〈解題〉
前号の『敵討枕石夜話』に引続き、今回は『敵討誰也行燈』を紹介する。本書も曲亭馬琴の中本型読本である。
馬琴読本の研究史上、中本型読本に言及されたものはまだ決して多いとは言えない。周知の事ではあるが、近世文芸に於ける本の形態は内容と不可分な関係を保有している。馬琴の場合も中本型読本八作のうち七作までが所謂「敵討物」であり、黄表紙・合巻との比較も中本型読本を考えていく上で必要だと思われる。又、書肆の思惑を別にすれば、文化4年以後は中本型読本を執筆していない。黄表紙、合巻、中本型読本、半紙本読本等の形態が混在している文化初期の馬琴の文学活動を研究していくに当っての基礎作業として、現在稀覯となってしまった本書の初板本を挿絵と共に翻刻する事は、あながち無意味ではないと思われる。
さて、題名となっている誰也行燈は、見返しに意匠されているが、その名の由来については『古今青楼噺之画有多』(安永9〈1780〉)に見られ、これを利用している。又、『近世江都著聞集』巻9に見られる佐野次郎左衛門と万字屋八橋の話に取材している。この話は並木五瓶によって『青楼詞合鏡』(寛政9〈1797〉年江戸桐座初演)に脚色され、「吉原千人斬」として知られている。更に、講談、実録にもなり、現在では『籠釣瓶花街酔醒』(三代河竹新七作、明治21〈1888〉)年東京千歳座初演)として良く知られている。内田保広氏は、この籠釣瓶譚と『幡随院長兵衛一代記』とが、権八小紫譚を介して結びつき、本書に利用されていると説かれている。(『近世文芸』29号所収「馬琴と権八小紫」)更にこの佐野次・八橋譚は文化9〈1812〉年の合巻『鳥籠山鸚鵡助剣』で再び用いられるのである。一方、後藤丹治氏は『太平記』の「新田義貞が剣を海中に投じて潮を退けるといふ故事」等を典拠として挙げられ(『太平記の研究』388頁)又、向井信夫氏は『窓の須佐美』第3巻中の1話を本書第4編で潤色使用している事を指摘されている。(『続日本随筆大成』第5巻付録)典拠ではないが、口絵第1図は振鷺亭の読本『千代嚢媛七変化物語』(文化5〈1808〉・北馬画)の巻之5の挿絵「簗太良北海に挺頭魚を殺す」に酷似している。その上、何故かこの図だけが自筆稿本(天理図書館蔵・上巻のみ)に見られる下絵と全く別の図柄となっている。何らかの関連があると思われる。又、この鰐と闘う趣向も後に『朝夷巡島記』第6編(文政10〈1827〉)で繰り返されるのである。
この様に様々な話を撮合して成る本書は、里見家の御家騒動を多くの犠牲の上に敵討ちをもって解決していくという構成を持つのである。
〈書誌〉
書 型 中本2巻2冊 18.5糎×12.9糎
表 紙 栗色無地(原題簽は底本、校合本共に現存せず)
見返し 黄色地。柳下流水と誰也行燈の意匠。「曲亭馬琴戲編/一陽齋豐國画/敵討誰也行燈」「立とまる土手馬もその柳蔭」「丙寅發兌全二冊」
序 題 「敵討誰也行燈叙」
目録題 なし
内 題 「敵討誰也行燈上(下)巻」
柱 題 「(魚尾) 上(下)丁付」
尾 題 「敵討誰也行燈上(下)巻 畢)」(上巻はルビなし)
匡 郭 単辺。15.8糎×11.5糎
丁 付 上巻 叙1丁(序一) 目録1丁(一オ・三ウ) 口絵2丁(一ウ二オ・二ウ三オ) 本文27丁(四オ〜三十ウ) 計31丁。 下巻 本文30丁(一オ〜三十ウ) 跋1丁(下の三十一)刊記広告1丁(丁付なし) 計32丁
行 数 叙7行 本文9行 跋8行
刊 記 「文化三丙寅年春正月發行/書肆 鶴屋金助梓」
その他 「曲亭著述六種中全本二冊乙丑秋七月上旬稿了」「剞〓[厥+刀] 小泉新八郎」と刊記の前にある。又、序一オに、水谷文庫、平林等の印あり。
本書には改題再摺本がある。主な書誌的異同を記しておく。『再栄花川譚』(序題)半紙本4冊に分冊。「文化十三年丙子孟春」(序)と入木して直してある。内題「再栄花川譚巻之一(〜四)」、尾題「花川巻之一(〜四)終」(巻之4は大尾)とそれぞれ入木。跋と刊記を欠き、口絵、挿絵の薄墨による彩色も一切省かれている。巻末には「文化新刻目録」が付され「皇都書林 東三条通寺町西入ル町 丸屋善兵衛」とある。丁付は、巻之1(序一オ〜十五ウ)巻之2(十六オ〜三十ウ)巻之3(一オ〜十六ウ)巻之4(十七オ〜三十ウ+半丁)と機械的に分冊した為、文章が途中で分断されている。
また、『〈改|訂〉日本小説年表』には「敵討紀念長船 二 曲亭馬琴文化四年」とあり、本書の改題再摺本かとも思われるが未見。又、『再栄花川譚』を底本とし挿絵を書直した活字本が明治17〈1884〉年6月に、金幸堂(稲垣良助)出版・金栄堂(牧野惣次郎)発売で刊行されている(〈追補参考図版〉参照)。
校訂が杜撰なのは「読み物」としての出版ゆえ致しかたない。
〈凡例〉
一 原則的に原本通りに翻刻したが、以下の諸点に手を加えた。
一 片仮名は特に片仮名の意識で使われていると思われるもの以外は平仮名に直した。
一 右に拘わらず、助詞の「は」に「ハ」が用いられている場合は、これを残した。
一 「叙」に使用されている句読点「、(白)」は、読点と句点とに直した。
一 本文には句読点の区別なく句点が用いられているが、読点と句点とに区別した。
一 衍字や欠字、表記上の誤りと思われる箇所は〔 〕で示した。
一 挿絵は該当箇所に入れ、付された説明も翻字した。
一 内容が転換する箇所で改行した。
一 各丁の区切りに」印を付し、裏には丁付を示した。
一 底本には、故向井信夫氏御所蔵の初板本を使用させて頂いた。又、校合本として、服部仁氏より上巻を拝借した。記して深く感謝致します。
〈翻刻〉
敵討誰也行燈叙[蕉窗夜雨]
くれ竹の世の物語に、その名のみ耳に遺りて、その事ハいとおぼろかなるぞおほかる。いでや行水の。ながれの里の事とも聞えし、蜘手に通ふ八橋に、二郎左衛門が浅きえにしも、浅茅が露のきりぎりす、つゞりあはせて隠家の、茂兵衛が勇て義ありし事、或は梅堀の小五郎兵衛が、慾と悪」 とにあかぬ恋路を、挾隈富次郎が廓の闇撃、善悪もわかぬ主は誰そ、誰也が最期のそのころより、燈し初たる行燈の、光めでたき玉くしげ、今ふた巻に述る事しかなり。
文化丙寅孟春
上巻目録
○ 第一編ハ隠家の茂兵衛が生育
附タリ 〔父の紀念ハ研済した長舩の業物・主の使令ハ蹴込たる垣越の剪毬〕
○ 第二編ハ佐野次郎左衛門が紀行
附タリ 〔ちからハ量られぬ〓[虫+再]蛇の綱引・ゆくへハ定かならぬ若殿の遁世〕
下巻目録
○ 第三編ハ芝崎の寺入り主従」
【口絵第一図】
「第四編挾野次郎左衛門殺鰐圖\あら海の底に入りけり三日の月\法橋吾山」1」
【口絵第二図】
「第五編挾隈闇撃圖\稲つまや闇のかた行五位のこゑ\はせを」2」
附タリ 〔とり迯されぬ恋の癖者・うち返したる碪の片袖〕
○ 第四編ハ義女八橋か事蹟
附タリ 〔妻の首級は祝言のとり肴・壻の引出は復讐の頭髻〕
○ 第五編ハ誰也行燈の縁故
附タリ 〔忠義にあへなき敵どちの死出旅・身方にむすぶ婚縁のお國入〕
總目録 畢」3
敵討誰也行燈上巻
第一編ハ隠家の茂兵衛が生育
花ハさかりに、月ハ隈なきのみを見るものかハ。塵も流さすハ泉も涼しからじ。ゆきの降らずハ松の操もかひなからん。されバ貧くなりて、後のこゝろ清く、終に臨てめでたき言の葉を遺すなど、すべて五十年の非を贖ふに足ぞかし。むかしハ相州新井の城主、三浦義同入道道寸の小扈従たりし身も、永正十五年七月十五日、道寸父子滅亡のゝちハ、心ならずも武蔵國江戸のかたに落くだり、芝崎村の片ほとりに、幽なる棲して、三十餘年浪人を立とほし、」
