『敵討枕石夜話』 −解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】

曲亭馬琴の中本型読本は全部で八作ある。次に示したように、一作を除いて七作に改題本や再刻本が出されている。合巻風絵題簽を持つもの、改題されて半紙本仕立てになったものなど、その様相は一定しないが、長期間に渉って出され続け、多くの読者に読まれ続けられたのである。

1. 高尾舩字文 長喜畫 寛政8(1796)年序 蔦屋重三郎板〔岩瀬〕
  ○再刻本 國貞畫 天保6(1835)、7年刊 中村屋勝五郎他板〔國會〕
2. 小説比翼文 北齋畫 享和4(1804)年刊 鶴屋喜右衛門板〔國會〕
  ○遊君操連理餅花、丁卯、仙鶴堂版〔個人〕
3. 曲亭伝奇花釵児 未詳 享和4(1804)年刊 濱松屋幸助他板〔蓬左〕
4. 敵討誰也行燈 豊國畫 文化3(1806)年刊 鶴屋金助板〔向井〕
  ○再榮花川譚 丸善〔國會〕
5. 盆石皿山記(前後)(1806)、4年刊 住吉屋政五郎板〔國會〕
  ○繪本皿山奇譚〔個人〕
6. 苅萱後傳玉櫛笥 北齋畫 文化四(1807)年刊 榎本惣右衛門・平吉板〔高木〕
  ○石堂丸苅萱物語〔個人・天理〕
7. 巷談坡堤庵 豊廣畫 文化五(1808)年刊 上總屋忠助板〔天理〕
  ○〈薄雲が侠気・溶女が貞操〉堤庵二枚羽子板 文化七(1810)
8. 敵討枕石夜話 豊廣畫 文化五(1808)年刊 上總屋忠助板國會
  ○敵同志石與木枕 京山序〔石水博〕

本作は、馬琴の中本型読本としては最後の作品となる。

題名からも知れる通り『敵討枕石夜話』で扱われるのは、浅草という伝承空間の代表的な姥ヶ池の一ッ家伝承である。黒本以来草双紙に恰好の題材として扱われ、時には開帳を当て込んだ際物ともなり、広く人口に膾炙したものであった。

まず序文で『回国雑記』や『江戸砂子』巻2(5)浅草「明王院」の項を長々と引用し、浅草姥が池の一ッ家伝承を紹介して見せる。そして敵討物という型に従って「因を説き、果を示す」のである。口絵の賛には「戒之戒之出乎尓者反乎尓者也」(『孟子』梁恵王等と書き込む。

登場人物たちには「綾瀬」「浅茅」「駒形」などと浅草近辺の地名が与えられている。一方、一ッ家の〈石の枕〉からの連想で『和漢三才図会』に見える常陸国枕石寺の由来を付会している。この寺の回国行者の路銀を奪って殺害した戸五郎が、一旦は栄え、やがて没落するのは座頭殺しに絡む長者没落譚の形式を踏む。海上を進行する船が突然動かなくなり、船底を調べると大きな角が刺さっていたという奇談は、大槻茂賀『六物新志』(天明6年)の「一角ウニコウル」の条や『土佐淵岳志』などを参照したのであろう。馬琴はこの角を殺された回国行者の怨魂が化したものとし、さらに『吾妻鏡』41の建長3年3月6日浅草寺に「牛の如き物」が出現したという記事を利用、この「牛の如き物」を〈牛鬼〉とする。播本眞一氏は、この『吾妻鏡』の記事を馬琴自身が『故事部類抄』に抄録していることを明らかにされている(『八犬伝・馬琴研究』第2章第1節「『故事部類抄』について」、新典社、2010年)

この〈牛鬼〉によって戸五郎の妻綾瀬が殺され、娘浅茅は吐きかけられた涎沫により懐胎、5年後に娘駒形を産む。中尾和昇氏は、この趣向等が『古郷帰の江戸咄』(元禄7年)や古浄瑠璃『丑御前の本地』に拠っていること、また枕石寺の縁起は『和漢三才図会』のほかに『親鸞聖人御旧跡二十四輩記』巻5「常陸国久慈郡上河合村龍上山大門院枕石寺」の項に拠っているとする(「曲亭馬琴『敵討枕石夜話』考」、「國文學」第93号所収、関西大学国文学会、2009年3月)

また、夜な夜な牛鬼の吠えた島が「牛島」であるとして地名由来譚としているが、後年『燕石雑志』巻3「地名の訛謬」では牽強付会の説として退けている。また『八犬伝』8輯巻8下では、村人が牛鬼と呼ぶ牛の角によって毒婦舩虫が突き殺される場を用意した。

その後、浅茅は一ッ家で旅宿を営み、石の枕で旅人を殺して路銀を奪うようになる。ここで白川院御製として『江戸砂子』巻2所引の「武蔵には霞が関や一家の石の枕や野寺あるてふ」という歌を引く。

ある晩投宿した美少年の身代りになって駒形は石の枕に死す。これを知って怒った浅茅は美少年を追うも池の端で討たれ大蛇と化すが、因果を諭され得度する。折よくその場に居合わせた戸五郎は、美少年が自分の殺した回国行者の息子であることを知って討たれる。

敵討物としては安易な構成であり、筋立も伝承等によるところが多いが、展開過程にさまざまの趣向を取り入れており、そこに読者の興味を吸引しようとしている。人口に膾炙した題材を用いる場合は、誰しも結末は知っているわけであるから、その改編ぶりにこそ作意が払われるのである。本作は、浅草という伝承的空間に〈石枕〉と〈牛鬼〉に関する伝承を重ね合わせていく手法が採られている。

ところで馬琴が『枕石夜話』を執筆したのは文化3年6月からであるが、なぜか途中で筆を折っている。にもかかわらず文化4年になってから慶賀堂上総屋忠助の要求で続きを執筆したのである。この慶賀堂は文化3年刊の半紙本読本『三國一夜物語』 (5巻5冊)の板元であったが、売り出して間もない同年3月の大火で板木を焼失してしまったのである。前述の『巷談坡堤庵』が文化3年7月に稿了していたのに文化五年の新板となったのも、こうした事情があったからだと考えられる。

さらに推測を重ねれば、馬琴の中本型読本の板元の中で、慶賀堂だけが中本型読本を出す以前に半紙本読本の板元になっているので、早くから何か特別な関係があったのかもしれない。また一度筆を折った作品の「嗣録」をしたのも、この板元に対する配慮からであろう。いずれにしても、いま注意したいのは、板元の注文で「嗣録」した『枕石夜話』が文化3年6月に起筆されている点である。つまりこの時点で作品の構想はまとまっていたということになる。ならば馬琴が中本型読本を執筆したのは文化3年の秋までと考えてよいだろう。折しも生活のために続けてきた手習いの師匠をやめているのである。つまり、この時点で初めて江戸読本作家としての見通しがたったということを意味しているのであり、それと同時に中本型読本の筆を執ることもなくなったのである。

さて、『枕石夜話』に改題改修本が存在することは、早くに横山邦治氏の紹介がある(『讀本の研究―江戸と上方と―』、風間書房、1974年、251頁)。外題に「繪本枕石傳」とある半紙本4冊で、伊賀屋勘右衛門板。内題尾題に入木し『〈浅艸寺・一家譚〉讎同士石與木枕』とし、口絵を削り、挿絵の薄墨板を省略し、序文を文化7年京山のものに代えている。また、広島大学には同板の改題後印本『觀音靈應譚』(半紙本5冊、丁子屋源次郎板)が所蔵されている。

曲亭馬琴の多くの中本型読本が、合巻風絵題簽を伏して改題改竄されたことは、冒頭に掲げた一覧表からも分かる通り、本作にも同様の本があった。石水博物館蔵『〈浅艸寺・一家譚〉讎同士石與木枕』(石水博物館蔵『〈浅艸寺・一家譚〉讎同士石與木枕』、文化7年、伊賀勘)による。新たに入れ替えられた山東京山の序文は未紹介なので全文を引いておく。

叙 言                    山東京山識[京山]
むかし/\の赤本あかぼんハねりま大根だいこんふといのね やんりや様はありや/\といふことばがきにして いかにもひなびたるかきざまなりしに金々きん/\先生せんせい榮花えいくはゆめ 一度ひとたびさめてよりのち 古調こてふへんじて洒落しやれとなり 洒落しやれまたへんじて古調こてふとなる 洒落しやれ古調こてふとかならずしも 文化巳の夏日かじつ 伊賀屋のあるじ 晝寝ひるねまくらをたゝきて 此書このしよじよせよ ともとめたり くはんひらきけみすれバ友人ゆふじん馬琴ばきん子がれい妙作みやうさくなり 教導けうだうにてハ四情じやう河原かハら 伊勢ハ白子の勸善くハんぜん懲惡ちようあく 何地どこで一度いちど見た機関からくり 作者さくしやむねのつもり細工さいく この一屋ひとつやとぼそのぞかいしまくら故事ふることいま目前めのまへに見るごとく老人らうしんまどからあいさつするまで こまやかに御目がとまれバ 前篇ぜんへんハおかハり/\。
    文化午のはつ春

ところで、改題改竄本以外にも挿絵などをすべて描き直した『枕石夜話』の再刻本が存在する。 この再刻本の早印本を所蔵されている鈴木俊幸氏の御厚意によって借覧する機会を得たので書誌を記しておく。

『觀音利生記』 中本(17.5×11.8cm) 4巻4冊
 表紙 鳥の子色(灰色で沙羅形地に花菱丸を散らす)
 題簽 左肩(12×2.7cm) 「觀世音利生記(春〜冬)
 見返 「曲亭翁著 歌川國直畫\觀世音利生記\東都 金幸堂板」
 柱刻 「くわんおん一(〜四)
 刊記 「京都書林\山城屋佐兵衞、河内屋藤四郎、大文字屋専藏
     浪花書林\秋田屋市兵衞、河内屋茂兵衞、河内屋源七郎
     東都書林\丁子屋平兵衞、釜屋又兵衞、菊屋幸三郎板」(巻四後ろ表紙見返し)
 構成 巻一、松亭金水叙2丁、口絵2丁3図(濃淡薄墨入)、本文17丁半、挿絵3図。
    巻二、19丁半、3図。巻3、21丁、3図。巻4、18丁以下破損、3図。
 備考 改印なし。本文は用字の違いを除けば概ね初板本に忠実である。
    口絵挿絵中に新たに賛が加えられており、次のような松亭金水の叙文が付され
    ている(句読点は原文になし)

觀音利生記叙くわんおんりしやうきのじよ
妙法蓮華経めうほうれんげきやう普門品ふもんぼんは、観音大士くわんおんだいし功力くりきあげて、その霊驗れいげんとかれたり、そも/\観世音くわんぜおん菩薩ぼさつハ、廣大無邊くわうだいむへん大徳だいとくあることひとところながら、わきて武蔵むさし浅草あさくさなる、だい大悲たいひ正観音しようくわんおんハ、往昔そのかみ 推古すゐこてうあたつて、宮戸川みやとがはより出現しゆつげんまし/\、世々よゝの 天子てんし将軍しやうぐんも、尊崇そんそうたま霊佛\れいぶつなれバ、貴賤きせん道俗だうぞく渇仰かつがうして、利益りやくかうふるもの無量むりやうなり、いはれあるかなかのきやうに、もしひとあつてもろ\/\の、財宝ざいはう奇珍きちんもとめんためうみうかぶのときにあたつて、悪風あくふう竜魚りうぎよわざはひあり、此時このとき御名みなとなふれバ、竜魚りうぎよなんまぬかれて、かぜおだやかになるとなん、迅雷ときいかづちなりあめはげしく、樹木じゆもくくだときひて、御名みなとなふるひとあれバ、ときおうじて消散しやうさんす、その功徳くどく甚深ぢんじ;ん无量むりやうじつ不可思議ふかしぎ霊應れいやうあれば、こぞつひとしんずるものから、日々ひゞあらたにまた日々ひゞに、あらたなりける感應かんおうあり、そがなかいにしへより、かたきこふみとゝめて、話柄はなしのたねとなすことの、またもれたるもすくなからず、よりて曲亭子がのこるをひろひ、今様風流いまようぶりぶんつゞりて、もて童蒙どうもふとぎとなし、かつ勧懲くわんちやう一助いちじよとなす、その筆頭ひつとうたへなるハ、れいおきなことなれば、今更いまさらにいふにたらず、かならずもとめ給へかしと、販元はんもとにかはりてねぎたてまつるになむ、
                                        應需 松亭金水誌

さて、阪急池田文庫に所蔵されている『觀音利生記』という本は、内題「觀音利生記」、外題「繪本觀世音利生記」、半紙本五冊、曲亭馬琴纂補、松亭金水叙、弘化期の刊行であろうか、巻三と五の巻頭に改印[渡]がある。刊記には「皇都藤井文政堂\寺町通五条上ル町\書林山城屋佐兵衛」と見え、この再刻本の改題後印本である。

つまり、『枕石夜話』は初板の後、合巻風絵題簽をもつ改題改竄本が出され、その後、半紙本仕立ての改題本となり、さらに挿絵などを改刻した再刻本が出されて、後に半紙本仕立ての改題本となっているのである。 原序文や薄墨は初板しか見られない。

ところが、この再刻本のほかにも、切附本『〈金龍山|淺草寺〉聖観世音靈驗記』(外題「観音利益仇討」、松園梅彦作、直政画、安政二卯歳睦月序、品川屋朝治郎板)という、浅草寺縁起を入話にして『枕石夜話』を抄録したものが存在する。序文を紹介しておく

