義勇八犬傳 −解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】

 『南総里見八犬伝』の抄録本を紹介し続けてきたが、今回は『義勇八犬伝』を紹介したい。

 此本は草双紙風の摺付表紙を備え、全丁に挿絵が入っていて、その周辺に仮名漢字混じりのパラルビで本文が記されている。よく、草双紙の余白に見られる地口や登場人物の台詞などの書き入れは一切見られない。また、初編と二編の表紙は独立した絵柄で、合巻の様に二冊続きの絵柄ではない。さらに、五丁で一冊の意識が見られないことから、草双紙に近い板面を持つ「切附本」と呼んで差し支えのない種類の本だと思われる。

 さて、外題に出ている「國周」はどうやら表紙絵だけを担当したようである。初編序者の「岳亭」は二代目で、この抄録本は岳亭の手になるものと思われるが、初編巻末の「文亭抄録」は岳亭の別号であろうか、あるいは筆耕かもしれない。画工の「一松齋」は芳宗の号だと思われ、安政以降の切附本の挿絵を多く描いている。二編の扉に「春峩自画」とあるが、これも岳亭の別号か。この時期、岳亭は谷中忍川辺に居て忍川隠士とも号した。

 二編の序文からは、板元が「新庄堂」すなわち江戸日本橋新右エ門町の糸屋庄兵衛板であることが分かる。さらに「戸根川に落たるを渡るに舩と三編に残しぬ」とあることから、続編を予定していたようだが、刊否は不明。

 切附本は安政期に魯文が精力的に執筆した廉価な抄録本(ダイジエスト)であるが、本書でも「其筋書にもたらぬ事を書入にして」「文を捨て繪を切り抜きし戯作の道」と自虐的に記している。既に魯文の『英名八犬士』などの切附本が出ていたが、それを全丁絵入りに仕立て直した点が新しかったのかも知れない。勿論、草双紙の抄録も流布していたが、挿絵の周囲に平仮名だけで綴られた合巻とは、異なるコンセプトだったのである。なお、挿絵の構図などは『英名八犬士』に拠ったかと思われるものも目に付く。

 この本も、多く摺られて発兌され、多くの人々に読み捨てられてきたものと思われ、早印完本は管見に入っていない。印字の擦れで読めかねる箇所が多く、図版も良好なものが得られなかったが、あまり所在の知れていない本なので、大方のご教示を仰ぎたく、敢えて翻刻しておくことにする。

【書誌】

 初編

編成 中本一巻一冊 十七・九糎×十一・六糎
表紙 錦絵風摺付表紙「八犬傳 初編」「國周画」
見返 なし
叙末 「子初春\春信改 岳亭定岡述」
改印 「改八亥」
内題 「義勇(ぎゆう)八犬傳(はつけんでん)自序(じしよ)
柱刻 「八犬傳初 丁付(一〜三十一)」
匡郭 単辺無界(十五・五×十・二糎)
刊末 「文亭鈔録\一松齋工筆」
諸本 架蔵本・館山市立博物館・個人蔵本
備考 文久三(一八六三)年八月改、翌元治元年春発兌。改印は館山市博本のみに存。架蔵本は二十二、三十一丁目欠。個人蔵本は二十三丁以下欠。管見に入った三本の中では、摺りと板心の加工具合から見て館山市立博物館本が一番早いものだと思われるが、初印本だとは思われない。

 二編

編成 中本一巻一冊 十七・九糎×十一・六糎
表紙 錦絵風摺付表紙「八犬傳 二編」
見返 なし
叙末 削除痕あり
改印 「改十亥」
内題 「義勇(ぎゆう)八犬伝(はつけんでん)(じよ)
柱刻 「八犬 丁付(一〜十)」
匡郭 単辺無界(十五・四×十・三糎)
諸本 架蔵本・館山市立博物館本
備考 文久三(一八六三)年十月改。架蔵本と館山市立博物館本は共に十丁以下欠で、双方ともに板心に手を加えた跡が見られ、柱題の「八犬」より下の部分と丁付を削っている。また、序末の年記と序者名も削った跡が見え、後印本だと思われる。なお、架蔵本は入手当初、十丁以下に丁付を削った「初編」の二十三丁以下が合綴されていた。「初編」の個人蔵本が二十三丁以下ないのと考え合わせると、後印の際に手を加えられた改装本かと思われる。いずれにしても、早印完本の出現を待たないと出板時の様相は分からない。

【凡例】
 架蔵本を底本とし、破損等による読めない部分は他本を参照した。
 基本的に原本の表記を尊重したが、以下の点に手を加えた。
 異体俗体字については「JIS情報交換用漢字符号系」第一第二水準に定義されているものは生かし、それ以外は近似の字体を採用した。
 片仮名は、特に片仮名の意識で書かれたと思われるもの以外は平仮名に直した。
 本文には句読点が用いられていないが、通読の便宜のために適宜これを補った。
 丁移りは見開きの単位として」1オの如くに示した。
 印字の擦れなどから推読した部分は〔 〕に入れて示した。
 表紙、挿絵はすべて写真を掲載した。架蔵本に欠ける部分のみは別本で補った。

