資料紹介

 明治期合巻 『里見八犬傳』 −解題と翻刻−

高 木   元 


【解題】

曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を受容史から考えるための資料として、『八犬伝』を抄録した刊行物の紹介を続けてきているが、今回は明治出来の合巻『里見八犬傳』を紹介したい。

この本は製版(木版)で中本2冊(上下巻各10丁)、錦絵風摺付表紙を備え、全丁絵入りである。近世期の合巻の造本様式を継承しつつも、挿絵の周囲を埋める本文は平仮名ではなく漢字仮名交りで、版面様式から見ると全丁絵入の切附本と同様である。

これら明治出来の合巻を〈明治期合巻〉と呼ぶことを提唱しているが高木元「十九世紀の草双紙」(隔月刊「文学」、岩波書店、2009年11・12月)、とにかく造りが安っぽい。表紙にアニリン性化学染料を用いた赤色やベロ藍(紫色)を多用している点に特徴があるので、明治期の出板であることは一目瞭然である。料紙も少し厚手でくすんだ色の漉き返しが用いられ、墨摺の挿絵なども綿密な描き込みは見られず、雑で大味。文字も仮名漢字混じりで大きくなり、文章自体も短くて絵の周囲に空間が多くスカスカな印象である。細かく精緻で美麗な江戸期の合巻とは印象がまるで異なるのであるが、内容や体裁から見れば、紛うことなく〈合巻〉と呼んで差支えない(同様の板面を持つ切附本は5丁1冊の意識が見られない。それに対して〈明治期合巻〉の多くは5丁1冊を2冊合綴して上下2巻(20丁)に仕立てている。)

これらは主として明治10年代に松延堂(大西庄之介)などから出されたものが多いと推測されるが、その全貌は明らかになっていない。如何せん粗雑な冊子であるため消耗品として扱われ、大半が散逸してしまったものと思われる。少しまとまった資料を所蔵しているのが国立国会図書館であるが、明治期刊行物の中の〈絵本〉というカテゴリーで括られており、銅版絵本や活版本など混じっているので、1点ずつの確認が不可欠である。また、他の地方公立図書館などにも散見するが、その多くは未整理か郷土資料中に埋もれていることが多い。結果として、個人蔵の資料に負うところが少なくない。今回も、架蔵本中に「八犬伝もの」が見出せなかったので、山本和明氏の所蔵本を拝借した。

さて、八犬伝抄録の読切り(短編)合巻としては珍しく、発端部のみならず比較的後半部までを扱っている。単なる名場面集ではなく、つとめて筋を紹介する意図は汲み取れるものの、飛躍が目立つ乱暴な記述が多く、挿絵と合わせ見ても細かな筋を追うことは難しい。やはり初読者の早分かり用ではなく、一度読んだことのある人向きに作られたものと思われる。だが、故意か不注意か、信乃が芳流閣を目指して〈鎌倉〉に行ったり、道節が田文地蔵堂で火遁術を捨てたりと、原作と異なる箇所が見受けられる。それでも、何とか発端から里見家の再興までを描いている点の努力は認めたい。ただ、作者名も記されて居らず、誰の手になるものかは不明である。

【書誌】

里見八犬傳さとみはつけんでん
書型 中本(17・5×11・8糎) 上下2冊
表紙 摺付表紙。外題と「岡田版」「外題 房種筆」「上・下」
外題里見八犬傳さとみはつけんでん
見返 なし
序   なし
改印 なし
板心 「八犬傳  一(〜二十)
作者 記載なし
画工 房種(外題)
丁数 10丁×2冊
板元 岡田版
諸本 山本和明氏蔵(底本)、個人蔵(下のみ)、架蔵(20丁欠)


【凡例】
一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣い、異体字等も可能な限り原本通りとした。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、読みやすさを考慮し、係助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、句読点は一切用いられていないが、私意により句読点を付した。
一、会話文や心中思惟の部分には括弧「 」を補った。
一、丁移りは 」5オのごとく丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時も〔 〕で示した。
一、底本の使用を許された山本和明氏に感謝致します。


