『南總里見八犬傳』第十回


 第十回(だいしうくわい) 禁(きん)を犯(おか)して孝徳(たかのり)(いつ)婦人(ふじん)を失(うしな)ふ\腹(はら)を裂(さき)て伏姫(ふせひめ)八犬子(はつけんし)を走(はし)らす

 義実(よしさね)の夫人(おくかた)五十子(いさらこ)は、八房(やつふさ)が為体(ていたらく)を、人(ひと)の告(つぐ)るに驚(おどろ)きて、裳(もすそ)を〓(かゝげ)て遽(いそがは)しく、伏姫(ふせひめ)のをはします、子舎(こざしき)へはや來(き)給ひしが、と見れば処陜(ところせき)までに、侍女(をんな)(ばら)は戸口(とぐち)にをり、治部(ぢぶ)殿(どの)〔義実(よしさね)をいふ〕もをはしませば、姫(ひめ)には恙(つゝが)なきものから、親子(おやこ)が中(なか)に犬(いぬ)を置(おき)て、問答(もんどう)の最中(もなか)也。言(こと)の葉(は)の果(はつ)るまでとて、竊聞(たちきゝ)しつゝ潜然(さめ/\)と、うち泣(なき)てゐましけり。とはしらずして侍女(をんな)(ばら)は、出(いで)てゆく犬(いぬ)におそれて、おもはず左右(さゆう)へひらきしかば、交加(ゆきかひ)の路(みち)やゝあきて、躱(かく)れ果(はつ)べうもあらざれは、走(はし)り入(い)りつゝ姫(ひめ)うへの、ほとりへ撲地(はた)と伏沈(ふししづ)み、声(こゑ)を惜(をしま)ず泣(なき)給へば、義実(よしさね)は愧(はぢ)らひて、うち見たるのみ物(もの)(のたま)はず。伏姫(ふせひめ)は母(はゝ)の背(そびら)を、拊(なで)おろし、又(また)(なで)おろし、「縁由(ことのよし)を聞召(きこしめ)せし歟(か)。おん心持(こゝろもち)はいかにぞや」と慰(なぐさ)られて、母(はゝ)うへは、頭(かうべ)を擡(もたげ)て涙(なみだ)を拭(ぬぐ)ひ、「聞(きか)ずはいかで歎(なげき)をせん。喃(なう)伏姫(ふせひめ)、よにも怜悧(さかし)くましませば、殿(との)の御諚(ごでふ)に表裏(うらうへ)なく、賞罰(せうばつ)の道(みち)(なほ)かれとて、名(な)を汚(けが)し、身(み)を捨(すて)給ふ。そは父(ちゝ)うへに孝行(こう/\)なり共、情(ぜう)に悖(もと)り、俗(よ)に背(そげ)なば、誰(たれ)かはこれを誉(ほめ)(はべ)る。凡(およそ)(いき)とし活(いけ)るもの、二親(ふたおや)ならぬもあらざるに、母(はゝ)が歎(なけ)きをおもはずや。さりとては心(こゝろ)つよし。幼稚(をさなき)ときの夛病(たびやう)なる、母(はゝ)の苦労(くろう)をやうやくに、昔(むかし)かたりになすまでに、生育(おひたち)給へば又(また)(さら)に、見増(みま)す縹致(きりやう)は、月(つき)も花(はな)も、及(およ)ばぬものをいかなれば、われからその身(み)を贄(にゑ)にして、悔(くや)しとだにもおぼさぬは、あやにまつはる物(もの)の怪(け)の、しうねき所為(わざ)に侍(はべ)るべし。やよ覚(さめ)給へ、覚(さめ)給へ。年來(としころ)(ねん)ずる神(かみ)の加護(かご)、佛(ほとけ)の利益(りやく)もなき世(よ)(か)」と、諭(さと)しつ泣(なき)つ、いとせめて、くり返(かへ)し給ふ母(はゝ)の慈悲(ぢひ)に、伏姫(ふせひめ)は堪(たへ)かねし、涙(なみだ)を袖(そで)に推包(おしつゝ)み、「しか宣(のたま)へば不孝(ふこう)の罪(つみ)、おもきが上(うへ)になほ重(おも)し。親(おや)の歎(なげ)きもかへりみず、なき後(のち)までも名(な)を汚(けが)す、それ哀(かなし)まぬに侍(はべ)らねど、命運(めいうん)の致(いた)す所(ところ)、寔(まこと)に脱(のが)れぬ業因(ごういん)と、思ひ决(さだ)めて侍(はべ)るなる。