襲名披露
高 木   元 

早いもので千葉大学に赴任して13年目になった。折しも本学会が〈国語国文学会〉から〈日本文化学会〉へと名称変更され、機関誌名も『語文論叢』から『日本文化論叢』と成った一年目だった。実は大層迂闊なことに、千葉大学文学部に着任するまで、所属は「国文学科」であると思い込んでいたのであるが、来てみたら「日本文化学科」であると聞いて拍子抜けしたものである。

これもそれも、人文学部から文学部への改組、そして教養部解体、さらには長年の悲願であった博士課程設置という一連の〈大学改革〉の結果であることを後に成って知った。着任後も、慌ただしく国立大学の独立法人化(見かけ上の国家公務員削減のための詐術)を経て、大学院文学研究科(修士課程)と大学院社会文化科学研究科(博士課程)とを一貫化して人文社会科学研究科(博士課程前期後期)とする甚だ性急な改組を通じて、千葉大における古き良き国文学科の伝統は木端微塵に吹き飛んでしまったといっても過言ではないだろう。その、人文社会科学研究科での所属は、博士前期課程が「地域文化形成専攻〈記録情報研究教育分野〉」、博士後期課程は「文化科学研究専攻〈文化情報教育研究分野〉」というらしい。教員ですら手帖にでも書き留めておかないと精確な所属を書くことが出来ない名称では、受験生たちが「国語国文学」を研究できる大学院だとは想像すら出来まい。(幸い昨年度から大学院進学する学部生が複数与えられたが、その前2年ほどは外部を含めて進学者がいなかった……。)

世の中には、変えなくて良いことが沢山在るにも関わらず、主として政治的財政的な要因に拠って、国立大学としては全く必然性に欠ける〈改革〉を強制され続けている。結局は、実態を変えずに(人的構成などは変えようがない)外からの見え方だけを変えるという非本質的な末梢的かつ消耗な作業に、無駄な労力と時間とを費やさせられることに成るわけである。とりわけ共通一次試験以降の国立大学の入試改革は結果として不毛であった。否、不毛どころか受験機会の多様化という〈改革〉は、大学教員たちに入試に関する過重な業務を強い、結果的に年度の後半(10月〜3月)は毎月何らかの入試が行われるという異常事態が常態化してしまった。そして、現在検討されている九月入学が実施されれば、定時制高校並みに「入学随時」ということに成りかねない。諸外国の大学では教員は入試には関わらないと聞く。別に昨今流行のグローバリズムに無条件に賛同するものではないが、現状のように大学の教員が〈研究と教育〉という仕事に注力できる時間と労力とを奪われ続けては、学問の発展と継承という本質的な業務が滞ってしまうではないか。

如上のことが愚痴めいて聞こえたとしたらご容赦願いたいのであるが、斯る現状分析の上に立って今後の展望を述べたいというのが意とするところである。現在、本学会が母体としている教員組織である「日本言語文化論講座」は、兼岡理恵(古代文学)、柴佳世乃(中世文学)、高木元(近世文学)、大原祐治(近現代文学)、神戸和昭(国語史)、岡部嘉幸(日本語文法)、村岡英裕(日本語教育学)、竹内比呂也(図書館情報学)という比較的若い八人の実に充実した構成であり、昨今の国立大学に於いては一講座にこれだけのスタッフを擁する学科は他の大学には類をみないと思われる。とりわけ国語国文学を専門とする六人は何らかの点で〈文化史〉的な視野を備えており、単に従来の狭い国語国文の枠に収まるものではない。

しかし、文化史的な視座とは、人文基礎学としての国文学や国語学の伝統的な方法論の蓄積の上にしか成立し得ない。その点、我々国語国文学を専攻する六人の全員が〈国語国文学科(日本語日本文学科)〉という出自を持っており、伝統的な手法の薫陶を受けて来た上での現在が在るという点を強調しておきたい。学問的な流行り廃りは避けられないであろうが、重要なのは基礎的な注釈力と方法論的な探究心だからである。とすれば、堅実な方法論に支えられた教育と研究とが、学生や院生に提供しうる最大の学問的情報であるといえよう。また、日本語教育学も単なる教育方法論ではなく異文化接触に関する言語文化史的な考察が不可欠であるし、図書館情報学も、実は資格取得のための技術知識論に留まらず、図書館の現状に関する分析と提言をするためには各自の学問的な専門分野を持つことが不可欠なのである。

現在の講座スタッフは、互いの専門性を摺り合わせながら、理想的な研究教育を成し遂げるための関係性を築きつつある。昨年度実施した「文学部公開講座」にしても、今年度の「日本語学文学特論」と謂うオムニバス授業についても、国語国文学に関する一つの大きなテーマ(今回のテーマは「本文テキスト」)で連続講義が可能である。そして、何よりも知的好奇心が旺盛で優秀な学生や院生が大勢いる。何とか本学会をもう一度盛り上げて新たな国語国文学の拠点として再生させたいと思うのである。

