『英名八犬士』(三) −解題と翻刻−
高 木   元 

【解題】

前号に引き続き、魯文による『南総里見八犬伝』の抄録切附本『英名八犬士』の5編と6編を紹介する。

4編の書誌にも記したが、本書は同じ『英名八犬士』という外題を持っていても袋入本が最初に出されたようで、摺付表紙の切附本(4編)では一部改刻されている。斯様な小冊子の常で、現存本が少なく諸本研究は難しいのであるが、最初は公羽堂・伊勢屋久助版として袋入本『英名八犬士』が出され、次に同板元から摺付表紙本『英名八犬士』が出された際に一部の改刻が行われたと考えるのが良いようである。この改刻は被せ彫りの如く見えるが、細かく見ると異板のようである。改刻された理由を詳らかに出来ないでいるが、祝融の災いにでも遭ったのであろう。

その後、板元が品川屋久助に移り、同様の切附本体裁ながら刊記が削られたり奥目録などが付された。さらに後になって、口絵序文等を削り新たな口絵半丁を付して内題下に「曲亭馬琴識」と入木した改題改竄本『里見八犬伝』(袋入本)となった。

さて、5編6編は巻首題に「英名八犬士五(六)上帙」とあり、巻半ばの25丁表に「英名八犬士五(六)下帙」とあるように、本文も区切られており2分冊可能な体裁になっている。しかし現時点で2分冊された本は管見に入っていない。1冊25丁で上下2冊という構成の切附本も現存しているが、2枚続きの摺付表紙を新たに作成して付し、本文の中途で強引に分冊された後印本が多い気がする。これらに対して、本書は最初の段階から分冊を意識して作成されたものと思しい。それも初編から4編や7、8編ではこれらの分冊を意識した構成を持って居らず4、5編だけに見られる点に注意が惹かれる。改印[辰三]から見て4、5編は安政3年3月までに順次作成されたものであるが、この時点での一時的な思い付きだったのであろうか。

一方、本文であるが以前の編のように『南総里見八犬伝』原文の切り貼りに拠る部分が大幅に減り、リライトによって抄出している部分が増えている。原作の筋や内容、話柄の順番などが書き換えられている部分は一切ないが、熟語の表記や文辞には大幅に平易になる方向で手が加えられている。特に漢語の一部が仮名書きされていることが多い。また杜撰な書きぶりは相変わらずで、熟語の振仮名の一部が欠けていたり、所謂〈魯魚章草の誤り〉や脱字などが頻出する。なお、第5編は原本『南総里見八犬伝』の第4輯37回半ばから第5輯47回半ばまで、第6編は47回半ばから第6輯56回の中途までに相当する。

【書誌】

英名八犬士 五編 書型 錦絵風摺付表紙、中本一冊 48丁
外題英名八犬えいめいはつけん士\五編」
見返 「英名八犬士五篇\[魯文][録]
序  「英名八犬士第五篇\安政二卯初秋稿脱\鈍亭魯文鈔録 [文]
改印 [改][辰三](安政3年3月)
内題英名八犬士ゑいめいはつけんし五編ごへん(下)帙/江戸 鈍亭主人鈔録」
板心 「八犬士五編」
画工 記載なし
丁数 48丁
尾題英名八犬士ゑいめいはつけんし五編ごへん
板元神田松下町\伊勢屋久助板」
底本  国文学研究資料館本(奥目録に品川屋久助梓の広告存)
備考  上下2帙の分冊を意識して25丁表に下帙の内題存。ただし、分冊された本は未見。

英名八犬士 六編
書型 錦絵風摺付表紙、中本1冊 48丁
外題英名八犬士えいめいはつけんし\六編」
見返 「英名八犬士\第六集」
序 英名八犬士ゑいめいはつけんし第六輯たいろくしう序詞ぢよし [魯魚]筆硯萬壽\安政二卯秋稿晩 鈍亭魯文記[呂文子]
改印 [辰三][改](安政3年3月)
内題英名八犬士えいめいはつけんし六編/鈍亭主人鈔録」
板心 「八犬士六編」
画工 「一容齋直政画」外・挿絵
丁数 48丁
尾題 「英名八犬士六編
板元公羽堂\伊勢屋久助版」
底本  架蔵本。底本が汚損破損している部分は国文学研究資料館本に拠った。
備考  上下2帙の分冊を意識して25丁表に下帙の内題存。ただし、分冊された本は未見。
諸本 【初板袋入本】二松学舎・服部仁(6、7欠)
【改修錦絵表紙本】国文学研究資料館(ナ4/680)・館山市立博物館・江差町教育委員会(4、8欠)・林・高木(初、2、3、6存)
【改題改修袋入本】国学院・向井・高木(3〜8、7、8、4)。外題『里見八犬伝』、序と口絵を削り、新に口絵1図(半丁)を加え、内題に「里見八犬伝/曲亭馬琴識」と入木。架蔵本1本8編の後表紙見返に「日本橋區/馬喰町二丁目/壹番地/文江堂/木村文三郎」とある。

【凡例】
一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣いをはじめとして、異体字等も可能な限り原本通りとした。これは、原作との表記を比較する時の便宜のためである。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、句点に限り私意により「。」を付した。
一、大きな段落の区切りとして用いられている「○」の前で改行した。
一、丁移りは 」で示し、裏にのみ 」15 のごとく数字で丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時は〔 〕で示した。
一、底本には架蔵本を用いたが、四編の表紙見返挿絵等と、五編架蔵本が破損している部分の図版に限り、国文学研究資料館蔵本に拠って補った。
一、なお、図版の二次利用に関しては国文学研究資料館に利用申請を必要とする。

『英名八犬士』五編

【五編表紙】

表紙

英名八犬士第五篇

唐土もろこし訓蒙きんもう圖彙づいいわく槃瓠はんくは 高辛かうしんときいぬなり。そのとき犬戎けんじゆよりせめけり。そのせうくびもの婿むことせんとありけるにいぬ将軍せうぐんくびくはへきたりけれバみかどひめあたへらるいぬ女をおふ南山なんざんり六人の子をうむ。その子孫しそん滋蔓はひこりたるなり云々しか%\

  安政二卯初秋稿脱

鈍亭魯文鈔録 [文] 

[改][辰三]

【見返・序】

見返・序

【口絵第一図】1

口絵第一図

うつものも うたるゝものも かはらげよ

くだけてのちれバ もとのつちくれ 三浦道廿詠

道節どうせつが乳母めのと音音おとね

巨田おほた薪六郎しんろくらう助友すけとも

神宮かにわの漁夫りやうし〓平やすへいもと犬山いぬやまの家隷いへのこ姥雪世四郎

【口絵第二図】2

口絵第二図

かんきんのうしろ修羅しゆら蚊遣かやり

十條ぢうでう尺八郎しやくはちらう

十條ぢうでう力二郎りきじらう

力二郎りきじらうつま曳手ひくて

尺八郎しやくはちらうつま單節ひとよ

【本文】

英名八犬士ゑいめいはつけんし五編ごへん上帙

江戸 鈍亭主人鈔録 

當下そのとき丶大ちゆたい席上せきせうをつら/\とうちめぐらし人々ひと%\ふかくないぶかりぞ。われハ年来としころゆへありて仁義じんぎ礼智れいち忠信ちうしん孝悌こうてい八顆やつたまもとめため諸国しよこ 行脚あんぎやするほど今茲ことし鎌倉かまくらにて竹馬ちくばとも蜑嵜あまさき照文てるぶん君命くんめいうけたてまつ賢良けんりやう武勇ぶゆう浪人らうにんをしのび/\にもとむるに環會めぐりあひぬ。をりからこの行徳ぎやうとく云云しか%\力士りきしありと風聞ふうぶんほのかきこ〔え〕たれハ十一郎としめあは諸共もろとも修驗者すけんじやへん先達せんだつ職得しよくとく争訟あらそひ假托かこつけ犬田いぬた山林やまはやし相撲すまひ勝負せうぶこゝろみしにたゞ房八ふさはち小文吾こぶんご藝術げいじゆついさゝかつぎなるのみ。しかれとも二個ふたりなからその行状ぎやうでう見究みきはめのちにこそと遊山ゆさん假托かこつけ共侶もろとも逗畄とうりうして今宵こよひおよべり。いくそのゆう苦をきくにつけ」3 こけころもをぬらしたりとその概略がいりやく説示ときしめせハ蜑嵜あまざき小膝こひざをすゝめわれも丶大ちゆたいたちかはりことおちもなくうかゞきく孝順こうしゆん義死きしそてぬらせり。犬塚いぬづか犬飼がい犬田すでにわが主家しゆか宿縁しゆくゑんその所以ゆゑ如此しか々々/\とかの八房やつぶさいぬの事伏姫ふせひめ始終ししうの事おほよそこと顛末てんまつことばみちかく解しめしつ。四犬よたり士ハとも身中みうちなるあさ感應かんおうたま由来ゆらいあればおの/\ちゝあり母あれどもその前身ぜんしん伏姫ふせひめのおんにして義実よしさね朝臣あそん外孫ぐわいそんたりと説諭ときさとせバ丶大法師ほうしハ伏姫ぎみ像見かたみ数珠ずゝ取出とりいでしめすになん信乃小文吾こぶんご豁然くわくぜんたま来由らいゆ感悟かんごして過世すくせあやしむばかりなり。丶大ちゆだい法師はうしハかたはらなる大八だいはち亡骸なきがら嘆息たんそくいだきあげてひざにのせみやくを見んとひだり寸口すんこうしかと拿れバ大八だいはち忽地たちまち甦生いきふきかへしにぎつめたるひだりこぶしはじめひらきたりけるにたなそこの」 中にたまありて二犬士にけんしたまことならず。これにハじんあらはれたり。しかのみならす腋肚わきはらあざいできてかたち牡丹ぼたんはなたり。かゝる奇特きどく人々ひと%\なげきを復すよろこびにまたおどろきもひとかたならず。そがなか妙真めうしん丶大ちゆたいにうちむかひわがまご犬士けんしかづりせバうぢ犬江いぬえまこと真平しんへいよばし給ひて犬士けんししりに居らし給はゞいまとぢをやへの孝養こうやうこれにますことはべらじとなみだながらにかき口説くどけ丶大ちゆたいきゝ莞尓につことうちゑみこの孩児おさなこたましん五常ごじやうさいたるものいま真平しんへいをやかはりて犬士けんしむれるものなれバそのしんの字をおやとよむ親の字に写更かきあらためて犬江親兵衛しんべゑまさし名告なのらバそのにしておやなるべく房八ふさはち再生さいせいして犬士けんしむれるにひとし。さハおもはずやと觧示ときしめせバ僉々みな/\あつかんじける。 そのとき蜑崎あまざき照文てるぶん小四方こしほうなる里見さとみこうめし4 ふみ房八ふさはちひたいかささせ房八郎ハけふよりして里見殿さとみどの家臣かしんなれどもその必死ひつし深痍ふかでおひぬ。かゝれバ忠勤ちうきん餘日よじつなし。たゞその僚友りやうゆう犬塚いぬつかやくに代りてすくはゞ主君しゆくんためにするにひとし。これ莫大はくたいちう義なり。すくひがたき深痍ふかでりつゝいつまてか苦痛くつうさせ〔せ〕ん。介錯かいしやくもまた惻隠なさけぞとはけま言葉ことば小文吾こぶんごおもひかへしてをこせバ丶大ちゆたい法師ほうしむかひたちしづかにさつくる念仏の数ハ十声と八声のとりの音鶏塒とくらながらの羽搏はたゝきとともひらめく大刀音ハ無常むしやう迅速しんそくゆめとばかりさめなバ死天しで山林やまはやしをしこすへ獨花ひとはなのちり際きよき最期さいごなり。妙真めうしんハかねてよりかゝるべしとハおもへどもおもひたへ伏沈ふししづめハうきにハもれそでつゆみなこまぬかうべたれてなぐさめかねつゝ愀然しうぜんたり。 浩所かゝるところ外面とのかた俄頃にわかさはがしけれバ衆皆みな/\ひとしく驚立おどろきたちたるなか

挿絵【挿絵】

侠者けうしやころしてじんたり[呂文]〉」5

に小文吾くゞり戸をひらく間もなく外かたよりどつなげ込人つぶてその人かまちかうへうたして脳黄のうみそたれしんでけり。これハといぶかほどもなくてきを左右にわきはさみてうちに入るハへつ人ならずさき志婆浦しはうらおもむきし犬かひけんのふ道なり。かの破傷はせう風の薬てんハ今ハ彼処かしこになしといへバたちまちのそみうしなふて丑三の ろかどまでかへり一始終しじうをみな聞けり。此をり三個の癖者くせもの庇間ひあはひ壁を穿うがち簀子すのこしたに身をひそまし縡みな聞ぬとおぼしくて檐下のきば近く立聚たちつど荘官せうくわんかりうつたへんとうち密語さゝやきさらんとせしかハそれがしとり裡面うち投入なけこ両賊ふたりを左右にわきばさみて一人ももらさすかくのことしと辞せわしくつくるにそ小文吾きゝてふかくよろこび和殿彼処かしこなかりせバつ 大事 いじあやまりてん。密議みつきを聞たる奴はらなれバとくわざはひの根をたち給へといふにげん両敵りやうてきを一しめ〆れハ 目鼻めはなより血を」6 ながしつゝしんでけり。かくて現八けんはち乃が本ふくよろこびをのべ小文吾こぶんご苦心くしんねきら丶大ちゆだい照文てるぶん對面たいめんかつ妙真めうしんなぐさめて山林夫婦ふうふ義死ぎし嘆賞たんせうしその子大八のしん兵衛が犬士けんしたる事をしゆくしける。當下そのとき照文てるぶみ三犬士さんけんし里見さとみ殿どの徴書めしぶみ逓与わたしにけれバつゝしみ拝受はいしゆ信乃しの額藏かくそうの荘助とともならで官途くわんとすゝまバこれ不義ふぎなり。犬川にめぐあふまでまいりがたしと徴書めしぶみ照文てるふみにおしかへせば小文吾こぶんご現八げんはち齊一ひとしくいふやうそれがし犬塚いぬづかとも大塚おほつかさとおもむかの荘助せうすけ對面たいめんせでハ同列とうれつ本意ほんゐにたがへり。されバまたこの五人のほか三犬士さんけんしあるならバあはずしてやむべきやハ。八士まつたあつまりて安房あはまいるともおそきにあらじ。この徴書めしふみハその日まて和殿わどのあつかり給はねとこゝろざしのべしかバ照文てるふみきゝ嘆賞たんそくし三まことけんなり。かの犬川荘助ハ衛二ゑじが子ならバそれがし再従兄弟またいとこどちなるもの也。」 それがしともおもむ荘助さうすけ對面たいめんして徴書めしぶみさづくへき貴僧きそう意見いけんきかまほしといふに丶大ちゆたい沈吟うちあん大塚おほつかハ大いし兵衛ひやうへ城〓ぜうくわくあり。彼処かしこもれなば荘助さうすけ取籠とりこめけつしてこなたへ逓与わたすべからず。貧道おのれ行脚あんきやことなれバ彼所かしこへゆきてめいつたふるとも人のうたがひなかるべし。和殿わどの親兵衛しんべい妙真めうしんし給へ。貧道おのれハ時のいたらん七犬士しちけんしともなふてきみ見参げんざんすべくおもへり。いまハはやときうつりぬ。小文吾こぶんごはかりしまゝにとく荘官せうくわんがりゆかずやとうながせバいらへつゝ信乃しの血著ちつき麻衣あさぎぬそでさきとりて房八ふさはちくびひきよせおしつゝ右手めて掻込かいこみわかれを荘官せうくわんさしていでてゆく。
さて小文吾こぶんご荘官せうくはんかりゆきたるあとにて信乃しの現八けんはち房八ふさはちふう死骸しがいをかたづけをりから朝霧あさぎりふかけれバいざこのひ間にといふほど妙真めうしん親兵衛しんべいをかきいた二犬士にけんしともに小舩こふねうちのり」7 照文てるふみかいおつとり市川へとこき出せば丶大ちゆたいハ一人リとゝまりて小文吾かかへ 迄しはし畄守るすしてたりける。さるほど人々ひと%\の舩はやくも市川にいたりし時わらはがいへハあそこぞと妙真めうしんゆびさすまゝふね門辺かとべにつなぎつゝ犬江屋に入り妙真めうしんハ三人をおくへしのばせおくにその日の夕暮ゆふぐれ丶大ちゆたい小文吾こふんご打連うちつれて犬江屋に入來いりきたり。小文吾ハ二犬士照文てるふみにうちむかひかの偐首にせくびたづさへゆきはかりしごとたばかりておや縄目なはめすくひ出し一始終しじ を親文五兵衛ふんごへいにつげらせしにあるひおどろき又ハよろこびそのかなしみもおほかたならず。おや差圖さしづしたがひて聖徳ひじりともきたれるなりとつぐるにみな/\文五兵衛ふんこべへつゝがなくかへされたるをよろこびその房八ふさはちふうふが死骸なきがらを人〔れ〕ほうむりけり。其後そのゝち小文吾こぶんご犬塚いぬづかがいの二犬士けんしふねにて大塚おほつかまておくらん事をかねてしもいゝつけなれバ今の小ふねに打のせてその身ハかいを」

挿絵【挿絵】

〈戸くわいまもりいつ犬士けんし間者かんじやとりひしぐ〉」8

おつとりつゝわかれつげてこきりぬ。かくてその日の昼後ひるすぎころ文五兵衛ごへいきたりつ兎角とかくなみたさきだちけり。是より丶大ちゆたい照文てるぶみ行徳きやうとく市川いちかはにかはる%\宿りつゝ四五日をおくほどふさ夫婦ふうふ初七日しよなのかになりしかと小文吾こふんこハ大つかよりかへず。いかゞせしにや彼処かしこへゆきて様子やうすを聞バ安心あんしんならんと丶大も武蔵へ赴きしかこれもいかなる訳ありて歟三日たてともかへず。兎角とかくする間に日かつ立てふた七日にそ及ひける。こゝ暴風あらしまかち九郎といへる悪漢わるものあり。常々つね/\犬江いぬえ屋の妙真めうしんこゝろをかけて居たりし程に此ごろ房八ふさはち夫婦ふうふらずなりしより法師ほうし武士さむらひかわる/\に宿れるさまをひそかにかいまみてこれをゑばとし妙真めうしんをかき口説くときけるにそ悪さもにくしとおもへとももしあらだてなバことやふれと思ひかへしてよき程にあしらひけれバなをつけあがる無籟ふらい情欲しやうよく9 すで手詰てづめのそのおりから照文てるぶみきやう徳より文五兵衛諸倶もろともかへりきつ。梶九郎をうちこらすにぞ梶九郎かちくろう大ひにいかりおぼへてよとへらす口胸にもくろむ一思案しあん跡をもすして迯亡にげうせけり。あとおくりて照文てるぶみ文五兵衛ふんこべい共侶もろともことの次弟しだいをたづぬるにぞ妙真めうしんかぢ九郎にいはれしこととも物語ものかたれバ照文聞てうちおどろきそれぞとはやしるならバわさはひの根をたつへきを取迯とりにかせしハざん念なり。もし村長むらおさうつたへられてハ難義なんぎうへ難義なんぎなれバ我ハ親兵衛しんべいともなふて一先安かへるべし。妙真めうしんまご附添つきそひしはらくこのを遠さくへしとに%\用意ようい調とゝのへつゝ依助といふ小個こものを引つれ裏扉せどくちよりしのびやかに立出つゝあしにまかせて市川いちかはまちはななみ松原まつはらにさしかゝれバ日ハやま入相いりあいかねの音とをきこへつゝあたり小闇こぐらくなりたるおりしもまつはやし」 のかけよりもあらはいで以前いぜんわる者彼暴風あらしまの梶九郎ハ強刀おちたうほつこみかいつきたて曲者くせもの何処どこゆくをんなわたして覚悟かくごせよといふを照文てるぶみきゝあへずのがれぬところとひきぬくやいはに者ともあへとかぢ九郎かよはわるこゑ共侶もろとも夏草なつくさかげ小松こまつのひまよりおどりいでたる多勢あまた悪徒わるもの得物えものをひつさげ照文てるふみおつ取込とりこみつゝきそひかゝれハ照文てるふみちつともおくするいろなくあたるにまかせて切伏きりふせなぎふせをもてもふらす戦ふたり。 それるより文五兵衛ふんごへい妙真めうしんにうちむかひこゝかまはすととく迯給へと親兵衛しんべいをわたすもなく又一むれのわるものどものがしハせじととりかこめバ文五兵衛ぶんごべいハきつと用意よういの一腰抜合せしばらくふせぎたゝかふ。妙真めうしん遥遠はるかとふざかればすきうかゞかぢ九郎小暗こぐらかたよりは〔し〕て声をもかけず妙真めうしんをしつかといだけハなき出すしん共におとろく」10 妙真めうしんかふりほどきつゝ迯出にげいだすをにがしもやらすとひかゝり泣入なきいる幼なご柄杓もなくもき放しつゝ小脇こわきかゝとゝむ妙真めうしん〔倒〕して人なき方へはしるにぞ妙真めうしん狂氣けうきごとかへもどせとさけびつなきあとをしたふてをい行ける。かぢ九郎ハ妙真めうしんがしたひるを見るよりもあたりの木の根にこしうちかけて親兵衛しんへいをむんずとつかおれこゝろしたかはずハこの孩児ハ今寂滅しやくめつごろのいしひろひとり胸さきうたんとふりあぐれバあなやとばかり妙しんる目もくれこゝろきえなくより外のことそなき。かゝる処へ照文てるふん悪徒あくもの共を切散きりちら文五兵衛ぶんごべい共倶もろとも此処このところまてかゝりつゝ雲間くもまもれ月影つきかげこのていたらくをるよりも二人ふたリハとも打驚うちおどろはしよれども人質ひとじちをとられしうへ手出てだしもならずかたなつかにぎりつめくひしばるをかぢ九郎ハ冷笑あさわらひつゝ」

