【解題】
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を受容史から考えるための資料として、『八犬伝』を抄録した刊行物の紹介を続けてきているが、今回は明治出来の合巻『里見八犬傳』を紹介したい。
この本は製版(木版)で中本2冊(上下巻各10丁)、錦絵風摺付表紙を備え、全丁絵入りである。近世期の合巻の造本様式を継承しつつも、挿絵の周囲を埋める本文は平仮名ではなく漢字仮名交りで、版面様式から見ると全丁絵入の切附本と同様である。
これら明治出来の合巻を〈明治期合巻〉と呼ぶことを提唱しているが(高木元「十九世紀の草双紙」(隔月刊「文学」、岩波書店、2009年11・12月)、とにかく造りが安っぽい。表紙にアニリン性化学染料を用いた赤色やベロ藍(紫色)を多用している点に特徴があるので、明治期の出板であることは一目瞭然である。料紙も少し厚手でくすんだ色の漉き返しが用いられ、墨摺の挿絵なども綿密な描き込みは見られず、雑で大味。文字も仮名漢字混じりで大きくなり、文章自体も短くて絵の周囲に空間が多くスカスカな印象である。細かく精緻で美麗な江戸期の合巻とは印象がまるで異なるのであるが、内容や体裁から見れば、紛うことなく〈合巻〉と呼んで差支えない(同様の板面を持つ切附本は5丁1冊の意識が見られない。それに対して〈明治期合巻〉の多くは5丁1冊を2冊合綴して上下2巻(20丁)に仕立てている。)。
これらは主として明治10年代に松延堂(大西庄之介)などから出されたものが多いと推測されるが、その全貌は明らかになっていない。如何せん粗雑な冊子であるため消耗品として扱われ、大半が散逸してしまったものと思われる。少しまとまった資料を所蔵しているのが国立国会図書館であるが、明治期刊行物の中の〈絵本〉というカテゴリーで括られており、銅版絵本や活版本など混じっているので、1点ずつの確認が不可欠である。また、他の地方公立図書館などにも散見するが、その多くは未整理か郷土資料中に埋もれていることが多い。結果として、個人蔵の資料に負うところが少なくない。今回も、架蔵本中に「八犬伝もの」が見出せなかったので、山本和明氏の所蔵本を拝借した。
さて、八犬伝抄録の読切り(短編)合巻としては珍しく、発端部のみならず比較的後半部までを扱っている。単なる名場面集ではなく、つとめて筋を紹介する意図は汲み取れるものの、飛躍が目立つ乱暴な記述が多く、挿絵と合わせ見ても細かな筋を追うことは難しい。やはり初読者の早分かり用ではなく、一度読んだことのある人向きに作られたものと思われる。だが、故意か不注意か、信乃が芳流閣を目指して〈鎌倉〉に行ったり、道節が田文地蔵堂で火遁術を捨てたりと、原作と異なる箇所が見受けられる。それでも、何とか発端から里見家の再興までを描いている点の努力は認めたい。ただ、作者名も記されて居らず、誰の手になるものかは不明である。
【書誌】
『里見八犬傳』
書型 中本(17・5×11・8糎) 上下2冊
表紙 摺付表紙。外題と「岡田版」「外題 房種筆」「上・下」
外題 「 里見八犬傳」
見返 なし
序 なし
改印 なし
板心 「八犬傳 一(〜二十)」
作者 記載なし
画工 房種(外題)
丁数 10丁×2冊
板元 岡田版
諸本 山本和明氏蔵(底本)、個人蔵(下のみ)、架蔵(20丁欠)
一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣い、異体字等も可能な限り原本通りとした。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、読みやすさを考慮し、係助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、句読点は一切用いられていないが、私意により句読点を付した。
