『貞操婦女八賢誌』(三) −解題と翻刻−
高 木   元  

【解題】

前号に引き続き、『南総里見八犬伝』の改作である『貞操婦女八賢誌』二輯を紹介する。

題名からも分かる通り、本作では八犬士に相当する主人公達を八賢女(女性)に変えている。しかも、原作で犬塚信乃が女装して育てられたことを踏まえて、信乃に相当すると思われる於梅(梅太郎)は男装にて育てられ変生男子と記される。この第二輯では、もう一人の女装して登場する犬士である犬坂毛野に相当すると思われる於亀が登場する。石浜で舞子をしていた於亀は若衆に身をやつして扇ヶ谷定正の寵愛を受けた愛嬉の屋敷に奉公することになる。つまり、女装の犬士を、男装する賢女と逆転して設定しているのである。

また、犬塚信乃の伯母夫婦である亀笹・蟇六や、犬山道節の乳母であった音音おとね〔ヤス〕平の面影をもった登場人物を描くなど、細かく原作を踏まえた人物設定がみられる。その一方で、第二輯では原作の筋からは離れて、於亀の出生をめぐる事情が、真間の里や市河(市川)、松戸など下総を舞台として、八賢女が生まれる前の親たちの世代のことが述べられている。

その後、芳流閣の場面を踏まえた場面に展開していくが、地上の高楼ではなく、船施餓鬼のためにしつらえた大船の三重の楼上が舞台となる。その船楼の上で梅太郎とその捕縛を命じられた八代とが、互いに仲間とは知らずに闘う設定となっている。

原作に出てくる村雨丸の宝刀は、ここでは錦の古籏で作った笹蔓錦の御戸帳(仏壇や厨子前面の仏像周囲を飾るための美しい布)や蜀光の錦となっていて、やはり転々と所持する者を変えている。

つまり、八犬伝の世界という大きな物語の構造を借りての改作であるのみならず、実に細かい趣向をも転用しているのである。

なお、二輯巻之一巻末に「門人校合」として狂文亭・為永春江と狂詠亭・為永春暁の名が記されている。『〈正史|實伝〉いろは文庫』三編下巻にも「為永連校正著」として両者の名前が見えている。「校合」の実体が何を意味するかは微妙であるが、『いろは文庫』には「校正著」とあるので分担執筆を意味していると取れなくもない。春水工房には大勢の弟子(為永連)がいて執筆に参与していたことが知られている。具体的な作業内容は良く分かっていないが、木越俊介氏は「為永工房発・読本の作り方」(『江戸大坂の出版流通と読本・人情本』、清文堂、二〇一三)で、「歌舞伎の作劇法をヒントに、場面の趣向をつないで。全体の筋を保つという行き方をとったのであろう」と述べられている。本作でも、同様のことが指摘できると思われる。

【書誌】二輯(三巻三冊)

書型 中本 十八・六×十二・五糎

表紙 濃藍色地に麻葉絞模様、丸紋中に一部に杏色を施した女性を描き散らす。

外題 左肩「貞操婦女八賢誌 三編(中下)(十三・三×二・七糎)。題簽の上部から柿色、下部から空色のボカシを施す。

見返 なし〔白〕

序 「序引\干時天保巳亥孟陽\最上羊齋戯題」(序一オ〜序二オ)

口絵 第一〜三図 見開き三図(丁付なし)。濃淡の薄墨による重摺りを施す。

内題貞操婦女八賢誌ていさうをんなはつけんし 二輯にしふ巻之一(〜三)

尾題「貞操婦女八賢誌二輯巻之一(〜三)

編者「東都 狂訓亭主人著」(内題下) 畫工〈繍像|九員〉英泉畫」(口絵第一図)

刊記 なし

諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・東京女子大・三康図書館・千葉市美。

翻刻 前々号参照

備考 初輯を上下帙に分けたため、二輯の外題は「三編」となっている。序者については未詳。後印本の調査報告については後日を期したい。

【凡例】

一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。

一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「ハ」と記されたものは遺した。

一 近世期に一般的であった異体字も生かした。

一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。

一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1 のごとく丁付を示した。

一 底本は、保存状態の良い善本であると思われる館山市立博物館所蔵本に拠った。

翻刻掲載を許可された館山市立博物館に感謝申し上げます。


【表紙】

 表紙

【序引】

 序引

【序引】続き

 序引


序引

癡黠相去一間而巳矣於彼乎稱癡 於此乎亦黠人界總若斯矣若夫癡 黠二途兩惡之管轄耶曲亭於稗史 也具筆場中黠者教訓於小説里諺 也徹頭尾落癡黠乎不可亦知也曲」 亭疇有八犬傳大動看官奇観教訓 之癡情亦慕彼黠而之有八賢之擧 讀之能令看官感發名教樂地予於 是乎言癡黠相去頗一間々不容髪 今此擧癡乎黠乎曲亭之犬也蓋尭 狗之黠乎教訓之賢乎抑亦癡婦之」序1 賢乎犬賢国音相近矣才子八人不 才子八人其癡黠之間糺諸高場氏 焉尓

干時天保巳亥孟陽

最上羊齋戯題 [羊齋][常斐|之印]


序引

かつい去ること一間のみ。かれに於て癡と稱し、これに於てまた黠たり。人界すべくのごとし。れ癡と黠との二途のごとき、兩惡の管轄ならんや。曲亭の稗史に於ける、具筆場中の黠は、小説里諺に於ける教訓なり。 頭尾に徹して、癡黠に落つるや、不可なり、また知なり。 曲亭、さきに八犬傳り。 看官みるものを大動して奇観たり。教訓の癡情、また彼を慕ひ、これを黠して八賢の擧有り、これを讀めば、看官みるものをして名教樂地に感發せしむ。 これに於いて、癡黠あいることすこぶる一間々髪かんぱつれざることを言て、今ここに癡と黠とを擧げ、曲亭の犬やけだし尭、狗の黠、教訓の賢、そもそまた、癡婦の賢、犬と賢と國音相い近し。才子八人、不才子八人、その癡黠の間。諸高場氏にたださんのみ

時に天保己亥(天保十〈一八三九〉年)孟陽(正月)

最上羊齋戯題 [羊齋][常斐之印]序2オ


【口絵第一図】 由井濱ゆゐがはま舩樓ふなやぐら二賢女にけんぢよにしきあらそ

 口絵

あふぎやつ八代やつちよ 豊嶋としま梅太郎うめたらう序2

あふぎやつ侍女ぢちよ腰越こしごえ海士あま乙女をとめ

【口絵第二図】 稲村崎いなむらがさき女隱居をんないんきよ 眞間まゝ愛嬉あいき 月色げつしよくもてあそ

 口絵

眞間まゝ愛嬉あいき丁付なし

従女こしもと 従女こしもと 舞子まいこ亀太郎かめたらう

【口絵第三図】

 口絵第三図

 女順礼をんなじゆんれい

  未知名いまだなをしらず

   ゆきくれてしたかげ宿やどとせば

       はな今宵こよひのあるじならまし

唖方ばか三人さんじん豊腹揃めでたぞろひ 〈全本|十五冊〉 〈爲永春水作|歌川國直画〉」

・〈芳薫ほうくん功話こうわ好文士傳こうぶんしでん 〈初編五冊|二編五冊〉 春水作 英泉画」丁付なし

【本文】

貞操婦女八賢誌ていさうおんなはつけんし 二輯にしふ 卷之一

東都 狂訓亭主人編次 

   第十三回 〈松戸まつどさと嫖客ひやうかく桃李とうりながむ侠氣いきぢよつ花衣はなぎぬ財主ざいしゆきらふ

葛飾かつしか真間まゝ手古奈てこなえいじけん葛飾かつしかなる真間まゝさといと有徳うとくなる郷士かうしありその手古奈てこなの三郎さぶろうよびいゑ保元ほうげん古昔むかしより源平げんぺい両家りようけ諸士しよしまじ はりとう地侍ちざむらひとともに公役くやくつと二百八十にひやくはちじうねん以來このかた連綿れんめん相續さうぞく財宝たから蓬莱ほうらいたまえだ燕窩えんくわ子達貝こやすがいなんどゝまれなるべき倚品きひんあついへ四方めぐりならべ蒼庫ぬりごめおさめつゝ毎年としごと蠧拂むしぼしにハ遠近おちこち人々ひと%\便宜つてを」 もとめて珎器ちんき一視いつけんなしたきとてうるさきまではれしとぞされバきよ まん金銀こがねしろかねこれかぞふいとまもなく金精こがねのせい發音うめくなど四隣あたりひと言囃いひはやせり加旃しかのみならず田園でんえんおほ持傳もちつたこれ奴婢ぬひ農業のうぎやうさすれバ食用しよくようあたいいださず 八千代やちよすへ這家このいへおとろへことハあるまじとおもはぬひともなかりしとぞ 其頃そのころ此所こゝよりほどとふからぬ松戸まつどといふえき船着ふなつきのきならべし妓院いろまちありこひくぼおもかげうつしていと風雅みやびたる妓女あそびおほみやこはぢぬおもむきハのちにいたりていさゝかたる風情ふせいハなけれどむかし全盛ぜんせい一廓ひとくるわなりしがこの妓院ぎゐんなか千葉ちばもととなんよぶいへ花衣はなぎぬといふ妓女あそびあり天性てんせい容貌かたち艶美うるはしく沈魚ちんぎよ落雁らくかん閉月へいげつしう・(ママ)くわ唐人もろこしびとほめたりけん美人びじん這等これらをいふなるべきかわらひふくめ海棠かいどうの」1 つゆおびさきかゝるにまされりなほうめかほりをそへうぐいすよりもきよ音聲ねいろなれバ一席ひとたび這婦これくわいするもの老人おひ若輩わかきたちまちたましい天外てんぐわいとはいのちをだもかろんずる嫖士うかれおのこおほけれど花衣はなぎぬ放逸きづいにして愛相あいさうつくろはずとひ客人まろふど強顔つれなく歓待もてなしかへしけるがその艶色えんしよくまれなるをめでなほこりずまにかよふがおほかりかの真間まゝ郷士がうし手古奈てこな三郎さふろう何日いつしかこの花衣はなぎぬ放心うかれ通路かよひぢかずかさなさけはこことしば/\なれどそも/\花衣はなぎぬたからなづますがた(ママ)風雅みやびたるにめづることなけれバ三郎さふろう人品ひとがらいやしからずこと黄金こがねとみたれどもさらにうちとけたる氣色けしきもなく不會訳ふあしらい(ママ)のみなせしとぞ 放下一頭それハさておき且説こゝにまた市河いちかはといふさと森下もりしたもりとて劒法けんほう師範しはんありそのいつ春造しゆんぞうと」 いへるもの歳齢としごろ二十才はたちばかりにして容貌かほかたちうるはしく聡明さうめいにして温和おんくわなりさハいへ壯年さかりにおもむけバおのよぶはるはなさかりおもころなるに四方よも満山やま/\わらそめこゝろかゝ白雲しらくもまがふ弥生やよひ春情うかれごゝろひとうはさこのましく松戸まつどさとうつうへたるさくら山吹やまぶきいまさかりきくからに漫歩行そゞろあるき足元あしもとかろ或日あるひくるわおもむきしが花王さくらさかりいふさらなり物言ものいふはなまがきうちさきみだれさも嬋娟あてやかよそほひつゝ客待きやくまつ姿すがた種々さま%\なる天津あまつ乙女おとめ人間にんげんかいくだあそぶかとうたがはるなかにも一個ひとり美娼みやびめ衣服ゐふく模様もようもうるはしく濃紫こひむらさききぬあやうめ折枝おりえだ舞扇まひあふぎ彩色いろぞめせしをたる一際ひときは目立めだつ全盛ぜんせい阿曽美あそびたへなる姿すがた春造しゆんぞう暫時しばしたゝずみて看惚みとれけるをかの娼妓せうぎ外面そともみるとて」2 不圖ゆくりなく春造しゆんぞうかほ視合みあはなにやらんこゝろありげに微妓ほゝえみおもて美麗うつくしまさ花月くわげつたとへてもじやうこまかきハこの不及およばずかぜ誇引さそは伽羅きやらかほりハ春造しゆんぞうたましいうばふされバこゝろ躊躇たゆたひありけるうちやまちかおち入相いりあいかねつげわたれどさとにハときこそいたれりとます/\花街ちまたにぎはひつゝ歸路かへりぢわするゝほどなれども有繋さすが初心しよしん覚束おぼつかなくてこゝろあとひかるれどこらへて家路いへぢおもむきしがこれまどひをおこすべき因縁ゐんえんなるか春造しゆんぞうそのさがたゞしき生質せいしつなれども今日けふ烟花くるわにて不圖はからずおもかげわすがたたゞかの美女びぢよかほばせの眼前めさきさらあるごとおも〔へ〕へんと幾度いくたびむねけむりをはらヘどもなみだむせおろかさをつきながら捨難すてかぬる戀慕れんぼ情念じやうねんしきりにおこやがて」 こゝろけつしつゝ翌日あけのひ松戸まつどなる妓院いろまちさしていそかの千葉ちばもとたかどの案内おとない々々%\衣服ゐふくちやくせし全盛ぜんせい婦人ふじんハと花車くわしやたづぬときしもあれ彼婦かなたおなこゝろなりけんはれてほし面色おもゝち無端はしたなきはぢらひながら傍輩ほうばい相方あいかたとなられじとやかへつ花車くわしやさゝやけバおも同志どちなる初筵ういむしろちりさへすへぬ款待もてなしいとにぎはしき旨趣おもむきなしたるのち花衣はなぎぬ他見ひとめふかはぢらひしとぞめづらしきかなこの美婦たをやめひかる中将ちうじやうをもかへらず巨萬きよまん財宝たからめづことなく艶麗えんれい美貌びほうたぐひなけれどなさけうと遊君きみなりと蔭言かげごとされしほどなるに今日けふ初會しよくわいいつもかはりこゝろつく春造しゆんぞうかなへんとえましげに何体どこやらうれしき模様もやうなれバあまた女童めのわらは唄女うたひめなんど集會つどひものよろこびて」3 いよ/\けうをぞそへたりけるがはやふけころになりて酒席しゆせき大略おほかたしづまりつ閨房ふしどへこそハともなはれたりかゝりしほどにうちとけ逢瀬あふせあさ所爲わざならずたがいかたにしのいとむすかたちかひさへうゐ見参げんざんねや兼言かねごともれなバ若為いかばかりはづかしからんとおもふめり かくわかれの後朝きぬ%\あかつきうら鶏鐘とりかね今朝けさよりぞして推量おもひやたけとゞけど恋衣こひごろもせらるゝうれしさに傳染匂うつりがおも懸想文けさうぶみ幾度いくたび音信おとづれきかほしきがたがいにてあめゆきいとひなくかよふばかりか花衣はなぎぬかへしともなきこゝろからためならぬとさとしてもりつゝとむ居續ゐつゞけ比目ひよくちぎりあさからず赤心まごゝろあか嫖客まろうど春造しゆんぞうほかにあらざれど」

