魯文の報条(一)
高 木   元  

 はじめに

仮名垣魯文の手に拠り書かれた文章テキストの調査蒐集を続けているが、今回からは管見に入った報条ひきふだを紹介したい。

広告メディアに関する研究には多くの蓄積が存り、関連する論考や著作も少なくない▼1。例えば内川芳美編『日本広告発達史』(電通、1976)では、広告の史的展開に関する叙述の中で、17世紀末より見られるという販売促進のための摺物について言及している。

この報条や引札と呼ばれる広告チラシは、その場で消費されてしまう一枚摺であり、数寄者が蒐集して遺した貼込帳スクラツプを除けば、後世に伝存することは稀である。それ故に、早くも近世期に於いて、戯作者に拠る報条を集めた『ひろふ神』(寛政6刊)や『狂言綺語』(文化3刊)などが戯文集として編まれていた。

近世文学研究者にも戯作者に拠る戯文という観点からの関心は存し、鵜月洋『宣伝文』(朝日新聞社、1961)、同『広告文の歴史』(日本経済新聞社、1965)、井上隆明『江戸コマーシャル文芸史』(高文社出版社、1986)などの業績がある。一方、北田暁大『広告の誕生』(岩波現代文庫、2008、初出は2000)は「近代メディア文化の歴史社会学」という副題から知れるごとく、社会学の立場から構築主義的に「広告である/ない」という視点に拠り広告メディアに就いて論じており、近代主義的発展史観に拠っては定位し難いと思われる近世的戯文(=広告文)に就いて考えるに際し、優れて示唆的である。

さて、手許に『〈稗官|必携〉戯文軌範』と題する風来山人、蜀山人、烏亭焉馬、山東京伝、曲亭馬琴、式亭三馬、柳亭種彦等の引札を80編ほど集めた明治16年刊の製版本(和装中本三冊)がある。赤色料紙の見返に、『文選』に拠る題詞「含芬吐芳\癸未秋日\環齋題」を配し、凝った筆致の漢文体自序や、跋文をも備えた中国趣味の横溢する書である▼2



戯文軌範序[不器]

引札者何。謂立代物之効能。欲令客買焉之使者耳。腐儒講孔子道。坊主説釋伽教。亦是其道之使者。不過活引札也。設以此理崖指世間。人則表可上親玉之不思議。謂引札。嗚呼引札之種類亦滅法澤山歟。頃日旭昇堂主人。過弊屋。自懐中出一小冊。謂曰。此書是風來山人以下至近世。稗官者流係作之引札文。字々金聲。句々玉振。開之唾壺現大蛇。閉之愚暗生角。上下二千年。東西十萬里。大千世界雖廣。於引札文。恐莫出此右者。請校閲序之。叩帝先述其効能。余取之寐倒讀過一遍。已曰。吾所欲言。子皆謂立。更無有餘地。何遑用吾筆頭之引札。乃大笑書有之儘。為自分操觚引札。此為序為之。

明治十六年七月。酒之神田。醉多道士巻簡識之。時杏村小僧提一升徳利來。\[子孫|宝用]

とあり、興味深いことに、報条の広告としての実用性と同時に、戯文の文章としての滋味に就いて言及している。

また、3巻目の中途(31丁表)

選者せんしやまうす 已上諸家の報條ひきふだのみを穿あなぐあつほとんど三巻にみたんとす なほたづね出さばいくらもあるべけれと 看官みるひとみ給はん事をおもんぱかり 報條はこれにてしばらあづかおき 次に大家の序文をろく看官かんくはんをしていよ/\佳境かきやうみちびかんとす
とあり、さらに巻末には
撰者せんしやいふ 此篇軌範きはんの名あるを以て 報条ほうでう 序文ぢよぶん 記事きじ 論説ろんせつとうを分ち 順次じゆんじ掲載けいさいせんとす されとも楮數かみかずかぎりあるが故に 序文の如きハ其千一をろくするあたはずしてへんおはれり よつてなほ篇をぎ 其すゐえいみて 看官みるひとこゝろみてんとす かの講釈師かうしやくし明晩めうばん後講ごこう戯作者げさくしやが次の巻を見よと おもしろき處にて切り 看官けんぶつをしてあとかするが如きのたくみにあらず 諸君しよくんしばらく後篇の發兌うりだしまつて じれ給ふことなくんバ幸甚

と、お定まりの後編予告ではあるが、中国の古典『文章軌範』に基づくと思われる文字通りの「軌範」として、報条のみならず、序文や記事、論説をも集めて名文範文集として編んだことが明らかにされている。

本書の内題下には「酔多道士(田嶋象二)閲/岡本竹二編」とあり、挿絵は大蘇芳年。刊記は「明治十六年三月丗一日版權免許/同年十月廿日出版/編輯人 大阪府平民 岡本竹二郎 東京日本橋區坂本町丗七番地寄畄/出板人 東京府平民 加藤正七 日本橋區檜物甼八番地/發兌人 大阪府平民 大村安兵衛 東區淡路町二丁目」とある。

さて、本書には9年後に出た改題本『〈古今|名家〉戯文軌範』がある。外題簽と内題尾題との角書に象嵌が施され、刊記は「明治十六年三月丗一日版權免許/同廿五年一月廿日改題出版/編輯人 大阪府平民 岡本竹二郎 東京日本橋區坂本町丗七番地寄畄/出板人 東京府平民 加藤正七 日本橋區檜物甼八番地/發兌人 山梨縣平民 天野高之助 日本橋區北新堀町四番地」とあり、出版の年記と発兌人に変更が加えられている。

さらに6年後には新たな改題本『〈實地|應用〉廣告用文案内 (岡本竹次郎編纂、東京 兩輪堂藏版、明治三十一年八月)が出されている▼3

つまり、角書の〈稗官必携〉が〈古今名家〉そして〈實地應用〉と変えられたのであるが、この変化は明治16年と明治25年、そして明治31年という時代相の変化を反映したものである。既に山本和明氏の論考▼4 が備わるが、明治10年代半ばにボール表紙本の興隆により、主として挿絵に依存しないジャンルである実録体小説や読本などの近世文学の翻刻が多数出版され、戯文に対する関心が再熱する。しかし、明治20年代に入り、新聞小説とその単行本化が広まると、近世戯文は最早〈軌範〉や文範としての意義を失い、むしろ過去の名家に拠る〈名文〉としての意味を強く帯びるようになったものと思われる▼5。 そして30年代になってからは、恰も〈実用書〉の振りを装って売り出されたのである。

