八犬伝もの銅版絵本二種 −解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】

 江戸読本(よみほん)を代表する『南総里見八犬伝』は曲亭馬琴に拠る近世小説中屈指の傑作であるが、一大長編作であるが故に多くの抄録や様々な影響作を生みだした。有名なテキストとしては『仮名読八犬伝(かなよみはつけんでん)(三十編、春水・琴童・魯文作、国芳・芳幾画、嘉永元年〜慶応三年、丁字屋平兵衞板)があり、題名の通り全丁絵入で平仮名化された草双紙である。ほぼ同時に草双紙『雪梅芳譚(いぬ)の草紙(そうし)(四十九編、仙果作、豊国・国貞・国綱・国輝画、嘉永元年〜慶応三年、蔦屋吉蔵板)が出され、人気を二分する競作が展開された。また、切附本『英名八犬士』 (八編、鈍亭魯文作、直政画、安政二〜三年、伊勢屋忠兵衛板)は、後に袋入本『曲亭馬琴著里見八犬伝』と改竄された抄録本で、こちらも随分と摺りを重ねたようである。また、「読み物」として出板されたものと考えられる浄瑠璃『八犬義士誉勇猛』▼1や歌舞伎の「正本」も少なくなかった。つまり『八犬伝』は多くの抄録や影響作など、原本以外のテキストを通じても読まれ続けてきたのである。八犬伝の享受史に関する諸問題を考察する時に、これらのオリジナルではないテキスト群を無視するわけにはいかない。

 さて、この八犬伝に関する出版が活況を呈する事態は明治期に入ってからも同様であり、多種多様な翻刻や抄録等が出された▼2。ただし、本の様式から見れば様々な試行錯誤が見られ、木版和装本が直ちに活版洋装本に取って替わったわけではなかった。和紙を用いた和装のみならず、藁半紙の如き粗悪な西洋紙を用いた袋綴じの和装本もあり、洋装でも所謂ボール表紙本(南京綴)から始まり、次第に本格的な丸背上製本に移行する。一方、印刷方法に関しても活版が普及していく過程に於いて、口絵挿絵等は整版のように自由が利かなかったため、従来の整版の発展形である機械木版や銅版に拠る挿絵を持つ本が出された時期があった。多色刷の必要があった表紙や、時に折込みにされたカラー口絵等には木版に替わって多色描画石版が用いられるように成り、やがて平版印刷(オフセット)時代を招来することになる▼3

 このように様々なメディアの形態と印刷製本技術が混在した揺籃期にあって、銅版印刷術は単に挿絵に用いられたのみならず、本文の全てが銅版に拠って作られた本が生産されていたことは注目に値する。日本に於ける銅版に拠る印刷物としては、キリシタン版の巻頭に銅版画が用いられたのが最初といわれている。十五世紀にヨーロッパで行われた銅版画自体も十八世紀には日本に入ってきていた。天明期には、司馬江漢が腐食凹版(エッチング)と直刻凹版(エングレーヴィング)を使って銅版画を出している▼4

 整版(木版)は彩色や重ね刷りを除けば、基本的に墨色の白黒二階調であるが、銅版による彫刻凹版は、彫刻の深度や太さ、掘られた線の密度に拠って濃淡の階調を出すことが可能であり、より写実的な立体感を表現できたのである▼5。そのため、絵画や地図などに用いられていたが、細かい字で訓点や仮名を振るのに適当なことから漢文系統の袖珍本などが盛んに出されるに至る。明治八年に明治政府の招きで来日したイタリア人エドアルド・キヨッソーネは、大蔵省紙幣寮(後の印刷局)で、いわゆる「お雇い外国人」として紙幣や切手の印刷に従事し銅版制作の技術指導にもあたった▼6。これにより飛躍的な技術の発展が適ったのであるが、しかし、銅版印刷には熟練した高度な技術が要求されたためにコストが掛かり、次第に石版に取って替わられた。一方、明治二十年頃には、木口木版(西洋木版)という堅い木口の面を使った白線彫刻法による印刷が行われ、銅版に近い濃淡表現が可能に成ったため、教科書の挿絵などに用いられていた▼7

