前号に引き続き、魯文による『南総里見八犬伝』の抄録切附本『英名八犬士』の5編と6編を紹介する。
4編の書誌にも記したが、本書は同じ『英名八犬士』という外題を持っていても袋入本が最初に出されたようで、摺付表紙の切附本(4編)では一部改刻されている。斯様な小冊子の常で、現存本が少なく諸本研究は難しいのであるが、最初は公羽堂・伊勢屋久助版として袋入本『英名八犬士』が出され、次に同板元から摺付表紙本『英名八犬士』が出された際に一部の改刻が行われたと考えるのが良いようである。この改刻は被せ彫りの如く見えるが、細かく見ると異板のようである。改刻された理由を詳らかに出来ないでいるが、祝融の災いにでも遭ったのであろう。
その後、板元が品川屋久助に移り、同様の切附本体裁ながら刊記が削られたり奥目録などが付された。さらに後になって、口絵序文等を削り新たな口絵半丁を付して内題下に「曲亭馬琴識」と入木した改題改竄本『里見八犬伝』(袋入本)となった。
さて、5編6編は巻首題に「英名八犬士五(六)編上帙」とあり、巻半ばの25丁表に「英名八犬士五(六)編下帙」とあるように、本文も区切られており2分冊可能な体裁になっている。しかし現時点で2分冊された本は管見に入っていない。1冊25丁で上下2冊という構成の切附本も現存しているが、2枚続きの摺付表紙を新たに作成して付し、本文の中途で強引に分冊された後印本が多い気がする。これらに対して、本書は最初の段階から分冊を意識して作成されたものと思しい。それも初編から4編や7、8編ではこれらの分冊を意識した構成を持って居らず4、5編だけに見られる点に注意が惹かれる。改印[辰三]から見て4、5編は安政3年3月までに順次作成されたものであるが、この時点での一時的な思い付きだったのであろうか。
一方、本文であるが以前の編のように『南総里見八犬伝』原文の切り貼りに拠る部分が大幅に減り、リライトによって抄出している部分が増えている。原作の筋や内容、話柄の順番などが書き換えられている部分は一切ないが、熟語の表記や文辞には大幅に平易になる方向で手が加えられている。特に漢語の一部が仮名書きされていることが多い。また杜撰な書きぶりは相変わらずで、熟語の振仮名の一部が欠けていたり、所謂〈魯魚章草の誤り〉や脱字などが頻出する。なお、第5編は原本『南総里見八犬伝』の第4輯37回半ばから第5輯47回半ばまで、第6編は47回半ばから第6輯56回の中途までに相当する。
【書誌】
英名八犬士 五編 書型 錦絵風摺付表紙、中本一冊 48丁
外題 「英名八犬士\五編」
見返 「英名八犬士五篇\[魯文][録]」
序 「英名八犬士第五篇\安政二卯初秋稿脱\鈍亭魯文鈔録 [文]」
改印 [改][辰三](安政3年3月)
内題 「英名八犬士五編上(下)帙/江戸 鈍亭主人鈔録」
板心 「八犬士五編」
画工 記載なし
丁数 48丁
尾題 「英名八犬士五編終」
板元 「神田松下町\伊勢屋久助板」
底本 国文学研究資料館本(奥目録に品川屋久助梓の広告存)
備考 上下2帙の分冊を意識して25丁表に下帙の内題存。ただし、分冊された本は未見。
書型 錦絵風摺付表紙、中本1冊 48丁
外題 「英名八犬士\六編」
見返 「英名八犬士\第六集」
序 「英名八犬士第六輯序詞 [魯魚]筆硯萬壽\安政二卯秋稿晩 鈍亭魯文記[呂文子]」
改印 [辰三][改](安政3年3月)
内題 「英名八犬士六編/鈍亭主人鈔録」
板心 「八犬士六編」
画工 「一容齋直政画」外・挿絵
丁数 48丁
尾題 「英名八犬士六編 終」
板元 「公羽堂\伊勢屋久助版」
底本 架蔵本。底本が汚損破損している部分は国文学研究資料館本に拠った。
備考 上下2帙の分冊を意識して25丁表に下帙の内題存。ただし、分冊された本は未見。
諸本 【初板袋入本】二松学舎・服部仁(6、7欠)
【改修錦絵表紙本】国文学研究資料館(ナ4/680)・館山市立博物館・江差町教育委員会(4、8欠)・林・高木(初、2、3、6存)。
【改題改修袋入本】国学院・向井・高木(3〜8、7、8、4)。外題『里見八犬伝』、序と口絵を削り、新に口絵1図(半丁)を加え、内題に「里見八犬伝/曲亭馬琴識」と入木。架蔵本1本8編の後表紙見返に「日本橋區/馬喰町二丁目/壹番地/文江堂/木村文三郎」とある。
一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣いをはじめとして、異体字等も可能な限り原本通りとした。これは、原作との表記を比較する時の便宜のためである。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、句点に限り私意により「。」を付した。
一、大きな段落の区切りとして用いられている「○」の前で改行した。
一、丁移りは 」で示し、裏にのみ 」15 のごとく数字で丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時は〔 〕で示した。
一、底本には架蔵本を用いたが、四編の表紙見返挿絵等と、五編架蔵本が破損している部分の図版に限り、国文学研究資料館蔵本に拠って補った。
一、なお、図版の二次利用に関しては国文学研究資料館に利用申請を必要とする。
『英名八犬士』五編
【五編表紙】
英名八犬士第五篇
唐土訓蒙圖彙に云槃瓠ハ高辛の時の犬なり。その時犬戎より責けり。其将の首を得ん者を婿とせんと有けるに犬呉将軍の首を銜て来けれバ帝女を与へらる犬女を負て南山に入り六人の子を生。その子孫滋蔓たるなり云々
安政二卯初秋稿脱
【見返・序】
【口絵第一図】1
うつものも うたるゝものも かはらげよ
くだけて見れバ もとのつちくれ 三浦道廿詠
道節乳母音音
巨田薪六郎助友
神宮漁夫〓平元ハ犬山家隷姥雪世四郎
【口絵第二図】2
看きんの後に修羅の蚊遣哉
十條尺八郎
十條力二郎
力二郎が妻曳手
尺八郎が妻單節
【本文】
英名八犬士五編上帙
當下丶大ハ席上をつら/\とうち見巡らし人々ふかくな訝りぞ。われハ年来故ありて仁義礼智忠信孝悌の八顆の玉を索ん為に諸国を行脚する程に今茲鎌倉にて竹馬の友蜑嵜照文が君命を禀奉り賢良武勇の浪人をしのび/\に募るに環會ぬ。折から此行徳に云云の力士ありと風聞灰に聞〔え〕たれハ十一郎と示し合し諸共に修驗者と身を變じ先達職得の争訟に假托て犬田を山林が相撲の勝負を試みしに但房八ハ小文吾に藝術聊亞なるのみ。しかれとも二個なからその行状を見究て後にこそと遊山に假托共侶に逗畄して今宵に及べり。いくその憂苦を見聞につけ」3
苔の衣をぬらしたりとその概略を説示せハ蜑嵜ハ小膝をすゝめわれも丶大に立かはり縡おちもなく窺ひ聞孝順義死に袖を濡せり。犬塚犬飼犬田等ハ既にわが主家に宿縁その所以ハ如此々々とかの八房の犬の事伏姫始終の事凡事の顛末を辞短かく解しめしつ。四犬士ハ倶に身中なる痣と感應の玉の由来あればおの/\父あり母あれどもその前身ハ伏姫のおん子にして義実朝臣の外孫たりと説諭せバ丶大法師ハ伏姫君の像見の数珠を取出て示すになん信乃小文吾ハ豁然と玉の来由を感悟して過世怪しむばかりなり。丶大法師ハかたはらなる大八が亡骸を見て嘆息し抱きあげて膝にのせ脉を見んと左の手の寸口を楚と拿れバ大八ハ忽地甦生へし握り詰たる左の拳を初て撥たりけるに掌の」
中に玉ありて二犬士が玉と異ならず。是にハ仁の字あらはれたり。しかのみならす腋肚に痣いできて形牡丹の花に似たり。かゝる奇特に人々は歎きを復す歡びにまた驚きもひとかたならず。そが中に妙真ハ丶大等にうち對ひわが孫犬士の数に入りせバ氏の犬江に實の名も真平と呼し給ひて犬士の後に居らし給はゞ今目を閉る親への孝養これにますこと侍らじと涙ながらにかき口説バ丶大ハ聞て莞尓とうち笑この孩児の得し玉の仁ハ五常の最たるもの今真平ハ親に代りて犬士の隊に入るものなれバその真の字をおやと讀親の字に写更て犬江親兵衛仁と名告らバその子にして親なるべく房八ハ再生して犬士の隊に入るに等し。さハ思はずやと觧示せバ僉々阿と感じける。
そのとき蜑崎照文ハ小四方なる里見侯の徴」4
書を房八が額に翳させ房八郎ハけふよりして里見殿の家臣なれどもその身必死の深痍を負ぬ。かゝれバ忠勤に餘日なし。只その僚友犬塚が厄に代りて死を救はゞ主君の為にするに等し。是莫大の忠義なり。救ひがたき深痍と知りつゝいつまてか苦痛させ〔せ〕ん。介錯もまた惻隠ぞと奨す言葉に小文吾ハ思ひかへして身を起せバ丶大法師ハ對ひたちしづかに授る念仏の数ハ十声と八声の鶏の音鶏塒ながらの羽搏きと共に閃めく大刀音ハ無常迅速夢歟とばかり覚なバ死天の山林惜や杪の獨花のちり際きよき最期なり。妙真ハかねてよりかゝるべしとハ思へどもおもひ得堪て伏沈めハ憂にハ洩ぬ袖の露皆手を叉き頭を低てなぐさめかねつゝ愀然たり。
浩所に外面俄頃に騒しけれバ衆皆ひとしく驚立たる中」
【挿絵】
〈侠者身を殺して仁を得たり[呂文]〉」5」
に小文吾樞戸を開く間もなく外面より〓と投込人礫その人框に頭を撲して脳黄垂て死でけり。これハと訝る程もなく敵を左右に挾みて内に入るハ別人ならず先に志婆浦へ赴きし犬飼現八信道なり。彼破傷風の薬店ハ今ハ彼処になしといへバたちまち望を失ふて丑三の頃門までかへり一部始終をみな聞けり。此をり三個の癖者等庇間壁を穿て簀子の下に身を潜し縡みな聞ぬとおぼしくて檐下近く立聚ひ荘官許訴へんとうち密語て去んとせしかハ某一賊を裡面へ投入み両賊を左右に挾みて一人も漏さすかくの如しと辞せわしく告るにそ小文吾聞てふかく歓び和殿彼処に微りせバ遂に大事を誤りてん。密議を聞たる奴原なれバ疾禍の根を断給へといふに現八両敵を一トしめ〆れハ
目鼻より血を」6
流しつゝ死でけり。かくて現八ハ信乃が本復の歓びを述て小文吾か苦心を労ひ丶大照文等に對面し且妙真を慰めて山林夫婦が義死を嘆賞しその子大八の親兵衛が犬士たる事を祝しける。當下照文は三犬士に里見殿の徴書を逓与にけれバ謹て拝受し信乃ハ額藏の荘助と倶ならで官途に進まバ是不義なり。犬川に巡り會迄ハ参りがたしと徴書を照文におし返せば小文吾現八も齊一いふやう某等も犬塚と倶に大塚の里に赴き彼荘助に對面せでハ同列の本意にたがへり。されバ又この五人の外に三犬士あるならバ値ずして輟べきやハ。八士全く聚りて安房へ参るとも遅きにあらじ。この徴書ハその日迄和殿預り給はねと志を述しかバ照文聞て嘆賞し三士の寔に賢なり。彼犬川荘助ハ衛二が子ならバ某と再従兄弟なるもの也。」
某も倶に赴き荘助に對面して徴書を授くへき歟。貴僧の意見聞まほしといふに丶大ハ沈吟じ大塚ハ大石兵衛が城〓あり。彼処へ洩なば荘助を取籠て决してこなたへ逓与べからず。貧道ハ行脚の事なれバ彼所へゆきて命を傳るとも人のうたがひなかるべし。和殿ハ親兵衛と妙真を倶し給へ。貧道ハ時の至らん日に七犬士を伴ふて君に見参すべくおもへり。今ハはや時移りぬ。小文吾ハ謀りし儘にとく荘官許ゆかずやと促せバ阿と應つゝ信乃が血著の麻衣の袖裂とりて房八が首を引よせおし包み右手に掻込わかれを告げ荘官さして出てゆく。
○扨も小文吾が荘官許ゆきたる跡にて信乃現八ハ房八夫婦が死骸をかたづけをりから朝霧深けれバいざ此ひ間にといふ程に妙真ハ親兵衛をかき抱き二犬士ともに小舩に打のり」7
照文が〓おつとり市川へとこき出せば丶大ハ一人リ止まりて小文吾か帰迄しはし畄守して居たりける。さる程に人々の舩はやくも市川に至りし時わらはが家ハあそこぞと妙真指さすまゝ舩を門辺につなぎつゝ犬江屋に入り妙真ハ三人を奥へしのばせおくにその日の夕暮に丶大小文吾打連て犬江屋に入來り。小文吾ハ二犬士照文等にうち對ひかの偐首を携へゆき斗りし如く謀りて親の縄目を救ひ出し一部始終を親文五兵衛につげ知らせしに或ハ驚き又ハ悦びその悲もおほかたならず。親の差圖に随ひて聖徳と共に來れるなりと告るにみな/\文五兵衛が恙なく返されたるを悦びその夜房八ふうふが死骸を人知れ〔れ〕ず葬りけり。其後小文吾ハ犬塚犬飼の二犬士を舩にて大塚まて送らん事を兼てしもいゝつけなれバ今の小舩に打のせてその身ハ〓を」
【挿絵】
〈戸外を戊て一犬士間者を拉ぐ〉」8」
