『苅萱後傳玉櫛笥』−解題と翻刻−
高 木  元 

〈解題〉
本作は、葛飾北齋画で三巻三冊、文化四年に木蘭堂から刊行された。中本型読本としては丁数が多目であるが、六丁にも亙る「附言」が付されている。叙文には、文化三年春から夏にかけて北齋が馬琴宅に居たかと思わせる記述が見られ、その北齋に本作の執筆を勧められたとある。なお、文化六年頃、春亭画の合巻風絵題簽を付けた改題本『石堂丸苅萱物語』が出されている。
内容は説経節で有名な苅萱説話の後日譚として構想されたもの。中村幸彦氏は、これら枠組の典拠として仏教長編説話『苅萱道心行状記』(寛延二年)を指摘された(「読本発生に関する諸問題」、『中村幸彦著述集』第五巻所収)。地名や人名を始めとする苅萱説話からの要素は、多くが此本から取られているのである。一方、妾腹の子が成人後に父と対面するという展開は、中国白話小説『石点頭』の第一話「郭挺之榜前認子」か、もしくは抄訳本『唐土新話』(安永三年)を踏まえたものである(前述中村論文)
信州善光寺の親子地蔵の本地譚である苅萱説話には、妻妾の嫉妬、落花に無常を観じての発心、父子再会の折に名告れない等という有名な悲劇構成モチーフが散りばめられている。ところが、馬琴はその一切を捨ててしまい、恩愛別離という発心譚の持つ基本的なモチーフを払拭した上で、家族再会家門栄達という結末に向けた現世的な因果譚として再構成している。「縦佛家の忠臣といふとも、祖先の爲には不孝」(叙)という発想から、「縦作り設るものなればとて、義理に違へる談は、人も見るに堪ざるべく、われも實に作るに忍ず。」(附言)というのである。此処から直ちに馬琴の仏教批判を読むのは当らないと思われるが、斯様に合理化されているのである。
本作の前にも苅萱説話を趣向化した作品は幾つかあったが、とりわけ享保二十年豊竹座初演『苅萱桑門筑紫〓』の影響力が強かった。これは馬琴も何度か使っており、繁氏館の段「一遍上人絵伝」に拠るという妻妾の頭髪が蛇になって縺れ争う場面が、『盆石皿山記』前編(文化三年)では丑の時参りの姿絵から蛇が出る箇所で挿絵として視覚化されている。また、慈尊院の段女之介の淫夢は『松浦佐用媛石魂録』後編(文政十一年)でも利用され、更に『椿説弓張月』『俊寛僧都島物語』『南総里見八犬伝』でも趣向化されているのである(後藤丹治『椿説弓張月』上、岩波古典大系)。『筑紫〓』の改作で興味深いのが『苅萱二面鏡』(寛保二)年)という八文字屋本で、結末は石堂丸が十五歳に成ったら家督を譲って繁氏遁世、目出度し/\という具合で、浮世草子の定法通り祝言で締め括っている。
ところで、不可解なのが口絵の「忠常富士人穴に入」と「鍾馗靈をあらはして虚耗の鬼を捕ふ」の二図である。共に発端部に出てくるだけで本筋には関係しない。忠常の富士人穴探検の話は「附言」に引用されている通りに、胤長の伊東が崎の洞探検の話と共に『吾妻鏡』の建仁三年夏六月に見られる。一方、本文には出拠が示されていない「源性算術に自誇して神僧に懲さる」という挿話も、実は『吾妻鏡』正治二年十二月三日の条に見えているのである。本作の趣向上での『吾妻鏡』の位置は小さくない。
一方、「逸史」に見えるという虚耗を退治した鍾馗の挿話には、特別の興味があったらしく、「附言」で井沢蟠龍『広益俗説弁』を引きつつ考証しているが、早くも、享和元年の上方旅行の記録である『羇旅漫録』巻一「戸守の鍾馗」に、「遠州より三州のあひだ。人家の戸守はこと/\く鍾馗なり。かたはらに山伏某と名をしるしたるもあり[鍾馗のこと愚按ありこゝに贅せず]」と記していた。また、文化七年刊『燕石雑志』巻一「早馗大臣」でも触れ、『兎園小説』第九集(文政八年)にも輪池の考証を載せ、『耽奇漫録』には「清費漢源畫鍾馗」を出している。
「著述はわが生活の一助なり。この故にわが欲するところを捨て、人の欲するところを述ぶ。」(附言)と言いつつも、此等の考証を延々と続けざるを得なかったところに、馬琴流読本の行き方が暗示されていると思われる。

〈書誌〉

編 成 中本 三巻三冊  十八・九×十三・四糎
表 紙 黄色地に緑色で茅を描く
題 簽 左肩に短冊型文字題簽(十三・三×二・六糎) 子持ち枠の中に「苅萱\後傳・玉櫛笥 上(中下)」と白地に墨摺(底本には無し、内田保廣氏所蔵本に拠る)
見 返 深川鼠地墨摺 四周子持枠 中央に「苅萱後傳玉/櫛笥全三冊」 右に「曲亭主人著」 左に「葛飾北齋畫」 枠外上部に「丁卯春發兌」
序 題 有叙(「丙寅立秋後一日、飯台の馬琴みづから叙」)
目録題 總目録
内 題 苅萱後傳玉櫛笥(かるかやごでんたまくしげ)(中下)之巻
柱 刻  (魚尾) 玉櫛笥巻上(中下)   ○(丁付)
尾 題 苅萱後傳玉櫛笥上(中下)之巻畢
匡 郭 単辺 十五・六×十一・二糎
丁 付 上巻 叙二丁(1オ〜2ウ) 目録一丁(3オと5ウ) 口絵二丁 二図(3ウ〜5オ) 本文二十六丁(6オ〜31ウ) 計三十一丁
    中巻 本文二十一丁半(1オ〜22オ) 計二十一丁半
    下巻 本文十八丁(1オ〜18ウ) 附言六丁(19オ〜24ウ) 刊記半丁(裏表紙見返) 計二十四丁
行 数 叙七行 本文と附言九行
刊 記 文化四丁卯年/正月發販/深川森下町/榎本惣右衛門・同平吉/梓
印 記 上巻一丁表に、若狭小浜の貸本屋墨印がある。
その他 刊記に「高橋蠹輔刀」と彫師名が記されている。架蔵本は、題簽が剥離している以外は初板初摺時の体裁を留めていると思われ、保存も比較的良好である。表紙写真に使用させて頂いた内田保廣氏所蔵本は、下巻の裏表紙が改装されている以外は底本とほぼ同程度。尚、内田本は馬琴旧蔵本で、これを底本にした影印本が1980年に三弥井書店から出されている。
諸 本 文化六年頃「石堂丸苅萱物語」と改題され、鶴屋金助から春亭画の合巻風絵題簽をつけられて出される。更に、後になると半紙本仕立てに成り、口絵挿絵等は削除され分冊されてしまう。詳しくは、拙稿「中本型読本書目年表稿」(『江戸読本の研究』所収)に就いて頂きたい。
翻 刻 『曲亭馬琴翁叢書』(銀花堂、明治23年)に所収されているほか、明治20年代に単行本が四種ある。これらは読物として出版されたもので、原本の挿絵を描き直したり欠いたりしており、校訂にも問題がある。

〈凡例〉

一、基本的には原本の本文を忠実に再現するよう心掛けた。漢字も旧字俗字異体字にかかわららず、JIS「情報交換用漢字符号系」(所謂JIS漢字コード)第一第二水準に存する字体の場合は生かした。但し、コード化されていない字の場合は、同字と判断できる近似の字体を採用した。
 〓↓繁  〓↓答  〓↓憖  〓↓稽  〓↓蒙
 〓↓算  〓↓座  〓↓虚  〓↓穩  〓↓疑
 〓↓款  〓↓窗  〓↓事  〓↓宵  〓↓携
 〓↓總  廾↓廿  〓↓楫  〓↓柝  〓↓栴
 〓↓靈   ↓旨  〓↓華  〓↓誤  〓↓負
 〓↓歟   ↓最  〓↓雙  〓↓沈  〓↓甞
 〓↓形   ↓時  〓↓蔭  〓↓徳  〓↓
この他、JISに規定されていない字に就いては原本通りにした。
尚、これは問題の多いJIS漢字コードに義理立てしたわけではなく、本稿のテキスト(MS-DOS版)を公開する場合の便宜を考慮した為である。更に同様の趣旨から、敢えて字体の勝手な改竄で悪評高いJIS83年版(JIS X 0208)に準拠して作成した。
二、片仮名は、特に片仮名の意識をもって書かれていると思われるもの以外は平仮名に直した。
三、句読点には区別無く「。」が用いられているが、手を加えなかった。
四、表記上の誤りと思われる箇所は訂正せずに(ママ)と傍記した。
五、各丁に」印を付し、原則として各丁の裏に」15の如く丁数を示した。
六、表紙、見返し、口絵、挿絵は全て写真を掲載した。
七、割注は[ ]に入れて示したが、特に改行は記さなかった。
八、底本には架蔵の初板初摺本を使用した。但し、表紙の写真には内田保廣氏所蔵本を付させて頂いた。図版の使用を許された氏の御厚意に心より感謝申し上げます。

表紙 内田本表紙
              表 紙

自序・見返
      自序           見返

〈翻刻〉

有叙〔心思〕
丙寅年(へいゑんのとし)畫工(ぐわこう)北齋子(ほくさいし)。わが著作堂(ちよさだう)に遊(あそ)ぶこと。春(はる)より夏(なつ)のはじめに至(いたつ)て三四箇月(さんしかつき)。一日(いちにち)(よ)に謂(いつ)て曰(いはく)。甞(かつて)(きく)苅萱記(かるかやき)は。五説経(ごせつきやう)の一(いつ)にして。今(いま)なほ人口(じんこう)に膾炙(くわいしや)す。顧(おもふ)に作者(さくしや)寂滅(じやくめつ)を本意(ほゐ)とせり。是故(このゆゑ)に繁氏(しげうぢ)一城(いちじよう)の主(あるじ)として。妬婦(とふ)の妄想(もうさう)に慚愧(ざんぎ)し。卒尓(そつじ)として頭(かうべ)を圓(まろ)め。潛(ひそか)に高野山(かうやさん)に隱(かく)れて。煩悩(ぼんなう)を」脱離(だつり)すと稱(せう)す。且(かつ)その徒(と)の老幼(ろうよう)。これを追慕(ついぼ)して僧(そう)となるが如(ごと)きは。縦(たとひ)佛家(ぶつか)の忠臣(ちうしん)といふとも。祖先(そせん)の爲(ため)には不孝(ふこう)なるべし。宜(うべ)なるかな婦幼(ふよう)もこれを見る毎(ごと)に。なほ遺憾(いかん☆○ノコリオホシ)(すくな)からずとす。主翁(しゆおう)(もし)(かの)後傳(ごでん)を作(つく)らば。かならず閲者(みるもの)の快事(くわいじ)ならんといふ。余(よ)が曰(いはく)。凡(およそ)野史(やし)の説(せつ)。因果(いんぐわ)の両字(りやうじ)に根(もとづか)ざるはなし。しかれども作者(さくしや)の用心(ようじん)精細(せいさい)ならざるときは。動(やゝもす)れば勸懲(くわんちやう)その義(ぎ)に違(たが)ふこと」(1) あり。吾(われ)(した)しくその書(しよ)を閲(けみ)せずといへども。試(こゝろみ)にこれを續(つが)ん。遂(つひ)に遺漏(いろう)を纂輯(さんしう)して。稿(こう☆○シタガキ)を爲(つくる)こと五七日。橋梓(きやうしん☆○オヤコ)の再會(さいくわい)家門(かもん)の栄達(ゑいたつ)をもて結尾(けつび)とす。亦(また)(これ)(かぜ)を追(お)ひ影(かげ)を捕(とる)の談(だん)にして。群犬(ぐんけん)(こゑ)を吠(ほゆ)るの〓(そしり)をいかにせん。深(ふか)く架上(かしよう)に秘(ひめ)んとするに許(ゆる)さず。北子(ほくし)(かたはら)に在(あつ)てこれを圖(づ)し。書肆(しよし)豪奪(ごうたつ☆○ムリニトル)して繍梓(しうしん)(すで)に成(な)る。因(よつ)て顔(がん)して苅萱(かるかや)後傳(ごでん)玉櫛笥(たまくしげ)といふ。夫(それ)玉櫛笥(たまくしげ)とは何(なん)ぞや。父子(ふし)」夫婦(ふうふ)ふたゝびあふの日(ひ)。頭髪(づはつ)を剃除(ていぢよ)せずして〓梳(へんしよ☆クシ)を用(もちふ)るの謂(いひ)なり。被閲(ひえつ)の君子(くんし)(まづ)題目(だいもく)を認得(みしりえ)て。彼此(ひし)の説(せつ)を爲(なす)ところ。宜(よろし)くその異(こと)なるをしりたまふべし。丙寅(へいゑん)立秋(りつしう)(のちの)一日。飯台(はんたい)の馬琴(ばきん)みづから叙(じよす)。〔曲亭主人〕〔乾坤一草亭〕」 2

総目録・自序
      總目録          自序

總目録(そうもくろく)
〈一上〉源性(げんしよう)が算術(さんじゆつ)繁光(しげみつ)が射法(しやほふ)功拙(こうせつ)によつて賞罰(しようばつ)を蒙(かうふ)る事(こと)
〈一下〉水城堤(みづきのつゝみ)に繁光(しげみつ)千引(ちびき)親子(おやこ)をすくふの後(のち)暴雨(ばうう)こゝろなくしてよく媒(なかだち)をいたす事(こと)
〈二上〉千引(ちひき)石堂丸(いしだうまる)を産(うめ)るころ漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)丹助(たんすけ)を撃(うつ)て立退(たちのく)(こと)

口絵第一図
口絵第一図 忠常(たゞつね)人穴(ひとあな)に入(いる)(3ウ4オ)

口絵第二図
口絵第二図 鍾馗(しようき)(れい)をあらはして虚耗(きよがう)の鬼(おに)を捕(とら)(4ウ5オ)

〈二下〉千引(ちびき)が苦節(くせつ)によつて石堂丸(いしだうまる)地藏菩薩(ぢざうぼさつ)の冥助(みやうぢよ)を禀(うけ)鎌倉(かまくら)へ旅(たび)たつ事(こと)
〈三〉石堂丸(いしだうまる)千鈞(せんきん☆○カサネ/\)の仇(あた)を撃(うつ)て父(ちゝ)と雙(ならん)で名(な)を揚(あげ)(いへ)を興(おこす)によつて千引(ちびき)ふたゝび繁光(しげみつ)にあふ事(こと)
 全本(ぜんほん)三冊(さんさつ)總目録(そうもくろく)(をはり)」 5

巻頭・総目録
       巻頭          總目録

苅萱(かるかや)後傳(ごでん)玉櫛笥(たまくしげ)上之巻  曲亭馬琴戲編

  ○源性(げんせう)が算術(さんじゆつ)繁光(しげみつ)が射法(しやほふ)巧拙(こうせつ)によつて
   おの/\賞罰(せうばつ)を蒙(かうむ)る事(こと)

