『小説比翼文』(曲亭馬琴・享和四年刊)
高木 元 

【解題】

曲亭馬琴は本名滝沢興邦、後に解と改める。通称清右衛門、別号著作堂主人等(「滝沢馬琴」という呼び方は正しくない)。明和四年(一七六七)生れ、嘉永元年(一八四八)歿、享年八十二歳。江戸読本作者の第一人者である。早くから伝記研究が進み、現存する日記や書簡の大部分は活字化されて容易に見られるようになった。伝記については既に何回となく紹介されているので、ここでは触れないととにする。

さて、伝記資料に比べて著作の紹介はひどく遅れている。馬琴が残した作品は膨大な量にのぼるが、随筆類に比較的多くの翻刻が見られる以外、その代表作にすら信頼できる活字本が少ない。それでも明治期の叢書類には多くの作品が収められていたが、残念なことに現在では極めて入手が困難になってしまった。しかも明治期の翻刻は読み物として出されたもので、挿絵を欠いたり後刷本を底本とするなど、テキストとして満足に使用できないのである。本書に収めた『小説比翼文』(以下『比翼文』)も續帝國文庫『名家短編傑作集』(明治三十六年、博文館)に収められていたのだが、挿絵を欠いており、やはり校訂にも問題がある。ただし挿絵だけは『北齋讀本插繪集成』第一巻(美術出版社)に収められている。

ところで馬琴読本の処女作である中本型読本『高尾船字文』(寛政八年)は、『水滸伝』や『焚椒録』、更には『今古奇観』第三話「膝大尹鬼断家私」(訓点本『小説奇言』巻三)などの中国小説を、わが国の演劇である先代萩の世界(『伊達競阿国戯場』)に付会した作品。しかし巻末で予告された後編『水滸累談子』が出板されていないことからも分かるように、評判はあまり芳しいものではなかった。八年後の享和四年心機一転して二作の中本型読本を刊行した。その一つが『比翼文』で、もう一つが『曲亭伝奇花叙児』(以下『花叙児』)である。その『花叙児』は、徳田武氏が「『曲亭伝奇花叙児』論」(『日本近世小説と中国小説』、青裳堂書店)で明らかにされたように、中国の伝奇(しばい)『笠翁伝奇十種曲』中の「玉掻頭」を浄瑠璃風に翻案して、中国伝奇の台本に擬した様式で書いた作品である。袋や見返しに「一名彼我合奏曲」と標傍し、題名に〈伝奇〉という言葉を冠しているように、中国の戯曲を日本の演劇に付会するという斬新な試みを行った作品である。一方『比翼文』の方では題名に〈小説〉という言葉を用いている。実は、この〈伝奇〉と〈小説〉という二語は当時の日本にあっては異国情緒に富んだ耳慣れない語彙なのであった。だから題名の付け方を見ただけでも、読本という新しいジャンルに対する馬琴のただならぬ意気込みが読み取れるのである。

さて『比翼文』の中国典拠として、『醒世恒言』第八「喬太守乱点鴛鴛譜」(訓点本『小説精言』巻二)が指摘されている(麻生磯次『江戸文学と中国文学』、三省堂)。だが、ここから利用したのは女装した美少年が美女と契りを結ぶという部分的な趣向に過ぎない。むしろ中心は浄瑠璃『驪山比翼塚』(安永八年)や実録『比翼塚物語』(写本)、さらに容揚黛の中本型読本『敵討連理橘』(安永十年)等さまざまな形で流布していた小紫権八譚である。これら実録の小紫権八譚を換骨奪胎して、『比翼文』全体の枠組みとしているのである。既に内田保廣氏が「馬琴と権八小紫」(『近世文藝』二十九号)で詳細に分析されているように、『比翼文』では実録の約束に従いながらも権八の〈悪〉を薄め、その庇護者である幡随院長兵衛を〈侠客〉として形象化している。つまり馬琴は、この改変によって道義性を強調したのである。とは言っても表面的な勧善懲悪臭は、後年の馬琴読本に比べればずっと希薄である。

一方、水野稔氏は「馬琴の短編合巻」(『江戸小説論叢』、中央公論社)で、浮世草子『風流曲三味線』巻四、五(宝永三年)と読本『西山物語』太万の巻(明和五年)とを、『比翼文』の全体の構想に関わる典拠として挙げられている。『風流曲三味線』に拠って権八と濃紫との因縁の伏線を設定し、『西山物語』に拠って両家の葛藤の発端として武芸試合を設定したのであった。

ところで読本では作中人物達の関係に前生の因縁を設定し、その宿世に拠って筋の進行を合理化するとこが多い。すなわち〈因果応報〉と呼ばれている方法である。馬琴の場合は、後に益々この傾向が強くなり馬琴読本の顕著な特徴の一つになるのだが、既に『比翼文』に、おいてその萌芽が見られる。すなわち権八と濃紫の前生を権八の父が撃ち取った雌雄の雉子であったとすることにより、この二人が現世では夫婦として添い遂げられないように設定したのである。そして、このような仏教思想を借用した因果律は、以後の読本の構想法として作者と読者との聞に於ける暗黙の約束事となったのである。

さて馬琴は『比翼文』の自叙でも言及しているように、美少年の持つ妖しい美や男色に対して興味を持っていたようだ。享和元年の黄表紙『絵本報讐録』(敢えて玉亭主人と署名)で男色ものを手掛けているし、後年、未完の長編読本『近世説美少年録』九編(文政十一〜弘化四年、四編以下は『玉石童子訓』と改題)では善悪二人の美少年を主人公としているのである。それでも公式的な発言では、男色に対して露骨な嫌悪の念を説いている。

このように『比翼文』は、以後の馬琴読本に於て自覚的に方法化される多くの要素を孕んでおり、馬琴読本の出発点として重要な位置を占める作品であるというととができよう。

【書誌】


底本 国立国会図書館蔵(二〇八・一四二)
編成 中本 二巻二冊
表紙 利休鼠無地(十九×十三・〇糎)
題簽 左肩 子持枠「〈守節雉|恋主狗〉小説比翼文 上(下)
見返 右に「小説比翼文」左に「曲亭馬琴子編」中央下に「書肆 仙鶴堂梓[印]
自叙 「小説比翼文自叙[印]」末に「曲亭馬琴子\蓑笠隠居[印]
目録 「〈守節雉(つまこふきじ)|恋主狗(しゆをおもふいぬ)〉小説比翼文總目録」
口絵 二図(一丁) 第一図右下に「北齋辰政 画」とある。
内題 「小説比翼文上(下)巻」下に「東都 曲亭馬琴著編」
柱刻 「小説ひよく文上(下) ○丁付」
挿絵 十五図(墨刷りのみ)
尾題 「小説比翼文下巻 畢」
構成 〈上冊〉見返し、自叙六丁、目録一丁、口絵一丁、本文二十五丁、計三十三丁。
   〈下冊〉本文三一十二丁、刊記半丁、計三十三丁。丁付は「三十四」〜「六十五終」
匡郭 十五・三×十一・二糎
行数 自叙・本文共 九行
表記 句点読点の区別なく「。」が用いられ、ほぼ総ルピ。
刊記 「享和四年歳宿甲子吉日兌行\江戸本町條通油町\僊鶴堂 鶴屋喜右衛門
広告 刊記右に「曲亭主人新編」として四作の作品が挙げてある
印記 上巻一丁表、上部に「大」(大惣の印)
伝来 大惣本
備考 上巻題簽右側に、大惣のものと思われる題簽が剥離した跡がある。底本の虫損部分については天理図書館本を参照した。この天理本は濃標色無地表紙で題簽欠。また、立命館アートリサーチセンターの林美一コレクション中に後印一本が存。なお、改題後印本として『遊君操連理餅花(きみ□みさをれんりのもちはな)』、丁卯、仙鶴堂版がある。

【凡例】


一 原則的に原本通りに翻刻したが、以下の諸点に手を加えた。
一 JIS外漢字については近似の字体を用いた。PDF版は可能な限り異体字も表記した。)
一 片仮名は特に片仮名の意識で使われていると思われるもの以外は平仮名に直した。
一 右に拘わらず、助詞の「は」に「ハ」が用いられている場合は、これを残した。
一 「叙」に使用されている句読点(白ゴマ点)は、読点と句点とに直した。
一 本文には句読点の区別なく句点が用いられているが、読点と句点とに区別した。
一 衍字や欠字、表記上の誤りと思われる箇所は〔 〕で示した。
一 各丁の区切りに」印を付し、裏には丁付を示した。
一 割書は〈|〉で示した。(〈守節雉(つまこふきじ)|恋主狗(しゆをおもふいぬ)〉)
一 左ルビはルビに続けて▼で示した。(假(か▼ニセ)

【見返】

見返

【自叙】

小説比翼文(しようせつひよくもん)自叙(しじよ)[出思]

