『八犬傳銘々誌畧』第二集 −解題と翻刻−
高 木  元 
【解題】

 『南総里見八犬伝』の抄録本は現代に至るまで決して少なくない。かつて、嘉永五年の歌舞伎上演を契機とした作品の一つとして『八犬傳銘々誌畧』〔第一集〕を紹介したが(愛知県立大学『説林』第四十四号)、今回はその続編を紹介しておきたい。
 この『銘々誌略』の特筆すべき特徴は、編年式や巻順に記述されたものではなく、見開きに二名ほどの登場人物を描き、そこに彼等が関った事件を略述するという〈銘々伝〉として編まれた点にある。中本一冊で全丁絵入りという様式は、幕末に流行する軍談物や一代記物と同様であり、表紙に短冊文字題簽を貼った袋入本。口絵や挿絵には板彩色を施した頗る美麗な本である。
 第一集では「冨山の洞」から「芳流閣」を経て「古那屋」の段までに登場する人物を掲出していたが、第二集では「古那屋」の段以降の「荒芽山」から「庚申塚」を経て「指月院」の段に至る場面に登場する人物を扱っている。犬江新兵衛と犬坂毛野と犬村大角とが登場して、やっと八犬士が出揃ったことになる。ただし、犬士達の活躍は描ききれず「再出」とさらに続編を出すことが予告されているが、三集の刊否は未詳である。
 この第二集の出板は、内容的に完全な対応をするわけではないが、『里見八犬伝』(七編〜九編)が前年に引き続き江戸市村座で上演されたことと無関係ではあるまい。この時期には、大錦絵五十枚続き「八犬伝犬の草紙」が紅英堂(蔦屋吉蔵)から出されており、嘉永五年以降の八犬伝ブームが続いていたからである。
 斯様な〈銘々伝〉と云う方法で描かれた抄出本が、如何なる読み方をされたのかは興味深い点である。少なくても、この抄出本で原話の粗筋を知るには無理があると思われるからである。また、登場人物(キャラクタ)に視点を置いた記述は一種の索引としての機能を持ったはずで、やはり一通りの筋を知っている読者に向けられたものと考えたい。尤も、この本を契機として、筋立て本位の草双紙『仮名読み八犬伝』や『八犬伝』原本などを手にとった読者も少なくないとは思われる。
 ところで、安政三年刊の合巻『當世八犬傳』(鈍亭魯文填詞、芳宗画、糸屋庄兵衛板)は二冊十丁で、恐らく抄出本としては最短編だと思われる。表紙は二枚続きで芳流閣を描き、中は「洲の崎明神の場」「滝田城内の場」「冨山麓の場」「同入口の場」「同岩室の場」「同伏姫自害の場」「大塚村の場」「圓塚山の場」「芳流閣の場」「古那屋の場」「馬加館の場」「千住堤の場」「行徳沖の場」を描く。上冊末「(冨山)入口の場」で金碗大助の撃った鉄砲が、下冊初丁「(冨山)岩室の場」で八房に当たるという凝った仕掛けを持っているものの、発端から対牛楼までの名場面集とでもいうべき草双紙である。この本なども粗筋はわかるものの、名場面を描く錦絵のような観賞がなされたものと思われ、既知の読者へ向けられたものであると同時に、長編への導入という機能も持っていたのであろう。
 斯様な抄出本の少なからぬ存在は、『八犬伝』が原本以外のメディアを通じて広く流布していたことを示す好例であり、現代に至るまでの享受史を想起する時に、実体としての『八犬伝』とは一体何なのかという問題を問い掛けてくるのである。
 底本には山本和明氏所蔵の初板本を、ただし改装されている表紙と落丁部分(六ウ七オ、廾四オウ)は、服部仁氏所蔵の後印本を使用させていただいた。また、校合本として更に後印だと思われる大阪府立中之島図書館蔵本を用いた。

【書誌】

編成 中本 一巻一冊  十七・八糎×十二・八糎
表紙 浅縹無地に花丸の型押しを散らす(服部本)
題簽 左肩(十三×三糎)子持枠中に「八犬傳銘々誌畧 全」(服部本)
見返「八犬傳銘々誌畧第二集」、左に「春水著」「芳乕画」、右下に「錦耕堂梓」
叙末「嘉永五壬子立夏前一日稿成\同六癸丑初春彫成發市 爲永春水誌」
改印「村田」「衣笠」「子十二」
内題 なし
柱刻「八犬銘誌畧 丁付」
尾題 なし
匡郭 単辺無界(十五・四×十・三糎)
刊記「東都書林 日本橋通壹丁目 須原屋茂兵衛・同貳丁目 山城屋佐兵衛・同所 小林新兵衛・芝神明前 岡田屋嘉七・同所 和泉屋市兵衛・本石町十軒店 英大助・芳町親仁橋角 山本平吉・大傳馬町二丁目 丁子屋平兵衛・横山町壹丁目 出雲寺万次郎・浅草茅町二丁目 須原屋伊八・横山町三丁目 和泉屋金右衛門・馬喰町貳丁目 山口屋藤兵衛板」
備考 見返は薄墨で背景を潰して薄紅色と黄色の色摺りが施され、序文背景には花模様などが摺り込まれ、口絵や挿絵には薄墨のみならず空色や肌色、薄紅色で板彩色が施されている。後印本には見返を除いて色摺りは見られない。なお最後に後印本の刊記も写真を掲載しておいた。

【凡例】
一 基本的に原本の表記を尊重したが、以下の点に手を加えた。
一 異体俗体字については「JIS情報交換用漢字符号系」第一第二水準に定義されているものは生かし、それ以外は近似の字体を採用した。
一 片仮名は、特に片仮名の意識で書かれたと思われるもの以外は平仮名に直した。
一 本文には句読点が用いられていないが、通読の便宜のために適宜これを補った。
一 会話文には鍵括弧を補った。
一 明らかな誤脱と思われる部分は〔 〕に入れて補った。
一 表紙、見返、口絵、挿絵はすべて写真を掲載した。

〔付言〕底本の使用を許された山本和明氏、服部仁氏に深く感謝申し上げます。

    〈後印本表紙〉
表紙

     〈序〉           〈見返〉
序・見返

【序】
江府(こうふ)の書肆(しよし)にて鐫出(ゑりいだ)せる書(しよ)。年々(ねん/\)歳々(さい/\)(いくばく)ならん。一板(いつはん)〓處(そこ)に磨滅(まめつ)すれば。一板(いつばん)此處(こゝ)に新(あらた)なり。これが為(ため)に〓(いちくら)を賑(にぎは)し妻子(やから)を易(やす)く〓(やしな)ふもの。復(また)(いくばく)といふを知(し)らず。是(これ)(みな)(ふみ)の徳(とく)なるをや。予(よ)も又(また)兒戲(じげ)の策子(さうし)を編(あみ)て。筆(ふで)に耕(たがや)し意(こゝろ)に織(お)れば。ために衣食(いしよく)を潤(うるほ)すまでに。戯名(ぎめい)も自(おのづか)ら識(しら)れやしけん。今茲(ことし)は書賈(しよか)の需(もとめ)に應(おう)じて。銘々(めい/\)誌畧(しりやく)二冊(ふたとぢ)を編(あめ)り。〓(そ)が一帙(いつちつ)は嚮(さき)にはや。刻(こく)(なり)て今(いま)二帙(にちつ)に及(およ)べり。然(され)ども這(この)(しよ)は新竒(しんき)をつくして。巧(たく)めるにしもあらざれば。序(じよ)すべき言(ことば)をいまだ得(え)ず。其(その)なき言(ことば)をなき随(まゝ)に記(しる)してもつて半員(はんいん)を塞(ふさ)ぐ。