(いま)はむかし。従二位(じゆにゐ)(みなもとの)朝臣(あそん)頼家(よりいへ)(きやう)。鎌倉(かまくら)將軍(せうぐん)たりしとき。天下(てんか)(しばら)く無異(ぶゐ)に属(しよく)して。君臣(くんしん)安寧(あんねい)なりき。しかれども將軍(せうぐん)(け)御年(おんとし)わかくおはしませしかば。よろづ我意(がゐ)にまかして。理世(りせ)安民(あんみん)の政(まつりごと)は。露(つゆ)ばかりも心にかけ給はず。或(あるひ)は放鷹(ほうよう☆タカヽリ)漁猟(ぎよりやう☆○スナトリ)に日を送(おく)り。或(あるひ)は伎術(ぎじゆつ)薄藝(はくげい)に夜(よ)をあかし。且(かつ)(き)を」好(この)み物(もの)に泥(なづ)み給ひし程(ほど)に。建仁(けんにん)三年夏(なつ)六月。和田平太(わだのへいだ)胤長(たねなが)を。伊豆(いづ)の伊東(とう)が崎(さき)の洞(ほら)に入(い)れ。仁田四郎(につたのしらう)忠常(たゞつね)を。冨士(ふじ)の人穴(ひとあな)に入れて。その奥源(おうげん)を究(きはめ)さし給ふ。胤長(たねなが)忠常(たゞつね)(さいはひ)にして性命(せいめい)(つゝか)なく帰(かへ)り來(く)ることを得(え)たりといへども。忠常(たゞつね)が従者(ともひと)五六人。洞(ほら)の中(うち)に横死(わうし)せり。これ世もつてしるところ也。かく假初(かりそめ)の遊興(ゆうきやう)に家人(かにん)の艱苦(かんく)を顧(かへりみ)給はざれは。恨(うらみ)を含(ふくむ)ものも多(おほ)くて。氏神(うぢかみ)にも見はなされ給ひけん。鎌倉(かまくら)の営中(ゑいちう)に於(おい)て。しば/\あやしき事(こと)なんありける。しかるに頼家卿(よりいへきやう)(つね)に愛玩(あいくわん)し給ふ黄金(こがね)の鈴(すゞ)二ッあり。むかし唐(たう)の玄宗(げんそう)皇帝(くわうてい)。春(はる)の鳥(とり)」 6 の心(こゝろ)なくて。花(はな)を散(ちら)すを憎(にく)み。黄金(こかね)の鈴(すゞ)を夥(あまた)木の枝(えだ)に著(つけ)さし給ふに。その鈴(すゞ)(かぜ)の随(まに/\)(ね)を發(はつ)せり。鳥(とり)はこれに驚(おどろ)きて花(はな)に近(ちか)づくことなし。これを護花鈴(ごくわれい)と名(な)つくるよし。天寳遺事(てんほういじ)に見ゆ。今(いま)の二ッの鈴(すゞ)もその類(たぐひ)なりけん。則(すなはち)天宝(てんほう)[玄宗帝の年号]の年号(ねんごう)を彫刻(ちやうこく)して。異朝(いちやう)傳来(でんらい)の奇物(きぶつ)なれは。近従(きんじう)の士(さふらひ)にも打(うち)まかし給はず。御座(ござ)ちかく秘(ひめ)おかせ給ひつるに。ある朝(あした)頼家卿(よりいへきやう)。みづから鈴(すゞ)をいれたる箱(はこ)を開(ひらき)て見給ふに。いつの程(ほど)にか失(うせ)たりけん。裡(うち)にはたえて物(もの)もなし。こはゆゝしき椿事(ちんじ)なりとて。有司(ゆうし)に仰(おふせ)て。嚴(あまね)く穿鑿(せんさく)せさせ給ふに。終(つい)にその往方(ゆくへ)を」しらず。時(とき)に太輔坊(だいぶぼう)源性(げんせう)といふもの。卜筮(ぼくせい)算術(さんじゆつ)の聞(きこ)え世(よ)に高(たか)し。元(もと)は洛(みやこ)にありて仙洞(せんとう)に伺候(しこう)し。進士(しんし)左衛門尉(さゑもんのぜう)(みなもとの)整子(まさたね)と号(ごう)し。儒学(じゆがく)に耽(ふけ)り。翰墨(かんぼく)に長(ちやう)じ。後(のち)に入道(にうどう)して近曽(ちかごろ)鎌倉(かまくら)に下向(けこう)し。將軍家(せうぐんけ)に召出(めしいだ)されて。近従(きんじう)出頭時(しゆつとうへとき)めきけり。さるによつて頼家卿(よりいへきやう)。この源性(げんせう)に仰(おふせ)て。鈴(すゝ)の在所(ありか)をうらなはし給ふ。抑(そも/\)太輔坊(たいふほう)源性(げんせう)が。卜筮(ぼくぜい)算術(さんじゆつ)の名(な)。世(よ)に高(たか)くなりし縁故(ことのもと)を尋(たづぬ)るにひとゝせ奥州(おうしう)伊達郡(だてごふり)に境論(さかいろん)ありけり。そのとき實檢(じつけん)の爲(ため)に源性(げんせう)をつかはされたるに。元來(もとより)暦算(れきさん)その妙(みやう)を究(きはめ)しかば。錯(たがへ)るを談(たん)じ。疑(うたかは)はしきを決(けつ)し。是非(ぜひ)明白(めいはく)に批判(ひはん)せし程(ほど)に。」 7 論議(ろんぎ)忽地(たちまち)に止(やみ)て。双方(そうほう)感伏(かんふく)す。源性(げんせう)はわれながらよくもしつるものかなと自誇(じふ)して。それより道(みち)の叙(ついで)よければ。松嶋(まつしま)を一見(いつけん)せばやとおもひて。彼処(かしこ)に赴(おもむけ)ば。松(まつ)の林(はやし)の中(うち)にいとあやしき庵(いほり)あり。折(をり)ふし日(ひ)も暮(くれ)にければ。こゝに宿(やどり)を求(もとむ)るに。主(あるじ)の老僧(ろうそう)信々(まめ/\)しく歡待(もてな)して。通宵(よすがら)種々(しゆ/\)法問(ほうもん)を論辨(ろうべん)するに博学(はくがく)宏才(くわうさい)みな源性(げんせう)が聞(きか)ざる所(ところ)にあり。こゝをもて源性(げんせう)(ひそか)に憤(いきどほり)おもひ。声(こゑ)をふり立(たて)ていふやう。凡(およそ)学者(がくしや)。口才(こうざい)に闌(たけ)たるあり。又(また)筆談(ひつだん)に長(たけ)たるあり。これ人の巧拙(こうせつ)によるにもあらず。おの/\その得(え)たるところあればなり。もしわが得(え)たる所(ところ)を談(だん)ぜば。算術(さんじゆつ)に」
挿絵第一図
挿絵第一図 源性(げんせう)算術(さんじゆつ)に自誇(じふ)して神僧(あやしきそう)に懲(こら)さる(8ウ9オ)
しくことなしといふ。老僧(ろうそう)冷咲(あざわらひ)て。樹頭(きのかしら)の棗(なつめ)を数(かぞ)へ。洞中(ほらのなか)の水(みづ)を計(はか)るなんどは。黄口(くわうこう)の童子(どうじ)もよくこれをなす。わが算術(さんじゆつ)は龍猛(りうもう)大士(だいし)の行(おこな)ひ給ひし。隱形(いんぎやう)の術(じゆつ)といふともなほ難(かた)しとせず。貴僧(きそう)いかでかよく窺(うかゞ)ひしるべきやはとて。いとほこりかに罵(のゝし)るにぞ。源性(げんせう)いよ/\安(やす)からずおぼえて。汝(なんぢ)荒唐(くわうたう)の言(こと)をもて人を威(おど)すは。所謂(いはゆる)(ゐ)の底(うち)の蛙(かひる)。鳥(とり)なき嶋(しま)の蝙蝠(かはほり)にひとし。今(いま)の世(よ)にして源性(げんせう)が右(みぎ)に出(いづ)る算者(さんじや)あるべうもおぼえすといふを。老僧(ろうそう)いよ/\冷咲(あざわらひ)て。かくまで疑(うたが)はゞ。驗(しるし)(み)せ候べしといひもあへず。算木(さんぎ)をとり出(いだ)して。源性(げんせう)が座(ざ)のめぐりに」 9 置(おき)わたせは。源性(げんせう)忽地(たちまち)(こゝろ)まどひ。神(たましひ)くらみて朦霧(もうむ)の中(うち)にあるがごとく。須臾(しゆゆ)にして菴(いほり)の中(うち)。みる/\変(へん)じて大海(だいかい)となり。圓座(ゑんざ)は峙(そばたち)て盤石(ばんじやく)となり。蓆(むしろ)は翻(ひるがへ)りて逆波(げきは)と見え。身(み)は只(たゞ)踉々(らう/\)蹌々(そう/\)として。浮沈(ふちん)(さら)に生死(せうし)の際(さかひ)をわきまへず。ゆるし給へゆるし給へと叫(さけび)けり。しばしありて主人僧(あるじのそう)。いかに慢心(まんしん)(いま)は後悔(こうくわい)ありやと問(とふ)に。源性(げんせう)(しきり)に怕(おそ)れまとひて。後悔(こうくわい)せり/\はやく術(じゆつ)をもどし給へとて勸解(わび)たりけるに。漸(やうやく)にして風波(ふうは)おさまり遂(つひ)に舊(もと)の庵(いほり)となりて。明月(めいげつ)(まど)に皎々(けう/\)たり。あまりの奇特(きどく)に感激(かんげき)し。只顧(ひたすら)傳受(でんじゆ)を望(のぞみ)しかど。老僧(ろうそう)一切(つや/\)うけ引(ひか)す。わか」術(じゆつ)は末世(まつせ)下根(げこん)の人の爲(ため)に授(さづけ)がたし。貴僧(きそう)その才(さい)に誇(ほこ)ることなくは。今(いま)より学術(がくじゆつ)大にすゝむべし。とく/\帰(かへ)りたまへといそがしたつるに推辞(いなみ)がたく。拝(はい)しわかれて鎌倉(かまくら)に帰着(きちやく)し。頼家卿(よりいへきやう)にありし事どもを聞(きこ)え奉(たてまつ)れば。頼家卿(よりいへきやう)聞食(きこしめし)て。汝(なんぢ)その僧(そう)を伴來(ともなひこ)ざるこそ越度(をちど)なれ。こは狐(きつね)などに妖(ばか)されつらんと宣(のたま)ひて。敢(あへて)竒特(きどく)ともし給はざる氣色(けしき)なりしが。源性(げんせう)が算術(さんじゆつ)は。このゝち大にすゝみけるとぞ。かゝる名誉(めいよ)の人なれば。この源性(げんせう)に仰(おふ)せて。今度(こんど)紛失(ふんしつ)せし二ッの鈴(すゞ)をうらなはし給ふに。しばし考(かんがへ)て申すやう。件(くだん)の鈴(すゞ)は鬼(おに)の爲(ため)に盗去(ぬすみさ)らる。但(たゞ)し」10 大樹(だいじゆ)の武威(ぶゐ)灼然(いやちこ)なれば。盗(ぬすむ)といへども遠(とほ)くかくすことを得(え)ず。今(いま)(げん)に鶴岡(つるがおか)社頭(しやとう)なる大銀杏(おほいてう)の杪(こすゑ)。第三(だいさん)(だい)四の枝(えだ)に掛(かけ)おきぬ。むかし唐朝(もろこし)玄宗(げんそう)皇帝(くわうてい)の時(とき)にもかゝる例(ためし)あり。逸史(いつし)に云(いはく)明皇(めいくわう)[すなはち玄宗帝]の開元(かいげん)年中(ねんぢう)。武(ぶ)を驪山(りさん)の翠華(すいくわ)に講(こう)ず。帝(みかど)[玄宗]よろこばずして還(かへ)る。因(よつ)て心地(こゝち)異例(ゐれい)して昼(ひる)(ひとつ)の小(ちひさ)なる鬼(おに)を夢(ゆめ)み給ふ。その爲体(ていたらく)あかき犢鼻(ふんどし)を著(つけ)。一足(かたあし)は跣(すあし)に。一足(かたあし)は履(くつは)き。腰(こし)に一履(いつそくのくつ)を懸(かけ)手に破(やれ)たる〓扇(たけのかはのうちわ)を把(もち)。揚貴妃(ようきひ)か繍香嚢(にほひふくろ)と帝(みかど)の玉笛(ふえ)とを盗(ぬす)んで。殿中(でんちう)を繞(めぐり)て奔戲(ほんけ)せり。帝(みかど)これを叱(しかつ)て故(ゆゑ)を問(とひ)給ふに。彼(かの)(おに)(そう)して。われは虚耗(きよがう)也と」申す。帝(みかど)いよ/\怪(あやし)みて。朕(ちん)いまだ虚耗(きよがう)の名(な)を聞(きけ)ることなしと宣(のたま)へば。鬼(おに)(また)(そう)すらく。虚(きよ)は空虚(くうきよ)の中(うち)に望(のぞん)て。人(ひと)の物(もの)を盗(ぬす)む事(こと)(たはふ)るゝがごとし。耗(がう)はすなはち人(ひと)の家(いへ)を耗(やぶつ)て。喜事(よきこと)を憂(うれひ)となすもの是(これ)なり。と申せば。帝(みかど)大に怒(いかつ)て。武士(ぶし)を召(め)さんとし給ふ折(をり)しも。俄(にはか)にして一(ひとつ)の大鬼(おほおに☆○ユウレイ)(あらは)れ出(いづ)。その形(かたち)(やれ)たる帽子(ほうし)を頂(いたゞ)き。藍袍(あをきほう)を衣(き)。角(つの)の帯(おび)を繋(しめ)。朝靴(でんちうぐつ)を〓(はき)。件(くだん)の小鬼(こおに)を捉(とらへ)。劔(けん)を抜(ぬい)てまづその目子(めのたま)をくり抜(ぬき)。遂(つひ)に擘(つんざき)てこれを啖(くら)ふ。帝(みかど)その大(おほい)なる者(もの)を召(めし)て。汝(なんぢ)は何人(なんひと)ぞと問(とひ)給へば。跪(ひさまづい)て奏(そう)すらく。臣(しん)は終南山(しうなんざん)の進士(しんし)鍾馗(せうき)なり武徳(ぶとく)年中(ねんぢう)。」11 應擧(おうきよ)(すみやか)ならざるを羞(はぢ)て故郷(こきやう)に帰(かへ)り。殿(でん)の階(おばしま)に觸(ふれ)て死(し)す。そのとき帝(みかど)緑袍(みどりのほう)を賜(たまは)りて厚(あつ)く葬(ほうふら)したまひぬ因(よつ)て恩(おん)を感(かん)じ誓(ちかひ)を發(はつ)し。王(わう)の爲(ため)に天下(てんか)の虚耗(きよがう)。妖〓(ようせい)の事を除(のぞ)くものなりといひ訖(をは)るに。忽然(こつぜん)として帝(みかど)の夢(ゆめ)(さめ)給ひ。異例(ゐれい)も又隨(したがつ)て平愈(へいゆ)ありしかば。畫工(ぐわこう)呉道士(ごどうし)に詔(みことのり)して鍾馗(せうき)の形(かたち)を圖(づ)せしめ給ふ。後世(こうせい)本朝(ほんちやう)に傳(つた)へて。畫家(ぐわか)往々(わう/\)これを圖(づ)し。門戸(もんこ)に貼(はり)て邪鬼(じやき)を退(しりぞ)くるといふもの是(これ)なり。顧(おもふ)に今(いま)。営中(ゑいちう)の鈴(すゞ)を盗去(ぬすみさる)ところのものも。虚耗(きよがう)の邪鬼(じやき)なり。もしかる/\しく鈴(すゞ)をとらし給ふときは。大なる祟(たゝり)」あり。その家(いへ)三代(さんだい)弓馬(きうば)の妙奥(みやうおう)を究(きはめ)たる武士(ぶし)に仰(おふせ)て。射(い)とらし給はゝ。万(まん)に一ッも祟(たゝり)あるまじと申す。頼家卿(よりいへきやう)縁由(ことのよし)を聞食(きこしめし)て。彼(かの)銀杏(いてう)の高(たか)さ。凡(およそ)(ち)を離(はな)るゝこと。いかばかりあるへきと問(とひ)給ふに。源性(げんせう)ふたゝび考(かんがへ)て。木(き)の高(たか)さは十五丈(ぢやう)四尺七寸八分(ぶ)あり。第四(だいし)の枝(えだ)は東(ひかし)へさして。十一丈(ぢやう)二尺八寸。第(だい)三の枝(えだ)は南(みなみ)へさして十二丈五尺一寸九分(ぶ)三厘(りん)ありと申す。これによつて次(つぎ)の日(ひ)に。頼家卿(よりいへきやう)。鶴岡(つるがおか)へ社參(しやさん)ありて。銀杏(いてう)の杪(こずゑ)を御覧(ごらん)ずるに。この樹(き)幾百年(いくもゝとせ)を經(へ)たりけん。亭々(てい/\)として雲(くも)に交(まじは)り枝葉(えだは)参差(しんし☆○イレチカヒ)として鈴(すゞ)は何処(いづこ)にありとも見究(みきは)めがたけれど。遠目鏡(とほめがね)」12 をもて見そなはするに。是(これ)かとばかりおぼふもの。第三(だいさん)第四(だいし)の枝(えだ)にあり。さて何人(なにびと)に仰(おふせ)て射(い)とらすべきとおぼして。左右(さゆう)を見(み)かへり給ふに。頼朝卿(よりともきやう)より相傳(さうでん)の弓(ゆみ)とりは。おほく死亡(しにうせ)。たま/\生残(いきのこ)れるも。老〓(おひさらばひ)てかゝるとき物(もの)の用(よう)にたつべうもあらず。こゝに近従(きんじう)の士(さむらひ)に。加藤(かとう)新左衛門(しんざゑもん)繁光(しげみつ)といふ壯佼(わかもの)ありけり。これは人皇(にんわう)七十五代(だい)。崇徳院(しゆとくいん)の御宇(ぎよう)に。筑前國(ちくぜんのくに)那河郡(なかごふり)。博多(はかた)の領主(れうしゆ)たりし。加藤(かとう)左衛門尉(さゑもんのぜう)繁氏(しげうぢ)入道(にうとう)の孫(まご)なり。祖父(おほぢ)繁氏(しげうぢ)は。嫡室(ほんさい)傍妻(そばめ)の嫉妬(しつと)によつて浮世(うきよ)を觀(くわん)じ。髻(もとゞり)剪捨(きりすて)て高野山(こうやさん)に隱(かく)れしかば。その子(こ)石堂丸(いしだうまる)(ちゝ)の跟(あと)を慕(した)ふて彼(かの)
挿絵第二図
挿絵第二図 鶴岡(つるがおか)に頼家(よりいへ)源性(げんせう)を賞(せう)し繁光(しげみつ)を罰(つみ)し給ふ(13ウ14オ)
(やま)に攀登(よぢのぼ)り。一家(いつけ)の男女(なんによ)(あまた)出家(しゆつけ)せし程(ほど)に。その家(いへ)(つひ)に断絶(たんぜつ)す。しかるに繁氏(しげうぢ)の遺腹子(わすれがたみ)氏助(うぢすけ)といひし人。そのとき妾(てかけ)の親里(おやざと)にて出生(しゆつせう)し。成長(せいちやう)のゝち。いかにもして絶(たえ)たる家(いへ)を興(おこ)さんとするの志(こゝろざし)はありながら。時(とき)を得(え)ざればいよ/\窶(やつ/\)しくて筑紫(つくし)に居住(きよぢう)し。年來(としごろ)石堂口(いしだうぐち)の地藏(ぢざう)(ぼさつ)を祷(いの)りける折(をり)しも源平(げんへい)の合戦(かつせん)(おこ)りて。西海(さいかい)(おだやか)ならざれば。氏助(うぢすけ)やがて源氏(げんじ)の陣(ぢん)に馳加(はせくはゝ)り。軍功(ぐんこう)抜群(ばつくん)なるをもて。天平(てんか)一統(いつとう)のゝち頼朝卿(よりともきやう)氏助(うぢすけ)を近臣(きんしん)に召(め)され。一処懸命(いつしよけんめい)の地(ち)を宛行(あておこなは)れたり。さる程(ほど)に氏助(うぢすけ)夫婦(ふうふ)は近曽(ちかごろ)(よ)を去(さ)りて。一子(いつし)繁光(しげみつ)。二世(にせ)将軍(せうぐん)頼家卿(よりいへきやう)」14 に仕(つかへ)。心ざま父(ちゝ)に劣らねば。奉公(ほうこう)ます/\等閑(なほざり)ならず。今茲(ことし)廿六才(さい)なり。射藝(しやげい)は祖父(おほぢ)繁氏(しげうぢ)の箕裘(ききう)を承(うけ)て。三世(さんぜ)その妙奥(みやうおう)を究(きはめ)。百發(ひやくはつ)かならず百中(ひやくちう)の手段(しゆだん)あり。この人供奉(ぐぶ)して君邉(くんへん)に侍(はべ)りければ。頼家卿(よりいへきやう)(かの)(すゞ)を射(い)てとらんものは。繁光(しげみつ)ならて別(べち)にあるべうもあらずとおぼして。その事(こと)を命(めい)じ給へば。繁光(しげみつ)(こたへ)申すやう。射藝(しやげい)は三代(だい)(いへ)に傳(つた)へて。小的(こまと)大的(おほまと)。射鳥(かけとり)。犬追物(いぬおふもの)。或(あるひ)は歩射(かちゆみ)。遠射(とをがけ)。照射(ともし)。戲射(さいだて)に至(いた)るまで。人なみには覚悟(かくご)つかまつれりといへども。これは尋常(よのつね)に品(しな)かはりて。離婁(りろう)が眼(め)をもて見るとも。定(さだ)かならざる杪(こずゑ)の鈴(すゞ)を。いかにして」射(い)ておとし候べき。ねがはくは別人(べちじん)に仰(おふせ)つけらるべうもやと申もあへぬに。頼家卿(よりいへきやう)氣色(けしき)(かは)りて。やをれ繁光(しげみつ)。后〓(こうげい)は日を射(い)ておとし。李克用(りこくよう)は針(はり)の孔(あな)を穿(うがつ)。彼(かれ)も汝(なれ)も共(とも)に一箇(いつこ)の丈夫(ますらを)なり。すべてとほし矢(や)は十六丈(じやう)をもて限(かぎ)りとす。今(いま)この木(き)の枝(えだ)(きはめ)て高(たか)しといへども十二丈(ぢやう)に過(すぎ)ず。本朝(ほんちやう)の武士(ぶし)。弓勢(ゆんぜい)十六町(てう)に及(およ)ふもの。往々(わう/\)國史(こくし)に見(み)えたり。夫君(それきみ)の禄(ろく)を受(うけ)て。妻子(さいし)を養(やしな)ふは何(なん)の為(ため)ぞ。かゝるときの用(よう)にもたつべき爲(ため)ならずや。射(い)て及(およ)ばずは已(やみ)なんのみ。汝(なんぢ)(い)ずして辞退(ぢたい)するは不忠(ふちう)なり未練(みじゆく)なり。只今(たゞいま)(み)の暇(いとま)を取(とら)するなれば。鍛錬(たんれん)工夫(くふう)(とし)を積(つ)み。物(もの)の用(よう)にも立(たつ)べくは。その時(とき)に」15 帰參(きさん)せよ。とく/\退出(まうで)候へとていたくいひ懲(こら)し給へば。繁光(しげみつ)(ふか)く面目(めんもく)をうしなひて。忽地(たちまち)(いへ)に追(おひ)かへさる。かゝりしかば頼家卿(よりいへきやう)は。誰(たれ)にもあれ件(くだん)の鈴(すゞ)を射(い)てとらんものは。過分(くわぶん)の恩賞(おんせう)(ある)べしと觸(ふれ)さし給ひしかど。もし射(い)(そん)じたらんには。憖(なまじい)に身(み)の大事(だいじ)に及(およ)ぶべしと猶豫(ゆうよ)して。われかけとらんといふものもなし。さればとて杣(そま)を入(い)れ。木(き)を伐(きり)て鈴(すゞ)をとるときは。祟(たゝり)ありと源性(げんせう)が申とゞむる所(ところ)も黙止(もだし)がたく。事(こと)(すで)に難義(なんぎ)に及(およ)びて。且(しばら)く鈴(すゞ)をとるべき沙汰(さた)はやみぬ。抑(そも/\)今度(こんど)頼家卿(よりいへきやう)。愛玩(あいくわん)し給ふ護花鈴(はなのすゞ)を。虚耗(きよがう)の鬼(おに)に盗去(ぬすみさ)られ。しかも鶴岡(つるかおか)八幡宮(はちまんぐう)の神木(しんぼく)に掛(かけ)おける事。」いと不思議(しぎ)なりとて。在(ざい)鎌倉(かまくら)の良賎(りやうせん)士庶(ししよ)。おの/\怪(あやし)み思(おも)はざるはなし。こゝをもてなほその細(くは)しきをしらん爲(ため)に。潛(ひそか)に源性(げんせう)に吉凶(きつきやう)を問(とふ)(ひと)あれども。源性(げんせう)あらはにこれを告(つげ)ず。但(たゞ)し三年(さんねん)にして主(しゆう)を革(あらため)。十八年(ねん)にして彼(かの)(すゞ)はじめて営中(ゑいちう)にかへる事(こと)あらんといへりしが。果(はた)して三年(ねん)を經(へ)て。頼家卿(よりいへきやう)伊豆(いづ)の修善寺(しゆぜんじ)に於(おい)て事(こと)あり。[時に廿八才]舎弟(しやてい)實朝(さねとも)相續(さうぞく)して。鎌倉(かまくら)三世(さんぜ)の將軍(せうぐん)に任(にん)ぜられ給ふなど。思ひあはする事(こと)いと多(おほ)かりしとぞ。

  ○水城堤(みづきのつゝみ)に繁光(しげみつ)千引(ちびき)父子(ふし)を救(すく)ふの後(のち)
   暴雨(ばうう)こゝろなくしてよく媒(なかだち)をいたす事(こと) 」16