享和(きやうわ)三年弥生(やよひ)も半過(なかばすぐ)るころ、杜鵑(ほとゝぎす)(なき)たつ春の青山(あをやま)のあなたなる、めぐろの不動尊(だうそん)にまゐれり。此地(ところ)ハいにしへ、牧(まき)のあら駒(こま)(いだ)せしより、驪(めぐろ)の名ハ有けるを、今ハ目黒(めぐろ)と書(かく)をもて、後人(こうじん)附會(ふくわい)の説(せつ)をなすとかや。なほこゝかしこうかれありく程(ほど)に、永(なが)き日あしもかたぶきて、ものほしうなりぬ。こゝにうたかたの粟(あは)もち鬻(ひさく)(いへ)あり。是(これ)なん此あたりにハ名たゝるものから、やがてその家に立よるに、餅(もちひ)は今(いま)(かしき)(はべ)る。少刻(しばらく)」 待(また)せ給へといふ。さらバ憩(いこひ)て道の労(つか)れをもはらすべし。とく搗(かち)てよといひつゝ枕(まくら)して目睡(まどろみ)ぬ。夢(ゆめ)ごゝろに道(みち)の程(ほど)五六町立出(たちいで)て見れバ、竹垣(たけがき)あやしく締捨(むすびすて)たる菴(いほり)あり。庭(には)の遅桜(おそさくら)(さき)みだれし、木(こ)の間(ま)たち潜(くき)、鳥(とり)の声(こゑ)/\。うき世の外(ほか)の春(はる)に住馴(すみなれ)けん人の羨(うらやま)しく、暫(しば)し垣間(かいま)(み)おれば、うちより二八ばかりの女の、そのさま唯妍(あてはか)に、紫(むらさき)のいろ濃(こき)(きぬ)(き)たるが立出(たちいで)て誰(た)そと問(とふ)。おのれしか%\のもの也と名告(なのる)に、扨(さて)ハとし頃(ごろ)聞及(きゝおよび)ぬる風流士(みやびを)にておはせ。主人(あるじ)も友ほしく思ふ折にし」1 あれバ、こなたへ入らせ給へと伴(ともな)ひぬ。坐敷(ざしき)ハ席(むしろ)四ひらばかり設(まうけ)、竹(たけ)の柱(はしら)は朽(くち)て馬峰(うまばち)(すみか)を得(え)、軒端(のきば)の萱(かや)すゝけて燕(つはめ)(す)を失(うしな)ふ。あるじハかゝる葎屋(むぐらや)に似(に)げなき美少年(びしようねん)也けり。深山(みやま)の雪(ゆき)の消(きえ)やらぬ身をかこち、くれ竹(たけ)のよを捨(すて)たる人と〔ゝ〕も見えず、いかなるゆゑにや田舎(いなか)には引籠(ひきこもり)(ゐ)給らん。いと覚束(おぼつか)なくこそといふに、主人(あるじ)(すこ)し恥(はぢ)らひたるさまして、怪(あやし)み給ふもことわりなれ。おのれ聖(ひじり)の書(ふみ)にもうとく、又山水(さんすい)を楽(たのし)むものにもあらず。尊(たかき)も卑(いやしき)も、色に耽(ふけり)て」 夏虫(なつむし)の身をこがし、蜘牛(かたつふり)の家(いへ)をうしなひ、遠(とほ)き國(くに)にさすらひ、しらぬ田舎(いなか)に住(すみ)はてぬる類(たぐひ)也かし。されバ天地(あめつち)ひらけしより、男色(なんしよく)女色(によしよく)の二道(ふたみち)(おこなは)れて、天神(てんじん)七代(だい)の間(あひだ)女體(によたい)なし。是(これ)男色(なんしよく)の根本(こんほん)なるよし大鑑(かゞみ)の作者(さくしや)はいひける。こは槿(むくげ)の花(はな)の夕(ゆふべ)にしぼみ、朝皃(あさがほ)の日影(ひかげ)またで、盛(さかり)いとみじかきものから、それさへ百(もゝ)とせの身をはたす人も侍(はべ)るめり。むかし空海(くうかい)法師(ほふし)この道(みち)を傳(つたへ)ん為(ため)に入唐(につたう)して、石橋(しやくきやう)の危(あやう)きをわたり、衆道(しゆどう)の奥義(おうぎ)を極(きはめ)しより、真雅(しんが)僧都(そうつ)の常盤(ときは)の」2 山の岩(いは)つゝじと詠(よめ)りしハ、業平(なりひら)の俤わすれかたきをかこちけん。或(ある)ハ蓮生(れんしよふ)法師が弓卒(そ)都婆(は)、或ハ僧正坊(そうじやうぼう)が形見(かたみ)の羽團扇(はうちわ)、兼好(けんこう)が命松丸をいたはり、義鑑坊(ぎかんぼう)が義晴(よしはる)にかしづくなど、この類(たぐひ)なほ多し。漢土(もろこし)の〓通(とうつう)ハ、文帝(ぶんてい)に愛せられて孕(はらめ)りともいふ。哀帝(あいてい)は〓賢(たうけん)を后(きさき)のごとくし、弥子瑕(びしか)が食(くひ)さしの桃には衛(ゑい)の君(きみ)に涎(よたれ)を流(なが)させ、東坡(とうば)に涙(なみだ)こぼさせしハ、季(り)節椎(せつすい)が手がら也けり。異國(ゐこく)本朝(ほんちやう)この戯(たはふ)れさかりになりゆくまゝに、伽羅(きやら)にましたる甚之介どのてふ狂哥(きやうか)ハ、二百年」 前(ぜん)の秀句(しうく)なりや。しら拍子(びやうし)のながれ二すぢに漲(みなぎり)おちてより、哥舞伎(かぶき)の色子(いろこ)世に賞(しよう)せられしハ、竹中庄太夫、香(かう)之介、一学(いつかく)、初太夫、伊織(いおり)。又中頃は、小紫(こむらさき)、藤田皆之丞、伊藤小太夫、松嶋半弥、坂田小傳次、つゞきて市村玉柏(たまかしは)、山本かもん、山下亀之丞、袖崎(そでさき)哥流(かりう)、中村千弥、岩井左源太、中村岸(きし)之介、津川半太夫、松本重巻(しげまき)、これらハ都の花といふ。よしや難波(なには)の芳沢(よしさは)あやめ、浅尾十次、花井あづま、鈴木(すゞき)辰五郎が舞臺皃(ぶたいかほ)。こゝろある人に見せはや津(つ)の國(くに)の、西鶴(さいくわく)が發句(ほつく)にも、顔(かほ)見せや判官贔屓(はふぐわんひいき)鈴木(すゝき)がたと、誉(ほめ)3 けるハ是(これ)なりとか。峯(みね)の小ざらしが、きぬ/\の恨(うら)みより放(はなち)ける。鶏(とり)が鳴(なく)東路(あづまぢ)にその名聞(きこ)えたる左近(さこん)右近(うこん)ハ三寸五分の振袖(ふりそで)に、帯(おび)ハ蘇枋染(すはうそめ)の麻(あさ)を組織(くみおり)にし、幅(はゝ)ハ二寸五分を限(かぎり)として、跡先(あとさき)に總(ふさ)をつけて、四五寸むすびさげ髪(かみ)ハ百會(ひやくゑ)の上にて元結(もとゆひ)まき立(たてゝ)、額髪(ひたいかみ)を左右(さゆう)に分(わけ)女がたにいでたつ時ハ、白(しろ)き手拭(てぬぐひ)を眉(まゆ)の上に被(かけ)て、是を後(うしろ)にて合(あは)せ、赤繪(あかゑ)の扇(あふぎ)をさし挿頭(かざし)て、おもしろの海道下(かいとうくだ)や。筆(ふで)にかく共及(およば)じといふ哥(うた)を、二三年(ねん)ならひて太夫と呼(よば)れ、小栗(をぐり)の清水(しみつ)の段、桶(をけ)と柄杓(ひさく)を肩(かた)」 にかけ、照(てる)手の姫(ひめ)を狂言(きやうげん)のはじめとせしよし、古老(ころう)のいひ傳(つた)へ侍(はべ)る。これらを今の世の色子(いろこ)にくらぶれバ、花の傍(かたはら)なる深山木(みやまぎ)なるべけれど、その頃(ころ)此いろの行(おこなは)れしこと、今に勝(まさり)たるこそいとあやしく侍(はべ)れ。おのれも兄(あに)としたのめる人なきにあらねど、一たび妓女(うかれめ)の色(いろ)に染(そみ)しより、その人としも遠(とほ)くなりて、かゝるわび人とハなりぬといふ。又彼(かの)女のいへりけるハ、さなきにも女ハ五障(しよう)のつみふかきに、宿(よね)あそびとなりぬる身こそ、なほあさましくも悲(かなし)く侍(はべ)れ。そが中に傾色(けいしよく)に名高きハ、葛城(かつらき)定家(ていか)、そのゝち京によしの。江」4 戸に勝(かつ)山、大坂に利生(りしよふ)とて、第(だい)一藝(げい)をむねとして和哥(わか)の道(みち)にこゝろをよせ、印籠(いんろう)巾着(きんちやく)の緒(を)じめに珊瑚(さんご)琥珀(こはく)をえらみ、太夫と呼(よば)れながら後帯(うしろおび)にして、四折の半帋(はんし)をふところ紙(かみ)とし、茶(ちや)の湯(ゆ)十種香(しゆごう)を嗜(たし)み、琴(こと)三絃(さみせん)を攪(かき)ならし、こゝを通(とほ)る熊野(くまの)道者(どうしや)、手(て)にもつたも椰(なき)の葉(は)、笠(かさ)にさいたもなぎの葉といふ哥(うた)を弾(ひき)そめて、これを椰(なぎ)ぶしと名(な)づけしを、後(のち)に投節(なげぶし)とあらためて、籠(かご)の鳥かやうらめしやといふ唱哥(しようか)を箕山(きざん)が作出(つくりいだ)せしより、此一ふし都鄙(とひ)に傳(つた)へて、堺(さかひ)の隆達(りうたつ)か妙音(みやうおん)にハ、田舎人(いなかうど)の耳(みゝ)を驚(おどろか)し、」 東國(あづま)にハやへ梅(うめ)といふ新曲(しんきよく)(おこなは)れ、又土(ど)手ぶしてふ小(こ)哥も是より出て、英(はなぶさ)何がしが作(さく)もありとぞ聞(きこ)え侍(はべ)る。されバ中ごろまて太夫道中(どうちう)するときハ、禿(かふろ)二人に三絃もたせて、前(さき)に立(たゝ)せけるも、此等(これら)の余波(なごり)とぞしらる。扨よしなき昔語(むかしかたり)して、釈迦(しやか)の御(み)まへに経(きやう)を説(とく)こゝちし給ひけん。君(きみ)が年々の冊子(さうし)、たえず両夜(あまよ)のつれ%\を慰(なくさめ)侍る。この頃(ころ)ハいかなることをか綴(つゞり)給へる。聞(きか)まほしといふ。やつがれこの物(もの)語を聞(きゝ)て、膝(ひさ)の席(むしろ)にすゝむを覚ず。やがて懐(ふところ)より二巻(ふたまき)の冊子(さうし)をとり出ていへらく、おのれ才(さえ)みじかけれバ、めづらかなる筆(ふで)ずさみも侍(はべら)ず。此さうしハ、」5 往年(いぬるとし)何がしが筆(ふて)に著(あらは)してより、としごとに哥舞伎(かぶき)狂言(きやうげん)にすといふ。平井、幡随(ばんずい)が事書(かけ)るもの也。こゝろにとむべきものならねど、閑居(かんきよ)の伽(とぎ)にもやと、打ひらきてさし置(おけ)バ、彼(かの)人忽地(たちまち)(なやま)しげに見ゆ。こハいかなるゆゑにか、これらのことをハ忌(いみ)給ふると問(とふ)に、あるじの少年つと立(たち)あがりて、君(きみ)もしわれ/\が名をしらんとならバ、行てかしこの塚(つか)を見給へといふ。声(こゑ)いまだ訖(をは)らす、風(かせ)さと吹來(ふきく)る程(ほど)こそあれ、今まで在(あり)ける人ハ見えす。頂(いたゞき)の上に家も崩(くづ)るゝごとき音(おと)するに怕(おそ)れて、一(ひと)声あと叫(さけは)んとするとき驚寤(おどろきさめ)ぬ。是南柯(なんか)の一夢(いちむ)也けり。往昔(むかし)」 唐(たう)の開元(かいけん)七年、處士(しよし)廬生(ろせい)てふ人、邯鄲(かんたん)に旅(たび)やどりして呂翁(りよおう)が枕(まくら)を枕(まくら)とし、五十年の栄枯(ゑいこ)を夢みしこと、沈既済(ちんきせい)が枕中記(しんちうき)に見えたり。わか梦(ゆめ)それにハ異(こと)にしあれと、彼(かれ)も我(われ)も寤(さむ)るに粟(あは)の蒸(むせ)るをまたず。鳴乎(あゝ)前身(ぜんしん)といふべきや。はた後身(こうしん)といふべきや。今又呂翁(りよおう)を見ることなし。つひに身を側(そばだて)て起(おき)あがらんとすれバ、比翼(ひよく)塚のほとり堆子(きじ)しきりに鳴(なき)て、春(はる)の日やうやく西に没(いり)ぬ。

[曲亭馬琴子]     
蓑笠隠居[著作堂]6

叙末・目録

【目録】
守節雉(つまこふきじ)恋主狗(しゆをおもふいぬ)小説比翼文(しようせつひよくもん)總目録(そうもくろく)

第一編(だいいつへん) 窮士(きうし)野鶏(きじを)(ゐて)(わざはひを)(のこす)(こと)
           浮屠(ふと▼ホウシ)小兒(しように)(さうして)(めいを)(かたる)

第二編  犬兒(けんじ▼イヌ)(おんを)(かんじて)情子(じようしに▼オモフヒト)使(つかひする)
     寳劍(ほうけんを)(しちとして)右内(うない)(ろくを)(ゆづる)

第三編  平井(ひらゐ)本所(ほんじよ)闘劍法(たちあはせの)
     吾妻森(あづまのもり)三四白冢(みよしづかの)

第四編  權八(ごんはち)(いかりて)助太夫(すけだゆうを)(ころす)
     寃家(ゑんかを▼カタキノイヘ)(よぎりて)助市(すけいち)(あたを)(やしなふ)事」

(だい)五編(へん)  鈴森(すゞがもりに)長兵衛(ちやうひやうゑ)行客(たびゞとを)(すくふ)
            假(か▼ニセ)女子(ぢよし)(みを)(うりて)濃紫(こむらさきを)(いどむ)事)

第六編  幡隨(ばんずい)黒夜(こくや)義弟(ぎていを▼ヲトヽブン)(こゝろむ)
     男女(なんによ)(しを)(けつして)淺茅(あさぢに)(はしる)事)

第七編  妻(つまを)(すて)(ぎを)(たつさへて)(あんに)(わざはひに)(あふ)
     両(りやう)(ふん▼ツカ)(いしを)(がつして)比翼(ひよくと)(なづくる)事)

小説比翼文總目録7

目録・口絵

【口絵】  

比良井權八(ひらゐごんはち)

雄児(ゆうぢ)任氣使(じんきのし)(なは)(おほふ)少年(しようねん)(じやう)
北斎辰政画 

(けんを)(つきて)嫖院(ひやういんを)(よぎり)(ひとを)(ころす)都市(としの)(かたはら)
 

妓女濃紫(ぎぢよこむらさき)

當年(たうねん)(しと)(しようす)妖狐(ようこの)(くわい) 三徳(さんとく)不空(むなしからず)(み)(ていに)(しす)8

口絵・巻頭

【本文】

小説比翼文(しようせつひよくもん)上巻

東都 曲亭馬琴著編 

 第一編(だいいつへん)  窮士(きうし)雉子(きじ)を射(ゐ)て禍(わぎはひ)をのこす事
             浮屠(ふと)小児(しように)を相(さう)して命(めい)を談(かた)る事

むかし武蔵國(むさしのくに)、葛飾郡(かつしかのこふり)、平井村(ひらゐむら)の郷士(ごうし)に、平井(ひらゐ)右内(うない)といふものあり。その先祖(せんぞ)をたづぬるに一條(いちじよう)天皇(てんわう)の御宇(ぎよう)、武畧(ぶりやく)の達人(たつじん)と聞えたる、丹後守(たんごのかみ)平井(ひらゐ)保昌(ほうしよう)の後裔(こうえい)にして、父祖ハ安房(あは)の里見(さとみ)義弘(よしひろ)につかへしが、義弘(よしひろ)滅亡(めつぼう)のゝち故郷平井(ひらゐ)村に隠居(いんきよ)し、軍学(ぐんがく)釼術(けんじゆつ)を教(をしへ)て生計(よわたり)とせり。今の右内」 に至りても、父祖(ふそ)の業(ぎやう)をうけつぎて釼法(けんじゆつ)を指南(しなん)す。右内その人となり廉直(れんちよく)にしてへつらはず、こゝをもて技(わぎ)ハ長(たけ)たりといへども門人すくなく、その家(いへ)(きは)めて貧窮(ひんきう)なり。年(とし)わかゝりし時(とき)(かり)をこのみて野(の)にあそぶ。一日雉子(きじ)をうちてその首(くび)に中(あて)たりしが、その首(くび)(とび)て叢(くさむら)のうちにや入けん、これを索(たづぬ)るに見えず。明日(あす)又おなじ野にてその雌鳥(めす)をうちとめけり。此雉子(きじ)、きのふうちたりし雄鳥(をす)の首(くび)を羽(は)がひの下にかくしもてり。右内(うない)これを見て大に慙愧(さんぎ)し、夫(それ)(きじ)ハ守節(しゆせつ)の鳥(とり)なり。鳴乎(あゝ)飛禽(ひきん)もなほ、夫婦(ふうふ)いもせの恩愛(おんあい)(かく)(ふかき)を、」9 人としてなすこともなく、生(いけ)るを殺(ころ)してたのしみとせんこと、積悪(せきあく)餘殃(よわう)の天理(てんり)、おそるべし慎(つゝしむ)べしと忽地(たちまち)感悟(かんご)して終(つひ)に殺生(せつしよう)をやめたりける。又おなじ郡(こふり)なりける本所(ほんじよ)の里(さと)に、本所(ほんじよ)助太夫といふものあり。これもその先祖(せんぞ)ハ平井(ひらゐ)(うじ)より出て、右内(うない)が親族(しんぞく)なり。彼(かれ)が父祖(ふそ)ハ總州(さうしう)の千葉(ちば)守胤(もりたね)の家臣(かしん)なりしが、石原(いしはら)の城(しろ)没落(ぼつらく)のゝち、これも本所(ほんじよ)の郷(さと)に来(きた)りて釼術(けんじゆつ)を指南(しなん)し、今の助太夫に至(いた)りて既(すで)に三代(だい)の郷士(ごうし)なり。抑(そも/\)助太夫、その人(ひと)となり奸侫(かんねい)邪智(じやち)にして世才(せさい)あり。こゝをもてその技(わざ)ハ右内に劣(おと)りたれども世人彼(かれ)が」

挿絵一10
侫辨(ねいべん)に迷(まどは)されて、その門下(もんか)に属(しよく)する人多(おほ)かりけれバ、年(とし)わかきより用(もちひ)られて、家(いへ)ゆたかに時めきけり。助太夫が弟(おとゝ)助市ハ、その性質(うまれつき)(あに)に似(に)ず。右(う)内ハ釼術(けんじゆつ)に達(たつ)したるのみならず、筆法(ひつほふ)ハ佐々木(さゝき)文山(ぶんざん)に学(まなび)て、手迹(しゆせき)(つたな)からざれバ、助市幼(いとけな)きより右(う)内に筆学(ひつがく)して、父(ちゝ)のごとく敬(うやま)ひけれバ、右内もかねて助太夫が奸侫(かんねい)をにくむといヘども、助市が老実(ろうじつ)なるにめでゝ一家(いつけ)の好(よしみ)をやふらず。右内に子(こ)二人あり。兄(あに)を権八といひ、妹(いもと)をおつまとよぶ。その身(み)村落(そんらく)に生(うま)るゝといヘども顔色(がんしよく)(たま)のごとく、泥(でい)11(ちう)の芙蓉(ふよう)ともいふべし。その頃(ころ)(う)内が妻(つま)の従弟(いとこ)なりける男(をとこ)に、西村(にしむら)保平(ほへい)といふ浪人(らうにん)あり。目黒(めぐろ)瀧泉寺(りうせんじ)の門前(もんぜん)に、かすかなる家居(いへゐ)して夫婦(ふうふ)(すみ)けり。としごろ子(こ)のなきことを歎(なげ)き、宝塔寺(ほうたうじ)の雉子(きじ)の宮(みや)に祈(いの)りて一人(ひとり)の女児(むすめ)をまうけ、その名(な)をおきじと呼(よび)て鐘愛(ちやうあい)たぐひなし。女児(むすめ)きじ四になりける春(はる)、母(はゝ)持病(ぢびやう)の積聚(しやくじゆ)を患(やみ)て身まかりぬ。保(ほ)平鰥(やもを)の身(み)に、おさな子(こ)を養育(よういく)して艱難(かんなん)いふべうもあらず。右(う)内このことを傳(つた)へ聞(きゝ)てある日保(ほ)平が許(がり)ゆきていへらく、足下(ごへん)の不幸(こう)きくも」

