『南總里見八犬傳』第二十九回


【外題】
里見八犬傳 第三輯 巻五

【本文】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第三輯(だいさんしふ)巻之五
東都 曲亭主人編次
 第(だい)廿九回(くわい) 〔雙玉(さうぎよく)を相換(あひかえ)て額藏(がくざう)(るい)を識(し)る両敵(りやうてき)に相遇(あひあふ)て義奴(ぎぬ)(うらみ)を報(むく)ふ〕

 濱路(はまぢ)は事(こと)の趣(おもむき)を、聞(き)くに歎(なげ)きは十寸鏡(ますかゞみ)、影(かげ)を得(え)(とめ)ぬ家父(かぞ)家母(いろは)の、なき名(な)(つげ)たる兄(あに)道節(どうせつ)が、いとも切(せつ)なる言(こと)の葉(は)に、露(つゆ)の玉(たま)の緒(を)(ひき)とめられて、霎時(しばし)苦痛(くつう)を忘(わす)るゝまでに、情願(ねがひ)はひとつ稱(かな)へども、又(また)想像(おもひや)る良人(つま)の事、わが宿業(しゆくごう)のすゑ竟(つひ)に、かゝる非命(ひめい)は実(まこと)の母(はゝ)の、造(つく)りし罪(つみ)よ報(むく)ひ來(き)て、妹〓(いもせ)の契(ちぎ)り浅茅生(あさちふ)の、小野(をの)に屍(かばね)を曝(さら)すらん。されば因果(いんくわ)の理(ことわ)りに、悟(さとり)の窓(まど)を開(ひら)けども、なほうち曇(くも)る胸(むね)の月(つき)、現(げに)煩惱(ぼんなう)の山(やま)の挾(は)に、碎(くだ)けて落(おつ)る涙(なみだ)の瀧(たき)の、ちすぢの兄(あに)と今(いま)さらに、面(おも)あはするも恥(はづか)しく、又(また)(あさ)ましく哀(かな)しさに、いよ/\弱(よは)る命根(いきのを)の、今(いま)を限(かぎ)りとおもふにぞ、いかで一ト言(こと)(のこ)さん、とやうやくに頭(かうべ)を擡(もたげ)て、いと苦(くる)しげに息(いき)を吻(つ)き、「原來(さては)おん身(み)はわらはが家兄(いろね)(か)。仇(あた)さへ撃(うち)て給はりし、思ひかけなき介抱(かいほう)は、あふを別(わか)れの今般(いまは)の對面(たいめん)、現(げに)はづかはしき限(かぎ)りに侍(はべ)り。いと慕(したは)しく年月(としつき)を、ふる郷(さと)の事今(いま)さらに、聞(き)くに哀(かな)しき家尊(かぞ)の陣歿(うちしに)。なき名(な)をしるはせめてもの、心(こゝろ)やりに侍(はべ)るなる。産(うみ)の恩(おん)の弥(いや)(たか)き、実(まこと)の親(おや)をしらで過(すぐ)さば、人(ひと)と生(うま)れし甲斐(かひ)あらじ、と思へば悲(かな)しくなつかしく、神(かみ)に佛(ほとけ)に手(て)をあはせ、祈(いのり)(つく)して物体(もつたい)なくも、恨(うら)みし事の侍(はべ)りしに、絶(たえ)なんとする息(いき)の内(うち)に、その願事(ねぎごと)の稱(かな)ひしは、神(かみ)の冥助(めうぢよ)(か)、佛(ほとけ)の慈悲(ぢひ)(か)。歡(よろこば)しさに就(つき)て亦(また)、哀(かな)しみもますわが身(み)の業因(ごういん)、母(はゝ)はと問(と)へば家兄(いろね)の為(ため)に、母御(はゝご)の讐(あた)たるこよなき罪科(つみとが)、家尊(かぞ)の怒(いかり)にわらはさへ、棄(すて)させ給ふはおほけなき、慈悲(ぢひ)とはしらで外(よそ)にだも、訪(とは)せ給はぬ親(おや)胞兄弟(はらから)を、心(こゝろ)つよしと恨(うら)みてし、迷(まよ)ひは晴(はれ)て又(また)(くも)る、涙(なみだ)の雨(あめ)に簑虫(みのむし)の、父(ちゝ)とは鳴(な)けど鬼(おに)の子(こ)の、母(はゝ)に等(ひと)しき死後(しご)の恥(はぢ)、世(よ)に在(あ)る程(ほど)は養親(やしおや)(たち)の、貪欲(どんよく)邪慳(じやけん)に身(み)をおきかねて、いくそばくその心(こゝろ)を苦(くる)しめ、偶(たま/\)(むす)びし妹(いも)と〓(せ)の、縁(えに)し果敢(はか)なく中絶(なかたえ)て、仇(あだ)なる人(ひと)に伴(ともなは)れ、倶(とも)にこの野(の)の土(つち)とならば、情死(ぜうし)とや世(よ)に謡(うたは)れん。冥土(よみぢ)の障(さわ)りはこれのみならで、心(こゝろ)もとなき事侍(はべ)り。わらはが丈夫(をつと)は故(もとの)管領(くわんれい)、持氏(もちうぢ)朝臣(あそん)譜代(ふだい)の近臣(きんしん)、大塚(おほつか)匠作(せうさく)ぬしには孫(まご)、犬塚(いぬつか)番作(ばんさく)一戌(かずもり)大人(うし)の一子(ひとりこ)に、犬塚(いぬつか)信乃(しの)戌孝(もりたか)となん呼(よば)れたる、弱冠(わかうど)に侍(はべ)るかし。わらはが養母(やうぼ)の甥(おひ)なれども、その心(こゝろ)ざまいと正(たゞ)しく、文学(ぶんがく)武藝(ぶげい)に暗(くら)からず、由緒(よし)ある武士(ぶし)に侍(はべ)れども、はやく孤(みなしこ)となりしかば、伯母夫(をばむこ)(がり)(み)を寓(よ)せて、所領(しよれう)の田園(たはた)を横領(わうれう)せられ、いと窶々(やつ/\)しく侍(はべ)る物(もの)から、時運(じうん)に任(まか)して人(ひと)を怨(うらみ)ず。家(いへ)に傳(つたは)る名刀(めいたう)あり。そはその村雨丸(むらさめまる)に侍(はべ)り。親(おや)の遺訓(いくん)に年來(としごろ)の宿願(しゆくぐわん)を稍(やゝ)(はた)さんとて、件(くだん)の宝刀(みたち)を携(たづさへ)て、許我(こが)殿(との)へ参(まゐ)らんとせし前(さき)の夜(よ)に、伯母(をば)(ご)夫婦(ふうふ)の腹(はら)きたなく、この左母二郎(さもじらう)を相譚(かたらひ)つ、神宮(かには)の漁獵(すなどり)に假托(かこつけ)て、宝刀(みたち)を搨替(すりかえ)(うば)はせたるに、左母二郎(さもじらう)も亦(また)奸智(かんち)をもて、横取(よことり)して腰(こし)に帶(おび)たり。さりともしらでわが良人(つま)は、許我(こが)へ参(まゐ)らばなか/\に、麁忽(そこつ)をいひときかたかるべし。いかで宝刀(みたち)をとり復(かへ)さん、と思ふに甲斐(かひ)なき必死(ひつし)の深痍(ふかて)、かへらぬ水(みづ)のあはれよに、きえてゆく身(み)は惜(をし)からで、惜(をし)むは良人(つま)の名(な)に侍(はべ)り。願(ねが)ふはおん身(み)の資(たすけ)のみ。こゝより直(たゞ)に許我(こが)へ赴(おもむ)き、そが安否(あんひ)を問(と)ひ定(さだ)めて、宝刀(みたち)を逓与(わたし)給はらば、こよなき恩義(おんぎ)に侍(はべ)るめり。産(うみ)の母(はゝ)の故(ゆゑ)を思へば、家兄(いろね)なりとてかゝる事、いといひかたく侍(はべ)れども、外(よそ)によるべはなき後(のち)までの、心(こゝろ)かゝりを果(はた)させたまへ。大慈(だいぢ)大悲(だいひ)の恩徳(おんとく)ならん。只(たゞ)(ねがは)しきはこの事のみ、聽(きゝ)(いれ)てたべ、家兄(いろね)の君(きみ)」と頼(たの)む言葉(ことは)に声(こゑ)(か)れて、霜宵(しもよ)の虫(むし)と細(ほそ)りつゝ、物(もの)いふ毎(ごと)に濆(ほとはし)る、血(ち)しほにすべはなかりけり。