【挿絵第一図】

 挿絵第一図

うつりのなかこのはなあのこずえ\万丁連 兎喬 」4」

柳街ながれたつかなしさハこがねなけれバ何事なにごとまかせぬさと口惜くちおしまた春造しゆんぞう一年ひとゝせあまかよつめたるおほくのつい當世いまよろづともしくなりつ左有さりとて馴染なじみかさねたる傍輩ほうばいなんどハなか/\に義理ぎりはりつよなさけもありてたがいことあはれめど二階にかいまも老女らうぢよ顰面しかみつらするのみならずはてかよふを妨嫌いぶせくおも出入でいりせきすへんとせりこのゆゑ春造しゆんぞう花衣はなぎぬしたへどもあふわれからはゞかりつゝかほるのみにて立帰たちかへむねぐるしさのおほけれどかよひし姿すがた格子かうしうちにハらさですぎもありけりかゝりしほどにこがれなやみてやるせなく一日いちにちあはねば三秋さんしうおもひにまさこひしさにあがりてふ所爲わざかづおぼへず紋日もんぴ物日ものび入銀いりめさへはてしもあらぬうきおもいま着替きがへ衣裳いしやうまで不足たらぬがちなるそし5 りをうけくやしくあれど詮方せんかたなく春造しゆんぞうちゝ不興ふけうかふむかほあはすることばかりもとふざかりゆくかなしさのなか便びんなき花衣はなぎぬ經水つきのものめぐりもとまいまハたしかに懐妊みごもりたると推量おもひにけれバそのよし春造しゆんぞうもとつげおくまつたきみたねなれバ出産うまれときかくよと兼々かね%\相談かたらひおきぬれどもまかせぬ浮丗うきよをかこちつゝなみだのかはくいとまなしこのとき真間まゝ三郎さふろう花衣はなぎぬ恋慕れんぼして千々ちゞ黄金こがねまきちらせバそのこゝろにしたがひなバ春造しゆんぞう見継みつぐ便たよりよけれど川竹かはたけたてにくまつみさほはりとふ意地ゐぢつよくしてすごしたるに當時いま情人おとこためなりともせまりしときくじけてハこれまで辛苦しんく甲斐かひなきわざとなりなんのみか蔭言かげことわらはれんことはぢならめにもかくにも春造しゆんぞうぬし克々よく/\相議かたらひものせんと毎日ひごとに」 おく玉章たまづさしたゝめるさへたち心知こゝろしられし傍輩ほうばいにもかくすとすれどあらはるゝなさけたねやどせしまでいはるゝ怨襟つらさかなしさのなか哀憎あいにく春造しゆんぞうなに腹立はらたてあるやらん居立ゐたちみちたつのみかハたゞ一言ひとこと報文かへりごともなさゞるようになりしかバ花衣はなぎぬハいたくうたがひてさて不宜よからぬひとあり讒言さかしらごとなどありしゆゑかたとへ奈可いかなる所爲わざありとも一旦ひとたびちかひし丈夫ますらを今更いまさらこのすてらるゝハあまりといへバなさけなしとうらみながらもつら/\過越すぎこしかたおもひやるにその馴染なれそめ花心はなごゝろ弥生やよひそらそらだのめ放心うかれごゝろおはせしをわらはのみこそまどこひ山路やまぢつゆふかぬれたるさへたてられてあるばかりかハ無間日とふからず赤兒やゝ出産もふけ二個ふたりなか不変かはらぬちかひになることたのし甲斐かひなさけなきひとこゝろうらみわび千々ちゞむねをぞ」6 いためけるかくまでおもわづらとも知らねバ千葉元ちばもといへかよへる客人まろふど多分おほかた花衣はなぎぬ美形うつくしき放蕩うかれ戀情れんじやうをいどみあらそひぬなかにしも手古奈てこなの三ろうあめゆききらひなくかよつゞけていどみしがいま意氣地ゐきぢ憤怒いかりおこ或日あるひ花衣はなぎぬむかひていふよう奈何いかに其方そなた何事なにごとこゝろさはることありてか一向ひたすら強頬つらく動靜ふるまひたまふぞわれ貴嬢おんみ恋初こひそめこの問來とひき最初さいしよよりまことなさけハうけねどもこの赤心まごゝろらせなバ何日いつぞハとけあふ夜半よはゆき翌日あしたとめらるゝうれしきとききたるかとこゝろつくすをにくしとのみあつかはるゝハあまりにも心強こゝろつよしとえんずれバ花衣はなぎぬ微笑ほゝえみかづならぬ左程さほどまでしたはせ給ふハいかばかりうれしきことに」 はべれどもかういやしき川竹かはたけにし立身たつみ金銀こかねにのみまかはべらバたれとてか可愛かあいたまふことあらんやまた娼妓けいせい意地いぢてふものハ財宝たからともしき嫖客まろふどこゝろまことあるときハ苦樂くらくともちかふこそこれ遊君たはれめ意氣地ゐきぢはべ財主ぬし賤婦わらはあはれみたまへどわらは生涯しやうがいこがねのためにまかせてもこゝろをバまかせじものとこの年來としごろおもさだめてはべるなれ財主ぬしにハひとられたる通家わけしりにておはすれバたゞこのうへのおなさけわらはことおぼとまりてこのさとうちおほ遊君あそび片屈かたくなならでにかしこきがしかも姿すがた美麗うつくしくこがねとふとはべるのがいへごとにはべるからそれもとかよはせたまへわらはつくさせ給ひたる実情まこと半分なかばなしたまはゞ奈何いかにうれしく貴意みこゝろしたがひまゐらせ」7 ざる婦女ものやハあるべきかならずわらは無禮なめげなることなりとおぼしたまふな氣随きずいを申が財主ぬしへのまことこゝろにあらぬ艶言やさことかへつ不実ふじつおもはべれバつやなく返答いらへまゐらすのみわらはことハなきにしと通路かよひちたゝせ給はれかしとはなきり花衣はなぎぬ言葉ことば手古奈てこな三郎さふろうその不快こゝろよからずして欝欝うつうつとこそかへりける

【挿絵第二図】

 挿絵第二図

かく手古奈てこな三郎さふろうつら/\花衣はなぎぬことあんずれバかの遊女あそびめあたひをさだめて西門さいもん東戸とうこ漂客うかれびとまかすべきおきてあることおもはではりとやら意氣地ゐきぢとやらんわがまゝなる返答いらへをせしをこれまで温厚なだらか會釈あしらひしこそ口惜くちおしけれわれ壮年としわかくとも真間まゝ長者ちやうじやたゝへられたるもついつ賤婦せんぷためはぢしめられそのまゝやみなんやまことこゝろかくわが一旦いつたんじやうはたかれ意地ゐぢくじきもせバいさゝか男子おとこ所爲わざといふべしと一個ひとりこゝろとひこたへつゐ娼家くつわあるじ相議かたらひ花衣はなぎぬ身請みうけして宿やどはなとなして是非ぜひはせぬことこそよけれと黄金こがねあかして千案ちばもとはからはせ承引うけひきかねしを無理わりなく押付おしつけ種々さま%\あざむきすかしやが花衣はなぎぬ手古奈てこないへおくりしとぞ」8

