【解題】
『南総里見八犬伝』の抄録本は現代に至るまで決して少なくない。かつて、嘉永5〈1852〉年の歌舞伎上演を契機とした作品の一つとして『八犬傳銘々誌畧』〔第一集〕を紹介したが(愛知県立大学『説林』第44号)、今回はその続編を紹介しておきたい。
この『銘々誌略』の特筆すべき特徴は、編年式や巻順に記述されたものではなく、見開きに2名ほどの登場人物を描き、そこに彼等が関った事件を略述するという〈銘々伝〉として編まれた点にある。中本1冊で全丁絵入りという様式は、幕末に流行する軍談物や一代記物と同様であり、表紙に短冊文字題簽を貼った袋入本。口絵や挿絵には板彩色を施した頗る美麗な本である。
第一集では「冨山の洞」から「芳流閣」を経て「古那屋」の段までに登場する人物を掲出していたが、第二集では「古那屋」の段以降の「荒芽山」から「庚申塚」を経て「指月院」の段に至る場面に登場する人物を扱っている。犬江新兵衛と犬坂毛野と犬村大角とが登場して、やっと八犬士が出揃ったことになる。ただし、犬士達の活躍は描ききれず「再出」とさらに続編を出すことが予告されているが、三集の刊否は未詳である。
この第二集の出板は、内容的に完全な対応をするわけではないが、『里見八犬伝』(7編〜9編)が前年に引き続き江戸市村座で上演されたことと無関係ではあるまい。この時期には、大錦絵50枚続き「八犬伝犬の草紙」が紅英堂(蔦屋吉蔵)から出されており、嘉永5年以降の八犬伝ブームが続いていたからである。
斯様な〈銘々伝〉と云う方法で描かれた抄出本が、如何なる読み方をされたのかは興味深い点である。少なくても、この抄出本で原話の粗筋を知るには無理があると思われるからである。また、登場人物(キャラクタ)に視点を置いた記述は一種の索引としての機能を持ったはずで、やはり一通りの筋を知っている読者に向けられたものと考えたい。尤も、この本を契機として、筋立て本位の草双紙『仮名読み八犬伝』や『八犬伝』原本などを手にとった読者も少なくないとは思われる。
ところで、安政3〈1856〉年刊の合巻『當世八犬傳』(鈍亭魯文填詞、芳宗画、糸屋庄兵衛板)は2冊10丁で、恐らく抄出本としては最短編だと思われる。表紙は2枚続きで芳流閣を描き、中は「洲の崎明神の場」「滝田城内の場」「冨山麓の場」「同入口の場」「同岩室の場」「同伏姫自害の場」「大塚村の場」「圓塚山の場」「芳流閣の場」「古那屋の場」「馬加館の場」「千住堤の場」「行徳沖の場」を描く。上冊末「(冨山)入口の場」で金碗大助の撃った鉄砲が、下冊初丁「(冨山)岩室の場」で八房に当たるという凝った仕掛けを持っているものの、発端から対牛楼までの名場面集とでもいうべき草双紙である。この本なども粗筋はわかるものの、名場面を描く錦絵のような観賞がなされたものと思われ、既知の読者へ向けられたものであると同時に、長編への導入という機能も持っていたのであろう。
斯様な抄出本の少なからぬ存在は、『八犬伝』が原本以外のメディアを通じて広く流布していたことを示す好例であり、現代に至るまでの享受史を想起する時に、実体としての『八犬伝』とは一体何なのかという問題を問い掛けてくるのである。
底本には山本和明氏所蔵の初板本を、ただし改装されている表紙と落丁部分(六ウ七オ、廾四オウ)は、服部仁氏所蔵の後印本を使用させていただいた。また、校合本として更に後印だと思われる大阪府立中之島図書館蔵本を用いた。
【書誌】
編成 中本 1巻1冊 17.8糎×12.8糎