【表紙】

表紙
里見八犬傳さとみはつけんでん 上 下、岡田版、「外題 房種筆」


【本文】

挿絵

安房上総の國主里見氏ハ、清和源氏の末孫里見 季基すへもと嫡男ちやくなん 義実を以て安國主こくしゆとなす。其ころ宝町むろまち将軍しやうぐん義教よしのり公と鎌倉かまくら持氏もちうじ確執かくしつに及び、のち持氏鎌倉かまくらほろぶ。此時、公達きんたちはる王安王をすくひ、結城ゆふき氏朝うじとも里見と相謀あいはかり、下総しもふさの國結城ゆふきしろこもり、かまくらせいを引うけてたゝかふ事三年、兵粮へうらう矢種やだねつきて、城兵しやうへいこと/\討死うちじにに及ぶ。義実よしさねしろおちてののち、「再度義兵をあげん」と打のこされし郎等をあつめ、相模さがみの國三浦なる矢取の入江におちのびてのち安房あは」1オ

挿絵

にわたる。或る時、日ころあいせらるゝ八つ房といへる〔犬〕に向ひて申されけるハ「なんじ畜生ちくしやうながらもきけよ。義実よしざねうんにして敗軍はいぐんし、今又、如何いかんともす能はず。若し敵将の首をうる其時ハ、娘 伏姫ふせひめあたふべし」とたわむれながらにのたまひしに、犬ハ首をたれ始終の事をきゝゐしが、やがての事に立あがり、二聲三聲ほへたけり。其まゝ何処とこへか馳行はせゆきしに、義実におひても「犬のふり合點がてんゆかず」とおもはれしが、其のち、氣にも畄ざりしに、ある夜、八ツ房のこへにしてほゆる事しきりなりければ、義実にも不思ふし儀におもはれとも〔し〕び片手に立いで見れバ、まさしく敵将てきしやうの」2オ

挿絵

首をバくわへ、うづくまりてそたるにぞ、流石さすがの義実もの思ひをなし、なほしゆきうを改めて、いよ/\おどろくばかりなり。其むね臣等 らへもつげもして、八つ房を深くあいたまひしが、犬ハしきりにほへたけり、なにやらねだる有様ありさまに「さて伏姫ふせひめのぞむ者ならん」とむねにうなつきたまひしゆへ、息女そくじよをバ片辺かたへまねたまひしに、犬ハかくるよりもたちまちひらりととびあがり、姫が振袖ふりそでくわ連行つれゆきもせんありさまなれば、義実よしさね大ひにうちおとろき、やり取延とりのべて一つきと見かまへあるに、姫ハ父きみにうちむかひ「仮令たとへちくしやうなればとて、君のあふせにてきくびをもりし者ゆへ、いつはりてハ其つみふかし」」3オ

挿絵

これ前生ぜんせいんえんあきらめ玉ひ、いぬ諸共もろとも山に入らん」とのぞまれけるに、義実よしさねあきたまひしが、くときくより、八つふさたちまひめに打のせ、宛然さなからちうとふことく、何國いづく共なく馳行はせゆくにぞ、義実大ひにおどろかる。此時金椀かなまりすけ高〓たかのりハ「それがし姫のおんゆくとゝけん」と、うまに打のり、あとしたふておひかけしに、途中とちうにおひて見失みうしなひ、れよりむまのりはなち、山又やまとわけ入りける。

さて又、伏姫ふせひめハ八つふさいさな〔は〕れ、山のおくにいたられ、讀經どくきやうほかなし。此時、神童しんどうあふ因果いんくわ道理どうりり、らるゝ事二年。又、大すけひめ在処ありかさくり、やう/\にして山に入り」4オ

