はじめに
仮名垣魯文の手に拠り書かれた文章の調査蒐集を続けているが、今回からは管見に入った報条を紹介したい。
広告メディアに関する研究には多くの蓄積が存り、関連する論考や著作も少なくない▼1。例えば内川芳美編『日本広告発達史』(電通、1976)では、広告の史的展開に関する叙述の中で、17世紀末より見られるという販売促進のための摺物について言及している。
この報条や引札と呼ばれる広告チラシは、その場で消費されてしまう一枚摺であり、数寄者が蒐集して遺した貼込帳を除けば、後世に伝存することは稀である。それ故に、早くも近世期に於いて、戯作者に拠る報条を集めた『ひろふ神』(寛政6刊)や『狂言綺語』(文化3刊)などが戯文集として編まれていた。
近世文学研究者にも戯作者に拠る戯文という観点からの関心は存し、鵜月洋『宣伝文』(朝日新聞社、1961)、同『広告文の歴史』(日本経済新聞社、1965)、井上隆明『江戸コマーシャル文芸史』(高文社出版社、1986)などの業績がある。一方、北田暁大『広告の誕生』(岩波現代文庫、2008、初出は2000)は「近代メディア文化の歴史社会学」という副題から知れるごとく、社会学の立場から構築主義的に「広告である/ない」という視点に拠り広告メディアに就いて論じており、近代主義的発展史観に拠っては定位し難いと思われる近世的戯文(=広告文)に就いて考えるに際し、優れて示唆的である。
さて、手許に『〈稗官|必携〉戯文軌範』と題する風来山人、蜀山人、烏亭焉馬、山東京伝、曲亭馬琴、式亭三馬、柳亭種彦等の引札を80編ほど集めた明治16年刊の製版本(和装中本三冊)がある。赤色料紙の見返に、『文選』に拠る題詞「含芬吐芳\癸未秋日\環齋題」を配し、凝った筆致の漢文体自序や、跋文をも備えた中国趣味の横溢する書である▼2。
とあり、興味深いことに、報条の広告としての実用性と同時に、戯文の文章としての滋味に就いて言及している。戯文軌範序[不器]
引札者何。謂立代物之効能。欲令客買焉之使者耳。腐儒講孔子道。坊主説釋伽教。亦是其道之使者。不過活引札也。設以此理崖指世間。人則表可上親玉之不思議。謂引札。嗚呼引札之種類亦滅法澤山歟。頃日旭昇堂主人。過弊屋。自懐中出一小冊。謂曰。此書是風來山人以下至近世。稗官者流係作之引札文。字々金聲。句々玉振。開之唾壺現大蛇。閉之愚暗生角。上下二千年。東西十萬里。大千世界雖廣。於引札文。恐莫出此右者。請校閲序之。叩帝先述其効能。余取之寐倒讀過一遍。已曰。吾所欲言。子皆謂立。更無有餘地。何遑用吾筆頭之引札。乃大笑書有之儘。為自分操觚引札。此為序為之。
明治十六年七月。酒之神田。醉多道士巻簡識之。時杏村小僧提一升徳利來。\[子孫|宝用]
また、3巻目の中途(31丁表)に
選者曰 已上諸家の報條のみを穿り蒐め殆ど三巻に充んとす なほたづね出さば幾らもあるべけれと 看官の倦み給はん事を慮り 報條はこれにて姑く預り置 次に大家の序文を録し 看官をしていよ/\佳境に導かんとすとあり、さらに巻末には
撰者曰 此篇軌範の名あるを以て 報条 序文 記事 論説等を分ち 順次に掲載せんとす されとも楮數限りあるが故に 序文の如きハ其千一を録する能はずして篇を終れり 依て尚篇を次ぎ 其粹を抜き英を摘みて 看官の意に充んとす かの講釈師が明晩の後講と迯げ 戯作者が次の巻を見よと おもしろき處にて切り 看官をして跡を引かするが如きの巧にあらず 諸君暫く後篇の發兌を待て じれ給ふことなくんバ幸甚
と、お定まりの後編予告ではあるが、中国の古典『文章軌範』に基づくと思われる文字通りの「軌範」として、報条のみならず、序文や記事、論説をも集めて名文範文集として編んだことが明らかにされている。
