一 はじめに
魯文の研究史に於ける興津要氏の業績▼1は先駆的な研究として、その功績を大としなければならないことは、今さら言を俟たない。しかし、興津氏は、習作期と位置付けられた「鈍亭」時代の魯文には、全くと云って良いほど関心を示されなかった。
つまり、「鈍亭」時代における魯文の活動に関しては、ほとんど未開拓であったと云うことが出来るのである。その一つの理由としては、切附本と呼ばれる大量消費され読み捨てられてきたジャンルに関する資料蒐集が困難であって、誰も手を付けなかったことにあるだろう。これは、所謂「実録体小説」と呼ばれるジャンルの研究が等閑に付されていたことと軌を一にする▼2。幕末から明治初期は軍談講釈が流行する時期であって、それまで写本として貸本屋等を通じて流布していた「実録体小説」は、切附本などを媒介にして広く流布し、明治期に入ると栄泉社の「今古実録」などを生み出すことになる。これら大量に流布して読まれたテキスト群を、前近代の遺物として無視することはできないのである。
さて、江戸読本の範疇に「中本型読本」と呼ばれる、半紙本の本格的読本と草双紙合巻の中間に位置するジャンルがある。これを調べているうちに、文化期の中本型読本に、切附本の書型を先取りした例があることを知った▼3。この切附本は、中本型読本と合巻の折衷様式を持った書型で、中本型読本の末流に位置付けられると思われる。定義すれば、
中本型読本の末期に位置付けられる小冊子。切附本という呼称は、綴代の反対側を折って残りの三方を裁った「切付表紙」を持つことに由来し、広告などに「切附類品々・武者切附本品々」という用例が見られる。合巻風摺付表紙に読本風の本文という様式を持つが体裁には揺れが見られ、文字題簽を持つ「袋入本」もある。弘化期以後、安政期を中心に明治初年にかけて、およそ二百種ほど出板された。多くは「読切」を標榜するが「続物」もある。内容的には講談に近く軍談や一代記物が多く、また実録や読本の抄録なども目に付く。鈍亭(仮名垣)魯文などを主たる作者として粗製濫造された廉価な大衆小説ではあるが、明治期の草双紙の板面を先取りしたもので、実録体小説や軍談の普及を担った一ジャンルである。▼4
と云うことになろう。
この切附本を調べ始めたころ、偶然にも、故向井信夫氏によって蒐集された大量の切附本を見る機会が得られた。それ以降、反古同然の扱いをされていて実に安価であった切附本の蒐集を意図的に進めるうちに、何とかこのジャンルの全体像を素描できるだけの資料や書誌情報が得られた▼5。現在の書目データの基礎が作られたのはこの時である。以降、切附本を調べていることが斯界に知れ、多くの方々の御架蔵本による御教示に縋って、管見に入った本をリストに加えつつ、何とか八九割は補足できたと愚考しているのであるが、現在に到っても未見だったものを知り得る機会があるので、やはり当面は書目を未定稿とせざるを得ない。また、完本に出会うことが少ないために、同一本であっても見ておく必要がある▼6。
さて、切附本史に於いて魯文は実に多くの著編作を残しており、ジャンルの展開に中心的な役割を果たした。特に安政期には全体の半数近くの標目に関わっていたと思われる。魯文が一般に知られている「仮名垣」を名乗り始めるのは安政六、七年(萬延元年)以降だと思われるが、以下、魯文の切附本を概観しつつ、切附本と云うジャンルを通じて「鈍亭」時代の魯文の活動をさぐってみたい。
二 魯文切附本一覧(改印順)
嘉永七・安政元年(一八五四)年 甲寅
平井権八一代記 鈍亭門人|編笠一界 芳宗(外) 寅七・改 鈍亭魯文序
彦山権現利生記 十返舎一九鈔録|鈍亭魯文校合 寅九・改
〈八百屋於七|小姓吉三〉當世娘評判記 鈍亭魯文被閲|門人編笠一界著述 芳宗 寅十・改 新庄堂
神勇毛谷邑孝義傳 野狐庵主人 芳宗(見返) 寅十・改
甲越川中島軍記 鈍亭魯文 芳直 寅十・改
箱根霊応蹇仇討 鈍亭魯文 芳員 寅十一・改
小栗一代記全傳 鈍亭主人 芳直 寅十二・改
英名八犬士初編 鈍亭魯文 直政(外) 芳直 寅十二・改 公羽堂
源平盛衰畧記 鈍亭魯文 芳員 寅十二・改 新庄堂
西國順禮娘敵討 (鈍亭魯文) 芳直 寅十二・改 公羽堂
嘉永八・安政二(一八五五)年 乙卯
安達原黒塚物語全編 鈍亭魯文 芳員 卯正・改 〔新庄堂〕
足利勲功記 鈍亭魯文 芳員 卯正・改 新庄堂
成田山霊驗記 鈍亭魯文 直政(外) 改・卯二 公羽堂
浪花男團七黒兵衛 鈍亭魯文 芳員 卯二・改 新庄堂
朝倉當吾一代記 鈍亭魯文 芳幾(外) 卯二・改 公羽堂
〈勧進調|蝦夷渡〉 弁慶一代記 鈍亭魯文 芳員 卯三・改
蝦夷錦源氏直垂 前編 鈍亭魯文 芳直(外) 卯三・改 〔伊勢久〕
玉藻前悪狐傳 鈍亭魯文 芳直 卯四・改 新庄堂
◇〈父漢土|母和朝〉 國姓爺一代記 前編 鈍亭魯文 芳直 卯五・改 錦耕堂
小夜中山夜啼碑 鈍亭魯文 芳直 卯五・改 新庄堂
英名八犬士 二編 鈍亭魯文 芳直 卯六・改 公羽堂 将門一代記 鈍亭魯文 芳直 卯八・改
鳴呼忠臣楠氏碑 鈍亭魯文 芳幾 卯八・卯九・改
頼光大江山入 竹葉舎金瓶著|鈍亭主人校合 卯九・改 新庄堂
雙孝美談曽我物語 鈍亭魯文 芳宗(外) 卯九・改
安政三(一八五六)年 丙辰
天明水滸傳 骨董菴主人(序) 芳宗(外) 安政三辰孟春(序)
英名八犬士 三編 鈍亭魯文 直政(外) 辰二・改 公羽堂
拔翠三國誌 初編 鈍亭魯文 芳宗 辰二・改 〔新庄堂〕
拔翠三國志 二編 鈍亭魯文 芳宗 辰三・改 新庄堂
英名八犬士 五編 鈍亭魯文 辰三・改 伊勢屋久助
英名八犬士 六編 鈍亭魯文 辰三・改 伊勢屋久助
英名八犬士 四編 鈍亭魯文 直政 辰四・改 公羽堂
〈輪廻|應報〉四家怪談全讀切 鈍亭魯文 辰四・改 新庄堂
正安太平記第三輯 骨董屋雅樂(序) 丙辰初夏(序)
佐野志賀藏一代記 鈍亭魯文 とり女(登里女) 辰八・改 當世堂
楠公忠義傳讀切(序) 栢亭金山 芳盛(外) 辰九・改 糸屋庄兵衛 骨董屋主人漫誌序
英名八犬士第八輯結局 鈍亭魯文 辰九・改 〔公羽堂〕
蝦夷錦源氏直垂 後編 鈍亭魯文 芳鳥 辰十・改 伊勢屋久助
拔翠三國志第三輯 鈍亭魯文 芳宗 辰十一・改 新庄堂
安政四(一八五七)年 丁巳
英名八犬士 七編 鈍亭魯文 芳鳥女 巳二・改 伊勢屋久助
拔翠三國誌第四輯 鈍亭魯文 芳宗 巳四・改 〔新庄堂〕
神稲黄金笠松 菊亭文里編次|鈍亭魯文被閲 芳盛 安政四(序) 笹屋(序)
繍像水滸畧傳前・後輯 鈍亭魯文 國久 巳七・改
◇織部武広三度報讐 〓井北梅 巳九・改 品川屋朝次郎・當世堂
摘要漢楚軍談 前編 鈍亭魯文 芳宗 巳九・改 新庄堂
釈迦御一代記 鈍亭魯文 芳宗 巳十一・改 糸屋福次郎・新庄堂
大日坊青砥政談 鈍亭主人 巳十二・改 當世堂
天下茶屋復仇美談 鈍亭魯文補綴|票瓜亭念魚被閲 芳直 巳十二・改 當世堂
成田利生角仇討 鈍亭魯文暗記 芳鳥 巳十二・改 當世堂
安政五(一八五八)年 戊午
岩見重太郎一代實記 鈍亭魯文(芳幾) 午二 當世堂
◇〈父漢土|母和朝〉國姓爺一代記 弐編 鈍亭魯文 國明(見返) 午五 錦耕堂
釈迦御一代記 第二編 鈍亭魯文 芳宗 午五 新庄堂
釈迦御一代記 三編 鈍亭魯文 芳宗 午九 新庄堂
安政六(一八五九)年 己未
釈迦御一代記 拾遺第四編 鈍亭魯文 芳宗 未四改 新庄堂
◇執讐信太森 前編 鈍亭魯文 國周 未五改 錦耕堂
◇報讐信太森 後編 鈍亭魯文 國周 未五改 錦耕堂
拔翠三國志 五編 鈍亭魯文 芳宗(外) 未六改 〔新庄堂〕