おつとりつゝ別を告てこき去りぬ。かくてその日の昼後ころ文五兵衛も來りつ兎角に泪さきだちけり。是より丶大と照文ハ行徳と市川にかはる%\宿りつゝ四五日を送る程に房八夫婦か初七日になりしかと小文吾ハ大塚より帰り來ず。いかゞせしにや彼処へゆきて様子を聞バ安心ならんと丶大も武蔵へ赴きしかこれもいかなる訳ありて歟三日立とも返り來ず。兎角する間に日数立て二タ七日にそ及ひける。爰に暴風の梶九郎といへる悪漢あり。常々犬江屋の妙真に心をかけて居たりし程に此ごろ房八夫婦が居らずなりしより法師と武士の異る/\に宿れるさまを竊にかいまみてこれを餌とし妙真をかき口説けるにそ悪さも憎しとおもへとも若あらだてなバ事の破れと思ひかへしてよき程にあしらひけれバ猶つけあがる無籟の情欲」9
既に手詰のその折から照文ハ行徳より文五兵衛諸倶に返りきつ。梶九郎をうち懲すにぞ梶九郎大ひに怒りおぼへて居よと減す口胸にもくろむ一ト思案跡をも見すして迯亡けり。跡見おくりて照文ハ文五兵衛と共侶ことの次弟をたづぬるにぞ妙真ハ梶九郎にいはれし事とも物語れバ照文聞てうちおどろき夫ぞと疾く知ならバ禍の根を断へきを取迯せしハ残念なり。若村長へ訴たへられてハ難義の上の難義なれバ我ハ親兵衛を伴ふて一ト先安房へ帰るべし。妙真も孫に附添暫くこの地を遠さくへしと手に%\用意調へつゝ依助といふ小個を引つれ裏扉口より忍びやかに立出つゝ足にまかせて市川の町を放れ並松原にさしかゝれバ日ハ山の端に入相の鐘の音遠く聞へつゝあたり小闇なりたる折しも松の林」
の影よりも顕れ出し以前の悪者彼暴風の梶九郎ハ強刀ほつこみ〓つき立曲者等何処へ行そ女を渡して覚悟せよといふを照文聞あへずのがれぬ所とひき抜刄に者とも出あへと梶九郎か呼わる声と共侶に夏草の影小松のひまよりおどり出たる多勢の悪徒得物をひつ提照文おつ取込つゝ競ひかゝれハ照文ちつとも億する色なく當るに任せて切伏薙ふせ面もふらす戦ふたり。
夫と見るより文五兵衛ハ妙真にうちむかひこゝかまはすと疾迯給へと親兵衛をわたす間もなく又一群のわるものどものがしハせじととりかこめバ文五兵衛ハきつと見て用意の一ト腰抜合せしばらくふせぎ戦ふ。妙真遥遠ざかれば透を窺ふ梶九郎小暗き方よりはりり來て声をもかけず妙真をしつかと抱けハ泣出す親兵衛共に驚く」10
妙真かふりほどきつゝ迯出すを迯しもやらす飛かゝり泣入る幼児柄杓もなくもき放しつゝ小脇に抱へ止る妙真蹴例して人なき方へ走るにぞ妙真ハ狂氣の如く返せ戻せとさけびつ泣つ跡をしたふて追行ける。梶九郎ハ妙真がしたひ來るを見るよりもあたりの木の根に腰うちかけて親兵衛をむんずと〓み己が心に隨はずハこの孩児ハ今寂滅と手ごろの石を拾ひとり胸さき打んとふり上れバあなやと斗り妙真ハ見る目もくれ心も消なくより外のことそなき。かゝる処へ照文ハ悪徒共を切散し文五兵衛と共倶に此処迄來かゝりつゝ雲間を洩出る月影に此ていたらくを見るよりも二人リハ共に打驚き走り寄ども人質をとられし上ハ手出しもならず刀の柄を握りつめ歯を喰しばるを梶九郎ハ冷笑ひつゝ」
【挿絵】
〈雲霧を起して神霊小兒を奪ふ〉」11」
幼児を再びうたんとする程に拳忽なへしびれ我にもあらて取落す。折しも俄に鳴動して一朶の黒雲舞下り親兵衛をひき包みてはや中空へ巻あぐれバ梶九郎ハ驚きながら猶おさな子をやらじとて踊り狂ふを逆に虚空はるかにひき上られ雲の中に物有て梶九郎ハ股より腹へ二ツにさつとひき裂れ骸ハ例と落るにそ是ハと斗り照文等ハ再び驚き草野辺に臥沈たる妙真をさま%\に介抱にそやう/\に目を開き新兵衛が事かにかくと云てハなげくをなくさめて照文ハ依助共に妙真を将て文五兵衛に袂を分ち安房をさしてそ急きけり。尓程に文五兵衛ハその宵初更の頃及に市川まで走りかへり犬江屋の門傍より裏のやうすをさし覗くにこれ彼すべて無事なれバ僅に心を安くして一艘の快舩を借とりつゝ大塚へ」12
赴かんと武蔵を投て漕しけり。されバ又照文ハ妙真等を将て日毎に路を急ぎつゝ異なく安房にかへり著ぬ。
○案下某生再説犬塚犬飼等ハ犬田小文吾に送られて舩路を行こと六里許宮戸河より北のかた千住河を訴りてその日未の頃及に武蔵國神宮河原に著にけり。斯てこの岸に舩を繋ぎて旅宿の事を相譚ふに信乃ハ伯母夫許を忍ぶ身なれバ瀧の川の金剛寺をこしらへて彼僧坊を旅宿にせバ世を潜ぶに究竟ならん且大塚へ遠からねバ額蔵の荘助と往來に便りよしといふに両人諾ひて齊一岸に上るおりから六十に近き一個の賎夫大塚の荘官が令甥にハおはさずやと問れて信乃ハ驚きながらその人をつら/\見るにこれいぬるころ網舩を借たるこの土地の漁師〓平といへる者なり。斯て」〓平ハ信乃に對ひ扨も大塚の凶変を外にしておんみ何地にか行給ひしと真実だちて聶けバ信乃ハふたゝび驚きて吾儕ハ先頃下総に赴きつ彼処の友に送られて只今かへり來にけれバ何ごとも聞しらず。その凶変とハ何なる所以そ聞まほしと問へバ〓平頷きて扨ハ知らでやおはする歟。こなたへ來ませと先にたちて己が宿所に誘引つゝ彼大塚なる蟇六許の騒動始終如此々々と言短かく物語れバ信乃ハさらなり現八も小文吾も驚呆れ斉一嘆息したりける。當下信乃ハ愀然と犬飼犬田を見かへりてわか伯父夫婦の心ざまよからねども総角より養れたる恩をおもへバ哀戚の涙禁め難かり。さるにても額蔵ハその処を去らず主の仇を撃し事世に羨しき大義なり。しかるにいたく誣られて命危きをいかにせんと」13
怨じて瞼をしばたゝけバ〓平ハ再いふやう彼社平五倍二ぬしハ腹心の者に流言しさして圓塚山の人殺しハ信乃額蔵か所為也といわせしかハ犬塚ぬしにも疑ひかゝりて行方を索らるゝとぞいと危しと密話バ三犬士ハ忿激に堪かねしを思ひかへしてうち頷きよくこそ知し給ふたれと粒銀四五顆とり出しこハいと些少の物なれども好意を謝する。某ら今さらに大塚に還りがたし。信濃ハ母の生國なれバ彼地へや赴くべきといふに〓平聞あへず大塚の陣番よりこゝらも夥兵のうち巡れバ名殘ハ最も惜けれどはやく他郷へ避給へ。この〓ハ要なしと推辞を信乃ハ再びすゝめてその善直を嘆賞しぬ。〓平ハ又いふやう小人に両個の猶子あり。力二郎尺八と呼れ近き比こゝに來て網引にその日ハ送れども任侠剛毅の壮佼なり。こゝより戸田へ捷徑あれバ彼等に」
【挿絵】
〈三犬士神宮の渡りにて斗らす〓平に遇ふ〉」14
」
送らせ候ばやといひつゝ呼んとする程に現八小文吾是を禁め主人か節なる誠心を謝し人多くてハ目に立て悪かるへしといふにぞ信乃ハうち頷きさるにても主人が應荅とその氣質を察するに昔ゆかしく候といへハ〓平額を拊否さるものにハ候はず。若かりし時いさゝげなる武士の禄を食たるのみ。本姓ハ姨雪也。舊名を世四郎といへり。形のごとき下司なりしを愆る事ありて舊里なれバこの処へ追退けられ候ひきに小人か相識る老女去年より上野なる荒芽山の麓に在と近属灰に聞えたり。〓信濃路へ赴き給はゞ訪ふて宿を投め給へ。便もあらハと豫てより一通を写めおきつ。なほおん身三はしらの事をし書加まゐらせんと真実だちて身を起しつゝ棚の隅よりとり卸す硯に禿筆抜出し白帋に走書して一通の状もろ共に巻篭て標識を書しるし」15
犬塚ぬし是ハいと無礼なるわざなれとも心隈なきことぐさに此一通を委まつらん。荒芽山の麓そと風の便聞たるのみ迭に年來疎遠なり。必諮給へかし。老媼の名を音音といへり。憑奉るといひかけて件の状を渡すになん信乃ハやをら受とりて遅速ハ定かならねども信濃路へ赴かば由縁を訪て届くへしと懐に納つゝ現八小文吾共侶に謝を述別を告ておの/\笠をふかくしつ南を投て出てゆけバ〓平ハほゐなげに門べに立てぞ目送りける。
○斯て信乃現八小文吾等ハ瀧の川なる金剛寺に赴きて岩窟堂に詣つゝ食堂にいゆきて呼門へば寺僧出迎へて來意を問けり。當下信乃ハ進みよりて某等ハ弁才天に宿願ありて七日三籠すべく思ふて遠方より來れり。休息所を貸給へといひ入るにいと易き事なりとて子舎に安措はせぬ。其夜三犬士ハ」
岩屈堂に通夜するといふて小文吾を残し止め犬塚犬飼共侶に疾くも大塚の里に至り信乃ハ親の墓所に詣で蟇六亀篠等が亡骸を〓めたりとおぼしき墳土にも水を沃き回向に夏の夜更初たり。斯て又現八に〓して糠助か墓所に赴くに犬飼ハ追慕の哀みやるかたなく時の移るを知ざりけり。信乃ハ額蔵が母の塋域行婦塚に赴きて現八と共に祭りその暁がたに岩窟堂にぞかへりける。扨も三犬士ハ次てをもとめて大塚の城中へ赴きつちとの物を商ふを本としてしる人もいで來しかバなほそのすぢに陽交りて獄舎の中なる額蔵の荘助をぬすみ出す便もがなとをさ/\肺肝を摧けども未その足代なし。日暮れバ三犬士岩窟におもむきて衆議なしつ斉一瀑布にみを搏しつゝ同盟犬川が為に」16
窮阨解除の冥福を岩窟の弁天瀧の不動王子權現の三社へ丹精を凝らしてぞ祈りける。
○追前齣再説宮六が弟簸上社平ハ属役卒川菴八と共に搦捕たる額蔵背介を獄舎に繋し訴状を以て鎌倉へ告しかハ大塚の城主大石兵衛尉老黨を聚へて僉議あり。これ彼と擇れて出頭人丁田町の進を陣代として大塚へ遣しぬ。斯て丁田ハ社平菴八等に對面しつゝ主〔命〕を述傳へて五倍二か刀瘡を黙檢し事の趣を咨るに額蔵を誣てその身をかざり実事しやかに陳じけれバ既にかくのごとくならバ忽にしかたしとて額蔵背助を獄舎より牽出して事の顛末鞫問するに杖を揚て責たりける。額蔵ハ騒ぎたる氣色もなく主の仇人見遁しがたくて當座に撃畄し趣ハ曩の日聞え上たる如し。」
【挿絵】
〈義士を誣て酷吏等残毒を恣にす〉」17」
別に仔細も候はすと詞短く演すれバ町の進ハ大ひにいかり額蔵を推伏て一百あまりぞ撲たりにける。忽氣絶してければ獄卒ハ杖を駐め引起して水を吹被るにしばらくして息出けり。とかくする程に二更の漏刻音すれハ町の進ハ背助額蔵を獄舎にかへし遣せしに背助ハ杖の苦痛に絶すやその暁かたにむなしく成ぬ。しかれども額蔵ハ弱りたる氣色もなく罪に伏すへきにもあらねバ社平五倍二ハ氣を悶て町の進に物夥賄賂て媚諛すといふ事なくその断獄を急するに町の進も利の為にハ傾きやすき小人なれハひそかに社平五倍二を慰めて又額蔵を獄舎より引出し聊思ふよしあり。左母二郎濱路天罸仍件の如しと書べしと右手の縛を緩しにけれバ額蔵推辞べくもあらねバいはるゝ隨に書てけり。そのとき町の進ハ圓」18
塚にて伐とらせし幹の文字と合し見つゝ額蔵が罪分明なりと敦圉悍く詰れども額蔵ハ些も擬議せずその宵のことハ云云といひ觧んとする程に町の進ハいよ/\哮て〓木の上に仰向させ括著て目口もわかず水を沃ぎて間なけれバ忽に息絶果けり。獄卒等ハ苛責を駐て倒に推立つゝ水を吐しなどするに且して甦生せり。これよりして町の進ハます/\苛責を重くすれども額蔵ハ初の如く苦痛を忍びて遂に屈せず。しば/\氣絶したれども獄舎にかへれバ恙なし。故あるかな額蔵ハいぬるよ犬山道節が肩の瘤を劈ててに入りし忠の玉ハこの時までも身を放さず。口の中に含てをり。さる程に杖にうたれ種々の苛責に筋骨痛て心地死べう覚るとき件の玉を口に含み又これをもてみを拊れバ苦痛立地に除去り杖瘡ハ一夕に〓て」
その跡もなくなりにけり。町の進ハ玉の奇特を露ばかりも知らざれハ竊に怪み彼ハ法術あるやらん。若脱れさらバ後悔せん。はやく殺にますことなしと肚の裏に尋思しつ。鎌倉に使者を走額蔵を誅戮せんことを報たりける。かくて七月朔日にその使者鎌倉より帰來れり。町の進ハ菴八と共に主の下知状を披見するに額蔵ハ既に五逆の罪人なり。當に竹鎗の刑罸に行ふべしと下知せられたりければ町の進ハ社平五倍二に主命を傳へつゝ明日未の頃及に庚申塚のほとりにて刑戮を行はん。宜く准備あるべしと懇にときしめす。この時五倍二が眉間の痍過半愈しかバ両人雀躍して主恩を拝謝し意き揚々と退出ける。尓程に七月二日の未のころ及に額蔵を獄舎より牽出し三十餘名の夥兵等に囲れて庚申塚へをもむけバ」19
檢監卒川菴八は先を追していかめしくねりゆく程に社平五倍二ハ其後に陸続として城を出庚申塚に來にけれバふりたる楝の下に額蔵を牽居させ三十餘名の夥兵等ハ手に/\捍棒を突合して徂徠の人を禁めたり。當下卒川菴八ハ床几に尻をうちかけ一通の刑書を取出し讀聞せ終れバ獄卒等ハ額蔵が索の端を楝の枝に投かけて釣揚れバ社平五倍二持たる竹鎗閃して左右齊一額蔵が脇肚目がけて刺貫んと呀と被たる聲より先に五十歩ばかり東西なる稲塚の蔭よりして両方一度に射出す響箭五倍二社平が肩尖へ揺一ゆつて〓と立。痛手なれバ霎時も得堪ず鎗を捐てぞ例れける。菴八等おどろきながら立よりてとみれバその箭に五六寸なる紙牌を結提て奉納王子権現所願」
【挿絵】
〈法場を〓して三犬士同因をすくふ〉」20」
