【解題】
本作は京山の読本初作である。自序では小櫻姫のことを記す一小冊を敷衍して稗史6巻を作ったと述べている。架空の粉本の存在を仮託した序文の常套句ではあるが、題名からも容易に想像が付くし、読んだ者が誰でも気付くように、山東京伝『櫻姫全伝曙草紙』(文化2〈1805〉年12月刊)に基づく趣向が多く用いられている。登場人物名にも幾分の変化を持たせてはいるものの、その多くを継承している。また、清水寺での見初めの場、保養のために下館(別業)へ移る下り、男女の別はあるものの一体二形の趣向、清玄(同玄)の殺害と怨霊の発動等は明確に『曙草紙』からの移植である。
ところで、自序の「稗史六巻」という点が気になる。第3回の末作者曰で、稿本の時には次にあった蘆中の扁舟玉笛を弄すという一回分を割愛したと述べる。目録を見ると全11回と成っており、何か中途半端な回数である。そこで『〈享保|以後〉江戸出版書目』を見るに「文化六年巳十一月六日 辰秋懸り行事 小林新兵衛 余略之の項に文化六巳十一月/小櫻姫風月奇観/同(墨付)百七丁 全四冊 京山著/国貞画 同(板元売出し) 前川弥兵衛」とある。つまり出願時には全四冊としているが、執筆時には前帙を6巻12回として構想したのであろうか。
『外題作者画工書肆名目集』には「小櫻姫風月奇観 三冊 京山作/豊国画 前川弥兵衛八月十九日廻ル/一十月廿四日三ノ上下廻ル/二十月廿二日三十一月十一日上本/十一月廿二日売出し 無障」とあり、文化6年8月19日に行事改に出したことと、刊記には文化6年10月発行とあるが実際には11月22日に何の問題もなく売り出されたことが確認できる。なお、出願を書物問屋である前川弥兵衛が行っているのは当然として、出された本から判断すると平川館が蔵板元であるように思われるが、自序に拠れば、実質的な板元は雄飛閣(田辺屋太兵衛)であったようにも受け取れる。しかし、双方とも刊記に名前を並べているわけであるから相板元であることは動かない。
なお、本作には自筆稿本が残されている。巻2を欠く半紙本2冊、旧京城帝国大学蔵本を引き継いだソウル大学が、長年大切に保管して現在に伝えてきたものである。九州大学の松原孝俊氏のご厚意に縋ってソウル大学中央図書館の蔵書調査に加ていただき一瞥を加える機会に恵まれた。ただし、諸般の事情から熟覧することは許されなかった。一時期インターネットで公開されていたが、現在は閲覧出来ないようである。以下簡単に紹介しておくことにする。
ソウル大学中央図書館蔵『小櫻姫風月竒觀』自筆稿本(貴3210/956/1〜2)
巻一 魁(朱) 作者山東京山[京山](朱印)/(中央に題簽剥離跡)/墨附二十八張 版元 前川彌兵衛/平川館忠右衛門/
巻三巳十一月四日下ル 行事改/魁(朱) 作者山東京山[京山](朱印)/(中央に題簽剥離跡)/墨附上下/合五十三張 版元 前川彌兵衛/田邊屋太兵衛/平川館忠右衛門
取り敢えず確認できた情報は、巻3を上下2冊として申請したことと、11月4日に稿本の行事改が終わったことである。その後、校合本と出来本の改めを受けて11月22日に売り出されたわけである。
前編は物語の中途で終わっているが、予告された後編を京山が出すことはなかった。後編『小櫻姫風月後記』は、前編の刊行から8年後の文政3〈1820〉年に、檪亭琴魚の手によって上方の書肆である近江屋治助から出された。この出板に至るまでの経緯は、例言に以下のように記されている。
小櫻姫、風月奇觀は、山東京山雅兄の著述にして、文化己巳の冬発行し〈中略〉惜むらくは全傳をなさず〈中略〉去る丁戌〈十四年〉の秋、京山ぬし不意も、京摂の間に遊歴して、僑居を三条京極の邊に占たり。僕半日の閑を得て、彼僑居を訪ひつゝ、雅話高論を聞の序、談小櫻姫のことに及べり。よつて是を催促ば、鐡筆の業繁して、縡こゝに致らずといふ。されども猶試に、其胸裏の機関をとへば、暗に僕推慮たるにちかし。こゝにます/\感慨の情に堪ず。漫に後編六巻を編次して、一夕の談柄とする。
京山に面談の上、構想についての意見交換をしたとあるのを信じれば、この後編の出板は京山の了解の上だったことになる。
さて、この例言には前編の典拠についても述べられており、「此書前編、原来唐山の小説、龍図公案に載たる、金鯉魚の怪と、櫻姫曙艸紙とを、棍合して作りなし」とある。白話小説『龍図公案』は京山が『小櫻姫風月竒觀』第8回でも名をあげている書であり、秘匿された典拠ではなかった。麻生磯次氏は『江戸文学と中国文学』(三省堂)657頁で原話との比較検討をされているが、池中の鯉魚に酒を与える場面のみならず、『曙草紙』に共通する一体二形の趣向も利用したものと思われる。しかし、むしろ問題にすべきは『龍図公案』から6話を選んで翻訳した『通俗孝肅傳』(明和5〈1768〉年刊)の存在である。京山が使った金鯉魚は『通俗孝肅傳』巻之1に配されており、おそらく通俗本に拠ったものと思われるからである。ちなみに『櫻姫全傳曙草紙』に唐の世の名妓翠翹という表現が出てくるが、この翠翹とは通俗本の出ている『金翹傳』の主人公である。京山も『絵半切かしくの文月』で『通俗金翹傳』の書名をあげており、やはり高価で希少な唐本ではなく通俗本で白話小説を読んだと考える方が自然だと思われる。
あまりに露わな典拠の利用からか、本作が本格的に取り上げられて論じられることはなかったが、前後編の間に見られる整合性もしくは齟齬の問題や、前述したような本としての構成が整然としていない点、また平仮名が多用された句読点のない文体の問題、凝った口絵やそこに用いられた賛に関する問題など、検討すべき問題は決して少なくない。
書誌
また、外題を『繪本小櫻姫風月竒觀』として後編と一緒に出されたと思われる改題後印本(近代刷)が2種ある。国立国会図書館蔵本(147/53)と学習院大学日本語日本文学研究室蔵本(913.661/5083)は岡田茂兵衛板、東洋大学図書館蔵哲学堂文庫本(ぬ4/左/27〜32)と国学院大学蔵本(913.56/Sa69)、中村幸彦氏旧蔵本(国文学研究資料館マイクロフィルム ナ2/37/3)は前川善兵衛板である。
同様に、巻3も上冊(1〜20)、中冊(21〜38)、下冊(39〜54)と分け、各冊冒頭に早印本には見られない内題を象嵌して加えてある。
おそらく初印時には3巻4冊で出板され、比較的早い時期に平川館が6分冊化したものと思われる。なお、後編の『小櫻姫風月後記』6巻6冊は文政3〈1820〉年、翰山房近江屋治助板。續帝國文庫『校訂京山全集』(明治32〈1899〉年、博文館)に翻刻が収まる。
【表紙】
『〈稗官小説〉小櫻ひめ』千祥 壹 萬禎
【見返】
【自序】
自序
文化甲子の歳。家兄京傳。創意して安積沼物語を著し。丙寅嗣て櫻姫曙草紙を著す。刻成て發賣す。一朝大に售る。真個に洛陽帋價之が為に貴し。是に於て都下の名人才子。東に〓し西に擬し。麗篇佳構數百部に下らず。人々自ら謂り。霊蛇の珠を握れり。頃ころ各處の書坊。素り僕が平生家兄と筆研を同諳するを以て。相共慫慂して。僕をして亦馮婦為らしめむと欲す。嗚呼僕襪線の資。安諸作家と抗衡することを得べけんや。後偶々市を閲して。一小冊子を購ひ得たり。其の書蠹蝕糜壊其の何の標目なるを知らず。中に江州鈎為兼の女子小櫻姫事を記有り。小窓無事一再讀の後。戯に衍して稗史六巻を作り。題して風月竒觀と曰ふ。以て書肆雄飛閣に付して雕板せしむ窃に謂り瑣々鄙構。固より大方看官の一顧を汚涜する足らざるを知る。覆〓種繭実に自ら分とする所なり。但作家數子の間に濫竿ることを得せしめば。其の幸慶たること亦夥しからん。