釈迦御一代記拾遺第五輯 〔岳亭梁左編次|鈍亭魯文校訂〕 未六改
◇俵藤太龍宮蜃話 鈍亭(假名垣)魯文 芳幾 未八改 錦耕堂
◇平良門蝦蟇物語 鈍亭魯文 芳幾 未八改 錦耕堂
◇傀儡太平記 假名垣魯文 芳幾 未十改 錦耕堂
◇忠勇景清全傳 鈍亭魯文 惠齋 未十改 錦耕堂
安政七・萬延元(一八六〇)年 庚申
◇〈於登美|与三郎〉 氷神月横櫛 前編 鈍亭魯文 芳幾 申五改 錦耕堂
拔翠三國誌第六輯 假名垣魯文 芳宗 萬延元孟穐(序)〔新庄堂〕
萬延二・文久元(一八六一)年 辛酉
英雄太平記 假名垣魯文 芳年 改酉二
◇〈父漢土|母和朝〉國姓爺一代記 三編 鈍亭魯文 國明(見返) 酉五改 錦耕堂
不明(安政期カ)
利生譽仇討 金屯道人謹述 芳幾(外) 當世堂
静ヶ嶽七鎗軍記 初編後編 骨董軒主人
新書太功記 初編全一巻 骨董屋雅楽題 芳宗(外)
◇は袋入本を示す。この袋入本とは、内容と版式は切附本と同様であるが、錦絵風摺付表紙を持たず、短冊形文字題簽を持つ本を指す。同じ本で双方の体裁を持つものも存在する。おそらく袋入本の方が値段が高かったものと思われる。
この一覧表を見て気が付くことは、安政元年に開始された切附本の刊行が、萬延二年を境に途絶していることである。切附本自体は明治期まで続けて刊行されているのであるが、魯文が萬延元年から刊行を始めた『滑稽富士詣』が評判に成って以降は、加賀屋吉兵衛(青盛堂)や山田屋庄次郎(錦橋堂)などの地本問屋から合巻の注文が増え、切附本より身入の良かった合巻へと執筆の主軸を移行したためと思われる。
また、似た話柄の本を複数出しているのも気になる。特に安政二年刊『成田山霊驗記』と、刊年未詳の『成田利生角仇討』『利生譽仇討』とは標題から判る通り、同趣向を用いている。取り分け『利生譽仇討』は「成田御利生角仇討」「成田霊験記」「成田山御利生記」の三種を合綴したもので、各内題下に「金屯道人」と見える前述の切附本とは別本である。ただし、刊年未詳の一点は序文等を削った後印本しか管見に入っていない。
もう一点、切附本は本来は「読切り」を標榜したものであったが、『國姓爺一代記』『英名八犬士』▼7『拔翠三國誌』などは続きものであり、これら長編小説を抄出したスタイルは、板元の要請を受けて魯文が始めたものである。
同様に、『報讐信太森』『平良門蝦蟇物語』『俵藤太龍宮蜃話』『忠勇景清全伝』『傀儡太平記』『氷神月横櫛』は、安政七年(三月一八日改元、萬延元年)に森屋治兵衛(錦森堂)から刊行された特異な袋入本であった。同一意匠の表紙(藍白地に布目風空摺りを施し下に小さく竹をあしらう)を持ち、一丁当たり八行と、化政期の中本型読本を思わせる比較的大きな字が用いられている。また、口絵には濃淡の薄墨や艶墨、さらには空摺りなどが効果的に用いられ、大層美しい中本型読本である。このような本の格調の高さから見ても切附本とは比較にならないもので、おそらく値段も高かったものと思われる。『報讐信太森』が馬琴の読本『敵討裏見葛葉』によったものであること以外、それぞれの原拠については未詳であるが、『平良門蝦蟇物語』はその前半部で京伝の読本『善知安方忠義伝』(文化三年)を利用している。
切附本という廉価な小冊子が流行しているこの時期に、同じ板元から同じ年に六種もまとめて袋入本を出板したのは一体何故であろうか。これらの本の見返しや序などには「假名垣魯文」と署名しており、「假名垣」号の早い使用例ではないかと思われる。また、この六作品は切附本としてではなく、明確に袋入本(中本型読本)としての意識によって執筆されたものと思われる。ならば、板元の思惑を反映した魯文には、何か期するものがあったのかもしれない。
この切附本に関しては、まだ考究の及ばない問題が残されている。特に多くを出している新庄堂や錦森堂などの地本問屋との関係や、笠亭仙果など、切附本を多数執筆している他作家との関係などについて考えてみる必要があるし、未見である完本の博捜や、あまり残存していない袋についても蒐集に努める必要があろう。また、明治期の刊記を持つ改題後印本がもっと存するはずだと思われ、また活字翻刻本が存する可能性があるが、未見である。
以下、切附本の序を抜書きしてみよう。もとより、近世期の板本に備わる序文は、極めて形式的な文章であることが一般的ではあるが、執筆態度が知れたり伝記事項などの情報を含んでいることが多い。と同時に、流布している大半の切附本は序文と口絵(一〜三丁表)を削り本文冒頭(三丁裏)を表紙の裏側に摺ると云う改変が加えられており、序文を欠く後印本が大多数であるので、此処に管見に入った序文を書き抜いておくのも、鈍亭時代の魯文の動静を考える上で意義なしとはしないものと思われる。
なお、引用に際して句読点を私意によって補った。原本に句読が附されている場合は、大部分が句読点の区別なく「。」が附されている。この場合は原本の儘とした。
三 切附本の序
平井権八一代記 江戸 鈍亭門人 編笠一界記録
平井權八が事跡。狂言綺語にものし。謡曲にあやつりて。其顛末を述ることやゝ久し。然はあれど。雜劇院本には。平井をもて。一部の脚色すなれば。彼が残刃奸毒をおし隱して。更に忠孝義士に摸偽せり。こはその悪を忌きらひて。善を趣とする稗家の洒落。作者の用心なきにあらねど。聊眞意を失へり。柳下惠は飴をもて老を養ひ。盗跡は是をして鎖をあけんことを謀る。其物の同じく。その人の用ゆる所に依て。善悪の左別如此。人の悪を見て己を慎み。善を見て是に習はゞ。看官何ぞ浄を捨て穢にのぞまん。爰に刻成の平井が傳竒は。稗官者流の虚談を省き。實記を挙て。童蒙婦幼等が。懲勧の一助にそなふと云云。
嘉永七甲寅林鐘稿成談笑諷諫滑稽道場 鈍亭魯文填詞※編笠一界については、『當世娘評判記』の項を参照。
彦山權現利生記 江戸 十返舎一九抄録・鈍亭魯文校合
天道の正路なる、是にすぎたるはなく、日月の隅なく照す是に及べるはなし。然れども浮雲のかゝりをゝひて、一旦光りを失ふこと、悪人時を得て、善人隱るにひとしく、これなん禍福の運動にして、清明の時何そなからん。抑此書に縮綴なしたる、毛谷村の六助が、義に冨て勇にほこらず、芳岡姉妹か孝悌、暁谷が残忍にして奸佞なる、積善の餘慶、積悪の餘殃、遅速はあるとも、近きは必その身に報ひ、遠きはかならず兒孫にむくふ、應報の天理彰然たる鑒誡を十返舎三世のあるじ、倉卒の間に鈔録して、童蒙婦幼等が勧懲の一端とす。余一日書肆が門を音信るに草稿成て未叙なし。披閲してすみやかに一言を譜せよと乞。同志の合壁老婆心、禿たる毫をくだすと雖取□□□して花びらをそこね、枝をたわめて幹をたふすの、すさみにやあらんかし
嘉永七甲寅孟夏稿成發兌上梓談笑諷諫滑稽道場 鈍亭魯文填□※挿絵内に「呂文」と見える。
八百屋於七|小姓吉三・當世娘評判記 江戸 鈍亭魯文披閲・門人編笠一界著述
江湖いひもて傳ふ八百屋阿七が事跡、きはめて詳ならず。傳奇綺語にものすなる。その始原は、宝永年間、浪花西の雜劇なる嵐三右衛門が座に在て、嵐喜代三が勤めしとぞ。素より根もなく葉なき事を編述しは、木に竹本の院本の趣向にして、出雲が筆に成れるものなり。一日、門人一界なるもの、予が戀岱の草菴をおとづれ、一小冊をたづさへ来つて校訂を乞ふ。すみやかに披閲するに、今年僅に三五の黄口、すこしく作意ありといふとも、齟齬の誤りなき事を不得。いさゝか寸暇を得たらんをり、校訂てあたへんと思ふうちに、書肆がために催促されて、よくも見ず其侭梓にものせしと、後にきゝて嗟嘆にたへず。ありのまゝを書つけて序詞の攻をふさぐと云云。
