『南總里見八犬傳』第十三回


【外題】
里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第二輯(だいにしゆう)巻之二

【本文】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第二輯(だいにしゆう)巻之二
東都 曲亭主人編次

 第(だい)十三回(くわい) 〔尺素(ふみ)を遺(のこし)て因果(いんぐわ)みづから訟(うつたふ)雲霧(うんむ)を拂(はらつ)て妖〓(あやしみ)はじめて休(やむ)

 伏姫(ふせひめ)は思ひかけなく、竒(く)しき童(わらべ)に説諭(ときさと)されて、無明(むめう)の眠(ねむり)(さめ)ながら、夢(ゆめ)かとぞおもふ跡(あと)とめぬ、人(ひと)の言葉(ことば)のあやしきに、なほ疑(うたが)ひははれ間(ま)なき、涙(なみだ)の雨(あめ)に敷妙(しきたへ)の、袖(そで)は物(もの)かは腸(はらわた)を、絞(しぼ)るばかりに哽(むせ)かへり、歎(なげ)き沈(しづま)せ給ひけり。しかはあれども心操(こゝろばえ)、人(ひと)なみ/\に立(たち)まさる、日來(ひころ)雄々(をゝ)しき姫(ひめ)うへなれば、うち騒(さわ)ぐ胸(むね)をおし鎮(しづ)め、顔(かほ)にかゝれる黒髪(くろかみ)を、掻(かき)あげて目(め)を拭(ぬぐ)ひ、「うたてやな前世(さきつよ)に、造(つく)りし罪(つみ)は秤(はかり)(なす)、おもさ軽(かろ)さはしらねども、遂(つひ)にこの身(み)に報(むく)ひ來(き)て、かくまで物(もの)を思はする、人(ひと)のうらみのしうねさよ。遮莫(さもあらばあれ)(おや)のうへに、かゝる祟(たゝり)を負(おひ)にき、と聞(きゝ)ては後(のち)のその後(のち)の世(よ)まで、捺落(ならく)の底(そこ)に沈(しづ)むとも、悔(くや)しと思ふべうもあらず。只(たゞ)はづかしく悲(かな)しきは、親(おや)の為(ため)、又(また)(ひと)の為(ため)に、蓬(きたな)き心(こゝろ)もたなくに、何(なに)を種(たね)なる畜生(ちくせう)の、その氣(き)を受(うけ)て八(やつ)の子(こ)を、身(み)に宿(やど)しなばいかにせん。そもこの山(やま)に入(い)りにし日(ひ)より、鶴(つる)の林(はやし)のしげきをわき、鷲(わし)の嶺(たかね)の高(たか)きを仰(あふ)ぐ、一念(いちねん)不退(ふたい)読經(どきやう)の外(ほか)は、よに他事(あだしごと)なきものから、佛(ほとけ)もこゝに救(すく)ひ給はず、神(かみ)さへ助(たす)け給はずて、有身(みこも)れる事実(じつ)ならば、よしや臥房(ふしど)を共(とも)にせずとも、それいひ觧(とか)ん證据(あかし)はなし。わがうへのみかは親(おや)の恥(はぢ)、九(こゝのつ)の世(よ)を換(かゆ)るとも、竟(つひ)に雪(きよむ)る時(とき)しあらで、只(たゞ)畜生(ちくせう)の妻(つま)といはれん。生(いき)ての恥辱(ちゞよく)、死(し)してのうらみ、喩(たとふ)るに物(もの)あるべしや。斯(かう)とは兎(う)の毛(け)の末(すゑ)におく、露(つゆ)ばかりだもしらずして、曩(さき)に瀧田(たきた)にをりしとき、犬(いぬ)を殺(ころ)してもろともに、得(え)(しな)ざるこそ悔(くや)しけれ。死(しす)べき折(をり)はありながら、死(しに)おくれしも業因(ごういん)(か)。されば善巧(ぜんこう)方便(ほうべん)とて、説(とき)おかせ給ふなる、佛(ほとけ)の書(ふみ)にも有(あり)がたき、因果(いんぐわ)といふもあまりあり。よしやこの子(こ)の生(うま)るゝ故(ゆゑ)に、親(おや)同胞(はらから)に幸(さち)ありて、家(いへ)の栄(さかえ)をませばとて、こよなき恥(はぢ)にやはかえん、悲(かな)しきかな」と声(こゑ)(たて)て、傍(かたへ)の人(ひと)にものいふごとく、思ひ凝(こつ)てはなか/\に、賢(さか)しき心(こゝろ)も乱(みだ)れつゝ、忍(しの)ぶに堪(たへ)ぬ繁薄(しのすゝき)、尾花(をばな)が下(もと)にふし給ふ。
 秋(あき)の日影(ひかげ)のさりげなく、昼間(ひるま)は暑(あつさ)の名殘(なごり)とて、岸(きし)に水浴(みづと)る山鴉(やまがらす)、頂(いたゞき)(ちか)く鳴(なき)わたれば、伏姫(ふせひめ)(きつ)と仰(あほ)ぎ瞻(み)つ、現(げに)わが外(ほか)に人(ひと)もなき、こゝは寔(まこと)に畜生道(ちくせうどう)、この身(み)を劈(つんざ)く劔(つるぎ)の山路(やまぢ)に、追登(おひのぼ)されし阿鼻(あび)地獄(ぢごく)、後(のち)の世(よ)思ひやられたり。「さるにても、彼(かの)(わらべ)こそ不思議(ふしぎ)なれ。わが來(こ)しかたとゆくすゑを、審(つまびらか)にしれる事、天眼通(てんがんつう)もて見る如(ごと)し。加旃(しかのみならず)(もの)のいひざま、爽(さはやか)にして岩走(いはばし)る、この山川(やまかは)より委(よどみ)なく、禍福(くわふく)吉凶(きつきやう)を断(ことわ)ること、只(たゞ)(たなそこ)を指(さ)すに似(に)たり。いにしへの指(さす)の神子(みこ)、俯(うつぶし)の老女(おふな)といふとも、いとなしがたきわざなるべし。尓(しか)れはこれ神(かみ)ならで、誰(たれ)か復(また)これをよくせん。素(もと)よりこの安房(あは)には、齢(よはひ)(す)百になりぬる醫師(くすし)あることを聞(きか)ざれば、これに仕(つかふ)る神童(かんわらは)、あるべうも覚(おぼえ)ぬかし。渠(かれ)(たゞ)(かり)に言(こと)を設(まうけ)て、われは醫師(くすし)の弟子(をしへご)にて、薬(くすり)を採(と)るといひつるもの歟(か)。そのをる所(ところ)も定(さだ)かならで、この山(やま)の麓(ふもと)といひ、或(ある)は洲崎(すさき)にありといふ。これにて思ひあはすれば、これも亦(また)役行者(えんのぎやうじや)の示現(じげん)にもやをはしますらん。曩(さき)にもかゝる利益(りやく)あり。それは穉(をさな)き時(とき)なれば、吾儕(わなみ)(さだ)かにしらねども、正(まさ)しく得(え)さし給ひぬる、珠数(ずゞ)は霎時(しばし)も身(み)を放(はな)さず、祈念(きねん)(おこた)る事なければや、再(ふたゝ)び竒特(きどく)を見せ給へども、遂(つひ)に脱(のが)れぬ業因(ごういん)は、神(かみ)も佛(ほとけ)も今(いま)こゝに、せんすべなくぞをはすめる。斯(かく)ても凡夫(ぼんぷ)のかなしさは、悟(さと)りかたく、迷(まよ)ひ易(やす)かり。わが腹(はら)なるは八子(やつこ)にて、形(かたち)つくらでこゝに生(うま)れ、生(うま)れて後(のち)に又(また)(うま)るとは、いかなる故(ゆゑ)にやあらんずらん。又(また)、子(こ)を産(うむ)とき親(おや)にあはん、夫(をとこ)にもあはんとは、いよ/\思ひ辨(わきま)へがたし。吾儕(わなみ)には苟(かりそめ)にも、いひなづけたる良人(つま)はなし。この事のみは中(あた)らずとも、もし父(ちゝ)うへがはる/\と、訪(とは)せ給はゞ影護(うしろめた)し。身(み)おもくなりしを親(おや)同胞(はらから)に、恥(はぢ)かゞやかしく見られんより、流(なが)るゝ水(みづ)に身(み)を任(まか)し、骸(から)もとゞめずなるならば、さて死恥(しにはぢ)をかくしなん。吁(あゝ)しか也」とわれに問(とひ)、われに答(こたへ)てやうやくに、思ひ决(さだ)めつ。折敷(をりし)く草(くさ)に、膝(ひざ)突立(つきたて)て身(み)を起(おこ)し、水際(みぎわ)に立(たち)より給ひしか、「さるにてもこの侭(まゝ)に、水屑(みくず)とならば日來(ひごろ)より、川(かは)の向(むか)ひの岸(きし)までも、專使(おさめつかひ)を給はりし、母(はゝ)うへのおん慈(いつくし)みを、しらざるに似(に)て罪(つみ)ふかゝり。一筆(ひとふで)(のこ)し奉(たてまつ)らば、とてもかくても業因(ごういん)、と思ひ捨(すて)させ給はなん。見る人(ひと)なくばわが尺素(ふみ)も、朽(くち)なば朽(くち)よ命毛(いのちげ)を、霎時(しばし)(のば)していそがん」とひとりごちつゝ、折捨(をりすて)し、花(はな)かいとればほろ/\と、ちり際(きわ)(もろ)き村肝(むらきも)の、心(こゝろ)も足(あし)もなよやかに、舊(もと)の洞(ほら)にぞ入(い)り給ふ。
