【解題】
曲亭馬琴は本名滝沢興邦、後に解と改める。通称清右衛門、別号著作堂主人等(「滝沢馬琴」という呼び方は正しくない)。明和4(1767)年生れ、嘉永元年(1848)歿、享年82歳。江戸読本作者の第一人者である。早くから伝記研究が進み、現存する日記や書簡の大部分は活字化されて容易に見られるようになった。伝記については既に何回となく紹介されているので、ここでは触れないととにする。
さて、伝記資料に比べて著作の紹介はひどく遅れている。馬琴が残した作品は膨大な量にのぼるが、随筆類に比較的多くの翻刻が見られる以外、その代表作にすら信頼できる活字本が少ない。それでも明治期の叢書類には多くの作品が収められていたが、残念なことに現在では極めて入手が困難になってしまった。しかも明治期の翻刻は読み物として出されたもので、挿絵を欠いたり後刷本を底本とするなど、テキストとして満足に使用できないのである。本書に収めた『小説比翼文』(以下『比翼文』)も續帝國文庫『名家短編傑作集』(明治36(1903)年、博文館)に収められていたのだが、挿絵を欠いており、やはり校訂にも問題がある。ただし挿絵だけは『北齋讀本插繪集成』第1巻(美術出版社)に収められている。
ところで馬琴読本の処女作である中本型読本『高尾船字文』(寛政8(1796)年)は、『水滸伝』や『焚椒録』、更には『今古奇観』第3話「膝大尹鬼断家私」(訓点本『小説奇言』巻3)などの中国小説を、わが国の演劇である先代萩の世界(『伊達競阿国戯場』)に付会した作品。しかし巻末で予告された後編『水滸累談子』が出板されていないことからも分かるように、評判はあまり芳しいものではなかった。8年後の享和4(1804)年心機一転して2作の中本型読本を刊行した。その1つが『比翼文』で、もう1つが『曲亭伝奇花叙児』(以下『花叙児』)である。その『花叙児』は、徳田武氏が「『曲亭伝奇花叙児』論」(『日本近世小説と中国小説』、青裳堂書店)で明らかにされたように、中国の伝奇『笠翁伝奇十種曲』中の「玉掻頭」を浄瑠璃風に翻案して、中国伝奇の台本に擬した様式で書いた作品である。袋や見返しに「一名彼我合奏曲」と標傍し、題名に〈伝奇〉という言葉を冠しているように、中国の戯曲を日本の演劇に付会するという斬新な試みを行った作品である。一方『比翼文』の方では題名に〈小説〉という言葉を用いている。実は、この〈伝奇〉と〈小説〉という2語は当時の日本にあっては異国情緒に富んだ耳慣れない語彙なのであった。だから題名の付け方を見ただけでも、読本という新しいジャンルに対する馬琴のただならぬ意気込みが読み取れるのである。
さて『比翼文』の中国典拠として、『醒世恒言』第8「喬太守乱点鴛鴛譜」(訓点本『小説精言』巻2)が指摘されている(麻生磯次『江戸文学と中国文学』、三省堂)。だが、ここから利用したのは女装した美少年が美女と契りを結ぶという部分的な趣向に過ぎない。むしろ中心は浄瑠璃『驪山比翼塚』(安永8(1779)年)や実録『比翼塚物語』(写本)、さらに容揚黛の中本型読本『敵討連理橘』(安永10(1781)年)等さまざまな形で流布していた小紫権八譚である。これら実録の小紫権八譚を換骨奪胎して、『比翼文』全体の枠組みとしているのである。既に内田保廣氏が「馬琴と権八小紫」(『近世文藝』29号)で詳細に分析されているように、『比翼文』では実録の約束に従いながらも権八の〈悪〉を薄め、その庇護者である幡随院長兵衛を〈侠客〉として形象化している。つまり馬琴は、この改変によって道義性を強調したのである。とは言っても表面的な勧善懲悪臭は、後年の馬琴読本に比べればずっと希薄である。
一方、水野稔氏は「馬琴の短編合巻」(『江戸小説論叢』、中央公論社)で、浮世草子『風流曲三味線』巻4、5(宝永3(1706)年)と読本『西山物語』太万の巻(明和5(1768)年)とを、『比翼文』の全体の構想に関わる典拠として挙げられている。『風流曲三味線』に拠って権八と濃紫との因縁の伏線を設定し、『西山物語』に拠って両家の葛藤の発端として武芸試合を設定したのであった。
ところで読本では作中人物達の関係に前生の因縁を設定し、その宿世に拠って筋の進行を合理化するとこが多い。すなわち〈因果応報〉と呼ばれている方法である。馬琴の場合は、後に益々この傾向が強くなり馬琴読本の顕著な特徴の1つになるのだが、既に『比翼文』に、おいてその萌芽が見られる。すなわち権八と濃紫の前生を権八の父が撃ち取った雌雄の雉子であったとすることにより、この2人が現世では夫婦として添い遂げられないように設定したのである。そして、このような仏教思想を借用した因果律は、以後の読本の構想法として作者と読者との聞に於ける暗黙の約束事となったのである。
さて馬琴は『比翼文』の自叙でも言及しているように、美少年の持つ妖しい美や男色に対して興味を持っていたようだ。享和元(1801)年の黄表紙『絵本報讐録』(敢えて玉亭主人と署名)で男色ものを手掛けているし、後年、未完の長編読本『近世説美少年録』9編(文政11(1828)〜弘化4(1847)年、4編以下は『玉石童子訓』と改題)では善悪2人の美少年を主人公としているのである。それでも公式的な発言では、男色に対して露骨な嫌悪の念を説いている。
このように『比翼文』は、以後の馬琴読本に於て自覚的に方法化される多くの要素を孕んでおり、馬琴読本の出発点として重要な位置を占める作品であるというととができよう。
【書誌】
底本 国立国会図書館蔵(208-142)
編成 中本 2巻2冊
表紙 利休鼠無地(19×13.0cm)
題簽 左肩 子持枠「〈守節雉|恋主狗〉小説比翼文 上(下)」
見返 右に「小説比翼文」左に「曲亭馬琴子編」中央下に「書肆 仙鶴堂梓[印]」
自叙 「小説比翼文自叙[印]」末に「曲亭馬琴子\蓑笠隠居[印]」
目録 「〈守節雉|恋主狗〉小説比翼文總目録」
口絵 2図(1丁) 第1図右下に「北齋辰政 画」とある。
内題 「小説比翼文上(下)巻」下に「東都 曲亭馬琴著編」
柱刻 「小説ひよく文上(下) ○丁付」
挿絵 15図(墨刷りのみ)
尾題 「小説比翼文下巻 畢」
構成 〈上冊〉見返し、自叙6丁、目録1丁、口絵1丁、本文25丁、計33丁。
〈下冊〉本文32.5丁、刊記0.5丁、計33丁。丁付は「三十四」〜「六十五終」
匡郭 15.3×11.2cm
行数 自叙・本文共 九行
表記 句点読点の区別なく「。」が用いられ、ほぼ総ルピ。
刊記 「享和四年歳宿甲子吉日兌行\江戸本町條通油町\僊鶴堂 鶴屋喜右衛門
広告 刊記右に「曲亭主人新編」として四作の作品が挙げてある
印記 上巻一丁表、上部に「大」(大惣の印)
伝来 大惣本
備考 上巻題簽右側に、大惣のものと思われる題簽が剥離した跡がある。底本の虫損部分については天理図書館本を参照した。この天理本は濃標色無地表紙で題簽欠。また、立命館アートリサーチセンターの林美一コレクション中に後印1本が存。なお、改題後印本として『遊君操連理餅花(きみ□みさをれんりのもちはな)』、丁卯、仙鶴堂版がある。
【凡例】
一 原則的に原本通りに翻刻したが、以下の諸点に手を加えた。
一 JIS外漢字については近似の字体を用いた。(PDF版は可能な限り異体字も表記した。)
一 片仮名は特に片仮名の意識で使われていると思われるもの以外は平仮名に直した。
一 右に拘わらず、助詞の「は」に「ハ」が用いられている場合は、これを残した。
一 「叙」に使用されている句読点(白ゴマ点)は、読点と句点とに直した。
一 本文には句読点の区別なく句点が用いられているが、読点と句点とに区別した。
一 衍字や欠字、表記上の誤りと思われる箇所は〔 〕で示した。
一 各丁の区切りに」印を付し、裏には丁付を示した。
一 割書は〈|〉で示した。(〈守節雉|恋主狗〉)
一 左ルビは該当語に続けて〈○カタカナ〉の如く示した。
【見返】
【自叙】
小説比翼文自叙[出思]
享和三年弥生も半過るころ、杜鵑鳴たつ春の青山のあなたなる、めぐろの不動尊にまゐれり。此地ハいにしへ、牧のあら駒出せしより、驪の名ハ有けるを、今ハ目黒と書をもて、後人附會の説をなすとかや。なほこゝかしこうかれありく程に、永き日あしもかたぶきて、ものほしうなりぬ。こゝにうたかたの粟もち鬻家あり。是なん此あたりにハ名たゝるものから、やがてその家に立よるに、餅は今爨侍る。少刻」 待せ給へといふ。さらバ憩て道の労れをもはらすべし。とく搗てよといひつゝ枕して目睡ぬ。夢ごゝろに道の程五六町立出て見れバ、竹垣あやしく締捨たる菴あり。庭の遅桜咲みだれし、木の間たち潜、鳥の声/\。うき世の外の春に住馴けん人の羨しく、暫し垣間見おれば、うちより二八ばかりの女の、そのさま唯妍に、紫のいろ濃衣被たるが立出て誰そと問。おのれしか%\のもの也と名告に、扨ハとし頃聞及ぬる風流士にておはせ。主人も友ほしく思ふ折にし」1 あれバ、こなたへ入らせ給へと伴ひぬ。坐敷ハ席四ひらばかり設、竹の柱は朽て馬峰栖を得、軒端の萱すゝけて燕巣を失ふ。あるじハかゝる葎屋に似げなき美少年也けり。深山の雪の消やらぬ身をかこち、くれ竹のよを捨たる人と〔ゝ〕も見えず、いかなるゆゑにや田舎には引籠居給らん。いと覚束なくこそといふに、主人少し恥らひたるさまして、怪み給ふもことわりなれ。おのれ聖の書にもうとく、又山水を楽むものにもあらず。尊も卑も、色に耽て」 夏虫の身をこがし、蜘牛の家をうしなひ、遠き國にさすらひ、しらぬ田舎に住はてぬる類也かし。されバ天地ひらけしより、男色女色の二道行れて、天神七代の間女體なし。是男色の根本なるよし大鑑の作者はいひける。こは槿の花の夕にしぼみ、朝皃の日影またで、盛いとみじかきものから、それさへ百とせの身をはたす人も侍るめり。むかし空海法師この道を傳ん為に入唐して、石橋の危きをわたり、衆道の奥義を極しより、真雅僧都の常盤の」2 山の岩つゝじと詠りしハ、業平の俤わすれかたきをかこちけん。或ハ蓮生法師が弓卒都婆、或ハ僧正坊が形見の羽團扇、兼好が命松丸をいたはり、義鑑坊が義晴にかしづくなど、この類なほ多し。