嘉永七甲寅季秋鈍亭魯文記※三十四ウ三十五オに「談笑諷諫|滑稽道場・御誂案文著作所\妻戀坂中程 鈍亭[ろぶん]」の看板と書斎内の「赤本作者鈍亭魯文」「門人編笠一界生年十五童」が描かれる。「事物糟粕\赤本の桃ならなくにわれはまた洗澤ものゝ名や流すらん\鈍亭」「手に汗をにぎりつめけり筆の軸\編笠外史」。
神勇毛谷邑孝義傳 野狐菴主人著述
楠公死て太平記、花和尚悟道て水滸傳。人間血気衰て、分別の出る時に至れば、疾彼岸へ近づくなり。萬物造化の巧工ありて、情体總て如此。年歳稗史流行して小説者流も夛かる中に、近頃著述家の神仙曲亭老翁筆を黄泉に捨しより、開巻驚竒の脚色なく、湊川に嗚呼忠臣の古跡を看、梁山泊に忠義堂の空居を窺ふに似て、更に事足ぬこゝちぞすなる。こゝに合壁の友何某なる者、一日余が草堂に音信て曰、さきの日、書肆の乞ふ侭に彦山霊驗記を抜翠して、いさゝか愚意をまじへつゝ草稿を脱す。と雖未序言なし。願くは填詞を記せよと、余は元来市中の商個、雅の章を閲せざれば、法則手仁葉をかつて知らず。乞るゝまに/\、其席の談話を序として、攻を塞ぐといふことしかり
嘉永七甲寅後名月夢借舎主人筆記※序文の署名の下に「尚古」という印記がある。
英名八犬士初編 江戸 鈍亭魯文抄録
子夏曰。小道といへとも。見るべき者あり。嗚呼談何そ。容易ならん。原本里見八犬傳は文化甲戌の春。曲亭翁の腹稿成て。書画剞〓の工を果し。世にあらはれし始より。看宦渇望せさるはなく。毎歳次編の出るを竢て。開巻とる手を遅とす。抑策子物語の長編是に及へるはなく。二十餘年の春秋經て。八犬英士三世の得失。彼の延々の者といへとも。善悪邪正もらすことなく。團圓將に百六巻。既に九輯に局を結へり。言ても知るき事なから。新竒妙案。法則隱微。かくまで喝采物の本今昔前後に有へからす。實に稗家の佛菩薩神仙とや稱なん。當時机上に筆を採て。作者と自称の輩は翁の糟粕をねふる而巳かは。丸呑にして口をぬらす。僕ことき者多かり。こもまた身養世業の烏滸なる所為を。黄泉の翁は鼻をつまみておはさん。然はあれとも原本の贏餘を慕ふ蝿頭微利。馬琴の驥尾につかまく欲すは。善に組するなへての情體。菩提の道に入るに類等く釋迦旡二佛の諸経をひさきて俗家を度する講談僧か。布施物を得て今日の。火宅の苦界を安んせると又是何そ異ならん雪梅芳譚假名讀草史後日の話數種抄録皆悉く體分身。王と痣とはなしと雖此抜象と異姓の兄弟。是宿因の致すところ善果の成れる所ならんと漫に筆を走つゝも叙言の遅々をふさくになん。
安政二乙卯新春發行鈍亭のあるじ愚山人魯文記
源平盛衰畧記 鈍亭魯文抄録
みちのくのいわで忍ぶはえぞしらぬ かきつくしてよつぼの石ぶみ 頼朝
抑右大將頼朝卿は、治國平天下の計策をめぐらし、平氏の恨を舎弟義經一人に蒙らしめ、追討の宣旨を蒙り、滅されしことは、深き思慮ある計畧とそしられける。文道いちしるくして、なとか北條梶原如きの讒を用ひ給はんや。今六百余歳の後、武門の繁栄、此將軍の胸中より出たる籌の全とそ思はれける。
鈍亭魯文筆
安達原黒塚物語全編 江戸著作郎 鈍亭魯文抄録
傀儡の曲安達原は、宝暦十二壬午年の発行にして、近松半二か筆に成り、北総後一竹本三郎兵衛等合作す。その曲、本末凡五段、丁數九十有余枚、原文妙案至れり尽せり。こたひ書肆か需に應して、はつかにその大概を畧抄す。こは曲章と物の本、大同小異のけちめ有て、披閲の婦幼かわつらはしからんと思へは、繁きをかるの老婆心而巳
安政乙卯新春吉旦鈍亭魯文記
足利勲功記全編 魯文作
あつめけるほとそかしこき和歌の浦 なみ/\ならぬ玉の数々 尊氏
抑足利将軍尊氏朝臣は、太平記に載るごとく、一生の内さま%\の戦場にのぞみ、幾度か身命を失はんとし給ひしが、天運にかなひ、人和厚く、終に天がしたを掌握し玉へり。其後、一代の闘場を、児童等に見安からしめんと倉卒に筆記して、書肆にあたふる事しかり。
安政二乙卯春新刻鈍亭魯文記
成田山霊驗記 江戸 鈍亭魯文謹述
物を對するに。和漢両朝といゝ。文武両道と稱ふ。往古を當時に比するは。天を地にたくらぶる如く。善と惡とを並言は。雲と泥とを論るなりされば相馬の舊事を。絹川の新話に對し。乾坤二巻を合したるは。泥亀に月下駄に焼味噌。ふさはしからずといふもあらんが。時代と世話の一席讀畢。大小不同明王の。利益は一躰 分身にて。前後の靈驗下總の。一國中の事にしあれば。勸懲両全なる味ひ。看官文の拙きを。嘲ことなかれと云云
安政元甲寅晩冬
同二乙卯新春上梓
物の本作者 鈍亭魯文填詞
浪花男團七黒兵衛 江戸 鈍亭魯文補綴
兼好が徒然草に。むく犬の老たると記せしは。吾輩の白癡をやいふらん。僕兒戯の策子を綴りて。生涯を足れりとし。座して硯の海に漁り。心に織。筆に耕し。虚名ひさぎ野史と自称す。俗に著作郎と呼るれども種曲すべは不學顔も。當世鉄面一家言と。減ず口さへ具眼の人は。片腹いたくおもふなるべし。一日書肆新庄堂。妻戀稲荷の麓家なる。余が野狐菴を音信て。浄瑠璃本の夏祭を。例の讀切にものせよと乞ふ。余すみやかにうべなへば。梓主再び示て曰。我新案を得んと欲せば。上手な作者はいくらも有れど。御看官のお好にて。時代世話の夏祭を。書作さずにと注文あり。蟹は甲等の穴を選で。足下にはめた役割も。胸の戯房の勘定づく。併紙數に限りがあり。縮綴記が仕事なれば。そこらの補は承知ならん何分たのむと自ら問。自ら答へていそ/\去ぬ。
安政二乙卯歳如月鈍亭魯文筆記
○此書、原本は竹本が謡曲の直傳にして、延享第二孟秋の発行なり。作者は、並木千柳三好松路竹田小出雲の三筆に成り、章句普く人口に膾者して、婦幼だも知らざるものなし。こたび書肆の需めに應じて、余が拙筆もて抄録し畢ぬ。そが中に、曲文のけちめあれば、煩多を刪簡要を残し、少しく蛇足をそゆるといへども、いさゝかも旧意にたがはず。しかはあれど、書讀ならふ幼童等が閲たらんには、枝をたはめて幹をたふすの業なりとやあざけらんかし。
鈍亭主人再識
朝倉當吾一代記全編 江戸 鈍亭魯文縮綴
博く学で理を究。真僞を穿鑿て考證を正すの書は。生涯僅に一二 本。あるは未草稿なかばに。作者没して匱中に秘て。紙蟲の住家となる者多し。麁漏〓誤の物の本は。書肆の利潤を得まく欲し。作者の虚名を賣まく欲せば。魯魚烏焉馬に拘らず。成る事速なり。依て脚色も深からぬ。朝倉義民の一代記。九ツ當吾兒戲物語。通天橋を礎趣として伊呂波楓の假名策子難波津習ふ童蒙等に讀してお伽の夜話にかへつ。
安政二乙卯新春發兌魯文漁夫漫題
勧進帳|蝦夷渡・辨慶一代記全部 東武 鈍亭主人増補
勧進帳|蝦夷渡・辨慶記一代記全
自序 武蔵坊辨慶が事情きはめて定かならず。一本に紀伊国住人岩田入道 寂昌の男にして、叡山西塔櫻本坊辨長僧都の徒弟にて幼名真佛丸といへりと記せり。或ひは熊野別當辨正が子、幼名を鬼若とよび叡山西塔櫻本坊昌慶阿闍梨の弟子とも録し、其傳數種あつて各々異なり。いづれの是非を論ふは博識者の上にありて赤本作者の僕等が辨知るべき事にはあらず。只〓橘語の要を摘而巳矣。
安政二卯歳初夏鈍亭魯文筆記
蝦夷錦源氏直垂 東江 鈍亭魯文抄録
雪降らんとして群鳥爭ひて〓。風起らんとして釜星はひこり。抜翠抄録行れて余が如き拙筆なる。物には必ず萌あり。一日例の書肆入来つて。義經朝臣の御一代生立は言も更にて。蝦夷地渡海の顛末まで。小冊に記せよと乞ふ。つら/\思ん見るに伽羅を焚て鼻を覆ひ韮を食して舌鼓をうつも。おのれ/\が好める道にて。又活業にも依ばなり。近頃物の本とし言ば。古人の糟粕ならざるはなし。こゝもまた時運に依るところ。拙とのみ言べからず。况て兒戲の策子をや。吾亦ふかく懸念せず。不日録して是をあたふ。いと烏滸がましき所為にこそ。