   第十四回ノ上 〈籠居こもりゐいで春造花衣爲問しゆんざうはなぎぬをとはんとす急雨きふうのがれん圓通大士宿堂ゑんつうだいしのどうにやどる

下説異条それハさておき市河いちかわさとなる春造しゆんぞう花衣はなぎぬふかちぎかよしげかりしかバ律義りちぎ一哲いつてつなるちゝおほひにいかつゐ便室ひとま押籠おしこめさら出入でいりくちとざし他人ひとあふことさへもゆるさねバ唯々たゞ/\欝情うつじやうせまたりしがこのほど風聞ほのか花衣はなぎぬうはさありてかの娼妓せうぎ或人あるひと身請みうけせられて當時いま松戸まつどあらずといふにぞ毋親はゝおやそのよしおつと私語さゝやきやうや春造しゆんぞう籠居こもりゐゆるさせしが春造しゆんぞうハはじめて友人ともだちにも出合いであひその押籠おしこめられてありあいだことをくわしくきけ花衣はなぎぬ真間まゝさとなる手古奈てこな三郎さむらうあがなはれてかれ別荘べつそうかこはれて」 あるよしつげられしゆゑ心驚こゝろおどろいきどふりしがまたつら/\推察おしはかるにわれ押籠おしこめられてあふことたちしのみか便たよりさへ絶果たへはてたりしそのうち真間まゝさとへハあがなはれたるかにもかくにも花衣はなぎぬ心底こゝろのそこ問定とひさだめてじつ不実ふじつるべきのみと思案しあんきわ或日あるひ何氣なにげなくいへいで真間まゝさとゆきたりしがおりからあきころなれバそらさだめなきくもいろ忽地たちまち結陰かきくもりいかづちおとひゞきわたりあめにわか降出ふりいでしの便宜よすがもあらざれバ彼方かなた此方こなた見廻みまはしながら喘々あへぎ/\はしりつゝみち行路ゆくて辻堂つぢだう漸々やう/\欠入かけいりぬれたる衣絹きぬしぼりなんどしかすかてら燈明とうめう唯看とみれ篇額がくにハ金字きんじをもつて圓通閣えんづうかく三字さんじうつせり正中まんなか須弥壇しゆみだんうへなるハ海老錠ゑびぢやうかけたる一筒ひとつの」9 厨子づしなり春造しゆんぞうこゝろおもよう日来ひごろしんじて利益りやくいのれバたゞ仮初かりそめあめしのぐにも救世ぐせ大悲だいひ觀音くはんおん薩〓さつた御堂みだうにこそハいりしならんありがたしと三拝さんぱいしつゝさぐ手元てもと線香せんかう落散おちちりたるをひろひとりうつしてこれさゝ普門品ふもんぼんとなへながらあめはるるをまちわびたるにます/\はげしくふりしきり雷光いなづまくさてら霹靂へきれきみゝつんざくにぞ弥々いよ/\神咒しんじゆ數百篇すひやつぺん誦居となへゐたるに不測ふしぎしきりに睡魔ねむりもよほしけるが此時このとき外面そともひとおもかげしてけれバ何者なにものなるかとうかゞところはげしかぜ吹入ふきいり燈明とうめう吹消ふきけしたり モシ何人どなたらなひが雨舎あまやどりならバはや此間こつちへお這入はいりなせへわたし先刻さつきから此所こゝ霽間はれままつ」 ますいヘど外面そともあるひと答面へんじもなさでしづかなるがたゞ潸然さめ%\なくていにてまた赤子あかご泣聲なきごゑきこへけれバ春造しゆんぞうはなはだあやしみかゝる夜中やちう嬰兒みどりごいだきてきたるハ何故なにゆゑおもひながらもすかモシくらやみでわからなひがたしか婦人ぢよちううけましたがなぜ此方こつちへハお這入はいりなさいません子 ハヽアきこへわたし一個ひとりだから此様こんところおとこおんな對座さしむかひハうしろぐらひ所爲わざだとおもひなさつてか けしわたしやァおこゝろをおおき被成様なさるようもんぢやァござゐませんサア/\遠慮えんりよなしに此所こゝ這入はいつちゝをおあげ被成なせへ其所そこなさつたといつても他人ひと難否なんぴをいふにハおなことサア モシぬれなひうち此方こつちへお這入はいり被成なさいナ ト10 いはれてやうやだううち入來いりきた春造しゆんぞうまへたゝずみしばらく言葉ことばもなかりしがなみだをうかめて(ママ)かなしきこゑにて モシしゆんさんおなつかしふござゐますいふこゑきい春造しゆんぞうハうちおどろヲヤ左様さういふこゑ花衣はなぎぬかへ何様どうしてマアこのあめふるばん此様こんところたのだノウトいへ花衣はなぎぬハしほ/\としていとゞあはれな涙聲なみだこゑ アノウ先日いつそかまへわかれてからおもひがけなく他人ひと請出うけだされてわちきやァモウ/\何様どんな苦労くらうますだらふその前後あとさきことふみかいておまへさんのとこらせてあげても使つかひひとがおにかゝること出來できなひければふみをあげるたよりもなひといつかへつてますしおまへさんの」 ほうからハちつと便たよりをしてハおくれでなひから相談さうだんをするひとハなしなふとおもつてもおまへたね赤子ねんねへ腹中おなかるとおもふと慈愛かあいそふでそれも出來できませず其中そのうちにハ何様どうかしておまへあはれることもあらふかと詮方しかたなしにあつちをバましたけれども始終しゞうこれまで病氣びやうきだといつ別荘りようほうわづらつてようてばつかりりましたハ ヱヽそれハマアとんだこつたそして今夜こんや何様どうして此所こゝたのだなんにしても安心こゝろならなひわけだノウ サアそれからわちきこゝろにハ種々いろ/\かんがへて何様どうこの赤子産落うみおとしてからおまへほうあげそのゝち自害じがいでもませうかとおもつてもわちきがおまへひ」11 したつてますのハ勝手かつていまとこさんさんが澤出たんとかねしておくれうへなが別荘べつそう世話せわになると猶々なほ/\おんあだかへようになつてつみふかくなりますからちつとはやんで仕舞しまつておまへさんにもうたがはれなひようさんさんにもながおんにならなひようにと覚悟かくごましたらバそれ推量さとられてものでもなんでもそばにあるものを採上とりあげられて昼夜ちうや そばばんをするひとがありますからいのちすてこと出來できなひくるしさをマアよくさつしておくんなさいましそれだけれどもおまへさんもまた何様どんなにうちがむづかしくッても一度いちど二度にど便たよりが出來できそふなものだとうらんで」

【挿絵第三図】

 挿絵第三図

節義せつぎ一念いちねん春造しゆんざう赤子せきしわた

りましたハ 左様さういふことならバうらんだももつともだが此身おゐらほうもなか/\自由じゆう便たよどころ一間ひとまうち押込おしこめられて出口でぐちぢやうしめおかれたもの ヲヤ左様さうでござゐましたかそれでハふみあげてもとゞかなひはづでありました子 ヱそれからア ノウわたくし是非せひしのふとおもつても衞護人まもりてますのでそれかなはなひのを漸々やう/\すきあはせて存念おもひはたして ヱヽ 「ちりの浮世うきよあと觀音くわんおんさまの淨土じやうどとやらへ往生わうじやうをとねがこゝろにあきらめても引戻ひきもどされる煩脳ぼんのうわすれかねるおまへことまことにくるしいいまをよくマアさつしておくんなさゐヨトさもあはれげにへにける」13

  第十四回ノ下 〈花 衣はなぎぬ赤 子みどりご春造しゆんざう令抱いだかしてさる慈兄じけいくやみ春造しゆんざう語花衣事はなぎぬのことをかたる

再説さても花衣はなぎぬなみだむせびてありけるがそも愛着あいぢやくほかならずちかひしことわすられぬきみ面影おもかげつき正念しやうねんさまたぐるきづなとなりもだくるしむおりからに胎順つき不足たらで平安やす/\生産うまれたりしハこれこのちごすこやかにして骨逞たくましく久後ゆくすへきみためにもと觀音くはんおん菩薩ぼさつねがひをたてしばらくいとまたまはりて今夜こよひ僥倖さいわひわらはゆゑにとうれしくもまた難有ありがたく御心みこゝろなやましたま這所こゝましておはするよしことはべりしかバこの赤子ちご与逓わたしまゐらせんとかく黄泉よみぢやう/\あらはれてこそまゐりしなりねがふハこの養育やしなひたまひて」 あはれとハ給へかしわらは草葉くさばかげよりして他所よそながらまもりとなり赤子やゝ はべ〔り〕なん餘波なごりつきこときみこゑたましいそみ弥々いよ/\輪廻りんゑにさまよひまよひのたねとハなりはべ女心おんなごゝろ淺間あさましや大慈だいじ大悲だいひぼさつちかひハ廣大くはうだい無量むりようましませどもみづかぢやくみづかしうする煩腦ぼんのうまよふをバすくはせ給ふ方便てだてなしとやきくまことかなしさにわれからくるしむ地獄ぢごくせめいまハいとまをつげまゐらす後丗ごせとむらたまはりねといふかとおもへバまぼろしすがた・(ママ)へてけむりのごとくはかなきかげ春造しゆんぞう赤子ちごいだき半狂乱はんきやうらんなげかなしむみゝもといとたへなるこゑにてやよ春造しゆんぞう安堵おちゐ汝等なんじら夫婦ふうふ信心しん%\よつわが圓通えんづう神力しんりきくわねがひをかなへ」14 とらするぞときくよりこれハとおどろさむれバ惣身そうしんすべてあせなが仮寐うたゝねゆめにてありけれバ四辺あたりるにこのときあめふりやみつきあか千草ちぐさむしあはれをさみしさいはんかたなきおり不測ふしぎ赤子おさなごなくこゑかたはらきこへけれバ再度ふたゝびおどろきこれをるにまさしくゆめ見留みとめたる赤子おさなごかはらねバ春造しゆんぞうハまづいだあげいたはりながらつく%\かんがゆるにうたがことなく正夢まさゆめにて花衣はなぎぬわれした貞節ていせつ立通たてとふ三郎さふらうへハ言訳いひわけつきつゐ自害じがいをなせしものかるにてもわがたねにやどせしをかゞなふれバ八月やつきばかりになりもやせん在斯かゝれこれ我兒わがこにしてこひしきつま像見かたみなりあゝわれながらおろかなりき押籠おしこめられてありつるうちひそか脱出ぬけいであひまみえ」 こと子細しさいかたきかかれ浮身うきみ動靜ありさまをもなぐさめんとおもひしハいく百度もゝたびことなりしがよしやひとにハれずとも父毋ふぼいかりを恐氣おそれげなく私情しじやう身侭みまゝになさんことひとたるみちにあるべからずといましすごしてくやしけれといひてかへらぬ繰言くりことなるか遮莫さもあらバあれ花衣はなぎぬ幽魂ゆうこん宙宇ちううまよらバわがいふこときゝねかしはや逢相見あひまみへざりしハ千般ちたび百回もゝたびくゆるともまた甲斐かひもなき所爲わざなれバたゞ此上このうへ何事なにごとさだまる前丗ぜんぜ宿業しゆくごうおもひあきらめ一毫つゆばかりも陽世このよねんとゞめずしてつねしんずる觀世音くはんぜおんげんいませる南海なんかい補陀落ふだらく淨土じやうど往生わうぜうせよそれ人間にんげんれいたるや天地あめつちあいだしやうたるものおさとするハたゞしきみちおしえたてよくおこなひをたゞすがゆゑなりしかるにおんの」15

【挿絵第四図】

 挿絵第四図

 撫子にかゝる涙や楠のつゆ

貞操ていさう古今こゝん賢女けんぢよたぐひにはぢいと清潔いさぎよき所為わざなれどもものぢやくしておろかなるこゝろ穢土えとのことき正果しやうくわはしをもことなく三惡道さんあくだう墮落だらくせんいへこの其方そなたゆゑまどひて這所こゝしものなれバ正理せいりとく烏呼おこがましけれど聖僧ひじり言葉ことば仮用かようしておんためさとすべしそれ執着しうぢやくねんよつまぼろしのかげをあらはし在斯かゝる所為たぐひことあるハめづらしからぬわざながらまよふもさとるも毫末がうまつさかいなりおよそいきとしいけるものハひとりうまれてひとり蜉蝣ぶゆう一期いちご槿花きんくわさかへかならずしもうらやむべからずわがいまより桑門よすてびとかずいり貴嬢おんみため菩提心ぼだいしんおこ後生ごしやう善所ぜんしよ供養くやうをなさんまたこの赤子ちごかくもはかりてやしな壮健すこやかに」16 成長せいちやうなさせたつべしもあるとき有為うゐなみよせてハかへるかぜさはぐ娑婆しやばこゝろとゞむハえきなしそれ悟道ごだううたにもきくよしあり

