資料紹介

『英名八犬士』(五) −解題と翻刻−

高 木  元

『南総里見八犬伝』の魯文による抄録本『英名八犬士』を紹介してきたが、今回は大尾である八編を紹介する。

長編小説を抄録(ダイジエスト)する才に闌けていた〈抄録家〉魯文が、要領良く原本の行文を切貼りして作成していった方法については既に述べ来たったが、原本一〇六冊を手許に置いての作業であったことは疑う余地がない。その鈔録過程で書写した筈であるから、用字の違い(誤字)や振仮名の省略、仮名遣いの変更などを伴っている。その作業が如何にいい加減であったかという事については、拙速を厭わずに注文を次々こなしていた魯文の習作期(安政頃)の特徴であるかも知れない。

そもそも魯文が先鞭を付けた〈切附本〉自体が粗製濫造され読み捨てられたジャンルではあったが、本書の諸本を調べていくうちに、再三にわたって板木に手を入れて再刻改竄再摺されていることが分かった。当初は錦絵風摺付表紙を持つ切附本仕立の『英名八犬士』が初摺本だと考えていたが、実は短冊題簽を持つ袋入本『英名八犬士』が早く、切附本(摺付表紙本)は袋入本の透写しを板下とする被彫りに拠る再板本であることが分かった。その透写し時には振仮名が省かれたり、板本の字が彫り毀されていたまま写されていたり、挿絵の細部が変わっていたりと、決して注意深く作業されたものとは思えない杜撰なものである。理由は不明ながら、刊行後あまり時間の経たないうちに彫り直されているようである。が、全丁にわたって彫り直されているわけではないので、その再刻箇所については今後精査して報告する用意がある。

今回紹介する八編に関しても、前半部分は確実に被彫りされている。さらに八編を改竄改題した袋入本『里見八犬伝』では、他編と同様に序文や口絵を省いたのみならず、本文冒頭一丁と二丁目の八文字を書き直し、原本の冒頭から五丁表の一行目の六文字迄を削除して強引に繋げている。つまり、表丁の口絵を新刻しているのは他編と同様であるが、巻頭一丁目の板心が「一ノ三四」となっていて、裏丁に「里見八犬伝(さとみはつけんでん)八編曲亭馬琴識[乾坤一艸亭]」と入木した上で、冒頭部を「當下(そのとき)ヽ大(ちゆたい)ハ席上(せきせう)をつら/\とうち見(み)(めぐ)らし……」と云う原本第三七回の文章を抄出して始め、そのまま一丁半続けて五丁の一行目の冒頭「冨山(とみやま)にて親兵(しんへい)衛ハ」までを書き換えて「義実の辺(ほとり)に参(まい)りぬかづきつゝ……」に繋げているのである。これはどう読んでみても文意が繋がらない。

なお、この第八編は原本『南総里見八犬伝』の第九輯一〇三回から第九輯第一八〇回までに相当する。ただし、〈対管領戦〉や〈親兵衛の上洛〉に関して記事一切と〈回外剰筆〉とが省かれている。

【書誌】

  英名八犬士 八編

書型 中本一冊 四十七丁

外題 「英名八犬士 第八大尾

見返 なし

序  「安政三丙辰年暮秋 鈍亭魯文敬白」(仁義禮智忠信孝悌の文字がある数珠の意匠枠)

改印 [辰九][改]〔安政三年九月〕

内題 「英名八犬士(ゑいめいはつけんし)第八輯(たいはちしう)結局(けつきよく)/江戸 鈍亭主人鈔録」

板心 「八犬士八編」

画工 記載なし

丁数 四十七丁

尾題 「英名八犬畧志(ゑいめいはつけんりやくし)結局

板元 記載なし

底本 服部仁氏所蔵本に拠った。

諸本 【初板袋入本】二松学舎・服部仁(六七欠)

【改修錦絵表紙本】国文学研究資料館(ナ4-680)・館山市立博物館・林・高木(初二三六存)。初板に対して改刻がなされている部分がある。

【改題改修袋入本】国学院・向井・山本和明・高木(三〜八、七八、四)本は形態の類似から「日本橋區\馬喰町二丁目\壹番地\文江堂\木村文三郎」(高木本八巻末刊記)板と思われる。

更に後の改竄本として、見返に「佐々木廉助編輯\里見八犬傳 八冊\東都書誌 淺草壽町 湊屋常次郎板」とある国会図書館本(特40-597)があり、近代デジタルライブラリーで全丁公開されている。外題は『里見八犬傳 壹(〜八)』、一巻の原序と口絵を削って次の新序半丁を加える。

里見八犬傳(さとみはつけんでん)の序(じよ)

房総(ほうさう)の大守(たいしゆ)安房守(あはのかみ)義実(よしさね)ハ、二ヶ國(こく)の主(ぬし)たりと云へども、其(その)因縁(ゐんえん)(つたな)くして、業報(かうほう)(いまた)不盡(つきす)、専愛(かあひ)(じよ)伏姫(ふせひめ)は人界(がい)に生(せう)を得(ゑ)ながら鬼畜(きちく)に伴(ともなは)れ、冨山の奥(おく)に觀音經(くわんをんげう)を力となし、如是(によぜ)畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心(ぼだいしん)、是(これ)ぞ里見(さとみ)の八勇(はちゆう)士、みなに散乱(さんらん)の根(ね)を開(ひら)く、そハ故(いにしへ)曲亭翁(きよくていおう)の妙著(みやうさく)にして、皆(みな)(よの)人の知(し)る所(ところ)を、今(いま)や大巻(たいくわん)を八冊(はつさつ)に綴(つゞ)り、讀(よみ)(やす)からんを大全(だいぜん)と爲(す)るのみ。

(原文には句読点なく私意により補う)


内題に「里見八犬傳(さとみはつけんでん)初編\佐々木廉助編輯」と入木するも、二編以下は文江堂板と同じく「里見八犬傳(さとみはつけんでん)(〜八)編\曲亭馬琴識」。八編巻末の刊記は「明治十八年四月十一日御届\仝 十九年二月 日出版\編輯人 淺草壽町四拾三番地 佐々木廉助\出版人 淺草壽町四十三番地 山本常次郎」とある。


【凡例】

一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣いをはじめとして、異体字等も可能な限り原本通りとした。これは、原作との表記を比較する時の便宜のためである。【ただしWEB版では「事・歟・時・承・勢・潟・軈・第・弟」などの異体字は Shift-JIS で表示できる字体に直した】

一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。

一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、句点に限り私意により「。」を付した。

一、大きな段落の区切りとして用いられている「○」の前で改行した。

一、丁移りは 」で示し、裏にのみ 」15のごとく数字で丁付を示した。

一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時は〔 〕で示した。

一、底本は服部仁氏所蔵本に拠った。

【八編表紙】


【序】

難津(なにはづ)浅香(あさか)山の幼(おさな)き筆(ふで)もて。原傳(げんでん)一百八十回(くわひ)の。一大(いちだい)竒書(きしよ)なる長編(ちやうへん)を。小巻(せうくわん)(はづか)八冊に。鈔録(かきぬき)すなるハ。鉄漿(かね)柄杓(びしやく)に東溟(とうめい)を干潟(ひがた)となし。衣納(きぬだち)裁刀(ほうちやう)に南山を平田(へいでん)に。なさまく欲(ほり)する業(わざ)に等(ひと)しく。管(くだ)をもて天を伺(うかゞ)ふのすさみにや有けめ。さりけれとも唯(たゞ)勧懲(くわんてう)の基(もと)つ意(ゐ)を失(うしな)はず。そが面影(をもかげ)ハおぼろげながら。看官(みるひと)(うま)ざることを要(やう)とし。脚色(しくみ)のから組(くみ)たるを觧(とき)ほどき。軍旅(ぐんりよ)闘諍(とうそう)交戰(こうせん)を。細密(つまびらか)にせざる巳而(のみ)。抑(そも/\)里見(さとみ)十世の豊栄(ほうゑい)。總(ふさ)三州の安寧(あんねい)ハ。富山(とやま)に種(たね)を蒔(まき)伏し。姫(ひめ)が芽(め)ぐみの發生(はつせい)し。花(はな)(さき)(み)のる八犬具足(ぐそく)。異胸(ゐせいの)因同(はらから)(ね)に帰(かえ)る。牡丹(ぼたん)の痣子(あざ)も鮮(あざや)かに。消(きゆ)る竒玉(きゝよく)の仁義(じんき)八行(はつかう)。八法(はつほう)永字(えいじ)の初點(しよてん)の。ヽ大(ちゆだい)(ご)を示す神通(しんつう)遊仙(ゆうせん)。其跡(あと)(した)ふ狗児(ゑのこら)も。功成(こうなり)名遂(なとげ)て退隱(たいいん)幽栖(ゆうせき)(きよく)を結びし八巻(やまき)の讀切(よみきり)。稿(かう)成名を賣(うる)(ゑせ)作者。古人の糟粕(かす)を〓〓(まるのみ)に口を粘(のり)する門辺の痩犬(やせいぬ)。影(かげ)を形體(かたち)と吠(ほへ)つゞく。御高評(ごかうひやう)を尾を振(ふつ)て願奉(ねぎまつ)るになん

  安政三丙辰年暮秋  [辰九][改]

鈍亭魯文敬白 [印][印]

【口絵第一図】1

【口絵第二図】2

里見(さとみ)十將(じつせう)(の)(づ)

第一世 里見治部大輔義実(よしさね) 第二世 里見安房守(あはのかみ)義成(よしなり) 第三世 里見義通(よしみち) 第四世 里見上總介(かづさのすけ)実堯(さねたか) 第五世 里見義豊(よしとよ)」 第六世 里見義堯(よしたか) 第七世 里見左馬頭(さまのかみ)義康(よしやす) 第八世 里見義頼(よしより) 第九世 里見義弘(よしひろ) 第十世 里見安房守(あわのかみ)忠義(たゞよし)

  武士の矢なみ つくろふ小手の上に
        霰たはしる 那須の 篠原

鎌倉右大臣」


【本文】


英名八犬士(ゑいめいはつけんし)第八輯(たいはちしう)結局(けつきよく)

江戸 鈍亭主人鈔録

○尓程(さるほど)に里見(さとみ)老候(ろうこう)義実(よしさね)朝臣(あそん)ハ彼(かの)蟇田(ひきた)素藤(もとふぢ)が逆悪(きやくあく)の事(こと)孫君(まこきみ)義道(よしみち)(てき)の為にとりこにせられて躬方(みかた)に利あらぬ趣(をもむき)聞給ふ物から左(と)に右(かく)(むね)ハ安(やす)からてあすハ大山寺(たいさんじ)に詣(まう)で伏姫(ふせひめ)が神霊(しんれい)の冥助(めうぢよ)を祈(いのら)ハ義成(よしなり)が武運(ぶうん)(め)(で)たく十全の勝利(せうり)を得(ゑ)ぬる事もあらんと心ひとつに尋思(しあん)し給ひ次の日の未明(まだき)より伴當(ともびと)に照文(てるふみ)はしめ近習(きんじゆ)四五人のみこの餘(よ)雑色(ざう〔し〕き)奴僕(しもべ)に至(いた)る四五十人引倶(ぐ)しいとしのびやかに駿足(ときうま)にうち乗(のり)(かの)冨山の麓路(ふもとぢ)なる大山寺に詣(まうで)給ひ本尊(ほんぞん)を拝(おが)み奉り次に伏姫の位牌(ゐはい)に焼香(しやうかう)して祈念(きねん)を凝(こら)し給ふ事半時ばかり冨山の腰(こし)なる山河(さんせん)ハこの頃俄(にはか)に水涸(かれ)たりと聞給ひ我(われ)ハ是より冨(と)山に登(のぼり)て絶(たえ)て久しき伏姫が墳墓(なきつか)を見まく欲(ほり)すその心を得(え)て」3(とも)せよと仰(おほせ)をみな/\承りてやかてかの山へぐしまゐらせけり。かくて義実(さね)朝臣(あそん)ハ馬の脚掻(あかき)をはやめつゝ軈(やか)て冨山に赴(おもむ)きて那(かの)山河のほとりに來つゝ那這(あちこち)と見亘(わた)し給ふに水ハ毫(ちつとも)なかりけり。其時義実馬より下立(おりたて)照文(てるぶん)と奴隷(しもへ)らをこゝに畄め東峯(とうみね)萌三(もえそう)小松〔水〕(こみなと)(さくわん)蛸舩(たこふね)(かい)六 三人の近習(きんしゆ)を従(したか)へみつから山踏(ふみ)し給ふこと幾(いく)町にか及ふ程に忽地後方(あとべ)を見かへりて姫が墓(はか)に水を手向(たむけ)る折汲拿(くみとる)ものなし疾(とく)(はし)りかへりて馬柄杓(ばびしやく)を携(たつさ)へ來つへしといそかし給へば今來し道(みち)へ走り去る。斯(かく)て義実主従(しう/\)三人なほも程ある伏姫の住(すみ)(すて)られし出屈(いわむろ)に稍(やゝ)近着(ちかづ)かんとし給ふ程(ほど)に左右に間(ひま)なき樹蔭(こかけ)より弦(つる)音高く射出す猟箭(さつや)に先に立(たつ)たる近習の二人かたみに高股膝(たかもゝひさ)を射られて叫(さけ)ひもあへす仆(たふ)れけり。其時左右の樹間(このま)より顕(あらは)れ出たる曲者(くせもの)四五人てに/\竹鎗(たけやり)打しこきやをれ義実」 我們(われ/\)ハ昔(せき)年汝に亡されたる満呂(まろ)安西(あんさい)(また)神餘(しんよ)の為にけふこそかへす怨(うらみ)のほさき受(うけ)ても見よやと罵(のゝし)りて右左より競(きそ)ひ蒐(かゝ)るを義実おめたる氣色(けしき)もなくよらバうたんと杖(つえ)うち捨(すて)刀のこひ口くつろげつ冦(あだ)を疾視(にらみ)て立給ふ。浩(かゝる)処に傍(かた)へなる樹(こ)の蔭(かけ)に又人ありて天地にひゞく聲(こへ)ふり立やをれ曲者(くせもの)(ら)無礼をすな里見殿に宿因(しゆくゑん)ある八犬士の隨一(ずいゝち)たる犬江親兵衛仁(まさし)こゝにあり住(とゝま)れやつと喚(よはゝ)りて走(はし)り出來る大童(〔お〕ほわらは)あれハいかにと曲者等思はす倶(とも)に跡(あと)じさりして左右なくハ進(すゝみ)(え)ず。さりとて續(つゞ)く敵(てき)なけれバ疾(とく)打仆(たふ)せと動揺(どよ)めきて多勢(たせい)を憑(たの)むつくり猛者(もさ)(やり)を拈(ひねり)てきそひかゝれど親兵衛棒(ほう)もて打拂(はら)ふ。向ふに前なき奮勇(ふんゆう)早業(はやわざ)曲者毎(ども)ハ避易(へきゑき)してうち悩(なやま)されて伏(ふし)たる中にいさゝか手並(てなむ)一人の曲者これも竹鎗(たけやり)(うち)おられ樹(こ)の間(ま)(くゞ)りて逃亡(にげうせ)けり。親兵衛ハ倒(たふ)れたる四名(よたり)のやからを藤葛(ふぢかづら)もてひし/\といましめ傍(かたへ)の松につなぎ止め」4(ちり)うちはらひ義実の辺(ほとり)に参(まい)りぬ。ぬかづきつゝ稟(まう)すやう小可(やつかれ)ハかねてより聞(きこ)し召す山林(ばやし)(ふさ)八が獨子(ひとりこ)大八と呼(よば)れたる犬(いぬ)江親(しん)兵衛仁(まさし)にて候也。君(きみ)がけふの厄難(やくなん)を我恩神(おんじん)の教(おしへ)によりて聊(いさゝか)先途(と)に達まゐらせ見参(けんざん)に入りまつる事是(これ)又神慮(しんりよ)によれるのみ。おん身に恙(つゝが)ましまさずいと歓(よろこば)しく候と世に憑(たのも)しく見えにけり。其時義実(よしさね)驚嘆(きやうたん)ありてその武勇(ぶゆう)をかんじ給ひかゝる深(み)山に誰(たか)はぐゝみて人となしけん訝しさよと問(とは)れて親兵衛さん候小可(やつがれ)(わづか)に四ッなる秋(あき)悪漢(わるもの)に手ごめにせられて命危(あやう)かりし折不思義(ふしぎ)に神女(しんによ)のまもりによりて此山につれさせ給ひ伏姫(ふせひめ)上の墳墓(をきつち)ある嵒窟(いはむろ)を宿(やと)としつ神霊(しんれい)に年来(ころ)養はれ参り手習(てならい)讀書(どくしよ)弓馬(きうば)釼術(けんしゆつ)(なに)くれとなく教(おし)へさせ給ひしかバ六年このかた手煉(しゆれん)せしてなみなきにも候はす。斯て今朝(けさ)しも姫(ひめ)神の示によりて仇をふせぎ君に見参(けんざん)し奉り不思義(ふしぎ)の計會(けいくわい)(みな)(これ)神女のかごによれりと事遺(をち)もなく聞」

