『南總里見八犬傳』第八回


 第八回(だいはちくわい) 行者(ぎやうじや)の岩窟(いはむろ)に翁(おきな)伏姫(ふせひめ)を相(さう)す\瀧田(たきた)の近邨(きんそん)に狸(たぬき)雛狗(いぬのこ)を養(やしな)

 金碗(かなまり)八郎孝吉(たかよし)が、猛(にはか)に自殺(じさつ)したりける、志(こゝろさし)をしらざるものは、「渠(かれ)(し)なでもの事なるに、功(こう)ありて賞(せう)を辞(ぢ)し、可惜(あたら)(いのち)を亡(うしな)ひし、こは全(まつた)く玉梓(たまつさ)に、罵(のゝし)られしを愧(はぢ)たるならん」と難(なん)ずるものもありとなん。それにはあらでいにしへの、賢(かしこ)き人(ひと)の言(こと)の葉(は)に、男子(なんし)寡欲(くわよく)なれば、百害(ひやくがい)を退(しりぞ)け、婦人(ふじん)に妬(ねたみ)なければ、百拙(ひやくせつ)を掩(おほ)ふといへり。况(まい)て道徳(どうとく)仁義(じんぎ)をや。されば義実(よしさね)の徳(とく)、孤(こ)ならずして、隣國(りんこく)の武士(ぶし)景慕(けいぼ)しつ、好(よしみ)を通(つう)じ婚縁(こんいん)を、募(もとむ)るも又(また)(おほ)かりける。そが中(なか)に、上総國(かつさのくに)椎津(しひつ)の城主(ぜうしゆ)、萬里谷(まりやの)入道(にうどう)静蓮(じやうれん)が息女(そくぢよ)、五十子(いさらご)と呼做(よびな)せるは、賢(けん)にして妍(かほよ)きよし。義実(よしさね)(ほのか)に傳(つた)へ聞(きゝ)て、すなはちこれを娶(めと)りつゝ、一女(いちぢよ)一男(いちなん)を産(うま)し給ふ。その第一女(だいいちゞよ)は嘉吉(かきつ)二年(ねん)、夏(なつ)の季(すゑ)に生(うま)れ給ふ。時(とき)、三伏(さんぶく)の時節(じせつ)を表(ひやう)して、伏姫(ふせひめ)とぞ名(なつ)けらる。二郎(じらう)はその次(つぐ)の、年(とし)のをはりに挙(まうけ)給ひつ。二郎(じろ)太郎(たらう)とぞ稱(せう)せらる。後(のち)に父(ちゝ)の箕裘(きゝう)を嗣(つぎ)て安房守(あはのかみ)義成(よしなり)といふ。稲村(いなむら)に在城(ざいぜう)して、武威(ぶゐ)ます/\隆(さかん)なりき。しかるに伏姫(ふせひめ)は、襁褓(むつき)の中(うち)より儔(たぐひ)なく、彼(かの)竹節(たけのよ)の中(うち)より生(うま)れし、少女(をとめ)もかくやと思ふばかりに、肌膚(はだへ)は玉(たま)のごとく徹(とほ)りて、産毛(うぶげ)はながく項(うなぢ)にかゝれり。三十二相(さう)ひとつとして、缺(かけ)たる処(ところ)なかりしかば、おん父母(ちゝはゝ)の慈愛(いつくしみ)、尋常(よのつね)にいやまして、冊(かしつ)きの女房(にようぼう)を、此彼(これかれ)(あまた)(つけ)給ふ。さりけれども伏姫(ふせひめ)は、夜(よ)となく、日(ひ)となくむつかりて、はや三歳(さんさい)になり給へど、物(もの)を得(え)いはず、笑(えみ)もせず、うち嗄(なき)給ふのみなれば、父母(ちゝはゝ)(こゝろ)くるしくおぼして、三年(みとせ)以來(このかた)醫療(ゐりやう)を盡(つく)し、高僧(こうそう)驗者(げんざ)の加持(かぢ)祈祷(きとう)、これ彼(かれ)とものし給へども、絶(たえ)て驗(しるし)はなかりけり。
 不題(こゝにまた)安房郡(あはのこふり)に、洲崎(すさき)明神(めうしん)と唱(となへ)(たてまつ)る、いと上久(かみさび)たる神社(やしろ)あり。この神社(やしろ)の山足(やまのねかた)に、大(おほ)きやかなる石窟(いはむろ)ありけり。窟(いはや)の中(うち)に石像(せきぞう)あり。是(これ)は役行者(えんのぎやうじや)なり。この処(ところ)より湧出(わきいづ)る泉(いづみ)を〓子水(とつこすい)といふ。旱天(かんてん)にも涸(か)るゝことなし。「むかし文武(もんむ)のおん時(とき)に、役君(えんのきみ)小角(しようかく)を、伊豆(いづ)の島(しま)へぞ流(なが)し給ふ。この地(ち)は伊豆(いづ)の大嶋(おほしま)へ、海上(かいせう)(はつか)に十八里(り)、小角(しようかく)しば/\波濤(なみ)を踏(ふみ)て、洲崎(すさき)に遊歴(ゆうれき)し給ひつ、靈驗(れいげん)を顕(あらは)し給へは、後(のち)の人(ひと)その像(ぞう)を造(つく)りて、彼(かの)石窟(いはむろ)に安措(あんさく)せり。靈應(れいおふ)(いま)も著明(いちじるく)、一トたび祈願(きぐわん)をかくるもの、成就(ぜうじゆ)せずといふ事なし」とかたり継(つぎ)いひつぎて、大(おほ)かたならず聞(きこ)えしかば、おん母君(はゝきみ)五十子(いさらこ)は、「伏姫(ふせひめ)の為(ため)に願事(ねきごと)して、月々(つき/\)に彼(かの)(いはや)へ、代参(だいさん)のものを遣(つかは)し、既(すで)に三年(みとせ)になるものから、させる利益(りやく)はなけれども、姫(ひめ)うへ命(いのち)(つゝが)なく、ともかくも生育(おひたち)給ふは、その驗(しるし)にぞあらんずらん。