『敵討枕石夜話』 −解題と翻刻−
高 木 元
【解題】
曲亭馬琴の中本型読本は全部で八作ある。次に示したように、一作を除いて七作に改題本や再刻本が出されている。合巻風絵題簽を持つもの、改題されて半紙本仕立てになったものなど、その様相は一定しないが、長期間に渉って出され続け、多くの読者に読まれ続けられたのである。
1. 高尾舩字文 長喜畫 寛政8(1796)年序 蔦屋重三郎板〔岩瀬〕
○再刻本 國貞畫 天保6(1835)、7年刊 中村屋勝五郎他板〔國會〕
2. 小説比翼文 北齋畫 享和4(1804)年刊 鶴屋喜右衛門板〔國會〕
○遊君操連理餅花、丁卯、仙鶴堂版〔個人〕
3. 曲亭伝奇花釵児 未詳 享和4(1804)年刊 濱松屋幸助他板〔蓬左〕
4. 敵討誰也行燈 豊國畫 文化3(1806)年刊 鶴屋金助板〔向井〕
○再榮花川譚 丸善〔國會〕
5. 盆石皿山記(前後)(1806)、4年刊 住吉屋政五郎板〔國會〕
○繪本皿山奇譚〔個人〕
6. 苅萱後傳玉櫛笥 北齋畫 文化四(1807)年刊 榎本惣右衛門・平吉板〔高木〕
○石堂丸苅萱物語〔個人・天理〕
7. 巷談坡堤庵 豊廣畫 文化五(1808)年刊 上總屋忠助板〔天理〕
○〈薄雲が侠気・溶女が貞操〉堤庵二枚羽子板 文化七(1810)
8. 敵討枕石夜話 豊廣畫 文化五(1808)年刊 上總屋忠助板國會
○敵同志石與木枕 京山序〔石水博〕
本作は、馬琴の中本型読本としては最後の作品となる。
題名からも知れる通り『敵討枕石夜話』で扱われるのは、浅草という伝承空間の代表的な姥ヶ池の一ッ家伝承である。黒本以来草双紙に恰好の題材として扱われ、時には開帳を当て込んだ際物ともなり、広く人口に膾炙したものであった。
まず序文で『回国雑記』や『江戸砂子』巻2(5)浅草「明王院」の項を長々と引用し、浅草姥が池の一ッ家伝承を紹介して見せる。そして敵討物という型に従って「因を説き、果を示す」のである。口絵の賛には「戒之戒之出乎尓者反乎尓者也」(『孟子』梁恵王下)等と書き込む。
登場人物たちには「綾瀬」「浅茅」「駒形」などと浅草近辺の地名が与えられている。一方、一ッ家の〈石の枕〉からの連想で『和漢三才図会』に見える常陸国枕石寺の由来を付会している。この寺の回国行者の路銀を奪って殺害した戸五郎が、一旦は栄え、やがて没落するのは座頭殺しに絡む長者没落譚の形式を踏む。海上を進行する船が突然動かなくなり、船底を調べると大きな角が刺さっていたという奇談は、大槻茂賀『六物新志』(天明6年)の「一角」の条や『土佐淵岳志』などを参照したのであろう。馬琴はこの角を殺された回国行者の怨魂が化したものとし、さらに『吾妻鏡』41の建長3年3月6日浅草寺に「牛の如き物」が出現したという記事を利用、この「牛の如き物」を〈牛鬼〉とする。播本眞一氏は、この『吾妻鏡』の記事を馬琴自身が『故事部類抄』に抄録していることを明らかにされている(『八犬伝・馬琴研究』第2章第1節「『故事部類抄』について」、新典社、2010年)。
この〈牛鬼〉によって戸五郎の妻綾瀬が殺され、娘浅茅は吐きかけられた涎沫により懐胎、5年後に娘駒形を産む。中尾和昇氏は、この趣向等が『古郷帰の江戸咄』(元禄7年)や古浄瑠璃『丑御前の本地』に拠っていること、また枕石寺の縁起は『和漢三才図会』のほかに『親鸞聖人御旧跡二十四輩記』巻5「常陸国久慈郡上河合村龍上山大門院枕石寺」の項に拠っているとする(「曲亭馬琴『敵討枕石夜話』考」、「國文學」第93号所収、関西大学国文学会、2009年3月)。
また、夜な夜な牛鬼の吠えた島が「牛島」であるとして地名由来譚としているが、後年『燕石雑志』巻3「地名の訛謬」では牽強付会の説として退けている。また『八犬伝』8輯巻8下では、村人が牛鬼と呼ぶ牛の角によって毒婦舩虫が突き殺される場を用意した。
その後、浅茅は一ッ家で旅宿を営み、石の枕で旅人を殺して路銀を奪うようになる。ここで白川院御製として『江戸砂子』巻2所引の「武蔵には霞が関や一ツ家の石の枕や野寺あるてふ」という歌を引く。
ある晩投宿した美少年の身代りになって駒形は石の枕に死す。これを知って怒った浅茅は美少年を追うも池の端で討たれ大蛇と化すが、因果を諭され得度する。折よくその場に居合わせた戸五郎は、美少年が自分の殺した回国行者の息子であることを知って討たれる。
敵討物としては安易な構成であり、筋立も伝承等によるところが多いが、展開過程にさまざまの趣向を取り入れており、そこに読者の興味を吸引しようとしている。人口に膾炙した題材を用いる場合は、誰しも結末は知っているわけであるから、その改編ぶりにこそ作意が払われるのである。本作は、浅草という伝承的空間に〈石枕〉と〈牛鬼〉に関する伝承を重ね合わせていく手法が採られている。
ところで馬琴が『枕石夜話』を執筆したのは文化3年6月からであるが、なぜか途中で筆を折っている。にもかかわらず文化4年になってから慶賀堂上総屋忠助の要求で続きを執筆したのである。この慶賀堂は文化3年刊の半紙本読本『三國一夜物語』 (5巻5冊)の板元であったが、売り出して間もない同年3月の大火で板木を焼失してしまったのである。前述の『巷談坡堤庵』が文化3年7月に稿了していたのに文化五年の新板となったのも、こうした事情があったからだと考えられる。
さらに推測を重ねれば、馬琴の中本型読本の板元の中で、慶賀堂だけが中本型読本を出す以前に半紙本読本の板元になっているので、早くから何か特別な関係があったのかもしれない。また一度筆を折った作品の「嗣録」をしたのも、この板元に対する配慮からであろう。いずれにしても、いま注意したいのは、板元の注文で「嗣録」した『枕石夜話』が文化3年6月に起筆されている点である。つまりこの時点で作品の構想はまとまっていたということになる。ならば馬琴が中本型読本を執筆したのは文化3年の秋までと考えてよいだろう。折しも生活のために続けてきた手習いの師匠をやめているのである。つまり、この時点で初めて江戸読本作家としての見通しがたったということを意味しているのであり、それと同時に中本型読本の筆を執ることもなくなったのである。
さて、『枕石夜話』に改題改修本が存在することは、早くに横山邦治氏の紹介がある(『讀本の研究―江戸と上方と―』、風間書房、1974年、251頁)。外題に「繪本枕石傳」とある半紙本4冊で、伊賀屋勘右衛門板。内題尾題に入木し『〈浅艸寺・一家譚〉讎同士石與木枕』とし、口絵を削り、挿絵の薄墨板を省略し、序文を文化7年京山のものに代えている。また、広島大学には同板の改題後印本『觀音靈應譚』(半紙本5冊、丁子屋源次郎板)が所蔵されている。
曲亭馬琴の多くの中本型読本が、合巻風絵題簽を伏して改題改竄されたことは、冒頭に掲げた一覧表からも分かる通り、本作にも同様の本があった。石水博物館蔵『〈浅艸寺・一家譚〉讎同士石與木枕』(石水博物館蔵『〈浅艸寺・一家譚〉讎同士石與木枕』、文化7年、伊賀勘)による。新たに入れ替えられた山東京山の序文は未紹介なので全文を引いておく。
叙 言 山東京山識[京山]
むかし/\の赤本ハねりま大根ふといのね やんりや様はありや/\といふことば書にして いかにもひなびたる書ざまなりしに金々先生榮花の夢 一度さめてよりのち 古調変じて洒落となり 洒落亦変じて古調となる 洒落と古調とかならずしも 文化巳の夏日 伊賀屋のあるじ 予が晝寝の枕をたゝきて 此書に序せよ と〓たり 巻を繙て閲れバ友人」
馬琴子が例の妙作なり 教導にてハ四情河原 伊勢ハ白子の勸善懲惡 何地か一度見た機関 作者の胸のつもり細工 此一屋の扉を覘バ石の枕の故事も今目前に見るごとく老人窗からあいさつするまで こまやかに御目がとまれバ 前篇ハおかハり/\。
文化午のはつ春
ところで、改題改竄本以外にも挿絵などをすべて描き直した『枕石夜話』の再刻本が存在する。
この再刻本の早印本を所蔵されている鈴木俊幸氏の御厚意によって借覧する機会を得たので書誌を記しておく。
『觀音利生記』 中本(17.5×11.8cm) 4巻4冊
表紙 鳥の子色(灰色で沙羅形地に花菱丸を散らす)
題簽 左肩(12×2.7cm) 「觀世音利生記(春〜冬)」
見返 「曲亭翁著 歌川國直畫\觀世音利生記\東都 金幸堂板」
柱刻 「くわんおん一(〜四)」
刊記 「京都書林\山城屋佐兵衞、河内屋藤四郎、大文字屋専藏
浪花書林\秋田屋市兵衞、河内屋茂兵衞、河内屋源七郎
東都書林\丁子屋平兵衞、釜屋又兵衞、菊屋幸三郎板」(巻四後ろ表紙見返し)
構成 巻一、松亭金水叙2丁、口絵2丁3図(濃淡薄墨入)、本文17丁半、挿絵3図。
巻二、19丁半、3図。巻3、21丁、3図。巻4、18丁以下破損、3図。
備考 改印なし。本文は用字の違いを除けば概ね初板本に忠実である。
口絵挿絵中に新たに賛が加えられており、次のような松亭金水の叙文が付され
ている(句読点は原文になし)。
觀音利生記叙
妙法蓮華経普門品は、観音大士の功力を挙て、その霊驗を説れたり、そも/\観世音菩薩ハ、廣大無邊の大徳ある事、世の人の知る所ながら、わきて武蔵の浅草なる、大慈大悲正観音ハ、往昔 推古の朝に當つて、宮戸川より出現まし/\、世々の 天子将軍も、尊崇し給ふ霊佛\なれバ、貴賤道俗渇仰して、利益を蒙るもの無量なり、謂ある哉かの経に、若人あつて諸の、財宝奇珍を求めん為、海に浮ぶの時にあたつて、悪風竜魚の災あり、此時御名を称ふれバ、竜魚の難を免かれて、風穏になるとなん、迅雷鳴雨烈しく、樹木を碎く時に遇ひて、御名を称ふる人あれバ、時に應じて消散す、其餘の功徳甚深无量、実に不可思議の霊應あれば、挙て人の信ずるものから、日々に新にまた日々に、新なりける感應あり、そが中に古へより、語り聞え書に留て、話柄となすことの、また洩たるも鮮からず、因て曲亭子が遺るを拾ひ、今様風流の文に編て、もて童蒙の伽となし、且勧懲の一助となす、その筆頭の妙なるハ、例の翁の事なれば、今更にいふにたらず、必求て看給へかしと、販元にかはりて願奉つるになむ、
