『今様八犬傳』(一) −解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】
『南総里見八犬伝』抄録本等の紹介を続けて来たが、今回は未翻刻である合巻『今様八犬傳』の初編と二編とを紹介する。
本作は全六編、各編上下(各十丁)二冊。二代目為永春水作、歌川(一勇齋)国芳画、嘉永五〜六(1852〜3)年、錦耕堂山口屋藤兵衛・紅英堂蔦屋吉蔵板で、『南総里見八犬伝』の歌舞伎上演(嘉永五年、江戸市村座)に基づく〈正本写〉(しようほんうつし)と呼ばれている種類の合巻である。この正本写とは、佐藤悟「正本写略説」(『正本写合巻年表』、国立劇場、2011)に就けば、

正本とは歌舞伎の脚本のことで、台帳ともいう。正本写とは上演された歌舞伎の舞台をそのまま草双紙の上に再現した合巻を指していう文学史の用語なのである。多くの場合、正本写の本文は正本の梗概で、挿絵にはその上演時の役者似顔絵を使用したり、大道具や花道・回り舞台といった舞台機構を示すこともある。また台帳の様式で描かれることすらあった。

とある。同氏編『正本写合巻年表』にも「嘉永五年一月二十九日初日、市村座「里見八犬伝」【役】【絵】(【辻】は一月二十三日初日)。【渥】」として掲出されている。すなわち、渥美清太郎「歌舞伎小説解題」(『早稲田文学』1927年10月)に掲載されており、役割番付、絵本番付、辻番付で確認できたということである。

さて、『南総里見八犬伝』が初めて脚色され歌舞伎上演されたのは、原作が完結する天保十三(1842)年以前で未だ半分程しか出されていない天保五(1834)年十月の『金花山雪曙(きんくわざんゆきのあけぼの)(大阪若太夫芝居)であった。以来『絵本里見八犬伝』(天保六(1835)年閏七月、京都四条道場芝居)、『花魁莟八総(はなのあにつぼみのやつふさ)(天保七(1836)年一〜三月、)など上方での上演が続く。江戸では『八犬伝評判楼閣(はつけんでんうはさのたかどの)(天保七年四月、森田座)が上演されるが、大部分は名古屋を含めた上方での上演であった。

向井信夫氏は、嘉永五年の八犬伝上演に際して抄録合巻『雪梅芳譚犬の草紙』や『仮名読八犬伝』などの出版とその流行が背景にあったことを述べられている(「嘉永五年里見八犬伝上演の周辺」、『江戸文学叢話』、1995、八木書店。初出『國語と國文學』1978年11月)が、この嘉永五年は、実に多くの八犬伝関連作が出された年でもあった。

一方、岩田秀行・小池章太郎氏は「役者絵を読む」一〜五(「跡見学園女子大学国文学科報」21〜25、1993〜7年)で、錦絵シリーズ「八犬伝犬の草紙」大判錦絵全五十枚と目録(二代目歌川国貞画、嘉永五年九〜十二月、紅英堂蔦屋吉蔵版)の役者似顔の考証を通じて、役者似顔研究の効用について論じられている。この考証を参照するに、本作で使用されている役者似顔は、実際の上演時の役者よりも、見立てで描かれた「犬の草紙」に多くを準拠しているようである。

既に本作刊行時には『八犬伝』原作は完結していたが、歌舞伎化された脚色に基づいているために、少なからざる改編がなされている。特に原作の発端部である伏姫物語を後に回し、最初に犬坂毛野の出生譚に触れた上で、まずは「大塚の場」から始めているのが特徴的である。与四郎犬が紀二郎を喰い殺すこと、蟇六等による与四郎の惨殺、番作の切腹から村雨丸の譲渡、犬塚信乃と浜路の許嫁、網乾左母二郎の横恋慕、宮六との婚礼、円塚山での浜路と犬山道節兄弟の邂逅、額藏の仇討までの一連の話が、原作に拘わらず順不同に場面毎に登場人物と事件とが集約されて展開する。すべて歌舞伎舞台における同じ場面で物語を展開するための工夫である。そのためか、各編の口絵では話の展開とは無関係に名場面を描いて見せている。

また、八犬伝関連の浮世絵も多くに役者似顔が用いられていることから考えて当然ではあるが、歌舞伎や本作(挿絵)に基づくものが少なくない。例えば、歌川国芳の「圓塚山」(大判錦絵二枚続、嘉永五年、佐野喜板)で寂寞道人(犬山道節)が印を結んでいるのは、網乾左母二郎に自ら腹に村雨丸を突き立てさすべく術を施した躰である事などは、本作から知る事が出来る。なお、この図版は『八犬伝の世界』(千葉市立美術館編図録、2008年、図88)に掲載されている。

編作者である二代目為永春水が自ら初編の序文にも記しているが、既に『貞操婦女八賢誌』『仮名読八犬伝』『八犬伝後日譚』『八犬伝銘々誌略』の四種の八犬伝ものに手を染めていた。二代目春水は仮名垣魯文と並んで八犬伝ものを多く執筆しているが、比較的原作に忠実な抄録が多い魯文に比べると、脚色や銘々伝など自由な改編作が多いと思われる。

【書誌】
 初編

編成 中本 四巻 上下二冊 十七・九糎×十一・五糎
表紙 錦絵風摺付表紙「今様八犬傳いまやうはつけんでん」「初編上(下)」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「嘉永五子春新板」「錦耕堂文庫」
見返 (上冊)「今様八けん傳初へん上の巻」「為永春水作」「歌川國芳画」「錦耕堂梓」「とり女画」\ (下冊)「今様八犬傳第初篇下之巻」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「錦耕堂板」「とり女画」
序末 「嘉永五歳子如月新鐫 爲永春水記」
改印 [馬込][濱](一オ・十一オ)
柱刻 「八犬傳 一 (〜二十)
匡郭 単辺無界 (十五・六×十・四糎)
刊末 「國芳画」「春水作」(十ウ)\「爲永春水作」「一勇齋國芳画」(二十ウ)
諸本 慶應義塾圖書館(202-508-1-2)・東京大学総合図書館(E24-1136)・麗澤大学田中・館山市立博物館・専修大向井・架蔵/(改題後印本)船橋市立図・架蔵
備考 見返の「とり女画」は見返の画工名で歌川国芳の娘である。表紙見返し等には明記されていないが初編上冊の奥目録は蔦屋吉蔵のもの。

 二編

編成 中本 四巻 上下二冊 十七・九糎×十一・九糎
表紙 錦絵風摺付表紙「今様八犬傳」「第貳編」「上(下)」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「紅榮錦耕両板」
見返 (上冊)「いまやう八けむてむ」「春水さく」「國よしゑ」「錦耕紅榮/両堂合梓」「国よし女とり画」\ (下冊)「今様八犬傳」「第二編の下」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「紅栄堂/錦耕堂/合梓」「國芳女/とり画」
序末 「壬子仲春新局 春水誌」
改印 [福][村松][子閏](一オ・十一オ)
柱刻 「今様八犬傳 一 (〜二十)
匡郭 単辺無界 (十五・四×十・四糎)
刊末 「春水作」「國芳画」(十ウ)「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「浄書/草鳥」(二十ウ)
諸本 慶應義塾圖書館(202-508-1-2)・東京大学総合図書館(E24-1136)・麗澤大学田中・館山市立博物館・専修大向井・架蔵/(後印本)船橋市立図・架蔵本
備考 二編から板元として紅栄堂(蔦屋吉蔵)が明記されるが、初編上冊の奥目録は蔦屋吉蔵のものが付されている。

【凡例】
仮名遣いや清濁などは原文通りとしたが、読み易さを考慮して以下の諸点に手を加えた。
 ・序文以外の本文には、漢字を宛てて私意的解釈を示し、原文は振仮名として残した。
 ・原文の漢字に振仮名が施されている場合は、( )で括って示した。
 ・原文の漢字直後に割り書きで訓みが示されている箇所はそのままにした。
 ・本来「ハ(バ)」は平仮名であるが、助詞だけは「ハ (バ)」のままとした。
 ・原文には一切使用されていない句読点を補った。
 ・「なにゝ」を「なに〔に〕」の如く原文にない文字は〔 〕で括った。
 ・本文中の飛び印▲▲■■など)は省略した。
 ・全丁の挿絵を掲げ、それとの参照のために丁数を示した。
 ・底本として慶應義塾圖書館蔵本を使用させて頂いた。記して感謝いたします。

初編表紙

 表紙

見返・序

 序見返 1オ

〔序〕

おのれ甚麼いかなる過世すぐせかありけん。かの八犬士はつけんしちなみふかく。當初そのかみ婦女八賢誌おんなはつけんしに。ふでとりそめてより。仮名読かなよみおよび後日譚ごにちものがたりつゞり。また銘々誌めい/\しあみたりしに。いまゝた這書このしよ編述へんじゆつなせバ。すてにして原傳げんでんより。引出ひきいだせる冊子ふみ五種ごしゆにおよべり。かくまで犬士けんしゑんハあれどわれ牡丹ぼたんあざもあらず。たまもなければきずもなく。笑覧しやうらんかうむことことわざにいふひとふどし相撲すまひるにたれともハみゆるしもあるべきか。され這書このしよもとつくところ當時たうじにもてはやさるゝ。かのおもかげうつせしなれどもそのまゝにして紙筆しひつのぶれバ事理じりつうぜぬこともやあらんとおもふがれい戯作者げさくしやだましい。つたなきながら甲乙かれこれあらたふでくはえつゝ。八士はつし里見さとみつかゆるまでをみじかふみかきとりたれば。編數へんすうまたながからずして。原本げんほんのおもむきをも。當時とうじのさまをも知らしむる早手はやでまはしの新板しんぱん外題げだい所謂いはゆる八房やつぶさうめはる賣出うりだしの。書房ふみやいちさきがけ策子ざうし買人かひてやまことほか込合こみあひことありとも老人らうじんさま女中ぢよちうさまもあとよりそろ/\御覧ごらんなされずたときいたら一番いちばんがけに。御贔屓ごひいきあつ御評判ごひやうばんすみからすみまでねがふになん

  嘉永五歳子如月新鐫

爲永春水記[印] 1オ 

口絵

 口絵1ウ2オ

本文

 2ウ3オ2ウ3オ

[ほつたん]  竹の矢来やらひまくうちまはし、非常ひじやうふせおきてにはへ、あい原首(おほど)つまいな木とその一人子の夢之助ゆめのすけを、追立おひた引立ひつたいりたる、畑上はたがみ語路ごろ五郎高成たかなりハ、衣服いふく大小いかめしく白さやいりの、一ふり家来けらいたせてすゝり、睨廻ねめまはしつゝ「ヤイ両人。汝等わいらが父なりおつとなるあいおほど胤度たねのりハ、千葉(ちば)(け)譜代ふだいしんとして、ひそかに成氏(なりうぢ)に心をあはせ、当家とうけ重宝てうほうあらし山のふえを滸我(こが)持参ぢさんをりに、さいはひ馬加(まくはり)殿どの〔の〕指図さしづとして、こみ逸東いつとう太をうつ手に差向さしむけ、みちにておほど討取うちとりたれども、あらし山の御ふえハ、其場そのばよりして行方ゆくゑれず。これみなおほど逆心ぎやくしんよりことおこりたるわけとあつて、そのつま子たる汝等なんぢら只今たゞいま誅伐ちうばつせしむるものなり。なほこのうへに、ふべきハおほど側女そばめ調布(たつくり)やつ懐胎くわいたいしたりときゝおよべバ、かれをも誅伐ちうばつなさんとせしに、あい原のいへつたはる落葉おちば丸の一ふりを、ひそかもち逐電ちくてんせしよしこれも又汝等なんぢら親子おやこ言合いひあはせてのことならん。さァ真直まつすぐ白状はくぜうせよ」睨付にらみつくれバ、いな木ハさはがず「その調布たつくりものハ、懐胎くわいたいしてよりはやとせいまいたりてさんつかず、これ血塊けつくわいきはまりし、と医者いしやひつることもあり。それのみならず、今ハはや行方ゆきがたれぬかれが身を、おや子がなにとてるべきぞ。それにつけてもおつと胤度たねのり忠信ちうしん無二むにものゝふなるを [次へ]2ウ3オ

 3ウ4オ3ウ4オ

[つゞき]  馬加まくはり大記(だいき)たくみにより逆臣ぎやくしんありとして、非道ひだうやいばいのちおとし、そのつまなる我々われ/\まで、當千寺(たうせんじ)瑞伝づいでん和尚おせう命乞いのちごひをも聞入きゝいれなくころすとふハなさけなし。ころさバころこのうらみ、馬加まくはりこみ二人ふたりもとよりなんぢやがやいばさびいまにぞ思ひしらせんなみだちばしるうらみの目尻まなじりおなじ思ひに夢之ゆめの助も、とも遺恨いこんをくひしばり「今母うへおほせのとほり、父上ちゝうへ非業ひごう御最期ごさいご、みな大記わざと思ひながらも今さらに、うらみもかへさず闇々やみ/\と、いのちおと無念むねんさよ。いでこのうへハ、はら掻切かききり、あの世で父へ申わけ、母うへらバ短刀たんたうを、弓手ゆんではら突立つきたつれバ「アレまァまつて、夢之ゆめの助。なバとも駆寄かけよる母を、語路ごろ五郎が押隔おしへだて「とてもかくても調たつくり行方ゆくゑ白状はくぜうせぬうへハ、けておいてもせんやつさいはこれなる白鞘しらさやハ、小笹(をざゝ)丸と名付なづけたるあらし山の御ふえひとしき当家たうけ重宝てうほうなれバ、その切味されあぢためすハこのときかたしけねへと三拝さんぱいして、やいばけよふよりはやく、家来けらいたせし白鞘しらさやを、抜閃ぬきひらめかすやいばしたに、おや子がくびおちにけり。