 道節(どうせつ)(きゝ)て嘆息(たんそく)し、「母(はゝ)と母(はゝ)との故(ゆゑ)をもて、われしうねくも女弟(いもと)を忌(いま)んや。夫(をつと)をおもふ今般(いまは)の願言(ねぎごと)、推辞(いなむ)べきにあらねども、そは家事(かじ)にして私(わたくし)也。君父(くんふ)の讐(あた)を後(のち)にして、私事(わたくしごと)を先(さき)にはしかたし。われは月(つき)ごろ君父(くんふ)の讐(あた)、扇谷(あふきがやつ)定正(さだまさ)に、忻(たばかり)よつて一ト刀(かたな)に、怨(うらみ)を復(かへ)さんと思ふ物(もの)から、その便(たよ)りを得(え)ざりしに、不思議(ふしぎ)に手(て)に入(い)るこの名刀(めいたう)。これをもて讐(あた)に近(ちか)つき、宿望(しゆくまう)(とげ)て餘命(よめい)あらば、その時(とき)にこそそなたの夫(をつと)、犬塚(いぬつか)信乃(しの)とやらんが安否(あんひ)を問(と)ひ、恙(つゝが)もなくて環會(めぐりあは)ば、村雨丸(むらさめまる)を返(かへ)すべけれ。こは憑(たのま)れぬ事にしあれば、定(さだ)かにはうけ引(ひき)かたし。われもし讐(あた)の手(て)に死(し)なば、この大刀(たち)も亦(また)分捕(ぶんとり)せられん。君父(くんふ)の為(ため)にはこの身(み)を忘(わす)る、豈(あに)妹夫(いもとむこ)の事をおもはんや。貞操(ていさう)節義(せつぎ)は、婦人(ふじん)の道(みち)也。忠信(ちうしん)孝義(こうぎ)は、男子(なんし)の道(みち)也。勇士(ゆうし)の夲意(ほんゐ)かくの如(ごと)し」と理(ことわ)り迫(せめ)て喩(さと)すになん、濱路(はまぢ)は望(のぞみ)を失(うしな)ひて、しからば何(なに)とまうす共、讐(あた)を討(うち)ての後(のち)ならでは、うけ引(ひき)かたし、と心(こゝろ)つよき、回答(いらへ)に忽地(たちまち)(むね)(ふたが)りて、一ト声(こゑ)(あつ)と叫(さけ)びつゝ、そがまゝ息(いき)は絶(たえ)てけり。
 道節(どうせつ)(まぶた)をしばたゝき、「儔稀(たぐひまれ)なる女弟(いもと)が節操(せつさう)、今般(いまは)に遺(のこ)せし一ト條(くだり)を、肯(うけがは)ざるも武士(ぶし)の意地(ゐぢ)。せめてはこゝに亡骸(なきから)を、斂(おさ)めて冥府(よみぢ)の苦惱(くなう)を救(すくは)ん。さは」とてやをら抱(いだ)き揚(あげ)て、火定(くわじやう)の坑(あな)へ推(おし)おろし、残(のこ)れる柴(しば)を投入(なげい)るれは、夜風(よかぜ)のまに/\埋火(うづみひ)の、再(ふたゝ)び燃(もえ)て煽々(せん/\)たる、茶毘(だび)の煙(けふり)は鳥部野(とりべの)の、夕(ゆふべ)もかくやと想像(おもひや)る、歎(なげ)きははじめにいやまして、霎時(しばし)(まも)りて合掌(がつせう)し、「泡影(はうえい)無常(むじやう)、弥陀(みだ)方便(はうべん)、一念(いちねん)唱名(せうめう)、頓生(とんせい)菩提(ぼだい)、弥陀佛(みだぶつ)々々々(/\)」と廻向(ゑこう)しつ、悵然(ちやうぜん)として身(み)を起(おこ)し、彷徨(はうくわう)として立(たち)も得(え)(さ)らず。又(また)数回(あまたゝび)嘆息(たんそく)し、「大約(およそ)法師(はうし)の終(をはり)を執(と)るに、柴薪(たきゝ)を積(つみ)てみづから焚(やく)を、火定(くわじやう)となん唱(となへ)たる。わが朝(ちやう)には信濃(しなの)なる、戸隱山(とかくしやま)の長明(ちやうめう)法師(はうし)が、鳥部野(とりべの)に火定(くわじやう)せし事、又(また)紀國(きのくに)那智山(なちさん)の應照(おうせう)も、終(をはり)を火定(くわじやう)に執(と)りし事、『元亨釋書(げんこうしやくしよ)』第(だい)十二巻(くわん)、忍行篇(にんこうへん)に載(のせ)たるなめり。われは大義(たいぎ)を舒(のべ)ん為(ため)に、漫(そゞろ)に愚民(ぐみん)を欺(あざむ)きし、火定(くわじやう)の因果(いんぐわ)眼前(まのあたり)、妹(いもと)が身(み)を焚(や)く茶毘(だび)とはなれり。われ亦(また)いづれの郷(さと)に死(し)し、いづれの野(の)にか骨(ほね)を埋(うづめ)ん。定(さだ)めなき世(よ)のたゝずまひ、後(おく)るゝも先(さき)たつも、北〓(ほくぼう)山頭(さんとう)一片(いつへん)の、煙(けふり)とおもへばいと果敢(はか)なし」とひとりごちつゝ天(そら)うち仰(あほ)ぎ、「詮(せん)なき歎(なげ)きに夜(よ)は深(ふけ)たり。とくこの山(やま)を踰(こえ)ん」とて、彼(かの)名刀(めいたう)を腰(こし)に跨(よこたへ)、立去(たちさ)らんとする程(ほど)に、後方(あとべ)に窺(うかゞ)ふ額藏(がくざう)は、濱路(はまぢ)道節(どうせつ)が問答(もんどう)を、おちもなく竊聞(たちきゝ)つ、貞操(ていさう)義烈(ぎれつ)に感佩(かんはい)して、嘆息(たんそく)の外(ほか)なかりしか、われ憖(なまじい)に彼処(かしこ)に到(いた)らば、節婦(せつふ)の臨終(りんじう)を慰(なぐさむ)る、よすがとはなるべけれど、そが兄(あに)われを訝(いぶか)りて、物(もの)かたりの腰(こし)を折(を)らん。躱(かく)れて聞(き)くにます事なし、と思ひにければ、端(はし)なく出(いで)ず。復(また)つく/\と聞(き)く程(ほど)に、村雨(むらさめ)の一ト刀(こし)は、左母二郎(さもじらう)が横畧(よことり)せしを、道節(どうせつ)が手(て)に落(おち)たれば、迺(すなはち)(くだん)の大刀(たち)をもて、讐(あた)に近(ちか)つく便著(たつき)にせんとて、濱路(はまぢ)が遺言(いげん)をうけ引(ひか)ざる、事(こと)の趣(おもむき)に膽潰(きもつぶ)れて、肚裏(はらのうち)におもふやう、「定正(さだまさ)ぬしは大敵(たいてき)也。道節(どうせつ)死力(しりよく)を竭(つく)すとも、怨(うらみ)を報(むくは)んこと輙(たやす)からず。渠(かれ)(うた)れなば大刀(たち)も喪(うせ)ん。縦(たとひ)(かの)(ひと)(あた)を撃(うち)て、前諾(ぜんだく)に負(そむ)くことなく、犬塚(いぬつか)(うぢ)に彼(かの)宝刀(みたち)を、返(かへ)す日(ひ)のありといふとも、火急(くわきう)の難義(なんぎ)を救(すく)ふに足(た)らず。轍(わだち)の鮒(ふな)に水(みづ)をば飼(か)はで、日(ひ)を歴(へ)て枯魚(こぎよ)を市(いち)に訪(と)ふとも、亦(また)(なに)の益(ゑき)やはある。さるにても、犬塚(いぬつか)(うぢ)の、安否(あんひ)いと/\心(こゝろ)もとなし。名告(なのり)て由(よし)を告(つぐ)るとも、明々地(あからさま)に大刀(たち)を乞(こふ)とも、渠(かれ)その妹(いもと)にすら許(ゆる)さねば、いかにぞ
われに逓与(わたさ)んや。組伏(くみふせ)てとり復(かへさ)ん」と思ひ决(さだ)めつ、腕(かひな)
【挿絵】「沽んかな筆におさめて露の玉 玄同[玄同][著作堂]」「額蔵」「道松」
(にぎ)りて、瞬(またゝき)もせず闕窺(かいまみ)をれば、彼(かれ)はや濱路(はまぢ)を火葬(くわそう)して、村雨(むらさめ)の大刀(たち)を腰(こし)に挿副(さしそへ)、立去(たちさら)んとしたりしかば、「癖者(くせもの)(まて)」と呼(よび)とめつゝ、樹蔭(こかげ)を閃(ひら)りと走(はし)り出(いで)て、刀(かたな)の〓(こしり)を丁(ちやう)と捉(と)り、両三歩(ふたあしみあし)引戻(ひきもど)せば、驚(おどろ)きながら振(ふり)かへりて、〓(こしり)かへしに拂(はら)ひ除(のけ)、大刀(たち)を抜(ぬか)んとする処(ところ)を、横(よこ)ざまに引組(ひつくん)たる、技(わざ)も力(ちから)も劣(おと)らず優(まさ)ず、勇者(ゆうしや)と勇者(ゆうしや)の相撲(すまひ)には、寸分(すんぶん)の隙(ひま)あらずして、迭(かたみ)に捉(とつ)たる手(て)を放(はな)さず、曳々(ゑい/\)(こゑ)をふり立(たて)て、ちから足(あし)を踏鳴(ふみなら)し、沙石(いさこ)を飛(とば)し、小草(をくさ)を蹴(け)ひらき、両虎(りやうこ)の山(やま)に戦(たゝか)ふ如(ごと)く、鷙鳥(しちやう)の肉(にく)を争(あらそ)ふに似(に)て、いつ果(はつ)べくもあらざりしか、いかにかしけん額藏(がくざう)は、年來(としころ)(はだ)を放(はな)さゞる、護身嚢(まもりふくろ)の長紐(ながひも)(みだ)れて、道節(どうせつ)が大刀(たち)の緒(を)に、いく重(へ)ともなく〓縁(まつはり)つゝ、挑(いど)むまに/\引断離(ひきちぎ)られて、嚢(ふくろ)は彼(かれ)が腰(こし)に著(つき)たり。