『鷲談傳奇桃下流水』−解題と翻刻−

高 木  元 

【解題】

本作は、文化6(1809)年11月22日に出板された『小櫻姫風月奇観』に続いて、文化7(1810)年正月27日に出板されたものである。巻5の巻末に付された跋文に拠れば、文化5(1808)年3月6日に起稿し5月15日に巻1を脱稿していたが、残りの4巻は翌文化6(1809)年10月28日から12月9日に仕上げたとあるから、実際に書き始められたのは本作の方が先立ったようである。

どのような事情で1年半も放置されていたのかは不明ではあるが、文化5年から6年に掛けては大量の草双紙の執筆を行っていたことは間違いない。どういう勘定に成っているのか分からない点もあるが「文化五年京山作十七部之一」とか「文化巳春京山作十種之一」などと標榜して多作を誇っている。デビュー直後の草双紙作者としては異例の多作といわざるを得ない。たとえば、文化6年刊の合巻『千本桜祇園守護』の序文に「文化五年戊辰秋七月草稿成」とあるように、執筆時期を明らかにしている草双紙も多く、その驚くべき執筆速度が知れる。

この文化期半ばは、江戸読本の刊行にとっても絶頂期であり、京山に対しても早くから板元である貸本屋からの執筆依頼があった。序文の「観竹堂得刻之」という行文や、本書の口絵に掲げられた「師宣の図」に関する説明に「此書を著述する縁で観竹堂より贈られた」と書いていることから、観竹堂すなわち上州屋仲右衛門からの執筆依頼があったものと推測できるのである。ところが、実際に本書を刊行したのは、刊記から了解できるように栄山堂(丸山佐兵衛)であった。双方ともほとんど出板実績のない本屋であるが、井上隆明『改訂増補・近世書林板元総覧』(青裳堂書店)に拠れば、栄山堂は本書しか出していないのである。

そこで『〈享保|以後〉江戸出版書目』を見ると「文化七午年正月廿七日廻し割印 去冬行事 同前」「同六巳年十二月掛改済/鷲談傳竒・桃花流水 全五冊 山東京山作/哥川豊広画 板元売出し 前川弥兵衛/同百廿五丁」とあり、『外題作者画工書肆名目集』には「〈鷲談|傳竒〉桃茂(ママ)流水 五冊 京山作/豊広画 前川弥兵衛/午正月廿二日校本廻ル正月廿五日上本/廻ル廿七日売出し 十一月十九日廻ル」とあるように、書物問屋として出願をした前川弥兵衛の名前しか見られない。実は、この前川弥兵衛は『小桜姫風月奇観』の出願板元でもあり、京山作の読本を前後して2作出願したことになる。しかし、本書では見返に盛文堂(前川弥兵衛)・栄山堂と蔵版元を並べて書き、刊記にも「仝梓」としており、単なる出願書肆ではなく相板元と成っている点に注意が惹かれる。つまり、観竹堂から栄山堂への板元の移動、そして彼等貸本屋と書物問屋である前川弥兵衛との関係が、本書の執筆が1年半放置されていたことと無関係であるとは考えにくいのであるが、今はこれ以上の詮索はできない。

ついでながら、本書の巻1と2のみには『小桜姫風月奇観』と同様に句読点がほとんど施されていない。しかし、不審なことに巻3以下は一般的な読本と同様に句読点の区別無く白点が打たれている。執筆時期の問題とは直接関係ないと思われるが、翻刻本文からは分からない点なので一応記しておくことにする。

さて、本書には本格的な作品論として、津田眞弓「山東京山読本考―『鷲談伝奇桃花流水』をめぐって―(『日本女子大学大学院文学研究科紀要』2、1996年3月)が備わっている。序文自体が京山のあげつらった蒋士銓の戯曲『雪中人』の「填詞自序」に擬して書かれていることを指摘し、明示された典拠である三好松洛・竹田小出雲合作の浄瑠璃『花衣いろは縁起』と登場人物とその形象に着目した詳細な比較検討を通じて、勧善懲悪を徹底した武家の敵討物語として再構成していることを指摘し、京山の心底に去来する理想的な武士に対する憧憬を読みとっている。

一方、京山の文学史上の位置に関する示唆に富む論考として、内田保廣「『不才』の作家―山東京山試論―(『近世文学論叢』明治書院)がある。氏は「不才」であると繰り返し公言して憚らなかった京山の作家としての意識を、「書肆が主導して、出版が行われていた当時の、作者の位置とそこに形成された」ものとし、商業出版の確立にともなって量産を強いられる作者にとって、作品構成力の不足という欠陥、すなわち京山のいうところの「不才」は、彼の作品にとって大きな障害ではなかったと結論付ける。その具体例として本書の左衛門、飾磨、横島の三人が同じように切腹して死ぬという同一趣向が繰り返される点を挙げ、また鷲にさらわれた三之助について「三之助のゆくへは三之巻にくはしくしるす」と予告していることに関して、読者の読み方を筋の展開ではなくてプロセスの方へ誘導するための方法であると指摘する。さらに、柏木と小君を捕らえた女非人達の描写が、主筋の展開とは無関係であるにも関わらず、3回分も延々と続けられた上で、唐突に登場する摩利支天の化身と見られる猪によって救われる点を挙げ、見せ場と全体の展開が遊離してしまってる形は読本には不向きであったが、長編合巻にとっては場面の描写で短期的に読者の興味を引くこの方法(オムニバス)が有効であったと説いている。

【書誌】

活字本表紙  活字本刊記 活字本刊記
『山中三之助復讐美談・鷲談傳桃下流水』(明治18(1885)年、菱花堂)

【表紙】

表紙

鷲談傳奇/巻之一(〜五)

【見返】

見返・序

山東嵒京山 填詞[京山先生三種曲之一]/鷲談傳奇・桃花流水/歌川豊廣畫圖・文化庚午新譜・書舗 盛文堂・榮山堂

【自序】
自序 [橋坐山東]
戊辰の春墨水觀花之ついで。友人柳菴綾瀬別業を過ぐ。飲漱六水閣。對岸の桃花爛燦にして錦の如し。柳菴と分韻。詩興最も濃也。偶元遺山集本を見る。中に劇冊一本夾刺有り。予曰く主人何等不風流。蒹葭と玉樹と同一架。柳庵劇本を採て予に示して曰く。此書劇詞場中為翹楚者。竹田出雲作する所の花衣篇たり。蓋し駕國史所載鷲攫良辨話作之。清人蒋士銓於鐡丐傳。與編雪中人傳奇相類也。千穐之佳話。慰十載之遐思。請試讀之。於斯乎倚欄干。酔眼を開きて之を読む。間妙句有り。覚えず全部を終ぬ。天色竟に晩れ。歩月帰家。此夕兀坐。意有所觸。構局成編。遂に一齣を作り夜達曙人事雑還。小暇書之。三十七日を越え稿脱す。題して曰く鷲談傳奇桃花流水と。以似柳菴。觀竹堂得て之を刻し。遂に出雲之徒と。其流を同す。
刻成り之れに序す。文化戊辰歳立秋日也。 山東嵒京山撰 [京山][仙杳]


題

書画舫
爲 京山詞宗[月松風艸]
筆歌墨舞 〓小影[戯印小影]

画賛

[石斎] 讀桃花流水三首
巾〓綱常事可風 筆花涙染桃花紅 偶然讀到詼諧處 天籟嘘々入耳中
詞苑曾推若士湯 南安梦境太荒唐 不傳梅柳傳桃李 壓倒風流玉茗堂
意蕊情絲細品量 桃花流水有餘香 頭廳間袖三長手 却與春光作主張
 戊辰春 空谷樵者草 [正雅]

[片玉]
春塘〓鞭過于
空谷主人之山舘
偶見讀桃花流水
作予亦戲作此圖合
與京山氏 酔僊[酔][仙]

画賛

此書脱稿後辱 両公子之雙絶藏篋際怕
冒帋魚拘卷首以似 大方清鑒
 文化戊辰三月 京山陳人[京山]

 題家弟京山新作[艸一枝復意華]
橋北墨花初競奇 堪慚燈下作篇遅
閑窗春雨生眠日 寒室秋宵結悶時
展覧偏憐忠義志 沈唯深悪姦曲姿
熟耳嬰児知風路 自異爺娘童話痴
 醒々齋京傳[田蔵][山東]

師宣

日本繪 菱川師宣圖[師宣]
風の柳の吹まゝにさそふ水あらはと聞へしは恨かちなる世の中の人の心をくみてしる淺草川のはやきおふねはうはきの波にうちまかせまつち山の松の嵐にその夜の夢をさまさせわかれぢのさう/\しさ首尾といふ字のうつゝなさせいもん/\らちもみたれてひと花心へにくひ事きいたよすかもそれも御身のたのしみならはよしそれとてもへ

右に著す師宣の図は淡彩の絹幅なり此書を刻する觀竹堂市に購得たりとて予に贈れり圖中に題したる文は三浦屋の小紫といふ阿曾比の作れる萓草といふ小歌なる事洞房語園に見ゆ家兄京傳翁の家藏に小紫の短尺ありその運筆此書に相似たり師宣は小紫と時を同うせしものなれば此題辭は小紫の書なるべくおぼゆめり
藻の花や繪にかきわけてさそふ水と晋子の讃せしもこの阿曾比なるべしおのれ此書を著述せる縁によりて得たる一軸なれば縮書してこゝに掲つ好事家の一觀に具するのみ 酔々子識之[京山]

口絵

秋季あきとし内君うちぎみはなかた一子氏王丸うちわうまる志賀里しがのさと花見はなみ
山桜花の下風吹にけり 木のもとことの雪のむらきへ

口絵

 [山東]
桃文稱辟惡
桑表質初生
  [京山]
山中やまなか左衞門さゑもん正當まさはる

雪瓜星眸世所稀
摩天専待振毛衣
    [石斎]
山中やまなか左衞門さゑもんの一子いつし三之助さんのすけ

口絵

地獄坂ぢごくざか女非人をんなひにん 鬼芝おにしば
 [山東]
旧曲聽来猶有
恨故園皈去却
無 [京山]

星合ほしあい梶之輔かぢのすけ照連てるつら
[文齋]
十年磨一劍
霜刄未嘗試
今日把示君
誰爲不平事
 [石華]

口絵

むすめ小姫こひめ
山中やまなか左衞門さゑもんつま栢木かしはぎ
[酉弐]
生別死愁一夜来芳心明意
去難回霜風破却満樹泥〓
染鬆面置苔
 酔々軒主人題 [京山]

山中やまなか左衞門さゑもんの家〓けらい
春瀬はるせ由良之進ゆらのしん
[酉弐]
忠骨孝肝鐡石心
家無四壁不貧獨
飛動鴻鵠志意風
裏劍光斬冦人知
 酔々子題 [京山][橋坐山東]

口絵

[石齋]
萬般物象皆能鑒
一箇人心不可明
  [京山]
頑婦ぐはんふ眞弓まゆみかた
 [山東]
薪和埜花採
歩帯山詞唱 [京山]
由良之進ゆらのしんの家弟をとゝ簑作みのさく

口絵

[山東]
眉黛奪将萱草色
紅裙妬殺石榴花
 [京山]
山中三之助 再出
五月雨さみだれ小督こがう

山樵やまかつ枝朶六しだろく
[酉弐]
誰愛風流高格調
共憐時丗儉梳粧
 [京山]
深雪みゆき

再識・目録

僕自幼嗜〓印章。凡銀銅牙角玉石随材奏刀。嘗挟此技一遊文場已久矣。今欲售此技以充楮墨之費。然則不復属閑巧夫。茲定工價。開欸于巻尾。願 諸君賜顧者。嗣索拙作榮幸々々。統乞垂鑒。
 文化戊辰夏五 山東京山[京山]欽白

僕幼き自り嗜て印章を〓す。凡そ銀銅牙角玉石材に随て奏刀す。嘗て此の技を挟で文場に遊ぶこと已に久し。今此の技を售て以て楮墨の費に充んと欲す。然は則ち復閑巧夫ムダビマに属さず。茲に工價を定めて。巻尾に開欸す。願は 諸君賜顧の者。嗣て拙作を索めば榮幸々々。統て垂鑒を乞ふ。
 文化戊辰夏五 山東京山[京山]欽白

鷲談傳竒桃花流水目録
 巻之一
壽筵じゆえん 失兒こをうしのふ 飛劍けんをとばす
 巻之二
臥劍けんにふす 顛狂てんきやう 鳴琴めいきん
 巻之三
乞銭ぜにをこふ 神護じんご 義樵きせう 血戰けつせん
 巻之四
幽栖ゆうせい 〓金かねをひらふ 熱閙にぎはい 義漢ぎかん
 巻之五
没水みづにぼつす 竒遇きぐう 窺栖すみかをうかゞふ 迎福ふくをむかふ
通計つうけい十八せき

目録・本文

鷲談傳竒桃花流水わしのだんでんきとうくわりうすい 巻之けんの

江戸 山東京山編次 


  第一齣 壽筵じゆえん

いまむかし應永をうえい年間ころほひ近国あふみのくに松江まつえしやう松江まつえの判官はんぐわん藤原ふぢはらの秋季あきとしといふひとありけり。強氣きやうき勇猛ゆうもうにして武略ぶりやくちやう南朝なんてう忠勤ちうきんたてまつりしこうによりていぬ明徳めいとく三年南北なんぼく両朝りやうてう和睦わぼくきざみ江州ごうしう松江まつえ加恩かおん所領しよりやうたまはりしよりのち彼所かのところきようつ餘多あまた家臣かしん扶助ふじよなしていへ冨榮とみさかへけり。秋季あきとしつまはなかたといふ。さきには南朝なんてう后宮こうきうつかへたる女房にようぼうにして哥学うたまなびはさらなり絲竹いとたけのしらべかきはなむすびのわさにさへいとたへなりけるうへに艶姿すがた秀衆うつくしくこゝろざま貞介たゞしかりけるにぞ夫婦ふうふのなかもわりなくて睦深むつみふかくかたらひぬ。嫡子ちやくし氏王丸うぢわうまるといふは先妻せんさいにしてはなかたにはまゝしきなかなりけるがはなのかたさらにへだつるこゝろなくわがまことのごとくおもひなし愛養めでやしなひすで氏王丸うぢわうまる十一さいにいたり。
とき応永をうゑい七年のはる秋季あきとし四十の初度しよどにあたりければ誕生たんじやうにいたりなば家臣かしんをあつめ初老しよろう年賀ねんがいはよろこびの酒宴しゆゑんもよほすべしとかねて其心そのこゝろがまへありけるにはなかたのはからひとして家臣かしんいはひのうたをよませ賀筵がえん披講ひこうなさしむべしとて寄松祝まつによするいはひといふ兼題けんだいをいだされたり。さるゆへにごろ哥道かだうこゝろざしあるものは哥合うたあはせする思ひしてよろこぶといヘどもそのわざうときものどもはおのれがさとびたるをはぢらひけり。秋季あきとし兵革へいかくあいだ成長ひとゝなり武事ぶじをこのみ雅事みやびたることにはこゝろをもちひざればいはひうたをあつむるはさのみきやうあることゝはおもはざれどもきたかたのおぼしたちなればそのまゝにうちおき給ひぬ。
こゝにまた秋季あきとし普代ふだい恩顧おんこ長臣ちやうしん山中やまなか左衞門さゑもん正當まさはるといふものありけり。性質せいしつ廉直れんちよくにして禮節れいせつおもん子通しつうきんだつ伯鸞はくらんかまどめつするの風旨おもむきをしたひていと老実ろうじつなる武士ぶしなりけるが武藝ぶげいのいとまかつ和哥わかをこのみみやこなるなにがしきやう弟子をしへごとなりてそのみちにかしこければ秋季あきとし四十はつおひする祝哥いはひうたたてまつらすべきやくにぞえらばれける。これすなはちかれほろぼいへうしなふべき一端いつたんとはのちにぞおもひしられける。
かくてほどなく秋季あきとし吉誕きつたんにいたりければ秋季あきとし廣院ひろざしき家臣かしんをあつめ嫡子ちやくし氏王丸うぢわうまるをしたがへて上座かみくらをまうけければ山中やまなか左衞門さゑもんひとまの障子しやうしをひらかせ輝光かゞやきわたる文臺ぶんだいのうへにあまたの懐紙くわいしをつみのせてさゝげいで秋季あきとしひだりかたにひきさがりてせきをまうく。家臣かしん面々めん/\両側りやうかはそでつらねならびけり。はなかたみすたれたるうちにあまたの侍女おもとびとをしたがへ侍従じじう黒方くろばうのたぐひにやあらんいとたへなるかほりをほのめかせてうた披講ひこうをきかれけり。ときしもよるの事なりければ銀燭ぎんしよくひかり金屏きんびやうかゞやきゑがけつる千歳ちとせのすがたをうつし彩色いろどれるまつ万代よろづよみどりをこめていと冨貴めでたき光景ありさまなり。
とき山中やまなか左衞門さゑもん文臺ふんだいをとりすゝみいで吟上よみあぐうたどもをきけばあるひは万代よろづよまつ尾山をやまのかげしげみとことぶきあるひはすみおひそふまつえだごとにといはふ。する埜辺のべ小松こまつをうつしうへとしながきよはひをいのれば相生あひおひのをしほのやまとよみかけてとせのかげをたのみ千秋せんしう万歳まんぜいいは三十一みそひと文字もじかづはおなじけれどもよみいづるこゝろはおのがさま%\にていづれおろかはなかりけり。披講ひかうもやゝなかばなるとき左衞門さゑもん星合ほしあひ梶之助かぢのすけ照連てるつらといふものゝよめるうたかみきんじさして懐紙くわいしにとりあげしばし思案しあんするていなりしがひざもとへとりのけつぎうたぎんじけり。秋季あきとしこれを見咎みとがめ左衞門さゑもんむかなんぢいまばん照連てるつら名告なのりをあげかみ吟上よみあげたるのみにてなにゆゑ懐紙くわいし取除とりのけしぞ。不審いぶかしきふるまひなりととはれければ左衞門さゑもんかしらをさげ星合ほしあひ梶之助かぢのすけがよめるうたにつきては左衞門さゑもん所存しよぞん候へば披講ひこうをひかへ候。きみにはたゞこのまゝにおん見逃みのがしたまはるべしとことありなる言葉ことばきゝはげしき気質きしつ秋季あきとしなればうけひく気色けしきはさらになくなんぢそのうたにつきてそんずむねありとは不審ふしんなり。こと分明ふんみやうに申すべしとのたまふことばのにつきて梶之助かぢのすけすゝみいでいかに左衞門さゑもんかばかりおほうたのうちにてやつがれがよみたるうたにかぎり披講ひこうをはぶくのみならず文臺ぶんだいうへにすらおかざるは心得こゝろえがたきことなり。相公との不審ふしんかうふるのみか朋輩ほうばい手前てまへ面目めんぼくなし。いで/\おもふむねをきくべしとかどたてし形勢ありさませき粛然しらけて見へたりけり。山中やまなか左衞門さゑもん秋季あきとしむか相公との不審ふしんとあらば一通ひとゝをりその子細しさいをきこえあぐべし。梶之助かぢのすけきゝ候へとてかの懐紙くわいしにとりあげ ○我君わがきみすえ松山まつやまはる%\とこす白浪しらなみのかづもしられず
とよめるは不祥ふじやううたにて候。それいかにとなれば我君わがきみすへとつゞきたるは

挿絵

【挿絵第一図 山中やまなか左衞門さゑもん星合ほしあい梶之助かぢのすけ詩作しさくなじつ一場いちじやう妖〓わざわひかもす】

いむべきことばなり。またながれてとゞまらずくだけてきへやすきなみかづきみよはひをよそへたるもいはひこゝろにはかなひがたし。ひやうするとしてかゝる不祥ふじやうのよみうたきこあげんは相公とのへのおそれあり。さるゆゑにとりのけ候ひぬ。いかに梶之助かぢのすけいま申せしはこの山中やまなかひがおもひにや。おんせつをうけたまはらんとことばをはげましていひけるにきもふと梶之助かぢのすけ返答へんとうにさしつまり赤面せきめんしてぞたりける。たん気の秋季あきとしおほいいか連忙あはたゞしくたち給ひ梶之助かぢのすけもとゞりつかみてひきふし.やをれ照連てるつら文事ぶんじうときを軽視あなどり不祥ふじやううたえいじて主人しゆじん嘲哢てうろうなす横道者わうたうものあふぎ骨身ほねみにおほべよといひてりゆう/\ぱつしとうちすゑたまへばもとゞりふつときれかみみだひたいきづ鈍染にじむほゝのあたりにながれくだりてぐるしかりける形勢ありさま也。秋季あきとしもとのせきにかへり山中やまなか左衞門さゑもんにむかひなんぢ梶之助かぢのすけ引立ひきたてて早く目通めとをりをとをざけよと主人しゆじんめいにせんすべなく山中やまなか左衞門さゑもん梶之助かぢのすけむかうたなんぜしはひやうする者のやくなればなり。かならずうらみ給ふべからず。相公とのおゝせなればせきしりぞきたまへといひけるに梶之助かぢのすけなんのいらへもせず左衞門さゑもんまなじりにかけふかくうらみたるさまにてつぎへしりぞきければ家臣かしんかほあはせて言葉ことばをいだす者もなくおゝいきやうさましけり。秋季あきとし頓而やがてたち給ひうた披講ひこうかさねてのことゝしせきをかへてさけくむべし。みな/\彼所かしこきたるべしとのたまひつゝ氏王丸うぢわうまるともなひおく殿とのへぞいられける。
かくてつぎの日はなのかた秋季あきとしにのたまふは昨日きのふかぢ之助のうたなりといふをきゝはべりしにそのうたいまはしきのみにあらず。かの一首いつしゆ大治たいぢ三年にえらはれたる金葉集きんえうしゅうのせたる永成えいせい法師ほつしうたに候。〔此哥を難じたる説基俊の悦目鈔に見ゆ〕梶之助はつねからまけじたましゐのおのこときゝはべれば此度このたび哥をよまざらんにはそのさとびたるを人にそしられんことをいとひ屏風びやうぶなどにおしたる色紙しきしなんどにかきたるまつよせたるいはうた金葉集きんえうしうの哥ともしらず哥のこゝろもろく/\さとかみいつ文字もじをつくりかえて哥詠うたよみがほ懐紙くわいしをいだしかのせきつらなりしはいと/\堪笑為かたはらいたきわざに候。山中やまなか左衞門さゑもんきみとはせ給ふゆゑにやむことなく席上せきしやうにてかのうたなんじ候へども金葉集きんえうしうの哥とはしりながらその出所でところをいはず。かぢ之助すけうた盗人ぬすひと悪名あくみやうをとらせざるは小町こまち旡名なきなをおはせたる黒主くろぬしむかしがたりにことかはりにも仁義じんぎ雅男みやびをに候はずやとひたすら賞美しやうびしたまひければ秋季あきとしこれをきゝいかにもさこそとおもはるゝこゝろより左衞門がこゝろざしかん當時そのかみ義家よしいへきやうたいせられたる鳩丸はとまるといへる短刀たんとうのかたをうつしつくらせたる短刀たんとう当座とうざ褒美ほうびとして山中左衞門にとらせかぢ之助はおしこめおかれけり。

  第二齣 失児こをうしなふ

近江国あふみのくに志賀里しかのさとは〔三井の北.西郡にしこほり正興寺しやうこうじしん在家ざいけの四村をむかしの名ごりといふ〕往古わうこ景行けいかう天皇てんわうはじめたてまつ天智てんちみかどみやこしたまひたる旧都きうとにしてむかしなつかしき景色けしきは山さくらのにのこりて世々よゝ撰集せんしゆうにも此はるをよまざるはなく京極きやうこく御休みやす所も一樹いちじゆのかげに一種ひとくさ物語ものがたりをのこし給ひつにおへるさくら名所めいしよなり。此さとうちにも花園はなぞのといふところはわきてさくらのおほければ弥生やよひのころは貴賎きせん群集くんしゆして豊饒にぎはしかりき。
さても山中左衞門は一日あるひかの花園はなぞのの花見んとてつま柏木かしはぎともな今歳ことし十二さいになれるむすめ小君こきみと五歳の男子なんし三之すけは一つ轎子のりもの對合むかひあはせてのらしめ二人の婢女こしもとと三人のしもべともにしたがへて花見の調度てうど飯笥さゝへ分盒わりごなどもたいゑには譜代ふだい家来けらい春瀬はるせ由良之進ゆらのしんといふ老実ろうじつなる者をのこして留守るすをまもらせ花園はなぞのさして立出たちいでけり。あさのほどはそらくもりぬれども行程みちなかばすぎるころははれわたりて長閑のどかになりければ山中左衞門つま栢木かしはぎむか邂逅たまさか蹈青のあそびくもりたるそらの心がゝりなりしに快晴くわいせいして一入ひとしほきやうをそへたり。いへにのこる由良ゆら之進もかげごといふてよろこぶべしといふに栢木かしはぎさこそ候はん。花園はなぞのにもほどちかく候へば小君こきみ三之助轎子かごよりおろし歩行あゆませ候はんとてまつかけに轎子かごをたてゝ兄弟きやうだいをおろし三之助は左衞門栢木をとりて歩行あゆませつゝほどなく花園はなぞのさとにいたりけり。
ときしも弥生やよひなかばなりければ八重櫻やえさくらは今をさかりさきいでゝえだもたゆげに見えひとえはちりそめてときならぬゆきかとあやまたる躑躅つゝじ山吹やまぶきこゝかしこにさきみちていはれざる好景かうけいなり。左衞門彼所かなた此所こなたを見めぐりけるにあるひまくうち糸竹いとたけ調しらべあはせ或ははなのもとに今様いまやうをうたふもありちやひさくものはむしろをならべて息所いこひどころをまうけさけうるものは小店こみせかまへきやくをまねく。つねには寂寞さみしき山里やまざとも花のためにぞにぎはひける。左衞門はしづかなるさくらのもとに用意よういまくをうたせんとしつるをりしもはるかむかひのかたより四五にんさふらひ前路ぜんろまもらせ女童めのわらは二人ふたりさきたゝ餘多あまた侍女おもとびとしたがへたる上臈じやうろうかたちきよらなる若公わかぎみともなひ給ひ行列ぎやうれつたゞしくしづやかに歩行あゆみ給ふ。左衞門さゑもんこれを見て柏木かしはぎにむかひかしこへ給ふははなかた氏王うぢわうぎみ也。さだめてこの花園はなぞのさくらがりしてあそび給ふならめ。我々われ/\此所こゝにあるはきみへのおそれあればまづこなたへきたるべしとて此所このところ立去たちさ櫻花さくらばなみち見えぬまでちりにけりとよみたる志賀しが山越やまごえのかたにいたりわたす景色けしきことにすぐれたるところまくうちまはしけむしろしきて飯笥さゝへ分盒わりごなどとりいだし午飯ひるげたうべさかづきめぐらして四方よも山々やま/\眺望ながむるこのところ花園はなぞのこと半里はんみちばかりにして人家じんかまれなる僻陋へきろうの地なれば深山みやま躑躅つゝじ岩間いはまさきみちさくら松椙まつすぎにまじりて渓川たにがはちりかゝるさま寂蓼せきりやうたる景色けしきなり。山中やまなか左衞門さゑもん文雅ぶんがをたのしむものゝふなれば花園はなぞのはな豊饒にぎはしきよりは此地このち蕭條しやう%\たる