應需 松亭金水誌
さて、阪急池田文庫に所蔵されている『觀音利生記』という本は、内題「觀音利生記」、外題「繪本觀世音利生記」、半紙本五冊、曲亭馬琴纂補、松亭金水叙、弘化期の刊行であろうか、巻三と五の巻頭に改印[渡]がある。刊記には「皇都藤井文政堂\寺町通五条上ル町\書林山城屋佐兵衛」と見え、この再刻本の改題後印本である。
つまり、『枕石夜話』は初板の後、合巻風絵題簽をもつ改題改竄本が出され、その後、半紙本仕立ての改題本となり、さらに挿絵などを改刻した再刻本が出されて、後に半紙本仕立ての改題本となっているのである。
原序文や薄墨は初板しか見られない。
ところが、この再刻本のほかにも、切附本『〈金龍山|淺草寺〉聖観世音靈驗記』(外題「観音利益仇討」、松園梅彦作、直政画、安政二卯歳睦月序、品川屋朝治郎板)という、浅草寺縁起を入話にして『枕石夜話』を抄録したものが存在する。序文を紹介しておく
〈金龍山・淺草寺〉聖觀世音靈驗記叙
抑も大聖観自在尊者ハ安養補處の薩〓娑婆有縁の大士也
弘誓ハ潮夕の池よりも深く慈悲ハ崑崙の〓よりも高し斯廣大無辺なる大徳あるにより代々の 天子將軍より蒼生に至る迄挙て尊信なすものから日々に新なる不可思議の霊応ありされど其所謂を巨細く知れる者の少きをいかにせんとて往昔 推古の朝に當と宮戸川より出現ありし由來ハいふもさらなり其霊驗の有し事を文をかざらす作を交えず兒童に分解安きやうに書つゞりてよと板元の信者にそゝのかされて不佞も今日より信者となりて此一小冊を編するなりされどかゝる文作を
以て活業となせる者の多なるに半面学の僕に此事をゆだねらるゝも偏に觀世音の導せ給ふなるべしと九拜して吸月樓上に筆を執る
安政二卯歳睦月 松園主人梅彦蔵版
このように多様な改題本や再板本、さらには抄録本が出来されたのは、浅草寺を中心とする浅草周辺の伝承空間を扱ったものであったからに違いない。
【付記】この「解題」は未だ活字化して公開していないが、以下の拙稿に基づき、現時点に於いて知り得た研究史などを踏まえて改稿して拙サイト(https://fumikura.net)で公開したものである。念のために初出を記しておく。
「『〈観音利生・孤館記伝〉敵討枕石夜話』―解題と翻刻―」(「教育実践紀要」第4号、明治学院中学・東村山高等学校、1981年6月)。「『敵討枕石夜話』ノート」(「近世部会会報5」、日本文学協会近世部会、1982年12月)。「中本型読本の展開」(『読本の世界―江戸と上方―』第3章、世界思想社、1985年)。『江戸読本の研究』第2章「中本型の江戸読本」(ぺりかん社、1993年)
書誌
中本 2巻2冊。縦18.4糎×横13糎。
表紙 千歳茶(色見本「伝統の色」大日本インキ化学刊、813番)色地に筋を散らす。
外題 題簽表紙中央。縦12.5糎×5.5糎。藍色摺子持枠内に石碑の意匠。中に白抜きにて
「〈觀音利生|孤館記傳〉敵討枕石夜話」「曲亭主人著\一柳齋画」「巻之上(下) 慶賀堂梓」。
見返 車の中に「朔」字の意匠。「曲亭馬琴著」「敵討\枕石\夜話」「歌川豐廣画」「全二冊」「慶賀堂」
柱心 「枕石夜話〔巻之〕上(下) ○ 丁付」。〔巻之〕は上巻九〜一六丁のみに存。
刊記 「文化五年歳次戊辰\春王正月吉日發販」「江戸通油町 村田屋次郎兵衞\日本橋新右衞門町 上總屋忠助梓」
構成 巻上 29丁、巻下32丁+広告1丁。
底本 架蔵本に拠る。国会国立図書館本と同様の初板早印本であるが、国会本の表紙は桃色である。
備考 改題再刻本などの諸板については解題を参照のこと。
凡例
一、PDF版は異体字などを含め、可能な限り原本の版面を再現した。
一、明らかな衍字や、欠字や句読点を補った場合など、本文にない部分は〔 〕に入れて明示した。
一、このhtml版では、pdf版とは異なり、以下の凡例に従った。
一、JIS外字を通行字体に直し、段落に分け、会話や心中思惟の部分に「 」を附した。
一、JISに通行字体が定義されていない異体字等は「〓」とした。(文字はpdf版を参照のこと)
一、序文に用いられている句読点「白ごま点」は「。」にした。
一、二字以上の踊り字は「/\」、「%\」(濁点付き)と表記した。
一、角書や割注は〈 | 〉で示した。
一、左ルビは該当語の直後に(○左ルビ)とした。
一、丁付を示さなかった。
〈表紙〉
〈自序・見返〉
〈自序〉
〈自序〉
〈自序〉
〈自序〉
本文
【自序】
敵討枕石夜話引 [曲亭]
むかし淺草にありといふ。石の枕の竒談ハ。古歌にも見えて。今なほ婦幻の口順とす。しかれどもその傳るところ大同小異。亦全璧を見ず。その一二をいはゞ。宗祗法師が『回國記』に。淺草といふ所にとまりつるに。この里のほとりに石枕といへる。ふしぎなる石あり。その故をたづねけれバ。中比の事にやありけん。なまさふらひ侍り。むすめを一人もち侍りき。容色おほかたよのつね也けり。かのちゝはゝ。むすめを遊女にしたてゝ。
みちゆき人に出むかひ。かの石のほとりにいざなひて。交合の風情をことゝし侍りけり。かねてよりあひづの事なれバ。折をはからひて。かの父母まくらのほとりに立よりて。友寐したりける。をとこのかうべをうちくだきて。衣装以下の物をとりて。一生をおくり侍りき。さる程に。かのむすめつや/\思ひけるやう。「あなあさましや。いくほどもなき世の中に。かゝるふしぎのわざをして。父母もろともに悪趣に墮して。永劫沈淪せんことのかなしき。先非におきてハ悔ても益なし。これより後
の事。さま%\工夫して。所詮われちゝはゝを出しぬきて見ん」と思ひ。あるとき「みちゆき人あり」とつげて。をとこのごとくに出たちて。かの石にふす。げにいつものごとくこゝろえて。かしらを打くだけり。いそぎものどもとらんとて。引かつぎたるきぬをあけて見れバ。人ひとりなり。あやしく思ひてよく/\見れバ。わがむすめ也。こゝろもみだれまどひて。あさましともいふはかりなし。それよりかのちゝはゝ。すみやかに發心して。度々の悪業を慙愧
懺悔し、いまのむすめの菩提をも。ふかくとふらひ侍りける。とかたり傳へたるよし。古老申けれバ。
宗祗
つみとがの朽る世もなき石枕さこそハおもき思ひなるらん
又一説にむかしこのところハ〈淺草寺塔中|妙音院の辺をさす〉人家まれにして。旅人やどをもとむる事かたし。こゝに野中のひとつ家あり。老婆ひとりの娘をもちて住けり。此菴に旅人をとゞめて。石の枕をさせ。ふしける上より石をおとし。頭を打くだき。衣
装をうばひ。その骸は。ほとりなる池へしづめぬ。かくすることすでに九百九十九人におよぶ。千人にみてるとき。一人の旅人やどる。淺草の観音草かりに変じたまひ。笛を吹給ふそのふえの音に。
日ハくれて野にハふすとも宿かるな淺草寺のひとつ家のうち
ことばにていふが如く。旅人の耳へ入れり。ふしどをかえてうかゞふに。夜ふけてかの石をおとすを見。夜にまぎれてにげゆくに。ひとつの御堂あり。これにかくれ。夜あけて見れバ。常に信
ずる淺草寺の御堂なり。又あるとき。観音行童に現じ。老婆が庵にやどり給ふ。うばがむすめ。行童の美なるにまどひ。児のふしどにゆきてそひふししけり。老婆ハかくともしらざりし程に。よきに石をおとしかけて。むすめの頭を打くだき。是をかなしみて。かの池にしづみて死す。その霊大蛇となりて。人民をなやますによつて。一社の神に祭る。今の老婆が池の禿倉是也。或ハいふ淺草妙音院の辨財天ハ。老婆がむすめを祭るところ也。又いふ。老婆ハ沙謁羅龍王
の化身なり。所願あるもの醴を竹の筒に入れて。汀の樹の枝にかくれバ。願成就すといふ。その竒怪荒唐。すべてかくのごとし。こゝに舊文を引ものハ。古人『西廂記 』を批んとて。まづ『會真記 』を抄出するの趣に擬す。嗚呼彼悪婆。人を打殺すこと一千人。郷黨これを暁らず。國司も誅するに及はず。しかして後世疑はず。公然として人口に膾炙す。いよ/\怪しむべし。余いまだ淵源を究得ずといへども。生公乕丘の故事に做ひ。有名旡形の石枕に對して。因を説
果を示す。石魂もししることあらバ。これを聞て點頭んや。將蛇足の辨とせんや。おもふに彼石。流に漱ぎ。石を枕とする人に伴れず。
悪〓刻剥たる老婆が為に客を迎ふ。亦憐べし。且九層の臺も。石よりせざれバ成らず。長堤の水も。石にあらざれハ决せず。石は無智にして。却有情に功あり。人ハ多智にして。遂に碌々たるを耻ず。思ざること甚し。世の人玉を見れハ。十襲して宝とし。石を見れバ。卑しみてこれを損。夫玉は
尊けれども毀れ易く。石ハ卑けれども毀れ難し。この故に。風雨に沐浴し。霜雪に装ひ。花に眠り。月に嘯き。安然として天地と壽をひとしくす。設夫安危存亡を論ずるときハ。玉の石に及ざること遠し。宜なるかな。今古幾億万の老小。孤屋の物語を聞くもの。老婆が暴悪に歯を切るといヘども。人を撲石を罪せず。これ他なし。石ハ無慾にして。原人を殺すのこゝろなき事をしればなり。故に人寡慾なるときは。よく他の疑ひを避。無智なるときは寿し。悟らざる
べけんや。
この冊子ハいぬる丙寅の年。雷鳴月下旬倉卒の際に草を起し。草する事央にして止む。しかるを今茲慶賀堂のあるじ。その草稿を獲て。梨棗に登せんと乞ふ。よつて嗣録して首尾二巻とし。更に校正して。その需に應ずといふ。
文化丁卯年皐月中浣
著作堂主人誌馬琴
〈目録・自序末〉
枕石夜話目録上
浪の山戸五郎が傳 附
牛島の由来、
朝茅五箇年懐妊 附
石枕の縁故、
〈口絵第一図〉
戒之戒之出乎爾者反乎爾者也
宿かりて夜には寐すともまくらすな淺くさ野路のひとつ家の石 よみ人しらず
〈口絵第二図〉
將以〓鐘
駒かたに水かふ水菜つむ頃ハ牛嶋のあし角くみにけり 蓑笠
〈巻頭・目録〉
目録下
圓通菩薩一たび朝茅を懲らす、附 今戸の紀原。
圓通菩薩ふたゝび朝茅を懲らす、附 花方の渡の権輿。