挿絵【挿絵】

うん霧をおこしてしん小兒せうにうばふ〉」11

幼児おさなごふたゝびうたんとする程にこふしたちまちなへしびれわれにもあらて取落とりおとす。をりしもにはか鳴動めいとうして一朶いちだ黒雲くろくもさが親兵衛しんべいをひきつゝみてはや中空そらまきあぐれバかぢ九郎ハおどろきながら猶おさなをやらじとておどくるふをさかさま虚空こくうはるかにひきあげられくもうちに物有てかぢ九郎ハもゝよりはらへ二にさつとひきさかからだだふおつるにそこれハとばか照文てるふみふたゝび驚き草野辺くさのへ臥沈ふししづみたる妙真めうしんをさま%\に介抱いたはるにそやう/\に目を開き新兵衛が事かにかくといゝてハなげくをなくさめて照文てるぶみ依助よ すけとも妙真めうしんぶん五兵衛にたもとわか安房あわをさしてそいそきけり。尓程さるほど文五兵衛ふんごべゑハその初更しよこう頃及ころおひ市川いちかはまではしりかへり犬江いぬえ門傍かどべよりうちのやうすをさしのぞくにこれかれすべて無事ぶじなれバわづかこゝろやすくして一艘いつそう快舩はやふねかりとりつゝ大塚へ」12 おもむかんと武蔵むさしさしこがしけり。されバ又照文てるふみ妙真めうしん等を将て日毎に路をいそぎつゝことなく安房あわにかへりつきぬ。

案下某生再説それハさてをき犬塚いぬづか犬飼かひ等ハ犬田小文吾におくられて舩路ふなぢゆくこと六里はかり宮戸河みやとかはよりきたのかた千住河せんじ かわさかのぼりてその日未の頃及に武蔵國むさしのくに神宮かにわ河原かはらつきにけり。かくてこのきしふねつなぎて旅宿りよしゆくの事を相譚かたらふに信乃しの伯母おばむこがりしのぶ身なれバたきの川の金剛寺こんがうじをこしらへてかの僧坊そうばう旅宿りよしゆくにせバしのぶに究竟くつきやうならんかつ大塚おほつかとほからねバ額蔵がくざう荘助せうすけ往來わうらい便たよりよしといふに両人うへなひて齊一ひとしくきしに上るおりから六十むそじちか一個ひとり賎夫しづのを大塚の荘官せうくわん令甥をいごにハおはさずやととはれて信乃しのおとろきながらその人をつら/\見るにこれいぬるころ網舩あみふねかりたるこの土地とち漁師りやうし〓平やすへいといへるものなり。かくて」〓平ハ信乃にむかさても大塚の凶変けうへんよそにしておんみ何地いづちにか行給ひしと真実まめだちてさゝやけバ信乃しのハふたゝびおどろきて吾儕わなみ先頃さきころ下総しもふさおもむきつ彼処かしこともおくられて只今たゝいまかへりにけれバなにごともきゝしらず。その凶変けうへんとハいかなる所以ゆへそ聞まほしとへバ〓平やすへいうなづきてさてらでやおはする。こなたへませとさきにたちておの宿所しゆくしよ誘引いざなひつゝかの大塚なる蟇六ひきろくがり騒動さうどう始終しじう如此しか々々/\ことばみじかく物語ものがたれバ信乃ハさらなり現八げんはち小文吾こぶんご驚呆おとろきあき斉一ひとしく嘆息たんそくしたりける。當下そのとき信乃しの愀然しうぜん犬飼いぬかひ犬田いぬたを見かへりてわか伯父おぢ夫婦ふうふの心ざまよからねども総角あげまきよりやしなはれたるめぐみをおもへバ哀戚あいせきなみだとゞがたかり。さるにても額蔵がくざうハそのらずしうあだうちし事うらやましき大義たいぎなり。しかるにいたくしひられて命危いのちあやうきをいかにせんと」13 ゑんじてまぶたをしばたゝけバ〓平やすへいまたいふやうかのしや五倍二ごばいじぬしハ腹心ふくしんの者に流言りうげんしさして圓塚まるつか山の人ごろしハ信乃しの額蔵がくざう所為わざ也といわせしかハ犬塚いぬづかぬしにもうたがひかゝりて行方ゆきかたたづねらるゝとぞいとあやうしと密話さゝやけバ三犬士ハ忿激いきどふりたへかねしを思ひかへしてうちうなづきよくこそしらし給ふたれと粒銀つぶきん四五顆よついつゝとり出しこハいと少の物なれども好意こゝろざししやする。それがしら今さらに大塚にかへりがたし。信濃しなのはゝ生國せうこくなれバかの地へやおもむくべきといふに〓平やすへいきゝあへず大塚おほつか陣番ぢんばんよりこゝらも夥兵くみこのうちめぐれバ名殘なごりいとをしけれどはやく他郷たけうさけ給へ。このたまものハ要なしと推辞いなむ信乃しのふたゝびすゝめてその善直せんちよく嘆賞たんしやうしぬ。〓平やすへいハ又いふやう小人やつがれ両個ふたりをい子あり。力二郎りきじらう尺八とよばちかころこゝに網引あびきにその日ハおくれども任侠剛毅しんきやうがうき壮佼わかものなり。こゝより戸田とだ捷徑ちかみちあれバ彼等かれらに」

挿絵【挿絵】

三犬士さんけんし神宮かにはわたりにてはからす〓平やすへいふ〉」14

おくらせ候ばやといひつゝよばんとする程にげん八小文吾是をとゞめ主人かせつなる誠心まこゝろしやし人多くてハ目に立てあしかるへしといふにぞ信乃しのハうちうなづきさるにても主人が應荅おうたうとその氣質きしつさつするに昔ゆかしく候といへハやすひたいなでいなさるものにハ候はず。若かりし時いさゝげなる武士のろくを食たるのみ。本姓ほんせいをば雪也。舊名もとのなを世四郎といへり。形のごとき下司なりしをあやまてる事ありて舊里ふるさとなれバこの処へ追退をひしりぞけられ候ひきに小人か相識あいし老女おうな去年こぞより上野かうつけなる荒芽あらめ山のふもとに在と近属ちかころほのかに聞えたり。もし信濃路しなのぢおもむき給はゞふて宿をもとめ給へ。便もあらハとかねてより一通をしたゝめおきつ。なほおん身三はしらの事をし書加かきそへまゐらせんと真実まめだちて身をおこしつゝたなすみよりとりおろすゝり禿筆きれふでぬき出し白帋しらかみ走書はしりかきして一通の状もろ共に巻篭まきこめ標識うはかきを書しるし」15 犬塚いぬづかぬしこれハいと無礼なめなるわざなれとも心隈こゝろくまなきことぐさに此一通をゆだねまつらん。荒芽あらめ山のふもとそと風の便聞たるのみかたみ年來としころ疎遠そゑ なり。必諮たづね給へかし。老媼うばの名を音音おとねといへり。たのみ奉るといひかけてくだんの状を渡すになん信乃しのハやをら受とりて遅速ちそくハ定かならねども信濃路しなのぢおもむかば由縁ゆかりとふとゞくへしとふところをさめつゝ現八小文吾共侶もろともよろこびのべわかれつげておの/\かさをふかくしつ南をさして出てゆけバ〓平やすへいハほゐなげに門べに立てぞ目送みおくりける。
かくて信乃げん八小文吾たきの川なる金剛寺がうじに赴きて岩窟堂いはやだうに詣つゝ食堂くりにいゆきて呼門おとなへば寺僧じそう出迎いてむかへて來とひけり。當下そのとき信乃ハすゝみよりてそれがし等ハ弁才へんさい天に宿願しゆくくわんありて七日三ろうすべく思ふて遠方ゑんはうより來れり。休息所をかし給へといひ入るにいとやすき事なりとて子舎こざしき安措やすらはせぬ。其夜そのよ三犬士ハ」 岩屈堂いはやだう通夜つやするといふて小文吾をのこし止め犬塚いぬづかかひ共侶もろともはやくも大塚おほつかの里に至り信乃ハおや墓所むしよもう蟇六ひきろく亀篠かめざゝ等が亡骸なきがらうづめたりとおぼしき墳土おきつちにも水をそゝ回向ゑこうに夏の更初ふけそめたり。斯て又現八にしるべして糠助ぬかすけ墓所むしよおもむくに犬飼いぬかひ追慕ついぼかなしみやるかたなく時のうつるを知ざりけり。信乃しの額蔵がくそうが母の塋域はかところ行婦塚たびめつかに赴きて現八と共にまつりそのあけがたに岩窟堂いはやだうにぞかへりける。扨も三犬士ハ次てをもとめて大塚の城中せうちうへ赴きつちとの物をあきなふを本としてしる人もいで來しかバなほそのすぢに陽交たちいりて獄舎しとやの中なる額蔵かくざう荘助さうすけをぬすみ出す便たよりもがなとをさ/\肺肝はいかんくだけども未その足代あししろなし。くるれバ三犬士岩窟いはやにおもむきて衆議しゆきなしつ斉一ひとしく瀑布たきにみをうたしつゝ同盟どうめい犬川がために」16 窮阨きうやく解除かいぢよ冥福めうふくを岩窟の弁天瀧の不動王子わうし權現の三社さんしや丹精たんせいらしてぞいのりける。
追前齣再説ここにまた宮六きうろくおとゝ簸上ひかみ社平ハ属役しよくやくいさ川菴八と共に搦捕からめとりたる額蔵がくさう介を獄舎ひとやつなが訴状そてうを以て鎌倉へつげしかハ大塚おほつか城主せうしゆ大石おほいし兵衛尉ひやうゑのせうろう黨をつどへて僉議せんきあり。これかれえらまれて出とう丁田よほろた町の進を陣代として大塚おほつかつかはしぬ。かく丁田よほろだしやいほ八等に對面しつゝ主〔命〕述傳のべつたへて五倍二ごばいじ刀瘡たちきず黙檢ちんけんことおもむきたつぬるに額蔵を誣てそのをかざり実事まことしやかに陳じけれバすでにかくのごとくならバゆるがせにしかたしとて額蔵がくぞう背助せすけ獄舎ひとやよりひき出して事のてん末鞫問するにしもとあげせめたりける。額蔵がくぞうさわぎたる氣色けしきもなく主の仇人かたきのがしがたくて當座たうざうち畄し趣ハさきの日きこえ上たるごとし。」

挿絵【挿絵】

〈義士をしひ酷吏こくり残毒ざんとくほしひまゝにす〉」17

へつに仔細も候はすと詞短ことばみちかえんすれバ町のしんハ大ひにいかり額蔵がくざう推伏おしふせ一百いつひやくあまりぞうちたりにける。たちまち氣絶きぜつしてければ獄卒ひとやひとハ杖をとゞめ引起して水を吹かくるにしばらくしていき出けり。とかくするほど二更にかう漏刻ろうこく音すれハ町のしん背助せすけ額蔵がくさう獄舎ひとやにかへしつかはせしに背助せすけしもと苦痛くつうたへすやその暁かたにむなしくなりぬ。しかれども額蔵かくぞうよはりたる氣色けしきもなくつみふくすへきにもあらねバしや五倍二ばいじハ氣をもみて町のしん物夥ものあまた賄賂まいなふ媚諛こひへつらはすといふ事なくその断ごくいそがするに町のしんためにハかたむきやすき小人せうしんなれハひそかにしや平五倍二ばいじなぐさめて又額蔵かくそう獄舎ひとやより引出し聊思ふよしあり。左母二郎さもしらう濱路はまち天罸てんはつよつてくだんことしと書べしと右手めでいましめゆるしにけれバ額蔵かくさう推辞いなむべくもあらねバいはるゝ隨に書てけり。そのとき町の進ハまる18 つかにてきりとらせしみき文字もじあはし見つゝ額蔵がくぞうつみ分明ふんめうなりと敦圉いきまきたけなじれども額蔵ハちつと擬議ぎゞせずそののことハ云云しか/\といひとかんとするほどまちしんハいよ/\たけつ〓木れんきの上に仰向あほのけさせ括著くゝりつけて目口もわかず水をそゝぎてひまなけれバたちまち息絶いきたへはてけり。獄卒ひとやびと等ハ苛責かしやくとゞめさかしまをし立つゝ水をはかしなどするにしはらくして甦生そせいせり。これよりして町のしんハます/\苛責かしやくをもくすれども額蔵ハはしめごと苦痛くつうしのびてついくつせず。しば/\氣絶きぜつしたれども獄舎ひとやにかへれバつゝがなし。ゆへあるかな額蔵がくぞうハいぬるよ犬山道節どうせつかたこぶつんさきててに入りしちうの玉ハこの時までも身をはなさず。口の中にふくみてをり。さるほどしもとにうたれ種々しゆ%\苛責かしやく筋骨きんこついたみ心地こゝちしぬべうおぼゆるときくたんの玉を口にふくみ又これをもてみをなづれバ苦痛くつう立地たちどころ除去のぞきさ杖瘡しもときず一夕いちやいゑて」 そのあともなくなりにけり。まちしんハ玉の奇特きどくつゆばかりもらざれハひそかあやしかれ法術ほうじつあるやらん。もしのがれさらバ後悔こうくわいせん。はやくころすにますことなしとはらうち尋思しあんしつ。鎌倉かまくら使者ししやはせ額蔵がくざう誅戮ちうりくせんことをつげたりける。かくて七月朔日にその使者ししや鎌倉かまくらより帰來かへりきたれり。町の進ハいほ八とともしゆ下知状くだしぶみ披見ひけんするに額蔵がくぞうすでに五ぎやくつみ人なり。まさ竹鎗たけやり刑罸けいばつおこのふべしと下知けぢせられたりければ町の進ハ社平しやへい五倍二ごばいじに主命をつたへつゝ明日めうにちひつじの頃及に庚申塚こうしんづかのほとりにて刑戮けいりくおこなはん。よろし准備ようゐあるべしとねんごろにときしめす。この時五倍ばい二が眉間みけんきず過半くわはんいえしかバ両人雀躍じやくてきして主恩しうおん拝謝はいしや揚々やう/\退出まかりでける。尓程さるほどに七月二日のひつじのころ及に額蔵を獄舎ひとやより牽出ひきいだし三十餘名よにん夥兵くみこ等にかこまれて庚申塚かうしんづかへをもむけバ」19 檢監けんかん卒川いさかは菴八いほはちさきおはしていかめしくねりゆくほど社平しやへい五倍二こへいじそののち陸続りくそくとしてしろいで庚申塚かうしんづかにけれバふりたるあぶちもと額蔵がくそう牽居ひきすへさせ三十餘名よにん夥兵くみこに/\捍棒よりぼう突合つきあはして徂徠ゆきゝの人をとゞめたり。當下そのとき卒川 そかは菴八いほはち床几せうぎしりをうちかけ一通いつゝう刑書けいしよ取出とりいだ讀聞よみきかをはれバ獄卒等ひとやひとら額蔵かくざうなははしあぶちゑだなげかけて釣揚つりあぐれバ社平五倍二もつたる竹鎗たけやりひらめかして左右さゆう齊一ひとしく額蔵がくざう脇肚わきばらがけて刺貫さしつらぬかんとやつかけたるこへよりさきに五十ばかり東西とうさいなる稲塚いなづかかげよりして両方りやうほう一度に出す響箭かぶらや五倍二こばいじ社平しやへい肩尖かたさき揺一ひとゆりゆつてひやうたついた手なれバ霎時しばしたへやりすててぞたふれける。いほおどろきながら立よりてとみれバそのに五六寸なる紙牌かみふだ結提むすびさげ奉納ほうのう王子権現ごんげん所願しよくわん