挿絵
【挿絵第二図 山中やまなか左衞門さゑもん江州こうしう滋賀しがの花園はなぞのあそんでさくら

山景さんけいあひ詩歌しいかえいじて一入ひとしほきやうをそへにけり。
一子いつし三之助さんのすけ今歳ことし五ッのあひざかり縹色はなだいろ綸子りんず寳尽たからづくしを色入いろいりそめいだしたる小袖こそでちやく前日さきのひ秋季あきとし山中やまなかに給りたるかの鳩丸はとまるといふ短刀たんとうはほどよきおのれが帶料さしりやうなりとてこれを差手さして深山みやま躑躅つゝじえだをもちて飛翔とびこう胡蝶こてふおひまはすていいと捷才かしこげなり。あね小君こきみうしろよりこゑかけ三之助さんのすけよものゝいのちはとらざるものぞ。父上ちゝうへ訶詆しかり給ふらめといふになほおひまはりてやまざりけり。柏木かしはぎまくうちより婢女こしもとにこゑかけ三之助さんのすけ怪我けがさすな。あれかしこへはしゆきしぞ渓川たにがはのほとりにゆかすなとこゝろをつかひあれ見たまへ。いまの胡蝶こてふはなえだにてうちおとしぬ。惺ハさかしきふるまひするわらはかなといふに左衞門さゑもん莞尓うちゑみかれが旡病むびやうにしてしかもすこやかおひたつは我々われ/\が一ッのさいわひ也。いざつぎ給へ今一ッのむべしとさかづきとりあげ夫婦ふうふむつまじくさけくみかはしつゝ我子わがこのこゝろよくあそたはふるゝを見て餘念よねんなくたのしみたるをりしもうしろやまかたふえかすかにきこえけるが漸々やう/\にちかくなりて山をくだるを見れば芻蕘くさかりわらべ二三人くさかりいれたるかご背負せおひ一人のわらはうしまたがふえ晩風ばんふうろうしていできたりぬ。左衞門彼かれらをよびとゞめ菓子くわしなどとらせければ童子わらべどもよろこびてうしはかたへにはなちおきもと並座ならびざ菓子くわしをわかちとりてうちくひぬ。三之すけかの牧童ぼくどううしにのりつるを見ておのれもかのうしにのらめといふにあやまちありてはあしく候とて婢女こしもとどもこれをとゞめけれどもさらにきゝいれずなきわめきければ左衞門婢女こしもとにむかひ農家のうかやしなひたるうし柔和にうわなるものなり。のらめといはゞのらせよといひてかのわらはに牛をひきいださせければ三之助なきをとゞめてよろこびいざ/\といふにぞこしもとかれをいだきてのせんとしたるとき柏木かしはぎたちより稚児わこその短刀ひとこし婢女こしもとどもにもたせよといふに三之すけかしらをうちふりいな/\父上ちゝうへ御馬おんまにめし給ふやうにかたなはさしてのるべしといひてうけひかざればこれをもかれこゝろのまゝにしてのせければをうちてよろこび〓然にこ/\わらひやよ/\阿姐あねうへ見給へわれうしにのりはべりぬといひつゝ牧童ぼくどうひか婢女こしもとにとらへられてこゝかしこへのりありきいとうれしきさまなりければはゝ柏木かしはぎおつとにむかひうしにのりてこゝろよきやたからどのゝにこやかなるかほつきのあひらしさ。おさなけれどもあのこしすはりやうつね小児こどもとはちがふて見へ候といふに左衞門さゑもんさにこそとて夫婦ふうふ私語さゝやき我児わがこ美稱びしやうするも人のおやたるならひなり。左衞門つまにむかひ日ざしもよほどかたぶきぬ。くれちかくならぬにいざかへりなんとてとりちらしたる飯笥さゝへ分盒わりごなどとりかたづけさせ三之すけをも牛よりおろさばやとしけるをりしもむかひやまかたより一陣いちぢん慕風ぼうふうさつふききたり樹林じゆりん〓々そく/\となりひゞき満山まんざんさくら一度いちどにぱつととびちつたるうちより年旧としふる大Gおほわしつばさふついきほひたけ翔来かけりきた嗚呼哉あはやといふうしにのりたる三之助をかいつかみて古松こしやうかすめ飛上とびあがりければ左衞門これを見て仰天ぎやうてんなしかたなおつとりかけいだし岩尖いわかど飛こえ/\雲井くもゐGわしゆくかたへあしそらにぞおひゆきける。柏木かしはきこゑふるはせあなかなしやのふと泣叫なきさけび梦現ゆめうつゝともわきまへず。こけまろびあとつゞき追行おひゆきしがおつとにおくれてたちとゞまりそらをのぞみて憫悵もだへあしつまだをのばしあれよ/\とさけべどもつばさをもたぬ人の身のその甲斐かひさらになかりけり。
あはれむべし三之助はむねのあたりかきやぶられたりとおぼしくて懐紙ふところかみ鮮血ちしほそまり〓々ひら/\吹散ふきちり手足てあしふるはしてもがきくるしむてい朦朧かすかに見え泣叫なきさけこゑ初雁はつかりのやうにきこえてあはれといふもおろかなり。柏木はこれを見ていとゞかなしさやるかたなく非歎ひたんにせまりてをうしなひはたとたふれてきえいりぬ。小君こきみもこゝにはしりつき柏木にいだきつきはゝ人心をたしかになし給へや。かなしやのふとこゑ調とゝのへてなきもだゆれば婢女こしもとしもべ追々おひ/\走集はせあつま渓川たにがはみづきくしてかほふきかけ声々に呼活よびいかしければ漸々やう/\人心ごゝちつきたるをこしもとゞもいだきかゝえてまくの内にかへりけり。山中やまなか左衛門はをむなしく立皈たちかへ此躰このていを見て露現つゆうつゝともなく痴果あきれまどひけるがかくてあるべき事ならねば小君をへて柏木をかごにのせ二人のしもべはあとへのこして花見はなみ調度てうどをとりおさめさせはかますそたかくかゝげのりものつきそひまたもGわしのきたるかと樹林じゆりんこずへまなこくばりつゝこゝろそらもくれかゝるみちいそぎてかへりにけり。〔三之助のゆくへは三之巻にくはしくしるす〕
それさておきこゝにまた星合ほしあひかぢ之助すけ前日さきのひ山中左衞門がためにわが詠哥よみうたひやうせられて主人しゆじん秋季あきとしいかりをおこしおほくの人前なかにて打擲てうちやくせられかぎりなき耻辱ちぢよくをうけたるのみならず勤仕きんしをとゞめられけるに山中やまなか左衞門さゑもんはこれにことかはりかのうたなんじたるほうびとして秋季あきとし秘藏ひそうし給ふ鳩丸はとまる短刀たんとうかれたまはりたりときくおのれがあしきをかへりみずたゞ左衞門さゑもんのみふかくうらすで一月ひとつきあまりも閉居とぢこもりけるに秋季あきとしより免許ゆるしのさたもなかりければこれも左エ門さゑもんざんするにこそとおのれがゆがこゝろくらべて囘僻ひがおもひしいかにもしてかれ憂目うきめを見せて此恨このうらみむくはばやと思ひけるが間居かんきよなれば山中やまなかいであふべき便よすがもなくとやせまじかくやすべきと思ひわづらひけり。
そも/\この梶之介かぢのすけといふもの播州ばんしうとゞろきはまといふところすめ漁人りやうし篷六とまろくといふものなりしに少年としわかきより武藝ぶげいこのみて性質うまれつき乖巧わろがしこければおのれが才藝さいげいをたのんでひと軽詆かろしめ酒色しゆしよくこのんでなりはひをつとめず。ちゝ蘆〓ろゐあいだうまれたる匹夫ひつぷなればすなどりわざとして一生いつしやうををはらんは可分あたりまへなるべけれどもおのれ才藝さいげいあるをもつて扁舟へんしうさほさし生涯しやうがいをおくり白頭はくとう波上はしやう白頭はくとうおきなとならんは計策はかりなきにたりとて二十はたちのとし両親ふたおやすてくにたちのき諸國しよこく遍歴へめぐりけるが五年以前いぜんゆゑあつて秋季あきとしいへ仕官つかえ今歳ことし三十みそじにあまれどもいまだつまもなくかさゝぎといふてかけをめしつかひ家内かないわづかに六七人のくらしなり。
さて梶之助かぢのすけ一日あるひにはこしかけおき胡坐あぐらさけのみたりしにかきへだてひと談語ものがたりするをきくに一人ひとり山中やまなか左エ門さゑもんしもべこゑなればかれ何等なにらことだんずるやらんとかきひまよりうかゞひ見るに山中やまなかしもべ酒壜とくりさげ細貨こまものをせをひたるおのこむかひけふは主人しゆじん夫婦ふうふ児曹こどもしゆともなひて花園はなぞの花見はなみゆかれたればかへりはかならずにいるべし。用事ようじあらば明日あすきたるべしといふに商人あきびとこれをきゝ御誂おんあつらへものゝことにつききこえあげたきことありしゆゑわざ/\つるに他適おるすとあらばかさねてまいるべしとて右左みぎひだりへわかれさりぬ。梶之助かぢのすけもとのこしかけにかへりみづから一杯いつぱいをくみてこゝろにおもへらく左エ門さゑもんめは夫婦ふうふうちつれてさくらがりしてたのしみをなすにわれかれがためにかく閉居へいきよしてをおくるこそくちおしけれ。短慮たんりよ愚昧ぐまい秋季あきとしなればこのうへかれ毒舌どくぜつしんじいかなるつみおこなはんもはかりがたし。左エ門さゑもんがごとき鼠輩そはいため金玉きんぎよくあやまたんは旡智ちなきたり。いまはからずかれ他行たぎやうせるをきゝつるこそさいわひなれ。宵闇よひやみ黒暗くらまぎ左エ門さゑもんたゞ一刀ひとかたな斬殺きりころ日来ひごろうらみをはらすべしと悪意あくい一決いつけつなし庭履にはげた穿はき立上たちあがりたるをりしも三之介さんのすけ挈飄さらひたるGわし此所このところ飛行ひぎやうしつるにや三之介さんのすけこしさしたるかの鳩丸はとまる短刀たんとう刀室さやをはなれて空中くうちうよりおちくだり梶之介かぢのすけひたいあやうかすりて水盤てうづばちかたはらなるつらぬきてぞたちたりける。梶之介かぢのすけびつくり何者なにもの所為しわざにやと四邊あたりまなこをくばれどものき飛翔とびかうつばくらのほかはさへきるものも

挿絵
【挿絵第三図 山中やまなか左衞門さゑもん一子いつし三之助わしにさらはるゝ圖】

なかりければいぶかりつゝかの一刀いつとうをとりあげ見れば日来ひごろ秋季あきとし秘藏ひそうしたる鳩丸はとまる短刀たんとうなるにぞ梶之介かぢのすけます/\あやしみ独言ひとりごとにいひけるはこの短刀たんとうはまさしく秋季あきとし殿どの山中やまなか左エ門さゑもんあたへたまひしときゝつる鳩丸はとまるまぎれなし。しかるにいま空中くうちうよりおちたるはいかにもいぶかしきことなりともちたる短刀たんとう熟々つれ/\打視うちながめ一〓しばらく思案しあんしけるが驀然たちまち莞尓くはんじとうちゑみこのつるぎ不思議ふしぎ我手わがてにいりたるはこれまさしくてん賜物たまものなり。説話うはさきけはなかた氏王うじわう殿どのもろとも今日けふしも鶴鳴川つるなきがは別業しもやかたいたり給ふよしかへりはたしか二更にこうのころにいたるべし。一筋道ひとすぢみち地藏坂ちぞうざか待伏まちぶせなして氏王うじわう殿どの轎子のりものこの短刀たんとうなげうた山中やまなか左エ門さゑもんうたがひかゝり愚直ぐちよくなる左エ門さゑもんなれば腹切はらきる必定ひつぢやうならん。しかるとき我手わがてくださずしてかれいへほろぶるを.不知しらずがほしてべきは闇討やみうちよりもはるかにまさる良計りようけい也。これにしかず/\とひとりつぶや背后うしろかたにいつのほどにかてかけかさゝぎかのしやうぎにこしかけてたりけるが彼方かなたには此家このやつかふる〓奴しもべ織平をりへいといふものには掃除そうぢきたりしにやかきへだて立聞たちぎくかほ.三人思はず見合みあはせければ梶之助かぢのすけばやくかの短刀たんとうそでにておほかくあらぬていにてかさゝぎ打對うちむかひもはやくれなんとすればかしこの小院こざしきいたしよくをてらしてさけくむべし。こゝにあるさけさかなもかしこへ持来もちきたれよといひつゝさきたち庭隅にはずへ小亭こざしきにいたりかさゝぎしやくとらせ.しばしさけくむむなだくみ.たまさかづき底知そこしらずいかなるたくみかもすらん。
このかさゝぎといふはもと逢坂あふさかせきのほとりにすめる武士ぶし浪人らうにんつまいもとなりしがまづしきくらしする姉婿あねむこのもとにやしなはるゝをものうくおもひ貧苦ひんくたすけにもなれかしとひそかあねとはかりて假親かりおやをたのみ素性すじやうをかくして梶之助かぢのすけかたてかけ奉公ほうこうつるなり。生質うまれつき

挿絵
【挿絵第四図 鳩丸はとまる短刀たんとう

〓才かしこく姿すがたもなべてならずとしも二八の春霞はるかすみいろかをつゝむ袖垣そでがきにまだそめ白梅しらうめのゑめるがごとき面影おもかげはいとにくからぬふぜいなり。
さて梶之助かぢのすけかさゝぎむかひいまわれ彼所かしこにありて密事みつじつぶやきしをなんぢさだめてきゝつらめ.きゝつるか.いかに/\ととひかけられなにとこたえてよからめとたゆとうむねをそれぞともいはぬいろなる山吹やまぶきつゆにたはみしごとくにさしうつむきてぞゐたりける。梶之助かぢのすけはいちはやくかれ心中しんちう臆度おしばかりなんぢわがまくらちりをもはらふものなればたとへ密事みつじきゝつるともさまたげなし。さりながらひとかたならぬ密計みつけいをきかれてそのまゝにすておかんはひとッの心障こゝろざはりなればなんぢわれたいして二心ふたごゝろいだくまじきといふ誓紙せいしをかくべしといふにかさゝぎやうやくかほをあげわらはこといかなるふかき因縁えにしありてや去年こぞふゆよりきみそはぢかくつかへまゐらせて鴛鴦をしふすま初氷はつごほりとけたるおび二重ふたへ三重みへすくせむすぶのかみかけてながきおんめぐみにもあづかりたてまつらんと思ふこゝろからはたとへいかなる密事みつじきゝ候ともひともらし候はんとはつゆばかりもおもひはべらず。さりながらもしよりもれたるときもわら〔は〕をこそうたがひ給ふべけれ。こゝろかゞみくもりなきしるしには誓紙せいしをしたゝめ候はんことわらはがのぞむところはべり。いざ部屋かしこにゆきてしたゝめなんといひてたゝんとするをひきとゞめいな/\こゝにありてかくべし。料紙りやうし取来とりきたらしむべしとてみづからにはにおりたち飛石とびいしづたひに庭下駄にはげたならしてへだてにかまへたる枝折戸しをりとをひらきまづしはぶきをさきにたて牛平うしへいをらずやとくきたれといひてよびければ一声ひとこゑいらへして牛平うしへいといふしもべいできたりぬ。梶之助かぢのすけ折戸をりどのもとにたちて牛平うしへいをちかくまねきしばしさゝやきもとのたちかへりければやが牛平うしへい料紙りやうし硯箱すゝりばことりきたえんのはしにおきてたちさりぬ。
梶之介かぢのすけかさゝぎむかひ誓紙せいし文言もんごんことかくにおよばず。わらはすくせのえにしふかくきみといもせのむつみをなすからはたとへいかなることありとも二心ふたごゝろをいだくまじといふ事をかきてをはりにかみおろしを書記かきしるすべし。なんぢしるしたるのみにてあてはかくにおよばずとこまやかをしへければかさゝき梶之助かぢのすけがのぞむまゝにかきしるしこれにておん心はれ候やと誓紙せいしをさしいだしければ梶之介かぢのすけとりあげてよみくだしいかにもかゝるしるしを見るうへはいよ/\なんぢ心底しんていあつきをしり愛戀あいれんおも日来ひごろにませり。まづこなたへよりねといひつゝをとりてひきよすると見えしがたちまちもとゞりつかんでひきたふしけるにぞかさゝぎ連忙あはておどろきこはなにゆゑの御怒おんいかりぞゆるしたまへと泣叫なきさけぶ。梶之助かぢのすけひざたてなほしひだりかさゝぎもとゞりをにぎりみぎにはかの鳩丸はとまるをもちするどきまなこを見ひらきてはたとにらみなんぢ山中やまなか左衞門さゑもんおとゝ簑作みのさくといふものゝつまいもとなるよし頃日このごろ牛平うしへいつぐるによりてしれり。なんぢ今宵こよひ為体ていたらく日来ひごろにことかはりこゝろあつきやうにもてなすはなをも

挿絵
【挿絵第五図 星合ほしあい梶之助かぢのすけ奸計かんけい漏事もれんこと億度おくどして了〓こしもとかさゝぎころす】

密事みつじをこまやかにきかんとはかるにうたがひなし。なんぢあねにつながるえんによりて今宵こよひ密事みつじ山中やまなかかたへしらさんためのした心とはわがこのあきらかなるまなこにて見ぬきたり。なんぢ誓紙せいしをかゝせたるはわがひとッの計策けいさくなり。うへたるひつじのごときをもつてとらひげをひねらんとはかる痴婦たはけものこの一刀いつとう引導いんどうにて地獄城ぢごくじやうへなりとも極樂ごくらく国土こくどへなりともなんぢがおもふかたへゆけかしといひつゝゆきのごときむなもとへこほりなすかの短刀たんとうをぐさとさしとほしけれは鮮血せんけつさとほどばしりてもすそをそむくれなゐ此世このよからなる血盆けつぼん地獄ぢごくつるぎやまにのぼされてさかるゝがごとくなり。かさゝぎくるしきいきをつきこれまでおん悪行あくぎやうを見きくにつけうとましく思ひしゆゑいとまとらんと思ひゐたるに山中やまなか左エ門さゑもん殿どのをうしなはんとのわるたくみを今宵こよひはからずきゝしはさいはひとわざとこゝろをゆるさせばやとまめ/\しきこゝろねを見せつるにはやくもこれさとられて邪見じやけんやいばにつらぬかれいのちとらるゝ口惜くちをしさよころさばころせたとへ此身このみはずた/\にきらるゝとも魂魄なきたま此世このよにとゞまり此恨このうらみをむくはでやあるべきと柳眉りうびをけたてきばをかみ虚空こくうをつかむ苦痛くつうていかほみだるゝ黒髪くろかみつきさへき青柳あをやぎもあてられぬ形勢ありさまなり。梶之介かちのすけはあざわらひあなかしましき喚言よばいごとかな。いで/\此世このよのいとまとらすべしとさもにくさげにのゝしりてふりそでのたもとくちねぢこみのんどぶへを一〓ひとゑぐりゑぐりければ手足てあしをもがくだんまつま此世このよあのよのわかれしも紅顔かうがんむなしくへんじつゝ浅黄あさぎさくらちりうせて旡常むじやうかせのふきめぐるのきにかけたる簷馬ふうれいをと輪廻りんゑせめ念仏ねぶつ廻向えかうかねときこゆれど三途さんづくら蝋燭ろうそくなみだをおとす人もなし.かの魏国ぎのくに曹操そう/\刺客しかくをふせぐ計策けいさくいのちおとせし寵妾てうせうにもはるかにまさるあはれ也。
梶之介かぢのすけ鮮血せんけつしたゝるつるきをさげて〓先えんさきたちいでのきにかけたる簷馬ふうれいをとりてせわしくふりならしければこのひゞきかねての相圖あひづにやありけんかのしもべ牛平うしへいさきほどかさゝぎとともに密事みつじ立聞たちぎゝしつるしもべ織平をりへい高手たかてこてにいましめさるぐつはをはませてひききたりぬ。織平をりへい梶之介かぢのすけ血刀ちがたなをさげたるを見てます/\おどろきにげんともがくを牛平うしへいがなはをひかへてはたらかせずおゝせにまかせかくのごとくにはからひ候。おぼすごとくにせさせ給へと〓放つきはなてば梶之介かぢのすけえんうへより織平をりへいくびちうにうちおとし出来でかせしぞ牛平うしへいさきほどなんぢにかたりしごとく密事みつじをきゝたるかさゝぎ織平をりへい両人りやうにんを.かくにかけしうへはてだてをもつてかさゝぎにかゝせつる誓紙せいし織平をりへいといふあてなを書加かきくはかれら二人を不義ふぎもの也といつわり死骸しがいはきやつらが親族しんぞくへわたすべし。われこれより地蔵坂ちぞうざかたちこえ氏王うぢわうどのゝかへりをまちはかりことをほどこすべし。しのび姿すがたのよういせよといふほどなき二更にこうかね梶之介かぢのすけせかれかの鳩丸はとまる服紗ふくさにつゝみてかくしもちくろ頭巾づきんくろ小袖こそでわがいへながらしのぶのやみはあやなきにはづたひたけ生墻いけがきおしわけてねぐらとりおどろか逸足いちあしいだして走行はしりゆきぬ。

  第三齣 飛劔つるきをとはす

此日このひ花方はなのかた氏王丸うじわうまるとも〔な〕ひて花園はなぞのにいたり彼所かなた此所こなた徘徊みめぐりさくらしやうじたまひけるに年老としおひたる家臣かしんすゝみいで此所このところ御幕おんまくをはらさせたまひ花見はなみひと〓閧にぎはゝしきさまを御覧ごらんあるべうとすゝめけるにはなかたおゝせけるは今日こんにち鶴鳴川つるなきがは山荘しもやかたにいたり氏王丸うじわうまるをもなぐさむべきよし相公とのきこえあげつればこゝにはときをうつすべからず。殊更ことさらあまたのひとつどひよりていとかしましければ早々とく/\りなんとのたまひて花園はなぞのをたちさり

挿絵
【挿絵第六図 梶之助かちのすけけんとばせて氏王丸うぢわうまるきづゝく

ふたゝびのりものにのりて鶴鳴川つるなきがは別業しもやかたにいたりたまひけるにかねてそのまうけありつれば書院しよいん彩席いろむしろをしきつらねはなかた氏王丸うじわうまるともににしきしとねしたまひかたはらに並居なみゐたる侍女こしもとは思ひ/\にかざりたれは留木とめきのかほりほのめきてこゝにもはなさきつるかといとはなやきたるよそほひなり。
かくてさま%\のおんあそびにときうつり黄昏たそがれのころにいたりて皈舘きくわんうながしたまひはなかた氏王丸うじわうまる轎子のりものにのりたまひて皈路きろにおもむきたまひけるがみちほど半過なかばすぐるころはまつたくくれにけり。さても星合ほしあひ梶之助かぢのすけ我家わがやをしのびいで地藏坂ぢぞうざかといふところ並木なみきまつよぢのぼりいまや/\とまつほどに遥向はるかむかふかたのひかり見えければすはや氏王丸うじわうまるつるはと肝鯰きもなますをつくりてえだのしげみにをかくしてゐたるにかののちかづくを見ればそれにはあらで農人のうにんども明松たいまつをてらし高話たかばなししつゝ過去すぎゆきぬれば本意ほいなく思ふところ一〓しばらくありてつゝみうへ提灯てうちんひかりかゝやき行列ぎやうれつたゞしくきたるを見ればこれははなかた氏王うじわうきみ黨勢とうぜいなり。やゝちかづきければ梶之助かぢのすけまつえだ

挿絵
【挿絵第七図 氏王丸うぢわうまるさくらがりかへるさあんきづゝけらる】

をかため氏王丸うしわうまるのりものがけてかの鳩丸はとまる手裏劔しゆりけんうちつけたるにねらひたがはず轎子のりものまどうちやぶりければ氏王丸うじわうまるあつと一声ひとこゑさけび給ひけるにぞとも侍連さふらひあはておどろき提灯てうちんをてらして轎子のりものひらき見ればこはいかに氏王丸うじわうまる肩尖かたさき短刀たんとうをつらぬかれあなくるしやたへがたやとなきわめきあけにそみてぞおはしける。供人ともひとはこれを見てます/\おどろき打よりて介抱かいほうなし若侍わかさふらひ曲者くせものとらへんとそこかこゝかとはせまはる。梶之助はしすましたりとうちゑみてまつのこずゑにをひそめなほもやうすをうかゞひけり。されども氏王丸うじわうまるきづ急所きうしよをよけし浅手あさでなればともにめしつれられたる医人くすしいそがはしくくすりもちひてきづをつゝみはなのかたののりものへうつしのせまゐらせ片時へんしもはやく御皈舘こきくわんあるべうとて供人ともびと一塊ひとかたまりとなりてのりもの前后ぜんご守護まもりやかたをさしていそぎかへりぬ。梶之介かぢのすけこの人々ひと%\のはるかに行去ゆきすぐるを見てまつをくだりてもとしみちへたちさらんとしたるとき.木立こだちのしげみより何者なにものなるやらん突出つといでゝ.こゑをもかけずこじりとらへてたぢ/\とひきもどしぬ.梶之助かぢのすけはひかれながらその力量ちからこゝろみ.あやめもわかぬ闇夜あんやなれば打扮いでたちはしかと見へざれども.たゞものならずと思ふにぞ.言辞ことばをいださばもしこゑきゝしらるゝこともあるらめとくちとぢてものいはず.こゝろのうちに點頭うなづきつゝたゞ一討ひとうちかたなつかをかけしに.かれもまたばやくこじりをとつてこぢあげければ.さすがの梶之助かぢのすけ持有たもちかねてまへのかたへ〓倒こけんとせしをあやうふみとゞめちからをきはめて振放ふりはなひまもあらせずきりつくるかたな列欠いなづまひらめくを.かのもの飛鳥ひてうのごとくをよけて木立こだちたて伺居うかゞひゐる。梶之介かぢのすけくうきりをいらち打もらせしか残念ざんねんやと.おもふ心のみたれあしいし地藏ぢぞうにゆきあたりさてはとふみこむ拝打おがみうちほとけ袈裟けさがけ驀地たちまちばなぱつと飛散とびちつたり。このひまにかのものは梶之助かぢのすけ瞥然ちらりと見てさぐりよりたるさきにさわるをとらへし小袖こそでたもとたがひのはづみに引断ひきちぎそで后日ごにち證拠しやうこともならぬ旡紋むもん黒染くろぞめあらへばわ〔か〕る善悪ぜんあく邪正じやしやう梶之介かぢのすけこのひまにあとくらま逃去にげさりけり。
此時このとき梶之助かぢのすけさゝえたるもの何人なにひとといふこといまだつまびらかならず四之巻まきをよみえてしるべし。
鷲談傳竒桃花流水巻之一 終