挿絵二12
いたはし、男(をとこ)の手(て)して稚(おさな)きをもり育(そだて)んこと、よろづに附(つき)て憂(う)かるべし。しり給ふごとくわが家(きへ〔いへ〕)(きは)めてまづしといヘども、足下(ごへん)の艱難(かんなん)見るに忍(しのび)ず。けふよりおきじを引とりて養育(よういく)し、ひとゝなるのゝちハ孩児(せがれ)権八に妻(めあは)すへし。このことわれに任(まか)さるべきやといふ。保(ほ)平これを聞(きゝ)て大によろこび、げにや一貴一賤(いつきいつせん)まじはりを見るといヘど、貧(ひん)に居(ゐ)で貧(ひん)を辞(ぢ)せず、窮(きう)して後(のち)(ひと)の信(まこと)をしるとハ、足下(ごへん)の事なりかし。とまれかくまれよきにはからひ給はるべしといふ。こゝに於(おい)て右(う)内ハその日おきじを抱(いだ)きて家(いへ)」 に帰(かへ)り、夫婦(ふうふ)これをいつくしむこと実(まこと)の子(こ)のごとくす。おきじハ権八に年(とし)ましたりけれバ、よろづおとなびたり。されど過世(すくせ)あしくやありけん。只管(ひたすら)権八と陸(むつま)しからで、はしたなく挑(いどふ)あらそひけれバ、父母(ふぼ)もけうときことにハ思ひながら、互(かたみ)に年(とし)つもらバはぢて争(あらそ)ひもやむべしと、只(たゞ)仮初(かりそめ)に諭(さと)しいましめけるが、既(すで)に三とせの春(はる)たちて、身丈(せたけ)ハわか草(くさ)の萌(もえ)いづるごとく伸(のぶ)れども、あらそひハいよ/\つのるばかり也。ある時右(う)内権八おきじを招(まね)きよせ、世の諺(ことわざ)に、人の中(なか)あしきを犬(いぬ)と猿(さる)に譬(たとひ)たるハ、犬ハ人家(じんか)を慕(したひ)、」13(さる)ハ山林(さんりん)をしたひて、そのなすところ異(こと)なれバ也。御身(おんみ)ふたりハしからず。為(なす)ところもひとしく、遊(あそ)ぶことも同(おなじ)くて、むつましからぬハいかにぞや。稚(おさな)ごゝろにもよく弁(わきま)へよ。きじハゆく/\権八が妻(つま)とせんと思ふ也。しからバ今より睦(むつまし)くして、共に孝養(こうよう)をつくし、先祖(せんぞ)をかゞやかすべし。もし此のちいさゝかもあらそはゞ、権八ハわが児(こ)にあらず、きじハわが家(いへ)の嫁(よめ)にあらず。よくこゝろえよと苦(にが)%\しく教訓(きやうくん)す。二人(ふたり)ハかほうちあかめつ、手(て)を膝(ひざ)におきて、父(ちゝ)うへゆるさせ給へ。かさねてハ諍(あらそ)ふまじといふ。」 父母(ふぼ)よろこびてやゝ心(こゝろ)をやすくせしが、その次(つぎ)の日もあらそふこと常(つね)にかはらず。右(う)内ハ興(きやう)さめて口(くち)を鉗(つぐみ)、そのゝちハ敢(あへて)是非(ぜひ)をいはざりける。権八七になりける春庭(には)の小鳥(ことり)を射(ゐ)んと、破魔弓(はまゆみ)に箭(や)をつがひて睨(ねらひ)よる所におきじ何こゝろなく障子(しようじ)をさとひらきて走(はし)りいづれハ鳥(とり)ハこの音(おと)におどろきて飛去(とびさり)ぬ。権八大に怒(いか)りてなんぢよくもわが射(ゆみゐ)る妨(さまたげ)せしな。當知(おぼえ)よといひつゝよつ引(ひき)(ひやう)とはなつ。その箭(や)おきじが額(ひたい)をかすり、障子(せうじ)をつらぬきて席薦(たゝみ)のうへにすつくと立。おきじハ」14 一声(ひとこゑ)(あ)と叫(さけ)びて、忽地(たちまち)はたと倒伏(たふれふし)たるその音におどろき、二親(ふたおや)(はし)り出てこれをみるに、おきじが額(ひたい)やぶれて血(ち)(なが)れ出ること夥(おびたゝ)し。あはやと抱(いだ)きおこし、袖もてその鮮血(のり)をぬぐひ見れバ、只(たゞ)破广矢(はまや)のかすりたるのみなるゆゑ、幸(さいは)ひ疵(きず)も深(ふか)からず。やがて膏薬(こうやく)を傳(つけ)、湯剤(くすり)を飲(のま)せ、さま%\勦(いたは)りけれバ、十日ばかりにしてまつたく愈(いえ)たり右(う)内ハこの光景(ありさま)にうち驚(おどろ)きて、とせんかくせんとこゝろのうち安からず。婦(つま)さゝやきていへらく、世(よ)に五生々尅(あひしよう)といふことなきにしもあらじ。つら/\かれら二人(ふたり)が事(こと)を思ふ」

挿絵三15
に、是かり初(そめ)のことにはあらず。近(ちか)きわたりに宮居(みやゐ)し給ふ、平井(ひらゐ)観喜天(くわんきてん)の菴主(あんしゆ)ハ、卜筮(ぼくぜい)説相(せつさう)の術(じゆつ)に通(つう)じて、よく人の禍福(くわふく)をしめし給ふときく。はやくこれを迎(むかへ)てその吉凶(きつきやう)を問(とひ)給へと薦(すゝめ)けれバ、右内げにもとこゝろづき、翌日(よくじつ)観喜天(くわんきてん)の庵主(あんしゆ)を請(しよう)じて子供(こども)(ら)が姻縁(こんえん)の吉凶を問(とへ)バ、庵主(あんしゆ)すなはち相(さう)して云(いはく)、男子ハ子の年戌の日に生れて金性なり又女子ハ亥の年午の日に生れて火性なり。夫火ハ金を尅(こく)し又火ハ戌に衰(おとろ)ふ子ハ正北(せいぼく)にして陰(いん)なり。これを四神(しじん)に配(はい)すれバ、北方(ほくほう)玄武(げんむ)水に象(かたど)る。」16(うま)ハ正南(せいなん)にして陽(よう)なり。これを四神(ししん)に配(はい)すれバ、南方朱雀(しゆじやく)(ひ)に表(かたど)る。陰陽(いんよう)(てき)して水ハ火を尅(こく)す。これ大凶(きやう)なり。これを妻(めあは)〔せ〕んこと大によからず。その気(き)こゝに牙(きざ)して相(あひ)あらそふといへども、後(のち)ハ却(かへり)て睦(むつま)しかるべし。譬(たとひ)バ金(かね)ハ火に尅(こく)せられながら、銅鉄(どうてつ)(きやう)(けん)のたぐひ、みな火に入りてかたちをなすがごとしその悪(にくむ)ものをもて形(かたち)をなすがゆゑに、これを妻(めあは)すときハ睦(むつましく)して迭(たがひ)に相殺(あいころ)すをしらずその事戌(いぬ)におこりて南方に終(おは)らん歟(か)。この禍(わざはひ)一朝(いつてう)の事にあらず足下(ごヘん)わかゝりし時大に陰徳(いんとく)をそこなへりその餘殃(よわう)今この小児に」 罹(かゝ)りぬ。よく心に秘(ひ)して徳(とく)を修(しゆ)し、その禍(わざはひ)を禳(はらふ)べしと、過去(くわこ)を説(とき)、未來(みらい)を示(しめす)こと響(ひゞき)のものに應(おう)するごとくなれば、右内夫(ふう)婦大におどろきて、厚(あつ)く庵主(あんしゆ)に礼謝(れいしや)し、つら/\禍(わざはひ)の係(かゝ)るところを考(かんがふ)れバ、むかし雌雄(しゆう)の雉子(きじ)をころせしこと、まつたく子供等が身(み)にむくへり。彼(かれ)が名(な)をお雉子(きじ)といひ、生(うま)るゝ日又午なり。午ハ南方(なんばう)朱雀(しゆじやく)にして、朱雀(しゆじやく)も又これ雉子(きじ)なり。嘗聞(かつてきく)、いにしへ周(しう)の脂、(れいわう)、褒城(ほうじよう)の神(かみ)を走(はしら)せて禍(わざはひ)を遺(のこ)し、幽王(ゆうわう)の時にいたりて、褒〓(ほうじ)が為(ため)に国(くに)をほろぼすとかや。今のおきじハわが家の」17 褒〓(はうじ)ならんと、舌(した)をまきておそれしが、女児(むすめ)おつまも又雉子(きじ)の後身(さいらい)にして、その終(をはる)ところかの雄雉(きゞす)のうたれしごとくなるを、しらざるこそ浅(あさ)ましけれ。斯(かく)て右内ハ次(つぎ)の日おきじを伴(ともなひ)て目黒(めぐろ)にいたり、保(ほ)平にあひていへりけるハ、かねてハおきしを養(やしなひ)て嫁(よめ)にもせまほしく思ひしが、いかにせんわが家(いへ)ます/\貧(ひん)に迫(せま)り、四人の口(くち)を糊(こ)しがたし。よりて已(やむ)ことを得(え)ずかへし申なりといふ。保平これを聞(きゝ)て心のうち大に憤(いきどほ)り、さては右内わが貧窮(ひんきう)をあなどり、ゆく末(すゑ)たのみ少(すくな)しと、中途(ちうど)に女児(むすめ)をかへすならん。渠(かれ)武夫(ぶふ)ににげなくも言(こと)」 を食(はみ)て、われを辱(はつかしむ)ることのにくさよと、異儀(ゐき)なくおきじをうけとり、是(これ)より交(まじはり)を絶(たち)て永(なが)く胡越(こゑつ)の人となりぬ

 第(だい)二編(へん) 犬児(けんじ)(おん)を感(かん)じて情子(じようし)に使(つかひ)する事
            宝釼(ほうけん)を典(しち)として右内(うない)(ろく)を譲(ゆづる)

光陰(くわういん)(や)のごとく、又浚(おさ)のごとく、権八巳(すで)に十六才になりぬ。その容貌(ようはう)の美(び)なるをいはゞ、〓通(とうつう)もおよびがたく、在五(ざいご)もなずらふべし。面(おもて)ハ紅粉(こうふん)を施(ほどこ)さずして桃花(とうくわ)の如く、腰(こし)ハ羅綺(らき)にもたへずして嫋柳(じやくりう)に似(に)たり。かゝる美少年(びしようねん)は、俳優(わざおき)(ちう)の女形(をんながた)といふものにもあらじと、その男色(なんしよく)になづ」18 める人も多(おほ)かりける。権八斯(かく)のごとく容姿(ようし)女子(をなご)に彷彿(はうふつ)たりといへとも。心あくまで猛(たけく)して万夫(ばんぶ)をもおそれず。釼術(けんしゆつ)ハ父(ちゝ)が技(わざ)をうけつぎて、金石(きんせき)を碎(くだ)くの手段(しゆだん)あり。実(じつ)に今の世の牛若(うしわか)丸ともいひつべし。妹(いもと)おつまハ今茲(ことし)十五歳にして、これ又沈魚(ちんきよ)落鴈(らくがん)のすがたあること兄(あに)権八に劣(おと)らず。是(これ)より先(さき)本所(ほんじよ)助太夫が弟助市、おきなきより日々(ひに/\)手習(てならひ)にかよひ來(き)しが、子(こ)ども遊(あそ)びの雛事(ひなごと)より、仮初(かりそめ)に妻定(つまさだめ)して、   何となく硯(すゞり)にむかふ手(て)ならひよ人にいふべきこゝろならねバ と、源氏(けんじ)の古哥(こか)を口すさみしより、初花(はつはな)の色こき、春(はる)の」 夜の品定(しなさだ)めにも、綻(ほころひ)かゝる口あけの、袂(たもと)にあまるおもひとなりて、互(かたみ)にゆく末(すゑ)ハこの人ならすして、誰(たれ)にか百年(もゝとせ)の身(み)をまかすへきと、心のうちにゆるせしも可愛(あい)し。年長(としたけ)てハ助市も手習(てなら)ふことをやめて、こゝに來(く)ることも稀(まれ)なりけれバ、今ハ石原(いしはら)のかたき契(ちきり)もたのみがたく、吾妻(あつま)の森(もり)の下露(つゆ)に濡(ぬれ)つゝ袖(そで)も朽(くち)んとす。こゝに右内が家(いへ)にとしごろ養(かひ)ける犬(いぬ)あり。この犬黒(くろ)き毛(け)のうちに、白き毛(け)と四と絞染(しぼりぞめ)のごとくまじりたれバ、その名(な)を三四白(みよし)とよべり。ある日おつまハ椽(ゑん)の柱(はしら)にうちもたれて、ひとり助市が事を思ひなやみ」19(ゐ)たりしが、かの三四白(みよし)はしり來(き)て、尾(を)を揮(ふり)つゝ求食(あさり)けり。おつま犬(いぬ)にむかひていへりけるハ、むかし呉(ご)の陸機(りくき)ハ、その身(み)京洛(みやこ)にありながら、故郷(ふるさと)にたよりせまほしき折からハ、養(かひ)犬に書(しよ)をよせて、万里(ばんり)の安否(あんひ)をしるとかや。なんぢもしこゝろあらバわか思ふ人に使(つかひ)せんやと戯(たはふ)れけれハ、此犬そのことを聞(きゝ)わきたるがごとく、走(はし)りよりて二声(こゑ)三声吼(ほへ)たりける。さてはわが為(ため)に媒(なかたち)するにやと嬉(うれし)くて、まづこゝろみに艶簡(ふみ)さら/\とかいしたゝめ、これを竹(たけ)の筒(つゝ)にいれて犬の首(くひ)にかくれバ、犬ハそのまゝ走(はし)り去(さり)ぬ。嬉(うれし)さ」

