国文学研究資料館が設立されたのは1972年だというから、小生がまだ高校生だった頃だ。その後、今はなき東京都立大学に入学し2年次に専攻を国文に決め、資料館(我々の世代は国文研と云うより資料館と呼び倣わしてきた)を初めて訪れたのは1974年頃であったと思う。
当時の利用者番号は氏名の最初のよみに数字を足したもので、タ0000x という早い番号をだったと記憶している。しかし、当時の資料館には図書資料が充分には備わっておらず、何も配架されていない書棚がずらっと並んでいた。もっとも30年以上も昔のことではあるが。
前館長である松野陽一氏が発見して目録を作成された八戸市立図書館の南部松平家旧蔵本に、良質な読本を多数蔵することを知り、公開当初には幾度となく八戸に出掛けて調査閲覧したものであるが、有難いことに現在は資料館でマイクロフィルムの閲覧が可能になっている。
昨今は資料館に足を運びさえすれば必要な研究文献は大概何でも複写できるし、全国各地に散在している資料の紙焼写真やマイクロフィルムも充実しており、国文学研究には不可欠な機関となっている。
永年お世話になった一利用者として、特筆すべき恩恵にあずかったことがある。それは、故中村幸彦氏がその蔵書の大半の写真撮影を許可されて一切の制限無く(すなわちサービス区分Aとして)公開されたことである。読本を専攻することにした小生にとって、当時は中村本しか所在が知れなかった多くの読本を資料館で読むことができた。さらに当時は一夜貸しという制度があり、紙焼写真の貸出しを受けて一晩持ち帰ることができた。一体幾夜にわたって中村先生旧蔵の読本に読み耽った晩があったことか。あたかも横山邦治先生と同様に、中村先生の蔵書を自由に読むことができたのである。この経験は現在に至るまでも、かけがえのない経験であり続けている。
個人蔵の蔵書の末路は様々である。中村先生の蔵書が関西大学に納まり、閲覧に供されているのは幸いであった。多くの個人蔵書が散逸してしまう中で、資料館のアーカイヴスとして残すことは有効だと思う。現に抱谷文庫などをはじめとして、資料館の個人蔵書のアーカイヴスに拠って多くの学恩を蒙っている。
一方、故林美一氏の蔵書は市場に出回ったものも少なくはないのであるが、大半は立命館大学ARCに納まり、赤間亮氏らによって精緻な目録が作成された上で、画像データ化されインターネット上に公開されつつある。紙焼写真のようにモノクロではなくてカラーなので、より利用価値の高いデータだといえる。
資料館も近代部門から順次画像データを公開しつつあるが、画像データとしてインターネットに公開すれば、世界中の利用者が容易に使えるようになる。
周知の通り、国内に於ける国文学研究は衰退の一途にあり、最後の拠点が資料館であることは間違いない。全世界に開かれた国文研になるためにも、今後も積極的に個人蔵書を調査収集してアーカイヴし公開する事業を推進して欲しい。
ちなみに、拙蒐書等も資料館でアーカイヴして公開して欲しいものである。