キット あるいは パッケージ

文学部日本文学科教授 高 木  元 

キットと云えば、自作としては安直なプラモデルや電子工作キットを思い浮かべる昭和のど真ん中世代である。昨今、電子レンジでチンという所謂「レトルト」食品とは相違し、料理に必要な食材や調味料を揃えて纏めてパッケージした料理のキットが出回っているそうだ。

尤も、異常気象の影響で野菜価格が高騰し、単身乃至は少人数家庭では野菜を丸ごと購入するよりは、多少割高であっても無駄にならないと、一二杯用の「ラーメン用野菜セット (もやし・キャベツ・人参等を小間切れにして袋詰めしたもの)」などが売られていて好評なようであるが……。さらに一週間のメニューを決めて、調理に必要な食材をセットにして宅配で届けてくれる商売も繁昌しているそうだ。

冷蔵庫の中身に一瞥を加え、当日の食材の販売価格に関する情報蒐集も怠らず、翌日、家族等の弁当が要るのかどうかを考慮しつつ、日々食事の献立を考えると云うことが、実は、食事を作る上で一番難儀なことである。これは毎日の炊事を家事として担っている者であれば誰しも思い当たることであろう。その面倒なメニュー決定をしなくて済み、栄養学の専門家が日々の食事バランスも考慮し、さらに調味料を含めた食材を必要な分量だけキットにして毎日届けてくれるならば、これほど楽なことはない。このサービスのヒットについて、「出来合の惣菜を購入するよりは、多少とも手を加える分だけ手抜きの罪悪感が薄らぐという効果があるようだ」とはマスコミの要らぬ蛇足。

家事に手を抜くのが〈罪〉である筈などない。労働力を売ることしか出来ない我々無産者階級にとって、自分(や家族)の喰扶持を稼ぐために賃労働を余儀なくされている。だがしかし、家事はいくら頑張っても対価の得られない労働であり、しかも生きていく上で不可欠なものである。にもかかわらず、家事の大半を女たちに押しつけておいて「手抜き」もないものだ。

子どもの頃は母親にパンツを洗わせ、結婚してからは妻にパンツを洗わせ、偉そうにしている男たちよ、古人曰く「家事の愉しみに触れもみで、寂しからずや道を説く君」だ。日々の生活における家事は、対価をもとめられない労働であるが故に楽しいのである。全てを自分で計画し決定し制御できる希有な労働なのである。イヤならば手を抜けば良い。掃除など疎かでも死にはしない。同居人が我慢できなくなれば片付けるだろうし。

閑話休題それはさておき。長年カレー・ルーを買ってきて「手作りだ」と思い込んできたのに、十年程前に衝撃的な発見をした。「ターメリック、 クミン、 コリアンダー、 みかんの皮、 フェネグリーク、 フェンネル シナモン、 カエンペッパー、 ガーリックグラニュー、 ジンジャー、 ディル、 オールスパイス、 カルダモン、 クローブス、 スターアニス、 セイジ、 タイム、 ナツメグ、 ブラックペッパー、 ベイリーブス」など20種ものスバイスが適量分封されていて、軽くフライパンで煎り、冷やして数日熟成させると、素晴らしく美味しい(この語彙に普遍性はない。好みの味であることと同義)カレー用スパイスが出来るキットである。

ちなみに、数種類の商品があるが「GABAN」のがお気に入り。これだけ多種のスパイスを個別に買い集めて揃え、その都度適量ずつを用いることは一般家庭では非現実的である。大半が賞味期限を越えても消費できずに残ってしまうことが必然だからである。

カレーはその都度、豚・牛・鶏・魚介・野菜類と中身に変化を持たせつつ鍋一杯に造り、まずカレーシチューとライス(もしくはパン)で食し、目先を変えてカレードーリアにしたものを弁当に充て、翌日はカレーうどんにして食す。美味しいし、何よりも手抜きができると一人で悦に入っている。

手作り感の有無は兎も角も、多少は配分量のカスタマイズも可能であり、市販のルーに入っている有害無益な添加物を排除できる点が最大のメリットだと思うが、改めて考えみればこれも「キット」でありゼロから創造した〈手作り〉ではないなぁ。ま、良いか……。


#「千鳥会報」96号(大妻女子大学千鳥会、2018年12月20日)所収
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