『敵討連理橘』−解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】

此処に紹介する『敵討連理橘』は、中本型読本としては極初期のもので、〈浄瑠璃読本〉とでも称すべき、文学史上特異な位置を占める作品である。

安永10〈1781〉年初春序、55丁1冊、江戸書肆の西宮新六板。作者の容楊黛は下谷長者町の医師、松田某であるというが未詳、天明2〈1782〉年1月初演の『加々見山旧錦絵』(江戸外記座、西宮新六板)の作者でもある。画工は記されて居ないが、向井信夫氏は勝川春英の筆と推測されて居られる。

水谷不倒氏は『古版小説挿絵史』(昭和10〈1935〉年、大岡山書店。後に『水谷不倒著作集』第5巻所収、中央公論社)で、本書に就いて「此書には挿絵はなく、口絵が唯一枚あるだけだ。筆者は誰であるか知れないが、之は作者の自画作ではなく、勝川派の絵師の描いたものであろう。内容は白井権八と小紫の話で、その経緯が、安永七〈1778〉年刊、田螺金魚の『契情買虎之巻』に似た所がある。」と記されている。

この解題には訂正すべき点が多いのであるが、鈴木敏也氏は「「敵討連理橘」の素材を繞つて」(『近世文学の研究』所収、昭和11〈1936〉年、至文堂)で、一般に流布している所謂権八小紫の情話とは別系統の説話が用いられている点、又『契情買虎之巻』とは内容的に関係が無い点を指摘され、更に関連の強い作品として浄瑠璃『驪山比翼塚』(江戸肥前座、安永8〈1779〉年7月7日初演)を挙げて紹介された。すなわち、

播州龍野城主の家老本庄典膳は子が無いので同藩の白井助市を養子としたが、その後、女子をもうけ八重梅と名づけた。殿の奥方は八重梅を助市の弟権八に媒した。典膳は頗る民心を得ていたが、実は渋川玄蕃と謀って主家横領を企てゝいる。この玄蕃はかね/\八重梅に思を寄せていた。権八は典膳等の陰謀を知り、主家のため又兄のために典膳を討ち取り、お家の宝刀千壽丸を奪って立退いた。そこで助市は養父の仇討に発足しなければならない破目に陥り、八重梅は自害する。逃亡した権八は川崎で幡随長兵衛と知ったが、鈴森で非人を斬り、その振舞を認められて長兵衛と義兄弟の盟約をなし、江戸に赴いてその家に匿まはれる。こゝに浅草蔵前の米屋明石屋の養子栄三郎は、吉原三浦屋の小紫と二世を契る仲であった。栄三郎の許婚お関に心のある番頭甚九郎は姦策によって栄三郎を養家から追放せしめたが、長兵衛のために助けられる。而してお関の貞節は遂に栄三郎を動かし改悛の末、婚姻にまで導く。一方、犬垣頭平太なるものが小紫を落籍せんとする。この事を長兵衛が栄三郎のために気にかけていると知った権八は、かの千壽丸の剣を質入して金を作る。しかも、土手で甚九郎を殺し、その所持金をも贋金と知らないで奪った。そこで権八は、長兵衛の宅から身を退いて自首せんとし、一策を案じ、女房お時に懸想したと見せかける。長兵衛は却って親女房と縁を切り権八を庇って自首せんとする。この争いの中にお時は身売を決意して宝刀の質うけせんとする。とど長兵衛は権八を落してやる。こゝにまた目黒大鳥に閑居する山田右内は栄三郎の実父であるが、国許で権八の父に大恩をうけた事があった。一日、右内の家へ虚無僧姿の男が宿を求めた。折柄、廓を抜け出た小紫が栄三郎と共にこの家を尋ねて来る。右内はこの二人が兄妹であると語って、二人を自害させようとする。それは権八の身代りにしたいためである。ところへ龍野から早飛脚で、権八にお咎めなしとの報があった。虚無僧は助市の仮の姿でこの報を聞いて共々に喜ぶ。しかし天下の法と廓の掟とを立てるために、権八と小紫とを表向には亡き者として、生きながらの比翼塚が建立されたのである。(引用に際して表記を改めた。)

というものである。此浄瑠璃『驪山比翼塚』は、翌9〈1780〉年には同題の黄表紙(春朗画)としても刊行されているが、本書が是を典拠としている事は明確である。

尚、権八小紫の情話に関する論としては、内田保廣氏の「馬琴と権八小紫」(『近世文芸』29号、昭和53〈1978〉年6月、日本近世文学会)が備わり、実録を始めとして、その説話系統を詳細に整理された上で、馬琴が中本型読本『小説比翼文』(享和4〈1804〉年刊)で利用した際の摂取法に就いて論じられている。

一方、中村幸彦氏は「人情本と中本型読本」(初出は昭和31〈1956〉年。後に『中村幸彦著述集』第5巻所収、昭和57〈1982〉年、中央公論社)で、初期の中本型読本が実録を題材に選んでいる事に言及され、その性格を「世話中編小説」として規定された。更に『契情買虎之巻』に就いても「洒落本調は持つけれども、その本質はむしろ、世話中編小説なる読本の一、もしくは江戸におけるその初出であったかも知れない」と述べられている。この『契情買虎之巻』は、実際の事件を小説化したもので実録や浄瑠璃に拠った作品ではないが、後に幾多の追随作を生んでおり(拙稿「鳥山瀬川の後日譚」「同・補正」、『都大論究』23、24号、昭和61〈1986〉、62〈1987〉年)、やはり、極初期の中本型読本の一つとして見傚して良いものと考えられる。

横山邦治氏は「初期中本ものと一九の中本もの−その実録的性格について−」(『読本の研究』所収、昭和49〈1974〉年、風間書房)で、本書と共に作者不明の中本型読本『女敵討記念文箱』(天明2〈1782〉年3月刊、中山清七板)を取り上げ、この2作の〈敵討〉を標榜する〈初期中本もの〉に就いて「浄瑠璃の影響による世話種たることもさることながら、基本的には実録に根差したもの」と位置付けられ、更に、中本型読本を多作した十返舎一九の作品に、この実録を種本とする方法が継承されている事を明らかにされている。

此処迄、簡単に従来の研究に触れてきたが、本作の特徴は何といっても浄瑠璃色の濃さに存する。丸本まがいの文体や表記法、更には段の構成法や人物の形象等、恐らくは意図的に浄瑠璃を反映したものである。今少し積極的に考えれば、容楊黛が『加々見山旧錦絵』に手を染める前段階の、謂わば筆慣らしと考えることも出来よう。更に、『加々見山旧錦絵』が本書と同じ西宮新六の板である事を考慮すると、あるいは板元の側からの依頼に拠って、上演される事のない読む為の浄瑠璃、すなわち〈浄瑠璃読本〉を書いたのかもしれない。

後に馬琴は、この様式を一段と徹底させて『化競丑満鐘』(寛政12〈1800〉年)を書いて居り、更に種彦も『勢田橋龍女本地』(文化8〈1811〉年)を出している。少し異質ではあるが、中国の伝奇を院本風に翻案した馬琴の中本型読本『曲亭伝奇花釵児』(享和4〈1804〉年)も、上演を意図せずに書かれた〈浄瑠璃読本〉の一支流と見て良いであろう。

ところで、『加々見山旧錦絵』(天明2〈1782〉年1月初演、江戸外記座)の大当りは、前述の『女敵討記念文箱』の刊行に無関係のはずが無い。この初期中本型読本もやはり色濃く浄瑠璃色を備えているからである。

余談になるが、鏡山が弥生狂言として定着し、市村座で「加賀見山」が上演された享和3〈1803〉年3月にも、江戸出来の半紙本読本『絵本加々見山列女功』(川関惟充序、山青堂板)が刊行されて居る。明らかに、この3月興行を当て込んだもので、巻末に付録として、この上演時の配役、尾上(常世)、おはつ(粂三郎)、岩藤(松助)が詠んだ句を掲載している(後印の際には削除されてしまう)。この作品は外題に「絵本」と冠するように、挿絵が多く、上方の絵本物の流れに位置付けられる作品である。ところが、その巻末に「‥‥童蒙の一助ともならんかと、勧善懲悪の姿を今目に写、浄瑠璃本と読本との其間を、八文字屋本の趣向に取組、詞遣いと道具建を新にして、此春の桜木にちりばめ‥‥」とある。つまり、これも又、浄瑠璃を意識した作品なのであった。

扨、話を戻して、本書が刊行された安永10〈1781〉(4月2日改元、天明元年)といえば、まだ上方で奇談怪談集(前期読本)が刊行され続けていた頃で、江戸読本(後期読本)の出現には少し間がある過渡的な時期である。本書等〈原初の中本型読本〉に拠って先鞭が付けられた中本型読本は、寛政期の後半以降、その手軽な書型や経済的な負担の軽さから、江戸読本成立に向けて様々な試行錯誤が行われた。その結果、振鷺亭は滑稽本的な様相を呈した『教訓いろは水滸伝』(寛政6〈1794〉年序)等を生み出し、馬琴は『高尾船字文』(寛政8〈1796〉年序)等の習作を残す事になったのである。

