『南總里見八犬傳』第十九回


【外題】
里見八犬傳 第二輯 巻五
【本文】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第二輯(だいにしゆふ)巻之五
  東都 曲亭主人編次
 第(だい)十九回(くわい) 〔亀篠(かめさゝ)奸計(かんけい)糠助(ぬかすけ)を賺(すか)す番作(ばんさく)遠謀(ゑんぼう)孤児(みなしご)を托(たく)す〕
 却説(かくて)荘客(ひやくせう)糠助(ぬかすけ)は、〓(なまじい)に信乃(しの)を副(たす)けて、犬(いぬ)を蟇(ひき)六が背門(せど)に追入(おひい)れ、計(はか)りし事は齟齬(くひちが)ひて、犬(いぬ)を失(うしな)ふのみならず、咎餘(とばしり)わが身(み)に係(かゝ)らん歟(か)、と思へははやく逃(にげ)かへりて、妻孥(やから)に縁由(ことのよし)を告(つげ)、「もし庄官(せうくわん)より人(ひと)(き)て問(とは)ば、在(あ)らずと答(こた)へよ」といひあへず、奥(おく)まりたる処(ところ)に隱(かく)れて、衣(きぬ)引被(ひきかつぎ)て臥(ふし)て見つ、起(おき)ても心安(こゝろやす)からで、いかに/\と思ふ程(ほど)に、果(はた)して蟇(ひき)六が小廝(こもの)(き)て、「糠助(ぬかすけ)ぬし宿所(しゆくしよ)にありや。我(わが)内政(うちがた)の呼(よば)せ給ふに、とく/\」といそがすを、しばしは在(あ)らずと欺(あざむ)く物(もの)から、使(つかひ)は櫛(くし)の歯(は)を挽(ひ)く如(ごと)く、再(ふたゝ)び三(み)たびに及(およ)びしかは、今(いま)は脱(のが)るゝ路(みち)もなし。さはれ内政(うちがた)よりとかいへば、そのことならじ、と思へども、思ひかねつゝ出(いで)かぬるを、女房(にようばう)に諫(いさめ)られ、小廝(こもの)使(づかひ)に引立(ひきたて)られて、已(やむ)ことを得(え)ず使(つかひ)とゝもに、蟇(ひき)六が宿所(しゆくしよ)へゆきけり。
 當下(そのとき)亀篠(かめさゝ)は、子舎(こざしき)に、糠助(ぬかすけ)を呼入(よびい)れて、生平(つね)にはあらぬ莞(にこ)やかに、ほとり近(ちか)く招(まね)きつゝ、まづその安否(あんひ)を訊(とひ)しかは、糠助(ぬかすけ)は些(すこし)おちゐて、いと蒼(あを)みたる顔(かほ)の色(いろ)、稍(やゝ)浅葱(あさぎ)にぞ復(かへ)りける。且(しばらく)して亀篠(かめさゝ)は、傍(かたへ)なる人(ひと)を遠(とほ)ざけて、貌(かたち)を改(あらた)め声(こゑ)を低(ひく)うし、「俄頃(にはか)にそなたを招(まね)くこと、定(さだ)めてこゝろに覚(おぼえ)あるべし。いかなれば稚蒙(わらべ)を副(たすけ)て、番作(ばんさく)が〓犬(やまいぬ)を、村長(むらおさ)の宅地(やしき)へ追入(おひい)れ、人(ひと)を食(はま)せんと謀(はか)りしぞ。そなたと信乃(しの)が棒(ぼう)を曳(ひき)、背門(せど)より迯(にげ)て還(かへ)りしを、小廝(こもの)(ら)に見られしかは、陳(ちん)するに辭(ことば)なかるべし。加旃(しかのみならず)(かの)(いぬ)は、この子舎(こざしき)へ走(はし)り入(い)り、是(これ)見給へ」と敗(やぶ)れたる、一通(いつゝう)の書状(しよでふ)を出(いだ)して、推(おし)ひらきつゝつき著(つけ)て、「かゝる珎事(ちんじ)をしいだしたり。鎌倉(かまくら)の成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)、許我(こが)へ落(おち)させ給ひし後(のち)、この地(ち)の陣代(ぢんだい)大石(おほいし)ぬしも、両(りやう)管領(くわんれい)に従(したが)ひて、身(み)は鎌倉(かまくら)にをはすれば、兵粮(ひやうらう)の事(こと)などは、わが良人(つま)に命(めい)ぜらる。これらはそなたのよく知(し)るところ、改(あらた)めていふにあらねども、此度(こだみ)(また)鎌倉(かまくら)より、許我(こが)の城攻(しろせめ)あるべしとて、こゝへも兵粮(ひやうらう)催促(さいそく)せられ、管領家(くわんれいけ)の御教書(みぎやうしよ)に、陣代(ぢんだい)の下知状(くだしふみ)を添(そえ)給はり、けふしも飛脚(ひきやく)到著(とうちやく)せり。これによりてわが良人(つま)は、この子舎(こざしき)の塵(ちり)を掃(はらは)し、御(ご)(しよ)拝見(はいけん)の折(をり)もをり、件(くだん)の犬(いぬ)が走(はし)り入(い)り、四足(しそく)にかけてかくの如(ごと)く、ばらりずんと踏裂(ふみさい)たり。脱(のが)すべきものならねば、犬(いぬ)には遂(つひ)に鎗(やり)つけて、数个所(すかしよ)の疵(きず)を負(おは)せたれども、猛(たけく)してなほ死(し)なず、板屏(いたへい)の下(すそ)突破(つきやぶ)りて、外面(とのかた)へ迯(にげ)たるが、途(みち)にて斃(たふ)れしよしを聞(きか)ねは、主(ぬし)の家(いへ)にやかへりつらん。御教書(みぎやうしよ)破却(はきやく)は謀反(むほん)に等(ひと)し。畜生(ちくせう)法度(はつと)をしらずといふとも、そのぬしは罪科(とが)(のが)れかたし。いはんや犬(いぬ)を追入(おひい)れたる、そなたと信乃(しの)はいかなるべき。百遍(もゝたび)大赦(たいしや)の時(とき)にあふとも、助(たすか)りがたき命(いのち)ならずや。固(もと)より覚期(かくご)ありての所為(わざ)(か)。番作(ばんさく)は年來(としころ)より、中(なか)わろければ子(こ)に分付(いひつけ)て、まさな事(ごと)をすればとて、そなたは何等(なにら)の怨(うらみ)ありて、身(み)の滅亡(めつぼう)を見かへらず、よしなし人(びと)に荷膽(かたん)して、長(をさ)を倒(たふ)さんとするやらん。憎(にく)き人(ひと)かな」と怨(ゑん)ずれば、糠助(ぬかすけ)は駭(おどろ)き怕(おそ)れて、冷(つめた)き汗(あせ)を流(なが)すのみ。今更(いまさら)にいふ所(ところ)をしらず。且(しばらく)して頭(かうべ)を擡(もたげ)、「ゆくりなき越度(をちど)によりて、おのが命(いのち)を召(めさ)れん事、脱(まぬか)るべうも候はず。件(くだん)の犬(いぬ)の事(こと)に就(つき)ては、長(をさ)わろかれとて、追入(おひい)れたるに候はず。然(さり)とても如此(しか)々々(/\)、と陳(ちん)じて免(ゆる)さるべきにあらねば、大慈(だいぢ)大悲(だいひ)を仰(あふ)ぐのみ。願(ねが)ふは令政(かみざま)提撕(とりもち)て、吾儕(わなみ)ばかりは救(すく)ひ給へ。助(たす)け給へ」といふ声(こゑ)も、枯野(かれの)の虫(むし)の鳴音(なくね)より、心細(こゝろほそ)げに口説(くどき)けり。
