資料紹介
『英名八犬士』(四) −解題と翻刻−
前号に引き続き『南総里見八犬伝』の魯文による抄録本『英名八犬士』の七編を紹介する。
この本は最初は袋入本として出されたようで、錦絵風摺付表紙本はやや後からの出板のようであることは、既に述べた。さて、もう1種類の「曲亭馬琴著」と改竄後印された袋入本であるが、手許に欠けていた初編2編を山本和明氏のご厚意で拝見させていただけたので、以下簡単に紹介しておきたい。
書型 中本8編8冊
表紙 松葉色無地表紙に亀甲繋ぎに紋の浮出模様
外題 「曲亭馬琴著\里見八犬伝 一(〜八)」
見返 「 曲亭馬琴著\里見八犬伝 全八冊\木村文三郎」
序文 「 里見八犬傳の序
内題 「里見八犬傳初(〜八)編 曲亭馬琴[乾坤一艸亭]」房総の太守安房守義実ハ二ヶ國の主たりと云へども其因縁拙くして業報未不尽歟愛女伏姫は人界に生を得ながら鬼畜に伴れ冨山の奥に觀音經を力となし如是畜生發菩提心是ぞ里見の八勇士みなに散乱の根を開くそハ故曲亭翁の妙著にして皆世人の知る所を今や大巻を八冊に綴り讀安からんを大全と壽るのみ」 (初編一ノ三オ、新刻。年記序者名なし)
刊記 「 日本橋區馬喰町二丁目壹番地\文江堂\木村文三郎」(8編後ろ表紙見返)
備考 なお、架蔵本の他の1本(7、8巻のみの端本)は同本であるが、表紙が青磁色である。
この本は、各編巻頭に付されていた序文と口絵(3丁程)を削り、そこに新たに序文(1編)と口絵(2編「仁 里見八犬士之内\犬江親兵衛仁」、3編「義 犬川荘助義任」、4篇「禮 犬村大角礼儀」、5編「智 犬坂毛野胤智」、6編「忠 犬山道節忠與」、7編「孝 犬塚信乃戌孝 信 犬飼現八信道」、8編「悌 犬田小文吾悌順」)を加え、題名を「里見八犬伝」と改題した上で、角書や内題下に「曲亭馬琴著」と入木し、明治に入ってから木村文三郎に拠って出された改竄本である。なお、7編については改題後印された際に、3〜4丁、11〜12丁、15〜20丁、27〜30丁、37〜38丁、49丁が改刻されている。
本文は基本的に原本の切り貼りに拠っているのであるが、6編迄に比べると大幅に省略が多くなり、それだけ繋ぎの部分に魯文の手になる文が挿入されている。表記の変更や振仮名の省略は以前も見られたが、訓みの難しい熟語に振仮名が施されていない反面、漢語を平仮名で表記するため却て意味が取りにくくなるなど、読み手に対する配慮は余り見られない気がする。
なお、この第7編は原本『南総里見八犬伝』の第6輯56回から第9輯第103回の中途までに相当するのであるが、前編までに比べると回数から見てもかなり抄録を急いでいる様子が見て取れる。尤も、原本の9輯だけでも全体の量からいえば半分あるわけで、それを8編だけで終わらせているのではあるが……。
【書誌】
英名八犬士 七編
書型 錦絵風摺付表紙、中本1冊
外題 「英名八犬士\第七編」
見返 「英名八犬士第七編」
序 「于時安政四丁巳春\花笠文京誌[印]」
改印 [改][巳二]安政4年2月
内題 「英名八犬士第七輯一帙/江戸 鈍亭魯文鈔録」
板心 「八犬士七編」
画工 「一燕齋芳鳥女画」
丁数 49丁
尾題 「英名八犬士第七編尾」
板元 「東都神田松下町三丁目 公羽堂 伊勢屋久助上梓」
底本 架蔵本・国文学研究資料館本
諸本 【初板袋入本】二松学舎・服部仁(6、7欠)
【改修錦絵表紙本】国文学研究資料館(ナ4−680)・館山市立博物館・江差町教育委員会(4、8欠)・林・高木(1、2、3、6存)
【改題改修袋入本】国学院・向井・山本和明・高木(3〜8、7〜8、4)
【改題再改修袋入本】国会
【凡例】
一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣いをはじめとして、異体字等も可能な限り原本通りとした。これは、原作との表記を比較する時の便宜のためである。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、句点に限り私意により「。」を付した。
一、大きな段落の区切りとして用いられている「○」の前で改行した。
一、丁移りは 」で示し、裏にのみ 」15 のごとく数字で丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時は〔 〕で示した。
一、底本には架蔵本を用いたが、架蔵本が欠損している部分の図版に限り、国文学研究資料館蔵本に拠って補った。
一、なお、図版の二次利用に関しては国文学研究資料館に利用申請を必要とする。
【見返・序】
英名八犬士\第七編
およそ小説を愛るもの。馬琴を不識ハなく。善馬琴をしるものに八犬士を不言ハなし。夫八犬士の小説たるや。駒谷山人の合類節用に役名を出せり。そのかみ犬士の隆なる事も亦しるべし。然れども犬士の名を見る事外に所見なし。馬琴独早く見つけて。許多の小説に抄猟。苦心して一家の大狂言と成れり。馬琴の卓見思ふべし。數種の小説なれる中に。先八犬傳を第一とす。翁が性頗る博聞。強記にして。殊更壽も永く。八十有余歳を保てる事。幸福此上やあるべき。魯文頃日八犬士の鈔録數日ならざれども。既に結局近しと聽けり。此根氣をもて翁が年まで出精なせバ。眞の作者となる事。請合なり。嘆浦山しきかな。
于時安政四丁巳春
河鯉權佐守如/坐撃師物四郎實ハ犬坂毛野胤智/
毒婦舩虫
おぼろけのかりの筆かはをみなへし あたをもつくす花のひゝき 蟹麿
【口絵第二図】2
蟇田權頭素藤/
犬江親兵衛仁/
八百比丘尼妙椿
きえぬへき露のしら玉神も手に とりてもていぬえにハふりしな 岩の屋蟹麿
しら波のよるべの磯にかひハあれと みるめあやうきあまのおこなひ 曲亭馬琴
【本文】
英名八犬士第七編一帙
再説犬田小文吾ハはからずも馬加大記に抑畄せられ心ならずも次の年の三月中旬に至りける頃當家の老僕品七といへる者庭の掃除に來りけるが小文吾と江湖の物語りせし言の端に大記が旧悪の一ト條なる千葉家の忠臣粟原首胤度を讒訴して同藩篭山逸東太縁連に撃せし事を問ず語りにしたりしかバ小文吾竊に歎息す。此ころ常武が家に鎌倉より旦開野といへる女田楽來たり居けるを大記畄め置てある日小文吾を後堂に請じ酒莚をまうけ盃をゝめ彼旦開野に興をそへさせさま%\に饗應〓曲果て後大記ハ小文吾を對牛樓上にいざなひおのが味方になさん」3