挿絵

ひめと犬とをはるかに見て、准備ようゐ鳥銃てつはうるより早くねらひさだめて打はなせバ、犬ハ首尾しゆびよくうちたれど、ひめにも最期さいごとげしにぞ、大すけおどろき其自害じがいなさんとする時、義実よしさね猟矢さつやとばしてとゞきたりて、えん行者ぎやうじやげによつつてこゝきたり。前世ぜんせ因縁いんへん物語ものかたらる。又大すけ鳥銃てつはうに、伏姫ふせひめもたれし水晶  しやうじゆ八つの玉の八はうとびりける。

却説かへつ〔て〕とく、其以前いぜん結城ゆふき籠城ろうじやうしたる井の丹蔵直秀なほひでの娘手束たつかといふ者、弁天へ日参につさんし、かへりに小犬をたすけて伏姫ふせひめ神霊しんれいひ、懐妊くわいにんして男子をうむれなん犬塚信乃とて、八犬士の一人なり。又、農夫のうふひき六の娘濱 といふ者、其実、豊嶋とよしまの一ぞくの娘なり。不幸ふかうにして農夫のうふ養女ようじよとなり、「犬塚いぬつか信乃しの婿むこにせばや」と養母ようぼかめ笹がはからひしも、其実、村雨丸のかたなをうばひ、鎌倉かまくら殿へけんぜんとす。又、此家に小者で額蔵かくさうといふ」5オ

挿絵

后に犬川荘助とハこれなり。また信乃ハ名刀をけんぜんと准備やうゐをいたし、出立しゆつたつの日もちかきにより、濱路ハふかかこちしも、信乃しのさらに心を引れず、鎌倉さして出立しゆつたついたしぬ。又、ひかみ宮六といふ者、濱路に戀慕れんぼし、左母次郎といふ」6オ

挿絵

者と謀る。此時、濱路ハおつと信乃しのあとを慕ひて迯出にけいでしが、山中さんちう左母さも次郎らうに捕へられ、あはやはだをもけがさんとする時、行者のたすけをて、圖らす兄妹の名乗なのりおよふ。これなん犬山いぬやま道節とうせつなり。さて又、犬つか信乃しのおひてハ、村雨むらさめ丸の刀、掏替られしハ知らすして古我の御所に赴き、成氏朝臣〔へ〕奉りしに、「其太刀のにせ物なり」とてゆるし玉はず、已になはをもかけられんとするに、信乃ハおほへのはやきゆへに、ことばつくしてたなれど、のがれかたきをる者から、向ふ捕手とりてなけちらし、芳流はうりうかくの屋の上にとびあがり、ちかよる者を切ちらす。其はたらきハいと目ざまし」7オ

挿絵

此時、一人の勇士ゆうしいと厳重げんぢうなる出立いてたちにてすゝきたるに、信乃しの〔ハ〕のぞてきなり」と、之れよ〔り〕両士ハたゝかひしが、つひんで坂東川ばんどうかわおちたがひにぜついたせしも、古那こな文吾ぶんご兵衛に助けられ、蘇生そせいのち素生すしやうかたりてけふだいむすぶ。此一人が犬飼いぬかいけん八なり。

却説さてまた、犬山道節とうせつ忠与ハ、本郷圓塚まるづか山を立退のきてより、村さめ丸の太刀をうらんといつはり、さた正をうたんとはかりしに、巨田助友の謀計ぼうけいち、人のてきに取かこまれしが、からくものがれて、田ぶみの地ざう〔に〕しのびし。折柄おりから、又、一人の若者わかものつゝひてあとより入りきたりしが、暗夜あんやことゆへ、たれなるやたがひに面躰めんていわからねど、「かゝところるからハ只者たゝも〔の〕ならし」とおもものから、両士ハ太刀を抜合ぬきあはせ、やみにもひらめく刄の稲妻いなづま秘術ひじゆつを盡して」8オ