 亀篠(かめさゝ)(きゝ)て嘆息(たんそく)し、「人(ひと)の頭(かみ)たるものばかり、よにこゝろ憂(う)きものはなし。好(よき)も歹(わろ)きも公(おほやけ)の道(みち)もてすれば卻(なか/\)に、憎(にく)むは人(ひと)の私(わたくし)にて、人(ひと)を惠(めぐ)めば職(つとめ)に缺(かけ)、職(つとめ)を立(たつ)れば邪慳(じやけん)に似(に)たり。縡(こと)一トすぢにするならば、そなたはさらなり番作(ばんさく)親子(おやこ)を、犇々(ひし/\)と〓捕(からめとり)、鎌倉(かまくら)へ牽(ひく)べけれども、可愛(かわい)や親(おや)の偏僻(かたゐぢ)にて、言(こと)一言(ひとこと)もかけさせぬ、信乃(しの)は現在(げんざい)わらはが〓(おひ)なり。憎(にく)しと思へど番作(ばんさく)は、蔓延(はしをりから)む弟(おとゝ)なり。そを一朝(いちちやう)に罪(つみ)なはし、快愉(こゝろよし)とするときは、人(ひと)たるものゝこゝろにあらず。いと痛(いたま)しく悲(かな)しくて、怒(いか)れる夫(をつと)の袂(たもと)に携(すが)り、泣(なき)つゝ勸觧(わび)てけふ一チ日の、追捕(ついほ)の沙汰(さた)をとゞめたり。とばかりにしてその罪(つみ)を、貲(あがなは)ずは脱(まぬか)れがたし。いかで救(すくは)ん方(みち)もがな、と人(ひと)しらぬ胸(むね)を苦(くる)しめ、いと浅(あさ)はかなる女子(をなこ)の智惠(ちゑ)には、及(およは)ぬ事をかへす/\、念(ねん)じて僅(はつか)に便(たよ)りを得(え)たり。番作(ばんさく)が秘蔵(ひさう)せる、村雨(むらさめ)といふ一刀(ひとこし)は、持氏(もちうぢ)朝臣(あそん)のおん佩刀(はかせ)にて、春王(しゆんわう)(ぎみ)へ譲(ゆづら)せ給ひし、源家(げんけ)数代(すだい)の重宝(ちやうほう)なれば、管領家(くわんれいけ)もよく知食(しろしめし)、得(え)まほしと思召(おぼしめす)よし、豫(かね)てその聞(きこ)えあり。今(いま)(かの)宝刀(みたち)を鎌倉(かまくら)へ献(たてまつ)り、件(くだん)の罪科(とが)を勸觧(わび)奉らば、そなたのうへに恙(つゝが)なく、番作(ばんさく)親子(おやこ)も赦(ゆる)されなん。それ將(はた)(おとゝ)が我(が)を折(をり)て、蟇(ひき)六どのに手(て)を卑(さげ)ずは、誰(たれ)か又(また)この願望(ねきごと)を、鎌倉(かまくら)へ申上べき。かくまで思ふわらはが誠(まこと)を、なほ僻心(ひがこゝろ)に疑(うたが)ひて、自滅(じめつ)をとらばせんすべなし、そなたも覚期(かくご)し給へかし。これらのよしを告(つげ)んとて、かくは竊(ひそか)に招(まね)きし」と真(まこと)しやかに説示(ときしめ)せは、糠助(ぬかすけ)(たましひ)われにかへりて、思はず太(ふと)き息(いき)を吻(つ)き、「言(こと)うけ給はり候ひぬ。飲食(のみくひ)には他人(たにん)(あつま)り、憂苦(うきこと)には親族(しんぞく)(つど)ふ、世(よの)常言(ことわざ)はこれあるかな。年來(としころ)は庇(ひ)を摺(すら)せ給へど、姉(あね)ならず弟(おとゝ)ならずは、何人(なにひと)かこの危窮(ききう)を救(すくは)ん。君(きみ)を思ふも身(み)を思ふ、糠助(ぬかすけ)かくて候へは、舌(した)の根(ね)のあらん限(かぎ)り、富婁那(ふるな)とやらんが辨(べん)をもて、犬塚(いぬつか)ぬしのこゝろを和(やわら)げ、縡(こと)よくとゝのへ候ひなん。そのときには第一番(だいいちばん)に、僕(やつがれ)を赦(ゆる)させ給へ。善(ぜん)は急(いそ)げといふことあり。はや退(まか)らん」と立(たち)あがれは、亀篠(かめさゝ)霎時(しばし)と引(ひき)とゞめ、「いふまでにはあらねども、成(なる)もならぬもけふ一ト日ぞや。長(なが)僉議(せんぎ)に時(とき)を移(うつ)して、夜(よ)あけて後悔(こうくわい)し給ふな」といへば頻(しきり)にうち点頭(うなつき)、「其処(そこ)は勿論(もちろん)女才(ぢよさい)なし。こゝろ得(え)て候」と応(いらへ)もあへず隔亮(からかみ)を、逆手(さかて)にとりて遽(いそがは)しく、引開(ひきあけ)んとして推外(おしはづ)し、倒(たふ)れかゝるを見かへらず、迯(にぐ)るがごとく外面(とのかた)へ、身(み)を横(よこ)にして出(いで)しかは、亀篠(かめさゝ)吐嗟(あなや)と身(み)を起(おこ)して、倒(たふ)るゝ隔亮(からかみ)を受(うけ)とゞめ、「さても麁忽(そこつ)の人(ひと)かな」と呟(つぶや)きながら立著(たてつく)れは、次(つぎ)の間(ま)に竊聞(たちきゝ)せる、蟇(ひき)六は杉戸(すきと)を開(ひら)きて、夫婦(ふうふ)(め)と目(め)を注(あは)しつゝ、莞尓(につこ)と笑(えみ)て、「亀篠(かめさゝ)(か)」「わが〓(せ)はことよく聞(きゝ)給ふや。思ふにまして首尾(しゆび)よし」といふ声(こゑ)に目(め)や覚(さま)しけん、臺子(だいす)のあなたに茶(ちや)を挽(ひき)かけて、睡臥(ねふりこけ)たる、額蔵(がくざう)が、又(また)(ひき)いだす臼(うす)の音(おと)に、驚(おどろか)さるゝあるじ夫婦(ふうふ)は、夕立(ゆふたつ)(あめ)の雷(かみなり)に、旅人(たびゝと)いそぐ心地(こゝち)して、密語(さゝやき)あへずもろ共(とも)に、納戸(なんど)のかたへ隱(かく)れけり。
 さる程(ほど)に糠助(ぬかすけ)は、踏(ふ)む足(あし)(さら)に地(ち)につかず、慌忙(あはてふため)きそがまゝに、犬塚(いぬつか)が宿所(しゆくしよ)に赴(おもむ)き、件(くだん)の縡(こと)のはじめより、亀篠(かめさゝ)がいひつる事を、おちもなくあるじに告(つげ)、「童(わらべ)の智惠(ちゑ)に誘引(いざなは)れて、鈍(おぞ)くも事(こと)を惹出(ひきいだ)せし、僕(やつがれ)を大人氣(おとなけ)なしとて、叱(しか)り給はゞ勸觧(わび)もせめ。只(たゞ)勸解(わび)たりとて免(ゆる)されかたきは、御教書(みぎやうしよ)の破損(はそん)なり。さはれ彼(かの)鄙語(ことわざ)に、地獄(ぢごく)にもしる人(ひと)あれ、といふは寔(まこと)にこの事にて、腹(はら)きたなしとのみ思ひし、おん身(み)が姉(あね)御前(ごぜ)の菩薩心(ぼさつしん)、〓(おひ)可愛(かわい)しと思ふ誠(まこと)が、則(すなはち)親之聚憂苦(しんのなきより)にて、吾儕(わなみ)もよき日にあひしなり。我(が)づよきも事(こと)にぞよる。宝(たから)は身(み)のさし替(かえ)なり。村長(むらをさ)に手(て)を卑(さげ)たりとて、聊(いさゝか)も恥(はぢ)にあらず。