みづから彼処(かしこ)に参(まゐ)らしなば、いかで竒特(きどく)のなからずやは」と殿(との)へ歎(なげか)せ給ひけり。義実(よしさね)もこの事(こと)を、いなみ給ふにあらね共、「洲崎(すさき)は里見(さとみ)の采地(れうぶん)ならず。今(いま)はしも安西(あんさい)に、野心(やしん)あるべうもあらざめれど、かゝる事(こと)にて穉(をさな)きものを、はるばる彼処(かしこ)へ遣(つかは)さば、世(よ)の聞(きこ)え影護(うしろめた)し。思ひとゞまり給へ」とて、容易(たやすく)(ゆる)し給はざりしが、請(こは)るゝこと度(たび)かさなりて、黙止(もだし)がたく思召(おぼしめし)けん、倶(とも)には老(おい)たる男女(なんによ)を擇(えらみ)て、潜(しのび)やかに姫(ひめ)うへを、洲崎(すさき)へ遣(つかは)し給ひけり。
 さる程(ほど)に伏姫(ふせひめ)は、轎子(のりもの)
【挿絵】「伏姫(ふせひめ)を相(み)て異人(ゐじん)後難(こうなん)を知(し)る」「伏姫」\「瀧田(たきた)の近村(きんそん)に狸(たぬき)狗児(いぬのこ)を孚(はぐゝ)む」「玉つさ怨霊」「堀内貞行」
うち乗(のり)つゝ、〓母(めのと)が膝(ひざ)にかき拘(いだか)れて、外(よそ)めづらしく左右(さゆう)より、うち囃(はや)され給へども、楽(たの)しげなる氣色(けしき)なく、途(みち)すがら啼(なき)給へば、従者(ともびと)(ら)は傍痛(かたはらいた)くて、殊更(ことさら)に途(みち)をいそがし、とかくして洲崎(すさき)に赴(おもむ)き、明神(めうじん)の別當(べつたう)なる、養老寺(ようろうじ)に旅宿(りよしゆく)して、彼(かの)行者(ぎやうじや)の石窟(いはむろ)へ、七日参(まゐ)らせ奉(たてまつ)る。かくてはや、結願(けちぐわん)の日(ひ)も果(はて)しかば、従者(ともびと)(ら)は帰舘(きくわん)を促(うなが)し、旅宿(りよしゆく)を出(いで)て轎子(のりもの)は、平郡(へぐり)のかたへ一里(いちり)ばかり、來(き)つらんと思ふ折(をり)、姫(ひめ)うへいたくむつかれば、女房(にようぼう)乳母(めのと)(ら)(なぐさめ)かねて、轎子(のりもの)より出(いだ)しまゐらせ、衆皆(みな/\)(すか)しこしらへて、かき抱(いだか)せつゝなほ途(みち)を、いそぐとすれど果敢(はか)とらず。
 浩処(かゝるところ)に年(とし)の齢(よはひ)、八十(やそぢ)あまりの翁(おきな)一人、眉(まゆ)には八字(はちじ)の霜(しも)をおき、腰(こし)には梓(あづさ)の弓(ゆみ)を張(は)り、鳩(はと)の杖(つゑ)に携(すが)りつゝ、途(みち)の真中(まなか)に憇(いこひ)てをり。故(もと)より潛行(しのびのたび)なれば、従者(ともひと)(ら)は先(さき)を得追(えおは)ず。そのとき翁(おきな)は目(め)をはなさで、伏姫(ふせひめ)を熟視(つら/\み)て、「これは里見(さとみ)の姫君(ひめきみ)ならずや。石窟(いはむろ)のかへさならば、翁(おきな)が加持(かぢ)して進(まゐ)らせん」と呼(よ)びかけられて従者(ともひと)(ら)は、驚(おどろ)き劇(あはて)て見かへれば、現(げに)(かの)(おきな)が為体(ていたらく)、凡人(たゞひと)にはあらざりけり。憖(なまじい)に実(じつ)を告(つげ)ずは、あしかりなん、と思ひしかは、老黨(ろうだう)老女(ろうぢよ)は翁(おきな)に對(むか)ひて、縡(こと)の趣(おもむき)(すこし)も隱(かく)さず、云云(しか/\)と告(つげ)にければ、翁(おきな)しば/\点頭(うなつき)て、「寔(まこと)に靈(れう)の祟(たゝり)あり。これこの子(こ)の不幸(ふこう)なり。禳(はら)ふにかたきことはあらねど、禍福(くわふく)は糾(あざなへ)る纏(なは)の如(ごと)し。譬(たとひ)ば一個(ひとり)の子(こ)を失(うしな)ふて、後(のち)に夥(あまた)の翼(たすけ)を得(え)ば、その禍(わざはひ)は禍(わざはひ)ならず。損益(そんゑき)の方(みち)みなしかり。歡(よろこ)ぶべからず、哀(かな)しむべからず。まかり皈(かへ)らはこのよしを、義実(よしさね)夫婦(ふうふ)に告(つげ)よかし。これまゐらせん、護身(まもり)にせよ。思ひあはすることあるべし」と誇皃(ほこりが)に説示(ときしめ)し、仁義礼智(じんぎれいち)、忠信孝悌(ちうしんこうてい)の八字(はちじ)を彫(えり)なしたる、水晶(すいせう)の珠数(ずゞ)一連(いちれん)を、懐(ふところ)よりとり出(いだ)して、閃(ひら)りと姫(ひめ)の衣領(えり)にかくれば、老黨(ろうだう)老女(ろうぢよ)は劇惑(あはてまど)ひて、もろ共に額(ぬか)をつき、「霊(れう)とは何(なに)の祟(たゝり)やらん。