『貞操婦女八賢誌』(二) −解題と翻刻−
高 木   元  

【解題】

前号に引き続き、『南総里見八犬伝』の派生作である『貞操婦女八賢誌』初輯下帙を紹介する。

本作の作者である初代と二代の為永春水に限らず、19世紀における戯作者たちにとっての『八犬伝』体験は、ジャンルを越えて実に大きな影響力を持っていた。周知の通り、『八犬伝』は文化11(1814)年〜天保13(1842)年に至る28年間を費やして完結した長編史伝もの読本の雄である。主として貸本屋を通じて読み継がれたため、読者の評判の良さに拠って長編化した側面も否定できないが、その堅固な基本的小説構想が備わっていた故に、破綻のない長編作を紡ぎ出すことが可能であったものと思われる。

原作が完結する以前から歌舞伎に脚色され上演されたのみならず、草双紙など実に多くの〈八犬伝もの〉が、原作が結局する前から産みだされていた。この現象は、とりもなおさず『八犬伝』人気に支えられた商品価値が、継続的に保たれていたことを意味する。本作も完結前に出された派生作の一つであった。

そもそも、『八犬伝』というテキストは長編大作であるが故に抄録(ダイジエスト)されるのは当然のことであった。その場合、所謂名場面を繋ぐ形式が採用される傾向にあるが、実は改作(リメイク)の場合であっても、比較的原作の構成や展開に即して翻案されることが多かった。改作に際して採用される『八犬伝』の要素は、〈世界〉と呼んでも差し支えのない全体構想と、〈趣向〉とも称すべき名場面に係わるエピソードであった。

現代の小説や漫画などにおいては、ジャンルを超えたメディアミックスが一般化しているが、『八犬伝』の享受史を顧みた時、『八犬伝』は逸早く、原作の刊行途中からメディアミックス化され続けてきたことは刮目に値する。そして近世期のみならず現代に至るまで、古典に基づくテキストとしては突出した点数に及ぶ改作翻案作が創作され続けているのである。

さて、今回紹介した初輯下帙は、主として原作の〈大塚の場〉から〈円塚山の場〉に基づいた部分である。討つべき敵として扇谷が設定され、原作の「村雨丸」に対応するのが豊島家伝来の「錦の御籏」、寂寞道人こと犬山道節が円塚山にて「火定」を実施して愚民を騙し軍資金を獲る場面は、神卜仙女真弓こと於道が湯ヶ嶋にて「湯花の法筵」を催し熱湯の中へ飛び込むという趣向に変えられている。また、於道が「錦の御籏」の来歴として「蜀紅錦」に関する蘊蓄を披露する場など、江戸読本風の考証をも書き込んでいる。

なお、作中の「扇ヶ谷」を「合ヶ谷」に、「大塚」を「多塚」にと、板木が彫られた後から象嵌して訂正してある。「本郷」も全部ではないが「本幸」と直されている。「湯ヶ島」は「湯島」を匂わせているのかもしれぬが、豊嶋や礫川こいしかわ、戸田などは実在の地名を用いており、「扇ヶ谷」「大塚」「本郷」には何等かの差し障りが存した故の修訂であると想像されるが、その事情に関しては未詳である。

【書誌】初輯〔下帙〕 上・中・下(3巻3冊)

書型 中本 18.6×12.5糎

表紙 上部は濃縹、中央にて暈し下げ、下部は水色地。全面に貝殻の意匠を白抜きで散らす。後ろ表紙は柿渋色無地。

外題 「貞操婦女八賢誌 二編 上(中下)(13.3×2.7糎)

   上部は柿色地に花を白抜きにし中央部へ暈かし下げ、下部は水色地に模様を白抜き。表紙とも三巻同一。

見返 なし〔白〕

  序題なし「文亭綾継」三丁(丁付なし)

口絵 第一〜三図 見開き三図(丁付なし)摺りを施す

 「做水滸意\以古詩意\補半百」(印記)

内題貞操婦女八賢誌ていさうをんなはつけんし初輯しよしふ巻之四(〜六)

尾題 「貞操婦女八賢誌初輯巻之四(〜六)終

編者 「東都 狂訓亭主人著」(内題下)

畫工 「〈繍像|九員〉英泉畫」(口絵第一図)

刊記 なし

諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・東京女子大・三康図書館・千葉市美。

翻刻 前号参照

備考 後印本では内題尾題等に象嵌して編数を修正したものが見られる。具体的な改修の様相の調査報告については後日を期したい。


【凡例】

一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、
  可能な限り底本に忠実に翻刻した。

一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「ハ」と記されたものは遺した。

一 近世期に一般的であった異体字も生かした。

一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。

一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1 のごとく丁付を示した。

一 底本は、保存状態の良い善本であると思われる館山市立博物館所蔵本に拠った。

 翻刻掲載を許可された館山市立博物館に感謝申し上げます。

表紙

 表紙

序文

 序文

(寒葉齋)

教訓亭きやうくんてい春水しゆんすい女丈夫をんなますらを至徳しとく小説しようせつつゞり。 公布おほやけにして婦女八賢誌をんなはつけんしといふ 今歳ことしその續輯ぞくしうこくなつ じよふ 開巻かいくはんしておもへらく この小説しようせつ はちすう表題ひやうだいとするや しう八士はつし芳名はうめいになぞらへ また婦人ふじんあり」 九人くにん而巳のみ遺意ゐいにもあらんかはたいまけんなづくるゆゑんをらず をりから益友ゑきいうきんてい老人らうじん來訪らいはうして一説いつせつあり しよいふ 民獻十夫みんけんじつぷありと けだし 賢臣けんしんをいふなり  かつておもへらく 論語所ろんごにいふところの 亂臣十人者亂らんしんじうにんハらん 獻謬明矣けんのあやまりなることあきらけし 諸家しよか みだりせつをついやす 添足てんそくといッつべし焉 こゝに」丁付なし おいてはじめてけんけんたるを兎毛ふんで墨地ぼくちにうかめ このまきをたゝえて臙脂ゑんしちう一大いちだい竒書きしよたるべしといふ而巳のみ

文亭ぶんてい主人しゆじん綾継あやつぐ寒葉齋かんようさい北窓ほくさうにおいて書肆ふみや急迫いそぎもとめにおう[綾継]

【口絵第一図】

 口絵第一図

〈繍像|九員〉英泉畫\多塚おほつか梅太郎むめたらう丁付なし

於才おさいあま春風はるかぜにまだおいそふる\わかくさの\いろかすみに\まがふむさし

【口絵第二図】

 口絵第二図

仙卜せんぼく神女しんぢよ眞弓まゆみ丁付なし

合ヶ谷あふぎがやつ婢女はしため八重菊やえぎくかどすゞみ\ある\おとこと\なりに\けり

【口絵第三図】

 口絵第三図

鷺界青山\一株秋\水平ニメ銀浪\接流」丁付なし

隅田川\水の\みなかみ\たづねてぞ\夏を\よそなる\月も\見に\ける\ 文亭主人

【巻首】                 【題】

 題・巻頭

[做水滸意]

 婦-人交-誼 勝レリ男-子

 心-若-時亦-深

 珎-〓 請-看忠-義女-

 死-生能-守歳-寒-心

 (婦人の交誼 男子に勝れり\心 もし同き時は誼もまた深し\珍希請ふ 看よ忠義の女\死生よく守る歳寒心)

[以古詩意][補半百] 」丁付なし 


貞操婦女八賢誌ていさうをんなはつけんし初輯しよしふ 卷之四

東都 狂訓亭主人著 

   第七囘 〈松井田原青柳哀旅客まつゐだのはらにあをやぎたびゝとをあはれむ戸田川舩毒婦謀賢婦とだのかはふねにどくふけんふをはかる

山里やまざとにしるひともがな郭公ほとゝきすなきぬときかつげるかに。とゑいぜしうた貫之つらゆき風雅ふうがなりけん。それならで此所こゝ妙儀めうぎやまちかひと松井田まつゐだすゑ手疵てきずをおひし旅人たびゝとかたなつゑによろめきつゝ立上たちあがりてハ尻居しりゐたふいきくるしと夕月夜ゆふづきよまばらのほしにあらずしてやまずゑをちら/\とこえてゆくなる松明たいまつ白眼にらまへつめてをかみしめ漸々しだいよはり」 しげりたる夏艸なつくさにこそ打伏うちふし折節ときはるか埜路のみちより順礼歌じゆんれいうたとなへつゝ往来ゆきゝまれなる荒野ところぞともおもはでよぎるひとなりけんおそもなくちかづきしをかの旅人たびゝとハひそやかにかうべをあげてつら/\れバ同行つれさへあらでたゞ一人ひとり負須裡おひずりかけ未通女をとめえて年齢としごろ破瓜にはちあまりなりいと大膽だいたんなるものこそあれと苦痛くつうをわすれてあぐれバ彼婦かれ手負ておひうかゞ前後あたりをにらむ乙女をとめ顔色かんばせ勇々ゆゝしくもまた美艶うるはしけれそのとき旅客たびゞとこゑかけて 旅人モシ/\處女むすめチツトおたのみ申たいどうぞしばらく此処こゝへ/\ よびかけられて順礼じゆんれい乙女をとめはおめる気色けしきもなく アイわたしのことでございますかちかくよるに数ヶ所すかしよきずしほのくれなゐこれハ」1とば かりおどろきしが ヲヽこれハむごたらしいなさけないはしやんしたなァ盗人どろぼう所爲わざ意趣いしゆぎりヤレ/\ひどいことでハある負須裡おひずりぬの引裂ひきさき要所だいじおも疵口きずくちをこゝやかしことまきむすび延齢丹ゑんれいたんとかいふべからん蘇生薬きつけをあたへ介抱かいほうし サアモシ賓爺おぢさん幼年をさなきもの長年おとなよぶ伯父おぢといふはぞくの|通称となへなり親類しんるいといふにはあらじ〉 どういふわけだかはやくおいひなそしてわたしかたかゝつて宿駅となりとこまでおいでなさいこんなはらなかでハお医者いしやさまもよばれずかたがないョ。子。おぢさんいへバ旅人たびゝとうなづきて アイ/\これハ/\まことに信切しんせつ有難ありがた介抱かいほうことマアとしもゆかぬやうすだが深手ふかで疵人きずにん承知せうちしてぬの蘇合圖きつけのおこゝろづ けおかげで苦痛くつうハうすらぎましたがとても助命ぢよめいハ」 かなはぬ覚悟かくごぬるハいとはぬことながら大事だいじ使節つかひつとめ役目やくめまへ壮健けなげこゝろかけおたのみ申ハ古郷こきやう音信おとづれどうぞかなへてくださるか そですりあふ前世まへのよからつゞくゑんじやと申ますに老人としより難義なんぎすて申もおいとしいどうでたびからたびそらおまへのおうち言傳ことつてハずゐぶんおとゞけ申ませうきいて旅人たびゞとおほいによろこびうれしやかゝる美艶女たをやめ大丈夫ますらをとこであらんとハしぬるいまはのさいはひ。そも/\批老わし武蔵國むさしのくに多塚おほつかといふさとをさ杢兵衛もくべゑ呼者よぶものにして領主りやうしゆ平塚ひらつかどのゝ内命ないめいにてこし長尾ながを密使みつし大役たいやく首尾しゆびよくつとめ今日こんにち只今たゞいま帰路かへりぢいそぐこのふもとあにはからんやあふぎやつしのびの軍者ぐんしやとらへられ同伴どうばんなしたるそのひとあともりにて」2 あへなき最期さいごわれ下卒けそつ出立いでたちてかゝる時節じせつにまぬかれんとかねてたくみしことなれバきずうけても懐中くわいちう返翰へんかんまでハうしなはずこれを古郷こきやう領主りやうしゆへまゐらせ平塚ひらつか豊嶋としま丸塚まるづか三家さんけ繁昌はんじやうさせ申さんとおもひのほかにこの不覚ふかく長尾ながを書翰しよかんもちたれども砂金しやきん巨多あまたうばはれたりそれのみならで豊嶋としま殿どの先年せんねん長尾ながを分捕ぶんどりせられし坂東ばんどう八平はつぺい司令しれいたるにしきはたをこのたびのよろこびにとてかへされしをいまたゝかひのそのまぎれにおとしてさらに在所ありしよらずとにもかくにもながらへてかへるにかたき古郷ふるさとへたのみといふハこのことなり家内うちにハ二人ふたり幼年こどもありもとハいふにたらねどもあに今年こんねん十六さいいさゝか道理どうりきゝわけてものゝようにもたつものにて梅太郎うめたらう」 とよびはべるわれかはつてにしきのおんはたたづねて豊嶋としまたちにまゐらせ実父じつぷ勘気かんきゆるしねがひしばらく養父やうふとなりたりしこの杢兵衛もくべゑあやまちを領主りやうしゆにわびていもとにハ家督かとくつがせくれよかしとつたへたまへとあはもふるへふるふて合掌あいかぬる苦痛くつうさこそと順礼じゆんれい杢兵衛もくべゑいだきつゝ アレおぢさんをたしかにおもちよどうしてもかなはないとおおもひならおまへの遺言いふことをわかるやうに申ませういはれてうなづく老人らうじんいきもたゆげにえけるがかしこをんななりけれバ最期さいごおも安堵あんどさせんとみゝくちよせ モシおぢさんわたしももと湯ヶ嶋ゆがしま丸塚まるつかさまの浪人らうにんで。菊坂きくざか小六ころくといふものむすめ青柳あをやぎよびますがとゝさんの遺言ゆいげん孃毋かゝさんの行衛ゆくへをたづね先祖せんぞたやすな」3いひつけられた大事だいじのこのまたかゝさんハ夲家ほんけ豊嶋としまさまに由緒ゆいしよいへ。そうしてれバ余所よそほかのやうにおもはぬおまへのおたのみかならず/\あんじないでいふをきくより杢兵衛もくべゑハさもうれしげに合掌がつしやうすれどはやしたこはりてものさへもいはぬハいふに大丈夫ますらをもおよばぬ乙女をとめ青柳あをやぎうしろにうかゞふ雜兵ざふひやうがさてハ豊嶋としま由縁ゆかり曲者くせもの あふぎやつ諚意ぢやういなるぞ組付くみつく利腕きゝうでねぢかえしつきのめらせバまた一人ひとりよこきたるをこしなりけるひしやくのにてのんど真中たゞなかつかれてアツト一聲ひとこゑともにがつくり没命おちいる手負ておひなほこりもせず走寄はせよる士卒しそつひらいてかへされかたへみぞへはづみをうちざんぶとおち生死しやうしをしらず未通女をとめハこれをもやらで杢兵衛もくべゑをいくたびかいたはりながらよびいくれど」