そを取(と)らんとする程(ほど)に、思はずも手(て)や緩(ゆる)みけん、道節(どうせつ)忽地(たちまち)(ふり)ほどきて、大刀(たち)を引抜(ひきぬ)き、撃(うた)んとすれば、こゝろ得(え)たり、と抜合(ぬきあは)せて、丁々(ちやう/\)發矢(はつし)、と戦(たゝか)ふ大刀(たち)(おと)、電光(でんくわう)石火(せきくわ)と晃(きら)めかす、一上(いちぜう)一下(いちげ)、手煉(しゆれん)の刀尖(きつさき)、沈(しづん)で拂(はら)へば、跳踰(おどりこえ)、引(ひけ)ば著入(つけい)り、進(すゝ)めばひらく、樊〓(はんくわい)が鴻門(こうもん)を破(やぶ)るとき、関羽(くわんう)が五関(ごくわん)を越(こゆ)るの日(ひ)、孰(いつれ)が劣(おと)り、孰(いつれ)が勝(まさ)ん。天(そら)には隈(くま)なき月(つき)の照(て)り、地(ち)に亦(また)茶毘(だび)の光(ひかり)あり、真夜中(まよなか)ながら明(あか)ければ、なほ相挑(あひいどみ)て迷(まよ)はず去(さ)らず。道節(どうせつ)(いらつ)て撃(うつ)大刀(たち)を、額蔵(がくざう)(ひだり)に受流(うけなが)せば、刀尖(きつさき)あまりて腕(たゞむき)より、流(なが)るゝ鮮血(ちしほ)を物(もの)ともせず、丁(ちやう)と返(かへ)せし大刀(たち)(かぜ)(するど)く、道節(どうせつ)が身鎖(きこみ)の緜齧(わたかみ)、刀尖(きつさき)ふかく裏徹(うらかき)て、肩(かた)なる癇(しひね▼コブ)を〓傷(きりやぶ)れば、黒血(くろち)さつと濆(ほとはし)り、瘤(こぶ)の中(うち)に物(もの)ありけん、螽(いなご)の如(ごと)く飛散(とびちつ)て、額藏(がくざう)が胸前(むなさき)へ、〓(はた)と當(あた)るを、落(おと)しも遣(や)らず、左手(ゆんて)に楚(しか)と握畄(にぎりとめ)て、右手(めて)に刃(やいば)を閃(ひらめか)し、又(また)透間(すきま)もなく切結(きりむす)ぶ。大刀(たち)すぢ侮(あなど)りかたければ、道節(どうせつ)は受(うけ)とゞめ、又(また)(うけ)ながして声(こゑ)をふり立(たて)、「やよ等(まて)一等(しばし)、いふ事あり。汝(なんぢ)が武藝(ぶげい)(はなはだ)(よし)。われ復讐(ふくしう)の大望(たいまう)あり、豈(あに)小敵(せうてき)と死(し)を决(けつ)せんや。且(しばら)く退(しぞ)け」といはせもあへず、額藏(がくざう)(まなこ)を〓(いから)して、「さはわが夲事(てなみ)をしりたるな。命(いのち)(をし)くは村雨(むらさめ)の宝刀(みたち)を逓与(わた)して疾々(とく/\)(さ)れ。かくいふわれを誰(たれ)とかする。犬塚(いぬつか)信乃(しの)が無二(むに)の死友(しいう)、犬川(いぬかは)荘助(さうすけ)義任(よしたふ)也。
 汝(な)が名(な)は聞(きゝ)つ犬山(いぬやま)道松(みちまつ)、烏髪(うはつの)入道(にうどう)、道節(どうせつ)忠與(たゞとも)、宝刀(みたち)を返(かへ)せ」と敦圉(いきまけ)ば、道節(どうせつ)呵々(かや/\)と冷笑(あざわら)ひ、「わが大望(たいまう)を遂(とぐ)るまでは、女弟(いもと)にすら、うけ引(ひか)ざる、大刀(たち)を汝(なんぢ)に與(あたへ)んや」「否(いな)とらでやは、とく/\逓与(わた)せ」と再(ふたゝ)び詰(つめ)よせ、附廻(つけまは)して、跳蒐(おどりかゝつ)て丁(ちやう)と撃(うつ)を、左邊(ゆんて)に拂(はら)ひ、右邊(めて)に〓(さゝゆ)る、道節(どうせつ)は透(すき)を揣(はか)りて、火坑(くわこう)の中(うち)へ飛入(とびい)りつ、發(はつ)と立(たつ)たる煙(けふり)とゝもに、往方(ゆくへ)はしらずなりにけり。
 額蔵(がくざう)吐嗟(あなや)。と追(おひ)かねて、俯(ふし)て見(み)つ、又(また)(あほぎ)て瞻(み)つ。「原來(さては)火遁(くわとん)の術(じゆつ)をもて、逃去(のがれさり)し歟(か)、残念(ざんねん)也。さるにても道節(どうせつ)が、瘡口(きずくち)より飛出(とびいで)て、わが手(て)に入(い)りしは何(なに)なるらん。いと不審(いぶかし)」と燃残(もえのこ)る、火光(ほかげ)によせて熟視(つら/\み)るに、「吁(あな)不思議(ふしぎ)や、犬塚(いぬつか)信乃(しの)と、わが秘蔵(ひさう)せし、孝(こう)(ぎ)一双(いつさう)の玉(たま)に等(ひと)しく、光(てり)も形(かたち)も寸分(すんぶん)(たが)はで、この玉(たま)には忠(ちう)の一字(いちじ)あり。こは怎生(そも)(あや)し」と驚(おどろ)くまでに、又(また)と見、かう見つゝ沈吟(うちあん)じ、忽地(たちまち)(さとつ)て莞尓(につこ)と笑(ゑ)み、「此彼(これかれ)思ひあはすれば、彼(かの)犬山(いぬやま)道節(どうせつ)も、終(つひ)にはわが同盟(どうめい)の人(ひと)となるべき因縁(いんえん)あらん。さるにてもわが玉(たま)を、秘(ひめ)おきたりし護身嚢(まもりふくろ)は、彼(かれ)が腰刀(こしかたな)にからみ取(と)られつ、そが肉身(にくしん)より出(いで)たる玉(たま)は、思はずわが手(て)に入(い)りし事、竒異(きい)とやいはん、微妙(みめう)とやせん、怪(あや)しといふもあまりあり。これによりて推(おす)ときは、わが玉(たま)も彼(かの)宝刀(みたち)も、後(のち)には復(かへ)る時(とき)あらん。そはとまれかくもあれ、犬塚(いぬつか)(うぢ)が許我(こが)の首尾(しゆび)、心(こゝろ)もとなき限(かぎ)りなれども、これらの因縁(いんえん)あらんには、彼処(かしこ)にも神(かみ)の冥助(めうぢよ)あるべし。いかばかりに思ふとも、こゝより許我(こが)へは十六里(り)、今(いま)束間(つかのま)に告(つぐ)るによしなし。はやく大塚(おほつか)へ立(たち)かへりて、復(また)せんすべもあらんかし。豫(かね)ては假傷(にせきず)を造(つく)らん、と思ふ折(をり)から幽搨傷(かすりて)(おふ)たり。これも物怪(もつけ)の幸(さいは)ひなる歟(か)」と自(みづから)(とひ)、みづから答(こたへ)て、手拭(てぬぐ)をもて痍(きず)を包(つゝ)み、又(また)愀然(しうぜん)と火坑(くわこう)を見かへり、「さるにても濱路(はまぢ)との、丈夫(をとこ)も及(しか)ざる心烈(しんれつ)節義(せつき)、いと痛(いた)ましくも感(かん)ふかゝり。日(ひ)ごろはわが腹心(ふくしん)を、しらすることのなかりしかど、死(し)しては必(かならず)(りやう)あらん。犬塚(いぬつか)(うぢ)に再會(さいくわい)せば、おん身(み)が最期(さいご)の心烈(しんれつ)を、巨細(つばら)に告(つげ)て後(のち)の世(よ)に、夫婦(ふうふ)一蓮(いちれん)托生(たくせう)の、契(ちぎり)を固(かた)うすべき也。わが一ト言(こと)の手向(たむけ)を受(うけ)て、觧脱(げだつ)の室(むろ)に赴(おもむ)き給へ。南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」と念(ねん)しつゝ、退(しりぞ)かんとする程(ほど)に、左母二郎(さもじらう)が亡骸(なきから)に、撲地(はた)と跌(つまつ)き、透(すか)し見て、ひとり心(こゝろ)にうち点頭(うなつき)、刃(やいば)を抜(ぬき)て、首(くび)掻落(かきおと)し、傍(かたへ)の榎(えのき)に伐掛(きりかけ)て、その幹(みき)を推削(おしけづ)り、墨斗(やたて)の亳(ふで)を抜出(ぬきいだ)して、遽(いそがは)しく墨(すみ)を染(そめ)