【挿絵】〈神童(しんどう)(ふたゝ)び出世(しゆつせ)して厄(やく)に老候(ろうかう)に謁(ゑつ)す〉」5
えあぐるにぞ義(よし)実しきりに駭(おどろ)き感(かん)じ事の歓(よろこ)び大かたならす。又愀然(しうねん)と二人の近習(きんじゆ)が死骸(しがい)を見かへり給ふにぞ親(しん)兵衛ハ腰(こし)につけたる薬籠(やくらう)の神丹を箭(や)を抜捨(ぬきすて)て痍口(きつぐち)へ塗(ぬり)又餘(あま)れるを口中へ沃(そゝ)き入るゝに死せりと見えたる貝六(かいろく)(さくわん)やかて忽地(たちまち)蘇生(よみがへ)りていたみもあらずなりにけり。かくて親兵衛ハ貝六(かいろく)(さくわん)(ら)に命じて彼(かの)曲者(くせもの)(ら)を拷問(がうもん)さするに頭(かしら)立たる二人の者先(まづ)(ちん)づるやう某ハ安西(あんさい)景連(かけつら)が再〓(またおひ)にて安西(あんさい)出来介(できすけ)景次(かげつぐ)と呼なすもので候なり。と名告れバ又一個(ひとり)がいふやう某(それかし)ハ麿(まろ)小五郎信時(のぶとき)が同家(うから)にて麿(まろ)(また)五郎重時(しげとき)と呼なす者なり。年來素藤(もとふぢ)に扶持せられて舘山(たてやま)の城にありしが彼にかたらはれて斯の如しと白状(はくしやう)(まぎ)れなかりけり。其時樹かげに人ありて徐(しづか)に出て來にけるをみな/\誰やと打見れハ則(すなはち)一人の老翁也。最前(さいぜん)槍を打折られて迯出(にけだ)す曲者きびしくしばりて牽立(ひきたて)來つ後」6(べ)に續(つゞ)くハ一個(ひとり)の老媼也。斯て老翁ハ曲(くせ)者が索(なは)とりつめて義実(さね)(ぬし)の目前(まなさき)へひきすえ小可(やつがれ)ハ犬山(いぬやま)道節(とうせつ)が父なる犬山道策(さく)か舊(もと)のけらい姥(おば)雪与四郎後に神谷の〓(やす)平と喚(よば)れしものにて候。是に侍(はべ)るハ拙(わか)妻にて音音(ね)と呼なしたる道節の〓母(めのと)なりき。今より六年さきの秋荒芽(め)山の隱家(かくれが)にてしか%\の事により我々必死(ひつし)を究(きは)めつゝ曳(ひく)手單節(ひとよ)の両個(ふたり)の〓(よめ)を犬田主(うじ)にたのみ置(お)き家に火をかけ猛火(めうか)の内におどり入らんとせし程(ほど)に竒(き)なるかな烟(けむり)の中(うち)に一人の神女出現(しゆつげん)ありわれ/\を救(すく)ひ給ふて此深(み)山に來りしをり犬江新兵衛此所に在(あり)てそが素性(すじやう)を打聞にき。さるほどに傍(かたへ)を見れハ両個の〓もつゝがなく又此深山に聚會(つどひ)たるその首(はじめ)より尾(をはり)まで筒約(〔つゞま〕やか)にまうすにぞ義実ぬしハ聞果(はて)て感(かん)心尤(もつとも)淺からず。彼生捕(いけとり)てつれ來しものハ洲嵜(すさき)無垢三(むくざう)が外孫有磯波(なみ)六といへる侠客(をとこたて)にてこれも素(もと)藤にそゝのかされて義実朝臣(あそん)を」
挿絵
【挿絵】〈馬(うま)を飛(とば)して星夜(せいや)親兵衞(しんべゑ)舘山(たてやま)に赴(おもむ)く〉」7
討まくせしなり。斯て義実主ハその日伏(ふせ)姫神の墳墓(おきつち)に詣(まう)で給ひみな/\を引倶(ぐ)して麓(ふもと)まで下向(かう)し給ひ既(すで)にして大山寺へつかせ給ひ生捕(いけどり)五人ハ萌(もえ)三に引(ひか)しつゝ瀧田の城へぞ送られける。されバ此夜ハ大山寺へ止宿を示(しめ)され客(きやく)殿に坐をしめて与四郎音音曳手單節(ひとよ)(ら)を召(よび)つとへ給ひける。おん後方(あとべ)にハ照文(ふみ)景能(よし)(かい)六目(さくわん)等も侍(はべ)りたり。其時親兵衛すゝみ出我君願ふハ小可(それがし)に権且(しばらく)(いとま)を賜(たま)ひねかし。今より舘(たて)山へ赴きて御曹司(ぞうし)をすくひとり奉らんといふを義実見かへりてそハ又酷(いた)く性急(せいきう)なり。舘山までハ路(みち)の程(ほど)十数里なるものを此夜を犯(をか)してやられんや。あすハ瀧田へ領(い)てかへり祖(おほ)母妙真(しん)に對面させんと思ふなり。はやるハ要(よう)なきわざにこそと繰(くり)かへしつゝ制(とゞ)め給ふを新兵衛听(きか)ず又いふやう御諚(じやう)でハ候へども古語にも兵ハ神速(そく)を貴(たつと)ぶとこそ聞えたれ。御方の機密(きみつ)を敵に知らるゝ透(ひま)これなしとすべからず。いかで/\と只管(ひたすら)に忠義に厚(あつ)き」8 武勇の魂(たましい)止るべくもあらざれバ義実(ざね)(わづか)にうなづき給ひ和郎然(さ)までに思はゞ禁(〔とゞめ〕)ハせねとその身單(ひとり)ゆかんハ危(あやふ)し我伴黨(びと)を従(したが)はせん歟(か)。他們(かれら)ハ都(すべ)て甲冑(かつちう)の准備(ようい)なきを争何(いかゞ)ハせん。と問(とは)れて親兵衛否(いな)伴黨の多きハ路次の煩(わつら)ひあり。若黨(とう)一名(にん)と奴僕にて事足(たり)なん。願ふハ礼服一領を貸(かし)給ひねと申にぞ義実しからバとて苫(とま)屋景能(よし)を若黨とし姥(をば)雪与四郎を馬の口付と定め又照文を瀧田へ遣はし此赴を義成に通達せよ。と命ぜられしかバ倶に言承(ことうけ)したりける。其時又義実主ハ貝六目(さくわん)にいゝつけ給ひ差がえの刀衣裳(いしやう)ハさらなりみな親兵衛に給はりしかバやがて馬上に打またがり手綱掻(かい)くり徐々(しづ/\)と歩(あゆま)せたるが与四郎炬(たいまつ)(ゆん)手にとりつゝくつわづらに従ふたり。其時親兵衛馬をとゞめて玄関にうちむかひ鞍(くら)の前輪(わ)に額づき俯(ふ)すを義実観(み)つゝ聲をかけて遖(あはれ)(めで)たき勇士のありさま。我ハ明日(あす)より汝(なんぢ)が吉左右(そう)を瀧田の城に俟」 つゝ在らん。暁天(あけがた)近し快(とく)ゆきね。と仰に新兵衛阿といらへて馬拍(〔かいく〕)れ乗遶(めぐ)らし見る間に出る山門に与四郎も又後(をく)れしと後方(あとべ)に續(つゞ)く景能照文。腰に提(さげ)たる張燈(ちん)ハ闇の蛍と晃(きら)めきてはやくも見えずなりにけり。

○却説(かくて)犬江新兵衛ハ照文と途(みち)を別ち景能与四郎を馬の左右に従へて舘山の城にまたゝく間に走つけ一町ばかりこなたより景能を走して喚門(おとなは)するに景能憚(はゞか)る氣色なく正門にすゝみて聲高やかに呼はる様(やう)(らう)城の人々にものいわん。只今國主のおん使犬江新兵衛仁(まさし)來れり。城(き)戸をひらきて迎(むかへ)ずや。と再(ふた)度三度おとのふ程に親兵衛も又馬を進(すゝめ)て主僕三人橋を渡しつ開(ひら)くを遅(おそ)しと待居たり。此時舘山の城兵等等(ひと)しく驚き且訝(いぶか)りのぞきの小窓(まど)よりかいま見るに思ふにも似ぬ主僕二人。あれハいかに。と呆(あき)れ惑ひつ。しか%\と素藤(もとふじ)に報(つぐ)るにぞ素藤完尓(くはんじ)として屡(しば/\)うなづきそハ義成」9 久しく攻(せめ)あぐみせん術(すべ)のなき随(まゝ)に義通とひき替に濱路姫を送らんといふ和睦の使にこそあらめ。飽(あく)まで武威を赫(かゞ)やかしてそやつに胆(きも)を潰(つぶ)させん。事の用意(い)ハしか/\にして箇様(かやう/\)に計(はから)ふべし。事整(とゝの)はゞ城内へ〓奴(そやつ)を容(い)れて案内(しるべ)をせよ我書院にて對面せん。快(とく/\)せよ。といそがせバ承(うけたまは)りぬと応(いら)へつゝ走りて外面(とのかた)へ退(まか)りけり。さる程に親兵衛ハ城の門前に馬を駐(とゞ)めて主(しゆ)僕待こと半時ばかり。軈(やが)て城内よりくゞり門を推開(おしひら)きいざおん使入り給へと大門をぞ開かせける。其時新兵衛ハ馬よりひらりと下(をり)立て門内にすゝみ入る程に案内をしつゝ書院へと伴へバ景能と与四郎ハ倶に玄関の端(のき)場に居背後(うしろ)を目送りて心密に伏姫神の擁護(ご)を祈念(きねん)したりける。却説犬江新兵衛ハ儲(まう)けの書院に赴きてと見れバ蟇田素藤はじめ左右の郎黨奥利本膳盛衡浅木椀九郎嘉倶(よしとも)にいたる迄共に甲冑(かつちう)をよろひ此餘(よ)究竟(くつきやう)の力士四五十人短鎗(てやり)薙刀(なきなた)

