『高尾舩字文』−解題と翻刻−

高 木  元

【解題】

本作は馬琴読本の処女作である。比較的早くから言及されることが多く、振鷺亭の『いろは酔故伝』とともに、江戸読本における水滸伝翻案ものの流れを形成した作品として位置付けられてきた。ところが、播本真一「『高尾船字文』と『焚椒録』覚書」(「近世文芸研究と評論」第十七号、一九七九年十一月)は、『水滸伝』のみならず、『焚椒録』という遼の雑史を利用して萩の方をめぐる話を作ったことを検証し、丹羽謙治「馬琴読本における『水滸伝』の受容の一齣」(「讀本研究」第五輯上套、渓水社、一九九一年)では、未刊に終った後編『水滸累談子』が、累が淵伝説を伊達騒動の世界に取り込んだ『伊達競阿国劇場』と『水滸伝』の武松復讐譚とを撮合する構想であったことを指摘し、さらにその構想が『新累解脱物語』へと結実した様子を追っている。また、徐恵芳「『高尾船字文』考−『水滸伝』利用の様相について−」(水野稔編『近世文学論叢』、明治書院、一九九四年)は、『水滸伝』全般の利用を丁寧に検証しつつも、明らかな『通俗忠義水滸伝』の利用の跡を発見している。演劇の伊達騒動ものについては、石橋詩世「『高尾船字文』に関する一考察−伊達騒動高尾物の検討と書名の意味−」(「大妻国文」第二十五号、一九九四年)が詳しく、『けいせい睦玉川』をはじめとする高尾物を集めたという寓意を外題「千字文」に読んでいる。
このような近年の研究によって、本作の性格が次第に明確にされてきているが、相変らず習作であるという観点から離れられないようである。馬琴はみずから、売れなかったことと上方で受け入れられなかったこととを『作者部類』に記しており、さらに中本型読本というジャンルであったことに対しても、その意義を重視していないようである。しかし、天保に成って再板されていることを見ても、再度馬琴の言及から自由になった視点で読み直してみる必要があるものと思われる。

【書誌】

【凡例】

表紙

     表 紙

【翻刻】

高尾舩字文(たかをせんじもん)

 凡例(はんれい) [印]

此書(このしよ)や。戲房(がくや)ハ唐土(から)の稗説(ものがたり)に做(なら)ひ。戲廂(ぶたい)ハ日本の演史(ぎだゆう)を引く。故(かるがゆへ)に文中(ぶんちう)通俗(つうぞく)めいたる有。院本(しばゐ)めいたるあり。どうめいたるあり。孔明(こうめい)たる謀(はかりこと)有て。くるり/\と廻(まは)ること。機関(からくり)の糸(いと)の如(ごと)く。花子(まめぞう)が唇(くちびる)に似(に)たり
主意(しゆゐ)ハ楽天(らくてん)が詩文章(しぶんせう)のごとく。媼婆(おんば)さまにも解(げし)(やすき)をもてし。聊(いさゝか)珍〓(ちんぶん)韓退之(かんたいし)が。人威(ひとおどし)のむつかしきを」求(もと)めず。爰(こゝ)を以(もつ)て念者(ねんしや)の長口序(ながこうじよ)に。数紙(すし)を費(ついやさ)ん事を厭(いと)ひ。今機(き)を替(かへ)て序(じよ)を不書(かゝず)。廼(すなはち)墨斗(やたて)の禿筆(きれふで)を採(とつ)て。板木(はんぎ)の桜(さくら)に書付(かきつけ)て曰(いわく)。天(てん)正本(しやうほん)を空(むな)しうすること勿(なか)れ。時(とき)に凡例(はんれい)なきにしもあらず。

寛政捌丙辰年孟春書於雜貨店帳合之暇

曲亭馬琴 [印][印]」1

序1

序2

高尾千字文第一冊

○洪氏(ひろうぢ)(あやまつ)て實方(さねかた)の廟(びやう)を開(ひら)
  附リ 夫(それ)ハ小説(たうほん)の水滸傳(すいこでん)
     是(これ)ハ戲文(しばゐ)の先代萩(せんだいはぎ)
 其(その)發端(ほつたん)ハ霊魂雀(れいこんのすゞめ)

○宮戸川(みやとかは)に雷(いかづち)絹川(きぬがは)に遇(あ)
  附リ 夫ハ九紋(きうもん)龍史進(りうししん)
     是ハ絹川(きぬがは)谷藏傳(たにぞうがでん)
 其(その)王進(わうしん)ハ角觝師(すまふのしせう)

口絵1

絹川谷藏(きぬがはたにぞう)
生國關東縞(しやうこくくわんとうしま)満身都黒鳶(まんしんすべてくろとび)
竊観正札貴(ひそかにしやうふだのたつときをみれバ)男一疋絹川(おとこいつひきのきぬがは)\長喜画」2

高尾千字文第一冊

曲亭馬琴著
  洪氏(ひろうぢ)あやまつて実方(さねかた)の廟(ひやう)をひらく

ころハ應永(をうゑい)十二年。足利(あしかゞ)将軍(しやうぐん)義満(よしみつ)(こう)。諸國(しよこく)へ巡察使(じゆんさつし)を立給ひ。一國の政務(せいむ)を正(たゞ)し給ふにより。巡察使(じゆんさつし)山名(やまな)洪氏ハ。奥州へ下りける。洪氏松嶋(まつしま)の瑞岩寺(ずいがんじに)(いた)リ。雄嶋(をじま)が磯(いそ)雲居(うんこ)禅師(ぜんじ)の岩屈(がんくつ)。そのほか名所(めいしよ)古跡(こせき)を一見す。此瑞岩寺ハ。七堂伽藍(がらん)の大寺にて。仏法(ぶつほう)相應(さうをう)の霊地(れいち)なり。洪氏(ひろうち)此瑞岩寺へ一宿しけるに。其夜もすでに更(ふけ)わたる頃(ころ)。方丈(ほうじやう)の西にあたりて。人の叫(さけ)ぶ声(こへ)きこへけれバ。ひろ氏これをあやしみ。夜あけて住寺(ぢうじ)に。その謂(いはれ)を」尋けるに。住寺しばらく考(かんが)へ。上使のあやしみ給ふも尤なり。これハ実方(さねかた)の霊魂(れいこん)なり。むかし二條の院に仕(つか)へし中将(ちうしやう)実方ハ。むつの國の任(にん)に遷(うつ)され。ひたすら都をしたひ給ひしに。その一チ念悪魔(あくま)となり。當國に障化(せうげ)をなすゆへ。當山に廟(びやう)を立て。その霊魂(れいこん)をまつり候とこたへけれハ。洪氏から/\と打笑ひ。我レ聞ク藤(とうの)中将実方ハ。小一条大将濟時(すみとき)の子にして。世にかくれなき哥(うた)人なり。まして実方の墳(つか)ハ當國笠嶋にあり。何ぞ笠嶋(かさしま)に廟(びやう)ハたてずして。此瑞岩寺(ずいがんじ)にまつるといふもいふかしゝ。いざ我レ一ツ見(けん)すべしと座を立けれバ。住寺も洪氏の先に立て」3 あん内す。ひろ氏実方(さねかた)の墓(つか)を見るに。大なる石を以て雀(すゞめ)を刻(きざ)みその雀(すゞめ)の上に一ツの石碑(せきひ)を立て。中将実方の墳(つか)としるしたり。石のすゞめハ土に埋(うづま)れ。頭(かしら)わづかに出けるが。雀の觜(くちばし)に数(ず)十連(れん)の珠数(じゆず)をかけたり。住寺洪氏に語リけるは。昔(むかし)中将実方卿。行成卿(ゆきなりけう)と口論(こうろん)のあやまりによつて。當國に左遷(させん)有リ。実方帝(みかど)をふかく恨(うら)み奉り。我あづまの土と成ルとも。一念かならず當國にとゞまつて。奥州(をうしう)の大守(たいしゆ)たらん人に害(がい)をなすべしと憤(いきどを)り。終(つい)にむなしくなり給ふ。又実方在世(ざいせ)の時。つね%\此寺に参禅(さんぜん)あつて。ひたすら帰洛(きらく)をねがはれしが。我死しなバ雀となりて」も。一トたびハ都へのぼり。たいはん所の飯(いゝ)を喰(くは)ばやとのたまひしが。果(はた)してその一チ念當國にとゞまり。怪異(くわいい)のことおほかりしゆへ。わが祖(そ)雲居禅師(うんこぜんし)。この寺に廟(ひやう)を立て。その霊(れい)をなだめ給ふ。しかれども深更(しんかう)におよんでハ。折ふし人の叫(さけ)ぶこへ聞え申なりと語けれバ。洪氏(ひろうぢ)あざ笑(わら)ひ。一犬(いつけん)(きよ)を吼(ほへ)て百犬実(じつ)を吼(ほゆ)る。われ今こゝろみに。その憤(つか)を發(あばひ)て。実方の尸(かばね)を一ツ見(けん)せんと云けるを。住寺急におしとゞめ。もし此塚(つか)をひらく時ハ。忽(たちま)ち當國(たうごく)に災(わざはひ)をまねくべし。わが禅師(ぜんじ)より数代(すだい)の住職(ちうしよく)。十念加持の珠数(じゆず)をもつて。雀(すゞめ)の觜(はし)をつなぐ事。まつたく実方の霊魂(れいこん)を封(ふふ)じこめ給ふ謂(いはれ)なり。洪氏」4 これを聞て大に怒(いか)り。いわれぬ賣僧(まいす)が人威しかな。もしわが一言(ごん)に叛(そむ)くものあらバ。都へ上り言上し。やがてうき目を見すべしと罵(のゝしり)けれバ。住寺も上使の権威(けんい)におそれ口を閉(とぢ)て扣(ひか)へゐる。洪氏住寺が迷惑(めいわく)するを見て。いよ/\圖(づ)にのり。おほくの人(にん)夫に下知してかの石塔(せきたう)を引たほし傍(かたはら)にとりのけ。石の雀(すゞめ)を堀(ほり)出さんとするにその重(おも)さ磐石(ばんじやく)のごとく。数十人の人(にん)足も。動(うごか)しかねて見へしかハ。洪氏いよ/\人夫を増(ま)し。勢(いきほ)ひかゝつて堀けれバ。終に石のすゞめを堀(ほり)出しけるに。その下に二枚(まい)の石蓋(いしふた)あり。蓋(ふた)の上に文字あり遭洪而開(こうにあつてひらく)と彫付(ほりつけ)たり。洪氏これを見て大によろこび。禅師(ぜんじ)仏眼(ぶつがん)を以てはや百」年以前。わが此塚(つか)をひらくことを知り給へり。人々此蓋の文字をみよ。洪にあふて開と有リ。わか名乗(なのり)ハ洪氏(ひろうぢ)。洪(こう)に遇(あ)ふとハ則(すなはち)われ也。勇(いさ)めや人々と下知して。終に石ぶたをはねのけけれバ。下ハ千尋(ちひろ)の洞坑(ほらあな)なり。只闇(くら)くしてその深(ふか)さをしらす。洪氏人夫に松明(たいまつ)を燈(とも)させ。洞(ほら)の中へこみ入らんとせし所に。俄(にはか)に数千本の竹(たけ)を。一度に破(わ)るがことき音(おと)聞えて。洞の中より白氣(はくき)立のぼり。数十羽の雀飛(と)び上りけれバ。洪氏住寺ハいふにおよはず大勢の人足(にんそく)共。此体(てい)を見て大におとろきおし合へし合。洞(ほら)の邊リをはしり出て。首(くび)をめぐらしてうしろを見れバ。数(す)十羽のすゞめ忽(たちま)ち化して六尺あまりの白練(しらきぬ)となり」5 練の中央(おう)に十八といふ二字。あり/\とみへけるが。東西(とうざい)に吹なびきいづくともなく消(きへ)うせける。これ全(まつた)く足利(あしかゝ)(より)兼の時にいたりて。奥州に稀代(きたい)の珍(ちん)事。おこるべき瑞(しるし)なり。洪氏ハ色青ざめ。呆(あきれ)はてゝゐたりしが。われ今當國の勤役(きんやく)すむうへハ。早々都へのぼるへしと。そこ/\に瑞岩寺を發足(ほつそく)し。都へこそハ帰りける