 是(これ)は悪黨(あくたう)網乾(あぼし)左母二郎(さもじらう)也。或(あるひと)秘藏(ひさう)の大刀(たち)を掠(かすめ)て、又(また)處女(しよぢよ)濱路(はまぢ)を拐挈(かどはか)し、その従(したがは)ざるを怒(いかり)て、こゝに烈女(れつぢよ)を残賊(ざんぞく)せる、天罰(てんばつ)(よつて)(くだん)の如(ごと)し。年月(ねんげつ)日時(じつじ)
と書(かき)つけて、そがまゝ墨斗(やたて)を腰(こし)に納(おさ)め、「斯(かう)書遺(かきのこ)せば、錯(あやまり)(つた)へて、此彼(これかれ)情死(ぜうし)とするものなからん。是(これ)も節婦(せつふ)へ追薦(ついぜん)のみ」とひとりごちつゝ歩(あし)をはやめて、礫川(こいしかは)へと横(よこ)ぎり下(くだ)れば、駒込寺(こまこみてら)の鐘(かね)の声(こゑ)、數(かず)は九ッ、九品(くほん)の浄刹(じやうさつ)、佛(ほとけ)に媚(こび)ざる壮士(ますらを)も、輪廻(りんゑ)応報(おうほう)眼前(まのあたり)、見つゝ聞(きゝ)つゝ極楽(ごくらく)(みづ)の、西(にし)へと進(すゝ)む野(の)に山(やま)に、其処(そこ)も紅蓮(ぐれん)の浪切(なみきり)(なはて)、大塚村(おほつかむら)へいそぎける。
 案下某生再説(それはさておき)、蟇六(ひきろく)亀篠(かめさゝ)は、濱路(はまぢ)左母二郎(さもじらう)(ら)を追畄(おひとめ)よとて、人(ひと)(のこ)りなく遣(つかは)しつ。そが折(をり)もよく詣來(まうき)つる、土太郎(どたらう)さへに駈立(かりたて)て、件(くだん)の男女(なんによ)を追(おは)せにければ、十に八九は將(い)て來(き)つべし。今(いま)か/\、と立(たち)て見つ、居(い)て見つ俟(まて)ども音(おと)もせず。夫婦(ふうふ)が胸(むね)は荒磯(ありそ)の波(なみ)の、隙(ひま)なき如(ごと)くうち騒(さは)ぎ、こゝろもこゝにあらしの風(かぜ)に、挿頭(かざし)の花(はな)を取(と)られたる、後悔(こうくわい)其処(そこ)に立(たゝ)ずして、絶(たつ)は空(むな)しき夏(なつ)坐舗(ざしき)に、片流(かたなが)れする蝋燭(ろうそく)の涙(なみだ)を見ても形(あぢき)なく、夫婦(ふうふ)は泣(なき)も合(あは)されず、今宵(こよひ)ばかりは一時(とき)が、千年(ちとせ)になれ、と祈(いの)るのみ。外面(とのかた)(よぎ)る人音(ひとおと)に、或(ある)は濱路(はまぢ)を將(い)て來(き)つる歟(か)、と虚頼(そらたのめ)して出(いで)て見つ、或(ある)は簸上(ひかみ)が來(き)つる歟(か)、と闕窺(かいまみ)あへず膽(きも)を冷(ひや)せど、庖厨(くりや)なる羹(あつもの)は、水(みづ)になるにもこゝろえつかず、炙肉(あぶりさかな)はいたつらに、半骸(はんたい)(すみ)になりたるをも見かへらず、心(こゝろ)こゝに在(あら)ざれは、食(くらは)ざれども、餌(うへ)をおぼえず。手(て)の舞(まひ)、足(あし)の踏(ふみ)ところを知(しら)ざれば、麻衣(あさきぬ)の裏(うら)かへり、袴(はかま)の後(しり)の〓(ねぢ)れたるを忘(わす)れたり。
 とかくする程(ほど)に、十九日の月(つき)(たか)く昇(のぼり)て、今(いま)はや亥中(ゐなか)になりしかば、陣代(ぢんだい)簸上(ひかみ)宮六(きうろく)は、媒妁(なかたち)軍木(ぬるで)五倍二(ごばいじ)と連拉(つれたち)て、蟇六(ひきろく)(がり)詣來(まうき)にけり。各(おの/\)(あさ)の上下(かみしも)なる、礼服(れいふく)を著(つけ)たれども、潜(しの)びやかなる壻入(むこいり)なれば、従者(ともひと)をいと窶(やつ)して、一個(ひとり)の奴隷(しもべ)に、挑燈(ちやうちん)を引提(ひさげ)させて先(さき)に立(たゝ)せ、若黨(わかたう)両人(りやうにん)、鞋奴(ざうりとり)両人(りやうにん)を従(したが)へつゝ、且(まづ)呼門(おとなは)せたりければ、あるじ夫婦(ふうふ)は今(いま)さらに、周章(あはてふためき)てせんすべをしらず。亀篠(かめさゝ)は、勸盃(けんはい)の塩梅(あんばい)(こゝろ)もとなしとて、いそしく庖〓(くりや)に赴(おもむ)きて、彼此(あちこち)に忙然(ぼうぜん)たる、婢女(をんな)(ども)を呼立(よびたて)て、俄頃(にはか)に火(ひ)を焚(たか)せ、炭(すみ)を起(おこ)させなどしたる、紛兀(ふんこつ)(さら)にいふべからず。そが程(ほど)に蟇(ひき)六は、応々(おふ/\)と答(いらへ)ながら、書院(しよいん)の蝋燭(ろうそく)を継(つぎ)かえて、帚(はゝき)とる手(て)も戦(わなゝき)たる、そこら一遍(いつへん)掃出(はきいだ)して、玄関(げんくわん)なる式臺(しきだい)へ、投(なぐ)るが如(ごと)く出迎(いでむかへ)、「思ふにまして速(すみやか)なる來臨(らいりん)、いと辱(かたじけな)くこそ候へ。誘(いざ)給へ」と先(さき)にたちて、引(ひき)て書院(しよいん)に赴(おもむ)けば、宮六(きうろく)五倍二(ごばいじ)は、會釋(ゑしやく)して、賓主(ひんしゆ)の席(むしろ)(さだま)りつ、迭(かたみ)に寿(ことぶき)の辞(ことば)を述(のべ)、暑中(しよちう)の恙(つゝが)なきを祝(しゆく)して、挨拶(あいさつ)(すで)に訖(をは)れども、茶(ちや)を勸(すゝむ)るものもなし。うち目戌(まもり)てをる程(ほど)に、蟇(ひき)六は掌鳴(たなそこな)らして、「とく盃(さかつき)を進(まゐ)らせよ」としば/\催促(さいそく)しつれども、応(いらへ)のみして早(とみ)にはもて來(こ)ず、待(まつ)こと半〓(はんとき)(ばかり)にして、亀篠(かめさゝ)は、みづから洲濱(すはま)の盃臺(さかつきだい)を捧(さゝげ)つゝ、恭(うや/\)しく勸(すゝむ)れば、雛婢(こをんな)両人(りやうにん)は、羹(あつもの)の折敷(をしき)を按排(おきならべ)て、銚子(さしなべ)を執(とり)てをり。當下(そのとき)亀篠(かめさゝ)は、身(み)をひらかして宮六(きうろく)(ら)に、辱(かたじけな)きよしを述(のぶ)る、物(もの)のいひざま顔(かほ)の色(いろ)さへ、生平(つね)にはあらで本末(もとすゑ)(とほ)らず、いと皺(しは)びたる満面(まんめん)に、白粉(しろいもの)を塗著(ぬりつけ)たる、鼻(はな)のあたりに鍋(なべ)の炭(すみ)を、したゝかに塗添(ぬりそえ)たり。とはしらずして唇(くち)を圓(つぼ)め、目(め)を細(ほそく)して阿諛(へつらひ)の、夛辨(たべん)も傍痛(かたはらいた)ければ、宮六(きうろく)五倍二(ごばいじ)は見ぬ態(ふり)して、笑(わらひ)を忍(しの)べは、蟇(ひき)六も、妻(つま)の皃(かほ)を見かへりて、あな浅(あさ)まし、と思ふのみ、白地(いさゝめ)にはさしもいはれず、立(たち)ね/\、と促(うなが)せ共、亀篠(かめさゝ)は耳(みゝ)にもかけず、真顔(すがほ)になりて〓(しやべ)りけり。