【書誌】

書 型 中本(18.5糎×12.7糎) 1冊
表 紙 老竹色無地(大日本インキ製色見本「日本の伝統色」821番相当)
題 簽 左肩「敵討連理橘 全」(四周子持枠、11.5×2.5糎)
見 返 なし
序 題 「敵討連理橘序」
序 末 「安永十丑はつ春/作者 容揚黛」
口 絵 なし(備考参照)
内 題 「敵討連理橘」(下に署名なし)
匡 郭 四周単辺(16.4×10.9糎)
行 数 序六行、本文九行(1行当り20字内外)
板 心 「 連理   丁付」(魚尾なし)
挿 絵 2図(5〜6丁目の間に1丁表裏、見開きではないが図柄は続く)
構 成 序1丁(序一)本文55丁(一〜五十五)、挿絵1丁(丁付なし)、計57丁 1冊
刊 記 「東都書林 本材木町一丁目 西宮新六板」(末丁裏)
底 本 国立国会図書館所蔵本
諸 本 東洋文庫蔵岩崎文庫・東京大学霞亭文庫・岐阜大(国文学研究資料館蔵マイクロフィルムに拠る)
備 考 刊年は序末の年記に拠る。画工名の記載はない。尚、表紙と題簽は岩崎文庫本に拠る。又、岩崎本には「水谷文庫」の印記があり、挿絵は口絵として一丁目の前に入れられている。

【凡例】

一、原則として、出来るだけ原本に忠実に翻字するよう努めた。
二、漢字は、旧字体、異体字等、概ね現行字体に直したが、一部、当時普通に用いられた当て字等はその儘にした。
三、片仮名は、特に片仮名の意識をもって書かれていると思われるもの以外は、変体仮名と見傚して平仮名に直した。
四、踊り字は、漢字一字の場合は「々」、平仮名一字の場合は「ゝ」、片仮名一字の場合は「ヽ」を用い、それぞれ二字以上の場合だけ「/\」を用いた。
五、仮名遣い、ルビ、濁点及び半濁点、句読点(区別なく「。」を施す)等は原本の儘にした。
六、明らかな衍字と判断出来る箇所は私意に拠り訂した。欠字、やや無理のある表記の場合は訂正せずにママと傍記した。
七、各丁に」印を付して、各丁の裏にだけ丁付を(」1)の如く示した。
八、表紙・挿絵等は全て写真を掲載した。
九、底本には国会図書館本を用い、対校本及び図版の底本として岩崎文庫本を使用させて頂いた。記して深く感謝致します。

【翻刻】

敵討連理橘序

一花開きて四方の作者机に毫の花を咲せ初春の新物涌か如く百家の書林肆をひらく何そ面白ひ趣向はないかと案して見」れは読本に浄瑠璃立を少し加へ敵討連理の橘と名付侍りぬ
   安永十丑はつ春

作者  容 楊 黛 」序1


敵討連理橘

  第一 権八お房馴染の事

待乳山夕越暮て庵崎と弁基法師の言の葉も思ひ続ヶてそこ爰と詠め入ッたる茶屋の床几。腰打掛ヶて旅はゞき。まだ裏若き十八九。小性立なる美男艸。武張ッて艶な角髪も当世様の黒仕立は播州滝野の家中白井権八。鎌倉在勤の暇を乞ィ此真土山の聖天ゑ宿願有ッて忍びの参詣僕も対なる優奴。大津脚半も色に染む。肩に」わひ掛ヶ小筒乱二三日掛ヶの旅出立。緑を含ム川の面。春の色迚猶更に。掛る願の糸遊に又一ト群の神詣莟むや花の月の眉十六夜ふ空もいつしかに。主シ有ル花と目にしるき。鉄漿黒々と烏羽玉の夜眼遠眼なきあてやかさ。腰元婢女引キ連レて。他生の縁の茶屋が許ト互に見逢ふ桃桜引手に結ぶ神の庭権八も咲花の今マ日盛リの恋盛何くの誰が我宿の手生ヶの花とかたらいしと。羨しさのむしやくしや腹下部に向ひ何ンと思ふぞ」1 梅が香を桜の花に匂わせて柳の枝に咲せたいとは昔よりの人の望み三十二相兼備い何所に一ッ言分ンの無ィ姿にも玉に疵其花に主シ定り立る染木も真黒に染始めたる鉄漿親の妬しや恨めしやと遠廻しなる流し目はお定りなる仕内也こなたもそれと岩間洩る胸は思ひにとく/\の水知らぬ身も縁の端。腰元呼ンで耳に口何か囁きおもはゆげ権八か前に手をつかへ馴々敷も思しめさんど御さげしみはお恥しながら袖振合ふも」他生の縁。お姿を見請ます所。世に物憂きと承ル旅寝に労れ給ふ御様子此方の主人迚も親々達の言約束。印も納め近々のうち。鎌倉のお屋敷ゑ片付るゝ身の上なれば。いつ古郷の此宮居参詣も斗リかたしと。けふ思ひ立忍ひの参詣御縁でかなあなた様もまたお若衆の御道中は嘸やさぞ御不自由只さへ旅は憂き物と聞伝へますれはおいとしう主人の夫トと頼まれます其かたの年恰好てうどお前様の年頃ゆへ逢も見もせぬ夫鳥の」2 もしや所縁のお方もやと薮から棒のあられもない尋事にさむらへども鎌倉方のお方にやと承り参れよと。あれなる主人の申付ヶお返事願ひ上ヶますると。もつれもつれし糸口をさつぱり解きし弁舌ハ利はつといふも余り有権八は聞届ヶ心に笑ミの色好ミ渡りに舟と乗掛しがィャ待暫し我心我本名や国所明ヵして返ッて其人に差合あらんも斗られずと態と詞も何気なくお粧しいお尋に預リ物うき旅の心を汲みお訪ひ下さる忝さ我身事は」お片付の鎌倉の生れなるかとお尋はァヽ御真実な御心ついに壱度も見給わぬ其お主シをそれほどに慕るゝ身の羨しさ侍冥理男の名聞其殿御には何がなる我等事はお見立違ひ遥くつと遠国生れ少しのしるべは鎌倉にも仕官致罷在るが是迚も値遇の御縁鎌倉は何方の何人の方へお片付キ。きかまほしと慮外ながら宜う頼む能ィやうにと問ィ返されて腰元が返事も待す指寄ッて委細はあれにて承り打付なから申上ヶますお恥しなから鎌倉は滝野の御家中山田右内殿の」3 嫡子栄三殿と申方へ親と/\の縁定めついに見もせぬ夫トをば慕ふとの今のお詞儘ならぬのが浮世とは聞ましたれど我ながらけふはいかなる悪日にて思ひ儲けぬ其お方に心に心恥しめても結ぶ糸毛の恋の奴コ情なしとも悲しいとも泪より外答さへあらぬ我身と成リ果しをあわれと思ひ給われと人目の関のいといなきおぼこ盛りぞあどなけれ始絶を聞ィて権八かはつと斗リ驚て扨こそよくも我名所包みし事よ其栄三は従弟とは露知らず我に心を懸糸の」むすぼれ解ぬ縁の糸いよ/\深く隠さんと態と詞もしら/\敷扨々それはお仕合鎌倉のお歴々へ御縁組の其元様我身事は田舎浪人能き主取も有ルやらんと其鎌倉へ奉公〓其立身を当社へ願込メそなた様にも鎌倉へ娵入御縁もあらば重てと詞数さへ泣目を隠し迚もお別れ申ては又の御縁は斗られずせめてはお名をと尋られィャそれ迚も詮なき事。只此上は御縁次第ハャ日も西に入相の鐘諸共に暮遅き春の夕べを告て行。夕告鳥の」4 声々に引別れてぞ帰りけり

