『南總里見八犬傳』第十四回


【本文】
 第(だい)十四回(くわい) 〔轎(のりもの)を飛(とば)して使女(つかひめ)渓澗(たにかは)を渉(わたす)(しやく)を鳴(なら)してヽ大(ちゆだい)記總(ずゞたま)を索(たづぬ)

 かたはらに侍(はべ)りたる、貞行(さだゆき)(ら)は伏姫(ふせひめ)の自殺(じさつ)を禁(とゞ)めあへなくも、挿頭(かざし)の花(はな)を散(ちら)せしごとく、遺憾(いかん)やるかたなかりけり。そが中(なか)に孝徳(たかのり)は、男子(をのこ)にもます姫君(ひめきみ)の、末期(まつご)の一句(いつく)に激(はげま)されて、身(み)を措(おく)ところなかりけん、亡骸(なきから)のほとりにおちたる、血刀(ちかたな)を手(て)はやく取(とり)て、ふたゝび腹(はら)を切(き)らんとす。そのとき義実(よしさね)(こゑ)をふり立(たて)、「やをれ大輔(だいすけ)狼狽(うろたへ)たる歟(か)。その身(み)に大罪(だいざい)ありながら、君命(くんめい)を俟(また)ずして、自害(じがい)せんとは竒怪(きくわい)也。伏姫(ふせひめ)一旦(いつたん)甦生(そせい)したれば、罪(つみ)一等(いつとう)を宥(なだむ)るとも、この山(やま)に入(い)るものは、頭(かうべ)を刎(はね)んと掟(おきて)しものを、法度(はつと)を枉(まげ)ておのがまに/\、腹切(はらき)ることを聽(ゆるさ)んや。觀念(くわんねん)せよ」と進(すゝ)みよりて、刃(やいば)を引提(ひきさげ)(たち)給へば、願(ねが)ふところ、と孝徳(たかのり)は、居(ゐ)なほりて合掌(がつせう)し、項(うなぢ)を延(のば)す程(ほど)もなく、上(うへ)に晃(きらめ)く刃(やいば)の稲妻(いなつま)。丁(ちやう)と打(うつ)たる大刀風(たちかぜ)に、思ひかけなく孝徳(たかのり)が髻(もとゞり)(ふつ)と截捨(きりすて)給へば、是(これ)は、と見かへる罪人(つみひと)も、諫(いさめ)かねたる貞行(さだゆき)も、驚(おどろ)き思ふ仁君(じんくん)の、恩義(おんぎ)にいとゞ畏(かしこま)る。
 義実(よしさね)は氷(こふり)なす、刃(やいば)をやをら鞘(さや)に納(おさめ)て、泛(たゝえ)る涙(なみだ)をふり拂(はら)ひ、「見よや蔵人(くらんど)、わが手(て)つから、罪人(つみひと)を刑罰(けいばつ)せり。法度(はつと)は君(きみ)の制(せい)する所(ところ)、君(きみ)(また)これを破(やぶ)るといふ、古人(こじん)の金言(きんげん)(むべ)なるかな。われもし民(たみ)ともろ共(とも)に、けふこの山(やま)に登(のぼ)りなは、大輔(だいすけ)に咎(とが)なかるべし。頭(かうべ)に代(かえ)たる髻(もとゞり)は、渠(かれ)が亡父(ぼうふ)へ寸志(すんし)なり。渠(かれ)が穉(をさな)き時(とき)よりして、名(な)を大輔(だいすけ)と喚做(よびな)せしは、大國(たいこく)輔佐(ほさ)の臣(しん)たれ、とその久後(ゆくすゑ)を祝(しゆく)せしに、わが官職(つかさ)もやうやく進(すゝ)みて、治部(ぢぶの)大輔(たいふ)と大輔(だいすけ)と、その國訓(よみこゑ)は異(こと)なれ共、文字(もんじ)はかはらぬ主従(しゆう/\)同名(どうめい)、かゝる故(ゆゑ)にや主(しゆう)のうへに、あるべき祟(たゝり)を身(み)に受(うけ)けん、可惜(あたら)しき壮佼(わかうど)が、よに埋木(うもれき)とならん事、かへす/\も不便(ふびん)也。親(おや)八郎(はちらう)は大功(たいこう)あり、大輔(だいすけ)も忠(ちう)なきにあらず。その親(おや)といひ、その子(こ)といひ、勲功(くんこう)あれども賞(せう)を獲(え)ず、その死(し)に臨(のぞ)み、その罪(つみ)に、陥(おちい)るに及(およ)びては、主(しゆう)(すら)(すく)ふによしなき事、わが子(こ)にまして哀傷(あいしやう)の涙(なみだ)はこゝに禁(とゞ)めかたし。やよ大輔(だいすけ)よ、孝徳(たかのり)よ。わが此(この)こゝろをよくも知(し)らば、亡親(なきおや)の為(ため)、姫(ひめ)が為(ため)に、命(いのち)をたもち、身(み)を愛(あい)し、佛(ほとけ)につかへ苦行(くぎやう)して、高僧(こうそう)知識(ちしき)の名(な)を揚(あげ)よ。