これ臠(みそなは)せ」と左手(ゆんで)に掛(かけ)たる、珠数(ずゝ)さや/\と右手(めて)に取(と)り、「わらはが幼稚(をさな)かりしとき、役行者(えんのぎやうしや)の化現(けげん)とやらん、あやしき翁(おきな)がとらせしとて、賜(たまは)りしより身(み)を放(はな)さぬ、この水晶(すいせう)の念珠(ねんじゆ)には、数(かず)とりの玉(たま)に文字(もじ)ありて、仁(じん)(ぎ)(れい)(ち)(ちう)(しん)(こう)(てい)と読(よま)れたる。この文字(もじ)は彫(ゑれ)るにあらず、又(また)(うるし)して書(かけ)るに侍(はべ)らず。自然(しぜん)と生(せう)じ見(あらは)れけん。年來(としころ)日來(ひごろ)(て)に觸(ふれ)たれども、磨滅(すれうす)ることなかりしに、景連(かげつら)が滅(ほろ)びしとき、ゆくりなく見(み)(はべ)れば、仁義(じんぎ)の八字(はちじ)は蹟(あと)なくなりて、異(こと)なる文字(もんじ)になり侍(はべ)り。この比(ころ)よりぞ八房(やつふさ)が、わらはに懸想(けさう)し侍(はべ)るになん。これ將(はた)一ッの不思議(ふしぎ)なる。過世(すくせ)に定(さだま)る業報(ごうほう)(か)、と歎(なげ)くはきのふけふのみならず、その期(ご)を俟(ま)たで死(しな)ばや、と思ひしはいくそ遍(たび)、手(て)には刃(やいば)をとりながら、否(いな)この世(よ)にして悪業(あくごう)を、滅(ほろぼ)し得(え)ずは、後(のち)の世(よ)に、浮(うか)むよすがはいつ迄(まで)も、あらしの山(やま)にちる花(はな)の、みのなる果(はて)を、神(かみ)と親(おや)とに、任(まか)せんものを、と形(あぢき)なき、浮世(うきよ)の秋(あき)にあひ侍(はべ)り。これらのよしをかしこくも、暁(さと)り給はゞおん恨(うらみ)も、忽地(たちまち)(はれ)てなか/\に、思ひ絶(たえ)させ給はなん。さても十(と)あまり七年(なゝとせ)の、おん慈愛(いつくしみ)を他(あだ)にせる、子(こ)は子(こ)にあらず前世(さきのよ)の、怨敵(おんでき)ならめ、と思食(おぼしめし)て、今(いま)目前(まのあたり)に恩義(おんぎ)を絶(たち)、御(ご)勘當(かんだう)なし給はらば、身(み)ひとつに受(うく)る恥辱(はぢ)は又(また)、生(うま)れ來(こ)ん世(よ)の為(ため)也、と墓(はか)なく頼(たの)む弥陀(みだ)西方(さいほう)。佛(ほとけ)の御手(みて)の糸薄(いとすゝき)、尾花(をばな)が下(もと)に身(み)をば置(おく)とも、竟(つひ)に悪業(あくごう)消滅(せうめつ)せば、後(うしろ)やすく果(はて)(はべ)らん。只(たゞ)(ねがは)しきはこの事のみ。是(これ)見て許(ゆる)させ給ひね」とさしよせ給ふ珠数(ずゞ)の上(うへ)に、玉(たま)なす涙(なみだ)(かず)そひて、いづれ百八煩悩(ぼんなう)の、迷(まよ)ひは觧(とけ)ぬ母君(はゝぎみ)は、疑(うたがは)しげに顔(かほ)うち熟視(まもり)、「さまでよしある事ならば、初(はじめ)より如此(しか)(/\)々、と親(おや)にはなどて告(つげ)給はぬ。什麼(そも)その珠数(ずゝ)に顕(あらは)れしは、いかなる文字(もじ)ぞ」と問(とひ)給へば、義実(よしさね)「此(これ)へ」と取(とり)よして、うち返(かへ)し/\、つく/\と見て嘆息(たんそく)し、「五十子(いさらこ)思ひ絶(たえ)給へ。仁(じん)(ぎ)(れい)(ち)の文字(もんじ)は消(きえ)て、顕(あらは)れたるは如是(によぜ)畜生(ちくせう)、發(はつ)菩提心(ぼだいしん)の八字(はちじ)なり。是(これ)によりて又(また)思ふに、八行(はつこう)五常(ごじやう)は人(ひと)にあり、菩提心(ぼだいしん)は一切衆生(いつさいしゆせう)、人畜(にんちく)ともにあらざるなし。