挿絵【挿絵】

法場はうじやうおびやかして三犬士さんけんしどういんをすくふ〉」20

成就ぜうしゆかきたりける。原來さてまこと征箭そやならずとくこのぬしを蒐出かりいだせと声ふりしぼりて下知げぢすれバうけ給はると夥兵くみこども東西とうさいに立わかれて稲塚いなづかがけて簇々むら/\すゝまんとするほどになほもいだ神箭かぶらやみな紛々ふん/\たふされ右往うわう左往さわう辟易へきゑきす。當下そのとき稲塚いなづか推倒おしたふしてあらはいでたる両個ふたり武士ぶし東西とうざい斉一ひとしくゆみ投捨なげすて准備ようゐ竹鎗たけやり掻取かいとりこゑたからかによばはるやう同盟どうめいよりてんかはり虎狼こようかり作麼そも俺們われ/\を何人とかする。犬塚いぬつか信乃しの戍孝もりたか犬飼いぬかひ現八けんはち信道のぶみちこゝにあり。觀念くわんねんせよと罵責のゝ  せめやりひねつて走蒐りひしめく夥兵くみこを五六人鳩尾中〓刺伏たり。菴八いほはちはるかこれを見てもし額蔵かくざう奪去うばひさることもやあらん。結果をしかたづけうしろやすくせんものとおちたる竹鎗たけやりとりあげあふちのほとりにちかづかんとするおりからたちまち後方あとべに人ありて酷吏こくり菴八いほはちしばらまて犬塚いぬつか犬飼いぬかい同盟だうめいの」21 いつ死友しゆう犬田いぬた小文吾こぶんご悌順やすよりこゝにあり。かうべをわたせと呼畄よびとめたるこえにおどろき菴八いほはち運歩あしもと取次しどろかへれバ骨逞ほねたくましき大男おほおとこ奉納ほうのふふだをむすびさげたる王子わうじ竹鎗たけやりひらめかして透間すきまもなく突立つきたてれバ菴八いほはちうけはらしばらく防戦ふほど若黨わかとう獄卒ごくそつ五六人おの/\得物ゑものをうちふつて撃倒さんと蒐るを小文吾ハ物ともせず薙立なぎたて駈立かりたてすゝみけり。そのひま信乃しの現八げんはちさゝゆてき八方はつほう撃散うちちらしなほ菴八いほはちうたんとて走来る前向むかひおこすハこれ五倍二こはいしと社平なり。このときわれにかへりけれバかたに立たる抜捨ぬきすてかたな抜連ぬきつれたつたるを信乃しの現八けんはち東西とうざいより五倍二ごばいし社平しやへい刺貫さしつらぬきなほ迯迷にけまよ夥兵くみこ等を追はらひ信乃ハはやくも額蔵を樹上きのうへより扶下たすけおろしていましめなは釋捨ときすてれバ現八も又引かへし社平しやへい両刀りやうとう分捕ぶんどりして額蔵がくぞうにそわたしける。さるほど小文吾こぶんご菴八いほはちなんなくも」 仕畄しとめしより手にあふてきのなくなりしかバやりを捨てこの〔の〕もと聚合つどほど信乃しの額蔵がくざうをいたはりて現八げんはち小文吾こぶんご引合ひきあは異姓いせい兄弟きやうだいなる事をかたりけるにぞ額蔵ハ萬死ばんしを出て一生いつせうたもつのよろこびをのべよみして感涙かんるいそゞろにぬぐひあへず。現八げんはち小文吾こぶんごなぐさめていまハしもこのえうなし。はやく戸田とたかはをうち渡して隣郡りんくんまで退しりぞくべし。いざ給へといそかしつ四個よたり斉一ひとしく西北いぬいかたあしはやに走去はしりさる事十町とまちにハすぎざりけり。浩処かゝるところ大塚おほつかより新隊あらての雑兵二三十人みな鳥銃てつほうたづさへてはや四犬士しけんしちかづきつ。筒頭つゝさきそろ連掛つるべかけ火蓋ひぶたらんとするおりから俄然がぜんとしてふりそゝく夕立ゆうだちあめしのみだしてたちまち火縄ひなわけしたりける。城兵等じやうへいら暴雨にわかあめうしなふてしばらく捫擇もんちやくするほとらいめい一声いつせい電光いなひかりしてあめなほはげしかりけれバあめさけんと城兵等しやうへいらみなもと立寄たちよりたるいたゞ〔き〕うへ霹靂かみとけ雷火らいくわ22うたれてしたりける。四犬士しけんし危急きゝうのが凡事たゞごとにあらずとてたきかわ王子わうじかみはるかにおがみ奉り斉一ひとしく間道みちはしりつゝ戸田とた川までにけれバかみおさまあめほそりてはや黄昏たそかれちかかりける。とく/\前面むかひわたさんとて彼処あちこちと見わたすにわたふねたへてなし。いかにすべきともみておなじ河原かはら幾度いくたびとなく往返ゆきゝはてしなかりけり。かゝりしほどまちしん隊兵てぜい百五六十人を将てうまとばして追蒐おつかけきつときどつあけたりける。四犬士しけんしハこれをかはにハふねなくくがにハてきあり。進退しんたいこゝにきはまりぬ。おもひのまゝたゝかふて陣歿うちじにするよりほかにすべなし。ざす讐敵かたき丁田よぼろだのみ。人馬にんばあしたてさせなとかたみ諫奨いさめはげまして必死ひつし覚期かくごいさましくちかづくてきをまつをりからとハしらず水際みつぎわなるしげ高芦たかあしをおしわきてこなたへふねをよするものあり。四犬士しけんしこれを見かへりて」

挿絵【挿絵】

一葉いちやううかべて蓑笠さりつおきな犬士けんしをすくふ〉」23

彼もてきかといふかれバ蓑笠みのかさたる一個ひとり舟人ふなひといそかはしくさしまねきてとく/\めせすゝむこゑ神宮かにはなる〓平なり。てんたすけ四犬士しけんしハ舩にひらりとうち乗れバ〓平やすへい船底ふなぞこより蓑笠みのかさ取出とりいだして四犬士しけんしあたてきふせがす程にすでにしてふねきたきしつきにけれバ四犬士ハ曲々つばら/\よろこびをのぶるにいとまなく〓平やすへいかへりてみな再會さいくわいを契つゝやがて水きはおり立けり。尓程さるほどに町のしん士卒しそつともこゑあげしきりふね呼禁よびとむれども舟人ふなひとハ聞ぬふりしてこぎかへすべくもあらねハ彼れと下知すれバおの/\きし立並たちならび箭継早やつぎばやに射かくれどもその間とほけれハ箭ハ徒にすい中に落るとやがてながれけり。まちしんハます/\怒りこの虐賊等ぎやくぞくら撃漏うちもらしてハわれもつみまぬかれがたし。河幅かははゞハいとひろけれど此わたりにハ淺瀬あさせあり。われにつゞけといひかけて馬をさつ乗入のりいるれバ士卒しそつ等ハみな後れじとわたしけり。」24

英名八犬士ゑいめいはつけんし五編ごへん 下帙

鈍亭主人鈔録 

却説かくて丁田よぼろたまちしんハ馬を河の中央たゞなかまですゝむるを〓平やすへいはるかに見て遽しく舩底ふなぞこより弓箭ゆみやを取出て矢声やこゑをかけて丁とはなせバ町のしんの下へぐさと立しが裏缺うらかくまでにいたらねバ投捨なげすててぞすゝみける。やす平ハ心〓こゝろあはてて二のつかんとするほど忽然こつぜんとして一個の壮夫ますらを水中より浮出て町の進が衿上えりがみへ抓子棒をしかとうちかけて仰さまに引落しつゝこしなるかたなを抜出しおさへてくびを取てけり。かくてくだん壮夫ますらをハ町の進の馬をうばふてうちのりつゝ後れて渡る雑兵ぞうひやう抓子棒くまでもつて引倒ひきたふ突流つきなが推沈をししづむれバてきたちまち辟易へきえきしてもとの岸へ逃登にげのぼるををいつゝ馬を乗上のりあげたり。雑兵ぞうひやうハ岸にとゞま推捕籠おつとりこめせめたつれバ當下そのときあし原のほとりより又一個の暴夫あらおとこ突然こつぜんあらはいで長柄なかえやり刄頭ほさきするどく」

挿絵【挿絵】

侠客けうかく両個りやうこ四犬士しけんし窮厄きうやくまぬからしむ [呂文]〉」25

敲伏たゝきふ刺殺つきころはづかに両個の勇士のはたらき四犬士ハ北の岸にまたゝきもせずなかめてをり。斉一ひとしくかんじて舩をとゞかの両個ふたりの壮夫ハいかなる人ぞ名をだにらぬ俺們われ/\すくはんとてかあのはたらきいといふかしく候といへバ〓平やすへい微笑ほゝゑみて彼等ハ先につげたりし力二郎りきじらう尺八なり。豊嶋としま煉馬ねりま両家りやうけの為にうらみかへさんと思ふこゝろあれバ町の進をうちたるなりといふに信乃しのおとろきてしからバ両個ふたりの壮夫ハ我等が為に恩人おんじんなり。もし陣歿うちじにせバくふとも甲斐かひなし。その舩をとくよせ給へ。安危あんきかの人々ひと%\ともにせん。今さら躊躇事かハと言葉ことばひとしくいそかせバ〓平かしらをうちふりて義を見て勇むハ刀祢とのばらこゝろざしなるへけれども彼等かてきたゝかふハ刀祢とのばらを落さんためなり。然るをふたゝび彼処かのところわたしてとも陣歿うちじにし給はゞ此彼かれこれともにみなゑきなし。やようちすてて落たまへ。小人やつがれハ今さらに神宮かにはへハ還りがたし。けふをかきりの浮世うきよぞとかねかく26 きはめたれハふねもろともしつめ赤心あかきこゝろあらはすべし。さらば/\といひかけてはや川中かはなか漕出こぎいだせバ四犬士しけんしかつかんじ且おどろ水際みつきわあしつまだて異口いく同音とうおんよび禁れども〓平やすへい川中かはなか漕退こきしりぞ舩底ふなぞこせん引抜ひきぬきすてればたちまちふねみつりてなみしたにぞしづみける。四犬士しけんし眩然げんぜんと見るとゞかぬ薄暮ゆふくれ前面むかひ修羅しゆら大刀音たちおと矢叫やさけびよせてハかへす河風かはかぜおきよりくろ宵闇よひやみ其処そこともわかずなりにけり。さるほど四犬士しけんし〓平やすへい両勇士りやうゆうし存亡そんぼうも心にかゝれど終夜よもすから河原かはらたちあかすともあるべきにあらねバ上野かうつけ信濃しなの心當こゝろあて間道こみちより只管ひたすらはしれども黒白あやめわか烏夜やみにしあれバ行事ゆくこと五里ごりばかりにしてたちまち山路やまぢまよひ入つゝとかくするほどあけたりと見れハいまだをたにしらぬたかき山の半腹なからに來にけり。やがいたゞきのぼりつゝ彼此あちこち徘徊はいくわいするにやまあれたる神社やしろありて雷電らいでんの神社と」

挿絵【挿絵】

戸田とだかは漁夫ぎよふ入水しゆすいして犬士けんしはしらす〉」27

〔と〕いふ四大字しだいじ遍額へんがくあり。これ桶川おけかはたつ南なる雷電山らいでんさんさとるものから三士たり斉一ひとしくぬかつきてとも祈念きねんをこらしけり。しはらくして四犬士しけんしもとかたみ相譚かたらひなぐさむるに當下そのとき額蔵がくぞううや/\しくかたちあらためきのふ再生さいせいよろこのべ三犬士さんけんし相共あひとも必死ひつしやくすくひ給ひし為体ていたらく不思議ふしぎといふもあまりありと問れて乃ハ含咲ほゝゑみそれかしまた滸我こがにしてまぬかれがたき大厄たいやくあり。このゆへ下総しもふさなる行徳きやうとく流浪さすらひふたゝあやうかりけるをさいはひにして窮阨きうやくとかれたり。そのゆへ箇様々々かやう/\とすべて安房あわ里見さとみ宿因しゆくいんあるその概略がいりやくをときしめせバ額蔵がくざうこと駭然がいぜんとしてうちおどろき潜然さんぜんとしてうちなげ現八げんはち小文吾こぶんご孝順こうじゆん義勇ぎゆう眷愛けんあいしていよゝ骨肉こつにくの如くおもへり。つきていへるやうハ我等と過世すくせたるもの八人はちにんあるべきことになん。犬江うじとゝもに五人ごにんなり。就て又いつ竒談きだんあり。さきそれかしはからずも圓塚まるつか28 やまのほとりにて一個ひとり犬士けんし撞見いであふたり。そのゆへ如此々々しか/\犬山いぬやま道節とうせつが事おちもなくものかたれバ三犬士けんし嗟嘆さたんにたへず。されバ額蔵かくぞうハ是より あらたいぬ荘助せうすけ義任よしとふ名号なのりつゝそのおけ川のさと宿とまりぬ。却説かくて犬士けんしつぎの日旅宿りよしゆくつとたちて笠深くしてゆく程におなじ月のはじめの六日上野國かうつけのくに甘樂郡かむらこふり白雲山はくうんざん明巍みやうきの神社に参詣さんけいす。斯有かゝりしほど四犬士しけんしハこの霊場れいじやう遊觀ゆうくわんするにその日も未下刻さがりになりつ。よりて茶店ちやてんあしを休るに荘助そうすけたはむれにだいすへたる遠眼鏡とほめかねを引よ〔し〕て山間はるか見下おろせバ藺織笠ゐをりがさいたゞきたる一個ひとり武士ふし総門さうもんのこなたなるたに川の橋をわたりつゝゆくものありけり。こゝろともなくよく見るにかさひまながら犬山どう節にたりけり。こハいかにとばかりにまたゝきもせず目おくるにはや総門さうもんの外に出て往方ゆくへもしらずなりにけり。遺憾のこりをしきこと限りもなけれバ只顧ひたすらに」 嘆息たんそくしつゝけん八小文吾に云云しか%\密語さゝやけ三士みたりとも嘆息たんそくしてもし返るやとかはる%\に眼鏡めかねとり直下みおろせどもついにその甲斐かひなかりけり。當下そのとき乃ハ沈吟うちあんじて遠眼鏡とほめかねもて見し人に追つかんとほつするともこの処より総門そうもんまで一里四丁ありと歟いへバとぶ鳥なりとも及ぶべからす。きのふちまた風声ふうぶんを聞たりしに管領くわんれい扇谷定正さだまさぬしハ近ごろ當國に退居たいきよして白井に在城し給ふといへり。かの道節ハ両管領くわんれい狙撃ねらひうたんとほつするならずや。しからんにハかれも又こゝらわたりを徘徊はいくわいしてひまうかゞひ時をバ君父のうら を復さんとはかることなからずやハ。白井のほとりをもむかバかの人にあふこともあるべし。とく/\といそかせバそうげん八小文吾ハ一議におよばす同意とういしてうち連立つれたつ下向けかうせり。
不題こゝにまた管領くわんれい扇谷あふきかやつ修理しゆりの太夫さだ正ハ近頃山内顕定あきさだ不和ふわなるによりにわか鎌倉かまくら退しりそきて」上野かうつけ白井しらゐ在城ざいじやうす。これにより定正さだまさハきのふ五日の早旦まだきより砥沢とさはの山に狩競かりくらして白井のしろ回旋くわひせんす。あいしたがふ近臣きんしん竈門かまど三宝さぼ五行かづゆき妻有つまりの六郎之通ゆきみち松枝まつえだ十郎眞弘さねひろ従類しゆうるい凡三十にん外様とさまわか黨五十餘名よにん弓箭ゆみや鳥銃てつほうかたにせし雑色ざうしき奴隷しもべいたりてハ毛挙かぞへあぐるにいとまあらず。あまた列卒せこにくさ%\の獲物えもの扛擔かきになはしたる前駈せんく後従こしゆうさましくはや白井しらゐしろまでハ二十町はたまちらぬみちの程並松原をすぎをりと見れバ一個の武士ぶし浪人ろうにん道のゆくての松のもと葛石かつらいししりをかけ手にとりたるひとふり大刀たちをやをらひざ推立おしたてつゝ忽地たちまちこゑをふり立て〓邪ばくやつるぎなきにあらずたゞこれを良将りやうせうなきのみ。嗚呼あゝおしむべしうらむべしとしきりにひとりごちたりける。前走さきはしり雑色ざふしき両三人うち見やりてこハ竒怪きくわひなり何人なにものぞ。管領くわんれい狩倉かりくらよりたゞかへ

挿絵【挿絵】

雷電らいでん社頭やしろ四犬士しけんし會談つもるものがたりす[呂文]〉」30

らせ給ふなるおん馬前うまさき程近ほどちかきに礼儀れいきうと白徒しれものなり。とく/\かさ脱捨ぬぎすててついゐておがたてまつらずやと齊一ひとしく叱懲しかりこらせども浮浪人ふらうにん見かへりもせて冷笑あさはらひわれハ浮浪人ふらうにん武士ぶしなれハしゆもなく家隷けらいもなし。管領くわんれいわれに恩徳おんとくあらバたつとくおもふべし。管領くわんれいわれにとくなくバわれハわがわたらんのみ。街道かいとうせまきにあらず。みちさはりになるものかハ。僻事ひがことすなとしかかへしてひとりごつことはじめごとくいよ/\高くよばばれバ雑色ざうしきハます/\いかりて大膽だいたん不敵ふてき癖者くせものかな。いふよしきかずバいましめん。うてたふせと敦圉いきまきたちかゝりたる三方よりなほこらさんときそほど定正さたまさ間近まちかく馬をすゝめてさはがしや何事ぞ。あれしつめよとせいさせて鐙際あぶみぎわしたがふたる松枝まつえだ十郎を見かへりて云云しか/\おふすれバ十郎ハ心得こゝろえはてその樹下きのもとおもむきつゝ浮浪人ふらうにんにうちむかひ其許そこ元來ぐわんらい何処いづこの人ぞや。かしこうも管領家くわんれいけ31 のみづからとはせ給はんとておん使つかひたてられたり。かくいふハ御内みうち近臣きんしん松枝えだ十郎眞弘さねひろ也。誘々いざ/\お ん前にまゐり候へ。とく/\といそかせバ浮浪人ふらうにんあついらへもちたるかたな腰刀こしかたな差添さしそへ深編笠ふかあみがさときすてうしろのかたへ投退なげしりぞけてはじめをもてあらはしたる容儀ようぎ堂々どう/\神表しんひやう凛々りん/\庸人たゝひとならずそ見えたりける。却説かくてかの浮浪人ふろうにんハ松えた十郎眞弘さねひろにうちむかそれがし下總しもふさ千葉ちば浮浪人ふらうにん大出おほで太郎といふものなり。ちゝハはやくさりはゝ明失めしいて年ころになれり。寒家まづしきいへくすり料足しろさへつきてせんすべなし。よつ祖父おほぢより三世の重宝ちやうほうひとふり太刀たち管領家くわんれいけらばやとてそゞろ虎威こゐおかしたる不敬ふけいつみなだめられて是の事をきこえあげ給はらバこよなきおのがさいはひならんとはゞかる所なくこたへたる弁舌べんぜつみづながるゝごとし。松枝まつえだ真弘さねひろハそのいふよしを聞はてすなわちことおもむき云云しか%\つげまうせば定正さだまさ

挿絵【挿絵】

妙義めうき茶店さてん荘助そうすけ遠目鏡とふめかねの中に道節どうせつる〉」32

しば/\うなづきてうまよりおりせうきをたてさせそのものよべといそがし給へバ眞弘さねひろ再び走り向ふてかの浪人らうにんを将て來にけり。定正さだまさかの浪人をと見かう見てうらんとほつする大刀たち往由らいゆとはれて臆せず小膝ひざすゝめその來歴らいれきをつばらにのべ太刀の眞偽しんぎを見そなはせと誇皃ほこりがに荅もはてす拿たる村雨の宝刀を取直し抜放ぬきはなちてきらめかしつゝうちれバ不思議なるかな刀尖より潜然さんぜんとしてほどばしる水氣に定正うたがひ水觧とけその太刀これへとく/\もてといはれて太郎ハ欣然きんせんやいばを引提てを起しつゝしからバ御めんかふむるべし。よくみそなはせと定正の牀几のほとりに衝と寄りてひさまづきつゝくだんの太刀をまゐらするやうにして胸前むなさきとつて推伏つ刀尖 つさききらりとさしつくれバ吐嗟あなやさはぐ。近臣きんしん諸士しよしさてハ癖者くせものごさんなれと散動どよめけども主君しゆくんをとられて捫擇もんちやくす。當下そのとき件の癖者ハ」33 天地てんちひゞけとこゑふりたて管領くわんれい定正さだまさたしかけ。下總しもふさ千葉ちは浪人らうにん大出おほいで太郎とハかり也。去歳こぞ四月うづき十三日江郷田えごた池袋いけふくろたゝかひ一族いちぞく従類じゆうるいかづつくしてなんじためほろひ給ひし煉馬ねりま平左衞門尉へいさへもんのぜう倍盛ますもり朝臣あそん老黨ろうとうにさるものありしとられたる犬山いぬやま監物けんもつ貞知さだとも入道にうだう道策どうさく獨児ひとりこ乳名おさなゝ道松みちまつよばれたる犬山いぬやま道節とうせつ忠與たゞともとハわが事也。君父くんふあだかへさんとてたきゞきもなめ千辛せんしん萬苦ばんく宿望しゆくもういまこそはたうらみやいばうけよやッとのゝしれバ定正さだまさいよ/\おどろきいかりて反復はねかへさんとするところをおこしもたてもとゝりつかんで細頸ほそくびちやう掻切かききつたり。管領くわんれい従類じゆうるい吐嗟あなやさは大叫喚たいけうくわん。われ撃畄うちとめんと刀尖きつさきそろへて八方よりきそひかゝれバ道節ハ首級しゆきう投捨なげすて殺靡きりなびけたる必死ひつし大刀風たちかぜうたるゝものおほかりける。このいきほひに辟易へきゑきしてはつみだれて逃迷にげまよ雑兵ざふひやう誘引さそはれたる」松枝まつえだ竈門かまど妻有つまあり諸士しよしみな共侶もろとも逃走にげはしるをきたなか せと呼被よびかけひとまちあまりほどひとむらしげ薮蔭やぶかげよりときどつつくらしてあらはれ出たる一個のわか武者むしや狩装束かりせうそく身甲はらまきして金作こかねづくり太刀たち短刀たんとう横佩よこたへゆん手に重籐しげとうゆみわきはさみて征箭そや両條ふたすじとりそえたるそのつはもの三十餘人よにんおの/\短鎗てやり刃頭ほさきそろへて道節どうせつ前後ぜんご左右さゆう犇々ひし/\とりまきつゝくだん若武者わかむしや弓杖ゆんづゑつきこゑたかやかにおろかなり犬山いぬやま道節どうせつ管領くわんれいいかでか汝等なんじらうたれ給はんや。けふあやまちなんしためいのちおとせしにせ管領くわんれい當家たうけ勇臣ゆうしん越杉こすぎ一郎遠安とふやすよばれしもの。去年きよねん池袋いけふくろ捷軍かちいくさなんじ主君しゆくん倍盛ますもり頸捕くびとつ名誉めいよ感状かんでうたまはりたるかうものなり。かくいふわれをたれとかする。管領くわんれい補佐ほさの一老職ろうしよく巨田おほた左ヱ門大夫さへもんたいふ持資もちすけ入道にうどう道寛どうくわん長男ちやうなんなる薪六郎しんろくらう助友すけとも竒計きけい受行うけおこなふてなんじはかりしとらざ」34 るや。いま討捕うちとるやすけれども可惜あたらしき勇士ゆうしおもへバわがかけず。降参かうさんせよとそよばゝりける。道節とうせついかれる面色めんしよく必死ひつし覚期かくご大刀たち取直とりなほして走向はせむかへば齊一ひとしく衝出つきだやりさきを左右さゆううけ手〓煉てだれ刀尖きつさき矢庭やにはいのちおとすものはや十人にあまりつゝたちまはつひらなびけハ道節どうせつ助友すけともがけてちかづかんとするほとに助友ゆみつがふて道節どうせつさけたりける。ほどもあらせず射出いゝだす二の太刀たちもてはらふ程に助友すけともゆみ投捨なげすて太刀たちぬかんとするほど松枝まつえだ妻有つまり近臣きんしん時分しふんはかりてかへちからあはしてもふだりけ〔る〕當下そのとき道節どうせつおもふやうわか大宿望だいしゆくもうとげことけふにかぎりてあすなからんや。たゞ一方いつほう殺開きりひらきてまつた してときまたんとはや一條ひとすぢ血路みちひらきてかつたゝかかつはしれば助友すけとも士卒しそつはげま眞弘さねひろ之通ゆきみち共侶もろとも何処いづこまでもとおふたりける。浩処かゝるところに」