圓通菩薩三たび朝茅を懲らす、附 蛇塚の事迹
〈孤舘|記傳〉敵討枕石夜話巻之上
曲亭馬琴纂補
浪の山戸五郎が傳附タリ牛嶋綾瀬川の由来
人皇八十一代後深草院の建長年中。上總國海上郡。浪の山の麓に。戸五郎といふ〓師ありけり。その人となり。勇けれども義理に疎く。剛に似て慾ふかし。さるによつて神祗を崇ず。釋教を信ぜず。只旦夕に山猟漁猟して。殺生のみに日を送り。年やゝ積て廾八才。父母ハ往に世を辞して。家にハ妻と幼少き女児只ひとりなんありける。彼浪の山といふハ。海邊にさし出
たる高山なれバ。戸五郎ハおのづから海陸の所作に馴て。心の隨に挙止けり。しかるにある日の夕ぐれに。戸五郎ハわが住む山蔭にて。鹿なりと思ひ誤り。回國の行者を射て殺しぬ。さすがに膽太き男なれども。こよなき過しつと慌て。さま/\に勦れ共。既に縡断てせんすべなし。さてその笈をひらきて見るに。夏冬の衣服二ッ三ッと。一冊の度牒ありて。常陸國久慈郡。大門村。枕石寺の新發意。圓石。俗姓ハ同郡同村の農民。石濱要太郎が父要助とあり。抑常陸國枕石寺の由来を尋るに。開基の僧を道圓坊と号す。元是江州蒲生郡。日野右大將頼秀卿の苗裔に
して。左衛門尉と稱ず。故あつて常州久慈郡大門村に住居せしに。ある日。何がし上人とか聞えたる。聖僧来たつて一宿を乞給ふを。主人たえて承引ず。よつて上人ハ門方なる石を枕として臥給ふ。かくてその夜あるじの夢に。老僧告ていはく。「阿弥陀如来今夜汝が門前に在す。などて〓待奉らざる。」といふ声に驚き覚。ふかく心に怪みつゝ。立出て見れハ。果して一人の僧石に臥たるが。その呼吸皆稱名に聞えし程に。且恐れ且歓び。迎入れて厚く饗應し。感慨のあまり。終に上人の弟子となりつ。薙髪して道圓と法号し。おのが宅地をもて一箇寺を
建立す。今の枕石寺ハすなはち是なり〈この寺 中古内田村に 移り|今又川井村にうつるといふ〉この事人口に膾炙して。近國にかくれなき。活佛霊場の法師を殺したれハ。戸五郎ハ一しほ身の誤を悔欺くべきに。さハなくして。その人の腰のまはりをかい探りつゝ忽地慾心發り。手ばやくその路銀を奪ひとりて。屍を濱辺にもて出て押流し。そらしらぬ顔して居たりける。
しかれども好事ハ門を出ること遅く。悪事千里に走ること速き道理なれバ。誰いふともなく「戸五郎ハ枕石寺の旅僧を殺して。夥の金を奪とつたり」とて隣里の郷黨いひもて傳へ。もつはら口順とせし程に戸五郎
もれ聞て驚き怕れ。「いな/\こゝに虚々とあらバ。よき事あらじ」と思案し。俄頃に女房綾瀬と。女児朝茅を将て。當國を逐電し。武蔵國浅草に來て。宮戸川原に住家を求め。ふたゝび獵師の所行をせず。舵とる事も人に勝れたるに彼圓石法師が路銀も。思ひの外あまたありしをもて。これを夲錢として一艘の海舩を造り。伊豆相模へ赴きて。物産を交易するを活業とすこのころまでハ。淺草の邊まで。一圓の入海にて。緑波渺々たる宮戸川原にハ。夥の獵師軒を並べ。又海舩をもて。世をわたるものもありしとぞ。
さる程に戸五郎ハ
〈挿絵第一図〉
こゝに住馴て。よろづ昔に立まさり。何事も乏しきに苦しまず。これが甥に鴨八といふもの。はやく父母を喪ひてよるべなきまゝに。潜に上總より尋來りけれバ。彼をとゞめて舩を乗ならはし只管に稼ぎつるに。件の鴨八。年十八九のころより酒を嗜み色を好みて。過分の錢を遣うしなひしかバ。戸五郎大に怒りて追ひ出せしを。浦人等さま%\に勸解て鴨八を伴ひ來たれハ。戸五郎も彼なくてハ物の缺ることもおほく。さし當て翌ハ伊豆へ赴くとて。舩を〓發おきつれハ。倍話らるゝを幸にして。いたくいひ懲らし。まづ此度ハとて恕しけり。
かくて戸五郎ハ。詰朝 纜を解し。みづから舩頭して。豆州下田浦に到りて。買賣の事をなし果。既に帰帆に赴けバ。この日殊さらに追風よくて。相模灘三十六里を。只一瞬に走らするに。怪しいかな舩ハ猛に停て。膠もてつけたるごとく。いかに舵をとりなほせども行ず。戸五郎ハいふもさら也。水主舵取が打見あはする顔ハ。海面よりも青く。ふかく怕れて物いふことなし。吐嗟この舩自今覆るかと見るところに。しばしこそありけれ。舩ハ舊のごとく走ること。先よりもなは速く。その夜の明かたに。宮戸川へ帰着したりけれバ、衆皆はじめて活たるこゝちし。さてもから
き命拾へりとて罵あへバ。戸五郎がいふやう。「凡决然たる走り舩を畄るもの。その膂力量がたし。われこの年來。いく度か渡海すれども。いまだかゝる竒怪にあはず。舩の底に物こそあらめ。展檢よかし」とて。人を入れて〓らするに。果して舩底にかゝれるものあり。とかくして抜とりつゝもて来るを。戸五郎手にとりてつら/\見るに。獣の角とおぼしくて。その長さ二尺にあまり。肉著の毛。針のごとく。形水牛の角に似て。尖きこといふべうもあらず。「こハ何ものゝ角ならん。思ふに。此もの水中に遊居たるを。わが舩その角に乗りかけたれバ。忽地舩底をつ
らぬきて。これが爲に抑畄せられしもの歟。しかれども順風に時を得て。舩のちから疾かりしかハ。その角折れて覆さるゝに至らず。只一ッの角に〓ながら。従容(○ツネノカタチ)として。走り舩を畄めたる怪力。比ふべきにものなし。このもの〓怒て身を動さバ。吾〓活てかへるものハ一人もあるまじ。鳴呼危かな。危かりし」と嗟嘆すれバみな耳を側て舌を吐。驚き思はざるハなかりけり。この事かくれなかりし程に彼此の老弱聞傳へ。旦より夕にいたるまで。戸五郎が門に群集して。「彼角を見ん」と請もの。更に絶間もあらず。戸五郎も頻に是を賣弄して。高運の
〈挿絵第二図〉
ほどを 自誇(○ジマン)し。「價よく買人もあらハ。与べし」とて。もつはら得意の人をたづねける。
折しもこの濱に。一人の老翁ありて。たま/\戸五郎が家に杖を曳件の角を見て。主人にさゝやきけるハ。「愚老のわかゝりしとき。ある博士に聞ることあり。凡江海溺死の人。冤を含むときハ。魂魄化して獣となる。これを鬼牛といふ。その形尋常の牛より大きくて。膂力又水牛に百倍し。常に水中に沈倫して。人に見らるゝことなし。もしこれを見るときハ。その人立地に死するといへり。今彼を思ひ是を見るにこは全く鬼牛の角なるべし。はやく舊の海底に返さず。却て利
を射んと計較給はゞ。遠らずして崇あらん。とかく海に投て。その舊に返し給へ」とて。いと叮嚀に諌るに。戸五郎更に信用せず。「こハわれを〓て。かく愛たきを捨させ。竊に拾ひとりて。おのれが利をはかるもの也」と思ひしかバ。却老翁を恨みさん%\に罵りて。この後ハ寄せもつけず。
しかるにこの濱の南に當て。さゝやかなる嶋あり。そのころ夜な/\。彼処に牛の吼声してけり。元来人も住ず。牛馬六畜を養おく処にもあらぬに。牛の鳴こと怪しけれバ。天の明るを俟て。浦人等小舩を泛てゆきて見るに。たえて物もなし。縁故いよ
いよ不審とて。戸毎にふかくおそれ慎み。夜網するものなかりつるに。十日ばかりを經て。牛の鳴ことハ止ぬ。時に建長三年三月六日。戸五郎が妻綾瀬ハ。金龍山の花を見んとて。今茲十二才になりける。女児浅茅を將て。淺草寺に詣。まづ觀世音を拝して。やがて夲堂の後なる。食堂のほとりまで到る折しもあれ。俄頃に海鳴り風吹おろし。その容牛のごときもの。忽然として走り來つ。直に角をもて綾瀬が胸さかをつらぬき。これを項にふり被つゝ。淺茅に毒氣を數回吹かけ。只一跳に食堂に突て入るに。こゝに
集會る法師ばら。驚き怕れて昏絶(○メヲマハス)し。矢庭に死するもの七人。病痾を受て。久しく起ざるもの。廾四人に及べり。かゝりける程に境内の衆人。囂塵として奔走し。戸五郎が家に縁由を告来れバ。戸五郎慌忙て。鴨八とゝもにその処へ走りゆけバ。彼牛鬼は。何地ゆきけん迹もなく。綾瀬が屍さへ見えず。只女児朝茅のみ。仰さまに倒れてありしかバ。抱き起してさま/\に呼いくれど。頓に活べうもあらず。牛の涎沫かとおぼしきもの。夥顔に吹かけられたるを。拭ひなどして。家に扛もて帰り。薬何くれの事。ます/\心を竭せしかひありて。その日の夕ぐれに。朝茅やうやく甦生れり。さらバ綾瀬の
〈挿絵第三図〉
屍を索んとて。浦人を相語。水陸ともに。おちもなく探求るに。次の日に到りて。向ひなる入江に浮出けれバ。これを舩に引揚來たりて。野邊おくり形の如く営みけり。
綾瀬かく非命に死し。朝茅又久しく病ておこたり果ざれバ。彼につき是につき。戸五郎ハ形なき事のみなれば。さすがに活業にもこゝろすゝまず。しばし引篭てありけるに。鎌倉へ物産を積送る日子も。定あることなれバ。今度ハ甥の鴨八を。わがかはりに舩頭させて。彼地へ赴したるに。帰り來べき時ハ遥に立ども。たえて音つれもなし。あまりに心もとなくて。人を遣して事の爲体を探聞するに。その
人立かへりて。「甥子は。鎌倉にて夥の錢を遣ひ。これを贖ふにせんすべやなかりけん。水主舵取等にもしらせず。舩擔ハさらなり。船さへ沽却して。逐電したり」と告にけれバ。戸五郎聞て呆れ果、且怒り且罵れども。今ハ世渡る〓をうしなへバ。別に施すべき謀なく。僅半年あまりに身上衰微して。朝に煙絶て夕の〓乏かりつる程に。はじめて老翁がいひし事を思ひ當り。彼角をとり捨んとて。まづ箱の蓋を開て見るに。角はうせてゆく処をしらず是又一ッの不思議也けり。
加〓なほ怪しきハ。この日より浅茅が病著おこたりて。心持ハ生平にかはることなく見ゆれど。腹のあたりふくよかに
なりて。その容結胎ものゝ如し。しかれども「はつかに十二才なる少女が。懐胎すべきやうハあらず。是ハ牛鬼の涎沫。彼が咽喉に入りしより。病をなすにこそ」など推量て。ものをも厭はず。医療さま%\に心を用れども。露ばかりも験なく。日に/\に腹ハ大きやかになりしかバ。醫師も「全く懐妊ならん」といふ。とかくして十月あまりを経て。腹なる子頻に動き。今も産れ出べき氣色なれバ。親も疎きも。「古今未曽有の椿事なり」とて。只この事のみを口順とするに。縁故をよくしれるものハ。「さもこそあらめ。彼戸五郎ハ。故郷にて回國の行者を殺し。夥の路銀を奪ひとりて。屍を海へ衝流し。この浦に脱
