明治期翻刻本の出版
高 木   元 

はじめに

所謂「ボール表紙本」は、明治5年頃から試行錯誤されつつ出版され始め、10年代から隆興して20年代に及び、様々のジャンルの本が夥しく出版された。

ボール表紙本の原型となった板紙(ボール紙)を芯に用いた表紙を備える洋書や、表紙に貼られた石版(リトグラフ)に拠る多色刷技法も、既に明治初年には伝来していた。活版印刷術の発展に拠り、多種多様な活字の鋳造が可能になり、かなり精緻な組版が見られるようになる。さらに輸入された西洋紙の流通と相俟って、紙の両面への印刷が可能になった。その結果、一編の書物が劇的に小型になり、同時に一冊に於ける文字集積率が著しく増大したのである。

正方形の仮想ボディを整然と縦に積重ねた金属活字による組版は、整版本の文字高が一定しない毛筆連綿字(所謂崩し字)を板下とするより、はるかに視認性と可読性とに優れていた。平仮名を主体とした草双紙の活字翻刻本は、漢字を宛て仮名漢字混じりに組むことによって、さらに読みやすくなったはずである。

つまり、活版印刷に拠る西洋紙両面印刷と洋装本仕立ての製本法の普及に拠り、情報量に比して書物の体積が圧倒的に減り、早く、大量に、精確に、そして安価に情報の複製が可能になったのである。それに加えて、可読性の向上は、読む速度の上昇にも寄与したと考えられる。

近世期の書物は、内容やジャンルと造本様式との有機的な関係性が強かったので、書型による分類整理は有効な手段であった。だが、この初期の洋装本様式であるボール表紙本は、少しく近世期とは様相を異にしていると思われる。

さて、ボール表紙本に関する研究は、早くに鈴木徳三「明治期における「ボール表紙本」の刊行」▼1が備わり、ボール表紙本という呼称の早い用例として石井研堂「明治のボール表紙本時代」▼2を挙げている。 一方、その造本に関して木戸雄一「明治期の「ボール表紙本」の製本」▼3は詳細な製本技法に関する調査を踏まえ、外見は同様に見えても製本技法には違いのあることを報告しており、さらに同「明治期「ボール表紙本」の誕生」▼4 では、山本和明「近世戯作の〈近代〉」▼5 の近世期に於ける書型による本の格の違いをボール表紙本が画一化したという指摘や、拙稿「江戸読本享受史の一断面」▼6) の粗本と見做されていたボール表紙本の中には意匠や価格に高級感をもたせたものが存するという指摘を承けて、法律書など黎明期のボール表紙本が保有した洋装本としての書物史上の位置付プレゼンスに関する考察がなされている。

近年、今野真二『ボール表紙本と明治の日本語』▼7 では、氏が蒐集した284標目のボール表紙本のリストを掲げ、ボール表紙本という様式が多様なジャンルの違いを包括した造本群であることを見据えた上で、その書型や内容などの多様性を踏まえ、明治期の日本語に於ける組版や書記に着目した分析を行っている。

さて、紙型が普及し始める明治10年代以前は活字を組んだ〈版〉の保存は困難であった。再摺りが必要となる度に組版し直す(文字通り再版する)必要があったのである。そのために、一見すると同じ装訂で同じ組版に見える夥しい異版群が発生した。

これらの異本に着目した今野真二『日本語学講座第七巻 ボール表紙本』▼8 は、草双紙など整版本が翻刻されたり、近世期の実録写本が翻刻されたりする時に生じる異版間に見られる表記の差異について分析している。さらに、一見同じ標目に見える異版などの諸版書誌の調査、同内容のボール表紙本と和装活版本との比較、さらに、具体的な出版工程などを踏まえた上で、語彙や振仮名、仮名遣い表記の差異などの具体例を列挙して、明治初期の書記体系の特質を論じており大変に興味深い。

明治期の翻刻本

新しい媒体メディアが発生すると、新たな情報資源コンテンツの供給が間に合わず、従来の媒体からの媒体変換メデイアコンバートが行われるのが通例である。明治10年代からの活版印刷興隆期も同様で、近世期に整版本として、あるいは実録写本として貸本屋で流通していた夥しい読み物が次々と翻刻されることとなった。

唯一の例外は、新たに創刊された日刊新聞である。活版印刷黎明期において、日刊新聞は当日1回限りの版の使用で済み、最も活版印刷に相応しい媒体であった。しかし、書籍となると時間的経過や評判などに拠っては、需要に見合った増刷が不可欠であり、紙型が一般化するまでは、前述のように多くの異版が流通することになるのであった。