〈金龍山・淺草寺〉聖觀世音靈驗記叙

そも/\たい聖観しやうくはん自在じさい尊者そんじや安養あんやう補處ふしよ薩〓さつた娑婆しやは有縁うえん大士だいし弘誓こうせいハ潮夕の池よりもふか慈悲じひ崑崙こんろんの〓よりもたかかく廣大くはうだい無辺むへんなる大しもへあるにより代々よゝの 天子てんし將軍しやうぐんより蒼生そうせいいたまでこぞつ尊信そんしんなすものから日々にあらたなる不可思議ふかしき霊応れいおうありされどその所謂いわれ巨細くはしれるものすくなきをいかにせんとて往昔むかし 推古すゐこてうあたつ宮戸川みやとがはより出現しゆつげんありし由來ゆらいハいふもさらなりその霊驗れいげんありことぶんをかざらすさくまじえず兒童じとう分解わかりやすきやうにかきつゞりてよと板元はんもと信者しんじやにそゝのかされて不佞ふねい今日けふより信者しんじやとなりてこのいつ小冊せうさつを編するなりされどかゝる文作ふんさくを 以て活業なりわいとなせるものおほなるに半面学の僕にこのことをゆだねらるゝもひとへ觀世音くわんぜおんみちびきせ給ふなるべしと九拜きうはいして吸げつ樓上ろうしやうふで
  安政二歳睦月              松園主人梅彦蔵版

このように多様な改題本や再板本、さらには抄録本が出来されたのは、浅草寺を中心とする浅草周辺の伝承空間を扱ったものであったからに違いない。

【付記】この「解題」は未だ活字化して公開していないが、以下の拙稿に基づき、現時点に於いて知り得た研究史などを踏まえて改稿して拙サイト(https://fumikura.net)で公開したものである。念のために初出を記しておく。

「『〈観音利生・孤館記伝〉敵討枕石夜話』―解題と翻刻―(「教育実践紀要」第4号、明治学院中学・東村山高等学校、1981年6月)。「『敵討枕石夜話』ノート」(「近世部会会報5」、日本文学協会近世部会、1982年12月)。「中本型読本の展開」(『読本の世界―江戸と上方―』第3章、世界思想社、1985年)。『江戸読本の研究』第2章「中本型の江戸読本」(ぺりかん社、1993年)



書誌
  中本 2巻2冊。縦18.4糎×横13糎。
  表紙 千歳茶(色見本「伝統の色」大日本インキ化学刊、813番)色地に筋を散らす。
  外題 題簽表紙中央。縦12.5糎×5.5糎。藍色摺子持枠内に石碑の意匠。中に白抜きにて
     「〈觀音利生|孤館記傳〉敵討枕石夜話」「曲亭主人著\一柳齋画」「巻之上(下) 慶賀堂梓」。
  見返 車の中に「朔」字の意匠。「曲亭馬琴著」「敵討\枕石\夜話」「歌川豐廣画」「全二冊」「慶賀堂」
  柱心 「枕石夜話〔巻之〕上(下)  丁付」。〔巻之〕は上巻九〜一六丁のみに存。
  刊記 「文化五年歳次戊辰\春王正月吉日發販」「江戸通油町 村田屋次郎兵衞\日本橋新右衞門町 上總屋忠助梓」
  構成 巻上 29丁、巻下32丁+広告1丁。
  底本 架蔵本に拠る。国会国立図書館本と同様の初板早印本であるが、国会本の表紙は桃色である。
  備考 改題再刻本などの諸板については解題を参照のこと。


凡例
  一、PDF版は異体字などを含め、可能な限り原本の版面を再現した。
  一、明らかな衍字や、欠字や句読点を補った場合など、本文にない部分は〔 〕に入れて明示した。
  一、このhtml版では、pdf版とは異なり、以下の凡例に従った。

 一、JIS外字を通行字体に直し、段落に分け、会話や心中思惟の部分に「 」を附した。
 一、JISに通行字体が定義されていない異体字等は「〓」とした。(文字はpdf版を参照のこと)
 一、序文に用いられている句読点「白ごま点」は「。」にした。
 一、二字以上の踊り字は「/\」、「%\」(濁点付き)と表記した。
 一、角書や割注は〈 | 〉で示した。
 一、左ルビは該当語の直後に(○左ルビ)とした。
 一、丁付を示さなかった。


 表紙〈表紙〉

 見返・自序〈自序・見返〉

 自序〈自序〉

 自序〈自序〉

 自序〈自序〉

 自序〈自序〉

本文

【自序】

敵討枕石夜話引かたきうちしんせきやわのいん [曲亭]

むかし淺草あさくさにありといふ。いしまくら竒談あやしきものかたりハ。古歌こかにも見えて。いまなほ婦幻ふよう口順くちすさみとす。しかれどもそのつたふるところ大同だいどう小異しよういまた全璧ぜんへきを見ず。その一二をいはゞ。宗祗そうぎ法師ほふしが『回國記くわいこくき』に。淺草あさくさといふところにとまりつるに。このさとのほとりに石枕いしのまくらといへる。ふしぎなるいしあり。そのゆゑをたづねけれバ。中比なかころことにやありけん。なまさふらひはべり。むすめを一人ひとりもちはべりき。容色ようしよくおほかたよのつね也けり。かのちゝはゝ。むすめを遊女ゆうぢよにしたてゝ。 みちゆきびといでむかひ。かのいしのほとりにいざなひて。交合こうがう風情ふぜいをことゝしはべりけり。かねてよりあひづの事なれバ。をりをはからひて。かの父母ちゝはゝまくらのほとりにたちよりて。友寐ともねしたりける。をとこのかうべをうちくだきて。衣装いせう以下いかものをとりて。一生いつしようをおくりはべりき。さるほどに。かのむすめつや/\思ひけるやう。「あなあさましや。いくほどもなきなかに。かゝるふしぎのわざをして。は〔ち〕ゝはゝもろともに悪趣あくしゆして。永劫えうごう沈淪ちんりんせんことのかなしき。先非せんひにおきてハくひてもゑきなし。これよりのちこと。さま%\工夫くふうして。所詮しよせんわれちゝはゝをしぬきて見ん」と思ひ。あるとき「みちゆきびとあり」とつげて。をとこのごとくにいでたちて。かのいしにふす。げにいつものごとくこゝろえて。かしらをうちくだけり。いそぎものどもとらんとて。ひきかつぎたるきぬをあけて見れバ。ひとひとりなり。あやしく思ひてよく/\見れバ。わがむすめ也。こゝろもみだれまどひて。あさましともいふはかりなし。それよりかのちゝはゝ。すみやかに發心ほつしんして。度々たび/\悪業あくごう慙愧ざんぎ 懺悔さんげし、いまのむすめの菩提ぼだいをも。ふかくとふらひはべりける。とかたりつたへたるよし。古老ころうまふしけれバ。

宗祗そうぎ 

  つみとがのくつもなき石枕いしまくらさこそハおもき思ひなるらん

また一説いつせつにむかしこのところハ〈淺草寺塔中|妙音院の辺をさす〉人家じんかまれにして。旅人たびびとやどをもとむる事かたし。こゝに野中のなかのひとつあり。老婆うばひとりのむすめをもちてすみけり。このいほり旅人たびゝとをとゞめて。いしまくらをさせ。ふしけるうへよりいしをおとし。かうべうちくだき。 せうをうばひ。そのからは。ほとりなるいけへしづめぬ。かくすることすでに九百九十九人におよぶ。千人にみてるとき。一人ひとりたび人やどる。淺草あさくさ観音くわんおんくさかりにへんじたまひ。ふえふき給ふそのふえのに。

  ハくれてにハふすとも宿やどかるな淺草寺あさくさてらのひとつのうち

ことばにていふがごとく。旅人たびひとみゝれり。ふしどをかえてうかゞふに。ふけてかのいしをおとすをにまぎれてにげゆくに。ひとつの御堂みだうあり。これにかくれ。あけて見れバ。つねしん ずる淺草寺あさくさてら御堂みだうなり。又あるとき。観音くわんおん行童ちごげんじ。老婆うばいほりにやどり給ふ。うばがむすめ。行童ちごなるにまどひ。ちごのふしどにゆきてそひふししけり。老婆うばハかくともしらざりしほどに。よきにいしをおとしかけて。むすめのかうべうちくだき。これをかなしみて。かのいけにしづみてす。そのれう大蛇だいじやとなりて。人民じんみんをなやますによつて。一社いつしやかみまつる。いま老婆うばいけ禿倉ほこらこれ也。あるひハいふ淺草あさくさ妙音院みやうをんいん辨財天べんさいてんハ。老婆うばがむすめをまつるところ也。又いふ。老婆うば沙謁羅しやかつら龍王りうわう化身けしんなり。所願しよぐわんあるものあまさけたけつゝに入れて。みぎはえだにかくれバ。ぐわん成就じようじゆすといふ。その竒怪きくわい荒唐くわうたう。すべてかくのごとし。こゝに舊文きうぶんひくものハ。古人こじん西廂記せいさうき 』をひせんとて。まづ『會真記くわいしんき 』を抄出しやうしゆつするのおもむきす。嗚呼あゝかの悪婆あくばひと打殺うちころすこと一千人いつせんしん郷黨きやうとうこれをさとらず。國司こくしちうするにおよはず。しかして後世こうせいうたがはず。公然こうぜんとして人口じんこう膾炙くわいしやす。いよ/\あやしむべし。いまだ淵源ゑんげん究得きはめえずといへども。生公せいこう乕丘こきう故事ふることならひ。有名うみやう旡形むぎやう石枕せきしんたいして。いんとき くわしめす。石魂せきこんもししることあらバ。これをきい點頭うなづかんや。はた蛇足じやそくべんとせんや。おもふに彼石かのいしながれくちそゝぎ。いしまくらとする人にともなはれず。 悪〓あくれい刻剥こくはくたる老婆うばためきやくむかふ。またあはれむべし。かつ九層きうそううてなも。いしよりせざれバらず。長堤ちやうていみづも。いしにあらざれハけつせず。いし無智むちにして。かへつて有情うじやうこうあり。ひと多智たちにして。つひ碌々ろく/\たるをはぢず。おもはざることはなはだし。の人たまを見れハ。十襲じつしうしてたからとし。いしを見れバ。いやしみてこれをすつそれたまたつとけれどもやぶやすく。いしいやしけれどもやぶかたし。このゆゑに。風雨ふうう沐浴もくよくし。霜雪さうせつよそほひ。はなねふり。つきうそぶき。安然あんぜんとして天地あめつちじゆをひとしくす。もしそれ安危あんき存亡そんばうろんずるときハ。たまいしおよばざることとほし。うべなるかな。今古こんこいく億万おくまん老小ろうしよう孤屋ひとつや物語ものかたりくもの。老婆うば暴悪ばうあくくひしばるといヘども。人をうついしつみせず。これなし。いし無慾むよくにして。もとよりひところすのこゝろなき事をしればなり。ゆゑひと寡慾くわよくなるときは。よくひとうたがひをさけ無智むちなるときは寿いのちながし。さとらざる べけんや。

この冊子さうしハいぬる丙寅のとし雷鳴月みなつき下旬げじゆん倉卒さうそつあいださうおこし。さうする事なかばにしてむ。しかるを今茲ことし慶賀堂けいがだうのあるじ。その草稿さうこうて。梨棗りそうのぼせんとふ。よつて嗣録しろくして首尾しゆび二巻にくわんとし。さら校正きやうせいして。そのもとめおうずといふ。