表紙 浅縹無地に花丸の型押しを散らす(服部本)
題簽 左肩(13×3糎)子持枠中に「八犬傳銘々誌畧 全」(服部本)
見返「八犬傳銘々誌畧第二集」、左に「春水著」「芳乕画」、右下に「錦耕堂梓」
叙末「嘉永五壬子立夏前一日稿成\同六癸丑初春彫成發市 爲永春水誌」
改印「村田」「衣笠」「子十二」
内題 なし
柱刻「八犬銘誌畧 丁付」
尾題 なし
匡郭 単辺無界(15.4×10.3糎)
刊記「東都書林 日本橋通壹丁目 須原屋茂兵衛・同貳丁目 山城屋佐兵衛・同所 小林新兵衛・芝神明前 岡田屋嘉七・同所 和泉屋市兵衛・本石町十軒店 英大助・芳町親仁橋角 山本平吉・大傳馬町二丁目 丁子屋平兵衛・横山町壹丁目 出雲寺万次郎・浅草茅町二丁目 須原屋伊八・横山町三丁目 和泉屋金右衛門・馬喰町貳丁目 山口屋藤兵衛板」
備考 見返は薄墨で背景を潰して薄紅色と黄色の色摺りが施され、序文背景には花模様などが摺り込まれ、口絵や挿絵には薄墨のみならず空色や肌色、薄紅色で板彩色が施されている。後印本には見返を除いて色摺りは見られない。なお最後に後印本の刊記も写真を掲載しておいた。
一 基本的に原本の表記を尊重したが、以下の点に手を加えた。
一 異体俗体字については「JIS情報交換用漢字符号系」第1第2水準に定義されているものは生かし、それ以外は近似の字体を採用した。
一 片仮名は、特に片仮名の意識で書かれたと思われるもの以外は平仮名に直した。
一 本文には句読点が用いられていないが、通読の便宜のために適宜これを補った。
一 会話文には鍵括弧を補った。
一 明らかな誤脱と思われる部分は〔 〕に入れて補った。
一 表紙、見返、口絵、挿絵はすべて写真を掲載した。
〔付言〕底本の使用を許された山本和明氏、服部仁氏に深く感謝申し上げます。
〈後印本表紙〉
〈序〉 〈見返〉
【序】
江府の書肆にて鐫出せる書。年々歳々幾ならん。一板〓處に磨滅すれば。一板此處に新なり。これが為に〓を賑し妻子を易く〓ふもの。復幾といふを知らず。是咸文の徳なるをや。予も又兒戲の策子を編て。筆に耕し意に織れば。ために衣食を潤すまでに。戯名も自ら識れやしけん。今茲は書賈の需に應じて。銘々誌畧二冊を編り。〓が一帙は嚮にはや。刻成て今二帙に及べり。然ども這書は新竒をつくして。巧めるにしもあらざれば。序すべき言をいまだ得ず。其なき言をなき随に記してもつて半員を塞ぐ。
嘉永五壬子立夏前一日稿成
同六癸丑初春彫成發市
「芳流閣上に信乃見八と雌雄を争ふ」
「足跡の梅かんばしし雪の狗 はる文」
【本文】
犬江新兵衛仁
仁は下総市河の船長山林房八が一子にして、小文吾の妹沼藺が腹に生る。稚名を真平といふ。然れども産れて四歳になるまで左の拳をひらかねば、片輪車といふ所より人渾名して大八と喚ぶ。恁てその父義死の折から、ヽ大法師の道徳によりて左りの拳をひらきしに、中に一ッの玉ありて、これには仁の一字あり。仍て実名を仁といふ。是又八犬士の一個也。爰に舵九郎といへる光棍祖母妙真に戀慕して、心にしたがはざるを怒り、捕へて親兵衛を打殺さんとするとき、伏姫の神霊あらはれ救ふて、冨山の奥にいたる。後義実の危難のをりから、出て君候のたすけとなるなど、猶再出に委くせん。
暴風舵九郎
舵九郎は市河の舩人にして、放蕩不頼の〓〓者なり。嘗て房八が身を損て、信乃が命に代りし事を、いかにしてか嗅つけつらん。軈てその母妙真をおどして「〓わが心にしたがはずば那密事を訴へん」といふ。尓ども妙真受つけず、竊かに蜑崎十一郎と料つて、安房へ赴かんとする途へ、かの舵九郎は同悪の者甲乙を荷擔てもて蜑崎等をさへぎりとゞめ、其身は妙真が抱きたる親兵衛を奪ひ去りて再び妙真に迫れども、節を守りてしたがはねば、怒つて親兵衛を殺さんとするとき、伏姫の神助により親兵衛は命をすくはれ、舵九郎は引裂れ損らる。