【挿絵第一図】

 挿絵第一図

 旅客りよかくをあはれみて青柳あをやぎ合ヶ谷あふぎがやつ歩卒くみこやぶる 」4

はやこときれて甲斐かひもなくさすがハ乙女心をとめこゝろとてうらかなしくもなきいりしがやう/\とをはげまし なうおぢさんとんだところが返事へんじもないはづモシナア杢兵衛もくべゑさんたましひがまだとほくゆかずハよふくきかしやんせおまへのきずしよ結止ゆひとめぬのハわたしが負摺おひずりきれむすんであげたゆゑ冥土めいどたび結縁けちゑん札所ふだしよ利益りやくありもせバおめぐみふか圓通大士くわんおんさま現世げんせ古郷こきやうどもしゆ福壽ふくじゆちかむなしくはあらぬこのをのがれておまへハ菩提ぼだい即身そくしん成彿じやうぶつかならずまよふてござんすないますがごとくくりこともいふてかへらぬ死出しでたびわがたびそらながらすてておかれぬ亡骸なきがら片辺かたへをかうづめつゝ長尾ながを殿どのより平塚ひらつか返書へんしよたぐひかたみともなるべきものをたづさへて。駅路うまやぢさしていそぎゆく心淋こゝろさみしきに」5 やまおもひやるさへいたましきそも亡霊なきたまもいづくへか宿やどりさだめじはかなやとむねをいためてやゝたどるみち夏草なつくさつゆをいくつとびかふ蛍火ほたるびたまかとぞつきかへるにしかじとなくとりもしでのたをさや古郷ふるさとにこれをまつらんまつかひも。なくてまつるハ新盆にひぼん用意よういにこそハなりぬべしとこゝろ細道ほそみちさとをすぎ三日路みつかぢばかりゆき/\て戸田とだ川原かはらにいたりしが金烏ひかげ西にしかたむきてさる半刻なかばにすぎたりけるがこのころなかしづかならずことに街道かいどう物騒ぶつさうなりとてさるときよりハ往來ゆきゝもまれにてわたもりさへあらざれバいかゞハせんとためらふうち川上かはかみよりして一艘いつそう小舟こぶねをこぎてものありちかづくまゝによくみれ四十才よそぢあまりのおふなにてふねこぐわざなれたりけん余所よそをしつゝをあやどり」 此方こなたきしふねよせ  舟女モシ女中あねさんおまへもむかふへわたるのかへ 青柳ハイさやう 舟女アハヽヽヽヽ三年さんねん三月みつき河原かはらたつても申刻なゝつからさきわたしハ法度はつとそれともいまから渡舟わたりたくハ渡錢わたしせんチツトよけいにお いひながらふねなかをゆびさしてコレこのむすめ不案内ふあんない川上かはかみきしにまごついてたのをせてたのだこのきしからハあげられねへがこれからすぐ引汐ひきしほ豊嶋としま揚場あげばしも尾久をぐわたくちからあがりやァ格別かくべつ無理むりにこゝからあがつても關所せきしよがあるからいかれねへきいて青柳あおやぎわたりにふねかのふねをんなむかひ 「そうとハらずうか/\とふねかよひをまつてゐましたどうぞそんならそのふねで 舟女豊嶋としまでよくハサアのりいへばふねより一人ひとり乙女をとめこれもそのとし二八にはちばかり田舎ゐなか神子女みこへたるが練絹ねりぎぬぼう6 ひたひあて手織ておりあさ紅〓べにがすりたけながからぬ振袖ふりそで白綾しらあや薄衣うすぎぬかけてそれよりしろかほばせの愛敬あいきやうづきしくちびるべになでしこよりうつくしく青柳あをやぎよびかけまねきつゝ 田舎女モシ/\ねへさんこのおばさんのいふとほりだそうだからわたしと同伴いつしよ豊嶋としまとやらまでおいでなさいな女子をなご同士どしとてやさしくもこゑかけられて青柳あおやぎおふなふね打乗うちのをりから河越かはごゑ武士ものゝふ合谷あふぎがやつ幕下ばくかなり〉なりけん五七人走來はせきたり ヤイ/\そのふねすな詮義せんぎがあるぞまて/\/\。 舟女ヲホヽヽヽヽ仰山ぎやうさんむらどもが近在きんざい小遣こづか活業かせぎのもどりあし同伴どうしかへ田舩たぶねなかなん詮義せんぎがあるものかあざみわらつてこぐふねみづまかせるさかおとかの武士ものゝふよぶこゑをみゝにもかけず川下かはしもみなみかやぬまあしひがしながきたへ」 りはてハとらあはひをこぎ荒川あらかはさしてくだぶねよりもはやくながれゆくかくてこのふねにいりて神宮かにはきたにかすかなる下村しもむらといふ片鄙かたゐなかきしにつなぎてかのおふな  舟女サアマアこゝからあかんなせへのりなれたかはだけれど ひるあつさでがつかりしてモウ/\さほつかへねへ 「ほんにそうでありましたろうサアモシ神女みこねへさんおまへもいつしよにおあがりなたがひにをとり青柳あをやぎがわがたれ川水かはみづかみあらふなるつきかげかゞみにひとしきそらをながめ 「まことにいゝ夜光おつきよだねへアレ桟橋さんばしがすべるョ 神子ハイありがたふうちつれてあがる厂木がんぎむかふにハはやくもさきまはりたる河越かはごえ武士ぶしみちをふさぎ 「おたづねもの田舎ゐなか神女みこ同伴つれもたしかにその同類どうるいサア尋常じんじやうなはかゝれと」7 取巻とりまく大勢おほぜいかの老婆らうば二人ふたり處女をとめをうしろにかこひ 舟女アヽモシ/\このむすめ両個ふたりながらわたしの姪子めひつこかならずあやしい ヤアいふな/\わいらがいくらかくしてもあふぎやつ御所ごしよからして出奔かけおちなした侍女こしもと両個ふたりもと長尾ながを間者しのびのもの姿すがた美麗びれいにひきかへてこゝろふと處女をとめぞとおほせうけあたつた女郎めろうにがしてよかろうか邪广じやまひろぐな走寄はせよるをおふな突退つきのけはねのけておもひのほか健氣けなげなはたらき 舟女「こゝかまはずと無失むしつなんをのがれるやうにおちた/\ソレその茅原かやはら豊嶋としま御領ごれう一町ひとまちけバすぐに陣屋ぢんやはやくおやくにんひと間違まちが不慮ふりよ難義なんぎとおねがひ申なはやく/\とすかされて欠出かけだくさむらかねてよりわがねむすびし足手あしてまどひたちまたふるゝ両個ふたり美女たをやめかの武士ものゝふ下重をりかさなりやがてなはをぞかけたりけるこのとき舩郎ふなをさせしおふなとも會合つどひかほ見合みあは仕合しあはせよしとうちわらひくまなきつき燈明あかりとし荊棘いばら薮蘭からたちもりなかみちなき難所なんじよをたどらするに両個ふたり未通女をとめ詮方せんすべなくおめ/\としてひかれゆく無念むねんおもてにあらはれて推察おしはかるさへいたましきこれハさておきこゝにまた於斉おさいあま法名ほうめうして歳齢としごろ五十才いそぢちか尼公にこう武藏むさし下総しもふさ徘徊はいくわいしていんときくわをしめして濁世ぢよくせ衆生しゆじやう済度さいどする道徳だうとく此丘びくありけるがこのころ神宮かには薮中山そうちうさん満化寺まんぐわじとかよびなせしあれたる古寺ふるてら寓居かりゐして近郷きんがう勧化くわんけなしをど念仏ねんぶつといふことをもよほして十二三より十五六の處女をとめつどへてこれをなすに舞子まひこ進退ふりをしへもしつまた弥陀みだ如來によらい利劔りけん名号なづがう8 太刀たちうち闘場とうぢやうちん念彿ねんぶつ和讃わさんあひをど拍子ひやうし太鼓たいこおと修羅しゆらつゞみおもむきありされど近年きんねん合戦かつせんのこゝや彼所かしこたえざれバさと若輩わかうど少女をとめ臨終ひきいれらるゝ説法せつほうよりはるかにまさる尼君あまぎみのをしへなりとて流言ふれまはり老若らうにやく浮薄ふわ法場のりのにはいと/\繁昌はんじやうしたりしとぞ

   第八囘 〈凶信愁傷會三賢婦きやうしんしうじやうさんけんぷをくわいす戀情賢能告正深志れんじやうけんのうまさにしんしをつぐる

亦説さても文明ぶんめい五年ごねんあき七月ふみづき十日とをか夜半よはのことになんかの多塚おほつかなる梅太郎うめたらうおもひがけずも夲家ほんけなる於袖おそで戀情れんじやうふかきにより當惑たうわくいはんかたもなくこゝろをいためありけるが於袖おそで一途いちづ梅太郎うめたらう好漢をとこおもひしことなれバはづかしきこと」 いひつくしてとりあげられぬ夲意ほいなさにすでいのちすてんとて走出はせいだしたる庭面にはもせ垣根かきね寄添よりそふあやしのをんなさすがぬると覚悟かくごしても不慮ふりよのことゆゑもの恐怖おぢしてアツト一声ひとこゑたふるゝ於袖おそでとなれるいへよりおはり欠出かけいでおどろきながらことのよしをきいてわがともなひつゝしばらく介抱かいほうなしけるとぞこのとき梅太郎うめたらうこゝろをしづめ 「まだもあけないのにひと門口かどぐちさしのぞくハ合点がてんいかれバをんな順礼じゆんれい姿すがた同行どうぎやうもなくたゞ一人ひとり真実まこと修行者しゆぎやうじやでハあるまいなたしかに家内かないうかゞひてものぬすまんとたくむであろうおな形容かたちひとながらさもしきひとこゝろでハある於袖おそでがこともこゝろにかゝれど折戸をりどをはたとたてきりて飛石とびいしづたひに居所ざしきのかたへゆく順礼じゆんれい呼止よびとゞめ アレモシちよつとものとひませうこゝハたしかに多塚おほつかむら9 アノ庄屋しやうや杢兵衛もくべゑさんとおつしやりますおひと居住おたく御存ごぞんじならバをしへなされてくださいまし ナニ庄屋しやうや杢兵衛もくべゑとハ此方こちらじやが一向ついに看知みしらぬ其方そなた風俗やうすとがめられをまぎらかさんとようでもないことたづねずともはや其所そこたちさらぬか 「なるほどときならぬをりまゐつたゆゑおうたがひハもつともでございますが曲者うろんなものでハございませぬこちらをひとでなしといふそのおやたびそらあへない最期さいごをしたともらず娘子むすめこどもをひきいれて婬蕩いたづららしいいま風情ふぜいおやゆいげんをつたへてもいふ甲斐かひもない梅太郎うめたらうさん遺物かたみもほしうハございませぬか長尾ながをさまの返事へんじもわたしがすぐに御領主ごりやうしゆいはれてハツト梅太郎うめたらう虚実きよじつハいまだわきまへねどおのがおやのことたびうわさ凶事きよじのことばきいて」 むねさへとゞろかし イヤこれハおほ きに麁相そさうなこと此間こないだ近邊こゝら物騒ぶつそうじやとちう要心ようじんする最中さいちうことに此方こちら取込とりこみがあつたから前後あとさきかんがへないでひよんなあいさつにさはつたら了簡れうけんしてマヅこちらへ柴折戸しばをりとあけともなゑんはしこしうちかける順礼じゆんれい田舎ゐなか乙女をとめおもひのほか容儀ようぎものごししとやかにまたこれ一個いつこ美人びじんなりこのときつきおちとりないてハしら/\とあけわたりぬさて梅太郎うめたらうハせきたち養親やしなひおやともたのみてし杢兵衛もくべゑ覚束おぼつかなけれバいかにありしととひよれバかの順礼じゆんれいたづさへし長尾ながを書翰しよかん遺物かたみとう取出とりいだしつゝ物語ものかた松井田まつゐだはら一件ひとくだりまた杢兵衛もくべゑ遺言ゆいげんまでおちなくといきかせけれバ梅太郎うめたらうハやゝしばらくあまりのことにむねつぶれ途方とはうにくれてことばなく勇智ゆうちかねても」10 まこと女子をなごかゝるをりにハなみだのみさきだつひと心根こゝろねおもひやるさへいたましく正躰しやうたいなくもふししづそのきようかゞ順礼じゆんれい未通女をとめ柄杓ひしやくをふりあげて真向まつかうはつしと打込うちこむをみぎひだりへかほふりそむけまたもうちなくびをとらへてずつくと立上たちあがれバとも突立つゝたつ乙女をとめ大膽だいたんとられたるふりはらひ なげきに大事だいじをわすれたら親御おやご孝行かう/\になりますかたとへおとしハゆかないでも義理ぎりあるおや遺言いひのこされた豊嶋としまさまの御宝おんたからにしき御籏みはたをたづね実爺じつおやさんの尊霊おゐはい御主君おしゆう勘氣かんき詫言わびことをしてあげられずハすみますまいたよはいおかたとうちわらへバ梅太郎うめたらう用心ようじんのなかにも乙女をとめ弁才べんさい利口りこうときつけられてたんそくし  モシおまへハ未通女むすめごにハめづらしい發明はつめいもつとも大丈夫をとこにまさつた」 御氣性ごきしやうそれでなけれバ松井田まつゐだ修羅しゆらちまたとゝさまのたのみをきいてはくださるまいマアいさましいおまへの生長おいたちさだめてふか御様子ごやうすがあつてやつしたそのお姿すがたくるしくなくハうぢ素生すじやうをどうぞあかしてくださつてハ 「おまへもまことをおあかしならバ サアわたしハこの養子やうしといふハかねておまへもつてのとほり イヽヱそれよりおまへの姿すがた變生へんせう男子なんし由來ゆらいをどうぞ ヱヽ變生へんせう男子なんしとこのわたしを 「うまくこれまでおだましだろうがわたしハさとつたおまへの本形ほんせう シテその證古しようこがあるのかへ 證古しようこ神宮かには薮中山そうちうざん満化寺まんぐわじ道徳どうとく於斉おさいあま招介帖ひきつけでうこれなさんせさしせバ梅太郎うめたらううけて コリヤさうゐないあま御前ごぜ自筆じひつでうでございますそうしてれバ」11 おまへもまた豊嶋としま由縁ゆかり娘御むすめごで 丸塚まるづか浪人らうにん菊阪きくさか小六ころくむすめ青柳あをやぎと申ますこれから始終しじうこゝろをあはして 豊嶋としま正統しやうとう路姫みちひめさまを 「これまでらずにをりましたがあま御前ごぜ教示しめしきい御法みのり花衣はなころも佛果ぶつくわでハない國家こくか御為おためこれよりさすが梅太郎うめたらう実事じつじをあかすをんなじやう自然しぜんとしづかなりけるがそも梅太郎うめたらう何日いつのほどにか於斉おさいあま見参げんさんせしやまた於斉おさいあまハいかなるひとまきをかさねてくわしくす べしかくて青柳あをやぎ今朝こんてうこゝにきたりたる夜中やちう始終しじうつぐうちかのをんな 舩長ふなをさ河越かはこえつはもの出立いでたちしハ於斉おさい あましよくしたる人々ひと%\なることその 草中くさむら生捕いけどられしのち於斉おさいあまにかたらはれたるよしをものがたりたゞいぶかしきハおなじ年来としごろなる田舎ゐなか神女子みこ満化寺まんぐわじの」