委細(つばら)に説(とき)て後々(のち/\)まで、禳鎮(はらひしづめ)て給ひね」といへば翁(おきな)はうち微笑(ほゝえみ)、「妖(よう)は徳(とく)に勝(かつ)ことなし。よしや悪霊(あくれう)ありといふとも、里見(さとみ)の家(いへ)はます/\栄(さかえ)ん。盈(みつ)るときはかならず虧(かく)。又(また)(なに)をか禳(はら)ふべき。これを委細(つばら)に示(しめ)すときは、天機(てんき)を漏(もら)すのおそれあり。伏姫(ふせひめ)といふ名(な)によりて、みづから暁(さと)らば暁得(さとりえ)なん。さはれけふよりこの女(め)の子(こ)が、嗄(なく)ことは止(やむ)べきぞ。とく/\ゆきね。われははや、罷(まか)る也」といひかけて、洲崎(すさき)のかたへ還(かへ)ると思へば、走(はし)ること飛(と)ふが如(ごと)く、形(かたち)は見えずなりにけり。
 従者(ともびと)(ら)は忙然(ばうぜん)と、霎時(しばし)其方(そなた)を目送(みおく)りつ、これ全(まつた)く役行者(えんのぎやうじや)の、示現(じげん)にこそ、と思ひとりて、僉(みな)もろ共にふし拝(おが)み、瀧田(たきた)を投(さし)てかへる程(ほど)に、姫(ひめ)うへはむつかり給はず、快愉(こゝろよげ)に遊戯(あそびたはふ)れ、殊(こと)にこの日をはじめとして、物(もの)のいひざま尋常(よのつね)なる、三歳児(みつこ)にまして見えさせ給へば、或(ある)は歡(よろこ)び、或(ある)はあやしみ、瀧田(たきた)へかへし入(い)れまゐらせて、さて件(くだん)の趣(おもむき)を、義実(よしさね)五十子(いさらこ)に聞(きこ)えあげて、件(くだん)の珠数(ずゞ)を見せ奉(たてまつ)る。大(おほ)かたならぬ冥助(めうぢよ)なれば、義実(よしさね)はうちもおかず、更(さら)に蔵人(くらんと)貞行(さだゆき)を、洲崎(すさき)の神社(やしろ)と行者(ぎやうじや)の石窟(いはむろ)へ遣(つかは)して、幣帛(みてくら)を献(たてまつ)り、姫(ひめ)うへの為(ため)後々(のち/\)まで、災害(さいがい)消除(せうぢよ)と祈(いの)らしつ、珠数(ずゞ)をば常(つね)に伏姫(ふせひめ)の、衣領(えり)に被(かけ)させ給ひけり。
 かくて又(また)、四年(よとせ)あまりの春立(はるたち)かへりて、姫君(ひめきみ)七才(なゝつ)になり給へば、金鸞(きんらん)はじめて卵(かひこ)を出(いで)、玉樹(ぎよくじゆ)はじめて花(はな)を締(むす)ぶ、天(てん)の作(なせ)る夭顔(ようがん)美貌(びはう)、世(よ)に儔(たぐひ)なきのみならず、心(こゝろ)ざまいと怜悧(さか)し。昼(ひる)は手習(てならひ)の草紙(さうし)にむかひて、終日(ひねもす)(あけ)る氣色(けしき)なく、夜(よ)は絃管(いとたけ)のしらべに耽(ふけり)て、更闌(こうたく)るをも覚(おぼえ)給はず。年(とし)十一二に及(およ)びては、和漢(わかん)の書籍(しよざく)をよく読(よみ)て、をさ/\事(こと)の道理(どうり)を知覚(ちけう)し、仇(あだ)なるかたへはこゝろを移(うつ)さで、親(おや)を敬(うやま)ひ、下(しも)を憐(あはれ)み、孝貞(こうてい)忠恕(ちうぢよ)おのづから、常住(じやうぢう)坐臥(ざぐわ)に見えさせ給へは、母(はゝ)うへの鍾愛(しようあい)いへばさら也。義実(よしさね)は思はずに、人(ひと)にも誇(ほこ)り給ひけり。
 かくてこの比(ころ)長挟郡(ながさのこふり)、富山(とやま)よりこなたなる村落(かたゐなか)に、竒譚(あやしきものがたり)ありけり。字(あざな)技平(わざへい)と呼(よば)れたる、荘客(ひやくせう)の門(かど)なる犬(いぬ)、子(こ)を只(たゞ)ひとつ産(うみ)てけり。しかも牡狗(をいぬ)でありければ、よにひとつ子(こ)は逸物(いちもつ)とて、骨逞(ほねたくま)しく力(ちから)つよく、敵(てき)なきものといふなれば、技平(わざへい)はいと惜(をし)みて、背門(せど)に藁蓋(わらぶた)(ふき)かけて、彼(かれ)が産屋(うぶや)と定(さだ)めつゝ、朝夕(あさゆふ)(かて)のあまれるをば、與(あたへ)ずといふことなし。かくてはや、七日ばかり経(ふ)る程(ほど)に、その夜(よ)背門(せど)なる笆(かき)を毀(こぼち)て、狼(おほかみ)(いり)て彼(かの)母犬(はゝいぬ)を、啖仆(くらひたふ)して銜去(ついばみさり)ぬ。技平(わざへい)は天明(よあけ)て後(のち)に、血(ち)を見てこれをしりてければ、打腹(うちはら)たつのみ術(すべ)もなし。