妙真
妙真は房八が母なり。原名を戸山といふ。最男魂あり。當初夫の遺言をまもり、房八にこゝろをそへて古那屋のために命を落させ、旧き過を購はしむ。恁て舵九郎が難を遁れ、夫より安房におもむきて里見殿に扶助せられしが、後遂に親兵衛に再會してゆたかに老をむかへしとなん。
丁田町之進
町之進は大石家の一老臣なり。時に簸上宮六が額藏に討るゝにより、鎌倉より大塚に来り。その黒白を〓糾さんとす。爰に宮六が弟簸上社平、又かの軍木五倍二等が賄賂を受て遂に額藏を罪せんとせしとき、犬塚等の三犬士ありて暗に額藏を奪ひ去るにぞ、町之進おどろき怒りてみづから是を追留んとして、戸田川の水中にて力二郎がために害せらる。
神宮〓平
〓平は、道節の父犬山道策の若黨にして、舊名を姨雪与四郎といふ。當初壮気の過にて、侍女音音と密通なし、既に命におよぶべきを、故なく暇を給はりて、夫より神宮に漁せしが、一回犬塚等が危急を助け、その子力二尺八が討死したる首を携へ、荒芽山におもむきて、道節に面會なし、こゝに勘気を許され、敵を防ぐの大功あり。後遂に里見につかへ、名をあげ老を全うす。
卒川菴八
菴八は大塚の陣番なり。奸曲なる事、宮六五倍二等におとらず、年頃権を弄びて民の膏腴を絞ること甚し。嘗て額藏が忠義を誣て、還つてこれを逆賊なりとし、既に法の場にのぞみ、その身は檢監使をかうむりつゝ、額藏を罪せんとす。然ども天理に違ふをもて、たちまち小文吾が鎗さきに死す。
簸上社平
社平は宮六が弟なり。兄の怨みをむくはんために、五倍二菴八と相謀つて詐つて鎌倉に告訴し、且、町之進に賄賂して、遂に義僕額藏を誣ゆ。町之進もまた夛慾の小人、渠がことばを信用して刑戮の場において兄の讐を復さしむ。社平はこれを恩として額藏に鎗を〓んとするとき、暗に現八が箭に射薨さる。
十條力二郎・十條尺八郎
力二尺八は、倶に与四郎が隱子にて、音音が腹に生れたる二子の兄弟なり。當初、池袋の戦ひ敗れしとき、犬山道松にしたがひて敵の囲みを〓抜つゝ、夫より神宮におもむきて父と侶に身をしのび、竊に道松が復讐を助けんために、世の豪傑を躬方にせんとす。たま/\犬塚等の三犬士が額藏の危窮を救ひ、走つて戸田川にいたる。町之進隊勢を倶して、急にこれを追はんとするとき、与四郎の〓平は舟を出して四犬士を渡し、力二郎と尺八は計つて町之進を水中に殺し、追隊の勢と血戦して兄弟斉くうち死す。その霊、荒芽山におもむきて離別の父母を相合に做すなど、孝義一對の兄弟といふべし。
曳手・單節
曳手は力二の妻、単節は尺八の妻にして、倶に煉馬家の歩軽卒禿木市郎が女児なり。然ども妹〓もわづかに一宵その婚姻の次の日に、池袋のたゝかひ敗れ煉馬の一族滅亡して侠々の生死も知らねど、姉妹ともに操を変ず、姑音音にしたがひて荒芽山の麓にとゞまり、馬を追ひ重きを背負ふて、善く姑を孝養す。時に〓の霊魂の仮に姿をあらはせしに遇ふて、途より家に伴ひ皈り、夫婦再會の竒談あり。恁て犬山等五犬士の討隊をひき受、戦ふとき、二女は馬に乗せられて小文吾に託せらる。そのとき野武士等これを見つけて、那姉妹を奪はんために鳥銃をもて馬をうつ。その馬薨れてまた蘇生走つて冨山の奥にいたり、伏姫神の冥助によりて二女は倶に男子をまうく。後の力二尺八これなり。
越杉駄一郎遠安