【挿絵】〈舘山(たてやま)の城(しろ)に仁(まさし)衆兇(しふけう)を威服(ゐふく)す〉」10
の鞘(さや)をはづして二行(ぎやう)に侍立(じりう)し一百有除(あまり)の雜兵(ぞうひやう)は弓(ゆみ)鉄炮(てつほう)を手々に持て孫廂(まごびさし)の下に居ながれたり。其(その)(とき)(しん)兵衛ゑしやくもなく床の間なる鎧櫃(よろひゞつ)を引出し尻(しり)うち掛(かけ)て上坐に着しかバ素藤(もとふぢ)勃然(ぼつねん)と怒り噫(あな)無慙(むざん)なる猴子(せがれ)が狂態(きやうたい)。疾(とく)引おろさずや。と下知したる声(こゑ)共供(もろとも)に老黨(らうどう)士卒(しそつ)等咄(どつ)とおめいてうち物を晃(きら)めかしつゝ新(しん)兵衛をおつとり込で撃(うた)んとす。時に竒(き)なる哉親(しん)兵衛が懐(ふところ)より一道の光(ひか)りさんらんして打向ふ兵毎(ものども)の面(おもて)を撲(はた)と撻(うち)しかバ大家(みな/\)(すべ)て射(ゐ)られ諸声(もろこゑ)高く苦(あ)と叫(さけ)ぶ。老當(らうどう)力士も〓斗(とんぼかへ)りてしばしハ起(おき)も得ざりけり。素藤(もとふじ)も駭(おどろ)きながら突(つ)と身を起し引抜(ひきぬく)太刀(たち)(かぜ)両段(ふたつ)になれ。と丁と撃(うつ)を親(しん)兵衛さわがず身を反(かへ)して扇(あふぎ)をもつて打落し組んとすゝむを引つけて片足(かたあし)に楚(しか)と踏伏(ふみふせ)たり。実(げ)に比類(ひるい)なき勇力(ゆうりき)に押(おさ)れて面色(めんしよく)土の如くくるしき声(こゑ)をふりしぼりて者とも救(すく)へ。と叫(さげ)ぶにぞやうやく我にかへりたる老當(ろうとう)士卒(ひそつ)も初に」11(こり)て安閑(あんかん)としてながめてをり。新(しん)兵衛ハゆう然(ぜん)と力士が捨たる捕索(とりなは)の臂(ひぢ)近にありけるをとるより早く素藤(もとふじ)を緊(きび)しくしばりて動かせず。そがまゝ傍へに引つけて手下の兇黨(けうとう)(ら)をゑらひなく〓懲(のりこら)せバ保質(ひとじち)とられて頭(かうべ)を低(たれ)(こし)を屈ておのゝき怕(おそ)れみな降参(かうさん)をしたりける。されバ本膳(ほんぜん)(わん)九郎ハ走りて外面へ赴きつ。先(まづ)(とま)屋景能(かげよし)に親(しん)兵衛が竒異(きゐ)武勇の事の赴(おもむ〔き〕)き并に篭城(らうじやう)の将卒(しやうそつ)が皆(みな)降参(こうさん)の義を報知(つげし)らして案内(しるべ)して義通(よしみち)(ぎみ)の身邊(ほとり)へぞ赴きける。爰に又里見御曹司(おんぞうじ)義通(よしみち)(きみ)ハ久しく當城(とうじやう)にとぢ籠(こめ)られ給ひしに此日思ひがけもなく賊徒(ぞくと)本膳碗九郎が苫屋(とまや)景能(かげよし)を倶(ぐ)して來つ城兵(じやうへい)(すべ)て降参(かうさん)の事情を申ついそがはしく囹圄(おり)を披(ひら)き別間に出しまゐらせて儲(もうけ)の褥(しとね)に請登(こひのぼ)すれバ景能軈(やが)て見参(げんさん)して恙なかりしを祝(しゆく)し奉り扨(さて)犬江(いぬえ)(しん)兵衛が武勇大功(たいこう)の速(すみやか)なりし事の由告まうせバ本膳(ほんぜん)(わん)九郎等ハおさ/\勦(いたは)り慰(なぐさ)めけり。

○かくて舘山(たてやま)の城内にハ」

【挿絵】〈御曹司(おんそうし)義通(よしみち)を救(すく)ひ参(まい)らせて親(しん)兵衛景能(かげよし)帰陳(きぢん)を促(うなが)す〉」12
義通(よしみち)(きみ)の御帰陣(きじん)の用意(ようい)(とゝの)ひしかバ親(しん)兵衛下知(けぢ)して第一番(だいい〔ち〕ばん)に素藤(もとふじ)以下(いか)の降人(かうにん)(ども)を先(まづ)御陣(じん)へ牽(ひく)べしとて城(しろ)の北門(ほくもん)より出し遣し次に義通(よしみち)(きみ)の轎子(のりもの)(そひ)ハ苫屋(とまや)景能(かげよし)うけ給はり軍民(ぐんみん)百五十人従(したが)へたり。その時犬江親(しん)兵衛ハ馬上(ばじやう)にて殿(しんがり)して徐(ねり)もて來ぬる。約(およそ)事の為体(ていたらく)白布(しらぬの)の幟(のぼり)両竿(ふたさほ)に叛賊(はんぞく)蟇田(しきた)素藤(もとふじ)としるし又降伏(がうぶく)兇黨(けうとう)としるせしを両個(ふたり)の軍民(ぐんみん)(さゝげ)持て真先(まつさき)にぞすゝみたる。次に十時(とゝき)(ぐわん)八平田(ひらた)盆作(ほんさく)奥利(おくり)本膳(ほんせん)(あさ)木碗(わん)九郎等(ら)の逆徒(ぎやくと)二十四人を背手(うしろて)にいましめあまたの民(たみ)が追(おい)立行めり。次(つぎ)に素藤(もとふじ)を太(ふと)く長(なが)き杉(すき)丸太(まるた)のうらにしばり付てからげて車(くるま)に推立(おしたて)しを軍民(ぐんみん)二十人して是をひくに音頭(おんど)をとり遣材唄(きやり)をうたひていと賑(にぎ)はしく徐(ねり)ゆきぬ。素藤(もとふじ)ハ此時胸(むね)の中(うち)に思(おも)ふやう扨(さて)も彼(かの)八百比丘尼(くに)ハ何方(いつこ)へ影(かげ)を隠しけん。我斯(かく)なりしが知らざるか。知れとも救(すく)ふに術(すべ)なきや。初(はじめ)の程(ほど)ハ這那(かれこれ)と助(たすけ)になる事多かりしに今この折に効驗(しるし)を見せぬハ益(やく)なかりきと」13(むね)にのみうきをやる瀬(せ)ハなかりける。さる程(ほと)に降人(かうにん)等ハひかれて陣(ぢん)の北門(ほくもん)に参りしかバ小森(もり)高宗(たかむね)浦安(うらやす)友勝(ともかつ)(ぞう)兵あまた従(したが)へて出降人(かうにん)等を局(つぼ)の内へ追(おい)入たり。左右(とかく)する程(ほど)に義通(よしみち)(ぎみ)の轎子(のりもの)近着(ちかづき)來にけれバ東(とう)辰相(ときすけ)蜑崎(あまざき)照文(てるぶん)雜兵(ざうひやう)を従(したか)へて東門(とうもん)より迎(むか)へまゐらせて儲(まうけ)の席(むしろ)に案内(しるへ)をしつゝ壽(ことぶき)を演(のべ)なす程(ほと)しもあらせず親兵衛ハ東門(とうもん)の頭(ほとり)にて馬より下(を)りすゝみ入るを照文(てるふん)いそかはしく立出て先(まづ)(しん)兵衛の大功(たいこう)の歓(よろこ)びをのべ案内(しるべ)をして件(くだん)の席(むしろ)に伴(ともな)ひけれハ親(しん)兵衛又改(あらた)めて義通(よしみち)(きみ)に見参(げんざん)して帰陣(きじん)の歓(よろこ)びをまうしけり。霎時(しばし)ありて義成(よしなり)主ハ近習(きんしゆ)幾人(いくたり)(か)(したが)ふて上坐(かみくら)に著(つき)給へバ義成(よしなり)(ぬし)(まづ)(しん)兵衛を召(よび)近著(ちかつけ)て席(せき)を賜(たま)ひ労(ねきら)ひて昨今(さくこん)二度(と)の大功(たいこう)を褒賞(ほめ)給ふ事大かたならず手つから打鮑(あはび)を賜(たまはり)て君臣(くんしん)の義(ぎ)を祝(しゆく)し給へバ親兵衛席(せき)を避(さけ)て謹(つゝしん)で禀(まう)すやう ねかふハはやく御對面(たいめん)あれかしとすゝめまうして照文(てるぶん)景能(かげよし)を心得さするに卒(いざ)とて軈(やが)て義通(よしみち)に倶(ぐ)して御前(みまへ)にぞ」 出にける。かくて御親子(しんし)對面(たいめん)あつて互(かたみ)に悦喜(えつき)限りなく親(しん)兵衛が不思議(ふしぎ)の大功(たいこう)神速(しんそく)にて勍敵(きやうてき)降伏(ごうふく)したることを感嘆(かんたん)大かたならざりける事の便宜(びんぎ)辰相(ときすけ)等ハ親兵衛に名對面(なたいめん)して大功(たいこう)を讃(さん)じ各ひとしく敬(うやま)ふたる口誼(こうき)(おは)りて辰相(ときすけ)ハ義成(よしなり)(ぬし)に素藤(もとふじ)等誅罸(ちゆうばつ)の事を請(こひ)まつるを義成(よしなり)聞つゝ頷(うなづ)きてそも又犬江に問給ふに親(しん)兵衛膝(ひざ)をすゝめて願ふハ我君格別の仁政(じんせい)を施(ほどこ)し彼等(かれら)が頭(かうべ)を接(つが)しめてゆるして追放(ついほう)し給ふとも又何(いか)ばかりの事をせん。よしや今悉(こと%\)く首(かうべ)を斬(きり)(かけ)給ふとも當家(とうけ)の政(まつり)事仁義(じんぎ)にたがひて武徳(ぶとく)(おとろ)へ給ふことあらバ奸民(かんみん)(かならず)(ぶ)を接(つぎ)て叛(そむ)くもの多からん。願ふハ仁恕(じんちよ)のおん計(はから)ひこそあらまほしく候なれと道理(だうり)をのへて諫(いさめ)まうせハその義を直(たゞち)に御許由(きよゆう)あつて高宗(たかむね)友勝(ともかつ)以下(いけ)を従(したか)へ義通君ともろともに舘山(たてやま)の城(しろ)に入給へハ親(しん)兵衛と辰相(ときすけ)ハ雜兵(ざうへい)に下知(けぢ)を傳(つた)へて先素藤(もとふじ)と願(ぐわん)八盆(ぼん)作本膳(せん)(わん)九郎等都(すべ)て頭(かしら)立たる凶黨(きやうたう)を局(つぼ)の内にひき居(すへ)さして」14 國主(こくしゆ)の寛刑(くわんけい)を恁々(しか%\)と言示(のりしめ)し汝等(なんじら)(もし)(この)(ぎ)を忘(わす)れて立(たち)かへり來(き)て悪事(あくじ)をなさバ其(その)たびハ决(けつ)してゆるさじ。此(この)(しん)兵衛があらん涯(かぎ)りハ立地(たちどころ)にみな屠戮(とりく)せんとくりかへしつゝいひこらせバ素藤(もとふぢ)(ならび)に兇黨(けうたう)ハ額(ぬか)をつき洪恩(こうおん)を皆(みな)承伏(しやうふく)をしたりけり。當下(そのとき)雜兵(ざうひやう)幾人(いくたり)(か)下知(げぢ)に従(したが)ひ素藤等(ら)が額(ひたひ)に遺(をち)なく黥(いれぼくろ)して衣(きぬ)を脱(ぬか)しつ推伏(おしふせ)て背(そびら)に笞(しもと)を中(あつ)る事一百(いつひやく)に及びしかバ各(をの/\)苦痛(くつう)に堪(たへ)ずして叫喚(きやうくわん)の声(こゑ)も立(たゝ)ずなるころ引起(ひきおこ)し水(みづ)をあたへ膏薬(かうやく)を背(そびら)に布(しき)て都(すべ)て追放(ついほう)せられけり。是(これ)より先(さき)に親(しん)兵衛辰相(ときすけ)(ら)ハ件(くだん)の一議(いちぎ)に日暮(ひくれ)たれバ此(この)(よ)ハそが儘(まゝ)在陣(ざいじん)して君侯(くんこう)に旨(むね)を伺(うかゞ)ひ次(つぎ)の日陣屋(ぢんや)をこぼたして素藤(もとふじ)に自焼(じせう)せられし民毎(たみども)に頒(わか)ちとらせしかバみな/\歓(よろこ)び恩(おん)を拝(はい)して家作(かさく)の料(りやう)にぞしたりける。さる程(ほど)に義成(よしなり)(ぬし)ハその日嫡男(ちやくなん)義通(よしみち)と馬(うま)を並(ならべ)て舘山(たてやま)の城(しろ)に入(いり)給ふ程に義成(よしなり)(ぬし)ハ姥雪(をはゆき)(よ)四郎を召出(めしいだ)して神行(はやばしり)の功(こう)を賞(ほめ)て引出物(ひきでもの)を賜(たまは)り犬江(いぬえ)(しん)兵衛をもて當城(たうじやう)を守(まも)らせ事(こと)(くま)なく定(さだ)められ次(つぎ)の日稲村(いなむら)へ凱陣(かいぢん)なし給ひけり。」

