『小説比翼文』(曲亭馬琴・享和四年刊)
高木 元 

【解題】

曲亭馬琴は本名滝沢興邦、後に解と改める。通称清右衛門、別号著作堂主人等(「滝沢馬琴」という呼び方は正しくない)。明和4(1767)年生れ、嘉永元年(1848)歿、享年82歳。江戸読本作者の第一人者である。早くから伝記研究が進み、現存する日記や書簡の大部分は活字化されて容易に見られるようになった。伝記については既に何回となく紹介されているので、ここでは触れないととにする。

さて、伝記資料に比べて著作の紹介はひどく遅れている。馬琴が残した作品は膨大な量にのぼるが、随筆類に比較的多くの翻刻が見られる以外、その代表作にすら信頼できる活字本が少ない。それでも明治期の叢書類には多くの作品が収められていたが、残念なことに現在では極めて入手が困難になってしまった。しかも明治期の翻刻は読み物として出されたもので、挿絵を欠いたり後刷本を底本とするなど、テキストとして満足に使用できないのである。本書に収めた『小説比翼文』(以下『比翼文』)も續帝國文庫『名家短編傑作集』(明治36(1903)年、博文館)に収められていたのだが、挿絵を欠いており、やはり校訂にも問題がある。ただし挿絵だけは『北齋讀本插繪集成』第1巻(美術出版社)に収められている。

ところで馬琴読本の処女作である中本型読本『高尾船字文』(寛政8(1796)年)は、『水滸伝』や『焚椒録』、更には『今古奇観』第3話「膝大尹鬼断家私」(訓点本『小説奇言』巻3)などの中国小説を、わが国の演劇である先代萩の世界(『伊達競阿国戯場』)に付会した作品。しかし巻末で予告された後編『水滸累談子』が出板されていないことからも分かるように、評判はあまり芳しいものではなかった。8年後の享和4(1804)年心機一転して2作の中本型読本を刊行した。その1つが『比翼文』で、もう1つが『曲亭伝奇花叙児』(以下『花叙児』)である。その『花叙児』は、徳田武氏が「『曲亭伝奇花叙児』論」(『日本近世小説と中国小説』、青裳堂書店)で明らかにされたように、中国の伝奇しばい『笠翁伝奇十種曲』中の「玉掻頭」を浄瑠璃風に翻案して、中国伝奇の台本に擬した様式で書いた作品である。袋や見返しに「一名彼我合奏曲」と標傍し、題名に〈伝奇〉という言葉を冠しているように、中国の戯曲を日本の演劇に付会するという斬新な試みを行った作品である。一方『比翼文』の方では題名に〈小説〉という言葉を用いている。実は、この〈伝奇〉と〈小説〉という2語は当時の日本にあっては異国情緒に富んだ耳慣れない語彙なのであった。だから題名の付け方を見ただけでも、読本という新しいジャンルに対する馬琴のただならぬ意気込みが読み取れるのである。

さて『比翼文』の中国典拠として、『醒世恒言』第8「喬太守乱点鴛鴛譜」(訓点本『小説精言』巻2)が指摘されている(麻生磯次『江戸文学と中国文学』、三省堂)。だが、ここから利用したのは女装した美少年が美女と契りを結ぶという部分的な趣向に過ぎない。むしろ中心は浄瑠璃『驪山比翼塚』(安永8(1779)年)や実録『比翼塚物語』(写本)、さらに容揚黛の中本型読本『敵討連理橘』(安永10(1781)年)等さまざまな形で流布していた小紫権八譚である。これら実録の小紫権八譚を換骨奪胎して、『比翼文』全体の枠組みとしているのである。既に内田保廣氏が「馬琴と権八小紫」(『近世文藝』29号)で詳細に分析されているように、『比翼文』では実録の約束に従いながらも権八の〈悪〉を薄め、その庇護者である幡随院長兵衛を〈侠客〉として形象化している。つまり馬琴は、この改変によって道義性を強調したのである。とは言っても表面的な勧善懲悪臭は、後年の馬琴読本に比べればずっと希薄である。

一方、水野稔氏は「馬琴の短編合巻」(『江戸小説論叢』、中央公論社)で、浮世草子『風流曲三味線』巻4、5(宝永3(1706)年)と読本『西山物語』太万の巻(明和5(1768)年)とを、『比翼文』の全体の構想に関わる典拠として挙げられている。『風流曲三味線』に拠って権八と濃紫との因縁の伏線を設定し、『西山物語』に拠って両家の葛藤の発端として武芸試合を設定したのであった。

ところで読本では作中人物達の関係に前生の因縁を設定し、その宿世に拠って筋の進行を合理化するとこが多い。すなわち〈因果応報〉と呼ばれている方法である。馬琴の場合は、後に益々この傾向が強くなり馬琴読本の顕著な特徴の1つになるのだが、既に『比翼文』に、おいてその萌芽が見られる。すなわち権八と濃紫の前生を権八の父が撃ち取った雌雄の雉子であったとすることにより、この2人が現世では夫婦として添い遂げられないように設定したのである。そして、このような仏教思想を借用した因果律は、以後の読本の構想法として作者と読者との聞に於ける暗黙の約束事となったのである。

さて馬琴は『比翼文』の自叙でも言及しているように、美少年の持つ妖しい美や男色に対して興味を持っていたようだ。享和元(1801)年の黄表紙『絵本報讐録』(敢えて玉亭主人と署名)で男色ものを手掛けているし、後年、未完の長編読本『近世説美少年録』9編(文政11(1828)〜弘化4(1847)年、4編以下は『玉石童子訓』と改題)では善悪2人の美少年を主人公としているのである。それでも公式的な発言では、男色に対して露骨な嫌悪の念を説いている。

このように『比翼文』は、以後の馬琴読本に於て自覚的に方法化される多くの要素を孕んでおり、馬琴読本の出発点として重要な位置を占める作品であるというととができよう。

【書誌】


底本 国立国会図書館蔵(208-142)
編成 中本 2巻2冊
表紙 利休鼠無地(19×13.0cm)
題簽 左肩 子持枠「〈守節雉|恋主狗〉小説比翼文 上(下)
見返 右に「小説比翼文」左に「曲亭馬琴子編」中央下に「書肆 仙鶴堂梓[印]
自叙 「小説比翼文自叙[印]」末に「曲亭馬琴子\蓑笠隠居[印]
目録 「〈守節雉つまこふきじ恋主狗しゆをおもふいぬ〉小説比翼文總目録」
口絵 2図(1丁) 第1図右下に「北齋辰政 画」とある。
内題 「小説比翼文上(下)巻」下に「東都 曲亭馬琴著編」
柱刻 「小説ひよく文上(下) ○丁付」
挿絵 15図(墨刷りのみ)
尾題 「小説比翼文下巻 畢」
構成 〈上冊〉見返し、自叙6丁、目録1丁、口絵1丁、本文25丁、計33丁。
   〈下冊〉本文32.5丁、刊記0.5丁、計33丁。丁付は「三十四」〜「六十五終」
匡郭 15.3×11.2cm
行数 自叙・本文共 九行
表記 句点読点の区別なく「。」が用いられ、ほぼ総ルピ。
刊記 「享和四年歳宿甲子吉日兌行\江戸本町條通油町\僊鶴堂 鶴屋喜右衛門
広告 刊記右に「曲亭主人新編」として四作の作品が挙げてある
印記 上巻一丁表、上部に「大」(大惣の印)
伝来 大惣本
備考 上巻題簽右側に、大惣のものと思われる題簽が剥離した跡がある。底本の虫損部分については天理図書館本を参照した。この天理本は濃標色無地表紙で題簽欠。また、立命館アートリサーチセンターの林美一コレクション中に後印1本が存。なお、改題後印本として『遊君操連理餅花(きみ□みさをれんりのもちはな)』、丁卯、仙鶴堂版がある。

【凡例】


一 原則的に原本通りに翻刻したが、以下の諸点に手を加えた。
一 JIS外漢字については近似の字体を用いた。PDF版は可能な限り異体字も表記した。)
一 片仮名は特に片仮名の意識で使われていると思われるもの以外は平仮名に直した。
一 右に拘わらず、助詞の「は」に「ハ」が用いられている場合は、これを残した。
一 「叙」に使用されている句読点(白ゴマ点)は、読点と句点とに直した。
一 本文には句読点の区別なく句点が用いられているが、読点と句点とに区別した。
一 衍字や欠字、表記上の誤りと思われる箇所は〔 〕で示した。
一 各丁の区切りに」印を付し、裏には丁付を示した。
一 割書は〈|〉で示した。(〈守節雉つまこふきじ恋主狗しゆをおもふいぬ〉)
一 左ルビは該当語に続けて〈○カタカナ〉の如く示した。

【見返】

見返

【自叙】

小説比翼文しようせつひよくもん自叙しじよ[出思]

