ)の諸佛(しよふつ)に告(つげ)(たてまつ)るに。剃手(そりて)の法師(ほふし)。遂(つひ)に瀬(せ)太郎が頭髪(づはつ)ヲ剃落(そりおと)せば。聖僧(ひじり)(げ)を授(さづけ)。度牒(どちやう)を与(あたへ)て。法名(ほうみやう)道哲(どうてつ)と賜(たま)ふ。抑(そも/\)道哲(どうてつ)法師(ほふし)は。その性(さが)淳朴(じゆんぼく・スナホ)なり。元(もと)より兄(あに)を超(こえ)て聊(いさゝか)も家督(かとく)たらんと欲(ほつ)する志(こゝろざし)なかりしかば。われを出家(しゆつけ)させ給ふこと。人の狐疑(こぎ)を避(さけ)んとて。父(ちゝ)のふかき慮(おもんはかり)より出(いで)たるなり。しかれは家(いへ)の為(ため)にして。わが身を全(まつたう)さすべき。父母(ふぼ)の慈(いつくしみ)にこそと思ひて。心の中(うち)(かへつ)て歓(よろこ)び。是(これ)より師父(しふ)に隨従(すいじう)し。僅(はづか)両三年(りやうさんねん)の修行(しゆぎやう)に。はやく風播(ふうはん)の論(ろん)を究(きは)め。なほ八宗(はつしう)に渉猟(せうれう)せんとするの志(こゝろざし)あり。後世(こうせい)」19この地(ち)を世田ヶ谷(せたがや)と稱(となふ)ることは。瀬太郎(せたらう)法師(ほふし)。且(しばら)くこゝにありし故(ゆゑ)なりといふ。又(また)一説(いつせつ)に道玄坂(どうげんさか)は元(もと)道哲坂(どうてつさか)なり。哲(てつ)を玄(げん)に訛(なま)るのみ。しかれども土俗(どぞく)の傳(つた)ふところ。道玄(どうげん)は大和田氏(おほわだうぢ)。和田義盛(わだのよしもり)が一族(いちぞく)也。建暦(けんりやく)三年五月。義盛(よしもり)滅亡(めつぼう)のとき。この岩崛(がんくつ)にかくれ住(す)みて。賊(ぞく)となるといふ。かゝれば道玄(どうげん)と道哲(どうてつ)は別人(べつじん)なるべし。

   道哲(どうてつ)が垣間見坂(かいまみさか)