嘉永五壬子立夏前一日稿成
同六癸丑初春彫成發市

爲永春水誌[印]」
             〈口絵〉
口絵

「芳流閣(はうりうかく)(しやう)に信乃(しの)見八(げんはち)と雌雄(しゆう)を争(あらそ)ふ」

「足跡(あしあと)の梅(うめ)かんばしし雪(ゆき)の狗(いぬ) はる文」

【本文】

2ウ3オ

犬江(いぬえ)新兵衛(しんべゑ)(まさし)
(まさし)は下総(しもふさ)市河(いちかは)の船長(ふなをさ)山林(やまばやし)(ふさ)八が一子(いつし)にして、小文吾(こぶんご)の妹(いもと)沼藺(ぬい)が腹(はら)に生(うま)る。稚名(をさなゝ)を真平(しんへい)といふ。然(さ)れども産(うま)れて四歳(しさい)になるまで左(ひだり)の拳(こぶし)をひらかねば、片輪車(かたわぐるま)といふ所(ところ)より人渾名(あだな)して大八(だいはち)と喚(よ)ぶ。恁(かく)てその父(ちゝ)義死(ぎし)の折(をり)から、ヽ大(ちゆたい)法師(ほふし)の道徳(だうとく)によりて左(ひだ)りの拳(こぶし)をひらきしに、中(うち)に一ッの玉(たま)ありて、これには仁(じん)の一字(いちじ)あり。仍(よつ)て実名(じつみやう)を仁(まさし)といふ。是(これ)(また)八犬士(はつけんし)の一個(ひとり)也。爰(こゝ)に舵九郎(かぢくらう)といへる光棍(わるもの)祖母(そぼ)妙真(めうしん)に戀慕(れんぼ)して、心(こゝろ)にしたがはざるを怒(いか)り、捕(とら)へて親兵衛(しんべゑ)を打殺(うちころ)さんとするとき、伏姫(ふせひめ)の神霊(しんれい)あらはれ救(すく)ふて、冨山(とやま)の奥(おく)にいたる。後(のち)義実(よしざね)の危難(きなん)のをりから、出(いで)て君候(くんこう)のたすけとなるなど、猶(なを)再出(さいしゆつ)に委(くはし)くせん。

暴風(あらしま)舵九郎(かぢくらう)
舵九郎(かぢくらう)は市河(いちかは)の舩人(ふなびと)にして、放蕩(はうとう)不頼(ぶらい)の〓〓(くせ)(もの)なり。嘗(かつ)て房(ふさ)八が身(み)を損(すて)て、信乃(しの)が命(いのち)に代(かは)りし事(こと)を、いかにしてか嗅(かぎ)つけつらん。軈(やが)てその母(はゝ)妙真(めうしん)をおどして「〓(もし)わが心(こゝろ)にしたがはずば那(かの)密事(ひめごと)を訴(うつた)へん」といふ。尓(され)ども妙真(めうしん)(うけ)つけず、竊(ひそ)かに蜑崎(あまざき)十一郎と料(はか)つて、安房(あは)へ赴(おもむ)かんとする途(みち)へ、かの舵九郎(かぢくらう)は同悪(どうあく)の者(もの)甲乙(たれかれ)を荷擔(かたらひ)てもて蜑崎(あまさき)(ら)をさへぎりとゞめ、其(その)(み)は妙真(めうしん)が抱(いだ)きたる親兵衛(しんべゑ)を奪(うば)ひ去(さ)りて再(ふたゝ)び妙真(めうしん)に迫(せま)れども、節(せつ)を守(まも)りてしたがはねば、怒(いか)つて親兵衛(しんべゑ)を殺(ころ)さんとするとき、伏姫(ふせひめ)の神助(しんぢよ)により親兵衛(しんべゑ)は命(いのち)をすくはれ、舵九郎(かぢくらう)は引裂(ひきさか)れ損(すて)らる。

3ウ4オ

妙真(めうしん)
妙真(めうしん)は房(ふさ)八が母(はゝ)なり。原名(もとのな)を戸山(とやま)といふ。最(もつとも)男魂(をとこだましゐ)あり。當初(そのかみ)(をつと)の遺言(ゆひげん)をまもり、房(ふさ)八にこゝろをそへて古那屋(こなや)のために命(いのち)を落(おと)させ、旧(ふる)き過(あやま〔ち〕)を購(あなが)はしむ。恁(かく)て舵(かぢ)九郎が難(なん)を遁(のが)れ、夫(それ)より安房(あは)におもむきて里見(さとみ)殿(どの)に扶助(ふぢよ)せられしが、後(のち)(つひ)に親兵衛(しんべゑ)に再會(さいくわい)してゆたかに老(おひ)をむかへしとなん。

4ウ5オ

丁田(よぼろた)町之進(まちのしん)
町之進(まちのしん)は大石家(おほいしけ)の一(いち)老臣(ろうしん)なり。時(とき)に簸上(ひがみ)宮六(きうろく)が額藏(がくざう)に討(うた)るゝにより、鎌倉(かまくら)より大塚(おほつか)に来(きた)り。その黒白(こくびやく)を〓糾(たゞ)さんとす。爰(こゝ)に宮(きう)六が弟(おとゝ)簸上(ひがみ)社平(しやへい)、又かの軍木(ぬるて)五倍二(ごばいじ)(ら)が賄賂(わいろ)を受(うけ)て遂(つひ)に額藏(がくざう)を罪(つみ)せんとせしとき、犬塚(いぬづか)(ら)の三(さん)犬士(けんし)ありて暗(あん)に額藏(がくざう)を奪(うば)ひ去(さ)るにぞ、町之進(まちのしん)おどろき怒(いか)りてみづから是(これ)を追留(おひとめ)んとして、戸田川(とだがは)の水中(すいちう)にて力二郎(りきじらう)がために害(がい)せらる。

神宮(かにはの)〓平(やすへい)
〓平(やすへい)は、道節(だうせつ)の父(ちゝ)犬山(いぬやま)道策(だうさく)の若黨(わかたう)にして、舊名(もとのな)を姨雪(おばゆき)与四郎(よしらう)といふ。當初(そのかみ)壮気(わかげ)の過(あやまち)にて、侍女(こしもと)音音(おとね)と密通(みつつう)なし、既(すで)に命(いのち)におよぶべきを、故(ゆゑ)なく暇(いとま)を給はりて、夫(それ)より神宮(かには)に漁(すなどり)せしが、一回(ひとたび)犬塚(いぬづか)(ら)が危急(ききう)を助(たす)け、その子(こ)力二(りきじ)尺八(しやくはち)が討死(うちじに)したる首(かうべ)を携(たづさ)へ、荒芽山(あらめやま)におもむきて、道節(だうせつ)に面會(めんくわい)なし、こゝに勘気(かんき)を許(ゆる)され、敵(てき)を防(ふせ)ぐの大功(たいこう)あり。後(のち)(つひ)に里見(さとみ)につかへ、名(な)をあげ老(おひ)を全(まつた)うす。