文化丁卯年皐月中浣

著作堂主人誌馬琴

 自序〈目録・自序末〉

枕石しんせき夜話やわ目録上もくろくのじよう

なみやま戸五郎とごらうでん つけたり

牛島うししま由来ゆらい

朝茅あさぢ五箇年ごかねん懐妊くわいにん つけたり

石枕いしのまくら縁故ことのもと

 自序〈口絵第一図〉
   戒之戒之出乎爾者反乎爾者也
   宿かりて夜には寐すともまくらすな淺くさ野路のひとつ家の石 よみ人しらず

 自序〈口絵第二図〉
   將以〓鐘
   駒かたに水かふ水菜つむ頃ハ牛嶋のあし角くみにけり 蓑笠

 自序〈巻頭・目録〉

目録下もくろくのげ

圓通ゑんつう菩薩ぼさつひとたび朝茅あさぢらす、つけたり 今戸いまど紀原ことのもと

圓通ゑんつう菩薩ぼさつふたゝび朝茅あさぢらす、つけたり 花方はなかたわたし権輿はじまり

圓通ゑんつう菩薩ぼさつたび朝茅あさぢを懲らす、つけたり 蛇塚へびつか事迹ことのあと


孤舘ひとつや記傳きでん敵討枕石夜話かたきうちしんせきやわ巻之けんの

曲亭馬琴纂補

   なみやま戸五郎とごらうでん附タリ牛嶋うししま綾瀬川あやせがは由来ゆらい

人皇にんわう八十一だい後深草院ごふかくさのいん建長けんちやう年中ねんぢう上總國かつさのくに海上郡うなかみのこふりなみやまふもとに。戸五郎とごらうといふ〓師りやうしありけり。その人となり。たけけれども義理ぎりうとく。ごうよくふかし。さるによつて神祗じんぎあがめず。釋教しやくきやうしんぜず。たゞ旦夕あさゆふ山猟やまかり漁猟すなとりして。殺生せつしよふのみに日をおくり。としやゝつもつて廾八さい父母ふぼさきして。いへにハつま幼少いとけな女児むすめたゞひとりなんありける。かのなみの山といふハ。海邊かいへんにさしいで たる高山こうざんなれバ。戸五郎とごらうハおのづから海陸かいりく所作しよさなれて。心のまゝ挙止ふるまひけり。しかるにある日のゆふぐれに。五郎ハわが山蔭やまかげにて。鹿しかなりと思ひあやまり。回國くわいこく行者ぎやうじやころしぬ。さすがに膽太きもふとをとこなれども。こよなきあやまちしつとあはてて。さま/\にいたはれ共。すで縡断こときれてせんすべなし。さてそのおひをひらきて見るに。夏冬なつふゆ衣服いふく二ッ三ッと。一冊いつさつ度牒どてうありて。常陸國ひたちのくに久慈郡くぢこふり大門村おほとむら枕石寺しんせきじしん發意ぼち圓石ゑんせき俗姓ぞくしよう同郡どうこふり同村どうむら農民のうみん石濱いしばま要太郎ようたらうちゝ要助ようすけとあり。そも/\常陸國ひたちのくに枕石寺しんせきじ由来ゆらいたづねるに。開基かいきそう道圓坊どうゑんぼうごうす。もとこれ江州ごうしう蒲生郡がまこふり日野ひの右大將うだいせう頼秀よりさときやう苗裔びやうゑいに して。左衛門尉さゑもんのぜうせうず。ゆゑあつて常州じやうしう久慈郡くぢこふり大門村おほかとむら住居ぢうきよせしに。ある日。何がし上人しようにんとかきこえたる。聖僧ひじり来たつて一宿いつしゆくこひ給ふを。主人あるじたえて承引うけひかず。よつて上人しようにん門方かとべなる石をまくらとしてふし給ふ。かくてそのあるじのゆめに。老僧ろうそうつげていはく。「阿弥陀あみだ如来によらい今夜こんやなんぢ門前もんせんゐます。などて〓待もてなしたてまつらざる。」といふこゑおどろさめ。ふかく心にあやしみつゝ。立出たちいでて見れハ。はたして一人ひとりそういしふしたるが。その呼吸ねいきみな稱名せうみやうきこえしほどに。かつおそかつよろこび。迎入むかへいれてあつ饗應きやうおうし。感慨かんかいのあまり。つひ上人しようにん弟子でしとなりつ。薙髪ちはつして道圓どうゑん法号ほうごうし。おのが宅地やしきをもて一箇寺いつかじ建立こんりうす。今の枕石寺しんせきじハすなはちこれなり〈このてら 中古なかごろ内田うちた村に うつり|今又川井村かはゐむらにうつるといふ〉この事人口じんこう膾炙くわいしやして。近國きんごくにかくれなき。活佛くわつぶつ霊場れいじやう法師ほふしころしたれハ。戸五郎とごらうひとしほあやまち悔欺くひなげくべきに。さハなくして。その人のこしのまはりをかいさぐりつゝ忽地たちまち慾心よくしんおこり。手ばやくその路銀ろぎんうばひとりて。しがい濱辺はまべにもていで押流おしながし。そらしらぬかほしてたりける。 しかれども好事こうじもんいづることおそく。悪事あくじ千里せんりはしることはや道理ことわりなれバ。たれいふともなく「五郎ハ枕石寺しんせきじ旅僧たびそうころして。あまたの金をうばひとつたり」とて隣里りんり郷黨きやうたういひもてつたへ。もつはら口順くちすさみとせしほど五郎 もれきゝおどろおそれ。「いな/\こゝに虚々うか/\とあらバ。よき事あらじ」と思案しあんし。俄頃にはか女房にようぼう綾瀬あやせと。女児むすめ朝茅あさぢて。當國たうこく逐電ちくてんし。武蔵國むさしのくに浅草あさくさて。宮戸みやと川原がはら住家すみかもとめ。ふたゝび獵師りやうし所行わざをせず。かぢとる事も人にすぐれたるにかの圓石ゑんせき法師ほふし路銀ろぎんも。思ひのほかあまたありしをもて。これを夲錢もとでとして一艘いつそう海舩かいせんつくり。伊豆いづ相模さがみおもむきて。物産ぶつさん交易かうゑきするを活業なりはひとすこのころまでハ。淺草あさくさほとりまで。一圓いちゑん入海いりうみにて。緑波りよくは渺々びやう/\たる宮戸みやと川原かはらにハ。あまた獵師りやうしのきならべ。又海舩かいせんをもて。をわたるものもありしとぞ。

さるほどに戸五郎ハ

 〈挿絵第一図〉〈挿絵第一図〉

こゝに住馴すみなれて。よろづむかしたちまさり。何事なにごととぼしきにくるしまず。これがおひかも八といふもの。はやく父母ちゝはゝうしなひてよるべなきまゝに。ひそか上總かづさより尋來たづねきたりけれバ。かれをとゞめてふねのりならはし只すらかせぎつるに。くだんかも八。とし十八九のころよりさけたしいろこのみて。過分くわぶんぜにつかひうしなひしかバ。五郎大にいかりていだせしを。浦人うらひとさま%\に勸解わびかも八をともなたれハ。戸五郎もかれなくてハものかくることもおほく。さしあたりあす伊豆いづおもむくとて。ふね〓發したておきつれハ。倍話わびらるゝをさいはひにして。いたくいひらし。まづ此度このたびハとてゆるしけり。

かくて五郎ハ。詰朝あけのあさ ともつなとかし。みづから舩頭せんどうして。豆州とうしう下田浦しもだうらいたりて。買賣ばい/\の事をなしはてすで帰帆きはんおもむけバ。このことさらに追風おひてよくて。相模灘さがみなだ三十六を。たゞ一瞬いつしゆんはしらするに。あやしいかなふねにはかとゞまりて。にかはもてつけたるごとく。いかにかちをとりなほせどもゆかず。五郎ハいふもさら也。水主かこ舵取かんどりうち見あはするかほハ。海面うみつらよりもあをく。ふかくおそれてものいふことなし。吐嗟あはやこのふね自今たゞいまくつがへるかと見るところに。しばしこそありけれ。ふねもとのごとくはしること。さきよりもなははやく。そのあけかたに。宮戸川みやとかは帰着きちやくしたりけれバ、衆皆みな/\はじめていきたるこゝちし。さてもから きいのちひらへりとてのゝしりあへバ。五郎がいふやう。「およそ决然けつぜんたるはしふねとゞむるもの。その膂力ちからはかりがたし。われこの年來としごろ。いくたび渡海とかいすれども。いまだかゝる竒怪きくわいにあはず。ふねそこものこそあらめ。展檢あらためみよかし」とて。人をれてさぐらするに。はたして舩底ふなぞこにかゝれるものあり。とかくしてぬきとりつゝもてるを。五郎手にとりてつら/\見るに。けものつのとおぼしくて。そのながさ二しやくにあまり。肉著にくつきはりのごとく。かたち水牛すいぎうつのて。するどきこといふべうもあらず。「こハ何ものゝつのならん。思ふに。此もの水中すいちう遊居あそびゐたるを。わがふねそのつのりかけたれバ。忽地たちまち舩底ふなそこをつ らぬきて。これがため抑畄よくりうせられしもの。しかれども順風じゆんふうときて。ふねのちからかりしかハ。そのつのれてくつがへさるゝにいたらず。たゞ一ッのつのさゝへながら。従容じうよう(○ツネノカタチ)として。はしふねとゞめたる怪力くわいりよくたぐふべきにものなし。このものもしいかつうごかさバ。吾〓わがともがらいきてかへるものハ一人もあるまじ。鳴呼あゝあやういかな。あやうかりし」と嗟嘆さたんすれバみなみゝそばだしたはきおどろき思はざるハなかりけり。この事かくれなかりしほど彼此をちこち老弱ろうにやく聞傳きゝつたへ。あしたよりくれにいたるまで。五郎がかど群集くんしゆして。「かのつのを見ん」とこふもの。さら絶間たえまもあらず。五郎もしきりこれ賣弄みせびらかして。高運こううん

 〈挿絵第二図〉〈挿絵第二図〉

ほどを 自誇じふ(○ジマン)し。「あたひよくかふひともあらハ。あたふべし」とて。もつはら得意とくゐの人をたづねける。

をりしもこのはまに。一人の老翁おきなありて。たま/\五郎がいへつえひきくだんつのを見て。主人あるじにさゝやきけるハ。「愚老ぐろうのわかゝりしとき。ある博士はかせきけることあり。およそ江海こうかい溺死できしの人。うらみふくむときハ。魂魄こんはくしてけものとなる。これを鬼牛きゞうといふ。そのかたち尋常よのつねうしより大きくて。膂力ちからまた水牛すいぎうに百ばいし。つね水中すいちう沈倫ちんりんして。人に見らるゝことなし。もしこれを見るときハ。その人立地たちまちするといへり。いまかれを思ひこれを見るにこはまつた鬼牛きゝうつのなるべし。はやくもと海底うみそこかへさず。かへりんと計較もくろみ給はゞ。とほからずしてたゝりあらん。とかくうみしづめて。そのもとかへし給へ」とて。いと叮嚀ねんごろいさむるに。五郎さら信用しんようせず。「こハわれをあざむきて。かくめでたきをすてさせ。ひそかひらひとりて。おのれがをはかるもの也」と思ひしかバ。かへつて老翁おきなうらみさん%\にのゝしりて。こののちよせせもつけず。 しかるにこのはまみなみあたつて。さゝやかなるしまあり。そのころな/\。彼処かしこうし吼声ほゆるこゑしてけり。元来もとより人もすまず。牛馬ぎうばちくかひおくところにもあらぬに。うしなくことあやしけれバ。あくるをまちて。浦人うらびと小舩こぶねうかめてゆきて見るに。たえてものもなし。縁故ことのもといよ いよ不審いぶかしとて。いへごとにふかくおそれつゝしみ。夜網よあみするものなかりつるに。十日ばかりをて。うしなくことハやみぬ。とき建長けんちやうねん三月六日。五郎がつま綾瀬あやせハ。金龍山きんりうざんはなを見んとて。今茲ことし十二さいになりける。女児むすめ浅茅あさぢて。淺草寺あさくさでらまふで。まづ觀世音くわんせおんはいして。やがて夲堂ほんだううしろなる。食堂じきだうのほとりまでいたをりしもあれ。俄頃にはかうみかぜふきおろし。そのさまうしのごときもの。忽然こつぜんとしてはしつ。たゞつのをもて綾瀬あやせむなさかをつらぬき。これをうなじにふりかつぎつゝ。淺茅あさぢ毒氣どくき數回あまたゝびふきかけ。たゞ一跳ひとゝび食堂じきだうついるに。こゝに 集會つどへ法師ほふしばら。おどろおそれて昏絶こんぜつ(○メヲマハス)し。矢庭やにはするもの七人。病痾やまひうけて。ひさしくおきざるもの。廾四人におよべり。かゝりける程に境内けいだい衆人もろひと囂塵ぎやうじんとして奔走ほんそうし。五郎がいへ縁由ことのよしつげれバ。五郎慌忙あはてふためきて。鴨八かもはちとゝもにそのところはしりゆけバ。かの牛鬼うしおには。何地いづちゆきけんあともなく。綾瀬あやせしがいさへ見えず。たゞ女児むすめ朝茅あさぢのみ。のけさまにたふれてありしかバ。いだおこしてさま/\によびいくれど。とみいくべうもあらず。うし涎沫よだれかとおぼしきもの。あまたかほふきかけられたるを。ぬぐひなどして。いへかきもてかへり。くすり何くれの事。ます/\心をつくせしかひありて。その日のゆふぐれに。朝茅あさぢやうやく甦生よみがへれり。さらバ綾瀬あやせ

 〈挿絵第三図〉〈挿絵第三図〉

しがいたづねんとて。浦人うらびと相語かたらひ水陸すいりくともに。おちもなく探求さぐりもとむるに。つぎの日にいたりて。むかひなる入江いりえ浮出うかみいでけれバ。これをふね引揚ひきあげたりて。野邊のべおくりかたごといとなみけり。

綾瀬あやせかく非命ひめいし。朝茅あさぢまたひさしくやみておこたりはてざれバ。かれにつきこれにつき。五郎ハあぢきなき事のみなれば。さすがに活業なりはひにもこゝろすゝまず。しばし引篭ひきこもりてありけるに。鎌倉かまくら物産ぶつさんつみおく日子ひがらも。さだめあることなれバ。今度こんどおひかも八を。わがかはりに舩頭せんどうさせて。彼地かのちおもむかしたるに。かへべきときはるかたてども。たえておとつれもなし。あまりにこゝろもとなくて。人をつかはしてこと爲体ていたらく探聞さぐりきかするに。その 人たちかへりて。「甥子おひこは。鎌倉かまくらにてあまたぜにつかひ。これをつくなふにせんすべやなかりけん。水主かこ舵取かんどりにもしらせず。舩擔ふなにハさらなり。ふねさへ沽却うりしろなして。逐電ちくてんしたり」とつげにけれバ。五郎きゝあきはてかついかかつのゝしれども。今ハ世渡よわたかいをうしなへバ。べちほどこすべきはかりごとなく。はつか半年はんねんあまりに身上しんしよう衰微すいびして。あしたけふりたへゆふべかてとぼしかりつるほどに。はじめて老翁おきながいひし事を思ひあたり。かのつのをとりすてんとて。まづはこふたひらきて見るに。つのはうせてゆくところをしらずこれ又一ッの不思議ふしぎ也けり。