【挿絵第二図】

 挿絵第二図

 義婦ぎふ凶信きやうしん多塚おふつか告知つげしらす」12

地中ぢちうにいたりてなはをはづして迯去にげさりしはたら未通女をとめ似氣にげなき大膽だいたんなりとこまやかにかたりけれバ梅太郎うめたらうハこれをきゝ青柳おをやぎにうちむかひそはのこおほきことになん貴孃おんみひとしきその婦人ふじんなどでちなみむすばざりしといといたふくやみしかバ青柳あをやぎハうちわらいなそのことハくるしからず尼公あまにハこれを卜占うらなひいまこの未通女をとめにげたりともまた再會さいくわいときありて姉妹あねいもととなるものぞとつげられたれバこのすゑにいつかハあはですごすべき於斉おさいあま神占しんせんハまた頼毋たのもしきことにこそ閑談かんだんときをうつせし折節をりから毋屋おもやよりして杢兵衛もくべゑじつむすめのおたけこゑ  あにさんおまんま出來できましたいひつゝかけきたりしが青柳あをやぎていぶかしく ヲヤあにさんこの順礼じゆんれいあねさんハおきやくかへ何心なにごゝろなく於竹おたけたづ梅太郎うめたらうハ」13 さし俯向うつむきこたへもくもなみだごゑ ヲヽたけさんかへいまおまへにそうはふとおもつたところだよこのあねさんハとゝさんのお使つかひだよ ヲヤ/\そうかへそしておとつさ゜んハ何日いつごろおかへりだ子ヱトきかれておもはずなきだすかほのぞいて於竹おたけハそれぞともまださとらねどともなみだ あにさんナゼそんなにおなきだへおとつさ゜んが途中みち塩梅あんばいでもわるいとかへ。うめさんはやくいつておきかせよョあにさんいヘどいらへもなみだのみはてしなけれバ於竹おたけハまた青柳あをやぎにむかひ アノウねへさんおとつさ゜んがなんといつてよこしましたへ。ねへさんとひかけられこれ於竹おたけがこゝろおもへバ不便ふびんさいぢらしさなかじと奥歯おくばかみしめてなか/\こたへハならざりき於竹おたけ両個ふたり泣皃なきがほになほにかゝるおやのこと梅太郎うめたらうをゆりうごかし ヨウあにさん」 はやくおとつさ゜んのことをいつておきかヨウどうかしたのかへ。あにさんトなきいだせバおもはずなき梅柳うめやなぎなかたふれてなよたけづゆもはら/\なみだあめ丁度てうど三人みたりかは波立なみたつばかりのなげきなり梅太郎うめたらうハやう/\におきかへり アノウたけさんよくおきゝおとつさ゜んハたびからたびへおいでだからモウどうしてもおかへりでハないョそれだからいままでとちがつてなほおとなしくおしよそしてわたしハそのことでまたたびゆくからさみしかろうけれど畄主るすをしておいでよ アイト返事へんじくちうちをさなけれども發明はつめいにてはや十二さいになりぬれバそれとさとりてかなしさもたのみすくなき孤子みなしご心細こゝろほそさをたれにかハかたらんよしもあらずしてちからとなるべき梅太郎うめたらうがまた旅立たびたつときくからにいよ/\なげきハとゞまらず あにさんおとつさ゜んハ何処どこで」14 んだとおいひだへいゝ医者おいしやさんがなかつたのかへどんなにせつなかつたかだれもさすつてやるの。もんであげるのといふものもあるまいねへそしておてらへおともらひをまだしないのならおとつさ゜んのんだうちつれいつておくれなモウあふことが出來できないからとうぞかほたいョ。あにさんなきくどかるゝ梅太郎うめたらうらせにきたりし青柳あをやぎなみだはてしなかりしところへいへ支配しはい鍬八くわはちが サア朝飯あさめしにしなさらねへかあさッぱらから串戯じやうけちやァないたり笑ッわらつたりするだァおいもばァさまが小言こごとをいひまさァはやく食事たべてしまひなさいこゑかけつゝ背戸せどかたはたけをさして出行いでゆけ梅太郎うめたらう思案しあんさだゑん立出たちいで毋屋おもやかたうかゞひながらなほり 「おたけさんかなしいハもつともだけれどモウ/\おもひきつておなきでないとハいふものゝ無理むりなこと」 これがなかずにゐられうかおまへもわたしも便たよりないたつた一人ひとり男親をとこおやわかれといへバ何時いつじやとてかなしくないハないけれどせめて二人ふたり看病かんびやうしてかなはないまでもお医者いしやさまのくすりョはりョと介抱かいほうのうへで退のがれぬ定業ぢやうがうならまたあきらめもならふけれどおとしよられておいででも不断ふだん達者たつしやアノ多勢たせいのために数ヶ所すかしよ深手ふかで苦痛くつうもさこそとおいとしい 「そんならバおとつさ゜んハひとにきられてんだのかへ。あにさんころしたやつ盗人どろぼうだとかへまた喧嘩けんくわでもなさつてかへヱヽくやしいかなしいねへサアあにさんこのねへさんがおとつさんのおたのみでころしたひとをもつておいでだといふことなら同伴いつしよにそこへいつてもらつてどうぞおとつさ゜んのかたきとつてあげたいねへあにさんすぐたくをおしでないかあにさんせきたつなみだをはらふいかりの」15 面色めんしよく憤然ふんぜんとしてくひしばりにぎこぶしやはらかな蛍狩ほたるがりとか手玉てだか〔ママ〕とかたとへていふべきをさなの所為わざくれされどはげしき大丈夫ますらをにおとらぬ勇気ゆうき恩愛おんあいふかきハこゝにあらはれてあはれにもまたいさぎよし梅太郎うめたらう青柳あをやぎ三ッ子みつご浅瀬あさせのたとへにひとしくなくのみならんと遠慮ゑんりよしてつげかねたりし杢兵衛もくべゑ横死わうしきい壮健けなげにもかたきうたんといふをきゝ アノたけさんおまへはいつものよはむしとおもひのほかにつよ口上こうぜうかたきがとつてあげたいとハ感心かんしんした親孝行おやかう/\しかし一人ひとり二人ふたりでハうつことならぬあふぎやつ宦領家くわんれいけ順検士じゆんけんしことに領主れうしゆ長尾ながを内通ないつう露顕ろけんえし大切たいせつ場所ばしよにおいての打死うちじに勇士ゆうしもおよばぬ忠義ちうぎいさおしたゞ残念ざんねんにしき御籏みはたとゝさんハ取落とりおとしたと青柳おをやぎさんに被仰おつしやつた」 そうだけれど領主りやうしゆ夲使ほんしぬほどなりや急度きつと鎌倉かまくらへとられたにちがひはないョ 「そんならバどうぞ爺父おとつさ゜んのおともらひでも夲式ほんとうにしてそれからその御籏みはたとやらをたづねして サアそれゆゑにわたしが旅立たびだちおまへハよふく畄主居るすゐしてとハいふものゝ内外うちとものへまだこのことハらされないョわたしハたびゆくあとにおまへばかりがのこつておとつさ゜んがんだときいたらどもばかりと馬鹿ばかにしてわるいことをたくむもの出來できたときハなんぼおまへが才智りこうでもなか/\一人ひとりふせが〔ママ〕れるものでハないからわたしがかへつてるまでハかならず他人ひとれないやうに於竹おたけ萬端よろづ得心とくしんさせまた青柳あをやぎをかたらひて梅太郎うめたらう帰宅きたくまでこゝにとゞまりおたけがために余所よそながら後見うしろみ要心ようじんとなし家内やうちのものへハ杢兵衛もくべゑより書状しよでうもつて」16 青柳あをやぎいへにとゞめておくべきよし言越いひこしたりとこしらへてそのより青柳あおやぎ於竹おたけにしたしくともとして梅太郎うめたらう杢兵衛もくべゑまねきによりこし長尾ながをへおもむくとてたび用意よういをしたりけるかゝりしところとなれるいへ於張おはり梅太郎うめたらうをあひまねき於袖おそで必死ひつし覚悟かくごのおもむきつまびらかにときつけてもし情念しやうねんをはらさせずバ縁者ゑんじやちなみある乙女をとめころして夲意ほんいとおもはるゝハいと/\なさけなきことぞと於袖おそでともうらめしげに言葉ことばかずさへつくさずにたゞさめ%\となき口説くどか當惑たうわくいはんかたなけれど今になりてハなほさらにあかすよしなき大事だいじ恩義おんぎ養父やうふいもとのためまことはゝ遺言ゆいげんなど三ッ四ッ五ッむづかしき思案しあんむねやすからずとハいへ於袖おそでしにかねまじき風情ふぜいすでにあらはれたれバ當座たうざいのちのばしなバ」 へど(ママ)てうつる人心ひとごゝろわれをわするゝときあらんしかりといへども旅立たびたちのわけのまことつげられずまことつげずバ才智さいち未通女をとめたゞふりすてるとおもひとりをあやまつにいたるべしとやゝ肺肝はいかんをなやませしがやう/\にこゝろをさだめ 「おはりさんの御信切ごしんせつそでさんそれほどおもつておくれならいやでハないがトみゝくちなにやらつげれバおそでかほをさとあからめてうれしげなり元來もとよりはり媒人なかだちなりそれとさとりてひとごと  「ほんにわたしとしたことが極樂ごくらくみづまでいそぎのようをさつはりわすれた佛性ほとけせうたのんだひとへハつみつくりドリヤひとはしますてうど畄主るすしてくださいましうめさん和合なかよくおあそびョすいなふりして甘口あまくちにはかりおほせし内心したごゝろ梅太郎うめたらう夲家ほんけ伯毋おば作畧さくりやくとかねて推察すいさつハなしてもおそで不便ふびん17 とおもふこれ夲生ほんしやう女同志をんなどし男子なんしにハすこしくもどれりさても両個ふたり對座さしむかひ於袖おそでなんといひよらこと葉草はぐさつゆおもきなみだもとほんのりと 上気じやうきせしかほそむけつゝむかふへそらすたなびらゆびとゆびとにあやどりてなまめかしくもあいらしゝ梅太郎うめたらう歎息たんそくこゝろそこおもふやうわれもしまこと男子をのこならバこの艶婦たをやめ惑溺わくできして生涯しやうがいをあやまちなんつゝしんまもるべきハ男女をとこをんな戀情れんじやうなりきとおのれをつゝしむ賢良けんりやう貞婦ていふこれ八賢志はつけんし最一さいゝちにてこれにますべき智勇ちゆう賢婦けんふなほいづべからんか知らねどもこゝにハがたき秀才しうさいなるべしそれハさておき梅太郎うめたらう於袖おそでちかそはせ アノそでさんだん/\おまへのおこゝろざしをきいれバ親御おやごさんたち善惡さがもかくもわたしにふりかゝつた」 難義なんぎなことさへないならバ両個ふたりいつしよといひたいけれどいまおわかれ申たらまたあはれるやらあはれまいかとすゑ覚束おぼつかないことがあるゆゑどうぞおまへもきゝわけて萬一まんいちわたしが旅立たひだつかへらぬやうになつたならどうしてもないゑんだとあきらめて神宮かにはいへ相續さうぞくなさるが先祖せんぞ孝行かう/\よしやわたしが旅先たびさきよう早速さつそくらちあいてすぐかへつてるまでもゑんがなけれバそはれぬものはじめハいやとおもつても神々かみ%\さんのむすんだなかハそぐはぬやうすゑとげるそれがまこと夫婦みやうとごとかほかたちほれたとて無理むり戀路こひぢ縁組ゑんぐみハかならず/\しないものじやとわたしのはゝならひの子供こども毎事いつもをしへたをおぼえたとほりいやらしくいふもおまへがいとしいゆゑそでさんわたしもじつほれてゐて前後あとさきおもふ信切しんせつをかわいそう」18 だとおおもひならおまへもちやんとおもきつてわたしをたびたゝしておくれいひつゝしつかりにぎ千萬せんまん無量むりやうおもひをおもひをはらさす變生男子へんしやうなんし姿すがたばかりの好漢をとこにハほか詮方せんかたありとてもその情慾じやうよくをはたさせてハこれ梅太郎うめたらう不義ふぎにしておそで一旦いつたん男子なんしあひしいたづらの落没おちいりてこのすゑ未通女をとめといふべからず必竟ひつきやう於袖おそで返答こたへハいかにそハだい九囘くくわいるべし