 従来は銅版印刷に拠る出版物に関しては余り注目を集めたことはなかったのであるが、近年、磯部敦氏は近世小説に基づく銅版草双紙に関して精力的な現存資料の整理と分析を行っている▼8。本稿では、これを受けて八犬伝末流の銅版絵本を二点紹介することにしたい。

  

▼1 拙稿「『八犬義士誉勇猛』−解題と翻刻−(「千葉大学人文研究」三十二号所収)
▼2 「国立国会図書館所蔵明治期刊行図書目録(語学・文学の部)」第四巻(一九七三年、国会図書館)や、青木稔弥「曲亭馬琴テキスト目録 明治編」(『読本研究文献目録』、一九九三年、渓水社)参照。また、同氏「馬琴の読まれる時」(「江戸文学」九、一九九二年、ぺりかん社)、「『八犬伝』と近代」(「読本研究」七輯上套、一九九三年、渓水社)、「馬琴研究の黎明期」(「読本研究」四輯下套、一九九〇年、渓水社)なども参考になる。
▼3 『大阪印刷百年史』(同史刊行会、一九八四、大阪府印刷工行組合)、『大蔵省印刷局百年史』(一九七二)
▼4 『印刷博物誌』(二○○一、凸版印刷株式会社)、小野忠重『版画の歴史』(一九五四、東峰書房)、西村貞『日本銅版畫志』(一九四一初版、一九七一、全国書房)
▼5 この銅版画の持つ異国情緒は江戸人の歓心を得たようで、式亭三馬は読本『阿古義物語』前編(文化七、歌川豊国・国貞画、鶴屋喜右衛門・金助板)の見返に木版五枚を用いて重ね刷りを施して銅版画の意匠を見せ「尋常の左面版五枚を摺合して紅毛銅版の細密を偽刻す」とし「あこぎの歌」をローマ字風に入れている。尤もこれには前例があり、〓〓陳人(小枝繁)の読本『古乃花双紙』(文化六、北岱、伊勢屋治右衛門板)の口絵でも銅版画風の意匠が用いられている。
▼6 『エドアルド・キヨッソーネ没後100年展』(一九九七、大蔵省印刷局記念館)
▼7 『版画の技法と表現』(一九八七、町田市立国際版画美術館刊)
▼8 磯部敦「銅版草双紙考」(「近世文藝」七五、二〇〇二年、日本近世文学会)、「 銅版草双紙書目年表稿(上)(「教育・研究」一五、二〇〇一年、中央大学附属高校)、「 銅版草双紙書目年表稿(下)(「中央大学大学院論究(文学研究科篇)」三四、二〇〇二年、中央大学大学院)など。


【書誌】

 明治新刻繪本八犬傳
表紙 群青色無地
題簽 短冊型題簽(七・七糎×一・七糎)子持枠内に「明治新刻繪本八犬傳町田瀧司編輯全」。副題簽(四糎×四・八糎)子持枠内に「繪本八犬傳目録」
巻冊 一巻一冊
書型 極小本(十一・八糎×八・四糎)
見返 犬張子を散らし「少年男児/膽氣勇/翠庵逸人 [永之印]
序  「明治十七年八月 含翠堂主人記 [翠園]
匡郭 九・八糎×六・九糎
板心 「八犬傳  丁付」(初印本に存した「金榮堂」を削る)
丁付 一〜十一ノ十二、十二〜廿二、廿四(全二十三丁)
作者 含翠堂主人
画工 (記載無し)
彫工 (記載無し)
筆耕 (記載無し)
刊記 初印本の刊記は「編輯人 町田瀧司 [瀧]/本所區表町三拾壱番地/出版人 金榮堂 牧野惣次郎 [牧] /日本橋區橘町三町目十番地/発兌人 金幸堂 稲垣良助 [良助] /仝區米沢町三町目壱番地」(山本和明氏蔵本)
 後印本「明治十七年八月三十日御届[組合][証]/同年九月出版[定價拾五銭]/編輯人 町田瀧司 [瀧]/本所區表町三拾壱番地/出版人 隆港堂/山本常次郎[山本]/浅草壽町四十三番地」 (架蔵本)
底本 架蔵本(後印本)