こゝろ得(え)たりや」と叮嚀(ねんころ)に、諭(さと)し給へば孝徳(たかのり)は、辱(かたじけ)なさにはふり落(おつ)る、涙(なみだ)に哽(むせ)び地(ち)に伏(ふし)て、應(いらへ)かねつゝ声(こゑ)を咽(の)む、理(ことわ)りなれば貞行(さだゆき)は、鼻(はな)うちかみて進(すゝ)み出(いで)、「今(いま)にはじめぬ君(きみ)の仁心(じんしん)、姫(ひめ)うへの御(ご)最期(さいご)には、喞(かごと)がましき事もなく、家臣(かしん)のうへをかくまでに、聞(きこ)えさせ給ふ事、大輔(だいすけ)和殿(わとの)が身(み)にとりては、一郡(いちぐん)の守護(しゆご)、万貫(まんぐわん)の、禄(ろく)にもまして満足(まんそく)ならん」といはれてやうやく頭(かうべ)を擡(もたげ)、「某(それがし)(まこと)に不肖(ふせう)なれども、如是(によぜ)畜生(ちくせう)だも菩提(ぼだい)に入(い)れり。今(いま)より日本(につほん)廻國(くわいこく)して、霊山(れいさん)霊社(れいしや)を巡礼(じゆんれい)し、伏姫(ふせひめ)(きみ)の後世(ごせ)を弔(とふら)ひ、わが君(きみ)(ご)父子(ふし)の武運(ぶうん)を祈(いの)らん。姫(ひめ)うへの落命(らくめい)も、又(また)(それがし)が祝髪(しゆくはつ)も、みな八房(やつふさ)の犬(いぬ)ゆゑなれは、犬(いぬ)といふ字(じ)を二ッに釐(さ)き、犬(いぬ)にも及(およ)ばぬ大輔(だいすけ)が、大(だい)の一字(いちじ)をそがまゝに、ヽ大(ちゆだい)と法名(ほうめう)(つかまつ)らん」と申上れは義実(よしさね)朝臣(あそん)、「遖(あはれ)いしくも申シたり。件(くだん)の犬(いぬ)は全身(みのうち)に、黒白(こくびやく)(やつ)の班毛(ぶち)あれは、八房(やつふさ)と名(な)つけしが、今(いま)さら思へば八房(やつふさ)の、二字(にじ)は則(すなはち)一尸(ひとりのしかばね)八方(はつほう)に至(いた)るの義(ぎ)なり。加旃(しかのみならず)伏姫(ふせひめ)が自殺(じさつ)の今果(いまは)に痍口(きずくち)より、一道(いちどう)の白氣(はくき)たな引(びき)、仁義(じんぎ)八行(はつこう)の文字(もんじ)(あらは)れたる、百八の珠(たま)(ひらめ)き冲(のぼ)り、文字(もじ)なき珠(たま)は地(ち)に堕(おち)て、その餘(よ)の八(やつ)は光明(ひかり)をはなち、八方(はつほう)へ散乱(さんらん)して、遂(つひ)に跡(あと)なくなりし事、其(その)所以(ゆゑ)なくはあるべからず。後々(のち/\)に至(いた)りなば、思ひあはする事もやあらん。菩提(ぼだい)の首途(かどで)の餞別(はなむけ)には、只(たゞ)この珠数(ずゞ)にますものあらじ。努(ゆめ)秘蔵(ひさう)せよ入道(にうどう)」と諭(さと)して軈(やが)て賜(たび)けれは、孝徳(たかのり)は手(て)に受(うけ)て、再三(ふたゝびみ)たびうち戴(いたゞ)き、「こは有(あり)かたき君(きみ)の賜(たま)もの、今(いま)より諸國(しよこく)を編歴(へんれき)して、飛去(とびさり)たる八(やつ)の珠(たま)の落(おち)たる所(ところ)を索(たづ)ねもとめ、はじめのごとく繋(つな)ぎとめんに、一百八(いつひやくはち)の数(かず)に満(みた)ずは、又(また)當國(たうごく)へ立(たち)かへりて、見参(けんざん)に入り候はし。年(とし)を歴(ふ)るとも音耗(おとづれ)なくは、旅(たび)より行(たび)に野(の)ざらしの、骸(から)は餓(うへ)たる犬(いぬ)の腹(はら)を、肥(こや)しにけりと思召(おぼしめさ)れよ。是(これ)ぞ寔(まこと)に今生(こんぜう)のおん別(わかれ)に候べし」と思ひ切(きつ)てぞ申ける。