さはれ雛狗(こいぬ)は食遺(はみのこ)されて、不思義(ふしぎ)に恙(つゝが)なかりしかば、せめてもの事におぼえて、いよゝ不便(ふびん)の物(もの)にすなれど、彼(かれ)はいまだ目(め)だに得(え)(あか)ず、乳汁(ちゝ)ならずして又(また)(べち)に、これ養(やしなは)んよしもなければ、搨糊(すりこ)などいふものをして、心(こゝろ)ばかりは孚(はぐゝ)めども、この技平(わざへい)には妻子(やから)なし、元來(もとより)単身(みひとつ)なりければ、昼(ひる)は田畑(たばた)の稼(かせぎ)して、宿所(しゆくしよ)にあること稀(まれ)なれば、その事(こと)も得遂(えとげ)ざりき。かくは只(たゞ)(て)を束(つか)ねつゝ、彼(かれ)が死(しす)るを俟(まつ)のみ、と思ひ捨(すて)て草野(のら)へ出(いで)、一日(ひとひ)二日(ふたひ)と経(ふ)る程(ほど)に、なほ怪(あや)しきは彼(かの)雛狗(こいぬ)、饑(うへ)たる氣色(けしき)は見えずして、十日といふに目(め)を開(ひら)きつ。肥(こゆ)ることはじめにましたり。こは平事(たゞこと)にあらずとて、人(ひと)にも告(つげ)て旦暮(あけくれ)に、こゝろを附(つけ)て窺(うかゞ)ひつゝ、ある朝(あさ)まだきに起(おき)て見れば、いと老(ふり)たる一隻(ひとつ)の狸(たぬき)、狗菰屋(いぬごや)より走(はし)り出(いで)て、冨山(とやま)のかたへぞかへりける。原來(さては)雛狗(こいぬ)は彼(かの)(たぬき)に、孚(はぐゝま)るゝにぞあらんずらん。世(よ)に又(また)あるべき事とは覚(おぼえ)ず。こはそもいかに、とばかりに、只顧(ひたすら)驚嘆(きやうたん)するものから、ふたゝび楚(しか)と見定(みさだめ)ん、と思へばさうなく人(ひと)に語(かた)らず。その黄昏(たそがれ)は背門(せど)に躱(かく)れて、狸(たぬき)の來(く)るをまつ程(ほど)に、雛狗(こいぬ)は母(はゝ)を慕(した)ひつゝ、わゝと啼(なく)こと頻(しきり)也。時(とき)に燐火(おにび)か人魄(ひとたま)か、瀧田(たきた)のかたより閃(ひらめ)き來(き)て、中天(なかそら)より撲地(はた)と落(おち)、彼(かの)狗菰屋(いぬこや)のほとりにて、忽然(こつぜん)と滅(きゆ)るとそがまゝ、今朝(けさ)(み)し狸(たぬき)いそがはしげに、富山(とやま)のかたより走(はし)り來(き)て、菰屋(うぶや)の内(うち)へ入(い)りしかば、雛狗(こいぬ)は頓(とみ)に啼止(なきやみ)て、乳(ち)を吸(す)ふ音(おと)のみ聞(きこ)えたり。かくて又、四五十日を歴(ふ)る隨(まゝ)に、犬(いぬ)ははや大(おほ)きうなりて、よくあるき、ひとり食(くら)へば、狸(たぬき)は遂(つひ)に來(こ)ずなりぬ。よりて今(いま)もこの処(ところ)を、犬懸(いぬかけ)と喚做(よびな)せり。〔『房総志料(ばうさうしれう)』を按(あん)ずるに、安房郡(あはのこふり)府中(ふちう)の地(ち)より、長挟郡(なかさのこふり)大山寺(おほやまでら)へゆく道(みち)あり。富山(とやま)へ登(のぼ)らんとするものは、犬懸(いぬかけ)より左(ひだり)へ轉(てん)す。又いふ西(にし)は平郡(へくり)也。滝田(たきた)山下(やました)犬懸(いぬかけ)(へん)、と見えたるはこゝなるべし。〕
 このとき杉倉(すぎくら)木曽介(きそのすけ)氏元(うぢもと)、堀内(ほりうち)蔵人(くらんと)貞行(さだゆき)は、義実(よしさね)の仰(おほせ)を承(うけ)、一年(ひとゝせ)(つゝ)輪番(りんばん)に、東條(とうでふ)の城(しろ)を守(まも)りつ。貞行(さだゆき)は休暇(きうか)の年(とし)にて、氏元(うぢもと)に城(しろ)を逓与(わた)し、滝田(たきた)へとて還(かへ)る日(ひ)に、彼(かの)犬懸(いぬかけ)の里(さと)を過(よぎ)れば、狸(たぬき)の事(こと)を告(つぐ)るものあり。はじめは貞行(さだゆき)これを信(う)けず。その虚実(きよじつ)をしらん為(ため)、技平(わざへい)が宿所(しゆくしよ)へいゆきて、親(した)しく件(くだん)の犬(いぬ)を見つ。なほその縡(こと)の來歴(らいれき)を、あるじの男(をとこ)に尋(たづぬ)れば、風聞(ふうぶん)に一点(つゆ)(たが)はず。又(また)(かの)(いぬ)の為体(ていたらく)、唐山(もろこし)の〓韓(ろかん)、日本(ひのもと)の、足往(あゆき)ともいひつべし。これ未曾有(みぞう)の珍事(ちんじ)なれば、まかりかへりて義実(よしさね)朝臣(あそん)へ、かゝる事こそ候へとて、ありつる侭(まゝ)に告(つげ)(たてまつ)れば、義実(よしさね)(みゝ)を傾(かたふけ)て、膝(ひざ)の進(すゝ)むを覚(おぼえ)給はず。「伏姫(ふせひめ)は襁褓(むつき)の中(うち)より、魘(おそは)れて泣(なき)しかば、これより常(つね)に犬(いぬ)を畜(かふ)て、後園(おくには)に繋(つなが)したれ共、今(いま)にさせる逸物(いちもつ)なかりき。汝(な)がいふ所(ところ)実事(まこと)ならは、その犬(いぬ)こそ逸物(いちもつ)ならめ。むかし丹波(たんは)の桑田村(くはたむら)に、甕襲(みかそ)といひし人(ひと)の犬(いぬ)は、その名(な)を足往(あゆき)と呼(よば)れたり。