 かくて賓主(ひんしゆ)の口誼(こうぎ)(をはり)て、おの/\碗(わん)の蓋(ふた)を取(と)れば、羹(あつもの)は味噌汁(みそしる)也。肉(にく)は鯰(なまづ)の筒切(つゝきり)に、新(しん)牛房(ごばう)を瑣細(さゝが)したる、田舎(ゐなか)料理(りやうり)も三〓(さんなん)七醢(しちけい)、時(とき)に取(とり)ては、いと愛(めで)たし、と箸(はし)を揚(あげ)たる宮(きう)六に、些(すこし)(おく)れて五倍二(ごばいじ)は、汁(しる)を吸(す)ひ、肉(にく)を夾(はさ)めば、あな無慚(むざん)や、鯰(なまづ)にはあらずして、いと黒(くろ)やかに灰染(はひじみ)たる、束藁子(たはし)をひとつ盛(も)られたり。是(これ)はいかに、と箸(はし)にかけて、折敷(をしき)の傍(かたへ)に引出(ひきいだ)せば、蟇六(ひきろく)亀篠(かめさゝ)(おどろき)(さわ)ぎて、「そは物体(もつたい)なし。物(もの)どもが、麁忽(そこつ)にも限(かぎ)りあり。言語(ごんご)同断(どうだん)、許(ゆる)させ給へ」と勸觧(わび)つゝ折敷(をしき)を引(ひき)かえて、束藁子(たわし)をはやくとり隱(かく)し、只管(ひたすら)(とが)を庖丁(くりやびと)に、負(おは)せて羞(はぢ)を暗(くろむ)れども、羹(あつもの)は亀篠(かめさゝ)が、手(て)つから盛(もり)しものなれば、さりとて人(ひと)を叱(しか)りも得(え)ならず、一座(いちざ)忽地(たちまち)しらけたり。かくて又(また)、盃(さかつき)を勸(すゝめ)たる、賓主(ひんしゆ)の辞讓(ぢじやう)(はて)しなければ、宮(きう)六はやうやくに、その盃(さかつき)を受(うく)るになん。亀篠(かめさゝ)は介添(かいそえ)て、雛婢(こをんな)に篩(つが)せたる、款待(もてなし)(ぶり)に宮(きう)六は、傾(かたむけ)んとして半(なかば)も得(え)(のま)ず、哽咽(むせかへ)り、又(また)伏沈(ふししづ)み、拿(もつ)たる盃(さかつき)を擲(なげうち)て、咳(しはぶ)くこと甚(はなはだ)しく、いと苦(くる)しげに見えしかば、こはそもいかに、と亀篠(かめさゝ)は、後方(あとへ)にゐよりて背(そびら)を捺(さす)り、蟇(ひき)六は湯(ゆ)を勸(すゝ)めて、五倍二(ごばいじ)共侶(もろとも)介抱(かいほう)に、宮(きう)六涙(なみだ)を推拭(おしぬぐ)ひ、「式(しき)(か)故実(こじつ)かしらねども、われに熱醋(にえす)を飲(のま)せたる、情(なさけ)なし」と怨(ゑん)ずれは、蟇六(ひきろく)亀篠(かめさゝ)おそれ惑(まど)ひて、銚子(さしなべ)を引(ひき)よせつゝ、その香(か)を〓(かぐ)に、果(はた)して醋(す)なり。
 再三(ふたゝびみたび)の麁忽(そこつ)に愧(はぢ)て、婢女(をんな)(ども)を罵(のゝし)れども、これも亦(また)亀篠(かめさゝ)が、手(て)つから篩(つぎ)たるものなれば、人(ひと)を咎(とがむ)るよしもなく、夫婦(ふうふ)は冷(つめた)き汗(あせ)を流(なが)す、額(ひたひ)を席薦(たゝみ)に掘埋(ほりうづ)めて、辞(ことば)(ひと)しく勸觧(わび)しかば、五倍二(ごばいじ)さへに胸(むね)くるしさに、執(とり)なすこと大(おほ)かたならず。「更闌(こうたけ)ての酒宴(さかもり)なれば、臺所(だいところ)はいとゞしく、混雑(こんざつ)の失錯(あやまち)あらん。新人(よめご)の病著(いたつき)おこたりて、彼(かの)うへに障(さゝは)りなくは、それにます饗応(けうおう)なし。再度(さいど)の麁忽(そこつ)は酒(さけ)と醋(す)と、等類(とうるい)にして色(いろ)も似(に)たり。わが束藁子(たわし)にはますべけれ。寛仁(くわんじん)大度(たいと)の簸上(ひかみ)大人(うし)、かばかりの事(こと)(なに)かあらん。この盃(さかつき)は一巡(いちじゆん)にして、婚姻(こんいん)の席(むしろ)に更(あらた)め、しかるべし」と提撕(とりもて)ば、宮(きう)六は稍(やゝ)(いきどほ)り觧(とけ)て、又(また)(さかつき)をとり揚(あげ)たり。あるじ夫婦(ふうふ)は歡(よろこ)びて、銚子(さしなべ)を引(ひき)かえさせ、更(さら)に種々(くさ/\)の酒〓(さかな)を添(そえ)て、盃(さかつき)を勸(すゝむ)る程(ほど)に、夏(なつ)の夜(よ)なれば短(みじか)くて、はや子(ね)の時(とき)になりにけり。しかはあれども濱路(はまぢ)を出(いだ)さず。
 五倍二(ごばいじ)(しきり)に焦燥(いらたち)て、しば/\催促(さいそく)してければ、夫婦(ふうふ)はます/\困(こう)じ果(はて)て、軍木(ぬるで)を傍(かたへ)に請招(こひまね)き、蟇(ひき)六まづいひけるやう、「婚姻(こんいん)の事は今(いま)とても、仔細(しさい)なく候へども、濱路(はまぢ)は甲夜(よひ)より痞發(つかえおこ)りて、いかにともせんすべなし。僮僕(をとこ)(ども)を走(はし)らして、只管(ひたすら)醫師(くすし)を請來(こひきた)せども、小夜(さよ)の事なれば、醫師(くすし)はさら也、人橋(ひとはし)かけたる僮僕(をとこ)(ども)さへ、一人ンも帰(かへ)り來(こ)ず、心苦(こゝろくる)しくこそ候へ。さばれ痞(つかえ)の事にしあれば、いく日(か)もあらで〓(おこた)るべし。今(いま)霎時(しばし)(また)せ給へ」と真(まこと)しやかに耳語(さゝやけ)ども、五倍二(ごばいじ)一切(つや/\)うけ引(ひか)ず、「それは亦(また)(いはれ)なし。新人(よめご)に病著(いたつき)ある事は、豫(かね)て承知(せうち)の婚姻(こんいん)を、今(いま)さら翌(あす)まで待(まつ)よしあらんや。いはるゝ趣(おもむき)(いつは)りなくは、新人(よめご)の臥房(ふしど)へ案内(しるべ)し給へ。その容体(ようだい)を一診(いつしん)せん。あな馬鹿(ばか)々々(/\)し」と敦圉(いきまき)たる、声(こゑ)おのづから高(たか)ければ、亀篠(かめさゝ)は傍痛(かたはらいた)くて、倶(とも)に胸(むね)をぞ苦(くる)しめたる。當座(たうざ)(のがれ)も術(すべ)(つき)て、夫(をつと)の袂(たもと)を引動(ひきうごか)し、「今(いま)は隱(かく)すによしもあらず。明々地(あからさま)に告(つげ)たまへ。さして勸觧(わぶ)るにますことあらじ」といはれて蟇(ひき)六嗟嘆(さたん)しつ、腋下(わきのした)なる冷汗(ひやあせ)を、推拊(おしなで)て容(かたち)を更(あらた)め、「軍木(ぬるて)大人(うし)(ねがは)くは、舊(もと)の席(むしろ)に著(つき)給へ。おん疑(うたが)ひを釋(とき)まうさん」といふに五倍二(ごばいじ)いとゞしく、心(こゝろ)もとなく思ふ物(もの)から、請(こは)るゝ隨(まゝ)に復(かへ)りをり。
 當下(そのとき)蟇六(ひきろく)は、身(み)を轉(ひるがへ)して再拝(さいはい)し、「賢公(けんこう)両所(りやうしよ)(かみ)に在(ゐま)せり。なでふ欺(あざむ)き奉(たてまつ)らんや。濱路(はまぢ)は甲夜(よひ)に逐電(ちくてん)せり」と告(つぐ)るを両人(りやうにん)(きゝ)あへず、驚(おどろ)き怒(いかり)て声(こゑ)をふり立(たて)、「逐電(ちくてん)せしとて事(こと)(すむ)べきや。そは彼(かの)犬塚(いぬつか)信乃(しの)とやらんに、妻(めあは)せんとて落(おと)し遣(や)りし歟(か)。又(また)彼奴(かやつ)が將(い)て走(はし)りし歟(か)。今(いま)(すみやか)に引戻(ひきもど)せ。をらずといふとて、そを聽(きか)んや。戻(もど)せ、返(かへ)せ」と膝(ひざ)突進(つきすゝ)めて、両人(りやうにん)齊一(ひとしく)逼立(せきたち)たり。かゝりけれ共、蟇(ひき)六は、却(なか/\)に胸(むね)を居(すえ)て、平伏(ひれふし)たる頭(かうべ)を擡(もたげ)、「縁由(ことのよし)をも聞果(きゝはて)給はで、おん腹立(はらたち)の酷(はなはだ)しきは、現(げに)さあるべき事ながら、且(まづ)(それがし)がまうすよしを、巨細(つばらか)に聞召(きこしめさ)れよ。信乃(しの)が事は豫(かね)てより、告(つげ)(たてまつ)りし情由(わけ)あれば、渠(かれ)を出(いだ)し遣(や)らんとて、某(それがし)夫婦(ふうふ)しのび/\に、肺肝(はいかん)を摧(くだ)き、智嚢(ちなう)を絞(しぼ)り、熟(うま)く謀(はか)りて遠離(とほざけ)たり。渠(かれ)いかにして濱路(はまぢ)を將(い)て、走(はし)ること候べき。只(たゞ)(うたがは)しきは近隣(きんりん)なる、浪人(らうにん)網乾(あぼし)左母二郎(さもじらう)のみ、思ひあはする事なきにしも候はず。彼奴(かやつ)は俄頃(にはか)に家材(かざい)を沽却(うり)て、嚮(さき)に逐電(ちくてん)せしと聞(きゝ)つ。