  宮戸川に雷(いかづち)きぬ川にあふ

應永(をうゑい)十五年。足利義満(みつ)逝去(せいきよ)し給ひ。それより四拾八年後(のち)。足利八代の将軍義(よし)政公ハ。義満公の御孫にして。御心風雅(ふうが)にまし/\。ことさら茶をこのみ。金閣(かく)銀閣二ケ所の高楼(かうろう)をしつらひ。東山に住(ぢう)し」給ふにより。世の人ひかし山どのと称(せう)じ奉る。義政の御舎弟(こしやてい)。左馬(さまの)介頼兼公ハ。奥州の大守(たいしゆ)として。關(くわん)東の官領(くわんれい)と定め給ふ。こゝに前(せん)将軍義満御妾腹(せうふく)の御子。典膳(てんぜん)鬼貫(おにつら)ハ。よし政より兼の叔父(おぢ)なれ共。別腹(わきはら)なり。頼兼いまだ年わかにましませバ。此鬼つらをさしそへて。奥州へ下し給ふ。鬼つら其身。臣下(しんか)の列(れつ)に入るといへども。まさしく頼兼の叔父なるによつて。何とぞ頼兼をなきものにして。奥州を押(おう)領せんと工(たく)みける。爰に一人のしれものあり。勇ハ樊會(はんくわい)張飛(てうひ)をあざむき。智(ちゑ)ハ孫〓(そんひん)孔明(こうめい)に勝(すぐ)れたりしかれども其こゝろざし賢(けん)人に似たる侫人(ねいじん)にて。表(おもて)にハ忠心をあらはし。裏にハ國(こく)」6 家をくつがへさんとはかる。此人ハこれ頼兼の執権(しつけん)仁木(につき)左衛門直則(なをのり)といふもの也。諺(ことはざ)にも同気(とうき)(あい)もとめ。凹(くぼ)き所へ水たまるたとへのごとく。鬼貫(おにつら)いつしか此仁木と心を合せ。隙もあらバ頼兼を罪(つみ)におとし。奥州を横領(わうれう)せんとたくみける。その頃将軍よし政公。茶(ちや)の湯(ゆ)をのみ給ふにより。世上専(もつは)らちやのゆはやり。かの鬼つら仁木ハ。茶の湯にことよせ。折/\出會(しゆつくはい)して悪事(あくじ)を相談す。ある日鬼貫が使(つかい)。仁木がやしきを門ちがへして。組下(くみした)の侍(さふらひ)(いかつち)(つる)之介が方へ持(もち)行しに。折ふし鶴之介は他出(たしゆつ)して。下女その手紙をとりつぎ。留主のよし答(こた)へて。使(つかい)を帰しける。しばらく有ツて鶴之介立帰り。その手紙を」見て大におどろき。これハ典膳(てんぜん)鬼貫とのより。執権(しつけん)仁木どのへ来たる手紙也。殊に密用(みつやう)と有れバ。定て國政(こくせい)の用事ならん。我々がとり扱(あつか)ふべき書状にあらず。いそぎ仁木とのへ届(とゞけ)んと。袴(はかま)引かけ立出んとする所に。仁木はやくも此事をきゝ。雷(いかつち)が方へ使を以て。用事あれバ早々参るべしと云つかはしける。雷とるものも取リあへず。其使と共に仁木がやしきへいたり。委細(いさい)のわけをいわんとする所に。仁木雷をはつたとねめ付。おのれいやしき身分(みぶん)を以て。政務(せいむ)にあづかる。大切の書状をうばひとつたるハ。定て企叛(むほん)の志(こゝろざし)ならん。いそぎ雷をからめ。〓問(がうもん)すべしと下知(けぢ)すれバ。雷平伏(へいふく)して云けるハ。それがし外様(とざま)」7 賤官(ひかん)の侍なりと申せども。いかでか國の掟(おきて)をしらざらん。鬼貫の使あやまつて。それがしか方へ持参(ぢさん)いたし。その節それがし留主なれバ。此事を存ぜず。只今此義を申上んと立出る所に。急(きう)の御使にあづかり。首尾(しゆび)前後(ぜんご)仕リ。何ともおそれ入候と。かの手紙をさし出せバ。仁木いよ/\怒(いかつ)て。おのれ手紙をうばひたる事を。それがしに悟(さと)られ。事を両端(りやうたん)にさしはさみたる。その云訳(いひわけ)くらひ/\。おのれが親(おや)鳴神(なるかみ)三平ハ。いやしき角力(すまふ)とりなりしを。さいわひ當家へめし出され。その方今ハ諸侍(しよさふらひ)の列(れつ)にも加(くわ)はり。少しばかりの鎗棒(さうはう)眷頭(やはら)など覚へしとて。一家中の若さふらひへ師範(はん)なといたす事。」甚以て片腹(かたはら)いたし。ことの善悪わかる迄。かたくいましめて〓問(がうもん)すべし。はやく鶴之助をからめよと呼はれバ。仁木が組下(くみした)の侍ども。仁木をなだめて云けるハ。鶴之介大切の用状を請取置しハ。その罪(つみ)かろからずと申せ共。元より彼(かれ)が留主のうちのことなれバ。毛頭(もうとう)存ざるにうたがひなし。まづ此度ハひらにゆるし給へかしと。詞を盡(つく)して諫(いさ)めけれバ。仁木もおのれが心に一チ物有。殊に悪事密談(みつだん)の手紙なれバ。もし此事よりあらはれなバ。蟻(あり)の塔(たう)より堤(つゝみ)(くづ)るゝならんと。少し顔をやはらけ。その方只今いましめて〓問(がうもん)すべき奴(やつ)なれども。組下のいさめに免(めん)じ。今日ハゆるし遣(つかは)す。かさねてゆる/\吟味(きんみ)すべしと」8 ねめちらして。おくの一ト間へ入リけれバ。雷ハ仁木に耻しめられ。しほ/\とわが家へ帰り。母にゐさい語リけれバ。雷が母(はゝ)云けるハ。今の世に仁木とのに可愛(かあい)からるゝものハ。功(こう)なくして立身(りつしん)出世(しゆつせ)し。又少しにても悪(にく)まるゝものハ。罪(つみ)なくして殺(ころ)さるゝ。その方つね%\柔(やはら)劔術(けんじゆつ)を覚(おぼへ)(ゑ)て。何とて知らざるや。兵法(かほう)の奥(をく)の手にも。迯(にぐ)るを一とするといへバ。われらおや子此所を迯出て。いづくへなり共落行(おちゆく)べし。雷これを聞て。母の詞理(り)の當然(たうぜん)なり。今鎌倉(かまくら)の細川(ほそかは)勝元(かつもと)どのハ。當家(たうけ)の御縁者(ごゑんじや)と云ひ。殊(こと)に仁義あつき人とうけ給はれバ。勝元(かつもと)とのをたのみ参らせ。身の安穏(あんをん)をはかるべしと。其夜ひそかに旅(たび)の用意(やうい)をとりとゝのへ。」扨夜もあけれバ。下女をおこして。我ら親子宿願(しゆくぐわん)あれば。塩竈(しほかま)明神(めうじん)へ参詣(さんけい)す。かへりおそくハ迎(むかひ)に参るべしと云すて。住(す )なれしわか家を跡に見なしつゝ。鎌倉(かまくら)へと落て行。道より母をバ旅駕(たびかご)にのせ。雷駕(かご)に引そふて道を急ぎける程に。日数(かず)(へ)て武蔵なる。千住村(せんしゆむら)へ着(つき)ける。此時はや七ツ下リにて。塒(ねくら)もとむるむら烏(からす)。われも馴(なら)はぬ旅烏(たひからす)。かあひとなくハ戀ならで。反哺(はんほ)の孝(かう)におや鳥の。旅(たび)の労(つかれ)をなぐさめて。茶やが床几(せうぎ)にやすらひしが。雷心に思ふやう。けふもまだ七(なゝ)ツ下(さが)り。千住にとまるハ甚はやし。殊に仁木が追人(おつて)かゝらんもはかりかたし。せめて今二三里行べしと。ひた」9 すら道を急(いそ)きつゝ。程なく淺草川へ来りしころ。日ハとつふりと暮にけり。此邊ハみな商人家(あきんどや)にて。泊リもとむる宿もなく。いかゞせんとためらひしが。金龍山(きんりうさん)のあなたに一ツの瓦屋(かはらや)あり。障子(せうじ)に岡田(おかだ)やとしるして。灯火(ともしび)のかげ戸のすき間をもりけれバ。雷此岡田やにおとづれ。行くらしたる旅(たび)のものなり。何とぞこよひ一夜明させ給へと云けれバ。内より丁稚(でつち)出てこゝハ旅籠(はたこ)やにあらず。此並木をまつすぐに廿町程行給へバ。おほくのはたごやあり。そこへ行て泊(とま)り給へと。つこどなく答(こた)へける。雷慇懃(いんきん)に腰(こし)をかゝめ。それがし一人にて候はゞ。廿町ハ扨置。五里も十里も参るべきが。一人の老母(らうぼ)をたづさへ。道(みち)(くらく)して」方角(ほうがく)をしらず。たとへ蔵(くら)の隅(すみ)。みせの土間(どま)なりとも苦(くる)しからず。せひに一宿(いつしゆく)させ給へと。涙(なみだ)くみて云けれバ。うちより年のころ六十ばかりなる。此家のあるじとおぼしき人立出。老人(らうじん)ハ相見互(あいみたかい)のことなるに。さのみ氣づかはしきこともあるまじ。泊(とめ)参らせよと云けれバ。雷大によろこび。母をともなひ内に入。旅(たび)のつかれをなぐさめける。此家のあるじハ岡田や与兵衛とて。情(なさけ)ふかき男にて。雷親子に湯をつかはせ。夜食を出しもてなしけれバ。雷も感涙(かんるい)をながし。誠や旅ハ道づれ。世ハなさけ。われ/\おや子。かく御世話になる事も。一河(が)一樹(じゆ)の縁(ゑん)ならめ。扨はたごせんハ何程にやと云けれバ」10 主(あるじ)与兵衛かぶりをふり。イヤ/\はたごせんにハ及び申さず。定めて旅のつかれもあるべきに。はやく休(やす)み給へといひけるにぞ。雷(いかづち)親子なを/\感心(かんしん)し。主にあつく礼をのべ。一ト間に入てやすみける。扨夜も明けれ共。雷いまだ起(おき)ざりけれバ。あるじ与兵衛屏風(びやうぶ)の外より。旅人衆もはや夜ハあけたり。起給はんやと云けれバ。雷この声を聞て。急(きう)に屏風の外へはしり出。某(それがし)ハとくに起候へども。老母(ろうぼ)此ほどの旅つかれにや。夜中(やちう)より積氣(しやくき)おこり。今以てさしこみ難儀(なんぎ)いたし候。与兵衛これを聞て。旅泊(りよはく)の老病(らうびやう)さぞ御心遣ひならん。先ツこれを用ひ給へと。はな紙袋(かみふくろ)より」金丹圓(きんたんゑん)をとり出しこれをあたへ。さつそく医者(いしや)を呼(よ)び。薬をのませ。扨雷おや子に云けるハ。かく御宿(やど)申事も。前世(ぜんぜ)の因縁(いんゑん)ふかきゆへならん。情(なさけ)ハ人の爲ならずとうけ給はり候へバ。母御の病氣(びやうき)快方(くわいほう)まで。ゆる/\と滞留(とうりう)して。心置なく養生(やうじやう)あれと。世にたのもしく云ひけれバ。雷感涙(かんるい)をとゞめかね。それがし元ハ頼兼公外様(とさま)の侍にて。世に有しそのむかしハ。武士のまねこともいたしたるものなれ共。傍輩(ほうばい)の讒言(ざんげん)により。住なれし奥州を立出。今鎌倉のしるへの方へ。おもむかんと存ぜし所。思はずも母の病氣。かゝる御世話にあづかる事。いつの世にかハ報(ほう)し申さんと。くれ/\礼を述(のべ)にける。扨五六日過(すぎ)けれバ。母の病氣漸(やうや)く」11 全快(せんくわい)し。雷もはや一両日のうちに出立(しゆつたつ)すべしと思ひ。汚(よこ)れたる脚半(きやはん)を濯(すゝ)がんと思ひ。うら口の河岸(かし)(はた)へ出けるに。一人のわかき男。としのころ十八九と見へけるが。骸(からだ)の色ハ墨(すみ)よりも黒(くろ)く。腕(うで)に朱(しゆ)をさして倶利迦羅龍(くりからりやう)を刺(いれずみ)したるが。大勢の舩頭(せんどう)を集(あつ)め。相撲(すまふ)を取リて居たりけるに。彼(かの)わかき男に勝(かつ)もの一人もなし。雷ハうしろに立て見物してありけるが。元よりこのむ道なれバ。思はず聲をかけて。此角力よくとれども。四十八手の法(ほう)に叶はずと云けるを。彼(かの)わかき男。これを聞て大にはらを立。宮戸川ひろしといへ共。われにおよぶもの一人もなし。おのれ何ものなれバ人をやすくして。わが慰(なくさみ)の邪广(じやま)をひろぐ。爰へ出て」我と取れ。忽(たちまち)(こし)の牒番(てうつかひ)を踏(ふみ)はなし。矢大臣門(やだいしんもん)の坐行(いさり)にしてくれんものと罵(のゝしり)〔り〕ける。此聲を聞て。あるじ与兵衛おくより走(はし)出。谷蔵客人(きやくじん)に不礼するなと呵(しか)り付。雷にむかつて云けるハ。このものハそれがしが二男にて。谷蔵と申ものなり。此もの生質(うまれつい)ての剛氣(かうき)ものにて商人(あきんど)の業(わざ)を嫌(きら)ひ。柔(やはら)劔術(けんじゆつ)を好(この)み。又若きものをあつめ角力をとり。兎角(とかく)(あら)きことをのみ好む。それがし元トハ下総國(しもふさのくに)岡田郡(おかだこふり)羽生村(はにふむら)の百性にて。田地も相應(さうをう)に有れば。惣領(そうれう)与右衛門に田畑(はた)のことをまかせ置。それかしハ二男谷蔵をつれて。此淺草に穀物(こくもの)やを出して渡世といたし。家名(いへな)の岡田やと申も。」12 岡田郡の縁(ゑん)をとり。又忰谷蔵を。世の人絹川(きぬがは)の谷蔵と呼做(よひならは)し候。これも羽生村(はにふむら)絹川堤(きぬかはつゝみ)の生れなるゆへ。かくハ申なり。扨客人角力をよくとり給はゝ。旅泊(りよはく)のなぐさみ。谷蔵に一ト手おしへ給へかしと云けれバ。雷ほゝ笑(ゑ)み。それがし親どもハ角力(すまふ)に名たかく。鳴神(なるかみ)と呼(よ)ばれしもの也。某親鳴神にハおよばずといへども。槍(やり)(ぼう)眷頭(やわら)居合(いあい)角力(すまふ)。十八般(はん)の武藝(ぶげい)。いさゝか暁(さと)し居り候。われら親子。此度ふしぎの御世話になりし上ハ。聊(いさゝか)の御恩(おん)(ほう)じに。御子息谷蔵とのに指南(しなん)申べし。与兵衛大によろこび。谷蔵はやく雷どのを師匠(しせう)とたのみ申べし。谷蔵是を聞て大にはらを立。親父名もなき風来(ふうらい)ものを引ずり込み。わが師匠(しせう)などゝ」ハ。胸(むね)のわるいせんさく也。我是までやわら。劔術(けんじゆつ)。すまふにいたる迄(まで)五六人の師匠(しせう)をとり。今ハ一人も手にあふものなし。さるによつてわが町内(てうない)に。近年(きんねん)狡猾(あばれもの)の来る事なきハ。此谷蔵があるゆへならずや。雷とやら。我レと一番勝負(せうふ)をこゝろみ。我レあのものに負(まけ)たらハ。なる程師匠とたのむべし。左なくてハ師匠とすることおもひもよらずと。けんもほろゝに云はなせバ。あるじ与兵衛。しからバ迚(とても)の事に。忰と一番取給へ。彼(かれ)たとへ投(なげ)ころさるゝ共。みづから好む所。いさゝかおうらみ申まじはやとく/\と云けれバ。雷是を聞て。勝負ハ時のはなれもの。無用捨(むやうしや)ハゆるし給へと。帯(おび)くる/\と引ほどき。衣(きる)もの取て片邊(かたへ)に投(なげ)やり。土俵(とひやう)の中へ」13 ゆるぎ出る。側(そば)に扣(ひか)へし舩頭ども。おいらも相撲(すまふ)の片(かた)こぶし。絹川(きぬかは)(あにい)の手ハからぬ。雷でも鉄槌(かなづち)でも。とらぬ先からお臍(へそ)が茶(ちや)。若(わか)ひ衆(しゆ)がてんか。合点(がつてん)と。互(たかい)に似(に)たり四人(よつたり)の。茶舩の舩頭たちさはぎ。土俵(どひやう)の中へかけ上る。まづ一番ハ茶舩の与吉。ヤツとたつたる舩のあし。向ふのよつをとり楫(かぢ)やさし込棹(さほ)の両腕(りやううて)を。ねぢ上られて。アイタゝゝ。水も溜(たま)らず素轉倒(ずでんだう)。土俵(どひやう)を游(およひ)て迯(にげ)込ンだり。跡も似(に)たりの甚九郎。ヱイと押(おし)出す艫拍子(ろひやうし)に。ちからの有たけおしおくり。投(なげ)付られてヲゝ板子(いたご)。これでハゆかぬと猪牙(ちよき)ぶねの。三人かゝる三丁だち。乗(のつ)て来(く)るのをふみ倒(たほ)し。又引ふねの引投(なげ)に。汗(あせ)のみちしほ。氣の引汐(しほ)。はらり/\と投たるハ。」さそくのはや手に舩積(ふなつみ)の。上荷(うはに)をはねるごとくにて。みなちり/\に迯(にけ)うせたり。手なみハ見へたと。谷蔵が。ヱイと組付(くみつ)く蛙(かはづ)がけ。雷どこいとうけとめて。すぐに投(なげ)なバ投べきを。雷心に思ひけるハ。今谷蔵をむごく投ては。親与兵衛が不興(けう)となり。世話になりたる甲斐もなし。あらたてずに投(なげ)んものと。くるり/\引はづし。沈(しづ)んで来るを横(よこ)にうけ。さし込(こむ)(うで)を引まはし。五六度労(つから)かし。透間(すきま)を見すまし鶴之介。ヱイと一聲谷蔵が。褌(まはし)をとつてねぢかへせハ。さすがの谷蔵雷に。不意(い)をうたれて仰(あを)のけに。土俵の中へ大の字(じ)なり。谷蔵やう/\起上リ。それがし眼(まなこ)ありながら。かゝる豪傑(がうけつ)を存せず。不礼のだんハまつひら御免(めん)下さる」14 べし。何とぞわが家に滞留(とうりう)あつて。槍棒(さうぼう)やわら角力手(すまふのて)。一々御指南(しなん)下さるべしと。両手をつゐて申けれバ。雷も谷蔵が砂うちはらひ。土俵(どひやう)の上の不礼ゆるし給へと挨拶(あいさつ)す。あるじ与兵衛大によろこび。酒さかなとり出し師弟(してい)の約(やく)をなしにける。これより鶴之介ハ。半年ばかり岡田やに滞留(とうりう)し。十八般(ぱん)の武藝(ぶげい)。秘密(ひみつ)を残(のこ)さず。谷蔵に傳授(でんじゆ)しけれバ。谷蔵おや子大によろこび。あつく敬(うやま)ひもてなしける。扨その年も師走(しはす)ちかきころより。親与兵衛不斗(ふと)風の心地(こゝち)と打伏(うちふ)せしが。次第に老病(ろうびやう)おもり。終(つい)に空(むな)しくなりけれバ。谷蔵が歎(なげ)き。家内の愁傷(しうしやう)。いわんかたなし。かくても有べきことならねバ。なく/\野辺(のべ)のおくりをいとなみ。北〓(ほくほう)一扁(いつへん)の煙(けふり)とこそは」なしにける。雷つく/\おもひけるハ。我レはじめ。鎌倉の勝元(かつもと)とのをたのみ参らせんと思ひしに。与兵衛親子が深切(しんせつ)の情(なさけ)に引かれ。思はぬ月日を過(すご)したり。今あるじ与兵衛むなしくなり。谷蔵いまだとしわかなれば。家内のおもわくもあしかるべし。とかく一ツ刻(こく)もはやく鎌くらへ立(たつ)へしと。谷蔵にかくと告(つげ)けれバ。谷蔵かたく止(と)めて。今思はず父与兵衛におくれ又師匠(しせう)にまて別(わか)れなバ。一日の日もおくりかね申べし。それがしも春ハそう/\。羽生村(はにふむら)の兄与右衛門に對面(たいめん)いたさんと存れバ。ひらに春まて止(とゞま)リ給へと。詞(ことば)を盡(つく)して止めけれバ。雷も谷蔵が志(こゝろざし)に引かれぜひなく暫(しばら)く止(とゞま)リけり。
高尾舩字文第一冊終」15終

高尾舩字文第二冊

○一曲(いつきよく)の琴柱(ことち)(かり)の玉章(たまづさ)を通(かよ)はす
  附リ 夫(それ)ハ教頭(きやうとう)林冲(りんちう)が妻(つま)
     是(これ)ハ御臺(みだい)(はぎ)の方(かた)
 其(その)災難(さいなん)ハ六尺の練(きぬ)

○女之助過(あやまつ)て白乕(ひやつこ)の間(ま)に入る
  附リ 夫ハ禁軍(きんぐん)豹子頭(ひやうしとう)
     是ハ井筒(いづゝ)女之助
 其高休(かうきう)ハ執権(しつけん)(しよく) 」

目次2

口絵2

仁木左衛門直則(にきさへもんなをのり)
(ひけ)の筆(ふで)にハ密書(みつしよ)もかくべく。牙(きば)の鑿(のみ)にハ國家(こくか)を穿(うがた)ん。夜(よる)の天井(てんじやう)に早馬(はやむま)を欺(あざむ)き棚(たな)の塗膳(ぬりせん)に猫脚(ねこあし)を齧(かぢ)る。そのなく声ハちうか不忠(ちう)か憎(にく)むべししゞういわ見銀山(きんざん)\長喜畫」1