 當下(そのとき)八房(やつふさ)は、自然生(じねんせう)の薯蕷(やまついも)、枝(えだ)つきの果(このみ)なンど、くさ/\銜(ついばみ)もて來(き)つゝ、姫(ひめ)うへを待(まち)てをり。只今(たゞいま)かへらせ給ふを見て、一反(いつたん)あまり走(はし)り出(いで)(なが)き袂(たもと)に〓縁(まつはり)て、後(あと)に跟(つ)き、又(また)(さき)に立(たち)、尾(を)を掉(ふり)(はな)を鳴(なら)しつゝ、迎入(むかへい)るるが如(ごと)くして、只管(ひたすら)(しよく)を勸(すゝむ)れども、伏姫(ふせひめ)はなか/\に、見るも斎忌(ゆゆ)しく疎(うとま)しくて、絶(たえ)て言葉(ことば)もかけ給はず。石室(いはむろ)の端(はし)ちかうゐて、硯(すゞり)に墨(すみ)を搨流(すりなが)し、殘(のこ)りすくなくなりにたる、料紙(れうし)の皺(しわ)を引延(ひきのば)して、わがうへ、権者(ごんじや)の示現(じげん)まで、辞(ことば)みじかく義理(ぎり)ふかく、いと哀(あは)れにぞ写(かき)給ふ。折(をり)しもあれ、水(みづ)は瀬(せ)まくらに轟(とゞろ)きて、三閭(さんりよ)大夫(たいふ)がうらみ、想像(おもひや)るべく、松(まつ)は峯上(をのへ)に吟(ぎん)じて、有馬(ありまの)皇子(みこ)が無常(むじやう)を示(しめ)せり。「いにしへより今(いま)の世(よ)まで、賢(かしこ)きも愚(おろか)なるも、直(なほ)きも曲(まが)れるも、薄命(はくめい)にして屍(しかばね)を、溝涜(こうとく)野徑(やけい)に曝(さら)せるもの、抑(そも/\)(また)いくばくぞや。そが妻(つま)、そが子(こ)に至(いた)りては、数(かぞふ)るにいとなかるべし。いづれはあれどわが身(み)ひとつ、例(ためし)すくなき業因(ごういん)にて、骸(から)もとゞめず失(うせ)にき、と母(はゝ)うへ傳聞(つたへきゝ)給はゞ、そが侭(まゝ)(たえ)も果(はて)給はん。それまでに在(ましま)さずとも、なき後(のち)さへに限(かぎ)りなき、嘆(なげ)きを倍(ま)させ奉(たてまつ)る、不孝(ふこう)の罪(つみ)は贖(あがな)ふ時(とき)なし。幾遍(いくたび)思ひたえなん、と思へども思ひ絶(たえ)がたきは、只(たゞ)恩愛(おんあい)の絆(ほだし)也。許(ゆる)させ給へ」といへばえに、いはが根(ね)(つた)ふ松(まつ)の露(つゆ)、袖(そで)の雫(しづく)も末(すゑ)(つひ)に、涙(なみだ)の川(かは)となるまでに、深(ふか)きおもひを水莖(みづくき)の、筆(ふで)にいはせて読(よみ)かへし、巻(まき)かへしつゝ嘆息(たんそく)し、よしなく物(もの)を思ひにき、西方(さいほう)弥陀(みだ)の利劔(りけん)を借(から)ずは煩惱(ぼんなう)の羈(きづな)を断(たち)がたし。冥土(よみぢ)の旅(たび)の首途(かどて)には、称名(せうめう)の外(ほか)あるべからず、と忽地(たちまち)におもひかへしつ、手(た)をりもて來し菊(きく)の花(はな)に、清水(しみづ)を沃(そゝぎ)て恭(うや/\)しく、佛(ほとけ)に手向(たむけ)(たてまつ)り、襟(えり)に掛(かけ)たる珠数(ずゞ)を取(とり)て、推揉(おしもま)んとし給ふに、常(つね)にもあらで音(おと)はせず。こは不思議(ふしぎ)や、と取(とり)なほして、とさまかうさま見給ふに、数(かず)とりの珠(たま)に顕(あらは)れたる、如是(によぜ)畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心(ぼたいしん)の、八(やつ)の文字(もんじ)は跡(あと)もなく、いつの程(ほど)にか仁(じん)(ぎ)(れい)(ち)(ちう)(しん)(こう)(てい)となりかはりて、いと鮮(あざやか)に読(よま)れたり。
 伏姫(ふせひめ)は又(また)さらに、かゝる竒特(きどく)を見る物(もの)から、なほ疑(うたが)ひを觧(とく)よしもなく、つら/\おもひ給ふやう、この珠数(ずゞ)はじめは仁(じん)(ぎ)(れい)(ち)、云云(しか%\)の文字(もんじ)あり。かくて八房(やつふさ)に伴(ともなは)れ、この山(やま)に入(い)らんとせし比(ころ)、如是(によぜ)畜生(ちくせう)云云(しか%\)、と八(やつ)の文字(もんじ)になりてしかば、果(はた)して件(くだん)の一句(いつく)のごとく、八房(やつふさ)も亦(また)こゝに、菩提心(ぼだいしん)を發(おこ)したり。尓(しか)るに今(いま)(また)畜生(ちくせう)四足(しそく)の、文字(もんじ)は失(うせ)て舊(もと)の如(ごと)く、人道(にんどう)八行(はつこう)を示(しめ)させ給ふ、權者(ごんしや)の方便(ほうべん)(はかり)がたし。いと淺(あさ)はかなる女(をんな)の智(ち)をもて、何(なに)と辨(わきま)へ侍(はべ)らんや。見(み)る所(ところ)をもて推(おす)ときは、吾儕(わなみ)は犬(いぬ)の氣(き)を受(うけ)て、平(たゞ)ならぬ身(み)となりにし故(ゆゑ)に、遂(つひ)に非命(ひめい)に終(をは)ること、畜生道(ちくせうどう)の苦艱(くげん)に似(に)たり。されども佛法(みのり)の功力(くりき)にて、八房(やつふさ)さへに菩提(ぼだい)に入(い)れり。來世(こんよ)は仁義(じんぎ)八行(はつこう)の、人道(にんどう)に生(うま)るゝよしを、こゝに示(しめ)させ給ふもの歟(か)。もしさあらんには八房(やつふさ)をも、わが手(て)に殺(ころ)さば畜生(ちくせう)の、苦(く)を抜(ぬ)くよすがとなりぬべし。いな/\それは不仁(ふじん)なり。渠(かれ)はその主(しゆう)の為(ため)に、大敵(たいてき)を亡(ほろぼ)したり。かゝれば是(これ)こよなき忠(ちう)あり。又(また)去歳(こぞ)よりしてこの山(やま)に、吾儕(わなみ)が飢渇(うへ)を凌(しのが)せたり。かゝれば又(また)(やしな)ひの恩(おん)ふかゝり。よしや來世(こんよ)は人(ひと)と生(うま)れて、冨貴(ふうき)の家(いへ)の子(こ)となるとも、その忠(ちう)この恩(おん)あるものを、今(いま)(なさけ)なく刃(やいば)もて、死(し)を促(うなが)すに忍(しのび)んや。これらのよしをありの隨(まゝ)に、告(つげ)て生死(せうし)を渠(かれ)に任(まか)せん。さはとて珠数(ずゞ)を左手(ゆんで)に掛(かけ)、前足(まへあし)突立(つきたて)こなたのみ、眺(なが)めをる犬(いぬ)にうち向(むか)ひ、「やよ八房(やつふさ)、わがいふ事をよく聞(き)けかし。よに幸(さち)なきもの二ッあり。又(また)(さち)あるものふたつあり。則(すなはち)吾儕(わなみ)と汝(なんぢ)なり。われは國主(こくしゆ)の息女(むすめ)なれども、義(ぎ)を重(おも)しとするゆゑに、畜生(ちくせう)に伴(ともなは)る。これこの身(み)の不幸(ふこう)なり。しかれども穢(けが)し犯(おか)されず、ゆくりなくも世(よ)を遯(のが)れて、自得(じとく)の門(もん)に三宝(さんぼう)の引接(いんぜふ)を希(こひねが)ひしかば、遂(つひ)に念願(ねんぐわん)成就(しやうじゆ)して、けふ往生(わうぜう)の素懐(そくわい)を遂(とげ)なん。亦(また)これこの身(み)の幸(さいはひ)なり。又(また)(たゞ)(なんぢ)は畜生(ちくせう)なれども、國(くに)に大功(たいこう)あるをもて、軈(やが)て國主(こくしゆ)の息女(むすめ)を獲(え)たり。