濱路(はまぢ)を誘引(さそひ)(いだ)せしならん。さればその折(をり)、時(とき)を移(うつ)さず、僮僕(をとこ)(ども)を駈立(かりたて)て、追(おは)せたれどもいまだ返(かへ)らず。又(また)さるすぢにこゝろを得(え)たる、土田(どた)の土太郎(どたらう)といふものを傭遣(やとひつかは)し、間道(こみち)捷徑(ちかみち)(もら)すことなく、追捕(おつて)を蒐(かけ)たる事にしあれば、暁(あかつき)までには將(い)て來(き)つべし。斯(かう)まうすに偽(いつはり)あらば、某(それがし)が白髪(しらが)(くび)を、取(と)らせ給ふとも恨(うら)みなし。枉(まげ)て且(しばら)く俟(また)せ給へ」と亀篠(かめさゝ)共侶(もろとも)(ことば)を盡(つく)して、肝膽(かんたん)を吐(は)き、実(じつ)を告(つげ)て、叮嚀(ねんころ)に和觧(なだむ)れども、宮六(きうろく)五倍二(ごばいじ)(ら)は、狐疑(こぎ)なほ觧(と)けず、倶(とも)に怒(いか)れる声(こは)ざま尖(するど)く、「そは胡乱(うろん)也。辨(べん)を振(ふる)ふて、陳(ちん)ずれはとて、聽(きく)よしあらんや。左母二(さもじ)が濱路(はまぢ)を將(い)て走(はし)りし、といふに正(まさ)しき證据(せうこ)はあらじ。密夫(みそかを)は孰(たれ)にもあれ、聘礼物(たのみのしるし)を受(うけ)たる女児(むすめ)を、走(はし)らせたれば、親(おや)も同罪(どうざい)、いひ釋(とけ)ばなほ後暗(うしろくら)かり。汝等(なんぢら)は初(はじめ)より、贈物(おくりもの)を貪(ほさぼ)りて、熟(うま)く吾們(われども)を欺(あざむ)きたるな。しからずとやはいはるゝ。熱湯(にえゆ)を飲(のま)するとは、世話(せわ)にいへ共、熱醋(にえす)を喫(のま)する饗応(けうおふ)ありや。束藁子(たわし)を〓(かぢら)せても、〓待(もてなし)といふべき歟(か)。すべて汝等(なんぢら)が寛怠(くわんたい)なる、かくの如(ごと)くに重役(おもやく)を、弄(もてあそ)ぶ村長(むらおさ)ありや。加旃(しかのみならず)(さき)の日(ひ)には、濱路(はまぢ)は風邪(ふうじや)に臥(ふし)たりと偽(いつは)り、今宵(こよひ)は痞(つかえ)が發(おこ)りしといへり。前後(あとさき)四道路(しどろ)の非議(ひぎ)乱言(らんげん)、所詮(しよせん)濱路(はまぢ)を出(いだ)さずは、目(め)に物見(ものみ)せん」と左右(さゆう)より、刀(かたな)の〓窕(こひくちくつろ)げて、譴責(のゝしりせめ)たる威勢(いきほひ)に、蟇(ひき)六も亀篠(かめさゝ)も、顔色(がんしよく)ます/\蒼(あを)さめて、魂(たましひ)ほと/\身(み)に添(そは)ず、「仰(おふせ)(まこと)に理(ことわ)り也。寔(まこと)に然(さ)也」と答(こたふ)るのみ、歯戦(はぶるい)して止(とゞま)らず。執酌(しやくとり)の雛婢(こをんな)(ら)は、おそれて其処(そこ)に得(え)をらずなりぬ。且(しばら)くして蟇(ひき)六は、胸(むね)を鎮(しつ)めて後方(あとべ)なる、脇挿(わきさし)の刀(かたな)を取(とり)て、宮六(きうろく)(ら)がほとりにさし措(お)き、「両君(りやうくん)(いま)その疑(うたが)ひを、釋(とか)せ給はんとならば、その刃(やいば)を御覧(ごらん)せよ。これは是(これ)、故(もと)管領(くわんれい)持氏(もちうぢ)朝臣(あそん)より、春王(しゆんわう)殿(との)へ讓(ゆづら)せ給ひし、村雨(むらさめ)の一ト刀(こし)なり。信乃(しの)が父(ちゝ)犬塚(いぬつか)番作(ばんさく)、結城(ゆふき)に篭城(ろうぜう)したるとき、盗取(ぬすみとり)て脱去(のがれさり)、最後(さいご)にその子(こ)に與(あたへ)たり。某(それがし)この事をしる故(ゆゑ)に、いぬる日(ひ)云云(しか/\)の術(てだて)をめぐらし、信乃(しの)を神宮(かには)に欺引(あびき)(いだ)して、刃(やいば)を搨替(すりかえ)(とつ)たる也。豫(かね)ては管領家(くわんれいけ)へ献(たてまつ)らん、と思ひにけれど、當坐(たうざ)の質物(しちもつ)、濱路(はまぢ)がかへり來(き)つるとき、壻(むこ)牽出(ひきで)とも臠(みそなは)せよ。これぞこの蟇(ひき)六が、誠心(まこゝろ)なれ」と真(まめ)たちて、件(くだん)の刀(かたな)をさし示(しめ)せば、宮六(きうろく)(すこし)氣色(けしき)を和(やわら)げ、「この刃(やいば)をもて村雨丸(むらさめまる)、とするには正(まさ)しき證据(せうこ)ありや」と問(と)ふに蟇(ひき)六微笑(ほゝえみ)て、「陣代(ぢんだい)いまだ知(しら)でやをはする。村雨丸(むらさめまる)の奇特(きどく)たる、引抜(ひきぬく)ときは忽地(たちまち)に、刀尖(きつさき)より水氣(すいき)(したゝ)り、殺氣(さつき)を含(ふくみ)てうち振(ふ)れば、その水(みづ)四方(しはう)へ散乱(さんらん)して、驟雨(むらさめ)の降(ふ)るが如(ごと)し。某(それがし)(すで)に試(こゝろ)みたり。何(なに)の疑(うたが)ひ候べき」といふに宮(きう)六うち頷(うなつ)き、「現(げに)さるよしは灰(ほのか)に聞(きゝ)つ。且(まづ)一見(いつけん)」と取揚(とりあぐ)れば、亀篠(かめさゝ)は蝋燭(ろうそく)の真(しん)摘捨(つみすて)てさし寄(よ)する、燭臺(しよくだい)を又(また)(ひき)よする。五倍二(ごばいじ)は小膝(こひざ)を進(すゝ)め、「音(おと)にのみ聞(き)く名刀(めいたう)を、よき折(をり)からに一覧(いちらん)せる、某(それがし)さへに福(さいは)ひあり。とく/\」と勸(すゝむ)れば、宮(きう)六やをら引抜(ひきぬ)きたる、刃(やいば)を火光(ほかげ)にさしよせて、皆(みな)もろ共(とも)に見(め)をはなさず、檢(み)れ共、水氣(すいき)は顕(あらは)れず。是(これ)はいかに、とうちかへし、と見かう見ても雫(しづく)はなし。果(はて)はうち腹立(はらたち)て、只管(ひたすら)にうち振(ふ)れば、後方(あとべ)の柱(はしら)に打當(うちあて)て、刀尖(きつさき)(すこし)(まが)りにけり。五倍二(ごばいじ)はやくも是(これ)を見(み)て、「天晴(あつはれ)名劍(めいけん)、水氣(すいき)はたゝず、火氣(くわき)を帶(おび)たる焼丸(やけまる)ならん」とあざみ笑(わら)へば、宮(きう)六は、怒(いか)れる面色(めんしよく)(しゆ)を沃(そゝ)ぎて、蟇(ひき)六を佶(きつ)と睨(にら)まへ、「この白物(しれもの)、膽太(きもふと)し。かばかりの鉛刀(なまくら)を、誰(たれ)か村雨(むらさめ)の刀(かたな)とおもはん。一チ度(ど)ならず、二度(にど)ならず、われを侮(あなど)る老耄(おいぼれ)(め)、覚期(かくご)せよ」と罵(のゝし)れば亀篠(かめさゝ)(あはて)て声(こゑ)ふり絞(しぼ)り、「いかばかりに宣(のたま)ふとも、いぬる夜(よ)、水(みづ)の溢(あふ)れしを、わらはも側(かたへ)に見つるものを」といはせも果(はて)ず宮(きう)六は、拿(もつ)たる刃(やいば)を席薦(たゝみ)に突立(つきたて)、向(むか)ふざまに推曲(おしまぐ)れは、鍋蔓(なべつる)の如(ごと)なりたるを、又(また)引抜(ひきぬき)て投出(なげいだ)し、「汝等(なんぢら)かくても爭(あらそ)ふ歟(か)」と五倍二(ごばいじ)も共侶(もろとも)に、醉客(えひたるひと)の癖(くせ)なれば、挿(さし)ひけらかす腰刀(こしかたな)の、反(そり)うちかけて詰(つめ)よすれば、吐嗟(あなや)と騒(さは)ぐ亀篠(かめさゝ)は、腰(こし)うち抜(ぬか)してせんすべしらず。