加藤(かとう)新左衞門(しんさゑもん)繁光(しげみつ)は。思ひもかけず主君(しゆくん)の勘當(かんだう)を禀(うけ)。所領(しよれう)も没収(もつしゆ)せられしかば。慙愧(ざんぎ)憤激(ふんげき)して妻(つま)の桂江(かつらえ)に縁由(ことのよし)を説(とき)しらせ。さていふやう。われ不肖(ふせう)なれども祖父(おほぢ)の箕裘(ききう)を嗣(つ)ぎ。射藝(しやげい)をもて君(きみ)に仕(つかへ)ながら。はからずも不慮(ふりよ)の難義(なんぎ)に係(かゝ)りて家声(かせい)をおとす事。是非(ぜひ)に及(およば)ざるところなり。さるによつて。ふたゝび藝術(げいじゆつ)を〓〓(たんれん)し。遂(つひ)に鈴(すゞ)を射(い)おとして。後栄(こうゑい)をはかるべし。御身(おんみ)もしれるごとく。わが本國(ほんこく)筑前(ちくぜん)筥崎(はこざき)なる石堂口(いしだうぐち)に立(たゝ)せ給ふ地藏(ぢざう)(ぼさつ)は。靈驗(れいげん)(もつとも)(よ)に掲焉(いちじる)し祖父(おほぢ)繁氏(しげうぢ)入道(にうどう)は。この菩薩(ぼさつ)の祈子(まうしこ)にして。父(ちゝ)の氏助(うぢすけ)も亦(また)」彼(かの)地藏尊(ちざうそん)に祈願(きぐわん)して。平家(へいけ)追討(ついとう)のとき軍功(ぐんこう)あり。こゝを以(もて)(よ)(こぞつ)て。苅萱(かるかや)地藏(ちざう)とも。又(また)勝軍(せうぐん)地藏(ちざう)とも稱(となへ)て。渇仰(がつこう)(すで)に久(ひさ)し。われ今(いま)より彼地(かしこ)に赴(おもむ)きて。勝軍(せうぐん)地藏(ちざう)大〓(だいぼさつ)の冥助(みやうぢよ)を祈請(きしよう)し。後(のち)かならず鈴(すゞ)を射(い)おろして恥辱(ちぢよく)を雪(きよ)め。忠孝(ちうこう)(ふたつ)ながら全(まつた)うせんと思ふのみ。御身(おんみ)はこゝに残(のこ)り留(とゞ)まりて。孩児(せがれ)繁太郎(しげたらう)を養育(はぐゝみ)給へ。はやくて二年(ねん)。遅(おそ)くて三年(ねん)が程(ほど)にはかへり來(き)て。再會(さいくわい)をいたすべし。それまでは御身(み)が兄(あに)。天野(あまのゝ)六郎政景(まさかげ)にたのみおきたれは。何ごとも彼人(かのひと)と相語(かたらひ)て。我(わが)(かへ)る日(ひ)をまち給へといふ。桂江(かつらえ)元來(もとより)賢妻(けんさい)なれば。是(これ)を聞(きゝ)て」17 聊(いさゝか)も推辞(いなま)ず。こは家(いへ)の爲(ため)御身(おんみ)が爲(ため)。且(かつ)繁太郎(しげたらう)が為(ため)なりかし。われ/\が事などは露(つゆ)ばかりも心(こゝろ)となし給ひそ。よしや五年(ねん)七年(ねん)(わか)れまゐらするとも。わが兄(あに)は義(ぎ)に勇(いさ)む人(ひと)なれば。よも強面(つれなく)はもてなすまじ。さはいへ別(わかれ)のをしからさるにはあらず。彼地(かのち)よりをり/\の音耗(おとづれ)は聞(きか)せ給へ。この外(ほか)に求(もと)むべき事なしといふに。繁光(しげみつ)大に歡(よろこ)びて。その日のうちに奴婢(ぬひ)には悉(こと/\)く身(み)の暇(いとま)をとらせ。妻(つま)の桂江(かつらえ)と。今茲(ことし)五才(いつゝ)なりける児子(せがれ)繁太郎(しげたらう)が事は。天野(あまのゝ)政景(まさかげ)が方(かた)へたのみ遣(つかは)すに。こゝろよくうけ引(ひき)。桂江(かつらえ)はわが妹(いもと)なれども。繁光(しげみつ)が妻(つま)なれば。家(いへ)に養(やしな)ふに於(おい)ては。主君(しゆくん)
挿絵第三図
挿絵第三図 繁光(しげみつ)(こゝろさし)を励(はげま)してひとり筑紫(つくし)に赴(おもむく)\政景(まさかげ)(はなむけ)す桂江(かつらえ)繁太(しげた)留別(りうべつ)(18ウ19オ)
に對(たい)して。その憚(はゞかり)なきにあらず。われよきにはからはんとて。名越(なこや)の切通(きりどほし)にさゝやかなる家(いへ)をもとめて。桂江(かつらえ)母子(おやこ)を住(すま)し。衣食(いしよく)なにくれの事乏(とぼ)しからぬやうに心つけんとて。叮嚀(ねんごろ)に諾(うけひ)し程(ほど)に。繁光(しげみつ)はふかく安堵(あんど)して。政景(まさかげ)によろこび聞(きこ)え。妻子(さいし)に別(わか)れて遠(とほ)く筑紫(つくし)へ旅(たび)たちける。されば加藤(かとう)新左衞門(しんさゑもん)繁光(しげみつ)は。夜(よ)に宿(やど)り日に歩(あゆ)み。ゆき/\て。筑前國(ちくぜんのくに)宝満山(ほうまんざん)の麓(ふもと)に到(いた)りぬ。この山(やま)一名(いちみやう)を竈門(かまど)山といふ。山(やま)の頂(いたゞき)に宝満院(ほうまんいん)あり。是(これ)(すなはち)加藤(かとう)繁氏(しけうぢ)。石堂(いしだう)丸と呼(よば)れしころ。八箇年(はつかねん)勤斈(きんがく)の精舎(しようしや)にて。数代(すだい)の擅越(だんゑつ)なりしかば。軈(やが)て彼(かの)山に登(のぼ)りて。住持(ぢうぢ)に對面(たいめん)し。審(つまびらか)にわがうへ」19 を物(もの)がたりて。寄宿(きしゆく)をたのみ聞(きこ)ゆれば。住持(ぢうぢ)一議(いちぎ)にも及(およ)ばず承引(うけひき)て。客殿(きやくでん)の側(かたはら)に空房(あきや)ありしをかきはらはして。繁光(しげみつ)の住所(すみところ)と定(さだ)め。心(こゝろ)くまなく扶助(ふぢよ)せられけり。しかれども繁光(しげみつ)は。道場(どうじやう)に於(おい)て武藝(ぶげい)の稽古(けいこ)せん事を憚(はゞか)りて。日毎(ひごと)に弓矢(ゆみや)を携(たづさへ)て寺門(じもん)をたち出(いで)。まづ石堂口(いしだうぐち)なる苅萱(かるかや)勝軍(せうぐん)地藏〓(ぢざうぼさつ)に詣(まふで)て。丹誠(たんせい)を凝(こら)して祈(いのり)けるやう。竒妙(きみやう)頂禮(ちやうらい)地藏尊(ぢざうそん)。大悲(だいひ)深極(しんきよく)の誓願(せいぐわん)をもつて。六道(ろくどう)能化(のうけ)の導師(どうし)たり。迹(あと)を加持羅伽(かぢらきや)山中(さんちう)に留(とゞめ)て。益(ゑき)を十方(じつほう)法界(ほうかい)に施(ほどこ)し。釋尊(しやくそん)の遺嘱(ゆいぞく)を〓利天宮(とうりてんきう)に受(うけ)て。無佛(むぶつ)世界(せかい)の教主(きやうしゆ)なり。毎日(まいにち)晨朝(しんちやう)に。恒河(ごうか)」沙(しや)に入(いつ)て。可度(かど)の群類(ぐんるい)を觀察(くわんさつ)し。六環(ろくくわん)の金錫(きんしやく)は。功徳(くどく)を振(ふつ)て重垢(ちやうく)を抜(ぬき)。一顆(いつくわ)の摩尼(まに)は。萬物(ばんもつ)を雨(ふら)して。匱乏(きぼく)を救(すく)ひ。無量却(むりやうごう)を經(へ)ても。済度(さいど)利生(りせう)。應驗(おうげん)化導(けどう)(きはまり)なしとかや。繁光(しげみつ)(さいはひ)に佛縁(ぶつえん)ありて。祖父(おほぢ)繁氏(しげうぢ)は。菩薩(ぼさつ)の祈子(まうしご)にして。二世(にせ)の心願(しんぐわん)を遂(とげ)。亡父(ぼうふ)氏助(うぢすけ)は。不思議(ふしぎ)の冥助(みやうぢよ)を蒙(かうふ)りて。東営(とうゑい)近従(きんじう)の士(し)となりしより。今(いま)繁光(しげみつ)に至(いたつ)て。忠義(ちうぎ)を存(ぞん)するのところ。この身(み)薄命(はくめい)に係(かゝ)りて。蝸(でゝむし)の廬(いほり)をうしなひ。忽地(たちまち)(つばくら)の古巣(ふるす)に赴(おもむ)く。正(まさ)に是(これ)祖先(そせん)の墳墓(ふんほ)。父母(ふぼ)の郷黨(きやうたう)に對(たい)するに面(おも)なし。仰(あほぎ)(ねがは)くは。靈驗(れいげん)三世(さんぜ)におよぼし。由基(ゆうき)もなほ難(かた)し」20 とする彼(かの)(すゞ)を射(い)とらして。ふたゝび家(いへ)を興(おこ)さし給へとて。肝膽(かんたん)を摧(くだい)て祈念(きねん)し。さて野(の)に遊(あそ)び山(やま)に遊(あそ)びて。もつはら射藝(しやげい)をこゝろみつゝ。既(すて)に三年(みとせ)の月日を經(へ)たり。時(とき)に元久(げんきう)元年(ぐわんねん)五月の半(なかば)に。繁光(しげみつ)は苅萱(かるかや)の関(せき)のこなた。水城(みづき)のほとりに狩(かり)せんとて。稚菰(わかごも)の中(なか)にわけ入(い)る折(をり)しも。よゝと泣(ない)て堤(つゝみ)を過(よぎ)るものありけり。こは何事(なにこと)かと瞻望(みあぐ)れは。年紀(としのころ)五十ばかりなる男(をとこ)と。十七八なる女子(をなご)と。二人打(うち)つれだちて堤(つゝみ)に停立(たゝずみ)。彼(かの)(をとこ)潸然(さめ/\)としていへりけるは。朽惜(くちをし)や。われもいにしへは由緒(よし)あるものなるに。身上(しんしよう)(おとろへ)て人の爲(ため)に腰(こし)を折(を)るのみならず。はづかなる金(かね)に事(こと)(せま)りて。只(たゞ)一人(ひとり)の」愛子(まなご)を賣(うる)も。過世(すくせ)の悪業(あくごう)なるべけれど。子(こ)は憖(なまじい)に孝心(こうしん)ふかく。父(ちゝ)は却(かへつ)て養育(はぐゝむ)べき。便(たつき)もなさに捨(すて)にゆく。淺(あさ)ましさよとかき口説(くどけ)ば。女子(をなご)は涙(なみだ)を押拭(おしぬぐ)ひ。〓(てゝ)(ぎみ)いたくな悔(くひ)給ひそ。風流(みやび)の薮澤(やぶ)は何(なに)ものかは。われのみならで親(おや)の爲(ため)。同胞(はらから)の爲(ため)にとて。同(おな)じ瀬(せ)に沈(しづ)む河竹(かはたけ)の。よのためしこそおほかめれ。よしなき歎(なげ)きを人に聞(きか)れて。羞(はぢ)見せ給ふなと諫(いさむ)れば。父(ちゝ)もやうやく涙(なみだ)をとゞめ。さいはるゝ程(ほど)かひなきはわが身(み)ぞかし。くひの八(や)(ち)たび口説(くどく)とも。かへらぬ事をかへり來(く)る。わが子(こ)を待(まち)て形(あぢき)なき。浮世(うきよ)にいかで存命(ながらふ)べき。金(かね)こそ人の仇(あた)なりけり。誘(いざ)ゆくべしとてもろともに。堤(つゝみ)を北(きた)へ過(よぎ)るさへ。屠所(としよ)」21 の羊(ひつじ)に異(こと)ならず。繁光(しげみつ)は真菰(まこも)の蔭(かげ)にありてその言(こと)を聞(き)くに。こは全(まつた)く父子(ふし)にて。さりがたき金(かね)ゆゑに。女児(むすめ)を賣(うる)よと思ふにぞ。元來(もとより)(したしき)(うと)きをえらまず。人(ひと)を憐(あはれ)むの心(こゝろ)ふかければ。これを見捨(みすつ)るに忍(しのび)ず。こや/\と呼(よび)かけつゝ。弓(ゆみ)をもて真菰(まこも)をかきわけ。いそがはしく走(はし)り出(いづ)れば。件(くだん)の二人(ふたり)ははじめて人ある事をしつて大に驚(おどろ)き。呼(よば)せ給ふはこなたの事にやと問(とふ)(はし)に。繁光(しげみつ)(つゝみ)にのぼり來(き)て二人(ふたり)に對(むか)ひ。縁故(ことのもと)をしらせねば。怪(あやし)み思ふはことわり也。われはむかしこの地(ち)の領主(れうしゆ)たりし。加藤(かとう)左衛門尉(さゑもんのぜう)繁氏(しげうぢ)の嫡孫(ちやくそん)にて。新左衞門(しんざゑもん)繁光(しげみつ)といふもの也。父(ちゝ)氏助(うぢすけ)八嶋(やしま)の軍(いくさ)に功(こう)ありしによつて」
挿絵第四図
挿絵第四図 しげ光(みつ)竊聴(たちきゝ)して身(み)を賣(うる)(をんな)を憐(あはれ)(22ウ23オ)
鎌倉殿(かまくらどの)に仕(つかへ)。われ又(また)頼家卿(よりいへきやう)の近臣(きんしん)たりき。しかるに不慮(ふりよ)の事によつて。主君(しゆくん)の勘當(かんどう)を蒙(かうむ)り。射藝(しやげい)修行(しゆぎやう)の爲(ため)に妻子(さいし)に別(わか)れて本國(ほんこく)に赴(おもむ)き。宝満山(ほうまきざん)に寄宿(きしゆく)して。もつはら苅萱(かるかや)地藏(ぢざう)を祈念(きねん)し。先途(せんと☆○ナンギ)の不覚(ふかく)を雪(すゝが)んと思ふのみ。こゝにある事(こと)三年(みとせ)に及(およ)びぬ。是(これ)はさておきて。われ今(いま)汝等(なんぢら)がいふところを聞(きけ)ば。事(こと)に迫(せま)りて河竹(かはたけ)の瀬(せ)に立(たゝ)んとする。女児(むすめ)が孝行(こう/\)(ちゝ)の慈愛(ちあい)。聞(き)くに痛(いたま)しく見(み)るにしのびず。おもふ子細(しさい)あれば卒尓(そつじ)に呼(よび)とめたり。まづ情由(ことのよし)を物(もの)かたれ。もし救(すく)ふべき事ならば。一臂(いつひ)の労(ろう)を厭(いとは)ずして救(すくひ)(え)さすべしといふに二人は聞(きい)てふかく歡(よろこ)び。忽地(たちまち)拝伏(はいふく)し」23 つゝ彼(かの)(をとこ)いへりけるは。さては繁氏(しげうぢ)入道(にうどう)の孫君(まこぎみ)にておはしつるか。僕(やつがれ)はこの堤(つゝみ)の西(にし)在家(ざいか)。古賀村(こがむら)に住(すめ)る千脇(ちわき)丹助(たんすけ)といふもの也。父(ちゝ)のときまでは。田圃(たはた)も夥(あまた)ありて。人もしりたる郷士(ごうし)なりしに。父(ちゝ)はやく世(よ)を去(さ)りて。僕(やつがれ)なほ幼少(いとけな)かりしかば。叔父(をぢ)漆川(うるしがは)權七(ごんしち)といふものに押領(おうれう)せられ。かく窶(やつ/\し)く世(よ)をわたるに。妻(つま)は四年(よとせ)(あま)り血虚(けつきよ)の大病(だいびやう)にうち臥(ふ)して。この春(はる)なん身(み)まかりける。こゝをもて小々(しよう/\)の田圃(たはた)も質(しち)とし。年貢(ねんぐ)の未進(みしん)も多(おほ)く滞(とゞこふ)りて。いかにともせんすべなく。もしこれを貲(つくのは)ざれば。忽地(たちまち)木馬(もくば)水篭(すいろう)の責(せめ)にあはんかと。女児(むすめ)千引(ちびき)がいと悲(かなし)みて。その身(み)を博多(はかた)の津(つ)に賣(うり)て。父(ちゝ)を」救(すく)ふべしといたすにこそ。彼(かの)權七(ごんしち)は前年(せんねん)。老死(おひしに)て。その子(こ)權藤六(ごんとうろく)といふもの。千引(ちびき)を戀々(れん/\)して頻(しきり)に娶(めと)らんとはかれども。僕(やつがれ)親子(おやこ)(かたき)の家(いへ)に縁(えに)し締(むすば)ん事(こと)を肯(がてん)せず。彼(かれ)(また)このころ媒(なかだち)をもて。千引(ちびき)を妻(つま)になすならば。金(かね)は数(かす)の如(ごと)く貸与(かしあたへ)て。火急(くわきう)の難義(なんぎ)を救(すくは)んといはせたれど。權藤六(ごんとうろく)が心ざまのよからぬ事は。父(ちゝ)の權七(ごんしち)にも勝(まさ)りて。笑(えみ)の中(うち)に刃(やいば)をかくすもの也。よしや非命(ひめい)の死(し)をなすとも。勝母(せうぼ)の里(さと)に入りて盗泉(とうせん)を飲(のま)じと思ひ究(きはめ)たれど。別(べち)に金(かね)のとゝなふへきよすがもなさに。千引(ちびき)を伴(ともなひ)て博多(はかた)の娼家(せうか)に行(ゆく)にて候。と語(かた)るも面目(めんもく)なげ也けり。繁光(しげみつ)つく/\聞(きゝ)て深(ふか)」24 く嗟嘆(さたん)し。われ連續(れんぞく)してこの地(ち)の領主(れうしゆ)ならんには。さる癖者(くせもの)を糺明(きうめい)して。汝(なんぢ)が寃(うらみ)を雪(きよ)め得(え)さすべけれど。今(いま)は新恩(しんおん)の所領(しよれう)にさへはなれ。かく流浪(るらう)の身(み)にしあれば。かゝらんことこそ力(ちから)およばね。目前(まのあたり)の難義(なんぎ)を救(すく)ふ事はともかくもすべし。いかばかりの金(かね)あらば。女児(むすめ)を賣(う)らで事のとゝなふべきと問(とへ)ば。丹助(たんすけ)(こたへ)て。欲(ほつ)するところの金(かね)は十五両(りやう)なりといふ。繁光(しげみつ)點頭(うなづき)て。われ幸(さいはひ)にいまだ路銀(ろぎん)に乏(とほ)しからず。今(いま)その金(かね)をとらすべきに。もろともに來(こ)よといひかけて先(さき)にすゝみ。宝満山(ほうまんさん)にかへりゆけば。丹助(たんすけ)親子(おやこ)は大に歡(よろこ)び思ひながら。なほ半信(なかばしん)じ半疑(なかばうたがつ)て。その跟(あと)にづきてその人の旅宿(りよしゆく)」に到(いた)りければ。繁光(しげみつ)やがて十五金(きん)をとり出て丹助(たんすけ)に与(あた)へ。われ実(じつ)に千引(ちびき)とやらんが孝心(こうしん)を感(かん)ずるのあまり。この庇(めぐみ)をなすのみ。女子(をなご)は氏(うぢ)なきも貴(たつとき)に至(いた)ることあり。もし一(ひと)たびその身(み)を千萬(せんまん)(にん)にまかしなば。何をもつてか後(のち)の栄(さかへ)をはかるべき。とく/\その金(かね)をもて。村長(むらおさ)が呵責(かしやく)を脱(まぬか)れよと説諭(ときさと)せば。親子(おやこ)は夢(ゆめ)かとばかりうれしみて。数回(あまたゝび)(くだん)の金(かね)を押戴(おしいたゞ)き。不覚(すゞろ)に落涙(らくるい)したりける。しばしありて丹助(たんすけ)がいふやう。良(まこと)に君(きみ)はわが親子(おやこ)の爲(ため)に再生(さいせい)の恩人(おんじん)なり。見(み)たてまつるにひとり住(すま)ひ給ふとおぼし。ねがはくは女児(むすめ)千引(ちびき)をまゐらせて。枕(まくら)の塵(ちり)をはらはし。聊(いさゝか)高恩(こうおん)に報(むく)ひ奉(たてまつ)らめ。この事聴(ゆるし)」25 給へかしといふを。繁光(しげみつ)(きゝ)もあへず頭(かうへ)をうち掉(ふり)て。いなこの地(ち)こそ旅(たび)なれ。鎌倉(かまくら)には妻(つま)あり子(こ)あり。且(かつ)精舎(しようしや)に寄宿(きしゆく)する身(み)の。女子(をなご)を召使(めしつか)はるべきかは。かゝらん條(すぢ)はふたゝびいひ出(いづ)ることなかれといひて。更(さら)にうけ引(ひく)氣色(けしき)なし。丹助(たんすけ)かさねて。宣(のたま)ふところことわりなれど。世(よ)にある人は。傍妻(そばめ)婢妾(をんなめ)とて。夥(あまた)の女子(をなご)をめさるゝもすくなからず。況(いはんや)(いま)(たび)にありて。一(いち)女子(ぢよし)をめし使(つか)ひ。衣(きぬ)の垢(あか)つきたるを濯(すゝが)し給ふとも。誰(たれ)か譏(そし)り誰(たれ)か妬(ねたま)ん。もし寺内(じない)に置(お)く事を厭(いと)ひ給はゞ。今(いま)より僕(やつがれ)が家(いへ)を旅宿(りよしゆく)とし給へかし。もしこの十五金(きん)なかりせば。千引(ちびき)は立地(たちどころ)に宿傀儡(よねくゞつ)となるべきに。はからずも」由緒(よし)ある君(きみ)の妾(てかけ☆○ヲンナメ)とならんこそ。大なる幸(さいはひ)なれ。この事を聴(ゆる)し給はねば。金(かね)も又受(うけ)がたしといふ。しかれども繁光(しげみつ)かたく辞(ぢ)して従(したが)はず。人の欲(ほつ)せざるところを強(しい)るは好意(こゝろざし)にあらず。かならずしも多言(たげん)してわれを苦(くるしむ)ることなかれといふに。丹助(たんすけ)もせんすべなく。厚(あつ)くよろこび謝(まうし)て。親子(おやこ)古賀村(こがむら)に立(たち)かへり。年貢(ねんぐ)の未進(みしん)を残(のこ)りなく償(つくの)ひ。是(これ)よりをり/\繁光(しげみつ)を訪(とひ)て。當國(たうこく)の名産(めいさん)。練酒(ねりざけ)。松露(せうろ)などを贈(おく)りけり。かくて水無月(みなつき)のはじめに至(いた)り。ある日繁光(しげみつ)は。水城(みづき)の西(にし)に遊山(ゆさん)するに。夏(なつ)の日(ひ)のならひなれば。連山(れんざん)(くも)を吐(はい)て更(さら)に竒峯(きほう)を操(あやつ)り。夕立(ゆふだち)さとふりて。霹靂(いかづち)」26 いたく鳴(なり)わたるに。雨衣(あまきぬ)さへもたざれば。遽(あはたゝ)しく山(やま)を走(はし)り下(くだ)りて麓(ふもと)なる伏屋(ふせや)の簷下(のきば)に立在(たゝずみ)。携(たづさへ)たる弓矢(ゆみや)を壁(かべ)によせかけて。しばし晴間(はれま)をまちたるに。主人(あるじ)(まど)よりさし覗(のぞき)て。こは恩人(おんじん)。よくも來(き)給ふものかな。わが子(は)はやく。出(いで)て恩人(おんじん)を迎(むかへ)よかしと叫(さけ)びて。走(はし)り出(いづ)るものを見るに。これ丹助(たんすけ)也。千引(ちびき)も連忙(あはてふためき)て出迎(いでむかへ)。こはよくも訪(とは)せ給ひしとて。わりなく裡(うち)に誘引(いざなへ)ば。繁光(しげみつ)は思ひかけねば。こは漫(すゞろ)なり。さては汝等(なんぢら)が家(いへ)にてありけるかとばかりにふかく推辞(いなむ)ことを得(え)ず。伴(ともなは)れて窗(まど)の下(もと)に到(いた)れば。親子(おやこ)は過(すぎ)つる庇(めぐみ)をいひ出(いで)て。塵(ちり)さへすえずこれを款待(もてな)し。玉嶋(たましま)」の年魚(あゆ)のしら焼(やき)に。博多(はかた)の練酒(ねりざけ)を汲(くみ)もて出(いで)てこれをすゝめ四表八表(よもやも)の物(もの)がたりに。ながき夏(なつ)の日(ひ)も暮(くれ)なんとすれば。繁光(しげみつ)は別(わかれ)を告(つげ)て立(たち)かへらんとするを。親子(おやこ)は叮嚀(ねんごろ)にとゞめて。携(すがり)たる袖(そで)をはなさず。せめて今宵(こよひ)一夜(ひとよ)はかたり明(あか)したまへといふ。その志(こゝろざし)も黙止(もだし)がたければ。繁光(しげみつ)(やむ)ことを得(え)ず止宿(ししゆく)し。夜(よ)もいたく深(ふけ)て臥房(ふしど)に入(い)るに。千引(ちびき)は枕方(まくらべ)にまいり。團扇(うちわ)をもて蚊(か)を追(お)ひけり。繁光(しげみつ)この形容(ありさま)を見(み)て首(かうべ)を擡(もたげ)。こはなどてとくゆきて睡(ねふ)らざるといふに。千引(ちびき)はいとはづかしげに。團扇(うちわ)を面(かほ)におしあてつゝ。いぬる日(ひ)(ちゝ)の申つる事を。うけ引(ひき)給はねど。わが身(み)の賎(いやし)き」27 に羞(はぢ)てうらみ奉(たてまつ)るやうはあらねど。女子(をなご)は一(ひと)たび身(み)を人にゆるして。更(さら)に他人(たにん)に見(まみ)えずとか。わらは既(すで)に身(み)を君(きみ)にゆるして容(いれ)られずといへども。別(べち)に縁(え)にしを求(もと)むべき心(こゝろ)なし。加之(しかのみならず)漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)が。しば/\媒(なかだち)をもていはするもうるさきに。又いかなる事(こと)を計較(もくろみ)て迫(せま)るべうもはかりがたし。よしや一夜(ひとよ)のそひふしは侍(はべ)らずとも。今宵(こよひ)もろともにこゝにあかしてその志(こゝろざし)を致(いた)し。今(いま)より君(きみ)が傍妻(そばめ)と稱(せう)するときは。わらははぬしある身(み)也。縦(たとひ)權藤六(ごんとうろく)わりなくすとも。ぬしある女子(をなご)をいかにかせん。父(ちゝ)もこの事を思ふがゆゑに。參(まい)らせ侍(はべ)りぬ。わが家(いへ)(まづし)くて。〓(かや)を垂(た)るゝに及(およ)ばねば。せめて通宵(よもすがら)(か)を」
挿絵第五図
挿絵第五図 繁光(しげみつ)(あま)やどりしてふたゝび丹助(たんすけ)千引(ちびき)にあふ(28ウ29オ)
(お)ひまゐらするにこそといふ。物(もの)のいひざまも田舎人(ゐなかうど)には似(に)げなくて。貌(かたち)こそ賎(しづ)の女子(をなご)なれ。顔色(がんしよく)いと艶麗(あてやか)に。その性(さが)も又怜悧(さかし)く見(み)ゆれば繁光(しげみつ)(しきり)に感激(かんげき)して。かくまでいふを推辞(いなま)ば志(こゝろざし)を破(やぶ)るに似(に)たり。われは只(たゞ)(なんぢ)が生涯(せうがい)をあやまたせじとて。強面(つれな)かりつるものをといへば。千引(ちびき)はいとうれしき氣色(けしき)にて。君(きみ)が一夜(ひとよ)の情(なさけ)には。百年(もゝとせ)の命(いのち)もいかで惜(をし)かるべき。といふも憎(にく)からずおぼえて。やがておなじ枕(まくら)に臥(ふ)させけり。さて天(よ)も明(あけ)にければ。丹助(たんすけ)は千引(ちびき)を呼(よ)び起(おこ)して。もろともに飯(いひ)を炊(かしき)て早膳(あさいひ)をすゝめ。ふたゝび九献(くこん)を酌(くみ)て婚縁(こんえん)の心(こゝろ)まねびをなす。そのとき繁光(しげみつ)は丹助(たんすけ)千引(ちびき)にいふやう。」29 われこの暁(あかつき)の夢(ゆめ)に。年來(としごろ)(しん)じ奉(たてまつ)る石堂口(いしどうぐち)の地藏〓(ぢざうぼさつ)(つげ)て宣(のたまは)く。汝(なんぢ)が射藝(しやげい)(すで)に熟(じゆく)せり。はやく鎌倉(かまくら)に立帰(たちかへ)りて。時(とき)の到(いた)るをまて。もしこゝにあらば大なる禍(わざはひ)あるべしと告(つげ)たまふと見(み)て覚(さめ)たり。われ元(もと)こゝに來(きた)れる故(ゆゑ)は。箇様/\(かやう/\)の事(こと)なりとて。鶴岡社頭(つるがおかのしやとう)なる。銀杏(いてう)の杪(こずゑ)に懸(かゝ)りつる。黄金(こがね)の鈴(すゞ)を得(え)(い)ざりし越度(をちど)によつて。頼家卿(よりいへきやう)の氣色(けしき)を蒙(かうむ)り。所領(しよれう)を没収(もつしゆ)せられしかば。その志(こゝろざし)を果(はた)さん爲(ため)に。本國(ほんこく)に赴(おもむ)き。父祖(ふそ)の吉例(きちれい)にまかして。苅萱(かるかや)地藏(ぢざう)を祈念(きねん)し。この三年(みとせ)がほど。射藝(しやげい)を稽古(けいこ)したる首尾(はじめをはり)を審(つまびらか)に物(もの)がたれば。千引(ちびき)はこれを聞(きゝ)て。或(あるひ)は」歡(よろこ)び或(あるひ)はうち泣(なき)て。君(きみ)(ひと)たびこの地(ち)を去(さり)給はゞ。いつの年(とし)にか見(まみ)え侍(はべ)らん。願(ねがは)くは何にまれ。再會(さいくわい)の信(かたみ)に遺(のこ)し給へかし。縦(たとひ)いく年(とし)あはずとも。操節(みさほ)を破(やぶ)り侍(はべ)らじといへば。丹助(たんすけ)ももろともに。その事を乞(こふ)て已(やま)ざりける程(ほど)に。繁光(しげみつ)黙止(もだし)がたく覚(おぼえ)て。箙(ゑびら)より二條(ふたすぢ)の征矢(そや)を抜出(ぬきいだ)し。こればわが祖父(おほぢ)繁氏(しげうぢ)入道(にうどう)総角(あげまき)のころ射(い)なれ給ひつるものにて。袖摺(そですり)の下(した)に朱(しゆ)をもて。加藤(かとう)石堂丸(いしだうまる)と彫著(ゑりつけ)たり。この矢(や)(たゞ)四條(よすじ)。宝満山(ほうまんざん)にありしかば。住持(ぢうち)に乞(こひ)(え)て秘藏(ひさう)すといへども。今(いま)親子(おやこ)が志(こゝろざし)の切(せつ)なるに愛(めで)で。二條(ふたすぢ)をわかち預(あづく)るなり。われもし志(こゝろざし)を得(え)ば。縁由(ことのよし)を妻(つま)桂江(かつらえ)にも告(つげ)て。」30 汝(なんぢ)親子(おやこ)を呼(よび)むかふべし。又(また)(こゝろざし)を遂(とぐ)ることなくは。再會(さいくわい)(さら)に量(はかり)がたし。かならずしも恨(うらむ)ることなく。久(ひさ)しき後(のち)になほ音耗(おとづれ)なくは。人に嫁(よめ)りて身(み)の落着(らくぢやく)をなし候へと聞(きこ)えおきて。ふところ紙(かみ)に。  かるかやの関守(せきもり)にのみ見(み)えつるは。人もゆるさぬ道(みち)べ也けり と一首(いつしゆ)の古哥(こか)を書(かき)しるし。件(くだん)の矢(や)に結(むす)び着(つけ)て。これを千引(ちびき)に逓与(わた)しつゝ。別(わかれ)を決(けつ)して立出(たちいづ)れば。千引(ちひき)はさらなり。丹助(たんすけ)もいと名残(なごり)をしげにて。けふ一日(いちにち)は逗留(とうりう)あれかしとて叮嚀(ねんごろ)に留(とゞむ)れども。地藏〓(ぢざうぼさつ)の應驗(おうげん)あれば。しばしも躊躇(ちうちよ)すべからずと回(いら)」答(へ)て。いそがはしく宝満山(ほうまんざん)にかへり。住持(ぢうぢ)にも如此/\(しか/\)の由(よし)を告(つげ)。一包(ひとつゝみ)の金子(きんす)をとゞめて。年來(としころ)の謝物(しやもつ)とし。亦(また)苅萱(かるかや)地藏(ぢざう)に參詣(さんけい)して。なほゆくすゑの冥助(みやうぢよ)を祈念(きねん)し。俄頃(にはか)に行装(たびのよそほひ)を整(とゝのへ)て。東路(あづまぢ)(さ)して發足(ほつそく)するに。丹助(たんすけ)は路(みち)四五里(り)が程(ほど)(おく)りゆき。涙(なみだ)を沃(そゝ)ぎて別(わか)れけり。
苅萱後傳玉櫛笥上之巻畢」31