來りて。舩長となりけるも。よからぬ夲錢なるものを。いかで久しく栄ゆへき。曩に伊豆の海にて。舩底をつらぬきたる獸の角も。老翁がいへるごとく。彼行者が冤魂。化して鬼牛となりて。仇を執んとするに。戸五郎が命運いまだ竭ざれバ。必死を脱れたりけるを。彼暁得らずして。却その角を賣弄し。よき價に賣らん事をはかりしかバ。忽地これが爲に。女房綾瀬を殺され。今又女児浅茅。奇痛を受て。因果覿面の道理を示すもの歟。おそるべし/\」と密語ぬ。宴に殘忍狼戻なる。戸五郎も。この風声をもれ聞に。みな犇々と思ひ當る事のみなれバ。猛にものゝおそろしく
おぼえて。熟思案するに。「蟄するものハ發する期あり。盈るものは溢るゝ時あり。浅茅有身て。十月にあまり。分娩する氣色なしといヘども。終にハ鬼子などを産こともあらバ。われハ人の前へ頭をも出がたく。女児ハ殊さらに。一生人間の交をなしがたかるべし。しかるに虚々とこの處にありとも。久後實にたのもしげなし。庶莫〔、〕浅茅を殘しおきて〔、〕はやくわが身を躱さんにハ。おのづから人も憐み。是彼に養を得バ。親子もろともにありて。世の胡慮となるにハ勝りなん。これ父子両全をなすの謀なめり」とて。潜に心を决し。浅茅にも
告ずして次の日何地ともなく逃亡けり。かゝりしかバ戸五郎が思ふに達はず。近隣の人。浅茅が父に損られて。昼夜泣まどふを見て。ふかく憐み。或は飯を〓り。或ハ銭を与て飢渇を救ひ。是よりして冬ハ海苔を漉し。春ハ貝を拾はせなどするに。おのづから口を糊に事足りぬ。
按ずるに。東鑑建長三年三月六日の記に云。この日牛の如きもの淺艸寺に走り入る。時に食堂に聚る所の寺僧五十口。件の怪異を見て。廾四人立所に病を受。七人即座に死スと云々。また古老の話に。今の牛嶋ハ。建長三年。彼牛鬼の。夜な/\
吼たる処也。よつて牛嶋と号といふ。しからバ綾瀬が屍の浮たる入江を。後世綾瀬川と稱る歟。好古 看官(ケンブツ)後勘あるべし。
(二)一ッ家の少女五箇年懐妊 附タリ 野寺長者石枕の縁故
憂苦の中にある人ハ。爪伸髪の枯るゝをおぼえず。戸五郎が女児淺茅ハ。既に二八の春をむかへ。顔色も又人なみなれど。彼が竒病におそれて。「妻にせん」といふものもなく。剰そのほとりなる家は。夜毎に魘れて。快く寐ることを得ねバ。一人轉宅し。二人居を移して。後にハ浅茅が住る家のみ殘りし
かバ。誰いふともなく。浅草の一ッ家と呼倣せり。
かくて浅茅ハ懐妊五箇年に及び。今茲三月六日の夜。安産して。女子を出産す。豫てはわれも人も。「いかなる鬼子を産べきか」と思ひつるに。さハなくして。うまれし児ハ玉のことく。忽地大きやかになりて。一月が程によく歩行。よくものいひて。尋常四五才の〓子に異ならず。これを駒方と名つけて。母の寵愛比なかりき。しかるに朝茅ハ。子を挙てより。心ざま猛くなりて。膂力は丈夫を三人も四人もあはせたらんがごとくにて。貪れども飽ことなく。あはれゆくすゑ。駒方を冨る家の婦ともなさめと思ひて
〈挿絵第四図〉
人の誹誘をかへり見ず。道理に叛きても。只おのれを利せんとするを見て。はじめ憐みたる人もいたく憎て交らず。さるによつて淺茅ハ。浦曲の稼をなすことかなはねバ。廣澤村の農家などに傭れて。日に/\彼処に到り。田を刈籾を挽。僅なる賃銭を。親子が命綱にして世をわたるに。それも女児駒方が絆となりて。人なみにハようせず〔。〕頃しも神無月の上旬。簑輪より帰るとて。駒方を背負ひ。浅草寺の北方なる。田畔を過るに。駒方が頻に泣て巳ざれバ。扛おろしつゝ。道次なる株に尻をかけて。しばし乳汁を飲すれバ。日も早向暮とす。
こゝに一ッ家の長者が石の枕といふものありて。形は常の枕に異ならねど。その石光澤ありて玉の如し。もしこれを取て帰るものあれバ。その人必崇をうけて。いく程もなく家破れ。子孫断絶すとて。今ハこれを取らんとするものもなけれど。なほ「旅人なんど。縁故をしらで。さる正な〔き〕事をし。おもはずも禍にあはんか」とおもひはかり。里人等札をそのほとりに建て。縁由を書写おきぬ。
抑むかしこの処に野寺の長者とて〔、〕いと冨る人ありけり。廾餘町に屋舗を構て。他人の軒をまじへず。故に時の人口順て。一ッ家の長者とも。又枕の長者ともいへり。件の長者。夏日の炎
暑に苦み。一ッの竒石を得て。枕に刻せ。これを首して睡るに。凉風耳のほとりより起りて。三伏の暑き夕も。たえて寐がたきといふことなし。又冬ハこの枕をするに。いと温にして。風臥房に入らず。よつてこれを愛玩ぶこと既に久し。しかれども盛者必衰。誰かハ脱るべき。長者の没後。その家断減に及び。貯たる所の財宝。悉く他人の有となるに。この石枕を買し人。崇あるをもて。全く舊の主の愛情するにこそと怕れ思ひて。故宅(○モトノヤシキ)のほとりに捨るを。又拾ひとる人いよ/\崇を受るによつて。その後ハこれを取らんとするものなかりけり。この事洛へも聞たりけん。
白河院の御製に
武藏にハ霞が関や一ッ家の 石の枕や野寺あるてふ
按ずるに。今浅草反圃。慶印寺の石橋を枕橋と称ふ。古老の説に。「件の石の枕はこの処にあり。この邊野寺長者が宅地なりし」といふよし。或語りぬ。
是ハさておき。淺茅ハしばし其処に憩ひて。日來見なれ聞馴たる。石の枕を。今又熟視るに。いと愛すべきものなれバ。忽地 貪婪(○ムサボリ)の心發り。「よしやこの枕ゆゑに。久後いかなる崇にあはゞあへ。潜にもて帰りて。縁故をしらざるものに賣りて。よき價を得バ。生涯貧て老死るにハ勝りなん。さハとてほとりちかく立より
しか。いな/\欲と思ふハわれのみかハ。これを取らざるハ命の惜きにこそ。われも命ハ惜きものを。」とおもひかへして。走り退んとせしが。又思ふやう。「暗夜にものを疑へバ。目に鬼を見るとぞいふなる。人此枕を取れバ崇ありと聞怕するが故に。わが心もて崇にもあふなれ。これを取りて。崇あるも。崇なきも。すべてわが心にあり。怕るゝに足らず」とひとりごち。やをら駒方を抱おろして。まづ掛稲をよりあはしつゝ。石枕の真中を括り。いと軽らかに引提て。遂に駒方が手を引て。帰去らんとする折しも。忽地稲むらの蔭より。一人の 乞食(○カタイ) 走り出て。淺茅が帯のはしを楚と引とめ。「この婦。などてかく
膽の太き。われ嚮よりこゝにありて。汝が盗するをよく見たり。もしわれにその所得をわけ。銭あらバはやく与へよ。なしといはゞ。その蔽衣。いで脱せん」とて。いきまきあらく罵れバ。あさぢ大に怒りて。枕を括りたる索のはしを口に含。左手をはたらかして。丁とふり拂ふを。乞食ハなほ透間もなく打てかゝれハ。閃りとかい潜りつゝ。臂のあたりを握畄。隈なき夕月の影に。はじめて顔を見あわするに。この乞食ハ。五箇年已前に逐電したる。従弟鴨八にてありしかバ。迭に「こハいかに」と驚きて。掴みかゝりし拳も和ぎ。やがて左右に引退きて。朝茅まづ彼がこゝにある故を問バ。鴨八答て
〈挿絵第五図〉
「われ稚きより叔父の養育を得たれども。朝夕に罵らるゝが腹たゝしかりつるに。たま/\叔父にかはりて。鎌倉へ赴くことを許され。只是鳥の篭を放れ。獣の檻を出たるこゝちし。彼地に逗畄の間大礒粧坂にかよひて。夥の錢を遣ひし程に。商物ハいふもさら也。舩さへ沽却して。なほ処をも定ず遊びありき。一年も経ざるに。手に一文の錢もなくなりしかバ。この三四年ハ。伊勢の鳥羽にありて。水主の飛乗して世をわたりけるに近曽人とものあらがひして。右の腕を折き。思ふまゝに舩を漕ことかなはず。彼処にありて。療治せんことも。心に任せざれバ。人をたのみて叔父に勸解。勘當を
ゆるさればやと思ひて。路すがら乞食しつゝ。こゝまで来れり」といふ。朝茅聞て思ふやう。「われ父に損られ。浦人に疎れて。世をわたるに便なし。只恨を捨て。この人を救ひ。もろともに事をはからばや」と思按し。やゝ顔色を和らげて。別後の情を述。父戸五郎か往方なくなりしより。その身懐胎五年に及びて。この春女児駒方を産たる首尾を。審にものかたり。さていふやう。「わが家のおとろへたるハ。御身がなせし事にて。父もそれゆゑにこそ。世をバ捨給ひけめ。しかれバ御身に冤ハあれど。徳の報ふべきなし。さハいへ諺にも。『雪中に炭を送るハ是骨肉。他人ハ屋上の霜をはらはず』といふ。われと御身
とは従弟也。いかでその飢渇を救ざるべき。夫舵なき舩ハゆかず。乗らざる馬ハ走らず。われに斉眉べき夫なく。身ひとつにして幼稚きものを養育バ。舵なき舩乗らざる馬にひとし。御身わが父の高恩をおもひ。又過の大なるを悔ひ。今よりして粉骨を竭し。われと女児を養ひ給はゞ。われ又御身を夫と斉眉て。もろ共に富をはかるべし。この事うけ引給ふにか」といへバ。鴨八大に歓びて一議にも及ず。「こハわが庶幾ところ也。縦老ゆく後までも。諾し言葉ハ叛かじ」と誓ひつゝ。うちつれだちて一ッ家に帰り。その夜妹背の締をなしつ。久後ハいざしらず。いと睦しくぞ見へにける。さらぬだに人みな朝茅が
邪智ふかきを憎むなるに。今又「鴨八が立帰りて。夫婦となりぬ」と聞て。「こハ虎に翼をそえたり。彼等二人うちよらバ。いかなる悪事を計較らん」とて。いよ/\疎み。ます/\怕れて。路にゆきあふ時ハこれを避てものいはず。
さるによつて鴨八が腕の痛全く愈て。彼此を走りまはれども。海舩漁猟の稼にハ。たえて傭ふ人なかりけり。されバとて夲錢もあらねバ。別になすべき活業もなく。憖に一人の口のみ殖て。鴨八が帰り来ざる以前にハ劣れり。「かくてハ」とて夫婦相語て。彼石の枕を賣らんとするに。「縁故をしれる人にハ。賣べうもあらず。よしやしらざる人ありとも。虚々と賣弄して。偸來れる
事發覚なバ。毛を吹疵を求る也」と。思ひたゆたひて。これも又頓にハ物の用にたゝず。「とせんかくせん」とて。頭を病し額をつきあはしつゝ。智恵てふ智恵をふるヘども。轍魚の泥に吻くごとく。内には施べき謀なく。外にハ救ふべき人もなかりけるとぞ。
敵討枕石夜話巻之上終
〈観音利生|孤舘記傳〉敵討枕石夜話巻之下
曲亭馬琴纂補
(三)圓通菩薩一たび朝茅を懲らす 附 淺草今戸の紀原