挿絵【挿絵】

道節どうせつ定正さだまさ帰城きじやうはかり名刀めいたうらんとす〉」35

信乃荘助そうすけ現八げんはち小文吾等の四犬士ハさきに遠眼鏡とうめがねもて見たる武士にもしあふことのあらんかとて山を下りてたづねつゝその〓ぐれに白井の城へとふからぬ一村里を過る程に道節とうせつうはさとり%\にて騒劇そうげき大かたならされば四犬士もうちおどろきてくれぬ間にとくその処へ赴きてきよ実を知らんといそほどに年なほわかき一個の武士ぶし手に白じんをうちふりおひてき殺靡きりなびけ道のゆくての四犬士の間に忽地たちまちと入りてうしろに立かと見かへれバゆく方もしらずなりにけり。そのとき巨田おほた助友等ハ透間すきまもなく追蒐おひかけ來つ前面むかひ立在む四犬士を同類なりと思ひけん。やりそろへつきかくれバこはそもいかにとおどろさけても一言の問荅もんだういとまなけれバ已ことを得ずたゝかひけり。浩処かゝるところ城中ぜうちうよりたすけつはもの百騎ひやくき許近づくほどにこの時すでに日ハくれけれバやぶ篭盾こだてに四犬士ハ力をあはして苦戦くせんしつしきりかつるから」36 不知ふち案内あんない夜戦よいくさなり。ことにハもとより不おこりてわれにたすけつはものなけれバおもはずも蒐隔かけへだてられてかたみすくふ事を得ず。荘助そうすけ城兵じやうへい新隊あらてかこまれ又げん八小文吾ハ助友が隊兵てのものたゝかひおの/\いとまなくのがれはつべくハえさりけり。有斯かゝりほど道節とうせつから大敵たいてき殺脱ぬけはしる事さんてうくれてきのなかりしかバしばらいきつくをりから忽地たちまち後方あとべときの声して撃太刀おとさへ聞へけれハ原來さてハわがはしりしとき前面むかひより來つる旅客等があはひに入りしをわが助太刀のものぞと思ふて捕籠とりこめうつにやあらん。われハたやす追手おつてのがれしゆへ旅客たびゝと等ハてきに撃るゝことあらバ便すなはちこれ人をころしてわが命をたもてるハ勇士ゆうしのせざる所なり。いでや彼所かしこへ走りかへりて旅客たびゝと等をすくひてんと思ひさだめてもすそかゝ舊直まつしくらに返りてれハはたして四箇よたり旅客たびゝと城兵じようへい捕圍とりかこまれてそのあやうきこといふべからず。道節どうせつしば

挿絵【挿絵】

四犬士しけんしみち助友すけともへいたゝかふ\道節どうせつ君父くんふあだうつはしる〉」37

尋思しあんをしつゝてきの捨たる弓箭ゆみや列卒せこなわこれ究竟くつきやうり揚て左の大竹藪 ぶ潜入くゞりいりつゝくだんなわ彼此あちこちたけにからまし引うごかしつゝ忽地にときの声をあげしかバ城兵じやうへいこれにおどろく処を竹薮たけやぶの中よりして射出いいだ強音つるおと空箭あだやハなく矢庭やにはいのちおとすもの五七人に及びにければ城兵ぜうひやう等ハいよ/\周章あはて人〓ひとびやくうつくづれにけれバまへたゝかふ四犬士ハ忽地たちまちこれに力をてきをよきほど追捨をいすて荒芽山あらめやまの方へはしりけり。助友ハ後度ごど不覚ふかくやすからずおもへども窮寇きうこうおふべからず。一まど白井しらゐ退しりぞきて便点てだてをもつてのこりなく搦捕からめとるこそよかめれと思ひかへしてしひてもおはせずひそか家隷いへのこ両三人に謀事はかりことさづけ畄めおきて白井のしろにそかへりける。犬山いぬやま道節どうせつ忠與たゞともちかきわたりにひそまして分をはかあらはれ出さきにわが投捨なげすてたる越すぎ駄一郎とほ安がくひをとりあげ死骸しがひそできりとりて」38 くたんの首級を推包おしつゝみそのはしを帯に結ひたち去らんとする後方あとべよりくせまて呼畄よびとめつき出す鎗にこゝろへたりと身をおとら一個いつこ鼡輩そはい虎のひげひねらんとする殊勝しゆしやうさよ。名れ聞んといはせもはてすわか名ハおとにも聞つらん去歳こぞ四月うづきたゝかひになんじちゝかうべを得たる竈門かまど三宝平かず行なり。かうべをわたせとのゝしつたり。道節ハ願ふ敵そと疾視にらまへついて父の仇其処そこ退きそと敦圉いきまけて刀をきらりと抜放せバ三宝平さほへいも声を合してつき出す鎗うつ太刀たち霎時しはしハいとみ戦へとも忠孝無二の道節が頻りに進むやうの太刀鎗をからりと巻落まきおとされ太刀たちを抜んとするところ大喝たいかつ一声いつせい道節どうせつがうちひらめかすやいばした三宝さぼ平が首ハ落てけり。さるほとに道節ハちゝあださへ思ひのまゝ撃果うちはたしたりけれバよろこたへんに物もなく仇人かたきかうべを引さげつ。又その死骸しがいそで断離ちぎりておしつゝこしにつけやいばさやに歛むるをりしも」先に助友が畄おきたる三人みたりの家のこハおの/\鳥銃てつほうたつさへて東西の樹下きのもとよりねらひうたんとする処を道節目ばやくすかし見て小石こいしを両手にさそくの飛礫つぶて左右さゆうひとしくたふるゝを足をとばして一度いちところし又たちいつる一人をおちたる鳥銃てつほうとるよりはやく火蓋ひふたきつて〓とはなせばひゝきともたふれけり。今ハしもてきハあらじと道節どうせつ鳥銃てつほう投捨なけすてそてはらふて悠々ゆう/\高峯たかねのかたへ返りゆく。

○爰に犬川荘助そうすけ三犬士さんけんしに死をすく 〔は〕れし恩義おんぎむくはんと思ひにけれバけふの途中とちう苦戦たゝかいに三士に先たちて防戦かひことさらにおくれしかバつひ信乃か往方をしらす。何所いづこさして追著んよすがハあらぬを〓平か信乃しのたのみし書状の事を思ひ出ておぼつかなくもくらき夜を荒芽あらめ山へと心さし足にまかしてはしる程に田文たふみ地蔵堂ちざうだうまで來にけり。折からたちま人音ひとおとして前面むかひよりる」39 ものあり荘助そうすけはやく透し見てこハかならす盗賊たうそく臥簟ふしどつくるにあらんすらん。かくれてしかと見定めばやと思へバやをら身を起し竊歩ぬきあししつゝ左邊ゆんでなる石塔せきとううらに身をひそましそのちかつくをうかゝひけり。さるほど道節とうせつこのとうほとりなる舊塚ふるづかあはひにハ君父くんふ追善ついぜん由縁ゆかりたて塔婆とうばあれハ二ッの首きう嚮礼たむけんとて茂林もりなかにそ進みる。浩処かゝるところに後方より年老としをひたる賤のを旅粧たびよそひにたけ笠肩にハ二袱の小包こつゝみむすび合しうちかけて道節が跡をつけてかげ立躱たちかくれてちかくもよらずりてをり。道節どうせつハかくともしらず塔婆たうばの下に進向すゝみむかひつ二ッの首級しゆきうを觧おろし賻贈たむけ祈念きねんらすになんそう助ハすかし見て扨こそ癖者くせものにさうひあらじ〔いでや〕うち驚してためして見ばやと手をさしのばして二包つゝ なる首級しゆきう無手掻獲かいつかめどう節ハ驚きなから荘助そうすけうでをしかと攬詰〔とり〕つめひくをこなたハ」

挿絵【挿絵】

石火せきくはひかりに道節どうせつ暗夜あんやてきをさくる〉」

40ひかれしとたがひにあらそ金剛こんがう力士りきし。ちから余りてあはひなる石塔せきとう瓦落離ぐわらり推倒をしたふ籠盾こだてのとれしを道節か得たりとよるをよせつけず双方おとらぬ手練しゆれんのはたらき。烏夜やみにもそれとすかし見て樹下こかげを出る以前いせん老人らうしん両人ふたりか間へ杖を入れ推分おしわけんとしてけれハ二人りハ驚きくみたる手をはなせハ落たる首級の包両人りやうにんとらんと立よる処をまた老人ハつゑとりなほし推隔おしへだてたる。早速さそくはたらき思はずおのかたにかけたる両袱ふたふろしきをうちおといそかはしくとらんとするを左右さいうひとしく老人を突退つきのくれバ踉〓たぢろきながらさぐり當たる道節どうせつか仇の首級を我つゝみこゝろばやくひきよして身をおこす。とハしらぬ道節とうせつさぐり當たる老人らうじん両箇ふたつつゝみをわがあだ首級しゆきうおもへば諸手もろてさげ直躬すつくと立しを荘助そうすけぬくするど〓付きりつけねらひそれかたへなる石とうかとはたつに溌と出たる石火せきくわひかり面をみとむるほどもなく姿すがたかくせし道節どうせつのがるゝ」41 火遁くわとんの術に往方ゆくへもしらずなりたるを老人らうしんハなほあとをしとふてもと來しみちはしるになんそう助ハ又その足音あしおとをはじめのくせ者なるべしと思ひにけれバちつと猶豫ゆうよせす何処いづこまでもとさすかたの荒山路へ追かけたり。不題こゝにまた上野國かうつけのくに甘樂郡かむらこふり荒芽山あらめやまふもと村に音音おとねといふ微賎しづ老女おうなありけり。もと武蔵むさしのものなりしをゆへありて去歳こぞなつこの山里にうつりにけり。老のつゑともたのみてし両箇ふたりの子共ハいぬるころしゆの供して戦場せんじやうおもむきしより生死せうしらず。いへのこるハ両箇ふたり〓婦よめのみ。あにが妻を曳手と名つけ又おとゝ婦を單節ひとよべり。されハ管領家くわんれいけ戸沢とざは山の狩倉かりくら斯辺こゝらまで夫役ぶやくさゝ兄婦あによめ曳手ひくて未明まだきよりうまおひつゝいでいまたかへらす。音音おとね單節ひとよと共に夜延よるべ績草うみをいとまなき女子おなこ世帯せたい水入みづいらす。おりから外面そとも人響ひとおと音音おとねハはやくきゝつけてあれ曳手ひくてかへりしならん。とく燈燭ともしひをといふ

挿絵【挿絵】

孀婦さうふ孤屋こをくすん貞操ていさうまつ ふす〉」

42はしに單やが振照ふりてら指燭しそくに面をあはすれハそれにハあらてらぬおいたる一個ひとり行客たびゝとなり。ふろしき包を肩にして竹子かさ引提ひさけつゝ口に立てみづこへ音音おとねも跡よりたち出て單節ひとよれる指燭しそくかげに思はすもまた行客たびゝとおもてあはおぞましやちがふたりとかたみふたゝひとかう見れハ行客早くよびかけてそなたハ音音おとねにあらざるや。われハ世四郎よしらうなりと名告るにさてハとうちさはむね合がたき諸折戸もろおりど裏面うちよりはたと引闔ひきたてたり。單節ひとよくだん老人らうしん名告なのるを聞てしうとめたもとひそか掖駐ひきとめあれまさしく良人おつとてゝ。おんこゝろにしまずともとめまゐらせて武蔵むさしの事語慰かたりなぐさめ給はずやといはせもはてこゑいらやかに廿年はたとせあまりえんたへたるもとおつと両箇ふたりの子共がおやにしておやならず。世四郎よしらうとのハ縁断ゑんきつたり。たとへみしらぬ行客たひゝとなりとも故主こしう鴻恩こうおんわするゝことなく忠義ちうぎあつまことあらバ畄るよしのあるへきに廿年はたとせ余り」43 一日も参の勧解わびをまうしも出す仇人あだひとたみとなるまで義理きりそむきし人とりつゝなにたのしくて相譚かたらふべき。たゞうちすておきねかし。といきまきたか老女らうちよ一轍いつてつやす平これをもれ聞て音音おとねうらみさぞあらん。わすれもやらぬ故主こしうおん。一日もあだに思はねとも漁夫すなどりとなりはててハ又一介のこうもなし。なに面目めんほく帰参きさん勸觧わびして子の身はゞせまくすへき。なほこゝろもとなきハ令郎君わかだんなのうへになん。かつまた子供こどもの事をしもひそかつげんとおもひつゝはぢかゞやかしく詣來まうきたり。しばらくこゝをあけてよとたゝ折戸をりとうちたつ音音おとねむねさはけどもおもひかへして回荅いらへもせず障子せうじはた闔隔たてきり母屋おもや退しりぞき入にけり。單節ひとよハそなたを目おくりつゝ指燭しそく振滅ふりけ折戸おりと引開あけ〓平やすへいすかいたましや暗夜くらきよ何時いつまで立せ給ふべき。しばら彼処かしこしば小屋ごやみちのつかれをやすらひ給へ。わらはゝ單節ひとよよばれたるよめはべりと名告なのりあへず〓平やすへいふかくよろこひて」 原來さてハそなたハかねて聞く尺八かつま單節ひとよなりしか。われ籍に令郎君わかだんな見参げんざんして稟試まうしこゝろみばやと思ふあり。さらでもまた子どもがうへを母にもよめにもつげんとてはる%\としなれバ臥房ふしどハよしや何処いつこまれ一宿やどあか〔さ〕し給ひねといふに單節ひとよハまめやかにその行裹たびつゝみの重けに見ゆるにわらはにあつけ給ひねとよにへだてなき愛々しさに〓平ます/\こゝろおちゐて田文たぶみ茂林もりにて二箇ふたりつゝみを取違へしとハ思ひもかけずしからバ是をとかたよりおろすと單節ひとよ左右さゆうに受たづさへて先にたちつゝ柴小屋しばこや案内しるべをしてぞ休はせぬ。當下そのとき音音ハ〔子〕せうじをひらきて單節ハ何処いつくぞ。寐よとのかねつくるに曳手ひくてハまだかへらずやととはれて單節ひとよ柴小屋しはこやより両三束の續松たいまつをとりそへはしり出さのみハ御心みこゝろくるしめ給ふな。わらはも月ごろなれたるみちなり。そこらまでて來てんと回荅いらへ母屋をもやと入りて〓平やすへいが両つゝみをそかまゝ戸棚とだなかくしつゝ草鞋わらんじはきしめ裙壺すそつぼ折て松の火照てら44 していでゆきぬ。
○犬川荘助そうすけ義任よしたゞ心當こゝろあてなるふもと白屋くさもや是首ここかとばかりに尋來たつねきつ。もろ折戸を呼門おとなひ卒尓そつしなから物とひてん。此辺こゝら音音おとねといふ老女おうなの宿所をらハおしへてたべととはれてさはむねしつめ音音ハ吾儕わなみはへるなり。何処いつこよりませしといふによろこそれかしハ武蔵より同行とうきう四人の旅人なり。しかるに同道みちつれなるものあるひとたのまれてそなたへとゞまいらする書翰しよかん一封もたせしを先に白井のこなたにて不慮ふりよのけんくわに側杖そはつへ打れて友たちにおくれたり。はや甲夜よひすきて天いとくらし。山索迷たづねまよはんよりこゝにてまたかならすあふべし。霎時しはしいこはし給ひねとこはれて強皃つれなくいなみもえせずさらバ草鞋わらじ脱措ときおき母屋をもやりて休ひ給へと回荅いらへやがて案をするに荘助ハやうやくおちゐてしりにつきつゝ引るゝまゝ縁頬えんかはよりうちのほりて地〓ゐろりほとりしむれハ音音ハなにおもひけん。しばし

挿絵【挿絵】

荒芽あらめ山のふもと〓平やすへいふるおもひ人をとふ〉」45

してたびてんや。物調とゝのへに一はしりと外面とのかた出去いでさりけり。荘助そうすけこれを目送みおくりてしきり寄來よりくをはらひまづといぶしと縁〓えんかはなる刈草かりくさかご引よする折から荒芽あらめ山下風やまおろしまとよりさつと吹入れて燈火ともしびふつとうちしたり。荘助これに迷惑めいわくして地〓ゐろりふち拊廻なてまはしつゝ火筋ひはしとり掻起かきおこほたるはかりの埋火うつみびに刈草あまたうちせて焼著たきつけんとしたれども未枯なまかれ草多おほかれハとみにハえずあきれてをり。さるほどに犬山道節とうせつ忠與たゞとも乳母うばか宿所へかへりつこハいとくらし。音音おとねらずや。などて燈火をうちしたる。ひく單節ひとよ呼立よひたつれどもたへ回荅いらへをするものなけれバつぶやきながらすゝみ入るにさきに荘助がうちせたりし刈草におのづから火のうつりにけんふたゝひ吹入る夜風にさそはれたちまちはつともへ揚る火光ほかげにはじめて面をあはしておとろく。いふかる荘助ひとしくかたなかい取て疾視にらまへあふたるたがひの身かまへ地〓を中に足場はかりて」46 道節とうせつ苛急いらつうたんとすゝ太刀たちを抜せす〓禁めたる。荘助はやくこゑをかけ早り給ふな犬山いぬやまうし。われこそ和殿わとのと過世ある犬川荘助そうすけ義任よしとうなれ。つぐべき事のさはなるにまづその刃を退かすやといはれて道節いぶかしげにとかう見つゝうちうなつき刄を鞘に納めてもいまだちつと由断ゆだんせず。名告なのりを聞てわれも亦聊おほえなきにあらす。いぬる六月みなつき十九日圓塚山のほとりにて 《荘》「節婦せつふ濱路を火さう愁歎しうたんかの村雨の太刀たちをもて君父の讐を謀らんとて立去たちさらんとするほどかたなこしり握畄にきりとめ名告なのり被つゝその太刀たちを 《道》「らんとするを振拂ふりはらちやううつたるやいばひかりに 《荘》「こなたもすかさす抜合ぬきあはしたる 《道》「たかひ修煉しゆれん虚々きよ/\実々じつ/\ 《荘》「一上いちじやう一下いちげ〓結きりむす刀尖きつさき餘りて腕へ 《道》「受しハ淺痍あさでか 《荘》「〓込きりこ肩尖かたさき 《道》「思はずこぶつんさかれ 《荘》「その瘡口きつぐちより飛散とひちる小玉不思議にわがりしかと護身嚢まもりふくろ紐延ひものびてあやにからまるかたなつかに 《道》「こゝろもつかす」