 この時(とき)(すで)に日(ひ)は暮(くれ)て、夜(よ)ははや初更(しよこう)のころなるに、昼(ひる)よりも猶(なほ)(あか)かりける、月(つき)は半輪(はんりん)の雲(くも)もなく、山(やま)には萬樹(ばんじゆ)の影(かげ)あり。鼕々(たう/\)たる水(みづ)の音(おと)、颯々(さつ/\)たる松(まつ)の声(こゑ)、腸(はらわた)を断(たつ)(なかだち)なるに、鹿(しか)は峯上(をのへ)に鳴(なき)て、白露(はくろ)の霜(しも)となるを悲(かな)しみ、猴(さる)は幽谷(みたに)に叫(さけび)て、孤客(こかく)の夜衾(やきん)を寒(さむから)しむ。罕(まれ)に來(き)て訪(と)ふも寂(さみ)しき深山路(みやまぢ)に、心(こゝろ)つよくも只(たゞ)ひとり、かくまで行(おこな)ひすましけん、伏姫(ふせひめ)の事をのみ、主従(しゆう/\)(しき)りに感嘆(かんたん)せり。
 當下(そのとき)堀内(ほりうち)貞行(さだゆき)は、孝徳(たかのり)(ら)と議(ぎ)していふやう、「姫(ひめ)うへの自殺(じさつ)によりて、時(とき)を移(うつ)させ給ひしかは、日(ひ)は暮(くれ)、山(やま)は嶮(けは)しきに、御(ご)下向(けこう)は心(こゝろ)もとなし。さればとて夜(よ)とゝもに、こゝに明(あか)させ給ひなは、おん亡骸(なきから)をいかにせん。毒蛇(どくじや)猛獣(まうじう)の患(うれひ)なしといふべからず。進退(しんたい)(きは)めて難義(なんぎ)也。和殿(わどの)はなにとか思ひ給ふ」と問(とは)れて霎時(しばし)沈吟(うちあん)じ、「いはるゝ所(ところ)(ことわ)り也。こゝにて暁(あか)させ給はんことは、遠慮(とほきおもんはかり)なきに似(に)たり。所詮(しよせん)和殿(わどの)と某(それがし)と、姫(ひめ)の亡骸(なきから)を舁(かき)(たてまつ)り、わが君(きみ)は御(み)(て)づから、蕉火(たいまつ)を把(とら)せ給ひて、下山(げさん)をいそがせ給はん歟(か)。麓(ふもと)にはおん倶(とも)の人々(ひと/\)を、留(とゞ)め給ひぬ、とうけ給はれば、おん迎(むかひ)に参(まゐ)るべし。縦(たとひ)そのもの共(ども)耳怖(きゝおぢ)して、この渓澗(たにかは)を渉(わた)さず共、前面(むかひ)の岸(きし)よりあなたにて、遭(あひ)(たてまつ)らざることはあらし。この議(ぎ)はいかゞ」とうち相譚(かたら)ふ。義実(よしさね)これを聞(きゝ)あへず、「伏姫(ふせひめ)すら只(たゞ)ひとり、去歳(こぞ)よりこゝに在(あ)りけるものを、弓箭(ゆみや)とる身(み)の主従(しゆう%\)三人(みたり)、毒蛇(どくじや)猛獣(まうじう)をおそるゝ為(ため)に、一夜(ひとよ)亡骸(なきから)を戌(も)ることかなはず、遽(あはて)て麓(ふもと)にくだらんや。此(これ)を思ひ彼(かれ)を思ふに、男児(をのこゝ)にして見まほしき、伏姫(ふせひめ)が心操(こゝろばえ)、親(おや)はづかしきものぞかし。五十子(いさらこ)に泣(なき)(たて)られて、心(こゝろ)よはくもはる%\と、みづから姫(ひめ)を訪(とひ)し事、今(いま)さら慚愧(ざんぎ)に堪(たへ)ざる也。この故(ゆゑ)に今(いま)その死(し)に及(およ)びて、われ一滴(いつてき)の涙(なみだ)を見せず。魂魄(こんはく)いまだこゝを去(さ)らずは、汝達(なんたち)が議論(ぎろん)女々(めゝ)しとて、伏姫(ふせひめ)に笑(わらは)れなん。枝(えだ)ををりて火(ひ)に焼(たき)つけよ。われも割篭(わりご)をひらくべし。いそぐことかは」と宣(のたま)へば、貞行(さだゆき)孝徳(たかのり)感激(かんげき)して、且(まづ)伏姫(ふせひめ)の亡骸(なきから)を、洞(ほら)の中(うち)へ入(い)れまゐらせ、主従(しゆう%\)石門(いはと)の樹下(このもと)に團坐(まとゐ)して、しづかに天(よ)の明(あく)るをまちけり。
 浩処(かゝるところ)に、前面(むかひ)の岸(きし)に、夥(あまた)の蕉火(たいまつ)(ひらめ)きて、人語(ひとこゑ)(かすか)に聞(きこ)えけり。貞行(さだゆき)(はるか)にこれを見て、「さればこそ人々(ひと/\)がおん迎(むかひ)に参(まゐ)りたれ。いでやこの瀬(せ)を渉(わたさ)せん」といひも訖(をは)らず衝(つ)と立(たち)て、軈(やが)て水際(みぎわ)に走(はし)り出(いで)、「其処(そこ)に見ゆる蕉火(たいまつ)は、おん迎(むかひ)の人々(ひと/\)なるべし。殿(との)はこなたに在(ましま)すぞ。吾們(われ/\)(すで)にこの川(かは)を渉(わた)せり。