ところで『国立国会図書館所蔵明治期刊行図書目録』第4巻「語学・文学の部」(1973年)は、完全に網羅されていないのは当然としても、明治期に刊行された書物の全体像が良く分かる目録だといって差し支えない▼9。 この目録を見るに、「文学の部」の「日本文学」以下に近世文学が「江戸小説」「読物・実録」「滑稽・諷刺」「絵本」と分類され、近世期板本の後印本(所謂近代刷)と倶に、多数の翻刻本が登載されている。そして、此等の活版本の中には、いくらかの和装本が混じるなか、多数のボール表紙本が見られるのである。

例えば、春水の『いろは文庫』の翻刻本は、明治16年4月刊の大阪 北村孝次郎・瀬戸清次郎板の和装18冊(54巻)18cmを初めとして、明治43年の三教書院刊〈袖珍文庫第1、2、7編〉13cm、明治44年9月刊の有朋堂刊〈有朋堂文庫〉18cm、明治45年6月の大川屋板〈十銭文庫第17編〉洋装本19cmまで、和装洋装とりまぜ29種もの標目が登載されている。一方、『絵本太閤記』など絵本物や通俗物の長編読本も翻刻本の出版点数が多いが、やはり馬琴読本が目立つことに気付かされる▼10。 その一方で、1点しか登載されていない読本や合巻も少なくない。

ボール表紙本の原稿

明治期活字翻刻本の出版に際して用いられた原稿に就いては、板本に用いられている崩し字が読める職人が多かった筈であるから、わざわざ手書きの翻刻原稿が作成されることなく、板本がそのまま原稿(組版指定紙)として用いられたのではないかと想像されてきた。

高井蘭山翁校合、有阪蹄齋翁画圖『平家物語圖會へいけものがたりづゑ』前後2編各6巻6冊という比較的多く残存している読本がある。 確実な早印本は見ていないが、前編「丑年春日」は象嵌)

  文政十二丑年春日發兌
        京師 伏見屋半三郎
    書林  攝陽 河内屋茂兵衞
        江戸 大阪屋茂吉郎

後編は

  嘉永二年己酉九月発兌
        大坂 河内屋茂兵衛
    書林  同  河内屋藤兵衛
        江戸 大坂屋茂吉郎
とあり、見返の記述から、前編は「羣玉堂」、後編は「羣玉堂・群鳳堂」の蔵版であることが知れる。

この板本のうち次のような一本が手許にある。『平家物語圖會』前編(巻一〜六)合綴一冊(巻之六の末丁丗四丁破損)。桃色無地表紙左肩に題簽「平家物語圖會 前編 全」。見返なし、巻頭に後編(巻之七)の「平家物語圖繪序[水落石出]」が綴じ込まれている。墨に拠る毛筆と赤インクに拠る組版指定の書き込みと、朱墨に拠る訂正が見られる。以下、少々煩雑になるが、具体的に紹介してみる。

 

・最初に綴じ込まれた後編「平家物語圖繪序\文政丙戌仲秋阮望\它山處士\北海書」(「平家物語圖會巻之七 口一〜口四」)の冒頭(口一オ)右肩に「明四号花枠\系入」(赤)、 最初の文字に「四号文字」(墨)、左肩に「六」(赤)とある。左肩には墨書で「3」とあり、記事番号かと思われる。

 

以降、序末まで左肩に「七〜九」(赤)と頁の指定が施されている▼11

・前編(巻之首)の「平家物語圖會自叙[流光野人\□躍地]\文政九年丙戌夏至\東武南郊芝伊皿子隠士 高井蘭山叟題」(序一〜序五)の最初(序一オ)右肩に「明四号花枠\系入」(赤)、冒頭文字に「四号文字」(墨)、匡郭に「花欄」(墨)、左肩に「一」(赤)とある。またその下に墨書で「1」とあり最初の記事であることを指示している。

 

以降、自序末まで「二〜五」(赤)と頁と指定が施されている。

〔仮名序〕(序題なし)\殿岡北海」 (序四〜五)の最初の丁(序四オ)右肩に「明」を塗り潰し消した下から「菱湖\花枠四号系ナシ」(赤)と文字種と匡郭、活字の大きさ、罫の指定があり、左肩に「四」(赤)、その下に墨書で「2」と記事番号がある。次丁、序五オの左肩に「五」(赤)とあり、〔仮名序〕には四〜五と頁が指定されている。

 

・「平家物語作者へいけものかたりさくしや 琵琶法師謡物之事びははふしうたひもののこと\文政十丁亥皐月\高蘭山翁再誌」(六オ)右側に「明五号 カナナシニテゼヒ壱ページノコト」(赤)、右上に「大山採字」(赤)とある。左肩に「十」(赤)、その下に墨書で「4」とあり、頁と記事番号が示されている。

 

・口絵「源三位頼政入道」(六ウ)の上部には墨書で「5」「画十二ページ」とあり、五番目の記事として十二頁の口絵が入ることが指示されている(右丁)