漢土の〓通ハ、文帝に愛せられて孕りともいふ。哀帝は〓賢を后のごとくし、弥子瑕が食さしの桃には衛の君に涎を流させ、東坡に涙こぼさせしハ、季節椎が手がら也けり。異國本朝この戯れさかりになりゆくまゝに、伽羅にましたる甚之介どのてふ狂哥ハ、二百年」 前の秀句なりや。しら拍子のながれ二すぢに漲おちてより、哥舞伎の色子世に賞せられしハ、竹中庄太夫、香之介、一学、初太夫、伊織。又中頃は、小紫、藤田皆之丞、伊藤小太夫、松嶋半弥、坂田小傳次、つゞきて市村玉柏、山本かもん、山下亀之丞、袖崎哥流、中村千弥、岩井左源太、中村岸之介、津川半太夫、松本重巻、これらハ都の花といふ。よしや難波の芳沢あやめ、浅尾十次、花井あづま、鈴木辰五郎が舞臺皃。こゝろある人に見せはや津の國の、西鶴が發句にも、顔見せや判官贔屓鈴木がたと、誉」3 けるハ是なりとか。峯の小ざらしが、きぬ/\の恨みより放ける。鶏が鳴東路にその名聞えたる左近右近ハ三寸五分の振袖に、帯ハ蘇枋染の麻を組織にし、幅ハ二寸五分を限として、跡先に總をつけて、四五寸むすびさげ髪ハ百會の上にて元結まき立、額髪を左右に分女がたにいでたつ時ハ、白き手拭を眉の上に被て、是を後にて合せ、赤繪の扇をさし挿頭て、おもしろの海道下リや。筆にかく共及じといふ哥一ツを、二三年ならひて太夫と呼れ、小栗の清水の段、桶と柄杓を肩」 にかけ、照手の姫を狂言のはじめとせしよし、古老のいひ傳へ侍る。これらを今の世の色子にくらぶれバ、花の傍なる深山木なるべけれど、その頃此いろの行れしこと、今に勝たるこそいとあやしく侍れ。おのれも兄としたのめる人なきにあらねど、一たび妓女の色に染しより、その人としも遠くなりて、かゝるわび人とハなりぬといふ。又彼女のいへりけるハ、さなきにも女ハ五障のつみふかきに、宿あそびとなりぬる身こそ、なほあさましくも悲く侍れ。そが中に傾色に名高きハ、葛城定家、そのゝち京によしの。江」4 戸に勝山、大坂に利生とて、第一藝をむねとして和哥の道にこゝろをよせ、印籠巾着の緒じめに珊瑚琥珀をえらみ、太夫と呼れながら後帯にして、四ツ折の半帋をふところ紙とし、茶の湯十種香を嗜み、琴三絃を攪ならし、こゝを通る熊野道者、手にもつたも椰の葉、笠にさいたもなぎの葉といふ哥を弾そめて、これを椰ぶしと名づけしを、後に投節とあらためて、籠の鳥かやうらめしやといふ唱哥を箕山が作出せしより、此一ふし都鄙に傳へて、堺の隆達か妙音にハ、田舎人の耳を驚し、」 東國にハやへ梅といふ新曲行れ、又土手ぶしてふ小哥も是より出て、英何がしが作もありとぞ聞え侍る。されバ中ごろまて太夫道中するときハ、禿二人に三絃もたせて、前に立せけるも、此等の余波とぞしらる。扨よしなき昔語して、釈迦の御まへに経を説こゝちし給ひけん。君が年々の冊子、たえず両夜のつれ%\を慰侍る。この頃ハいかなることをか綴給へる。聞まほしといふ。やつがれこの物語を聞て、膝の席にすゝむを覚ず。やがて懐より二巻の冊子をとり出ていへらく、おのれ才みじかけれバ、めづらかなる筆ずさみも侍ず。此さうしハ、」5 往年何がしが筆に著してより、としごとに哥舞伎狂言にすといふ。平井、幡随が事書るもの也。こゝろにとむべきものならねど、閑居の伽にもやと、打ひらきてさし置バ、彼人忽地悩しげに見ゆ。こハいかなるゆゑにか、これらのことをハ忌給ふると問に、あるじの少年つと立あがりて、君もしわれ/\が名をしらんとならバ、行てかしこの塚を見給へといふ。声いまだ訖らす、風さと吹來る程こそあれ、今まで在ける人ハ見えす。頂の上に家も崩るゝごとき音するに怕れて、一声あと叫んとするとき驚寤ぬ。是南柯の一夢也けり。往昔」 唐の開元七年、處士廬生てふ人、邯鄲に旅やどりして呂翁が枕を枕とし、五十年の栄枯を夢みしこと、沈既済が枕中記に見えたり。わか梦それにハ異にしあれと、彼も我も寤るに粟の蒸るをまたず。鳴乎前身といふべきや。はた後身といふべきや。今又呂翁を見ることなし。つひに身を側て起あがらんとすれバ、比翼塚のほとり堆子しきりに鳴て、春の日やうやく西に没ぬ。
【目録】
〈守節雉|恋主狗〉小説比翼文 總目録
第一編 窮士野鶏射禍遺事
浮屠〈ホウシ〉小兒相命談事第二編 犬兒〈イヌ〉恩感情子〈オモフヒト〉使事
寳劍典右内禄讓事第三編 平井本所闘劍法事
吾妻森三四白冢事第四編 權八怒助太夫殺事
寃家〈カタキノイヘ〉過助市仇養事」第五編 鈴森長兵衛行客救事
假〈ニセ〉女子身典濃紫挑事第六編 幡隨黒夜義弟〈ヲトヽブン〉試事
男女死决淺茅奔事第七編 妻棄妓携暗殃遭事
両墳〈ツカ〉石合比翼名事
小説比翼文總目録畢」7
【口絵】
比良井權八
雄児任氣使聲盖少年塲
劍仗嫖院過人殺都市傍 北斎辰政画 」
妓女濃紫
當年紫稱妖狐怪
三徳不空身貞死」8
【本文】
小説比翼文上巻
第一編 窮士雉子を射て禍をのこす事
附 浮屠小児を相して命を談る事
むかし武蔵國、葛飾郡、平井村の郷士に、平井右内といふものあり。その先祖をたづぬるに一條天皇の御宇、武畧の達人と聞えたる、丹後守平井保昌の後裔にして、父祖ハ安房の里見義弘につかへしが、義弘滅亡のゝち故郷平井村に隠居し、軍学釼術を教て生計とせり。今の右内」 に至りても、父祖の業をうけつぎて釼法を指南す。右内その人となり廉直にしてへつらはず、こゝをもて技ハ長たりといへども門人すくなく、その家極めて貧窮なり。年わかゝりし時猟をこのみて野にあそぶ。一日雉子をうちてその首に中たりしが、その首飛て叢のうちにや入けん、これを索るに見えず。明日又おなじ野にてその雌鳥をうちとめけり。此雉子、きのふうちたりし雄鳥の首を羽がひの下にかくしもてり。右内これを見て大に慙愧し、夫雉ハ守節の鳥なり。鳴乎飛禽もなほ、夫婦いもせの恩愛斯深を、」9 人としてなすこともなく、生るを殺してたのしみとせんこと、積悪餘殃の天理、おそるべし慎べしと忽地感悟して終に殺生をやめたりける。又おなじ郡なりける本所の里に、本所助太夫といふものあり。これもその先祖ハ平井氏より出て、右内が親族なり。彼が父祖ハ總州の千葉守胤の家臣なりしが、石原の城没落のゝち、これも本所の郷に来りて釼術を指南し、今の助太夫に至りて既に三代の郷士なり。抑助太夫、その人となり奸侫邪智にして世才あり。こゝをもてその技ハ右内に劣りたれども世人彼が」
」10」
侫辨に迷されて、その門下に属する人多かりけれバ、年わかきより用られて、家ゆたかに時めきけり。助太夫が弟助市ハ、その性質兄に似ず。右内ハ釼術に達したるのみならず、筆法ハ佐々木文山に学て、手迹拙からざれバ、助市幼きより右内に筆学して、父のごとく敬ひけれバ、右内もかねて助太夫が奸侫をにくむといヘども、助市が老実なるにめでゝ一家の好をやふらず。右内に子二人あり。兄を権八といひ、妹をおつまとよぶ。その身村落に生るゝといヘども顔色玉のごとく、泥」11
中の芙蓉ともいふべし。その頃右内が妻の従弟なりける男に、西村保平といふ浪人あり。目黒瀧泉寺の門前に、かすかなる家居して夫婦住けり。としごろ子のなきことを歎き、宝塔寺の雉子の宮に祈りて一人の女児をまうけ、その名をおきじと呼て鐘愛たぐひなし。女児きじ四ツになりける春、母持病の積聚を患て身まかりぬ。保平鰥の身一ツに、おさな子を養育して艱難いふべうもあらず。右内このことを傳へ聞てある日保平が許ゆきていへらく、足下の不幸きくも」
」12
いたはし、男の手して稚きをもり育んこと、よろづに附て憂かるべし。しり給ふごとくわが家極めてまづしといヘども、足下の艱難見るに忍ず。けふよりおきじを引とりて養育し、ひとゝなるのゝちハ孩児権八に妻すへし。このことわれに任さるべきやといふ。保平これを聞て大によろこび、げにや一貴一賤まじはりを見るといヘど、貧に居で貧を辞せず、窮して後人の信をしるとハ、足下の事なりかし。とまれかくまれよきにはからひ給はるべしといふ。こゝに於て右内ハその日おきじを抱きて家」
に帰り、夫婦これをいつくしむこと実の子のごとくす。おきじハ権八に年一ツましたりけれバ、よろづおとなびたり。されど過世あしくやありけん。只管権八と陸しからで、はしたなく挑あらそひけれバ、父母もけうときことにハ思ひながら、互に年つもらバはぢて争ひもやむべしと、只仮初に諭しいましめけるが、既に三とせの春たちて、身丈ハわか草の萌いづるごとく伸れども、あらそひハいよ/\つのるばかり也。ある時右内権八おきじを招きよせ、世の諺に、人の中あしきを犬と猿に譬たるハ、犬ハ人家を慕、」13
猿ハ山林をしたひて、そのなすところ異なれバ也。御身ふたりハしからず。為ところもひとしく、遊ぶことも同くて、むつましからぬハいかにぞや。稚ごゝろにもよく弁へよ。きじハゆく/\権八が妻とせんと思ふ也。しからバ今より睦くして、共に孝養をつくし、先祖をかゞやかすべし。もし此のちいさゝかもあらそはゞ、権八ハわが児にあらず、きじハわが家の嫁にあらず。よくこゝろえよと苦%\しく教訓す。二人ハかほうちあかめつ、手を膝におきて、父うへゆるさせ給へ。かさねてハ諍ふまじといふ。」
父母よろこびてやゝ心をやすくせしが、その次の日もあらそふこと常にかはらず。右内ハ興さめて口を鉗、そのゝちハ敢是非をいはざりける。権八七ツになりける春庭の小鳥を射んと、破魔弓に箭をつがひて睨よる所におきじ何こゝろなく障子をさとひらきて走りいづれハ鳥ハこの音におどろきて飛去ぬ。権八大に怒りてなんぢよくもわが射る妨せしな。當知よといひつゝよつ引〓とはなつ。その箭おきじが額をかすり、障子をつらぬきて席薦のうへにすつくと立ツ。おきじハ」14
一声噫と叫びて、忽地はたと倒伏たるその音におどろき、二親走り出てこれをみるに、おきじが額やぶれて血流れ出ること夥し。あはやと抱きおこし、袖もてその鮮血をぬぐひ見れバ、只破广矢のかすりたるのみなるゆゑ、幸ひ疵も深からず。やがて膏薬を傳、湯剤を飲せ、さま%\勦りけれバ、十日ばかりにしてまつたく愈たり右内ハこの光景にうち驚きて、とせんかくせんとこゝろのうち安からず。婦さゝやきていへらく、世に五生々尅といふことなきにしもあらじ。つら/\かれら二人が事を思ふ」
」15 」