としけるを小文吾に耻しめられ心中大いに怒と〓戯れ言にいゝなして其儘に別れける。爰に往時寛正六年冬十一月常武が奸計の讒訴に陥しいれられて籠山逸東太縁連に撃れたる千葉家の一族の老黨粟原首胤度が遺腹児に犬坂毛野胤智といふ少年あり。こハ胤度が妾調布といへる女首惨死の後些の由縁を心あてに相模州足柄郡犬坂といふ山里に在て件の毛野を生り。されども千葉家の聞えを憚り女の子にして養育し世のたづき貧き侭に調布ハ女田楽になりて業をし毛野をも其道に入し旦開野と呼なししが母調布病に臥その枕辺に旦毛野を近づけ親の素性を如此々々と告馬加籠山両個の仇の事までも聞へ知らし終に身まかりけれバ毛野ハ悲しく朽おしくいかでか仇を報はんものと田楽の技にかこつけて日夜武術に心をゆだね三年に及て稍自得し」近ごろ此地に來りしが天助空しからずして求ずも仇人常武が招きに應じ石濱の城中にある事廿日あまり今宵の酒宴折こそよけれと心待してありける程に常武親子主従ハ彼此に醉臥たれバ一刀ひさげて潜びより常武が枕辺につゝ立名乗かけて呼覚し起んと駭く常武が首をたまらず打落し嫡子鞍弥吾其余の者をも残りなく殺し尽し對牛樓の傍の壁に仇人の血をもて報讐の事の起を五十餘言に書誌し常武か首引提小文吾が閉りたる一と間に来り如此々々のゆへを告人傳に聞犬田が行状世に稀なる勇士ならんを捨殺しにすべくもあらねバ相伴ふて走り去らんと息吻あへず説示せバ小文吾ハ聞事に感嘆し脱れ出る路を問ふ。毛野ハ首級を腰につけ誘斯来給へと先に立小門の笠木に飛つきて外面へをり立つゝ輙く鎖をねぢきり捨門扉を開て」4
小文吾諸共馬加が屋敷を出城の東の土手の上より用意の釣索を取出し其端をこなたの松に結畄て片端の索の先に付たる鋼丸を前面に擲るに楊の幹へくる/\とからみ付にぞさらバ向へ渡さんと小文吾を輙く背負て件の索に足踏かけ塹を難なく渡り越足ばやに墨田河原に赴く折しも城中猛に騒しく人数を集る太鼓の音いとも烈しく聞へしかバ両人これを聞つゝも早く向へ渡さんとするに舩一艘もなかりけるに夜ハはかなくも明はなれて遥に聞ゆる人馬の足音毛野小文吾ハ是を見て心いらだつ折しもあれ千住の方より柴舩の僅に岸をはなれつゝ漕来れるを天の祐と招けども漕よせざれバ毛野ハ怒りて丘より舩へ飛入つゝ駭く舩人足下に踏居漕戻さんと艪を推せども箭よりも早き出水の勢ひ思ふにも似す推流されて川下遠くなりまさるを小文吾」
【挿絵】
〈胤智仇人の首級を引提て犬田に報讐の來由を告ぐ〉」5 」
うち見て諸肌ぬぎ水中へ跳り入抜手を切ておよげども流れ烈しく波高けれバ遂に追着ことを得ず。いとも難義に及びし折から太平駄舩一艘千住の方より漕來れバ小文吾ハ辛くして件の舩に乗移れバ舩子共ハ駭き騒き撃んとするを身をかはし艪櫂を奪て舩子等を打ひしがんとしつるとき我名を呼て禁るものあり。これ別人ならず豫て相識る犬江屋の依助なりけれバ櫂投捨て危急を告毛野が乗たる柴舩の跡を追するに往方しらずなりしかバ今ハはや詮すべなく依助等と倶に舩を市川に着犬江屋の門辺になづき案内につれて内に入に妙真大八もおらざれバふかく心に訝かりて座につくに依助ハ膝をすゝめ彼悪者舵九郎か事大八の新兵衛が神隠しになりたる訳妙真文五兵衛ハ安房に至りし後犬江屋の跡式を依助にゆづりたる事」6
且文吾兵衛か安房にて病死せしよしを落もなく説示せバ小文吾ひたんの涙にくれおのが上をもつばらに告扨菩提所に赴きつゝ父文吾兵衛が為にこゝにも石塔を建べき事と二親の追善讀經を念頃に頼み聞へ次の日より喪に籠り七日々々の佛事を弔ひけるにはやくも五十日の中陰果けれバ依助夫婦に告別し往方も定めず出行けり。
○爰に又犬飼現八信道ハ去歳の七月七日の急難に荒芽山に敵を防ぎやうやく追兵を殺退けて辛くして信濃路さして行ども/\道節等に絶てあはずやうやくに思ひ絶て下総に赴き行徳に着し案内知たる古那屋の門に入らんとするに人影ハあらず。あたりの人に尋るに文吾兵衛ハ安房に至りしとて詳ならず。市川なる犬江屋の事を問にこれもおなじく安房に赴き家にハ畄守居のみなりと聞て現八望を失ひ且武蔵」
【挿絵】
〈釣索を渡りて毛野小文吾と倶に石濱の城中を遁る〉」7」
迄退きて又ともかくもすべけれとその夜の出舩に便り求めて荏土に赴き信濃路さして日に歩み夜に宿り花の洛に着つゝも旅宿を定めて犬士等をたづね巡るに年立て春を旅宿に迎へけり。斯て現八ハ京都に居て武藝を人に教つゝこゝろともなく三年を過し又四犬士にたづね會んと扨門人の甲乙にハ舊里なる親族より猛に招かるゝ一義ありて東國へ帰るといゝなして頓に行装をとゝのへ別を告て京都を立出日を歴て下野州真壁郡網苧の里に着けれバとある茶店に休息ぬるに一挺の鳥銃と六七張の半弓を並べ掛たれバあるじの老人にゆへを問バ荅るやう。こゝより五六里へだゝりて庚申山といへるハ妖怪変化常に往く人の命をとる事あり。この故に白昼といふとも獨行ハ路案内の者を傭ふて身の衛にせらるゝなり。僕ハ元獵師にて足緒の鵙平といへる者なるが」8
年老たれバ野かせぎせず。をさ/\旅人にやとはれて彼道案内を仕つり。其折の用心にもてるのみ。又丸竹の半弓ハ武藝を恃む一人歩の賣物に制へおけり。抑赤岩庚申山ハ此里より行事十町あまりにしてつまさき上りの山路なり。既にして登ること二十町嶺に至り又下ること十町なり。路の苦辛ハいふべくもあらず。斯て又登りゆくこと大約三里あまりにして第一の石門に到る。土俗これを胎内竇とよびなしたり。是より奥へハ人みな怕れて絶てゆく者なかりしに近ごろ赤岩村郷士赤岩一角武遠といへる武藝の達人この奥の院を見尽めんと門人等に語らふに門人衆皆呆れ果詞等しく諫るやう彼山中にハ数百歳歴る山猫あり。その猛き事虎の如くもし山中に入る者あらバ忽地引裂啖ふといへり。此事思ひ止り給へといふをも聞かず一角ハ其次の日の未明より同心の高弟四人と倶に庚申山の第二の石橋の辺迄」
至りけるに門人等一角に打向ひ人の通はぬこの山に過半入給ふたれバ是よりとく/\還らせ給へと迭代に禁れども一角ハいつかなきかず門人等をこゝに俟せ件の橋を渡り果て見る間に見えずなりにけり。斯て俟事二時あまりにして日ハ傾けども一角ハかへり來ず。こハ平事にあらじとて門人等商量しつゝ赤岩なる宿所へ還り一角が後妻窓井に報その次の旦猛に里人五六十人を駈催し門人等先に立て庚申山によぢ登彼石橋の辺まで來つれども怕れて渡る者ハなく又商量に時を移せバ斯てはけふも事果じ翌又人数を倍加へ再び來りて渡らんと又いたづらに引かへし胎内竇を出んとせし時忽地後辺に人ありて呼かくるを見かへれば是則ち一角なり。皆々歓び引返し恙なきを祝しつゝ縁故をたづぬれバ一角微笑いへるやう。われきのふ奥の院をおがみ果てたどる/\もかへる」9