この犬(いぬ)有一日(あるひ)(むじな)を殺(ころ)しつ、貉(むじな)の腹(はら)に八尺瓊(やさかに)の、勾玉(まがたま)ありて出(いで)たるよし、『書紀(しよき)』垂仁紀(すいにんき)にしるされたり。この事としもうらうへなる、狸(たぬき)が犬(いぬ)の子(こ)を孚(はぐゝ)むは、不思義(ふしぎ)といふもあまりあり。現(げに)(いぬ)は狐狸(こり)の為(ため)に、忌憚(いみはゞから)るゝものなれど、その子(こ)に母(はゝ)のなきを見て、相刻(あいこく)するの義(ぎ)を忘(わす)れ、乳(ちゝ)してこれを育(そだて)しは、兼愛(けんあい)の道(みち)に似(に)たり。且(かつ)(たぬき)といふ文字(もんじ)は、里(さと)に従(したが)ひ、犬(いぬ)に従(したが)ふ。是(これ)(すなはち)里見(さとみ)の犬(いぬ)なり。われその犬(いぬ)を見まくほし。召(めし)よせよ」と宣(のたま)へば、貞行(さだゆき)はこゝろ得(え)(はて)て、日(ひ)ならず犬(いぬ)を召(めし)よしたり。義実(よしさね)これを見給ふに、骨(ほね)(ふと)く、眼(まなこ)(するど)く、高(たかさ)は常(つね)の犬(いぬ)に倍(ばい)して、垂(たれ)たる耳(みゝ)、巻(まき)たる尾(を)、愛(あい)すべく、手狎(てなら)すべし。その毛(け)は白(しろ)きに黒(くろ)きを雜(まじ)へて、首尾(しゆび)八所(やところ)の斑毛(ぶち)なりけれは、八房(やつふさ)と名(な)つけ給ひて、後園(おくには)にこれを繋(つなが)し、そを畜(かふ)たりける技平(わざへい)には、禄(かつけもの)を賜(たび)てけり。是(これ)よりして八房(やつふさ)は、貴人(あてひと)に愛(あい)せられて、飯(いひ)に飽(あき)、〓(しとね)に睡(ねふ)る。一條帝(いちでふてい)の翁丸(おきなまる)も、これにはいかでますべきとて、僉(みな)(たゞ)奇怪(きくわい)の事に思へど、主君(しゆくん)の愛犬(あひけん)なるをもて、等閑(なほざり)ならずとりはやしつ。後々(のち/\)に至(いた)りては、伏姫(ふせひめ)も又(また)これを愛(あい)して、端近(はしちか)う出(いで)給ふ日(ひ)は、「八房(やつふさ)(/\)々」と呼(よば)せ給ふに、尾(を)を揮(ふり)つゝ走(はし)り來(き)て、霎時(しばし)もほとりを去(さら)ざりけり。されば又(また)(はる)の花(はな)、秋(あき)の紅葉(もみぢ)と幾遍(いくたび)か、梢(こすゑ)の色(いろ)を染(そめ)かえて、伏姫(ふせひめ)二八になり給へば、いよゝます/\臈闌(ろうたけ)て、匂(にほ)ひこぼるゝ初花(はつはな)に、いざよふ月(つき)を掛(かけ)たる如(ごと)し。
 今茲(ことし)の秋(あき)八月(はつき)の比(ころ)、安西(あんさい)景連(かけつら)が釆地(れうぶん)なる、安房(あは)朝夷(あさひな)の二郡(ふたこふり)、種物(たなつもの)(みの)らずとて、景連(かげつら)はそが老黨(ろうだう)、蕪戸(かぶと)訥平(とつへい)を使者(ししや)として、瀧田(たきた)の城(しろ)へ遣(つかは)して、義実(よしさね)に乞(こひ)けるやう、「天(てん)わが領所(れうしよ)に災(わざはひ)して、上下(じようげ)忽地(たちまち)困窮(こんきう)せり。しかるに貴領(きれう)はこの秋(あき)も豊作(ほうさく)也と傳聞(つたへきゝ)ぬ。願(ねが)ふは米穀(べいこく)五千俵(びやう)を貸(かし)給へ。來年(くるとし)の調(みつぎ)をもて、倍(ばい)して返(かへ)し奉(たてまつ)らん。景連(かげつら)(よはひ)(かたふ)きて、はや七旬(しちじゆん)にあまれども、男児(をのこゞ)はさら也。女子(めのこ)だもなし。貴所(きしよ)の息女(そくぢよ)を養(やしな)ふて、一族(いちぞく)の中(うち)、壻(むこ)を擇(えら)み、所領(しよれう)を譲(ゆづ)り與(あたへ)ん、と思ふ事頻(しきり)也。この事さへに許(ゆる)し給はゞ、一期(いちご)の幸(さいは)ひ甚(はなはだ)し」といと叮嚀(ねんごろ)にいはせけり。義実(よしさね)これを聞召(きこしめし)て、「われに夥(あまた)の男児(をのこゞ)あらば、安西(あんさい)に養(やしなは)するも、亦(また)(かた)きことはあらず。いかにせん。一女(いちゞよ)一男(いちなん)のみなるに、今(いま)伏姫(ふせひめ)を遣(つかは)すとも、彼(かの)(ひと)(つま)なく子(こ)なければ、自他(じた)にその益(ゑき)あることなし。この一事(いちじ)は承引(うけひき)がたし。又(また)豊凶(ほうけう)は時運(じうん)に係(かゝ)る。安西(あんさい)がうへのみならんや。隣國(りんこく)の荒亡(くわうぼう)を、聞(きゝ)つゝこれを救(すくは)ずは、天咎(てんのとがめ)(まぬか)れがたし。養女(ようぢよ)の一議(いちぎ)は推辞(いなむ)べし、米穀(べいこく)は形(かた)のごとく、是(これ)より送(おく)り進(まゐ)らせん」と正首(まめやか)に回答(いらへ)して、訥平(とつへい)をかへし給ひつ。