5ウ6オ

卒川(いざがは)菴八(いほはち)
菴八(いほはち)は大塚(おほつか)の陣番(ぢんばん)なり。奸曲(かんきよく)なる事(こと)、宮六(きうろく)五倍二(ごばいじ)(ら)におとらず、年頃(としごろ)(けん)を弄(もてあそ)びて民(たみ)の膏腴(あぶら)を絞(しぼ)ること甚(はなはだ)し。嘗(かつ)て額藏(がくざう)が忠義(ちうぎ)を誣(しい)て、還(かへ)つてこれを逆賊(ぎやくぞく)なりとし、既(すで)に法(おきて)の場(には)にのぞみ、その身(み)は檢監使(けんかんし)をかうむりつゝ、額藏(がくざう)を罪(つみ)せんとす。然(され)ども天理(てんり)に違(たが)ふをもて、たちまち小文吾(こぶんご)が鎗(やり)さきに死(し)す。

簸上(ひがみ)社平(しやへい)
社平(しやへい)は宮六(きうろく)が弟(おとゝ)なり。兄(あに)の怨(うら)みをむくはんために、五倍二(ごばいじ)菴八(いほはち)と相謀(あいはか)つて詐(いつは)つて鎌倉(かまくら)に告訴(かうそ)し、且(かつ)、町之進(まちのしん)に賄賂(わいろ)して、遂(つひ)に義僕(ぎぼく)額藏(がくざう)を誣(し)ゆ。町之進(まちのしん)もまた夛慾(たよく)の小人(しやうじん)、渠(かれ)がことばを信用(しんよう)して刑戮(けいりく)の場(には)において兄(あに)の讐(あだ)を復(かへ)さしむ。社平(しやへい)はこれを恩(おん)として額藏(がくざう)に鎗(やり)を〓(つけ)んとするとき、暗(あん)に現(げん)八が箭(や)に射(い)(たを)さる。

6ウ7オ

十條(じふでう)力二郎(りきじらう)・十條(じふでう)尺八郎(しやくはちらう)
力二(りきじ)尺八(しやくはち)は、倶(とも)に与四郎(よしらう)が隱子(かくしご)にて、音音(おとね)が腹(はら)に生(うま)れたる二子(ふたご)の兄弟(きやうだい)なり。當初(そのかみ)、池袋(いけぶくろ)の戦(たゝか)ひ敗(やぶ)れしとき、犬山(いぬやま)道松(みちまつ)にしたがひて敵(てき)の囲(かこ)みを〓抜(きりぬけ)つゝ、夫(それ)より神宮(かには)におもむきて父(ちゝ)と侶(とも)に身(み)をしのび、竊(ひそか)に道松(みちまつ)が復讐(ふくしう)を助(たす)けんために、世(よ)の豪傑(がうけつ)を躬方(みかた)にせんとす。たま/\犬塚(いぬづか)(ら)の三(さん)犬士(けんし)が額藏(がくざう)の危窮(ききう)を救(すく)ひ、走(わし)つて戸田川(とだがは)にいたる。町之進(まちのしん)隊勢(てせい)を倶(ぐ)して、急(きふ)にこれを追(お)はんとするとき、与四郎(よしらう)の〓平(やすへい)は舟(ふね)を出(いだ)して四(し)犬士(けんし)を渡(わた)し、力二郎(りきじらう)と尺八(しやくはち)は計(はか)つて町之進(まちのしん)を水中(すいちう)に殺(ころ)し、追隊(おつて)の勢(せい)と血戦(けつせん)して兄弟(きやうだい)(ひとし)くうち死(じに)す。その霊(れい)、荒芽山(あらめやま)におもむきて離別(りべつ)の父母(ふぼ)を相合(ひとつ)に做(な)すなど、孝義(かうぎ)一對(いつゝい)の兄弟(きやうだい)といふべし。

7ウ8オ

曳手(ひくて)・單節(ひとよ)
曳手(ひくて)は力二(りきじ)の妻(つま)、単節(ひとよ)は尺八(しやくはち)の妻(つま)にして、倶(とも)に煉馬家(ねりまけ)の歩軽卒(あしがるびと)禿木(かぶろき)市郎(いちらう)が女児(むすめ)なり。然(され)ども妹〓(いもせ)もわづかに一宵(ひとよ)その婚姻(こんいん)の次(つぎ)の日(ひ)に、池袋(いけぶくろ)のたゝかひ敗(やぶ)れ煉馬(ねりま)の一族(いちぞく)滅亡(めつばう)して侠々(をつと/\)の生死(せうし)も知(し)らねど、姉妹(はらから)ともに操(みさほ)を変(かへ)ず、姑(しうとめ)音音(おとね)にしたがひて荒芽山(あらめやま)の麓(ふもと)にとゞまり、馬(うま)を追(お)ひ重(おも)きを背負(せお)ふて、善(よ)く姑(しうとめ)を孝養(かうやう)す。時(とき)に〓(をつと)の霊魂(なきたま)の仮(かり)に姿(すがた)をあらはせしに遇(あ)ふて、途(みち)より家(いへ)に伴(ともな)ひ皈(かへ)り、夫婦(ふうふ)再會(さいくわい)の竒談(きだん)あり。恁(かく)て犬山(いぬやま)(ら)五犬士(ごけんし)の討隊(うつて)をひき受(うけ)、戦(たゝか)ふとき、二女(ふたり)は馬(うま)に乗(の)せられて小文吾(こぶんご)に託(たく)せらる。そのとき野武士(のぶし)(ら)これを見(み)つけて、那(かの)姉妹(はらから)を奪(うば)はんために鳥銃(てつほう)をもて馬(うま)をうつ。その馬薨(うまたふ)れてまた蘇生(いきかへり)(わし)つて冨山(とやま)の奥(おく)にいたり、伏姫(ふせひめ)(かみ)の冥助(みやうぢよ)によりて二女(ふたり)は倶(とも)に男子(なんし)をまうく。後(のち)の力二(りきじ)尺八(しやくはち)これなり。

8ウ9オ

越杉(こすぎ)駄一郎(だいちらう)遠安(とほやす)
駄一郎(だいちらう)は管領(くわんれい)扇谷(あふぎがやつ)定正(さだまさ)の勇臣(ゆうしん)なり。はじめ池袋(いけぶくろ)の戦(たゝか)ひに煉馬(ねりま)倍盛(ますもり)の首捕(くびとつ)て、名誉(めいよ)の感状(かんじやう)を賜(たま)ふ。恁(かく)て道(だう)(せつ)が定正(さだまさ)を覘(ねら)ふと听(き)き、巨田(おほた)助友(すけとも)(ら)と相謀(あいはかつ)て、その面影(おもかげ)の主君(しゆくん)に似(に)たれば仮(かり)に大将(たいしやう)の装束(しやうぞく)を着(ちやく)し、戸沢山(とざはやま)の〓倉(かりくら)に道節(だうせつ)を誑引(おびき)よす。時(とき)に道節(だうせつ)これを知(し)らず、真(まこと)の定正(さだまさ)なりとこゝろえ、村雨丸(むらさめまる)を賣弄(ゑば)にして遂(つひ)に駄一郎(だいちらう)が首(くび)を隕(おと)す。

竈門(かまど)三宝平(さぼへい)五行(かづゆき)
三宝平(さぼへい)も扇谷家(あふぎがやつけ)の臣(しん)なり。煉馬(ねりま)の一族(いちぞく)滅亡(めつぼう)の日(ひ)に、道節(だうせつ)が父(ちゝ)犬山(いぬやま)道策(だうさく)を撃(うつ)て、賞(しやう)を定正(さだまさ)に賜(たま)ふ。嘗(かつ)て戸沢山(とざはやま)の〓倉(かりくら)に、駄一郎(だいちらう)にしたがふて道節(だうせつ)を料(はか)らんとす。然(され)ども道節(だうせつ)智勇(ちゆう)をもて、夥(あまた)の敵(てき)をうち走(はし)らす。三宝平(さほへい)一個(ひとり)(ひそか)に残(のこ)りて、鎗(やり)もて道節(だうせつ)を刺(さゝ)んとして、還(かへ)つて渠(かれ)が刄(やいば)にかゝり、父(ちゝ)の怨(うら)みを報(ほう)ぜらる。