をりから思はず足を踏辷らし渓底へまろび落たり。然れども幸ひに恙なく藤蔓に手繰つき辛してよぢのぼる事半日あまり。やうやく爰にかへり來しと一五一十を説示せバ皆々聞て駭嘆し其高運を相賀して且勦る事大方ならず。されども一角ハ氣力日ころに異なることなく衆人を途より帰し門人従者を将て宿所にかへり来にけれバ妻のよろこびいへばさらなり。先妻に生したる嫡子角太郎ハ天性孝心備りけん。今恙なくかへりぬる親の袂にまつはりて問慰るもいと可愛し。この一條ハ十七年の昔になりぬ。赤岩ぬしハ彼山を異もなけにいはれしかどかゝりし後もかの麓にて折々人の亡る事今に至りてかはらねバ登山するものありとハ聞えず。かくて赤岩の宿所にハ後妻の窓井その十一月より有身て次の年八月のころ又男子を産れしかバ牙二郎と名つけたり。一角ぬしいかなる故にや二男の生れし」
【挿絵】
〈舩を遂ふて小文吾舊故に邂逅す。[玉][亭]/市川の宿に依助小文吾を管持す〉」10」
ころよりして前妻腹なる角太郎をいと憎みぬ。この時赤岩に程近き犬邨の郷士犬村蟹守儀清といへるハ一角の前妻の兄なるが角太郎をあはれみ我女児にめあはせんと六歳の時より乞とりて文学武藝を学せしに年十五六に至りては文武の奥義を極めたり。その後角太郎の額髪を剃とらし元服の義を執行ひ養父の諱の一字を授けて犬村角太郎禮儀と名告せ女児雛衣と婚礼させ親ハさらなり里人等さへよき新夫婦といゝあへり。儀清の妻ハその次の年風のこゝちとうち臥しが遂にむなしくなりにけり。儀清もその冬より病事二年あまりにしてこれも黄泉の客となりぬ。これより先に赤岩にて後妻の窓井ハ牙二郎か三ッ四ッになりける時 一日頓死をしたりける。これより一角は舩虫といふ妾をもとめていたく心にかなひけん。いく程もなく正妻に推し」11
のぼしぬ。此舩虫が遺財を奪はん為にしも良人にすゝめて角太郎夫婦のものを呼とり両家を一ッに合。こゝに雛衣ハ今年の夏より身おもくなりし。舩虫ハ難くせつけて角太郎に休書かゝせ雛衣を媒人が許に遣しぬ。其後角太郎をも遂に勘當なしゝかバその身の儘に追出され世をあぢきなく思ひにけん。赤岩と犬村の間なる字を返璧とか呼べる地方に草の庵をむすびてをり。さばれ貌ハ半俗にてその行ひハ法師も不及と彼処より來ていふものあり。いと痛しき事ならずやとしたり皃して説誇れバ現八聞て嗟嘆に堪ず彼弓箭を買とりて茶店の老人に別れを告おぼつかなくも麓路を足に信して急ぎけり。却説現八ハ不知案内の深山路を上りつ下りつゆく程に思ひがけなく最大きなる石門のほとりに來にけり。この時現八ハ心つきこハさきに鵙平が説示せし庚申山にありといふ胎内竇に似たりけりと驚き」
【挿絵】
〈網苧の茶店に現八鵙平が舊物語を聞く〉」12」
呆れて忙然たりしがかく山深く迷ひ入れバ今更麓まで至らんこと輙きにあらざれバ今宵ハ旦この〓の〓に暁して里へ下るべしと弓箭を引つけ坐を占てなほ深る夜を戌てをれバ丑三にやと思ふ頃東のかたより火の光りこなたを投て近づく随に現八あやしみよく見るに異形の妖怪主従三箇木魂の馬を歩せつゝ胎内竇のかたに來にけり。さきに火の光りと見へたるハ妖ものゝ大將とおぼしき馬上の變化の両眼の燿れるなり。現八騒ぐ氣色なく大樹の上によぢ登り程よき枝に足踏畄め弓に箭〓ふてひき固め矢声も猛く發つ箭に件の騎馬なる妖怪ハ左の眼をのぶかに射られて馬より〓と墮しかば従ふ両箇の妖ものハ手負の手をとり肩にかけ馬を牽つゝ逃亡けり。現八ハ樹よりをり地方を易て様子を見んと胎内竇を西のかたへゆきぬけてひたすらによぢ登り十三間なる細谷橋を自若として渡り果またよぢのほりゆく程に岩〓の中に人」13
あれバ現八ハ妖怪ならんと弓ひき固め身構するにこハ素より妖怪ならず。赤岩一角武遠が寃恨にして前に射たる妖怪ハ幾百歳を歴る野猫の化たるなり。今年より十七年前一角武遠この深山の奥の院を見んと第二の石橋に高弟従僕を残し置其身一己岩窟のほとりまで登るをり件の野猫が為に啖殺され又山猫ハ一角が貌に変じ窓井を犯して牙二郎を産し精気をへらして命を断淫婦舩虫を正妻とし角太郎を憎みひそかに殺さんと欲せども角太郎ハ身に具はる瑞玉あれバ恙なし。斯て後角太郎が妻雛衣ハ密夫の子を身ごもりぬといひ立られ妹〓の中を裂れし上に角太郎さへ追出されし顛末を現八につぶさに語りねがふハ和殿わか児を助けて怨讐をうたし給へかしとさめ%\として頼むにぞ現八聞て胸塞れ洪歎やるかたなかりける。その時一角の寃魂ハ一種の短刀とわが髑」
髏とをとり出し證拠の為にわたすにぞ現八これを請とりて一角か寃魂に立別れその暁がたに山を下り返璧を投てゆく程にその日巳の頃ほひに角太郎が庵に來にけれバ内のやうすをかいまみれバ主人角太郎禮儀は無言の行に観念の眼を閉て餘念なけれバ現八ハしのびかね柴の戸けわしくうち敲きいくたびとなく名告とも内にハ絶て應せざれバ折戸のこなたに立在て行の果るを待わびけり。浩処に前面より角太郎が妻雛衣なるべし。年尚わかき女房の身のさま賤しからざるが庵の外にあゆみより敵けどさらにいらへなけれバつれなき人と怨言。垣にすがりて泣沈み疑れたる身ごもりのその言訳ハ死してせんと思ひ訣めてかへり行を現八始終を立聞たれバ〓雛衣が渕川へ身を投る事もやと跡より走り著んとする時角太郎の行終り身を起しつゝ現八がゆかんとするを呼畄め」14
折戸を開て内に請じ初對面の口儀終りその来由を問程に現八ハ彼密事をはじめより明白に告ず四方山の物語して扨犬塚犬川犬山犬田犬江等の異姓の兄弟六人の上をしも語り出思ふに和殿も感得の瑞玉を持たまはずや。その玉にハおのづから礼の字の顕れたるものならずやと問れて角太郎駭嘆し某実にさる瑞玉を年来秘蔵したりしが一日妻雛衣腹痛苦しく百薬驗しなきまゝに彼玉をひたしつゝ水を飲せんとしたる折繼母舩虫その玉を掻とらんとせし程に雛衣慌忙きて愆て水もろ共に件の玉を飲てけり。斯て後雛衣か腹しだいにふくだみ有身たるものに似たり。其養父の病中より妻と枕を並し事なきに雛衣が懐胎こゝろえかたしといひし言葉に枝いで來てさらハ密夫の胤ならんといふものあれバうちも置れず。不便なからも離別して媒人に預け置たり。さりながら某ハ聟養子」
【挿絵】
〈諫を拒んで一角庚申山第二の石橋を渡る〉」15」
にして雛衣ハ養父母の女児なり。些の愆ありとても去るべき妻にあらず。素よりその性貞順にて外心のなき事ハ某これを知るといへども離別してかへせしハ深き情由あることぞかしと語る折から外面に女轎子一挺と又一挺の辻竹輿を折戸口に扛卸せバ先に建たる轎子の戸を開せて出るものハ赤岩一角か妻舩虫なり。奴僕が呼ふ聲と倶に角太郎現八を紙門のあなたへ辟しめて出向ふ端に舩虫ハ相伴へる媒人氷六等共侶に後方に立せし辻輿ハ庵の庭へ舁入させ先に立つゝうち登れば角太郎ハ舩虫に礼をのべ父の安否を問けれバ舩虫ハ微笑て否持病ハ發り給はねど昨宵初心の弟子連に巻藁を射さし誨給ひしその折にその箭あやまちて大人の左の眼を大く傷られ給ひにきと告るに駭く角太郎痍の淺深を問ひなどする中媒の氷六ハすゝみ出いぬる頃より預りたる」16