艱難いふべうもあらざれど、二君につかへじと思ひ定めたれバ、是をしも憂とせず、親子四人尾羽うちからして、妻ハ三年已前に世をさりしが、二人の子どももとしごろになりつれバ、せめてかれらが生さきをバ、ともかくもして身を立させばやと思ひしも、淡雪の泡ときえゆく、二月のはじめより、こゝちあしとて打臥しけるが、今ハはやたのみすくなく見えしかバ、今茲十六才なりし児子長吉、十二才なりし女児八橋を枕ちかく招きよせ、息の下にかき口説けるハ、御身兄弟ハ、父が浪人して後に出生たれバ、ふるき事ハよくも辨しらざるべし。われもそのむかしは、田津」4
造酒助徳敦と名告りて、三浦陸奥入道義同ぬしの家臣たり。しかるに主君滅亡のときハ、われいまだ弱年なりしかど、ふたゝび仕官を願ずして、既にその志ハ致したり。されど御身等ハ、父が志を嗣て、生涯浪人せんもよしなし、われなき後ハ、兄弟よく心を合せ、身を立家を興すべし。縦命薄く運つたなくして、民間に朽はつるとも、慾に惑て人を冤、義に違て生を貪ることなかれ。是ハ今般の紀念也とて、二尺三寸長舩近忠の一腰を、長吉に与へつゝ、睡るがごとく息絶けり。兄弟の子共ハ、僅三年の中に二親を喪ひしかバ、心ぼそくも悲くて、何せんすべも
【挿絵】田津長吉猟師のわざをきらひ日ごとにちからくらべして劔術をまなばん事をのぞみおもふ」5」
わきまへず。元來しかるべき親属もなくて、淺草川の猟師茂兵衛といふものゝ女房ハ、彼等が外叔母なれバ、茂兵衛夫婦芝崎村に來りて、後の事などとりいとなみ、長吉八橋をバわが家に引とりて養育せり。
さる程に長吉ハ、叔母の許に養るゝといへども、猟師の業にこゝろをとめず、只顧武家に奉公せん事をねがふがゆゑに、旦暮の手すさびにも、棒を使礫を打、相撲などとるに、力飽まで強くして、ひろき浅草の里人等も、彼が相手にたつものなし。宣なるかな、後に隱家の茂兵衛と呼れて、當時第一の任侠と聞えしハ、此長吉が」6
事にぞありける。
是ハさておき、こゝに安房の里見義弘の家臣に、挾隈富之進範光といふものハ、雙なき劔術の達人にて、捕手ハ竹内の極意を受つたへ、この外十文字長刀〓[金+連]琴柱など、家/\秘奥を究たり。しかれども稟性柔和にして、技に誇る事なかりしに、同家中挾野太郎左衛門といふもの、これも富之進とおなじく、武藝をもつて高禄を賜りながらその技は遥に劣りて、動もすれバ他門の弱人に侮らるゝ事ありしかバ、太郎左衛門ふかくこれを憤り、所詮富之進とうち果して、この恨をはらすべしなど、いとはしたなく詈りけるを、太郎左衛門が弟なり」
ける次郎左衛門ハ、今茲廾四歳の壯者なれども、天性怜悧男子なれバ、これきのどくに思ひ、御身ハ富之進どのゝ父御、官太夫殿の高弟にて、彼人の吹挙にあづかり、家中の師範を許され給ひし事なれバ、挾隈の家に對して、甲乙を爭んハ義理にたがへり。殊さら今の富之進どのも、武藝は却て父御にも勝り給ふをもて、それがしも師弟の礼義を竭して敬ひまゐらするにこそ、忠義の二字に御こゝろつかバ、はやく偏執の思ひを轉して、昔のごとく親く交り給へかしと諫れば、太郎左衛門いよ/\焦燥、骨肉同胞の汝さへ、われを疎て、」7
富之進をひくものを、もし渠奴を打伏せずハ、他人の口を爭か塞ん。再び諍ひとゞむるならバ、義絶すべしといひ懲し、遂に一通の願書をたてまつりて、挾隈富之進と為合仰つけられ下さるべし、と申出しかバ、主君義弘承引あつて、富之進太郎左衛門の両師範、御前に於て為合いたすべきよしを命ぜらる富之進ハあへて勝負を好ざれども、主命黙止がたければ、すなはち太郎左衛門と立合て、立地に打臥せけれバ、義弘ます/\挾隈を賞美し給ひて、當座に百五十貫文の加増をぞ賜りける。
富之進ハ此よろこびに、」かねて信じ奉る、武州浅草の觀丗音に、繪馬を奉納せばやとて、新に白木の橿をもつて、木太刀二振を作らせ、これを三尺あまりの額に飾つけて、従者二人に扛擔せ、門人両三人を召倶して、浅草寺へ参る折しも、廣沢村の田の〓[田+土+〓]、きのふの雨に樋の水溢れ、一反あまりが間ハ、草履にてハ渉べうもあらず。従者もかくとしらねバ、木履ハ旅宿に残しおきたりと申すに、みな/\せんかたなくて、袴のそば高つまみ揚、この行潦を渉らんとす。浩処に年紀十七八の壯もの、馬手の畔路よりあゆみ來つ。この光景を見るとやがて、おのれが」8
穿る木履を脱て、富之進等が前に跪き、この邊にハ蛭多し、これをめさるべうもやと申しつゝ、彼木履をさし出せバ、富之進ハ志辱しと回答えして、木履を借りて穿、露ばかりも足を濡らさずしてこゝを越るに、彼壯者、裳引からげて向ふへわたり、又その木履を持かへりて、かはる/\門人等に貸てけり。富之進も門人等も、その志の信やかなるを見て、ふかく感じ、従者にもたせたる、錢一杖をとらせしかバ、壯者押いたゞきて是をかへし、さて申すやう、御志をもどくに似たれど、人の為に履を取ること、かゝる報を受んとハあらず。願まゐらせたき事あるによりて、さハ」
【挿絵】挾隈富之進浅艸寺へ参詣のみちすがら長吉が木履を借て行潦をわたりそのこゝろざしを感じて武藝の指南せんと約す」9」
つかふまつりたりと申ス。富之進聞て、願ひとハ何事ぞ、身に應ぜし程の事ハ、聞とゞけて得さすべし。とく/\申候へといへば、壯者いよ/\身を屈め、かく申せバ嗚呼なる者と思されんが、わが身元來武藝執心なりといへども、御覽のごとく此あたりハ、草ふかき田舎にて、しかるべき師匠もなく、日來こゝろ憂思ひたりしに、只今殿の持せ給へる繪馬を見るに、房州里見の家中挾隈富之進範光敬白と記しあれバ、問ずして既にその人なるをしれり。抑殿の武藝に勝れ給ひし事ハ、近國にかくれなきを、はしなくも行會まゐらせしこそ、思ひも」10
かけぬ幸なれ。これを三丗の縁にして、お草履なりともかいつかみ、殿さまたちの稽古のをり/\、見なれ見まねて太刀ぬくすべ、捕手のはしをも覚るならバ、此うへもなき御高恩。とかく御家へ奉公の望にて候、と大地にひれふし願ふにぞ、富之進感心し、下〓[不+一+邑]の〓[土+巳]橋の例に效ふ、彼ハ日本の張良ならん。かゝるものに教ずハ、弓矢神の冥利に竭べし。汝父母ありや、年ハいくつ、名は何といふと問バ、名ハ長吉と呼れて十八才也。親どもハ往に身まかりて、浅草川の上なる、叔母の許に養れ候と答ふ。そハよき路の序也。われとゝもに來よといひてまづ觀丗音に参詣し、それより」
長吉に案内させて、猟師茂兵衛が家に至り、しか%\の物がたりして、この壯者をわれに得させよといへバ、茂兵衛夫婦縁由を聞ておもふやう、長吉ハとても猟師となり果べきものにあらず。殊に力技をこのみて、人に痍つけなどする事たび%\なれバ、是よき仕合なりと了簡し、さつそく得心して進らすべきよしを回答すれバ、富之進大によろこび、やがて長吉を倶して房州に立かへり、彼を草履取にして召使つゝ、をり/\武藝を指南するに、元より好むところなれバ、僅二三年のうちに、めき/\と上達し、高弟の徒といへども、却て長吉をハ侮りがたく」11
ぞおぼえける。
こゝに又佐野太郎左衛門ハ、過つる年、晴なる為合にうち負て、面目を失ひしより、ます/\門人も疎み離れしかバ、いとゞ無念やるかたなく、富之進とハ屋敷も隣て、垣只一重を隔つれとも、通路を断て胡越のごとく、若黨中間に至るまて、互に言葉をかはす事さへ禁ずれバ、人みな爪弾して太郎左衛門を憎み、富之進をひくもののみぞおほかる。元來富之進ハ、風流の心がけもありて、をり/\鞠など蹴て、遊ぶを、富之進が弟なる富次郎といふもの、日來これを羨み、己もかゝる遊びをこそとおもへども、富之進これを許さず、御身ハ今茲十八才にて、武藝もいまだ未熟なる」