9ウ10オ

音音(おとね)
音音(おとね)は十條何(なに)(がし)が女児(むすめ)にして、その心ざま男子(をのこ)もおよばず。當初(そのかみ)犬山の侍女(こしもと)たりしとき、若黨(わかたう)世四郎(よしらう)と密(ひそか)に通(つう)じ〓妊(くわいにん)せしより、縡(こと)発覚(あらはれ)て、郎(をとこ)とともに獄舎(ひとや)につながれ、産(うみ)おとせしは〓(ふたご)にて、力二(りきじ)尺八(しやくはち)すなはち是(これ)なり。時(とき)に道策(だうさく)が側室(そばめ)阿是非(おぜひ)が惻隱(なさけ)により、世四郎(よしらう)は身(み)の暇(いとま)を給はり、音音(おとね)は道松(みちまつ)の乳母(うば)にせらる。是(これ)より先非(せんひ)をふかく悔(くや)みて、のち荒芽山(あらめやま)の白屋(くさのや)にて舊夫(もとのをとこ)を拒(こば)みて納(いれ)ず。されども力二(りきじ)兄弟(きやうだい)が孝心(かうしん)(むな)しからずして、夫婦(ふうふ)まつたきことを得(え)たり。

巨田(おほた)薪六郎(しんろくらう)助友(すけとも)
助友(すけとも)は管領(くわんれい)補佐(ほさ)の一(いち)老職(らうしよく)持資(もちすけ)入道(にふだう)道寛(だうくわん)の長男(ちやうなん)にして、ともに定正(さだまさ)につかふ。その性(さが)(じん)あり且(かつ)(ぎ)ありて、智勇(ちゆう)もまた父(ちゝ)に愧(はぢ)ず。一回(ひとたび)煉馬(ねりま)の残黨(ざんたう)を追補(つひほ)せんとして、砥沢(とざは)荒芽(あらめ)の二山(ふたやま)にて、しば/\道節(だうせつ)(ら)の五(ご)犬士(けんし)をなやます。後(のち)、定正(さだまさ)が威(ゐ)に誇(ほこ)り、水陸(すいりく)三隊(みて)の大軍(たいぐん)をもて里見(さとみ)をうたまくしつるとき、これを諫(いさ)めて用(もち)ひられず、遂(つひ)に味方(みかた)の敗(やぶ)れを察(さつ)して途(みち)に定正(さだまさ)の危急(ききふ)を救(すく)ふ。

10ウ11オ

荘役(せうやく)根五郎(ねごへい)・丁六(てうろく)・〓介(ぐすけ)
根五平(ねごへい)は山脚村(やまもとむら)の荘役(せうやく)なり。嘗(かつ)て犬山(いぬやま)道節(だうせつ)を追補(つひほ)せんため、巨田(おほた)助友(すけとも)(ら)が奉(うけ給は)りて白井(しらゐ)の城(しろ)より出(いづ)るところの下知状(くだしぶみ)を携(たづさ)へつゝ、丁六(てうろく)〓介(ぐすけ)と喚(よば)れたる二個(ふたり)の樵夫(きこり)ともろともに、俺(わが)一村(いつそん)を觸(ふれ)あるく。時(とき)に音音(おとね)が白屋(くさのや)に道節(だうせつ)を躱(かくま)へるを嗅(かぎ)(し)り、竊(ひそか)に門(と)に徨(た)ち床(ゆか)にかゞみてその秘事(ひめごと)を洩(もれ)(きゝ)つゝ、出(いで)て音音(おとね)(ら)を捕(とら)へんとして丁六(てうろく)は世四郎(よしらう)に撃(うた)れ、〓介(ぐすけ)は音音(おとね)が刄(やいば)にかゝり、根五平(ねごへい)はまた道節(だうせつ)が銑〓(しゆりけん)に中(あた)つて死(し)す。

11ウ12オ

舩虫(ふなむし)
舩虫(ふなむし)は、はじめ並四郎(なみしらう)が妻(つま)なりしとき、馬加(まくはり)大記(だいき)に憑(たの)まれて、嵐山(あらしやま)の尺八(しやくはち)および小篠(をざゝ)落葉(おちば)の二刀(ふたふり)を偸(ぬすみ)ぬ。恁(かく)て、〓(をつと)並四郎(なみしらう)が小文吾(こぶんご)に討(うた)るゝにおよびて、夫(つま)の讐(あだ)を報(むく)はんとして縡(こと)ならず。後(のち)、又(また)赤岩(あかいは)一角(いつかく)が後妻(のちぞへ)となりて角太郎(かくたらう)雛衣(ひなぎぬ)(ら)を苦(くる)しましむ。夫(それ)より、或(ある)ひは女按摩(をんなあんま)となり、又は悪僕(あくぼく)媼内(をばない)が妻(つま)となり、色(いろ)を鬻(ひさぎ)て人(ひと)を害(がい)す悪逆(あくぎやく)牧挙(あげてかぞへ)がたきも、遂(つひ)に高畷(たかなは)の暗夜(くらきよ)に、小文吾(こぶんご)(ら)に捕(とら)へられ命(いのち)を牛(うし)の角(つの)に隕(おと)さる。

鴎尻(かもめじり)並四郎(なみしらう)
並四郎(なみしらう)は武蔵國(むさしのくに)阿佐谷(あさや)(むら)の民(たみ)にして、その性(さが)不良(ふりやう)の悪棍(わるもの)なり。はじめ、その妻(つま)舩虫(ふなむし)と倶(とも)に、尺八(しやくはち)以下(いか)の三種(みくさ)を偸(ぬす)む。後(のち)また、高屋(たかや)(なはて)にて、鎗(やり)もて猪(しゝ)を突損(つきそん)じ、牙(きば)にかゝりて息絶(いきたへ)しを、犬田(いぬた)がために救(すく)はれながら、渠(かれ)が路費(ろよう)の多(おほ)きを知(し)り、欺(あざむ)いて俺家(わがや)に舎(やど)らせ、夜(よる)(ふけ)て小文吾(こぶんご)を刺(さゝ)んとして、還(かへ)つて自己(をの)が命(いのち)を失(うしな)ふ。

12ウ13オ

千葉介(ちばのすけ)自胤(よりたね)
自胤(よりたね)は千葉(ちば)入道(にふだう)了心(れうしん)の二男(じなん)にして、兄(あに)実胤(さねたね)に代(かは)つて千葉介(ちばのすけ)に任(にん)ぜられ、武蔵国(むさしのくに)石濱(いしはま)の城(しろ)に住(ぢう)す。素(もと)より暗君(あんくん)ならねども、いまだ良将(りやうしやう)とするに足(た)らず。長臣(ちやうしん)馬加(まくはり)常武(つねたけ)に国政(こくせい)を弄(もてあそ)ばれて、これをしも退(しりぞ)け得(え)ず、後(のち)管領家(くわんれいけ)の大軍(たいぐん)に加(くは)はり里見(さとみ)と戦(たゝか)ふて擒(とりこ)にせらる。

