研究余滴

近世後期の出板界

高 木  元 

ここに板木師朝倉力蔵こと東西庵南北の処女作『復讐源吾良鮒魚』(文化5(1808)年刊)という合巻がある。見返しに

山林堂主人のすすめにより顰に倣ふのそしりをわすれて〓木丁々のひまにふんてをとりつゐには六〓の双帋とはなりぬるたゞ四方の諸作者を学の親と思へは東西菴南北と作名をあらはすのみ
木兎や百囀のしたの枝[南北]

と、作者としての初御目見えの挨拶が書かれている。ここで問題にすべきは、板元がなぜ彫工に執筆を依頼したのかという点である。裏表紙の見返しに書かれている板元山田屋三四良の口上を見ると、

當時艸双紙益々流行仕候付私義も誠に卵魚の大魚交りながら源五郎鮒と申外題を思ひ付頼ミし作者ハなんにも知らぬ井のうちの鮒その井戸に縁のある糀町の春扇が画も始て作も始て版元も始めての三人竒れハ合巻の智恵も身もなひ敵打人をば鱗にした埜奴と誂の程は御用捨あれ只面白と尾〓を附て御評はん元の名と作者の顔も辰の初春

とある。地本問屋である板元にとっても、合巻の処女出板であったことがわかる。つまり、合巻の出板点数が激増した文化期なかばに、その流行に乗ろうとした板元の事業拡張なのであった。このような新規参入の板元が使える作者や画工は、当代一流の売れっ子であるはずがなく、やはり無名の新人を発掘するしか方法がなかったのである。そこで、狂歌を嗜んでいた板木師に、まんざら戯作を知らないわけでもないはずと、企画を持ち込んだものと思われる。

また、この本はなかなか凝った造りをしており、口絵に薄墨と艶墨とを用いている。画工の春扇が合巻の初舞台ということであえて口絵にも手数を掛けたものと思われる。

このような企画とそのプロデュースは、紛れもなく板元によって主導されたものである。そして、この南北と春扇とをペアにして出板界に売り出す板元の計画は、一応成功をおさめた。この両名は一流の作者や画工にこそ成れなかったが、それでもその後多くの草双紙を手掛けているからである。さらに春扇の方は妻も月光亭笑寿として合巻を書くに至るのであった。

さて、彫工だけでなく作者の草稿を浄書して板下を作成する筆耕(筆工、傭書とも)から作者に成った者もいた。数少ない馬琴の弟子である、岡山鳥こと嶋岡哲輔もその一人。島五六六(権六)や嶋岡節亭と名のり、多くの馬琴読本の筆耕をしていたが、実は近藤淡路守家臣の内職仕事であった。処女作は、馬琴の補綴を受けて出した中本型読本『驛路春鈴菜物語』前編(文化五年刊)である。これには節亭琴驢と署名していたが、残念ながら前編のみで中絶してしまった。翌六年刊の合巻『かたきうち岸柳縞手染色揚』の序を見ると、

ある人予が草庵にきたつて雅談のあまりいふていわく足下ハ人のつくりなせる物の本を謄寫することひさし一へんのしよをあむこといかにととふ予こたへていふそのこゝろざしはなきにしもあらずといへどもさえみじかうしてぜんをすゝめあくをこらすのゐをのべがたし客のいわくしからは一日の戲場をもつてこれをつゞらば児女子にさとしやすからんといふゆへに客の意にまかするのみ
山鳥欽白

とあり、客とは板元のことだと思われるので、この場合も板元からのアプローチだったものと考えられる。筆耕の場合は草稿の筆写という作業を通じて著述の修行ができるわけで、彫工や画工よりは実作に転じやすい位置にいたといえるかもしれない。同様に筆耕から作者に転じたものに、橋本徳瓶や晋米齋玉粒、更に時代が下ると曲山人、松亭金水、宝田千町らがいる。

また、岡山鳥は所謂ゴーストライターの走りとして紀十子(沢村訥子)の合巻を代作し、歌舞伎役者名義の草双紙刊行の端緒を担っている。他にも、貸本屋から市川三升の代作者と成った五柳亭徳升や、代作屋大作と号し尾上菊五郎の代作をした狂言作者花笠文京を始めとして、東里山人、欣堂間人、墨川亭雪麿らが代作をしていた。

一方、あの『八犬伝』の板元にも成ったことのある書肆美濃屋甚三郎は、後に『児雷也豪傑譚』の作者美図垣笑顔として一躍有名になる。為永春水も作者に転ずる以前は越前屋長次郎という書肆であった。さらに、北齋も草双紙を書いているし、美人画で聞こえた渓齋英泉は人情本を書いている。志満山人こと、歌川国信なども自画作を出している。画工の中にも作をなした者がいたのである。

以上、概観してきたように、近世後期の出板界では産業としての本造りの分業化専業化が進む一方、十返舎一九がみずから筆工を兼ねていた例を持ち出すまでもなく、それらを兼ねて出来る器用な者が重宝がられたのである。このような出板界の状況については、つとに水野稔氏が「江戸末期小説の特質を考える上に何らかの示唆を与えるものがありはしないか」(「曲山人考」『江戸小説論叢』、中央公論社)とされて、「筆工文学」という用語を用いて分析されている。この提起を受けて、改めて近世後期小説に於けるテキストと「作者」の位置関係を考え直して見るのも意義なしとしないのではないだろうか。

第15回 日本古典文学会賞受賞
東京都立大学大学院 博士課程 在学



# 「日本古典文学会々報」117号(日本古典文学会、1990年1月)所収
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