 このとき堀内(ほりうち)貞行(さだゆき)は、東條(とうでふ)の城(しろ)にあり。又(また)杉倉(すぎくら)氏元(うぢもと)は、老病(ろうびやう)に侵(おか)されて、引篭(ひきこもり)てゐたりしかば、利害(りがい)をいふもの絶(たえ)てなし。そが中(なか)に、金碗(かなまり)大輔(だいすけ)孝徳(たかのり)は、是年(このとし)(すで)に廾歳(はたち)になりぬ。義実(よしさね)の近習(きんじゆ)たり。外祖父(おほぢ)一作(いつさく)は、五年(いつとせ)(さき)に身(み)まかりし、そが病床(びやうせう)の介抱(かいほう)は、大輔(だいすけ)みづから塩梅(あんばい)して、穢(けが)れたる物(もの)といへども、奴婢(ぬひ)にはこれを任(まか)することなく、よく孝養(こうよう)を竭(つく)したり。加以(これのみならず)生育(おひたつ)まゝに、父(ちゝ)孝吉(たかよし)が志(こゝろざし)を受嗣(うけつぎ)て、忠義(ちうぎ)抜群(ばつくん)の壮佼(わかもの)なれば、君(きみ)を諫(いさめ)まうすやう、「景連(かげつら)生平(つね)には疎遠(そゑん)にして、事(こと)の難義(なんぎ)に及(およ)ぶとて、養女(ようぢよ)を求(もと)め、穀(こく)を借(か)る。渠(かれ)よく恩(おん)をしるものならんや。この時(とき)をもて討(うち)給はゞ、一挙(いつきよ)して安房(あは)一國(いつこく)を、平均(へいきん)し給はんこと疑(うたが)ひなし。もしその乞(こふ)に任(まか)し給はゞ、賊(ぬすびと)に糧(かて)を齎(もたら)し、讐(あた)に刃(やいば)を藉(か)すに似(に)たり。只(たゞ)出陣(しゆつぢん)の准備(ようゐ)こそ、あらまほしく候へ」と憚(はゞか)る氣色(けしき)なくまうすにぞ、義実(よしさね)これを聞(きゝ)あへず、「汝(なんぢ)弱輩(じやくはい)の分際(ぶんざい)にて、何事(なにこと)をかよくしるべき。讐敵(あたかたき)たりといふとも、凶(けう)に乗(じやう)じて攻撃(せめうつ)(こと)、良將(りやうせう)勇士(ゆうし)はせざる也。况(まいて)や安西(あんさい)景連(かげつら)は、今(いま)わが為(ため)に仇(あた)ならぬに、故(ゆゑ)なうして干戈(かんくわ)を動(うごか)す、これを無名(むめい)の軍(いくさ)といふ。無名(むめい)の軍(いくさ)は、人(ひと)(したが)はず。よしなき事をいふ奴(やつ)かな」と敦圉(いきまき)たけく叱(しか)り懲(こ)らして、則(すなはち)米穀(べいこく)五千俵(たはら)を、安西(あんさい)にぞ贈(おく)り給ふ。かくて又(また)その明(あけ)の年(とし)、義実(よしさね)の釆地(れうぶん)なる、平郡(へくり)長挟(ながさ)は荒作(くわうさく)して、景連(かげつら)が釆地(れうぶん)のみ、八尺穂(やさかほ)たかく登(みの)りにけれと、曩(さき)に借(かり)たる米(こめ)を返(かへ)さず、瀧田(たきた)は上下(じようげ)困乏(こんぼく)して、縡(こと)はや難義(なんぎ)に及(およ)ひけり。
 當下(そのとき)金碗(かなまり)大輔(だいすけ)は、竊(ひそか)に主君(しゆくん)にまうすやう、「隣國(りんこく)隣郡(りんぐん)(きう)を救(すく)ひて、相(あい)(とも)に扶助(たすけたす)け、その足(たら)ざるを補(おぎなは)ずは、好(よしみ)を結(むす)ぶもその益(ゑき)なし。安西(あんさい)ぬし去年(こぞ)の秋(あき)、夥(あまた)の穀(こく)を借(かり)給ひしが、こなたの危急(きゝう)を知(しり)ながら、今(いま)にこれを返(かへ)すことなし。彼人(かのひと)に乞(こふ)ものにもあらぬに、などてや債(はた)り給はざる」とまうすことしば/\也。義実(よしさね)は大輔(だいすけ)を、わが子(こ)のごとく愛(あい)し給へど、他(ひと)の娟(そねみ)もあらんかとて、陽(うへ)にはいたく叱(しか)りなどして、志(こゝろざし)を激(はげま)し給ふに、渠(かれ)は年(とし)はや廾(はたち)を超(こえ)て、器量(きりやう)骨相(こつがら)(おや)に劣(おと)らず。かゝれば今茲(ことし)は東條(とうでふ)の城主(ぜうしゆ)にせばや、と豫(かねて)より、用意(こゝろがまへ)をし給へども、「なほその年(とし)のわかきをもて、老(おい)たるかたには妬(ねたま)れなん、一(ひとつ)の功(こう)を立(たて)させて、その勸賞(けんせう)に挙用(あげもち)ひん」と思ひ給ふ最中(もなか)なれば、しば/\いはせてうち点頭(うなつき)、「汝(なんぢ)が議論(ぎろん)(よ)が意(ゐ)に稱(かな)へり。使者(ししや)には汝(なんぢ)を遣(つかは)さん。しかりとて五千俵(たはら)を、こなたより債(はた)るべからす、箇様(かやう)にいへ」と叮嚀(ねんころ)に、口状(こうでう)をこゝろ得(え)さして、次(つぐ)の日(ひ)彼処(かしこ)へ遣(つかは)し給ふ。