雛衣どのけふ柴榑橋より身を投んとせられしを遥に見つゝ走り著止めんとすれとも禁まらす。其折赤岩のおん母御前日出の社へ詣て給ふかへるさに其処を通らせ給ひしかハ加勢に憑みまゐらせてやうやく諫こしらへて扨治りを商量せしにかう/\せはやと宣ふをちからに同道いたしたりといへバ舩虫語を續て雛衣を角太郎に再縁させんと他事もなく諭す表皮の空情。角太郎ハ有旡の答に頭を低ていらへなけれハ氷六そはより勸め諭すにぞ左も右も計らせ給へといふに舩虫よろこひて氷六にこゝろ得さし雛衣を竹輿より出し休書もとして舩虫もろとも家路をさしてかへりけり。されハ又舩虫かこの地へ流浪し赤岩一角の後妻となりたる來暦をたづぬるに去々歳の秋の頃渠ハ武蔵の阿佐谷村に在し時夫並四郎ハ小文吾に〓仆され其身ハ千葉の家臣畑上語路五郎に搦捕られて石濱の」
【挿絵】
〈胎内竇に現八妖怪を射る〉」17」
城にひかるゝ折馬加大記か資によりて辛く途より逐電し當國に落畄り程へて一角か側室になりついに後妻に執立られ角太郎夫婦を憎み讒言をのみ事として件の夫婦を追出しそか養家相傳の田畑家財を畄めて返さす。又一角か二男なりける赤岩牙二郎ハその心さま直からす。殘忍不善の癖者なれハ同氣ハ相求める古語に似て舩虫ハ牙二郎をのみ愛慈み〔み〕隔る心なかりけり。かゝりし程に舩虫ハ良人の失傷平愈の爲日出詣のかへるさに氷六に呼かけられはからずも舊〓雛衣が入水を禁め忽地心にもくろみあれバいと正実に慰めて角太郎に説勸め遂に夫婦を全うしたる肚裏にハ計策の速に成れるを歡びやがて宿所に立帰り一角に箇様と己が伎倆を聶くにぞ一角ハ大ひによろこび頻りに誉て已さりけり。
○夫ハ扨置角太郎ハ人々のかへりゆくを見送り果て現八を呼出し」18雛衣を引あはすに現八ハさきに舩虫をかいまみ笑の中に刄を隠せるおもゝちあれバあるじ夫婦に殃危あらん。某赤岩へ赴きて縡の虚実を探るべしと角太郎か禁をきかで庵を出て路を急ぎ日もはや西に淪むころ赤岩の荘に來りけり。斯て現八ハ坂のほとりに立在て裡面より人の出るを俟をり行装ひ苛めしき一箇の武士従者五六人を将て出來り。現八か立在たるを怪しけに見かへりつ軈て赤岩一角が家に入れバ若黨はやく出向へ客の間へ請じけり。抑此旅の武士を甚麼なるものそと原るに是則別人ならす籠山逸東太縁連也。彼ハ十七年前主命を矯り〓戸に近き松原にて粟原主従を残害し己か宿意を果すものからその折嵐山の尺八と小笹落葉の両刀を盗賊に奪とられしものから縁連罪を免るゝよしなくその場より逐電し赤岩一角が許にたより弟子若黨にて在けるを一角が吹挙により」
長尾景春に仕へけるが景春ハ去歳の秋より上毛白井の城にありて一日井をほりて一ト口の短刀を得たりしかハ一角の鑒定を乞んと縁連を使者として赤岩許つかはしけり。斯て縁連主命を述携へ來つる木天蓼丸の箱をさしよせ〓觧とき中より白気立昇り一角がほとりになびきて消失たるを心付ずそが儘蓋をかい取れバ中にハ袋のみにして彼短刀ハなかりけり。縁連驚き憂へつゝ身の罪を免るへき計策を問けるに一角しか%\と慰めてやかて酒宴を催しける。其時縁連ハ外面にたゝすむ現八か事を思ひ出ししか%\と告るにそ内弟子の月蓑團吾玉坂飛伴太八黨東太〓足溌太郎なんどいふ壮士等現八を内に請じ圓居の席へ伴なへば現八ハ席末に列りて今宵止宿の歡ひを述しかバ一角比ハ乙某丙某と一箇々々に告しらすれバ衆皆齊一膝を進め」19
不例の對面を祝しける。斯て時移るまで酒宴して武藝に誇る溌太郎東太共侶現八に太刀筋の教を受んと乞程に現八ハ推辞によしなく稽古所におり立て先飛伴太を撃倒し續てかゝる東太團吾溌太郎をいと目覚しく打伏るにこらへかねたる籠山縁連真剱をもて立向ふを左へ拂ふて引組つゝ〓と揉伏動かさす。牙二郎見るに口惜く刀を引提て現八を撃んと進むを一角ハ制し禁めて再び立せす。その間に現八ハ縁連を扶起し引退けハ一角ハ現八か武術を誉又盃を巡らすにぞ物の蔭なる舩虫ハ歎息しつゝ退きける。
○却説一角ハ五名の弟子等を撃伏られしを娼み怒れる気色なく又現八をもてなす程に夜ハやうやくに深初たれハ盃盤を納めさし現八か臥房を儲とく睡につき給へとすゝむに現八席をくたち(〔り〕)別を告て案内につれ客房に赴て既に臥簟に入りつゝも肚の裡に思ふ」
【挿絵】
〈返璧の柴の戸に現八雛衣が怨言を竊聞す[呂][文]〉」20」
やう一角われをもてなしたるその奸詐子細そあらん。且渠が左の眼を正しく我に射られしをわれとハ認えず見るになほよく謀て彼を退治し赤岩犬村親子の爲にこの年來の冤を釋んと目睡もせて在けるを深ゆく隨にねむけさせバなほ睡らじと思ひつゝ何の程にか目睡けん。護身嚢の中なりける彼信の字の瑞玉の碎る如き音せしに驚き覚て眼を開けバしきりに胸のうち騒げハ心いよ/\安からず。そと身を起し縁頬の障子開るに怪むべし外方に多く物を並べ躓せんと操組たりと思ふものから臥簟にかへりて両刀を腰に帯又縁頬のかたに出前栽に下り立バ麻索を引渡してありけれバ件の索をうちこえつ。小門の鎖を揉捨て又縁頬に立戻り障子引よせ夥の物を元の如くに倚かけて木立の蔭に身を潜してうかゞへバ丑三時の鐘を合圖に潜び近づく八箇の癖者出口々々をきり塞きて間の紙」21
戸を蹴放ちて閃かしたる短鎗の刄頭に〓の上よりぐさと刺に手こたへもせずぬしもなし。扨ハ〓して逃たるならん。疾追蒐よと罵りつ出んとするに倚かけ置たる物に跌き捫擇する事大かたならず。其時縁連舩虫ハ現八の逃亡しと聞て望を失ふものから臥床に手首さし入て夜着も蒲團も温まりさめねバ必定そこらに躱れてをらん。とく猟出せと下知するに心得たりと走巡るに庭に渡せし麻索に足を捕れてふしまろべバ現八得たりと顕れ出先なる一人リの首打落し今一人を〓倒せバ牙二郎飛伴太東太團吾溌太郎ハ短鎗刀得物/\を引提て現八をうたんと競ふを爰にあらはれ彼處に隱れ一上一下と手を尽せバ飛伴太溌太郎ハ重痛を負ふて倒れけり。牙二郎東太團吉等ハ未深瘡を負ねども既に味方を多くうたれ頻りに加勢を呼程に縁連弓に箭をつかひ弦音高く射かけし」
【挿絵】
〈舩虫奸計犬村が閑居を訪ふ〉」22」
かバ現八これを〓拂ひなほ牙二郎等と挑あらそひ漸/\に跡しさりして小門のほとりに近つきて左の手にて戸を開ながら後さまに走り出はやく其戸を引閉つゝ大きなる葛石に双手をかけて引起し引戸へしかと倚かけなから刀血ぬくひて鞘におさめ返璧を投て走り來つ。角太郎か庵に入ありし事どもしか%\と言語せわしく告白らすれバ角太郎夫婦ハ驚き感じ先現八を戸棚に隱し追來る人を待程に赤岩牙二郎籠山縁連若黨下部を後に立し柴門せましと込入てとく盗人を出し給へといはせも果ず角太郎こハ心得ぬぬす人呼はり。出せといはるゝ覚はあらじといふにせきたつ縁連牙二郎家さがしせんと奥へ進むをさハさせじと引戻し挑み争ふ折からに何の程にか舁もて來にけん。庭に二挺の轎子の裡面より出る一角夫婦牙二郎を制し禁はや上坐に著しかバ角太郎夫婦ハ怕れ敬ひ」23