  第二 栄三郎お房婚礼の事

桃之夭夭其葉蓁蓁之子于帰といえる見ぬ唐土の娵入月と裏表なるむかしより桜ざめ迚テ忌嫌ふを俗説なりと山田右内忰栄三が嫁むかへ今宵を千代の悦は譬へて言はん方もなし右内が同役鷺坂主膳妻のお坂諸共に媒役の取持迚案内も無く入来れば、是は/\御夫婦とも御丹誠を以今宵の祝言。拙者夫婦が案堵のほど千万」申尽難しと一礼述れば鷺坂主膳先以天気も宜。滞なふ今宵の婚姻。媒の我等が大慶。誠に取親石塚東馬。貴殿と相口の堅蔵親父江戸表に居在る壱人の姪お房事何卒して当家中へ似合の縁ンも有ルにおゐては片付ヶくれよと石塚が妹方より折入ッての頼みのよし東馬にももだしかたく実父方は町家の事ゆへ取親の伯父石塚我子となして貴殿への縁組娵女お房も一昨日当着滞なふ今宵の祝言媒の我々夫婦。御同意に悦しと相」5 〈挿絵一丁、丁付け無し〉」 述れば妻のお坂も一ト通挨拶すれば右内もほく/\御両所の御深切お礼は詞に述難し。死ンだお婆々が居ッたならば嘸悦ばん残念やと。打混じたる咄の中。右内が弟白井次郎右衛門一子権八引連て勝手口より打通り。先以今宵の恐悦千鶴万亀と寿く詞にヲヽ打揃ふて今宵の取持祝着至極ィャ忰栄三は何ンとして居る媒の主膳殿伯父次郎右衛門従弟権八打揃ふて皆々お出と呼立れば栄三郎今宵を曠の麻上下。のつし熨斗目」も栄有ッて。三人の前に手をつかへ。主膳様始め皆々さまお取持の段忝と相述れば三人も有べかゝりの一ト通リ挨拶済ンで伯父の次郎右衛門ィャ何栄三郎事改ッた言事なれども右内殿は御病身其上に極老のお年依てそなたもまだ若年。遅からぬ婚礼なれど一チ日も早く兄者人の安堵を急キ去冬前髪も取らせ今宵の祝言忰権八と同年のそなた権八は御奉公柄御免なきうちは前髪も取られず婚礼は猶以言ふ迄はなけれ」6 ども夫婦中よく御親父へ孝行一チ日も早く隠居さしませお心休めが肝要と親ム身を明ヵす伯父の教訓栄三郎が忝サ一々承知致まする権八さま伯父様へ宜しうお礼頼みますと水いらずなる従弟同士打くつろぎし折からに早黄昏の其刻限ニ座敷/\の燭台も書院へ通す娵の輿。互に時宜の式礼も流石に武家の折目高。皆打連レて奥座敷奥口ざゞめく斗リ也跡に居残る権八は勝手の世話と立上り人なき隙を窺ィてホット溜息キ」辺りを詠め。結めば結ぶ悪縁も有ル物。日外武州真土山にて不斗馴染し其娘の夫ト聞は従弟の栄三南無三宝と驚しがなまなかそれと言ィ聞ヵさば其場におゐて。いかやうの短気もあらんと一寸ン遁れ見ぬ夫マの栄三郎婚姻済みて中も能ふ丸ふ納る事もあらんとけふが日迄は見合せしが思へば/\今宵の有さま妬しや羨しやお房か我を見るならば嘸驚かん何とせんと心一ッに無量の思ひ案じ入ッたる其折から奥は義式も済みしと」7 見へて千秋楽のひらき謡色直しやら膳立やら上を下へとざゝめく間に親類縁家花娵にィサ引合せ申さんと媒主膳女房お坂悦酒のほろ/\機嫌座中ヵへ居り一チ/\にコレ是は伯父御次郎右衛門殿次キなるが子息権八殿と引合す顔と顔はつと驚くお房が様子悟き次郎右衛門目早き主膳是も見合す眉に皺それとはなしにお坂は差出ヲヽ嫁御様の今のびつくりァヽ何ンでかなござりませう権八様のお顔がお前のお近付なお人に能ふ似たと」言ふやうな其びつくりてナござりませう広い世界じや似た者も有らいではなんとせうぞィャ媒は宵のほど主膳殿モゥひらきませうてはござりませぬか。いかさま能ふぞ気が付キ申たナニ栄三殿先以婚姻首尾能ふ相調媒の我等が大慶是に過キず御親父にも嘸御安堵宜しう頼み入ますると何か別らぬ此場の時宜心を残し帰りけり次郎右衛門もそこ/\に挨拶なして権八引連レ思案有げに暇乞栄三郎は押止め」8 外は格別伯父様には今少しお物語親父様/\次郎右衛門様がお帰りと言送れば親の右内一ト間より立出てホゥぶしつけな亭主ぶり必竟親類同士のうちは弟也甥也他人交ずの此座席こう打寄ッた折を幸ひ目出たい今宵が其方夫婦千代の初めの大切な夜じや依て一ト通申渡す娵女には猶以身が言ふ事を得とお聞きやれ孟子に所謂七去の事は忰栄三始とし権八も存知の事そなたは女コ其上に何ンぼ豪家の娘じや迚も」腹は立召るな町家の育四角な学文は仕やるまいと此舅が今の教訓女に七ッの去ル事有レども去られぬ事が二ッ有ッて親の喪と言ふて夫の親の忌腹を受ヶ又は嫁入時貧乏て後富貴に成リし時と此二ッ有時は去られぬといふが掟其二ッの掟をも破ッて去ッて仕廻ふ事が又一ッ有ルそれは何ンぞといふに不義徒すれば女コの第一の嗜。兄娵水に溺るゝ時手を以テせずといふ是は男の嗜ム所忰栄三や権八が第一の是嗜サァ長談義も」9 是限りでおじやる次郎右も草臥権八も嘸退屈嫁は猶更ィザ休まう然らは目出たう栄三御夫婦開らきますると次郎右衛門権八引連立帰る跡は夫婦か差向ひ腰元どもか次キよりもサァ御寝所ゑと取はやし一間へこそは立て行

  第三 権八右内を討て立退事

値千金と惜むなる夢斗リなる手枕も丑満ッ過て五更の空。庭に一ト木の見越の松が枝流し掛ヶたる塀の軒裏あやしや女コの身もわな/\枝に」取付塀の屋根あなたこなたと見廻して塀乗リ越んと立舞ふ風情ほのかにそれと薄月夜塀の外面に又ひとり是もあやしの頬かむり大小むずと掴差うそ/\窺ィ見上る屋根裏互に思ひ合ふ夜の星それぞと下より声掛ヶて真土山夕越暮てと吟ずれば屋根にもそれと忍ひの受ヶ庵崎のと継で請たる哥の上の句。しごきを仮リの力綱飛ンて落たる毒蛇の口。けがせまいぞと抱ゆる権八ァヽ嬉しやと見合すお房。念と念との行」10 合ふ悪縁権八は声震はし宵に舅の切ッなる教訓従弟栄三が手前と言ィ。日外真土山にて初の出合。夫は従弟の栄三郎と聞ハット思へどなまじいに親しい一家と言ふたならば其場でどう言ふ短慮も出よかと一ッ寸遁れに間を合せハテ見ぬ夫の栄三郎人の心はうつりもの我事を思ひ切リ栄三と中ヵよふ添ィとぐる事もあらんと名も明ヵさす所詮隠包でも婚礼の夜は是非顕われ互に逢ふは覚悟の前。道ならぬ此恋路と心で心恥しめても侍の」有ルまじき非道と知ッて此恋路そなたを奪ひ立退んと恋の盗に当テもなふ此屋敷へ忍ひ入らんと窺ふ所此仕合かくも心の合ふ物かと語るを聞ィてお房もすり寄。宿世に結ぶ悪縁ならめ過し真土の初の御げん。何くの誰とお名さへ聞ヵず只鎌倉へ奉公〓と。の給いし事を力にて命さへ有ルならば此鎌倉で廻り合。添るゝたけは添ふて見んと心を定め此家へ娵入お目にかゝるそれ迄は病気といふて引こもり栄三殿に身は」11 任せじと一チ念通ッて今宵の首尾こふいふうちも胸が踊る人の見ぬ間に此場をば早う落て遁レたい落て/\と身をあせれば言ふにや及ぶ気を付ヶよと小褄りゝしく高からげ身拵する後の松が枝窺ィ見たる舅右内しれ者待テと声掛ヶられ心得たりと用意の手裏剱右内が胸元はつしと血煙それとも知らず権八お房飛が如くに落て行

  第四 栄三次郎右衛門屋敷を立退事」

伝聞因果業報は環の盤の巡るが如しと恐るべきは宿業なるべしされば右内が屋敷の騒動親類一族寄リ集り右内横死の趣娵お房。家出の事隠さんに所なく殿のお聞に達しぬれば只薄氷を踏の思ひ不義の相手白井権八と相定り。親次郎右衛門も閉門にて此成行いかゞあらんと一類の案し大かたならず翌日に至り栄三郎次郎右衛門仲立の主膳右三人仰せ渡さるゝ旨有ルに依ッて罷出べきの由家老中よりの召に依て三人打連役所に」12 出れば家老石部典膳を始め用人目附席を正し書付を以申渡さるゝは山田栄三郎事鷺坂主膳仲立を以石塚東馬か養女縁組の事左右方願の通仰せ付られ昨夜栄三郎方へ引取る所白井権八密通の上両人共屋敷を立退き其上に親右内を手裏剱を以討ッて立退き言語に絶せし不届の至り権八親次郎右衛門儀は権八行衛尋出し急度御政法に行われる様に此場よりもお暇下さり又栄三郎事妻を奪れ親を討れ武士道相立がたき空気者」思し召れ知行召上られ追放仰せ付らるゝ者也と厳重に申渡さるれば両人ハット恐入暫し詞もなかりしが栄三郎は無念の泪懐中の願書おづ/\差出し恐れ入仰せ渡さるゝの趣恐れ入奉る何分武士道相立申さす人並々にお願の義何卒お慈悲の御さたを以右のお願御許容願ひ奉ると差出す願書一ッ通典膳一チ/\に読絶りムヽ尤親の敵妻敵討取度の願ひ神妙/\殿へ御窺申に及ばす武士たる者の定りし大法願の通申付る首尾よふ敵権八を」13 討果し帰参あらば御前は我等に任さるべし伯父次郎右衛門は権八を甥栄三郎に討せては殿より仰せ渡さるゝ御意違ふ随分と心を尽し尋出し召捕リ御政法に行わるゝ様召捕次第差出さるべし申渡相済む上は隙取ルは上ミへの恐れとお暇給わり栄三郎次郎右衛門伯父甥ながら呉越の思ひ心々に立別れぬ

  第五 次郎右衛門栄三郎旅行の事

飛鳥川の淵瀬定めなき世の習ひとは知な」がらきのふ迄は栄し身もけふ浪人の俄旅栄三郎は着の身其儘はんちや合羽に股引草鞋長ナ役にも小姓にも草鞋取の袖平を力に思ひ立か弓引は返さじ矢的原稲村が崎打通て何くをそれと当なし旅女房ふさが実の親元江戸を差て行が当と漸々たどり本海道戸塚の台に一ト休登リ下りの旅人にも心を付ヶて居る折からそれとは知らず伯父の次郎右衛門是も物うき俄旅僕壱人召連て何心なく茶屋が元べつたり出合ふ出合頭栄三郎が不興がほ」14 袖平諸共力味の皺面次郎右衛門はさすが老輩笠脱捨て傍へ差寄リナニ栄三郎きのふ役所にての申渡シ伯父甥ながら敵と敵不所存な忰ゆへ壱人の甥のそなたの流浪。神ン以忰がひいき方人すべき我にてはなし兄右内殿の敵。家の仇尋出し其方に存分ンの敵討チさせたいは山々なれど。法を守リし殿の御意にて召捕出せ御政法の御成敗に行わるべしと理非明白なる仰せに是非なく其方が敵討を妨ヶ忰権八を召捕ッて御成敗に行わせ養父白井の家名を立ねば他家の譲を受ヶし某武士」道立す去ながら兄の敵は我子にて甥がためには親の敵よつく武運に尽キたる其詞かわすも私ながら一ッ生伯父甥の暇乞身を全うし時節を待喧嘩口論を深く慎み堪忍の二字を忘れず目出たう敵権八を討ッて本望達した上右内殿の修羅の妄執妻敵の恥辱を雪ぎ山田の家を引キ起し先祖へ孝を立て呉りやれと義を立テ事を分ヶたる一ト言栄三郎も涙を押サへ重々厚キ伯父様のお示忘れ置キませぬ忝さ。伯父甥の挨拶は是限リ互に別る山田と白井先祖/\へ家を起す孝」15 の道には私ならず是一ッ生の暇乞ヲヽ言ふにや及ぶ互に当なき旅の空の志す其先キも大躰一ッ所ならんが心々に心を尽さん。さらばと斗リ夕暮の泊定めぬ村烏宿の方へと別れ行