貞操婦女八賢誌初輯卷之四」19オ

貞操婦女八賢誌ていさうをんなはつけんし 初輯しよしふ 卷之五

東都 狂訓亭主人編次 

   第九囘 〈号神女真弓弘占卜しんぢよとがうしてまゆみせんぼくをひろむ告昇天冨嶽催神祭しやうてんをつげてふかくにしんさいをもよふす

清少納言せいせうなごん枕双帋まくらさうしといふものかけるハいともいみじき賢婦けんふなるかなあはれなるものといふところはじめかうあるひとかきいでたりひとみちおほくあるがなかおやかうあるこゝろこそ第一だいゝち所為わざになんきみちうつくともだちにしんあることもみなまづかうもととしてそのこゝろよりおよぶとぞされバ君子くんしもとをつとむもとたつみちなるかうていじんをおこなふのもとかと論語ろんごにもしるされたりげに多塚おほつか梅太郎うめたらうおやに」 かうあるこゝろからまた佗人ことびとまことありておそで戀情れんしやうなるをもなほあはれみてこれをさとしこゝろいそぎのなかなれどもわかれをつげ信切しんせつなりしにおそでなに返答いらへさへなみださしぐみゐたりしがやう/\にかほをあげうらめしげに梅太郎うめたらうかほをまもりて溜息ためいきをつく%\おもひめぐらせバいとゞゆかしき情人こひゞと容儀ようぎ才智さいちのなみ/\ ならでわれさへさとらぬ継親まゝおや奸計かんけいまでを視察みすかしたる思慮しりよはなか/\凡世よのつねひとのおよばぬことのみかハ戀慕れんぼまどひておやにはかられをとこもて證状しようでううばはんとせしこのをにくまず親子おやここゝろ一同ひとつならぬをりつゝ手形てがたあたへんと惜氣をしげもあらぬ大器量たいきりやうかゝるひとにぞせてつまとよばれをつととかしづき朝夕あさゆふ和合なかよくをおくらバしよくともしく美服よききぬにしきゆめずともあれくさ蒲團しきねたまとこ1 さぞ頼毋たのもしくあるべきに養父やしなひおや所用しよようにつきていまいでゆかバかへらじとかたくははねかへられぬことあるならんそのときハなまじむすばぬゑんこそハのちくやしきことあらじといはるゝむねこそ心得こゝろえねとハいへやさしきこと此身このみをさばかりうるさしといみきらはるゝ風情ふぜいえずこれにハふかきゆゑあるべしとひあきらめてんものとなさけこめにぎられたるをそのまゝ梅太郎うめたらうひざもたれてあどけなく うめさんわたくしのやうなきゝわけのないものをながくだん%\おいひだからおもきらふとおもつてもあきらめられぬ因果いんぐわこゝろどうぞおそばられずとも両方たがひこゝろ夫婦ふうふだとせめて一言ひとことおいひならそれを一生いつしやうたのしみにしてくらすからおいやあらふが今日けふからしてこゝろばかりの夫婦ふうふといふことをどうぞ得心とくしんしておくれな。ヱうめさん。ヱおいやはひまつはりし姫蔦ひめづた言葉ことばのつるをなさけなくとくにとかれぬ義理ぎりとなりかの青柳あをやぎつげきたりしにしきはた由來ゆらいあかしこのたび松井田まつゐだへおもむけどはや彼地かのちにハあるものならじはたハたしかにあふぎやつ殿どのとりをさめられしとおぼゆれバそのかりをんな風姿すがたになりて宦領家くわんれいけ立入たちいりなにとぞはたうばひかへして豊嶋としま殿どのたてまつそのこうたてたるのちかくもなりなんよしをつまびらかにつげつるがなほ女子をなごぞとはこゝにあかさずそハなにゆゑぞとおしはかるに柔弱じうじやくなれどもまことある處女をとめなるからまんに一ッもちゆる時節ときもあらんかとのちおもひてふかくかくせしとぞされバおそでもやう/\になだめられたる情念じやうねんしぬるときはめし覚悟かくごをバしばしハとゞまる気色けしきなれば梅太郎うめたらうわかれつゝおのが家居いへゐかへ青柳あをやぎ於竹おたけ前後あとさきのことをよく/\たのをしえ」2 おきなか二日ふたひ支度したく調とゝの日限ひぎりられぬたびなれバさむさにむか綿入わたいり肌着はだぎきぬのと女同志をんなどしこゝろをつけつつけられつところにひさぐ菅菰すがごもみの小笠をがさ取揃とりそろ門出かどいでいは軒並のきなら隣家りんかひとらせじと凉風すゞかぜさそふあかつきひがしおが鹿嶋かしまだち立派りつぱゆる梅太郎うめたらうこしたいする一刀いつとう藤六とうろく左近さこん國綱くにつな鍛打きたひうつたる二尺にしやく三寸さんずん重厚かさねあつなる 古刀ことう名作めいさく女子をなごだてらにおもけれど孝義かうぎかろいのちぞとかろらかななつ浴衣ゆかたたもとはらふて旅立たびたちぬこのときこれ文明ぶんめい五年ごねんあき七月ふみづきなか五日いつかのことなりとぞ

ちなみいふ國綱くにつな名号なのる鍛冶かぢ五人ありとぞ〈備前びぜんに一人肥後ひごに二人宇土うど菊池きくち三河みかはに一人〉いづれも後醍醐ごだいご天皇てんわう御時おんとき元徳げんとく年中ねんぢう 〈のひとなり〉こゝにしるせし國綱くにつな粟田口あはだぐち住人ぢうにんにて正治しやうぢ年間ねんかんひとなり西さい明寺みやうじ殿どの御供おんともして相州さうしう鎌倉かまくらくだのち左近さこんの將監せうげん改名かいめいせり」

両話説それハさておきこゝにまた神卜しんぼく仙女せんぢよ真弓まゆみとて観相くわんさう易術えきじゆつひいでたる神變じんへん不思議ふしぎ女神巫をんなみこありもとこれ何処いづく神祇宦じんぎくわんいへうまれし處女をとめなるかその來暦らいれきらさねど延喜式ゑんぎしきない式外しきぐわい神社じんじや流通るつう承知しようちしておよそ神祗じんぎ祭文さいもん祈誓きせい 弁明べんめいせずといふことなくなほ易道えきどう妙材めうざいありて前漢もろこし焦延壽しやうえんじゆ京房けいばうみぎなるべしともつは風聴ふいてうせられしが此頃このころ武藏むさし下総しもふさ在々ざい/\徘徊はいくわい人相にんさううらかたほどこして里人さとびと重用ちやうようせられしがとしわづかとをあまりむつなゝつにやなるべきかとひとあれバかれこたへハ二十五才ときこえけりまことしからずとおもへども弁舌べんぜつ才智さいちをいふとき三十才みそぢこえをんなといふとも常人じやうじんいかでかこれあたらんまた容皃ようぼう美麗びれいをいはゞ待宵まつよひ蜘虫さゝがにゑいじたる衣通姫そとほりひめにもまさりつべく體軽たいけい柳腰りうよう艶姿えんしをたと」3 はゞかん成帝せいてい寵后てうこう飛燕ひゑんてうめされぬときハかくありけんかとおもひやるじつ無双ぶさう未通女をとめなりしがこのときしも武藏國むさしのくに豊嶋郡としまごふり峽田領はけたりやうしま本郷ほんごうむらふるまつりし神社じんじやありそもこのやしろ鹿芦かあしひめ大山祗おほやまずみ二女ふたひめあがめ冨士ふじ淺間せんげんいはひこめて毎年としごと礼祭れいさいおこたらざりしが今年ことし村方むらかたゆへありて六月みなづき祭礼さいれいのばせしところ一村ひとむら邪祟じやきにおかされて病人やむひと漸々せん/\たえざれバにはか村長むらをさ評義ひやうぎしてかの神卜しんぼく仙女せんぢよ真弓まゆみといふ女神子をんなみこをかたらひつゝ冨士ふじ浅間せんげん社頭しやとうにおいて湯花ゆばな興行こうぎやうもよほしけりされバ真弓まゆみときていづくよりかはやとひけん宮奴みやづこ両個ふたりをつれきた彼等かれら神前しんぜん供物くもつ祭式さいしきつかさどらせまた境内けいだい鼎足ていそく用意よういなしこれにすゑたる大釜おほがまわたり五尺ごしやくもありぬべし真弓まゆみ衆人もろびとに」