 繪入小説里見八犬傳
表紙 錦絵風摺付表紙
外題 「繪入小説里見八犬傳 全」
巻冊 一巻一冊
書型 中本(十五・七糎×十一・二糎)
見返 (記載無し)
匡郭 十三・四糎×九糎
板心 「八犬傳」
丁付 一、五〜九(全五・五丁)
作者 (記載無し)
画工 (記載無し)
彫工 (記載無し)
筆耕 (記載無し)
刊記 「明治三十一年三月一日印刷/同年三月一日発行/日本橋区馬喰町二丁目十四番地/印刷兼発行者 綱島亀吉」
底本 架蔵本


【凡例】
一、可能な限り原本の表記に忠実に翻刻するようつとめた。
一、明らかにカタカナの意識で用いられていると思われる箇所以外は平仮名で表記した。
一、異体字等は概ね正字体に近いものに直し、句読点を補った。
一、推読箇所や衍字は〔 〕で示した。
一、絵本という性格から、表紙を含めて全丁の図版を掲載した。

【翻刻】

〈表紙〉
表紙

明治新刻 繪本八犬傳 町田瀧司編輯 全」

繪本八犬傳目録
山下定包   玉  梓  犬塚番作
金鞠八郎   糠  助  犬塚信乃
犬飼現八   犬田小文吾 山林房八
犬山道節   濱  路  曳  手
單  節   乙  音  十條力次郎
十條尺八郎  犬川荘助  扇ヶ谷定正
犬阪毛乃   犬村大學  ヽ  大
犬江親兵衞  里見伏姫  舩 む し
石亀屋次團太 蟇田基藤  妙  珍
里見義成

〈見返・序〉
序・見返

少年男児膽氣勇 翠庵逸人 [〓之印]
(よ)に名高(なだか)き八犬傳(はつけんでん)(いぬ)の胤(たね)にて八賢士(はつけんし)奇々(きゝ)妙々(みやう/\)の振舞(ふるまい)を小説(せうせつ)文字(もんじ)にて書(かき)つらね巧(たくみ)に巧(たくみ)を重(かさ)ねたる古今(ここん)未曾有(みそう)の艸子(さうし)にて誰(たれ)(よま)ざる者(もの)も無(な)くされ共巻数(かんすう)(おほ)ければ此頃(このころ)(ひと)の勧(すゝ)めにて其(その)荒増(あらまし)を抜抄(ばつしやう)し手輕(てかる)き小(こ)(ほん)に出来(しゆつら)えり作事(つくりこと)とは云(いゝ)ながらかゝる賢(かしこき)(いぬ)あるに世(よ)に獣行(じうかう)の人(ひと)(あ)るは深(ふか)く耻(はづ)べき事(こと)にこそ
  明治十七年八月  含翠堂主人記 [翠園]

〈口絵〉

1ウ2オ

〈本文〉

2ウ3オ

山下定包(やましたさだかね)・玉梓(たまづさ)
定包(さだかね)は阿波(あは)の國主(こくしゆ)神餘(しんよ)光弘(みつひろ)が臣(しん)なり。其(その)(さが)奸智(かんち)弁侫(べんねい)、能(よく)(しう)を惑(まどは)し其妾(おんなの)玉梓(たまづさ)と通(つう)じ、終(つひ)に計(はか)りて光弘(みつひろ)を弑(しい)し國家(こくか)を押領(おうれう)せしも、天網(てんまう)のがれかたく金鞠(かなまり)が為(ため)に亡(ほろぼ)されたり。

3ウ4オ

犬塚番作(いぬづかばんさく)
番作(ばんさく)は官領(くわんれい)持氏(もちうじ)に仕(つか)へ忠勇(ちうゆう)の士(し)なり。結城(ゆうき)落城(らくじやう)のときは其(その)君父(くんぷ)の首(しるし)をあげ、敵軍(てきぐん)をきりやぶりて村落(そんらく)に身(み)をひそめしか、後(のち)に一子(いつし)を設(もう)く。これ仍(すなは)ち後(のち)に出(いづ)る信乃(しの)なり。