高尾舩字文第二冊

曲亭馬琴著
  一曲(いつきよく)の琴柱(ことぢ)に鳫(かり)の玉章(たまづさ)を通(かよ)はす

扨其としもくれてはやくも二月のすへになりしかバ。雷(いかつち)鶴之介ハ旅(たび)の調度(てうど)とりとゝのへ谷蔵にわかれを告鎌倉さしてのぼりける。谷蔵今ハとゞむるに詞なく。路金(ろきん)十両とり出し雷におくり主管(ばんとう)利介といふものに品川までおくらせける程なく品川の駅(しゆく)にいたりけれハ雷一軒(けん)の酒屋に立より。利介に酒をふるまひ又谷蔵が方へ一通(つう)の礼状(れいぢやう)をしたゝめ。これを利介に渡(わた)しけれバ利介手紙をうけとり浅草(あさくさ)へ帰らんとせしに。さいぜん雷にふるまはれたる酒の」酔(ゑい)大にのぼり。只ひよろ/\と足の踏(ふみ)ところも定めす。道のかたはらに倒(たほ)れて打ふしける。爰(こゝ)に谷蔵が方へつね/\穀物(こくもの)をつけて来る馬圍(むまかた)山八といふものあり。此時用事あつて芝(しば)(へん)へ行ける道にてかの利介酔(よひ)たほれて居たりしかバ。山八ハ徳意場(とくいば)の伴頭(ばんとう)利介がかく倒れて居るを見て。立よりて引起(おこ)さんとせしはづみに利介がふところより一通の手紙おちたり。山八ハ無筆(むひつ)にて文字(もじ)ハろくにしらされども。谷蔵が名と鶴之介の字(じ)をよみゑしかバ山八大によろこび。我此ころハ工面(くめん)あしく小半(こなから)酒ものむことならす。扨よき金の鶴之介にありつきたり此雷ハ奥州を出奔(しゆつほん)したる曲(くせ)ものにて。」2 今仁木左衛門人相書(にんさうかき)をもつて詮議(せんぎ)する時節なれバ。此手紙をもつて代官所(だいくわんしよ)へ訴人(そにん)し。褒美(ほうび)の金をせしめんと。ひそかに手紙を奪(うば)ひ取。代官所へいそぎ行く。扨利介ハやう/\酒の酔(ゑひ)さめて。かの手紙をさがすに。かいくれみへず。いかゞせんと案(あん)じくらしけるが。手紙を落したりといはゞ呵(しか)られもせん。只口上の礼をのべて。手紙の事をハいはざるにしくハなしと思案(しあん)をきはめ。飛(とぶ)がごとくに立かへり。雷おや子か口上の礼をのべ。手紙の事ハそしらぬ顔にて居たりける。その夜もすでに夜(や)はん過キ。所の知縣(だいくわん)大木戸志津馬(しづま)。馬方山八を先に立て。大勢の捕人(とりて)を引連(つれ)。谷蔵が門トの戸を破(われ)よくだけ」よと〓(たゝ)きけれバ。谷蔵ハ往来(わうらい)の生酔(なまゑひ)が酔興(すいけう)とこゝろへ。これを呵(しか)らんと何心なく戸を明れバ。とつたとかゝる一はん手。谷蔵ひらりと身をかはしコレ何ゆへの御手ごめと。いはせもはてず大木戸志津馬(しつま)。おのれ横道(わうだう)もの。雷鶴之介をかくまひ置く事訴人(そにん)有てよくしつたり。たとへいかほどあらがふとも。證〓(せうこ)の手紙あるうへハ。ぢんじやうに雷をわたすべしといふ内に。馬圍(むまかた)山八おとり出。さいぜん利介が酔たほれたる懐(ふところ)より拾(ひろ)ひとつたる此手紙。ナント慥(たしか)な證〓(せうこ)であろふと呼(よば)はれハ谷蔵ハちつともさはがず。しらぬ手紙もせうことあれバぜひもなし。サア家さがしして御覧あれと落つきがほ。イヤそいつ思ひの外なる大膽(たん)もの。」3 谷蔵ともに搦(から)めとれ。かしこまると捕人(とりて)の大ぜいとつた/\とつめよせる。谷蔵短氣(たんき)の若ものなれバ。傍(そば)に有合ふ天秤棒(てんびんほう)を手はやくとつて薙立(なぎたつ)れバ。さすがの大勢たまりかねむら/\ばつと迯(にけ)ちつたり。此隙(ひま)に谷蔵ハ主管利介をふみ倒(たを)しおのれにつくひ奴(やつ)。大切の手紙を落(をと)しかゝる大事を引出す不忠もの。今打ころす奴(やつ)なれども子飼(こがい)よりつとめたるなじみたけ命ばかりハ助(たすく)るぞと。天秤棒をとり直(なを)し背骨(せほね)も折(おれ)よとぶちのめし。貯(たくは)へ置し金財布(さいふ)を首(くび)にかけ立出んとするその所へ。又引かへす捕人(とりて)の大ぜい谷蔵をやるなヱゝ{ト此所筆のぶんまはしにて|ぶたいかわると見るべし }○左馬之介(さまのすけ)頼兼(よりかね)(こう)の」御臺所(みたいところ)(はぎ)の方(かた)と申せしハ細川(ほそかは)勝元(かつもと)の息女(そくしよ)にて。二八のうへも二ツ三ツ。その顔(かんばせ)ハ西施(せいし)も耻(はぢ)その貞節(ていせつ)ハ不塩(ぶへん)も及はす。殊に敷嶋(しきしま)の道にたつし鳥の跡(あと)ながく傳(つた)へて。ふでの道いやしからす。誠(まこと)に玉に金を添(そへ)たるごとき御よそほひ。頼兼公御夫婦中むつましく。鴛鴦(えんわう)の衾(ふすま)水ももらさす比翼(ひよく)の枕(まくら)(かみ)を隔(へだ)てす。こや一對(つい)の内裏雛(だいりひな)ころハ弥生(やよい)のはしめにて。梢(こずへ)の花もやゝほころひ霞(かすみ)の衣(ころも)いと引てくれはもしらぬ永き日の御つれ/\を慰(なぐさめ)んと。御庭に幔幕(まんまく)うち。詠(ながめ)にあかぬ春氣色つゝぢ。若草。てふ。柳。おほくの女中附そひて儲(もうけ)の席(せき)に入給ひ荻の方のたまひけるハ。けにや水に住蛙(かはづ)。花に鳴く鶯(うくひす)哥よまぬものもなしけふの慰」4 たれ/\も。此庭の花に題(だい)し。みそ一トもしを詠(よみ)つらねよと。仰にみな/\短冊(たんざく)の。案(あん)しに心つく%\し。筆の小首(こくび)をかたふくる。奥家老(おくかろう)信夫(しのぶ)藤馬(とうま)申けるハ。拙者(せつしや)哥と申てハいたこぶしも不調法(てうほう)。たま/\の御氣はらしに。御氣つまりのおなぐさみ。わつさりと氣をかへて。御前(ごぜん)さまの琴(こと)の一曲(きよく)。かの蔡〓(さいゑん)が緒(を)をたちて。音色(ねいろ)をさとる御発明(はつめい)。女中たちサア/\と。己(おのれ)が好(この)む道へ引く。琴(こと)の唱哥(せうが)も又一興(けう)と。雲井(くもゐ)の曲へゆく鳫の。琴柱(ことぢ)あはせて萩の方。琴(こと)のしらべもすみ渡る。梢(こずへ)の花に蝶ねむり。梁(うつばり)の塵(ちり)を落(おと)す。妙手(めうしゆ)の音(ね)いろに聞居る折から。さつと吹来る〓風(はやてかぜ)。コハ何事と藤馬をはじめ。おほくの女中立さはぎ。萩の方をかこひまいらせ。眼(まなこ)をくばるその折から。」ふしぎや吹来る風につれ。六尺あまりの白練(しらきぬ)空中(くうちう)より舞(まひ)さがり。萩の方の御肩(かた)に落(おち)かゝり風ハ程なくしつまりぬ。人々稀有(けう)の思ひをなし。かの白練(しらきぬ)をとりあげ見れバ。十八といふ二字(にじ)を書(かき)たり。藤馬是を見て壽(ことぶき)をのへて申けるハ。天帝(てんてい)御臺所(みだいところ)の御貞節(ていせつ)をあはれみ。足利(あしかゞ)万代(はんだい)不易(ふゑき)の吉瑞(きちずい)を下し給ふ。その故(ゆへ)ハ此絹(きぬ)の長サ六尺有。六ハ則(すなはち)むつにして。むつの國にかたどり。十八公のときはぎ。千とせ栄(さか)ふる天のしらせ。うたがひなしと申上れバ。御臺(みだい)をはじめおほくの女中。げにも賢(かしこ)き藤馬が判断(はんだん)。此上もなきめでたきためし。頼兼公に申上んと。かの白練(しらきぬ)を局(つほね)(おき)の井に持たせ給ひ。儲(もうけ)の席(せき)を立給へバ。おほくの女中かしづきまいらせ。舘(やかた)へ」5 帰り給ひける。扨も典膳(てんぜん)鬼つらハ。ある日仁木左衛門をまねき。我レ頼兼を放埓(ほうらつ)堕弱(だじやく)の道に誘(いざな)ひ。それを落度(おちど)におしこめんと思へ共。頼かねとしに似合(にあは)ぬ偏屈(へんくつ)もの。其上御臺萩の方貞女(ていじよ)にして。内外(ないぐわい)のこと一点(てん)の過(あやま)りなけれバ。施(ほとこす)へき謀(はかりこと)なしと。困(こま)りはてたるけしきにて語(かた)りけれバ。仁木左衛門冷笑(あざわらい)〔ひ〕諺(ことはさ)にも女さかしくて牛(うし)(う)りそこなふとやら。萩の方の賢女(けんじよ)おそるゝに足(たら)ず。某一ツの謀(はかりこと)をもつて。頼かね御夫婦の中を引裂(さき)。萩の方に不義の悪名(あくめう)をつけ。先ツ萩の方をぶつしめ。頼兼閨(ねや)さひしきひとり寝(ね)のつれ/\に付ケ込み。放埓(ほうらつ)ものになさんことそれかしが掌(たなこゝろ)にあり。此義とくより心つきしゆへ奥付(おくつき)の侍ィ渡會(わたらへ)銀兵衛。局(つぼね)(おき)の井に謀(はかりこと)を申ふくめ」置しうへハ。遠(とを)からずして謀成就(じやうじゆ)いたすべし。その謀ハコレかやう/\と耳に口。鬼貫手を打て大によろこび。奇妙(きめう)/\隨何(ずいか)が智(ち)。陸賈(りくか)が機(き)も。御邊(へん)が謀にハ及ばす。一ツ刻(こく)もはやく行ひ給へと云けれバ。仁木(につき)謀ハ蜜(みつ)なるをよしとす。壁(かべ)に耳(みゝ)。かならず口外(こうくはい)御無用と。人喰(くひ)馬に合詞(あいことば)。しめし合て立帰る。夫レより四五日過て。奥用人(おくやうにん)渡會(わたらへ)銀兵衛。御臺萩の方の御前に出て申けるハ。此程頼兼公衣川(ころもかは)の下舘(しもやかた)に。あらたに御殿(こてん)を立給ひ。これを衣川(ころもがは)の山荘(さんさう)と名づけ。御普請(ごふしん)すでに出来す。是によつて古今(こゝん)の能書(のうしよ)をあつめ。山荘(さんそう)の額(がく)。又ハ腰障子(こしせうじ)にはり給はんとなり。御臺所萩の方ハ。古今に稀(まれ)なる能書(のうしよ)にましますうへ。詩哥(しいか)の道に」6 たつし給へハ。此短冊(たんざく)にみづから御筆(ふで)を染(そめ)られとの仰(おほせ)也とて。短冊にさしそへ下書(げしよの)詠哥(うた)をさし出せバ。萩の方かたく御辞退(じたい)あり。かゝる晴(はれ)かましき古今(こゝん)の能書(のうじよ)をあつめ給ふ山荘に。みづからごとき拙(つたな)き筆(ふで)に汚(けが)さんこと。思ひもよらず。この事に於てハ。幾(いく)たびも御辞退(じたい)申べしとありけれバ銀兵衛うけ給はり。御謙退(けんたい)の御詞(ことば)さる事にハ候へ共。むかし定家(ていか)(けう)ハ舅(しうと)大臣(だいじん)のもとめにまかせ。百首(ひやくしゆ)の古哥(こか)を書きつらね。小倉(おぐら)の山荘におくられし例(ためし)もあり。是レ上たる人の詞にもとらぬ志(こゝろざし)なり。今御臺御辞退(したい)ある時ハ却(かへつ)て殿(との)の御心にもとり。夫トをうやまふ礼義を闕(かき)給ふ同前(どうぜん)なりと。詞を盡(つく)して申けれバ。萩の方今ハ辞(じ)するに詞なく。しからバいかやうの」哥を書て参らせんと問(とひ)給へハ。銀兵衛かの下書(けしよ)をとり出し。この哥ハ貫之(つらゆき)躬恒(みつね)が哥(うた)にして。いづれも家(いへ)の集(しう)に載(のせ)たるところ。この二首を認(したゝ)め給へとの御事なりと。まことしやかに申上れバ。流石(さすが)哥学(かがく)に通(つう)じ給ひし萩の方も。いつわりとハ心付給はず。短冊(たんざく)にその哥を書しるし銀兵衛に渡し給へハ。銀兵衛是をうけとり早速(さつそく)頼兼公の御覧に入申さんと。御前(ごぜん)を立ていそぎ行く。爰(こゝ)に井筒(ゐつゝ)女之介といふものあり。元ハ細川勝元の小性にて。その志(こゝろさし)忠義(ちうぎ)ふかく年十六になるころまで。奥女中に立まじはり。奥小性をつとめしゆへ。男子(なんし)にして女子(によし)の勤(つとめ)をなすにより。人々女之介と呼做(よびなら)はせり。萩の方御輿入(こしいれ)の砌(みぎり)勝元より」7 附人(つけひと)となつて奥州へ来り。頼兼の近習をつとめけるが。ある日出入の道具(だうぐ)や来リ。某ふしぎの品を買(かい)とりぬ。何か宮家(みやけ)の御染筆(せんひつ)と申候が。まことよろしきものなるや。我々が眼(め)にハ及ばず。女之介様の御目きゝをねがひたく。態(わざ)々持参いたしたりと。二枚(まい)の短冊(たんさく)をとり出し。女之介に見せけれバ。女之介是を見るに。その名ハ誰(たれ)とも定めがたけれども。その筆法(ひつほう)いはん方なし。女之介これを見て。いづれ近来(きんらい)の人の手跡(しゆせき)ならんが。いまだかゝる能書(のうじよ)をみず我レ是を買遣(かいつかは)すべし。價(あたひ)ハ何ほどなるぞや。道具やこれを聞て。もしよろしきものならバ。大金にも成べけれども。常(つね)に御用の茶器(ちやき)などさし上ることゆへ。欲心(よくしん)をはなれて」十両ならバ賣(うり)申べし。女之介ハその心風雅(ふうが)にして。哥の道をこのみけるゆへ。此時災(わざはひ)の来るへき節(しせつ)にや。しきりに此(この)短冊(たんざく)を買(かい)とらんと思ひ。その方が申十両とハあまりに高直(かうぢき)なり。五両にまけなバ。手を打て直(すぐ)に金を渡すべし。道具や頭(かしら)を掻(かひ)て申けるハ。百両になるものかハしらねども。急(きう)に金子入用のこと候へハ。七両までにまけ申べしと云けれバ女之介かの短冊を七両に買(かい)とり。天によろこび地に歓(よろこ)ひ。此妙筆(めうひつ)さつそく極(きはめ)を取て。家(いへ)の宝(たから)になさんものと。ひたすら彼(かの)短冊(たんさく)を打(うち)(なかめ)(ほめ)そやしてそ居たりける