畑上(はたかみ)語路(ごろ)五郎(ごらう)高成(たかなり)
高成(たかなり)は千葉家(ちばけ)の眼代(がんだい)なり。嘗(かつ)て賊婦(ぞくふ)舩虫(ふなむし)が〓(をつと)の怨(うら)みを復(かへ)さんため、犬田(いぬた)を「偸児(ぬすびと)なり」として訴(うつたへ)(いで)たる辞(ことば)を信(しん)じ、途(みち)に小文吾(こぶんご)を搦捕(からめとら)しむ。尓(され)ども犬田(いぬた)が智勇(ちゆう)によりて、舩虫(ふなむし)が賊情(ぞくじやう)忽地(たちまち)あらはれ、爰(こゝ)に嵐山(あらしやま)の尺八(しやくはち)を得(え)たり。時(とき)に領主(れうしゆ)自胤(よりたね)の小鳥(ことり)(がり)に出(いづ)るに遇(あ)ふて、かの名笛(めいてき)をたてまつる。然(しか)るに件(くだん)の舩虫(ふなむし)は馬加(まくはり)大記(だいき)が荷擔人(かたうど)なれば、馬加(まくはり)ひそかに舩虫(ふなむし)を走(はし)らせ、これを語路(ごろ)五郎(ごらう)が咎(とが)なりとして、遂(つひ)に高成(たかなり)は獄舎(ひとや)につながれ、いく程(ほど)もなく卒(みまがり)ぬ。

13ウ14オ

馬加(まくはり)大記(だいき)常武(つねたけ)
常武(つねたけ)は初名(しよめう)を記内(きない)といふ。當初(そのかみ)下總(しもふさ)を逐電(ちくてん)して武藏(むさし)の千葉(ちば)(うぢ)に降参(かうさん)す。嘗(かつ)て粟飯原(あひばら)胤度(たねのり)を謀(はか)つて滸我(こが)へ往(ゆか)しめ、篭山(こみやま)逸東太(いつとうだ)および舩虫(ふなむし)(ら)を荷擔(かたらひ)て途(みち)に胤度(たねのり)を討(うた)せ、又(また)かの三種(みくさ)を竊(ぬす)ましめて、更(さら)に粟飯原(あひはら)が妻子(さいし)まで残害(ざんがい)す。恁(かく)て自胤(よりたね)に重用(ちやうよう)せられて、国家(こくか)の権(けん)を弄(もてあそ)びしが、後(のち)小文吾(こぶんご)を抑留(よくりう)するのとき、胤度(たねのり)が遺胤(わすれかたみ)犬坂(いぬさか)毛野(けの)が刄(やいば)にかゝり、對牛樓(たいぎうろう)に父(ちゝ)が讐(あだ)を報(ほう)ぜらる。

粟飯原(あひばら)首胤度(たねのり)
胤度(たねのり)は自胤(よりたね)の老臣(らうしん)にして、犬坂(いぬさか)毛野(けの)が父(ちゝ)なり。素(もと)よりその性(さが)実直(じつちよく)にて、思慮(しりよ)なき者(もの)にあらねども、一回(ひとたび)常武(つねたけ)にはかられて、名笛(めいてき)(およ)び二口(ふたふり)の刀(かたな)を持参(ぢさん)し、滸我(こが)殿(どの)へ趣(おもむ)かんとして、忽地(たちまち)叛逆(ほんぎやく)の汚名(をめい)をかうむり、杉戸(すぎと)の宿(しゆく)の松原(まつばら)にて、逸東太(いつとうた)がために欺(あざむ)き撃(うた)れ、妻子(さいし)一族(いちぞく)のこりなく咸(みな)馬加(まくはり)が奸計(かんけい)に滅(めつ)せらる。

14ウ15オ

粟飯原(あひばら)妻子(さいし)(手枕(たまくら)・稲城(いなぎ)・夢之助(ゆめのすけ))
粟飯原(あひばら)胤度(たねのり)の妻(つま)を稲木(いなぎ)と喚(よ)ばれ、この腹(はら)に男女(なんによ)二個(ふたり)の子(こ)を産(う)めり。嫡子(ちやくし)はすなはち夢之助(ゆめのすけ)とて、今茲(ことし)十五歳(さい)なりけるが、美少年(びしやうねん)の听(きこ)えあり。二女(ぢよ)はその名(な)を手枕(たまくら)と喚(よ)びて、僅(わづか)に甫(はじめ)の五歳(ごさい)になりぬ。然(しか)るに首(おほど)が叛逆(ほんぎやく)の汚名(をめい)をかうむるときにいたり、常武(つねたけ)が沙汰(さた)として、母子(ぼし)三個(さんにん)とも死(し)を賜(たま)ひぬ。これ僉(みな)大記(だいき)が奸計(かんけい)にて、千葉家(ちばけ)に粟飯原(あひばら)篭山(こみやま)の両(りやう)老臣(らうしん)あるときは、己(おのれ)が権威(けんゐ)をうばゝれんかと、すなはち首(おほど)を滸我(こが)へ往(ゆか)しめ、篭山(こみやま)をまた賺(すか)しはげまし途(みち)に胤度(たねのり)を討(うた)するにおよびて、かの三種(みくさ)をば舩虫(ふなむし)夫婦(ふうふ)に竊(ひそか)にうばひ去(さら)せしかば、篭山(こみやま)は首(おほど)を撃(うて)ども、三種(みくさ)の宝(たから)を失(うしな)ひたれば、是非(ぜひ)なくそのまゝ逐電(ちくてん)す。これに仍(よつ)て常武(つねたけ)はたゞ一挙(いつきよ)にして、両(りやう)老臣(らうしん)を思(おほ)ひのまゝに失(うしな)ひたる。残毒(ざんどく)(もつとも)おそるべし。

15ウ16オ

篭山(こみやま)逸東太(いつとうだ)縁連(よりつら)
縁連(よりつら)は自胤(よりたね)一二の老黨(らうだう)なり。嘗(かつ)て常武(つねたけ)に哄誘(そゝのか)され、胤度(たねのり)を討(うつ)といへども、〓〓(くせもの)者のために三種(みくさ)を奪(うば)はれ、進退(しんたい)〓処(そこ)に究(きはま)りしかば、従者(じゆうしや)を損(すて)て逐電(ちくでん)しつ後(のち)、変名(へんみやう)して扇谷家(あふぎがやつけ)に仕(つか)ふ。夫(それ)より嚮(さき)に赤岩(あかいは)にて毒婦(どくふ)舩虫(ふなむし)を捕(とらへ)ながら、又(また)舩虫(ふなむし)に欺(あざ)むかれ、路費(ろよう)をうばゝれ取迯(とりにが)すの段(だん)あり。かくて定正(さだまさ)に登用(とよう)せられ、鎌倉(かまくら)に使(つかひ)するとき、犬坂(いぬさか)毛野(けの)がうらみの刄(やいば)に高畷(たかなはて)にて命(いのち)を隕(おと)す。

品七(しなしち)
品七(しなしち)は常武(つねたけ)が下奴(しもべ)にして、その性(さが)愚直(ぐちよく)の老僕(らうぼく)なり。嘗(かつ)て小文吾(こぶんご)が馬加(まくはり)(がり)抑留(よくりう)せられて、幹(はなれ)浄房(ざしき)に閉篭(とぢこも)れるとき、庭(には)掃除(そうじ)にとて折々(をり/\)(き)つ、訪(と)ひ慰(なぐさ)めなどするほどに、早晩(いつ)しか犬田(いぬた)と親(した)しくなりしが、或(ある)とき件(くだん)の品七(しなしち)が漫(そゞろ)に、馬加(まくはり)常武(つねたけ)が粟飯原(あひばら)一家(いつけ)を滅亡(めつぼう)させたるかの秘事(ひめごと)を犬田(いぬた)に語(かた)るを、常武(つねたけ)はやく洩聞(もれきゝ)て、遂(つひ)に品七(しなしち)を毒殺(どくさつ)す。