に、もし遊藝に心を奪るゝときハ、夲業の害となるべし。兄が鞠をうらやましく思ひ給はゞ、われもこのゝちハ蹴まじといふに黙止せしが、一日富之進ハ出仕して畄守なれバ、富次郎わざくれに、かの鞠をとり出し、長吉を相語つゝ、庭に立出て蹴たりけるに、主従その技に疎けれバ、あなたこなたと蹴る程に、富次郎が蹴る鞠剪て、隣屋敷へ撲地と落るに、長吉是ハとうち驚き、足をそらにして慌忙ども、そのかひなけれバ、富次郎以の外に周章し、隣家の挾野氏とハ、年來不和なるに、われよしなき戲して、鞠を彼処へ蹴おとしたれバ、縦乞求るとも、輒ハ返すまじされバとてこのまゝに」12
捨おかバ、兄貴のかへり給ふて、鞠をいかにしつる、と問れんも難義なり。さて何とすべきとかき口説バ、長吉も共に愁て申スやう、尾を屈て伏す犬にハ、笞も撓とこそ申せ。太郎左衛門様いか程憤り給ふとも、それがしいく重にも賠て、鞠をうけとり帰るべし。御心安くおぼし給へといひつゝ、一刀跨て太郎左衛門が屋敷へ走りゆき、言葉細に、礼義を厚くして、例の鞠をぞ求ける。
是より先太郎左衛門ハ、庭にたち出て、泉水に咲そめたる杜若をながめ居りしに、思ひもよらず一ツの鞠、堺の垣を飛こして、百會のあたりへ〓[手+堂](ポン)と落れハ、驚き怒りてその鞠を踏潰し、」
しばし隣のかたを白眼つゝ、こなたよりやいひかけん、彼が賠をやまたんと、とさまかうさま思ふ折しも、下部権平、長吉か口上をとり次て、しか%\の事也と申スに、太郎左衛門聞もあへず、其奴はやく庭口より引ずり來たれと下知するにぞ、権平切戸を押開き、長吉が肩先掴で、掾頬ちかく引居たり。時に太郎左衛門大の眼を瞋し、汝ハ富之進が下部よな。汝が主の足にかけて、常に弄ぶこの鞠を、わが頂に蹴つけしうへハ、弓矢八幡堪忍ならず。殊更みづから来ても賠る事か、吹バ飛なん下郎をもつて、鞠を得させよといひ來すこそ安からね、といきまきあらく詈れハ、長吉頭を」13
地にほりこみ、仰悉く御尤にハ候へども、主人ハ嘗この事をしらず。下郎めがわざくれに、主の鞠を盗出し、過てお庭へ蹴込、剰お歴々のお頭へ、落かゝりしとハ運の盡、縦お手討になれバとて、恨とハ思はねど、虫同前の下郎が過、只いく重にも御恕あつて、故なく鞠を給はらバ、世々生々の御高恩、と身を謙る主思ひ、とハ聞わけず太郎左衛門、只顧に声を振立、やをれ下郎、侍の頭へ鞠を蹴着、賠たりとも恕すべきや。これハ富之進がいひつけて、われに恥辱をとらせ、潜に興を催すとおぼし。覚期せよといひも訖らず、刀すらりと抜はなせバ、長吉遙に飛すさり、罪あつて首を剄ら」
【挿絵】長吉剪鞠をうけとらん為太郎左衛門に打擲せられながらいよ/\賠る」14」
るゝは力およばねど、一合とつても富之進が下部、主人へ一言の断にも及び給はず、あなたのまゝにハなりますまい。といふも使命のをしさ、笞打擲あそばして、御了簡だになるならバ、手むかひハ仕らず。喃権平どのとやら、とりなし頼むと引く袖を、ふり拂て回答もせず、太郎左衛門あざ笑ひ、口かしこくもほざいたり。今この鞠だに返すならバ、思ふまゝにならふとな。それ/\権平、其奴が面を左リ右リへ踏にじれ。承ると権平が、主におとらぬ傍若無人泥臑蹴出して蹴飛せバ、まだ手ぬるしとて太郎左衛門、庭下駄穿つゝ丁と蹴る、額三寸やぶれ口、流るハ血と無念の涙、じつと堪る健氣の壯者、」15
太郎左衛門呆れ果、思ひの外しぶとい奴。それ/\鞠を受とれと、いひつゝ刀をとりなほし、寸々に切裂バ、これハと驚く長吉か、片頬へはつしと投つくる、その鞠掴で投かへし、一寸の虫にも五分の魂。手ごめになつたもこの鞠を、故なく貰受たいばかり。切裂れてハ鞠よりも、この場を丸くハかへられず、と胸をすえたる一言に、太郎左衛門ます/\怒り、助て帰すをこのうへの、幸とは思ひしらず、飛て火に入る夏の虫、汝が命もねぐさつた。たゝんでしまへと目で下知すれハ、點頭ながら権平が、脇指引ぬき切付るを、長吉閃りとかい潜り、直に後へかつぎ」
投、丼はまる泉水の、泥に塗れて濡鼠、猫にあふたるごとくにて、蠢く権平かひなしとて、太郎左衛門ハ無二無三に、切てかゝれバ長吉も、ぜひなく刀を抜あはせ、丁々はつしと切結ぶ、手煉の刀尖めざましき、運の究か太郎左衛門、飛石に跌て、よろめく処を長吉が、得たりと踏こむおがみ打、刀ハ名におふ長舩近忠、切味すつぱとから竹割、二ツになつて倒るゝとき、やう/\岸に跂つく権平、汝も冥土の供せよと、頭髻掴で胸さかを、つらぬく刀に池水も、血しほに染なす韓紅、楓を流すに彷彿たり。
この物音をもれ聞てや、太郎左衛門か妹の水草、何心なく」16
走り來つ、この光景に驚き慌、こや喃々と叫ぶ声、只事ならずと若黨中間、おつとり刀に立出れバ、庭に主従あへなき最期、敵ハ長吉迯さじとて、弓手馬手よりとり巻を、或は切伏せ踏たふし、透間をうかゞひ長吉ハ庭の築垣跳越、ゆくへもしらず迯うせけり
第二編ハ佐野次郎左衛門が紀行
この日佐野次郎左衛門ハ、出仕して家にあらざれハ、甞てこの事をしらざりしに、若黨中間がしか%\の事ありとて、追/\に告來れバ、且驚き且怒り、とるものもとりあへす走り帰りしかど、」
【挿絵】長吉ハ已ことを得ず太郎左衛門主従を切伏せ塀を跳越て脱れ去る」17」
はや長吉ハ、いづ地ゆきけん、しるもの更になかりける。この折しも挾隈富之進ハ、城中より退き帰る途中にて、件の風声を聞しかバ、忙しく屋敷に立かへりて、弟富次郎にまつ縁故を問バ富次郎もつゝむに言葉なく、鞠を太郎左衛門が庭へ踏落したる始終を物がたり定て長吉ハ、迯がたき手話となりて、已ことを得ず、太郎左衛門主従を討て立退つらんといへバ、富之進いよ/\驚き、早速人を東西に出して長吉を追畄させ、ふたゝび出仕して縁由を訴聞え奉るに、挾野次郎左衛門も、兄太郎左衛門が事を訴出ぬ。義弘審に両家の訴を聞食て太郎左衛門事武藝」18
の師範たる身をもつて、名もなき下郎に撃れしこそ言語同断の越度なれ。これによりて、弟次郎左衛門ハ門戸を鎖し、長く慎居りて、重ての仰をまつへし、又富之進ハ長吉が往方をたづね、搦とつて献るべしとぞ仰下されける。
さる程に長吉ハ、已ことを得ず太郎左衛門主従を討畄て、五七里あまり落たりしが、忽に思ふやう、われ今人を殺して立追バ、その祟恩ある主人に係りなん。いでや引かへして名告て出、潔く死せんにハと思ひ定め、本の路へ立かへらんとしつゝ、又思ふやう、われ立かへりてその本末を吟味せらるゝときハ、富次郎様の難義とも」なるまじきにあらず。とかく主家の風声をよく聞て、後に存亡を定ばやとて、二三日ハそのほとりの山里に立しのびて、外ながらかの容子を聞ハ、主人ハ何の咎もなしといふに心おちつき、遂に故郷なりける武州浅草に赴きて、叔母夫茂兵衛が家に到れバ裡にハ新しき位牌二面を居て、香花を供、里人あまた會合つゝ、念佛してありけるが、人みな長吉が帰り來たるを見て大に、歡びまづこなたへとて誘ふ間に、妹八ッ橋も立出て、たえて久しき對面をうれしめど、愁のいろ面にあらはれて覚つかなけれバ、長吉もこゝろに猜しながら、まづその故を」19
問ハ、里人等言葉を斉していふやう、こゝの茂兵衛夫婦ハ、日來病事もなき人なるに、この月のはじめより、時疫を病て打臥せしが、あはれなるかや猟舩を、弘誓の舩に乗かえて、夫婦月も日もかはらず、朝の露と消うせたり。しかるに御身ハ奉公〓[手+上下]にとて、いづ地へかゆきてより、この二三年ハ音づれもなく、跡に残るハとしわかな妹子ひとり、見るにさへ痛ましくて、村中相語て送葬も賑やかにとり行ひ、けふハ初七日の逮夜なれバ、かやうに打よりて回向しまいらする也。やよ八ッ橋女郎、鬼のやうなる兄御のかへられたれバ、よき後楯が出來てめでたし。」
【挿絵】長吉故郷浅草へ立かへり妹八橋にあふて叔母夫茂兵衛妻夫が丗をさりしよしを聞ておどろく20」