縡問かねてぞ畏る。一角ハ縁連を赤岩にかへらしめ角太郎雛衣等に日ごろに似げなき慈愛の言葉。今日勘當をゆるすなりといふに夫婦ハ歡びてひたすら親をもてなす程に一角ハ夫婦にむかひ事あらためて雛衣が胎内にある子をとり出し父に得させよとありければ角太郎雛衣ハ只呆れたる斗りなり。舩虫ハ携へたる壺を夫婦が間に居るに一角ハきつとしていへるやう。われ一昨の宵愆つて眼を傷られ醫師を招きて見せけるにこの眼瘡にハ妙薬あり。百年土中に埋れし木天蓼の細末と四ヶ月已上の胎内なる子の生膽とその母の心の臓の血をとりてかの細末に煉合しこれを服せバ目の玉の再び愈て鮮明なりといはれにけれど二ッながらいとも獲がたき薬剤なれハ姑く思ひ捨たるにきのふ不測にかの木天蓼の百年あまり土の中に埋れたるが手に入りぬ。親の為にハ命たも」
惜まじといふ孝行にあまへて頼む薬種の調達推辞ハせじと豫てより思へバいとゞ不便にこそといひつゝ拭ふ〓泪を見まねに船虫鼻うちかめば角太郎ハ嗟嘆に堪ず推辞を聞かぬ無頼の一角推辞バ自殺なし果んと刄を抜んとする程に角太郎が禁るをまたで舩虫牙二郎左右より携著て刀を奪へバ弱り果たる角太郎か心を汲て雛衣ハ只伏沈み居たりしが竟にハ脱れぬ定業ぞと覚期究めて舩虫がさし出したる木天蓼丸を刀尖深く乳の下へくさと衝立引めぐらせバ颯とほどばしる鮮血と共に顕れ出る一箇の霊玉勢ひさながら鳥銃の火蓋を切て放せし如く前面に坐したる一角が胸骨はたと打碎けバ叫ひも果ず仆れける。縡の不測に舩虫牙二郎驚きながら見かへりて角太郎を仇としつ殺てかゝれバ角太郎ハ戒刀を鞘ながらに握り持受流しうち拂ひ禁ても」24
〔き〕かぬ無法の大刀風禦ぐのみなる角太郎ハ右手の臂を一寸ばかりかすり痍負たる危急の折から戸棚の紙戸の間より打出す手裏釼に牙二郎ハ乳の下をつらぬかれ刃を捨てぞ仆れける。程もあらせず現八ハ衾戸はたと蹴放ちて棚より〓と飛下り逃んとうろたふ舩虫が利手を捕て引かつぎ向ふざまに投しかバ火盆の稜にあばらを打れ灰に塗れて仆れけり。角太郎ハこの為体に駭き怒り親族の仇そこのきそと名告かけて戒刀引抜ふり揚る刃の下を現八ハ掻潜り捕畄めたる角太郎が二の腕より流るゝ鮮血を懐よりいだす髑髏にしたゝる鮮血の吸込如く塗着たる親子の明証。竒特に勇む現八ハ思はず聲をふり立てはやり給ふな犬村ぬし。打仆されし一角ハ御辺の眞の親ならず。この髑髏こそ真の亡父赤岩一角武遠ぬしの白骨なるをしらざるや。告べき事多かるに怒りを」
【挿絵】
〈勇を奮て現八よく衆兇を挫ぐ[文][魚]〉」25」
おさめて聞れよと突放されて角太郎ハ思ひがけなき竒特を見つ勢ひ折けて折布膝に戒刀の柄おし立てその故きかんと詰よすれハ現八ハ歎息して角太郎に打向ひ一昨網苧の茶店にて鵙平が問すかたりを聞し事より庚申山に踏迷ひて胎内竇の辺にて猫に類せる怪物の左の眼を射たりし後岩窟の中にて一角の亡魂にあひ彼山猫か事しか/\と告角太郎に對面して渠を資けてわか仇なる假一角等を退治して給へとて證処の二種をわたせし事且ハ里見殿に因縁ある八犬士の起る由來霊玉感得の事異性の兄弟なる事までおちもなく語説證処の二種さしよすれば角太郎ハ愕然とはしめて夢の覚たる如く驚き耻て胸拍拊懐舊悲歎に堪ざりけり。
○かくて犬村角太郎ハ数行の涙をやうやくおさめて後悔慚愧やるかたなく現八か厚意を謝し」26
妻雛衣をよび生てしか%\のよし聞ゆるに雛衣僅に目を開きよろこはしやとばかりにてそが儘息ハ絶にけり。豫て期したる角太郎ハ愀然として立かねたりしを現八ハはげまして雛衣が亡骸を片よせんとする程に牙二郎忽地息出て身を起しつゝ手裏釼を掻つかみ現八のぞんて投かへすを柄もて丁と受畄たり。牙二郎怒りてよろめきながら敵手を擇まずうたんと進むを角太郎が閃かす刀に細首打落せバむくろハ俯たる假一角にうち累りてぞ仆れける。
物の響と恩愛のその気や自然に通じけん。死せしと見えたる假一角忽地うめく声を出し双手を張て身を起せバ既に年老山猫のすがたをあらはす竒怪の相貌牙を鳴らし爪を張四下をにらんで吻息ハ狭霧となりて朦朧たり。角太郎ハ妖怪の本體を見て些も騒がず血刀引提間近くよせ姑く透を窺へバ後方に引」
【挿絵】
〈腹を劈て雛衣讐を仆す[玉][光]〉」27」
添現八も〓手に餘らバ資んとて等しく心を配りつゝ寄るを寄じと山猫ハ飛鳥の如く蜚遶るを頻りに勇む角太郎ハ是首に追詰彼首に攻つけうち閃かす刃に怯まぬ妖怪ます/\哮り狂ふて窓の格子に爪うちかけ脱れ去らんとする処を、丁と撃たる角太郎が手煉の刀尖愆たず。さしも猛ける山猫ハ腰の〓を〓放されまろぶを得たりとのひかゝつて吭のあたりをいくたびとなく斬貫けバやうやく息ハ絶にける。既にして角太郎ハ父の像見の短刀もてとゞめを刺せバ竒なる哉彼礼の字の霊玉ハ瘡口より顕れ出しを血を押ぬぐひうち戴き現八に見せしかバ現八も又よろこぶ折から籠山逸東太縁連ハさいぜんかゝる騒ぎのまぎれに息吹かへし迯亡たる舩虫をいましめて牽立來つゝ其身も腰刀をしりぞけて恭しく額をつき二犬士に身の非を打わび縡の顛末ハさいぜん」28
よりも立聞したるに此舩虫が逃走るを矢庭に捕へて〓たり。某主君より預り來つる短刀ハ假一角がぬすみ取〓を摧きて薬にせしとか。されど幸にして短刀ハあるなれバ此舩虫共侶に賜らバ白井の城へ引もてかへりてまうしわきの種にしつべし。某おもひ足ずして両君子に強面あたりし罪ハ万死に當れども免させ給はゞ大恩なりと哀み告る佞弁邪計憎しと思へど詈りせめず。乞まゝにその義を免て村人等を呼つどへんとする程に月蓑團吾八黨東太ハ異類のくひを携へて入來り。是ハ山猫の眷属なる〓貂なり。山猫に相従ふて塾生に形を変じ飛伴太溌太郎と呼れたるが昨宵犬飼ぬしの大刀風に殺立られ深痍を負て逃んとしけるを某等刺殺て首を捕たりと俺們も又人倫ならず。庚申山の麓なる土地の神と山の神也。神通山猫に及ねハ心ならずも役使れて團吾東太」
と呼れし也。さらば/\と別を告庚申山の方に飛去けり。かさね%\の竒異怪事に角太郎と現八ハ件の首を引寄し見るに〓も貂も尋常ならず只是のみにあらすして牙二郎が首も又さながら猫に似たりけり。斯て逸東太縁連は二犬士に別れを告木天蓼丸の短刀を乞うけ舩虫をわが轎物にうち乗し白井をさして走去けり。さる程に犬村角太郎ハ里人をつどへて妖怪親子の亡骸を焼捨させ雛衣が亡骸と父武遠の白骨を香華院にあつく葬り石塔を造立七七の佛事怠る事なく犬飼現八ハ其間赤岩に逗畄して自餘の犬士等が事一五一十を日毎に物語して慰めけれバ角太郎ハ聞く毎に感激しいよゝ五犬士の慕しく忌果て後現八倶に諸國を遊暦して環會んと思ひけり。かゝりし程に中浣も果けれバ角太郎ハその田畑家庫を賣渡し二百金を香華院に布施して祠堂料とし媒人氷六をはじめ」29