苅萱(かるかや)後傳(ごでん)玉櫛笥(たまくしげ)中之巻  曲亭馬琴戲編

  ○千引(ちびき)石堂丸(いしだうまる)を産(うめ)るころ漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)
   丹助(たんすけ)を撃(うつ)て筑紫(つくし)を立退(たちのく)(こと)
 

加藤(かとう)新左衞門(しんざゑもん)繁光(しげみつ)は。地藏(ぢざう)菩薩(ぼさつ)の示現(じげん)によつて。猛(にはか)に筑前國(ちくぜんのくに)竈山(かまどやま)を發足(ほつそく)し。鎌倉(かまくら)へとて赴(おもむ)くに。三年(みとせ)(とほ)ざかりし妻(つま)と子(こ)の見まほしければ。何となく道(みち)ゆきぶりもいそがるれど。さすがに見すてがたき名所(などころ)。是(これ)(かれ)歴覧(れきらん)しつゝかへりゆくに。思ひの外(ほか)日数(ひかず)(ほど)ふりて。七月(ふづき)廿日あまり五日(いつか)のゆふべ。名越(なごや)切通(きりどほし)の家(いへ)」に着(つき)にければ。妻(つま)の桂江(かつらえ)。児子(せがれ)繁太郎(しげたらう)。忙(いそがは)しく出迎(いでむかへ)。こはよくも恙(つゝが)なく帰(かへ)り給ひたる。待(まつ)に久(ひさ)しき年月(としつき)の。いつかは帰來(かへりき)まさんとて。その事いひ出(いで)ざる日もなかりつれど。きのふけふとは思はざりき。まづこなたへとて湯(ゆ)を汲(くみ)て足(あし)を洗(あら)はし。桂江(かつらえ)と繁太郎(しげたらう)と左右(さゆう)に居(ゐ)ならびて。彼(かれ)よりや聞(きか)ん。是(これ)よりやいはんとて。近(ちか)まさりせる心地(こゝち)ぞする。繁光(しげみつ)は。妻(つま)もふかくは思ひほそらず。繁太郎(しげたらう)が三年(みとせ)が程(ほど)に身長(せたけ)も伸(のび)て。おとなしやかになりたるを見て。歡(よろこ)びにたへず。彼地(かのち)にありし事の限(かぎ)りを物語(ものがた)り。又地藏(ぢざう)菩薩(ぼさつ)の示現(じげん)によつて。俄頃(にわか)に帰(かへ)りし事ども。審(つまびらか)に説(とき)しらせしが。千引(ちびき)が」 1 事(こと)は影護(うしろめたく)やありけん。いひも出(いだ)さで止(やみ)にけり。桂江(かつらえ)も年來(としごろ)の患難(くわんなん)苦労(くろう)。おちもなく物(もの)がたり。さていふやう。定(さだ)めて彼地(かのち)にも聞(きこ)えて侍(はべ)るべし。頼家卿(よりいへきやう)には去年(こぞ)の秋(あき)。異例(ゐれい)によつて。関西(せきのにし)三十八箇國(かこく)の地頭職(ぢとうしよく)を。御(おん)(おとゝ)實朝(さねとも)(ぎみ)に讓(ゆづ)り。関東(せきのひがし)二十八箇國(かこく)の地頭(ぢとう)總守護職(そうしゆごしよく)を。嫡子(ちやくし)一幡(いちまん)(ぎみ)に与(あたへ)給ひぬ。こは尼(あま)御臺所(みだいどころ)[政子]の仰(おふせ)によれば。已(やむ)ことを得(え)ずさはさせ給ひしが。九月に至(いた)りて頼家卿(よりいへきやう)(ひそか)に比企(ひきの)能員等(よしかずら)と仰(おふせ)あはさるゝ事(こと)(はべ)りしに。はやくも發覚(あらはれ)て能員(よしかず)(ら)は討(うた)れ。一幡(いちまん)(ぎみ)も殺(ころ)され給へり。さる程(ほど)に實朝(さねとも)(よ)をとつて。日本國(につほんこく)の總(そう)追補使(ついふし)となり給ひしかば。頼家卿(よりいへきやう)は」剃髪(ていはつ)あつて。伊豆(いづ)の修善寺(しゆせんじ)に蟄居(ちつきよ)し給ひ。この月十八日になくなり給ひにき。御年(おんとし)廿三才(さい)にならせ給ふとぞ。さしも鎌倉(かまくら)の武將(ぶせう)と仰(あほ)がれ給ひし御身(おんみ)の。いと惜(をし)き御最期(ごさいご)なり。かゝれば鎌倉(かまくら)(ちう)いと物〓(ぶつそう)にて。日來(ひごろ)(したし)きも。互(たがひ)に心(こゝろ)をおきあへば。わらはが兄(あに)。六郎(ろくろう)政景(まさかげ)も。久(ひさ)しく訪(と)はで過(すぎ)ゆくに。心(こゝろ)ぼそさもいやまして。とさまかうさま思ひくしたるに。はからずもかへり來(き)給ひしかば。楫(かぢ)なき舩(ふね)の磯(いそ)により。浮木(うきゝ)の亀(かめ)の瀬(せ)にあへるこゝちぞせらる。みな是(これ)神仏(しんぶつ)の導(みちび)きて。家(いへ)にやかへし給ふとて。信(まめ)やかに物(もの)がたれば。繁光(しげみつ)しば/\嘆息(たんそく)し。頼家卿(よりいへきやう)薨去(こうきよ)のよしは。」 2 路(みち)にて聞(きゝ)ぬ。彼(かの)(きみ)世にいまそかりせば。わが復(ふたゝび)めしつかはるべき日もあらんに。縦(たとひ)(さき)の鈴(すゞ)を射(ゐ)てとるとも。誰(たれ)かこれを賞(せう)すべき。こはわが命運(めいうん)の薄(うす)きによれは。人を恨(うらむ)るによしなし。しかはあれど。地藏〓(ぢざうぼさつ)。いそぎ鎌倉(かまくら)に立(たち)かへりて。時(とき)をまてと示(しめ)し給へるを思へば。更(さら)にたのもしげなきにもあらず。さらば運(うん)を天(てん)にまかして。世(よ)の形勢(ありさま)をも見ばやとて。是(これ)より武藝(ぶげい)の指南(しなん)して生活(なりはひ)とするに。家(いへ)は三代(さんだい)弓馬(きうば)に達(たつ)し。昔(むかし)(いやし)からぬ壯夫(ますらを)なれば。在(ざい)鎌倉(かまくら)の若殿原(わかとのばら)。これが門人(もんじん)となるもの夥(あまた)出來(いでき)。両(りやう)三年(さんねん)が程(ほど)には。世(よ)もなか/\に渡(わた)りやすうなりぬ。さるあひだ政景(まさかげ)
挿絵第六図
挿絵第六図 名越(なこや)の切通(きりどほし)に繁光(しげみつ)武藝(ぶげい)の師範(しはん)して生計(よわたり)とす(3ウ4オ)
(いへ)へもをり/\消息(せうそこ)して。年來(としごろ)の庇(めぐみ)(あさ)からざるをよろこび聞(きこ)え。絶(たへ)ず苅萱(かるかや)地藏(ぢざう)を祈念(きねん)して。わが身(み)は斯(かく)て朽果(くちはつ)るとも。せめて繁太郎(しげたらう)をば世(よ)に出(いだ)させ給へとぞかき口説(くどき)ける。是(これ)はさておきて。筑前國(ちくぜんのくに)古賀村(こがむら)には丹助(たんすけ)が女児(むすめ)千引(ちびき)。いぬるころ繁光(しげみつ)と。只一夜(ひとよ)のかたらひに。短(みぢか)き夢(ゆめ)のわかれして。そなたの空(そら)のみ慕(したは)しく。きのふと暮(くら)しけふとあかすに。千引(ちびき)が腹(はら)のあたりふくよかになりもてゆき。心持(こゝち)さへ常(つね)にかはりて。あるひは酸(すき)ものをこのみ。あるひは物(もの)(はく)べうおぼえて。全(また)く妊病(つはりやみ)と見えしかば。さては一夜(ひとよ)の添臥(そひふし)に情(なさけ)の胤(たね)さへやどしたるかと思ふに。父(ちゝ)もそれ」 4 と曉(さと)りて。初孫(うひまご)の事にはあり。家(いへ)にしも女壻(むこ)をあらせば。したりがほにもあるべきを。氏(うぢ)も由緒(よし)ある人の子(こ)ながら。父(ちゝ)を定(さだ)かにいひがたければ。つゝまるべきに程(ほど)はとて人にも絶(たえ)てしらすることなし(。)これも又(また)千引(ちびき)親子(おやこ)が。ひとかたならぬもの思ひなり。こゝに亦(また)漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)は。向(さき)に媒人(なかだち)をもて。千引(ちびき)を娶(めと)らんといはする事しば/\なりしかど。千引(ちびき)はさら也。丹助(たんすけ)つや/\うけ引(ひか)ねば。いと朽(くち)をしとてこりずまの。又(また)もや口(くち)よくきく男(をとこ)を丹助(たんすけ)が家(いへ)につかはして。頻(しきり)に婚縁(こんえん)の事を相語(かたらは)するに。丹助(たんすけ)親子(おやこ)は。いまだ繁光(しげみつ)に見(まみ)えざる已前(いぜん)さへ。これを諾(うべな)はざりけるに。今(いま)(すで)に繁光(しげみつ)と縁(え)にしを」締(むす)び。腹(はら)に子(こ)のあることなれば。よしや彼人(かのひと)に生涯(しようがい)環會(めぐりあは)ずとも。他(あだ)し家(いへ)には嫁(よめ)らじと思ひ定(さだ)めたりける程(ほど)に。いかでか權藤六(ごんとうろく)が需(もとめ)に應(おう)ずべき。只(たゞ)(こゝろ)づよき回答(いらへ)のみして。更(さら)にとりあはざりしかば。權藤六(ごんとうろく)ます/\安(やす)からず思ひて。弟(おとゝ)權平(ごんへい)といふもの。年(とし)いとわかけれど。心(こゝろ)さまは兄(あに)にひとしく。邪智(じやち)ふかきものなれば。竊(ひそか)にこれと談合(だんこう)し。さま/\に言(こと)をたくみて。まづ宰府(さいふ)の下司(げす)に夥(あまた)賄賂(まいない)し。さて丹助(たんすけ)が非義(ひぎ)の赴(おもむき)を聞(きこ)えあげし程(ほど)に。府(ふ)より丹助(たんすけ)を召出(めしいだ)して事をたゞさるゝに。丹助(たんすけ)は先(さき)だつて。女児(むすめ)千引(ちびき)を加藤(かとう)繁光(しげみつ)が傍妻(そばめ)に遣(つかは)すべき契約(けいやく)したれば。別人(べつじん)に与(あた)へがたきよし」 5 を申て。再會(さいくわい)の信(しるし)にとて。繁光(しげみつ)が遺(のこ)し。とゞめたる。二條(ふたすじ)の矢(や)と。一枚(ひとひら)の短冊(たんざく)を披露(ひろう)し。權藤六(ごんとうろく)が父(ちゝ)のときに。所帯(しよたい)を押領(おうれう)せられたる縁由(ことのよし)に至(いた)るまで。憚(はゞか)る氣色(けしき)なく演説(ゑんぜつ)す。しかれども府(ふ)の下司(げす)(ら)は權藤六(ごんとうろく)が賄賂(まいない)を得(え)たれば。丹助(たんすけ)が申すところ道理(どうり)に稱(かなへ)ども却(かへつ)てこれを非義(ひぎ)とせられ。動(やゝも)すれば權藤六(ごんとうろく)勝利(せうり)を得(え)て既(すで)に事(こと)一決(いつけつ)せんとする折(をり)しも。太宰(だざい)の帥(そつ)俄頃(にはか)に召(めし)かへさるゝ事ありて。帰洛(きらく)に赴(おもむ)き。新(しん)權帥(ごんのそつ)着任(ちやくにん)し給ひけり。この帥(そつ)どのは。理非(りひ)明断(めいだん)の賢(けん)國司(こくし)なりければ。權藤六(ごんとうろく)が非義(ひぎ)忽地(たちまち)に發覚(あらは)れ。所帯(しよたい)没収(もつしゆ)せられて弟(おとゝ)權平(ごんへい)とゝもに。國(くに)の境(さかひ)」を追放(おひはな)たる。千引(ちびき)は。府(ふ)の制度(さた)いかゞなるらんとて。心安(こゝろやす)からずあかしくらしたるに。丹助(たんすけ)思ふまゝに勝得(かちえ)て帰(かへ)りしかば。はじめて愁(うれひ)の眉(まゆ)をひらき。目(め)のうへの瘤(こぶ)をとり除(のぞ)きたるこゝちせり。しかるに千引(ちびき)は有身(みごもり)てより既(すで)に臨月(りんげつ)なりければ。豫(かね)てその用意(ようい)してまつに。廿日(はつか)あまり四日(よか)の白昼(まひる)。男子(なんし)出生(しゆつしよう)す。この子(こ)地藏〓(ぢざうぼさつ)の會日(ゑにち)に生(うま)れあひぬる事(こと)。あしからぬ祥(さが)なるへし。繁光(しげみつ)(いま)ころまでこの地(ち)に座(おは)しなば。さこそうれしみ給ふらめ。さるをその人は子(こ)を産(うま)せし事だにしらで。遠(とほ)き東路(あづまぢ)に立(たち)かへりあひ見んよしはしらぬ火(ひ)の。つく/\と物(もの)がなしく。さて児(ちご)の名は何(なに)と呼(よぶ)べき」 6 と問(とふ)に。丹助(たんすけ)しばし思案(しあん)して。繁光(しげみつ)再會(さいくわい)の信(しるし)にとてとらせ給ひたる矢(や)に。石堂丸(いしだうまる)としるしてあれば。しらぬ名(な)を呼(よば)んより。この孫(まご)をも又(また)石堂丸(いしだうまる)と名(な)づくべし。抑(そも/\)繁光(しげみつ)の祖父(おほぢ)繁氏(しげうぢ)入道(にうとう)。小名(をさなゝ)を石堂(いしだう)といひ。その嫡子(ちやくし)も又(また)石堂丸(いしだうまる)と呼(よば)れ給ひしと聞(き)く。殊(こと)さら御身(おんみ)が安産(あんざん)のこと。明(あけ)くれに石堂口(いしだうぐち)なる苅萱(かるかや)地藏(ぢざう)大〓(だいぼさつ)に祈(いの)り申せしかひありて。月(つき)の廿四日に生(うま)れたるも。彼(かの)菩薩(ぼさつ)の應驗(おうげん)なるべし。いにしへは男子(なんし)(うま)るゝとき。桑(くは)の弧(ゆみ)(よもぎ)の矢(や)をもて。天地(てんち)四方(しほう)を射(い)る。これ四方(しほう)の志(こゝろざし)あるを示(しめ)す也。その父母(ふぼ)これを教(をしへ)。これを望(のぞ)むを第一義(だいいちぎ)とすと。禮記(らいき)とやらん」いふものに見えたりと。昔(むかし)ある博士(はかせ)に聞(きけ)り。かゝれば彼(かの)(や)はわが孫(まご)の爲(ため)に。一生(いつしよう)の守護神(まもりがみ)なり。かた/\ふかき故(ゆゑ)あれば。今(いま)石堂(いしだう)と名(な)つくるとも。何(なに)かくるしかるべきといふに。千引(ちびき)もげにとうけひきて。やがて石堂(いしだう)とぞ名(な)づけける。時(とき)しもあれ近曽(ちかごろ)(やまひ)つきたる狼(おほかみ)の。夜(よ)な/\里(さと)に出(いで)あれて。人(ひと)を傷(やぶ)ることありとて。一村(ひとむら)の農夫(ひやくせう)。戸毎(いへごと)に柝(ひやうしぎ)を壁(かべ)にかけおき。いづれの家(いへ)にもあれ。さるものゝ來(き)たらん時(とき)には。これを打(うち)ならして人を呼(よぶ)べし。忽地(たちまち)彼此(をちこち)より走(はし)りつどひて。件(くだん)の狼(おほかみ)を打殺(うちころ)してんとて。よくその合圖(あひづ)を定(さだ)めけり。丹助(たんすけ)は千引(ちびき)がいまだ産屋(うぶや)を出(いで)ねば。もし児(ちご)の泣声(なくこゑ)を聞(きゝ)」 7 て。狼(おほかみ)の出(いで)も來(き)たらんかとて。夜(よ)も安(やす)くは睡(ねふ)らず。かゝりける処(ところ)に。漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)は。奸悪(かんあく)露顕(ろけん)して國(くに)の境(さかい)を追放(ついほう)せられし事。おのれが罪(つみ)おのれを責(せむ)るとは思ひはからず。却(かへつ)て丹助(たんすけ)親子(おやこ)を怨(うらむ)ること骨髓(こつずい)に徹(てつ)し。潜(ひそか)にとつてかへして。古賀村(こがむら)にちかき山中(さんちう)に立(たち)かくれ。ある夜(よ)風雨(ふうう)(はげ)しかりけるに紛(まぎ)れ。弟(おとゝ)権平(ごんへい)とゝもに。丹助(たんすけ)が家(いへ)に竊入(しのびい)るとき。丹助(たんすけ)はやく目(め)を覚(さま)し。さてはこのころ風声(ふうぶん)ある。狼(おほかみ)の來(きた)れるならん。千引(ちびき)さめよ覚(さめ)よと呼(よ)び起(おこ)し。手(て)ごろの棒(ぼう)を取(とつ)て起出(おきいづ)れば。権平(ごんへい)(すで)に壁(かべ)の崩(くずれ)より潜(くゞ)り入(い)り。刀(かたな)を閃(ひら)めかして打(うつ)てかゝる。丹助(たんすけ)(きつ)と」
挿絵第七図
挿絵第七図 權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)(よる)丹助(たんすけ)をころす(8ウ9オ)
見て。さわぎたる氣色(けしき)もなく。狼(おほかみ)かとおもひつるに。畜生(ちくしよう)にも劣(おと)りたる權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)なるよ。われ年(とし)(おひ)たれども郷士(ごうし)の子(こ)也。汝等(なんぢら)(あなど)りて後悔(こうくわい)せそと罵(のゝし)りつゝ。面(おもて)もふらず逆(むかへ)すゝみ。持(もつ)たる棒(ぼう)を揚(あぐ)ると見えしが。権平(ごんへい)は諸臑(もろずね)(なが)れ忽地(たちまち)(だう)と轉輾(ふしまろぶ)を。ふたゝび打(うた)んとするところに。權藤六(ごんとうろく)は弟(おとゝ)を打(うた)せじとて。小くらき方(かた)より〓(ねらひ)より。声(こゑ)をもかけず丹助(たんすけ)が。〓(かたさき)ふかく切(きり)つくれば。権平(ごんへい)(え)たりと身(み)を起(おこ)し。兄弟(きやうだい)(みぎ)より左(ひたり)より。段々(ずた/\)に切(き)るほどに。憐(あはれ)むべし丹助(たんすけ)は。手足(てあし)はなれ/\になつて死(しゝ)たりけり。千引(ちびき)は父(ちゝ)の撃(うた)るゝを見(み)て。且(かつ)(いか)り且(かつ)かなしみ。その身(み)(をんな)なりとも」 9 目前(めのまへ)の仇(あた)。やはのがさじとて。心(こゝろ)弥勇(やたけ)にはやれども。子(こ)を産(うみ)ていまだ日数(ひかず)を經(へ)ねば。立居(たちゐ)も自在(じざい)ならず。ぜひなく手(て)ちかなる柝(ひやうしぎ)をとつて。只顧(ひたすら)に打(うち)ならせば。彼此(をちこち)の農夫等(ひやくせうら)。すは丹助(たんすけ)が家(いへ)のかたに當(あた)つて。合圖(あひづ)の柝(ひやうしぎ)(きこ)ゆるぞ。出(いで)よ/\と罵(のゝし)りあひて。手(て)に/\農具(のうぐ)を引提(ひきさげ)/\(/\)。われ後(おく)れじと走(はし)り來(きた)れば。權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)心〓(こゝろあはて)。彼等(かれら)にとりまかれてはかなはじとや思ひけん。遂(つひ)に千引(ちびき)を殺(ころ)すに及(およば)ず。兄(あに)は。打(うた)れてはやくも走(はし)り得(え)ざる權平(ごんへい)を扶引(たすけひき)いづ地(ち)ともなく迯去(にげさり)ぬ。さる程(ほど)に農夫等(ひやくせうら)は。丹助(たんすけ)が門(かど)の戸(と)を蹴(け)はなちて込入(こみい)るに。狼(おほかみ)は見えずして。あるじは身體(みのうち)つゞきたる」ところもなく。すべて醢(しゝびしほ)になつてありしかば。こはいかにと驚(おどろ)きさわぎ。みな/\その故(ゆゑ)を問(とふ)に。千引(ちびき)は石堂丸(いしだうまる)を掻遣(かいや)りつゝ跂出(はひいで)て。權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)に父(ちゝ)丹助(たんすけ)を撃(うた)れたる事ども。泣(なき)みかなしみ物(もの)がたれば。みな/\聞(きゝ)もあへず。者奴(しやつ)(にく)し追留(おひとめ)よとて。半(なかば)は外(と)のかたへ走(はし)り去(さ)り。半(なかば)はこゝに留(とゞま)りて。千引(ちびき)を勦(いたは)り慰(なぐ)さめ。丹助(たんすけ)が屍(しがい)を守(まも)りて明(あく)るをまつに。權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)を追(おひ)ゆきしものども。くらさは闇(くら)し。雨(あめ)も小歇(をやみ)なければ。むなしく立(たち)かへりて。みなもろともに。詰朝(あけのあさ)縁由(ことのよし)を府(ふ)へ訴(うつた)へ。千引(ちびき)を扶(たすけ)て丹助(たんすけ)が屍(しがい)を葬(ほうむ)りぬ。府(ふ)にては權藤六(ごんとうろく)が重悪(ぢうあく)の訴(うつたへ)によつて。その」10 日より処々(しよ/\)に嘱託(しよくたく)し。追捕(ついふ)嚴重(げんぢう)なりといへども。彼等(かれら)(とほ)く迯(のが)れ去(さり)けん。終(つひ)に搦得(からめえ)ずして止(やみ)にけり。