文化戊辰之星夕山東京山題 [京山]
[九種曲] 廿載旁觀笑與顰 凡情丗態冩来眞 誰知燈下填詞客 原是詼諧郭舎人 空香女史題[空][香]
[山東] 絶風流的少年偏 持淫戒極矛盾的 女子頓結癡盟 [京][山]
小櫻ひめ 鯉魚之妖精
信田左衛門清玄
[石齋] 棹舌翻紅蹈 盤身蹙白花 [京][山]
篠邑二郎公光
[山東] 依稀相識便相從 一笑元非陸士龍 右摘張劭詠人影起承 醉々[石][齋]
果旡堤之妖狐
白拍子 玉琴
[石齋] 鬢垂香頸雲遮〓 粉著蘭胸雪壓梅 [京][山]
小櫻姫之侍女 山吹
其意他人那得知 真情却害假相思
播州高砂之漁人 水次郎
朝〓輕棹穿雲去 暮背寒塘戴月回 [石][齋]
・轟坊 同玄
[一齋] 胸業一度破却即同玄 [石][齋]
・小櫻姫 再出
水二郎渾家 於梶
[一齋] 不見水雲應有梦 偶隨鴎鷺便成家 [京山]
小櫻姫風月竒觀前帙目録
○巻之上 第一回 秀郷射蜈蚣得寶器
第二回 湖水金鯉禍水次郎
第三回 水次郎擲簑悲薄命
○巻之中 第四回 一首和歌媒小櫻姫
第五回 小櫻姫夜功遇情人
第六回 小櫻姫再邂逅情人
○巻之下〔上下〕 第七回 志賀之助一體分身
第八回 佛眼和尚説劍来由
第九回 小櫻姫悲因果將死
第十回 清玄山舘俘小櫻姫
第十一回 水次郎奮勇助旧主
[平川|舘記] 開彫毎部/圖章爲記
(漏庵)
僕幼きより嗜て図章を〓す。凡そ、銀・銅・牙・角・玉・石、材に随ひて奏刀す。嘗て此の技を挾み藝苑に遊ぶこと茲に年有り。近来、此の技を售て以て楮墨の費に充てんと欲し、東都京橋南街山東舗上に於て招牌を掲げ、以て四方の来客を待つ。願は 諸君賜顧の者、嗣て拙作を索ば榮幸榮幸。統て垂鑒を乞ふ。
国字小説小櫻姫風月竒觀巻之一
第一回 秀郷射蜈蚣得寶器
話説人皇六十一代 朱雀帝の御宇承平二年、俵藤太秀郷、近江の国に任ぜられけるに、一日勢田の橋を渡らんとするに、大蛇橋のうへに横り臥、秀郷の来れるを見て頭を擧鏡のごとき眼をひらき、紅の舌を炎のごとく吐いだし、秀郷を呑んとする勢なり。尋常の人是を見ば、目も瞑魂消て地にも倒つべきに、秀郷はきこゆる大剛のものなりければ、更に一念をも動せず、彼大蛇の背のうへを荒らかに踏て、閑にぞ超たりける。しかるに大蛇もあへて驚きたる氣色もなく、秀郷も後口を顧ず橋を渡ける。然に大蛇忽然として
美女と變じ、秀郷に對ひていひけるは、我この勢田の湖中に住こと千余年におよべり。時として先のごとく大蛇の正體をあらはし、橋に臥して往来の人の剛億を量り見るに、御身のごとき大剛の人あることなし。我年来恨をかさねたる仇あり。おん身我ために此仇を亡し玉はれかしといと懇に語ひける。秀郷は大蛇の美女に變化したるを見て、猶一念をも動さず、汝の仇といふは何ものにやと尋けるに、龍女いふやう、三上山に我とひとしく年歴て大なる蜈蚣あり。かれ我が愛するところの珠を奪はんとして、襲ふ事已に久し。これぞ我が年来の仇なれ。おん身早く亡して、我が愁をのぞき玉はれと錦の袖を顔にあて、さめ%\と泣たるさま、大蛇とは思はれず、
【挿絵第二図】
哀にぞ見へにける。秀郷これをきゝて一義も謂ず、子細あるまじと領状なし、蜈蚣を亡すべき日をやくし、龍女に別れて家にかへりぬ。
偖、秀郷は、約したる日にいたり、日来秘藏せる五人張の弓に塗絃懸て、三年竹の節近なるを、十五束三伏に拵て、鏃の中子を筈本まで、打とほしたる箭唯三筋手挾み、勢田の橋に往けるに、彼龍女は秀郷より先に橋に佇立て秀郷をむかへ、共に蜈蚣のいづるをぞ伺ひける。
かくて夜半過るほどに、雨風一通りすぎて、電火の激すること隙なく、三上山の方より〔『前太平記』には比良の高峯とあり〕焼松二三千ばかり二行に燃て、勢田をさしてぞすゝみける。龍女秀郷に對ひ、あれこそ蜈蚣の来れるなれといふにぞ、秀郷事の體をよく/\見るに、二行にとぼる焼松は、皆蜈蚣の左右の手に燈したりと見へたり。矢比ちかくなりければ、件の五人張に十五束三伏忘るゝばかりに引しぼりて、蜈蚣が眉間の真中をぞ射たりける。その手答へ鐡を射るやうに聞へて、筈を返して立ざりける。秀郷一の矢を射損じて、安からず思ひければ、二の矢を番ひて一分もたがはず、前の矢坪を
【挿絵第三図】
射たるに、此矢もまた前のごとくに、躍りかへりて立ざりけり。二筋の矢をば皆射損じつ、憑ところは残れる箭一筋なり。如何せばやと思ひけるが、人の唾は蜈蚣に毒するといふことを思ひいだし、此度射んとしける鏃に、唾を塗てまたも同じ矢坪を射たりけり。蜈蚣はおなじ所を三度まで射られたるうへに、かの毒にあたり、頭より頤の下まで羽ぶくらせめて射徹され、二三千の焼松と見せたる光一度に消へ、一声吼て湖水の中に倒れ入りぬ。
かくて、龍女、蜈蚣の死したるを見て大によろこび、秀郷を龍宮城へ誘ひ、厚く其恩を謝し、さま%\に饗應たるうへに、遅来矢と號る太刀一振、絹一巻、鎧一領、米の俵一ツ、赤銅の鐘一口をおくりけり。秀郷これを得て家に皈り、鐘は梵砌の物なればとて、恩城寺へ〔三井寺也〕寄附なし、遅来失の太刀は龍神丸と更號て、秀郷度々の戰場に帶して武功をあらはし、天慶四年将門を誅したるときも、猶龍神丸を帶しけるとぞ〔以上『前太平記』の説と大同小異あり〕今猶秀郷の社、竜神の社、勢田の橋の東爪にあり。
偖、彼蜈蚣は、秀郷に射られし時、湖中に倒れいりて〓き苦み、七日七夜を越て漸く死し、其鮮血浪を染てながれけるに、此湖の中に年歴たる金鯉ありて、蜈蚣の鮮血を呑てのち、一色紅の色をまし、身の長俄に長大になりけり。鯉魚はもとより神霊なるものなるうへに、かの蜈蚣の鮮血をのみて、其悪趣をうけつぎけるにや、遂に琵琶湖の首長となりて、通力自在をなし、時々陸地にのぼり美少年に變じて、往来の人を誑し、または湖中に浴する童を捕り喰ひ、妖〓をくだすことおほかりけり。
【挿絵第四図 はるかなる三上のたけを目にかけていくせわたりぬやすの川波】
此金鯉魚の通力自在をなして人を誑すこと、此ひとながれの物語りの發端としりたまへかし。
○五雑爼を按ずるに、南方に大蜈蚣あり、よく牛を啖ふと云、又蜈蚣一尺以上なるものは、飛行自在をなし、竜もこれを畏る。その大なるものは珠ありて、夜間光を放つ。竜其珠を奪はんとして蜈蚣と闘ことありといへり。蜈蚣の異名を天竜と号る事本艸に見ゆ。かゝれば三上山の蜈蚣勢田の大蛇を襲ひたる説據あるに似たり。因に云、前太平記秀郷蜈蚣を射る條下に、馬〓また百足〓と書てむかでと訓じたるは、非なるにやあらん。馬〓は百足の異名なり〔おさむしとは俗にいふやすでむしの事也〕百足をむかでと訓ずるも非なるべし。
第二回 湖水金鯉禍水次郎
偖もその后遥の星霜を歴て、建保のころにあたり、江州栗本郡鈎里に、鈎庄司藤原の為兼といふ人ありけり。氏は鈎を名告といへども、原是俵藤太秀郷が胤族の末にして、山林田庄餘多をたくはへ家冨榮へて、つゆばかりのたらざるなし。為兼歳いまだ四十に満ずといへども、清識人に越、武事は更なり文藝にも暗からず。妻を弥生のかたとよびて、沈魚落雁の姿あるのみならず、心ざま貞介夫婦互にむつみ深くぞかたらひける。