・目録「平家物語へいけものがたり圖會づゑ} 〓目録そうもくろく(十〜十五オ)。右肩「○ハ●ナリ」(赤)、見出部分に「4」(赤)、巻数に「◎」(赤)を付し「4」(赤)、本文に「5」(赤)と活字号数を指定、上に「黒丸」「以下都\黒丸」、左肩に「十一」(赤)、その下に墨書で「6」とある(左丁)

 

以下、目録末まで、削除する挿絵目録を赤線で消す。巻之十の最後の挿絵目録「小松こまつ三位さんゐ維盛これもり入道にふだう那智なち参詣さんけい」を赤線で消し「○佐々木盛綱藤戸の海の浅瀬を尋ねる圖」と書き込む。(十四オ)、巻之十二の最初の小見出「土佐房正俊とさばうしやうじゆん堀川夜討ほりかはようち伏誅ふくちう義経よしつね都落みやこおち難風なんふう吹戻ふきもどさる」の次の挿絵目録二行「南都なんとにて三位さんゐの中将ちうじやう重衡卿しげひらきやうちうする」「辧慶べんけい土佐房とさばう同馬どうばして堀川ほりかは連行つれゆく」を赤線で消し「○土佐房正俊堀川夜討の図」と書き入れる。

末尾の「巳上」には「5」(赤)と活字号数を指定する。

 

 

・「凡例」(十五ウ〜廾一オ)。上に「○ハ皆\●ナリ」(赤)、見出「凡例」に「4」(赤)、本文冒頭には「5」(赤)と活字号数を指定。項目の区切りである「○」には「黒」(墨書)と指定する。以下、改頁の箇所に赤で鉤括弧( 」)を記入する。なお、十八オの上部に「龍頭鷁首」と墨書、板面が擦れて読み難い所為か。

・「〔追附〕言 平氏二十餘盛畧傳」(廾一ウ)見出と人名部分に「3」(赤)、解説本文に「5」(赤)、右下に「…割ハ5号」(赤)と活字号数、上部に割書の組指定として「□□□ 〈□□□|□□□〉例」(赤)とある。

 

・本文には、組版上の改頁の箇所に赤で鉤括弧( 」)を記入。下部に「1〜242」(赤)と頁を記す。これは、挿絵使用の指定にも成っているようで、挿絵第一図「平忠盛たいらのたゞもり朝臣あそん御堂みだう法師はふしとらふ」の下部に「4」「5」(赤)とあるごとく、描き直して使用する挿絵にはページ数が書き込まれている。なお、前編巻之六の末丁(丗四丁)は破損していて存しない。

 

 



ところで、この『平家物語圖會』の翻刻本として次の六種七点が管見に入った。このうち、A〜Dがボール表紙本で「国立国会図書館デジタルコレクション」で画像データが公開されている▼12

A『平家物語』高井蘭山編、月耕画、金櫻堂、明治十九年四月、40詰×13行、句読点なし、464頁、19cm。

外題不明。「明治十九年四月七日内務省贈付」「明治十九年二月十九・・日翻刻御届\同年日出板發兌」「定價金貳圓五拾錢」「原版人大坂府平民岡田茂兵衞\翻刻出版人石川縣士族青野友三郎日本橋區通四丁目十番地\江島伊兵衛方寄留\發兌人 金櫻堂日本橋區通四丁目八番地\同 江島伊兵衞日本橋區通四丁目十番地」「專賣書肆\横山町三丁目 辻岡文助・南鍋町一丁目 兎屋誠・横山町三丁目 鶴聲社・南傳馬町二丁目 春陽堂・〔以下東京の十六書肆〕\諸國書林\越中國富山 大橋甚吾・〔以下越中と加賀の七書林〕」 刊記の「十九・・日」、「日」は後から印刷したか。心なしか色が濃く傾いている。また、「月」は「三」と印刷された上から重ねて印刷されている。

B『平家物語圖會』高井蘭山編、一龍斎國松画、大阪 駸々堂、明治十九年九月、40字詰×13行、493頁、18cm。

外題『〈繪|本〉平家物語 』。「明治十九年九月十五日内務省交付」「明治十九年三月四日御届\同年九月四日出版」「定價二圓五十錢」「原版人大阪府平民岡田茂兵衛\飜刻出版人兵庫縣平民赤松市太郎大阪府下今橋貳丁目廿六番地寄留\發兌人大阪心齋橋北詰五十番地駸々堂本店\同神戸多門通貳丁目同出張店」▼13

三百六十八頁の次に二頁の期限付き予約割引販売の広告「第四回豫約低價發賣廣告」「刑法〈刑期|金額〉加減計算表 」「豫約出版申込本部 大阪心齋橋北詰十五番地駸々堂本店」が、四百九十二頁の次(刊記の前)に「〈沙吉比|亞戯曲〉羅馬盛衰鑑 全一册〈評注石版畫插|入 頗美製本  〉」「豫約申込所 大阪心齋橋北詰十五番地駸々堂本店」とある。

