『八犬傳銘々誌畧』第二集 −解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】

『南総里見八犬伝』の抄録本は現代に至るまで決して少なくない。かつて、嘉永5〈1852〉年の歌舞伎上演を契機とした作品の一つとして『八犬傳銘々誌畧』〔第一集〕を紹介したが(愛知県立大学『説林』第44号)、今回はその続編を紹介しておきたい。

この『銘々誌略』の特筆すべき特徴は、編年式や巻順に記述されたものではなく、見開きに2名ほどの登場人物を描き、そこに彼等が関った事件を略述するという〈銘々伝〉として編まれた点にある。中本1冊で全丁絵入りという様式は、幕末に流行する軍談物や一代記物と同様であり、表紙に短冊文字題簽を貼った袋入本。口絵や挿絵には板彩色を施した頗る美麗な本である。

第一集では「冨山の洞」から「芳流閣」を経て「古那屋」の段までに登場する人物を掲出していたが、第二集では「古那屋」の段以降の「荒芽山」から「庚申塚」を経て「指月院」の段に至る場面に登場する人物を扱っている。犬江新兵衛と犬坂毛野と犬村大角とが登場して、やっと八犬士が出揃ったことになる。ただし、犬士達の活躍は描ききれず「再出」とさらに続編を出すことが予告されているが、三集の刊否は未詳である。

この第二集の出板は、内容的に完全な対応をするわけではないが、『里見八犬伝』(7編〜9編)が前年に引き続き江戸市村座で上演されたことと無関係ではあるまい。この時期には、大錦絵50枚続き「八犬伝犬の草紙」が紅英堂(蔦屋吉蔵)から出されており、嘉永5年以降の八犬伝ブームが続いていたからである。

斯様な〈銘々伝〉と云う方法で描かれた抄出本が、如何なる読み方をされたのかは興味深い点である。少なくても、この抄出本で原話の粗筋を知るには無理があると思われるからである。また、登場人物(キャラクタ)に視点を置いた記述は一種の索引としての機能を持ったはずで、やはり一通りの筋を知っている読者に向けられたものと考えたい。尤も、この本を契機として、筋立て本位の草双紙『仮名読み八犬伝』や『八犬伝』原本などを手にとった読者も少なくないとは思われる。

ところで、安政3〈1856〉年刊の合巻『當世八犬傳(鈍亭魯文填詞、芳宗画、糸屋庄兵衛板)は2冊10丁で、恐らく抄出本としては最短編だと思われる。表紙は2枚続きで芳流閣を描き、中は「洲の崎明神の場」「滝田城内の場」「冨山麓の場」「同入口の場」「同岩室の場」「同伏姫自害の場」「大塚村の場」「圓塚山の場」「芳流閣の場」「古那屋の場」「馬加館の場」「千住堤の場」「行徳沖の場」を描く。上冊末「(冨山)入口の場」で金碗大助の撃った鉄砲が、下冊初丁「(冨山)岩室の場」で八房に当たるという凝った仕掛けを持っているものの、発端から対牛楼までの名場面集とでもいうべき草双紙である。この本なども粗筋はわかるものの、名場面を描く錦絵のような観賞がなされたものと思われ、既知の読者へ向けられたものであると同時に、長編への導入という機能も持っていたのであろう。

斯様な抄出本の少なからぬ存在は、『八犬伝』が原本以外のメディアを通じて広く流布していたことを示す好例であり、現代に至るまでの享受史を想起する時に、実体としての『八犬伝』とは一体何なのかという問題を問い掛けてくるのである。

底本には山本和明氏所蔵の初板本を、ただし改装されている表紙と落丁部分(六ウ七オ、廾四オウ)は、服部仁氏所蔵の後印本を使用させていただいた。また、校合本として更に後印だと思われる大阪府立中之島図書館蔵本を用いた。

【書誌】

編成 中本 1巻1冊  17.8糎×12.8糎
表紙 浅縹無地に花丸の型押しを散らす(服部本)
題簽 左肩(13×3糎)子持枠中に「八犬傳銘々誌畧 全」(服部本)
見返「八犬傳銘々誌畧第二集」、左に「春水著」「芳乕画」、右下に「錦耕堂梓」
叙末「嘉永五壬子立夏前一日稿成\同六癸丑初春彫成發市 爲永春水誌」
改印「村田」「衣笠」「子十二」
内題 なし
柱刻「八犬銘誌畧 丁付」
尾題 なし
匡郭 単辺無界(15.4×10.3糎)
刊記「東都書林 日本橋通壹丁目 須原屋茂兵衛・同貳丁目 山城屋佐兵衛・同所 小林新兵衛・芝神明前 岡田屋嘉七・同所 和泉屋市兵衛・本石町十軒店 英大助・芳町親仁橋角 山本平吉・大傳馬町二丁目 丁子屋平兵衛・横山町壹丁目 出雲寺万次郎・浅草茅町二丁目 須原屋伊八・横山町三丁目 和泉屋金右衛門・馬喰町貳丁目 山口屋藤兵衛板」
備考 見返は薄墨で背景を潰して薄紅色と黄色の色摺りが施され、序文背景には花模様などが摺り込まれ、口絵や挿絵には薄墨のみならず空色や肌色、薄紅色で板彩色が施されている。後印本には見返を除いて色摺りは見られない。なお最後に後印本の刊記も写真を掲載しておいた。