人畜(にんちく)の道(みち)(こと)にして、その欲(よく)を得(え)(とげ)されども、耳(みゝ)に妙法(めうほう)の尊(たと)きを聴(きゝ)て、遂(つひ)に菩提(ぼだい)の心(こゝろ)を發(おこ)せり。これ汝(なんぢ)が幸(さいは)ひなり。しかれども生(せう)をかえ、形(かたち)を変(か)ふるによしなければ、こゝに四足(しそく)の苦(く)を脱(のが)れず。生(いき)てはその智(ち)をますことなく、死(し)しては徒(たゞ)その皮(かは)を剥(はが)れん。亦(また)これ汝(なんぢ)が不幸(ふこう)也。汝(なんぢ)(うま)れてより七八年(ねん)、犬馬(けんば)にしてはその命(いのち)、短(みじか)しといふべからず。いたづらに生(せう)を食(むさぼ)り、わが死(し)するを見て里(さと)に還(かへ)らは、友(とも)に噬(かま)れ、笞(しもと)に打(うた)れ、呵責(かしやく)忽地(たちまち)その身(み)に及(およば)ん。又(また)この山(やま)に住(とゞま)るとも、翌(あす)よりしては誰(たれ)か亦(また)、汝(なんぢ)が為(ため)に經(きやう)を読(よむ)べき。梵音(ぼんおん)(みゝ)に入(い)らずならば、菩提(ぼだい)の心(こゝろ)(つひ)に失(うせ)なん。只(たゞ)(せう)を辞(ぢ)し死(し)を楽(たのし)み、人道(にんどう)の果(くわ)を希(こひねが)はゞ、來世(こんよ)に人(ひと)と生(うま)れざらんや。この理(ことわ)りをよくしらば、おなじ流(ながれ)に身(み)を投(なげ)て、共(とも)に彼岸(かのきし)に到(いた)れかし。さればとて時(とき)なほ早(はや)かり。われも浮世(うきよ)の名殘(なごり)なり。且(まづ)おん經(きやう)を読誦(どくじゆ)して、心(こゝろ)しづかに元(もと)に皈(かへ)らん。汝(なんぢ)もこれを聴聞(ちやうもん)して、讀(よみ)(はて)なんとするときに、起(たつ)て水際(みきわ)に赴(おもむ)けかし。さりとも不覚(そゞろ)に命(いのち)(をし)くは、野(の)なれ里(さと)なれ老死(おいくち)よ。尓(しか)らば人果(にんくわ)を得(え)るときなからん。よく辨(わきま)へよ」と叮嚀(ねんころ)に、諭(さと)し給へば、八房(やつふさ)は、頭(かうべ)を低(たれ)て憂(うれふ)るごとく、又(また)(を)を掉(ふり)て歡(よろこ)ぶ如(ごと)く、又(また)感涙(かんるい)を流(なが)すに似(に)たり。伏姫(ふせひめ)はこの形勢(ありさま)を、つく/\と見(み)給ひて、この犬(いぬ)(まこと)に得度(とくど)せり。怨(うらめ)るものゝ後身(さいらい)なりとも、既(すで)に仏果(ぶつくわ)を得(え)たらんには、弟(おとゝ)義成(よしなり)が耳孫(うまご)の世(よ)まで、絶(たえ)て障礙(せうげ)はあるべからず。心(こゝろ)やすしと思ひとりて、彼(かの)遺書(かきおき)と提婆品(だいはほん)の一巻(ひとまき)を手(て)に取(とり)て、洞(ほら)より些(すこし)すゝみ出(いで)、讀誦(どくじゆ)し訖(をは)らば遺書(かきおき)を、おん經(きやう)に巻篭(まきこめ)て、この石室(いはむろ)に留(とゞめ)ん、と思ひ給ひつ上(うへ)(たいら)なる、石(いし)を机(つくゑ)に坐(ざ)を組(くみ)て、彼(かの)一巻(ひとまき)を額(ひたひ)におし當(あて)、且(しばら)く念(ねん)じ給ひつゝ、はや讀出(よみいだ)し給ふにぞ、八房(やつふさ)は耳(みゝ)を側(そはだ)て、きくこと生平(つね)よりいと切(せち)なり。
 抑(そも/\)提婆(たいば)達夛品(たつたほん)は、妙法(めうほう)蓮華経(れんげきやう)、巻(まき)の五に在(あ)り。娑竭羅(しやかつら)龍王(りうわう)の女児(むすめ)かとよ、八歳(さい)にして智恵(ちゑ)廣大(くわうだい)、ふかく禅定(ぜんじやう)に入(いつ)て、諸法(しよほう)に了達(れうたつ)し、菩提(ぼだい)を得(え)たる縁故(ことのよし)を、説(とき)給へる経文(きやうもん)なり。女人(によにん)はこゝろ垢穢(あかつきけが)る。素(もと)より法器(のりのうつわ)にあらず。又(また)(み)に五(いつゝの)
【挿絵】「妙經(めうきやう)の功徳(くどく)煩惱(ぼんなう)の雲霧(うんむ)を披(ひらく)」「金まり大すけ」「玉つさ」「神変大菩薩」
(さわり)あり。故(ゆゑ)に成佛(じやうぶつ)しがたきもの也。尓(しか)るに八歳(はつさい)龍女(りうによ)のごときは、はやくも無上(むぜう)菩提(ぼだい)を得(え)たり。便(すなはち)(これ)女人(によにん)にして、成仏(じやうぶつ)の最初(さいしよ)たり。かゝれば伏姫(ふせひめ)末期(まつご)に及(およ)びて、身(み)の為(ため)(また)(いぬ)の為(ため)に、提婆品(だいばほん)を読(よみ)給ふ。今(いま)を限(かぎ)りと思へばや、音声(おんせう)(たか)く澄渡(すみわた)り、たえず又(また)(よどま)ずして、蓮(はちす)の糸(いと)を引(ひ)く如(ごと)く、又(また)出水(いづみ)の走(はし)るに似(に)たり。峯(みね)の松風(まつかせ)もこれを和(わ)し、谷(たに)の幽響(こたま)もこれに応(こた)ふ。石(いし)を集(あつめ)て聴衆(ちやうしゆ)とせし、むかしもかくぞありけんかし。いとも愛(めで)たき道心(どうしん)なり。
 さる程(ほど)に読經(どきやう)も既(すで)に果(はて)になりて、「三千(さんせん)衆生(しゆぜう)(ほつ)菩提心(ぼだいしん)、而得(じとく)受記(じゆき)、智積(ちしやく)菩薩(ぼさつ)(ぎう)舎利弗(しやりほつ)、一切(いつさい)衆生(しゆぜう)、黙然(もくねん)信受(しんじゆ)」と讀(よみ)給へば、八房(やつふさ)は衝(つ)と身(み)を起(おこ)して、伏姫(ふせひめ)を見(み)かへり見かへり、水際(みぎわ)を指(さし)てゆく程(ほど)に、前面(むかひ)の岸(きし)に鳥銃(てつほう)の筒音(つゝおと)(たか)く響(ひゞか)して、忽地(たちまち)飛來(とびく)る二ッたまに、八房(やつふさ)は吭(のんど)を打(うた)れて、煙(けふり)の中(うち)に〓(はた)と仆(ふ)し、あまれる丸(たま)に伏姫(ふせひめ)も、右(みぎ)の乳(ち)の下(した)打破(うちやぶ)られて、苦(あつ)と一声(ひとこゑ)(さけ)びもあへず、經巻(きやうくわん)を手(て)に拿(もち)ながら、横(よこ)ざまに轉輾(ふしまろ)び給ひぬ。
 時(とき)なるかな去歳(こぞ)よりして、川(かは)よりあなたは靄(もや)ふかく、絶(たえ)て晴間(はれま)もなかりしに、今(いま)鳥銃(てつほう)の音(おと)とゝもに、拭(ぬぐ)ふが如く晴(はれ)わたり、年(とし)なほわかき一個(ひとり)の〓人(かりひと)、柿(かき)に染(そめ)たる栲(たへ)の脚半(きやはん)に、おなじ色(いろ)なる甲掛(こうかけ)して、筵織(むしろおり)の獵巾(づきん)の緒(を)を、結(むす)び放(ゆる)べて項(うなぢ)に掛(か)け、右手(めて)に鳥銃(てつほう)引提(ひきさげ)て、前面(むかひ)の岸(きし)に立(たち)あらはれ、流(なが)るゝ水(みづ)を佶(きつ)と見て、既(すで)に淺瀬(あさせ)を知(し)りたりけん、軈(やが)て岸(きし)より走(はしり)くだりて、拿(もつ)たる鳥銃(てつほう)(かた)にうち掛(かけ)、こなたを指(さし)てわたし來(き)つ。この川(かは)ながれ急(はや)けれども、思ふには似(に)ず淺(あさう)して、水(みづ)は高股(たかもゝ)を浸(こさ)ざれば、彼(かの)壯佼(わかもの)はます/\勇(いさ)みて、勢(いきほ)ひ猛虎(もうこ)の子(こ)を負(お)ふごとく、又(また)醉象(すいぞう)の牝(め)を追(お)ふごとく、ちから足(あし)を踏進(ふみすゝ)めて、その幅(はゞ)十丈(とづゑ)あまりなる、流水(ながれ)を切(きつ)て、瞬間(またゝくひま)に、こなたの岸(きし)に走(はせ)あがり、且(まづ)鳥銃(てつほう)を揮揚(ふりあげ)て、打倒(うちたふ)したる八房(やつふさ)を、なほ撃(うつ)こと五六十、骨(ほね)(くだ)け皮(かは)(やぶ)れて、復(また)(いく)べうもあらざれは、莞尓(につこ)と笑(えみ)て鳥銃(てつほう)投捨(なげすて)、いで姫(ひめ)うへを、と石室(いはむろ)のほとりまで進(すゝ)み寄(よ)り、と見れば亦(また)伏姫(ふせひめ)も、打倒(うちたふ)されて氣息(きそく)なし。