【翻刻】

〔表紙〕
表紙

〔扉〕
扉

犬も尾をふることの葉を 今もなを実に八人の星まつりより  兵ママ

 郷実義真\息女婦志姫」1オ

〔序〕
序
義勇(ぎゆう)八犬傳(はつけんでん)自序(じしよ)
(いぬ)は意懐(いかい)を展(の )(したが)ッて怨念(おんねん)を散(き)ずとかや。婦志姫(ふしひめ)八ッ房(ぶさ)に呼聞名(いそな)はれて冨山(とやま)に至(いた)り帝(て)より八犬士(はつけんし)の銘々(めい/\)傳記(でんき)は蓑笠(さりつ)(をう)を一世(いつせ)お残(のこ)す行末(ゆくすへ)をしるせ出(いだ)せり。」 草帋(さうし)のはじめに引上(ひきあげ)(その)面影(おもかげ)を圖(うつ)せよと問屋(とひや)の好(この)みに久(ひさ)しぶりなまけた管(ふで)を鳥(とり)が啼(なく)(しのぶ)(がは)の菴(いほり)を出(いで)て清水(しみづ)が元(もと)に轉宅(てんたく)の八房(やつぶさ)ならぬ やつがれが犬(いぬ)もあるけば棒(ばう)とやら 八犬士(はつけんし)にはあらずとも八笑人(はつせうじん) の友(とも)まちて東叡山(とうゑいざん)の森(もり)かげなる 南窓(なんさう)に頬杖(ほうづえ)しなから 硯(すゞり)を濡(ぬら)す事(こと)とはなりぬ
 子初春  春信改 岳亭定岡述

 仁義禮智忠信孝悌」2オ

〔口絵〕
口絵
 安房(あは)上總(かづさの)\国主(こくしゆ)義真(よしざね)
 村長蟇六
 番作一子信乃
 金毬八郎孝則」3オ

〔本文〕
3ウ4オ
[よみはじめ] 龍門(りうもん)の鯉(こい)(たき)に上(のぼ)りて龍(りゆう)となるとかや。昔(むかし)安房(あは)上総(かづさ)の國主(こくしゆ)たりし郷実(さとみ)治部(ぢぶ)大夫義真(よしざね)朝臣(あそん)、御曹子(そうし)と呼(よば)れしころ、すでに [つぎへ]
 郷實治郎義真
 五十之丞氏幹」4オ

4ウ5オ
[つゞき] 結城(ゆふき)氏友に一みなして落城(らくじやう)におよび、氏幹(うぢもと)森口(もりぐち)の両人(りやうにん)をしたがへて、軍(いくさ)の中をきり抜(ぬけ)、三日にして三浦(みうら)にやどり、安房の國へ渡(わた)らん、となせるとき、竜(りゆう)の上天(しやうてん)するを見(み)て、武運(ぶうん)をよろこびけるに、扨(さて)も郷見(さとみ)義真(よしざね)は、白濱(しらはま)に出(いで)て、竿(さほ)つりばりをたれて鯉(こひ)をつらんとなせるをり、此方(こなた)なる柳(やなぎ)の陰(かげ)に非人(ひにん)ありしが、義真(よしざね)が釣(つり)するを見て笑(わら)ひけるに、其(その)(よし)を問(と)ふ。大嶋(しま)に馬(うま)なし[つぎへ]
 金毬八郎
 義真」5オ

5ウ6オ
[つゞき] 安房國(あはのくに)に鯉(こひ)なしといふ。其(その)人を問(とふ)に、金(かな) 毬八郎孝則(たかのり)なり。山級(やましな)一ッ家(け)を討(うつ)て取(とら)んと、 大唐(もろこし)の豫譲(よじやう)をならび、うるしを呑(のん)で かくの姿(すがた)となりし、と物語(ものかた)れば、義真(よしさね)、 定兼(さだかね)をうたんことをよろこび、臣下(しゆう%\)のけいやくをなしにける。
(これ)より蟹(かに)を湯(ゆで)て惣身を あらひけるに、忽(たちま)ち元(もと)のごとくなりにける。 然(さ)れば味方(みかた)を 集(あつ)むるてだてやある、と問(とひ)けるに、 八郎うちうなづき、薮陰(やぶかげ)に火をかけ [つぎへ]
 金毬八郎孝則
 村長 」6オ

6ウ7オ
[つゞき] 百姓(ひやくしやう)をあつめ、悪人(あくにん)定兼(さだかね)を討(うた)ん事おさとし、義真(よしざね)が味方(みかた)をなさしむ。扨(さて)も、それより義真(よしざね)は、百姓(ひやくせう)(ら)を三手(みて)にわけ、東條(とうでう)の城(しろ)におしよせ後(のち)、山級(やましな)(どく)左衛門定包(さだかね)が居城(きよじやう)に討手(うつて)を向(むけ)たりけるが、つひに定兼(さだかね)が城(しろ)をえて、五十子(いさらご)御前(ごぜん)を内室(ないしつ)にむかへ、やがて息女(そくぢよ)婦世姫(ふせひめ)をまうけけるに、三才(さい)まで口(くち)をきかず。異人来つて是を治(なを)し八ある玉の数珠をあたへて戻(もど)りける。
(これ)(まで)の物(もの)(かた)りこと永(なが)くして丁数(てうすう)に限(かぎ)りあれは其(その)(すぢ)をしるす也。
此処(こゝ)に、冨山(とやま)より此方(こなた)の村(むら)に、犬(いぬ)たゞ一ッの子を産(うみ)けるに、母(はゝ)の犬は狼(おゝかみ)のとりけるにや、犬(いぬ)の子(こ)ばかり残(のこ)りける。然(しか)るにうへつかれたる様(さま)もなく [次へ]
 金毬八郎孝則」7オ