   さま%\にたくみしおけそこぬけて

           水たまらねばつきもやどらず

おもへかしさとれかし四大しだいひとたびしてかつなににかよら二氣にき散乱さんらんしてさらいちもつなしとハとき給ひぬ佛果ぶつくわよや花衣はなぎぬいますがごとくりかへし南無なむだい圓通えんづう薩陲さつたたすけ給へとねんじつゝ赤子みどりごはだかきいだ念々ねん/\魂路ころとやうたふどりつまそらにてなみだかゝところあとそのなみだ露雫つゆしづくちからなく/\真間まゝさと手古奈てこなかまへし別荘べつそうたづね」 いたりて三郎さふらうたいなしたきおもむきを叮嚀ていねいいひいれけれバかのひと邪氣じやきさはられ二三にさんにちにかへらずこの別荘べつそうにうちふしてありけるが春造しゆんぞうたのみ承諾うけひきやがて一間ひとませう時候じこう挨拶あいさつおよびしかバ春造しゆんぞう遠慮えんりよながらも花衣はなぎぬうへことふに三郎さふらう不興ふけうなるていもなく奈何いかにせしかなみだをうかめ イヤその花衣はなぎぬ昨日きのふ夕方ゆふがた不便ふびんことをいたしました前後ぜんごことをくはしくかた「よく/\おもせまつたことかそばひとのなひおりをうかゞつてには古井ふるゐなげあはれ最期さいごましたきい此方こなたもあらんとかね覚悟かくごありながらまた今更いまさらむねとゞろきしばらく言葉ことばもなかりしがやうやくにこゝろしづ三郎さふらうへ」17 むか只向ひたすら不遠慮ふえんりよなるをわび卑下ひげかの花衣はなぎぬもとかよそめしより昨夜さくやゆめのことまでもくわしくかた「おこゝろさはりますようことをなが/\しく申てさぞかたはらおもはくもと腹立はらたちでござゐませうがおこゝろひろ御器量ごきりよううけたまはつておりますゆゑそれにあまへて段々だん/\ことをもおはなし申ます何卒なにとぞ失禮しつれい御免ごめん被成なさつこのうへハよろしく才角さいかく差圖さしづをもおねがひ申たふござゐますしほ/\として物語ものがたり懐中ふところいだきし水子みづこするほどに三郎さふらうをはじめかたはらおりあふひときも寄集よりつどひつゝこれるにちごねむりてありつるがこの物音ものおとにうちおどろ一聲ひとこゑたかなきいだせバ三郎さふらうハその始終しゞう嘆息たんそくのみにあり〔り〕」 けるがおもつき横手よこでうち〔り〕 イヤしかし丁度ちやうどいゝさいはひなことありますこの別荘りよう畄守居るすゐたのんでおく夫婦ふうふもの長家ながやうちますが十日とふかばかり以前あとさんをしてちゝ多分たいさうこまるといふことマア/\はやちゝのませるがよからふ へイそれまことこの僥倖さいはひでござゐます左様さようならバ何卒どうぞあふせにしたがひまして ナニ/\ちつとも遠慮えんりよなさることハないすぐさまちゝあるひとその乳房ちぶさふくますれバいとうれしげに風情ふぜいあいらしくもまたあはれなり サテ モシまづこのをバこの内宝かみさんにまかしておいマアおくへおいでなせへまだ種々いろ/\ふかひおはなしを仕度したいこともあるから春造しゆんぞうおくともなひ」18 ひそやかなるりてかたはらひと近付ちかづけずしてひざをすゝめ トキニ モシ春造しゆんぞうさん花衣はなぎぬ死去なくなつところかう言出いひだすと外聞ぐわいぶんわるまひとおも屓惜まけおしみで虚言こしらへごといふかとうたがはれるわけだがじつ左様さういふことでなひからよく聞解きゝわけておくん被成なせへしかし他人ひとどられまひとあんまふか遠慮えんりよ仕過しすごしてまだ昨日きのふまでも花衣はなぎぬにさへわたし実意じつゐあかさなひからはかなひをもとげさせた後悔こうくわいことだが正直しやうぢきいふわたし花衣はなぎぬ身請みうけしたのハ浮氣うはきことでもなけれバ意地ゐぢづくといふでもなしその最初はじめからおまへふかいひ約束かはしたおひとだとハつてましたがおまへ親御おやご腹立はらたちうけ押込おしこめられて」 被成なさること聞出きゝだして花衣はなぎぬ辛苦しんく不便ふびんさに身請みうけをして此所こゝおいたのハやがておまへ勘氣かんき同前どうぜん不首尾ふしゆびなほつ内外ないぐわいのこともすんだらバそのとき何様どうかしておまへにおかゝつて相談さうだんをして花衣はなぎぬをおまへ女房にようぼうもつておもらひ申さふと底心したごゝろさだめてましたがきい春造しゆんぞうまゆにしはを「何なにふかおぼめしつたことでもござゐませうがさとつとめ花衣はなぎぬそのよう御不便ごふびんくわへられますおこゝろそこ何様どういふ思案しあんからましたこと何分なにぶんわたくしにハおもられませんこと「されバそれを滅多めつたにハくちしていはれなひわけがあるゆゑにこれまですこしもひとらさずにおきましたが四辺あたり19 まは小聲こごゑになり春造しゆんぞうそばより モシじつ花衣はなぎぬわたしのためはらがはりのいもとでござゐます ヱイ スリヤアノ真間まゝ長者ちやうじやきこへたそのもとさまの御妹おいもふとコレハ/\ぞんじがけなひ花衣はなぎぬ素生すじやう あに身分みぶんいもとともらせずすごしたその子細しさい一朝いつちやう一夕いつせきのおはなしにハなりかねますが大略あら/\きかせ申ますから他人ひとられて被下くださいますナトこれより手古奈てこな三郎さふらうその所存しよぞん家内かない始末しまつをくわしく春造しゆんぞう物語ものがたハまだいと長々なが/\しく看官みるひとあきもしたまふならんと一休しばらくはなしを次編じへんにゆづるこれろくまきしるしたる石濱いしはま於亀おかめちゝでんなれバのちこの條下くだりくりかへしてらあはせてたまへかし」

 上巻末

この一冊いつさつ八賢女はつけんぢよがいまだおさなくまたハうまいでざるときことなれバその心得こゝろえにて夲傳ほんでんこんじたまふべからず追々おい/\嗣編じへんをよみ給はゞくわしくよしあれどこゝにハ紙員しいんかぎりありてまかせぬのみか作者さくしや愚案ぐあんおもあまつてふでうごか只管ひたすら愛顧あいこねが〔ふ〕いふ

門人校合〈狂文亭 爲永春江 ○|狂詠亭 爲永春暁 ○〉 

貞操婦女八賢誌ていさうおんなはつけんし二輯にしう卷之一20

貞操婦女八賢誌ていさうをんなはつけんししう 卷之二

東都  狂訓亭主人編次 

   第十五回 〈妬婦とふ妊身みごもりて正室ほんさいにあたす|ひじり法力ほうりきもつれうしづむ

再説またとくそも/\花衣はなぎぬ素生すじやう悉細くわしくこゝにたづぬれバ。その爺親てゝおや左門さもんとなへすなは手古那てこな三郎が実父じつぷなりはゝハ左門がめかけにて三輪木みわぎとぞよばれけるされバ花衣はなぎぬハ三郎と腹変はらがはりの兄妹けうだいなり さてかの三輪木みわぎ真間まゝさとなるいと/\まづしきものむすめなりしが容皃かほかたち美色うるはしきにより年齢とし十七八はち(ママ)ころより白拍子しらびやうしわざつと諸方しはう人々ひと%\まねかゆき 酒宴しゆえんの」 けうもよふしつゝほそけふりをたてたりしがちゝはや死亡みまかりはゝのみ一人ひとりちからぐさおひゆくすゑとふからぬに暫時しばしなりとも安樂よをやすくやしなはんとのこゝろにやかねてより手古那てこな左門さもんかれこれ不便ふびんくはえしゆゑやがてかけとなりつるが左門にハ夲妻ほんさいあれバ時節をり見合みあはせて家内かないへ入なんまづそれまでハはゝもろともいま家居いゑゐ 造作ざうさくして心置こゝろおきなく活業くらせかしとそのあてなど心付こゝろづけなにくれとなく丗話せわすれバなか/\に心安堵おちいて今ハ酒宴しゆえんせきにもいで左門さもんをのみ大切たいせつになをざりならず心をもち月日つきひ おくそのうちにいつしか左門の種子たねやどきものこの三輪木みわぎ風情ふぜいはゝうれしきそのなかあんじも」1 すれバはづかしとかくす心のむすめをさし左門さもんかくげしかバ左門もよろこ一方ひとかたならずさきにハ夲妻つま男子おのこゞうまめでたきことにおもひつれどあま一人ひとり心細こゝろぼそをまたさら三輪木みわぎ懐胎くわいたいうはさきくいとうれしく時節じせつもいたらバ毋子おやこともいへひきとりゆしなひて一家いつけさかへともになさせんたのしみにむすめにも心つよくおもはせよとはゝにくれ%\うちかたらひなほ三輪木みわぎにハ睦言むつごとすへかうせんかうすべしと心のそこにハほどまでおもはぬことをとこ遊言いたづらうれしがらする安堵きやすめまた恩愛おんあいもかさなりけん折節ときによりてハ三四日あるひハ四五日日夜にちやつゞけて三輪木わぎいゑ起臥おきふししてあつめぐみのかずそひて」 毋子おやこ僥倖さいはひおほかたならず世上よのなか人心ひとこゝろたるまかせてこと不足たらぬよくのみかこひまたかぎりなけれバ片時かたときもはなれともなきこゝろから逢初あひそめしよりいとふか逢瀬あふせうらなほ不足たらずわれからつみをつくるもありてすゑ松山まつやまなみなげきとなるがおほくあり今この條下くだりよみたまひて婦女子ふぢよしつゝしみとしたまへかし 左門今日けふ何様どうだへ 「 ハ イなにもちハわるくハござゐませんが妊身おなか所爲せへ起居たちゐ不自由むづかしくッていけませんハ 左様さうそれ何様どうしても太儀たいぎだらふ 此身おゐら何程いくらあんじてハるけれども産道こればかりハおとこにハちつともわからなひこっ詮方しかたがなひの それだけれどもマア毋人おつかアつける」2 からひと安心あんしんアノウきゝのも申にくこつてござゐますが わちきがお種子たね首尾しゆびよく平産うみましたらバわちきをバなんにして被下くださいます なんとハ身分みぶんことハイサ何卒どうぞ部屋へやとか夲妻ほんさいとか申ことを いまさらあらたまつことをいふノウ いまでも家内かない納得なつとく次弟しだい(ママ)何様どうでも仕様しようハあるけれど近隣きんじよへの遠慮えんりよ家來けらいおもはくをかねるの うちこゝろねたみをするようことハなひけれども三方さんばう四方しほうそろはなひと和合なかよくいかなひからマア モウすこ辛坊しんぼうしてるがいゝ ていよくこひ當坐いつすん退のが三輪木みわぎ夲性うまれつきるゆゑに理非りひたゞしくいひ不聞きかせずものやわらかに會訳あしらひけれバ 「それハモウ幾日いつかでもおまち申ますが」 子 ト左門さもんかほつめて アノ子 なんヲホヽヽヽヽ アノこれハたゞわたし仮初かりそめにおきゝのでござゐますが アノウ御夲妻おくさま被御座いらつしやらないとわたしようものでも正室おくさまにして被下くださいますか 「それハいまようさいさへなくハ其方そなた行儀とりなり次第しだい何様どうともならふけれど當時いまところでハ何様どう詮方しかたがなひ 左様そんなら只今たつたいまにもおそれながら御正室をくさまもしものことがござゐましたらバかならそののお言葉ことばをおわすれ被成なさいますナヱ ト ねんをおしたるおんな痴情ちじやう左門さもんなにとやらこゝろあたれど病人びやうにんさわらんも如何いかゞなれバその機嫌きげんよくいゑかへりしがひとりつら/\おもよう三輪木みわぎ生質せいしつかくまでにかたくななりとハ」3 推量おもはざりしわが夲妻ほんさい故障さはりをなすといふまでにハあるまじけれども婦女おんなのせまき心中こゝろより万一またいか何様やう所爲ことたくみていへかゝは悪名あくみやうわがたてむも不快こゝろよからずさりとてさすがにわが種子たね懐妊やどしてあるに別離わかれ餘所よそになさんもじやうなきわざなりやせんかくやと思案しあんすにたゞ以來このゝち往來あしとふくしおのづか愛念あいねんうすくなるようにはかるのほかあるまじとそれより例日いつもごとくに不行ゆかずたゞ折節をりふし音信おとづれふみなどおくりて安否おんぴたづ家内かない夛用たよういひたてゝ両月ふたつきばかりをすごしけるがそのころ左門さもん正妻ほんさいなりしかへでといふがわづらふしさら医師くすしわざ不及およばず妙薬めうやくといヘども効驗しるしなけれバ家内かないの」