これはとばかり駭(おどろ)きさわぎて、抱(いだ)き起(おこ)し奉(たてまつ)り、且(まづ)瘡口(きずくち)を展檢(ひらきみ)るに、幸(さいはひ)にして痍(て)は淺(あさ)かり。周章(あはてふため)き懐(ふところ)より、藥(くすり)を取出(とうで)て、口中(くちのうち)に沃(そゝ)ぎ入(い)れ、頻(しき)りに喚活(よびいけ)(たてまつ)れども、寸口(すんこう)の脈(みやく)絶果(たえはて)て、全身(みのうち)ははや氷(こふり)の如(ごと)し。縦(たとひ)元化(げんくわ)が術(じゆつ)ありとも、救(すく)ふべうも見え給はねば、壮佼(わかうど)は天(そら)うち仰(あほ)ぎて、数回(あまたゝび)嘆息(たんそく)し、「悲(かなし)きかなわがなす所(ところ)、謀(はか)る所(ところ)は、悉(こと%\に)、〓(いかす)の觜(はし)と岩齬(くひちが)ひ、月來(つきごろ)日來(ひごろ)(はれ)かたき、狹霧(さぎり)は晴(はれ)つ、八房(やつふさ)を、撃(うち)とめて來(き)て見れば、あまれる丸(たま)に姫(ひめ)うへさへ、竟(つひ)に縡絶(こときれ)給ひにき。出没(しゆつぼつ)竒異(きゐ)なる犬(いぬ)にもおそれず、固(もとよ)りこゝは禁断(きんだん)の山(やま)としりつゝ身(み)を忘(わす)れ、命(いのち)を捨(すて)ても姫(ひめ)うへを、救(すく)ひとりまゐらせん、と思ふ忠義(ちうぎ)は不忠(ふちう)となりて、又(また)万倍(まんばい)の罪(つみ)を醸(かも)せり。百遍(もゝたび)(く)ひ、千遍(ちたび)(くふ)とも、今(いま)はしもかへることなし。心(こゝろ)ばかりの申わきには、肚(はら)かき切(きつ)て姫(ひめ)うへの冥土(よみぢ)のおん倶(とも)(つかまつ)らん。またせ給へ」と襟(えり)かき披(ひら)きて、腰刀(こしかたな)を抜出(ぬきいだ)し、手拭(てのごひ)に巻(まき)そえて、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱(となへ)もあへず、はや刀尖(きつさき)を脇腹(わきはら)へ突立(つきたて)んとする程(ほど)に、誰(たれ)とはしらず松柏(まつかや)の、林(はやし)が下(もと)に弦音(つるおと)(たか)く、射出(いいだ)す獵箭(さつや)に壮佼(わかうど)が、右手(めて)の臂(たゞむき)射削(いけつゝ)たり。これは、とばかり、思はずも、拿(もつ)たる刃(やいば)をうち落(おと)され、驚(おどろ)きながら見かへれば、樹間(このま)(がく)れに声(こゑ)(たか)く、「〓(むさゝび)は木末(こぬれ)(もと)むと足引(あしひき)の、山(やま)の佐都雄(さつを)に遭(あひ)にけるかも」と、口吟(くちすさ)む一首(いつしゆ)の古歌(こか)に、「こは什麼(そも)(たそ)」と問(とは)せも果(はて)ず、「金碗(かなまり)大輔(だいすけ)(はや)まるな。且(しばら)く等(まて)」と呼(よび)とめて、里見(さとみ)治部(ぢぶの)大輔(たいふ)義實(よしさね)朝臣(あそん)、熊(くま)の皮(かは)の行縢(むかはぎ)に、豹(ひやう)の尻鞘(しりざや)、篠〓(さゝこて)して、弓箭(ゆみや)(たづさ)へ徐(しづ)やかに、樹蔭(こかげ)をすゝみ出(いで)給へは、後方(あとべ)に続(つゞ)く従者(ともひと)なく、堀内(ほりうち)蔵人(くらんと)貞行(さだゆき)のみ、精悍(かひ/\)しき打扮(いでたち)して、主(しゆう)の左邊(ゆんで)に引(ひき)そふたり。義實(よしさね)(うれふ)る気色(けしき)にて、伏姫(ふせひめ)の亡骸(なきから)を、尻目(しりめ)にかけて、最期(さいご)の事は、いまだ何(なに)とも宣(のたま)はず、いちはやくもほとりに落(おち)たる、珠数(ずゞ)と遺書(かきおき)を見給ひて、「蔵人(くらんど)あれを」と宣(のたま)ふにぞ、貞行(さだゆき)はこゝろ得(え)て、遽(いそ)しくとりてまゐらする。義実(よしさね)朝臣(あそん)は弓箭(ゆみや)を捨(すて)て、珠数(ずゞ)を刀(かたな)の鞆(つか)に掛(かけ)、且(まづ)遺書(かきおき)を見給ふに、一句(いつく)一段(いちだん)こと%\に、嗟嘆(さたん)せずといふ事なく、又(また)貞行(さだゆき)にも見せ給ふ。そが中(なか)に、金碗(かなまり)大輔(だいすけ)孝徳(たかのり)は、慚愧(ざんぎ)その身を置(おく)ところなく、額(ひたひ)に冷(つめた)き汗(あせ)をながし、刃(やいば)を膝(ひざ)にひき敷(しき)て、只(たゞ)平伏(ひれふし)てぞゐたりける。
 當下(そのとき)義実(よしさね)は、傍(かたへ)の石(いし)に尻(しり)を掛(かけ)て、孝徳(たかのり)にうち對(むか)ひ、「珎(めづ)らしきかな金碗(かなまり)大輔(だいすけ)。汝(なんぢ)不覚(そゞろ)に法度(はつと)を犯(おか)して、この山(やま)に入(い)るのみならず、今(いま)伏姫(ふせひめ)と八房(やつふさ)を、うち殺(ころ)せしには仔細(しさい)ありなん。刃(やいば)をおさめ、近(ちか)う参(まゐ)りて、詳(つまびらか)にこれをいへ。いかにぞや」と問(とひ)給ふ。しかれども孝徳(たかのり)は、應(いらへ)まうすも面(おも)なくて、霎時(しばし)(かうべ)を得(え)も挙(あげ)ず。この形勢(ありさま)に貞行(さだゆき)は、そがほとりにすゝみ出(いで)、「大輔(だいすけ)御諚(ごでふ)で候ぞ。且(まづ)(やいば)をおさめずや。とくおん答(こたへ)を申さずや」としば/\いはれて、孝徳(たかのり)は、やうやくに頭(かうべ)を擡(もたげ)、刃(やいば)を鞘(さや)に納(おさ)めつゝ、挿副(さしぞへ)の刀(かたな)もろ共(とも)、是(これ)をば堀内(ほりうち)貞行(さだゆき)に、逓与(わたし)て些(すこ)し引退(ひきしりぞ)き、又(また)貞行(さだゆき)に對(むかひ)ていふやう、「死後(しにおく)れたる甲斐(かひ)に、圖(はから)ずも君(きみ)の尊顔(そんがん)を、拝(はし)し奉(たてまつ)る歡(よろこ)びも、重々(かさね/\)の越度(をちど)にて、後悔(こうくわい)の外(ほか)候はず。申とくべき千万句(せんまんく)も、この期(ご)に至(いたつ)て詮(せん)なき所行(わざ)、身(み)の非(ひ)を飾(かざ)るに似(に)たれ共、只(たゞ)一條(ひとくだり)を申上ん。去年(きよねん)安西(あんざい)景連(かげつら)に謀(はか)られて、安危(あんき)のおん使(つかひ)を得(え)(はた)さず、脱(のが)れて走(かへ)る道(みち)すがら、追捕(おつて)の敵兵(てきへい)と血戦(けつせん)し、辛(から)く瀧田(たきた)へ立(たち)かへるに、はや景連(かげつら)が大軍(たいぐん)充満(みち/\)、稲麻(とうま)のごとく攻囲(せめかこ)む最中(もなか)にて候へば、城(しろ)に入(い)ること竟(つひ)に協(かなは)ず、切(せめ)て和殿(わどの)に力(ちから)を戮(あは)し、一臂(いつひ)の忠(ちう)を盡(つくさ)ん、と思ふて軈(やが)て東條(とうでふ)へ、走(はしり)ゆけどもその甲斐(かひ)なく、彼処(かしこ)も蕪戸(かぶと)訥平(とつへい)が大軍(たいぐん)に囲(かこま)れたり。敵(てき)は虎口(こゝう▼セメクチ)を退(しりぞ)かず、夜(よ)は〓火(かゝりび)を焼(たき)あかし、番兵(ばんへい)をさ/\由断(ゆだん)せざれば、翅(つばさ)なうして城中(ぜうちう)へ、入(い)るべうも候はず。