  ○千引(ちびき)が苦節(くせつ)によつて石堂丸(いしだうまる)地藏(ぢざう)菩薩(ぼさつ)
   冥助(みやうぢよ)を禀(うけ)鎌倉(かまくら)へ旅(たび)たつ事(こと)
 

千引(ちびき)は産後(さんご)いまだ肥立(ひたゝ)ざりけるに。父(ちゝ)丹助(たんすけ)あへなくも。權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)に討(うた)れしかば。愁傷(しうせう)やるかたなくて。更(さら)に餘病(よびやう)(おこ)り。半年(はんねん)あまりわづらひける。元來(もとより)(いへ)には。しかるべき親族(しんぞく)もなく究(きはめ)てまづしかりければ。旦開(あさげ)の煙(けふり)さへ立(たて)かねたり。嚮(さき)には加藤(かとう)繁光(しげみつ)と縁(えに)し結(むす)びたれど。今(いま)は万里(ばんり)の山河(さんか)を隔(へだて)。天(あま)とぶ」雁(かり)の翅(つばさ)ならでは。いひしらすべきよすがもなし。ともすれば。戀(こひ)しきときは野干玉(ぬばたま)の。夜(よる)の衣(ころも)のうすきにも。只(たゞ)石堂(いしだう)に風引(かぜひ)かせじとて。患難(くわんなん)の中(うち)に養育(よういく)す。心づくしぞいたましき。さてその年(とし)も暮(くれ)て。あら玉(たま)の春(はる)(たち)かへり。千引(ちびき)が病(やまひ)やゝおこたりにたれど。父(ちゝ)丹助(たんすけ)が世(よ)にありし時(とき)だに。衣食(いしよく)に事(こと)(かき)たる家(いへ)の。今(いま)は女子(をなご)の手(て)(ひと)ッして。幼(いとけな)さを養育(はぐゝめ)ば。家(いへ)は物(もの)おそろしきまでに荒(あれ)まさり。訪來(とひく)る人も稀(まれ)なりけり。千引(ちびき)はいかにもして。石堂(いしだう)を人となし。祖父(おほぢ)の仇(あた)權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)を撃(うた)し。父(ちゝ)繁光(しげみつ)にもたづねあはせでやはとおもひし」11 ほどに。媒(なかだち)するものありといへども。誓(ちかつ)て嫁娶(よめりむこどり)の事(こと)をうけ引(ひか)ず。身(み)には破(や)れ垢(あか)つきたる衣(ころも)をまとひ。頭(かしら)には蓬髪(おどろ)をいたゞき。玉(たま)を藏(かく)し光(ひかり)をつゝみて。永(なが)く寡(やもめ)くらしをしつ。糸(いと)を取(とり)賃機(ちんはた)を織(おる)を生活(なりはひ)として。絶(たえ)ず苅萱(かるかや)勝軍(せうぐん)地藏(ぢざう)菩薩(ぼさつ)へ參詣(さんけい)し。わが子(こ)(すくよか)に成長(せいちやう)して。仇人(かたき)權藤六(ごんとうろく)を撃(うち)とり父(ちゝ)繁光(しげみつ)にも名告(なのり)あふべく守(まも)り給へとて。肝膽(かんたん)を摧(くだい)て祈念(きねん)せり。かくて光陰(くわういん)代謝(うつりかは)り。石堂丸(いしだうまる)やゝ七才(なゝつ)になりけるが。禀性(うまれつき)怜悧(さかしく)て。そのらうたけたる事十才(さい)以上(いじよう)の童(はらは)にも勝(まさ)り。殊(こと)さら孝心(こうしん)ふかくして。一(ひと)たびも母(はゝ)の心(こゝろ)に悖(もと)らず。只(たゞ)旦夕(あさゆふ)の手(て)」遊(すさ)びに。矢(や)を發(はなち)太刀(たち)をあはするまねびして。身(み)のたのしみとしたりければ。母(はゝ)は潜(ひそか)に歡(よろこ)びて。げに栴檀(せんだん)はふた葉(ば)より香(かうば)しとぞいふなる。さすが繁光(しげみつ)ぬしの子(こ)にて。片田舎(かたゐなか)には生育(おひたて)ど。山田(やまだ)の晩稲(おしね)苅乾(かりほし)。〓(くろ)の群鳥(むらとり)(お)ふことなどには心(こゝろ)をとめず。武士(ものゝふ)のまねびするこそ末(すゑ)たのもしけれ。是併(これしかしながら)日來(ひごろ)(しん)じ奉(たてまつ)る。地藏〓(ぢざうぼさつ)の靈驗(れいげん)にて。祖父(おほぢ)の仇(あた)を撃(うた)せん爲(ため)に。かゝる児(ちご)さへ生(うま)せ給ふなるべし。彼物(かれもの)ごゝろをしれるころには。父(ちゝ)の名(な)をも。又(また)祖父(おほぢ)の仇(あた)ある事をも。しらすべきものをとて。いよ/\地藏〓(ぢざうぼさつ)を念(ねん)じつゝ。わが子(こ)の久後(ゆくすゑ)を祷(いの)りぬ。しかるに石堂丸(いしだうまる)十一二才(さい)」12 になりては。秣(まぐさ)を苅(かり)(うま)を牽(ひい)て。日毎(ひごと)に些(ちと)の米銭(べいせん)を得(え)。反哺(はんほ)の孝(こう)を竭(つく)して。母(はゝ)を養(やしな)ふほどに。いつしか生活(なりはひ)に身(み)を委(ゆだ)ねて武藝(ぶげい)の事はつゆばかりもいひ出(いださ)す。千引(ちびき)はわが子(こ)が信(まめ)やかに世(よ)わたりするをうれしとは思はず。却(かへつ)てその志(こゝろざし)(おさな)き時(とき)には劣(おと)りて見(み)ゆるを。心(こゝろ)にふかくうち歎(なげ)けど。言語(ことば)には出(いだ)さず。かくて石堂丸(いしだうまる)やゝ十五才(さい)になりければ。母(はゝ)はしかるべき武家(ぶけ)へ給事(みやつかへ)さして。太刀(たち)(ぬく)すべをも見(み)ならはせばやと思ひ。をり/\この事をすゝむれども。石堂(いしだう)はさもなくて。仕官(しくわん)すれば心のまゝに母(はゝ)を養(やしな)ひがたし。かゝる事はなほ遅(おそ)からじとのみ回答(いらへ)けり」時(とき)しも七月廿四日。千引(ちびき)はこゝろばかりの地藏會(ぢざうゑ)をして。石堂(いしだう)が秣苅(まぐさかり)てかへるをまちうけ。飯(いひ)(もり)ならべて食(くは)すれば。石堂丸(いしだうまる)は膳(ぜん)を押戴(おしいたゞ)きてこゝろよく食(たうべ)をはり。母(はゝ)に對(むかつ)ていへりけるはわが身(み)(はゝ)の手(て)一ッして養育(はぐゝま)れ。かく人となりし事。その恩(おん)(よ)の中(なか)の親(おや)には百倍(ひやくばい)せり。祖父(おほぢ)は人に殺(ころ)され給ひけるよし。村(むら)の老者(おきな)の物(もの)がたりには聞(きゝ)(はべ)りしかど。いかなる御(み)こゝろにや母(はゝ)はこれらの事をもしらせ給はず。夫(それ)(いき)としいけるもの。母(はゝ)ありて父(ちゝ)なきことを聞(き)かず。しかるをわが身(み)のみ父(ちゝ)をしらず。縦(たとひ)わが父(ちゝ)は。いかなる人にもあれ。この世(よ)にだに在(ゐま)するならば。たづねめくりて」13 親子(おやこ)一ッに聚(あつま)るべし。しからばわれのみかは。母(はゝ)もいかでかうれしとおぼし給はざらん。。石堂(いしだう)は世(よ)にもいひがひなきものと思ひたまふにや。をり/\尋(たづね)まゐらせても。父(ちゝ)の名(な)をもしらしたまはず又祖父(おほぢ)の仇人(かたき)をうてとも宣(のたま)はず。こは親(おや)ながら御こゝろの底(そこ)。推量(おしはかり)がたしとて。恨(うらみ)をふくみてかき口説(くどけ)ば。千引(ちびき)つく/\と聞(きゝ)てしばし落涙(らくるい)し。うれしき事を聞(きこ)え給ふものかな。この事とくにも知(し)らすべかりしかど。思ふ旨(むね)あればけふまでもいはざりし。その故(ゆゑ)は御身幼(いとけな)きころは。教(をしへ)ざるに手遊(てすさ)びにも。武士(ものゝふ)の所作(しよさ)をしたまひしかば。末(すゑ)たのもしく思ひしに。近曽(ちかごろ)は賎(しづ)の手業(わざ)にのみこゝろを」
挿絵第八図
挿絵第八図 石堂丸(いしだうまる)(なみだ)をそゝぎ母(はゝ)にわかれて仇(あた)をうち父(ちゝ)に環會(めぐりあはん)と請(こ)(14ウ15オ)
(ゆだ)ねて。武家(ぶけ)に給事(みやづかへ)せよといへども。それさへ嫌(きら)ひてうけ引給はず。朽(くち)をしやかゝる田舎(ゐなか)に人となれば。生(うま)れてその器(き)はありながら。染(そま)るにやすきしら糸(いと)の。末(すゑ)をぼつかなきを教(をし)ゆべき。便(たつき)あらぬ身を歎(なげ)きしより。さてぞ何事(なにごと)も告(つげ)ざりける。今(いま)こゝろみに問侍(とひはべ)るべし。御身(おんみ)はいかばかりなる艱難(かんなん)を經(へ)ても。武士(ぶし)となるべく思ひ給ふか。又(また)農夫(ひやくせう)して世を安(やす)く渡(わた)らんとおもひ給ふか。心を定(さだ)めて回答(いらへ)給へといひければ。石堂丸(いしだうまる)莞尓(につこ)として。事あたらしき仰(おふせ)かな。わが身不肖(ふせう)なれども名家(めいか)の子孫(しそん)。加藤(かとう)新左衞門(しんざゑもん)繁光(しげみつ)の子なり。いかで農夫(ひやくせう)して一生(いつしよう)を朽果(くちはて)。父祖(ふそ)の美名(びめい)を汚(けが)し」15 候べきといへは。千引(ちびき)大に驚(おどろ)き怪(あやし)み。こは心(こゝろ)も得(え)ぬ。御身いかにして父(ちゝ)を繁光(しげみつ)どのとしり給ひたると問(とふ)に。石堂丸(いしどうまる)又申すやう。この事は露(つゆ)ばかりもしらざりしが。近曽(ちかごろ)神人(あやしきひと)あつてこれを告(つげ)。父(ちゝ)は十五箇年(かねん)(ぜん)。鎌倉(かまくら)に立(たち)かへり。わが出生(しゆつしよう)をしりたまはねど。なほ恙(つゝが)なく彼地(かのち)に在(おは)するとぞ且(かつ)祖父(おほぢ)丹助(たんすけ)を撃(うつ)て逐電(ちくてん)したる。漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)。その弟(おとゝ)権平(ごんへい)の兄弟(きやうだい)はいま鎌倉(かまくら)にあり權藤六(ごんとうろく)は大内(おほうち)旦六(たんろく)。権平(ごんへい)は大内(おほうち)旦七(たんしち)と名(な)をあらため。縉紳(しん/\)權門(けんもん)に出入(いでいり)して。武藝(ぶげい)の師(し)となりぬ。彼等(かれら)兄弟(きやうだい)が相貌(かほかたち)は箇様(かやう)箇様(かやう)なるべしといふ。そのいふところ久(ひさ)しく熟(なれ)たるごとくなれば。」千引(ちびき)ます/\驚嘆(きやうたん)し。こは何人(なにひと)が教(をしへ)て。かく審(つまびらか)にはしり給ひし。いとも怪(あや)しきこと也とて。ふかく疑(うたが)ひまどふにぞ。石堂丸(いしだうまる)(ひざ)をすゝめ。母(はゝ)の怪(あや)しみ給ふもことわり也。わが身(み)幼稚(いとけなき)より。何(なに)となく武藝(ぶげい)を嗜(たしな)み。よき師(し)につきてならはまほしく思ひしに。今茲(ことし)よりは三年(みとせ)以前(いぜん)。ころは七月廿四日。例(れい)のごとく秣(まぐさ)を苅(かり)て。石堂口(いしだうぐち)なる地藏堂(ぢざうだう)のほとりを過(よぎ)るに。日もやゝ向暮(くれなん/\)とす。時(とき)にさもいかめしき荒法師(あらほふし)。御堂(みだう)のあなたより立出(たちいで)て呼(よ)びとゞめ。石堂丸(いしだうまる)。われを怪(あや)しむことなかれ。われは汝(なんぢ)に因(ちなみ)ある勝軍坊(せうぐんぼう)と呼(よ)ばるゝものなり。汝(なんぢ)は久後(ゆくすゑ)武士(ものゝふ)となるべき器量(きりやう)あり。明日(あす)よりつと」16 めてこゝに來(き)たれ。われ武藝(ぶげい)の指南(しなん)して得(え)させんといふにいとうれしくて。卒尓(あからさま)に師弟(してい)の契約(けいやく)をなし。それより秣(まぐさ)を苅(か)ると稱(せう)じて星(ほし)を戴(いたゞ)きて暁(あかつき)(ごと)に家(いへ)を立出(たちいで)。彼(かの)勝軍坊(せうぐんぼう)に武藝(ぶげい)をならふ事三年(みとせ)に及(およ)び。弓馬(きうば)撃劍(けんじゆつ)豢法(やはら)水戲(すいれん)に至(いた)るまで。その奥義(おうぎ)を極(きは)め。剰(あまさへ)学問(がくもん)筆學(ひつがく)も人なみには習(なら)ひ得(え)し事。みなこれ師(し)の高恩(こうおん)なり。しかるに勝軍坊(せうぐんぼう)はしめより堅(かた)く誡(いましめ)て。この事を母(はゝ)にも告(つぐ)る事なかれ。又(また)假初(かりそめ)の手遊(すさ)ひに。武藝(ぶげい)執心(しうしん)の氣色(けしき)をあらはすべからず。汝(なんぢ)農家(のうか)の孤(みなしご)として武藝(ぶげい)執心(しうしん)なりとしらば。人かならず疑(うたが)ひ猜(そね)み。却(かへつ)て」
挿絵第九図
挿絵第九図 石堂(いしだう)神僧(しんそう)に武藝(ぶげい)をならふ(17ウ18オ)
(わざはひ)のはしとなるべしと示(しめ)されし程(ほど)に。かくて後(のち)は只顧(ひたすら)(しづ)の手業(てわざ)にのみ心(こゝろ)を委(ゆだね)るごとくもてなし。母(はゝ)にも肚裏(とり☆○ハラノウチ)の大望(たいぼう)を告(つげ)(たてまつ)らず。さてこの暁(あかつき)。師(し)の宣(のたま)ふやう。汝(なんぢ)が武藝(ぶげい)やうやく熟(じゆく)せり。就中(なかんづく)射藝(しやげい)は天下(てんか)に敵(てき)なかるべしいそぎ鎌倉(かまくら)に立越(たちこえ)祖父(おほぢ)丹助(たんすけ)が仇人(かたき)。漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)。權平(ごんへい)を撃(うつ)て。父(ちゝ)繁光(しげみつ)に名告(なのり)あふべし。彼(かの)權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)は。しか/\の処(ところ)に住(すま)ひて。兄(あに)は大内(おほうち)旦六(たんろく)と呼(よば)れ。弟(おとゝ)は大内(おほうち)旦七(たんしち)と呼(よば)れ。射藝(しやげい)の指南(しなん)して活業(なりわひ)とす。旦六(たんろく)が相貌(かほかたち)は箇様/\(かやう/\)旦七(たんしち)は箇様/\(かやう/\)と審(つまびらか)に説示(ときしめ)し。又(また)(のたま)ふやう。汝(なんぢ)が父(ちゝ)は加藤(かとう)繁氏(しげうぢ)苅萱(かるかや)道心(どうしん)の孫(まご)。新左衞門(しんざゑもん)繁光(しげみつ)」18 といふものなり。如此/\(しか/\)の故(ゆゑ)によつて。前(ぜん)將軍(せうぐん)頼家卿(よりいへきやう)の勘氣(かんき)を蒙(かうむ)り。弓術(きうじゆつ)修行(しゆぎやう)の爲(ため)。この國(くに)に來(き)たりしころ。千引(ちびき)と一夜(ひとよ)の契(ちぎり)ありて。汝(なんぢ)を生(うま)せたれども。父(ちゝ)はその氣色(けしき)を見ずして鎌倉(かまくら)に立(たち)かへりしかば。子(こ)のありとは思ひしらず。再會(さいくわい)の信(しるし)にとて。遺(のこ)しおきたる征矢(そや)と。自筆(じひつ)の短冊(たんざく)もあれば。これをもて親子(おやこ)の名告(なのり)せば。繁光(しげみつ)も疑(うたが)ふべからず。彼(かれ)が年來(としごろ)音耗(おとづれ)もせざるは。今(いま)なほ浪人(らうにん)にて。宿願(しくぐわん)を果(はた)さゞるによれば。千引(ちびき)もこれを恨(うらむ)るに由(よし)なからん。われ汝(なんぢ)に見(まみ)ゆること。けふを限(かぎ)りなり(。)しかれどもなほ影身(かげみ)に添(そふ)て。ゆくすゑを護(まも)るべしと宣(のたま)ひしが。」忽然(こつぜん)として見えずなりぬ。わが身(み)この事を聞(きゝ)て歡(よろこ)びに堪(たへ)ず。速(すみやか)に鎌倉(かまくら)に立越(たちこえ)て。祖父(おほぢ)の仇(あた)を撃(うち)。しかして父(ちゝ)に名告(なのり)あひ。母(はゝ)の苦節(くせつ)を全(まつたう)しまゐらすべう。既(すで)に心(こゝろ)を決(けつ)したれば。序(ついで)なくとも聞(きこ)えたてまつらんと思ひたるに。親子(おやこ)自然(しぜん)とその志(こゝろざし)(がつ)し。詰(なじり)(とは)せ給ふにつきて。事(こと)の本末(もとすゑ)を申なり。しばし身(み)の暇(いとま)を給はり候へ。やがて本望(ほんもう)を遂(とげ)て。御(おん)(むかひ)に参(まい)り候べしとて。一五一十(いちぶしゞう)を申しければ。千引(ちびき)は世(よ)にもうれしげにて。数回(あまたゝび)賞嘆(せうたん☆○ホメル)し。今(いま)のものがたりにつきてつら/\思ふに。彼(かの)勝軍坊(せうぐんぼう)と名告(なの)りて。御身(おんみ)に武藝(ぶげい)を教(をしへ)給ひしは。年來(としごろ)(しん)じ奉(たてまつ)る。苅萱(かるかや)將軍(せうぐん)地藏(ぢざう)菩薩(ぼさつ)にて」19 ましますなれ。殊更(ことさら)仇人(かたき)權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)が今(いま)の名字(みやうじ)その相貌(かほかたち)まで説示(ときしめ)したまふこと。世(よ)に有(あり)がたき應驗(おうげん)ぞかし。縁故(ことのもと)を審(つまびらか)にしり給ふうへは。今(いま)あらためて告(つぐ)るに及(およ)ばず。御身(おんみ)が父(ちゝ)繁光(しげみつ)どのには。桂江(かつらえ)といふ嫡室(ほんさい)。繁太郎(しげたらう)とかいふ一子(いつし)もありとか聞(き)けり。もし名告(なのり)あひ給はゞ。桂江(かつらえ)どのをば實(まこと)の母(はゝ)のごとく孝行(こう/\)を盡(つく)し。兄(あに)繁太郎(しげたらう)どのをもよく敬(うやま)ひて。母(はゝ)が誠心(まごゝろ)をな化(あだ)になしたまひそ。鎌倉(かまくら)までは路(みち)もはるけし。道中(どうちう)もつはらこゝろを用(もち)ひ。只(たゞ)地藏(ぢざう)菩薩(ぼさつ)の冥助(みやうぢよ)を仰(あほ)ぎて。祖父(おほぢ)の仇人(かたき)を撃果(うちはた)し。遠(とほ)からず好音(よきたより)を聞(きか)せ給へ。かゝるべしとはしらずして。御身(おんみ)が」挙止(ふるまひ)の。幼(いとけな)き時(とき)には劣(おと)りて見(み)ゆるが朽(くち)をしくて。何(なに)ごとも告(つげ)ざりし。わが身(み)の愚痴(ぐち)こそ面目(めんもく)なけれ。これこそむかし繁光(しげみつ)どの。再會(さいくわい)の信(しるし)にとて。遺(のこ)し留(とゞ)め給ひたる。重代(ぢうだい)の征矢(そや)。自筆(じひつ)の短冊(たんざく)なれとて。古(ふる)き葛籠(つゞら)をうち開(あけ)つゝ。涙(なみだ)とともにとり出(いだ)せば石堂丸(いしだうまる)数回(あまたゝび)押戴(おしいたゞ)き。これを携(たづさへ)て俄頃(にわか)に旅(たび)の装(よそほひ)をなし。その暁(あかつき)に家(いへ)を離(はな)れて。東(ひがし)のそらへ赴(おもむ)きけり。さても漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)兄弟(きやうだい)は。丹助(たんすけ)を切害(せつがい)したる夜(よ)。はやく迹(あと)をくらまして。華洛(みやこ)へ脱登(にげのほ)り。權藤六(ごんとうろく)は大内(おほうち)旦六(たんろく)と姓名(せいめい)をかえて武家(ぶけ)に奉公(ほうこう)し。五六年(ねん)の間(あはひ)に射藝(しやげい)をならひ得(え)て。微妙(いみじ)き射人(いて)にぞなれりける。」20 又(また)(おとゝ)權平(ごんへい)は。兄(あに)に引(ひき)わかれて鎌倉(かまくら)に赴(おもむ)き。大内(おほうち)旦七(たんしち)と名告(なの)りて。三浦(みうら)兵衛尉(ひやうゑのぜう)義村(よしむら)が弟(おとゝ)九郎(くらう)胤義(たねよし)に奉公(ほうこう)し。出頭(しゆつとう)してありしかば。をり/\兄(あに)に書(しよ)をよせてとかく鎌倉(かまくら)へ下(くだ)り給へ。この地(ち)はわきて武藝(ぶげい)(さかん)に行(おこな)はるれは。立身(りつしん)の便(たつき)おほかるべしといひおくりける程(ほど)に。旦六(たんろく)(よろこ)びて主(しゆう)に暇(いとま)を乞(こ)ひ。鎌倉(かまくら)に赴(おもむ)きて。大町(おほまち)に宅地(やしき)をもとめ。射藝(しやげい)の指南(しなん)して世(よ)をわたるに。弟(おとゝ)旦七(たんしち)。主(しゆう)の胤義(たねよし)に吹挙(すいきよ)したりければ。忽地(たちまち)人の思ひよせおほくなりて。今(いま)は鎌倉(かまくら)に射藝(しやげい)の師(し)たるもの。加藤(かとう)新左衞門(しんざゑもん)繁光(しげみつ)と。大内(おほうち)旦六(たんろく)が外(ほか)に肩(かた)を比(ならぶ)るものもなく。その名(な)(たか)く聞(きこ)えたり。」かくて又(また)五七年を經(へ)て。繁光(しげみつ)が妻(つま)の桂江(かつらえ)。仮初(かりそめ)ならぬ病(やまひ)に染(そみ)て。醫療(ゐりやう)(て)をつくせどもその驗(しるし)なく四十(よそぢ)餘歳(あまり)を一期(いちご)として。終(つひ)に身(み)まかりけり。児子(せがれ)繁太郎(しげたらう)が愁傷(しうしよう)はいふもさら也繁光(しげみつ)は階老(かいろう)なほ央(なかば)にして妻(つま)を先(さき)だゝせ。尾越(をごえ)の〓(かも)の對(つひ)をうしなへる心持(こゝち)しつ。埋玉(まいぎよく)の哀(かなし)みやるかたなし。かくてあるべきにあらねば。例(れい)のごとく葬(ほうむり)(はて)。つら/\思へは十(とを)あまり五(いつ)とせのむかし。筑前國(ちくぜんのくに)古賀村(こがむら)にて。只(たゞ)一夜(ひとよ)の契(ちぎ)りを締(むすび)つる。丹助(たんすけ)が女児(むすめ)千引(ちびき)がもとへ。一(ひと)たびも信(たより)せざるは却(かへつて)(かれ)に終身(しうしん)を誤(あやまた)せじとて。つれなくも過(すぎ)つるが。わが身(み)小動(こゆるぎ)の五十(いそぢ)に近(ちか)き齢(よはひ)にて。後(のち)の妻(つま)を娶(めど)るべきにもあら」21 ず。児子(せがれ)繁太郎(しげたらう)もよき男(をとこ)になりぬ。彼(かれ)に婦(よめ)を娶(めど)らして。老後(ろうご)のたのしみにせばやとて。こゝろにおもひ居(お)れりけるとぞ。