加〓しかのみならずなほあやしきハ。この日より浅茅あさぢ病著いたつきおこたりて。心持こゝち生平つねにかはることなく見ゆれど。はらのあたりふくよかに なりて。そのさま結胎みこもれるものゝごとし。しかれども「はつかに十二さいなる少女をとめが。懐胎くわいたいすべきやうハあらず。これ牛鬼うしおに涎沫よだれかれ咽喉のんどりしより。やまひをなすにこそ」など推量おしはかりて。ものをもいとはず。医療ゐりやうさま%\に心をもちふれども。つゆばかりもしるしなく。に/\にはらハ大きやかになりしかバ。醫師くすしも「まつた懐妊くわいにんならん」といふ。とかくして十月あまりをて。はらなるしきりうごき。今もうまいづべき氣色けしきなれバ。したしきうときも。「古今こゝん未曽有みそうう椿事ちんじなり」とて。たゞこの事のみを口順くちすさみとするに。縁故ことのもとをよくしれるものハ。「さもこそあらめ。かの五郎ハ。故郷ふるさとにて回國くわいこく行者ぎやうじやころし。あまた路銀ろぎんうばひとりて。しがいうみ衝流つきながし。このうらにげ きたりて。舩長ふなおさとなりけるも。よからぬ夲錢もとでなるものを。いかでひさしくさかゆへき。さき伊豆いづうみにて。舩底ふなぞこをつらぬきたるけものつのも。老翁おきながいへるごとく。かの行者ぎやうじや冤魂べんこんくわして鬼牛きゞうとなりて。あたむくはんとするに。五郎が命運めいうんいまだつきざれバ。必死ひつしのがれたりけるを。かれ暁得さとらずして。かへつてそのつの賣弄みせびらかし。よきあたひらん事をはかりしかバ。忽地たちまちこれがために。女房にようぼう綾瀬あやせころされ。いままた女児むすめ浅茅あさぢ奇痛あやしきやまひうけて。因果いんぐわ覿面てきめん道理ことわりしめすもの。おそるべし/\」と密語さゝやきぬ。まこと殘忍ざんにん狼戻らうれいなる。五郎も。この風声ふうぶんをもれきくに。みな犇々ひし/\と思ひあたことのみなれバ。にはかにものゝおそろしく おぼえて。つら/\思案しあんするに。「ちつするものハはつするときあり。みてるものはあふるゝときあり。浅茅あさぢ有身みこもりて。十月とつきにあまり。分娩さんする氣色けしきなしといヘども。つひにハ鬼子おにこなどをうむこともあらバ。われハ人のまへかしらをもいだしがたく。女児むすめことさらに。一生いつしよう人間にんげんまじはりをなしがたかるべし。しかるに虚々うか/\とこのところにありとも。久後ゆくすへじつにたのもしげなし。庶莫さもあらバあれ〔、〕浅茅あさぢのこしおきて〔、〕はやくわがかくさんにハ。おのづから人もあはれみ。これかれやしなひバ。親子おやこもろともにありて。胡慮ものわらひとなるにハまさりなん。これ父子ふし両全りやうぜんをなすのはかりごとなめり」とて。ひそかに心をけつし。浅茅あさぢにも つげずしてつぎの日何地いづちともなく逃亡にげうせけり。かゝりしかバ五郎が思ふにたがはず。近隣きんりんの人。浅茅あさぢちゝすてられて。昼夜ちうやなきまどふを見て。ふかくあはれみ。あるひいひおくり。あるひぜにあたへ飢渇きかつすくひ。これよりしてふゆ海苔のりすかし。はるかひひらはせなどするに。おのづからくちもらふに事りぬ。

あんずるに。東鑑あつまかゞみ建長けんちやう三年さんねん三月六日のいはく。このうしごときもの淺艸寺あさくさでらはしる。とき食堂じきだうあつまところ寺僧じそう五十こうくだん怪異くわいいを見て。廾四人立所たちところやまひうけ。七人即座そくざスと云々うん/\。また古老ころうに。いま牛嶋うししまハ。建長けんちやう三年さんねんかの牛鬼うしおにの。な/\ ほえたるところ也。よつて牛嶋うししまなつくといふ。しからバ綾瀬あやせしがいうきたる入江いりえを。後世こうせい綾瀬川あやせかはとなふ好古こうこの 看官かんくわん(ケンブツ)後勘こうかんあるべし。

   (二)一ッ少女をとめ五箇年ごかねん懐妊くわいにん 附タリ 野寺のでらの長者ちやうじや石枕いしのまくら縁故ことのもと

憂苦ゆうくうちにある人ハ。つめのびかみるゝをおぼえず。五郎が女児むすめ淺茅あさぢハ。すてに二八のはるをむかへ。顔色がんしよくも又人なみなれど。かれ竒病きびやうにおそれて。「つまにせん」といふものもなく。あまさへそのほとりなるいへは。夜毎よごとおそはれて。こゝろよることをねバ。一人ひとり轉宅てんたくし。二人ふたりきようつして。のちにハ浅茅あさぢすめいへのみのこりし かバ。たれいふともなく。浅草あさくさの一ッ呼倣よびなせり。 かくて浅茅あさぢ懐妊くわにんねんおよび。今茲ことし三月六日の安産あんざんして。女子をなご出産しゆつさんす。かねてはわれも人も。「いかなる鬼子おにこうむべきか」と思ひつるに。さハなくして。うまれしちごたまのことく。忽地たちまち大きやかになりて。一つきほどによく歩行ありき。よくものいひて。尋常よのつね四五さい〓子はらはべことならず。これを駒方こまかたつけて。はゝ寵愛ちやうあいたぐひなかりき。しかるに朝茅あさぢハ。まふけてより。心ざまたけくなりて。膂力ちから丈夫ますらを三人みたり四人よたりもあはせたらんがごとくにて。むさぼれどもあくことなく。あはれゆくすゑ。駒方こまかたとめいへよめともなさめと思ひて

 〈挿絵第四図〉〈挿絵第四図〉

人の誹誘そしりをかへり見ず。どう理にそむきても。たゞおのれをせんとするを見て。はじめあはれみたる人もいたくにくみまじはらず。さるによつて淺茅あさぢハ。浦曲うらわかせぎをなすことかなはねバ。廣澤村ひろさはむら農家のうかなどにやとはれて。日に/\彼処かしこいたり。かりもみひきはつかなる賃銭ちんせんを。おや子が命綱いのちつなにして世をわたるに。それも女児むすめ駒方こまかたほだしとなりて。人なみにハようせず〔。〕ころしも神無月かみなつき上旬はじめつかた簑輪みのわよりかへるとて。駒方こまかた背負せおひ。浅草寺あさくさてら北方きたべなる。田畔たのくろよぎるに。駒方がしきりなきやまざれバ。かきおろしつゝ。道次みちのほとりなるくひぜしりをかけて。しばし乳汁のますれバ。日もはや向暮くれなん/\とす。 こゝに一ッ家の長者ちやうじやいしまくらといふものありて。かたちつねまくらことならねど。そのいし光澤つやありてたまごとし。もしこれをとつかへるものあれバ。その人かならずたゝりをうけて。いくほどもなくいへやぶれ。子孫しそん断絶だんぜつすとて。今ハこれをらんとするものもなけれど。なほ「旅人たびひとなんど。縁故ことのもとをしらで。さるまさ〔き〕事をし。おもはずもわざはひにあはんか」とおもひはかり。里人さとびとふだをそのほとりにたてて。縁由ことのよし書写かいつけおきぬ。

そも/\むかしこのところ野寺のでら長者ちやうじやとて〔、〕いととめひとありけり。廾餘町よちやう屋舗やしきかまへて。他人たにんのきをまじへず。ゆゑときひと口順くちすさみて。一ッ長者ちやうじやとも。またまくら長者ちやうじやともいへり。くだん長者ちやうじや夏日なつのひゑん しよくるしみ。一ッの竒石きせきて。まくらきざませ。これをまくらしてねふるに。凉風りやうふうみゝのほとりよりおこりて。三伏さんぶくあつゆふべも。たえていねがたきといふことなし。またふゆハこのまくらをするに。いとあたゝかにして。かぜ臥房ふしどらず。よつてこれを愛玩めでもてあそぶことすでひさし。しかれども盛者せいしや必衰ひつすいたれかハのかるべき。長者ちやうじや没後もつご。そのいへ断減だんぜつおよび。たくはへたるところ財宝ざいほうこと%\他人たにんものとなるに。この石枕いしのまくらかひひとたゝりあるをもて。まつたもとぬし愛情あいじやくするにこそとおそれ思ひて。故宅こたく(○モトノヤシキ)のほとりにすつるを。又ひらひとる人いよ/\たゝりうくるによつて。そののちハこれをらんとするものなかりけり。この事みやこへもきこへたりけん。 白河院しらかはのいん御製ぎよせい

  武藏むさしにハかすみせきや一ッいしまくら野寺のてらあるてふ

あんずるに。いま浅草あさくさ反圃たんぼ慶印寺けいいんじ石橋いしばし枕橋まくらはしとなふ。古老こらうせつに。「くだんいしまくらはこのところにあり。このへん野寺のでら長者ちやうじや宅地やしきなりし」といふよし。あるひとかたりぬ。

これハさておき。淺茅あさぢハしばし其処そこいこひて。日來ひごろなれきゝなれたる。いしまくらを。いままたつら/\るに。いとあいすべきものなれバ。忽地たちまち 貪婪どんらん(○ムサボリ)こゝろおこり。「よしやこのまくらゆゑに。久後ゆくすへいかなるたゝりにあはゞあへ。ひそかにもてかへりて。縁故ことのもとをしらざるものにりて。よきあたひバ。生涯しようがいまづしく老死おいしぬるにハまさりなん。さハとてほとりちかくたちより しか。いな/\ほしと思ふハわれのみかハ。これをらざるハいのちをしきにこそ。われもいのちをしきものを。」とおもひかへして。はし退のかんとせしが。又思ふやう。「暗夜くらきよにものをうたがへバ。おにを見るとぞいふなる。人このまくられバたゝりありと聞怕きゝおぢするがゆゑに。わが心もてたゝりにもあふなれ。これをりて。たゝりあるも。たゝりなきも。すべてわがこゝろにあり。おそるゝにらず」とひとりごち。やをら駒方こまかたいだきおろして。まづ掛稲かけいねをよりあはしつゝ。石枕いしのまくら真中たゞなかくゝり。いとかろらかに引提ひきさげて。つひ駒方こまかたひきて。帰去かへりさらんとするをりしも。忽地たちまちいなむらのかげより。一人ひとり乞食こつじき(○カタイ) はしいでて。淺茅あさぢおびのはしをしかひきとめ。「このをんな。などてかく きもふとき。われさきよりこゝにありて。なんぢぬすみするをよく見たり。もしわれにその所得しよとくをわけ。ぜにあらバはやくあたへよ。なしといはゞ。その蔽衣ふるわんぼう。いでぬがせん」とて。いきまきあらくのゝしれバ。あさぢ大にいかりて。まくらくゝりたるなはのはしをくちくはへ左手ひだりのてをはたらかして。丁とふりはらふを。乞食こつじきハなほ透間すきまもなくうつてかゝれハ。ひらりとかいくゞりつゝ。ひちのあたりを握畄にぎりとめくまなき夕月ゆふつきかげに。はじめてかほを見あわするに。この乞食こつじきハ。五箇年ごかねん已前いぜん逐電ちくてんしたる。いとかも八にてありしかバ。たがいに「こハいかに」とおどろきて。つかみかゝりしこぶしやわらぎ。やがて左右さゆう引退ひきしりそきて。朝茅あさぢまづかれがこゝにあるゆゑとへバ。かもこたへ