ところで、前述した『戯文軌範』は、基本的に近世期の戯作者のものを集成していて、同時代に活躍している魯文や黙阿弥の報条は掲載されていない。考えてみると、河竹繁俊編『黙阿弥の手紙日記報條など』(演劇出版社、1966)を除けば、特定の戯作者が執筆した資料の紹介は做されてこなかったものと思われる。

魯文は鈍亭時代から売文業を営んでおり、「談笑諷諫滑稽道場」(切附本『平井権八一代記』序、嘉永7(1854)年)等という看板を妻恋の自宅に掲げていたことが知られている。明治に入ってからも、『安愚楽鍋』3編上巻(明治5年)に次のような案文家コピーライターとしての広告を載せている。

和漢西洋わかんせいよう奪體換骨たつたいかんこつ流行情態文作道塲りうかうじやうたいもんさくだうじやう 〈東京淺草諏訪町|假名垣魯文製〉

治亂ぢらん興廢かうはい狂言きやうげん綺語きご
  古今ここん事跡じせきたねとして一趣向しゆかうもうくるたぐひ

内外ないぐわい小説せうせつ時代じだい世話せわ
  支那しな印度てんちく西洋せいよう我國わがくに面白おかしきはなしを冊子さうしあらはす類 江湖うきよ新報しんはう滑稽こつけい竒談きだん
  なかのめづらしき一夕話いつせきわあるひ流行りうかう筆頭ふでさき穿うがつ類 序跋しよばつ文章ぶんしやう略傳りやくでん填詞てんし
  物の本のはじめおはり開店みせびらき告條かうでうなどを文章ぶんしやうつゝる類

此他みぎのほか 詩歌しか 連俳れんはい 諸流しよりう新浄璃理しんじやうるり 長唄ながうた 端唄はうた とゝいつ 口上かうじやう 茶番ちやばん 神祇じんぎ祭禮さいれい地口行燈ぢぐちあんどう 季句しうく 語呂合ころあはせ 三題話さんだいばなし 一口ひとくちばなし ばなし 興画合けうぐわあはせ 俄狂言にはかきやうげん趣向しゆかう 珎物ちんぶつ観物みせもの演義ゑんぎ とんだ霊宝れいはう言立いゝたて 阿呆陀羅經あほだらきやう ちよぼくれ 厄拂やくはらひの文句もんく すべ筆頭ひつとういづもの 森羅万象しんらまんしやう何事なにごとによらず御好おんこのみ次第案文あんもん仕り候

この広告に続けて、魯文自身が報条執筆を引き受けるという引札を挙げている。これは、実際に作成する報条の具体例(見本)という意味合いが備わっていたのであろうか。

   告條かうじやう

梨園しばゐ立見たちみ一日いちにちみてざれども。俳優やくしや藝頭げいとうたしかひやうし。花街いろざと素見ひやかし一夜いちやつくさゞれども。娼妓おいらん品定しなさだめ。ほとんくはし。ぎんばりつき明鑑あかるきにあらず。ものいふはな手折たをりことなし。あるひ戯房がくや不入いらずして。三階さんがい事情じじやう穿うがち。また三蒲團みつぶとんさずして。青樓にかい艶情ゑんじやうきはめんとするものなんぞや。往昔むかし所謂いはゆる半可通はんかつう當世たうせい渾号なづけ生聴連なまぎゝれんこの境界さかひのがれざるものして戯作げさくしやれるより。我輩わがはいそれひそみならひ。翠簾みす屋臺やたいきん紙戸ぶすま圖割かきわりに。詰開つめびらきの演説せりふ紋切形もんきりがた填詞はめこみ。鳳凰ほうわう霊臺れいたい大中小のさとなまり「アリンス」「ヲツス」の茶表紙ちやべうし生捕いけどる。如斯かゝる生熟ちよびすけきいたふう山連やまれん我輩われ/\が。芝居しばゐ評判ひやうばん花街くるわ情熊じやうたい著述かく僥倖さいはひ發客ほるひとあり。まぬ同志どしかぬ同志どしいぬ進歩あるけ瞽者ざとう棒頭ばうさき文盲めくら千人せんにん筆硯しつけん萬福ばんぷく活業なりわひ名利めうり名聞めうもんと。利欲りよくかね文人ぶんじん商個あきうどれい堕落なまけ戯場せわ木戸きどと。小婚ちよん/\格子がうし安店やすみせを。改正だし再開なほしたる堅固しまりみせ毎日まいにち在宿ざいしゆく休業どんたくなし。日限ひぎり注文ちゆうもんいそ合点がてん心得こゝろえ短文たんぶん長編ちやうへんなりとも。おんあはせ参らせ候。かしこのふみ假名かなくぎも。これ天性てんせい役割やくわり番附ばんづけ下手へた長文ながことなが%\しく。ため告條かうじやうさやうと爾云しかいふ

  歌舞妓きやうげん作者さくしや花笠はながさ魯助ろすけ弟子ていし
  花柳巷しんよしはら日洗につせん私塾しじゆくどう社中しやちう

青陽山人\假名垣魯文伏禀[善|惡] 

さて、魯文の報条に関して、山本笑月は「魯文の引札は数知れず、野崎左文翁の蒐集だけでも千枚以上、恐らく五、六千枚は書いたらしい」▼6 と述べ、また、明治十年前後の状況について、野崎左文は「そのころ料理屋れうりや待合まちあひとう引札ひきふだ魯文ろぶんふでかぎるやうな流行りうかうで、その作料さくれうは一まいゑん見當けんたうであつた。」▼7 と記している。魯文には門人も多かったので、門人の代作なども含まれての数字であろうが、夥しい報条ひきふだを書いていたことが知られている。