苅萱後傳玉櫛笥中之巻畢」22オ

苅萱(かるかや)後傳(ごでん)玉櫛笥(たまくしげ)下之巻  曲亭馬琴戲編

  ○石堂丸(いしだうまる)千鈞(せんきん☆○カサネ/\)の仇(あた)を撃(うつ)て。父(ちゝ)とともに名(な)を揚(あげ)
   家(いへ)を興(おこす)によつて。千引(ちびき)ふたゝび繁光(しげみつ)にあふ事。

加藤(かとう)繁太郎(しげたらう)は。久(ひさ)しく母(はゝ)の喪(も)にこもりて。心持(こゝち)(れい)ならずおぼえしかば。忌(いみ)ども果(はて)て。父(ちゝ)の繁光(しげみつ)に申請(まうしこ)ひ。従者(ともびと)(たゞ)一人(ひとり)を將(い)て。箱根(はこね)の温泉(いでゆ)に赴(おもむ)きけり。この折(をり)しも大内(おほうち)旦六(たんろく)が弟(おとゝ)旦七(たんしち)も。彼(かの)(やま)に湯治(とうぢ)して。一ッ家(いへ)に座敷(ざしき)を隔(へだて)てありしかば。出居(いでゐ)につきて繁太郎(しげたらう)とものいひかはし。夏(なつ)の日くらしかねて。双六(すころく)などして」遊(あそ)びたるに。互(たがい)に雙陸(すごろく)の目(め)をあらそひしより口論(こうろん)をしいだし。抜(ぬき)あふて戦(たゝか)ふたり。繁太郎(しげたらう)が従者(ともびと)は。箱根(はこね)權現(ごんげん)へ參(まい)りて居(ゐ)あはせず。旦七(たんしち)が従者(ともびと)二人(ふたり)。この胖響(ものおと)を聞(きい)て。次(つぎ)の間(ま)より走(はし)り來(き)て。主(しゆう)を打(うた)せじとて。太刀(たち)を閃(ひらめか)して打(うつ)てかゝるを。繁太郎(しげたらう)はものともせず。先(さき)にすゝみし旦七(たんしち)が従者(ともびと)を。一人(いちにん)矢庭(やには)に切(きり)ふせしが。その身(み)も夥(あまた)深手(ふかで)を負(お)ひ。打太刀(うつたち)しどろなりしかば。旦七(たんしち)これに力(ちから)を得(え)。たゝみかけて切(き)るほどに。繁太郎(しげたらう)大に叫(さけ)び。やをれ大内(おほうち)(たん)七。汝(なんぢ)非道(ひどう)の刃(やいば)をもてわれを撃(うつ)とも。わが父(ちゝ)繁光(しげみつ)。など安穩(あんおん)におき給はん。やがてぞ思ひしるべきとのゝしれば。這奴(しやつ)に」 1 ものないはせそとて。旦七(たんしち)(とび)かゝつて繁(しげ)太郎が。胸(むね)のあたりを刺(つき)とほし。主従(しゆうじう)(かほ)を見あはして。走(はし)り去(さ)らんとする折(をり)しも。石堂丸(いしどうまる)は関東(くわんとう)に下向(げこう)して。旦七(たんしち)が湯本(ゆもと)に逗留(とうりう)せるよしを聞(きゝ)。まづその容子(やうす)を窺(うかゞは)ん爲(ため)に。その身(み)も湯治(とうぢ)するおもゝちして。この処(ところ)に來(き)かゝりしが。目今(たゞいま)(しげ)太郎が仇(あた)とその名(な)を名告(なの)るを聞(き)けば。わが異母(はらがはり)の兄(あに)なれば。驀直(まつしくら)に走(はし)り入るに。繁(しげ)太郎は既(すで)に撃(うた)れ。仇人(かたき)旦七(たんしち)は走路(にげみち)をもとめて出(いで)んとするを。石堂(いしだう)その前(まへ)に立(たち)ふたがり。筑前(ちくぜん)古賀村(こがむら)にて。祖父(おほぢ)丹助(たんすけ)を撃(うつ)て逐電(ちくてん)したる漆川(うるしがは)權平(ごんへい)。今(いま)(また)わが兄(あに)(しげ)太郎を切害(せつがい)す。千鈞(かさね/\)の仇(あた)。やは迯(のが)
挿絵第十図
挿絵第十図 石堂丸(いしだうまる)不意(ふゐ)に旦七(たんしち)主従(しゆうじう)を撃(うつ)(2ウ3オ)
さじと告(のり)もあへず。水(みづ)もたまらず旦七(たんしち)が細首(ほそくび)(ちやう)と打(うち)おとし。かへす刀(かたな)に旦七(たんしち)が従者(ともびと)を切(きつ)て二段(ふたきだ)となし。袖(そで)引断離(ひきちきり)て旦七(たんしち)が首(くび)を手(て)はやく押裹(おしつゝ)み。いづ地(ち)ともなく出去(いでさり)けり。折(をり)しもほとりちかう居(お)る人もなかりければ。たえてこの事をしるものなし。繁太郎(しげたらう)が従者(ともびと)は。事(こと)(はて)て後(のち)。箱根(はこね)權現(ごんげん)より立(たち)かへり。主(しゆう)の撃(うた)れたる事。亦(また)仇人(かたき)旦七(たんしち)主従(しゆうじう)は。何ものともしらず撃(うつ)て立退(たちのき)たるにや。相打(あひうち)には旦七(たんしち)が首(くび)の見えざるがあやしなど。人みな罵(のゝしり)あふを聞(きゝ)て大に驚(おどろ)き。何(なに)の故(ゆゑ)とは思ひかけねど。旦七(たんしち)も既(すで)に撃(うた)れて。縁故(ことのもと)問諦(とひあきら)むべうもあらねば。ぜひなく繁(しげ)太郎が亡骸(なきがら)を鎌倉(かまくら)に扛(かき)もてかへりて。縁(ことの)」 3 由(よし)を繁光(しげみつ)に物(もの)がたるに。繁光(しげみつ)は妻(つま)に後(おく)れていまだ一年(ひとゝせ)も經(へ)ざるに。只(たゞ)一人(ひとり)の愛子(まなご)をうしなひて。哀悼(あいたう)の涙(なみだ)(きん)ずる事(こと)を得(へ)ず。さるにても當座(たうざ)にわが子(こ)の仇(あた)を撃(うち)たるは何人(なにびと)にや。思ふに旦七(たんしち)は昔(むかし)(ひと)を殺(ころ)せしものにて。それが寃(あた)を報(むくひ)たるか。不審(いぶかし)きことなりとて。只顧(ひたすら)(うたが)ひ惑(まど)ひつゝ。泣々(なく/\)(しげ)太郎が野邊(のべ)(おく)りして。追善(ついぜん)(かた)の如(ごと)く営(いとな)みけり。旦七(たんしち)が兄(あに)大内(おほうち)(たん)六も。箱根(はこね)にての椿事(ちんじ)を聞(きい)て大に驚(おどろ)き。弟(おとゝ)が屍(しがい)を引(ひき)とりて葬(ほうふ)り果(はて)しが。旦(たん)七を撃(うつ)てその首(くび)を携(たづさへ)。はやく立退(たちのき)たるものこそ。繁光(しげみつ)が由縁(ゆかり)のもの也と思ひしかば。事の次(ついで)を窺(うかゞふ)て。この怨(うらみ)をかへさんと。こゝろに」ふくみて居(ゐ)たりける。時(とき)に健保(けんほ)六年八月十五日。將軍(せうぐん)實朝(さねとも)(こう)。鶴岡(つるがおか)社參(しやさん)の下向(げこう)に。社頭(しやとう)なる銀杏(いてう)の下(もと)にしはし〓(せうぎ)を建(たて)られ。近従(きんじう)の武士(ぶし)に宣(のたま)ひけるは。今(いま)この銀杏(いてう)の梢(こずゑ)に當(あたつ)て。鈴(すゞ)の音(おと)(しきり)に聞(きこ)えたり。その音(おと)玲瓏(れいろう)として尋常(よのつね)のものとも覚(おぼ)へず。此(この)(すゞ)の彼処(かしこ)にかゝりし事。定(さだ)めて故(ゆゑ)ありぬべし。しれるものあらば審(つまびらか)に申すべしと宣(のたま)ひければ。天野(あまのゝ)六郎政景(まさかげ)すゝみ出て。この事は。むかし頼家卿(よりいへきやう)秘藏(ひさう)ありし護花鈴(はなのすゝ)を。鬼(おに)の爲(ため)に盗(ぬすま)れ給へり。これを取(とる)に射藝(しやげい)無双(ぶそう)の武士(ものゝふ)に仰(おふ)せ。射(い)てとらしめ給はざれば。祟(たゝり)ありとて。大輔坊(だいぶぼう)源性(げんせう)が勘文(かんもん)をもて申せし事あり。この事につきて臣(やつがれ)が」 4 妹夫(いもとむこ)加藤(かとう)繁光(しげみつ)は氣色(けしき)を蒙(かうむ)り。長(なが)く所帯(しよたい)を没収(もつしゆ)せられ候。縁由(ことのよし)箇様/\(かやう/\)とて。繁光(しげみつ)三年(みとせ)が間(うち)。筑前(ちくぜん)に立越(たちこえ)て射藝(しやげい)を修行(しゆぎやう)し。その後(のち)鎌倉(かまくら)に立(たち)かへるといへども。頼家卿(よりいへきやう)薨去(こうきよ)ましけれは。ふかく望(のぞみ)をうしなひて。今(いま)なほ名越切通(なごやのきりとほし)に僑居(きやうきよ)するよしを述(のべ)て。彼是(かれこれ)(つまびらか)に聞(きこ)えあぐれば。實朝(さねとも)(こう)聞食(きこしめし)て。然(しか)らは源性(げんせう)を召(め)せと仰(おふ)するに。走衆(はしりしゆ)うけ給はりて。時(とき)を移(うつ)さず源性(げんせう)を將(い)て參(まい)りぬ。實朝(さねとみ)(こう)やがて鈴(すゞ)の事を尋(たづね)給ふに。源性(げんせう)が申ところも。政景(まさかげ)が申す趣(おもむき)と。つゆ違(たがは)ざりしかば。實朝(さねとも)(こう)しば/\嗟嘆(さたん)し給ひて。かばかりの鈴(すゞ)を射(い)て落(おと)す武士(ものゝふ)なく。十八箇年(かねん)(いたづら)」に。梢(こずゑ)にかゝらしおきたるこそ越度(をちど)なれ。われ今繁光(しげみつ)を召出(めしいだ)して鈴(すゞ)を射(い)とらせんと思へども。鈴(すゞ)は二ッなるを。一人(ひとり)にこれを射(い)させ。縦(たとひ)(いち)の矢(や)(むなし)からずとも。二の矢(や)を射損(いそん)ぜば。その功(こう)(いたづら)ごとゝならん。繁光(しげみつ)とともに。誰(たれ)か彼(かの)(すゞ)を射(い)おとすべきと宣(のたま)へば。三浦(みうらの)九郎(くらう)胤義(たねよし)(れつ)を出(いで)て申すやう。大町(おほまち)なる武士(ぶし)の浪人(らうにん)。大内(おほうち)旦六郎(たんろくらう)と申す者(もの)は。繁光(しげみつ)にも勝(まさ)れるもの也。もし彼(かれ)に命(めい)ぜられば。万(まん)に一ッも過(あやまち)候はしと申すにぞ。實朝(さねとも)(こう)點頭(うなづか)せ給ひて。しからはそのものにも仰(おふ)すべし。繁光(しげみつ)には政景(まさかげ)申談(まうしだん)じ。旦六郎(たんろくらう)には胤義(たねよし)申談(だん)じて。明日(みやうにち)(み)の刻(こく)に射(い)さしむべし。われ又こゝに來(きた)つてそれを」 5 見(み)べき也と仰含(おふせふく)められ。やがて営中(ゑいちう)にかへり給ふ。さる程(ほど)に天野(あまのゝ)六郎政景(まさかげ)は。鶴岡(つるがおか)より直(たゞ)に繁光(しげみつ)が家(いへ)にゆきて。台命(たいめい)の赴(おもむ)きを傳(つた)へ。御邉(ごへん)(まさ)に家(いへ)を興(おこ)すべきはこの時(とき)也。速(すみやか)に用意(ようゐ)し給ふべしと促(うなが)せば。繁光(しげみつ)〓然(げんぜん)として落涙(らくるい)し。弓矢(ゆみや)の冥加(みやうか)に稱(かな)ひ。武運(ぶうん)いまだ竭(つき)ずして。今(いま)この仰(おふせ)を蒙(かうむ)り。忽地(たちまち)宿望(しくほう)を遂(とげ)ん事。こよなき僥倖(さいはひ)なり。只(たゞ)うらむらくは。妻(つま)に後(おく)れ子(こ)を先(さき)だて。只(たゞ)(み)ひとつなる繁光(しげみつ)が。よしや所領(しよれう)をかへし給はるとも。誰(たれ)に後栄(こうゑい)を遺(のこ)すべき。思へば歎(なげき)きの中(うち)の歡(よろこ)び。歡(よろこび)の中(うち)の歎(なげき)ぞかし。わが子(こ)の忌(いみ)も既(すで)に果(はて)たれば。固辞(いなみ)(たてまつ)るによしなし。」さらは參(まい)るべしと應(いらへ)て。猛(にはか)に弓(ゆみ)に弦(つる)を張(は)り。たしなみもてる大紋(だいもん)烏帽子(えぼし)などとり出(いで)て。次(つぎ)の朝(あさ)をぞ待(まち)たりける。大内(おほうち)旦六(たんろく)がかたにも。三浦(みうら)胤義(たねよし)が通達(つうだつ)によつて。忙(いそがは)しく出仕(しゆつし)の用意(ようゐ)をなし。繁光(しげみつ)に鼻(はな)をつかせて。日來(ひごろ)の鬱憤(うつふん)をはらすべしとて。天(てん)に歡(よろこ)び地(ち)に歡(よろこ)び。次(つぎ)の日(ひ)つとめて花々(はな/\)しく打扮(いでたち)。矢(や)を負(お)ひ弓(ゆみ)を携(たづさへ)。その身(み)は馬上(ばしよう)にて。従者(ともびと)七八人を。前後(ぜんご)に立(たゝ)せ。まつ胤義(たねよし)が屋敷(やしき)へとて赴(おもむ)く折(をり)しも。年紀(としのころ)十五六なる旅人(たびゝと)。物(もの)の蔭(かげ)より走(はし)り出(いで)。いかに漆川(うるしがは)權藤六(ごんとうろく)。われは十五ヶ年(かねん)以前(いせん)。汝(なんぢ)が爲(ため)に撃(うた)れたる丹助(たんすけ)が孫(まご)。石堂丸(いしだうまる)なり。向(さき)に箱根(はこね)の湯本(ゆもと)に於(おい)て。権平(ごんへい)をは撃(うち)とりぬ。祖父(おほぢ)」 6 の仇人(かたき)のがすまじと名告(なのり)かけて。刀(かたな)を打(うち)ふり呻(おめい)てかゝれは。旦六(たんろく)(ぎよつ)とせしが〓然(から/\)と打わらひ。もの/\しき孤児(こせがれ)が挙動(ふるまひ)かな。われそのむかし丹助(たんすけ)を撃(うつ)たればとて。今(いま)將軍家(せうぐんけ)の召(めし)によつて出仕(しゆつし)の途中(とちう)。妨(さまたげ)せば反逆(はんぎやく)にひとしからん。そこ退(のけ)やつと呼(よば)はりつゝ。弓(ゆみ)に矢(や)つがひて兵(ひやう)と發(はな)すを。石堂(いしとう)(からり)と切折(きりをつ)て。片臑(かたすね)ずばと切(きり)つくれば。旦六(たんろく)は二の矢(や)を〓(つがひ)なから。馬(うま)より〓(だう)と落(おつ)るところを。起(おこ)しも立(たて)ず首打(くびうち)おとし。髻(もとゝり)引提(ひきさげ)て走(はし)り去(さ)るを。旦六(たんろく)が従者(ともひと)(ら)。透間(すきま)もなく追蒐(おつかけ)たり。浩処(かゝるところ)に執權(しつけん)北條(ほうでふ)義時(よしとき)朝臣(あそん)。この日(ひ)供奉(ぐぶ)の爲(ため)只今(たゞいま)出仕(しゆつし)の路(みち)すがら。折(をり)よくこゝへ來(き)あはするを見(み)て。石堂丸(いしだうまる)は義時(よしとき)
挿絵第十一図
挿絵第十一図 石堂丸(いしだうまる)ふたゝび仇(あた)を撃(うつ)て途(みち)に義時(よしとき)にあふ(7ウ8オ)
の馬前(ばぜん)に跪(ひざまづ)き。是(これ)は筑前國(ちくぜんのくに)古賀村(こがむら)のものなるが。祖父(おほぢ)の仇(あた)。權藤六(ごんとうろく)といふものを撃(うち)とり。その徒(ともがら)に追(おは)れて頗(すこぶる)難義(なんぎ)に及(およ)べり。あはれ救(すく)はせ給へかしと申しつゝ。目今(たゞいま)(うち)とつたる旦六(たんろく)が首(くび)と。亦(また)(こし)に著(つけ)たる旦七(たんしち)が首(くび)をとり出(いだ)して見(み)せまゐらせ。なほ細(くは)しく縁故(ことのもと)を申さんとするに。旦六(たんろく)が従者(ともびと)(ら)は。喘々(あへぎ/\)(お)ひ來(きた)り。異口同音(みなくち/\)に申すやう。大内(おほうち)旦六(たんろく)。將軍家(せうぐんけ)の召(めし)に應(おう)じて出仕(しゆつし)いたす処(ところ)に。その若人(わかうど)祖父(おほぢ)の仇人(かたき)也と呼(よ)びかけ。理不尽(りふじん)に撃(うち)(はた)し候ひぬ。とく/\出(いだ)させ給へとぞ申ける。義時(よしとき)うち聞(きゝ)て。まづ石堂丸(いしだうまる)に旦六(たんろく)を仇(あた)とし撃(うつ)たる縁由(ことのよし)を問(とは)るゝに。石堂丸(いしだうまる)は一五一十(いちぶしゞう)を申せしが。父(ちゝ)繁光(しげみつ)の」 8 事をは告(つげ)ず。そのとき義時(よしとき)朝臣(あそん)のいはく。縦(たとひ)(なんぢ)が爲(ため)に祖父(おほぢ)の仇(あた)なりとも。旦六(たんろく)は台命(たいめい)によつて。鶴岡(つるがおか)の社頭(しやとう)。銀杏(いてう)の梢(こずゑ)にかゝりたる鈴(すゞ)を射(い)とるものなるを。汝(なんぢ)(わたくし)の意趣(ゐしゆ)をもて。理不尽(りふじん)に撃(うち)とる事。その罪(つみ)(かろ)からずと仰(おふ)すれば。石堂丸(いしだうまる)莞尓(につこ)として。彼(かの)旦六(たんろく)が射藝(しやげい)は。さのみ賞美(せうび)し給ふべきものにあらず。彼(かの)もの某(それがし)を射(い)んといたせしに。その矢(や)(つひ)にわが身(み)にたゝず。これにてその未熟(みじゆく)をしろし召さるべし。旦六(たんろく)(たとひ)存命(ながらへ)て候とも。さる晴(はれ)なる射人(いて)に參(まい)らん事覚(おぼ)つかなし。もし某(それがし)に命(めい)ぜられなば。その鈴(すゞ)を輙(たやす)く射(い)てとり候ひなんといふ。義時(よしとき)朝臣(あそん)。こは傍若無人(ぼうじやくぶじん)なるわかものが」廣言(くわうげん)かなと思ひながら。まづ旦六(たんろく)が従者(ともびと)をは退(しりぞか)して。主(しゆう)の屍(しがい)を扛(かき)もてかへらせ。旦六(たんろく)旦七(たんしち)が首(くび)と。石堂(いしだう)が行李(たびにもつ)を従卒(じうそつ)にもたし。やがて石堂丸(いしだうまる)を將(い)て。鶴岡(つるがおか)へ參(まい)りければ。加藤(かとう)繁光(しげみつ)は。天野(あまのゝ)政景(まさかげ)に引(ひか)れて。先(さき)だつて伺候(しこう)せり。程(ほど)なく實朝(さねとも)(こう)も出(いで)させ給ひしかば。義時(よしとき)御前(おんまへ)に參(まい)りて。旦六(たんろく)が横死(わうし)。石堂(いしだう)が仇撃(あたうち)の事。その申ところを審(つまびらか)に聞(きこ)えあけ。彼(かの)若人(わかうど)おぼえなくて。