一、会話文や心中思惟の部分には括弧「 」を補った。
一、丁移りは 」5オのごとく丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時も〔 〕で示した。
一、底本の使用を許された山本和明氏に感謝致します。
里見八犬傳 上 下、岡田版、「外題 房種筆」
【本文】
安房上総の國主里見氏ハ、清和源氏の末孫里見 季基の嫡男 義実を以て安房の國主となす。其頃、宝町将軍義教公と鎌倉の持氏と確執に及び、のち持氏鎌倉に亡ぶ。此時、公達春王安王を救ひ、結城氏朝里見と相謀り、下総の國結城の城に籠り、鎌くら勢を引うけて戦ふ事三年、兵粮矢種の竭て、城兵盡く討死に及ぶ。義実も城を落ての后、「再度義兵をあげん」と打のこされし郎等を集め、相模の國三浦なる矢取の入江におちのびて后、安房」1オ
にわたる。或る時、日ころ愛せらるゝ八つ房といへる大に向ひて申されけるハ「なんじ畜生ながらも能く聞よ。義実不運にして敗軍し、今又、如何とも為す能はず。若し敵将の首をうる其時ハ、娘 伏姫を与ふべし」と戯れながらに宣ひしに、犬ハ首をたれ始終の事を聞ゐしが、頓ての事に立あがり、二聲三聲吼たけり。其儘何処へか馳行しに、義実におひても「犬の素振合點ゆかず」と想はれしが、其のち、氣にも畄ざりしに、ある夜、八ツ房の声にして吼る事頻りなりければ、義実にも不思儀におもはれ灯び片手に立いで見れバ、正しく敵将の」2オ
首をバくわへ、うづくまりてそ居たるにぞ、流石の義実も竒異の思ひをなし、尚、首級を改めて、弥々おどろくばかりなり。其旨、家臣等へも告もして、八つ房を深く愛し給ひしが、犬ハ頻りに吼たけり、何やらねだる有様に「扨ハ伏姫を望む者ならん」と胸にうなつき給ひしゆへ、息女をバ片辺に招き見玉ひしに、犬ハ斯と看るよりも忽ちひらりと飛あがり、姫が振袖を食へ連行もせん有様なれば、義実大ひに打おとろき、鑓取延て一突と見構へあるに、姫ハ父君にうち向ひ「仮令ちく生なればとて、君の仰せに敵の首をも取りし者ゆへ、偽りてハ其罪深し」」3オ
是も前生の因縁と諦め玉ひ、犬諸共に深山に入らん」と望まれけるに、義実も呆れ給ひしが、斯くと聞より、八つ房ハ忽ち姫を脊に打のせ、宛然中を飛如く、何國共なく馳行にぞ、義実大ひに驚る。此時金椀大輔高〓ハ「某し姫の御行衛み届けん」と、馬に打のり、後を慕ふて追かけしに、途中におひて見失ひ、夫れより馬を乗放ち、山又やまと分入りける。
偖又、伏姫ハ八つ房に誘れ、冨山の奥にいたられ、讀經の外なし。此時、神童に逢て因果の道理を知り、居らるゝ事二年。又、大輔ハ姫の在処を探り、やう/\にして冨山に入り」4オ
姫と犬とを遙かに見て、准備の鳥銃取るより早く狙を定めて打放せバ、犬ハ首尾能討たれど、姫にも最期を遂しにぞ、大輔ハ驚き其場に自害なさんとする時、義実猟矢を飛して之れ止め来りて、役の行者の告げに依つて爰に来り。前世の因縁を物語らる。又大輔の鳥銃に、伏姫の持れし水晶の数珠八つの玉の八方に飛去りける。
却説く、其以前、結城へ籠城したる井の丹蔵直秀の娘手束といふ者、弁天へ日参し、帰りに小犬を助けて伏姫の神霊に逢ひ、懐妊して男子を産。夫れなん犬塚信乃とて、八犬士の一人なり。又、農夫蟇六の娘濱 路といふ者、其実、豊嶋家の一族の娘なり。不幸にして農夫の養女となり、「犬塚信乃を婿にせばや」と養母亀笹がはからひしも、其実、村雨丸の刀をうばひ、鎌倉殿へ献ぜんとす。又、此家に小者で額蔵といふ」5オ