【挿絵】〈素藤(もとふぢ)山中(さんちう)草庵(そうあん)に妙椿(めうちん)に逢(あ)ふ〉」15

○斯(かく)て義成(よしなり)父子(ふし)ハ舘山(たてやま)を立去(たちさり)給ひし次(つぎ)の日義通(よしみち)と共侶(もろとも)に瀧田(たつた)の城(しろ)へ赴(おもむ)きて先(まづ)老候(らうこう)に見参(けんざん)しつゝ今般(こたび)の歓(よろこ)びをまうし給へバ義実(よしさね)(ぬし)喜悦(きえつ)大かたならず犬江(いぬえ)(しん)兵衛が冨山(とやま)のはたらき又舘山にて素藤(もとふじ)(ら)の威服(ゐふく)したりし大功(たいこう)を照文(てるぶみ)か注進(ちうしん)にて聞(きゝ)たる随(まゝ)にいひ出(いで)て父子(ふし)(そん)(よろこび)をなんのべ給ふ。かくてそのあけの朝(あさ)義成(よしなり)父子(ふし)は瀧田(たつた)の城(しろ)を辞(ぢ)し去(さり)て稲村(いなむら)へとて還(かへ)(〔ら〕)せ給ふ。話分両頭(はなしふたつにわかる)尓程(さるほど)に蟇田(ひきた)素藤(もとふじ)ハ辛(から)くも死刑(しけい)をゆるされて辰相(ときすけ)が隊(て)の雜兵(ざうひやう)(ら)に水行(ふなぢ)より身(み)ひとつを武蔵(むさし)の方(かた)に送(おく)りやられ次(つぎ)の日未(ひつじ)の頃(ころ)にその舩(ふね)ハ墨田川(すみだがは)なる西(にし)の岸(きし)につきしかバ陸(くが)に登(のぼ)し追放(おいはな)ちて雜兵(ざうひやう)(ら)ハ安房(あは)へ還(かへ)りけり。其(その)(とき)素藤(もとふぢ)ハあちこちと長(なが)き汀(みぎは)を徘徊(はいくわひ)しつゝ時(とき)も移(うつ)りて七(なゝ)さがりになりにけりと見(み)れバかしこにつなぎ舩(ふね)一艘(いつそう)あり。今宵(こよひ)ハあれに暁(あか)さんと軈(やが)て閃(ひら)りとうちのりて見(み)れバ故(ふり)たる菅蓑(すがみの)あり。こハ究竟(くつきやう)と掻(かい)とりて引起(ひきおこ)せバ下(した)に一箇(いつこ)の割篭(わりこ)ありて開(ひら)き見(み)れバ飯(いひ)と味噌(みそ)あり。天(てん)の賜物(たまもの)16 かたじけなしと立処(たちところ)に啖(くら)ひ盡(つく)し軈(やが)て熟睡(うまい)をしたりける。素(もと)より疲(つか)れし癖(くせ)なれバ幾時(いくとき)(か)(ねむ)りけん鳥(とり)の声(こゑ)に呼覚(よびさま)されて忽然(こつぜん)と眼(まなこ)を開(ひら)けバこハいかに彼(かの)河辺(かはべ)なる繋(つな)ぎ舩(ふね)を宿(やと)としたるに似(に)るべうもあらず。こゝらハ正(まさ)に山中(さんちう)にて深林(しんりん)竒巖(きかん)の外(ほか)に物(もの)なくつく%\と思(おも)ひかねて両手(もろて)をくみつゝ〓然(ほうせん)と彳(たゝず)む事(こと)半時(はんとき)ばかり。扨(さて)あるへきにあらざれバ覚束(おぼつか)なくも人里(ひとざと)をたつねゆくにと見(み)れハむかひの谷蔭(たにかけ)にむすびかけたる草庵(くさのいほり)あり。人跡(しんせき)(たへ)たる深山(みやま)にも住(すめ)ハ住(す)む人の有(あり)けるよ。と思(おも)へバさすかに憑(たのも)しくやがて彼処(かしこ)に至(いた)る程(ほど)に両折戸(もろをりど)ハ半分(なかば)(なゝめ)に開(ひら)きたり。すゝみ入(いり)つゝおとなへバ内(うち)にハ女子(をなご)の声(こゑ)として応(おう)と答(こた)へて立出(たちいづ)る。やをら障子(せうじ)を引開(ひきあく)れバ是(これ)(すなはち)ひとりの女僧(あま)なり。素藤(もとふじ)を見(み)ていふかしけにおん身(み)ハ正(まさ)に蟇田(ひきた)の大人(うし)にハあらすや。といはれて素藤(もとふじ)(おどろ)きながらまなこを定(さた)めてよく見(み)れば是(これ)別人(べつじん)ならず八百比丘尼(はつひやくひくに)妙椿(みやうちん)なり。こは什麼(そも)いかにとばかりになほ疑(うたが)ひの觧(とけ)」 ざれバ左右(さう)なくハうちものぼらず素藤(もとふじ)ハさきに犬江(いぬえ)にとらわれしをさしも妙術(めうじゆつ)ありながら救(すく)はざりしハいかにぞや益(やく)なかりき。と怨(ゑん)ずれバ妙椿(めうちん)さこそと頷(うなづ〔き〕)きてしかいふハ理(ことは)りなれど一朝(いつちやう)にいひ釋(とき)かたかり。先(まず)こなたへと慰(なぐさ)めて脚(あし)をそゝかし請(こひ)(のぼ)しゐろりに柴(しば)を折焼(をりたき)て茶(ちや)をすゝめ且(かつ)朝飯(あさいひ)をすゝめたる。管待(もてなし)等閑(なほざり)ならざれハ素藤(もとふじ)(わつか)に心(こゝろ)おちゐて又妙椿(めうちん)に云云(かにかく)とありし次第(しだい)の物語(ものかた)れバ妙椿は聞(きゝ)あへずそハはじめより天眼(てんがん)(つう)もて一事(いちし)も漏(もら)さす皆(みな)(し)れり。わなみ大人(うし)に別(わか)れて後(のち)(かげ)に立(たち)(かたち)に添(そ)ふて幾回(いくたび)となく助(たす)けし事(こと)(おほ)かりしにいかにせんあの犬江(いぬえ)といふ神童(くしわらべ)ハ伏姫(ふせひめ)の神靈(くしたま)が守(まも)れる上(うへ)感得(かんとく)の靈玉(れいぎよく)あり。よりてわなみも及(およぶ)べくもあらず勝(かち)をとる事(こと)かたけれバすくはさりしかどおん身(み)と倶(とも)に多(おゝ)かる士卒(しそつ)の命(いのち)をそこに執畄(とりとゞ)めしハわなみが擁護(ようこ)したるなり。されバおん身(み)を此所(このところ)へつりよせたるもわなみが精妙(せいめう)(はしめ)ありて終(おはり)なき浮(うき)たる人と同列(ひとつら)にな思(おも)ひそ。と」17 一五一十(いちぶしぢう)を觧(とき)(さと)せハ素藤(もとふじ)(ゆめ)の覚(さめ)たる如(こと)く又いふよしもなかりしが抑(そも/\)(こゝ)に何処(いつこ)にていつの頃(ころ)より此所(ところ)に庵(いほり)をむすび給ひたる。願(ねが)ふハ我(われ)を助(たす)け給ひて耻(はぢ)を雪(きよめ)るよしもかな。いかて/\と請求(こひもとむ)れバ妙椿(めうちん)(さ)こそと慰(なくさ)めてわなみおん身を資(たすけ)ん為(ため)にはる%\こゝへ誘引(いざのふ)たり。此地(ち)ハ則(すなはち)上総(かつさ)なる羽賀(はが)舘山(たてやま)の間なる人不入(いらず)の深山(みやま)に侍(はべ)り。軈(やが)てわなみの法術(ほうじゆつ)にて彼(かの)(しろ)を取(とり)かへすべう思(おも)へども犬江(いぬえ)めか舘山(たてやま)にあらんかきりハ不便(ふべん)なり。かやつを主(ぬし)に疑(うたがは)して遠(とお)く他郷(たけう)へ走(はし)らしなバとらん事(こと)(きはめ)て易(やす)かり。其(その)秘蜜(ひみつ)ハしか%\なり箇様(かやう/\)と觧示(ときしめ)せバ素藤(もとふじ)妙椿(めうちん)を伏拝(ふしおが)みて憑(たの)むを妙椿おしかへして閑談(かんだん)(とき)を移(うつ)しけり。是(これ)よりして素藤(もとふち)ハ養(やしなは)れて此(この)(いほり)に在(あり)りし程(ほど)にいつしか妙椿と狎親(なれしたし)みてたはけき涯(かぎ)りを盡(つく)しけるが宿望(しゆくもう)(むね)に絶(たへ)ざれバともすれバいひ出(いで)て彼(かの)法術(ほうじつ)を促(うなが)す程(ほど)に一日(あるひ)妙椿(めうちん)ハ素藤(もとふぢ)に〓(さゝや)くやう日頃(ひごろ)おんみに催促(さいそく)せられし彼(かの)犬江(いぬえ)めを遠(とふ)さけて舘山(たてやま)の城(しろ)をとり復(かへ)すに今(いま)ハ大抵(たいてい)(よき)ころ也。わなみハ聊(いさゝか)投方(さすかた)あれバ出(いで)

【挿絵】〈艶書(ゑんしよ)を拾(ひろ)ふて義成(よしなり)犬江(いぬえ)をとふざく〉」18
て五七日かへるへからず。久(ひさ)しきことにハあらざるにるすし給へと苟且(かりそめ)にこゝろえさしつ出行(いでゆき)けり。

○夫ハ扨おき安房(あわ)の稲村(いなむら)にハ此ごろ城内(しやうない)に妖怪(えうくわい)あり。濱路姫(はまぢひめ)のねやの辺(ほとり)に立顕(たちあらは)れたりけるを正可(まさか)に見(み)たといふ者多(おほ)かり。その折々(おり/\)に濱路姫おそわれ給ふ事大かたならず。されバおん父(ちゝ)義成(よしなり)(ぬし)ハ打驚(うちおとろか)せ給ひつゝ良医(りやうい)を召(めし)て醫案(いあん)を尋(たつ)ね諸(しよ)仏神(ぶつじん)を祈(いの)らし給ひけれどさせる効驗(こうけん)なかりけり。かゝりし程(ほど)におん母(はゝ)(きみ)あづまの前(まへ)のさたとして役行者(えんのぎやうじや)の石窟(いわむろ)に参(まいり)たるかへりに一個(ひとり)の異人(いじん)(よひ)かけて濱路姫のたゝりを鎮(しづ)めんと欲(ほり)せバ犬江(いぬへ)(しん)兵衛を舘(たて)山より召よせて彼(かれ)が所持(しよじ)せる霊玉(れいきよく)をかり姫上の臥(ふし)給ふ簀子(すのこ)の下(した)に深(ふか)くうづめ且(かつ)(しん)兵衛に病床(ひやうしやう)をうち守(まもら)し給ひなバ怨霊(おんりやう)立処(たちところ)に退散(たいさん)せん。とのり示(しめ)して洲崎(すさき)の方へ行(ゆく)かと思へバ忽地(たちまち)みえすなりにけり。かゝる竒特(きとく)に女房等ハかへるとやかてあづまの前に事しか%\と告(つげ)まうせバ信仰(しんかう)いよ/\浅(あさ)からず國守(こくしゆ)に聞(きこ)へあげ給へハ義成主も」19 おぼろかげながら四家老(しかろう)を召(めし)つとへて件(くだん)のよしを議(ぎ)させ給ふに皆(みな)しかるべし。とまうしゝかバ苫屋(とまや)景能(かげよし)を使(つかひ)として舘山(たてやま)の城につかはし親兵衛を召呼(めしよば)れその霊玉(れいぎよく)をかりえつゝすの子下(した)に埋措(うづめおか)し濱路姫(はまぢひめ)の枕辺(まくらべ)なる次の間(ま)(よ)づめをそさせ給ひぬ。是よりして姫上(うへ)の病苦(いたつき)日夜(や)にいよゝ平(たいら)き給へバ親兵衛が宿直(とのい)せしより氣力(きりよく)ハ日ごとに清(すが)やかなれどもいまだ日数(かづ)をへたるにあらねハ浴湯(ゆあみ)結髪(かみあけ)ハし給はず。なほたれ籠(こめ)てをはしませハ親兵衛に對面(たいめん)し給はず。宿直(とのい)の醫師(いし)奥付(おくつき)の甲乙(たれかれ)にハ夜詰(よづめ)を免(ゆる)し給ふ物から親(しん)兵衛をのみ初の如(こと)く夜ハ次(つぎ)のまに侍(はべら)したり。されハおん二親(ふたおや)胞兄弟(はらから)(たち)の歓(よろこ)びいへバさら也。給事(みやづかひ)の女房(にようぼう)(ら)なべて歓(よろこ)びいさまぬハなかりけり。さる程(ほと)に親兵衛ハ宿直(とのい)する事七夜(なゝよ)さばかり氣心(きこゝろ)倦疲(うみつか)れてしきりにねむりを催(もよふ)せしをたへがたけれハ臂近(ひちちか)なる双(すご)六盤(ばん)を引よしてねるともしらずまどろみけり。然(され)バ又義成(よしなり)(ぬし)ハ親兵衛が」 参りたるより第(たい)七日といふ夜にいたりて何となくねくるしさに胸(むね)うちさわぎて平(たゞ)ならす覚(おほへ)給ひしかバこハ濱路(はまぢ)が病着(いたつき)の危窮(きゝう)に及びしかさらずば又物怪(ものゝけ)の立顕(たちあらは)れて悩(なやます)(か)。そも親兵衛ハいかにしけん安否(あんひ)を尋(たづね)とはばやと自(みつか)ら枕辺(まくらへ)なる刀を帯(おび)て提燭(てしよく)をともしていく間歟(か)うち過(すぎ)(おく)と表(おもて)の間(あはひ)なる関の鎖(とさし)を推(をし)給ふに思ふにも似(に)ず開(ひら)きにけれハ訝(いふかり)なからすゝみ入りて濱路姫の臥房(ふしと)なる次の間(ま)にきて見給ふに姫の臥房(ふしと)に男女の聶(さゝや)くこへしたり。淺ましき事云(いふ)へうもあらず。退(しりぞ)かんとし給ふ程にゆくりなく物ありて足(あし)にかゝるをとりあげて提燭(てしよく)の火光(ほかげ)に見給ふに姫より親兵衛へ送(おく)りたる艶書(ゑんしよ)也。義成(よしなり)主ハ勃然(ほつせん)と忽地(たちまち)いかりに堪(たへ)ざれバ先かやつらをてうちにせん。とはやる心を推(をし)しつめ抜足(ぬきあし)しつゝ又臥房へかへり入給ひつく%\と思案(しあん)あり。はやくも分別(ふんべつ)(さたま)りけれハくだんの艶書(ゑんしよ)を疾(とく)焼捨(やきすて)ふたゝび枕(まくら)につき給ふにたいどの賢君(けんくん)20 子明(あく)るを今やとまた寐の床にわびしさ涯りなかりけり。かくてそのあけの朝義成主ハ親兵衛を呼近つけ姫ハ既(すで)に本復(ぶく)に及びしかバけふより夜詰(つめ)を免(ゆる)すへし。就(つき)て我思ふよしあり。汝犬(けん)士の有処(ありか)をたづねて八人具足(ぐそく)の日にあひ伴(ともな)ふて帰るべしと路用の黄(こ)金を手づから給ひて犬江にいとま給はりけれバ親兵衛ハ既に一二の城(き)戸を退きて思ふやう我君に仕へて三十余日彼折よりして兵権を一時に掌(つかさど)りしかハ忌(いむ)事のありける歟(か)。今より後幾程なく我義兄弟なる犬士等にめぐりあふ日のありとても此身に受たる濡衣(ぬれぎぬ)を乾(ほ)さずハ此地に住(〔とゞま〕)りて仕(〔つかへ〕)の途(みち)に入るべからず。と蜜(ひそか)に胸(むね)をさだめつゝ瀧田の城におもむきて祖母(そぼ)妙真に今日逢(あ)ふて今日別(わか)れ哀歓(あいくわん)こも%\なるものから親兵衛祖父(おば)によしを告(つげ)て名殘おしくも城を出爰より従者(びと)みなかくし便宜(ぎ)の港口(みなと)より出舩して古郷の下総なる市川さして走らしけり。再説(ふたゝびとく)此日稲村の城内にハ義成主千慮(りよ)を盡し」