享和きやうわ三年弥生やよひ半過なかばすぐるころ、杜鵑ほとゝぎすなきたつ春の青山あをやまのあなたなる、めぐろの不動尊だうそんにまゐれり。此ところハいにしへ、まきのあらこまいだせしより、めぐろの名ハ有けるを、今ハ目黒めぐろかくをもて、後人こうじん附會ふくわいせつをなすとかや。なほこゝかしこうかれありくほどに、ながき日あしもかたぶきて、ものほしうなりぬ。こゝにうたかたのあはもちひさくいへあり。これなん此あたりにハ名たゝるものから、やがてその家に立よるに、もちひいまかしきはべる。少刻しばらくまたせ給へといふ。さらバいこひて道のつかれをもはらすべし。とくかちてよといひつゝまくらして目睡まどろみぬ。ゆめごゝろにみちほど五六町立出たちいでて見れバ、竹垣たけがきあやしく締捨むすびすてたるいほりあり。には遅桜おそさくらさきみだれし、たちくきとりこゑ/\。うき世のほかはる住馴すみなれけん人のうらやましく、しば垣間かいまおれば、うちより二八ばかりの女の、そのさま唯妍あてはかに、むらさきのいろこききぬたるが立出たちいでそととふ。おのれしか%\のもの也と名告なのるに、さてハとしごろ聞及きゝおよびぬる風流士みやびをにておはせ。主人あるじも友ほしく思ふ折にし」1 あれバ、こなたへ入らせ給へとともなひぬ。坐敷ざしきむしろ四ひらばかりまうけたけはしらくち馬峰うまばちすみか軒端のきばかやすゝけてつはめうしなふ。あるじハかゝる葎屋むぐらやげなき美少年びしようねん也けり。深山みやまゆききえやらぬ身をかこち、くれたけのよをすてたる人と〔ゝ〕も見えず、いかなるゆゑにや田舎いなかには引籠ひきこもり給らん。いと覚束おぼつかなくこそといふに、主人あるじすこはぢらひたるさまして、あやしみ給ふもことわりなれ。おのれひじりふみにもうとく、又山水さんすいたのしむものにもあらず。たかきいやしきも、色にふけりて」 夏虫なつむしの身をこがし、蜘牛かたつふりいへをうしなひ、とほくににさすらひ、しらぬ田舎いなかすみはてぬるたぐひ也かし。されバ天地あめつちひらけしより、男色なんしよく女色によしよく二道ふたみちおこなはれて、天神てんじんだいあひだ女體によたいなし。これ男色なんしよく根本こんほんなるよし大かゞみ作者さくしやはいひける。こは槿むくげはなゆふべにしぼみ、朝皃あさがほ日影ひかげまたで、さかりいとみじかきものから、それさへもゝとせの身をはたす人もはべるめり。むかし空海くうかい法師ほふしこのみちつたへため入唐につたうして、石橋しやくきやうあやうきをわたり、衆道しゆどう奥義おうぎきはめしより、真雅しんが僧都そうつ常盤ときはの」2 山のいはつゝじとよめりしハ、業平なりひらの俤わすれかたきをかこちけん。ある蓮生れんしよふ法師が弓、或ハ僧正坊そうじやうぼう形見かたみ羽團扇はうちわ兼好けんこうが命松丸をいたはり、義鑑坊ぎかんぼう義晴よしはるにかしづくなど、このたぐひなほ多し。漢土もろこし〓通とうつうハ、文帝ぶんていに愛せられてはらめりともいふ。哀帝あいてい〓賢たうけんきさきのごとくし、弥子瑕びしかくひさしの桃にはゑいきみよたれながさせ、東坡とうばなみだこぼさせしハ、節椎せつすいが手がら也けり。異國ゐこく本朝ほんちやうこのたはふれさかりになりゆくまゝに、伽羅きやらにましたる甚之介どのてふ狂哥きやうかハ、二百年」 ぜん秀句しうくなりや。しら拍子びやうしのながれ二すぢにみなぎりおちてより、哥舞伎かぶき色子いろこ世にしようせられしハ、竹中庄太夫、かう之介、一学いつかく、初太夫、伊織いおり。又中頃は、小紫こむらさき、藤田皆之丞、伊藤小太夫、松嶋半弥、坂田小傳次、つゞきて市村玉柏たまかしは、山本かもん、山下亀之丞、袖崎そでさき哥流かりう、中村千弥、岩井左源太、中村きし之介、津川半太夫、松本重巻しげまき、これらハ都の花といふ。よしや難波なには芳沢よしさはあやめ、浅尾十次、花井あづま、鈴木すゞき辰五郎が舞臺皃ぶたいかほ。こゝろある人に見せはやくにの、西鶴さいくわく發句ほつくにも、かほ見せや判官贔屓はふぐわんひいき鈴木すゝきがたと、ほめ3 けるハこれなりとか。みねの小ざらしが、きぬ/\のうらみよりはなちける。とりなく東路あづまぢにその名聞きこえたる左近さこん右近うこんハ三寸五分の振袖ふりそでに、おび蘇枋染すはうそめあさ組織くみおりにし、はゝハ二寸五分をかぎりとして、跡先あとさきふさをつけて、四五寸むすびさげかみ百會ひやくゑの上にて元結もとゆひまきたてゝ額髪ひたいかみ左右さゆうわけ女がたにいでたつ時ハ、しろ手拭てぬぐひまゆの上にかけて、是をうしろにてあはせ、赤繪あかゑあふぎをさし挿頭かざして、おもしろの海道下かいとうくだや。ふでにかく共およばじといふうたを、二三ねんならひて太夫とよばれ、小栗をぐり清水しみつの段、をけ柄杓ひさくかた」 にかけ、てる手のひめ狂言きやうげんのはじめとせしよし、古老ころうのいひつたはべる。これらを今の世の色子いろこにくらぶれバ、花のかたはらなる深山木みやまぎなるべけれど、そのころ此いろのおこなはれしこと、今にまさりたるこそいとあやしくはべれ。おのれもあにとしたのめる人なきにあらねど、一たび妓女うかれめいろそみしより、その人としもとほくなりて、かゝるわび人とハなりぬといふ。又かの女のいへりけるハ、さなきにも女ハ五しようのつみふかきに、宿よねあそびとなりぬる身こそ、なほあさましくもかなしはべれ。そが中に傾色けいしよくに名高きハ、葛城かつらき定家ていか、そのゝち京によしの。江」4 戸にかつ山、大坂に利生りしよふとて、だいげいをむねとして和哥わかみちにこゝろをよせ、印籠いんろう巾着きんちやくじめに珊瑚さんご琥珀こはくをえらみ、太夫とよばれながら後帯うしろおびにして、四折の半帋はんしをふところかみとし、ちや種香しゆごうたしみ、こと三絃さみせんかきならし、こゝをとほ熊野くまの道者どうしやにもつたもなきかさにさいたもなぎの葉といふうたひきそめて、これをなぎぶしとづけしを、のち投節なげぶしとあらためて、かごの鳥かやうらめしやといふ唱哥しようか箕山きざん作出つくりいだせしより、此一ふし都鄙とひつたへて、さかひ隆達りうたつ妙音みやうおんにハ、田舎人いなかうどみゝおどろかし、」 東國あづまにハやへうめといふ新曲しんきよくおこなはれ、又手ぶしてふ哥も是より出て、はなぶさ何がしがさくもありとぞきこはべる。されバ中ごろまて太夫道中どうちうするときハ、禿かふろ二人に三絃もたせて、さきたゝせけるも、此等これら余波なごりとぞしらる。扨よしなき昔語むかしかたりして、釈迦しやかまへにきやうとくこゝちし給ひけん。きみが年々の冊子さうし、たえず両夜あまよのつれ%\をなくさめ侍る。このころハいかなることをかつゞり給へる。きかまほしといふ。やつがれこのもの語をきゝて、ひさむしろにすゝむを覚ず。やがてふところより二巻ふたまき冊子さうしをとり出ていへらく、おのれさえみじかけれバ、めづらかなるふでずさみもはべらず。此さうしハ、」5 往年いぬるとし何がしがふてあらはしてより、としごとに哥舞伎かぶき狂言きやうげんにすといふ。平井、幡随ばんずいが事かけるもの也。こゝろにとむべきものならねど、閑居かんきよとぎにもやと、打ひらきてさしおけバ、かの忽地たちまちなやましげに見ゆ。こハいかなるゆゑにか、これらのことをハいみ給ふるととふに、あるじの少年つとたちあがりて、きみもしわれ/\が名をしらんとならバ、行てかしこのつかを見給へといふ。こゑいまだをはらす、かせさと吹來ふきくほどこそあれ、今までありける人ハ見えす。いたゞきの上に家もくづるゝごときおとするにおそれて、ひと声あとさけはんとするとき驚寤おどろきさめぬ。是南柯なんか一夢いちむ也けり。往昔むかしたう開元かいけん七年、處士しよし廬生ろせいてふ人、邯鄲かんたんたびやどりして呂翁りよおうまくらまくらとし、五十年の栄枯ゑいこを夢みしこと、沈既済ちんきせい枕中記しんちうきに見えたり。わかゆめそれにハことにしあれと、かれわれさむるにあはむせるをまたず。鳴乎あゝ前身ぜんしんといふべきや。はた後身こうしんといふべきや。今又呂翁りよおうを見ることなし。つひに身をそばだておきあがらんとすれバ、比翼ひよく塚のほとり堆子きじしきりになきて、はるの日やうやく西にいりぬ。

[曲亭馬琴子]     
蓑笠隠居[著作堂]6

叙末・目録

【目録】
守節雉つまこふきじ恋主狗しゆをおもふいぬ小説比翼文しようせつひよくもん 總目録そうもくろく

第一編だいいつへん 窮士きうし野鶏きじをゐてわざはひをのこすこと
     浮屠ふと〈ホウシ〉小兒しようにさうしてめいをかたる

第二編  犬兒けんじ〈イヌ〉おんをかんじて情子じようしに〈オモフヒト〉使つかひする
     寳劍ほうけんをしちとして右内うないろくをゆづる

第三編  平井ひらゐ本所ほんじよ闘劍法たちあはせの
     吾妻森あづまのもり三四白冢みよしづかの

第四編  權八ごんはちいかりて助太夫すけだゆうをころす
     寃家ゑんかを〈カタキノイヘ〉よぎりて助市すけいちあたをやしなふ事」

だいへん  鈴森すゞがもりに長兵衛ちやうひやうゑ行客たびゞとをすくふ
     〈ニセ〉女子ぢよしみをうりて濃紫こむらさきをいどむ

第六編  幡隨ばんずい黒夜こくや義弟ぎていを〈ヲトヽブン〉こゝろむ
     男女なんによしをけつして淺茅あさぢにはしる

第七編  つまをすてぎをたつさへてあんにわざはひにあふ
     りやうふん〈ツカ〉いしをがつして比翼ひよくとなづくる

小説比翼文總目録7

【口絵】

目録・口絵

比良井權八ひらゐごんはち

 雄児ゆうぢ任氣使じんきのしなはおほふ少年しようねんじやう   けんをつきて嫖院ひやういんをよぎりひとをころす都市としのかたはら   北斎辰政画 」

口絵・巻頭

妓女濃紫ぎぢよこむらさき

 當年たうねんしとしようす妖狐ようこのくわい   三徳さんとく不空むなしからずていにしす8

【本文】

小説比翼文しようせつひよくもん上巻

東都 曲亭馬琴著編 

 第一編だいいつへん  窮士きうし雉子きじわぎはひをのこす事
        浮屠ふと小児しようにさうしてめいかたる事

むかし武蔵國むさしのくに葛飾郡かつしかのこふり平井村ひらゐむら郷士ごうしに、平井ひらゐ右内うないといふものあり。その先祖せんぞをたづぬるに一條いちじよう天皇てんわう御宇ぎよう武畧ぶりやく達人たつじんと聞えたる、丹後守たんごのかみ平井ひらゐ保昌ほうしよう後裔こうえいにして、父祖ハ安房あは里見さとみ義弘よしひろにつかへしが、義弘よしひろ滅亡めつぼうのゝち故郷平井ひらゐ村に隠居いんきよし、軍学ぐんがく釼術けんじゆつをしへ生計よわたりとせり。今の右内」 に至りても、父祖ふそぎやうをうけつぎて釼法けんじゆつ指南しなんす。右内その人となり廉直れんちよくにしてへつらはず、こゝをもてわぎたけたりといへども門人すくなく、そのいへきはめて貧窮ひんきうなり。としわかゝりしときかりをこのみてにあそぶ。一日雉子きじをうちてそのくびあてたりしが、そのくびとびくさむらのうちにや入けん、これをたづぬるに見えず。明日あす又おなじ野にてその雌鳥めすをうちとめけり。此雉子きじ、きのふうちたりし雄鳥をすくびがひの下にかくしもてり。右内うないこれを見て大に慙愧さんぎし、それきじ守節しゆせつとりなり。鳴乎あゝ飛禽ひきんもなほ、夫婦ふうふいもせの恩愛おんあいかくふかきを、」9 人としてなすこともなく、いけるをころしてたのしみとせんこと、積悪せきあく餘殃よわう天理てんり、おそるべしつゝしむべしと忽地たちまち感悟かんごしてつひ殺生せつしようをやめたりける。又おなじこふりなりける本所ほんじよさとに、本所ほんじよ助太夫といふものあり。これもその先祖せんぞ平井ひらゐうじより出て、右内うない親族しんぞくなり。かれ父祖ふそ總州さうしう千葉ちば守胤もりたね家臣かしんなりしが、石原いしはらしろ没落ぼつらくのゝち、これも本所ほんじよさときたりて釼術けんじゆつ指南しなんし、今の助太夫にいたりてすでに三だい郷士ごうしなり。そも/\助太夫、そのひととなり奸侫かんねい邪智じやちにして世才せさいあり。こゝをもてそのわざハ右内におとりたれども世人かれが」

挿絵一10
侫辨ねいべんまどはされて、その門下もんかしよくする人おほかりけれバ、としわかきよりもちひられて、いへゆたかに時めきけり。助太夫がおとゝ助市ハ、その性質うまれつきあにず。内ハ釼術けんじゆつたつしたるのみならず、筆法ひつほふ佐々木さゝき文山ぶんざんまなびて、手迹しゆせきつたなからざれバ、助市いとけなきより内に筆学ひつがくして、ちゝのごとくうやまひけれバ、右内もかねて助太夫が奸侫かんねいをにくむといヘども、助市が老実ろうじつなるにめでゝ一家いつけよしみをやふらず。右内に二人あり。あにを権八といひ、いもとをおつまとよぶ。その村落そんらくうまるゝといヘども顔色がんしよくたまのごとく、でい11 ちう芙蓉ふようともいふべし。そのころ内がつま従弟いとこなりけるをとこに、西村にしむら保平ほへいといふ浪人らうにんあり。目黒めぐろ瀧泉寺りうせんじ門前もんぜんに、かすかなる家居いへゐして夫婦ふうふすみけり。としごろのなきことをなげき、宝塔寺ほうたうじ雉子きじみやいのりて一人ひとり女児むすめをまうけ、そのをおきじとよび鐘愛ちやうあいたぐひなし。女児むすめきじ四になりけるはるはゝ持病ぢびやう積聚しやくじゆやみて身まかりぬ。平鰥やもをに、おさな養育よういくして艱難かんなんいふべうもあらず。内このことをつたきゝてある日平ががりゆきていへらく、足下ごへん不幸こうきくも」