安政二乙卯孟春發兌鈍亭魯文記
玉藻前悪狐傳 鈍亭魯文抄録
自序
狐千歳を経て美女に変化すといへること、唐土の書に粗のせたり。悪狐の人を魅らかすや其性なり。霊狐の人に感徳あるや、こも又性によるところ。人に善悪あるがごとけん。此書は前に妖婦傳玉藻譚あり。何れも大同小異にして、ことふり似たる談柄なれども、名だかき標題ぞ好ましと、書肆が需に止ことを得ずそが侭に抄録して大関目の利市にそなふ云云。
于時安政二乙卯初春人日戀岱 鈍亭魯文漫題[文]玉藻前妖狐畧傳全 魯文記 芳直画
〇凡例附言 發客 新庄堂壽梓
一 此書は浪速の玉山先生の著はされたる玉藻譚五巻にもとづき、支那印度両界の談話の要を摘て、吾皇朝の事をのみもはらとし、童蒙婦女子の夜話に換てもて勧懲の一助とす。
一 假字の遣ひざまの拙きと、手尓遠葉のたがへるなど、元来児戯の策子なれば、具眼の嘲をかへりみず、諭し難きところは大かたに心して看給へかし。於東都恋岱野狐庵 鈍亭再識
〈父漢土|母和朝〉國姓爺一代記 前編 江戸著作郎 鈍亭魯文縮綴
唐土の地外四夷八蠻、朝に服し夕に違く代々の帝王大臣胡國を憂とせざるはなし。歴世は匈奴胡虜より起ッて中国を掠め、中興韃靼明を廃して中華北虜のさまと変ず。そが中に一個國姓爺成功而巳。義を泰山に比し智仁勇を兼備して子孫三世東寧島に武威を逞しうせる事、倭國の膽氣を得たる猛雄にて、是なん日本魂といふなるべきや。
安政二乙卯仲夏鈍亭魯文記
小夜中山夜啼碑發端 江戸 鈍亭魯文編
曲亭翁の石言遺響は、古跡を探り事實を尋ね、日を重ね月を經て、やゝ稿成れる妙案なりとそ。這小冊は彼意に習はす、古書にも寄らぬ自己拙筆。疾いが大吉利市、發行二昼一夜の戯墨にして、勧善懲悪應報の道理を録せし談笑諷諫、更るを知らぬ小夜中山。燈下に綴る一夕話。無間の鐘の曉かけて、夢とうつゝに草稿成り、寢言に類等き業くれながら、童蒙さま方のお目さまし。飴の餅とも見成し玉へや。
安政二乙卯年新梓戀岱野狐菴主 鈍亭魯文記
英名八犬士二編 鈍亭魯文抄録
夫天狗とは何の物ぞ。種類沢にして和漢一ならず。和名に安麻通止菟袮とよび。佛家には魔羅波旬と称へり。又星なりとし夜刄飛天。山の神。あるは山魅寃鬼なりとす。物子が天狗の説。諦忍が天狗名義考。風来が天狗の辨の如き。その文戯言洒落に過て事実を撈るに足らずとは。既に本傳の作者もいへり。里俗の謂天狗とは。佛説の譬論と同じく。放漫誇れる者をさして。天狗とはいゝしならん。余は先誓の佳作をさらつて。慢に愚名を記するの罪。尤天狗に類する業にて。點愚の所為といはるゝ後に。未高くもあらぬ鼻を。つまゝれなんと耻る而巳。
安政二乙卯二月鈍亭魯文漫記
将門一代記〔外題〕 鈍亭魯文補綴
魯褒が神錢論に曰失之者は後に立、得之者は前に立。羽なくして能飛、足なくして能行と。予年来黄白老人に勘気をうけ、孔方兄に離別され、風雅でもなく、洒落でもなく、成業なしの戯作者活業も、根が微学のやりくり故、道に依て賢からず。老舗名家の請賣も、疾品切となりたれば、注文有て才足らず。勘定あつて錢たらぬ心地ぞすなる。されば一日脚色の仕入〔れ〕にまごつき、著作堂主人が質屋の庫と訪ひて利揚帖を閲するに、例の筆を走たる文に家傳の蔵書を一部售て三分なくなる智惠を出し、經籍史傳歌書雜書和漢の珎書、いたづらに紙魚の肚を肥すのみと、此一句にて一句も出ず。机上に筆を捨たりしが、また米櫃のためを思ひて、此小冊を綴ると云々。
安政二卯歳秋彫刻戀岱魯文誌
嗚呼忠臣楠氏碑初編 荏土 鈍亭魯文縮綴
嗚呼忠臣楠氏碑
抑軍法の秘傳は、唐土軒轅黄帝に權輿して周の代の太公望天地人の理にのつとり、三門四種をたて、始て軍術の要道をひらくといへり。吾朝には、仲哀帝の御宇にわづかに三畧の書渡ると雖、永く世に絶たり。其後吉備大臣入唐の時、三畧一部の兵書を傳へ、鞍馬寺の宝蔵におさめらる。又延喜帝の御宇、勅命に依て大江維時入唐して、六〓三畧および孔明が四首八尾常山の蛇勢奇正の傳規三十余巻をつたへて帰朝有しとかや。
嘉永八卯春鈍亭魯文記
頼光大江山入 東都 鈍亭主人校合・竹葉舎金瓶著
摂津守頼光朝臣は満仲公一男也。冷泉院判官代正四位上昇殿、伊豫守等七箇国受領民部大輔。戦功竒策武畧通人也。云々。
安政二乙卯年秋新刻鈍亭魯文校合
雙孝美談曽我物語 東都戀岱 鈍亭魯文鈔録
報讐曽我物語序詞
先師言ことあり。わが聞く處は人の聞く處也。わが觀る處は人の觀處なり。わが考る處は人の考る處なり。かゝれば珍説異聞は酷得難く、况て新竒妙案はあること稀なり。今時の作者と称する者、只名のみにて、意匠を労せず、古人の糟粕をねぶりて、以て一口をぬらす而巳。筆写と呼んも羞たる業〓。余は此条を知るにあらねば、鈔録巻を老舗として、爰に補集曽我物語、冨士より高き兄弟が孝勇の名を礎として五月雨の徒然なるまゝに、〓の裾野をかゝぐりて、燈下暗記一小冊を借宅假舎に筆を採る。
安政二卯歳秋新鐫鈍亭魯文填詞
天明水滸傳 骨董屋主人
天明水滸傳初編序詞 筆硯萬福|大吉利市
白波緑林は家鹿に等く、濱の真砂のかず/\なるも、其悪行は異なることなしと雖、そが中に義賊あり。忠臣孝子の門に入りて、その貧窮を窺ふ物から、盗たくはへたる黄金を分ち、貧しきに充るなど、今も昔も猶あるめり。こゝに何某が抄録しぬる神道徳司も、そが類にして、悪行に善志あり。しかはあれども、天網は終に洩ること能はず。児童等、盗跖がことを思ふて、浮雲の栄花を羨むことなかれと云々。
安政三辰孟春骨董屋主人即題天明水滸傳第弍編總括序言 大吉|利市
羅本中一百八個の悪星が人化して賊を成の事跡を著述て、三世唖と生れたりとかや。紫姫は五十余帖の物語に好色艶言を編綴りて、随獄の呵責をまぬかれずと、ある博識の大人に聞にき。つら/\考るに、羅氏が脚色も式部が趣向も、おもむく所は勧懲の二ツにして、自ら其悪を好み、其色を好には有べからず。然らば、浮屠の善行方便、何ぞ釋氏に耻べけんや。本傳の作者これを思ふて、賊傳を筆記し、書房の倉庫を賑はすこと、嗚呼宜なる哉。稿成て余に序を求む。再び題して責をふさぐと云。
安政三辰孟春骨董屋主人試筆
英名八犬士三編 江戸 鈍亭魯文抄録
一犬當戸鼠賊不能進乎犬乎犬乎勝於猫兒似乕
ぬは玉の夜をもる犬は猫ならて あたまのくろきねすみはゝかる嗚呼妙なるかも本傳九集局結將に百六巻新竒極至の意味深長善惡 應報勸懲のいたるところおよそ江湖中許多の稗史八犬傳の右に出るはあらしと思ふ。
安政二乙卯夏戀岱 愚山人筆記
抜翠三國志初編 東都 鈍亭魯文鈔録
梓主三度余が草盧を音信て三国志の稿を促すとは虚の皮、此方から店を訪ひ書せて貰ふた初編一巻、ところ斑の抜翠ながら芳宗大人の高名〈孔明〉をたのみて画料〈臥竜〉先生と称ゆるにこそ
安政三丙辰春鈍亭魯文誌諸葛亮字孔明臥竜先生と号す
抜翠三國志二編 荏土 鈍亭主人再譯
序詞 利市發行
劉氏沛公、貴坊の名刀を傳へて白蛇の霊を伐て漢室を開き玉ひ、四百余年の静謐も忽地かはる〓燈がへし、王莽が五枚草鞋も青龍刀の鐺返しに的身をくらひ、董卓が銅入の寄太鼓は皮と共に破れ、桃園に義を結ぶ本神樂あれば、臥竜丘の雪おろし、親王立の曹操を田樂にする司馬懿かゞり、晋とする程御見物を希ふと云々鈍亭魯文戯記
英名八犬士五編 江戸 鈍亭主人鈔録
唐土訓蒙圖彙に云、槃瓠は高辛の時の犬なり。その時犬戎より責けり。其将の首を得ん者を婿とせんと有けるに、犬呉将軍の首を銜て来ければ、帝女を与へらる。犬女を負て南山に入り、六人の子を生。その子孫滋蔓たるなり云々。
安政二卯初秋稿脱鈍亭魯文抄録
英名八犬士六編
英名八犬士第六輯序詞 筆硯萬壽