7ウ8オ
[つゞき] 生長(せいちやう)なしけるにぞ、人いぶかしく思(おも)ひけるに、ある朝(あさ)、犬ごやより狸(たぬき)一匹(ひき)とび出(いで)て、冨山(とやま)の方(かた)に飛行(とびゆき)けるが、四五十日にして、狸(たぬき)はつひに不参(こず)なりぬ。しかるに、杉浦(すきうら)(いそ)之丞(のしやう)森口(もりぐち)九郎の両人、東條(とうでう)の城(しろ)をまもりてありけるが、滝田(たきだ)へかへる日(ひ)、かの犬(いぬ)を見るに、骨太(ほねふと)くしてたくましければ城内(ぜうない)[つぎへ]
 異人(いじん)(えん)の行者(きやうじや)の化現(けしん)
 萬山不重君恩重\一髪不輕我命輕[内蔵之助良雄]」8オ

8ウ9オ
[つゞき](つれ)(かへ)りけるに、 義興(よしおき)大いに心にかなひ、息女(そくぢよ) 婦世姫(ふせひめ)にしたがひけるにぞ、後(のち) には座敷(ざしき)に上(あげ)おかれて、人も およばぬふるまひなり。
去程(さるほど)に安犀(あんざい)景頬(かげつら) と軍(いくさ)におよび、 義真(よしざね)(てき)しがたく、 討死(うちじに)とぞ究(きは)めけるが、 八房(やつぶさ)と名付(なづけ)たる犬(いぬ)にむかひて いへるやう、汝(なんぢ)を我(わが)(むこ)にして 婦世姫(ふせひめ)とめあはすべし。 敵(てき)の大将(せう)景頬(かげつら)が 首(くび)を得(え)きたれ、と いひけるに、八房(ぶさ)[つぎへ]
 杉浦礒之丞」9オ

9ウ10オ
[つゞき](くび)うなだれて在(あり)けるが、其(その)(よ)、臣下(しんか)討死(うちじに)と究めければ、時(とき)をまちて各(おの)(よろひ)なげかけ、討(うつ)て出(いで)んとなしたる時、廣庭(ひろには)にほへる事つねならねば、家来(けらい)に命(めい)じて手燭(しそく)に灯(ひ)をうつしこれを見(み)るに、敵(てき)の大将(たいしやう)安西(あんざい)景頬(かげつら)が首(くび)をくわへて帰(かへ)りける。是(これ)が為(ため)に軍(いくさ)やぶれ、勝利(しやうり)を得(え)てよろこぶ事かぎりなし。猶(なを)八ッ房(ぶさ)を尊(たつと)むこと、臣(しん)のごとくなりけるに、是(これ)よりして [次へ]
 八房
 義真」10オ

10ウ11オ
[つゞき](かの)(いぬ)、婦世姫(ふせひめ)が側(そは)をさらず。あるは袂(たもと)をくはへ、すそにまとひけるに、〔或い〕は寐所(しんしよ)に入(い)りて、ふし〔戸〕(と)を同(おな)じくせん事(こと)をなすにぞ、初(はじ)めて義興(よしおき)こゝろづき、事(こと)のやうすを語(かた)るに、武士(ものゝふ)の言出(いひいで)たるを止(やみ)がたく、息女(そくぢよ)にや姫(ひめ)も涙(なみだ)ながら是(これ)を父(ちゝ)にかたり、つひに義興(よしおき)八房(ぶさ)に息女(そくぢよ)[次へ]
 義真
 五十之助
 安犀(あんざい)景頬(かげつら)が首(くび) 」11オ

11ウ12オ
[つゞき] やりてけるも如何(いか)なる因縁(いんえん)といふへくにや、父母(ちゝはゝ)ともに別(わか)れをかなしみ、臣下(しんか)(こゑ)ををしまず泪(なみだ)にくれてけるが、犬(いぬ)は姫(ひめ)を背(せ)おひ、何方(いづく)ともなくはせ行(ゆく)にぞ、五十(いそ)の助(すけ)をはじめとして、家来(けらい)のめん/\追(おひ)かけていたるに、谷(たに)をこへ山を巡(めぐ)りてつひに行衛(ゆくゑ)しれずなりにけり。