挿絵二12
いたはし、をとこしておさなきをもりそだてんこと、よろづにつきかるべし。しり給ふごとくわがきへ〔いへ〕きはめてまづしといヘども、足下ごへん艱難かんなん見るにしのびず。けふよりおきじを引とりて養育よういくし、ひとゝなるのゝちハ孩児せがれ権八にめあはすへし。このことわれにまかさるべきやといふ。平これをきゝて大によろこび、げにや一貴一賤いつきいつせんまじはりを見るといヘど、ひんひんせず、きうしてのちひとまことをしるとハ、足下ごへんの事なりかし。とまれかくまれよきにはからひ給はるべしといふ。こゝにおい内ハその日おきじをいだきていへ」 にかへり、夫婦ふうふこれをいつくしむことまことのごとくす。おきじハ権八にとしましたりけれバ、よろづおとなびたり。されど過世すくせあしくやありけん。只管ひたすら権八とむつましからで、はしたなくいどふあらそひけれバ、父母ふぼもけうときことにハ思ひながら、かたみとしつもらバはぢてあらそひもやむべしと、たゞ仮初かりそめさとしいましめけるが、すでに三とせのはるたちて、身丈せたけハわかくさもえいづるごとくのぶれども、あらそひハいよ/\つのるばかり也。ある時内権八おきじをまねきよせ、世のことわざに、人のなかあしきをいぬさるたとひたるハ、犬ハ人家じんかしたひ、」13 さる山林さんりんをしたひて、そのなすところことなれバ也。御身おんみふたりハしからず。なすところもひとしく、あそぶこともおなじくて、むつましからぬハいかにぞや。おさなごゝろにもよくわきまへよ。きじハゆく/\権八がつまとせんと思ふ也。しからバ今よりむつましくして、共に孝養こうようをつくし、先祖せんぞをかゞやかすべし。もし此のちいさゝかもあらそはゞ、権八ハわがにあらず、きじハわがいへよめにあらず。よくこゝろえよとにが%\しく教訓きやうくんす。二人ふたりハかほうちあかめつ、ひざにおきて、ちゝうへゆるさせ給へ。かさねてハあらそふまじといふ。」 父母ふぼよろこびてやゝこゝろをやすくせしが、そのつぎの日もあらそふことつねにかはらず。内ハきやうさめてくちつぐみ、そのゝちハあへて是非ぜひをいはざりける。権八七になりける春には小鳥ことりんと、破魔弓はまゆみをつがひてねらひよる所におきじ何こゝろなく障子しようじをさとひらきてはしりいづれハとりハこのおとにおどろきて飛去とびさりぬ。権八大にいかりてなんぢよくもわがゆみゐさまたげせしな。當知おぼえよといひつゝよつひきひやうとはなつ。そのおきじがひたいをかすり、障子せうじをつらぬきて席薦たゝみのうへにすつくと立。おきじハ」14 一声ひとこゑさけびて、忽地たちまちはたと倒伏たふれふしたるその音におどろき、二親ふたおやはしり出てこれをみるに、おきじがひたいやぶれてながれ出ることおびたゝし。あはやといだきおこし、袖もてその鮮血のりをぬぐひ見れバ、たゞ破广矢はまやのかすりたるのみなるゆゑ、さいはきずふかからず。やがて膏薬こうやくつけ湯剤くすりのませ、さま%\いたはりけれバ、十日ばかりにしてまつたくいえたり内ハこの光景ありさまにうちおどろきて、とせんかくせんとこゝろのうち安からず。つまさゝやきていへらく、五生々尅あひしようといふことなきにしもあらじ。つら/\かれら二人ふたりことを思ふ」

挿絵三15
に、是かりそめのことにはあらず。ちかきわたりに宮居みやゐし給ふ、平井ひらゐ観喜天くわんきてん菴主あんしゆハ、卜筮ぼくぜい説相せつさうじゆつつうじて、よく人の禍福くわふくをしめし給ふときく。はやくこれをむかへてその吉凶きつきやうとひ給へとすゝめけれバ、右内げにもとこゝろづき、翌日よくじつ観喜天くわんきてん庵主あんしゆしようじて子供こども姻縁こんえんの吉凶をとへバ、庵主あんしゆすなはちさうしていはく、男子ハ子の年戌の日に生れて金性なり又女子ハ亥の年午の日に生れて火性なり。夫火ハ金をこくし又火ハ戌におとろふ子ハ正北せいぼくにしていんなり。これを四神しじんはいすれバ、北方ほくほう玄武げんむ水にかたどる。」16 うま正南せいなんにしてようなり。これを四神ししんはいすれバ、南方朱雀しゆじやくかたどる。陰陽いんようてきして水ハ火をこくす。これ大きやうなり。これをめあは〔せ〕んこと大によからず。そのこゝにきざしてあひあらそふといへども、のちかへりむつましかるべし。たとひかねハ火にこくせられながら、銅鉄どうてつきやうけんのたぐひ、みな火に入りてかたちをなすがごとしそのにくむものをもてかたちをなすがゆゑに、これをめあはすときハむつましくしてたがひ相殺あいころすをしらずその事いぬにおこりて南方におはらん。このわざはひ一朝いつてうの事にあらず足下ごヘんわかゝりし時大に陰徳いんとくをそこなへりその餘殃よわう今この小児に」 かゝりぬ。よく心にしてとくしゆし、そのわざはひはらふべしと、過去くわことき未來みらいしめすことひゞきのものにおうするごとくなれば、右内ふう婦大におどろきて、あつ庵主あんしゆ礼謝れいしやし、つら/\わざはひかゝるところをかんがふれバ、むかし雌雄しゆう雉子きじをころせしこと、まつたく子供等がにむくへり。かれをお雉子きじといひ、うまるゝ日又午なり。午ハ南方なんばう朱雀しゆじやくにして、朱雀しゆじやくも又これ雉子きじなり。嘗聞かつてきく、いにしへしうれいわう褒城ほうじようかみはしらせてわざはひのこし、幽王ゆうわうの時にいたりて、褒〓ほうじためくにをほろぼすとかや。今のおきじハわが家の」17 褒〓はうじならんと、したをまきておそれしが、女児むすめおつまも又雉子きじ後身さいらいにして、そのをはるところかの雄雉きゞすのうたれしごとくなるを、しらざるこそあさましけれ。かくて右内ハつぎの日おきじをともなひ目黒めぐろにいたり、平にあひていへりけるハ、かねてハおきしをやしなひよめにもせまほしく思ひしが、いかにせんわがいへます/\ひんせまり、四人のくちしがたし。よりてやむことをずかへし申なりといふ。保平これをきゝて心のうち大にいきどほり、さては右内わが貧窮ひんきうをあなどり、ゆくすゑたのみすくなしと、中途ちうど女児むすめをかへすならん。かれ武夫ぶふににげなくもこと」 をはみて、われをはつかしむることのにくさよと、異儀ゐきなくおきじをうけとり、これよりまじはりたちなが胡越こゑつの人となりぬ

 だいへん 犬児けんじおんかんじて情子じようし使つかひする事
       宝釼ほうけんしちとして右内うないろくゆづる

光陰くわういんのごとく、又おさのごとく、権八すでに十六才になりぬ。その容貌ようはうなるをいはゞ、〓通とうつうもおよびがたく、在五ざいごもなずらふべし。おもて紅粉こうふんほどこさずして桃花とうくわの如く、こし羅綺らきにもたへずして嫋柳じやくりうたり。かゝる美少年びしようねんは、俳優わざおきちう女形をんながたといふものにもあらじと、その男色なんしよくになづ」18 める人もおほかりける。権八かくのごとく容姿ようし女子をなご彷彿はうふつたりといへとも。心あくまでたけくして万夫ばんぶをもおそれず。釼術けんしゆつちゝわざをうけつぎて、金石きんせきくだくの手段しゆだんあり。じつに今の世の牛若うしわか丸ともいひつべし。いもとおつまハ今茲ことし十五歳にして、これ又沈魚ちんきよ落鴈らくがんのすがたあることあに権八におとらず。これよりさき本所ほんじよ助太夫が弟助市、おきなきより日々ひに/\手習てならひにかよひしが、どもあそびの雛事ひなごとより、仮初かりそめ妻定つまさだめして、   何となくすゞりにむかふならひよ人にいふべきこゝろならねバ と、源氏けんじ古哥こかを口すさみしより、初花はつはなの色こき、はるの」 夜の品定しなさだめにも、ほころひかゝる口あけの、たもとにあまるおもひとなりて、かたみにゆくすゑハこの人ならすして、たれにか百年もゝとせをまかすへきと、心のうちにゆるせしも可あいし。年長としたけてハ助市も手習てならふことをやめて、こゝにることもまれなりけれバ、今ハ石原いしはらのかたきちきりもたのみがたく、吾妻あつまもりの下つゆぬれつゝそでくちんとす。こゝに右内がいへにとしごろかひけるいぬあり。この犬くろのうちに、白きと四絞染しぼりぞめのごとくまじりたれバ、その三四白みよしとよべり。ある日おつまハゑんはしらにうちもたれて、ひとり助市が事を思ひなやみ」19 たりしが、かの三四白みよしはしりて、ふりつゝ求食あさりけり。おつまいぬにむかひていへりけるハ、むかし陸機りくきハ、その京洛みやこにありながら、故郷ふるさとにたよりせまほしき折からハ、かひ犬にしよをよせて、万里ばんり安否あんひをしるとかや。なんぢもしこゝろあらバわか思ふ人に使つかひせんやとたはふれけれハ、此犬そのことをきゝわきたるがごとく、はしりよりて二こゑ三声ほへたりける。さてはわがためなかたちするにやとうれしくて、まづこゝろみに艶簡ふみさら/\とかいしたゝめ、これをたけつゝにいれて犬のくひにかくれバ、犬ハそのまゝはしさりぬ。うれしさ」

挿絵四20
いはんかたもなく、又こゝろづけバこはげだちて、ところさらずそのおとづれをまちたるに、少刻しばらくありていぬはしり帰りぬ。つゝをひらきてうちを見れハ、助市が回簡へんしありて、此程のおこたり思ふかぎりをかいつけたり。しばしハこゝろをなぐさむる物から、こひしさハいやまして、これより日ごとに犬にふみをよせてかたみにしようかよはせける。されバおつまハおのれか食をわかちて犬にあたへこれをいつくしむことのごとくすれハ、犬もまたおつましたひ片時へんしもかげみをはなるゝことなし。のちにハ人もうたがひて、おつまハいぬみいれられしといひしとなん。此年このとし〔の〕21 あき、右内がつま仮初かりそめのいたつきよりやゝおもりて今ハたのみすくなし。たゞ人参にんじん熊膽くまのゐのちからならずしてこうそうしがたしと、医師くすしまゆをひそめてつぶやけバ、右内あるかぎりの衣服いふく雜具さうく售竭うりつくしてくすりしろになすといへ共、そのころハ人参にんしんあたひいとたふとくて、のちにハしろかゆべきものもなく、をつかねてをまつばかり也。助市このことをつたきゝ圓金こばん十両もてていへりけるハ、おのれ幼少ようしようより師弟していちなみありながら、あににまかせたる身にしあれバ、萬事ばんじこゝろにまかせず。すこしきをいとひ給はずハ、くすりしろとも」 なし給へといひて、かの金をあたへける。右内もそのこゝろざしをかんじながら、いはれなく人に物をうくべきやうなしと、さい再四さいししけれども、助市かたくこふやまざりけれバ、火急くわきう弁利べんりといひ、そのこゝろさしをやぶらんも無下むけかたくななるにたれバとて、やがてその金をもてくすりをもちひけり。そのゝちも助市をりにふれてハ心づけていたはりければ、右内もしきりにかれ厚情こうしようかんじける。されど定業しようこうかぎりありけん、岐扁きへんじゆつもとゞきがたく、九月廾一日といふに右内がつまむなしくなりぬ。右内かなげきハさらなり。二人ふたりかなしみいうべうもあらず。」22 過七なぬか/\追薦ついぜんをはりてのち、右内つら/\おもふやう、このひんせまるといヘども、ゆゑなくして人よりものたることなし。助市が厚志こうし黙止もだしがたくて、一旦いつたんかねをバ借待かりえたれども、その金ハ助太夫がより出たるなるべし。かれ輕薄けいはく侫人ねいじんなれバ、もしこれをかへさゞる時ハ、つひはづかしめをうくべしと、思慮しりよして、その夜助太夫がいへにゆきていへらく、日外いつぞや荊婦つま病中びやうちうに、賢弟けんてい助市圓金こばん十両をめぐまれたり。とくにもかへいれんとハ思ひながら、しり給ふごとくたくはへうすけれバ心ならずうちすぎぬ。これハわがいへ重宝ちやうほう夜光丸やくわうまる名劍めいけんにし」 て、身にもかえがたきたからなれども、しばらく足下ごへんにあづくべし。金子きんす調達てうたつのうへハ異儀ゐぎなくかへし給はるべしといひつゝ、鎌倉かまくら純子どんすのやゝやふれたるふくろより、かの一腰ひとこしをとり出して、これを助太夫がまへにさしおきけれバ、助太夫思ひがけざるさまにて、こハことあらたまりたることきくものかな。一家いつけのよしみ、心のおよばんたけハ調みつぐべきを、のちをあはれむの餘力よりよくなきゆゑに、心のほかにうちすぎぬ。元來もとよりわがしれることにもあらず。小弟おとゝふかおもんはかりありて金をバまゐらせたるならんに、いかでか宝釼ほうけんあづかるべきやと、くちみつにしてはらはりあるがごときことばなる」23 を、右内はやくもすいしていへらく、この夜光丸やくわうまるハ、先祖せんぞ保昌よりわが家につたへたれども足下ごへんも又武智丸たけちまる係嗣しそんにして共に平井の遮流ながれ也。他人たじんゆだぬるにあらず。足下ごへんにあづけおくときハわがいへにあるにおなじ。ものむくふことなきハわがこゝろにあらず。ひらにおさめ給へといふに、助太夫心のうちひそかによろこび、しからバ暫時ざんじそのことはにしたかふべしと、かの宝釼をあつかりけれバ、右内ハやがて平井村ひらゐむらかへりぬ。この時天下てんか昌平しようへいし、文武ぶんふさかりおこなはれて、一藝いちげいハみなろくるをりなりけれバ、奥羽みちのおく知州くにのかみ右内」