挿絵【挿絵】

枯草こさうおのづからもへ山川さんせん愕然かくぜんたり〉」47

そかまゝひも引断ひきちぎつて後にふくろうち一顆ひとつ玉顕あらはれたるハ忠義ちうぎ 《荘》「その身のうちより出たる玉にも自然しぜんゆるちう義の忠の 《道》「とハしらずして火遁くわとんしゆつに 《荘》「跡をうづめて往方ゆくへをしらず本なかりしに今宵こよひ再會さいくわい 《道》「田文たふみ茂林もりにてわが祈念きねんさまたけせしもなんぢにあらすや 《荘》「かのふる塚をまつりしハ原來さて道節とうせつ和主わぬしなりしか 《道》「そのをりあはひわけ入て推隔おしへたてしハなにものそ 《荘》「われハ得しらすのちにしらん 《道》「そハ何人なにびとにもあらバあれ心憎こゝろにくきハ汝が骨法こつほうわれすく世のありといふ妖言えうげんをもてこののはして油断をうたんとはかるならすや。何でふそのに乗るへきと詰ることはも果ぬ間に刈草かりくさハはやなこりなく燃盡もえつくしけり。又さらに黒白あやめもわかすなりにける。

神田松下町       
英名八犬士ゑいめいはつけんし五編ごへん
伊勢屋久助板48


『英名八犬士』六編

【六編表紙】

六編表紙
英名八犬士えいめいはつけんし 直政画
【見返・序】
 英名八犬士\第六集

見返・序
英名ゑいめい八犬士はつけんし第六輯たいろくしう序詞ぢよし [魯魚][辰三]

筆硯萬壽 

これこの稗史そうし飯台はんたいの。かの稀翁まれもの膏骨かうこつにして。奴隷やつがれなんどが禿ちびたるふでもて。いみじくしきことを。みだりに鈔録ひろひかきせるハ。謂所いはゆる蚊虻ぶんぼう大鵬おほとりあるをしらぬにひとし。とみとみたるものまつしきのまつしきらず。いやしきのいやしものたつときのたつときをらす。孔子こうしせきおもひらず。たかきにのぼ〓猴みこうすら。白波しらなみよする石川いしかはこゝろらず。るからに天地あめつちあはひもの一箇ひとつとしてゑきならざるものハなし。世尊せそん厩戸うまやどいへバさらなり。だい守屋もりや造化ぞうくわ要具やうぐことはざいはく癡漢ばか賢良りこう定規てほん拙業へた高手しやうす鑑定をりかみと。理屈りくつつける自己てまへ豆蒸みそなれもせぬくせ脚色すじ文事理もじり平仄ひやうそく隱微いんびあへバこそ。一字いちじたがひに全巻ぜんくわん義理ぎりうしなふも知らずして。成刻まにさへ發兌あへ」 バよき事と。つゞよせたる荒芽あらめやま破裂ぼろハつゝめどはづかしの面伏おもてふせ縫隱ぬいかくばり素針しらいとしてかほ赤岩あかいはの。ねこ針目はりめあてたる。いぬ待針まちばりねらひよくあたるといふを幸先さいさきに。だい六編ろくへんぢよとハなしぬ。

  安政二卯秋稿晩

鈍亭魯文記 [呂文子] 
[改]

【口絵第一図】1

口絵第一図
爲父兄鏖讐爲舊主 鋤奸自今而後知君 之爲君勿使繻葛復 倒羂

粟飯原首胤度遺子\犬坂毛野胤智 
   文明十一年

をんな田樂でんがく旦開野あさけのじつ千葉家ちばけ旧臣きうしん粟飯原あひはら胤度たねのり落胤らくいん
犬坂いぬさか毛野けの胤智たねとも
再出\犬田小文吾
【口絵第二図】2

口絵第二図
〓而節操命薄情篤\劈身仆讐返璧〓玉
露を玉とあた〔ざ〕むくとても はちす咲水沼におとしいれられハせし [印]
再出さいしゆつ犬飼いぬかひ現八げんはち
節婦せつふ雛衣ひなきぬ
にせ一角いつかくじつ庚申山かうしんざん猫股ねこまたくわい
犬村いぬむら角太郎かくたらうのちに大角だいかく禮儀まさのり
赤岩あかいわ二郎〔しらう〕
英名ゑいめい八犬士はつけんし六編上帙

鈍亭主人鈔録 

       ○

當下そのとき荘助そうすけこゑふりたて縁故ことのもとをときつくさねバうたがはるゝハさることなれどもかたみまさしき證据せうこあり。そハ此彼これかれたまのみならず。和殿わどのあざありてかたち牡丹花ぼたんくわごとくなれバこれすなはち和殿わどのとわれとまさ異姓ゐせい兄弟きやうだいたるべき第一たいゝちあかし也。まづ燈燭ともしびをといそがせバ道節どうせつうちなるあざさへられて半信はんしん半疑はんぎ〓児つけぎさぐりていそがはしく行燈あんどんうつしけり。されバまたあるじ音音おとねひそかおもふよしあれバ荘助そうすけ畄守るすまかして外面とのかた立出たちいでつ。諸折戸もろをりどほとりよりうちのやうをうかゞふに道節どうせつ荘助そうすけ問荅もんだうほのかきこえしかバおとろきながら左右さうなくらず柴垣しばがきをかけてなほそのこときゝてをり。裡面うちにハさりともらずして荘助そうすけやをらひざすゝめて道節どうせつあざことふたゝへバかしらかたむあやしきかなわがあざまでいかにしてられけん。われハうまれながらにし」3ひだりかたしひねあり。そのうへあざいでかたち牡丹ぼたんはなたり。かくてあまたとしていぬるつきの十九日圓塚山まるづかやまのほとりにて和主わぬししひねられしときいさゝかもそのいたみおぼへずつぎの日かたなでしにしひねいゑ刀瘡たちきずあとだにたへてなかりけり。原來さてそのときわが瘡口きづぐちよりいでたるたまあるにこそ不思議ふしぎといふもあまりあり。されバ何等なにらの由をもて過世すぐせありといはるゝやらん。因縁いんえん甚麼いかに疑問うらとへバ荘助そうすけ莞爾につことうちゑみうたがはしくバまづこれ給へかしといひかけて諸肩もろかたぬぎつゝそびらあざしめせバ道節どうせつつら/\うちてわがあざにしもことならねバなり/\と嘆息たんそくす。當下そのとき荘助そうすけ衣領えり縫合ぬいめおさめたるちうたま取出とうで道節どうせつかへしわたせバわがたま印籠いんらううちおさめてゑりかけたる荘助そうすけ護身袋まもりふくろかへしにけれバ荘助そうすけひざをすゝめ伏姫ふせひめが事。感得かんとく珠數じゆずの事いぬの事さへ箇様かやう/\とその概略がいりやくをときしめ因縁いんゑんかくのごとくなれバ異姓ゐせい兄弟けうだい八名はちにんあるべし。和殿わどのくわえて六名ろくにんすであいあふ事をたり。のこ二名にゝんとふからずそのかずみてんこと」 たぐひをしるべきのみと。また信乃しの現八けんはち小文吾こぶんご親兵衛しんべゑあざありたまある事をかたりその死刑しけいのぞみしをり三雄さんゆう法場ほうじやうおびやか奸黨かんとううつすくひとられ共侶もろともはしほど戸田河とだかはほとりにて追手をつて城兵ぜうひやう追詰をひつめられしを神宮かには〓平やすへいといへる漁夫すなどり扶助たすけによりてふねてきさけたるにそが親族しんぞくなるりき二郎尺八しやくはちといへる両個ふたり侠客きやうかく大将たいせう丁田よほた町進まちのしんうちとりつ。 しきりに挑戦いどみたゝかふたり。其折そのをり〓平やすへいふねしづめて入水じゆすいしてうせにけり。某等それがしらハいとほいなく其処そこ立去たちさをりからハ黄昏たそがれになりけれハかのりやう侠者けうしや存亡そんぼうさだかに見果みはたるよしもなし。こゝろならずもはしりたりとつぐるを音音おとね竊聞たちきゝかつおどろかつあやし舊夫もとのおつと〓平やすへいぬし甲夜よひにわがかどたち給ひしハ冤魂ゆうこんならんとらずしてつれなく霎時しばしいれざりしかみならぬくやしけれ。それのみならで子共こども存亡そんぼうこゝろもとなしかなしやとこゝろへだて柴垣しばがきすがりてひとり伏沈ふししづむ。道節どうせつハうちきゝかたちあらたかの〓平やすへいハわがちゝふるつかへしものにして當時そのとき姓名せいめい姥雪おばゆき世四郎よしらうと」4 いひしとぞ。かれ如此しか々々 %\ ことにより追退おひしりぞけられし也。また此家このいへのあるじ音音おとねむかし四郎と情由わけありて力二りきじ尺八しやくはちうみたりしにかれ乳房ちぶされバとてとがゆるしてそがまゝとゞめわがめの母にハなりにたり。よりて子共こどもはゝつきそれがしつかへし也。かゝれバ〓平やすへいひそかはぢ父子おやこ也とハいはざりけん。をはかなみて入水しゆすいせしはまこと不便ふびん最期さいご也。また力二りきじ尺八しやくはち四犬士しけんしおとせしハいわれある事になん。それがしかねて君父くんふあだ狙撃ねらひうたんとほつせしに腹心ふくしん郎黨らうどうのこるハはづかかれらのみ。とも忠義ちうぎ壮佼わかものなれバ彼等かれら両個ふたり武蔵むさしのこしつ汝等なんじら兄弟けうだいこゝろあは豪傑がうけつるならハ実情じつじやうをもてあつまじは躬方みかたれよとめいぜし事あり。これにより四犬士しけんしためこゝろざしつくせしならん。さるにても三犬士さんけんしハいかにせしとへバ荘助そうすけうなづきてけふしも明巍みやうぎの山中にて遠目鏡とふめがねうち和殿わどのしよりいそがはしく下山げさんしつ彼此あちこちをたづねめぐ如此しか々々 %\ さとよぎりしとき箇様かやう/\の事ありて城兵ぜうへい

挿絵【挿絵】

貞操ていさう双婦さうふよる二個ふたり行客たびゝと我家わがやともな[印][印]〉」5

追手をつて側杖そはづゑうたれてやむことたゝかほどやぶなかよりてきたすけるものゝありけれバつい重圍かこみ殺脱きりぬけ異途同志おもひ/\はしりつゝくれみちのわかたねハそれがしひとりをくれたり。かくて田文たふみ地蔵堂ぢぞうどうにて和殿わとのつかまつりしを盗賊とうぞくならんとおもひしかバさゝえつい撃走うちはしらして其所そこよりこゝへつるよしハかの〓平やすへい犬塚いぬつかあつらへたる書状しよじやうあり。そハこの山のふもとなる老女らうじよ音音おとねおくれるなりとかねきゝしをよすがにて其処そこ宿投やどかる事もやとてたづねてこゝへつる也とこゝろかぎりときつくせバ道節どうせつこれをうちきゝてきのふ扇谷あふぎかやつ定正さたまさ戸沢山とざはやま狩倉かりくらすときゝてこの村雨むらさめ大刀たちをもて定正さだまさはか矢庭やにはかうべ掻落かきおとせしにてきにもかね准備ようゐありてわがうちとりしハ主君しゆくん倍盛ますもり朝臣あそんやりつけたる越杉こすぎ一郎遠安とふやすといふもの也。これよりてき撃散うちはらせしに巨田おほた助友すけとも薮蔭やぶかげより士卒しそつすゝめてうたんとす。さりとて陣歿うちじにすべきにあらねバはし退しりぞ黄昏たそがれをりよくかゝる旅人たびびとあはひりて立紛たちまきしきりに」6 はしりてかへるにかのやぶほとりにてはげしたゝかひあるがごとし。こと危窮きゝう彼等かれらにうりてのからんハ夲意ほゐならずとおもひにけれバはしりかへりつてきはかりておとろかしつゝ和殿わどのすくたりと田文たぶみ茂林もりのことさへにおちもなくものかたれバ荘助そうすけも又意中ゐちうつく犬塚いぬづか犬飼いぬかい犬田いぬた安否あんひこゝろもとなし共侶もろともくまなくたづね三犬士さんけんしあはんとてうちつれいでんとするほと音音おとねあは柴垣しばがきかげよりいで呼畄よひとゞ君父くんふあだうちたるをしゆく道節どうせつ犬士けんしたることよろこびつゝさきだつものハなみたにてこのあかつきにかへらせ給へといへバ道節うなづきてとくかへりゆるやかにかたりもきゝもせんものとことばのこして荘助そうすけともにうちつれだちいでてゆくを音音ハしはし目送みおくりてこゝろひとつにうたがひをとくよしもなき物思ものおもよめもどりのおそかるハ平事たゞことにハあらじかしこゝろにかゝるハこれのみならで両個ふたり子共ことも安危あんき存亡そんぼうおもひにつきてくやしきハになきひとらずして強顔つれなくいなせし〓平やすへいぬし健氣けなげなりける最期さいごにこそ家〓ぢぶつ御燈みあかしまいらせん南無阿弥陀仏なむあみたぶつねんじつゝ身をおこさんとする折から姥御おばご/\と」

挿絵【挿絵】

荘役せうやく樵夫きこり道節どうせつ姿繪すがたゑをふれしらす〉」7

よびかけて荘役せうやく根五平ねこへいさきたち樵夫きこり丁六てうろく〓介ぐすけ縁〓えんかはまですゝちかづき白井しらゐよりの下知状くだしふみをとりいだ根五ねこうや/\しく打被うちひらきて犬山いぬやま道節とうせつ人相にんそうかきよみをはりふところ巻納まきおさめさる癖者くせものハ女子ばかりて搦捕からめとることならすともかの隠宅かくれかることあらハひそかに吾儕わなみつげ給へ。賞禄ほうび勿論もちろん等分やまわけぞやくるしきものハ荘役せうやく也といひつゝこしをうちたゝ両個ふたり樵夫きこりをいそがしてそがまゝはしりにけり。音音おとね障子せうじ引立ひきたておもはずほつとつくいきのいとゞくるしきむねうちうしともうしときかねはや鎬々こう/\つげわたるをりから曳手ひくて病疲やみつかれし行客たびゝと二人ふたりを合鞍あいくらのしたるうまひきよすれバ單節ひとよ行〓〓たびこり両箇ふたつ背負せおふ右手めで蕉火たいまつふりてらさきすゝみていそかはしく阿姑御はゝご目今たゞいまあねさまをともなふてかへはべり。いまだねぶらでをはするよびかけなから〓妹あねいもと〓〓こりときおろしてうま牽居ひきすゆれバ音音ハつゝがなきをよろこびまづそのあしそゝがせてくだん行客たびゝと縁〓えんかはしりうちかけ背姿うしろすがたをとかうつゝあれ何処いづこひとたちやらん。戻馬もどりうまを」8 かしたるか。行客たびゝとならバ白井ひらゐよりおごそかなるおん下知げぢあり。左右さうなくとゞめがたかるにといふハいまにも道節どうせつ四犬士しけんしかへり來バことさまたげなるべしとおもこゝろぞしらぬ曳手ひくて後方あとべかへり真夜中まよなかすぎ行客たびゝとうまさへかしともなはべれバいぶかしくおもひ給はん。そハヶ様かやう々々/\ことにこそ。定正さだまさ帰城きじやうみちにて軍兵ぐんびやう騒動さうどうしてせんすべなきをりから行客たびゝとのたのもしく扶掖たすけうけ田文たふみ曠野あらのまでつゝとき行客たびゝとたちひとしく旧病きうびやうおこりしとて共侶もろとも其所そこそのまゝ伏轉ふしまろべハうちおどろくのみすべもなし。たすけられたるおんさへあるにやみふし給ふをすててハいなれず。うちもるのみにてくすりハなし。人煙ひとさと離野とふきのたちおもはずもふかすほどに家路いへぢかたより蕉火たいまつへてやゝちかづけハいもとにてわらはをむかひにつる也。かたみよびよびかけられて其所そこ集合つどへたちまちちからつくまでなぐさめことおもむきつげしらし共ともいたははんべるに両客ふたかたおほするにハねがふハ馬にうちしてそなたの宿所しゆくしよし給はゞ今宵こよひをやすくあかすべし。只顧ひたすらこのたのむのみ」といわれていもと商量だんかふしつ合鞍あいくらにしてかへりしことおもむきつけしかバ音音おとねハいとゞ胸苦むねくるしさのかうべかたむ嗟嘆さたんしてせんすべなけれバこなたへりてやすらひ給へと誘引いざなへばくだんの両人かへりてゆるし給へと共侶もろともおこしつゝ母屋おもやなるまどほとりならびてをり。當下そのとき音音おとね行燈あんどん火光ほかげつき行客たびゞととはじめてかほあはしておどろきそハ力二郎りきじらう尺八しやくはちならずやおもひがけずとよびかけられて両人ふたりおとろきうち向上みあけてこはわが母刀自はゝとじでおはしましたり。おやなるべきをるよしなく外々よそ/\しく候ひしをゆるさせ給へと母子はゝこ齊一ひとしくうちりてよろこばしさにむねみちなみだぞやるせなかりける。側聞かたへきゝする曳手ひくて單節ひとよハわが所夫つまぞともしらざりしをはぢ有繋さすが名乗なのりもあへずおもはすかほをうちおほふ。しばらくしてはゝ音音おとね兄弟はらからうちむかひ往事こしかたものがた二個ふたりよめ貞操ていそう孝順かうじゆんほめなぐさめ給へよとひとり款待もてなすおやごゝろ五個いつたりよりし哀歓あいくわんこも%\はゝさへよめさへ二人ふたりが手疵てきずなほいつまで逗畄とうりうして気長きなが保養ほやうし給へといふに兄弟はらからかぶりをしてはゝの」9 慈愛じあいつまたち節義せつぎ等閑なほさりにハおもはねども俺們われ/\兄弟けうだいハこのあかつきにうちたちしのびやかに鎌倉かくまらおもむきてき虚実きよじつうかゞ便宜びんぎ郎公わかだんな〈道節|を云〉へつけまいらせんためなれバもしさちなくてそのことあらはあたするものならバこれ今生こんじやうわかれ也。またたゞたのむハ母御はゝごことのみ。わが兄弟けうだいになりかわりて奉養ほうやうつくしてたべ。いひおくことこれのみそとことば齊一ひとしくときしめせバ曳手ひくて單節ひとよきゝあへず侶音ともねによゝとうちなき口説くどきたてつゝ一對いつゝい情義じやうきせまりやう貞女ていぢよこゝろまことあはれなる。りき二郎尺八しやくはち嘆息たんそくしつゝはゝむかひ母とつまとの慈情ぢじやう諌言かんげん兄弟はらからいりわたりて名殘なごりハいとゞをしけれどとてもかくても某等それがしらながくこのとゞまりがたし。つきまた情願ねぎことあり。そハわがちゝのことになん。故主こしゆうおんむくはんためすて四犬士しけんしたやす引著ひきつけ戸田河とだがはしづみ給ひき。いとかなしくもいたましき。かゝれバ此度こたびかうをもて主君しゆくん勘當かんどう宥免ゆうめんあらバ世間よのなかひろ父子ふしよば母御はゝごまさしき夫婦ふうふたるべし。是等これらのよしを郎公わかだんなきこえあげ執成とりなして給はらバ一家いつけ洪福さいはひこのうへなし。こゝろうれひ