本書の内題下には「酔多道士(田嶋象二)閲/岡本竹二編」とあり、挿絵は大蘇芳年。刊記は「明治十六年三月丗一日版權免許/同年十月廿日出版/編輯人 大阪府平民 岡本竹二郎 東京日本橋區坂本町丗七番地寄畄/出板人 東京府平民 加藤正七 日本橋區檜物甼八番地/發兌人 大阪府平民 大村安兵衛 東區淡路町二丁目」とある。
さて、本書には9年後に出た改題本『〈古今|名家〉戯文軌範』がある。外題簽と内題尾題との角書に象嵌が施され、刊記は「明治十六年三月丗一日版權免許/同廿五年一月廿日改題出版/編輯人 大阪府平民 岡本竹二郎 東京日本橋區坂本町丗七番地寄畄/出板人 東京府平民 加藤正七 日本橋區檜物甼八番地/發兌人 山梨縣平民 天野高之助 日本橋區北新堀町四番地」とあり、出版の年記と発兌人に変更が加えられている。
さらに6年後には新たな改題本『〈實地|應用〉廣告用文案内 全』(岡本竹次郎編纂、東京 兩輪堂藏版、明治三十一年八月)が出されている▼3。
つまり、角書の〈稗官必携〉が〈古今名家〉そして〈實地應用〉と変えられたのであるが、この変化は明治16年と明治25年、そして明治31年という時代相の変化を反映したものである。既に山本和明氏の論考▼4
が備わるが、明治10年代半ばにボール表紙本の興隆により、主として挿絵に依存しないジャンルである実録体小説や読本などの近世文学の翻刻が多数出版され、戯文に対する関心が再熱する。しかし、明治20年代に入り、新聞小説とその単行本化が広まると、近世戯文は最早〈軌範〉や文範としての意義を失い、むしろ過去の名家に拠る〈名文〉としての意味を強く帯びるようになったものと思われる▼5。
そして30年代になってからは、恰も〈実用書〉の振りを装って売り出されたのである。
ところで、前述した『戯文軌範』は、基本的に近世期の戯作者のものを集成していて、同時代に活躍している魯文や黙阿弥の報条は掲載されていない。考えてみると、河竹繁俊編『黙阿弥の手紙日記報條など』(演劇出版社、1966)を除けば、特定の戯作者が執筆した資料の紹介は做されてこなかったものと思われる。
魯文は鈍亭時代から売文業を営んでおり、「談笑諷諫滑稽道場」(切附本『平井権八一代記』序、嘉永7(1854)年)等という看板を妻恋の自宅に掲げていたことが知られている。明治に入ってからも、『安愚楽鍋』3編上巻(明治5年)に次のような案文家としての広告を載せている。
〈和漢西洋|奪體換骨〉流行情態文作道塲 〈東京淺草諏訪町|假名垣魯文製〉
○ 治亂興廢狂言綺語
古今の事跡を種として一部の趣向を設くる類○ 内外小説時代世話
支那印度西洋我國の面白きはなしを冊子に著す類 ○ 江湖新報滑稽竒談
世の中のめづらしき一夕話或ハ流行を筆頭に穿つ類 ○ 序跋文章略傳填詞
物の本のはじめおはり開店の告條などを文章に綴る類
○此他 詩歌 連俳 諸流の新浄璃理 長唄 端唄 とゝいつ 口上 茶番 神祇祭禮の地口行燈 季句 語呂合 三題話 一口ばなし 繪ばなし 興画合 俄狂言の趣向 珎物観物の演義 とんだ霊宝の言立 阿呆陀羅經 ちよぼくれ 厄拂ひの文句 都て筆頭に出る者 森羅万象何事によらず御好次第案文仕り候
この広告に続けて、魯文自身が報条執筆を引き受けるという引札を挙げている。これは、実際に作成する報条の具体例(見本)という意味合いが備わっていたのであろうか。
告條