【凡例】
一 基本的に原本の表記を尊重したが、以下の点に手を加えた。
一 異体俗体字については「JIS情報交換用漢字符号系」第1第2水準に定義されているものは生かし、それ以外は近似の字体を採用した。
一 片仮名は、特に片仮名の意識で書かれたと思われるもの以外は平仮名に直した。
一 本文には句読点が用いられていないが、通読の便宜のために適宜これを補った。
一 会話文には鍵括弧を補った。
一 明らかな誤脱と思われる部分は〔 〕に入れて補った。
一 表紙、見返、口絵、挿絵はすべて写真を掲載した。

〔付言〕底本の使用を許された山本和明氏、服部仁氏に深く感謝申し上げます。

    〈後印本表紙〉
表紙

     〈序〉           〈見返〉
序・見返

【序】

江府こうふ書肆しよしにて鐫出ゑりいだせるしよ年々ねん/\歳々さい/\いくばくならん。一板いつはん〓處そこ磨滅まめつすれば。一板いつばん此處こゝあらたなり。これがためいちくらにぎは妻子やからやすやしなふもの。またいくばくといふをらず。これみなふみとくなるをや。また兒戲じげ策子さうしあみて。ふでたがやこゝろれば。ために衣食いしよくうるほすまでに。戯名ぎめいおのづかしられやしけん。今茲ことし書賈しよかもとめおうじて。銘々めい/\誌畧しりやく二冊ふたとぢあめり。一帙いつちつさきにはや。こくなりいま二帙にちつおよべり。されどもこのしよ新竒しんきをつくして。たくめるにしもあらざれば。じよすべきことばをいまだず。そのなきことばをなきまゝしるしてもつて半員はんいんふさぐ。

嘉永五壬子立夏前一日稿成
同六癸丑初春彫成發市

爲永春水誌[印]」

〈口絵〉

口絵

芳流閣はうりうかくしやう信乃しの見八げんはち雌雄しゆうあらそふ」

足跡あしあとうめかんばししゆきいぬ はる文」

【本文】

2ウ3オ

犬江いぬえ新兵衛しんべゑまさし

まさし下総しもふさ市河いちかは船長ふなをさ山林やまばやしふさ八が一子いつしにして、小文吾こぶんごいもと沼藺ぬいはらうまる。稚名をさなゝ真平しんへいといふ。れどもうまれて四歳しさいになるまでひだりこぶしをひらかねば、片輪車かたわぐるまといふところより人渾名あだなして大八だいはちぶ。かくてそのちゝ義死ぎしをりから、ヽ大ちゆたい法師ほふし道徳だうとくによりてひだりのこぶしをひらきしに、うちに一ッのたまありて、これにはじん一字いちじあり。よつ実名じつみやうまさしといふ。これまた八犬士はつけんし一個ひとり也。こゝ舵九郎かぢくらうといへる光棍わるもの祖母そぼ妙真めうしん戀慕れんぼして、こゝろにしたがはざるをいかり、とらへて親兵衛しんべゑ打殺うちころさんとするとき、伏姫ふせひめ神霊しんれいあらはれすくふて、冨山とやまおくにいたる。のち義実よしざね危難きなんのをりから、いで君候くんこうのたすけとなるなど、なを再出さいしゆつくはしくせん。

暴風あらしま舵九郎かぢくらう

舵九郎かぢくらう市河いちかは舩人ふなびとにして、放蕩はうとう不頼ぶらい〓〓くせものなり。かつふさ八がすてて、信乃しのいのちかはりしことを、いかにしてかかぎつけつらん。やがてそのはゝ妙真めうしんをおどして「もしわがこゝろにしたがはずばかの密事ひめごとうつたへん」といふ。されども妙真めうしんうけつけず、ひそかに蜑崎あまざき十一郎とはかつて、安房あはおもむかんとするみちへ、かの舵九郎かぢくらう同悪どうあくもの甲乙たれかれ荷擔かたらひてもて蜑崎あまさきをさへぎりとゞめ、その妙真めうしんいだきたる親兵衛しんべゑうばりてふたゝ妙真めうしんせまれども、せつまもりてしたがはねば、いかつて親兵衛しんべゑころさんとするとき、伏姫ふせひめ神助しんぢよにより親兵衛しんべゑいのちをすくはれ、舵九郎かぢくらう引裂ひきさかすてらる。

3ウ4オ

妙真めうしん

妙真めうしんふさ八がはゝなり。原名もとのな戸山とやまといふ。もつとも男魂をとこだましゐあり。當初そのかみをつと遺言ゆひげんをまもり、ふさ八にこゝろをそへて古那屋こなやのためにいのちおとさせ、ふるあやま〔ち〕あながはしむ。かくかぢ九郎がなんのがれ、それより安房あはにおもむきて里見さとみ殿どの扶助ふぢよせられしが、のちつひ親兵衛しんべゑ再會さいくわいしてゆたかにおひをむかへしとなん。