C『繪本平家物語』高井蘭山編、中川鐵次郎、明治十九年十月、40字詰×12行、句読点なし、112頁、19cm。

外題『繪本平家物語 』。「明治十九年十一月二日内務省交付」「明治十九年十月十六日出版御届\仝年十月  出版發兌」「定價五十錢」「〈編輯兼|出版人〉三重縣平民 中川鐡次郎 神田區佐久間町三丁目十三番地寄留

口絵なし。挿絵はABDとは別の図柄、画工名なし。

D『平家物語』高井蘭山編、月耕画、金櫻堂、明治十九年十一月、42字詰×15行、句読点なし、388頁、19cm。

外題『〈繪|本〉平家物語 』。「明治十九年十一月十八日内務省交付」「明治十九年十一月四日飜刻御届\同年十一月 日出版發兌」「金一圓五十錢」「編輯人 高井蘭山\飜刻出版人山梨縣平民 内藤加我 日本橋區通四丁目八番地寄留\発兌元 金櫻堂 同區同町

Aとは異版。口絵挿絵のみ月耕画のAと同一。

E『平家物語圖會』上・下、蘭山著・北馬画、絵入文庫刊行会、大正6年1月、362・362頁、19cm。

F『平家物語圖會』〈日本歴史圖會 四〉、國民圖書、大正12年1月、532頁、23cm。

さて、前述した手許の板本に書き込まれた組指定に基づいて出版されたボール表紙本は、一覧表の中のB本『平家物語圖會』(大阪 駸々堂、明治十九年九月)であると判断できる。以下、国会本に基づいて少しく詳細に紹介してみよう。

  (架蔵本)

冒頭の「明治十九年九月十五日内務省交付」はスタンプかと思われる。構成は以下の通り。

・「平家物語圖會自叙」(四号明朝、花模様飾枠、罫入り、1〜5頁)

  (架蔵本)
〔仮名序〕「殿岡北海」(四号菱湖、花模様飾枠、罫なし、6〜7頁)

  (架蔵本)
〔後編〕「平家物語圖會序」(四号明朝、飾枠、罫入り、8〜10頁)
・「平家物語作者并琵琶法師謡物之事\高蘭山翁再識」(五号明朝、子持枠、罫なし、振仮名削除、原本にない高井の「」を補う。11頁)

  (架蔵本)
〔白紙〕(1頁分、頁なし)
・口絵(新たに一龍斎國松に拠り原図に基づいて描き下ろされた7図、12〜23頁)
・「平家物語圖會〓目録」(削除指定の挿絵目録を削除し、二図は振仮名を補って指示通り新たな挿絵の説明に直されている。目1〜目6)

  (架蔵本)

  (架蔵本)

  (架蔵本)
・「凡例」(凡例1〜凡例9頁)
・「追附言 平氏二十餘盛畧傳」(見出人名三号、凡例10頁)
・本文 巻之一〜九(1〜368頁)

  (架蔵本)
・駸々堂広告(2頁、頁なし)
・本文 巻之十〜灌頂巻(369〜492頁)
・広告(1〜2)
・刊記(1頁、頁なし) 左の傍点「」と「四日」は墨書(架蔵同本は「同 年七月  出版」と印刷されている)

  (架蔵本)

明治十九年三月四日御届
同   年四日・・出版 定價二圓五十錢
    原 版 人 大阪府平民 岡田茂兵衞
    飜刻出版人 兵庫縣平民 赤松市太郎
            大阪府下今橋貳丁目  
            廿六番地寄留     
    發 兌 人 大阪心齋橋北詰五十番地 駸々堂本店
    同     神戸多門通貳丁目  同 出張店

このように、活字号数、字体、飾枠や罫の有無、削除する挿絵目録や訂正、「○」を「●」へ変更、替頁など、基本的に板本に書き込まれた指示通りに組版されている。また、前編前付を完全に網羅した上で、後編序文を3番目に組み入れており、ボール表紙本の中では一番原本の様相を留めていると思われる。

文字組みに関して見ると、漢文序では傍線や訓読符は省かれているものの、細かな返り点や送り仮名を入れている。また、原本の「無ルコト 二子遺」は「子遺」では意味が通じないので、板本の「子」を消し朱筆で「孑」と訂正されており、翻刻では正しく「孑遺」と直されている。他のACDでは「子遺」のままであることから、見識のある人物が校訂したものであることが分かると同時に、本文に関しては他本とは没交渉であったであろうことが推測できる。ちなみに大正時代のEFでは「孑遺」と直されている。

再識「平家物語作琵琶法師謡物之事」には「蘭山翁再識」と名字を中国風に一字で記されていたにもかかわらず、翻刻では「蘭山翁再識」と成っている。板本には何の指示もないので、植字工のミス(の校正漏れ)ではないかと思われる。