道哲(どうてつ)法師(ほふし)出家(しゆつけ)のゝち。僅(はづか)両三年(りやうさんねん)にして。師父(しふ)の聖僧(ひじり)遷化(せんげ)し給ひしかば。件(くだん)の精舎(しようじや)を辞(ぢ)し去(さ)り。浅草(あさくさ)金龍山(きんりうさん)の片(かた)」ほとり。何がし寺(てら)に移轉(いてん)して。且(しばら)くこゝに寓居(ぐうきよ)し。昼夜(ちうや)の勤行(ごんぎやう)(おこた)ることなく。道心(どうしん)ます/\堅貞(けんてい)なり。さるあひだ養母(ようぼ)朝霧(あさきり)は。年来(としごろ)の心つくしも。徒事(いたづらごと)となりて。彼(かれ)に家(いへ)を嗣(つが)せざるをいと遺憾(のこりおほく)おもひながら。今はいかにともせんすべなく。せめて實(まこと)の母(はゝ)あることをしらして。その仇(あた)を撃(うた)せまほしくはあれど。この事ははじめよりふかく匿(つゝみ)て告(つげ)ざれば。今(いま)(ゆゑ)なくていひ出(いづ)るとも。彼(かれ)實言(まこと)とはすべからず。なほ折をうかゞひて。面(まの)あたり説示(ときしめ)さんといたすに。彼(かれ)法師(ほふし)となりては。見(まみ)ゆる事も稀(まれ)にして。とかくいひ出(いづ)るよすがもなく。心ならずも三年(みとせ)あまりを過(すぐ)したり。こゝを」20もて何にまれ。道哲(どうてつ)が事とだにいへば。物乏(ものとぼ)しからぬやうに賄(まかなひ)て。金銭(きんせん)衣服(いふく)なんどはいふもさら也。をり/\の贈物(おくりもの)。その品(しな)(あげ)て數(かぞへ)がたし。これによつて。同宿(どうしゆく)の青道心等(あをどうしんら)も。その餘澤(よたく)を受(うく)る程(ほど)に。みな道哲(どうてつ)をうやまひて。いみじき人に思ひけり。こゝに亦(また)向坂(こうさか)甚内(じんない)は。むかし薄雲(うすくも)に手(て)を負(おは)せし日。事の發覚(あらは)れんかと怕(おそ)れて。直(たゞ)に鎌倉(かまくら)に脱(にげ)ゆき。彼此(をちこち)に潜居(しのびゐ)たりけるに。追補(ついふ)の沙汰(さた)も聞(きこ)えねば。なか/\に憚(はゝか)る気色(けしき)もなくなりて。われにひとしき徒(ともがら)を相語(かたら)ひ。常(つね)に街(ちまた)を横行(わうぎやう)して。口論(こうろん)に事をよせ。人(ひと)の銭財(せんざい)を虎落(かたり)とりしかば。人みな虎狼(こらう)のごとく怕(おそ)れ。これと」途(みち)に行(ゆき)あへば。避(さけ)かくれずといふものなし。しかれども彼(かれ)に寇(あた)せられんことを怕(おそ)れ。慥(たしか)に訴(うつたへ)あぐる人もあらざれは。かくして夥(あまた)の年(とし)月をおくりけるに。積悪(せきあく)(つひ)に發覚(あらはれ)て。忽地(たちまち)に追放(おひはな)され。彼地(かのち)の住居(すまゐ)かなはざれば。ふたゝび江戸(えど)にたちかへりて。これも浅草寺(あさくさでら)のほとりに住(す)みて。もつはら彦袁道(けんゑんどう)が技(わざ)に耽(ふけ)り。打(うち)つゞきて。過分(くわぶん)の金銭(きんせん)を得(え)たりける。件(くだん)の甚内(じんない)。齢(よはひ)は既(すで)に四十(よそぢ)にあまり。小動(こゆる)ぎのいそぢに程(ほど)ちかくはあれど。色(いろ)と酒(さけ)とを嗜(たし)むこと。壮年(そうねん)の昔(むかし)にかはらず。金(かね)あるにまかして夜毎(よごと)に三谷(さんや)がよひして。雁金屋(かりかねや)の畷女(うねめ)といふにおもひそめ。たえて他(た)の」21客(きやく)にあはせず。畷女(うねめ)は心(こゝろ)ざま風流(みやび)たること。三千(さんぜん)の君(きみ)に超(こえ)。才色(さいしよく)(ふたつ)ながら備(そなは)るといへども。その性(さが)閑稚(かんが)(ママ)にして。聊(いさゝか)もたはれたることを好(この)まず。まいて甚内(じんない)がむくつけきを厭(いとひ)て。いつも強面(つれなく)もてなせば。甚内(じんない)ます/\思(おもひ)を焦(こが)し。軈(やが)て親方(おやかた)に相語(かたら)ひ。夥(あまた)の金(かね)をもて畷女(うねめ)が身請(みうけ)し。おのれが隠家(かくれが)に將(い)てかへりぬ。畷女(うねめ)は金(かね)にまかする身にしあれど。世(よ)の中(なか)の男(をとこ)(おほ)かるに。かゝる悪棍(わるもの)に伴(ともなは)るゝ事。胡地(こち)に恨(うらみ)を残(のこ)せし王照君(わうせうくん)がいにしへさへ思ひいでられ。只顧(ひたすら)(こゝろざし)を堅(かたく)して従(したが)ふ気色(けしき)なかりければ。甚内(じんない)ふかく憤(いきどほ)りて。或(ある)は罵(のゝし)り或(ある)は賺(すか)し。頻(しきり)にその志(こゝろざし)を折(くぢか)んとはすれど。さすが」に威勢(いきほひ)をもて迫(せま)らんも風情(ふぜい)なけれは。画(ゑかけ)る餅(もち)を見て餓(うへ)を防(しの)ぐこゝちしつ。いつも夲意(ほゐ)なく夜(よ)にあかしぬ。畷女(うねめ)はとてもかくても世(よ)を形(あぢき)なくおもひて。ふかく仏(ほとけ)の道(みち)に心をよせ。旦夕(あさゆふ)に観世音(くわんぜおん)の名号(みやうごう)を唱(とな)へ。讀経(どきやう)するを身(み)の勤(つとめ)とするにぞ。甚内(じんない)はこれを気疎(けうと)き事に覚(おぼえ)て。彼(かれ)に経(きやう)を讀(よま)せじとすれば。畷女(うねめ)はいとゞうるさくて。端(はし)ちかう居(ゐ)て仏名(ぶつみやう)を念(ねん)じ。又月あかゝる夜(よ)は。庭(には)に出(いで)て看経(かんきん)しけり。しかるに甚内(じんない)が家(いへ)は。道哲(どうてつ)が住(すみ)ける寺(てら)と後(うしろ)あはして。笆(かき)(たゞ)一重(ひとへ)を隔(へたて)たれは。道哲(どうてつ)は畷女(うねめ)か讀経(どきやう)の声(こゑ)をもれ聞(きゝ)て。いと殊勝(しゆせう)にも覚(おぼえ)しかば。透笆(すいがき)の」22間(ひま)より半面(はんめん)をさし出して。彼処(かしこ)をさし覗(のぞ)けば。年紀(としのころ)(はたち)あまりの女(をんな)。こなたに向(むき)て経(きやう)よみ居(ゐ)たり。その形容(ありさま)。眉(まゆ)は初春(はつはる)の柳葉(やなぎば)に似(に)て。常(つね)に雨(あめ)の恨(うらみ)(くも)の愁(うれひ)を含(ふくみ)。顔(かほ)は弥生(やよひ)の桃花(もゝのはな)のごとく。暗(ひそか)に風の情(じやう)(つき)の意(こゝろ)を藏(かく)し。口(くち)を開(ひら)くとき花(はな)のはじめて燃(もゆ)るにひとしく。声(こゑ)を發(はつ)るとき鶯(うぐひす)のしばなくに異(こと)ならず。正是(まさにこれ)沈魚落雁(ちんぎよらくがん)閉月羞花(へいげつしうくわ)の美人(ひじん)なり。道哲(どうてつ)はこの女子(をなご)を見るといへども。敢(あへて)こゝろを動(うごか)すことなく。只(たゞ)その為体(ていたらく)のいとあやしければ。しばしうち瞻(まもり)たるを。甚内(じんない)は物(もの)の隙(ひま)より見て思ふやう。彼(かの)青道心(あをどうしん)は。黄金(こかね)長者(ちやうじや)の愛子(まなご)なるよし。此(この)わたりにしらざるものもなし。彼(かれ)(こうべ)を圓(まろ)くす」【挿絵第十一図】(23ウ24オ)れども。柳(やなぎ)を折(を)り花(はな)を挿頭(かざす)の少年(せうねん)なり。今(いま)畷女(うねめ)が艶妖(あてやか)なるにこゝちまどへりと猜(すい)して。次(つぎ)の日畷女(うねめ)にさゝやきけるは。われ近曽(ちかごろ)(とな)れる寺(てら)の悪僧(あくそう)が。汝(なんぢ)を眷恋(けんれん)して。うつゝなきを見るに。いと傍痛(かたはらいた)し。彼(かれ)を誑(たばか)りて。こよなき遊(あそ)びをせんと思ふなり。箇様々々(かやう/\)なる艶書(ふみ)をおくりて。今夜(こんや)(かれ)を誑引(おびき)よせてんやといふに。畷女(うねめ)眉根(まゆね)をよせて。さらぬだに。女子(をなご)は罪障(ざいしよう)ふかくて。後(のち)の世(よ)もいとおぼつかなきものと聞(き)くに。戯(たはふ)れにもあれ。法師(ほふし)を隨(おと)さんは罪(つみ)ふかき所為(わざ)にこそ。これのみは許(ゆる)し給へかしといはせもあへず。甚内(じんない)(まなこ)を〓(いから)して。汝(なんぢ)この日来(ひころ)。何事もわがいふ事をうけ引」24ねど。われ思ふ旨(むね)あれば。いたく責(せめ)ず。しかるをかばかりの事をさへ肯(うけがは)ぬとて已(やむ)べきか。いかにいよ/\さはせまじきやとて。わりなく硯(すゝり)をさしよすれば。畷女(うねめ)思ふやう。今この事をうけ引(ひか)ずは。この人それを幸(さいはひ)にして。いかなる恥(はぢ)(み)せんも量(はかり)がたし。よし/\すべきやうこそあれと思案(しあん)して。書翰(ふみ)さら/\と書写(かいしたゝめ)けるが。艶書(ふみ)にはあらで。今宵(こよひ)こゝろざす仏事(ぶつじ)あれば。招(まね)き進(まゐ)らせたきよしを。男(をとこ)の手(て)してものせしごとく。いと美(うつく)しう書(かい)て。