偖、為兼三十八歳にして始て一子を誕生しに、殊更男子なるにぞ、夫婦斜ならずよろこび、名を清若とよびて、ひたすら心を傾け、掌の中の珠のごとくに愛養ひぬ。
かくてのち、早も二歳の春秋をすぐして、清若三歳のとしにいたり、春も季なるころ、為兼ある日真野水次郎といふ郎等を召ていふやう、明日は清若の誕生日にあたれば、汝かれを伴ひ石山寺の觀音にまうでゝ、稚児が武運長久を祈り、ついでながらかの山中を逍遥て、稚兒を慰めかへるべしと分付けるにぞ、水次郎謹で命をうけ、次の朝清若を乳母に懐かせて、肩輿にのらしめ、四五人の〓鬟どもを肩輿の左右に挾馳、おのれは后に随ひて、袴の裾たかく〓げ、刀を十文字に指こらし、諾も俐々し気に扮て、石山さしてゆくほどに、時しも春の季にして、名におへる琵琶湖の春色十分の粧を凝し、日枝の高根にひきわたしたる、靄は影を湖てる浪にうつして、幾丈の錦を浸せるがごとく、志賀の浦邊に散る花は、東寺が嵜へ吹よせて、源氏の間にや匂ふめり。鳴わたる雁がねは、堅田の浦になびき、釣たるゝ舩は青柳の橋に維ぐ、唐崎の松千歳の緑をこめて、水にうつろふ浮御堂さへ見へわたりて、えもいはれざる好景なり。水次郎等已に石山にいたりければ、東大門の前に肩輿をたてさせ、水次郎清若をいだきとり、本殿にいたりて財幣をおさめ、佛前に拝て武運長久を祈り、それより山内の末社のこりなく順拝なさしめ、人影遠き櫻のもとに、用意の幕をうたせ、氈ひきて清若を上座に居へ、多くの供人圓居て、飯笥分盒をとりちらしつ、午飯とゝのひ、吸筒の酒に杯をめぐらして、人々大に興じけり。〓鬟等は清若を誘ひて、芝原に春草摘つ、こゝかしこ遊び巡り、稍々時をうつし、日も西の山の端に傾ければ、水次郎清若をすゝめ、いざや御皈りあるべしとて、はじめのごとく轎子にのらしめ、家路の方へいそぎつゝ、黄昏のころやうやく粟津野の半にさしかゝりけるに、倍膳の濱に打よする浪の音、並樹の松風にかよひ、三井の晩鐘かすかにひゞきて、往来人の影もなく、最蕭然ぞおぼへける。
しかるに清若、遽然に泣いだしけるにぞ、水次郎肩輿に立より、清若の顔さし覘、若君何ゆへに泣給ふぞ、やがて舘へ御供し侍るなれ。乳をめしたまへなどいひて賺し慰れども、更に泣停ざれば〓鬟等も、轎子の左右よりさま%\にいひこしらゆれども、唯絶入ばかり哭叫びければ、せんすべなくまづ肩輿を松蔭に立させける。
此をりしも、磯邊の方よりひとりの老女歩行きたりて、水次郎に對ひ最前より彼所にて、雅児君のいたく泣給ふを聞はべるに、こは肚の悩給ふなり。斯く歳老て餘多の児を育てぬれば、泣給ふ声にてもしるゝぞかし。彼所に見ゆるは我家なり、住狭を〓ひ給はずは、若君を誘ひ寛々介抱したまへと、いと信々しくいひけるにぞ、水次郎大に喜び、しからばおん身の家をかりて、持あはする藥をすゝめ申さんとて、清若を乳母の懐にいだかせ、老女に随ひて僅に歩むとおぼえしに、怪かな沖のかたより、一陣の暴風〓と吹来り、白浪岸に漲りけるに、以前の老女髪の毛さや/\と立のぼり、面は朱をそゝぎたるごとく、眼は星の光りをなし、口は耳のもとまで裂け、足をあげて乳母を〓仆し、清若が頸〓んでちうに提げ、〓鬟の持たる清若の守り刀を
奪ひとり、磯邊のかたへ駈りゆく。
水次郎周章おどろき、扨は妖怪のために誑かされしか。おのれ逃るとてにがすべきかと追打に切つけしに、石を切たるごとくやいば刄尖より火激ぱつと飛散、思はずしらず悶絶なし、尻居に礑と倒れけり。其隙にかの妖怪は、清若を小脇にかゝへ、守刀を口に〓へ湫く浪に飛入て、行方もしれず失にけり。
是則發端に記したる、秀郷に射られし蜈蚣の悪趣琵琶湖の金鯉魚に還着し、自然と秀郷の枝流たる、鈎の家に災を降せるなり。此時妖怪の為に奪はれし清若の守刀は、昔秀郷龍宮より得たる竜神丸の太刀なり。此太刀の行方は、次の巻に委しうしるせり。
偖、水次郎は、礒打波に身を浸され、漸々に正気つき、拳を握り齟をなし、怒り〓〓といへども為なく、供人等總てみなあきれはてたるばかりなり。水次郎思ふやう、かの老女、さきには礒べより歩きたり。おさなき清若君を奪ひ、湖水のうちに没したる介、世にいへる水乕の化たるにうたがひなし。さはいへ守刀を奪ひゆきしは、怪のうちの怪にして、更に其ゆえを弁へがたし。兎まれ角まれ、若君を失ひしは我運命の尽る所なれば、御主人への申しわけには、腹切よりほかに思案なし。清若君の御身の上の哀さは、言の葉にはいひがたし。三ッの歳まで荒き風にもあてたまはず、撫育玉へる最愛稚を、物の怪のために捕れたりと聞玉はゞ、為兼君弥生の方の、御嘆慨はいかならん。我もまた家にのこりし妻や子の、此所にて自殺せしと聞ば、さこそ悲しく思ふらめと暫しなみだにくれけるが、片時もはやく若君のおんともせんとかたへの松が根に腰かけて、もろ肌おしぬぎ、氷なす釼とり直し、ほど/\腹につき立んとしたるをりしも、后のかたより声かけて、水次郎どの速意給ふなととゞめたるは、水次郎と同じき鈎の庄司為兼の家臣たる、篠村次郎公光といふものなりけり。公光水次郎に對ひ、我所用ありて此所を過り、かしこにて委細のやうすは〓鬟等がものがたるを聞り。自殺とかくごきはめしは理ながら、我とゞめしは所存ありといふに、水次郎両眼に涙をうかめ、御悲しき若君の御身の上、嘸かし驚給ふらん。せめては御死骸を索んとは思へども、かく大なる湖なれば、何方を爰と尋べき便もなし。とても生てあるべき身にあらず、腹切て湖水に飛入、若君の御供せん。介錯たのむ篠村どのと、またも刀をとり直せば、次郎公光猶おしとゞめ、おん身此所にて自殺なし、屍を路頭に晒しなば、鈎の庄司は一子を變化に奪れ、家臣何某はその場にて腹切しなんどゝ、人口に膾炙、主人の家名を穢すべし。とても捨る一命ならば、はやく舘へ皈り、変化の仔細を聞えあげ、そのゝち腹切とも遅かるまじと道理にせまる公光が言辞に、水次郎屈服なし、遂に自殺をとゞまり、両人打連立、さきのほどかの松かげに、奚奴どもをまたせおきたる所に至りけるに、逃散たる者どもすべてみな此所に集り、乳母をはじめ〓鬟等は、清若のむなしき轎子にとりすがり、声をあげて哭居たるにぞ、両人これを見て共に悲嘆にせまりけるが、かくてあるべきことならねば、空轎をかたげさせ、初更の鐘に送れて、随歩に遠き浪の音、舘をさして皈路は、今朝来し道にかはらねど、主人は消てうたかたの、粟津が原の哀さは、おきどころなき胸のうち、心も空も朧月、足も蹇たる畛道、うちつれてこそ皈ける。
第三回 水次郎擲簑悲薄命
此日鈎為兼は、嫡子清若の誕生日といひ、殊更弥生の方懐妊にて、已に五月に至り玉ひ、今日は最上吉日なりとて、纈帶を着玉ひ、彼是とりまじへたる祝ひなれば、家臣を集て終日酒宴をもよほし、すでに夜にもいたりぬれば、杯をおさめて奥殿にいり給ふに、銀燭のひかり金屏にかゞやき、侍女のかきならす琴の音は、彩る枝の松風に、鶴も千歳を冩し絵の、いとも目出度形勢なり。