○扨(さて)も金毬(かなまり)八郎は義興(よしおき)が神夢(しんむ)のつけに冨山(とやま)[つぎへ]
 婦世姫」12オ

12ウ13オ
[つゞき](さぐ)れとありければ、心(こゝろ)を得(え)て、一人鉄炮(てつほう)を引提(ひきさげ)、やかたをぞ出(いで)たちける。婦世姫(ふせひめ)は、名(な)さへ知(し)らざる〔深山〕、彼(かの)八ッ房(ぶさ)のはごくみを得(え)て、木(この)(み)の食(しよく)に露命(ろめい)をつなぎ、經文(きやうもん)に念(ねん)なく、折(をり)から前面(ぜんめん)の岸(きし)に鉄炮(てつほう)のおとして、二ッ玉(だま)に八ッ房(ぶさ)は咽(のんど)をうたれ、あまれる玉(たま)に婦世姫(ふせひめ)[次へ]
 義興
 婦世姫」13オ

13ウ14オ
[つゞき](みぎ)つ乳(ち)の下(した)打破(うちやぶ)られ、横(よこ)さまに伏倒(ふしまろ)びぬ。時(とき)なるかな、靄(もや)ふかくして、はれ間(ま)もなく、時(とき)に向(むか)ひの岸(きし)に一人の獵人(かりうど)たちあらはれ、流(なが)るゝ水(みづ)をきつと見(み)て、やがて浅瀬(あさせ)や知(し)りたりけん、持(もつ)たる鉄炮(てつほう)(かた)にかけ、此方(こなた)を指(さし)て渡(わた)りけるが、姫君(ひめぎみ)の此ありさまに [つぎへ]
 八郎孝則
 婦世姫」14オ

14ウ15オ
[つゞき] おどろき周章(あはてふためき)、薬(くすり)を出(いだ)して口(くち)に入れ、とやかくとなしけれども、全身(ぜんしん)とふりて救(すく)ふべうもあらず。我(わが)忠義(ちうぎ)は不忠(ちう)となりて罪(つみ)を醸(かも)せり、心(こゝろ)ばかりの申わけに、腹(はら)かき切(きつ)て姫君(ひめぎみ)の御供(とも)せん、と刀(かたな)ぬき出(だ)し、すでに脇腹(わきはら)につき [つぎへ]
 義興
 婦世姫
 八郎孝則」15オ

15ウ16オ
[つゞき](たて)んとなしたるとき、義真(よしざね)蔵人(くらんど)を連(つれ)て此所(このところ)に来(きた)り、自殺(じさつ)の覚悟(かくご)(かん)じて、八郎が髪(かみ)をきりて出家(しゆつけ)をとげよ、とさとしける。折(をり)から婦世姫(ふせひめ)が首(くび)にかけたる数珠(じゆじゆ)きれて、八ッの親(おや)玉中天(ちうてん)にとび去(さ)りける。

○此所(こゝ)に、武州豊嶋郡(むさしのくにとしま)すがも大塚(つか)の里(さと)に、大塚(つか)番作(ばんさく)の一子(し)信乃(しの)は、両親(りやうしん)につかへて孝心(かうしん)大かたならず。与四郎(よしらう)[つぎへ]
 信乃
 番作」16オ

16ウ17オ
[つゞき](な)づけたる抱犬(かひいぬ)ありしが、また村長(むらをさ)なる蟇六は猫をかひて、雉子毛(きじけ)なれば紀次郎(きじらう)と名(な)づけけるが、あるひ番作(ばんさく)がかひ犬(いぬ)、かの紀次郎(きじらう)をくひ殺(ころ)しぬ。扨(さて)もこの恨(うら)みよりして、糠助(ぬかすけ)といへる者(もの)をはかり、番作(ばんさく)に村雨丸(むらさめまる)[次へ]
 蟇六
 むすめ
 亀笹」17オ

17ウ18オ
[つゞき](おく)らせんとするに、番作(ばんさく)(とを)きを慮(おもんぱか)ッて、村雨丸(むらさめまる)を信乃(しの)に渡(わた)し、身(み)の上(うへ)をかたり、つひに切腹(せつふく)して終(をは)りける。去程(さるほど)に、蟇(ひき)六は近村(きんそん)の人々(ひと%\)が風評(ふうへう)をおそれ、小者(こもの)額蔵(がくざう)を薪水(にたき)の労(わざ)を佐(たす)けよ、と言(いひ)つけて、其(その)(ゝち)は信(し)乃が方(かた)にぞ通(かよ)はせける。信乃(しの)は、伯母(をば)夫婦(ふうふ)が本心(ほんしん)を さぐらんとての [つぎへ]
 大塚番作
 信乃」18オ

18ウ19オ
[つゞき] 間盗(まはしもの)なるか、と思(おも)ひければ、苟(かりそめ)にも心(こゝろ)を赦(ゆる)さず、日来(ひごろ)、額蔵(がくさう)がふるまひに気(き)を配(くば)るに、温順(おんじゆん)にして小者(こもの)に似(に)ず老実(やか)なるに、末(すへ)はかんじける。ある日、信乃(しの)が腕(うで)の瘤(こぶ)を見て、和君(わくん)にも痣(あざ)あり、吾(われ)にも[つぎへ]
 信乃」19オ