に、是かり初のことにはあらず。近きわたりに宮居し給ふ、平井観喜天の菴主ハ、卜筮説相の術に通じて、よく人の禍福をしめし給ふときく。はやくこれを迎てその吉凶を問給へと薦けれバ、右内げにもとこゝろづき、翌日観喜天の庵主を請じて子供等が姻縁の吉凶を問バ、庵主すなはち相して云、男子ハ子の年戌の日に生れて金性なり又女子ハ亥の年午の日に生れて火性なり。夫火ハ金を尅し又火ハ戌に衰ふ子ハ正北にして陰なり。これを四神に配すれバ、北方玄武水に象る。」16
午ハ正南にして陽なり。これを四神に配すれバ、南方朱雀火に表る。陰陽敵して水ハ火を尅す。これ大凶なり。これを妻〔せ〕んこと大によからず。その気こゝに牙して相あらそふといへども、後ハ却て睦しかるべし。譬バ金ハ火に尅せられながら、銅鉄鏡釼のたぐひ、みな火に入りてかたちをなすがごとしその悪ものをもて形をなすがゆゑに、これを妻すときハ睦して迭に相殺すをしらずその事戌におこりて南方に終らん歟。この禍一朝の事にあらず足下わかゝりし時大に陰徳をそこなへりその餘殃今この小児に」
罹りぬ。よく心に秘して徳を修し、その禍を禳べしと、過去を説、未來を示こと響のものに應するごとくなれば、右内夫婦大におどろきて、厚く庵主に礼謝し、つら/\禍の係るところを考れバ、むかし雌雄の雉子をころせしこと、まつたく子供等が身にむくへり。彼が名をお雉子といひ、生るゝ日又午なり。午ハ南方朱雀にして、朱雀も又これ雉子なり。嘗聞、いにしへ周の王、褒城の神を走せて禍を遺し、幽王の時にいたりて、褒〓が為に国をほろぼすとかや。今のおきじハわが家の」17
褒〓ならんと、舌をまきておそれしが、女児おつまも又雉子の後身にして、その終ところかの雄雉のうたれしごとくなるを、しらざるこそ浅ましけれ。斯て右内ハ次の日おきじを伴て目黒にいたり、保平にあひていへりけるハ、かねてハおきしを養て嫁にもせまほしく思ひしが、いかにせんわが家ます/\貧に迫り、四人の口を糊しがたし。よりて已ことを得ずかへし申スなりといふ。保平これを聞て心のうち大に憤り、さては右内わが貧窮をあなどり、ゆく末たのみ少しと、中途に女児をかへすならん。渠武夫ににげなくも言」
を食て、われを辱ることのにくさよと、異儀なくおきじをうけとり、是より交を絶て永く胡越の人となりぬ
第二編 犬児恩を感じて情子に使する事
并 宝釼を典として右内禄を譲事
光陰箭のごとく、又浚のごとく、権八巳に十六才になりぬ。その容貌の美なるをいはゞ、〓通もおよびがたく、在五もなずらふべし。面ハ紅粉を施さずして桃花の如く、腰ハ羅綺にもたへずして嫋柳に似たり。かゝる美少年は、俳優中の女形といふものにもあらじと、その男色になづ」18
める人も多かりける。権八斯のごとく容姿女子に彷彿たりといへとも。心あくまで猛して万夫をもおそれず。釼術ハ父が技をうけつぎて、金石を碎くの手段あり。実に今の世の牛若丸ともいひつべし。妹おつまハ今茲十五歳にして、これ又沈魚落鴈のすがたあること兄権八に劣らず。是より先本所助太夫が弟助市、おきなきより日々手習にかよひ來しが、子ども遊びの雛事より、仮初に妻定して、
何となく硯にむかふ手ならひよ人にいふべきこゝろならねバ
と、源氏の古哥を口すさみしより、初花の色こき、春の」
夜の品定めにも、綻かゝる口あけの、袂にあまるおもひとなりて、互にゆく末ハこの人ならすして、誰にか百年の身をまかすへきと、心のうちにゆるせしも可愛し。年長てハ助市も手習ふことをやめて、こゝに來ることも稀なりけれバ、今ハ石原のかたき契もたのみがたく、吾妻の森の下露に濡つゝ袖も朽んとす。こゝに右内が家にとしごろ養ける犬あり。この犬黒き毛のうちに、白き毛三ツと四ツと絞染のごとくまじりたれバ、その名を三四白とよべり。ある日おつまハ椽の柱にうちもたれて、ひとり助市が事を思ひなやみ」19
居たりしが、かの三四白はしり來て、尾を揮つゝ求食けり。おつま犬にむかひていへりけるハ、むかし呉の陸機ハ、その身京洛にありながら、故郷にたよりせまほしき折からハ、養犬に書をよせて、万里の安否をしるとかや。なんぢもしこゝろあらバわか思ふ人に使せんやと戯れけれハ、此犬そのことを聞わきたるがごとく、走りよりて二声三声吼たりける。さてはわが為に媒するにやと嬉くて、まづこゝろみに艶簡さら/\とかいしたゝめ、これを竹の筒にいれて犬の首にかくれバ、犬ハそのまゝ走り去ぬ。嬉さ」
」20」
いはんかたもなく、又こゝろづけバこはげだちて、所も去ずそのおとづれをまち居たるに、少刻ありて犬ハ走り帰りぬ。筒をひらきてうちを見れハ、助市が回簡ありて、此程のおこたり思ふかぎりを書つけたり。しばしハこゝろを慰る物から、戀しさハ弥まして、是より日ごとに犬に書をよせてかたみに情を運せける。されバおつまハおのれか食を分て犬にあたへこれをいつくしむこと子のごとくすれハ、犬もまたお妻を慕て片時もかげみをはなるゝことなし。後にハ人も疑ひて、おつまハ犬に魅られしといひしとなん。此年の〔の〕」21
秋、右内が妻仮初のいたつきよりやゝ重りて今ハたのみすくなし。只人参と熊膽のちからならずして功を奏しがたしと、医師も眉をひそめてつぶやけバ、右内あるかぎりの衣服雜具を售竭して薬の代になすといへ共、そのころハ人参の價いと貴くて、後にハ代かゆべきものもなく、手をつかねて死をまつばかり也。助市このことを傳へ聞、圓金十両もて來ていへりけるハ、おのれ幼少より師弟の因ありながら、兄にまかせたる身にしあれバ、萬事こゝろに任せず。少きを厭ひ給はずハ、薬の代とも」
なし給へといひて、かの金をあたへける。右内もそのこゝろざしを感じながら、いはれなく人に物をうくべきやうなしと、再三再四辞しけれども、助市かたく請て止ざりけれバ、火急の弁利といひ、その志をやぶらんも無下に頑なるに似たれバとて、やがてその金をもて薬をもちひけり。そのゝちも助市をりにふれてハ心づけて勦りければ、右内も頻りに彼が厚情を感じける。されど定業かぎりありけん、岐扁の術もとゞきがたく、九月廾一日といふに右内が妻むなしくなりぬ。右内かなげきハさらなり。二人の子等が悲みいうべうもあらず。」22
過七の追薦をはりてのち、右内つら/\おもふやう、この身貧に迫るといヘども、ゆゑなくして人より物を得たることなし。助市が厚志黙止がたくて、一旦金をバ借待たれども、その金ハ助太夫が手より出たるなるべし。梁ハ輕薄の侫人なれバ、もしこれをかへさゞる時ハ、終に耻をうくべしと、思慮して、その夜助太夫が家にゆきていへらく、日外荊婦が病中に、賢弟助市圓金十両をめぐまれたり。疾にも返し納んとハ思ひながら、しり給ふごとく貯うすけれバ心ならずうち過ぬ。是ハわが家の重宝、夜光丸の名劍にし」
て、身にもかえがたき宝なれども、しばらく足下にあづくべし。金子調達のうへハ異儀なくかへし給はるべしといひつゝ、鎌倉純子のやゝ破れたる袋より、かの一腰をとり出して、是を助太夫が前にさしおきけれバ、助太夫思ひがけざるさまにて、こハ事あらたまりたる言を聞ものかな。一家のよしみ、心のおよばんたけハ調べきを、後をあはれむの餘力なきゆゑに、心の外にうち過ぬ。元來わがしれることにもあらず。小弟が深き慮ありて金をバまゐらせたるならんに、いかでか宝釼を預るべきやと、口ハ蜜にして腹に針あるがごとき言なる」23
を、右内はやくも猜していへらく、この夜光丸ハ、先祖保昌よりわが家に傳たれども足下も又武智丸の係嗣にして共に平井の遮流也。他人に委るにあらず。足下にあづけおくときハわが家にあるにおなじ。物を得て報ふことなきハわがこゝろにあらず。ひらにおさめ給へといふに、助太夫心のうち潜によろこび、しからバ暫時その言にしたかふべしと、かの宝釼をあつかりけれバ、右内ハやがて平井村へ帰ぬ。この時天下昌平に帰し、文武隆に行れて、一藝の士ハみな禄を得るをりなりけれバ、奥羽の知州右内」
」24 」
助太夫が撃釼に達したることを聞し召れ、かれら二人に太刀合させて、孰にもあれ勝たるかたを召かゝへよと遙々実檢の使者をさし越給ふ。権八これを聞て大によろこび、わが父助太夫を打ふせ給はんこと疑ひなしとさゞめきけり。右内も家をおこさんこと此時にありと、もつはらその准備して太刀合の日を待居たりしが、その夕助太夫しのびやかに右内が許來ていへらく、扨も此度の太刀合ハ足下の勝給はんこと必せり。われハ年もわかく技も未熟也。又足下ハとしも長て技も鍛煉せり。されバ足下こ」25
そ彼侯のめしに應じ給ふらめ。こゝに歎くべきハ、われ今許多の門人あれバこそゆたかに世をわたれ、太刀合に輒たらんには、弟子もうとみて離るへし。しかれバわれも住なれしこの地に足をとゞめがたし。わが身の恥辱ハいとふにあらず。只小弟助市がこといかにしても便なし。足下の子をおもひ給ふと、わが弟をあはれむと、恩愛いづれかふかゝらん。只やるせなきハ骨肉のほだし也けり。もし明日の太刀合にこゝろして給はらバ、嚮にあづかりし夜光丸の宝釼をかへし、又新にうくるところの禄をわかちて、」
子息権八をやしなふべし。凡男だましひもちたらんもの、かゝる面ぶせなることをいひ出て、足下のおもひ給はん所もはづかはしけれど、肉身の愛着すてがたくて斯のごとしと、手して涙を拭ながらよぎなきさまにかたりけり。右内もけうときことにハ思ひながら、元來義を守るをのこなりけれバ、彼に一旦の恩あるに固辞がたく、儼然としていへらく、思ひがけなきことを承るものかな。わが勝べきにも定めがたく、足下の負給はんともいふべからず。勝負ハ時の運にこそよれ、そハ足下とわがこゝろにあるべき也と」26
答けれバ助太夫、こゝろのうちに欺き得たり〔と〕よろこびて、程なくわが家にかへりける。
第三編 平井本所闘劍法の事
附 吾妻森三四白冢の事
かくて太刀合の日にもなりけれバ、右内助太夫めしに應じて仮屋に参上す。勝負ハ午の刻と定られて、まづ長短四本の木刀をあたへ、いづれにてもこゝろに應じたるを用べしとなり。両人おの/\これをえらみとりて休息所に退く。既に時刻にもなりぬれバ、実檢の使者」