【挿絵第三図】

 挿絵第三図

つげていふやう我身わがみ年来としごろかみいさめのわざをなして神慮しんりよ清浄すゞしめたてまつりなほひと吉凶きつけう禍福くわふく視看けんかんしてハすで天機てんきをもらすのとがありしかりといへども八百萬神やをよろづのおんかみ冥助みやうぢよによつてこれをまぬかかつ還童くわんどうじゆつありてわかやぐほうをなしたれバつねにハ二十五さいといひしがまこと今年ことし六十一才これてんけん帰数きすうなれバ此度こたび湯花ゆばな法筵ほうゑんにおいて神魂たましひ高間ヶ原たかまがはら昇遊せうゆうせしめんと覚悟かくごせりされど凡體ぼんたい穢土ゑどにとゞめまた黄泉よもつくにくだすをいとひ祭事さいじまつたくをはりなバいきながら熱湯ねつとううち投入なげいれ神霊しんれい昇天せうてん竒特きどくすべしにありふれたる神職しんしよく神女みこ奉幣ほうへい湯花ゆばなかろしめて参詣さんけいせざるともがらのちくやしきことありなん我皇國わがすめらみくに神慮しんりよをおそ」5 れみ志願しぐわんをなさんとおもふものハいかなる大望たいまうなりといふとも供物くもつ祭式さいしき米銭べいせんをいとはず崇敬そうきやうまことつくしていのりなバ宿願しゆくくわん成就ぜうじゆうたかひなしとかね其意そのいをしらせしかバ道俗どうぞくこれをきくよりものことハかくいきながら熱湯ねつとうなげいるゝといふことのめづらしけれバ云傳いひつたかたりつたへてをちこち老少らうせう男女なんによ分別わかちなくそのいたるをゆびをりかぞへ心樂こゝろたのしく待侘まちわびひがしとほ村人むらひとしま旅宿りよしゆくをもとめ西にしへだたる在郷ざいがうよりハ森川もりかは宿しゆくにやどりをなしその祭礼さいれいまちたりけるかくて七月ふみづき二十五日神卜しんぼく仙女せんぢよ真弓まゆみこそ昇天せうてん行力ぎやうりき満願まんぐわんなりとて未明みめい小冨士山こふじさん境地けいちにいたれバ村長むらをさ里人さとひと助力ぢよりきして供物くもつ用意ようい廣大くわうだいなりそも/\この冨士山ふじさんしやうするハ」 をかひとしき小山こやまなれども芝崎しばさきより浅草あさくさ野末のすゑにかゝりて西にしにあたりし山手やまてなりされバしまだいたかきよりまた一際ひときはたかけれバ武藏野むさしの冨士ふじといはんもまたむべなり西にし森川宿もりかはじゆくくだみなみかた丸山まるやまほどちかまさ勝景せうけい名山めいざんなりもとこの山上やま浅間せんげんをまつりはじめしハいと/\ふるきことにしてむかしこのをかまつ大樹たいじゆのありけるがこのこずゑ毎年まいねん六月みなづき朔日ついたちより三日みつかあいだゆきふりつもりて冷風れいふうおこちかれバ寒氣かんきはだへをさすがごとくわづかに一町ひとまちへだてずして炎熱えんねつすがごときもこゝなるまつのもとにきたれば嚴冬げんとうときにまされりとぞしかりといへども人民じんみんこの寒風さむかぜにあたりしものハたちま邪熱じやねつにおかされて病人やむひとすくなからざりしかバこれ神霊しんれいとがめならん」6郷人さとびと寄集よりつどひて二女神ふたひめがみまつりしとぞこれより郷村ところ氏神うぢがみとて崇敬そうきやうおほかたならざりしが應仁おうにんみだれより諸國しよこく神社じんしや佛閣ぶつかくまで軍役ぐんやく兵粮ひやうらう運送うんそう歩役ぶやくまたハ兵火ひやうくわ焼亡せうぼうなどあるのみならで國民くにたみえきにつかれて神佛しんぶつおもまゝなる手向たむけもならずされバ當社たうしやあれはてて本社ほんしや拝殿はいでんまつたきのみハこと%\くすたれたり東阪ひがしざかなる火焚屋ほたきやのみいさゝか雨露うろしのぐとかじつ浅間あさま境内けいだいなりきされど今日けふなんめづらしき湯花ゆばな祭礼さいれいあることなれバれいにハあらでにぎはひけりとき真弓まゆみたつこくより祈誦きじゆ祭文さいもん数百遍すひやくへん天津祠言あまつのつと太陽ふと祠言のつと六根ろくこん清浄しやう%\御祓みそぎをなして神拜しんはいをはりしづ/\と夲社ほんしやをいづるその形相ぎやうさうにハ白妙しろたへ浄衣じやうゑちやく紅梅こうばい肌着はだぎすそながくれなゐまき両足りやうそくつゝむがごとしたけひとしき黒髪くろかみ四方しはうへさつと振乱ふりみだ左手ゆんで一枝ひとえだ榊葉さかきば右手めてにハ光々くわう/\たる白刃しらはひきさげ猛然まうぜんとして拜殿はいでんおほゆかたちたれバ群參ぐんさんしたる貴賤きせん男女なんによいやがうへに負重おひかさなりこれを見んとてきそひるされバ真弓まゆみ庭上ていせうをどりいでかの大釜おほがままへにいたり熱湯ねつとう榊葉さかきばにてふりそゝぎふりちらすこと数度あまたたびやがてたえなる声音こはねにてとし豊凶ほうけう病災びやうさい福祥ふくしやうつまびらかに神託しんたく要意よういをつげそれよりまたも社前しやせんのぼ休息きうそくすること二時ふたときあまり愈然ゆぜんとしてうごかされバ残暑ざんしよ日蔭ひかげをいとひかねことにおし数千すせん老若らうにやくむさるゝごとくあつけれバながるゝあせ釜中ふちうわく湯玉ゆだまひとしきありさまなれバたがひにいきもくるしげに神子にかはりて熱湯ねつとうにわれ/\こそハ」7 いりたれとて苦笑にがわらひしてどよめきけるがやゝときうつりて日輪ひのかげ西にしかたぶさる半刻なかば両個ふたり宮奴みやづこ釜前ふぜんにいたりつみかさねたるたきゞをバ左右さゆうよりしてさしくべつゝほのふかぜにひらめきていとすさまじくもえあがくわゑんはつ八方はつはう散乱さんらん群集くんじゆもどつとくづたつをりから真弓まゆみ高声かうしやう眼耳がんじ鼻舌びぜつ身意しんい六根ろくこん清浄しやう%\もんとなれい白刄しらは打振うちふり/\忽然そつぜんとして熱湯ねつとうほとりにちかくすゝみればすはやと四方しはう参詣人さんけいひと押合おしあひ/\われさきにとかきわけいづるかしましさ真弓まゆみ群参ぐんさん老若らうにやくうちむかひいかにあつま人々ひと%\よわがいふをしへをよくきゝ候へいともたふと皇國すめらみくにせう神徳しんとくあふぎたてまつらざるハいと/\愚昧ぐまいのことならずやそれほとけ後生ごしやうをすくふて現丗げんぜ穢土えどとすされど施物せもつほとけ供養くやうしもつて來世らいせを」 たすからんとねがふことこれ普通ふつうのことにして自他じた平等びやうどう結縁けちゑんとすいかにいはんや神國しんこくかみ御末みすゑにありながら高間たかまはら神崩かんさりたまひてなほ芦原あしはら中洲なかつくに安土やすくにとこそ守護まもらせたまふ神慮しんりよをバあをひとぐさのおろそかにおもはゞいかに勿躰もつたいなきことゝらずやりもせバこの宝前ほうぜんたからをさゝげて一時いちじ礼拜らいはい冥助みやうぢよいのりかぞへていはゞ陰陽いんよう尊神おゝんがみ崇信そうしん三社さんじや託宣たくせん四所ししよ明神みやうじん教示けうじ感得かんとく霊應れいおうまつ稲荷いなり五社ごしや神通じんつうあふ府中ふちう六所ろくしよたふとみて七世しちせ子孫うまご安寧あんねい廣徳くはうとくをいのれかしなを年々とし%\歳神さいじんうやまひてハ八将はつしやう神霊しんれい利益りやくかうむ厄年やくねんたりとも平安へいあんならん九天きうてん諸神しよじん十方じつほう鎮座ちんざ神々かみ%\麁畧そりやくになさずかつまたかみいのるにハまづ氏神うじがみはいすべしかくごとくにまつとき四海しかいまし8 ます諸天しよてん善神ぜんじん信心しん%\りき加持かぢなして應護おうご奇瑞きずいすみやかそへ給はざる事あらんやそれ神道しんとうおしへそむか清心きよきこゝろ呈進ていしんして利益りやくいの参詣さんけいびと福徳ふくとく自在じざい冥助みやうちよをかうむり子孫み〈ママ〉まごさかうたがひなしつゝしん崇敬そうきやうあられよといと高声かうしやうときしめせバ元来もとより當社とうしや神徳しんとくハいにしへより明白いちじるくいままた真弓まゆみ神霊しんれいじつたくする形勢ありさまをさも嚴重おごそかせたりけれバ遠近をちこち道俗どうそく男女なんによ泉聲もろごゑ祈念きねんしつ六根ろくこん清浄しやう%\たかとな南無なむ一声ひとこゑいひかけて阿弥陀佛あみだぶつくちうちとなゆるものもおほくありていく千貫せんぐわん銭財せんざいをみな一同いちどうなげたりけるこのとき真弓まゆみなにやらん一際ひときはこゑたかとなへつゝ阿波あは鳴戸なるとになほまさる湯玉ゆだまひゞ震雷しんらいおよばぬかま熱湯ねつたう白眼にらまへつめてたつたりしハ岩戸いはと近寄ちかよ戸隠とがくしのかみもかくやとおもひやる」 うちにも美麗びれいおもかげこゝろをなやますやからもありされバいよ/\涌上わきあがかの大釜おほがま沸然ぼつぜん浪立なみたつなかをどらして飛入とびいれバ湯玉ゆだまハさつとほどばしり散乱さんらんたるそのしづく看宦みるひと%\衿元ゑりもとにばら/\/\とふりそゝぐアツトばかりに群集くんじゆ貴賎きせんうろたへさはぎたつ釜中ふちうのぞくものもなくたま/\のぞものあれども湯烟ゆけふしろ蒙朧もうろうくもごとくにたなひけバ伸上のびあがりてもることかたくしばしどよみてたりけるが二人ふたり宮奴みやづこやがたきゞうち銭財せんざいひろひあつめて神前しんぜんにはこぶまたうたがひのふかやからハさらに熱湯にえゆのさむるをまちてかまなかをかきさぐるに無慙むざん真弓まゆみにえとけたりけんほねさへのこすこともあらでしやくばかりなるきんへいたゞ一夲いつほんいでたりけるこゝにいたつ里人さとひと9 その神霊しんれいなるをおそれつゝ西にし没日いるひともろともにやまさがりて邑里むらさとわかれわかれにかへゆくかゝりしのち宮奴みやづこあとのこりし村長むらをさ五七人にむかひていふやう 「さてはや庄屋せうやさまがた終日しうじつのお倦労おつかれしかし首尾しゆびよく御祭礼ごさいれい相済あひすみましてそう村中むらぢう安堵あんど各々おの/\はや帰宅きたく休足きうそくわれ/\両個ふたり真弓まゆみ神魂しんこんのために一夜いちや當社とうしや通夜つやいたして祭文さいもんれいつく明朝みやうてう古郷こきやうへかへりますいづれもやうにおぼしめして 里人「なるほど/\もつともお二人ふたり今夜こんやこゝにござれバ社頭しやとう用心ようじんづかひなししからバ我々われ/\引取ひきとります。鳴呼あゝはや覚悟かくごのことながら神女みこどのゝ昇天せうてん夲意ほいとげられてよいかハらねど凡俗ほんぞくでハいぢらしいやうにおもひますあいさつそこ/\打連うちつれて」 かへる姿すがた見送みおくりて宮奴みやづこ二人ふたりかの財銭さいせんはこにおさめなわにてからげ幾度いくたびにか夲社ほんしやうしろ森々しん/\たるはやしうちへぞはこびける折節をりから此処こゝ歳齢としのころ四十才よそぢばかりとえたるをんなさもたくましき形勢ありさまなるが二八にはちばかりの容皃みめよき未通女をとめ手拭てぬぐひくつわにはませ小手こて高手たかてにいましめつゝこの御社みやしろひきずりきた拜殿はいでんうち押入おしいれてなわはし狐格子きつねがうしむすとめまた石段だんかつら走下はせおりけりこのときはるか東阪ひがしざかなる火焚屋ほたきやよりしてあらはれいづる一個ひとり乙女をとめ近邊ほとりうかゞふところより取出とりいだしたる呼子よぶこふえヒイ一吹ひとふきふきならせバはやしかたより以前いぜん宮奴みやづこ二人ふたり未通女をとめみぎひだり 「おみちさま 二人ふたりしゆ 「まんまと首尾しゆびよく鎌倉かまくらいり軍用金ぐんようきんを コリヤ シイ トあたりをまはし神卜しんぼく仙女せんぢよ真弓まゆみ仮名かりな愚俗ぐぞくをまどはす今日こんにち只今たゞいまこゝろに」10 よしとハおもはねどちゝあだたる合谷あふぎがやつをねらふにつきてハおちぶれし姿すがたでかなはぬことゆゑに神慮しんりよのおそれもりながらたからをあつむる手計はかりこと 最早もはや金銭きんせん調とゝのふうへはこれよりすぐ鎌倉かまくらへ 真弓サア立入たちいることハやすくともこのせつ巨田おほた持資もちすけ合谷あふぎがやつ出仕しゆつししてありときいてハなか/\に近倚ちかよりがたき宦領家くわんれいけ 左様さやうござらバいましばらくときのいたるをおんまちあつて イヱ/\時刻じこくのばすとも何時いつ便宜びんぎといふでもないさいはにいるこの一ト品ひとしなト〈懐中くわいちうよりにしきのはたをとり|いだせバ二人ふたり宮奴みやつこうかゞひ見て〉 「それをもちひてなんのおために 「ほんに子細しさいをかたらずハふしぎにあらふこのはたにもまれなる蜀紅しよくこうにしききれであるはいの 「うわさハきいてをりましたがるハはじめの其錦そのにしきがどうしておりました ヲヽ不思議ふしぎたるこのはた昔年むかし豊嶋としま信國のぶくに坂東ばんどう八平はつへいつかさとせらるゝ御教書みぎやうしよへそえてたまはるこのにしきいつぞや其方そなたしゆにわかれてより或夜あるよのことにてありけるが上野かうづけ松井田まつゐだ原中はらなかにてそれともらずひろ取宿とりやどりにてよくれバ由來ゆらいしる奥書おくがき長尾ながを景春かげはるしるしたれバ豊嶋としま重器てうき長尾ながをより返進へんしんあると推量すいりやうすれバこれもまた合谷あふぎがやつあたとなるやからとしれバたのみありとてものことににしき傳來でんらいこれが我身わがみえきとなり宦領家くわんれいけ近付ちかづきよるべき方便てだてをくわしく物語ものがたらんそのあいだ日中ひる供物くもつ神酒みき頂戴てうだい 「われ/\両個ふたりハわづかなつと貴孃きぢやうさまにハさぞおつか供物くもつ神酒みきはやしなか仮屋かりやうち下置さげおきましたさけかんする其間そのあいだ貴娘あなたハやつぱりこの火焚屋ほたきやさすがハ冨士ふじのうつしとてすゞしきおかげでもおらずまづ/\あれへとすゝいり二人ふたりはやしをさしてゆく」11

   第十囘 〈才女記億辨蜀江錦さいぢよのきおくしよくこうのにしきをべんず赴神事毒婦計乙女じんじにおもむきてどくふおとめをはかる

そも蜀紅しよくこうにしきとハもと蜀江しよくこうといふ文字もじにてくれなゐかくなりとぞいましよく除州ぢよしうといふこのくに四方しはう大河たいがあり岷川みんせん 〓川だせん黒川こくせん白川はくせんッなりこれこのしよくにしき機糸はたいとねるかの大河だいが清水せいすゐさら精製せい/\なすこと数百すひやくへん をかさねその絹糸きぬいと赫々かく/\としてひかりはつすかくて織殿おりどのあやどるにいたりてハ金光きんくわうしつみつるといふこれかの四川しせん霊水れいすゐにひたしさらせるゆゑなりとぞじつ希代きたいにしきなりゆゑあるかなしよく國号こくがうせしときハいと/\ふるきことにしていま南京なんきんくにとな孫権そんけん大帝だいていいひいま河南かなんくにしよう曹操そう/\曹丕そうひ文帝ぶんていくらゐし」いま四川しせんしよくといひて劉備りうび玄徳げんとく照烈せうれつ皇帝くわうていせうせられて彼地かのちをさめ時代ころおひさかん織殿おりどの繁昌はんじやうせしとぞまた 神仙傳しんせんでんせられたる左慈さじが〈あざな元放げんほう揚州やうしうひと神異しんいじゆつにてしよくはじかみをもとむるくだり曹操そう/\かねしよくにしきもと左慈さじ二端にたん買増かひますことをつたへよといふだんあり孟徳まうとく大活たいくわつ生質せいしつにてさへわづか二反にたんのことをいへバその時代ころおほくハもとめがたくあたひ貴直たつときものとおもはるいはんや年暦ねんれきかぞふれバ三國さんごくあいだ六十ねん西晋せいしん東晋とうしん十五じうごしゆにして百五十六年そう七主しちしゆ六十年南斎なんさい五主ごしゆ三十年りやう四主ししゆ五十年ちん五主ごしゆ三十年ずゐ三主さんしゆ四十年たう太宗たいそう皇帝くわうてい貞観ぢやうくわん十九年ハ日本につほん人皇にんわう三十七だい孝徳かうとく天皇てんわう大化たいくわ元年ぐわんねんにあたれりしよくいひしハ」12 大化たいくわより四百五十ねんむかしにして大化たいくわ元年くわんねんより文明ぶんめいまでをかぞふれバ九百年にもちかかるベしかゝれバ蜀江しよくこうにしきといふハ千三百餘年よねん古物こぶつにしていとありがたきことぞかしかくて真弓まゆみこのにしき鎌倉かまくらへもてくことをおもよりしハいかにとなれバこのころ上総かづさ笠森かさもり観音くわんおん勅願ちよくぐわんのきこえありてせきひがし諸侯しよかう内室ないしつ種々しゆ%\佛具ぶつぐ奉納ほうのうありて宝前ほうぜんそなへかざり各々おの/\信者しんじや功徳こうとくせうせられんときそひけりそのなか山内やまのうち宦領くわんれい奥方おくがたよりハさゝづるにしき御戸帳みとちやうをおさめられしを第一だいゝちのほまれなりと風聞ふうぶんしきりなりけれバ鎌倉かまくら合谷あふぎがやつやかたにきこえきみ令室れいしつはなかたもこれにまさりしにしきをもとめてはやく笠森かさもり奉進ほうしんしさすがに武家ぶけ最一さいゝちたるあふぎやつ奥方おくがたなりとせうせ」