19ウ20オ
[つゞき] にも痣(あざ)あり。これ見(み)給へ、と背(せ)を見(み)するに、身柱(ちりけ)のほとりに同(おな)じ牡丹(ぼたん)の痣(あざ)あるにぞ、両人(りやうにん)(め)と目を見(み)あはせたる時(とき)に、袂(たもと)の間(あはひ)より一ッの白玉(しらたま)まろび落(おつ)るに、額蔵(がくざう)はつく%\と見(み)て、我身(わがみ)にもこの玉(たま)あり、とたがひに玉(たま)を見(み)あはせ、是(これ)よりして額蔵(がくさう)は、父(ちゝ)犬川(いぬかは)衛二(ゑじ)則任(のりたう)をとりて、犬川(いぬかは)荘助(さうすけ)義任(よしたう)と名号(なづけ)ける。また、額蔵(がくさう)のいへるやう、寔(まこと)におん身(み)の先考(なきはゝ)は、人を知(し)るの先見(せんけん)(たる)よし、惜(をし)むべし/\、と嗟嘆(さたん)してありければ[つぎへ]
 犬川額藏
 信乃」20オ

20ウ21オ
[つゞき] 信乃(しの)も嘆息(たんそく)なしけるに、我(われ)またおん身(み)とともに久(ひさ)しく爰(こゝ)に在(あら)んこと、後々(のち/\)の為(ため)にいとわろし。翌(あす)は病(やま)ひにことよせて、一(たび)母やへかへらん、と思ふ也と、ともに番作(ばんさく)が霊牌(ゐはい)を拝(はい)し、いとむつましく語(かた)らひけるが、蟇(ひき)六夫婦(ふうふ)は此事を夢(ゆめ)にだに知(し)らず。一たび娘(むすめ)濱路(はまぢ)が婿(むこ)となして、番作(ばんさく)が所持(しよぢ)なせる田畑(でんはた)を吾物(わがもの)となし、其後(そのゝち)は、いづれにも [つぎへ]
 金毬八郎」21オ

21ウ22オ
[つゞき](はか)らひて、彼(かの)村雨丸(むらさめまる)をとり得(え)んものと、ふたりは悪意(あくい)にかしこくも、工(たく)みのほどこそおそろしけ□る。
去程(さるほど)に、犬塚(いぬづか)犬川の両人は義を〔結(むす)ひ〕て兄弟(けいてい)となりて、やがて蟇六が家(いへ)に引(ひき)とられけるが、父(ちゝ)番作(ばんさく)が三十五日の逮夜(たいや)になりければ、信乃(しの)は亡(なき)父母(ふぼ)の菩提院(ぼだいいん)へおもむきしに、帰(かへ)る道(みち)にて、額蔵(がくさう)に出合(であひ)、わが家(いへ)の門(かど)かひ犬(いぬ)なる与(よ)四郎を埋(うめ)たる梅(うめ)の樹(き)のほとりにいたり、汝(かれ)がために [つぎへ]
 犬川額蔵
 犬塚信乃」22オ

22ウ23オ
[つゞき] 卒塔婆(そとば)を建(たて)ん、と彼(かの)(うめ)をけづり、仏名(ぶつめう)をしるし、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)々々(/\)と十遍(へん)ばかり唱(とな)へけるが、其(その)(とし)もあけて、其(その)(つき)にいたり、彼(かの)与四郎(よしらう)をうづめたるところの梅(うめ)の殊更(ことさら)(しげ)り、文字(もじ)はきえて青梅(あをうめ)おびたゞしく生(なり)ければ、つく%\見るに、一枝(えだ)に八ッづゝなり。世(よ)にいふ八ッ房(ぶさ)の梅(うめ)なりければ、信乃(しの)は奇なるかなと打(うち)(まも)り、よく/\見るに、仁義(じんぎ)礼智(れいち)の八字(はちじ)あり。額蔵(がくざう)もなほ疑(うたが)ひ、両人玉(たま)を出(いだ)してくらべ見るに、よく似(に)たりければ、符節(ふせつ)を合(あは)せてます/\[つぎへ]
 信乃
 蟇六が娘濱路」23オ

23ウ24オ
[つゞき] さん嘆(たん)したりける。一日(あるひ)、蟇六(ひきろく)がむすめ濱路(はまぢ)は信乃(しの)が部屋(へや)に至(いた)り、さま%\と云寄(いひより)けれども、信乃(しの)は心(こゝろ)に刄(やいば)をふくむところなれば、更(さら)に聞入(きゝい)る色(いろ)なく、母(はゝ)亀笹(かめざゝ)は奸智(かんち)をめぐらしけるかひなく、また夫(をつと)蟇六(ひきろく)と云(いひ)あはせ、一ッの工風(くふう)をめぐらし、信(し)乃が平生(へいぜい)(こし)をはなさぬ村雨丸(むらさめまる)を、手(て)に入(い)れんことをたくみける。斯(かく)て信乃(しの)は糠介(ぬかすけ)が家(いへ)をおとなへしに、病気(びやうき)いと重(おも)くして、我(わが)身のうへをかたり、一子(し)玄吉(げんきち)をたのみて、先(さき)の年(とし)おや子(こ)身を投(なげ)んとして、飛脚(ひきやく)に抱留(だきとめ)られ、玄吉(げんきち)を遣(やり)て安(やす)[次へ]
 信乃
 糠介」24オ