  女之介あやまつて白虎(ひやくこ)の間(ま)に入る

その翌日(よくしつ)女之介が方へ奥使(おくつかい)の侍ィ来りて云けるハ。局(つほね)(おき)の井どの」8 申さるゝ。女之介どのにハめづらしき短冊(たんざく)を所持(しよぢ)いたされしよし。萩の方の御聞(きゝ)にたつし。御覧(らん)ありたきとのこと也いそぎ短冊を持参(ぢさん)いたされ。御鈴(すゞ)の間まで参らるべしと述(のべ)けれハ。女之介不審(しん)はれず。我短冊を買とりしハ。きのふのことなるに何ものか申て萩の方の。御聞(きゝ)にハたつしたるとやとうたがひなから。かの短冊をふところにして。使と共に御鈴(すゞ)の間にいたり。沖の井にかくと案内(あんない)したりけれバ。沖の井立出て。萩の方ハ。只今殿(との)頼かね公と御奥に御座あれバ苦(くる)しからず。いざこなたへと案内(あない)して。奥ふかくつれゆき。しばらく此所に待給へとて出行しが。しばらく有て又沖の井立出。今日頼かね公まれに御奥に」入らせられたる事なれバ。くるしからず。女之介を御前へめしつれよとの御事也。イサこなたへと先に立。なを奥の間へ伴(ともな)ひしが。しばらく此所に待給へ。おつつけお目見へあるべしとて。沖の井ハから紙の外へ出にけり。此時仁木左衛門ハ頼兼の御前に出。平伏(へいふく)して申けるハ。ねかはくハ我君(わがきみ)。それがしに御暇(いとま)給はるへしと申ス頼兼これを聞(きこ)しめし。汝(なんぢ)ハ狂乱(きやうらん)せしか。その方ハこれ國の執権(しつけん)。何罪(とが)有ていとま遣すへき道理(だうり)なしとのたまへハ。仁木はら/\と涙(なみだ)をながし。君の御仁心に引かれ。愚臣(ぐしん)が寸忠(すんちう)を申上んと存すれハ。却(かへり)て肝侫(かんねい)のそしり有り。又これを云(いは)ざる時ハ。國家(こくか)の大事とならんいふもをし。いわぬもつらき」9 暇(いとま)のねがひハ。兼てかくごの命(いのち)ハすてもの。左衛門が心の内御賢察(けんさつ)下されよと。思ひこんたるその顔色(がんしよく)。頼兼ふしんはれ給はず。その方國家(こくか)の一大事あらバ。よろしくとり扱(あつか)ふへき身を以て此ことをつゝみ。いとまをくれよ。命を捨(すて)んとハ子細(しさい)あらんと問(とひ)給へハ。仁木胸をうつて大息(いき)つき。かく御不審(しん)をかうふる上ハ。今ハ何をかつゝみ申さんと。近習(きんじゆ)の人々を遠(とを)さけ。近(ちか)くよつて囁(さゝやき)けるハ。某國家の大事と申事。よの義にあらずあさましや萩の方。いかなる天魔(てんま)の見入にや。此ころ井筒(ゐづゝ)女之介を御寵愛(てうあい)あり。ひそかに御奥に召(めさ)れ淫楽(いんらく)にふけり給ふと女中のとりさた。賢女(けんじよ)のきこへまします」御臺所(みたいところ)。まつたく談(たん)者の虚談(きよだん)ならんと。心をつけて伺(うかゞ)ふ所に。人の申に少(すこ)しも違(たが)はす。日々玉章(たまづさ)のとりやり或(あるひ)ハ哥を詠(ゑい)じ。詩を賦(ふ)し。誰(たれ)はゞからぬさよ衣(ころも)。おもきが上の御身にも。かく道ならぬ不義いたづら。もし此事世上に露顕(ろけん)する時ハ。御家の耻辱(ちぢよく)。國家(こつか)の大乱(たいらん)。お為を申もわか主人(しゆじん)。罪(つみ)を正(たゞ)すもわが主人事両端(りやうたん)に迫(せま)りたる左衛門が心のうち。御賢察(けんさつ)下さるべしと。涙(なみだ)と共に語るにぞ頼兼公も呆(あき)れはて。黙然(もくねん)としておはせしが。いまだ御心に疑(うたが)ひ晴(はれ)ず。萩の方ハ世に賢(かしこ)き女なりと。一家中(かちう)もこれを称(せう)じ。我に對(たい)して一点(てん)の。あやまちなしと思ひしが。何とやらいぶかし。事實否(ことのじつふ)を」10 糺(たゞ)すへしとのたまふ所へ。局(つぼね)沖の井立出て。我君ハ御心直(すぐ)にして。人もわれもみな正直(しやうぢき)とのみ思し召せど。世の中の人心。ふち瀬(せ)とかはるハ常(つね)のならひ。もし此事うろんに思し召ならバ。幸(さいわひ)今女之助。御奥の白乕(ひやくこ)の間にて。萩の方と何やらさゝやき。何か文やら短冊やら。女之介に渡し給ひし。御入リ有て御覧(らん)あれと。誠(まこと)しやかに申にぞ。頼兼公の賢者(けんじや)の鏡(かゞみ)も。侫人(ねいじん)の雲(くも)に覆(おほ)はれ。いかりの顔色(がんしよく)おもてにあらはれ。憎(につく)き不義の四足(しそく)とも。イデやうすを見届(とゞけ)んと。御座を蹴立(けたて)て立給へバ。仁木沖の井御跡に付したがひ。御奥の間へいそぎ行。女之介ハ沖の井がおとづれを。二タ時ばかり待けれども。更(さら)に沙汰(さた)も」なかりけれバ。心にうたがひ。首(くび)をのはじて。奥の方をのぞき見れバ。御簾(ぎよれん)ふかく垂(た)れて。白乕(びやつこ)の間といふ額(がく)あり。女之介大におどろき。此白乕(ひやくこ)の間ハ萩の方の御寝所(こしんしよ )(お ね ま)にて。平人(へいにん)の入るべき所にあらず。われあやまつて引入られたるこそ一大事也と。急(きう)に坐(ざ)を立んとする所に。後(うしろ)のから紙さつとひらき。殿(との)の御入と呼(よば)はれバ。女之介ハツト仰天(きやうてん)ふりかへれバ。うしろにすつくと頼兼公。仁木沖の井付添(そひ)申シ。スハ曲(くせ)ものよと呼(よば)はれバ。手ン々にかけ来る奥女中。薙刀(なぎなた)かひこみとり巻(まひ)たり。仁木左衛門こゑあららげ。不義不忠の人非人(にんひにん)。沖の井ソレと声かけれハ。局沖の井かけよつて。」11 女之介がふところより。引出したる二枚(まい)のたんさく。頼兼公へさし上れバ。頼兼取てこれを見給ひ。いかれる顔色(がんしよく)(ち)をそゝぎ。御はかせに手かけ給ひ。すでに御手討(てうち)と見へけれバ。仁木あはてておしとゞめ。我君の御憤(いきどを)りハさる事なれども。もし此所にて御手討(うち)になし給はゝ。却(かへつ)て渠(かれ)がさいわひならん。獄(ごく)屋へ入れ置糾明(きうめい)させ。手引一味(み)の吟味(ぎんみ)をとげ。その根(ね)を断(たつ)て葉(は)を枯(から)さん。とかく拙者(せつしや)に御任(まか)せあるべしと。用意(やうい)のとり縄(なは)取出し。不義の逆賊(ぎやくぞく)うごくなと。女之介を取ておさへ。高手小手にいましめける。女之介ハ始終(しじう)平伏(へいふく)して。そのゆへをしらざれバ。一言(ごん)半句(はんく)の問答(もんどう)にも及ばす。口を閉(とぢ)てゐたりしが。不義の逆賊(ぎやくぞく)といふ」を聞(きく)。仁木に向(むかつ)て申けるハ。某身にとつて不義不忠のおぼへなし。何ゆへ縄(なわ)をかけられしぞと。いわせもはてずはつたとにらみ。おのれ大膽(たん)もの。御臺所萩の方と密通(みつつう)し。御寝所(しんしよ)へ通(かよ)ひ。既(すで)に萩の方の直筆(ぢきひつ)のたんざくを給ひしハ。慥(たしか)なるせうこ。コレその哥に「ふかゝれと思ふ心をつゝ井(○)(○)くみかねてなを袖ハぬれける。又「思ひ侘(わひ)(○)む心を忍ふ山覚(○)て落ぬと人の告(つげ)ずハ。とあるからハ。哥の内に頼兼の二字と。井筒の文字(もじ)をよみ入しハ。わが君をそしる詞(ことば)。これたしかなるせうこなりと云けれバ。女之介はじめてかれらが謀(はかりこと)に落たると後悔(こうくわい)し。その訳(わけ)を云ひらかんとする時。より兼公御坐を立て。」12 奥の一間へ入リ給へハ。仁木ハ井筒を引立て。獄(ごく)屋へこそハおくりける。かのたんざくを賣(うり)し道具やも。仁木が一味の者にして。かくはかりしとぞしられけり。扨も御臺所萩の方ハ。東御殿(ひがしごてん)の楼(たかとの)に哥書(かしよ)を見ておはせしが。〓(こしもと)(にしき)あはたゞしくかけ来り。今御奥白乕(ひやつこ)の間に。一大事出来りぬ。御近習井筒女之介とやらん。御臺所御直筆の短冊を。懐中(くわいちう)し。白乕の間にいたりしゆへ。御家老(かろう)仁木殿是をあやしみ。その短冊の内に。頼兼と井筒のもじをこめたる上。御臺所の御直筆と云ひ。萩の方と不義せしにうたかひなしと。女之介ハ不義の相手に極(きはま)り。殿(との)の御手討になりし共云ひ。又獄やへ引かれし共申也と」大息(いき)ついて申けれバ。御臺ハ覚(おぼ)への短冊に。扨ハ悪人(あくにん)共の謀におとされしと。御涙せきあへず。みづからいやしくも細川勝元の娘と生れ。官領(くわんれい)頼兼の妻となり何不足有て。不義いたづらをなすべきや。此事申訳(わけ)せんハ安けれども。その女之介とやら御手討になりしうへハ。死人(しにん)に口なき片言(かたこと)にて。わが云訳ハよも立ツまじ。さるにてもあぢきなき世の中や。身に覚へなき不義におち。汚名(をめい)を千とせの後(のち)にのこし。耻(はぢ)を父上母上に傳(つた)へ参らすかなしやと。ひたんの涙にくれ給ふかゝる所へ局(つぼね)沖の井立出。只今殿(との)の御使として。渡會(わたらゑ)銀兵衛一振(ふり)の短刀(たんたう)を持参(じさん)いたし。御次の間に扣(ひか)へ候と申上れ」13 バ。萩の方殿の御使猜(すい)したり。おつ付あはん待たせよと邊(あたり)の人を遠(とを)ざけ給ひ。心も細き筆の軸(ぢく)。今消(きえ)て行命毛(いのちけ)ハ。まがらぬ墨(すみ)もまがる世に。硯(すゞり)の水のあはれとも。神ならぬ身の行すへをこま/\と書したゝめ。〓(こしもと)にしきを呼給ひ。そちハ此としころ目をかけてめしつかひ心たてもしりぬれバ今大事を申付る。いかにもして此舘(やかた)をしのび出鎌(かま)くらへ立越(こへ)此文を父勝元へさし上よはやく/\とのたまへハ。錦ハさすが萩の方のおもき仰にせんかたも。なく/\立て出て行御臺ハ跡を打なかめヤレうれしやと吐息(といき)つき。襠(うちかけ)の御衣(い)めしかへて死(し)(で)の用意の白小袖(そで)。口に唱名(せうめう)目になみだ。六尺あまりの白練(きぬ)を。」長押(なげし)に結(むす)び首にかけなむ西方(さいほう)みだ如来。此世ハ讒者(ざんしや)の呵責(かしやく)にくるしみ汚名(をめい)を陸(む)(つ)のちまたにのこすとも。未来(みらい)ハ極楽(ごくらく)上品(ぼん)の。蓮(はちす)にみちびき給へやと。終(つい)に縊(くひ)れて死し給ふ。御身の果(はて)そあはれなる時に御年十八才。是全(まつた)く實方(さねかた)の。霊魂(れいこん)當家へたゝりをなし。かの白練に十八と書たりしも。御臺の御とし十八才。其白練にて縊れ給ふ。因縁(ゐんえん)(まこと)におそろし
高尾舩字文第二冊畢」14畢

高尾船字文第三冊

○岩手山(いわでやま)に谷蔵狼(おゝかみ)をうつ
   附リ 夫レハ武松(ぶしやう)が景陽岡(けいやうこう)
      是(これ)ハ奥州(おうしう)南部越(なんぶごへ)
 其(その)勇力(ゆうりき)ハ山鳥譬(やまとりのたとへ)

○花街(くるは)の放生會(はうじやうゑ)に頼兼(よりかね)了鬟(かふろ)を放(はな)
   附リ 夫レハ梁山(りやうざん)金沙灘(きんしやだん)
      是ハ陸奥(みちのく)満又川(みつまたかは)
 其悟舩(はやふね)ハ御注進(ごちうしん)

○荒獅子(あらしし)(さかさま)に大榎(おほゑのき)を抜(ぬ)
   附リ 夫レハ魯達(ろだつ)が五臺山(ごだいさん)
      是ハ鶴若(つるわか)の追鳥狩(おひとりかり)
 其忠臣(ちうしん)ハ黒龍狆(こくりゆうのちん) 」

目次3

口絵3

荒獅子(あらしし)男之助(おとこのすけ)重宗(しげむね)
却テ喜フ騒人第一ト稱フ。今ニ至テ百花王ト喚做ス。
(し)(ゝ)口に 華(はな)も阿叫(あうん)の 牡丹(ぼたん)かな」1

高尾舩字文第三冊

曲亭馬琴著
  岩手山(いわでやま)にきぬ川狼(おほかみ)をうつ

絹川(きぬがは)谷蔵ハ。おもはずも馬方山八が訴人(そにん)にて。住馴(すみなれ)し宮戸川のすまゐなりがたく。羽生村(はにふむら)の兄与右衛門が方へ落行(おちゆ)かんとせし所に。はや下総(しもふさ)の方にハ追手(おつて)の人数(にんじゆ)みち/\て。進(すゝ)むこと叶はず。是(ぜ)(ひ)なく道(みち)を引かへし。出羽(では)の最上(もかみ)にハいさゝかのしるべ有れバ。これに便リ身をよせんと。奥州さして下リける。谷蔵此程の長旅(ながたび)に路銀(ろきん)もやがて盡(つき)んとす。斯(かく)てハ叶ふまじと。夜を日に継(つい)で急(いそ)ぎけるほどに。奥州岩手の里にかゝりける。南部(なんぶ)(みち)を遙(はるか)に見やり。小黒崎(おくろさき)鳴子(なるこ)の湯を出れバ。是より出(で)(は)の」國(くに)なれバ。谷蔵やう/\心おち付。まづ酒をのみて旅(たび)のつかれをもなぐさめんと。岩手(いわで)の里の酒やに立より。床几(しやうぎ)に腰(こし)をかけゝれバ。早くも酒さかなを携(たづさ)へ出る。谷蔵やがて五六合の酒をのみ。酔(ゑい)に乗(せう)してかの酒やをはしり出。道二三町行ける所に。酒やの亭主(ていしゆ)ヲヽイ/\と聲(こへ)かけて。おひかけ来れバ。谷蔵立とまり。我レ酒代ハはらひしに何ゆへ追かくるぞや。亭主これを聞て。旅(たび)人ハいまだ知リ給ふまじ。此岩手山にハ近頃(ちかころ)一ツの白狼(しろけおゝかみ)出て。多くの旅人をくらひけるゆへ。日中と申せども此山を越(こゆ)る事まれ也。これによつて當所の知縣(ぢとう)より。数(す)十貫文の賞錢(ほうびせん)を出して。狩人(かりうど)に命(めい)じ給ひ。かの狼を狩(か)らせ給へ共。此狼ハその大サ牛の」2 ことく。白斑毛(しろまだらげ)の狼なれバ。中/\猟人(かりうと)等が手にのらず。されバこそ代官(だいくわん)所より。此山を越(こゆ)る旅人に。巳午未(みむまひつじ)の三時外ハゆるし給はず。いますでに七ツ下リにて申(さる)の刻(こく)過也。旅人ひらにこれより引かへして。今宵(こよひ)ハ我見世に一宿(しゆく)し給ひ。明日道つれを待(まち)合セて。山を越給へと云けれバ。谷蔵あざ笑(わら)ひ。此老爺(おやぢ)あぢな威(おとし)をいふて旅人をとゞめ。錢儲(せにもうけ)をせんとするぞや。人ハ狼を恐(おそ)れんが。我レハ狼を恐れず。豈(あに)(きか)ずや。虎(とら)狼より漏(も)るかこわしとハ。旅寝(たひね)の野宿の雨露(あめつゆ)に打るゝ。我身の上の譬(たとへ)也と云けれバ。亭主(ていしゆ)大にはらを立。それがしハ一ツ扁(へん)の慈(じ)(ひ)心を以て告(つげ)申に。旅人かへつてそれがしを人おどしとし給はゞ。心まかせに行」給へと云捨(すて)。おのれが見世へ帰りける。谷蔵ハ足にまかせ。道十二三丁行けるに。山の上り口の〓(すぎ)の皮を削(けつり)。何やらん書(かき)付て有リ。近(ちか)く寄(よつ)て是をみるに則(すなはち)。近頃(ちかころ)岩手山に狼出て。多くの旅人を害(がい)す。昨今(さくこん)山を越(こへ)ん旅人。巳午未(みむまひつし)の三時。二三十人の道伴(みちつれ)を待て。此山を過(よき)るべし。その外の時刻(じこく)に。一両人にて越ることを許(ゆる)さずと書付たり。谷蔵あざ笑ひ。かの酒やかやうの謀(はかりこと)をもふけ。旅人をとめ。錢もうけをせんとはかるこそ憎(にく)けれと。猶五六町登(のぼ)りける。此時はや日ハ暮(くれ)て。月山の端(は)をてらす瀑(た)(き)纎々(さん/\)と流(なか)れ。松風颯々(さつ)と吹て。何とやらん物凄(ものすご)し。谷蔵思ひけるハ。不案内(あんない)の夜道せんより。此所より」3 引かへし。かの酒やにとまらんと思ひしが。又酒やの亭主に笑(わら)はれん事を耻(はぢ)て。道をいそひで又五六町登(のぼ)りけるに。色(いろ)よき山鳥隈笹(くまさゝ)の陰(かげ)より飛出。しきりに羽(は)ばたきをして飛(と)ぶ事ならず。谷蔵これを見て。此鳥昼(ひる)程猟(かり)人に羽を打たれ。塒(ねくら)をさがすと覚へたり。いで/\手とりにせんと。かの山鳥を追かけけれバ。山鳥四五間とんで又しきりに羽を打ツ。かやうにする事五六度に及び。已(すで)に捕(とら)へんとする時。かの鳥高く羽をうつて。はるかに飛うせける。谷蔵あたりをみれバ。いつしか道をふみちかへ。山に入る事五六丁なり。谷蔵大に心あはて。道をもとめて出んとする所に。山風さつと吹おろし。一疋(ひき)の狼かけ出たり。その形(かたち)ハ牛よりも大きく。」日輪(にちりん)の眼(まなこ)。〓月(みかづき)の牙(きば)。爪(つめ)を蹴立(けたて)。谷蔵をはつたとにらんで駈(かけ)たりけり。谷蔵これを見るよりも。荷物(にもつ)に付たる六尺棒(ろくしやくぼう)を。手ばやくとつてさしかざし。松の大木(たいほく)を小楯(だて)に取て。かの狼に立向ふ。狼ハしきりに吼(たけつ)て谷蔵を駈たりける。谷蔵ハかねて雷に習ひ得し武藝(ふげ)の達人(たつじん)。ことに酒の酔(ゑひ)十分にのぼりて。力日ごろに十倍(ばい)せしかハ。ひらりとかはして狼のうしろにたつ。狼ハ谷蔵を駈(かけ)そんじ。ふたゝび駈るを引はつし。かくのごとくする事五六度也。凡(をよそ)狼人をとるに。わづか一二度が内に駈(かけ)て是を喰(くら)ふ。今武藝(ぶげい)にすぐれたる谷蔵に。五六度が程駈はづされ。狼是に氣を奪(うはは)れ。勢(いきほ)ひ大に労(つか)れけり。しかれ共年ぶる狼なれバ。猶々吼(たけつ)て」4 駈立る。谷蔵透(すき)を見すまし。棒(ぼう)をふり上。力(ちから)にまかせて打けるが。狼も眼(まなこ)はやく。谷蔵が棒のひらめくを見るよりも。早く四足(しそく)をかはしけれバ。谷蔵が棒。いたづらに松の木へ打こんで棒ハ。中より折れにける。谷蔵いらつて棒なげ捨(すて)。かの狼にむづと組(く)み。上になり下になり。しばしが間いどみしが。眷頭(やわら)角力(すまふ)にことなれたる谷蔵なれバ。終(つい)に狼の首をおさへてはたらかせず。狼ハ頻(しき)リにあがき迯(のが)れん/\としたりけれバ。狼の前足(まへあし)にて暫時(ざんじ)に一ツの穴(あな)をほり出したり。谷蔵暗(ひそか)に是をよろこび。狼の口を穴の内へおしあて。左の手にて狼の首をしつかとおさへ。右の拳(こぶし)をふり上。狼の眉間(みけん)を望(のぞ)んで。つゞけさまに十五六くらはしける。誠(まこと)に谷蔵一身(いつしん)の」ちからを右のこぶしに入れ。平生(へいぜい)ならひ覚し。やはらの手を出し。かく大力(だいりき)に打れたることなれバ。さすかの狼眼くらみ。終(つい)に息(いき)ハ絶(たへ)にける。谷蔵狼のうごかぬを見定め。かの折たる棒をひろひとり。猶つゝけさま二三十くらはしけれハ。いよ/\狼ハ死きりぬ。谷蔵荷物(にもつ)をゆはへし細引(ほそひき)をとり出し。狼の四足(そく)をゆはへ。引上んとしたりしが。その重(おも)さ磐石(ばんじやく)のごとくにて。かき上ることならず。谷蔵が力にてかつがれぬにハあらざれ共。先程より狼とたゝかひ。力大につかれけれバ。終に狼を打捨。麓(ふもと)を望んで下リけるに。薄(すゝき)のしげみより五六疋の狼欠(かけ)出たり。谷蔵大におどろき。我レ今一疋の白狼をころし。力すでにつかれたるに。又々五六疋の狼にあふこと。わが命」5 爰におはるならんと。よく/\眼(まなこ)を定めて是を見れバ。此狼人のごとく立てありく。間ちかくなつてこれをみるに。五六人の猟(かり)人。狼の皮(かは)をかぶりこの麓(ふもと)にかくれゐて。かの白狼をねらふなり。猟人共谷蔵が山を越(こ)へて来たりしをふしんに思ひ。委細(いさい)の訳(わけ)を聞(きく)といへ共。更(さら)に誠とせす。谷蔵やがて猟人ともを伴(つれ)て。狼をころしたる所へ来り。死したる狼を見せけれバ。猟人共肝(きも)をひやし。誠に是ハ人間業(わざ)にあらず。かゝる狼をこぶしを以て打ころし給ふ勇力(ゆうりき)。いにしへの朝比奈(あさひな)篠塚(しのづか)もおよはずとて。早速(さつそく)代官(だいくわん)所へ注進(ちうしん)したりけれバ。代官奇(き)(ゐ)の思ひをなし。やがて谷蔵をよびよせけれバ。所の庄(せう)屋谷蔵を駕(かご)にのせ。駕の先にかの狼を。五六人」の人夫(にんぶ)に荷(にな)はせ。代官(たいくわん)所へ伴(ともな)ひける。此ことをつたへきゝ。近在(きんざい)の百性。道のかたはらに立て。見物(けんぶつ)する事うんかのごとし。此事官領(くわんれい)よりかね公の御耳(みゝ)にたつし。かゝる万夫(ばんふ)不當(たう)の勇士(ゆうし)あるこそ國(くに)のほまれなりとて谷蔵をめしかゝへ給ひ。近習(きんじゆ)(かく)にぞなし給ふ。されバ谷蔵が勇力(ゆうりき)近國(きんごく)にかくれなく。又不時(じ)の立身を。うらやまぬものもなし