調布たつくり落葉おちば丸をたづさへて千葉のやかた逐電ちくてんなし犬坂の里に隠棲かくれすみて胤度たねのり忘形見わすれがたみ犬坂毛もうくること、のちの本文にあはせ見るべし。 3ウ4オ

 4ウ5オ4ウ5オ

[よみはじめ]  滝野たきの川の水ちや屋の床几せうぎかゝりし三人れ「イヤもふきうさま一寸ちよつとあれを御覧ごらうじまし。つぼみやらりもせぬ。まことうめまつさかり。しかしはなより団子だんごぢや屋、此処こゝ渋茶しぶちやながめるハ如何いかにしてもしいものいづ海老ゑび屋かあふき屋で、唐茶(たうちや)やらずハなァ。五十いさ川「成程なるほどこれハ五ばい殿どのはるゝとふり、拙者せつしや同意どういうめけれど桜色さくらいろらねバとんきやうがないおど半分はんぶんいほ八がふをきう押留おしとゞめ「うめを見てもさくらを見ても、ものはなが手にらねバ左右とかくこゝろ浮立うきたゝぬ。もう無駄口あだくちめにせい。無言むごん/\差俯さしうつむかほのぞいて五ばい次が「これまたきついもの。貴方あなたうめよりさくらよりものはなおつしやるハ、あのひき六が一人むすめ浜路はまぢか事で候はん。それならハ御心みこゝろやすかれ。まだひき六にハ申さねども、女房にようぼう亀笹かめさゝにハ何時いつぞや申れたるに、御陣代(ごぢんだい)婿むこがねとハ冥加めうがあまりしむすめしあはせ。おつとひき六におふせあらバ早速さつそくいたしませうと申したくちも候へバ、母親はゝおや承知しやうちふもの。其内そのうちをりを見あはせてひき六に面談めんだんいたし、浜路はまぢ貴方あなた御内方おうちかた。「イヤやす請合うけあ合点がてんかぬ。たとひき亀笹かめざゝこの婚姻こんゐん承知しやうちするとも、肝心かんじん浜路はまぢにハ信乃(しの)とやらんやつ妻合めあはするとかきゝおよべバ「ハテその事もしつてハ御座ござれと、信乃しのでも五のでも六のでも、支配しはいしたたか〔が〕むらをさ陣代ぢんだいいきほひにてねせるもおこすも貴方あなたまゝ其処等そこらもつそれがしひき夫婦ふうふきすくめ天晴あつぱ手にれませう。「しからバそこはたらきで浜路はまぢを身どもの宿やどつま。そうなるとき箱入はこいりのまだ手入ていらずの初物はつものを、こりャまァゆめゆめならバかならさめなと浮立うきたきう六。かゝおりしもむかふよりひき六がつま亀笹かめざゝむすめ浜路はまぢ同道どう/\して [つぎへ]4ウ5オ

 5ウ6オ5ウ6オ

[つゝき]  しもべ助下女の松、みな打連うちつれていでたり。亀笹かめさゝハにこやかにうちみながら「なうむすめ此間このぢうからしてなにとやら気合きあいがわるいとやるゆへ大切たいせつ掛娘かゝりむすめ、もし病気ひゆうきでもおもつてハととゝさまにもきついあんじ。さいわ今日けふハ日よりもく、うめさかりときゝゆへ其方そなたれての出養生ようぜう。ちと浮々うき/\らぬか。「その言葉ことばうれしけれども、わたくしはや信乃しのさんと祝言しうげんするがなによりたのしみ。「アレ又しても信乃しの信乃しのと。もつとわしおひなれど、こゝろはぬおとうとばん作がせがれゆゑかほ見るさへうとましいふに、助がさしでゝ「イヤもふ御袋おふくろさまなん貴方あなたきらひでも、御嬢おぢやうさま信乃しのさま許嫁いひなづけになされたハ、此村ぢうみな証人せうにんうでハないか 見返みかへれバ、下女のお松が「ヲゝ夫々それ/\そのうへならす御嬢おぢやうさまあの信乃しのさまこひがれ、それゆへのぶら/\やまひなんでもはや祝言しうげん[二のまきへ]5ウ

〔一〕の巻より]  されたほうさそうなふを、亀笹かめさゝ睨付にらめつけ「其方そちたちまでおなやうしゆうしゆうともおもはぬ言葉ことば道草みちくさせずときり/\おじや。むすめはや迫立せりたてられ「やかまばゝァの死損しにそこないと助がつぶやくち小言こごとを耳にもけず亀笹かめざゝさきちつゝ歩来あゆみくるを、いほ八ハそれと見て「うはさにすれバかげとやら、ものはなそれ其処そこそやしたてれバ、きう六がぐつとすまして咳払せきばらひ、折柄おりからと五ばい次がいでむかひつゝ差招さしまねき、これハ/\亀笹かめさゝ殿どの娘御むすめご同道どう/\にてさて花見はなみられたな。さァ/\此処こゝたまひらに/\すゝむれバ、亀笹かめざゝ会釈ゑしやくして「御陣代ごぢんだいさまはじめとして五ばいさまいほさま、こりや貴方あなたにも此はなふに、きう衣紋ゑもんつくろひ「身共みともうめさかりより其所そこあたりにおはしますさかりのはなひながら横目よこめでじろりと浜路はまぢかほ、見られて浜路はまぢかほそむけつんとするほど、見とるゝきう六、五ばい次ハ差寄さしよつて「イヤなに御袋おふくろ亀笹かめぎゝ殿どのかね拙者せつしや申入もふしいれたる婚姻こんいん [つぎへ] 6オ

 6ウ7オ6ウ7オ

[つゞき]  言掛いひかくるを亀笹かめざゝしはぶき打紛うちまぎらしつゝ「五ばいさま其等それらことわたくしむねたゝんでりますれどなにふにもむすめ病気びやうき、なな合点がてんらする目顔めかほそれさとつて五ばい次が「如何いかさまその義も承知しようちいたした。まだたづねたき子細しさいもあれバなにかのはなし海老ゑび屋にて「ヲゝはなしなら此きう六も御娘おむすにたんとはなしがある。さァ身と一緒いつしよ浜路はまぢ殿どの手々てゝらふ差寄さしよれバ、浜路はまぢハついと身をはづし、わたしや貴方あなたきらいじやもの「アレまた矢張やつぱりぴんしやんと「イヱ斯様あのやう我儘わがまゝもふすが矢張やつぱりやまひわざむすめとつくり言聞いひきかせ、きつと貴方あなたへ此母が執成とりな亀笹かめざゝ、五ばい次が「万事ばんじからぬ亀笹かめざゝ殿どの娘御むすめご諸共もろともさァ/\此方こち身をおこせバ、みな一堂いちどう連立つれだちて海老ゑび屋をしてそあゆく。

かゝところへ犬づか信乃しのハ手がひいぬの与四郎を引連ひきつれながら出来いできたり。床几しようぎこし打掛うちかけて「てもうつくしい花盛はなざかり自由じゆうらバとゝさまもふして見せましたい。ほんおもへバ此信乃しのなきさま遺言ゆいげんとて女子おなご姿すがた長振袖ながふりそでこゝろにもかみ化粧けはいおやこゝろやすめんためそれつけてもとゝさまさぞ待侘まちわび御座ごさんせう。弁天べんてんさま御参おまいりしてちつともはやく、夫々それ/\身をおこさんとするところへ、助がらせによろこびて、いそ/\出来いでくむすめ浜路はまぢ信乃しのほとりへ差寄さしよつて「信乃しのさん、御前おまへ花見はなみかへ。わたしやまいいたふても、の母さまそばはなさず、今日けふ今日けふとて、きうづらわたしとらへて無理むりばつかり。漸々やう/\其場そのば逃出にげいでて此処こゝまへおふたのハ弁天べんてんさま引合ひきあはせ、わたしやまへ色々いろ/\はなしがたんと差俯さしうつむかほのぞひて「浜路はまぢさん、わたしはなしひのハ「さァそのはなしハ。ヲゝ夫々それ/\まへわたし許嫁いひなづけ夫婦事めうとことしてあそんでも、たれわらひハしやんすまい。そのときに此人形(にんぎやう)二人ふたりなかやくにして、可愛かわゆがつてと寄添よりそへバ、「イヱ/\まへあそふのハわたしいや御座ござんすぞへ。それ何故なせなら浜路はまぢさん、あの意地悪いぢわる伯母おばさま夫婦ふうふ、とてもわたし末長すゑなが可愛かわゆがつてハくださんすまい。わたしそれより、なう与四郎、其方そなたうまいくさ真似事まねことまへ一人ひとりあそばんせ。あばよばかり与四郎に打跨うちまたがりつゝ走行はしりゆく。あと浜路はまぢ本意ほいなげに見おくる。うしろうかゞきう六「夫婦事めうとごとなら信乃しのよりも此きう六と抱付だきつくを「またかひなァ突退つきのけて浜路はまぢハちやいと退のひく。入りちがつて亀笹かめざゝが五ばいいほ諸共もろとも歩来あゆみきたるを、きう六ハ浜路はまぢ[つぎへ]

○与四郎犬が亀笹かめざゝねこ次郎を噛殺かみころすこと。つぎの本文とあはせ見るべし。 6ウ7オ

 7ウ8オ7ウ8オ

[つゞき] 心得こゝろえ抱付だきつけバ亀笹かめざゝ愕然きよつとして「これハまァきうさま貴方あなたなんされますはれて気付きのつ宮六きうろくが「南無三なむさんこれ間違まちがつた。それけてもあの浜路はまぢ、とかく信乃しのみさほなにふても、ぴんしやんと、身どもそばへハ如何どうしても「ハテらぬのが其処そこ生娘きむすめ最前さいぜん海老ゑび屋で五ばいさまひそかにはなもふしたとふり、信乃しのおやばん作ハさき管領くわんれい持氏(もちうぢ)朝臣あそんおん佩刀はかせきこえたる村さめ丸を所持しよちなせバ、それ此方こつち巻上まきあげんとむすめ信乃しの許嫁いひなづけ、もとより手だてことゆへかの御剱みたちさへ手にらバ信乃しのぐさま追出おひいだし、その後替あとがはりきうさま貴方あなた婿むこにするときむすめしあはせのみならず私等わたしら夫婦ふうふく/\ハ、左団扇ひだりうちは楽隠居らくいんきよそれじやによつて今しばらく「成程なるほどそれ落着おちついた。御剱みたちの手にそのうへ急度きつと浜路はまぢそれがしへ「げいでなんいたしませう。まづそれまで隠密おんみつはなしなかばへ、与四郎が亀笹かめざゝの手がひねこかの次郎をひつくわ走出はしりいづるを追掛おつかけ助もとも出来いできたり。追留おひとゞめんとするうちに、かの与四郎ハ次郎を噛殺かみころしつゝげてく。此有様ありさま亀笹かめざゝ狂気きやうきごと走寄はしりより、噛殺かみころされし次郎を抱取いだきとりつゝ抱締だきしめて「可愛かわい不憫ふびんいとおしや。最前さいぜんまでも今までわしだかれて心地良こゝちよげにのどならしてたものを、此有様ありさま何事なにごとぞ。飼主かひぬし飼主かいぬしならかはるゝ犬まで斯様このやうに、こゝろまがつたものかいのとうらみなきかき口説くどくを、熟々つく%\きいて五ばい次か進寄すゝみよりつゝ「亀笹かめざゝ殿どのその愁傷しうしやうもつともながら、ねこかたきるのみならず、あの村雨むらさめをも巻上まきあげる手だて思当おもひあたつたり。手段しゆだん斯様かう 耳に口「すりや、あの犬が御教書(みきやうしよ)ふをとゝめて五ばい次ハ、きういほ諸共もろとも囁合さゝやきあいつ点頭うなつきつ [つぎへ]7ウ8オ

 8ウ9オ8ウ9オ

[つゞき] 示合しめしあはせてわかれける。

[こゝのゑとき] 「イヤもふばんさま。此春先はるさきそのやう引籠ひきこもつて御座ござつたらかへつやまひさわるであらう。何処どこ彼所かしこうめざかり、つへでもついさつしやれ。私共わしどもハ日がないちすきくわかたげ野良のらまはり。からだほねかはり、やまひつたらすこしでもくすり支度したく御座ござらねへ一人ひとりへバ今一人ひとりハ「しかし此処こゝ番作はんさくさまたとこしたゝすとも此村ちうでハ大事たいじ人。姉婿あねむこひき六に、みす%\家督かとくうばわれながら、それすこしもあらそはぬ心立こゝろだていたはしさに、村のしゆ談合だんかうして、ちとの田はたと此いゑ買求かひもとめてしんぜたをかたじけないとて、村ぢうの子どもあつめて手ならひ学文がくもんおしへてくたさるのみならず、百せうためになる書物しよもつをさへこしらへて、わしがにまでわかやうしてくだされたかげゆへそれから作に巧者かうしやき田はた収穫みのりばいして、村のものにハ大幸おほしあはせ。此方こなたハ四かく文字もじばかりつてかとおもふたに、田はたことまであかるいとハきもつぶれた人しや。とみな感心かんしんしてりますぞへ。それハそうと長話ながばなししてかへつ病気びやうきさはるもれぬ。また明日あすまふしんぜませうひつゝてバ、ばん作が「何時いつもも/\親切しんせつたづねてハくだされた。ちやしんぜずにどくふをうしろに百せうとも打連立うちつれだちてかへく。入ちがふてむかふより [次へ]8ウ9オ