挿絵四20
いはんかたもなく、又こゝろづけバこはげだちて、所(ところ)も去(さら)ずそのおとづれをまち居(ゐ)たるに、少刻(しばらく)ありて犬(いぬ)ハ走(はし)り帰りぬ。筒(つゝ)をひらきてうちを見れハ、助市が回簡(へんし)ありて、此程のおこたり思ふかぎりを書(かい)つけたり。しばしハこゝろを慰(なぐさむ)る物から、戀(こひ)しさハ弥(いや)まして、是(これ)より日ごとに犬に書(ふみ)をよせてかたみに情(しよう)を運(かよは)せける。されバおつまハおのれか食を分(わかち)て犬にあたへこれをいつくしむこと子(こ)のごとくすれハ、犬もまたお妻(つま)を慕(したひ)て片時(へんし)もかげみをはなるゝことなし。後(のち)にハ人も疑(うたが)ひて、おつまハ犬(いぬ)に魅(みいれ)られしといひしとなん。此年(このとし)〔の〕21(あき)、右内が妻(つま)仮初(かりそめ)のいたつきよりやゝ重(おも)りて今ハたのみすくなし。只(たゞ)人参(にんじん)と熊膽(くまのゐ)のちからならずして功(こう)を奏(そう)しがたしと、医師(くすし)も眉(まゆ)をひそめてつぶやけバ、右内あるかぎりの衣服(いふく)雜具(さうく)を售竭(うりつく)して薬(くすり)の代(しろ)になすといへ共、そのころハ人参(にんしん)の價(あたひ)いと貴(たふと)くて、後(のち)にハ代(しろ)かゆべきものもなく、手(て)をつかねて死(し)をまつばかり也。助市このことを傳(つた)へ聞(きゝ)、圓金(こばん)十両もて來(き)ていへりけるハ、おのれ幼少(ようしよう)より師弟(してい)の因(ちなみ)ありながら、兄(あに)にまかせたる身にしあれバ、萬事(ばんじ)こゝろに任(まか)せず。少(すこし)きを厭(いと)ひ給はずハ、薬(くすり)の代(しろ)とも」 なし給へといひて、かの金をあたへける。右内もそのこゝろざしを感(かん)じながら、いはれなく人に物をうくべきやうなしと、再(さい)三再四(さいし)(ぢ)しけれども、助市かたく請(こふ)て止(やま)ざりけれバ、火急(くわきう)の弁利(べんり)といひ、その志(こゝろさし)をやぶらんも無下(むけ)に頑(かたくな)なるに似(に)たれバとて、やがてその金をもて薬(くすり)をもちひけり。そのゝちも助市をりにふれてハ心づけて勦(いたは)りければ、右内も頻(しき)りに彼(かれ)が厚情(こうしよう)を感(かん)じける。されど定業(しようこう)かぎりありけん、岐扁(きへん)の術(じゆつ)もとゞきがたく、九月廾一日といふに右内が妻(つま)むなしくなりぬ。右内かなげきハさらなり。二人(ふたり)の子(こ)(ら)が悲(かなし)みいうべうもあらず。」22 過七(なぬか/\)の追薦(ついぜん)をはりてのち、右内つら/\おもふやう、この身(み)(ひん)に迫(せま)るといヘども、ゆゑなくして人より物(もの)を得(え)たることなし。助市が厚志(こうし)黙止(もだし)がたくて、一旦(いつたん)(かね)をバ借待(かりえ)たれども、その金ハ助太夫が手(て)より出たるなるべし。梁(かれ)ハ輕薄(けいはく)の侫人(ねいじん)なれバ、もしこれをかへさゞる時ハ、終(つひ)に耻(はづかしめ)をうくべしと、思慮(しりよ)して、その夜助太夫が家(いへ)にゆきていへらく、日外(いつぞや)荊婦(つま)が病中(びやうちう)に、賢弟(けんてい)助市圓金(こばん)十両をめぐまれたり。疾(とく)にも返(かへ)し納(いれ)んとハ思ひながら、しり給ふごとく貯(たくはへ)うすけれバ心ならずうち過(すぎ)ぬ。是(これ)ハわが家(いへ)の重宝(ちやうほう)、夜光丸(やくわうまる)の名劍(めいけん)にし」 て、身にもかえがたき宝(たから)なれども、しばらく足下(ごへん)にあづくべし。金子(きんす)調達(てうたつ)のうへハ異儀(ゐぎ)なくかへし給はるべしといひつゝ、鎌倉(かまくら)純子(どんす)のやゝ破(やふ)れたる袋(ふくろ)より、かの一腰(ひとこし)をとり出して、是(これ)を助太夫が前(まへ)にさしおきけれバ、助太夫思ひがけざるさまにて、こハ事(こと)あらたまりたる言(こと)を聞(きく)ものかな。一家(いつけ)のよしみ、心のおよばんたけハ調(みつぐ)べきを、後(のち)をあはれむの餘力(よりよく)なきゆゑに、心の外(ほか)にうち過(すぎ)ぬ。元來(もとより)わがしれることにもあらず。小弟(おとゝ)が深(ふか)き慮(おもんはかり)ありて金をバまゐらせたるならんに、いかでか宝釼(ほうけん)を預(あづか)るべきやと、口(くち)ハ蜜(みつ)にして腹(はら)に針(はり)あるがごとき言(ことば)なる」23 を、右内はやくも猜(すい)していへらく、この夜光丸(やくわうまる)ハ、先祖(せんぞ)保昌よりわが家に傳(つたへ)たれども足下(ごへん)も又武智丸(たけちまる)の係嗣(しそん)にして共に平井の遮流(ながれ)也。他人(たじん)に委(ゆだぬ)るにあらず。足下(ごへん)にあづけおくときハわが家(いへ)にあるにおなじ。物(もの)を得(え)て報(むく)ふことなきハわがこゝろにあらず。ひらにおさめ給へといふに、助太夫心のうち潜(ひそか)によろこび、しからバ暫時(ざんじ)その言(ことは)にしたかふべしと、かの宝釼をあつかりけれバ、右内ハやがて平井村(ひらゐむら)へ帰(かへり)ぬ。この時天下(てんか)昌平(しようへい)に帰(き)し、文武(ぶんふ)(さかり)に行(おこなは)れて、一藝(いちげい)の士(し)ハみな禄(ろく)を得(う)るをりなりけれバ、奥羽(みちのおく)の知州(くにのかみ)右内」

挿絵五24
助太夫が撃釼(けんしゆつ)に達(たつ)したることを聞し召れ、かれら二人に太刀合させて、孰(いづれ)にもあれ勝たるかたを召かゝへよと遙々(はる%\)実檢(みとゞけ)の使者(ししや)をさし越(こし)給ふ。権八これを聞て大によろこび、わが父助太夫を打ふせ給はんこと疑(うたが)ひなしとさゞめきけり。右内も家をおこさんこと此時にありと、もつはらその准備(やうゐ)して太刀合(たちあはせ)の日を待居(まちゐ)たりしが、その夕(ゆふべ)助太夫しのびやかに右内が許(がり)(き)ていへらく、扨も此度(このたび)の太刀合ハ足下(ごへん)の勝給はんこと必(ひつ)せり。われハ年もわかく技(わざ)も未熟(みじゆく)也。又足下(こへん)ハとしも長(たけ)て技(わさ)も鍛煉(たんれん)せり。されバ足下(こへん)こ」25 そ彼侯(かのきみ)のめしに應(おう)じ給ふらめ。こゝに歎(なげ)くべきハ、われ今許多(あまた)の門人あれバこそゆたかに世をわたれ、太刀合(たちあはせ)に輒(まけ)たらんには、弟子もうとみて離(はな)るへし。しかれバわれも住なれしこの地(ち)に足(あし)をとゞめがたし。わが身の恥辱(ちぢよく)ハいとふにあらず。只(たゞ)小弟(おとゝ)助市がこといかにしても便(びん)なし。足下(ごへん)の子(こ)をおもひ給ふと、わが弟(おとゝ)をあはれむと、恩愛(おんあひ)いづれかふかゝらん。只やるせなきハ骨肉(こつにく)のほだし也けり。もし明日(あす)の太刀合(たちあはせ)にこゝろして給はらバ、嚮(さき)にあづかりし夜光(やくわう)丸の宝釼(ほうけん)をかへし、又新(あらた)にうくるところの禄(ろく)をわかちて、」 子息(しそく)権八をやしなふべし。凡(およそ)男だましひもちたらんもの、かゝる面(おも)ぶせなることをいひ出て、足下(ごへん)のおもひ給はん所もはづかはしけれど、肉身(にくしん)の愛着(あいぢやく)すてがたくて斯(かく)のごとしと、手(て)して涙(なみだ)を拭(ぬぐひ)ながらよぎなきさまにかたりけり。右内もけうときことにハ思ひながら、元來(もとより)(ぎ)を守(まも)るをのこなりけれバ、彼(かれ)に一旦(いつたん)の恩(おん)あるに固辞(いなみ)がたく、儼然(げんぜん)としていへらく、思ひがけなきことを承(うけ給は)るものかな。わが勝(かつ)べきにも定(さだ)めがたく、足下(ごへん)の負(まけ)給はんともいふべからず。勝負(しようぶ)ハ時の運(うん)にこそよれ、そハ足下(ごへん)とわがこゝろにあるべき也と」26(こたへ)けれバ助太夫、こゝろのうちに欺(あさむ)き得(え)たり〔と〕よろこびて、程なくわが家(や)にかへりける。
  

 第(だい)三編(へん) 平井(ひらゐ)本所(ほんじよ)闘劍法(たちあはせ)の事
            吾妻森(あづまのもり)三四白(みよし)(づか)の事

かくて太刀合(たちあはせ)の日にもなりけれバ、右内助太夫めしに應(おう)じて仮屋(かりや)に参上(さんじよう)す。勝負(しようぶ)ハ午(うま)の刻(こく)と定(さだめ)られて、まづ長短(ちやうたん)四本(ほん)の木刀(たち)をあたへ、いづれにてもこゝろに應(おう)じたるを用(もちゆ)べしとなり。両人おの/\これをえらみとりて休息所(きうそくじよ)に退(しりぞ)く。既(すで)に時刻(じこく)にもなりぬれバ、実檢(みとゞけ)の使者(ししや)」 阿武隈(あふくま)(せ)左衛門席上(せきしよう)に立出れバ、右内助太夫袴の裾高(すそたか)くとりつゝ、迭(たがい)にやと声(こゑ)をかけて立(たち)むかひ。二三合(ふたゝちみたち)(うち)あひしが、右内が木刀(ぼくとう)鍔元(つばもと)よりほつきと折(をれ)たり。助太夫得(え)たりと飛(とび)かゝり、木刀(ぼくとう)をひらめかして撃(うた)んとするを、瀬左衛門声(こゑ)をかけて、やよまつべし。太刀(たち)(をれ)たるをいかでか打(うた)ん、速(すみやか)に木刀(ぼくとう)を更(かへ)らるべしといふ。右内これを聞(きゝ)て脆(ひざまつ)〔き〕ていへらく、太刀(たち)(をれ)たれバわが輒(まけ)なり。もし真釼(しんけん)ならバいかにせん。かゝる所に長居(ながゐ)せんもうしろめだしと、遂(つひ)に仮屋(かりや)を逃出(にげいで)て、おのれが家(いへ)にぞかへりける。されバ助太夫ハ」27(ろう)せずして勝利(せうり)を得(え)、一時(いちし)に面目(めんもく)をほどこしける。後(のち)に聞(きけ)バ、右内休息所(きうそくじよ)にありしとき、竊(ひそか)に木刀の鍔元(つばもと)に小刀目(こがたなめ)を入おき、折(をれ)るやうに設(まうけ)しとなん。権八おつまハかゝることゝもしらずして、父の太刀合( せ)にかちて今や帰(かへ)り來給ふと、同胞(はらから)(かど)に立出(たちいで)つ。頸(うなじ)を伸(のば)してそのかたをながめ居(ゐ)たるに、日もやゝかたぶくころ、右内ハ思ひありげなるさまして帰(かへ)り來(きた)れり。権八うれしく走(はし)りよりて、いかにや太刀合に勝(かち)給ひつらんといふを、父ハ見むきもせず。つと裡面(うち)に入り、兄弟(きやうだい)をちかく招(まね)きていへりけるハ、夫(それ)禍福(くわふく)ハ」

挿絵六28
(てん)にありて人力(じんりき)の及(およ)ぶ所にあらず。すべて勝負(せうぶ)を爭(あらそふ)もの、一人(いちにん)(り)あれバ一人必(かなら)ず愁(うれ)ふ。かるがゆゑに君子(くんし)ハあらそふところなく、おのれ達(たつ)せんと欲(ほつ)してまづ人を達(たつ)す。けふわが木刀(ぼくとう)の折れたるも天(てん)なり。けふの勝利(せうり)ハ助太夫なりと、聞(きゝ)もあへず権八ハ、忽地(たちまち)面色(めんしよく)(もゆ)るがごとく、火炎(くわゑん)の如(ごとき)(いき)をほとつきて、かひなき父(ちゝ)の仰(おほせ)ごとや。太刀(たち)をれたらバなどて再度(さいど)の勝負(せうぶ)ハ望(のぞみ)給はざる。われ今(いま)彼所(かしこ)に馳(はせ)むかひ、父(ちゝ)にかはりて勝負(せうぶ)を决(けつ)すべしと、刀(かたな)引提(ひきさげ)て走(はし)り出(いづ)るを、やよやまて権八、汝(なんぢ)がしるところにあらず。もし強(しい)て」29 ゆかんとならバ、親子(おやこ)の愛(あい)も是(これ)までぞと、声高(こゑたか)やかに制(せい)すれバ、権八この一言(いちごん)にちからなく、拳(こぶし)をさすりてかしこまる。おつまは父(ちゝ)の太刀合(たちあはせ)に利(り)なきのみならず、助太夫陸奥(みちのく)へおもむかバ、助市とも永(なが)きわかれにやなりなんとその事かのこと思ふにかなしく、この夕(ゆふへ)艶簡(ふみ)したゝめて、三四白(みよし)が首(くび)にむすひつけ、助市がかたへ使(つかひ)して思ふかぎりをくどきける。この頃(ころ)この犬(いぬ)の事(こと)、近隣(きんりん)囂々(ぎやう/\)ととり沙汰(さた)して、お妻(つま)こそ犬(いぬ)に魅(みいれ)られたれと、言(ことば)に枝(えだ)をそえていひ傳(つたふ)れバ、一犬(いつけん)(きよ)を吼(ほえ)て百犬(けん)(じつ)を傳(つた)ふとかや。後(のち)にハ右内もこの」 ことをもれ聞(きゝ)て、安からぬ事かなと、それより心をつけて窺(うかゞ)ふに、げに人のいふに違(たかは)ず、あやしきこと多(おほ)かりけれバ、大に歎(なげ)き、わが女児(むすめ)畜生(ちくしよう)とまじはること、いかなる過世(すくせ)の因果(いんぐわ)ぞや。身(み)のうちの腐(くされ)ハはやくこれを断(たゝ)ざれバ愈(いえ)がたし。今ハちから及(およば)ず、撃(うち)てすてんにハと、その夜(よ)弓矢(ゆみや)(た)ばさみてこれを窺(うかゞ)ふ。初夜(しよや)すぐるころ、三四白(みよし)(には)に來(き)て一声(ひとこゑ)(たか)く吼(ほえ)けれバ、お妻(つま)(いそがは)しく走(はし)り出(いで)、犬(いぬ)の側(そば)に立よるところを、右内裡面(うち)より〓(つるおと)(たか)く〓(ひやう)とはなつ。その矢(や)あやまたず、おつまが右の袂(たもと)を縫(ぬひ)て、矢(や)ハ犬(いぬ)の咽(のんど)30 へがはと立(たち)、犬(いね)はそのまゝ斃(たふ)れける。おつまハ噫(あ)とはかり怕(おそ)れ、たち退(のか)んとすれども、袂(たもと)(や)につらぬかれたれバ、これをふり放(はなた)んとするうちに、右内はやくも走(はし)り出、弓をもて丁々(てう/\)と打すえ、涙(なみだ)を瀾然(はら/\)と落(おと)していへらく、畜生(ちくしよふ)に對(たい)してかたるべき言(ことば)なし。只(たゞ)(すみやか)に自害(じがい)せよ。但(たゞし)わが矢(や)さきにかくべきかと、弓(ゆみ)も折(を)れるはかりに打擲(ちやうちやく)す。おつまハわがみの誤(あやまり)にかへす言(ことば)なかりしが、畜生(ちくしよふ)と宣(のたま)ふ父(ちゝ)の言(ことば)いはれなけれバ、今ハつゝまず告奉(つげたてまつ)るなりとて、犬(いぬ)に書(しよ)をよせて助市と契(ちぎ)りしこと、一五一十(いちぶしゝう)(もの)