文箱(ふばこ)におさめ。人をもて道哲(どうてつ)におくらしけり。道哲(どうてつ)これを見て。さてはこのころ旦夕(あさゆふ)に讀経(どきやう)する女子(をなご)の。仏事(ぶつじ)(いとな)むにこそ。さらばこの寺(てら)の住職(ぢうしよく)を」招(まねか)ずして。われを呼(よ)ぶこと心得(こゝろえ)がたしと思ひながら。ふかく推辞(いなむ)べきにあらねば。行(ゆく)べきよしを返事(へんじ)しつ。さて日も暮(くれ)にけれは。新(あたら)しき袈裟衣(けさころも)を被(き)て。甚内(じんない)が家(いへ)に到(いた)り。かくと案内(あない)したりければ。奥(おく)より女(をんな)の声(こゑ)して。こなたへ入(い)らせ給へと應(いらへ)て出迎(いでむかへ)んともせざれば。その声(こゑ)をしるべに。おくまりたる座敷(ざしき)に赴(おもむ)くに。このごろ経(きやう)よみける女(をんな)。只(たゞ)一人(ひとり)(ゐ)て。よくこそ来(き)たまひつれといふも。狎(なれ)たるさまなり。道哲(どうてつ)は坐(ざ)につきて。そこら見まわせども。近(ちか)きほとりには。持仏堂(ぢぶつだう)もなし。こは不審(いぶかし)と思ふに。いひ出(いづ)べき言葉(ことば)もなくて。念珠(ねんず)つまくりて居(ゐ)たり」25ける。浩処(かゝるところ)に主人(あるじ)とおぼしくて。いとすさまじげなる男(をとこ)。長(なが)き朱鞘(しゆざや)の刀(かたな)を横(よこ)たへ。外面(とのかた)よりあらゝかに入(い)りて。道哲(どうてつ)を撲地(はた)と蹴(け)たふし。この悪僧(あくそう)。いかなれば膽(きも)ふとくも。わが傍妻(そばめ)を犯(おか)しけるぞ。日来(ひごろ)汝等(なんぢら)が笆越(かきこし)に相語(かたら)ひつるを。しらずとやおもふ。いかにしてこの怨(うらみ)を散(はらす)べきと罵(のゝし)ること甚(はなはだ)し。道哲(どうてつ)は思ひかけざれば。顔(かほ)うちあからめて起(おき)なほり。こは何事をか宣(のたま)ふ。今宵(こよひ)仏事(ぶつじ)ありとて。招(まねか)るゝに推辞(もだし)かたけれはまゐれり。その手書(てがみ)なほ懐(ふところ)にあり。これ見給へとてさし出(いだ)すを。甚内(じんない)(いそがは)しく押開(おしひら)きて見るに。艶(なまめき)たる言語(もんごん)はなく」て。只(たゞ)仏事(ぶつじ)に就(つき)て招(まね)くまでの書翰(ふみ)なれば。案(あん)に相違(さうゐ)せしが。さわぎたる気色(けしき)もなく。から/\とうち笑(わら)ひ。かばかりの奸計(かんけい)は。縦(たとひ)小児(しように)なりとも實(まこと)とはせず。汝等(なんぢら)(かね)て示(しめ)しあはし。もし見あやしめられば。かくいはんとて。書写(かいしたゝめ)おきたるにこそ。もしその剃立(そりたて)(あたま)を打碎(うちくだか)ずは。いかで實(まこと)を吐出(はきいだ)さんと罵(のゝし)ること。いよ/\高(たか)うなりて。書翰(ふみ)をとつて散々(さん/\)に引裂(ひきさき)(すて)。赤松(あかまつ)の下枝(しづえ)よりも。なほ堅(かた)かるべき拳(こぶし)を揚(あげ)て。直(たゞ)に道哲(どうてつ)を打(うた)んとするを。畷女(うねめ)(たち)ふたがりて打(うた)せず。声(こゑ)を激(はげま)していへりけるは。ぬしよく聞(きゝ)給へ。御身(おんみ)わりなくわらは」26に迫(せま)りて艶書(ふみ)をかゝし。この清僧(ひじり)を誑引(おびき)よせんとする謀(はかりこと)は。われよくしりぬ。この清僧(ひじり)は。黄金(こかね)の長者(ちやうじや)の愛子(まなご)にて。物(もの)に乏(とぼ)しからぬ事は。人もをさ/\しりて侍(はべ)れば。わらはを囮(おとり)にして虎穴(こけつ)に陥(おとしい)れ。夥(あまた)の金(かね)を虎落(かたり)とらんとの下(した)こゝろ也。しかれども。わが身(み)出家人(しゆけにん)になまめきたる書(ふみ)を寄(よ)せ。こゝろ見(み)られん事を厭(いと)ふがゆゑに。仏事(ぶつじ)ありと書(かい)たれば。實(まこと)ぞとおもひて来(き)給ひけん。もし艶書(ゑんじよ)ならばなでう手(て)にもふれ給ふべき。よしそれはとまれかくまれ。御身(おんみ)(すで)にわらはに不義(ふぎ)を許(ゆる)し給ふから。これを責(せめ)ら」るゝ理(ことわり)なし。わが身(み)(いま)よりこの清僧(ひじり)を伴(ともな)ひて退(まか)りなん。なほそれにても阻(こばむ)べき條(すぢ)ありやといふ。甚内(じんない)は既(すで)に肚裏(はらのうち)の計較(もくろみ)を畷女(うねめ)にいひ當(あて)られしかば。いかにともすべなくて。只(たゞ)がや/\と罵(のゝし)りて已(やま)ず。そのとき畷女(うねめ)は道哲(どうてつ)にむかひ。はからざる事にかゝづらひて。さこそ物憂(ものうく)おもひ給はめ。わが身(み)は雁金屋(かりがねや)の畷女(うねめ)と呼(よば)れたる阿曽比(あそび)なりしが。命(めい)(うすく)して。このむくつけ人に伴(ともなは)れ。針(はり)の席(むしろ)に坐(ざ)するがごとく。更(さら)に浮世(うきよ)のはかなきを観念(くわんねん)し。尼(あま)となるべき志願(ねがひ)あり。今宵(こよひ)の因(ちなみ)に弟子(でし)とも見給ひて。わらはがゆくべき処(ところ)まで送(おく)」27りて給はるべし。しかあらざれば。わが身(み)この家(いへ)を逃(のが)るゝことを得(え)ず。身(み)を捨(すて)て人を救(すく)ふは出家(しゆつけ)の常(つね)也。まげてわらはを助(たす)け給へかしといふ。そのいふ所(ところ)(いつはり)ならず聞(きこ)ゆれば。道哲(どうてつ)(こたへ)て。愚僧(ぐそう)が過(あやまち)なき事を。かく明白(あからさま)に申とき給へば。ふかく推辞(いなむ)とにもあらねど。却(かへつて)人の疑(うたがひ)を慝(ひか)んかと思へば。さうなくはうけ引(ひき)がたしといふに。畷女(うねめ)含笑(ほゝゑみ)て。彼(かの)百朋(ひやくほう)の玉(たま)は泥(どろ)の中(うち)に投(なげ)いれても穢(けが)されず。性空(せうくう)は室積(むろづみ)に宿(やど)り。西行(さいきやう)は江口(えぐち)に到(いた)る。しかれどもこれを〓(そしる)ものなし。世(よ)の中(なか)をいとふまでこそかたからめ。假(かり)の宿(やどり)をなど惜(をし)み給ふべきといへば」【挿絵第十二図】(28ウ29オ)道哲(どうてつ)げに悟(さとつ)てすなはち送(おく)りゆかんことを諾(うけひ)ぬ。さて畷女(うねめ)はふたゝび甚内(じんない)に對(むかつ)て。今も申つるごとく。既(すで)に許(ゆるし)を受(うけ)たれは。この清僧(ひじり)に伴(ともなは)れて退(まか)るなりといひかけて。つと外面(とのかた)へ立出(たちいつ)れば。道哲(どうてつ)も後方(あとべ)につきて。忙(いそがは)しく走(はし)り去(さり)。何地(いづち)までか送(おく)らせ給ふと問(とふ)に。畷女(うねめ)(こたへ)て。わが家(いへ)は浅茅(あさぢ)が原(はら)にありて。こゝより路(みち)も遠(とほ)からず。夜(よ)もいと深(ふけ)たれば。ひとりはいかでたどりゆくべき。寔(まこと)に清僧(ひじり)の事によりて。わが身(み)を脱(まぬかれ)たるぞ。こよなき幸(さち)にはありける。是(これ)も過世(すくせ)よりの因縁(いんえん)なるべきに。なほこのうへの惠(めぐみ)には。彼処(かしこ)まで送(おく)らせ給へかしといふに推辞(いなみ)がた」29くて。その家(いへ)に到(いた)りしかば。畷女(うねめ)が母(はゝ)なりける小妙(をだへ)。縁由(ことのよし)を聞(きゝ)。且(かつ)道哲(どうてつ)は黄金(こかね)長者(ちやうじや)の愛子(まなご)なりと聞(きゝ)て。心(こゝろ)の中(うち)ふかくよろこび。この人と厚(あつ)く交(まじら)はば。得(とく)つくべしとおもひて。さま%\に款待(もてなす)し。わりなく留(とゞめ)たりける程(ほど)に。夜(よ)もしら/\と明(あけ)はなれぬ。道哲(どうてつ)はかゝる家(いへ)に長居(ながゐ)しつる事。究(きは)めて越度(をちど)なれと思へども。悔(くひ)てかへるべきにあらねば。東雲(しのゝめ)(ひき)わたすころ。別(わかれ)を告(つげ)て帰(かへ)らんといふを。畷女(うねめ)親子(おやこ)なほ叮嚀(ねんころ)にとゞめ。とかくする程(ほど)に早飯(あさいひ)もりならべてもて出(いで)たれば。これをさへ推辞(いなみ)がたくて。飯(いひ)たうべける間(はし)に。辰(たつ)の刻(こく)も過(すぎ)ぬべし。さはいつまでか」あらんとて。尻切(しりきれ)はきもあへず走(はし)り出(いで)て。わが寺(てら)ちかく来(く)るころは。日もいよ/\高(たか)く登(のぼり)て。さすがに晴(はれ)がましくぞおぼえける。今も金龍山(きんりうさん)のほとりに。垣間見坂(かいまみさか)あひそめ川など称(となふ)る所(ところ)あり。好事(こうず)のもの道哲(どうてつ)が事によつて名(な)つくるかといへり。
巷談坡〓庵巻中畢」30

巷談坡〓庵(こうだんつゝみのいほ)巻下(まきのげ)

曲亭馬琴戲編

   鏡(かゞみ)が池(いけ)の辞世(ぢせい)