  第六 浅草寺にて権八難義に合ふ事

くきら啼く垣は真白に卯の花月けふ灌仏の法会迚群集は押も分ヶられず花のお江戸に並びなき浅草寺の観世音引もちぎらぬ参詣は爰補陀楽の法の庭。中に一ト群打揃い現世後生の」願ひも無く腰に手拭日和下駄茶返しの袷がさね身挾仕立の七五三肩で風切る地廻り組喧嘩買ふの。そゝり連。八や五郎は。何ンと思ふぞ日には百度も爰らをそゝるが此観音へ何一ッ願掛ヶと何ンとやら就に一度頼んだ事もないが此常不断多ィ参詣頼む事をば能ふ聞くかいなァ。おいらが物を頼むと言ふは負た時の坪振と日なしの書替への外頼むといふ事は。おいら仲間が寺にはないが。しかし喧嘩と博痴に勝しても呉るならナァ松よ何んと思ふ」16 一ばん頼ンでも見よふかい。ャ喧嘩で思ひ出したけふはモゥ昼下リじやお釈迦の誕生の後生参リ斗リで喧嘩しそうなやつに壱人もあわぬ。八がさつき見掛ヶたと言ふ美しい角前髪と美しい娘と二人連の旅姿で。いかに世を忍ぶ振じやと咄したが何ンとまァ能ィしものではないかい。大かたが近在の色事のぐれであろう。千本桜の三の口主馬の小金五と言ふ仕内を一ッ遣らうでは有ルまいかいヲヽ能からうと手を揃へ奥山さして尋行」すがれても。まだ香は残る後家たばね三十のうへは二ッ三ッ繰る玉の緒も日果珠数茶店の嬶がそれと見てホゥお時様けふも又お寺まいりちと休んでお出へと呼掛ヶられて立留りヲヽおか様けふは訳ヶてきつい参詣ドレお茶一ッ休んでゆこと色青ざめて。すまぬ顔どこか淋しき其様子心を汲んでヲヽお道理や尤じや広い江戸に隠ない男立の。きつすい花川戸の親父分ン幡随長兵衛と名をふらした其男気の強ひ」17 斗リで切られて死ンした事じやもの。其お内義様のお前。なみ/\の女コなら気違ィにもなる所じやそこをじつと取静め忘れ形見のおみつ様ンを守立さんすお心のうち他人のわしらさへ涙がこぼるゝァヽあぢきない浮世じやと悔いわれて流石又嗜む目にも涙声ヲヽよふ言ふて下さんした言んす通リわし迚も幡随長兵衛が女房と人にも知られた此身。死れた跡を取乱し長兵衛殿の名迄をよごし笑われまいと心の意地長兵衛殿も腹からの」町人でもごさんせぬ元は鎌倉の去ル御家中長ナ役を勤られ倍臣なれど親代々。旦那の御恩に何一ッ不足なく暮した人若気の至り人をあやめ下手人に定る所を旦那のお慈悲に命助り二腰止めて江戸ゑ出町人にはなられたれど昔忘れぬ侍気人も立ッれば引れもせず子分子かたもひろがりて親父分と立られたそれが其身の害となり咄しに聞んす通の事。けふが丁ど百ヶ日とわす語りも泪の種あわれと思ひ一ッ遍の回向して下」18 さんせと跡は詞も泣斗リしめり切ッたる身の上咄し折から向ふへわいやわや泥田の八がまんの五郎吉先キに進んで子方の大勢ャィ色若衆の侍め此白中の昼日中美しい娘とたつた二人リ是見よがしの観音参りなめたやつといわふか厚ィやつと言わふかコレやい見た所がまんざらの在郷兵衛とも見へぬ。うぬはら只は通されぬコリヤャィ侍此大勢が胯を潜りお足を三度頂いて通れサァ胯潜れと七の図迄まくり立たる喧嘩仕掛行こふ人も立留りサァ喧嘩よ」と立騒げば世を忍ぶ身の権八夫婦。ふつて涌ィたる此災難遁るゝたけは遁れんと両手を土に這つくばい御尤のおとがめ申訳とてもなき仕合。是なる女コは私が妹生れ古郷は鎌倉の者。ちと子細有ッて両人とも此観音へ宿願有ッて忍んで参詣致ス我々何分御用捨なし下され御了簡のうへ此所を無事に罷帰るやう偏に願い奉ると似つこらしくも取繕ひ侘れどきかぬ泥田の八ャィ皆聞ィたか今のせりふ苦しさの儘能ィかげんな舌に掛ヶて」19 此通どもを万八の淵にしづめんとは。ふと印なお若衆コリャャィ言はずと知れた鎌倉武士とは通な眼に明らかなわい。其歴々侍が供も連れす只二人まごついて居るといふが実の兄弟に有ル物かい。色事も色事只の色事ではないわい間男といふ色事じやわいヲヽそれ/\見れば身形もれき/\と見ゆる一ト通の色事なら。世話する者の壱人リや二人ないといふ事はないもんじや。主の娘か間男歟此二ッに違ひはない細言をいわずとも慈悲深い」頭の了簡胯を潜ッて命を助り千年も生延ろと立蹴にはたと無法のらうぜき権八も溜りかね。きつそうかわれば我慢の五郎吉ヲヽ気が有ッて面白ィ犬おどしをひねリ掛ヶて。をゐらを切ッて仕廻積リか切ッて見さい切給へと追取巻し多勢の悪ものお房は傍にあぶ/\と。ひやいさ怖さ身を縮むモ堪忍がと刀の柄お時は欠寄しつかと止め見ず知らずの私がお止め申スもお笑止の余リお若ィかお頼母しい能ふこらへなされた出かし」20 なされたがしかし。こゝを能ふお聞なされやこらへ/\た堪忍も抜ヶば刀の手前が済ぬスリャ堪忍も皆むだ事。こゝはわたしかもらいまする堪忍しておくれなさんせヲヽ八殿か五郎吉殿。此中は逢ませぬ此出入は此時がもらいました貰ふたぞと。流石立衆の親玉かふ其女房の手強さよ。八も五郎もせゝら笑ィムヽコリャ親父分のお内義かい親父か死なれてこな様ンもちつと真似かたをして見るのかァヽいらぬ事おきもさつしやい。親父か生て居らるゝうちこそ。お内義」の。おか様のと奉ッたも其時の振合今時分こな様ンか其格を遣られては三五の十八当がすこたん。わしらは能いが此うへも。ふつ/\そんな出入の尻持女だてら。よしにしやんせ。皆は得心せまいかしらぬがハテ鬼の目にも涙じや親父殿の追善じやと思ひ此出入進ぜますぞ。こういふわしが心いき必ず忘れてをろうまいと味な所に色を持詞に付ィてそうしや/\いつにない八が立引必ず忘れさつしやるなと。並へはお時が是は/\八殿のやさしい異見此うへとても此ような女侠」21 らしい事はふつ/\と止めませう。まづ何よりは此出入わしを立て下さんしたお志しは嬉しい/\そう言わんすりや。こつちも千ばいサァ皆歩べと懐手ぐわたり/\と下駄組の裏門さしてそゝり行跡に二人リは夢見し心地どなたかわそんせぬが危ひ難儀をおすくい下されお礼は詞に述かたしと。一礼いへばお房もともにどなた様かわ此御恩死んても忘れおきませぬと。くど/\礼も女の情。何ンのまァ其様に御いんぎんなお礼には及ませぬマァ/\爰へと茶や」が床几腰打懸て詞を正し扨思わすもけふ爰にてお目にかゝるも宿世の因縁私事は夫に別れ便なき身のうへ夫も元は鎌倉生れ御恩のお主もござりますれば。もしや其お主様のおゆかりの方もやとぞんして今の御なんぎを見かね。女コたてらお恥しい詰合たとへゆかりのない方ても御なんぎを見て居られぬ気立は夫が不断の気質見るを見真似のわたしが持りやうまづ何よりは尋ませうはお二人リ様の御旅宿はいつく。こういふ形でござつて居ては人」22 目にも立今のやうな御なんぎも絶ませぬ。いかにお若ィとてお嗜みなさんせと真実見へし詞を力重々深きお志し。いづくをそれと旅舎も爰に一夜かしこに二夜泊リ定めぬ憂身のほど。すいりやうして給われと流石若木の一言にお房もともにどふぞマァ二人リが身の落付を此うへのお情に偏に願上ケますると世に便なくしみ/\と頼み掛ケられ。こなたも引れずハテこう打解てお目にかゝるも先キ生の深き御縁しかし。どういふ訳で鎌倉からはる/\こゝへ御流」浪の訳も何も。爰は往来わたしが宿は此近所花川戸といふ所サァござんせと先に立権八は力を得残る方なき御恵み左様ならば御意に随い二人リともに御厄介と打連出れば日も夕陽花川戸へぞ帰りけり