(ひき)六は只(たゞ)(あき)れ果(はて)て、勸觧(わび)んとするに辞(ことば)もなし。原來(さては)伎倆(たくみ)の裏(うら)をかきて、この贋物(にせもの)を〓(つかま)せしは、信乃(しの)なるべき歟(か)、左母二(さもじ)(め)(か)。二人(ふたり)に一人(ひとり)は違(たが)はじ、と思ふ物(もの)から今(いま)さらに、人(ひと)を咎(とがめ)ておのが非(ひ)を、いひ釋(とく)べくもあらされば、且(かつ)おそれ且(かつ)(はぢ)て、忙(あはたゝ)しく身(み)を起(おこ)し、逃(にげ)んとすれば、宮(きう)六は、ます/\怒(いか)る血氣(けつき)の勇(ゆう)「偸児(ぬすびと)(まて)」と呼(よび)とめて、抜閃(ぬきひらめか)す刃(やいば)の稲妻(いなつま)、あびせ被(かけ)たる一ト撃(うち)に、蟇(ひき)六は背(そびら)を〓(き)られて、仰(のけ)ざまに倒(たふ)るゝを、再(ふたゝ)び撃(うた)ん、と晃(きらめ)かす、刃(やいば)の下(した)に亀篠(かめさゝ)は、轉(ふし)つ輾(まろび)つ、宮(きう)六が、向臑(むかすね)を抱(いだ)きたる、老女(おうな)のちからも一生(いつせう)懸命(けんめい)。五倍二(ごばいじ)うち見(み)て飛蒐(とびかゝ)り、「妨(さまた)げすな」と亀篠(かめさゝ)が、頭髻(たぶさ)を左手(ゆんて)にからまへて、引放(ひきはな)さんとしつれども、放(はな)さで人(ひと)を呼立(よびたつ)れば、息(いき)の根(ね)(とめ)ん、と刀(かたな)を引抜(ひきぬ)き、肩尖(かたさき)
【挿絵】「隱慝(いんどく)の悪報(あくほう)蟇六(ひきろく)亀篠(かめさゝ)横死(わうし)す」「ひかみ宮六」「ぬる手五ばい二」「ひき六」「かめさゝ」「せ介」
四五寸(すん)押〓(おしきり)に、ばらりずんと劈(つんざい)たり。亀篠(かめさゝ)深痍(ふかで)に、霎時(しばし)も得堪(えたへ)ず、苦(あつ)と叫(さけ)べば、宮(きう)六は、後(うしろ)ざまに蹴放(けはなち)たる、その間(ひま)に蟇(ひき)六は、銚子(さしなべ)皿鉢(さはち)を投(なげ)かけつゝ、枉(のつ)たる刃(やいば)を踏直(ふみなほ)し、且(しばら)く防戦(ふせぎたゝか)へども、既(すで)に痛手(いたて)を負(おふ)たりければ、進退(しんたい)いよ/\不便(ふべん)也。宮六(きうろく)(ら)はさもこそ、と弱(よは)みに祟(たゝ)る嬲撃(なぶりうち)、夫婦(ふうふ)苦痛(くつう)の声(こゑ)うは枯(か)れて、鮮血(ちしほ)の泥(どろ)に尾(を)を曳(ひ)く亀篠(かめさゝ)、四跂(よつは)ふ蟇(ひき)六逃迷(にげまよ)ひ、蛇(へび)に追(おは)るゝ七轉(しつてん)八倒(はつたう)。さばれ命(いのち)は惜(をし)かるにや、なほ脱(のが)れんと悶掻(もが)く折(をり)、濱路(はまぢ)左母二郎(さもじらう)(ら)を追(おひ)かねて、先(まづ)はや一人(ひとり)かへり來(く)る、背介(せすけ)は背戸(せど)より衝(つ)と入(い)りて、庖〓(くりや)を見ても、次(つぎ)の間(ま)へ、いゆきても、人(ひと)一個(ひとり)もをらず。只(たゞ)宮六(きうろく)(ら)が従者(ともびと)四五人ン、賀酒(ことぶきさけ)に酩酊(めいてい)して、従者(とも)部屋(べや)に熟睡(うまゐ)せり。故(ゆゑ)あるかな婢女(をんな)(ばら)は、太刀(たち)(おと)に戦慄(おぢおのゝき)て、悉(こと%\く)(みな)逃亡(にげうせ)たり。背介(せすけ)はいかでか是(これ)をしるべき、主人(しゆじん)によしを告(つげ)んとて、縁頬(えんかは)より進(すゝ)み近(ちか)づき、書院(しよいん)の障子(せうじ)を引開(ひきあく)れば、目前(めさき)に閃(ひら)り、とうち被(かく)る、五倍二(ごばいじ)が刃(やいば)の光(ひかり)に、一ト声(こゑ)(あつ)と叫(さけ)びもあへず、右(みぎ)の小〓(こびん)を〓裂(きりさか)れて、後(うしろ)ざまに滾落(まろびおち)つゝ、そがまゝ簀子(すのこ)の下(した)に躱(かく)れて、苦痛(くつう)を忍(しの)びて音(おと)もせず。
 さる程(ほど)に宮(きう)六は、怒(いかり)に乗(まか)して蟇(ひき)六に、數个所(すかしよ)の痛手(いたて)を負(おは)せつゝ、思ひの隨(まゝ)に切(さい)なめば、五倍二(ごばいじ)も亦(また)亀篠(かめさゝ)が肩(かた)を〓(き)り、股(もゝ)を劈(つんさ)き、十二分(ぶん)に苦(くるしま)せて、両人(りやうにん)齊一(ひとしく)〓殪(きりたふ)し、おの/\絶命(とゞめ)を刺(さし)たりける。
 浩処(かゝるところ)に額藏(がくざう)は、圓塚(まるつか)より殊(こと)さらに、歩(みち)をはやめてかへり來(き)つ。真夜中(まよなか)なるに諸(もろ)折戸(をりと)を、いまだ鎖(さゝ)ざる主家(しゆうか)の光景(ありさま)、こゝろ得(え)かたし、と進(すゝ)み入(い)る、裏面(うち)には絶(たえ)て人氣(ひとけ)なく、書院(しよいん)のかたに倒(たふ)るゝ物音(ものおと)、〓(うめ)く人声(ひとこゑ)してければ、いよゝ驚(おどろ)き怪(あやし)みつゝ、いそしく草鞋(わらじ)を脱捨(ぬぎすて)て、走(はし)りて其処(そこ)に來(き)て見れは、あるじ夫婦(ふうふ)は〓仆(きりたふ)され、仇人(かたき)は日(ひ)ごろ認(みし)りたる、陣代(ぢんだい)簸上(ひかみ)宮六(きうろく)と、属役(しよくやく)軍木(ぬるで)五倍二(ごばいじ)也。おの/\胸(むね)に乗(のぼ)し懸(かゝ)りて、刺(さし)たる刃(やいば)を引抜(ひきぬ)き拭(ぬぐ)ひ、走(はし)り去(さ)らんとする程(ほど)に、額藏(がくざう)吐嗟(あはや)、と懸(かけ)(ふさが)り、「御両所(ごりやうしよ)何処(いづこ)へ逃去(にげさり)給ふぞ。下司(げす)なれども主(しゆう)の讐(あた)、いかでかは脱(のが)すべき」といはせもあへず両人(りやうにん)は、佶(きつ)とにらまへて諸声(もろごゑ)(たて)、「命(いのち)をしらぬ愚人(ぐにん)かな。陣代(ぢんだい)に無礼(ぶれい)なる、村長(むらをさ)誅伐(ちうばつ)せられしかば、
【挿絵】「帰村(きそん)の夕(ゆふべ)はからずして仇(あた)を殺(ころ)す」「亀さゝ」「ひき六」「宮六」「額藏」「五ばい二」
奴婢(ぬひ)(ら)は連坐(れんざ)をおそれもすべきに、仇人(かたき)(よばゝ)り竒怪(きくわい)也。汝(なんぢ)も主(しゆう)の相伴(せうばん)させん」と蔑(あなど)り誇(ほこり)て〓著(きりつく)る、刃(やいば)を外(はづ)して打合(うちあは)させ、左右(さゆう)の拳(こぶし)を働(はたらか)して、両人(りやうにん)が利腕(きゝうで)を、楚(しか)ととらへて動(うごか)せず、と見かう見つゝ冷笑(あざわら)ひ「荘官(せうくわん)に越度(をちど)あらば、問注所(もんちうしよ)でこそ罪(つみ)を糺(たゞ)さめ。毛檢(けみ)の折(をり)にもあらざるに、各(おの/\)夜中(よなか)の來臨(らいりん)は、酒(さけ)(のま)んとの為(ため)なるべし。下郎(げらう)にも亦(また)五常(ごじやう)あり。主(しゆう)を撃(うた)せて阿容(おめ)々々(/\)と、讐(あた)を目送(みおく)る法(はう)やある。推(おし)ならべて雌雄(しゆう)を决(けつ)せん。かくいふは荘官(せうくわん)が庭子(にはこ)に等(ひと)しき小廝(こもの)額藏(がくざう)。敵手(あひて)には足(た)らずとも、立(たち)あはれよ」と突放(つきはな)つ。双(さう)なき膂力(りよりよく)勇悍(ゆうかん)に、両人(りやうにん)は膽(きも)を冷(ひや)し、捉(と)られし腕(かひな)は脈(みやく)(たえ)て、摧(くだく)るばかりに覚(おぼえ)しが「迯(にぐ)るとも脱(にが)さじ」と思ひかへして双方(さうはう)より、声(こゑ)をもかけず復(また)(うち)かくる、刃(やいば)の下(した)を閃(ひら)りと潜(くゞ)りて、腰刀(こしかたな)を抜合(ぬきあは)せ、二人(ふたり)を〓(さゝえ)て戦(たゝか)ふたり。