4ウ5オ

金鞠八郎(かなまりはちらう)
金鞠(かなまり)八郎(ろう)は神余(じんよ)光弘(みつひろ)が臣(しん)なり。主(しう)光弘(みつひろ)、女色(じよしよく)に溺(おぼ)れ讒者(ざんしや)を愛(あい)するを憂(うれ)ひ、屡(しば/\)(いさ)めて用(もち)ひられず。去(さり)て乞食(こつじき)となり、後(のち)に里見(さとみ)を説(と)ひて、終(つひ)に定包(さだかね)玉梓(たまづさ)を討(う)ちて古主(こしう)の讐(あだ)を報(むくひ)せしなり。

5ウ6オ

糠助(ぬかすけ)
安房國(あはのくに)洲嵜村(すさきむら)の産(うまれ)なり。農(のう)と漁(すなどり)とを以(もつ)て業(なりはひ)とせしが、殺生(せつせう)禁断(きんだん)の所(ところ)に網(あみ)を入(いれ)、之(これ)に依(より)て安房(あわ)を追放(つひはう)せられ、當時(そのとき)一人(ひとり)の男子(なんし)あり、玄吉(げんきち)といひしが、後(のち)に犬飼(いぬかひ)現八(げんはち)と名称(なのり)して八犬士(はつけんし)の一個(いちにん)たり。

6ウ7オ

犬塚信乃(いぬづかしの)
信乃(しの)は犬塚(いぬづか)番作(ばんさく)の一子(いつし)なり。年(とし)二八の頃(ころ)、父(ちゝ)に別(わか)れ蟇六(ひきろく)(ら)に養(やしな)はれ、成長(せいてう)の後(のち)、古我(こが)殿(どの)へ村雨丸(むらさめまる)と号(なづけ)し太刀(たち)を捧(さゝげ)んとせしに、いつのまにかいれかへられ、夫(それ)が為(ため)(とがめ)を蒙(こうむ)り、終(つひ)に芳流閣(はうりうかく)に上(のぼ)り、現(げん)八等(ら)と挑(いど)み戰(たゝか)ひたり。

7ウ8オ

犬飼現八(いぬかいげんはち)
現八(げんはち)は信乃(しの)と戰(たゝか)ひ組討(くみうち)して、芳流閣(はうりうかく)(のうへ)より舩中(ふねのなか)に陥(おちい)り、利根川(とねがは)(のしも)に至(いた)り、古名屋(こなや)文五(ぶんご)兵衞(びやうえ)に救(すく)はれ、信乃(しの)と共(とも)に兄弟(けうだい)の契約(けいやく)をなし、義勇(ぎゆう)の名(な)を万世(ばんせい)にとゞろかせしとぞ。

8ウ9オ

犬田小文吾(いぬたこぶんご)・山林房八(やまばやしふさはち)
小文吾(こぶんご)は旅店(はたごや)古那屋(こなや)文五(ぶんご)兵衛(べえ)の一子(いつし)にして、力強(ちからつよく)武藝(ぶげい)を好(この)み、加之(しかのみならず)、相撲(すまう)の技術(わざ)に妙(みやう)を得(え)て浮(うか)め、妹聟(いもとむこ)山林(やまはやし)房八(ふさはち)と角力(すもう)をなし、終(つひ)に勝(かち)を取(と)りしより両個(りやうにん)(むつま)しからず。義(ぎ)の為(ため)に争(あらそ)ひ房八(ふさはち)を討(うち)たり。

9ウ10オ

犬山道節(いぬやまどうせつ)・濱路(はまち)
道節(どうせつ)は煉馬(ねりま)の臣(しん)にして犬士(けんし)の一個(ひとり)たり。父(ちゝ)の仇(あだ)を報(ほう)ぜんと、火遁(くわとん)の術(じゆつ)を以(も)て軍用(ぐんよう)を集(あつ)め、又(また)(こゝろざし)を翻(ひるがへ)して單身(ひとり)(あだ)を報(ほう)ぜんと、再(ふたゝ)び越(こゆ)る圓塚山(まるづかやま)、不図(ふと)、濱路(はまぢ)に逢(あ)ひ、村雨丸(むらさめまる)の劔(つるぎ)を得(え)て、後(のち)(つひ)に志(こゝろざし)を達(たつ)せしと。