16ウ17オ

調布(たつくり)
調布(たつくり)は粟飯原(あひばら)(うぢ)の妾(おんなめ)なり。既(すで)に〓姙(くわいにん)して三歳(みとせ)におよべど、いまだ産(さん)の紐(ひも)を觧(とか)ず。恁(かく)て、胤度(たねのり)が妻子(さいし)(ら)を僉(みな)のこりなく喪(うしな)はれしとき、常武(つねたけ)はなほ調布(たつくり)をも倶(とも)に殺(ころ)さんとしたりしを、醫師(くすし)(ら)これを憐(あはれ)みて、「血塊(けつくわい)なり」といふにより、辛(から)く命(いのち)を助(たす)かりて、相州(さうしう)犬坂(いぬさか)の里(さと)に赴(おもむ)き、軈(やが)て一子(いつし)を分娩(うみおと)しぬ。是(これ)すなはち犬坂(いぬさか)毛野(けの)なり。されども千葉(ちば)の聞(きこ)へを憚(はゞか)り「女(め)の子(こ)なり」と披露(ひろう)しつ。夫(それ)より鎌倉(かまくら)へ移(うつ)り住(す)みて、調布(たつくり)は鼓(つゝみ)を拍(う)ち、毛野(けの)をば女田楽(をんなでんがく)にして世渡(よわた)る便着(たつき)にしたりとなん。

犬坂(いぬさか)毛野(けの)胤智(たねとも)
毛野(けの)は胤度(たねのり)の遺腹児(をの〔と〕しだね)にして、智(ち)の字(じ)の玉(たま)を感得(かんどく)せり。よりて胤智(たねとも)と名告(なの)る。これ又(また)八犬士(はちけんし)の一個(いちにん)なり。一回(ひとたび)女田楽(をんなでんがく)の隊(むれ)に入(い)りてより、仮(かり)にその名(な)を旦開野(あさけの)といふ。恁(かく)てその歳(とし)十三の秋(あき)、其身(そのみ)に讐(かたき)あるよしを細々(こま%\)と遺言(ゆいげん)して、母(はゝ)調布(たつくり)は卒(みまか)りぬ。夫(それ)より毛野(けの)は心(こゝろ)をはげまし、遂(つひ)に怨敵(おんてき)常武(つねたけ)をはじめ、馬加(まくはり)一家(いつけ)の奴原(やつばら)を對牛樓(たいぎうろう)にて僉殺(みなごろ)しになし、犬田(いぬた)小文吾(こぶんご)を救(すく)ふなど、尚(なほ)そのほかに説事(とくこと)(おほ)かり。〓(そ)は再出(さいしゆつ)に委(くはし)くせん。

17ウ18オ

坂田(さかた)金平太(きんへいだ)・渡邊(わたなべ)綱平(つなへい)・卜部(うらべの)季六(すゑろく)・臼井(うすゐの)貞九郎(さだくらう)
馬加(まくはり)大記(だいき)常武(つねたけ)が股肱(ここう)とたのむ若黨(わかたう)を四天王(してんわう)と号(ごう)しつゝ、その名(な)を綱平(つなへい)、金平太(きんへいだ)、季六(すゑろく)、貞九郎(さだくらう)と喚(よ)びつゝも、源(げん)頼光(らいくわう)の四天王(してんわう)にその性名(せいめい)は似かよへども、聊(いさゝか)勇力(ゆうりき)あるのみにて、素(もと)より烏滸(をこ)の白者(しれもの)なり。〓(そ)が中(なか)に季六(すゑろく)は、殊(こと)に大記(だいき)が愛臣(あいしん)なりけん。一夜(あるよ)(かれ)をは刺客(しかく)となして小文吾(こぶんご)を討(うた)しめんとせしに、毛野(けの)が釵兒(かんざし)の銑〓(しゆりけん)にうたれて、忽地(たちまち)息絶(いきたへ)ぬ。その他(ほか)綱平(つなへい)(ら)の三口(さんにん)も對牛樓(たいきうろう)の讐討(あだうち)の夜(よ)、またかの毛野(けの)をさゝへあへず、共(とも)に命(いのち)を隕(おと)せしとなん。

18ウ19オ

馬加(まくはり)鞍弥吾(くらやご)常尚(つねひさ)
鞍弥吾(くらやご)は常武(つねたけ)が長男(ちやうなん)なり。嘗(かつ)て常武(つねたけ)権威(けんゐ)に募(つの)り、領主(れうしゆ)自胤(よりたね)をおし仆(たふ)して、鞍弥吾(くらやご)をもて千葉介(ちばのすけ)たらしめんとす。時(とき)に犬田(いぬた)小文吾(こぶんご)あり。常武(つねたけ)これを軍師(ぐんし)にせんとて、竊(ひそか)に密議(みつぎ)を談(だん)ず。小文吾(こぶんご)これをかたく辞(いな)む。よつて季六(すゑろく)をして犬田(いぬた)を討(うた)せんとするに、其事(そのこと)(つひ)に行(おこな)はれずして、鞍弥吾(くらやご)も毛野(けの)が為(ため)に父(ちゝ)と倶(とも)に命(いのち)を隕(おと)す。

戸牧(とまき)并 鈴子(すゞこ)
戸牧(とまき)は大記(だいき)が妻(つま)にして、鈴子(すゞこ)は末(すゑ)の女児(むすめ)なり。尓(され)ば大記(だいき)が驕奢(きやうしや)によりて、身(み)には綾羅(れうら)錦繍(きんしう)をまとひ、口(くち)には山海(さんかい)の珎味(ちんみ)に飽(あき)しが、毛野(けの)が讐討(あだうち)の夜(よ)にいたりて、若黨(わかたう)綱平(つなへい)が間違(まちが)への刄(やいば)にかゝりて、戸牧(とまき)は撃(うた)れ、鈴子(すゞこ)は母(はゝ)の死骸(しがい)に撲折(うちくだ)かれて、息絶(いきたへ)ぬ。これ偏(ひとへ)に粟飯原(あひばら)が妻子(さいし)を害(がい)せし報(むく)ひならんか。

19ウ20オ

犬江(いぬえ)(や)依介(よりすけ)
依介(よりすけ)は、はじめ犬江屋(いぬえや)の小厮(こもの)なり。後(のち)(ひき)あげて家扶(かぶ)を譲(ゆづ)られ、犬江屋(いぬえや)の遺跡(ゐせき)となる。その性(さが)老実(まめやか)なる壮佼(わかもの)なり。嚮(さき)に妙真(めうしん)を安房(あは)へ送(おく)るの日(ひ)、かの舵九郎(かぢくらう)(ら)に出合(であひ)て、額(ひたい)に疵(きず)をうくるまで、主(しゆう)のために忠誠(まめやか)あり。恁(かく)て小文吾(こぶんご)が毛野(けの)を追(お)ふて墨田川(すみだかは)を泅下(およぎくだ)るを、料(はか)らず舩(ふね)に助(たす)け乗(の)らしめ、市川(いちかは)に伴(ともな)ひ皈(かへ)りて、父(ちゝ)文五(ぶんご)兵衛(べゑ)が遺言(ゆいげん)に傳(つた)ふ。