挿絵【挿絵】

忠魂ちうこん義膽ぎたん不斗ふと老母らうぽつまいへ宿しゆくす〉」 10

 のことのみ。賢察けんさつあほたてまつるとひさすゝめて左右さゆうよりはゝ気色けしきうかゝふ程に音音おとねなみたそてかく愁訴しうそ赴理おもむきこと〔わ〕りなから今更いまさら和子わこ云々しか/\まうすハおもなきわさならすや。しかハあれとも其方そちたち此度たびこうをもて勸觧わひまうさんとねかふハ孝行かう/\かなはまておりハ又せんすへもあらんかし。かの世四郎の〓平やすへい殿とのの此りしといさ知らねハ甲夜よ 宿やとりをもとめしをり罵拒のゝしりこはみていなしたり。いまさらおもへハ亡魂なきたままほろしえ給ひしならんとつくるにおとろ兄弟はらから嘆息たんそくほかなかりけり。音音おとねも今さら後悔こうくわいひたひなて密音しのひねにくりかへしつゝうちなけけハ曳手ひくて單節ひとよ胸潰むねつふこゝろいたみをやうやくに思ひかへして單節ひとよかいふやう甲夜よひ〓平やすへいさまのかとたゝすみておはせしをいたましくおもひしかハ柴置しはおき小屋へ扶容たすけいしのはしついろねむかへ立出たちいてぬ。そのをりかたにうちかけ給ひし袱包ふろしきつゝみふたつまてそのまゝわらはかうけとりてあの小戸棚ことたないれおきたり。そも又ゆめあともなく大人うし共侶もろとも滅失きへうせしかいまなほあらんか。いとあやしとハおもへともいゆきて」11ことあとんといひつゝやがおこすを尺八しやく きうに推禁おしとゝめてこハ何事なにことえきなしと打呟うちつぶやけハ曳手ひくてうなつきまつ臂近ひちちかなる戸棚とたなさくらハその二包ふたつゝみふろしきありなしやをやすかりひらきてはやといそがはしくたゝんとするを力二郎りきしらう呼禁よひとゝめてかしらをうちふりこゝろありけにしかられてとけともとけぬうたかひに尋思しあんかうへかたむくれハ音音おとね眉根まゆねひそましてそハいとあやしきことになん。えうなきわさてあなれとも吾儕わなみゆるよめたちやよ共侶もろともあけいさとてやかて身をおこせハ曳手ひくて單節ひとよ後方あとへつき戸棚とたなの下に立よりたるにむねつらぬ五更なゝつかねはやあけかたになりにたり。ときこそ來つれと周章しうしやうあにおとゝあはこゝろうちわかれつげひそかいそたび准備ようゐ嘆息たんそくするをみな知らねバ音音おとね戸棚とだなあけさぐれバあたりたる二包ふたつゝみ單節ひとよこれとさししめすをこれではべるとおそる/\しうとがさしづにつゝみはしかたきをやうやく」

挿絵【挿絵】

陰鬼いんき啾々しう/\として冥府めいふかへる〉」12

觧分ときわけつゝひらきてれバこハいかにあらはいで男子おとこ斬首きりくびかはりしいろ一双いつさう死相しさうおどろ〓姑よめしうとおもはず齋一ひとしくこゑたつ退避しりぞきさけたるうしろのかたに忽地たちまちきこゆる苦悩くのう両声もろこゑはつもえたる鬼燐おにびひかりふたゝびおとろ婦女輩おんなばら。こハ何事なにことぞとかへれバいままでありつるりき二郎尺八しやくはちさへに忽然こつせんかたちきへてなかりけり。かさね/\し竒異きゐ怪傀くわい/\たれかハあはてまよはざるべき。やよ力二郎りきしらう尺八しやくはちなうわがつまよと三人みたり齊一ひとしくよびかへせともこたへハあらねバゆめとばかり忙然ぼうぜんたり。音音おとねきつこゝろづき二級ふたつくびをつらつらつゝこハ俺們われ/\うれひれる狐狸きつねたぬき所為しよいなるべし。かゝれハ目今たゝいま姿すがたかくせし子共こどもまことのわかにあらず。〓平やすへいどのとえたるもみなこれこゝろまよひのみ。柴小屋しばこやまてゆきけもの足跡あしあとありもやせん。いざ給へとていそがせハ曳手ひくて單節ひとよ忽地たちまちさとりていざとてやが共侶もろとも立出たちいでんとするほど外面とのかたひとありてやよまて霎時しばしたゝずもあれいで/\まよひをとかんずと呼被よひかけ障子せうじを」13 おしひらくをとれバこれ別人べつじんならず神宮かには河原かはら〓平やすへいなり。あれハいかにとおどろ〓婦よめ音音おとねハはやくくはして冷笑あさわらひつゝちつとさはがずあな〓許をこかまし野狐のきつね幾遍いくたひひとたふらかすやすみやかたちらずハ生皮いきかははきはらん。後悔こうくわいすなとのゝしりて准備ようい懐劔くわいけんぬきかけたり。〓平手あげはやるべからず。われあに妖怪ようくわい変化へんげならんや。るをなほうたかふてやいばをもつておどすハつたなし。われもまも一刀いつとうあり。これ見給へとさとしつゝ朴刀しこみつゑ抜放ぬきはなちてかたへはしら撃込うちこむ修煉しゆれんさやおさめて莞尓につことうち大刀たち武徳ぶとく名器めいきにして妖怪えうくわい変化へんけもこれにへバ本形もとのかたちあらはさずといふ事なし。もとより冤鬼ゆうれいきつねたぬきもてあそぶべきものならねバそのうたがひをとくらん。いで/\といひかけてそがまゝ裡面うちすゝみ入る姿すかたハいたくやつれてもこゝろ雄々をゝしき老人らうじんたへおくする気色けしきなくはや上坐かみくらつきしかバ曳手ひくて單節ひとよあきれてをり。さばれ音音おとね半信はんしん半疑はんぎうたかはしきを詰問なじりとへバ〓平くたん首級しゆきうつゝ縁故ことのもとつばらにせねバる疑ひハことわりなれども」

挿絵【挿絵】

隔亮ふすまごし銑〓しゆりけん一間者いつけんしやをとりひしぐ〉」14

甲夜よひ単節ひとよわたしたる二包ふたつゝみハこれならず。なほこのほかものあらん。おさめしところたづねよといふに単節ひとよいぶかしげにもと戸棚とだなをしひらきて彼此あちこちくまなく畋猟あざれともそれとおもふものもなし。もし置処おきどころたがへるかとて夜具よるのもの破戸棚やれとだなをひら〔き〕れバはたしてものあり。ふろしきいろことなれどもその二包ふたつゝみ結合むすびあはせしこれかれともによくたり。単節ひとよハはやく両手もろてをかけたなよりやをらとりおろしつさて不思議ふしぎことにぞはべる。わらはが甲夜よひうけとりしつゝみまさしくこれならバ小戸棚ことだなにあるべきものをいつのところをかえしことやらん。加旃しかのみならずよくたる是彼これかれ四箇よつつゝみはじめたびにとり出したるその二包ふたつゝみ何人なにひとかもてしやらんといひつゝかたへかへれバ音音おとね曳手ひくて呆果あきれはてて人かおにかと〓平やすへいうたがひハなほとけざりけり。しはらくして〓平やすへいおもひ得たりしひさうちならして田文たぶみ茂林もりにて二個ふたり武士ぶし二箇ふたつつゝみ挑争いどみあらそふそのをり推分おしわけんとせしかハかたかけたるわかつゝみおもはずおと拾取ひろひとりこゝにきたりて柴小屋しはごやにて道節とうせつぬしと犬川いぬかはうしものかたりをみな」15 立聞たちぎゝとく見参げんざんらばやとおもへどこのかへれバはづかはしくて黙止もたしたり。いまさらおもへバかの茂林もりにて道節どうせつぬしの二包ふたつゝみとわか二包ふたつゝみたが ひしともしらでそがまゝかたにかけつゝ甲夜よひ単節ひとよわたせしかも。これによりてすいするにその二級ふたつかうべこそ道節どうせつぬしの撃捕うちとり給ひし両敵りやうてきにうたがひなし。かくてもなほうたがはゞわが二包ふたつゝみときねかし。らバわかうへ子共こどものうへも立地たちどころにしるよしあらん。とく/\よといそがしたる言葉ことば本末もとすへいまさらにうたかひハやゝとくれどもとけつゝみにかゝる曳手ひくて單節ひとよ両袱ふたふろしきひらきつれバこれまた両個ふたりひとかうべ也。これハいかにとあきれたる三人みたり齊一ひとしくまなこ定見さだめみれバ無慙むざん力二郎りきじらう尺八しやくはち首級しゆきうにていろこそかはいままでありしまがふべくもあらねバまた胸潰むねつぶ心焦こゝろこがれてなげ弥倍いやま愛情あいじやく〔惜〕なみだあめに六ッのそでしぼりもあへず泣淪なきしづむ。うきにハれぬ〓平やすへいなみだむせび〓然げんぜんたりしがやうやく目皮まぶたしばたゝきわか寸功すんこうゆづらんとおもさだめて戸田川とだがはしつみにけれどしにはて浅瀬あさせの」かたへながされてひがしきしつきしかバまだ業報ごうほうほろびずとりながらいでや此度こたび城兵せうひやうさしちがへてしなんずと子共ことも先途せんとまほしさにもと岸辺きしべおもむけバたゝかはて人影ひとかげなし。このゆへ霎時しばし存在ながらへいかでか子共こども存亡そんぼう聞定き さだめてなばやと姿すがたかへ大塚おほつかおもむきてちまたはなし撈問さぐりとひしにりき二郎尺八しやくはちまちしんはじてきあまたうちとりしが丁田よぼた属役しよくやく仁田山にたやま晋吾しんご援兵ゑんへい連放つるべかけたる鳥銃てつぽう二個ふたりつい撃死うちじにせり。かくて晋吾しんご胞兄弟はらからくびとり皈陣きしんしつ。りき二郎尺八しやくはち首級しゆきうもて信乃しの額蔵がくざういつはとなへけふしも庚申塚かうしんづかほとりなる楝樹あふちしたかけらるゝと人口じんこうかくれなけれバその更闌こうたけかのところおもむ子共こどもかうべとりおろしかね准備ようゐふろしきにおしつゝみを日につぎてこのつ。こゝに一宵ひとよをふししは小屋こやいこふてよそながら故主こしうのうへと子共こども亡魂なきたましばらくこゝにあらはれてはゝつまとをなぐさめしハ嗚呼あゝかうなるかななるかも。いままでしらぬおたちよりそがくびもてるわかむねくるしかりきと口説くどきたて16 つぐれバ音音おとね〓婦よめ同胞はらからもなくよりほかにすべもなき。音音おとねハやうやくかうべをもたげこゝろづきし反故ほごばりのまともとにありあふハなき胞兄弟はらから行裹たびつゝみ。ます/\不思議ふしきといぶかればなみだなからに同胞はらからがひらくつゝみ一双いつさう黒革くろかわおどしの身甲はらまき鮮血ちしほにまみれて韓紅からくれない痛手いたでをのこす鳥銃てつほう裏〓うらかきしあとなゝ花菱はなひし小〓こぐさり腕鎧こて脚盾すねあてとりそへたる。これをかれをおもひ良人々々おつと/\陣歿うちじにのはげしかりけるたゝかひのかうありけんと哀傷あいしやうになみだます/\はてしなき。〓平やすへい嗟嘆さたんしつこの身甲はらまき腕鎧こて脚盾すねあてりき二郎尺八しやくはちいけぶくろよりおちつるときわがいへぬきおさめしを戸田とた河原かはらのたゝかひにとりいだはだにつけてつい陣歿うちじにしたりけり。るを彼等かれらになきのちにこれを妻子やからのこせしハいまより良人おつとたちかわり忠孝ちうこうふたつに」 いのちたもてといはんりやうにぞあらんずらん。かゝれバ浮世うきよにながらへて良人おつとかうべほうむる日にわが亡骸なきがらをもうづめてたべ。これまてなりと朴刀しこみづゑきらりとぬきてとりなほしつはららんとするほどに三人みたひとしくすがりつき喘々あへぎ/\いさめればやうやくにをとゞまり音音おとねにむかひていへるやうわれとおんわたくし再會さいくわひすべきものにしあらぬをこゝにてなバ瓜田くわでんくつ和子わこにハ見參けんさんはゞかりあり。いざゝらバ犬塚いぬつか往方ゆくゑをたづねて云々しか%\子共こどものうへもわが宿志しゆくしをもつげてまたともかくもなりなん。呼しかなりとうなづきてやいばさやおさめつゝ告別いとまごひして外面とのかたいでんとしたる縁〓ゑんがは障子せうじをはたとひらきてならたつたる三個みたりくせもの真額むかう鉢巻はちまきなはたすきおの/\身軽みかる打扮いでたちハこれすなはち別人べつじんならず昨夕よんべたりし荘役せうやく根五平ねこへい丁六ちやうろく〓介ぐすけを」17 左右さゆうたみたるこは音高たかやかに汝等なんしらむねがつぶるゝ。かくあるべしとすいしたればすのこしたもすから一五一十いちぶしゞうをみなきゝたり。煉馬ねりま残黨ざんとう道節どうせつ餘類よるいみないましめて白井ひらゐひかん。かいなをまはせとよばゝりてこしつけたる黒縄はやなわばやくとりてなげるがごとく根駄ねだもぬけよとゑんがはをつきならしつゝひらめきけり。音音おとね間者かんじやうらかゝれて曳手ひくて単節ひとよ後方あとべにそはしてらバきらんと懐劔くわひけんつかをにきりて立んとするを〓平やすへいかへりおしへだて右手めですかりし朴刀しこみつゑ左手ゆんでとりてわきはさみたる必死ひつしいきほひ。おひをあなどる根五平ねごへいハあれ薙仆なきたふせと敦圉いきまけ丁六ちやうろく〓介くすけ左右さゆうよりもつたるおのをふりあげてうちひしがんとはしりかゝるを〓平やすへいひらりと遣違やりちが はし抜合ぬきあはしたるやいばのいなづまさきすゝみし丁六ちやうろく忽地たちまちふたつになしはてぬ。〓介くすけハこれをかへりて」

挿絵【挿絵】

〈わかやぐやゆきのしらもうちとけてもとのいろなる相生あひをひまつ[多][言]〉」18

おどろきさけんとするほど音音おとねすかさすむかへうつやいばひたいをつんざかれて叫苦あつとばかりに外面とのかたへまた引返ひきかへかたさきをふたゝびられて痛手いたでたへにはにたふれてんてけり。根五平ねごへいハこの光景ありさまにあわてふ〔た〕めきにけはしるをおくかたひとありてゑいかけたるこゑ齊一ひとしくうちいたす銑〓しゆりけんのねらひたがはず根五平ねごへいそびらむねまてうたれたる苦痛くつうこゑそらをつかみて仰反のけそりたふれていきたへけり。おもひかけなき助大刀すけたち曳手ひくて單節ひとよたちよりて諸手もろてをかくるやれぶすま裏面うちよりさつとをしあけあらはいでたる犬山いぬやま道節とうせつはや上坐かみくらつきしかバこれハ/\とばかりに音音おとねハまづ血刀ちがたなをぬぐひおさめていそがはしくしゆうのほとりへまゐるになん。〓平やすへいやいはをおさめて三個みたり死骸しかい引起ひきおこして古井ふるゐそこへをしおとしつ。このときすてあけたり。音音ハ曳手ひくて19 單節ひとよともしゆうのかたへにぬかづきてつゝがなきをぞしゆくしける。道節どうせつきゝてさればとよわれハ昨宵よんべ更闌こうたけ如此々々しか %\ ところにて犬塚いぬづかにたづねあひにき。よりて三犬士さんけんし相侶ともなふあけかたにかへり背門せどよりらんとせしおり曳手ひくて單節ひとよがなくこゑたへぬばかりにきこえしかバことあるべしとおもふになん。呼門おとなひもせでかの人々ひと%\とそがまゝおくたちつどひことおちもなく竊聞たちきゝてわれはさらなり四犬士しけんしかんるいそゞろにとゞめかねたり。み これ過世すくせ業報ごうぼうなれどせんとほつせし〓平やすへいしなざりしハ子共こども忠孝ちうこうてんめいずる陽報やうほうなり。曳手ひくて單節ひとよもおもひたへてかなしみになやぶられぞ。ながく菩提ぼだいとはんこそなき人のためなるべけれ。われと彼等かれら二世にせ主従しゆう%\兄弟けうだいをうしなひしこゝろのうれひ」いかばかりぞ。りとてなげくも甲斐かひなき所行わざなり。百歳もゝとせ上寿じやうじゆをたもつもいのちおはれる枕方まくらべにのこる妻子やからのかなしみハ何時いつとてもみなかく〔ぞ〕あるべき。さはおもはずやとねんごろにさと言葉ことば主恩しゆうおんかんじたる音音おとねハさらなり曳手ひくて單節ひとよハかたじけなさにたゞさめ%\となきにけり。そがなか〓平やすへいハひとりはるかに退しりそきてかうべたれ黙然もくねんたりしを道節とうせつうちてやをれ四郎などて圓坐まどゐらざりける。とく/\といそがしつれば〓平やすへいハやゝちかずきて意外いぐ ゐまことあらはせバ道節もまた感歎かんたんして〓平が勘當かんどう亡父ほうふかはりて赦免しやめんしつゝけふより音音おとねつまとして子共こども亡魂なきたまをなぐさめよといはれて〓平やすへい音音もともにはぢていなむを道理どうりにさとされ有無うむ回荅いらへ口隠くともりしをどう20 せつ曳手ひくて單節ひとよにそれと差圖さしづにこゝろへて同胞はらからさけをあたゝめて折敷をしきするさかづきふちかけても相生あいをいまつハみさほのたか蒔繪まきゑむかし堅地かたぢおひ夫婦ふうふをしゆくしてうつ銚子さしなべさけのみありてさかななけれバ道節どうせつやりてさい究竟くつきやう田文たぶみ茂林もりより〓平やすへい持参ぢさん首級しゆきう當坐とうざ納聘ゆいのう駄一だいち三宝さほへいをさかなにせバ髑髏盃どくろはいにもいやましてたれ珍重ちんちやうせさるべき。とく/\せきをあらためよとわりなく音音おとね〓平やすへいをむかひをらしてとかうつゝかくてハいまだ物足ものたらすめどるにはなかだちをもてす。そのひともがなとかへりたる隔穴ふすまのあなたにこゑたててとしふりてけふあひおいまつこそめでたかりけれとうたひつれつゝたちいで齊一ひとしくせきにつくものハこれすなはち別人べつじんならずいち著座ちやくざ犬塚いぬづか