10ウ11_12オ

ひとよ・ひくて
曳手(ひくて)は十條(じうじやう)力郎(りきじろう)が津家(つま)、單夜(ひとよ)は同苗(どうめう)尺八郎(しやくはちろう)が妻(つま)にして、夫(おつと)討死(うちじに)の後(のち)も、能(よ)くその貞操(ていそう)を守(まも)り、永(なが)の年月(としつき)、舅姑(しうと/\め)に事(つかへ)て孝道(こうだう)を盡(つく)しておこたらざりしと。

11_12ウ12オ

乙音(おとね)
乙音(おとね)は道節(どうせつ)が姆(めのと)なりしが、姨雪(おばゆき)世四郎(よしろう)と通(つう)じ、主家(しゆか)を去(さ)ると雖(いへと)も、其心(そのこゝろ)(いし)の如(こと)く、彼(か)の煉馬(ねりま)落城(らくじやう)の後(のち)、道節(どうせつ)を匿潜(かくまひ)、敵(てき)大群(たいぐん)を以(も)て寄(よ)せ来(く)るを物(もの)ともせず世四郎(よしろう)と共(とも)にかけ向(むか)ひ寄手(よせて)を悩(なやま)す。

12ウ13オ

十條力次郎(じうでうりきじろう)・十條尺八郎(じうでうしやくはちらう)
力二郎(りきじろう)尺八(しやくはち)兄弟(けいだい)は、共(とも)に犬山(いぬやま)道作(どうさく)が家臣(かしん)にして忠勇(ちうゆう)(ならび)なし。彼(か)の池袋(いけぶくろ)の落城(らくしやう)に、主家(しゆか)の嫡(ちやく)道節(とうせつ)(わし)り、隱(かく)れ味方(みかた)を集(あつむ)る折(おり)、犬塚(いぬづか)(ら)の危難(きなん)を戸田川(とだがは)に救(すく)ひ、討死(うちじに)なし其(その)(たましい)、母(はゝ)音々(おとね)が許(もと)に至(いた)り、妻女(つまじよ)(ら)にその始終(しじう)を告(つ)けしとぞ。

13ウ14オ

犬川荘助(いぬかはそうすけ)
(ちゝ)は伊豆国(いづのくに)北條(ほうでう)の荘官(しやうくわん)にして衛士(ゑじ)則任(のりたへ)と云(い)ふ。曽(かつ)て荘助(そうすけ)(とし)七才、不慮(ふりよ)のことにて父母(ちゝはゝ)に別(わか)れ、蟇六(ひきろく)(かた)の小丁(こもの)となりて、十二才の頃(ころ)信乃(しの)に遭(あ)ひ、其後(そのゝち)蟇六亀笹(かめさゝ)(ら)が仇(あだ)を打(うち)、危難(きなん)に逢(あふ)と雖(いへど)も、義兄弟(ぎけやうだい)の助(たすけ)を得(え)て里見(さとみ)の為(ため)に力(ちから)を尽(つく)すといふ。

14ウ15オ

扇ヶ谷定正(あふぎがやつさだまさ)
定正(さたまさ)は扇ヶ谷(あふぎがやつ)の城(しろ)にあり。智謀(ちぼう)ある将(しやう)なり。煉馬(ねりま)攻撃(こうげき)のとき容易(たやすく)(しろ)を落(おと)しけるに、道節(とうせつ)(ら)(その)君父(くんふ)の仇(あだ)たるを以(もつ)て身躬(みみずから)(つけ)ねらふと雖(いへど)も、奇計(きけい)を施(ほどこ)してこれを防(ふせ)く、されとも終(つひ)に犬山(いぬやま)が為(ため)に亡(ほろぼ)されたりとぞ。