【挿絵第五図】

 挿絵第五図
妬婦とふ痴情ちじやう左門さもんあいをうしなはる」4」

あん一方ひとかたならずかれこれ評義ひやうぎすれども病根びやうこんなにともわかりがたく數人あまた良医いしや思案しあんにもれてますはな姿すがたさへ枯木こぼくよう痩衰やせおとろ内外うちと知己しるひとどくおもはぬものもあらざれバ左門さもんをはじめ実子じつしなりける三郎さふらう孝心かうしんふかきものなるゆゑ幼子おさなけれども老実おとなしく昼夜ちうやをわかたずはゝほとりはなれずにおろ/\するさへあはれなりこのときあやしいかなかへで容体ありさま氣質きだてまで平生つねかはりて荒々あら/\しくこと実子じつし三郎さふらうにくしかりなどすることはなはだしく邪見じやけん形容すがたあらはしけれバ左門さもん心中こゝろのうちおもあたれることありけるゆゑちか山林さんりん引籠ひきこもりて行法おこなひすませし聖憎せいそうもとにいたり邪崇じやずいをはらひのぞき」5 もらはんとその草庵さうあんまゐりけれバなるかなこの聖憎ひじり神通力じんづうりき尊者そんじやにてありけん左門さもん言葉ことばまたずして イヤこれハ手古那てこな長者ちやうじやどのか内室ないしつ病氣びやうき祈祷きとうことまゐられたらう サア/\同道どう%\でござらういま隱居ゐんきよいたしてももと旦家だんかのそのいへかねうはさきゝましたいはれて左門さもんあきるゝのみやが連立つれだちいへかへかの阿闍梨あじやり指掌さしづしたが病人やむひとかへでまへだんをかざり金剛こんがう密具みつぐ如法によほう安置あんち阿闍梨あじやりくち咒文じゆもんとな左門さもんそばにさしおきみだり他人ひと出入でいりゆるさずすで祈祷きとうほうしゆいとたからかにれいうちならし大喝たいかつ一聲いつせいをひらきてだんうへ白眼にらみつめ 聖僧なんぢ」 しらずや人間にんげん執情しうぜう一念いちねんわづかうごけバ阿鼻あびほのふさかんもへ火車くわしや鬼卒きそつ地下ぢげいかなんぢわれらずともわれよくなんぢさとつたるぞたとへ奈何いかやうかくすとも不動ふどう火界くわかい咒文じゆもんもつなんぢ邪心じやしん居所きよしよやくべしいでのれ。せめかけてこゑはげしき老憎らうそう法力ほうりきむなしからずしてかへでたちまをふるはし左門さもん潜然さめ%\とうちなげアヽ モウ/\いのりを何卒どうぞゆるし被成なさつ被下くださいましいままでつゝかくしましたがこゝろあらためて申ますいふ声音ものごしかへでにあらで左門さもんかね覚悟かくごある三輪木みわぎ音声こえ相違さうゐなけれバ左門さもんおもはずひざすゝむねいためて猶豫ためらへ阿闍梨あじやり念咒ねんじゆもんゆる聖僧すこしハゆるすさりな」6 がら夫人おくがたなやますことなく左門さもん殿どのにいふことあらバはやく申て立退たちのヨト慈悲じひことば合掌がつしやうするかへで容体さまハかはらねどこゑハたしかに三輪木みわぎにて 左門さもんさまいまなにをかおかくし申ませうじつわたくし三輪木みわぎでござゐます嫉妬しつとおんなつゝしみながらお種子たねやどしたそのゝちからして御夲妻おくさまがなくハ何様どうわたくしようものでも貴君あなたのおそばられませうかとぞんじました一念いちねんがおはづかしいことながらかへでさまの御身おみてつしましてこのあいだうちおんなや只今たゞいまわたくしのこゝろでハ其様そんことおもふまいとぞんじましても一旦いつたんつくツわたくし罪障ざいしやうおもうござゐますゆゑ自由じゆう進退しんたい出來できませずこの嫉妬しつと罪咎つみとが後生のちのよ紺青こんぜうといふおにうまれかはると」 いふこと耳根みゝそこつらぬくようおそろしさ何卒どうぞ慈悲じひ聖人せうにんさま追福ついふくをおねがひ申上ますたとへお種子たねうみましてもいへ引取ひきとり被下くださいまするなせめこのうみました小児ちいさいのまでうき苦労くらうをさせるがいへあたをした三輪木みわぎつみめつします道理だうり不便ふびんにハませうが左様さうなさつて被下くださいましなにを申あげますも。アレをなやますつみせめ名残なごりをしい何様どうせういふかとおもへバたちまちにかへでたいとこうへたふれて正躰せうたいなかりしがかの聖人せうにん祈念きねんよつゆめごとくに全快ぜんくわいして病中びやうちうことハいさゝかもらずまち左門さもんそのゆゑかへでつげねバ三輪木みわぎこともそのころたへ沙汰さたなくすごせしとぞさて」7 また三輪木みわぎいへにてハ手古那てこな祈祷きとうときなりけん コレサ/\三輪みわや/\なぜ其様そんかなしひこゑをするのだへさましな アイ /\アゝ引 こわかつたゆめゆめへといつたッて此毋おいらるものか異変おつこといふヲホヽヽヽヽ先刻さつきから呼覚よびおこしたのをらなひのかそしてなんこわゆめたのかへ アヽ モウ/\こわひともくるしひともいゝようのなひこつてありましたハ何卒どうぞでもみづでもすこしおナトいふをきくより母親はゝおやいませんじたるくすりくみきたりて介抱かいほう臨月りんげつちかむすめ病氣びやうきいたはりなぐさすごしけるが三輪木みわぎゆめたりしのみかこゝろてつせし嫉妬しつとつみおもひまはせば」 おそろしき前後あとさきわが一念いちねんしうねくもかへでさまに着崇つきまとひ病苦びやうくなやましさま%\の非道あらぬことまで言罵いひのゝしりにくらしき所爲わざをなせしうへ奈何いかに不便ふびんおもひしひと愛相あいそうつきざることやあるべきわがこゝろにもはづかしき因果ゐんぐわごうなさけなや現在げんざいはゝにもかくありしとはなしもならぬゆめ体相さまつくりしつみくやしくもむねいとくるこのとがぬるがましのことなれどいましにゆか懐妊おなか赤子やゝやみよりやみまよはせてまたなほさらのつみともなるべしにもかくにも一ッひとつ置所おきどころなき葉末はずへつゆとくにもきえなバばかりのなげきハよもやあるまじとおやおもあんじます/\おも産婦さんぷなや其後そのゝちをんなの8 うみけるがかゝなげきのつもりしゆゑにや幼児おさなごあとのこ三輪木みわぎつゐりぬはゝかなしさかぎりなけれどむすめなけれバ詮方せんかたなくひそかに他人ひとたのみて左門さもんつげしが左門さもんハこれを不便ふびんおもヘど内外うちともの蔭言かげこといへはぢぞと心得こゝろえてひそかに三輪木みわぎはゝもと月日つきひすごれうおくりてかの幼子おさなごそだてさせしがその赤子おさなごをばおはな祖毋そぼ介抱かいほう麁畧そりやくなけれバ蟲氣むしけもあらでそだちしがおはな三才みつになりけるとし祖母そぼもはかなくなりしのちはな便たよりなきとなりやしなおやにありてはて手古那てこなえんれてやうんわろくして松戸まつどなる千葉ちばもと娼妓ぢよろうとハなりしとぞかく手古那てこなハ」 三郎さふらうだいとなり真柴ましばといふつまもありまた勝美かつみといふてかけもありしが不圖ふと花衣はなぎぬ見初みそめしよりいもとらでかよひしが花衣はなぎぬさらなさけなく三郎さふらうそばにもせねバ意氣地ゐきぢとなりて身請みうけせんとその身元みもとさぐひしにあにはからんや亡父なきちゝ左門さもんめかけなりける三輪木みわぎはら出生しゆつしやうなせしむすめにておなたねなるいもとなりときゝおほひにおどろきしがいもとりてハ猶更なほさらすてもおかれぬ亡父なきおやのかたみとおもへバなつかしく春造しゆんぞうこときゝつたへまづ倡家せうかよりひきとりてとこゝろそこ末々すゑ%\をもふかくはかりしことなるにかの花衣はなぎぬ入水じゆすいせしとぞこれよりのちまきかさねておかめでんにくわしくしるせり」9

  第十六回 〈錦籏にしきのはたていして真弓まゆみ花之方近はなのかたにちかづく長谷寺はせでら境内けいだいりくちやひさく

こゝ仙卜せんぼく神女しんぢよ真弓まゆみ稚名おさなな於道おみち笹蔓さゝづるにしきはた鎌倉かまくらおもむ便宜つてもと扇ヶ谷あふぎがやつ奥方おくがたはなかたてい笠森かさもり觀世音くわんせおん奉納ほうのうせらるゝ戸帳とちやうもちひ給はんことつげたてまつその恩賞おんしやうにハ御側おんそばちか給仕めしつかはれたきよしをねがひけれバはなかたおほひに喜悦よろこび給ひたゞ山内やまのうち奉納ほうのうかつべきにしきまゐらせたるこうあるものとのみ賞美しやうびあつてふかくも於道おみち素生すじやう尋問たづねられずたゞち従女こしもとうち召出めしいだされて心置こゝろおきなく古參こさんにかはらずこれつかはせ給ひしが於道おみち天性てんせい美質びしつにて扇ヶ谷あふぎがやつ奥方おくがた給仕みやづかへする女中ぢよちううちにハ」 ならぶものなき容色ようしよくなれどもはじめ見參めみへ折節おりからにハかね所存おもふむねのありけるゆゑ髪形容かみかたちより化粧けはひ風体さまいとおかしげに取繕とりつくろ田舎いなかそだち處女むすめのごとく出立いてだちたれバ御殿ごてん人々ひと%\までにこゝろとめざりしがそばちか召仕めしつかはるゝのときいたりて最初はじめ化粧けはひとはるかにかは衣裳ゐしやう着様きよう衣紋ゑもんつき人品ひとがら尊位けだかくそな素顔すがほしろ艶潤うるはしきさまハ紅粉べにおしろい彩色いろどりたる女中ぢよちうはるかましたれバはなかたをはじめとしておほくの女中ぢよちうあきるゝばかりその艶色えんしよくはぢらひて自然しぜん於道おみちられ會釈ゑしやく麁略そりやくハなかりしが於道おみち萬端よろづこゝろもちひてかみうやま傍輩ほうばいむつましく朝夕あけくれつとめに油断ゆだんなくたちま古參こさんうえたちはなかた御側おそばさらずと衆女ひと%\これうやまひけるが於道おみちひとへ時節じせつうかゞ定正さだまさに」10 ちかづきちゝあたかへさんと思慮しりよをめぐらしたりしが此頃このころ定正さだまさ五十子いさらごるいおもむそれより河肥かはごい順暦じゆんれきして鎌倉かまくらかへらせ給ふときこえしかバそのときをこそとこゝろまちしがときしも弥生やよひ初旬はじめなりけんかの笹蔓さゝづるにしきもつ戸帳とちやう仕立したて給ひ此月このつきの十七日にハ上總かづさ笠森かさもり奉納ほうのうあれバその以前いぜん由井ゆゐはまふな飾整よそほひしてだい施餓鬼せがきもよほすべしもつとも女人によにん回向えかうなれバ舩長ふなおさ〓工かこほか男子なんし舩中せんちうともなふべからずたゞこれおがまんとおもものあらバ自他じた平等びやうどう供養くやうなり貴賎きせん參拝さんぱいゆるすべしとて前日ぜんじつよりそのむね觸示ふれしめされけれバきゝつたへたる貴賎きせん男女なんによ由井ゆゐ濱辺はまべ群集くんじゆして未明あさまだきより船出ふなであいまちいまか/\とさゞめきふハ開帳かいちやうぶついでむか講中かうぢうなんどがこぞるにひとこハ何故なにゆゑ上總かづさのくにおくれる戸帳とちやう仰々ぎやう/\しく鎌倉かまくらにおゐて他人ひとせばやの所爲わざをせらるゝことぞといぶかるまつた我侭がまん所業しよぎやうなれバ追善つゐぜん菩提ぼたい夲意ほんゐにハあらず山内やまのうちより奉納ほうのうありし蜀江しよくこうにしき戸帳とちやうにもまされる古渡こわたり無類むるい珍物ちんぶつ笹蔓さゝづるにしき戸帳とちやう扇ヶ谷あふぎがやつ奥方おくがたより上總かづさ笠森かさもり奉納ほうのうせらるゝと世上せじやうひろいひふらさして山内やまのうちくじこゝろそこたくみとハひそか推量おしはかるものもありしとぞされバ三月さんぐわつはじめ七日なぬか巳刻みのこくころにいたりてかね用意ようゐ調とゝのへたるはなかた御座船ござぶねにハおほきおよそ八間はちけんばかり湊板みよしかたよりともかたいたまでひかかゞや金具かなぐうつ二階にかいづくり上下うへしたにハ障子しやうじたてむらさき文白もんじろまくはりわた11 麗荘れいさう觀目くわんめおどろかす形容ありさまなりまた奉納ほうのう戸帳とちやうをバ一艘いつさう異船ことぶね舟楼ふなやぐらたか修造しつらい三重さんぢう頂上ちやうしやうむらさき天幕てんまくはりこのところ笹蔓さゝづるにしき戸帳とちやう崇々うや/\しくかざおきそのしたにハおほひなる香炉かうろそな貴賎きせん不諭ろんせす焼香しやうかうゆる名木めいぼく一〓いつちうそなゆるもの名目めうもくしるして永代えいたい笠森寺かさもりでら過去帳くわこちやうとゞめ現當げんたう二世にせ安樂あんらくいのらすべしと參詣さんけい男女なんによつげられしかバありがたき御諚こじやうかなかゝのり折節おりからしもざまの我々われ/\かみとも菩提ぼだいこゝろおこしていさゝかのものを供養くやうすることゆるし給ふならバなとて香料かうれうおしむべきとて由井ゆゐ濱辺はまべよりつど貴賎きせん男女なんによハいふもさらなりおくれてこれをきゝつた市中まち/\道俗だうぞく信者しんじや伽羅きやら沈香ぢんかう携持たづさへもち這所こゝ彼所かしこより小船こぶねのりきしおきへと五六ごろくてうへだていかりおろしたる船楼ふなやぐら目當めあてとして乗付のりつけ/\焼香しやうかう時刻じこくをうつすもはれやかなりかくてまた鎌倉かまくらなる花盛場さかりばおほきそがなか霊地ところ清淨きよき法庭のりのには大慈だいじ大悲だいひ境内けいだい廣大くわうだい無辺むへん利益りやく春夏しゆんか秋冬しうとうきらひなく參詣まゐり下向げかう群集くんじゆして押合おしあふひとなか見世みせ手遊てあそ人形にんぎやうしよ商人あきんどのきならべて繁昌はんじやうたとへいはかたもなくにぎはふ御堂みだう西東にしひがしすい不粹ぶすい汲分くみわけ煎茶せんじちやいろもよくいろきそふてみづ茶屋ちややいと數多あまたなる處女おとめ笑顔えがほつくらふ愛相あいさうひかれてしりなが床几しやうぎつゐうかされて喜瀬きせがはなが日影ひかげ宮戸川みやとかは千歳ちとせことぶたのしみとかこれ他生たしやうえんによるみな夫々それ/\贔屓ひゐきれんきやく絶間たへまのなきなかに」12 舩屋ふなやのおかめよばれしハそのころだかひやうばん乙女むすめもと武藏むさし石濱いしはまにて舞子まひこをなせしものなるがこゝろふかのぞみあれバ相模路さがみぢさしておもむきついま鎌倉かまくら落付おちつ此所こゝ茶店ちやみせいだせしよりまだいくほどにもならざれと古今ここんまれなる艶色ゑんしよくゆゑこれためむねこがこゝろいためて折節おりふしうきたることなどひかくる薄客うかれびとさへおほかりしかどもおかめハさらにこゝろうつさずたゞよきほどに言ひなしてこゝ日数ひかずるほどに今日けふことさら由井ゆゐはまかの舩樓ふなやぐらもよほしありとて此辺このあたりさへにぎはしけれバ客待顔きやくまちがほ早朝まだきより」 みせをひらきてところ六十才むそぢばかりのひとりの老女らうぢよ四辺あたりまはし店先みせさきよりずつといりつゝ片辺かたへなる牀几せうぎこしうちかけておかめむかうち含笑ほゝゑみかみかざりの花表はでやかなると衣服いふく模様もやう質素おとなしきほめなとつゝさてふやう吾儕わたし態々わざ/\子細しさいかねておまへのお話語はなし稲村いなむらさきをんな隠居いんきよ真間まゝ愛嬉あいきのお屋敷やしきへいかないやしいつとめにても奉公ほうこうたいとか常々つね%\うはさがあつたゆゑ吾儕わたしもいろ/\もん那方かのかたさまの様子やうすきくにあの隠居いんきよ日外いつぞやより扇ヶ谷あふぎ やつ取入とりいり大侯おだいみやうでもおよばぬくらそれゆゑ日毎ひごと13 に驕奢おごりちやうじあるとあらゆるたのしみもはやつくせしが此頃このごろ若衆わかしゆまひたしとてをとこにてまひたけたるものかゝへたしと鎌倉かまくらぢうたづぬるよし其処そこ吾儕わたしおもふにハおまへもと石濱いしはま舞子まひこたとのうはさなるにつねからおまへ様子やうするにたち振舞ふるまひなら才智さいちならをとこといふともはづかしからぬおまへ気性きしやうるゆゑに吾儕わたし趣向しゆかうでおまへをバかり若衆わかしゆにこしらへてかの屋敷やしきたうへでハ其処そこハおまへ才覚さいかくをとことほす事にもならふおまへこゝろマ ア何様どうはれておかめうち点頭うなづき何時いつかはらぬおまへ信切しんせつ假令たとへ如何いかなるうき所為わざなしても一度いちと愛嬉あいきさまにおにかゝりてたゞ一言ひとこといひたい事があるゆゑにおまへたのみし甲斐かひありて便宜たよりたるうれしさよかのかたざまにはるゝなら若衆わかしゆハおろかやつこにもこのをやつすハいとはしからずよきにはからい給はれよときい老女らうぢよゑましげにおまへういふこゝろならさき何様どうともこのおばした三寸さんずんひまはせバかならまかせておかしやんせとへバおかめほゝゑみこのねがひあれバこそ女子をなごにてだいそれたかりにもをとこ姿すがたをかへ人をあざむ14 くはづかしさよとひつゝあとむねうちふにいはれぬのうへをそれぞと余所よそられじとつけ長管ながらう喜世畄きせるもうさをわすぐさ老女らうぢよふか事情ことわけるや白髪しらがおいいと実面まめつけ喜世畄きせるりて完尓にこやかに再度ふたゝびかめうちむかひおまへはつりながらふもおろかことながらたうときめく管領家くわんれいけぎよかなひしあいさまかならそうのないやうにこゝろつけ何処どこまでもをとこ夲意ほんいわすれぬやうものごとにすつぱりと。ヤ アサ アつるぎまひひと所為わざせかずとこゝろ落付おちつけてならふ」 ことならすけ太刀だちになるべきひとをかたらひて大事だいじとつ夲望ほんもうをとはれておかめ小膝こひざをすゝめそんならおまへなにもかもくはしいさいを御存知ぞんじ吾儕わたしびきなさるかとへバ老女らうぢよにもらしなみだそでにて押拭おしぬぐひおまへはれて箇様かう々々/\といふもおもなき吾儕わたしが身のうへはじ吾儕わたし下総しもふさ真間まゝさと住詫すみわびいやしきものつまなりしが薄命ふしあはせにてつま亡失うしなひけむりをたつるよしもなくほと/\難義なんぎ折柄おりからにおまへ父公てゝご三郎さぶらうさまの出生うまれ給ひしときなれバ吾儕わたし乳房ちぶさのあるをさいは父公てゝご乳母めのとかゝへられなに不足ふそく15 なきとなりておんうちいく稔月としつきおくめぐみハりながらあんほかとてはづかしやいへ若黨わかとう小忠二こちうじたがひにおもひ思はれてしのまくらのそのかず阿漕あこぎうらひくたひたびかさなれバ人目ひとめにもたち浮名うきな詮方せんかたなく三郎さぶらうさまの十二のとし二個ふたりひそかにおいへたち退すこしの知音しるべ心當こゝろあて武藏むさし芝浦しばうら落付おちつけをつと網引あみひき所為わざをなし吾儕わたしわづかのちん仕事しごとあるひひとやとはれなどしてほそけむりたつるうちさちなきときとて小忠二こちうじ風邪かぜ心地こゝちうちふせしが次第しだいおも病勢びやうせい薬餌くすり甲斐かひもあらバこそついに」 黄泉あのよおにとなりたの木蔭こかげ荒磯あらいそ芝浦しばうらにさへすみかねてこの鎌倉かまくらにさすらひつゝはじめをへバ主人しゆじんのおをかすめしばつぞとおもへバ再度ふたゝびをつとせずやもめぐらしになれたるはりわざ渡世たつきとして一箇ひとりくちをやしないつゝ廾稔はたとせばかりをおくうち先非せんひはぬとてもなく何卒どうぞいまいちいきあるうち手古奈てこな 三郎がめいをいふ のおいへ帰参きさんをとおもヘどつみあるこのゆゑこゝろばかりでせんもなくかく月日つきひほど風便ほのかけバ三郎さまハ非業ひがう最期さいごその子細わけあのめかけのといふおりしも長谷はせでらまふで遊客ゆうかくど」16 も四五しごにんつれだちどや%\とおかめみせるにぞ二女ふたりハおどろきそのまゝこの物語ものがたりはてにける