そのとき朝茅しばし尋思して。「あなもどかしや。一杓の水は。十人の渇をとゞめがたく。半盞の油ハ。長夜を明すに足らず。わが夫婦萬苦千辛して稼とも。させる夲錢さへなきに。邂逅僅なる銭を得て。ものゝ腹に満るものかハ。わらハ日來簑輪へかよひて。〓昏に帰り來る毎に。里の壮佼がものいひかけて。いらへよくせバ。
調戯もしつべき氣色を見せし事おほかり。これにつきて謀あり。われ箇様々々にすべし。御身又如此々々にし給へ」とて。耳の根に口をさしよせて説示せバ。鴨八聞て莞然とうち笑み。「この謀究て好し。さらバしかし給へ」といふ。こゝに於て朝茅ハ。化粧髪結などして。洗躍衣を著更。女児駒形をかき抱きて。夕ぐれ毎に。廣澤。下谷。鳥越の村稍尽処。すべてかけはなれたるところ/\を。往つ還りつ。路に惑ひたるおもゝちするに。色好みなる里の壮佼。ゆきかゝりて。その形勢を不審み。「あね御何地へゆき給ふ。路に惑ひ給へるにや。送りてまゐらせんか」といふに。朝茅答て。「わが身ハ如此々々のところのものなるが。
近曽夫なくなりて。たつきなく侍り。堀間村にハ由縁の人もあれバ。其所をこゝろさして行侍るが。常にハいと疎かりけれバ。路も定かにはしらず。殊さらに日ハ暮かゝりて。いかにともすべなし。堀間村までハ。なほいかばかりの路程侍るやらん。」と誠しやかに問。壮佼聞て。いよゝちかくあゆみより。「堀間村ハ。あなたなる川一條を隔て。湯嶋よりハ西。芝崎よりハ東南に當れり。しかハあれど。日も既にくれたれバ。渡守も舩ハ出さず。今宵ハわが村に歇り給へ。あるじしまゐらせん」とて。信々しく聞ゆれバ。朝茅ハうれしみたる気色にて。「御身ハ年紀もいとわかく見え給ふに情ある人にて在す。女子と生れつるおもひでに。かゝる夫をもたらましかバ。よしや辛き世をわたるとも。憂とハ思ひ侍らじ」といひかけて。莞尓と笑みつゝ。うち見あげたる面影に。男ハ胸さへさわぎて。忽地によからぬ心を發し。後方前方。左見右見るに。來る人もなし。「さらバ郷導をいたさんに。こなたへ來給へ」とて袖を引バ。帯さへさら/\と解て。やゝみだりがはしきに及んとする折しも。鴨八ハ嚮より並松の蔭にかくろひ居て腕まくりし。「時分ハよし」と跳り出。件の壮佼が頂髪を。無手とかい〓で動せず。谺に響く声をふり立。「この白徒。かく人の妻に調戯るゝハ。命に
かけがえやある。われも又睾丸もてるものを。二人ながらうちかさねて四段にせずハ。世の胡慮となりぬべし。あら狷し腹たゝし。覚期せよ」といきまきつゝ。左手を伸して。朝茅が頭髻をしかと拿。おなじ所へ引よすれバ。駒形ハこれに怕れ。よゝと泣て巳ず。壮佼ハ鴨八に頂髪をとられて。活たる心持もなく。おそる/\いふやう。「われハ全く密夫にあらず。この婦人。路に惑ひたれバ。郷導して給はれと宜はするに黙止がたくて。假初にものをいひたるのみなるに。こハ理不尽なり。」といはせもあへず。鴨八ます/\声を高し。「汝われを瞽者とや思ふ。聾者とや思ふ。目今汝
〈挿絵第六図〉
わが妻に調戯て。今宵ひとつに寐んといひつるを。はや忘れたるか。論より證拠なり。人に路を教るにハ。かならずその帯を解ものか。いふことあらバいへ。聞ん。」と罵りつゝ。足を揚て踏にじり面に唾を吐かくれバ。壮佼ハ朽をしき事限なけれど。乕落の〓に入たれバ。明白に爭ふことを得ず。朝茅ハこの形勢を見て。壮佼に對ひ。「などてこの期に及びて。ひとり脱れんとハし給ふ。袖ふりあはするも他生の縁なり。死なバもろともにと思ひ侍るものを。頼しげなきこゝろや」と。声をふるはして怨ずれバ。彼男ハます/\呆れ。只顧に勸解れども。鴨八ハかい〓たる手を放さず。それが村に引ずり
ゆかんといふに。いよゝ迷惑し。持あはしたる錢も銀も。悉くとり出し。これをもて扱ふに。鴨八ハ「なほ足らず」とて。衣服さへ剥とりて突放せバ。壮佼ハ犢鼻褌のはしを長く引。枯尾花の中に紛れ入りて。迹をも見せず迯去りぬ。朝茅鴨八ハ。思ふまゝに錢を得てふかく歓び。錢尽れハ形のごとくするに。折ふしハ彼等が〓にかゝるものあり。それハ皆年わかきものどもなれバ。或は父母にしられんことを厭ひ。或ハ主親方にしらせじとする程に。乕落とハしりなから。錢を出して無事を扱ひしかバ。この事後にハ人もしりて。近郷の壮佼ハ。「昼狐に妖されな」とて。途に女子と行あふときハ。徑
に避て〓に係らじとす。こゝをもて悪棍夫婦が較計。やうやくいたづら事となりて。手を空しく帰る夜も多かり。
かくて次の年の秋。朝茅ハ又駒形を將て。淺草寺の北なる畷道をゆくに。日ハよき程にくれかゝりて。雨粛々と降出たるに。年紀廾四五なる法師。傘をかたげつゝ。先にたちてゆくあり。朝茅これを見て。忙しく走り著。會釈もせず。傘の内につと入りて。法師を見かへり。「この驟雨に。笠やどりする家もなく。ぬれてゆく身の心苦しさを。あはれとハ見給はずや。世の中を厭ふまでこそかたからめ。假の宿りハゆるし給へ」とて。うち笑みつゝ。傘の柄をもち添て。
いと趣ある風情なれバ。彼青道心。忽地に顔を赧うし。「こハわれをバ。西行とやおぼすらん。歌よむすべハしらねども。恋哥ならバかへしすべし。教てたびてんや」といへバ。「そハこなたより願ふにこそ。闇きよりくらきに惑ふを。導き給ひてよ」といふ間に。雨ハ早晩歇て。夕月の影昼のごとくなれと。傘をたゝむにこゝろもつかず。おし並びてゆく程に。足どりもしどろにて。朝茅ハ木履を踏かへし。ひたと倒れかゝれるを。法師ハ吐嗟と。傘投拾。帯のあたりを抱きとむるに。鴨八後より跟來りて。「大盗」と罵もあへず。走りかゝつて。瓢に似たる。法師天窓をゆがむ
ばかりに〓と打バ。法師ハ一声「阿呀」と叫びて。泥の中へ倒るゝを。起しもたてず打ほどに。忽地に息たえたり。「こハそら死するにこそ」とて。軈て引起してよく見れバ。法師にハあらずして。女児駒形が。漬〓になりて死したれバ。「こハいかに」と驚きて。朝茅もろとも。さま/\に勦るに。縡断たれバ救ふべうもあらず。「彼と是とハ似もつかぬものを。かくあかき夜に。見あやまちたるこそ不審けれ。殊に法師ハ迹なく失て。目今捨たる傘もなし。彼ハ原来狐にてありけん。さて何とせん」とて。周章大かたならざるに。朝茅ハいたく鴨八をうらみ。且駒形が横死を悲
しみ。「なほ救ふ事もや」とて。雄手にハわが子の亡骸をかき抱き。雌手を長やかにして。樋門の水を掬て。口にそゝぎ入れんとするに小草の上に物あり。「何ぞ」とて。とりてこれを見れバ。疊帋に。「奸賊鴨八朝茅に賜ふ。枯樹春に回す大悲の霊薬」と写したれバ。且怪み且歓び。打開きて見るに。香氣馥郁たる丸薬十粒ばかりあり。こゝろみに三粒四粒〓碎きて飲するに。駒形立地に甦生て。氣力生平に異なる事なし。「さてハ彼法師ハ凡人にあらず。もし観世音の現化して懲らし給ふにか」と思へバ。何となく毛骨いよだちて。悪励刻剥の兇賊も。俄頃に物のおそろしく覚て。互に顔をうち見あはし。
〈挿絵第七図〉
その夜ハ駒形が恙なきを幸にして帰りしが。この後夫婦ハ且く悪念をひるがへし。「去年より掠とりたる錢もあれバ。それを夲錢として活業をせん」と議するに。このころハ鎌倉より陸奥へ赴くに。上下の渋谷より。國府方千駄谷を歴て。山中村に至り冨塚村の津を渡りて。雜司谷より瀧野川村に出るに。二條の川あり。これをも打捗りて。西原。平塚。田畑。石濱。須田村。柳島へかゝり。又須田の辺なる二ッの小川と。大河を渡りしにや。又芝崎湯島を歴て。淺草へ出る捷徑もありしとぞ。古老の申傳たる。しかれども淺草ハ。夲街道ならざりしゆゑ。定れる旅店もなく
旅人これを便なく思ふよしなれバ。こゝにて旅店を開さバ。よろしかりなん」とて。夫婦談合し。遂に背門のかたへ。はなれ坐敷を建そえ。もつはら木賃宿をして。旅人を援きぬ。元よりこゝハ一ッ家にて。外に宿かるかたもなけれバ。奥へ下る人のみならず。諸國の道者。淺草の観世音へ詣るに便よしとて。夜毎にこの家に歇るもの多し。しかるにそのころ鴨八が家の北ハ。無戸分といふ里なりしが。其所へ亭坐敷を建たるに。大河を前にあてゝ。風景もつとも好し。今の戸五郎が亭といふところにて。人みな今戸の貸坐敷と呼びけるになん。
(四)圓通菩薩ふたゝび朝茅を懲らす 附 駒形の渡のはじまり
かくて又五七年の春秋を送るに。朝茅ハ舊病ふたゝび發りて。動すれバ定の外なる旅籠錢を貪り。剰物もてる旅客と見れバ。まだ夜ふかきに「暁方なり」と偽りて出立し。途に鴨八を待伏さして。その路銀を奪ひとらする事さへあれど。かけはなれたる一ッ家なれバ。絶てこれをしるものなし。しかるに駒形ハ。その心ざま親に似ず。禀性怜利て。ものゝ憐をもよく思ひわきまへ。年十ばかりのころより。布を織ことをよくして。年闌たる
かたにも劣らず。父母の非義非道を。かくまでとハしらざめれど。その行ひを見るに。傍痛き事のみなれバ。をり/\これを諫るに。父も母も更に用る氣色なけれバ。ふかく歎き。何にまれ善根を植て。父母の罪業を贖んと思ひしかバ。母にもしらせずして。織たる布の價を。半ハ人にあづけて。二三年を經る程に。その錢やゝ五六十貫に及べり。さてこれをもて。潜に舩を造らし。わが住むほとりよりハ。西なる汀に。施行の渡舟をとり立。亀高牛嶋などへゆくものゝ為に。便よくせしかバ。里人等大に歓で。その功徳を稱讃し。駒形の渡とぞ呼びにける。元より駒形ハ。
父母にこの事をしらせざれバ。鴨八ハいふもさら也。朝茅は女児が織る布にあはしてハ。錢を得る事のすけなきを不審み。問罵る事しば/\なれど。駒形ハ露ばかりも親を恨ず。只「そのあしき心を轉さし。信の道に導き給へ」とて。あさなゆふなに。淺草寺の観世音を祈るの外。又他事なかりけり。
さる程に朝茅ハ。ある日「こゝちあし」とて打臥たれバ。駒形ハ枕方を立も去らず。昼夜看病して。頻に薬を勧れども。朝茅ハこれを聴も入れず。「われ生れて廾餘年。一日も病たる事なし。たま/\心持あしとて何程の事かあらん。人ハ