今よりハ大舩に乗れるがごとく、心の碇うちおろし給へなど、いとかしましくいひあへるも、浦人のつねぞかし。長吉ハこれを聞て、年來恵ふかゝりし、叔母御夫婦が臨終に、あはざる事を悔歎き、又里人が厚き情をよろこび聞えて、妹八ッ橋に力を戮せ、仏事追善ねんごろに営みける。 かくて忌ども果しかバ、村長をはじめ、里人等打こぞりて、長吉を茂兵衛と改名し、叔母御の家を立給へとすゝむるに固辞がたく、一旦その意にまかせて、名迹相續するといへども、かねてこゝろに思ふやう、われ亡父の遺言を守り、武士となりて田津の家を引起さんと誓しが、已ことを得ず人を殺して、忽」21 日蔭の身となれバ、とても仕官の願ひかなはず。又太郎左衛門殿にハ、次郎左衛門殿といふ弟御もあるなれバ、かならずわれを〓[穴+鬼]ふべし。しかれバわが命ハ、けふあつて翌なき身なるを、何条わづらはしき浦人の業をして丗を貪るべき。とかく妹に壻をとりて相續させんにハ。されど故なくしてこの事をいひ出すとも、里人等が承引すまじけれバ、まつ身の行を〓[手+玄]にして丗の人に疎るゝやうに謀らんとて、漁猟の事ハ外にしつ、里の壯者をあつめて力技を事とし、或は喧嘩の腰押、密通の出入、弱きを助け強きを拉ぎ、邪なるを征し正しきに方人せしかバ、その下風に」 たつ壯者も居多出來ける程に、敵をもつ身ハ、丗をしのぶといふこゝろにて、みづから隠家の茂兵衛とぞ稱しける。 その頃浅草川の南に、梅堀の小五郎兵衛といふ溢者ありけり。手下の悪輩数十人を養ひ、近在の宮地、都鄙の色里を横行し、動すれバ喧嘩をしかけて、人の懐中物を奪ひとり、半ハ侠にして半ハ賊をなすといへども、その里に久しく住バ、おほくハ彼が手下に属て、茂兵衛を侮るもの少からざりしに、茂兵衛が住ひする浅草川より、姥が池につゞきて、一條の小川あり、この処西ハ淺草寺の境内、東ハ無戸村〔今の砂利場の辺歟〕也。この川にハ主ありといひ」22 傳へて、年に一二度ハ、かならず水死するものありとぞ。さて一日風いたく吹あれて、猟舩も出しがたけれバ、茂兵衛ハ雜魚なりとも釣はやとて、釣竿を携、この川端をそここゝと立めぐるに、夏艸の繁より、小蛇一ッ跂出て、茂兵衛が足首へ 尾をくる/\と巻しかバ此愚者何するぞと思ひつゝ、拂も除ず打まもり居れバ、この蛇のちから、 形にも似ず、しやちなどにて締るごとくおぼえて、やうやく川へ引入れんとす。こハ癖ものごさんなれとて、兩足楚と踏こたへ、引入られじと構し程に、穿たる木履もろともに、片足ハ五六寸、 土の中へめりこみて、さながら」
【挿絵】長吉ハかくれ家の茂兵衛と改名してのち一日枝川のほとりにて〓[虫+〓]に足をまつはれ大に勇力をあらはしける23」
地より生たるごとく、茂兵衛ちからや勝りけん、この蛇中よりふつゝと切れ、川水ざは/\と逆巻と見えけるが、水ハ忽血に変じ、今まで小蛇と思ひしも、廾尋あまりの大蛇にて、首のかたハ川むかひなる、松に必死と巻着つゝ、二ッに切れて蠢き居たれバ、流石の茂兵衛も仰天し、しばし呆れてありける処へ、里人四五人來かゝりて、この光景にうち驚き、やがて茂兵衛に力を戮せ、やうやく彼〓[虫+〓]蛇を打ころしぬ。
さてこの事一郷の美談となりて、ある日そのちからを試んとて、太き縄を茂兵衛が足首へ結び着、究竟の壯者十人ばかりして、その縄をひく」24
に、いまだ引やう弱しといふ。次第に人を増し加て、およそ三十人あまり、ちからを穹て引しかバ、その事時茂兵衛莞尓と笑ひて、彼〓[虫+〓]蛇か引たりしハ、斯の如覚たりといふにみな/\ます/\感伏しはじめ侮りし壯者も、兄と稱、親とたのみて、その手にぞ属(○ツク)しける。
是ハさておき安房國にハ、里見義弘の御舎弟、冠者次郎義廉、ある夜近従の侍挾隈富次郎只一人を召倶して、舘をしのび出給ふ。その故いかにと尋るに、義廉の妾に佐江の方といへる女房あり。その容儀丗にたぐひなかりし程に、こよなく寵愛し給ひて.比翼連理の契淺からざりしに、はからずも持病の痞」
とりつめて.名花一朝の嵐に散りぬ。かゝる歎きの折しもあれ、豫て婚縁の沙汰ありける、小弓の御所、義明の息女、近日輿入と聞えしかバ義廉ます/\物うき事に思ひなし、終に遁丗の志ふかく潜に舘を脱出て、浦人に便舩して、武州品革の濱に着給ふ舩中里見の重宝小槻形の劍をバ、みづから海底へ沈め給へり是すなはち今より佛門に入りてふたゝび故郷へかへらじと誓給ふによつて也。かくて義廉主従ハ、聊の由縁に就て、芝崎村の道場に走り入り、剃髪の事をたのみ聞え給へハ住持の聖人かひ/\しく舎匿まゐらせ、祝髪の事ハいまだ遅きにあらず」25
とて、学寮のかたはらに別室を修理、義廉主従を居まゐらせけり。
さる程に里見義弘ハ、義廉逐電の事を聞て大に驚き給ひ、小弓の義明ハ、京都将軍の庶流足利政氏の二男にして、年來の方人なるに、わが弟婚姻を嫌て、出奔せしと風聞あらバ、晋秦の親忽に破れて、縡大事に及ぶべし。いかにも穏便のはからひを以て冠者次郎を召かへすへしとて、やがて挾隈富之進を潜に招き給ひ、汝か弟富次郎事、義廉が供して舘を立退たれハ、汝も内々その行方ハしりつらんいそぎ義廉を追畄て召つれ参るべしもし等閑の沙汰におよはゞ汝とても罪科脱べからず。」
【挿絵】冠者次郎義廉ハ佐江の方をうしなひて愁歎のあまり挾隈富次郎只一人をめし倶してひそかに武蔵へ立こえ給ふ舩中小槻形の宝劍を海へ沈めながく仏門に入らんと誓ひ給ひける」26」
と厳しく命じ給ひしかバ、富之進おそれ入て仰を承、あへて心當迚ハなけれども、次の日鎌倉を望て旅だちぬ義弘ハ事の序をもつて、佐野次郎左衛門に仰下されけるハ、汝が兄太郎左衛門、下郎の手にかゝりて相果し越度によつて、汝にハ久しく蟄居申つけおくところ、今般思ふ旨あるをもつて、追放せしむる也。もし一ッの功を立るならバ、召かへさるゝ事もあるべしと命じ給へバ、次郎左衛門有がたしと御請申て、その日俄頃に屋敷を引はらひ、妹水草を伴ひて武蔵のかたへ赴きしが、道すがら思ふやう、主君の厳命に、一ッの功を立よとあるハ、敵を索る序をもつて、義廉君の行方を知らバ、伴ひ」27
まゐらせよとある御心なるべし。しかれバ立地に仇をむくひ、冠者どのに索ねあひまゐらせて、殊なる忠節をあらはし、兄が死後の耻を雪んものをと思ひ定め、ゆく/\下總なる國府の臺まで來たりし日、六十六部の行者に行あひしが、この六部、次郎左衛門を、と見かう見て、こハわか殿次郎左衛門様、従者をもつれ給はす、御兄弟只二人にて、いづ國へ赴き給ふといふに、次郎左衛門も熟視れバ、彼六部ハ、舊めし使ひし若黨佐一兵衛といふものなれバ、互にうち驚きて、まづ彼がうへを問に、佐一兵衛答て、それがし年來の奉公首尾よく勤課故郷鎌倉へ引籠しハはや十年のむかし也」
されど身の幸もなくて妻に後れ、加之、最愛の一子をも喪ひつれバ、丗の中を味氣なく思ひなし、日本國中の霊場を巡拝して、なき人の後世を弔ひ、五年にしてやうやく念願成就したれバ一トたび鎌倉へ立かへるべうおもひ、東國に杖を曳折しも、こゝにてあひまゐらせしハ、竭せぬ主従の縁なるべし。君ハ又いかなる故ありて、かく竒げなる旅をバし給ひつると問に、次郎左衛門ハ兄が横死の事、わがうへまでもおちもなく、事細やかに物がたれバ、佐一兵衛ハます/\驚き、しからハ足弱を伴ひて、敵を索給はんハ便なきわざ也まづそれがしと共に鎌倉へ立越給へ水草様をバわれら預りまゐらせて、」28
よきに勦り候べしといふに、次郎左衛門も彼が志の信あるをよろこび、しからバ妹が事をハ汝にたのむべし。鎌倉ハ東國第一繁昌の地なれバ、敵長吉も、彼処などにあるまじきにあらされど、われハまづ常陸下野の兩國を索て跡よりぞ赴くべき。汝いよ/\故郷へかへるならハ、水草をバ直に伴ひくれよといふに、佐一兵衛一議にも及ず承引してこの処より水草を伴ひ葛飾のかたへ立帰れバ、次郎左衛門ハ只ひとり東北をさしてわかれける。
されバ佐一兵衛ハ水草を倶して名にしおふ、武蔵下總の堺なる、墨田川まで來たりしにこの時日もやゝ向暮とすれバ、この渡を過てこそ宿」