挿絵五24
助太夫が撃釼けんしゆつたつしたることを聞し召れ、かれら二人に太刀合させて、いづれにもあれ勝たるかたを召かゝへよと遙々はる%\実檢みとゞけ使者ししやをさしこし給ふ。権八これを聞て大によろこび、わが父助太夫を打ふせ給はんことうたがひなしとさゞめきけり。右内も家をおこさんこと此時にありと、もつはらその准備やうゐして太刀合たちあはせの日を待居まちゐたりしが、そのゆふべ助太夫しのびやかに右内ががりていへらく、扨も此度このたびの太刀合ハ足下ごへんの勝給はんことひつせり。われハ年もわかくわざ未熟みじゆく也。又足下こへんハとしもたけわさ鍛煉たんれんせり。されバ足下こへんこ」25彼侯かのきみのめしにおうじ給ふらめ。こゝになげくべきハ、われ今許多あまたの門人あれバこそゆたかに世をわたれ、太刀合たちあはせまけたらんには、弟子もうとみてはなるへし。しかれバわれも住なれしこのあしをとゞめがたし。わが身の恥辱ちぢよくハいとふにあらず。たゞ小弟おとゝ助市がこといかにしても便びんなし。足下ごへんをおもひ給ふと、わがおとゝをあはれむと、恩愛おんあひいづれかふかゝらん。只やるせなきハ骨肉こつにくのほだし也けり。もし明日あす太刀合たちあはせにこゝろして給はらバ、さきにあづかりし夜光やくわう丸の宝釼ほうけんをかへし、又あらたにうくるところのろくをわかちて、」 子息しそく権八をやしなふべし。およそ男だましひもちたらんもの、かゝるおもぶせなることをいひ出て、足下ごへんのおもひ給はん所もはづかはしけれど、肉身にくしん愛着あいぢやくすてがたくてかくのごとしと、してなみだぬぐひながらよぎなきさまにかたりけり。右内もけうときことにハ思ひながら、元來もとよりまもるをのこなりけれバ、かれ一旦いつたんおんあるに固辞いなみがたく、儼然げんぜんとしていへらく、思ひがけなきことをうけ給はるものかな。わがかつべきにもさだめがたく、足下ごへんまけ給はんともいふべからず。勝負しようぶハ時のうんにこそよれ、そハ足下ごへんとわがこゝろにあるべき也と」26 こたへけれバ助太夫、こゝろのうちにあさむたり〔と〕よろこびて、程なくわがにかへりける。
  

 だいへん 平井ひらゐ本所ほんじよ闘劍法たちあはせの事
       吾妻森あづまのもり三四白みよしづかの事

かくて太刀合たちあはせの日にもなりけれバ、右内助太夫めしにおうじて仮屋かりや参上さんじようす。勝負しようぶうまこくさだめられて、まづ長短ちやうたんほん木刀たちをあたへ、いづれにてもこゝろにおうじたるをもちゆべしとなり。両人おの/\これをえらみとりて休息所きうそくじよ退しりぞく。すで時刻じこくにもなりぬれバ、実檢みとゞけ使者ししや阿武隈あふくま左衛門席上せきしように立出れバ、右内助太夫袴の裾高すそたかくとりつゝ、たがいにやとこゑをかけてたちむかひ。二三合ふたゝちみたちうちあひしが、右内が木刀ぼくとう鍔元つばもとよりほつきとをれたり。助太夫たりととびかゝり、木刀ぼくとうをひらめかしてうたんとするを、瀬左衛門こゑをかけて、やよまつべし。太刀たちをれたるをいかでかうたん、すみやか木刀ぼくとうかへらるべしといふ。右内これをきゝひざまつ〔き〕ていへらく、太刀たちをれたれバわがまけなり。もし真釼しんけんならバいかにせん。かゝる所に長居ながゐせんもうしろめだしと、つひ仮屋かりや逃出にげいでて、おのれがいへにぞかへりける。されバ助太夫ハ」27 ろうせずして勝利せうり一時いちし面目めんもくをほどこしける。のちきけバ、右内休息所きうそくじよにありしとき、ひそかに木刀の鍔元つばもと小刀目こがたなめを入おき、をれるやうにまうけしとなん。権八おつまハかゝることゝもしらずして、父の太刀 せにかちて今やかへり來給ふと、同胞はらからかど立出たちいでつ。うなじのばしてそのかたをながめたるに、日もやゝかたぶくころ、右内ハ思ひありげなるさましてかへきたれり。権八うれしくはしりよりて、いかにや太刀合にかち給ひつらんといふを、父ハ見むきもせず。つと裡面うちに入り、兄弟きやうだいをちかくまねきていへりけるハ、それ禍福くわふくハ」

挿絵六28
てんにありて人力じんりきおよぶ所にあらず。すべて勝負せうぶあらそふもの、一人いちにんあれバ一人かならうれふ。かるがゆゑに君子くんしハあらそふところなく、おのれたつせんとほつしてまづ人をたつす。けふわが木刀ぼくとうの折れたるもてんなり。けふの勝利せうりハ助太夫なりと、きゝもあへず権八ハ、忽地たちまち面色めんしよくもゆるがごとく、火炎くわゑんごときいきをほとつきて、かひなきちゝおほせごとや。太刀たちをれたらバなどて再度さいど勝負せうぶのぞみ給はざる。われいま彼所かしこはせむかひ、ちゝにかはりて勝負せうぶけつすべしと、かたな引提ひきさげはしいづるを、やよやまて権八、なんぢがしるところにあらず。もししいて」29 ゆかんとならバ、親子おやこあいこれまでぞと、声高こゑたかやかにせいすれバ、権八この一言いちごんにちからなく、こぶしをさすりてかしこまる。おつまはちゝ太刀合たちあはせなきのみならず、助太夫陸奥みちのくへおもむかバ、助市ともながきわかれにやなりなんとその事かのこと思ふにかなしく、このゆふへ艶簡ふみしたゝめて、三四白みよしくびにむすひつけ、助市がかたへ使つかひして思ふかぎりをくどきける。このころこのいぬこと近隣きんりん囂々ぎやう/\ととり沙汰さたして、おつまこそいぬみいれられたれと、ことばえだをそえていひつたふれバ、一犬いつけんきよほえて百けんじつつたふとかや。のちにハ右内もこの」 ことをもれきゝて、安からぬ事かなと、それより心をつけてうかゞふに、げに人のいふにたかはず、あやしきことおほかりけれバ、大になげき、わが女児むすめ畜生ちくしようとまじはること、いかなる過世すくせ因果いんぐわぞや。のうちのくされハはやくこれをたゝざれバいえがたし。今ハちからおよばず、うちてすてんにハと、その弓矢ゆみやばさみてこれをうかゞふ。初夜しよやすぐるころ、三四白みよしには一声ひとこゑたかほえけれバ、おつまいそがはしくはしいでいぬそばに立よるところを、右内裡面うちよりつるおとたかひやうとはなつ。そのあやまたず、おつまが右のたもとぬひて、いぬのんど30 へがはとたちいねはそのまゝたふれける。おつまハとはかりおそれ、たち退のかんとすれども、たもとにつらぬかれたれバ、これをふりはなたんとするうちに、右内はやくもはしり出、弓をもて丁々てう/\と打すえ、なみだ瀾然はら/\おとしていへらく、畜生ちくしよふたいしてかたるべきことばなし。たゞすみやか自害じがいせよ。たゞしわがさきにかくべきかと、ゆみれるはかりに打擲ちやうちやくす。おつまハわがみのあやまりにかへすことばなかりしが、畜生ちくしよふのたまちゝことばいはれなけれバ、今ハつゝまず告奉つげたてまつるなりとて、いぬしよをよせて助市とちぎりしこと、一五一十いちぶしゝうもの

挿絵七31
かたるに、ちゝハなほうたがひながら、犬のくびにかけたるつゝをとりて見れバ、うちに助市が回簡へんじありてとても陸奥みちのくへおもむくべきこゝろなきよしをしるして、又一葉いちまい短尺たんざくをそえたり。ひらきてこれを見れバ、  むさし野にありといふなる迯水にげみづにげかくれても世をすごすかな と、俊頼としより朝臣あそんうたをもて、迯出にげいでよといふなぞとせり。父はじめてうたがひをはらし、つみなき三四白みよしころせしことを後悔こうくわいして、かの犬を吾妻あづまの森のほとりうづめ、しるしの石をたてあとねんごろとふらひける。今もて漂板塚みよしつかとてかの地にあり」32 とかや。〈三四白みよし漂板みよし和訓わくんおなじ〉この夜権八ハ、隣郷りんこうにゆきて此時このときやうやくたちかへりけれバ、右内ハありしことゞも語聞かたりきかせ、われ弱官じやくくわんの時おほ殺生せつしよふしてとくをやぶりしに、いままたしうちうあるいぬをころして、大に陰徳いんとくをそこなへり。もしつとめて善根ぜんこんしゆせずんバ、わがいへそれのちなからんか。汝等なんぢらよくかんがみ陰徳いんとくおこなふべしといひて、かの助市が短冊たんざくを権八に逓与わたし、かれらかくまで思ひつめたることなれバときをまちめあはすべし。御身おんみしばらくその短尺たんざくをあづかりおき、わが思ふほどをもいもとにかたりきかせよといへバ権八も」 ちゝ慈愛ぢあいふかきをかんじ、かつ三四白みよしをあはれみ、親子おやこしわかれて臥房ふしどに入りぬ。

小説比翼文上巻33


小説比翼文(しようせつひよくもん)下巻

東都 曲亭馬琴著編

  

 第(だい)四編(へん) 権八怒(いかり)て助太夫をころす事
           冤家(ゑんか)を過(よぎり)て助市仇(あだ)を養(やしな)ふ事

本所(ほんじよ)助太夫が家(いへ)にハ、某(それ)(こう)のめしに應(おう)じて、陸奥(みちのく)へ起行(たびだち)ちかきにありと、いと賑(にぎは)へり。弟助市ハ、おのれが思ひのやるかたなくて、心の中楽(たのし)まず。一日(あるひ)(あに)にいひけるハ、扨(さて)も此度の太刀合に勝(かち)給ひしこと。稽古(けいこ)のちからとハいひながら、右内(うない)ハよく恩義をしる人なれバ、こゝろに慮(おもひはか)りしこと」もあるべし。此よろこびに、かねてあづかり給ふ宝釼(ほうけん)を返(かへ)し給へかしと薦(すゝめ)けれども、兄(あに)ハこれを耳(みゝ)にも入れず、そらうそぶきて居(ゐ)たりける。斯(かく)て助太夫啓行(ほつそく)の日も定(さだま)りぬれハ、畄別(りうへつ)の宴席(えんせき)をひらきて、親戚(しんせき)門人(もんじん)をまねきけるに、右内(うない)ハこゝちあしきとて行(ゆか)ず。その詰朝(よくてう)思ふやう、人の招(まね)きに應(おう)ぜざるさへあるに、一礼(いちれい)を述(のべ)ざるハ不遵(そん)也。行(ゆき)てきのふの怠(おこた)りを謝(しや)すべしと、袴(はかま)引かけて立出(たちいで)しが、やがて帰(かへ)り來(き)て只顧(ひたすら)嘆息(たんそく)し、顔色(がんしよく)(つね)にかはりてなやましげに見えけれバ、権八父(ちゝ)のまへにかしこまり、わが父何の愁(うれひ)(あり)34 てか、斯(かく)思ひには沈(しつ)み給へる。父子(ふし)の間(あひた)何かつゝみ給ふべき。語(かたり)(きか)せ給へかしといふ。右内うちうなづき、この事(こと)に於(おい)てハいはじとおもひ詰(つめ)たるが、さては色(いろ)にあらはれしよな。何かかくさん、けふしも助太夫が傍若(ぼうじやく)無人(ぶじん)言語(ごんご)に述(のべ)がたし。そのゆゑハ日外(いつぞや)老妻(つま)が病(やめる)とき、助市が手(て)より借得(かりえ)たる十余(よ)(きん)を賠(あがなは)ん為(ため)、汝等(なんぢら)にもふかく隱(かく)し、夜光丸(やくわうまる)の釼(つるぎ)を助太夫にあづけ置(おき)ぬ。しかるに助太夫ある夜(よ)(きた)りていへるハ、この度(たび)の太刀合(たちあはせ)に勝利(せうり)をゆづり給はらバ、宝劍(ほうけん)をかへしあたへてこれに報(むくふ)べしと乞(こ)ふ。彼(かれ)に一旦(いつたん)の恩(おん)あれバ、白地(あからさま)に固辞(いなみ)がたく、」 太刀合(たちあはせ)に負(まける)とも宝釼(ほうけん)をとり復(もど)しなバ、先祖(せんぞ)へ孝(こう)も立(たつ)べしと、さきのごとくはからひしに、彼(かれ)(こと)を食(はみ)て更(さら)に釼(つるぎ)をかへさゞれバ、われこの事(こと)をいひ出(いで)てその約(やく)にそむきしを責(せめ)けるに、彼(かれ)(かへり)て大に怒(いかり)てわれを犬侍(いぬさむらひ)と罵(のゝし)る。その事(こと)ハ三四白(みよし)が虚説(きよせつ)より出(いで)て、子(こ)ハ畜生(ちくしよう)とまじはり、親(おや)ハ犬(いぬ)を射(ゐ)る。犬母(けんぼ)ハ麟(りん)を生(うま)ず、父子(ふし)ともに犬(いぬ)なりと欺(あざむ)けり。われもさすがに忍(しのび)がたく、討(うつ)て捨(すて)んとハ思ひしが、汝等(なんぢら)が路頭(ろとう)に迷(まよは)んことの不便(びん)さに、無念(むねん)をこらへけるハと、聞(きゝ)もあへず権八つと立(たち)あがり、父(ちゝ)ハ堪忍(かんにん)もし給はんが、われハ得(え)こら」35 へ難(がた)し。これをも忍(しの)ぶべくハ何かしのばざらんやとひとりごちて、刀(かたな)を跨(たばさ)み走(はしり)出るを、父ハ追縋(おひすがふ)てとゞむれども、はやその影(かげ)をたに見ず。権八ハ足に信(まかせ)て助太夫が家(いへ)に走(はし)り行(ゆき)、案内(あない)もせず裡面(うち)に入れバ、折ふし助太夫ハ甲陽(こうよう)軍鑑(ぐんかん)をよみながら、盲法師(めくらほふし)に肩癖(けんへき)うたせ居たり。権八はこれを見るよりその前にむずと坐し、忽地(たちまち)銀海(ぎんかい)を見ひらき、朱唇(しゆしん)を飜(ひるかへ)し、声(こゑ)をあららげていへらく、〓(なんぢ)(さき)にわが父を犬侍(いぬさむらひ)と罵(のゝし)る。夫(それ)人を誑(たばかり)て太刀合(たちあはせ)に勝利(しようり)を得(え)、約(やく)にそむきて宝釼(ほうけん)をかへさゞるものも、是(これ)(また)人面獣(にんめんじう)