風聞(ふうぶん)とはうらうへにて、流(なが)れは緩(ゆる)く瀬(せ)は浅(あさ)し。とく/\渉(わた)し候へ」と声(こゑ)を限(かぎ)りに呼(よ)びかけたり。折(をり)ふし追風(おひかぜ)なりければ、その声(こゑ)(さだ)かに聞(きこ)えけん。蕉火(たいまつ)をあちこちと、閃(ひらめか)しつゝ坂(さか)をくだり、岸(きし)にをり立(たつ)とおぼしくて、先(さき)にすゝむもの、後(あと)に続(つゞ)くもの、馬(うま)を牽入(ひきい)れ、声(こゑ)をあはして、人(ひと)(あまた)(わた)し來つ。こなたの岸(きし)によるを見れは、思ひかけなき女轎(をんなのりもの)を、釣臺(つりだい)とかいふ物(もの)に括著(くゝりつけ)、健(すこやか)なる男(をとこ)七八人、赤裸(あかはだか)にてこれを舁(かき)たり。その餘(よ)は麓(ふもと)に遺(のこ)されし従者(ともびと)、又(また)、瀧田(たきた)より参(まゐ)れるもありけり。貞行(さだゆき)はやく見咎(みとが)めて、「あれはいかに」と問(と)ふ程(ほど)に、轎子(のりもの)を舁(かき)おろし、衆皆(みな/\)水際(みぎわ)についゐていふやう、「日(ひ)の没(いり)なんとせし比(ころ)まで、屋方(やかた)の帰(かへ)らせ給はねば、吾們(われ/\)(すで)にまうし合(あは)せ、途(みち)まで迎(むかへ)(たてまつ)らんとて立出(たちいで)候折(をり)、奥(おく)ざまより火急(くわきう)のおん使(つかひ)來れり。よりてもろ共(とも)に、歩(あし)をいそがし候へども、いく程(ほど)もなく日(ひ)を消(くら)し、あなたの岸(きし)まで参(まゐ)りしに、喚(よび)かけられて吾們(われ/\)のみ、渉(わた)すべうもあらざれば、雨具(あまぐ)続松(ついまつ)などを、乗(のし)て來(き)つる釣臺(つりだい)に、彼(かの)おん使(つかひ)の轎子(のりもの)を括著(くゝりつけ)、辛(から)くも渉(わた)して候」といふに貞行(さだゆき)うち点頭(うなつき)、「そは微妙(いみしく)もはかりにけり。おん使(つかひ)とく/\これへ」といそがせば、五六人立(たち)かかりて、手(て)ばやく細引(ほそびき)の麻索(あさなは)を觧去(ときすて)つゝ、轎子(のりもの)の戸(と)を引開(ひきあけ)けり。と見ればおん使(つかひ)は専女(おさめ)にて、年紀(としのころ)は四十(よそぢ)あまり、名(な)は柏田(かへた)とぞいふなる。いぬる比(ころ)、伏姫(ふせひめ)の安否(あんひ)をしるべきために、密使(しのびづかひ)をうけ給はりて、前面(むかひ)の岸(きし)まで來(き)つるもの也。
 この日(ひ)火急(くわきう)のおん使(つかひ)なれば、道竟(みちすがら)轎夫(かごのもの)を、飛(とば)させてや参(まゐ)りけん、轎(のりもの)のうちには、三尺あまりなる白布(しらぬの)を結(むす)びさげ、其身(そのみ)は、褂(うちぎ)の下(した)、帶(おび)の上(うへ)より、鳩尾(みづおち)のほとりまで、白(しろ)き練(ねりきぬ)を、いくへともなく巻締(まきしめ)て、おなじ練(ねり)の鉢巻(はちまき)をしたり。俗(よ)に早打(はやうち)といふものめきて、いと精悍(かひ%\)しく見ゆるものから、長途(ちやうど)を揺(ゆら)れつゝ來(き)にけれは、目眩(めくるめ)きて左右(さう)なくは立(たゝ)ざりけるを、衆皆(みな/\)(たすけ)いだす程(ほど)に、貞行(さだゆき)は、且(まづ)義実(よしさね)のほとりに参(まゐ)りて、如此(しか)(%\)々と聞(きこ)えあぐるに、柏田(かへた)も後(あと)に跟(つき)て見参(げんさん)す。義実(よしさね)は「この使(つかひ)、いと心もとなし」とて、その由(よし)を問(とひ)給へば、柏田(かへた)は憶(おく)する氣色(けしき)なく、はつと應(いらへ)て頭(かうべ)を挙(あげ)、「わが君(きみ)さまにはこの暁(あかつき)に、御(み)(たち)を出(いで)させ給ふの後(のち)、奥(おく)ざまのおん病著(いたつき)、いよゝます/\重(おも)らせ給ひつ。