  花街(くるわ)の放生會(ほうじやうゑ)に頼かね小三板(かふろ)を放(はな)

利足(あしかゞ・ママ)官領(くはんれい)頼かね公。いともかしこき大将も。侫者(ねいしや)の朱(あけ)に染(そめ)られて。山里(やまさと)の柳巷(くるわ)かよひ。高尾(たかを)といへる娼妓(けいせい)に馴(なれ)そめ給ひ。日毎(ひごと)に通ひ給ふといへ共。高尾ハ玉田(たまた)十三郎といふ間夫(まぶ)ありて互(たがひ)にふかく云かはし。」6 天(てん)にあらバ比翼(ひよく)(こさ)地にあらハ連理(れんり)の枕(まくら)。たがひに死(し)なふ。死(しに)ませふと。誓(ちかひ)を立(たて)し中垣(なかがき)を。頼兼の関(せき)に隔(へだて)られ。思はぬ人に遠(とお)ざかり。高尾ハ明くれ。玉田がことのみ物思ひ。毎日(まいにち)(やまひ)にかこつけて。頼兼の御心に任(まか)せねバ。思ひつのるハ恋路(こひぢ)のならひ。侫人(ねいじん)共がすゝめにより。さらバ高尾が身請(みうけ)せんと。花街(くるは)に稀(まれ)なる金(こがね)の山。まづ高尾にハ鷹(たか)の羽(は)の惣縫(そうぬい)。紫(むらさき)の襠(うちかけ)着せ。鷹(たか)を表(ひやう)する品定(しなさだめ)。三浦の〓鬟(かふろ)三十人。同じ出立のかきいろに。竹をぬふたる對(つい)の帯(おび)。大門の入口に放生會(ほうしやうゑ)の籏(はた)を立。雀(すゞめ)に做(なら)ふ禿(かふろ)の身請(みうけ)。逸物(いちもつ)の高尾手にすへて。くるわ出るみちのくの。金(こがね)花さく大々盡(だい/\じん)。扨かの禿のおや共ハ。わが子の身うけとしらせに」より。大門口につめよせて。芋賣(いもうり)の親子の奇縁(きゑん)。花うりかゝが荒神(くわうじん)の。松にまつたる名のり合ィ。子を捨(すて)るうきよの藪(やぶ)も。雀(すゞめ)を放(はな)す漂客(だいじん)の。御かげで子共をひらふたと。ひとり/\に請とつて。帰(かへ)るよろこび。行く歓(よろこ)び。暫(しば)しハ爰に川竹の。竹にもまれし子雀も。流(ながれ)れを出る蜃(はまぐり)の。のりうりばゞか舌切雀(したきりすゞめ)。おやどハどこだと戯(たはふれ)〔れ〕て。舌打をして連(つれ)て行。前代(せんたい)未聞(みもん)のほう生會。くるはの籠(かご)を放(はな)し鳥。取らぬ鷹(たか)尾ハ氣のそれ鷹(たか)。上見ぬ鷲(わし)の頼兼に。つれてくるはを立出る。かねて用意の御ふねに。高尾もろとものせまいらせ。衣川のやかたへと。いそげバ潮(しほ)も満又(みつまたの)。川の岸(きし)の汀(みぎは)のあなたより。怪舩(はやふね)一艘(そう)こき来り。御注進(ちうしん)と呼(よば)」7 はれバ。御供に立たる新参(しんざん)の。絹川谷蔵舳先(へさき)に立出。氣づかはしや姉葉(あねは)松兵衛。何事なるぞと尋れバ。扨も此ほど頼かね公の御放埓(ほうらつ)。昼夜(ちうや)をわかたぬ遊里(ゆうり)の淫楽(いんらく)。此虚(きよ)にのつて叔父(おぢ)鬼つら。仁木左衛門と心を合せ。東山へ注進(ちうしん)す。ヶ條(かでう)の第一。罪(つみ)なき御臺萩の方を不義におとし。害(がい)し申せし御とがめ。又ハ忠義(ちうぎ)の士(し)を遠(とを)ざけ。遊君(ゆうくん)高尾を身うけなし。紂王(ちうわう)武烈(ぶれつ)の悪逆(あくぎやく)と都(みやこ)へはや馬。早飛脚(ひきやく)。國家(こくか)の大事と義政(まさ)公。仰(おゝせ)もおもき厳命(げんめい)により。山名細川の両大老。當舘(やかた)へ下着あり國の老臣家中(かちう)の諸士(しよし)。表門(おもてもん)にハ高てうちん。又うら門にハ人馬の出入。御帰舘(きくわん)の事思ひもよらず。暫(しばら)くことのしつまるまで。いづ方へなりと御舟をよせ」られ。執権(しつけん)渡部(わたなへ)外記(げき)宗雪(むねゆき)を御たのみ。時節をうかゝひ給へかしと。云すてゝ引かへす。頼かね公はじめ参らせ。絹川以下の人々も。只呆(あきれ)たる斗なり。谷蔵申けるハ。事火急(くわきう)におよびしうへハ。悔(くや)むともかへりがたし。執権渡部外記宗雪ハ。忠義ふかき侍とうけ給はれバ。暫(しばら)く御座舩を芝(しば)川の沖(おき)に移(うつ)し。時節を待て御帰舘を催(もよう)すべし。又高尾どの御同舩の事ハ。世の聞へ憚(はゞか)リあれバ。御召かへの舩にうつし。其舩を高尾丸と名付。此満又(みつまた)にとゞめ置。舩中(せんちう)の御氣はらし。折々此所へかよひ給はゞ。御たのしみも莫大(ばくたい)ならんと。申上れバ頼かね公。我若氣(わかき)のあやまりにて。侫人(ねいじん)ばらが陥穴(おとしあな)におち入ツて。國有れども帰りがたく。家あれ共帰( い)りがたし。君ハ舟」8 なり臣(しん)は水なり。舟はたゞよふ頼かねを。絹川の水濟(すく)へよや。今こそおもひあたりしぞや。かの西海にたゞよひし。平家の末もかくやらんと。八嶋のうたひを口すさむ。げに官領(くわんれい)のふところ子。御身の果(はて)ぞあはれなる。谷蔵さつそくめしかへの。高尾丸に高尾をうつしのせ。頼かね公に申上けるハ。幸(さいわ)ひ高尾の母ハ。此近邊(きんへん)に住居(ぢうきよ)いたすよし。ほのかにうけ給はりおよべハ。今日よりかの老母(らうぼ)を高尾丸の舩中によびむかへ。高尾どのに付置。君ハ芝川の沖(おき)へ御舟をとゞめ。渡辺外記が方へ御使を立られ。ひたすら御帰舘(きくわん)の儀を。御たのみ仰つかはされ然るべしと申にぞ。頼かね公聞たまひ。谷蔵よきにはからふべし。君となり。臣(しん)となり。敵となり。味方(みかた)」となる。うき世ハしゆらのちまたぞや。{トよりかね|うたひ  }けふのしゆらのかたきハ誰(た)そ。何能登のかみのりつねとや。あらもの/\し手なみはしりぬ。うたひもしゆらのかたき同士(とし)。たか尾を爰に沖の方。御舩をはやめ行給ふ。

  荒獅子(あらしゝ)(さか)さまに大榎(ゑのき)をぬく

扨も官領(くわんれい)よりかね公。御身持放埓(ほうらつ)にまし/\。ことに此ほど御行衛さだかならねバ。御妾腹(せうふく)のわか君鶴(つる)わか丸。當年八歳になり給ふを。御家督(かとく)と定め奉り。是ぞ二代の官領(くわんれい)(しよく)。ころハ八月末つかた。渡會銀兵衛がすゝめにより。此ほど御氣はらしと。信夫(しのぶ)」9 のやかたの追鳥(おひとり)かり。此御殿(てん)ハ土地(とち)ひろく。山も有り川もあり。十町の築山(つきやま)。一里の原。薄(すゝき)尾花ハ風にうなづき。萩(はぎ)も野きくもうなだれて。君をうやまふその風情(ふぜい)。鶴(つる)わか丸鷹(たか)を手にすへ給ひ。〓(むく)や鶉(うづら)やひへ鳥の。獲物(ゑもの)を竹にくゝし付ケ。御きげんなゝめならざりけり。折ふし鶴若御ひさうの鷹(たか)それて。榎(ゑ)の木の梢(こずへ)にかゝりけれバ。御近習(きんじゆ)の諸士立さはぎ。梯子(はしこ)よ棹(さほ)よとあせれども。五六丈の大ゑの木。およばぬ月にゑんかうの。梢(こずへ)をにらむばかりなり。近習(きんじゆ)かしら荒獅子男之介。諸士(しよし)を追(おひ)のけて申けるハ。扨々役(やく)に足(た)らさる若(わか)との原。イデ/\其木を根(ね)こぎにして。鷹(たか)をとらへ申べしと。大小とつて後(うしろ)にたばさみ。」両のはだおしぬひで。朱(しゆ)よりもあかき骸(からだ)をあらはし。一かゝへ有る大榎(ゑのき)(ね)もとにしつかと両手をかけ。ヱイとふみ込ムちから足。一ト振(ふ)リふるとみへけるが。さすがの大木根よりぬけ。根もとにほらをなしにける。御側の人々是を見て。扨も稀有(けう)の大力やと。しばしハ鳴(な)りも止(やま)ざりけり。男之助やがてかのゑの木を横(よこ)にため。梢(こずへ)にからみし翦鷹(それたか)を。何の苦(く)もなくとらへしかバ。鶴わか御きげんうるはしく。ソレ/\銀兵衛。男之助にほうびとらせよとの給へハ。渡會銀兵衛偏提(さゝへ)の吸筒(すいつゝ)(たづさ)へ出。是ハこれ寿老酒(じゆろうしゆ)とて。命をのぶる希代(きたい)の名酒(めいしゆ)。今日若君にさし上んとぞんじ。持参(ぢさん)いたしたれど。荒獅子とのゝ只今の働(はたら)き。御ほうびに下さるゝ。ありがたく」10 頂戴(てうたい)あれと。大盃をさし出せバ。荒獅子盃をとつておしいたゞき。則(すなはち)盃を下に置て申けるハ。有がたき幼君(やうくん)のたまもの。しかし幼君を守(も)り奉る男之介。御酒ハ御免下さるべし。銀兵衛是を見て。たとへ幼君の補佐(ほさ)たりとも。わづか一盃(はい)の酒に酔給ふ。荒獅子とのにあらず。せつかく幼君より下さるゝ御ほうび。ひらに一盃頂戴(ていだい)あれと。いへ共荒獅子かぶりをふり。酒の義ハいく重(え)にも御ゆるしに預るべしと辞退(じたい)すれハ。鶴若君。男之介酒(あつか )たへよと。おもき仰にぜひなくも。なみ/\うける盃を。おしいたゞひてのみほせバ。姆(めのと)の政岡(まさおか)これをみて。手に汗(あせ)にぎるばかり也。ふし義なるかな男之介。俄に」手足癡麻(なへしびれ)。口中より涎(よだれ)をながし。はたらくものハ眼(まなこ)ばかり。政岡おどろき幼君を。抱(だき)参らするそのおりから。俄(にわか)に北風はげしく吹(ふ)き。薄(すゝき)の中より火おこりて。幼君の御座ちかく燔(やけ)来れバ。銀兵衛わざと驚轉(ぎやうてん)し。是ハ下部(しもべ)がたばこの火。枯芝(かれしば)にもえ付たりと。覚へたり。イサ火を消(け)さん若とのばら。我につゝひて参られよと一ツさんにかけ出せバ。跡(あと)に引そひ若侍。火をしづめんと追々に。御前を立て走リ行。時に悪風(あくふう)さかんにして。幼君の御坐まぢかく。炎(ほのほ)を吹立もへ来れハ。政岡ハ鶴若を抱(いだ)きまいらせ。涙をはら/\とながして申けるハ。悪人ばらの謀(はかりこと)におとされ。頼(たのみ)に思ふ男之介ハ。蒙汗(しびれ)」11 薬(くすり)の毒(どく)にあたり。手足しひれて死人のごとく。殊(こと)に猛火(もうくは)四方にちれバ。迯(にげ)出る道もなし。扨(さても)世の中ハあぢきなや。五十四郡(ぐん)の御あるじ関(くわん)八州の官領(くわんれい)も御運(うん)つたなくまし/\て。悪人ばらの手におちて。ほのほの中にはて給ふか。御父頼兼公ハ。高尾といへるけいせいゆへ。御身をあやめ。其わか君ハ鷹(たか)がりにて。御身をはたし給ふ事。それも高。是も鷹(たか)いかなる前世(さきせ)のむくひぞやと。又さめ/\となげきける。爰に鶴わか丸つねにやしなひ飼(かい)給ふ。黒龍(こくりやう)といふ狆(ちん)ありしが。いづくよりか来りけん。一さんにかけ来たり。流(なが)るゝ清水(しみつ)を身にあみて。幼君の御そばなる。草のうへにそゝぎかけ。又立かへつて身をひたし。荒獅子が顔へ水をそゝぎ。かけてハかへり。帰り」てはかけ。かくのごとくする事五六十度。政岡ふしぎの思ひをなし。かの狆がやうすを見る所に。後にハ狆(ちん)の身もつかれ。七八十度かけ帰り。おのれと狆の精(せい)きれて。草むらに倒(たほ)れ死にけり。此時荒獅子やう/\と蒙汗薬(しびれくすり)の毒気(どくき)(さ)め。むつくと起(おき)てあたりをみれハ。猛火(もうくわ)さかんにもへ来る。荒獅子/\のいかりをなし。幼君を左リにいだき。右の手に刀をぬき。炎(ほのほ)をにらんて立たりしハ。これぞゆるかぬ日本武(やまとたけ)。生(いき)不動(とう)ともいつゝべし。勇士(ゆうし)の怒(いか)リにおそれしにや。暫時(ざんし)のうちに風かはり。火ハあとへ/\ともへしさり。一すじの道をひらきしかバ。政岡荒獅子ふしぎに乕口(こゝう)の」12 難(なん)をのがれ幼君をかしづき奉り。舘(やかた)へこそハ立かへる。誠に荒獅子が抜(ぬい)たる刀ハ。幼君の御守リ刀にして。源家重代の名剱(めいけん)。雲霧(きり)と名付。平家の火徳(くわとく)を切なびけし宝剱(ほうけん)なり。ことさら黒龍(こくりやう)の狆が忠死。荒獅子が勇力。政岡が義心。かゝる天の助(たすけ)有幼君。生(おい)さきさかへ給はん事うたがひなしと。忠臣ひそかによろこびけり。鶴わか君ハかの狆が忠死をあはれみ。人間(にんけん)の礼をもつて。あつく葬(ほうむ)り給ひけり。
高尾舩字文第三冊畢」(白)」13