4ウ5オ

丁田よぼろた町之進まちのしん

町之進まちのしん大石家おほいしけいち老臣ろうしんなり。とき簸上ひがみ宮六きうろく額藏がくざううたるゝにより、鎌倉かまくらより大塚おほつかきたり。その黒白こくびやく〓糾たゞさんとす。こゝきう六がおとゝ簸上ひがみ社平しやへい、又かの軍木ぬるて五倍二ごばいじ賄賂わいろうけつひ額藏がくざうつみせんとせしとき、犬塚いぬづかさん犬士けんしありてあん額藏がくざううばるにぞ、町之進まちのしんおどろきいかりてみづからこれ追留おひとめんとして、戸田川とだがは水中すいちうにて力二郎りきじらうがためにがいせらる。

神宮かにはの〓平やすへい

〓平やすへいは、道節だうせつちゝ犬山いぬやま道策だうさく若黨わかたうにして、舊名もとのな姨雪おばゆき与四郎よしらうといふ。當初そのかみ壮気わかげあやまちにて、侍女こしもと音音おとね密通みつつうなし、すでいのちにおよぶべきを、ゆゑなくいとまを給はりて、それより神宮かにはすなどりせしが、一回ひとたび犬塚いぬづか危急ききうたすけ、その力二りきじ尺八しやくはち討死うちじにしたるかうべたづさへ、荒芽山あらめやまにおもむきて、道節だうせつ面會めんくわいなし、こゝに勘気かんきゆるされ、てきふせぐの大功たいこうあり。のちつひ里見さとみにつかへ、をあげおひまつたうす。

5ウ6オ

卒川いざがは菴八いほはち

菴八いほはち大塚おほつか陣番ぢんばんなり。奸曲かんきよくなること宮六きうろく五倍二ごばいじにおとらず、年頃としごろけんもてあそびてたみ膏腴あぶらしぼることはなはだし。かつ額藏がくざう忠義ちうぎしいて、かへつてこれを逆賊ぎやくぞくなりとし、すでおきてにはにのぞみ、その檢監使けんかんしをかうむりつゝ、額藏がくざうつみせんとす。されども天理てんりたがふをもて、たちまち小文吾こぶんごやりさきにす。

簸上ひがみ社平しやへい

社平しやへい宮六きうろくおとゝなり。あにうらみをむくはんために、五倍二ごばいじ菴八いほはち相謀あいはかつていつはつて鎌倉かまくら告訴かうそし、かつ町之進まちのしん賄賂わいろして、つひ義僕ぎぼく額藏がくざうゆ。町之進まちのしんもまた夛慾たよく小人しやうじんかれがことばを信用しんようして刑戮けいりくにはにおいてあにあだかへさしむ。社平しやへいはこれをおんとして額藏がくざうやりつけんとするとき、あんげん八がたをさる。

6ウ7オ

十條じふでう力二郎りきじらう十條じふでう尺八郎しやくはちらう

力二りきじ尺八しやくはちは、とも与四郎よしらう隱子かくしごにて、音音おとねはらうまれたる二子ふたご兄弟きやうだいなり。當初そのかみ池袋いけぶくろたゝかやぶれしとき、犬山いぬやま道松みちまつにしたがひててきかこみを〓抜きりぬけつゝ、それより神宮かにはにおもむきてちゝともをしのび、ひそか道松みちまつ復讐ふくしうたすけんために、豪傑がうけつ躬方みかたにせんとす。たま/\犬塚いぬづかさん犬士けんし額藏がくざう危窮ききうすくひ、わしつて戸田川とだがはにいたる。町之進まちのしん隊勢てせいして、きふにこれをはんとするとき、与四郎よしらう〓平やすへいふねいだして犬士けんしわたし、力二郎りきじらう尺八しやくはちはかつて町之進まちのしん水中すいちうころし、追隊おつてせい血戦けつせんして兄弟きやうだいひとしくうちじにす。そのれい荒芽山あらめやまにおもむきて離別りべつ父母ふぼ相合ひとつすなど、孝義かうぎ一對いつゝい兄弟きやうだいといふべし。

7ウ8オ

曳手ひくて單節ひとよ

曳手ひくて力二りきじつま単節ひとよ尺八しやくはちつまにして、とも煉馬家ねりまけ歩軽卒あしがるびと禿木かぶろき市郎いちらう女児むすめなり。されども妹〓いもせもわづかに一宵ひとよその婚姻こんいんつぎに、池袋いけぶくろのたゝかひやぶ煉馬ねりま一族いちぞく滅亡めつばうして侠々をつと/\生死せうしらねど、姉妹はらからともにみさほかへず、しうとめ音音おとねにしたがひて荒芽山あらめやまふもとにとゞまり、うまおもきを背負せおふて、しうとめ孝養かうやうす。ときをつと霊魂なきたまかり姿すがたをあらはせしにふて、みちよりいへともなかへり、夫婦ふうふ再會さいくわい竒談きだんあり。かく犬山いぬやま五犬士ごけんし討隊うつてをひきうけたゝかふとき、二女ふたりうませられて小文吾こぶんごたくせらる。そのとき野武士のぶしこれをつけて、かの姉妹はらからうばはんために鳥銃てつほうをもてうまをうつ。その馬薨うまたふれてまた蘇生いきかへりわしつて冨山とやまおくにいたり、伏姫ふせひめかみ冥助みやうぢよによりて二女ふたりとも男子なんしをまうく。のち力二りきじ尺八しやくはちこれなり。