姉(あね)に降(くだ)るは是(これ)(じゆん)也。おん身(み)が子(こ)とて夛(おほ)くもなし。何事(なにごと)も子(こ)を見かへりて、この一議(いちぎ)には折(をれ)給へ。うけ引(ひき)給へ」と手(て)を合(あは)し、辭(ことば)を盡(つく)して勸(すゝむ)れども、番作(ばんさく)(さわ)ぐ気色(けしき)なく、つく/\と聞(きゝ)(はて)て、「御教書(みきやうしよ)の事(こと)(じつ)ならば、驚(おどろ)き思ふも理(ことわ)り也。和殿(わどの)その一通(いつゝう)を、認(みとめ)てかくはいはるゝや」と問(とは)れて糠助(ぬかすけ)(かうべ)を掻(か)き、「いなおん身(み)にもしられし如(ごと)く、吾儕(わなみ)は固(もと)より無筆(むひつ)なり。御教書(みきやうしよ)とこそ聞(きゝ)つるが」といへば番作(ばんさく)冷笑(あさわら)ひ、「さればとよ、人(ひと)の心(こゝろ)はさま/\にて、測(はか)りかたきものぞかし。笑(えみ)の中(うち)に刃(やいば)を隱(かく)すは、今(いま)、戦國(せんこく)の習俗(ならひ)也。親族(しんぞく)也とて心放(こゝろゆる)さば、臍(ほぞ)を噬(かむ)の悔(くひ)ありなん。年來(としころ)は讐敵(あたかたき)のおもひをしつる姉(あね)姉夫(あねむこ)が、猛(にはか)に弟(おとゝ)をいと惜(をし)み、〓(おひ)を愛(あい)するはこゝろ得(え)かたし。又(また)その事(こと)(じつ)にして、村雨(むらさめ)の刀(かたな)を出(いだ)し、罪(つみ)を贖(あがなは)んと謀(はか)るとも、赦(ゆる)されずは、無益(むやく)の所行(わざ)也。大刀(たち)だに出(いだ)さば恙(つゝが)なしとは、何人(なにびと)が定(さだ)めしぞや。管領家(くわんれいけ)の沙汰(さた)ならずは、下(しも)より上(かみ)を計(はか)る也。かゝればそれも憑(たの)みかたし。もし果(はた)して謀(はか)る如(ごと)く、ゆるさるゝ事もあらば、鎌倉(かまくら)へ牽(ひか)れて後(のち)に、大刀(たち)を進(まゐ)らするとも遅(おそ)きにあらず。和殿(わどの)のうへはいかばかり、心(こゝろ)くるしく思へども、女々(めゝ)しく子(こ)ゆゑに騒屑(とりみだ)して、不覚(ふかく)をとらば武士(ぶし)の瑕疵(はぢ)なり。その議(ぎ)には従(したが)ひかたし」といはれて糠助(ぬかすけ)(ひざ)うち敲(たゝ)き、「いな/\それは偏僻(かたゐぢ)なり。疑(うたが)ふてけふを過(すぐ)さば、後悔(こうくわい)其処(そこ)に立(たち)がたし。親子(おやこ)といへば三人(みたり)が命(いのち)、只(たゞ)一口(ひとふり)の大刀(たち)を出(いだ)して、救(すく)はるゝものならば、半〓(はんとき)たりとも速(はや)きがよし。縲絏(なはめ)の恥(はぢ)に妻子(さいし)を泣(なか)し、彼此(をちこち)(びと)に指(ゆび)をさゝれ、辛(からく)して助(たすか)りては、可惜(あたら)武士(ぶし)に疵(きず)が著(つく)。思ひかへしてうけ引(ひき)給へ。應(おふ)といふ一声(ひとこゑ)を、聞(き)かでは宿所(しゆくしよ)へ還(かへ)られず。掌(たなそこ)(あは)して拝(おが)むは見えずや。心(こゝろ)つよし」とかき口説(くどき)、縡(こと)(はつ)べうもあらざれは、番作(ばんさく)ほと/\もてあまし、「わが子(こ)一人(ひとり)がうへならば、八〓(やつざき)にせらるゝとも、人(ひと)の異見(ゐけん)を何(なん)でふきくべき。かくても暁(さと)らぬ和殿(わどの)が周章(しうせう)、只今(たゞいま)(さま)すに由(よし)なけれは、よく考(かむがへ)て、返答(へんとう)せん。日(ひ)くれて再(ふたゝ)び來(き)給へ」といふに糠助(ぬかすけ)(と)を見かへり、「背門(せど)の柳(やなぎ)に緯日(よこひ)が落(おつ)れは、今(いま)はや暮(く)るゝに程(ほど)もなし。夜食(やしよく)(すぐ)して又(また)(き)なん。もの識(し)る人(ひと)は人(ひと)を謀(はか)りて、身(み)を得(え)はからぬ事(こと)(おほ)かり。あまりに人(ひと)を疑(うたが)ふて、糠助(ぬかすけ)さへに殺(ころ)し給ふな。且(まづ)退(まか)らん」と片膝(かたひざ)を、立(たて)てやうやく身(み)を起(おこ)す。足(あし)の痿痺(しびり)を捺(さすり)あへず、膝歩(ゐざり)(をり)たる沓脱(くつぬぎ)の、人(ひと)の草履(ざうり)を片足(かたし)穿(は)き、片足(かたし)は穿(はか)ぬ洗走馬(はだせうま)、憂(うき)は重荷(おもに)と夕凍(ゆふいて)(とけ)に、趁跛(ちんは)(ひき)つゝかへり去(ゆく)
 三月(やよひ)の天(そら)も冴(さえ)かへる、秩父(ちゝぶ)おろしの夕風(ゆふかぜ)に、衣(きぬ)めさせん、と親(おや)を思ふ、信乃(しの)は一室(ひとま)に手習(てならひ)の、机(つくえ)をやがて片(かた)つけて、花田色(はなだいろ)なる太織(ふとおり)の、臀中(でんちう)羽織(はをり)(うしろ)より、推(おし)ひろげて父(ちゝ)が肩(かた)に掛(かけ)、出居(いでゐ)のかたに掛(かけ)て置(おく)、行燈(あんとう)にはや点(とも)す灯(ひ)の、八隅(やすみ)(くま)なく照(てら)さねども、庭(には)より明(あか)き夕月夜(ゆふつくよ)、まだ息(いき)(たえ)ぬ与四郎(よしらう)を、おぼつかなげにさし覗(のぞ)き、雨戸(あまと)一枚(いちまい)(くり)かけて、父(ちゝ)がほとりに火桶(ひをけ)をよせ、「風(かぜ)がかはりて猛(にはか)に寒(さむ)し。日(ひ)が長(なが)ければはやく過(すぐ)せし、夜食(やしよく)の雜炊(ざふすい)(おほ)くもまゐらず、物(もの)ほしうなり給はずや」と問(とへ)ば番作(ばんさく)(かうべ)を掉(ふり)、「身(み)を動(うご)かさでをるものを、三(み)たびの外(ほか)に何(なに)をか食(くふ)べき。宵越(よひごし)の雜炊(ざふすい)は、せんすべのなきもの也。餘(あま)りあらば復(また)たうべよ。冷(ひえ)なばわろし、温(あたゝ)めよ」といひつゝ火桶(ひをけ)(ひき)よせて、はや埋火(うつみひ)を掻起(かきおこ)せば、「いなあまりとては候はず、與四郎(よしらう)にも與(あたへ)しかど、物(もの)(くふ)べくも候はず。よしなや犬(いぬ)を救(すくは)んとて、かゝる難義(なんぎ)に及(およ)ぶこと、皆(みな)(これ)吾儕(わなみ)が所為(わざ)也、と悔(くひ)て詮(せん)なきことながら、今(いま)糠助(ぬかすけ)がいひつるよしも、大人(うし)の答(こたへ)も彼処(かしこ)にて、詳(つばら)に聞(きゝ)て候ひき。御教書(みきやうしよ)の事(こと)(じつ)ならば、禍(わざはひ)(すで)に遠(とほ)からじ。