挿絵

たゝかひしが、いつれもおとらぬ勇士ゆふし勇士ゆふし勝負しやうふさらにあらずして、やみまぎれてものわかれにそあいりたり。それよりのち、五犬士けんしハ、白井しらゐの大くんふもと村へおしよせるの時、百のてきを引受てたゝかひし。其ゆふまうおそれけん、どうとばかりに敗軍はいぐんして、とふ人数にんず引揚ひきあげものの其のち上野かうづけ荒芽山あらめやまふもとおいての血戦けつせん、与四郎おとねのはたらきハりやくす。此時、犬士けんしの一人、犬田小文吾ハ、曳手ひくて単節ひとよ行方ゆくへふて山みちふかく入りし折、大ゐののあれきたるに、小文吾ハさけんとなせと、手おひのしゝゆへあれまはり、小ぶんかけて飛かゝるに、「さらバ無益むやく殺生せつしやうながら、いで目にもの見せん」と飛來とびくる」9オ

挿絵

しゝをやりすごし、ひらりと脊上せ〔じ〕やうに打またかり、こぶしかためて打すへれバ、さしものしゝも、大力の小ぶん吾にうちころされぬ。それより小文吾ハ、宿や〔ど〕もとめしに、毒婦とくふ舟虫といへる者のため〔わ〕さわ〔い〕をうけ、石濱いし〔は〕ま城中しやう  ひき立られ、奸臣かんしんくわりにくみをうけてごく中につながれ、日々せめをうけるとも、さらにおそるゝ色をも見せず、からくもけつおくりける。しかるに、こゝきたりしまひ子、乙女おとめといふものハ、小ぶん吾のむしつを知るものから、しのひより、あやふき中をすくひいだせしか、これなん犬士の一人なる犬づか毛乃け〔の〕胤智〔た〕ねともとて、智勇ちゆふすぐれし少年なり。此時、「間者かんしやしのびし」とて、数多あまたとり手の取囲とりかこむを、毛野けのいさ〔ゝ〕かおそれもせず、八方はつはうてきひきうけて」10オ

挿絵

小文吾毛野けのの両人ハ、むらがりよせる捕吏とりての者、きりなびかするありさまハ、人げんわざとハ見へざりける。されども、とりまく捕吏とりての者ハ、多ぜいをたのみて者ともせず、しだい/\、おつ取包つゝみ、「生捕いけとりにせん」とひしめきかゝる。両士ハ必死ひつしゆふをあらはし、十方百方相あたり、こゝ先途せんと死力しり  をつくすふんげき突戦とつせん、さしもにたけ捕手とりて、「もはやかなはじ」とにげいだすを、両士ハからくもじやう中をのがいで、やう/\にしておちのびられたり。」10

挿絵

かへつて説く、犬山道節忠ともハ、田文の地蔵堂を去つて又、白井の城兵しやう  かこまれ、必死ひつし難戦なんせん、已に其身もあやふかりしが、忽然こつぜんとしてほのふもへあがり、道節の姿すかた消失きへうせたりしが、是なん道節の行ふ火遁のじゆつにて、白井の城兵もおどろきしが、此のち、「勇士の」11オ

挿絵

はづべき事なり」とて秘書ひしよを火中に投ぜし折柄、又もや捕手のかゝりしに、忠与たゝともさらにおどろかす、たちまち四方に切なびかせぬ。此時、四犬士の集合しうがうして、再度ふたゝび寄手よせてを切ちらしぬ。又、姥雪おばゆき与四郎親子おやこ曳手ひくて単節ひとよ美女たおやめまで、ふんを尽すたゝかとう、いとめざまし。又、かうしん山の怪談くわいだんきゝて、犬かいげん八、にせ一角を退たい治し、犬村角太郎の素生すじやうり、たがひに犬士けんしのりおよぶ。又、犬田小文吾ハ、石濱をのがれ、毛野にわかれてふねにのり、伊豆いづせん路に猛風もうふう出合であい諸々しよ/\の島をめぐりて浪花におもむき、北陸ほくろく道に下り、越後の國苅羽かりは郡小千谷の里に旅寐たびねして、天下の形勢を伺ひありしに、同國古志郡二十村に牛闘  あはせの神事あるを、「見物せん」と立出しに、名にあふ名高き祭礼なれバ、近郷の者、よりあつまり、ひきの牛をいうにわけ、れをたゝかはしむるハ、眼覚めざましくも又おそろし。しかむれゐる牛の其中にも、一きはへし大牛があれいだし、角をふりたて、あたるにまかせ、角にかけてハはねのけ」12オ