為兼弥生の方に對ひ、今日は天も晴やかにて、清若もさこそ心を慰つらん。供にしたがひつる者どもゝ、好気ばらししつらんと宣ば、弥生の方おゝせのごとく石山寺の櫻も〓のころなれば、花看人のつどひ来て、ことさらに賑はゝしく、稚児もこゝろよく遊びて、今のほどは皈路におもむき候つらん。僅一日膝のもとを離し候ひても、早く皈れかしと待詫候。子を思ふ親のこゝろは、おろかなるものにはんべりなど夫婦〓をつらね、物語しておはせしをりしも、〓鬟為兼の面前に手をつき、只今水二郎皈り来り、御目通へ召せ玉はらんことをねがひ候といふに、為兼夫婦ことばを揃へ、水二郎は清若を伴ひて皈つらん。とく/\連れきたれと渠に申せと宣ば、こしもといふやう、若君は何方におはすやらん、見たてまつらず。たゞ水二郎と篠村公光のみ御つぎにひかへ候といふに、為兼訝つゝ、まづ両人をよべとのたまふにぞ、やがて公光水二郎をともなひて、為兼が面前にいで、水二郎は遥ひきさがりて平伏す。為兼これを見て、いかに水二郎、思ひのほかに遅かりしぞ。今日は稚児が傅して、さこそこゝろを労しつらめ。渠はいかにしつるぞ、早々伴ひきたるべしと、のたまふことばに返答も、さしつまりたる胸の裏、泪くみとる公光が、側より申けるは、若君石山寺より御皈舘のをりから、粟津が原の礒辺にて一ッの凶事いできたり、水二郎その場にて、申わけに切腹仕らんといたし候をりしも、某かの所をとほりあはせ、言辞をつくして渠が自殺をとゞめ候。其故は、彼地に死して屍を路上に晒し候ば、御家の凶事を流布せしむる道理と存じ、強て是まで召連候なり。凶事の仔細は水二郎に御尋問あるべしと泪をふくみて申ける。
為兼これを聞れ、清若が身に災ありしとは気遣し。近うよりてはやく其仔細を申せと曰へば、弥生の方はとゞろきの橋打渡る胸のうち、騒ぎ立気をしづめてもしづめかねてぞおはしける。水二郎やう/\に漆行出、ありししだいを詳にのべければ、為兼始終を聞玉ひ、打驚せ玉ひしが、さすが連忙し介もせず、輪迴に絆恩愛も、胸の鋼鉄に思ひ断る、武門のこゝろぞやるせなき。おんいたわしや弥生の方は、人目も耻ず打臥し玉ひ、声をあげてぞ嘆かるゝ。
為兼公光に命じ、清若の供にしたがひつる、乳母侍女等をめしいださせ、水二郎が申すにたがはざるやと、猶もやうすを尋させ玉ひけるに、目をすりあかめたるこしもとども、またくりかへす周諄の、不用言までとりまぜて、泪をそへてものがたり、声をとゝのへてぞ嘆ける。乳母は泣々清若の、着替の小袖をとりいだし、御形見とも見給へと弥生の方の前に閣ば、一目視るより取あげて、顔におしあて給ひつゝまた惆悵る〓哭、絶いるばかりに見へけるが、漸々に顔をあげて、涙を拭ひ玉ひ。たま/\まうけし稚児の、ことさら男子なるゆへに、家臣等にも自慢して、松のみどり子千歳ふる、雪を戴く末かけて、枝葉榮る孫児までも、長命して見んものと愛養ひし最愛児の、疱瘡麻疹も輕うして、最健に生長なし、歳も三ッの愛ざかり、泡沫旡常の風来りて、病の床にうせつるとも、さぞな悲しくあるべきに、ましてや變化に捕れて、人並ならぬ死をなすこと、いかなる前世の因果ぞや、いかなる憂目や受つらん。なさけなの身の果や、今朝の打扮の花麗に嚴かりつる面影の、繍の袂の雛鶴に、千代をこめたる甲斐もなく、今の形見と見べきとは、露思はざる愚さよ。ひとつ闇路を伴ば、なか/\嬉しくあるべきぞ。こはなにとなりぬることぞやと小袖をひしと抱しめ、悲嘆せ給ふ血の泪、綾の襠衣の白妙に、かゝりて暈む鹿子結、目もあてられぬありさまなり。
水二郎は、かゝる嘆を聞につけ、〓にかけて身を墾れ、骨も碎る思ひにて、たゞ平伏て居たりしが、かねて覺悟の一刀を抜はなちて、已に自殺と見へければ、為兼声かけ、公光渠をとゞめよと扇の指揮にはせよりて、一刀を挑奪にぞ、為兼言辞をあらゝげ玉ひ、汝今死たりとも、清若ふたゝび皈るべきか。〓〓のふるまひなすものかなと一声叱り玉ひしが、また面色を和玉ひ、我つら/\思ひをめぐらすに、今日の妖〓は是則龍神の所為なるべし。それいかにとなれば、今日稚児が守刀にもたしめたる、劔は汝等も知るごとく、我家の始祖秀郷卿、三上山の蜈蚣を亡し玉ひ、竜女の為に琵琶湖の中に誘引、龍宮城に至り竜王より得玉ひし、遅来失と名号し寶劔なり。焼刃に八竜の形あるをもつて、龍神丸と名を改め、代々相傳の太刀なれば、渠が武運長久を祈しめんため、今日しも身に添てもたせしなり。かの太阿にも劣らざる、名劔なればいかなる妖怪、魔神なり
とも手をくだすやうはあらざるに、清若もろとも奪ひとり、琵琶湖の中に身を没し、行方なくうせつるときけば、我文武の徳もなく、寶劔を所持なすこと、龍王これを惜ませ玉ひ、再とりもどし玉ひしにうたがひなし。清若の身の果も、是につながる因果ならん。もし野武士山賊なんどの所行ならば、汝やみ/\と臆れはとるまじきが、龍神の怒りにふれたり、と思へば人力のおよぶべき所にあらず。さればとて汝をそのまゝに召仕んは、家法のたゞしからざるに似たれば、年来の忠勤にめんじ一命を助け、身の暇をとらすべし。早々坐を立て、宿所に皈り退去の指揮を待べしと宣ひければ、水二郎は為兼が寛仁大度のはからひを聞て、恩惠身に溢れ、感涙肝に〓ぎ畏縮て居たりしが、僅に頭をあげて、ひそかに為兼の面を見あげ、泪をはら/\とおとし、言辞をいださんとしつるに、為兼頓て席を立、常の一間にいり玉ひければ、水二郎はのびあがりて、名残はつきぬ悲しさの、泪に席を潤ぬ。
時にあまたの侍女ども打よりて、泣焦れて伏居玉ひたる、弥生の方を介抱して、彼方へいれまゐらせ、隔の障子をたてきりぬ。跡に残るは只二人、水二郎は手を拱きてかしらをたれ、忘然としてゐたりしに、篠村公光側に膝寄、我君の今のおんことばは、実に死を活し骨に肉つくるの仁惠なり、生々世々忘るべからず。數多あるおん家子のうちにも、和殿とはわきて親しく交り、忠節のこゝろをもしりつれば、なにとぞ一命をたすけたく思ひつるが、志のごとく君より助命し玉ひたること、我に於ても喜びに堪ざる也。今斯御暇玉はるとも、再皈参なすべき時節もあるべきぞ。此所に長居するは君へのおそれあり、早々宿所へ立皈り、退去の用意あるべしと言れて猶も立かぬる、舘もこれが見おさめと、思ふ心はほそ%\と、公光に恩を謝し、細意に別れを告、食にはなれし孤雁の身の、打凋れつゝ立あがり、四隅見かへる廣坐敷、墨絵の筆の荒磯も、あらいたわしき若君やと我身の上もとりまぜて、思ひつゞくり長廊下、鉄行燈のともし火も、消かゝりたる淡雪の、身にふり来る災は、梦をうらのふ梦の中、障子あくれば朧月、櫻流るゝ中庭に、掛渡したる朱の橋は、河梁をこゆるに似たれども、手を携る人もなく、蛛手にめぐる椽側を、廻り/\て車門、舘に心のこしつゝ、我家をさして皈りけり。
さて、篠村公光は、此夜為兼の命をうけて、粟津が原にいたり、礒辺に住む漁人等をあつめ、金をあたへて竊に清若の死骸を尋させ、万一かの竜神丸も水底にあるやらんと、これをもたづねさせければ、漁人ども網をおろし水を潜などして、さま%\にこゝろを尽して尋索れども、その行方更に知れざれば、さすがの公光もせんかたつきて、次の朝手を空くして、舘へ皈りけるとぞ。
こゝにまた、水二郎はその夜家にかへり、事の仔細を妻にものがたりけるにぞ、妻は水二郎が皈らざる前に、今日の凶事をひそかにきゝ、我子をおもふこゝろに比べて、弥生のかたのおんなげきを思量り、わが夫の身の上も、いかになる事やらんと案じ煩ふをりふし、水二郎旡事にかへりしを見て大に喜びしが、録にはなれし身ときゝて、又さしつまる胸の内、泪に袖をしぼりけり。水二郎が妻は名をお梶とよびて、今年廾のうへを二ッ三ッこえて、姿かたち麗しく、心ざま優くして、夫婦旡別かたらひ、一人の女子をまうけて、名を玉琴とよびて、今歳已に三歳におよべり。夫婦二人の身にしあらば、たとへ浪々の身となりしも、すこしは心もやすかるべきに、かゝる乳児を抱へし身なれば、お梶はことさらに心を痛ける。