かゝれば姫(ひめ)が業因(ごういん)も、今(いま)畜生(ちくせう)に導(みちびか)れて、菩提(ぼだい)の道(みち)へわけ入(い)らは、後(のち)の世(よ)さこそやすからめ。寔(まこと)に貧賤(ひんせん)栄辱(ゑいちよく)は、人(ひと)おの/\その果(くわ)あり。姫(ひめ)が三五の春(はる)の比(ころ)より、隣國(りんこく)の武士(ぶし)はさら也、彼此(をちこち)の大小名(だいせうめう)、或(あるひ)は身(み)の為(ため)、子(こ)の為(ため)に、婚縁(こんえん)を募(もとめ)(こ)したる、幾人(いくたり)といふ事をしらねど、われは一切(つや/\)承引(うけひか)ず。今茲(ことし)は金碗(かなまり)大輔(だいすけ)を、東條(とうでふ)の城主(ぜうしゆ)にして、伏姫(ふせひめ)を妻(めあは)せて、功(こう)ありながら賞(せう)を辞(ぢ)し、自殺(じさつ)したる、孝吉(たかよし)に、酬(むくは)ばや、と思ひつゝ、言(こと)過失(あやまち)て畜生(ちくせう)に、愛女(あいぢよ)を許(ゆる)すも、業(ごう)なり因(いん)なり。五十子(いさらこ)は義実(よしさね)を、うらめしとのみ思ひ給はん。只(たゞ)この珠数(ずゝ)の文字(もじ)を見て、みづから覚(さと)り給ひね」と叮嚀(ねんごろ)に慰(なぐさ)めて、説(とき)あかし給へども、晴(はれ)ぬは袖(そで)の雨催(あまもよ)ひ、声(こゑ)(くも)らして泣(なき)給ふ。
 かくてあるべきことならねば、伏姫(ふせひめ)は今宵(こよひ)(いで)んと、その准備(ようゐ)をぞいそがし給ふ。しかれども「生(いき)てよに、かへり來(こ)んこと思ひもかけず。只(たゞ)この儘(まゝ)に」と宣(のたま)ひて、玉掻頭(たまのかんさし)とり捨(すて)て、白小袖(しろこそで)のみ襲被(かさねき)て、件(くだん)の珠数(ずゝ)を衣領(えり)に掛(かけ)、料紙(れうし)一具(いちぐ)と法華経(ほけきやう)一部(いちふ)、外(ほか)には物(もの)を持(もた)せ給はず。おん送(おく)りの徒者(ずさ▼トモヒト)なども、かたく辞(いろ)ひて倶(ぐ)し給はず。まだ何処(いづこ)とはしらねども、八房(やつふさ)がゆく隨意(まに/\)、いゆきて留(とゝま)る所(ところ)こそ、わが死(しに)ところなるべけれ。彼(かれ)もしこゝを立(たち)も去(さ)らずは、今宵(こよひ)を過(すぐ)さぬ、命(いのち)ぞ、と思ひ决(さだ)めて出(いで)給ふ、時(とき)はや黄昏(たそがれ)(ちか)かるべし。さればおん母(はゝ)五十子(いさらこ)は、いとゞ別(わかれ)の惜(をし)ければ、立(たゝ)まくし給ふ袂(たもと)を掖(ひき)とめ、哽(むせ)かへりつゝ泣(なき)給へば、年來(としころ)使(つかは)れ奉(たてまつ)る、侍女(をんな)(ばら)も是首(ここ)彼首(かしこ)に、泣倒(なきたふ)れ伏沈(ふししづ)み、物(もの)の要(えう)には立(たつ)ものなし。
 さる程(ほど)に伏姫(ふせひめ)は、共(とも)に消(きえ)なん露霜(つゆしも)に、袖(そで)ぬらさじ、と村肝(むらきも)の、こゝろつよげに母君(はゝきみ)を、慰(なぐさ)めて別(わかれ)を告(つげ)、侍女(をんな)(ばら)に送(おく)られて、外面(とのかた)へ出(いで)給へば、日(ひ)ははや暮(くれ)て後園(おくには)の、樹間(このま)(も)る月(つき)さやかなり。既(すで)にして八房(やつふさ)は、縁頬(えんかわ)の下(もと)にをり。姫(ひめ)うへの出(いで)させ給ふを、已前(さき)よりこゝに待(まつ)なるべし。