【挿絵】〈妙椿(めうちん)〔幻〕(けん)(じゆつ)をもて素藤(もとふぢ)の殘黨(さんとう)をまねぐ〉」21
て既に犬江を他郷(たきやう)へつかはし此義を四個の家老ハさら也有司(ゆうし)給事(みやつかへ)の老女等に仰渡させ給ひしかバ各(おの/\)事情(わけ)を知らざれバ訝(いぶか)り思はざるハなかりけり。斯て此次の日に濱路姫の床上の壽あり。又いぬる頃(ころ)瀧田の城よりひき渡されたる安西(さい)出來(でき)介満呂(ろ)(また)五郎天津九三四郎荒磯浪六等帰降(ごう)の情願(じやうぐわん)実事(まこと)なるよしその聞えありしかバかゝるめでたき折なれバ件(くだん)の罪(つみ)人等を赦免(しやめん)あり此等落なく瀧田へ報(つげ)知らし給ひけり。

○尓程(さるほど)に蟇田素(もと)藤ハ一人人不入(しらす)の山の庵(いほり)を守りて妙椿のかへるを待しに三月(やよひ)も既に盡る頃妙椿ハ忽然(こつぜん)とかへり來ていへるやうわなみおん身に示せし如く稲村へ赴きて法術をもて城内に妖怪(ようくわい)を出かし親兵衛をして濱路姫の宿直(とのい)をさせ義成にうたがひを起(おこ)さして遠(とふ)く他郷(たけう)へ走したり。かやつが在(を)らずなりたれバ舘山の城をとらんこと今宵(こよい)一夜を過(すぐ)べからす。竒々妙々にはべらすや。と鼻おこめかして説(とき)(ほこ)れハ素藤悦び」22 に堪(たへ)ずしてあはれめてたき尼(あま)御前(せん)神術(しんしゆつ)(そも/\)舘山(たてやま)の城(しろ)をとりかへすにハ又是いかなる妙術(しゆつ)あるや。と問(と)ふを妙椿(めうちん)聞あへず細工(さいく)ハ流々(りう/\)(し)あげを見ませ。と外(と)の方に立むかひ眼(まなこ)を閉(とぢ)て咒文(じゆもん)を唱(とな)へバはるか前面(むかひ)の樹(き)の間より素藤(もとふじ)か元の手の者願(くわん)八盆作(ぼんさく)本膳(ほんぜん)(わん)九郎等を先(さき)に立(たゝ)して三四百人庵(いほり)の庭(には)つどひたり。素藤(もとふぢ)ハ驚(おどろ)きながらいち/\に對面(たいめん)してその別後(べつご)を問(と)ひ一五一十(いちふしゞう)を聞つゝも今宵(こよひ)會稽(くわいけい)の羞(はぢ)を聞〔ママ〕めんと欲(ほり)するに打物なくていかゞハせん。といふに妙椿(めうちん)いへるやう。その武具(ぶぐ)も我術(じゆつ)あり。猛風(もうふう)を吹起(ふきおこ)して舘(たて)山なる兵庫(ひやうご)を吹破(ふきやぶ)らし味方の武具(ぶぐ)をとりかへさん。いでや効驗(こうげん)を見給へ。と説示(ときしめ)して懐(ふところ)より錦(にしき)の嚢(ふくろ)に攸(おさ)めたる甕襲(みかそ)の玉をとり出して額(ひたひ)に押當(をしあて)うち念(ねん)じてしばし咒文(しゆもん)を唱(となふ)れバ疾風(ときかせ)(さつ)と吹起(ふきおこ)り風のまに/\庵(いほり)の庭(には)へ彼(かの)武具(ものゝぐ)ハおち下れバ衆兇(しうけう)(すへ)て妙椿(めうちん)の竒術(きじゆつ)を感(かん)ぜぬ者もなくやがて一同武具(ものゝぐ)に身を固(かた)め時分(しぶん)ハよしと」

【挿絵】〈妖尼(えうに)の幻術(けんじゆつ)素藤(もとふじ)(よ)る舊城(きうじやう)を襲(をそ)ふ〉」23
妙椿(ちん)素藤(もとふぢ)其隊(そのて)の賊兵(ぞくへい)三四百人舘山(たてやま)の城(しろ)の後門(からめて)に推(をし)よするに案内知つたる事なれバ二の郭(くるわ)まで潜(しの)び入りて鬨(とき)を吐(どつ)と發(つく)りつゝ短兵(たんへい)急に攻立(せめたつ)れば城(しろ)の士卒(しそつ)ハ倶(とも)に駭(おどろ)き各素肌(すはだ)にて防(ふせ)ぎ戦(たゝか)ふと雖も(いへども)妙椿(めうちん)か幻術(けんじゆつ)にて其勢数(す)千に見ゆる物から防(ふせ)ぐに由なく驚(おどろ)きあはて撃(うた)るゝものぞ多かりける。されバ此夜(よ)城内(じやうない)の士卒(しそつ)大半ハ賊兵(ぞくへい)に討(うた)れ僅(わつか)に命を免(まぬか)れしもの稲村へとて落亡(おちうせ)けり。斯(かく)てぞ素藤(もとふぢ)ハ舘山(たてやま)をとりかへしその勢千餘(よ)(き)になり勢(いきほ)ひ壮(さかん)になり敢(あへ)て國主(こくしゆ)を憚(はゞ)からず。即(すなは)ち妙椿(めうちん)を軍(ぐん)師として天女尼公(にこう)と尊称(そんしやう)し軍議(ぐんぎ)の外ハ後堂(ごたう)をつかさどらせて夫人(ふじん)の如く願八盆(ほん)作本膳(ぜん)(わん)九郎に禄(ろく)を多くし重(ちやう)用始(はじめ)に弥倍(いやまし)〔ばし〕かバ件(くだん)の四兇(よたり)ハ豪民(がうみん)の米銭(へいせん)を責(せめ)とり家を破却(はきやく)し資財(しさい)を奪(うば)ふ乱妨(らんぼう)(かぎ)りなかりしかバ駭(おどろ)き怕(おそ)れやからを携(たつさ)へ逃(にげ)て他郷(たきやう)へ走(はし)るも多かり。されハ近郡(きんぐん)騒動(さうどう)して稲村へ注進(ちうしん)人馬(にんば)ハ櫛(くし)の歯(は)を挽(ひく)如く君臣(くんしん)上下驚(おとろ)き」24(あき)れて既(すで)に評議(ひやうぎ)(まち)々なり。恁(か)くて又義成主(ぬし)ハ杉倉氏元(もと)堀内(ほりうち)貞行(さだゆき)(とう)辰相(ときすけ)荒川清澄(きよすみ)等の四個(よたり)の老黨(ろうどう)を便室(ゐま)に招(まね)き素藤(もとふぢ)(さい)(はん)征伐(せいばつ)の事を議(ぎ)せらるゝに荒川清澄(きよすみ)そが討手(うつて)をのぞみにけれバ随意(まに/\)ゆるして一千五百の軍兵(ぐんひやう)をさづけ出陣(しゆつぢん)の暇(いとま)を賜(たまは)り舘山(たてやま)へ押寄(おしよせ)しば/\合戦(かつせん)に及ぶといへども素藤(もとふぢ)方妙椿(めうちん)の妖術(ようじゆつ)あれバ荒(あら)川さらに勝(しやう)利なく一たび兵(へい)をまとめ殿臺(とのだい)へと陣(ぢん)を引此むね稲村へ注進(ちうしん)なすにぞ義成(よしなり)主ハ先の頃犬江をかにかくと疑(うたが)ひしハ彼(かの)女僧(あま)妙椿(めうちん)の術(じゆつ)もて我心を惑(まよは)せたるかはかるべからず。一期(ご)の瑕瑾(かきん)を爭何(いかゞ)ハせん。と後悔(こうくわひ)大かたならざりけり。是によりて彼(かの)照文(てるぶみ)と姥雪(おばゆき)与四郎をもて犬江親兵衛又其余(よ)の犬士(けんし)にも尋ねあはゞ我意(わかい)を傳(つた)へて倶(ぐ)して來よ。と仰れハ照文(てるふみ)ハ与四郎と共侶(もろとも)に伴當(ともびと)を引倶(ぐ)して便宜(びんぎ)の港(みなと)に赴(おもむ)きつ。その夜海舩(かいせん)にとり乗て武蔵(むさし)をさして走(はし)らすれバ与四郎ハ纔(わづか)に一個(ひとり)の伴當(ともひと)を従(したが)へて別舩(ふね)に打乗(のり)」 こハ下総(しもつけ)なる市河へとて遥(はるけ)き水行(ふなぢ)をいそぎけり。爰(こゝ)に又犬江親(しん)兵衛は瀧(たき)田の城(しろ)を出しより市河にいたり依助(よりすけ)夫婦(ふうふ)に對面(たいめん)して二親(おや)の墓所(はかしよ)に詣(まうて)夫より此処(こゝ)を辞(ぢ)し別れて両邦(りやうこく)河原へ帰りゆく快(はや)舩に打乗(のり)水行(ふなぢ)三四里を一時斗りに果(はて)しかバ軈(やが)て陸地(くがぢ)にうち登(のぼ)り上野の原まで來にける程にはからずも扇谷(あふきかやつ)定正(さたまさ)の老臣(らうしん)河鯉(こはこひ)権佐(ごんのすけ)守如(もりゆき)が一子佐太郎孝継(たかつぐ)が主家(しゆか)を放(はな)れ浮浪(ふらう)したるに出合つゝ名告(なのり)をなし里見候(こう)に仕(つか)へん事を勧(すゝ)め共に連(つれ)立て両(りやう)邦に宿(やと)りをもとめはからずも安房(あは)の使者(ししや)蜑崎(あまさき)照文(てるぶ )に行會(ゆきあひ)しかば照文(てるふみ)安房(あわ)殿(どの)よりの御教書(みぎやうしよ)を親(しん)兵衛にわたすにぞ親(しん)兵衛謹(つゝしん)でその書(しよ)を拝(はい)しやがて照文(てるぶん)と倶(とも)に孝継(たかつぐ)と連立(つれだち)快舩(はやふね)に打乗(のり)て上総(かづさ)にわたり舘(たて)山なる城(しろ)のからめてに來にける程に天ハ既(すで)に明たれども朝靄(もや)深くたち籠(こめ)てなほ野干玉(ぬばたま)の烏夜(やみ)に似(に)たれバ准備(ようい)の火薬(くはやく)に篝火(かゞり )の消(きへ)残りしを手早く」25(うつ)し先柴庫(しばくら)に火を放(かけ)つゝ鬨(とき)の聲(こゑ)をあげしかバ城内(しやうない)の賊徒(ぞくと)(おどろ)きさわぎて打物取て走蒐(はせかゝ)るを高継(つぐ)はじめその手のめん/\各敵(てき)を引請てはや鎗(やり)下に幾人(いくたり)か突伏(つきふせ)られて賊兵(ぞくへい)等ハ撃(うた)るゝものぞ多かりける。此間に親(しん)兵衛ハ合図(づ)の烟(けむ)りをあげるにぞ殿臺(とのだい)なる荒川清澄(きよずみ)に森高(たか)宗田(むねた)(ちから)逸友(はやとも)大手からめてより推寄(おしよせ)來つ。鬨(とき)の聲(こゑ)をあげ矢(や)を飛(とは)して透間(すきま)もなく込入けれバ賊徒(ぞくと)ハ進退(しんたい)(きはま)りてうたるゝ者数を知らずそが中に孝継(たかつぐ)ハ親(しん)兵衛が幇助(たすけ)にならんと思ふ物から矢庭(やには)に敵(てき)を斫仆(きりたふ)し又一人を生捕(いけどり)て即(すなはち)是をしるべにしつゝ書院(しよいん)の辺(ほとり)に打入けり。是より先に犬江親(しん)兵衛ハ身ひとり後堂(うしろどう)へ赴(おもむ)きて階子(はしこ)を傳(つた)ひぬき足(あし)しつゝ第一の樓(たかと)へうちのぼる事いのあした素藤(もとふぢ)ハ昨夜(よんべ)も丑三(うしみつ)すぐる頃酔(えふ)て臥房(ふしと)に入しより妙椿(めうちん)と枕(まくら)をならへ天(よ)の明たるも知らざりしに妙椿(めうちん)に」