次の日舘より二人の官吏来り、今日中に家を立退べきむね、為兼の命をのべければ、水二郎謹で命をうけ、豫その心がまひしつれば、家財はしるべのかたへ持運せ、その日の黄昏に住馴たる我家を立去り、家財を運びおきたる者の家に至り、是まで召仕ひたる者どもには暇をとらせ、此夜はこゝに一夜をあかしけるが、家の主は僅の親みあるものなれば、久しく足をとゞめがたく、妻のお梶が両親は、先の年世をさりて、その家も今は他人の代となり、兄弟縁者もあらざれば、繋ぬ舩のうき思ひ、かゝるべき島もなく、とやませじかくやすべきと夫婦思案しけるが、同国真野の里は、水二郎出生の所なればとて其地にいたり、故郷にかへる錦にはことかはり、古き空家をもとめて浪居を營み、今日と暮明日と明して、思はず半歳あまりを過しけるが、居ながら食ば山も崩れ、坐して飲ば海もつくるのことはりにて、しだひ/\に困窮の身となり、お梶が嗜みの衣服までも、袖の香そへてしろ水の、米に代たる詫しさは、霜夜の風の挾莚や、竈にすだく虫の音の、襤褸させてふ針目絹、姿かたちも水仕業、細き烟もたてかねければ、斯ては世にも立れじと妻子をおもふ夜の鶴、弓箭をもちて野山を走、かりの世に住活業は、後の報ひもおそろしく、その罪咎の薄かれと、氷を砕く漁は、所がらにもあふみ鮒、むかし弓馬の閑暇/\に手馴おぼへし慰の、夜網に焼せしかゞり火も、今は世わたる波の上、釣綸〓棹に身をよせて、三秋の雨の日も、ありしにかはる菅簔や、夢も破れし竹笠に、凌ぎかねたる夜の雪、千鳥なくなると詠れたる、真野の入江の漁師となりしも、水二郎といふ名の因縁なるべし。[水二郎が此のちの傳は第十回にくはしくしるせり]
作者曰、此書稿本の時、此回につゞきて蘆中の扁舟玉笛を弄すといへる一回あり。則この回のうちに圖したる、水二郎金鯉魚の美童に變ずるを視る話、また美童舟中に笛を吹て湖中に泊舟せし旅客を魅す話なり。一回すべて四幀の圖を加へ、已に脱稿つれども、梓行にのぞんで雕版の巧を軽せんために、本文の小徑なれば是を除かしむ。画圖は児曹の目を歡しむるために、その一ッをのこせり。このゆゑに圖あつて事を記ず。閲人あやしみ給ふべからず。此末巻中の圖画に写して趣あるをのみ画しむゆゑに、本文と前後する所あり。読者次第に拘ずして照し視給ふべし。
小櫻姫風月竒観巻之一終
小櫻姫風月竒觀巻之二
第四回 一首和歌媒小櫻姫
爰に又、鈎為兼の内室弥生の方は、かねての懐妊月満て、女子出生まし/\けり。清若丸を失ひてのち、僅に五月を歴て今又姫をまうけ給へる事、生死流轉の人のうへ、憂がなかなる歡喜なり。出生の女子を小櫻姫とよばせ給ひける。こは弥生の方の御腹ゆゑに、弥生の文字に因て、しか名告給へるとぞ。小櫻姫漸々にうるはしく成長給ふにつけても、清若どのゝ事つゆ忘るゝひまなく、姫が何歳にならんには、清若世にあらばいくつになるべきになど、死去し子の年齢をかぞへて、涙のなかだちとなし給ふ事、人世の親心みなかくあるならひぞかし。
実にや、金烏の翅は月花の雲間を翔り、玉兎の足は春秋の歳並を歴て、小櫻姫已に十六歳の春をむかひぬ。態の美麗さは宋玉が詞といへどものべつくすべうもあらず、姿の艶色は仇英が筆にも描うつしがたし。美人は花の真身、花は美人の小影と『劔拂集』に載たるも、かゝる姫をやいふなるべし。
さるからに、為兼夫婦、姫を愛し給ふ事十朋のごとくし、竹の翁がためしにならはゞ、箱に入てもおきふしの、つかの間も側をはなちたまはず、かこじもの獨子といひ、ことさら清若どのゝ事に懲たまひて、風もかよはぬ深窗にかしづきて、しばしも人の垣間見をゆるさず。きのふは十種香貝合のあそび、けふは絵かき花むすびのたはふれ、又は絲竹のしらべに、さやけき月を寵し、あるひは詩歌の興にちりゆく花を愛るなんど、艶色のすがたに風流の心をかねそなへたる小櫻姫なれば、遠近に匂ひをつたへて、美人のほまれ高く、見ぬ戀のつもせのふちに、わたりをもとむるぞおほかりける。
爰に、同國信田の住人[『江州風土記』を案ずるに、信田郷三上山の東北半里ばかりにあり。今は僅に孤村の名に残れり]信田左衛門尉清玄といふものあり。家門の繋昌は鈎の家にもおさ/\劣ざる豪家なれども、為兼がごとき仁義をまもる武士にあらず、性質奸惡にして酒色に耽、礼義をしらざる輩なり。加之ならず、彼は六波羅の宰臣某が一族なれば、狐威に侈傲しば/\非禮を行けるとぞ。しかるに清玄も小櫻姫が容色を聞つたへ、同國の美人を人の花にながめさせんは我耻辱なり。こは虚忽として居る所にあらずと遽然に媒の使者をもつて、鈎の家にいたらしめ、縁組の事をいはせけるに、為兼かの使者に對面し、縁組の返答はうちおきて、清玄が日来の惡行をかぞへたて、さん%\に非毀ければ、媒の使者かさねて出すことばもなく、赤面して立皈り、しか%\のよしつぶさに告ければ、清玄これを聞、拳をにぎり齟をなし、我自鈎の家にいたり、誹誇の趣意をたゞし、為兼が返答により、唯一打に斬殺し恨をはらすべしなどいひて怒り〓〓けるを、家人等さま%\にすかし宥、此日はことなくすませけり。是すなはち鈎の家一度亡び、為兼非命の刄に死し、弥生の方東國に流離、小櫻姫父母にわかれて、さま%\〓惻きうきめにあひ、真野水次郎がためにあやうき一命をたすけられ、漁師の家に姫君のいくよさだめぬ旅枕、竒談を釀せる一端とは、のちにぞ思ひあたりける。
偖、小櫻姫が侍女等は、おほくは都よりめしかゝへたるものどもなれば、をりふしの伽ものがたりにも、都の豊饒しさをいひ出けるにぞ、小櫻姫これを聞て、都一覧の望みしば/\父母にねがひたまへども、さらに許したまはざりけり。しかるに此ころ洛東清水寺の觀世音開帳ありしに、弥生のころといひ、ことさら音羽の瀧の音にきこえし霊場なれば、都鄙遠近の参詣群をなし、当國の貴族こゝの公子かしこの息女も、もうで給ひしと聞て、かの侍女等古郷の春もなつかしく、ひめをすゝめてかの地参詣かた%\、都一覧の事を再為兼夫婦にいはしめ、おのれらもとも%\詞をそろへてねがひけり。かくても為兼はゆるし給はざりけるが、弥生の方は女気の姫がこゝろをくみとりて、愛と思ふひとり子の、二八の春に萌いづるを、深窗にのみこめおかば、もしや気欝の悩をひきいださんも、はかりがたしとさま%\にいひこしらへ、遂に為兼がゆるしをうけ、かの篠村次郎公光、ならびに公光が妹山吹といふものに、姫が旅中の守護を申つけ、清水詣の旅よそほひをとゝのへしめけり。此山吹は廾のうへを、二ッ三ッこえて、すがたうつくしくとしわかけれども、さすがは公光が妹ほどありて、資性惺〓劔術早業の女子なれば、かねて小櫻姫が侍女の長となしてかしづかせおきけるなり。
さて、姫はあまたのこしもとをしたがへ,行装美々しくとゝのはしめて、三月半のころ發駕しけるが、僅の旅程なれば、その日の逮昏に都へいたり、公光かねてはからひおきたりとて、嵐山の麓に旅舘をもとめ、次の日は旅〓のつかれをやすめ、居ながら望む嵐山の遠景に、姫をはじめかしづきの人々ら、心もそらに皖々つゝ、明日は開帳まうですとて、侍女等かはる%\髪ゆひなどし、姫が衣裳の打扮なんど、これかれと評義し、おのれ/\も供にたつ、小袖の色も對々に、裾緘あはす葉手模様、下女婢女は白旡垢の、半襟ばかりかけかへて、そのほど/\の綺羅をかざり、さて次の朝清水寺へぞまうでける。