 巻二巻末

作者さくしやいはくこれよりおかめのなりゆきいとなが/\しきことなれバいまこのへんつゞりがたし末回のちにいたりてくはしかるべし看客みるひとよく/\こゝろして前後ぜんごあはせて観給へかし
貞操ていさう婦女おんな八賢誌はつけんし二輯にしう卷之二〔白〕17

貞操ていさう婦女おんな八賢誌はつけんし二輯にしう 巻之三
東都 狂訓亭主人編次 

  第十七回 由井ゆゐはまはなかた舩樓ふなやぐらそなふ金言きんげんくじかれて八代やつしろ耻辱はづかしめかふむる

新拾遺集しんしうゐしうつるおかだかまつふくかぜくもにひゞく萬代よろづよこゑよまれけん そも/\ 相模國さがみのくに 鎌倉かまくらこぼり 由井郷ゆゐのごう雲井くもゐみね つるおか八幡宮はちまんぐう康平かうへい六年ろくねんあきはちぐはつ伊豫守いよのかみ源頼義みなもとのよりよし 奥州おうしう征伐せいばつとき はじめ勸請くわんぜうあられしが永保えいほ元年ぐはんねん二月にぐわつ 陸奥守むつのかみ源義家みなもとのよしいへ修造しゆぞうくわへ それよりのち代々よゝ武將ぶしやう尊信そんしんもつともあつかりしとぞ今日けふなん三月やよひ初旬はじめつかた社頭しやとうはな爛漫らんまん咲揃さきそろそらられぬはなゆきまつの」 小枝こえだふりつもる景色けしきのみかハもゝすもゝ(ママ)山吹やまぶき椿つばき海棠かいだうさかりあらそふ境内けいだいはるながめとき御園みそのはなまたましはへいとけうふかその旨趣よしはなかたまふせしかバたち女中ぢよちう心楽こゝろたのしく未明あさまだきよりかみ化粧けはいおとらまけじと出立いでたつ由井ゆゐ濱辺はまべにうちよすうめはながい櫻貝さくらがい姫貝ひめがいぞともなぞらゆる従女こしもとあれバおさなきたゞ児安貝こやすがいあいらしき姿すがたいろそふ風情ふぜいとハ後刻のち浦曲うらわおもひやるひとうはさありぬべしされバそのこくごろ 倶供〔と〕もびとそろへつゝ扇ヶ谷あふぎがやつやかたねりつるおか社參しやさんとげられうまこく半時なかばにいたるまで境内けいだいはな〓遅しづやかながめ給ひ漸々やう/\由井ゆゐ濱辺はまべ近付ちかづきはるか向方あなた見渡みわたし給へバ貴賎きせん道俗だうぞく男女なんによえらまずさしもにひろ砂原すなはら絡繹らくゑきとしておしつゞひがし景政かげまさの」1 とうほとりより西にし盛久もりひさまつかたはらまで連々れん/\たることはやしごとかくはなかた乗物のりもの由井ゆゐ若宮わかみやほとり留止とゞめられおほくの従女こしもと仰附かしづかれすで礒際いそぎはにいたらせ給へバ通船かよひぶねのせまゐらせてかざりそなへし大船おほぶねやがてぞうつしまゐらせけり このときます/\香木かうぼくそなへたる小船こぶね這所こゝ彼所かしこよりのりいだわれも/\とこぎつゞく戸帳とちやうはい百千船もゝちぶね 往来ゆきゝのさまのにぎはしく弥生やよひうみ閑麗うらゝかうしほとほひくかすみしまやまはれわたりて風景ふうけいいはんかたもなしかくはなかた二階にかいつくりのふねうへましましてはるかおきかたながまたくがかたかへり給ひはえあるわざをなしけりとこゝろうち喜悦よろこばれかねてのあふせなりけれバ參詣さんけいまづしきもの永樂銭えいらくせん施行せぎやうせられ如斯かくのごとくはからはゞ山内やまのうち殿どのへ」 きこえてもほかぎゝわろくハあるべからずさきやまうち奥方おくがたより笠森かさもり觀音くはんおん奉納ほうのうあられしといふにしき戸帳とちやう蜀江しよくこうにしきといふうはさのみにて鎌倉かまくらぢう人々ひと%\今日けふこのよう群集くんじゆしてもてなすほどのことハあらざりしいま奉納ほうのう戸帳とちやう山内やまのうち奉納ほうのうよりはるかに日數ひかず遅後おくれたれど施行せぎやうもつしもにぎはしにしき戸帳とちやう諸人しよにんらせて後々のち/\までかたつたえんかゝれバこのたびもよほしハかのかたざまのはなひしぎあふぎやつかゞやかほまれとなりしぞうれしけれさだめ市街まち/\風聴ふいちやう這方こなたをこそ賞讃ほめてぞあらんと自慢じまんごゝろおはせしかバその下情かじやう穿さぐよとて八代やつしろ下仕おすへ女中ぢよちうまだ青年としわかき處女おとめなれども心賢こゝろさかしものなりとて今朝けさいと2 はや風聞ふうぶんきかするためすがた・(ママ)やつさせひそかにいだられしがたゞいまかへまゐりしとおつぎしゆう取次とりつげはなかたもどかはしげに待侘まちわびしくありつるものを下仕すへ%\なりともくるしからず目通めどふゆるとく這方こなたへといそがせ給へバそのまゝそば女中ぢよちう聲々こゑ%\よびたて/\よび つげつねにあらざるおんあふせ心驚こゝろおどろ八代やつしろ固辞いなみまうせどきゝいれなくやがぜん誘引いざなへ八代やつしろはぢらひおく怕々おづ/\其席そこ蹲踞うづくまるはなかたこゑかけ給ひ太儀たいぎにありしぞ八代やつしろとか蜜事みつじ申付まうしつけたれバ心置こゝろおきなくちかすゝみてちまたうはさきかせよかし奈何いかにまうしおりつるぞ此度こたびわらははからひハ山内やまのうち殿どのまけとら當家たうけ威光ゐくはうます所爲わざとハさだめていひつたふるならんハあらずやと」 あふすれバ八代やつしろやうやくにかうべすこあげながら左右さゆうかへりみ會釈ゑしやくして 八代なたぞ何卒どふぞ取次とりつぎくるしふなひはやいふきかしやいノウ 八代左様さようならバめんかふむりまして申上まうしあげます サア/\はやきかしやいノウ 八代ありまゝにハおそおほ申上まうしあぐるハ不遠慮ふえんりよとおしか被遊あそばしましやうけれど申上まうしあげねバ不忠ふちうとなるよそうはさきみため女中がしらはや申上まうしあげやいのう 八代「かしこまりましてござゐます今朝けさやかたいでまして諸所しよ/\人立ひとだち彼所かしこつぢらぬ風俗ふりしてきゝましたれバ氣々きゞ種々さま%\噂事うはさごと一様いちようでハござりませぬが贔屓ひいき々々/\評判ひやうばん勿体もつたいなひことながら芝居しばゐうはさおなこと山内やまのうちさまをそしるがあれバいへわらひとまたにくようでも當然たうぜんまうす3 ものがござゐまして 女中衆八代やつしろどの前後あとさき心得こゝろえ機嫌きげんにさはらぬようよろし申上もうしあげられよ イゝヤ善悪よしあし何事なにごとかくすに不及およばぬはや 八代彼是かれこれまうそのなか夲覺ほんがく門前もんぜんよりこぞりましたおほくの諸民した%\それ批判とりさたいたすのをよく/\きいりましたらぜんことはゞかりなくおうはさにくやつ わらはことなにいふ其方そちらまではらたつたのぢ 八代サア折角せつかくいへ威光ゐくはう山内やまのうち御繁昌ごはんじやうおとらせまじとおぼめしこの御催おもよふしだい施餓鬼せがき丹誠たんせいみづあは申消まうしけすのも下賤げせんくせおそおほくハござゐますが前様ぜんさまこと遠慮えんりよなく名聞めうもんらしい披成なされかた上總かづさくに笠森寺かさもりでら奉納ほうのうしなならバなにをおあげ被成なされても御志おこゝろざしとふるのに山内やまのうちから奉納ほうのう蜀江しよくこうの」