一騎(いつき)なりとも敵陣(てきぢん)へ、突入(つきいり)て死(しな)ばや、と思ひ决(さだ)め候ひしが、退(しりぞ)きて思慮(しりよ)をめぐらし候へは、これも亦(また)(せん)なき所行(わざ)也。五指(ごし)のかはる/\弾(はぢか)んより、一拳(いつけん)にますことなし。両城(りやうぜう)(もと)より兵粮(ひやうろう)(とも)し。寔(まこと)に危窮(きゝう)存亡(そんぼう)の秋(とき)なり。われ鎌倉(かまくら)へ推参(すいさん)して、管領家(くわんれいけ)へ急(きう)を告(つげ)、援兵(ゑんへい)を乞催(こひもよほ)して、両所(りやうしよ)の囲(かこ)みを殺崩(きりくづ)さば、君(きみ)のおん為(ため)此上(このうへ)あらじ、と思ひかへして白濱(しらはま)より、便舩(びんせん)して彼処(かしこ)に赴(おもむ)き、來由(らいゆ)を述(のべ)、急(きう)を告(つげ)、援兵(ゑんへい)を乞(こふ)といへども、主君(しゆくん)の書翰(しよかん)なきゆゑに、疑(うたがは)れて縡(こと)とゝのはず。そらだのめなる日(ひ)を過(すぐ)し、手(て)を空(むなしう)して安房(あは)へかへれば、景連(かげつら)ははや滅亡(ほろびうせ)て、一國(いつこく)(きみ)がおん手(て)に属(いり)ぬ。吁(あな)(よろこば)し、と思ふにも、寸功(すんこう)もなく阿容(おめ)(/\)々と、見参(けんざん)には入(い)りかたし。然(さ)りとて今(いま)さら腹(はら)も切(き)られず、時節(じせつ)を俟(まち)て功(こう)を立(たて)、帰参(きさん)を願(ねが)ひ奉(たてまつ)らん。それまでの隱宅(かくれが)にとて、舊里(ふるさと)なれは上総(かづさ)なる、天羽(あまは)の関村(せきむら)に赴(おもむ)きて、祖父(おほぢ)一作(いつさく)に由縁(ゆかり)ある、荘客(ひやくせう)某甲(なにがし)が家(いへ)に身をよせ、なすこともなく去歳(こぞ)と暮(く)れ、今茲(ことし)もおなじ秋(あき)の色(いろ)、深(ふか)く潜(しの)びて候ひしに、本月(このつき)の初旬(はじめつかた)、姫(ひめ)うへの事灰(ほのか)に聞(きこ)えて、八房(やつふさ)の犬(いぬ)に伴(ともなは)れ、冨山(とやま)の奥(おく)へ入り給ひき、と慥(たしか)にこれを告(つぐ)るものあり。こは未曽有(みぞう)の竒談(きだん)にして、偏(ひとへ)に主君(しゆくん)の瑕瑾(かきん)也。よしや彼(かの)(いぬ)(とし)ふりて、人(ひと)を魅(みい)るゝ靈(れう)ありとも、目(め)に遮(さへぎ)るものならは、撃(うつ)にかたきことやはある。竊(ひそか)に冨山(とやま)にわけ登(のぼ)り、犬(いぬ)を殺(ころ)して姫(ひめ)うへを、救(すく)ひとり奉(たてまつ)らは、先非(せんひ)を贖(あがな)ふ帰参(きさん)のよすが、こゝに得(え)たり、と尋思(しあん)して、潜(しの)びて當國(たうこく)に立(たち)かへり、准備(ようゐ)の鳥銃(てつほう)引提(ひきさげ)て、山(やま)に入ること五六日、姫(ひめ)うへのおん所在(ありか)を只顧(ひたすら)(たづね)(たてまつ)るに、あなたの岸(きし)には狹霧(さぎり)ふかくて、一卜日も晴(は)るゝときを得(え)ず。水(みづ)の音(おと)のみ凄(すさま)じく、廣陜(ひろさ)深淺(ふかさ)も測(はかり)がたかり、蜑崎(あまさき)輝武(てるたけ)が溺死(できし)の事さへ、傳(つたへ)(きゝ)て候へば、こゝなるべし、と推量(すいりやう)して、かろ/\しくは得(え)(わた)さず。川(かは)一條(ひとすぢ)に隔(へだて)られ、奥(おく)を見ることかなはねば、けふも空(むなし)く暮(くら)すか、とこゝろ頻(しき)りに焦燥(いらだつ)のみ。果(はて)は疲労(つかれ)て水際(みきわ)の松(まつ)に、尻(しり)うち掛(かけ)てながむれども、見れども見えぬ渓澗(たにかは)の、はるかあなたに経(きやう)よむ声(こゑ)、いとも幽(かすか)に聞(きこ)えたり。すはや、と騒(さわ)ぐ胸(むね)を鎮(しづ)め、水際(みぎわ)にすゝみて、耳(みゝ)を側(そはだ)て、つく/\と聞(きけ)は女子(をなこ)の声(こゑ)也。こは疑(うたが)ふべうもあらず。姫(ひめ)うへにましますべし。既(すで)にそのおん声(こゑ)を聞(きゝ)つ。いまだおん姿(すがた)を見るによしなし。この時(とき)にして神明(しんめい)佛陀(ぶつだ)の冥助(めうぢよ)を仰(あほ)ぐにあらざりせば、志(こゝろざし)を遂(とげ)かたけん。當國(たうこく)洲崎(すさき)大明神(だいめうじん)、那古(なこ)の観音(くわんおん)大菩薩(だいぼさつ)、孝徳(たかのり)が忠義(ちうぎ)(むなし)からずは、狹霧(さぎり)をおさめてこの川(かは)を、輒(たやす)くわたさせ給へかし、と丹誠(たんせい)を抽(ぬきいで)つゝ、且(しばら)く祈念(きねん)して目(め)をひらけば、不思議(ふしぎ)なるかな今(いま)までも、黒白(あやめ)をわかぬ川霧(かはぎり)は、拭(ぬぐ)ふが如(ごと)く晴(はれ)わたる。前面(むかひ)(はるか)に眺望(ながむ)れば、石室(いはむろ)とおぼしきほとりに、見えさせ給ふは姫(ひめ)うへなり。思ひしより瀬(せ)は淺(あさ)し、何(なに)でふこゝろ勇(いさま)ざらん。既(すで)にわたさんとする程(ほど)に、八房(やつふさ)はこなたを見てや、水際(みぎわ)を指(さし)て走(はし)り來(き)つ。這奴(しやつ)よせつけてはあしかりなん。撃(うち)とめて後(のち)にこそ、彼処(かしこ)へはまゐらめ、と思ふ矢(や)ごろは程(ほど)よくなりぬ。拿(もつ)たる鳥銃(てつほう)(とり)なほし、狙(ねらひ)(かた)めし二ッだま、火蓋(ひぶた)を切(き)れば愆(あやま)たず、犬(いぬ)は水際(みぎわ)に仆(たふ)れたり。わが物(もの)(え)つ、と早川(はやかは)の水(みづ)よりはやく渉來(わたしき)て、見れば又姫(ひめ)うへも、あまれる丸(たま)に傷(やぶ)られて、おなじ枕(まくら)にふし給ふ。さりけれども痍(て)は淺(あさ)かり。済(すくは)れ給ふこともや、とこゝろを盡(つく)し、手(て)を殫(つく)せども、縡絶(こときれ)給へばすべもなし。身(み)の薄命(はくめい)とはいひながら、毛(け)を吹(ふき)て疵(きず)を求(もとめ)めたる、後悔(こうくわい)其処(そこ)に立(たゝ)ざれば、切(せめ)て冥土(よみぢ)のおん倶(とも)せん、と既(すで)に覚期(かくご)を究(きわめ)し折(をり)、思ひかけなくわが君(きみ)に、禁(とゞめ)られ奉(たてまつ)り、得(え)(しな)ざるも天罰(てんばつ)ならん。法度(はつと)を犯(おか)してこの山(やま)へ、しのび入るのみならず、姫(ひめ)うへさへに害(そこな)ひしは、是(これ)八逆(はちぎやく)の罪人(つみんど)也。君(きみ)がまに/\刑罰(けいばつ)を、希(こひねが)ふ外(ほか)候はず。堀内(ほりうち)ぬし、蔵人(くらんど)どの、索(なわ)かけ給へ」と背(うしろ)ざまに、手(て)をめぐらしてついゐたり。