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鷲談傳竒桃花流水わしのだんでんきとうくわりうすい巻之二

江戸 山東京山編次 

  第四せき 臥劒けんにふす

こゝにまた山中やまなか左衞門さゑもん一子いつし三之助さんのすけわしにとられ其日そのひくれはてしころ我家わがやかへり.かしはなげきにしづみて病人やまふどごとくなればつね寝所しんしよへいれて小君こきみ侍女こしもと介抱かいほうさせ家来けらい春瀬はるせ由良之進ゆらのしんをめしたりしにこれも悲歎ひたんなみだをすりあかめて出来いできた山中やまなか左衛門さゑもん由良之進ゆらのしんことばをまじえんとせしをりしもかしは介抱かいほうをなしたりし侍女こしもとのうちとしひさしくめしつかひたるもの二人かしこのひとまよりしやくりあげつゝなきいりてはせいで左衞門さゑもんを見てかたへによりゐつ.ひたいをあはせてかほそでをおほひこゑをとゝのへてなきけり。左衞門さゑもんなきごゑをきゝてたれにやとかへりみるこの両人りやうにんなればかしはうへおぼつかなくいかになく(泣)ぞとたづねけるに一人ひとりがいふ.たゞいま三之助さんのすけぎみがつねめしのおん小袖こそでのうちかさねたるたもとより蒲公英たんほゝはなのちぎりたると木瓜ぼけのいで候。これは昨日きのふ御庭おんにはあそび給ひたるをり.いとはかしこきものならんこれをつみたりとて見せ給ひしがたもとのうちにたくはへおき給ひしとおぼえ候。つまれたる蒲公英たんぽゝはなだにいまだ枯果かれはて候はぬにと思へば三之助さんのすけぎみおんおもかげさきに見ゆるやうにていと/\かなしく候。かしはぎみへはきかせじとしのびにたえかねてこゝにはせいで候也といひつゝなほむせかへりてぞなきける。
山中やまなか左衞門さえもんこれをきゝてはらわたもさけちぎるゝばかりまた悲嘆ひたんにせまりけるが由良之進ゆらのしん打對うちむかなんぢをめしたること別事べつじにあらず。かのわし必定ひつぢやう志賀しが山中さんちうすむなるらんと思へば片時へんしはやかの山中さんちうにわけのぼりわしとめて稚児わこあたふくかれ死體しがいついばのこされたるもあるやらん。たづねもとめんと思ふなり。はやくその用意よういせよとめいじしに由良之進ゆらのしん勇立いさみたち.こはよきおぼしたちに候。やつがれ御供おんともしはべらん。家奴しもべどもの心剛こゝろがうなる奴原やつばらをおんともさせ松明たいまつあまたたくはへもちて今宵こよひ一夜いちやはかの山中さんちうあかし候はん。しからば用意ようゐつかまつらん。おん支度したくあるべしとせきをしりぞき奴僕しもべかくつげしにそれがしもまゐらん。かれがしも御供おんともせんといひて家奴しもべどもかい/\しく打扮いでたちつゝ手々てゝ犬鎗いぬやりをもちて夜中やちう山路さんろしゝおほかみをもおふべきそなへをなしこれかれの用意よういまつたくをはりて山中やまなか左衞門さゑもんつげければ左衞門さゑもん狩裳束かりしやうぞくをかため替弓かえゆみ手鎗てやりまでをももたしめて由良之進ゆらのしんとともに主従しゆう%\およそ廾人あまりみちをいそぎて初更しよこうのころほひ志賀しがやまにいたりつきあまたの僕等しもべども明松たいまつをふりてらしてやまふかくわけのぼりたにをわたりみねをこえこゝかしこをめぐりありきてつきひかりこずえをのぞみわし行方ゆくへ三之助が死體しがいをたづねもとめしにふつにその有所ありしよしれむなしくときうつしてあけわたりければせんすべなくふもとくだこの山中さんちうわしやをると里人さとびとにたづねけるにすべて此邊このほとり山々やま/\にはわしすみ候事をきゝもおよび候はずといふをきゝてます/\ちからもくぢけかたちばかりはいかめしく打扮いでたちたるがすご/\として我家わがやをさしてぞかへりける。
さて山中やまなか左衞門さゑもんいへかへりつきしに主人しゆじんのかへりたるを見ていへにのこりありしおひたる奴僕しもべあはたゞしく門外もんぐわいにはしりいでつゝ山中やまなかにむかひ昨日きのふ主人しゆじん立出たちいで給ひたるあとへ御舘おんやかたよりおもさふらひしゆ両人りやうにん走来はせきた山中やまなかはあらざるや。きみより火急くわきうおんめし也とさもいかめしくのたまひしゆゑにしか%\のよしをば申てよきことに候やまたあしくやあらんはかりしりがたく候へばたゞいへにはおはし給はざるよしを申せしに両人りやうにん御方おんかたなに事にや私語さゝやきあひてふたゝびせわしく走皈はせかへり給ひしがしばらくありてまたはじめのひとにもあらぬが走来はせきた此度このたび主人しゆしんゆくさきをきびしくたづねとひ由良之進ゆらのしんどのをもたづね候故ゆゑ左衞門さゑもんどのは今宵こよひ由良之進ゆらのしんしてたちいで候がしもざまのそれがしなればよくもしりはべらずといらへ候にかの両人りやうにんかしはぎみにとはんとて案内あんないもなくうちとほりしが.かしはぎみがいたくなやみ玉ふを見てしいてとひもつかまつらずさてこそ/\といひつゝ打驚うちおどろきたるさまに見え候よし侍女こしもとしゆの申候。かの両人りやうにん其侭そのまゝかへられ候とことこまやかにつげたりしを左衞門聞きゝ心中しんちうにあやしみつゝひとまにいり狩裳束かりしやうぞくつねふくにかえて由良之進ゆらのしんにかしはことこゝろせよとめい朝飯あさはんをしたゝめをはり主人しゆじん火急くわきうようといひ彼僕しもべ物語ものがたりをきゝてその縁故ゆゑをさとしがたく昨夜さくやよひよりいへにあらざるのみならず氏王うぢわう殿どのきづをうけたりし事は他聞たもんをいとひてもらしもせざりしかば左衞門さゑもんのしるべうもあらず。
かの鳩丸はとまる短刀たんとうによりておのがにあづかることとはつゆしらずとやあらんかくやあらんとひとのうへのみおぼつかなくれいごと主人しゆじん秋季あきとしやかたへいたりけるに秋季あきとしたゞち左衞門さゑもん召出めしいだ證據せうこためにとてとゞめおきしかの鳩丸はとまるをとりいだし.はるかさがりて平伏へいふくなせし山中やまなか左エ門さゑもんまへになげやりなんぢその短刀たんとうにおぼえありやといふことばのいといらだちければ山中やまなか左衞門さゑもんまづ不審いぶかしくて短刀たんとうをとりあげ見るにおぼえのある鳩丸はとまるなれば打驚うちおどろきよく/\見るに鮮々なま/\しきやいばそめたるを見てます/\おどろきこはなにゆゑに候ぞとたづねけるに秋季あきとし脇息きやうそくおしのけてひぢはりつゝ山中やまなかはた睚眦ぬめつけなにゆゑとは横道者わうだうもの昨夜さくや地蔵坂ぢぞうざかほとりにて何者なにものともしれずその短刀たんとうとばせて氏王丸うぢわうまる櫻狩さくらがりのかへるさなりし輿のりもの打付うちつけ肩尖かたさき手疵てきづをおはせたり。その一刀いつとうさきなんぢあたへし鳩丸はとまるなればなんぢ所為しよゐならんと申すものおほし。言譯いひわけありや返答へんとうせよいかに/\とをいらちてのたまへ山中やまなか左衞門さゑもんおそれいつ平服へいふくなし御諚ごぢやうには候へども譜代ふだい重恩ぢうおん御主人ごしゆじんたいしたてまつり.さる大悪たいあくをおこなひ候心底しんていのものに候はざる事はと.なかばいはして秋季あきとしかしらうちふり.いな/\人心じんしんははかりがたし。昨夜さくや騒動そうどう他聞たもんをいとひてあながちにかくしおきたりといへども長臣ちやうしんとしてきゝもおよばざる事はよもあらじ。しかるに昨夜さくやそばづかひのさふらひどもをつかはしてめしたりしに両度りやうど使つかひをむなしうなしていへにあらざりしはなんぢ心中しんちう一物いちもつあるゆゑとこそしられつれ.さておくべきかは覚悟かくごせよとのたまひつゝつとたち御佩刀おんはかせをかけ給ひければ最前さいぜんより障子しやうじのかげにうかゞひ給ひたるはなかたあはたゞしくはせいで給ひ秋季あきとしをおしとゞめ.御手討おんてうちと見えしはさることながらかれを御手おんてにかけさせ給ひては氏王丸うぢわうまるきづつけしものはたれとも分明ふんみやうならず。稚児わことはなさぬなかのわらはがともなひいでし途中とちうにてさる事ありしをこと不分明ふふんみやうになしすてゝはいかにもうしろめだく候へば左衞門さゑもん御糾明ごきうめいありて氏王丸うぢわうまるきづしものをめしとらへ給はんこそねがはしくはべるなれとことはりあることば秋季あきとしうち点頭うなづきてもとのせきにをられなほ山中やまなかにむかひなんぢいまなにとかいひつるが言譯いひわけあらば申せとのたまへば左衞門さゑもんわづかにかしらをあげて短刀たんたうまへにおきこの鳩丸はとまるを以て氏王うじわうぎみきづしゆゑにやつがれをおんうたがひ給ふはことわりながら申上る仔細しさい一とほりきこえわけ給はるべし。きみにもしろしめさせ候ごとく當年たうねん五歳ごさいになりに〔ぬ〕せがれ三之助この短刀たんとうを見候てほどよきおのれが指料さしりやうとこゝろえしきりにこひ候ゆゑにあまきはおやのならひにて御賜おんたまものとはぞんじながらかれにあたへて他出たしゆつのはれにかならずたいさせ候ひしにやつがれも昨日さくじつ花園はなぞの花見はなみにまかりつるがきたかた若君わかぎみもかのちへ御遊あそび給ひたるを見うけ奉りて妻子さいししてきみとおなじところにをり候はんは失礼しつれいぞんはなぞのを立さり志賀しが山間やまあひにいたりてはなしやうじときをうつし黄昏たそかれちかくなるまゝに皈路きろにおもむき候はんと.思ひたちしをりしもむかふ山上さんしやうより大Gおほわしおとしきたりてせがれ三之助をかいつかみ雲井くもゐはるかにとびさりて行方ゆくへしらずなり候。此日このひ鳩丸はとまるはかれがたいしをり候まゝにてGわしにとられ候へば一定いちぢやうこしよりぬけはなれておちたるを人のひろひとりて氏王うじわうぎみこの短刀たんとうをもつてきづつけ候ことかとおぼえ候。たとへやつがれ氏王うぢわうぎみがいしたてまつらんといたせしにもせよきみよりたまはりたるこの短刀たんとうをもてうちかけ候はんやうもはべらす。昨夜さくやよひのほどより家来けらいして志賀しが山中さんちうへわけのぼりせがれあたなるわしとめ候べしとさら山中さんちうをへめぐり今朝こんちやういへかへり候ゆゑにおんめしにもおうせず。氏王うじわうぎみの事はきゝも候はず.さる仔細しさいに候へばおのれが所為しわざにあらざることはさとしわけさせ給はるべしと事の仔細しさいをありていにいひのべたりしに秋季あきとしこれをきかれて左衞門さゑもんうち見やり一子いつしわしにとらるゝほどの虚気者うつけものよもや大事だいじ為出しいだすまじ。いま申条でうことはりあるにたればまづ今日こんにちはゆるしつかはすべし。明日みやうにちより日数ひかづ三日のあいだに氏王うじわうきづつけたる曲者くせものをからめとり引来ひきくべし.さなきにおいてはなんぢつみのがれかたきは自暁みづからさとわきまふべし.とく/\立とのたまひつゝせきたてゝ奥殿おくでんへ入給ひければはなかたもあとにしたがひてせきたゝれけり.
かくて山中やまなか左衞門さゑもんはかの鳩丸はとまる僉議せんぎためこひうけていへかへ由良之進ゆらのしんをめしてことのやうすを申きかせいへ浮沈ふちんにかゝはるべき一大事いちだいじなれば昼夜ちうやをいはずさま%\になして曲者くせもの僉議せんぎなせしにかの梶之助かぢのすけ所為しわざとはたれしるものもなかりければ曲者くせものをたづねいだすべうもあらずむなしく二日ふつかをすごしだい三ン日のもはや西にしにかたふきければ左衞門さゑもんはこゝろもこゝろならず五ッのとしまでそだてあげたる三之助はわしにとられつま柏木かしはぎなやみ打臥うちふし曲者くせもの捕得とらへえずとりかさねたる困果いんぐわ明日あすはいかなる憂目うきめや見んと今日けふ日蔭ひかげにおのがもつれてきえゆく思ひなり。左衞門さゑもん一間ひとま閉篭とぢこもり叉手うでぐみして思ふやうそれとこゝろづくかたのこところもなく僉議せんぎしつれどもかの曲者くせもののしれざるはわが運命うんめいつくべきときのいたれるならん。なほよくこれを勘校かんがふるに鳩丸はとまる短刀たんとうわしつかまれたる三之助がこしより劔挺さやばしり氏王うじわうどのゝ輿のりもののうへにおちくだりてきづをうけ給ひたることもやある.そのほどもはかりがたし.とまれかくまれ我君わがきみよりたまはりて我家わがいへにあるつるぎをもて御主人ごしゆじん若君わかぎみきづをおはせたれば御命おんいのちにはつゝがなしときゝつれども曲者くせもののいでざるにおきてはそのつみのがるべきいはれなし。加之しかのみならず短気たんき火性くはせい我君わがきみなればいかなる

挿絵
【挿絵第八図 山中左エ門誣告ふこくつみを得て自殺じさつす】

はぢをうけていのちをめされんもはかりがたし.たゞこのうへはこれまでのいのちあきらきみより乞請こひうけきたりし鳩丸はとまる短刀たんとうにて腹切はらきるがせめてもの申譯わけなり.とひとり思案しあんむねすえすでそのこゝろ支度がまえしつれどもことし十二のむすめ小君こきみはゝなやみをになして悲涕しく/\なくを見るにつけつまことをも思ひやりわがなきのちはさぞかしと輪廻りんゑつなのほだしこゝろよはくじけしばしなみだ哽咽むせびけるがかくては最期さいごもおぼつかなくいへにありてはさまたげおほし菩提寺ほだいじにいたりてこそとかの鳩丸はとまるをものにつゝみて懐中くわいちうなしかしは小君こきみをはじめとし由良之進ゆらのしんへもこゝろうち暇乞いとまごひをなしことにかこつけていへ立出たちいで菩提寺ぼだいじさしていそぎけり.かゝるとき左衞門さゑもん心中しんちういかにかなしかりけん思ひはかるべし。
○そも/\山中やまなか左衞門さゑもん菩提所ぼだいしよ花裳山くわしやうざん国字寺こくじじがうする禅院ぜんいんにして左衞門さゑもんいへさる一里いちりあまりをへだ〔て〕てたる花渓はなだにといふところにあり。とき住寺ちうじ佛月ぶつげつ禅師ぜんじはそのよはひ八旬じゆんちか道徳だうとくきこへいみじくして種々しゆ%\竒特きどくを見せ給ふゆゑにひとみな活佛いきぼとけしやうじ皈依きゑのものもおほしとなん。左衞門さゑもんこの禅師ぜんじとは壇越だんおつよしみあるのみならず和歌わかみちをもつてまじはりもふかゝりけるほどに佛月ぶつげつ禅師ぜんじ對面たいめんなして事の仔細しさいものがたり自殺じさつ覚悟かくごしたることをもきかせければ禅師ぜんじなみだをながしとかくのことばもまじへずしばし思案しあんていなりしがをりから本堂ほんどうには壇越だんおつ男女なんによおひたるもわかきも打交うちまじりて百万遍ひやくまんべん念仏ねんぶつおこなひをれり。褝家ぜんけにはきゝもおよばざることをさすもこの禅師ぜんじ見識けんしきなるべし。禅師ぜんじ百万遍ひやくまんべんのねぶつとなふるこゑのいとかしましきをきゝて左衞門さゑもんにむかひ此所このところことだんずるによろしからず。まづこなたへとおくまりたる小院こざしきにいたり何事なにごとにやあらんしばらくさとし給ひことをはりてのちふたゝび左衞門さゑもんともなひて本堂ほんどうにいたりかの百万遍ひやくまんべん檀越だんおつうちむかひこれにをらるゝは山中やまなか左衞門さゑもんとよびて當國たうごく松江まつえしやう松江まつえ判官はんぐわん秋季あきとしどのゝ長臣ちやうしんなり.さるひとありとはきゝもおよび給ひつらん。武士道ぶしだうのたちがたきことありとて當寺たうじにきたりて貧道わが引導いんだうをうけ自殺じさつし給はんとのねがひなるを.さま%\にとゞめしかども承引せういんなければせんすべなし.おの/\かゝづらひ給ふ事にはあらざれども貧道わがたのみなれば此人このひとのために其所そのところにて百万遍ひやくまんべんとな菩提ぼだいのよすがともなして給はれかしといひければ壇越だんおつ人々ひと%\を見あはしきやうさめがほに見えけるが禅師ぜんじ餘義よぎなきたのみなればせんかたなげに承引うけひきぬ。されども腹切はらきるを見んはうへなくいまはしき事なれば一人ひとりたち二人ふたりたちいとまこはずして逃皈にげかへるものぞおほかりける.しかせしはさもこそと思はるゝなり.
さて山中やまなか左衞門さゑもん仏月ぶつげつ禅師せんじ引導いんだうをうけをはりけるにをりから庭前ていぜんさくらえだうぐひすなきければ辞世じせいとおぼしく
  かゝ(斯)るとき(時)たかね(高音)にき(来)なくうぐひすのちか(誓)ひうれしきのり(法)の一ふし
打〓うちぎんじつゝなほたんざくにしるしもとゞりふつとおしきりて.短册たんざくにとりそえこれはつま遺物かたみにとらせ給はれかしと禅師せんじたく腹切はらきりところにおしなほりければ百万べん人々左衞門さゑもん中央なかになしてめぐり居並ゐなら念珠ねんじゆの大なるを引環ひきめぐらしければ仏月ぶつげつ禅師せんじ高座かうざにありてかねうちならし念仏ねぶつとなえ給ふにつれてみな同音どうおんにとなえけり。左衞門さゑもんしづかにはだをおしぬぎ片袖かたそで引断ひきちぎりてかの鳩丸はとまるをかい繰包くるみ南旡なむあみだぶつともろともにはらへぐつさと突立つきたつれば鮮血せんけつさつとほどばしりてたゝみあけにそめながし鬢髪ひんはつみだれて苦痛くつうてい此世このよからなる修羅道しゆらだうをせめてはたすくる〓急念仏せめねぶつみなとぢいく同音どうをんことにせわしくとなゆればこれ冥途めいど案内しるべとし鮮血ちしほしたゝる短刀たんとうもつにまた手をもちそえてふゑのくさりを掻切かききりつ。まへ合破かつはたふこの山寺やまでら入相いりあひきえてはかなくなりにけり。

  第五回 顛狂てんきやう

こゝまた山中やまなか左衞門さゑもんつま栢木かしはきかのいへかへりてのちやまひとこ打臥うちふし一切つや/\ものすゝまずたゞ三之助がことをのみなげきかなしみをれば鳩丸はとまることにつきて左衞門さゑもんうたがひかゝりたる事はいたわりのさわりともなるべしとてかたりもきかせざりけるゆゑに此日このひ左衞門さゑもんたゞ所用しよようありていへにあらざるとのみこゝろえ自殺じさつせしとはゆめにだにしらず。とにかくこゝろをものにうつして三之助がことをわすれんと小君こきみことをひかせ婢女こしもと頭痛づつうをもませてたりしに由良之進ゆらのしんあはたゞしく走来はせきたりて栢木かしはぎむかひ.かの短刀たんとうことにてうたがひかゝりし事をはじめとしいままた仏月ぶつげつ禅師ぜんじより使僧しそうをもて左衞門さへもん自殺じさつことをしらせ辞丗じせいのたんざくほか二品ふたしなをおくりこされたることかたなみだながらにつゝみをひらきかのたんざくと左衞門さへもんもとどりおよび自殺じさつ短刀たんとうをとりいだして栢木かしはぎがまへにおきければ栢木かしはぎはあまりの事にえもなかずたんざくにもとどりをとりそえてひと見しよりむねせまりこへをはなつて哽咽むせかへりうつぶしにたふしきえいるばかりに見えければ由良之進ゆらのしんはせよりてたすけおこしさすりつゝ介抱かいほう甲斐かひなき主人しゆじん身果みのはてとともになみだをそゝぎけり。小君こきみかほにそでをあてしやくりあげつゝ泣居なきいたる。栢木かしはぎ由良之進ゆらのしん推除おしのけて.つとをおこし
○おゝめでたい/\はながさいたは/\はなはみよしの志賀しがさとこちの殿との御馬むんまにめして三之助さんのすけ輿こしにのせてそれ/\/\あれ/\/\と顛狂こゝろみだれしていなれば由良之進ゆらのしんうちおどろき小君こきみはかなしくとりすがり.のふなさけなきはゝうへやこゝろをたしかになし給へ。のふ/\と泣叫なきさけべば栢木かしはきは見もやらずくゝまくらをいだきあげ.ねんねこせいのもりうた我子わかこあいごとくにてみどりのかみ青柳あをやぎこゝろとともにふりみだしさらに正氣しやうきはなかりけり。
由良之進ゆらのしんかのたんざくをにとりあげなみだをはらひあまたゝびよみくだしてこゝろにうなづき泣居なきい小君こきみにうちむかひ.やよ孃君じやうぎみ〔俗にいふおじやうさま〕おん父上ちゝうへ辞丗じせいきかせ給へ

かるときかね(高根)(来)なくぐひすのかひうれしきのり(法)の一ふし

かくあそばしたる御水ぐきを見るにかたきうちの五文字ごもじ折句をりくにあそばしたんざくかゝんれいをもらして此字このじすみつぎにあそばせしは氏王うじわうぎみきづつけし曲者くせもの僉議せんぎしいだし旡実むじつつみにおんはらめしたるかたきうちくれよと人にしらさぬたんざくの御遺言ごゆいげんおんはらめしたる鳩丸はとまる禅師ぜんしかたよりおくられしはそれさとりしはからひならん。ないておはするところにあらず。こゝろ男々をゝしくもち給へ。たとへかたき鬼神おにかみなりともおん助太刀すけだちつかまつり御本望ごほんもうをとげさせん。孃君じやうぎみいかにといさますれば小君こきみもたんざくをにとりあげむねんのなみだに哽咽むせびつゝ由良之進ゆらのしんうれしきぞやをんなながらもやま中の〓子そふりやうむすめもしやかたきにいであはゞまつ如此このごとくとかの鳩丸はとまるとるよりはやく片邊かたへことをぱつしときればいと左右さゆうとびちりかり群居むれゐ川面かはづらはなちたるごとくなり。由良之進ゆらのしんうちよろこびこはあつぱれ御手おてのうち知音ちいんことにひきかえてあたふくするなまりこといさましや/\。やつがれはこれより国字寺こくじじ立越たちこえ御主人ごしゆじんおん死骸なきからはうふ用意よういつかまつり御舘おんやかたへもこと仔細しさいきこえあげん。御いたはしきは栢木かしはぎぎみよく/\介抱かいほうなし給へと立上たちあがらんと

挿絵
【挿絵第九図 山中やまなか左衞門さゑもんつまかしはぎさま%\のくわいを見る】

なしたるをりから案内あんないもなく組子くみこ大勢おほぜいせきたてゝいりきたり.ヤァ/\由良之進ゆらのしんうけたまはれ。山中やまなか左衞門さゑもん自殺じさつ次第しだい國字寺こくじじよりきこへあげしに秋季あきとしこうきこしめし左衞門さゑもん自殺じさつなしたるこそ氏王丸うじわうまるきづつけしにきはまりつれ。かれが妻子さいしをめしとりて其罪そのつみをたゞさんとおんいかりはげしきをはなかたのおなさけにて妻子さいしいのちはゆるされしがいへ没収もつしゆ栢木かしはき小君こきみ由良之進ゆらのしん領所りやうしよさかいより追放おひはな當国とうごく徘徊はいくわいはゆるし給はざるとの嚴命げんめいなり.とく/\此家このやたちさるべし。いなまからめてゆかん。返答へんとういかにとのゝしれ由良之進ゆらのしんはおもひもよらずうちおどろきしが立張股たちはだかり組子くみこにむかひて平伏へいふくなし.やかたの嚴命けんめいいかでか違背いはいつかまつらん。さりながらしばしのあいだと.いふをうちけす組子くみこ首長かしら.いゝや片時へんし有餘ゆうよはかなはぬ。はや此家このやをあけわたせと虎威こいにほこれる權柄けんへいにはかへことばもあらざりければ栢木かしはぎにかくとつげて立のく用意よういをすゝむれば心乱こゝろみだれし栢木かしはぎ年来としごろすまひし我家わがいへたちさることのかなしきや.わらはをいづくへつれゆくぞゆるしてくれよ由良之進ゆらのしん堪忍かんにんせよとこゑたてつゝをふるはせてなきたりしはもあてられぬありさまなり。由良之進ゆらのしんやう/\にすかしなぐさめ小君こきみもろとも婢女こしもと倡引いざなはせおのれは左衞門さゑもん遺物かたみのしな%\を懐中くわいちうなし主人しゆじん用金ようきんはしちかく納置おさめおきし百りやうひそかとりそでにいれ寝耳ねみゝ水仕みづし女子おなごまでひきつれてたちいでければ組子くみこ面々めん/\あとにつきて領地りやうちさかいにいたり三人を追放おひはなちてもとのみち立皈たちかへりぬ。
さて由良之進ゆらのしん召仕めしつかひ男女なんによむかひなんぢ此所このところより御暇おんいとま給はるべし。ひとまづ御家おんいへ立皈たちかへいま組子くみこうち首長かしらたる両人りやうにん愁訟しゆうそなしなんぢたくはへしな乞請こひうけこゝろまかせにたちのくべしといひをしえければ年来としごろ召仕めしつかひたるものどもは何国いづくまでも御供おんともしはべらんとなみだをそえていひつれども由良之進ゆらのしんこれをゆるさずみなこと%\く追皈おひかへ主従しゆう%\わづか三人にて何方いづくへやをよせんとつながふねのおもひにて忙然ぼうぜんとしてたゝずみぬ。
由良之進ゆらのしん家弟をとゝ簑作みのさくといふものあれどもゆゑありて浪人らうにんとなり逢坂あふさかせきのほとりにすまひすれば當國とうごく徘徊はいくわいをとゞめられしにては立寄たちよるべうもあらず。山中やまなか親族しんぞくどもは秋季あきとしいかりふれことをおそれてよせもつけざればたのむべきかげもなく由良之進ゆらのしんがすこしの相識しるべをたよりとしくにへとこゝろざ風魔こゝろみだれ栢木かしはぎをいたわりとしはもゆかざる小君こきみをたすけて二あまりたどきたり。地獄ぢごくざかといふ切所せつしよにぞさしかゝりける。ときははや二更にかうころとおぼしく遠寺えんじ鐘声せうせいかすかにひゞきなみだいとはでとよみたる朧月おぼろづきさへくもりがちにして行路ゆくみちもおぼつかなくたに水音みづおとまつふくかぜこずゑをつたふましらのこゑそのわびしきこといへばさらなり。さすがに心剛こゝろがうなる由良之進ゆらのしんなればものにくつせず両人りやうにん倡引いざなひ地獄坂ぢごくざかなかば越来こえきしをりしもみちかたはらなる茂林もりんのうちより七八人の山賊やまだちどもあらはれいでみち真中まなか立塞たちふさがさきにすゝみしぞく由良之進ゆらのしん睚眦ねめつけなんぢがふところのおもげに見ゆるは必定ひつぢやう路金ろきんたくはへあらん。いのちおしくおいてゆけと足弱あしよわづれと見あなどることばきい由良之進ゆらのしん奴等きやつらせんをとられじと返答へんとうもなく抜打ぬきうちにぱつしときつたる手練しゆれん早業はやわざさきにすゝみし山賊さんぞくくびちうにうちおとし轉々々ころ/\/\くださか.まろびゆきしを栢木かしはぎばやく見つけてはしりつき生首なまくびひろひとりいだきかゝえて莞々にこ/\わらひ.三之助ようもどりしぞ父上ちゝうへもまちかねておはせしに.なぜをあかぬ。をあきや.や.とつきにすかしてうちおどろきはた地上ちしやう投捨なげすててのうおそろしやと泣叫なきさけぶ乱心みだれごゝろ我母わがはゝをいたわる小君こきみがかなしさつらさのおきどころもなかりけり。由良之進ゆらのしんなほぞくどもにわたりあひゆうふるふたゝかふにぞ小君こきみはゝをとりてもとみちたちもどりまつ木蔭こかげをかくしはゝをすかしてものいはさずしばしはこゝにぞしのびをる。
「さて小君こきみしのびたるところよりみちをへだてしむかふかた這入はひいるばかりにつくりたるこもばりの假屋こやのありつるがとしのほど四十よそじあまりのをんな非人ひにん假屋こやぐちにもうけたるたれむしろを推撥おしかゝつらばかりさしいだして光眼ひかるまなこをむきいだし栢木かしはぎ小君こきみ佇立たゝずみをるをうち見やりて莞尓につことわらひこゝろのうちに点頭うなづきつゝながら小石こいしさぐりとりうちならすべきぬの腐断くちちぎれたるふるやしろの鰐口わにぐちがけねらたがはずうちつけしにこれやかねての相図あいづならん四五人のをんな非人ひにんども假屋こやのうしろの小徑こみちより.つとはせいでしを手揮てまねきしてちかくよらせみゝにつけて耳語さゝやきければ此者このものどもうちうなづき栢木かしはぎ小君こきみがかくれたるうしろかたへしのびよりことばもかけずどりあしどりものだにいはさぬ猿轡さるぐつはうちかつぎてぞてゆきける。
こゝまた由良之進ゆらのしんはかのぞくどもをおひちらし栢木かしはぎ小君こきみがをらざるを見ておほい周意あはて二人ふたりをかはる/\よばゝりつゝこゝやかしこをたづぬれどもよぶこたふ〓〓こだまのみさら行方ゆくへのしれざればこゝろせわしくむねをどり二人ふたりのうへおぼつかなくをりからつきくらくなりてものゝあやめもわかたざればなほたづぬべき便たよりもなくもしやうちもらしつる山賊さんそくどもに勾引かとひゆかれ給ひしやらん。または怜悧かしこき小君こきみどのさとあるかたへおちつるか。便たよりにおぼすやつがれにしばしなりともわかれてはさぞかしわびしくあるべきにぞくあとおふべきかさとあるかたへはしらんやとやせんかくやとたゆたひて西にしはしりひがしへはせ心迷こゝろまよひしをりしもあれ最前さいぜんをんな非人ひにん假屋こやのうちより立出たちいでつゝ由良之進ゆらのしんよびとゞめやよ旅人たびゞと殿との二人ふたりづれのお女中ぢよちうをたづねまよひ給ふにや。それはさきほどこの辻堂つぢどうひだりよぎりはせ給ひしが一定いちぢやうさとへとこゝろざしいまごろは四五てうあまりもはせゆき給ひつらん。

挿絵
【挿絵第十図 春瀬はるせ由良之進ゆらのしん山賊さんぞくたゝかふ

とくあのみちをいそぎ給へ。女子をなごふたりでよるみちあゝおいたはしやはやくおひつき給へかしといと信々まめ/\しくいひければ由良之進ゆらのしんこれをきゝあざむかるゝとはつゆしらずこはよくこそしらせつれ。やうやくに安堵あんどせり。なさけことばうれしきぞと.市足いちあしいだしてはせゆきぬ。をんな非人ひにんあと見送みおくりあゝ虚気うつけわろじやと令笑あざわらひしづかに小哥こうたをうたひつゝ栢木かしはぎ小君こきみをつれゆきしかの小徑こみちへぞたちさりける。
あとはせくる一人ひとり旅人りよじん最前さいぜんたゝかひ由良之進ゆらのしんがおとしたる財布さいふひもあしにかけたちとゞまりてひろひとり毬灯ちやうちんにてらし見てこりや見おぼえのあるかね財布さいふりやうあまりこの大金たいきんすりや此道このみちにたがはじとひろひ財布さいふ懐中くわいちうなしあしをはやめてはしりゆきぬ。この旅人りよじん善人ぜんにんなるか悪人あくにんなるかつきまき載記のせしるしたるを見てしろしめせかし。

  第六回 鳴琴めいきん

栢木かしはぎ小君こきみ勾引かどひたるをんな非人ひにん鬼芝おにしばとよびて地獄坂ぢごくざか谷陰たにかげ住居すまゐしておほくをんな非人ひにんあつめその首長かしらとなりひる手下てしたをんなどもを四方しほうにいだして此丘尼びくに順禮じゆんれい辻神子つぢみこ辻太夫つぢたいふのたぐひに打扮いでたゝせてぜにこは一日いちにちしよく雜用さうようそのあたひをさだめて貪取むさぼりとり一銭いつせんにても不足ふそくあるときはいたくむちうつこと地獄ぢごくおに餓鬼がきせむるがごとくなれば阿芝おしばといふもおのづから鬼芝おにしばとぞよびなしける。地獄坂ぢごくざかたにかげこそ鬼芝おにしば住居すまゐにはいとやはしけれ。
去程さるほど鬼芝おにしばはかの假屋こやをいでゝ谷陰たにかげ住家すみかかへ出歯でばねぶか異名いみやうせし五十余いそじあまりのをんな非人ひにんをよびよせ栢木かしはぎ小君こきみことをたづねけるにねぶかゞはからひにて空屋あきやのうちにくゝしおきつるときゝてうち点頭うなづきかけ火鉢ひばち陶器とくりさけあたゝめながら今日けふいのちをつなぎたる雜用ぞうようせんあらため見て.たれも/\よくせいるかして一銭いつせん不足ふそくがない。この鬼芝おにしば毎日々々まいにち/\坂中さかなか假屋こや往来ゆきゝひと銭乞ぜにこひながら懐中くわいちう行李にもつをとゞめ山賊さんぞくどもがいぬとなるも畢竟ひつきやうはものうばひたる分口わけくちほしさゆゑなにになりてもやすくはゐられぬのたつき明日あすもまたせいしてぜにへ.サァ/\みないてやすめ/\とゆるしをうけてをんなども囲炉裏いろり四囲めぐりによりあつま今日けふ物乞ものこひうへばなし古木ふるきたき缺茶鐺かけちやがまちや花香はながはなかりけり。心悲あ〔は〕れむべし栢木かしはぎきみは出歯でばねぶかひかれつゝ鬼芝おにしば面前めんぜんすえられければ小君こきみはかなしさやるせなく如何いかなるもの住家すみかぞと怖々こは/\あたりをかへりみればかべくづれ地板ねだくちなにとなき臭気しうきはなおそ囲炉裏いろりのはたに居並ゐならびたる女原をんなばらを見ればおひたるもありわかきもありておほくは襤褸つゞれにまとひかみはおどろをいたゞきておもてあかづきしらみ/シラムシをひろひて前歯まへばかむもあり.笊籬ざる/イガキのうちになかば見えたるこめさぐりてぜにりいだすもあり.かさ膿汁うみしるぬぐひをるかたはらにて缺腕かけわん稗飯ひえめしたかくもりて打食うちくふもあり.梅干うめぼしおけ