梨園の立見。一日に充ざれども。俳優の藝頭を慥に評し。花街の素見。一夜に盡さゞれども。娼妓の品定め。殊ど委し。銀箔の月明鑑きにあらず。物言花手折し事なし。或ハ戯房に不入して。三階の事情を穿ち。又ハ三蒲團に坐さずして。青樓の艶情を究めんとする者ハ何ぞや。往昔所謂半可通。當世渾号て生聴連。此境界を遁れざる徒。化して戯作者と変れるより。我輩某が顰に傚ひ。翠簾屋臺。金紙戸の圖割に。詰開きの演説。紋切形を填詞み。鳳凰霊臺大中小の廓訛り「アリンス」「ヲツス」の茶表紙を生捕る。如斯生熟きいた風。似た山連の我輩が。芝居評判花街の情熊。著述に僥倖發客あり。讀まぬ同志書かぬ同志。犬も進歩バ瞽者の棒頭。文盲千人。筆硯萬福。活業名利名聞と。利欲を兼し文人商個。例の堕落の戯場木戸と。小婚格子の安店を。改正再開たる堅固舗毎日在宿休業なし。日限の注文お急ぎ合点。心得短文長編なりとも。御間に合せ参らせ候。かしこの章の假名釘も。是天性の役割番附。下手の長文なが%\しく。身の爲告條さやうと爾云
歌舞妓作者花笠魯助が遺弟子
花柳巷日洗私塾の同社中
青陽山人\假名垣魯文伏禀[善|惡]
さて、魯文の報条に関して、山本笑月は「魯文の引札は数知れず、野崎左文翁の蒐集だけでも千枚以上、恐らく五、六千枚は書いたらしい」▼6 と述べ、また、明治十年前後の状況について、野崎左文は「その頃料理屋待合等の引札は魯文の筆に限るやうな流行で、その作料は一枚弐圓見當であつた。」▼7 と記している。魯文には門人も多かったので、門人の代作なども含まれての数字であろうが、夥しい報条を書いていたことが知られている。
以下、今となっては全貌を明らかにすることは到底不可能だとは思われるが、管見に入った範囲で魯文の報条を紹介してみたい。
注
▼1. 伊藤竹醉『變態廣告史』(文藝資料研究會、1927)、増田太次郎『江戸から明治・大正へ 引札 繪びら 錦繪』(誠文堂新光社、1977)、同『引札繪ビラ風俗史』(青蛙房、1981)、中田節子『広告で見る江戸時代』(角川書店、1999)など。
▼2. 八巻俊雄監修『稗官必携戯文軌範・天』(CM総合研究所、2002)が在る。上巻のみであるが、早稲田本の影印に現代語訳、翻刻、英訳などを付す。
▼3. 一冊に合冊され、柱心の柱題や魚尾丁付を全て削り、全巻の内題尾題を削り巻頭と巻末にだけ「〈實地|應用〉廣告用文案内」と入木している。刊記は活版「明治三十一年八月十日印刷\明治三十一年八月十日發行\編輯者 岡本竹二郎\發行者 日本橋區本石町四丁目六番地 天野高之助\印刷者 淺草區森田町五番地 本城松之助\印刷所 同所 大川屋活版印刷所」とある(国会本76-219、デジタルコレクションで閲覧可能)。
なお、博文館の東洋文藝全書第七編『〈古今〉名家戯文集』(明治二十三年九月)と、同第拾貳編『〈古今〉名家戯文集 第貳巻』(明治二十四年三月)の「報條類」の項に多くが活字翻刻して再録されている。
▼4. 山本和明「稗官者流の〈明治〉」(岩波書店、「文学」2009年11月)など。
▼5. 打越光亨編輯\假名垣魯文閲『諸名家戯文集』(製版半紙本1冊、明治12年11月、玉海書房梓)は序文集であるが、魯文が序文を書いたものである。同時代に多く出された序文集についても考えるべきことが多いが、嘗て見取り図を描いてみたことがある。高木元「近世後期小説受容史試論―明治期の序文集妙文集をめぐって―」(国文学研究資料館編『明治の出版文化』、臨川書店、2002年3月)参照。
▼6. 山本笑月「魯文時代の引札類」(『明治世相百話』、中公文庫、2005、初版は1936)。
▼7. 野崎左文「明治初期に於ける戯作者」(『私の見た明治文壇』、春陽堂、1927)。
【一】
〈和漢|西洋〉書肆貸本所 瀬川如皐\山々亭有人\假名垣魯文\河竹其水 合述
(如)胸中八斗を儲へるの才士ハ。南京米の相場を知ッて。葛飾早稲の價に渉らず。博学五車に富の儒先生ハ。文車の迂遠くして馬車蒸氣車の神速ならず。際限ある身に限りなき。書籍の概略時々流行。江湖学問を究理んこと。支那で所謂小説稗史