【挿絵第六図】

 挿絵第六図
旧主きうしゆのためにうめ太郎たらう戸帳とちやうふねにおもむく」4」

にしき御沙汰ごさたうらやましいとおぼめし大人氣おとなげのなひ此度こんど趣向しゆかう笹蔓錦さゝづるにしき大壮たいそう他見ひとめかざ船樓ふなやぐらことにハ名木めいぼく焼香しやうかう仰出あふせだされた底心したごゝろ殿てん伽羅きやらがすくなひゆゑ小袖こそで留木とめきことかい召集めしあつめられるものであらふひけらかされる戸帳とちやうもとたゞせバ他家ひともの 女中「これハしたり八代やつしろどのたとへ下賤した%\まうすとてマアそのよう失禮しつれいイヤきゝかけてハそれなりにきゝすてられぬこのはぢのち覚悟かくごになることまたあるまじきものでもなひ サアそのゝちなんいふつゝまず申てきかせてたもいと温順おだやかなる御尋おんたづねまた八代やつしろ遠慮えんりよなく 八代殿てんうちでもくはしくハらぬにしき戸帳とちやう何様どうしてきゝつたへておりますやら笹蔓錦さゝづるにしき古渡こわたりのと仰山ぎやうさん評判ひやうばん5 しても以前いぜん武藏むさし豊嶋としま傳來でんらいしたにしき古籏ふるはた當時いまでハたしかてき味方みかたあらそなか豊嶋としま重宝ちやうほう越路こしぢ長尾ながを分捕ぶんどりになつたうはさきいたけれどあふぎやつ管領くはんれいかたきとなつた両家りやうけ 長尾ながを登嶋としま のうちからさしあげられるわけもなひせきひがし管領くはんれいいへ似合にあはこつはから非禮ひれいハうけぬ神佛かみほとけそなへるにしき出所でどころうしろぐらくハあかるみへしたいへはちあらふとくちさがなくもまうしました 女中アゝ コレ八代やつしろあんまりなおそおほその言葉ことばそれを其方そなた阿容おめ々々/\いはれてきいかへつたのか奈何いかに女子おなごなれバとて御舘おやかたつかへながらなぜそのまゝきゝ退のがして放心うか々々/\せんやつたたゞいまきくさへ口惜くちおし下輩した%\謗言そしりごと 八代サアそのときわたくし勘忍かんにんならぬ悪態あくたい腹立はらたゝしくぞんじ」 ましたがそしなかにも道理だうりかとおもあたことがござゐましたゆゑらぬ模様もやうかへりますも密々みつ/\下知げぢこと きゝのがしたハ臆病おくびやうとか思召おぼしめすのハ迷惑めいわく女中シテ悪態あくたい道理だうりとハ何故なにゆゑ申すかその分解わけサアきゝませう八代やつしろどのぜんこと下輩した%\そしるも道理どうりやるのハおしゆうさまをおろそかにおも其方そなた不届ふとゞき千萬せんばん不忠ふちうでござる慮外りよぐわい言葉ことば 八代イゝ ヱ不忠ふちうでござゐませぬ御前ごぜんさまのまへばかりをへつらひかざる輕薄けいはく忠義ちうぎ思召おぼしめしますか御役おやくいやしい下仕おすへでもおそばはなれぬ八代やつしろこゝろそこ一日いちにち千度ちたび百度もゝたびおんじ申災難さいないでもなきやうにといのらぬときハござゐませぬ近頃ちかごろそば衆女みなさんが前後あとさきおもはぬ御奉公ごほうこうわざはひハしもからとやら山内やまのうち御舘おやかたあふぎが」6 やつ御舘おやかたくるま両輪りようわたとへ御家おいへ おなすぢ管領くわんれいしよく りよう管領くはんれいうやまは勝劣まさりおとりハなひものを御前ごぜん首尾しゆびよいようにと纔言ざんげんを申あげ山内やまのうちさまと御不和ごふわになる御家おいへ大事だいじかんかへずにかく他見よそめうはさにも角立かどだつよう御計おはから容易たやすいこと思召おぼしめす山内やまのうちおくさまと御前ごぜんさまとの麁縁すれ%\御表おおもてさまの大切たいせつもし両家りようけ御爭おんあらそひとなりましたらバそのときひまうかゞ他心ひとごゝろ御家おいへあやう威光ゐくはう自然しぜんとうすくなります道理だうりじつ此度こんど御催おもよふしも下輩したがたうはさとふ出所でところたしかでなひにしきはた戸帳とちやうとハおそれながら御上おかみ麁相そゝう今日けふともでないゆゑにおもひのまゝを申ますが笹蔓錦さゝづるにしき差上さしあげ御側おそばちか出度でたいと申て取立とりたてみちさまあやしいおひとじやござりませぬか万一まんいち御家おいへあだあるものかかたきかたのまはしものか」 素生すじやうのわからぬうたがはしきそれを放心うか々々/\贔屓ひゐきあつて何様どうやらあぶなひ油断ゆだん常々つね%\あんじ申あげますまた笹蔓さゝづる戸帳とちやう他所よそいへ古衣ふるぎぬきこへますれバよしなひしな今日けふこのようはれがましく鎌倉かまくらぢう人々ひと%\持囃もてはやしても笠森寺かさもりでら奉納ほうのうのち豊嶋としまいへからとりかへしにまゐるまひとハ申されませずとりかへされたら御舘おやかたはぢとなりそなおぼつきおそれながら衆人みなさんから御前ごぜん異見ゐけんあげておとゞめ被遊あそばす恩案しあんあらバそれこそ忠義ちうぎ御奉公ごほうこう乍憚はゞかりながら八代やつしろぞんじまする健氣けなげにも言出いひいだしたるしゆうおも女子おなごまれなるいさめ言葉ことばみゝにさからふはなかた御氣色みけしきあしく八代やつしろ白眼にらまへつめておはせしがおそば左右さゆうかへりたまひ なにとかきゝしぞ衆女人みなのものこの八代やつしろ慮外りよぐわい言葉ことばつけたる役目やくめよそよそ7 しり請継うけついわらはたい悪口あくこうをいたすにおないさめだて かたはらいたひ無禮ぶれい少女もの どふはや退しりぞ急度きつとはから糺明きうめいせいおふせしたよりたちかゝる役目やくめ女中ぢよちう八代やつしろしたながなりとこゝろにくひかへてありことなれバお下知げぢまちかねたりといふ風情ふぜいをなして追取おつとりまき ▲●×サアたちませい八代やつしろどのあまりと申せバ 失禮しつれい至極しごく ×「おそばにおひともなひよう「おおくられぬをもつて御船おふねながらも御前ごぜん御目見おめみへ 勿体もつたいなひほど有難ありがた御恩ごおんおもふはづのところ×ほどらぬばちあたり サアたちませぬか不届ふとゞきものいはれてさすが八代やつしろとしもゆかねばはづかしく面目めんぼくなげにかほあからめなみだをうかめつゝ忠義ちうぎこゝろつゆほどもろしめさずや口惜くちおしおもヘどなに詮方せんかたあらけなきまで左右さゆうからとらへてぞひきおろ首尾しゆびいとわるきその姿すがた御召おめしとき引替ひきかへ八代やつしろさんへ恐悦きやうゑついはれたおな傍輩ほうばいにもかほむけならずものさへも言合いゝかはされぬとがといふにあらねどとがめかなしさ しほ/\としてともはし押込おしこめおかれしハ不便ふびんにもまたあはれなり

【挿絵第七図】

 挿絵第七図8」

このとき神宮かにわ孝子かうしなりける大塚おほつかさと梅太郎うめたらう義父ぎふ杢兵衞もくべゑ越路こしぢよりかへきたれる途中とちうにて横死わうしとぐそのきハうしなひたりし豊嶋としま重宝ちやうほう笹蔓錦さゝづるにしき御籏おんはたたづぬため故郷こけう立出たちいでこゝろくば千辛せんしん万苦ばんく諸方しよほうひさしく俳徊はいくわいなせしが今日けふ鎌倉かまくらきた長谷寺はせでら境内けいだいやすみたるおりしも由井ゆゐ濱辺はまべふな施餓鬼せがきにしきはた戸帳とちやう仕立したてられしときくよりもむねとゞろかしておどろきしが思案しあんきは姿すがたつくろ彼所かしこ此所こゝよと小舩こぶねをあさりて稲村いなむらさきほとりまであはたゞしくぞもとめける

  第十八回 〈 賢女勵志御戸帳於舩登けんちよこゝろざしをはげましてみとちやうのふねにのぼる罪才女舩樓向捕手つみをゆるされてさいぢよふなやぐらのとりてにむかふ 〉」9