 當下(そのとき)(ひめ)は彼(かの)(いぬ)の、ほとり近(ちか)くうち對(むか)ひ、「やよ八房(やつふさ)(か)、うけたまはれ。人(ひと)に貴賤(きせん)の差別(けぢめ)あり。婚縁(こんえん)はその分(ぶん)に隨(したが)ひ、みな類(るい)をもて友(とも)とせり。かゝれば下(しも)の下(しも)ざまなる、穢夛(えとり)乞児(かたゐ)といふといへども、畜生(ちくせう)を良人(をつと)とし、妻(つま)とせらるゝ例(ためし)を聞(きか)ず。况(まい)てや吾儕(わなみ)は國主(こくしゆ)の女児(むすめ)、平人(たゞうと)の婦(め)となるべからず。さるを今(いま)畜生(ちくせう)に、身(み)を棄(すて)、命(いのち)をとらする事、前世(さきつよ)の業報(ごうほう)(か)。併(しかしながら)嚴君(ちゝぎみ)の、御(ご)(でふ)(おも)きによつて也。これらのよしを辨(わきま)へず、情欲(ぜうよく)を遂(とげ)んとならば、わが懐劍(くわいけん)こゝにあり。汝(なんぢ)を殺(ころ)して自害(じがい)せん。又(また)一旦(いつたん)の義(ぎ)を以(もつて)、偏(ひとへ)に吾儕(わなみ)を伴(ともな)ふとも、人畜(にんちく)異類(ゐるい)の境界(さかひ)を辨(わきま)へ、恋慕(れんぼ)の欲(よく)を断(たつ)ならば、汝(なんぢ)は則(すなはち)わが為(ため)に、菩提(ぼだい)の郷導人(みちびきびと)なるべし。然(さ)るときは汝(なんぢ)が隨意(まに/\)、何地(いづち)までも伴(ともなは)れん。いかにやいかに」と懐劍(くわいけん)を、逆手(さかて)に取(とり)て問詰(とひつめ)給へば、犬(いぬ)はこゝろを得(え)たりけん、いとうれはしきおもゝちなりしが、忽地(たちまち)に頭(かうべ)を挙(もたげ)、姫(ひめ)うへを見て、長吠(ながぼえ)して、蒼天(あをそら)をうち仰(あふ)ぎ、誓(ちか)ふが如(ごと)き形勢(ありさま)に、伏姫(ふせひめ)は刃(やいば)をおさめ、「しからは出(いで)よ」と宣(のたま)へば、八房(やつふさ)は先(さき)に立(たち)て、折戸(をりど)、中門(ちうもん)、西(にし)の門(もん)、うち踰(こえ)うち越(こえ)ゆく程(ほど)に、姫(ひめ)はそが後(しり)に跟(つき)て、徐(しづか)に歩行(ひろは)せ給ふにぞ、跡(あと)には母君(はゝきみ)女房(にようばう)(たち)が、よゝとなく声(こゑ)(きこ)えつゝ、義実(よしさね)も遠外(とほよそ)に、霎時(しばし)目送(みおく)り給ひける。彼(かの)昭君(せうくん)が胡國(えびす)に嫁(よめ)りし、恨(うらみ)にもいやまして、いともあやしき別離(べつり)の情(ぜう)、あはれといふも疎(おろか)なるべし。
 扨(さて)も伏姫(ふせひめ)は、豫(かね)て送(おく)りの従者(ともびと)を、かたく辞(いろは)せ給ひしかども、義実(よしさね)も五十子(いさらこ)も、路次(ろぢ)の程(ほど)(こゝろ)もとなし、見えかくれに見て來(こ)よとて、蜑崎(あまさき)十郎輝武(てるたけ)に、壮士(ますらを)(あまた)(つけ)させ給ひて、竊(ひそか)に遣(つかは)し給ひけり。件(くだん)の蜑崎(あまさき)輝武(てるたけ)は、原(もと)東條(とうでふ)の郷士(ごうし)也。曩(さき)に杉倉(すぎくら)氏元(うぢもと)が手(て)に属(つき)て、麻呂(まろの)信時(のぶとき)が頸(くび)(とつ)てまゐらせたる、軍功(ぐんこう)を賞(せう)せられ、瀧田(たきた)へ召(めさ)れて、義実(よしさね)の、ほとり近(ちか)く使(つかは)れて、はや年來(としころ)になりしかば、義実(よしさね)これを擇出(えらみいだ)して、倶(とも)には立(たゝ)せ給ひし也。さる程(ほど)に輝武(てるたけ)は、馬(うま)にうち跨(のり)、夥兵(くみこ)を將(い)て、一町(いつちやう)(ばかり)(おく)れつゝ、おん跡(あと)を跟(つけ)てゆくに、八房(やつふさ)は瀧田(たきた)の城(しろ)を、出(いで)はなるゝとそが侭(まゝ)に、姫(ひめ)を背中(せなか)に乗(の)せまゐらせ、府中(ふちう)のかたへ走(はし)る事、飛鳥(とぶとり)よりもなほはやかり。