高尾舩字文第四冊

○頼兼(よりかね)(いかつ)て高尾(たかを)を殺(ころ)
   附リ 夫レハ山東(さんとう)(そう)公明(こうめい)
      是ハ関東(くわんとう)官領(くわんれい)(しよく)
 其(その)閨中(けいちう)ハ密書禍(みつしよのわざはひ)

○龍勢(りうせい)(とら)の尾(を)花火(はなひ)を戦(たゝか)はす
    夫レハ絹川(きぬかは)が黒(こく)旋風(せんふう)
    是ハ宗重(むねしげ)が白浪裡(はくらうり)
 其(その)水練(すいれん)ハ忠義源(ちうぎのみなもと) 」

目次4

口絵4

足利頼兼(あしかゞよりかね)
千回鏡ヲ覧テ千回ノ涙 一度欄ニ〓テ一度愁

娼妓(ゆうじよ)高尾(たかを)
化野(あだしの)や人の心(こゝろ)の鬼(おに)の名(な)を かくして笑(ゑめ)る姫百合(ひめゆり)の花」1

高尾舩字文第四冊

曲亭馬琴著
  頼兼怒(いか)ツて高尾を殺す

かくて頼かね公ハ柴(しば)川の沖(をき)に御舩をおろし。渡辺(わたなべ)外記(げき)が方へ御帰舘(ごきくわん)の事をたのみ遣(つかは)し給ふ。外記ハ忠義の侍なれバ。何卒(なにとぞ)折をうかゞひ。頼かねを迎(むか)へ奉らんと。折々密書(みつしよ)を以て。御心をなくさめける。扨も三浦の高尾ハ。頼かねにうけ出され。満(みつ)又の舩中(せんちう)に有といへども。心ハ玉田十三郎をしたひ。頼かねを嫌(きら)ひ奉り。その情(じやう)甚た疎かりしかバ。よりかね公も。後にハ高尾がそぶりを猜(すい)し給ひ。此ほどハ一ト月あまりも通ひ給はず。高尾が母ハ。もみぢ婆(ばゝ)と渾名(あだな)をとりし溌女(すつはめ)にて。元トハ藝子(げいこ)の」ながれなれハ巧言(こうけん)を以て頼かねをすかし。おのれら親子か口をぬらさんと思ひ。折/\高尾をすゝめ頼かねをむかへなぐさめける。頃ハ六月半はニて。頼兼公柴川(しばかは)の沖(おき)に。ひとりやかたの事のみあんじわづらひ居給ひしが。忽(たちま)ち怪舩(はやふね)一艘(そう)こぎ来り。渡部が蜜書(みつしよ)をさし上けれバ。頼かね封(ふう)おし切リ。是を見んとし給ふ所へ。高尾が母。小ふねにのつて満又(みつまた)より。柴川の御座舩へまいりけれバ。頼かね急(きう)にその密書(みつしよ)を。ふところへかくし給ふもみちはゞ頼かねの御前へ出て申けるハ殿さまにハ此ほどいかなる御たのしみ出来て。かく満(みつ)又へハかよひ給はざるや娘高尾ハ只殿の御事のみ。恋したひ奉り。明くれ物あんしに。此ほどハ食も」2 すゝます。もし四五日もかよひ給はずハ。娘ハ病死(やみしに)にや死(しに)申さん。かく迄娘が慕(した)ひ奉る。恩愛(おんあい)の情(なさけ)を思し召ものならハ。只今より此小ふねに召され。満又(みつまた)へ御入有て。高尾が心をもなぐさめ。又一ツにハ殿の御欝気(うつき)をもはらし給へかしと。詞をつくして申けれバ。頼かね公聞しめされ。われ此ほどハ何とやらん氣ぶんむづかしく。心おもしろからねバ。汝が方へも通はず。近日心よくハ早々行べきに。まづ今日ハかへるべし。楓婆(もみぢばゝ)から/\と打笑(うちわらひ)殿の御気分(きぶん)あしきこそさいわひなれ。此御坐舩の御気つまり。御心労(しんろう)のみあれバこそ。かく御気色(きしよく)もわるからめ。満又の浦ハ舩人の出入多(おほ)く。網打(あみうつ)(ふね)。貝(かい)とる子供。夜ハ涼(すゞみ)の舟もよひ。所かはれハ柴川の。」沖にまさつた御なくさみ。ぜひ御入とすゝめ申せバ。谷蔵も此間より。もしや頼かねの御病氣も出やせんと。心をくるしめる時節(じせつ)なれバ。何かな御氣はらしをさせ申さんと思ひ。高尾の母。かくまで申上る事なれば。格別(かくべつ)の御なぐさみハなくとも。今宵(こよひ)ハ満又へ御通ひあれかしと申にぞ。人の氣にさからひ給はぬ寛仁(くわんじん)の大将。其方共かく迄詞(ことは)をつくすうへハ。心にハすゝまねとも。しばしが内なりとも行べしと。すぐにかの小舩に召され。絹川を御供にて。満又川へ行給ふ。御舩すでに満又に着けれバ。かの高尾丸にうつし参らせ。谷蔵ハ次の間に入ツてやすみける。もみち婆(ばゝ)こゑを高め。高尾ハいづくにぞや。そちが恋人の来リ給ふに。はやく」3 あひ申せと呼(よは)はりけり。此時高尾ハ。舟の二階(かい)にひとりうつ/\と。十三郎が事を思ひつゞけてゐたりしが。今母の恋人の来り給ひしと云しを聞。もし十三郎の来りしにやと。あはたゞしく二階を下り。はしこの中段より下を見れバ。頼かね公母とならんで坐し給ふ。高尾是を見て。あはたゞしく又二階へかけ上り。夜着(よぎ)引かつぎふしにける。楓ばゝ又呼はりけるハ。そちが恋人の来り給ふに。何とてはやく出迎(むか)へ申さぬぞや。高尾是を聞て。二階のうへより。わが身けふハ心あしけれバ迎へ申さず。その人定(さため)て足の有べけれバ。二階へ上り給ふ事のならぬ事ハあるまじとこたへける。頼かね公此一言を聞。心に怒(いか)り給へとも。いやしき」流れの身。かゝる雑言(ぞうごん)ハつねの事ならんと。聞かぬふりしておはします。もみぢばゝから/\と打わらひ。娘高尾此ほど殿の御通ひなきを恨(うら)み。かゝる詞を申ならん。まづ二階へ御上リ遊ばせと。頼かねの御手をとり。二階へともなひ奉る。頼かねハ心すまぬ御顔にて。床はしらによりそひ。沖の方を詠め給へハ。高尾ハ頼かねをうしろにして。夜着にもたれ。ためいきをつく斗なり。もみぢばゝ此体(てい)を見て。酒なくてハ情(しやう)を引く事有まじと。兼て用意の酒さかなを携(たづさ)へ出。盃をとつてより兼にすゝめ申。頼かねハこれ関東の官領(くわんれい)。白はぶたへの上人物(じんぶつ)なれバ。この盃を辞退(じたい)し給ふ事もなく。盃をとつてほし給へハ。婆(ばゝ)又高尾に」4 すゝめける。高尾心に思ひけるハ我レハ何とぞ。十三郎どのに添(そは)ふとこそ思ひしに。此すかぬ男にうけ出されたるこそうらめしけれ。たとへいかやうになる迚(とて)も。今宵(こよひ)頼かねと。一ツにハ寝(ね)まじきものをと。盃をかつちりうけてさし出せバ。婆又より兼にすゝめ申ス。頼かね又一盃ほし給へバ。婆々又高尾にさす。高尾ハいかにもして。頼かねを酔伏(ゑひふ)させ。こよひハ心よくひとり寝んと思ひ。少し顔色(がんしよく)をやはらげ。盃に半ぶんほどうけて頼かねにさす。かやうにする事。六七度に及ひけれバ。頼かね心にすまぬ酒をのみ。大に酔ひ給ひけるけしきなれバ。もみぢ婆々(ばゝ)盃をおさめ。高尾に向て云けるハ。高尾いつまで殿(との)を」恨(うら)み奉るぞや。此ほど殿の御通ひなきを。はら立るハ尤なれ共。もはや御入あるうへハ。きげんを直し。殿の御心をもなぐさめ申せよ。扨も思ふ中の恋いさかひと。譬(たとへ)のふしもおかしやと。琴(こと)碁盤(ごばん)哥書(かしよ)など枕元に直(なを)し置。こよひハ久しふりの御かよひぢ。御きげんよくかたらひ給へと。楓ばゝハ下屋へ下り。絹川にも酒をすゝめ。おのれが閨(ねや)にやすみける。高尾ハそのまゝ夜着(よぎ)にもたれてふしけれバ。頼かね此やうすを御覧じ。高尾が寝入たる内。帰(かへ)らんと思ひ給ひしが。かの楓ばゝ。頼かねの帰り給はん事をおそれ。二階口の戸に錠(じやう)をおろして置けれバ。頼兼公下へ下り給ふ事叶(かな)はず。此時酒の」5 酔いよ/\のぼりて。席(せき)にたへかね給へハ。いたはしや頼かね公。双六盤(すごろくばん)を枕にし給ひ。御かいまきもめし給はず。そのまゝそこに御寝(ぎよしん)なる。高尾ハひそかに此体を見て。舌を出してあざわらひける。その夜もすでにふけわたり。頼かね公寝(ね)かへりをし給ふはづみにかの渡辺が密書(みつしよ)。ふところよりあらはれ出たり。高尾ハさいせんよりね入らずして居たりしが。頼かねの懐中(くわいちう)より。何か手紙のおちたるを見付。長き煙管(きせる)をのばしてかきよせ。ひらひて是を見るに。仁木鬼貫が悪逆(あくきやく)。いち/\に書(かき)しるし其うへ鬼貫山名宗全(そうせん)としたしみあれバ。東山へ讒言(ざんげん)し。鬼貫に官領職(くわんれいしよく)を授(さづけ)んとはかる。是に」よつて御帰舘(きくわん)の事。しばらく時節を待給へと書たりける。高尾そのわけハくわしくしらね共。十三郎とそふべき手がゝり共ならんと。是を取て懐中(くわいちう)し。もとのことくに伏(ふ)しにける。はや七ツの鐘(かね)も聞へ。頼かねやう/\酒の酔さめて。起(おき)上り給ひ。ふところをさがし給ふに。かの密書(みつしよ)なし。頼かね大にあはて給ひ。あたりを尋給へ共。かいくれ見へず。ぜひなく高尾をゆりおこしての給ひけるハ。いかに高尾。その方わが懐中に有し手紙ハしらざりしやと問(とい)給へハ。高尾ハはじめて目の覚たる体にもてなし。偽(いつはり)て云けるハ。いつの世。いつの時に。われらに文をおくり給ひしぞさやうにやさしき人ならバよけれ共。世の中にハ情を」6 しらぬ不男も多きものをとこたへける.いやとよわが懐中に有し手紙也.その方におくりし玉つさにあらす.高尾是を聞て.忽ち玉のごとき顔を赤め.〓のごとき眉を上.花のごとき唇をひるかへし.声を高めて云けるハ.わか身いやしき流の身ハなしたれ共.人のものを盗し事ハなきに.何とて盗人とハのたまひけるそや.頼かね公.はや高尾か密書をかくしたる事を悟給ひ.心の内にハいかり給へ共.ことはをやわらけ.我あやまつて.その方を疎んじたる事.今さら後悔す.以来いかやうののそみにても叶へつかはさんにその手紙を我にかへせよ.高尾ハ.頼かねのしきりに手紙をもとめ給ふをみて.是ハ何さま」大切の品と見へたり.よきものをとりけると.心によろこび.なるほと手紙ハ.わが身のふところにあり.しかれ共一ツのねかひを叶へずハ.かへし参らする事なるまじ.頼かね何か扨.一ツハ扨置.千万のねかひなり共叶へつかはさん.はやく手紙をかへせ.高尾是を聞て打笑ひ.わが身くるはにありし時玉田十三郎といふ人にふかく云かはせしが.今より後.わか身を十三様ンにそはせそのうへわか身と.十三さんの衣食何にてもことのかけさるやうに扶持し給はゝ.此手紙を返し申さん.頼かねのたまひけるハ.これいたつてやすきねがひ也.その方を今日より玉田とやらが妻となし.生涯心まかせに扶持をつかはすへしまつ早く」7 その手紙をかへせ高尾あざわらひ。かく我をだまして。手紙を取んとし給へ共。わが身多(おほ)くの客(きやく)になれて。さやうの偽(いつわり)ハつねのことなり。何しに誠(まこと)と思ふべきや。十三さんと夫婦になりし後(のち)。此手紙を返し申さん。頼かねの給ひけるハ。我ハこれ奥州の大守(たいしゆ)。関(くわん)八州の官領(くわんれい)さやうの偽(いつはり)をいふ下賤(げせん)にあらず。ひらに手紙をかへしあたへよ。高尾是を聞て。いかやうにの給ふとも。十三さんにそはぬうちハ。此手紙をかへす事ハ叶ふまじと。手紙をひしと抱(いだひ)てふしければ。頼かねハ密書(みつしよ)をとらんと。高尾が懐中へ手を入給へバ。高尾ハ密書を渡さじと。たがひに押(お )つおし合ふはづみ。御刀(かたな)かけ倒(たを)れて。頼かねの」御はかせ鞘(さや)はしりて。五六寸ぬけ出たり高尾ハ是を見てわつと叫(さけ)び。人殺(ひところ)しよと呼はりけり。頼かねハ今高尾が。人ころしと叫ふ声を聞て。忽(たちま)ち高尾を殺さんと思ふ一念(ねん)(おこ)り。終(つい)に左リの手に。高尾が長きみどりの黒髪(くろかみ)をくる/\と巻(まき)。右の手に刀を抜(ぬき)もち。怒(いかり)の顔色(がんしよく)(ち)を〔を〕そゝぎ。おのれ憎(にく)き傀儡(くゞつ)め。恋なれハこそ頼かねも。宵(よひ)よりの悪口(あくこう)雑言(ぞうこん)。聞かぬふりしてゆるせしぞや。さほど玉田に添たくハナゼうけ出されて夫婦にならぬ。大事の蜜書を奪(うば)ひし女。あく迄我につらかりし。報(むく)ひのほどを思ひしらせんと。氷(こほり)のごとき刃(やいば)を抜もち。玉のやうなる高尾が胸元(むなもと)。ふねの横(よこ)まど」8 おしひらき。欄干(らんかん)におしあてゝ。只一ト刀に切給へバ。むねより上ハ頼かねの御手にのこり。腰(こし)ハふち瀬(せ)のみくづとなり。流れながるゝ流の果(はて)。むざんなりける次第也。此物音(ものおと)に打おどろき。絹川谷蔵。もみぢばゝ。二階(かい)の上へかけ上れバ。頼かねハ血にそみし。御はかせを手に提給ひ。谷蔵におし拭(ぬぐ)はせ。楓ばゝにのたまひけるハ。其方が娘高尾。我に對(たい)して不礼せしゆへ手討にす。願(ねが)ひあらバ申べしとのたまへバ。ばゝハ両眼(りやうがん)になみだをうかめ。娘高尾不所存(しよぞん)にて。殿の御心にさからひ。御手討になりしハ。まだしも娘がさいわひ。御うらみ申心ハなけれど。世にかなしきハ。わたくしが身の上。一生かゝらふ世話せふと。末をたのみしむすめに」おくれ。翌(あす)をもしらぬ老の身の。たつきハ何といたさんと。悲嘆(ひたん)のなみだせきあへず。頼かねも不便(ふびん)のことに思しめし。そちが身の上氣遣(つか)ひすな我やかたへ帰りなバ。その方に扶持(ふち)をつかはし。生涯(しやうがい)やすくくらさせん。まづ高尾が弔(とむら)ひ料(れう)。絹川よきにはからへと。悠々(ゆう/\)として立出給へバ。母ハなみだに頼かねの。情をおがむ西の空(そら)。ひかしのそらも明はなれ。明なバいつか人も見ん。いそふれ絹川。おかへりと。元トの小ふねに召給ひ。柴川へ帰り給ひける。