 9ウ10オ9ウ10オ

[つゞき]  信乃しのハいそ/\馳来はせきたかどの戸あけうちり、「とゝさま只今たゞいまもどりました。今日けふも又弁天べんてんさま御参おまゐもふしたかへみちあまり見ごといたゆへとゝさまへの土産みやげ一枝ひとえだ手折たをつてました差出さしだうめを見て莞尓につこりそれいた。今日けふさいわひ手束が命日めいにち。母の仏間ぶつまそなへてりやれ。此花瓶はないけにとばん作が指図さしづに、信乃しのよろこびて手折たをりしはな花瓶はないけしつながめつするところへ、ずつと亀笹かめざゝ何時いつかはりてにこやかに「此ごろうちへて病気ひやうき様子やうすひませぬが、かほいろもずんとそれでハおつ゜つけ病気びやうき本復ほんぶくヲゝ信乃しのうちにかいの。すこし見ぬにめつきりとおほきうつた追従ついしやうたら%\、信乃しのハ見るよりをつかへ「伯母おはさまいでなされましたか。サァちやひと差出さしいだす、茶碗ちやわん亀笹かめざゝ手につて「ナニかまやんなおいてたも。ほん其方そなたい子じやのめらるゝほど気味きみわるく、信乃しのハそこ/\たつて「ドレんでひながら手おけ片手かたていでく。

あと亀笹かめざゝおくりて、あのおほきうなりやつたを見るにけても、なう番作ばんさくかね其方そなた約束やくそくして信乃しの浜路はまぢ許嫁いひなづけはや母屋おもや引取ひきとつて村長むらをさ信乃しのゆづり、ひき殿どのわたしとハうら背戸屋せどや楽隠居らくいんきよ初孫ういまごかほ見るが今からなによりのたのしみな。それけても一度ひとたび其方そなた所持しよぢ村雨むらさめ丸、今も大事だいじもつてかやあじなとこら持込もちこんで御剱みたちをしてやる下心したごゝろはやくもさとつ嘲笑あざわらひ「又しても御剱みたち詮索せんさく、身じんにせまりて先達さきだつてあの村さめ売払うりはらひ「手もといとか、そりうそじや。村さめ丸ハ大塚(おほつか)いゑかゝわ大事だいじ御宝みたからそれけれバあの信乃しのを「婿むこにせぬなら許嫁いひなづけ変改へんがいしてもくるし御座ござらぬ。こころあはあねじやひと言葉ことばかはすも身のけがれ。とつとゝたつゆかつしやひにべ言葉ことば亀笹かめざゝハ「かいでかいの身をおこし「でも強情ごうぜう言捨いひすてゝ、かどまていでしが信乃しの見返みかへり「ヲゝくんつめたからう。押付おつ゜ゝ母屋おもや[次へ]9ウ10オ

 10ウ広告10ウ広告

[つゞき]  引取ひきとつ浜路はまぢ祝言しうげんするときハ、此方こち大事だいじ婿むこじやもの。斯様こんいやしい手わざをバさせるがわし痛々いた/\しい。其方そなたかしこものじやゆへ、今この伯母おばたつぬことなに〔に〕らずおしへてたも。「そり伯母おはさまことじやもの、わたししつことなら。「ヲゝその言葉ことばせうならバあのさめ在処ありかをバ内緒ないしよわししらせてりや。「イヱ/\わたしそのやうな村さめとやらハついだ。「イヤかくしやんな。そりいつわり、い子じやほど一寸ちよつとその。「それでもわたししらぬもの。「ヱゝこのまでおなやうおやこゝろ受継うけついで、かうもしぶといものかいの。阿呆あほうらしい亀笹かめざゝ面憎つらにくらして戻行もとゆく。

○これより下のまきつゞ

國芳画  
春水作
10ウ

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藏版新刊珎奇雜書略目録

遊仙沓春雨艸紙ゆうせんくつはるさめざうし 〈十一編|十二編〉 〈緑亭川柳作|一陽齋豊國画〉

田舎織糸線狭衣いなかをりまがひさごろも 〈四編|五編〉 〈仝作|同画〉

天録太平記てんろくたいへいき 〈初ヨリ|追々出板〉 〈仝作|一勇齋國芳画〉

奇特百歌仙きどくひやくかせん  同断 〈仝作|一立齋廣重畫〉

畸人百人一首きじんひやくにんいつしゆ 全一冊 〈仝案|同画〉

狂句五百題きやうくごひやくだい  全二冊 五代目川柳著

  東都書房  南傳馬町一丁目 蔦屋吉蔵板 」奥目録



〔見返〕

 見返11オ見返11オ

「今様八犬傳\第初篇下之巻\爲永春水作\一勇齋國芳画\錦耕堂板」「とり女画」

〔下〕

信乃しのハ水をバてゝ打振うちふりつゝ、花瓶はないけへ水をうつ仏間ふつまそなへ、父のうしろ立寄たちよつ背中せなかでつなくさむる。おりしもとのかたさはかしく、箇所かしよ痛手いたでひながらはしかへりし与四郎が縁先ゑんさきちかたをるゝを、信乃しのハ見るよりはしり「こりや与四郎が此やうふに、ばんおどろきてとも一間ひとま膝行いさりきす様子やうすとくと見て「此深傷ふかでハとてもかなはぬ。これ大方おほかた姉婿あねむこひき殿との〔の〕仕業しはざふを、はん押留おしとゞめ「たと何奴どやつわざにもせよ突殺つきころさるゝハ犬の定業じやうかう、せめてハかゆなとこしらへて「此与四郎にくはせへとか。心得こゝろえましたひつゝも、りあふこもを犬に打掛うちかけ、信乃しのハしほ/\たつく。かゝときしもおもてより、犬づかはん在宿さいしゆくなるか。軍木ぬるではい次、いさいほ八、対面たいめんせん大柄おほへいしもべ助を引連ひきつれつゝ案内あんないもなくとふれバ、ばん会釈ゑしやくして「これハ/\軍木ぬるて氏、いさ川氏にも連立つれたつて此見ぐるしき陋宅らうたくなにゆへあつてかくれバ、五はいこゑ振立ふりたてて「ヤアなにゆへとハ落着おちつきがほ此度このたび鎌倉かまくら管領くわんれいよりくだたまはる御教書を村をさかたにて披見ひけんおりから、なんち飼犬かいいぬ与四郎とやらん [次へ]11オ

 11ウ12オ11ウ12オ

[つゞき] 一間ひとまうちかけりて、御教書みきやうしよを此やう取出とりだす一通。ばん作か目先めさきへくつと突付つきつけて「御教書みぎやうしよ破却はきやく謀反むほん同然どうぜんよつて犬めハ仕留しとめしかども飼主かひぬしとてもつみのがれぬ。犬ひ いぬめハ たる同罪どうざいゆへなんぢとも縄打なはうつてごく屋へかん。そのため此処これまで召連めしつきたりしなり。さァ尋常じんぜうなはかゝれとところじやが、コレばん作、其処そこが世によみうたなんぢ所持しよぢの村さめ丸、それ身共みども逓与わたしなバ鎌倉かまくら差上さしあげて今度こんどこと穏便おんびんまるすますが、返答へんとう如何いかに/\と差寄さしよれバ、助ハくより怖々こは%\ながら進出すゝみいで「ばんさま、村さめとやらなにとやらわけしらねど、そのしなを五ばいさま差上さしあげてわしいのちたすけて手をあはせつゝかき口説くどくを、熟々つく%\いて番作ばんさく嘲笑あざわらひつゝ「コレ御両所ごりやうしよその大切たいせつ御教書みきやうしよを与四郎が食裂くひさかバ、まづ飼主かひぬしそれがしより、宿やどあづかひき六がくびをバ何故なぜはねられぬ。それのみならず、村さめ鎌倉かまくら差上さしあげて御許おんゆるしのとき各々おの/\なんとしめさるぞ。見けにらぬ大騙おほがたり、いはすとしれこしらごとその手でうま村雨むらさめとらるゝやうばん作ならず。莫迦ばかこと睨付ねめつくれバ、五ばい次ハ驚愕きよつとして左様そうしられたら是非ぜひい。番作ばんさく覚悟かくご抜掛ぬきかゝる小手をかへして捩上ねぢああぐれバ、引続ひきつついて切込きりこいほ八かやいばばん引外ひつばづし、ひざしつか押敷おししいたる。この有様ありさまおどろあとをも見すにけて、すきうかゞひ五ばいいほ八、又斬掛きりかゝるをばん作が右と左りへ身をかはして二人ふたりとつ投出なげいだし「こしたゝねど犬つかばん作、なほこのうゑにもあらがは〔ば〕鎌倉かまくらおもて罷出まかりい此等これらむね対決たいけつせうか。返答へんとうなん決付きめつくれバ五ばいあはて〔て〕 [つぎへ]11ウ12オ

 12ウ13オ12ウ13オ

[つゞき] 押留おしとゞめ「ヤレはやまられなばん殿どの。今のハ此方こつち出損でそこない、もう何事なにごと穏便おんひん/\。いさ川さらハかへらうと、うたれしこしさすりなからかほしかめて立あがれバ「とハふものゝいほ八又立掛たちかゝるをとゝむる五ばい次「ハテ何事なにこと我胸わがむねに。一先ひとま此処こゝひながら、しらすれバ点頭うなづきてにぐるがごと出行いでゆきける。かゝおりしも、おくより暖簾のれん押分おしわけ立いづ信乃しのハ、彼方あなたを見おくりてちゝほとり進寄すゝみより「様子やうす彼処あれにてきゝました。御教書みぎやうしよ破却はぎやくいつはりにもせよ、彼等かれら二人当所とうしよ陣代ぢんだい簸上きう六が下司したづかさ、今の遺恨いこんもつて、如何いかなる謀計たくみさんもれず。思案しあんあつてか父うへふに、ばん莞尓につこわらひ「浅薄あさくもたくみかれ奸計かんけい、此うへ何程なにほどはかるともたけれたる蠅虫はいむしともおそる〔る〕ことけれども、われひとつの分別ふんべつあり。あのさめ一振ひとふり此処これ持遣もちやれと言付いひつくれバ、信乃しの心得こゝろえあがり、梁にりたるあを竹のうちおさめかの一振ひとふり取出とりいたしつゝ持出もちいづるを、ばんつて押頂おしいたゞき「此一振ひとふりかたじけなくも鎌倉かまくらさき管領くわんれい持氏朝臣あそんおん佩刀はかせにして、春王(しゆんわう)ぎみゆづらせ給ひし村さめ御剱みたちすなはこれなりこの御剱おんつるぎ奇特きどくいつぱ、けバやいば水滴しづくし、殺気さつ゜きふくん打振うちふときハ、さながらにして村さめこずゑあらふに彷彿さもにたり。よつその名を村さめふ。拝見はいけんしやれと抜放ぬきはなせバ、信乃しのよろこ進寄すゝみより、ふ紙燭(しそく)振照ふりてらして鍔元つばもとより切先きつさきまで熟視うちまもりつゝ、莞尓につこ打笑うちゑみ「稀代めづらしやいばかないろ七星(しちせい)もんかゞやきて三尺のこほりなほさむし。草凪くさなぎつるぎしらず。抜丸ぬけまる小烏こがらすおに丸なふともおさ/\おとるまじ。るハはじめ稀代きたい銘釼めいけんかゝつるぎもあるもの熟視うちまもり又熟覧うちまもれバ、ばんきつ容姿かたちあらため「往昔そのかみ結城ゆふき落城らくぜうみぎり我父わがちゝつかせうぬし、此村さめわれあた遺言ゆいげんりしかども、われハ手きず行歩ぎやうぶかなはず、生涯せうがい御剱みたち打守護うちまもりて此片田舎かたいなかうもれ木の花咲はなさはるき老の身が、何時いつまで世をむさほらん。此村さめの御佩刀はかせたゞなんぢさづくべし。今日よりして男とり、信乃しの戍孝(もりたか)と名を名告なのり、おり滸我(こが)おもむしゆんぎみおんおとゝなるなり朝臣あそん御剱みたちまゐらせ、いゑをもをも再興あげよかし。ふべきこと此迄これまでなりらバとばかりばん作ハ、差添さしぞへすらりとひらめかしはらへぐつと [つゞき]12ウ13オ

 13ウ14オ13ウ14オ

[つゞき]  刺通さしとふせバ「なううへ駆寄かけよ信乃しの尻目しりめにらんで、ばん作ハくるしいきをほつとき「こり狼狽うろたへせがれ戍孝もりたかわがはらハ嘉吉(かきつ)往昔むかし結城ゆふきしろにてるべきを、今まで存命ながらたりしハ、おや遺言おほせはたさんため、今ハなんぢ御剱みたちゆづり、此世におもことし。なんぢハ今より伯母おば夫婦ふうふその身をよせ成人ひとゝなり、過去すぎさり給ひし祖父ぢゝさまと今このちゝ遺志こゝろざしついで、家名かめい再興あげよかし。今こぞかへす君父(くんふ)御恩ごおん。あら心地こゝちよやうれしとゞむ信乃しのひざ押敷おししき、ふたゝやいばに手をかけ心静こゝろしつか引回ひきまはし、咽喉ふへ掻切かききつうつぶしたをれいきたへにけり。信乃しの彷彿さなが狂気きやうきごとむなし遺骸から取付とりついて正体しやうたいなげきしが、われこゝろ取直とりなをし「何時いつまでふてもかへらぬ繰言くりこと。此うゑ父様とゝさま遺言おほせまもるがせめてハ孝行かう/\それつけても与四郎ハしにやらひで様子やうす苦痛くつうたすけてさせん村雨むらさめ丸をたづさへつゝ [つぎへ]13ウ14オ