  第七 栄三郎小紫を頼敵の行衛尋事

京町の猫通けり揚屋町とは晋子がホ句と人毎に言へども句意は解しがたしと。或宗匠に尋ければ其頃は揚屋女郎猫を飼ふ事の流行し儘。太夫格子銘々に思々に飼猫を道中の供に迄禿が」23 役に抱歩行通ひ馴たる京町の猫通ひけりと発句の講釈名も三浦屋の小紫全情ならび中の町手飼の猫を禿に抱せ客待暮の鬼簾かゞけて粧ふ夕気色爰外ならぬ不夜世界見やる向ふへ其人と心飛立茶屋が軒栄三郎は只壱人。いつに違ィし。くつたく顔亭主夫婦も口を揃へお供をも連られずお顔持もさへませぬ御やうす。小紫様も嘸お案じ。まづ御酒一ッと取はやす。小紫も皃つれ/\物をも言はす苦労らしい皃持早ふ」咄して聞さんせと問う間も待ず何さ/\道から例の持病の積気否ィだゆへにわるい顔持御家老の袖平は急な用できのふの夕方鎌倉へ飛脚に遣ッたりや手せんじの此栄三。今朝届ィた夕べの文。急に逢ィたい事が有ルと。けたゝましう呼びやつたゆへ大切ッな用を捨て来たのじや兼て咄した大事の用筋其事に付ィての用で大方あろうと飛ンで来たが又躰のないわからぬ用で呼付ケたのではないかいのと苦になる顔を見せまじと機嫌直せは」24 小紫うたがひ深いお前の癖呼に上ヶた其用は兼ての大事の其用筋耳寄な用ゆへにと聞ィて栄三がホット溜息ヲヽ今胸が少と開らいた有リようが夕べふつと。悪ひ噂を聞ィたゆへモむしやくしやと気になつて袖平もそれで飛脚あれも翌は是非帰へらう何かの事は尾張屋へ往て咄そうとうづら立。小紫は押止め。其やうにそは/\と。かるはづみな栄三様ン仮初メならぬ大事の用筋コレこうじやわいなと耳に口囁く遠慮主夫婦勝手へはづし立て行ムヽすりや」今宵揚屋にはそなたの客がハテわるい合点お前に一ト目ムヽ合点。何か咄しの符帳も合へば。大躰それであらうわいの今もお前に咄す通。裏三度目迄寝もせいで夕べ漸床のうへで。わしに頼の今の一言今宵は得と聞于てお前に悦そうと思へど早まつてお前の顔見せたら何ンの役にたゝぬ只其人か。そでないか。お前には見する斗リ間を見合せて爰迄知らす。ちよつとこんして襖のすき見ナ合点かと口堅め後にと斗リ小紫揚屋ゑ」25 こそは出て行夏の月蚊を疵にして五百両さへ渡りたる揚屋町尾張屋が座敷先キ客はくすんだ侍客独リしよんぼり割膝に若侍顔の淋しき躰仲居がいそ/\走り来て小紫様漸お出と取はやしたる詞に皺面待もふけたる花姿小紫はいつよりも恵顔こぼるゝ揚屋入。さぞ勿躰な女郎じやと腹立さんしたであろうのふ。中の丁に傍輩衆の機嫌のわるい客人へ挨拶やら侘事やらつい隙取ッた其所はゆるしなんしと勤られ中居の。つやが是は」まあ御ゐんぎんなお断モシ次郎様へくるわ広しと申せども小紫様の今のお詞中居めうり初て聞ィたまだおなじみないうちにきついもの我がおれたとそやし立たる立のほし客はほく/\笑つぼに入ハアヽ有がたや客冥理年は五十の坂を登り女郎狂ひの此身共に今全情の小紫殿はりとやら気性とやら並々の君ならずと聞ィておづ/\初会の気がね裏三度目となじみもなき此やつかれに今の一言五蔵六腑へしみ渡ッて忘れおかぬ有がたしと」26 木地の儘なるむかし客おかしさこらへモシ次郎様その年ばいなお前の性根見込ンで逢ふわたしが心。気を置かんすは曲がない夕べの咄しの其跡を聞とうも有リ又こつちも。咄したい事も有サァ寝て語ろとしどけなき相の襖も恋の山。奥底もなき床の上。中居がそれと引廻す其中垣の屏風山。御機嫌よふと斗リにて跡は詞も夏の夜の南を受ヶて風かほるィヤ申今座敷で聞たいといふた咄しムヽ其咄しは。こつちから願ふても言はねばならぬ先ッ悦こんて」くりやれ其尋る我忰がありか漸と尋出し。安堵せりと聞ィてこなたもうき/\と。そりやまあ。どこに何方にときほいかゝればハテ扨そなたはそれほどに迄真実から我身のうへに引ッ掛ヶて喜こんでたもる志がてんのゆかぬほど嬉しうおじやる委細は夕べ咄ス通リ我忰は敵持其敵といふは従弟同士我ためには現在甥道ならぬ我忰従弟が妻と不義した上其者の親迄討立退キし大悪人。親の敵妻敵と一ッ荷に背負し身の置所広い世界に身の」27 彳みいかゞと案じ暮せし所に。世には助ヶもあれば有ルもの。則当所花川戸の幡随長兵衛が後家お時と言ふもの。所縁有ッて忰をかくまい身に引受ヶて頼母敷ものと聞く嬉しさは父子の恩愛。支離な子程猶不便さ。それと知らざるきのふ迄も人立多き。このくるわ。もしや忰に逢ふ事もと。あれ是と聞合せば。三浦屋の小紫が。ふかまの客に我尋る忰が年恰好顔立迄が合ふゆへに。敵持の身を忘れて日頃好色堕弱の忰。身を捨て出し妻にも倦て。そなたの」方へ通ふ事やと心付より客となつて能ィ年しての女郎狂い。なじみなければ咄スも大事。夕べはじめて遠廻しに咄し見るに猶以。心の符帳が合ィしゆへに。喜ンで帰りし所。けふはからずも忰に対面スリヤ心当のそなたの客は存の外な人違此うへはそなたへも一礼言ふて情のほど心斗のおくりものと。心を込メし壱包。させうながらと差出せば。小紫は聞きすましそれはマァお嬉しかろシテ又お子の行衛が知れ此うへは又どふなさんすお心でござんすへヲヽ尤の尋至極せり所詮我子の」28 仇なれは忰をねろう甥が行衛さがし求めて討て捨。枕を高く忰にさせんと。心をくだく親の因果。ひきやうとも。みれんとも笑わば笑へ子を思ふ。親の心の恥かしやと。涙にむせぶ其有さま襖の透見。栄三郎息を詰たる無念のきつそう。小紫はおし斗リ尤じや/\尤しやが今は早い。其人の行衛知れたなれば。落着ィたがよふござんすじやないかいなァ成程/\行衛知れた事なれは落付たは聞へたが。早いと言やつたはとふいふ事じや。いゝゑいな早いと言ふたは」そういふ大事を打明ヶてなじみもない此わたしに咄さしやんすが早かろうと。りよぐわいながら足らぬ女郎の心からも。早ィと思ふて小さし出た御異見。ませた女郎とおさげしみもィャ尤残る方なきそなたのはつめい。うしろ立に取ッた。ふかまの客は扨々いかい力であろうと一ト癖持ッた詞の綾小紫は聞とかめ。ふかまの客の力となるとはハテそのはつめいな助太刀では。とのやうな大敵も返り討に討るゝ事よと我身のうへに当てのゑんぎ。もはや今宵も」29 最ふ引ヶ過又近いうち重てと何かわ解ヶぬ胸のうち心残して帰りけり。跡見送ッて栄三郎一ト間のうちを踊リ出。忘れおかぬ小紫そなたの蔭で敵の行衛伯父次郎右衛門が口ばしり知れたるうへは片時も早く討ッて本望達したうへ。目出たうそなたを呼向ゑん。さらばと斗リ言放し。はやり切ッて駈出スをャレ早まるまい栄三様ンと押かゝへ抱留。敵のありか知れたうへは悶かしやんす事はない。心を静めわしが言ふ事。能ふ了簡して見やんせや。敵の行衛知ら」せた人は敵の親の次郎右衛門様。お前のためにも伯父様なれど現在我子の仇敵へ我子の在リ所それとなしに。知らせさんせうはづがない。始のほどは権八様の行衛尋るち其手がゝりに。わしが所へこざんしたと思ふて居たが今の詞ふかまの客の能ひ力とお前へ当た今の一チ言スリヤ態と在リかを知らせ。どういふ手術でお前をば返り討にせんといふ。計とやらも知れぬぞへ。あんまり物が甘すぎて。わしはどうも合点がゆかぬ。せく事はない大事の所じや。袖平とも談合さんして是」30 には仕様の有そな事と。言われて栄三も諸手を組み暫し思案しァヽなるほど伯父次郎右衛門の詞の端敵権八が隠れ家。花川戸といふも誠か嘘か得と糺した其うへの事コリャせく所てはないわいのと互に案じ膝と膝。七ッの鐘も短夜の気を休めんと床のうち。無量の夢や結ぶらんと人音しんと更て行。身の行末をぞ案しけれ