輝武(てるたけ)は後(おく)れじ、と頻(しきり)に馬(うま)に鞭(むち)を當(あて)、夥兵(くみこ)(ら)は喘々(あへぎ/\)、汗(あせ)もしとゝに追(お)ふ程(ほど)に、はや幾(いくばく)の道(みち)を來(き)て、犬懸(いぬかけ)の里(さと)に至(いた)れば、夥兵(くみこ)(ら)は遥(はるか)に後(おく)れて、輝武(てるたけ)に従(したが)ふもの、一両人(いちりやうにん)には過(すぎ)ざれども、馬(うま)は逸物(いちもつ)乗人(のりて)は達者(たつしや)、いかで往方(ゆくへ)を失(うしな)はじとて、終夜(よもすがら)(はし)りつゝ、來(く)ともしらずその暁(あけ)がたに、富山(とやま)の奥(おく)へわけ入りつ。
 抑(そも/\)富山(とやま)は安房國(あはのくに)、第一(だいゝち)の高峯(たかね)にて、伊与嶽(いよがたけ)と伯仲(はくちう)す。その巓(いたゞき)に攀登(よぢのぼ)れば、那古(なこ)洲崎(すさき)七浦(なゝうら)に、浪(なみ)のよるさへ見ゆるといふ。山中(さんちう)すべて人家(ひとざと)なく、巨樹(こじゆ)(えだ)を垂(た)れていと暗(くら)く、荊棘(けいきよく)樵夫(きこり)の道(みち)を埋(うづめ)て、苔(こけ)(なめらか)に、霧(きり)(ふか)し。かくて十郎輝武(てるたけ)は、山路(やまぢ)に馬(うま)を乗倒(のりたふ)して、われと夥兵(くみこ)と僅(はつか)に二人(ン)、息吻(いきつぎ)あへず攀登(よぢのぼ)る。山(やま)(また)(やま)に雲(くも)おさまりて、迥(はるか)に彼方(かなた)を向上(みあぐ)れば、伏姫(ふせひめ)は経(けう)を背負(せおひ)、料紙(れうし)(すゞり)を膝(ひざ)に乗(のし)て、八房(やつふさ)が背(せ)に尻(しり)を掛(かけ)、はや谷川(たにかは)をうちわたして、なほ山(やま)ふかく入(い)り給ふ。輝武(てるたけ)(ら)は辛(からう)じて、川(かは)のほとりに來(き)にけれども、水(みづ)ふかく、流(なが)れはやくて、わたすべうもあらざンめり。「はる/\來(き)つる甲斐(かひ)もなく、川(かは)一條(ひとすぢ)に禁(とゞめ)られて、おん往方(ゆくへ)を見究(みきわめ)ず、こゝよりかへることやある。瀬踏(せぶみ)をせん」と輝武(てるたけ)は、遽(いそがは)しくをり立(たち)て、杖(つゑ)をちからに渉(わた)しもあへず、横(よこ)ざまに推倒(おしたふ)されて、一声(ひとこゑ)(あな)と叫(さけ)びつゝ、石(いし)に頭(かうべ)をうち碎(くだか)れ、漲(みなぎ)りおとす水(みづ)のまに/\、骸(から)もとゞめずなりにけり。
 扨(さて)も蜑崎(あまさき)輝武(てるたけ)は、海辺(かいへん)に人(ひと)となりて、水煉(すいれん)の達者(たつしや)なりしに、斯(かう)(はか)なくも流(なが)されたる。これさへに怪(あや)しとて、夥兵(くみこ)は坐(そゞろ)に舌(した)を掉(ふる)ひて、軈(やが)て麓(ふもと)へ立(たち)かへり、後(おく)れたるもの諸(もろ)ともに、次(つぐ)の日(ひ)の夜(よ)をこめて、瀧田(たきた)の城(しろ)へかへり参(まゐ)り、縡(こと)の趣(おもむき)をまうしてけれは、義実(よしさね)委細(つばら)に聞召(きこしめし)て、再(かさね)て人(ひと)を遣(つかは)し給はず。只(たゞ)國中(こくちう)へ徇(ふれ)しらして、樵夫(きこり)炭焼(すみやき)の翁(おきな)といふとも、富山(とやま)へ登(のぼ)ることを許(ゆる)さず。「もし彼(かの)(やま)へ入(い)るものあらば、必(かならず)死刑(しけい)に行(おこなは)ん」とて、嚴重(げんぢう)に掟(おきて)させ、又(また)蜑崎(あまさき)輝武(てるたけ)が、枉死(わうし)をふかく悼(いたみ)おぼして、その子(こ)どもを召出(めしいだ)し、形(かた)のごとくにぞ使(つかは)せ給ふ。