駄一郎は管領扇谷定正の勇臣なり。はじめ池袋の戦ひに煉馬倍盛の首捕て、名誉の感状を賜ふ。恁て道節が定正を覘ふと听き、巨田助友等と相謀て、その面影の主君に似たれば仮に大将の装束を着し、戸沢山の〓倉に道節を誑引よす。時に道節これを知らず、真の定正なりとこゝろえ、村雨丸を賣弄にして遂に駄一郎が首を隕す。
竈門三宝平五行
三宝平も扇谷家の臣なり。煉馬の一族滅亡の日に、道節が父犬山道策を撃て、賞を定正に賜ふ。嘗て戸沢山の〓倉に、駄一郎にしたがふて道節を料らんとす。然ども道節智勇をもて、夥の敵をうち走らす。三宝平一個竊に残りて、鎗もて道節を刺んとして、還つて渠が刄にかゝり、父の怨みを報ぜらる。
音音
音音は十條何某が女児にして、その心ざま男子もおよばず。當初犬山の侍女たりしとき、若黨世四郎と密に通じ〓妊せしより、縡発覚て、郎とともに獄舎につながれ、産おとせしは〓にて、力二尺八すなはち是なり。時に道策が側室阿是非が惻隱により、世四郎は身の暇を給はり、音音は道松の乳母にせらる。是より先非をふかく悔みて、のち荒芽山の白屋にて舊夫を拒みて納ず。されども力二兄弟が孝心空しからずして、夫婦まつたきことを得たり。
巨田薪六郎助友
助友は管領補佐の一老職持資入道道寛の長男にして、ともに定正につかふ。その性仁あり且義ありて、智勇もまた父に愧ず。一回煉馬の残黨を追補せんとして、砥沢荒芽の二山にて、しば/\道節等の五犬士をなやます。後、定正が威に誇り、水陸三隊の大軍をもて里見をうたまくしつるとき、これを諫めて用ひられず、遂に味方の敗れを察して途に定正の危急を救ふ。
荘役根五郎・丁六・〓介
根五平は山脚村の荘役なり。嘗て犬山道節を追補せんため、巨田助友等が奉りて白井の城より出るところの下知状を携へつゝ、丁六〓介と喚れたる二個の樵夫ともろともに、俺一村を觸あるく。時に音音が白屋に道節を躱へるを嗅知り、竊に門に徨ち床にかゞみてその秘事を洩聞つゝ、出て音音們を捕へんとして丁六は世四郎に撃れ、〓介は音音が刄にかゝり、根五平はまた道節が銑〓に中つて死す。
舩虫
舩虫は、はじめ並四郎が妻なりしとき、馬加大記に憑まれて、嵐山の尺八および小篠落葉の二刀を偸ぬ。恁て、〓並四郎が小文吾に討るゝにおよびて、夫の讐を報はんとして縡ならず。後、又赤岩一角が後妻となりて角太郎雛衣等を苦しましむ。夫より、或ひは女按摩となり、又は悪僕媼内が妻となり、色を鬻て人を害す悪逆牧挙がたきも、遂に高畷の暗夜に、小文吾等に捕へられ命を牛の角に隕さる。
鴎尻並四郎
並四郎は武蔵國阿佐谷村の民にして、その性不良の悪棍なり。はじめ、その妻舩虫と倶に、尺八以下の三種を偸む。後また、高屋畷にて、鎗もて猪を突損じ、牙にかゝりて息絶しを、犬田がために救はれながら、渠が路費の多きを知り、欺いて俺家に舎らせ、夜更て小文吾を刺んとして、還つて自己が命を失ふ。
千葉介自胤
自胤は千葉入道了心の二男にして、兄実胤に代つて千葉介に任ぜられ、武蔵国石濱の城に住す。素より暗君ならねども、いまだ良将とするに足らず。長臣馬加常武に国政を弄ばれて、これをしも退け得ず、後管領家の大軍に加はり里見と戦ふて擒にせらる。
畑上語路五郎高成
高成は千葉家の眼代なり。嘗て賊婦舩虫が〓の怨みを復さんため、犬田を「偸児なり」として訴出たる辞を信じ、途に小文吾を搦捕しむ。尓ども犬田が智勇によりて、舩虫が賊情忽地あらはれ、爰に嵐山の尺八を得たり。時に領主自胤の小鳥〓に出るに遇ふて、かの名笛をたてまつる。然るに件の舩虫は馬加大記が荷擔人なれば、馬加ひそかに舩虫を走らせ、これを語路五郎が咎なりとして、遂に高成は獄舎につながれ、いく程もなく卒ぬ。