成就と書たりける。原來ハ真の征箭ならず疾このぬしを蒐出せと声ふり絞りて下知すれバうけ給はると夥兵共東西に立わかれて稲塚目がけて簇々と進んとする程になほも射出す神箭に皆紛々と射倒され右往左往に辟易す。當下稲塚推倒して顕れ出たる両個の武士東西斉一弓投捨て准備の竹鎗掻取て声高らかに呼はるやう同盟の義に仗て天に代て虎狼を猟作麼俺們を何人とかする。犬塚信乃戍孝犬飼現八信道等こゝにあり。觀念せよと罵責て鎗を捻て走蒐りひしめく夥兵を五六人鳩尾中〓刺伏たり。菴八遥に是を見て若額蔵を奪去事もやあらん。結果て後やすくせんものと遺たる竹鎗とり揚て棟のほとりに近づかんとするおりから忽後方に人ありて酷吏菴八且く等犬塚犬飼同盟の」21
一死友犬田小文吾悌順こゝにあり。首をわたせと呼畄たる聲におどろき菴八ハ運歩取次に見かへれバ骨逞しき大男奉納牌をむすびさげたる王子の竹鎗閃かして透間もなく突立れバ菴八ハ受拂ひ且く防戦ふ程に若黨獄卒五六人おの/\得物をうち振て撃倒さんと蒐るを小文吾ハ物ともせず薙立駈立進みけり。その間に信乃現八ハ〓る敵を八方へ撃散しなほ菴八を撃んとて走来る前向に身を起すハ是五倍二と社平なり。この時我にかへりけれバ肩に立たる箭を抜捨刀抜連立たるを信乃現八ハ東西より五倍二社平を刺貫きなほ迯迷ふ夥兵等を追はらひ信乃ハはやくも額蔵を樹上より扶下して縛の索釋捨れバ現八も又引かへし社平か両刀を分捕して額蔵にそ渡ける。さる程に小文吾ハ菴八を難なくも」
仕畄しより手にあふ敵のなくなりしかバ鎗を捨て樹〔の〕下に聚合ふ程に信乃ハ額蔵をいたはりて現八小文吾を引合せ異姓の兄弟なる事を語けるにぞ額蔵ハ萬死を出て一生を保つの歓びを述義を美して感涙坐にぬぐひあへず。現八小文吾慰めて今ハしも此地に要なし。はやく戸田川をうち渡して隣郡まで退くべし。誘給へと急かしつ四個斉一西北の方へ足はやに走去る事十町にハ過ざりけり。浩処に大塚より新隊の雑兵二三十人僉鳥銃を携てはや四犬士に近づきつ。筒頭を揃へ連掛て火蓋を切らんとする折から俄然として降そゝく夕立の雨繁を紊して忽火縄を滅たりける。城兵等ハ暴雨に度を失ふてしばらく捫擇する程に雷鳴一声電光して雨なほ烈しかりけれバ雨を避んと城兵等ハ僉樹の下に立寄たる頂の上に霹靂て雷火」22
に震れて死したりける。四犬士ハ危急を遂れ凡事にあらずとて瀧の川と王子の神を遥におがみ奉り斉一間道を走りつゝ戸田川まで來にけれバ雷ハ收り雨も細りてはや黄昏に近かりける。とく/\前面へ渡さんとて彼処と見わたすに渡し舩絶てなし。いかにすべきと氣を悶ておなじ河原を幾度となく往返に果しなかりけり。かゝりし程に町の進ハ隊兵百五六十人を将て馬を飛して追蒐きつ鬨を咄と揚たりける。四犬士ハこれを見て河にハ舩なく陸にハ敵あり。進退こゝに谷りぬ。思ひの随に戦ふて陣歿するより外にすべなし。目ざす讐敵ハ丁田のみ。人馬の足を立させなと迭に諫奨して必死の覚期勇しく近づく敵をまつ折から誰とハしらず水際なる繁き高芦をおしわきてこなたへ舩をよする者あり。四犬士これを見かへりて」
【挿絵】
〈一葉を浮べて蓑笠の叟犬士等をすくふ〉」23」
彼も敵かと訝れバ蓑笠著たる一個の舟人遽はしくさし招きてとく/\召と勸る声ハ神宮なる〓平なり。天の祐と四犬士ハ舩に閃りと打乗れバ〓平ハ船底より蓑笠を取出して四犬士に与へ敵の矢を禦す程に既にして舩ハ北の岸に著にけれバ四犬士ハ曲々に歓びを演るに暇なく〓平を見かへりて皆再會を契つゝ軈て水際に下立けり。尓程に町の進ハ士卒と共に声を揚て頻に舩を呼禁れども舟人ハ聞ぬ態して漕かへすべくもあらねハ彼射て捕れと下知すれバおの/\岸に立並て箭継早に射かくれどもその間遠けれハ箭ハ徒に水中に落るとやがて流れけり。町の進ハます/\怒りこの虐賊等を撃漏してハわれも罪を脱れがたし。河幅ハいと廣けれど此わたりにハ淺瀬あり。われに續けといひ被て馬を颯と乗入るれバ士卒等ハ僉後れじと渡しけり。」24
英名八犬士五編 下帙
却説丁田町の進ハ馬を河の中央まで進るを〓平ハ遥に見て遽しく舩底より弓箭を取出て矢声をかけて丁と發せバ町の進が乳の下へぐさと立しが裏缺までに至らねバ投捨てぞ進みける。〓平ハ心〓て二の箭を刺んとする程に忽然として一個の壮夫水中より浮出て町の進が衿上へ抓子棒を楚とうち被て仰さまに引落しつゝ腰なる刀を抜出し押へて首を取てけり。かくて件の壮夫ハ町の進の馬を奪ふてうち跨つゝ後れて渡る雑兵を抓子棒を以引倒し突流し推沈れバ敵ハ忽辟易して舊の岸へ逃登るを追つゝ馬を乗上たり。雑兵等ハ岸に畄り推捕籠て攻たつれバ當下芦原のほとりより又一個の暴夫突然と顕れ出長柄の鎗の刄頭尖く」
【挿絵】
〈侠客両個四犬士の窮厄を免からしむ [呂文]〉」25」
敲伏せ刺殺す纔に両個の勇士の働き四犬士ハ北の岸に瞬もせず眺てをり。斉一感じて舩を歇め彼両個の壮夫ハいかなる人ぞ名をだに知らぬ俺們を拯んとてかあの動きいと訝しく候といへバ〓平微笑て彼等ハ先に告たりし力二郎尺八なり。豊嶋煉馬両家の為に怨を復さんと思ふこゝろあれバ町の進を撃たるなりといふに信乃等ハ驚きてしからバ両個の壮夫ハ我等が為に恩人なり。もし陣歿せバ悔とも甲斐なし。その舩を疾よせ給へ。安危を彼人々と共にせん。今さら躊躇事かハと言葉等しく急せバ〓平頭をうちふりて義を見て勇むハ刀祢們の志なるへけれども彼等か敵と戦かふハ刀祢們を落さん為なり。然るを再彼処へ渡して倶に陣歿し給はゞ此彼ともにみな益なし。やようち捨て落たまへ。小人ハ今さらに神宮へハ還りがたし。けふを限りの浮世ぞと豫て覚」26
期究めたれハ舩もろ共に身を淪て赤心を顕すべし。さらば/\といひかけてはや川中へ漕出せバ四犬士ハ且感じ且驚き水際に足を翹て異口同音に呼禁れども〓平ハ川中へ漕退け舩底の栓を引抜捨れば忽舩に水入りて波の下にぞ沈みける。四犬士ハ眩然と見る目届かぬ薄暮に前面ハ修羅の大刀音矢叫びよせてハかへす河風に澳より黎む宵闇の其処ともわかずなりにけり。さる程に四犬士〓平両勇士の存亡も心にかゝれど終夜河原に立暁すともあるべきにあらねバ上野信濃を心當に間道より只管に走れども黒白も別ぬ烏夜にしあれバ行事五里ばかりにして忽山路に迷ひ入つゝとかくする程に天ハ明たりと見れハ未名をたにしらぬ高き山の半腹に來にけり。軈て巓に登りつゝ彼此と徘徊するに山に荒たる神社ありて雷電の神社と」
【挿絵】
〈戸田川に漁夫入水して犬士を走らす〉」27」
〔と〕いふ四大字の遍額あり。これ桶川の東南なる雷電山と悟るものから三士ハ斉一額つきて倶祈念をこらしけり。且くして四犬士ハ樹の下に迭に相譚慰むるに當下額蔵ハ恭しく貌を改めきのふ再生の歓び演三犬士相共に必死の厄を救ひ給ひし為体不思議といふも余りありと問れて信乃ハ含咲て某も亦滸我にして免れがたき大厄あり。この故に下総なる行徳に流浪つ再び危かりけるを幸にして窮阨を釋れたり。その故ハ箇様々々とすべて安房の里見に宿因あるその概略をとき示せバ額蔵ハ聞く毎に駭然としてうちおどろき潜然としてうち歎き現八小文吾か孝順義勇を眷愛していよゝ骨肉の如く思へり。就ていへるやうハ我等と過世似たるもの八人あるべきことになん。犬江氏の子とゝもに五人なり。就て又一竒談あり。先に某はからずも圓塚」28
山のほとりにて一個の犬士に撞見たり。その故ハ如此々々と犬山道節が事おちもなく譚れバ三犬士ハ嗟嘆にたへず。されバ額蔵ハ是より
改め犬川荘助義任と名号つゝその夜ハ桶川の郷へ宿りぬ。却説四犬士ハ次の日旅宿を夙に起て笠深くしてゆく程におなじ月の初めの六日上野國甘樂郡白雲山明巍の神社に参詣す。斯有程に四犬士ハこの霊場を遊觀するにその日も未下刻になりつ。よりて茶店に足を休るに荘助ハ戯れに臺に据たる遠眼鏡を引よ〔し〕て山間遥に見下せバ藺織笠を戴たる一個の武士総門のこなたなる渓川の橋をわたりつゝ邁ものありけり。心ともなくよく見るに笠の隙ながら犬山道節に似たりけり。こハいかにとばかりに瞬もせず目送るにはや総門の外に出て往方もしらずなりにけり。遺憾きこと限りもなけれバ只顧に」
嘆息しつゝ信乃現八小文吾に云云と密語バ三士も倶に嘆息してもし返るやとかはる%\に眼鏡を採て直下せども遂にその甲斐なかりけり。當下信乃ハ沈吟じて遠眼鏡もて見し人に追つかんと欲するともこの処より総門まで一里四丁ありと歟いへバ飛鳥なりとも及ぶべからす。きのふ巷の風声を聞たりしに管領扇谷定正ぬしハ近ごろ當國に退居して白井に在城し給ふといへり。彼道節ハ両管領を狙撃んと欲するならずや。しからんにハ渠も又こゝらわたりを徘徊して隙を窺ひ時を得バ君父の怨を復さんと謀ることなからずやハ。白井の邊に趣かバ彼人にあふこともあるべし。とく/\と急せバ荘助現八小文吾ハ一議に及ばす同意して打連立て下向せり。
○不題管領扇谷修理太夫定正ハ近頃山内顕定と不和なるにより猛に鎌倉を退きて」上野白井に在城す。これにより定正ハきのふ五日の早旦より砥沢の山に狩競して白井の城に回旋す。相したがふ近臣ハ竈門三宝平五行妻有六郎之通松枝十郎眞弘等従類凡三十五名外様の若黨五十餘名弓箭鳥銃を肩にせし雑色奴隷に至てハ毛挙るに遑あらず。夥の列卒にくさ%\の獲物を扛擔したる前駈後従の目さましくはや白井の城までハ二十町に足らぬ道の程並松原を過る折と見れバ一個の武士の浪人道のゆくての松の下の葛石に尻をかけ右手に拿たる一ト口の大刀をやをら膝に推立つゝ忽地声をふり立て世に〓邪の劔なきにあらず只これを知る良将なきのみ。嗚呼惜むべし恨むべしとしきりにひとりごちたりける。前走の雑色両三人うち見やりてこハ竒怪なり何人ぞ。管領の狩倉より目今還」
【挿絵】
〈雷電の社頭に四犬士會談りす[呂文]〉」30」
らせ給ふなるおん馬前に程近きに礼儀に疎き白徒なり。とく/\笠を脱捨てついゐて拝み奉らずやと齊一叱懲せども浮浪人見かへりもせて冷笑ひわれハ浮浪人の武士なれハ主もなく家隷もなし。管領われに恩徳あらバ貴も思ふべし。管領われに徳なくバわれハわが世を渡らんのみ。街道挾きにあらず。路の障になるものかハ。僻事すなと叱り囘してひとりごつこと初の如くいよ/\高く呼ばれバ雑色等ハます/\怒りて大膽不敵の癖者かな。いふよし聞ずバ縛ん。打よ仆せと敦圉て立かゝりたる三方よりなほ懲さんと競ふ程に定正間近く馬を進めて騒しや何事ぞ。彼鎮よと制させて鐙際に従ふたる松枝十郎を見かへりて云云と仰すれバ十郎ハ心得果て其樹下に赴きつゝ浮浪人にうちむかひ其許ハ元來何処の人ぞや。かしこうも管領家」31
のみづから問せ給はんとておん使を立られたり。かくいふハ御内の近臣松枝十郎眞弘也。誘々お
ん前に参り候へ。とく/\と急せバ浮浪人ハ阿と應て拿たる刀を腰刀に差添て深編笠の緒を觧すて背のかたへ投退けて初て面を顕したる容儀堂々神表凛々庸人ならずそ見えたりける。却説彼浮浪人ハ松枝十郎眞弘にうち對ひ某は下總千葉の浮浪人大出太郎といふ者なり。父ハはやく世を去母ハ明失て年來になれり。寒家ハ薬の料足さへ竭てせんすべなし。依て祖父より三世の重宝一ト口の太刀管領家に售らばやとて漫に虎威を犯したる不敬の罪を宥られて是等の事を聞えあげ給はらバこよなきおのが幸ひならんと憚る所なく答たる弁舌水の流るゝ如し。松枝真弘ハそのいふよしを聞果て則縡の趣を云云と報まうせば定正」
【挿絵】
〈妙義の茶店に荘助遠目鏡の中に道節を看る〉」32」
しば/\頷きて馬より下て牀きを立させそのもの召といそがし給へバ眞弘再び走り向ふて彼浪人を将て來にけり。定正ハ彼浪人をと見かう見て售んと欲する大刀往由を問れて臆せず小膝を進めその來歴をつばらに演太刀の眞偽を見そなはせと誇皃に荅も果す拿たる村雨の宝刀を取直し抜放ちて晃かしつゝうち振れバ不思議なるかな刀尖より潜然として濆る水氣に定正うたがひ水觧その太刀これへとく/\もてといはれて太郎ハ欣然と刃を引提て身を起しつゝしからバ御免を蒙るべし。よく臠せと定正の牀几のほとりに衝と寄りて跪きつゝ件の太刀を進らするやうにして胸前捉て推伏つ刀尖晃りとさし著れバ吐嗟と騒ぐ。近臣諸士さてハ癖者ごさんなれと散動ども主君をとられて捫擇す。當下件の癖者ハ」33