赤岩犬村の民の貧きに二百金を施行し村長里人氷六を招きて畄別の酒食をすゝめ犬村大角礼儀と名を改めて現八共侶に吉日をゑらみ首途をなしまづ鎌倉へ出んとて信濃路より上毛武蔵をうち巡り相模州鎌倉に旅寐していかでか五犬士に環會んと日々に巷に遊びくらしぬ。
○夫ハ扨置籠山逸東太縁連ハ辛く二犬士の怨を免れ搦捕たる舩虫を行轎にうち乗て白井を投ていそぐ程に信州沓掛の駅に宿を求ける夜に枕辺に繋たる舩虫ハ逸東太か寐息を考へ辛くして〓めのなは〔を〕切て彼木天蓼の短刀と三十金の路用を奪ひ何方ともなく逃去けり。その明の旦縁連ハ目覚て後に駭き騒ぎ索さがせど影さへ見えねば所詮白井へハ還りがたしと胸を労して思案するに計較やうやく定りけれバ軈て五十子の城に赴き扇谷定正に仕へける。さらハ毒婦舩虫ハ金と短刀」
【挿絵】
〈妖邪を斬て禮儀亡父の怨を雪む [文][魚]〉」30」
をぬすみとりその夜旅宿を逃亡て越後州へ赴き又強盗の妻になりてさま%\の悪事を做せしが此時犬田犬川の二犬士倶に越後にめぐりあひ舩虫が夫の強盗童子〓子酒顛二はしめ小〓〓を鏖にせしをり又舩虫は媼内といへる手下の賊と辛くも其処を逃去武蔵へ逃れて司馬濱に程近き谷山に小屋を求め媼内と夫婦になりて又大悪事をはたらきけるが終に二人リながら犬士等の為に牛劈にせられける。こハ是後のはなしなり。
○爰に又犬坂毛野胤智ハ父の仇馬加大記常武を撃て小文吾と倶に石濱の城中を遁れ出墨田川にて犬田に別れ舊里なる犬坂村に赴きて三年ばかり身を忍び夫より冤縁連を撃果さんとて信濃路に流落ひ犬田犬川二犬士にめぐりあふて初て異姓の兄弟たる事を知りけれど未縁連をうたざれば二犬士に書置して再會を期し何処ともなく出去けり。爰に犬村大角」31
ハ犬飼現八と共侶に自餘の犬士を索んと鎌倉に旅寐せしかど些の便りも得ざりしかバ旅より旅に月日を送り二年を歴て武蔵なる千住河原にて犬塚犬山に再會し穂北の郷士氷垣殘三夏行ハ道節が故主煉馬の一族豊嶋信盛に仕へたる者なりけれバ四犬士此家に帯畄して道節が怨敵たる扇谷定正を撃とらんと五十子の城を窺ひけり。さる程に犬坂毛野ハ犬田犬川の二犬士に別れて父の仇縁連をうたんとて武蔵州豊嶋郡湯島なる天満天神の境内にて放下家物四郎と変名し坐撃を抜て薬歯磨を賣形をやつし居ける折から扇谷定正の内室蟹目前ハ湯島の神社へ詣來給ひしに日比より寵愛深き手飼の小猿絆の紐や緩みけん。銀杏の梢に走り登り喚どもさらに下らねバ蟹目前ハ奥隷の老黨河鯉権佐守如に命てこれをとらゆる便直あると問給へども数丈の幹に足を掛」
【挿絵】
〈舩虫謀て縲絏を脱る[文][魚]〉」32」
へき處なし。其時毛野の物四郎ハ彼老樹に鈎索を投掛速に登りゆきて猿をとらへて地上に下り守如にわたすにぞ蟹目前主従ハその神速を感じけるが権佐守如ハ彼物四郎をさいぜんより凡人ならずと見てけれバ蟹目前が下向の後其身ハ此處に畄りて機密を告て一大事を憑みける。其訳ハ主君定正侫臣縁連を用ひ彼がいふにまかせて小田原の北條氏と和睦して長尾景春との和睦を破り上野越後をとり復さんとし給ふより彼縁連を使節とし相州に赴かしめ給ふになん是みな縁連が奸計にて當家と長尾家と和睦せバおのか舊悪あらはれんと思へバ主君を斯ハすゝめしなり。和殿いかでか今宵より便宜の處に伏かくれて那縁連をゑらみうちに撃果し給へかしと金十両と種子島の小銃を送り頼むにぞ物四郎は異儀なく諾ひ其身の本名素性をあかし彼縁連ハ親の仇なり。」33
年來何所にありとしも面貌たにも認らねハ心を苦しめ身をやつしあふを限りと思ひしに天運こゝに循環して求めす仇をうつに至るハ神明仏陀の冥助なり。よろこばしやと勇立バ守如しきりに感悦し猶も商量なしつゝもやかて別れて立去りける。此折犬山道節ハ穂北の郷に諸犬士共侶身を忍ひつゝ其身ハ日々五十子の城中をうかゞひけるが此日はからす爰に來かゝり守如毛野が密議を立聞獨りうなづき帰りける。
○于時文明十五年癸卯の春正月二十一日の黎明に犬坂毛野胤智ハ多年の宿望時至り父胤度の仇なりける籠山逸東太縁連が主君定正を説すゝめて那小田原なる北条家へ密議の使をうけ給はり副使と共に伴當従へ五十子の城内より今朝首途して鈴の森まて來にける時をまちうけて立顕れて名告かけ携へたる鳥銃もて先にすゝみし縁連か馬の」
胸頭打たふして若黨四人を殺伏たる。そのひまに縁連ハ短鎗を引提足場をはかりて田路の方へ引退けバ犬坂ハ飛が如くに追付てうたんとすゝむ勇士の太刀風縁連問答の遑もなく鎗を捻て亘りあふ一上一下修煉の突戦縁連はやく腕乱れ淺痍四五ヶ処負ながら茲を先途と戦ふたり。かゝりし程に縁連か後方に馬を歩せたる副使の二の手竈門既済鰐崎悪四郎等ハ追々にはせつけて縁連を助んと欲すれどゆくてハ陜き水田の畔にて一騎打なる進退不便安危を茲に料りかねさうなくハ找み得ず。いかにすへきとたゆたいみれハ無慙や縁連ハはや下鎗になるまでにしば/\毛野に撃悩されて既に危き光景なれハ鰐崎悪四郎猛虎ハ見るに得絶す馬乗放ち鎗挟みて水田の畔を足にまかして走りゆく。爰に縁連が三隊なる越杉駱三仁田山晋吾ハ馬を飛して來にけれハ既済も又馬をよせ多勢をたのみ東西より」34
二手に別れて駈行〔し〕折思ひがけなき藁塚の蔭より一度に突出す鎗に越杉竈門が馬の太腹ぐさとさゝれて両個の武士ハ田の畔へ仰反たり。その時東西の掛藁蹴倒し犬田小文吾犬川荘介顕れ出て犬坂が後見なりと呼はりて矢庭に多勢を打取つ。小文吾ハ竈門荘助ハ越杉を殺伏けり。そが中に仁田山晋吾ハ馬に鞭うち逃たりける。是より先に縁連ハ毛野が太刀風烈しさに切立らる折からに陜き田中の畔路より鰐崎猛虎走來れハ縁連是にちからを得てしきりにおめき閃めかす鎗に透間ハなけれども毛野ハ近づく猛虎を後目に掛つゝ縁連が鎗のひるまき〓落し刀を抜んとする処を一聲たける刄の電光縁連ハ左の肩先〓れて尻居に倒れけり。程もあらせず猛虎ハほうばいの仇逃さじと突出す鎗を受流し十合あまりそ戦ふたりしがこれも終に討れけり。此折縁連我にかへり刀を抜て立あがり又犬」
【挿絵】
〈湯島の社頭に才子藥を賣る〉」35」
坂に打てかゝるを毛野ハ透さず身をかはし抜打に縁連が首を地上へ打落し續て近づく敵もなけれバ亡父の位はひをとり出し縁連か首を手向しづ/\合掌する処に犬田犬川走來るにぞ毛野ハいそがはしく身を起し二犬士にうち向ひ什麼いかにして某かけふの仇打を知られけん。さきに和君們の助あれども問ふにいとまのなかりしが終に縁連猛虎ハ斯殺果して候なりといふに二犬士うなづきて此義ハ犬山犬塚の謀りしなれどそハあしこなる茂林かげに退て意衷を告べしとく/\きませと先に立打連立て鈴の茂林辺に掛〔赴〕きけり。是より先に五十子の城内にハ縁連并に副使等が伴當漸々に逃かへり中途の異変を訴るに扇谷定正ハ件のよしをうち聞て勃然として怒に堪ず我みづから追蒐て彼奴等を搦捕て誅戮せん。兵毎はやく馬ひけと物の具に身を固め縁頬近く牽居たる馬に閃りとうち乗てはや打出んとせし程に河鯉権」36