15ウ16オ

犬坂毛乃(いぬさかけの)
(ちゝ)は相原(あいばら)胤度(たねのり)といふ誠道(せいだう)の士(し)なりしが、馬加(まくわり)大記(だいき)が為(ため)に無実(むじつ)の罪(つみ)を得(え)て自裁(じさい)す。其(その)(こ)毛乃(けの)舞妓(まいこ)に〔に〕紛(まぎれ)して大記(だいき)に近(ちかづ)き單身(ひとり)對牛樓(たいぎうろう)(しやう)にてさん%\に仇(あだ)を討(う)ち小文吾(こぶんご)が囚(とらわれ)を助(たす)け孝義(こうぎ)を全(まつた)ふす。

16ウ17オ

犬村大學(いぬむらだいがく)
犬村(いぬむら)大學(だいがく)は一角(いつかく)が一子(いつし)にして其(その)(さが)孝順(こうじゆん)なり。五才(ごさい)のとき、父(ちゝ)一角(いつかく)は庚申山(こうしんざん)にて妖猫(ばけねこ)の為(ため)に横死(おうし)し、其(この)妖猫(ねこ)一角(いつかく)の容(すがた)をなして非義(ひぎ)非道(ひどう)の挙動(ふるまい)をなす。後(のち)數年(すねん)を經(へ)て、現八(げんはち)が助(たす)けにより、始(はじ)めて父(てちゝ)の仇(あだ)なるを知(し)りてこれを討(う)

17ウ18オ

ヽ大(ちゆだい)
ヽ大(ちゆだい)は金鞠(かなまり)八郎(はちらう)が一子(いつし)にして、大助(だいすけ)と云(い)ふ。其(その)主君(しゆくん)の使者(ししや)として安西(あんざい)に至(いた)りしに、そが計(はかりこと)に陥(おちい)り、主家(しゆか)を退(しりぞき)しが、伏姫(ふせひめ)富山(とやま)の奧(おく)に入(いり)(たま)ふことを聞(きゝ)、如何(いか)にもして救(すく)ひ奉(たてまつら)んと思(おも)ひ、八(や)ッ房(ぶさ)を打たる餘(あま)り姫(ひめ)を打(うち)しにより僧(そう)となり囘国(くわいこく)して犬士(けんし)を集(あつ)む。

18ウ19オ

里見伏姫(さとみふせひめ)・犬江親兵衞(いぬえしんびやうえ)
犬江(いぬえ)親兵エ(しんびやうえ)は山林(やまばやし)房八(ふさはち)が一子(いつし)なり。幼(いとけな)きとき父母(ちゝはゝ)に別(わか)れ、妙真(みやうしん)(ら)に伴(ともなは)れて安房(あわ)に至(いた)る途上(とちう)、凶徒(きやうと)航九郎(かじくろう)が為(ため)に危難(きなん)に遭(あひ)しが、伏姫(ふせひめ)の神(かみ)に救(すく)ひとられ、則(すなは)ち神(かみ)の教(おしへ)によりて後(のち)に八犬士(はつけんし)の一個(ひとり)と成(なり)、英名(えいめい)をとゞろかす。

19ウ20オ

(ふな)むし
舩虫(ふなむし)は鴎尻(にほしり)並四郎(なみしろう)が妻(つま)にして、能(よ)く夫(おつと)の凶惡(きやうあく)を助(たすけ)、道路(みちばた)(なさけ)を賣(う)りて客人(まろうど)の金銭(きんせん)を奪(うば)ひ、後(のち)犬田(いぬた)を悩(なやま)し、或(あるひ)は犬村(いぬむら)(ねこ)一角(いつかく)が妻(つま)となり。大角(だいかく)を苦(くるし)め、雛衣(ひなきた)を死地(しち)に陥(おちい)るゝ抔(など)、其奸悪(かんあく)毒婦(どくふ)の情(じやう)(おそ)れるべし/\。