固(もと)より大人(うし)ははじめより、知召(しろしめし)たる事ならねば、そはいく遍(たび)もいひときて、吾身(わがみ)ひとつをともかくも、罪(つみ)なはれん事勿論(もちろん)なり。覚期(かくご)(きは)めてをりながら、おん行歩(あしもと)も不自由(ふじゆう)にて、病(やむ)を生平(つね)なるわが大人(うし)に、翌(あす)より誰(たれ)か仕(つか)ふべき。日(ひ)に/\便(びん)なく朽(くち)をしく、いとゞ病負(やみまけ)給はなん。これを思へは不幸(ふこう)の罪(つみ)、來世(こゝのつのよ)をかゆるとも、贖(あがな)ふに時(とき)なかるべし。そもいかなれば父祖(ふそ)三世(さんせ)、忠義(ちうぎ)は人(ひと)に儁(すぐ)れても、実(み)さへ花(はな)さへ埋木(うもれき)の、浮世(うきよ)に疎(うと)く月(つき)も日(ひ)も、こゝに照(てら)させ給はぬにや。親(おや)を思へば惜(をし)からぬ、露(つゆ)の命(いのち)もさすがにて、いとをしくこそ候へ」といひかけて鼻(はな)をうちかめば、番作(ばんさく)は灰(はひ)かき坦(なら)す、火箸(ひはし)を立(たて)て嘆息(たんそく)し、「禍福(くわふく)(とき)あり。天(てん)なり命(めい)なり。憾(うらむ)べからず、悲(かなし)むべからず。やをれ信乃(しの)、わが糠助(ぬかすけ)に諭(さと)せしよしを、汝(なんぢ)はよくも聞(きか)ざるや。御教書(みぎやうしよ)の事(こと)は、鈍(おぞ)くも謀(はか)る、彼(かの)人々(ひと/\)の寓言(そらこと)なり。かばかりの伎倆(たくみ)もて、小児(せうに)をば欺(あざむ)くとも、いかでか番作(ばんさく)を欺(あざむ)き得(え)ん。こは蟇(ひき)六が姉(あね)に誨(をしえ)て、糠助(ぬかすけ)を賺(すか)しつゝ、宝刀(みたち)を掠畧(かすめとら)ん為(ため)のみ。いと浅(あさ)はかなる所行(わざ)ならずや。
 抑(そも/\)この二十年(はたとせ)年來(このかた)、渠(かれ)さま/\に心(こゝろ)を盡(つく)して、村雨(むらさめ)のおん佩刀(はかせ)を、奪(うば)ひとらんとしつること、幾遍(いくたび)といふをしらず。或(あるひ)は人(ひと)をかたらひて、利(り)に誘(いざなひ)つゝ、價(あたひ)(たつと)く、彼(かの)一刀(ひとこし)を買(かは)んといはせ、或(あるひ)は更闌(こうたけ)人定(ひとしづま)りて、牆(かき)を踰(こえ)(とざし)を窺(うかゞ)ひ、盗(ぬすみ)とらんとせし夜(よ)もあり。渠(かれ)百計(ひやくけい)を施(ほどこ)せば、われ又(また)(もゝ)の備(そなへ)あり。この故(ゆゑ)にその悪念(あくねん)、今(いま)に至(いたり)て果(はた)すによしなく、いと朽(くち)をしく思ふなるべし。尓(しか)るにけふはからずも、渠(かれ)わが犬(いぬ)に傷(きずつ)けて、その鬱胸(うつきやう)を遣(はら)すものから、こゝに悪念(あくねん)(また)(おこ)り、御教書(みきやうしよ)破却(はきやく)に假托(かこつけ)て、宝刀(みたち)をとらんず奸計(わるたくみ)は、鏡(かゞみ)に写(うつ)して照(み)るごとし。抑(そも/\)年來(としころ)(ひき)六が、望(のぞみ)を宝刀(みたち)に被(かく)ること、われそのこゝろを猜(すいし)たり。渠(かれ)わが父(ちゝ)の遺跡(いせき)と稱(せう)して、荘官(せうくわん)にはなりたれども、相傳(さうでん)の家譜(かふ)舊録(きうろく)なし。われもし件(くだん)の大刀(たち)をもて、家督(かとく)を争(あらそ)はゞ難義(なんぎ)に及(およば)ん。これ一ッ。成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)没落(ぼつらく)のゝち、この地(ち)は既(すで)に鎌倉(かまくら)なる、両(りやう)管領(くわんれう)の處分(しよぶん)によれり。渠(かれ)は則(すなはち)管領(くわんれい)の、敵方(てきかた)家臣(かしん)の遺跡(いせき)にして、舊功(きうこう)舊恩(きうおん)あるものならず。新(あらた)に微忠(びちう)を顕(あらは)さずは、荘園(せうゑん)(なが)く保(たも)ちかたけん。渠(かれ)がおそるゝ二ッ也。よりて村雨(むらさめ)の一刀(ひとこし)を、鎌倉(かまくら)へ進上(しんせう)し、公私(こうし)の鬼胎(まがつみ)を祓除(はらひのぞ)きて、心(こゝろ)を安(やす)くせん為(ため)也。われ既(すで)に姉(あね)の為(ため)に、その荘園(せうゑん)を争(あらそ)はず。いかでか一口(ひとふり)の大刀(たち)を惜(をしま)ん。しかはあれども件(くだん)の宝刀(みたち)は、幼君(ようくん)のおん像見(かたみ)、亡父(ばうふ)の遺命(いめい)(おも)ければ、この身(み)と共(とも)に滅(ほろ)ぶとも、姉夫(あねむこ)には贈(おくり)かたし。又(また)その初(はじめ)村雨(むらさめ)を、成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)へ進(まゐ)らせざりしは、姉(あね)をおもふのゆゑのみならず、春王(しゆんわう)安王(やすわう)永壽王(ゑいじゆわう)、みな持氏(もちうぢ)のおん子(こ)なれ共、わが父(ちゝ)は春王(しゆんわう)安王(やすわう)、両(りやう)公達(きんたち)の傅(かしつき)たり。この両(りやう)公達(きんたち)(うた)れ給はゞ、宝刀(みたち)を君父(くんふ)の像見(かたみ)として、おん菩提(ぼだい)を弔(とひ)奉れ、と親(おや)の遺訓(いくん)を承(うけ)たるのみ。永壽王(ゑいじゆわう)へ進(まゐ)らせよ、といはれし事はなきぞとよ。われはこの義(ぎ)に仗(よる)ものから、汝(なんぢ)が人(ひと)となるのちに、件(くだん)の宝刀(みたち)を督殿(かむどの)〔左兵衛(さひやうゑの)(かみ)成氏(なりうぢ)なり〕に、献(たてまつら)せて身(み)を立(たて)させん、と思ひにければ年(とし)あまた、賊(ぞく)を禦(ふせ)ぎて秘(ひめ)おきつ。今宵(こよひ)(なんぢ)に譲(ゆづ)るべし。見よや」とばかり硯筥(すゞりはこ)なる、刀子(こかたな)を撈(さぐ)りとり、梁(うつばり)
【挿絵】「番作(ばんさく)遺訓(いくん)して夜(よる)その子(こ)に村雨(むらさめ)の太刀(たち)を授(ゆづる)」「しの」「犬塚番作」「帶雨南〓楚知春北入燕」「つるき大刀さやかに出る月のまへに/雲きれて行むら雨の空 玄同」