殿(との)はかへらせ給はずや、と間(ま)なく時(とき)なく問(とは)せ給ひ、或(ある)は假染(かりそめ)のおん譫言(うはこと)にも、姫(ひめ)うへ其処(そこ)にゐますが如(ごと)く、物(もの)いひかけてうち泣(なき)給ふ。おし量(はか)り奉(たてまつ)れは、痛(いたま)しき事限(かぎ)り侍(はべ)らず。媼(うば)(ら)はさら也。御(おん)曹司(ぞうし)〔義成(よしなり)をいふ〕も、兎(と)に角(かく)(なぐさめ)かねさせ給ひて、父(ちゝ)うへは姉君(あねぎみ)を、みづから訪(とは)せ給はんとて、実(まこと)は冨山(とやま)に赴(おもむ)き給ひぬ。けふ一卜日(ひ)(また)せ給へ。翌(あす)はかならず姉(いろね)を將(い)て、かへり來(き)まさん。とこしらへ給へば、うち驚(おどろ)き給ひつゝ、冨山(とやま)は名(な)たゝる魔所(ましよ)と聞(きく)。殿(との)もし彼処(かしこ)へ赴(おもむ)き給はゞ、異(こと)なくてやは還(かへ)り給ふ。とく喚(よび)かへし奉(たてまつ)れ。とむつかり給ふに、御(おん)曹司(ぞうし)も、いよゝせんすべましまさす。柏田(かへた)は彼山(かのやま)の案内(あんない)を、知(しつ)たるものとか聞(きゝ)たるぞ。屋方(やかた)(いで)させ給ひてより、まだ一時(ひとゝき)は過(すぐ)べからず。いそがば途(みち)にて追著(おひつき)なん。参(まゐ)りて此(この)よしをよく申せ。と宜(のたま)はするに物(もの)とりあへず、遽(あはて)て御(み)(たち)を出(いで)しより、人(ひと)疲労(つか)るれは里々(さと/\)にて、肩(かた)を継(つが)せ、歩(あし)を急(いそ)がせ、辛(からく)して参(まゐ)り侍(はべ)り」とまうす折(をり)から外面(とのかた)なる、従者(ともひと)(ら)(さわ)ぎたち、「前面(むかひ)の岸(きし)に隱々(ちら/\)と、火(ひ)の光(ひかり)見えたるが、今(いま)はや水際(みぎわ)にをり立(たつ)たり。あれは正(まさ)しく轎子(のりもの)ならん。それかあらぬか」とばかりに、罵散動声(のりどよめくこゑ)囂々(ぎやう/\)たり。貞行(さだゆき)孝徳(たかのり)(きゝ)あへず、走(はし)り出(いで)つゝうち眺(なが)め、「再度(さいど)の急訟(はやうち)、心(こゝろ)もとなし。こなたより扶掖(たすけひき)て、とく渉(わた)させよ」と下知(げち)すれば、うけ給はると應(いらへ)つゝ、彼(かの)釣臺(つりだい)を扛(かき)あげて、究竟(くつきやう)の奴隷(しもべ)十人あまり、流水(ながれ)を切(き)り、石(いし)を踏除(ふみよけ)、あなたの岸(きし)に赴(おもむ)きて、はじめのごとく釣臺(つりだい)に、轎子(のりもの)を括著(くゝりつけ)、その従者(ともひと)(ら)もろ共(とも)に、軈(やが)てこなたへ渉(わた)し來(き)つ。且(まづ)轎子(のりもの)を舁(かき)おろし、とかくして戸(と)を開(ひら)けば、裡(うち)より出(いづ)る一個(ひとり)の女房(にようばう)。その年(とし)はまだ廾(はたち)に足(た)らず、その名(な)を梭織(さをり)と呼(よば)るゝもの也。嬋娟(せんけん)たる額髪(ひたひかみ)に、練(ねりぎぬ)の鉢巻(はちまき)したる、精悍(かひ/\)しき打扮(いでたち)は、柏田(かへた)にまして見ばへせり。
 かくて梭織(さをり)は轎子(のりもの)を、出(いづ)るとやがて氣絶(いききれ)て、忽地(たちまち)に倒(たふ)れしかば、貞行(さだゆき)孝徳(たかのり)(おどろ)きて、顔(かほ)に石滂(しみづ)を沃(そゝ)ぎかけ、薬(くすり)を飲(のま)せ、さま/\に、勦(いたは)る程(ほど)にわれにかへりて、貞行(さだゆき)(ら)に挨拶(あいさつ)す。固(もと)よりかゝるおん使(つかひ)に、擇(えらま)れたるものなれば、長途(ちやうど)の疲労(つかれ)を物(もの)ともせず、貞行(さだゆき)孝徳(たかのり)に誘引(いざなは)れて、おん前(まへ)に参(まゐ)りしかば、義実(よしさね)はやく声(こゑ)をかけて、「一度(いちど)ならず再度(さいど)の使(つかひ)は、いよ/\心(こゝろ)もとなきこと也。五十子(いさらこ)はいかにぞや」と問(とは)せ給へば、霏々(はら/\)と、落(おつ)る涙(なみだ)を拭(ぬぐ)ひあへず、「奥(おく)ざまは今朝(けさ)(み)のころに」と末(すゑ)は得(え)いはず伏沈(ふししづ)めば、前(さき)に参(まゐ)りし