8ウ9オ

越杉こすぎ駄一郎だいちらう遠安とほやす

駄一郎だいちらう管領くわんれい扇谷あふぎがやつ定正さだまさ勇臣ゆうしんなり。はじめ池袋いけぶくろたゝかひに煉馬ねりま倍盛ますもり首捕くびとつて、名誉めいよ感状かんじやうたまふ。かくだうせつ定正さだまさねらふとき、巨田おほた助友すけとも相謀あいはかつて、その面影おもかげ主君しゆくんたればかり大将たいしやう装束しやうぞくちやくし、戸沢山とざはやま〓倉かりくら道節だうせつ誑引おびきよす。とき道節だうせつこれをらず、まこと定正さだまさなりとこゝろえ、村雨丸むらさめまる賣弄ゑばにしてつひ駄一郎だいちらうくびおとす。

竈門かまど三宝平さぼへい五行かづゆき

三宝平さぼへい扇谷家あふぎがやつけしんなり。煉馬ねりま一族いちぞく滅亡めつぼうに、道節だうせつちゝ犬山いぬやま道策だうさくうつて、しやう定正さだまさたまふ。かつ戸沢山とざはやま〓倉かりくらに、駄一郎だいちらうにしたがふて道節だうせつはからんとす。されども道節だうせつ智勇ちゆうをもて、あまたてきをうちはしらす。三宝平さほへい一個ひとりひそかのこりて、やりもて道節だうせつさゝんとして、かへつてかれやいばにかゝり、ちゝうらみをほうぜらる。

9ウ10オ

音音おとね

音音おとねは十條なにがし女児むすめにして、その心ざま男子をのこもおよばず。當初そのかみ犬山の侍女こしもとたりしとき、若黨わかたう世四郎よしらうひそかつう〓妊くわいにんせしより、こと発覚あらはれて、をとことともに獄舎ひとやにつながれ、うみおとせしはふたごにて、力二りきじ尺八しやくはちすなはちこれなり。とき道策だうさく側室そばめ阿是非おぜひ惻隱なさけにより、世四郎よしらういとまを給はり、音音おとね道松みちまつ乳母うばにせらる。これより先非せんひをふかくくやみて、のち荒芽山あらめやま白屋くさのやにて舊夫もとのをとここばみていれず。されども力二りきじ兄弟きやうだい孝心かうしんむなしからずして、夫婦ふうふまつたきことをたり。

巨田おほた薪六郎しんろくらう助友すけとも

助友すけとも管領くわんれい補佐ほさいち老職らうしよく持資もちすけ入道にふだう道寛だうくわん長男ちやうなんにして、ともに定正さだまさにつかふ。そのさがじんありかつありて、智勇ちゆうもまたちゝはぢず。一回ひとたび煉馬ねりま残黨ざんたう追補つひほせんとして、砥沢とざは荒芽あらめ二山ふたやまにて、しば/\道節だうせつ犬士けんしをなやます。のち定正さだまさほこり、水陸すいりく三隊みて大軍たいぐんをもて里見さとみをうたまくしつるとき、これをいさめてもちひられず、つひ味方みかたやぶれをさつしてみち定正さだまさ危急ききふすくふ。

10ウ11オ

荘役せうやく根五郎ねごへい丁六てうろく〓介ぐすけ

根五平ねごへい山脚村やまもとむら荘役せうやくなり。かつ犬山いぬやま道節だうせつ追補つひほせんため、巨田おほた助友すけともうけ給はりて白井しらゐしろよりいづるところの下知状くだしぶみたづさへつゝ、丁六てうろく〓介ぐすけよばれたる二個ふたり樵夫きこりともろともに、わが一村いつそんふれあるく。とき音音おとね白屋くさのや道節だうせつかくまへるをかぎり、ひそかゆかにかゞみてその秘事ひめごともれきゝつゝ、いで音音おとねとらへんとして丁六てうろく世四郎よしらううたれ、〓介ぐすけ音音おとねやいばにかゝり、根五平ねごへいはまた道節だうせつ銑〓しゆりけんあたつてす。

11ウ12オ

舩虫ふなむし

舩虫ふなむしは、はじめ並四郎なみしらうつまなりしとき、馬加まくはり大記だいきたのまれて、嵐山あらしやま尺八しやくはちおよび小篠をざゝ落葉おちば二刀ふたふりぬすみぬ。かくて、をつと並四郎なみしらう小文吾こぶんごうたるゝにおよびて、つまあだむくはんとしてことならず。のちまた赤岩あかいは一角いつかく後妻のちぞへとなりて角太郎かくたらう雛衣ひなぎぬくるしましむ。それより、あるひは女按摩をんなあんまとなり、又は悪僕あくぼく媼内をばないつまとなり、いろひさぎひとがい悪逆あくぎやく牧挙あげてかぞへがたきも、つひ高畷たかなは暗夜くらきよに、小文吾こぶんごとらへられいのちうしつのおとさる。

鴎尻かもめじり並四郎なみしらう

並四郎なみしらう武蔵國むさしのくに阿佐谷あさやむらたみにして、そのさが不良ふりやう悪棍わるものなり。はじめ、そのつま舩虫ふなむしともに、尺八しやくはち以下いか三種みくさぬすむ。のちまた、高屋たかやなはてにて、やりもてしゝ突損つきそんじ、きばにかゝりて息絶いきたへしを、犬田いぬたがためにすくはれながら、かれ路費ろようおほきをり、あざむいて俺家わがややどらせ、よるふけ小文吾こぶんごさゝんとして、かへつて自己をのいのちうしなふ。