阿武隈瀬左衛門席上に立出れバ、右内助太夫袴の裾高くとりつゝ、迭にやと声をかけて立むかひ。二三合打あひしが、右内が木刀鍔元よりほつきと折たり。助太夫得たりと飛かゝり、木刀をひらめかして撃んとするを、瀬左衛門声をかけて、やよまつべし。太刀折たるをいかでか打ん、速に木刀を更らるべしといふ。右内これを聞て脆〔き〕ていへらく、太刀折たれバわが輒なり。もし真釼ならバいかにせん。かゝる所に長居せんもうしろめだしと、遂に仮屋を逃出て、おのれが家にぞかへりける。されバ助太夫ハ」27
労せずして勝利を得、一時に面目をほどこしける。後に聞バ、右内休息所にありしとき、竊に木刀の鍔元に小刀目を入おき、折るやうに設しとなん。権八おつまハかゝることゝもしらずして、父の太刀合にかちて今や帰り來給ふと、同胞門に立出つ。頸を伸してそのかたをながめ居たるに、日もやゝかたぶくころ、右内ハ思ひありげなるさまして帰り來れり。権八うれしく走りよりて、いかにや太刀合に勝給ひつらんといふを、父ハ見むきもせず。つと裡面に入り、兄弟をちかく招きていへりけるハ、夫禍福ハ」
」28」
天にありて人力の及ぶ所にあらず。すべて勝負を爭もの、一人利あれバ一人必ず愁ふ。かるがゆゑに君子ハあらそふところなく、おのれ達せんと欲してまづ人を達す。けふわが木刀の折れたるも天なり。けふの勝利ハ助太夫なりと、聞もあへず権八ハ、忽地面色燃るがごとく、火炎の如息をほとつきて、かひなき父の仰ごとや。太刀をれたらバなどて再度の勝負ハ望給はざる。われ今彼所に馳むかひ、父にかはりて勝負を决すべしと、刀引提て走り出るを、やよやまて権八、汝がしるところにあらず。もし強て」29
ゆかんとならバ、親子の愛も是までぞと、声高やかに制すれバ、権八この一言にちからなく、拳をさすりてかしこまる。おつまは父の太刀合に利なきのみならず、助太夫陸奥へおもむかバ、助市とも永きわかれにやなりなんとその事かのこと思ふにかなしく、この夕艶簡したゝめて、三四白が首にむすひつけ、助市がかたへ使して思ふかぎりをくどきける。この頃この犬の事、近隣囂々ととり沙汰して、お妻こそ犬に魅られたれと、言に枝をそえていひ傳れバ、一犬虚を吼て百犬実を傳ふとかや。後にハ右内もこの」
ことをもれ聞て、安からぬ事かなと、それより心をつけて窺ふに、げに人のいふに違ず、あやしきこと多かりけれバ、大に歎き、わが女児畜生とまじはること、いかなる過世の因果ぞや。身のうちの腐ハはやくこれを断ざれバ愈がたし。今ハちから及ず、撃てすてんにハと、その夜弓矢手ばさみてこれを窺ふ。初夜すぐるころ、三四白庭に來て一声高く吼けれバ、お妻忙しく走り出、犬の側に立よるところを、右内裡面より〓高く〓とはなつ。その矢あやまたず、おつまが右の袂を縫て、矢ハ犬の咽」30
へがはと立、犬はそのまゝ斃れける。おつまハ噫とはかり怕れ、たち退んとすれども、袂箭につらぬかれたれバ、これをふり放んとするうちに、右内はやくも走り出、弓をもて丁々と打すえ、涙を瀾然と落していへらく、畜生に對してかたるべき言なし。只速に自害せよ。但わが矢さきにかくべきかと、弓も折れるはかりに打擲す。おつまハわがみの誤にかへす言なかりしが、畜生と宣ふ父の言いはれなけれバ、今ハつゝまず告奉るなりとて、犬に書をよせて助市と契りしこと、一五一十物」
」31」
かたるに、父ハなほ疑ひながら、犬の首にかけたる筒をとりて見れバ、うちに助市が回簡ありてとても陸奥へおもむくべきこゝろなきよしをしるして、又一葉の短尺をそえたり。ひらきてこれを見れバ、
むさし野にありといふなる迯水の迯かくれても世を過すかな
と、俊頼朝臣の哥をもて、迯出よといふ謎とせり。父はじめて疑ひをはらし、罪なき三四白を殺せしことを後悔して、披犬を吾妻の森の辺に埋め、しるしの石を建て跡懇に吊ひける。今もて漂板塚とてかの地にあり」32
とかや。〈三四白漂板|和訓おなじ〉この夜権八ハ、隣郷にゆきて此時やうやく立かへりけれバ、右内ハありしことゞも語聞せ、われ弱官の時多く殺生して徳をやぶりしに、今亦主に忠ある犬をころして、大に陰徳をそこなへり。もし勉めて善根を修せずんバ、わが家それ後なからんか。汝等よく鑑て陰徳を行ふべしといひて、かの助市が短冊を権八に逓与、かれら斯まで思ひ詰たることなれバときを待て妻すべし。御身しばらくその短尺をあづかり置、わが思ふ程をも妹にかたり聞せよといへバ権八も」
父の慈愛ふかきを感じ、且三四白が死をあはれみ、親子辞しわかれて臥房に入りぬ。
小説比翼文上巻畢」33
小説比翼文(しようせつひよくもん)下巻
第(だい)四編(へん) 権八怒(いかり)て助太夫をころす事
并冤家(ゑんか)を過(よぎり)て助市仇(あだ)を養(やしな)ふ事
本所(ほんじよ)助太夫が家(いへ)にハ、某(それ)侯(こう)のめしに應(おう)じて、陸奥(みちのく)へ起行(たびだち)ちかきにありと、いと賑(にぎは)へり。弟助市ハ、おのれが思ひのやるかたなくて、心の中楽(たのし)まず。一日(あるひ)兄(あに)にいひけるハ、扨(さて)も此度の太刀合に勝(かち)給ひしこと。稽古(けいこ)のちからとハいひながら、右内(うない)ハよく恩義をしる人なれバ、こゝろに慮(おもひはか)りしこと」もあるべし。此よろこびに、かねてあづかり給ふ宝釼(ほうけん)を返(かへ)し給へかしと薦(すゝめ)けれども、兄(あに)ハこれを耳(みゝ)にも入れず、そらうそぶきて居(ゐ)たりける。斯(かく)て助太夫啓行(ほつそく)の日も定(さだま)りぬれハ、畄別(りうへつ)の宴席(えんせき)をひらきて、親戚(しんせき)門人(もんじん)をまねきけるに、右内(うない)ハこゝちあしきとて行(ゆか)ず。その詰朝(よくてう)思ふやう、人の招(まね)きに應(おう)ぜざるさへあるに、一礼(いちれい)を述(のべ)ざるハ不遵(そん)也。行(ゆき)てきのふの怠(おこた)りを謝(しや)すべしと、袴(はかま)引かけて立出(たちいで)しが、やがて帰(かへ)り來(き)て只顧(ひたすら)嘆息(たんそく)し、顔色(がんしよく)常(つね)にかはりてなやましげに見えけれバ、権八父(ちゝ)のまへにかしこまり、わが父何の愁(うれひ)有(あり)」34
てか、斯(かく)思ひには沈(しつ)み給へる。父子(ふし)の間(あひた)何かつゝみ給ふべき。語(かたり)聞(きか)せ給へかしといふ。右内うちうなづき、この事(こと)に於(おい)てハいはじとおもひ詰(つめ)たるが、さては色(いろ)にあらはれしよな。何かかくさん、けふしも助太夫が傍若(ぼうじやく)無人(ぶじん)言語(ごんご)に述(のべ)がたし。そのゆゑハ日外(いつぞや)老妻(つま)が病(やめる)とき、助市が手(て)より借得(かりえ)たる十余(よ)金(きん)を賠(あがなは)ん為(ため)、汝等(なんぢら)にもふかく隱(かく)し、夜光丸(やくわうまる)の釼(つるぎ)を助太夫にあづけ置(おき)ぬ。しかるに助太夫ある夜(よ)來(きた)りていへるハ、この度(たび)の太刀合(たちあはせ)に勝利(せうり)をゆづり給はらバ、宝劍(ほうけん)をかへしあたへてこれに報(むくふ)べしと乞(こ)ふ。彼(かれ)に一旦(いつたん)の恩(おん)あれバ、白地(あからさま)に固辞(いなみ)がたく、」
太刀合(たちあはせ)に負(まける)とも宝釼(ほうけん)をとり復(もど)しなバ、先祖(せんぞ)へ孝(こう)も立(たつ)べしと、さきのごとくはからひしに、彼(かれ)言(こと)を食(はみ)て更(さら)に釼(つるぎ)をかへさゞれバ、われこの事(こと)をいひ出(いで)てその約(やく)にそむきしを責(せめ)けるに、彼(かれ)却(かへり)て大に怒(いかり)てわれを犬侍(いぬさむらひ)と罵(のゝし)る。その事(こと)ハ三四白(みよし)が虚説(きよせつ)より出(いで)て、子(こ)ハ畜生(ちくしよう)とまじはり、親(おや)ハ犬(いぬ)を射(ゐ)る。犬母(けんぼ)ハ麟(りん)を生(うま)ず、父子(ふし)ともに犬(いぬ)なりと欺(あざむ)けり。われもさすがに忍(しのび)がたく、討(うつ)て捨(すて)んとハ思ひしが、汝等(なんぢら)が路頭(ろとう)に迷(まよは)んことの不便(びん)さに、無念(むねん)をこらへけるハと、聞(きゝ)もあへず権八つと立(たち)あがり、父(ちゝ)ハ堪忍(かんにん)もし給はんが、われハ得(え)こら」35
へ難(がた)し。これをも忍(しの)ぶべくハ何かしのばざらんやとひとりごちて、刀(かたな)を跨(たばさ)み走(はしり)出るを、父ハ追縋(おひすがふ)てとゞむれども、はやその影(かげ)をたに見ず。権八ハ足に信(まかせ)て助太夫が家(いへ)に走(はし)り行(ゆき)、案内(あない)もせず裡面(うち)に入れバ、折ふし助太夫ハ甲陽(こうよう)軍鑑(ぐんかん)をよみながら、盲法師(めくらほふし)に肩癖(けんへき)うたせ居たり。権八はこれを見るよりその前にむずと坐し、忽地(たちまち)銀海(ぎんかい)を見ひらき、朱唇(しゆしん)を飜(ひるかへ)し、声(こゑ)をあららげていへらく、〓(なんぢ)嚮(さき)にわが父を犬侍(いぬさむらひ)と罵(のゝし)る。夫(それ)人を誑(たばかり)て太刀合(たちあはせ)に勝利(しようり)を得(え)、約(やく)にそむきて宝釼(ほうけん)をかへさゞるものも、是(これ)亦(また)人面獣(にんめんじう)」
」36
」心(しん)なり。犬侍(いぬさむらひ)の児(こ)の腰刀(かたな)、切(き)れるやきれざるや、當(まさ)にしるべしといひながら、抜手(ぬくて)も見せず助太夫を只(たゞ)一刀(いつたう)に切伏(ふせ)たり。次(つぎ)の廂(ま)に居合(ゐあは)せたりける門人(もんしん)五六輩(はい)、これをみて大におどろき、師匠(しせう)の仇人(かたき)迯(のが)さじと抜(ぬき)つれて立むかふを、権八ものゝかず共せず、右にあたり左(ひだり)に〓(さゝ)へ、立地(たちどころ)に二人を〓殺(きりころ)し、三人に手負(ておは)せけれバ、血(ち)ハ流(なが)れて紅河(こうか)をなし、甘谷(かんこく)に錦(にしき)をさらし、龍田(たつた)に楓(もみぢ)をちらすがごとし。権八遂(つひ)に納戸(なんど)をかいさぐりて彼(かの)夜光丸(やくわうまる)をとり出し、是ハわが家の宝劍(ほうけん)なれバ今(いま)持(もち)かへるぞと呼(よばゝ)り外面(とのかた)にはしり出(いづ)るに、」37