すべて。両度の食の外に。物食でもあるべし。况て目にも見えぬ腹の中を。醫師が木の皮草の根の煮汁をもて洗ふとも。みな推量の沙汰にして。邂逅に病の愈るもあれど。それハ偶中なり。世に医師の匙にすくひとらるゝ錢ほど。惜きものハなし。見よ翌ハ愈なん」といふに。駒形は諌かねて黙止しつ。次の日に至りてハ。いよゝ起出る氣色なかりけれバ。駒形又母にいふやう。「よしや医師の薬を用ひ給はずとも。貯給ふ薬あらバ。進らすべう思ひ侍りて。彼此をかい探りて侍るに。ふりたる骨柳の底に。この丸薬のはべりし。こハ何の症に用ひて功あるかハ
しらねど。霊薬と写しあれバ。あしき事ハあらじ。用ひて見給へかし」といふに。朝茅聞て。頭を擡つゝ熟視て。「われその薬の事を忘れたり。これハ御身が稚きとき。鴨八どのが誤して。既に打殺し給ひたる折しも。この薬天よりや降けん。又地よりや涌けん。忽然としてわが手に入りしかバやがて〓碎きて御身が口に入れしが。俄頃に甦生て恙なき事を得たり。かゝるめでたき薬なれバ。ふかく秘おきたるに。その後ハ病ものもなかりし程に。とりも出す事なかりき。こハ一トたび死したる御身が。立地に甦生たる霊薬なれば。尋
常醫師の薬とハおなじからず。さらバこれを用べし。とく湯をもて來給へ」といふに。駒形ハふかく歓びて。やがて湯を汲て枕方におくに。朝茅ハ臥しつゝ彼丸薬を口の中につまみ入れ。一椀の湯を飲尽して。みづから胸を拊まはし。「この薬寔に功驗あり。心持すこし清々しくなりぬ。一目睡せバ平愈疑ひなし。その小屏風を引よせよ」といふに。駒形ハこゝろ得果て立ぬ。さる間に朝茅ハ熟く睡りて。詰朝に至りても起ず。鴨八これを怪みて。枕に立たる屏風をうち敲き。「いかに朝茅。今朝ハいよゝ快きか。起出て。早飯たうべずや。」と呼覚せバ。朝茅ハ寐惚たる
〈挿絵第八図〉
声して。「おい」と應つゝ屏風を掻遣り。「世に良薬もなきにあらず。きのふ彼丸薬を飲てより。一夜さこゝろよく睡りたるが。今朝ハ全く愈はてゝ。氣力生平にかはらず」とひとり言し、やをら起出るを見れバ。怪き哉、只一夜の中に。白髪たる姥となりて。形は松よりも痩くろみ。腰にハ梓の弓を張り。九十九髪肩にふりかゝりて。雪の柳に異ならねバ。鴨八も駒形も。「こハ/\いかに。」と呆れ果。顔うち膽りていふ所をしらず。朝茅ハいまだかくともしらで。漱がんとて盥に對へバ。わが影うつる水鏡に。且驚き且怪み。思はず盥をうちかへせバ。
さつと流るゝ水よりも。物狂しく立つ居つ。「そもわが身ハ何ゆゑに。一夜の中に姥とハなりけん。こハ全く駒形が。きのふ飲せたる薬にて。かく淺ましげに面影は変りけめ。薬にハ禁忌といふ事もあるものを。よくも思ひはからずして。親に毒を舐せたるよ〔、〕原の姿にしてかへせ。わが夫も虚々と。見て居ましてハ事果ず。わがこの形容がをかしきか。あら腹たゝし」と罵り狂ひ。〓の善巧方便とハ。露ばかりも思ひかけず。桃源の人〔、〕桃源を慕ひ。「浦島が子の老を悲みしも。かくや」とおぼうばかりなり。駒形ハ。勸解よしなき、きのふの薬を。わがこゝろから進らせたれバ。母の
怒のふかき罪に。「かはらるゝ事ならバ。命も何か惜まじ」と。思ひ迫りてよゝと泣バ。朝茅ハいよゝ焦燥て。彼を罵りこれを罵り。果ハ夫婦〓みあひて。障子を踏破り。鍋釜を打碎き。狂ひ疲れてさて巳ぬ。
かゝりしかバ夫婦の間も。睦しからずなりて。鴨八は朝茅を婆々と呼べバ。朝茅も又鴨八を乞児と罵り。動れバ物あらがひして。互ひに打うたるゝことしば/\なりしが。ある日又鴨八ハ。朝茅を打懲らすとて。爐縁に跪き倒れ。右の肩尖を打けるに。浪花にありて。水主の飛乗をせし時の打身。大に發りて。起居も自在ならねど。朝茅ハ薬を飲せんとも
せず。只駒形のみ信やかに看病し。ある日母にいふやう。「わが爲にハ養父なり。母御の爲にハ夫にておはする人を。などてかく鬼々しくハものし給ふ。こゝろある人ハ。友どちさへ病ときに。信を見するものぞかし。いかに心つよくとも。かくまでにハあるまじけれ」とて。理を尽してかき口説バ。朝茅冷咲て。「いやとよ。わが家の零落たるも。元彼愚物がなせしなり。加之乞児とまでなり下りたるを。流石に従弟なれバと。憐み思ひて家に伴ひ。彼人が遺ひ捨たる。金の半なりとも贖せん爲に。夫と斉眉。活業をうち任したるに。おのれあるじぶりて。却活業にハ疎く。酒を
嗜み色を好むの外。しいだしたる事もあらず。しかるにわが身かく面影もかはりたれバ。彼かならず異妻を引入んかと。日來妬く思ひつるに。俄頃に起居も自在ならずなりぬれバこそ。わが心を安する日もあるなれ。只うち捨ておき給へ。御身が父と呼ぶ人は天地の間に絶てなきものを。」と回しかバ。駒形ハます/\呆れて。ふたゝびいふことを得ず。
かくて朝茅ハ夜毎に畄る旅客の料にとて。水菜を大きやかなる桶に潰。いと重げなる石を壓として。庖〓の隅におきしが。鴨八が。夜も昼もうち臥てあるをいぶせく思ひ。「坐敷にありてハ。旅客を畄るに
妨也」とて。彼潰桶のほとりに臥さしたるが。鴨八ハ手足さへ動かしがたけれバ。氣を屈めて彼と爭はず。日に/\頭痛て堪がたかりしかバ。密に駒形にいふやう。「われ久しくうち臥たるゆゑにや。頭熱りていと苦し。如此々々の箱に秘おきたる石枕あり。夏の日にこの枕をして睡れバ。凉風耳の根に起りて。竹奴にも勝り。冬ハ又暖にして。湯婆に勝るといふ。われかの枕をして。この苦痛を助らんと思ふに。もて來てさしてよ」といふに。駒形やがて彼石の枕をとり出し。常の枕と引かへたるを。朝茅見てうち腹たて。「誰がゆるしてこの枕をさしたる。かゝる
ものを端ちかにおきて。人に見られなバ。よき事ハあらじ。全身自由ならざるに。なほ栄曜こゝろのうせずや。」といきまきつゝ。彼枕をとらんとて。足音たかく走り寄らんとするに。桶の上なる石。滾々と落かゝるを。「吐嗟」と〓む程もあらせず。臥たる鴨八が頭の上に轉落しかバ。下にハ石の枕をせし程に。なじかハたまるべき。鴨八は頭を微塵にうち碎れ。脳髄出て死でけり。駒形ハこれを見て。母より先に走りよりて。救んとするに終に及ばず。上なる石をかき抱き。声を惜ず泣叫べバ。朝茅も今さらに淺ましくて。やうやくに慙愧し。駒形を賺しこしらへて。
その夜鴨八が亡骸を。何がしの寺に葬りぬ。昔朝茅が枕橋のほとりにて。彼石の枕を見て。はじめてよからぬ心を發せしとき。鴨八に環會。終に夫婦となりて。互に暴悪を事とせしが。天罰やゝ報ひ來て。鴨八彼石枕をして石に打れたるこそ不思議なれ。かゝりしかど朝茅ハ。面影のかはりてより。いよゝ貪婪の心ふかく。夫が淺ましき死をなしたるを見ても。菩提の道にハなほ疎く。鴨八が死たる時の形勢をおもひよせて。ます/\奸計をめぐらし。ひとり宿かる旅客の臥簟の上にハ。大なる石を釣おきて。石の枕を
〈挿絵第九図〉
さし。甲夜より燈火を置ず。その熟睡するを張ひて。釣たる石の索を切落して打殺し。天の明ざる間に。屍を川へ流せし程に。これをしる人なしといヘども。近郷の老弱ハ。朝茅が俄頃に姥となり。又夫鴨八死して後。その家却冨〓に見ゆるを怪しみ。潜に目をつくるものもあれど。かけはなれたる一ッ家の事なれバ。楚と認るよしもなかりけるとぞ。うべなるかな。朝茅ハそのはじめより。女児駒形にもふかく匿して。絶てしらせず。その機密奸智。他の耳目を〓すに足れるなるべし。
(五)圓通菩薩三たび朝茅を懲らす 附 蛇塚姥が池の事の迹
光陰委なくて流水のごとく。朝茅が女児駒形ハ既に十五才になりて。容色も人なみに勝れ。心ざま怜悧て。かゝる田舎にハいと稀なるべき處女なれど。みづから恥て人にも見えず。母の隱慝をやゝ暁得りて。いくたびか諫れども。朝茅は露ばかりも聽入れず。「こハみな御身が久後の爲にとてすなるに。かくいふハ。親のこゝろ子しらずにこそあるなれ。御身さおもひ給はゞ。母をバ疎しかるべし。わが子にさへ倦れてハ。生て楽しき
事もなし。自害せんにハ」とて。菜刀閃しなどするに。駒形ハせんすべなく。その暴悪を諫かねし。身の憂事に思ひほそり。一年三百六十日。眉を開て笑ふ日ハなかりけり。
しかるにこのころ。夥の〓子街に集合て。童謡をなんうたひける。その哥に。
日ハくれて埜にハ臥とも宿かるな。淺草寺の一ッ家の石。
淺草の里のみならず。國々にこの哥聞えて。口順とせざるものなし。こゝをもて諸國の旅客ふかく怪み。彼一ッ家に宿かるものなかりしかバ。朝茅ふかく憤り思ひて。彼哥うたへる〓子のわが門ちかく來るときハ。追ひ遣らひ。打ちらしなどするに。衆皆
はら/\と走退き。退バ又聚りて。うたふことはじめのごとし。かゝりし程にある日の夕くれに。いと〓闌たる美少年。朝茅が門に立在て。腰なる笛を抜出し。音律妙に吹すさむを聞バ。「日ハくれて野にハ臥すとも々々」といふ童謡を。唄ふがごとく吹しかバ。朝茅聞て大に怒り。箒かいとつて忙しく走り出。月光につらつら見れバ。このわたりにハ見も馴ぬ少年なれバ。ふたゝび怪み。理不盡にハ追ひもやられず。もてる箒を背にかくして。面を和げ。「こハ何地の人におはする。わが家にもの問んとて。立在給ふにや」といふに。美少年答て。「われハ淺草寺の行童なるか。けふ
思はずも師の坊の氣色を蒙り。忽地寺を迫れてまどひ出たる也」といふ。朝茅聞て。「さらバ今宵ハ吾家に明し。翌ハつとめて師の坊に勸解給へ。かく御寺ちかく住侍れハ。殊さらに痛しく思ひ侍り」とて。信々しげに誘引バ。美少年ハなほ固辞ながら。さしてゆく方もなかりけん。終に裡に入りしかバ。朝茅ハ竊に歓で。駒形に給侍さして。夕餐をすゝめ。「とく睡り給へ」とて。用意の臥房へ伴ひつゝ。立出て思ふやう。「このころよからぬ哥を唄せて。わが活業の妨するハ。彼少年が所爲なるべし。しかるに彼師の坊の怒りに觸て。しりつゝわが家に宿りたるハ。さすがに淺き童ごゝろ
なり。今宵這奴をうち殺さバ。わが活業の路を開くのみならず。衣服なども價よろしくなりぬべきもの也。」とひとり点頭。夜の深をぞまちたりける。