小櫻姫が此日の粧、いかんとなれば、翡翠の寶髻京様に梳なし、玳瑁の花鈿を頭おもげにさしかざし、葱白紵絲に櫻の花を縫箔したるを袿衣し、總角を結たる真紅の總を袖口にくゝりたれ。緋纐纈の上着花の顔をてらし、白綾の下かさね雪の肌をあらそひ、金襴の帶あたりに輝きて、朱ばりの夏傘を斜にさしかざゝせ、左右にあまたのこしもとをしたがへて、冉々として蓮歩をうつし給ふさま、良夜明月雲をはなれて、清光を放がごとく、三伏の芙蓉水を穿て、香艶を揮がごとし。山吹は前にすゝんで姫にしたがひ、公光はあとにつきて路を守護り、蒔絵の轎子銀行厨など、后につゞきて逶遅てい、なみ/\ならぬ姫君とは誰も認る行粧なり。参詣の群集路をわかちて足をとゞめ、小櫻姫の窈窕なるをほめざるものはなかりけり。
姫はまづ本堂にいたり給ひて觀音を〓し、内陣の霊寶のこりなく見めぐり、再本堂を出て舞台のかたにいたらんとし給ひ、かしこを見れば、いかめしき武士ども、毛氈のうへに膝をつらね袴ながらに胡座して、酒うちのむもあり、顋に手をあて鬚口あきて今様をうたふも有。高杯を肩にのせて、鼓うつさまをなすもありて、さも狼藉たるありさまなり。これらの武士ども姫がこゝへ来り給はん躰を見て「いよ/\龍宮城の乙姫どのよなどいひて、扇をあげて〓き、四五人ひとしく散動けり。
公光山吹らこれを見て、目と目を見あはし、旡禮する奴原とは思ひながら、姫の袖をひかへ、又もとの路に立かへり、山内の花を見るに、此日は天色清和にして一点の風もなく、満山の櫻今を〓とさきいでゝ、躑躅山吹色をあらそひ、
目さむるばかりの好景なれば、ひめはことさら外めづらしく、気もそれ心もうきたちて、こゝかしこの櫻をながめ、遂に石階をくだりて、かの滝のもとにいたり給ふに、三すぢにおつる瀧を掠て散かゝる花の風情、えもいはれざる景色なれば、姫君ふかく興じ給ひ、しばし佇立給ひしが、一首の歌を詠じ、用意の行研をとりきたらしめて、短冊にかゝれけり。そのうたに
をとにきく音羽の瀧にちる華の 心をたれかくみてしるらん
と水ぐきうるはしうかきをはり、かしこなる櫻の枝につけよとのたまひて、かたはらに蹲踞ゐたるかの山吹にわたしたまへば、山吹たんざくを手にとりあげ、いつにかはらぬ御秀詠、おもしろき御趣向かなといひつゝ、侍女らにも聞せんとふたゝび声を立てうち吟じけり。
かゝる折しも、最前より石階の半に佇立て、此体を見居たる者、山吹が吟じたる姫の詠哥を聞、さても雅たるうたの心かな。落花情あれども流水心なしといふ、常言に思ひよせ給へるならんと哥の心を評しけり。姫山吹ら此ことばをきゝて、何人にやと冷眼にこれを見れば、としのころほひ十七八と見えて、額の總角うるはしうつかね、薄紫なる縞紵絲の袴に、黒き綸子の小袖を着し、金銀を〓たる大小をさし、金地に雲水のかたをおきたる扇を斜にさしかざし、一人の僕をしたがへて、彳たるさま端麗優美の少年なり。小櫻姫はひと目見しより心迷ひ、丗にはかゝる美男もありけるよとあからめもせずうちまもり、
初て人を戀風の、目もとによする秋の波、こがるゝ岸にうちなびく、心はやるせなかりけり。怪きかな此折しも、一片の暴風さつと吹来り、山吹が手にもちたるかの短冊をひら/\とふきあげ、少年のまへにおちけるにぞ、少年手ばやくとりあげて、姫とたがひに見かはす顔、綽約笑る花と花、たんざくは懐中へおし入て、もたせたるあみがさにおもてをかくし、堂のかたへぞ立さりける。
姫は名残やおしかりけん、うしろすがたを見おくりて、茫然として佇立しが、山吹に顔を洒眼と見とがめられ、なんと岩根にさく杜鵑花、はておもしろのなかめやと外事に紛はし花をたづねて、ふたゝび蓮歩をうつされけり。山吹は僕をはしらせ、かのたんざくをとりもどさんと、少年の跡を追せけるが、参詣の群集にまぎれて、その行向を
失ひけり。
こゝに又、最前舞台に酒のみ居たる武士とも顔をつらねて、姫が形勢をはるかに見おろし居たりけるが、一人がいふやう、相公御覧ぜよ、今あの上臈があとにつらせゆく、轎子に蒔繪したるは、鈎の家の章也。さすればかれは音に聞にし、小櫻姫に紛なく候。さてこそ類なき美人にてはありつれとさも仰山にいひければ、主人とおぼしくかたほにゑみをふくみ、汝今認たる愚さよ。我は最前よりしか思ふゆゑに、かく酒をやめて眺をる也。きゝしにまされるかれが容貌、見ざるさきより百倍の、思ひをなやます女めかなと欄杆へ臂をかけ、支頤つきたる顔色は、松にやどりし〓の、小鳥を覘ふごとくなり。此人は何人ぞや、是別人にあらず、信田の左衛門清玄なり。家臣横島大六といふえせもの膝をすゝめ、かねての戀人にこゝであひしは、天より与ふる賜なり。われ/\目関笠に面をかくし、姫が前路にまちぶせなし、狼藉しかけて
おどろかし、奴原が狼狽そのひまに、姫を〓申さんは事やすし。これはいかに候やと面をさし出しこゑをひそめていひければ、清玄頭うちふりて、いな/\小櫻姫は深淵の名珠なり、時いたらさればとり得がたし。見よ/\遠からずして彼名玉を、我掌ににぎりて見すべきぞ。彼を肴に一杯くまん。いざつげ/\と杯をさしいだし、酌せる酒の清玄が、心の内は鬼ころし、亂におよぼす悪計、いかなる事をや釀らん。
此方のかたには、かゝる曲者ありともしらず、姫はこしもとらにいざなはれ、花の間を逶遅き給ひしが、山吹公光らに皈路をうながされ、轎子にのりうつり綴行うたせ、清水寺を立去りぬ。
かくてほどなく日脚も西にかたぶきければ、清玄従者に對ひ、小櫻姫が散ゆきては、ほかに眺る花もなし。いざ皈るべしと酒食の調度どもをとりおさめさせ、五人ひとしく深編笠をかふり、石階をくだりて立さらんとしつる時、以前の少年むかひの方へあゆみ行を、横嶋大六目ばやく見つけて、清玄が袖をひかへ、かしこへゆくは先刻石階に立て、姫がたんざくを収ひたる小せがれなり。やつがれ奴をひつとらへ、かのたんざくを奪ひとりてさゝぐべしと清玄をやりすごし、供にはづれてあとにのこり、袴の裾たかくかゝげ、湯上軍藏といふものをしたがへて小年に追つき、刀室あてを口論の端となし、両人ひとしく左右より、少年の腕くびしつかととらへ、〓胡さんとなしけるに、羅綺にもたへざる姿には、にげなく猛き勢にて、こゝろえたりと身を捻れば、二人が力やあまりけん、額とひたいをうちあはし、痛さをしのぶ歪面、軍藏苛て腕をのばし、編笠をとらんとす。其脇腹をひと當あてられ、〓〓足に躓く木の根、もんどりうちてぞ倒ける。大六すかさず抜かくる、刀を扇のそくいづけ、じり%\と附入て、手さきも見せず千鳥投、息の音とめしふたりを見やり「花に嵐の落花狼藉、はてにくむべき奴原かなと塵うち払ひ、徐々と衣紋くづさず立さりしは、あつぱれ勇々しき擧動なり。
第五回 小櫻姫夜功遇情人
斯て、小櫻姫は十日余り都にとゞまりて、名所古跡半見めぐり、本国へ立皈りけるが、清水寺にて見初たる、美少年の面影、つゆわするゝひまもなく、留木の伽羅の柴舩を、こがるゝ胸にたきこめて、いつもわびしき手枕へ、せめてはかよふ花の香も、つれなく散て行春の、身は空蝉の夏衣、うすき縁をかこちけり。かの美少年は何の人、いかなる者とその姓名をさへしらず、ものや思ふと問人もなく、我身ひとつに置蚊火の下、こがれにこがれて語り慰むかたもなく、心欝して遂に病となり、百の媚ある顔を浅黄櫻に咲かへて、ちりもうせなんふぜいなり。