【挿絵】」26

【挿絵】〈妖尼(ように)を對治(たいぢ)して親(しん)兵衞二たび賊将(ぞくしやう)を擒(とりこ)にす〉」27
(よび)さまされていそがしく枕辺(まくらべ)なる腰(こし)刀を掻(かい)とりて身を起(おこ)さんとせし程に屏風(びやうぶ)をはたと推開(おしひら)きあらはれ出し犬江親(しん)兵衛。素藤(もとふぢ)あなやと逃(にけ)んと欲(ほり)すを親(しん)兵衛手早くゑり髪(がみ)を左手に抓(つか)み引寄(よす)る。そが程に妙椿(めうちん)ハ夜着(よき)(すそ)より抜出(ぬけいで)て身を免(まぬか)れんとせし程に親兵衛透(すか)さす素(もと)藤をそが儘(まゝ)(だう)と投伏(なげふせ)て走(はし)り蒐(かゝり)つ妙椿(めうちん)が肩尖(かたさき)丁と拿畄(とりとめ)て疾(とく)とりいたす霊玉(れいきよく)の守り袋(ふくろ)をさしかざせハ光(ひかり)に撲(うた)れし妙椿ハ苦(あ)と叫(さけ)ぶ声(こゑ)共侶(もろとも)に閨衣(ねまき)ハそが儘親(しん)兵衛が手に残(のこ)りて彼(かの)身ハもぬけて樓上(たかどの)より庭(には)へひらりとおつると見れバ妙椿(めうちん)が身の内より一朶(だ)の黒氣(こくき)(ゆ)出して鬼火(おにび)に似(に)たる青光(あほみ )あり。見る間に西(にし)へなびきつゝ消(きえ)て跡(あと)なく成(なり)にけり。さる程に素藤(もとふぢ)ハ終(つい)に親(しん)兵衛の為(ため)に欄干(らんかん)をうち越(こへ)てなげ落(おと)さるゝ事一丈あまり。下にハ孝継(たかつぐ)心得て押(おさ)へてちつとも動(うごか)せす。傍(かた)に在あふ車井(くるま )の釣(つる)べ索(なわ)をひきよせて最(いと)も緊(きび)しく」28 しばりけり。さる程に親兵衛ハ彼妖尼(ばけあま)妙椿かゆくゑんをさがすにのきばに大きやかなる石の浄水盤(ちやうづばち)あり。そが中に落たりと見てけれバいそがはしくそがほとりに立寄(より)手をさし入て引出すをみな/\等(ひと)しくうち見れバ最(いと)大きなる牝狸(めだぬき)の既に死したるにぞありける。そがそびらハ焦(こげ)ちゞれて模様(もやう)たとへバ焼画の如く如是(によぜ)(ちく)生發(ほつ)菩提(ぼだい)心といふ八箇字(かじ)のあらはれていと鮮(あざや)かに讀(よま)れしかバ人々訝る。親兵衛がいへるやうそれがしさきに伏姫神の御告(みつげ)によりて知れる事あり。件(くだん)の妖尼妙椿ハむかし八房の犬を孚(はこく)みける安房(は)の冨山の牝狸なれバ彼毒婦玉梓(づさ)か余怨(ゑん)その身に残るをもて國主(し)御父子(ふし)を恨(うら)みまつりて素藤をそゝのかし遂(つい)に両度の兵乱を起(をこ)して今日に至れるなり。この牝狸霊玉(れいきよく)の光(ひか)りに撲(うた)れ死するにおよひて云云(しか%\)の八字を茲に示(しめ)されしハ狸と倶に玉梓か餘怨この折觧脱(げだつ)して」 菩提(ぼだい)心に至れるを明地に知らしめ給ふ。こも神変の大利益いとも尊(とふと)き事ならずや。と語るを聞て人々ハ等しく嘆賞(しやう)したりしかバさきよりきびしく〓(いましめ)られて組子に索(なは)をとられたる素藤ハ駭(おどろ)き羞(はぢ)て頭(かうべ)を低(たれ)てよくも見ず。また生捕(いけどり)の賊徒(と)等ハみな珠(じゆ)数つなぎに括(くゝ)られて半死半生なりけれバ只今妙椿が為体(ていたらく)を見るもあり見ざるも有しに後にぞ隈(くま)なく聞知りける。かくて此よし里見両侯(こう)に聞へあげしかバ御父子ハ親兵衛か再(さい)三の大功(こう)を感し給ふ事大かたならず。是より纔(わづか)一両日を歴(へ)て稲村の城内にハ素藤等を誅戮(ちうりく)の沙汰(た)ありて素藤並(ならび)に願八(ぐわん  )(ほん)作本膳等を長須賀なる札の辻にひき出し再度叛逆(ほんぎやく)の罪戻(ざいれい)をしか%\と言(のり)示して皆(みな)悉く斬(きら)し畢(をはり)て倶に梟首(けうしゆ)せられしかバこれを見る者群衆(ぐんしゆ)して日毎(こと)に間断(かんだん)なかりけり。是より先(さき)犬江親兵衛ハ七犬(けん)士を領て」29 共に参らんとて去らんとせしを荒川清澄(すみ)さま/\にとゞむるといへども自(じ)餘の七犬士先だちて仕へん事本意にたがへりとて孝継共侶(もろとも)これを辞(ぢ)しおもふに自餘の七犬士ハ必(かなら)ず結城(ゆうき)に來會(くわひ)してヽ大(ちゆたい)法師の庵(いほり)に在べしとて別れを告て出行けり。

○文明十五年四月十六日ヽ大法師の宿願(くわん)成就(しやうじゆ)して下総國城西と聞えたる古戦場(せんじやう)の草(さう)庵に嘉吉(かきつ)に義死の諸霊魂(れいこん)の菩提のために獨(どく)座不退の常念佛の結(けち)城〔願〕(ぐわん)供養(くやう)を遂(とけ)んとす。則(すなはち)是五十年忌のとりこしにて嘉吉元年辛酉より今に至て四十三年念佛修行(しゆきやう)ハそのはじめより八十日ばかりに及ひたる。此日ハ即(すなは)ち諸将士の祥(せう)月亡(めい)日なれバなり。さる程に七犬士ハ里見殿の代香使(し)蜑嵜(あまかさき)照文副(ふく)使姥(をは)雪与四郎と倶にこの旦(あした)辰の初刻にヽ大庵へ参會す。斯て供(く)養ハ果しかバヽ大法師ハ拂子(〔ほつ〕す)をとりつゝ照文の坐邊(ほとり)に來て両舘(やかた)より」

【挿絵】〈再叛(さいはん)の賊(ぞく)を生捕(いけとつ)て申朋亭(ふたのつぢ)に梟首(けうしゆ)せらる〉」30
(よせ)給ひぬる經巻(きやうくわん)(ならび)に香奠(かうでん)の歓(よろこ)びを演(のべ)などして七犬士(しちけんし)も口誼(こうぎ)ありて物語(ものかたり)に時(とき)うつりそのゝち犬江(いぬえ)(しん)兵衛も爰(こゝ)につどひ共(とも)に安房(あわ)へ参(まい)るべし。とてうち連(つれ)て立出けり。されバ離合(りがう)(とき)ありて八犬士具足(ぐそく)し安房(あわ)の瀧田(たきた)の城(しろ)にまいり義実(よしさね)(ぬし)に見参(けんざん)なすに義実(よしさね)犬士(けんし)をほとり近(ちか)くはべらせ智計(ちけい)功名(こうめい)を称(せう)じ給ひおの/\忠勤(ちうきん)おこたる事なかれ。とて盃(さかづき)を賜(たまは)する。恩命(おんめい)(ためし)あるべからねバ八犬士ハ言承(ことうけ)まうしつゝ獻酬(けんしう)三度(さんど)に及(およ)ぶ時(とき)一人(ごと)に太刀(たち)一腰(ひとこし)いづれも價(あたひ)千金なるを手(て)づから拿(とり)て賜(たまは)りける。この式礼(しきれい)やうやくに果しかバヽ(ちゆ)大法師(ほうし)を召(め)させ給ふに此折(をり)蜑崎(あまさき)照文(てるぶん)も稲村(いなむら)へ注進(ちうしん)の使者(ししや)に立しがかへりまゐりぬ。と聞えしかバ倶(とも)に召(めさ)れて見参(げんさん)す。その時又義実(よしさね)(ぬし)ハヽ大(ちゆたい)法師(ほうし)の功徳(くどく)無量(むりやう)。照文(てるぶみ)も又招賢(せうけん)の宿命(しゆくめい)を果(はた)しし勤労(きんろう)を誉(ほめ)させ給ふ。其後(そのゝち)姥雪(うはゆき)与四郎を召出(めしいだ)して貞行(さだゆき)(おほせ)を傳(つたふ)るやう」31 そが恩命(おんめい)(み)に過(すぎ)たるに感涙(かんるい)をとゞめかねてうづくまりて拝(はい)しけり。斯(かく)て見参(げんざん)の礼儀(れいぎ)をはりて義実(よしさね)(をく)に退(しりぞ)き給へハ八犬士(はつけんし)照文(てるふみ)ハ恩(をん)を拝(はい)して共侶(もろとも)に罷立(まかりたつ)(ほど)にヽ大(ちゆたい)(よ)四郎ハ上下二間に別(わか)れつゝ八犬士(はつけんし)と別間(べつま)にて饗膳(けうぜん)をすゝめらる。かくて恩饗(おんけう)(こと)(はて)てみな/\休息所(いこひどころ)に退(しりぞ)き又妙真(めうしん)が宿所(しゆくしよ)に立寄(たちより)妙真(めうしん)はじめ曳手(ひくて)單節(ひとよ)(ら)に對面(たいめん)してかたみに悦(よろこ)ひを尽(つく)しけり。其(その)(つぎ)の日(ひ)八犬士ヽ大(ちゆたい)照文(てるぶみ)(よ)四郎等(ら)ハ巳(み)の半過(なかばすぎ)たる頃(ころ)稲村(いなむら)の城(しろ)に参(まい)りけり。かゝりし程(ほど)に各(おの/\)ハ昨日(きのふ)の如(ごと)く廣書院(ひろしよいん)にて義成(よしなり)父子に見参(けんざん)す。八士(はつし)進上(しんしやう)の贄(にゑ)ハ両公(りやうこう)の賜物(たまもの)(ちや)の礼(れい)犬士(けんし)(ら)の功(いさほ)を賞美(しやうび)の詞(ことば)都て瀧田(たきた)に異(こと)ならず。但(たゞ)し當舘(とうたち)にてハ賜物(たまもの)の数(かづ)を増(まし)て八犬士一人別(ごと)にさねよき甲冑(よろひかぶと)を添(そへ)られ又饗饌(けうぜん)も種々(くさ/\)の珎味(ちんみ)を尽(つく)させ給ひける。かくて義成(よしなり)(ぬし)ハ又氏元辰相(ときすけ)をもて八犬士に仰渡(おほせわた)さるゝやういましら犬江(いぬえ)(しん)兵衛をこたび又改(あらため)て上総(かつさ)舘山(たてやま)」 の城主(しやうしゆ)になさる。しかれども猶(なほ)思召(おほしめす)(むね)あれハ七犬士と共侶(もろとも)にしばらく瀧田(たきた)の宿所(しゆくしよ)にあるべし。又七犬士ハ當家(とうけ)の為(ため)に功(いさほ)ありけるよし聞えたり。されバ親(しん)兵衛ハ既(すで)に當家(とうけ)に仕(つか)へ汝等(いましら)ハいまだ當國(とうごく)に参(まい)らざりし折(をり)なれバおのづから其(その)(いさほ)に甲乙なき事を得(え)さるべし。爰(こゝ)をもて餘(よ)の七犬士ハ家老(からう)の下兵頭(しもものかしら)の上(かみ)たるべき城主(じやうしゆ)(かく)になさるゝ者なり。今よりして又大功(たいこう)あらバ各(おの/\)その城(しろ)を賜(たま)ふべし。異日(ゐじつ)城地(ぜうち)を給ふまで即(すなはち)八犬士の賄料(まかないりやう)として月俸(つきふち)五百口を宛(あて)(おこなは)れ此(この)(よ)所従(しよじう)の人馬ハさら也。臨時(りんじ)の軍役(くんやく)(あら)んをり雑費(ざつひ)ハ右(みき)の定(さため)の外にて上のおん賄(まかな)ひたるべしとなり。次(つぎ)にヽ大(ちゆたい)法師(はうし)蜑崎(あまざき)照文(てるぶん)を召(めし)よせて八犬士を招會(せうくわひ)の功(いさほ)を誉(ほめ)て物(もの)を賜(たま)ふ事多(おほ)かり。又其(その)(つぎ)に姥雪(をばゆき)与四郎を別席(せき)に召(めし)よせて冨山(とやま)以來の功を誉(ほめ)ておの/\引出もの異(こと)ならず。此日の恩賞(おんしやう)ハ只(たゞ)この毎(ともがら)のみならずさきに素藤(もとふぢ)前後(せんご)両度(りやうと)の征伐(せいばつ)の折(をり)有功(うかう)の諸士(しよし)(ら)32(もら)さす加増(そう)せられ職事(しよくじ)をのぼし格席(かくせき)をすゝめ泛(かいなで)なる雜兵(さうひやう)にハ金銀(きん%\)青〓(せいふ)を賜(たま)ふ事各(おの/\)(しな)あり。斯(かく)て八犬士ハその日稲村(いなむら)を退(まか)るをりヽ大(ちゆたい)(ほう)師に相(あい)わかれて照文(てるぶみ)(よ)四郎と共侶(もろとも)に日暮(ひくれ)て瀧田(たきた)の宿(しく)所にかへり次の日もまだきより八犬士連立(つれたち)て大山寺へ赴(おもむ)くに先伏姫の祠堂(したう)に詣(まう)で各香奠(かうでん)を献(たてまつ)りやがてと山にうち登(のぼ)り伏姫の墳墓(おきつち)に詣(まう)ずるにヽ大ハ嵒窟(いはむろ)の内(うち)に結跏(けつか)跌ざ(ふ〔坐〕)して読經(ときよう)の声(こゑ)(たか)やかなれバその道徳(とうとく)に修(しう)したるをかんたん(〔感嘆〕)各其日(そのひ)ハ立(たち)かへりぬ。