 かゝりけれども五十子(いさらこ)は、伏姫(ふせひめ)の事とにかくに、日(ひ)にまして忘(わす)れかたければ、「行者(ぎやうじや)の石窟(いはや)へ代参(だいさん)」といひこしらへ、月毎(つきごと)に老女(ろうぢよ)(ら)を、竊(ひそか)に富山(とやま)へ遣(つかは)して、彼(かの)おん所在(ありか)をたづねさせ、安否(あんひ)をしらまく思ひ給へど、蜑崎(あまさき)輝武(てるたけ)が推(おし)ながされたる、彼(かの)山川(やまかは)よりあなたへは、おそれて渉(わた)すものもなし。固(もと)より川(かは)の向(むか)ひには、常(つね)に雲霧(くもきり)(たち)こめて、見渡(みわたす)よしもなかりしかば、老女(ろうぢよ)(ら)はいたつらに、ゆきてはかへるとし波(なみ)や、早(はや)暮月(むかはり)になりにけり。
 不題(こゝにまた)金碗(かなまり)大輔(だいすけ)孝徳(たかのり)は、曩(さき)に安西(あんさい)景連(かげつら)に出抜(だしぬか)れて、敵(てき)はや瀧田(たきた)を囲(かこ)むをしらず、僅(はつか)に暁(さと)りて走還(はしりかへ)る、途(みち)に訥平(とつへい)(ら)に追(おひ)とめられて、夛勢(たせい)を敵手(あひて)に血戦(けつせん)し、従者(ともひと)(ら)は皆(みな)(うた)せたれども、わが身(み)ひとつは虎口(こゝう)を脱(のが)れて、やうやく瀧田(たきた)へ立(たち)かへるに、安西(あんさい)が大軍(たいぐん)充満(みち/\)て、はや攻囲(せめかこ)む最中(もなか)なれば、城(しろ)に入(い)ること竟(つひ)にかなはず。せめて堀内(ほりうち)貞行(さだゆき)に、一臂(いつひ)の力(ちから)を戮(あは)せんとて、東條(とうでふ)へ走(はし)りゆくに、彼処(かしこ)も蕪戸(かぶと)訥平(とつへい)(ら)が大軍(たいぐん)に囲(かこま)れて、篭中(こちう)の鳥(とり)に異(こと)ならねば、輒(たやす)く城(しろ)へ入(い)るべうもあらず。「かくぞとしらば瀧田(たきた)にて、一騎(いつき)なりとも敵(てき)を撃(うち)とり、城(しろ)の橋(はし)を枕(まくら)にして、討死(うちじに)をすべかりしに、今(いま)は悔(くへ)どもその甲斐(かひ)なし。大事(だいじ)のおん使(つかひ)を為損(しぞん)して、剰(あまさへ)主君(しゆくん)の先途(せんど)に得立(えたゝ)ず。よしや両城(りやうぜう)の囲(かこみ)(とけ)て、君(きみ)(つゝが)なくましますとも、そのとき何(なに)の面目(めんもく)ありて、見参(げんざん)に入(い)らるべき。蕪戸(かぶと)が陣(ぢん)へかけ入(いり)て、戦死(きりしに)せん」と只管(ひたすら)に、早(はや)るをみづから推鎮(おししづ)めて、やゝ思ひかへすやう、わが身(み)ひとつをもて、数百騎(すひやくき)なる、敵軍(てきぐん)へかけ向(むか)はゞ、鶏卵(とりのこ)をもて石(いし)を壓(お)す、それよりもなほ墓(はか)なき所行(わざ)也。命(いのち)を捨(すて)ても敵(てき)に損(そん)なく、躬方(みかた)に益(ゑき)なき事なれは、是彼(これかれ)(もつて)不忠(ふちう)なるべし。両城(りやうぜう)(もと)より兵粮(ひやうろう)(とも)し。鎌倉(かまくら)へ推参(すいさん)して、成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)へ急(きう)を告(つげ)、援兵(ゑんへい)を乞催(こひもよほ)して、敵(てき)を拂(はら)ひ、厄(やく)を釋(とか)ば、わが誤(あやまち)を申シ寛(なだむ)る、因(よす)がもこれにますものあらじ。