馬加大記常武
常武は初名を記内といふ。當初下總を逐電して武藏の千葉性に降参す。嘗て粟飯原胤度を謀つて滸我へ往しめ、篭山逸東太および舩虫等を荷擔て途に胤度を討せ、又かの三種を竊ましめて、更に粟飯原が妻子まで残害す。恁て自胤に重用せられて、国家の権を弄びしが、後小文吾を抑留するのとき、胤度が遺胤犬坂毛野が刄にかゝり、對牛樓に父が讐を報ぜらる。
粟飯原首胤度
胤度は自胤の老臣にして、犬坂毛野が父なり。素よりその性実直にて、思慮なき者にあらねども、一回常武にはかられて、名笛及び二口の刀を持参し、滸我殿へ趣かんとして、忽地叛逆の汚名をかうむり、杉戸の宿の松原にて、逸東太がために欺き撃れ、妻子一族のこりなく咸馬加が奸計に滅せらる。
粟飯原妻子(手枕・稲城・夢之助)
粟飯原胤度の妻を稲木と喚ばれ、この腹に男女二個の子を産めり。嫡子はすなはち夢之助とて、今茲十五歳なりけるが、美少年の听えあり。二女はその名を手枕と喚びて、僅に甫の五歳になりぬ。然るに首が叛逆の汚名をかうむるときにいたり、常武が沙汰として、母子三個とも死を賜ひぬ。これ僉大記が奸計にて、千葉家に粟飯原篭山の両老臣あるときは、己が権威をうばゝれんかと、すなはち首を滸我へ往しめ、篭山をまた賺しはげまし途に胤度を討するにおよびて、かの三種をば舩虫夫婦に竊にうばひ去せしかば、篭山は首を撃ども、三種の宝を失ひたれば、是非なくそのまゝ逐電す。これに仍て常武はたゞ一挙にして、両老臣を思ひのまゝに失ひたる。残毒最おそるべし。
篭山逸東太縁連
縁連は自胤一二の老黨なり。嘗て常武に哄誘され、胤度を討といへども、〓〓者のために三種を奪はれ、進退〓処に究りしかば、従者を損て逐電しつ後、変名して扇谷家に仕ふ。夫より嚮に赤岩にて毒婦舩虫を捕ながら、又舩虫に欺むかれ、路費をうばゝれ取迯すの段あり。かくて定正に登用せられ、鎌倉に使するとき、犬坂毛野がうらみの刄に高畷にて命を隕す。
品七
品七は常武が下奴にして、その性愚直の老僕なり。嘗て小文吾が馬加許抑留せられて、幹浄房に閉篭れるとき、庭掃除にとて折々来つ、訪ひ慰めなどするほどに、早晩しか犬田と親しくなりしが、或とき件の品七が漫に、馬加常武が粟飯原一家を滅亡させたるかの秘事を犬田に語るを、常武はやく洩聞て、遂に品七を毒殺す。
調布
調布は粟飯原性の妾なり。既に〓姙して三歳におよべど、いまだ産の紐を觧ず。恁て、胤度が妻子等を僉のこりなく喪はれしとき、常武はなほ調布をも倶に殺さんとしたりしを、醫師等これを憐みて、「血塊なり」といふにより、辛く命を助かりて、相州犬坂の里に赴き、軈て一子を分娩しぬ。是すなはち犬坂毛野なり。されども千葉の聞へを憚り「女の子なり」と披露しつ。夫より鎌倉へ移り住みて、調布は鼓を拍ち、毛野をば女田楽にして世渡る便着にしたりとなん。
犬坂毛野胤智
毛野は胤度の遺腹児にして、智の字の玉を感得せり。よりて胤智と名告る。これ又八犬士の一個なり。一回女田楽の隊に入りてより、仮にその名を旦開野といふ。恁てその歳十三の秋、其身に讐あるよしを細々と遺言して、母調布は卒りぬ。夫より毛野は心をはげまし、遂に怨敵常武をはじめ、馬加一家の奴原を對牛樓にて僉殺しになし、犬田小文吾を救ふなど、尚そのほかに説事夛かり。〓は再出に委くせん。
坂田金平太・渡邊綱平・卜部季六・臼井貞九郎