○扨(さて)も八犬士里見(さとみ)(こう)に仕(つか)へてより君臣(くんしん)礼あつうしていよ/\精忠(せいちう)をはけみしかバ義成(よしなり)父子(ふし)むかふ所(ところ)(かた)ずといふ事なく関八州(くわんはつしう)に武威(ふゐ)をかゝやかしけるにぞ両(りよう)管領(くわんれい)をはじめとして下総(しもふさ)武蔵(むさし)相模又ハ常陸(ひたち)の大小名(みやう)(あるひ)ハ和(わ)をなし降(かう)を乞(こひ)けるも全(まつた)く犬士(けんし)(ら)が功(こう)による所なり。とて各(おの/\)をまことの城主(じようし)になされそか上ならす義成朝臣(あそん)に八人の御娘」 ありけれバこれをもて八犬士(し)の妻(つま)たらしめん。と仰あるに犬士(けんし)らさま%\にいなみ申といへどもゆるされす。終(つい)に一人(ひとり)(こと)に姫君達(たち)をむかへとり夫婦(ふうふ)の中いとむつましく房総(ほうさう)の四民(しみん)(きやう)を楽(たの)しむの時(とき)にいたり。そのゝち瀧田の義実(よしさね)朝臣(あそん)ハ長壽(ちやうじゆ)を保(たも)ち給ひし上大往生(たいわうしよう)を遂(とげ)給ひけれバ義成朝臣(そん)父祖(ふそ)の行を次て善政(せんせい)をもつばらとし給ひ家士(かし)良民(りやうみん)をめぐむ事愛子(あいし)の如(ごと)くなれバ士民(しみん)又君を慕(した)ふ事赤子のはゝをしたふごとく誠(まこと)にめでたきさがのみつゞきて皆(みな)萬歳(まんざい)をとなへけり。こゝに与(よ)四郎妙真(めうしん)(ら)ハ里見(さとみ)殿(どの)の莫大(ばくたい)の扶助(ふちよ)に依(よつ)て安楽(あんらく)に老(をい)を養(やしな)ひこれも大往生(たいわうじよう)を遂(とけ)たりとぞ。その余(よ)(かいなで)のともがら悪人(あくにん)ハのこりなく亡(ほろ)び善人(せんにん)ハいよ/\栄(さか)へ子孫(しそん)長久して八犬士(はつけんし)の行(をこな)ひを学(まな)ひ君父(くんふ)に忠孝(ちうこう)を盡(つく)しけるとなん。

    大團圓(だいだんへん)33

その後明應(めいおう)九年四月十六日ハ結城(ゆうき)落城(らくじやう)の六十回忌と義実公の十三年忌(き)に下(あた)るをもて義成主ハ延命寺(へんめいし)へ参詣(さんけい)あり。杉倉(すきくら)堀内(ほりうち)近習(きんしゆ)の毎伴當(ともからともひと)たり。廟墓(べうぼ)焼香(せうかう)(はて)て主従(しゆう%\)客殿(きやくでん)にあり。犬士(けんし)も友(とも)にはんべりぬ。這(この)にはに牡丹花(ほたんくわ)の開満(さきみち)て香風(かうふう)馥郁(ふくいく)たるに義成主ハはしちかくいましける。其時(そのとき)ヽ大(ち〔ゆ〕たい)臣僧(しんそう)に住持(ぢうぢ)しぬる事十八年をへたり。念戌(ねんしゆつ)に法脉(ほうみやく)傳燈(でんとう)しその暇(いとま)を賜(たまは)らまく此ぎゆるさせ給へかし。と請禀(こひもふ)せバ義成(よしなり)きゝつゝ其(その)情願(せいくわん)(いま)さら禁(とゝ)めがたし。先(まつ)(そハ)(おき)(われ)(うたかひ)おもふ所(ところ)あり。禅師ハ忽焉(へん)として隠(かく)れ又忽然(こちねん)として顕(あらは)るとか。或(ある)ハ富山(とやま)の嵒窟(いはむろ)に禅師(ぜんし)のどけう(〔読経〕)の声(こへ)(きこ)へ又木を穿(うかつ)(のみ)の音(おと)のみして其(その)かたちを見たる者なしときく。いかに其(その)(こと)ありや。と問(とは)れてヽ大(ちゆたい)ハ然(しか)なり。喜怒(きと)哀楽(あいらく)の境(さかひ)を免(まぬか)れ好憎(こうぞう)褒貶(ほうへん)に掛念(けねん)せされハ脚(あし)(ち)をふまず雲にのるにあらざれとも出没(しゆ〔つ〕ほつ)不思(ふし)ぎ」

【挿絵】〈八犬(はつけん)具足(くそく)して里見(さとみ)両侯(りようこう)に拝見(はいけん)すヽ大(ちゆたい)照文(てるふみ)姥雪(うばゆき)も倶(とも)にす〉」34
の妙を得しハ我すら知らず。尓るに文明十六年の冬這(この)白濱(しらはま)に濤(なみ)の打寄ける異圓材(くしまろき)あり。是を聊(いさゝか)削拿(けづりとり)て焼試るに沈香(ぢんこう)なりけれバ富山(とやま)の嵒窟(いはむろ)に藏置(おさめおき)其後臣僧(しんそう)(いとま)ある毎に窟(むろ)にいたり讀経(とくきやう)(すぎ)て其材を刻(きざみ)須弥(しゆみ)の四天王と廿五の〓(ぼさつ)と廿五の古佛(こぶつ)を作り奉り其餘材(ざい)にて數珠(じゆす)一聯(いちれん)を刻(きざみ)(え)たり。既(すで)に佛(ぶつ)(ぼさつ)五十體(たい)ハ開眼(かいげん)しまつりしが四天王ハいまだ開眼を得す。這(こ)ハ八犬士に乞ふて八箇の玉もて玉眼(ぎよくがん)にせまく欲(ほり)す。と述(のべ)けるにそ八犬士進出て臣等八人が感得(かんどく)の玉の文字昨日(きのふ)不殘(のこらず)消失(きへ)て白玉となるのみならず身にある牡丹花(ぼたんくわ)の痣子(あざ)年々に薄(うす)くなり本月(このつき)に至りて皆(みな)消耗(きえうせ)て跡なく做りぬ。此玉此(この)痣子(あさ)あるをもて伏姫(ふせひめ)(うへ)の御子としれ當舘(たうやかた)に徴使(めしつかは)れ功(こう)(な)りて文字も痣子(あざ)も耗(きゆ)る事役行者(ゑんのぎやうじや)と伏姫神(ふせひめがみ)の利益ならんと各玉を拿出(とうで)つゝ護身嚢(まもりふくろ)に打載(のせ)て倶(とも)にヽ大(ちゆたい)に返しけり。是によりてヽ大四天王を安房(あわ)の」35 四隅(しぐう)に斂(おさめ)四天塚(してんづか)と做(な)するを議(ぎ)し五十躯(く)の佛像(ふつぞう)を鋸山(のこきりやま)に植(うへ)て仏種(ぶつしゆ)を殘す事を量(はか)り義成(よしなり)(ぬし)ハ稲村(いなむら)の城(しろ)へ帰りけり。恁而(かくて)八犬士(はつけんし)ハ四隅(しくう)に至りて四神王を斂(おさめ)念戌(ねんしゆつ)ハ徒弟(とてい)(ら)と倶(とも)に鋸山(のこぎりやま)へ佛像(ふつそう)を〓(うづめ)両義(りやうき)全く事果ぬれバ念戌(ねんじゆつ)を二世の住持(ぢうぢ)としてヽ大ハ退院の歓びを禀(まうさ)んとて稲村(いなむら)の城(しろ)に來にける折八犬士も君(くん)(へん)に侍りける。ヽ大(ちゆたい)ハ礼果て後(のち)臣僧(しんそう)宿願(しゆくがん)(とけ)て富山(とやま)に入ハ見参(げんざん)ハ今日を涯(かき)りなれバ告(つげ)(もうす)(ぎ)ハ姫君を觀世音(くわんぜおん)の奥(おく)の院とし那(かの)嵒窟(いわむろ)を鎖垤(さしふた)ぎて臣僧(そう)ハ定(ぜう)に入まく欲(ほり)す。といゝつゝ八犬士を見かへりて和殿(わとの)(ら)も職(しよく)を児子(ことも)に譲(ゆす)り致仕して隱逸(いんいつ)を楽まざるや。いふべき事ハ只是のみ。といひも訖(おは)らず忽然(こつぜん)として容(かたち)ハあらずなりにけり。是によりて親兵衛念戌ハ富山の嵒窟(かんくつ)に行見るに那(その)(むろ)にハ大盤石(だいばんじやく)もて口を塞ぎ其石に一首の古歌(こか)をしるしたり。

○こゝも亦浮世の人の訪(とひ)來れバ空行(そらゆく)(くも)に身をまかせてん」

【挿絵】」36
斯の如くに侍(はんべ)る。と聞て義成嗟嘆(さたん)に堪(たへ)ず。原來(さては)幾度(いくたび)(とふ)とても對面稱(かな)ふべからず。とて竟(つひ)に這(この)議ハ已(やみ)にけり。尓程に八犬士等(ら)ハヽ大(ちゆたい)(ぜん)師の別(わかれ)に臨(のぞみ)ていはれし義の理(ことは)りなれバ倶に退隱(たいゝん)の心あり。是より後國の政(まつりごと)ハ都(すへ)て四家老に相譲(ゆづ)りて折々出仕しぬるのみ。四家老ハ杉倉堀内東荒川這子孫(しそん)久しく相續(そうぞく)したるのみならず八犬士も主君(しゆくん)の姫上達を娶(めとり)しより各(おの/\)男女児(こども)に匱(ともし)からず。〓(そ)が中に犬江親兵衛ハ十八才の時より子を擧(まう)けて二男一女あり。冢(うひ)子ハ犬江真(しん)平父退隱の後親兵衛と改(あらたむ)。二男犬江大八といふ。後依助の養嗣(し)となる。親兵衛仁(まさし)舘山の城に移(うつ)り住し時より妙真を瀧田より迎拿(むかへ)て孝養を盡(つく)し静岑姫(しづをひめ)もよく岳母(しうと)に仕へける。妙真ハ何足(たら)ざる事もなく七十八才にて身故(まかり)ぬ。只親兵衛に闕(かけ)たる所ハ静岑姫不幸短(たん)命にて三十九才の秋身故ぬ。是(この)年親兵衛三十才」37 真平十三才二男大八十一才女子(によし)ハ八才也。又犬山道節(せつ)忠與ハ三男二女あり。冢(うい)子ハ犬山道一郎中心(むね)後道節と改む。二男ハ落鮎餘之七有種が養嗣となり三男ハ出家し後延(ゑん)命寺の住持(ちうそう)となり道空(くう)といふ。両個(ふたり)の女(むすめ)ハ力次郎尺八郎に妻(めあわせ)けり。又犬飼(かい)(けん)八兵衞信道ハ三男一女あり。冢子ハ犬飼玄吉言人(のりと)後に現八と稱(せう)す。二男ハ犬飼見兵衛道宣(のぶ)後に滸我(こが)の政氏に仕ゆ。三男ハ甘糟(かす)(ぬか)助こは上総望陀郡(ごふり)の郷士とす。女の子ハ大学の冢子角太郎に妻せり。又犬田豊後悌順(やすより)二男二女あり。冢子ハ犬田小文吾理順(まさより)と名づけたり。後に豊後と称す。二郎は本姓(せい)那古氏を名のらせて那古小七郎順明(よりあき)といふ。成長(ひとゝなる)の後下総なる行徳の郷士とす。両個の女児(むすめ)ハ犬江真平犬江大八に妻せけり。又犬塚信濃(しなの)戍孝(もりたか)も二男二女あ〔り〕。冢子ハ犬塚信乃戍子と喚(よび)做したり。」

【挿絵】〈八犬士(はつけんし)(ら)(みす)をへだてゝ赤縄(せきじやう)をひく〉」38
後に信濃(しなの)と称(しよう)す。犬江仁(まさし)が女児(むすめ)を娶(めと)りぬ。二郎ハ本姓(ほんせい)大塚を名のらせて大塚番匠(ばんせう)戍郷(もりさと)といふ。成長(なる)の後武蔵なる大塚の郷士とす。一女ハ犬川義任(よしたう)が子に妻(めあは)せ一女ハ犬田小文吾の妻(つま)とす。又犬坂下野(しもつけ)胤智(たねとも)ハ二男ありて女の子なし。冢子(うひこ)ハ犬塚(〔阪〕)毛野(けの)胤才(たねかど)と喚(よび)なしたり。後に又下野と称す。二郎にハ本姓粟飯原(あいばら)を名告らせ首(おほと)胤栄(たねよし)といふ。こハ下総(しもふさ)へ遣して千葉の郷士(かうし)とす。又犬川長挟(ながさの)荘介義任(よしとう)は一男二女あり。男子ハ犬川額蔵則任(のりとう)と喚做(よびな)したり。後に又荘助(さうすけ)と称(しやう)す。一女ハ犬塚番匠(ばんせう)に妻(めあは)せ一女ハ蜑崎(あまさき)照文の孫夫(よめ)とす。又犬村大角礼儀(まさのり)ハ二男二女あり。冢子(うひこ)ハ犬村角太郎儀正(のりまさ)と喚做(よびな)したり。後に大角と称(しよう)す。二郎ハ赤岩正学(しようかく)儀武(のりたけ)と名告(なのら〔せ〕)せ下野赤岩(あかいは)の郷士(ごうし)とす。一女ハ犬飼(いぬがひ)玄吉(けんきち)に妻(めあは)せ一女ハ那古小七郎」39 の妻(つま)とす。八犬士かくの如く児子(こども)に冨(とみ)て且その才貌(さいほう)(おろそ)かならず。恁(かく)て義成世を去給ひて嫡子(ちやくし)義通(よしみち)も又賢良(けんりやう)の君なれバ諸臣皆たのもしく思ひたりしに不幸短命(たんめい)にて其世久しからず。這時(このとき)義通(よしみち)の嫡子(ちやくし)〓孺丸(たけわかまる)(なほ)(おさな)かりしかバ義通(よしみち)の遺(ゐ)命によりて弟(いろと)次麿(つくまろ)(この)時ハ里見二郎實堯(さねたか)といひしを假(かり)に嗣(よつぎ)とす。〓孺(たけわか)成長(ひとゝな)らバ家督をわたすべしと定めらる。俗(よ)に云(いふ)順養嗣(じゆんやうし)の類(たぐひ)なり。實堯(さねたか)則四世の國主に做(な)りて上総介に任せらる。遮莫(さはれ)其心術(ざま)父兄に似す。勇あれども吝(やぶさか)にて萬(よろづ)に惨(きび)しかりけれバ罪なくして退(しりぞ)けらるゝ者多かりけり。當下(そのとき)八犬士ハ延命寺へ廟参(びようさん)の折閑室(かんしつ)を借て商量(たんかふ)しぬる義あり。其後四五日を歴(へ)て倶(とも)に稲村の城に参(まい)りて實堯(さねたか)主に請稟(こひまう)すやう。臣等年既(すで)に六十にあまりて猶恁(かく)て候はゞ賢路(けんろ)を窒(ふさ)くの恐れあり。いかで致仕(ちし)して退隱(たいいん)せ」