【挿絵第四図】

 挿絵第四図

 浅間せんけんもり真弓まゆみにしきはた由来ゆらいをかたる 」13

られんと思召おぼしめしおはすといヘどもさゝづるの古渡こわたりにしきにまさるべきものもあらねバ遠近をちこちをたづねもとめたまふといへりこのゆゑにかの真弓まゆみ豊嶋としまはた合谷あふぎがやつけんじて奥方おくがた近付ちかづけそれよりあだうたんといふ機密きみつをかたる宮奴みやづこちゝ腹心ふくしん家臣かしんなりさらバ真弓まゆみ何者なにものぞこれなん武藏むさしいちみや氷川ひかは明神みやうじん神祗宦じんぎくわん渋谷しぶや典膳てんぜんといふものむすめにて於道おみちとそのよばれしがちゝ典膳てんぜんいきほひつよく社領しやりやうもあまたあるのみかハ此頃このころ當社とうしや京家きやうけにて崇信そうしんおほかたならざるゆゑおほ宦領くわんれいめいをおそれず元来もとより邪悪じやあくをすることなけれバ宦家くわんか貴族きぞくにへつらはずまたよく武道ぶどう通達つうだつして野武士のぶし山賊さんぞくたぐひをやぶりて軍慮ぐんりよにもほまれあり里人さとひとこれをうやまふて領主りやうしゆのごとくもてなすよし」14 あふぎやつにハこれをいかりて不意ふい軍兵ぐんびやうをさしむけられ逆反むほんものいひふらしたちまちこれを打亡うちほろぼつひ所領しよりやううばはれたりこのとき於道おみち九才こゝのつにて はゝもろともにその迯去にげさり鹿嶋かしま親族しんぞく塚原つかはら何某なにがしかたにしのびそのいへなれバ神職しんしよくわざはゝより傳來でんらい六門りくもん退甲とんこう軍術ぐんじゆつ劔法けんほう彼地かのち名家めいか随身ずいしんし十五才のときより大志たいしおこして諸國しよこくをめぐりじゆつをはげましこんねんこゝに十八才さもたくましき勇婦ゆうふなりさて宮奴みやづこにしきはたよしをつばらにきゝをはいまにはじめぬことながらおみち記臆きをくしたまきくだもまくなる酒機嫌さかきげん神酒みき供物くもつつきたれバいざと三人たちあがりていづくへゆく木下こした闇蔭やみかげくらまして立去たちさりぬそれハさておき別説こゝにまたおな夜路よみち本幸ほんごう越行こえゆく駕籠かごの」 ありけるがこれに附添つきそふ一人ひとりをんなまへまはりて棒鼻ぼうばな両手りやうてにしつかとおしもどし コレサ/\駕籠かこやさんいそぐばかりにとられてともにこゝまではしつてたがよく/\りやァ丸山まるやまだノこれじやァ芝浦しばうら金曽木かなそぎへハみなみ西にし方角はうがくちがひ辻駕つぢかご渡世とせいをしてながらこゝらのみち不案内ふあんないらずハわしがさきたつぼうばなとつひきもどせバ駕籠かごをどつさりおろおき 「かごや▲ハヽヽヽヽヽさすがにそれとついたか。ドレそんならバこのみちへかゝつたわけをきかせやう「今一人●コレ マアよくきゝなョ芝崎しばさきから浅草あさくさかよふがじゆん此方等こちとら無理むりやとつた逆戻ぎやくもどし「▲ヲヽそれ/\冨士ふじやしろ拜殿はいでんからはやく/\とせりたててものさへいはせぬこの美婦人しろものめくらかごをかついでもかんをつけるあら仕事しごとまだそればかりか姉御あねごのふところ」15 餘分たんともあるめへ四五十両たしかにこんだ山越やまごえをんなだてらに美味うますぎ仕業しごと一人ひとりでさせめへとおもつて仕組しくん棒組ぼうぐみ智恵ちゑ此方こつち礫川こいしかはむすめをはめる上得意いゝくちがあるから其処そこるつもりだいやだといへ バふところかねまで始末しまつつけやうといままで隠言語ふてう\カクシコトバ途中みち/\談合だんかうしかしそれ じやァ此方等こちとらも「 すこ酒代さかてとれすぎてどうやら無慈悲むじひなこゝろもちそれゆゑ利徳しごと半分はんわけやうといふも佛生ほとけせうかねをよこすかむすめわたすか思案しあんしててどちらでも勝手かつてほう返事へんじをしなナア棒組ぼうぐみこれじやどうか隠便おんびんすぎて「されバのいゝしかただが相手あひてをんなのことだから安目やすめうる當世とうせいかへドレ一ぷくふかすベヱトしりをかけながら傍若無人ぼうじやくぶじん大言たいげんあきれはてたる彼女かのをんなしばらくこたへもなかりしが」 なにかこゝろにうなづきて 「なるほど/\詮方しかたがねへどうで元手もとでかけたといふわけでもねへから了簡れうけんして其方おめへたち半口はんくちせやうそうして見りやァうろたへてにげまはるにもおよばねへたのんでせたをんな出所ではあかしてなにかの相談さうだんを「●ヲツト其所そこらにハ如在ぢよさいハねへこの棒組ぼうぐみ多塚おほつかうま姉御あねご名前なまへむすめのことも先刻とつく承知せうちしてゐやす ヱヽナニ多塚おほつかの「▲ハテ姉御あねごハおはりさんむすめといふハ神宮屋かにはや一人ひとりでおそでといふ色娘いろむすめどうだすこしもちがふめへ「それまでやァもうよかろうサァ引出ひきだした様子やうすハどうだその塩梅あんばい始末しまつをつけやう左様さうじやァねへか大胆だいたん不敵ふてきそも/\これハそのころほひしま本郷ほんがうほとりに徘徊はいくわいしてよからぬことのみたくむなる三六さぶろく重八じうはちといふ」16 曲者くせものなりかゝる両個ふたり破落戸的わるもの右左みぎひだりから詰寄つめよられ お張ハテうちあけてはなしてりやァ手軽てがるいわけだマアきゝ多塚おほつかものならつてもゐやう庄屋しやうや家内うち梅太郎うめたらうといふ小奇麗こぎれい若衆わかしゆあつたッけあれをこの執心しうしんしてはまりこんだむすめ一途いちづいろ/\居膳すゑぜんしててもおもひのほか野暮やぼ息子むすこはしをもとらねへのみならず何処どこいつたかれねへ旅立たびだちそれから朝夕あさゆふなきくらすその執着しうぢやくをおとりにしてなんいゝとりのかけやうがと思案しあんしてゐる最中たゞなかへかねて知己こんい判人はんにん婦女たま美麗いいのがあるならバ大磯おほいそ親方おやかたかねのぞみのとほりにるといふからふつついてあのをだましたこの狂言きやうげん路用ろよう出来できたら鎌倉かまくら上州じやうしうかハらねへが是非ぜひうめさんを尋出たづねだして」 あはしてろうとすゝめこみぬすさせた五十両それから連出つれだ工面くめんをとおもふさきへしま冨士ふじ湯立ゆだて大評判おほひやうばんその見物けんぶつ親達おやたちまですかしてあの引出ひきだしたがぐぢ/\してハゐられぬ目算もくさん追手おつてかゝるもがゝりなりどうで一度いちどハぶちまけてなかせる身賣みうりをゆる/\とするでもねへとおめへたちをたのんで芝浦しばうら金曽木かなそぎ心易こゝろやすとこまでとおもつてるハたものゝおめへがそれほどに見込みこんだからハ愚智ぐちもいふめへかたをいれるも活業しやうばいづくのけといつたら喧嘩けんくわのたねこれから後々すゑ%\相談さうだん合手あひてになつたら両為りやうだめかねまうけがあれバいつでもらせ好身よしみむす仲間入なかまいりおもやァをしわけもねへそのかはりにやァ此所こゝからすぐ夜通よどほしかけて大磯おほいそ棒鼻ぼうはな建場たてばの」17 やすみをせずおいらも一かたすけたらバねへにハまし三枚さんまいなみなんとそうではあるまいかいへバ三六さぶろく重八じうはちが「なるほどわかりのいゝ姉御あねごだ「ざッくばらりにられてりやァ初手しよてこはもてにつてのけたが「氣恥きはづかしいやら面目めんぼくねへノウ姉御あねごにさはつたら了簡れうけんして「おはりハテ野暮やぼいひなさんな此方こつちばかりつよくッてもをんなうまれたかなしさハなにかについてらちがあかねへどうぞこれから便たよりになつてなんぞといふもいやらしい色氣いろけすてても慾氣よくげ喰氣くひけぬまでどうもすてられねへ。イヤホンニ喰氣くひけといやァわすれてゐた湯立ゆだて場所ばしよひと徳利とくりかつさけさへ人込ひとこみ逆上のぼせてさつぱりめねへからいそぎのみち息継いきつぎちやのかはりともなるものとおもつてすてずに先刻さつきソレ駕籠かごへくゝしてもらつたさけさかなハなくとも徳利とくりくちから一盃いつはいつたらどう だろう元氣げんきがついていゝじやァねへか「そいつハなによりありがてへそんなら棒組ぼうぐみ前祝めへいはひにうつよろこかのはり徳利とくりとつ両個ふたりまへ 「おはりサア近付ちかづきためはじめなせへ「ヲツトた/\遠慮えんりよハいらねへサア棒組ぼうぐみ三六さぶろくがこつくり/\二口ふたくち三口みくちのん徳利とくりをさしいだせバ「●ヲイおほきにおまちかねいきなし上戸じやうご重八じうはちがおのがかさねのみ引ウ徳利とくりをさしけバまたとりあぐる三六さぶろくさきふるえて面色めんしよくかはり「▲アット一声ひとこゑ七轉しつてん八倒ばつとうはきいだしてくるしめバ「●コレハおどろく重八じうはちまなこをくらまし五臓ござうよりしぼるがごと生血なまちをバたきなすさまにはきいだし虚空こくうをつかむその」18 くるしみおはり左右さゆう見返みかへりて「おはりヲホ ヲホハヽヽヽヽヽどうだくるしいかへヤレ/\おほきなつみつくりだしかしたとへのはらとやらなん三割さんわりわりましでたの酒手さかてでいゝことをあだ強慾がうよくからそのざまハこゝろがらだとわうせうしや「●▲ゆだんをさせたこのさけハ「おはり さけ子細しさいもねへさけいまちよつひりとつまみこんだどくハまへからたしなんでまさかのとき用心ようじんにとおもつてゐたが仕合しあはせと今夜こんやのやくにたつたのだ。アハヽヽヽヽヽト高笑たかわら膽太きもふとくもまたおそろしけれ

貞操婦女八賢誌初輯卷之五」〔白〕」19

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楊太真遺傳やうきひのつたへしくすり    精製くはしくせいしきり箱入はこいり

  むす  かう 〈一廻|百二十文〉

そも/\この御薬おんくすり夲朝につほん無類むるい妙方めうはうにて男女なんによかぎらずかほつやをうるはしくしてうまかはりても出来できがたきほどいろしろくし肌目きめこまかになるこうのうあり しかしながらこのたぐひくすり世間せけんおほ白粉おしろい 洗粉あらひこ 化粧水けしやうみづ そのほかあぶらくすりなどをせいしてみなこと%\くかほくすりになるおもむきを功能こうのうがきにしるしてあれどもその書付かきつけ半分はんぶん功能こうのうなし依之これによつてこの御披露ごひろうらうじてもひさしいものゝひろめ口上こうじやうなどゝ看消みけなし給ふべきことならんがこれハなか/\左様さやう麁末そまつなるくすりにてハこれなくたゞ一度ひとたびもちひ給ふてもたちまちに功能こうのうあらはれる妙薬めうやくなり一廻ひとまはもちひ給ひてハおんかほの」いろ自然しぜんさくらのごとくなり二廻ふたまはもちひ給はゞ如何様いかやう荒症あれしよう肌目きめ羽二重はぶたへきぬのごとき手障てざはとなるのみならず にきび そばかす 腫物はれものあと しみのたぐひすこしもあとなくなほりてうるはしくなる事請合うけあいあさおきかほあらひこの玉粧香ぎよくしやうかうをすりこみたまはゞちつと白粉おしろいつけたるやうなる気色けしきもなくたゞ自然おのつから素皃すかほしろくうるはしきやうになれバ娘御むすめごかたハいふに不及およはず年重としかさね御方おんかたもちひ給ひてもたゝずしてうつくしくなる製法せいほふゆゑおんうたかひなく御もちあそばされまこと美人びじんとなり給ふべし

為永春水精剤 

かみつやいだし|髪 垢ふけをさる妙薬めうやくはつみどり このくすりハかみあらはずに\あらひしよりもうつくしくなる\こうのう有  代三十六文

賣弘所

書物繪入讀本所

江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程      
文永堂 大嶋屋傳右衞門丁付なし 


貞操婦女八賢誌ていさうをんなはつけんし初輯しよしふ 卷之六

江戸 狂訓亭主人著 

   第十一囘 〈勇美姉妹會夲郷山ゆうびのはらからほんごうのやまにくはいす為盟友青柳爭錦籏めいゆうのためにあをやぎぎんきをあらそふ

此時このとき於袖おそで駕篭かごうちにて重八ぢうはち三六さぶろく於張おはりがたがひにつぐ非道ひだう談合だんかふつばらにきいてあきれはてわれをわすれてたりしがこれぞいろまどひたる不孝ふかうつみにてかくまでにあざむかれしかと後悔こうくわいしても身儘みまゝにならぬいましめの縄目なはめのみかハ猿轡さるぐつはもだへ/\てありけるがかの三人さんにんさけくみてかたらふいとまにやう/\とくちわりたる手拭てぬぐひいのちに」かけてくひさきつゝふりほどいておろせしたれをあなたへとまろびいでたるなし駕籠かごいましめられたるなはのまゝにげんとするを彼方かなたよりちらりと看止みとめ悪婦あくふハかけよりおびとつひきもどし コレサ/\そでぼう余斗よけいなことをせずといゝはなにげ何処どこいくつもりだアハヽヽヽヽあれだいをとこでさへもなくおしかたづけるおはりさんだぜわるく世話せわをやかせるとおめへをもあのとほりにしてしまふョ。ノコレ梅太郎うめたらうあひたくハつとめをするがちかみちじやァねへかいのちあつてのものだねだ女郎ぢようろにでもなつてゐりやァめぐりあふこともあらァふたゝび三方さんばう大塚おほつかへハかへらねへといふひとまつてゐられるものでもなしまた遊女しやうべいでもしてなせへ梅太郎うめたらうぐれへのをとこハ」1 毎晩まいはんだいられるぜ。ヱヽコレサ コウひとにばかりくちをたゝかせずとも返答あいさつをしねへのかなるほどそうでございますとかどうしてもいやだとかいふいゝいやだといへバくちわつこのさけのませるかしめころすか二ッに一ッおしかたづけてほねをりぞんのくたびれまうけにハ五十両でふせうしてこれから何所どこぞへかへるぶんのことだサア駕篭かごがあつてもかきてがなし詮方しかたがないからどくだが夜通よどほ芝浦しばうら金曽木かなそぎまでひきずりながらもゆかにやァならぬとあくまでおそでをあなどりて小児せうにのごとくとりあつかひまたもごめになさんとすれバおそでハこれをふりはらひをのがれんと右左みぎひだあせれどかよはき處女をとめなりこなたハをとこにまされるあらものたちまちおそでを」 ひきたふし 「ヱヽいま/\しくじやうのこはい女児がきだこれよくきゝなこれまで神宮屋かにはや出這入ではいりしておめへさまの御持佛おぢぶつさまのとそら礼拜おがみをしてゐたのハ始終しじう仕業しごとをしやうばつかり全躰ぜんたい今日けふまでべん/\と時刻じこくのばしてるといふもおもひのほか用心ようじんぶか奸智わるぢゑたけた夫婦ふうふ氣質きしつそれゆゑ月日つきひすごすうち梅太郎うめたらう一件いつけんからやう/\こゝまでこぢつけたのだといつたところがきゝわけてなか/\すなほにいきもしめへサア意地いぢりやァかうだぞとおどして無狸むり得心とくしんさせをうらすべき内心したごゝろたゞさへみだれし黒髪くろかみをむしりちらして片手かたてにぎうちすゑねぢすゑさん%\にさいなむ非道ひだうのおはり強欲がうよくそでハくやしさかなしさにこゑかぎりとさけべ」2 ども人里ひとざととほ丸山まるやまのたれかハこれをすくふべきすでにおそで秘穴きうしようたれてアツたえいるときしもあれ木立こだちかげよりおはりがけ打出うちいだしたるつぶてつぶしねらひたがはで両眼りやうがんよりるばかり打當うちあてられくるしきこゑともろともに尻居しりゐどうたふるれバ木立こだちをめぐりてしづ/\とあらはれいづる一個いつこ美人びじんいまてりわたるつきはぢくもにや入らんその顔色かんばせ練絹ねりきぬ帽子ぼうしひたいあてあき七草なゝくさ加賀かゞぞめにせし金巾かなきん木綿もめん振袖ふりそで大紋だいもんづくしのおびむす浅黄あさききぬ甲掛かうかけ脚半きやはんつけ縮面ちりめん湯巻ゆまきをなしすそをバたか引上ひきあげつゝ草鞋わらんづひもをしかとはきしめ左手ゆんで管笠すげがさ右手めてつえ旅行たびゆく姿すがたえながらや(ママ)しくもまたりゝしけれときに」おはりをはげまし只看とみれバつぶてとばしたるかたきハこれかそもいかに二八にはちあまりの處女をとめなりいぶかしながら由断ゆだんせず立上たちあがらんとするところをまた打出うちだ手練しゆれん小石こいしふたゝび高面たかほにうちつけられかほをおさへてよろめくひまに處女をとめ飛鳥ひてうのかけるがごとくをどりあがりておはりをバたちまち草辺ほとりたふしてむきもやらず草邑くさむらたふれしおそでだきおこし延齢丹きつけをあたへて呼生よびいけながら 「のう いもと をたしかにもちやいのうおそでやァ引イトこゑたか呼立よびたてられてやう/\に蘇生よみがへりたるかのそでその介抱かいほうするひと姿すがたやりていぶかしく〓息ためいきついて言葉ことばもなしこゝろをしづめてよくみれよひ浅間せんげん火焚家ほたきやより立出たちいで両個ふたり宮奴みやづこ蜀江しよくこうにしき來暦らいれきを」3 かたりし神女みこによくたりそのときそで拜殿はいでんあつてくわしくきゝたれどもハいましめのしばなは猿轡さるぐつわさへはめられたればものいふこともならずして眼前がんぜんほしきにしきはたをもとむることもならざりしがいまかくちか介抱かいほうされ我身わがみのことより梅太郎うめたらうがためにぞ懸念おもふ豊嶋としま重器ちやうき處女をとめはおそでにむかひていふやう こゝろがたしかになつたのかへ ハイ 「さぞ合点かてんのゆかぬことゝおもふであらうがわたしハ其方そなたあねじやぞへ ヱヽ ヲヽおどろくハもつともだがところ多塚おほつか家名いへな神宮屋かにはやたしかにそれとハ先刻さつきにからたちぎゝしてつたれどなほくはしく とおもふうち駕篭かごやが毒酒 く〈ママ〉しゆにあたるまでなかなか手強てづよ悪婆あくば奸斗たくみすでに其方そなたあやういやうになつたによつ助命たすけ