向坂(こうさか)甚内(じんない)は。道哲(どうてつ)を謀(はか)らんとしてその事成(な)らず。却(かへつて)いたく畷女(うねめ)に罵(のゝし)られ。彼(かれ)(また)卒然(そつぜん)として脱(のが)れ去(さり)しかば。只(たゞ)(これ)挿頭(かざし)の花(はな)を散(ちら)し掌(たなそこ)の中(うち)なる玉(たま)をうしなへる心地(こゝち)しつ。よしやいかに推辞(いなむ)とも。この日来(ひごろ)(しい)て本意(ほゐ)をとくべかりしものを。今は悔(くふ)ともそのかひあるべうもあらず。宝(たから)の山(やま)に入りながら。手(て)を空(むな)しうせしこそ遺憾(のこりおほ)けれとて。ひたと呆(あき)れて居(ゐ)たりけるが。なほ思ふところありて。畷女等(うねめら)をば追(お)はず。軈(やが)て隣(とな)れる寺(てら)に至(いた)りて。住持(ぢうぢ)に對面(たいめん)し。さていふやう。それ」がしは御寺(みてら)に近(ちか)く住(す)む。向坂(こうさか)甚内(じんない)といふもの也。しかるに愛妾(あいせう)畷女(うねめ)といふものを。當院(たういん)の同宿(どうしゆく)道哲(どうてつ)とかいふ悪僧(あくそう)に偸(ぬす)まれたり、彼等(かれら)この日来(ひごろ)。笆越(かきこし)に相語(かたらひ)よるを。われもをさ/\しりてはあれど密夫(みそかを)は出家(しゆつけ)の事なり。をり/\女(をんな)に教訓(きやうくん)せば。おもひかへす事もやとて黙止(もだ)せしに。今宵(こよひ)わが家(いへ)にあらざるを見て。密會(しのびあふ)(をり)しも。それがし不意(ふゐ)に立(たち)かへりて。その顛末(てんまつ)を責問(せめとふ)に。彼等(かれら)いひとくに言葉(ことば)なければ。周章(あはてふため)きて奔去(はしりさり)ぬ。定(さだ)めて寺内(ぢない)に〓居(かくれおる)べし。彼(かの)畷女(うねめ)は全盛(ぜんせい)(たぐひ)なき遊女(うかれめ)なりしを。それがし如此々々(しか%\)の金(かね)をもて身價(みのしろ)を贖(あがな)ひ。近曽(ちかごろ)(いへ)に迎(むかへ)とりたるに。彼(かの)(そう)いちは」 1やくよばひて。われを辱(はづか)しむること。夥(あまた)の金(かね)を盗(ぬす)み去(さ)りしにも勝(まさ)れり。とく道哲(どうてつ)と畷女(うねめ)を出(いだ)し給へ。彼等(かれら)をうちかさねて。〓(きつ)て四段(よきだ)になさゞる間(うち)は。得(え)こそ帰(かへ)るまじけれと。いきまきあらく述(のべ)たりける。住持(ぢうぢ)はいふもさら也。所化等(しよけら)も曩(さき)に甚内(じんない)が道哲(どうてつ)を罵(のゝし)りたるを。笆越(かきこし)にもれ聞(きゝ)て。いと苦々(にが/\)しく思ひつるに。今甚内(じんない)が怒(いか)れる気色(けしき)にて。遽(いそがは)しく来(き)たりしかば。こはよき事にはあらじと思ひながら。住持(ぢうぢ)立出(たちいで)て。その事を聞(きゝ)。心の中(うち)まづ五分(ごぶ)の恐怖(おそれ)を生(しよう)じ。斑(まだ)らかに冗(はげ)たる頭(かうべ)を掻(かき)て答(こたへ)けるやう。道哲(どうてつ)は甲夜(よひ)に寺(てら)を出(いで)て今に帰(かへ)らず。彼(かれ)(すで)に不義(ふぎ)御身(おんみ)に見られ」たらんに。いかでか阿容々々(おめ/\)と帰(かへ)るべき。よしや帰(かへ)り来(く)ることありとも。かゝる愚者(しれもの)を舎藏(かくまひ)て。嗅気(しうき)を精舎(しやうじや)に残(のこ)さんや。彼(かの)道哲(どうてつ)は。拙寺(せつじ)の徒弟(とてい)にもあらず。父母(ふぼ)の頼(たのみ)によつて。權(しばら)く同宿(どうしゆく)となすのみ。しかれども。この事世(よ)に聞(きこ)ゆるときは。わが寺(てら)の恥(はぢ)なり。畷女(うねめ)とやらんが身價(みのしろ)は。道哲(どうてつ)が父母(ふぼ)に縁由(ことのよし)を告(つげ)て。贖(あがなは)せまうすべし。今夜(こんや)はまげて帰(かへ)り給へ。遠(とほ)からずこなたより。有無(うむ)の返答(へんとう)(およ)ふべしといふを。甚内(じんない)(きゝ)もあへず。われも是(これ)武士(ぶし)の果(はて)なり。覚期(かくご)くてこゝへやは来(き)たるべき。元来(もとより)畷女(うねめ)が身價(みのしろ)(つくのは)ん事をおもはず。はやく道哲(どうてつ)と畷女(うねめ)(いだ)給へ。かく申つるに。なほ彼等(かれら)を出し給はずは。和尚(おせう)も又」 2わが仇(あた)也。縁由(ことのよし)を聞(きこ)えあげて。今にからきめ見すべきと。声(こゑ)(たか)やかに〓(のゝし)りて已(やま)ず。所化等(しよけら)ま%\に勧解(わび)。故(ゆゑ)なくこれを帰(かへ)さんとすれども。更(さら)(かへ)るべき気色(けしき)く。夜(よ)もやゝあけなんとすれば。住持(ぢうぢ)にもてあまし。近曽(ちかごろ)本堂(ほんだう)修覆(しゆふく)んとて。諸方(しよほう)より寄進(きしん)(かね)二包(ふたつゝみ)まりありしかば。なほ彼是(かれこれ)(かき)あつめて。これを甚内(じんない)に取(と)らせ。和睦(わぼく)證文(せうもん)一封(いつゝう)をとりかはしけるにぞ。甚内(じんない)はしすましたりとこゝろに咲(え)み。件(くだん)の金(かね)を懐(ふところ)して。わが家(いへ)にかへりけるが。さすがに影護(うしろめたく)ありけん。二三日のゝち。俄頃(にはか)に雜具(ぞうぐ)(はこ)び出(いだ)して。そのゆく所(ところ)しれずなりぬ。住持(ぢうぢ)甚内(じんない)が立帰(たちかへ)るとやかて」【挿絵第十三図】(3ウ4オ)いそがはしく手書(てかみ)かいしたゝめ。心きゝたる所化(しよけ)二人に。物(もの)よくいひ含(ふくめ)て渋谷(しぶや)へ遣(つか)はしければ。庄司(せうじ)住持(ぢうぢ)の言語(こうじやう)を聞(きゝ)(かつ)の手書(てがみ)(ひら)き見て驚(おどろ)き忿(いか)り。妻(つま)の朝霧(あさきり)にもしか%\の由(よし)を物(もの)たりていふやう。道哲(どうてつ)が母(はゝ)の薄雲(うすくも)は。遊女(うかれめ)にこそあれ頗(すこぶる)志気(こゝろざし)ありしものなるに。彼(かれ)が心ざま犬(いぬ)にも劣(おと)り。われ憖(なまじい)に這奴(しやつ)を出家(しゆつけ)せたるゆゑに。かくもこよなき面目(めんもく)をうしなひぬ。寔(まこと)に憎(にくみ)てもなほ憎(にくむ)べしと罵(のゝし)りて。手(て)づから返書(へんしよ)を写(したゝ)め。住持(ぢうぢ)が甚内(じんない)にとらせたる金(かね)の外(ほか)に二十両(りやう)の金子(きんす)を寺(てら)に布施(ふせ)し。二人の使僧(しそう)にも二包(ふたつゝみ)の銀子(きんす)を与(あた)へ。道哲(どうてつ)もし立帰(たちかへ)ることありとも。かならず憐(あはれみ)をかけ給ふべからず。」 4われも又子とはおもひ候はじと。厳(きび)しく申遣(つかは)しけり。是(これ)より先(さき)道哲(どうてつ)は。畷女(うねめ)親子(おやこ)に引とめられて。已(やむ)ことを得(え)ず彼(かれ)が家(いへ)に夜(よ)をあかし。こよなき懈(おこたり)かなとおもふから。忙(いそがは)しく走(はし)り帰(かへ)りて。つと入らんとすれば。門(かど)もる男(をとこ)門内(もんない)へ入(い)れ立(たて)ず。この悪僧(あくそう)いかに恥(はぢ)をしらねばとて。阿容々々(おめ/\)と帰(かへ)りつる事よ。其許(そこ)か隣家(りんか)の傍妻(そばめ)を盗去(ぬすみさ)りたればこそ。院主(いんしゆ)は面目(めんもく)を失(うしな)ひて。夥(あまた)の金(かね)を取(と)られ給ひぬ。さるによつて夜(よ)のうちより。使僧(しそう)を其許(そこ)の親里(おやさと)へ遣(つかは)し給ひたるが。今ははや帰(かへ)り来(く)べきころなり。いたく打(うた)れざるを身(み)の幸(さち)にして。とく/\脱去(のがれさり)候へといふ。道哲(どうてつ)」聞(きゝ)て大に呆(あき)れ。われは汚(けが)れたる行(おこな)ひをなすものにあらず。前夜(ゆふべ)仏事(ぶつじ)ありとて。甚内(じんない)とやらんが家(いへ)に招(まねか)れ。箇様々々(かやう/\)の事によつて。已(やむ)ことを得(え)ず。浅茅(あさぢ)が原(はら)へ。彼(かの)女子(をなご)を送(おく)り遣(つかは)しけるに。親子(おやこ)の款待(もてなし)いと切(せち)なれば。速(すみやか)に帰(かへ)ることを得(え)ざりしなり。よし/\。さらば彼(かの)甚内(じんない)を伴(ともな)ひ来(き)て。身(み)に過(あやまち)なきをしらすべしといひかけて。隣家(りんか)に走(はし)りゆくに。家(いへ)は寂(しやく)として裡(うち)に人(ひと)もあらず。よも遠(とほ)くへはゆかじとて。しばし立在(たゝずめ)ども帰(かへ)り来(こ)ず。あまりに思ひ惑(まど)ひて。ふたゝび寺(てら)の門前(もんぜん)に到(いた)るとき。渋谷(しぶや)へ使(つかひ)したる両僧(りやうそう)(たち)かへり。道哲(どうてつ)を尻目(しりめ)にかけて裡(うち)に入るを。道哲(どうてつ)いそがはしくその袖(そで)を引とめ。身(み)に」 5過(あやまち)なき一五一十(いちぶしゞう)を告(つげ)て。師兄(すひん)わが為(ため)に説明(ときあか)し給はるべしといふに。両僧(りやうそう)(こたへ)て。しかりといへども。その夜(よ)かへらずして人の疑(うたが)ひを慝(ひき)給へば。縦(たと)ひいかに宣(のた)(ママ)とも。誰(たれ)かこれを信(まこと)とせん。是(これ)(みゝ)を塞(ふさい)で鈴(すゞ)を盗(ぬすむ)の類(たぐひ)なり。加之(しかのみならず)甚内(じんない)は名(な)たゝる癖者(くせもの)也。憖(なまじい)に彼(かれ)と爭(あらそ)はゞ。却(かへつ)て羞(はぢ)に羞(はち)を累(かさぬ)る事もあらんか。畷女(うねめ)が身價(みのしろ)は渋谷(しぶや)より贖(つくの)ひ給ひたるが。尊父(てゝご)の怒(いかり)(こと)に甚(はなはだ)し。まづ何地(いづち)にも身(み)を〓(かく)し。いよ/\過(あやまち)なきに于(おい)ては。時(とき)をまつて勧解(わび)給へ。しからずは忽地(たちまち)(とらは)れて。からきめ見給ふべしといひかけて門内(もんない)に走(はし)り入り。そのゝちは出(いで)あふものもなかりしかば。道哲(どうてつ)はます/\心(こゝろ)(くる)しくて。とさまかうさま思ひたゆたひしが。後悔(こうくわい)その詮(せん)あらざれば。すご」すごと立去(たちさつ)て。再(ふたゝ)び淺茅(あさぢ)が原(はら)に赴(おもむ)き。畷女(うねめ)親子(おやこ)に縁由(ことのよし)を物(もの)かたりしていふやう。われ慮(おもんはかり)(あさ)くして。こゝに一夜(ひとよ)をあかせしかば。遂(つひ)に人に疑(うたがは)れて。堕落(だらく)の汚名(おめい)を蒙(かうむり)たり。所謂(いはゆる)宋襄(そうじやう)の仁(じん)。微生(びせい)が信(しん)。世(よ)の胡慮(ものわらひ)なること。身(み)の愚(おろか)なるより起(おこ)れは。人を恨(うらむ)るによしなく。とても身ををく宿(やど)もあらねば。諸國(しよこく)を偏歴(へんれき)して。旅(たび)に死(し)ぬべく思ふ也といへば。畷女(うねめ)(きゝ)てふかく驚(おどろ)き。こはみなわらはが過(あやまち)なり。よしや回國(くわいこく)修行(しゆぎやう)し給ふとも。人の疑(うたがひ)をとくべきにあらず。背門方(せどべ)に空房(あきや)の侍(はべ)るなれば。しばし其処(そこ)に住(すま)せ給へ。わらはよきにはからひて。遠(とほ)からず御寺(みてら)へかへしまゐらすべしといふに。小妙(をだへ)も又さま/\言(こと)を竭(つく)して慰(なぐさ)めけり。道(どう)」 6哲(てつ)はその言(こと)いとおぼつかなくはあれど。さし當(あたつ)て膝(ひざ)を容(いる)べき宿(やど)もなければ。ぜひなく件(くだん)の空房(あきや)を借(か)りて。心にもあらぬ日をおくるに。畷女(うねめ)も痛(いたま)しくおもひけん。ある日その草菴(さうあん)におとづれていへりけるは。かくて坐(おは)すること。さこそ胸(むね)くるしくもおぼすらめ。わらは元来(もとより)遁世(とんせい)の志願(ねがひ)あれど。しらせ給ふごとく。母(はゝ)は頑(ゥたくな)に慾(よく)ふかきものなれば。しばし折(をり)をうかゞふのみ。わが身(み)(あま)とならば。御身(おんみ)に過(あやまち)なき事を。人もおのづから思ひ當(あた)りてん。