かゝる廣言(くわうげん)は吐(はく)べからず。今(いま)(かれ)をもつて。旦六(たんろく)にかはらせ。彼(かの)(すゞ)を射(い)さし給ひ。いよ/\射(い)おとし候はゞ。その罪(つみ)を赦(ゆる)し。もし射(い)(え)ざりせば。法(ほふ)のごとく行(おこな)ひ給はんかと申すを。三浦(みうら)胤義(たねよし)つと參(まい)りて。いなその義(ぎ)はかなふまじ。」 9 もしさる癖者(くせもの)に。この大事(だいじ)を命(めい)ぜられなば。天(てん)下の胡慮(ものわらひ)。東営(とうゑい)の武威(ぶい)を落(おと)すに似(に)たり。只々(たゞ/\)這奴(しやつ)を誅(ちう)せられんことこそねがはしけれとて。強(しい)て申すゝむれども。執權(しつけん)義時(よしとき)かく申すうへは。彼(かの)若者(わかもの)が射藝(しやげい)を試(こゝろ)み。その後(のち)ともかくもはからはるべしとて。猛(にはか)に石堂丸(いしだうまる)に。烏帽子(えぼし)衣服(いふく)太刀(たち)なんどを給はり。繁光(しげみつ)と立(たち)ならべて。件(くだん)の鈴(すゞ)を射(い)さし給ふ。これを見るもの。あな無慙(むざん)や。彼(かの)(わか)もの。よしなき所爲(わざ)を申乞(まうしこひ)て。身(み)の咎(とが)を増(ます)べきにとて。哢(あざけ)りおもはざるはなし。繁光(しげみつ)も若(わか)ものが為体(ていたらく)。心にくしと思ひしかば。汝(なんぢ)(うへ)の枝(えだ)なる鈴(すゞ)を射(い)ん歟(か)。又(また)(した)なるを射(い)るやと問(とふ)に。石堂(いしだう)(こたへ)て。某(それがし)は」いづれにもあれ。仰(おふせ)の隨(まゝ)に射(い)候べしといふ。繁光(しげみつ)(きゝ)て。憎(にく)さもにくしとおもひて。しからばわれは下(した)なるを射(い)とるべし。汝(なんぢ)は上(うへ)なるを射(い)られよといふに。こゝろ得(え)候とて。賜(たまはつ)たる弓(ゆみ)を携(たづさへ)。矢(や)は己(おのれ)が行李(たびにもつ)の裏(うち)なるをとりよして。繁光(しげみつ)と左右(さゆう)にわかれ。樹(こ)の下(もと)に立(たち)むかひたる形勢(ありさま)。意氣揚々(ゐきよう/\)として。つゆばかりも臆(おくし)たる氣色(けしき)なければ。はじめ嘲哢(あざけり)たる人も。みな息(いき)もせずこれを見る。時(とき)に繁光(しげみつ)(ゆみ)に矢(や)(つがひ)て。心の中(うち)に苅萱(かるかや)地藏(ぢざう)を祈念(きねん)しつゝ。満月(まんげつ)のごとく引(ひき)しぼり。しばし堅(かた)めて丁(ちやう)と發(はな)せば。銀杏(いてう)の小枝(さえだ)をふつと射(い)(き)り。鈴(すゞ)はから/\と音(おと)して落(おつ)るとひとしく。石堂(いしだう)も亦(また)。心(しん)」10 中(ちう)に地藏(ぢざう)菩薩(ぼさつ)を祈念(きねん)して。きり/\と引固(ひきかた)め。矢声(やこゑ)をかけて切(きつ)てはなせは。その矢(や)あやまたず。上(うへ)なる枝(えだ)の銀杏(いてう)の葉(は)。三枚(さんまい)を射(い)つらぬき。鈴(すゞ)は葉(は)の間(あはひ)に挾(はさま)れ。矢(や)とゝも落(おつ)るところを。石堂(いしだう)(はし)りよつて馬手(めて)にうけとめたり。その爲体(ていたらく)人間(にんげん)所爲(わざ)とも思はれず。是(これ)なん百歩(ひやくほ)の外(ほか)に柳(やなぎ)の葉(は)を穿(うがつ)といふ。養由基(ようゆうき)にも勝(まさ)るべし。彼(かれ)も竒(き)也。これも妙(みやう)なりとて。この両人(りやうにん)を誉(ほむ)る声(こゑ)洋々(よう/\)(こ)としてしばしは鳴(なり)も止(やま)ざりけり。かくて繁光(しげみつ)石堂丸(いしだうまる)は。おの/\射(い)とり得(え)たる鈴(すゞ)を献(たてまつ)れば。實朝(さねとも)(こう)ふかく賞美(せうび)あつて。繁光(しげみつ)が往(さき)の誤(あやまち)を免(ゆる)され。所領(しよれう)(ふるき)によつてかへし下(くだ)され。永(なが)く近従(きんじう)に召仕(めしつか)はる」
挿絵第十二図
挿絵第十二図 鶴岡(つるがおか)に父子(ふし)ならんで黄金(こがね)の鈴(すゞ)を射(いる)(11ウ12オ)
べきよしを仰(おふせ)られ。亦(また)石堂丸(いしだうまる)には。義時(よしとき)をもつて。汝(なんぢ)が父(ちゝ)は何(なに)ものぞ。由緒(よし)あるものゝ児子(せがれ)ならば召仕(めしつか)はるべし。審(つまびらか)に申せと宣(のたま)はすれば。石堂丸(いしだうまる)(つゝしん)で。父(ちゝ)は未生(みせい)の時(とき)に。鎌倉(かまくら)にかへりしかば。その面(おもて)をしらざれども。これなる繁光(しげみつ)が子(こ)に。石堂丸(いしだうまる)と呼(よば)るゝもの也。頃日(このごろ)関東(くわんとう)へ下向(げこう)つかまつては候へど祖父(おほぢ)の仇人(かたき)を撃(うつ)て尋(たづね)あふべく思ひしゆゑに。いまだ對面(たいめん)を遂(とげ)ず。今日(こんにち)はからずも。父(ちゝ)とともに鈴(すゞ)を射(い)とる事を命(めい)ぜられしに。大樹(たいじゆ)の御前(おんまえ)を憚(はゞかり)て。いまだ名告(なのり)あはず候と申にぞ。繁光(しげみつ)大に驚(おどろ)きて。こは心(こゝろ)も得(え)ぬ。わが子(こ)は繁(しげ)太郎只(たゞ)ひとりなるが。近曽(ちかごろ)大内(おほうち)旦七(たんしち)が爲(ため)に。箱根(はこね)の」12 湯本(ゆもと)にて命(めい)を隕(おと)せり。この外(ほか)に子(こ)といふものもてる覚(おぼへ)たえてなし。彼(かれ)が申ところ偽(いつは)りなり。よく/\糾明(きうめい)あらまほしと呟(つぶや)けば。石堂(いしだう)かさねて。さおぼすもことわり也。わが母(はゝ)千引(ちびき)。一夜(ひとよ)の契(ちきり)ありながら。詰朝(あけのあさ)(ちゝ)は地藏〓(ぢざうぼさつ)の示現(じげん)ありとて。俄頃(にはか)に鎌倉(かまくら)へ立(たち)かへり給ひしに。過世(すくせ)の縁(えに)しふかゝりけん。その夜(よ)結胎(みごもり)て。生(うま)れたるはわが身(み)ぞかし。その折(をり)しも祖父(おほぢ)丹助(たんすけ)は。漆川(うるしがは)權藤(ごんとう)六兄弟(きやうだい)に切害(せつがい)せられ。母(はゝ)は患難(くわんなん)の中(なか)に婦(をんな)の道(みち)を守(まも)り。わが身(み)を養育(はぐゝみ)給ひし程(ほど)に。わが身(み)(また)地藏〓(ぢざうぼさつ)の冥助(みやうぢよ)によつて。武藝(ぶげい)(のこ)る所(ところ)なく習得(ならひえ)。剰(あまさへ)仇人(かたき)の行方(ゆくへ)。今(いま)の姓名(せいめい)相貌(かほかたち)まで。審(つまびらか)に〓(ぼさつ)の説示(ときしめ)し」給ふによつて。縁由(ことのよし)を母(はゝ)に告(つげ)。祖父(おほぢ)の仇(あた)。旦(たん)六旦(たん)七を撃(うち)とり。これをみやげとして父(ちゝ)に尋(たづね)あはんとおもひ。まづ旦(たん)六兄弟(きやうだい)が。事(こと)の容子(やうす)を窺(うかゞ)ひ。旦七(たんしち)は箱根(はこね)に湯治(とうぢ)してありと聞(きゝ)て。潜(ひそか)に〓(ねら)ひよる折(をり)しも。わが兄(あに)(しげ)太郎。旦(たん)七に撃(うた)れ給ひしが。最期(さいご)に自他(じた)の姓名(せいめい)を名告(なのり)り給ひし程(ほど)に。はやくその人々なる事(こと)をしつて。その座(ざ)を去(さ)らせず旦七(たんしち)主従(しゆうじう)を撃(うち)とり。それより旦六(たんろく)を〓(ねら)ひしに。今朝(こんちやう)出仕(しゆつし)の事(こと)を聞(きゝ)て途中(とちう)に待(まち)うけ。既(すで)に仇(あた)をば殺(ころ)し尽(つく)し。おほけなく將軍(せうぐん)實朝(さねとも)(こう)の仰(おふせ)を蒙(かうむ)り。はからずも父(ちゝ)とゝもに。晴(はれ)なる射人(いて)に召加(めしくはへ)らるゝ事。古今(こゝん)未曽有(みぞうう)の幸福(さいはひ)なり。なほ疑(うたがひ)給はゞ。これを御覧(ごらん)」13 あつて。みづから暁得(さとり)給へかしと申しつゝ。携(たづさへ)たりし二條(ふたすぢ)の矢(や)と。短冊(たんざく)を逓与(わた)しける。繁光(しげみつ)(いそがは)しくとつてこれを見るに。げにもむかし再會(さいくわい)の信(しるし)にとて。千引(ちびき)に与(あたへ)たる。重代(じうだい)の征矢(そや)。自筆(じひつ)の短冊(たんざく)なりければ。或(あるひ)は驚(おどろ)き。或(あるひ)は歡(よろこ)び。石堂丸(いしだうまる)が顔(かほ)をつく/\とうち見て。しばし感涙(かんるい)をとゞめかね。寔(まこと)に汝(なんぢ)がいふところ。われ悉(こと/\)く覚(おほえ)あり。さてはわが子(こ)にてありけるか。こは卒忽(あからさま)なる事申つるこそ越度(をちど)なれ。親(おや)はなくとも子(こ)は育(そたつ)と。世(よ)の常言(ことわざ)にもれずして。鄙(ひな)には生(おひ)たちながら心(こゝろ)さまいみじく。祖父(おほぢ)と兄(あに)が仇(あた)を撃(うち)。剰(あまさへ)鎌倉(かまくら)ひろしといへども。われうけ給はらんといふものなき。梢(こずゑ)の鈴(すゞ)を射(い)とる事。父(ちゝ)には生(うま)れ勝(まさ)りしよ。」かゝる證据(せうこ)あるからは。石堂丸(いしだうまる)は紛(まぎ)れもなき。繁光(しげみつ)が昔(むかし)筑紫(つくし)にありしとき。儲(まうけ)たる。妾腹(せうふく)の児子(せがれ)にて候と申ければ。實朝(さねとも)(こう)をはじめ奉(たてまつ)り。義時(よしとき)政景(まさかげ)以下(いか)の人々(ひと/\)も。竒(あや)しき親子(おやこ)が物(もの)がたりに。賞嘆(せうたん)大かたならざりける。さて實朝(さねとも)(こう)は石堂(いしだう)をちかく召(めさ)れ。今日(こんにち)の勸賞(けんせう)として。先祖(せんぞ)の舊領(きうれう)筑前(ちくぜん)半國(はんこく)を給はる。父(ちゝ)とゝもに勤仕(きんし)いたすべきよしを命(めい)ぜられ。彼(かの)(や)と短冊(たんざく)をめしよせて見給ふに。矢(や)は繁光(しげみつ)が持(も)たるものと一般(おなじく)。袖搨(そですり)の下(もと)に朱(しゆ)をもて加藤(かとう)石堂丸(いしだうまる)としるし。又たんざくには。
  苅萱(かるかや)の関守(せきもり)とのみ見(み)えつるは。人もかよはぬ道(みち)べなりけり。」14
としるしたれば。ます/\嗟嘆(さたん)まし/\て。義時(よしとき)の携(たづさへ)させたる。旦六(たんろく)旦七(たんしち)が首(くび)を給はりて。祖父(おほぢ)と兄(あに)が霊魂(れいこん)を祭(まつ)ることを許(ゆる)させ給ひ。又宣(のたま)ひけるは。むかし繁光(しげみつ)が祖父(おほぢ)繁氏(しげうぢ)は。嫡室(ほんさい)傍室(そばめ)の嫉妬(しつと)によつて。世(よ)を觀(くわん)じ剃髪(ていはつ)して。苅萱(かるかや)道心(どうしん)と稱(せう)し。高野山(こうやさん)へ隱(かく)れしを。その子(こ)石堂丸(いしだうまる)(かの)(やま)にたづね登(のぼ)れども名告(なのり)あはず。一家(いつけ)の男女(なんによ)追慕(ついぼ)して。みな出家(しゆつけ)を遂(とげ)しより。その家(いへ)(つひ)に衰(おとろへ)たり。亦(また)(いま)の石堂丸(いしだうまる)は。仇(あた)を撃(うち)(ちゝ)にあひ。親子(おやこ)(ならん)で名(な)を揚(あげ)(いへ)を興(おこ)す事。その功徳(くどく)先祖(せんぞ)にも勝(まさ)るべし。彼(かの)旦六(たんろく)兄弟(きやうだい)は既(すで)に人を殺(ころ)すの奸賊(かんぞく)なるを。もし彼(かれ)をけふの射人(いて)に召加(めしくはへ)なば。末代(まつだい)までの瑕瑾(かきん)なる」べきに。石堂(いしだう)これを撃(うち)とる事。尤(もつとも)(せう)すべしと宣(のたま)ふに。供奉(ぐぶ)の人々(ひと/\)も。仰(おふせ)(まこと)に道理(どうり)に稱(かな)へりと申て。繁光(しげみつ)親子(おやこ)を祝(しく)しける。そが中(なか)に三浦(みうら)九郎(くらう)胤義(たねよし)のみ。憖(なまじい)に旦六(たんろく)を吹挙(すいきよ)して。面目(めんぼく)をうしなひぬ。天野(あまのゝ)政景(まさかげ)は。向(さき)より石堂(いしだう)が物(もの)がたりを聞(きゝ)てふかく歡(よろこ)び。通家(えんじや)の名告(なのり)りして。此(この)父子(ふし)ともろともに。實朝(さねとも)(こう)の寵遇(ちやうぐう)を謝(しやし)(たてまつ)る。實朝(さねとも)(すで)に営中(ゑいちう)に帰(かへ)り給へは。繁光(しげみつ)は政景(まさかげ)とともに。石堂丸(いしだうまる)を將(い)て帰宅(きたく)し。又(また)あらためて父子(ふし)合体(がつたい)の歡(よろこ)びをつくすに。石堂丸(いしだうまる)は父(ちゝ)を数回(あまたゝび)(はい)して申すやう。近属(ちかごろ)まで。父(ちゝ)を誰(たれ)ともしらざりしかば。尋(たづね)まゐらするに由(よし)なく。化(あだ)に打過(うちすぎ)たる不孝(ふこう)。許(ゆる)させ」15 給へとて。母(はゝ)が年來(としごろ)の患難(くわんなん)。地藏〓(ぢざうぼさつ)の冥助(みやうぢよ)。なほ前(さき)にいひもらしたる事(こと)を物(もの)がたれは。繁光(しげみつ)も政景(まさかげ)も。聞(きく)こと毎(ごと)に嗟嘆(さたん)して。千引(ちびき)は稀(まれ)なる烈女(れつぢよ)也。われは一(ひと)たびも得(え)(とは)ざりしに。彼等(かれら)は却(かへつ)てかくまでに。信(まめ)やかにありけりとて。数行(すこう)の落涙(らくるい)に及(およ)びける。かゝりしかば石堂丸(いしだうまる)は。母(はゝ)を迎(むかへ)ん爲(ため)に。筑前國(ちくぜんのくに)那河郡(なかごふり)博多(はかた)の城(じやう)に入府(にうふ)せり。その行装(きやうそう)前驅(ぜんく)後從(ごじう)。善尽(ぜんつく)し美(び)をつくす。故郷(こきやう)へ錦(にしき)を飾(かざ)るとは。かゝる人をやいふならん。彼地(かのち)に到着(とうちやく)したりければ。みづから母(はゝ)を城中(じやうちう)に冊(かしづ)き入(い)れて。鎌倉(かまくら)にての一五一十(いちぶしゞう)。審(つまびらか)にもの語(かた)り。親子(おやこ)つれだちて苅萱(かるかや)地藏(ぢざう)へ參詣(さんけい)し。本堂(ほんだう)の修造(しゆぞう)。年々(とし/\)
挿絵第十三図
挿絵第十三図 橋梓(きやうしん)(まつた)く聚(あつま)りてふたゝび家(いへ)を興(おこ)(16ウ17オ)
の佛餉(ぶつきやう)などをも制度(さた)し。國(くに)の法度(はつと)を定(さだ)めおきて。ふたゝび母(はゝ)を扶引(たすけひい)て。鎌倉(かまくら)へ立帰(たちかへ)れば。繁光(しげみつ)大によろこびて。端(はし)ちかう出迎(いでむかへ)。たえて久(ひさ)しき對面(たいめん)を歡(よろこ)び聞(きこ)ゆるに。千引(ちびき)拝伏(はいふく)して近(ちか)くもすゝまず。わらはは君(きみ)の傍妻(そばめ)なるに。いかで一ッ席(むしろ)につらなり侍(はべ)るべきとて。謙退辞讓(けんたいぢじやう)したりしかば。繁光(しげみつ)ます/\感嘆(かんたん)し。われ御身(おんみ)に音耗(おとづれ)せざりしは。われ故(ゆゑ)に一生(いつしよう)寡婦(やもめ)にてあらせじとおもひしを以(もつて)也。しかるに嫡室(ほんさい)桂江(かつらえ)も。児子(せがれ)(しげ)太郎も世(よ)を去(さり)て。いと心ぼそくも思ふ折(をり)しも。はからずして御身(おんみ)母子(ぼし)に環會(めぐりあふ)こと。天(てん)(さいわひ)にわが家(いへ)を亡(ほろぼ)さす。更(さら)に妻子(さいし)を与(あたへ)給へり。しかれば今日(こんにち)より。御身(おんみ)はわが後(のちの)」17 妻(つま)。石堂(いしだう)は家(いへ)の嫡子(ちやくし)たり。何の謙退(けんたい)かあるべきとて。わりなくわがかたはら。石堂丸(いしたうまる)が上座(かみくら)に居(お)らせ。頻(しきり)にその貞操(みさほ)を賞美(せうび)し。折(をり)をもつて千引(ちびき)を後妻(こうさい)といたすよしを。鎌倉殿(かまくらどの)へ聞(きこ)えあげ。父子(ふし)夫婦(ふうふ)むつましくて。その家(いへ)ながく栄(さかへ)。天野(あまのゝ)政景(まさかげ)が家(いへ)にも。いよ/\親(したし)く交參(まじらひ)て。舊好(ふるきよしみ)を忘(わす)るゝ事なし。されば昔(むかし)(すゞ)のうせたるとき。大輔(だいぶ)源性(げんせう)が。彼(かの)(すゞ)(いま)より十余(よ)年を經(へ)て。営中(ゑいちう)へかへるべしと卜(うらな)ひし事。つゆたがはずとて。ます/\その術(じゆつ)の長(たけ)たるを稱賛(せうさん)せり。繁光(しげみつ)は。事(こと)みな地藏〓(ぢざうぼさつ)の利益(りやく)によればとて。月毎(つきごと)に筑前國(ちくぜんのくに)へ代參(だいさん)の使者(ししや)をつかはし。現世(げんぜ)には一家(いつけ)の繁昌(はんじやう)。後世(ごせ)には妻(つま)の」桂江(かつらえ)。児子(せがれ)(しげ)太郎。舅(しうと)丹助(たんすけ)(ら)が抜苦(ばつく)与樂(よらく)を念願(ねんぐわん)し。宝満山(ほうまんざん)へも夥(あまた)の布施(ふせ)して。むかしの寄宿(きしゆく)の恩(おん)を謝(しや)し。よろづめでたく歡(よろこ)ぶべき事のみ打(うち)つゞきて。人(ひと)も羨(うらや)みおもひけるとぞ。
苅萱後傳玉櫛笥下之巻畢」18