挿絵七31
かたるに、父(ちゝ)ハなほ疑(うたが)ひながら、犬の首(くび)にかけたる筒(つゝ)をとりて見れバ、うちに助市が回簡(へんじ)ありてとても陸奥(みちのく)へおもむくべきこゝろなきよしをしるして、又一葉(いちまい)の短尺(たんざく)をそえたり。ひらきてこれを見れバ、  むさし野にありといふなる迯水(にげみづ)の迯(にげ)かくれても世を過(すご)すかな と、俊頼(としより)朝臣(あそん)の哥(うた)をもて、迯出(にげいで)よといふ謎(なぞ)とせり。父はじめて疑(うたが)ひをはらし、罪(つみ)なき三四白(みよし)を殺(ころ)せしことを後悔(こうくわい)して、披(かの)犬を吾妻(あづま)の森の辺(ほとり)に埋(うづ)め、しるしの石を建(たて)て跡(あと)(ねんごろ)に吊(とふら)ひける。今もて漂板塚(みよしつか)とてかの地にあり」32 とかや。〈三四白(みよし)漂板(みよし)|和訓(わくん)おなじ〉この夜権八ハ、隣郷(りんこう)にゆきて此時(このとき)やうやく立(たち)かへりけれバ、右内ハありしことゞも語聞(かたりきか)せ、われ弱官(じやくくわん)の時多(おほ)く殺生(せつしよふ)して徳(とく)をやぶりしに、今(いま)(また)(しう)に忠(ちう)ある犬(いぬ)をころして、大に陰徳(いんとく)をそこなへり。もし勉(つと)めて善根(ぜんこん)を修(しゆ)せずんバ、わが家(いへ)それ後(のち)なからんか。汝等(なんぢら)よく鑑(かんがみ)て陰徳(いんとく)を行(おこな)ふべしといひて、かの助市が短冊(たんざく)を権八に逓与(わたし)、かれら斯(かく)まで思ひ詰(つめ)たることなれバときを待(まち)て妻(めあは)すべし。御身(おんみ)しばらくその短尺(たんざく)をあづかり置(おき)、わが思ふ程(ほど)をも妹(いもと)にかたり聞(きか)せよといへバ権八も」 父(ちゝ)の慈愛(ぢあい)ふかきを感(かん)じ、且(かつ)三四白(みよし)が死(し)をあはれみ、親子(おやこ)(ぢ)しわかれて臥房(ふしど)に入りぬ。

小説比翼文上巻33


小説比翼文(しようせつひよくもん)下巻

東都 曲亭馬琴著編

  

 第(だい)四編(へん) 権八怒(いかり)て助太夫をころす事
           冤家(ゑんか)を過(よぎり)て助市仇(あだ)を養(やしな)ふ事

本所(ほんじよ)助太夫が家(いへ)にハ、某(それ)(こう)のめしに應(おう)じて、陸奥(みちのく)へ起行(たびだち)ちかきにありと、いと賑(にぎは)へり。弟助市ハ、おのれが思ひのやるかたなくて、心の中楽(たのし)まず。一日(あるひ)(あに)にいひけるハ、扨(さて)も此度の太刀合に勝(かち)給ひしこと。稽古(けいこ)のちからとハいひながら、右内(うない)ハよく恩義をしる人なれバ、こゝろに慮(おもひはか)りしこと」もあるべし。此よろこびに、かねてあづかり給ふ宝釼(ほうけん)を返(かへ)し給へかしと薦(すゝめ)けれども、兄(あに)ハこれを耳(みゝ)にも入れず、そらうそぶきて居(ゐ)たりける。斯(かく)て助太夫啓行(ほつそく)の日も定(さだま)りぬれハ、畄別(りうへつ)の宴席(えんせき)をひらきて、親戚(しんせき)門人(もんじん)をまねきけるに、右内(うない)ハこゝちあしきとて行(ゆか)ず。その詰朝(よくてう)思ふやう、人の招(まね)きに應(おう)ぜざるさへあるに、一礼(いちれい)を述(のべ)ざるハ不遵(そん)也。行(ゆき)てきのふの怠(おこた)りを謝(しや)すべしと、袴(はかま)引かけて立出(たちいで)しが、やがて帰(かへ)り來(き)て只顧(ひたすら)嘆息(たんそく)し、顔色(がんしよく)(つね)にかはりてなやましげに見えけれバ、権八父(ちゝ)のまへにかしこまり、わが父何の愁(うれひ)(あり)34 てか、斯(かく)思ひには沈(しつ)み給へる。父子(ふし)の間(あひた)何かつゝみ給ふべき。語(かたり)(きか)せ給へかしといふ。右内うちうなづき、この事(こと)に於(おい)てハいはじとおもひ詰(つめ)たるが、さては色(いろ)にあらはれしよな。何かかくさん、けふしも助太夫が傍若(ぼうじやく)無人(ぶじん)言語(ごんご)に述(のべ)がたし。そのゆゑハ日外(いつぞや)老妻(つま)が病(やめる)とき、助市が手(て)より借得(かりえ)たる十余(よ)(きん)を賠(あがなは)ん為(ため)、汝等(なんぢら)にもふかく隱(かく)し、夜光丸(やくわうまる)の釼(つるぎ)を助太夫にあづけ置(おき)ぬ。しかるに助太夫ある夜(よ)(きた)りていへるハ、この度(たび)の太刀合(たちあはせ)に勝利(せうり)をゆづり給はらバ、宝劍(ほうけん)をかへしあたへてこれに報(むくふ)べしと乞(こ)ふ。彼(かれ)に一旦(いつたん)の恩(おん)あれバ、白地(あからさま)に固辞(いなみ)がたく、」 太刀合(たちあはせ)に負(まける)とも宝釼(ほうけん)をとり復(もど)しなバ、先祖(せんぞ)へ孝(こう)も立(たつ)べしと、さきのごとくはからひしに、彼(かれ)(こと)を食(はみ)て更(さら)に釼(つるぎ)をかへさゞれバ、われこの事(こと)をいひ出(いで)てその約(やく)にそむきしを責(せめ)けるに、彼(かれ)(かへり)て大に怒(いかり)てわれを犬侍(いぬさむらひ)と罵(のゝし)る。その事(こと)ハ三四白(みよし)が虚説(きよせつ)より出(いで)て、子(こ)ハ畜生(ちくしよう)とまじはり、親(おや)ハ犬(いぬ)を射(ゐ)る。犬母(けんぼ)ハ麟(りん)を生(うま)ず、父子(ふし)ともに犬(いぬ)なりと欺(あざむ)けり。われもさすがに忍(しのび)がたく、討(うつ)て捨(すて)んとハ思ひしが、汝等(なんぢら)が路頭(ろとう)に迷(まよは)んことの不便(びん)さに、無念(むねん)をこらへけるハと、聞(きゝ)もあへず権八つと立(たち)あがり、父(ちゝ)ハ堪忍(かんにん)もし給はんが、われハ得(え)こら」35 へ難(がた)し。これをも忍(しの)ぶべくハ何かしのばざらんやとひとりごちて、刀(かたな)を跨(たばさ)み走(はしり)出るを、父ハ追縋(おひすがふ)てとゞむれども、はやその影(かげ)をたに見ず。権八ハ足に信(まかせ)て助太夫が家(いへ)に走(はし)り行(ゆき)、案内(あない)もせず裡面(うち)に入れバ、折ふし助太夫ハ甲陽(こうよう)軍鑑(ぐんかん)をよみながら、盲法師(めくらほふし)に肩癖(けんへき)うたせ居たり。権八はこれを見るよりその前にむずと坐し、忽地(たちまち)銀海(ぎんかい)を見ひらき、朱唇(しゆしん)を飜(ひるかへ)し、声(こゑ)をあららげていへらく、〓(なんぢ)(さき)にわが父を犬侍(いぬさむらひ)と罵(のゝし)る。夫(それ)人を誑(たばかり)て太刀合(たちあはせ)に勝利(しようり)を得(え)、約(やく)にそむきて宝釼(ほうけん)をかへさゞるものも、是(これ)(また)人面獣(にんめんじう)

挿絵八36
」心(しん)なり。犬侍(いぬさむらひ)の児(こ)の腰刀(かたな)、切(き)れるやきれざるや、當(まさ)にしるべしといひながら、抜手(ぬくて)も見せず助太夫を只(たゞ)一刀(いつたう)に切伏(ふせ)たり。次(つぎ)の廂(ま)に居合(ゐあは)せたりける門人(もんしん)五六輩(はい)、これをみて大におどろき、師匠(しせう)の仇人(かたき)(のが)さじと抜(ぬき)つれて立むかふを、権八ものゝかず共せず、右にあたり左(ひだり)に〓(さゝ)へ、立地(たちどころ)に二人を〓殺(きりころ)し、三人に手負(ておは)せけれバ、血(ち)ハ流(なが)れて紅河(こうか)をなし、甘谷(かんこく)に錦(にしき)をさらし、龍田(たつた)に楓(もみぢ)をちらすがごとし。権八遂(つひ)に納戸(なんど)をかいさぐりて彼(かの)夜光丸(やくわうまる)をとり出し、是ハわが家の宝劍(ほうけん)なれバ今(いま)(もち)かへるぞと呼(よばゝ)り外面(とのかた)にはしり出(いづ)るに、」37 家僕(かぼく)(ら)その剛勢(いきほひ)に辟易(へきゑき)し、あへて〓(さゝえ)るものもなし。此時助市ハ家(いへ)に在合(ありあは)せず、奴僕(しもべ)がしらせに打おどろき、後(おく)ればせに立かへり、この光景(ありさま)を見て或(あるひ)ハ歎(なげ)き、或(あるひ)ハ怒(いか)り、直(たゞち)に右内が家(いへ)に走(はし)り行ていへらく、意趣(ゐしゆ)ハしらずといへ共権八ハ兄(あに)の仇人(かたき)なり。速(すみやか)に出(いだ)さるべしといひつゝ、はや鍔元(つばもと)くつろげてぞ扣(ひかへ)たる。右内驚(おどろ)くけしきもなく、兄(あに)の仇(あた)を復(むくは)んハ武夫(ぶふ)の道(みち)なり。いかにもわが児(こ)を逓与(わたす)べし。心のまゝにせらるべしといひながら、紙門(ふすま)(おし)ひらきて引出(ひきいだ)すを見れバ、権八にハあらずしてお妻(つま)をきびしく縛(いまし)めたり。」 助市眉(まゆ)をひそめ、あなうたてし。右内ちまよひ給ひしか。吾(われ)女子(をなご)をうちて何かせんといふ。時に右内寛尓(くわんじ)として云(いはく)、助市よくわが言(こと)を聞(きか)れよ。権八僅(わづか)十六才にして、釼法(けんじゆつ)の一流(いちりう)を極(きはめ)たる助太夫を討(うち)て立退(たちのく)ほどなれバ、などて鈍(おぞ)くも家(いへ)に隱(かく)れ居(ゐ)て、足下(そこ)の來(く)るを待(また)んや。渠(かれ)ハ法(ほう)を犯(おか)したるものなれバわが児(こ)にあらず。天地(てんち)のあらんかぎりハ探索(さぐりもとめ)て宿志(しゆくし)を遂(とげ)らるべし。わが子(こ)ハ此女児(むすめ)のみ也。足下(そこ)とわけあることしらざるにはあらず。われ権八を隱(かく)しおかざる證(しるし)には、この女児(むすめ)をまゐらす」38 べし。心まかせにはからはれよといふ。助市呵々(から/\)と打わらひ、われ息女(そくぢよ)と仮初(かりそめ)の契(ちぎり)ハあれど、今かく冤(うらみ)を締(むすぶ)うへハ、爭(いかで)か私(わたくし)の情(なさけ)に羇(つなが)れて、ふたゝびこれをかへりみんや。さしも権八を助(たすけた)さに、色(いろ)をもて欺(あぎむ)〔か〕んとハ、武夫(ぶゝ)ににげなき穢(きたなき)こゝろかなといふ。右内これを聞(きゝ)て小膝(こひざ)(たて)なほし、こハ舌長(したなが)し助市。われいかにぞ色(いろ)をもて欺(あぎむ)くべき。抑(そも/\)権八助太夫を切害(せつがい)せしと風聞(ふうぶん)あるより、お妻(つま)おのれと迫(せま)りて自殺(じさつ)せんとせしゆゑに、われこれを縛(いましめ)おけり。よりて女児(むすめ)を足下(そこ)に委(ゆたね)んといふこと、実(じつ)ハ足(そ)」 下(こ)に権八を討(うた)せん為(ため)の寸志(すんし)なりといふ。助市いよ/\疑(うたが)ひ惑(まどひ)て、その故(ゆゑ)を問(とへ)バ右内いへらく、されバとよ。権八年少(としわか)けれども少(すこ)しく思慮(しりよ)あり。足下(そこ)の仇(あた)を復(むくは)んとするをしれバ、渠(かれ)(ち)を潜(くゞ)りても匿(かく)るべし。さるを仇人(かたき)の女弟(いもと)たるお妻(つま)を養(やしなひ)おくときハ、扨(さて)ハ助市色(いろ)に迷(まよ)ひ、仇(あた)をむくふに心なしと、彼(かれ)みづから意(こゝろ)をゆるさバ、労(ろう)せずして宿志(しゆくし)を遂(とげ)なん。怨(うらみ)を雪(すゝぎ)ての後(のち)ハ、むすめを足下(そこ)の婦(つま)とせんとも、又せまじとも、こゝろのまゝなるべしといふ。その言(ことば)こと%\く理(ことわり)ありけれバ、助市忽地(たちまち)こゝ」39 ろ解(とけ)て大によろこび、げにや乕(とら)を撃(うつ)ものハ陷(おとしあな)を設(まう)け、贋(たか)を捕(とる)ものは囮(おとり)をおく。謹(つゝしみ)て教(をしへ)にしたがふへし。假令(たとひ)権八翅(つばさ)ありて天(てん)に昇(のぼ)り、鱗(うろこ)ありて水に没(いる)とも、終(つひに)は個(かく)のごとくならんと、明(めい)晃々(くわう/\)たる刀(かたな)を引抜(ひきぬき)、お妻(つま)が縛(いましめ)を切断(きりたて)バ、索(なは)ハはらりと前(まへ)に落(おつ)。おつまハ父(ちゝ)の慈悲(ぢひ)、兄(あに)の行(ゆく)すゑ、又助市が心の中さへおしはかられて、左右(とかう)いはん言(ことば)もなく、よゝと泣(なき)て声(こゑ)を惜(をしま)ず。右内これを見て双眼(そうがん)に涙(なみだ)をうかめ、やよむすめいたくな泣(なき)そ。是みな前世(ぜんぜ)の悪業(あくごう)ぞかし。かゝるうき世(よ)の嵐(あらし)なくバ、栄行(さかゆく)(はる)