20ウ21オ

石亀屋(いしがめや)
犬田(いぬた)小文吾(こぶんご)(ひと)たび故郷(こきやう)へ帰(かへり)て安否(あんひ)を訪(と)ひ、再(ふたゝ)び故郷(こきやう)を去(さ)りて、異姓(はらちがひの)同胞(きやうだい)を尋(たづね)んと、越後路(えちごぢ)にて狭客(おとこだて)石亀屋(いしがめや)が旅舘(はたごや)に足(あし)を止(とゞめしに、不畫(はからざりき)、舩(ふな)むしに出逢(であひ)ひ、大(おほ)ひに恨懐(うらみ)をはらせしとぞ。

21ウ22オ

基藤(もとふじ)・妙(みやう)ちん
妙珍(めうちん)(あま)は彼(か)の〓妾(おんなめ)玉梓(たまづさ)が怨念(おんねん)なる古狸(ふるたぬき)にして、里見(さとみ)へ仇(あた)をなさんと計(はか)り、凶賊(けやうぞく)(もと)ふじを勧(すゝ)めて里見(さとみ)を討(う)たしめんとす。嗚呼(あゝ)毒婦(どくふ)の怨念霊(おんねん)、斯(かく)のことく永(なが)く讐(あだ)を醸(かも)す。悪(にく)むべしまたおそるべし。

22ウ24オ

里見義成(さとみよしなり)
義成(よしなり)は里見(さとみ)義實(よしさね)か嫡子(ちやくし)にして、性(せい)仁義(ぢんぎ)を重(おもん)じ智勇(ちゆう)ある良将(りやうしやう)なり。彼(か)の八犬士(はつけんし)(ら)が相會(あひくわひ)するの日(ひ)、此君(このきみ)に事(つか)へて能(よ)く忠節(ちうせつ)を尽(つく)しける。嗚呼(あゝ)(この)(きみ)にして此(この)良臣(りやうしん)あり。宜(むべ)なるかな、後世(こうせい)人の口碑(こうひ)に傳(つた)ふるところなり。


初印本刊記(山本和明氏蔵)

24ウ


明治十七年八月三十日御届 [組合][証]
同   年九月   出版 [定價拾五銭]
 編輯人    町田瀧司 [瀧]
         本所區表町三拾壱番地
      金榮堂
 出版人    牧野惣次郎 [牧]
         日本橋區橘町三町目十番地
      金幸堂
 發兌人    稲垣良助 [良助]
         仝區米沢町三町目壱三番地



後印本刊記(架蔵本)

24ウ


明治十七年八月三十日御届 [組合][証]
同   年九月   出版 [定價拾五銭]
 編輯人    町田瀧司 [瀧]
         本所區表町三拾壱番地
      隆港堂
 出版人    山本常次郎 [山本]
         浅草壽町四十三番地





〈表紙〉

表紙

繪入小説 里見八犬傳

〈口絵〉

1オ

伏姫富山の山中に篭り讀誦す

〈本文〉

1ウ2オ

蕃作・信乃・亀笹・蟇六
茲に安(あ)房上総(かづさ)の國主(こくしゆ)里見(さとみ)義実(よしざね)の息女(そくじよ)に伏姫(ふせひめ)と云あり。日比(ひごろ)秘蔵(ひそう)の八ツ房といふ犬あり。義実(よしざね)(たわむ)れに敵(てき)将の首を取来(きた)〔らんは伏姫〕をつかはさんといゝしに、はたして首(くび)をくわへ来(きた)り。ぜひなく伏姫(ふせひめ)をつかわしける。犬は

2ウ3オ

道節・荘助
(ひめ)を負(おふ)て冨山の山中に住(すみ)けり。后、金鞠(かなまり)大輔(たいすけ)の玉先に姫は命をおとしける。扨、犬塚番作(ばんさく)妻手束(たづか)途中(とちう)にて小犬を助(たす)け、伏姫(ふせひめ)の神霊(しんれい)を拝(はい)し、懐妊(くわいにん)し男子を産(うめ)り。之信乃也。八犬士の一人也。茲に蟇六(ひきろく)と云農に、濱路(はまぢ)と云娘有。実(じつ)は豊島(としま)家一族(ぞく)の娘、不幸(ふかう)にして養女(やうじよ)となり、犬塚信乃を婿(むこ)