 貞行(さだゆき)は孝徳(たかのり)が、忠心(まこゝろ)をよくしりつ、聞(き)く事毎(こと)に点頭(うなつく)のみ。主君(しゆくん)の気色(けしき)を伺(うかゞ)へば、義実(よしさね)嗟嘆(さたん)大かたならず。且(しばらく)して宣(のたま)ふやう、「現(げに)禍福(くわふく)得失(とくしつ)は、人力(じんりき)をもてよくしかたく、凡智(ぼんち)をもて揣(はかる)べからず。やをれ大輔(だいすけ)、汝(なんぢ)(まこと)にその罪(つみ)あり。刑罰(けいばつ)(のが)れかたしといへども、伏姫(ふせひめ)が死(し)は天命(てんめい)なり。渠(かれ)もし汝(なんぢ)に撃(うた)れずは、かならずこの川(かは)の水屑(みくづ)とならん。蔵人(くらんど)その遺書(かきおき)を、讀聞(よみきか)せよ」と宣(のたま)へは、「うけ給はりつ」と應(いらへ)つゝ、大輔(だいすけ)がほとりについゐて、首(はじめ)より尾(をはり)まで、高(たか)やかに讀(よむ)ほどに、孝徳(たかのり)ます/\慚愧(ざんぎ)して、伏姫(ふせひめ)の賢才(けんさい)義烈(ぎれつ)に、感涙(かんるい)を拭(ぬぐ)ひあへず、いよゝ麁忽(そこつ)を悔歎(くひなげ)きぬ。讀(よみ)(はて)ければ義実(よしさね)は、又(また)孝徳(たかのり)にうち對(むか)ひ、「大輔(だいすけ)(なに)とこゝろ得(え)たるぞ。伏姫(ふせひめ)が死(し)を禁(とゞめ)んとて、われ亦(また)(しの)びて來(き)つるにあらず。此度(こだみ)五十子(いさらご)が病著(いたつき)は、只(たゞ)伏姫(ふせひめ)を愛惜(あいじやく)の心氣(しんき)疲労(つか)れて危急(ききう)に及(およ)べり。渠(かれ)が願(ねが)ひも然(さ)ることながら、無異(ぶゐ)にしてこの山(やま)の奥(おく)を見んこと心(こゝろ)もとなし、とさまかうさま思ふ折(をり)、われのみならで蔵人(くらんと)さへ、如此(しか)(/\)々の示現(じげん)を得(え)たり。よりて従者(ともびと)(ら)を麓(ふもと)に留(とゞ)め、只(たゞ)われと貞行(さだゆき)と、この山(やま)に登(のぼ)るものから、示現(じげん)に任(まか)して川(かは)をわたさず、速(とほ)く水上(みなかみ)をめぐりつゝ、この石室(いはむろ)の背(うしろ)に到(いた)れり。主従(しゆう/\)(すで)にこの処(ところ)に、近(ちか)つかんとする程(ほど)に、鳥銃(てつほう)の筒音(つゝおと)に、うち驚(おどろ)きて來て見れは、伏姫(ふせひめ)も八房(やつふさ)も、矢庭(やには)に撃(うた)れて仆(たふ)れたり。折(をり)から川(かは)を渉(わた)すもの、問(とは)ずして伏姫(ふせひめ)が讐(あた)なりけり、と見てければ、霎時(しばし)樹蔭(こかげ)に躱(かくろ)ひて、縡(こと)のやうを窺(うかゞ)ふに、豈(あに)おもはんや癖者(くせもの)は、月來(つきごろ)日來(ひころ)こゝろに懸(かゝ)りし、金碗(かなまり)大輔(だいすけ)ならんとは。渠(かれ)(さわ)ぎたるおもゝちにて、姫(ひめ)を呼活(よびいけ)(て)を盡(つく)す、療養(りやうよう)(つひ)に届(とゞか)ずして、自殺(じさつ)の覚期(かくご)は野心(やしん)もて、姫(ひめ)を殺(ころ)せしものならず、と思ひにければ呼(よび)とめたり。汝(なんぢ)みづから思惟(おもひみ)よ。犬(いぬ)を殺(ころ)して伏姫(ふせひめ)を、すくひとらるゝものならは、義実(よしさね)こよなき恥(はぢ)を忍(しの)び、最愛(さいあい)の女児(むすめ)をすてゝ、けふまで汝(なんぢ)が手(て)をまたんや。賞罰(せうばつ)は政(まつりごと)の樞機(すうき)也。言(こと)一トたび出(いづ)るときは、駟(よつのうま)も舌(した)に及(およば)ず。戯言(けげん)といへども八房(やつふさ)に、われ伏姫(ふせひめ)を許(ゆる)したり。この一言(ひとこと)にて剛敵(ごうてき)(ほろ)び、四(よつ)の郡(こふり)は義実(よしさね)が、掌(たなそこ)に入りし事、只(たゞ)八房(やつふさ)が大功(たいこう)なれば、われも前諾(ぜんだく)を変(か)ふるに由(よし)なく、姫(ひめ)も亦(また)これを固辞(いろ)はず、そがまゝ犬(いぬ)に伴(ともなは)れ、蹟(あと)を深山(みやま)に住(とゞ)むといへども、幸(さち)にして穢(けが)されず、一念(いちねん)読經(どきやう)の功力(くりき)によりて、八房(やつふさ)さへに菩提(ぼだい)に入りぬ。渠(かれ)が婬欲(いんよく)なきを見て、伏姫(ふせひめ)これを憐(あはれめ)り。憐(あはれ)ふ心深(こゝろふか)くして、しらずしてその氣(き)を感(かん)じ、有身(みごも)れることいよ/\竒(き)なり。今(いま)その筆(ふで)の迹(あと)を見て、この禍(わざはひ)の胎(な)るところ、因果(いんぐわ)の道理(どうり)を知覚(ちけう)せり。われ當國(たうこく)に義兵(ぎへい)を揚(あげ)て、山下(やました)定包(さだかね)を討(うち)しとき、その妻(つま)玉梓(たまつさ)を生拘(いけどり)つ。陳謝(ちんじや)(ことわ)りあるに似(に)たれば、赦(ゆる)し得(え)させんといひつるを、大輔(だいすけ)が父(ちゝ)八郎(はちらう)孝吉(たかよし)、いたく諫(いさめ)て頭(かうべ)を刎(はね)たり。これによりてその冤魂(ゑんこん)、わが主従(しゆう/\)に祟(たゝり)をなす歟(か)、とはじめて心(こゝろ)つきたりしは、金碗(かなまり)孝吉(たかよし)が自殺(じさつ)のとき、朦朧(もうろう)として女(をんな)の姿(すがた)、わが眼(まなこ)に遮(さへぎ)りにき。かくてかの玉梓(たまつさ)が、うらみはこゝに〓(あきた)らず、八房(やつふさ)の犬(いぬ)と生(なり)かはりて、伏姫(ふせひめ)を將(い)て、深山邊(みやまべ)に、隱(かく)れて親(おや)に物(もの)をおもはせ、伏姫(ふせひめ)は、又思ひかけなき、八郎(はちらう)が子(こ)に撃(うた)れたり。加以(これのみならで)大輔(だいすけ)は、罪(つみ)なうして亡命(ぼうめい)し、忠義(ちうぎ)によつて罪(つみ)を獲(え)たり。皆(みな)(これ)因果(いんくわ)の係(かゝ)るところ、縁故(ことのもと)を推(おす)ときは、ひとり義実(よしさね)が愆(あやまち)より起(おこ)れり。物(もの)がいはせて八房(やつふさ)に、伏姫(ふせひめ)を許(ゆる)せしは、赦(ゆる)すまじき玉梓(たまつさ)を、助(たすけ)んといひし口(くち)の過(とが)、言葉(ことば)の露(つゆ)は末(すゑ)(つひ)に、この渓澗(たにかは)に落(おち)あふて、くるしき山(やま)に生死(いきしに)の、海(うみ)を見るこそ悲(かな)しけれ。さりとて歎(なげ)くは詮(せん)なき事なり。神霊(しんれい)に正(せい)あり邪(じや)あり。神(かみ)の怒(いか)るを罰(ばつ)といひ、鬼(おに)の怒(いか)るを祟(たゝり)といふ。彼(かの)玉梓(たまつさ)は悪霊(あくれう)なり。伏姫(ふせひめ)が死(し)は祟(たゝり)なり。大輔(だいすけ)さへに脱(まぬか)れず、不憶(ゆくりなく)(つみ)を得(え)たり。寔(まこと)に故(ゆゑ)ある事なれば、憾(うら)みなせそ」と身(み)を譴(せめ)て、いと叮嚀(ねんころ)に諭(さと)し給ふ。
 叡智(えいち)に感(かん)じて孝徳(たかのり)は、思はずも小膝(こひざ)を進(すゝ)め、「御諚(ごでふ)によつて父(ちゝ)が自殺(じさつ)も、身(み)の薄命(はくめい)を暁(さと)るに足(た)れり。しかれども猶(なほ)(うたが)ひあり。八房(やつふさ)すでに菩提(ぼだい)に入(い)らば、悪霊(あくれう)(たゝり)をなすべからず。君(きみ)は權者(ごんしや)の示現(じげん)によりて、姫(ひめ)うへを訪(とは)せ給へば、縦(たとひ)定業(じやうごう)にましますとも、神仏(かみほとけ)のちからをもて、けふ一チ日は恙(つゝが)なく、姫(ひめ)うへこゝに在(ゐま)すべきに、御(ご)登山(とさん)その甲斐(かひ)なき事は、いかなる故(ゆゑ)に候はん」と問(とひ)(たてまつ)れば、貞行(さだゆき)も、小膝(こひざ)を拍(うつ)て、側(かたへ)より、「大輔(だいすけ)微妙(いみじく)申シたり。わが君(きみ)のみにましまさず。一卜日(ひ)も晴(はれ)ぬ川霧(かはきり)の、忽地(たちまち)(は)れしは和殿(わどの)がうへにも、神佛(かみほとけ)の冥助(めうぢよ)あるに似(に)て、その実(じつ)はみな非(ひ)なり。これらの事は某(それがし)も、こゝろ得(え)がたく候」と真実(まめ)だちて申スにぞ、義實(よしさね)朝臣(あそん)うち点頭(うなつき)、「われも亦(また)(かみ)ならねば、定(さだ)かに思ひ辨(わきまへ)ねども、禍福(くわふく)は糾(あざなへ)る纏(なわ)の如(こと)し。