是此稗史哉飯台の。彼稀翁が膏骨にして。奴隷なんどが禿たる毫もて。妙じく竒しき言の葉を。漫りに鈔録せるは。謂所蚊虻の大鵬あるを知ぬに等し。冨に栄たる者は貧きの乏を知らず。卑きの賤き者は尊きを知らす。孔子は跖が憶を知らず。喬きに上る〓猴すら。白波よする石川の心を知らず。然るからに天地の間に生る者。一箇として益ならざる者はなし。世尊厩戸いへば更なり。提婆守屋も造化の要具。偐に曰癡漢は賢良の定規。拙案は高手鑑定と。癖理屈つける自己豆蒸。囲もせぬくせ脚色文事理平仄隠微も合ばこそ。一字の違ひに全巻の義理失ふも知らずして。成刻發兌ば利事と。綴り寄たる荒芽山。破裂はつゝめど耻かしの面伏縫隠し針。素針出して顔赤岩の。猫の針目戸射當たる。犬の待針ねらひよく〓るといふを幸先に。第六編の序とはなしぬ。
安政二卯秋稿晩鈍亭魯文記
英名八犬士四編 江戸 鈍亭魯文鈔録
因をおし果を説こと走馬燈の如く人間万事塞翁が馬に似たり先に馬琴老翁八犬士傳の妙案ありそをそがまゝに抜翠して犬馬の労にも及ばねども梓主が為に筆記せる者は戀岱の愚山人なりけり。
正安太平記第三輯
古今の戯流傳へて最久しき物は碁に過たるはなし。その人を迷はすこと酒色に並べり。故に木野狐と名付たり。常悦周弥が輩、泰平の國恩を忘れ廣大の仁慈に叛き、却て天下を傾けんとす。蟷螂か斧をもて竜車に向ふの所意、磐を抱いて淵にのぞむが如く、いかでか天誅を免かるへき。終に木野狐の為にたぶらかされ、中途にして大事をあやまつ。蒼々たる高天照々として、邪曲をおほふ事、鏡面をかざすが如けん。前に田辺某両輪の奸悪を小巻二輯に録して未結局に至らず。僕三輯の次編を乞れて、勧懲を全うす。看官前後三巻を合して首尾を調へ給ふて可ならん。嗚呼。
丙辰初夏骨董屋雅楽題[現金安賣]
〈輪廻|應報〉 四家怪談全讀切 東都 鈍亭魯文抄録
〈輪廻|應報〉四家怪談序詞
惡人則遠避之杜災殃於眉睫トハ。すこしき奸邪の人なり共。とをざくべしとのことにして。慎に慎を重ねずんばあるべからず。伊東秋山神谷等が如きは。吾から招く禍事なり。於岩が生質又妬なり。石尊戻てう曲節に。輪廻て逢たりしは。然も四谷の縁による。因果同士が貪慾と。色欲無慈悲の交張屏風。取集めたる反古の中。掘出しものゝ實説古写本。鼠の喰し所をも。拾ひ書した釘の折。画組をたよりに高看に。備へ侍事爾り。
安政三丙辰歳初夏新刻鈍亭魯文述
楠公忠義傳讀切 松亭門人 栢亭金山録
楠氏湊川に戦死して、英名万天に輝き、誉れを千歳の後に傳ゆ。太平の徳択身におよんで、古戦のさまを目下に見るは、稗史小説のわざくれによれり。然りといへども、我等の作者古人の傳を抜翠するに文法を知らず。手尓於葉を弁へす。嘲を遠近に傳へ、耻を千歳に残す。是なん、楠氏の潔きと黒白の表裏何ぞ異ならん。讀ぬ同士かゝぬ同士、又これをして上梓の發客あり。金聾雷をこはからず、盲蛇物におぢざるの類とやいはまし。
安政四丁巳孟春骨董屋主人漫誌
英名八犬士七編
およそ小説を愛るもの。馬琴を不識はなく。善馬琴をしるものに八犬士を不言はなし。夫八犬士の小説たるや。駒谷山人の合類節用に役名を出せり。そのかみ犬士の隆なる事も亦しるべし。然れども犬士の名を見る事外に所見なし。馬琴独早く見つけて。許多の小説に抄猟。苦心して一家の大狂言と成れり。馬琴の卓見思ふべし。數種の小説なれる中に。先八犬傳を第一とす。翁が性頗る博聞。強記にして。殊更壽も永く。八十有余歳を保てる事。幸福此上やあるべき。魯文頃日八犬士の鈔録數日ならざれども。既に結局近しと聽けり。此根氣をもて翁が年まで出精なせば。眞の作者となる事。請合なり。嘆浦山しきかな。
于時安政四丁巳春花笠文京誌
英名八犬士第八輯結局 江戸 鈍亭主人鈔録
難津浅香山の幼き筆もて。原傳一百八十回の。一大竒書なる長編を小巻僅八冊に。鈔録すなるは。鉄漿柄杓に東溟を干潟となし。衣納裁刀に南山を平田に。なさまく欲する業に等しく。管をもて天を伺ふのすさみにや有けめ。さりけれとも唯勧懲の基つ意を失はず。そが面影はおぼろげながら。看官倦ざることを要とし。脚色のから組たるを觧ほどき。軍旅闘諍交戰を。細密にせざる而巳。抑里見十世の豊栄。總三州の安寧は。富山に種を蒔伏し。姫が芽ぐみの發生し。花咲実のる八犬具足。異胸因同根に帰る。牡丹の痣子も鮮かに。消る竒玉の仁義八行。八法永字の初點の。ヽ大悟を示す神通遊仙。其跡慕ふ狗児も。功成名遂て退隱幽栖局を結びし八巻の讀切。稿成名を賣僻作者。古人の糟粕を〓〓に口を粘する門辺の痩犬。影を形體と吠つゞく。御高評を尾を振て願奉るになん。
安政三丙辰年暮秋鈍亭魯文敬白
蝦夷錦源氏直垂後編 東江 鈍亭魯文編次
蝦夷錦源氏直垂後編序
夫子曰危邦には入ず。乱邦には居ず。天下道有ときは見れ。道なきときは隱る。抑源廷尉義經。才管仲樂毅に及へく。智呂尚子房を極め。功天下を蓋ふ。然れども運微にして志を得る事能はず。遠く夷島に屈すと雖。更に披髪左社の後に立ことなく。幾久留美王の英名。万古不易にして。神洲の武威外島に輝かせり。余既に前巻にその首を録し。次で後輯に尾を記して以。結局とす。判官贔屓の童等書舗に往て求めよや云々。
于時安政三丙辰初夏鈍亭魯文記
抜翠三國誌第三輯 戀岱 鈍亭魯文編次
昔夏の桀王その力。鈎索鉄を伸。重金の椎を揉〓たり。又殷討王は。猛獣を挌殺。梁を擧て取換の大力なり。しかれども是勇力は。寔天下を持。四海治るの用にたらず。唯道徳仁義の政令にしくことなし。呉魏蜀の比劉備。孔明を得て漢中王にすゝめ玉ふも。諸葛亮が智。雲長が青龍刀。翼徳が蛇棒の功。これらのあらましを書あつめて。通俗三国志の草雙紙につゞることさのごとし〓。
右に述たる一章は鱗形屋の蔵板黒本の通俗三國志簡端録せしものなり。時に抜翠三國誌三輯の稿成て未序なし。以是夫に換。
安政四丁巳初春鈍亭魯文識
抜翠三國誌第四輯 江戸 鈍亭魯文抄録
博陵の崔州平。劉皇叔に語て曰。古より治極る時は乱を生じ。乱極る時は治を生じ。暖尽れば寒。寒尽れば暖。四時の相傳るが如し。天生天殺いづれの時かこれ尽ん。人是人非いづれの日に歟休んといへり。是三国の興るゆゑん説得て可なり。以て序に換云々。
鈍亭魯文識※安政四年四月改
神稲黄金笠松前編 東都 鈍亭魯文披閲|菊亭文里編次
神稲黄金笠松序
杜鵑始て告る旦。戀岱の鈍亭に一樽をひらき。初枩魚の美味にはからずも。七拾五日命延たる醉まぎれ。末代に名を殘さんと。戯ふれて笑談ずるに。先生笑ふて曰ク。犬は夜を守り鶏は晨を司る。蠶は糸を吐き蜂は蜜を醸す。人學ばざればものにしかず。しかあれば学で而て。時にこれを習てもて善き名を後に殘すべしと。一ッの短所を取出し。再び示していへるやう。大都會の書肆平林館主人は。活業の間有折。鬻ぐところの和漢の書に眼をさらし。戯に稗史を綴て。行餘力の樂とせられぬ。此一種の小説は。神稲何とかやいふ記にして。則ち主人が旧作なり。しかるに彼人先つ年。長き旅路におもむかれぬ。その彫板の半なるを。笹屋の主人が購ひ得たれば。是に尾を増全部となしなば。〓江入楚に至るべしと。噛でくゝめる言葉の枝折。おつときたりでのみこむすゞめ子。舌をきられぬ用心して。空云をつくばの山風に。とんで寐所へ蛙の哥も。みずに聞ずに灯をてらし。夢中に文面よごすのみ。
安政四丁巳夏菊亭文里まじめに誌
神稲黄金笠松跋
本中が三世の唖。紫式部が未來の堕獄。倶に妄語の罪作りと。誰彼も知ることながら。蓼喰虫の好々は。虚といふ字に戈を添たる戯の字を冠れる作者にならむと。余が茅屋を屡訪ふは文花の賢弟の菊亭子なり。此頃書房が肆に。初見参の手はじめとて。古人の遺稿に編次なしゝ。大吉利市の黄金の笠松。題号も縁喜の名詮自性。當りを請合花の兄とは。烏呼がま識者の嘲けりも。かへりみざる〈三猿〉の物の本跋。今板は是ぎりと。結局を一寸と合すになん。