この夜駒形ハ。はやく母の較計を猜して。又頻にうち歎き。日來しば/\諫しかど。そのかひもなく。既にいくばくの人を殺し。今亦名たゝる霊場の行童をさへ。殺さんと圓り給ふ事。みなわが身みによき衣きぬを被きせ。冨人とむひとの妻つまともして。老おいらくに世よをすぐさんとて。惑まどひ給ひし貪慾どんよくハ。この身みゆゑなりと思ふほど。わが罪障ざいしようこそいと深ふかけれ。所詮しよせん彼かの少年しようねんにかはりて石いしに打うたれなバ。母はゝも邪見じやけんの角つの折をれて。
〈挿絵第十図〉
積悪せきあく餘殃よわう。因果いんぐは覿面てきめんのことわりを思ひしり。菩提ぼだいの道みちに入り給ふ。媒なかだちともなりぬべし。『南無なむ救世ぐせ圓通ゑんつう観世音くわんぜおん大菩薩だいぼさつ。親子おやこが後のちの世よ救すくはせ給へ。』と念ねんじをはり。潜ひそかに少年しようねんが閨ねやの戸とに立たちよりて。よく睡ねふりたるを呼よび覚さませバ。一声ひとこへ應いらへて起出おきいでたり。折をりしも窓まどよりさし入いるゝ月影つきかげに。よく/\その人を見るに。甲夜よひに臥ふしたる少年しようねんにハあらずして。年紀とし廾五六なる壮佼わかうどの。身みにハ禅衣おゆづりを被きて。順礼棒じゆんれいぼうとて。八角はつかくに削けづりたる桑くはの杖つゑをもてりけり。駒形こまかたハこの形勢ありさまにふかく不審いぶかしみ。「甲夜よひに宿やどしまゐらせたるハ。二八ばかりなる美少年ひしようねんなりしが。御身ハその徒ともがらとも見えず。彼かの少年しようねんハ。何所いづこに
在おはする。御身ハ又何國いづくの人にて。何所いづこよりこゝに入りて。睡ねふり給ひたる」と問とふに。壮佼わかうども又大に不審いぶかしみ。「われハ原もと常陸ひたちの人なるが。いとはやくより。身みに大願たいぐわんありて。西國さいこく。秩父ちゝぶ。坂東ばんどう。百箇所ひやくかしよの霊場れいじようを順礼じゆんれいすること。すべて五周いつめぐりに及および。旅たびより旅たびに月日を送おくるもの也。しかるにこのころ。淺草寺あさくさてらの観音堂くわんおんだうに通夜つやすること。既すでに七日に及およびしに。嚮さきに夢ゆめともなく現うつゝともなく。〓びんつら結ゆふたる童子どうじ。忽然こつぜんとあらはれて。説示ときしめし給へることあり。さて宣のたまふやう。『汝なんぢわれに従したがひて來きたれ。明朝みやうちやう夙願しくぐわんを果はたさすべし。汝なんぢが今いまゆくところにて。更闌こうたくるころ。呼よび覚さますものあり。そのとき起出おきいでて。如此しか々々 %\
なる池いけの畔ほとりにありて。天よの明あくるをまて。かならず宿願しくぐわんを果はたすことあらん。』と告つげ給ふと見し夢ゆめハ。はじめて覚さめたる心持こゝちぞする。そもこゝハ何所いづこにて候ぞ」といふに。駒形こまかたます/\怪あやしみて。「さてハ彼かの少年しようねんハ。観世音くわんぜおんの現化げんげし給ふならん。この人の爲ために。わが母はゝの隱慝あくじも。見あらはさるゝ前象ぜんしようにや。よしさもあらバあれ。終つひにハ脱のがれぬ罪科つみとがの。仏ほとけの導みちびき給ふ人を。謀はかるとも謀はかられじ。外よそながらに聞きこえて。はやくこゝを立去たちさらせんにハ。」と深思しあんしつ。声こゑを低ひくうしていふやう。「こゝは名なたゝる一ッ家やなり。御身この所に明あかし給ふときハ。身みに禍わざはひあるべし。とく/\出いて給へ」といふ。壮佼わかうど聞きゝてうち点頭うなつき。「われハ身みに深ふかき
願ねがひのあるものなるに。しばしも危あやうき所ところに居おるべきにあらず。誘いざしるべしてたべ」といへバ。駒形こまかた答こたへて。外面とのかたより出いで給はんハ便びんなかるべし。其所そこより潜くゞり出いで給へ」と教をしゆるにぞ。壮佼わかうどハ彼かの杖つゑを衝立つきたてて足あしを踏ふみかけ。遂つひに窓まどより脱のがれ出いで。北きたを望さして走はしりけり。
かくて駒形こまかたハ窓まどの戸とを引よせて裡うちを闇くらくし。その臥簟ふしどに入かはりて。衣きぬ引被ひきかつぎ臥ふしたりける。
さる程ほどに野寺のでらの鐘かねの音ねちかく聞きこえて。丑三うしみつにもなりしかバ。朝茅あさぢは「時刻じこくになりぬ。」と起出おきいでつゝ。裳もすそを〓かゝげ。足あしを翹つまだて。菜刀ながたなを引堤ひきさげて。彼かの少年しようねんの枕方まくらべに潜しのびより。しばし寐息ねいきを窺うかゞひて。切きつて放はなす釣索つりなはに。石いしハどつさり地響ぢひゞきし。忽地たちまち
壓おしにうたかたの。あはれはかなき最期さいごなり。朝茅あさぢハ既すでに爲し課おほせて。「わが物もの得えつ」と笑えみを含ふくみ。遺戸やりと一枚いちまい押開おしあくれバ。月影つきかげ隈くまなくさし入れて。昼ひるよりもなほ明あかきに。と見れバ只今たゞいま打殺うちころせしハ。彼かの少年しようねんにあらずして。思ひもかけぬ駒形こまかたなり。「こハそもいかに」と周章しうせうし。石いしを押除おしのけて抱いだき起おこすに。はや肉にく破やぶれ骨ほね碎くだけ。身みも又ひらたうなりしかバ。呼よべどかへせどそのかひも。亡骸なきから〓はたと掻遣かいやりて。「あら腹はらたゝしや朽くちをしや。駒形こまかた彼かの少年しようねんに懸想けさうして。わが機密きみつを洩もらせしか。庶莫さもあらバあれ。者奴しやつこそわが子この仇人かたきなれ。縦たとひ隱形いんぎやうの術じゆつをもて脱のがれかくるゝとも。何地いづちまでか逃にがすべき。いで追畄おひとめんとゆふ
つゝよりなほ凄すさまじき瞳ひとみの光ひかり。白髪はくはつさつと逆さかだちて。簀子すのこを高たかく踏ふみならし。外面とのかたへ走はしり出いづれバ。彼かの少年しようねんハ。こゝより逃亡にげうせたりとおぼしくて。庭にはの千草ちくさに迹あとつけて。萩はぎも薄すゝきも倒たふれたり〔。〕是これを栞しほりにして追蒐おつかけつゝ。淺草寺あさくさてらの境内きやうないなる池いけの畔ほとりちかく來きて。向むかひを佶きつと見わたせハ。汀みきはなる松まつの根ねに件くだんの順礼じゆんれい。尻しりをかけ。棍頭槍しこみつゑを突立つきたてて。普門品ふもんぼんを誦じゆし居ゐたるが。朝茅あさぢが晴めにハ。彼かの少年しようねんとや見えたりけん。高たかく〓畫おめき。菜刀ながたなをうちふりて。切きらんとするを。順礼じゆんれいの修行者しゆぎやうじやハ。はやく身みを反ひねりてこれを避さけ。棍頭槍しこみつゑを抜ぬくよりはやく。肩尖かたさきふかく〓きりつくれハ。朝茅あさぢハ忽地たちまち仰のけさまに
〈挿絵第十一図〉
宿かりて夜にハねずとも枕すな あさくさ野路のひとつ家の石 鳬岸信士
倒たふれて。池いけにざんぶと沈しづみしが。見る/\水中すいちう血ちに変へんじ、しばしハ浮うきもあがり得えず。時ときしもあれ。この日ハ七月十日にて。観世音くわんぜおんの慾参日よくさんにちなりしかバ。夲堂ほんだうに通夜つやせし里人さとひと等ら。はやくもこの事をしつて。「すハ彼所かしこの池いけに。人投しづみぬ」といふ程ほどこそあれ。喘々あへぎ/\走はしり來きつ、おの/\池を囲繞まとゐせり。
浩所かゝるところに。風かぜ楓さつとおろし來きて。高浪こうらう逆波げきは岸きしを洗あらひ。朝茅あさぢハ半身はんしん大蛇だいじやと変なつて。水中すいちうよりあらはれ出いで、紅くれなひなる舌したを閃ひらめかして。順礼じゆんれいの壮佼わかうどを。只たゞ一口ひとくちに飲のまんとす。そのとき壮佼わかうどハ。さわざたる氣色けしきなく。懐ふところより観世音くわんせおんの御影みゑい一幅いつふくをとり出いだし。大蛇だいじやの頭かうべにさし著つくれバ。毒蛇どくじやハ身みを縮ちゞめて
すゝみ得えず。これを見るもの戦慄おのゝきふるひ。活いきたる心持こゝちハせざりけり。時ときに壮佼わかうど。里さとの老弱ろうにやくをさし招まねき。「衆人もろびとわがいふ所を聞きゝ給へ。われ甲夜よひに観音堂くわんおんだうに参籠さんろうして。大悲だいひの示現じげんを蒙こうむり。この一ッ家やの姥うばが暴悪ぼうあく。従來じゆうらいの縁故ことのもとをしれり。そも/\彼かの朝茅あさぢハ。宿やどかる旅客たびゝとに。石いしの枕まくらをさせ。石いしを落おとして。是これを殺ころすの兇賊きやうぞく也。原もと是これその父ちゝ戸と五郎が。浪なみの山にありしとき。常州じようしう枕石寺しんせきじの頭陀づだを殺ころして。その路銀ろぎんを奪うばひとり。これをもて生涯しようがいを。安やすくせんとはかりしより。彼かの頭陀つだが怨霊おんれう。ながく崇たゝりをなし。化けして牛鬼うしおにとなりて。戸と五郎が妻つま綾瀬あやせを突殺つきころし。又女児むすめ朝茅あさぢが胎内たいないに
わけ入りて。五年ごねんが間あはひこれを苦くるしめ。出生しゆつせうしたる駒形こまかたハ。孝順こうじゆんにして却かへつて母はゝに打殺うちころされ。今いま亦ゝた朝茅あさぢ。かく淺あさましき姿すがたとなりて。衆人もろひとに見らるゝ事。みなこれ因果いんぐわの道理どうりを示しめすものなり。且かつ牛鬼うしおにを見て。命いのちを隕おとせし法師ほうし。又鴨かも八朝茅あさぢに殺ころされたる旅客たびゝとハ。或あるひハ過去くわこの悪報あくほうにより。或あるひハ今生こんじようの罪業ざいごうに因よつて。非命ひめいの死しをなすものにして。すべて彼かの夫婦ふうふが手てに死ししたるもの。一人ひとりとして善人ぜんにんはなし。しかれども殺ころさるゝものに罪つみあれバ。これを殺ころすものいよ/\罪つみあり。こゝをもて鴨かも八ハ石いしに打うたれ。駒形こまかたハ母はゝに殺ころされ。朝茅あさぢが最期さいごこゝに至いたる。この因果いんぐわのことわりを。衆人もろひとに告つけしらし。