水澪(みを)
水澪(みを)は下総(しもふさの)(くに)舩橋(ふなばし)の里人(さとびと)何某(なにがし)の女児(むすめ)にして、妙真(めうしん)が姪(めい)なり。嘗(かつ)て妙真が安房(あは)に留(とゞ)められ犬江屋(いぬえや)の遺跡(ゐせき)あらされば、依助(よりすけ)をもて主人(あるじ)とするとき「親(ちか)き血(ち)すぢのものなれば」とて、軈(やが)て依介(よりすけ)が妻(つま)とせられ、舩(ふな)家扶(かぶ)家庫(いへくら)のこりなく夫婦(ふうふ)に譲(ゆづ)りあたへらる。

20ウ21オ

鵙平(もずへい)
鵙平(もずへい)は、下野(しもつけ)の州(くに)網苧(あしを)といへる片(かた)山里(やまさと)なる茶店(さでん)の主翁(あるじ)なり。這(この)網苧(あしを)より庚申(かうしん)(やま)まで、路(みち)の程(ほど)五六(ごろく)(り)あり。然(しか)るに「件(くだん)の庚申山に數百載(すひやくさい)を歴(ふ)る野猫(のねこ)すみて往来(ゆきゝ)の人を秉啖(とりくら)ふ」といふ。仍(よつ)て梺(ふもと)を過(よぎ)る旅客(たびゝと)は、この茶店(さでん)より弓箭(ゆみや)を買(か)ふて身(み)の衞(まもり)りにあ〔せ〕り。又(また)は郷導(みちしるべ)をたのむもありとぞ。時(とき)に犬飼(いぬかひ)現八(げんはち)がこれなる茶(さ)(でん)に憩(いこ)ひつゝ、量(はか)らず犬村(いぬむら)角太郎(かくたらう)が薄命(はくめい)を听(き)く。

赤岩(あかいは)一角(いつかく)武遠(たけとほ)
一角(いつかく)は赤岩(あかいは)の郷士(がうし)にして、武術(ぶじゆつ)に達(たつ)す。是(これ)すなはち角太郎(かくたらう)が実父(じつふ)なり。或(ある)とき一二(いちに)の門弟(もんてい)(ら)を倶(ぐ)して、人(ひと)の怖(おそ)るゝ庚申山(かうしんやま)に登(のぼ)りて世(よ)に名(な)を顕(あら)はさんと、人(ひと)の諫(いさめ)を説(とき)やぶりて、かの奥(おく)の院(いん)に分登(わけのぼ)り、遂(つひ)に妖獣(ようじう)に啖(くら)ひ殺(ころ)さる。後(のち)、現(げん)八がその山(やま)に迷(まよ)ひ入りたるときに臨(のぞ)みて、幽魂(ゆうこん)(かり)に形(かたち)をあらはし、髑髏(どくろ)と短刀(たんたう)を現八(げんはち)に委(ゆだね)て角太郎(かくたらう)をして怨(おん)(てき)を退治(たいぢ)せしむ。

21ウ22オ

雛衣(ひなぎぬ)
雛衣(ひなぎぬ)は犬村(いぬむら)蟹守(かもり)が女児(むすめ)にて、角太郎(かくたらう)の妻(つま)なり。一日(あるひ)(あやま)つて〓(をつと)の秘藏(ひさう)の名玉(めいぎよく)を呑(の)む。夫(それ)より次第(しだい)に身(み)(おも)くなりて、そのさま懐〓(くわいにん)したるがごとし。嘗(かつ)て姑(しうとめ)舩虫(ふなむし)が為(ため)に、密夫(みそかを)ありと誣(しい)られて、忽地(たちまち)夫婦(ふうふ)の和合(なか)を裂(さ)かる。雛衣(ひなぎぬ)これを悲(かなし)みて、返璧(たまがへし)の里(さと)におもむき、離別(りべつ)の夫(をつと)の柴門(かど)を敲(たゝ)きて寃屈(むじつ)を屡(しば/\)(うつた)ふれども納(いれ)られず、遂(つひ)に刄(やいば)に伏(ふす)に及(およ)びて、その痍口(きずぐち)より霊玉(れいぎよく)とびいで、假(にせ)一角(いつかく)をうち仆(たを)し、〓(をつと)をして〓(そ)が怨(うら)みを報(むく)はしむ。

犬村(いぬむら)大學(だいかく)禮儀(まさのり)
大角(だいかく)は初名(しよめう)を角太郎(かくたらう)と喚(よば)れて、赤岩(あかいは)一角(いつかく)が子(こ)なり。礼(れい)の字(じ)の玉(たま)を感得(かんどく)す。仍(よつ)て實名(じつみやう)を礼儀(まさのり)となのり、これ又(また)八犬士(はつけんし)の一個(ひとり)たり。嘗(かつ)て礼儀(まさのり)(し)(ご)(さい)なる、父(ちゝ)一角(いつかく)は庚申山(かうしんざん)にて野猫(やまねこ)のために害(がい)せられ、その猫(ねこ)(ちゝ)の貌(かたち)に化(ばけ)て、赤岩(あかいは)の宿所(しゆくしよ)に皈(かへ)る。礼儀(まさのり)(じつ)の父(ちゝ)とおもひ、孝(かう)を尽(つく)せど愛(あい)せられず。時(とき)に犬村(いぬむら)蟹守(かもり)といふ者(もの)、礼儀(まさのり)を養子(やうし)とし、女児(むすめ)雛衣(ひなぎぬ)をもてこれに妻(めあは)す故(ゆへ)に、犬村(いぬむら)を姓(うぢ)とせり。恁(かく)て蟹守(かもり)が卒(みまが)りしのち、赤岩(あかいは)に喚(よび)(かへ)され、又その家(いへ)を勘當(かんだう)せられて、遂(つひ)に返璧(たまがへし)といへる里(さと)に閑居(かんきよ)す。折(をり)から犬飼(いぬかひ)現八(げんはち)に訪(とは)れ、亡父(ぼうふ)の遺骨(ゆいこつ)を見(み)るに至(いた)りて忽地(たちまち)(くだん)の化猫(ばけねこ)を退治(たいぢ)す。這下(このとき)の譚(ものがた)りは再出(さいしゆつ)に委(くはし)くすべし。

22ウ23オ

犬村(いぬむら)蟹守(かもり)儀清(のりきよ)
儀清(のりきよ)は下野(しもつけ)の州(くに)犬邨(いぬむら)の郷士(がうし)にして、角太郎(かくたらう)がためには、外伯父(はゝかたのをぢ)なり。嘗(かつ)て稚(をさな)き一個(ひとり)の〓(をひ)の、父(ちゝ)に愛(あい)をうしなひしを憐(あは)れみ、礼儀(まさのり)が六歳(ろくさい)のとき、假(にせ)一角(いつかく)より乞(こひ)うけて赤岩(あかいは)より迎(むか)へとり、女児(むすめ)雛衣(ひなぎぬ)と養子(やうし)(あは)せにす。素(もと)より蟹守(かもり)は弱冠(じやくくわん)のころ京(みやこ)に上(のぼ)り、師(し)を擇(ゑら)みて文武(ぶんぶ)の奥義(おうぎ)を極(きは)めし者(もの)なり。然(され)ども人の師(し)となるを好(この)まず。只(たゞ)角太郎(かくたらう)にのみ力(ちから)を入(い)れて、飽(あく)まで教導(をしへみちびき)しが、遂(つい)に六十(むそぢ)あまりにて卒(みまが)りぬ。