挿絵【挿絵】

道節とうせつ火遁くわとん秘書ひしよやいなが左道さどう異法いほうたつ〉」21

信乃しのつき荘助そうすけ現八けんはち小文吾こぶんごみな〓平やすへいにうちむかひ恩人おんじんいのちつゝがなくはからざり〔け〕再會さいくわいハいとよろこばしく候なれ。孝順こうじゆん義膽きたんありかたき両賢息りやうけんそくめぐみもてたゞわれ/\をおとさんと其處そこいのちおとされしハうちなげくにもあまりあり。況離別りべつ二親ふたおやをひとつにせんとて亡魂なきたまひとよさこゝにあらわれしハ儔稀たぐひまれなる純孝じゆんこうなり。いまその遺志ゐしをはたさんためにわれ/\四名よたり孝義かうぎにむくふ寸志すんしばかりに候かし。ゆるさるべしやと正首まめやか言葉ことば齊一ひとしく來意らいゐをつげてその婚席こんせき提撕とりもちつゝ千秋樂せんしうらくとぞしゆくしける。そがなか道節どうせつ四犬士しけんしにつぐるやうさいぜん間者けんじや根五平ごへいをもらさず討畄うちとめたれバとてこゝにおらんハきはめてあやうし。さハあらずやとさゝやけバそハ退しりぞくこそ肝要かんやうなれ。とくその准備ようゐをしたまへかしと四人よた齊一ひとしく22すゝむれバ道節とうせつやがて安平夫婦にことのこゝろをさしつゝまづ女流あしよは行徳げうとくなるぶん五兵衛と妙真めうしんにたのませ給へと小文吾こぶんごがいふにぞ音音おとね〓達よめたちうまひかせてはしらにつなかせ昼餉ひるげりやう握飯にきりめしを人ごとにつゝほど曳手ひくて單節ひとよハよういのものをに/\とり發願ほつくわん得度とくど頭髻たぶさをふつときりはなちりき二郎尺八しやくはちかうべそへふたふろしきに推包おしつゝくら前輪まへわにつくるになん〓平やすへい音音おとね五犬士ごけんし真操ていそう節義せつぎ嘆賞たんしやうしていとゞ不便ふびんにおもひける。すでにして起行たびだち准備ようゐはやくもとゝのひしかハ道節とうせつ四犬士しけんしかへりてそれがしいま一條いちぜう懺悔さんげあり。家傳かでん秘書ひしよなる火遁くわとんじゆつ勇士ゆうしのおこなふべきものならず。その要領えうりやうなんのぞみてわが一身いつしんのがるゝのみ。もつともはづへきわざになん。よりて」

挿絵【挿絵】

白井ひらゐ城兵じやうへい荒芽山あらめやま孤舎ひとつやかこむ〉」23

目今たゝいま異法ゐほうたゝん。みな給へとふところより火遁くわとん秘書ひしよをとりいだしつゝなほ燃殘もへのこ地燃ゐろり火中くわちう忽地たちまちはた投捨なけすてれバ〓々ゑん/\としてたちのほる火炎ほむらとも捕手とりてつはものいつのほどしのひよりけんひとむれおよそ十人ばかり簇々むら/\はしいで御諚ごじやうざふとよびかけ/\搦捕からめとらんときそひかゝるを心得こゝろえたりと五犬士こけんし修煉しゆれん大刀たちかぜ瞬間またゝくひま一人ひともらさずうたれけり。さもこそあれと血刀ちかたなぬぐおさめほどしもあらずはるかきこゆる陣鉦ちんかね大鼓たいこ衆皆みな/\みゝをそばだてゝ原來さてハこの隠宅かくれがをはやくもりて後詰ごつめ大軍たいぐん白井ひらゐより推寄おしよせて來つるにこそ〔と〕いふそがなか現八けんはち檐旁のきばまつによちのぼわたして莞尓につことうちおもふにハてき軍配ぐんばい其勢そのせいおよそ三百餘騎よきすでぢかくおし寄來よせきたれり。しかりとも吾黨わかともからちからをあはしてうちやふらんにやふれすといふことやハある。おもしろし/\といさめかひなとりしばりてさは氣色けしきハなかりけり。」24


英名八犬士ゑいめいはつけんし六編ろくへん下帙けちつ

鈍亭魯文筆記 

かゝるさはぎのそのひま〓平やすへい音音おとねかたへなる力二郎りきしらう尺八しやくはち像見かたみ身甲はらまき投被なげかけ腕鎧こて鉢巻はちまき精悍かひ%\しく音音おとね納戸なんと秘置ひめおきたる薙刀なきなたとりわきはさ〓平やすへい朴刀しこみつゑこしひさまづきてしきりにはやる道節どうせつ四犬士しけんしいさめつゝそれがし夫婦ふうふハこゝにこもりていのちかぎりて寄手よせてふせがん。ちかづかぬてきさけてとく背路うらみちよりおちさせ給へ。曳手ひくて單節ひとよがうへをのみたのみまつると只顧ひたすらおもひ入たる必死ひつし覚期かくご四犬士しけんしきゝ入れず争論あらそひはてしなかりしかバ道節どうせつむね思案しあん決定さだめ世四郎音音おとねきはめしこゝろさしハさることながらさしも犬山いぬやま道節どうせつ命惜いのちおしさに汝等なんぢらのこしてのがさりしなどいはれんも口惜くちおし。とハいへこのいへ建籠たてこも犬死いぬじになすも夲意ほゐにあらず。よりひとッの謀計てたてあり。世四郎音音おとね此所こゝこもりてしばらてきふせぐべし。われ/\ハ背面せとより」 まはりあの山陰やまかげをひそみ横合よこあひよりうつてかゝらバてきハかならずうしなはん。てき迯走にげはしらバほどよく追捨をいすてみな共侶もろとも他郷たけうにいたらん。この如何いかにと見かへれバ四犬士しけんしみなよしといふにぞさらバまづこの女流あしよは二個ふたり犬田いぬたうじにまかせなんといふに小文吾こぶんごこゝろ以前いぜんうま姉妹きやうだい合鞍あいくらにうちのせつゝおちぬためにて端綱はづなにからげ四犬士しけんし共侶もろともに一町ばかり繋行ひきゆきこの下につなぎてきのやうすをうかゝふにぞ世四郎夫婦ふうふあらそかねいへ内外うちと焼草やきくさやまことくに積重つみかさねいでといはゞをかけんと推備こゝろがまへをなしつゝもにはかやうゐのまる竹弓だけゆみ篠竹しのだけをとりそろ障子せうじ隔亮ふすまたてにして寄來よせくてきまちかけたり。をりしも寄来よせく討手うつて多勢たぜいこの孤家ひとつやをとりまきうつらんとするほどには折戸をりどのしのびかへしに〓梟きりかけられたる駄一郎たいちらう三宝平さぼへい首級しゆきう忽地たちまちおそれをいだきけん。すゝみかね」25 たる形勢ありさま當下そのとき大将たいせう巨田おほた助友すけとも戸口とぐちうま乗居のりすへつゝものどもかゝれとはげしき下知げぢにはやりつはものども簇立むらだちきそふてきり入るを矢ごろもよしと四郎夫婦ふうふ障子せうじ隔亮ふすまかげよりして指詰さしつめ曳詰ひきつめ射出ゐいた矢面やさきむねられ五六人おなしまくらたふるゝにぞ。この弓勢ゆんぜいおとろ雑兵そうへう人をこたてに騒動もんちやくす。なほひまなき弦音つるおとすゝみかねたる寄手よせて人数にんじゆ助友すけともるよりまなこいからせいひ甲斐がひなきものともかな。退ひくなすゝめとざいうちふりはげまされて雑卒ぞうそつともふたゝびすゝおりしもあれ世四郎夫婦ふうふすでにはや矢種やだねつきし事なれバにハ薙刀なきかた朴刀しこみつゑわきはさみつゝ必死ひつし覚悟かくごあなとりかたくゆるにぞ助友すけともいらだち後陣こじん人数にんしゆをくりいれ/\攻戦せめたゝかへバこゝろばかりハはやれどもてき大勢たいぜいこなたハ両個ふたりすで手疵てきすおふたれハこれまでおもふにぞいへをかけしなんとおもへどこゝろにかゝる主のうへ」

挿絵【挿絵】

助友すけとも多勢たぜいをもて荒芽あらめ山の茅舎ほうしやかこむ〉」26

曳手ひくて單節ひとよも四犬士けんしおち給ひしいかにやとあんしなからもひまなきたゝかいとはけしくそへにける。
それよりさき五犬士こけんし曳手ひくて單節ひとよのせたるうまを木のもとにつなきとめてき如何いかにとまつほとすてきこゆるさけひ太刀たちおと自分しふんハよしと五犬士こけんし右左みきひたたちわかれかくれにすゝみより不異ふゐうたんとせしおりしもおもひかけなきうしろよりあらはれいてたる一隊ひとて軍兵くんひやうちかつくまゝにこゑふりたておろかなりいぬ道節とうせつかゝる手たてもあらんかとさつせしゆゑ巨田おほた助友すけともこゝになんち待事まつことひさてきなからもあたら武士ふし降参かうさんなさはかうへをつかんとよははるにそ道節とうせついかりにたへかねて太刀たちふりかさしきつてかゝれハ四犬士しけんしともちからあはたかひにはけみはけまされて秘術ひしゆつつくせしはたらきにくつれたつたる寄手よせて大勢おほせいにくるをすかさす五犬士こけんしおはんとしたる」27 うしろよりまたもやおこる一隊の軍兵くんひやうなかにもいちこゑたかくおのれ道節とうせつしはらくまて巨田おほた助友すけともこゝにありとよははるこゑ五犬士こけんしおとろきなからかへれハおなしてたちのよせ手の大将せうかれ助友すけともこれ助友すけとも面影おもかけさへもよくたるをそれかこれかとうたかひなからにけてきをハ追捨おひすて〔て〕ちかつくてきにかけむかへハ又ひきかへ以前いせん助友すけとも五犬士こけんし取囲とりかこ前後せんこよりして攻戦せめあおりしも音音おとねいへかたよりしてにはか猛火もうくわもへあか木草きくさにもへつゝ形勢いきほひてき味方みかたたへかねわかれ/\になるほと五犬士けんしも又五所いつところへたてられつゝかしらうへにお〔つ〕ほのをふせくのみ。なハ五個いつたり共侶もろともにと覚悟かくこきはめてちつともう かす。そのとき信乃しの道節とうせつよりかへおくりし村さめ宝刀みたちふたゝ抜放ぬきはなちからまかせてうちふれハやいは奇特きとくあやまたすその刄頭きつさきよりほとはし水氣すいき四方しほうさんらんし」

挿絵【挿絵】

小文吾こぶんご敵兵てきへいたゝかふて曳手ひくて單夜ひとようし ふ〉」28

はるかあなたにわかれし道節どうせつ現八けんはち荘助そうすけほとりにひらめくほのほさへこれためにうちすにぞ信乃しのハたちまちこゑふりたてこのやいばにてみちひらかんつゝき給へとよひかけてなほやいばをうちふり/\山路やまちをさして分入わけいれバかゝる竒特きどく道節どうせつ蘇生よみがへりしといさみたちをくれてえぬ小文吾こふんこよびかけかへり行程ゆくほどまたもや追來をひく三人みた助友すけともかへせもどせとよははるにぞ四犬士しけんしはせむかをひつをはれつたゝかふほどに案内あんないしらぬ山路やまみちにて多勢たせいといどむ事なれバ四犬士しけんし四処よとこ立別たちわかてき追捨をひすてをひまくりておもひ/\に落行おちゆくにぞ行衛ゆくえも知らずなりにけり。こゝに又小文吾こふんこ猛火もうかためおもはずもてきかこひのかれしときこゝろうちおもふやう。わがあづかりし曳手ひくて單節ひとようま共侶もろともに木のもとへつなぎおきしが今にもあれの木に猛火めうくわもへうつらバうまもとより姉妹はらからのやみ/\いのちおとすべしかこみの」29 とけしをさいはひにまづ姉妹けうだいをすくはんともゆる木草きぐさ踏分ふみわけ/\かのもとへとはしゆく當下そのとき曳手ひくて單節ひとよてき物音ものおと母屋おもや猛火めうくわかくてハ舅姑しうとしうとめ主人しゆじんはじ五犬士こけんしのがれがたくやおはすらん。なバともにとおもへとも幾重いくへかからみつけられしその麻索あさなは詮方せんかたなくうま猛火めうくわおどろきてをどくるへバ姉妹けうだいハこハさかなしさうちまぜぬもなれず鞍壺くらつほ伏重ふしかさなりつゝをりしもそれ見付みつけてき雑兵ざうひやうよきものたりと二三人うま端綱はづなかけうばゆかんとするところ小文吾こぶんごすかさず走付はせつきてあはやとばか抜撃ぬきうちさきすゝみし雑兵ざうひやう肩先かたさきはつしときりさけバのこる二人ハおとろきながらやいば抜連ぬきつれきつてかゝるをみぎひだりへひきうけたゝかふはづみにもとなるうま端綱はつなをはたとる。られてうま姉妹けうだいのせ〔せ〕たるまゝにぬけいでひかしをさしてはせゆくにそとゞむ」 る雑兵さうひやうひらめかすやいば左右さゆうきりたふかへりもせずはなうまあとをしたふて追行おひゆきける。かゝさはぎをさいはひに此処こゝら野武士のぶし六七人落人おちうど刎取はきとらんとひかしみちにあつまりしがかの放馬はなれうまるよりも各々をの/\みちたちふさがりとりとゞめんとしたりしにうまハしきりにたけくるふてちかよるもの噛伏かみふせ蹴倒けたふいきほたけ走行はせゆくにぞたちまち四五人馳倒かけたふされのこるはわづか二人なりしがこしつけたる鳥銃てつぽう火盆ひぶたをきれバあやまたずうましりへ撃抜うちぬか四足しそくをりふしけれバ仕濟しすましたりと鳥銃てつほうなげすてやりおつとりはしゆかんとするをりしもあやしむべし二ッの陰火おにび何處いつことハなくひらめきたり。ふしたるうまかしらのあたりへ落止おちとゞまるよと見るほどうまハむつくと起上おきあがまた走出はせいだいきほひハはじめましてはやけれバあれよ/\といふひま行衛ゆくゑへすなりにける。當下そのとき犬田いぬた小文吾こぶんごハそのほとまでおひかけきたり」30 はるかうまうたれしさま陰火いんくは竒特きどくおどろきつゝなほかの馬の行先ゆくさきまで追止をひとゞめんと走來はせきたるを夫と見るより以前いぜん野武士のぶしやりひねつて突懸つきかくるをみぎひだり受流うけなが破竹割からたけわりきりすてゝうま行衛ゆくゑをたづねゆくかくてその日もはかなくくれそらすみわたる夕月のかげはれてもはれやらぬむねくもりに小文吾ハひく單節ひとよ存亡なりゆき如何いかゞなりしとうちあんじ何処どこまであとふてその行先ゆくさき見定みさだめんとその夜ハ家に旅宿やどりをもとめつぎの日東雲まだき其処そこを出てしきりにみちいそぐにも往來ゆきゝの行ひとに馬の行ゑを余所よそめかしく尋問たづねとへども便たよりをざれバ心ならずも日をかさねるとハなしに武蔵むさしなる浅草寺あさくさでら程近ほどちか高屋たかや縄手なはてきたりしころはや西にしかたむきけり。かゝをりしも前面むかひのかたの一むらしげりし稲邑いなむらかげよりいと大きなる手負ておひ野猪じしたけくるふてをどりいで此方こなたをさしてはしる」

挿絵【挿絵】

小文吾こぶんご一挙いつけん〔拳〕古猪ふるゐをしとむ〉」31

にぞ小文吾こぶんごあなやと思へどもみぎひだりも泥田ふかだにて避隠さけかくるるにたよりなけれバたちふさがりたるほどしもあらせずししハたけりて牙歯きばをいからし矢庭やにわにかけんとするところを小文吾ひらりとをおどらせ猪のそひらへうちまたがひだりに耳根みゝねをしかとつかみぎこぶしにぎりかためてこぶしばかりうつほどにさすがにたけ古猪ふるじしなれどはきしんでけり。小文吾はちりうちはらかさとりあげよひ宿やどりをもとめんとあしをはやめて行程ゆくほどに見れバみち真中たゞなか手鎗てやりにぎりてたふれしものあり。扨ハこのへん獵師かりうと先刻せんこくしし突畄つきとめんとしてきばにかけられたるものならん。さいわひにしておはねバ蘇生よみがへることもあらんと懐中くわいちうよりくすりとりいだくちふくませほとり田水たみづを紙にしたし是をも口へしぼり入れつゝ耳に口よせ呼生よびいくれバしばらく有てまなこひらきうちおどろきつゝにげんとするを小文吾こぶんごきういだめ」32 ありし次弟したい物語ものかたれバかのおとこ小文吾こぶんご再生さいせいおんしや打連うちつれだちたふれしししほとりへをもむきこれをつゝかの獵師かりうどのいへるやうわれ阿佐谷あさやすま鴎尻かもめじりなみ四郎とよべるものなり。けふしも村長むらおさよりこの古猪ふるゐ仕畄しとめなバ三貫文くわんもん賞銭ほうびをくれんとふれられたれバわれ仕畄しとめんとてかくのふかくいのちすであやうきをはからずおんたすけりていのちひろひしのみならずかゝる得物ゑもののありし事もみなこれおん賜物たまもの也。せめてものおんほうじにこよひの旅宿おやどつかまつらん。それがしハおんあとよりししひきずり村長むらおさかりおもむくなれバ彼処あしこゆる鳥越山とりこへさんひたりにとりなほ三四丁ゆき給はゞ箇様々々かやう/\孤舎はなれやあり。畄守るすにハ舩虫ふなむしといへるつま一個ひとりゆき子細しさいつげ給はゞこばむべくハあらねどももしうたがはゞ不弁ふべんなるべし。これ證処あかし持行もちゆき我等われらがかへりをまち給へとこしつけたる火打袋ひうちふくろをわたすを小文吾こぶんご請取うけとりよろこびをのべ立別たちわか阿佐谷あさやをさしておもむく〔く〕にぞ」

挿絵【挿絵】

悪漢わるもの旅人りよじんがいさんとしてかへつかうべうしなふ〉」33

きゝしにたがはぬはなあり。こゝなるべしと呼門おとなへバうちよりつま舩虫ふなむし紙燭しそくらし立出たちいづるにそ小文吾こぶんごハまづ我名わがなをなのりこと子細しさい告知つけしらせて火打袋ひうちぶくろするにそ舩虫ふなむしゑまおんをしやしあしそゝがせひとまともなをつかはせ夕飯ゆうげをすゝめさま%\管待もてなすほとにはやこくをよびけれバ舩虫ふなむし臥床ふしどをもふけ小文こふん吾を休息やすませつゝつぎへとぞ出行いでゆきける。小文吾こぶんごいなみがたさに臥床ふしとにハりしかどのみせめられにわめかれられぬまゝにつく%\とこの様子やうすかんがるに心得こゝろへがたきさまなれバ一人ひと思案しあんのそのうちひるのつかれをおぼへけんるとハなしにまどろみしがむねうちさはぐにおどろさむれバ行燈あんどうハいつしかきへさだかにハへねどもかたへかべくづれよりたれやら人のいり來た様子やうすさてあるじ畄守るすかんが一個ひとりたびぞとあなどりてころしてものをとらんとする盗賊とうぞくに」34 うたがひなしとかたなをとつてこしよこたへ夜具よぎなかへハ旅包たびづゝみ自己わがごとくいれおきかやのすみより這出はひいだいきをもつかかたすみにやうすい 何にとまつともらずくだんかべ破崩やぶれよりしの入來いりく曲者くせものしば寐息ねいきかんがへかやの上より踏股ふみまたがかの行包たひづゝみさしとふすやいばひかりを目當めあてとして小文吾こぶんごすかさずとびかゝり抜手ぬくてするど太刀風たちかぜみづもたまらずくせものがくびまへにぞおちたりける。當下そのとき小文吾こぶんごこゑふりたて内室うちかたはや起出おきいで給へ。盗人ぬすびと撃畄うちとめしぞあかし/\と呼立よびたてられうろたへたるて来ねば小文吾こぶんごしきりに呼立よびたつほどしばらありやうやく行燈あんどん引提ひきさげはしいでたるあかりにはじめてうちおとせしかの曲者くせものくびるになみ四郎にてありしかバこハ/\如何いかにと小文吾こぶんごあきれてさらにことばなし。このありさまをるよりも舩虫ふなむしたゞさめ%\となみたくれたりしがのう行客おきやくさまきいてたべ。わらはためにハおつとなれ」 どもよくまよふていのちおやなるあなたの寐首ねくびをかゝんとせしその天罪てんばつむくかへつてあなたにうたれしハせめてもの罪亡つみほろぼし。うらめしなどゝハ一点つゆほどおもこゝろはべらぬかし。面目めんぼくなやといひかけてまたなきしづめバ小文吾こぶんご嘆息たんそくこのうへ村長むらおさうつたへてところほうまかせ給へといはれて舩虫ふなむしなみだをとゞめそハもちろんのことながらわらは先祖せんぞある武士ふし百姓ひやくせうまでになりさがれど村長むらおさまでもつとめいへ血統ちすじでも入夫いりうどなみ四郎ゆへけがされては先祖せんぞたゝ近所あたり外聞くわいぶんあなたの御心みこゝろ一ッにて今宵こよ ことひとらせず夜明よあけまつ立去たちさり給はゞ菩提所ぼだいしよをいゝこしらへ村内むらうちへハ頓死とんしつげ死骸なきがらほふむらバ悪人あくにんながらもおつと悪名あくめう亡後なきのちまでもられず。このゆるし給はんやとかき口説くどかれて小文吾こぶんごハうちうなつきかくもし給へといふに舩虫ふなむしうちおがみてかゝるおんうけながらおわかれ」35 もふさバいつかまたほうずる事のなるべきそ。わらはがいへ先祖せんぞよりゆつりつたへし尺八しやくはちあり。せめてハこれをまゐらせんと納戸なんどのうちよりとりいだしわたすを小文吾こぶんごつく%\るにながさ一尺八分ばかり黒漆くろぬり樺巻かばまきしたるに一首いつしゆうた高蒔繪たかまきゑにせしもつとも古代こだいものゆれバそのまゝにさしもどすを舩虫ふなむしひたすらにすゝめてやまねバしからんにハ再會またあふ日までしばらあづかりもうさんといふに舩虫ふなむしうちよろこ菩提所ほだいしよへとていでいくあと小文吾こぶんごつく%\と一個ひとり思案しあんめぐらすに昨日きのふ高屋たかや縄手なはてにてくすりをとりいたすそのおり沙金さきんつゝみをとりおとせしをこのいへあるじしゆへ報恩ほうおんをいゝたておのれいへともなひてころしてかねうばはんため也。これにておもあはすれバ彼奴かやつ年来としころ旅客たびゝところして路用ろよううはひとる強盗がうどうなること疑ひなし。さすればそのつま舩虫ふなむしくちさかしげにいへバとてこゝろうちはかりがたし。よしや悪心あくしんなきにも」