天地に響けと声ふり立て管領定正慥に聞け。下總千葉の浪人大出太郎とハ假の名也。去歳の四月十三日江郷田池袋の戦に一族従類員を盡して汝が為に亡ひ給ひし煉馬平左衞門尉倍盛朝臣の老黨にさる者ありしと知られたる犬山監物貞知入道道策か獨児に乳名道松と呼れたる犬山道節忠與とハわが事也。君父の仇を復さんとて薪に臥し膽を甞千辛萬苦の宿望を今こそ果す怨の刃受よやッと罵れバ定正いよ/\驚いかりて反復さんとするところを起しも立ず髻つかんで細頸丁と掻切たり。管領の従類等ハ吐嗟と騒ぐ大叫喚。われ撃畄んと刀尖そろへて八方より競ひかゝれバ道節ハ首級投捨殺靡けたる必死の大刀風撃るゝ者ぞ多かりける。この勢ひに辟易して溌と乱れて逃迷ふ雑兵に誘引れたる」松枝竈門妻有の諸士皆共侶に逃走るを蓬し返せと呼被て一卜町あまり追ふ程に一卜叢繁き薮蔭より鬨を咄と作して顕れ出たる一個の若武者狩装束に身甲して金作の太刀に短刀を横佩左手に重籐の弓を挾みて征箭両條を把そえたるその隊の兵三十餘人おの/\短鎗の刃頭を揃へて道節が前後左右を犇々と捕まきつゝ件の若武者ハ弓杖突て声高やかに愚なり犬山道節。管領いかでか汝等に撃れ給はんや。けふ謬て汝が為に命を隕せし假管領ハ當家の勇臣越杉駄一郎遠安と呼れしもの。去年池袋の捷軍に汝か主君倍盛の頸捕て名誉の感状を賜たる剛の者なり。かくいふわれを誰とかする。管領補佐の一老職巨田左ヱ門大夫持資入道道寛の長男なる薪六郎助友が竒計を受行ふて汝を謀りしと知らざ」34
るや。今討捕ハ易けれども可惜しき勇士と思へバわが箭に被ず。降参せよとそ呼りける。道節ハ怒れる面色必死の覚期に大刀取直して走向へば齊一衝出す鎗の穂さきを左右に受る手〓煉の刀尖矢庭に命を隕すものはや十人にあまりつゝ忽ち溌と開き靡けハ道節ハ助友目がけて近づかんとする程に助友弓に箭〓ふて射る矢を道節避たりける。程もあらせず射出す二の矢を太刀もて拂ふ程に助友ハ弓を投捨太刀を抜んとする程に松枝妻有の近臣等時分を揣りて返し来つ力を合して揉だりけ〔る〕。當下道節思ふやうわか大宿望を遂ん事けふに限りて翌なからんや。只一方を殺開きて身を全して時を俟んとはや一條の血路を開きて且戦ひ且走れば助友ハ士卒を奨し眞弘之通共侶に何処までもと追たりける。浩処に」
【挿絵】
〈道節定正が帰城を斗て名刀を賣らんとす〉」35」
信乃荘助現八小文吾等の四犬士ハさきに遠眼鏡もて見たる武士に〓あふことのあらんかとて山を下りて尋つゝその〓昏に白井の城へ遠からぬ一ト村里を過る程に道節が噂とり%\にて騒劇大かたならされば四犬士もうち驚きて暮ぬ間に疾その処へ赴きて虚実を知らんと急ぐ程に年尚わかき一個の武士手に白刄をうち振て追來る敵を殺靡け道のゆくての四犬士の間に忽地衝と入りて背に立かと見かへれバ往方もしらずなりにけり。そのとき巨田助友等ハ透間もなく追蒐來つ前面に立在む四犬士を同類なりと思ひけん。鎗を揃て衝かくれバこはそもいかにと驚き避ても一ト言の問荅に暇なけれバ已ことを得ず戦ひけり。浩処に城中より援の兵百騎許近づく程にこの時既に日ハ暮けれバ薮を篭盾に四犬士ハ力を勠して苦戦しつ頻に捷に乗るから」36
不知案内の夜戦なり。縡にハ素より不意に起りてわれに援の兵なけれバ思はずも蒐隔られて迭に拯ふ事を得ず。信乃荘助ハ城兵の新隊に圍れ又現八小文吾ハ助友が隊兵と戦ひおの/\暇なく脱果べくハ見えさりけり。有斯し程に道節ハ辛く大敵を殺脱て走る事三四町日暮て敵のなかりしかバ且く息を吻をりから忽地後方に鬨の声して撃太刀音さへ聞へけれハ原來ハわが走りし時前面より來つる旅客等が間に入りしをわが助太刀のものぞと思ふて捕籠て撃にやあらん。われハ輒く追手を脱れし故に旅客等ハ敵に撃るゝ事あらバ便是人を殺してわが命を保るハ勇士のせざる所なり。いでや彼所へ走り還りて旅客等を拯ひてんと思ひ决めて裳を〓げ舊直に返りて見れハ果して四箇の旅客等ハ城兵に捕圍れてその危きこといふべからず。道節霎」
【挿絵】
〈四犬士途に助友が兵を戦ふ\道節君父の敵を撃て走る〉」37」
時尋思をしつゝ敵の捨たる弓箭列卒縄是究竟と〓り揚て左側の大竹藪に潜入りつゝ件の索を彼此の竹にからまし引動しつゝ忽地に鬨の声を揚しかバ城兵これに驚く処を竹薮の中よりして射出す強音空箭ハなく矢庭に命を隕すもの五七人に及びにければ城兵等ハいよ/\周章人〓撲て崩れにけれバ前に戦ふ四犬士ハ忽地これに力を得敵をよき程に追捨て荒芽山の方へはしりけり。助友ハ後度の不覚に安からず思へども窮寇ハ追べからず。一卜圓白井へ退ぞきて便点をもつて遺なく搦捕こそよかめれと思ひかへして強ても追せず竊に家隷両三人に謀事を授け畄めおきて白井の城にそ返りける。犬山道節忠與ハ近きわたりに身を潜して時分を揣り顕れ出曩にわが投捨たる越杉駄一郎遠安が首をとり揚死骸の袖を裂とりて」38
件の首級を推包みその端を帯に結ひたち去らんとする後方より癖者等と呼畄て衝出す鎗にこゝろへたりと身を跳し一個の鼡輩虎の髯を拈らんとする殊勝さよ。名告れ聞んといはせも果すわか名ハ音にも聞つらん去歳の四月の戦ひに汝が父の首を得たる竈門三宝平五行なり。首をわたせと罵たり。道節ハ願ふ敵そと疾視詰て父の仇其処な退きそと敦圉て刀を晃りと抜放せバ三宝平も声を合して衝出す鎗撃太刀音霎時ハいとみ戦へとも忠孝無二の道節が頻りに進む陽の太刀鎗をからりと巻落され太刀を抜んとする処を大喝一声道節がうち閃かす刄の下に三宝平が首ハ落てけり。さる程に道節ハ父の讐さへ思ひの随に撃果したりけれバ歓び比んに物もなく仇人の首を引提來つ。又その死骸の袖を断離ておし包み腰につけ刄を鞘に歛むる折しも」先に助友が畄置たる三人の家隷ハおの/\鳥銃携へて東西の樹下より〓うたんとする処を道節目ばやく透し見て小石を両手にさそくの飛礫左右等しく倒るゝを足を飛して一度に〓ころし又立いつる一人を遺たる鳥銃取よりはやく火蓋を切て〓と放せば響と侶に倒れけり。今ハしも敵ハあらじと道節ハ鳥銃投捨袖を拂ふて悠々と高峯のかたへ返りゆく。
○爰に犬川荘助ハ三犬士に死を拯〔は〕れし恩義を報はんと思ひにけれバけふの途中の苦戦に三士に先たちて防戦かひ殊さらに後れしかバ終に信乃等か往方をしらす。何所を投て追著んよすがハあらぬを〓平か信乃に頼し書状の事を思ひ出ておぼつかなくも陰夜を荒芽山へと心さし足に信して走る程に田文の地蔵堂まで來にけり。折から忽ち人音して前面より來る」39
者あり荘助はやく透し見てこハ必盗賊の臥簟造るにあらんすらん。躱れて楚と見定めばやと思へバやをら身を起し竊歩しつゝ左邊なる石塔の背に身を潜しその近つくを窺ひけり。さる程に道節ハ此堂の辺なる舊塚の間にハ君父の追善に由縁の建し塔婆あれハ二ッの首級を嚮礼んとて茂林の中にそ進み入る。浩処に後へ方より年老たる賤夫の旅粧ひに竹の子笠肩にハ二袱の小包を結合しうち掛て道節が跡をつけて來つ樹の蔭に立躱れて近くもよらず戍りてをり。道節ハかくともしらず塔婆の下に進向ひつ二ッの首級を觧おろし賻贈て祈念を凝らすになん荘助ハ透し見て扨こそ癖者にさうひあらじ先うち驚して試て見ばやと手をさし伸して二包なる首級を無手と掻獲バ道節ハ驚きなから荘助が腕をしかと攬詰て引をこなたハ」
【挿絵】
〈石火の光りに道節暗夜の敵をさくる〉」
40」引れしと互ひに争ふ金剛力士。ちから余りて間なる石塔瓦落離と推倒し籠盾のとれしを道節か得たりと寄をよせつけず双方おとらぬ手練のはたらき。烏夜にもそれと透し見て樹下を出る以前の老人両人か間へ杖を入れ推分んとしてけれハ二人りハ驚き組たる手を放せハ落たる首級の包両人とらんと立よる処を又老人ハ杖採なほし推隔たる。早速の働き思はず己が肩にかけたる両袱をうち落し遽しくとらんとするを左右等しく老人を突退れバ踉〓ながらさぐり當たる道節か仇の首級を我包と心得手ばやく引よして身を起す。とハしらぬ道節探り當たる老人の両箇の包をわが讐の首級と思へば諸手に提て直躬と立しを荘助か抜手尖く〓付る〓ハ翦て傍なる石塔の稜〓と撃つに溌と出たる石火の光面を認るほどもなく姿を隠せし道節ハ火を獲て脱るゝ」41
火遁の術に往方もしらずなりたるを老人ハなほ跡をしとふてもと來し路へ走るになん荘助ハ又その足音をはじめの癖者なるべしと思ひにけれバ些も猶豫せす何処までもと投かたの荒芽山路へ追蒐たり。不題上野國甘樂郡荒芽山の麓村に音音といふ微賎の老女ありけり。原ハ武蔵のものなりしを故ありて去歳の夏この山里に移りにけり。老の杖とも頼みてし両箇の子共ハいぬるころ主の供して戦場に赴きしより生死を知らず。家に遺るハ両箇の〓婦のみ。兄が妻を曳手と名つけ又弟婦を單節と呼べり。されハ管領家の戸沢山の狩倉に斯辺まで夫役を指れ兄婦の曳手ハ未明より馬を追つゝ夫に出て未帰す。音音ハ單節と共に夜延の績草暇なき女子世帯の水入らす。折から外面の人響を音音ハはやく聞つけて彼ハ曳手か返りしならん。疾燈燭をと云」
【挿絵】
〈孀婦孤屋に住て貞操を全ふす〉」
42」間に單節ハ軈て振照す指燭に面を對すれハそれにハあらて見も知らぬ老たる一個の行客なり。袱包を肩にして竹子笠を引提つゝ戸口に立て水を乞バ音音も跡より立出て單節が秉れる指燭の光に思はすも又行客と面を對し鈍ましや錯たりと迭に再ひと見かう見れハ行客早く呼かけてそなたハ音音にあらざるや。われハ世四郎なりと名告るに扠ハとうち騒ぐ胸合がたき諸折戸裏面よりはたと引闔たり。單節ハ件の老人の名告るを聞て姑の袂を竊に掖駐て彼ハ正しく良人の〓御歟。おん心にしまずとも歇まゐらせて武蔵の事語慰め給はずやといはせも果ず声苛やかに廿年あまり縁絶たる舊の夫ハ両箇の子共が親にして親ならず。世四郎とのハ縁断たり。譬バ認らぬ行客なりとも故主の鴻恩忘るゝことなく忠義に厚き誠あらバ畄るよしのあるへきに廿年余り」43
一日も帰参の勧解をまうしも出す仇人の民となる迄に義理に背きし人と知りつゝ何楽しくて相譚ふべき。只うち捨て措ねかし。といきまき卓き老女の一轍〓平これを洩聞て音音が恨さぞあらん。忘もやらぬ故主の恩。一ト日も仇に思はねとも漁夫となり果てハ又一介の功もなし。何面目に帰参の勸觧して子等の身幅を陜くすへき。猶心もとなきハ令郎君のうへになん。且又子供の事をしも竊に報んと思ひつゝ耻かゞやかしく詣來たり。且くこゝを開てよと敲く折戸の内に立音音ハ胸ハ騒けども思ひかへして回荅もせず障子を〓と闔隔て母屋へ退き入にけり。單節ハそなたを目送りつゝ指燭を振滅し折戸を引開〓平を透し見て痛ましや暗夜に何時立せ給ふべき。且く彼処の柴置小屋に途のつかれを休ひ給へ。わらはゝ單節と呼れたる〓で侍りと名告あへず〓平ふかく歓ひて」
原來ハそなたハ豫て聞く尺八か妻單節なりしか。われ籍に令郎君に見参して稟試ばやと思ふ議あり。さらでも又子どもがうへを母にも〓にも告んとてはる%\と來しなれバ臥房ハよしや何処まれ一卜宿暁〔さ〕し給ひねといふに單節ハまめやかにその行裹の重けに見ゆるにわらはに預給ひねとよに隔なき愛々しさに〓平ます/\心おちゐて田文の茂林にて二箇の包を取違へしとハ思ひもかけずしからバ是をと肩よりおろすと單節ハ左右に受携へて先に立つゝ柴小屋へ案内をしてぞ休はせぬ。當下音音ハ障〔子〕をひらきて單節ハ何処ぞ。寐よとの鐘の報るに曳手ハまだかへらずやと問れて單節ハ柴小屋より両三束の續松をとり添て走り出さのみハ御心苦しめ給ふな。わらはも月來熟たる路なり。そこらまで邁て見て來てんと回荅て母屋へ衝と入りて〓平が両箇の包をそかまゝ戸棚へ隠しつゝ草鞋はきしめ裙壺折て松の火照」44
して出ゆきぬ。
○犬川荘助義任ハ心當なる麓の白屋是首かとばかりに尋來つ。諸折戸を呼門て卒尓なから物問てん。此辺に音音といふ老女の宿所を知らハ誨てたべと問れて騒ぐ胸を鎮め音音ハ吾儕に侍るなり。何処より來ませしといふに歓ひ某ハ武蔵より同行四人の旅人なり。しかるに同道なる個或に憑れてそなたへ届け進する書翰一封もたせしを先に白井のこなたにて不慮のけんくわに側杖打れて友たちに後れたり。はや甲夜過て天いとくらし。山路に索迷んよりこゝにて俟ハ必あふべし。霎時憩し給ひねと請れて強皃いなみもえせずさらバ草鞋を脱措て母屋に入りて休ひ給へと回荅て軈て案内をするに荘助ハやうやくおちゐて後につきつゝ引るゝ隨に縁頬よりうちのほりて地〓の邊に坐を占れハ音音ハ何と歟思ひけん。しばし畄」
【挿絵】
〈荒芽山の麓〓平舊き情人をとふ圖〉」45」
守して賜てんや。物調へに一走りと外面へ出去りけり。荘助これを目送りて頻に寄來る蚊をはらひ且一といぶしと縁〓なる刈草籠引よする折から荒芽の山下風窓より颯と吹入れて燈火弗とうち消したり。荘助これに迷惑して地〓の縁を拊廻しつゝ火筋を取て掻起す蛍はかりの埋火に刈草あまたうち被せて焼著んとしたれども未枯の草多かれハ早にハ燃えず呆れてをり。さる程に犬山道節忠與ハ乳母か宿所へかへり來つこハいとくらし。音音ハ在らずや。などて燈火をうち消したる。曳手單節と呼立れども絶て回荅をするものなけれバ呟きながら進み入るに先に荘助がうち被せたりし刈草におのづから火の移りにけん再ひ吹入る夜風にさそはれ忽はつと燃揚る火光にはじめて面を對して驚く。訝る荘助齋しく刀を掻取て疾視あふたる互の身かまへ地〓を中に足場を揣りて」46