(つり)し大竹(おほたけ)の、筒(つゝ)を目(め)かけて丁(ちやう)と打(うて)ば、釣索(つりなわ)(ふつ)と打断(うちきつ)て、筒(つゝ)はそがまゝ〓(はた)と落(おち)、両段(ふたつ)に割(わ)れてあらはれ出(いづ)るは、是(これ)村雨(むらさめ)の宝刀(みたち)也。番作(ばんさく)は遽(いそがは)しく、錦(にしき)の嚢(ふくろ)の紐(ひも)(とき)かけて、恭(うや/\し)く額(ひたひ)に推(おし)あて、霎時(しばし)(ねん)じて抜放(ぬきはな)せば、信乃(しの)は間近(まちか)く居(ゐ)なほりて、鍔根(つばもと)より刀尖(きつさき)まで、瞬(またゝき)もせずうち熟視(まも)る。煌々(くわう/\)たるかな七星(しちせい)の文(もん)、照燿(てりかゞやき)て三尺(さんじやく)の氷寒(こふりさむ)し。露(つゆ)(むす)び、霜(しも)(こり)て、半輪(はんりん)の月(つき)かと疑(うたが)ひ、邪(じや)を退(しりぞ)け、妖(よう)を治(おさ)めて、千載(せんざい)の宝(たから)と稱(せう)す。唐山(もろこし)の太阿(たいあ)龍泉(りうせん)、我邦(わがくに)の抜丸(ぬけまる)蒔鳩(まきはと)、小烏(をがらす)鬼丸(おにまる)なンどいふとも、是(これ)にはまさじと見えたりける。
 且(しばらく)して番作(ばんさく)は、刃(やいば)をやをら〓(さや)に納(おさ)め、「信乃(しの)この宝刀(みたち)の竒特(きどく)をしるや。殺氣(さつき)を含(ふくみ)て抜放(ぬきはな)せば、刀尖(きつさき)より露(つゆ)(したゝ)り、讐(あた)を〓(きり)、刃(やいば)に〓(ちぬ)れは、その水(みづ)ます/\濆(ほとはし)りて、拳(こぶし)に隨(したが)ひ散落(さんらく)す。譬(たとひ)ば彼(かの)村雨(むらさめ)の、樹杪(こすゑ)を風(かぜ)の拂(はら)ふが如(ごと)し。よりて村雨(むらさめ)と名(な)つけらる。これを汝(なんぢ)にとらせんに、そのざまにては相応(ふさはし)からず。髻(もとゞり)を短(みぢか)くし、今(いま)よりして犬塚(いぬつか)信乃(しの)戌孝(もりたか)と名告(なの)れかし。かねて二八の春(はる)をまちて、をとこにせんと思ひしかども、われ宿病(しゆくびやう)に苦(くるし)められ、ながく存命(ながらへ)かたきをしれり。けふ死(しな)ずは翌(あす)(しな)ん。よしや霎時(しばし)は死(し)なでをるとも、今茲(ことし)の寒暑(かんしよ)は心(こゝろ)もとなし。只(たゞ)(うら)む、汝(なんぢ)(はつか)に十一歳(さい)、孤(みなしこ)とならんことを」といひかけて又(また)嘆息(たんそく)す。親(おや)の顔(かほ)をうち瞻(まも)り、「こは何事(なにこと)を宣(のたま)ふやらん。縦(たとひ)夛病(たびやう)にましますとも、おん年(とし)五十(いそぢ)に満(みち)給はず、なんでふさる事候べき。尓(しか)るをけふよ翌(あす)よとて、よからぬ祥(さが)を急(いそが)せ給ふは、御教書(みきやうしよ)の事(こと)(じつ)にして、搦捕(からめとら)るゝ事あらば、おん身(み)捕兵(とりて)を引(ひき)うけて、吾儕(わなみ)を救(すく)ひ給はんとの、おん底意(したこゝろ)に候はずや。勿体(もつたい)なし」といはせも果(はて)ず、呵々(かや/\)とうち笑(わら)ひ、「御教書(みきやうしよ)の事(こと)詐欺(たばかり)なれは、搦捕(からめとら)るゝ咎(とが)もなし。然(さり)ながらわが姉(あね)の、詐欺(たばかり)にもあれ糠助(ぬかすけ)に、汝(なんぢ)が事(こと)を懇切(ねんころ)に、いひ來(こ)されしこそ幸(さいはひ)なれ。死期(しご)(とほ)からぬ親(おや)が痩腹(やせはら)、今(いま)(まのあ)たりにかき切(きり)て、汝(なんぢ)を姉(あね)に托(たのま)んず」といふにいよ/\呆(あき)れ果(はて)、「おん言葉(ことば)とも覚(おぼえ)ぬものかな。身(み)(ちか)けれども彼(かの)人々(ひと/\)は、大(おほ)かたならぬ冤家(あた)なるに、故(ゆゑ)なくおん身(み)を喪(うしな)ひて、冤家(あた)にその子(こ)を寄(よさ)し給ふは、こゝろ得(え)がたく候」と詰(なじ)れば、父(ちゝ)はうち点頭(うなつき)、「その疑(うたが)ひは理(ことわ)り也。これぞ則(すなはち)わが遠謀(ゑんぼう)、村雨(むらさめ)の大刀(たち)も奪(うばゝ)れず、今(いま)より姉(あね)の手(て)を借(か)りて、汝(なんぢ)を人(ひと)と成(な)さんのみ。とてもかくても存命(ながらへ)かたき、親(おや)が自殺(じさつ)は子(こ)を肥(こや)す、苦肉(くにく)の一計(いつけい)なりとしらずや。わが姉(あね)夫婦(ふうふ)は利(り)に耽(ふけ)り、恩義(おんぎ)をしらぬ性(さが)なれども、今(いま)、番作(ばんさく)が自殺(じさつ)を聞(き)かば、里人(さとひと)いよゝ長(をさ)を憎(にく)みて、集合(つどひ)てその非(ひ)を訴(うつた)ふることもやあらんと、〓(あやぶ)むべし。しからんには真實(まめ)やかに、汝(なんぢ)を家(いへ)に養(やしなひ)とり、実意(じつゐ)を示(しめ)して里人(さとひと)(ら)が、憤(いきどほり)を觧(とく)なるべし。又(また)この宝刀(みたち)は姉(あね)夫婦(ふうふ)が、いかばかりに賺(すか)すとも、素(もと)より親(おや)の遺命(いめい)あり。人(ひと)と成(な)る後(のち)許我(こが)へ参(まゐ)りて、督殿(かむとの)にこそ献(たてまつ)らめ。この事のみは承引(うけひき)かたし、と固(かた)く阻(こば)みて常住(じやうぢう)坐臥(ざぐわ)に、その盗難(とうなん)を禦(ふせ)げかし。宝刀(みたち)(まつた)く蟇(ひき)六が手(て)に入(い)るにあらずといへども、亦(また)その家(いへ)にあるときは、奪(うば)ふに易(やす)しと心放(こゝろゆる)して、縡(こと)(きう)には逼(せま)るべからず。これを防(ふせ)ぐは汝(なんぢ)が智(ち)にあり。〓(なまじい)に宝刀(みたち)を隱(かく)さば、奪(うばゝ)んとする心弛(こゝろゆるま)ず、防(ふせ)ぐといふ共竟(つひ)に畧(とら)れん。便(すなはち)(これ)黄叔度(くわうしゆくど)が、琴(こと)を鼓(なら)して群賊(ぐんぞく)を、退(しりぞ)けしといふ謀(はかりごと)におなじ。寡兵(くわへい)(まも)るに堪(たへ)ずして、よく敵(てき)を疑(うたがは)せ、危(あやう)けれども還(かへり)て安(やす)く、九死(きうし)を出(いで)て一生(いつせう)を得(え)んことは、寔(まこと)に大智(だいち)の徳(とく)なれは、機(き)に臨(のぞ)み変(へん)に應(おふ)じ、防(ふせ)がはなどか禦(ふせが)ざらん。念(ねん)じてこれを忘(わす)るべからず。又(また)わが姉(あね)夫婦(ふうふ)、漸(やうやく)に、志(こゝろざし)を改(あらた)めて、實(まこと)に汝(なんぢ)を憐(あはれ)まば、汝(なんぢ)も亦(また)誠心(まこゝろ)もて、仕(つかへ)て養育(やういく)の恩義(おんぎ)に報(むく)へよ。