速(すみやか)に鎌倉(かまくら)へ、赴(おもむか)ばや、と尋思(しあん)しつ、白濱(しらはま)より便舩(びんせん)して、日(ひ)ならず管領(くわんれい)の御所(ごしよ)へ参著(さんちやく)し、義実(よしさね)の使者(ししや)と稱(せう)して、來由(らいゆ)を説(とき)、急(きう)を告(つげ)、をさ/\救(すく)ひを乞(こひ)まうせども、義実(よしさね)の書翰(しよかん)なければ、狐疑(こぎ)せられて事(こと)(とゝのは)ず。又(また)いたづらに日(ひ)を過(すぐ)す。甲斐(かひ)なく安房(あは)へ立(たち)かへれば、景連(かげつら)ははや滅(ほろ)びて、一國(いつこく)(すで)に平均(へいきん)せり。あな歡(よろこば)し、と思ふにも、いよ/\帰参(きさん)の便(たより)はなし。さりとて今(いま)さら腹(はら)も切(き)られず、時節(じせつ)を俟(まち)てこの條(くだり)の、懈怠(おこたり)を勸觧(わび)(たてまつ)らん、それまでの隱宅(かくれが)にとて、舊里(ふるさと)なれば上総(かつさ)なる、天羽(あまは)の関村(せきむら)へ赴(おもむき)て、外祖(おほぢ)一作(いつさく)が親族(しんぞく)なる、百姓(ひやくせう)某甲(なにがし)が家(いへ)に身(み)を寓(よ)せ、一年(ひとゝせ)あまりをる程(ほど)に、伏姫(ふせひめ)の事仄(ほのか)に聞(きこ)えて、「八房(やつふさ)の犬(いぬ)に伴(ともなは)れ、富山(とやま)の奥(おく)へ入(い)り給ひしより、安危(あんき)存亡(そんぼう)(さだ)かならず。
【挿絵】「一言(いちごん)(まこと)を守(まもつ)て伏姫(ふせひめ)深山(しんさん)に畜生(ちくせう)に伴(ともな)はる」「金まり大すけ」「伏姫」「やつふさ」
この故(ゆゑ)に母君(はゝきみ)は、おん物(もの)思ひ日(ひ)にそひて、長(なが)き病著(いたつき)に臥(ふし)給ふ」と告(つぐ)るものありしかば、大輔(だいすけ)(きゝ)てうち驚(おどろ)き、君(きみ)失言(あやまたせ)給ふとも、正(まさ)しく貴人(きにん)の息女(そくぢよ)として、畜生(ちくせう)に伴(ともなは)れ、こゝらの人(ひと)の口(くち)の外(は)に、かゝり給ふはいと朽(くち)をし。件(くだん)の犬(いぬ)に靈(れう)(つき)て、神通(じんつう)を得(え)たり共、撃(うつ)にかたきことやある。われ彼(かの)(やま)にわけ登(のぼ)り、八房(やつふさ)の犬(いぬ)を殺(ころ)して、姫君(ひめきみ)を倶(ぐ)し奉(たてまつ)り、瀧田(たきた)へかへし入(い)れ奉(たてまつ)らは、賠話(わび)ずともわが先非(せんひ)を、ゆるされん事疑(うたが)ひなし、とこゝろひとつに尋思(しあん)しつ。扨(さて)宿(やど)のあるじには、「心願(しんぐわん)ありて社参(しやさん)す」と実(まこと)しやかにいひこしらへ、竊(ひそか)に安房(あは)へ立(たち)かへりて、准備(ようゐ)の鳥銃(てつほう)引提(ひきさげ)つゝ、富山(とやま)の奥(おく)にわけ入(い)りて、伏姫(ふせひめ)のおん所在(ありか)を、其処(そこ)か是処(ここ)かと索(たづぬ)れは、山路(やまぢ)に暮(くら)し、山路(やまぢ)に明(あか)して、五六日を經(ふ)る程(ほど)に、靄(もや)ふかき谷川(たにがは)の、向(むか)ひに人(ひと)はをるかとおぼし。すはやと騒(さわ)ぐ胸(むね)を鎮(しづ)めて、水際(みきわ)についゐてつく/\と、聞(きけ)ば女子(をなご)の経(きやう)(よ)む声(こゑ)、いとも幽(かすか)に聞(きこ)えけり。