馬加大記常武が股肱とたのむ若黨を四天王と号しつゝ、その名を綱平、金平太、季六、貞九郎と喚びつゝも、源頼光の四天王にその性名は似かよへども、聊勇力あるのみにて、素より烏滸の白者なり。〓が中に季六は、殊に大記が愛臣なりけん。一夜渠をは刺客となして小文吾を討しめんとせしに、毛野が釵兒の銑〓にうたれて、忽地息絶ぬ。その他綱平等の三口も對牛樓の讐討の夜、またかの毛野をさゝへあへず、共に命を隕せしとなん。
馬加鞍弥吾常尚
鞍弥吾は常武が長男なり。嘗て常武権威に募り、領主自胤をおし仆して、鞍弥吾をもて千葉介たらしめんとす。時に犬田小文吾あり。常武これを軍師にせんとて、竊に密議を談ず。小文吾これをかたく辞む。よつて季六をして犬田を討せんとするに、其事遂に行はれずして、鞍弥吾も毛野が為に父と倶に命を隕す。
戸牧并 鈴子
戸牧は大記が妻にして、鈴子は末の女児なり。尓ば大記が驕奢によりて、身には綾羅錦繍をまとひ、口には山海の珎味に飽しが、毛野が讐討の夜にいたりて、若黨綱平が間違への刄にかゝりて、戸牧は撃れ、鈴子は母の死骸に撲折かれて、息絶ぬ。これ偏に粟飯原が妻子を害せし報ひならんか。
犬江屋依介
依介は、はじめ犬江屋の小厮なり。後引あげて家扶を譲られ、犬江屋の遺跡となる。その性老実なる壮佼なり。嚮に妙真を安房へ送るの日、かの舵九郎等に出合て、額に疵をうくるまで、主のために忠誠あり。恁て小文吾が毛野を追ふて墨田川を泅下るを、料らず舩に助け乗らしめ、市川に伴ひ皈りて、父文五兵衛が遺言に傳ふ。
水澪
水澪は下総國舩橋の里人何某の女児にして、妙真が姪なり。嘗て妙真が安房に留められ犬江屋の遺跡あらされば、依助をもて主人とするとき「親き血すぢのものなれば」とて、軈て依介が妻とせられ、舩家扶家庫のこりなく夫婦に譲りあたへらる。
鵙平
鵙平は、下野の州網苧といへる片山里なる茶店の主翁なり。這網苧より庚申山まで、路の程五六里あり。然るに「件の庚申山に數百載を歴る野猫すみて往来の人を秉啖ふ」といふ。仍て梺を過る旅客は、この茶店より弓箭を買ふて身の衞りにあ〔せ〕り。又は郷導をたのむもありとぞ。時に犬飼現八がこれなる茶店に憩ひつゝ、量らず犬村角太郎が薄命を听く。
赤岩一角武遠
一角は赤岩の郷士にして、武術に達す。是すなはち角太郎が実父なり。或とき一二の門弟等を倶して、人の怖るゝ庚申山に登りて世に名を顕はさんと、人の諫を説やぶりて、かの奥の院に分登り、遂に妖獣に啖ひ殺さる。後、現八がその山に迷ひ入りたるときに臨みて、幽魂假に形をあらはし、髑髏と短刀を現八に委て角太郎をして怨敵を退治せしむ。
雛衣
雛衣は犬村蟹守が女児にて、角太郎の妻なり。一日過つて〓の秘藏の名玉を呑む。夫より次第に身重くなりて、そのさま懐〓したるがごとし。嘗て姑舩虫が為に、密夫ありと誣られて、忽地夫婦の和合を裂かる。雛衣これを悲みて、返璧の里におもむき、離別の夫の柴門を敲きて寃屈を屡訴ふれども納られず、遂に刄に伏に及びて、その痍口より霊玉とびいで、假一角をうち仆し、〓をして〓が怨みを報はしむ。
犬村大學禮儀
大角は初名を角太郎と喚れて、赤岩一角が子なり。礼の字の玉を感得す。仍て實名を礼儀となのり、これ又八犬士の一個たり。嘗て礼儀四五歳なる、父一角は庚申山にて野猫のために害せられ、その猫父の貌に化て、赤岩の宿所に皈る。礼儀実の父とおもひ、孝を尽せど愛せられず。時に犬村蟹守といふ者、礼儀を養子とし、女児雛衣をもてこれに妻す故に、犬村を姓とせり。恁て蟹守が卒りしのち、赤岩に喚返され、又その家を勘當せられて、遂に返璧といへる里に閑居す。折から犬飼現八に訪れ、亡父の遺骨を見るに至りて忽地件の化猫を退治す。這下の譚りは再出に委くすべし。