昨年の総会に於いて、機関誌名を『語文論叢』に戻すと謂う提案を持ち出したのは、如上の思考を経てのものであった。幸い出席者の同意を得られ、今号から改めて『語文論叢』を襲名することに相なったのであるが、『日本文化論叢』の刊記にずっと「通巻何号」と記載されていたのにお気づきであろうか。これは改題時からの編集者の想いの表現であった。何時までも『語文論叢』の流れを汲んだ雑誌でありたいと願う、我々の意思表示でもあった。誌名変遷マップ風に記述すれば

『語文論叢』 千葉大学人文学部国語国文学会・千葉大学文学部国語国文学会(1〜26)〈1972〜1998〉
『日本文化論叢』 千葉大学文学部日本文化学会(1〜12)〈2000〜2011〉
『語文論叢〔第二次〕 千葉大学文学部日本文化学会(27〜)〈2012〜〉

となる。

新しい『語文論叢』には、従来通りに文化史的な広い視野を失わない力作を掲載していきたい。「日本語教育学」や、「図書館情報学」に関する論文の投稿も大歓迎である。要するに、我々の講座が目指す教育研究とは、日本文学と日本語に関連する基礎的な注釈と方法論とに自覚的である広範な日本文化史に関する研究であると概括できるかもしれない。

いずれにせよ、創刊以来40年の歴史を持つ由緒正しい『語文論叢』を襲名して新たな一歩を踏み出したわけであるが、残念なことに雑誌の発行を維持できるだけの財政的な基盤が崩壊しているのが実情である。今回の総会で会則等の変更を提案する予定であるが、学内の体制を建て直して講座教員の指導下で卒論を執筆する学部生には、全員在学会員となって貰うことを通じ、個別ゼミを超えた知的交流の場を目指し、往年の学内学会としての活気を取り戻したいと考えている。

また、本学会の発足時から主たる業務は機関誌の刊行であった。それは、優秀な卒論や院生の論文公開の場を保証していこうというものであったが、現実的には国語国文学の専門誌となっており、教員や研究職専門職に就く卒業生が少なくなり、大多数の卒業生には無縁の存在になってしまっていることも否めない。

と同時に、初期の卒業生が還暦を過ぎ、現役のリタイヤを機にして退会を申し出られる方が出てきた。とりわけ昨年度は、I氏から退会の申し出と共に、会費の延滞分を含めて非常に多額の寄付を賜った。退会される事は残念であるが、今までの長きに渉って本学会を支えて下さったことに心よりお礼申し上げたい。

昨今、何処の国公立大学の学内学会も同様の財政的な悩みを抱えていると思われるが、東京都立大学のように国語国文学専攻そのものが潰されてしまった大学も珍しくない中で、前述の通り、千葉大学は拠点になり得る人的環境が保全されている数少ない大学の一つである。卒業修了者の中には、研究者として活躍している方々も少なからずいらっしゃるし、高校や中学の現場で国語教育に尽力されている方、図書館司書として苦労なさっている方、海外に出て日本語教師として活躍している方も大勢いらっしゃる。一方、被災地での行政担当として奮闘している方、出版業界ほか一般企業で不景気と闘っている方々も少なくないはずである。どうか、母校の窮状を同窓生に知らせて頂き、後輩たちを支援して頂ければと思う。特に、近年は卒業生に「就活ガイダンス」をして頂いている。これも在学生にとっては貴重な情報源となっている。

色々と暮らしにくいご時世ではあるが、卒業生の方々にも会費の納入を要請しつつ、当面は何とかして機関誌の紙媒体での刊行を維持していきたいと考えている。しかしながら、現実問題として来年度からの刊行費用を捻出する見通しが立っていない。最終的には研究費などから数十万円を支出して、何とか雑誌の発行を維持していきたいと謂うのが我々現教員の決意であるが、どうか会員の皆様のご支援を心よりお願いしたい。

それでも遅かれ早かれ、紙媒体での機関誌の刊行を会費や研究費に拠って継続し続けることが不可能に成るであろう。時代の趨勢ではあるが、将来的には紙媒体を諦め、デジタル化しオンライン公開を目指すしかないのかもしれない。ちなみに、既にバックナンバーについては「千葉大学学術成果リポジトリ(curator)」で公開中であるので、是非とも御覧頂きたい。

一方、この「会報」も体裁を一新した。嘗てのように少しく記事を充実させて研究室の現況なども盛り込み、やや同窓会的な色合いを強めてみた。

悲観的なことばかりを述べ来たったが、今此処に日本語や日本文学に興味を持ち研究対象として取り組んでいる学生と院生と我々とがいることは紛れもない歴史的事実である。それも、理想的な人的環境は整っているわけであるから、何とか知恵と労力を出し合って、自らの知的楽しみを分かち合える場として、本学会が機能してくれることを願って止まない。

(たかぎげん・本学会会長) 


# 「襲名披露」
# 千葉大学文学部日本文化学会「会報」第13号(2012年7月)所収
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#                      高木 元  tgen@fumikura.net
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