【挿絵】挾野の次郎左衛門ハ兄の仇を報ん為妹水草を伴ひて下總のかたへ立こゆるみちにて旧のわかたう佐一兵衛〔に〕あづけその身ハ常陸のかたへおもむきけりしかるに梅堀の小五郎兵衛この容子を見て水草をうばい立のく」29」
をも求べけれとて、只顧路をいそぐ折しも、傍の藪蔭よりさもいかめしき大男忽然とあらはれ出、行ちがひさま足を揚て、佐一兵衛を撲と蹴たふし、水草を小腋にかいこんで、跡をくらまし迯うせけり。佐一兵衛ハ〓[月+害]をいたく蹴られ、しばし絶入てありけるが、やうやくに人ごゝちつきて身を起せバ、水草ハ既に奪とられて、夜もはや初更のころなるにぞ、こハ何とせんと慌忙、只狂人のごとく走りめぐりつゝ、夜すがら彼此を呻吟ども、水草がゆくへハしれざりける。かの梅若を索たる、野上の班女がいにしへも、かくやとおぼえてあはれなり。
敵討誰也行燈上巻畢
敵討誰也行燈下巻
第三編ハ芝崎の寺入り主従
墨田川原にて佐一兵衛を打たふし、水草を奪ひとりて立去し癖者ハ、梅堀の小五郎兵衛なり。此小五郎兵衛、水草が容色の勝れたるを見て、俄頃に慾心發り、かく非道の行ひをなして、わが家に伴ひかへり、威しつ賺しつ、さま%\いひこしらへて、次の日元吉原とかいへる傾城町につれゆきて、おのれが妹なりといつはり、年季七年の身價、六十兩をうけとり、その金をバみな淫酒の爲につかひ果せしとぞ。妓院(○ユウヂヨヤ)のあるじも、水草が殊さら」
艷やかなるを見てふかく歓び、禿だちよりこゝに生育ものハ、おのづから見なれ聞なれて、手煉手管に怜悧けれど、これハ十七才のきのふまで、かゝる世わたりせんとも思ひかけざる女子なれバ、糸竹の調、香花、茶の湯ハさらなり、廓の諸譯をものみこませ、そののち突出しといふものにして、客にも會すべけれとて、芝崎村の道場に隣て、所持の別荘あれバ、老女ひとり、女の童ひとりを傅て、しばしこのところに養ひおく程に、光陰はゆく水よりも委なく、はやくも三五月をぞ經たりける。
こゝに芝崎の道場にハ、冠者次郎義廉ぬし、挾隈富次郎とともに、しば」1
しうき世をしのび給ふに、折しも七月七日の夜なれバ、端ちかうたち出て、牽牛織女の故事など語り出、秋のはつ風まちがほに、萱が軒端に飛かふ蛍も、二星の天降るかと竒まれ、更ゆくまゝニいも寐られず、只顧嘯ておはしけるに、忽地隣堺の生垣を切破て、こなたへしのび出るものあり。こハまつたく盗人ならん。追遺ひて驚さばやとて、主従手ごろの棒を携、木陰に窺ひ給ふともしらず、癖者は牆を潜りて、輙く脱れ出るところを、待設たる義廉主従、兩足拂ひて打仆せバ、癖者〓[手+堂]と顛びつゝ、反起るを起さじと、富次郎飛かゝり、」
【挿絵】よし廉芝崎に閑居のとき富次郎ともに賊を追ちらし給ふ」2」
右の腕を楚と採る。もの/\しやとふり拂ふ、袖ハ断れて手に残り、闇ハあやなし癖者ハ、跡をも見ずして迯てゆく、いづちまでもと追蒐るを、義廉しばしと呼とめ給ひ、やよ富次郎、迯るものをバ遠くな追ひそ。跡にもひとりの癖者あり。と宣ふ声をしるべにて、富次郎撈りよれバ、虚焼の薫えならずして、妙なる膚ハ正しく女子、こハこゝろえずともろともに、わが住部屋に引立かへり、さて火を照らしてよく見れバ、年紀ハ十七八とおぼしき未通女の、雪はづかしき姿らうたけしを、物いふ事のならぬやうに、布にて口を括りしめたれバ、やがて銜」3
せたる手拭をとらせて、義廉つく%\見給ふに、その顔色声音まで、往に世を去りし妾、佐江の方に露たがはざれバ、こハなき魂のあこがれて、しばし見ゆるものなるか。わが爲に人あつて、返魂香や焼けん、と今さら心ときめきつゝ、まづそのうへを問給へバ、女子答て申すやう、わらはは元安房の國のものなるが、惣領の兄、太郎左衛門といふものを人に討れ、その仇を報ん為、次なる兄に伴れて、武藏のかたへ旅たちけるに、路にて舊の若黨佐一兵衛といふものにめぐりあひ、その人に倶せられて鎌倉へ赴んとて、墨田川原〔と〕とかいふ処まで来たる折しも、いとむく」
つけきあら男が、佐一兵衛を打たふし、わらはを奪去りておのれが妹なりといつはり、元吉原とやらんいふ色里に賣わたしぬ。されバこの身ハ思ひもかけず、河竹のながれに沈て、袖に涙の乾ねバ、あるじいまだ客にハ會せず、この御寺のあなたなる、別荘に養おきて、しばし物学びさせたりしに、彼あら男が名ハ小五郎兵衛とやらんいふ悪ものにて、折/\彼処にしのび来つ、わりなく口説よるといへども、たえて返事もせざりしが、彼いかなる伎倆ありけん、今宵更てしのび來り、わらはに手拭を銜せ、肩に引かけて走り出しを、老女も女の童も、うまくねふりてこれを」4
しらず憂がうへなる耻しめを、うけもやせんと淺ましくも、又悲しくも覚しに、はからず救ひ給はる事、うれしといふもあまりあり、と物がたりつゝ掌を合せ、あなたこなたを伏拝めバ、富次郎聞とがめて、安房國の人にて、兄太郎左衛門といふものを、人に討せしとあるからハ、さてハ挾野次郎左衛門の妹水草どのにハあらずやといへバ、女も大にうち驚き、こハ何としてわがうへを、くはしくもしり給ひし。いかにも水草なりといへバ、義廉も思ひかけずとて、今はた竭ぬ主従の、縁にしをあやしみ給ひけり。
時に富次郎がいふやう、挾野氏とわが家とハ、このとし来不和なる故に、軒をならべて住ながら、」
御身にも面を會たる事もなけれど、太郎左衛門に水草といふ、季の妹ありし事はよくしりたり。かくいふ某ハ挾隈富之進が弟富次郎、これなるハ舘の御舎弟、冠者次郎義廉君にて在する、と御身の上を物がたれバ、水草ハ遙に坐を去て、こハ/\いかに、とばかりに、歓びつ又悲みつ、夢に夢見るこゝちせり。富次郎ハ、次郎左衛門が、仇を〓[穴+鬼]ふと聞くにさへ、家隸ながら義理ある長吉、彼をやみ/\討せじ、と思へど更に色にも出さず。冠者次郎ハなき人に、似たる水草を憐みて、われもし昔の身なりせバ、請出してこの女子に、苦界の勤ハさせまじきに、憖に世を厭てし、朽をしさ」5
よと情ある、言葉に恋のあらはれて、思ひつめたる遁世も、うはのそらなる氣色なれバ、これ幸と富次郎、わか殿にもこの日来、徒然かちにましませバ、水草どのハこゝにありて、しばし慰めまゐらせ給へ。われらハ殘る暑あたりか、俄頃に頭痛堪がたし、と此坐を外ず頓作病、障子引たておくまりたる、一室に入りて休らひける。
秋とハいへど短夜の、次第/\に更まさり、星の契りをかは竹も、まだ名のみして初恋の、睦言外にもらさじと、鴛鴦の衾を烏鵲の、はしなき夢をむすべる折しも、梅堀の小五郎兵衛ハ、住持同宿引つれて、手燭さしつけ部屋の戸を、」
【挿絵】梅堀の小五郎兵衛ハ義廉水草が密通見あらはし金にせんと較計」6」
あらゝかに引あくれバ、裡にハ驚く義廉水草、迯出んにも〓[虫+尉]の中、帶さへとけて面目も、捺落の底へ入りたき風情。小五郎兵衛ハ用捨なく、〓[虫+尉]の釣手を切おとし、二人の襟髪かい掴て、膝下へくつと引居る。この物音に富次郎も、一室を走り出れども、はや密夫と露顕せし、この為体に救ふべき、方便なけれバ拳を握り、歯を切りてひかへたり。小五郎兵衛ハいきまきあらく、只今もいふ通り、これなるハわが妹、據なき金に手づかへ、近曽廓へ奉公させしが、親方彼を別荘に養おきて物学するを、この真男が相語て、人もなげなる轉び合。外から洩」7
てハ親方へ、義理も缺れバ男もたゝずと、宵からつけて押た出入。畢竟寺ハ揚屋同前、そら念仏する坊主もなれ合、これにてもなほ寺法や立、と詈りくるふ伎倆の土圭、曲るこゝろの撞木より、かねにする氣と見てとる住持、さわぎたる氣色もなく、この仁ハ故あつて、當寺に寓居致さるれど、出家ならねバ仏の教を、守るべきやうもなし。されど淫奔を事として、霊場を汚せしうへハ、早々寺を追放すべし。又女子ハ御身が妹といへど、既に廓へ賣たれバ、これ又其許のまゝにもならじ。殊さらこの女子を抱たる妓院(ユウジヨヤ)の主何某ハ、當寺の檀那にてあるなれバ、女子ハこゝより送るべし。しかれば御」