挿絵【挿絵】

舩虫ふなむし毒計どくけいをもて小文吾こぶんご ち〔道〕に畑上はたがみ組子くみこ生捕いけどらる〉」36

せよ出処不明よろめうの此尺八をいかでかハうけ置べきヲヽそれ/\と行包たびづゝみよりかの尺八を取出しつゝかたへなる袋戸棚ふくろとだなうちへいれ置身拵みごしらへしてまつ程に舩虫ふなむしいそがはしく立もどれバいとまつげて小文吾ハわらじはきしめ立出つゝ牛嶋うししまのかたへ渡らんと河原かはらをさしておもむきしがわらじのひものゆるみしをなほさんとして小腰こゞしかゞめたゝずむうしろうかゞ捕手とりて左右前後せんご一同にとつたと声をかけくみつくをあるひハ蹴返けかへ投退なげのけれと人数にんずなれバ折かさなりおさへてなはをかけたりける。小文吾ハ思ひがけなくかゝる手込のいましめにいかれる声をふり立てこハいかなる狼藉らうぜきぞや何ゆへの索目なはめぞといはせもあへず捕手の頭人かしらヤア何ゆへとハ大膽だいたんなり。なんじむかし當家とうけにて紛失ふんじつなしたるあらし山の尺八をかくもつよし。それのみならず阿佐谷あさやの里人なみ四郎がくび打落し迯去にけさらんとしたりしをあるじ女房にようぼう舩虫が汝をすかして家にとめ村長むらおさかたへはしり」37 來てこと子細しさいうつたへしにさいはそれがし居合ゐあはせしゆへ忽地たゞちに組子をしたがへ來てこゝなんじ待久まつことひさし。かくいふハ千葉家ちばけ眼代がんだい畑上はたかみ語路ごろ五郎高成たかなりが今ぞもらさぬ天のあみのがれぬところ白状はくじやうせよとつぶまなこにはたとにらめと小文吾はちつともさはかずいはるゝおもむきこゝろ得がたし。某ハ犬田小文吾とよはるゝ者。昨日云云しか%\の事にてはからずなみ四郎が家に宿やどりしより箇様かやう/\と次弟しだいみださずありし事どもものがたるをうしろに立聞舩虫がのう殿達とのたち盗人ぬすびとが口さかしくいへバとて證拠せうこつゝみをうちひらきて尺八を見そなはさバわらはがまことあきらかならんといふにうなづく語路五郎包をひらけど笛ハなし。是ハいかにと語路五郎舩虫ハ猶更なほさらあきれてことばも出ざりける。小文吾ハ左右を見まはしおの/\何と見給ふぞ。最前さいぜん舩虫しか%\といゝこしらへ笛を某におくりしかど心にそまねバ跡にてかたへ戸棚とだなへ入置たり。思ふくたんの尺八ハ」

挿絵【挿絵】

常武つねたけ姦計かんけい小文吾こぶんこ讒言ざんけんす〉」38

なみ四郎かぬすみとりしに領主りやうしゆ詮義せんぎきびしけれバ年來としごろふかかくおきしをわれあたへてこのふへ盗人ぬすひとなりとうつたいでおつとあだむくはんとするをんながたくみとおほへたりといはれて畑上はたかみはじめてさとりまづ四五人の組子くみこ舩虫ふなむしをうちまもらせのこくみ子を村長むらおさに案内をさせて舩虫ふなむしいへのすみ/\見てよといはれて忽地たちまち走行はせゆきしかしはらあつ立帰たちかへくたんふゑ持來もちきたれハ語路ごろ五郎とくあらたまことにたがはぬ當家とうけ重宝ちやうほうさてくたんなみ四郎か盗賊ぬすみとりしにまきれなしとことばのしたより舩虫ふなむしハもふこれまでとおとりいでかくもつたる出刄でば庖丁ほうちやうをひらめかしつゝ小文吾こぶんごきつてかゝるを索目なはめながらあしとばしてはたと當身あてみにこらへず舩虫ふなむしたふるゝところを踏居ふみすゆれハ組子くみこともをもなけに八重やえなはかけてぞひきすへける。語路ごろ五郎ハ小文吾こぶんごかいましめをづからといてうや/\しく自己みつからのそこつをわびその勇力ゆうりきしやうじつゝ舩虫ふなむし呵嘖かしやくなし」37悪事あくじ顛末てんまつ白状はくじやうさせんと組子くみこにさしをりしもあれ石濱いしばま城主じやうしゆきこへし千葉助ちはのすけ自胤よりたねぬしハ狩装束かりせうぞく弓矢ゆみやたづさへあまたの勢子せこしたがへてこのところまでかゝりしが畑上はたかみてい子細しさいぞあるととはせ給へハ語路ごろ五郎ハ主君しゆくん目見まみなみ四郎舩虫ふなむしこと小文吾こぶんご智勇ちゆうはたらきはからずいでたるふゑことまで箇様かやう々々/\つけまいらせくたんふゑをさしあくれバ自胤よりたねふかよろこび給ひ行客たびゝと犬田いぬた小文吾こぶんごとやらおほくえがたき智勇ちゆう武士ものゝふそのもの浪人らうにんならんにハすゝめてわれつかへさせよ。わが帰舘きくわんまであつ管待もてなしともやかた連行つれゆき馬加まくはり大記たいき子細しさいつげかれよりわれいゝ入るやう心得こゝろえたるかとの給ひつゝ従者ともひと引倶ひきぐ行過ゆきすぎ給へバ語路ごろ五郎ハ舩虫ふなむし村長むらおさにあづけおき組子くみこ二人ふた石濱いしばましろつかは當家とうけ老臣らうしん馬加まくはり大記常武つねたけやうすのこらす告知つげしらせその使者つかひかへまで小文吾こぶんご管待もてなすほどにやかて使つかひたち」 かへり馬加まくはり殿どのおほせにハ行客たびゝと犬田いぬた小文吾こぶんご語路ごろ五郎ともなふて城中じやうちうかへるべし。舩虫ふなむしハそのまゝあづをき明日めうにち獄舎ひとやへおくるべしとの下知げぢなりといふにうなづく語路ごろ五郎ハまづ村長むらおさこゝろさせ舩虫ふなむしきひしくまもらせ小文吾をともなひて石濱いしはまへとぞおもむきける。
かく語路ごろ五郎ハ小文吾こぶんご石濱いしばまもどりしあとにハ指圖さしづにまかせ村長むらおさ百姓ひやくせうどもにうちまじりてかの舩虫ふなむしをまもるほどにその日もくれよひほと畑上はたがみ下知状げちじやうとて下部使しもべつかひ持來もちくるを村長むらおさ請取うけとり披閲ひらきみる捕置とらへおき舩虫ふなむし連來つれきたれよとの事なれバ心得こゝろへがたくおもへどもまづ使つかひをハさきもど百姓ひやくせうばらに委細いさいつけ燈松たいまつよりほうたづさへて舩虫ふなむしなか取囲とりかこみ村長むらおさとも十人あまり石濱いしばまさしていそぎつゝはやしろちかくなりたるをりしもかたへの茂林もりのかげよりもうちいだしたる鳥銃てつぽうおとおどろ百姓ひやくせうばらハあはてふためきにげんとするときおもてかくせし曲者くせもの40 四五人やいばをうちふりきつてかゝれバ村長むらおさはじめ舩虫ふなむしすててから%\にげはしりしか大切たいせつ罪人つみうとゆへさきににけたる百姓ひやくせうばらハ大勢たいぜいをかりもよふもとところれバ人影ひとかげさへもあらずしてくさうへ切捨きりすてたれし捕索とりなはばかりのこりしかバ人々ひと%\おもて見合みあはすのみ。またせんかたもあらさりける。それよりまへ語路ごろ五郎ハ小文吾こぶんごともなふて石濱いしばまへかへりき。馬加まくはり大記たいき宿所しゆくしよおもむきこのよし取次とりつきもつていゝるれハ大記だいき指圖さしづとして小文吾こふんごきやくにて休息きうそくさせよ。畑上はたがみにハ對面たいめんすべしとありしかハ語路ごろ五郎ハひとまとふあるじいづるをまつほどすで暮果くれはてしころ大記だいきひとま出來いできたれバ語路ごろ五郎おそる/\一五一十いちぶしゝうつぐるになん。大記だいききゝ語路ごろ五郎がわれにもつげ中途ちうとにおいて主君しゆくんきこあげたるのみならすふへをもそのてさしあげしハわれあなと仕方しかたなれば後日こにち急度きつと沙汰さたすべし。して舩虫ふなむしハととひかへされて最前さいぜん村長むらおさかたよりうかゞは

挿絵【挿絵】

小文吾こぶんこ抑畄よくりうせられて常武つねたけゑつす〉」41

せしに犬田いぬたはやくつれまいれ。舩虫ふなむしあつけおけとの指圖さしづにしたがひきびしくいましめ彼処かのところとゝめおきたりといふを大記だいききゝあへすそハ如何いかなる間違まちがひぞや。わがいゝつけしハにあらず。舩虫ふなむしをバきたれ。犬田いぬたハそのまゝ村長むらおさかたとゞおくこそよからめといゝをくりしをなにきかれし大切たいせつなる科人とがにん百姓ひやくせうどもにあづおきもしあやまちて取迯とりにがさハふえ共侶もろとも紛失ふんじつなしたる小篠をさゝ落葉をちばおんふたこしふたゝたづぬ便たよりハあるまじ。使つかひたつたる組子くみこ聞違きゝたかへせしにもあれ三ッみつごつたる當全とうぜんそこにこゝろつかさるや。いまより彼処かしこおもむき舩虫ふなむし連帰つれかへりはやく獄舎ひとやにつなかず〔ハ〕おこたりのつみのがれがたし。あやまちあらバそのうへぞとしかりつけられ語路ごろ五郎ハ権威けんいにおそれてことばもいです。わづかにその詫言わひことしつゝやかて宿所しゆくしよ立帰たちかへにわか組子くみことりあつ石濱いしばましろいづるころハ彼是かれこれと」42 ひまどりて夜ハはや四ッになりしかハ心しきりにいら立つゝ組子をいそがせ五六町もゆきしときあまたの人声聞へしかバ何者なるやととがむれバ阿佐あさ屋村の村長むらおさ百姓せうどもと共侶もろともかの舩虫を取迯とりにが詮方せんかたなさにたゝずみて事のこゝおよびしよしをおそる/\物がたれハそれハとおどろく語路ごろ五郎ハ忽地たちまち聲をふり立てヤアうろんなる一ごんかな。われハけつして舩虫をつれ來れとて下知ぶみをつかはしたる覚なし。そのぜうあらバとく見せよとせき立られて村長ハ懐中ふところたもとをかきさがせどはな紙さへもあらさればあたりうろ/\たづぬるにぞ語路五郎ハいら立つゝかみつく声をふりおこ大切たいせつ科人とがにんを取迯したハ同類どうるいにかたらはれしや。さま%\の虚言そらこともていひまぎらしこのを迯んとするとてもいかでかハのがすべき者共渠らを一人のこさずしばりあげよとはげしき下知に村長はじめ十人余りしゆ43

挿絵【挿絵】

千葉ちば自胤よりたね老黨らうとう粟飯原あひばらおほど胤度たねのり忠義ちうぎ二の武士ものゝふなりけるが逆臣ぎやくしん馬加まくわり大記常武つねたけために毒計に落いり同藩どうばんこみ逸東太いつたうだ縁連よりつらがために杉門の松原にて横死わうしなせしぞむざんなれ。此折千葉重器ちやうき小篠をざゝ落葉の太刀とあらし山の尺八ハ盗賊ぬすびとよこどりせられ縁連よりつらそのより逐轉ちくてんしてのちに扇ヶ谷定正さだまさつかへて竜山たつやま免太夫めんだゆふいふ〉」

つなぎにいましめつゝ石濱いしばまに追立ゆきその夜獄舎ひとやにつながせけり。次の日畑上語路五郎ハ馬加まくはり大記が口上に問注所もんちうしよへ呼れつゝ舩虫がこととはるゝにぞつゝむによしなく云々しか%\ことの様子を物語れバ馬加ハ聞あへずされ バこそそこもとのなをざりのつみいよ/\おもたれかある語路五郎になはかけよと下知のしたより青侍わかさむらひが語路五郎を高手にいましめやがて獄舎につなぎけり。されバ阿佐屋の村長と百姓共の妻子等ハ夫と聞よりおどろきかなしみ或は田を賣畑をうりひそかに馬加主従しゆじうをくり物してさま%\になげうつたへける程に凡一月ばかりをすぎて村長と百姓等ハからくしてゆるされしが語路五郎のみ赦免しやめんもなく獄舎の中にてはてけるハ年來たみの油をしぼり身をうるほせしむくひと人皆噂したりとぞ。

○扨も千葉助自胤ハうせて年經し嵐山」44尺八しやくはちりしかバその日ハしろかへり給ひかの犬田いぬたいふ浪人らうにん何卒なにとぞ當家とうけにとゞめんものとおもひつゞけ給ふにぞそのつぎ馬加まくわり大記だいき一個ひとり奥殿おくてんにいたりつゝ自胤よりたねまへいで犬田いぬたをさま/\とそしりなしかの小文吾こぶんご敵國てきこく間者かんじやにて候はんもはかりがたし。それがしぞんするにハまつ小文吾こぶんご獄舎ひとやにつなぎしもとをもつせめこらしいよ/\てき間者かんじやならばくび河原かはら〓梟きりかけ當家とうけ武威ぶゐしめさんことこれにましたることハあらじとことばたくみ説破ときやぶれば自胤よりたねしばしうちあんじてき間者かんしや間者かんじやならぬハはかりがたき事ながら假初かりそめにもこうあるものしやうハあたへず獄舎ごくやにつなぎてせめらさんハよろしからず。こと実否じつふるゝまでいつまでもとゞきなほざりならす管待もてなさハよしやてき間者かんしやなりともこゝろざし〔を〕ひるがへしてわれしたがこともあるべしとおほせ大記だいきこばみがたくしからバいまより小文吾こぷんごハ」

挿絵【挿絵】

旦開野あさけの大記たいきやかたきたりて田樂でんがくふ〉」45

それがしあづけ給へしかと実否じつふたゞさんといふに自胤よりたねよろこびてそこつのはからひなきやうにとくれ%\いましめ給ふにそ大記たいきハしぶ/\退しりぞきける。
犬田いぬた小文吾こぶんごかの日より大記たいきいへ畄止とゞめられすでに三日にをよべともあるじハ出てあいもせすこゝろふかあやしみてむねやすからすおもふをりしも此家このや老僕おとな柚角ゆづの九念二くねんじよばるゝものきやく坐敷さしき出來いできた主人しゆじん大記たいき昵勤ぢつきんいとまなく宿所しゆくしよまれなれハ御管待もてなしもおろそかならん。けふハすこしのひまたれハ對面たいめんいたさんとの事なり。いさ給へとてさきにたち小文吾こぶんごともなひつゝ幾間いくまへだて奥坐敷おくさしき廊下らうかつたひて行程ゆくほど大記たいき美々びゝしく装束よそほひとこうしろをしめたる右左みぎひだりにハこの若黨わかとう渡辺わたなべ綱平つなへい坂田さかた金平太きんへいだ臼井うすゐ貞九さだく卜部うらべの季六すへろくなどよばれたるか二行ふたかは居並ゐならひてこなたを白眼にらんでひかへたり。かく大記だいき小文吾こぶんごしよ對面たいめん口儀こうきをは大記たいき主命しゆうめいといゝ」46 たて小文吾こぶんごにうちむかひさま%\に狐疑こぎをいゝかけ此上ハ今すみやかにおんはなちやらん事ハ我力わがちからにておよびがたく氣永きながく時をまちたまへ。さすれバいつをかぎりともさだめがたき逗畄とうりうなるにけふより奥庭おくにははな坐敷ざしきをおん身の栖住すまゐとなさんほど衣食いしよくもとよりなになりとも心付こゝろづきなき事あらバかなら遠慮ゑんりようし給ふな。またこそ對面たいめんすべけれといひはてて身をおこしづかに奥へる程に小文吾こぶんごも大かたハ大記たいき所存しよぞんさとりしゆへろん無益むゑきあらそはず。かの九念二くねんじ誘引いざなははなしきにおもむきてより三度しよくわらはおくたるよりほかハ月のうちに一二にわのそうじに下部しもべるのみにしてはなし相手あいてになるものなくとらはれにことならず。こゝろともなくすぎゆくつきとゞめかねたる小文吾ハそらうちなが嘆息たんそくしさいつごろ荒芽山あらめやま厄難やくなんにてわかれしともの」

挿絵【挿絵】

毛野けのをんな田樂でんがくへんじて年来ねんらい宿望しゆくもうたつす〉」47

生死いきしに曳手ひくて單節ひとよがなりゆきもゆめにだもるよしなくそれのみならで旧里ふるさとちゝことをひ親兵衛しんべゑか事さへも思ひたへねバたのしまず。これみな大記だいきわれねたみしゆうのことばにかこつけてかゝる憂目うきめを見するなるべし。このつくりざま三方さんぼう高塀たかべいにてあなたにちいさき中門ちうもんあれどもそとよりかたざしたれバあれともなきことならず。あの門一ッおしやぶりて出んことかたくもあらぬわざなれども此処このところさへとざしをゆるめず城門じやうもんへハなほきびしからんをなまじゐなる事仕出しいだしてとらへられなバはぢのはぢ如何いかにやせんと一ッひとつにおもひかねてハ飛鳥とぶとりのつばさなき身をうらむのみまた詮方せんかたもなかりけり。

公羽堂      

 伊勢屋久助版

英名八犬士六編48

刊記


#「人文研究」第37号(千葉大学文学部、2008年3月31日)
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