(有)讀で皇國の軍談記録。傍訓附が目的の枝折。桑と茶の實を植付の。繁茂も東京の一種の名産。書肆貸本の開店に。小金《黄》の牧《巻》を開くとハ。方今形勢ての辻占吉と。好の道から高手の活業。和漢西洋實録戯作。人情滑稽隨筆記。御所望次第蚕紙の。絲を引出す續本類
(魯)飜譯演義物の本。長沓歩らす足曳の。やま《山》と貯ふ部數ハ。横濱鍋の牛に汗し。居留地の棟に充。されば粋書の貸口繁きに。歌妓の戸籍倍たるも知られ。義経記を讀者多きハ。蝦夷開拓の吉兆なるべし。遮莫又貸の傳信機ハ。冩眞鏡の紙どりめきて。本屋の為の得意にあらず。
(其)闕冊落書汚痕油点。手麁ハ御免を蝙蝠傘。風衣の翅が生。借手買手も大坂町。彼難波津の冬至梅。開店書肆と
諸共に。開化し文華盛典の。期に當るの祝砲も。所謂周の正月詞。顔見勢頃の出店に。新舗披露の告條ハ。畑違ひの大根歌舞妓。戯作の道ハしら浪の。名も濁江の河竹其水
(如)同流れをく《汲》みながら。流行疎き三世瀬川
(有)深き趣向の影摸す。淺香山の井山々亭
(魯)その山踏も初学び字性も覚つかな垣の
(其)筆のさき%\諸君子へ主人の蔵入冀ふと
(四人)ホヽ敬白スになん
【二】
[淺草寺] 邑田\海老の\主に\代りて
御披露
川竹の流れハ絶ずして。しかも元の水にあらず。不行に浮む海〓は。年明の惣花。突出しの積物。且切且結びて。流行に居續なし。その柳巷の軒つゞきも。伽倶津智命の發墳より。胸中の煩熱に後朝の。袖うち拂ふ焼野の灰雪。泰山府君の暁も。嵐に覚る夢見草。假に根ごしの多かる中に。土地を。替ぬ常燈明の。水道尻に仮居を修理。普請の材木もあら玉の。年立かへる旦より。南枝の梅の家毎に。ひらき初たる見世手前。朧月夜の亭ならで。人来と声をひく袖に。とむる薫りの格子先。御影を仰ぐ樓上に。花や今宵の妓女の饗應。帰舘給ふ折に臨みて。さしあげ申定例の酒肴に。四季時々の趣向を盡し。三伏の暑日ハ。冷味を調進なし。玄冬の寒夜ハ。暖酒の一陶器。或ハ朝靄夕霧を。凌除させ給ふ設とて。その對妓より手拭の。狹布の細布まゐらすれバ。君もろともに名取川。阿武隈川のあふ瀬も繁く。壺の石文錦木の。幾夜千束の御通はせを。ひたすら\願ひ被参候 かしこ
【三】
賣出し御披露
邦畿千里を掃よせて。民の止る大江戸の。繁花中に取分て。枯たる樹にも花ぞさく。大士の誓深緑。此浅草の繁昌たるや。大千世界の流行を。一箇に集る壺中の天地。四季の景色ハ更にもいはず。居ながら見やる五重のとう取。霊山の大将辰頭。千代の早竹虎吉が。千里を走る輕業に。萬代つきぬ松井の曲獨楽。並べて述バ中店の。なか/\盡せぬ珎物奇品。されバ隅田川の滔々たるを。諸白の招牌と共に眺望。待乳山の峩々たるを。隣家の茶亭の名に呼て。場所も千賀の塩竃を。うつす融が物数寄ならねど。四十年來前つ春。山鳥の尾の長旅に。浪花を出て御當所へ。〓礎居し御菓子所。日毎々々の御参詣。下向にも参りにも。道ハかはらぬ雷神門。いつ花主になるともなく。一寸時雨や蕎麦饅頭。澤山御用仰付られ。雪の旦の白暖簾。爐開口切煎茶會重詰杉折笹折と。彼所で召せば此所からも。利益ハ深い観音さま。御贔屓さまの御影によりて。家ハ福々福壽海。圓満無量の数添し。利殖をつみ込船橋屋。主人の翁千蔵が。千歳不朽一世の大功。出店ハ年歳ふへひろごり。中に擬名も有礎海。濱の真砂の数繁き。家名の栄も全くハ。土地がらに因お恵ゆゑ。お客を大慈大悲と祈り。お礼詣の心にて。今般新に品ものを。吟味のうへに工風をこらし。是迄仕入ぬお手輕の。落雁煎餅饅頭のたぐひを製し仕来りの。極製口取蒸菓子干菓子ハ。一倍骨を織江が老舗。兼て汁粉の上あん梅。味羊羹と御賞美ありて。賣出しの當日より雷神門定店へ。飛だり刎たり我前にと。お馴染だけに不相替。ありやりゆん永當龍塘の。暖簾の文字をお目的に。金龍山の山をなし。御賑々敷御雷駕ありて。多少にかぎらず御求を。主人に代りて願ふになん