 14ウ15オ14ウ15オ

[つゞき]  犬のほとりへ立よりて「其方そなた年来としごろ飼慣かひなれたる名残なごりハいとゞおしけれど、とてもかなはぬその深傷ふかで覚悟かくごきはめて成仏ぜうぶつせよ。如是畜生によぜちくせう発菩提心ほつぼだいしん南無阿弥陀佛なむあみだぶつとなへもあへず、振閃ふりひらめかすやいばしたに、犬のかうべ打落うちおとせバ、忽然こつぜんとして傷口きずぐちよりさつたつたる血潮ちしほともに、あらはれでたるひとつの名玉(めいぎよく)おりしも彼方あなた藪陰やぶかげより、垣根かき押分おしわけて立づるがく藏。それとも信乃しのらざれハ、くだんの玉を手にけて「今、与四郎があらはれでたる此玉ハふに、かく進寄すゝみより「われ所持しよぢなす名玉めいぎよく寸分すんぶんかはらぬあのしら玉、それのみならす、玉のうち自然しぜんあらはす孝の一字「又わが玉にハ義の一字。玉とたまとが一ついひつゝおもはずかほあはせ 「其方そなたしもべかく殿どのさてさきより其処それて「様子やうすのこらずうけたまわつた。それがしまたおん身にひとしき玉を所持しよぢすのみならず、最前さいぜんよりして見うけところ御身おんみかひなあざりて、かたち牡丹ぼたんはなたり。われにもおなあざれバ、過世すくせあやしきゑんならん玉とあざとを表出あらはして見すれバ、信乃しの打驚うちおどろき「さて和殿わどの当初そのかみよしる人の子なるべし。名告なのり給へと問掛とひかくれバ「如何いかにも我身わがみ相模さがみ住人ぢうにん犬川次が一人ひとり子にて同名どうめうさう助義任(よしたふ)これなり。父ハ主君しゆくんいさめかね切腹せつふくなしていゑ断絶たんぜつわれそのときわつかに七才、母諸共もろとも彷徨さまよひつゝひき殿どの〔の〕門辺かどべにて母ハあいなく此世このより、それより是非ぜひしもべ奉公ほうかうそれきいてハなほ頼母たのもし。此玉とあざひ、寸分すんぶんたがわぬうゑからハいまより和殿わどの兄弟きやうだいの義をむすばんハ如何いかにそやふに、がくよろこびて「ねがふてもき身のさいはひ、此処こゝたがひに義をむすべバおん身のちゝわが父なり。遺骸なきから取措とりおき給へ。われハその四郎の死骸しがひ何処どこくは押取おつとあたり見まは立上たちあがれバ、信乃しのハ手はやばん作の死骸しがひたて袖屏風そでびやうぶこゝろばかりの香花かうはなも又思出おもひだなみた[つぎへ]14ウ15オ

 15ウ16オ15ウ16オ

[つゞき]  たね。此ひまがく藏ハうめ木陰こかげに与四郎が死骸しがひふかうつむれバ、信乃しのすゞり取出とりいだし、うめみきけづり、なにかさら/\書記かきしるし「此与四郎ハわが身と同年どうねん。日ごろなれかひ犬の、めてハ後世ごせたすけんためひつゝふでおさむれバ、がく藏はきつと見て「如是畜生によせちくせう発菩提心ほつぼだいしんこれ菩提ぼだいとむらふ八字。又我々われ/\所持しよぢなす玉ハ、仁義禮智の八行(はつこう)うちわかちし孝義の二字「たがひに身をて名をあぐる。其迄それまでハ大川氏人目ひとめしのかりの名の和殿わどのハやつぱり小もの〔の〕がく藏「モシつか若旦那わかだんななにかのはなしまたかさねて、はや御暇おいとまがく藏ハ村をさかたへといそく。 ひき棲家すみかだんイヤもふ旦那だんなさま、月日のつのハはやいもので此世をさられた番作ばんさくさま今日けふすなは一周忌いつしうき(しる)味噌みそ擦上すりあげたが、がく殿どのもどらねバ料理りやうりにもかゝられぬ助がへバ、主人あるじひき六「また彼奴あいつめさきあぶらうつをるであらう。何奴どいつ此奴こいつ世話せわけた役立やくた〔た〕ずのくひつぶ一寸ちよつとふにも憎体口にくてぐちかゝおりしも門口かどぐちより立帰たちかへがく藏が、下籠さげかご片手かたてにずつとり「がくたゞもどりました。今日けふ生憎あいに さかな時化しけ其処等そこら一面いちめん駆回かけまはり、注文ちうもんの大だい一枚いちまいひらめかた身にはまぐりまで、漸々やう/\ふてまいりました。それけても心得こゝろえぬハ、ばんさま法事ほうじの御献立こんだてにハ似合にあはぬ生魚なまうを。どふも合点がてんが、なうひつゝうしろを見かへれ[四の巻へ]15ウ

[三の巻より]  助ハきい興醒きやうさがほ成程なるほど御主おぬしとふり。わしも又最前さいぜんから旦那だんなさま御上おかみさまが、蝶花型てふはながた銚子ちやうし島台しまだい合点かてんゆかおもふたが、さて旦那だんな簡略かんりやくゆへ、御法事ほうじ祝言しゆうげん一緒いつしよにされるとおもはれる。うだ/\点頭うなつけバ、下女のおよしが差寄さしよつて「その祝言しうげん信乃しのさま浜路はまぢさまとで御座ござんせう。「それはずとれたこと。しかし旦那だんな御言葉おことばきかねバ如何どふ落着おちつかぬ。此御祝言しうげん信乃しのさまか、もし又ほか婿むこさまがく藏を、ひき六が尻目しりめきつ睨付にらみつけ「ヱゝべろ/\とやかましい。たれ祝言しうげんしようとも汝等わいらつたことでハい。がく藏ハおく言付いひつけた肴拵さかなごしらへ、助もともはやはれて、助ハ身をおこし「ドレそんならバおくめしでもくつはたらかうとふを、ひき聞留きゝとゞめ「ヱゝ又しても飯々めし/\と、真実まこと主人しゆじんためおもはゞ三のものハ二くつて、よるハ八ッまで夜なべをし、あさハ又七ッからおきはたらかねバ、主人しゆじんおんむくはれぬ。がく取分とりわけてわすれもせまい往昔そのむかしうぬが母がわがかどゆきこゞへて行倒くたばつたを仏心ほとけごゝろの此ひき六、ヤレ不憫ふびん引取ひきとつて、その遺骸なきからほうむりし雑費ざつびすくないことでハない。そのとき其方そなたたしか七才。今このとしまで育上そだてあ成人せいじんさせたハかげぞ。みなひき六がなさゆへ [次へ]16オ

 16ウ17オ16ウ17オ

[つゞき]  うでかたつゞくたけ、給金きうきんしで一生涯いつせうがい使つかつてやらねバそんうまらぬ。おく料理りやうり仕舞しまふたら、風呂ふろの水をも汲込くみこんでこめ一臼ひとうすついておけ。きり/\ぬかと強要せがまれて、がく藏ハ立上たちあがり「貴方あなた御無理ごむり御尤ごもつとも、らバ料理りやうりかゝろふか助およしも打連うちつれち、おくをさしてぞりにける。おりからかど案内あんないしてしづ/\入来いりく軍木ぬるでばい次、ひき六ハ出迎いでむかひ「これハ/\五ばいさまづ/\彼方あれとふくだされ。ソレ亀笹かめざゝ御茶おちやげや。煙草盆たばこぼん立騒たちさわげバ、五ばい次ハなをり、かね申入もふしいれたるとふり、御息女そくぢよ浜路はまぢ殿どのきう殿どの婚姻こんいんこと万事ばんじ質素しつそこのまれゝバ、今宵こよひ婿入むこいりかねられてきう殿どのおんはずさかづきたゞかたばかりにて、祝言しうげん儀式ぎしきあいまバ浜路はまぢ殿どの同道どう/\して、その儀式ぎしき簸上ひがみ殿どの〔の〕やかたおいいたさるゝよしよつ結納ゆひのう目録もくろくすなは持参ぢさんいたしたり。披見ひけんされ差出さしいだすを、ひき六ハおそる/\請頂うけいたゞきつゝ押開おしひらき「何々なに/\金子三十両ひき殿どの夫婦ふうふへ、おなじく金子十五両、巻物まきもの五ッ浜路はまぢ殿どのおなじく五両召使めしつかひへ。こり大層たいそう結納ゆひのう召使めしつかひくだされた五両も此方こつち捲上まきあげれバ、みんあはせて五十両ふものを、そばから亀笹かめざゝ差覗さしのぞきつゝ莞尓にこ/\もの「ほんにまァ、御陣代ぢんだいとてきのはられたことわいの。こと今宵こよひ儀式ぎしきさへたゝかたばかりとおつしやれバ [つぎへ]16ウ17オ

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[つゞき]  ものいらずで今宵こよひ婚姻こんいん斯様こん目出度めでたい婿入むこいりが又とふたあらうかよろこ夫婦ふうふ、五ばい次が「イヤなに中々なか/\其程それしきの金子ばかりですめいたさぬ。婚姻こんいん首尾しゆびとゝの〔ハ〕いづ御礼おれいかさねて別段べつだんナニまた御金おかねくださるとな。亀笹かめざゝ御礼おれいもふさぬか。どうことやらわたくし生付うまれついて御金おかね好物こうぶつ「そりやもう御前おまへばかりじやない。わたしなにより一ばんすき夢中むちうなつよろこぶおりしも、ひき六が門前もんぜん来掛きか〔か〕網乾あぼし左母さも次郎、あとつきたる二人駕篭かごそのを井太郎、加太郎とて、在所ところ名打なうて無頼漢いたづらもの、立とゞまりて「モシ親方おやかたあゆめ/\と此様このやうにせしを何処どこまで引張ひつぱるの > だふに、左母さも次ハ振返ふりかへり「ヱヽ騒々そう%\しいしづかにしろ。汝等わいら二人たのんだハ、此処こゝむすめ釣出つりだ算段さんだん首尾しゆびやれ酒手さかてハずつしり「そんならむすめ得心とくしんで「ナニ得心とくしんくらゐなら汝等わいらたのんハしねへ「それでハ余程よつぽど魂胆こんたんが「むづかしいのをるが魂胆こんたんおれ合図あいづしらせるまで、な、な、合点がつてん耳にくちさゝやしめせ点頭うなづきて、二人裏手うらて左母さも次ハおもてくちへとしのく。内にハそれともしらざれバ五ばい次ハ夫婦ふうふむかひ「拙者せつしや持参ぢさんしるし目録もくろく受納じゆのうあつて、まづ満足まんぞくしかなが娘御むすめごこゝろきかねバ落着おちつかふを、ひき聞敢きゝあへず「むすめにも薄々うす/\申聞もふしきかせてきましたれど、とにかく信乃しのうちかれこゝろさだまらず。より信乃しのあざむきて今日滸我こが旅立たひだゝする下心したごゝろ [つぎへ]17ウ18オ

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[つゞき]  にて候へバかれ追出おひだし、其上そのうゑにて御案内あんないいたすで御座ござらう。なに格別かくべつコレ亀笹かめざゝむすめ此処こゝ呼出よびいだし、一通ひととふ言聞いひきかしやおつと言葉ことば亀笹かめざゝハ、下女のおよしを招寄まねきよ言付いひつくれバ、およしハ心得こゝろえやが浜路はまぢ連来つれきたれバ亀笹かめざゝ柔和にこやか打笑うちゑみながら「なうむすめ其方そなたハとんだ僥倖あやかりもの。五ばいさま御出おいでなされ、今日けふさいはひ吉日なれバきうさま其方そなた祝言しうげんさするとおつしやつて、結納ゆひのう品々しな/\までもちなされてくだされた。さァ/\ちやつとけしやいはれて浜路はまぢ打驚うちおどろき「そりやかゝさんの言葉ことばながら、わたしおさなときからしてあの信乃しのさんと許嫁いひなつけほかくのハ如何どうあつてもふにひき進寄すゝみより「いやじやとふてそのまゝこうか。御陣代ちんだい婿むことれ其方そなたばかりかおやまで浮上うかみあが大幸おほしあはせ。じやはやおうや「イヱ/\わたし何程なんほうでも此ことばかりハ堪忍かんにんして「やつても、あの信乃しの其方そなたきらふてるでハないか。それとも信乃しのよりまたほかに「アイいろ男ハ此処こゝる。いろだ/\おもてよりずつと入来いりく左母さも次郎、ひき六ハ不審顔ふしんかほに「其方そなた網乾あぼし左母さも殿どのやぶからほう色々いろ/\と「アイいろだからいろふ。それ浮気うはきわけしやァねへ。現在げんざい御袋おふくろ婿むこにしやうといひ約束やくそくすれバ浜路はまぢおれの女房。一緒いつしよ手をるを「そうハならへだて亀笹かめざゝひき六ハ手をくんで「如何どふおれにハ合点がてんゆかぬ。それとも亀笹かめざゝひよつと其方そなたが「如何とふしてわたしがそんな。まァ「たとなんでもあらうが、もらかゝつたむすめ浜路はまぢ是非ぜひともおれつれく。それともたつならぬとやァ、村さめ丸をたのまれた子細しさい信乃しのにぶちまけて「それいはれてるものか「そんならむすめか「さァそれ二人あらそひ。五ばい次ハかたな片手かたてひざ立直たてなほし「段々だん/\ことえださき拙者せつしやハとんともめる。きう殿どの返答へんとうハ「さァ何事なにごとわたくしむねたゝんで御座ござりますれバ、後程のちほどまで急度きつと返事へんじまた左母さも殿との〔の〕はるゝも、如何どふやら無理むりともおもはれねど、今とふてハ挨拶あいつさつが「らぬとならバ仕方しかたがねへ、おく返事へんじちやせう左母さも次ハおくへ五ばい次ハ心遺こゝろのこして戻行もとりゆく。 つぎのゑとき 犬つか信乃しのたゞ一人ひとりおく一間ひとま閉籠とぢこも軍学ぐんがくの書(しよ)ゐたりしが、なにおもひけん吐息といきき「ほんおもへバこのほど、世に味気無あぢきなものい。母うゑにハはやおくれ、たよりおもひし父うへ去年こぞこの日に世をさり給ひ、今日けふすなは一周忌いつしうきそれさへあるにわれまた心良こゝろよからぬ伯母婿おばむこ引取ひきとられてよりまる一年ひとゝせはりむしろ[つぎへ]18ウ19オ