挿絵九40
の花をさかせ、相生(あひをひ)の松の千代(ちよ)かけて、思ふかたへも嫁(よめ)らすべきに、その人としもそひハせで、兄(あに)の為(ため)に質(しち)となる。あすハ誰(た)が身(み)のうへや鳴(なく)らん、山がらす、頭(かしら)も白(しろ)くなると聞(きゝ)。かの燕丹(ゑんたん)がむかしならで、老(おひ)が頭(かしら)に霜(しも)やおく、夢野(ゆめの)の鹿(しか)の妻戀(つまこひ)も、果(はて)ハその身(み)の仇(あた)となりぬ。うたてやな。御身(おんみ)が帰(かへ)り來(き)ぬる日は、これ権八が忌日(きにち)なり。彼(かれ)をころして悲(かなしま)んや。これを助(たす)けてよろこばんや。父(ちゝ)が心のうちを推(すい)して、よく性命(せいめい)を保(たもつ)べし。噫(あゝ)よしなきくり言(こと)に時(とき)やうつる。涙(なみだ)おさめて」41(とく)ゆけよ。助市めでたく帰郷(きごう)をまつなりと義を見てやぶらず悲(かなしま)ざる、右内が一言(いちこん)にはげまされ、助市遂(つひ)にお妻(つま)を携(たづさへ)、ひとまづ本所(じよ)へかへりける
 

 第五編(だいごへん) 鈴(すゞ)が森(もり)に長兵衛行客(たびゝと)を救(すくふ)
           假女子(かぢよし)(み)を賣(うり)て濃紫(こむらさき)を挑(いどむ)

平井(ひらゐ)権八は助太夫を討(うち)て直(たゞち)にその家(いへ)を走(はし)り出、いづくを當(あて)とは定(さだめ)ねど、川に添(そひ)、橋(はし)をわたり、南(みなみ)を望(さし)て走(はしる)程に、思ず鉄炮洲(てつほうず)まで來(き)ぬ。既(すで)にかへらんとするに家(いへ)をうしなひ、すゝまんとするに路(みち)をしらず。」 しばらく躊躇(ちうちよ)して心(こゝろ)(けつ)せざりしが、詰(きつ)とこゝろ附(づき)ておもへらく、大丈夫(だいじようぶ)(まき)に宇宙(うちう)をもて家(いへ)とすべし。いかにぞ手(て)を束(つかね)て擒(とりこ)とならんや。さらバ浪速(なには)の方(かた)に身をよせんと、俄(にはか)に中途(ちうと)にて行装(たびよそほひ)をとゝのへ、高輪(たかなわ)に至(いた)るころ、日ハはや西にかたぶきぬ。路傍(みちのべ)の茶店(さてん)に少刻(しばらく)(あし)をやすめ、こよひハ更(ふく)るとも河崎(かはさき)まで馳行(はせゆか)んとひとりこちて立(たち)(いづ)るを、茶店(さてん)の主人(あるじ)とゞめていへらく、日くれてハ鈴(すゞ)が杜(もり)物怱(ぶつそう)なり。少年(せうねん)の夜行(やこう)し給はんこといかにしても危(あやう)し。今夜(こんや)ハ品河(かは)に」42 一宿(いつしゆく)し、翌(あす)とくうち立給へかしといふ。権八冷笑(あざわらひ)て、吾(われ)ハ故(ゆゑ)ありて路(みち)を急(いそ)ぐものなり。假令(たとひ)野伏(のふし)山客(やまだち)の患(うれひ)ありとも、わが両刀(りやうたう)(こし)にあり。何の怕(おそれ)かあるべきといひ捨(す)て出去(いでさり)ける。その頃(ころ)淺草(くさ)花川戸に任侠(をとこだて)の名(な)(きこ)えたる、幡隨(ばんずい)長兵衛といふもの、大師(だいし)河原(がはら)の賽(かへりまうし)、おなじ茶店(さてん)に憇(いこひ)(ゐ)たりしが、権八が今(いま)の廣言(くわうげん)を聞(きゝ)て大に嘆美(たんび)し、げにや花(はな)ハ吉野(よしの)、人ハ武士(ぶし)とぞいふなる。今の美少年(びせうねん)の言(ことば)、潔(いさぎよ)し/\。しかハあれど、寡(くわ)ハもて衆(しゆう)に敵(てき)しがたけれバ、中途(ちうと)山客(やまだち)の為(ため)になやまされんこと必(ひつ)せり。」 われこゝより引かへし、機(き)に臨(のぞみ)て彼(かれ)をすくふべしと、忙(いそがは)しく裳(もすそ)を〓(かゝげ)、西をさしてぞ馳去(はせさり)ける。この頃(ころ)ハ侠者(きやうしや)おほく、六方(ほう)丹前(たんぜん)、白鞘組(しらつかぐみ)、大小の神祗(じんぎ)など、おの/\その隊(むれ)ありて、劇孟(げきもう)季布(きふ)が風(ふう)を慕(した)ふもの少(すくな)からず。就中(なかんづく)この長兵衛ハ、一個(いつこ)の志氣(しき)ありて、柔(よはき)をたすけて剛(つよき)を征(せい)し、利をすてゝ義(ぎ)をもつはらとする豪侠(ごうきやう)なれバ、もし幡隨(ばんずい)が名(な)をいふときハ、嬰児(ゑいぢ)の泣(なく)をもとゞむべく、侠徒(きやうと)もその下風(かふう)に立んことを願(ねが)ひけり。斯(かく)て長兵衛ハ、只管(ひたすら)(みち)を急(いそ)ぎ」43 けるが、品河(しなかは)にて日ハくれぬ。松風(まつかぜ)さむくして人迹(じんせき)をたち、波濤(はたう)(きし)をうちて渺々(びやう/\)たり。已(すて)に鈴(すゝ)が森に走(はしり)つきて見れバ、思ふに違(たがは)ず権八大勢(おほせい)の山客(やまだち)にとりまかれ、雲飛雲不飛(おひつまくりつ)(たゝかひ)(ゐ)たりしが、忽地(たちまち)三四人を〓仆(きりたふ)し、威風(ゐふう)なほ禀然(りんぜん)たり。ふり揚(あぐ)る刀尖(きつさき)より、光明(くわうみやう)赫奕(かくやく)と閃(ひらめ)き出(いで)、闇夜(あんや)も白昼(はくちう)のごとくなれバ、長兵衛大に驚嘆(きやうたん)し、しばらく木蔭(こかげ)にたゝずみて、その光景(ありさま)を窺(うかゞひ)(ゐ)たりしが、今ハこらへかねて走(はしり)出、少年(せうねん)助太刀(すけだち)するそと声(こゑ)をかけ、矢場(やには)に両個(ふたり)の」

挿絵十44
山客(やまだち)を切ころせば、賊(ぞく)ハ加勢(かせい)あるを見て、四分(ちり/\)八落(はら/\)に迯(にけ)うせたり。権八刀(かたな)を腰(こし)におさめて一礼(いちれい)し、何(いづれ)の人かハしらねども、今の危難(きなん)をすくひ給はることのうれしさよといふ。長兵衛寛尓(につこ)としていへらく、 聞及(きゝおよ)び給ひつらん。われハ幡随(ばんずい)長兵衛なり。さきに高輪(たかなわ)の茶店(さてん)にて、君(きみ)がたくましき一言(いちごん)を感激(かんげき)し、中途(ちうと)に災害(わざはひ)あらんことを思ふてこゝに來(きた)れり。実(けに)その言(ことば)にたがはず、君(きみ)が釼法(けんじゆつ)(よのつね)ならず。しかるにその刀(かたな)の尖(とがり)より光明(くわうみやう)かゞやきて、闇夜(あんや)をてらせしことのいぶ」45 かしさよといふ。権八微笑(ほゝえみ)ていへらく、疑(うたが)ひ給ふもことわりなり。わが此刀(かたな)ハ夜光丸(やくわうまる)と名(な)づけたる所の宝釼(ほうけん)にして、闇夜(あんや)にこれを抜(ぬく)ときハ、光明(くわうみやう)をはなつの奇特(きどく)あり。この刀(かたな)のゆゑをもて古郷(こきやう)を立去(たちさり)、遠(とほ)く浪花津(なにはづ)にさまよひ行(ゆか)んと思ふ也。長兵衛打うなづき、仔細(しきい)ハしらずといヘども、すべなきことあれバこそ、夜(よ)を犯(おか)して旅(たび)ハし給ふなれ。しらぬ國に行(ゆか)んより、おなじくハ此地(このち)にとゞまり給へかし。吾(われ)ハいふかひなきものながら、義(ぎ)ハ鐘(かね)が渕(ふち)の鐘(かね)よりも重(おも)しとし、命(いのち)は秋葉(あきは)の散楓(ちりもみぢ)より輕(かる)しとす。身(み)の賤(いやし)きを嫌(きら)ひ給は」 ずハ、命(いのち)にかえてもかくまふべしといふ。権八ハかねて長兵衛が名(な)を聞(きゝ)しりてけれバ大に歓(よろこ)び、遂(つひ)に義(ぎ)を締(むすび)て兄弟(きやうだい)の約(やく)をなし、二人打つれて鶏明(いなのめ)のころ、花川戸(はなかはど)に立帰(たちかへ)りける。こゝに於(おい)て権八は助太夫を討(うち)て立退(たちのき)しこと、一五一十(いちぶしじう)もの語(がたり)けれバ、長兵衛も彼(かれ)が剛勇(ごうゆう)に打驚(おどろ)き、仇人(かたき)もつ身ハ心をせめて、世をしのぶを第一(だいゝち)とすべし。本所(ほんじよ)と花川戸(はなかはど)ハ大河(だいが)一條(ひとすぢ)を隔(へだて)たれバ、そのまゝにてこゝにあらんこと大に危(あやう)し。われに一の計(はかりごと)ありと、それより権八に女服(をんなのいふく)を被(き)せ、面(おもて)には紅粉(こうふん)を施(ほどこ)し、髪(かみ)ハ髱(つと)を出(いだ)し」46 て島田髷(しまだわけ)とす。元來(もとより)玉を欺(あさむ)く美少年(びせうねん)なりけれバ、さながら女子(をなこ)に異(こと)ならず。されバこゝにつどひ來(く)る侠客(きやうかく)(ら)、その色(いろ)に泥(なづ)みてさま%\口説(くどき)よるもの多(おほ)し。長兵衛斯(かく)てハ禍(わぎはひ)を引出すべしと、ある日権八を三浦(みうら)が許(もと)につれ行(ゆき)て、是(これ)ハわが姪(めい)也。思ふ仔細(しさい)あれバしばらく預(あづか)り給はるべしとたのむ。三浦(みうら)も男子(なんし)とハしらずして、その縹致(きりやう)高尾(たかを)うす雲(くも)が下(した)にたつべきものならねバ竊(ひそか)によろこび、是を濃紫(こむらさき)にあづけゝる。是より権八こゝろを竭(つく)して小紫(こむらさき)に仕(つかへ)けれバ、小紫も又これを愛(あい)して他事(たじ)なくもてなし」 ぬ。されバにや権八ハ、小紫(こむらさき)が容色(ようしよく)に心うごき、あはれかゝる美人(びじん)を妻(つま)ともなさば、うき世の望(のぞみ)も足(たり)なんと、下(した)もえ初(そむ)るわか草(くさ)の、結(むすば)ん夢(ゆめ)にもわが男(をとこ)たることをしらせまほしく思ひながら、身の一大事(いちだいし)に思ひかへして、若(わか)むらさきの色(いろ)にも出さず、宝(たから)の山に入(いり)ながら、手(て)を空(むなし)くするこゝちして、なほ貞実(まめやか)に仕(つかへ)けれバ、小紫も何となく捨(すて)がたき思ひありて、此子(こ)なくてハと鍾愛(ちやうあい)す。折ふし冬(ふゆ)の夜(よ)の雨(あめ)もにくからず、來(き)ませし人ハ宵(よひ)の間(ま)にかへり去(さり)て、坐敷(ぎしき)にハ小紫と権八のみさし向(むか)ひ、わが身人のうへの品定(しなさだめ)して、少刻(しばらく)う」47 きを慰(なぐさ)めしが、小紫いへりけるハ、わが身花院(さと)にそだちて多(おほ)くの傍輩(はうばい)にもまれ、遊君(ゆうくん)のかずにいりても心のあへる人もなかりしが、いかなる縁(えにし)にや御身(おんみ)ハまことの妹(いもと)よりいとをしく、又御身わらはにかしづき給はる〔こ〕と同胞(はらから)も及(および)がたし。あはれ男子(をのこ)にして見まほしや。もしかく実(まこと)ある人あらば、命(いのち)も何かをしまんと聞(きく)よりも、権八はむね打さはぐをやゝ押(おし)しづめ、よしや戯言(たはふれごと)にもせよ、さのたまはするこそ嬉(うれ)しけれ。されどわらはもし男(をとこ)ならバいかでさあらん。なき物(もの)ほしといふ諺(ことはざ)も侍(はべ)るかしと、袖(そで)もて顔(かほ)を覆(おほ)ふも可愛(あい)