以下、今となっては全貌を明らかにすることは到底不可能だとは思われるが、管見に入った範囲で魯文の報条を紹介してみたい。


▼1. 伊藤竹醉『變態廣告史』(文藝資料研究會、1927)、増田太次郎『江戸から明治・大正へ 引札 繪びら 錦繪』(誠文堂新光社、1977)、同『引札繪ビラ風俗史』(青蛙房、1981)、中田節子『広告で見る江戸時代』(角川書店、1999)など。
▼2. 八巻俊雄監修『稗官必携戯文軌範・天』(CM総合研究所、2002)が在る。上巻のみであるが、早稲田本の影印に現代語訳、翻刻、英訳などを付す。
▼3. 一冊に合冊され、柱心の柱題や魚尾丁付を全て削り、全巻の内題尾題を削り巻頭と巻末にだけ「〈實地|應用〉廣告用文案内」と入木している。刊記は活版「明治三十一年八月十日印刷\明治三十一年八月十日發行\編輯者 岡本竹二郎\發行者 日本橋區本石町四丁目六番地 天野高之助\印刷者 淺草區森田町五番地 本城松之助\印刷所 同所 大川屋活版印刷所」とある(国会本76-219、デジタルコレクションで閲覧可能)
なお、博文館の東洋文藝全書第七編『〈古今〉名家戯文集』(明治二十三年九月)と、同第拾貳編『〈古今〉名家戯文集 第貳巻』(明治二十四年三月)の「報條類」の項に多くが活字翻刻して再録されている。
▼4. 山本和明「稗官者流の〈明治〉」(岩波書店、「文学」2009年11月)など。
▼5. 打越光亨編輯\假名垣魯文閲『諸名家戯文集』(製版半紙本1冊、明治12年11月、玉海書房梓)は序文集であるが、魯文が序文を書いたものである。同時代に多く出された序文集についても考えるべきことが多いが、嘗て見取り図を描いてみたことがある。高木元「近世後期小説受容史試論―明治期の序文集妙文集をめぐって―(国文学研究資料館編『明治の出版文化』、臨川書店、2002年3月)参照。
▼6. 山本笑月「魯文時代の引札類」(『明治世相百話』、中公文庫、2005、初版は1936)
▼7. 野崎左文「明治初期に於ける戯作者」(『私の見た明治文壇』、春陽堂、1927)



【一】

和漢わかん西洋せいやう書肆貸本所しよし かしぼんどころ  瀬川如皐\山々亭有人\假名垣魯文\河竹其水 合述

胸中けうちう八斗はつとたくはへるの才士さいしハ。南京米なんきんまい相場さうばッて。葛飾かつしか早稲わせあたひわたらず。博学はくがく五車ごしやとむじゆ先生せんせいハ。文車ふぐるま迂遠まはりどほくして馬車ばしや蒸氣車じようきしや神速すみやかならず。際限かぎりあるかぎりなき。書籍ふみ概略おほむね時々じゝ流行りうかう江湖うきよ学問まなび究理きはめんこと。支那から所謂いはゆる小説せうせつ稗史はいし
よん皇國みくに軍談ぐんだん記録きろく傍訓ふりがなつき目的めあて枝折しをりくはちや植付うゑつけの。繁茂しげる東京とち一種いつしゆ名産めいさん書肆しよし貸本かしぼん開店かいてんに。小金こがね《黄》まき《巻》ひらくとハ。方今形勢ときにとりての辻占つじうらよしと。すきみちから高手じやうず活業よわたり和漢わかん西洋せいやう實録じつろく戯作けさく人情にんじやう滑稽こつけい隨筆記ずゐひつもの御所望おのぞみ次第しだい蚕紙たねがみの。いと引出ひきだ續本つぎほんるゐ
飜譯ほんやく演義ゑんぎものほん長沓ながぐつきしらす足曳あしびきの。やま《山》たくは部數かず/\ハ。横濱よこはまなべうしあせし。居留地きよりうちむなぎみつ。されば粋書ちうほん貸口かしくちしげきに。歌妓げいしや戸籍にんべつふへたるもられ。義経記ぎけいき讀者よむものおほきハ。蝦夷ゑぞ開拓かいたく吉兆きつてうなるべし。遮莫さばれまたがし傳信機てれがらふハ。冩眞鏡しやしんきやうかみどりめきて。本屋ほんやため得意とくいにあらず。
闕冊はほん落書らくがき汚痕しみ油点あぶら手麁てあら御免ごめん蝙蝠傘かうもりがさ風衣とんびがつぱはねはへ借手かりて買手かひて大坂町おほさかちやうかの難波津なにはづ冬至とうじばい開店ひらく書肆ふみや諸共もろともに。開化ひらけ文華ぶんくわ盛典せいてんの。ときあたるの祝砲しゆくはうも。所謂いはゆるから正月しやうぐわつことば顔見勢かほみせごろ出店みせだしに。新舗やぐら披露ひろう告條こうじやうハ。畑違はたけちがひの大根だいこん歌舞妓かぶき戯作けさくみちハしらなみの。濁江にごりえ河竹かはたけ其水きすゐ
おなじながれをく《汲》みながら。流行りうかううと三世瀬川みつせがは
ふか趣向おもひかげうつす。淺香山あさかやま山々亭さん/\てい
)そのやまぶみ初学うひまなしやうおぼつかながき
ふでのさき%\諸君子いづれもさま主人ざもと蔵入くらいりこひねがふと
四人)ホヽ敬白うやまつてまうになん

東京元大坂町\山城屋金太郎 

【二】

[淺草寺] 邑田むらた海老ゑびの\あるじに\かはりて

假名垣\魯文述[◇文] 