24ウ25オ
[つゞき] 心なしたる咄(はなし)、又路用(ろよう)をもらひてわかれたること、後(のち)、この大塚(つか)にきたり。泪(なみだ)に袖をぬらしけるが、もし巡(めぐ)り逢(あひ)給ふことあらば、渠(かれ)は生(うま)れながらにして、右の頬先(ほうさき)に痣(あざ)ありて、形(かたち)牡丹(ぼたん)に似(に)たり。生(うま)れたる七夜(しちや)には、我(わが)(つり)たる鯛(たい)を包丁(ほうてう)せんとしたるに、腹(はら)の内(うち)に玉(たま)ありて光(ひかり)をはなせり。とりて見(み)るにまことゝいふ [つぎへ]
 糠介」25オ

25ウ26オ
[つゞき](じ)にて信(しん)の文字(もんじ)なり。されば臍帯(へそのを)をそへて守(まも)り袋(ぶくろ)に入たり、と語(かたり)りて、つひに身(み)まがりける。
(こゝ)に、管領(くわんれい)(け)の浪人(らうにん)、網乾(あぼし)左母(さぼ)二郎(じらう)といふ壮佼(わかうど)ありけり。蟇六(ひきろく)がつま亀(かめ)ざゝ、左母(さも)二郎が美男(びなん)なるにめで、常(つね)に歌曲(かきよく)の相手(あいて)にまねぎける。いつしか娘(むすめ)濱路(はまぢ)を思ひそめ、艶書(えんしよ)をもつて云(いひ)おくるに、濱路(はまぢ)は手(て)にもふれずして、後(のち)/\は面(かほ)もむかへぬやうなしけるは、親(おや)に似(に)げなき事どもなり。[つぎへ]
 糠介名玉を得る」26オ

26ウ27オ
[つゞき](さて)も、ある日(ひ)、蟇(ひき)六は、信乃(しの)左母二郎(さほじらう)土太郎(どたらう)を連(つれ)て、かみや川に至(いた)り、舩(ふね)をうかめて、腰簑(こしみの)をつけ、しきりに網(あみ)を打(うち)おろしてありしが、兼(かね)てたくみし事なれば、足(あし)ふみはづして、川へざんぶと落(おち)いりけるにぞ、皆々(みな/\)おどろく、その中に、信乃(しの)は手ばやく着類(きるい)をぬぎ捨(すて)、浪間(なみま)にひらりと飛(とび)入り、蟇(ひき)六を引かゝえて、ひたすら救(すく)はんとするに [次へ]
 左母二郎
 濱路」27オ

27ウ28オ
[つゞき] 後につゞきて土(ど)太郎が、信(し)乃を深(ふか)みに引入(ひきい)れんとするに、蟇(ひき)六も舩(ふね)をはなれてより、信乃(しの)をうしなはんとなしけるが、水練(すいれん)にたつしたれば、向(むか)ひの岸(きし)に上(あが)りける。其(その)(ひま)に、左母(さぼ)二郎は我(わが)さしたる刀(かたな)を抜(ぬき)とり、蟇(ひき)六が刀と差(さし)かへん、と約束(やくそく)なせしが、村雨丸(むせさめまる)の名刀(めいたう) [つぎへ]
 土太郎
 信乃
 蟇六」28オ

28ウ29オ
[つゞき] なるにぞ、自身(おのれ)が刀(かたな)とすり替(かへ)、やがて蟇(ひき)六が刀と我(わが)(かたな)とをすりかへ、水を入(い)れて置(おい)たりける。是(これ)、神(かみ)ならぬ身(み)の犬塚(いぬづか)も、たへて知(し)る事なかりける。

(さて)も、濱路(はまぢ)は信乃(しの)が部屋(へや)にきたりて云(いふ)やう、是(これ)まで御身(み)をしとふ事、まさごの数(かず)のかぞへがたし。此程(このほど)、其方(そなた)さまには何(いづ)れへか旅立(たびだち)給ふとの事なるか、せめて夫婦(いもせ)の 語(かたら)ひを済(すま)せておいて行ならば、たとへあこがれ死(しね)ばとて、何(なに)うらみん、と寄添(よりそふ)にぞ、信乃(しの)は天窓(かうべ)をふつて云(いふ)ふやう、 [つぎへ]
 左母二郎」29オ

29ウ30オ
[つゞき] たとへ且(しばら)く別(わか)るゝとも、迭(かたみ)に心かはらずば、遂(つひ)に一ッになる時(とき)あらん。我(われ)も出世(しゆつせ)の首途(かどで)也。さまたげせば、妻(つま)にはせじ、と云(いひ)(はな)されて、濱路(はまぢ)は、よゝと泣入(なきいり)ける。
(それ)より、信乃(しの)は、かの村雨丸(むらさめまる)を持参(ぢさん)なして、出立(しゆつたつ)なしければ、蟇(ひき)六は、左母(さぼ)二郎を持て、舩中(せんちう)に村雨丸(むらさめまる)を得(え)たりければ、是(これ)を引手物(ひきでもの)として、あまた金(かね)をもてるを聟(むこ)にせん、と云(いひ)ふらせし [つぎへ]
 がく蔵
 信乃
 はまぢ」30オ