挿絵八36
」心(しん)なり。犬侍(いぬさむらひ)の児(こ)の腰刀(かたな)、切(き)れるやきれざるや、當(まさ)にしるべしといひながら、抜手(ぬくて)も見せず助太夫を只(たゞ)一刀(いつたう)に切伏(ふせ)たり。次(つぎ)の廂(ま)に居合(ゐあは)せたりける門人(もんしん)五六輩(はい)、これをみて大におどろき、師匠(しせう)の仇人(かたき)(のが)さじと抜(ぬき)つれて立むかふを、権八ものゝかず共せず、右にあたり左(ひだり)に〓(さゝ)へ、立地(たちどころ)に二人を〓殺(きりころ)し、三人に手負(ておは)せけれバ、血(ち)ハ流(なが)れて紅河(こうか)をなし、甘谷(かんこく)に錦(にしき)をさらし、龍田(たつた)に楓(もみぢ)をちらすがごとし。権八遂(つひ)に納戸(なんど)をかいさぐりて彼(かの)夜光丸(やくわうまる)をとり出し、是ハわが家の宝劍(ほうけん)なれバ今(いま)(もち)かへるぞと呼(よばゝ)り外面(とのかた)にはしり出(いづ)るに、」37 家僕(かぼく)(ら)その剛勢(いきほひ)に辟易(へきゑき)し、あへて〓(さゝえ)るものもなし。此時助市ハ家(いへ)に在合(ありあは)せず、奴僕(しもべ)がしらせに打おどろき、後(おく)ればせに立かへり、この光景(ありさま)を見て或(あるひ)ハ歎(なげ)き、或(あるひ)ハ怒(いか)り、直(たゞち)に右内が家(いへ)に走(はし)り行ていへらく、意趣(ゐしゆ)ハしらずといへ共権八ハ兄(あに)の仇人(かたき)なり。速(すみやか)に出(いだ)さるべしといひつゝ、はや鍔元(つばもと)くつろげてぞ扣(ひかへ)たる。右内驚(おどろ)くけしきもなく、兄(あに)の仇(あた)を復(むくは)んハ武夫(ぶふ)の道(みち)なり。いかにもわが児(こ)を逓与(わたす)べし。心のまゝにせらるべしといひながら、紙門(ふすま)(おし)ひらきて引出(ひきいだ)すを見れバ、権八にハあらずしてお妻(つま)をきびしく縛(いまし)めたり。」 助市眉(まゆ)をひそめ、あなうたてし。右内ちまよひ給ひしか。吾(われ)女子(をなご)をうちて何かせんといふ。時に右内寛尓(くわんじ)として云(いはく)、助市よくわが言(こと)を聞(きか)れよ。権八僅(わづか)十六才にして、釼法(けんじゆつ)の一流(いちりう)を極(きはめ)たる助太夫を討(うち)て立退(たちのく)ほどなれバ、などて鈍(おぞ)くも家(いへ)に隱(かく)れ居(ゐ)て、足下(そこ)の來(く)るを待(また)んや。渠(かれ)ハ法(ほう)を犯(おか)したるものなれバわが児(こ)にあらず。天地(てんち)のあらんかぎりハ探索(さぐりもとめ)て宿志(しゆくし)を遂(とげ)らるべし。わが子(こ)ハ此女児(むすめ)のみ也。足下(そこ)とわけあることしらざるにはあらず。われ権八を隱(かく)しおかざる證(しるし)には、この女児(むすめ)をまゐらす」38 べし。心まかせにはからはれよといふ。助市呵々(から/\)と打わらひ、われ息女(そくぢよ)と仮初(かりそめ)の契(ちぎり)ハあれど、今かく冤(うらみ)を締(むすぶ)うへハ、爭(いかで)か私(わたくし)の情(なさけ)に羇(つなが)れて、ふたゝびこれをかへりみんや。さしも権八を助(たすけた)さに、色(いろ)をもて欺(あぎむ)〔か〕んとハ、武夫(ぶゝ)ににげなき穢(きたなき)こゝろかなといふ。右内これを聞(きゝ)て小膝(こひざ)(たて)なほし、こハ舌長(したなが)し助市。われいかにぞ色(いろ)をもて欺(あぎむ)くべき。抑(そも/\)権八助太夫を切害(せつがい)せしと風聞(ふうぶん)あるより、お妻(つま)おのれと迫(せま)りて自殺(じさつ)せんとせしゆゑに、われこれを縛(いましめ)おけり。よりて女児(むすめ)を足下(そこ)に委(ゆたね)んといふこと、実(じつ)ハ足(そ)」 下(こ)に権八を討(うた)せん為(ため)の寸志(すんし)なりといふ。助市いよ/\疑(うたが)ひ惑(まどひ)て、その故(ゆゑ)を問(とへ)バ右内いへらく、されバとよ。権八年少(としわか)けれども少(すこ)しく思慮(しりよ)あり。足下(そこ)の仇(あた)を復(むくは)んとするをしれバ、渠(かれ)(ち)を潜(くゞ)りても匿(かく)るべし。さるを仇人(かたき)の女弟(いもと)たるお妻(つま)を養(やしなひ)おくときハ、扨(さて)ハ助市色(いろ)に迷(まよ)ひ、仇(あた)をむくふに心なしと、彼(かれ)みづから意(こゝろ)をゆるさバ、労(ろう)せずして宿志(しゆくし)を遂(とげ)なん。怨(うらみ)を雪(すゝぎ)ての後(のち)ハ、むすめを足下(そこ)の婦(つま)とせんとも、又せまじとも、こゝろのまゝなるべしといふ。その言(ことば)こと%\く理(ことわり)ありけれバ、助市忽地(たちまち)こゝ」39 ろ解(とけ)て大によろこび、げにや乕(とら)を撃(うつ)ものハ陷(おとしあな)を設(まう)け、贋(たか)を捕(とる)ものは囮(おとり)をおく。謹(つゝしみ)て教(をしへ)にしたがふへし。假令(たとひ)権八翅(つばさ)ありて天(てん)に昇(のぼ)り、鱗(うろこ)ありて水に没(いる)とも、終(つひに)は個(かく)のごとくならんと、明(めい)晃々(くわう/\)たる刀(かたな)を引抜(ひきぬき)、お妻(つま)が縛(いましめ)を切断(きりたて)バ、索(なは)ハはらりと前(まへ)に落(おつ)。おつまハ父(ちゝ)の慈悲(ぢひ)、兄(あに)の行(ゆく)すゑ、又助市が心の中さへおしはかられて、左右(とかう)いはん言(ことば)もなく、よゝと泣(なき)て声(こゑ)を惜(をしま)ず。右内これを見て双眼(そうがん)に涙(なみだ)をうかめ、やよむすめいたくな泣(なき)そ。是みな前世(ぜんぜ)の悪業(あくごう)ぞかし。かゝるうき世(よ)の嵐(あらし)なくバ、栄行(さかゆく)(はる)

挿絵九40
の花をさかせ、相生(あひをひ)の松の千代(ちよ)かけて、思ふかたへも嫁(よめ)らすべきに、その人としもそひハせで、兄(あに)の為(ため)に質(しち)となる。あすハ誰(た)が身(み)のうへや鳴(なく)らん、山がらす、頭(かしら)も白(しろ)くなると聞(きゝ)。かの燕丹(ゑんたん)がむかしならで、老(おひ)が頭(かしら)に霜(しも)やおく、夢野(ゆめの)の鹿(しか)の妻戀(つまこひ)も、果(はて)ハその身(み)の仇(あた)となりぬ。うたてやな。御身(おんみ)が帰(かへ)り來(き)ぬる日は、これ権八が忌日(きにち)なり。彼(かれ)をころして悲(かなしま)んや。これを助(たす)けてよろこばんや。父(ちゝ)が心のうちを推(すい)して、よく性命(せいめい)を保(たもつ)べし。噫(あゝ)よしなきくり言(こと)に時(とき)やうつる。涙(なみだ)おさめて」41(とく)ゆけよ。助市めでたく帰郷(きごう)をまつなりと義を見てやぶらず悲(かなしま)ざる、右内が一言(いちこん)にはげまされ、助市遂(つひ)にお妻(つま)を携(たづさへ)、ひとまづ本所(じよ)へかへりける
 

 第五編(だいごへん) 鈴(すゞ)が森(もり)に長兵衛行客(たびゝと)を救(すくふ)
           假女子(かぢよし)(み)を賣(うり)て濃紫(こむらさき)を挑(いどむ)