人(ひと)の命(いのち)は天(てん)に係(かゝ)れり。われこの山(やま)に到(いたら)ずして、伏姫(ふせひめ)むなしくならんには、渠(かれ)(たゞ)(いぬ)の妻(つま)といはれん。則(すなはち)(ひめ)が節操(せつそう)徳義(とくぎ)と、八房(やつふさ)が菩提(ぼだい)に入りしを、親(おや)にも世(よ)にもしらせんとて、權者(ごんしや)の導(みちび)き給ふなるべし。然(さ)あらんには玉蜻(かぎろひ)の息(いき)あるうちにあはずとも、その甲斐(かひ)なしといふべからず。又(また)川霧(かはきり)の晴間(はれま)なくて、伏姫(ふせひめ)も八房(やつふさ)も、大輔(だいすけ)に撃(すた)れすは、共(とも)にこの川(かは)の水屑(みくず)となりなん。縦(たとひ)遺書(かきおき)ありといふとも、しらざるものは情死(ぜうし)といはん歟(か)。さては遺恨(いこん)の事ならずや。今(いま)さらいふべき事ならねども、大輔(だいすけ)が父(ちゝ)八郎(はちらう)は、功(こう)ありながら賞(せう)を受(うけ)ず、自殺(じさつ)せし事(こと)不便(ふびん)也。いかでその子(こ)をとり立(たて)て、東條(とうでふ)の城主(じやうしゆ)にせん、伏姫(ふせひめ)をもて妻(めあは)せん、と思ふ折(をり)から大輔(だいすけ)は、使(つかひ)して遂(つひ)にかへらず。伏姫(ふせひめ)は八房(やつふさ)に伴(ともなは)れて深山(みやま)に入りぬ。こゝに至(いたつ)りて予(よ)が宿念(しゆくねん)、画餅(ぐわべい)となりていとゞしく、こゝろに愧(はづ)ること夛(おほ)かり、この婚縁(こんえん)は明々地(いさゝめ)に、とり結(むすべ)るにあらねども、親(おや)が心(こゝろ)に許(ゆる)せしかは、伏姫(ふせひめ)に示(しめ)したる、神童(かんわらは)が言葉(ことば)にも、親(おや)と夫(をとこ)にあはんといひけん、夫(をとこ)は汝(なんぢ)をいふなるべし。かゝる故(ゆゑ)に姫(ひめ)と犬(いぬ)とを、大輔(だいすけ)に撃(うた)し給ふ歟(か)。則(すなはち)權者(ごんしや)大方便(だいほうべん)の妙所(めうしよ)といはんもいとかしこし。因縁(いんえん)かくの如(ごと)くならは、誰(たれ)をか咎(とがめ)、誰(たれ)をか恨(うらみ)ん。弦(つる)(つよ)ければ、かならず弛(ゆる)む、物(もの)(きわま)れば、かならず休(やむ)。今(いま)よりしてわが家(いへ)に、霊(れう)の障礙(せうげ)はあるべからず、子孫(しそん)ます/\繁昌(はんぜう)せん歟(か)。さは思はずや」と諭(さと)し給へは、貞行(さだゆき)も孝徳(たかのり)も、疑念(ぎねん)は春(はる)の氷(こふり)のごとく、觧(とけ)て落涙(らくるい)したりけり。
 且(しばらく)して孝徳(たかのり)は、襟(えり)かき合(あは)せ、形(かたち)を改(あらた)め、「冥加(めうが)に餘(あま)る君(きみ)の高恩(こうおん)、御(ご)胸中(きやうちう)に秘(ひめ)させ給ひし、婚縁(こんえん)の事などは、うけ給はらんも物体(もつたい)なし。固(もと)よりしらぬことながら、こゝろありて姫(ひめ)うへを、救(すく)ひとらんとせしこともや、と後(のち)にぞ人(ひと)はいふべからん。只(たゞ)(すみやか)に某(それがし)が頭(かうべ)を刎(はね)させ給へかし」と又(また)他事(たじ)もなく申けり。義実(よしさね)これを聞(きゝ)あへず、「そは勿論(もちろん)の事ぞかし。さりながら、心(こゝろ)をつけてつら/\見るに、伏姫(ふせひめ)が痍(て)はいと淺(あさ)かり、もし甦生(そせい)する事あらは、汝(なんぢ)を殺(ころ)すも早(はや)からずや。われ熟(つら/\)この珠数(ずゞ)を見るに、如是(によぜ)畜生(ちくせう)云云(しか/\)の一句(いつく)はさらにはじめにかへりて、仁義(じんぎ)八行(はつこう)を示(しめ)すものから、靈驗(れいげん)は失(うす)べからず。尓(しか)るに姫(ひめ)が倒(たふ)るゝとき、この珠数(ずゞ)その身(み)を離(はな)れしかは、浅痍(あさで)なれども絶入(たえいり)けん。渠(かれ)は穉(をさな)き時(とき)よりして、この珠数(ずゞ)をもて安危(あんき)を知(し)れり。縦(たとひ)命数(めいすう)(つく)るとも、祈(いの)らば利益(りやく)なきことあらんや。縡(こと)(かなは)ずは是非(ぜひ)もなし。かくてや已(やま)ん」と鞆(つか)に掛(かけ)たる、珠数(ずゞ)とりあげて額(ひたひ)におし當(あて)、且(しばら)く念(ねん)じて伏姫(ふせひめ)の襟(えり)に手(て)つから掛(かけ)給へば、貞行(さだゆき)孝徳(たかのり)左右(さゆう)より、むなしき骸(から)を抱起(いだきおこ)し、役行者(えんのぎやうじや)の名号(みな)を唱(となへ)て、只顧(ひたすら)祈念(きねん)する程(ほど)に、伏姫(ふせひめ)忽地(たちまち)(め)を〓(みひら)きて、一息(ひといき)(ほつ)とつき給へば、貞行(さだゆき)孝徳(たかのり)歡喜(くわんき)に堪(たへ)ず、「姫(ひめ)うへ御(み)こゝろつかせ給ふ歟(か)。蔵人(くらんど)にて候ぞ。大輔(だいすけ)にて候ぞ。おん父君(ちゝきみ)もわたらせ給ひぬ。おん心持(こゝち)はいかに候ぞや」ととはれて左右(さゆう)を見かへりつゝ、取(と)られたる手(て)をふり放(はな)ち、諸(もろ)(そで)(かほ)におし當(あて)て、只(たゞ)潜然(さめ/\)と泣(なき)給ふ。現(げに)(ことわ)り、と義実(よしさね)は、間近(まちか)く寄(より)て袖(そで)引揺(ひきうごか)し、「伏姫(ふせひめ)さのみ愧(はぢ)給ふな。こゝには主従(しゆう/\)三人(みたり)のみ。従者(ともひと)(ら)はみな麓(ふもと)に在(あ)り。此度(こだみ)(はゝ)の願(ねがひ)によりて、義実(よしさね)みづから來(き)つる事、一朝(いつちやう)の議(ぎ)にあらず。權者(ごんしや)の示現(じげん)によるもの也。おん身がうへ、又(また)八房(やつふさ)が事さへに、遺書(のこせしふみ)を見てしれり。尓(しか)るに金碗(かなまり)大輔(だいすけ)は、去歳(こぞ)より上総(かつさ)のかたにをり、おん身(み)がうへを傳(つたへ)(きゝ)て、弱冠(わかうど)の一トすぢごゝろに、縡(こと)の顛末(もとすゑ)(とひ)も定(さだ)めず、おん身(み)を救(すく)ひとらんとて、われより先(さき)にこの山(やま)に、潜(しの)び入(いり)つゝ八房(やつふさ)を、撃倒(うちたふ)したる丸(たま)(ぬけ)て、おん身(み)も浅痍(あさで)を負(おひ)給へり。八房(やつふさ)が死(し)は不便(ふびん)なれども、大輔(だいすけ)に撃(うた)れし事、是(これ)(また)因縁(いんえん)なきにあらず。渠(かれ)はわがこゝろひとつに、女壻(むこ)にせばやと思ひしもの也。さればこそ、書(かき)(のこ)されし、神童(かんわらは)が言葉(ことば)にも、親(おや)と夫(をとこ)にあふよしをいはずや。枉(まげ)て滝田(たきた)へ立(たち)かへり、病〓(やみさらば)ひし母(はゝ)がこゝろを、慰(なぐさ)め給へ。やよ伏姫(ふせひめ)」と理(ことわ)り切(せめ)て諭(さと)し給へは、貞行(さだゆき)(ら)もろともに、「御(ご)帰舘(きくわん)の事勿論(もちろん)也。一旦(いつたん)の義(ぎ)によりて、八房(やつふさ)に伴(ともなは)れ、一年(ひとゝせ)あまりこの山(やま)に隱(こも)り給へば、その事(こと)(はて)たり。よしや是(これ)より遁世(とんせい)の、おん志(こゝろさし)ふかくとも、御(ご)孝行(こう/\)にはかえがたけん。かへらせ給へ」とこしらへつ、賺(すか)しつ剿(いたは)り奉(たてまつ)れば、伏姫(ふせひめ)は涌(わき)かへる、涙(なみだ)をしば/\押拭(おしぬぐ)ひ、「舊(もと)の身(み)にしてあるならば、親(おや)のみづから迎(むか)へ給ふ、仰(おふせ)を背(そむ)き侍(はべ)らんや。