   御披露ごひらう

川竹かはたけながれハたえずして。しかももとみつにあらず。不行よとみうか海〓うたかたは。としあき惣花そうばな突出つきだしの積物つみものかつきれかつむすびて。流行りうかう居續ゐつゞけなし。その柳巷りうこうのきつゞきも。伽倶津智命かぐつちのかみ發墳かんしやくより。胸中むね煩熱ほむら後朝きぬ/\の。そでうちはら焼野やけの灰雪ふゞき泰山たいさん府君ふくんあかつきも。あらしさむ夢見草ゆめみぐさかりごしのおほかるなかに。土地ところを。かへ常燈明しやうとうめうの。水道すゐだうじり仮居かりゐ修理しゆつらひ普請ふしん材木きぐちもあらたまの。としたちかへるあしたより。南枝なんしうめ家毎いへごとに。ひらきそめたる見世みせ手前でまへ朧月夜おぼろづきよちんならで。人来ひとくこゑをひくそでに。とむるかをりの格子かうしさきかげあふ樓上たかどのに。はな今宵こよひ妓女あるじ饗應もてなし帰舘かへらせ給ふおりのぞみて。さしあげまうす定例とうし酒肴しゆかうに。四季しき時々をり/\趣向しゆこうつくし。三伏さんふく暑日あつきひハ。冷味つめたきもの調進てうしんなし。玄冬げんとう寒夜さむきよハ。暖酒あたゝめざけ一陶器ひとゝくりあるあさもや夕霧ゆふぎりを。凌除よけさせ給ふまうけとて。その對妓あひかたより手拭てぬぐひの。狹布けふ細布ほそぬのまゐらすれバ。きみもろともに名取川なとりがは阿武隈川あふくまがはのあふしげく。つぼ石文いしぶみ錦木にしきゞの。幾夜いくよ千束ちつか御通おんかよはせを。ひたすら\ねがひ被参候 かしこ

新吉原元地水道尻 邑田海老屋仮宅 
  かりそめに根こしの花の仲の町\君まち合の辻うらもよし
梅素亭戯墨[玄魚] 

【三】

   賣出し御披露

玄魚[印] 

邦畿はうき千里せんりはきよせて。たみとゝまる大江戸の。繁花にきはふなか取分とりわけて。かれたるにもはなぞさく。大士だいしちかひ深緑ふかみどりこの浅草あさくさ繁昌はんじやうたるや。大千世界たいせんせかい流行りうかうを。一箇ひとつあつむ壺中こちう天地てんち四季しき景色けしきさらにもいはず。ながら見やる五重ごぢうのとうどり霊山おやま大将たいしやう辰頭たつがしら千代ちよ早竹はやたけ虎吉とらきちが。千里せんりはし輕業かるわざに。萬代よろづよつきぬ松井まつい曲獨楽きよくこまならべていは中店なかみせの。なか/\つきせぬ珎物ちんぶつ奇品きひん。されバ隅田川すみだがは滔々とう/\たるを。諸白もろはく招牌かんはんとも眺望ながめ待乳山まつちやま峩々がゝたるを。隣家りんか茶亭ちやみせよひて。場所ところ千賀ちか塩竃しほがまを。うつすとほる物数寄ものずきならねど。四十年來ねんらいさきはる山鳥やまどり長旅ながたびに。浪花なにはいで當所たうしよへ。〓礎いしづえすへ御菓子所おんくわしどころ日毎ひごと々々/\参詣さんけい下向げかうにもまゐりにも。みちハかはらぬ雷神門かみなりもん。いつ花主おとくいになるともなく。一寸ちよつと時雨しぐれ蕎麦そば饅頭まんぢう澤山たくさん御用ごよう仰付おほせつけられ。ゆきあしたしろ暖簾のれん爐開ろびらき口切くちきり煎茶會せんちやくわい重詰ぢうづめ杉折すきおり笹折さゝおりと。彼所あつちせば此所こちからも。利益りやくふか観音くわんおんさま。御贔屓ごひいきさまのかげによりて。いへ福々ふく/\福壽海ふくしゆかい圓満ゑんまん無量むりやうかずそひし。利殖まうけをつみこむ船橋屋ふなばしや主人あるじおきな千蔵せんざうが。千歳せんざい不朽ふきう一世いつせ大功たいこう出店でみせ年歳とし%\ふへひろごり。なか擬名まがひ有礎ありそうみはま真砂まさごかずしげき。家名かめいさかへまつたくハ。土地とちがらによるめくみゆゑ。おきやく大慈だいじ大悲だいひいのり。お礼詣れいまゐりこゝろにて。今般こたびあらたしなものを。吟味ぎんみのうへに工風くふうをこらし。これまで仕入しいれぬお手輕てがるの。落雁らくがん煎餅せんべい饅頭まんぢうのたぐひをせい仕来しきたりの。極製ごくせい口取くちとり蒸菓子むしくわし干菓子ひくわしハ。一倍いちばいほね織江おりえ老舗しにせかね汁粉しるこの上あんばいあぢ羊羹ようかん賞美しやうびありて。賣出うりだしの當日より雷神門かみなりもん定店ちやうみせへ。とんだりはねたり我前われさきにと。お馴染なじみだけに不相替あひかはらず。ありやりゆん永當えいたう龍塘りうたうの。暖簾のれん文字もじをおあてに。金龍山きんりうざんやまをなし。御賑々にぎ/\しく雷駕らいがありて。多少たせうにかぎらず御求  もとめを。主人あるじかはりてねがふになん

もの ほんの作者さくしや  假名垣魯文述[◇文] 

        〈極|製〉御しるこ類 数品〈新|製〉御口取蒸菓子類\御干菓子類 数品

        御進物御折詰御重つめ念入\奇麗に仕立奉差上候 以上

    江戸\惣本家 浅草雷神門内\船橋屋攝津大掾藤原織江

    來々二月明日より賣出し\當日麁景として\浄るり文句尽辻占煎餅呈上仕候

【四】

書画小集\如空暁齋[印]