家僕(かぼく)等(ら)その剛勢(いきほひ)に辟易(へきゑき)し、あへて〓(さゝえ)るものもなし。此時助市ハ家(いへ)に在合(ありあは)せず、奴僕(しもべ)がしらせに打おどろき、後(おく)ればせに立かへり、この光景(ありさま)を見て或(あるひ)ハ歎(なげ)き、或(あるひ)ハ怒(いか)り、直(たゞち)に右内が家(いへ)に走(はし)り行ていへらく、意趣(ゐしゆ)ハしらずといへ共権八ハ兄(あに)の仇人(かたき)なり。速(すみやか)に出(いだ)さるべしといひつゝ、はや鍔元(つばもと)くつろげてぞ扣(ひかへ)たる。右内驚(おどろ)くけしきもなく、兄(あに)の仇(あた)を復(むくは)んハ武夫(ぶふ)の道(みち)なり。いかにもわが児(こ)を逓与(わたす)べし。心のまゝにせらるべしといひながら、紙門(ふすま)押(おし)ひらきて引出(ひきいだ)すを見れバ、権八にハあらずしてお妻(つま)をきびしく縛(いまし)めたり。」
助市眉(まゆ)をひそめ、あなうたてし。右内ちまよひ給ひしか。吾(われ)女子(をなご)をうちて何かせんといふ。時に右内寛尓(くわんじ)として云(いはく)、助市よくわが言(こと)を聞(きか)れよ。権八僅(わづか)十六才にして、釼法(けんじゆつ)の一流(いちりう)を極(きはめ)たる助太夫を討(うち)て立退(たちのく)ほどなれバ、などて鈍(おぞ)くも家(いへ)に隱(かく)れ居(ゐ)て、足下(そこ)の來(く)るを待(また)んや。渠(かれ)ハ法(ほう)を犯(おか)したるものなれバわが児(こ)にあらず。天地(てんち)のあらんかぎりハ探索(さぐりもとめ)て宿志(しゆくし)を遂(とげ)らるべし。わが子(こ)ハ此女児(むすめ)のみ也。足下(そこ)とわけあることしらざるにはあらず。われ権八を隱(かく)しおかざる證(しるし)には、この女児(むすめ)をまゐらす」38
べし。心まかせにはからはれよといふ。助市呵々(から/\)と打わらひ、われ息女(そくぢよ)と仮初(かりそめ)の契(ちぎり)ハあれど、今かく冤(うらみ)を締(むすぶ)うへハ、爭(いかで)か私(わたくし)の情(なさけ)に羇(つなが)れて、ふたゝびこれをかへりみんや。さしも権八を助(たすけた)さに、色(いろ)をもて欺(あぎむ)〔か〕んとハ、武夫(ぶゝ)ににげなき穢(きたなき)こゝろかなといふ。右内これを聞(きゝ)て小膝(こひざ)立(たて)なほし、こハ舌長(したなが)し助市。われいかにぞ色(いろ)をもて欺(あぎむ)くべき。抑(そも/\)権八助太夫を切害(せつがい)せしと風聞(ふうぶん)あるより、お妻(つま)おのれと迫(せま)りて自殺(じさつ)せんとせしゆゑに、われこれを縛(いましめ)おけり。よりて女児(むすめ)を足下(そこ)に委(ゆたね)んといふこと、実(じつ)ハ足(そ)」
下(こ)に権八を討(うた)せん為(ため)の寸志(すんし)なりといふ。助市いよ/\疑(うたが)ひ惑(まどひ)て、その故(ゆゑ)を問(とへ)バ右内いへらく、されバとよ。権八年少(としわか)けれども少(すこ)しく思慮(しりよ)あり。足下(そこ)の仇(あた)を復(むくは)んとするをしれバ、渠(かれ)地(ち)を潜(くゞ)りても匿(かく)るべし。さるを仇人(かたき)の女弟(いもと)たるお妻(つま)を養(やしなひ)おくときハ、扨(さて)ハ助市色(いろ)に迷(まよ)ひ、仇(あた)をむくふに心なしと、彼(かれ)みづから意(こゝろ)をゆるさバ、労(ろう)せずして宿志(しゆくし)を遂(とげ)なん。怨(うらみ)を雪(すゝぎ)ての後(のち)ハ、むすめを足下(そこ)の婦(つま)とせんとも、又せまじとも、こゝろのまゝなるべしといふ。その言(ことば)こと%\く理(ことわり)ありけれバ、助市忽地(たちまち)こゝ」39
ろ解(とけ)て大によろこび、げにや乕(とら)を撃(うつ)ものハ陷(おとしあな)を設(まう)け、贋(たか)を捕(とる)ものは囮(おとり)をおく。謹(つゝしみ)て教(をしへ)にしたがふへし。假令(たとひ)権八翅(つばさ)ありて天(てん)に昇(のぼ)り、鱗(うろこ)ありて水に没(いる)とも、終(つひに)は個(かく)のごとくならんと、明(めい)晃々(くわう/\)たる刀(かたな)を引抜(ひきぬき)、お妻(つま)が縛(いましめ)を切断(きりたて)バ、索(なは)ハはらりと前(まへ)に落(おつ)。おつまハ父(ちゝ)の慈悲(ぢひ)、兄(あに)の行(ゆく)すゑ、又助市が心の中さへおしはかられて、左右(とかう)いはん言(ことば)もなく、よゝと泣(なき)て声(こゑ)を惜(をしま)ず。右内これを見て双眼(そうがん)に涙(なみだ)をうかめ、やよむすめいたくな泣(なき)そ。是みな前世(ぜんぜ)の悪業(あくごう)ぞかし。かゝるうき世(よ)の嵐(あらし)なくバ、栄行(さかゆく)春(はる)」
」40」
の花をさかせ、相生(あひをひ)の松の千代(ちよ)かけて、思ふかたへも嫁(よめ)らすべきに、その人としもそひハせで、兄(あに)の為(ため)に質(しち)となる。あすハ誰(た)が身(み)のうへや鳴(なく)らん、山がらす、頭(かしら)も白(しろ)くなると聞(きゝ)。かの燕丹(ゑんたん)がむかしならで、老(おひ)が頭(かしら)に霜(しも)やおく、夢野(ゆめの)の鹿(しか)の妻戀(つまこひ)も、果(はて)ハその身(み)の仇(あた)となりぬ。うたてやな。御身(おんみ)が帰(かへ)り來(き)ぬる日は、これ権八が忌日(きにち)なり。彼(かれ)をころして悲(かなしま)んや。これを助(たす)けてよろこばんや。父(ちゝ)が心のうちを推(すい)して、よく性命(せいめい)を保(たもつ)べし。噫(あゝ)よしなきくり言(こと)に時(とき)やうつる。涙(なみだ)おさめて」41
疾(とく)ゆけよ。助市めでたく帰郷(きごう)をまつなりと義を見てやぶらず悲(かなしま)ざる、右内が一言(いちこん)にはげまされ、助市遂(つひ)にお妻(つま)を携(たづさへ)、ひとまづ本所(じよ)へかへりける
第五編(だいごへん) 鈴(すゞ)が森(もり)に長兵衛行客(たびゝと)を救(すくふ)事
附 假女子(かぢよし)身(み)を賣(うり)て濃紫(こむらさき)を挑(いどむ)事
平井(ひらゐ)権八は助太夫を討(うち)て直(たゞち)にその家(いへ)を走(はし)り出、いづくを當(あて)とは定(さだめ)ねど、川に添(そひ)、橋(はし)をわたり、南(みなみ)を望(さし)て走(はしる)程に、思ず鉄炮洲(てつほうず)まで來(き)ぬ。既(すで)にかへらんとするに家(いへ)をうしなひ、すゝまんとするに路(みち)をしらず。」
しばらく躊躇(ちうちよ)して心(こゝろ)决(けつ)せざりしが、詰(きつ)とこゝろ附(づき)ておもへらく、大丈夫(だいじようぶ)當(まき)に宇宙(うちう)をもて家(いへ)とすべし。いかにぞ手(て)を束(つかね)て擒(とりこ)とならんや。さらバ浪速(なには)の方(かた)に身をよせんと、俄(にはか)に中途(ちうと)にて行装(たびよそほひ)をとゝのへ、高輪(たかなわ)に至(いた)るころ、日ハはや西にかたぶきぬ。路傍(みちのべ)の茶店(さてん)に少刻(しばらく)足(あし)をやすめ、こよひハ更(ふく)るとも河崎(かはさき)まで馳行(はせゆか)んとひとりこちて立(たち)出(いづ)るを、茶店(さてん)の主人(あるじ)とゞめていへらく、日くれてハ鈴(すゞ)が杜(もり)物怱(ぶつそう)なり。少年(せうねん)の夜行(やこう)し給はんこといかにしても危(あやう)し。今夜(こんや)ハ品河(かは)に」42
一宿(いつしゆく)し、翌(あす)とくうち立給へかしといふ。権八冷笑(あざわらひ)て、吾(われ)ハ故(ゆゑ)ありて路(みち)を急(いそ)ぐものなり。假令(たとひ)野伏(のふし)山客(やまだち)の患(うれひ)ありとも、わが両刀(りやうたう)腰(こし)にあり。何の怕(おそれ)かあるべきといひ捨(す)て出去(いでさり)ける。その頃(ころ)淺草(くさ)花川戸に任侠(をとこだて)の名(な)聞(きこ)えたる、幡隨(ばんずい)長兵衛といふもの、大師(だいし)河原(がはら)の賽(かへりまうし)、おなじ茶店(さてん)に憇(いこひ)居(ゐ)たりしが、権八が今(いま)の廣言(くわうげん)を聞(きゝ)て大に嘆美(たんび)し、げにや花(はな)ハ吉野(よしの)、人ハ武士(ぶし)とぞいふなる。今の美少年(びせうねん)の言(ことば)、潔(いさぎよ)し/\。しかハあれど、寡(くわ)ハもて衆(しゆう)に敵(てき)しがたけれバ、中途(ちうと)山客(やまだち)の為(ため)になやまされんこと必(ひつ)せり。」
われこゝより引かへし、機(き)に臨(のぞみ)て彼(かれ)をすくふべしと、忙(いそがは)しく裳(もすそ)を〓(かゝげ)、西をさしてぞ馳去(はせさり)ける。この頃(ころ)ハ侠者(きやうしや)おほく、六方(ほう)丹前(たんぜん)、白鞘組(しらつかぐみ)、大小の神祗(じんぎ)など、おの/\その隊(むれ)ありて、劇孟(げきもう)季布(きふ)が風(ふう)を慕(した)ふもの少(すくな)からず。就中(なかんづく)この長兵衛ハ、一個(いつこ)の志氣(しき)ありて、柔(よはき)をたすけて剛(つよき)を征(せい)し、利をすてゝ義(ぎ)をもつはらとする豪侠(ごうきやう)なれバ、もし幡隨(ばんずい)が名(な)をいふときハ、嬰児(ゑいぢ)の泣(なく)をもとゞむべく、侠徒(きやうと)もその下風(かふう)に立んことを願(ねが)ひけり。斯(かく)て長兵衛ハ、只管(ひたすら)路(みち)を急(いそ)ぎ」43
けるが、品河(しなかは)にて日ハくれぬ。松風(まつかぜ)さむくして人迹(じんせき)をたち、波濤(はたう)岸(きし)をうちて渺々(びやう/\)たり。已(すて)に鈴(すゝ)が森に走(はしり)つきて見れバ、思ふに違(たがは)ず権八大勢(おほせい)の山客(やまだち)にとりまかれ、雲飛雲不飛(おひつまくりつ)戦(たゝかひ)居(ゐ)たりしが、忽地(たちまち)三四人を〓仆(きりたふ)し、威風(ゐふう)なほ禀然(りんぜん)たり。ふり揚(あぐ)る刀尖(きつさき)より、光明(くわうみやう)赫奕(かくやく)と閃(ひらめ)き出(いで)、闇夜(あんや)も白昼(はくちう)のごとくなれバ、長兵衛大に驚嘆(きやうたん)し、しばらく木蔭(こかげ)にたゝずみて、その光景(ありさま)を窺(うかゞひ)居(ゐ)たりしが、今ハこらへかねて走(はしり)出、少年(せうねん)助太刀(すけだち)するそと声(こゑ)をかけ、矢場(やには)に両個(ふたり)の」