挿絵

立、あれにあれたるいきほひに、誰とて捕ゆる者もなく、人浪立てにげ出すを、小文吾斯くと見るよりも、大手をひろげて立ふさがり、「つのにかけん」ととひかゝる、牛のつのるよと見へしが、力をこめて打すへれバ、さしもの牛もこらへえず、其おひとらへられたり。

さて又、犬つか毛野けの胤智たねともハ、「父のあたたるこみ逸東太いつとうたをうちらん」と、日頃ひころねらしが、文明十五年の正月廾一日の明がたごろ、てきこみ縁連よりつら小田原おたはら使節しせつお〔も〕むくよしをくも、「日ころねがひこの時なり」と、武蔵むさしの國すゝケ森に待受まちうけて、先とも行過ゆきすく折柄おりから、犬坂毛野ハおといで、「縁連よりつら覚悟かくごに及べよ」と大くわつせい上ると諸共もろともたうすらりと抜放ぬきはなち、つてかくれバ、とも人ハ、「すハ狼藉らうぜき」といふよりはやく、前後からして取囲とりかこむを、毛野ハ進退しんたい飛鳥ひてうことく、「敵将てきしやう縁連よりつら討取うちとらん」と、鬼しんあれたるいきほひにて、ふんはたらきすさまじく、このとき西にしの方より犬田小文吾、東の方より犬川さう助、大音声おんしやうに名のりかけ、無二むに無三に切まくる。其勇猛ゆうまうあたり」13オ

挿絵

かたく、とつくつれてにけいだすを、「得たりやおう」と犬士けんしの人々ます/\ふんけき突戦とつせんなすにぞ、かへあはする者もく、はう方にみだたつ。中にもこみ山逸いつとう太ハ、しばし従者しうしや指揮しきなしてありしが、味方みかたの四方にさんずるより、「かなはじ」とにけいだすを、毛野けのすかさずおひすがり、「縁連よりつらにぐる事なかれ。胤智たねとも尋常しんしやう勝負しやうふをせん」とこへかけられても、一生しやう懸命けんめいくもかすみとにげゆくにぞ、毛野けのハさなからとぶごとはしきたるに、縁連よりつらも「最早もはやのがれぬ処なり」と大身のやりとりのべてついてかゝるを、胤智たねともハ「心得たり」と立向ひ一上一下とたゝかひしか、毛野けのきりこむ太刀先に、やり穂先ほさきを切折れ、たじろく処をとびかゝり、つひくびをばあげたりける。又、あふぎやつ定正さたまさハ、やつ山の伏兵ふくへいに「味方敗軍はいくん」ときくよりも、「援兵えんへいいださん」とせしを、忠臣河鯉かはこひ守之もりゆきこれをいさとゝむるもきかず。ゆへにのち自害じがいおよふ。又、定正さたまさハ三百人の兵を品川に繰出くりいだしたるも、犬かいけん八、犬村大かく、犬山道節どうせつの三犬士が此処こゝ彼処かしこよりおこり立、獅子しゝ奮神ふんじんいきほひにて、つきなき立なすほどに、定正の兵ハ」14オ