30ウ31オ
[つゞき] なれば、或日(あるひ)、人をして非火見(ひがみ)(きう)六といへるもの、御(ご)陣屋(ぢんや)を勤(つと)め参りしが、幸(さいは)ひ、多(おほ)くの子金(こがね)を持(もて)れば、其(その)(えん)(だん)を致(いた)さん、といひ入(い)れしに、亀笹(かめざゝ)(ひき)六、大きによろこび、相談(さうだん)なして日(ひ)をさだめ、當日(あたるひ)にもなりぬるに、濱路(はまぢ)は、其(その)(よ)に家出なして行方(ゆきがた)しれず、入(いり)來るは、さう六とて、今日(けふ)をはれなる、麻(あさ) [つぎへ]
 唄二
 久六」31オ

31ウ
[つゞき] 上下(かみしも)中立(なかだち)がてら、唄二(ばいじ)といへる町(てう)人付(つき)そへ、入來(きた)るに、出向(でむか)ふものもそこ/\に、何(なん)としんたいきはまりし、と主人(あるじ)(ひき)六出(で)むかひて、奥(おく)なる方(かた)にいざなひける。是(これ)より、左母(さぼ)二郎(じらう)がすり替(かへ)たる村雨丸(むらさめまる)を出(いだ)すくだりは、二のまきに書入(かきい)れ引つゞき出板(しゆつはん)仕候。
文亭鈔録
一松齋工筆」31ウ


〔表紙〕
表紙

〔扉〕
扉
江柳(えやなぎ)に釣(つ)り上(あ)げられな浮氷(うきごほり)

文廼屋仲丸賛\春峩自画」1オ

口絵
犬塚(いぬづか)信乃(しの)
犬貝(いぬかい)玄八(げんはち)」2オ

2ウ3オ
 成氏(しげうぢ)朝臣(あそん)
義勇(ぎゆう)八犬傳(はつけんでん)(じよ)
師克在和不在衆(いくさにかつことはくわにあらずしゆうにあり)と犬塚(いぬづか)信乃(しの)森高(もりたか)古賀(こが)の城内(じやうない)に數千(すせん)の討手(うつて)を 切抜(きりぬけ)て宝龍閣(ほうりうかく)に登(のぼ)り 玄八(げんはち)と綬合(くみあひ)て戸根川(とねがは)に 落(おち)たるを渡(わた)るに舩(ふね)と 三編(へん)に残(のこ)しぬ。本(もと)より其(その)筋書(すじがき)にもたらぬ 事(こと)を書入(かきいれ)にして 新庄堂(とんや)の催促(さいそく)を防(ふせ)ぐのみなれば、 うれるは画工(ぐわこう)が手柄(てがら) にして馬琴(ばきん)(おう)の世(よ)にあらば、 さぞ嘆(なげ)かはしく思(おも)はんと つぶやき/\文(ぶん)を捨(す)て繪を切(き)り抜(ぬ)きし戯作(げさく)の道(みち)草如是 畜生(ちくしやう)菩提(ぼだい)〔心〕仁(じん)義礼(れい)(ち)の、 たま/\に人の畑(はたけ)に鍬(くわ)を入(い) れる谷中(やなか)の〔道〕の片邊(かたほと)り清水(しみづ)が元(もと)に筆(ふで)を染(そめ)ぬ。
 宝竜閣(ほうりうかく)に執権(しつけん)横堀(よこほり)不人(ぶにん)の組子(くみこ)(らく)す 」3オ

3ウ4オ
[よみ初め](さて)も、蟇六(ひきろく)は、濱路(はまぢ)に聟(むこ)かねを撰(えら)み、つひに久六五倍二(ばいじ)を媒人(なかだち)として入来(いりきた)りけるに、濱路(はまぢ)は家出(いへで)なしけるにぞ、とやせん斯(かく)やと思案(しあん)なかば、両人(りやうにん)(い)り来(きた)りけるにぞ、蟇(ひき)六亀(かめ)さゝ出(いで)むかひ、事(こと)の様子(やうす)を偽(いつわ)り、村雨丸(むらさめまる)を言訳(いひわけ)に、娘(むすめ)の戻(もど)る迄(まで)の印(しるし)、と在(あ)りければ、久六は、うちうな
 久六
 蟇六」4オ

4ウ5オ
[つゞき] づき、何(なに)はともあれ一見(いつけん)なし、そが上(うへ)にて預(あづか)りおかん、と抜(ぬき)はなせは、名(な)には似(に)げ新身(あらみ)の生(なま)くら、久六は色(いろ)を變(へん)じ、蟇六(ひきろく)にうち向(むか)ひ、村雨丸といふ證拠(しやうこ)のあるや、と聞(きか)れて、蟇六打笑(うちえみ)つゝ、振(ふ)れは雨(あめ)(ふ)る刀の奇(き)どく、おためし有(あれ)、とありければ、久六(きうろく)座敷(ざしき)
 亀笹
 唄二
 久六」5オ