」44」
山客(やまだち)を切ころせば、賊(ぞく)ハ加勢(かせい)あるを見て、四分(ちり/\)八落(はら/\)に迯(にけ)うせたり。権八刀(かたな)を腰(こし)におさめて一礼(いちれい)し、何(いづれ)の人かハしらねども、今の危難(きなん)をすくひ給はることのうれしさよといふ。長兵衛寛尓(につこ)としていへらく、
聞及(きゝおよ)び給ひつらん。われハ幡随(ばんずい)長兵衛なり。さきに高輪(たかなわ)の茶店(さてん)にて、君(きみ)がたくましき一言(いちごん)を感激(かんげき)し、中途(ちうと)に災害(わざはひ)あらんことを思ふてこゝに來(きた)れり。実(けに)その言(ことば)にたがはず、君(きみ)が釼法(けんじゆつ)凡(よのつね)ならず。しかるにその刀(かたな)の尖(とがり)より光明(くわうみやう)かゞやきて、闇夜(あんや)をてらせしことのいぶ」45
かしさよといふ。権八微笑(ほゝえみ)ていへらく、疑(うたが)ひ給ふもことわりなり。わが此刀(かたな)ハ夜光丸(やくわうまる)と名(な)づけたる所の宝釼(ほうけん)にして、闇夜(あんや)にこれを抜(ぬく)ときハ、光明(くわうみやう)をはなつの奇特(きどく)あり。この刀(かたな)のゆゑをもて古郷(こきやう)を立去(たちさり)、遠(とほ)く浪花津(なにはづ)にさまよひ行(ゆか)んと思ふ也。長兵衛打うなづき、仔細(しきい)ハしらずといヘども、すべなきことあれバこそ、夜(よ)を犯(おか)して旅(たび)ハし給ふなれ。しらぬ國に行(ゆか)んより、おなじくハ此地(このち)にとゞまり給へかし。吾(われ)ハいふかひなきものながら、義(ぎ)ハ鐘(かね)が渕(ふち)の鐘(かね)よりも重(おも)しとし、命(いのち)は秋葉(あきは)の散楓(ちりもみぢ)より輕(かる)しとす。身(み)の賤(いやし)きを嫌(きら)ひ給は」
ずハ、命(いのち)にかえてもかくまふべしといふ。権八ハかねて長兵衛が名(な)を聞(きゝ)しりてけれバ大に歓(よろこ)び、遂(つひ)に義(ぎ)を締(むすび)て兄弟(きやうだい)の約(やく)をなし、二人打つれて鶏明(いなのめ)のころ、花川戸(はなかはど)に立帰(たちかへ)りける。こゝに於(おい)て権八は助太夫を討(うち)て立退(たちのき)しこと、一五一十(いちぶしじう)もの語(がたり)けれバ、長兵衛も彼(かれ)が剛勇(ごうゆう)に打驚(おどろ)き、仇人(かたき)もつ身ハ心をせめて、世をしのぶを第一(だいゝち)とすべし。本所(ほんじよ)と花川戸(はなかはど)ハ大河(だいが)一條(ひとすぢ)を隔(へだて)たれバ、そのまゝにてこゝにあらんこと大に危(あやう)し。われに一ツの計(はかりごと)ありと、それより権八に女服(をんなのいふく)を被(き)せ、面(おもて)には紅粉(こうふん)を施(ほどこ)し、髪(かみ)ハ髱(つと)を出(いだ)し」46
て島田髷(しまだわけ)とす。元來(もとより)玉を欺(あさむ)く美少年(びせうねん)なりけれバ、さながら女子(をなこ)に異(こと)ならず。されバこゝにつどひ來(く)る侠客(きやうかく)等(ら)、その色(いろ)に泥(なづ)みてさま%\口説(くどき)よるもの多(おほ)し。長兵衛斯(かく)てハ禍(わぎはひ)を引出すべしと、ある日権八を三浦(みうら)が許(もと)につれ行(ゆき)て、是(これ)ハわが姪(めい)也。思ふ仔細(しさい)あれバしばらく預(あづか)り給はるべしとたのむ。三浦(みうら)も男子(なんし)とハしらずして、その縹致(きりやう)高尾(たかを)うす雲(くも)が下(した)にたつべきものならねバ竊(ひそか)によろこび、是を濃紫(こむらさき)にあづけゝる。是より権八こゝろを竭(つく)して小紫(こむらさき)に仕(つかへ)けれバ、小紫も又これを愛(あい)して他事(たじ)なくもてなし」
ぬ。されバにや権八ハ、小紫(こむらさき)が容色(ようしよく)に心うごき、あはれかゝる美人(びじん)を妻(つま)ともなさば、うき世の望(のぞみ)も足(たり)なんと、下(した)もえ初(そむ)るわか草(くさ)の、結(むすば)ん夢(ゆめ)にもわが男(をとこ)たることをしらせまほしく思ひながら、身の一大事(いちだいし)に思ひかへして、若(わか)むらさきの色(いろ)にも出さず、宝(たから)の山に入(いり)ながら、手(て)を空(むなし)くするこゝちして、なほ貞実(まめやか)に仕(つかへ)けれバ、小紫も何となく捨(すて)がたき思ひありて、此子(こ)なくてハと鍾愛(ちやうあい)す。折ふし冬(ふゆ)の夜(よ)の雨(あめ)もにくからず、來(き)ませし人ハ宵(よひ)の間(ま)にかへり去(さり)て、坐敷(ぎしき)にハ小紫と権八のみさし向(むか)ひ、わが身人のうへの品定(しなさだめ)して、少刻(しばらく)う」47
きを慰(なぐさ)めしが、小紫いへりけるハ、わが身花院(さと)にそだちて多(おほ)くの傍輩(はうばい)にもまれ、遊君(ゆうくん)のかずにいりても心のあへる人もなかりしが、いかなる縁(えにし)にや御身(おんみ)ハまことの妹(いもと)よりいとをしく、又御身わらはにかしづき給はる〔こ〕と同胞(はらから)も及(および)がたし。あはれ男子(をのこ)にして見まほしや。もしかく実(まこと)ある人あらば、命(いのち)も何かをしまんと聞(きく)よりも、権八はむね打さはぐをやゝ押(おし)しづめ、よしや戯言(たはふれごと)にもせよ、さのたまはするこそ嬉(うれ)しけれ。されどわらはもし男(をとこ)ならバいかでさあらん。なき物(もの)ほしといふ諺(ことはざ)も侍(はべ)るかしと、袖(そで)もて顔(かほ)を覆(おほ)ふも可愛(あい)」
」48」
し。小むらさきそのことゝハしらずして、皃(かほ)うちあかめ、あなかしこ何の偽(いつはり)あらん。御身(おんみ)もし殿(との)ならハ日(ひ)の本(もと)のあらふる神々(かみ/\)かけて、百年(もゝとせ)の身をまかすべし、とばかりおもふもよしなき誓言(せいごん)よと打わらへバ、権八今ハ身を省(かへりみ)るに遑(いとま)なく、さのたまふに違(たがは)ずハ、何かつゝまんわれハもと男(をとこ)なり。故(ゆゑ)ありて世をしのべハ、假(かり)に女の貌(すがた)とハなれり。あさましや君(きみ)が色(いろ)に心みだれ、この身の大事(だいじ)をあかすうへは、今の言(ことば)よも偽(いつはり)ハあらじといふ。その声音(こはね)日ごろにかはりていとあら/\し。小紫ハ思ひがけざる」49
一言(いちこん)に膽(きも)つぶれて、胸(むね)は板庇(いたひさし)はしる玉あられのごとくなるをおし鎮(しづ)め、さてハ殿(との)にてありしよな。よし/\見かへり柳(やなぎ)に花(はな)ハ咲(さく)とも、いひし詞(ことば)ハたがへじと、忽地(たちまち)小指(こゆび)を噛切(かみきり)ながら、つと立(たち)て衣衝(いこう▼〔桁〕)に掛(かけ)たる白無垢(しろむく)の袖(そで)に遊女(ゆうぢよ)三社(さんじや)の詫(たく)といふもの書(かき)て誓文(せいもん)とす。今なほ好事(こうず)の人傳写(でんしや)するところの小紫が三社(さんじや)の詫(たく)是(これ)なり。権八これを見て大によろこび、われハかひなき日蔭(ひかげ)の身(み)、假令(たとひ)うき世の霜(しも)に先(さき)だち、あしたの露(つゆ)と消(きゆ)るとも、未来(みらい)劫(ごう)のすゑまでも、かはらじな。やよかはらじと、心の下(した)ひも」
解(とけ)そめて、ふかきちきりとぞなれりける。
第(だい)六編(へん) 幡隨(ばんずい)黒夜(こくや)義弟(ぎてい)をこゝろむ事
并 男女(なんによ)死(し)を决(けつ)して淺茅原(あさぢがはら)に奔(はしる)事
かくてその年(とし)もくれてあら玉の春立(はるたち)かへり、夏(なつ)も過(すぎ)て星(ほし)まつる頃(ころ)より、小紫(こむらさき)只(たゞ)ならぬ身となりて、時ならぬ青梅(あをうめ)をこのみ、全(まつた)く悪阻(つはりやみ)のけしきなりけれバ、主人(あるじ)ひとを以(もて)來(き)ませる客(きやく)にこゝろあてありやと間(とは)せけれバ、さいふ覚(おぼえ)さら/\なしといふ。あまりのふしぎさに賣卜者(ばいぼくしや)につきてうらなはせけれバ、是ハつねに小紫が傍(かたはら)にある人の子(たね)」50
なるべし。その人外(ほか)陰(いん)にして内(うち)陽(よう)なり。たづねて見給へといふ。主人(あるじ)これを聞(きゝ)てます/\怪(あやし)み、それより心をつけて窺(うかゞ)へバ、かの長兵衛が姪(めい)なりける女いかにも疑(うたがは)し。世にいふ半月(ふたなり)とかいふものならめと、間(ま)なく試(ため)し見るに、是(これ)まつたく男子(なんし)なれバ大におどろき、もしこの事世に聞(きこ)ゆる時ハ、小紫(こむらさき)が身に係(かゝり)てわが活業(よわたり)の障(さはり)となるのみならず、却(かへり)て人にわらはるべし。只何となく彼(かれ)を幡随(ばんずい)にかへすべしと、忽地(たちまち)これを追退(おひしりぞけ)ぬ。長兵衛縁故(ことのわけ)を聞(きゝ)て権八に教諭(きやうゆ)しけるハ、凡(すべて)賢愚(けんぐ)と」
なく、身を過(あやまつ)ものハ色慾(しきよく)なり。御身仇人(かたき)を持(もち)ながら、色(いろ)に耽(ふけ)りて身の災(わぎはひ)をかへりみず、もしこのゝちかゝることあらば兄弟(きやうだい)の義(ぎ)もそれまで也と、嚴(きびしく)いましめ喩(さと)しける。その頃(ころ)目黒(めぐろ)の里(さと)に普化(ふけ)道者(どうしや)のながれを汲(く)み、一節截(ひとよぎり)の指南(しなん)して世をわたる、一朗菴(いちろうあん)といふ桑門(そうもん)あり。長兵衛かねてしる人なれバ、次(つぎ)の日権八を將(ゐ)て彼所(かしこ)に至(いた)り、此少年(せうねん)故(ゆゑ)ありて世を忍(しの)ぶもの也。しばらく預(あづか)り給はるべしといふ。一朗庵(いちろうあん)も長兵衛が義気(ぎゝ)あることをしれバ疑(うたがは)ず、こゝろよく承引(うけひき)てすなはち菴(いほり)にとゞめけり。権八その」51