挿絵
【挿絵第十一図 山中やまなか左エ門さゑもんつまうしなひ狂人きちがいとなる。むすめ小君こきみ千辛せんしん万苦ばんくしてかうをつくす】

うちへたんはきたるを薯蕷汁とろゝじるとまちがへばひとりてかいすゝるもありてさなが乞食こつじき住家すみかなれば小君こきみはたゞむねのみをどりてことばをも出さゞりけり。
鬼芝おにしば小君こきみにむかひなんぢがかたはらにをるはなんぢつらかよひたればさだめしはゝにてありつらんがかゝるところにて居眠ゐねふりするていちがひとこそしられつれ。親子おやこともに此所このところとらはれしうへはおちたるひきがいる同前どうぜんなればとてもかくてもにげいづることはかなひがたし。今日けふよりわが乞食こつじきむれくはゝ明日あすよりちまたにいでゝぜにこひ雜用ぞうようぜにをつくのひてながら此所このところにとゞまるべし.もしまたそれにしたがはずは地獄坂ぢごくざか鬼芝おにしば餓鬼がきせめにせめつけてからうきめにあはすぞと茶碗ちやわんさけのみながらさもにくさげにいひければ小君こきみかなしおそろしさおにしば打對うちむかひいかに御身おんみいふごとくこれなるはわらは母上はゝうへなり。ゆゑありて狂気きやうきとなり父上ちゝうへ非命ひめいあまつさへいへをもうしなひみやこのしるべをこゝろざしみちいそぐものなれば慈悲じひともなさけとも思ひとりてなにとぞゆるしてかへし給へとなきながら云ければ鬼芝おにしば小君こきみなくを見てかたほに打笑うちえみじひのなさけのとは日来ひごろわしらがつかふことばいふを聞て栢木かしはぎが「なにわしつかむ.ヲゝつかむとも/\まなこひかりにゆだんすな。小君こきみをつれて逃行にげゆかんこちへ/\とをとりてはせいださんとなしけるを出歯でばのねぶかゞ立塞たちふさが栢木かしはぎ突倒つきたふしあだかしましい風魔きちがひをんなこいつはおほきなかつぎものいつその事に一思ひとのんど両手りやうてをかけゝれば小君こきみはあはてゝとりすがりこれのうゆるしてくださんせとどもの軟弱かよわきちからにて推停をしとゞめんとなしけるにちよこざいすなと踏倒ふみたふすでにあやうきいのちきは鬼芝おにしばねぶかにこえをかけ「やれまて出歯でばよまだはやいは。氣短きみじかことをすな。そのちがひめにくちたゝかせてはかしま〔し〕しからん。猿轡さるぐつわ三寸さんずんなは其所そこはしらくゝしておけとさしづにまかせぐる/\まき荒木あらきばしら後手うしろでもあてられぬ形勢ありさまなり。小君こきみはいとゞかなしくてはゝうへのふと立よればつきのけられて浪々々よろ/\/\。また起上おきあがれば蹴倒けたふされ.ヱヽくちおしい旡念むねんじやと長袂ながきたもとをかほにあて哽咽むせかへりてぞ泣臥なきふしける。
鬼芝おにしばねぶかとかほ見あはし.としにもざる胆心きもこゝろのある小女郎こめらうかな。怜悧かしこきやつはもの道理だうりさとさせやすし。なんぢわがいふ事をよくきゝをれ。最前さいぜんもいふごと此所このところとらはれてはいやでも唯々おゝでもわがおもふごとくになしておひつかはでおくべきかは。乞食こつじきむれくはゝりてこのところにとゞまりをらばはゝいのちもつゝがなく縄目なはめいまにもゆるしてとらす。いや唯々おゝ返詞へんじせいとまたかたむく茶碗ちやはんさけむかしは色香いろかもありつらんとおもふもとも打凹うちくぼほふさきこけてはなとが色艶いろつやうせし顔色がんしよくえだにふりある櫻樹さくらぎ立枯たちがれしたるごとくなり。出歯でばのねぶかは鬼芝おにしばうちむかひ見ればかほもうつくしくとしのほども十二三袖乞そでごひさするはをしきしろもの。人買ひとかひにうりわたさばといふをうちけす鬼芝おにしばが「それをおのしにならはふか。あのちがひめを人質ひとじちとしこの小女児こびつちよちまたにおひだし袖乞そでごひさすれば人買ひとかひにとまりさきからきたりてかはんといへば百りやうのものならば二十りやうや十りやうあしがつきて高直たかねになるは必定ひつぢやうならん。もしまたきやつが親族しんぞくどもこの両人りやうにんをとりもどさんといはんには乞食こつじきむれ足洗あしあらひぜにいづれのみちにもかねつるじや。かうこま/\しくこゝろづけねばおほくのたばねがなるべきかといはれてねぶかはかしらをかきたくみのふかきをかんじけり。
小君こきみはやう/\かほをあげ.とてものがれぬわれ/\二人ふたりおんらがむれにいりいかなることをもすべきほどにはゝうへのあの縄目なはめなにとぞゆるしてくだされと哭泣なみだながらにいひければ鬼芝おにしばうちうなづき.唯々おゝそうなくてはかなはぬ事。年三日乞丐こつがいとなれば三年さんねんそのたのしみをわすれずといふことわざもあれば乞食こじきめしくふて見よ。我群わがむれにて銭乞ぜにこふにもさま%\の為方しかたあれどもげいをなしてぜにふものは

挿絵
【挿絵第十二図 柏木かしはぎ小君こきみ丐嫗こじきかゝとらへられて辛苦しんくにあふ】

三〓みさし四〓よさしとりあぐるはにならぬ。いやしからぬなんぢ人品ひとがらさだめおぼえけいがあらふ。つゞみうつかまひまふかたゞしはこと川字線さみせんかそれいへとひかけられ乞食こつじき非人ひにんとなりさがるはいかなる前丗ぜんせ因果いんぐわぞとまたむせかへる悌泣すゝりなきねぶかにまけぬ髯〓けむし男勝をかつ家鴨あひるのやうにあゆみいで.これ小女児こびつちよ苦痛目いたいめにあはぬうちげいがあらばはやういへいはぬとかうじやがこたえたかともゝをふつゝりつめられてかほあからめていたみをしのび「もうゆるしてくだされませ。げいといふていひたつるほどのことはなけれども母人はゝびとにをしえられし筑紫琴つくしごと諸禮しよれいをり形花かたはなむすびふつゝかながらといひさしてまたもなみだにくれければ鬼芝おにしばはうちわらひ諸禮しよれい折形をりかたはなむすびはぜにもらふようにはたゝぬは。まだしもことをおぼえしは其身そのみさいはさきつき痘瘡もがさしん小草こぐさ遺物かたみ破琴やぶれごと義甲つめもきやつにはあふであろとりいだしてひかせて見よ。そのげいのよしあしで銭貰ぜにもらはする所為すべちがふとさしづにねぶかがこゝろえてやぶふすま納戸なんどよりとりいだしたる古琴ふるごと柱匣ぢばこ琴甲つめをとりそえて小君こきみまへにさしつくれば囲炉裏ゐろりのほとりのをんなどもきやうあることに思ひつゝ小君こきみがめぐりにならびてそしりわらひつうぐひすからすがなぶるごとくなり。小君こきみはなんとせんかたもなみだをぬぐひて引寄ひきよす片脚かたあしもげたる趁跛ちんば琴柱ことぢばこあし挟助かいものむね逆柱さかぢにせりつめしこゑあはれにふりたてゝ

(八かけまへかずならぬ (十かけむかふ身にはたゞ (きんかけむかふ思ひもなくてあれかし (六かけむかふ人なみ/\の うすころも (十より八まで九十袖のなみだぞ (七半かけ七ひかずむかふよりかなしき

といとたえにかきならせば栢木かしはぎ惆動もがきつゝ猿轡さるぐつは振解ふりほどき.あなくるしやたえがたやかいなちぎるゝばかりぞやとつよくくゝせし荒縄あらなはうでくびすりやぶりながるゝ鮮血ちしほしたゝりて簀子すのこあけそめなせり.小君こきみは見るよりむせかへりのぞみにまかせしうへからははゝうへのいましめをどふぞゆるして給はれといへども鬼芝おにしばかしらをふり.いな/\のちがふたるやつなれば容易たやすく縄目なはめはゆるしがたし。哭面ほえづらせずとことをひけひかぬとはゝいたいめさすぞと睚眦ねめつけられてこゑふるはし

(十かけむかふあごかれて (十かけむかふおもひねのまくらにかはす (八かけむかふおもかげ
(左二ツのちの左より引れんそれかとてかたらんと (四二ッ九思へばゆめは (七半かけ/むかふより七引ず八さめけり

栢木かしはぎなみだをふるひあなくるしや/\.もふよきほどにゆるしてたべ。きみわびしてたもらぬかとはゝ縄目なはめ惆動もがきことせめられてなみだ湿しめ爪音つまおともいとゞあはれにきこえける。

(とかけまへしら雪の (七引ず三二ッ八みゆきの (十より八まで三二ッ/八二ッのちの八よりつもるとしは (引れんふるとも (十かけあらまじや
(九十ともろ五十八ともに (かいて左二ッねみだれかみの (七かけむかふ/七引ず 九かほはせ

鬼芝おにしばこゑをかけ.もふよいやめにせい。のきたち物乞ものこふにはやくにたゝぬ筑紫琴つくしこと明日あすから石山寺いしやまでら境内けいだいにて草席むしろうへかほさらことをひきてぜにもらへ。はゝなんぢ二人前ふたりまへしよく雜用ぞうよう四〓よさしぜにかくしをるとこらしめの小刀こがたなはりから憂目うきめにあはするぞ。これ髯〓けむしちがひめがなはをとき薮蔭やぶかけ空家あきや追入おひいれざしをきびしくかためておけ.小児女こびつちよことなみしなひてよかんめり。こゝへきたりてこしをうてといはれて小君こきみまたびつくむねひやしてたちかぬるををらぬかとしかられて.づ/\そばによりそへば惡臭あしきかのする織布あらたへこへたるしり細帯ほそおび似気にげなくえんなる鹿ゆひ乞食こじき/カタイこしをうつくしくあてなる小君こきみうつ思ひ旡慚むざんにもまた怛々然いたましかりけり。
鷲談傳竒桃花流水巻之二終


鷲談傳竒桃花流水わしのだんでんきとうくわりうすい巻之三

江戸 山東京山編次 

  第七回 乞銭

そも/\近江國あふみのくに石山寺いしやまでらは。天平てんへい勝宝しやうほう六年の草創そう/\にして。本尊ほんぞん如意輪によいりん観音くわんおんは。みたけわづかに六寸。聖徳しやうとく太子たいし御作おんさくなり。聖武しやうむてうにいたりて。僧正そうじやう良辧りやうべん丈六じやうろく如意輪によいりんをつくりて。太子たいし御作おんさく腹内たいないにおさめ給ふ。いま本尊ほんぞんこれなり。およそ一千いつせんゆう餘年よねん霊場れいぢやうなれば。都鄙とひ遠近えんきん参詣さんけい日毎ひことぐんをなし。絡々らく/\繹々ゑき/\としてしばらくもたゆることなし。
ころしも弥生やよひのすへなれば。山内さんないはなどもちるありひらくありて。ことさらに熱閙にぎはしく。さま%\の商人あきびとさらなりいろ/\の物乞ものこひあるがなかに。いろよくさき藤架ふぢだなもとむしろをしき筑紫琴つくしごとをかきならして。ものこふむすめあり。そのありさまいかにとなれば。かみ京様みやこふうゆいなして。はな元結もとゆひをかけ。蘆花すゝきのかんざしをいたゞき。花田はなだきぬ紅葉もみぢながるゝさまを。色入いろいりそめいだしたる振袖ふりそでに。鹿子かのこ綸子りんずゆかりいろも。すこしうつろひたるおびむすびたれ。なきはらしたりと見ゆるもとも。結句けつくはうるはしき。これすなはち山中やまなか左衞門さゑもんむすめ小君こきみなりけり。れいのたえなるつまおとといひ。あてやかなるすがたを見て。この藤架ふぢだな四邊めぐりところせきまでにつどひあつまり。おしこりたちきくもあり。かたはら憩所いこひじよこしかけてきゝをるもありて。人々ひと%\ぜに投与なげあたふれば。ことをひきながらかしらをたれてれいをなすさま。いかにもあはれげなれば。なさけ冨家ふか女房にようぼうたちは露銀つゆぎんなみだをおとし。慈悲じひ有徳うとくおきならは繋銭つなきぜにみゝをかたふけければ。小君こきみ日毎ひごとにおほくのぜにをえて。さだめしよく雑用ぞうようかゝさつくのはゝにはくちにかなふものをもとめてすゝめ。なほあまりたるぜに鬼芝おにしばあたへければ。如法によほう貪慾とんよく鬼芝おにしばなれば。いつもゑかほをつくりて。こぶしをあてらるゝこともなく。思ひしよりはなか/\にこゝろこそやすくはあれ。
日毎ひごとかほさらして。ものこひするは。其身そのみばかりかおやまでの耽辱ちじよくなれば。をきらるゝやうにかなしくは思へども。一銭いつせんたくはへもなくたちよるべきかげだになければ。よしやはゝをつれてたちのくとも。乞食こつじきするよりほか思案しあんなく。かくてあらば。由良之進ゆらのしんがたづねることもやあるらんと。それをはかなき便よすがにてつきごろをすごしけり。小君こきみこゝろのうちいかばかりわびしかりけん。おもひはかるべし。
山中やまなか左衞門ざゑもんしたしかりしものどもゝ。栢木かしはぎ小君こきみらは非人ひにんとまでになりさがりしなんど。しりをるものもありつれども。つみをおかせしものゝ妻子つまこなりとて。すくひたすくるひともなく。当國たうごく徘徊はいくわいはとゞめられし

挿絵
【挿絵第十三図 山中やまなか左エ門さゑもんむすめ小君こきみちゝにわかれいへうしな冷落れいらくして路上ろしやうことたんじもつてはゝをやしなふ】

なれども。乞食こつじきとなりては余所よそに見なして。そのとがめもなく。なつをむかへあきをおくりて。ふゆのすゑにぞいたりにける。このごろはとしもやゝおしせまりければ。ちまた踏音くつをとせわしくひゞきて。往来ゆきかふひとようありげにはせさり。そらさへ時雨しぐれがちなれば。石山いしやままうで人足ひとあしも。とともにちりゆきて。山内さんないすべてものさみしければ。小君こきみあさまだきにおきいでゝさとにくだり。こゝかしこののきたち袖乞そでごひをなし。ひるよりれいところにいでゝ。寒風かんふうはだへふかれ。ことをかきならす亀手こゞゆるを。たえしのびつゝ。こゑのかぎりふりたてゝ。うたへども。かの藤架ふぢだな藤波ふぢなみも。よるとたのめし人足ひとあしまれにして。降来ふりくるものはのみ。くれやすきふゆなれば。とかくするに。もはや西にし入相いりあひかねひゞきければ。まきちらせしぜに落葉おちばとともにかきあつめ。あさのほどそでごひしたるぜにと。あはせつれども。今日けふいのちつなぐべきかづたらず。鬼芝おにしばにこれをつかはさば。いかなる憂目うきめにやあふべき。とかなしくもおそろしかりしが。如法によほふ孝行かう/\小君こきみなれば。其身そのみ打擲うちたゝかるゝを覚悟かくごにて。はゝうゑをしのがせんと。御寺みてら門前もんぜんいでて。餅賣もちうるかどこしをかゞめ。人並ひとなみあたへをいだしながら。乞食こつじきのかなしさにはことばをひくゝいひければ。あるじ女房にようぼう小君こきみを見て。いと不便ふひんに思ひ。あたへをかへしてのぞみのことくとらせよといひければ。みせの小ものもなさけあるものにて。もちあまたをとらせければ。小君こきみはうれしく。御家おいへさまありがたふござりますと。いかにも乞児かたゐめきたることばいだしてれいをのべ。地獄坂ぢごくざかへといそぐほどに。もいりはてゝゆきさへふりいだしつるが。竹笠たけがさだにもたざれば。そでうちはらひつゝすあしになりて。くらみちこゝろぼそくたどる/\。かの荒屋あれいへかへりつき。干破戸ひわれど隙間すきまよりうちのやうすをさしのぞけば。囲炉裏ゐろり榾火ほだひをたきて。おほくのをんな非人ひにんどもはらかきいだしてあたりをり。
鬼芝おにしばれい陶器とくりざけのみをれり。小君こきみ戸尻とじりわづかにあけて枯〓こそろといり。水桶みづおけのもとにあしそゝぎてたりしに。かのねぶか榾火ほだひかげにすかし見て。「たれにかある小君こきみならずや。いかにしてかおそかりしぞ。鬼芝おにしばどのゝ下待したまちらるゝに。とくかしこへゆけといふ。其詞そのことば片端かたはし鬼芝おにしばみゝばやにきゝつけ。小君こきみかへりしとやこゝよとよびつけられ。おづ/\かれ面前まへにいで。懐中ふところよりつなぎたるぜにをとりいだし。今日けふそら時雨しぐれ候故ゆゑ人足ひとあしもすくなく。半〓はんさしあまり不足ふそくにははべれども。今日けふ不足ふそく明日あすこそつくのひはべるべけれ。まづこれ取納とりおさめ給はるべし。といひてさしいだしければ。鬼芝おにしばこれきゝまなこおほきくなし。なんぢ此程このほど乞児かたゐわざ馴顔なれがほになりて。あさのほどはひとかどたちほどこしのうちをかせぎ。ひるはかしこにありて物乞ものこへば。わづか四〓よさしぜにふところにせざることはよもあらじ。あしなへ阿卞和おべくはめしひのおつゑさへ。さだめ食料しよくりやう一銭いつせんかくことなし。思ふになんぢ物乞ものこひさきにてもちくだものくらひ。旡用むようぜにつひやすゆゑに。肝要かんえう食料しよくりやうにはたらざるとおぼえたり。餓鬼がき口先くちさきにてこの鬼芝おにしばかすめんとするこそ心憎こゝろにくけれ。うたずははらのすゑやうなしと。襟首ゑりくびつかんで引倒ひきたふし。飲乾のみほしたる酒壜とくりをもつて。つゞけうちにうちすえければ。酒壜とくりはくだけて飛散とびちりつゝ。ひたいきづをうけゝれば。小君こきみはかなしきこゑをあげ。これのうゆるしてくだされと。ちゞめにげんとするを。如法によほふ非道ひだう鬼芝おにしばなれば。みゝにもいれず。もとゞりにからみ。ちうにひきたてうたんとこぶしをあげけるに。小君こきみたもとよりもらひたるもちども。うちこぼれければ。鬼芝おにしばこれを見てます/\いかり。さてこそ/\といひつゝなほつよくせめつけゝり。をんなばらは側杖そばつゑをおそれて。たちよるものもなかりしが。このもちを見てたまりえず。ばひちらがひてひろひとりしに。あしなへのお卞和べくわいだしてひろひければめしひのおつゑかけ酒壜とくりさぐりあて。もちとこゝろえ一口ひとくちにかぶりつき。打驚うちおどろきたるかほの。いと可咲おかしければ。ねぶかかの黒塚くろつかが見て。鉄漿はぐろめのとゞろはげたるひろくちあきて。くはつ/\とわらひけり。
鬼芝おにしばはやう/\小君こきみをゆるしてつきはなち「けふはまづゆるしつかはすべきが。明日あすより一銭いつせんにても不足ふそくあらば。かのちがひめをほしころし。一人前いちにんまへぜにをへらし。こゝろやすくしてとらすべし。この小女郎こめろうにかゝづらひてさけのゑひをさましたり。いざ火桶ひおけかゝへてねふらんと。やぶれふすまをひきたてゝ。ひとまのうちへいりにけり。小君こきみそでかほにあて。ひらみふしてゐたりしが。ねぶか黒塚くろつかはじめとして。臥戸ふしど/\へたちさりければ。あと小君こきみたゞ一人ひとり。やう/\とかほをあげ。松江まつえ判官はんぐわん秋季あきとしこう長臣ちやうしん山中やまなか左衞門さゑもん冢子そうりやうむすめ。いかに零落れいらくしつればとて。乞食こつじき非人ひにん打擲うちたゝかれ。おもてきづまでうけたること。犬猫いぬねこひとしきぞや「ヱヽくちをしや旡念むねんやと。そで喰裂くひさきをもだへ。すゝりあげたるなみだ。ことはりせめて〓惻いぢらし。をりから二かうかねひゞき。ねぐらをかゆるかりのこゑ。まど障子しやうじにさら/\と。ふりかゝりたるよるゆきかけひの水もむせかへり。いとゝあはれをそえにけり。
小君こきみはひとりうち点頭うなづき抜足ぬきあししつゝ。鬼芝おにしば臥戸ふしどのふすまにしのびより。みゝをつけて寝息ねいきをうかゞひ。ふすまをわづかにおしあけて。はゝを入おく空屋あきや鑰子かぎ盗取ぬすみとりて。また抜足ぬきあししつゝ。背戸せどくち徐々しづかにあけ。こそりといでひきたて。ぬすみかぎくちくはえ。すそ鶴脛つるはぎひきあげつゝ。ゆきふみわけて空屋あきやにはせより。鬼芝おにしば干殺ほしころすといひし一言いちごんおそろしく。今夜こよひはゝをたすけいだし。何方いづくへなりとも落行おちゆかんと。かぎをあはせてじやうをあけ。はしをかけて。あけんとせしにさらにあかず。諸手もろてをかけてもあかざれば。なほさま%\になしけれども。くぎをもてかためしごとく。ゆびほどもあかざれば。こはいかなる事にかと。かしらかたげて不審いぶかしみしが。としあはぬ發明はつめいなれば。さては今夜こよひゆきにて。こほりつきしにうたがひなし。と心付こゝろづきはしつれども。そゝぐべき湯茶ゆちやもなく。打毀うちこぼたばかしこへひゞきて。かれねふりをさまし。とらへられんは必定ひつじやうなり。こはいかにせん残念ざんねんやと。のき氷柱つらゝつるぎやまなみだこほり地獄坂ぢこくざか。こゝにてはゝころすかと。こゑをしのびて哽咽むせかへりゆきのうちに臥轉ふしまろび。しばしなみだにくれけるが。空屋あきやのうちのしづかさに。母の身のうへおぼつかなく。いへうしろたちまはり。ちいさまどかほをよせ。ゆきあかりにすかし見れば。こはいたましや栢木かしはぎは。かみはおどろをいたゞきて。古薦ふるこも敷物しきものとし。小君こきみちから辛苦しんくして。繿つゞりあげたる。小蒲團こぶとんを身におほひ。ゆみのごとく身をかゞめ。塵芥ちりあくたのうちに打臥うちふしたるは。旡慙むざんといふもおろかなり。小君こきみ一目ひとめ見るよりも。むねせまりて哽咽むせかへりはゝさまのふといはんとせしが。こゝろづきて口をおほひ。心乱こゝろみだれはゝさまの。いつもの声音こはねをたて玉ひ。かのおにめにきかれなば。わがばかりか。母さまをも。から憂目うきめにあはすべし。かぎたもとにありながら。あけられぬゆきせきおやものいふことさへも。ならぬはいかなる因果いんくわぞやと。そでをかさねてかほにあて。しやくりあげてなきけるが。さるにてもうゑやし玉ふらんと。たもとのこりし一ッのもちを。さぐりつゝ。なほすかし見れば。栢木かしはぎまくらもとの缺椀かけわんに。にぎいひのあるを見て。うれしやうゑはし玉はじ。さりながら身動みうごきもし玉はぬは。もしや今夜こよひ大雪おほゆきに。凍死こゝえじににうせ玉ひしやと。こゝろまよひておぼつかなく。特見とみ交見かうみさしのぞく。ゑりふきこむよるゆき。ともにきえ入る思ひなり。こゝろおやつうじけん。栢木かしはぎねふりをさまし。いとはかなきこゑをいだし「あゝさむかなまばらなる簀子すのこより。かぜもたまらずふきあげて。うちをるゝごとくなり。このさむさに小君こきみはいかにしつるやらん。今日けふ一度いちどもたづねずと。亂心らんしんしてもさすがは恩愛おんあいを思ふこゝろのうち。思ひやられてあはれなり。旡恙つゝがなはゝを見て。小君こきみ飛立とびたつうれしさに。思はずしらず「ヤヽ母さま/\とよびかけければ。栢木かしはぎはこれをきゝてかしらをあげ。まどかたためすがめつ打見やれば。小君こきみなほもこゑをかけ「母さまわしじや。小君こきみじやわいのといひければ。栢木かしはぎはうれしげに身をおこし。まどした膝行ゐざりよりて。かべちからにのびあがり「唯々おゝ小君かなぜ夜深よぶかにはきたりしぞ。といふかほばせもことばつきも。つねひとのごとくたしかなれば。ます/\うれしく「母さまきゝ玉へ。最前さいぜんしか%\のことにて。憂目うきめにあひしが。かれ一言いちごん御命おんいのちもおぼつかなく思ひ。今夜こよひはゝさまとともに。此所このところ逃去にげさらんと思ひしに。板戸いたとこほりとぢられて。いかにともせんすべなし。今夜こよひはむなしくすごすとも。明日あすはかならず思ひをはたすべし。となみだながらいひきかせければ。亂心みだれごゝろ栢木かしはぎも。身をはかなしと思ひてや。やせたるかほなみだをながしつゝ。うち点頭うなづきければ。小君こきみはやう/\なみだをぬぐひ。こゝに佇立たゝずみときをうつすとも。はゝさまの介抱かいはうもならず。閑入ひまいりして見つけられんは。思ひたちし事のさまたげともなるべし。と母にいとまをつげてわかれさり。戸口とぐちへもとのごとくじやうをさし。じるしあるところゆき掻分かきわけて。ぬすみかぎうづめおき。ゆき足跡あしあとうちけしつゝうしろ歩行あゆみて。背戸せどくちたちとまり。ゆきのんどうるをして。一息ひといきほつとつくをりしも。とたんとひゞく。ゆきをれだけ。思はずむねひやしけり。

  だい八回くわひ 神護じんご

かくてつきあしたは。ゆきはれければ。小君こきみなくもてなして。れいのごとくたちいでければ。鬼芝おにしばねぶかまねきていふやう。われ昨日さくやかの小女郎こめらう欲迷言よまいごときゝしに。かれ当國たうごく松江まつえ判官はんぐはん秋季あきとし殿どのの。御内みうちものむすめなるよし。此月このつきごろたゝりのなかりしは。我々われ/\さいわひなり。こののちながくとゞめおかば。ことやぶれとなるべきもはかりがたし。ちがひめはくびころし。小児女こびつちよめは遠国えんごく賣渡うりわたさんと思ふなり。なんぢよろしくはからへといひければ。ねぶかこゝろえて。やが人買ひとかひのもとへはせゆきけるが。ときをうつして立皈たちかへり。鬼芝おにしば片方かたへまねき。我等われら人買ひとかひのもとにいたり。かれともなひて石山寺いしやまでらにいたり。ひそか