后に犬川荘助とハこれなり。また信乃ハ名刀を献ぜんと准備をいたし、出立の日も近きにより、濱路ハ深く嘆ちしも、信乃ハ更に心を引れず、鎌倉さして出立いたしぬ。又、ひかみ宮六といふ者、濱路に戀慕し、左母次郎といふ」6オ
者と謀る。此時、濱路ハ夫信乃の後を慕ひて迯出しが、山中に左母次郎に捕へられ、あはや肌をも汚さんとする時、行者の助けを得て、圖らす兄妹の名乗に及ふ。これなん犬山道節なり。扨又、犬塚信乃に於てハ、村雨丸の刀、掏替られしハ知らすして古我の御所に赴き、成氏朝臣〔へ〕奉りしに、「其太刀の贋物なり」迚ゆるし玉はず、已に縄をもかけられんとするに、信乃ハ覚へのはやきゆへに、詞を盡して見たなれど、遁れかたきを知る者から、向ふ捕手を投ちらし、芳流閣の屋の上に飛あがり、近よる者を切ちらす。其働きハいと目覚し」7オ
此時、一人の勇士いと厳重なる出立にて進み來るに、信乃〔ハ〕「望む敵なり」と、之れよ〔り〕両士ハ戦ひしが、遂に組んで坂東川に落、互ひに氣ぜつ致せしも、古那や文吾兵衛に助けられ、蘇生の後、素生を語りて兄弟の義を結ぶ。此一人が犬飼現八なり。
却説、犬山道節忠与ハ、本郷圓塚山を立退てより、村雨丸の太刀を賣んと僞り、定正を討んと謀りしに、巨田助友の謀計に陥ち、数人の敵に取囲まれしが、辛くも遁れて、田文の地蔵堂〔に〕忍びし。折柄、又、一人の若者が續ひて後より入り來りしが、暗夜の事ゆへ、誰なるや互ひに面躰の分らねど、「斯る處に居るからハ只者ならし」と思ふ者から、両士ハ太刀を抜合せ、暗にも閃く刄の稲妻、秘術を盡して」8オ
戦ひしが、何れも劣らぬ勇士と勇士、勝負ハ更にあらずして、暗に紛れて者別れにそ相成りたり。それより后、五犬士ハ、白井の大軍麓村へおしよせるの時、数百の敵を引受て戦ひし。其勇猛に恐れけん、吶とばかりに敗軍して、遠く人数を引揚し者の其後、上野荒芽山の麓に於ての血戦、与四郎音ねの働きハ畧す。此時、犬士の一人、犬田小文吾ハ、曳手単節の行方を追ふて山路深く入りし折、大猪のあれきたるに、小文吾ハ避んとなせと、手おひの猪ゆへ荒廻り、小文吾目かけて飛かゝるに、「さらバ無益の殺生ながら、いで目にもの見せん」と飛來る」9オ
猪をやりすごし、ひらりと脊上に打またかり、拳を堅めて打据れバ、さしもの猪も、大力の小文吾にうち殺されぬ。それより小文吾ハ、宿を求めしに、毒婦舟虫といへる者の為に災をうけ、石濱の城中に引立られ、奸臣馬加大記が憎みをうけて獄中に繋がれ、日々責をうけるとも、更におそるゝ色をも見せず、辛くも数月を送りける。然るに、茲に來りし舞子、乙女といふ者ハ、小文吾のむしつを知るものから、しのひより、あやふき中をすくひいだせしか、是なん犬士の一人なる犬塚毛乃胤智とて、智勇すぐれし美少年なり。此時、「間者の忍びし」とて、数多の捕手の取囲むを、毛野ハ聊かおそれもせず、八方敵を引うけて」10オ
小文吾毛野の両人ハ、群がりよせる捕吏の者、きりなびかするありさまハ、人間業とハ見へざりける。されども、取まく捕吏の者ハ、多勢をたのみて者ともせず、しだい/\、おつ取包み、「生捕にせん」と犇きかゝる。両士ハ必死の勇をあらはし、十方百方相当り、爰を先途と死力をつくす奮激突戦、さしもに猛き捕手等、「もはや協はじ」と迯いだすを、両士ハ辛くも城中を遁れ出、やう/\にしておちのびられたり。」10
却て説く、犬山道節忠与ハ、田文の地蔵堂を去つて又、白井の城兵に囲まれ、必死の難戦、已に其身も危ふかりしが、忽然として炎〓あがり、道節の姿ハ消失たりしが、是なん道節の行ふ火遁の術にて、白井の城兵も驚きしが、此后、「勇士の」11オ