 さる程(ほど)に金碗(かなまり)大輔(だいすけ)孝徳(たかのり)は、従者(ともびと)十人(ン)あまり將(い)て、馬(うま)に跨(のり)、鎗(やり)をもたし、未明(まだき)に瀧田(たきた)に啓行(かしまたち)して、只管(ひたすら)足掻(あがき)をいそがしつゝ、夜(よ)を日(ひ)に續(つぎ)て景連(かげつら)が、真野(まの)の舘(たち)へ赴(おもむ)きて、その老黨(ろうだう)、蕪戸(かぶと)訥平(とつへい)に對面(たいめん)し、里見(さとみ)の釆地(れうぶん)五穀(ごゝく)(みの)らず、縡(こと)はや難義(なんぎ)に及(およ)べるよし、主命(しゆうめい)を詳(つばら)に述(のべ)て、五千俵(たはら)の米(こめ)をぞ乞(こ)ひぬ。その口状(こうでう)慇懃(いんぎん)也。訥平(とつへい)は應(いらへ)かねて、則(すなはち)主人(しゆじん)に申さんとて、そが侭(まゝ)(おく)へいゆきしが、半日(はんにち)あまり出(いで)も來(こ)ず。大輔(だいすけ)は項(うなぢ)を鶴(のば)して、今(いま)か今(いま)か、とまつ程(ほど)に、日(ひ)は暮(くれ)たり。このとき蕪戸(かぶと)訥平(とつへい)は、やうやく舊処(もとのところ)にかへりて、大輔(だいすけ)に對(むかひ)ていふやう、「向(さき)には貴命(きめい)の趣(おもむき)を、委細(つばら)に主人(しゆじん)に告(つげ)たりき。景連(かげつら)對面(たいめん)すべけれども、いかにせん、いぬる比(ころ)より、風邪(ふうじや)に犯(おか)されて、今(いま)に得(え)(たゝ)ず。去歳(こぞ)の秋(あき)そなたより、危急(きゝう)を救(すく)ひ給ひしかば、乞(こは)れずとも倉(くら)を竭(つく)して、先恩(せんおん)に答(こたへ)んこと、別(べち)に仔細(しさい)は候はねど、荒年(くわうねん)の後(のち)なれば、こゝにもいまだ物足(ものた)らず、老黨(ろうだう)を召聚(めしつどへ)、評議(ひやうぎ)を加(くは)え、有無(うむ)を辨(べん)じて、返答(へんとう)に及(およ)ぶべし。主人(しゆじん)の口状(こうでう)かくの如(ごと)し。且(しばら)く當地(たうち)に逗留(とうりう)して、人馬(にんば)を休(やすら)へ給へ」といひて、みづから旅舘(りよくはん)に誘引(いざなひ)つゝ、いと叮嚀(ねんころ)に〓待(もてなし)けり。とかくする程(ほど)に思はずも、五六日を過(すぐ)しにけれは、大輔(だいすけ)は焦燥(いらたち)て、「有無(うむ)の返答(へんとう)いかに/\」と訥平(とつへい)に催促(さいそく)す。あまりにいたく責(せめ)られて、訥平(とつへい)も又(また)(やまひ)に假托(かこつけ)、遂(つひ)にふたゝび出會(いであは)ず。こゝに至(いたつ)て大輔(だいすけ)は、忽地(たちまち)に疑心(ぎしん)(おこ)りて、しのびしのびに意(こゝろ)をつくれば、城中(ぜうちう)の為体(ていたらく)、人(ひと)は鎧(よろ)ひ、馬(うま)には馬具足(ばぐそく)を被(か)け、僉(みな)囂囂(がやがや)と散動(どよめき)て、只今(たゞいま)出陣(しゆつぢん)するが如(ごと)し。「こはこゝろ得(え)ず」と驚(おどろ)き騒(さわ)ぐ、胸(むね)を鎮(しづ)めて、「彼(かの)主従(しゆう/\)が、奸計(かんけい)を推量(おしはか)るに、全(また)くわれを出抜(だしぬき)て、凶(けう)に乗(じやう)し、不意(ふゐ)を撃(うち)、滝田(たきた)を攻(せめ)んとするなるべし。今(いま)一チ日遅(おそ)く暁(さと)らば、竟(つひ)に敵(てき)に擒(とりこ)となりなん、危(あやうい)かな」と舌(した)を振(ふる)ひて、従者(ともひと)(ら)にもこゝろを得(え)さし、形(かたち)を窶(やつ)し、姿(すがた)を変(かえ)、主従(しゆう/\)一人(ひとり)二人(ふたり)つゝ、
【挿絵】「真野(まの)の松原(まつはら)に訥平(とつへい)大輔(だいすけ)を遂(お)ふ」「金まり大すけ」「かぶ戸とつ平」
(こと)の紛(まぎ)れに城(しろ)を出(いで)て、瀧田(たきた)を投(さし)て走(はし)りつゝ、一里(いちり)あまり來(き)にければ、後(おく)れたる従者(ともひと)を、こゝにて待(また)ん、と大輔(だいすけ)は、石滂(しみづ)を掬(むすび)て、咽(のんど)を潤(うるほ)し、並木(なみき)の松(まつ)に尻(しり)をかけて、流(なが)るゝ汗(あせ)をとりてをり。