12ウ13オ

千葉介ちばのすけ自胤よりたね

自胤よりたね千葉ちば入道にふだう了心れうしん二男じなんにして、あに実胤さねたねかはつて千葉介ちばのすけにんぜられ、武蔵国むさしのくに石濱いしはましろぢうす。もとより暗君あんくんならねども、いまだ良将りやうしやうとするにらず。長臣ちやうしん馬加まくはり常武つねたけ国政こくせいもてあそばれて、これをしも退しりぞず、のち管領家くわんれいけ大軍たいぐんくははり里見さとみたゝかふてとりこにせらる。

畑上はたかみ語路ごろ五郎ごらう高成たかなり

高成たかなり千葉家ちばけ眼代がんだいなり。かつ賊婦ぞくふ舩虫ふなむしをつとうらみをかへさんため、犬田いぬたを「偸児ぬすびとなり」としてうつたへいでたることばしんじ、みち小文吾こぶんご搦捕からめとらしむ。されども犬田いぬた智勇ちゆうによりて、舩虫ふなむし賊情ぞくじやう忽地たちまちあらはれ、こゝ嵐山あらしやま尺八しやくはちたり。とき領主れうしゆ自胤よりたね小鳥ことりがりいづるにふて、かの名笛めいてきをたてまつる。しかるにくだん舩虫ふなむし馬加まくはり大記だいき荷擔人かたうどなれば、馬加まくはりひそかに舩虫ふなむしはしらせ、これを語路ごろ五郎ごらうとがなりとして、つひ高成たかなり獄舎ひとやにつながれ、いくほどもなくみまがりぬ。

13ウ14オ

馬加まくはり大記だいき常武つねたけ

常武つねたけ初名しよめう記内きないといふ。當初そのかみ下總しもふさ逐電ちくてんして武藏むさし千葉ちばうぢ降参かうさんす。かつ粟飯原あひばら胤度たねのりはかつて滸我こがゆかしめ、篭山こみやま逸東太いつとうだおよび舩虫ふなむし荷擔かたらひみち胤度たねのりうたせ、またかの三種みくさぬすましめて、さら粟飯原あひはら妻子さいしまで残害ざんがいす。かく自胤よりたね重用ちやうようせられて、国家こくかけんもてあそびしが、のち小文吾こぶんご抑留よくりうするのとき、胤度たねのり遺胤わすれかたみ犬坂いぬさか毛野けのやいばにかゝり、對牛樓たいぎうろうちゝあだほうぜらる。

粟飯原あひばら首胤度たねのり

胤度たねのり自胤よりたね老臣らうしんにして、犬坂いぬさか毛野けのちゝなり。もとよりそのさが実直じつちよくにて、思慮しりよなきものにあらねども、一回ひとたび常武つねたけにはかられて、名笛めいてきおよ二口ふたふりかたな持参ぢさんし、滸我こが殿どのおもむかんとして、忽地たちまち叛逆ほんぎやく汚名をめいをかうむり、杉戸すぎと宿しゆく松原まつばらにて、逸東太いつとうたがためにあざむうたれ、妻子さいし一族いちぞくのこりなくみな馬加まくはり奸計かんけいめつせらる。

14ウ15オ

粟飯原あひばら妻子さいし(手枕たまくら稲城いなぎ夢之助ゆめのすけ)

粟飯原あひばら胤度たねのりつま稲木いなぎばれ、このはら男女なんによ二個ふたりめり。嫡子ちやくしはすなはち夢之助ゆめのすけとて、今茲ことし十五さいなりけるが、美少年びしやうねんきこえあり。二ぢよはその手枕たまくらびて、わづかはじめ五歳ごさいになりぬ。しかるにおほど叛逆ほんぎやく汚名をめいをかうむるときにいたり、常武つねたけ沙汰さたとして、母子ぼし三個さんにんともたまひぬ。これみな大記だいき奸計かんけいにて、千葉家ちばけ粟飯原あひばら篭山こみやまりやう老臣らうしんあるときは、おのれ権威けんゐをうばゝれんかと、すなはちおほど滸我こがゆかしめ、篭山こみやまをまたすかしはげましみち胤度たねのりうたするにおよびて、かの三種みくさをば舩虫ふなむし夫婦ふうふひそかにうばひさらせしかば、篭山こみやまおほどうてども、三種みくさたからうしなひたれば、是非ぜひなくそのまゝ逐電ちくてんす。これによつ常武つねたけはたゞ一挙いつきよにして、りやう老臣らうしんおほひのまゝにうしなひたる。残毒ざんどくもつともおそるべし。

15ウ16オ

篭山こみやま逸東太いつとうだ縁連よりつら

縁連よりつら自胤よりたね一二の老黨らうだうなり。かつ常武つねたけ哄誘そゝのかされ、胤度たねのりうつといへども、〓〓くせもの者のために三種みくさうばはれ、進退しんたい〓処そこきはまりしかば、従者じゆうしやすて逐電ちくでんしつのち変名へんみやうして扇谷家あふぎがやつけつかふ。それよりさき赤岩あかいはにて毒婦どくふ舩虫ふなむしとらへながら、また舩虫ふなむしあざむかれ、路費ろようをうばゝれ取迯とりにがすのだんあり。かくて定正さだまさ登用とようせられ、鎌倉かまくら使つかひするとき、犬坂いぬさか毛野けのがうらみのやいば高畷たかなはてにていのちおとす。