又(また)その害心(がいしん)(やま)ずして、遂(つひ)に禦(ふせ)ぐに術(すべ)なくは、宝刀(みたち)を抱(いだ)きて速(はや)く去(さ)れ。五年(ねん)七年(ねん)(やしなは)るゝとも、汝(なんぢ)は大塚(おほつか)(うぢ)の嫡孫(ちやくそん)たり。蟇(ひき)六が職禄(しよくろく)は、汝(なんぢ)が祖父(おほぢ)の賜(たま)ものなり。その禄(ろく)をもて人(ひと)となるとも、伯母(をば)(むこ)の恩(おん)にはあらず。縦(たとひ)(むく)はで去(さ)ればとて、それを不義(ふぎ)とはいふべからず。これらの理義(りぎ)もおもふべし。謀(はか)る所(ところ)かくのごとし。長(なが)くもあらぬ餘命(よめい)を貪(むさぼ)り、この期(ご)を過(すぐ)して後(のち)(つひ)に、病(やまひ)の床(ゆか)に息(いき)(たえ)なば、伯母(をば)も汝(なんぢ)を養(やしな)はず、宝刀(みたち)も人(ひと)の手(て)に落(おち)て、謀(はか)りし事は画餅(ぐわべい)とならん。このおん佩刀(はかせ)は君父(くんふ)の像見(かたみ)、首陽(しゆよう)に蕨(わらび)を採(とら)ずといへども、二君(じくん)に仕(つかへ)ぬ番作(ばんさく)が、最期(さいご)にこれを借(かり)奉りて、竒特(きどく)を見(み)せん」と村雨(むらさめ)の、宝刀(みたち)を再(ふたゝ)びとりあげて、抜放(ぬきはな)さんとする程(ほど)に、信乃(しの)は〓(あはて)て拳(こぶし)に携(すが)り、「後々(のち/\)まで謀(はから)せ給ふ、豫(かね)て覚期(かくご)のおん自害(じがい)は、飽(あく)まで吾儕(わなみ)を思召(おぼしめ)す、おん慈(いつくし)みをわきまへしらで、禁(とゞ)め奉るには候はず。よしや難治(なんぢ)の病著(いたつき)なり共、おのが心(こゝろ)の及(およば)ん程(ほど)、良薬(りやうやく)良医(りやうゐ)に手(て)を竭(つく)させて、看(み)とり册(かしつ)き奉り、遂(つひ)に届(とゞか)かぬものならば、うち歎(なげ)きても侍(はべ)るべし。これは正(まさ)しく見定(みさだ)めたる事とてなきに腹切(はらきり)給はゞ、人(ひと)(たゞ)狂死(きやうし)とまうさまし。今宵(こよひ)に限(かぎ)ることかは」といはせも果(はて)ず声(こゑ)を激(はげま)し、「虚(うつ)けきことをいふものかな。死(し)すべき時(とき)に死(しな)ざれば、死(し)するにもます恥(はぢ)(おほ)かり。嘉吉(かきつ)のむかし結城(ゆふき)にて、得(え)(しな)ざりしは君父(くんふ)の為(ため)、蹇(あしなへ)となりしより、筑摩(つくま)に三年(みとせ)の僑居(たびすまゐ)、母(はゝ)の今果(いまは)にあはざりしは、生(いけ)る甲斐(かひ)なき恨(うら)みなり。それよりして廾年(はたとせ)あまり、なす事もなく偸食(とうしよく)の民(たみ)となりつゝ露命(ろめい)を貪(むさぼ)り、今又(いまゝた)子孫(しそん)のうへを思はで、いつまでか存命(ながらふ)べき。千曳(ちびき)の石(いし)は轉(まろば)すとも、わが心(こゝろ)は轉(まろは)すべからず。禁(とゞむ)るは不孝(ふこう)也。今(いま)にもあれ糠助(ぬかすけ)が來(く)ることあらば妨(さまたげ)せん。其処(そこ)退(のか)ずや」と敦圉(いきまき)て、左手(ゆんで)を伸(のば)して揉(ねぢ)かへせば、髻(もとゞり)断離(ちぎ)れ、髪(かみ)さへ紊(みだ)れて、転輾(ふしまろび)つゝ携(すがり)たる、右(みぎ)の拳(こぶし)を些(ちつと)も放(はな)さず、「おん叱(しか)りを蒙(かうむ)るとも、この事のみは御(み)こゝろに悖(もと)りて禁(とゞ)め侍(はべ)るかし。ゆるさせ給へ」と〓著(しがみつき)、刃(やいば)をとらんと喘逼(あせ)れども、小腕(こうで)に及(およば)ぬ必死(ひつし)の勢(いきほ)ひ、放(はな)せ/\、と怒(いかり)の高声(たかごゑ)、子(こ)はなほ〓縁(まつは)る一生(いつせう)懸命(けんめい)。果(はて)しなければ番作(ばんさく)は、わが子(こ)を楚(しか)と推伏(おしふせ)て、背(そびら)に尻(しり)をうちかくる。病衰(やみおとろへ)ても勇士(ゆうし)の働(はたら)き、こは何(なに)とせん哀(かな)しや、と信乃(しの)は悶(もだへ)ていく遍(たび)か、反(はね)かへさんとしつれども、恩義(おんぎ)の壓(おし)に愛著(あいぢやく)の、枷(かせ)も鉄輪(かなわ)も推居(おしすえ)られて、又(また)せんすべはなかりけり。その隙(ひま)に番作(ばんさく)は、襟(えり)かきわきて袿衣(うへのきぬ)、推袒(おしはだぬ)きて刃(やいば)を引抜(ひきぬ)き、右(みぎ)の袂(たもと)を巻(まき)そえて、氷(こふり)なす刀尖(きつさき)を、腹(はら)へぐさと突立(つきたて)て、こゝろ静(しづか)に引遶(ひきめぐら)せば、さと濆(ほとはし)る鮮血(ちしほ)の下(した)に、布(しか)るゝその子(こ)は血(ち)の涙(なみだ)、親(おや)は刃(やいば)をとり直(なほ)し、さすがに弱(よわ)る右(みぎ)の手(て)に、左(ひだり)の拳(こぶし)もちそえて、吭(ふえ)のあたりを刺(さゝ)んとて、突外(つきはづ)しつゝやうやくに、咽喉(のんど)を劈(つんざ)き俯(うつふし)に、仆(たふ)るゝ親(おや)と身(み)を起(おこ)す、信乃(しの)も半身(はんしん)韓紅(からくれなゐ)。そがまゝ父(ちゝ)の亡骸(なきから)に、抱(いだ)き著(つき)つゝよゝと泣(なく)。その形勢(ありさま)は秋寒(あきさむ)き、風(かぜ)にはふれし蔦(つた)もみぢ、更(さら)に枯木(こぼく)に寄(よ)る如(ごと)し。
 浩処(かゝるところ)に糠助(ぬかすけ)は、番作(ばんさく)が回答(いらへ)(きか)んとて、暮(くれ)て又(また)(く)る庭門(にはくち)に、近(ちか)つく隨(まゝ)に信乃(しの)が泣声(なきこゑ)、縡(こと)こそあらめ、と抜足(ぬきあし)して、且(まづ)外面(とのかた)より窺(うかゞ)へば、思ひかけなきあるじが自殺(じさつ)に、駭(おどろ)きおそれて舌(した)を巻(ま)き、毛骨(みのけ)いよ立(たち)歯根(はのね)は合(あは)ず、戦出(ふるひいだ)して留(とゞま)らぬ、膝(ひざ)を押(おさへ)て裡面(うち)へは得(え)入らず、立(たち)かへらんと思へども、生平(つね)にはあらで足(あし)(おも)く、誰(たれ)は留(とめ)ねどわが腰(こし)を、引(ひき)すえらるゝ心地(こゝち)しつ。辛(からう)じて庭門(にはくち)のあなたへ出(いで)て息(いき)をつき、先(まづ)はや縡(こと)の趣(おもむき)を、長(をさ)に告(つげ)ん、と裾(すそ)端折(はしをり)て、飛(とぶ)が似(ごとく)に走去(はせさり)けり。