作者(さくしや)(いはく)、この段(だん)八犬士(はつけんし)の起(おこ)るべき、所以(ゆえん)ををさ/\演記(のべしる)して、肇集(ぢやうしゆう)五巻(ごくわん)の尾(をはり)と定(さだ)め、既(すで)に首巻(しゆくわん)に十回(くわい)の題目(だいもく)を載(のす)るといへども、思ふにまして物語(ものかたり)は、なが/\しくなりしかば、巻(まき)の張数(ちやうすう)はや盈(みち)て、今(いま)この段(だん)を率(おふ)るによしなし。さは巻数(くわんすう)に定(さだ)めあり、又(また)張数(ちやうすう)にも限(かぎ)りあり。毎編(まいへん)これを過(すぐ)すときは、賣買(ばい/\)に便宜(びんぎ)ならずといふ、書肆(ふみや)が好(この)み推辞(もだし)がたし。よりて餘稿(よこう)は巻(まき)を更(かえ)て、明年(めいねん)かならず嗣出(つぎいだ)さん。大約(おほよそ)こゝに演(のぶ)る所(ところ)は、この小説(せうせつ)の發端(ほつたん)のみ。これより下(しも)は八犬士(はつけんし)の、やゝ世(よ)に出(いづ)べき事(こと)に及(およ)べり。この後(のち)(また)(とし)を歴(へ)て、八子(はつし)八方(はつほう)に出生(しゆつせう)し、聚散(しゆさん)(とき)あり、約束(やくそく)ありて、竟(つひ)の里見(さとみ)の家臣(かしん)となる、八人(はちにん)の列傳(れつでん)は、前後(ぜんご)あり長短(ちやうたん)あるべし。まだ其処(そこ)までは攷(かむがへ)(はた)さず、年(とし)をかさね、巻(まき)をかさねて、全本(ぜんほん)となさん事、曩(さき)に予(よ)が著(あらは)したる、『弓張月(ゆみはりつき)』の如(ごと)くなるべし。閲者(けみするひと)(さいはひ)に察(さつ)せよ。時(とき)に文化(ぶんくわ)甲戌(きのえいぬ)の秋(あき)九月十七日、鳥(とり)の屋(や)に毫(ふで)を閣(さしお)く。
南總里見八犬傳巻之五終

編述      曲亭馬琴稿本
 総巻浄書   千形仲道謄写
出像      柳川重信画
 繍像剞〓   朝倉伊八郎刊

○曲亭新著(きよくていしんちよ)出像國字小説(ゑいりかなものかたり)畧目(りやくもく) 山青堂開版
袈裟御前七條法語(けさごぜんしちでふほうご) この書(しよ)今茲(ことし)は發兌(はつだ)のよし、かねてより披露(ひろう)せしが、八犬士傳(はつけんしでん)を著(あらは)すとて、編述(へんじゆつ)こゝにおよばれねど、なほ近刻(きんこく)の念(おも)ひあり。故(ゆゑ)に亦復(また/\)書名(しよめい)を出(いだ)しつ
美濃舊衣八丈綺談(みのゝふるきぬはちゞやうきだん) 北嵩重宣画 全五冊
○馬琴画賛扇并ニ 家傳神女湯○精製きおふ丸○婦人つぎ虫の妙薬等大坂心斎橋筋唐物町河内屋太助方にあり扇は江戸神田鍋町柏屋半蔵方にもあり
朝夷巡嶋記(あさひなしまめぐりのき) 初編五巻 歌川豊廣画 この書(しよ)(ひさ)しう書名(しよめい)を掲出(かゝげいだ)せしが今茲(ことし)やうやく稿成(こうなり)て梓行(しこう)せり 初編(しよへん)二編(にへん)遅滞(ちたい)なく出板(しゆつはん)
南總里見八犬士傳(なんさうさとみはつけんしでん)第二集(だいにしゆう)五巻(ごくわん) 來亥(きぬるゐ)の冬(ふゆ)遅滞(ちたい)なく嗣行(しこう)

文化十一年歳次甲戌
           大坂心齋橋筋唐物町南へ入 森本太助
           江戸馬食町三丁目     若林清兵衛
刊行書肆
           本所松坂町二丁目     平林庄五郎
           筋違橋御門外神田平永町  山崎平八
冬十一月吉日発販


# 『南総里見八犬伝』第十回 2004-09-03
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