 19ウ20オ19ウ20オ

[つゞき]  起伏おきふし油断ゆだんのならざるこのうちそれ何故なにゆへ、父うへ臨終いまはのこ御教訓ごきやうくんこのさめ一振ひとふり何卒なにとぞ滸我こが持参ぢさんなし、なりこうたてまつり、父祖(ふそ)の忠義をあらはして身をいゑ再興おこさためとハおもへども、今にてハ伯母おば夫婦ふうふやしなはれ此身がこのまゝならず、世ハはるながらはるならぬこゝろうさなにとせん思案しあんなかば立出たちいづる、浜路はまぢあたり見まはして「信乃しのさん、此処こゝにおいでぞか。わたしや御前おまいあいたふてふに、此方こなたハ見かへりて「はるゝハ浜路はまぢ殿どの如何どふして御前おまへハ此一間ひとまかほ熟々つく%\うち目守まもり「何故なぜたとハきこへませぬ。御前おまへわたし親々おや/\御許おゆるしうけ夫婦めうとなり。それ御前おまへ余所よそ/\しく他人たにんあしらへしやんすがわたしやしんからうらめしい。御前おまへわたしいやじやゆへ滸我こがとやらんをかこつけて此家このや出行でてゆこゝろか、それならうと打明うちあけて何故なせふてハくださんせぬ。へだてられるがかなしたもとを口へ忍泣しのびなき。信乃しの不憫ふびん差寄さしよつて「中々なか/\わけでハい。滸我こがまいるハ父の遺言ゆいげん彼所かしこ首尾しゆびだにきならバおん身をかのむかるとも又ハ此身が立かへるとも、むすんだゑんあだにハせぬ。「そんなら真実しんじつ末永すへながう「なんの見すてからうかたがひ寄添よりそうしろより「あい相生あいをひまつこそ目出度めでたかりけれうたひながらにひき六ハ銚子ちやうし土器かはらけ取添とりそへ一間ひとまうちより立いでつゝ二人ふたりなかしめ打笑うちゑみながら「なう信乃しのよ、其方そなたかね滸我こがおもむき村さめ丸をまいらせたしとわしはじ亀笹かめざゝへも度々たび/\ふてハるなれども番作ばんさく一周忌いつしうきすましたうへ延措のばしおきしが、今日けふまこと黄道くわうだう吉日。むすめ浜路はまぢ祝言しうげんし、儀式ぎしきおはらバすぐ発足ほつそく。すりやわたくし旅立たびだち御許おゆるしなされてくださるとな。ヱヽかたじけな御座ござりますよろこ信乃しのよろこ浜路はまぢ「そんなら最前さいせん宮六きうろくづら嫁入よめいりさするとおつしやつたハ「其方そなたこゝろひき見るためさァ/\はやさかづきをとはれて浜路はまぢハいそ/\とはや酌交くみかは三三さん/\九度のさかづきおはれ信乃しのハ手をき「かねのぞみ旅立たびだち御許おゆるしくださるのみならず、浜路はまぢ殿どのさかづきまでいたせうへ発足ほつそくを「イヤさかづきすんだれども [つぎへ]19ウ20オ

 20ウ広告20ウ奥目録

[つゞき]  だ/\肝心かんじん肝文かんもん床盃とこさかづきすまぬでハ「すりや、あの臥所ふしどさかづきまでハテそうせねバおれよりもむすめ得心とくしんしをるまい。あれこゝろ推量すいりやうして名残なごりをたんとおしんできやれ

コレ/\およし案内あんない言葉ことばしたより出来いでくるおよし「モシ御嬢おぢやうさま御嬉おうれしからう。旦那だんなさま御指図おさしづ御寝室おねまふからつてある。さァ/\御出おいで手をつて二人ともなおくに入る。かゝおりしも物陰ものかげにて様子やうす立聞たちぎ亀笹かめざゝおつとまへ進出すゝみいで「御前おまへでもちがふたか。きうさま彼程あれほどまで約束やくそくかため浜路はまぢをバ可愛かあゆげもあの信乃しのふにひき打笑うちわらひ「祝言しうげんさせたハ此方こつちの手だてその目論見もくろみ斯様かう/\さゝやしめせバ亀笹かめざゝおもはず莞尓につこ打笑うちゑみて「すりや床入とこいりそのひまに、あのさめ人知ひとしれず「なんうまいか「天晴あつぱれ妙計めうけいコレおとたかし。ひそかに/\。 ○これより第二へんつゞく。めでたし/\/\/\/\/\

爲永春水作
一勇齋國芳画
20ウ

〔広告〕

嘉永五壬子歳新鐫藏版目録

阪東太郎後世譚ばんどうたらうこうせいばなし 〈八編|九編〉  〈西馬作|貞秀画〉

岸柳四魔談きしのやなぎしまものがたり 〈三編|四編〉  〈同作|國輝画〉

倣像なぞらへ水滸すいこ〉 侠名鑑けうめいかゞみ  〈初輯|二輯|三輯〉 樂亭西馬稿案 〓持樓國輝画圖

勸善くわんぜん懲惡ちやうあく〉 乗合噺のりあひはなし  〈七編|八編〉 〈柳下亭種員作|一陽齋豊國画〉

江戸鹿子紫草紙えどかのこむらさきさうし 〈二編|三編〉 〈文亭梅彦作|香蝶樓豊国画〉

小栗判官駿馬誉おぐりはんぐわんめいばのほまれ  〈中本|一冊〉 〈西馬編|芳虎画〉

象頭山夛宮日記ぞうづさんたみやにつき 〈中本|一冊〉 〈樂亭譯|國輝画〉

爲朝弓勢録ためともゆんぜいろく 仝 〈同|同〉

東都馬喰町二丁目西側

〈書物地本|繪草紙〉 問屋 山口屋藤兵衞 奥目録


〔後ろ表紙〕

 後ろ表紙後ろ表紙

〔二編表紙〕

 表紙二編表紙

〔見返〕

 見返・序見返・序
「いまやう八けむてむ/春水さく/國よしゑ/〈錦耕紅榮|両堂合梓〉」「国よし女とり画」

〔序〕

つら/\當時とうじのありさまをるに、ものみなはやきを手柄てがらとすなれバ、とし一度いちど七夕たなばたまつりも、六日むいかあしたつゆをむすびて、短冊たんざく色紙しきしもそむべきなるを、五日いつかよりさゝひつけ、二度にど月見つきみのいしくも、夜明よあけぬうちにまろめあげ、となりおくるをかちとすなど、なほ此類このたぐひいとおほし。され合巻がうくわんとなづけし冊子かみも、來年らいねん新板しんはんを、ことしのあきより賣出うりだしの、さきがけいそぐもむべなるべし。それさへあるにこの策子さうしハ、俄作にはかづくりの一夜ひとよざけあまいかからいか再考さいかうを、くはゆるもなくゑりあげて、またおかはりのおいそぎを、安請合やすうけあいふでれども、三國一さんごくいちさておきて、かまさへひからぬ駄賣だうりあまざけ、たゞ於夛福おたふくなめさせて、かれがわらひをんのみなり。

壬子仲春新局 春水誌[印] 1オ

〔口絵〕

 口絵口絵
里見さとみ伏姫ふせひめ金碗かなまり大輔だいすけ1ウ2オ

〔本文〕

 2ウ3オ2ウ3オ

初編しよへん道具だうぐがひとつまわりてこゝのとき]  「まァ/\つた浜路はまぢ殿どのわたし言葉ことば聞果きゝはてずぬるハこの身へ面当つらあてか、聞分きゝわけなしととゞむる信乃しの浜路はまぢなほも身もだし「はなしてなしてくださんせ。御前おまへふをたのしみにながい月日をつたその甲斐かひあつて父様とゝさま御許おゆるしうけ祝言しうげんさかつきまでハしながら、いままくらかはされぬ、時節じせつてとハ胴欲どうよくな、其程それほどわたしいやならバ、何故なぜ打明うちあけて斯々かう/\ふてきかせてくださんせぬ。おも殿御とのご旅立たびだ〔た〕せ身ハてられた野辺のべはな何時いつまでながらへりませう取直とりなほ必死ひつしやいば信乃しの漸々やう/\もぎはなし「そのうたがひハことながら、最前さいぜんとふり、まつたおん身をきらふにあらねど、身の心願しんぐはんはたさぬ以前うちつまめどるハおやへの不孝。それのみならず今日けふまた世になき父の一周忌いつしうきその命日めいにちに身をけがさバ子としておやおもはぬ道理だうり、今祝言しうげんさかづきさへこゝろよからずおもへども、ひき殿どの〔の〕言葉ことばそむかバ又旅立たびだちさまたげとおもひしゆゑに、さからはずさかづきばかりハいたせしなり。たとへまくらかはさずともおやゆるせ夫婦めうとなり。如何いかでかこゝろかはるべき。閨房ねや添寝そひね睦言むつこといたすばかりが夫婦ふうふあらず。此処こゝところ聞分きゝわけて、滸我こがより此身が立かへるか又ハおん身をむかゆるか、其迄それまで此儘このまゝ 説諭ときさとしたる真意まごゝろに、浜路はまぢはぢ差俯さしうつむき「ことけたるその御言葉おことば元来もとよりたゞしい御心おこゝろしつてハれど女子おなご愚痴ぐちみだりがはしき鬱々うつ/\ふたが今さらはづかしい。此うへ御機嫌ごきげんう。滸我こがとやらより御帰おかへりをわたしつてりまするふもなみだ曇声くもりごゑ流石さすが信乃しの不憫ふびんさにみだる〔る〕むね押鎮おししづめ、押鎮おししづめても恩愛おんあいなみだ遣瀬やるせかりける。これよりさきに、ひき六ハかねたくみことなれハそろり/\と忍寄しのびより、屏風びやうぶすそ開措あけおいたるあなよりうち差覗さしのぞき、すき見澄みすまし村さめ丸を手を差入さしいれて盗出ぬすみだ[次へ]2ウ3オ

 3ウ4オ3ウ4オ

[つゞき]  おのかたな中子なかごはつし剱(み)ばかり彼方此方あちこち掏替すりかへもとごとくに屏風びやうぶ刺入さしい此方こなた一間ひとま忍出しのびで〔て〕あたり見まはし、ほつといきヤレ/\うれしやかたじけなや。年來としごろごろ心をけたまつ、一振ひとふりハしてつたぞ。れにつけても此御剱みたちぬけやいば水気すゐきあらはれ、殺気さつきふくんで打振うちふる時ハ水気すゐきほう散乱さんらんすと伝聞つたへき〔き〕しが、見るハはじめて、ためして見んと抜放ぬきはな再度ふたゝびたび打振うちふれバ、村さめ丸の奇特きどくたがはず、かほにぱら/\降掛ふりかゝ水気すゐきおどろひき六ハ、一人ひとり莞尓にこ/\打笑うちゑみて「あらそはれぬやいば奇特きどく、人かゝらぬそのうちに。ヲヽそれ/\さめやいばさやおさめつゝ、傍辺かたへ在合ありあ押入おしいれうちひそかに押隠おしかくし「ふるやつだが、もしひよつと人がたらバかいるよいか/\と押入おしいれの戸を閉切たてきつておくる。かゝをりしも物陰ものかげにて様子やうすうかゞ左母さも次郎が、ずつと立独白ひとりごと親父をやぢうまくしつたを、其処そこをもひと俺様おれさま上手うはてやつ押入おしいれよりかの一振ひとふり取出とりいだゆかんとせしが打案うちあんじ「これ此儘このまゝもつくハなにとやら危物あふなものこししたるかたな抜出ぬきだ彼此あれこれくらべて莞尓につこわらひ「そりながさも丁度ちやうどドレひま左母さも次郎ハ又その中子なかご抜替ぬきかへつゝ村さめ丸をわがさやおさめてこしし、ひき六がかたなへハおのれが劔(み)をバ掏替すりかへていれんとせしが「些時しばし最前さいぜん彼処あれにてうかゞへバ此村さめためせし様子やうす、もし又今にもいて見て水気すゐきくバしかるべし。ハテなにがなひつゝも見かへ此方こなた手水鉢ちやうづばちこれさいわいと立寄たちよつて手ばや汲取くみとひと柄杓ひしやくさやうち流込ながしこやいばおさめて又もとの戸だななか差入さしいれつゝあたり見まはおくくともしらずしてひき六ハ亀笹かめざゝ諸共もろともしばらくあつておくより立出たちいで「われ村雨むらさめ一振ひとふり年來としごろ奪取うばひとらんとおもへど、番作ばんさくばかりか信乃しのまた片時かたときそばはなさねバ、あの左母さも次郎をかたらひてぬすませんとハしたりしかど、左母さも次郎先程さつき素振そぶり貴奴きやつ油断ゆだんらぬやつ其処そこおもつて仕組しくんだ手だてむすめゑはうま/\と「すりや村雨むらさめ一振ひとふりを「ヲヽちよろまかして此処こゝにある押入おしいれの戸を引開ひきあけてかの偽物にせもの取出とりいだせバ「それまこと手柄てがら/\。わたしうはさいたれども、ついぞ水気すゐき奇特きどくこの一寸ちよつとわたしにも「見せてれいとやるのか。大切たいせつしななれど一寸ちよつと見せうかイヤよそうか。「コレじらさずさァはや擦寄すりよ亀笹かめざゝひき六ハやがやいば抜放ぬきはなし「いまこそ見する御剱みたち奇特きどく着物きものぬれ其方そちりや。どふだ/\打振うちふれバ [つぎへ]3ウ4オ