燕雀(ゑんじやく)は大鵬(たいぼう)の志(こゝろざし)をしらずとかいふことあり。世(よ)の誹謗(そしり)にかゝづらひて。道心(どうしん)を誤(あやまち)給ひそといふに。道哲(どうてつ)は彼(かれ)が気質(きしつ)の丈夫(ますらを)にも勝(まさ)れるに感悟(かんご)し。これよりして回國(くわいこく)のおもひをたちぬ。さる程(ほど)に朝霧(あさきり)は道哲(どうてつ)が往方(ゆくへ)」【挿絵第十四図】(7ウ8オ)をいと心もとなく思ひて。潜(ひそか)に久米平内(くめのへいない)左衛門(ざゑもん)を呼(よび)ていふやう。道哲(どうてつ)が色(いろ)にまどひて。父(ちゝ)の不興(きやう)を禀(うけ)たるは。彼(かれ)が罪(つみ)にあらず。出家(しゆつけ)は年長(としたけ)たるものだに。遂(とぐ)ることいと難(かた)しといふ。況(いはんや)廾歳(はたち)にも足(た)らぬ男子(をのこ)の。かばかりの過(あやまち)はあるべきことぞかし。彼(かれ)(さだ)めて彼此(をちこち)に呻吟(さまよひ)てやあらん。御身(おんみ)いかにもしてその在処(ありか)を索(たづね)。物(もの)(とぼ)しからぬやうに。心をそへて給はれかしと聞(きこ)えて。一裹(ひとつゝみ)の金(かね)を逓与(わた)しければ。平内(へいない)はこゝろを得(え)て。しのび%\に道哲(どうてつ)が往方(ゆくへ)を探問(さぐりとひ)。既(すで)に浅茅(あさぢ)が原(はら)にあることをしるといへども。いかなる心にや。彼(かの)(かね)をわたさず。みづから索(たづね)ゆくことヲせで。朝霧(あさきり)には彼(かの)(ひと)の在処(ありか)もしれたれば。心安(こゝろやす)かれなど。よきにいひこしらへければ。朝(あさ)」 8霧(きり)はふかく歓(よろこ)びて。その後(のち)もをり/\衣服(いふく)金銀(きん%\)を。平内(へいない)もて道哲(どうてつ)に送(おく)り遣(つかは)しけれど。平内(へいない)はその人に与(あたへ)ずして。おのれ残(のこ)りなくとりてけり。かゝりしかば道哲(どうてつ)はしばしが程(ほど)こそありけれ。既(すで)に貯禄(たくはへ)(つき)ていかにともすべなし。畷女(うねめ)が母(はゝ)の小妙(をだへ)は。道哲(どうてつ)が父(ちゝ)は冨(とみ)たる人なりと聞(きゝ)て。金(かね)を貪(むさぶ)りとらん為(ため)に。信(まめ)やかに款待(もてなし)たれ。今そのよるべなきを見て。はじめにも似(に)ず。とく出(いで)てゆけかしと思ふ気色(けしき)なるを。畷女(うねめ)はいと傍(かたはら)いたくて。母(はゝ)を諌(いさむ)るに。小妙(をだへ)はうち腹(はら)たちて。なほかしがましく罵(のゝし)りける。道哲(どうてつ)はこれらの景迹(ありさま)を見るに久(ひさ)しくこゝにあるべうもおぼえず。あまりに慰(なぐさめ)かねて。ある日(ひ)」橋場(はしば)のかたに〓佯(せうよう)し。路(みち)の傍(かたはら)なる茶店(さてん)に尻(しり)をかけて。二三椀(わん)の茶(ちや)を喫(きつ)し。墨田(すみだ)川原(かはら)にゆく舩(ふね)の跡(あと)なきを見ても。憶良(おくら・ムネヨシ)が言(こと)の葉(は)さへ思ひ出(いで)られ。[万葉集山上憶良が歌に世の中は何にたとへん朝びらきこき行舩の跡なきかごと]わが身(み)の形(あぢき)なきをはかなみけり。そのときあるじの婦(をんな)道哲(どうてつ)を熟視(つら/\み)て。聖僧(ひじり)はこのごろ浅茅(あさぢ)が原(はら)に坐(おは)する。黄金(こかね)の長者(ちやうじや)の愛子(まなご)。道哲(どうてつ)法師(ほふし)にておはすべし。わらはは聖僧(ひじり)の實母(じつぼ)。三浦(みうら)の薄雲(うすくも)太夫(たいふ)につかはれたる女(め)の童(わらは)なり。近曽(ちかころ)年季(ねんき)(はて)て。この家(いへ)に嫁(よめ)り侍(はべ)りといふ。道哲(どうてつ)(きゝ)て不審(いぶかし)み。わが母(はゝ)は朝霧(あさきり)と呼(よば)れ給ひて。父(ちゝ)の嫡室(ほんさい)なり。別(べち)に母(はゝ)ありといふことは甞(かつて)(きか)ざるものをといふ。彼(かの)(をんな)かさねて。さて」 9は縁故(ことのもと)を得(え)しらでや坐(おは)する。聖僧(ひじり)は花街(くるわ)にて生(うま)れ給ひ。箇様々々(かやう/\)の事によつて。襁褓(むつき)より渋谷(しぶや)へ〓(やしな)ひとり給ひたるなり。その故(ゆゑ)は如此々々(しか%\)なりとて。薄雲(うすくも)が始終(はじめをはり)をおちもなく物(もの)がたり。またいふやう。薄雲(うすくも)の君(きみ)。浅草(あさくさ)にて人に傷(きずつけ)られ給ひしとき。笄(かうがひ)をもて仇(あた)の耳垂房(みゝたぶ)をつらぬき給ひぬ。その手(て)にて死(し)し給ふにもあらねど。この故(ゆゑ)にこそ自害(じがい)してうせ給へり。しかれば彼(かの)癖者(くせもの)が殺(ころ)せしにひとしとて。そのころ人みな申あへりと告(つぐ)るに。道哲(どうてつ)ははじめてこの事を聞(きゝ)て大に驚(おどろ)き。彼(かの)(をんな)にはよきに回答(いらへ)て其処(そこ)を立出(たちいで)。つく%\と思ふやう。われけふまで産(うみ)の母(はゝ)をしらず。又仇(あた)あることをしらず。かゝる」故(ゆゑ)に父(ちゝ)わが身(み)を法師(ほふし)にはし給ひけめ。こはみな實父(じつふ)養母(ようぼ)の深(ふか)き慈(めぐ)みなりとはいへとも。今(いま)不意(ふゐ)に母(はゝ)の仇(あた)ある事を聞(き)くこと。神明(しんめい)(かり)に彼(かの)(をんな)に托(たく)して告(つげ)給ふかとおぼし。非如(たとひ)禅録(ぜんろく)に。父母(ふぼ)(ために)(ひとの)(されて)(ころ)(なくは)(ひとつも)(あげ)(こゝろを)(うごかすこと)(ねんを)(まさに)(はじめて)(なづけて)(なす)(しよ)發心(ほつしんの)菩薩(ぼさつと) とありとも。父母(ふぼ)の仇(あた)を報(むく)はざるは人倫(じんりん)の所為(しよゐ)にあらず。むかし禅師(ぜんじ)公暁(くぎやう)。父(ちゝ)の仇(あた)実朝(さねとも)を撃(うつ)。識者(しきしや)(ろん)じて云(いはく)。公暁(くぎやう)仏門(ぶつもん)に入るといへども。實朝(さねとも)は父(ちゝ)頼家(よりいへ)の仇(あた)なり。これを撃(うた)ずは有(ある)べからず。當時(そのかみ)これを否(なみ)して。悪禅師(あくぜんじ)と稱(となふ)るは。凡智(ぼんち)の決断(けつだん)浮薄(ふはく)の至(いたり)也といへり。われ今(いま)弥陀(みだ)の利劍(りけん)を引携(ひつさげ)。母(はゝ)の仇(あた)を撃(うつ)て。孝養(こうよう)に備(そな)ふべし。しかはあれ。三衣(さんえ)を着(ちやく)」10して人を殺(ころ)さんは仏(ほとけ)の御意(みこゝろ)に叛(そむ)けり。とせんかくせんと思ひたゆたひしが。佶(きつ)と心つくことありて。直(たゞ)に浅茅(あさぢ)が原(はら)に立(たち)かへり。その事とはなしに畷女(うねめ)親子(おやこ)にいへりけるは。わが身(み)安然(あんぜん)として女あるじに養(やしなは)るゝこといと心くるし。人(ひと)(つね)の産(さん)なければ。常(つね)の心なしとて。兼好(けんこう)は阿部野(あべの)に莚(むしろ)を織(おり)たりときく。われもさばかりの事をばなして。口(くち)を餬(こ)するのたつきとすべきなりとて。次(つぎ)の日より頭巾(づきん)をもて頭(かうべ)を果(つゝ)み。僧(そう)にもあらず俗(ぞく)にもあらぬ打扮(いでたち)して。名(な)を長官(ちやうくわん)と稱(とな)へ。日毎に街(ちまた)に出(いで)て。人の耳(みゝ)の垢(あか)をとり。僅(はづか)に一銭(いつせん)を乞(こふ)て。生活(なりわひ)とせり。そのこゝろ耳(みゝ)に痍(きず)ある人に」【挿絵第十五図】(11ウ12オ)あはゞ。探問(さぐりとふ)て母(はゝ)の仇(あた)をしらんが為(ため)也。されは耳(みゝ)の垢(あか)とり長官(ちやうくわん)とて。その名(な)いと高(たか)く聞(きこ)え。〓鹿子(そうかのこ)第六巻(だいろくくわん)にもこれを載(の)せ、又英氏(はなぶさうぢ)の筆(ふで)にも。その圖(づ)をのこせり。かくて半年(はんねん)あまりを經(へ)たりけるに。ある日(ひ)。年(とし)のよはひ五十(いそぢ)を過(すぎ)たる武士(ぶし)。小妙(をだへ)が家(いへ)に来(きた)りて。何事(なにこと)やらん相語(かたらふ)事半〓(はんとき)あまりに及(およ)びしが小妙(をだへ)はいとうれしと思ふ気色(けしき)にて。畷女(うねめ)を物(もの)かげに招(まね)き。目今(たゞいま)おくに坐(おは)する人は。富家(とむいへ)の長臣(おとな)にて。御身(おんみ)を殿(との)の妾(おんなめ)に進(まゐ)らせなば。夥(あまた)の金(かね)を給はらんと宣(のたま)ふ。しかれば是(これ)親子(おやこ)もろとも浮(うか)みあがるべき條(すぢ)なり。轎(かご)をはこなたよりせよと宣(のたま)はすれば。われは」12ゆきて轎夫(かごかき)を傭(やと)ひ来(く)べし。御身ははやく髪(かみ)をもとりあげ給へかしといふ。畷女(うねめ)(きゝ)て呆(あき)れ果(はて)。こはふしぎなる事ヲ宣(のたま)ふものかな。わが身一(ひと)たび親(おや)の為(ため)に花街(くるわ)に身を賣(うり)。思はぬ人に伴(ともな)はれしを。辛(からう)じて脱(のが)れ得(え)たれば。今(いま)は心安(こゝろやす)く世(よ)をわたらんと思ひつるに。またもや金(かね)にこゝちまどひ。給事(みやづかへ)せよと仰(おふ)するは。こゝろを得(え)ず。この事のみはゆるし給へといはせもあへず。小妙(をだへ)大に腹(はら)をたてゝ。さては親(おや)は餓(うへ)て死(し)ぬまても。御身は心のまゝに世(よ)を經(へ)んとやいふ。それは彼(かの)青道心(あほどうしん)に。妹夫(いもせ)のかたらひせし事などのあればなるべし。われも又人にゆるしたる言葉(ことば)の。徒事(いたづらこと)とはならず。かく不孝(ふこう)の子(こ)に」かゝらんとおもへばこそ。憖(なまじい)に物(もの)をもおもへ。今は覚期(かくご)(きはめ)たりとうち恨(うらみ)て。庖丁(ほうちやう)の刀(かたな)をとつて。既(すで)に咽喉(のんど)へ突立(つきたて)んとするを。畷女(うねめ)(いそがは)しく抱(いだき)とめ。やよ母御(はゝご)はやまり給ふな。わらは行(ゆく)まじといふにはあらず。こゝろに誓(ちかひ)し事のあれば。とくにも承引(うけひか)ざりし也といへば、小妙(をだへ)(すこ)し気色(けしき)を和(やはら)げ。しからば目今(たゞいま)ゆくべきか。いなその事は後(のち)に申さめ。しからばそれも偽(いつは)りなり。母(はゝ)を活(いけ)んとも死(ころ)さんとも。御身が心ひとつにあり。とく/\回答(いらへ)し給へとて。しばしもまつべうあらざれば。畷女(うねめ)はなか/\におもひ絶(たえ)。かくまで宣(のたま)ふを。いかで推辞(いなみ)(はべ)らん。さらば参(まい)るべしといふに。小妙(をだへ)は忽地(たちまち)かや」13かやとうち笑(わら)ひ。げに賢(かしこ)くも聞(きゝ)わき給ひぬ。御身は母(はゝ)にかはりて賓(まれびと)を款待(もてな)し給へ。いで一走(ひとはしり)りにゆきて来(こ)んとて。裳(もすそ)を〓(かゝげ)て出去(いでさり)けり。畷女(うねめ)は豫(かね)てより尼(あま)となるべき志願(ねがひ)ありしに。われゆゑに道哲(どうてつ)を。あしさまにいはすること。いとねたくは思ひなから。遂(つひ)には墨(すみ)の衣(ころも)に容(さま)をかえて。わが平生(へいぜい)の志(こゝろざし)をも人にしらし。かの人の為(ため)に世(よ)の疑(うたがひ)をとかんものをと思ひ定(さだめ)たるに。いま思はずも。この一件(ひとくだり)のことにかゝつらひ。宿志(しくし)を果(はた)さんとすれば不孝(ふこう)に陥(おちい)り。孝(こう)ならんすれは人に信(まこと)あらず。とてもかくてもわが玉(たま)の緒(を)の絶(たゆ)べきときなりとうち歎(なげき)て。事の首尾(はじめをはり)を審(つまびらか)に書(かき)」遺(のこ)し。そのおくに  名(な)はそれとしらずともしれ猿沢(さるさは)の跡(あと)を鏡(かゞみ)が池(いけ)にしづめばとかいしたゝめ。筆(ふで)をおきもあへず背門(せどべ)より走(はし)り出(いで)て。鏡(かゞみ)が池(いけ)に投(しづみ)ける。あはれはかなき身(み)の果(はて)なり。