道節苛急て撃んと進む太刀を抜せす〓禁めたる。荘助はやく声をかけ早り給ふな犬山生。われこそ和殿と過世ある犬川荘助義任なれ。告べき事の夛なるに且その刃を退かすやといはれて道節訝かしげにと見かう見つゝうち頷き刄を鞘に納めてもいまだ些も由断せず。名告を聞てわれも亦聊おほえなきにあらす。いぬる六月十九日圓塚山の辺にて 《荘》「節婦濱路を火葬の愁歎。彼村雨の太刀をもて君父の讐を謀らんとて立去らんとする程に刀の鐺握畄て名告被つゝその太刀を 《道》「取らんとするを振拂ひ丁と撃たる刄の光りに 《荘》「こなたも透さす抜合したる 《道》「互の修煉虚々実々 《荘》「一上一下と〓結ふ刀尖餘りて腕へ 《道》「受しハ淺痍か 《荘》「〓込む肩尖 《道》「思はず瘤を劈れ 《荘》「その瘡口より飛散る小玉不思議にわが手に入りしかと護身嚢の紐延てあやにからまる刀の鞆に 《道》「心もつかす」
【挿絵】
〈枯草おのづから燃て山川愕然たり〉」47」
そか儘に紐引断て後に知る袋の中に一顆の玉顕れたるハ忠義の義の字 《荘》「その身の中より出たる玉にも自然と見ゆる忠義の忠の字 《道》「とハしらずして火遁の術に 《荘》「跡を埋めて往方をしらず本意なかりしに今宵の再會 《道》「田文の茂林にてわが祈念の妨せしも汝にあらすや 《荘》「彼舊塚を祭りしハ原來ハ道節和主なりしか 《道》「その折間に分入て推隔しハ何ものそ 《荘》「われハ得しらす後にしらん 《道》「そハ何人にもあらバあれ心憎きハ汝が骨法我に過世のありといふ妖言をもてこの期を延して油断を撃んと謀るならすや。何でふその手に乗るへきと詰る辭も果ぬ間に刈草ハはやなこりなく燃盡しけり。又さらに黒白もわかすなりにける。
英名八犬士 直政画
【見返・序】
英名八犬士\第六集
英名八犬士第六輯序詞 [魯魚][辰三]
是此稗史哉飯台の。彼稀翁が膏骨にして。奴隷なんどが禿たる毫もて。妙じく竒しき言の葉を。漫りに鈔録せるハ。謂所蚊虻の大鵬あるを知ぬに等し。冨に栄たる者ハ貧きの乏を知らず。卑きの賤き者ハ尊きの貴きを知らす。孔子ハ跖が憶を知らず。喬きに上る〓猴すら。白波よする石川の心を知らず。然るからに天地の間に生る者。一箇として益ならざる者ハなし。世尊厩戸いへバ更なり。提婆守屋も造化の要具。偐に曰癡漢ハ賢良の定規。拙業は高手の鑑定と。癖理屈つける自己豆蒸。囲もせぬくせ脚色文事理平仄隱微も合バこそ。一字の違ひに全巻の義理失ふも知らずして。成刻發兌」
バ利事と。綴り寄たる荒芽山。破裂ハつゝめど耻かしの面伏縫隱し針。素針出して顔赤岩の。猫の針目戸射當たる。犬の待針ねらひよく〓るといふを幸先に。第六編の序とハなしぬ。
安政二卯秋稿晩
【口絵第一図】1
爲父兄鏖讐爲舊主 鋤奸自今而後知君 之爲君勿使繻葛復 倒羂
女田樂旦開野実ハ千葉家の旧臣粟飯原胤度落胤
犬坂毛野胤智
再出\犬田小文吾
【口絵第二図】2
〓而節操命薄情篤\劈身仆讐返璧〓玉
露を玉とあた〔ざ〕むくとても はちす咲水沼におとしいれられハせし [印]
・再出犬飼現八
・節婦雛衣
・偽一角實ハ庚申山猫股怪
・犬村角太郎後大角禮儀
・赤岩牙〔二郎〕
英名八犬士六編上帙
當下荘助ハ声ふり立縁故をとき尽さねバ疑るゝハさる事なれども迭に正しき證据あり。そハ此彼の玉のみならず。和殿の身に痣ありて形牡丹花の似くなれバ是則和殿とわれと當に異姓の兄弟たるべき第一の証也。先燈燭をといそがせバ道節ハ身の中なる痣さへ知られて半信半疑〓児を探りて遽しく行燈に火を移しけり。されバ又あるじ音音ハ竊に思ふよしあれバ荘助に畄守を任して外面へ立出つ。諸折戸の辺より裡のやうを窺ふに道節と荘助が問荅灰に聞えしかバ驚ながら左右なく入らず柴垣に手をかけてなほその言を聞てをり。裡面にハさりとも知らずして荘助やをら膝を進めて道節が痣の事再び問へバ頭を傾け怪きかなわが痣までいかにして知られけん。われハ生れながらにし」3
て左の肩に瘤あり。その上に痣いで來て形牡丹の花に似たり。かくて夥の年を歴ていぬる月の十九日圓塚山のほとりにて和主に瘤を〓られし時聊もその痛を覚へず次の日肩を拊て見しに瘤ハ愈て刀瘡の迹だに絶てなかりけり。原來ハ其ときわが瘡口より出たる玉の有にこそ不思議といふも餘りあり。されバ何等の由をもて過世ありといはるゝやらん。因縁甚麼と疑問へバ荘助莞爾とうち笑て疑しくバまづ是を見給へかしといひかけて諸肩袒つゝ背の痣を示せバ道節つら/\うち見てわが痣にしも異ならねバ竒なり/\と嘆息す。當下荘助ハ衣領の縫合に蔵めたる忠の字の玉を取出て道節に返しわたせバわが玉を印籠の中に納めて項に掛たる荘助が護身袋を返しにけれバ荘助ハ膝をすゝめ伏姫が事。感得の珠數の事犬の事さへ箇様とその概略をとき示し因縁かくのごとくなれバ異姓の兄弟八名あるべし。和殿を加えて六名ハ既に相あふ事を得たり。遺る二名も遠からずその員に充んこと」
類を推て知るべきのみと。又信乃現八小文吾親兵衛が痣あり玉ある事を語りその身死刑に臨しをり三雄法場を劫し奸黨を撃て拯ひとられ共侶に走る程に戸田河の辺にて追手の城兵に追詰られしを神宮の〓平といへる漁夫の扶助によりて舩を獲て敵を避たるにそが親族なる力二郎尺八といへる両個の侠客大将丁田町進を撃とりつ。
頻りに挑戦ふたり。其折〓平ハ舩を淪めて入水して亡にけり。某等ハいとほいなく其処を立去る折からハ黄昏になりけれハ彼両侠者が存亡を定かに見果るよしもなし。心ならずも走たりと告るを音音ハ竊聞て且驚き且怪み舊夫の〓平ぬし甲夜にわが門に立給ひしハ冤魂ならんと知らずしてつれなく霎時も容ざりし神ならぬ身ぞ悔しけれ。それのみならで子共の存亡心もとなし悲しやとこゝろ隔の柴垣に携りてひとり伏沈む。道節ハうち聞て貌を改め彼〓平ハわが父に舊く仕へしものにして當時ハ姓名を姥雪世四郎と」4
いひしとぞ。渠ハ如此々々の事により追退けられし也。又此家のあるじ音音ハ昔世四郎と情由ありて力二尺八を産たりしに彼ハ乳房の張れバとて科を免してそが儘畄めわが乳母にハなりにたり。よりて子共ハ母に隷て某に仕へし也。かゝれバ〓平ハ竊に耻て父子也とハいはざりけん。世をはかなみて入水せしは寔に不便の最期也。又力二尺八等が四犬士を延せしハ謂ある事になん。某かねて君父の仇を狙撃んと欲せしに腹心の郎黨の殘るハ僅に渠のみ。倶に忠義の壮佼なれバ彼等両個を武蔵に殘しつ汝等兄弟心を合し世の豪傑と見るならハ実情をもて厚く交り躬方に入れよと命ぜし事あり。これにより四犬士の為に志を盡せしならん。さるにても餘の三犬士ハいかにせしと問へバ荘助頷きてけふしも明巍の山中にて遠目鏡の中に和殿を見しより遽しく下山しつ彼此をたづね巡り如此々々の里を過りしとき箇様/\の事ありて城兵」
【挿絵】
〈貞操の双婦夜二個の行客を我家に伴ふ[印][印]〉」5」
の追手に側杖撃れて已事を得ず戦ふ程に薮の中より敵を射て援るものゝありけれバ終に重圍を殺脱て異途同志に走りつゝ日ハ暮路のわかたねハ某ひとり後たり。かくて田文の地蔵堂にて和殿か塚を祭りしを盗賊ならんと思ひしかバ〓て終に撃走らして其所よりこゝへ來つるよしハ彼〓平が犬塚に誂たる書状あり。そハこの山の麓なる老女音音へ與れるなりと豫て聞しをよすがにて其処に宿投事もやとてたづねてこゝへ來つる也と心の限りとき尽せバ道節これをうち聞てきのふ扇谷定正戸沢山に狩倉すと聞てこの村雨の大刀をもて定正を謀り矢庭に頸を掻落せしに敵にも豫て准備ありてわが打とりしハ主君倍盛朝臣に鎗を付たる越杉駄一郎遠安といふ者也。是〓敵を撃散せしに巨田助友薮蔭より士卒を進めて撃んとす。さりとて陣歿すべきにあらねバ走り退く黄昏の折よく來かゝる旅人の間に入りて立紛れ頻に」6
走りて見かへるに彼薮の辺にて烈き戦ひあるがごとし。縡の危窮彼等にうりて脱れ去らんハ夲意ならずと思ひにけれバ走りかへりつ敵を謀りて驚かしつゝ和殿等を拯ひ得たりと田文の茂林のことさへにおちもなく譚れバ荘助も又意中を尽し犬塚犬飼犬田等の安否心もとなし共侶に隈なく尋て三犬士に逢んとてうち連出んとする程に音音ハ慌て柴垣の蔭より出て呼畄め君父の仇を撃たるを祝し道節が犬士たる事を喜びつゝ先だつものハ泪にてこの暁にかへらせ給へといへバ道節うなづきて疾かへり來バ緩やかに語りも聞もせんものとことば殘して荘助共にうちつれ立て出てゆくを音音ハしはし目送りて心ひとつに疑ひを觧よしもなき物思ひ〓の皈りの遅かるハ平事にハあらじかし心にかゝるハ是のみならで両個の子共の安危存亡。思ひにつきて悔しきハ世になき人と知らずして強顔邁せし〓平ぬし健氣なりける最期にこそ家〓に御燈進らせん南無阿弥陀仏と念じつゝ身を起さんとする折から姥御/\と」
【挿絵】
〈荘役樵夫等を將て道節か姿繪をふれしらす〉」7」
呼かけて荘役根五平先に立樵夫丁六〓介を将て縁〓まで進み近づき白井よりの下知状をとり出し根五平恭しく打被きて犬山道節が人相書を讀をはり懐へ巻納めさる癖者ハ女子ばかりて搦捕ること得ならすとも彼隠宅を知ることあらハひそかに吾儕に報給へ。賞禄ハ勿論等分ぞや苦しきものハ荘役也といひつゝ腰をうち敲き両個の樵夫をいそがしてそが儘走り去りにけり。音音ハ障子引立て思はず吻とつく息のいとゞ苦しき胸の中憂とも丑の時の鐘はや鎬々と報わたる折から曳手ハ病疲れし行客二人りを合鞍に乗たる馬を牽よすれバ單節ハ行〓〓両箇を背負て右手に蕉火ふり輝し先に進みて遽しく阿姑御よ目今〓さまを伴ふて還り侍り。いまだ睡らでをはする歟と呼かけなから〓妹が〓〓とき卸して馬牽居れバ音音ハ恙なきを歓びまづその足を濯せて件の行客等が縁〓に尻うち掛し背姿をと見かう見つゝ彼ハ何処の人たちやらん。戻馬を」8
貸たるか。行客ならバ白井より嚴なるおん下知あり。左右なく畄めがたかるにといふハ今にも道節が四犬士を将て帰り來バ縡の妨なるべしと思ふ心を得ぞしらぬ曳手ハ後方を見かへり真夜中過て行客に馬さへ貸て伴ひ侍れバ訝しくおもひ給はん。そハヶ様々々の事にこそ。定正の帰城の路にて軍兵等騒動してせんすべなき折から彼の行客のたのもしく扶掖を受田文の曠野まで來つゝ時行客達ハ等しく旧病發りしとて共侶に其所へ其侭伏轉べハうち驚くのみ術もなし。資られたる恩さへあるに病臥給ふを捐てハ去れず。うち守のみにて薬ハなし。人煙離野に立て思はずも夜を深すほどに家路の方より蕉火見へて稍近づけハ妹にてわらはを迎ひに來つる也。迭に呼つ呼かけられて其所に集合ハ忽に力つくまで慰て事の趣つげしらし共侶に勦り侍るに両客の仰するにハ願ふハ馬にうち乗してそなたの宿所に倶し給はゞ今宵をやすく明すべし。只顧この義を頼のみ」といわれて妹と商量しつ合鞍にして乗せ返りし事の趣告しかバ音音ハいとゞ胸苦しさの頭を傾け嗟嘆してせんすべなけれバこなたへ入りて休ひ給へと誘引へば件の両人見かへりて許し給へと共侶に身を起しつゝ母屋なる窓の下に並びてをり。當下音音ハ行燈の火光に就て行客等とはじめて面を對して驚きそハ力二郎か尺八ならずやおもひがけずと呼かけられて両人も驚きうち向上てこはわが母刀自でおはしましたり。親なるべきを知るよしなく外々しく候ひしを許せ給へと母子ハ齊一うち寄りて歓しさに胸充て涙ぞやるせなかりける。側聞する曳手と單節ハわが所夫ぞともしらざりしを羞て有繋に名乗もあへずおもはす顔をうち掩ふ。且くして母の音音ハ兄弟に打むかひ往事を譚り二個の〓が貞操孝順誉て慰め給へよとひとり款待親ごゝろ五個よりし哀歓交母さへ〓さへ二人りが手疵なほいつ迄も逗畄して気長く保養し給へといふに兄弟かぶりをして母の」9
慈愛妻達の節義等閑にハ思はねども俺們兄弟ハこの暁にうち立て潜びやかに鎌倉に赴て敵の虚実を窺ひ便宜を獲バ郎公〈道節|を云〉へ報進らせん為なれバ〓幸なくてその事發れ讐の手に死するものならバ是今生の訣れ也。また唯憑むハ母御の事のみ。わが兄弟になり代りて奉養を盡してたべ。いひ置事ハ是のみそと辭齊一とき示せバ曳手單節ハ聞あへず侶音によゝとうち泣て口説立つゝ一對の情義に逼る両貞女心の誠ぞ哀れなる。力二郎尺八ハ嘆息しつゝ母に對ひ母と妻との慈情の諌言兄弟が身に入わたりて名殘ハいとゞ惜けれどとてもかくても某等ハ永くこの地に畄りがたし。就て又情願あり。そハわが父のことになん。故主の恩を報はん為に身を捨て四犬士を輒く引著戸田河に投み給ひき。いと哀しくも痛ましき。かゝれバ此度の功をもて主君の勘當宥免あらバ世間廣く父子と呼れ母御も正しき夫婦たるべし。是等のよしを郎公に聞えあげ執成て給はらバ一家の洪福此上なし。心の憂」