挿絵
【挿絵第十四図 惡婦あくふおにしばきばにかけられていのちをおとす】

小君こきみを見せ。こと手際てぎはをもきかせて。しろを七十りやうにきはめ。かね才覚さいかくして明日あするやうに。たしかに約束やくそくしてかへきたり候と。手柄てがらかほにいひければ。鬼芝おにしばうちゑみつゝ。いしし/\とほめそやし。黒塚くろづかにもかくつげ。三人ひとまにをつらね。こゝろいはひの酒壜とくりざけかけ茶碗ちやわんをぞめぐらしける。
○こゝにまた。小君こきみ此夜このよいへかへり。鬼芝おにしば寝謐ねしづまりたるをうかゞひて。おち支度じたくをなし。背戸せどいでて。うづみおきしかぎをもつて。とざしをあけ。母人はゝびとこゑたて玉ふなと。をとりていそがせつゝ。かたへいでけるをりしも。鬼芝おにしばねぶか黒塚くろづかは。栢木かしはぎころさんとこゝにきたり。二人ふたりてい月明つきあかりにすかし見て。うちおどろき。鬼芝おにしばねぶかにこゑかけゝれば。こゝろえたりととびかゝり。小君こきみ襟首ゑりくびかいつかんで。うしろさまに引倒ひきたふせば。鬼芝おにしばあしとばせて。栢木かしはぎ蹴据けすへけるが。病疲やみつかれたる痩足やせあしなれば。立上たちあがる事もかなはず。あはせ泣叫なきさけび。ゆるし玉へ/\と。身をふるはせておそるゝは。あてれぬ形勢ありさまなり鬼芝おにしばはせゝらわらひ「やい小君こきみいつにやら。盗出ぬすみいだせし空屋あきやのかぎ。この慈悲じひぶか鬼芝おにしばが。かすめたる其罰そのはちで。見つけられしは百年目ひやくねんめ穀潰ごくつぶし顛狂きちがひめはわが引導いんだうでころすも慈悲じひおやかほいまが見をさめ。よく見ておけとねめつくれば。小君こきみねぶかすくめられ。身動みうごきさへもならざれば。いともあはれこゑをあげ「はゝさまはしりてのとほりの物狂ものぐるひ。こゝにげんといたせしは。みなわたくしがたくみごとはゝさまのおいのちはおたすけなされて。そのかはりには。この小君こきみきるなりとつくなりと。お心まかせになされませ。慈悲じひじやなさけじや。お家様いへさま。これのふ/\と泣声なきこゑにて。なみだをそゝいでいひければ。鬼芝おにしば栢木かしはぎが。むね足下そくかふみつけて。用意よういもち棒尖ぼうさきにて。小君こきみやさしほゝさきをかろつきこのうつくしいつらつきに。うまれおつたが其身そのみさいはひしにたくてもしなせはせぬ。賣駄ばいたうつつとめ奉公ぼうこう足手絢あしてまとひの。ちがひめは。打殺うちころしいぬはらはゝ幽霊ゆうれい傾城けいせい。こりやよい狂言きやうげん趣向しゆかうであらふ。どりや幽霊ゆうれいにしてやらう。いま最期さいごじや堪念かんねんせよと。栢木かしはぎ踏墾ふみひしぎ。しゝおひぼう振挙ふりあげて。眉間みけん目當めあてをがみうち。あはやと見ゆるをりしもあれ一疋いつひきしゝかきをこえてとびきたり。向所むかふところをきらひもせず。空屋あきやかべ突破つきやぶり。鬼芝おにしばぼうふりあげたるを見て。いかりをなしてとびかゝるを。をかはせてどつしとうてば。しゝはます/\いかりをなし。きばをならし逆立さかだておどあがると見えたりしが。鬼芝おにしばきばにかけ。一丈いちじやうあまはねあげしに。血煙ちけふりはあめごとく。ふつわいたる手負ておひじゝけもののためにころされしは。あくむくいとしられたり。しゝなほもたけりくるひ。にげゆくねぶか黒塚くろづかをも。おひまはして。懸殺かけころし。面屋おもやのうちに駈入かけいりて。こゝかしこ奮迅あれまはりければ。をんな非人ひにんども周章あはてまよひ。くもちらすごとく。あしそら逃散にげちりぬ。しゝ面屋おもやはせいだし。何方いづくともなくはせさりけり。
このしゝ小君こきみには。のうへに摩利支まりしてん尊像そんぞう朧気おぼろけに見えさせ給ひければ。さてはこの地獄坂ぢごくざか古社ふるやしろたゝせ給ふ。摩利支まりし尊天そんてん。われ/\が急難きうなんをすくはせ給ひたるにうたがひなし。と奇異きゐの思ひをなし。随喜ずいきなみだそゝぎつゝ。御社みやしろかたにむかひて。遥拝ようはいせり。
鬼芝おにしばねぶか黒塚くろづかは。あるひ脇腹わきばらあるひは鳩尾むなさかを。突破つきやぶられ。あけそまりて死果しゝはてしは。こゝろよきありさまなり。思ふに渠等かれらとしごろ御社みやしろのほとりにすみて。さま%\の惡行あくぎやうをなし。神前しんぜんかけたる鍔口わにくちを。おのれらが惡事あくじ相図あいづもちひきたりしなんど。旡慙むざん所行しよぎやうなれば。いま神罰しんばつくたし給ひしも。なほおそしといふべし。
さて小君こきみははじめてゆめのさめたるごとく。かく冷落れいらくはしつれども。かみ冥助みやうぢよあやういのちをたすかりしは。いまた武運ぶうんにつきざるとおぼえたり。と心凉こゝろすゞしくなりて。栢木かしはぎをたすけおこし。此閑このひま落行おちゆかんと。最前さいぜんしゝやぶりたるかきをこえしに。此所このところひとすじのたに川ありて。わづかなる川幅かははゞなれども。昨日きのふ雪解ゆきどけに。み〔づ〕かさまさりて。わたるべうもあらず。いかにせんと思ひしが。驀地たちまちこゝろづき。今日けふ鬼芝おにしば指圖さしづにて。持皈もちかへりたるれいことを。とりきたりて。渓川たにがはかけわたし。物狂ものぐるひの栢木かしはぎを。「たすけてあゆむあやうさは。むねもをどりて。とゞろきはしなんなくわたりこえ。きえのこりたるゆきふみつきひかりたまぼこの。みちをもとめて落行おちゆきぬ。

  だい九回くわい 義樵ぎせう○〔此段このだんは三之助わしにさらはれたるはなしのつゞきなり〕

これさておき三之助が行方ゆくへいかにとなれば。松江まつへ秋季あきとし殿どの居舘きよくわんより。東北とうほくへたて伊吹いふき山のふもとに。八ひこむらといふところあり。こゝはいま谷居十やゐとむらなり。八やひこその古名こめいなるを。いつのころよりか。伊吹山いふきやまふもとなるゆゑに。名産めいさんもぐさちなみて。灸村やいとむらとよびならはせしを。のちやいといみて。谷居十やゐとむら書改かきあらためたるよし。宝暦ほうれき年間ねんかんの人。近江あふみ医師ゐし石川いしかは久庵きうあん筆記ひつきに見えたり。文字もじには。谷居やゐ十村とむらとものすれども。わつかなる孤村こむらにして。まへには吹のやまちかそびへ。うしろ栢原かしはばらえきとほへだゝりて。いかにも幽僻ゆうへき谷地やちなりとぞ。
此村このむらに名を柴朶六しだろくとよびて。としは四十のおいさかのぼそめて。山樵やまがつ生活たつきとし。身代しんだいほそこずゑをつたふといへども。きもふとくしてちからあくまでつよく。容秀かたちひいでゝこゝろきよし。かりにもゆがみたるおこなひをなさず。こしさす礁斧よき善事よきことをのみこのみまと繊布あらたへの。あら/\しき舉動ふるまひはせざりけり。つま尾峯をみねといひてとし三十みそじあまれども。むかしはな何所どこやらにのこりてこゝろばへさへいとやさし。
柴朶六しだろく日毎ひごと伊吹山いぶきやまにのぼりてたきゞとり尾峯をみねはいつもいへにありて手業てわざさら挿艾さしもぐさ。さしもかそけきくらしなり。
ころ弥生やよひなかばすぎて。いつのにてありしやらん。柴朶六しだろくれ〔い〕のごとく伊吹山いぶきやまにのぼりてたきゞとりけるが。西山にしやまかたぶくを見て家路いへぢかへらばやと思ひ。たきゞ背負せおひ支度じたくせしをりしも。何方いづくともなく小児せうに泣声なくこゑいとかすかにきこえければ。紫朶六しだろくおほいあやしみながらもしさるこゑかと。おのつゑ頭舉かしらをあげみゝすましてよく/\きけば。ひがしかたにあたりてまさしく小児しやうにのこゑなり。柴朶六しだろく思ふやう。かゝる深山しんざん小児しやうにをつれて登来のぼりくひともあらじ。これは一定いちぢやう山賊さんぞくなんとがどもを勾引かどわかしきたりて。此山このやまにかくれのぼりしにうたがひなし。此奴こやつまつ二ッになしてくれんずと。いまだその実否じつふをも見とゞけざるにまづいかりをなしつゝ。おひたるたきゞ片方かたへ打捨うちすてをのにかけたる革袋かはぶくろ刀室さやをはづしてうちかたげ。根笹ねざゝおしわけいはほをつたひ。こゑを案内しるべたづねつきて。こゝかしこ見巡みめぐれども。さら人影ひとかげも見えず。小児しやうにこゑやみければ。こはいかにかと佇立たゝずみしに。かしらうへにて「きやッとなきいだせしこゑをきゝあふぎ見れば。大木たいぼくくすのきこずゑわしありて。のうへにさしのぞきしえだおやわしとおぼしく。五さいばかりの男子なんしをかいつかみ。いまにもくらさかんとし。うちに見せてたのしむさまなり。柴朶六しだろく山賊さんぞくと思ひのほか。これを見てうちおどろきしが。如法によほう慈悲じひあるをとこなれば。なじかはもつて〓〓ためらふべき。にのぼるはとしごろのわざなれば。をのこしにさしてさるごとくにこずゑをつたひ。わしのうしろへまはりけるが。わしあいするにこゝろをとられて。柴朶六しだろくきたるをしらざりければ。しすましたりとよろこび。なほかゞめてねらひより。とぎすましたる大斧おほをの肱長ひぢながにとりのべて。ちからにまかせてぱつしとうちしに。わし背中せなかを二ッになし。あま〔る〕ちからえだまでも。半寸はすにすつぱと斬落きりおとせり。柴朶六しだろくこゝろ周章あはて小児しやうにいのちおぼつかなしと。いそがはしくくだりてかけより見れば。わし片足かたあしえだにぎり片足かたあし小児しやうにつかみあけそまりてたふれたり。小児しやうに襟首ゑりくびつかひしがれ。絶入たえいりてありければ。わしつめ折〓をりくぢきて小児せうにだきとり。たすかりもはやすると。かたはら生茂おひしげりたる蓬生よもぎり。揉絞もみしぼりたる青汁あをしるくちそゝぎいれければ。やがていきふきかへし。はゝさまのふと一声ひとこゑも。最期さいごのきはと思はれて。くひしばりてくるしむてい。いともあはれのありさまなれば。おにともくむべき柴朶六しだろくも。なみださしぐみ。物悲ものかなしく。とやせんかくやと思へども。人里ひとざととほき山中さんちうなれば。いかにともせんすべなく。ひざにのせてかほうちまもり。念仏ねぶつとのふるばかりなり。
このをりしも採薬さいやく医師ゐしとおぼしく。りやう三人打連うちつれてこゝにきたりければ。柴朶六しだろくはいとうれしく。餓鬼がきほとけを見つけたるごとく。そでにすがりて仔細しさいをかたり。つけのくすりをもとめければ。医師ゐしども柴朶六しだろく仁心じんしん稱美せうびしつゝ。年老としおひたる医師ゐし懐中くわいちうよりくすりをいだしてあたへければ。一人ひとり外料ぐわいりやうとおぼしく。こしにさげたるふくろうちより膏藥かうやくをとりいだして疵口きづぐちへつけなどし。三人の医者ゐしやさま%\に介抱かいほうしければ。きれかゝりたるたまを。やう/\につなぎとめぬ。柴朶六しだろくおほきよろこびことばのかぎりれいをのぶれば。この醫師ゐしどもゝ採藥さいやく深入ふかいりして皈路きろうしなひ。さへくれかゝりたれば。殊更ことさら難義なんぎのをりから。柴朶六しだろくあひたりとて。ともに喜びけり。
さて柴朶六しだろく小児せうにふところにいれ。をののさきにわしくゝしつけてうちかたげ。最前さいぜんたきゞはそのまゝにすておき。医師くすし案内あないしてふもとかたへぞいそぎける。年老としおひ医師ゐしみちすがら柴朶六しだろくにいふやう。昔時むかし良辧りやうべん僧正そうぜう稚時をさなきときわしにとられ。不思議ふしぎいのちたすかりてのち。僧正そうぜうまでにすゝみたること元亨釈書げんこうしやくしよといふ書物しよもつにあり。この小児せうにもかゝる山中さんちうにて惡鳥あくてうはしをのがれ。そのうへ我々われ/\はからずきたりあはし。くすりあたへていのちたすかりたること。このうへもなきうんのつよき小児しやうになり。なほまたさいはひなることには。このわしほね打身うちみくじきにもちひて。はなはだこうあるものなり。すで本艸ほんざうといふ書物しよもつにも。〓〓そうてうほね折腸せつちやう断骨だんこつすることつかさどるとあり。〓Gそうてうとはすなはちわしことなり。いへかへらわしほね黒焼くろやきにして。さけにてのませ給へ。かならずしるしあらんとをしえければ。柴朶しだ六ます/\よろこびけり。老人ろうじんかさねて。同伴つれ醫者ゐしやにむかひ。各々おの/\きゝ給へわしに。〓鷲きやうしう虎鷲こしう狗鷲くしう。のべつあり樵者せうしやこのわしは。本艸ほんざう所謂いはゆる〓Gそうてうなり。よくておぼえ給へ。西域記せいいききにもわしの事を
挿絵
【挿絵第十五図】

のせ。太平廣記たいへいかうきなどにはわしにとられたる故事こじもあれども。かゝる山道やまみち九折つゞらをり歩行あるきながらはかたるもわづらはしく。きくもうるさからん。いらざる博覧ものしり自慢じまんくちをたゝきて。あしもとにをつけず。つまづいころばんには。和黨わとうたちにわらはれんとものがたりしつゝ。柴朶六しだろくあとにつきてふもとにくだり。医師ゐしどもこゝにて別去わかれさりぬ。
さて柴朶しだ六はいへかへり。しか%\のよしかたりければ。つま尾峯をみね慈悲じひふか女子をなごなれば。よき善行ぜんぎやうをし給ひたりとてうちよろこび。医師ゐしがをしへしごとくわしほねもちひければ。そのしるしありていたみもうすらぎ。此夜このよ小児しやうに尾峯をみねふところねふりぬ。つぎしきり父母ふぼをしたひてなきわめくにぞ。その父母ふぼとへどもつよくものにおどろきたるゆゑにや。人事じんじわすれてたしかにもいひいださず。責問せめとはんもやまひのさわりならんとうちおきて。日夜にちや小児しやうにの事にのみかゝづらひて。その四五日は活業なりわひをもやすみをれり。
かくて一日あるひ一人の商人あきびときたりしだ六がわしをとりたることこの谷地やちきたりきゝたりとて。わしを。かはんとのぞみけり。柴朶しだ六は此頃このごろぜにとぼしきをりなればよきさいはひとし。あたひさだめうりわたしけるが。この商人あきびと尾峯をみねはだつけに背負せおひたるかの小児せうにを見て。うちおどろき。このいと殿どのは。当國たうごく松江庄まつえのせう松江まつえ判官はんぐわん秋季あきとし殿どの家来けらい山中やまなか左衛門さえもんといふひと子息しそくなり。は三之すけどのとかきゝおぼえぬ。わしつかまれたるをたすけめされしときゝしは。このいと殿どのにて候ひしや。さてもいたわしや。山中やまなかどのこそ。さぞかしたづねておはすらめ。はやおやのもとへもどしたまへ。かならず褒美ほうびにありつき給はん。我等われら松江まつえ家中かちうへも。あきなひのためにいでいりすれば。山中やまなか殿どのひとなり。うちすてゝはかへりがたし。我等われらすぐに。この和子わこともなひゆき。山中やまなかどのへわたしして。褒美ほうびこと取持とりもつべし。これはいかにといひければ。柴朶六しだろくおほいおどろきさて山中やまなか左衛門さゑもんどのゝ子息しそくにておはしけるか。われさきとし秋季あきとしこう領地りやうちにて。惡漢わろものにいであひ。口論こうろんつのりて。二人をころせしに。山中やまなかどのゝはからひにて。人殺ひとごろしつみをのがれ。今日けふまでいのちながらふも。かのひと仁心じんしんゆゑなり。かゝる恩人おんじん子息しそくともしらず。はからず一命いちめいたすけ。大恩だいおんむくいたるこそ。うれしけれ。褒美ほうびなどゝは思ひもよらじ。片時へんしもはやく和子わこ殿どの連行つれゆきて。よろこばせ申さんと。三之助をおひ商人あきびとしたがひ立出たちいでけるが。かへりはにもいるべしとふたゝび。いへたちもどり。まもりにとて。れいをのこしにさし。いそがはしく出行いでゆきけり。

  たい十回くわい 血戦けつせん ○〔このだんは。山中やまなか左衛門さゑもんはらをきり。栢木かしはぎ小君こきみいへたちのきしより。四五日のちのことをしるす〕

去程さるほど柴朶六しだろくは。商人あきびとしたがひて。一里いちりあまきたりけるに。商人あきびと柴朶しだ六にむかひ。我等われらかしこに見ゆる。八幡はちまん社内しやないにすこしの所用しよようあれば。和殿わどの此松このまつもとにしばらくまちてたまはれよ。もはや一里いちりあまりもきたりつれば。よき休所やすみどころなるべしと柴朶しだ六をまたせおき。ひだり小徑こみちに入てあしばやにはせゆき。わづか半丁はんてうばかりへだてたるやしろもんうちいりぬ。こゝは小高こだかやまうへにて。どもたちこめて。いとかみさびたる宮地みやちにて。守人まもるひとのありとも見えず。やしろうしろなる大木たいぼくすぎのもとに。むしろをしきて。七八人の若侍わかさふらひども。丈六じやうろくひざをつらね。酒宴しゆえんをなしてをり。そのさまいと狼藉らうぜきたり。上座かみざ丈六あぐらかきてたるさふらひかの商人あきびときたるを見て。首尾しゆびはいかにととひければ。商人あきびとこのさふらひ面前めんぜんにひざまづき。主人しゆじん推量すいりやうのごとく。わたくしへはわたし申さず候ゆゑ。かの者に三之助をともなはせ。かしこのまつもとにまたせおき候ひぬ。たゞものならざるかほつきに候へば。油断ゆだん候なといひければ。若侍わかさふらひうちわらひ。樵者きこり分際ぶんざいにてなにほどの事をかしいださん。なんぢはまづこゝにありてかれはかしこにまたせおくべし。われべつはかりことありといひて。せきつらなりたるさふらひどもにむかひ。閉居へいきよ身分みぶんたるそれがし。ひそか和黨わとうたちまねき人家じんかはなれし。此所このところ會合くわいがうせしは。別事べつじにあらず。さき地蔵坂ぢぞうさかにおいて。氏王うじわう殿どのきづつけしは。この星合ほしあひ梶之助かぢのすけ所為しよゐなりとは。ゆめにもしれるものなく。つみ山中やまなか左衛門さゑもんはせて。はらをきらせ。栢木かしはぎ小君こきみ當國たうごくをはらはれていへほろびたれば。和歌わかせきうらみをはらして。こゝろすゞしゝといへども。わしにとられたる三之助。不思議ふしぎ一命いちめいをたすかり。八彦村やひこむら樵者きこりいへにあるよし。ゆゑありてきゝいだしつるが。かのわつぱめをいけおきては。わが朝夕てうせき心障こゝろざはりなれば。しもべ牛平うしへい如斯かくのごとく商人あきびと打扮いでたゝせ。しか%\のはかりことにて樵者きこりに三之助をともなはせ。いまかしこのまつかげにまたせおきつるよし。をくだすはやすけれども。此度このたび北朝ほくてう残将ざんせう松倉まつくら殿どの内通ないつうし。年頃としごろあだとする秋季としどのをおそはせ。莫太ばくだい恩賞おんしやうにあづからんといふ。わが密謀みつぼうくみし給ふおの/\なれば。一味いちみはじめに。かの樵者きこりと三之助を斬殺きりころし。のちわざはひとなるべき。しのくさかりとりてたまはるべしと。一座いちざを見まはしていひければ。惡黨あくとうども一義いちぎにもおよばず。こゝろやすしとうけひきければ。かぢ之助打うちよろこび。しからばかやう/\にはからひ給へ。とをしへをうけて。七八人の悪黨あくとうども。ゑひざましには。よきなぐさみなりとて。おの/\やまをくだりけり。
さて柴朶六しだろくは。かゝることのありともしらず。まつこしかけて。三之助をひざにのせ。商人あきびとかへきたるをまちたるに。七八人の若侍わかさふらひ小径こみちかたよりきたりけるが。柴朶六しだろくまつこしかけたるを見て。たちとゞまり。なんぢなにやつなれば。八幡宮はちまんぐう神木しんぼくたる。このまつこしかけしぞ。神木しんぼくこしかけしは。神主かんぬし我々われ/\かしらのうへにこしかけしも同前どうぜんなり。此奴こやつのがすなうつとれと。抜連ぬきつれきつてかゝれば。柴朶六しだろくことともせず。まつ小楯こだてをかため。こざかしき山賊さんぞく昼鼠ひるねづみ八幡はちまん神木しんぼく社内しやないすきといふことを。しるまじと思ふにや。野良猫のらねこ手並てなみを見よと。三之助を
挿絵
【挿絵第十六図 樵夫せうふ柴朶六しだろく三之助をたすけて近江あふみにいたり途中とちうにてなんにあふ 酉斎 文章豈頼有團圓忠孝 神仙理別然安詩赫號書 萬本直教張許遍街傳 京山】

ひだりかゝへ。をのをまはして。片手かたてうちさきにすゝみし両人りやうにんを。左右さゆうなぐよと見へけるが。四ッになりてたふれけり。のこ奴原やつばらこれを見て。四五人ひとしくちからあはせ。刀尖きつさきするどくたちむかへば。柴朶六しだろくはこれをものともせず。をのくちくはえ。かたはら石地蔵いしぢぞうよりたかくさしあげて。一声ひとこゑかけてうちつけしに。ほとけにうたれて三人まで。地獄ぢごくおとしねづみのごとく。目玉めだま飛出とびで往生わうじやうせり。つゞくもののあらばこそ。したはいきもし。こはかなはじとにげゆくを。また追打おひうち梨子割なしわりに。二ッにわかれてたふれたり。
星合ほしあひかぢ之助は。八幡はちまん社頭しやとうにのぼり。此体このていのぞみ見て。柴朶六しだろくゆうにおそれて。二のにいづるこゝろもなく。かしらかきたりけるが。こゝろさときものなれば。さきこの神前しんぜんおさめおきたる。弓矢ゆみやがくにこゝろづき。重藤しけどう鏑箭かぶらやとつて。矢頃やごろさだめ。しだ六がたる三之助を。をとさんと。満月まんげつのごとくに引絞ひきしぼり。つるをとたかくはなちけるが。三之助がうんやつよかりけん。ねらひはづれてしだ六が。脇腹わきはらへぞ射付ゐつけける。再二ふたゝびをつがひけるが。奉納ほうのうゆみなれば。弦上つるきれてせんすべなく。なほ様子やうすのぞみ見れば。農業のうぎやういでたる百姓ひやくしやうばら鋤鍬すきくはかたげてこゝかしこよりはせあつまり。すは山賊やまだち剛盗ごうどうよ。はいづくよりかけしぞ。と口々くち%\によばゝりければ。かぢ之助便びんあしゝと。商人あきびと牛平うしへいしたがへ。何方いづくともなくにげうせけり。
百姓ひやくしやうばらは柴朶しだ六がめぐりにあつまり。此人このひとを見れば大力だいりきのきこえたかく。このあたりまでもかほをしられたるしだ六なれば。うちおどろき。さま%\にいたわりけり。かゝる急所きうしよ痛手いたでなれば。並々なみ/\のものならんには。即座そくざにもすべきに。大力だいりき無双ぶそう柴朶しだ六なれば。射付ゐつけられたる白羽しらはあけになりしを壓折へしをり地上ちしやうへなげうち。かゝる飛道具とびだうぐにあらずんば。いく十人きたりたりとも。闇々やみ/\痛手いたでおふまじきに。残念ざんねんくちおしやと。こぶしをにぎりはがみをなし。いかまなこ旡念むねんなみだゆゝしくもまたあはれなり。
かくて百姓ひやくしやうばらうちより深切しんせつにいたわりつゝ。しだ六を山輿やまかごにのせ。三人してうちかたげ。三之助をおひときははやくれければ。松明たいまつをふりてらして。八彦村やひこむらにいたり。そのいへにおくりつけて立皈たちかへりぬ。尾峯をみねをつとていを見て。ゆめうつゝともわきまへずこはなにゆゑぞなさけなやと。手負ておひひざにすがりつき。こゑをあげてぞなげきける。柴朶しだ六くるしきいきをつき。不審ふしんはもつともわれかく痛手いたでをおひたるは。かやう/\の事なりとものがたり。さつするところかの商人あきひとみちにてわれころし。三之助殿どの山中やまなかうぢへつれゆき。その一人にて。褒美ほうびかねにありつかんたくみなるべし。同類どうるいのものあまたうちとめしが。かの商人あきびとにいであはず。うちもらしつるこそ遺恨いこんなれ。わづか〓箭さびやの一すぢぐらいに。いのちをうしなふしだ六にはあらざれども。脇腹わきばら野深のぶかられ。疵口きづぐち夜風よかぜとほりて。五臓ごそう悩乱のうらんすれば。とてもたすかるべきいはれなし。この和子わこ殿どのいのちをたすけ。この和子わこ殿どののためにいのちをすつること。これまつた前世ぜんせよりの因縁いんゑんなるべし。かならずうらみと思ふなと。一念いちねんどうぜざるは狂雲きやううん禪師ぜんじ一偈いつかつに。大勇たいゆうぜんみちありとは。かゝるひとをやいひけらし。尾峯をみねはとかくのいらへもせず。哽咽むせかへりてぞ泣入なきいりける。
三之助は此程このほどより。思はず此家このやをおくり。きづいえ夫婦ふうふにも馴親なれしたしみ。ことに俐發りはつうまれなれば。われゆゑかくと思ふから。をさなむねにおきあまる。つらさかなしさとりまぜて。いともかなしきこゑをあげ。おぢさましんでくださるな。わしゆゑにころしては。さふらひみちたゝぬ。このやうな事父上ちゝうへ聞召きゝめさば。わしをすててはおかしやるまい。しんだらきかぬいやじや/\とあしずりしてなきければ。柴朶六しだろくうれしく膝行いざりより。三之助がかしらをなで。唯々をゝ/\よういふてくださつた。栴檀せんだん二葉ふたばよりかんばしゝとはどのゝ事。たのもしきいま一言いちごんこの柴朶しだ六も種根もとから山樵やまがつにても候はず。播州ばんしう國司くにつかさ曾根松そねまつつかえて餝磨しかまの六郎とめされたるものゝふなりしが。ゆゑあつて
挿絵
【挿絵第十七図 石少 無情骨肉成呉越 有義天涯作至親 三義村中傳美譽 河西千載想奇人 京山】

浪々らう/\となり。一生いつしやう山樵やまがつにて朽果くちはて覚悟かくごなりしが。代々だい/\つたはるわが力量りきりやう血脉けちみやく男子なんしもなく。わがだいにいたりて絶果たえはてんと。これのみこゝろにかゝりしが。どのがいま一言いちごんといひ。惡鳥あくちやうはしをのがれし洪運かううんほどすゑたのもしく思ひはべれば。かん李達りたつ虎血こけつすゝりしためしにならひ。餝磨しかま代々だい/\力量りきりやうを。われいま和殿わどのさづくべしと。銅作あかゞねづくりをとりいださせ。全身ぜんしんちからうでいれ劍尖きつさきをもつて力瘤ちからこぶ突破つきやぶり。鮮血ちしほうつはにうけさせて。三之助へぞのませける。
かゝるをりしも星合ほしあひ梶之助かぢのすけがはからひにて。しだ六があとしたひきたりたる悪輩あくはいども。かきのすきよりうかゞひをりしが。しだ六がうでつきやぶりしを見て。時分じぶんはよしとにはとびいり。三之助をがけつゝ。たゞ一打ひとうち切付きりつくる。ふしぎなるかな三之助。こゝろえたりと身をかはせ。立蹴たちげはつたおとして。つゞいてにはとびくだり。年貢ねんぐのためにつみおきたる。もみたはらのちからわざ悪輩あくはいどもをちかづけず。尾峯をみねがさしだすかのをのを。ばやくとつてふりまはし。真向まつかう梨子割なしわり車切くるまぎり矢庭やにはに四五にん切倒きりたふす。なりせざる力量りきりやうは。頼光よりみつこうつかえたる。かの金時きんとき稚立おさなだちも。かくやとばかりいさましき。しだ六は痛手いたでながら。苦痛くつうをわすれてうちよろこび。さてこそやわが力量りきりやうをうけつぎ給ひけれ。かく大勢おほぜいにかけ給ひし人殺ひとごろしのつみにかはり二ッにはこの矢疵やきづいのちをはらんもくちおしければ。いさぎよくはらきらん。女房にうぼうさらばとことばのした。あかゞねづくりをとりなほし。はらへぐつさとつきたつれば。尾峯をみねはわつと哽咽むせかへり。三之助もなきいだし。おぢさましんでくださるな。おんばかりがたよりじやと。むしがしらするひとことは。やいばふしたる爺親てゝおやの。草葉くさばのかげにてきくならば。さぞやかなしく思ふめり。しだ六はまなこをとぢ。ひきまはしたる刀尖きつさきに。さはるはたしかにならんと。つかみいだし。これゆゑに
挿絵
【挿絵第十八図 三之助枝朶しだ六が生血せいけつのん立地たちどころに大力となる】

こそとくちおしく。よく/\見ればやじりなかごへ。象眼ぞうかんにて
挿絵

星合ほしあひ梶之助かぢのすけ照連てるつら所持
彫入えりいれあれば。柴朶六しだろくこれを見ておほいいかり。さてはわれ遠矢とほやにかけしは。かぢ之助が所為しわざなりしや。われ播州ばんしうにありしとき。かれはいやしき漁師りやうしのせがれ。武家ぶけ奉公ぼうこうこゝろざし。おやすて逐電ちくてんなし近年きんねん松江まつえ殿どのつかえて星合ほしあひかぢ之助と各告なのるよし巷説ちまたのうはさにきゝおよびぬ。かれうらみをうけんこと。おぼえなしといへども。種根しゆこんのいやしきやつなれば。かねをかけかの商人あきびとくみしたるにうたがひなし。漁師りやうしのせがれがこぶしにかゝり。いのちはた餝磨しかまの六郎。よく/\武運ぶうんにつきはてしか。えゝざんねんや口おしやと。やじり簀子すのこにうちつけて。いかれひとしほほとばしる。鮮血ちしほたきのごとくにて。また苦痛くつうせまりけり。つまはやう/\なみだをぬぐひ。女子をなごでこそあれこの尾峯をみねをつとかたきかぢ之助。やはか安穩あんおんでおくべきや。やが〔て〕手向たむけかたきくび。くさばのかげにてまち給へ。人は最期さいご一念いちねんにて。苗宇ちううまよふときゝはべれば。うらみのこさず往生わうぜうあれ。南旡なむあみだぶつ/\とをつとがよはる顔色がんしよくに。つれてとなふ六字ろくじづめ。ともにきえたき風情ふぜいなり三之助はのびあがりしだ六がみゝくち。こなたのかたきはわしがとる。つよふなつた三之助。堪忍かんにんはしておかぬと。よばゝるこゑ奈落ならくまで。ひゞきてきえゆくをひらき。莞尓につこりせしが此世このよのわかれ。合破がはたふれておちいりけり。
鷲談傳竒桃花流水巻之三終