佐守如ハ今奥殿より走來り廣庭に走り下り定正の馬の〓面を推駐詞せわしく諫れども定正ハ些も聞ず罵りながら忽地に鐙を抗て〓と蹴るに憐むべし守如ハ胸を蹴られて〓とふす。定正これを見もかへらず兵毎續けと鞭を鳴らし西の城門より走らすれバ従ふ士卒二三百名皆後れじといそきけり。
○却説扇谷定正ハ士卒を従へ旗をすゝめ揉にもんでいそぎつゝ鈴の茂林辺に近づく程に樹柆の内に敵ありて顕れ出る軍勢の中に二人リの大將あり。威風も對の両聲高く來たれるものハ扇谷の管領定正か。先年池袋の戦ひに汝が爲に滅亡せられし煉馬倍盛の舊臣なる犬山道〔節〕忠與がけふ復讐の第一陣ハこれ異姓の義兄弟犬飼現八犬村大角爰に待しを知ざるや。找みて勝負を决せよと大路陜しと立たりける。定正これを打聞て原來ハ這地の狼籍者ハ那犬坂毛野とやらん。只三人のみならず豊嶋」
【挿絵】
〈鈴森に伏て毛野縁連等を撃つ[玉][舎]〉」37」
煉馬の殘黨も又彼隊に在りけるぞや。推捕こめて撃たれと下知に従ふ先鋒の軍兵咄とおめいてうたんとす。其時現八大角ハ鎗をひねつて近付敵をまたたく間に突伏たる。勇將の下に弱卒なけれバその手の雜兵三十許名勇をふるふて戦ひけり。尓程に定正の後陣のかたに敵起り先にすゝみし一個の大將天地に〓く聲尖くやをれ定正たしかにきけ是ハ先亡煉馬の老臣犬山道策歟嫡男なる犬山道節こゝにあり。多年の蟄懐けふに至れり。刃を受よと罵つて隊勢をすゝめ攻立れバ定正が軍兵等前後に敵を引受て討るゝ者数を知ず。大将定正ハ辛じて僅に一方を殺披き士卒八九名相従へ品革の方へ走る程に道節ハ只一騎馬を飛して追蒐來つ。箭ごろ近くなる儘に弓彎固めて〓と射る。修煉差す定正の〓の鉢を射摧きたる。ひゞきにしのびの緒ハちぎれ〓ハ地上に落たりける。定正あなやと胸を潰し鞍局に頭を」38
ふし其首ともわかず逃走るを道節なほもおふたりける。かゝれとも定正ハわつか死を免れて高なは手まで落て來つ。後方迥に見かへれバ従ふ近習ハ道に打れて只二個の近臣のみ死さることを得たれども数ヶ所痛痍を負たれは定正はじめて守如の諫を聴ぬを後悔しとく五十子の城にかへり寄來る敵を防がんと又八九町走りつゝと見れハ五十子の城の方に黒烟天を焦し兵火既に煽り也。主従是に又驚き呆れて馬を駐めたり。
浩処に現八大角猛卒十余人を相倶して近道をへて出て來つ。定正主従をうたんとす。定正今ハのがるべくもあらざれバ近臣二人が戦ふ間に路傍の阜に馳陟り腹を斫らんと覚この折から忽然として一手の軍兵阜の後より走出たりと見れハ其勢三十餘人又訝しきハ只一挺の轎子を雑兵にかゝしたるそが先に小幡を持して河鯉権佐守如といふ大文字を写しけり。定正よろこひ馬乗下し守如救へと」呼はりて多勢の中へ馳入けり。恁し程に道節ハ定正の近習等を一人も漏さす打はたし且い落したる定正の〓を兵に持しつゝなほもらさじとおふたりける。又犬坂毛野胤智ハさきに荘介小文吾等と共侶にもりの蔭に退きて料らす助太刀せられたる縁由を初てきくに昨日湯島の社頭にて守如と密談を道節に立聞せられふしきにたすけを得たる事及道節その折をもて君父の仇たる定正をうたんと欲する。けふの隊配又犬村大角礼度も同因果の犬士たる事都て遺なくしることを得て感嘆の外なかりしに鈴のもりの東方に當りて鬨の聲聞えしかバ扨ハ犬山の計りし如く定正の出陣せしとおぼえたり。さらバ力をあはせんとて三人連立來り(きた〔り〕)けるに味方の戦ひ勝利を得て道節等ハ北るを追て其処におらず。又道節ハ定正を援の兵あるよしを現八大角が告るを聞ていこんに堪すなほ追かけんとしたりしを現八大角倶にいさ」39
めてとゞむる折から荘介小文吾毛野も來りて諫る程に道節やうやくに禁りけれバ犬飼犬村ハ毛野と初對面の口儀を述しかバ毛野も礼をかへす折から忽地敵の隊の中より年尚わかき一人の武者へだての川の向上に立出いかに犬坂犬山の両氏にもの申ん斯いふハ河鯉守如が一子佐太郎孝嗣とよばるゝものなり。願くハ出給へとこへたかやかによばゝれバ道節毛野ハ立出て名告をしつゝ對面す。其とき孝嗣二犬士にうちむかひ我父守如忠信たに異れバさきに内室蟹目前の内命をうけ當家の佞臣縁連らを除ん為昨日湯島の社頭にて犬坂氏をかたらひ君の為にとどくを除きしハ歓はしき事なれども君ハ只縁連を寵任の迷ひ醒給はす猛に出馬の准備あり。父守如これを諫て鐙にかけられその痍重く今猶臥て轎子にあり。斯て我君出馬の後敗軍の雑兵のかれかへりてこと恁々」
【挿絵】
〈谷山に道節定正か甲を一箭に射る〉」40」
と報しかハとく加勢をまゐらせんと准備にとりも乱せし折犬山氏等の義兄弟犬塚信乃戌孝とか聞えたる勇士の為に謀られて五十子の城を火攻せられしかバ士卒ハ落亡て往方をしらず。かゝる折から我父それがしを呼近づけ我はじめ愆て煉馬の殘黨なる犬坂に機密をもらしゝかバ我君の一大事に及び遂に城さへ抜れたり。かゝれば我忠信ハ不忠になりぬ。汝ハ戦場へ走りゆき我君を救ひ奉れと其意を得たれど親を棄死にせんハさすがにて斯轎子に扶乗こゝに來りて思ふか如く君の必死を救ひまいらせ死を極て在けるか犬坂氏ハ犬山氏の軍議を知らで初戦西の言の顛末聞えしかバいと訝しく此一義に及ぶのみといはれて感る毛野よりも道節ハうち頷ききのふ湯島の社頭にて彼密談を立聞して其仇討の趣を義兄弟等に告しらせ犬田犬川を助太刀させ犬坂が事五十子の城内へ聞へなハ加」41
勢を出す。その虚を覗ひ城を抜き仇を討んと軍議を定め隊配なしゝに仕合よく定正自ら出馬したれバ斯の仕義に及びたり。かゝれバ犬坂氏は我軍畧を知るよしなし。定正のがれてあらずなりしに和郎等親子をうたんハ要なし。とく/\主の迹を慕ふて其投方へゆきねかしといふにぞ毛野も前にすゝみ某素より犬山に内応せざりし趣を既に會得せられし上ハ守如大人に對面して我意中をも報申んに病臥不便なるべけれど此義を許し給はずやと他事なくいはれて孝嗣ハ轎子の戸を推開くに無慙や守如ハ腹掻切て死居たれバ毛野道節ハ共に呆れて詞も霎時なかりけり。其時孝嗣涙をぬぐひ喃犬坂ぬし親の自殺のみならす蟹目前もこの事より刄に伏て果給ひき。敵ながらも理義に賢しき諸犬士と刄を交えん事素より願ふ所なれバ思ひの隨に戦死せば親の遺訓にかなひなん。とく/\雌雄を决しねと詞雄々しく死を急ぐ忠と孝義」
【挿絵】
〈轎に坐して守如主を救ふ[文][魚]〉」42」
そ潔よき。毛野道節ハ孝嗣かいと健気なるを感るものから寔にあたら壮士を今撃果して何かハせんと此場を見遁し別れけり。