【挿絵】
〈忠魂義膽不斗老母と妻の家に宿す〉」 10」
ハ此事のみ。賢察仰き奉ると膝を進めて左右より母の気色を伺ふ程に音音ハ涙を袖に隠し愁訴の赴理りなから今更和子に云々と禀すハ面なきわさならすや。しかハあれとも其方達か此度の功をもて勸觧まうさんと願ふハ孝行協ぬ迄も折を得ハ又せんすへもあらんかし。彼世四郎の〓平殿の此世を去りしといさ知らねハ甲夜に宿りを投めしをり罵拒みて去したり。今さらおもへハ亡魂の幻に見え給ひしならんと報るに驚く兄弟ハ嘆息の外なかりけり。音音も今さら後悔の額を撫て密音にくりかへしつゝうち歎けハ曳手單節ハ胸潰れ心の悼みをやうやくに思ひかへして單節かいふやう甲夜に〓平さまの門に〓すみておはせしを痛ましく思ひしかハ柴置小屋へ扶容れ潜しつ〓を迎に立出ぬ。その折肩にうち被給ひし袱包ふたつまてその儘わらはか受とりてあの小戸棚へ蔵措たり。そも又夢の跡もなく大人共侶に滅失しか今なほあらんか。いと怪しとハおもへともいゆきて」11事の蹟を見んといひつゝ軈て身を起すを尺八きうに推禁めてこハ何事そ益なしと打呟けハ曳手ハ頷きまつ臂近なる戸棚を撈らハその二包の袱の有や無やを知り易かりひらきて見はやと遽しく立んとするを力二郎ハ呼禁めて頭をうちふりこゝろありけに叱られて釋ともとけぬ疑ひに尋思の頭を傾れハ音音も眉根を顰してそハいと怪しき事になん。えうなきわさてあなれとも吾儕か許す〓御達やよ共侶に開て見ん誘とて軈て身を起せハ曳手單節も後方に附て戸棚の下に立よりたるに胸を貫く五更の鐘はや暁かたになりにたり。時こそ來つれと周章の兄ハ弟に目を指す心の中に別を告て竊に急く行准備嘆息するをみな知らねバ音音ハ戸棚を開て撈れバ手に當りたる二包。單節是歟とさし示すをこれで侍るとおそる/\姑がさしづに包の端の堅きをやうやく」
【挿絵】
〈陰鬼啾々として冥府に皈る〉」12」
觧分つゝ披きて見れバこハいかに顕れ出し男子の斬首変りし色も一双の死相に駭く〓姑おもはず齋一声立て退避たる背のかたに忽地聞ゆる苦悩の両声溌と燃たる鬼燐の光に再驚く婦女輩。こハ何事ぞと見かへれバ今まで在つる力二郎尺八さへに忽然と形ハ消てなかりけり。かさね/\し竒異怪傀に誰かハ〓惑ざるべき。やよ力二郎尺八よ喃わが夫よと三人齊一呼かへせとも荅ハあらねバ夢歟とばかり忙然たり。音音ハ佶と心づき二級の首をつらつら見つゝこハ俺們が憂を知れる狐狸の所為なるべし。かゝれハ目今姿を隠せし子共ハ真のわか子にあらず。〓平どのと見えたるも皆是心の迷ひのみ。柴小屋まて邁て見ハ獣の足跡ありもやせん。誘給へとていそがせハ曳手單節ハ忽地暁りていざとて軈て共侶に立出んとする程に外面に人ありてやよ等霎時立ずもあれいで/\惑ひを釋んずと呼被障子を」13
推ひらくをと見れバ是別人ならず神宮河原の〓平なり。彼ハいかにと駭く〓婦に音音ハはやく目を注して冷笑ひつゝ些も騒がず噫〓許かまし野狐が幾遍人を魅かすや速に立も去らずハ生皮剥て腹を冷ん。後悔すなと罵りて准備の懐劔抜かけたり。〓平手を抗早るべからず。われ豈妖怪変化ならんや。然るをなほ疑ふて刃をもつて權すハ拙し。われも身を護る一刀あり。これ見給へと諭しつゝ朴刀を抜放ちて側の柱に撃込修煉〓に納めて莞尓とうち笑み大刀ハ武徳の名器にして妖怪変化もこれに遇へバ本形を顕さずといふ事なし。素より冤鬼狐狸の弄ぶべき物ならねバその疑ひを釋に足らん。いで/\といひかけてそが儘裡面に進み入る姿ハいたく窶れても心雄々しき老人の絶て臆する気色なく早上坐に著しかバ曳手單節ハ呆れてをり。さばれ音音ハ半信半疑うたかはしきを詰問へバ〓平件の首級を見つゝ縁故を詳にせねバ然る疑ひハ理りなれども」
【挿絵】
〈隔亮越の銑〓一間者をとりひしぐ〉」14」
甲夜に単節に渡したる二包ハこれならず。なほこの外に物あらん。納めし所を索て見よといふに単節ハ訝しげに舊の戸棚を推ひらきて彼此隈なく畋猟ともそれ歟とおもふ物もなし。〓置処の違へるかとて夜具措く破戸棚をひら〔き〕て見れバ果して物あり。袱の色異なれどもその二包を結合せしこれ彼共によく似たり。単節ハはやく両手をかけ棚よりやをら取おろしつ扠も不思議の事にぞ侍る。わらはが甲夜に受とりし包が正しくこれならバ小戸棚にあるべきものをいつの間に処をかえし事やらん。加旃よく似たる是彼四箇の裹物初の度にとり出したるその二包ハ何人かもて來しやらんといひつゝ傍を見かへれバ音音曳手も呆果て人か鬼かと〓平に疑ひハなほ釋ざりけり。且して〓平ハ思ひ得たりし膝うち鼓して田文の茂林にて二個の武士が二箇の包を挑争ふその折に推分んとせしかハ肩に掛たるわか包を思はず落し拾取こゝに來りて柴小屋にて道節ぬしと犬川姓の譚をみな」15
立聞とく見参に入らばやと思へど此身を見かへれバ耻かはしくて黙止たり。今さら思へバ彼茂林にて道節ぬしの二包とわか二包と違 ひしともしらでそが儘肩にかけつゝ甲夜に単節に渡せしかも。是によりて猜するにその二級の首こそ道節ぬしの撃捕給ひし両敵にうたがひなし。かくてもなほ疑はゞわが二包を觧ねかし。然らバわかうへ子共のうへも立地にしるよしあらん。とく/\見よと急したる言葉の本末今さらに疑ひハ稍觧れども觧ぬ包の気にかゝる曳手單節ハ両袱を披きつ見れバ是も又両個の人の首也。これハいかにと呆れたる三人齊一睛を定見れバ無慙や力二郎と尺八が首級にて色こそ変れ今まで在に紛ふべくもあらねバ又胸潰れ心焦れて歎き弥倍す愛情〔惜〕の涙の雨に六ッの袖絞もあへず泣淪む。憂にハ漏れぬ〓平も涙に哽て〓然たりしがやうやく目皮しばたゝきわか寸功を子に譲らんと思ひ决めて戸田川に投にけれど死も得果ず浅瀬の」かたへ流されて東の岸に著しかバまだ業報の滅びずと知りながらいでや此度ハ城兵等と刺ちがへて死んずと子共の先途を見まほしさに舊の岸辺に赴けバ戦ひ果て人影なし。この故に霎時存在いかでか子共の存亡を聞定めて死なばやと姿を変て大塚へ赴きて街の談を撈問しに力二郎尺八等町の進を始め敵あまた撃とりしが丁田が属役の仁田山晋吾が援兵の連放たる鳥銃に二個ハ竟に撃死せり。かくて晋吾ハ胞兄弟の首捕て皈陣しつ。力二郎尺八が首級もて信乃額蔵と偽り唱へけふしも庚申塚の辺なる楝樹の下に梟らるゝと人口に隠れなけれバその夜更闌て彼処に赴き子共の首を取おろし豫て准備の袱におし包夜を日に續てこの地に來つ。こゝに一宵をふし柴の小屋に憩ふて外ながら故主のうへと子共が亡魂且くこゝに顕れて母と妻とを慰めしハ嗚呼孝なるかな義なるかも。今までしらぬお身達よりそが頸もてるわか胸の苦しかりきと口説立」16
つぐれバ音音も〓婦同胞もなくより外にすべもなき。音音ハやうやく首をもたげ心づきし歟反故ばりの窓の下にありあふハ亡胞兄弟の行裹。ます/\不思議といぶかれば泪なからに同胞がひらく包ハ一双の黒革おどしの身甲ハ鮮血にまみれて韓紅に痛手をのこす鳥銃の裏〓しあと六ッ七ッ八ッ花菱に小〓の腕鎧に脚盾とり添たる。これを見彼をおもひ像る良人々々か陣歿のはげしかりける戦ひのかうありけんと哀傷になみだます/\果しなき。〓平は嗟嘆しつこの身甲も腕鎧脚盾も力二郎尺八等が池ぶくろより落て來つるときわが家に脱おさめしを戸田河原のたゝかひにとり出し膚につけて終に陣歿したりけり。然るを彼等ハ世になき後にこれを妻子に遺せしハ今より良人に立かわり忠孝ふたつに」
命を保てといはん料にぞあらんずらん。かゝれバ浮世にながらへて良人の首を葬る日にわが亡骸をも〓めてたべ。是まてなりと朴刀を晃りと抜てとり直しつ腹を切らんとするほどに三人りは等しく携つき喘々諫ればやうやくに死をとゞまり音音にむかひていへるやうわれとおん身ハ私に再會すべきものにしあらぬをこゝにて死なバ瓜田の履和子にハ見參憚りあり。いざゝらバ犬塚等が往方をたづねて云々と子共のうへもわが宿志をも報てまたともかくもなりなん。嗚呼しかなりと頷きて刄を〓に納めつゝ告別して外面へ出んとしたる縁〓の障子をはたと〓ひらきて並び立たる三個の癖もの真額鉢巻索たすきおの/\身軽の打扮ハこれ則別人ならず昨夕來たりし荘役根五平丁六〓介を」17
左右に将て濁たる声音高やかに汝等胸がつぶるゝ歟。かくあるべしと猜したれば簀の下に夜もすから一五一十をみな聞たり。煉馬の残黨道節が餘類僉縛しめて白井へ引ん。腕をまはせと呼りて腰に付たる黒縄を手ばやく取てなげるがごとく根駄もぬけよと縁がはを突ならしつゝ鬩めきけり。音音ハ間者に裏を被れて曳手単節を後方にそはして寄らバ斫んと懐劔の鞆をにきりて立んとするを〓平見かへり推へだて右手に携りし朴刀を左手に取てわきはさみたる必死の勢ひ。老をあなどる根五平ハあれ薙仆せと敦圉ハ丁六〓介ハ左右より拿たる斧をふりあげて討ひしがんと走りかゝるを〓平ひらりと遣違 はし抜合したる刄のいなづま先に進みし丁六を忽地ふたつになし果ぬ。〓介ハこれを見かへりて」
【挿絵】
〈わかやぐや雪のしら髪もうちとけてもとの色なる相生の松[多][言]〉」18」
おどろき避んとする程に音音ハ透さすむかへ撃刄に額をつんざかれて叫苦とばかりに外面へまた引返す肩さきをふたゝび〓られて痛手に得堪ず庭にたふれて死んてけり。根五平ハこの光景にあわてふてめき逃はしるを奥の方に人ありて曳と被たる聲と齊一打いたす銑〓のねらひ違はず根五平ハ背を胸まてうたれたる苦痛の一ト声空をつかみて仰反たふれて息たへけり。思ひかけなき助大刀に曳手單節ハ立よりて諸手をかくる破ぶすま裏面より颯とをし開て顕れ出たる犬山道節はや上坐に著しかバこれハ/\とばかりに音音ハまづ血刀をぬぐひ納めていそがはしく主のほとりへまゐるになん。〓平も刄をおさめて三個の死骸を引起して古井の底へをし落しつ。この時既に明たり。音音ハ曳手」19
單節と共に主のかたへに額づきて恙なきをぞ祝しける。道節聞てさればとよわれハ昨宵更闌て如此々々の處にて犬塚等にたづね遭にき。よりて三犬士を相侶て暁かたにかへり來つ背門より入らんとせし折に曳手單節がなく声の堪ぬばかりにきこえしかバ異あるべしとおもふになん。呼門もせで彼人々とそがまゝ奥に立つどひ居つ縡おちもなく竊聞てわれはさらなり四犬士も感るいそゞろに禁めかねたり。皆これ過世の業報なれど死せんと欲せし〓平が得死ざりしハ子共の忠孝天の命ずる陽報なり。曳手單節もおもひ絶てかなしみにな傷られぞ。ながく菩提を〓んこそなき人のためなるべけれ。われと彼等ハ二世の主従乳兄弟をうしなひしこゝろの愁ひ」いかばかりぞ。然りとて歎くも甲斐なき所行なり。世に百歳の上寿をたもつも命終れる枕方にのこる妻子のかなしみハ何時とてもみなかくごあるべき。さはおもはずやとねんごろに諭す言葉に主恩を阿と感じたる音音ハさらなり曳手單節ハかたじけなさに只さめ%\と泣にけり。そが中に〓平ハひとりはるかに退きて頭を低て黙然たりしを道節うち見てやをれ世四郎などて圓坐に入らざりける。とく/\といそがし立つれば〓平ハやゝ近ずきて意外に誠を顕せバ道節もまた感歎して〓平が勘當を亡父に替りて赦免しつゝけふより音音を妻として子共が亡魂をなぐさめよといはれて〓平音音もともに耻ていなむを道理にさとされ有無の回荅に口隠りしを道」20
節ハ曳手單節等にそれと差圖にこゝろへて同胞酒をあたゝめて折敷に載する盃の縁ハ缺ても相生の松ハみさほのたか蒔繪むかし堅地の老夫婦をしゆくして移す銚子に酒のみありて肴なけれバ道節見やりて幸究竟田文の茂林より〓平が持参の首級ハ當坐の納聘駄一三宝平等をさかなにせバ髑髏盃にもいやまして誰か珍重せさるべき。とく/\席をあらためよとわりなく音音〓平等をむかひ座してと見かう見つゝかくてハいまだ物足らす妻を娶るにはなかだちをもてす。その人もがなと見かへりたる隔穴のあなたに声たてて年ふりてけふあひ生の松こそめでたかりけれと謡つれつゝたち出て齊一席につくものハ是すなはち別人ならず一の著座は犬塚」
【挿絵】
〈道節火遁の秘書を焼て永く左道の異法を断〉」21」