〈極|製〉御しるこ類 数品\〈新|製〉御口取蒸菓子類\御干菓子類 数品
御進物御折詰御重つめ念入\奇麗に仕立奉差上候 以上
江戸\惣本家 浅草雷神門内\船橋屋攝津大掾藤原織江
來々二月明日より賣出し\當日麁景として\浄るり文句尽辻占煎餅呈上仕候
【四】
書画小集\如空暁齋[印]
左手に千斤の鼎を揚げ右手に萬束の毛頴を採し漢國の英雄ハ知らず我本朝の力夫浪野東助大人ハ近来の金剛力豊嶌屋の鬼熊が門下に出て然も東京近郷ちから持の業を營む壮夫達の巨擘なりけり夫牙ある者ハ角を生ぜず猛き人ハこゝろあらびて自ら風雅の道に疎き中に東助氏の天性この二つを兼備して腕力中に筆力あり就中同氏が米俵頭筆の如きハ世の墨客の知るところ其年歯既に耳順に近く常に健康なるも遂に老衰の期を覺り今年こゝに書畫の會筵を開き一世の力筆を揮ふて一代の名殘を知己愛顧に報ぜんとす勇退の實この人にあり且ハ夲日雅致花麗なる伎藝を設け祝宴の餘興に充つ諸君来會の期を違へず同氏が力筆の竒蹟を席上大紙面に高覽あれ
明治廾一年六月二日\於東兩國中村樓上
【五】
告條
浅茅が原の一夜鮨ハ。姥か手製のむさくるしく。腹ハ減とも彼品喰うなと。観音薩多の御誓願。花川戸の蛇の目鮓ハ。海苔巻ならぬ由縁の鉢巻彼の助六の傘に因る。今ハ昔の風味になん。鮓とハ粋の轉語にして。通客の好味と。或博識に菊岡の老舗の甘味の加役に用ひ。戯場と花街の二筋道。往還も繁き土地がらを。目的にはける二足の草鞋。欲氣ハさしおき脇づけの。蓼喰虫の活業好。さる故魚ハ鮮く。海苔ハ當處の佳品を撰び。漬方風味に念を入下直を旨とさし上申せバ。是迄年來仕來りの。御菓子類と侶共に。酢意も甘意も噛分る。通家の諸君のお口に叶はゞ。玉子焼のあつ皮ながら。刻生姜の薄片な。身臺忽地福徳の。三年立や立ぬうち。葛飾早稲を積上る。大黒天の田原まち。晋子〔が〕吟の大々や。小判ならべて菊鮓の。家ハ幾すゑ廣小路。浅草寺のあさからぬ。御取立を主人に代りて吉例變らず願ふ個は草冊子でお馴染の
〈上|製〉御菓子類 数品\〈新|製〉菊寿し 両様共御折詰御重詰奇麗に\仕立下直ニ奉差上候
来ル二月廾二日賣初\當日麁景差上申候
【六】
新調御料理半會席 〈御一人前|銀壹朱〉
告 條
家根舩の出前に。庖丁の上手をゆき。貸桃灯の目印に。戀の闇路を行水の。ながれは絶ぬ兩國の。川添ちかき老舗の礎。千代に八千代に苔の茂。つゞれ石井の暖簾を。潜らせ給ふ御得意を。當込調理小會席。まづ椀盛を第専に。自ら挙る味噌汁の。加減は煮方が心得の。塩梅。縮た洗魚の向附。こまかに擦す薬研堀。彼明王の御縁日。或は納涼の御帰路。柳の筋の唄女達が。情夫の噂の受料に。一才一杯手附の腰掛。又ハ諸藝の御連中。昼席夜講御招迎の。御休息には御誘引合され。御立寄をまつの月。ある夜密の御二個連。夫から夫への御吹聴。お足の輕いを専一に。お手輕向を旨として。外にはなしや有合の。品々調進差上まうせバ。これハ筋じやと御賞味下され。御取立を願ふになん。
来ル五月廾七日\見世ひらき\當日麁景差上申候
【七】
珍本古書画賣買所 〈東京御蔵前旅篭町|知漢堂木免屋桂雅〉
報條
四日市の床店を。坐禅観法の椅子に准擬。珍書古本の本來空。喰活計の種本類を。鬻ぎて面壁〓調を能せし。達磨屋悟一が顰に傚へど。教外別店此方ハ此方と。渠が前面を張子の手あそび。萬客の翫奔と産業名利。馬に乗て鹿を追ひ。株を守りて兔を得る。迂遠も老舗となりて。尚古の好事家画工編文漢。梟に等類僕を輕蔑。とつたか見たかに撰抜さんと。群る諸鳥の觜善惡なく。達广を張た木兔と。称るゝ渾名を其侭に。みづから家号に呼子鳥。活業の道ハ覚束なくも。唯遠近のお花主を。案内に星霜をふる本阿弥。鑑定と直價ハ買衆隨意。撰どり十九文盲商人なんでも三十八文字屋。字性《自笑》の朦朧ハ裏張の。裏店ながら風雨に。舗の休日のをりふしハ。紙魚の住家へ御光臨下され。賣買交易端冊のつぎたし。沢山御用を冀ふになんと。木菟屋の主人に代りて\當舗前の素見連中