附言(ふげん)

▲友人(ともびと)(なにかし)(よ)にいふ。この書(しよ)のはじめに。和田胤長(わだのたねなが)伊東(いとう)か崎(さき)の洞(ほら)に入り仁田忠常(につたのたゞつね)富士(ふじ)の人穴(ひとあな)に入(い)る事(こと)を記(しる)す。且(かつ)忠常(たゞつね)か人穴(ひとあな)に入て神女(しんぢよ)にあふの圖(づ)。載(のせ)て巻端(くわんたん)にあり。しかれどもその説(せつ)は却(かへつ)て省略(せうりやく)す縦(たとひ)頼家卿(よりいへきやう)。〓奢(きやうしや)の事(こと)をいはんまでに引用(いんよう)すとも。この両事(りやうじ)は粗(ほゞ)世俗(せぞく)のしるところなり。童蒙(どうもう)その審(つまびらか)ならざるを見て遺憾(いかん☆○ノコリヲシイ)おほしとせんかといへり。こは例(れい)の無稽(ぶけい)の事(こと)にあらぬは。黙止(もだ)しがたく。こゝに抄書(せうしよ)して。更(さら)に剞〓(きけつ)を労(ろう)するものなり。

 東鑑建仁三年六月一日條云將軍家[頼家]著御伊豆奥狩倉而号伊東崎之山中有大洞不知其源遠將軍恠之己尅遺和田平太胤長被見之胤長擧火入彼穴酉尅歸參申云此穴行程數十里[觧按関東往昔六町爲一里今猶鎌倉有七里濱其實四十餘町也是古言餘波足以徴矣]暗兮不見日光有一大蛇擬呑胤長之間抜劔斬殺訖同書同年六月三日條云將軍家[頼朝]渡御于駿河國富士狩倉彼山麓有大谷号之人穴爲令究見其所被入仁田四郎忠常主從六人忠常賜御劔[重宝]入人穴今日不歸出幕下○同四日」(19) 條云已尅仁田四郎忠常出人穴歸參往還經一日一夜也此洞挾兮不能廻踵不意進行又暗兮令痛心神主從各取松明路次始終水流浸足蝙蝠遮飛于顔不知幾千万其先途大河也逆浪漲流失據于欲渡只迷惑之外無他爰當火光河向見竒特之間郎從四人忽死亡而忠常依彼靈之訓投入恩賜御劔於件河全命歸參古老云是淺間大菩薩御在所往昔以降敢不得見其所令次第尤可恐乎」

▲友人(ともびと)いふ。胤長(たねなが)(ほら)に入(いつ)て大蛇(だいじや)を斬(きる)はさもあるべし。忠常(たゞつね)人穴(ひとあな)に入(いつ)て浅間神(あさまのかみ)にあふといふ事は。信(しん)じがたしといふ。余(よ)がいふ。桃源(とうげん)に漢晋(かんしん)を語(かた)り。井(ゐ)を穿(うがつ)て地仙(ちせん)にあふの類(たぐひ)。唐土(もろこし)にもかゝる例(ためし)(おほ)し。天地(てんち)の廣大(くわうたい)なる。何(なに)ものかなしとせん。亦(また)(あやしむ)に足(た)らず。

▲友(とも)のいふ。上巻(くわん)に逸志(いつし)を引(ひい)て。鍾馗(せうき)の事を説(と)き。圖(づ)も又(また)巻端(くわんたん)に見(み)ゆ。和俗(わぞく)(かれ)を鍾馗(せうき)大臣(だいじん)と稱(せう)す。鍾馗(せうき)は進士(しんし)なり。その大臣(だいじん)と稱(せう)すること。更(さらに)(よりどころ)なし。且(かつ)近世(きんせい)(わが)  朝(ちやう)の士庶(ししよ)。端午(たんご)の幟(のぼり)にもつはら鍾馗(せうき)を圖(づ)するものは。玄宗(げんそう)の爲(ため)に虚耗(きよがう)の鬼(おに)を除(のぞ)くといへるに因(よる)(か)。しかれども鍾馗(せうき)(し)する」20 の日(ひ)。明皇(めいくわう☆○ゲンカウ)緑袍(みどりのほう)を賜(たまは)りて葬(ほうふら)し給ふ。恩(おん)を感(かん)じてたま/\靈(れい)を顕(あらは)し。虚耗(きよがう)の鬼(おに)を驅(かり)たるはことわりながら。露(つゆ)ほども好(よしみ)なきわが俗(ぞく)の爲(ため)に悪鬼(あくき)を除(のぞか)せんとするは。心もとなき事也。且(かつ)鍾馗(せうき)は落第(らくたい)の進士(しんし)なり。志(こゝろざし)を果(はた)さずして。自殺(じさつ)したるものならば。羨(うらやむ)べき人にあらず。是(これ)を五月の幟(のぼり)に圖(づ)して。子孫(しそん)の幸福(こうふく)延命(ゑんめい)を祝(しく)するは。いよ/\おぼつかなき所爲(わざ)ならずやといふ。余(よ)がいふ。鍾馗(せうき)の説(せつ)區々(まち/\)也。これを圖(づ)しこれを祭(まつ)ること。端午(たんご)の幟(のぼり)のみにあらず。いにしへは民間(みんかん)戸毎(いへごと)に。門(かど)に鍾馗(せうき)の画像(ぐわそう)を粘(はり)しとぞ今その遺風(ゐふう)遠三(ゑんさん)両國(りやうこく)に残(のこ)り。修驗者(しゆげんしや)より毎歳(まいさい)おくると見(み)えて」画像(ぐわそう)の側(かたはら)に山伏(やまふし)の名(な)。何(なに)がし院(いん)と写(しる)し。半紙(はんし)一枚(いちまい)に鍾馗(せうき)の圖(づ)を押(おし)たり。これを戸守(とまもり)と稱(せう)するとぞ。余(よ)(わう)年花洛(くわらく)に遊歴(ゆうれき)せし日。遠州(ゑんしう)の友人(ともびと)に就(つい)て。戸守(とまもり)の鍾馗(せうき)一枚(いちまい)を藏(おさめ)(え)たり。今(いま)(あん)ずるに。是(これ)鍾馗(しようき)の像(ぞう)にあらず素盞烏尊(そさのをのみこと)を祭(まつ)る也。その誤來(あやまりき)たること久(ひさ)し。井沢氏(ゐさはうぢ)の俗説辨(ぞくせつべん)に。埀加艸(すいかさう)を引(ひい)て云(いはく)。熱田(あつたの)民舎(みんしや)(はり)素尊像(すさのをのみことぞうを)而誤(あやまつて)(いふ)(これを)鍾馗(せうきと)矣蟠龍子云(はんりうしいはく)。これは〓〓(ほき)に天竺(てんちく)吉祥(きちじよう)天王(てんわう)舎城(しやしよう)の王(わう)を。商貴帝(せうきてい)と号(ごう)す。娑婆界(しやばかい)にくだつて牛頭天王(ごづてんわう)といふとあり。牛頭天王(ごづてんわう)は素盞烏尊(そさのをのみこと)なり。神代巻(じんだいのまき)に。素盞烏尊(そさのをのみこと)八束(やつか)の鬚(ひげ)(おひ)たりとあり商貴(せうき)と鍾馗(せうき)と同音(どうおう)」21 なる故(ゆゑ)に。旁(かた/\)(こん)じて畫(ゑがく)と見えたりといへり。もし果(はた)して素尊(そさのを)の像(ぞう)ならば。端午(たんご)の幟(のぼり)に画(ゑが)くこと笑(わら)ふべからず。この尊(みこと)は武勇(ぶゆう)(たけ)くまし/\て。山田の大蛇(おろち)を殺(ころ)し給ふことなど思ひあはすべし。これを端午(たんご)の幟(のぼり)に圖(づ)して。軍神(ぐんじん)と崇(あがめ)まつらんは。その故(ゆゑ)なきにあらず。今俗(こんぞく)素尊(そさのを)を訛(あやまつ)て鍾馗(しようき)とするをもて。足下(そこ)の議論(ぎろん)も出來(いでき)にたり。亦(また)玄宗(げんそう)の夢(ゆめ)に鍾馗(しようき)を見るといふものは。例(れい)のそら言(こと)にて。ふかく信(しん)ずるに足(た)らずこの事(こと)は。蟠龍子(はんりうし)叮嚀(ねんごろ)に諸書(もろ/\のしよ)を引(ひい)て。審(つまびらか)に辨(べん)じたり。因(ちなみ)にこゝに抄(せう)すべし。

 宋沈括存中補筆談云宋征西將軍宗懿有妹名鍾馗。後魏有李鍾馗。隨將喬鍾馗。楊鍾馗然則鍾馗從來亦遠矣非起開元之時始有畫耳。鍾馗字一作鍾葵 ○續博物志云俗傳鍾馗起於唐明王之夢非也北史云尭暄本名鍾葵字辟邪。于勁字鍾葵。宋〓妹名鍾葵。非特明王時但葵馗二字異耳。又曰終葵菜名本草綱目云謹按爾雅云鍾馗菌名也。考工記註云終葵椎名也菌似椎形故得同稱俗畫神執一椎撃鬼故亦名鍾馗好事者因作鍾馗傳言是未第進」22 士能啖鬼遂成故事不知其訛也。

かゝれば鍾馗(しようき)は菌(くさびら)の名(な)。終葵(しようき)は椎(つち)の名(な)也。その菌(くさびら)(つち)の形(かたち)に似(に)たる故(ゆゑ)に同稱(おなじとなへ)を得(え)たるを。俗(ぞく)(おに)を撃(うつ)の神(かみ)。手(て)に椎(つち)をもつ圖(づ)を画(ゑか)き。椎(つち)に因(ちなみ)て是(これ)をも鍾馗(しようき)と稱(となへ)しを。好事(こうず)のもの鍾馗(せうき)の傳(でん)を作(つく)りて。いまだ第(たい)せざるの進士(しんし)。鬼(おに)を啖(くらふ)といふ。後世(こうせい)暁得(さと)らずして鍾馗(しようき)といふ進士(しんし)。實(じつ)に鬼(おに)を啖(くら)へりとおもふとぞ。且(かつ)鍾馗(しようき)と稱(せう)する人。唐(たう)以前(いぜん)も夥(あまた)あり。ひとり終南山(しうなんざん)の進士(しんし)のみにあらず。友(とも)のいふ。これらの説(せつ)をおもふに。わが俗(ぞく)玄翁(げんおう)毒石(どくせき)を打砕(うちくだく)故事(こじ)を取(とつ)て。今(いま)も石(いし)を碎(くだ)く鎚(つち)を玄翁(げんおう)と称(となふ)るに似にたり。」といふ。余(よ)がいふ。否(いな)玄翁(げんおう)は有世(うせい)の和尚(おせう)。鍾馗(しようき)は未世(みせい)の進士(しんし)。和漢(わかん)同日(どうじつ)の論(ろん)にあらず。

▲友人(ともびと)いふ。足下(そつか)好古(こうこ)の癖(へき)あつて。考索(こうさく)(すこぶる)くはし。惜(をしい)かなその著(あらはす)ところ無稽(ぶけい)の小説(しようせつ)のみ。などてこゝに意志(ゐし)を費(ついや)す事(こと)の久(ひさ)しきといふ。余(よ)がいふ。著述(ちよじゆつ)はわが生活(せいくわつ)の一助(いちぢよ)なり。この故(ゆゑ)にわが欲(ほつ)するところを捨(すて)て。人の欲(ほつ)するところを述(のぶ)。閲者(みるもの)一日(いちにち)の戲場(ぎじやう)にかえて。ふかく心をとゞむるとしもあらず。作(つく)るものみづから虚譚(きよだん)をことわれば。後俗(のちのぞく)を誣(しい)る患(うれひ)もなし。もし童蒙(どうもう)たま/\これに因(よつ)て。善(ぜん)を奨(はげま)し悪(あく)を懲(こら)す事あらば。自他(じた)の幸(さいはひ)といふべし。但(たゞ)(つく)るものに」23 習(ならひ)あり。古(いにしへ)に粗(ほゞ)その名(な)の聞(きこ)えたるものを撮合(さつかう☆○トリアハ)して。新(あらた)に一部(いちぶ)の小説(しようせつ)を作(つく)るに。善人(ぜんにん)を誣(しい)て悪人(あくにん)に作(つくり)かへず。悪人(あくにん)をたすけて善(ぜん)人に作(つく)りかへず。勸懲(くわんちやう)を正(たゞしく)して。婦幼(ふよう)に害(がい)なからんことをえらむ作者(さくしや)の心を用(もちふ)べきは。こゝにありとおぼし。水滸傳(すいこでん)に忠義(ちうぎ)の二字(にじ)を冠(かうふら)するがごとき。終(つひ)に後人(こうじん)の議論(ぎろん)を脱(まぬか)れず。こゝろ見らるゝ所為(わざ)にして。いと耻(はづ)べき事也かし。縦(たとひ)(つく)り設(まうけ)たるものなればとて。義理(ぎり)に違(たが)へる談(たん)は。人も見るに堪(たへ)ざるべく。われも實(じつ)に作(つく)るに忍(しのば)ず。しかれども余(よ)駑才(どさい)なれば。おもふが万分(まんぶん)の一(いつ)もようせず。古人(こじん)の名(な)たゝる草紙(さうし)はさら也。近曽(ちかごろ)他人(たにん)新編(しんへん)の佳作(かさく)を閲(みる)」毎(ごと)に蹴然(しくぜん)としてその及(およば)ざるをしる。假初(かりそめ)の作物語(つくりものがたり)すらかくの如(ごと)し。まいて先哲(せんてつ)未發(みはつ)の説(せつ)をもて。後人(こうじん)の惑(まど)ひを觧(とか)ん事は。わがよくする所(ところ)にあらず。こゝに録(ろく)する鍾馗(しようき)の説(せつ)は。井沢氏(ゐさはうぢ)の辨(べん)に見えて。よく人のしるところなれど。足下(そこ)にいはれて答(こたへ)ざらんも腹(はら)ふくるゝわざなれば。ものなが/\しう書(かい)つけぬ。閲者(みるもの)はいとうるさくて。こはなくもがなとやいふべからん。
附言畢」24
跋・刊記
    刊記・跋

此書雖猶有居多宿構兎園冊子不能教厥談精細是以文辞動過約遺憾最甚閲者察諸
                           曲亭主人識〔馬琴〕

 繍像  葛飾北齋筆〔北齋〕
          高橋蠧輔刀

文化四丁卯年   深川森下町
  正月發販     榎本惣右衛門
                 梓
           同  平 吉」


#「説林」第40号(愛知県立大学国文学会、1991年) 所載。
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