身が義理の缺る事もなく、男のすたる事もなし、といはせもあへず小五郎兵衛、から/\と打笑ひ、口かしこくもいはるれど、石佛をたふしたやうに、寐こんだおの/\をよび起し、たま/\押た盗人を、このまゝにおくべきか。ぜひこの男ハ貰ひ受、心のまゝに計はんと、岌にかゝるを住持かさねて、人のさがハ見ゆれども、わが身の善悪ハ見えぬやら。達て此仁を心のまゝにせんとあらバ、其許をも又かへしがたし。凡夜ふけて人を訪にハ、門外よりおとなひて、門守を呼び起し、案内させて入るべきに、さハなくして牆を潜り、塀を越て来たりしからハ、とりもなほさず盗人同前。まづこの事より糺明せんや。といはれて流石の小五郎兵衛も、」8
それハとばかり口ごもれバ、富次郎すゝみ出、最前しのび来れるに癖者、とり迯せども手に残る、その片袖とさし出すを、住持それをバ見もやらず、物とられねバ盗人を、放て遣も出家の役。小五郎兵衛たにいひぶんなくハ、事明白に糺すに及ばず。いざ/\梅堀退参あれ、と寄ずさはらぬ挨拶に、伎倆のうらをかくばかり、理の當然に横紙も、破りかねたる立しほあしく、しからバ渠奴等ハ此寺を、忽地に追ひ出し給へ。もし一チ日も畄おかバ、吃度出入を致すべし。その時後悔し給ふな、とほざきにほざいて小五郎兵衛ハ、小門の潜ひらかせて、やがて家路にかへりける。
住持の上人は義廉主従にうち對ひ、わか氣とハはいひな」
がら、遁世の望に引かへ、驚き入たる不義放蕩。かゝるうへはちから及ず。御痛しくハ候へども、明なバいづ方へも御越あれ。又女子が事ハ、親方を呼びよせて、引わたし遣すべし。と委細に命じ給ふにぞ、役僧承り、天明のころ人を走せて、彼親方を招きよせ、水草を逓与したりけれバ、冠者次郎主従も、身の誤に耻入て、しほ/\寺をたち出給ひ、いづくに當ハなけれども、心筑紫の神垣を、いく世うつして上久し、湯嶋のかたへ赴きて、繁き小松原を過給ふに、待設たる小五郎兵衛、手下の悪もの十人あまり、大路せましと立ふさがり、形状にも似ぬ押着もの、以後の」9
見懲し棒くらへ、と打てかゝれバ富次郎、主を後に立向ひ、抜あはせても多勢に無勢、閃く棒ハ肩腰の、わかちもなく打居られ、主従息もたえ%\に、そのまゝ撲地と倒れけり。
小五郎兵衛声をかけ、是奴殺すも罪つくり、みなひけ/\と〓[思+頁]で下知、富次郎が懐に、手をさし入て断られし、わが片袖をとり復して、立かへらんとする折しも、思ひもかけず松蔭より、小五郎兵衛且待と、呼とゞめて立出るハ、隠家の茂兵衛なり。これハと驚く小五郎兵衛、手下の徒も氣味わるく、一ッところへよりこぞれば、富次郎起かへり、こハめづらしや長吉。われ/\が難義の筋を、しつて」
【挿絵】茂兵衛しかへしして冠者主従をすくひまゐらす」10」
こゝへハ来りしか。思ひかけずと歓べバ、茂兵衛ハ土に兩手を着、多年の御恩を仇にして、故郷浅草へ迯かへり、しばしうき世をしのぶ身の、名も隠家の茂兵衛と更め、わがまゝに日は送れども、主君の惠ハ片時も忘れず。しかるに此程わか殿にハ、やんごとなき御方の御供有て、芝崎の道場に御坐ある事を、子かたのものが聞出し、今朝未明に走り来て、小五郎兵衛が較計まで、委細告るに心もとなく、路をいそぎて参りしに、今一足遅くして、彼等が打擲にあはせまゐらせしこそ悔しけれ。されど茂兵衛が参れるからは、何事も打まかせ、それにて見物し給ふべし、といひ慰めて」11 小五郎兵衛が、ほとり近くあゆみより、単衣の袖を肩までかき揚、長き脇指の刀を、〓[金+當]短にして、身をひたと立ならび、彼処なる二方ハ、茂兵衛が恩ある人なるに、何科あつて打擲せし。その訳聞んと問かくれバ、小五郎兵衛あざ笑ひ、科なきものを打べきか。其奴ハわが妹と密會、兄が面へ泥を塗る大盗人、以後の戒情の笞、痛めハしうちぞ、とそら嘯バ茂兵衛聞て、否盗人の宛名がちがふ。汝日外旅の女子を拐挈し、妹と偽り廓へ賣て、許多の身價を貪れども、なほ飽ずして色に假托、再び女子を盗出して、遠き縣へ八重賣の、較計ちがふた意趣かへし。證据ハこれぞと」 いひもあへず、小五郎兵衛が懐より、引出したる以前の片袖、それハと慌てさし出す、腕首捉て投つくれバ、手下の悪棍騒きたち、打てかゝる六尺棒を、一ッによせて引手くり、中るをさいはひ打すゆれバ、算木を乱すに異ならず。茂兵衛ハかく打伏せて〓[勹+言]りけるハ、廓の恋ハ賣物買物、彼女子が客達と、新枕するその夜にハ、この方さまのお供して、茂兵衛が會せ進らする。妨んものハ誰にもあれ、息の根畄るを合点なら、かならず出入をもつて来よ、と飽までに廣言し、白眼着れバ小五郎兵衛、許多の手下諸ともに、點頭ばかり腰立ず。こゝちよかりし光景也。 かくて茂兵衛」12 ハ義廉主従を伴ひかへり、兩三日ハわが家におきまゐらせしが、こゝハ人出入繁くして、世をしのび給ふに便あしけれバとて、近き辺の借屋に移し入れ奉り、おのれハ日ごとに行かよひて、よろづ乏しからず賄ひまゐらせしかバ、冠者次郎はさら也、富次郎も只管彼が信ある志を感悦し、主従更にちからを得て、十日あまりを過せしに水草ハ誰也と改名し、近日客を迎ふるといふ風聞有バ、茂兵衛その日より郷導して、誰也を義廉にあはせ進らせしに、小五郎兵衛か徒も、向の爲返しに手懲して、これを阻んとすることかなはず、却世の胡盧にぞなれりける。
第四編ハ義女八橋が事蹟
冠者次郎義廉ハ、隠家の茂兵衛が郷導にて、突出しのその日より、誰也に會馴給ひしかバ、誰也も義廉ハ古主なるに姿も殊さら雛び給へバ、この殿ならで他し客に、身をまかせじと契る程に、金に穹るハ廓通の生平なり。茂兵衛ハ所持の猟舩を沽却し、或ハ利足過分の金を借受などして、遊興の雜費を調まゐらせしに、近曽誰也がかたへ、黄金あまたもてる田舎客のありて、只一度坐敷を勤しに、身受せんとて、その事既に整ふよし聞えけれバ、義廉ハいふも更也、茂兵衛も」13
彼女子を、他し人に逓与てハ、富次郎へ義理たゝず、且小五郎兵衛が徒に、笑れんも朽をしとて、只管に焦燥ども、指あたりて身價の、とゝのふべきよすがもなけれバ、妹八橋を廓へ賣らばやと思ひしが、又思ひ回らせバ、縦手結の金なりとも、只一人の妹を賣て、他人の遊興を助るなど、縁由しらぬ世の人ハ、爪弾して〓[心+里]るべし。とかく布金ある壻をえらみて、その金を誰也が手附にわたし、しばし身受の事を阻バ、そのうちにハ、別に金の調ふべき手段もありなんと思案し、所持の猟舩五艘の外に、如此々々の田地ありなど、よきに誑りこしらへて、八橋を妻すべき、」
壻をがなと索るに、無戸村の南なる、舟川戸〔今いふ花川戸〕の三五右衛門といふもの媒して、男態こそ二の町なれ、百兩の布金にて、壻入すべしと望ものあるよしを告来たれバ、茂兵衛大によろこびて八橋にもいひ聞せ、速に熟談して、既に婚礼の夜にもなりにけれバ、三五右衛門ハ短袴を、跨るやうに穿なして、彼壻を伴ひ来り、是ハ癩の鰐藏とて、元ハ鎌倉にて、いと冨りし商人の二男也。見給ふごとく容貌ハ葛城の神に似たれど、心さまハ活る佛にて候なる。常言に馬にハ乗て見よ、人にハ添てしれといふこともあれバ、只玉椿の八千代かけて、夫婦睦しく相語給へなど、信だちて引合するにぞ、茂兵衛」14
同胞燈燭をさし向て、その人をよく見るに、癩といへるもことわりや、髪の毛ハ耳の脇と、項のあたりに斑に残り、鼻の穴はつかに明て、眼汁夥しく流れ出、眉毛ハ一條もなくて、膚ハすべて猿滑といふ樹のごとく、又覇王樹に〓[衣+上]〓[衣+下]着せたるに異ならねバ、八橋ハ呆に呆れて、二目とも見もやらず、かゝるべしともしらざりし。茂兵衛も妹が便なさと、世の聞えさへうしろめだく、しばし回答もせざりしが、たま/\調ふ今宵の布金、疥癩にもせよ餓鬼にもあれ、一旦結びし婚縁を、破んハ男子にあらず、と志を励しつゝ、みつから立て盃を、とり出す折しもあれ、外面よりはら/\と、うちし礫ハ男の髻、ひとつ/\」