 浩処(かゝるところ)に訥平(とつへい)は、軍兵(ぐんひやう)を將(い)て追蒐(おつかけ)(き)つ、真先(まつさき)に馬(うま)を進(すゝ)めて、鎧(あぶみ)踏張(ふんば)り声(こゑ)をかけ、「孝徳(たかのり)(いま)さら迯(にぐ)るは蓬(きたな)し。汝(なんぢ)が主(しゆう)なる義実(よしさね)は、乞食(こつじき)したる浮浪人(ふらうにん)。白濱(しらはま)へ漂泊(ひやうはく)して、愚民(ぐみん)を惑(まどは)し、土地(とち)を奪(うば)ひ、両郡(りやうぐん)の主(ぬし)となりしは、麻呂(まろの)信時(のぶとき)を滅(ほろぼ)し給ふ、わが君(きみ)の助(たす)けによれり。かゝれば是(これ)(こし)を折(かゞ)め、臣附(しんふ)して安西(あんさい)(こう)へ、をり/\出仕(しゆつし)すべき身(み)を、尊大(そんだい)にしてみづから傲慢(たかぶり)、僅(はつか)に米(よね)を進(まゐ)らしたりとて、これを債(はた)るは鄙吝(ひりん)なり。又(また)その女児(むすめ)伏姫(ふせひめ)が、妖艶(みやび)たるを聞召(きこしめし)、假(かり)に養女(ようぢよ)に擬(なぞら)へて、実(じつ)は側室(そばめ)になされんとて、吾君(わがきみ)(めさ)せ給ひしかど、義実(よしさね)(ぐ)にして従(したが)はず、此彼(これかれ)もつて不礼(ぶれい)なり。時(とき)いまだ至(いた)らずとて、年來(としころ)ゆるしおき給ひしを、何時(いつ)も春(はる)ぞと思ひけん、汝等(なんぢら)主従(しゆう/\)が愚(おろか)さよ。いまだしらずやわが君(きみ)は、三千の軍馬(ぐんば)を起(おこ)して、はや東條(とうでふ)の城(しろ)を乗取(のつとり)、今(いま)は滝田(たきた)を攻(せめ)給へば、還(かへ)るに途(みち)はなきものを、命(いのち)をしくは降参(かうさん)せよ」とほざきにほざく廣言(くわうげん)を、大輔(だいすけ)は聞(きゝ)あへず、「嗚呼(をこ)がましや鼠(ねずみ)の輩(ともがら)、われ稚(をさな)きよりこれを聞(きけ)り。汝(なんち)が主(しゆう)なる景連(かげつら)は、麻呂(まろの)信時(のぶとき)を撃(うつ)て義(ぎ)に背(そむ)き、その地(ち)を合(あは)して足(た)れりとせず。さはれわが君(きみ)斧鉞(ふゑつ)を加(くは)えず、乞(こは)るゝ隨(まゝ)に隣郡(りんぐん)の、好(よしみ)を結(むすば)せ給ひしを、こよなき幸(さいはひ)とは思はず、なほ又(また)奸智(かんち)をめぐらして、曩(さき)には夥(あまた)の米(こめ)を乞(こひ)とり、約(やく)に背(そむ)きて、今(いま)に返(かへ)さず。虚(きよ)を窺(うかゞ)ひ凶(けう)に乗(じやう)じて、大軍(たいぐん)をもて攻撃(せめうつ)とも、皇天(くわうてん)皇土(くわうど)は不義(ふぎ)に與(くみ)せず。みづから敗(やぶれ)を取(と)らんこと、鏡(かゞみ)に照(かけ)て見る如(ごと)し。主命(しゆうめい)を受(うけ)ながら、縡(こと)(なら)ずして空(むな)しく還(かへ)る、孝徳(たかのり)が手〓(てみやげ)に、汝(なんぢ)が頸(くび)を引抜(ひきぬき)て、見参(げんざん)に入(い)るべき也。其処(そこ)な退(のき)そ」と槍(やり)引提(ひきさげ)て、従者(ともびと)(ら)を左右(さゆう)に従(したが)へ、群立(むらたつ)たる夛勢(たせい)の中(なか)へ、面(おもて)もふらず突(つい)て入(い)り、縦横(じゆうわう)無礙(むげ)に戦(たゝか)ふたり。されば金碗(かなまり)大輔(だいすけ)は、主従(しゆう/\)(はつか)に七八人、必死(ひつし)と思ひ决(さだ)めにければ、射(い)れども〓(きれ)ども物(もの)ともせず、撃(うち)つ撃(うた)れつ、追(お)ひつかへしつ、半時(はんとき)あまりの血戦(けつせん)に、敵(てき)は三十餘(よ)(き)(うた)れて、死骸(しがい)は路上(ろせう)に横(よこたは)り、躬方(みか )は七人命(いのち)を隕(おと)して、大輔(だいすけ)ひとりになりしかど、なほ一歩(ひとあし)も退(しりぞ)かず。訥平(とつへい)に組(くま)んとて、出没(しゆつぼつ)不測(ふしぎ)に走(はし)り遶(めぐ)れど、敵(てき)は目(め)にあまる大勢(たいせい)也。遂(つひ)に人馬(にんば)に隔(へだて)られて、ほゐ遂(とぐ)べうもあらざりけり。「夫(それ)君子(くんし)をは欺(あざむ)くべし、陥(おとしい)るべからず」と賢者(けんしや)のいひけん寔(まこと)にしかり。義実(よしさね)は蓋世(かいせい)の良將(りやうせう)、仁心(じんしん)もつて民(たみ)を掩(おほ)ひ、義信(ぎしん)もつて隣郡(りんぐん)に交(まじは)る。景連(かげつら)奸詐(かんそ)(きわまり)なし。これを欺(あざむ)くにその方(みち)をもつてす。猶且(なほかつ)これを疑(うたが)はゞ、君子(くんし)の人(ひと)と稱(せう)するに足(た)らず。義実(よしさね)子産(しさん)が才(さえ)ありとも、その欺詐(たばかり)におとされたる、抑(そも/\)(また)(むべ)ならずや。
南總里見八犬傳巻之四終


# 『南総里見八犬伝』第八回 2004-09-02
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