   甚内橋(じんないばし)の仇撃(あたうち)

小妙(をだへ)は斯(かく)ともしらず。轎(かご)を傭(やと)ひて忙(いそがは)しくかへり来(く)れは。畷女(うねめ)がいづ地(ち)ゆきけん。家(いへ)にしもあらず。引ちらしたる硯箱(すゞりはこ)のほとりに。一封(いつゝう)の遺書(かきおき)あるを見て。こはいかにと驚(おどろ)きさわぎ。彼(かの)武士(ぶし)にも如此々々(しか%\)の故(ゆゑ)を告(つげ)て。遺書(かきおき)を讀(よま)すれば。道哲(どうてつ)が身(み)に過(あやまち)なき」14事の訳(わけ)。又わが身(み)遁世(とんせい)の望(のぞみ)ある事などくはしう書(かき)しるし。義理(ぎり)に迫(せま)りて親(おや)に先(さき)たつ不孝(ふこう)を思へば。後(のち)の世(よ)もいとおぼつかなし。何事も過世(すくせ)の悪業(あくごう)と思ひ諦(あきらめ)給へかしなど。筆(ふで)のはこびもいとあはれに見ゆめれば。小妙(をたへ)は忽地(たちまち)後悔(こうくわい)して。声(こゑ)を惜(をしま)ず泣(なき)ければ。彼(かの)武士(ぶし)も痛(いたま)しくおぼえて。さま%\にいひ慰(なぐさ)め、みなもろともに鏡(かゞみ)が池(いけ)の畔(ほとり)に到(いた)れば。汀(みぎは)の松(まつ)に袿(うちぎ)を投(なげ)かけて。はき捨(すて)たる草履(わらぐつ)も。なほあたゝか也。小妙(をたへ)はこれを見て或(ある)は恨(うら)み。或(ある)はうち歎(なげき)てせんすべをしらず。さて件(くだん)の武士(ぶし)は。水練(すいれん)を入(い)れて畷女(うねめ)が屍(しがい)を引(ひき)あげさし。小妙(をたへ)には一包(ひとつゝみ)の金を与(あたへ)て」【挿絵第十六図】(15ウ16オ)送葬(そう/\)の助(たすけ)とし。いと夲意(ほゐ)なげにかへりけり。かゝりし程(ほど)に。道哲(どうてつ)は。その夕(ゆふ)ぐれに帰(かへ)り来(き)て。畷女(うねめ)が入水(じゆすい)の事を聞(きゝ)。亦(また)辞世(ぢせい)の歌(うた)を見ておどろき哀(あはれ)み。はじめよりの物語(ものがたり)して。畷女(うねめ)が遁世(とんせい)の望(のぞみ)いと切(せち)なりし事を告(つぐ)れは。小妙(をたへ)はます/\後悔(こうくわい)して泣(なく)より外(ほか)の事もなし。かくてあるべきあらねば。その夜(よ)畷女(うねめ)が亡骸(なきがら)を。駒込(こまこめ)鰻鱧縄手(うなぎなはて)なる。正行寺(せうぎやうじ)に葬(ほうふり)。楓玄少真(ふうげんせうしん)とかや。四箇字(しかじ)の法名(ほうみやう)を。一片(いつへん)の石(いし)にのこしけり。さればにや道哲(どうてつ)は。いよ/\志(こゝろざし)を励(はげま)して。只(たゞ)一日もはやく。母(はゝ)の仇(あた)を報(うた)んとて。八百(やほ)あまり八(やつ)の町々(まち/\)を。縦横(たてよこ)に偏歴(へんれき)するに。ある日鳥越橋(とりこえはし)のほとりに。人夥(ひとあまた)つど」16ひて。しかた咄(はなし)を聞居(きゝゐ)たれば。この群集(くんじゆ)に目(め)をつけて。外(と)の方(かた)に立在(たゝずみ)。耳(みゝ)の垢(あか)をとらせ給へ/\と呼(よば)はりぬ。このときしかた話(ばなし)に名(な)たゝるものあまたありて。長谷川町(はせがはちやう)に鹿野武左衛門(しかのぶざゑもん)、横山町(よこやまてう)に何がし休慶(きうけい)。中橋(なかばし)の四郎斎(しらうさい)。伽羅小左衛門(きやらこざゑもん)なんど。[惣かのこに出つ] みな利口(りこう)能辨(のうべん)なるものどもなり。今こゝに人をつどへたるも。その類(たぐひ)にて。洛(みやこ)に名(な)を得(え)てし。露(つゆ)の五郎兵衛。ひやうたんかしく等(ら)には勝(まさ)るとも。劣(おと)るべうはおぼえず。平家物語(へいけものがたり)の斎藤(さいとう)瀧口(たきくち)時頼(ときより)入道(にうどう)が。嵯峨野(さがの)に隠遁(いんとん)したりけるを。横笛(よこぶえ)といふ女房(によぼう)が尋来(たづねき)たれども。瀧口(たきくち)は遂(つひ)に逢(あは)ず。そのゝち横笛(よこぶえ)」も尼(あま)となりて。瀧口(たきくち)がもとへ歌(うた)をよみてつかはしける事を。今の世(よ)の事にとりまじへて。いとあはれに物(もの)かたれば。人みな嗚呼(あゝ)と感(かん)じて已(やま)ず。この長(なが)ものかたりに思ひの外(ほか)(ひ)も暮(くれ)にければ。みな/\おのが家路(いへぢ)へとて出去(いでさり)ぬ。しかるに向坂(こうさか)甚内(じんない)は。往(さき)に金龍山(きんりうさん)のほとりを立去(たちさり)。この鳥越(とりこえ)は舊(もと)(すみ)ける処(ところ)なれば。橋(はし)のこなたなる小家(こいへ)に引うつり。ふかく籠(こも)りて居(ゐ)たりしに。今(いま)道哲(どうてつ)がひとり橋(はし)をわたりて来(く)るを見て。ねたくやありけん。夥計(なかま)の悪棍(わるもの)五七人と示(しめ)しあはし。既(すで)に近(ちか)くなるまゝに甚内(じんない)(いそがは)しく刀(かたな)の笄(かうがい)をぬき出(いだ)し。吭(のんど)をめがけて丁(ちやう)と打(うつ)を。道哲(どうてつ)(みぎ)の袖(そで)に受(うけ)とめ」17たり。彼(かれ)(のが)しそと呼(よば)はれば。悪棍(わるもの)どもはら/\と走(はし)りすゝみ。打殺(うちころ)さんと鬩(ひしめけ)ば。道哲(どうてつ)も已(やむ)ことを得(え)ず。戒刀(かいとう)を引抜(ひきぬき)て。しばし挑(いど)み戦(たゝか)ふといへども。彼(かれ)は大勢(たいせい)なれば勝(かつ)べくも覚(おほえ)ず。仇(あた)を撃(うつ)べき身の。よしなき盗賊(とうぞく)などの為(ため)に死(しな)んは朽(くち)をし。いかにもして切抜(きりぬけ)んと思へども。輙(たやす)く脱(のが)すべうもあらざれば。右(みぎ)に當(あたり)(ひだり)に當(あたり)。千変(せんへん)万化(ばんくわ)して戦(たゝか)ふ折(をり)しも。編笠(あみかさ)ふかくしたる武士(ぶし)。物(もの)のかげより走(はし)り出(いで)(くだん)の悪棍等(わるものら)を切(きり)たふすこと。杖(つえ)もて草(くさ)を拂(はら)ふが如(ごと)し。道哲(どうてつ)はこれに力(ちから)を得(え)。甚内(じんない)とわたり合(あひ)て諸膝(もろひざ)(なぎ)たふし。とゞめをさゝんとて。月影(かげ)によく見れば。思ひもかけぬ向坂(こうさか)甚内(じんない)なるが。耳垂房(みゝたぶ)に舊(ふる)き疵(きず)」【挿絵第十七図】(18ウ19オ)あり。此ものもしわが母(はゝ)の仇(あた)にはあらぬかと思ふに心うれしく。首(くび)かき切(きつ)て立(たち)あがれば。悪棍(わるもの)どもゝ残(のこり)なく撃(うた)れ。助太刀(すけだち)したる武士(ぶし)もいづ地(ち)(ゆき)けんふつに見えず。さて道哲(どうてつ)は。心しづかに甚内(じんない)が打(うち)かけたる笄(かうがい)をぬきて見れば。蔦(つた)のもんを彫(ゑり)つけて。その下(した)
 しのぶには明(あけ)やすくとも朧月(おぼろづき) 薄雲(うすくも)とあり。さてはこの笄(かうがい)は。わが母(はゝ)の。甚内(じんない)が耳(みゝ)をつらぬき給ひたるとき。彼(かれ)(うばひ)とつて。刀(かたな)につけたりとおぼし。しかればはからずして仇(あた)を撃(うち)。又ふしぎに助太刀(すけたち)を得(え)たる事。神明(しんめい)仏陀(ふつだ)の冥助(みやうぢよ)あらせ給ふならんと思ふに。いと尊(たふと)くも忝(かたじけ)(ママ)て。仇(あた)の首(くび)を袖(そで)に裹(つゝみ)みて。浅茅(あさぢ)が原(はら)へ立(たち)かへり。はじめて日来(ひごろ)」19仇(あた)をねらひし事を。小妙(をたへ)に物(もの)かたるに。小妙(をたへ)は道哲(どうてつ)が実母(じつぼ)を。三浦(みうら)の薄雲(うすくも)なりと聞(きゝ)て。ふかく驚(おどろき)き怪(あやし)み。女児(むすめ)畷女(うねめ)がいとけなかりしとき薄雲(うすぐも)に使(つかは)れたりし事。又わが身の悪心(あくしん)にて。雁金屋(かりがねや)へ賣(うり)かえたることなど。聊(いさゝか)も藏(かく)さずいひ出(いで)て。慚愧(ざんぎ)すること限(かぎり)なし。道哲(どうてつ)もこの物語(ものかたり)にあやしき縁(えに)しを感嘆(かんたん)し。小妙(をだへ)に実母(じつぼ)の墓処(むしよ)を聞てふかく歓(よろこ)び。その夜(よ)(ひそか)に薄雲(うすくも)が墓(はか)に参詣(さんけい)し。仇人(かたき)甚内(じんない)が首(かうべ)を手向(たむけ)。年来(としころ)(はゝ)の墳墓(ふんほ)もしらず。近(ちか)きほとりにありながら。徒(いたづら)に過(すぎ)ぬる事を悔歎(くひなげ)きぬ。寔(まこと)にはからずして志(こゝろざし)を遂(とぐ)ること。橋場(はしば)の女(をんな)が一言(いちごん)によればとて。道哲(どうてつ)は次(つぎ)の日(ひ)(かの)茶店(さてん)」に尋(たづね)ゆくに。こゝかと思ふ家(いへ)もなし。あまりに不審(いぶかし)ければ。是(これ)(かれ)と人(ひと)に問(とふ)にしれるものもあらず。これも又一ッのふしぎなり。もし亡母(なきはゝ)の假(かり)にあらはれて。仇(あた)ある事を告(つげ)給ふかとて。縁由(ことのよし)を小妙(をたへ)にも物(もの)がたり。数行(すこう)の感涙(かんるい)にむせびけり。彼(かの)甚内(じんない)は。世(よ)に聞(きこ)えたる悪棍(わるもの)なるに。その支黨等(どうるいら)に至(いた)るまで。こと%\く撃(うた)れしかば。里人等(さとひとら)ふかく歓(よろこ)び。それが住(すみ)けるほとりの橋(はし)を。甚内橋(じんないばし)と呼(よ)ぶとかや。かくて道哲(どうてつ)は日本堤(にほんづゝみ)のこなたに草(くさ)の庵(いほり)を締(むすび)。たえず念仏(ねんぶつ)して。現世(げんぜ)には父母(ふぼ)(あに)の延命(ゑんめい)を祷(いの)り。又(また)亡母(なきはゝ)薄雲(うすくも)と畷女(うねめ)が後世(ごせ)を弔(とふら)ひ。行(おこなひ)すまして居(ゐ)たりける。さる程(ほど)に道哲(どうてつ)が仇撃(あたうち)の事。且(かつ)道心(どうしん)(けん)」20貞(てい)なる事ども。世(よ)に高(たか)く聞(きこ)えしかば。はじめ疑(うたが)ひて。追遣(おひやら)ひたる何がし寺(てら)の住持(ぢうぢ)も。ふかく慚愧(ざんぎ)後悔(こうくわい)し。みづから日本堤(にほんつゝみ)の庵(いほり)を訪(と)ひて。往(さき)には甚内(じんない)にはかられて。かゝる清僧(せいそう)にぬれ衣(きぬ)を被(き)せたる事。わが慮(おもんはかり)の淺(あさ)きに起(おこ)れりとて。いと叮嚀(ねんごろ)にこれを勧解(わび)。又渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)が家(いへ)に到(いたり)て。縁由(ことのよし)を告(つげ)。親子(おやこ)再會(さいくわい)の事を申すゝめければ。朝霧(あさきり)はいふもさら也。庄司(せうじ)もふかく歓(よろこ)びて。さらば對面(たいめん)を遂(とぐ)べしとて。両(りやう)三日(さんにち)の後(のち)朝霧(あさぎり)、金王丸(こんわうまる)。平内(へいない)左衛門(ざへもん)(ら)を將(い)て。道哲(どうてつ)が菴(いほり)に赴(おもむ)きしかば。道哲(どうてつ)はこは思ひかけずとて。忙(いそがは)しく出(いで)むかへ。わが身(み)の懈(おこたり)によつて。且(しばら)くも父母(ふぼ)を苦(くる)しめ奉(たてまつ)りたる罪(つみ)」いとふかし。しかるを却(かへつ)てみづから訪(とは)せ給ふこと。勿体(もつたい)なしとよろこび聞(きこ)えて兄(あに)金王(こんわう)平内(へいない)(ら)にも別後(べつご)(つゝが)なきを祝(しく)し。さて神仏(しんぶつ)の冥助(みやうぢよ)によつて。はからずも実母(じつぼ)は三浦(みうら)の薄雲(うすくも)なる事をしり。不思議(ふしぎ)に仇人(かたき)甚内(じんない)を撃(うち)とりし事。亦(また)畷女(うねめ)が事など。是彼(これかれ)(つまびらか)に物(もの)がたれば。みな頻(しきり)に嗟嘆(さたん)して已(やま)ず。朝霧(あさきり)はわきてうれしと思ふ気色(けしき)にて。道哲(どうてつ)に對(むか)ひ。縁故(ことのもと)をしり給はねば。なほ不審(いぶかしく)もあらんが。御身はわが為(ため)に義理(ぎり)ある子(こ)なれば。いかにもして家(いへ)を嗣(つが)せんとて。さま%\に心を竭(つく)せしかど。命運(めいうん)の〓(かゝ)るところは。人(ひと)の力(ちから)に及(およ)ばず。元(もと)わが身(み)は庄司(せうじ)どのゝ前妻(せんさい)撫子(なでしこ)と呼(よば)れし人(ひと)の婢(こしもと)なりしに。撫子(なでしこ)(よ)をはやくし給」21ひて。わが身(み)(さいはひ)に殿(との)の鐘愛(ちやうあい)を蒙(かうふ)り。後妻(のちのつま)とまでなりあがれど。その貴賤(きせん)を論(ろん)ずるときは。薄雲(うすくも)どのと異(こと)なる事なし。しかれば金王(こんわう)も母(はゝ)は又賤(いや)しきものを。彼(かれ)に出家(しゆつけ)さして。なき人の菩提(ぼだい)を弔(とは)せ。御身(み)を家督(かとく)として。一トたび疑(うたがは)れしわが身の清(きよ)きか濁(にご)れるかを明(あか)さばやと思ひながら。その事を告(つげ)んには。御身(み)も又義理(ぎり)にかゝつらひて。固辞(いなみ)たまふべきかとて。遂(つひ)に実(まこと)の母(はゝ)ある事を。告(つげ)ず過(すぎ)にし悔(くや)しさよと。年来(としごろ)思ふことのかぎり。涙(なみだ)とゝもにかき口説(くどけ)ば衆皆(みな/\)その節操(みさを)を稱讃(せうさん・ホメル)し。道哲(どうてつ)は忝(かたじけな)さに。不覚(そゞろ)に落涙(らくるい)したりける。