□ 元禄前後板本類菱川西川浮世繪手本
□ 赤本青本茶表紙類古書画繪草紙數種
【八】
新形御浴衣手拭舗御披露
染分手綱でお馴染濃き。江戸紫の粹書作者。有人ぬしの由縁の何某。直なる柳の街を見立。宜風ふく田の軒並ひを。假宅ながらの半籬。暖〓の巾の狹きを厭はず。流行通家の工風を乞みて。新形數品の手拭舗。春ハ霞の筋歩行。朧月夜の御通はせ。忍頭巾の形代や。夏ハ汗拭半手拭。或ハ納涼の御浴衣地。年始暑寒の御進物。繪模様花押御替紋。御好次第如何やうにも。筆者を撰びて幾たびも。御意に入やう雛形を。調訂差上たてまつれバ。開店の當日より。梅川の香を傳へ。柳屋の直なる街へ。かめ清の萬代かけて。御注文を願ふ者ハ。是も流行請賣所
【九】
畫圖の松枝を鳴らさず。淺黄幕四海浪。静佛が手振を〓し。千壽が舞の足踏を。僅か真似て三ッ大の。坂東一の歌舞遊 宴。尽ぬ百代の姥が名を。譲る芽出しの花がつみ。年も若葉の春過て。夏の茂りにうち越えし。兩國橋の長々しき。お馴染とても中村屋。未此道ハ五月闇。黒白も分かぬ初舞臺。教子達の幼稚業。お目まだるいが興言の。栄とおぼす御贔屓の。大和魂御うちこぞり御見物をねがふになん\需に應じて
来ル五月十四日東兩國中村\屋に於て相催候間御賑々敷\御來駕奉希上候\三代目 坂東百代
【一〇】
鯛の眼の出たを鏡や薄化粧\三升丞題[鳥□|翔菴]
會席御料理開業報告
我菴ハ松原遠く海近く。冨士の高根を軒端にぞ見ると。眺望誇りし。往日の大江戸ハ。竹芝の浦に。雜魚の鮮きを求め。洲嵜の濱に。礒貝の汐むきを賞する抔にて。酒屋へ三丁豆腐舗へ。二丁隔たるまばらの町並。年々歳々戸數を増し。取分近年の新開地。庭園の設けも手廣に構へ。春ハ梅が香に黄鳥の音を誘ひ。夏の避暑の築山樹木。自由自在に時鳥の。八千八声も東亰一般。きくの籬秋の七草。千種に虫の音信絶ず。冬月暖に雪見の亭。四季折々の猷献立ハ。素より數奇家の茶會席。煮方の加減包丁の。光りを腕に研合し。鮮魚ハ波の離れを待。銘酒ハ灘を越るを迎え。諸事に心をつけ物まで。時に應じて貯へ侍れば。本膳中酒或ハ又。一寸一盃お急ぎの。間に合肴仕出しの注文。多少によらず御用向。仰付られ給はるやう。主個が懇願の素志に代りて。拙き筆に斯ハ記しつ
當十月四日五日開舗\蠣売町二丁目十四番地
【一一】
待合御案内
駕籠屋新道の旧き称を。人力車の今様に乗替。繁き街の往来を離れ少しく市中の閑を占れど。酒屋へ三里豆腐やへ。二里杯と云僻郷ならず。千歳座の幕開を。鳴物の音に知り。哥澤節の粹な調子は。居ながらに聞く自由の街巷。此所住よしの松に縁み。芦の假寐の旅泊ハ憚り。浪花の地名を假初に。咲く此花の香を汲世に有ふれし待合渡世。昔の袖の移り香は。女主が手馴し客待遇。お知己様の御引立にて。細き流の茶の水も。梵字の滝の太く長く。追々老舗に成田屋と。願ひの糸の引續く。御贔屓方の加護屋新道大小不同の差別なく。御請待申し上れバ。出開帳めく開業より。昼夜をかけての御來車を。何卒諸彦キツトですと女主が句調を筆に挿して一寸坐附の口上を演る
當たる\十月二日開業
【一二】
鳥一品移轉開業\立齋[印]
烏森の旧巣をはなれ。通ふ千鳥の客まうけと。人波寄する濱町に。先頃鳫の小店を開き。鳥一品の小料理も。狹き目白の押あひ坐敷。この究屈でハ山雀の。藝さへ鳴子の稻すゞめ。少しく翅を廣げなバ水鶏の都合もよしきりと。お勸めに隨ひまして。大鳥ならぬ小鳥廻し。又轉宅をした切雀。竹の住居ハ隣町の。高砂橋を御目標。つばめの通ふ路次行燈へ。御案内まをし上れバ。幾久まつの\町の名長く。御鳥立奉願候 [薫書]