左手ひだり千斤せんきんかなへ右手みぎ萬束ばんそく毛頴ふんでとり漢國からくに英雄えいいうらずわが本朝ほんてう力夫ちからもち浪野なみの東助とうすけ大人うしちかごろ金剛力こんがうりき豊嶌屋としまや鬼熊おにくま門下もんかいでしか東京とうきよう近郷きんがうちからもちわざいとな壮夫わかうどたち巨擘おやゆびなりけりそれきばあるものつのしやうぜずたけひとハこゝろあらびておのづか風雅みやびみちうとなか東助とうすけ天性てんせいこのふたつを兼備けんびして腕力わんりよくちう筆力ひつりよくあり就中なかんづく同氏どうし米俵べいへう頭筆とうひつごときハ墨客ぼくかくるところその年歯よはひすで耳順にじゆんちかつね健康すこやかなるもつひ老衰おとろへときさと今年こんねんこゝに書畫しよぐわ會筵むしろひらき一力筆りきひつふるふて一だい名殘なごり知己ちき愛顧あいこはうぜんとす勇退ゆうたいじつこのひとにありかつ夲日ほんじつ雅致みやび花麗はなやかなる伎藝ぎげいまを祝宴しゆくえん餘興よきよう諸君しよくん来會らいくわいたがへず同氏どうし力筆りきひつ竒蹟きせき席上せきじやう大紙面たいしめん高覽かうらんあれ

應需  假名垣魯文漫誌[◇文] 
本日席上において八疊敷大紙上怪筆\龍頭觀音大士の靈像  惺々翁暁齋先生揮毫  

補助\魚河岸總御連\夜雪菴金羅宗匠\夲町総御連\立齋廣重先生\高嶌甘録先生\ 榊原健吉先生\山岸雲石先生\草刈庄五郎先生\高砂浦五郎大人\田澤静雲\ しんば小安大人\高木壽頴\東京力持睦連\宮 龜年\清元葉女\飯島光峨先生\ 服部波山先生\永井素岳\河鍋暁齋先生\假名垣魯文

明治廾一年六月二日\於東兩國中村樓上

會主 本町東助拝\素岳書[印] 

【五】

   かうでう

浅茅あさぢはら一夜鮨ひとよずしハ。うば手製てせいのむさくるしく。はらへるとも彼品あれうなと。観音くわんおん薩多さつた誓願せいくわん花川戸はなかはどじやずしハ。海苔巻のりまきならぬ由縁ゆかり鉢巻はちまき助六すけろくかさる。いまむかし風味ふうみになん。すしとハすい轉語てんごにして。通客とふりもの好味す□□なと。ある博識ものしり菊岡きくおか老舗しにせ甘味あまみ加役かやくもちひ。戯場しばゐ花街くるわ二筋ふたすぢみち往還ゆきゝしげ土地とちがらを。目的めあてにはける二足にそく草鞋わらじ欲氣よくげハさしおきわきづけの。蓼喰虫たでくうむし活業なりはひずき。さるゆゑうをあさらけく。海苔のり當處たうしよ佳品かひんえらび。漬方つけかた風味ふうみねんいれ下直かちよくむねとさしあげまうせバ。これまで年來ねんらい仕來しきたの。おん菓子くわしるゐ侶共もろともに。酢意すい甘意あまい噛分かみわくる。通家つうか諸君きみのおくちかなはゞ。玉子焼たまごやきのあつかはながら。刻生姜きざみしやうが薄片うすへらな。身臺しんだい忽地たちまち福徳ふくとくの。三年さんねんたつたゝぬうち。葛飾かつしか早稲わせ積上つみあげる。大黒天だいこくてん田原たはらまち。晋子しんし〔が〕ぎん大々だい/\や。小ばんならべて菊鮓きくずしの。いへいくすゑ廣小路ひろこうぢ浅草寺あさくさでらのあさからぬ。おん取立とりたて主人あるじかはりて吉例きちれいかはらずねがもの草冊子くさざうしでお馴染なじみ

假名垣魯文伏禀 

 〈上|製〉御菓子類 数品\〈新|製〉菊寿し  両様共御折詰御重詰奇麗に\仕立下直奉差上候

淺草田原町三丁目\菊岡若狭大掾\藤原満吉 

   来二月廾二日賣初\當日麁景差上申候

【六】

   新調御料理半會席 〈御一人前|銀壹朱〉

      かう でう

假名垣魯文記[◇文] 

家根やねぶね出前でまへに。庖丁はうてう上手うはてをゆき。かし桃灯でうちん目印めじるしに。こひ闇路やみぢゆく水の。ながれはたへ兩國りやうごくの。川添かはぞへちかき老舗しにせいしずへ千代ちよ八千代やちよこけむす。つゞれ石井いしゐ暖簾のうれんを。くゞらせ給ふ御得意おとくいを。當込あてこむ調理てうり小會席こぐわいせき。まづ椀盛わんもり第専だいせんに。みづかあぐ味噌みそしるの。加減かげん煮方にかた心得おぼへの。塩梅あんばいしめ洗魚あらひ向附むかふづけ。こまかにおろ薬研堀やけんぼりかの明王みやうわう縁日ゑんにちあるい納涼すゞみ帰路もどりがけやなぎすぢ唄女達きみたちが。情夫かげうはさ受料うけちんに。一才ちよつと一杯いつぱい手附てつけ腰掛こしかけ。又ハ諸藝しよげい連中れんぢう昼席ひるせき夜講やかう招迎ざしきの。休息きうそくには誘引さそひあはされ。おん立寄たちよりをまつのつき。あるひそか二個ふたりづれそれからそれへの吹聴ふいてう。おあしかるいを専一せんいちに。お手輕てがるむきむねとして。ほかにはなしや有合ありあひの。品々しな%\調進てうしん差上さしあげまうせバ。これハすぢじやと賞味しやうみくだされ。おん取立とりたてねがふになん。

 来五月廾七日\見世ひらき\當日麁景差上申候

兩國米澤町\石井亭 [石井] 