安政丁巳初夏鈍亭魯文誌
繍像水滸畧傳前編 東都 鈍亭主人標記
繍像水滸畧傳序[義發勸懲]
書房新庄堂主人、偶々来訪之次て、僕に謂曰く、江湖上水滸畫傳之新編有と雖も惜い哉數巻にして利市成す可ず。是を以て足下之鈔録を得て再び之を刻せんと欲す。屡辭して屡請ふ。是に於て、要を摘て繁を刪り、不日にして稿を脱し、遂に國久畫才をして之を圖せ令め、凡二巻八拾頁、此の書全く畫を以て主爲、予は惟其の概略を標記する而巳。畫成て其簡端に序す。皇〓安政丙辰仲夏皐月雨夜、研に呵して戀岱野狐菴南〓燈下に書す。鈍亭魯文題※原漢文
織部武廣三度報讐 東都 〓井北梅著
忠孝三度報讐記序
織部廣武事實傳于世矣今温其志考其旨計其事觀其功可謂至矣經不言乎立身行道揚名於後世以顕父母忠孝之終也既遂其終自暦應之古及安政之今而揚名於後世可謂義士也明矣聖人之道及于海内義士之功満於宇宙如此可謂為人子仁者之道至功名不朽于載而巳。東都戀岱 鈍亭魯文題安政五戊午初夏
摘要漢楚軍談前編 東都 鈍亭魯文標記
摘要漢楚軍談前輯換序 [靜中一業]
蒲衣八歳にして舜の師たり。〓子五歳にして禹の佐となる。伯益五歳火を掌、項〓七歳孔子の師たり。古の聖賢生ながらにして神〓長じて狗齋固に夙惠の列にあらず。しかして史傳載ところ幼して賢なるも老て甚聖ならず。白絲の染易き孟母數居を移が如き是也。若少して古をしらずんはその迷老て觧ず。此頃書肆何某画者をして古今の智將勇夫を圖せしめ以黄童の観に備へんとす。因て筆を簡端に走らす。 右題の序詞は往時享和二歳上春著作堂主人が述誌たる舊文なり。そが遺稿久しく余が家に蔵せり。空く紙虫の住家とならんをいと惜みて急筆の序に換と云々。
于時安政丙辰秋稿成\同乙巳秋彫刻同戊午春発市鈍亭魯文記
摘要漢楚軍談後輯 東都 鈍亭魯文標記
摘要漢楚軍談後輯序 [義發勸懲]
孟賁は生たる牛の角を抜、烏獲は千鈞をあぐ。倶に力量は至れども、軍術の智謀ある沙汰に能ず。夏育大史激叱咤が勇力、三軍を驚かし、終に一夫の為に殺さる。こは其力量を用る所違ふ故也。かつて聞、楚王項羽は山を抜、鼎をあぐる勇猛、古今獨歩といひつべし。しかはあれども、智慮薄く、笵増鐘離昧が謀計を容ずして、劍に伏たり。夫より以前、漢王と鴻門に會して宴せし時、樊〓劍を抜て肉を切喰ひ、數斗の酒を呑て、項王を白眼目觜悉く裂て猛勢凄じき。時に項王樊〓をとりひしがざるは、日頃の大勇に似合ぬ事にて、こは樊〓に先ンじられたる気おくれならん〓、将樊〓が主の危急を救はんとて、必死を極めたる忠心を、天も感應まし/\て、大威力を添させ玉ひしものならん〓、推量知るべくもあらされど、此一条を論は、後輯稿成、序跋なきものから、填詞をものせんとてのわざくれなりかし。于時安政三丙辰穐文月星合の夜
妻戀岱の戯作舎に毫を採る談笑諷諫滑稽道場 鈍亭魯文漫題
釋迦御一代記初編 鈍亭魯文抄録
前に浪花なる山田の叟。舊本を参考して。もて六冊に編輯せられし。釋尊御一代記てふ物の本。江湖に流布してより。大恩教主の忝辱を。末法有縁の宗俗等。稍概略を味ふ物から。楞伽經を讀誦にあらねど。無常品の趣意を悟り。大乗經は繙ねど。未来記の説を自得す。嗚呼この功徳幾許ぞや。偏に佛意にかなはん歟。將近来万亭の主人なる個。倭文庫と標目して。意齋大人の顰に效ひ。画を大皇國の風俗に摸し。小稗史に飜訳なししに。時行に協ふて今に至り。年歳時々に編を次。巻を重ねて未尽せず。さるからに童蒙婦幼も。八相成道の謂に濟れり。余おもへらく此両氏は。將に彼岸の舩長にて。水莖の水馴棹。能四等の舩を漕て。終に八苦の海を渡さん。于時書肆新庄堂茅舎を訪来て。かの書等に伯仲すべき。小冊を約倹に綴りて頓に投へよと乞。他の見識ある著述家なりせば。糟粕の譏りを愧て。屡是を推辞べきに。余は元来蛇足に臆せぬ。文盲不学の白癡なれば。世の胡慮となるを思はず。速に毫をとつて。釈尊御降誕の起源を録し。稿を脱して初輯一帙我物顔に授へ遣つ。遮莫數編に及べるは。鬻ぐために妙ならずと。新庄堂の注文あれば。僅に三輯にして局を結ばん。看官後の二帙を等て。五妙神力涅槃の終に念を全く断玉ひなば物本末ある花主と称ん。且錯失を考訂とも。杜撰を嘲弄て捨ること勿れ。
安政丁巳秋東都妻戀里人 鈍亭魯文記
天下茶屋復仇美談 江戸作者 鈍亭魯文補綴|票瓜亭念魚被閲
百行の中孝をもて。元とし次で。忠臣節婦。信義仁智禮悌も其本店は。孝行子路。孔子曰へと。魯國の大聖人また。正直の頭上にはかみの青ざし。孝子へ賜もの忠孝全き衆生ならば。寂光浄土の成佛は。引導すると。支那の世尊が金言むなしからず。是に戲友鈍亭魯文子早志兄弟が事跡を詳にしるし名て天下茶屋復仇美談と謂。此閲するに一々金玉の聲有且空言を省〔き〕。實傳を鈔録して。兒女童蒙の為に。しかも見安く早わかり。詞少なに鶏がなく。吾夫育ちの江戸紫。式部が源氏は五十四帖。そは石山の施無畏閣。こは小男鹿の夫乞の。作者は口もまた黄き。廿五さいの本全部卅丁の讀切に勸善懲惡首尾全。其本乱ず末廣に賣を請合證文の端書。
[改][巳十二]歳早春文友 票瓜亭念魚戲題
成田利生角仇討 鈍亭魯文暗記 芳鳥画
成田山利生角力仇討序詞
物の本の脚色たるや。譬れハ相撲に等しく。腹に趣向の土俵をつかせ筆墨紙硯の四本柱に。引書の水引かけわたし時代と世話を東西の力士に準へ入替/\年々變る勝負附成田の利益を取組て。丁数爰に四十八手心を碎き手を碎けとまた番附の端にものらぬ。作者の中の鼻褌かつき字取の稽古も積ぬ上。不学の非力をいかにせん然ハあれとも先哲の。糟粕をねふり趣向を奪ひ人の妙として」角力を取やうやくお茶を濁すものから勧進元の梓元か。贔屓を力に腕を張。肩をいからしりきんて見ても合手のあらぬ獨り角力。兼好法師に見せたなら馬鹿/\しうこそ然狂しけれと。笑はれやしつへからむ。さりとて此儘止なんも本意ならす。〓江入楚功つもりて。上の口から這上り。大関とハなるなれと。知音のすゝめに鉄面皮。場所を踏たる角力の仇討。力一杯ゑいやつと。暗記の儘に稿を脱し。若看官の評判をとる事あらハほこりかに。低い」鼻さへ高御坐團扇の上つた勝角力。よしそれ迄にゆかすとも。根か草角力の戯作者なれハ。よい程にあしらひ給ひて。弱ひとてなけ付給はるなと。おそれみ/\あやまつて白になん
東都戀岱の野狐菴東を眺す窗の前草木の花一時に開きて香深き処に採毫安政三\丙辰弥生某日
鈍亭魯文誌[文]
○附て曰、天道ハ善に与す。善ハ天理の公なり。人善を歓ぶ所以ハ天理の自然なれバなり。人善悪邪正を見れバ彼是と辧へ知る。然るをおのが上に在りてハ是非の堺にさまよふハ所謂燈臺元くらき類ひとやいはまし。そも/\仏の方便に似通ひたるハ物の本の趣向にてそ事を勸懲にたくして至善を宗としその團圓の結局にいたれバ悪人ほろひて善人栄へかならす道にたがふ事なし。今や成田山の利生記一巻を暗記の儘に補綴して孝心義膽の亀鑑とす。その文甚だ俗にして且誤りも少からす。識者のよむへきものにあらねと童蒙婦女子巻を開かバ善を勸め悪を懲すの一助ともなさバなりなんかし。
筆くさを摘て こゝろをつく%\し
よしあしの道わかんと おもへば本傳作者再識[呂]文]成田利生角力仇討大尾
品川屋久助板
國姓爺一代記二編 荏土 鈍亭魯文抄録