挿絵

たまるべき、一さゝへもなくみだれ立をバ、定正さだまさ馬上ばしやうたち上り、こへかきりにはげませど、みだたちたるくせとして、踏止ふみとゝまるさらになし。さすがの定正もおそれをなし、すてむちうちてにげゆくを、道節とうせつはるかにこれを見て、「敵将てきしやうかならにぐる事なかれ」と大きうをつかひ、切て放せハあやまたず。かふとられて深手ふかてをうけ、あはや馬よりおちんとする時、河鯉かはこひ孝嗣たかつぐたすけられ、からくも其をおちのびたり。又、信乃しの寡兵くわへいを以て五十子城いさらごじやう乗取のつとり、金銀きんぎん米穀べいこく分捕ぶんどりして、直様すぐさま五十子いさらご立退たちのき、それより犬士けんしハ品川をのこらず引あげたり。

さてまた、里見さとみ義実よしざねハ大ひに武威ぶゐをふるはれ、安房あは上総かづさこと/\く手にぞくせしが、息女そくじよ伏姫ふせひめおはられし長禄ちやうろく元年より二十ねんのちはじめて冨山とやまに入りたまふ。されども瀧田たきた領分れうぶんといゝ、伏姫ふせひめ神霊しんれいの在します冨山とやまの事ゆへ、油断ゆだんせられて主従しゆうじうわづかに三人にて山ふかく入り」15オ

挿絵

たまふ。此時、安西あんさい残黨さんとう たちまおこり、里見さとみ主従しゆうじう取囲とりかこめバ、仮令たとへ弁慶べんけいゆうくすのきありといへども、のがれべくとハ見へざりける。然共しかれとも強氣がうき義実よしさねなれば、みづから太刀をぬきかざし立むかはるゝ。其折柄、不思義ふしぎ忽然ことぜんとして一人のどうあい あらはれ、安西あんざいにうち向ひ、「なんじら鼡輩そはいぶんとして里見さとみあたなす共、天理てんりそむきし者ゆへに、などか天のゆるすべし。降参かうさんさバよし、もなき時ハ一人ものこらずうちらん」と、理非りひつくして説諭ときさとすに、安西あんさいおそれをなし、みな降伏かうふくして随身すいしんなせしハ、これみな伏姫ふせひめ神霊しんれいどう子にのりうつり、くハいわする者なり。是なん、いぬ江新しん衛仁まさしと名のる八犬士けんしだい一人となる者なり。

又、蟇田ひきた権頭ごんのかみ素藤もとふじといふ者、悪逆あくぎやくたくまふし、里見さとみあだする事のしば/\なるより、義実よしさねハ先に」16オ

挿絵

召連めしつれられし犬江しん兵衛仁といふ者、君命くんめいうけ館林たてはやし城中じやう  いたり、勇威ゆうゐ明弁めいべんを以て城兵しやうへいおそれしめ、素藤もとふじ生捕いけとりて帰りしか、義実よしさねしんを以て素藤もとふじをゆるしかへせしが、素藤もとふじ女僧あま妙椿めうちん色香いろかまよひ、又候、逆威ぎやくゐふるひて、たて山のしろさへうばひかへして、さと見勢をな〔や〕ますにぞ、再度、新兵衛ハ館山城たて  じやうのりこみ、又候、素藤もとふじいけどり、あま妙椿めうちん打殺うちころしぬ。此尼ハ、八つふさの犬にちゝあたへしたぬきにして、因縁いんえんぐわ物語ものかたりハりやくす。

扨又、「義烈ぎれついん殿でん里見さとみ基秀もとひでつひ善」ときゝ、結城ゆふき家臣かしん長城おさらき枕之まくら 助、端利はやとしかた名、衆司しやうじ経稜つねかど根生野ねおひの飛雁ひがん太、もと」17オ

挿絵

より抔といふ、邪奸じやかんを旨とすくせ者をかたらひ、其上おのれの弟子でし堅削けんさくなんどを手につけて、逸匹寺いつひきしの住寺とく用といふ者、其せい二百五十四人、三手にわかれて法場はふじやうをせめんとす。くとくより、七犬士けんしてきはかりて二ケ所に分れ、道節どうせつ、大かく毛野けのハ大あんのこり、さう介、小文けん八は林の中に埋伏まいふくし、犬づか信乃しの蜑崎かにさき十郎と共に大法師はふし守護しゆごして立退たちのく事にしめし合せ、「今や来れ」とまちうけたり。かくとも知らず、あくさう共ハ手に/\柄者えものたづさへて、一時にとつおし寄せ乱入なすを、まちまうけたる人々ハ、此処こゝ彼処かしこよりおこり立、前後からして切立るに、思ひもよらぬ事」18オ