  龍勢(りうせい)(とら)の尾(を)龍火(はなび)をたゝかわす

扨も光陰(くわういん)(ゐ)る矢(や)のごとく。早くも高尾が初七日になりしかバ。楓婆(もみちばゝ)」9 ハ柴川の御舩に参り。扨も娘高尾あへなくなり。程なく今日ハ初七日にあたり候。おそれ多きことながら。かりそめながら御寝間(ねま)のお伽(とぎ)にも侍(はべ)り。露(つゆ)のお情もうけし高尾なれバ。あはれ今日此小舟にめされ。満又へ御入有らバ。万僧(まんぞう)の供養(くよう)にまさりて。官領(くわんれい)の御高恩(かうおん)を亡魂(なきたま)もよろこひ申べし。いやしきものゝ志(こゝろざし)をすて給はずハ。御ふねをうつし給へかしと。詞をつくして申けれバ。頼かねも。かく娘を殺されて。いさゝか恨(うら)むけしきなき。老女(らうじよ)が義心(ぎしん)をかんじ給ひ。かの小ふねにめされ。絹川を御供にて。満又の高尾丸に入給へハ。かねてまふけの酒肴(さかな)いろ/\もてなし奉り。もみぢ婆盃をとつて申けるハ。娘高尾が不所存」にて。御心にそむきしハ。自業(じがう)自得(とく)。天魔(てんま)の障化(せうげ)と申べし。去リながら高尾世に有りて。君の御寵愛(てうあい)もかはらずハ。官領(くわんれい)のおもひ人と。多くの人にかしづかれ。百年の後。追善(ついぜん)供養(くよう)も。万巻(まんくわん)の誦經(じゆきやう)に耳(みゝ)を轟(とゞろか)すべきに。高尾ハあへなき命をおとし。君ハ舩中(せんちう)に御漂泊(へうはく)。定めなき世のならひ。此舩の高尾丸も。名のみに残る娘が記念(かたみ)。今宵(こよひの)手向(たむけ)の香花(かうはな)と。おもへバ思ふ沖(おき)の花火。御なぐさみに御覧あれと。舩べりの障子(せうじ)おしひらけバ。実(げに)海上(かいしやう)にみちのくの。満又川の夕げしき。いろ/\花火燈(とも)りける。千里をはしる乕(とら)の尾有れバ。雨雲(あまくも)おこす龍勢(りうせい)あり。水のともへの」10 眉間尺(みけんじやく)。手車(てくるま)。手ぼたん。夕がほの。やともほたるの水に火ハ。十二因縁(いんゑん)それならで。十二てうちんなき玉の。玉火も果(はて)ハ鳥部野の。けふりと斗立つゞく。手向の花火はなやかに。人々興(けう)に入給ふ。時にふしぎや沖(おき)の方。はつと消(きへ)たる花火の相圖(あいづ)。たちまち聞ゆる貝鐘(かいかね)太鼓(たいこ)。絹川舳(へ)先にツヽ立上り。アラおびたゝしき寄(よせ)手の勢(せい)。御舟を目がけとり巻くと覚へたり。イテ一ふせきと身こしらへ。頼かねはるかに沖の方を御覧あり。かく武運(ぶうん)に盡(つき)たる頼かねが。最期(さいご)の思ひ出はな/\しく討死せん。察(さつ)する所高尾が母。娘が仇(あた)を報(ほう)ぜんと。鬼貫仁木へ手引なし。我を引込むはかりこと。」絹川ソレとのたまへバ。谷蔵すかさずとびかゝつて。楓婆がゑり首つかみ。川へざんぶと投(なげ)込めハ。折もよし楓婆。そばに繋(つなぎ)し小舟の中へ。まつさかさまになげ込れ。怪我(けが)の高名(かうめう)是幸(さいはい)と。艫(ろ)をおし立て迯(にげ)て行く。次第に近よる寄手の舟。御舩目かけ詰(つめ)よせる。され共剛気(がうき)の絹川におそれしにや。只遠矢(とをや)にぞ射(ゐ)たりける。頼かね公ハ雨あられとふりくる矢を。刀をぬひてはらひのけ/\。こゝをせんどゝふせぎ給へバ。谷蔵ハ左リに板子の楯(たて)を持。右の手に棹(さほ)をさし。御舩をおしけれども。名におふ高尾の大舩(たいせん)なれバ。進退(しんたい)自由(じゆう)ならずして。心をあせる汀(みぎは)の方。釣(つり)する海士(あま)の小舩有。」11 谷蔵よろこび。大音聲(おんじやう)にて呼はりけるハ。のう/\そのふねに便舩(びんぜん)せん。こと急(きう)なれバやうすを語るにいとまなし。事鎮(しづ)まらハ褒美(ほうび)ハのぞみにまかせんと。声をはかりに呼はれども。釣人ハ見向もせず。釣に餘念(よねん)もなかりけり。谷蔵大にはらを立。是ほどに呼立るに。おのれハ唖(おし)か聾(つんぼう)か。よし/\此うへハ仕やうありと。矢をふせきてハ舩を押(おし)。かの釣ふねに近よる事。其間わづか七八間になりし時。谷蔵武藝(ぶけい)の手練(しゆれん)を出し。足を一そくに縮(ちゞ)め。身をおどらせ。はるか隔(へだて)る釣(つり)ぶねへ。真(ま)一文字(もんじ)にとび込だり。かの釣人大に怒(いか)り。おのれ人の夜釣する邪广(じやま)ひろぐ。水のませんと打てかゝれば。」谷蔵ハものをもいはず。かの釣人にむんずと組(く)む。渠(きやつ)もしれもの引はづし。別(わか)れてハ組(く)み。くんでハ別れ。後にハ互(たがい)に組合ながら。水中(すいちう)へざんぶと落(をち)。猶水中にていどみ合ふ。谷蔵ハ。その色(いろ)墨よりも黒く。かの釣人ハ。その色朱(しゆ)よりも赤し。両人の勇士(ゆうし)水中にたゝかふ事。海上の〓崘人(くろんぼう)。珊瑚樹(さんごじゆ)を取らんとするにことならず。或ハかくれ。或ハあらはれ。彼(かれ)水牛(すいきう)のちからに押(お)せバ。此(これ)彪乕(ひやうこ)の水を渡る勢(いきほ)ひあり。いづれもおとらぬ。勇士と勇士。勝負もはてず見へにける。水に映(ゑい)する敵(てき)の松明(たいまつ)。頼かねはるかに御覧あり。ヤア/\谷蔵はやまるな。今水中(すいちう)に戦(たゝか)ふものハ。男之介にハあらざるやと。声(こへ)かけ給へバ釣人ハ。」12 谷蔵をふりはなし。御舩のへりに游(およぎ)付。頭(かしら)をさげて申けるハ。もみぢばゝか訴人(そにん)によつて。鬼貫仁木の逆臣(ぎやくしん)。君を討奉らんとのそうだん。聞とひとしく。某彼等(かれら)先へ廻り釣人に身をやつし。其様子を伺(うかゞ)ふ所に。あれなる新参(しんさん)の谷蔵とやら。いまだ其面(おもて)を存ぜず。敵か味方か。心底(しんてい)はかりがたく。思はぬ同士(どし)(うち)。しかし遖(あつはれの)若もの。末たのもしゝと申所へ。谷蔵も游(およぎ)付。某(それかし)(まなこ)有なから。荒獅子(あらし )どのゝ豪傑(かうけつ)を存ぜず。只今の不礼ゆるし給へと申ける。荒獅子申けるハ。某かくてあるからハ。もはや氣遣(つか)ひ少もなし。かの悪人のもみぢばゝも。某とくに是をいましめ。舩底(そこ)に打込置たり。某こゝにふみとゞまり。寄手のやつはらみなころしにいたさんに。」谷蔵ハ此小ふねに頼かね公をのせ奉り。金花山(きんくわさん)の水塞(すいさい)にいたられよ。かの金花山ハ山高くして。前に蒼々(さう/\)たる海をひかへ。海陸(かいりく)のかけ引自由(じゆう)なり。殊(こと)に足利(あしかゝ)忠義(ちうぎ)の士(し)義をむすひ誓(ちかひ)をたて。悪人ばらを打ころさんと。専(もつは)ら君の御行衛を尋るよし承る。といふ内に。間近(まちか)くすゝむ敵の先手。荒獅子獅子のいかりをなし。数百斤(すうひやくきん)の大碇(いかり)を。かろ/\とふり廻し。寄手の大勢薙(なぎ)たをし。みな水中へ打込ンだり。此ひまに谷蔵ハ。頼かね公を小舟にうつし奉り。艫(ろ)をおし立て漕(こぎ)出す。板子の下よりもみぢ姿。そろり/\と這(はい)出る。谷蔵手はやく引つかみ。川へ打込水煙(けふり)。闇(やみ)をかきわけいそぎ行。
高尾舩字文第四冊畢」13終

高尾舩字文第五冊

○闍奢待(らんじやたい)の下駄(げた)蒙汗薬(しびれくすり)を解(と)
   附リ 夫レハ孟州(もうじう)張青(ちやうせい)が舗(みせ)
      是ハ浮世(うきよ)渡平(とへい)が栖(すみか)
 其(その)口論(こうろん)ハ暖簾〓(のれんのさかばやし)

○信夫舘(しのぶのやかた)に仁木(につき)(ねづみ)を走(はし)らす
   附リ 夫レハ雲龍(うんりやう)公孫勝(こうそんせう)
      是ハ仁木(につきが)毒鼠(どくそ)の術(じゆつ)
 其板(いた)(ゑん)ハ勇士〓(ゆうしのわな)

○都鳥(みやことり)の一軸(いちぢく)勝元(かつもと)を説(と)
   附リ 夫レハ宋朝(そうてうの)赦免状(しやめんじやう)
      是ハ一味(いちみの)連判帳(れんばんちやう)
 其太平(たいへい)ハ政岡功(まさおかゞいさほし) 」

目次5

口絵5

〓娘(めのと)政岡(まさをか)
(すぐ)なる御代(みよ)の國(くに)につかへて。忠臣(ちうしん)烈女(れつじよ)のふしをたがへず。稚(おさな)き此君(このきみ)の傍(そば)にはべりて孟宗(もうそう)王氏(わうじ)のむかしに耻(はぢ)ず。その枝ハ杖(つへ)となして老(おい)をもたすくべく。そのみハ簾(みす)となつて色(いろ)をもかくすべしいづれの藪(やぶ)の竹(たけ)の子(こ)なるぞ賢(けん)なる哉やアヽこの竹(ちく)婦人(ふじん)」1

高尾舩字文第五冊

曲亭馬琴著
  闍奢待(らんしやたい)の下駄(げた)蒙汗薬(しひれくすり)を解(とく)

頼兼ハ虎口(ここう)の難(なん)を遁(のが)れ給ひ。今日橋(けふはし)の辺(へん)迄落延(おちのび)給ふ。此所ハ東海(とうかい)の街道(かいだう)なり。既(すで)に長橋(ながはし)にいたり給ふ頃。夜ハほの/\と明にけり。爰に一軒(けん)の酒屋やうやく戸を明(あけ)て。湯豆腐(ゆとうふ)の下を焚(たき)つけてゐたりしかバ。絹川ハ頼かね公。宵(よひ)よりの御つかれ。ことに手足の汚(よご)れたるをも濯(すゝ)がせ申さんと。此居酒やに立より。頼かね公を床几(せうぎ)に直し奉れバ。小厮(こもの)出て。客人(きやくじん)酒ハ何ほどつぎ申べきや。ゆとうふも今出来たてなりといふ。谷蔵是を聞て。ィャ/\われ/\ハ酒をのむ客にあらず。」只盥(たらひ)に湯(ゆ)をくみ。又ゆとうふの湯あつくハ。茶(ちや)わんへくみて。はやく出せと云けれバ。小厮(こもの)面をふくらかし。此あぶら虫。酒ハかはずして。ゆをかわかさんとするやとて。既(すで)に銅壺(どうこ)の湯をくみて。出さんとする所へ。此家のあるじと見へ。頭(かしら)ハ糸鬢(いとびん)に剃(そり)さげ。刷毛(はけ)ハ黒豆のごとくちいさく。髭(ひげ)ハ頬(ほう)へかゝりて青く。身の丈(たけ)六尺ばかりなるが。大縞(しま)の浴衣(ゆかた)を着(き)。腰(こし)に真田(さなだ)の帯(おび)を結(むす)び。肌(はだ)に紺(こん)ちりめんの褌(ふんどし)をして。半(なかば)ゆかたの脇(わき)よりあらはし。其としハ三十五六ばかりなるが。手に一本のやうじを持て。見世の正面(しやうめん)に立出。此体(てい)をみて云けるハ。我カ見世ハ湯屋にあらず。客人(きやくしん)酒ハかわずして。湯をもとめ給ふや。谷蔵これ」2 を聞て。我レ湯を所望(しよもう)するといへ共。其價(あたひ)をはらはんに。何とてかく吟味(ぎんみ)するぞや。かの男から/\打わらひ。わが店(みせ)にていまだ湯を賣(うり)たる例(ためし)なし。これ今日の朝(あさ)ハ。一年の元日也。商人ハみなその見(けん)徳をいわふて。朝ゑびすの福(ふく)をいのる。しかるに商賣(しやうばい)の酒ハかはずして。湯をもらはんとするハ。忌(いま)々しきことにあらずや。頼かね聞(きこ)し召。あるじの申所尤なり。酒をも買遣すべきに。まづ湯を持参(もちまい)れとて。やがて盥(たらひ)の湯にて。手足の穢(けがれ)たるを洗(あら)ひ給ひ。又かの湯とうふのさゆをのみて。咽(のど)をうるほし。しばし労れを休め給ふ。扨小廝(こもの)ハ。酒五合にとうふ二皿(さら)たづさへ出。頼かね絹川が前にさし置けり。」頼かねハ是五十四ぐんの太守(たいしゆ)。なんぞ居酒やの酒をのみ。湯とうふをめし上らんやあるじ此体(てい)を見て。我店の酒ハ一ツ本ン生(き)にして。歴々(れき/\)といへども是を称(ほめ)給ふ。客人はやく一盞(いつさん)をくみ給へ。頼かね公彼等(かれら)に身のうへを。悟(さと)られん事を恐れ給ひ。盃を取ていたづらに口へあてゝ。のむまねをし給ひ。かの盃を絹川へさして。その方夜前(やぜん)の労(つかれ)をもなぐさめ。一盞(さん)くむべしとのたまひけれバ。谷蔵も夜前の働(はたらき)にて。口中ことの外乾(かはき)けれバ。頼かね公の御意を幸(さいわ)ひ。ひたすら五六合呑(のみ)ほしける。此時かのあるじ暗(ひそか)によろこび。此ものわが謀(はかりこと)におち入て。蒙汗薬(しびれくすり)の入たる酒を呑たれハ。おつつけ倒(たを)るゝこと明らか也。頼かねハのみしや。」3 のまざるや。しかとハ知れざれども。頼かねハ花奢(くわしや)風流(ふうりう)の艶(やさ)男なれハ打ころす共安かるべしと思ひ。忽(たちま)ち手を打て。おすまふはやく倒(たをれ)よと云ける時。谷蔵口中より涎(よたれ)をながし。全身(せんしん)〓痿(なへしひれ)て。床几(せうぎ)よりころび落て倒れけれバ。かの男はやくもとんでおり。頼かねの肩(かた)をおさへて罵(のゝし)りけるハ。我レなんぢらを此所にて待(まつ)事久し。今我に三ツの福徳(ふくとく)あり。われ今なんぢ両人を打ころし。その身の皮(かは)をはぐべし。是一ツの福也。又玉田が為(ため)に高尾が仇(あた)をむくふ時ハ。玉田か方より賞銭(ほうひ)をもらふべし。これ二ツの福也。汝が首を仁木鬼つらへさし上なバ我忽(たちま)ち立身(りつしん)して。極上々の侍となるべし。是三ツの福也。いま此」三ツの福徳(ふくとく)ある頼兼なれバ。我此所にてころす也。頼かね公ハいかにもして迯(のが)れんと思し召。その方ハ是何ものなるぞ。我に對(たい)して仇(あた)もなく恨(うらみ)もなし。其方福徳をねがはゞ。われ志(こゝろざし)を得てやかたへ帰るの後(のち)。おもくとり上てめし仕(つか)ふべし。かの男から/\と打笑ひ。汝(なんぢ)官領(くわんれい)の宿なしにして。我をとり上る事のなるべきや。我レを是誰(たれ)とかおもふ。閻魔(ゑんま)大王の子ぶん。五道(こたう)冥官(めうくわん)の令子(むすこ)。浮世(うきよ)戸平といふ豪傑(かうけつ)ものなり。汝いかやうにあがく共。嚢裡(ふくろのうち)の鼠(ねつみ)羅中(あみのなか)の鳥。にげ出る所なし。観念(くわんねん)せよと打てかゝる。頼かね是を見給ひ。おのれ下郎の分として。推参(すいさん)なりと切付給へハ。剛気(がうき)の戸平ことともせず。うしろへくゝり」4 前へ出。しばしが間いどみしが。頼かねハ夜前おほくの追手(おつて)を防(ふせ)ぎ。御身すでにつかれ。ことに九重の楼門(ろうもん)に。人となり給ふ御身なれバ。何ぞ剛気(かうき)の戸平におよび給はんや。しかれともさそくの手者(てしや)にてましませば。付ケ入/\たゝかひ給ふ。戸平いらつて大に吼(たけ)リ。右のこぶしをつよくふり上ケ。頼かねの御刀を。何の苦(く)もなく打おとす。頼かね公急(きう)に表(おもて)の廣(ひろ)みへ出て。猶たゝかはんとし給ふ所を。戸平ゆとうふの下にもへ立たる。焚(たき)さしの真木(まき)をもつて。頼かね公をさん%\にうつ。其火既(すで)に頼かねの御衣服(いふく)にちりかゝり。すでにあやふく見へ給へハ。頼かね御さしそへをぬき給ふひまもなく。履(はき)なれ給ひし下駄を以て。もえさしの真木を」請(うけ)とめ給へハ。はやくもその火。その下駄にもえ付くとひとしく。異香(いかう)(しきり)にくんじ。四方ふん/\と匂(にほ)ひける。ふしぎなるかな此香気(かうき)。谷蔵が鼻(はな)の中へ入るとひとしく。蒙汁(しびれ)薬の毒氣(どくき)(たちま)ちさめて。手足自由(じゆう)に働(はたら)きけれバ。此体を見て。大におどろき。浮世戸平に飛でかゝる。戸平谷蔵が働くを見て。大にあわて。頼かねをすてゝ谷蔵に向はんとする所を。頼かね落(おち)たる刀をとつて。戸平が胴(とう)はらをゑぐり給へバ。さすがの戸平も息(いき)たへたり。此戸平ハ古今(こゝん)のわるものにて。かく酒の中へ蒙汗薬を入てハ旅人にのませ。衣服(いふく)金銀(きん%\)を剥(はぎ)とり。又やゝもすれハ喧〓(けんくは)仕出し。多くの人をあやめしとかや。今頼かね」5 此家に来り給ふを見て。是をころさんとはかり。終にころされけるとなり。頼かねのはき給ひし下駄ハ。蘭奢待(らんしやたい)といふ名木(めいかう)にて。よし政(まさ)公是を柴舩(しばふね)と名付ケ。秘蔵(ひさう)ありしが。此伽羅(きやら)を頼かねに譲(ゆづ)り給ふ。頼かね御身もち放埓(ほうらつ)なるにより。侫人(ねいじん)ともすゝめ奉りて。一足の下駄に刻(きざ)み。晋(しん)の文公(ふんこう)が足下(そつか)の履(くつ)にひとしく。常にはきなれ給ひしとなり。薬物(やくぶつ)の毒(どく)を解(げ)すこと。その品多しといへとも。とりわけ沈香(ぢんかう)ハ人氣(じんき)を利(り)し。酒毒(しゆどく)をさますの名薬(めうやく)なれハ。らんじやたいの匂ひ谷蔵が鼻へ入て。しびれ薬の毒氣(どくき)さめたるもことはり也。此時酒やの小ものも此そうどうにおそれ。いづくへか行けん。さいぜんより」かげもかたちも見へず。誰(たれ)有て頼兼を。さゝへ申ものもなけれバ。頼かねハふしぎに。ふたゝびあやふき難(なん)をのがれ。金花山(きんくわさん)へと落給ふ。