【挿絵】八橋鰐藏婚姻の夜何ものともしらずあまたの髻をなげこむ」15」
に札着て、七人が名を記したれバ、茂兵衛大に怒り罵り、われよく是を猜したり。今宵の婚姻を妨して、過つる遺恨を復さん爲、小五郎兵衛が徒の奸計に究れり、いで引捉て被せられたる、ぬれ衣を乾させん、といひかけて立あがるを、三五右衛門引とゞめ、兄貴こそさハおぼせ、わかき女子の事なれバ、外に契りし男ありて、恨の髻切はらひ、赤き心を示せしもの歟。しかれバわれら壻どのを預り帰り、いよ/\妹御に他心なきに於てハ、又別に日をえらみ、盃さするも遅からじ、といはせもあへす声ふり立、かくまで結びし婚縁を翌へも延す茂兵衛ならず。よしや八橋に密男あらバ、首を並べる天下の掟、壻の心」16
にまかするに、何憚のあるべきや、と言潔くいひはなせバ、鰐藏聞てうち點頭、舅の仰いとたのもし。人づてならで八橋が、密男ハわれ正すべし。誘給へとて泣沈む、妻の手をとる夫より、壻の腰押す媒も、襖引あけ奥まりたる、背戸屋のかたへ赴きける。
鐘の音も物おもへとや夕ぐれて、路くらけれど富次郎ハ、頓の事とて挑灯も、ともさでひとり廓より、小もどりして裡に入り、茂兵衛に對ていへりけるハ、誰也が身受も翌の夜に、はや事迫ると聞ゆれバ、義廉ふかく憂ひ給ひ、もしわが方に根引ならずハ、共に死んと悶つゝ、今宵も又帰り来まさず。いかに諫れども聴入なければ、この事汝に」
告んため、潜に来れりと物がたれバ、茂兵衛聞て声を低うし、こゝろ安くおぼし給へ。身受の金も少しく調ひたれバ、翌ハかならず事成べし。なほくはしくハ廓にゆきて申さめなど、回答もいまだ果ざるに、手づから持る小挑灯、野袴着たる侍が、外面よりさし覗き、茂兵衛にあはんとおとなふハ、これまがふべうもなき、挾隈富之進にてありけれバ、富次郎大に慌、かくるゝ隙も納戸の押入、戸棚へ跂入る後影を、それと見れども富之進ハ、しらずがほして裡に入れバ、茂兵衛もうち驚きつゝ坐に請じ、思ひがけずとばかりに、頭を席薦にすり着れバ、富之進自若(○ツネノゴトク)として、めづらしや長吉、劔術の」17
一流を極たる挾野太郎左衛門を討て立退きし働誉べき事にあらねども、男子の意氣地是非に及ず。それに引かへ憎むべきハ、わが弟富次郎冠者殿の御供して舘を逐電し、〓[月+貝+〓]元吉原の遊女、誰也とやらんが方へかよひ給ふを、一言の諫をも申さず、千金の御身を悪處へ誘ひ奉るハ、言語同断の愚人なり。われハかゝる事ともしらず、主君の内意を承り、京鎌倉を索めぐり近曽この江戸に来りて、遠近を徘徊し、世の風声にて主従の、ゆくへもその身の行ひも聞て仰天せざるべき歟。この沙汰故郷へ洩ざるうち、彼誰也を受出し、ともかくも計らばやと思ひ定め潜に」
【挿絵】挾隈富之進茂兵衛家へたづね來る折しも悪徒とも酒樽を荷こむ」18」
廓に赴きて誰也に對面し、わが身の上をもうち明して、彼が素性を尋れハ、挾野次郎左衛門が妹水草といひしもの也、とみづから名告にます/\當惑、抑かの水草事ハ、先君の御落胤なりけるに其ころ奥方の妬ふかきをもつて、産ざる以前に彼が母をハ、次郎左衛門か父太惣兵衛に下し給ひぬ。この事穏便なるがゆゑに、しる人絶てなしといへども、冠者次郎と水草とハ、兄弟にておはするを、しらぬ事とハいひながら、富次郎が誘引て、この世から畜生道へ堕まゐらする不義不忠、いにしへにもその例を聞ず。元来汝が彼主従を、舎匿おく事よく知て索ね来れる事なれバ、義廉君ハいふも更也、」19
富次郎にはやく會せよ、手討になさんと鞆に手を、かゝるべしとハ思ひきや、茂兵衛ハ針の席にも、坐がごときこゝちして、身より出たる錆刀胸を挾隈に返答も、しかねてためらふ門口より、小五郎兵衛が手下の悪もの、七人揃てさんばら髪、菰裹の酒樽を、擔つれて裡に入り、思ひ思ふた八橋に、壻どりすると聞て本意なく、男を棄てみな發心、精進酒なと祝んとて、もて来た酒に肴ハなし、いざ/\馳走になるべし、といと囂しくどよめけバ、思ひもかけぬ彼処より、その肴進らせん、といひつゝ出来る壻の鰐藏。八橋が首引提て、酒樽の上にかき居、女児一人に壻八人、摩しか」
靡ざるかハしらねども、けふよりハわが妻なるに、不義の汚名あらせてハ、舅の名までくださん事、壻になつたるかひなけれバ、是非を論ぜす八橋が、首うち落して當座の肴。かく手料理を振舞からハ、其処へならびし密夫たち、相伴あれといひもあへず、飛かゝりて丁と切る、真向梨割車切、きり剿されて悪棍ども、一人も残らず死でけり。茂兵衛思はずあふぎたて、遖壻どのでかされし、と誉れど勇む氣色もなく、刀を拭て鞘に納、誉らるゝハわれならで、みな八橋が兄をおもふ、信義と其許の精忠に、猛きこゝろも身を耻し、かひなきわが名を告るべしとて、富之進に目礼し、言をあらためていへりけるハ、」20
われ實ハ汝に討れたる、太郎左衛門が弟なる、挾野次郎左衛門常正也。過つる年兄を討れしその日より、復讐に思ひを焦すといへども、蟄居の仰を蒙りしかバ、徒に月日を過し、そのゝち身を放にする事を許されてより、関の八州を〓[彳+扁]歴して汝を索しに、ある時下総の銚子口より便舩して、相模のかたへ赴んとせしに、その舩に類つきて、既に覆なん/\とす。こハ鰐の所爲也とて、舩人等戦慄にぞ、われその時思ふやう、とても本望を遂ずして、むなしく溺れ死んより、その鰐を刺とめて、運を天にまかせんものをと、みづから舷に跳出れハ、高浪左右にさとわかれて、千石を積舩よりも、なほ大きやかなる」
【挿絵】次郎左衛門八橋が義心を感じて茂兵衛を見迯す」21」
悪魚、忽然と浮み出、口を開きて逆来たるを、こゝろに神佛を祈念しつ、短き刀を握りもち、鰐の〓[思+頁]に飛入りつゝ〓[月+亢]のあたりをかき破り、その痍口より脱れ出、辛じて悪魚ハ爲とめしが、吾も立地に絶入て、更に生べうもあらざるを、舩人等が介抱にて、数月のゝちやうやく本復すといへども、一旦鰐の咽喉に入りしかバ、肉爛れ毛髪脱、さながら癩人のごとくなりぬ。むかし唐山晋の豫讓ハ、灰を呑、身に漆し、姿を窶して仇を〓[穴+鬼]ふ、われハ求ずして斯ばかり、形状昔に異なれバ、仇を索るに究竟なりと歓びつゝ、遂に鎌倉に赴き、舊の若黨、佐一兵衛を訪て、妹水草」21 が安否を問バ、彼ハ其の日、墨田川原にて、野人に奪ひとられしと、聞事毎に憂をかさね、佐一兵衛とともに武蔵に来りて、水草がゆくへを索しに、元吉原にて誰也と呼るゝ遊女は、その人なりと灰に聞。行て見ばやと思ふ折しも汝が在処しれたるうへ、壻をえらむと風聞あれバ、佐一兵衛を媒とし、輙くこれを謀課せて、討果さんと思ふ間もなく、降て涌たる宵の騒動、計にもせよ、妹背の縁を結つる八橋に、わがうへを明さずハ、色に迷ひて彼女子を、陥るゝに似たりと思ひ、告るに實をもつてせしかバ、八橋ふかく悲みて、何とぞわらはが首を剄、こよひの仇討」 を延てたべ、と舎兄を思ふ真實の切なる托黙止がたく、打たる首ハけふ一日、われから恕す身がはりぞや。人の賢愚斉しからずとハいへど、讐人ながらその行ひ、兄ハ忠あり妹ハ義あり。それに引かへ吾儕ハ、人倫の道に疎く、兄ハうき世の人に憎れ、妹ハ又河竹の流に沈むのみならず、獣に似たる過あり。忠ある茂兵衛を討とつて、兄が冤ハ雪とも、妹が悪名ハ雪がたし。こゝをもて八橋が志を空うせず、その首打て小五郎兵衛が、手下の奴原切剿す、壻と舅の因縁縁故、斯のごとしと物語れバ、富之進もうち驚き、実も今悪ものどもを討畄し手のうち、只人ならずと思ひしに、扨ハ」22 挾野次郎左にてありつるかな。