犬村蟹守儀清
儀清は下野の州犬邨の郷士にして、角太郎がためには、外伯父なり。嘗て稚き一個の〓の、父に愛をうしなひしを憐れみ、礼儀が六歳のとき、假一角より乞うけて赤岩より迎へとり、女児雛衣と養子合せにす。素より蟹守は弱冠のころ京に上り、師を擇みて文武の奥義を極めし者なり。然ども人の師となるを好まず。只角太郎にのみ力を入れて、飽まで教導しが、遂に六十あまりにて卒りぬ。
正香
正香は犬村蟹守が妹にて、赤岩一角に嫁し角太郎を産めり。その心ざま賢にして、よく内を脩め、又よく奴婢を愍れて、生平に神佛を深信す。當初一子角太郎が生れしころ、痘瘡の守りにせばやとて、加賀なる白山権現の社頭の粒石を乞うけしに、その粒石は石ならで、すなはち禮の一字ある霊玉を感得せり。然るに命数長からず、角太郎が四ッ五ッの頃、遂に空しく世を去りしとなん。
窗井
窓井は赤岩一角が後妻にて、又是美人の听えあり。然れども心操は先妻正香に劣れるをもて、人の怕るゝ庚申山に登らんといふ良人を諫めず。後、野猫が一角の貌に化つゝ皈りしを、〓とおもひ、身をまかして軈て牙二郎といふ一子を産めり。遮莫非類の妖獣に夜毎に膚を穢されし精液漸々に衰へつゝ、三十も超さで卒りしとぞ。
假一角
假一角は歳夥歴る野猫の化たるなり。嚮に一角を噛殺し、死骸を飽まで啖ひしが、尚、その妻をも犯さんとて、假に一角が貌に変じ、一子をさへ産せたり。恁て窓井が卒りしのち、妾夥買易て、只淫樂を旨とせり。後また舩虫を妻とせしより、その悪行いよ/\募りて、角太郎夫婦を苦ましましめに、遂に霊玉の竒得によりて、禮儀が刄に怨みを復さる。
泡雪奈四郎秋實
奈四郎は甲斐の國主武田氏の臣也。ある時鹿と思ひたがへて犬塚を鳥銃にて放つ。その銃丸信乃に中らねども、故意と仆れて敵を待つ。奈四郎これを倖とおもひ、路銀と太刀を奪はんとして、甚く信乃に打懲さる時に、四六城木工作あり。信乃に賠〓して、奈四郎を救ふ。奈四郎もとより木工作が妻夏引と密通す。仍て夏引と謀し合せ、木工作を害して、これを信乃が所為なりと計れど、その縡つひに成就せず。甲斐を逐電する途にて、悪僕姨内に痍つけられ、路用をうばひとらるゝのみか、又犬塚に出會て忽地〓里に首を失なふ。
四六城木工作
木工作は甲斐国猿石の村長にて、父は井丹三直秀に仕へたる若黨蓼科太郎市これなり。嘗て奈四郎がことにより、信乃を俺家に畄めてより、其骨相と武藝に感じ、女児濱路の壻にせんとす。然ども信乃は受ひかず。これに仍て木工作は奈四郎を誘頼みて、信乃を国主の御家人に做さんとしつゝ縡ならず。遂に奈四郎がために、鳥銃にてうち殺さる。
後の濱路
後の濱路は里見義成の第五の女子なり。仍て五の君といふ。嘗て、その歳二三才のころ、大鷲に攫れて、甲斐の黒驪山の辺に損られしを、木工作に拾はれて、軈てその家に成長。恁て信乃が逗留の夜、前の濱路が魂魄にさそはれ、信乃に物言ひかはすの竒事あり。それより照文等に送られて、本国安房に還るにおよびて、又素藤に懸想せられ、弟義通の危難ありしが、其厄つひにとけてのち、犬塚信乃に妻さる。
日本橋通壹丁目 須原屋茂兵衛
同 貮丁目 山城屋佐兵衛
同 所 小林新兵衛
東都 柴神明前 岡田屋嘉七
同 所 和泉屋市兵衛
本石町十軒店 英 大 助
芳町親仁橋角 山本平吉
書林 大傳馬町二丁目 丁子屋平兵衛
横山町壹丁目 出雲寺万次郎
浅草茅町二丁目 須原屋伊八
横山町三丁目 和泉屋金右衛門
馬喰町貳丁目 山口屋藤兵衛板」
〈後印本後ろ表紙〉