所要(しよえう)の善悪(ぜんあく)(こと)なれども、今(いま)額藏(がくざう)が拿(もつ)たる刃(やいば)は、前(さき)の夜(よ)に亀篠(かめさゝ)が、信乃(しの)を撃(う)てとて授(さづけ)たる、大塚(おほつか)匠作(せうさく)三戌(みつもり)が、數戦(すせん)を經(へ)たる鋭刀(きれもの)なり。ぬしは素(もと)より稀世(きせい)の豪傑(ごうけつ)。自得(じとく)の武藝(ぶげい)、法(はう)に稱(かな)ひて、秘術(ひじゆつ)を盡(つく)す奮撃(ふんげき)突戦(とつせん)。いまだ十合(とたち)に及(およば)ずして、迯(にげ)んとしたる宮六(きうろく)を、〓(かたさき)より九(く)の兪(ゆ)の下(した)まで、幹竹割(からたけわり)に〓殪(きりたふ)し、返(かへ)す刀(かたな)に五倍二(ごばいじ)が眉間(みけん)を〓(はた)と劈(つんさ)けば、苦(あつ)と叫(さけび)て逃走(にげはし)るを、迯(にが)さじと追(お)ふ程(ほど)に、宮六(きうろく)五倍二(ごばいじ)が従者(ともひと)(ら)は、後(のち)の大刀(たち)(おと)に驚(おどろ)き覚(さめ)て、庭門(にはくち)よる走(はし)り來(き)つ、と見れば簸上(ひかみ)は既(すで)に撃(うた)れて、軍木(ぬるで)は痛手(いたて)を負(おひ)つゝも、外面(とのかた)へ迯(にぐ)るとて、巻石(とびいし)に〓(はた)と跌(つまつ)き、向(むか)ひ遥(はるか)に轉輾(ふしまろ)びて、脱(のが)るべくもあらざれは、件(くだん)の若黨(わかたう)両人(りやうにん)は、已(やむ)ことを得(え)ず刀(かたな)を抜連(ぬきつ)れ、額藏(がくざう)を駈隔(かけへだて)たり。そが間(ひま)に両三人(りやうさんにん)なる、奴隷(しもべ)は五倍二(ごばいじ)を肩(かた)に引被(ひきか)け、或(あるひ)は手(て)を添(そ)え、足(あし)を釣(つ)り、宿所(しゆくしよ)を投(さし)て迯去(にげさ)るにぞ、額藏(がくざう)は怒(いか)れる虎(とら)の、群(むら)たつ羊(ひつじ)を駈(か)るごとく、瞬間(またゝくひま)に彼(かの)若黨(わかたう)を、左右(さゆう)へ〓(だう)と〓(きり)(ふ)せて、再(ふたゝ)び追(おは)んと走出(はせいづ)る、衡門(かぶきもん)の邊(ほとり)にて、濱路(はまぢ)左母二郎(さもじらう)(ら)を追(お)ひかねて、僉(みな)共侶(もろとも)に立(たち)かへる、僮僕(をとこ)(ども)に交遭(ゆきあひ)けり。このものどもは額藏(がくざう)が、血刀(ちかたな)を引提(ひさげ)たる、為体(ていたらく)に驚騒(おどろきさは)ぎて、矢庭(やには)に持(もつ)たる六尺棒(ろくしやくぼう)を、横(よこ)がらみに連(つらなは)して、出(いだ)しも遣(や)らず推禁(おしとゞ)め、事(こと)の様子(やうす)を問(とふ)もあり、或(ある)は「刃(やいば)をうち落(おと)して、縛(から)めよ」と罵(のる)もありて、只(たゞ)囂々(がや/\)と叫(さけ)ぶのみ、進(すゝ)むもの一人(ひとり)もなし。額藏(がくざう)は情由(わけ)も得(え)しらぬ、僮僕(をとこ)(ども)に抑立(よくりう)せられて、只管(ひたすら)に焦燥(いらだて)ども、同士(どし)(うち)せんはさすがにて、五倍二(ごばいじ)を撃漏(うちも)らしつ。今(いま)は追(お)ふにも及(およ)びかたし、と思へば血刀(ちかたな)を拭(ぬぐ)ひ納(おさ)め、且(かつ)衆人(もろひと)にうち對(むか)ひて、あるじ夫婦(ふうふ)が横死(わうし)の事、仇人(かたき)簸上(ひかみ)宮六(きうろく)(ら)を、撃畄(うちとめ)たるよしを告(つげ)て、引(ひき)て書院(しよいん)に赴(おもむ)けば、衆皆(みな/\)(さら)に驚(おどろ)き呆(あき)れて、是非(ぜひ)の分別(ふんべつ)するものなく、只(たゞ)陣代(ぢんだい)を撃(うち)たりし、連坐(れんざ)をおそれて忙然(ぼうぜん)たり。そのとき額藏(がくざう)(また)いふやう、「われも今宵(こよひ)小夜(さよ)(ふけ)て、下総(しもふさ)より皈村(きそん)したれば、事(こと)の趣(おもむき)は得(え)しらね共、主人(しゆじん)夫婦(ふうふ)の撃(うた)るゝ折(をり)、還(かへ)りあはせてかくの如(ごと)し。五倍二(ごばいじ)脱去(のがれさり)たれば、天(よ)も明(あけ)ば城中(ぜうちう)より、檢察(けんさつ)の夥兵(くみこ)(き)つべし。遅(おそ)くは問注所(もんちうしよ)へ出訴(しゆつそ)して、復讐(ふくしう)の趣(おもむき)を、詳(つまびらか)に述(のべ)んのみ。今宵(こよひ)の事(こと)は各位(おの/\)の、管(あづか)ることにもあらずかし。好(よく)も歹(わろく)も額藏(がくざう)が一己(いつこ)のうへにあるべければ、必(かならず)しも狼狽(うろたへ)給ふな。婢女(をんな)(ばら)は怕迷(おそれまよ)ひて、逃亡(にげうせ)たりと覚(おぼ)ゆるぞ。彼等(かれら)を索(たづね)て聚會(つどへ)給へ。一人(ひとり)なりともをらずといはゞ、そのものに疑(うたが)ひ被(かゝ)らん。そこらのこゝろ得(え)肝要(かんえう)也」と説諭(ときさと)されて衆人(もろひと)は、その識量(しきりやう)に嘆服(たんふく)し、いと憑(たのも)しく思ひけり。
 ○作者(さくしや)この段(だん)を創(さう)し了(をはり)て、ひとり謾(そゞろ)に賛(さん)して云(いはく)、善悪(ぜんあく)応報(おうほう)(はた)せるかな。彼(かの)亀篠(かめさゝ)は不孝(ふこう)にして且(かつ)婬濫(いんらん)なる、加(くはう)るに、蟇六(ひきろく)が不義(ふぎ)残忍(ざんにん)の甚(はなはだ)しき、神(かみ)は怒(いか)り、人(ひと)は怨(うらめ)り。是(これ)この奸悪(かんあく)と貪婪(どんらん)と、夫(つま)となり婦(つま)となれり。この故(ゆゑ)に、家(いへ)に嗣(つぐ)べきの子(こ)なく、外(よそ)に資(たすく)べきの友(とも)なし。彼等(かれら)が大慾(だいよく)、貪(むさぼり)て飽(あく)ことをしらざる故(ゆゑ)に、日(ひ)として煩悩(ぼんなう)(たゆ)ることなし。竟(つひ)にその悪縁(あくえん)を結(むす)ぶに及(およ)びて、亦(また)許夛(こゝたく)の心(こゝろ)を苦(くる)しめ、己(おのれ)が謀(はか)る所(ところ)(かへり)て人(ひと)に謀(はか)られ、最後(さいご)にこよなき辱(はづかしめ)を受(うけ)て、宮六(きうろく)(ら)に屠戮(とりく)せられたり。しかれ共なほ幸(さいはひ)にして額藏(がくざう)あり。一人ン義(ぎ)に勇(いさみ)て、奸(かん)を鋤(す)き、悪(あく)を抜(ぬけ)り。
 吁(あゝ)(ぎ)なるかな額藏(がくざう)。汚吏(おり)の家(いへ)に仕(つかふ)れども、清(きよ)きこと泥中(でいちう)の蓮(はちす)の如(ごと)し。亦(また)よくその主(しゆう)の非(ひ)を補(おぎな)ふて、信乃(しの)が為(ため)に謨(はか)るに方(みち)あり。不仁(ふじん)の主(しゆう)を主(しゆう)として、雪中(せつちう)に棄殺(きさつ)せられし、母(はゝ)の為(ため)に怨(うらみ)を舒(のべ)ず、又(また)一飯(いつはん)に露命(ろめい)を繋(つな)ぐ、己(おのれ)が為(ため)に恩(おん)なしとせず。今(いま)その讐(あた)を撃(うつ)に及(およ)びて、亀篠(かめさゝ)が授(さづけ)たる、そが親(おや)匠作(せうさく)が遺刀(いたう)をもつてし、人(ひと)の僕(ぼく)たる道(みち)を盡(つく)して、敢(あへて)縲絏(るいせつ)の咎(とがめ)を辞(ぢ)せず。噫(あゝ)(けん)なるかな額藏(がくざう)。宜(よろしく)忠義(ちうぎ)の人(ひと)とすべし。


# 『南総里見八犬伝』第二十九回
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