身ハ、一朗菴(いちろうあん)中(ちう)に在(あり)ながら、心ハ三浦が許(もと)にうかれて、この事彼(かの)事(こと)に假托(かこつけ)つ、毎夜(まいよ)彼所(かしこ)にゆきかひて、小紫と忍びあふ。小紫も又権八にわかれしより、魚(うを)の水にはなれしこゝちして、今ハ世の義理(ぎり)も何かせんとあらんかぎりの物ハみな代(しろ)がえて、戀(こひ)の中宿(なかやど)にその人を待(まら)わび、はかなき夢(ゆめ)をたのしみける。うつゝ心のやるせなく、いつしか冬(ふゆ)のはじめとなりぬ。さなきにも黄金(たから)ハ得(え)がたきものなるに、権八少(すこ)しの貯録(たくはへ)なけれバ、よろづの費(つひへ)小紫が身一ツに罷(かゝり)て、このごろは戀路(こひぢ)に関(せき)をすえられて、中宿(なかやど)の」
敷居(しきゐ)も高(たか)し。こゝに於(おい)て権八ふと邪念(じやねん)萠(きざ)し、武士(ぶし)窮(きう)するときハ剛盗(ごうとう)をもなすべし。われ迚(とて)も世にたつべき身にもあらず。よし遮莫(さもあらバあれ)百年(ひやくねん)の壽命(じゆみやう)も今の貧(まづし)きにハかえがたしと、それより夜(よ)な/\辻切(つぢきり)をはじめける。されバこゝの〓〓(つぢ)かしこの委巷(ちまた)、罪(つみ)なくして道(みち)のべの霜(しも)と消(きゆ)るもの多(おほ)し。長兵衛はやくも此事を聞(きゝ)しりて大に憤(いきどほ)り、われ侠者(をとこだて)の魁首(かしら)となりて廾年(ねん)、終(つひ)に一トたひも義(ぎ)にそむかず。今権八が悪行(あくぎやう)によりて、末世(まつせ)にわが名(な)をくださんことの朽惜(くちをし)さよと、」52
ふかくこれを悲(かなし)みける。ある夜(よ)権八又市中(しちう)を徘徊(はいくわい)して、よき財主(ざいしゆ)にも出あへかしと窺(うかゞ)へバ、土手(どて)節(ぶし)の声(こゑ)もとだえたる、日本堤(にほんつゝみ)のあなたより、懷(ふところ)おもげに來(く)る人あり。是こそこよひの賓(まらうど)なれと、笛袋(ふえぶくろ)にしこみたる、刀(かたな)を抜(ぬい)て切(きり)つくれバ、彼(かの)人こゝろえたりと抜合(ぬきあは)せ、二三合(ふたゝちみたち)たゝかひしが、権八夜光丸(やくわうまる)の光(ひか)りにつきて、その人をよく見れバ、是幡随(ばんずい)長兵衛也。こハいかにと打驚(うちおどろ)き、刀(かたな)を引て迯(にげ)んとするを、長兵衛その天蓋(てんがい)を掴(つかみ)て動(うごか)せず、声(こゑ)をあらゝげていへらく、犬(けん)猫(みやう)にも劣(おと)りし汝(なんぢ)に、いふ」
」53」
べきことなしといヘども、思ふ仔細(しさい)あれバわれと共に來(きた)るべしと、相伴(あいともな)ひて花(はな)川戸に立(たち)かへり、かれが悪行(あくぎやう)一五一十(いちぶしじう)言(いひ)ならべ、われ書籍(しよじやく)をよまざれバ、和漢(わかん)の例(ためし)ハしらざれども、むかし袴垂(はかまだれ)の平井(ひらゐ)保輔(やすすけ)、洛中(らくちう)を横行(わうぎやう)して、兄(あに)保昌(ほうしよう)を害(がい)せんとせしと、今宵(こよひ)の事(こと)よく似(に)たり。とても小紫(こむらさき)といふ妖狐(きつね)に魅(みいれ)られたれバ、昔(むかし)の権八にハあらじ。とく/\此地(このち)を立去(たちさる)べし。もし一チ日も足(あし)をとゝめバ、是までの因(ちな)みに〓(からめ)とりて、知縣(だいくわんしよ)へ引べきぞと、或(あるひ)ハ怒(いか)り或(あるひ)ハかなしみ、忽地(たちまち)これを追出(おひいだし)」54
ぬ。権八は身(み)の誤(あやまり)にかへす言(ことば)もなく、すご/\と立出(たちいで)しが、詰(きつ)と思ひ飜(かへ)して、直(たゞち)に三浦(みうら)が許(もと)にしのび行(ゆき)夜(よ)に紛(まぎ)れて樓上(にかい)に登(のぼ)り、小紫にわが身の悪事(あくじ)を懺悔(ざんげ)して、今ハこの地(ち)のすまひかなはず、翌(あす)ハ遠国(ゑんごく)に赴(おもむく)なり。縁(えん)あらバ又あふこともあるべしと、世にこゝろ細(ほそ)く聞(きこ)ゆ。小紫ハ只管(ひたすら)涙(なみた)にかきくれて居(ゐ)たりしがこの言(ことば)を聞(きゝ)てやゝ顔(かほ)をあげ、こハ情(なさけ)なきことを宣(のたま)ふものかな。産(さん)は生死(しよふし)の際(きはみ)とかや。君(きみ)にわかれてなど一チ日もながらふべき。あくがれて死(しな)んより、此所(このところ)にてわらは」
をころし、こゝろよく立退(たちのき)給へよと、声(こゑ)をもたてず哭(なげ)きける。権八ハその脊(せ)を撫(なで)ながら、さあらんと思ひしが、しばし心を試(ため)せしぞや。われ血気(けつき)の勇(ゆう)に誇(ほこ)り、父祖(ふそ)の名(な)を穢(けが)すのみならず、幡随(ばんずい)ぬしの恩義(おんぎ)を忘(わす)れ、悪報(あくほう)既(すで)に身に迫(せま)り、はじめて夢(ゆめ)の寤(さめ)たる如(ごと)くふかく心に慙愧(ぎんぎ)せり。いかでか御身ひとり殺(ころさ)ん。こよひこの家(いへ)をのがれ出、同(おな)じ街(ちまた)に死(し)すべしと、いひつゝ泪(なんだ)をおし拭(ぬぐ)へバ、小紫世に嬉(うれ)しげに手をあはせ、われ故に、汚名(おめい)を殘(のこ)し給へるのみか、盛(さかり)もまたで朝皃(あさがほ)の、はか」55
なきたねは宿(やど)せども、共(とも)に消(きえ)ゆく露(つゆ)の身の、あさちが梦(ゆめ)となることハ、そも是いかなる因果(いんくわ)ぞと、くどき立てよゝと泣(なく)心よはくてかなはじと、権八かたへの銚(てう)子引よせ、一椀(いちわん)かたふけてこれを小紫に与(あたへ)ていへらく、御身かねてハ下戸(げこ)にして、一滴(いつてき)の酒(さけ)も飲(のま)ずといへども、これぞ此世(このよ)の名(な)ごりなる。最期(さいご)の盃(さかづき)うけ給へと、なみ/\酌(つい)で前(まへ)におく。小紫ハ辞(ぢ)するに及(およば)ず、押(おし)いたゞきて飲(のみ)竭(ほせ)バ、怪(あや)しや小紫が額(ひたい)に三日月(みかつき)形(なり)の金瘡(きず)忽然(こつぜん)とあらはれたり。権八打おどろきてそのゆゑをとへバ、小むらさきいへらく、されバとよ、是にこ」
そ昔(むかし)がたりの侍(はべ)れ。わらは幼き時、しばらく平井の郷士に養(やしなは)れしが、その家(いへ)の児(こ)となかあしく、ある時破魔箭(はまや)にて額(ひたい)を射(ゐ)られたり。そのゝちわらはは実(まこと)の親(おや)の許(もと)にかへりしが、父(ちゝ)大病(たいびやう)に打ふしてせんすべなく、九才(こゝのつ)の春(はる)、此里(さと)にうられ來(き)しより家信(おとづれ)なく、今に父(ちゝ)の生死(しよふし)をしらず。しかるに人となりて後(のち)も酒(さけ)を飲(のむ)ときハ、斯(かく)のごとく額(ひたい)にその矢疵(やきず)あらはる。妓女(ぎぢよ)は色(いろ)をもておもてとする者(もの)なれバ、是をおそれて酒を飲(のま)ず。今ハの盃(さかづき)辞(ぢ)しがたく、飲(のめ)バ忽地(たちまち)はづかしや、かゝる貌(すがた)を見せ奉(たてまつ)りしと、手(て)」56
して額(ひたい)をうち覆(おほ)ふ。権八備細(ことのよし)を聞(きゝ)てます/\驚(おどろ)き、しからハ御身が父ハ西村(にしむら)保平(ほへい)とハいはざりしや。こハ何としてわが父(ちゝ)の名(な)をしり給ひしと、小紫も疑(うたが)ひ惑(まどへ)り。権八掌(たなごゝろ)をうちていへらく、御身とわれハ二世(せ)の悪縁(あくえん)也。われこそ御身が額(ひたい)に傷(きずつけ)しその時の小児(しように)なれ。かねて父母(ふぼ)の物かたりに聞(きけ)るハ、目黒(めぐろ)の郷士(ごうし)西村(にしむら)何がしが女児(むすめ)をやしなひ、これを汝(なんぢ)に妻(めあは)せんと思ひしが、そのなか陸(むつま)しからぬをうたがひ、平井(ひらゐ)観喜天(くわんきてん)の菴主(あんしゆ)にうらなはせけるに、成人(せいじん)のゝちはむつましかるべし。しかれども是を夫婦(ふうふ)となすときハ、共(とも)に」
」57」
殃危(わさわひ)あるべしといひしと宣(のたま)へり。扨ハのがれぬ奇〓(きくう)也と迭(かたみ)にめと目を見合(みあは)せて、呆(あき)るゝもげにことわり也。折ふし隣(となり)坐敷(ざしき)に琴(こと)の音(ね)聞(きこ)えて、われハ及ぬみの虫(むし)なれど、父(ちゝ)よとなかで戀(こひ)に身も、やつれはてたる蛬(きり%\す)。ひまゆく駒(こま)よ馬追(うまおひ)の、なき玉虫(たまむし)ときえてのち、又來(こ)ん里(さと)のくつわむしと、声妙(こゑたへ)にうたふたり。二人(ふたり)ハわが身(み)のうらかたよと、心をこゝろにうなづき合、人定(ひとしづま)るをうかゞひて、欄間(らんま)をやぶり帯(おび)を降(さげ)、これに携(すがり)て外面(とのかた)に下(おり)たちつ。小紫に天蓋(てんがい)載(かぶせ)て梵論(ぼろぼろ)に扮(いでたゝ)せ、からうじてのがれ出、淺茅(あさぢ)が原(はら)へ走(はし)り行(ゆく)。時(とき)ハ」58
十一月廾九日、霰(みぞれ)まじりに降雪(ふるゆき)のあやめもわかぬくらき夜(よ)を、そこはかなくたどりつき、出茶屋の軒(のき)に雪を凌(しの)ぎ既(すで)に最期(さいご)の准備(やうゐ)をなす所(ところ)に、忽地(たちまち)囂々(ぎやう%\)と人声聞えけれバ、権八後面(しりへ)をかへりみていへらく、されバこそ廓(さと)の追人(おつて)の來(きた)りつれ。われまづかれらを追しりぞけ、心しづかに死(し)すべしと、小紫を茶店(さてん)の簷下(のきば)にのこし置(おき)、元(もと)きしみちに引かへす。
第(だい)七編(へん) 妻(つま)を棄(すて)妓(ぎ)を携(たづさへ)て暗(あん)に禍(わざはひ)に遇(あふ)事