3ウ4オ

荘助・濡手五倍次
せんと亀笹(かめさゝ)か計(はから)ひしも其実(じつ)は村雨(むらさめ)丸の刀(かたな)を奪(うば)ひ取(とら)んとの巧(たくみ)なり。此家の小者額(がく)蔵は后(のち)犬川荘助(そうすけ)なり。信乃は名刀(めいたう)を献(けん)ぜんと茲(こゝ)に出立(しつたつ)せけるが、蟇六(ひきろく)夫婦が為(ため)に太刀(たち)をすり替(かへ)られしとは知(し)らず、古河(こかは)の御所に赴(をもむき)て奉(たてまつ)りし所、偽(にせ)(もの)(ゆへ)信乃を捕(とら)へんと捕手(とりて)を向(むか)はしむるに芳流閣(ほうりうかく)の家根に追(おつ)手を切散(きりちら)し一人の勇士と引組阪東(はんどう)川に落、互(たがひ)に氣絶(きぜつ)

4ウ5オ

房八・小文吾・文吾兵エ・信乃・現八
せしを、こなや文五兵エに助けら〔れ〕し勇士(ゆうし)犬飼(いぬかひ)(けん)八、八犬士(はつけんし)の一人也。文五兵エに男子有、犬田小文吾也。□犬山道節(どうせつ)は定正(さだまさ)を討(うたん)と計(はか)りしが犬田助友(すけとも)の謀(はか)りことに陥(おちい)り數多(あまた)の敵(てき)を受(うけ)け辛(からく)も失ける。小文吾は義兄弟を尋(たつね)んと所を巡(めぐ)り山中にて大宍(しゝ)を殺(ころし)、宿(やど)(もと)めんとて、毒婦(どくふ)舟虫(ふなむし)の為(ため)に災(わざわ)ひを受(う)け、石濱の城中に捕(とら)はれける。或日、此内へ舞子(まいこ)朝毛野(あさけの)といふもの来(きたり)、酒宴(しゆゑん)の興をそへけるに、すみて后(のち)、城主(しやうしゆ)馬加(まくはり)大記(たいき)を討(うち)小文吾を救(すく)ひ出し立退(たちのき)け〔る〕。之(これ)八犬士の一人犬坂(いぬさか)毛野(けの)なり。此時數多(あまた)の捕手(とりて)取囲(とりかこ)むを少(すこし)も恐(おそ)れず、両人にて散々(さん%\)に切まくり捕手(とりて)の大勢、勇猛(ゆうまう)におそれ

5ウ

犬村大角・現八
かなはじと逃去るを、両士は辛(からく)も城中を遁(のが)れける。又説(とく)、犬山道節(とうせつ)は必死(しつしゆ)の難戦(なんせん)(すで)に危(あやう)かりしが、忽然(こつせん)と火(くわ)ゑん〓(もへ)上り道節(どうせつ)の姿(すがた)は消(きへ)(うせ)たり。是道節の行(おこの)ふ火遁(くわとん)の術(しゆつ)にて、白井(しらゐ)の城兵(しやうへい)(おどろ)きたり。こは勇士の耻(はづ)べきことなりとて秘書を火中へ投(とう)ぜしとぞ。茲に亦庚申(かうしん)山の快異(くわい)をきゝ、犬飼見八偽(に 一角を見顕(あら)はし、犬村角太郎の素生を知り、互(たが)ひに義(ぎ)兄弟の約(やく)をなし、又、犬田小文吾は石濱を遁(のが)れ毛野(けの)にわかれて舟(ふね)にのり、伊豆の船路(ふなぢ)


明治三十一年三月一日印刷
同    年三月一日発行
日本橋区馬喰町二丁目十四番地
印刷兼発行者 綱島亀吉

後ろ表紙



#「人文研究」第33号(千葉大学文学部、2004年3月)
#  一部語句訂正 2004-04-28 (Thanks Mr. R.Campbell)
#  一部錯誤訂正 2004-05-15 (Thanks 小勝隆一さん)
#  初印本刊記画像 2004-05-16 (Thanks 山本和明さん)
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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