為兼夫婦大におどろき、名医をむかへて療養をくはへ、黄金にあかして妙薬を用るといへども、因是かの美少年よりおこれる病なれば、草根木皮功を奏ず、漸々に痩ほそり、つや/\ものもくはず、昼も蚊〓におほはれて、霧の裏の花恨が如く、雲間の月傾にことならず。照陽殿の李夫人が、病に臥しもかくやらん、最痛々しきありさまなり。弥生方は終日終夜枕方にそひ、心を尽して看病給ひ、高僧修驗の加持祈祷、たのまぬ神や仏もなく、百度参の代参も、驗しはさらになかりけり。
斯して其年の秋にいたり、姫の病すこしく快かたにおもむきければ、両親の喜び斜ならず、保養気晴のためとて、琵琶湖を見はらす亀谷といふ所の別業にうつらしめ、彼山吹をはじめとし、姫につかふるこしもとども、および年老たる家臣四五人をつけおき、家法をゆるして事輕になさしめ、よろづ姫が心の侭に料ふべしと命じ給ひ、吉日をえらびて別業へうつらせけり。姫は別業にうつり給ひ、居ながら眺望琵琶湖の八景をながめて、心をなぐさめ給ひけり。侍女等はとしわかき者どもなれば、姫が伽するにことよせ、さま%\のたはふれをなして、おのれらが遊びとし、日夜笑をもよほしければ、小櫻姫はこしもとらが元気に絆れ、病もやゝおこたりぬ。姫一日湖水をひきいれたる池の上に、作かけたる書院にはし居して、残る暑さをしのぎ、母君より贈りたる菊酒の器をひらかせ、桜の花を蒔絵したる、さゝやかなる盃につがしめ、半点の朱唇をよせて一ト口
のみ給ひけるが、いかにしてか漆のうへに、はたととりおとし給ひ、盃轉て池の中へおちいりけり。酌をとりたるなでしこといふ心きゝたるこしもと是を見て、御病後なれば御手のふるへしゆゑならんといひつゝ姫の背后へまはり、欄干に立よりて池中を見れば、盃は水にしたがひて流れたり。
時に白蓮のうちより尺余の金鯉魚浮いで、盃を咥へて水中に沈みければ、姫はこれを見給ひて打ゑみつゝ、盃を菓子とこゝろえて咥へゆきしは、食物のほしきならん。餌になるべきものをあたへよと宣ひければ、なでしこ高杯の菓子をとりて、池のうちへ投入しに、あまたの金鯉魚うかみいで、鰭を揚尾を掉ひ、食物をあらそふさま、立田の川に紅葉の流もあへぬ風情なり。姫は欄干に靠りて打ながめ、大に興じ給ひ、再盃をあらためて、此日は常よりもこゝろうきたち給ひけり。
偖、この夜、山吹血刀をさげて、姫の寐所へあはたゞしくはせきたり。せわしく姫をゆりおこしければ、姫はおどろき覺、鮮血したゝる刀を見て益おどろき、なにことぞ、きづかはしやと身をふるはせて戰栗給へば、山吹那邊を指ざし、あの太刀音をきゝ給へ。山賊ども舘へおしいり、表書院まで切入しに、寓直の人々むかひあはせて防戦、わらはも二人まで打留候。されども、山だちが勢の多少ははかりがたし。とく/\やかたをおち給へ。いざ/\とすゝめられ、寝耳へ水の急難に、気も魂も身にそはず、山吹にたすけられ、結梗刈萱女郎花、ふみちらしたる庭づたひ、我落にきと譏とも、后のうはさはなにかせん。臆病風も主思ひ、上舘へとこゝろざし、東をさしてぞおちゆきける。
姫はならはぬ玉ぼこの、道の小石に足をいため、身体つかれ歩行ず、草を褥にしどけなく、さしこむ積を唐織の、帶の間でおさへつけ、これ山吹いこう痞が發てきた。どうせうぞいのと涙ぐみ、息もたゆげにのたまへば、山吹は周章ふためき、姫君をだきかゝへ、おゝお道理でござります。おいたはしいこの御姿、まゐらすべき藥もなく、湯水をさへもとむべき人家もなき此埜中、今しばしあゆませ給へ。人里にいたりなば、竹輿をもとめてのせ申さんといへどことばもなく、なみだいとくるしげに見えにけり。
斯る折しも、今来し道より歩来る人影に、山吹はゆだんせず星あかりにすかし見れば、打扮はさだかならねど、顔の色白見えたる少年なり。一人の男の童をともにつれ、あまた入たるほたる篭をもたせ、山吹らが面前をゆきすぎしが、頓て立かへり、ほたるの篭をとりて二人がていをてらしつゝ、よしありげなる御方の胸病給ふと見うけたり。かゝる野外に臥玉ふは、似気なく怛々きありさまなり。僕は今宵此ほとりへ螢狩にいでたるものなるが、かしこの柳の樹下に、毛氈しきて野風炉のもうけもあり。かしこへうつしまゐらせて、介抱し給へ。藥の御用意なくば貯も候といと懇にいひければ、山吹大に喜び、おなさけふかきおほせかな。主人の急病にせんかたなく、かゝる所に憇候。御遊山の妨ながら、しばしがほど休息させて給はれかしと姫の手をとりてたすけおこし、腰をおさへて歩行つゝ、少年のあとにしたがひて、柳のもとにいたりけるに、花毛氈をしき提盒〓子唐めきたる、煎茶具などとりちらしたるが他に伴ひし人もなきていなり。少年は花毛氈のうへにふたりをむかへ、童にいひつけて頓に湯をわかさせ、印篭より藥を取いだし、是を上臈にまゐらせ給へ。見ればいこう肌薄に候ぞ。残暑の時節とはいひながら、夜陰の風にあたり給はゞ、なやみのさはりともなるべし。穢たれどもこゝに着替の〓衣も候。くるしからずはしばしなりとも着し給へなどいひて、いかにも心を用ていたはるてい、態姿と云志のしほらしさに、山吹は身にしみ/\とうれしくて、禮をのべつゝ藥をすゝめ、湯をのませ背を撫りて介抱しければ、そのかひ有て小桜姫、胸のなやみすこしくおこたりしと見えて、今一ッ湯をと宣ければ、山吹童にこひうけてまゐらせけり。
小年は姫にむかひ、かゝる野ずへにてなやみ給ひ、さこそわびしくおぼすらめ。今すこしくすりを用ゐ給はんやといふに小櫻姫、此時はじめて頭を擧、此人を見るに、豈量んや此人はこれ、日比戀したひて病となり、玉かつらの影見にそひ、苅萱のつかの間も忘れざる、清水寺にて見初たる、かの美少年なりけるにぞ、曾おどろき曽喜び、積もつかへもどこへやら、寐衣すがたの不束を、見せる思ひのはづかしく、逢でこがれしほたる火は、數にもあらず眞澄鏡、照月影も山の端を、はなれて
はなれて見あはす顔と顔「ヤァ御身はたしか花のころ、清水寺にて見うけし上臈「わらはも其時開帳もうで、觀音さまのひきあはせ。かゝる難義に深い御情「ふしぎなゑにしであつたよなァと互に喜ぶ梅櫻、山吹はかたはらより、ほんにそれ/\其とき、しかも姫様の櫻を詠ぜし短冊を「ひろひとりしは某なり。思ひもよらぬ再會かなとうちとけてぞ語ひける。
小櫻姫はふかくしたひたる人と近くむかひをれば、耳ほてり臉あからみ心あらたまりて、何といひいだすべきことのはもなく、山吹が身蔭に居よりて、いと〓しきけはひなり。