   第八 長兵衛が後家お時深切の事

涼しさは大河筋の夕気色数を尽した楼舟」吉野高尾に芸競べ川も錦の一ッ対に咲揃ふ辻が花川戸幡随長兵衛後家のお時。摘髪ながら。くつきりと惜まるゝ身の行義強。前垂掛ヶてはしり元娘おみつは年もまだ年弱十ヲの小しやく盛リ三味線取ッて稽古の浚い。まだ上は声の猫の妻かぢる鼠の撥当りコレおみつ今の所。最ふ一ッ遍弾直して見や。今の節は違ふたやうなナニヲかゝ様ンの違や。しませぬ。かん所が違ふたゆへ。いつものやうに聞コへぬのじやと。返す詞にわしとした事が。三味線を」31 知らぬゆへ弾ぞこないを知らなんだと。親子咄しの中戸口物申。頼もの案内にハイと戸口へれつきとした深編笠の侍が小腰かゞめてィャ何女中我等は当所不案内の者チトお尋申たいは此花川戸に幡随長兵衛殿と申人の後室娘御と只二人リ居申さるゝ由承及び態々尋参ッた者。御存知ならば御教へとゐんぎんに尋られ。コレハまあ。おれき/\様のお尋に預る覚へはなけれども。其長兵衛が後家と申スは私でござりますが。なんの御用サァまあ是へ」と愛想も寄付キ安く是は/\幸と御在宿然らは御免と打通り。座に付ィて辺を詠めムヽ是が聞及ぶ御息女かなハイさやうでござりまするハテ能ィ生れ付発明そうな。よいお楽と何も愛想と子を誉られなんのマァ父親なしの母育気儘申てなりませぬと有ルべかゝりの卑下挨拶客はお時が傍近く差寄ッて声をひそめ。今日お宅へ尋参ッた其一ト通お咄申さん。先以お尋申スは鎌倉滝野の家中白井権八と申者。おかくまいおき下さる由承ッて驚」32 入る。いかなる御縁有かは知らねど男も及ぬ頼母敷御心底お礼は詞に尽しかたし。かく申我等事は権八が実の親同名次郎右衛門と申者忰が行衛所々方々。尋求め態々参ッた。此うへは心置キなふ忰に対面させてたべと。思ひ入ッたる其顔色爰真実とは見へながらもしや敵の廻し者。深い方便に乗る事かと。思ひ直して是は扨。つかもない事お尋なさる。御らうじます通り孀の住居としはもゆかぬ娘を相手たつた二人リのかつ/\暮し譬へ」近しい親類中でも人かくまふといふやうな。ゆるやかな事ではござりませぬ。殊に恐ろしい敵持とやら女コの身でかくまふの。なんのかのと聞ィてさへ身が震まする覚へなければお侍様。とつとゝお帰りなされませと。けんもほろゝにはね付ヶられ。次郎右衛門は黙念と諸手を組ンで思案を定め。尤々道理至極敵持ッ身の忰権八。女の身で。かくまい下さる男増りのそなたの心底。女幡随長兵衛と異名を取リし其魂の我をうたがひめさるゝだん。無理とは更々存」33 申さぬ親次郎右衛門に相違なき証拠を見せて安堵させんと上座に居直りナニ譜代の家来井口長次郎が妻始て逢ます権八は夫が主と知ッてのうへの世話とは思へど長次郎が死後と言ィいかゞとためらい居る所うたがいをはらさんため今改て主従の名乗長次郎事二昔已然。口論の上人をあやめ下主人に定る所。身が情にて一命助ヶ重代覚の壱腰粟田口の差添取らせ暇を遣りし其一腰定て今に嗜置かんと聞よりハットお時はひれふし手」をつかへ只今迄もお疑申。無礼のだんはおゆるし遊ばせ。今御意遊はす其通。一ト方ならぬ御恩のお主。知らぬ事迚ふた月已然浅草寺の法の庭それとも知らず権八様。悪者どもに取かこまれ御なんぎの場へ参り合せ。お力に成リ申。御やうす聞ヶは鎌倉のお方訳は知らねど御夫婦連。御流浪なさるおもの語おとし恰好何やかや。もしや夫が常々にお噂申せしお主様ではないかとふつと気の付しが。主従の御縁尽ぬ所。今大旦那様に迄お目見へいたす」34 深い御縁嘸や夫が居られましたら喜れませうと跡は泪に詞さへ真実見へし其風情次郎右衛門も目を摺赤め。夫長兵衛の男気鎌倉迄モ隠なく殊にさいごのやうす迄ィャこりや言ふて帰らぬ事兎角はかない無常の世の中。南無阿弥陀仏も口のうち。いとゞあわれを告て行。日も入相の鐘の声ァヽ有がたい今の御回向未来で夫が嘸や嘸有がたう喜びませうと忍び泣いとしめやかなる折からに。おみつはホットせいつかし朝稽古したゆへか。わしはいこう眠ふござる」ヲヽこゝな子とした事がお客があるも遠慮なふィャ/\コリャ尤。かれ是とまだ咄しも有。さやうならばふせらせませうコレおみついつもの通お客様のお床も取ッて先キへ寝や。おなかへ物を能ふ置ィて。ねびへせぬやうにしませうぞと。子には目のなき親心おみつは二階へ行跡に。次郎右衛門はお時に向ひ忰権八が身は格別。連立退キし栄三が妻お房は何ンと致せしやらんと。尋にお時が声をひそめ。御尤なお尋其お房様は江戸生れ実の親達も鎌倉へお召。迚も通路の道は」35 絶へおふたり一ッに置キましては人の見るめせんかたなく私が里目黒の大鳥村に弟が壱人ござりまする弟娵も私がいとこ。夫婦ともに頼母しい者。やうすを語り引わけてお房様を二人リへ預ヶけふが日迄は御無事でござるがィャ申旦那様若旦那のお行衛をお尋なされ是迄お出は。権八様のお身のうへ此末の所御分別有ッての事と存まするが。思召のほど憚ながらお聞せなされて下さりませと問掛ヶられて次郎右衛門ヲヽ尤なる其尋一ト通物語らん先ッ以此度の一件忰権八が」悪事の段々栄三郎が妻を奪ひ伯父の右内を討ッて立退キ重々の罪科是に依て此親の次郎右衛門に詮議役仰せ付られ忰権八を召捕来れ左なきに於ては養父の家名白井の家を召上ヶらるゝと。のつぴきならぬ殿の仰せ又栄三郎は妻を奪れ親を討れ武士道立がたき趣敵討の願差出ス所御免有ッて是又お暇忰権八に廻リ合此敵討仕損じては我兄右内も真の犬死実父の名跡山田の家名断絶に及ぶ先祖へ不孝。迚も我武士道を捨さへすれば」36 実父の兄の右内栄三郎が武道も立ッと。一定なしたる我心底されども甥の栄三郎顔合しては役目立す夕べ栄三が身寄の者に。権八か隠家それと明かし置キたれば此家へ尋来らんは必定此親が一世の頼み甥の栄三に討れくれよとコレ此一ッ通に認置く忰権八に届ヶおくりやれ。現在の我忰に討れてくれよと頼親すいりやうしておくりやれと。流石義強き次郎右衛門も恩愛の節義目に漏るゝ涙淵なす斗リ也聞ィてお時がとつおいつ思案に胸も定らす。けふに限ッて」権八様お帰リの遅ィと言い親こゞ様一世のお別れァヽィャ/\迚も此世で忰が顔見れは即座に召捕ッてしはり首の御政法去に依ッて其一通父か遺言一ッ生の頼み。必す届ヶくれらよと編笠取ッて立上り是生涯の名残の別れ。さらばと斗しほ/\と心残して出て行。跡にはお時只独流石女。の思案にあぐみどうかこうかの一ト工夫ムヽそうじや迷ふた/\次郎右衛門様は義を立て兄御様への御孝行こちは又お主へ忠義権八様を討せては亡き夫迄不忠の悪名お主」37 次郎右衛門様のお詞を背き権八様をお助ヶ申が。やつはり忠義じや迷ひはせぬと男増りのお時がはつめいさは去ながら権八様此一通を御らうじたら父御の詞を立通し待受て敵に出合お討れなさるお心とは鏡に掛ヶて知れて有ル其敵に主のありか。知らせ置ィたとおつしやつたりや。今にも敵が尋てこう。