挿絵十一48
し。小むらさきそのことゝハしらずして、皃(かほ)うちあかめ、あなかしこ何の偽(いつはり)あらん。御身(おんみ)もし殿(との)ならハ日(ひ)の本(もと)のあらふる神々(かみ/\)かけて、百年(もゝとせ)の身をまかすべし、とばかりおもふもよしなき誓言(せいごん)よと打わらへバ、権八今ハ身を省(かへりみ)るに遑(いとま)なく、さのたまふに違(たがは)ずハ、何かつゝまんわれハもと男(をとこ)なり。故(ゆゑ)ありて世をしのべハ、假(かり)に女の貌(すがた)とハなれり。あさましや君(きみ)が色(いろ)に心みだれ、この身の大事(だいじ)をあかすうへは、今の言(ことば)よも偽(いつはり)ハあらじといふ。その声音(こはね)日ごろにかはりていとあら/\し。小紫ハ思ひがけざる」49 一言(いちこん)に膽(きも)つぶれて、胸(むね)は板庇(いたひさし)はしる玉あられのごとくなるをおし鎮(しづ)め、さてハ殿(との)にてありしよな。よし/\見かへり柳(やなぎ)に花(はな)ハ咲(さく)とも、いひし詞(ことば)ハたがへじと、忽地(たちまち)小指(こゆび)を噛切(かみきり)ながら、つと立(たち)て衣衝(いこう▼〔桁〕)に掛(かけ)たる白無垢(しろむく)の袖(そで)に遊女(ゆうぢよ)三社(さんじや)の詫(たく)といふもの書(かき)て誓文(せいもん)とす。今なほ好事(こうず)の人傳写(でんしや)するところの小紫が三社(さんじや)の詫(たく)(これ)なり。権八これを見て大によろこび、われハかひなき日蔭(ひかげ)の身(み)、假令(たとひ)うき世の霜(しも)に先(さき)だち、あしたの露(つゆ)と消(きゆ)るとも、未来(みらい)(ごう)のすゑまでも、かはらじな。やよかはらじと、心の下(した)ひも」 解(とけ)そめて、ふかきちきりとぞなれりける。
 

 第(だい)六編(へん) 幡隨(ばんずい)黒夜(こくや)義弟(ぎてい)をこゝろむ事
            男女(なんによ)(し)を决(けつ)して淺茅原(あさぢがはら)に奔(はしる)

かくてその年(とし)もくれてあら玉の春立(はるたち)かへり、夏(なつ)も過(すぎ)て星(ほし)まつる頃(ころ)より、小紫(こむらさき)(たゞ)ならぬ身となりて、時ならぬ青梅(あをうめ)をこのみ、全(まつた)く悪阻(つはりやみ)のけしきなりけれバ、主人(あるじ)ひとを以(もて)(き)ませる客(きやく)にこゝろあてありやと間(とは)せけれバ、さいふ覚(おぼえ)さら/\なしといふ。あまりのふしぎさに賣卜者(ばいぼくしや)につきてうらなはせけれバ、是ハつねに小紫が傍(かたはら)にある人の子(たね)50 なるべし。その人外(ほか)(いん)にして内(うち)(よう)なり。たづねて見給へといふ。主人(あるじ)これを聞(きゝ)てます/\怪(あやし)み、それより心をつけて窺(うかゞ)へバ、かの長兵衛が姪(めい)なりける女いかにも疑(うたがは)し。世にいふ半月(ふたなり)とかいふものならめと、間(ま)なく試(ため)し見るに、是(これ)まつたく男子(なんし)なれバ大におどろき、もしこの事世に聞(きこ)ゆる時ハ、小紫(こむらさき)が身に係(かゝり)てわが活業(よわたり)の障(さはり)となるのみならず、却(かへり)て人にわらはるべし。只何となく彼(かれ)を幡随(ばんずい)にかへすべしと、忽地(たちまち)これを追退(おひしりぞけ)ぬ。長兵衛縁故(ことのわけ)を聞(きゝ)て権八に教諭(きやうゆ)しけるハ、凡(すべて)賢愚(けんぐ)と」 なく、身を過(あやまつ)ものハ色慾(しきよく)なり。御身仇人(かたき)を持(もち)ながら、色(いろ)に耽(ふけ)りて身の災(わぎはひ)をかへりみず、もしこのゝちかゝることあらば兄弟(きやうだい)の義(ぎ)もそれまで也と、嚴(きびしく)いましめ喩(さと)しける。その頃(ころ)目黒(めぐろ)の里(さと)に普化(ふけ)道者(どうしや)のながれを汲(く)み、一節截(ひとよぎり)の指南(しなん)して世をわたる、一朗菴(いちろうあん)といふ桑門(そうもん)あり。長兵衛かねてしる人なれバ、次(つぎ)の日権八を將(ゐ)て彼所(かしこ)に至(いた)り、此少年(せうねん)(ゆゑ)ありて世を忍(しの)ぶもの也。しばらく預(あづか)り給はるべしといふ。一朗庵(いちろうあん)も長兵衛が義気(ぎゝ)あることをしれバ疑(うたがは)ず、こゝろよく承引(うけひき)てすなはち菴(いほり)にとゞめけり。権八その」51 身ハ、一朗菴(いちろうあん)(ちう)に在(あり)ながら、心ハ三浦が許(もと)にうかれて、この事彼(かの)(こと)に假托(かこつけ)つ、毎夜(まいよ)彼所(かしこ)にゆきかひて、小紫と忍びあふ。小紫も又権八にわかれしより、魚(うを)の水にはなれしこゝちして、今ハ世の義理(ぎり)も何かせんとあらんかぎりの物ハみな代(しろ)がえて、戀(こひ)の中宿(なかやど)にその人を待(まら)わび、はかなき夢(ゆめ)をたのしみける。うつゝ心のやるせなく、いつしか冬(ふゆ)のはじめとなりぬ。さなきにも黄金(たから)ハ得(え)がたきものなるに、権八少(すこ)しの貯録(たくはへ)なけれバ、よろづの費(つひへ)小紫が身一に罷(かゝり)て、このごろは戀路(こひぢ)に関(せき)をすえられて、中宿(なかやど)の」 敷居(しきゐ)も高(たか)し。こゝに於(おい)て権八ふと邪念(じやねん)(きざ)し、武士(ぶし)(きう)するときハ剛盗(ごうとう)をもなすべし。われ迚(とて)も世にたつべき身にもあらず。よし遮莫(さもあらバあれ)百年(ひやくねん)の壽命(じゆみやう)も今の貧(まづし)きにハかえがたしと、それより夜(よ)な/\辻切(つぢきり)をはじめける。されバこゝの〓〓(つぢ)かしこの委巷(ちまた)、罪(つみ)なくして道(みち)のべの霜(しも)と消(きゆ)るもの多(おほ)し。長兵衛はやくも此事を聞(きゝ)しりて大に憤(いきどほ)り、われ侠者(をとこだて)の魁首(かしら)となりて廾年(ねん)、終(つひ)に一たひも義(ぎ)にそむかず。今権八が悪行(あくぎやう)によりて、末世(まつせ)にわが名(な)をくださんことの朽惜(くちをし)さよと、」52 ふかくこれを悲(かなし)みける。ある夜(よ)権八又市中(しちう)を徘徊(はいくわい)して、よき財主(ざいしゆ)にも出あへかしと窺(うかゞ)へバ、土手(どて)(ぶし)の声(こゑ)もとだえたる、日本堤(にほんつゝみ)のあなたより、懷(ふところ)おもげに來(く)る人あり。是こそこよひの賓(まらうど)なれと、笛袋(ふえぶくろ)にしこみたる、刀(かたな)を抜(ぬい)て切(きり)つくれバ、彼(かの)人こゝろえたりと抜合(ぬきあは)せ、二三合(ふたゝちみたち)たゝかひしが、権八夜光丸(やくわうまる)の光(ひか)りにつきて、その人をよく見れバ、是幡随(ばんずい)長兵衛也。こハいかにと打驚(うちおどろ)き、刀(かたな)を引て迯(にげ)んとするを、長兵衛その天蓋(てんがい)を掴(つかみ)て動(うごか)せず、声(こゑ)をあらゝげていへらく、犬(けん)(みやう)にも劣(おと)りし汝(なんぢ)に、いふ」

挿絵十二53
べきことなしといヘども、思ふ仔細(しさい)あれバわれと共に來(きた)るべしと、相伴(あいともな)ひて花(はな)川戸に立(たち)かへり、かれが悪行(あくぎやう)一五一十(いちぶしじう)(いひ)ならべ、われ書籍(しよじやく)をよまざれバ、和漢(わかん)の例(ためし)ハしらざれども、むかし袴垂(はかまだれ)の平井(ひらゐ)保輔(やすすけ)、洛中(らくちう)を横行(わうぎやう)して、兄(あに)保昌(ほうしよう)を害(がい)せんとせしと、今宵(こよひ)の事(こと)よく似(に)たり。とても小紫(こむらさき)といふ妖狐(きつね)に魅(みいれ)られたれバ、昔(むかし)の権八にハあらじ。とく/\此地(このち)を立去(たちさる)べし。もし一日も足(あし)をとゝめバ、是までの因(ちな)みに〓(からめ)とりて、知縣(だいくわんしよ)へ引べきぞと、或(あるひ)ハ怒(いか)り或(あるひ)ハかなしみ、忽地(たちまち)これを追出(おひいだし)54 ぬ。権八は身(み)の誤(あやまり)にかへす言(ことば)もなく、すご/\と立出(たちいで)しが、詰(きつ)と思ひ飜(かへ)して、直(たゞち)に三浦(みうら)が許(もと)にしのび行(ゆき)(よ)に紛(まぎ)れて樓上(にかい)に登(のぼ)り、小紫にわが身の悪事(あくじ)を懺悔(ざんげ)して、今ハこの地(ち)のすまひかなはず、翌(あす)ハ遠国(ゑんごく)に赴(おもむく)なり。縁(えん)あらバ又あふこともあるべしと、世にこゝろ細(ほそ)く聞(きこ)ゆ。小紫ハ只管(ひたすら)(なみた)にかきくれて居(ゐ)たりしがこの言(ことば)を聞(きゝ)てやゝ顔(かほ)をあげ、こハ情(なさけ)なきことを宣(のたま)ふものかな。産(さん)は生死(しよふし)の際(きはみ)とかや。君(きみ)にわかれてなど一日もながらふべき。あくがれて死(しな)んより、此所(このところ)にてわらは」 をころし、こゝろよく立退(たちのき)給へよと、声(こゑ)をもたてず哭(なげ)きける。権八ハその脊(せ)を撫(なで)ながら、さあらんと思ひしが、しばし心を試(ため)せしぞや。われ血気(けつき)の勇(ゆう)に誇(ほこ)り、父祖(ふそ)の名(な)を穢(けが)すのみならず、幡随(ばんずい)ぬしの恩義(おんぎ)を忘(わす)れ、悪報(あくほう)(すで)に身に迫(せま)り、はじめて夢(ゆめ)の寤(さめ)たる如(ごと)くふかく心に慙愧(ぎんぎ)せり。いかでか御身ひとり殺(ころさ)ん。こよひこの家(いへ)をのがれ出、同(おな)じ街(ちまた)に死(し)すべしと、いひつゝ泪(なんだ)をおし拭(ぬぐ)へバ、小紫世に嬉(うれ)しげに手をあはせ、われ故に、汚名(おめい)を殘(のこ)し給へるのみか、盛(さかり)もまたで朝皃(あさがほ)の、はか」55 なきたねは宿(やど)せども、共(とも)に消(きえ)ゆく露(つゆ)の身の、あさちが梦(ゆめ)となることハ、そも是いかなる因果(いんくわ)ぞと、くどき立てよゝと泣(なく)心よはくてかなはじと、権八かたへの銚(てう)子引よせ、一椀(いちわん)かたふけてこれを小紫に与(あたへ)ていへらく、御身かねてハ下戸(げこ)にして、一滴(いつてき)の酒(さけ)も飲(のま)ずといへども、これぞ此世(このよ)の名(な)ごりなる。最期(さいご)の盃(さかづき)うけ給へと、なみ/\酌(つい)で前(まへ)におく。小紫ハ辞(ぢ)するに及(およば)ず、押(おし)いたゞきて飲(のみ)(ほせ)バ、怪(あや)しや小紫が額(ひたい)に三日月(みかつき)(なり)の金瘡(きず)忽然(こつぜん)とあらはれたり。権八打おどろきてそのゆゑをとへバ、小むらさきいへらく、されバとよ、是にこ」 そ昔(むかし)がたりの侍(はべ)れ。わらは幼き時、しばらく平井の郷士に養(やしなは)れしが、その家(いへ)の児(こ)となかあしく、ある時破魔箭(はまや)にて額(ひたい)を射(ゐ)られたり。そのゝちわらはは実(まこと)の親(おや)の許(もと)にかへりしが、父(ちゝ)大病(たいびやう)に打ふしてせんすべなく、九才(こゝのつ)の春(はる)、此里(さと)にうられ來(き)しより家信(おとづれ)なく、今に父(ちゝ)の生死(しよふし)をしらず。しかるに人となりて後(のち)も酒(さけ)を飲(のむ)ときハ、斯(かく)のごとく額(ひたい)にその矢疵(やきず)あらはる。妓女(ぎぢよ)は色(いろ)をもておもてとする者(もの)なれバ、是をおそれて酒を飲(のま)ず。今ハの盃(さかづき)(ぢ)しがたく、飲(のめ)バ忽地(たちまち)はづかしや、かゝる貌(すがた)を見せ奉(たてまつ)りしと、手(て)56 して額(ひたい)をうち覆(おほ)ふ。権八備細(ことのよし)を聞(きゝ)てます/\驚(おどろ)き、しからハ御身が父ハ西村(にしむら)保平(ほへい)とハいはざりしや。こハ何としてわが父(ちゝ)の名(な)をしり給ひしと、小紫も疑(うたが)ひ惑(まどへ)り。権八掌(たなごゝろ)をうちていへらく、御身とわれハ二世(せ)の悪縁(あくえん)也。われこそ御身が額(ひたい)に傷(きずつけ)しその時の小児(しように)なれ。かねて父母(ふぼ)の物かたりに聞(きけ)るハ、目黒(めぐろ)の郷士(ごうし)西村(にしむら)何がしが女児(むすめ)をやしなひ、これを汝(なんぢ)に妻(めあは)せんと思ひしが、そのなか陸(むつま)しからぬをうたがひ、平井(ひらゐ)観喜天(くわんきてん)の菴主(あんしゆ)にうらなはせけるに、成人(せいじん)のゝちはむつましかるべし。しかれども是を夫婦(ふうふ)となすときハ、共(とも)に」