   粂平内(くめのへいない)が誓言(ちかごと)

そのとき粂平内(くめのへいない)左衛門(ざゑもん)は。猛(にはか)に刀(かたな)を引抜(ひきぬい)て。腹(はら)へがはと突(つき)たつれば。人みな大に驚(おどろ)きて。さま%\勦(いたはり)て故(ゆゑ)を問(とふ)に。平内(へいない)今般(いまは)の声(こへ)を励(はげま)し。やよ必(かならず)しも留(とゞめ)給ふな。かくあらんは豫(かね)ての覺期(かくご)也。まづ縁故(ことのもと)を申べし。抑(そも/\)三浦(みうら)の薄雲(うすくも)はこの平内(へいない)が女児(むすめ)也。むかし某(それがし)九州(きうしう)を流浪(るらう)して東(あづま)へ来(きた)りしころ。妻(つま)なるものいたく煩(わづらひ)て。心地(こゝち)(し)ぬべく見えたるに。貧(まづ)しければ醫療(ゐりやう)の便(たつき)なく。稚(おさな)き女児(むすめ)を三浦(みうら)が家(いへ)に賣(うり)て。藥(くすり)の價(しろ)としつれども。定業(じやうごう)は脱(のが)れがたく。妻(つま)は遂(つひ)に身(み)まかりぬ。かくて女児(むすめ)は人となつて。名(な)を薄雲(うすくも)と呼(よば)れ。全盛(ぜんせい)(たぐひ)なしと風(かぜ)の便(たより)には聞(きゝ)しかど。子(こ)を賣(う)る親(おや)の身を恥(はぢ)て。一(ひと)たびも信(おとづれ)せず。しかるに庄司(せうじ)どのに馴(な)れ睦(むつ)み。川竹(かはたけ)のためし」22まれに。子(こ)さへ産(うみ)ぬれど。命運(めいうん)(うす)く。貞操(ていそう)いたつらに。孤松(こせう)はやく桔〓(こゝう)せり。されども彼(かれ)が産(うみ)たる子(こ)を。朝霧(あさぎり)ふかく慈(いつくし)み給ふ事。義理(ぎり)を立(たて)て家(いへ)を嗣(つが)せ。人の疑(うたが)ひをとかん為(ため)也と思ひしかば。兄弟(はらから)武藝(ぶげい)を方(たくら)ぶ日。わが孫(まご)には曲(まが)れる矢(や)。癖(くせ)ある馬(うま)に乗(の)らし。又木刀(きたち)の折(をれ)たるも豫(かね)てかく拵(こしらへ)おきて。金王丸(こんわうまる)に勝(かた)し。遂(つひ)に家督(かとく)となしたるは。平内(へいない)が寸志(すんし)ぞかし。加之(しかのみならず)瀬太郎(せたらう)出家(しゆつけ)して後(のち)。堕落(だらく)の聞(きこ)えありといへども。朝霧(あさきり)の方(かた)なほ憐(あはれみ)ふかく。われを使(つかひ)として金銀(きん%\)衣服(いふく)を送(おく)り給ふこと。しば%\なるを。たえて与(あた)へず。これを秘(ひめ)おきたることは。その金(かね)をもて。畷女(うねめ)とやらんが身(み)を贖(あがな)ひ。潜(ひそか)に刺殺(さしころ)して。道哲(どうてつ)が惑(まよ)ひの雲(くも)を切(きり)」【挿絵第十八図】(23ウ24オ)はらはばやとて。如此(しか)はかるに。思ひの外(ほか)に彼等(かれら)に穢(けがれ)たる行(おこなひ)はなく。畷女(うねめ)は遁世(とんせい)の望(のぞみ)かなはざるヲ歎(なげ)き。忽地(たちまち)(かゞみ)が池(いけ)へ身(み)を投(しづめ)たり。こはわが一(いつ)生涯(しようがい)の誤(あやまり)にして。慷慨(かうがい)言葉(ことば)に竭(つく)しがたし。又いぬるころ道哲(どうてつ)が。鳥越橋(とりこえはし)にて向坂(こうさか)甚内等(じんないら)にとりまかれ。いと危(あやう)かりし折しも。某(それがし)(さいはひ)に行(ゆき)かゝり。悪棍(わるもの)どもを切殺(きりころ)して。輙(たやす)く母(はゝ)の仇(あた)をうたせき。亦(また)薄雲(うすくも)が仇(あた)を。向坂(こうさか)甚内(じんない)としりたるは。むかし浅草(あさくさ)河原(かはら)にて。彼(かれ)が傷(きず)つけられしと聞(きこ)えたるころ。女児(むすめ)が仇人(かたき)やは迯(のが)さしと思ひながら。絶(たえ)て人にも語(かた)らず。潜(ひそか)にこれを探(さぐ)り索(もとむ)るに。向坂(かうさか)甚内(じんない)といふものゝ所為(わざ)なるよしを告(つぐ)るものあるによつて。しのび/\に是(これ)を狙撃(ねらひうた)んとはかるに。忽地(たちまち)(ちく)」24電(てん)して。この十七八年は音(おと)つれを聞(きか)ざりしに。天運(てんうん)循環(じゆんくわん)して宿志(しゆくし)を遂(とげ)。しかも孫(まご)が助太刀(すけだち)せし事。老後(ろうご)の満足(まんぞく)何かこれにますことあらん。かくては朝霧(あさきり)の方(かた)に邪(よこしま)なきことも。明(あきら)かに世(よ)に聞(きこ)え。今(いま)(また)道哲(どうてつ)が堅貞(けんてい)なるを見るからは。たえて心(こゝろ)(のこ)ることなし。只(たゞ)(くゆ)らくは。壮年(そうねん)には貧(ひん)に迫(せま)りて女児(むすめ)を賣(うり)。老(おい)ては賢女(けんぢよ)畷女(うねめ)をころし。剰(あまさへ)朝霧(あさきり)の方(かた)の。道哲(どうてつ)に給はりける金銀(きん%\)衣服(いふく)を。速(すみやか)に逓与(わたさ)ざりしこそ。慾(よく)にせずとはいひながら。かへす/\も面(おも)なけれ。この誤(あやまち)あれば。皺肚(しはばら)かき切(きり)て。懺悔(ざんげ)の一句(いつく)を遺(のこ)すのみ。縦(たとひ)(み)は今亡(ほろ)ぶるとも。わが靈(たま)ながくこの土(ど)にとゞまり。世(よ)に縁遠(えんとほ)き女子(をなこ)の為(ため)に。よき夫(をつと)を得(え)さすべし。これ」畷女(うねめ)に志(こゝろざし)を遂(とげ)させざりし。因果(いんぐは)を後(のち)に示(しめ)すもの也。庄司(せうじ)どのゝふかき庇(めぐみ)は。今生(こんじよう)に報(むく)ひ盡(つく)さす。ねがはくは子孫(しそん)の守護神(まもりかみ)となつて。家門(かもん)繁昌(はんぜう)あらしむべしといひ訖(をは)り。直(たゞ)に刀(かたな)をとりなほして。吭(のどふえ)かき切(き)り死(しに)にけり。道哲(どうてつ)が哀悼(あいたう)はいふもさら也、庄司(せうじ)夫婦(ふうふ)金王丸(こんわうまる)も。且(かつ)(おどろ)き且(かつ)(かなし)み。渋谷(しぶや)に扛(かゝ)しかへりて。あつくこれを葬(ほうふ)りける。その折しも平内(へいない)が所持(しよぢ)の調度(ちやうど)を展見(ひらきみ)れは。朝霧(あさきり)より受(うけ)とつたる。金銀(きん%\)衣服(いふく)には。悉(こと/\)く封(ふう)をして。このうち金(かね)いくばくは。畷女(うねめ)が葬式(そうしき)の料(りやう)として。その母(はゝ)小妙(をだへ)にとらせたりと書写(かきしる)してありしかば。庄司(せうじ)が一家(いつけ)の男女(なんによ)。ます/\これを感嘆(かんたん)す。さて朝霧(あさきり)は。その」25金(かね)をもて平内(へいない)が石像(せきぞう)二躯(く)を刻(きざま)して。一體(いつたい)は淺草寺(あさくさてら)の内(うち)に安置(あんち)し。又一體(いつたい)をは畷女(うねめ)が菩提処(ぼだいしよ)なる。駒込(こまこめ)鰻鱧縄手(うなぎなはて)。正行寺(せうぎやうじ)に安置(あんち)せり。正行寺(せうぎやうじ)平内(へいない)か石像(せきぞう)の傳(でん)。江戸(えど)砂子(すなご)續編(ぞくへん)に見(み)えたり。されば今の世(よ)の婦女子(ふぢよし)。婚縁(こんえん)のねがひあるもの。書翰(ふみ)を平内(へいない)が石像(いしのぞう)におくれば。驗(しるし)ありといふ。又。朝霧(あさきり)は。畷女(うねめ)が菩提(ぼだい)の為(ため)に。淺草寺後門(あさくさてらのうらもん)の辺(ほとり)に。地藏〓(ぢざうぼさつ)一尊(いつそん)を建立(こんりふ)し。畷女(うねめ)が遺書(かきおき)を文箱(ふみばこ)に入(い)れて。〓(ぼさつ)の御手(みて)にもたしまゐらせけり。今(いま)文箱(ふみはこ)地藏(ぢざう)と稱(となふ)るは是(これ)なるべし。かくて渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)は。朝霧(あさきり)金王等(こんわうら)にも思ふ程(ほど)を聞(きこ)えて。道哲(どうてつ)が草庵(さうあん)を修造(しゆふく)し。一箇(いつこ)」の大刹(おほてら)となさんとするに。道哲(どうてつ)かたく辞(ぢ)していへりけるは。父母(ふぼ)の鴻恩(こうおん)莫大(ばくたい)なるを。愚意(ぐゐ)をもて推辞(いなみ)(たてまつる)るべきにあらねど。わが身(み)寸分(すんぶん)の徳(とく)なくして。一寺(いちじ)開山(かいさん)の祖師(そし)と仰(あほ)がるべき謂(いはれ)なし。なほ仏道(ぶつどう)修行(しゆぎやう)(とし)を積(つみ)ての後(のち)。道高(みちたか)き沙門(しやもん)を招待(せうたい)して。開山(かいさん)とせまほしけれと申すにぞ。父母(ふぼ)その清潔(せいけつ)にして名聞(みやうもん)に拘(かゝは)らざるを感(かん)じ。強(しい)てこれをすゝめず。道哲(どうてつ)は一生(いつしよう)(くだん)の草菴(さうあん)を守(まも)りて。實母(じつぼ)薄雲(うすくも)。外祖父(ぐわいそふ)平内(へいない)左衛門(さゑもん)。畷女(うねめ)の為(ため)に常念佛(じやうねんぶつ)して。二六時中(じちう)称名(しやうめう)の声(こゑ)を絶(たえ)ず。程經(ほどへ)て念誉上人(ねんよしやうにん)を開基(かいき)として寺(てら)とはなしぬ。さるによつて道哲(どうてつ)は。常念仏(じやうねんぶつ)發端(ほつたん)」26の願主(ぐわんしゆ)なれども。この僧(そう)高名(こうめい)なるが故(ゆゑ)に。世(よ)の人(ひと)開山(かいさん)のやうにおぼえ。今もて土手(どて)の道哲(どうてつ)と稱(とな)ふ。道哲(どうてつ)(よはひ)かたぶきたるころ。三浦(みうら)の遊君(ゆうくん)二代(にだい)の高尾(たかを)。故(ゆゑ)あつてこの寺(てら)に葬(ほうふ)り。法名(ほうみやう)傳誉妙身(でんよみやうしん)といふ。件(くだん)の高尾(たかを)は。ふかく楓(もみぢ)を愛(あい)せしとて。墓(はか)の傍(かたはら)に一株(ひとかぶ)の楓(もみぢ)を栽(うへ)たり。しかるにいと怪(あや)しかりけるは。高尾(たかを)が没(ぼつ)する日。畷女(うねめ)が墓碑(ぼひ)の楓玄少真(ふうげんせうしん)といふ四箇字(しかじ)の法名(ほうみやう)。楓(ふう)の字(じ)忽然(こつぜん)と消(きえ)て。玄少真(げんせうしん)の三字(さんじ)のこれり。少(せう)に玄(げん)をそえて〓(めう)となる少真(せうしん)〓身(みやうしん)。真身(しん/\)同韻(どういん)にて。畷女(うねめ)と高尾(たかを)が法名(ほうみやう)の自然(しせん)と似(に)かよひたるのみならず。高尾(たかを)が墓(はか)に楓(もみぢ)を栽(うへ)れば。畷女(うねめ)が墓(はか)の楓(もみぢ)といふ字(じ)(きえ)ること。正(まさ)」【挿絵第十九図】(27ウ28オ)に高尾(たかを)は畷女(うねめ)が後身(うまれかはり)にて。遂(つひ)に道哲(どうてつ)が寺(てら)に葬(ほうふ)らるゝこと。過世(すくせ)の因縁(いんえん)によるかとて。聞(き)く人(ひと)竒異(きゐ)のおもひをなしたり。當寺(たうじ)に安置(あんち)するところの汗(あせ)かきの阿弥陀如来(あみだにいらい)は。安阿弥(あんあみ)が作(さく)にして道哲(どうてつ)が持仏(ぢぶつ)なり。この外(ほか)高尾(たかを)が襟掛(えりかけ)地藏(ぢぞう)。同(おなじく)所持(しよぢ)の羽子板(はごいた)を藏(おさ)む。みな世挙(よこぞつ)てしるところなり。是(これ)より先(さき)畷女(うねめ)が母(はゝ)の小妙(をたへ)も。既(すで)に先非(せんひ)を悔(くひ)て頭(かうべ)を圓(まる)め。浅茅(あさぢ)が原(はら)妙亀山(みやうきやま)のほとりに。菴(いほり)を締(むす)び。八十餘才(よさい)にして往生(わうじよう)せしとぞ。こはみな巷談(こうだん)街説(がいせつ)に傳(つた)ふるのみ。敢(あへて)その虚實(きよじつ)を論(ろん)ぜす。拙(つたな)き筆(ふで)を走(はし)らするものは。只(たゞ)婦幼(ふよう)の為(ため)に善(ぜん)を勧(すゝめ)。悪(あく)を懲(こら)さん為(ため)也かし。
巷談坡〓庵巻下 畢」28