権八様をどうぞマァ此家に置かぬ思案工夫しようは外にない事かと案じ入ッたる初夜の鐘つく/\思ひ合の戸を帰りました爰明ヶてと戸をほと/\と」権八が世を忍ぶ身の幅せまく声諸共に明る戸を這入ばしやんと。くるゝ戸の〆リもしめて上り口はいさらぼうて権八がャレ草臥た/\お時どのいつもながら。ぬる茶の茶漬ッィさら/\ァヽひもじやと何気なき顔つれ/\と打詠め敵持ッ身のうか/\と。何所をせうどに日がな一日夜の更る迄何ンの御用嗜まんせとひねられてしぶ/\なから手持なくお時殿のいつにない物咎め所詮花咲く身でもなし一ッ時も早ふ栄三に廻リ合討れて遣ッて伯父の家名相続をさせたい願若気とは」38 言ィながら空恐ろしき身の大罪不便なはお房が事。弟御の次郎作殿に咄して見たい事が有で。大鳥村へ往た所が次郎作の戻りの遅さ。入相うつて戻られたゆへ何咄ス間も夏の夜の短さ走ッて戻るやうに帰リましたがァヽしんどやくたびれたと言訳交り身の行末何となるみの絞ゆかたドレ着替へんと解かゝる帯のむすぼれ気もむしやくしや。お時はすまぬ。顔色をそれと見せじとコレ権八様いかに御家来のコレじや迚わたしも女のきれはしり。其やうに迄」お房様がお前はいとしうござんすかへハァテ知れた事を問ふ人じや。身上に代ヱ身に替へて今そなたの世話に成ルも皆お房からおこる事それを今更改てなぶらしやるはァヽ聞コへたなま若ィわしゆへに。外心でも出ようかとお房に替ッて尋さしやるか。けふもお房が今のやうに役に立ぬ事追掛ヶ/\わしもホット倦たわいのゥ。こなた迄が同しやうに。ィヱ/\お房様に替ッていふのじやない真実わたしが尋るのじや。ィャ申権八様つかぬ事では有ルけれど老女房持ッと運が直ッて」39 仕合せが能ィと申まするがどういふ訳でござんしよなァさればな。能ふ人の言ふ事じやが其訳はわしは知らぬムヽお前様御ぞんじないかそんなら言ふてお聞かし申そゥなんの事はない情じや情は人の為ならず人に慈悲すりや悪ふは報わぬ百年に一とせたらぬ九十九髪その在原の業平様今業平の権八様おさげしみも恥かしいが独の娘を誓ひに掛ヶ道ならぬ憚な興の覚たわたしが恋路心で心戒めて色目にも出さなんだがこう言ィ出してはお情じや慈悲じや此恋」叶へて下さりませと薮から棒の立くどき権八は只うつとり。あきれ果たる興覚顔物をも言はす表の方立出んとする裾にすがりコレ権八様わしも幡随長兵衛が後家のお時。恥かしい事言はせて置ィて一チ言のいらへもせす此内を出てゆこうとはソリャお情ないどうよくと。目色血走り色青ざめさすが不敵の権八もぞつとせしが詞をあらゝげ。夫長兵衛は譜代の家来。連添ふ身迚女の身で我をかくまふ心尽し男に増る忠義の女とけふが今迄も」40 頼母しく思ィしは雪と墨コリャやい畜生の耳へは入るまいが我いふ事をよつく聞ヶ長兵衛に暇遣りし其頃は我未生以前。面合さふやうなければァレあの仏間の位髀へ向ひ女房お時が世話に逢ふも位髀の影と朝夕の礼も回向も皆むだ事草葉の蔭の長兵衛が手前座に連るも面目ない。いかなる天魔の見入レにて夫が死後の名迄を穢スと事を分ヶて理を責れど。びつくともせぬ大丈夫せゝら笑ふてコレ申ソリャ誠有ル人の言ふ事其」道立を言はんすお前が。人たる道に叶ふたお人か。従弟娵を奪ひ伯父を殺し腹立さんすなお前のやうな悪な色事も又ないもの。手前勝手を言ふではないが。高がわたしは孀の身のうへ主のない後家の身で恋仕掛ヶた迚それほどに。畜生道へは落ますまいモ/\なんにもいわぬ。未来で礼を言ィませうと。つつと立て押入レの夫の形見の大脇差。すてに自害と見へたる所ャト一ッ興とさゝへる権八表に立聞く栄三主従とくより門トに聞耳の」41 猶もやうすを窺居る。内にはそれと白刃の切ッ先ャレあぶなやとせり合ふ拍子お時が懐中落せし一ッ通目早く権八一ト目見るよりナニ白井権八殿へ同名次郎右衛門よりと読下せばお時ははつとソレ見せてはと取付く利腕其儘捻上膝に引敷キ明りのもとに立寄ッて封ほとく間も親の手跡。何事やらんと押開けばムヽ何々其方事御詮義つよく其役目我等に仰せ付らるゝ所流石恩愛捨果がたく御成敗に逢ふも悲しく第一は」甥の栄三。汝をもしも討漏さば兄右内殿の家断絶武士道すたりしうへからは不便や栄三は一ッ生埋木汝は迚も開かぬ運命是に依ッて汝が隠レ家。栄三郎が身寄の者へ夜前くわしく明カし置ヶば。早速尋来らんは必定待受ヶて甥栄三に。いさぎ能う討れてくれよ。是今生の親の頼と読下す声表に聞取栄三主従息を詰窺ひ居るとも知らぬ権八ハァヽ忝き親人の御不便余る御教訓何迚御意を背くべきと。暫し涙にくれけるが。心付キたる」42 お時がふるまいそれと悟ッて引おこし両手を突ィて威儀を正し面目もないお時殿足らわぬ智恵に跡先の思慮もなふ口より出次第。畜生呼わり今更に顔合されぬ恥かしさ。日頃からのそなたの貞節我に此家を落とさせたく。不義言掛ヶて立退せ親次郎右衛門の気に背ィても我を助ヶん志それとも知らぬ凡夫身浅間しや恥かしや。とても遁れぬ我命親の詞は重けれども。切なるそなたの忠義を感じ親次郎右衛門の詞を背き。一ッ旦此家を立退くべし」それをせめての恩がへし是迄の心尽し不義の悪名受ヶてなりと。我に忠義の心遣ィ過分さよ忘れおかじと。千万無量を込めたる一礼。お時は涙押拭ひ女の浅い智恵立から。お心にもさからい申絶ィには本心見顕され。お恥かしう存まする。私が志お立なされて此うちを。落延て給わるとや。迚もの事に片時も早ふ寸善尺魔今にでも。栄三殿のござらぬうち。早う落て給われと俄に騒ぐ旅の調度。外面には栄三郎腰の矢立に筆」43 染て何しら紙へさら/\と月を力に認めて袖平が耳に口。呑込みましたと門の戸口割るゝ斗リに戸を打たゝき。夜は更たれと急キのお使親旦那次郎右衛門様より若旦那へ急な御用と。聞ィてびつくり何心なく明る戸口へ投込ム一ッ通外からぴつしやり立切るふしぎコハ何ものと戸を明ヶて見れどもそれと影さへも松吹風と目ならで外に音なふ物もなし。権八は。あんどうの灯をかゝげつゝ読下ス。状の当名は白井権八殿参ル山田栄三郎シャ何事とふしんも」無益被見せんと押ひらき。改め申に及ねども貴殿事我為には親の敵妻敵の重々の意恨覚へあらん所々方々と尋る所。昨夜はからず貴殿の在家知ッたるゆへに主従二人さいぜんより来り内のやうす。窺ふ所貴殿の心底親次郎右衛門殿の詞を守り我に討れくれんと有ル其一々を具に聞親たる人の手引にて子たる貴殿を討ん事。義を知る武士の業にも。あらず顔合すれば流石又倶に天のいたゞかぬ其聖言は背かれず一ッ通に認め此場の勝負は」44 一ッ旦延し重て本意達せんと。立帰へるは寸志ながら伯父次郎右衛門殿への志焼野のきゞす。夜の鶴思わぬ親の有ルべきか。親の手引の此勝負。成がたき段かくの通。其うへ聞ヶば此家の主女ながらも忠心の操。其志も立させたく。無念をしのぎ立帰るもの也再会の節いさぎよふ運に任さん権八殿栄三郎と読絶ッてァット感心お時も共にかんじ入敵も敵也栄三様お志の忝やィサ此上は心静に旅の出立もそこ/\に早じんじやうの鐘のひゞき残る月影跡になし何くともなく出て行」