【挿絵】「使女(つかひめ)の急訟(はやうち)(よる)(みづ)を渉(わた)す」「堀内貞行」
柏田(かへた)さへ、共(とも)によゝとぞ泣(なき)にける。義実(よしさね)(しきり)に嗟嘆(さたん)して、「縡絶(こときれ)たるか」と問(と)ひ給へば、梭織(さをり)ははつかに頭(かうべ)を擡(もたげ)、「御(ご)臨終(りんしう)の事などは、まうすもなか/\疎(おろか)に侍(はべ)り。柏田(かへた)がおん使(つかひ)に立(たち)し後(のち)、いく程(ほど)もあらずなくなり給ひぬ。御(おん)曹司(ぞうし)の仰(おふせ)には、騎馬(きば)をもてこのよしを、告(つげ)(たてまつ)るは易(やす)けれども、微行(しのび)の御(ご)登山(とさん)なれば憚(はゞかり)あり。汝(なんぢ)は曩(さき)に柏田(かへた)と共に、密使(しのびつかひ)をうけ給はりて、冨山(とやま)へ赴(おもむ)きたりと聞(きけ)は、まゐりて屋方(やかた)に告(つげ)(たてまつ)れ。今宵(こよひ)をな過(すぐ)しそ、といそがし給へは、そがまゝに、舁(かゝ)れて参(まゐ)り侍(はべ)りき」と申上れは、孝徳(たかのり)は、貞行(さだゆき)と面(おもて)をあはし、頭(かうべ)を低(たれ)て嘆息(たんそく)せり。義実(よしさね)巨細(つばら)に聞(きゝ)給ひて、「五十子(いさらこ)が今般(いまは)の情願(ねきごと)、得(え)(はた)さねばわれも亦(また)、遺憾(のこりをしく)思へども、末期(まつご)にあはぬは幸(さいは)ひならん。よしや翌(あす)まで存命(ながらへ)たりとも、帰(かへ)りて何(なに)といふべきぞ。汝(なんぢ)(ら)も且(まづ)(あれ)を見よ」と洞(ほら)の方(かた)を見かへりて、亡骸(なきから)を示(しめ)し給へば、柏田(かへた)梭織(さをり)は胸(むね)うち騒(さわ)ぎて、おん後方(おとべ)に立(たち)まはり、さし入(い)るゝ月(つき)を燭(あかし)に、洞(ほら)の中(うち)をつく/\、と見つゝ齊一(ひとしく)(こゑ)を立(たて)、「こは姫(ひめ)うへにましましけり。猛(たけ)き獣(けもの)に傷(やぶ)られ給ふ歟(か)、さらずは刃(やいば)に果(はて)給ひけん。こは何(なに)とせん浅(あさ)ましや、痛(いたま)しさよ」と亡骸(なきがら)のまくらべ後方(あとべ)に転輾(ふしまろ)び、哽(むせ)かへりつゝ泣(なき)にけり。義実(よしさね)これには目(め)を遣(や)り給はず、貞行(さだゆき)(ら)に宣(のたま)ふやう、「義成(よしなり)がさぞ待(まち)わぶべきに、人(ひと)(あまた)(まゐ)りにけれは、暁(あかつき)かけて山(やま)を下(くだ)らん。大輔(だいすけ)は十餘(よ)(ン)の奴隷(しもべ)もろ共(とも)(とゞま)りて、翌(あす)は伏姫(ふせひめ)が亡骸(なきがら)を、此処(このところ)に埋葬(まいそう)せよ。又(また)八房(やつふさ)をも〓得(うづめえ)させよ。招(まね)かで姫(ひめ)が間人(とぎ)を得(え)たれは、柏田(かへた)梭織(さをり)もこのまゝに、今宵(こよひ)一夜(ひとよ)は遺(のこ)し置(おか)なん。母(はゝ)の使(つかひ)をなき魂(たま)に、手向(たむけ)こゝろに通夜(つや)させよ。葬(ほうむり)の事(こと)は箇様(かやう)(/\)々」と叮嚀(ねんころ)に指(さし)しめし、をんなばらを労(ねぎら)ひて、そのこゝろを得(え)させつゝ、従者(ともびと)(ら)をも賞(ほめ)させて、牽(ひき)もて來(きた)りし馬(うま)にうち乗(のり)、あなたの岸(きし)へ赴(おもむ)き給へば、遺(のこ)れるものは孝徳(たかのり)と、共(とも)に水際(みぎわ)に蹲踞(そんこ)しつ、従(したが)ふ者(もの)は貞行(さだゆき)もろ共(とも)、蕉火(たいまつ)をふり照(てら)し、瀬踏(せふみ)をしつゝ渉(わた)しけり。