挿絵

なれば、悪僧あくさう共ハ狼狽うろたへまはり、「扨こそそなへのあると見へたり。者共油断ゆだんすべからず」と、茲にやいばまじへしが、何かハ以てたまるべき。〔きり〕切なびかされてみだたつをバ、里見勢ハ付入/\切立るに、悪僧あくさう共ハたまかね、右方左方ににげまよう。又、犬づか信乃しのハ大法師はふし守護しゆごして立退、左右まで川の辺りにて悪僧の首領しゆれう徳用にいで〔あひ〕あひければ、「おのれをなどのがさんや」と信乃しのハ太刀をふりかざし、むら〔が〕よす賊勢ぞくせいを切なびかしてはたらきしが、わづかに信乃しのひきゆる者ハ十人にすぎざるより、悪僧あくさうどもあなとりて、又候、押取おつとりかこむにぞ、信乃しの単身たんしん縦横じゆうわうして大ひにたゝかひ、徳用とくようを目かけて切かけたれバ、「心得たり」と身かまへなし、秘術ひしゆつをつくして」19オ

挿絵

たゝかひしが、信乃しのハ名におう飛鳥ひてうことく切立る其早業はやわざに、徳用とくようすであやふく見へたりけれバ、群僧ぐんさう共ハさら新手あらての者をまじ取囲とりかこむをバ切ちらし、又もや徳用とくようたゝかひしが、いらつて切込太刀さきに、長刀なきなたを切おとされおどろところを手ををはせしが、からくもあやふき中をものがれぬ。また、蜑崎あまざき十郎ハ、強勇がうゆふ無双ぶさう端利はやとしが、大ぐん取囲とりかこまれ、必死ひつしきはめてふせぎしが、しゆうくわ何おかてきすべき。あはやうたれぬ其折柄、犬江新兵衛しんべえまさしにおひてハ、葦駄天ゐたてんごととひきたり、飛鳥ひてうことはたらきに、端利はやとしへいハ切立られ、うたるゝ者、其かずれず。

此時、まさし同行どうかうしたる政木まさき高嗣たかつく石亀屋いしかめや次團太じたんたなどといへる者、長城おさらぎへい取囲とりかこまれ、空敷むなしくこゝうたれしが、新兵衛ハ古今こゝん早業はやはざなれば、ふか入りなせどもうす手もおはず、端利はやとしへいを大はんり、悪徒あくとこと〔/\〕たいらぐ。れより、八犬士はつけんしみなあつまり、白濱しらはま無量むりやう延命寺えんめいじ里見さとみ季基すへもと送棺さうくわんいとなまる。これより妙真めうしん」20オ

挿絵

ひく手、単節ひとよ、犬江新兵衛しんべえ再會さいくわひし、里見さとみ父子も、八犬士が軍功ぐんこうしやうせられ、かさね/\恩賞おんしやうあたへられ、里見さとみこゝいたりて、ます/\武威ぶゐかゝやかし、大へいとなへしも、再度ふたゝび鎌倉かまくら合戦かつせんはじまるにおよんでも、一當千とうせんの八犬士がゆうふるつて衆敵しゆうてきやぶるにぞ、遠近えんきん諸侯しよこうたれあつて敵對てきたふ者なきにいたる。れより、里見さとみ義実よしざねいきほひます/\にふるひ、安房あは上総かつさえんれうしてさかへたりけるとなん。

【後ろ表紙】

挿絵


#「明治期合巻『里見八犬傳』―解題と翻刻―
#「人文研究」第41号(千葉大学文学部、2012年3月)所収
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#               大妻女子大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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