鷲談傳竒わしのだんでんき桃花流水とうくわりうすい巻之四

江戸 山東京山 編次 

  だい十一くわい 幽栖ゆうせい

生死せうし涅槃ねはん猶如ゆによ昨梦さくむとき給へるも。あはれにこそおぼゆれ。きのふすぎにしあとはけふのゆめなり。今日けふことまた明日あすゆめにして金烏きんうつばさ玉兎ぎよくと足夢あしゆめよりゆめ歩行あゆまするは。ひととしてとゞまりがたき旅寝たびねぞかし。
去程さるほど尾峯をみね柴朶六しだろく野外やぐわいけふりとなし。ことはてゝのちひそかに三之すけをともなひ。松江まつえせうにいたりて。山中やまなかいへをたづねけるに。左衛門さゑもん國字寺こくじじにて自殺じさつなし。栢木かしはぎ小君こきみいへおはれてその行方ゆくへをしるものなく。梶之助かぢのすけは三之すけうちもらして心安こゝろやすからざるのみならず。秋季あきとし愚將ぐしやうとあなどり。松倉家まつくらけ内通ないつう密謀みつぼう一味いちみのうちに反忠かへりちうのものありて。すでとらへらるべきを。とくさとりしり。かの牛平うしへいともなひて行方ゆくへしれず逐電ちくてんなせしときゝてみさほむねにはりつめしゆみもをれてせんすべなく。ふたゝび三之すけをともなひて八彦村やひこむら立皈たちかへりけるが。かれこれにてむらをもさはがせければ。おのづからひとの思はくもうとくなりて。ちからとたのむべきひともなく。朝夕あさゆふ心細こゝろぼそさいはんかたなし。かくてはをつとかたきをたづぬべきたよりもあしゝと。わづかなる家財かざいしろなしてこれを路金ろぎんとなし。をつと形見かたみ銅作あかゞねづくり最期さいごうらみやのねとを所持しよぢなして。すみなれし八彦村やひこむらたちのき。梶之助かぢのすけ栢木かしはぎ行方ゆくへたづねんと。まづみやこへいで。こゝ彼所かしこ経廻へめぐりけるが。そのおとづれをもきかざれば。ひとまづ尾峯をみねがふるさとなる。三河國みかはのくに宮路山みやぢやまのほとりへきたりて。かりの住家すみかをもとめ。ところがらの活業なりはひ白苧しろう染苧そめうをつくりて。のたつきとなし。いとよりほそきけふりをたてゝ。三之すけをば養子やしなひごのやうにいひなし。そのとしもいつかくれて。くるはるをもいとわびしくぞむかへける。
三之すけとし一ッかさねてことにかしこくなり。かたちちからにつれておほ〔き〕きやかに。余所よそほかどもにくらぶれば。十一二さいばかりに見えけり。生質うまれつきすなほにして尾峯をみねまことはゝのごとくにしたしみ。つゆばかりもそのをしへにそむくことなく。こずゑのぼりくだものさぐり。ながれにのぞんでうをおどろかすたぐひのあそびをなさず。おのづからこゝろざしたかく。さながらよしあるものゝふたねとは。人品ひとがらおこなひとにてもしられけり。
尾峯をみねいと手業てわざもはか%\しからねばこのあたりよりほどちかき。かの紫匂むらさきにほふとよみし。藤川ふぢかはゑきにいでゝ。旅人たびゞと行李にもつをもち。其賃そのちんをとりて。尾峯をみねわたりのたすけとしけるが。大力だいりき旡双ぶそうわらはなれば。およそうまとひとしき重荷おもにをもちて。貸銭ちんせんをうることひとよりおほく。旅人たびゝといとけなわらはおも行李にもつをもつをおもしろがり。三之助がきたるをまちて。ものを
挿絵
【挿絵第十九図】

もたせければ。この藤川ふちかはゑきをかせぐ物持ものもちども。いつもむなしくしてかしらかきけるがとてもうでかつ事あたはず。ひそかに心をいらちけるとぞ。
さて一日あるひ三之すけれいこと海道かいたうにいでゝいへにあらず。尾峯をみね手業てわざ糸車いとくるま。いとしきをつとにわかれてより。はなのすがたも其侭そのまゝに。とりつくろはぬ山櫻やまさくらひなにはをしきすがたなり。
ときしも〓雨にはかあめふりいだしければ。尾峯をみね周章あはて門邊かとへたちいで。ほしておきたる。染苧そめうをとりいれんとしつるをりしも。當所とうしよ縣守あかたもり下司したつかさ横嶋よこしまあく五郎といふ若侍わかさぶらひ雨具あまぐ用意よういもなく。一人の従者づさをしたがへ此所このところとほりけるが。尾峯をみね容色ようしよくを見て。いろごのみのをおどろかし。從者づさむかひ。われは此家このいへをかりてまつべきほどに。なんぢ宿所しゆくしよにかへりて雨具あまく持参ちさんせよと。めいじもたせきたりし。吸筒さゝへ分盒わりご一包ひとつゝみをたづさへ。尾峯をみねあとにつきてうちにいり。しか%\のよしをいひければ。尾峯をみねあく五郎を紋花筵はなござうへにをらしめ。うや/\しくてをつき。おもきおんかたのあまやどりなればこそ。かゝるいぶせきところをもいとひ給はず。御入いりも候ひけれ。ごらんのごときまづしきくらし。せめておちやをとたゝんとせしを。あく五郎おしとゞめ。いや/\それにはおよび申さぬ。けふは大屋おほやがはあゆとりにゆかんとせしが。あまもよひのそらあひゆゑ途中とちうよりのかへりあし。さいはひなる吸筒さゝへ分盒わりご。こゝにてひらき申さんと。酒樽とくりながらにかんをつけ。尾峯をみねしやくにて数盃すはいをかたむけ。あだめくことばをまじへつゝ。さけ不得手ふえて尾峯をみねへも。旡理むりのまするあく五郎。花盗人はなぬすびととしられけり。尾峯をみねはそれとさとれども。縣守あがたもり下司したづかさなれば。やなぎかぜふきしだい。ことやはらかにもてなしけり。あく五郎其図そのづにのり。不良ふりやうもんいらんとするを。尾峯をみねみさほをやぶられじと。かほ紅葉もみぢちらがみ程々ほど%\あやうきをりしもあれ。三之助立皈たちかへり。此体このていを見ておほきいかり。あく五郎が襟首ゑりくびつかん引倒ひきたふしこぶしをあげて連打つゞけうち散々さん%\うちけれども。三之助がちからにおそれ。ゆるせ/\とよばゝりながら。かたはら落散おちちつたる。尾峯をみねくしばやくひろひ。こけまろびにげさりけり。
○これはさておきこゝまたみやこひとにて山科屋やましなや弥四六やしろくといふもの。所用しよようありて三州さんしうにくだり。藤川ふぢかは驛亭ゑきていとまりけるが。里人さとびとあまたひがしをさしてはせゆきければ。何事なにごとにやあらんと宿やどあるじにたづねしに。あるじいはくこれはにあはれなる物語ものがたりにて候。當所たうしよ宮地みやぢやまむかし持統ぢとう天皇てんわう幸行みゆきならせ給ひて頓宮かりみやありしところなれば。むかしより殺生せつしやう禁断きんだんところなるに。このほど彼山かのやまふもとすむ寡婦やもめ尾峯をみねといふもの。宮地みやちやまにのぼりて宿鳥ねとりをとり。山中さんちうへとりおとしたる。頭櫛さしぐし證拠せうことして搦捕からめとられ。今日こんにちくれ六のかね相圖あひづ大屋おほやがはしづめにかけらるゝよし。それを見んとて里人さとびとの。かくはせゆき申す也。金子きんすりやうをいだしてつみあがなへいのちたすかる事。これもむかしよりのさだめなり。かのをんなむすめもあらば。かゝるときをうりても。はゝいのちたすくべきに。養子やうしの三之すけと申すはちからこそつよけれ。歳端としはのゆかぬ小童こわつぱなれば。かね才覚さいかくは思ひもよらず。なみだにてをるとのうはさとかたるうちに。あるじ女房にようぼかたはらより。あるじにむかひ。かの尾峯をみねとやらんは下司したづかさ悪五郎あくごらうこゝろにしたがはざりしゆゑ。かれ其座そのざにて尾峯をみねおとせしくしぬすみ。こひかなえぬ遺恨いこんじやと。きけばきくほどむごたらしうござりますと。はなすをきい弥四六やしろくあるじむかひ。さても/\いたはしきをんなのうへ。かねたすかいのちならば百ひやくりやう金子きんす我等われら合力かうりよくいたすべし。御身おんみよろしくはからひ給へ。かならずしもたはふれごとにあらず。じつ一命いちめいたすけたく思へば。時刻じこくをうつさずはからひ給へといそがせければ。あるじ夫婦ふうふおほいによろこび。村長むらおさへしか%\のよしきこえつぎ。あるじむらおさ四六其余そのよ役々やく/\里人さとびと大屋おほやがはにはせつけ。四六は尾峯をみね親族しんぞくなりといひたて。金子きんす百両をいだしてつみをあがなひければ。罪人つみんどけいごの武士ぶしどもことよしひとはせて縣守あがたもりへきこえあげけるに。古法こほうなればくるしからずとさしにまかせ。かねをおさめて尾峯をみね縄目なはめをゆるし。村長むらおさわたしければ尾峯をみねはゆめのさめたるごとく。三之すけもかくときゝて此所このところへかけつけ。ともによろこぶこと。いへばさらなり。
かくて尾峯をみねは三之助をともなひ。村長むらおさあるじにしたがひて旅亭りよていにいたり。この人々ひと%\れいをのべ。殊更ことさら四六にはことばのかぎりいひつくし。大恩だいおんしやしければ。四六尾峯をみねむかひいのちおやといはれてはかへつ迷惑めいわく合力かうりよくした百両ひやくりやうは三之すけしろきん。とばかりいふては合点がてんゆくまい。もとわが活業なりはひは見せものなるが。このたび矢矧やはぎはしのほとりなる〔橋長はしのながさ二百八けん東海道とうかいだう第一の長橋ちやうきやうなり〕佛光寺ぶつくわうじに〔此てらいまははいす〕きたる四月はじめより弥陀みだ如来によらい開帳かいてうありときゝ。そのにぎはひじやうじてえんみやこより縁竿くもまひ刀玉かたなだまなんどするものを引具ひきぐして彼地かのちきたり。仏光寺ぶつくわうじほとりにかりずま居して。開帳かいてうのはじまるをまつうちに。この驛中ゑきちうに三之すけといふ大力だいりきわらんべあるよしうはさきゝ此度このたびせものゝかづにくはへて太夫たいふとなし。浪華なにはくだりといひなして力業ちからわざをさせ。おほくのかねにありつかんと。この旅亭りよていとまり。きゝおよびし三之すけいへをたづね。給金きうきんたかをきはめかゝへゆかんと思ひしに。はからざる和主わぬし難儀なんぎ。三之すけはゝきゝて。おしげもなき百両ひやくりやうは。三之すけしろなり。開帳かいてう日数ひかづ六十日をかぎりて。わがづもり七十りやうとは思へども。百両ひやくりやうしろは。開帳かいてうのべがあてかうしたわけのかねなれば。れいをうけてはことほか迷惑めいわくすると。こまやかにものがたれば。かたはらにきゝたる宿やどあるじ。さもこそあるらめあまり見事なしかたであつたとうちわらひぬ〔かくのちかのあく玉郎は尾峯をみねがこと縣守あがたもりにもれきこえて此地このちにげのきけるとぞ〕
挿絵
【挿絵第二十図 三之助民家みんかやしなはれて義母ぎぼこうをつくす


  だい十二回くわい 〓金かねをひらふ

こゝまた春瀬はるせ由良之進ゆらのしんは。かの地獄坂ぢごくざかにて栢木かしはぎ小君こきみを見うしなひけるが。近江あふみ一國いつこく秋季あきとしより徘徊はいくわいをとゞめられしなれば。ひさしくあしをとゞめがたく。栢木かしはぎ小君こきみ此國このくにには給ふまじ。かならずみやこかたのぼり給ひしならんと。そのあとをしたひてたづねのぼりけるが。さら音信おとづれをもきかず。とかくするにおのれがたくはへの路金ろぎんをもつかひつくして。せんかたなくなぐさみにおぼえたる尺八しやくはちふいたび虚旡僧こむそう打扮やつし。ひとかどたちぜにこひ。これを路銀ろぎんとして。中國ちうごく歴巡へめぐり。主人しゆじんのゆくへとかたき在家ありかたづねつゝ。旅中りよちうとしをこえてむなしきはるをむかへ。なほ東國とうごくをたづねばやと東海道とうかいだうをくだりて。尾張をはりの國宮くにみやゑきにいたりぬ。
年来としごろきゝおよびたる熱田あつた神垣かみがきもあたりちかければ。ゆきをがみたてまつれり。そも/\當社たうしや人皇にんわう十二代のみかど景行けいかう天皇てんわう御時おんときより鎮座ちんざまし/\て。東海とうかい東山とうざん両道りやうだう第一たいいち霊社れいしやなれば。信心しん%\きもにめいじ。とほからずして主人しゆじんにめぐりあひ。あたふくしてにいづるときにあはしめ給へと。社頭しやとうにぬかづきてしばらく祈念きねんしけり。
ときははや黄昏たそがれのころなれば。今宵こよひゆめをむすばんと。寝覚ねざめさとにいたりけるが。〔美濃みの同名どうめいあり〕みちかたはらものあるを見てひろ〔ひ〕つるに。およそ百両ひやくりやうあまりのかね服紗ふくさつゝみたるなり。由良之進ゆらのしんおほいおどろき。なにものゝおとしけるか。つゝみうちにしるしやあると。かたはらなる古社ふるやしろこしうちかけて。そのつゝみをひらき見るに。黒染くろぞめ片袖かたそでと。財布さいふいれたる百両ひやくりやう封金ふうきんありけり。熟々よく/\ればこの包金つゝみがねは。去年きよねん地獄坂ぢごくざかにて山賊さんぞくにいであひ。追散おひちらしたるときとりおとしつるかねにして。ふうじめに山中やまなかいへ縫印つきていんおしたれば。まぎるべうもあらず。財布さいふなほ其時そのときまゝなり。またつゝみ服紗ふくさはし白裂しろききれ縫付ぬひつけこれ星合ほしあひうぢしるしたり。由良之進ゆらのしんさらそのゆゑさとしがたく。つゝみひざにのせてうでくみかしら左右さゆうかたふけて。しばらく思案しあんしつゝ心中しんちうにおもへらく。わがおとしたるときかの山賊さんぞく此金このかねをひろひとらば。ぞくとして今迄いまゝでたくはえもつべきいはれなし。つゝみし服紗ふくさはし星合ほしあひうぢとしるしたるは。かの星合ほしあひ梶之助かぢのすけいへしななるべし。すぎつるころみやこにありて。かれ巷説うはさきゝしに。秋季あきとしこうたいして邪惡じやあくおこなひをはかり。ことあらはれて逐電ちくてんしつるよし。此事このこときゝて『氏王うちわうぎみきづゝけしは。もしかれ所為しはざにはあらざるやらん。』と梶之助かぢのすけにもめぐりあひたく思ひて。かくつきごろをすごしたるに。いまこの服紗ふくさつゝみたるかねふたゝび我手わがてかへりたるは。熱田あつた明神みやうじん忠義ちうぎ辛勤しんきんするこゝろざし感応かんおうまし/\て。さづけ給ひたるにうたがひなしと。なほ遥拝ようはいしつゝかぢ之助すけこのかねひろひ。ふたゝびこゝにおとしたるならん。大金たいきんなれば必定ひつぢやうたづ〔ね〕きたるべし。かれとらへて可為すべきやうこそあれと。百りやう懐中くわいちうにをさめ。いしをかはりとしてもとところすておき。やしろうちをかくしつゝ。替竹かえだけと見せたる一腰ひとこしひざによせ。をおきてけものをとるごとく。いまきたるとまちたり。
かくてやゝ時移ときうつりてくれけれども。いまだ人影ひとかげも見えざれば。今宵こよひ此社この〔や〕しろにあかさばやと思ひさだめてこゝろゆるやかになし。なほまつほどに。むかふかたよりこゝきたひとかげ見えければ。をとゞめてたるに。やがてちかくなりたるを。つきかげにすかし見れば。深編笠ふかあみがさつらをかくし。くろ小袖こそで朱刀室しゆざや両刀りやうとうたいし。さながら浪人らうにんと見えたるものかねのほとりにいたり。篇笠あみがさのうちよりこゝ彼所かしこうかゞひ見るていたけかたのかゝり。おぼえある梶之助かぢのすけうたがひなし。さてこそとうれしけれ。用意ようい一腰ひとこしうしろにかくし。此方こなた天蓋てんがいおもてをかくして。かれ背后うしろにしのびよる。とはしらずして。かのつゝみをひろひとり。おしいたゞきてふところにをさめ。たちさらんとなしけるを。由良之進ゆらのしんことばもまじへず。こじりをしかととらへてうしろのかたへひきもどす。きもふときやつと見えて。おどろきたる気色けしきもなく。篇笠あみがさとつ片方かたへうちすて。かたなつかをかくる。由良之進ゆらのしんこれを見て。とつたるこじり突放つきはなち。とび〓〓しさりつゝ。天蓋てんがいをかなぐりすてて。双方さうはうぱつしときりむすぶ。かたなかたな十文字じふもんじつきひかりやいばのあひだ。たがひかほ見交みかわせて。「ャァあにじやひと由良之進ゆらのしんどの「さいふはをとゝ簑作みのさくなるか。こはそもいかにと両人りやうにんが。寝覚ねざめさとゆめかとばかり。知果あきれことばもつがざりけり。
さて両人りやうにんかたな刀室さやにをさめ。由良之進ゆらのしんうちよろこびて。簑作みのさくにむかひ。たえあはざる兄弟きやうだいの。かゝるところにしてはからず落合おちあひたるは。そもいかなるゆゑならん。とふべきことかたるべきこと一夕いつせきだんにあらずといへども。まづかしこのやしろきたれといひて。両人りやうにん社内しやない對座むかひざし。由良之進ゆらのしんさきことばをいだしていはくわが身上みのうへことどもはつぎかたるべし。さしあたりてきかまほしきは。星合ほしあひうぢとしるしたる服紗ふくさに。わがおとしたる百両ひやくりやうつゝみ。あやしき片袖かたそでそえたるを。なんぢ所持しよぢなすはいと不審いぶかしことなり。必定ひつぢやう仔細しさいあらん。いかなるゆゑぞととひければ。簑作みのさくいはくこの一義いちぎにつきてははなはだ入組いりくみたる物語ものがたりの候。よくこゝろしてきゝ給へ。御身おんみもしり給ふごとく。われ播州ばんしう國司くにづかさ曽根松そねまつ家臣かしん箕取みとりうぢ養子ようしとなり。両親りやうしん死后しごにいたりて。餝磨しかま六郎がいもと深雪みゆきをむかへてつまとなし。深雪みゆきいもとかさゝぎをもわがかた引取ひきとりやしなひおき候。しかるに餝磨しかま六郎ゆゑあつて主人しゆじんよりいとま給はり。それがしも六郎がことにあづかりたりとておなじく浪々らう/\となり。いとま給はりしことにつきて。それがし六郎と
挿絵
【挿絵第二十一図 このいわれこゝにいわず本文ほんもんよみてしるべし】

一家いつけえんきり候。かのかさゝぎは『をんななり』とて。あねにしたがひてそれがしいへにありて。逢坂あふさかせきのほとりに三人わびしくくらし候が。かさゝぎあねとはかりてわれには『侍女じちよ奉公ほうこうする』といつはり。かの星合ほしあひ梶之助かぢのすけてかけとなり候。しかるに一夜あるよ梶之助かぢのすけしもべ牛平うしへいといふもの。周章あはたゞしきたりていふやう。『かさゝぎどの織平をりへいといふものと密通みつつうなし。今宵こよひことあらはれて。主人しゆじん梶之助かぢのすけどの両人りやうにん手討てうちにいたされたり。不義ふぎ證拠しやうこはこれなり』とて。かさゝぎ自筆じひつにて。織平をりへいかたへつかはしたる。夫婦ふうふ誓紙せいしを見せ。『手討てうち死體しがいひきとるべし』とあるに。いかにともせんすべなく。その梶之助かぢのすけいへにいたらんと。地蔵ぢぞうざかへさしかゝりしに。をりしも宵闇よひやみくらまぎれ。あやしき曲者くせもの行逢ゆきあひ山賊さんぞくと思ひつれば。はからず『とらへん』と思ふこゝろになり。たちまはるひまにかれきりこむかたな石地蔵いしぢぞうをきりて火花ひばなぱつと飛散とびちりそのひかりにて曲者くせものつらをちらりと見て。なほとらへんとして片袖かたそで引断ひきちぎり。曲者くせものにげさり候。かくてかぢ之助がいへにいたり。そのはじめかち之助に對面たいめんせしに。以前いぜん曲者くせものにたりつれば。かさゝぎ手討てうちにせしといふも。いとあやしけれども。掲焉たしかなる證拠せうこあれば。あらそふべきところなく。はうふりこと彼是かれこれにて。四五日は心忙こゝろいそがはしく打過うちすぎ一日あるひ巷説ちまたのうはさきけば。『地藏坂ぢぞうざかにてしか%\のことありて。山中やまなかどのにうたがひかゝり。一家いつけ滅亡めつぼうおぼつかなし』ときゝおほいにおどろき。引断ひきちぎりたる片袖かたそでたもとのうちにありつるこの服紗ふくさに。星合ほしあひうぢとしるしたるのみならず。〔この服紗ふくさかぢ之助短刀たんとうつゝみ地蔵坂ぢぞうざか持行もちゆきしふくさなり〕わが曲者くせものにいであひたると。氏王うじわうぎみきづ給ひたる同夜どうよ同刻どうこくなれば。きづつけしものはかぢ之助に一定いちぢやうせり。さるゆゑに『服紗ふくさ證拠せうことなして。山中やまなかどのをたすけん』と。其日そのひたゞち山中やまなかどのゝいへにいたりしに。いへ空家あきやとなりて人影ひとかげも見えず。山中やまなかどのは國字寺こくじじにて自殺じさつきゝ御身おんみあとをしたひて走行はせゆき地獄坂ぢごくざかにてこの百両ひやくりやうをひろひ。財布さいふおぼえあれば『さてみやこかたおち給ひしならん』とこゝろえ。かのにいたりて四五日がほど。こゝかしこたづねもとめけれども。音信おとづれをもきかざれば。むなしくいへかへり。かく年月としつきすごし。今月こんけつそれかさゝぎ一周忌いつしうき仏事ぶつじをいとなみしに。其夜そのよゆめかさゝぎつげいはく。『われかぢ之助がためはかられて。不義ふぎ惡名あくみやうをうけ。非命ひめいやいばにかゝり。怨魂えんこん宙宇ちううにさまよひて。浄土しやうど往生わうぜうとげがたし。尾張國をはりのくに熱田あつた明神みやうじん参詣さんけいあらば。わがうらみをはらすべき便たよりを給はん』とつげ候。ゆゑに。『あたふくし修羅道しゆらだううらみをはらさせばや』と。今日こんにち此地このちきたり。明神みやうじんまうでしかへるさ。此包このつゝみ取落とりおとし。はからず兄上あにうへにめぐりあひしは。いと不思議ふしぎなることどもなりと。ことこまやか物語ものがたりければ。由良之進ゆらのしん主人しゆじんあだ明白めいはくれて。よろこぶことかぎりなく。山中やまなか左衛門さゑもん自殺じさつのことをはじめとし。今日こんにちにいたるまでのことを。つまびらかかたりきかせ。この兄弟きやうだいこの辻堂つぢどうあかし。かさゝぎ夢中むちうつげもあれば。由良之進ゆらのしんこゝろざせしかたをたづねんと。兄弟きやうだい打連うちつれて。あづまかたへぞくだりにける〔○みの作百両のかねつゝみをこゝへもちきたりしは一ッにはかたきのせうこ二ッには兄にもあはんかとの心なるべし〕

  だい十三回くわい 熱閙にぎはひ

そも/\矢矧川やはぎがはは。水源すいげん岐蘇きそ山渓さんけいよりおちすゑ鷲塚川わしづかがはいふ西尾にしをいたりて二りうとなり。うみいる三河みかはさん大河だいがいちなり。わたはし矢矧やはぎはしといふ。そのながくつたはりて。こと名高なたか長橋ちやうきやうなり。深草ふかくさ元政げんせいが。矢矧ゆはぎはしかきつけて見んとよみしも。こし矢立やたてのすさみなるべし。
去程さるほど由良之進ゆらのしん簑作みのさくは。こゝにきたりてはしのほとりの茶店さてんいこひ。その光景ありさまを見るに。此頃このころ矢矧やはぎにちかき仏光ぶつくわう寺へ。みやこなにがし御寺みてらより。釋迦しやか如来によらい遷座せんざまし/\て。開帳かいてうありければ。参詣さんけい諸人しよにんぐんをなして。橋上きやうしやう往来ゆきゝ絡繹らくゑきたり。商人あきびとどもは。開帳かいてう熱閙にぎはひまとにかけて。あたりせましとみせをひらき。新製しんせいもちあんじのあちをやり。工風くふう手遊てあそびに小児せうにをよろこばしむ。くだものうるものあり。あめひさくものあり。軍書ぐんしよよみ説經せつきやうかたり。去程さるほどあはれなるは。おや因果いんくわむくいたりといふ片輪かたわもの丹波たんばのくにより生捕いけどつたりといふ鳥獸とりけだものあやしとあやしきものを見するところあり。楊弓やうきう射場ゐばには光陰くわういんをはなち。くすりひさくにはひまゆく獨樂こまをまはす。かゝるたぐひすべてひとこゝろなぐさめあしをとゞむるもの。ところせきまでにつらな〔り〕りて。ふゑ吹音ふくおとつゞみうつひゞき。いとのしらべ。唱歌せうがのこゑ。その熱閙にぎはしきこといへばさらなり。なほ此地このち光景ありさまをこまやかにものせんには。風来ふうらい山人さんじんが『なしぐさ』とかいへる草紙さうし筆糟ふでかすなりといひもやせん。こゝにもらしぬ。
さて由良之進ゆらのしん簑作みのさく茶店さでんを立いで。かゝる駢閧にぎはひなれば。もしやたづぬる人にめぐりあふこともやあると。こゝかしこうかゞひあるき。よきをりなれば開帳かいてうをもおがまんと。はしをわたりて仏光寺ふつくわうじ門前もんぜんにいたりけるに。この大路おほぢのうちにこもすだれをもて假屋かりやをかまへ。かみもてはれる扁額がくわらべ力業ちからわざするさま彩色さいしきつくりて。入口いりくちかゝげ。片方かたへには浪華なにはくだりわらべ力持ちからもちと。柿色かきいろしろそめいだしたるのぼりたて笛鼓ふゑつゞみおといとおもしろくひゞかせぬれば。この假屋かりやのまへはことさらひとやまをなしぬ。由良之進ゆらのしん簑作みのさくにむかひ。かゝる大力だいりきわらべ武士ぶしにせば。一方いつほうようにもたつべきを。路傍ろほうたちひとなぐさむるは。いとをしむべき事に
挿絵
【挿絵第二十二図 山中が忠臣ちうしん由良之進ゆらのしん虚旡僧こむそうやつして柏木かしはぎ小君こきみをたづぬる

あらずやといへば。簑作みのさくひとへだてられていらへもならず。おしこりたる群集くんじゆをわけつゝ。両人りやうにんうちつれててらにまうで。開帳かいてうをがみふたゝび此所このところにいたり。のかたりぐさなれば。わつぱ力業ちからわざ見物けんぶつせばやと。假屋かりやのうちにいりて見るに。正面しやうめん舞臺ぶたいにはうちはやしするものひざをつらね。見物けんふつ群集くなじゆ假屋かりやのうちに充満じうまんせり。由良之進ゆらのしん諸人しよにんしりへたちたりしに。わたり二尺にしやくあまりもあるらんと見ゆるつりがねを。四五人のをとこどもして。いかにもおもげにになひいだし。舞臺ぶたいせうめんにすへおきてしりぞきければ。上下かみしもかみばかりつけたるをとこにあふぎをもちたちいで。このつりかね大力だいりきわらはもつことを。さま%\の手品てじなしておもしろくいひをはり。さてのちわらべたちいでたるさまを見るに。粉紅もゝいろ繻子じゆすなが上下がみしもに。むらさき縮緬ちりめん振抽ふりそでちやくし。としはいまだ十さいばかりと見へて。いかにもあいらしく見えければ。見物けんぶつ群集くんじゆ口々くち/\ほめつゝ。こちおしあちおし。ひしめきあひてこれを見る。わらべ諸人しよにんれいをなし。つりがねかたにのせて舞臺ぶたいをめぐりけるが。このたびはつりがねのうへに二八あまりの舞姫まひびめをたゝせ。糸竹いとたけのしらべにあはせてまひをまはせ。あふぎをひらきてゆるやかにつかふさま。古今こゝんまれなる大力だいりきなれば。諸人しよにん一同いちどうほむこゑ。しばらくなりはやまざりけり。
由良之進ゆらのしんこのわらべの三之すけたるを見て。心中しんちうおほいにあやしみけるが。かたはらにたちたる医師くすし同伴つれさふらひむかひ。われあふみに遊學ゆふかくのをりから。伊吹山いぶきやま採藥さいやくにのぼり。わしにとられし小児せうにくすりをあたへて。いのちたすけたることありしが。このわらべるに。そのをりの小児せうにによくたりといふ。由良之進ゆらのしんこれきゝ。さては三之助ぎみにうたがひなし。不思議ふしぎ一命いちめいをたすかり給ふのみならず。いかにしてかかゝる大力だいりきにはなり給ひたると。かつよろこび
挿絵
【挿絵第二十三図 三之助養親やしなひおやのためにをうりて力業ちからわざ諸人しよにんに見する】