5ウ6オ
[つゞき](たち)、ふれども/\、雨(あめ)といへなもなく散(ち)りのたつのみなれば、両人(りやうにん)(いか)りて、武士(さふらひ)を非法(ひほう)なしたることなればゆるしはせぬ、と久六(きうろく)が抜(ぬく)ても見せず、蟇六(ひきろく)が肩(かた)さき、いたく切(きり)さげたり。妻(つま)亀篠(かめざゝ)は、さゝへんとするを、すかさず唄二(はいじ)が切込(きりこ)む脇指(わきさし)の、夫(ふう)婦ふたりをめつた討(うち)、折(をり)からかへる額蔵(がくざう)が、主人(しゆじん)の敵(かたき)[次へ]
 唄二首
 額蔵
 久六」6オ

6ウ7オ
[つゞき](ぬき)あはせ、ふたりを手(て)もなく切捨(きりすて)ける。爰(こゝ)に、犬塚(いぬつか)信乃(しの)は、古賀(こが)の城下(じやうか)にいたり、城内(じやうない)に云(いひ)出けるは、春王(しゆんわう)どのより、父(ちゝ)番作(ばんさく)が預(あづか)りたる、村雨丸を持参(ぢさん)なせし、と在(あり)ければ、執権(しつけん)横堀(よこぼり)不人(ぶにん)、面會(めんくわい)なし、事(こと)のよしを聞(きゝ)て、その翌日(よくじつ)、御所(ごしよ)に出(いで)、彼(かの)村雨丸(むらさめまる)をさし出せしに、上段(じやうだん)には、成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)、臣下(しんか)のめん/\並(なみ)(ゐ)たり。やがて刀(かたな)を見て、不人(ぶにん)は声かけ、犬塚(いぬつか)とやらを遁(のが)すな、と在(あり)ければ、信乃(しの)も、今(いま)はの一生(しやう)懸命(けんめい) [つぎへ]
 横堀不人」7オ

7ウ8オ
[つゞき](うつ)てかゝる組子(くみこ)を投(なげ)のけ、畳(たゝみ)をくゞる早業(はやわざ)なれとも、数人(すにん)にかこまれ、せん方(かた)なく、廣庭(ひろには)に飛(とび)(くだ)り、芳流閣(はうりうかく)にはせ上り、寄(よら)ば切(きら)ん、と身がまへたり。今又(また)(はし)子を登り来(く)るは、牢屋(ひとや)をゆるされ、着類(きるい)大小信乃(しの)が 討手(うつて)の犬かひ玄八、くわん念(ねん)なせ、と打向(うちむか)ひ、 信乃も得たり、とわたり合(あひ)、刀(かたな)をくゞりて、くみ合(あひ)しが、三重(ぢう)の家(や)の棟(むね)より [つぎへ]
 玄八
 信乃 」8オ

8ウ9オ
[つゞき](あし)(ふみ)はづして、両(りやう)人は、戸根川(とねがは)にこそ落(おち)入りしが、岸(きし)につなぎし小舟(こふね)の中(なか)へ、あわよくも落(おち)(いり)ける。友縄(ともづな)(き)れて引汐(ひくしを)に、何方(いづく)ともなく流(なが)れける。

(こゝ)にまた、文五(ぶんご)兵衛といふ者(もの)ありしが、市川(いちかは)なる横(よこ)ぼりに、例(いつ)も釣(つ)りして日を暮(くら)し、老(おい)の楽(たのし)み是(これ)に有(あり)、と一人川場(かはば)を見(み)わたす向(むか)ひに、二人の勇者(ゆうしや)組會(くみあい)て流(なが)れよつたる小舟(こぶね)の内、文五(ぶんご)兵衛は肝(きも)をつぶし、人を助(たす)けて悪(わる)い事(こと)も有(ある)まい、と舟(ふね)(ひき)よせて、名(な)も知(し)れぬ、武者(むしや)よ、勇(ゆう)者、と呼立(よびたつ)るに、信乃(しの)は早(はや)くも息(いき)(ふき)かへし、いさゐ具(つぶ)さに物語(ものかた)れは [次へ]
 房八
 小文吾」9オ

9ウ10オ
[つゞき] 文五(ぶんご)べゑも、我子(わがこ)なる 小文吾(こぶんご)が牡丹(ぼたん)の痣(あざ)に思(おも)ひあたり、猶(なほ)も、子細(しさい)をたづねける。時(とき)に、玄八はさいぜんより事(こと)の様子(やうす)(きゝ)(ゐ)たりしが、むつくと起(おき)て、信乃(しの)にむかひ、我(われ)とても似(に)たることあり、是(これ)(み)給へ、と腕(うで)をまくるに、同(おな)じ牡丹(ぼたん)の痣(あざ)ありて、又、玉(たま)を持(も)てり。去程(さるほど)に信乃(しの)[つぎへ]
 信乃
 玄八」10オ

10ウ
[つゞき] はしめて心(こゝろ)とけ、額蔵(がくざう)と同(おな)じ兄弟(きやうだい)なるを知(し)るものから、ひとしく両人(りやうにん)(たま)を得(え)たる。
 (欠)
途中(とちう)にて、父(ちゝ)(ぶん)五兵衛にとゞけられたる、信乃が 麻衣(あさぎぬ)
 小文吾
 文五兵エ」10ウ

  (以下欠)


#「人文研究」第35号(千葉大学文学部、2006年3月)
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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