豊けく納まれる皇神國のいさを灼然に最もたうとくぞありける。看ぬ異邦の事をしも坐ながらにして手に採ごとにしる。そも又漢書にあれば童部姫達の讀倦かりければ皇朝史にものして、そをしもまた鄙ぶりにとき和らげて國姓将軍鄭成功の誠心に中花を補もとつ明朝の末を闢てんものと仁慈みを布し蒼生等を撫教し且は策て北のゑびすらを屠り義を重ふして名を汚さず。然はあれど栄へては必ず枯るの理を悟り東濘てふ孤島の高峰に身を遁れて其終るところをしらず。此猛者が奇き美事を衆幼にしらせまほしくて、野末の爺が懇意をしるす事しかり
■■■■■■■鈍亭嵜魯文填詞
釋迦御一代記第二編 江戸 鈍亭魯文抄録
釋迦御一代記第二輯自叙
天地已に開闢。陰陽の氣凝結んで。世界各國全く成り。日月の明かに照し。花咲みのれる地。互に千里八千里を隔ち。あるは遠津海の外なるも。人情世態の趣きは。異る事有べうもあらずかし。今將爰に綴りなす。世尊御一代の顛末も。事を印度に設けて。文を和漢相半し。形相を画がゝしむるに。専ら皇國の情景に摸すも。所謂稗官者流の。用意にこそありけれ。
安政戊午夏新刻戀岱 鈍亭魯文誌
釋迦御一代記三編 東都 鈍亭主人編次
悉達太子城門を顧みて獅子吼して誓て曰く
我若し生老病死憂悲苦惱を斷ずんば、宮に還らじ。又復、法輪を轉ずること不能んば、要、父王と相見せず。若し當に恩愛の情を尽ずんば、終に還て母夫人及び耶輪陀羅女を見じと云々傭書 鶴田真容于時皇朝戊午鈍亭魯文記※見返に原漢文。序は「釋迦御一代記第参輯序/安政五戊午初冬刻成/鶴亭秀賀識」。
釋尊御一代記拾遺第四輯 東都 岳亭梁左編次\鈍亭魯文校合
釋迦御一代記拾遺第四編自叙
正覚真正の如来。一切衆生濟度の爲に。普く四天下を經廻り。三世因果の理を示し。説法し玉ふ事四十九年。万亭叟。童蒙婦女子の為に。倭文庫を編輯して。勧善懲惡の道を諭し。撰擇成こと四十餘編。渠は浮屠家の方便品。是は稗家の譬諭種。獅子の高坐の法談ならねど。机上に毫をとりが鳴。東訛りの國字法談も。看官聽衆の里耳に協へば。則教化の一端ならむ歟。されば草双史を披閲個。釋迦といへば應賀と思ふも。團粉を喰て彼岸とおぼゆる。入滅涅槃の因縁に。似たりや似多山〓〓呑の。譏謗も儘の革財布。腹を瀉さぬ用心に。綴る三編讀切も世は見限らで暴病にも。遁れて拾遺三冊を。委られたる追加注文。筆硯万福活業の。大吉利潤早速と。早呑込の安請合も。五衰三熱三十日前。借金の苦患に間を得ざれば岳亭大人の助筆を乞て。終に至宝成道の諸根の稿を脱するものから。題目序品の發語を。教主めかして説くになん。
于時安政五のとし。戊午の時雨月末の四日愚息誕生の際に臨み。てつぺんかけし産声を。書齋の中に聞ながら。心約く採毫。天上天下唯我孤獨の青戲個 鈍亭魯文漫題※序文の筆耕は岳亭だと思われる。三丁裏「戀岱野狐庵に於て魯鈍孩児降誕の圖」
報讐信太森前編 東都 鈍亭魯文縮編
報讐信太森前編自序
狐五百歳にして、能生を換ると雖、鼠の油揚に獵夫の〓を脱れず。作者年歳趣を異にすれども、糟粕の譏をひけり。倶に香味と潤筆の、嗜慾に耽る有非の情、爰に著す野干の一話も、余は化たと思へども、原稿虚の革衣、彼讀本の抄録とは、看官以前承知なるべし。遮莫石佛を美女と紛、馬糞を牡丹餅と変なんどの、意匠は此方の肝要なれど、發端から眉毛に唾を濡、書房が〓の油揚に、喰つきやすき安物ぞ。やつぱり歯に合食なるべし。
于時安政己未春如月古歌に縁の妻恋の里人野狐庵主人稗官 鈍亭魯文戯誌
報讐信太森後編 東都 鈍亭魯文縮編
報讐信太森後編序
往昔の小説に。九尾の狐化して妲妃となると作り。近衛帝玉藻前を愛しゝことは。謡曲の滑稽にして。信田の森の操觚は。妻恋稲荷の社辺に棲る。此道の老狐。鈍亭長公の机上に成れり。されば紙上の白面と。九尾の筆毛に妖をなし。善惡邪正の教を聡。勁松彰歳寒、貞臣見國危の語となせり。故に勤蠢の変化有て。彼清明が三部の秘書に。綴目は硬き葛の蔓。編を次だる六冊の。大尾の簡端に駈者が。緒ひらく文象は。尾嵜狐といふべきに哉。同穴なる忍岡に彼蓮池の松藻をかつぎて
己未孟夏岳亭梁左述跋
何某が妻詩を譜して猿となり。童子が母和歌を詠じて狐となりしは。和漢同日の談にして彼茂林寺の文福。茶釜。麥搗老婆の狸となると。綴る作者の虚實の腹稿。虚から出たる實もあれば誠から出た妄もあり。一日戀岱に上りて野狐庵を訪ふに。信田森と題号せる。脱稿の小冊机上にあり。是を採て披閲するに。其談虚忘に出れども。其事荀に誠實たり。抑善に善報あり。悪には必悪報あり。然れども善悪に新古なく。勧懲に虚實なし。架空の書。兔園の冊。はかなき草紙物語も。童蒙婦幼に可ならしめば。不讀の正史に勝りつべく。不悟の聖語におとらまじや。
清真堂の菓舗におゐて梅笠陳人春亭京鶴誌
抜翠三國誌五編 東都戀岱 鈍亭魯文鐸
銅雀臺賦曰
明后に從ふて嬉遊す。層臺に登りて以て情を娯しむ。太府之廣開たるを見る。‥‥略‥‥ 願くは斯臺之永。固して樂み終古にして央ざらんことを。
于時皇朝安政己未初夏日本江都民 鈍亭魯文識※原漢文
釋迦御一代記拾遺第五輯 東都 岳亭梁左編次\鈍亭魯文校訂
三聖一瓶□□酒を嘗て其味ふところ一ならず。
世尊苦酸の湖上に因果の理を解て甘きに諭し曽て王舎城に佛敵する者自己劍刀を投捨て自然如来の光明に靡こと廣大無量の法徳ならめや。
爰に予が友鈍亭主人そが同盟岳亭子と倶に計て釋尊御一代の概畧を綴れり。鎖々たる小冊と雖顛末の霊説實に如来を拝すが如し大哉世尊。大哉世尊。予元来毫を採の才なけれど此冊を披き感得の余に、世の笑を厭はず是に叙せんとする者は、陸奥の草深き澤間より出て今東江の都に住る。
于時□□□戊午□凉亭臥□※大虫損。[改・未・六]。三丁裏に千社札の意匠で「交來」「梁左」「魯文」「ホリ竹」等。提灯に「鶴亭秀賀・鈍亭魯文・万亭應賀・大黒屋歌雀・市川家橘」。「ふだらくや枯たる木にも帰り花 京寉」
俵藤太龍宮蜃話 江戸 鈍亭魯文編
俵藤太龍宮蜃話自序
秀郷朝臣の龍宮入は。粟津の冠者が晴嵐の誉に。本据奪體換骨。所も近江の瀬田の橋。夕照す蜈蚣の眼光。弯しぼつたる弦に。刻矢橋の帰帆に臨て。龍神よりのかづけ物。巻絹俵太刀鎧。彼三井寺の晩鐘も。その一種の中になん。されば此話を父母として。新にものせし小説は。唐嵜の雨夜の徒然。比良の高峰の暮雪ならで。意につもるよしなしごとを。堅田に落る雁の文字につらねて三巻とし。刻成發兌は石山の。秋の月見る頃なりけり。
棹鹿の妻戀の里人鈍亭魯文戯誌安政六稔龍集己未整軒玄魚書
平良門蝦蟇物語 東都 鈍亭魯文著
平良門蝦蟇物語叙
體は人にして首は狗なる槃瓠子の事に基き、新に作設たる物の本や、変化の妙、宛轉の奇、文章一家をなして、万犬形の影に吼。此編三帙全一部、上巻は猿島の内裏に起り、中巻は山東が乕の意を假、下巻は蛇足の愚案に出れは、鵺物語とも号くべきを、蝦蟇物語と題しつゝ、名詮自性の自作めかして作名を記する事、盲蛇物に畏ざる、〓蜍の面にむかふみづの所為なりかし。
時は安政の七とせ睦月七日妻戀坂 の鈍亭に假名垣魯文しるす
傀儡太平記 東都 假名垣魯文編
古人既にいへることあり。悉く書を信せば書なきに不如と。それ物の本の成れるや事を虚に設て義を實に演もて勧懲の一助とす。遮莫虚は實の器にして、惡は善の鑑たり。虚もまた採べき所あり。實も容ると容ざるあり。善惡輪廻の両車録。そを脚色の小説は、唯に晝夜の急筆にて、趣向を案に間なければ、虚實の境を論らはで、そがまゝ傀儡太平記と号ぬ。
假名垣魯文誌
忠勇景清全傳 東江戀岱 鈍亭魯文著
忠勇景清傳 叙