かく其日そのひさるこくころにいたりふねくがとの參詣人さんけいびとまた見物けんぶつ貴賎きせんなんによ半分なかばすぎ帰路きろおもむ施餓鬼せがき供養くやう僧衆そうしゆうはや經文けうもんひもむすふなやぐらをしりぞき小舩こぶねのりきしのぼはなかた帰舘きくはんまちてらかへらんとひかへたり此時このとき稲村いなむらさきかたよりやのりいだしけんとおも一艘いつそう早舟はやふねたちまち戸帳とちやうふね乗付のりつけしがその小舟こぶねより舩樓ふなやぐらふねのぼもの歳齢としごろはちばかりの美麗うつくしき處女むすめなりにハ名香めいかう疊紙たとうがみたづさへ戸帳とちやう守護しゆごせし下仕おすへ女中ぢよちう四五しごにんひかへたるに會釈ゑしやくしてだい三重さんぢううへのぼりてかの香包かうづゝみひら焼香しやうかうをなすかとれバハなくして手早てばやくも戸帳とちやう引下ひきおろおしたゝみ腰帯こしおびほど十文字じうもんじあやどりて背中せなかおひやぐらうへよりこゑたかく」 二階にかい下仕おすへむかひ 「戸帳とちやう守護しゆご衆女みなさんへ苦労くらうかけましておどくにハぞんじますがこの戸帳とちやうもとぬし豊嶋としま左衞門さゑもん信國のぶくにらい神宮かには秀齋しうさいむすめうめと申もの養父やうふ杢兵衞もくべゑ過失あやまちうしなひたるにしきはた たゞいま申賜まうしたまはりまして古主こしゆう豊嶋としま持帰もちかへきみちゝとの耻辱ちぢよくきよ古郷こきやうかざにしきはた笹蔓さゝづる帰參きさんづるはなかたさまへこのだんをよろしきよう披露ひろうたのみ申あげますきいおどろ下仕おすへ女中ぢよちうおもひがけなき大膽だいたん言葉ことばなん返答へんとうなく暫時しばらく猶豫ためらひありけるがさすがに建武けんむ年中ねんぢうよりいまにいたつて合戰かつせんたへ丗界せかいうま武家ぶけつかゆる女中ぢよちうなれバたがいかほ見合みあはせしがはげ〔ま〕ましてやぐらうへ白眼にらみながらに大音だいおんあげ ▲●×あふぎが」10 やつ威光ゐくはう場所ばしよがらをもわきまへぬ田舎ゐなか處女むすめ大膽だいたんねがひとあらバ御舘おやかた役人やくにんしゆう傳手つてもとめてかなはぬまでもねがはひでおそおほくも戸帳とちやう手込てごめにせうとハ命知いのちしらず堪忍かんにんならぬ覚悟かくごしや異口ゐく同音どうおんこゑかけてまづ一番いちばんのぼるハ下仕おすへなか勇壮きせうもの身繕みづくろひして頂上ちやうじやう階子はしごすで飛上とびあが引下ひきおろさんと組付くみつけあとよりつゞい三四さんよにんのぼ階子はしごあがくち梅太郎うめたらう一聲ひとこゑさけんでくまれしさきふりほどきはづみをうつて投出なげだせバしたよりのぼ階子はしごくちつゞ女中ぢよちうあたまうへより投落なげおとされて一同いちどうあがはしふみはづしばた/\/\とのけさまにたふれて急所きうしよ同志どしうちにたゞがや/\とさわぐのみおりしも海上かいしやうあやしげなる黒雲くろくも靉〓あいたいとして霏〓たなびきのぼるとへしがこしたけのかたにあたつ春雷しゆんらいおとそらに」 ひゞきけれバ船長ふなおさおほきに周章あはて驚彼すはや戊亥いぬゐ大風たいふう吹出ふきいださんとするきざしなるぞ源氏げんじやまやまおろしにふきちらされな用意ようゐせよと〓立ひしめきたちいかり引上ひきあげきしかたこぎ近付ちかづけんとかぢ取直とりなほおしならべたちさはまた御座ござぶね二階にかいにハとふ眼鏡めがねをもつて先刻せんこくよりおき景色けしき戸帳とちやうぶね往通ゆきかよひをおはせしがたゞいまあやしき白痴しれものあつて戸帳とちやううばとらんとするを守護しゆご女中ぢよちうハさせじとあらそひたれどもつい不及およばず船樓ふなやぐらよりしたうちおとさるゝその風情ふぜいことぐさハきこへねどこと模様もやうにとるごとく眼前がんぜんへけるゆゑはなかた顔色けしきそんいと腹立はらたゝしき御聲おんこゑにて アレたゞいま船樓ふなやぐらすがた・(ママ)やさしき處女むすめまゐにしき戸帳とちやう盗取ぬすみとりにげんとするを女子おなごどもか」11 押止おしとゞめてらじとすれどすでにおよばぬ形容ありさま凡常よのつねならぬ曲者くせものぞやとりにがさぬうちこのふねよりはや加勢かせいものヤ トはげしきあふせに御側おそば女中ぢよちうこれハとおどろおきかたはるかやれバしほけむりにわかたつうら千鳥ちどりむれとぶまゝにかぜそよぎいまゝでありしもゝぶねみなこと%\なぎさかへたゞ戸帳とちやうふねばかり大船たいせんといひ高樓たかやぐら船足ふなあしおもく自由じゆうをなさずうみ景色けしきかはりしさへこゝろおそるゝ女中ぢよちうたちいかづちおとたかくなれバものおそろしくなか/\にお下知げちうけうめ太郎の打手うつてゆかんというものなし元來もとよりとも女中ぢよちうのみさむらひしゆう由井ゆゐ若宮わかみやひかへさせふねにハ水主かこのものばかり奈何いかになさんとruby>〓ひしめけバはなかたいらつたちあがり給ひ 女子おなごもよほ

【挿絵第八図】
 挿絵第八図12」

所爲わざにもせよ管領職くわんれいしよく奥方おくがたいは るゝわらは眼前がんぜんいと口惜くちおしこのありさま さりとて一人ひとり處女こむすめ狂氣きやうきひとし きいたづらを取押とりおさへんとて侍達さむらいたちくがまでよびられうか たれなりとも女子おなごうちにて捕手とりてやくを申つけ八汐やしほらぬか奈何いかにせしぞ いらだち給ふ そのせき下家したやより階子はしごのぼ御前ごぜん中老ちうろう八汐やしほ 八汐にわかことのおひとえらたれかれと申ましても遠慮えんりよいた大事たいじのおやく手間てまどりましてハとりにがして イヽ ヤかよひのふねもの何所いづくへか迯去にげさつて戸帳とちやうかざりしもとぶねほか左右さゆうふねもなしこのほうからのりつくるまでハにげみちのなひ船樓ふなやぐら 前後あとさきおもはぬ不覺ふかくものをとるとてかたことでなひ ちつとはや捕手とりてやくあふせのうちかぜあらこしが」13 たけより吹下ふきおろ高波たかなみたつ御座ござぶねさへゆらめきいだうきしづみます/\雷鳴らいめいはげしくなれバ捕手とりてやくこゝろおそかほ見合みあはせてものくろめく八重やゑ汐路しほぢしほけむ言葉ことばもなくてひかへたりそのとき八汐やしほはなかたむか礼義れいぎたゞしく 八汐機嫌きげんをそむきました麁忽そこつものあいだもなくめんをおねがひ申ますのハおそおほふござゐますが火急くわきうことゆゑ申あげます先刻せんこく落度おちどつい押込おしこめつけおきました八代やつしろ忠義ちうぎこゝろざしすごしをおそいつ後悔こうくわいいたしおります最中さいちうたゝいまいち大事たいじ何卒とうぞ手柄てがらをいたしましてそれこう御詫言おわびこといのちかけつとめますると健氣けなげねがひを申ますゆゑおそれながらうかゞひます取次とりつぐ口上こうじやうはなかたハさしかゝりたる」 大役たいやくたれにとおもより給はねバ是非ぜひなしとやおぼしけん 「しからバ暫時ざんじゆるしてりやこうたてたらそのときつみもゆるしてとりたてはよふ/\せきたち給ふ御意ぎよゐ一座いちざホツ トいき八汐やしほきうともへいたりて八代やつしろよびいた八汐其方そなたねがひハこの八汐やしほがとりなし申ておきゝすみちつとはやぶねのつ八代ヱヽありがたふぞんじまするいふよりはやたちあが小褄こつまばしこくともつなぎ傳馬船かよひぶねたちまちひらりとのりうつれバ水主かこなかにもえらまれし達者たつしや二人ふたりおしきつヱイ/\ごゑこぎゆけやぐらふねなきさかたこぎかへさんとかぢとり艪拍子ろびやうしうつてこゑかぎかぜむかふてはたら難澁なんじうやぐらうへにハうめ太郎がのり小船こぶねにげられこと階子はしごしたにてハ下仕おすへの」14 女中ぢよちうおつとりまき階子はしごくだらバそのあし〓〓なぐりとらんとかまへたりふね浦辺うらべせられてハてき大勢おほぜいかさなりて奈何いかにするとも退のがれまじいかゞハせんとむねをいためいさゝか勇氣ゆうきくじけしがまたつく%\おもようても退のがれぬいち大事だいじ命係いのちがけとハ最初はじめかられたる所爲わざをなしながらなに今更いまさらおどろくべきすで豊嶋としまいだ笹蔓錦さゝづるにしきはたをバわがいれおひたれバ再度ふたゝびてきわたさんやいのちかぎ切扱きりぬけなんかなはぬときこのまゝ青海原あをうなばらそこしづうかぞなきわがたまはたとゞめて守護しゆごげいつしか古郷こきやうおくるべしとおもひきはめて憤然ふんぜん四方しはう白眼にらみ 船樓ふなやぐら突立つゝたちあがりし容体ありさま大丈夫ますらをめきて弱女をやかにはなと」 まがふかほばせにやなぎまゆきよくしてゆきよりしろたゞむきながのばしてはしらをとらへつまからげせしすそたかけれバくれなひのはぎかゝりてかぜのそよぐにはだあらはし紅白こうはくはなさけるがごとしそも/\宋朝そうのよおんな大將だいしやう 一丈いちじやうせいがいまだ梁山泊りようさんぱくらざる姿すがた堀川ほりかは御所ごしよ夜討ようちふせぎししづかぜんおもかげなぞらふべきかたとへていはんかたもなしこのときかぜはます/\つよおきかたへとふきおくれバ八代やつしろ早船はやふね順風じゆんぷうゆゑにいとはやすで戸帳とちやうふね近付ちかづけどもなみかぜとにゆりあげられゆりおろされて幾度いくたびみぎひだりこぎまはり近付ちかづくかとすればへだてられおなところをくる/\とめぐあやうおそろしさはるか此方こなたぶねさへ」15

【挿絵第九図】

 挿絵第九図

なみかぜあらきをしのぎかねまたくがよりも早船はやふねにて無理むり帰館きくわん催促うながしつゝまづはなかたすゝめ申漸々やう/\くがあげまゐらせて濱辺はまべ暫時しばらくおん乗物のりものそななほしておきかたをまたゞきもせずそなはせバおほくの女中ぢよちう左右さゆうならびはな吹雪ふゞき白浪しらなみとびいそはな紅葉もみぢはな菖蒲あやめはぎ桔梗きゝやう四季しき美人びじんさう入相いりあひかねなほちらでおの/\おきながめてれりされバはれなる八代やつしろ捕手とりてわざふねうへ苛立いらだつまでにこゝろせけども水主かこ手練しゆれんの」

【挿絵第十図】

 挿絵第十図

にもまかせずまた/\暫時しばらくはたらきしが此度こたびやうや一丈ひとたけばかりにのりちかけバ八代やつしろかね用意ようゐをなしたるかかぎなわはしくりしごきヱヽ イひとこゑかけながらおほふねへりにうちかけれバ彼方かなたにても心得こゝろえちからきわひきよせつゝやが階子はしごをさしおろせバゆらめく足元あしもとふみしめてなんなくのぼ八代やつしろ傍輩ほうばい會釈ゑしやくをし 八代衆女みなさんのにさへあまるを鳴呼おこがましいとおぼめさふがおくさまの下知げぢでござゐますから何卒どうぞめんを」16 あそばせへ ▲●×イヱ/\ちつともそのよう遠慮ゑんりよいりませぬ 何所どこからまゐつた處女むすめぢややら したがたにハめづらしい上品ひんよひ油断ゆだんのうち戸帳とちやうひきおろして古主こしゆういへもつゆくもと豊嶋としまいへはた他家ひとたから戸帳とちやうとハ管領くわんれいしよく似合にあは何様どうやら理屈りくつのあるよう歳増女としまむすめくせおもひのほか大膽だいたんものいのちすてても笹蔓錦さゝづるにしき取返とりかへしてとかくのはたらきかならず油断ゆだんをなさんすな きい八代やつしろ完尓につこわら八代「たとへ豊嶋としま重宝ちやうほうでもあふぎがやつ奥方おくがたさまのつた笹蔓さゝづるにしき 今更いまさらひとわたさふかとハ今日けふのおもよほこの船樓ふなやぐらうへにあるりようあぎとたまとやらいふにもまさるにしきはた必死ひつしでなくてハ出來できなひわざさだめおぼへの曲者くせものわたしにハいかゞの大役たいやく衆女みなさん加勢かせいをしてくださんせ言葉ことば卑下ひげしていひながらも勇氣ゆうきハたゆまぬやつしろ身繕みづくろひして早襷はやだすきおそるゝいろもなか/\におくせぬ女丈夫おんなますらをこずへをわたるましらごと一重いちぢう二重にぢう三重さんぢうやぐらうへ白眼にらまへながら 八代「いかに豊嶋としまうち女中ぢよちう17 あふぎやつ威光ゐくはうをおそれぬ所爲わざ健氣けなげでもおよばぬこと女子おなごだてらに前後あとさきおもはぬおろかのはたらきつばさがなふてハのがれぬ海上かいしやうサア尋常じんじやうにそのにしき此方こなたへわたして詫言わびことしや管領くはんれいおん内君うちぎみはなかたあふせ捕手とりてむか八代ゆつしろ慈悲じひ縄目なわめ用捨ようしやをしていふきゝとるうめ太郎たらうさてハ手覺ておぼへあるものならんとかくもつたる白刄しらはぬきはた結目むすびめしめなほしたよりのぼ八代やつしろいまおそしとまちかけたり

貞操ていさう婦女おんな八賢誌はつけんししう卷之三〔白〕18

【後ろ表紙】

 後表紙



#『貞操婦女八賢誌』(三) −解題と翻刻−
#「大妻女子大学文学部紀要」51号(2019年3月31日)
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#               大妻女子大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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