恥べき事なり」とて秘書を火中に投ぜし折柄、又もや捕手のかゝりしに、忠与さらにおどろかす、忽ち四方に切靡かせぬ。此時、四犬士の集合して、再度寄手を切ちらしぬ。又、姥雪与四郎親子、曳手単節の美女まで、死奮を尽す戦ひ等、いとめざまし。又、庚申山の怪談を聞て、犬飼現八、僞一角を退治し、犬村角太郎の素生を知り、互ひに犬士の名乗に及ぶ。又、犬田小文吾ハ、石濱を遁れ、毛野に別れて舩にのり、伊豆の舩路に猛風に出合、諸々の島をめぐりて浪花に赴き、北陸道に下り、越後の國苅羽郡小千谷の里に旅寐して、天下の形勢を伺ひありしに、同國古志郡二十村に牛闘の神事あるを、「見物せん」と立出しに、名にあふ名高き祭礼なれバ、近郷の者、よりあつまり、数十頭の牛を左右にわけ、之れを闘はしむるハ、眼覚しくも又おそろし。然る群ゐる牛の其中にも、一層肥へし大牛があれいだし、角をふり立、あたるに任せ、角にかけてハ刎のけ」12オ
蹴立、荒にあれたる勢ひに、誰とて捕ゆる者もなく、人浪立てにげ出すを、小文吾斯くと見るよりも、大手をひろげて立ふさがり、「角にかけん」と飛かゝる、牛の角を取るよと見へしが、力を込て打据れバ、さしもの牛も堪へえず、其場に於て捕へられたり。
偖又、犬塚毛野胤智ハ、「父の仇たる篭山逸東太をうち取らん」と、日頃付狙ひ居しが、文明十五年の正月廾一日の明がたごろ、敵、篭山縁連ハ小田原へ使節と赴くよしを聞くも、「日頃の願ひこの時なり」と、武蔵の國鈴ケ森に待受て、先共の行過る折柄、犬坂毛野ハ踊り出、「縁連覚悟に及べよ」と大喝一声上ると諸共一刀すらりと抜放ち、切つて掛れバ、供人ハ、「すハ狼藉」といふよりはやく、前後からして取囲むを、毛野ハ進退飛鳥如く、「敵将縁連を討取ん」と、鬼神の荒たる勢ひにて、死奮の働きすさまじく、此時、西の方より犬田小文吾、東の方より犬川荘助、大音声に名のりかけ、無二無三に切まくる。其勇猛に当り」13オ
難く、吶と崩れて迯いだすを、「得たりやおう」と犬士の人々ます/\奮激突戦なすにぞ、返し合する者も無く、右方左方に乱れ立。中にも篭山逸東太ハ、しばし従者を指揮なしてありしが、味方の四方に散ずるより、「斯ハ協はじ」と迯いだすを、毛野ハ透さずおひ縋り、「縁連にぐる事なかれ。胤智尋常の勝負をせん」と声かけられても、一生懸命雲を霞とにげゆくにぞ、毛野ハさなから飛如く走り來るに、縁連も「最早遁れぬ処なり」と大身の鑓を取のべて突てかゝるを、胤智ハ「心得たり」と立向ひ一上一下と戦ひしか、毛野か切込太刀先に、鑓の穂先を切折れ、たじろく処を飛かゝり、遂に首をばあげたりける。又、扇が谷の定正ハ、谷山の伏兵に「味方敗軍」ときくよりも、「疾く援兵を出さん」とせしを、忠臣河鯉守之これを諫め止むるも聞ず。ゆへに後自害に及ふ。又、定正ハ三百余人の兵を品川に繰出したるも、犬飼現八、犬村大角、犬山道節の三犬士が此処彼処より起り立、獅子奮神の勢ひにて、突立薙立なす程に、定正の兵ハ」14オ
堪るべき、一支へもなく乱れ立をバ、定正馬上に立上り、声を限りにはげませど、乱れ立たるくせとして、踏止まる更になし。遉がの定正も怖れをなし、棄鞭うちて迯行を、道節はるかに之を見て、「敵将必ず迯る事勿れ」と大弓に矢をつかひ、切て放せハ過またず。兜を射られて深手をうけ、あはや馬より落んとする時、河鯉孝嗣に助けられ、辛くも其場をおちのびたり。又、信乃ハ寡兵を以て五十子城を乗取り、金銀米穀を分捕して、直様五十子を立退、それより犬士ハ品川を残らず引あげたり。
扨また、里見義実ハ大ひに武威をふるはれ、安房上総こと/\く手に属せしが、息女伏姫が終られし長禄元年より二十余年の后、始めて冨山に入り給ふ。され共、瀧田の領分といゝ、伏姫神霊の在します冨山の事ゆへ、油断せられて主従わづかに三人にて山ふかく入り」15オ