声音ハ昔にかはらねど、その人とも思はれず、といひも果ざるその處へ、媒の佐一兵衛一室より立出て、近曽舩川戸に住ひして、敵へ手引の媒ハ、挾野の若黨佐一兵衛、わが爲にハ主の仇、茂兵衛いかにと詰よせたり。茂兵衛縁由を聞て、驚くといへども更に騒がすして、次郎左衛門がまへに坐を卜、男を磨く隠家の茂兵衛が、妹八橋に助られ、面押拭て存命べき歟。いざ立あがつて兄の仇、首打おとして手向給へ、といひつゝ頸さし伸せバ、いふにや及ぶと次郎左衛門、刀すらりと抜放して、茂兵衛が髻切はらひ、冠者どのをかくまひし、罪ある」 茂兵衛を次郎左衛門が、私にハ討がたし。この事殿のお聞に達し、敵討ハ後日の沙汰。空衣を刺たる例にならひ、首に換る髻ハ法の郷導の吾妹子が、寐くたれ髪の一睡ねぶれハ善悪もわかなくに、世にハあれどもなしの本、隠家の茂睡入道と法号し、妹かなき跡弔れよ、といふに茂兵衛も感伏し、命を惜むにあらねども、しばしハこゝにすみだ川、ながらふる身を哀れとハ、ゆふこえて行人も見よ。待乳の山の草の戸に、なほ再會を期すべしと、誓ハ堅き碑の、一首ハこれとしられたり。 富之進も感激し、一旦の義に仗て、次郎左ハ仇を見迯せども、見迯しがたきハ富次郎。最」24 前在所ハ見おきし、といひつゝ戸棚に手をかくるを、明させじと隠家が阻つ、攘つ、あらそふ程に、戸を引たふせバ押入の、後の壁を切抜て、裡にハ更に人もなし。さてハ委細に聞しつて、面目なさに迯うせしか。但し心あつての事か。ゆくへハ正に元吉原。冠者次郎の御身の上も、おぼつかなしとて富之進、おつとり刀に走出れバ、茂兵衛ハさらなり次郎左衛門、佐一兵衛も諸ともに、裳を〓[塞-土+足]て追行ける。
第五編ハ誰也行燈の縁故
挾隈富次郎ハ、戸棚の中にかくれ居て、兄富之進が物語を、」
一五一十聞とゞけ、大に驚きて悔耻るといへども、今ハそのかひなかりし程に、せめて誰也を刺殺して、義廉の汚名をすゝぎ、腹かき切らんと思い定め、潜に壁を切破りて、その夜元吉原に走りゆき、誰也を呼出していへりけるハ、御身か根引の事につきて、冠者さまにもしらせませず、茂兵衛が申べき事ありとて、只今彼処の揚屋にあり。誘給へ、よき左右あらんと誑るにぞ、誰也ハこれを實とし、うれしきまゝに心忙しけれバ、禿のみを携て走り出、富次郎とともに賢蔵寺町のかたへ赴くに、廓の子四もはや過て、いと闇き夜ハ常よりも、往」25
来ハはやく迹絶たり。時分ハよしと富次郎、抜手も見せず後より、誰也を撲地と切伏せて、起しも立すとゞめの刀尖、魂消声ともろとも〔に、〕わつと泣出す禿が周章。ひとり聞着ふたりが見つけ、すは人殺しといふ程こそあれ、手に/\桿棒長楷子、搦捉らんと鬩バ、自害する間もあら物/\し、と多勢を相手に切たて/\、思ひ究し死もの狂ひ。こゝを最期と戦へバ、この勢ひに辟易し、みなむら/\と逃散たり。いでこの隙に腹切らん、と持たる刀をとりなほせバ、手下の仇を復ん爲、茂兵衛が跡を慕ひつゝ、走り来たる小五郎兵衛、思ひもよらぬ後より、楚」
【挿絵】挾隈富次郎誰也を切害し比類なきはたらきして小五郎兵衛をころす」26」
と組むを振ほとき、〓[月+害]ふかく丁と刺バ、〓[手+堂]と倒るゝ小五郎兵衛が、胸のあたりへ乗かゝり、刀逆手にわれとわが、腹へぐつと衝たつる。
浩処へ富之進等、四人斉く走り来つ。かくと見てこハいかに、と人々驚くその中にも、富之進声をかけ、やをれ弟、その刀、しばし引廻さずして兄が今、いふことをよく聞よかし、といふに茂兵衛がさし寄て、抱きとゞめて勦れバ、富之進言をあらため、向にわれ外ながら、冠者どのと誰也とハ、兄弟なりと物がたりしハ、元来跡なき空言にて、汝に誰也を殺させて寸忠を立さすべき、謀にてありけるなり。その故ハ義廉君、佐江の方の」27
色に溺れ、小弓家の婚姻を固辞給ふのみならず、彼愛妾が世を去たる愁歎のあまり、遁世の望ありとて、舘を逐電し給ひながら、ふたゝび誰也が色に迷ひ、放蕩の聞えあるときハ、両家の和親終に破れて、君家の御一大事となりなんハ眼前なり。いかにもして思ひきらせ進らせ、故なく帰舘あらせまほしく、誰也にハ先だつて、潜に存念をかたり聞せ、先君の御落胤なりと偽りて、死ねよ殺せと人ならぬ、心を鬼になしたりし、この身の劬労ハ数ならず。誰也と汝が一命を捨たれバこそ浪風もたゝで治る兩家の大幸。外にハ誰也が非」
【挿絵】富次郎誰也を殺してわか殿の汚名をすゝぎ自害する」28」
命の死も、挾隈が戀の意趣切といひもて傳へバおのづから、主君の浮名も消ぬべし。とうち明したる胸の闇、真如の月にあへるがごとく、只手を合す富次郎が、今般の本望次郎左衛門も、はじめの恨引かへて、妹が最期もなか/\に、忠義のはしとなりつるか、とこゝろに誉ていへばえに、いはぬ歎きを身ひとつに、思ひ迫りて冠者次郎、物蔭より立出給ひ、わが色慾の迷より、罪なき人を殺せし事、顧れバ面目なし。さりながら、とても舘へ帰りがたきハ、前頃故郷より、武藏へ赴く舩中にて、小槻形の宝劔を海底へ沈たれバ、先祖へ不幸兄上に、いひわけなし」29
と宣へバ、次郎左衛門すゝみ出、その義ハ御こゝろ安かるべし。それがし日外爲とめたる鰐の腹を、浦人等に裂せ見れハ、内に一振の劍ありて、まがふべうもあらぬ御家の重宝、小つきがたの名劔なれバ、もしや義廉君にハ入水ましませしかと〓[阜+占]みながら、身を離さず所持いたせり。いざ/\返し進らせん。といひつゝ腰なる刀を取て、冠者次郎に獻れバ、義廉はいふもさらなり。みな/\不思議の忠節ぞ、と次郎左衛門を賞美して、本領安堵の吹挙せり。かゝる上ハ冠者様の御供して、わか住家まで帰らせ給へ跡ハ茂兵衛が請取て、」
廓の出入ハよきやうに、執おさめんと申にぞ、しからバ汝にまかせんとて、帰路を促す富之進。見おくる弟ハ死出の旅、冥土の闇を照らすなる、手向ハたそや行燈を、五ッの町におく事ハ、この因縁としら鞆組。挾野次郎左に八橋も、廓にかゝる物がたり、妻恋ふ雉子も浅草に、その隠家ハかくれなき、色の里見と小弓御所、故なく婚禮整て、めでたく栄給ひしとなん。
敵討誰也行燈下巻畢
夫詩人にあらずんバ、詩を呈する事なかれとハ、むだ骨をらせぬ古人の金言。げにや知音にあらざれバ、伯牙が琴も三絃ほどハ、とつちりとんと聽ものなし。されバこの書の事たるや、物しりくさいしやらくさい、威し文句はさらりと已て、子どもによまする八文字、ちよつと撮だ揚衿は、いづくのたそや誰也が道中、長い話ハ九さつまでも、行べきものを二冊にて、五日限りに請合し、川畄なしの上下物、たしか画工ハ一陽斎、歳々年々相似たる、花の江戸作人の樹々、本屋の山とて桜木に、鏤られて面目も、なしの本とか聞えてし、事蹟を筆に操の、狂言綺語に執なして、今茲もかはらぬ評判を、まつ乳の山の朝参り、百度参りの催促ハ、いくめぐりして三圍の、土手を机に向嶋、離さぬ硯と墨田川、その名どころに近く住む、個板本が需に應じて、跋さへ人の手を借らず、かさねてこゝに題する而已。
曲亭著述六種中全本二冊乙丑秋七月上旬稿了
画工 一陽齋歌川豐國
剞〓[厥+刀] 小泉新八郎
十返舎一九著
〈復讐|奇談〕 天 橋 立
一陽齋豊國画 全二冊
鏡池植女物語 〈曲亭主人戯作|中本二冊來卯出板〉
名ハそれとしらずともしれと詠したる遊女うへ女がふかき言の葉をたづね人のまことの切なるを述この書序文に述懐のことばを吐かず篇中に悪しやれを云ず人を警するにたらずといへども見るものに害なし出板の日四方の高評ヲ希のみ
文化三丙寅年春正月發行
〈附記〉
本稿を成すに当り、故向井信夫氏には貴重な資料の使用を許されたばかりでなく、様々の有益な御教示をいただいた。末稿ながら記して、厚く御礼申上げます。また、機械可読化に際しては神田正行氏のお手を煩わせた。併せて感謝致します。
〈追補参考図版〉