  第九 次郎作夫婦忠節の事

いといぬる浮世の角の一ト在所大鳥村に親代々世を諂諛ぬ小百姓次郎作といふ律義者。妻のお早が賃仕事おわずからずの気さんじは無苦世界なる暮し也コレハまあお房様なされも付ヶぬ庖丁ざんまい何なされますあぶないといわれてお房が勤心。次郎作様のお帰リ時分茶漬喰はんすお数もなし。かう/\でもはやしておゐて。ちつとなりともお前の手助ヶコレハまあ御めいわくなお志はお嬉しいがモ/\そんなお心遣ィけつく気が」45 痛みまする。改め言ふには及ばねども次郎作が姉の若旦那にお添ィなさるゝお前様わたしが為にもやつぱりお主。お世話申さいで何ンとせうぞ。連合の次郎作は農業にせわしいからだ。私は又賃仕事せつろしい暮しをお目に掛ヶ何一ッお構ィ申さず。縫針の手伝迄お頼み申おきのどくさ。御苦労も今暫し。やンがて世間広々と目出たい春をお待遊ばせ兎角浮世は気を広ふお持なされにやお身の毒お煩ひでも出ぬやうに御しんぼうが第一と力を添へる主思ひ。田舎片気の」頼母しさお房は嬉しくおやさしい。御夫婦のお心ざしおなじみもないわたしなれど。心おきなふ存ますと女コ同士の睦ましく日も昼下り次郎作は。鍬打かたげ中食戻りソレお帰りとお房が茶の下ァヽおかしやませお房様。お前はわしが大事の旦那其役目は嬶めが仕まする扨お前にも女房にも一ト通リ咄す事が有ッて。いきせきと戻りました。其訳と言ふはモそつと先キいつもの通リ畑へ往て作ものをして居た所へ権八様がお出なされ是次郎作訳ヶ有ッて宿へは寄らぬ此文お房へ届ヶ」46 てくれと言はしやつた其時のその顔色のわるさ/\お前様は色がわるいが御気色でもわるごんすかと。問ふたれはィャ/\気分はなんともない。夕べ夜さり寝なんだゆへ。それで色がわるいのじやと。おつしやつたれど呑込まぬ。どふやら淋しいなり形チ其間についと物も言はず冷光寺の方へ一ッさんにござつたは何ンともすまぬ。お前への此文読ンで見れば知るゝけれど。御ぞんじの明盲いろはのいの字も読ぬ私似た者か夫婦になると嬶も同御存の無筆首切レといふ手紙持ッて行も知らぬ二人こう」言ふうちも気遣ィな。ちつとも早ふお房様お読なされてお聞カしなされと。前書咄スそのうちも。お房が案じトレ其文ヲット差出ス封めを解間遅しと押ひらき読度/\にびつくりの涙見て取ル次郎作夫婦。コレ申お房様なぜ口のうちで読ンでござつて。こちら夫婦へなんでお隠しヲヽそうじや次郎作どの聞コへませぬお房様今の今迄も申た通りお前様方お二人リのお身のうへ命に替へてもお見立申そと。ならぬ世帯へ借銀して不自由な耳をお聞カせ申さず花川戸の姉にさへ嘘八百」47 に世帯を餝り心に心尽す我々なぜ隔ては下さりますと。真実見へし恨事道理といふも余り有お房は能としら/\敷テモ扨もきつい間違大キな声で読まなんたはいつ迚も同事めうとの中の文の中には恥かしい事も有ルものゆへ。それで心で読んで見ました又びつくりとした訳は叶わぬ用で暫しのうち。他国するとの事ゆへにびつくりもする悲しうもなつて。わづかのうちの別れじやけれど敵持の主の身なれば是が別れになりやせぬかと思ひ返した今の涙なんの」替ッた事か有ッて。ふたりの衆へ何隠そう。まだ疑が晴れぬならば誰れぞに此文読して見さんせ。さりとはうたがひ晴してやと真顔にすかしだまされて律義一ッぺん次郎作夫婦。誤入ッたる其風情何ンと詞も口ごもる。次郎作はもぢ/\ときのどく余りナント女房揃いも揃ふた盲とめくら読ぬ亭主によめぬ女房ヱヽ残念な悔しいわいモシお房様大切が余ッての二人リがお恨み。本ンの無筆の廻リ根生ヲヽそれ/\女コは分ヶてひがみつよく。お恥しい恨事お免なされて下さり」48 ませァノおふたりの訳もないなんのわるふ聞ませう読んで聞かせましなんだは。わしが心の付ぬゆへと解ヶて見すれど心には跡で恨みん悲しやと。心一ッに納戸口一間へこそは立て行。跡には夫婦寄こぞりァヽおいとしいお若ィ身でいかい苦労をなさるゝうへ。こちと夫婦に迄も気がね。旦那の他国何やかや気のもめて居やしやれば。せめてはなんぞ。うまいものこしらへ。おませうでは有まいかヲヽ能ふぞ気が付ィた日頃お好キのをみ瓜に茄子のあんかけソレよかろと二人リが寄ッて切きざみ」情一ッぱいの献立も。ャ是嬶なんと思やる。うまかろは甘かろが精進物で仏くそう仏事見るやうで気にかゝると。ものが言はすか口走る是も涙の種ならんヲヽこゝな人とした事が出世かゝへた大事のお身を忌わしい事いわずともドレ煮立ふと釜の下煙も細く気もほそる納戸のうちはしめやかな読踊の声は普門品聞に心も猶めいるあわれを添へし経の声ァレあれを聞きや又いつものお房様の例の看経ァヽ若ィなりをして抹香くさい仏いぢりァヽどふやら物悲しく。むなつぼらしい」49 けふの看経ァレりんの音がした看経も最ふ仕廻じやドレ膳立と立かゝる納戸のうち。わつと一声コハ何事と驚く夫婦襖明くればノ悲しやお房様が自害さしやつた次郎作どのと呼立れば次郎作只狂気のごとくコリャ気が違ふたかお房様と夫婦左右に抱かゝへお房様/\と呼べど答へも夏艸のしぼめる花と息絶たり次郎作は立ッたり居たりモ叶わぬ/\息引取ッて仕廻しやつたら呼んだ迚喚んだ迚モ便宜は知れぬわいやいテモ思ひ切ッた自害の仕様ふへのくさ」りを一トはねに扨も/\むごらしい。やうすが急度分カらねば権八様や姉御へ対し何ンと面が合さりやうと。うろつく傍に観音経ヱヽどんくさいとお早も狂乱立騒ぐそばの経机に封じ置たる書置一ッ通次郎作は心付ャィ/\女房コリャ是を見ィやい此書付まだ封じめ糊もべた/\慥に是が書置じやドレと二人か封押切見てもわからぬ無筆と無筆ヱヽいま/\しい盲の寄合此仮名文が二人リ寄ッて読ぬといふはなんの因果世には無筆も多かろうが我」50 やおれかやうな又無筆は世にも有ルまいと。じたんだ踏ンて大声上ヶかつぽく斗リ突詰た正直涙荒涙せくり掛ヶたる斗リ也お早も何と正躰なく尤じや/\ト。言ふて又此書置何か書ィて有ルかも知れず。在所文見るやうに人頼みして読れもせずァヽとふせうとうろたゆる折もこそあれ表の方。息を切ッて駈来る。栄三袖平諸共に。案内もなく立寄ッて此場のやうすお房か死骸ハァハット思へど流石表向次郎作夫婦は只うつとりやうすあらんと次郎作は栄三が前に手をつかへ」となた様かわ存ませぬがおれき/\様と見請ます御覧の通リ取込の中。案内もなくお出とはヲヽ尤の尋至極/\心せく儘無礼の此躰。扨はそなたが聞及し次郎作殿御夫婦かと詞にハットよふ御存シテ/\お前はヲヽ我こそはお房が夫栄三郎とは我等が事と聞より次郎作ハット身がまへ女房お早も身つくろいヲヽ聞及んだ栄三殿権八様を付ヶねろうお主の仇の栄三殿とは幸ィの能ィ出合。お房様のとうの敵此名作の手鎌一丁こなたの首を打落し権八様の病の根」51 抜キいさこい勝負と立身の身構へシャ土ほせりかほててんごうと立向ふ袖平をァレりやうじすな両人と栄三郎は押とゞめ互に主へ忠義と忠義。尤ながらナニ次郎作此一ッ通読ンて見よと。投付れば手に取上ヶてしかつへらしうひねくつても読ぬ無筆の此無念お早も同じ垣覗き。してもわからぬ無筆の夫婦面目涙伏しづむ栄三郎もふしんはれす権八方より我方への書状被見のうへは驚かんと思ひし所。此有さま合点ゆかすとふしんなせは。次郎作は涙目をはらい」面目ない。わしら夫婦は根からの無筆。お房様の書置もコレ爰にあれど一字も読す途方に暮た所へこな様又此状が旦那の状やら。それも分カらず敵のこなたに此面恥語る心をすいりやうあれと無念凝たる血の涙栄三郎は立寄ッてお房か書置押開き読下ス其文言書置の事。一ッ夫権八殿よりの文見候し所迚も遁れぬ我命一ッ旦花川戸を遁れしはお時への志此うへいつかいつ迄ながらへ。ひきやうの振舞なすにおゐては。親次郎右衛門殿の心に背き敵」52 栄三が存の手前。面目なく候へは今宵暮時冷光寺の連理の橘の下におゐて潔よく切腹なし首を栄三に相渡し度。栄三方へも其趣申遣リしとの文章我身事は世を忍び尼ともなりて後世の吊ひ頼み入ルとの恨しい頼み。元のおこりは我身の科。権八様より少しなりと先キへ相果我首も栄三様へお渡し申シ権八殿と諸共に首になつても比翼の翅申度事は山々なれど涙に筆を留メ候と読み上れば次郎作夫婦わつと斗リに正躰も泣より外の事ぞ」なき栄三郎も泣目を払ひ侍の身の義に責られ是迚も宿世の因縁不義徒とは言ふものゝ権八に相馴れしは我妻といふ事を権八も知らぬ昔我はもとより見ず知らず。言ィ約束斗リにて江戸鎌倉と所もへだゝり。神ならぬ身は是非もなし。婚礼の夜のそぶりと言ィ我も鬼畜の身にてもなし。早まりし事せずんば仕様模様も有ルべき事。親右内を殺せしもそれとは知らず暗まぎれ見咎められて打ッたる手裏釼伯父と知らねば是以。思ひをうけし事でもなし」53 然ども世の大法。討ッて本望達せねば山田の家名断絶といふ親先祖への孝行立ず妻敵の恥辱雪がねば我武士道も立がたし然ルに権八が此書状切腹なせし死首を討何面目に武士道立んと。はせ来リたる今日の時宜此書置の面を見れば権八が切腹此暮時と有ルからは一時も早ふ駈付じんぜうに勝負して譬へ討とも討たるゝとも運命は天に任さん次郎作も勝手に介太刀お房は兼ての願の通リと首はつしと討落し絹に包で死首を袖平が手に渡せば次郎作も。つつ」立上りいふにや及ぶ権八様の介太刀は此次郎作ィサ御一ッ所に冷光寺へ次郎作来れと栄三主従一ッさんにこそはしり行

  第十 敵討の事

晩鐘にいとゞ淋しき夕間暮冷光寺の法の庭連理の橘の木の下にャレ腹切よ切ッたはと。うへを下へと寺内の騒動栄三主従次郎作夫婦息を切ッて駈付ヶしがヱヽ今一ト足遅かりしと栄三郎が無念の涙権八は苦しげに一ト息ついでヲヽ待兼し栄三郎死首を取ッて」54 敵討の詮なき後悔あらんと思ひ突込んだる斗リにていまだ右へは引廻さず用意よくばィザ勝負と用意の布に腹ぐる/\しつかと〆メて刀を杖栄三郎も感じ入袖平ひきやうに介太刀ならぬぞ権八は必死の痛手ヲヽ次郎作も見る通り。迚も重手の此権八それに居て見物せよと丁どあわする刃先キと刃先キ真似事斗リに付合せ。苦痛させじと栄三が一ト太刀うんと斗リに権八が倒れ伏スをとゞめの刀父右内が敵妻敵の白井権八討取ッたりと名乗るも涙首打おとしお房」が首と押ならべ鎌倉へ持参なし跡は二ッの此首も死骸と共に一ッの塚の主ともなして跡の供養次郎作夫婦よいやうにと仏事作善の一包み次郎作に相渡し鎌倉さして行空も曇がちなる雨催ひ二人が塚は今の世に。入矢の里の片辺リ比翼塚と言伝ふと世話浄瑠璃の其趣向を及ばぬ筆に染直し長閑き春の双紙もの其読本の末長く千歳と祝ふ筆の花目出度祝し寿きぬ

東都書林   本材木町一丁目  西宮新六板」55




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