品七しなしち

品七しなしち常武つねたけ下奴しもべにして、そのさが愚直ぐちよく老僕らうぼくなり。かつ小文吾こぶんご馬加まくはりがり抑留よくりうせられて、はなれ浄房ざしき閉篭とぢこもれるとき、には掃除そうじにとて折々をり/\つ、なぐさめなどするほどに、早晩いつしか犬田いぬたしたしくなりしが、あるときくだん品七しなしちそゞろに、馬加まくはり常武つねたけ粟飯原あひばら一家いつけ滅亡めつぼうさせたるかの秘事ひめごと犬田いぬたかたるを、常武つねたけはやく洩聞もれきゝて、つひ品七しなしち毒殺どくさつす。

16ウ17オ

調布たつくり

調布たつくり粟飯原あひばらうぢおんなめなり。すで〓姙くわいにんして三歳みとせにおよべど、いまださんひもとかず。かくて、胤度たねのり妻子さいしみなのこりなくうしなはれしとき、常武つねたけはなほ調布たつくりをもともころさんとしたりしを、醫師くすしこれをあはれみて、「血塊けつくわいなり」といふにより、からいのちたすかりて、相州さうしう犬坂いぬさかさとおもむき、やが一子いつし分娩うみおとしぬ。これすなはち犬坂いぬさか毛野けのなり。されども千葉ちばきこへをはゞかり「なり」と披露ひろうしつ。それより鎌倉かまくらうつみて、調布たつくりつゝみち、毛野けのをば女田楽をんなでんがくにして世渡よわた便着たつきにしたりとなん。

犬坂いぬさか毛野けの胤智たねとも

毛野けの胤度たねのり遺腹児をの〔と〕しだねにして、たま感得かんどくせり。よりて胤智たねとも名告なのる。これまた八犬士はちけんし一個いちにんなり。一回ひとたび女田楽をんなでんがくむれりてより、かりにその旦開野あさけのといふ。かくてそのとし十三のあき其身そのみかたきあるよしを細々こま%\遺言ゆいげんして、はゝ調布たつくりみまかりぬ。それより毛野けのこゝろをはげまし、つひ怨敵おんてき常武つねたけをはじめ、馬加まくはり一家いつけ奴原やつばら對牛樓たいぎうろうにて僉殺みなごろしになし、犬田いぬた小文吾こぶんごすくふなど、なほそのほかに説事とくことおほかり。再出さいしゆつくはしくせん。

17ウ18オ

坂田さかた金平太きんへいだ渡邊わたなべ綱平つなへい卜部うらべの季六すゑろく臼井うすゐの貞九郎さだくらう

馬加まくはり大記だいき常武つねたけ股肱ここうとたのむ若黨わかたう四天王してんわうごうしつゝ、その綱平つなへい金平太きんへいだ季六すゑろく貞九郎さだくらうびつゝも、げん頼光らいくわう四天王してんわうにその性名せいめいは似かよへども、いさゝか勇力ゆうりきあるのみにて、もとより烏滸をこ白者しれものなり。なか季六すゑろくは、こと大記だいき愛臣あいしんなりけん。一夜あるよかれをは刺客しかくとなして小文吾こぶんごうたしめんとせしに、毛野けの釵兒かんざし銑〓しゆりけんにうたれて、忽地たちまち息絶いきたへぬ。そのほか綱平つなへい三口さんにん對牛樓たいきうろう讐討あだうち、またかの毛野けのをさゝへあへず、ともいのちおとせしとなん。

18ウ19オ

馬加まくはり鞍弥吾くらやご常尚つねひさ

鞍弥吾くらやご常武つねたけ長男ちやうなんなり。かつ常武つねたけ権威けんゐつのり、領主れうしゆ自胤よりたねをおしたふして、鞍弥吾くらやごをもて千葉介ちばのすけたらしめんとす。とき犬田いぬた小文吾こぶんごあり。常武つねたけこれを軍師ぐんしにせんとて、ひそか密議みつぎだんず。小文吾こぶんごこれをかたくいなむ。よつて季六すゑろくをして犬田いぬたうたせんとするに、其事そのことつひおこなはれずして、鞍弥吾くらやご毛野けのためちゝともいのちおとす。

戸牧とまき并 鈴子すゞこ

戸牧とまき大記だいきつまにして、鈴子すゞこすゑ女児むすめなり。され大記だいき驕奢きやうしやによりて、には綾羅れうら錦繍きんしうをまとひ、くちには山海さんかい珎味ちんみあきしが、毛野けの讐討あだうちにいたりて、若黨わかたう綱平つなへい間違まちがへのやいばにかゝりて、戸牧とまきうたれ、鈴子すゞこはゝ死骸しがい撲折うちくだかれて、息絶いきたへぬ。これひとへ粟飯原あひばら妻子さいしがいせしむくひならんか。

19ウ20オ

犬江いぬえ依介よりすけ

依介よりすけは、はじめ犬江屋いぬえや小厮こものなり。のちひきあげて家扶かぶゆづられ、犬江屋いぬえや遺跡ゐせきとなる。そのさが老実まめやかなる壮佼わかものなり。さき妙真めうしん安房あはおくるの、かの舵九郎かぢくらう出合であひて、ひたいきずをうくるまで、しゆうのために忠誠まめやかあり。かく小文吾こぶんご毛野けのふて墨田川すみだかは泅下およぎくだるを、はからずふねたすらしめ、市川いちかはともなかへりて、ちゝ文五ぶんご兵衛べゑ遺言ゆいげんつたふ。