平井(ひらゐ)権八は助太夫を討(うち)て直(たゞち)にその家(いへ)を走(はし)り出、いづくを當(あて)とは定(さだめ)ねど、川に添(そひ)、橋(はし)をわたり、南(みなみ)を望(さし)て走(はしる)程に、思ず鉄炮洲(てつほうず)まで來(き)ぬ。既(すで)にかへらんとするに家(いへ)をうしなひ、すゝまんとするに路(みち)をしらず。」 しばらく躊躇(ちうちよ)して心(こゝろ)(けつ)せざりしが、詰(きつ)とこゝろ附(づき)ておもへらく、大丈夫(だいじようぶ)(まき)に宇宙(うちう)をもて家(いへ)とすべし。いかにぞ手(て)を束(つかね)て擒(とりこ)とならんや。さらバ浪速(なには)の方(かた)に身をよせんと、俄(にはか)に中途(ちうと)にて行装(たびよそほひ)をとゝのへ、高輪(たかなわ)に至(いた)るころ、日ハはや西にかたぶきぬ。路傍(みちのべ)の茶店(さてん)に少刻(しばらく)(あし)をやすめ、こよひハ更(ふく)るとも河崎(かはさき)まで馳行(はせゆか)んとひとりこちて立(たち)(いづ)るを、茶店(さてん)の主人(あるじ)とゞめていへらく、日くれてハ鈴(すゞ)が杜(もり)物怱(ぶつそう)なり。少年(せうねん)の夜行(やこう)し給はんこといかにしても危(あやう)し。今夜(こんや)ハ品河(かは)に」42 一宿(いつしゆく)し、翌(あす)とくうち立給へかしといふ。権八冷笑(あざわらひ)て、吾(われ)ハ故(ゆゑ)ありて路(みち)を急(いそ)ぐものなり。假令(たとひ)野伏(のふし)山客(やまだち)の患(うれひ)ありとも、わが両刀(りやうたう)(こし)にあり。何の怕(おそれ)かあるべきといひ捨(す)て出去(いでさり)ける。その頃(ころ)淺草(くさ)花川戸に任侠(をとこだて)の名(な)(きこ)えたる、幡隨(ばんずい)長兵衛といふもの、大師(だいし)河原(がはら)の賽(かへりまうし)、おなじ茶店(さてん)に憇(いこひ)(ゐ)たりしが、権八が今(いま)の廣言(くわうげん)を聞(きゝ)て大に嘆美(たんび)し、げにや花(はな)ハ吉野(よしの)、人ハ武士(ぶし)とぞいふなる。今の美少年(びせうねん)の言(ことば)、潔(いさぎよ)し/\。しかハあれど、寡(くわ)ハもて衆(しゆう)に敵(てき)しがたけれバ、中途(ちうと)山客(やまだち)の為(ため)になやまされんこと必(ひつ)せり。」 われこゝより引かへし、機(き)に臨(のぞみ)て彼(かれ)をすくふべしと、忙(いそがは)しく裳(もすそ)を〓(かゝげ)、西をさしてぞ馳去(はせさり)ける。この頃(ころ)ハ侠者(きやうしや)おほく、六方(ほう)丹前(たんぜん)、白鞘組(しらつかぐみ)、大小の神祗(じんぎ)など、おの/\その隊(むれ)ありて、劇孟(げきもう)季布(きふ)が風(ふう)を慕(した)ふもの少(すくな)からず。就中(なかんづく)この長兵衛ハ、一個(いつこ)の志氣(しき)ありて、柔(よはき)をたすけて剛(つよき)を征(せい)し、利をすてゝ義(ぎ)をもつはらとする豪侠(ごうきやう)なれバ、もし幡隨(ばんずい)が名(な)をいふときハ、嬰児(ゑいぢ)の泣(なく)をもとゞむべく、侠徒(きやうと)もその下風(かふう)に立んことを願(ねが)ひけり。斯(かく)て長兵衛ハ、只管(ひたすら)(みち)を急(いそ)ぎ」43 けるが、品河(しなかは)にて日ハくれぬ。松風(まつかぜ)さむくして人迹(じんせき)をたち、波濤(はたう)(きし)をうちて渺々(びやう/\)たり。已(すて)に鈴(すゝ)が森に走(はしり)つきて見れバ、思ふに違(たがは)ず権八大勢(おほせい)の山客(やまだち)にとりまかれ、雲飛雲不飛(おひつまくりつ)(たゝかひ)(ゐ)たりしが、忽地(たちまち)三四人を〓仆(きりたふ)し、威風(ゐふう)なほ禀然(りんぜん)たり。ふり揚(あぐ)る刀尖(きつさき)より、光明(くわうみやう)赫奕(かくやく)と閃(ひらめ)き出(いで)、闇夜(あんや)も白昼(はくちう)のごとくなれバ、長兵衛大に驚嘆(きやうたん)し、しばらく木蔭(こかげ)にたゝずみて、その光景(ありさま)を窺(うかゞひ)(ゐ)たりしが、今ハこらへかねて走(はしり)出、少年(せうねん)助太刀(すけだち)するそと声(こゑ)をかけ、矢場(やには)に両個(ふたり)の」

挿絵十44
山客(やまだち)を切ころせば、賊(ぞく)ハ加勢(かせい)あるを見て、四分(ちり/\)八落(はら/\)に迯(にけ)うせたり。権八刀(かたな)を腰(こし)におさめて一礼(いちれい)し、何(いづれ)の人かハしらねども、今の危難(きなん)をすくひ給はることのうれしさよといふ。長兵衛寛尓(につこ)としていへらく、 聞及(きゝおよ)び給ひつらん。われハ幡随(ばんずい)長兵衛なり。さきに高輪(たかなわ)の茶店(さてん)にて、君(きみ)がたくましき一言(いちごん)を感激(かんげき)し、中途(ちうと)に災害(わざはひ)あらんことを思ふてこゝに來(きた)れり。実(けに)その言(ことば)にたがはず、君(きみ)が釼法(けんじゆつ)(よのつね)ならず。しかるにその刀(かたな)の尖(とがり)より光明(くわうみやう)かゞやきて、闇夜(あんや)をてらせしことのいぶ」45 かしさよといふ。権八微笑(ほゝえみ)ていへらく、疑(うたが)ひ給ふもことわりなり。わが此刀(かたな)ハ夜光丸(やくわうまる)と名(な)づけたる所の宝釼(ほうけん)にして、闇夜(あんや)にこれを抜(ぬく)ときハ、光明(くわうみやう)をはなつの奇特(きどく)あり。この刀(かたな)のゆゑをもて古郷(こきやう)を立去(たちさり)、遠(とほ)く浪花津(なにはづ)にさまよひ行(ゆか)んと思ふ也。長兵衛打うなづき、仔細(しきい)ハしらずといヘども、すべなきことあれバこそ、夜(よ)を犯(おか)して旅(たび)ハし給ふなれ。しらぬ國に行(ゆか)んより、おなじくハ此地(このち)にとゞまり給へかし。吾(われ)ハいふかひなきものながら、義(ぎ)ハ鐘(かね)が渕(ふち)の鐘(かね)よりも重(おも)しとし、命(いのち)は秋葉(あきは)の散楓(ちりもみぢ)より輕(かる)しとす。身(み)の賤(いやし)きを嫌(きら)ひ給は」 ずハ、命(いのち)にかえてもかくまふべしといふ。権八ハかねて長兵衛が名(な)を聞(きゝ)しりてけれバ大に歓(よろこ)び、遂(つひ)に義(ぎ)を締(むすび)て兄弟(きやうだい)の約(やく)をなし、二人打つれて鶏明(いなのめ)のころ、花川戸(はなかはど)に立帰(たちかへ)りける。こゝに於(おい)て権八は助太夫を討(うち)て立退(たちのき)しこと、一五一十(いちぶしじう)もの語(がたり)けれバ、長兵衛も彼(かれ)が剛勇(ごうゆう)に打驚(おどろ)き、仇人(かたき)もつ身ハ心をせめて、世をしのぶを第一(だいゝち)とすべし。本所(ほんじよ)と花川戸(はなかはど)ハ大河(だいが)一條(ひとすぢ)を隔(へだて)たれバ、そのまゝにてこゝにあらんこと大に危(あやう)し。われに一の計(はかりごと)ありと、それより権八に女服(をんなのいふく)を被(き)せ、面(おもて)には紅粉(こうふん)を施(ほどこ)し、髪(かみ)ハ髱(つと)を出(いだ)し」46 て島田髷(しまだわけ)とす。元來(もとより)玉を欺(あさむ)く美少年(びせうねん)なりけれバ、さながら女子(をなこ)に異(こと)ならず。されバこゝにつどひ來(く)る侠客(きやうかく)(ら)、その色(いろ)に泥(なづ)みてさま%\口説(くどき)よるもの多(おほ)し。長兵衛斯(かく)てハ禍(わぎはひ)を引出すべしと、ある日権八を三浦(みうら)が許(もと)につれ行(ゆき)て、是(これ)ハわが姪(めい)也。思ふ仔細(しさい)あれバしばらく預(あづか)り給はるべしとたのむ。三浦(みうら)も男子(なんし)とハしらずして、その縹致(きりやう)高尾(たかを)うす雲(くも)が下(した)にたつべきものならねバ竊(ひそか)によろこび、是を濃紫(こむらさき)にあづけゝる。是より権八こゝろを竭(つく)して小紫(こむらさき)に仕(つかへ)けれバ、小紫も又これを愛(あい)して他事(たじ)なくもてなし」 ぬ。されバにや権八ハ、小紫(こむらさき)が容色(ようしよく)に心うごき、あはれかゝる美人(びじん)を妻(つま)ともなさば、うき世の望(のぞみ)も足(たり)なんと、下(した)もえ初(そむ)るわか草(くさ)の、結(むすば)ん夢(ゆめ)にもわが男(をとこ)たることをしらせまほしく思ひながら、身の一大事(いちだいし)に思ひかへして、若(わか)むらさきの色(いろ)にも出さず、宝(たから)の山に入(いり)ながら、手(て)を空(むなし)くするこゝちして、なほ貞実(まめやか)に仕(つかへ)けれバ、小紫も何となく捨(すて)がたき思ひありて、此子(こ)なくてハと鍾愛(ちやうあい)す。折ふし冬(ふゆ)の夜(よ)の雨(あめ)もにくからず、來(き)ませし人ハ宵(よひ)の間(ま)にかへり去(さり)て、坐敷(ぎしき)にハ小紫と権八のみさし向(むか)ひ、わが身人のうへの品定(しなさだめ)して、少刻(しばらく)う」47 きを慰(なぐさ)めしが、小紫いへりけるハ、わが身花院(さと)にそだちて多(おほ)くの傍輩(はうばい)にもまれ、遊君(ゆうくん)のかずにいりても心のあへる人もなかりしが、いかなる縁(えにし)にや御身(おんみ)ハまことの妹(いもと)よりいとをしく、又御身わらはにかしづき給はる〔こ〕と同胞(はらから)も及(および)がたし。あはれ男子(をのこ)にして見まほしや。もしかく実(まこと)ある人あらば、命(いのち)も何かをしまんと聞(きく)よりも、権八はむね打さはぐをやゝ押(おし)しづめ、よしや戯言(たはふれごと)にもせよ、さのたまはするこそ嬉(うれ)しけれ。されどわらはもし男(をとこ)ならバいかでさあらん。なき物(もの)ほしといふ諺(ことはざ)も侍(はべ)るかしと、袖(そで)もて顔(かほ)を覆(おほ)ふも可愛(あい)

挿絵十一48
し。小むらさきそのことゝハしらずして、皃(かほ)うちあかめ、あなかしこ何の偽(いつはり)あらん。御身(おんみ)もし殿(との)ならハ日(ひ)の本(もと)のあらふる神々(かみ/\)かけて、百年(もゝとせ)の身をまかすべし、とばかりおもふもよしなき誓言(せいごん)よと打わらへバ、権八今ハ身を省(かへりみ)るに遑(いとま)なく、さのたまふに違(たがは)ずハ、何かつゝまんわれハもと男(をとこ)なり。故(ゆゑ)ありて世をしのべハ、假(かり)に女の貌(すがた)とハなれり。あさましや君(きみ)が色(いろ)に心みだれ、この身の大事(だいじ)をあかすうへは、今の言(ことば)よも偽(いつはり)ハあらじといふ。その声音(こはね)日ごろにかはりていとあら/\し。小紫ハ思ひがけざる」49 一言(いちこん)に膽(きも)つぶれて、胸(むね)は板庇(いたひさし)はしる玉あられのごとくなるをおし鎮(しづ)め、さてハ殿(との)にてありしよな。よし/\見かへり柳(やなぎ)に花(はな)ハ咲(さく)とも、いひし詞(ことば)ハたがへじと、忽地(たちまち)小指(こゆび)を噛切(かみきり)ながら、つと立(たち)て衣衝(いこう▼〔桁〕)に掛(かけ)たる白無垢(しろむく)の袖(そで)に遊女(ゆうぢよ)三社(さんじや)の詫(たく)といふもの書(かき)て誓文(せいもん)とす。今なほ好事(こうず)の人傳写(でんしや)するところの小紫が三社(さんじや)の詫(たく)(これ)なり。権八これを見て大によろこび、われハかひなき日蔭(ひかげ)の身(み)、假令(たとひ)うき世の霜(しも)に先(さき)だち、あしたの露(つゆ)と消(きゆ)るとも、未来(みらい)(ごう)のすゑまでも、かはらじな。やよかはらじと、心の下(した)ひも」 解(とけ)そめて、ふかきちきりとぞなれりける。
 

 第(だい)六編(へん) 幡隨(ばんずい)黒夜(こくや)義弟(ぎてい)をこゝろむ事
            男女(なんによ)(し)を决(けつ)して淺茅原(あさぢがはら)に奔(はしる)