【七】

珍本古書画賣買所  〈東京御蔵前旅篭町|知漢堂木免屋桂雅〉

   報條ごひろう

四日市よつかいち床店とこみせを。坐禅ざぜん観法くわんぼう椅子ゆか准擬なぞらへ珍書ちんしよ古本こほん本來ほんらいくうくふ活計よわたり種本たねほんるゐを。ひさぎて面壁めんべき〓調くめんよくせし。達磨屋だるまや悟一ごいちひそみならへど。教外けうげ別店べつでん此方こつち此方こつちと。かれ前面むかふ張子はりこあそび。萬客ひと翫奔おもちや産業なりはひ名利みやうりうまのつ鹿しかひ。くいせまもりてうさぎる。迂遠まはりどほき老舗しにせとなりて。尚古しやうこ好事家かうずか画工ゑし編文漢さくしやづく等類ひとしきおのれ輕蔑あなどり。とつたか見たかに撰抜ほりださんと。むらが諸鳥しよてうくちばし善惡さがなく。達广だるまはつ木兔みゝつくと。よはるゝ渾名あだなそのま に。みづから家号いへな呼子鳥よぶこどり活業たつきみち覚束おぼつかなくも。たゞ遠近おちこちのお花主とくいを。案内しるべ星霜としをふるほん阿弥あみ鑑定めきゝ直價ねうち買衆おむかふ隨意まかせよりどり十九文盲もんもう商人あきうどなんでも三十八文字屋はちもんじや字性じしやう《自笑》の朦朧おほろ裏張うらうちの。裏店うらだなながら風雨あめかぜに。みせ休日やすみのをりふしハ。紙魚しみ住家すみか御光臨おはこびくだされ。賣買うりかひ交易とりやり端冊はほんのつぎたし。沢山たくさんようねがふになんと。木菟みゝづく主人あるじかはりて\この舗前みせさき素見ひやかし連中れんぢう

赤本作者 假名垣魯文戯誌[善悪] 

  元禄前後板本類菱川西川浮世繪手本

  赤本青本茶表紙類古書画繪草紙數種

【八】   

新形しんかたおん浴衣ゆかた手拭てぬぐひみせ披露ひらう

染分そめわけ手綱たづなでお馴染なじみき。江戸紫えどむらさき粹書ちうほん作者さくしやあり人ぬしの由縁ゆかり何某なにがしすぐなるやなぎちまた見立みたてよき風ふくのきならひを。假宅かりたくながらの半籬はんまがき暖〓のれんはゞせまきをいとはず。流行りうかう通家つうか工風くふうたのみて。新形しんかた數品すひん手拭てぬぐひみせはるかすみすぢ歩行あゆみ朧月夜おほろづきよおんかよはせ。忍頭巾しのびづきん形代かたしろや。なつあせふきはん手拭てぬぐひある納涼すゞみおん浴衣ゆかた年始ねんし暑寒しよかん進物しんもつ模様もやう花押かきはん替紋かへもん御好おこのみ次第しだい如何いかやうにも。筆者ひつしやえらびていくたびも。いるやう雛形ひながたを。調訂とゝのへ差上さしあげたてまつれバ。開店みせびらき當日たうじつより。梅川うめがはつたへ。柳屋やなきやすぐなるちまたへ。かめせい萬代よろづよかけて。御注文ごちゆうもんねがものハ。これ流行りうかううけうりどころ

假名垣魯文伏稟[◇文] 
   御誂候ゆかた地\新形手拭しな/\
両國柳橋伏見屋\榮治郎 
    [喜多川]\ のうれん\天まく御誂もの\下直に出来\奉差上候
丑十一月      

【九】

畫圖かきわり松枝まつえだらさず。淺黄あさきまく四海しかいなみしづかほとけ手振てぶりうつし。千壽せんしゆまひ足踏あしぶみを。いさゝ真似まねだいの。坂東ばんどういち歌舞かぶいふ えんつき百代もゝようばを。ゆづ芽出めだしのはながつみ。とし若葉わかばはるすぎて。なつしげりにうちえし。兩國橋りやうごくばし長々なが/\しき。お馴染なじみとても中村なかむらまだこのみち五月さつきやみ黒白あやめかぬはつ舞臺ぶたい教子をしへごたち幼稚をさなわざ。おまだるいが興言けうげんの。さかへとおぼす御贔屓ごひいきの。大和魂やまとだましい御うちこぞり見物けんぶつをねがふになん\もとめおうじて

假名垣魯文述[◇文] 

五月十四日東兩國中村\屋に於て相催候間御賑々敷\御來駕奉希上候\三代目 坂東百代

【一〇】
鯛の眼の出たを鏡や薄化粧\三升丞題[鳥□|翔菴]

   會席くわいせきおん料理りやうり開業かいげふ報告ごひらう

わがいほ松原まつばらとほうみちかく。冨士ふじ高根たかね軒端のきばにぞると。眺望ながめほこりし。往日いにしへおほ江戸えどハ。竹芝たけしばうらに。雜魚ざこあざらけきをもとめ。洲嵜すさきはまに。礒貝いそがいしほむきをしやうするなどにて。酒屋さかやへ三丁豆腐たうふへ。二てうへだたるまばらの町並まちなみ年々ねん/\歳々さい/\すうし。取分とりわけ近年きんねん新開地しんかいち庭園にはまうけもひろかまへ。はるうめ黄鳥うぐひすさそひ。なつ避暑へきしよ築山つきやま樹木こたち自由じゆう自在じざい時鳥ほとゝぎすの。八千はつせん八声やこへ東亰とうけいぱんきく○○まがきあき七草なゝくさ千種ちぐさむし音信おとづれたえず。冬月ふゆあたゝか雪見ゆきみちん四季しき折々をり/\猷献立こんだてハ。もとより數奇家すきやちや會席ぐわいせき煮方にかた加減かげん包丁はうてうの。ひかりをうで研合ときあはし。鮮魚せんぎよなみはなれをまち銘酒めいしゆなだこゆるをむかえ。諸事しよじこゝろをつけものまで。ときおうじてたくははべれば。本膳ほんぜんちうしゆあるまた一寸ちよつとはいいそぎの。あいざかな仕出しだしの注文ちうもん多少たせうによらず用向ようむき仰付あふせつけられたまはるやう。主個あるじ懇願こんぐわん素志そしかわりて。つたなふでかくしるしつ

猫々道人演[◇文] 