二月 日開業\麁景呈上
【一三】
御匂袋 とびきり 盛林堂
世に飛切の俚言ハ鳶飛んて天に戻る是より上ハないとの比喩抑此薫嚢の製といつば高く天上界の乙女等か鼻を穿ち低く地球上の別嬪か肌を薫らす最上さる精良の方なるを自身の保証彼辿と喋々せんハ誇り香なれハ何より証拠ハお用ひありお試しの上成程と其香能を知らせ給ひ不潔の場所々の御通行或ハ炎暑に汗ばみし単衣の袂召物の箪笥手箱に貯へ給はらハ其移り香を身に傳え光る源氏の薫大将衣通姫の古事ならねと令嬢房奥達木の間の宿り花かたみと物申さんかしと筆を留木に一寸賛成麝香に録す
【一四】
再魁の御披露
前ずる時ハ人を制し。後るゝ者ハ他に制せらるゝの譬あり。箙にさしたる紅梅の早きを算るに。抑軍の魁ハ令に戻る嘲を曳ども。泰平家業の魁ハ。人より先へ商して。手柄を顕さんが為なり。食類多き敵の中に去々子の冬開店の魁いたせしより。宇治橋の魁ゆかずハなるまいと。御客様方。乱杭逆茂木の如く。所せき迄御来駕被成下。繁昌の勝鬨を合せ候段。全く魁の意味に適ひ難有仕合ニ奉存候。猶又煮染しんぢよの外。今般新製物の品。調味に工夫の魁いたし。謀を帷幕に廻し其精兵を麾き。魁丸煮物と命け。そこハ色ある千鳥が推量。食悦家ハ能御存。河岸の市場の煮物を写し。魚類野菜の丸煮物。新規南蛮蒸の茶碗物別製海苔巻。幕の内。珎しからぬ品ながら。風味第一ニ仕。庖丁の切め正しからずとも厚味淡泊御好次第。店御贔屓の御礼がてら。賈下直ニ仕。御勘定の節。給次の仕落歟帳場の筆の過かと。思召ほど格好ニ相働き奉差上候間。御通行の折から手かるく一寸御光來を伏而奉希候以上
御重詰并ニ笹折詰\御好次第出前仕候
寅の\霜月七日より
【一五】
當ル霜月明日顔見世ひらき麁景呈上
西洋茶漬\ 開店の告條
料理看板即席西洋。地球を形象食臺に。居並ぶ客の知らざらんや。遠からん物ハ英佛傳習。近くハ横灣直々に。おはやう授採牛豕鳥理。都て外國風味ハ重く。價ハ輕き新精茶漬。揚幕めきし暖簾を。押ぴらいたるお目見への。観渡す土間に履物その侭永當々々御来駕を主人に代りて大方諸君へ御引立を希ふハ
御膳付御壱人前六匁五分\ヲームレツトハ玉子焼\ビフパン日本牛鍋\右之外御好次第
【一六】
お花見酒御便利
酒なくて何の汝が桜哉とハ。花見上戸の故人の秀逸。はなもさけ/\の陽氣を量り。快楽此中にある瓢たん酒も。遠路をかけてハ空樽の不用に等しき厄介物。汁も鱠も花の香に。移り行世の便利に基き。隅田堤を御遊歩の折柄にハ。御携帯の瓢入して。酒ハ何処と言問の。下戸屋に近き上戸の定店。お得意方ハ御存乍ら。本家ハ浪華支店ハ然も。元大坂と。町名に稱ぶ生一本。澤之鶴《〓〓〓》の※印四海繁栄の喜印《〓》及び。一寸お手輕お口かるハ店繁昌光榮《〓〓》を祈る地切の元價商法。花咲頃に開業の。出張ハ一時の假舗乍ら。本家は堅き石崎の。暖簾を的に御立寄。お購求を希ふ。
【一七】
隅田河\四季の園
御披露
春は木の下の青葉にかくれ關屋の里を打越へて。夏を知らする郭公ハ。いざ言問ん人にやよるべし。されバ豆腐屋酒やの行道。筑波根の遠く隔ど。月雪花のみつの詠めに。縡からぬこそ楽しけれとて。年頃爰に隅田河。樹造りなせる何某なる者。己が構への廣やか成を。四季の園と號つゝ。今より四ッの時を違へず草木の花を庭に培。風流人の眼を喜せんと。八ッ橋かけし詠めに似たる。皐月の色の花菖蒲。彼堀切の旧きにはぢず。徳ハ孤ならず地續の梅隣亭の香を傳へ。彼所の調理を御賞味の。折ふし毎に訪はせ玉へと主人に代りて希ふ
掲載資料一覧
凡例
一、【一】〜【一七】は、このWeb版で補訂した
一、請求番号の後の〈 〉は枝番号か折数(丁数)を示す。