信乃次に荘助現八小文吾みな〓平にうちむかひ恩人命つゝがなくはからざり〔け〕る再會ハいとよろこばしく候なれ。孝順義膽世に有かたき両賢息の惠もて只われ/\を落さんと其處に命を隕されしハ打なげくにもあまりあり。況離別の二親をひとつにせんとて亡魂の一ト夕こゝにあらわれしハ儔稀なる純孝なり。今その遺志をはたさん為にわれ/\四名の孝義にむくふ寸志ばかりに候かし。許さるべしやと正首に言葉齊一來意をつげてその婚席を提撕つゝ千秋樂とぞしゆくしける。そが中に道節ハ四犬士につぐるやう最ぜん間者の根五平等をもらさず討畄たれバとてこゝにおらんハ究めて危うし。さハあらずやとさゝやけバそハ退ぞくこそ肝要なれ。疾その准備をしたまへかしと四人り齊一」22すゝむれバ道節やがて安平夫婦に縡のこゝろを得さしつゝまづ女流を行徳なる文五兵衛と妙真にたのませ給へと小文吾がいふにぞ音音ハ〓達に馬ひかせて柱につなかせ昼餉の料の握飯を人ごとに包む程に曳手單節ハよういの刄ものを手に/\取て發願得度の頭髻をふつと剪はなち力二郎尺八が首に添て二ふろしきに推包み鞍の前輪につくるになん〓平音音五犬士も真操節義を嘆賞していとゞ不便におもひける。既にして起行の准備はやくもとゝのひしかハ道節ハ四犬士を見かへりて某今一條の懺悔あり。家傳の秘書なる火遁の術ハ勇士のおこなふべきものならず。その要領ハ難に臨みてわが一身を免るゝのみ。尤耻へきわざになん。よりて」
【挿絵】
〈白井の城兵荒芽山の孤舎を囲〉」23」
目今異法を断ん。皆見給へと懐より火遁の秘書をとり出しつゝなほ燃殘る地燃の火中へ忽地〓と投捨れバ〓々として立のほる火炎と共に捕手の兵いつの程に歟潜よりけん一ト隊凡十人ばかり簇々と走り出て御諚ざふと呼かけ/\搦捕らんと競ひかゝるを心得たりと五犬士ハ修煉の大刀風瞬間に一人りも漏さず撃れけり。さもこそあれと血刀を拭ひ納る程しもあらず迥に聞ゆる陣鉦大鼓に衆皆耳をそばだてゝ原來ハこの隠宅をはやくも知りて後詰の大軍白井より推寄て來つるにこそ〔と〕いふそが中に現八ハ檐旁の松によち登り見わたして莞尓とうち笑み思ふにハ似ぬ敵の軍配其勢凡三百餘騎既に間ぢかくおし寄來たれり。しかりとも吾黨力をあはして撃やふらんに敗れすといふことやハある。おもしろし/\と勇る腕を扼しばりて騒ぐ氣色ハなかりけり。」24
英名八犬士六編下帙
かゝる騒ぎのその間に〓平音音ハ傍なる力二郎尺八が像見の身甲投被て腕鎧に鉢巻精悍しく音音ハ納戸に秘置たる薙刀取て挾み〓平ハ朴刀を腰に帯び跪きて頻にはやる道節と四犬士を諫つゝ某夫婦ハこゝに籠りて命かぎりて寄手を防ん。近づかぬ間に敵を避てとく背路より落させ給へ。曳手單節がうへをのみ憑みまつると只顧に思ひ入たる必死の覚期を四犬士ハ聞入れず争論果しなかりしかバ道節胸に思案を決定世四郎音音が死を究めし志ハさることながらさしも犬山道節等ハ命惜さに汝等を殘して遁れ去しなどいはれんも口惜。とハいへ此家に建籠り犬死なすも夲意にあらず。依て一ッの謀計あり。世四郎音音ハ此所に籠りて暫く敵を防ぐべし。われ/\ハ背面より」
まはりあの山陰に身をひそみ横合より撃てかゝらバ敵ハかならず度を失なはん。敵迯走らバ程よく追捨皆共侶に他郷にいたらん。この議は如何にと見かへれバ四犬士も皆よしといふにぞさらバまづ此女流二個を犬田姓にまかせなんといふに小文吾こゝろ得て以前の馬に姉妹を合鞍にうちのせつゝおちぬ為にて端綱にからげ四犬士と共侶に一ト町ばかり繋行て木下につなぎ畄め敵のやうすを窺ふにぞ世四郎夫婦も争ひ兼て家の内外へ焼草を山の如くに積重ねいでといはゞ火をかけんと推備をなしつゝも俄やうゐの丸竹弓篠竹の矢をとり揃へ障子隔亮を楯にして寄來る敵を待かけたり。折しも寄来る討手の多勢この孤家をとり巻て討て入らんとする程に庭の折戸のしのびかへしに〓梟掛られたる駄一郎と三宝平が首級を忽地おそれを抱きけん。進かね」25
たる形勢に當下大将巨田助友戸口へ馬を乗居つゝ者共かゝれと烈しき下知にはやり雄の兵ども簇立競ふて〓入るを矢ごろもよしと世四郎夫婦障子隔亮の陰よりして指詰曳詰射出す矢面に胸を射られ五六人おなし枕に倒るゝにぞ。此弓勢に驚く雑兵人をこたてに騒動す。尚も間なき弦音に進みかねたる寄手の人数助友見るより眼を怒らせいひ甲斐なき者共かな。退なすゝめとざいうちふりはげまされて雑卒共再進む折しもあれ世四郎夫婦ハ既にはや矢種も絶し事なれバ手にハ薙刀朴刀挾みつゝ必死の覚悟侮りかたく見ゆるにぞ助友いらだち後陣の人数をくりいれ/\攻戦へバ心ばかりハはやれども敵ハ大勢こなたハ両個。既に手疵も負たれハ是迄と思ふにぞ家に火をかけ死んと思へど心にかゝる主のうへ」
【挿絵】
〈助友多勢をもて荒芽山の茅舎を囲〉」26」
曳手單節も四犬士も落給ひし歟いかにやと案しなからも間なき戦ひ最烈しくそ見へにける。
○夫より前に五犬士ハ曳手單節を乗たる馬を木の下につなき畄敵ハ如何にと待程に既に聞ゆる矢さけひ太刀音自分ハよしと五犬士ハ右左り立わかれ木の間かくれに進みより不異を撃んとせし折しもおもひかけなき後よりあらはれ出たる一隊の軍兵近つく儘にこゑふりたて愚なり犬山道節かゝる手たてもあらんかと察せし故に巨田助友こゝに汝を待事久し敵なからもあたら武士降参なさは首をつかんとよははるにそ道節怒りに絶かねて太刀振かさし撃てかゝれハ四犬士共に力を合せ互ひにはけみはけまされて秘術を盡せしはたらきに崩れたつたる寄手に大勢迯るをすかさす五犬士か追んとしたる」27
後より又もや起る一隊の軍兵中にも一人ン声高くおのれ道節暫くまて巨田助友こゝにありと呼はる聲に五犬士ハ驚きなから見かへれハおなしてたちの寄手の大将彼も助友是も助友面影さへもよく似たるをそれかこれかと疑ひなから迯る敵をハ追捨て〔て〕近つく敵にかけ向へハ又ひき返す以前の助友五犬士を取囲み前後よりして攻戦ふ折しも音音か家の方よりして俄に猛火もへ上り木草にもへつゝ形勢に敵も味方も絶兼て別れ/\になる程に五犬士も又五所に隔られつゝ頭の上におくる炎を防くのみ。死なハ五個共侶にと覚悟きはめてちつとも動かす。その時信乃ハ道節より返し送りし村雨の宝刀を再ひ抜放ち力に任せてうちふれハ刄の奇特あやまたすその刄頭よりほと走る水氣四方に散らんし」
【挿絵】
〈小文吾敵兵と戰ふて曳手單夜を失ふ〉」28」
て遥あなたに別れし道節現八荘助等が辺りにひらめく炎さへ是が為にうち消すにぞ信乃ハたちまち声ふり立この刄にて路を開かん續給へと呼かけて猶も刄をうちふり/\山路をさして分入れバかゝる竒特に道節等ハ蘇生しと勇たち送れて見えぬ小文吾を呼かけ見かへり行程に又もや追來る三人りの助友返せもどせと呼はるにぞ四犬士ハ馳向ひ追つをはれつ戦ふほどに案内しらぬ山路にて多勢といどむ事なれバ四犬士四処に立別れ敵を追捨追まくりておもひ/\に落行にぞ行衛も知らずなりにけり。爰に又小文吾ハ猛火の爲に思はずも敵の囲を遁れし時心の中に思ふやう。我預かりし曳手單節を馬共侶に木の下へつなぎ置しが今にもあれ彼の木に猛火もへうつらバ馬ハ元より姉妹のやみ/\命を落すべし囲の」29
觧しを幸ひに先姉妹をすくはんともゆる木草を踏分/\彼木の夲へと走り行。當下曳手單節等ハ敵の物音母屋の猛火斯てハ舅姑も主人を始め五犬士も遁れがたくやおはすらん。死なバ共にと思へとも幾重かからみ付られしその麻索の詮方なく馬ハ猛火に駭きて踊り狂へバ姉妹ハこハさかなしさうち交て死ぬも死なれず鞍壺に伏重なりつゝ居る折しも夫と見付て敵の雑兵よきもの得たりと二三人馬の端綱に手を懸て奪ひ行んとする処へ小文吾すかさず走付てあはやと斗り抜撃に前に進みし雑兵の肩先はつしと〓さけバ殘る二人ハ驚きながら刄を抜連〓てかゝるを右と左りへひき請て戦ふはづみに木の下なる馬の端綱をはたと〓る。切られて馬ハ姉妹を乗〔せ〕たるまゝにぬけ出て東をさして走行にそ止む」
る雑兵ひらめかす刄に左右へ〓倒し見かへりもせず放し馬の跡をしたふて追行ける。斯る騒ぎを幸ひに此処の野武士六七人落人を刎取らんと東の路にあつまりしが彼放馬を見るよりも各々路に立ふさがりとり止めんとしたりしに馬ハしきりに猛り狂ふて近よる者を噛伏蹴倒し勢ひ猛く走行にぞ忽四五人馳倒されのこるは僅二人りなりしが腰に付たる鳥銃の火盆をきれバあやまたず馬の後を撃抜れ四足を折て臥けれバ仕濟したりと鳥銃投すて槍おつとり走り行んとする折しも怪むべし二ッの陰火何處とハなくひらめき来たり。臥たる馬の頭のあたりへ落止るよと見る程に馬ハむつくと起上り又走出す勢ひハ始に増てはやけれバあれよ/\といふ間に行衛ハ見へすなりにける。當下犬田小文吾ハその辺り迄追かけ來り」30
遥に馬の撃れしさま陰火の竒特に駭きつゝ尚彼馬の行先まで追止んと走來るを夫と見るより以前の野武士鎗を捻つて突懸るを右と左へ受流し破竹割に〓すてゝ馬の行衛をたづね行。斯てその日も墓なく暮空すみわたる夕月の影ハ晴てもはれやらぬ胸の曇りに小文吾ハ曳手單節が存亡の如何なりしとうちあんじ何処迄も跡追ふて其行先を見定んとその夜ハ家に旅宿をもとめ次の日東雲に其処を出て頻りに路を急ぐにも往來の行客に馬の行ゑを余所めかしく尋問へども便りを得ざれバ心ならずも日を重來るとハなしに武蔵なる浅草寺に程近き高屋縄手に來りし頃日ハ疾西に傾きけり。斯る折しも前面のかたの一ト叢繁りし稲邑かげよりいと大きなる手負野猪猛り狂ふてをどり出此方をさして走り來る」
【挿絵】
〈小文吾一挙〔拳〕に古猪をしとむ〉」31」
にぞ小文吾あなやと思へども右も左りも泥田にて避隠るにたよりなけれバ立ふさがりたる程しもあらせず猪ハたけりて牙歯をいからし矢庭にかけんとする処を小文吾ひらりと身をおどらせ猪の背へうち跨り左りに耳根をしかと〓み右の拳を握りかためて十拳ばかり撃程にさすがに猛き古猪なれど血を吐て死でけり。小文吾は塵打拂ひ笠とり上今宵の宿りを求んと足をはやめて行程に見れバ途の真中に手鎗を〓りて倒れし者あり。扨ハこの辺の獵師が先刻の猪を突畄んとして牙にかけられたるものならん。幸ひにして手を負ねバ蘇生事もあらんと懐中より薬とり出し口に含ませ辺の田水を紙にしたし是をも口へしぼり入れつゝ耳に口よせ呼生れバ暫く有て眼を開きうち駭きつゝ迯んとするを小文吾急に抱き止め」32
ありし次弟を物語れバ彼男ハ小文吾に再生の恩を謝し打連立て倒れし猪の辺りへ赴きこれを見つゝ彼獵師のいへるやうわれ等ハ阿佐谷に住ふ鴎尻の並四郎とよべる者なり。けふしも村長より此古猪を仕畄なバ三貫文の賞銭をくれんと觸られたれバ我仕畄んとてかくのふかく命も既に危きを斗らずおん身の助に依りて命を拾ひしのみならずかゝる得物のありし事も皆是おん身の賜物也。せめてもの御恩報じにこよひの旅宿仕らん。某ハおん跡より猪を引ずり村長許赴くなれバ彼処に見ゆる鳥越山を左りにとり尚三四丁ゆき給はゞ箇様々々の孤舎あり。畄守にハ舩虫といへる妻一個行て子細を告給はゞ拒むべくハあらねども若疑はゞ不弁なるべし。是を證処に持行て我等がかへりを待給へと腰に付たる火打袋をわたすを小文吾請取て悦びを述立別れ阿佐谷をさして赴〔く〕にぞ」
【挿絵】
〈悪漢旅人を害さんとして却て首を失ふ〉」33」
聞しに違はぬ放れ屋あり。爰なるべしと呼門へバ中より妻の舩虫が紙燭を照らし立出るにそ小文吾ハまづ我名をなのり事の子細を告知らせて火打袋を見するにそ舩虫ハ笑し氣に恩をしやし足を浴がせ一ト間へ伴ひ湯をつかはせ夕飯をすゝめさま%\管待ほとにはや亥の刻に及びけれバ舩虫ハ臥床をもふけ小文吾を休息せつゝ次の間へとぞ出行ける。小文吾ハ辞がたさに臥床にハ入りしかど蚤に攻られ蚊にわめかれ寐られぬ儘につく%\と此家の様子を考へ見るに心得がたきさまなれバ一人り思案のその中に昼のつかれを覚へけん寐るとハなしにまどろみしが胸うち騒ぐに駭き覚れバ行燈の火ハいつしか消て定かにハ見へねども傍の壁の崩れより誰やら人の入來た様子。扨ハ主の畄守を考へ一個旅ぞと侮りて殺して物をとらんとする盗賊に」34
疑ひなしと刀をとつて腰に横たへ夜具の中へハ旅包を自己寐し如くいれ置て〓のすみより這出し息をも継ず片すみにやうす如何にと待とも知らず件の壁の破崩より忍び入來る曲者が暫し寐息を考て〓の上より踏股り彼行包を指とふす刄の光りを目當として小文吾透さず飛かゝり抜手尖き太刀風に水もたまらず曲ものが首ハ前にぞ落たりける。當下小文吾聲ふり立内室疾く起出給へ。盗人を撃畄しぞ燈/\と呼立られうろたへたる歟出て来ねば小文吾しきりに呼立程に暫く有て稍に行燈引提走り出たる燈にはじめて撃落せし彼曲者の首を見るに並四郎にて有しかバこハ/\如何にと小文吾ハ呆れて更にことばなし。このありさまを見るよりも舩虫ハ只潜%\と涙に暮て居たりしが喃行客さま聞てたべ。妾が為にハ夫なれ」