挿絵十三57
殃危(わさわひ)あるべしといひしと宣(のたま)へり。扨ハのがれぬ奇〓(きくう)也と迭(かたみ)にめと目を見合(みあは)せて、呆(あき)るゝもげにことわり也。折ふし隣(となり)坐敷(ざしき)に琴(こと)の音(ね)(きこ)えて、われハ及ぬみの虫(むし)なれど、父(ちゝ)よとなかで戀(こひ)に身も、やつれはてたる蛬(きり%\す)。ひまゆく駒(こま)よ馬追(うまおひ)の、なき玉虫(たまむし)ときえてのち、又來(こ)ん里(さと)のくつわむしと、声妙(こゑたへ)にうたふたり。二人(ふたり)ハわが身(み)のうらかたよと、心をこゝろにうなづき合、人定(ひとしづま)るをうかゞひて、欄間(らんま)をやぶり帯(おび)を降(さげ)、これに携(すがり)て外面(とのかた)に下(おり)たちつ。小紫に天蓋(てんがい)(かぶせ)て梵論(ぼろぼろ)に扮(いでたゝ)せ、からうじてのがれ出、淺茅(あさぢ)が原(はら)へ走(はし)り行(ゆく)。時(とき)ハ」58 十一月廾九日、霰(みぞれ)まじりに降雪(ふるゆき)のあやめもわかぬくらき夜(よ)を、そこはかなくたどりつき、出茶屋の軒(のき)に雪を凌(しの)ぎ既(すで)に最期(さいご)の准備(やうゐ)をなす所(ところ)に、忽地(たちまち)囂々(ぎやう%\)と人声聞えけれバ、権八後面(しりへ)をかへりみていへらく、されバこそ廓(さと)の追人(おつて)の來(きた)りつれ。われまづかれらを追しりぞけ、心しづかに死(し)すべしと、小紫を茶店(さてん)の簷下(のきば)にのこし置(おき)、元(もと)きしみちに引かへす。

 第(だい)七編(へん) 妻(つま)を棄(すて)(ぎ)を携(たづさへ)て暗(あん)に禍(わざはひ)に遇(あふ)
           (りやう)噴石(ふんいし)を合(がつ)して比翼(ひよく)と名(なづく)る事」

こゝに又本所(ほんしよ)助市ハ、千住(せんじゆ)の町に僑居(きやうきよ)して、権八が在處(か)をたづねけれども、更(さら)にゆくゑをしらず。いたづらに月日を過(すぐ)すうち、おつま久(ひさ)しく病(やみ)て枕(まくら)あがらず。これを見ころしにせんも便(びん)なし。しばらく右内(うない)にあづけおき、身を輕して仇人(かたき)をたづねんとハ思ひながら、さすが宿志(しゆくし)を遂(とげ)ずして、白昼(はくちう)に故郷(こきやう)に帰(かへら)んこと面目(めんぼく)なけれハ、この日(ひ)(よ)の更(ふく)るをまちてお妻(つま)を負(おひ)つゝ、平井村(ひらゐむら)へと心ざし、これも淺茅(あさぢ)が原(はら)へ來(き)かゝりしが、路(みち)を急(いそ)ぎて中途(ちうと)に懷包(かみいれ)をとり落(おと)しけれバ、おつまを出茶屋(でちやや)の簷下(のきば)におろし置(おき)、五六」59 町立(たち)もどりしに、頻(しき)りに胸(むね)打さはげバ、おつまが事きづかはしく、又忙(いそがは)しく馳(はせ)かへりけるが、白雪(はくせつ)路徑(ろけい)を埋(うづ)みて老馬(ろうば)のしるべにあらざれバ東西(とうざい)もわかちがたく、忽地(たちまち)茶店(さてん)をとりちがへ、隣(となり)の軒端(のきば)に居(ゐ)たりける小紫(こむらさき)をお妻(つま)也と思ひ、これを脊(せ)おひてはしり行(ゆく)。小紫も又助市を権八なりとし、追人(おつて)の近(ちか)づかんことの怕(おそろ)しさに、言(ことば)もかはさず負(おは)れ行(ゆき)ぬ。権八ハかゝることゝもしらずして、追人(おつて)を切はらひ、元(もと)の茶店(さてん)に立(たち)かへり、小紫を尋(たづぬ)れどもいらへなく、只(たゞ)(となり)の簷下(のきば)に女のうめく声(こゑ)す。扨ハ待(まち)かねてはやまりし」 かとこゝろ慌(あはて)、声(こゑ)をしるべに探(さぐり)より、夜光丸(やくわうまる)を引抜(ひきぬき)て、胸(むね)のあたりをさし通(とほ)せバ、刀(かたな)の光(ひかり)四面(しめん)をてらし、濆(ほとばし)る血(ち)は雪(ゆき)にながれて鷲管山(がくわんざん)の紫霜(しさう)にひとし。権八刀(かたな)の光明(ひかり)にて、はじめてその人を見れバ、刺殺(さしころ)せしハ小紫にあらず、妹(いもと)おつまなりけれバ、こハいかに〔と〕打驚(おどろ)き、惘然(ぼうぜん)として立(たつ)たる所に、追人(おつて)(ちか)づきぬと見えて、権八をのがすなといふ声(こゑ)(みゝ)をつらぬけば、ぜひなく妹(いもと)が首(くび)を打落(うちおと)し、袖(そで)引ちぎりて押(おし)つゝみ、遂(つひ)にその場(ば)を立去(たちさり)けり。扨(さて)(また)本所(ほんしよ)助市ハ、小紫を負(おひ)て路(みち)十町ばかり來(きた)りし時、俄(にはか)に」60 挑灯(ちやうちん)(ほし)のごとくきらめき出、大勢(たいぜい)四方(しほう)よりとり囲(かこ)み、小紫をわたせ/\と呼(よばゝ)りける。助市更(さら)にその故(ゆゑ)をしらねバ、路(みち)をもとめて走(はしら)んとす。小紫ハ挑灯(ちやうちん)の火(ほ)かげにてその人の模様(もやう)を見るに、負來(おひき)し人ハ権八にあらざるゆゑ、こハあさましと轉(まろ)びおつれバ、助市もはじめて彼(かれ)が面貌(おもて)を見て大におどろき、縁故(ことのわけ)を問(とは)んとするとき、手(て)ごとに棒(ぼう)をふり揚(あげ)(きた)つてうち(〔うち〕)(たふさ)んとす。助市ぜひなく刀(かたな)を引抜(ひきぬき)、多勢(たせい)を相手(あひて)に闘(たゝかひ)しが、忽地(たちまち)こゝろ附(つき)ておもへらく、われ大望(たいもう)ある身の、人たがひにて一命(いちめい)をうし」 なはんこと本意にあらず。早(はや)く迯去(のがれさら)んにハと、敢(あへて)(たゝかひ)を好(このま)ず、透(すき)をうかゞひてはしらんと思へども、追人(おつて)ひまもなく撃(うつ)てかゝれバ、終(つひ)に身を踊(おどら)せて三谷川(さんやがは)に飛入(とびいり)しが、水にや溺(おぼれ)けん、むかひの岸(きし)にやあがりけん、その生死(しよふし)をしらず。世(よ)の人権八が為(ため)にかへり討(うち)になりしといひ傳(つた)へしハ、おつまがことと聞誤(きゝあやまり)しもの歟(か)。追人(おつて)ハ小紫をとり復(かへ)しぬるうへハ渠(かれ)に用なしと、みな/\嫖院(くるわ)に帰(かへ)りける。小紫が心の中譬(たとへ)るにものなかるべし。権八は又小紫がゆくゑこゝかしことたづぬるうち、夜向明(よあけなん)とす。彼(かれ)が身(み)の上(うへ)心」61 ならねど、憖(なまじひ)に擒(とりこ)となりて耻(はぢ)をさらさんも朽(くち)をしと、それより目黒(めぐろ)一朗菴(いちろうあん)にはしり行(ゆき)、菴主(あんしゆ)にわが身の俄悔(ざんげ)して、本末(はじめをはり)をものかたり、妹(いもと)お妻(つま)が首(くび)と一張(いつてう)の短冊(たんざく)をとり出していへらく、わが死後(しご)本所(ほんじよ)助市といふものたづね來(きた)らバ、これを逓与(わたし)給はるへし。この短冊(たんざく)ハいぬる年(とし)、助市がお妻(つま)へおくりしところの古哥(こか)なり。そのうたに、   武蔵野(むさしの)にありといふなる迯水(にげみづ)の迯(にげ)かくれても世を過(すぐ)すかな つら/\この哥(うた)のこゝろを考(かんがふ)れバ、われ助太夫を討(うち)て迯(にげ)かくれ、末世(まつせ)に悪名(あくみやう)を殘(のこ)すのみならず、同胞(どうほう)の女弟(いもと)を殺(ころ)す。」

挿絵十四62
天罸(てんばつ)一首(いつしゆ)の和哥(わか)にこもれり。只(たゞ)(いさき)よく自殺(じさつ)して、助市がうらみを果(はた)すべしといふ。一朗菴(いちろうあん)ハはじめて権八が素生(すじよふ)を聞(きゝ)て大に驚(おどろ)き、さては御身ハ平井(ひらゐ)(うぢ)の子息(しそく)にてありけるか。われも平井にゆかりある、西村(にしむら)保平(ほへい)がなれるはて也。又御身がふかくいひかはせし小紫こそ、わが女児(むすめ)のおきじなれといふ。権八これを聞(きゝ)てふたゝびその奇縁(きえん)を感悟(かんご)し、すなはち小紫に一通(いつゝう)を書殘(かきのこ)し、肚(はら)かき切(きり)て死(しゝ)たりけり。小紫ハこのことを傳(つた)へ聞(きゝ)てます/\悲(かなし)み寝食(しんしよく)をたちて死(しな)んとす。長兵衛も是をよそに見るに忍(しのび)ず、」63 三浦(みうら)のあるじに備由(ことのよし)を告(つげ)て小紫をもらはんといふ。三浦もかれらが切(せつ)なるこゝろねをあはれみ、敢(あへて)利慾(りよく)に耽(ふけ)らず、異儀(ゐぎ)なくいとまとらせぬ。長兵衛ハさま%\小紫に教訓(きやうくん)し、せめて身二になりて後(のち)、尼法師(あまほうし)ともさまをかへ、なき人の跡(あと)を吊(とは)んこそ道(みち)なれといふに、小紫も彼(かれ)が志(こゝろざし)のあつきに固辞(いなみ)がたく、しばらくその死(し)をとゞまりしが、けふハ亡夫(なきつま)の初月忌(しよぐわつき)なれバ墓参(はかまゐ)りしたきよしを請(こ)ふ。長兵衛すなはち人をつけて目黒(めぐろ)へつかはしける。一朗庵(いちろうあん)ありしことゞも物がたり、ふたゝび親子(おやこ)の名告(なのり)して、権八が書(かき)おきをわた」

挿絵十五64
しけれバ、小紫は只管(ひたすら)千行(せんこう)の涙(なみだ)にかきくれ、その夜(よ)すがら仏前(ぶつぜん)に通夜(つや)せしが、いつの間(ま)にや走出(はしりいで)けん。権八が墓(はか)の前(まへ)にて、自刄(じがい)してぞうせたりける。一朗庵(いちろうあん)なく/\その亡殻(なきがら)を権八が墓(はか)にならべ葬(ほふむ)りて、石(いし)のしるしを殘したる。目黒(めぐろ)の比翼塚(ひよくつか)(これ)なり。いかなれバこれを比翼塚(ひよくつか)といふぞとなれバ、はじめハ二の石塔婆(せきたうば)、その間(あはひ)二三尺隔(へだゝ)りしが、一夕(いつせき)雌雄(しゆう)の雉子(きじ)、塚(つか)の上(ほとり)に飛來(とひきた)りて、啼声(なくこゑ)いとかなし。次(つぎ)の朝(あさ)これを見れバ、夜(よ)のうちに両墳(りやうふん)(いし)を合(がつ)して、その間(あはひ)毫髪(ごうばつ)も容(いれ)がたし。されバ衛侯(ゑいこう)の女(むすめ)斉太子(せいのたいし)の」 死(し)を悲(かなし)み夫婦二の雉(きじ)となりし例(ためし)にならひ、世の人是(これ)を比(ひ)翼塚(つか)とよべり。又おつまが首級(しゆきう)を袖(そで)とゝも〔に〕(うつめ)し地(ところ)を、袖(そで)が崎(さき)と名(な)づくとかや。そのゝち平井(ひらゐ)右内(うない)ハ子供等(ら)が凶音(おとづれ)を聞(きゝ)(つた)へ、忽地(たちまち)(もとゝり)おし切て、清浄(しよう%\)の行者(ぎやうじや)となり、目黒(めぐろ)に來りて一朗庵(いちろうあん)とゝもに住はてける。その菴(いほり)を締(むすひ)しところを。行人坂(ぎやうにんざか)と呼(よび)なせり。夫(それ)天綱(てんこう)ハ疎(そ)にしてもらさず、前車(ぜんしや)の覆(くつかへる)を見て、後車(こうしや)の戒(いましめ)とするときハ、夫婦(ふうふ)和合(わごう)し、児孫(じそん)(こう)順に帰(き)す。讀者(よむもの)勧懲(くわんちやう)とせバ、冨貴(ふうき)栄達(ゑいたつ)(うたが)ひなし。

小説比翼文下巻65終

巻末・刊記

曲亭\主人\新編
月氷竒縁(げつひやうきえん) 〈繪入よみ本|全五冊〉
  曲亭傳竒花釵兒(きよくていでんきはなかんざし) 〈ゑ入|中本二冊〉
蓑笠雨談(さりつうだん) 〈同右|初編三冊〉
  小説比翼文(しようせつひよくもん) 〈中本ゑ入|全二册〉


 享和四年歳宿甲子正月吉日兌行
            江戸本町條通油町
              僊鶴堂 鶴屋喜右衛門梓」


#『中本型読本集』(国書刊行会、1988年1月25日) 所収。
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