一、参考文献として挙げたものは以下の通りである。
A 『引札 繪びら 錦繪廣告 江戸から明治・大正へ』(増田太次郎、誠文堂新光社、1976)
B 『引札繪びら風俗史』(増田太次郎著、青蛙房、1981)
C 『江戸のコピーライター』(谷峯藏、岩崎美術社、1986)
D 『幕末・明治のメディア展 ―新聞・錦絵・引札―』(早稲田大学図書館編、1987)
E 『大阪の引札・絵びら』(大阪引札研究会編、東方出版、1992)
F 『広告で見る江戸時代』(中田節子著・林美一監修、角川書店、1999)
G 『明治のメディア師たち』(日本新聞博物館、2001)
【 一 】貸本屋「山城屋金太郎」 | 佐藤悟氏蔵 | 毎日新聞新屋文庫(370〈K0〉)、A 図85 |
【 二 】新吉原「邑田海老屋」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【 三 】御菓子屋「船橋屋」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【 四 】書画会「本町東助」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【 五 】寿司・菓子屋「藤原満吉」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【 六 】料理屋「石井亭」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【 七 】古書画「知漢堂木免屋」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【 八 】浴衣手拭「伏見屋榮治郎」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【 九 】初舞台「坂東百代」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【一〇】会席料理「昇運亭」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【一一】待合「成田屋登代」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【一二】鳥料理「珍鳥亭」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【一三】化粧品「佐野」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【一四】料理屋「宇治橋」 | 佐藤悟氏蔵 | |
【一五】西洋料理「會圓亭」 | 国文研蔵(ラ3-34〈9〉) | A 図84、B 図105、C 図59、D 図183 |
【一六】酒屋「石崎酒店」 | A 図88 | |
【一七】植木屋「安五郎」 | 毎日新聞新屋文庫(370_K33) | G 図152、A 図90 |
このほか、魯文の報条としては、「仮名垣魯文百覧会展示目録」(国文学研究資料館、2006年秋)に毎日新聞社新屋文庫蔵のものが山本和明氏に拠って紹介されている。また、『安愚楽鍋』の舞台となった牛鍋屋「日の出」の報条三種(国文学研究資料館蔵)については、拙稿「魯文の滑稽本」(「日本文学」2016年10月号)で紹介した。斯様に既紹介の報条については調査の上、この一覧表に続ける形式で整理番号を付与してまとめる予定である。
【付記】佐藤悟氏には御所蔵の貼込帳に存する魯文報条の翻刻紹介を許されたのみならず、多くの教示を忝くした。蒙った学恩に心より感謝申し上げます。