江戸読本が歌舞伎や浄瑠璃の原作としての題材を提供したことは知られているが、歌舞伎の場合、文化期に上方での上演が盛んになった。その契機となったのは、感和亭鬼武作『自来也説話』(文化3)で、文化4年(1807)9月に大阪角座で『柵自来也談』として上演された。これに続いて曲亭馬琴の読本が次々と歌舞伎化されることになるのであるが、その最初が『三七全傳南柯夢』(文化5年、木蘭堂板)である。馬琴自身の言説ではあるが『近世物之本作者部類』(木村三四吾編、1988年、八木書店))に記すところに拠れば、文化4年に著述した読本を列挙した後に次のようにある。
南柯夢ハ榎本平吉板也。明年〔戊辰〕の春三月下旬に至て製本發販せしに時に後れたれハや發販の日僅に二百部賣れたり。板元榎本平吉色を失て駭嘆せしにこの書の世評漸々に聞えて看官請求めさるものなかりしかハ貸本屋等これなくてハあるへからすとて皆買とりて貸す程に初秋に至る比及に賣出すこと一千二百部也といふ。板元の歓ひ知るへし。その行はるゝこと只江戸のみならす京浪花もこれに同し。この年の秋九月大坂道頓堀中の芝居にてこの讀本の趣を狂言にとり組て名題を舞扇南柯話といふ。九月十七日より開場せしに看官日々に群聚せさることなく稠乎として錐を立る地もなかりしとそ。市川團藏笠松平三に粉せしかこの狂言中に没せしかハそか代りを大谷友右衛門になさしめたり。〔この折友右衛門か本役ハ赤根半六なりき。又赤根半七ハ嵐吉三郎三勝ハ叶a子なりと聞えたり。〕この比大坂の細工人三勝櫛といふものを作り出せしを彼地の婦女子愛玩しけり。そハ高峯の木櫛に大柏の紋なとを蒔繪にしたる也。明年己巳の早春京の書賈大菱屋宗三郎山科屋次七合刻にて南柯話飛廻り雙陸といふものを印行して一時大く行はれたりといふ。又大阪の書賈河内屋太助南柯話の歌舞伎狂言の正本〔画入彩色摺前後二編八冊〕を印行したり。江戸人ハ見しらぬ俳優の肖像なれハさまて行はれさりけれとも京浪華より西ハ是亦大く行はれたりといふ。 (中略) この年秋より冬に至て曲亭のよみ本を浪速にて歌舞伎狂言にせしもの四座五たひに及へり。當時の流行想像すへし。
『南柯夢』は、文化5年正月の発売に間に合わなかったため、出来当初は売行が芳しくなかったが、次第に評判になり秋までに1200部も売れたと記す。さらに、例に拠ってやや自慢話めいた口吻ではあるが、上方において9月には『舞扇南柯話』(日本戯曲全集第36巻『情話狂言集』、1932年、春陽堂所収。初演時の役割番附の図版1図を掲載する)として歌舞伎化され、櫛や双六まで売り出されて大評判になったと、その流行の様子を詳しく記している(河太板の「歌舞伎狂言の正本」とは絵入根本のことであろうか原本の確認は出来ていない)。
さて、ここに紹介する「笠つくし褒め詞」は、文化5年9月初演『舞扇南柯夢』(7幕)の興行に併せて『南柯夢』の板元である木蘭堂から出され、馬琴自らが筆を採った「笠づくし」の戯文で、「褒め言葉」に擬した非売品の広告用小冊子である。原作と同様に葛飾北齋が画工を務めている。
実は、この資料については早くに、明治22年刊の戯文集『小説文範』第貳編(洋装1冊、明治22年9月17日印刷/同年9月18日出版/編纂兼發行者 大阪府西區京町堀通2丁目136番屋敷 吉田伊太郎/印刷者 同東區北濱2丁目76番屋敷 阪部清二郎/發兌元 大阪京町堀通2丁目 大華堂。)で、「○小説中の妙文辭250餘、○和漢洋古哲名言240餘」を蒐たものに、「○笠づくしほめ詞 曲亭馬琴」として紹介され、翻刻が収められている。国会図書館蔵(特22・219)。
◆拙稿「近世後期小説受容史試論−明治期の序文集妙文集をめぐって−」(国文学研究資料館編『明治の出版文化』、2002年3月、臨川書店)参照。
また、『風俗畫報』第31號、明治24年8月10日、東陽堂發行。「○器財門」に
●馬琴の笠づくし 天幸堂亥子として翻刻されている。
文化五年九月はじめ大坂中の芝居にて曲亭翁が著せし三七全傳南柯夢といふよみ本を種として俳優達が狂言せしに大當りなりと聞て翁左の文章をおくられけるその摺物わづか紙數三枚にて表紙は人物三人立の北齋の畫なれどわれ繪をかくすべを知らねば寫しとり得ねば文章ばかりを漫録の片はしに出しぬされば三勝半七の芝居は此時よりはしまりしこと明かなり板元は深川森下町木蘭堂榎本平吉とありて摺物には不許賣買とあれば配りものにせしなるべし
【書誌】
体裁 共紙表紙仮綴(23.9×17cm) 全3丁
表紙 四周枠内に大柏の紋を散らし、中枠内上部に三升・轡十字に友・叶・吉の紋を並べに半六(二代 大谷友右衛門)・半七(二代 嵐吉三郎)・三勝(三代 叶a子)を似顔で描く。墨以外に黄色・藍色・灰色が板彩色されている。右下枠外に「不許賣買」。