かくてその年(とし)もくれてあら玉の春立(はるたち)かへり、夏(なつ)も過(すぎ)て星(ほし)まつる頃(ころ)より、小紫(こむらさき)(たゞ)ならぬ身となりて、時ならぬ青梅(あをうめ)をこのみ、全(まつた)く悪阻(つはりやみ)のけしきなりけれバ、主人(あるじ)ひとを以(もて)(き)ませる客(きやく)にこゝろあてありやと間(とは)せけれバ、さいふ覚(おぼえ)さら/\なしといふ。あまりのふしぎさに賣卜者(ばいぼくしや)につきてうらなはせけれバ、是ハつねに小紫が傍(かたはら)にある人の子(たね)50 なるべし。その人外(ほか)(いん)にして内(うち)(よう)なり。たづねて見給へといふ。主人(あるじ)これを聞(きゝ)てます/\怪(あやし)み、それより心をつけて窺(うかゞ)へバ、かの長兵衛が姪(めい)なりける女いかにも疑(うたがは)し。世にいふ半月(ふたなり)とかいふものならめと、間(ま)なく試(ため)し見るに、是(これ)まつたく男子(なんし)なれバ大におどろき、もしこの事世に聞(きこ)ゆる時ハ、小紫(こむらさき)が身に係(かゝり)てわが活業(よわたり)の障(さはり)となるのみならず、却(かへり)て人にわらはるべし。只何となく彼(かれ)を幡随(ばんずい)にかへすべしと、忽地(たちまち)これを追退(おひしりぞけ)ぬ。長兵衛縁故(ことのわけ)を聞(きゝ)て権八に教諭(きやうゆ)しけるハ、凡(すべて)賢愚(けんぐ)と」 なく、身を過(あやまつ)ものハ色慾(しきよく)なり。御身仇人(かたき)を持(もち)ながら、色(いろ)に耽(ふけ)りて身の災(わぎはひ)をかへりみず、もしこのゝちかゝることあらば兄弟(きやうだい)の義(ぎ)もそれまで也と、嚴(きびしく)いましめ喩(さと)しける。その頃(ころ)目黒(めぐろ)の里(さと)に普化(ふけ)道者(どうしや)のながれを汲(く)み、一節截(ひとよぎり)の指南(しなん)して世をわたる、一朗菴(いちろうあん)といふ桑門(そうもん)あり。長兵衛かねてしる人なれバ、次(つぎ)の日権八を將(ゐ)て彼所(かしこ)に至(いた)り、此少年(せうねん)(ゆゑ)ありて世を忍(しの)ぶもの也。しばらく預(あづか)り給はるべしといふ。一朗庵(いちろうあん)も長兵衛が義気(ぎゝ)あることをしれバ疑(うたがは)ず、こゝろよく承引(うけひき)てすなはち菴(いほり)にとゞめけり。権八その」51 身ハ、一朗菴(いちろうあん)(ちう)に在(あり)ながら、心ハ三浦が許(もと)にうかれて、この事彼(かの)(こと)に假托(かこつけ)つ、毎夜(まいよ)彼所(かしこ)にゆきかひて、小紫と忍びあふ。小紫も又権八にわかれしより、魚(うを)の水にはなれしこゝちして、今ハ世の義理(ぎり)も何かせんとあらんかぎりの物ハみな代(しろ)がえて、戀(こひ)の中宿(なかやど)にその人を待(まら)わび、はかなき夢(ゆめ)をたのしみける。うつゝ心のやるせなく、いつしか冬(ふゆ)のはじめとなりぬ。さなきにも黄金(たから)ハ得(え)がたきものなるに、権八少(すこ)しの貯録(たくはへ)なけれバ、よろづの費(つひへ)小紫が身一に罷(かゝり)て、このごろは戀路(こひぢ)に関(せき)をすえられて、中宿(なかやど)の」 敷居(しきゐ)も高(たか)し。こゝに於(おい)て権八ふと邪念(じやねん)(きざ)し、武士(ぶし)(きう)するときハ剛盗(ごうとう)をもなすべし。われ迚(とて)も世にたつべき身にもあらず。よし遮莫(さもあらバあれ)百年(ひやくねん)の壽命(じゆみやう)も今の貧(まづし)きにハかえがたしと、それより夜(よ)な/\辻切(つぢきり)をはじめける。されバこゝの〓〓(つぢ)かしこの委巷(ちまた)、罪(つみ)なくして道(みち)のべの霜(しも)と消(きゆ)るもの多(おほ)し。長兵衛はやくも此事を聞(きゝ)しりて大に憤(いきどほ)り、われ侠者(をとこだて)の魁首(かしら)となりて廾年(ねん)、終(つひ)に一たひも義(ぎ)にそむかず。今権八が悪行(あくぎやう)によりて、末世(まつせ)にわが名(な)をくださんことの朽惜(くちをし)さよと、」52 ふかくこれを悲(かなし)みける。ある夜(よ)権八又市中(しちう)を徘徊(はいくわい)して、よき財主(ざいしゆ)にも出あへかしと窺(うかゞ)へバ、土手(どて)(ぶし)の声(こゑ)もとだえたる、日本堤(にほんつゝみ)のあなたより、懷(ふところ)おもげに來(く)る人あり。是こそこよひの賓(まらうど)なれと、笛袋(ふえぶくろ)にしこみたる、刀(かたな)を抜(ぬい)て切(きり)つくれバ、彼(かの)人こゝろえたりと抜合(ぬきあは)せ、二三合(ふたゝちみたち)たゝかひしが、権八夜光丸(やくわうまる)の光(ひか)りにつきて、その人をよく見れバ、是幡随(ばんずい)長兵衛也。こハいかにと打驚(うちおどろ)き、刀(かたな)を引て迯(にげ)んとするを、長兵衛その天蓋(てんがい)を掴(つかみ)て動(うごか)せず、声(こゑ)をあらゝげていへらく、犬(けん)(みやう)にも劣(おと)りし汝(なんぢ)に、いふ」

挿絵十二53
べきことなしといヘども、思ふ仔細(しさい)あれバわれと共に來(きた)るべしと、相伴(あいともな)ひて花(はな)川戸に立(たち)かへり、かれが悪行(あくぎやう)一五一十(いちぶしじう)(いひ)ならべ、われ書籍(しよじやく)をよまざれバ、和漢(わかん)の例(ためし)ハしらざれども、むかし袴垂(はかまだれ)の平井(ひらゐ)保輔(やすすけ)、洛中(らくちう)を横行(わうぎやう)して、兄(あに)保昌(ほうしよう)を害(がい)せんとせしと、今宵(こよひ)の事(こと)よく似(に)たり。とても小紫(こむらさき)といふ妖狐(きつね)に魅(みいれ)られたれバ、昔(むかし)の権八にハあらじ。とく/\此地(このち)を立去(たちさる)べし。もし一日も足(あし)をとゝめバ、是までの因(ちな)みに〓(からめ)とりて、知縣(だいくわんしよ)へ引べきぞと、或(あるひ)ハ怒(いか)り或(あるひ)ハかなしみ、忽地(たちまち)これを追出(おひいだし)54 ぬ。権八は身(み)の誤(あやまり)にかへす言(ことば)もなく、すご/\と立出(たちいで)しが、詰(きつ)と思ひ飜(かへ)して、直(たゞち)に三浦(みうら)が許(もと)にしのび行(ゆき)(よ)に紛(まぎ)れて樓上(にかい)に登(のぼ)り、小紫にわが身の悪事(あくじ)を懺悔(ざんげ)して、今ハこの地(ち)のすまひかなはず、翌(あす)ハ遠国(ゑんごく)に赴(おもむく)なり。縁(えん)あらバ又あふこともあるべしと、世にこゝろ細(ほそ)く聞(きこ)ゆ。小紫ハ只管(ひたすら)(なみた)にかきくれて居(ゐ)たりしがこの言(ことば)を聞(きゝ)てやゝ顔(かほ)をあげ、こハ情(なさけ)なきことを宣(のたま)ふものかな。産(さん)は生死(しよふし)の際(きはみ)とかや。君(きみ)にわかれてなど一日もながらふべき。あくがれて死(しな)んより、此所(このところ)にてわらは」 をころし、こゝろよく立退(たちのき)給へよと、声(こゑ)をもたてず哭(なげ)きける。権八ハその脊(せ)を撫(なで)ながら、さあらんと思ひしが、しばし心を試(ため)せしぞや。われ血気(けつき)の勇(ゆう)に誇(ほこ)り、父祖(ふそ)の名(な)を穢(けが)すのみならず、幡随(ばんずい)ぬしの恩義(おんぎ)を忘(わす)れ、悪報(あくほう)(すで)に身に迫(せま)り、はじめて夢(ゆめ)の寤(さめ)たる如(ごと)くふかく心に慙愧(ぎんぎ)せり。いかでか御身ひとり殺(ころさ)ん。こよひこの家(いへ)をのがれ出、同(おな)じ街(ちまた)に死(し)すべしと、いひつゝ泪(なんだ)をおし拭(ぬぐ)へバ、小紫世に嬉(うれ)しげに手をあはせ、われ故に、汚名(おめい)を殘(のこ)し給へるのみか、盛(さかり)もまたで朝皃(あさがほ)の、はか」55 なきたねは宿(やど)せども、共(とも)に消(きえ)ゆく露(つゆ)の身の、あさちが梦(ゆめ)となることハ、そも是いかなる因果(いんくわ)ぞと、くどき立てよゝと泣(なく)心よはくてかなはじと、権八かたへの銚(てう)子引よせ、一椀(いちわん)かたふけてこれを小紫に与(あたへ)ていへらく、御身かねてハ下戸(げこ)にして、一滴(いつてき)の酒(さけ)も飲(のま)ずといへども、これぞ此世(このよ)の名(な)ごりなる。最期(さいご)の盃(さかづき)うけ給へと、なみ/\酌(つい)で前(まへ)におく。小紫ハ辞(ぢ)するに及(およば)ず、押(おし)いたゞきて飲(のみ)(ほせ)バ、怪(あや)しや小紫が額(ひたい)に三日月(みかつき)(なり)の金瘡(きず)忽然(こつぜん)とあらはれたり。権八打おどろきてそのゆゑをとへバ、小むらさきいへらく、されバとよ、是にこ」 そ昔(むかし)がたりの侍(はべ)れ。わらは幼き時、しばらく平井の郷士に養(やしなは)れしが、その家(いへ)の児(こ)となかあしく、ある時破魔箭(はまや)にて額(ひたい)を射(ゐ)られたり。そのゝちわらはは実(まこと)の親(おや)の許(もと)にかへりしが、父(ちゝ)大病(たいびやう)に打ふしてせんすべなく、九才(こゝのつ)の春(はる)、此里(さと)にうられ來(き)しより家信(おとづれ)なく、今に父(ちゝ)の生死(しよふし)をしらず。しかるに人となりて後(のち)も酒(さけ)を飲(のむ)ときハ、斯(かく)のごとく額(ひたい)にその矢疵(やきず)あらはる。妓女(ぎぢよ)は色(いろ)をもておもてとする者(もの)なれバ、是をおそれて酒を飲(のま)ず。今ハの盃(さかづき)(ぢ)しがたく、飲(のめ)バ忽地(たちまち)はづかしや、かゝる貌(すがた)を見せ奉(たてまつ)りしと、手(て)56 して額(ひたい)をうち覆(おほ)ふ。権八備細(ことのよし)を聞(きゝ)てます/\驚(おどろ)き、しからハ御身が父ハ西村(にしむら)保平(ほへい)とハいはざりしや。こハ何としてわが父(ちゝ)の名(な)をしり給ひしと、小紫も疑(うたが)ひ惑(まどへ)り。権八掌(たなごゝろ)をうちていへらく、御身とわれハ二世(せ)の悪縁(あくえん)也。われこそ御身が額(ひたい)に傷(きずつけ)しその時の小児(しように)なれ。かねて父母(ふぼ)の物かたりに聞(きけ)るハ、目黒(めぐろ)の郷士(ごうし)西村(にしむら)何がしが女児(むすめ)をやしなひ、これを汝(なんぢ)に妻(めあは)せんと思ひしが、そのなか陸(むつま)しからぬをうたがひ、平井(ひらゐ)観喜天(くわんきてん)の菴主(あんしゆ)にうらなはせけるに、成人(せいじん)のゝちはむつましかるべし。しかれども是を夫婦(ふうふ)となすときハ、共(とも)に」

挿絵十三57
殃危(わさわひ)あるべしといひしと宣(のたま)へり。扨ハのがれぬ奇〓(きくう)也と迭(かたみ)にめと目を見合(みあは)せて、呆(あき)るゝもげにことわり也。折ふし隣(となり)坐敷(ざしき)に琴(こと)の音(ね)(きこ)えて、われハ及ぬみの虫(むし)なれど、父(ちゝ)よとなかで戀(こひ)に身も、やつれはてたる蛬(きり%\す)。ひまゆく駒(こま)よ馬追(うまおひ)の、なき玉虫(たまむし)ときえてのち、又來(こ)ん里(さと)のくつわむしと、声妙(こゑたへ)にうたふたり。二人(ふたり)ハわが身(み)のうらかたよと、心をこゝろにうなづき合、人定(ひとしづま)るをうかゞひて、欄間(らんま)をやぶり帯(おび)を降(さげ)、これに携(すがり)て外面(とのかた)に下(おり)たちつ。小紫に天蓋(てんがい)(かぶせ)て梵論(ぼろぼろ)に扮(いでたゝ)せ、からうじてのがれ出、淺茅(あさぢ)が原(はら)へ走(はし)り行(ゆく)。時(とき)ハ」58 十一月廾九日、霰(みぞれ)まじりに降雪(ふるゆき)のあやめもわかぬくらき夜(よ)を、そこはかなくたどりつき、出茶屋の軒(のき)に雪を凌(しの)ぎ既(すで)に最期(さいご)の准備(やうゐ)をなす所(ところ)に、忽地(たちまち)囂々(ぎやう%\)と人声聞えけれバ、権八後面(しりへ)をかへりみていへらく、されバこそ廓(さと)の追人(おつて)の來(きた)りつれ。われまづかれらを追しりぞけ、心しづかに死(し)すべしと、小紫を茶店(さてん)の簷下(のきば)にのこし置(おき)、元(もと)きしみちに引かへす。