【挿絵第五図】

 挿絵第五図4

たがよもやおぼえてゐるであろう神宮屋かにはやといふハ養父毋やしないおやそなたのじつとゝさんハ氷川ひかは神職しんしよく典膳てんぜんさまであろうがの アイ相違さうゐもないわたしの実親じつおやそうして見れバいよ/\おまへハ あねにちがひハないはいのう 「おなつかしうございます 「とハいひながらまだうたがひのはれぬこゝろえるはいのそも/\そなたハとゝさんの妾腹めかけばら毋御はゝごないのち神宮屋かにはや養女やうぢよとなつたといふことをかぜのたよりにきいたれどもなく古郷こきやう氷川ひかは大変たいへん親類しんるゐ一族いちぞくちり%\になり行中ゆくなか此身このみどもことにわたしの毋人かゝさんとハ不和ふわなそなたの毋御はゝごのことツイ音信おとづれもせなんだがすぢのえんきれないとえて今夜こんやのこの難義なんぎあねがすくふもふしぎの再會さいくわいたとへはゝとハかたき同志どしといふても一とゝさんのたねにかはらぬこと」5 じやゆゑまさかにいのちきはとなる難義なんぎてハすてられずこの介抱かいほうをするのじやぞへまだ得心とくしんがゆかぬかへいはれておそでかほあからめ ヱヽそれでハちがひございませぬごろこひしい/\とおもつてないておしたひ申たおあねへさんでございますかまことにうれしいこの様子やうすゆめでハないかとぞんじますョどうぞこれからわたくしのちからになつてくださいましうれしきもまたなみだなり處女をとめなみだにくれたりしがその念願ねんぐわんあふぎやつちゝあだとしねらふことそのゆゑに姿すがたをかえて竒術きじゆつをほどこし神卜しんぼく仙女せんぢよ真弓まゆみのる子細しさいおちなく物語ものがたれバおそで今宵こよひ難義なんぎをはじめはぢらひながらも梅太郎うめたらうがことをつゝまずうちあかし真弓まゆみ所持しよぢするにしきはたかの梅太郎うめたらうおくりあたへて主君しゆくん」 たる豊嶋としまへさゝげて立身りつしんなさせんおもむきをひたすらあねにかきくどけど真弓まゆみハこれをきゝいれず 真弓「のうおそで七年なゝとせ八年やとせへだゝりてめぐりあひたるいもとねがきゝいれぬハどくしんとあねうらむであろうけれどいまハやられぬにしきはたとゝさんのうらみをはらしあふぎやつどのをうたんにハねがふてもなき大事だいじしなうらみあるひとうつのち梅太郎うめたらうわたしてやるまづそれまでハこのあねかり夲意ほんいをとげるとや 「ごもつともでハございますがそのはた鎌倉かまくらまゐるやうだとうめさんばかりか多塚おほつかのおたけさんといふ家名うち杢兵衛もくべゑさんの落度おちどじやゆゑたゝりがあるきゝましたならふことならそのはたを 「ほしいといやるももつともじやがそれでハをとこためばかりたとへバはらちがふても血脉ちすぢおなとゝさんのあたをうたせてこの」6 あね孝行かう/\させるこゝろハないか其方そなたためにもじつおやかたきうた(ママ)ずとこひしいとおもふ情男をとこ立身りつしんしてそひとげさへすりやよいのかへいはれておそでことわりにふたゝびかへす言葉ことばもなくなみだとともにふししづみしがやう/\にかほをあげ 「あやまりましたおあねへさんもつたいないがとゝさんのかたきうつといふことハをんなにハ出來できないものとおもふばかりか八才やつとしわきまへのないときのことツイとほざかつてわすれた同前どうぜんまこととゝさんのことをわすれたといふそのいひわけにハどうでかへらぬ多塚おほつか戒名なきなつか覚悟かくごして草葉くさばかげとゝさまへおわびを申あげまするいふよりはやく介抱かいほうときにとかれしいましめのなはこずゑ投掛なげかけてくびれなんとなしけれバ真弓まゆみハこれをおしとゞめ きゝわけのないでハ」 あるとしかるところをしかるまいそなたもわたし父毋おやたちにわかれた不幸ふかうといふうちにもかよはい其方そなた氣随きずゐこのとてもかくても面々めん/\生質せいしつ浮薄うはきいろといふでもなし養親やしないおやのいひなづけといへバかはらぬ夫婦みやうと中夫なかをつとさだめる其人そのひと行衛ゆくへをしたふこゝろざしにしきはたのことまでもおも所存しよぞんみさほのきどくなか/\にくいとおもひハせぬ其方そなたねがひもわがのぞみもよき兩全りやうぜん斗略はかりことハテどうがなとむねあて思案しあんにくれたりける此時このときしも青柳あをやぎ梅太郎うめたらうたのみより杢兵衛もくべゑいへにおたけをあづかりしばらく多塚おほつかにありけるが今日けふしま夲幸ほんがうなる冨士ふじ淺間せんげん社頭しやとうにおいて湯立ゆだて神事しんじ興行かうぎやうして白日はくじつ昇天せうてん風聴ふうぶんありこと仙女せんぢよ真弓まゆみといへるハ沈魚ちんぎよ落厂らくがん閉月へいげつ羞花しうくわじつぜつ7 せい美人びじんなりときこえしかバいよ/\あやしきことにおもこゝろにうかむことあれバ今朝けさしも多塚おほつかをいでたるに於斎おさいあま密事みつじをうけてたけつかまでいたりしがおもひのほかにひまどりて小岩原こいはばらにかゝりしころハのくれはてゝいとさみしくつね女子をなごであらんにハこゝろおくれのあるべきに大丈夫をとこにまされる剛氣がうきなれバ夜道よみちをいとはで山越やまごえ長井ながゐつゝみみなみへかゝり本幸ほんごうだいへぞきたりけるこゝに真弓まゆみ英雄えいゆうこゝろよはをんなじやういもと不便ふびんおもへハやいかゞなさんと猶豫ためらふうちいつのにやら氣絶きぜつせしおはりハそろ/\うかゞひより真弓まゆみ所持しよぢする懐中くわいちう御籏みはたをさつと引出ひきだせバそのをとつて捻返ねぢかへもんどりうたしてなげいだせバ御籏みはたハさらりととけほどけつきかゞやにしきひかりおそでおもはずこゑたてゝ 「それぞ豊嶋としま御家おいへたから  真弓おり」 いだしたるくもりやういくさとき押立おしたつれバ潜龍せんりやう昇天しようてんいきほひありとうわさにたがはぬ蜀江しよくこうの にしきはたにてありけるかこゑかけられて真弓まゆみハおどろきふりむくうしろに青柳あおやぎはたをとらんととびかゝるをりしもたちまくもとぢつきをかくせバいとゞさへしげりしもりのくらがりとなるのみならず足元あしもと岩角いはかど凸凹たかびく切所ぜつしよ難所なんじよにありけれバたがひのはたら自在じざいをなさずかよはきおそでかのはたを。やはか他人ひとでわたすべきとこゝろをはげましたちかゝりあね方人かたうどなさんとすれど闇路やみぢとなりしことなれバてき味方みかた差別わかちかねみぎひだりとあらそふひまおはりハまたもはひおきともうかゞにしきはたそれともらず青柳あをやぎちやう踏出ふみだ足前あしさきにまつはるごとく邪广じやまとなれバいらつてけかへす早足さそくあて秘穴きうしよをけられて即死そくしせり」8 真弓まゆみそでこのおとにおどろきあんずる姉妹あねいもとます/\くらき木下こしたやみ木立こだちをめぐりていくすりちがひたるそばみちをそれともらで真弓まゆみとおそで行合ゆきあふはづみつきあたり柔術しうしゆつ練磨れんま真弓まゆみ體堅たいけんたゞ處女むすめのおそでハこたへなけれバよろめきつゝむざんなるかな左手ゆんでたに生死しやうしもしれずおちたりけるをりからつき光々くわう/\雲間くもまをいでゝはれわたりしたかげもあきらかにてらせバ真弓まゆみ青柳あをやぎかほ見合みあはせて驚天ぎやうてんし 「さてハいもとハあやまつて深谷みたにおちたかいたはしい 其方そなた戸田とだのりあひいふをきけども真弓まゆみハこたへずはたたちままきおさめいばらやぶ飛入とびいつてはやくもかげをかくしけりあと追畄おひとめなバとめらるべきが容易よういてきにあらざることをこゝろれバあをやぎもしひてとほくハおはざりけり必竟ひつきやうそで生死しやうしハいかにまきをかさねて分解ぶんかいすべし」

   第十二囘 〈救於竹青柳戦田野おたけをすくふてあをやぎでんやにたゝかふ烈勇於亀赴相模路ゆうをはげましておかめさがみぢにおもむく

再説さても青柳あをやぎ夲幸ほんごうだいをうちえて多塚おほつかへとぞいそぎつゝこゝろにつら/\おもふやうおよそ浮世うきよ行躰たゝずまひさだめがたきがつねなれどかくこそとおもふそのことハみなこと%\くくひちがひてはからぬわざこそあやしけれむすんだる梅太郎うめたらうはたゆゑにてたびそらいまなほ何処いづく在所ありしよれずたづぬものにもあらざりけるわがとま今宵こよひ出會しゆつくわいさりとてはたながらも取損とりそんじたるのみならでちなみあるべき田舎ゐなか神女みこ戸田とだわたしに同舩どうせんなしてとも満化寺まんぐわじにハいたりしかどかれ竒術きじゆつかげもなくわれ於斎おさいあまため宿因しゆくいんむすびをなしたつべきさがをバきけど」9 いまだその時節ときはやくして同志とうし集會しうくわいはかりがたししかりといヘどもかの神女みことハ再度さいど對面たいめんせしかひなく梅太郎うめたらうのたづぬるにしきはたあらそひててきとぞなりぬまたそのをりしもおなはたとらんとせしハたしかに神宮屋かにはやのおそでたりかれも梅太郎うめたらうゆゑにこれをいどみてありけるかもししからんにはそれゆゑに深谷みたにいのちおとしけんいといたはしき處女をとめにこそとおもひつゞけてゆくみちをりのぼりつ礫川こいしかは裳裾もすそぬら苔清水こけしみづみぎめぐひだりによぎりいま亡人なきひととなりもせしかとおもふおそで後世ごせねが極樂水ごくらくみづみなみへさして多塚おほつかさとちかつはや二町ふたまちにたらざりしすぎはやしすぎをりしも喘息あへぎ/\てるものありしがみちせまけれバ青柳あをやぎ丁度ちやうど行合ゆきあひかほ見合みあはせ 鍬八くわはちどのか 青柳あをやぎさまか」 これハ/\トあせぬく溜息ためいきつけバ青柳あをやぎハ マアいま時分じぶん片息かたいき周章あわて何処どこゆくのだへ  ハイ何処どこへといふて當処あてどもなく退のがれて此所こゝまでまゐりましたがおまへさまにあふからハおさしづまかせにいたしませう ハテ合点がてんのゆかぬそなたの言葉ことば退のがれてたとハなにごとか家内かないへんでもあるのかへ 「されバおきゝなされませちかころおやくつかしやッた戸塚とつか大六だいろくといふ意地いぢわるどのが大勢おほぜい家來けらいしゆつれてござつて家内かないぢうをしばりちらしてやかましくたひいかれた旦那だんなどのが鎌倉かまくら密通みつつうしたとか内々ない/\をやらかしたとかでさだめてうちかくれてるに相違さうゐない白状はくでうしろと家内うちぢううちたゝかれてせめられても一向いつかうしらぬ家内やうちものないわびてもきゝいれなく領主りやうしゆけん戸塚とつかどのゝ小者こものまで力身りきみまはつて文庫ぶんこ10 ぐらをもおしひらき旦那だんなをたづねる風情ふりをして私欲しよくをはたらく非道ひだう仕方しかたあまつさへおたけさまをなはかけて役所やくしよへつれるとむつかしさみなのこりなくしばられるなかわしのみ迯出にげだしてハすま義理ぎりとハりながら一人ひとりハのがれこのことひとつげずハ片手かたてうち無理むり領主りやうしゆいきほひで杢兵衛もくべゑさまの落度おちどとなるもれぬことじやとついマアなにともなく迯出にげだしました面目めんぼくなげなる鍬八くわはちひたひあせをひからしてにもむぐらんありさまなりこれをきくより青柳あをやぎむねをたゝいて仰天ぎやうてんし 「そんなら家内やうちがしばられて於竹おたけさんも役所やくしよとらはれ 「いたはしいとおもひましても私等わしら手際てぎはにいかぬゆゑ 「かなはぬまでもたすけずハ梅太郎うめたらうさんにたのまれた甲斐かひないのみかおたけさんもさぞおそろしくかなしかろうこと新宦しんくわんの」 大六だいろく婬行いたづら非道ひだう曲者くせものゆゑ領主りやうしゆたて私欲しよく奸計たくみ支配しはいひとなやますとかねてのうわさたがひもあるまいたとへ地頭ぢとう威光ゐくはうじやとて家主あるじ畄守るす小女をとめまでいましめて行法いくほうがあらうか。ドレ走付はせついかく畄守居るすゐにたのまれおめ/\とつかねてハいひわけがよしあるにもせよさしあた於竹おたけさんの大難だいなんをすくはにやならぬ鍬八くははちをいそがしたついへかへれバすで家財かざい取上とりあぐ手配てくばりさだめてこゝかしこに軽卒けいそつ張番はりばんしたりこれるより青柳あをやぎハはやおそかりしとをいらちまたかた走出はせいでれバはるかに松火たいまつ振照ふりてらしつゝ数多あまた組子くみこ一人ひとり小女せうぢよ引行ひきゆくさまなりこれぞおたけてけれバ鍬八くははちにさゝやきて何処いづくへかしのばせやりその懐劔くわいけんとりいだし小褄こづまたかとり11 あげながら横筋よこすぢむかひにはせいたりてれバはたしておたけをいましめさもなさけなく追立おつたてゆくその行躰さまさらに公事おほやけならず非義ひぎ無道ぶだうとハいはてもれたり青柳おをやぎつら/\おもふやうかゝ邪見じやけん雜卒ざうそつたいして道理だうりのべたりともいかでかきゝわけくれられんやとあつ家財かざいもおたけをもゆゑなく役所やくしよ取上とりあげられしとのち梅太郎うめたらういはるべきか大事だいじをかゝへしなりともいまこのときにすくはずハひとわらひとなりぬべしいのちまとたすけんといと大膽だいたんにも懐劔くわいけんふりひらめかしてをどりいり前後ぜんごあたつて追立おつたつれバもとより覚悟かくごのあらざる雜人ざふにん伏勢ふせぜいありとやおもひけん厳重おごそかなるにハもやらずみなちり%\に迯散にげちれバなんなくおたけをすくひいだなはきりとけバおたけもおどろきもの