附 両(りやう)噴石(ふんいし)を合(がつ)して比翼(ひよく)と名(なづく)る事」
こゝに又本所(ほんしよ)助市ハ、千住(せんじゆ)の町に僑居(きやうきよ)して、権八が在處(か)をたづねけれども、更(さら)にゆくゑをしらず。いたづらに月日を過(すぐ)すうち、おつま久(ひさ)しく病(やみ)て枕(まくら)あがらず。これを見ころしにせんも便(びん)なし。しばらく右内(うない)にあづけおき、身を輕して仇人(かたき)をたづねんとハ思ひながら、さすが宿志(しゆくし)を遂(とげ)ずして、白昼(はくちう)に故郷(こきやう)に帰(かへら)んこと面目(めんぼく)なけれハ、この日(ひ)夜(よ)の更(ふく)るをまちてお妻(つま)を負(おひ)つゝ、平井村(ひらゐむら)へと心ざし、これも淺茅(あさぢ)が原(はら)へ來(き)かゝりしが、路(みち)を急(いそ)ぎて中途(ちうと)に懷包(かみいれ)をとり落(おと)しけれバ、おつまを出茶屋(でちやや)の簷下(のきば)におろし置(おき)、五六」59
町立(たち)もどりしに、頻(しき)りに胸(むね)打さはげバ、おつまが事きづかはしく、又忙(いそがは)しく馳(はせ)かへりけるが、白雪(はくせつ)路徑(ろけい)を埋(うづ)みて老馬(ろうば)のしるべにあらざれバ東西(とうざい)もわかちがたく、忽地(たちまち)茶店(さてん)をとりちがへ、隣(となり)の軒端(のきば)に居(ゐ)たりける小紫(こむらさき)をお妻(つま)也と思ひ、これを脊(せ)おひてはしり行(ゆく)。小紫も又助市を権八なりとし、追人(おつて)の近(ちか)づかんことの怕(おそろ)しさに、言(ことば)もかはさず負(おは)れ行(ゆき)ぬ。権八ハかゝることゝもしらずして、追人(おつて)を切はらひ、元(もと)の茶店(さてん)に立(たち)かへり、小紫を尋(たづぬ)れどもいらへなく、只(たゞ)隣(となり)の簷下(のきば)に女のうめく声(こゑ)す。扨ハ待(まち)かねてはやまりし」
かとこゝろ慌(あはて)、声(こゑ)をしるべに探(さぐり)より、夜光丸(やくわうまる)を引抜(ひきぬき)て、胸(むね)のあたりをさし通(とほ)せバ、刀(かたな)の光(ひかり)四面(しめん)をてらし、濆(ほとばし)る血(ち)は雪(ゆき)にながれて鷲管山(がくわんざん)の紫霜(しさう)にひとし。権八刀(かたな)の光明(ひかり)にて、はじめてその人を見れバ、刺殺(さしころ)せしハ小紫にあらず、妹(いもと)おつまなりけれバ、こハいかに〔と〕打驚(おどろ)き、惘然(ぼうぜん)として立(たつ)たる所に、追人(おつて)近(ちか)づきぬと見えて、権八をのがすなといふ声(こゑ)耳(みゝ)をつらぬけば、ぜひなく妹(いもと)が首(くび)を打落(うちおと)し、袖(そで)引ちぎりて押(おし)つゝみ、遂(つひ)にその場(ば)を立去(たちさり)けり。扨(さて)亦(また)本所(ほんしよ)助市ハ、小紫を負(おひ)て路(みち)十町ばかり來(きた)りし時、俄(にはか)に」60
挑灯(ちやうちん)星(ほし)のごとくきらめき出、大勢(たいぜい)四方(しほう)よりとり囲(かこ)み、小紫をわたせ/\と呼(よばゝ)りける。助市更(さら)にその故(ゆゑ)をしらねバ、路(みち)をもとめて走(はしら)んとす。小紫ハ挑灯(ちやうちん)の火(ほ)かげにてその人の模様(もやう)を見るに、負來(おひき)し人ハ権八にあらざるゆゑ、こハあさましと轉(まろ)びおつれバ、助市もはじめて彼(かれ)が面貌(おもて)を見て大におどろき、縁故(ことのわけ)を問(とは)んとするとき、手(て)ごとに棒(ぼう)をふり揚(あげ)來(きた)つてうち(〔うち〕)倒(たふさ)んとす。助市ぜひなく刀(かたな)を引抜(ひきぬき)、多勢(たせい)を相手(あひて)に闘(たゝかひ)しが、忽地(たちまち)こゝろ附(つき)ておもへらく、われ大望(たいもう)ある身の、人たがひにて一命(いちめい)をうし」
なはんこと本意にあらず。早(はや)く迯去(のがれさら)んにハと、敢(あへて)戦(たゝかひ)を好(このま)ず、透(すき)をうかゞひてはしらんと思へども、追人(おつて)ひまもなく撃(うつ)てかゝれバ、終(つひ)に身を踊(おどら)せて三谷川(さんやがは)に飛入(とびいり)しが、水にや溺(おぼれ)けん、むかひの岸(きし)にやあがりけん、その生死(しよふし)をしらず。世(よ)の人権八が為(ため)にかへり討(うち)になりしといひ傳(つた)へしハ、おつまがことと聞誤(きゝあやまり)しもの歟(か)。追人(おつて)ハ小紫をとり復(かへ)しぬるうへハ渠(かれ)に用なしと、みな/\嫖院(くるわ)に帰(かへ)りける。小紫が心の中譬(たとへ)るにものなかるべし。権八は又小紫がゆくゑこゝかしことたづぬるうち、夜向明(よあけなん)とす。彼(かれ)が身(み)の上(うへ)心」61
ならねど、憖(なまじひ)に擒(とりこ)となりて耻(はぢ)をさらさんも朽(くち)をしと、それより目黒(めぐろ)一朗菴(いちろうあん)にはしり行(ゆき)、菴主(あんしゆ)にわが身の俄悔(ざんげ)して、本末(はじめをはり)をものかたり、妹(いもと)お妻(つま)が首(くび)と一張(いつてう)の短冊(たんざく)をとり出していへらく、わが死後(しご)本所(ほんじよ)助市といふものたづね來(きた)らバ、これを逓与(わたし)給はるへし。この短冊(たんざく)ハいぬる年(とし)、助市がお妻(つま)へおくりしところの古哥(こか)なり。そのうたに、
武蔵野(むさしの)にありといふなる迯水(にげみづ)の迯(にげ)かくれても世を過(すぐ)すかな
つら/\この哥(うた)のこゝろを考(かんがふ)れバ、われ助太夫を討(うち)て迯(にげ)かくれ、末世(まつせ)に悪名(あくみやう)を殘(のこ)すのみならず、同胞(どうほう)の女弟(いもと)を殺(ころ)す。」
」62」
天罸(てんばつ)一首(いつしゆ)の和哥(わか)にこもれり。只(たゞ)潔(いさき)よく自殺(じさつ)して、助市がうらみを果(はた)すべしといふ。一朗菴(いちろうあん)ハはじめて権八が素生(すじよふ)を聞(きゝ)て大に驚(おどろ)き、さては御身ハ平井(ひらゐ)氏(うぢ)の子息(しそく)にてありけるか。われも平井にゆかりある、西村(にしむら)保平(ほへい)がなれるはて也。又御身がふかくいひかはせし小紫こそ、わが女児(むすめ)のおきじなれといふ。権八これを聞(きゝ)てふたゝびその奇縁(きえん)を感悟(かんご)し、すなはち小紫に一通(いつゝう)を書殘(かきのこ)し、肚(はら)かき切(きり)て死(しゝ)たりけり。小紫ハこのことを傳(つた)へ聞(きゝ)てます/\悲(かなし)み寝食(しんしよく)をたちて死(しな)んとす。長兵衛も是をよそに見るに忍(しのび)ず、」63
三浦(みうら)のあるじに備由(ことのよし)を告(つげ)て小紫をもらはんといふ。三浦もかれらが切(せつ)なるこゝろねをあはれみ、敢(あへて)利慾(りよく)に耽(ふけ)らず、異儀(ゐぎ)なくいとまとらせぬ。長兵衛ハさま%\小紫に教訓(きやうくん)し、せめて身二ツになりて後(のち)、尼法師(あまほうし)ともさまをかへ、なき人の跡(あと)を吊(とは)んこそ道(みち)なれといふに、小紫も彼(かれ)が志(こゝろざし)のあつきに固辞(いなみ)がたく、しばらくその死(し)をとゞまりしが、けふハ亡夫(なきつま)の初月忌(しよぐわつき)なれバ墓参(はかまゐ)りしたきよしを請(こ)ふ。長兵衛すなはち人をつけて目黒(めぐろ)へつかはしける。一朗庵(いちろうあん)ありしことゞも物がたり、ふたゝび親子(おやこ)の名告(なのり)して、権八が書(かき)おきをわた」
」64
しけれバ、小紫は只管(ひたすら)千行(せんこう)の涙(なみだ)にかきくれ、その夜(よ)すがら仏前(ぶつぜん)に通夜(つや)せしが、いつの間(ま)にや走出(はしりいで)けん。権八が墓(はか)の前(まへ)にて、自刄(じがい)してぞうせたりける。一朗庵(いちろうあん)なく/\その亡殻(なきがら)を権八が墓(はか)にならべ葬(ほふむ)りて、石(いし)のしるしを殘したる。目黒(めぐろ)の比翼塚(ひよくつか)是(これ)なり。いかなれバこれを比翼塚(ひよくつか)といふぞとなれバ、はじめハ二ツの石塔婆(せきたうば)、その間(あはひ)二三尺隔(へだゝ)りしが、一夕(いつせき)雌雄(しゆう)の雉子(きじ)、塚(つか)の上(ほとり)に飛來(とひきた)りて、啼声(なくこゑ)いとかなし。次(つぎ)の朝(あさ)これを見れバ、夜(よ)のうちに両墳(りやうふん)石(いし)を合(がつ)して、その間(あはひ)毫髪(ごうばつ)も容(いれ)がたし。されバ衛侯(ゑいこう)の女(むすめ)斉太子(せいのたいし)の」
死(し)を悲(かなし)み夫婦二ツの雉(きじ)となりし例(ためし)にならひ、世の人是(これ)を比(ひ)翼塚(つか)とよべり。又おつまが首級(しゆきう)を袖(そで)とゝも〔に〕埋(うつめ)し地(ところ)を、袖(そで)が崎(さき)と名(な)づくとかや。そのゝち平井(ひらゐ)右内(うない)ハ子供等(ら)が凶音(おとづれ)を聞(きゝ)傳(つた)へ、忽地(たちまち)髻(もとゝり)おし切て、清浄(しよう%\)の行者(ぎやうじや)となり、目黒(めぐろ)に來りて一朗庵(いちろうあん)とゝもに住はてける。その菴(いほり)を締(むすひ)しところを。行人坂(ぎやうにんざか)と呼(よび)なせり。夫(それ)天綱(てんこう)ハ疎(そ)にしてもらさず、前車(ぜんしや)の覆(くつかへる)を見て、後車(こうしや)の戒(いましめ)とするときハ、夫婦(ふうふ)和合(わごう)し、児孫(じそん)孝(こう)順に帰(き)す。讀者(よむもの)勧懲(くわんちやう)とせバ、冨貴(ふうき)栄達(ゑいたつ)疑(うたが)ひなし。
小説比翼文下巻畢」65終
曲亭\主人\新編
月氷竒縁(げつひやうきえん) 〈繪入よみ本|全五冊〉
曲亭傳竒花釵兒(きよくていでんきはなかんざし) 〈ゑ入|中本二冊〉
蓑笠雨談(さりつうだん) 〈同右|初編三冊〉
小説比翼文(しようせつひよくもん) 〈中本ゑ入|全二册〉
享和四年歳宿甲子正月吉日兌行
江戸本町條通油町
僊鶴堂 鶴屋喜右衛門梓」