附言(ふげん)
○比舎(ひしや・トナリ)の小童(しようどう)この書(しよ)を閲(けみ)して余(よ)に問(とふ)て云(いはく)。向坂(こうさか)甚内(じんない)。薄雲(うすくも)に手(て)を負(おは)したれど。命(めい)を断(たつ)に至(いた)らず。薄雲(うすくも)は庄司(せうじ)を怨(うら)み。自害(じがい)してうせたるを。道哲(どうてつ)(はゝ)の仇(あた)として。甚内(じんない)を撃(うち)けるはいかにぞや。経(きやう)に曰(いはく)。棄(すてゝ)(おんを)(いるは) 無為(むゐに)(ほうずる)(おんを)(もの也)と。しかれば父母(ふぼ)の仇(あた)なりとも。撃(うた)ざるをもて出家(しゆつけ)とするにはあらずや。余(よ)(こたへ)て云(いはく)。甚内(じんない)薄雲(うすくも)を殺(ころ)さずといへども。彼(かれ)不良(ふりやう)の所行(わざ)をなしたるによつて。薄雲(うすくも)これを庄司(せうじ)が所為(しよゐ)かと思ひあやまり。忿恨(ふんこん・イカリウラム)してみつから死(し)す。かくは甚内(じんない)か殺(ころ)せるにひとし。もし彼(かれ)を仇(あた)ならずといはゞ。人(ひと)」を殺(ころ)して吾(われ)にあらず。兵(へい・ハモノ)也といふに何ぞ異(こと)ならん。且(かつ)釋氏(しやくし)(をしへ)を垂(たれ)てより。不孝(ふこう)不義(ふぎ)の仏(ほとけ)あることを聞(きか)ず。縦(たとひ)仏家(ぶつか)の徒(ともから)なりとも。母(はゝ)の仇(あた)を撃(うた)ざるは不孝(ふこう)也。見よ道哲(どうてつ)が容貌(さま)を変(かえ)て仇(あた)を〓(ねらひ)。已(やむ)ことを得(え)ずして甚内等(じんないら)と血戦(けつせん)し。不意(ふゐ)に仇(あた)を報(むく)ひ得(え)たる事。實(じつ)に出家(しゆつけにん)人の所為(しよゐ)なり。好(このん)で人を殺(ころ)すにあらざる事明(あきら)けし
○亦問(またとふ)道哲(どうてつ)は一箇(いつこ)の清僧(せいそう)として慮淺(おもひあさ)く。夜行(やかう)を婦女子(ふぢよし)とゝもにしたるゆゑに。一(ひと)たび堕落(だらく)の譏(そしり)を得(え)たり。もし柳下惠(りうかけい)にあらずは。俗家(ぞくか)といへともかばかりの思慮(しりよ)はあるべし。といふ人あるは」29いかに。答(こたへ)て云(いはく)。夫(それ)(めい)に吉凶(きつきやう)あり。脱得(のがれえ)ざるを禍(わさはひ)といふ。世々(よゝ)の高僧(こうそう)厄難(やくなん)にあふもの夛(おほ)し。もしその無量(むりやう)の權智(けんち)をもて。何ぞこれを避脱(さけのが)れざる。これ天(てん)の命(めい)ずるところ。實(じつ)に脱(のがれ)がたければ也。道哲(どうてつ)が畷女(うねめ)と夜行(やかう)せしも又しかり。千慮(せんりよ)の一失(いつしつ)ふかく咎(とがむ)るに足(た)らず。かゝることなくは。いかで母(はゝ)の仇(あた)をしり。且(かつ)その仇(あた)を撃(うた)んや。これ禍(わざはひ)を轉(てん)じて福(さいはひ)とするもの也。
○亦問(またとふ)。朝霧(あさきり)が道哲(どうてつ)に家(いへ)を嗣(つが)せんとせしは。わが邪(よこしま)なきを明(あか)さんが為(ため)也。しかるを仇(あた)あることをも告(つげ)ず。おのれ實母(じつぼ)のおもゝちし、おめ/\と出家(しゆつけ)させたるはいかにぞや。余(よ)儼然(げんぜん)として答(こたへ)て云(いはく)。小子(しようし)(つゝし)」め。婦人(ふじん)の淺見(せんけん)かくのごとき事いと夛(おほ)し。もし婦人(ふじん)といへども。義理(ぎり)分明(ふんみやう)に。毫髪(ごうばつ)も誤(あやまち)なくは。この書(しよ)に載(の)する許多(きよた)の人物(じんぶつ)。みな君子(くんし)賢者(けんしや)なり。賢(けん)不肖(ふせう)。善人(せんにん)悪人(あくにん)。おの/\その行(おこな)ふところ。成敗(せいばい)に就(つい)て勧懲(くわんちやう)をなすが。小説者流(しようせつしやりう)の夲意(ほんゐ)なり。悉皆(しつかい)君子(くんし)賢者(けんしや)のみならば。何をもて勧懲(くわんちやう)の〓(いとくち)をとかん。
○亦問(またとふ)。渋谷(しぶやの)庄司(せうじ)はいかに。答(こたへ)て云(いはく)。愚(ぐ)にあらず。賢(けん)に遠(とほ)し。
○亦問(またとふ)。粂平内(くめのへいない)左衛門(さゑもん)はいかに。答(こたへ)て云(いはく)。彼(かれ)は一世(いつせ)の任侠(じんけふ)也。勇(ゆう)あり義(ぎ)あり。おもひあまりて心足(こゝろた)らず。故(ゆゑ)にその死(し)(ぜん)を得(え)ず。
○亦問(またとふ)。畷女(うねめ)はいかに。答(こたへ)て云(いはく)。この女子(ちよし)少許(すこしく)志気(しき)あり。しかれども甚(じん)」30内(ない)いつはりの艶簡(ふみ)をもて。道哲(どうてつ)を引(ひけ)といひしとき。彼(かれ)(なまじい)に才学(さいがく)ぶりて。竊(ひそか)に法事(ほうじ)ありと稱(せう)す。この故(ゆゑ)に道哲(どうてつ)(あざむか)れて来(きた)れり。彼(かれ)もし艶(なまめ)きたる書(ふみ)を贈(おく)らば。道哲(どうてつ)(けつ)して来(く)べからず。君子(くんし)は欺(あざむく)べし陥(おとしいる)べからずとは。夫(それ)この謂(いひ)か。當(まさ)にしるべし。道哲(どうてつ)を陥(おとしい)るゝものは畷女(うねめ)なり。この報(ほう)によつて。その身(み)遁世(とんせい)の志(こゝろざし)を遂(とぐ)ることを得(え)ず。終(つひ)に鏡(かゞみ)が池(いけ)に投(しづ)み。更(さら)に二代(にだい)の高尾(たかを)と生(うま)れ。亦(また)憂苦(ゆうく)に死(し)して道哲(どうてつ)が寺(てら)に葬(ほうふ)られ。道哲(どうてつ)は高尾(たかを)によつて名(な)いよ/\高(たか)く。高尾(たかを)は道哲(どうてつ)によつてその寂(をはり)を示(しめ)す。嗚呼(あゝ)(ゆゑ)あるかな。
○亦問(またとふ)。こゝに説(とく)ところは。半(なかば)(きよ)にして半(なかば)(じつ)なるか。答(こたへ)て云(いはく)(みな)(きよ)なり」比喩(ひゆ)なり。仏家(ふつか)に所謂(いはゆる)善巧(ぜんこう)方便(ほうべん)のたぐひと見(み)て可(か)也。

右金-聖-歎外-書。醉-卿祭-酒總-評蛇-足。恐ラクハ大-方之嗤-笑クシ。恥々々。

門人逸竹齋達竹評

編者 曲亭馬琴子  筆耕 嶋五六六謄写  画工 一柳齋豊廣
  剞〓 綉像 朝倉卯八刀  筆耕 三猿刀


文化五戊辰年      江戸通油町
  正月吉日發販           村田次郎兵衞
            同日本橋新右衞門町
                   上總屋忠助梓

巷談坡〓庵巻下 大尾」31

【参考資料】

一、後摺改竄本京山序

 叙言

山東京山

識花に二度(ど)(ざき)の花あり月に后(のち)の月ありはじめあればをはり初もの外題(げだい)は緑(みどり)の青表帋(あをへうし)(なか)はくれなゐの赤本(あかぼん)花咲(はなさき)老漢(ぢゞい)の花(はな)と共(とも)にひらきて閲(みれ)ばかち/\山の手(て)に鋼鐵(はがね)をならす戯作(けさく)の本店(ほんだな)曲亭(きよくてい)馬琴子(ばきんし)の作(さく)なりぬしはどうやら」口ノ1オ見申た黄金(こがね)の長者(ちやうじや)の郭(さと)(かよ)ひを發端(ほつたん)とし浅草(あさくさ)河原(かはら)の暗闘(やみじあい)月も朧(おぼろ)の薄雲(うすぐも)が亰町の猫(ねこ)(かよ)ひたる揚屋(あげや)入の全盛(ぜんせい)(ばなし)一寸(ちよつと)太夫(たゆふ)を雁金屋(かりがねや)溶女(うねめ)が傳(でん)土手(どて)の道鐵(だうてつ)甚内橋(じんないばし)の縁故(ことのもと)までいと信(まめ)だちてうつしとりたる鏡(かゞみ)が池(いけ)の昔語(むかしがたり)引書(いんじよ)は則(すなはち)洞房語園(どうぼうこゑん)・丸鏡(まるかゞみ)・事跡合考(じせきかつかう)(そと)が濱(はま)」口ノ1ウ數本(すほん)の書(ふみ)を参考(さんかう)し趣向(しゆこう)をたてたる此(この)繪草帋(ゑぞうし)御評判(ごひやうばん)はありそ海(うみ)の巌(いわほ)に背(せ)を〓(ほす)文亀堂(ぶんきだう)の宿主(やどろく)如才(ぢよさい)の如(ぢよ)の字(じ)もなき作(さく)に序(じよ)せよといふにいな舩(ぶね)のいなみがたなく馬琴子かために月花の脇櫂(わきろ)を盪(おし)ていきまきあらく詈(のゝしり)つゝ/あたるぞ/\といふ事/しかり

  文化午の春」2オ

二、再刻本の序文

〓談坡〓庵(こうだんつゝみのいほ)の序

(あを)き葉(は)の繁(しげ)るが中(なか)に此頃(このごろ)は雨(あめ)に色(いろ)づく梅(うめ)もめづらしと詠(よま)れたる五月雨(さみだれ)のをやみなき徒然(つれ%\)に例(れい)の書賈(ふみや)はつれ%\の伽草(とぎぐさ)を思(おも)ひ出(いで)てや新著(しんちよ)の冊子(さうし)を小止(をやみ)なく乞(こは)るゝまゝに倭(やまと)と漢土(から)の古事(ふること)を是彼(これかれ)と思(おも)ひ合(あは)すれど婦幼(ふえう)の愛(めで)よろこぶべきやすらかなるはなし種(ぐさ)は最(いと)まれなりそれ」大聲(たいせい)は俚耳(りじ)に不入(いらず)と既(すで)に古人(こじん)の金言(きんげん)ありそも童蒙(どうもう)の伽艸(とぎぐさ)に君子(くんし)の拍掌(はくしやう)せらるゝ深理(しんり)の妙説(みやうせつ)は馬耳東風(ばじとうふう)の類(たぐ)ひなるべしと兼(かね)てはかりし戲文(たはれぶみ)の著述(ちよじゆつ)なれば百年(ひやくねん)遺笑(ゐしやう)のわざくれと他(ひと)の謗(そしる)を心(こゝろ)とせず唯(たゞ)一向(ひたすら)に児女達(じぢよたち)の愛翫(あいぐわん)せる趣向(しゆかう)を旨(むね)とすれば街談(がいだん)〓説(こうせつ)の浅々(あさ/\)しきを種(たね)としつ黄金長者(こがねちやうじや)の廓通(さとがよひ)に」序ノ1むかし/\の物語(ものがたり)を菱川(ひしがは)の画(ゑ)の古(ふる)くうつして三谷(さんや)(がよ)ひを眼前(めのまへ)にしるす廓(くるは)の古雅(こが)風流(ふうりう)(かの)薄雲(うすぐも)が猫(ねこ)の故事(ふること)澁谷(しぶや)の里(さと)の名(な)にしおふ金王丸(こんわうまる)の名(な)をかりては駒牽沢(こまひきざは)の稱(となへ)をも稚(をさな)く説(とき)て禿山(かぶろやま)継母(けいぼ)が慈愛(じあい)義士(ぎし)の傳(でん)(どて)の道哲(どうてつ)の孝心(かうしん)悟道(ごどう)鴈金屋(かりがねや)の畷女(うねめ)が薄命(はくめい)を鏡(かゞみ)が池(いけ)の水鏡(みづかゞみ)に清(きよ)くうつせし節婦(せつふ)の情(じやう)」甚内橋(じんないばし)の復仇(あだうち)に勾坂(かうさか)が積悪(せきあく)の報(むくひ)を示(しめ)し粂(くめ)の平内(へいない)の因縁(いんえん)にむすび結(むす)びし江戸(えど)鹿(が)乃子(こ)ゆかりを尋(たづ)ぬる紫(むらさき)の一本(ひともと)(すゝき)武藏野(むさしの)の千艸(ちぐさ)の花(はな)の露(つゆ)しげきその名所(なところ)を假用(かよう)して百年(もゝとせ)(あま)りの星霜(せいさう)を經(ふり)にし古跡(こせき)の一(いつ)奇談(きだん)かたり傳(つた)えて耳(みゝ)(ちか)きを綴(つゞ)り合(あは)する坡堤(つゝみ)の菴(いほ)博識(ひろき)(きみ)たちの覧(らん)にはあらず」序ノ2婦女子(ふぢよし)の眼気(ねむけ)をさまし善(ぜん)を勧(すゝ)め悪(あく)を懲(こらす)老婆心(らうばしん)のみ

  于時乙丑鶉月仲旬
         飯台児山丹花の窗下に
                   曲 亭 馬 琴 誌[印]
                     松亭金水書[印]」

四、再刻本の口絵   (写真)


# 「愛知県立大学文学部論集」(国文学科編)第41号 1992 所載。
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