かくまで過世(すくせ)あし引(びき)の山(やま)の獣(けもの)に異(こと)ならで。火鉋(たま)に打(うた)れて身(み)を終(をは)りなば、人(ひと)なみ/\に外(はづ)れたる、罪(つみ)(ほろぼ)しに侍(はべ)らんに、それもかなはずはづかしき、この形容(ありさま)を親(おや)に見せ、人(ひと)に見られて阿容(おめ)(/\)々と、いづれの里(さと)へかへらるべき。餌(ゑ)に啼(な)く鳥(とり)の巣(す)だちせず、片羽(かたは)なる子(こ)は可愛(かわい)さも、八(や)しほにますと鄙語(ことわざ)に、いふはまこと歟(か)(あく)までに、慈愛(めでいつくしま)せ給ふなる、家尊(かぞ)家母(いろは)のおん歎(なげ)き、譬(たとひ)ていはゞ夜(よる)の鶴(つる)、つま恋(こひ)せねどわれも又(また)、焼野(やけの)の雉子(きゞす)ひとり鳴(な)く、涙(なみだ)の雨(あめ)は沸(わき)かへり、わきかへるまで苦(くる)しき海(うみ)を、けふ脱(のが)れんと命毛(いのちけ)の、筆(ふで)に遺(のこ)せしかず/\を、何(なに)とか見させ給ひけん、火宅(くわたく)を出(いで)て煩惱(ぼんなう)の、犬(いぬ)も菩提(ぼだい)の友(とも)なれば、この身(み)は絶(たえ)て穢(けが)されず、犯(おか)されねども、山菅(やますげ)の、実(み)ならぬ身(み)さへ結(むす)びては、有無(うむ)の二ッをわれからに、决(さだ)めかねてぞ侍(はべ)るかし。又(また)(ちゝ)うへの御(み)こゝろに、そを壻(むこ)がねにと豫(かねて)より、思食(おぼしめし)たるものありとも、この期(ご)になりて云云(しか/\)と、聞(きこ)えさせ給ひては、人(ひと)も得(え)しらぬおん愆(あやまち)を、かさねさせ給ふならずや。譬(たとひ)ば金碗(かなまり)大輔(だいすけ)と、〓〓(いもせ)の因(ちなみ)なしといふとも、親(おや)のこゝろに許(ゆる)させ給ひし、夫(をとこ)に負(そむ)きて八房(やつふさ)に、伴(ともなは)れなば、をんなのうへに、こよなき不義(ふぎ)に侍(はべ)るべし。素(もと)よりわらはに壻(むこ)がねの、ありとしるべきよしもなし。わらはもしらず、渠(かれ)もしらず、君(きみ)(たゞ)ひとり知(しろし)(めさ)ば、墳(つか)に劔(つるぎ)を掛(かく)るもよしなし。又(また)八房(やつふさ)を夫(をとこ)とせば、大輔(だいすけ)はわらはが為(ため)に、こよなき讐(あた)に侍(はべ)るめり。八房(やつふさ)もわが夫(をとこ)に侍(はべ)らず、大輔(だいすけ)も亦(また)わが良人(つま)ならず。この身(み)はひとり生(うま)れ來(き)て、ひとりぞ帰(かへ)る〓出(しで)の旅(たび)、留(とゞ)め給ふはおん慈(いつくし)み、過(すぎ)てあまりに情(なさけ)なし。いともかしこし親(おや)の恩(おん)、思へば高(たか)き山斧(やまたつ)の、迎(むかへ)を推辞(いなみ)(たてまつ)るは、不孝(ふこう)のうへの不孝(ふこう)也。又あひかたき時(とき)も日(ひ)も、見かたき親(おや)のおん顔(かほ)も、見つゝしりつゝまゐらぬは、此身(このみ)に重(おも)き罪障(ざいせう)の、やるかたもなき故(ゆゑ)なれは、思ひ捨(すて)させ給へかし。これらのよしを母(はゝ)うへに、勸觧(わび)(こと)(つげ)て、百年(もゝとせ)の、おん壽(ことぶき)を願(ねが)ふのみ。とてもかくても淺(あさ)ましき、姿(すがた)を見られ奉りては、亡骸(なきから)かくすも無益(むやく)なり。孕婦(はらみをんな)の新鬼(にひおに)は、みな血盆(ちのいけ)に沈(しづ)むといふ。それも脱(のが)れぬ業報(ごうほう)ならは、厭(いと)ふも甲斐(かひ)なきことながら、その父(ちゝ)なくてあやしくも、宿(やど)れる胤(たね)をひらかずは、おのが惑(まよ)ひも、人々(ひと/\)の、疑(うたが)ひも又いつか觧(とく)べき。これ見給へ」と臂(ひぢ)ちかなる、護身刀(まもりかたな)を引抜(ひきぬき)て、腹(はら)へぐさと突立(つきたて)て、真(ま)一文字(いちもんじ)に掻切(かききり)給へば、あやしむべし瘡口(きずくち)より、一朶(いちだ)の白気(はくき)(ひらめ)き出(いで)、襟(えり)に掛(かけ)させ給ひたる、彼(かの)水晶(すいせう)の珠数(ずゞ)をつゝみて、
【挿絵】「肚(はら)を裂(さき)て伏姫(ふせひめ)八犬子(はつけんし)を走(はし)らす」「ほり内貞行」「里見よしさね」「金鞠大すけたかのり」「伏姫」「おさめつかひ」「をとめ使」
虚空(なかそら)に升(のぼ)ると見えし、珠数(ずゞ)は忽地(たちまち)(ふつ)と断離(ちぎ)れて、その一百(いつひやく)は連(つら)ねしまゝに、地上(ちせう)へ戛(からり)と落(おち)とゞまり、空(そら)に遺(のこ)れる八(やつ)の珠(たま)は、粲然(さんぜん)として光明(ひかり)をはなち、飛遶(とびめぐ)り入紊(いりみだ)れて、赫奕(かくやく)たる光景(ありさま)は、流(なが)るゝ星(ほし)に異(こと)ならず。主従(しゆう%\)は今(いま)さらに、姫(ひめ)の自殺(じさつ)を禁(とゞ)めあへず、われにもあらで蒼天(あをぞら)を、うち仰(あほ)ぎつゝ目(め)も黒白(あや)に、あれよ/\、と見る程(ほど)に、颯(さ)と音(おと)し來(く)る山(やま)おろしの風(かぜ)のまに/\八(やつ)の霊光(ひかり)は、八方(はつほう)に散失(ちりうせ)て、跡(あと)は東(ひがし)の山(やま)の端(は)に、夕月(ゆふつき)のみぞさし昇(のぼ)る。當(まさに)(これ)数年(すねん)の後(のち)、八犬士(はつけんし)出現(しゆつげん)して、遂(つひ)に里見(さとみ)の家(いへ)に集合(つどふ)、萌芽(きさし)をこゝにひらくなるべし。かくても姫(ひめ)は深痍(ふかで)に屈(くつ)せず、飛去(とびさ)る霊光(ひかり)を目送(みおく)りて、「歡(よろこば)しやわが腹(はら)に、物(もの)がましきはなかりけり。神(かみ)の結(むす)びし腹帶(はらおび)も、疑(うたが)ひも稍(やゝ)(とけ)たれは、心(こゝろ)にかゝる雲(くも)もなし。浮世(うきよ)の月(つき)を見殘(みのこ)して、いそぐは西(にし)の天(そら)にこそ。導(みちび)き給へ弥陀仏(みだぶつ)」と唱(となへ)もあへず、手(て)も鞆(つか)も、鮮血(ちしほ)に塗(まみ)るゝ刃(やいば)を抜捨(ぬきすて)、そがまゝ〓(はた)とふし給ふ。こゝろ言葉(ことば)も女子(をなこ)には、似(に)げなきまでに逞(たくま)しき、最期(さいご)は特(こと)にあはれ也。


# 『南総里見八犬伝』第十三回 2004-09-17
# Copyright (C) 2004-2012 Gen TAKAGI
# この文書を、フリーソフトウェア財団発行の GNUフリー文書利用許諾契約書ヴァー
# ジョン1.3(もしくはそれ以降)が定める条件の下で複製、頒布、あるいは改変する
# ことを許可する。変更不可部分、及び、表・裏表紙テキストは指定しない。この利
# 用許諾契約書の複製物は「GNU フリー文書利用許諾契約書」という章に含まれる。
#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
# Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU
# Free Documentation License, Version 1.3 or any later version by the Free Software Foundation;
# A copy of the license is included in the section entitled "GNU Free Documentation License".
Lists Page