 信乃(しの)は涙(なみだ)の曝布(たき)の糸(いと)、くる人(ひと)ありともしらずして、哽(むせ)かへりつゝ哭(なげ)きしが、さてあるべきにあらざれは、われから心(こゝろ)をとり直(なほ)して、やうやくに頭(かうべ)を擡(もたげ)、「朽(くち)をしやわが年(とし)の、今(いま)四ッ五ッますならば、刃(やいば)の下(した)に折敷(をりしか)れて、親(おや)をば死(しな)し奉らじ。声(こゑ)を限(かぎ)りに泣(なけ)ばとて、又(また)、夜(よ)とゝもに口説(くどけ)ばとて、絶(たえ)てその甲斐(かひ)なき親(おや)の、おん為(ため)になるべうもあらず。御(ご)遺言(ゆいげん)の趣(おもむき)は、耳(みゝ)に留(とゞま)り腸(はらわた)に、染渡(しみわた)りつゝ露(つゆ)ばかりも、背(そむ)くべうは思はねども、錦(にしき)の嚢(ふくろ)に毒石(どくせき)を、裹(つゝめ)る如(ごと)き伯母(をば)伯母夫(をばむこ)に、養(やしなは)れん事望(のぞま)しからず。加以(それのみならず)(はか)られて、宝刀(みたち)を奪(うば)ひとられなば、この身(み)の不覚(ふかく)、なき親(おや)へ、申とくべき辭(ことば)はあらじ。戦場(せんじやう)には、父子(ふし)共侶(もろとも)に、討死(うちしに)するもの往々(まゝ)(おほ)かり。憑(たのも)しからぬ伯母(をば)をよすがに、后(すゑ)おぼつかなき世(よ)を渡(わた)らば、還(かへり)て父祖(ふそ)の名(な)をくださん。親(おや)ありてこそ憂(うき)にも堪(たへ)にき。今(けふ)よりして誰(た)が為(ため)に、百折(ひやくせつ)千磨(せんま)の艱苦(かんく)を忍(しのば)ん。御(ご)遺言(ゆいげん)には稱(かなは)ずとも、行歩(あしもと)よわき家尊(かぞ)の大人(うし)、追著(おひつき)ておん手(て)を引(ひき)、〓出(しで)の山路(やまぢ)をもろ共(とも)に、踰(こえ)て母(はゝ)(ご)にあひ侍(はべ)らん。嗚呼(ああ)(しか)なり」とひとりごち、僅(はつか)に父(ちゝ)が手(て)を放(はな)せし、村雨(むらさめ)の大刀(たち)とり挙(あげ)て、灯(ひ)にさしよせてうち返(かへ)し、打(うち)かへし見て、「竒(き)なるかな。水(みづ)もて洗(あら)ひ流(なが)せし如(ごと)く、焼刃(やきば)に鮮血(ちしほ)を染(そめ)ざりけり。親(おや)には似(に)ざる信乃(しの)が自殺(じさつ)も、このおん佩刀(はかせ)をもてせん事、いと有(あり)がたし」と推戴(おしいたゞ)く。
 折(をり)から檐下(のきば)に藁菰(わらこも)(しき)て、臥(ふし)たる犬(いぬ)は深痍(ふかで)の苦痛(くつう)、堪(たへ)ずや長吠(ながほえ)する声(こゑ)に、信乃(しの)は佶(きつ)と見かへりて、「阿(あ)、与四郎(よしらう)はまだ死(しな)ざりけり。彼(かの)(いぬ)を獲(え)てわれ生(うま)れ、彼(かの)(いぬ)ゆゑに父(ちゝ)を喪(うしな)ふ。そのはじめを聞(きゝ)、終(をはり)を思へば、愛(あい)すべく又(また)(にく)むべし。然(さり)とてもこの畜生(ちくせう)を、捨(すて)おかん事不便(ふびん)なり。よに生(いき)かたきこの鎗痍(やりきず)。通宵(よもすがら)苦痛(くつう)をせんより、速(すみやか)にわが手(て)にかゝれ。畜生(ちくせう)が死(し)を促(うなが)すに、かゝる宝刀(みたち)を穢(けが)しなば、いとも恐(かしこ)きわざなれども、鮮血(ちしほ)に染(そま)ざる刃(やいば)の竒特(きどく)、亦(また)(これ)(たれ)が為(ため)に惜(をしま)ん。いでや苦痛(くつう)を助(たす)けて得(え)させん。聞(き)くやいかに」と問(とひ)かけて、大刀(たち)を引提(ひさげ)て縁頬(えんかは)より、閃(ひら)りと下(を)りてふり揚(あぐ)る、刃(やいば)におそれず與四郎(よしらう)は、やゝ前足(まへあし)を突立(つきたて)て、項(うなぢ)を伸(のば)してこゝを切(き)れ、といはぬばかりの健氣(けなけ)さに、大刀(たち)(ふり)あげし拳(こぶし)もよわり、われには年(とし)もひとつまして、年來(としころ)(おや)の養(かひ)たて給ひ、馴(なれ)も狎著(なつき)し現身(うつそみ)の、いぬをばいかで〓(き)るべき、と思ひおもはず躇躇(たゆたひ)しが、「さるにてもこの物(もの)ばかり、霎時(しばし)はかくてをるとても、翌(あす)を得(え)またで息(いき)(たえ)ずは、又(また)伯母夫(をばむこ)の手(て)に死(しな)ん。心(こゝろ)よわしや。如是(によぜ)畜生(ちくせう)、發(ほつ)菩提心(ぼだいしん)」と念(ねん)じつゝ、閃(ひらめか)す刃(やいば)の下(した)に、犬(いぬ)の頭(かうべ)は撲地(はた)と落(おち)、さと濆(ほとはし)る鮮血(ちしほ)の勢(いきほ)ひ、五尺(しやく)の紅絹(もみ)を掛(かけ)たるごとく、激然(げきぜん)としてその声(こゑ)あり、聳然(そうせん)として立冲(たちのぼ)る、中(うち)に晃(きらめ)く物(もの)こそあれ、と左手(ゆんで)を伸(のば)して受留(うけとむ)れば、鮮血(ちしほ)の勢(いきほ)ひ衰(おとろ)へて、遂(つひ)に再(ふたゝ)び濆(ほとばし)らず。信乃(しの)は霤(したゝ)る刃(やいば)の水氣(すいき)を、袖(そで)に拭(ぬぐ)ふて、遽(いそがは)しく、〓(さや)に納(おさ)めて腰(こし)に帶(おび)、彼(かの)〓口(きりくち)より出(いで)たる物(もの)を、濃血(のり)拊除(なでのぞき)てつら/\見るに、是(これ)なん一顆(ひとつ)の白玉(しらたま)也。その大(おほき)さ豆(まめ)に倍(ばい)して、紐融(ひもとほし)の孔(あな)さへあり。緒締(をじめ)などいふものならずは、必(かならす)これ記總(ずゞたま)なり。思(おも)ひかけなき物(もの)にしあれば、こゝろに深(ふか)く訝(いぶか)りて、いと明(あか)かりける月(つき)の光(ひか)りに、さし翳(かざし)つゝ復(また)見れば、玉(たま)の中(うち)に一丁(ひとつ)の文字(もじ)あり。方(まさに)(これ)(こう)の字(じ)也。現(げに)(かたな)して鐫(ゑ)れるにあらず。又(また)(うるし)もて書(かけ)るにあらず。造化(ぞうくわ)自然(しぜん)の工(たくみ)に似(に)たれは、小膝(こひざ)を拍(うつ)て感嘆(かんたん)し、「吁(あゝ)(き)なるかなこの白玉(しらたま)。妙(めう)なりけりこの文字(もんじ)。われそのよしをしらずといへども、倩(つら/\)思ひ合(あは)すれは、わが母(はゝ)一子(いつし)を祈(いのり)つゝ、瀧(たき)の川(かは)よりかへるさに、途(みち)にこの犬(いぬ)を見て、愛(めで)て見過(みすぐ)しかたくやありけん、將(い)て又(また)家路(いへぢ)にいそぎ給ふに、