正香(まさか)
正香(まさか)は犬村(いぬむら)蟹守(かもり)が妹(いもと)にて、赤岩(あかいは)一角(いつかく)に嫁(か)し角太郎(かくたらう)を産(う)めり。その心(こゝろ)ざま賢(けん)にして、よく内(うち)を脩(をさ)め、又(また)よく奴婢(ぬひ)を愍(あは)れて、生平(つね)に神佛(しんぶつ)を深信(しん%\)す。當初(そのかみ)一子(いつし)角太郎(かくたらう)が生(うま)れしころ、痘瘡(もがさ)の守(まも)りにせばやとて、加賀(かが)なる白山(しらやま)権現(ごんげん)の社頭(しやとう)の粒石(こいし)を乞(こひ)うけしに、その粒石(こいし)は石(いし)ならで、すなはち禮(れい)の一字(いちじ)ある霊玉(れいぎよく)を感得(かんどく)せり。然(しか)るに命数(めいすう)(なが)からず、角太郎(かくたらう)が四ッ五ッの頃(ころ)、遂(つひ)に空(むな)しく世(よ)を去(さ)りしとなん。

23ウ24オ

窗井(まどゐ)
窓井(まどゐ)は赤岩(あかいは)一角(いつかく)が後妻(のちぞへ)にて、又(まち)(これ)美人(びじん)の听(きこ)えあり。然(しか)れども心操(こゝろばへ)は先妻(せんさい)正香(まさか)に劣(おと)れるをもて、人(ひと)の怕(おそ)るゝ庚申山(かうしんやま)に登(のぼ)らんといふ良人(をつと)を諫(いさ)めず。後(のち)、野猫(やまねこ)が一角(いつかく)の貌(かたち)に化(ばけ)つゝ皈(かへ)りしを、〓(をつと)とおもひ、身(み)をまかして軈(やが)て牙二郎(がじらう)といふ一子(いつし)を産(う)めり。遮莫(さばれ)非類(ひるい)の妖獣(えうじう)に夜毎(よごと)に膚(はだへ)を穢(けが)されし精液(せいゑき)漸々(しだい)に衰(おとろ)へつゝ、三十(みそぢ)も超(こ)さで卒(みまが)りしとぞ。

(にせ)一角(いつかく)
(にせ)一角(いつかく)は歳夥(としあまた)(ふ)る野猫(やまねこ)の化(ばけ)たるなり。嚮(さき)に一角(いつかく)を噛殺(かみころ)し、死骸(しがい)を飽(あく)まで啖(くら)ひしが、尚(なほ)、その妻(つま)をも犯(おか)さんとて、假(かり)に一角(いつかく)が貌(かたち)に変(へん)じ、一子(いつし)をさへ産(うま)せたり。恁(かく)て窓井(まどゐ)が卒(みまが)りしのち、妾(をんなめ)(あまた)買易(おきかへ)て、只(たゞ)淫樂(いんらく)を旨(むね)とせり。後(のち)また舩虫(ふなむし)を妻(つま)とせしより、その悪行(あくぎやう)いよ/\募(つの)りて、角太郎夫婦を苦ましましめに、遂(つひ)に霊玉(れいきよく)の竒得(きどく)によりて、禮儀(まさのり)が刄(やいば)に怨(うら)みを復(かへ)さる。

24ウ25オ

泡雪(あはゆき)奈四郎(なしらう)秋實(あきさね)
奈四郎(なしらう)は甲斐(かひ)の國主(こくし)武田(たけだ)(し)の臣(しん)也。ある時(とき)鹿(しか)と思(おも)ひたがへて犬塚(いぬづか)を鳥銃(てつぽう)にて放(う)つ。その銃丸(たま)信乃(しの)に中(あた)らねども、故意(わざ)と仆(たを)れて敵(てき)を待(ま)つ。奈四郎(なしらう)これを倖(さいはひ)とおもひ、路銀(ろぎん)と太刀(たち)を奪(うば)はんとして、甚(いた)く信乃(しの)に打懲(うちこら)さる時(とき)に、四六城(よろぎ)木工作(もくさく)あり。信乃(しの)に賠〓(わび)して、奈四郎(なしらう)を救(すく)ふ。奈四郎(なしらう)もとより木工作(もくさく)が妻(つま)夏引(なびき)と密通(みつつう)す。仍(よつ)て夏引(なびき)と謀(しめ)し合(あは)せ、木工作(もくさく)を害(がい)して、これを信乃(しの)が所為(わざ)なりと計(はか)れど、その縡(こと)つひに成就(じやうじゆ)せず。甲斐(かひ)を逐電(ちくでん)する途(みち)にて、悪僕(あくぼく)姨内(おばない)に痍(きず)つけられ、路用(ろよう)をうばひとらるゝのみか、又(また)犬塚(いぬつか)に出會(であふ)て忽地(たちまち)〓里(そこ)に首(かうべ)を失(うし)なふ。

四六(よろ)(ぎ)木工作(もくさく)
木工作(もくさく)は甲斐国(かひのくに)猿石(さるいし)の村長(むらをさ)にて、父(ちゝ)は井丹三(ゐのたんざふ)直秀(なをひで)に仕(つか)へたる若黨(わかたう)蓼科(たでしな)太郎市(たろいち)これなり。嘗(かつ)て奈四郎(なしらう)がことにより、信乃(しの)を俺家(わがや)に畄(とゞ)めてより、其(その)骨相(こつがら)と武藝(ぶげい)に感(かん)じ、女児(むすめ)濱路(はまぢ)の壻(むこ)にせんとす。然(され)ども信乃(しの)は受(うけ)ひかず。これに仍(より)て木工作(もくさく)は奈四郎(なしらう)を誘頼(こしらへたの)みて、信乃(しの)を国主(こくしゆ)の御家(みうち)(びと)に做(な)さんとしつゝ縡(こと)ならず。遂(つひ)に奈四郎(なしらう)がために、鳥銃(てつほう)にてうち殺(ころ)さる。

25ウ後ろ表紙見返

(のち)の濱路(はまぢ)
(のち)の濱路(はまぢ)は里見(さとみ)義成(よしなり)の第五(だいご)の女子(によし)なり。仍(よつ)て五(ご)の君(きみ)といふ。嘗(かつ)て、その歳(とし)二三才(さい)のころ、大鷲(おほわし)に攫(さらは)れて、甲斐(かひ)の黒驪山(くろこまやま)の辺(ほとり)に損(すて)られしを、木工作(もくさく)に拾(ひろ)はれて、軈(ゆが)てその家(いへ)に成長(ひとゝなる)。恁(かく)て信乃(しの)が逗留(とうりう)の夜(よ)、前(まへ)の濱路(はまぢ)が魂魄(こんはく)にさそはれ、信乃(しの)に物言(ものい)ひかはすの竒事(きじ)あり。それより照文(てるぶみ)(ら)に送(おく)られて、本国(ほんごく)安房(あは)に還(かへ)るにおよびて、又(また)素藤(もとふぢ)に懸想せられ、弟(をとゝ)義通(よしみち)の危難(きなん)ありしが、其厄(そのやく)つひにとけてのち、犬塚(いぬづか)信乃(しの)に妻(めあは)さる。

    日本橋通壹丁目    須原屋茂兵衛
    同   貮丁目    山城屋佐兵衛
    同     所    小林新兵衛
東都  柴神明前       岡田屋嘉七
    同     所    和泉屋市兵衛
    本石町十軒店     英 大 助
    芳町親仁橋角     山本平吉
書林  大傳馬町二丁目    丁子屋平兵衛
    横山町壹丁目     出雲寺万次郎
    浅草茅町二丁目    須原屋伊八
    横山町三丁目     和泉屋金右衛門
    馬喰町貳丁目     山口屋藤兵衛板」

   〈後印本後ろ表紙〉
後ろ表紙


#「人文研究」第30号(千葉大学文学部、2001年3月)掲載
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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