【挿絵第六図】

 挿絵第六図12

いはんとするをきゝもせずみゝくち鍬八くははちしのびしかたおとしやりその直地たゞち多塚おほつかいへにかへりておたけため金銀きん%\をたづねいだかくさするたすけになさんとみち引違ひきちがへて多塚村おほつかむら走出はせいだしたる左手ゆんでやぶよりなげいだしたる鍵縄かぎなはひきかへされてたふるれバたちまちいづ数多あまた組子くみこなか にも戸塚とつか大六だいろくあふぎづかひにわらひをふくみきゝしにまさる青柳あをやぎ美質びしつをよろこぶ好色者かうしよくもの  手荒てあらくいたすないたはれいひつゝこれを引立ひきたてさせおのが邸宅やしきへかへりゆくこの同所どうしよ神宮かにはにハ處女むすめそでしま湯立ゆだて神事じんじはいせんとておはりとも出行いでゆきしがそのになりてもかへ終夜よもすがらかれこれまちわびついくたび小者こものはしらして便宜びんぎきけどもつゆばかりその音信おとづれきくよしなくとかくするハ」13 あけたりいかゞせしぞと談合だんかうするに下女げぢよなべハおふみにむかひ 「おかみさまへなんぼおひとをつかはされてももうおそでさまハおかへりなさるづかひハございませんョ ふみナニ/\そでハとてもかへらぬとなぜそれほどのことつて昨夜ゆふべから無云だまつたたはけなをんなもあるものだサアかへらぬわけをはやくや ハイしつかりれませんから昨晩さくばんハ申ませんが今朝けさまでおかへりなさらぬゆゑいよ/\それにちがひないとぞんじて申しましたこのほどはりがすゝめによりて梅太郎うめたらうあと家出いへでなしたるにうたがひなく梅太郎うめたらう杢兵衛もくべゑいへにハたしからざるおもむき隣家りんかなれバおはり作畧さりやく合圖あひづなせしことならんとくはしくつげれバかのふみげにかとこれにこゝろ家内かないれバおそで着替きがへの」 衣類いるゐおほ紛失ふんじつしてこがね不足ふそくなしたりけれバさてハをとこあとをしたひ出行いでゆきたるに相違さうゐなしまた梅太郎うめたらう歳齢としごろなり杢兵衛もくべゑとてもかりおやこゝろにかなはぬこと出來できておそでかねかすうばはせつれだちにげたるものならんまづ杢兵衛もくべゑいへひとりて梅太郎うめたらう行衛ゆくへはせよ一人ひとりハおはりもとゆきてこれも家内かない詮鑿せんさくすべしと評義ひやうぎとり%\なるところに昨夜さくやうわささま%\にて戸塚とつか大六だいろく自身じしん人数にんずつれられてぶか杢兵衛もくへゑたく闕所けつしよ家内かないのこらずからめとり梅太郎うめたらう行衛ゆくゑ詮義せんぎありしにひさしく病気びやうきいひしハいつはじつ以前いぜん亡命かけおちせしか昨夜さくやのさはぎに出合いであはずこれ穿鑿せんさくさいちうなりまたそのいへ食客しよくかく青柳あをやぎといふ處女をとめありしがをんな似氣にげなきはたらき14 していましめられたるおたけをすくひ何処いづくへかおとりてなほのがれんといとみしかどそのハかへつてとらへられ獄屋ひとや今朝けさハつながれたりされども容皃みめよきむすめなれバ大六たいろくぬしのこゝろにかなひとみにゆるさる沙汰さたもありとまこと〓云そらことわれがほにきそひてさへずる百千鳥もゝちどりかしましくこそ風聴ふうぶんせり神宮かには夫婦ふうふ此事このこときいていさゝか心地こゝちよくおそでまことならねバおもひのほかなげきもせず杢兵衛もくべゑいへうらみとすれバ大六だいろくもとこがねおく此度このたひのことをさいはひに梅太郎うめたらうつみおとしたとへ古郷こきやうにかへるとも當所たうしよ住居ぢうきよハさせまじと種々しゆ%\讒訴ざんそをかまへしとぞ話分両頭ものがたりふたつにわかるこゝにそのころ石濱いしはまさと舞子まひこ於亀おかめといふものありもと真間ままなる郷士がうし手古那てこな三郎さぶらうといふひと秘藏ひさうの」 處女をとめなりしが舞子まひこになりてわたるハちゝなきのちのことなりけりそも/\この薄命はくめいなるたうざいにしてはゝにわかれ十二才にてちゝ死去うしなひいと/\あはれな生立おいたちなりおかめはゝ千葉ちば浪人らうにん利根とね七郎しちらうといふものむすめ勝美かつみといひけり七郎夫婦ふうふ零落れいらくして諸所しよ/\流浪るらう真間まゝざいしよにありけるがちゝ七郎ハさり毋子ぼし活業たつきもなかりしを手古那てこなの三郎いひよりてふか勝美かつみしたひしかバはゝ子細しさい物語ものがた毋子おやこいのちをつながんために三郎に勝美かつみゆだにかこはれとかいふごとく手古那てこな厄介やつかいとなりけるが勝美かつみ原来もとより烈婦れつぷにてそのをんなうまれしをいとくちをしくおもひつゞけわれもし男子なんしたらんにハはゝをやしなひをおこし家名かめいたてる」15 時節ときもあらんにかの白居易はくきよい言葉ことばのごとく百年ひやくねん苦樂くらく他人たにんよ こそくやしけれとそのふかはぢらひけりかくて勝美かつみハ十九才のとき三郎がたね出産しゆつさんせしがたまのごときの女子むすめのこにて三郎がよろこびおほかたならずされど勝美かつみハよろこばずせめて男子をのこをうみいださバすゑ頼毋たのもしきことならんに夲意ほいなきことゝなげきけりかゝる勇氣ゆうきをんなゆゑよろづわざにこゝろをつかひつひ産後さんごなやみとなり医療いりやう手當てあてつくすといヘども漸々しだい/\よはりゆき乳房ちぶさほそりていでざりけれバさとをたづねてこれをあづけそのハ十九才の正月むつき中旬なかばかめをうみてひきつゞきたる大病たいびやうなりしが一年ひとゝせちかくわづらひてその十月じうぐわつ下旬すゑのころ木枯こがらさむきそのゆふべ」 はかなくこのりしとぞさてまたおかめさとにとりし石濱いしはま今吉いまきちといふものありかれ京都きやうと出生しゆつしやうにて白拍子しらびやうし親方おやかたなりしがこゝにうつりてひさしからずつまのおはな出産しゆつさんしてをうしなひちゝにこまりてありけるゆゑさいはひおかめさとにとりていとをしみつゝそだてしがある夕暮ゆふぐれかめ毋親はゝおや勝美かつみがたづねきたりしかバ今吉いまきち夫婦ふうふいでむかひ「ヤレ/\マアおまへさんハひさしい病氣びやうきでおいでなされたのによくおいでなされましたへ ハイすこしよくなりましたゆゑあのあふのをたのしみにやう/\のことでまゐりました ヲヽ/\そうでございますかマア/\こちらへ/\ ハイ/\おかまひなさいますなわたしハたゞおかめふのをこゝろ」16 がけて 御尤ごもつともでございますいまちゝのんですや/\とねむるところモウ/\此間こないだハたいそうにかあいらしくおなりなさいましたたとへおまへさまがおこゝろよくなつたとてきうにおかへし申すことハなりませんどうぞさうおもつてくださいましたつておかめぼうをつれていかふとおつしやるとわたしハんでしまひますマアさんねんハわたしがどうしてもおそだて申ますからそのおぼしめしで今日けふマアちよつとだいたらそれぎりに イヱ/\どうしてそのやうな取返とりかへすのなんのといふハすこしもございませんおまへたちがいやだとおいひでも出産うみおとしてからの丹誠たんせいおやのないとおぼしめしてすゑ%\までもかはいがつておくん」 なさいョマアどうぞはやくあのかほをおせなさいなどんなになりましたかあんじられてなりません 「さぞ/\さうでございましやうサアらうじましこのやうにおほきうなつてゞございますいだおこしていだかするさと毋親はゝおやじつはゝおかめハこれをるよしもあらざるべきにこハふしぎや勝美かつみいだけバたちまちにさもかなしげになぎいだすこゑ赤子あかごもやらであはれをふくむその形勢ありさま今吉いまきちつぎより勝美かつみれバなにとやらかげうすくしてそう/\たり勝美かつみハおかめをだきあげてゆすりながらの子護唄こもりうたねん/\ころよねんごろにをさなきかほしみ%\とうちながめてハむせかへりさもあはれげにえけるが今吉いまきち夫婦ふうふともし」17 ごろ前後あとさきかたをわかしせめて煮花にばな山茶やまちやでもと馳走ちさうぶりなるはきそうぢをさなだかせしそのまゝ勝手かつてかたにてたち雨戸あまどくりなどするうち勝美かつみあたりをわすれし風情ふぜい ノウかめぼうやはゝモウこれぎりあふこともならないョかほをおぼえてゐてたもやといふもいはれぬぐわんぜなさかひないことりながらもあきらめられぬ恩愛おんあいのきづなもえんいまきれてはかないはゝ定業ぢやうがふぞそなたハどうぞもやらで立身りつしん出世しゆつせをしてたもやはゝにはなれてまたほどなふとゝさんにもうすえんこれまでらぬことながら業通がふつうゆゑにいまつてなほさらいとしいそなたのゆくすゑ此家こゝおぢさまおばさまを大事だいじにおもふて成人せいじん」 しやたとへをんなにもせよてゝ手古那てこな三郎さぶらうどのはゝ素性すじやう利根とね七郎しちらう両家りやうけ繁栄さかえ其方そなた一心いつしんこの草葉くさばかげよりしてちからとならふ左様さうおもいふをきゝとる今吉いまきちが なにおつしやるやらはゝさまたしかにあなたのおとしハ十九厄年やくとしゆゑに少々せう/\病氣びやうきぐらゐハ是非ぜひない難義なんぎそれじやといふておわか元氣げんきモウこれからハ漸々ぜん/\にお肥立ひたちなさるをまつばかりそのおさまの壮健すこやかぢき水際みづぎはたつやうに成長おほきくおなりなされます全躰ぜんたい貴嬢あなたハおむすぼれそれがこうじて御大病ごたいびやうかねてもおきゝ申ましたちつとうき/\なされまし サアその成人せいじんまつこともならぬ冥土めいど娑婆しやばえん今宵こよひにかぎるうきおもひ 「そんならあなたハ御病氣ごびやうきで 「どうやらあはれな」18 その様子やうす  「もしやこの右左みぎひだりすがるおはなにをさなわたしてしほ/\たつ姿すがた門口かどぐちいづるとるうちにぱつともえたつ一團いちだん鬼火いんくわともきえうせてかど松風まつかぜそう/\といとさみしくも初夜しよやかね今吉いまきちはなかほ見合みあはせすごきなかにもいぢらしくそのをかたりあかせしに翌日よくじつ勝美かつみ死去みまかりしよし真間ままよりつげきたれバおはなハまさ/\幽霊ゆうれいわかれををしみし愛憐あいれんふかなげきをつく%\とおもひやるさへいたましくまことよりも大切たいせつにあはれみかしづきそだてけるがはゝにもまさる美麗びれい姿すがたことに才智さいちすぐれしゆゑじつてゝおや三郎さふらう寵愛てうあいいはんかたもなけれど夲妻ほんさい真柴ましばこゝろをかねてなほいしばまにてそだてけるにおはなまひ上手じやうずなれバなぐさみながらおかめをしへていまハ」 おはなもおよばぬほどにその妙手めうしゆきはめつゝ十三才になりしころちゝの三郎横死わうしをなして遺憾ゐかんこゝろやむときなく亡毋なきはゝ勝美かつみうけたれバいさゝか憤然ふんぜんたる情態じやうたいありて男子なんしひとしきゆうをこのみちゝかたきうたんとねがふ念慮ねんりよおこたることもなく十五才の七月ふみづき下旬げしゆんそのがゝりのあるをもて里親さとおやたちたのみこしらへ鎌倉かまくらさしてのぼりしがこのころ神宮かには梅太郎うめたらうにしきはたのゆゑによりまた相模路さがみぢへおもむきしとぞ必竟ひつきやうかめちゝ三郎さぶらういかなることにてへんハとげしぞかたきといふハ何者なにものなりやそハ十三くわい條下くだりつゞれりだいしふよみ高評かうひやうあるべし

貞操婦女八賢誌初輯卷之六」19

【後ろ表紙】

 後表紙


#『貞操婦女八賢誌』(二) −解題と翻刻−
#「大妻女子大学文学部紀要」50号(2018年3月31日)
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