かつあやしみ。簑作みのさくとともに諸人しよにんをおしわけ。ことばをかはさんとなしけるが。まてしばしかゝる諸人しよにんなかにては。巷説こうせつ流布るふなして。主人しゆじん耻辱ちぢよくなりと。とびたつむねをおししづめ。假屋かりやたちいで。まへたちひとをまねくをとこに三之すけ住所ぢうしよをたづねけるに。かの山科屋やましなや弥四六やしろく旅宿りよしゆくをしへられて。そのいへにいたり。弥四六やしろく對面たいめんして。こと子細しさいをたづねければ。弥四六やしろく尾峯をみね難義なんぎをすくひ。百両ひやくりやうしろにて。三之すけかゝへたることをかたりければ。由良之進ゆらのしんおほいにおどろき。四六にむかひ。元来ぐわんらい三之すけどのは近江あふみくににてよしある御方おんかた子息しそくなるが。さきとしわしにさらはれ。おん行方ゆくへしれず。必定ひつぢやう悪鳥あくちやう餌食えじきになり給ひしとは思へども。金鷲こんじゆ童子どうじ故事ふることを。はかなきよすがにたのみて。もしいのちたすかりて。におはす事もやあると。家来けらい我々われ/\かくすがたをやつして。諸國しよこく歴巡へめぐり。おん行方ゆくへをたづねしに。はからず此所このところにてめぐりあひしは。主従しゆう%\さいはひなり。代金しろきんつくのはゞ。異義いぎもあるまじ。たゞいま三之すけどのをわたしくれられよと。懐中くわいちうよりかの百両ひやくりやうをとりいだして。弥四六やしろくまへにおきければ。四六まゆしはめ。おほせさることには候へども。三之すけをかしこにいだしてより。わづか日数ひかつに候へば。かの假屋かりやをつくりたる。諸色しよしきつひやしたるかね。三之すけ力業ちからわざのためにたるぜにをもつてつくのひがたければ。元金もとがねりやうのほかにきん二十りやうをそえ給はゞ。いかにも三之すけわたし申べし。それも三之助をもかゝへたる證文しるしぶみに。かの尾峯をみねを三之すけはゝしるしつれば。尾峯をみね一応いちおうことばきかざれば。各方おの/\がたへはわたしがたしと。利口りかうにいひければ。簑作みのさくこれをきゝて。いかりことばをいださんとしたるを。由良之進ゆらのしんをもつてこれをせいし。四六にうちむかひ。和主わぬし申所ところいかにも道理だうりなれば。尾峯をみねとやらんがいへにいたり。かれともなきたりて。ふたゝび説話せつわすべしと百りやうふところにおさめ。四六に尾峯をみね住所ぢうしよひ。其地そのちをさしてぞいそぎける。

  だい十四回くわい 義漢ぎかん

こゝまたかの尾峯をみねは。あやうき一命いちめいをたすかりたりといへども。三之すけわかれてよりこゝろわびしく。かのあく五郎がことこりて。よひよりかどとざし。燈火ともしびほそくたてたるもとに。夜方よなべ仕事しごとひねりてたりしに。門口かどぐちをほと/\とたゝき。尾峯をみねどのおはするや。對面たいめん申たしといふ。そのこゑのきゝなれざれば。こゝろにいぶかりつゝ。何人なにびとにておはするやとたづねければ。我々われ/\は三之すけどのゝ事につきてきたりたり。仔細しさい對面たいめんのうへにてかたるべしといふ。尾峯おみねこのことばきゝ。こは四六どのゝつかひならんと。くちくはへたれたる方燈あんとうにうちかけ。ひでともしてにはにくだり。かどをひらきつゝひでのひかりにててらるに。一人は虚旡僧こむそう一人はさふらひなれば。心中しんちうあやしみながら三之すけがことといひしに。こゝろをゆるしてまづこなたへとてうちにいれぬ。
さて両人りやうにんにむかひ。わらはになにようありて。いづくよりきたらせたまひけるやとたづねければこたへていふ。それがしは近江國あふみのくに松江まつえ家臣かしん山中やまなか左衛門さゑもんと申ものゝ家来けらい春瀬はるせ由良之進ゆらのしん申者ものに候ときい尾峯をみねおゝいよろこび。さては由良之進ゆらのしんどのにておはしけるか。左衛門さゑもんぎみ旡慚むざん最期さいごおんいへほろびて浪々らう/\虚旡僧こむそうすがた。さぞかしわびしくおぼすらんと。何事なにごともよくしりたることばきゝて。由良之進ゆらのしん簑作みのさくおゝいにおどろき。その子細しさいをたづねければ。柴朶しだ六が三之助をたすけたることをはじめとし自殺じさつ始末しまつ。三之助が大力だいりきになりたることかたきかぢ之助および。かしは小君こきみらをたづねんとみやこにのぼりたること。此地このちへうつりすみあく五郎がために旡実むじつつみにおとされ。三之助が代金しろきんのためにあやうき一命いちめいたすかりたること。なみだをそえてものがたりければ。由良之進ゆらのしん簑作みのさく柴朶しだ六が義心ぎしんかん尾峯をみね貞操みさほほめ由良之進ゆらのしんのうへの始末しまつくわしくかたり。さてのち三之助をとりもどすべきことのはなしにうつり由良之進ゆらのしん尾峯をみねにむかひ。百りやう金子きんす所持しよぢすれども。ほかに二十りやう金子きんすは。かく浪々らう/\のうへにては。心やすくとゝのひがたし。おんみなにとぞ四六に對談たいだんなして。元金もとがねりやうにて三之助ぎみをとりもどすやうにはからひ給はれかしとたのみければ。尾峯をみねがいふ。いまものがたりたるごとく畢竟ひつきやうはかの四六ゆゑに。あやうきいのちをたすかりつれば。わらはがためにはおんある人なり。そのおんをもむくはず。此度このたび一義いちぎについていくばくのかねついやさせんは。わらはがしのびざるところなり。かれ所望しよまうの廾りやうは。わらはがつくのひ申べし。とはいへかゝるまづしきくらしなれば。黄金こがねたくはへははべらねども。しろなすべき一品ひとしなありとて。ふるひつのうちより銅作あかゞねづくりの太刀たちをとりいだし。これわらはをつと柴朶六しだろくどのゝ重代ぢうだいにして。自殺じさつしたるもこのつるぎ最期さいごのきはの遺物かたみなれども。義理ぎりしづむるかねしちにきこえたる梵字丸ぼんじまる。二十りやうこゝろやすしと。袱子ふろしきにかいくるみ。そでかゝえてたゝんとするを。簑作みのさくしばしとおしとゞめ。梵字丸ぼんじまるとはきゝおよびたる業物わざもの一見いつけんたしと。太刀たち乞取こひとり方燈あんどうのもとに膝行いざりよりて。太刀たちこしらへつるぎつくり。一目ひとめ見るよりうちおどろき。ぬきたる太刀たち刀室さやにおさめてをみねにかへし。その太刀たち餝磨しかま六郎がいへ重代ぢうだいこれ所持しよぢめさるからは。御身おんみは六郎がゆかり人にてはあらざるやと。いへば尾峯をみねなみださしぐみつゝ。をつと耻辱ちぢよくなればその本名ほんみやうはあらはさゞりしが。かくしりめすうへはせんすべなし。たゞいま御ものがたりいたしたる。柴朶しだ六と申はすなはち餝磨しかま六郎どのゝなれのはてにて候なり。簑作みのさくいはくしからば御身おんみは六郎どの浪々らう/\の身となりしのちかれし給ひつらん。それがしも曽根松そねまつ浪人らうにんにて。六郎どのゝいもと深雪みゆきつまにもちて。ちかしき一家いつけなかなりしが。ゆゑあつてゑんをきり。たがひ面會めんくわいせざること十餘年よねん。その住所ぢうしよさへしらざれば。御身おんみを六郎どのゝつまとはしるべうもあらず。たえひさしき一家いつけよしみも。この太刀たちゆゑ名告なのりあひ。六郎どのゝ義心ぎしん耻入はぢいりわがあやまちをあらためて。ふたゝびむすばん一家いつかよしみ以来いらい縁者ゑんじやと思はるべしと。三人のものよろこぶことかぎりなし。
さて簑作みのさく尾峯をみねにむかひ。かく縁者えんじやとなるからはおん親里おやざとをもきかまほしゝ。かたり給へといひければ。尾峯をみねがいふ。おきかせ申もはづかしながら。ちゝはいやしき百姓ひやくせう畠作はたさくと申もの。はゝ田結たゆひとよびて。すなはち此地このちものなりしが。美濃國みのゝくににうつり。わらは十一十二の二歳ふたとせ双親ふたおやともに死別しにわかれ。人買ひとかひたばかられて。野上のがみのさとの〔せきはら垂井たるゐとのあいだに有むかしはゑきなり古哥こかおほし〕一夜いちやづま。おほくのきやくをむかふるうち。大力だいりき旡双ぶさうの六郎どのも。思案しあんほかみちまよみづもらさじとちぎりしに。阿曽比あそびかはれし年季ねんきはてて。六郎どのへし候となみだもろなるそでつゆ。おちものこさずかたりけり。簑作みのさくこれをきゝ不便ふびんにおもひ。たのみすくなき御身おんみのうへ。さぞこそわびしくおぼすらめ。それがし縁者ゑんじやとなるうへは。ゆくすゑちからとなり申さん。こゝろやすく思はるべしと。まめやかにいひければ。尾峯をみねはうれしく。かの梵字丸ぼんじまるふたゝび袱子ふろしきにかいくるむ。由良之進ゆらのしんこれを見て歎息たんそくなし。旡念むねん最期さいご遺物かたみといひ。いへ重代ちうだいこのつるぎかねゆゑ人手ひとでにわたすこと。草葉くさばのかげの六郎どのへ。我々われ/\かほむけやうなし。 「簑作みのさく曰。「いはゞわづかの二十りやう尾峯をみねいわく。「ひんほどつらきものはあらじ。はて自由まゝならぬ浮世うきよなりと三人ひとしく歎息たんそくのをりから。にはすみのかたより。「そのかねわしがかしませうと。たちいづる若者わかものあり。思ひがけなきことなれば。三人これはとうちおどろき。知呆あきれことばもまじへざれば。わかものは面高つらだかにのしあがり。三人とひざをつらねて尾峯をみねにむかひ。おんわれを見知しりつらんと。いふかほを。火影ほかげにすかし。おどろくむねをおししづめ。なんぢ横嶋よこしまあく五郎。わらはを旡実むじつつみにおとし。ことあらはれて逐電ちくてんなし。ふたゝび此家このやへしのびしは「あく五郎いはくあちむくひにつるかと。うたがふはことわりなり。きくにしのびぬ二十りやうもちあはせつればかし申さんと。懐中くわいちうよりかねとりだし。尾峯をみねまへになげあたへ。しちにとるはこの重代ちうたいと。梵字丸ぼんじまる奪取ばひとりて。両肌りやうはだぬぐよと見えけるが。はらへぐつさと突立つきたてたり。人々ひと/\これはとうちおどろきたちかゝるをせいしつゝ。くるしげなるいきをつき。われかく自殺じさつつかまつること。さぞかし不審ふしんにおぼすらん。ひととほりきいてたべ。今夜こよひ此家このやにしのび入尾峯をみねどのをくゝしあげ。何方いづくへなりともつれゆきて。壓状おうぜうずくめに口説くどきおとし。戀暮れんぼむねをはらさんと。最前さいぜんこゝへきたりしに。戸口をかためていりがたく。いかゞはせんと思ふうち。おの/\がたのかげを見て木立こだちしげみにをかくし。戸口とぐちあけしはさいはひと。あとについたるくらまぎれ。簀子すのこしたはひかゞみ。仔細しさいのこらずきゝつるが。尾峯をみねどのゝのうへばなし。きもにこたえてこの腹切はらきりこれ見てさとし給はれと。くびにかけたる守袋まもりぶくろ尾峯をみねにわたせばかいとつて。ばやくひらくそのうちに三重みへ四重よへかさねし紙包かみづゝみ応永おうゑい二年乙亥きのとのいの五月五日あかつき誕生たんぜう畠作はたさく次男じなん善太ぜんた臍帯へそのを。としるしたるはまぎれもなきわらはがをとゝ二ッのとしに生別いきわかれあく五郎いはく笠縫かさぬひさとなにがしに。〔美濃みのくに赤坂あかさか宿しゆく南北なんぼくにあり契沖けいちう三河みかはにありともいへり〕おやしらずの養子ようしとなりしに。身持みもちあしくておひいだされ。縣守あがたもり下司したつかさも。我身わがみにあまる出丗しゆつせなるに。そのほとをもわきまへず。とらをかる非義ひぎ非道ひだうあねともしらず今宵こよひしも。猿轡さるぐつわまで用意よういせしは。畜生ちくせうだう誘引さそひゆく。我身わがみ因果いんぐわ日来ひごろ悪行あくきよう今夜こよひはじめ善人ぜんにんとなりたるは。簀子すのこしたにてきゝしに忠義ちうぎ義心ぎしん貞節ていせつと。おの/\がたのものがたり。六根ろくこん五臓ごぞうへしみわたり。年来としごろあく五郎ももと善太ぜんたたちかへり姉上あねうへへの申わけ餝磨しかま重代ぢうだいにて。かく自殺じさつつかまつれば。六郎どのゝ手討てうち同前どうせん梵字丸ほんじまる功徳くどくにて。極樂ごくらく國土こくど往生わうしやうなし。父上ちゝうへ母上はゝうへ對面たいめんして。でかした善太ぜんたういやつじやと。ほめられたうござりますと。鬢髪びんぱつみだれ色變いろへんじ。おとすなみだ村雨むらさめの。のきしづくたぐひけり。
あねをとゝにとりすがり。のう善太せんたにてありけるか。わづか二人のあねをとゝ年来としごろのこひしさは。なか/\ことばにつきがたし。戀慕れんぼやみまよひしは。御身おんみばかりの因果いんぐわじやない。わらはもおなし因果いんぐわぞや。御身おんみうみはゝさまは。七日もたゝず。血暈けつうんといふやまひにて。旡常むじやうかぜのいたわしさ。其時そのときわしは十一さい啼入なきいるそなたをだきかゝえ。こゝかしこにてもら乳汁ぢゝ。わしがちいさなふところで。夜中よなかなかるゝかなしさつらさ。摺糊すりこではなきやまず。となり子持こもちがきゝかねて。のませてくるゝ痩乳やせぢゝも。をとこにはのみたらず。そのたび/\にはゝさまの。さぞやまよはせ給はんと。なみだながせしぞや。二ッのとしまでしほにかけ。やう/\はだにおはるゝころ。生別いきわかれのおやしらず。をとゝとしらずあねとしらず。かたき同士どうし因果いんぐわづく。いまあふいまわかるゝ。わしがこゝろを推寮すいりやうせよと。哽咽むせかへりたるいぢらしさ。余所よそに見るもあはれなり。
あく五郎。二人にむかひ。あねのことをたのみければ。由良之進ゆらのしんなみだをはらひ。煩悩ぼんのうそく菩提ぼだいとき給へば。のちこそたのもしけれ。尾峯をみねどのゝ身のうへは。我々われ/\よきにいたはるべし。こゝろおきなく往生わうぜうあれと。きい手負ておひがよろこぶかほ「嗟乎あゝうれしやかたじけなや。コレあねうへしぬいのちまつたうして。助太刀すけだちとは思ひしが。この人々ひと%\のあるゆゑに。自殺じさつ覚悟かくごしつるなりと。次第しだいによはるふるひごゑ簑作みのさくもなみだをぬぐひ。ぜんにもつよあく五郎どのゝこの最期さいご。つらなる縁者えんじや我々われ/\両人りやうにんにあらせたく思へども。たすけがたき深手ふかでなれば。いかんともせんすべなし。たゞこのうへはいさぎよく。見事にはらめされよと。はげまことばをひきたて。あねうへさらば。人々ひと%\さらば。さらば/\とひきまはす。その刀尖きつさきをとりなほし。のんとぶへ突立つきたてて。磨上みがきあげたるたまも。きれてはかなくなりにけり。
作者さくしやいはく山中やまなか左エ門さゑもん餝磨しかま六郎。横嶌よこしまあく五郎。三人をはりおなじうせるは。みづから編筆へんひつつたなきをしれども。さき發兌はつだあり。しりへ書肆しよし催促さいそくあり。たびをへだてゝ凍瘡しもやけかきながら。今日けふいづれぞと山妻さんさいわらつこたえいはく文化ぶんくわのとし十二月十日。せんかたなく稿こうだつせり。
鷲談傳竒桃花流水四之巻終


鷲談傳竒わしのだんでんき桃花流水とうくわりうすい巻之五

江戸 山東京山 編次 

  第十五回 没水みづにぼつす

こゝにまた栢木かしはぎ小君こきみは。地獄坂ぢごくざかにてあやうなんをのがれ。からうじて逃去にげさりけるが。何國いづくをあてと。こゝろざすかたもなければ。あるひは深山みやま峨々かゞたるにゆきなやみては。いはほまくらとして木実このみうゑをしのぎ。あるひは荒磯あらいそ凛々りん/\たるに打臥うちふしては。なみをとあかし。かたち〓〓しやうすいおとろへて見るにかげもなく。流落りうらくのすがたいとあはれなり。
を思ふよるつるくさむら雉子きゞすはさもこそあるらめ。をよろこばしむるはなあしたこゝろをたのしましむるつきゆふべも。一日いちにちかてとぼしければ思ひをなぐさむるかたもなく。半日はんじついのちさへおぼつかなくて。かはくひまなきなみだ木葉このはごろも紅葉もみぢして。山姥やまうばといふものも。かくやとこそは思はるれ。樵路しやうろにかよふはなかげつきもろともにやまいでて。やすむ重荷おもに旅人たひゞとに。一銭いつせんなさけをうけ。五百機いほばたたつるまどたちては。えだうぐひすはうしやをこひ小君こきみなれ乞児かたゐわざの。いまさらようたちたるぞうらめしき。栢木かしはぎれい狂女きやうぢよなれば。我子わがこをかへせをつとをもどせと。往来ゆきゝひとおひめぐれば。そりやこそ狂女きやうぢよがきたりつれと。さとわらべがつどひて。ちかくよりては突倒つきたふし。とほのきてはいしなげつけ。うちてわらはるゝ。小君こきみこゝろはいかならん。くるひ/\てこゝかしこ。呻吟さまよひありき。三河國みかはのくに逢屋川あふやがはのほとりにいたれり。狂女きやうぢよこゝろのおちつきたるをりにやあらん。
  みどりに。逢屋あふやかはきゝつれど。なほもゆく衛はしらなみをと
をりしもあめふりいだしぬれば。みちかたはらなる木蔭こかげたちて。あめのはれをまちけるが。往来ゆきゝひとこゝにはせいりあめをしのぎけり。
人々ひと%\晴間はれまをまちわびて。さま%\のはなしをするをきけば。たびをとこつれむかひこのあめがながくふらば。天竜川てんりうがは覺束おぼつかないといへば。つれをとこ打笑うちわらひいまふりだしたあめに。一泊ひとゝまりもさき川留かはどめあんじやるは。あまりうちこした了簡りやうけん。そのやうなでありながら。親父おやぢ疝気せんきもちじやに。なぜだい/\うえやらぬ。といふはしたしきなかの友達ともだちなるべし。田舎いなか婆々はゞ獨言ひとりごとに。背戸せど古綿ふるわたをほしておいたに。あのこゝろつかずめが取入とりいれはしをるまいとは。おほかたよめことならん。
ひとりの旅僧たびそうかたはらにたちたるをとこにむかひ。行脚あんぎやついでなれば。當所とうしよ名高なたか燕子花かきつばた名所めいしよをたづねんと思ひ候が。何方いづかたにて候ぞとたづねけるに。このをとここのほとりのものとおぼしく。懐中くわいちうに一二さつほんをさしいれ人品ひとがらもいやしからず見えて。さながらものごのみのやうに見ゆ。されば旅僧たびそうかの名所めいしよとへるならん。をとここたえいはく八橋やつはし古跡こせき池鯉鮒ちりうより八町ばかりひがしかた牛田うしだむらといふところ松原まつばら石標せきひやう/ミチシルベあり。これよりひだりこと七町ばかり。そこに一堆いつてい丘山おかやまあり。其側そのかたはらくぼかなる。いけかたち芝生しばふをさして。燕子花かきつばたのありしところと申候。そのきたかた遇妻川あひづまがはといふながれありて。いま土橋とばしわたせりむかし八橋やつはしをわたせしながれなりと。口碑こうひにつたえ候。かの丘山おかやま業平なりひらづかあり。これは後人こうじんかのものがたりによりてたてしものならんと。こまやかにをしえければ。旅僧たびそううちよろこびて。れいをのべまたいはく。かの古跡こせきのほとりなる。旡量寺むりやうじとか申に。伊勢いせ物語ものがたり古画こぐわ繪巻物ゑまきものありときゝ候が。いかに見給ひしやとたづぬ。をとここたえいはく去物さるものありしやらん。いまはありともきゝ候はず。伊勢いせ物語ものがたり業平なりひらさくともいひ。また寛平くわんへい官女くわんぢよ伊勢いせさくとも申。また諾冊きみみことのみとのまくばひより。男女なんによ物語ものがたりといふを。伊勢いせの二畧訓りやくくんして。しかづけしといふせつもあれども。清輔きよすけ袋草紙ふくろざうしには。業平なりひらさく一決いつけつせり。されどもかのものがたりにかける。仁和にんわ御門みかど芹川せりかは行幸みゆきは。業平なりひら没後もつごことなれば。あへ在民ざいしふでともいひがたし。業平なりひら元慶げんけい四年にこうじ給ひ。大和國やまとのくに在原ありはらでらはうふるに申せども。河海抄かかいせうには。吉野よしのがはにて昇仙しやうせんせしやうにかきなし候と。ものしりがほのとはがたりを。旅僧たびそうにくがりて。業平なりひら仙人せんにんになられんには。ちとをとこぶりがすぎ候はんとうちわらへば。ものしりをとこうすわらひしてくちとぢぬ。
まつこしかけたるあか親父おやぢは。馬長ばしやくとおぼしく。池鯉鮒ちりう馬市うまいちはなしするが。いと声高こはだかなり。そのかたはらに稚児をさなごともなひたるをんなくだものになうりするをとこにむかひ。いかに江南えなみ渡橘ときちどの。柳下やなぎした惠太けいた矢矧やはぎ開帳かいちやうゆきあめうるに。よくれておほくのるときゝぬ。どのもゆきくだものをうり給へといふ。菓売くだものうりいはくわれも一日かしこへゆきてうりつるが。いかにも参詣さんけいはおほけれども。思ふがごとくにはうれもせず。草臥くたびれもうけの銭少ぜにずくななり。しかしさま%\のもの芝居しばゐありて。なぐさみゆかんにはたのしみならん此度このたび開帳かいちやうにてぜにまうけしたるは。わらべ力持ちからもちなり。をんないはくその藤川ふぢかは宿しゆくにて物持ものもちしたる。わしにとられていのちたすかりたりといふ評判ひやうばんなりときゝしが。それにやといふ。くだものうりいかにもかの三之すけなり。みやこよりくだりたる。四六といふもの。大金おほがねにて三之すけをかゝえ。見せものにいだしたるよし。みやこひと除才ぢよさいがないと。はなしするを栢木かしはぎは。かくときくより。つとはせよりてくだものうりにむかひ。わしにとられし三之すけとは。こひしゆかしきいとなり。かへせもどせとくるひいふ。
人々ひと%\はこれを見て。こはちがひよとおどろけば。小君こきみはゝをおしとゞめ。いかにもこれは物狂ものぐるひにて候なれば。旡礼ぶれいはゆるし給はるべし。いまのたまひし三之助とは。このかたにこゝろあたりの候。その住里すむさとはいづくにて候と。こしをかゞめてたづねければ。菓売くだものうりがいはく。この乞児かたゐをんなめ。ひとをばおほき魂消たまげさせたり。小女こびつちよがしほらしさに。たづぬることはをしゆべし。三之すけおや藤川ふぢかはのほとりなる。宮路みやぢやまふもときゝしに用事ようじあらばかしこへたづねゆけといふ。なほくはしくきかまほしけれども。栢木かしはぎちらされたるくだものを。ひろひあつむるがきのどくさに。しひとはれもせず。うれしさに胸騒むなさはぎて晴間はれまをもまたずはゝをとりて。木蔭こかげたちいでけるが。藤川ふぢかは宿しゆくあづまかたきゝつれば。あめにぬれつゝいそぎけり。
小君こきみみちすがら。栢木かしはきにしか%\のよしきかせければ。くるひたるこゝろにも。我子わがこにあはするときゝてよろこぶことかぎりなく。

挿絵
【挿絵第二十四図 柏木かしはぎ三之助が往方ゆくへたづねえてみちをいそぎあやまち渓川たにかはへおつるところ】

なほみちをいそぎて。一ッのはしあるところにいたりぬ。あやうきはしわた陸人かちびととよみし大屋おほやがははしなるべし。こゝすぎ川涯かはぎしをゆきけるが。あめはます/\ふりてみちあしく。さへくれかゝりぬれば。狂女きやうぢよあしもとはことにさだかならず。ぬひいだしたるたけに。〓跌つまづきて。よこさまに打倒うちたふれ。どろにすべりて真逆まつさかさま大屋おほやがはへぞおちいりぬ。小君こきみはかなしきこゑをあげ。はゝさまのふとよぶ甲斐かひも。なみにゆられてしづみつうきつ。ゆくへもしれずながれけり。小君こきみはわつとこゑをたて。〓泥どろなかへうちふして。絶入たえいるばかりに見えけるが。やう/\となみだをぬぐひ。には河伯かはのかみもおはすときゝはべるに。いかなればかゝる憂目うきめにはあはせ給ひけるぞ。つきごろ地獄坂ぢごくざかにとらはれて。鬼芝おにしば責懲せめはたられ。さま%\慙忍むごきにあひたるを。いのちにかけてしのびつるは。はゝさまをたすけいだし。由良之進ゆらのしんにめぐりあひて。父上ちゝうへかたきうち修羅しゆらの思ひをはらさせんと。思ひつめたる一念いちねんかみもあはれとおぼしてや。摩利支天まりしてん御蔭おんかげにて。あやうきいのちたすかりて。こゝかしこさまよひありき。今日けふはからずも三之すけが。いき此丗このよにありしときゝはゝさまのうれしみ給ひしは。いまさきにあるやうなり。つきごろのなみだも。今日けふのうれしきなみだにて。そゝがんと思ひつるに。此川このかはのもくづとなり。死顔しにがほさへも見られぬとは。よく/\うす親子おやこえん。いかなる前世ぜんせ惡業あくごうぞや。いまおもひあはすれば。いつになき母人はゝびとくちずさみ。「みどりにあふやの川ときゝつれど。なほも行衞ゆくへ白浪しらなみをととのたまひしは。この白浪しらなみときえ給ふ。前表ぜんびやうにてありけるか。これがいまはの形見かたみぞと。どろいんせし足跡あしあとに。ひたいをつけてなきしづみ。むせかへりたる不便ふびんさはことばにはいひがたし。
小君こきみはやう/\なみだをはらひ。暇令たとひ三之すけ在家ありかをばきゝつるとも。物狂ものぐるひ母人はゝびとを。淵川ふちかはへおとせしと。ひとかほがあはさるべきか。いままでまよひありきしごとく。死出しでやま三途さんづかは母人はゝびとともろともに。おなじ闇路やみぢをともなはゞ。なか/\うれしくあるべしと。はゝおちたるところより南旡なむあみだぶつととなへつゝ。瀬枕せまくらたかき川中かはなかへ。とばせんとなしつるをりしも。思ひがけなきうしろより。やれまち給へとこゑかけて。おび此丗このよ力草ちからぐさ。ちりかゝりたる撫子なでしこの。つゆいのちをつなぎとめけり。