 4ウ5オ4ウ5オ

[つゞき]  水気すゐきにあらぬ手水鉢ちやうづばちの水をふくみしやいばしづくばらり/\と降掛ふりかゝれバ亀笹かめざゝ打驚うちおどろき「まこと不思議ふしぎかたな奇特きどくコレやしやんせ。このさやにも水気すゐきたまつてりますぞへ見するをひき受取うけとつて「最前さいぜんためして見たときより余程よほど水気すゐきしたと見へる。この一振ひとふりをしてやれバすぐ信乃しの追出おひいだし、其跡そのあときう殿どのむかへてむすめ婿むこにすれバ、陣代ぢんだい舅御しうとごさまゆへ、村の仕置しをきわが自由じゆうそれのみらずこの御剱みたち鎌倉かまくら持参ぢさんして扇谷家あふぎかやつけ差上さしあぐれバ、それかう召出めしいだされしなつたら国取くにとり大名だいみやうなるときわたし奥様おくさまあや〔や〕にしき縮緬ちりめんに「其方そなたもんわがもん比翼ひよくけてたのしむハ「コリャまァゆめでハいかいな夫婦ふうふよろこそのところへ、にわ柴折しをり押開おしあけて、ずつと入来いりく若党わかとう鉄内(てつない)ひき六ハおどろきて手ばやかたな押隠おしかくせバ、てつ内ハ手をつかへ「先刻せんこく軍木ぬるてばいさまより申入もふしいれたる婚姻こんいんこと如何いか〔が〕あらんと旦那だんなきうさまにもきつ待兼まちかねその返事へんじを今一度いちどうけたまはつて [つぎへ]4ウ5オ

 5ウ6オ5ウ6オ

[つゞき]  まいれとある五ばいさま仰付おふせつけられ、すこしもはや御返事おへんじをとふに、ひき出迎いでむかへて「これハ/\てつ殿どの御使おつかひがらとて御苦労ごくらう千万せんばん。此ほう一件いつけんも今すこしにて片付かたづけバ最早もはやほど此方こちらより御案内あんないいたすで御座ござらう。此むね宜敷よろしく五ばいさままでしからバそのこと片付かたつき次第しだい早速さつそく沙汰さたいたしませうふに、てつうち点頭うなづきて、もと来方きしかた帰行かへりゆく。おりしも信乃しの旅装たびよそをひして一間ひとまうちより出来いできたれバ浜路はまぢハもとよりしもべ介下女のおよしも打連うちつれおくよりいで〔て〕居並ゐならぶにぞ、亀笹かめざゝゑましげに「其方そなた発足ほつそくるのか。おもふたとふ祝言しうげんしてむすめさぞうれしからう。せめてハ今宵こよひ一夜ひとよだもとおもへど、今日けふ黄道くわうどうきち日。とむるハ其方そなた本意ほんいであるまい。随分ずいぶん道中だうちう機嫌きげんう、滸我こがいたりてのそみごと首尾しゆび御剱みたち差上さしあげなバ、はや吉左右きつさうしらせてたもひつゝ此方こなたを見かへれバ、ひき六も進出すゝみいで「此処こゝ滸我こがとハほどとふからねバ一人ひとりくとも道中だうちう心掛こゝろがゝりハあらねども、村のしゆの手まへもあれバ千住(せんじゆ)川のほとりまでもの一人ひとり付遣つけてやる。がくまいれと呼立よびたつれバ、はつこたへて小ものがく藏「いさ御伴おんとも立出たちいづれバ、信乃しの夫婦ふうふ打向うちむかひ「遺漏のこるかたされかたこの身にあまりてかたじけなし。滸我こが首尾しゆびだに宜敷よろしくバ、早速さつそく立帰たちかへりそのおり御礼おれいもふすべし。浜路はまぢ殿どのにもつゝがなく、御二人おふたりさまにも軽々かろ/\せられよ。およし介も機嫌きげんみな夫々それ/\挨拶あいさつして、はや外方とのかた立出たちいづるを、浜路はまち見送みおくきりぐち御機嫌ごきげんひさして、あとなみだ口籠くちごもるを、見返みかへ信乃しの哀別あいべつおもひハおな濡羽鳥ぬれはどりなみだせじとがく藏に会釈ゑしやくをしつゝさきてバ、あとしたが[つぎへ]5ウ6オ

 6ウ7オ6ウ7オ

[つゞき]  がく藏ハ荷物にもつかた軽々かろ%\しり引絡ひつからげてついく。あと見送みおくりてひき六ハほつと一息ひといきつきながら「これ信乃しの追出おいだしたれバ、もう邪魔しやまやつい。さァこれからが真実まこと祝言しうげん亀笹かめざゝ用意やういをしやらぬかふに浜路はまぢおどろきて「また此上このうへ祝言しうげんとハそりやまァたれ祝言しうげんを「ハテしれたこと。きう殿どの其方そなたそはせる祝言しうげんじやハ「それでもわたしやたつたいまあの信乃しのさんとさかづきを「させたハ信乃しの追出おひだす手たて滸我こがきてハまたふたゝかへことあの信乃しのに、何時いつまで未練みれんのこすのじや。それよりさらりと思切おもひききう殿どのに身をまかせておやこゝろやすめてれ。かしこものじやおやかほ熟々つく%\打守うちまもり「そりや胴欲どふよく御座ござります。女子おなごの子とうまれてハ二人ふたり殿御とのごまみゆるなと教草おしへぐさにもあるものを、このことばかりハ父様とゝさま言葉ことばながらわしいやじや堪忍かんにんして泣沈なきしづめバひき六ハ気色けしきへ「此程これほどふても口説くどいても聞入きゝいくバ是非ぜひい。留立とめだてするなおどしの脇差わきざしくよりはや我腹わがはら突立つきたてんとするいきほひに「アレまァつてととゞむる亀笹かめざゝ浜路はまぢハ見るより駆寄かけよつてちゝやいばすがき「こりや何故なにゆへ生害せうがいヱヽ何故なにゆへとハきこへぬぞや、かね仲立なかだちばい殿どのより申込もふしこまれし其方そなたことこゝろにハそまねどもいなはれぬさき陣代じんだい差上さしあげませうと請合うけあふたれバ今更いまさら其方そなた不承知ふしやうちふとも中々なか/\ゆるされず。言訳いひわけさのこの切腹せつぶくとめずとはなしてしなしてまたひらめかすやいば切先きつさき浜路はまぢなほ取留とりとめてなみだながらにかほ振上ふりあげ「たと無理むりでも非道ひだうでも養育よういくけた父様とゝさまぬるとまで[つぎへ]6ウ7オ

 7ウ8オ7ウ8オ

[つゞき]  覚悟かくごなされたうへ是非ぜひひつゝ又もや泣沈なきしづめバ、為済しすましたりと亀笹かめざゝが「そんなら其方そなた父様とゝさまあの御言葉おことばしたがふとか。コレひき殿どのきかしやんせ。浜路はまぢ得心とくしんしたといなふにひきやいばおさめ「むすめ得心とくしんするうへ背介せすけはや此事このこと[つぎへ]7ウ8オ

 8ウ9オ8ウ9オ

[つゞき]  五ばい殿どのしらもふせ、およしハむすめおくともな機嫌きげんなほして身仕舞じまひはやく/\いそがすれバ、こゝろならねど詮方せんかたく、およしハ浜路はまぢなぐさめて手をおくおもむけバ、背介せすけ渋々しぶ/\身をおこし「ドレうかたつく。

かくその日もほどくれそらさへくも宵闇よひやみの、あた小暗こぐら奥庭おくにわ浜路はまぢ一人ひとり忍出しのびい後先あとさきまは独白ひとりごと今日けふ如何いかなる日なるぞや。ちにたれた信乃しのさんと妹背いもせむすぶのさかづきかは本意ほいわかれ。それさへあるにとゝさんがあの胴欲どふよくされかたよこしま非道ひだうながらも三ッのとしからやしなはれ、おやのあるものしぬるとまではしやんすを如何どふまァ見すてらりやうぞ。とハふものゝ今更いまさら[つぎへ]8ウ9オ

 9ウ10オ9ウ10オ

[つゞき]  他男あだしおとこに身をまかせてハ女子おなごみち立難たちがたし。このうへハ身をすて〔て〕おやおつと申訳もうしわけ。そうじや/\うち点頭うなづきかたへふる井戸のそばまで歩寄あゆみよりたりしが「せめて再度もいちど信乃しのさんのかほが見たい。見てにたい。此程これほどおもわたしこゝろさきへハつうじぬことかいの又さめ%\と打歎うちなげく。うしろうかゝ左母さも次郎が「其程それほど信乃しのひたくバおれあはせてりやせうふに浜路はまぢおどろきて、其儘そのまゝ井戸へ飛入とびいらんとするを、しつか抱留いだきとめ「これハしたり浜路はまぢさん。御前おまへわり了見りやうけんだぜ。其程それほど信乃しのひたくバ、これから信乃しの〔の〕あとふて滸我こがくのが上分別じやうふんべつおれ今迄いままで御前おめへにやァ足駄あしだはい首丈くびつたほれてハたが、最前さいぜんからおつとおも御前おめへ心底しんていいてこゝろ入替いりかはり、何時いつもすじなら御前おめへをバ縛絡しばりからげて猿轡さるぐつわ、ところを今度こんど立役たちやくつたからにやァ浜路はまぢさん、何処どこ何処どこまで駕籠かごをもち御前おめへ信乃しのはせてる。さいは此処こゝ四手よつで駕籠かご。さァなせへ手をとれバ「それでハ如何どふとゝさんにふを、理無わりな引立ひきたて〔て〕駕籠かご押込おしこ合図あいづつぶておりしも彼方あなた木陰こかけよりあらはづる二人ふたり駕籠かごかき親方おやかた首尾しゆびハ「この駕籠かごに。いそいでたのむ「合点がつてん舁出かきだ駕籠かごに、左母さも次郎もとも引添ひつそはしく。 おくにハおよしがあはごゑモシ御嬢おじやうさまが見へませぬ。浜路はまぢさま呼立よびたつこゑおどろひき夫婦ふうふハ「なんぢや、むすめをらぬと。さて信乃しの言合いひあはせ駆落かけおちせしにちがひあるまひ。それのみならず左母さも次郎がおくに見へぬも心掛こゝろがゝり。むすめ誘出おびきいだしたハ左母さも次か信乃しのか。なに〔に〕もせよ、いま婿入むこいりさきになり。むすめらねバ大変たいへん/\。ものどもはや追手おつてけ。どふじや%\急立せきたちて、夫婦ふうふともに立つ騒廻さはぎまはれバ、おとこどもハ手に/\提灯ちやうちん六尺ぼう当処あてどしにふてく。おりしも介ハ外方とのかたより息急いきせき立帰たちかへり「最前さいぜんの御口上を五ばいさまへ申あげしに、殊外ことのほか御悦およろこびで、只今たゞいま此処これ御出おいではづ、アレ/\むかふへ提灯ちやうちんの見へるがたし婿様むこさまふに、ひき六又おどろき「ナニ婿むこ殿どのが見へるとか。そりやこそな、そりやこそな、亀笹かめざゝはやはかまて。およしハ其処そこ掃出はきだして燭台しよくだいすみぎ、火鉢ひばちあかりをつけておけ。 [つぎへ]9ウ10オ

 10ウ広告10ウ広告

[つゞき]  今のさはぎおとこどもみな追出おひだつたれバ勝手元かつてもとが人すくな、介ハなにをうろ/\する。へつゝいさかなべ、ねこたき木をひかれるな。イヤそれよりもむすめ行方ゆくゑしれぬがどふも心もとい。勝手かつてことハおよしにまかせ、其方そなた浜路はまぢを見てやれ。亀笹かめざゝはかま何故なぜたぬ「コレ御袴おはかま御前おまへ手に「ヱヽそれならバ何故なぜそうとはやおれにハしらせてれぬ。これてハはかま後前うしろまへ亀笹かめざゝなに狼狽うろたへる。はや羽織はをりきせぬのか。むすめだか。婿むこ殿どのことさへも後先あとさきに、一人ひき六ハ、おのこころねぢばかま狼狽うろたまはるぞ可笑おかしけれ。 [下の巻へつゞく]