善ぜんを勧すゝめ悪あくを懲こらせよ。と大慈だいち大悲だいひの示現じげんを蒙こうむり。こゝに來きたつて彼かの毒婦どくふを待まつこと久ひさしかりき。いでその驗しるしを見すべし」といひもあへず。大士だいしの御影みゑいをさとひらきて。ふたゝび大蛇だいじやにさし著つくれバ。竒きなるかな。観世音くわんぜおんの御影みゑいより。光明くわうみやう赫〓かくかくとして。蛇身じやしんを射いたりしかバ。毒蛇どくじやハ忽地たちまち水中すいちうに入いると見えし。元もとの朝茅あさぢが屍しがいとなつて。水面すいめんに浮うかむとひとしく。空中くうちうに光物ひかりものあつて。その声こゑ牛うしの鳴なくが如ごとく。その光ひかり散乱さんらんして。白蓮花はくれんげと化けし。西にしを投さして飛去とびさるにぞ。壮佼わかうどハしばしそなたを伏ふしおがみ。又観世音くわんぜおんを礼拝らいはいす。里人さとびと等らこれを見て。ます/\竒異きいの思ひをなし。「さてハ戸と五郎に殺ころ
されたる頭陀づだハさら也。野寺のてらの長者ちやうじや。駒形こまかた親子おやこの亡魂なきたまに至いたる迄まで。みな観世音くわんぜおんの引接いんしようによつて。成仏じようぶつしたるにこそ」とて。不覚そゞろに感涙かんるいを流ながしけり。
かゝりける折をりしも。年紀としのころ五十あまりなる。回國くわいこくの修業者しゆぎやうじや。嚮さきより里人さとひとの背うしろにありて。事の爲体ていたらくを見聞けんもんせしが。終つひにもろ人びとを掻かきわきて。汀みぎはに立たちより。朝茅あさぢが屍しがいに對むかひて。頻しきりに落涙らくるいす。里人さとひと等ら怪あやしみてこれを見れバ。是これ戸と五郎なりしかバ。「こハいかに」と驚おどろくにぞ。戸と五郎里人さとひとを見かへり。「われむかしこの里さとを逐電ちくてんし。回國くわいこくの行者ぎやうじやとなつて。諸國しよこくを偏歴へんれきするといヘども。心こゝろより起おこれる出家しゆつけならねバ。口くちに稱名せうみやうハしても。真まことに
仏ほとけを念ねんずることなく。只たゞ錢ぜにを乞こひ、口くちを糊くちもらひ。旅たびに夥あまたの年としを經へて。よる年としなみに剛氣ごうきも撓たゆみ。一トたび女児むすめ朝茅あさぢを見まほしさに。たま/\こゝに帰かへり來きて。善悪ぜんあくにつきてかならず報むくひある事を感悟かんごし。なせし罪科つみとがを悔くひおもふに。大士だいしの示現じげんによつて。わが舊悪きうあくを。これなる壮佼わかうどにいはれ。毛骨みのけもいよだちて覚おぼえしなり。今ハその事匿つゝむに及およばず。われ上總國かづさのくに浪なみの山やまの麓ふもとにありしとき。はからずも常州じようしう久慈郡くぢこふり。大門村だいもんむら枕石寺しんせきじの度牒どてうをもてる。要助ようすけ道心どうしんといふ頭陀づだを射殺いころし。その路銀ろぎんを奪うばひとりしより。終つひに朝茅あさぢハ。石いしの枕まくらに。人を殺ころし。又また女児むすめを殺ころし。わが身みを
失うしなふ天罰てんばつを。見聞みきくにつけて憖なまじいに。とり殘のこされし老おいが身みの。うたてきかな。」といひも果はてぬに。順礼じゆんれいの壮佼わかうとつと立對たちむかひ。「やをれ戸と五郎。汝なんぢ一人ひとり生殘いきのこりしとて。いたくな恨うらみそ。われハ汝なんぢに撃うたれたる。常州じやうしう大門村だいもんむら。要助ようすけ道心どうしんが一子いつし要太郎ようたらうなり。むかしわが父ちゝ多病たびやうによつて剃髪ていはつし。回國くわいこくに出いでしより。年としを經ふれども帰かへり來きまさず。母はゝハこのゆゑに思ひほそりて身みまかりぬ。さるによつて。わが身みあらふる霊場れいじやうを順礼じゆんれいし。『父ちゝが生死しようしをしらせ給へ。』と祈念きねんすること。十年とゝせにあまり。近曽ちかころこの武蔵むさしに來きたつて。淺草寺あさくさてらの観音堂くわんおんだうに通夜つやする事七日に及および。今宵こよひ大士だいしの示現じげんによつて。父ちゝが最期さいごをしり。又また讐家しうか
従來じゆうらいの縁故えんこをしり。又仇人かたきの女児むすめなる。一ッ家やの姥うばを殺ころして。衆人もろひとの寃うらみを雪きよめ。今いま亦また汝なんぢに環會めぐりあふこと。みなこれ無量寿光むりやうじゆくわう阿弥陀佛あみだぶつ。及および観音くわんおん薩陀さつたの冥助みやうぢよによれり。観念くわんねんせよ」と名告なのりかけ。刄やいばを閃ひらめかして切きつて蒐かゝれバ。「心得こゝろえたり」と戸と五郎ハ。杖つゑもて丁ちやうと受うけながし。二合ふたうち三合みうち打うちあひしが。要太郎ようたらうが焦燥いらつて打うつ太刀たちに。杖つゑの真中たゞなか〓きり折をられ。刀尖きつさきあまつて戸と五郎が。乳ちの下したふかく〓裂きりさかれ。血ちに塗まみれて倒たふるゝを。乗のりかゝつて首くびかき落おとし。やがて父ちゝの霊魂れいこんを祀まつりをはり。さて一五一十いちぶしゞうを寺僧じそうに告つげ。観世音くわんぜおんに酬願ぐわんほどきして。故郷ふるさとへ立かへりしかバ。縣主あがたぬしその純孝じゆんこうを
〈挿絵第十二図〉
賞美せうびして。禄ろく夥あまた賜たまはり。子孫しそんながく栄さかへけるとぞ。
さる程ほどに里人さとひとハ。戸と五郎朝茅あさぢ駒形こまかたが屍しがいを。石いしの枕まくらとゝもに。淺草寺あさくさてらの後面うしろに埋うづめて。これを蛇塚へびつかと呼よびけり。蓋けだし朝茅あさちが蛇身じやしんとなりしをもて。かく呼よぶにや。今いまも金龍山きんりうさんの背うしろなる田たの中なかに。一株ひとかぶの榎ゑのきあり。この所ところ蛇へび多おほし。是これいにしへの蛇塚へびつか也といふ。そのころ里人さとひとハ。なほ朝茅あさぢが怨霊おんれうの。崇たゝりをなす事もやと〓あやぶみ。彼かの池いけの畔ほとりに宝倉ほこらを造つくりて。弁財天べんざいてんを勧請くわんじようし。その霊れいを鎮しづめまつりて。沙渇羅しやかつら龍王りうわうとすといふ。又一説いつせつに彼かの弁財天べんざいてんハ。駒形こまかたを祭まつるともいへり。流行病はやりやまひあるときに竹たけの筒つゝに醴あまさけを
入いれて。社頭しやとうの木きの枝えだに懸かけて祈いのるときハ。その病やまひ立地たちところに愈いゆるとぞ。今いまに於おいて。淺草あさくさ妙音院みやうおんいんの池いけを。姥うばが池いけと稱となへて。僅はづかに古蹟こせきを遺のこせり。
夫それ惟おもんみれバ。念仏ねんぶつの功徳くどく無量むりやう不可思議ふかしぎなり。要太郎ようたらうが父ちゝ要助ようすけ道心どうしんハ。専念せんねんの行者ぎやうじやとして。戸と五郎が矢先やさきにかゝり。非命ひめいの死しをいたせし事。前世ぜんぜの悪業あくごうなりせバ。是非ぜひを論ろんずるに及およばず。しかれども。父ちゝが念仏ねんぶつの功力くりきによつて。要太郎ようたらうハ。たえてしらざる仇人かたきに名告なのりあひ。忽地たちまちに宿志しくしを果はたして。孝道こうどうを全まつたうせり。又また要介ようすけ道心どうしん最期さいごの寃苦べんくによつて。生しようを牛鬼うしおにに慝ひくといヘども。その子この純孝じゆんこうを。仏陀ぶつだの憐あはれみ
給ふが故ゆゑに。遂つひに得脱とくだつしたるなるべし。おもふに昔むかし要介ようすけが枕石寺しんせきじの度牒どてうを給はりて。一念いちねんに弥陀みだをたのみ奉たてまつらずハ。要太郎ようたらうハ仇あたを撃うつに至いたるべからず。設もし要太郎ようたらうが多年たねん霊場れいじやうを順礼じゆんれいして。観世音くわんぜおんに祈いのらずハ。要介ようすけハたえて仏果ぶつくわを得えがたからん歟か。弥陀みだの利劍りけんハ衆生しゆじようの煩脳ぼんなうを断たち。大慈だいひの智箭ちゑのやハ。凡夫ぼんぶの爲ために心こゝろの鬼おにを射い給へり。人ひと酔えはざれバ醒さめず。惑まどはざれバ悟さとらず。吾われその惑まどふ人を見る。いまだ悟さとる人を見ず。嗟夫あゝ難かたいかな。
敵討枕石夜話巻之下 大尾 」
〈下巻末・刊記〉
作 者 曲 亭 馬 琴 [曲亭]
畫 工 歌 川 豊 廣 [哥川氏]
剞〓 朝倉夘八
○戊辰ぼしん發販はつはん曲亭子きよくていし新編しんへん讀夲よみほんの外題げだいをしる歌うた
▲爲朝ためともや。頼豪らいごう。わん久きう。鴨神なるかみに。三勝さんかつ。佐用媛さよひめ。お染そめ。うす雪ゆき。敵討かたきうち
堤つゝみの庵いほに。石枕いしまくら。二冊にさつ三さつ。これは中ちうほん。
▲児この手柏てかしは。身みがはり名号みやうごう。小鍋丸こなべまる。歌舞伎かぶき傳介でんすけ。おつま八郎兵衛。
敵討かたきうち白鳥しらとりの関せきも自作じさくなり鈴菜すゞなに。甚三ぢんざハ。門人もんじんの作さく。」
文 化 五 年 歳 次 戊 辰
春 王 正 月 吉 日 發 販
江戸通油町
村田屋次郎兵衞
日本橋新右衞門町
上總屋忠助梓
〈刊記・広告〉
〈広告〉
戊辰新版 慶賀堂蔵
巷談坡〓庵 曲亭馬琴著 中本三冊
復讐猫股屋敷 振鷺亭主人著 仝 一冊
凾嶺復讐談 感和亭鬼武著 仝 二冊
〈繍像|小説〉宿直物語 式亭三馬著 全部六冊
〈孝子|美談〉白鷺物語 十返舎一九著 前後四冊
敵討枕石夜話 曲亭馬琴著 中本二冊
〈古今|竒談〉紫草紙 全五冊 〈圃老|巷談〉菟道園 全五冊
〈國字|怪談〉〓頃艸帋 全五冊 戲場訓蒙圖會 全五冊
小野〓嘘字盡 全 風声夜話・翁丸物語 全二冊
復讐浪速梅 全三冊 古實今物語 全六冊
三國一夜物語 全五冊 自来也物語 前五冊 後五冊
国会本
〈後ろ表紙〉
架蔵本
# 『敵討枕石夜話』−解題と翻刻−
# 「研究実践紀要」4号(明治学院東村山中高、1980年3月31日)
# 上記初出とは凡例を異にして入力し直したヴァージョンである。また、可能な限り
# 版面の復元を試みたpdf版と、主としてサーチエンジンによる検索に供する目的で作
# 成したhtml版の仕様は完全に異なる。さらに、解題は旧稿を踏まえ、新たな情報を
# 採り入れて書き直した。引用は本稿(pdf版)からお願いしたい。
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# 高木 元 tgen@fumikura.net
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