是歳天〓雪飄リ春寒花遅シ。偶友生ヲ撩シテ向火夜話ス。坐隅ニ一客有リ、喃々トシテ景清全傳ヲ讀メリ。乃鈍亭魯文子カ著ス所也。凡ソ柱ニ膠シ管ヲ観者ハ之ヲ叩テ将ニ劔ヲ按シテ目ヲ〓トス。儻シ燭ヲ秉リ燈ヲ剪ル人之ヲ見ハ、節ヲ撃テ頭ヲ頷ス所有ン。略其微意ヲ跡ルニ、則忠義ヲ貴テ勧善懲悪之道ヲ述ヘ、人情ヲ冩シテ以伉儷愛慕之心ヲ著ス。維劇傀儡ノ曲胸ノ次ニ蟠リ、滑稽洒落ノ戯、毫ノ端ニ貫ク。糟粕敢テ嘗ズ。狐ノ涎レ其レ舐ツベシ。若乃レ評林花ヲ攅テ、新鮮笑海人ヲシテ蜿シ轉ハ令ム。漢ヲ譯シテ俗ニ通シ、諺ヲ絢テ以テ詞ヲ隱。〓魯文子ハ誰人也。蓋シ前身須狸奴白〓之精ナル應カ。啻稗宦者流之知ラザル所ヲ知ルノミニ匪。况ンヤ又辧瀾夫慱問ニ答ベキ者ヲヤ。自在ナル矣哉。此於テ興ニ乗シテ戯ニ之カ序ヲ為ス。
時安政庚申孟春小台麓且志菴之〓山人〓ヲ忍川軒ニ〓ス岳亭梁左識※原漢文
於登美|与三郎・氷神月横櫛前編 江戸 鈍亭魯文
氷神月横櫛前編序
婦女の髪に撚る綱には、大象もよく〓がれ、ぞつと素顔の洗髪には、爺坊主もうつゝをぬかして、蹇車をもとむるならん。女子は自己を愛歓ものゝ、為にしも容色を作れど、浮たる性質の水鏡、遂ぬ契の薄化粧。假の色香はさめるに疾く、西〓が顰貴妃が笑、うちに隱せる絡刀に、外面菩薩の長髢は、内心夜叉の蛇とや見ん。爰に著す浪花江の、よしなし言は横に行、芦間の蟹の横櫛音海が、曲れる心の黒髪も、むすぼれたる思ひ寝の、夢は實歟虚説も、採混たる蚤の跡。蚊の口觜の細筆に、つゞまる一部の狂言綺語硯の海の淺くとも、悪縁は深き向疵。与三戀こいの童謡も、時行に叶ふ錦森堂が注文、縺て解ぬ長譚も、二編で局をむすびがみ。その〓畧を児女君子達へ、つげの小櫛と序するになん。
于時文久元辛酉東都妻戀の里人 鈍亭魯文誌
抜翠三國誌第六輯 東都 假名垣魯文鈔録
曹操槊を横へて詩を賦す以て序に換ゆ酒に對して當に歌ふべし。人生幾何ぞ、譬ば朝露の若し。‥‥略‥‥ 水は深きを厭はず。周公吐哺、天下心を帰す。
于時萬延元孟穐糟粕外史記※原漢文
英雄太平記
英雄太平記叙言
夫兵は凶器なり。然りと雖。これをもて朝敵を平げ逆賊を征す。天下國家を治るの用。先武を前にして文を後とす。抑此書の意たるや。國乱れて忠臣顕れ。家亡びて孝子出。忠孝共に國家の大倫譬はゝ車の両輪に等し。故に治乱失得の興廃は其君とその臣にあるべく。覆て外なきは天の徳なり。明君これに體して國家を保。載て棄ことなきは地の道なん。良臣これを則て社稷を守る。その徳缺るときは位ありと雖持ず。所謂夏桀は南巣に走り。殷紂は牧野に敗す。其道違ときは。威ありといへども久しからず。曽聴。趙高は咸陽に刑せられ。祿山は鳳翔に亡。前車の覆を見て後車の誡とし。治世に乱を忘ざらしむ。彼入道常久が書名を改め。号て天下太平記とするものは。當代を賀し奉るの深意にして。僕が英雄の二字を冠せしは。後昆顧て既往にいましめをとらせ。童蒙田夫をして。勧懲の微意をさとさんとおもふ。れいの老婆心にこそありけれ。
于時萬延二ツの年辛酉の睦月下旬東都妻戀岱の南窓に毫を採て繍像に填詞するものは鈍亭主人假名垣魯文題※外題「繪本大功記」(外題芳宗画)、改印「酉二改」。全丁に一魁齋芳年の絵がある。
國姓爺一代記三編大尾 江戸 鈍亭魯文記
國姓爺一代記三編序 錦森堂壽梓
古語に曰。虎は死て皮を止め、人は死て名を止むと。宜なる哉。延平王、國朝の爲に、生涯其忠義の節を改めず。威武にも屈せず、富貴にも蕩されず、南海の孤島に、兵を煉武を講じ、猛威逆浪の崖を崩すが如く、百度戰ふて百度勝。勇名四海に轟き、小兒の啼を止る(とゞむ)も理なる哉。以て結局の簡端に題す云々鈍亭魯文記※萬延二年五月改
静ヶ嶽七槍軍記
夫兵は神速を尊む。故に先んずれば人を制すと。就中真柴大領、兵道武事に於るや、機に望み変に應じて、進退の指揮、猿猴の梢を傳ふよりも速也。一代の勲功しば/\なるそが中に、静が峯の一戦は、天下分目の争闘にして、名将の下に弱卒なく、七鎗三刀の勇臣等が働きを筆記して、睡眠に換ると云々。
于時春陽吉旦骨董軒主人
新書太功記 初編全一巻 骨董屋雅楽題
我皇国六十余州武門に帰せしより六百年来(ねんらい)、頼朝卿父子三代(さんだい)、五代將軍尊氏卿十三世、天下麻の如くみだれ、英雄蜂の如く起り、兄弟鉾楯し、君臣そむけること、古き書どもにのせたる處明らかにして見るべし。爰に豊殿下久吉卿は、卑賤より生出給ひ、中興一統の治天にせさせ給ひしかば、四夷静に、八蠻治り、國風豊に、万民和らぎて、戸々に千秋樂を唱え、家々に万歳樂をうたふこと、偏に天に禀(うけ)、地に封せる、明將の神武なりと、その成長給ふ始より、大器を録して童蒙等に智を導くの一端とするものならじ。
初夏卯月仲旬
市中商家 骨董屋雅楽題 [京][尚]
四 抄録家魯文
序文を通覧していくと「糟粕」が鍵語となっていることに気が付く。先行する浄瑠璃や小説実録類の抄出縮約を目的としたものが切附本であった。やや自嘲に過ぎる行文が目に付くが、長編を摘要するのには、まず原作を読み通さなければならず、たとえ切り貼りであっても、それなりに能力が必要であったと思われる。また、序文自体が近世的な「戯文」と成っていて、それなりに趣向を凝らしているとも考えられる。
このダイジェストを意味する「鈔録」「抄録」「縮編」「抜翠」「縮綴」などと云う語句は、草双紙でも見られるものであり、読本等のダイジェスト合巻も少なくない。しかし、草双紙は五丁一冊全丁絵入であり、切附本とは異なった企画であると思われる。つまり、切附本は漢字混じりの本文で「早わかり」と云うのが目的であると考えるべきであろう。
また、「披閲」「増補」「校合」と云うのも一体どの程度の関与実態を表したものであるか甚だ心許ない。取り敢ずは魯文が関わったものとして扱っておく方が無難であろう。
いずれにせよ、鈍亭時代の魯文は抄録家として側面を強く持っていたことは疑いなく、特に曲亭馬琴を強く意識した行文が目に付いた。鈍亭時代が魯文にとっての習作時代であったことは間違いないが、もう少し積極的に「抄録」と云う行為を見直すべきではないだろうか。
注
▼1.「仮名垣魯文年譜」(「早稲田大学教育学部学術研究」2、1954年)、「仮名垣魯文の研究−開化期戯作の展開と変遷−」(「明治大正文学研究」16、1955年5月)、『転換期の文学』(1960年、早稲田大学出版部)、『明治開化期文学の研究』(1968年、桜楓社)など。
▼2.国文学研究が「文学的価値」なるものに呪縛されていた時代であったから、やむを得ない事情ではあった。
▼3.例えば、『熊坂伝記東海道松之白浪』2編2冊(50丁、文化元年)は黄表紙風の貼題簽が施されて合巻されている。板面は1丁当たり12行で比較的挿絵は少なく挿絵中に本文はない。この本には被せ彫りにより改題再刻され『熊坂長範一代記』(三代豊国画の合巻風摺付表紙、安政期刊カ)という切附本になっている。このように、切附本の様式や内容を先取りした合巻風中本型読本は、十返舎一九の『相馬太郎武勇籏 上』2編2冊(文化2年序)ほか、零本ではあったが、もう一点管見に及んだ。
▼4.拙稿「切附本」(『日本古典籍書誌学辞典』、1993年、岩波書店)
▼5.1985年秋の日本近世文学会で口頭発表、「末期の中本型読本−所謂「切附本」について−」(「近世文芸」45号、日本近世文学会、1986年)、「末期中本型読本書目年表稿−弘化期以降−」(「近世文芸」46号、日本近世文学会、1987年)。後に増補し拙著『江戸読本の研究』(1995年、ぺりかん社)に所収。
▼6.最新情報は拙サイト「切附本書目年表稿」参照。
▼7.拙稿「英名八犬士(一)−解題と翻刻−」(「千葉大学人文研究」34、2005年3月)参照。
【付記】本稿は2004年9月13日に国文学研究資料館で開催された「魯文プロジェクト」の研究会で口頭発表したものに基づいている。会場で御示教賜った佐藤悟氏、佐々木亨氏をはじめとする方々に心より感謝致します。