春水作
國芳画
10ウ

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藏版新刊珎奇雜書略目録

遊仙沓春雨艸紙ゆうせんくつはるさめざうし 〈十一編|十二編〉 〈緑亭川柳作|一陽齋豊國画〉

田舎織糸線狭衣いなかをりまがひさごろも 〈四編|五編〉 〈仝作|同画〉

天録太平記てんろくたいへいき  〈初ヨリ|追々出板〉 〈仝作|一勇齋國芳画〉

奇特百歌仙きどくひやくかせん  同断 〈仝作|一立齋廣重画〉

畸人百人一首きじんひやくにんいつしゆ  全一冊 〈仝案|同画〉

狂句五百題きやうくごひやくだい  全二冊 五代目 川柳著

  東都書房  南傳馬町一丁目 蔦屋吉蔵板 」奥目録



〔二編下〕

〔見返〕

 見返11オ見返11オ
「爲永春水作/今様八犬傳 第二編の下/一勇齋國芳画/紅栄堂・錦耕堂合梓」「國芳女とり画」

〔本文〕

かゝをりしもきう六ハ若党わかとうてつ内に定紋じやうもんつき提灯ちやうちんもたせ、五ばい次、いほ諸共もろともに、ひき六が門口かどぐちより案内あんないたのむと言入いひいるれバ、うちにハまだ掃除そうぢ最中さいちうそれと見るより狼狽うろたへて「そりや婿むこ殿どの〔の〕御出おいでじやぞ。摺掛すりかけた味噌みそ大方おほかた其儘そのまゝあらう。吸物すゐもの〔の〕間合まにあはぬ亀笹かめさゝ擂鉢すりばち引寄ひきよ脇差わきさしこじりにてわれわすれて味噌みそれバ、蟇六ひきろく間違まちがへて擂粉木すりこぎこし差込さしこみ、つたる [つぎへ]11オ

 11ウ12オ11ウ12オ

[つゞき]  帚木ほうきてもあへず、あはてふためき出迎いでむかへ「これハ/\きうさま、五ばいさまにもいほさまにもみな御揃おそろひにて、ようこそ/\さゝつゝつふと御通おとふりなされ。彼処あれへ/\いざなへバ、きう六ハ衣紋ゑもんつくろたもとうちより匂袋にほひぶくろをひけらかしつゝうちり、すましたかほなほれバ、五ばいいほてつまでつゞひて一間ひとま入来いりきたり。各々おの/\挨拶あいさつおはりてのち、五ばい次ハ進出すゝみいで「先刻せんこく御人おひとあづかり、此方こなたの御都合つがう宜敷よろしよしうけたまはつて安心あんしんいたした。これつて取敢とりあへず婿君むこぎみ同道どう/\いたし、いほ諸共もろとも此迄これまで推参すいさん呉々くれ%\もふしたとふり、さかつきたゞかたばかり、かなら心配しんぱい無用むよう/\。また結納ゆひなう品々しな%\先刻せんこくわたした目録もくろくとほり、あとより押付おつゝ持参ぢさんはづ目出度めでた受納じゆのういたされよふに、蟇六ひきろくひたいて「痛入いたみいつたるそのあふせ。亀笹かめざゝなにをうろ/\する。御盃おさかづきはやて。ソレ吸物すゐものいそがすれバ亀笹かめざゝ挨拶あいさつさへべもおはらず勝手かつて立出たちいで、ほどはこ吸物すゐものせんみな夫々それ/\置並おきならべたる立振舞たちふるまひもあはたゞしきに、亀笹かめざゝはなさき鍋墨なべずみをべつたりと塗付ぬりつけたるをすこしもらず。くちをつぼめほそめつ、意匠いせうたら/\進出すゝみで〔て〕しやべるを蟇六ひきろく見返みかへりて [つぎへ]11ウ12オ

 12ウ13オ12ウ13オ

[つゞき]  これ如何いかにと苦々にが/\しげに目顔めかほそれしらすれども、一向いつかうかずなほしやべるをそでき「おのれかほ押遣おしやれバ「わたしかほ如何どふしました懐中鏡くわひちうかゞみ取出とりいだしうつして驚愕びつくりかほそむけ手ばやかみにて押拭おしぬぐへバてつ内ハ差出さしいでゝ「イヤもふ蟇六ひきろくさま亀笹かめざゝさま御顔おかほより此方こなた羽織はおり裏返うらがへし。其上そのうへこし擂粉木すりこぎなんためじやわらせバ、蟇六ひきろくはじめて心付こゝろつき、そでかくして擂粉木すりこぎうしろ投遣なげやり、羽織はをりをも手ばやぬひ着直きなほせバ、五ばいこれ執成とりなして「御夫婦ごふうふたはむれもときにとつての一興いつきやう/\。いざ吸物すゐもの頂戴ちやうだいふに、きういほ八もとも主人あるじ挨拶あひさつして、各々おの/\わんふたれバ五ばい次ハ愕然ぎよつとして「こりはまぐり吸物すゐものぞんじのほか此様このやう灰墨はいずみだらけの古束子ふるだはしこの御馳走ごちそう痛入いたみい挟出はさみいだせハ、亀笹かめざゝおどろき「女子おなごども狼狽うろたへて粗相そゝういたすもほどがある。御免ごめんなされてくだされましばやぜん引替ひきかゆれバ五ばい次ハ苦笑にがわらひ「イヤ取込とりこみのときなれバ斯様かやうことまゝあるもの。此上このうへ蟇六ひきろく殿どの御盃おさかづきをと取合とりあはせバ「イヤまづこれ婿様むこさまより「イヤ/\これ舅御しうとごより「イヱ/\ひら挨拶あいさつはてしなけれバ宮六きうろくが「しからバ御免ごめんさかつき取上とりあ並々なみ/\けて押頂おしいたゞ一口ひとくちのみしが、あつと吐出はきだし、いとくるしげなるこゑをして [つぎへ]12ウ13オ

 13ウ14オ13ウ14オ

[つゞき]  「式(しき)作法さほうしらねども、われ煮酢にへすませるとハなさけない御持成おもてなしふに夫婦ふうふまたおどろき、かさね%\の不調法ぶてうほう勝手かつてものかこつけてその過失あやまち塗隠ぬりかくせど、最前さいぜん吸物すゐものまたこの銚子ちやうし亀笹かめざゝが手づからたることなれバ女子おなごどもをもしかられず。一座いちざしらけて見ゆるにぞ、五ばい次ハどくに「りての酒盛さかもりゆへ勝手かつて混雑こんさつさぞあらん。さけ似寄によりのしな拙者せつしやわん束子たはしよりくらべて見れバ粗相そゝふうかるい。肝心くわんじん大度たいど簸上ひがみ殿どの是式これしきことかまあらうか。このさかづき一巡いちじゆんにして、はや嫁御よめごださるがなによりの持成もてなし取持とりもがほなる催促さいそくに、蟇六ひきろくこまて「如何いかにもむすめ差出さしいだし御盃おさかづきをもすべきなれど、浜路はまぢよひよりにはか病気びやうきナニ娘御むすめご病気びやうきとな言葉ことばなかばへ立返たちかへ介ハ一間ひとま入来いりきたり「イヤもふ旦那だんなさま其処等そこらいつへんたづねても御嬢様おぢやうさま御行方おゆくゑ半分はんぶんいはせず打消うちけ蟇六ひきろくヱヽつか/\なに戯言たはこと最前さいぜんむすめ病気びやうきゆへ [つぎへ]13ウ14オ

 14ウ15オ14ウ15オ

[つゞき]  医者いしやびにつかはしたが、さて医者いしや出違でちがふて行方ゆくへれぬともふすのか。れぬでハ相済あいすまぬ。も一度いちどつてたづねてい。ヱヽもめるハいそがぬかふをきう押留おしとゞめ「浜路はまぢ病気びやうきとあるならバ医者いしやもとめるまでい。乗物のりものにて連帰つれかへり、我方われかたにて典薬てんやく申付もふしつけて養生ようじやういたさん。寝間ねま案内あんないいたされよはれて蟇六ひきろく弥々いよ/\あはて「さァ其儀そのぎ差詰さしつまりしが、おもきつ容貌かたちあらため「今迄いままでつゝみしが、くなるうへ詮方せんかたなし。むすめよひ逐電ちくてんしていま行方ゆくゑしれませぬふに愕然おどろく三人なかにも宮六きうろく躍起やつきり「婚姻こんいんいまいたり、むすめ逐電ちくてんいたしたでことすもふとおもるか。さァ如何どふする急立せきたてバひきたゝみかしら摺付すりつけ「恐入おそれいつたることなれども、むすめ誘出おびきいだしたやつ大方おほかたそれぞんじてれバ家内かない者共ものどものこおつ手にいだしましたれバ押付おつつ引連ひきつかへるハ必定ひつぜうそれまで申訳もふしわけにかね御存知ごぞんじしられたる村雨丸むらさめまる一振ひとふり貴方あなたあづもふすのがいつはりならぬ拙者せつしや面晴めんばれ。いざ請取うけとりくださりませひつゝ以前いぜん押入おしいれより取出とりだかたなうや/\しくきう六のまへ差出さしいだせバ、きうすこおもてやはらげ「すりやこのかたなつたく「村雨丸むらさめまる正真せうじん正銘せうめいぬけやいば水気すゐきしたたり、殺気さつきふくんで打振うちふとき水気すゐきさんじて村雨むらさめこずへあらうにことならず。うたがはしくバ御試おためしあれふに宮六きうろくやいば引抜ひきぬれどもすこしの水気すゐきし。これ如何いか立上たちあがちからまかせ[つぎへ]14ウ15オ

 15ウ16オ15ウ16オ

[つゞき]  打振うちふれバ、うしろはしら打当うちあたゆみごとくにまがりしを、いほ八ハ見て打笑うちわらひ、天晴あつはれ切物きれもの水気すゐきく火気(くはき)ふたるやけ ふに、きう弥々いよ/\いかり「もう此上このうゑ了見りやうけんならぬ。煮酢にへすばかりか煮湯にへゆのませ、又其上そのうへ我々われ/\ちやにしてあそびし今宵こよひ返報へんぽうみづたまらず汝等なんぢらくび打落うちおとす。覚悟かくごせよ つたるやいば打捨うちすてつゝわが腰刀こしがたなくよりはやく、狼狽うろたまはひき六が肩先かたさきふか切込きりこめバ「アレまァつて亀笹かめざゝさゝゆるうしろに五ばい次が「邪魔ぢやまひろぐな抜打ぬきうちに背骨せぼねけて切下きりさぐれバ、いほ八もまた抜連ぬきつれてともらんとひらめかやいばに、介ハ小鬢こびんられあたまかゝへて逃込にげこめバ、あとにハきう六、五ばい次はじめいほ八もてつ内もともやいば打振うちふり/\、もだくるしむひき夫婦ふうふきやうまかせて嬲切なぶりぎり、おもひのまゝさいなみて、とゞめのかたなす。おりしも立かへがく藏が、提灯ちやうちんの火におどろきて、血刀ちがたなさやおさめもあへず、にげんとするをがく藏がはやくもそれと見てりて「主人あるじ夫婦ふうふ横死わうしひ、各々おの/\がたその有様ありさまはずとれたしゆう仇敵あだげ給ふとものがさじとふに、きう六、五ばいハ、相手あいて一人ひとり嘲笑あざわらひ「陣代ぢんだい我々われ/\無礼ふれいひろひき夫婦ふうふ誅伐ちうばつしたハ役目やくめおもてそれをもおそれぬ仇敵かたきよはわり、なんぢしゆう相伴せうばんせよ三人ひとしく抜掛ぬきかくるひぢおさへて突廻つきまはし「村長むらをさとかあらバ問注所もんぢうしよにてたゞさるべきを、夜中やちう騒動そうとう心得こゝろえず。われハ小ものがく藏、あい手にハ〔た〕ずとも主人しゆじん仇敵かたき、立ふて勝負せうぶめさ ひるまぬ勇魂たましいあなどがたしと三人ひそかやいば抜連ぬきつれて、ものをもはず双方そうほうよりきつかゝるを引外ひつはづし、ともやいば抜合ぬきあはせ、二撃ふたうち三撃みうちたゝかほどに、右よりすゝきう六ハ唐竹割からたけわりきりさかれ、これハとおどろく五ばいいほ八、ひるところ付入つけいつておなまくら斬倒きりたをせバ、この有様ありさまてつ内ハあはてふためき逃行にげゆくを、のがしハせじとがく藏が、おはんとしたるうしろより、こけまろびつ介ハ立出たちいで「ヲヽところがく殿どの旦那だんな仇敵かたき立刻たちどころうたれたハがらなれど、あの左母さも次郎がぢやうさま何処どこへかつれはしつたハ [つぎへ]15ウ16オ

 16ウ17オ16ウ17オ

[つゞき]  ふにがくおどろきて「ナニ浜路はまぢさま左母さも連出つれだしたとか。残念ざんねんや。さていまがた此処こゝみちふた四手よつで駕籠かごあと付添つきそふ男こそ、おもてしかと見さだめねどたしか網乾あぼし左母さも次郎。その行先ゆくさきハ円づか山、あと追掛おつかけて、ヲヽそれいでんとしたる門口かどぐちより、きう六がおとゝ簸上ひがみ社平(しやへい)若党わかとうてつ諸共もろとも数多あまた組子くみこ召連めしつれつゝ、つたとこゑ込入こみいるを、がくすかさず身をひらき、手あた次第しだい投退なげの突退つきのおもてかた立出たちいづるを、なほやらてつ内が武者振むしやぶりくを頭顛倒つでんどうおりしもそら掻曇かきくもあた小暗こぐらやみを、これさいわいとがく藏ハ、あとかくして馳去はせさるにぞ、しや平をはじ組子くみこハ、がく藏ならんと心得こゝろえて、介を矢庭やには打倒うちたをし、きびしくなはをぞけにける。