○爰に犬塚信乃と犬山か軍議を助て敵の武具標幟を奪ひとり味方に著せて五十子の城中へまきれ入火攻にして城を抜倉庫を開て米錢を民に施す處に犬山犬川犬田犬飼犬村の五犬士ハ隊兵従へ當城に來り犬塚か軍功を感激し有し事とも如此々々と話説又犬坂毛野ハ守如か知己の義を思ふの故に辞して當城へ來さりし事箇様々々と觧示し其且道節ハさきに射て落したる定正の〓と打取たる首級を高畷に梟首して五十子の城を捨諸犬士と共侶に爰処より舩に打乗て穂北をさしてそ走らせける。
○爰に又房総二州の守里見義実朝臣ハ往る長録二年の秋伏姫富山に自殺の折大かたならぬ竒瑞あり。且金碗入道丶大坊ハ其折八方へ飛去たる八箇の」43
明玉の往方を索んとて辞し去又賢を招き士を徴ん為に蜑崎照文をその投方へ遣せしに稍久しく信もなきこの比より義実ぬしハ隱遁の情願あり。是より後御曹子義成に家督を譲り伏姫の一周忌に義実遁世の宿志を果し給ひ瀧田の城内に別舘を造らし其首に閑居の折からハ突然居士と自称して敢て政事を見かへり給はす。然ハ山下麿安西か亡ひてより上総の武士等悉く義実の威風に靡きて其掌握によらさるハなし。然れとも邊境にハ折々野心のものありしを義成箕裘を嗣安房郡稲村に在城して房総の賞罸を掌るに及ひいよゝます/\徳を脩め給ひしかバ上総ハさら也下総まで既に半國服従して地を廣る事甚多かり。かゝりし程に年を歴て文明十年秋七月初旬に蜑崎照文か犬江親兵衛の祖母妙真と犬田小文吾の父文吾兵衛を伴ふて下総よりかへり來にけれハ丶大坊か」
信も知られ又那仁義八行の玉の往方も知るよしあり。此頃上総州夷〓郡舘山の城主に蟇田権頭素藤と喚做ものあり。その性佞姦邪智にして酒色に耽り奢侈を極め朝皃夕皃といへる両個の美女を側室とし酒宴快楽に財用の費をいとはす恁ても尚飽ことなけれハ艶曲歌舞に妙なる少女を京鎌倉にもとめ左右に侍らし酒席の興をそ添にける。さる程に文明十四年の夏の頃素藤か愛おもふ朝皃夕皃の両個の側室ハ倶に時疫に犯されてかはる%\に死亡けれハ素藤ハ左右の手に持る真璧を碎きし如く心もだえ胸こがれ哀慕の念やるかたなくたれ籠てのみありけるか其頃若狭の八百比丘尼とよひなしたる一個の老たる女僧ありけり。うち見ハ四十あまりなれど人その年齢を問ハ八百餘歳といふ也。年來山蟄して在けるが衆生済度の為諸國を編歴して此地に來れりとて貴賤渇仰」44
せざるハなく雨を祷晴を祈るに感應灼然なるのみならず十念を受る時ハ死病立地に本復すといへり。そが中にひとしほ竒しきハ人の妻まれ良人まれ死して年を歴たりとも哀慕の念ひ切にして一たひ見まく欲する者よしを比丘尼に乞ときハ其亡魂を煙りの中に顕して見するよしを素藤聞て心に悦び件の比丘尼を城内へ招きよせて對面し過去し側室等を見まほしけれバ其術をほどこし給へと乞程に八百比丘尼妙椿は一義に及ばす諾ひて今宵丑三時候にこそ那美女達を見せまゐらせんといふに素藤打よろこび既に其夜の深ゆくまゝに妙椿と倶に准備の一間に坐をしむれバ妙椿ハ机案に對ひ香一裹とり出し口に咒文を唱へつゝ香薫らすれハ怪むべし烟の裏に忽然と顕れ出る美人あり。其容色側室等に百倍勝れて見へけれバ素藤ハ魂浮れ心蕩て狂ふがことく」
【挿絵】
〈毒尼夜る返魂香を焼て逆將に婬を勸む〉」45」
抱き止んとせし程に形ハ滅てなかりけり。しばらくして素藤ハ妙椿に打對ひ彼美人の來由を問に妙椿ハほゝ笑て件の美女ハ安房の國司里見義成の息女濱路姫が面影なりと答にければ素藤ハ是より妙椿を城内にとゞめ濱路姫をめとらんと同國長柄郡榎夲の城主なる千代丸圖書介豊俊を頼みて安房に至らせ里見家に言入けれど事整はねば大ひに苛立妙椿と計りて野心をさしはさみその次の年義成の嫡子太郎御曹司義通が殿臺の辺なる諏訪の社へ参詣ある折伏勢をもて擒にし近臣多く討取ぬ。此事安房に聞へしかハ義成親子ハ安からぬ事に思ひ群臣をつどへて軍議をこらし義成自ら三千餘騎を引率し上総州に出張ありて頓に舘山の城に推寄揉にもんで攻立れば其時前門の城樓の上に武者四五人立顕れ聲高やかに呼はるやう抑我主君權頭」46
が義通孺子を生拘しハ害さんとてのわざならず。息女濱路姫を當城におくり來さバ義通を返すへし。惑ひて不の字をいはれなば今面前に義通屠りて聊憂目を見せん。回答遅くハ親子の別路よく見給ひねといたわしくも義通君をいましめてさるぐつわをはませしを城樓の柱に〓着たんびら引抜刃尖を胸前へ推着つゝいらへ遅しと責たりける。然バ寄隊の諸軍兵ハ乗入らんとせし勢ひを今此一挙に折かれて拳を握り歯をくひしばり城樓を疾視で立たりける。義成これを臠して怒に得堪ず声ふり立その義ならハ短兵急に攻破りて腹をいやさん。なまじひに義通を叛賊の手に亡れんより遠箭に被て射てとらん。進め/\と諸卒をはげまし弓とり直して箭をつかひ弯絞らんとし給ふを眤近の諸侍駭き慌て推禁めさま%\に諫め申せバ一ト(ひと)先此処を退きけり。〓程に義」
【挿絵】
〈逆將公子を虜として寄隊に非禮の婚姻を需む〉」47」
成ハ近臣等に諫められ心ならすも囲を觧し新戸の陣へ退き給ふてひたすら軍議をこらす処に瀧田より老侯義実朝臣のおん使として蜑崎十一郎照文がまゐりたりと聞えしかハ義成ハ諸臣と共にこれを迎へて来命の趣を听給へバ照文も恭しくおん使のよしを告て美酒十駝乾魚百苞を齋就て戦ひの光景をも承り還れとある。おん使にまゐりたりといふに義成恩を謝し作今城攻の赴き敵の挙動味方の進退義通の光景さへ首尾までいと詳に觧示せバ照文駭嘆してやかて御所を退きけり。却説里見義成主ハ次の日二千餘の諸軍兵を隊部して未明より舘山の城へ推寄給ひしかど遠巻にして攻も撃ず城を去こと二丁あまり究竟の地方を擇みて夜ハ〓火を焼續け用心に懈らずおさ/\武威を赫焚しよく敵城の咽吭を扼りて沖對の堅陣濃やかなるものから」48
舘山の城内にも戦粟箭種火藥にともしき事なかりしかバ氣を屈せず卒や寄手の奴們にねむりを覚させくれんずと士卒に下知して打出んとする勢を示しある時ハ又義通君を成樓に吊登て責さいなむに大音なる士卒を擇て罵らすること初の如く寄手を連りに招く光景に里見の士卒ハ怒に得堪ず攻蒐らんとひしめくを義成緊しく制させて〓軍令に背く者ハ首を刎んと徇られしかバはやる勇士も猛卒も胸を鎮めて止りけり。爰に瀧田の老侯義実朝臣ハさきに照文を新戸の陣所へ遣してかしこの勝敗を聞せ給ひしに始逆將素藤が義通君を城樓に登し責さいなみつゝ寄隊に向ひ非礼の婚姻をもとめし事義成火速に寇を攻す遠巻にして便宜の折を等んと宣ひし事の赴都て分明なりしかバ聊慰め給ふものからそれより三十許日を歴て二月下旬になるまでに躬方に利あるよしハ聞」
えず義通君の存亡を知るよしとてもなかりしかバつら/\思ひ給ふやう恁る折に那犬士們が在らバ幇助になりぬべし。穂北に止宿と聞えしを徴迎んはさすがにて當家の武徳ハ衰たる歟と思ハれもせバ耻しからん。とやせん斯やと胸をなやまし伏姫君の神霊の冥助を祈りておはしけり。
英名八犬士第七編尾
鈍亭魯文鈔録[文] 一燕齋芳鳥女画[印]
東都神田松下町三丁目 公羽堂 伊勢屋久助上梓