外題 「大坂中の芝居\惣座中を誉る\笠つくし」
作者 江戸 曲亭馬琴述・葛飾北齋画
板元 江戸深川森下町 榎本平吉(木蘭堂)
筆耕 駒 知道
剞[厥刀] 小泉新八
広告 藍色摺にて『旬殿實實記』の出板予告(三ウ)
刊年 文化五年九月吉日
伝来 エマニュエル・トロンコワ(蔵書印)旧蔵(クリストフ・マルケ「エマニュエル・トロンコワと明治中期の洋画壇」、『美術研究』386号、2005年6月 参照)。
所蔵 パリ装飾美術館図書室〔Biblioth`eque Musee des Arts Decoratifs, Paris〕所蔵。(請求番号 A325)
【翻刻】
大坂中の芝居
惣座中を誉る
笠つくし
芦がちる。芦の穂笠をさす潮も。浪速の秋に大
江戸の。その花笠を植かえて。見る人あかね半七を。三
かつしかゞうつし繪に。みのと笠屋ハおのが名の。蓑笠
が筆のすさみさへ。たま/\時に大已貴。大黒傘の
番附も。九九重陽〔を初〕)日とハ。かねて噂をきく月に。
先評判を東坡笠。群集ハ其処にみつの浦。敷浪たてし
入舩の。舩と舩との大あたり。作者ハ名にし竹子笠の。孟宗」1ウ
ならぬ徳叟やら。いとおもしろく編笠に。綴あはせし鴬の。
ぬふてふ笠も新なる。筆の笠松蟻松の。二木の中の芝居
こそ。今市女笠花やぎて。梅がかゞ笠。紅葉傘。四季の詠
ぞ瓠形の。日傘青傘青丹よし。奈良ハ時代の陣笠に。
この手柏を大かしわ。臺笠建笠大仕懸。續井にかけし
[竹輪]篠の。細輪の圓笠。早乙女笠。曽太ろの塗笠丹波都が。
管の小笠の旅衣。お通が愛る麥藁笠の。麦にハ求食むら
雀も。恥て翅を布施の蝶。くろと同士の舞々ハ。足どりも」2オ
よき。足平脚平。その役やりハたれ/\ぞ。慢笠の三河屋ハ。
年の黄羅の傘蓋の。その立ものハ又類ひ。あらし李冠を
唐人笠も。その名ハしるやしら張傘。よしをあやめの斗笠
被て。西も東もみんなa子にきた桟敷。爪だにたゝぬ瓜折
傘。われからかさとさしかくる。相合傘の惣座中。いづれ
劣らず奇々妙々。つらねし袖笠肘笠の。あたり狂言かくれ
なき。隠れみの笠さぞかしと。東の果から聞てさへ。只見る
ごとく蛇の目傘。魂とんで天外に。いため渋笠[木ォ]と。」2ウ
立つくしつゝ大友笠に。八百よろ〔づ〕代と。壽きて言。
かくれなき隠れみの笠うちいでの
小槌そろへてあたりはづさず
菊月のはじめより大坂中の芝居にて予が近曽著したる南柯夢 てふよみ夲を種としてかしこに名たゝる俳優たちのものすと聞えし程に そが板元なりける木蘭堂のあるじがあはたゝしく來てしか%\のもの書て たべとみに板して浪花へおくりやりてんといふ此ころのはやり風におかされて この三日四日ハ筆とる事もおこたりがちなるにことのおもむきよく聞てよと 推辞ども許さずふかくも考得させざりしかバ拙きうへになほ拙きを心ある 浪花人に見られんハ恥かゞやかしきわざ也かし
この書ハいぬる夏の比。加賀屋何がしが。堺町にてせし。
猿牽与二郎の俳優ぶり。いとめづらか也けるを。大人
一日見にゆきて。ふかく嘆賞し。遂に件の狂言を種とし。
お旬殿兵衛が奇偶。與二郎が至孝。瀧口が仁慈。彼是
飜案して。一部の小説なりぬ。發兌の日ちかきにあれバ。
こゝに題目を標榜して。まづ看官に告たてまつり。猿牽の
きづなとゝもに。引て此書を見給はんことを祈るのみ。
〈1オ〉
〈1オ2ウ〉
〈2ウ3オ〉
〈3ウ〉
パリ装飾美術館図書室蔵 (Bibliotheque Musee des Arts Decoratifs, Paris)
【付記】 所蔵資料の翻刻掲載を許可下さったパリ装飾美術館にお礼申し上げます。また、調査を先導し掲載許可申請を代行して下さったマルケ氏にも心より感謝致します。
Je remercie la biblioth`eque du Musee des Arts Decoratifs de Paris de m'avoir autorise `a photographier et `a publier les documents de sa collection.
Je remercie egalement profondement le professeur Christophe Marquet de l'Institut national des langues et civilisations orientales pour m'avoir guide dans mes recherches et pour m'avoir aide `a obtenir cette autorisation.