さて、少年は山吹にむかひ、最前よりさぞかし心を労給ひつらん。一献くみて気を晴し給へといひつゝみづから酌をとりて、いざ/\といふに山吹もいなみがたく、盃をとりあげけるが、目おぼえある摸様なれば、つく%\見るに昼のほど、小櫻姫が池中へおとせし盃なり。こはいかにと怪しみつゝ、わかしゆに對ひ此盃は、此姫君の常に手なれし調度なり。いかなるゆゑに阿主のお手には入つるよとたづねければ、さては御家の調度にてありけるか。是は最前湖水の岸に、流れより候を見つけ、とりあげ見れば手を尽したる蒔絵に候ゆゑ、うちもおかずひろひとり候なり。思ふに前日は清水の石階にて、上臈の短冊をひろひとり、今日は琵琶湖の水中にて、おなじ人の手なれたる盃を得、今又月下に再会する事、よく/\深縁なるらめ。先程より事に紛れて、それがしが姓名もあかさず、上臈のお名をも問はべらず。そもいかなる御方にておはし候ぞと聞れて何と返答も、言ぬ色なる山吹が、めいわくがほを見てとる少年、いかさま前日清水の、行装とはうつてかはりし今宵のいでたち、さだめて深き縁故あるべし。高貴の人は事に臨で、名をつゝむはまゝあるならひ、至て問んは旡骨のふるまひ、おあかしなくとも妨なしと、はなしの内に向より、下舘の侍ども、小櫻姫の行方をたづね、奴僕あまたをしたがへて、提灯明松ふりてらし、此所へはせきたり、姫山吹等を見て「ヤァ姫君はこれにおはしたりと、おの/\よろこび山吹にむかひ、山賊どもは思ひのほか小勢にて、のこりなく打とり候といふを打けし「ヲヽ姫君のおむかひか。見ればお輿の用意も有。いざ御帰舘と姫をすゝめて、のりものにうつらしめ、かの少年にむかひ、今宵の御禮はことばにはのべがたし。かさねて申入ん内、御家名きかせて給はれといふに、こなたもうちあかさず、これしきの事、御使者をうけてはかへつて迷惑。御縁もあらば又かさねてしからばおほせにまかすべしと礼のかづ/\のべづたひ、あまたの奴僕が手々にてらす提灯、玉ぼこの道をいそぎて皈路や、小櫻姫は戀人の、名も住所もきかざれば、いとゞ本意なさつれなさに、心はあとへひかれつゝ、かこちなみだの袖の露、あはたゞしくぞわかれさりける。
○下やかたへ山賊の入し事を、山吹人をはせて上やかたへきこへあげんといふに、姫にしたがひて、こゝにある家臣等が申すやう、假令山賊どもはうちとり候とも、賊足に山荘をけがさせしはわれ/\があやまちなれば、内々にて事をすませ給はれかしと、口をそろへてねがふにぞ、山吹是をゆるし、それとなく事によせて、舘を護る人数を増し、毎夜夜巡りをなさしめ、門戸の出入も嚴重にいたさせけるとぞ。これらのはからひ、山吹は實に女丈夫といひつべし。此后清玄が山舘に於て、血戦をなし、姫を救て虎口をのがれしも、かゝる武略の女なればなるべし。
第六回 小櫻姫再邂逅情人
偖も小櫻姫は、ゆくりなく情人にめぐりあひて、愛着の心火に一点の薪を添、ます/\思ひを焦しけるが、さてある夜一睡の夢破れて、床のうちに起なをり、枕辺にありつる絹ばりの團扇をとりて胸間をしづやかにあふぎつゝ、残燈にさしむかひたるさま、芙蓉水をはなれて半輪の月に香艶を放が如し。宵にきゝつる〓衣の音も、いつの程にかうちやみつ、庭にすだく虫の音は、いとちかくなりぬ。泉水へさしいるゝ潮の水門を潜る音さへ冷わたりて、夜はいたく更たりとおぼゆ。姫は心澄てふたゝびいねもやられず、蚊〓をくゞり出て上の坐敷にいたり、妻戸よき程にをしあけて、庭前を見れば、月は松の梢にさしいでゝ、影を池水に浴し、名所の種をうつして、池のほとりにうえたる萩ども、露おもげにたはみふし蒔石のあはひ/\には、桔梗女郎花のたぐひ、清らかに咲満、箒目絶ぬ廣庭も、夜るは埜ずゑの景色して、種々の虫ども自恣に、音をたて常に目馴し前栽も、いと興あるながめなり。
姫は此好景にこゝろや浮たちけん、今宵は侍女が伽に弾たる琴をとりて、そのまゝ膝にのせ、さしいるゝ月をながめつゝ、
月をのみ ながめ てもかくばかり おしまるゝ 秋の
夜ごとを いたづらに すぐる人 こそ つらけれ
といと妙にかきならし給ひけり。怪哉此をりしも、池のうちより一人の少年うかみ出、水上へさしいでたる松の枝にとりつきて、岸にのぼり肩にかゝりし水草を拂ひのけ、裾袂を絞りつゝ、四邊を見まはし姫を見つけて、心に點頭土橋をわたりて、座敷の前に来りけるが、姫はなほこれをしらず、
神無月 しぐれても いろかへぬ(とはやかけのちのとよりうたふ 松がえの(ゐのはやがけ\まへより みどり(八かけまへ
うづめる しらゆきは(十と\わりづめ二どのちのとよりうたふ とかへりの(八にわりづめのちの八よりうたふ 花ならん(二二ツ七二ツのちの七よりうたふ
と声
時
うち見やりてをられけり。少年
かゝるをりしも、かのなでしこといふ侍女
撫子
斯
小櫻姫風月竒觀巻之二終
小櫻姫風月竒觀
第七回 志賀之助一体分身
去程
偖
立皈
○これはさておきこゝにまた、滝窓
乙
かゝる間
偖
○此夜
扨
為兼
為兼
為兼
さて、為兼
仔細 為兼 為兼 扨
所持 と上 こゝろを誰 かく遊 時 此 かくて、雲晴 第八回 仏眼和尚説二 劍ノ来由ヲ一 斯 志賀 志賀之助 かゝるをりしも、弥生 第九回 小櫻姫悲因果将死 さる程 志賀 さて、為兼 為兼 弥生 姫 小櫻姫
いたるまで皆 眸凝緑水波微動 引導 第十回 清玄山館俘小櫻姫 さる程 時 公光 公光
出逢 かゝりければ、一人の賊 此者 第十回 下篇 爰 今日 かくて、一人の郎等 旡慙 我 小櫻姫 清玄 かゝる折 清玄 清玄 山吹 公光 姫 公光 かくて、両人 よろこび給ふことかぎりなし。 ときしも後 第十一回 水次郎振勇助旧主 かくて、両人 ○去程 時 さて、かの同玄 同玄 同玄 姫 后 水 折 山吹 偖 小櫻姫風月奇観巻之三下冊 前帙終 [漏庵] [〓] 江戸 小櫻姫風月奇観 七小町萍 春袋煙草智惠輪 京伝みせ商物例の口上 ○きれ地紙地たばこ入并に新形きせる当年は別て奇絶なる佳品種々仕入仕候相かはらす御求可被下候 ○水晶印一字十匁銅一字五匁○蝋石印 ○はいかい点式もとめに応して刻す 【刊記】 【後表紙】
【挿絵第十三図 山東 涼風客易年西来 並帯花宜一処開 只有鴛鴦同臥起 鴛鴦池上醒方寸 京山】
【挿絵第十四図 滝窓
音
かゝるなかに、公光
【挿絵第十五図 小櫻姫
【挿絵第十六図 小櫻姫
千祥万禎
筆硯幸福
[京山][淺寒]
京山先醒は京伝先醒の令弟也。彫虫鼓刀をもて業とし詩を篇画を嗜む。本編填詞の如きは一時游戯の筆にして
耳目玩好の書に属し、適口充腹の集には非さるへし。先醒本姓は嵒瀬名凌寒字鉄梅京山と号す。一字駅斎その堂を鉄筆と云。その居を方半と呼その家は江戸日本橋第四街東に折する北巷にあり。
山東京山編 京山 山東
歌川国貞画 歌川 国貞
傭写 橋本徳瓶
〓人
小泉平八郎
名古屋治兵衛
催馬楽奇談
小枝 繁編
蹄齋北馬画
出版
山東京山主人 編撰目次
[山中左衛門]鷲之談傳竒
此書は小町が事にならひてうき
くさといふ遊君が伝をしるせり。例
のよみ本ぶりの文章にあらず。自ら
一家の体をなせり。
此書はすべてたばこにあづかりたる
事をおかしくしるせり。一たび巻を
開は腹をかゝゆる戯作の書也。
読書丸[一トつゝみ一匁五分]第一きこんのくすりものおぼえをよくす老人小児常に用て妙也
京伝自画賛の扇品々并たんさく色帋もとめにまかす
京山狂詩扇
京山篆刻[白字五分朱字七分]値を定てもとめやすからしむ
文化六年巳己歳冬十月發行
開版所 江戸 前川彌兵衞・田邊屋太兵衞・平川舘忠右衞門
#『国字小説小櫻姫風月竒觀』(2022-07-04 底本を初摺本に変更し画像を更新、書誌等の記述を補訂)
#(『山東京山伝奇小説集』、国書刊行会、2003/01)所収
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# を可能な限り原本に近付けました。
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# 高木 元 tgen@fumikura.net
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