給ふ。此時、安西の残黨 忽ち起り、里見主従を取囲めバ、仮令、弁慶の勇、楠の智ありと〓も、遁れべくとハ見へざりける。然共、強氣の義実なれば、自ら太刀を抜かざし立向はるゝ。其折柄、不思義や忽然として一人の童子相 顕れ、安西の徒にうち向ひ、「汝じら鼡輩の分として里見の家に仇なす共、天理に背きし者ゆへに、抔か天のゆるすべし。疾く降参を為さバよし、左もなき時ハ一人も残らず討取らん」と、理非を盡して説諭すに、安西の徒ハ恐れをなし、皆降伏して随身なせしハ、是皆、伏姫の神霊、童子に乗移り、斯くハ言する者なり。是なん、犬江新兵衛仁と名のる八犬士中第一人となる者なり。
又、蟇田権頭素藤といふ者、悪逆を逞ふし、里見家に仇する事の屡なるより、義実ハ先に」16オ
召連られし犬江新兵衛仁といふ者、君命を受て館林の城中に到り、勇威明弁を以て城兵を怖れしめ、素藤を生捕て帰りしか、義実仁心を以て素藤をゆるし帰せしが、素藤、女僧妙椿の色香に迷ひ、又候、逆威を震ひて、舘山の城さへ奪ひかへして、里見勢を悩ますにぞ、再度、新兵衛ハ館山城に乗込、又候、素藤を生どり、尼妙椿を打殺しぬ。此尼ハ、八つ房の犬に乳を与へし狸にして、因縁因果の物語りハ畧す。
扨又、「義烈院殿里見基秀の追善」ときゝ、結城の家臣長城枕之助、端利堅名、衆司経稜、根生野飛雁太、素」17オ
頼抔といふ、邪奸を旨とす曲者を語らひ、其上己れの弟子堅削なんどを手に属て、逸匹寺の住寺徳用といふ者、其勢二百五十四人、三手に別れて法場をせめんとす。斯くと聞くより、七犬士ハ敵を謀りて二ケ所に分れ、道節、大角、毛野ハ大庵に残り、荘介、小文吾、現八は林の中に埋伏し、犬塚信乃ハ蜑崎十郎と共に大法師を守護して立退く事に諜し合せ、「今や来れ」と待うけたり。斯とも知らず、悪僧共ハ手に/\柄者を携へて、一時に吶と押寄せ乱入なすを、待設けたる人々ハ、此処彼処より起り立、前後からして切立るに、思ひもよらぬ事」18オ
なれば、悪僧共ハ狼狽まはり、「扨こそ備へのあると見へたり。者共油断すべからず」と、茲に刄を交へしが、何かハ以てたまるべき。〔きり〕切なびかされて乱れ立をバ、里見勢ハ付入/\切立るに、悪僧共ハ堪り兼、右方左方に迯まよう。又、犬塚信乃ハ大法師を守護して立退、左右川の辺りにて悪僧の首領徳用にいで〔あひ〕合ければ、「己れを抔か遁さんや」と信乃ハ太刀を振かざし、群〔が〕り寄る賊勢を切靡かして働きしが、僅かに信乃が率ゆる者ハ十人に過ざるより、悪僧ども侮りて、又候、押取囲むにぞ、信乃ハ単身縦横して大ひに戦ひ、徳用を目掛て切かけたれバ、「心得たり」と身かまへなし、秘術をつくして」19オ
戦ひしが、信乃ハ名におう飛鳥の如く切立る其早業に、徳用ハ已に危ふく見へたりけれバ、群僧共ハ更に新手の者を交へ取囲むをバ切ちらし、又もや徳用と戦ひしが、焦つて切込太刀先に、長刀の穂を切おとされ驚く處を手を負せしが、辛くも危ふき中をも遁れぬ。また、蜑崎十郎ハ、強勇無双の端利が、大軍に取囲まれ、必死を究めて防ぎしが、衆寡何おか敵すべき。あはや討れぬ其折柄、犬江新兵衛仁におひてハ、葦駄天の如く飛來り、飛鳥の如き働きに、端利が兵ハ切立られ、討るゝ者、其数知れず。
此時、仁が同行したる政木高嗣、石亀屋次團太抔といへる者、長城が兵に取囲まれ、空敷爰に討れしが、新兵衛ハ古今の早業なれば、深入りなせども薄手も負ず、端利が兵を大半討取り、悪徒ら盡く平らぐ。夫れより、八犬士ハ皆集り、白濱の無量延命寺に里見季基の送棺を営る。之より妙真」20オ
曳手、単節、犬江新兵衛に再會し、里見父子も、八犬士が軍功を賞せられ、重/\恩賞を与へられ、里見家、爰に至りて、ます/\武威を輝かし、大平を唱へしも、再度、鎌倉の合戦相始まるに及んでも、一騎當千の八犬士が智勇を揮つて衆敵を破るにぞ、遠近の諸侯誰あつて敵對者なきに至る。之れより、里見義実の勢ひます/\に揮ひ、安房、上総一円を領して栄へたりけるとなん。
【後ろ表紙】