【挿絵】「自殺(じさつ)を决(きわめ)て信乃(しの)與四郎(よしらう)を〓(き)る」「番作」「しの」「亀さゝ」「ひき六」
(うつゝ)に神女(しんによ)を目撃(もくげき)し、一顆(ひとつ)の玉(たま)を授(さづけ)らるゝを、愆(あやまち)て受外(うけはづ)し、玉(たま)は犬(いぬ)のほとりに輾(まろ)ぶを、とらんとて、索(たづね)給ふに、遂(つひ)に又(また)あることなし。この比(ころ)よりして有身(みこもり)給ひて、次(つぐ)の年(とし)(あき)のはじめに、吾儕(わなみ)を挙(まうけ)給ひしとぞ。母(はゝ)の告(つげ)させ給ふにてしりぬ。そのゝち家母(いろは)の長(なが)き病著(いたつき)、佛(ほとけ)に神(かみ)に祝(いは)ひつゝ、驗(しるし)なければもしその玉(たま)の失(うせ)たる故(ゆゑ)に年々(とし/\)(やみ)て、遂(つひ)に危窮(きゝう)に至(いた)らせ給ふ歟(か)。いかで索(たづね)て件(くだん)の玉(たま)を、再(ふたゝ)び獲(え)なば母(はゝ)の病著(いたつき)、順快(おこたり)給ふ事もや、と望(のぞみ)をこゝに被(かけ)たれども、見もせずそれとしら玉(たま)の、求(もと)めて出(いづ)べきよしなけれは、家母(いろは)はその冬(ふゆ)(み)まかり給ひ、それより三年(みとせ)のこの秋(あき)今宵(こよひ)、家尊(かぞ)の自殺(じさつ)に吾儕(わなみ)さへ、冥土(めいど)の侶(とも)と手(て)にかけて、〓(きり)にし犬(いぬ)の瘡口(きずくち)より、不思議(ふしぎ)に出(いづ)る玉匣(たまくしけ)、二親(ふたおや)ながら喪(うしな)ひつ、われも覚期(かくご)の今果(いまは)に及(およ)びて、わが名(な)を表(かたと)る孝(こう)の一字(いちじ)、〔信乃(しの)が実名(なのり)は戌孝(もりたか)なり〕定(さだ)かに見ゆる玉(たま)ありとも、六日の菖蒲(あやめ)十日の菊(きく)也。何(なに)にすべき」とうち腹(はら)たてゝ、庭(には)へ發石(はつし)と投棄(なげすつ)れば、玉(たま)はそがまゝ反(はね)かへりて、懐(ふところ)へ飛入(とびいつ)たり。怪(あや)しと思へど掻撈(かゝぐり)とりて、又(また)(なげう)てば飛(とび)かへり、とび返(かへ)ること三(み)たびに及(およ)へば、呆(あき)れ果(はて)て手(て)を叉(こまぬ)き、霎時(しばし)(あん)じてうち点頭(うなつき)、「この玉(たま)(まこと)に霊(れう)あるもの歟(か)。家母(いろは)が落(おと)し給ひしとき、犬(いぬ)が呑(のみ)たればこそ、十二个(か)(ねん)の今(いま)に至(いたり)て、歯牙(はなみ)堅固(けんご)に、毛(け)の光澤(つや)(う)せず、その血氣(けつき)さへ衰(おとろへ)ざりしは、腹(はら)にこの玉(たま)あればなるべし。かゝれは是(これ)二ッなき、世(よ)の重宝(ちやうほう)にぞあらんずらん。縦(たとひ)隋侯(ずいこう)趙璧(ちやうへき)たりとも、わが命(いのち)すら惜(をし)からぬに、宝(たから)に惑(まよ)ひて死(し)を止(とゞ)まらんや。貴人(あてひと)の亡骸(なきから)には、珠(たま)を含(ふくま)し奉る、例(ためし)はあれど是(これ)も又(また)、宝(たから)を〓(うづめ)て無益(むゑき)の所為(わざ)也。宝刀(みたち)も玉(たま)もわがなき後(のち)に、人(ひと)とらば取(と)れ。いざさらは、大人(うし)に追(おひ)つき奉らん。時(とき)(うつ)りぬ」と呟(つぶや)きて、舊(もと)の処(ところ)にかへりつゝ、父(ちゝ)の死骸(しがい)に推並(おしなら)び、既(すで)に最期(かくご)の坐(ざ)を占(しめ)て、宝刀(みたち)を三(み)たびうち戴(いたゞ)き、まづ諸膚(もろはだ)を推袒(おしぬぎ)つ。と見ればわが左(ひだり)の腕(かひな)に、大(おほ)きやかなる痣(あざ)いで來(き)て、形状(かたち)牡丹(ぼたん)の花(はな)に似(に)たり。こは什麼(そも)いかにと、肱(ひぢ)を曲(かゞめ)て、つら/\見つゝ推拭(おしぬぐ)ふに、手習(てならひ)の墨(すみ)などの、苟(かりそめ)に塗(つき)しにあらず。その色(いろ)(くろ)き痣(あざ)なれは、思はず腕(かひな)をうち敲(たゝ)き、「きのふまでもけふまでも、われにこの痣(あざ)あることなし。嚮(さき)には玉(たま)が飛(とび)かへりて、懐(ふところ)に入(い)りしとき、左(ひだり)の腕(かひな)へ〓(はた)と中(あた)りて、些(すこし)(いたみ)をおぼえしか、それ將(はた)(あざ)(つく)べうもあらず。國(くに)の傾(かたむか)んとするときに、くさ/\の妖〓(あやしみ)あり。人(ひと)の死(しな)んとするときに、又(また)妖怪(あやしみ)を見ることあり、と親(おや)のをしえも、漢籍(からふみ)にも、豫(かね)て見つるは是(これ)なりき。皆(みな)(これ)おのが惑(まよ)ひにこそ。死(し)しては土(つち)になるものを、痣(あざ)も黒子(ほくろ)も厭(いとは)んや」と勇氣(ゆうき)(たゆま)ぬ稀世(きせい)の神童(じんとう)、智惠(ちゑ)も言語(ことば)も古人(こじん)に愧(はぢ)ず。甘羅(かんら)、孔融(こうゆう)、幼悟(ようご)の才(さえ)、今(いま)(また)こゝにこの子(こ)あり。自殺(じさつ)の覚期(かくご)ぞいとをしき。春(はる)の夜(よ)なれば短(みじか)くて、はや初夜(しよや)(つぐ)る寺々(てら/\)の鐘(かね)も無常(むじやう)の音(おと)すなり。信乃(しの)は額(ひたひ)の乱髪(みたれがみ)を、かき揚(あげ)て宝刀(みたち)を手(て)に把(と)り、「嗚呼(ああ)われながら後(おく)れにけり。考妣(こうひ)尊霊(そんれい)一蓮(いちれん)托生(たくせう)、南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」と唱(となへ)つゝ、刃(やいば)を晃(きら)りと引抜(ひきぬき)て、腹(はら)を切(き)らんとする程(ほど)に、忽地(たちまち)(には)の樹蔭(こかげ)より、「やをれ信乃(しの)(まて)、まち給へ」といともせわしく呼(よ)びかけて、男女(なんによ)三人(ン)(たち)あらはれ、飛(とぶ)が似(ごとく)に縁頬(えんがは)より、齊一(ひとしく)(はし)り入(いり)にけり。


# 『南総里見八犬伝』第十九回 2004-09-27
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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