 かくてその次(つぐ)の日(ひ)、午(ひる)(すぎ)て冨山(とやま)の麓(ふもと)なる村長(むらおさ)は、法師(ほうし)荘家(ひやくせう)(ばら)もろ共(とも)に、棺(ひつぎ)を扛(かき)て喘々(あへぎ/\)、冨山(とやま)の洞(ほら)を指(さし)て來(き)つ。是(これ)はこの暁(あかつき)に、義実(よしさね)瀧田(たきた)へ帰舘(きくわん)の折(をり)、途(みち)より貞行(さだゆき)(うけ給はり)て、麓(ふもと)の村長(むらおさ)と法師(ほうし)(ばら)に、云云(しか/\)の仰(おふせ)を傳(つたへ)て、俄頃(にはか)に棺(ひつぎ)葬具(そうぐ)を造(つく)らせ、「金碗(かなまり)大輔(だいすけ)に逓与(わたせ)」とて、この山深(やまふか)く遣(つかは)しけり。又この日より樵夫(きこり)炭焼(すみやき)、すべて山〓(やまかせぎ)するものに、冨山(とやま)を上下(しやうげ)することを許(ゆる)し給ふ。されば孝徳(たかのり)入道(にうどう)は、件(くだん)の棺(ひつぎ)を受(うけ)とりて、且(まづ)伏姫(ふせひめ)の亡骸(なきから)を斂(おさ)め奉(たてまつ)り、則(すなはち)(ほら)を截(きり)ひらきて、おん墓所(はかところ)とす。しかれども碑碣(しるしのいし)なし。只(たゞ)松柏(せうはく)(ならび)(たち)て、自然(しぜん)と墓標(はかのしるし)となれり。人(ひと)これを傳(つた)へ聞(きゝ)、これを喚(よび)て義烈(ぎれつ)節婦(せつふ)の墓(はか)といふ。又(また)八房(やつふさ)をも土葬(どそう)にせり。これをば只(たゞ)(がん)に斂(おさめ)て、敢(あへて)(また)(ひつぎ)を用(もち)ひず。こは伏姫(ふせひめ)の墓(はか)を去(さ)ること、三丈(みつゑ)ばかり戌(いぬ)の方(かた)、老(ふり)たる檜樹(ひのき)の下(もと)に〓(うづ)む。人(ひと)(また)(よび)て犬塚(いぬつか)といひけり。葬(ほふむり)の事かくの如(ごと)く、よろづ質素(しつそ)にせられしは、義実(よしさね)(かね)て孝徳(たかのり)に、仰(おふせ)つけらるゝ所(ところ)也。姫(ひめ)の志操(こゝろさし)を汲(くみ)てなるべし。事(こと)(はて)て柏田(かへた)梭織(さおり)は、彼(かの)十餘(よ)人の奴隷(しもべ)を將(い)て、泣(なき)つゝ瀧田(たきた)へたち帰(かへ)れば、麓(ふもと)の法師(ほうし)村長(むらおさ)(ら)も、をのが里々(さと/\)へ帰(かへ)りにけり。そが中(なか)に金碗(かなまり)大輔(だいすけ)孝徳(たかのり)は、圓頂(ゑんてう)黒衣(こくえ)に容(さま)をかえて、ヽ大(ちゆだい)(ばう)と法号(ほうごう)し、且(しばら)く山(やま)に留(とゞま)りて、伏姫(ふせひめ)の遺(のこ)し給ふ、法華經(ほけきやう)を読誦(どくじゆ)すること、一チ日一チ夜(や)も間断(かんだん)なく、四十餘日(よにち)に及(およ)びけり。
 さる程(ほど)に瀧田(たきた)には、五十子(いさらこ)の方(かた)の葬式(そうしき)をとり行(おこなは)れ、なき人々(ひと/\)のおん為(ため)に、米(こめ)(あまた)施行(せぎやう)して、まづしき民(たみ)を賑(にぎは)し給ひ、又(また)洲崎(すさき)なる行者(ぎやうじや)の石屋(いはや)へ、堀内(ほりうち)貞行(さだゆき)を遣(つかは)して、物(もの)おほく寄進(きしん)して、参詣(さんけい)のものゝ為(ため)に、道橋(みちはし)を造(つく)らし給ふ。人(ひと)みなこよなき功徳(くどく)といひけり。とかくする程(ほど)に、はや五十子(いさらこ)伏姫(ふせひめ)の四十九日に向(なん/\)とす。よりて嫡男(ちやくなん)義成(よしなり)朝臣(あそん)を施主(せしゆ)として、瀧田(たきた)なる菩提院(ぼだいいん)に、大斂忌(だいれんき)の法事(ほうじ)あるべし、と聞(きこ)えし比(ころ)、義成(よしなり)は「この法筵(ほうゑん)に、ヽ大(ちゆだい)(ばう)をも召加(めしくは)へよ」とて、使(つかひ)を冨山(とやま)へ遣(つかは)されしに、ヽ大(ちゆだい)は山(やま)にをらずなりぬ。なほ彼此(をちこち)を索(たづぬ)るに、樵夫(きこり)(ら)がいふやう、「件(くだん)の法師(ほうし)は豫(かね)てより、准備(こゝろがまへ)をしたりけん、笈(おひ)を背負(せお)ひ、錫枚(しやくぢやう)を衝鳴(つきな)らし、今朝(けさ)しも山(やま)を下(くだ)るとき、吾們(われ/\)を見かへりて、瀧田(たきた)殿(との)より入道(にうどう)を、尋(たづ)ねさせ給ふ事あらは、このよし申せ、といひかけて、何処(いづこ)とはなく出(いで)てゆきぬ。