ども欲に迷ふて命の親なるあなたの寐首をかゝんとせしその天罪が身に報ひ却てあなたに撃れしハせめてもの罪亡し。恨めしなどゝハ一点も思ふ心ハ侍らぬかし。面目なやといひかけてまた泣しづめバ小文吾も嘆息し此上ハ村長へ訴へて所の法に任せ給へといはれて舩虫なみだをとゞめそハもちろんの事ながら妾が先祖ハ名ある武士百姓までになりさがれど村長までも勤し家を血統でも入夫の並四郎ゆへ名を汚されては先祖へ立ず近所へ外聞あなたの御心一ッにて今宵の事ハ人に知らせず夜明を待て立去給はゞ菩提所をいゝこしらへ村内へハ頓死と告て死骸を葬らバ悪人ながらも夫の悪名亡後までも世に知られず。この儀を許し給はんやとかき口説れて小文吾ハうちうなつき兎も角もし給へといふに舩虫うち拝みてかゝる恩を受ながらお別れ」35
もふさバいつか又報ずる事のなるべきそ。わらはが家に先祖よりゆつり傳へし尺八あり。せめてハ是をまゐらせんと納戸のうちよりとり出しわたすを小文吾つく%\見るに丈さ一尺八分ばかり黒漆に樺巻したるに一首の歌を高蒔繪にせし尤古代の物と見ゆれバその儘にさし戻すを舩虫ひたすらに勸めてやまねバ然らんにハ再會日まで暫く預りもうさんといふに舩虫うち祝び菩提所へとて出て行。跡に小文吾つく%\と一個思案を巡らすに昨日高屋の縄手にて薬をとり出すその折に沙金の包をとり落せしを此家の主が目に見しゆへ報恩をいゝ立に己が家に伴ひて殺して金を奪はん為也。是にて思ひ合すれバ彼奴ハ年来旅客を殺して路用を奪ひとる強盗なる事疑ひなし。さすればその妻舩虫が口冷しげにいへバとて心の中ハ斗りがたし。よしや悪心なきにも」
【挿絵】
〈舩虫毒計をもて小文吾〓〔道〕に畑上が組子に生捕る〉」36」
せよ出処不明の此尺八をいかでかハ受置べきヲヽそれ/\と行包より彼尺八を取出しつゝ傍なる袋戸棚の中へいれ置身拵へしてまつ程に舩虫ハ急がはしく立戻れバ暇を告て小文吾ハわらじはきしめ立出つゝ牛嶋のかたへ渡らんと河原をさして赴きしがわらじの紐のゆるみしをなほさんとして小腰を屈たゝずむ後に窺ふ捕手左右前後一同に捕たと声をかけ組つくを或ひハ蹴返し投退れと他人数なれバ折重りおさへて縄をかけたりける。小文吾ハ思ひがけなく斯る手込のいましめに怒れる声を振立てこハいかなる狼藉ぞや何ゆへの索目ぞといはせもあへず捕手の頭人ヤア何ゆへとハ大膽なり。汝ハ昔當家にて紛失なしたる嵐山の尺八を隠し持よし。それのみならず阿佐谷の里人並四郎が首打落し迯去らんとしたりしを主の女房舩虫が汝をすかして家に畄置村長かたへ走り」37
來て縡の子細を訴へしに幸ひ某居合せしゆへ忽地に組子を従へ來て爰に汝を待久し。かくいふハ千葉家の眼代畑上語路五郎高成が今ぞ洩さぬ天の網遁れぬ場ぞ白状せよと圓ら眼にはたとにらめと小文吾はちつとも騒かずいはるゝ赴こゝろ得がたし。某ハ犬田小文吾と呼るゝ者。昨日云云の事にてはからず並四郎が家に宿りしより箇様/\と次弟を乱さずありし事ども譚るを後ろに立聞舩虫が喃殿達此盗人が口怜しくいへバとて證拠ハ包をうちひらきて尺八を見そなはさバわらはが實ハ明かならんといふに頷く語路五郎包をひらけど笛ハなし。是ハいかにと語路五郎舩虫ハ猶更に呆れて言も出ざりける。小文吾ハ左右を見まはしおの/\何と見給ふぞ。最前舩虫しか%\といゝこしらへ笛を某に送りしかど心にそまねバ跡にて傍の戸棚へ入置たり。思ふ件の尺八ハ」
【挿絵】
〈常武姦計小文吾を讒言す〉」38」
並四郎か盗とりしに領主の詮義厳しけれバ年來深く隠し置しを我に与へて此笛の盗人なりと訴へ出夫の敵を報はんとする女がたくみとおほへたりといはれて畑上はじめて悟りまづ四五人の組子等に舩虫をうち守らせ残る組子を村長に案内をさせて舩虫が家のすみ/\見て來よといはれて忽地走行しか暫く有て立帰り件の笛を持來れハ語路五郎得と改め寔にたがはぬ當家の重宝。扨ハ件の並四郎か盗賊しに紛れなしとことばの下より舩虫ハもふこれ迄とおとり出隠し持たる出刄庖丁をひらめかしつゝ小文吾に〓てかゝるを索目ながら足を飛してはたと蹴る當身にこらへず舩虫が倒るゝところを踏居れハ組子とも面なけに八重縄かけてぞひきすへける。語路五郎ハ小文吾かいましめを手づから觧てうや/\しく自己のそこつを詫その勇力を賞じつゝ舩虫を呵嘖なし」37
て悪事の顛末白状させんと組子にさし圖の折しもあれ石濱の城主と聞へし千葉助自胤ぬしハ狩装束に弓矢を携へあまたの勢子を従へてこの場まで來かゝりしが畑上が体を見て子細ぞあると問せ給へハ語路五郎ハ主君に目見へ並四郎舩虫等が事小文吾が智勇の動きはからず出たる笛の事まで箇様々々と告まいらせ件の笛をさしあくれバ自胤深く悦び給ひ行客犬田小文吾とやら多くえがたき智勇の武士その者浪人ならんにハ勸めて我に仕へさせよ。わが帰舘迄厚く管待共に舘へ連行て馬加大記に子細を告渠より我に言入るやう心得たるかとの給ひつゝ従者引倶し行過給へバ語路五郎ハ舩虫を村長にあづけ置組子二人りを石濱の城へ遣し當家の老臣馬加大記常武やうす殘らす告知らせその使者の帰る迄小文吾を管待程にやかて使ハ立」
かへり馬加殿の仰にハ行客犬田小文吾ハ語路五郎伴ふて城中へ帰るべし。舩虫ハその儘に預け置明日獄舎へおくるべしとの下知なりといふに頷づく語路五郎ハまづ村長に心を得させ舩虫を嚴しくまもらせ小文吾を伴なひて石濱へとぞ赴きける。
○斯て語路五郎ハ小文吾を将て石濱へ戻りし跡にハ指圖にまかせ村長ハ百姓共にうち交りて彼舩虫をまもる程にその日も暮て宵の程畑上の下知状とて下部使の持來るを村長請取披閲に捕置し舩虫を連來れよとの事なれバ心得がたくおもへどもまづ使をハ先へ戻し百姓ばらに委細を告て燈松より棒携へて舩虫を中に取囲村長共十人あまり石濱さしていそぎつゝはや城近くなりたる折しもかたへの茂林のかげよりもうち出したる鳥銃の音に駭く百姓ばらハあはてふためき迯んとする時に面を隠せし曲者」40
四五人刄をうち振て撃てかゝれバ村長はじめ舩虫を捨てから%\迯走りしか大切の罪人ゆへさきに迯たる百姓ばらハ大勢をかり催し元の所へ來て見れバ人影さへもあらずして草の上に切捨たれし捕索ばかり殘りしかバ人々面を見合すのみ。また詮かたもあらさりける。夫より前に語路五郎ハ小文吾を伴ふて石濱へかへりき。馬加大記が宿所に赴きこのよし取次を以ていゝ入るれハ大記が指圖として小文吾ハ客の間にて休息させよ。畑上にハ對面すべしとありしかハ語路五郎ハ一ト間に通り主の出るを待程に日既に暮果しころ大記一ト間に出來たれバ語路五郎おそる/\一五一十を告るになん。大記ハ聞て語路五郎が我にも告ず中途において主君に聞へ上たるのみならす笛をもその場てさし上しハ我を侮る仕方なれば後日に急度沙汰すべし。して舩虫ハと問かへされて最前村長方より伺」
【挿絵】
〈小文吾抑畄せられて常武に謁す〉」41」
せしに犬田ハ疾連参れ。舩虫ハ預おけとの御指圖にしたがひきびしくいましめ彼処に畄めおきたりといふを大記ハ聞あへすそハ如何なる間違ぞや。わがいゝ付しハ左にあらず。舩虫をバ連れ來れ。犬田ハその儘村長方へ畄め置こそよからめといゝ送りしを何と歟聞れし大切なる科人を百姓どもに預け置若あやまちて取迯さハ笛共侶に紛失なしたる小篠落葉の御二タ腰再び尋る便りハあるまじ。使に立たる組子等が聞違へせしにもあれ三ッ児も知つたる理の當全そこに心の付さるや。今より彼処へ赴て舩虫を連帰りはやく獄舎につなかずすおこたりの罪遁れがたし。あやまちあらバ其身の上ぞと叱りつけられ語路五郎ハ権威におそれて言ばも出す。僅にその身の詫言しつゝやかて宿所に立帰り俄に組子を取聚め石濱の城を出るころハ彼是と」42
間どりて夜ハ疾四ッになりしかハ心しきりにいら立つゝ組子をいそがせ五六町も行しときあまたの人声聞へしかバ何者なるやととがむれバ阿佐屋村の村長が百姓どもと共侶に彼舩虫を取迯し詮方なさに彳て事の爰に及びしよしを恐る/\物がたれハそれハとおどろく語路五郎ハ忽地聲をふり立てヤアうろんなる一言かな。われハ決して舩虫を連來れとて下知状をつかはしたる覚なし。その状あらバ疾見せよとせき立られて村長ハ懐中袂をかきさがせど鼻紙さへもあらされば辺りうろ/\尋ぬるにぞ語路五郎ハいら立つゝ噛つく声をふり起し大切な科人を取迯したハ同類にかたらはれしや。さま%\の虚言もていひまぎらしこの場を迯んとするとてもいかでかハ遁すべき者共渠らを一人りも殘さず縛りあげよと烈しき下知に村長はじめ十人余り珠」43」
【挿絵】
〈千葉自胤の老黨粟飯原首胤度忠義無二の武士なりけるが逆臣馬加大記常武が爲に毒計に落いり同藩篭山逸東太縁連がために杉門の松原にて横死なせしぞむざんなれ。此折千葉家の重器小篠落葉の太刀と嵐山の尺八ハ餘の盗賊に横どりせられ縁連その場より逐轉して後に扇ヶ谷定正に仕へて竜山免太夫と云〉」
數繋ぎにいましめつゝ石濱に追立ゆきその夜獄舎につながせけり。次の日畑上語路五郎ハ馬加大記が口上に問注所へ呼れつゝ舩虫がこと問るゝにぞつゝむによしなく云々と縡の様子を物語れバ馬加ハ聞あへずされ
バこそそこ許のなをざりの罪いよ/\重し誰かある語路五郎に索かけよと下知のしたより青侍が語路五郎を高手にいましめやがて獄舎につなぎけり。されバ阿佐屋の村長と百姓共の妻子等ハ夫と聞よりおどろきかなしみ或は田を賣畑をうりひそかに馬加主従に贈り物してさま%\に歎き訴へける程に凡一ト月ばかりをすぎて村長と百姓等ハ辛くして免されしが語路五郎のみ赦免もなく獄舎の中にて果けるハ年來民の油をしぼり身をうるほせし報ひと人皆噂したりとぞ。
○扨も千葉助自胤ハ失て年經し嵐山」44
の尺八手に入りしかバその日ハ城に帰り給ひ彼犬田と歟いふ浪人を何卒當家にとゞめんものと思ひつゞけ居給ふにぞその次の日馬加大記は一個奥殿にいたりつゝ自胤の前に出犬田をさま/\とそしりなし彼小文吾ハ敵國の間者にて候はんも斗りがたし。某ぞんするにハまつ小文吾を獄舎につなぎしもとを以て嘖こらしいよ/\敵の間者ならば首を河原に〓梟て當家の武威を示さん事是にましたることハあらじと言巧に説破れば自胤暫しうちあんじ敵の間者か間者ならぬハ斗りがたき事ながら假初にも功ある者に賞ハあたへず獄舎につなぎて攻凝らさんハよろしからず。縡の実否の知るゝまでいつまでも畄め置きなほざりならす管待ハよしや敵の間者なりとも志を〔を〕飜して我に従ふ事もあるべしと仰に大記も拒みがたくしからバ今より小文吾ハ」
【挿絵】
〈旦開野大記か舘に來りて田樂を舞ふ〉」45」
某に預け給へしかと実否正さんといふに自胤悦びてそこつの斗ひなきやうにとくれ%\誡め給ふにそ大記ハしぶ/\退きける。
○犬田小文吾ハ彼日より大記が家に畄止られ既に三日に及べとも主ハ出て會もせす心に深く怪しみて胸安からす思ふをりしも此家の老僕柚角九念二と呼るゝ者客坐敷に出來り主人大記昵勤に間なく宿所に居る日の稀なれハ御管待もおろそかならん。けふハすこしの間を得たれハ對面いたさんとの事なり。いさ給へとてさきにたち小文吾を伴ひつゝ幾間歟隔し奥坐敷へ廊下を傳ひて行程に大記ハ美々しく装束て床を後に座をしめたる右左にハ此家の若黨渡辺綱平坂田金平太臼井貞九郎卜部季六など呼れたるか二行に居並ひてこなたを白眼でひかへたり。斯て大記と小文吾ハ初對面の口儀終り大記ハ主命といゝ」46
立小文吾にうちむかひさま%\に狐疑をいゝかけ此上ハ今すみやかにおん身を放ちやらん事ハ我力にて及びがたく氣永く時を待たまへ。さすれバいつを限りともさだめがたき逗畄なるにけふより奥庭の放れ坐敷をおん身の栖住となさん程に衣食ハ元よりなになりとも心付なき事あらバ必ず遠慮し給ふな。又こそ對面すべけれといひ果て身を起し静に奥へ入る程に小文吾も大かたハ大記が所存を悟りし故論ハ無益と争はず。彼九念二に誘引れ放れ坐しきに赴きてより三度の食を男の童が贈り來たるより外ハ月の中に一二度の庭のそうじに下部等か入り來るのみにして談相手になる者なく身ハ捕はれに異ならず。心ともなく過ゆく月を止めかねたる小文吾ハ空うち詠め嘆息しさいつ頃荒芽山の厄難にて別れし友の」
【挿絵】
〈毛野女田樂と変じて年来の宿望を達す〉」47」
生死も曳手單節がなりゆきも夢にだも知るよしなく夫のみならで旧里の父の事甥親兵衛か事さへも思ひ絶ねバ樂まず。是皆大記が我を妬主のことばにかこつけてかゝる憂目を見するなるべし。此家の造りざま三方ハ高塀にてあなたにちいさき中門あれども外〓堅く戸ざしたれバ有とも無に異ならず。あの門一ッ押破りて出んことかたくもあらぬ業なれども此処さへ鎖をゆるめず城門へハなほ嚴しからんをなまじゐなる事仕出して捕へられなバ耻のはぢ如何にやせんと身一ッにおもひかねてハ飛鳥のつばさなき身を恨むのみまた詮方もなかりけり。