 〈挿絵第五図〉〈挿絵第五図〉

「われおさなきより叔父をぢ養育はぐくみたれども。朝夕あさゆふのゝしらるゝがはらたゝしかりつるに。たま/\叔父をぢにかはりて。鎌倉かまくらおもむくことをゆるされ。たゞこれとりかごはなれ。けものをりいでたるこゝちし。彼地かのち逗畄とうりうあはひ大礒おほいそ粧坂けはひさかにかよひて。あまたぜにつかひしほどに。商物あきなひものハいふもさら也。ふねさへ沽却うりしろなして。なほところをもさだめあそびありき。一年ひとゝせざるに。一文いちもんぜにもなくなりしかバ。この三四ねんハ。伊勢いせ鳥羽とばにありて。水主かこ飛乗とびのりしてをわたりけるに近曽ちかころひととものあらがひして。みぎかひなくぢき。思ふまゝにふねこぐことかなはず。彼処かしこにありて。療治りやうぢせんことも。こゝろまかせざれバ。人をたのみて叔父をぢ勸解わび勘當かんだうを ゆるさればやと思ひて。みちすがら乞食こじきしつゝ。こゝまできたれり」といふ。朝茅あさぢきゝて思ふやう。「われちゝすてられ。浦人うらひとうとまれて。をわたるに便たつきなし。たゞうらみすてて。このひとすくひ。もろともに事をはからばや」と思按しあんし。やゝ顔色がんしよくやわらげて。別後べつごじようのべちゝ五郎か往方ゆくへなくなりしより。その懐胎くわいたい五年いつとせおよびて。このはる女児むすめ駒方こまかたうみたる首尾はじめおはりを。つまびらかにものかたり。さていふやう。「わがいへのおとろへたるハ。御身おんみがなせし事にて。ちゝもそれゆゑにこそ。をバすて給ひけめ。しかれバ御身おんみうらみハあれど。とくむくふべきなし。さハいへことわざにも。『雪中せつちうすみおくるハこれ骨肉こつにく他人たにん屋上やねしもをはらはず』といふ。われと御身おんみ とは従弟いとこ也。いかでその飢渇きかつすくはざるべき。それかぢなきふねハゆかず。らざるうまはしらず。われに斉眉かしづくべきをつとなく。ひとつにして幼稚いとけなきものを養育はぐゝめバ。かぢなきふねらざるうまにひとし。御身おんみわがちゝ高恩こうおんをおもひ。又あやまちおほいなるをひ。今よりして粉骨ふんこつつくし。われと女児むすめやしなひ給はゞ。われまち御身おんみをつと斉眉かしつきて。もろ共にとみをはかるべし。この事うけ引給ふにか」といへバ。かも八大によろこびて一議いちぎにもおよばず。「こハわが庶幾こひねがふところ也。たとひおひゆくのちまでも。うけひ言葉ことばそむかじ」とちかひつゝ。うちつれだちて一ッかへり。その妹背いもせむすびをなしつ。久後ゆくすゑハいざしらず。いとむつましくぞ見へにける。さらぬだに人みな朝茅あさぢ邪智じやちふかきをにくむなるに。今又「かも八が立帰たちかへりて。夫婦ふうふとなりぬ」と聞て。「こハとらつばさをそえたり。彼等かれら二人ふたりうちよらバ。いかなる悪事あくじ計較もくろむらん」とて。いよ/\うとみ。ます/\おそれて。みちにゆきあふときハこれをさけてものいはず。

さるによつてかも八がかひないたみまつたいえて。彼此おちこちはしりまはれども。海舩かいせん漁猟ぎよりやうかせぎにハ。たえてやとふ人なかりけり。されバとて夲錢もとでもあらねバ。べつになすべき活業なりはひもなく。なまじい一人ひとりくちのみふえて。かも八がかへざる以前いぜんにハおとれり。「かくてハ」とて夫婦ふうふ相語かたらいて。かのいしまくららんとするに。「縁故ことのもとをしれる人にハ。うるべうもあらず。よしやしらざる人ありとも。虚々うか/\賣弄みせびらかして。偸來ぬすみきたれる 事發覚あらはれなバ。ふききずもとむる也」と。思ひたゆたひて。これも又とみにハものようにたゝず。「とせんかくせん」とて。かうべやまひたいをつきあはしつゝ。智恵ちゑてふ智恵ちゑをふるヘども。轍魚てつぎよどろいきつくごとく。うちにはほどこすべきはかりことなく。ほかにハすくふべき人もなかりけるとぞ。

敵討枕石夜話巻之上終


観音利生くわんおんりしやう孤舘記傳ひとつやきでん敵討枕石夜話かたきうちしんせきやわ巻之下

曲亭馬琴纂補

   (三)圓通ゑんつう菩薩ぼさつひとたび朝茅あさぢらす つけたり 淺草あさくさ今戸いまど紀原おこり

そのとき朝茅あさぢしばし尋思しあんして。「あなもどかしや。一杓いつしやくみづは。十人のかつをとゞめがたく。半盞はんさんあぶらハ。長夜ちやうやあかすにらず。わが夫婦ふうふ萬苦ばんく千辛せんしんしてかせぐとも。させる夲錢もとでさへなきに。邂逅たまさかはづかなるぜにて。ものゝはらみつるものかハ。わらハ日來ひころ簑輪みのわへかよひて。〓昏ゆふくれかへごとに。さと壮佼わかうどがものいひかけて。いらへよくせバ。 調戯たはふれもしつべき氣色けしきを見せし事おほかり。これにつきてはかりごとあり。われ箇様かやう々々 /\ にすべし。御身おんみまた如此しか々々 %\ にし給へ」とて。みゝに口をさしよせて説示ときしめせバ。かもきゝ莞然にこ/\とうちみ。「このはかりごときはめし。さらバしかし給へ」といふ。こゝにおい朝茅あさぢハ。化粧けはひ髪結かみゆひなどして。洗躍衣あらひぎぬ著更きかえ女児むすめ駒形こまかたをかきいだきて。ゆふぐれごとに。廣澤ひろさは下谷したや鳥越とりこえむら稍尽処はづれ。すべてかけはなれたるところ/\を。ゆきもどりつ。みちまどひたるおもゝちするに。色好いろこのみなるさと壮佼わかうど。ゆきかゝりて。その形勢ありさま不審いぶかしみ。「あね何地いづちへゆき給ふ。みちまどひ給へるにや。おくりてまゐらせんか」といふに。朝茅あさぢこたへて。「わが如此しか々々 %\ のところのものなるが。 近曽ちかごろをつとなくなりて。たつきなくはべり。堀間ほりまむらにハ由縁ゆかりの人もあれバ。其所そこをこゝろさしてゆきはべるが。つねにハいとうとかりけれバ。みちさだかにはしらず。ことさらに日ハくれかゝりて。いかにともすべなし。堀間ほりまむらまでハ。なほいかばかりの路程みちのりはべるやらん。」とまことしやかにとふ壮佼わかうどきゝて。いよゝちかくあゆみより。「堀間ほりまむらハ。あなたなる川一條ひとすじへだてて。湯嶋ゆしまよりハ西にし芝崎しばさきよりハ東南とうなんあたれり。しかハあれど。日もすでにくれたれバ。渡守わたしもりふねいださず。今宵こよひハわがむらとまり給へ。あるじしまゐらせん」とて。信々まめ/\しくきこゆれバ。朝茅あさぢハうれしみたる気色けしきにて。「御身ハ年紀としもいとわかく見え給ふになさけある人にておはす。女子をなこうまれつるおもひでに。かゝるをつとをもたらましかバ。よしやからをわたるとも。うしとハ思ひはべらじ」といひかけて。莞尓につこみつゝ。うち見あげたる面影おもかげに。をとこむねさへさわぎて。忽地たちまちによからぬ心をおこし。後方あとべ前方さきべ左見とみ右見かうみるに。る人もなし。「さらバ郷導みちしるべをいたさんに。こなたへ來給へ」とてそでひけバ。おびさへさら/\ととけて。やゝみだりがはしきにおよばんとするをりしも。かも八ハさきより並松なみまつかげにかくろひうでまくりし。「時分じぶんハよし」とおどいでくだん壮佼わかうど頂髪えりかみを。無手むづとかいつかんうごかせず。こだまひゞこゑをふりたて。「この白徒しれもの。かく人のつま調戯たはむるゝハ。いのちに かけがえやある。われもまた睾丸ふぐりもてるものを。二人ふたりながらうちかさねて四段よきだにせずハ。胡慮ものわらひとなりぬべし。あらねたまはらたゝし。覚期かくごせよ」といきまきつゝ。左手めてのばして。朝茅あさぢ頭髻たぶさをしかととり。おなじところひきよすれバ。駒形こまかたハこれにおそれ。よゝとなきやまず。壮佼わかうどかも八に頂髪えりかみをとられて。いきたる心持こゝちもなく。おそる/\いふやう。「われハまつた密夫みそかをにあらず。この婦人ふじんみちまどひたれバ。郷導しるべして給はれとのたまはするに黙止もだしがたくて。假初かりそめにものをいひたるのみなるに。こハ理不尽りふじんなり。」といはせもあへず。かも八ます/\こゑたかうし。「なんぢわれを瞽者めしひとや思ふ。聾者みゝしひとや思ふ。目今たゞいまなんぢ

 〈挿絵第六図〉〈挿絵第六図〉

わがつま調戯たはむれて。今宵こよひひとつにんといひつるを。はやわすれたるか。ろんより證拠せうこなり。人にみちをしゆるにハ。かならずそのおびとくものか。いふことあらバいへ。きかん。」とのゝしりつゝ。あしあげふみにじりつらつばはきかくれバ。壮佼わかうどくちをしき事かぎりなけれど。乕落かたりわなに入たれバ。明白あからさまあらそふことをず。朝茅あさぢハこの形勢ありさまて。壮佼わかうどむかひ。「などてこのおよびて。ひとりのがれんとハし給ふ。そでふりあはするも他生たしようえんなり。なバもろともにと思ひはべるものを。たのもしげなきこゝろや」と。こゑをふるはしてゑんずれバ。かのをとこハます/\あきれ。只顧ひたすら勸解わぶれども。かも八ハかいつかみたるはなさず。それがむらに引ずり ゆかんといふに。いよゝ迷惑めいわくし。もちあはしたるぜにかねも。こと%\くとりいだし。これをもてあつかふに。かも八ハ「なほらず」とて。衣服いふくさへはぎとりて突放つきはなせバ。壮佼わかうど犢鼻褌ふみどほしのはしをながひき枯尾花かれをはななかまぎりて。あとをも見せず迯去にげさりぬ。朝茅あさぢかも八ハ。思ふまゝにぜにてふかくよろこび。ぜにつくれハかたのごとくするに。をりふしハ彼等かれらわなにかゝるものあり。それハみなとしわかきものどもなれバ。あるひ父母ふぼにしられんことをいとひ。あるひしゆう親方おやかたにしらせじとするほどに。乕落かたりとハしりなから。せにいだして無事ぶじあつかひしかバ。この事のちにハ人もしりて。近郷きんごう壮佼わかうどハ。「ひるきつねばかされな」とて。みち女子をなごゆきあふときハ。こみちさけわなかゝらじとす。こゝをもて悪棍わるもの夫婦ふうふ較計もくろみ。やうやくいたづら事となりて。むなしくかへおほかり。 かくてつぎとしあき朝茅あさぢハ又駒形こまかたて。淺草寺あさくさてらきたなる畷道なはてをゆくに。日ハよきほどにくれかゝりて。あめ粛々そぼ/\ふりいでたるに。年紀とし廾四五なる法師ほふしからかさをかたげつゝ。さきにたちてゆくあり。朝茅あさぢこれを見て。いそがはしくはしつき會釈ゑしやくもせず。かさの内につと入りて。法師ほふしを見かへり。「この驟雨むらさめに。かさやどりするいへもなく。ぬれてゆくの心くるしさを。あはれとハ見給はずや。なかいとふまでこそかたからめ。かり宿やどりハゆるし給へ」とて。うちみつゝ。かさをもちそえて。 いとおもむきある風情ふせいなれバ。かの青道心あをどうしん忽地たちまちかほあかうし。「こハわれをバ。西行さいぎやうとやおぼすらん。うたよむすべハしらねども。恋哥こひかならバかへしすべし。をしへてたびてんや」といへバ。「そハこなたよりねがふにこそ。くらきよりくらきにまどふを。みちびき給ひてよ」といふはしに。あめ早晩いつしかやみて。夕月ゆふつきかげひるのごとくなれと。かさをたゝむにこゝろもつかず。おしならびてゆくほどに。あしどりもしどろにて。朝茅あさぢ木履ぼくりふみかへし。ひたとたふれかゝれるを。法師ほうし吐嗟あはやと。かさ投拾なげすておびのあたりをいだきとむるに。かもあとよりつけきたりて。「大盗おほぬすびと」とのりもあへず。はしりかゝつて。ひさごたる。法師ほうし天窓あたまをゆがむ ばかりにはたうてバ。法師ほうし一声ひとこへ阿呀あつ」とさけびて。どろなかたふるゝを。おこしもたてずうつほどに。忽地たちまちいきたえたり。「こハそらしにするにこそ」とて。やが引起ひきおこしてよく見れバ。法師ほうしにハあらずして。女児むすめ駒形こまかたが。漬〓どろまみれになりてしたれバ。「こハいかに」とおどろきて。朝茅あさぢもろとも。さま/\にいたはるに。こときれたれバすくふべうもあらず。「かれこれとハもつかぬものを。かくあかきに。見あやまちたるこそ不審いぶかしけれ。こと法師ほうしあとなくうせて。目今たゞいますてたるかさもなし。かれ原来ぐわんらいきつねにてありけん。さてなにとせん」とて。周章しうせう大かたならざるに。朝茅あさぢハいたくかも八をうらみ。かつ駒形こまかた横死わうしかな しみ。「なほすくふ事もや」とて。雄手ゆんでにハわが子の亡骸なきがらをかきいだき。雌手めてながやかにして。樋門ひのくちの水をむすびて。くちにそゝぎ入れんとするに小草をくさうへものあり。「何ぞ」とて。とりてこれを見れバ。疊帋たゝうかみに。「奸賊かんぞくかも朝茅あさぢたまふ。枯樹こじゆはるかへ大悲だいひ霊薬れいやく」としるしたれバ。かつあやしかつよろこび。打開うちひらきて見るに。香氣こうき馥郁ふくいくたる丸薬くわんやく十粒とつぶばかりあり。こゝろみに三粒みつぶ四粒よつぶかみくだきてのまするに。駒形こまかた立地たちところ甦生いきいでて。氣力きりよく生平つねことなる事なし。「さてハかの法師ほうし凡人たゞうどにあらず。もし観世音くわんぜおん現化けんげしてらし給ふにか」と思へバ。何となく毛骨みのけいよだちて。悪励あくれい刻剥こくはく兇賊きやうぞくも。俄頃にはかもののおそろしくおぼえて。たかひかほをうち見あはし。