  信夫(しのぶ)のやかたに仁木鼠をはしらす

渡辺(わたなへ)外記(げき)宗雪(むねゆき)ハ。忠義あつき侍にて。ことさら國の老臣なれバ。鶴若(つるわか)を補佐(ほさ)し奉り。何とぞ頼兼を帰舘(きくわん)させ申さんと。昼夜(ちうや)心をくるしめけるが。はからずも心痛(しんつう)のやまひおこり。老病(らうびやう)すでにあやふく見へしかバ。娘政岡(まさおか)を近くよび。声をひそめて申けるハ。國家(こくか)の安危(あんき)今此時なり。鶴わかいまだ幼(おさな)くまし/\。侫(ねい)人かたはらにみち/\て。三代惣恩(そうおん)の主君(しゆくん)を害(がい)し奉らんとはかる。叔父(おぢ)鬼貫後見(こうけん)として。」6 もつはら邪(よこしま)非道(ひたう)をおこなふ。我病死(びやうし)すると聞かバ。かれら時を得て。既(すで)に企叛(むほん)の色をあらはすべし。女ながらもその方に。今一大事を申聞かす。近く参れと側(そば)へよびよせ。まづ第一は。明日より昼夜(ちうや)。鶴わかの御そばをはなれず守護(しゆご)すべし。第二ハ。いかやうの事有て。鬼つら仁木幼君(ようくん)を蔑(ないがしろ)にし奉る共。いさゝか怒(いかり)をあらはすべからず。第三ハ。すべての事荒獅子と相談(さうだん)して行ふべし。男之介ハ忠義ふかき勇士なれバ。侫人(ねいしん)むざと手をおろす事ハ叶ふまじ。我今その方に。此かけ物をあづけ置く。此かけものハ都鳥(みやことり)と名付ケ。わが忠心をこめたる一軸(ぢく)なり。君にとつてハ忠義のたまもの。」親にとつてハ。末期(まつこ)記念(かたみ)。もし事迫(せま)りせまつて。荒獅子その方の了簡(れうけん)にも及はず。幼君の御身危(あやふ)く見へるものならバ。その時此一軸(ぢく)をたづさへて。細川勝元(かつもと)どのゝ一覧(らん)に入るべし。おのづから悪人ほろび。國安全(あんぜん)なるべしと。床(とこ)の傍(かたはら)よりかのかけものをとり出して。政岡にあたへけれバ。政岡とつておしいたゞき。開て是をみるに。その絵に。外記つる若を右にいだき。左リの手にて地をゆびさし。天をながめてゐる圖(づ)なり。政岡その心を悟(さと)らず。父に問(と)ふて云けるハ。此かけものゝ絵ハ。父うへ若きみを抱(いた)き給ふ所の絵なり。此かけものにて。何故悪人亡(ほろ)ひ。國太平に」7 なり候ぞや。外記打うなづき。その方女の事也。今問ふにおよはず。事急(きう)なるにのぞんで。勝元どのゝ一覧に入レよ。外に子細(しさい)なしと云すて。行年六十三才にして。終(つい)にむなしくなりにけり。アヽ忠義の士おしむべし。政岡父の別(わか)れをかなしみ。ひたんのなみだせきあへず。終(つい)に父の詞を守りて。是より昼夜(ちうや)。鶴わかの御そばをはなれず。万事(ばんじ)心を用てかしづきける。外記が云ひしにちがひなく。國の老(ろう)臣死しけれバ。侫人こゝろざしを得て。幼君(ようくん)をあなどり。後(のち)にハ鶴若を信夫(しのぶ)の下舘(しもやかた)へうつしまいらせ。かしづき申人もなし。此御殿(ごてん)ハちかころ大破(たいは)して。御殿の瓦(かはら)くだけて。雨天井(てんじやう)につたひ。雨戸(あまど)の棧(さん)おちて。」月後椽(こうゑん)をてらす。幼君にかしづき申ものとてハ。荒獅子政岡只二人なり。夫(それ)さへ男之介ハ此ほど病氣(ひやうき)と披露(ひろう)して。二三日出仕(しゆつし)せず。此以前侫人ばら。度々毒薬(とくやく)を御膳(ぜん)に入て。鶴若に勧(すゝめ)(がい)し奉らんと工(たく)みしが。さいわひ荒獅子政岡。はやくこれをさとつて。つる若にすゝめず。此ほどかく荒(あれ)たる御殿に住(すみ)給ひ。誰出仕(しゆつし)するものなけれバ。なまなかに悪人に一害(がい)をのがれて。政岡少しハ心をやすめける。此一両日ハ霖雨(ながあめ)ふりつゞきて。物(もの)(さび)しくことに男之介出仕せされバ。鶴わか雨のつれ%\にせまり給ひ。政岡ハ襷(たすき)かけて米をかしき。これを鶴若にすゝめ参らす。つる」8 わか膳にむかひ給へハ。わづかに汁(しる)と香(かう)の物のみなり。鶴若つく%\是を御覧じて。いかに政岡此鶴わかハ。誰(たれ)が子なるぞやと問給へバ。政岡はやその御心をさとり。まづ眼中(がんちう)に涙(なみだ)をふくんで申けるハ。君ハこれ五十四ぐんの御あるじ。関(くわん)八州(はつしう)の官領(くわんれい)。足利(あしかゞ)左馬介(さまのすけ)頼かね公の。公達(きんだち)にてまし/\候。鶴わかのたまひけるハ。いやとよ政岡。そちがいふ事偽(いつはり)ならん。我関東(くわんとう)の官領(くわんれい)。頼かね公の嫡男(ちやくなん)ならバ。数(す)万人の家来をもめし仕ふべきに。身にそふものハ只二人。下女(げしよ)に政岡。下部(しもべ)に荒獅子。政岡米を爨(かしひ)て。我にあたへ。荒獅子履(くつ)を取て。我にはかす。我レ一僕(いちぼく)一婢(いつび)の身上にて。何ンそ五十四郡の主(あるじ)と」いわんとのたまへバ。政岡思はずこゑを上。しばしなみだにくれけるが。君ハ御発明(はつめい)にわたらせ給へども。ことのやうすをしり給はず。今國中に悪人はびこり。君を害(がい)し奉らんとはかるもの。うんかのことし。ことに叔父(おぢ)鬼貫どのに。奥州過半(くわはん)横領(わうれう)せられ。身をすてゝ。忠義に換(かへ)るものとてハ男之介と此政岡只二人リ。さりながら。天運(てんうん)循還(じゆんくわん)して悪人ほろび。ふたゝび御代(みよ)に出給はゝ。其時こそ百万騎(き)の御大将。誰はゞからぬ官領職(くわんれいしよく)。さるにても父外記の。遺(のこ)し置たる都鳥のかけ地(ち)。どうも心がとけませぬと。又かけものをとり出し。鶴わか丸もろともに。筆の心をなぞ/\に。解(とけ)ぬ思ひの小首かたふけ。」9 案(あん)じ入たるその折から。いつの間にかハ来りけん。その色まだらの大鼠(ねづみ)。足音(あしおと)もなくかけ来り。かのかけものを引くわへ。いづくともなく走(はし)り行。政岡はつと打おどろき。大切のかけもの。奪(うば)はれてハ叶(かな)はじと。跡につゞひて追(おつ)かくれど。鼠(ねづみ)ハかげもかたちもみへず。政岡ハ狂気(きやうき)のごとく。そこよこゝよと尋(たづぬ)る所に。椽(ゑん)の下に人音(ひとおと)して。はつた/\とつかみ合ふ。政岡ます/\打おどろき。鶴わか君をうしろにかこひ。薙刀(なきなた)かひこみ立上れバ。ゑんの下にハ猶人音ト。ヱイヤ/\とつかみ合ふ。ほどなく荒獅子大わらは。かのかけものを引つかみ。畳(たゝみ)はね上欠(かけ)上リ。大息(いき)ついて申けるハ。それかしかくあらんとぞんぜし」ゆへ。此四五日病氣(ひやうき)といつはり。昼夜此御殿のゑんの下にかくれ居て。やうすをうかゞふ所に。今宵(こよい)はからず。猫(ねこ)にひとしき大鼠。都鳥のかけ地をくわへかけ来る。やり過して引くめバ。鼠にあらぬしのびの曲(くせ)もの。生捕(いけとら○)んといどみしが。椽(ゑん)の板(いた)に頭(かしら)つかへ。もしやかけものを破(やぶ)る事もあらんとかばひし故。曲者(くせもの)ハとりにがせしと。大汗(あせ)になつて物がたれバ。政岡これを聞て。わが父外記。若君の御大事。こと急(きう)なる時にのぞんで。此かけものを。勝元とのへ持参せよと。兼(かね)ての遺言(ゆいごん)。今すでに事急なり。我ハこれより鎌(かま)くらへ立こへ勝元どのへ訴(うつたへ)んと云けれバ。男之介これを聞て。よく」10 も心付かれしものかな。それがしかくて有からハ。幼君の御身の上。少しにても氣遣ひなし。一刻もはやく勝元どのへ持参あれとすゝむれバ。政岡ハかひ%\しく。腰(こし)おびとつて裾(すそ)かい上。父の譲(ゆづ)リの一腰(ひとこし)たばさみ。かのかけ物を懐中(くわいちう)し。つるわか君にいとま乞。若(わか)ハ政岡放(はな)さしと。とゞめ給ふをやう/\と。すかしなだめてもろ共に。なみだの袖をほし月夜。かまくら山へいそぎ行。

  都鳥(みやこどり)の一軸(ぢく)勝元に説(と)

細川修理亮(しゆりのすけ)勝元。國家の棟梁(とうりやう)その器(き)にあたり。身ハ鎌くらにありながら。都の政務(せいむ)をかねてより。政岡が訴(うつた)へに。工夫(くふう)をこらす」閑居(かんきよ)の間(ま)。勝元かのかけものを打ながめ。ひとりうなづひて云けるハ。忠臣(ちうしん)渡辺外記宗雪(むねゆき)が。死期(しご)にのこせし此かけものハ。諸葛(しよかつ)武侯(ぶこう)が五丈原(こじやうげん)の。遺書(ゆいしよ)にひとし。まづ都鳥と名付ケしハ。古哥(こか)の心。我思ふ人の頼かねを。帰舘(きくはん)させたき願ひならん。扨かけ物の絵に。右の手に鶴若をいたき。左の手に地をゆびさし。天を仰(あふひ)で立たるハ。五十四郡の山川ハ。つるわかのたまものといへ共。ひとり侫人(ねんじん)のさまたげ有をうらみたる忠臣(ちうしん)。是もよし。扨是を以て。悪人を亡(ほろぼ)すべき。手かゝりとハ何ゆへぞと。工夫(くふう)の頬(ほう)つえ小半時。さすがの勝元あぐみはて。けふもくれ。翌(あす)もたち。工夫する事五六日。ある日勝元」11 かのかけものをとり出し。思案(しあん)にあぐむ牀(おしまづき)。ひぢはづれ机(つくへ)を倒(たふ)し。墨硯(ぼくけん)筆紙(ひつし)狼藉(らうせき)して。都鳥のかけものへ。ころびかゝる水滴(みついれ)の。水ハこぼれてかけものゝ。表具(ひやうぐ)も共に濡(ぬれ)にける。勝元おどろき。かけものを。濡(ぬ)らさじと引上れバ。こぼれし水に濡紙(ぬれかみ)の。表具(ひやうぐ)のうらに透(すき)通り。あらはれ出し数行(すぎやう)の文字(もし)。勝元扨ハとかけものゝ。うらの表具(ひやうぐ)を引へがせバ。中より出る数通(すつう)の蜜書(みつしよ)。勝元とり上て打詠(なが)め。誠(まこと)や忠臣外記が心をこめし此一軸(ぢく)。人の見ん事を恐(おそ)れ。此かけものゝ中にはりこみし密書(みつしよ)こそ。鬼貫仁木が國を乱(みだ)す一チ味連判(れんばん)。外記かねて。かの連判牒(てう)をうばひとるといへ共。忠心の士(さふらひ)すくなくして。奸侫(かんねい)の逆(きやく)」臣(しん)(いきほひ)〔ひ〕つよきをはかり。此連判帳を我手にわたし。善悪を糺(たゞ)しくれよとの忠臣。今此連判帳有るうへハ。これに載(のせ)たる名前をもつて。侫人ばらを退治(たいぢ)せんこと。わが胸中(きやうちう)にあり。井筒(いつゝ)参れと呼ぶ声に。立出る井筒女之介両手をついて申けるハ。それがし仁木が奸計(かんけい)におとされ。すでに死罪(しざい)に極りしを。渡辺外記が一言ンにより。あやふき命たすかり。當家へ引わたされしその日より。何とぞ一ツの功(こう)を立。萩の方の無実(むじつ)の悪名を。すゝぎ奉らんと存ぜし所。はからずも連ばん帳手に入からハ。すぐさま奥州へおしかけ。仁木はじめ悪人ばらの。首打すてんとかけ出スを」12 勝元しはしとおしとゞめ若気の短慮(たんりよ)無用/\我きく金花山の義士。頼かねを守護(しゆご)し。すでに軍勢(くんせい)をあつむるよし。今すてに善悪あらはれ。連判帳出るうへハ。干戈(かんくわ)をうこかし。民をくるしむるにおよはす。汝ハ是より金花山へ立こへ頼かねはしめ忠義のものへ申聞かせよ。我ハ是よりひかし山へ立越(こへ)。此おもむき言(こん)上し。事の落着(らくぢやく)こゝろみんといさみ立たる細川の。流(なが)れもふかき智仁勇(ちじんゆう)。是ぞまことのみちのくに。のこす忠義の水滸傳(すいこてん)。その名ハ末代千代萩の花の五色(ごしき)の五冊もの。とり合セたる一作(いつさく)ハ。是見物の目を取てはなしのたねと。なさハなしてん
高尾舩字文第五冊大尾」

是より末〓(こしもと)(にしき)か行末(ゆくすへ)。雷(いかづち)雀之介が落(らく)着谷蔵累(かさね)をころす段并ニ悪人(あくにん)退治(たいぢ)。國家(こつか)太平(たいへい)のおわりまですべて水滸傳(すいこでん)の趣意(しゆい)に擬(もとつ)き。艸稿(したかき)満尾(まんひ)すといへども。巻数(くわんすう)(おほ)くして。閲者(みんひと)の煩(わづら)はしからん事をはかり。しはらく後篇(こうへん)にゆつりて爰(こゝ)にもらす猶後篇出るの日前後を看合(みあは)てその意(い)を味(あちは)ひ給ふへし。

船字文(せんじもん)/後篇(こうへん)・水滸累談子(すいこかさねだんす) 中本五冊/曲亭馬琴作 近刻

江戸通油町  蔦屋重三郎 版」13了

刊記

# 「説林」第43号(愛知県立大学国文学会、1995年)所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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