  第十六回 竒遇きぐう

これはさておきこゝまた由良之進ゆらのしん簑作みのさくは。百りやうにかの二十両をくはへて三之すけをとりもどし。よろこぶことかぎりなく。今夜こよひ善太ぜんたが〔あく五郎が事〕しよ七日の待夜たいやなれば。里人さとびとをあつめてこゝろばかりの仏事ぶつじをいとなみ。ことはてゝみな/\立皈たちかへりければ。みのさく由良之進ゆらのしんむかひ。三之助ぎみはとたづねければ。由良之進ゆらのしん薄笑うすわらひし。大力だいりきになられてから。こゝろまでが大勇たいゆうに。里人さとひとがうちよりて。飲食のみくひするさわがしさも。空耳そらみゝきゝなして。納戸なんどのうちにてだいなり。うちかけしものまでも。踏脱ふみぬぎ給ひし寝相ねざうのわろさ。小気味こきみのよい肥太ふとりやう。になきひとと思ひしに。かくすこやか姿容すがたを見るも。柴朶六しだろくどのゝなさけ。ふたつには今夜こよひほとけ善太ぜんた義心ぎしんかねゆゑなり。これにつけても二人ふたりは。いづくのうらにおはすやらん。地獄坂ぢごくざかにてわかれ申。いまにおゆくへしれざるは。生死せうじのほどもおぼつかなしと。なみださしぐむあにかほ簑作みのさくそばからはげまし。いまさらいふてかへらぬ繰言くりことしよ七日の仏事ぶつしもをはりつれば。やつかれひとまづ故郷こきやうかへり。路金ろぎん用意よういつかまつり。ふたゝび東國とうごくへくだり。かたき在家ありかおん二方ふたかたのゆくへ。くさをわけてもたづぬべし。それはそれにいたせ。尾峯をみねどのゝ墓参はかまゐり。黄昏たそがれにはもどらるゝといはれしに。かへりのおそきはいぶかしゝと。かいたつ簑作みのさくが。燈火ともしびうつす方燈あんどうの。かげごといひつるをりからに。戸口とぐちあけかへし。尾峯をみねがあとよりひとりの小女せうぢよ二人ふたりは見るよりうちおどろき。思ひかけざる小君こきみさま。こはゆめなるかうつゝかと。とりすがりたるかほを見て。「ャァ御身おんみ由良之進ゆらのしん一人ひとりをとゝ簑作みのさくなるか。こはそもいかにと主従しゆう%\が。つきぬえにしにめぐりあふ。そのうれしさやいかならん。三之すけにもあはせければ。兄弟きやうだいをとりかはし。なくよりほかのことぞなき。
尾峯をみねはこれを見てひざをうち。さてはおんものがたりにきゝおよびたる。小君こきみぎみにておはしけるか。それともしらず善太ぜんたはかまゐりのかへるさ。あやうき御命おんいのちたすけたりと。しか%\のよし物語ものがたれば。由良之進ゆらのしんみのさくおほきに喜び。姉君あねぎみ尾峯をみねどの。弟君をとゝぎみ柴朶しだ六どの。二ッのいのちをたすけられしは。よく/\ふかきえにしならんと。小君こきみなか左右さゆうより。はゝことをたづねければ。小君こきみなに返答へんとうも。さしつまりたる鳩尾むなさかやいばさゝるゝ思ひにて。をとりつめて悶絶もんぜつなし。うんとのつけにそりかへり。かほいろもかはりければ。人々ひと%\周章あはてだきおこし。由良之進ゆらのしんこしさげに。たくはもち気付きつけさへ。くひつめてとほらざれば。尾峯をみねくりやにはせゆきて。木〓ひしやくみづくちふくみ。面上めんせうふきかけて。三人ひとしくこゑをあげ。小君こきみさま/\/\。こゝろをたしかにすえ給へ。小君こきみさまい。のふ/\と。呼声よぶこゑあたりへきこえければ。小君こきみをよぶはたれびとぞと。あけておきたる門口かどぐちより。つとはせいりしすがたを見れば。みづぬれたるあやしのをんな。よく/\見れば栢木かしはぎなれば。二人はゆめゆめ見しごとく。こは栢木かしはぎぎみにておはしけるかとをとりてにつくれば。三之助はかけよりて。はゝさまなつかしうござりますと。いふかほ一目ひとめみだれがみ。みだごゝろ栢木かしはぎも「唯々おゝ三之助か。とばかりにて。よこにかゝえてひざにのせ。親子おやこ二人がいだきあひ。こゑをとゝのへてぞなかれける。かゝるひま尾峯をみね小君こきみをよびいかし。さま%\にいたわりければ。やう/\に正氣せうきとなり。旡恙つゝがなきはゝを見て。かぎりなくよろこびぬ。
かゝるをりしも四五人にんをとこども。たしかにこゝなり/\と。にはのうちにこみいりて。明松たいまつてらしてものをたづぬるさまなれば。由良之進ゆらのしんおほいにあやしみ。なにごとなるぞととひつるに。いぶかり給ふはことわりなり。我々われ/\網瀬村あみせむら漁師りやうしなるが。このぐれ大屋おほやがはにてみづにおちたるをんなをたすけ。ところはいづくとたづぬれども。ちがひと見えていふこともさだかならず。いづくのひとともしれざれば。村長むらおさどのへつれゆかんと。かしこのみちをとほりしに。あしをそらにはせいだし。あめはふるくらさはくらし。かいくれゆくへのしれざれば。をんなと見ゆる足跡あしあとをしたひてこゝましたと。いへばそばから一人ひとりをとこ。あれ/\かしこにちがひ女。さては此家このやにゆかりあるもの。「由良之進ゆらのしんいはるゝごとくかのおかたは。それがし主人しゆしん今日けふ途中とちうにてあめにあひ。どろすべりて入水じゆすいのよし。不思議ふしぎいのちたすかりしも。おの/\がた御情おんなさけ。ゆる/\おれいも申たし。まづ/\こなたへいり給へと。いへば漁師りやうし口々くち%\此潮このしほさきにひまどつて。られふや役介やつかいものをわたすうへは。れいはかさねてうけませう。みなのしゆござれとうちつれて。あやういのちたすけしをおんとも思はぬ漁師りやうしども。こゝろみづのごとくなり。
栢木かしはぎやう/\にかほをあげ。三之すけひざよりおろしてそばにをらしめ。由良之進ゆらのしんうちむかひ。わらは三之すけわかれてより。悲歎ひたんせまりおのづから心乱こゝろみだるべきやと思ひつるに。をつと左衛門さゑもんどのゝ自殺じさつときゝしよりのちは。すべてうつゝのごとくなりしに。三之すけにめぐりあひて。はじめてゆめのさめたるにひとしく。ふたゝび本心ほんしんたちかへれり。三之すけをはじめ
挿絵
【挿絵第二十五図 柏木かしはぎ三之助親子しんし再会さいくはひ

なんぢ此家このいへにあること。さだめてふかきゆゑあらん。かたりきかせよと言語ことばたゞしくいひければ。人々ひとくー此体このていを見て。そのよろこびいふもさらなり。主従しゆう%\四人みのさく尾峯をみね。さま%\のなんをのがれ。おの/\あやうき一命いちめいをたすかりて。六人一家いつけあつまること。たぐひまれなる竒遇きぐうなり。

  第十七回 窺栖

星合ほしあひ梶之助かぢのすけ照連てるつらは。なにがし判官はんぐわん内通ないつうなし。主家しゆかほろぼして莫大ばくたい恩賞おんしやうそのいきほひじやうじてふたゝび大望たいまうくはだてんとはかりしに。煌々くわう/\たる天鏡てんきやうてらされて。悪事あくじたちまちにあらはれ。近江國あふみくに逐電ちくてんなせしが。秋季あきとしどのよりみやこうつたへ。人形ひとがたをもつてせんぎきびしければ。こゝかしこへをかくして。三河國みかはのくになにがしこほり岩巻いはまきやますみ山賊さんぞく魁首かしらとなりてありふるほどに。こゝより尾峯をみねところへはわづかに七八里ばかりをへだてつれば。手下てしたのものども由良之進ゆらのしんこときゝいだし。しか%\のよしつげければ。かぢ之助かの牛平うしへいをちかくめしよせ。由良之進ゆらのしんわれかたきとつけねらふよし。手下てした奴等やつらがしらせつれば。打捨うちすてておきがたし。明日あす手下てした引具ひきぐして。渠等かれら住家すみかへおしよせ。みなごろしにせんと思へば。なんぢ今夜こよひ彼所かしこゆきひそかその地理ちりをうかゞひきたるべし。ほかに一ッの所用しよようあり。かたち馬長ばしやく打扮いでたちて。一人の小賊せうぞくをしたがへ。知立ちりう馬市むまいちいたりて。わが乗料のりりやう駿足じゆんそくをもとめ。むま小賊せうぞくにひかせてさきかへし。なんぢいりてかしこへしのぶべしとて金子きんすをわたしければ。牛平うしへいめいをうけてたちつるに。かぢ之助再ふたゝび牛平うしへいをよびとゞめ。今宵こよひこと我身わがみにあづかる一義いちぎなれば。れいさけ仕損しそんじすな。木鼠きねづみの六。小猿こざるの八は。間謀しのびしものどもなれども。由良之進ゆらのしんおもてを見しらざればもちひがたし。なんぢとりをよくかぎきたれとめいじければ。牛平うしへいこゝろえて小賊せうぞくしたがやまをくだりてまづ知立ちりうへぞいそぎける。
さてゆくほどに。二あまりきたりて一ッのむらにいたり。酒店しゆてんまへよぎりけるが。一人のかく床机しやうぎこしをかけ茶碗ちやわんさけ浪々なみ/\とうけ。ごぼ/\とのむを見て。酒好さけずき牛平うしへいくちをひき。しりにかけてとほりつるが。たちとゞまりて小賊せうぞくにむかひ。これよりゆくさきは二あまりの廣野ひろのにて。いこふべき茶店さてんもなければ。此所このところにて一杯いつぱいきつすべしと。うちつれて酒店しゆてんいりうまかふべき大金たいきんをもちたれば。おのづから心驕こゝろおごりて。美酒よきさけ佳〓よきさかなめいじ。両人りやうにんうちむかひて。さいおさへつしたゝかにのみければ。おほい沈酔ちんすいなし。あしもとも浪々よろ/\として酒店しゆてんたちいで。かの廣野ひろのにさしかゝりけるが。ひとすぢのこみちも三すぢ四すぢに見えて。あし蹈所ふむところもさだかならず。両人りやうにん芝生しばふたふし。高〓たかいびきして寐入ねいりけり。
かくてやゝときうつり。まつたくくれ夜風よかぜゑひふきさまされ。かの小賊せうぞく突然とつぜんをおこし四邊あたりを見ておほいにおどろき。牛平うしへいよびおこしければ。牛平うしへいうちおどろき。小賊せうぞくにむかひ。かくときをうつしてにもいりぬれば。馬市うまいちもをはりつらん。うまひかずしてやまにかへらば。魁首おかしられい榜笞しもとくらふべし。われ最前さいぜんかの酒店さかや馬房うまや肥馬よきうまをつなぎたるを見ておきたり。なんぢかしこにしのびいり。むまぬすみてひきかへり。知立ちりうにてかひたりといつわるべし。しもとくらはざるのみならず。むまあたひ此金このかねは。われなんぢむまわりにわかつべしとうまはなしのりがきて。かけいだしたる膝栗毛ひざくりげ酒店さかやをさしていそぎけり。
牛平うしへい小流こながれみつきくしてゑひざめのかつし。すそ鶴脛つるはぎにかゝげ。みちをいそぐほどに。初更しよこうのころ尾峯をみねいへにいたり透垣すきがきくゞり戸口とぐちのもとにしのびより。隙間すきまよりのぞき見るに。由良之進ゆらのしん燈火ともしびのもとにし。ほかに人影ひとかげも見えざれば。牛平うしへい思ふやう。われ由良之進をうちとりきやつくび魁首かしらに見せ。褒美ほうびにあづかり。間謀しのび名人めいじんなりとほめられし。木鼠きねづみ小猿こざるはなをひしぐべしと。こしかたな抜放ぬきはなち後手うしろでにかくしもち。戸口とぐちあらゝかに打敲うちたゝき。村長むらをさよりの急用きうようなり。此品このしなをうけとり給へ。はやく/\とよばゝりければ。由良之進ゆらのしん思へらく。とざしたる柴門さいもんをこそたゝくべけれ。戸口とぐちをはげしくうちたゝくはいぶかしき舉動ふるまひなり。このほど岩巻山いはまきやま強盗がうどうありて。悪行あくぎやうをなすときゝぬ。油断ゆだんすべきにあらずと。まづこた〔へ〕て「いまあけ申さんまち給へといひつゝ。業物わざもの刀尖きつさきみのをつらぬき。ぐちをあけてさしいだせば。まちまうけたる拝打をがみうちみのをばつさりきりおとしぬ。さてこそ曲者くせものごさんなれと。かたにをどりいで。またきりつくるをつきかげに。心得こゝろえたりとをかはせ。弱腰よわごしはた蹴倒けたふしつゝ。おこしもたてずおさへつけ。曲者くせもの生捕いけどりたり。みのさくきたれとよばゝりければ。納戸なんどのうちよりはしいでなわを/\と呼声よぶこゑに。ものかけ竿ざほふるびたる。なはばやくかいとつて。かしこにはせつけ高手たかて小手こてにぞいましめける。
さて曲者くせものにはひきすゑ。ひでともして曲者くせものつらを見れば。あにはからんやかぢ之助が草履じやうりつかみの牛平うしへいなれば。うつおほいよろこび。栢木かしはぎ。三之助小君こきみ納戸なんどよりたちいでゝうちおどろきぬ。由良之進ゆらのしん牛平うしへいにむかひ。なんぢこゝきたりてとらひげひねる一定いちぢやうかぢ之助がいぬなるべし。在体ありてい白状はくじやうせば。一命いちめいたすくべし。もし白状はくじやうせざるにおひては。なんぢをもつてかぢ之助になぞら栢木かしはぎどの。尾峯をみねぬしはつまあだ姉上あねうへをとどのゝためにはおやかたき簑作みのさくいもとうらみわれはもとより主人しゆじん讎敵しうてき一太刀ひとたちづゝなぶりぎり呵嘖さいなみ賽目さいのめきざむべし。白状はくじやうせんやきざまれんや。とく/\返答へんとうつかまつれと。こほりごと業物わざもの面前めんぜんにさしつくれば。牛平うしへいこれを見て。つらしかめちゞめ「あゝ申ます/\。いのちをしければこそよくもすれ。何事なにごといのち物種ものだねかぢどのゝ悪事あくじ次第しだい。のこらずおきかせ申すべしと。かさゝぎ手討てうちにせしこと地藏坂ぢぞうざか悪計あくけい柴朶しだ六を遠矢とほやにかけしことども。おちものこさずかたりけり。由良之進ゆらのしんなほかぢ之助が栖家すみかをたづね。岩巻いわまきやま案内あんないをくわしくきゝて。牛平うしへいをば空房あきやのうちにつなぎおきぬ。これはいかにとなればもしかぢ之助をとりにがさば。牛平うしへいをもつて證人せうにんとなし。近江あふみにかへりて左衛門さゑもん旡実むじつつみ自殺じさつせしを秋季あきとしどのへきこあけ主家しゆかおこさんこゝろとなん。並々なみ/\ものならんには。一時いちじいかりじやうじて。牛平うしへいかうべはねべきに。由良之進ゆらのしんじつ思慮しりよふかき忠臣ちうしんなり。
かくて簑作みのさくはかりて。岩巻いわまきやま打入うちいらんと思へども。あまたの手下てしたありときゝて。素脱すはだにてはおぼつかなく。牛平うしへい所持しよぢなしたる金子きんすあれども。わたくしもちうべきにあらずと。かれかりうけ。此金このかねもつくさり帷子かたびら〓〓楯こてすねあてたぐひ十分しふぶん調とゝのひければ。つぎ由良之進ゆらのしんみのさく三之助にしたがひて。おの/\堅固けんごをかため。岩巻いわまきやまふもとにいたりしに。ときすでに三更さんかうころなりけり。牛平うしへいつぐるによりて。かねてもうけしはかりごとなれば。ふもとに酒店しゆてんをひらきて梶之助かぢのすけ目代めじろとなり。旅人りよじん荷物にもつ懐中くわいちう窺者うかゞふものいへ放火はうくわしければ。あんたがはず山上さんしやうぞくども。をすくはんと大勢おほぜいやまをくだりけり。
由良之進ゆらのしんぞくどもを十分じふぶん偽引をびきいだし。放火はうくはひかりみちをもとめて。かねてきゝたる間道かんだうよりよぢのぼり。三之助さきにすゝみて。大斧おほまさかりをもつて柵門さくもんうちやぶり。のりかけ/\。叫呼おめきさけんきつていれば。小賊せうぞくども不意ふいをうたれて狼狽らうばいなし。太刀たちほこよとさはなかへ。かねて用意よういなげ明松だいまつをなげちらし。ひかりのしたより三人が。從横じゆうわう旡尽むじんにきつてまはれば。うたるゝものかづをしらず。三之助は幼年ようねんなれども餝磨しかま六郎が武勇ぶゆうをうけつぎたれば。膽氣たんきはげしくはせまはり。大斧おほまさかり電光いなづまのごとくひらめかして。四角しかく八面はちめん切散きりちらす。

挿絵
【挿絵第二十六図 山中やまなか三之助復讎ふくしゆう

かの木鼠きねづみの六郎。小猿こざるの八郎は。かぢ之助が股肱ここうとたのむぞくどもなれば。のりをあげてはせむかひ。小童こわつぱめをのがすなと。二人ひとしくきりつくる。こゝろえたりとをかはせば。ちからあまつてまへかた。よろめく襟首ゑりくびかいつかんで。三げんばかりなげわたせば。岩角いわかどかしらうちつけ。あけになりてのたれす。三之助から/\と打笑うちわらひ小猿こざるつら真赤まつかいな。木鼠きねづみものがすまじと。こしとつ引倒ひきたふし。うんとひとこゑふみひしがれ。眼玉めだま飛出とびで形勢ありさまは。地獄ぢごくおとしのごとくにて。木鼠きねづみの八郎には。あはしかりける最期さいごなり。
小賊せうぞくどもこれを見て。さて竒異きいなるわつぱかな。人間にんげんわざにはよもあらじ。天狗てんぐ化身けしんならん。とても敵對てきたいかなふまじと。かしらをかゝえて逃散にげちりけり。三人はなほ奥深おくふか馳入はせいりかぢ之助をたづねけるが。行方ゆくへさらにしれざれば。さてはにげさりけるならん。かくまでこゝろをくだきしに。こは残念ざんねんくちおしやと。三人かほを見あはせて。旡念むねんなみだはら/\/\。かゝる油断ゆだんを見すまして。天井てんじやうよりとびくだり。ことばもまじへずきつてかゝる。由良之進ゆらのしんこゑをかけ「ャァなんぢ星合ほしあひかぢ之助。悪事あくしはおぼえあらん。いとどのぬかり給ふなと。ことばしたより三之助。唯々おゝ合点がつてんじや太刀たちをひけ。手捕てどりにせんと勇立いさみたちをのをからりと投捨なげすてて。つるにとびつくはやぶさの。はやくもまたをかいくゞり。おびつかんでふりまはし。には大地だいぢなげすへたり。おこしもたて左右さゆうより。忠臣ちうしん義心ぎしん両人りやうにんが。襟首ゑりくびおさへてはたらかせず。高手たかて小手こてにぞいましめける。げにこゝちよき形勢ありさまなり。此時このときいづくともなくかさゝぎ一羽いちはとびきたり。かぢ之助がかしらうへまひめぐり。月下げつかにこゝちよきをはつし。よりひかりをはなちて。西方さいほうへとびさりけり。おもふにこれはかのかさゝぎ怨魂えんこんとりしてこゝにきたり。うらみをはらして浄土じやうど往生わうぜうをとげけるなるべし。かくて三人は薄手うすでもおはず。年来としごろ本望ほんまうをたつし。よろこぶことかぎりなく。簑作みのさく一疋いつぴきうまをひききたりて。三之助を
挿絵
【挿絵第二十七図「其二圖」 當場扮作丑生姿惡貌 美心相見知天地従来 如雜劇丗營一齣介 無私醒々斎主人題 [山][東]】

のらしめ。かぢ之助を引立ひきたて三之助が大斧おほまさかりをうちかたげて。むまひだりにしたがへば由良之進ゆらのしん木鼠きねづみ小猿こざるくび刀尖きつさきにつらぬきて。みぎかた付添つきそひけり。三之助は二人の英雄えいゆうむま左右さゆうにしたがへ。手綱たづなかいくりつゝふもとをさしてうたせけるは。あつぱれ勇々ゆゝしき武者むしやぶりなり。

  第十八回 迎福ふくをむかふ

去程さるほど人々ひと%\は。尾峯をみねいへ皈着かへりつきける。ときははやあけぬれば。由良之進ゆらのしんこと仔細しさい一通いつつう書面しよめんしるし。縣令あがたもり官邸くわんていにいたりていしければ。縣守あがたもりみづからいでゝ由良之進ゆらのしん對面たいめん忠義ちうぎほど賞讃せうさんなし。両人りやうにん生捕いけどり本國ほんごくひき給ふにつき警固けいご人夫にんぶかせとの所望しよもういと安事やすきことに候。士卒しそつはいかほどもかし申さん。こゝろおきなく召具めしぐし給へ。かのぞくどもは発足ほつそくのみぎりまでは。邸中ていちう獄屋ごくやつなぎおき申さんと。いとねんごろにいひければ。由良之進ゆらのしんれいをのべ。ことばにまかせてかぢ之助牛平うしへいごくにくだしおき。こゝろしづかにたびよそほひをとゝのへ。尾峯をみねをもともなひて。すべて六人のものすでに発足ほつそく日限にちげんにいたりぬれば。縣守あがたもりより二人のぞくども囚車しうしやにのせ。あまたの武士ぶしをしたがへて。これをまもらせ。あさひとともに村中そんちうはつしければ。近郷きんがう諸人しよにんつどひきたりて。かたならそでをつらね押凝おしこりたち見物けんぶつす。
かくてあらずして近江あふみにいたり。由良之進ゆらのしん願書ぐわんしよ縣守あがたもりよりの添文そえぶみくはへて。松江まつえやかたていしければ。秋季あきとし殿どの二通につうしよ披見ひけんあられて。かつよろこかつおどろき。ときをうつさず六人のものをめしいだして。ふたたびこと仔細しさいをたづねられければ。由良之進ゆらのしんかぢ之助が片袖かたそで。ならびに苗字みやうじしるしたる服紗ふくさ柴朶しだ六を射殺いころしたる姓名せいめいえりつけしとうをさしいだし。左衛門さゑもん旡実むじつつみ言訳いひときければ。牛平うしへい白状はくじやうといひ。掲焉けちゑん證拠せうこあれば。こと明白めいはくにわかち。縣守あがたもりへは謝礼しやれい返書へんしよ使者ししやをそえ。警固けいご武士ぶしどもをばおもせうじて皈國きこくせしめけり。
さて主從しゆう%\ねがひにまかせ。領所りやうしよ廣場ひろばに一町四面しめん柵欄やらいをゆはせ。警固けいご武士ぶし甲乙こうおつまもり。三之助をはじめ。栢木かしはぎ小君こきみ合手あひてとし。由良之進ゆらのしん簑作みのさく助太刀すけだちとさだめ。かぢ之助を獄舎ごくしやよりひきいだして。復讐ふくしう勝負せうぶおこな〔は〕せけるに。三之助かぢ之助にわたりあひ二太刀ふたたち三太刀みたちうちあひしが。なんもなく提首さげくびにして立上たちあがりければ。見物けんぶつ諸人しよにんしたり/\とほむるこゑ。しばらくなりはやまざりけり。
秋季あきとしどのおほいによろこび。此日このひ牛平うしへいをも刑戮けいりくせしめ。つぎ六人のもの礼服れいふくをつけさせて。あらため對面たいめんなし。三之助には本領ほんりやう安堵あんどのうへおほくの加恩かおんを給はり。由良之進ゆらのしんをば直参ぢきさんめしいだし給はんとありけるに。固辞かたくじしければ。もとのごとく山中やまなか長臣ちやうしんとして。べつ秋季あきとし殿どのより食禄しよくろくを給はり。由良之進ゆらのしんかはりなりとて。おとゝ簑作みのさく直参ぢきさんとなし玉ひぬ。のちに由良之進ゆらのしんねがひにて。餝麓しかま苗字みやうじ名告なのらせ。六郎がいへをつがせけるとぞ。小君こきみはことさら至孝しいこうなりとて。黄金わうごんまい化粧田けせうでん五十ちやうを給はる。栢木かしはぎ尾峯をみねをも褒美ほうびし給ひ。左エ門さゑもん廢舘はいくわん修理しゆりをくはえてかへし給ひければ。三之助もとのごとく移住うつりすみ賀客かかく門前もんぜんいちをなして。美名びめい遠名えんめいかゝやかせり。
かくてのちかの國字寺こくじじおいて。左エ門さゑもんおよび柴朶しだかさゝぎ追福ついふくをいとなみけるが。此日このひ栢木かしはぎ尾峯をみね仏前ぶつぜんおい剃髪ていはつし。仏月ぶつげつ禅師ぜんじ徒弟とていとなり。栢木かしはぎ栢樹尼はくじゆにとよび。尾峯をみね峯月ほうげつづけ。勝地せうちいほりをむすびておこなひすましけり。峯月尼ほうげつに後年こうねん故郷こきやうかへりてか。矢矧川やはぎがはのほとりにうつすみ。九十さいにして正覚せうがくをはりをとれり。西にし矢矧やはぎひがし山手やまてはかあり。にこれを美婦塚よいによぼうづかといふ。峯月尼ほうげつに尾峯をみねといひしときすみたる。宮路みやぢやまのふもとを。山中やまなか三之助が出丗しゆつせなりとて。後人こうじん
挿絵
【挿絵第二十八図 山中やまなか一家いつかふたゝび松江まつえ皈参きさん 千祥萬禎】

山中里やまなかのさととよびならはせり。ぎやう孝師こうしの『富士ふじ日記につき』にも。〔富士ふじ日記につき永亨ゑいかう四年足利あしかゞ義教よしのりこうめいによりてつくれり〕
  旅衣たびころもたつきなしともおもほへず たみにぎは山中やまなかさと
されば悪人あくにんほろびて善人ぜんにんさかへ。山中やまなか一家いつがもの目出度めでたきはるをむかへけり。これすなはち忠肝ちうかん孝胸こうきやう明徳めいとく天理てんり昭影しやうえいたるにあひてらして。かゝるさいはひときにはあひけるならん。ことばいやしくかきざまつたなきものがたりぶみといへども。竹馬ちくばむちをあぐるわらんべ。花間くわかんくさつむ小女をとめ春雨はるさめのつれ%\。あき夜長よながのなぐさめに。一度ひとたびまきひもときて。丗教せいきやうのはしくれともならば。作者さくしやさいはひもつともはなはだしからん。
鷲談傳竒桃花流水巻之五 大尾

巻末・跋

此書このしよ。はじめの一くわんは。文化五年辰の春三月初六しよろくふでおこして。ことのひま/\にしるしつれば。五月中の五日に。稿こうだつせり。のこる四まきは。今年ことし巳の冬十月すゑの八日よりふでをとりて。十二月九日にへんしをはれり。かゝるせわしきすさみなれば。一へん趣味しゆみ商量しやうりやうするにいとまあらず。窗前そうぜんいんおしみて。燈下たうかふかし。には松風まつかぜさつ/\とつゞりはべれば。おもひあまりて言葉ことばたらざるところもいとおほかりなん。冬の日のみじかさいをもてつくあらはしたるふみの。春の日のながくつたはるもの。一二はありもやする。そはなか/\のはぢなるべしと。ふでのついでに。ものしはべりぬ。
山東京山識 [京][山]

跋

京山先醒せんせいは。京伝先醒せんせい令弟れいてい/ヲトウトなり。彫蟲てうちう/インホリ詩画しぐはぎ/ワザさしはさんで。文場ぶんじやうあそことこゝとしあり。近来きんらい螢窗けいそういとま稗史はいしへんして。ふで湖上こしやうながれそゝぐ。ほん/コノへん填詞てんし/サクごときは。耳目じもく玩好くわんこうしよしよくするといへども。ひそかに。打悪だあく釣善てうぜんことばまじへつれば。児曹ぢそう/コドモシユくわんするとも。じつさまたげなしといわん。先醒せんせいせい岩瀬いわせ。名は。凌寒りやうかんあざなは鐡梅てつばい一字いつのあざなは京山。山東としやうするものは。戯編けへん假姓かせいのみ。そのだう鐡筆てつひつといひ。そのきよ方半ほうはんとよぶ。其家そのいへは江戸日本橋だいけいひがしせつ/マガルする小巷せうこう/ヨコチヤウにあり。

詩事 天山老人識 [天山]


刊記

江戸 山東京山填詞
   歌川豊廣畫圖
筆耕 橋本徳瓶
剞〓 七人敢不贅
小櫻姫風月竒觀こさくらひめふうけつきくわん 山東京山編次 歌川國貞画圖 前編全四冊出版
名画縁雪姫物語めいぐはえんゆきひめものがたり 山東京山編次 全部六冊近刻 近刻

北越雪中図會ほくゑつせつちうづゑ 全五冊 山東京山著并藏版
此書は作者雪中に北越にありて作れり雪中熊をとる図説雪中に生ずる竒虫異花ノるい雪中ちゞみをさらす図説雪車ソリ〓〓カンジキ雪帽の図るいかの地雪のふりはじめよりゆきのとくるまでの事さま%\の竒談をしるせり

白水先生口授 近刻 産婦さんふやしなひぐさ 全二冊 山東京山述并藏版
此書は産婦の身もち食物のさし合ものにつまづきころびたる時腹はらのもみやう産ぜん産ごのこゝろえくわいたいのうちより男女をしる傳子をもうくる方すべて産婦にかゝはりたる事をしるせり産婦ある家にはなくて叶はぬ書なり

京傳商物報條 きれ地并にかみたばこ入當年は別てめづらしき新がた風流なる雅品あまた仕入仕候相かはらず御もとめ可被下候 讀書丸とくしよくわん〔一トツヽミ壱匁五分〕第一きこんのくすりものおぼえをよくす心腎のきよそんを補ふ老若男女つねに身をつかはずかへつて心を労する人用てよし 極製きおう丸 大極上々の薬品を用ひのりをいれずしてくまのゐにて丸ず功のうかくべつなり ○京傳京山自画賛あふぎはりまぜるいたんざく
京山篆刻 水晶印一字十匁銅印一字五匁ろう石一字〔白字五分朱ゝ七分〕
古てい近てい好にまかす値をさだめてもとめやすからしむ
赤穂名産 花鹽はなしほ 折づめ箱いり御進物向しな%\梅さくらの形そのほかさま%\のかたちにつくりて見てもうるはしき雅品なり 江戸京橋鈴木町 山名屋武七

刊記

文化七年庚午歳正月 發兌
江戸書肆 前川弥兵衛 丸山佐兵衛 仝梓
[筆硯萬福大吉日利] 筆硯萬福大吉日利


# 『鷲談傳竒桃下流水』(『山東京山伝奇小説集』 国書刊行会 2003/01)所収
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