 第(だい)七編(へん) 妻(つま)を棄(すて)(ぎ)を携(たづさへ)て暗(あん)に禍(わざはひ)に遇(あふ)
           (りやう)噴石(ふんいし)を合(がつ)して比翼(ひよく)と名(なづく)る事」

こゝに又本所(ほんしよ)助市ハ、千住(せんじゆ)の町に僑居(きやうきよ)して、権八が在處(か)をたづねけれども、更(さら)にゆくゑをしらず。いたづらに月日を過(すぐ)すうち、おつま久(ひさ)しく病(やみ)て枕(まくら)あがらず。これを見ころしにせんも便(びん)なし。しばらく右内(うない)にあづけおき、身を輕して仇人(かたき)をたづねんとハ思ひながら、さすが宿志(しゆくし)を遂(とげ)ずして、白昼(はくちう)に故郷(こきやう)に帰(かへら)んこと面目(めんぼく)なけれハ、この日(ひ)(よ)の更(ふく)るをまちてお妻(つま)を負(おひ)つゝ、平井村(ひらゐむら)へと心ざし、これも淺茅(あさぢ)が原(はら)へ來(き)かゝりしが、路(みち)を急(いそ)ぎて中途(ちうと)に懷包(かみいれ)をとり落(おと)しけれバ、おつまを出茶屋(でちやや)の簷下(のきば)におろし置(おき)、五六」59 町立(たち)もどりしに、頻(しき)りに胸(むね)打さはげバ、おつまが事きづかはしく、又忙(いそがは)しく馳(はせ)かへりけるが、白雪(はくせつ)路徑(ろけい)を埋(うづ)みて老馬(ろうば)のしるべにあらざれバ東西(とうざい)もわかちがたく、忽地(たちまち)茶店(さてん)をとりちがへ、隣(となり)の軒端(のきば)に居(ゐ)たりける小紫(こむらさき)をお妻(つま)也と思ひ、これを脊(せ)おひてはしり行(ゆく)。小紫も又助市を権八なりとし、追人(おつて)の近(ちか)づかんことの怕(おそろ)しさに、言(ことば)もかはさず負(おは)れ行(ゆき)ぬ。権八ハかゝることゝもしらずして、追人(おつて)を切はらひ、元(もと)の茶店(さてん)に立(たち)かへり、小紫を尋(たづぬ)れどもいらへなく、只(たゞ)(となり)の簷下(のきば)に女のうめく声(こゑ)す。扨ハ待(まち)かねてはやまりし」 かとこゝろ慌(あはて)、声(こゑ)をしるべに探(さぐり)より、夜光丸(やくわうまる)を引抜(ひきぬき)て、胸(むね)のあたりをさし通(とほ)せバ、刀(かたな)の光(ひかり)四面(しめん)をてらし、濆(ほとばし)る血(ち)は雪(ゆき)にながれて鷲管山(がくわんざん)の紫霜(しさう)にひとし。権八刀(かたな)の光明(ひかり)にて、はじめてその人を見れバ、刺殺(さしころ)せしハ小紫にあらず、妹(いもと)おつまなりけれバ、こハいかに〔と〕打驚(おどろ)き、惘然(ぼうぜん)として立(たつ)たる所に、追人(おつて)(ちか)づきぬと見えて、権八をのがすなといふ声(こゑ)(みゝ)をつらぬけば、ぜひなく妹(いもと)が首(くび)を打落(うちおと)し、袖(そで)引ちぎりて押(おし)つゝみ、遂(つひ)にその場(ば)を立去(たちさり)けり。扨(さて)(また)本所(ほんしよ)助市ハ、小紫を負(おひ)て路(みち)十町ばかり來(きた)りし時、俄(にはか)に」60 挑灯(ちやうちん)(ほし)のごとくきらめき出、大勢(たいぜい)四方(しほう)よりとり囲(かこ)み、小紫をわたせ/\と呼(よばゝ)りける。助市更(さら)にその故(ゆゑ)をしらねバ、路(みち)をもとめて走(はしら)んとす。小紫ハ挑灯(ちやうちん)の火(ほ)かげにてその人の模様(もやう)を見るに、負來(おひき)し人ハ権八にあらざるゆゑ、こハあさましと轉(まろ)びおつれバ、助市もはじめて彼(かれ)が面貌(おもて)を見て大におどろき、縁故(ことのわけ)を問(とは)んとするとき、手(て)ごとに棒(ぼう)をふり揚(あげ)(きた)つてうち(〔うち〕)(たふさ)んとす。助市ぜひなく刀(かたな)を引抜(ひきぬき)、多勢(たせい)を相手(あひて)に闘(たゝかひ)しが、忽地(たちまち)こゝろ附(つき)ておもへらく、われ大望(たいもう)ある身の、人たがひにて一命(いちめい)をうし」 なはんこと本意にあらず。早(はや)く迯去(のがれさら)んにハと、敢(あへて)(たゝかひ)を好(このま)ず、透(すき)をうかゞひてはしらんと思へども、追人(おつて)ひまもなく撃(うつ)てかゝれバ、終(つひ)に身を踊(おどら)せて三谷川(さんやがは)に飛入(とびいり)しが、水にや溺(おぼれ)けん、むかひの岸(きし)にやあがりけん、その生死(しよふし)をしらず。世(よ)の人権八が為(ため)にかへり討(うち)になりしといひ傳(つた)へしハ、おつまがことと聞誤(きゝあやまり)しもの歟(か)。追人(おつて)ハ小紫をとり復(かへ)しぬるうへハ渠(かれ)に用なしと、みな/\嫖院(くるわ)に帰(かへ)りける。小紫が心の中譬(たとへ)るにものなかるべし。権八は又小紫がゆくゑこゝかしことたづぬるうち、夜向明(よあけなん)とす。彼(かれ)が身(み)の上(うへ)心」61 ならねど、憖(なまじひ)に擒(とりこ)となりて耻(はぢ)をさらさんも朽(くち)をしと、それより目黒(めぐろ)一朗菴(いちろうあん)にはしり行(ゆき)、菴主(あんしゆ)にわが身の俄悔(ざんげ)して、本末(はじめをはり)をものかたり、妹(いもと)お妻(つま)が首(くび)と一張(いつてう)の短冊(たんざく)をとり出していへらく、わが死後(しご)本所(ほんじよ)助市といふものたづね來(きた)らバ、これを逓与(わたし)給はるへし。この短冊(たんざく)ハいぬる年(とし)、助市がお妻(つま)へおくりしところの古哥(こか)なり。そのうたに、   武蔵野(むさしの)にありといふなる迯水(にげみづ)の迯(にげ)かくれても世を過(すぐ)すかな つら/\この哥(うた)のこゝろを考(かんがふ)れバ、われ助太夫を討(うち)て迯(にげ)かくれ、末世(まつせ)に悪名(あくみやう)を殘(のこ)すのみならず、同胞(どうほう)の女弟(いもと)を殺(ころ)す。」

挿絵十四62
天罸(てんばつ)一首(いつしゆ)の和哥(わか)にこもれり。只(たゞ)(いさき)よく自殺(じさつ)して、助市がうらみを果(はた)すべしといふ。一朗菴(いちろうあん)ハはじめて権八が素生(すじよふ)を聞(きゝ)て大に驚(おどろ)き、さては御身ハ平井(ひらゐ)(うぢ)の子息(しそく)にてありけるか。われも平井にゆかりある、西村(にしむら)保平(ほへい)がなれるはて也。又御身がふかくいひかはせし小紫こそ、わが女児(むすめ)のおきじなれといふ。権八これを聞(きゝ)てふたゝびその奇縁(きえん)を感悟(かんご)し、すなはち小紫に一通(いつゝう)を書殘(かきのこ)し、肚(はら)かき切(きり)て死(しゝ)たりけり。小紫ハこのことを傳(つた)へ聞(きゝ)てます/\悲(かなし)み寝食(しんしよく)をたちて死(しな)んとす。長兵衛も是をよそに見るに忍(しのび)ず、」63 三浦(みうら)のあるじに備由(ことのよし)を告(つげ)て小紫をもらはんといふ。三浦もかれらが切(せつ)なるこゝろねをあはれみ、敢(あへて)利慾(りよく)に耽(ふけ)らず、異儀(ゐぎ)なくいとまとらせぬ。長兵衛ハさま%\小紫に教訓(きやうくん)し、せめて身二になりて後(のち)、尼法師(あまほうし)ともさまをかへ、なき人の跡(あと)を吊(とは)んこそ道(みち)なれといふに、小紫も彼(かれ)が志(こゝろざし)のあつきに固辞(いなみ)がたく、しばらくその死(し)をとゞまりしが、けふハ亡夫(なきつま)の初月忌(しよぐわつき)なれバ墓参(はかまゐ)りしたきよしを請(こ)ふ。長兵衛すなはち人をつけて目黒(めぐろ)へつかはしける。一朗庵(いちろうあん)ありしことゞも物がたり、ふたゝび親子(おやこ)の名告(なのり)して、権八が書(かき)おきをわた」

挿絵十五64
しけれバ、小紫は只管(ひたすら)千行(せんこう)の涙(なみだ)にかきくれ、その夜(よ)すがら仏前(ぶつぜん)に通夜(つや)せしが、いつの間(ま)にや走出(はしりいで)けん。権八が墓(はか)の前(まへ)にて、自刄(じがい)してぞうせたりける。一朗庵(いちろうあん)なく/\その亡殻(なきがら)を権八が墓(はか)にならべ葬(ほふむ)りて、石(いし)のしるしを殘したる。目黒(めぐろ)の比翼塚(ひよくつか)(これ)なり。いかなれバこれを比翼塚(ひよくつか)といふぞとなれバ、はじめハ二の石塔婆(せきたうば)、その間(あはひ)二三尺隔(へだゝ)りしが、一夕(いつせき)雌雄(しゆう)の雉子(きじ)、塚(つか)の上(ほとり)に飛來(とひきた)りて、啼声(なくこゑ)いとかなし。次(つぎ)の朝(あさ)これを見れバ、夜(よ)のうちに両墳(りやうふん)(いし)を合(がつ)して、その間(あはひ)毫髪(ごうばつ)も容(いれ)がたし。されバ衛侯(ゑいこう)の女(むすめ)斉太子(せいのたいし)の」 死(し)を悲(かなし)み夫婦二の雉(きじ)となりし例(ためし)にならひ、世の人是(これ)を比(ひ)翼塚(つか)とよべり。又おつまが首級(しゆきう)を袖(そで)とゝも〔に〕(うつめ)し地(ところ)を、袖(そで)が崎(さき)と名(な)づくとかや。そのゝち平井(ひらゐ)右内(うない)ハ子供等(ら)が凶音(おとづれ)を聞(きゝ)(つた)へ、忽地(たちまち)(もとゝり)おし切て、清浄(しよう%\)の行者(ぎやうじや)となり、目黒(めぐろ)に來りて一朗庵(いちろうあん)とゝもに住はてける。その菴(いほり)を締(むすひ)しところを。行人坂(ぎやうにんざか)と呼(よび)なせり。夫(それ)天綱(てんこう)ハ疎(そ)にしてもらさず、前車(ぜんしや)の覆(くつかへる)を見て、後車(こうしや)の戒(いましめ)とするときハ、夫婦(ふうふ)和合(わごう)し、児孫(じそん)(こう)順に帰(き)す。讀者(よむもの)勧懲(くわんちやう)とせバ、冨貴(ふうき)栄達(ゑいたつ)(うたが)ひなし。

小説比翼文下巻65終

巻末・刊記

曲亭\主人\新編
月氷竒縁(げつひやうきえん) 〈繪入よみ本|全五冊〉
  曲亭傳竒花釵兒(きよくていでんきはなかんざし) 〈ゑ入|中本二冊〉
蓑笠雨談(さりつうだん) 〈同右|初編三冊〉
  小説比翼文(しようせつひよくもん) 〈中本ゑ入|全二册〉


 享和四年歳宿甲子正月吉日兌行
            江戸本町條通油町
              僊鶴堂 鶴屋喜右衛門梓」


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