一方、仮名序も字体に菱湖を指定することで変体仮名で書かれた板面の雰囲気を出しているものと思われる。

口絵挿絵は原本の摸写ではなく全面的に一龍斎國松に拠り描き直されており、図版数が大幅に減らされている▼14

明治初期の活版本では画像を再現する技術が未発達であったため、図版が犠牲になったのも致し方ない。それでも、かなりの図版が用いられているだけ意欲的であったといえようか。尤も、大正期の翻刻本では原本からの製版が可能になったので、図柄に社会通念上の問題がない限り薄墨を含めてほぼ全図が入れられている。とりわけ「絵入文庫」などは、文字通り「絵入」が看板になっていたはずである。

本文に目を移すと、基本的にベタ組みで、原本通り句読点の区別なくヒラ(二分)の句点が用いられている。漢字は所謂舊字體に統一されているようで、変体仮名の字母は適宜変えられている。ルビに関しては肩付きのグループルビ(単語単位)が原則のようであるが、漢字がベタ組みなので、長いルビは大幅にはみ出し上下の文字に食い込んでいる箇所がある。ただし、ヒラの句点が奇数の場合は適当な箇所に二分アキを入れて調整するという、大変に手の込んだ組版が做されていることが窺える。

割注や二字下げの和歌の引用など、ほぼ板本の板面を踏襲した組版で、表記も原本通りのように見受けられる。

このベタ組みという仕様は新聞紙面などを連想させ、明治中期以降の単行本に見られる字間四分空き(時に二分空き)の優雅な組版に比べて安っぽい印象を禁じ得ない。だが、このベタ組みを採ったが故に、板本に拠り根気良く字数を数えて、替え頁の位置を指示することが可能であったものと推測される▼15

しかし、実際問題としては斯様な煩雑な考証を経るまでもなく、両書を実見すれば一目瞭然である。少なくとも明治十九年の段階においては、板本に組指定を書き込んだものを原稿として出版されたボール表紙本が存在したのであった。ただし、近い時期に他の板元から出された本書の翻刻本とは没交渉であったようで、この事例に如何ほどの普遍性があるかに就いては、後攷を俟ちたい。

明治期の翻刻本について、もう一つの事例を紹介しておきたい。

万亭応賀作の長編合巻『釈迦八相倭文庫』は、初編が弘化2年に上州屋重蔵から出され、58編が明治4年に出されるまで続いた釈迦の一代記である

この翻刻本について、明治18年4月2日「絵入自由新聞」に掲載された広告に▼16

版権免許\釈迦八相倭文庫\全部二冊西洋綴 古今無類の美本 定価金五円 万亭応賀著 惺々暁斎画

右之書は世にきこへたる草子さうしなりしが、五十八編の半途はんとにて明治五年版木焼失はんぎしやうしつせし従来このかた府県ふけん諸君しよくんより新古しんこもとしばしばなるに付、今般原本げんぽんの作者奮発ふんぱつして六十五編大尾たいびに及べば、五十九編六十編にはもっぱら人身じんしん大要たいえうとなる二十余条よでうと、世尊及ひ仏弟子の因位いんいの物語り多くあり。夫よりついで、迦希那かぢな比丘びく放逸ほういつ降魔がうま法会はうゑ提婆だいば堕獄だごく、又は浄土じやうど十楽じうらく耶輸陀羅やすだらによ轎曇弥けうどんみ得道とくどう目蓮もくれん堕獄だごくの母と提婆たいばすく神力しんりき、其他八大地獄ぢごく六道ろくどう因果いんぐわ槃特はんどく神変しんべん鹿頭焚志ろくづほんしと世尊の問荅もんだう涅般ねはん奇瑞きぞいとうまでみな正経しやうきやンよれば、是は智恵ちえ一灯いつとうを以て百年の闇愚あんぐてらす婦女子第一の教書きやうしよなり。

但し郵税申請ず\四月十五日売出

東京横山町三丁目 書肆金松堂 辻岡文助
とある。また、『日本古典文学大辞典』の「釈迦八相倭文庫」の項▼17には、
【続編】明治十八(一八八五)年四月六日『絵入朝野新聞』の広告欄に「万亭応賀著、惺々暁斎画『釈迦八相倭文庫』西洋綴古今無類の美本定価金五円」の見出があり、「右之書は世に聞えたる草子なりしが[…略…]五十八編の半途にて明治五年版木焼失せし従来このかた、府県の諸君より新古の需め屡なるに付、今般原本の作者奮発して六十五編大尾に及べば、五十九編六十編には専ら人身の大要となる二十余条と、世尊及び仏弟子の因位の物語り多くあり、夫よりついで迦希那比丘の放逸、降魔の法会に提婆の堕獄、又は浄土の十楽、耶輪陀羅女轎曇弥の得道、目蓮堕獄の母と提婆を救ふ神力、其外八大地獄六道の因果、槃特はんどくの神変、鹿頭梵志ろくずぼんじと世尊の問答、涅槃ねはんの奇瑞等まで、皆正経に依ば是は知恵の一灯を以て百年の闇愚を照す婦女子第一の教書なり。金松堂辻岡文助」とあるが、筆者は同書未見である。