水澪みを

水澪みを下総しもふさのくに舩橋ふなばし里人さとびと何某なにがし女児むすめにして、妙真めうしんめいなり。かつて妙真が安房あはとゞめられ犬江屋いぬえや遺跡ゐせきあらされば、依助よりすけをもて主人あるじとするとき「ちかすぢのものなれば」とて、やが依介よりすけつまとせられ、ふな家扶かぶ家庫いへくらのこりなく夫婦ふうふゆづりあたへらる。

20ウ21オ

鵙平もずへい

鵙平もずへいは、下野しもつけくに網苧あしをといへるかた山里やまさとなる茶店さでん主翁あるじなり。この網苧あしをより庚申かうしんやままで、みちほど五六ごろくあり。しかるに「くだんの庚申山に數百載すひやくさい野猫のねこすみて往来ゆきゝの人を秉啖とりくらふ」といふ。よつふもとよぎ旅客たびゝとは、この茶店さでんより弓箭ゆみやふてまもりりにあ〔せ〕り。また郷導みちしるべをたのむもありとぞ。とき犬飼いぬかひ現八げんはちがこれなるでんいこひつゝ、はからず犬村いぬむら角太郎かくたらう薄命はくめいく。

赤岩あかいは一角いつかく武遠たけとほ

一角いつかく赤岩あかいは郷士がうしにして、武術ぶじゆつたつす。これすなはち角太郎かくたらう実父じつふなり。あるとき一二いちに門弟もんていして、ひとおそるゝ庚申山かうしんやまのぼりてあらはさんと、ひといさめときやぶりて、かのおくいん分登わけのぼり、つひ妖獣ようじうくらころさる。のちげん八がそのやままよひ入りたるときにのぞみて、幽魂ゆうこんかりかたちをあらはし、髑髏どくろ短刀たんたう現八げんはちゆだね角太郎かくたらうをしておんてき退治たいぢせしむ。

21ウ22オ

雛衣ひなぎぬ

雛衣ひなぎぬ犬村いぬむら蟹守かもり女児むすめにて、角太郎かくたらうつまなり。一日あるひあやまつてをつと秘藏ひさう名玉めいぎよくむ。それより次第しだいおもくなりて、そのさま懐〓くわいにんしたるがごとし。かつしうとめ舩虫ふなむしために、密夫みそかをありとしいられて、忽地たちまち夫婦ふうふ和合なかかる。雛衣ひなぎぬこれをかなしみて、返璧たまがへしさとにおもむき、離別りべつをつと柴門かどたゝきて寃屈むじつしば/\うつたふれどもいれられず、つひやいばふすおよびて、その痍口きずぐちより霊玉れいぎよくとびいで、にせ一角いつかくをうちたをし、をつとをしてうらみをむくはしむ。

犬村いぬむら大學だいかく禮儀まさのり

大角だいかく初名しよめう角太郎かくたらうよばれて、赤岩あかいは一角いつかくなり。れいたま感得かんどくす。よつ實名じつみやう礼儀まさのりとなのり、これまた八犬士はつけんし一個ひとりたり。かつ礼儀まさのりさいなる、ちゝ一角いつかく庚申山かうしんざんにて野猫やまねこのためにがいせられ、そのねこちゝかたちばけて、赤岩あかいは宿所しゆくしよかへる。礼儀まさのりじつちゝとおもひ、かうつくせどあいせられず。とき犬村いぬむら蟹守かもりといふもの礼儀まさのり養子やうしとし、女児むすめ雛衣ひなぎぬをもてこれにめあはゆへに、犬村いぬむらうぢとせり。かく蟹守かもりみまがりしのち、赤岩あかいはよびかへされ、又そのいへ勘當かんだうせられて、つひ返璧たまがへしといへるさと閑居かんきよす。をりから犬飼いぬかひ現八げんはちとはれ、亡父ぼうふ遺骨ゆいこつるにいたりて忽地たちまちくだん化猫ばけねこ退治たいぢす。這下このときものがたりは再出さいしゆつくはしくすべし。

22ウ23オ

犬村いぬむら蟹守かもり儀清のりきよ

儀清のりきよ下野しもつけくに犬邨いぬむら郷士がうしにして、角太郎かくたらうがためには、外伯父はゝかたのをぢなり。かつをさな一個ひとりをひの、ちゝあいをうしなひしをあはれみ、礼儀まさのり六歳ろくさいのとき、にせ一角いつかくよりこひうけて赤岩あかいはよりむかへとり、女児むすめ雛衣ひなぎぬ養子やうしあはせにす。もとより蟹守かもり弱冠じやくくわんのころみやこのぼり、ゑらみて文武ぶんぶ奥義おうぎきはめしものなり。されども人のとなるをこのまず。たゞ角太郎かくたらうにのみちかられて、あくまで教導をしへみちびきしが、つい六十むそぢあまりにてみまがりぬ。