  當十月四日五日開舗\蠣売町二丁目十四番地

昇運亭\再拝 

【一一】

     待合まちあひおん案内しるべ

駕籠屋かごや新道しんみちふるとなへを。人力車じんりきしや今様いまやう乗替のりかへしげちまた往来ゆきゝはなすこしく市中しちうかんしむれど。酒屋さかやへ三豆腐とうふやへ。二里などいふ僻郷かたさとならず。千歳座ちとせざ幕開まくあきを。鳴物なりものおとり。哥澤節うたさわぶしいき調子てうしは。ながらに自由じゆう街巷ちまた此所こゝすみよしのまつちなみ。あし假寐かりね旅泊とまりはばかり。浪花なには地名ちめい假初かりそめに。このはなくみありふれし待合まちあい渡世とせいむかしそでうつは。女主あるじ手馴てなれきやく待遇あしらい。お知己様なじみさまおん引立ひきたてにて。ほそながれちやみづも。梵字ぼんじたきふとながく。追々おい/\老舗しにせ成田屋なりたやと。ねがひのいと引續ひきつゞく。御贔屓ごひいきがた加護屋かごや新道しんみち大小だいせう不同ふどう差別けぢめなく。御請待しやうだい申し上れバ。出開帳でかいてうめく開業かいげふより。昼夜ちうやをかけての御來車らいしやを。何卒どうぞ諸彦みなさまキツトですと女主あるじ句調くてうふでうつして一寸ちよつと坐附ざつき口上かうじやうのぶ

假名垣魯文戯述[◇文] 
日本橋通浪花町\二十三ばん地\よし町いの助事 成田屋登代 

當たる\十月二日開業

【一二】

とりぴん移轉いてん開業かいげふ\立齋[印]

口上  假名垣魯文 

烏森からすもり旧巣ふるすをはなれ。かよ千鳥ちどりきやくまうけと。人波ひとなみする濱町はまちやうに。先頃さきごろかりの小みせひらき。とりぴんの小れうも。せまき目しろおしあひ坐敷ざしき。この究屈きうくつでハ山からの。げいさへ鳴子なるこいなすゞめ。すこしくはがひひろげなバ水鶏くひな都合つがふもよしきりと。おすゝめにしたがひまして。大鳥おほとりならぬ小とりまわし。また轉宅てんたくをしたきりすゞめたけ住居すまゐ隣町りんちやうの。高砂たかさごばしおん目標めじるし。つばめのかよ路次ろじ行燈あんどうへ。案内あんないまをしあぐれバ。幾久いくひさまつの\まちながく。おん鳥立とりたて奉願ねがひたてまつりそろ  [薫書]

高砂橋通久松町三拾三番地  珍鳥亭\再拝 

二月  日開業\麁景呈上

【一三】

御匂袋 とびきり  盛林堂

世に飛切の俚言ハ鳶飛んて天に戻る是より上ハないとの比喩抑此薫嚢の製といつば高く天上界の乙女等か鼻を穿ち低く地球上の別嬪か肌を薫らす最上さる精良の方なるを自身の保証彼辿と喋々せんハ誇り香なれハ何より証拠ハお用ひありお試しの上成程と其香能を知らせ給ひ不潔の場所の御通行或ハ炎暑に汗ばみし単衣の袂召物の箪笥手箱に貯へ給はらハ其移り香を身に傳え光る源氏の薫大将衣通姫の古事ならねと令嬢房奥達木の間の宿り花かたみと物申さんかしと筆を留木に一寸賛成麝香に録す

猫々道人述[◇文] 
東京神田区須田町九六番地\佐野半之丞御製(佐の) 
  婦塵散本舗

【一四】

  再魁にどがけ披露ひらう

あるじに代りて 魯鈍翁[印] 

さきんずるときひとせいし。おくるゝ者ハひとせいせらるゝのたとへあり。ゑびらにさしたる紅梅こうばいはやきをかぞふるに。そも/\いくささきがけれいもどあさけりひけども。泰平たいへい家業かげうの魁ハ。人より先へあきないして。手柄てがらあらはさんがためなり。食類しよくるいおゝてきの中に去々きよ/\子の冬開店みせひらきの魁いたせしより。宇治橋うぢはしの魁ゆかずハなるまいと。御客様方。乱杭らんぐい逆茂木さかもぎの如く。所せき迄来駕らいが被成下。繁昌の勝鬨かちどきを合せ候だんまつたく魁の意味いみかなひ難有仕合奉存候。猶又煮染にしめしんぢよの外。今般こたび新製しんせいものの品。調味てうみに工夫の魁いたし。はかりごと帷幕いばくめくらし其精兵せいへいさしまねき。魁まる煮物にものなづけ。そこハ色ある千鳥が推量すいりやう食悦家しよくゑつかよく御存こそんし。河岸の市場いちばの煮物をうつし。魚類きよるい野菜やさいの丸煮物。新規しんき南蛮なんばんむし茶碗ちやわんもの別製海苔のりまき。幕の内。めづらしからぬ品ながら。風味ふうみ第一仕。庖丁ほうてうの切めたゞしからずとも厚味かうみ淡泊たんぱく御好次第。みせ贔屓ひいきの御れいがてら。あたへ下直かちよく仕。御勘定かんでうせつ給次きうじ仕落しおち帳場ちやうばふであやまりかと。思召おぼしめすほど格好かつこう相働あいはたらき奉差上候間。御通行つうこうをりから手かるく一寸御光來を伏奉希候以上

 御重詰并ニ笹折詰\御好次第出前仕候

國芳画 

寅の\霜月七日より

大傳馬町弐丁目角\宇治橋 

【一五】

當ル霜月明日顔見世ひらき麁景呈上

西洋茶漬\ 開店みせひらき告條つらね

料理りやうり看板かんはん即席そくせき西洋せいやう地球ちきう形象かたとる食臺ちやふだいに。ならきやくらざらんや。とをからん物ハえいふつ傳習でんしうちかくハ横灣よこはまじき々に。おはやううけとるきうとん鳥理ちやうりすべぐわい風味ふうみおもく。あたいかろしんせい茶漬ちやつけ。揚まくめきし暖簾のうれんを。おつぴらいたるお目への。わた土間どまはき物そのまゝえいたう々々/\来駕らいが主人あるじかはりて大方諸君いづれもさまおん引立をこひねがふハ