と記されている。これら広告から明治5年に板木が焼失したことが知れるが、確かに他編に比較して58編の残存数は極端に少ないようだ▼18

この広告通りに、58編出来後13年経った明治18年に、応賀自身が65編の完結まで執筆し「西洋綴古今無類の美本」として金松堂から出版されていることが確認されている▼19

さて、この洋装本とは、次のようなものである。手許の本によって記述してみる。『〈釋迦|八相〉倭文庫』上下(2巻2冊)、明治18年8月、40字詰×13行、句読点なし、洋装1502頁、天地小口にマーブルを施す、金松堂、19cm。構成は以下の通り。

上巻(初編〜30編)

扉「〈万亭應賀先生 著|猩々曉齋先生補画〉 上乃巻\〈釋迦|八相〉倭文庫 全部東京書肆 金松堂発兌」。画賛「鶴と亀の間に「〈板權|免許〉」曉齋 [洞|郁]」。序「釋迦八相倭文庫全部序[…序文略…]〈明治十八年二月|民家和合日發市〉 万亭應賀誌 [卍亭吉祥]」。

「新刊附言\
此同名の双紙倭文庫ハ過にし天保の末年に其初編を發行せしより逐次五十八編に至るまて三十餘年の星霜を經て廣く世上に頒布せしハ謂ゆる佛天の冥加にもやと思ひしに寸善尺魔のいはれにや明治五年十二月八日の回禄に元版悉く焼失してけり爾來諸府縣の看客より屡/\新古の冊子を購求せんと促し給ふものから近頃或る二三の書肆に於て此書二三編を飜刻せしも皆其局を結ぶに至らず何れも中絶せしを當今府下に有名なる書肆金松堂ハ是を深く惜み愁ひて今回巨額の金圓を抛ちて速かに全部發兌の業を成就し半途の舊本を所持せらるゝ婦女子へ對し年來大尾懇望の思ひを滿たしめ喜悦せしむる事ハ商業のつねながら實に能く務めたれども予ハ長病中此需に應ぜしゆへ止を得ず傭書に頼りて著意の都合を述て託せし編もあれば其中にハ傳聞闇記の誤もあるべく尚活字を以て印刷せしかば其誤植もあるべきが夫等の誤ハ他日自ら之を正すことあらん看客偏に是を納れ給へと伏て餘言を加へるものなり 著者述」▼20

口絵9九図「惺々曉齋画」(厚手の紙袋綴に色摺を施しボカシを多用した美麗なもので一部に空摺エンボスを使用)。以上頁付けなし。本文は仮名漢字混じりで少しの原本挿絵が入れられている(1〜744頁)。刊記なし。

下巻(31編〜65編)

扉「〈万亭應賀先生 著|猩々曉齋先生補画〉 下乃巻\〈釋迦|八相〉倭文庫 全部東京書肆 金松堂発兌」。画賛「仏陀立像の左右に「〈板權|免許〉」、「惺々入道如空曉齋圖」「東亰書肆金松堂發兌」飾枠下「亰橋區弓町四番地至誠堂石印」(黒一色)。口絵4図「香蝶豊宣画」(厚手の紙袋綴に色摺を施しボカシを多用した美麗なもので一部に空摺エンボスを使用)。以上頁付けなし。58編までは本文が主体で、小さい原本挿絵(の摸写)が少しだけ入れられている。ただ、59編以降は新著なので挿絵は新たに香蝶豊宣が描いたものを各編2図ほど大きく入れている745〜1502)。刊記「版權免許 〈明治十八年|一月廿二日〉\刻成出版〈明治十八年|四月 日〉 定價金貮圓五拾錢\編輯人 靜岡縣平民服部應賀[卍亭吉祥] 〈淺草區西三筋町|五拾二番地 〉\出版人 東京府平民辻岡文助[辻岡]〈日本橋區横山町|三丁目二番地 〉\發兌所 金松堂[蔵] 〈日本橋區横山町|三丁目二番地 〉\東京京橋區西紺屋町秀英舎印刷」▼21

刊記の後に「發兌書林」として「函舘 魁文社\仝 常野嘉兵衛\札幌 津田教助\[…]\大城 前川源七郎\同 岡田茂兵衛\同 前川善兵衛」と北海道から九州に至る全国203軒に及ぶ書林を9頁に渉って並べている▼22