[こゝのゑとき]  円塚まるづか山の松かげへ、どつさりおろす四ッ手駕籠かごその駕籠かごかきの井太郎、加太郎あせきながら「モシ親方おやかたいそげ/\とはるゝゆへつへをもせずに大つかから此とふげまでとふしてた。骨折代ほねをりしろをと手をせバ、左母さも次ハ点頭うなづき懐中くわいちうより取出とりたかねを、井太郎が一寸ちよつひねつて嘲笑あざわらひ「方組ほうぐみたつた一両だぜ。いのち元手もとで今夜こんや仕事しごとわづかなかね追払おいはらはれ、己一人おのれひとりいゝことをさせてハ此方こつちあごる。此街道かいだう板橋いたばしはしはぶいた井田いたの井太郎「その相方あいかたの加太郎がかゝつたが其方そち不運ふうん駕籠かごおんなふにおよばず路用ろようかねも大小も身ぐるみいでひて強請ゆすりけれバ、打笑うちわらひ「ヱヽやかましい藪蚊やぶかどもほしくバ此世のいとまからひつゝ引抜ひきぬやいば稲妻いなづま。右にたつたる井太郎が肩先かたさきふか斬下きりさぐれバ、ほどもあらせず加太郎が打込うちこ息杖いきづゑ引外ひつはづあばらかけ横殴よこなぐり。られて〓〓よろめ弱腰よはごし[つぎへ]16ウ17オ

 17ウ18オ17ウ18オ

[つゞき]  発止はつし蹴倒けたほとゞめのかたなすをうしろに井太郎が又起上おきあがつて組付くみつくを「ヱヽ面倒めんどう振解ふりほとはらかたなに井太郎ハこしつがひ切通きりとほされふたつにつてたをるゝにぞ、左母さも次ハほつと一息ひといきき、やいばさやおさめつゝ駕籠かごすだれ押上おしあげて、浜路はまぢ助出たすけだし、かほ擦寄すりよせて「なう浜路はまぢもの強請ねだりする二人をバころして退のけれバ、もうほかなんにもこはことい。これから其方そなたおれ女房にようぼう満更まんさらわるくもあるめへ抱付いだきつかれて浜路はまぢ仰天びつくりそんならわたし信乃しのさんに「あはせてらうとつたのハ其方そなた連出つれだ謀計はかりこと其方そなた何程なにほどおもつても、とても信乃しのにハもうはれぬ。未練みれんのこさぬそのために、なにつてきかせる。もとよ信乃しの発足たびだち村雨丸むらさめまる一振ひとふりなりこうさゝげんため。ところを親御おやごひき殿との信乃しの御前おめへ床入とこい最中さいちう屏風びやうぶあなから手をいれて、ものしたかたなもう一番いちばんおれがものして此処こゝる。すれバ信乃しの滸我こがくとも、村雨むらさめ丸が偽物にせものゆへ縛首しばりくびしれこと。世に信乃しの何時いつまで心中しんじうだてをしようより、おれこゝろしたがへハ、其方そなたれてみやこのぼり、この村雨むらさめ一振ひとふり室町むろまち殿どの差上さしあげて、此身このみ出世しゆつせおもひのまゝ如何どふじや/\手をとり背中せなかなでなぐさむれバ、浜路はくぢ弥々いよ/\おどろきしが、深案しあんさだめて進寄すゝみより「きけきくほどおそろしい。父上とゝさん謀計たくみことうへ今更いまさらうちへとてハかへられず。ほかたよりのわたしそんなら御前おまへ真実しんじつ村雨丸むらさめまるとやらの一振ひとふりを「ハテうたがふもほどがある。たくハそれ抜出ぬきいだしわたすを、浜路はまぢハ手につてやうにして持直もちなほし、おつとかたきふよりはやく、油断ゆだん見澄みすま左母さも次郎が右のかひな斬付きりつくれど、流石さすがハかよはき女の手のうち掠傷かすりでなれバことともせず、たちまやいば奪取うばひとり,いかりにまかせて浜路はまぢした四五寸ばかり斬込きりこめバ、あつとさけびたをるゝを、其儘そのまゝ其処そこ踏据ふみすへて「こひなれバこそ様々さま%\すかせバ弥々いよ/\付上つけあがり、われむかつて刄物はもの三昧ざんまい可愛かはいあまつて [つぎへ]17ウ18オ

 18ウ19オ18ウ19オ

[つゞき]  にくさが百ばいそれほど信乃しのひたくバいとまらせる。あの世でへ。此世の名残なごりも今些時しばしきたくバけ。ひたくバへ。そのくるしみを見るも一興いつきやうらバこれにて聴聞ちやうもんせんやいはつち突立つきたてつゝ石に腰掛こしか大胡坐おほあぐら浜路はまちくるしき見開みひらき「うらめしや左母さも次郎。ぬしる此身に無体むたい恋慕れんぼそれのみらず村雨むらさめ御剱みたちまで掠取かすめとり、おつと難儀なんぎけたるうらみ、せめて一太刀ひとたちなりともとおもふに甲斐かいき此深傷ふかでそれけてもわがほど世に味気あじきものい。ちいさいときから親々おや/\御許おゆるしけたいもも、たゞ名のみにて添寝そひねもせず、まことおや煉馬ねりま家臣かしん犬山氏とかきゝしのみ、御顔おかほらず、名もらず。せめてまことおや兄弟きやうだいその生死いきしにきくまでおつとふたゝふ日までいのちほしい。にともなみだながらにかき口説くどけバ、左母さも次ハいて伸上のびあがり「扨々さて/\長々なが/\しい世迷言よまいごとうけたまはつてほとんど退屈たいくつおやためにハ孝女でも、信乃しのためにハ貞女ていぢよでも、おれためにハちつとならぬ。もうほどくるしんだら、うぬこゝろかけ村雨丸むらさめまる引導いんどうを、らバわたしつかはさんひつゝしつかに身をおこ浜路はまぢうへ踏跨ふみまたがとゞめのかたなさゝんするに、不思議ふしぎ左母さも次が身内みうちしびれてさながものくるふがごとくうつかんで身をほどに、手につるぎわれ我腹わがはらにぐつと突立つきたちて、うんと一声ひとこゑさけびもあへず尻居しりゐどうたをるゝおりしも、片方かたへ岩室いわむろうちたゝすあやしの道人(だうじん)いんむすびし手をほど進出すゝみいでつゝ、左母さも次郎がはらたつたる村雨むらさめ丸をぬけバ、たちまいき吹返ふきかへ蹌踉よろめきながら差添さしぞへの小太刀をひて斬掛きりかゝるを、右と左遣違やりちがはしかたなぐりに撲地はたやいばさへに、左母さも次郎ハ翻筋斗もとりうつたをるゝを、道人(だうじん)これにハれず、しきり水気すゐき立上たちのぼそらにハいかづち鳴渡なりわたやいば奇特きどくきつと見て「おときこへし村雨むらさめ丸。はからずわが手にいりたるハ、仇敵あたうつべき時節じせつ到来とうらい。あなよろこばしやうれしや押頂おしいたゞきつゝ押拭おしぬぐひ、やいばさやおさむれバ、たちましづま稲妻いなづま雷電らいでん其時そのときくだん道人だうじんハ、たをれ浜路はまぢ引起ひきをこし、くわつるれバいき吹返ふきかへし、見れバあやしき介抱かいほう振放ふりはなさんと身を藻掻もがくを、ちつとゆるめず「コレいもと。世にはばかりのきにあらねどよるしげ山、人たへほかものあらざれバ、子細しさいかたらんよつけ。われ其方そなた腹替はらがはりのあに犬山道松(みちまつ)忠與(たゞとも)これなりそも/\主君しゆくん煉馬(ねりま)殿どのにハ池袋いけぶくろ戦闘たゝかひにハ遅速ちそくのこらずうたれ給ひ [つぎへ]18ウ19オ

 19ウ20オ19ウ20オ

[つゞき]  父もその敢無あへな最期さいごわれながらふへきにらねど、目指めざ仇敵かたき出会いであはねバ、不思議ふしぎその切抜きりぬけしより、やがて復讐(ふくしう)の大義をくはだて、いへつたはる火遁(くはとん)じゆつにておほくの愚民ぐみんまどはかし軍用金ぐんようきんあつめんと、此岩室いわむろしのおもはず立く此有様ありさま其方そなた言葉ことばに、まことおや煉馬ねりま家臣かしん犬山とふにておもあはすれバ、われ一人ひとりいもとあり。当時そのかみわがちゝ道策(どうさく)さま二人ふたり側室そばめち給ひ一人の名を黒白あやめひ、また一人をバ阿是非おぜひふ。あるときわがちゝたはむれに二人ふたり側室そばめ打向うちむかひ、汝等なんぢら二人ふたりそのうちにてはや男子おのこみたるもの本妻ほんさいにすべしとり。しかるに阿是非おぜひハ身ごもりてすなは我身わがみ産落うみおとせしゆへやが本妻ほんさいにせられしに、そののち黒白あやめ懐胎くわいたいしてほど其方そなたみしかども、阿是非おぜひさきされしをねたましくおもふにより、わがはゝばかりかわれまで黒白あやめためがいせられしに、われうんよみがへり、黒白あやめ悪事あくじあらはれたれバ、ちゝいかはなはだしく、黒白あやめつひつみせられ、当時そのかみの子の其方そなたまで生涯せうがい不通ふつう約束やくそくにてひき六とやらもの〔の〕養女やしなひむすめられしとぞ。れバいもとりとハけど、一度ひとたびちゝて給ふをわれ如何いかにして見かへらんとこれまで便たよりもせざりしに、思掛おもひが今宵こよひ対面たいめんはゝ悪事あくじの身にむくかゝ非業ひごうの死(し)せども、おつとためみさほやぶら今際いまはきはまでおやおもその真心まごゝろとゞひてや、はからずあに〔に〕巡会めぐりあ即座そくざあだむくひしのみか、最期さいごじつおやりしハ誠実まことあはれむ天の配剤はいざいこれ冥土めいど土産みやげとして仏果ぶつくは説示ときしめせバ、浜路はまぢくるしさ打忘うちわすれ「さて御前おまへあにさんか。はゝ悪事あくじ露知つゆしらず、便たよりのいを今までうらんでゐたが勿体もつたいい。月ごろしたふたあにさんにかゝりておやことうれしさにきて、また心掛こゝろがゝりハおつとの身のうへ滸我こが持参ぢさん村雨丸むらさめまる真正まことならずバ言訳いひわ〔た〕じ。此上このうゑたのむハあにさんばかり。これより滸我こがおもむきて御剱みたちおつとわたしてべ。おがみまするひながら両手りやうてあはすれバ、あに〔き〕つゝ嘆息たんそくして「其方そなたねがひハもつともなれども、君父(くんふ)仇敵あだなる定正(さだまさ)たばかよつ狙撃ねらひうつにハ又と得難えがたき此銘刀めいたう「すりやその仇敵かたきまでハ「不憫ふびんながらもあいらぬはれて浜路はまぢむねふさがり、あつと一声ひとこゑさけびしが、そのまゝいきたへにけり。かゝところ息急いきせき走来はしりきたりしがく藏が、それと見るより駆寄かけよつて道松みちまつたづさへたるかたなこじり引留ひきとむれバ、此方こなた[つぎへ]19ウ20オ

 20ウ広告20ウ奥目録

[つゞき]  さはがず振払ふりはらひ、たがひ抜合ぬきあ白刄しらは白刄しらは些時しばしあひだたゝかほどに、いらつて討込うちこがく藏がやいばそれ片方かたへなる石にかつちり打当うちあてれバ、ぱつとつたる石火(せきくわ)ひかりみちたりと飛退とびしさり、火を見てかくるゝ火遁くわとんじゆつかげかくしてうせにけり。

○これより第三べん伏姫ふせひめ山のだんつゞく。めでたし/\/\/\

浄書 草鳥 

爲永春水作
一勇齋國芳画
20ウ

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嘉永五壬子歳新鐫藏板目録

阪東太郎後世譚ばんどうたらうこうせいばなし 〈八編|九編〉  〈西馬作|貞秀画〉

岸柳四魔談きしのやなぎしまものがたり  〈三編|四編〉  〈同作|國輝画〉

倣像なぞらへ水滸すいこ〉 侠名鑑けうめいかゞみ 〈初輯|二輯|三輯〉 樂亭西馬稿案 〓持樓國輝画圖

勸善くわんぜん懲惡ちやうあく〉 乗合噺のりあひはなし  〈七編|八編〉 〈柳下亭種員作|一陽齋豊國画〉

江戸鹿子紫草紙えどかのこむらさきさうし 〈二編|三編〉 〈文亭梅彦作|香蝶樓豊国画〉

小栗判官駿馬誉おぐりはんぐわんめいばのほまれ 〈中本|一冊〉 〈西馬編|芳虎画〉

象頭山夛宮日記ぞうづさんたみやにつき 〈中本|一冊〉 〈樂亭譯|國輝画〉

爲朝弓勢録ためともゆんぜいろく 仝 〈同|同〉

東都馬喰町二丁目西側 〈書物地本|繪草紙〉 問屋 山口屋藤兵衞 奥目録



〔後ろ表紙〕

 後ろ表紙後ろ表紙


# 『今様八犬傳』(一) −解題と翻刻−
# 「人文研究」43号(千葉大学文学部、2014年3月31日)
# 【このWeb版は活字ヴァージョンとは小異があります】
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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