赤本入道假名垣述[魯文] 

御膳付御壱人前六匁五分\ヲームレツトハ玉子焼\ビフパン日本牛鍋\右之外御好次第

浅草瓦町\會圓亭恭治郎 

【一六】

   おはなざけ便利べんり

さけなくてなんおのれさくらかなとハ。花見はなみ上戸じやうご故人こじん秀逸しういつ。はなもさけ/\の陽氣やうきはかり。快楽たのしみ此中このうちにあるへうたんざけも。遠路ゑんろをかけてハあきだるようひとしき厄介やくかいものしるなますはなに。うつゆく便べんもとづき。隅田堤すみだつゝみ遊歩いうほおりからにハ。おん携帯たつさへ瓢入ふくべいして。さけ何処いづこ言問こととひの。下戸げこちか上戸じやうご定店ぢやうみせ。お得意とくいがた御存ごぞんじながら。本家ほんけ浪華なには支店でみせしかも。もと大坂おほさかと。町名ちやうめいぽん澤之鶴さわのつる《〓〓〓》※印よねじるし四海しかい繁栄はんえい喜印きじるし《〓》および。一寸ちよつとがるくちかるハみせ繁昌はんじやう光榮くわうえい《〓〓》いのぎり元價商法もとねしやうはふはなさくころ開業かいげうの。ばりハ一假舗かりみせながら。本家ほんけかた石崎いしざきの。暖簾のれんまとおん立寄たちより。お購求もとめこひねがふ。

金花きんくわめうをう 假名垣かながき[◇文] 
向じま須崎村\四月開業
日本橋區元大坂町壱番地\石崎酒店出張 

【一七】

すみがは四季しきその

  御披露ごひろう

はるした青葉あをばにかくれ關屋せきやさと打越うちこへて。なつらする郭公ほとゝきすハ。いざこととはん人にやよるべし。されバ豆腐とうふさかやの行道ゆきかひ筑波根つくばねとほへだてど。つきゆきはなのみつのながめに。ことからぬこそたのしけれとて。年頃としごろこゝ隅田すみだがはづくりなせる何某なにがしなるものおのかまへのひろやかなるを。四季しきそのなづけつゝ。いまよりッのときたがへず草木くさきはなにはつちかひ風流人みやびとよろこばせんと。八ッ橋やつはしかけしながめにたる。皐月さつきいろはな菖蒲しやうぶかの堀切ほりきりふるきにはぢず。とくならず地續ぢつゞき梅隣亭ばいりんていつたへ。彼所かしこ調理てうりを御賞味しようみの。をりふしごとはせたまへと主人あるじかはりてこひねが

應需\假名垣魯文述[善惡] 
 來五月五日\花びらき
寺嶌梅隣亭地續\蓮華寺隣\植木屋安五郎 


掲載資料一覧

 凡例  一、【一】〜【一七】は、このWeb版で補訂した
 一、請求番号の後の〈 〉は枝番号か折数(丁数)を示す。
 一、参考文献として挙げたものは以下の通りである。
  A 『引札 繪びら 錦繪廣告 江戸から明治・大正へ(増田太次郎、誠文堂新光社、1976)
  B 『引札繪びら風俗史』(増田太次郎著、青蛙房、1981)
  C 『江戸のコピーライター』(谷峯藏、岩崎美術社、1986)
  D 『幕末・明治のメディア展 ―新聞・錦絵・引札―(早稲田大学図書館編、1987)
  E 『大阪の引札・絵びら』(大阪引札研究会編、東方出版、1992)
  F 『広告で見る江戸時代』(中田節子著・林美一監修、角川書店、1999)
  G 『明治のメディア師たち』(日本新聞博物館、2001)


【 一 】貸本屋「山城屋金太郎」佐藤悟氏蔵毎日新聞新屋文庫(370〈K0〉)、A 図85
【 二 】新吉原「邑田海老屋」佐藤悟氏蔵
【 三 】御菓子屋「船橋屋」佐藤悟氏蔵
【 四 】書画会「本町東助」佐藤悟氏蔵
【 五 】寿司・菓子屋「藤原満吉」佐藤悟氏蔵
【 六 】料理屋「石井亭」佐藤悟氏蔵
【 七 】古書画「知漢堂木免屋」佐藤悟氏蔵
【 八 】浴衣手拭「伏見屋榮治郎」佐藤悟氏蔵
【 九 】初舞台「坂東百代」佐藤悟氏蔵
【一〇】会席料理「昇運亭」佐藤悟氏蔵
【一一】待合「成田屋登代」佐藤悟氏蔵
【一二】鳥料理「珍鳥亭」佐藤悟氏蔵
【一三】化粧品「佐野」佐藤悟氏蔵
【一四】料理屋「宇治橋」佐藤悟氏蔵
【一五】西洋料理「會圓亭」国文研蔵(ラ3-34〈9〉)A 図84、B 図105、C 図59、D 図183
【一六】酒屋「石崎酒店」A 図88
【一七】植木屋「安五郎」毎日新聞新屋文庫(370_K33)G 図152、A 図90

このほか、魯文の報条としては、「仮名垣魯文百覧会展示目録」(国文学研究資料館、2006年秋)に毎日新聞社新屋文庫蔵のものが山本和明氏に拠って紹介されている。また、『安愚楽鍋』の舞台となった牛鍋屋「日の出」の報条三種(国文学研究資料館蔵)については、拙稿「魯文の滑稽本」(「日本文学」2016年10月号)で紹介した。斯様に既紹介の報条については調査の上、この一覧表に続ける形式で整理番号を付与してまとめる予定である。

【付記】佐藤悟氏には御所蔵の貼込帳に存する魯文報条の翻刻紹介を許されたのみならず、多くの教示を忝くした。蒙った学恩に心より感謝申し上げます。


#「魯文の報条(一)
#「大妻国文」第48号 (2017年3月31日)所収
# 2021/3/6 補訂
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# ことを許可する。変更不可部分、及び、表・裏表紙テキストは指定しない。この利
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#               大妻女子大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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