さて、本書はボール表紙本よりは随分と進化した丸背溝付きの上製本ホローバックではあるが、厚冊のためか上下2箇所打ち抜き綴じされている。ちり付きで天地小口にマーブルが施されるなど、明治10年代の洋装本としては劃期的といえるほどに手を掛けた美しい本である。各頁は子持ち枠で囲われていて、ルビ付き13行は比較的ゆったりとした組版に見える。尤も、実勢価格は不明ながら5円という定価は、かなりの高額だと思われる。

ほぼ同じ頃に應賀が書いていた合巻に『明良二葉草』がある。表紙口絵の色摺りも美しく、使用されている料紙も白っぽい上質のものである。仮名を主体とする本文も多少漢字の割合が高いものの、紛う方なく江戸以来の歴とした合巻である。では、何故『釈迦八相倭文庫』は合巻仕立てで出されなかったのであろうか。合巻は全丁に絵が入るため作業が厄介である上に、大量生産するに効率は悪いという経済的な問題でからあろう▼23

いずれにしても、58編で中断後、18年も経過してから本人が自ら嗣作し、65編で完結させたことは、板本ではなく活字翻刻本として出されたことに拠って、あまり知られていなかったようだ。

明治35年に出された續帝國文庫『釈迦八相倭文庫』上下巻(博文館)の出版時には、58編が見付からなかったものと思われ、57編までは原本に就いて翻刻しているが、その後に「釈迦八相倭文庫拾遺」を附し、末尾に次のようにある。

原作絶版とありたれども、愛讀あいどくの聲は今尚ほへねば、聊か原作を補ふて、からふじて此に局を結べり、されど楮數にかぎりあれば、悉く是をく能はず、杜撰のそしりをも省みず、拾遺しゆゐ補作ほさくする事となしぬ、 坊間流布のものに、このしゆの書甚だまれにして、僅に一二あるのみ、閲餘併せまば、或ひは釋迦一代に關したる、其肯綮こうけいを得るに庶幾ちかゝるべし、(猪波曉花識)

この拾遺を書いた校訂者と覚しき猪波曉花は、おそらく應賀本人が嗣作して完結させた翻刻本の存在を知らなかったに相違ない。

その後、袖珍名著文庫『釋迦八相倭文庫』1〜3編(明治44〜5、三教書院)や、『倭文庫』1〜2(昭和28年、いてふ本刊行会)などが出たが、いずれも中途で終わっている。

翻刻本の原稿

『平家物語圖會』と『釈迦八相倭文庫』の翻刻本は明治10年代末という同時期に出版された。『平家物語圖會』は読本であり板本も比較的読みやすい。前述した通り、翻刻原稿を要せずとも板本に指定をすれば組版可能であった。一方、平仮名ばかりの合巻の翻刻は容易ではない。仮名に漢字を当てることは、謂わば注釈作業と同じであるからである。資料が出てこなければ分からないことではあるが、おそらく組版するためには漢字仮名混りに翻刻した原稿を用意する必要があったものと思われる。

とすれば、ボール表紙本をはじめとして明治期の活字翻刻本に、多数の読本が採用されたのは、実は組版作業の効率の問題が深く影響していたのではないだろうか。と同時に、明治十年代における図版の製版技術から推測すれば、挿絵が不可欠な合巻は扱い難いという事情も無視できない。

以上、手許の資料を紹介しつつ、明治期の翻刻本の技術的側面と経済的側面から出版過程に注目することに拠り書誌学的考察を試みた。今後、斯様な出版現場の様子が推測できる資料が出てくることを俟ちたい。