 〈挿絵第七図〉〈挿絵第七図〉

その駒形こまかたつゝがなきをさいはひにしてかへりしが。こののち夫婦ふうふしばら悪念あくねんをひるがへし。「去年こそよりかすめとりたるぜにもあれバ。それを夲錢もとてとして活業なりはひをせん」とするに。このころハ鎌倉かまくらより陸奥みちのくおもむくに。上下かみしみ渋谷しぶやより。國府方こふがへ千駄谷せんだがやて。山中村やまなかむらいた冨塚村とみつかむらわたしわたりて。雜司谷ぞうしがやより瀧野川村たきのかはむらに出るに。二條ふたすちかはあり。これをも打捗うちわたりて。西原にしがはら平塚ひらつか田畑たばた石濱いしはま須田村すだむら柳島やなぎしまへかゝり。又須田すだほとりなる二ッの小川をかはと。大河おほかはわたりしにや。又芝崎しばさき湯島ゆしまて。淺草あさくさいづ捷徑ちかみちもありしとぞ。古老ころう申傳もうしつたへたる。しかれども淺草あさくさハ。夲街道ほんかいどうならざりしゆゑ。さたまれる旅店はたごやもなく 旅人こびゝとこれを便びんなく思ふよしなれバ。こゝにて旅店はたごやいださバ。よろしかりなん」とて。夫婦ふうふ談合だんかうし。つひ背門せどのかたへ。はなれ坐敷ざしきたてそえ。もつはら木賃宿きちんやどをして。旅人たびゝときぬ。もとよりこゝハ一ッにて。ほか宿やどかるかたもなけれバ。おくくだる人のみならず。諸國しよこく道者どうしや淺草あさくさ観世音くわんぜおんまうづるに便たよりよしとて。夜毎よごとにこのいへとまるものおほし。しかるにそのころかも八がいへきたハ。無戸分むとふといふさとなりしが。其所そこ亭坐敷ちんざしきたてたるに。大河だいがまへにあてゝ。風景ふうけいもつともし。いま戸五郎とごらうちんといふところにて。人みな今戸いまと貸坐敷かしざしきびけるになん。

   (四)圓通ゑんつう菩薩ぼさつふたゝび朝茅あさぢらす つけたり 駒形こまかたわたしのはじまり

かくて又五七年の春秋はるあきおくるに。朝茅あさぢ舊病きうびやうふたゝびおこりて。やゝもすれバさだめほかなる旅籠はたごせんむさぼり。あまさへものもてる旅客たびゝとと見れバ。まだふかきに「暁方あけがたなり」といつはりて出立いでたゝし。みちかも八を待伏まちぶせさして。その路銀ろぎんうばひとらする事さへあれど。かけはなれたる一ッなれバ。たえてこれをしるものなし。しかるに駒形こまかたハ。その心ざまおやず。禀性うまれつき怜利さかしくて。ものゝあはれをもよく思ひわきまへ。としとをばかりのころより。ぬのおることをよくして。としたけたる かたにもおとらず。父母ふぼ非義ひぎ非道ひどうを。かくまでとハしらざめれど。そのおこなひを見るに。傍痛かたはらいたき事のみなれバ。をり/\これをいさむるに。ちゝはゝさらもちゆ氣色けしきなけれバ。ふかくなげき。何にまれ善根ぜんごんうへて。父母ふぼ罪業ざいごうあがなはんと思ひしかバ。はゝにもしらせずして。おりたるぬのあたひを。なかばハ人にあづけて。二三ねんほどに。そのぜにやゝ五六十くわんおよべり。さてこれをもて。ひそかふねつくらし。わがむほとりよりハ。西にしなるなぎさに。施行せぎやう渡舟わたしふねをとりたて亀高かめたか牛嶋うししまなどへゆくものゝために。便たよりよくせしかバ。里人さとびと大によろこんで。その功徳くどく稱讃せうさんし。駒形こまかたわたしとぞびにける。もとより駒形こまかたハ。 父母ふぼにこの事をしらせざれバ。かも八ハいふもさら也。朝茅あさぢ女児むすめぬのにあはしてハ。ぜにる事のすけなきを不審いぶかしみ。問罵とひのゝしる事しば/\なれど。駒形こまかたつゆばかりもおやうらまず。たゞ「そのあしき心をひるがへさし。まことみちみちびき給へ」とて。あさなゆふなに。淺草寺あさくさてら観世音くわんぜおんいのるのほかまた他事あだしことなかりけり。 さるほど朝茅あさぢハ。ある日「こゝちあし」とて打臥うちふしたれバ。駒形こまかた枕方まくらべたちらず。昼夜ちうや看病かんびやうして。しきりくすりすゝむれども。朝茅あさぢハこれをきゝれず。「われうまれて廾餘年よねん。一日もやみたる事なし。たま/\心持こゝちあしとて何程なにほどの事かあらん。人ハ すべて。両度りやうどしよくほかに。ものくはでもあるべし。まいにも見えぬはらうちを。醫師くすしかはくさ煮汁にしるをもてあらふとも。みな推量すいりやう沙汰さたにして。邂逅たまさかやまひいゆるもあれど。それハ偶中まぐれあたりなり。医師くすしさぢにすくひとらるゝぜにほど。をしきものハなし。見よあすいえなん」といふに。駒形こまかたいさめかねて黙止もだしつ。つぎの日にいたりてハ。いよゝ起出おきいづ氣色けしきなかりけれバ。駒形こまかたまたはゝにいふやう。「よしや医師くすしくすりもちひ給はずとも。たくはへ給ふくすりあらバ。まひらすべう思ひはべりて。彼此をちこちをかいさぐりてはべるに。ふりたる骨柳こりそこに。この丸薬ぐわんやくのはべりし。こハ何のせうもちひてこうあるかハ しらねど。霊薬れいやくしるしあれバ。あしき事ハあらじ。もちひて見給へかし」といふに。朝茅あさぢきゝて。かうべもたげつゝ熟視つら/\みて。「われそのくすりの事をわすれたり。これハ御身がいとけなきとき。かも八どのがあやまちして。すで打殺うちころし給ひたるをりしも。このくすりてんよりやふりけん。またよりやわきけん。忽然こつぜんとしてわがりしかバやがてかみくだきて御身がくちれしが。俄頃にはか甦生いきいでつゝがなき事をたり。かゝるめでたきくすりなれバ。ふかくひめおきたるに。そののちやむものもなかりしほどに。とりもいだす事なかりき。こハ一たびしたる御身おんみが。立地たちところ甦生いきいでたる霊薬れいやくなれば。よの つね醫師くすしくすりとハおなじからず。さらバこれをもちゆべし。とくをもて給へ」といふに。駒形こまかたハふかくよろこびて。やがてくみ枕方まくらべにおくに。朝茅あさぢしつゝかの丸薬くわんやくくちうちにつまみ入れ。一椀いちわんのみつくして。みづからむねなでまはし。「このくすりまこと功驗こうげんあり。心持こゝちすこし清々すが/\しくなりぬ。一目睡ひとまどろみせバ平愈へいゆうたがひなし。その小屏風こひやうぶひきよせよ」といふに。駒形こまかたハこゝろはてたちぬ。さるから朝茅あさぢうまねむ〔り〕りて。詰朝あけのあさいたりてもおきず。かも八これをあやしみて。まくらたてたる屏風びやうぶをうちたゝき。「いかに朝茅あさぢ今朝けさハいよゝこゝろよきか。起出おきいでて。早飯あさいひたうべずや。」と呼覚よびさませバ。朝茅あさぢ寐惚ねぼれたる

 〈挿絵第八図〉〈挿絵第八図〉

こゑして。「おい」といらへつゝ屏風びやうぶかいり。「良薬りやうやくもなきにあらず。きのふかの丸薬ぐわんやくのみてより。一夜ひとよさこゝろよくねふりたるが。今朝けさまつたいえはてゝ。氣力きりよく生平つねにかはらず」とひとりごとし、やをら起出おきいづるを見れバ。あやしかなたゞ一夜ひとようちに。白髪はくはつたるうばとなりて。かたちまつよりもやせくろみ。こしにハあづさゆみり。九十九つくもかみかたにふりかゝりて。ゆきやなぎことならねバ。かも八も駒形こまかたも。「こハ/\いかに。」とあきはてかほうちまもりていふところをしらず。朝茅あさぢハいまだかくともしらで。くちすゝがんとてたらひむかへバ。わがかげうつる水鏡みづかゞみに。かつおどろかつあやしみ。思はずたらひをうちかへせバ。 さつとながるゝみづよりも。物狂ものくるはしくたちつ。「そもわが身ハ何ゆゑに。一夜ひとようちうばとハなりけん。こハまつた駒形こまかたが。きのふのませたるくすりにて。かくあさましげに面影おもかげかはりけめ。くすりにハ禁忌さしあひといふ事もあるものを。よくも思ひはからずして。おやどくねぶらせたるよ〔、〕もと姿すがたにしてかへせ。わが虚々うか/\と。見てましてハ事果ことはてず。わがこの形容ありさまがをかしきか。あらはらたゝし」とのゝしくるひ。ぼさつ善巧方便ぜんこうほうべんとハ。つゆばかりも思ひかけず。桃源とうげんひと〔、〕桃源とうげんしたひ。「浦島うらしまが子のおひかなしみしも。かくや」とおぼうばかりなり。駒形こまかたハ。勸解わぶるよしなき、きのふのくすりを。わがこゝろからまゐらせたれバ。はゝいかりのふかきつみに。「かはらるゝ事ならバ。いのちも何かをしまじ」と。思ひせまりてよゝとなけバ。朝茅あさぢハいよゝ焦燥いらたちて。かれのゝしりこれをのゝしり。はて夫婦ふうふつかみあひて。障子しようじ踏破ふみやぶり。鍋釜なべかま打碎うちくだき。くるつかれてさてやみぬ。

かゝりしかバ夫婦ふうふあはひも。むつましからずなりて。かも八は朝茅あさぢ婆々ばゞべバ。朝茅あさぢも又かも八を乞児かたゐのゝしり。やゝもすれバものあらがひして。たがひにうちうたるゝことしば/\なりしが。ある日又かも八ハ。朝茅あさぢ打懲うちこらすとて。爐縁ろぶちつまづたふれ。みぎ肩尖かたさきうちけるに。浪花なにはにありて。水主かこ飛乗とびのりをせしとき打身うちみ。大におこりて。起居たちゐ自在しざいならねど。朝茅あさぢくすりのませんとも せず。たゞ駒形こまかたのみまめやかに看病かんびやうし。あるはゝにいふやう。「わがためにハ養父やしおやなり。母御はゝごためにハをつとにておはする人を。などてかく鬼々おに/\しくハものし給ふ。こゝろある人ハ。ともどちさへやむときに。まことを見するものぞかし。いかに心つよくとも。かくまでにハあるまじけれ」とて。ことわりつくしてかき口説くどけバ。朝茅あさぢ冷咲あざわらつて。「いやとよ。わがいへ零落おとろへたるも。もとかの愚物しれものがなせしなり。加之しかのみならず乞児かたゐとまでなりさがりたるを。流石さすが従弟いとこなれバと。あはれみ思ひていへともなひ。彼人かのひとつかすてたる。かねなかばなりともつくのはせんために。をつと斉眉かしづき活業なりはひをうちまかしたるに。おのれあるじぶりて。かへつて活業なりはひにハうとく。さけたしいろこのむのほか。しいだしたる事もあらず。しかるにわがかく面影おもかげもかはりたれバ。かれかならず異妻ことつま引入ひきいれんかと。日來ひごろねたく思ひつるに。俄頃にはか起居たちゐ自在しざいならずなりぬれバこそ。わがこゝろやすうする日もあるなれ。たゞうちすてておき給へ。御身がちゝぶ人は天地てんちあはひたえてなきものを。」といらへしかバ。駒形こまかたハます/\あきれて。ふたゝびいふことをず。