かゝれは俟(また)せ給ふ共、帰(かへ)らじ」といふに、すべなくて、使者(ししや)は瀧田(たきた)へ立(たち)かへり、縡(こと)の趣(おもむき)を申せしかは、義実(よしさね)嘆賞(たんせう)(おほ)かたならず。「渠(かれ)(すで)に誓(ちか)ひつゝ、六十餘(よ)(こく)を偏歴(へんれき)して、飛去(とびさり)たる八(やつ)の珠(たま)を、舊(もと)の珠数(ずゞ)に繋(つな)ぎ留(とめ)ずは、生涯(せうがい)安房(あは)へかへらじ、と豫(かね)ていひつることあれば、再会(さいくわい)(まこと)に揣(はかり)がたし。遺憾(のこりをしき)ことなり」とひとりごち給ひつゝ、再(かさね)て往方(ゆくへ)を索(たづ)ね給はず。さはれこゝろに絶(たえ)ずやありけん、ヽ大(ちゆだい)(ばう)が恙(つゝが)なく、帰(かへ)り参(まゐ)ることあらば、渠(かれ)がよすがになるべしとて、明年(あけのとし)伏姫(ふせひめ)の一周忌(いつしうき)の比(ころ)までに、冨山(とやま)に一宇(いちう)の觀音堂(くわんおんだう)を建立(こんりう)し、伏姫(ふせひめ)の徳義(とくぎ)、八房(やつふさ)が事さへ記(しる)して、姫(ひめ)の遺書(かきおき)もろ共(とも)に、厨子(づし)のうちへぞ納(おさ)め給ふ。今(いま)なほ冨山(とやま)に觀音堂(くわんおんだう)あり。かくて夥(あまた)の年(とし)を歴(ふ)れども、ヽ大(ちゆだい)(ばう)が音信(おとづれ)なし。畢竟(ひつきやう)(かの)法師(ほうし)が久後(ゆくすゑ)いかん。そは後々(のち/\)の巻(まき)にて觧(とか)なん。

作者(さくしや)(いはく)、この書(しよ)、肇輯(ぢやうしう)(だい)(いち)(くわん)より、今(いま)この巻(まき)に至(いたり)ては、則(すなはち)一部(いちぶ)小説(せうせつ)の開場(かいしやう)、八士(はつし)出現(しゆつげん)の發端(ほつたん)なり。是(これ)より次(つぎ)の巻々(まき/\)は、年月(ねんげつ)(あい)(ついで)ずして、いと後(のち)の事に及(およ)べり。その間(あはひ)に物語(ものがたり)なし。譬(たとひ)ば彼(かの)水滸傳(すいこでん)に、龍虎山(りやうこさん)にて洪信(こうしん)(ら)が石碣(せきけつ)をひらくの段(だん)より、林冲(りんちう)(ら)が出現(しゆつげん)まで、その間(あはひ)(す)十年(ねん)、物語(ものかたり)なきがごとし。
(また)いふ、この巻(まき)の出像(さしゑ)の中(うち)、金碗(かなまり)大輔(だいすけ)孝徳(たかのり)が、川(かは)を渉(わた)す圖(づ)のごときは、文外(ぶんぐわい)の画(ぐわ)、画中(ぐわちう)の文(ぶん)也。この出像(さしゑ)によらざれば、忽然(こつぜん)として雲霧(くもきり)の晴(は)るゝゆゑを知(し)るよしなし。又(また)使女(つかひめ)の急訟(はやうち)に、柏田(かへた)梭織(さをり)を写(うつ)し出(いだ)すに、その在処(あるところ)を先(さき)にして、その來(く)る所(ところ)を後(のち)にせり。首尾(しゆび)錯乱(さくらん)に似(に)たれ共、さにあらず。其(その)(ひと)の小傳(せうでん)來歴(らいれき)、後(のち)に僅(はつか)にその人(ひと)の口中(こうちう)より説出(ときいだ)すをば、事(こと)を先(さき)にして傳(でん)を後(のち)にす。画(ゑ)も亦(また)(これ)に従(したが)ふものなり。しかはあれど、画匠(ぐわせう)は只(たゞ)その画(ゑ)を画(ゑ)として、その意(ゐ)を意(ゐ)とし得(え)ざることあり。こゝをもて作意(さくゐ)と岩齬(がんご)なきにあらず。この巻中(くわんちう)もしかることあり、看官(みるひと)よろしく察(さつ)すべし。
里見八犬傳第二輯巻之二終


# 『南総里見八犬伝』第十四回 2004-09-18
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