▼1 鈴木徳三「明治期における「ボール表紙本」の刊行」(「大妻女子大学紀要・文系」24号 1992)
▼2 石井研堂「明治のボール表紙本時代」(「書物展望」第11巻8号、1941年8月号)
▼3 木戸雄一「明治期の「ボール表紙本」の製本」(国文学研究資料館文献資料部『調査研究報告』第21号、2000年)
▼4 木戸雄一「明治期「ボール表紙本」の誕生」(国文学研究資料館編『明治の出版文化』、臨川書店、2002年)
▼5 山本和明「近世戯作の〈近代〉」(神戸大学文芸思想史研究会編『近世と近代の通廊 十九世紀日本の文学』、双文社出版、2001年)
▼6 高木元「江戸読本享受史の一断面 ―明治大正期の翻刻本について―」(『江戸読本の研究 ―十九世紀小説様式攷―』、ぺりかん社、1995年)
▼7 今野真二『ボール表紙本と明治の日本語』(港の人、2012年)
▼8 今野真二『日本語学講座 第7巻 ボール表紙本』(清文堂、2013年)
▼9 現在は NDL-OPAC でオンライン検索ができ、大半は「国立国会図書館デジタルコレクション」でインターネット公開されている。
▼10 青木稔弥「馬琴の読まれるとき」(「江戸文学」9、1992年、ぺりかん社)
▼11 なお、匡郭の上に「此書籍ヲ\□讀スル時ハ\實ニ平家\繁栄ヲ\察ス」「積悪無道\清盛」とあるが、墨色も筆跡も組版指示とは異なる。
▼12 請求番号、Aは特12-485、Bは特11-119、Cは特11-886、Dは特12-470。
▼13ABにだけ「原版人」として「岡田茂兵衛」が明示されている。岡田茂兵衛は群玉堂河内屋茂兵衛であるが、この時点でも板木を所有し後印本を販売していた可能性は排除できない。とすれば、板株所有者(蔵版元)に何等かの対価が支払われたので在ろうか。時に「原作者」として故人名を記す刊記も散見するが、寡聞にして此等の権利関係の実態は不明である。
▼14 口絵は全て原画にかかわらず新たに人物紹介風に描き換えられている。挿絵では巻1、9では5図のうち2図、巻2〜6、8、11では5図のうち1図、巻7では5図の全てを削除、巻10、12では全てを削除して新たな1図を加えている。原図の人物配置を左右入れ替えた図柄が多い気がする。ただ、既に画題化している観のある俊寛足摺や入道相國見怪異などは定型を踏襲している。
▼15 現今の複雑な禁則処理などは、実際に組んでみないと頁が固定できないので、字数を数えるだけでは頁指定ができない。
▼16 国文学研究資料館「明治期出版広告データベース」に拠る。私に句読点を補った。
▼17 興津要氏執筆、『日本古典文学大辞典』第3巻(岩波書店、1984年)。なお、[…略…]の部分は直前に引用した「絵入自由新聞」明治18年4月2日と同文である。
▼18 江戸出来の板本は、明治5年2月26日の所謂「銀座大火」で甚大な損害を蒙ったようで、明治4年刊に各板元から出された合巻の奥目録に拠れば、この年に中断している長編合巻のタイトルが少なくない。
▼19『河鍋暁斎挿絵(一)(河鍋暁斎記念美術館、1980)に、暁斎の口絵6図が紹介され、加美山史子「『釈迦八相倭文庫』主に明治期翻刻版に関する一考察―暁斎の挿絵と北斉―(「暁斎」91、河鍋暁斎記念美術館、2006)、山口静一「『釈迦八相倭文庫』と暁斎画」(「暁斎」111、河鍋暁斎記念美術館、2013)と、基本的に美術史の側から暁斎の画業に関する画題や粉本の利用に具体的な検討が加えられている。一方、諸板研究として佐々木亨「『釈迦八相倭文庫』に関する二、三の問題」(『日本文学・語学論攷』、翰林書房、1994)が備わる。
▼20 この附言で「近頃或る二三の書肆に於て此書二三編を飜刻せしも皆其局を結ぶに至らず何れも中絶せし」とあるのは、板本の覆刻かと思われる合巻体裁の初編と二編が「明治十五年九月十八日飜刻御届\元版人 上州屋重蔵\出版人 木村文三郎」から出されている。また、和装活版『〈真書|重訂〉釋迦八相倭文庫』初〜6編各上下2巻(萬亭應賀原著、花笠文京重訂、芳春・静斎画、明治16〜18、斯文堂)があり、これらを指すのではないだろうか。
▼21 以上は国会図書館蔵(特12-166)の早印本に拠った。手許に「再版」上下巻と「第四版」上巻とがある。基本的に同一本であるが「再版」下巻の刊記は「版權免許〈明治十八年|一月廿二日〉\刻成出版〈明治十八年|八月八日 〉\再版御届〈明治二十年|七月五日 〉 定價金五圓\編輯人 靜岡縣平民服部應賀[卍亭吉祥] 淺草區西三筋町五十二番地\出版人 東京府平民辻岡文助[辻岡] 日本橋區横山町三丁目貮番地\發賣所 東京府平民 内田喜三郎[内田] 神田鍛冶町廿二番地\東京京橋區和泉町五番地山田活版所印行」。2年で定価が2倍になっている。
▼22 東北関東甲越東海地方が主で、近畿中国地方の書林は皆無である。また「再版」の刊記の後には「發兌書林」ではなく9頁に渉る「金松堂出版書目」があり、10頁目に「各國交通書林」として「大阪 赤志忠七\仝 田中太右衛門\[…]\信州 水琴堂\仝 山下八右衛門\上総 多田屋嘉右衛門」と全国の36書林が並べられている。
▼23 つとに前田愛が「明治初期戯作出版の動向―近世出版機構の解体―(前田愛著作集二『近代読者の成立』、筑摩書房、1989。初出は1963)で時代背景に関しては見通しを付けていたが、前述の佐々木論文では「従来発行された五十八編に続き新たに六十五編まで加える[…]書き加えられた七編のストーリー性は稀薄である」とし、活字版で出した理由として、コストやスピードのみならず、読者がふりがな新聞に慣れていた点をも挙げている。



#「明治期翻刻本の出版」
#「読本研究新集」第11号 (読本研究の会、2020年2月29日)所収
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