かくて朝茅あさぢ夜毎よごととむ旅客たびゝとれうにとて。水菜みづなを大きやかなるをけつけ。いとおもげなるいしおしとして。庖〓くりやすみにおきしが。かも八が。よるひるもうちふしてあるをいぶせく思ひ。「坐敷ざしきにありてハ。旅客たびゞととむるに さまたげ也」とて。かの潰桶つけをけのほとりにさしたるが。かも八ハ手足てあしさへはたらかしがたけれバ。かゞめてかれあらそはず。日に/\かうべいたみたへがたかりしかバ。ひそか駒形こまかたにいふやう。「われひさしくうちふしたるゆゑにや。かうべほてりていとくるし。如此しか々々 %\ はこひめおきたる石枕いしのまくらあり。なつにこのまくらをしてねふれバ。凉風すゞしきかぜみゝおこりて。竹奴だきかごにもまさり。ふゆハ又あたゝかにして。湯婆たんほまさるといふ。われかのまくらをして。この苦痛くつうたすからんと思ふに。もててさしてよ」といふに。駒形こまかたやがてかのいしまくらをとりいだし。つねまくらと引かへたるを。朝茅あさぢ見てうちはらたて。「がゆるしてこのまくらをさしたる。かゝる ものをはしちかにおきて。人に見られなバ。よき事ハあらじ。全身みのうち自由じゆうならざるに。なほ栄曜ゑようこゝろのうせずや。」といきまきつゝ。かのまくらをとらんとて。足音あしおとたかくはしらんとするに。をけうへなるいし滾々ころ/\おちかゝるを。「吐嗟あはや」とあやぶほどもあらせず。ふしたるかも八がかうべうへ轉落まろびおちしかバ。したにハいしまくらをせしほどに。なじかハたまるべき。かも八はかうべ微塵みぢんにうちくだかれ。脳髄なうみそいでしんでけり。駒形こまかたハこれを見て。はゝよりさきはしりよりて。すくはんとするにつひおよばず。うへなるいしをかきいだき。こゑをしま泣叫なきさけべバ。朝茅あさぢも今さらにあさましくて。やうやくに慙愧ざんぎし。駒形こまかたすかしこしらへて。 そのかも八が亡骸なきからを。なにがしのてらほふむりぬ。むかし朝茅あさぢ枕橋まくらはしのほとりにて。かのいしまくらて。はじめてよからぬ心をおこせしとき。かも八に環會めぐりあひつひ夫婦ふうふとなりて。たがひ暴悪ばうあくを事とせしが。天罰てんばつやゝむくて。かもかの石枕いしのまくらをしていしうたれたるこそ不思議ふしぎなれ。かゝりしかど朝茅あさぢハ。面影おもかげのかはりてより。いよゝ貪婪どんらんの心ふかく。をつとあさましきをなしたるを見ても。菩提ぼだいみちにハなほうとく。かも八がしゝたるとき形勢ありさまをおもひよせて。ます/\奸計かんけいをめぐらし。ひとり宿やどかる旅客たびゝと臥簟ふしどうへにハ。大なるいしつりおきて。いしまくら

 〈挿絵第九図〉〈挿絵第九図〉

さし。甲夜よひより燈火ともしびおかず。その熟睡うまゐするをうかゞひて。つりたるいしなは切落きりおとして打殺うちころし。あけざるはしに。しがいを川へながせしほどに。これをしる人なしといヘども。近郷きんごう老弱ろうにやくハ。朝茅あさぢ俄頃にはかうばとなり。又をつとかもしてのち。そのいへかへつて冨〓ゆたかに見ゆるをあやししみ。ひそかをつくるものもあれど。かけはなれたる一ッの事なれバ。しかみとむるよしもなかりけるとぞ。うべなるかな。朝茅あさぢハそのはじめより。女児むすめ駒形こまかたにもふかくかくして。たえてしらせず。その機密きみつ奸智かんちひと耳目じもくくらますにれるなるべし。

   (五)圓通ゑんつう菩薩ぼさつたび朝茅あさぢらす つけたり 蛇塚へびづかうばいけことあと

光陰こういんよどみなくて流水りうすいのごとく。朝茅あさぢ女児むすめ駒形こまかたすでに十五さいになりて。容色ようしよくも人なみにすぐれ。心ざま怜悧さかしくて。かゝる田舎ゐなかにハいとまれなるべき處女をとめなれど。みづからはぢて人にもまみえず。はゝ隱慝あくじをやゝ暁得さとりて。いくたびかいさむれども。朝茅あさぢつゆばかりも聽入きゝいれず。「こハみな御身おんみ久後ゆくすゑためにとてすなるに。かくいふハ。おやのこゝろしらずにこそあるなれ。御身さおもひ給はゞ。はゝをバうとましかるべし。わがにさへあかれてハ。いきたのしき 事もなし。自害じがいせんにハ」とて。菜刀ながたなひらめかしなどするに。駒形こまかたハせんすべなく。その暴悪ばうあくいさめかねし。身の憂事うきことに思ひほそり。一年いちねん三百六十日。まゆひらきわらふ日ハなかりけり。

しかるにこのころ。あまた〓子はらはべちまた集合つどゐて。童謡わざうたをなんうたひける。そのうたに。

  ハくれてにハふすとも宿やどかるな。淺草寺あさくさでらの一ッいし

淺草あさくささとのみならず。國々くに/\にこのうたきこえて。口順くちすさみとせざるものなし。こゝをもて諸國しよこく旅客たびゝとふかくあやしみ。かの一ッ宿やどかるものなかりしかバ。朝茅あさぢふかくいきどほり思ひて。かのうたうたへる〓子はらはべのわがかどちかくるときハ。らひ。うちちらしなどするに。衆皆みな/\ はら/\と走退はしりのき。退のけバ又あつまりて。うたふことはじめのごとし。かゝりしほどにある日のゆふくれに。いと〓闌らうたけたる美少年びしようねん朝茅あさぢかど立在たゝずみて。こしなるふえ抜出ぬきいだし。音律ねいろたへふきすさむをきけバ。「日ハくれてにハすとも々々しか%\」といふ童謡わざうたを。うたふがごとくふきしかバ。朝茅あさぢきゝて大にいかり。ほうきかいとつていそがはしくはしいで月光つきあかりにつらつら見れバ。このわたりにハなれ少年しようねんなれバ。ふたゝびあやしみ。理不盡りふじんにハひもやられず。もてるはうきうしろにかくして。おもてやわらげ。「こハ何地いづちの人におはする。わがいへにものとはんとて。立在たゝずみ給ふにや」といふに。美少年びしようねんこたへて。「われハ淺草寺あさくさでら行童ちごなるか。けふ 思はずもぼう氣色けしきかうむり。忽地たちまちてらおはれてまどひいでたる也」といふ。朝茅あさぢきゝて。「さらバ今宵こよひ吾家わかいへあかし。あすハつとめてぼう勸解わび給へ。かく御寺みてらちかくすまひはべれハ。ことさらにいたましく思ひはべり」とて。信々まめ/\しげに誘引いざなへバ。美少年びしようねんハなほ固辞いなみながら。さしてゆくかたもなかりけん。つひうちりしかバ。朝茅あさぢひそかよろこんで。駒形こまかた給侍きうじさして。夕餐ゆふげをすゝめ。「とくねふり給へ」とて。用意ようゐ臥房ふしどともなひつゝ。立出たちいでて思ふやう。「このころよからぬうたうたはせて。わが活業なりはひさまたげするハ。かの少年しようねん所爲わざなるべし。しかるにかれぼういかりにふれて。しりつゝわがいへ宿やどりたるハ。さすがにあさわらはごゝろ なり。今宵こよひ這奴しやつをうちころさバ。わが活業なりはひみちひらくのみならず。衣服いふくなどもあたひよろしくなりぬべきもの也。」とひとり点頭うなつきふくるをぞまちたりける。

この駒形こまかたハ。はやくはゝ較計もくろみすいして。又しきりにうちなげき。日來ひごろしば/\いさめしかど。そのかひもなく。すでにいくばくの人をころし。いままたたゝる霊場れいじよう行童ちごをさへ。ころさんとはか〔圖〕り給ふ事。みなわがによききぬせ。冨人とむひとつまともして。おいらくにをすぐさんとて。まどひ給ひし貪慾どんよくハ。このゆゑなりと思ふほど。わが罪障ざいしようこそいとふかけれ。所詮しよせんかの少年しようねんにかはりていしうたれなバ。はゝ邪見じやけんつのれて。

 〈挿絵第十図〉〈挿絵第十図〉

積悪せきあく餘殃よわう因果いんぐは覿面てきめんのことわりを思ひしり。菩提ぼだいみちに入り給ふ。なかだちともなりぬべし。『南無なむ救世ぐせ圓通ゑんつう観世音くわんぜおん大菩薩だいぼさつ親子おやこのちすくはせ給へ。』とねんじをはり。ひそか少年しようねんねやたちよりて。よくねふりたるをさませバ。一声ひとこへいらへ起出おきいでたり。をりしもまどよりさしるゝ月影つきかげに。よく/\その人を見るに。甲夜よひふしたる少年しようねんにハあらずして。年紀とし廾五六なる壮佼わかうどの。にハ禅衣おゆづりて。順礼棒じゆんれいぼうとて。八角はつかくけづりたるくはつゑをもてりけり。駒形こまかたハこの形勢ありさまにふかく不審いぶかしみ。「甲夜よひ宿やどしまゐらせたるハ。二八ばかりなる美少年ひしようねんなりしが。御身ハそのともがらとも見えず。かの少年しようねんハ。何所いづこおはする。御身ハ又何國いづくの人にて。何所いづこよりこゝに入りて。ねふり給ひたる」ととふに。壮佼わかうども又大に不審いぶかしみ。「われハもと常陸ひたちの人なるが。いとはやくより。大願たいぐわんありて。西國さいこく秩父ちゝぶ坂東ばんどう百箇所ひやくかしよ霊場れいじよう順礼じゆんれいすること。すべて五周いつめぐりおよび。たびよりたびに月日をおくるもの也。しかるにこのころ。淺草寺あさくさてら観音堂くわんおんだう通夜つやすること。すでに七日におよびしに。さきゆめともなくうつゝともなく。びんつらゆふたる童子どうじ忽然こつぜんとあらはれて。説示ときしめし給へることあり。さてのたまふやう。『なんぢわれにしたがひてきたれ。明朝みやうちやう夙願しくぐわんはたさすべし。なんぢいまゆくところにて。更闌こうたくるころ。さますものあり。そのとき起出おきいでて。如此しか々々 %\ なるいけほとりにありて。あくるをまて。かならず宿願しくぐわんはたすことあらん。』とつげ給ふと見しゆめハ。はじめてさめたる心持こゝちぞする。そもこゝハ何所いづこにて候ぞ」といふに。駒形こまかたます/\あやしみて。「さてハかの少年しようねんハ。観世音くわんぜおん現化げんげし給ふならん。この人のために。わがはゝ隱慝あくじも。見あらはさるゝ前象ぜんしようにや。よしさもあらバあれ。つひにハのがれぬ罪科つみとがの。ほとけみちびき給ふ人を。はかるともはかられじ。よそながらにきこえて。はやくこゝを立去たちさらせんにハ。」と深思しあんしつ。こゑひくうしていふやう。「こゝはたゝる一ッなり。御身この所にあかし給ふときハ。わざはひあるべし。とく/\いて給へ」といふ。壮佼わかうどきゝてうち点頭うなつき。「われハふかねがひのあるものなるに。しばしもあやうところるべきにあらず。いざしるべしてたべ」といへバ。駒形こまかたこたへて。外面とのかたよりいで給はんハ便びんなかるべし。其所そこよりくゞいで給へ」とをしゆるにぞ。壮佼わかうどかのつゑ衝立つきたてあしふみかけ。つひまどよりのがいできたさしはしりけり。 かくて駒形こまかたまどを引よせてうちくらくし。その臥簟ふしどに入かはりて。きぬ引被ひきかつふしたりける。

さるほど野寺のでらかねちかくきこえて。丑三うしみつにもなりしかバ。朝茅あさぢは「時刻じこくになりぬ。」と起出おきいでつゝ。もすそかゝげあしつまだて菜刀ながたな引堤ひきさげて。かの少年しようねん枕方まくらべしのびより。しばし寐息ねいきうかゞひて。きつはな釣索つりなはに。いしハどつさり地響ぢひゞきし。忽地たちまち おしにうたかたの。あはれはかなき最期さいごなり。朝茅あさぢすでおほせて。「わがものつ」とえみふくみ。遺戸やりと一枚いちまい押開おしあくれバ。月影つきかげくまなくさし入れて。ひるよりもなほあかきに。と見れバ只今たゞいま打殺うちころせしハ。かの少年しようねんにあらずして。思ひもかけぬ駒形こまかたなり。「こハそもいかに」と周章しうせうし。いし押除おしのけいだおこすに。はやにくやぶほねくだけも又ひらたうなりしかバ。べどかへせどそのかひも。亡骸なきからはた掻遣かいやりて。「あらはらたゝしやくちをしや。駒形こまかたかの少年しようねん懸想けさうして。わが機密きみつもらせしか。庶莫さもあらバあれ者奴しやつこそわが仇人かたきなれ。たとひ隱形いんぎやうじゆつをもてのがれかくるゝとも。何地いづちまでかにがすべき。いで追畄おひとめんとゆふ つゝよりなほすさまじきひとみひかり白髪はくはつさつとさかだちて。簀子すのこたかふみならし。外面とのかたはしいづれバ。かの少年しようねんハ。こゝより逃亡にげうせたりとおぼしくて。には千草ちくさあとつけて。はぎすゝきたふれたり〔。〕これしほりにして追蒐おつかけつゝ。淺草寺あさくさてら境内きやうないなるいけほとりちかくて。むかひきつと見わたせハ。みきはなるまつくだん順礼じゆんれいしりをかけ。棍頭槍しこみつゑ突立つきたてて。普門品ふもんぼんじゆたるが。朝茅あさぢにハ。かの少年しようねんとや見えたりけん。たかおめき。菜刀ながたなをうちふりて。らんとするを。順礼じゆんれい修行者しゆぎやうじやハ。はやくひねりてこれをさけ棍頭槍しこみつゑぬくよりはやく。肩尖かたさきふかくきりつくれハ。朝茅あさぢ忽地たちまちのけさまに

 〈挿絵第十一図〉〈挿絵第十一図〉
宿かりて夜にハねずとも枕すな あさくさ野路のひとつ家の石 鳬岸信士

たふれて。いけにざんぶとしづみしが。見る/\水中すいちうへんじ、しばしハうきもあがりず。ときしもあれ。この日ハ七月十日にて。観世音くわんぜおん慾参日よくさんにちなりしかバ。夲堂ほんだう通夜つやせし里人さとひと。はやくもこの事をしつて。「すハ彼所かしこいけに。人しづみぬ」といふほどこそあれ。喘々あへぎ/\はしつ、おの/\池を囲繞まとゐせり。