正香まさか

正香まさか犬村いぬむら蟹守かもりいもとにて、赤岩あかいは一角いつかく角太郎かくたらうめり。そのこゝろざまけんにして、よくうちをさめ、またよく奴婢ぬひあはれて、生平つね神佛しんぶつ深信しん%\す。當初そのかみ一子いつし角太郎かくたらううまれしころ、痘瘡もがさまもりにせばやとて、加賀かがなる白山しらやま権現ごんげん社頭しやとう粒石こいしこひうけしに、その粒石こいしいしならで、すなはちれい一字いちじある霊玉れいぎよく感得かんどくせり。しかるに命数めいすうながからず、角太郎かくたらうが四ッ五ッのころつひむなしくりしとなん。

23ウ24オ

窗井まどゐ

窓井まどゐ赤岩あかいは一角いつかく後妻のちぞへにて、まちこれ美人びじんきこえあり。しかれども心操こゝろばへ先妻せんさい正香まさかおとれるをもて、ひとおそるゝ庚申山かうしんやまのぼらんといふ良人をつといさめず。のち野猫やまねこ一角いつかくかたちばけつゝかへりしを、をつととおもひ、をまかしてやが牙二郎がじらうといふ一子いつしめり。遮莫さばれ非類ひるい妖獣えうじう夜毎よごとはだへけがされし精液せいゑき漸々しだいおとろへつゝ、三十みそぢさでみまがりしとぞ。

にせ一角いつかく

にせ一角いつかく歳夥としあまた野猫やまねこばけたるなり。さき一角いつかく噛殺かみころし、死骸しがいあくまでくらひしが、なほ、そのつまをもおかさんとて、かり一角いつかくかたちへんじ、一子いつしをさへうませたり。かく窓井まどゐみまがりしのち、をんなめあまた買易おきかへて、たゞ淫樂いんらくむねとせり。のちまた舩虫ふなむしつまとせしより、その悪行あくぎやういよ/\つのりて、角太郎夫婦を苦ましましめに、つひ霊玉れいきよく竒得きどくによりて、禮儀まさのりやいばうらみをかへさる。

24ウ25オ

泡雪あはゆき奈四郎なしらう秋實あきさね

奈四郎なしらう甲斐かひ國主こくし武田たけだしん也。あるとき鹿しかおもひたがへて犬塚いぬづか鳥銃てつぽうにてつ。その銃丸たま信乃しのあたらねども、故意わざたをれててきつ。奈四郎なしらうこれをさいはひとおもひ、路銀ろぎん太刀たちうばはんとして、いた信乃しの打懲うちこらさるときに、四六城よろぎ木工作もくさくあり。信乃しの賠〓わびして、奈四郎なしらうすくふ。奈四郎なしらうもとより木工作もくさくつま夏引なびき密通みつつうす。よつ夏引なびきしめあはせ、木工作もくさくがいして、これを信乃しの所為わざなりとはかれど、そのことつひに成就じやうじゆせず。甲斐かひ逐電ちくでんするみちにて、悪僕あくぼく姨内おばないきずつけられ、路用ろようをうばひとらるゝのみか、また犬塚いぬつか出會であふ忽地たちまち〓里そこかうべうしなふ。

四六よろ木工作もくさく

木工作もくさく甲斐国かひのくに猿石さるいし村長むらをさにて、ちゝ井丹三ゐのたんざふ直秀なをひでつかへたる若黨わかたう蓼科たでしな太郎市たろいちこれなり。かつ奈四郎なしらうがことにより、信乃しの俺家わがやとゞめてより、その骨相こつがら武藝ぶげいかんじ、女児むすめ濱路はまぢむこにせんとす。されども信乃しのうけひかず。これにより木工作もくさく奈四郎なしらう誘頼こしらへたのみて、信乃しの国主こくしゆ御家みうちびとさんとしつゝことならず。つひ奈四郎なしらうがために、鳥銃てつほうにてうちころさる。

25ウ後ろ表紙見返

のち濱路はまぢ

のち濱路はまぢ里見さとみ義成よしなり第五だいご女子によしなり。よつきみといふ。かつて、そのとし二三さいのころ、大鷲おほわしさらはれて、甲斐かひ黒驪山くろこまやまほとりすてられしを、木工作もくさくひろはれて、ゆがてそのいへ成長ひとゝなるかく信乃しの逗留とうりうまへ濱路はまぢ魂魄こんはくにさそはれ、信乃しの物言ものいひかはすの竒事きじあり。それより照文てるぶみおくられて、本国ほんごく安房あはかへるにおよびて、また素藤もとふぢに懸想せられ、をとゝ義通よしみち危難きなんありしが、其厄そのやくつひにとけてのち、犬塚いぬづか信乃しのめあはさる。


    日本橋通壹丁目    須原屋茂兵衛
    同   貮丁目    山城屋佐兵衛
    同     所    小林新兵衛
東都  柴神明前       岡田屋嘉七
    同     所    和泉屋市兵衛
    本石町十軒店     英 大 助
    芳町親仁橋角     山本平吉
書林  大傳馬町二丁目    丁子屋平兵衛
    横山町壹丁目     出雲寺万次郎
    浅草茅町二丁目    須原屋伊八
    横山町三丁目     和泉屋金右衛門
    馬喰町貳丁目     山口屋藤兵衛板」

   〈後印本後ろ表紙〉
後ろ表紙


#「人文研究」第30号(千葉大学文学部、2001年3月)掲載
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