浩所かゝるところに。かぜさつとおろして。高浪こうらう逆波げきはきしあらひ。朝茅あさぢ半身はんしん大蛇だいじやなつて。水中すいちうよりあらはれいでくれなひなるしたひらめかして。順礼じゆんれい壮佼わかうどを。たゞ一口ひとくちのまんとす。そのとき壮佼わかうどハ。さわざたる氣色けしきなく。ふところより観世音くわんせおん御影みゑい一幅いつふくをとりいだし。大蛇だいじやかうべにさしつくれバ。毒蛇どくじやちゞめて すゝみず。これを見るもの戦慄おのゝきふるひいきたる心持こゝちハせざりけり。とき壮佼わかうどさと老弱ろうにやくをさしまねき。「衆人もろびとわがいふ所をきゝ給へ。われ甲夜よひ観音堂くわんおんだう参籠さんろうして。大悲だいひ示現じげんこうむり。この一ッうば暴悪ぼうあく従來じゆうらい縁故ことのもとをしれり。そも/\かの朝茅あさぢハ。宿やどかる旅客たびゝとに。いしまくらをさせ。いしおとして。これころすの兇賊きやうぞく也。もとこれそのちゝ五郎が。なみの山にありしとき。常州じようしう枕石寺しんせきじ頭陀づだころして。その路銀ろぎんうばひとり。これをもて生涯しようがいを。やすくせんとはかりしより。かの頭陀つだ怨霊おんれう。ながくたゝりをなし。して牛鬼うしおにとなりて。五郎がつま綾瀬あやせ突殺つきころし。又女児むすめ朝茅あさぢ胎内たいないに わけ入りて。五年ごねんあはひこれをくるしめ。出生しゆつせうしたる駒形こまかたハ。孝順こうじゆんにしてかへつはゝ打殺うちころされ。いまゝた朝茅あさぢ。かくあさましき姿すがたとなりて。衆人もろひとに見らるゝ事。みなこれ因果いんぐわ道理どうりしめすものなり。かつ牛鬼うしおにを見て。いのちおとせし法師ほうし。又かも朝茅あさぢころされたる旅客たびゝとハ。あるひ過去くわこ悪報あくほうにより。あるひ今生こんじよう罪業ざいごうよつて。非命ひめいをなすものにして。すべてかの夫婦ふうふしたるもの。一人ひとりとして善人ぜんにんはなし。しかれどもころさるゝものにつみあれバ。これをころすものいよ/\つみあり。こゝをもてかも八ハいしうたれ。駒形こまかたはゝころされ。朝茅あさぢ最期さいごこゝにいたる。この因果いんぐわのことわりを。衆人もろひとつけしらし。 ぜんすゝあくこらせよ。と大慈だいち大悲だいひ示現じげんこうむり。こゝにきたつてかの毒婦どくふまつことひさしかりき。いでそのしるしを見すべし」といひもあへず。大士だいし御影みゑいをさとひらきて。ふたゝび大蛇だいじやにさしつくれバ。なるかな。観世音くわんぜおん御影みゑいより。光明くわうみやう赫〓かくかくとして。蛇身じやしんたりしかバ。毒蛇どくじや忽地たちまち水中すいちうると見えし。もと朝茅あさぢしがいとなつて。水面すいめんうかむとひとしく。空中くうちう光物ひかりものあつて。そのこゑうしなくごとく。そのひか散乱さんらんして。白蓮花はくれんげし。西にしさし飛去とびさるにぞ。壮佼わかうどハしばしそなたをしおがみ。又観世音くわんぜおん礼拝らいはいす。里人さとびとこれを見て。ます/\竒異きいの思ひをなし。「さてハ五郎にころ されたる頭陀づだハさら也。野寺のてら長者ちやうじや駒形こまかた親子おやこ亡魂なきたまいたまで。みな観世音くわんぜおん引接いんしようによつて。成仏じようぶつしたるにこそ」とて。不覚そゞろ感涙かんるいながしけり。

かゝりけるをりしも。年紀としのころ五十あまりなる。回國くわいこく修業者しゆぎやうじやさきより里人さとひとうしろにありて。事の爲体ていたらく見聞けんもんせしが。つひにもろびとかきわきて。みぎはたちより。朝茅あさぢしがいむかひて。しきり落涙らくるいす。里人さとひとあやしみてこれを見れバ。これ五郎なりしかバ。「こハいかに」とおどろくにぞ。五郎里人さとひとを見かへり。「われむかしこのさと逐電ちくてんし。回國くわいこく行者ぎやうじやとなつて。諸國しよこく偏歴へんれきするといヘども。こゝろよりおこれる出家しゆつけならねバ。くち稱名せうみやうハしても。まことほとけねんずることなく。たゞぜにこひくちくちもらひ。たびあまたとして。よるとしなみに剛氣ごうきたゆみ。一たび女児むすめ朝茅あさぢを見まほしさに。たま/\こゝにかへて。善悪ぜんあくにつきてかならずむくひある事を感悟かんごし。なせし罪科つみとがくひおもふに。大士だいし示現じげんによつて。わが舊悪きうあくを。これなる壮佼わかうどにいはれ。毛骨みのけもいよだちておぼえしなり。今ハその事つゝむおよばず。われ上總國かづさのくになみやまふもとにありしとき。はからずも常州じようしう久慈郡くぢこふり大門村だいもんむら枕石寺しんせきじ度牒どてうをもてる。要助ようすけ道心どうしんといふ頭陀づだ射殺いころし。その路銀ろぎんうばひとりしより。つひ朝茅あさぢハ。いしまくらに。人をころし。また女児むすめころし。わがうしな天罰てんばつを。見聞みきくにつけてなまじいに。とりのこされしおいの。うたてきかな。」といひもはてぬに。順礼じゆんれい壮佼わかうとつと立對たちむかひ。「やをれ五郎。なんぢ一人ひとり生殘いきのこりしとて。いたくなうらみそ。われハなんぢうたれたる。常州じやうしう大門村だいもんむら要助ようすけ道心どうしん一子いつし要太郎ようたらうなり。むかしわがちゝ多病たびやうによつて剃髪ていはつし。回國くわいこくいでしより。としれどもかへまさず。はゝハこのゆゑに思ひほそりてまかりぬ。さるによつて。わがあらふる霊場れいじやう順礼じゆんれいし。『ちゝ生死しようしをしらせ給へ。』と祈念きねんすること。十年とゝせにあまり。近曽ちかころこの武蔵むさしきたつて。淺草寺あさくさてら観音堂くわんおんだう通夜つやする事七日におよび。今宵こよひ大士だいし示現じげんによつて。ちゝ最期さいごをしり。また讐家しうか 従來じゆうらい縁故えんこをしり。又仇人かたき女児むすめなる。一ッうばころして。衆人もろひとうらみきよめ。いままたなんぢ環會めぐりあふこと。みなこれ無量寿光むりやうじゆくわう阿弥陀佛あみだぶつおよび観音くわんおん薩陀さつた冥助みやうぢよによれり。観念くわんねんせよ」と名告なのりかけ。やいばひらめかしてきつかゝれバ。「心得こゝろえたり」と五郎ハ。つゑもてちやううけながし。二合ふたうち三合みうちうちあひしが。要太郎ようたらう焦燥いらつうつ太刀たちに。つゑ真中たゞなかきりられ。刀尖きつさきあまつて五郎が。したふかく〓裂きりさかれ。まみれてたふるゝを。のりかゝつてくびかきおとし。やがてちゝ霊魂れいこんまつりをはり。さて一五一十いちぶしゞう寺僧じそうつげ観世音くわんぜおん酬願ぐわんほどきして。故郷ふるさとへ立かへりしかバ。縣主あがたぬしその純孝じゆんこう

 広告〈挿絵第十二図〉

賞美せうびして。ろくあまたたまはり。子孫しそんながくさかへけるとぞ。

さるほど里人さとひとハ。五郎朝茅あさぢ駒形こまかたしがいを。いしまくらとゝもに。淺草寺あさくさてら後面うしろうづめて。これを蛇塚へびつかびけり。けだし朝茅あさち蛇身じやしんとなりしをもて。かくぶにや。いま金龍山きんりうさんうしろなるなかに。一株ひとかぶゑのきあり。このところへびおほし。これいにしへの蛇塚へびつか也といふ。そのころ里人さとひとハ。なほ朝茅あさぢ怨霊おんれうの。たゝりをなす事もやとあやぶみ。かのいけほとり宝倉ほこらつくりて。弁財天べんざいてん勧請くわんじようし。そのれいしづめまつりて。沙渇羅しやかつら龍王りうわうとすといふ。又一説いつせつかの弁財天べんざいてんハ。駒形こまかたまつるともいへり。流行病はやりやまひあるときにたけつゝあまさけれて。社頭しやとうえだかけいのるときハ。そのやまひ立地たちところいゆるとぞ。いまおいて。淺草あさくさ妙音院みやうおんいんいけを。うばいけとなへて。はづか古蹟こせきのこせり。

それおもんみれバ。念仏ねんぶつ功徳くどく無量むりやう不可思議ふかしぎなり。要太郎ようたらうちゝ要助ようすけ道心どうしんハ。専念せんねん行者ぎやうじやとして。五郎が矢先やさきにかゝり。非命ひめいをいたせし事。前世ぜんぜ悪業あくごうなりせバ。是非ぜひろんずるにおよばず。しかれども。ちゝ念仏ねんぶつ功力くりきによつて。要太郎ようたらうハ。たえてしらざる仇人かたき名告なのりあひ。忽地たちまち宿志しくしはたして。孝道こうどうまつたうせり。また要介ようすけ道心どうしん最期さいご寃苦べんくによつて。しよう牛鬼うしおにひくといヘども。その純孝じゆんこうを。仏陀ぶつだあはれみ 給ふがゆゑに。つひ得脱とくだつしたるなるべし。おもふにむかし要介ようすけ枕石寺しんせきじ度牒どてうを給はりて。一念いちねん弥陀みだをたのみたてまつらずハ。要太郎ようたらうあたうついたるべからず。もし要太郎ようたらう多年たねん霊場れいじやう順礼じゆんれいして。観世音くわんぜおんいのらずハ。要介ようすけハたえて仏果ぶつくわがたからん弥陀みだ利劍りけん衆生しゆじよう煩脳ぼんなうたち大慈だいひ智箭ちゑのやハ。凡夫ぼんぶためこゝろおに給へり。ひとえはざれバさめず。まどはざれバさとらず。われそのまどふ人を見る。いまださとる人を見ず。嗟夫あゝかたいかな。

敵討枕石夜話巻之下 大尾 」

 刊記〈下巻末・刊記〉

作 者    曲 亭 馬 琴 [曲亭]

畫 工    歌 川 豊 廣 [哥川氏]

      剞〓 朝倉夘八

戊辰ぼしん發販はつはん曲亭子きよくていし新編しんへん讀夲よみほん外題げだいをしるうた

爲朝ためともや。頼豪らいごう。わんきう鴨神なるかみに。三勝さんかつ佐用媛さよひめ。おそめ。うすゆき敵討かたきうち

つゝみいほに。石枕いしまくら二冊にさつ三さつ。これはちうほん。

手柏てかしはがはり名号みやうごう小鍋丸こなべまる歌舞伎かぶき傳介でんすけ。おつま八郎兵衛。

敵討かたきうち白鳥しらとりせき自作じさくなり鈴菜すゞなに。甚三ぢんざハ。門人もんじんさく。」



文 化 五 年 歳 次 戊 辰
春 王 正 月 吉 日 發 販

                  江戸通油町

                       村田屋次郎兵衞

                  日本橋新右衞門町

                       上總屋忠助梓


 広告〈刊記・広告〉

 〈広告〉

   戊辰新版   慶賀堂蔵

巷談坡〓庵  曲亭馬琴著  中本三冊

復讐猫股屋敷 振鷺亭主人著 仝 一冊

凾嶺復讐談  感和亭鬼武著 仝 二冊

〈繍像|小説〉宿直物語  式亭三馬著  全部六冊

〈孝子|美談〉白鷺物語  十返舎一九著 前後四冊

敵討枕石夜話 曲亭馬琴著  中本二冊

〈古今|竒談〉紫草紙 全五冊    〈圃老|巷談〉菟道園 全五冊

〈國字|怪談〉〓頃艸帋 全五冊   戲場訓蒙圖會 全五冊

小野〓嘘字盡 全          風声夜話・翁丸物語 全二冊

復讐浪速梅 全三冊         古實今物語  全六冊

三國一夜物語 全五冊       自来也物語  前五冊 後五冊

 広告 国会本

〈後ろ表紙〉

 後ろ表紙 架蔵本



# 『敵討枕石夜話』−解題と翻刻−
# 「研究実践紀要」4号(明治学院東村山中高、1980年3月31日)
# 上記初出とは凡例を異にして入力し直したヴァージョンである。また、可能な限り
# 版面の復元を試みたpdf版と、主としてサーチエンジンによる検索に供する目的で作
# 成したhtml版の仕様は完全に異なる。さらに、解題は旧稿を踏まえ、新たな情報を
# 採り入れて書き直した。引用は本稿(pdf版)からお願いしたい。
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#                      高木 元  tgen@fumikura.net
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