【挿絵】〈八人の姫(ひめ)(たち)(おの/\)八犬士(はつけんし)に嫁(が)[呂文]〉」40
まく欲(ほり)す。愚息(ぐそく)(ら)ハ右にも左(かく)にも召使(めしつかは)せ給ふべくもや。といふ連書(れんしよ)一通(いつゝう)をまゐらせしかバ實堯(さねたか)(すなはち)(その)情願(しようくわん)に儘(まか)せて犬士(けんし)(ら)にハ身(み)の暇(いとま)を賜(たまは)り其(その)(こ)(ら)にハ釆邑(ちぎやう)(おの/\)五千(ごせん)貫文(ぐわんもん)を賜(たまは)りて倶(とも)に大兵頭(おほものかしら)とす。其(その)城地(じやうち)ハ皆(みな)召返(めしかへ)して改(あらた)めて各(おの/\)(その)守城(しゆじやう)の頭人(とうにん)たるべしと命(めい)ぜらる。恁而(かくて)八犬士ハ冨山(とやま)の峯上(おのへ)なる觀音堂(くわんおんどう)の側(かたはら)に庵(いほり)を締(むす)び且(かつ)同居(どうきよ)して老(おい)を養(やしなは)まくす。七個(なゝたり)の姫上(ひめうへ)(たち)も相従(あひしたが)はんとてうち泣(なき)給ひしを犬士(けんし)(ら)(おの/\)(これ)を諫(いさ)めて冨山ハ伏姫(ふせひめ)(うへ)の御事ありしより女人登(のぼ)る事饒(ゆる)されず。いかでおん身(み)(ら)ハ留(とゞま)りて児子(こども)の養(やしなひ)を受(うけ)給へ。是(これ)も又親(をや)たる者の楽(たのし)みにあらずや。と叮寧(ねんごろ)に慰(なくさ)めて一人(ひとり)も従(したが)ふことを許(ゆる)さず。既(すて)にして夫婦(ふうふ)父子(ふし)(わかれ)に臨(のぞむ)(とき)八犬士各(おの/\)(その)児子(こども)に教訓(けうくん)遺言(いけん)して連立(つれだち)つゝ冨山(とやま)に至(いた)り山居(やまこもり)して二(ふた)たび出(いで)ず。春(はる)ハ麓(ふもと)の花鳥(はなとり)41 を友(とも)とし秋(あき)ハ峯上(おのへ)の丹楓(もみぢ)を〓(しとね)とす。夏(なつ)ハ溪川(たにかは)の水(みづ)を掬(むす)む。冬(ふゆ)は爐(ろ)に團坐(まとひ)して落葉(おちば)を焼(たく)のみ。倶(とも)に天命(てんめい)を樂(たのし)み浮世(うきよ)の事を忘(わす)るるに似(に)たり。恁(かく)て二十稔(はたとせ)(ばかり)を歴(へ)ぬる程(ほど)に竟(つい)に火食(くわしい)せずや有(あり)けん。折々(をり/\)児子(こども)(ら)が奴隷(しもべ)をもて贈(をく)りぬる米(よね)(しほ)衣裳(いしよう)も今(いま)ハ要(えう)なしとて受(うけ)ず。この時(とき)犬士(けんし)の妻(め)たる姫達(ひめたち)ハ年(とし)(おの/\)(すで)に老(をひ)て漸々(しだい/\)に身故(みまか)り給ひしかども其(その)良人(おつと)たる八犬士(はつけんし)ハ今(いま)に至(いた)る迄(まで)顔色(かんしよく)(おとろ)へず峯(みね)に上(のぼ)り谷(たに)に下(くだ)るに飛鳥(とぶとり)よりも易(やす)げにて庵(いほり)に在(あ)る事稀(まれ)なり。と聞(きこ)えしかバ後(のち)の八犬士(はつけんし)(ら)ハ倶(とも)に心許(こゝろもと)なく思(おも)ひて有日(あるひ)(おの/\)伴當(ともひと)を將(い)てうち連立(つれたち)て冨山(とやま)なる庵(いほり)に至(いた)りて親(おや)を訪(と)ふに戍孝(もりたか)胤智(たねとも)(まさし)礼儀(まさのり)義任(よしのり)忠與(たゝとも)信道(のぶみち)悌順(やすより)等ハ豫(かね)て是(これ)を知(し)る如(こと)くうち聚(つど)ふて庵(いほり)の内(うち)に在(あ)り。既(すで)に坐(ざ)(さだま)りて胤智(たねとも)諸子(しよし)に向(むか)ひて汝等(いましら)いまだ思はす」

【挿絵】〈義成(よしなり)朝臣(あそん)延命寺(ゑんめいじ)に犬士(けんし)(ら)と牡丹花(ほたんくわ)を見る〉」42
や先君御父子の仁義の餘徳(よとく)(おとろ)へて内乱(ないらん)(まさ)に起(おこ)らまくす。這(この)(ゆへ)に諫(いさめ)ても容(いれ)られず夫危邦(あやうきなか)にハ入らす乱邦(みたるゝなか)には居らす。這(この)故に洒家(われら)八名(やたり)ハ當所(とうしよ)を去りて他(あだし)山に移らまくす。汝等(ら)(なん)ぞ倶に致仕して共に他郷(たけう)へ去ざるや。といへば戍孝(もりたか)忠與(たゞとも)(まさし)礼儀(まさのり)義任(よしたう)信道(のぶみち)悌順(やすより)も各(おの/\)其子を警(いまし)めて異口(いく)同様(やう)に教諭(おしへさと)せば後の八犬士等ハ感涙(かんるい)(そゞろ)に〓(さしく)むまでに〓然(しゆくねん)と畏(かしこ)みて頭(かうべ)を低(たれ)てありける程に其事やうやく果しかバ倶(とも)に頭(かうべ)を擡(もたぐ)るに怪(あやし)むべし八個(やたり)の翁(おきな)ハ忽焉(こつゑん)とあらず做(な)りて室(いへの)中に馥郁(ふくいく)たる異香(ゐかう)(しき)りに熏(かを)るのみ其(その)(ゆく)ところを知るよしなけれバ皆愕然(かくねん)とおどろきて原来(さて)ハ大人(うし)(たち)ハ仙術(しゆつ)をや得給ひけん。然(さ)しも廣き這山(このやま)を那里(いづこ)と投(さし)て索(たづ)ぬべき。猶再會(さいくわい)こそ願(ねかは)しけれとうち咳くのみ。せん術(すべ)な」43 けれバ共侶(もろとも)に山を下りて次の日連(れん)暑〔署〕(しよ)の願書稲(いな)村の城へまゐらせ各(おの/\)(やまひ)に推(かこつ)けて身(み)の暇(いとま)を賜(たまは)りて釆邑を返(かへ)し宅眷(やから)を携(たづさ)へて是より久しく他郷(たきやう)にあり。其(その)(のち)幾程(いくほど)もなく當(とう)主実堯(さねたか)と其(その)(いろね)義通(みち)の獨(ひとり)子里見義豊(よしとよ)と確執(くわくしつ)(おこ)りて房総(ぼうそう)(はた)して静(しづか)ならず。後(のち)(つい)に實堯(さねたか)戰歿(うちじに)し義豊も亦また撃(うた)れて義堯(よしたか)の世に做(なり)しかバ士民安堵(あんど)の思ひをなしぬ。其時義堯(たか)ハ後の八犬士の有所を索(たづ)ねて連(しき)りに是(これ)を招(まね)ぎしかバ犬士等ハ只得(せひなく)宅眷(やから)を将(い)て上総(かづさ)の九瑠璃(るり)へかへり來(き)つ。然(さ)れとも各(おの/\)(おひ)を告て敢(あへ)て仕途(つかへ)に就(つか)ざりけれバ義堯(よしたか)すなはち其児子(こども)三世の八犬士を召(めし)出して釆邑(ちぎやう)(おの/\)五千貫(くわん)文を賜(たまは)りて倶(とも)に大兵頭(おほものかしら)とす。這(この)八犬士も父祖(ふそ)と同称(おなじな)にて武勇(ゆう)智計(ちけい)も又父祖に劣らず義堯(よしたか)義弘(よしひろ)二世の國主に仕て軍陣(ぐんちん)に〓(のぞ)む毎に戰功(せんこう)

【挿絵】〈ヽ大(ちゆたい)禪師(ほうし)富山(とやま)の跡(あと)をうづめて詠歌(ゑいか)を殘(のこ)す\こゝもまた浮世の人のと〔ひ〕くれバ空ゆく雲に身をまかせてん〉」44
あらずといふ事なく其名を阪東(ばんどう)にぞ揚(あげ)にける。さる程(ほど)に天文十一年秋七月義堯(よしたか)足利(あしかゝ)義明(よしあきら)と倶(とも)に下総の國府臺(こくぶだい)に北條(ほうじやう)氏綱(うしつな)と戦(たゝか)ふ。義明(よしあきら)ハ當時(そのとき)上総の八幡(やはた)にあり。其性(さが)驍勇(きやうゆう)にして智力なし。この日の闘戰(たゝか)ひ初ハ勝に乗(の)るといへども竟(つひ)に八幡(やわた)の隊(て)より敗(やぶ)れて義明ハ陣歿(うちじに)す。義堯(よしたか)敗走(はいそう)して上総に還(かへ)る。是より葛飾(かつしか)半郡(はんぐん)葛西(かさい)を失(うしな)ふ。上総も亦諸(しよ)城主(じやうしゆ)の叛(そむ)く者多(おほ)かり。真里(まり)谷信政魁首(くわいしゆ)たり。義堯(よしたか)則ち椎津(しいづ)の城を攻て信政を誅伐(ちうばつ)す。信政戰歿(うちじに)して諸(しよ)城主(じやうしゆ)の叛(そむ)く者皆降(くだ)る。義堯(よしたか)又上総を平均(へいきん)せり。かくて義堯(よしたか)ハ天文二十年に卒(みまか)りぬ。義堯(よしたか)(そつ)して其子義弘(よしひろ)(つ)ぐ。義弘(よしひろ)も又驍勇(きやうゆう)にして且闘戦(たゝかひ)を好めり。則左馬頭(まのかみ)に任(にん)ぜらる。上総の佐貫(ぬき)を居城(きよじやう)とす。弘治二年義弘(よしひろ)其子義頼(よしより)と倶(とも)に」45(へい)を將(い)て江を渡(わた)して相摸(さがみ)の三浦(みうら)を攻(せめ)て北條と戦(たゝ)かふ。義弘(よしひろ)大ひに戦(たゝか)ひ克(かち)て三浦四十八郷(がう)を畧(りやく)す。是より久しく里見の封内(りやうぶん)とす。永禄(ゑいろく)七年義弘(よしひろ)又北條(ほうてう)氏康(うじやす)と國府臺(こくふたい)に戦(たゝか)ふ。義弘大(〔いた〕)くうち負(まけ)て國府臺(こくぶだい)の城(しろ)(おち)入る。是より下総ハ里見に属(つか)ずみな北條(ほうてう)の者になりぬ。是より後(のち)も北條氏と戦(たゝか)ひ已(や)まず。天正六年義弘(よしひろ)(そつ)して義頼(より)(つ)ぐ。則(すなはち)安房守(あわのかみ)に任(にん)ぜらる。又鬼本(おにもと)を居城(きよじやう)とす。天正五年北條氏と和睦(わぼく)して氏政(うぢまさ)の女(むすめ)を妻(めあは)せらる。其後和義(わぎ)(やぶ)れて小俵(をだはら)(ぜい)に攻(せめ)らる。十八年以後(いご)始て安堵(あんど)す。この時義頼(よしより)四位(しゐの)侍従(じゞう)たり。是より後三世皆侍従(じゞう)に叙(ぢよ)せらる。因(より)て時の人安房(あわ)の侍従(じゞう)と唱(とな)ふ。義頼卒(そつ)して其子左馬頭(さまのかみ)義康(やす)(つ)ぐ。安房の舘(たて)山を居城(きよじやう)とす。義康(やす)の子安房守」

【挿絵】」46
忠義(たゞよし)に至(いた)りて十世なり。獨(ひとり)義豊(よしとよ)を除(のぞ)きて九世と云(いふ)。當時(とうじ)落魄(らくはく)たる浮浪(ふらう)の身をもて鶏(とり)がなく関(せき)の東(ひがし)にて基(もとひ)を開(ひら)き地(ち)を啓(ひら)きて竟(つい)に大諸侯(たいしよこう)に做(な)り登(のぼ)りしハ里見(さとみ)(うじ)と北條(ほうてう)(うじ)のみ。北條(ほうてう)(うじ)ハ里見(さとみ)に倍(ま)して多(おほ)く國(くに)を獲(え)たれども早雲(そううん)氏綱(うじつな)氏康(やす)氏政(まさ)氏直(なほ)五世にして後(のち)(たへ)たり。里見(さとみ)ハ房總(ぼうそう)二國なれども十世に傳(つた)へしハ義實(よしさね)義成(なり)二世の俊徳(しゆんとく)仁義(じんぎ)善政(ぜんせい)の餘馨(よけふ)にて民(たみ)の是(これ)を思ふ事深長(しんちやう)なりし所以(ゆへ)なるべし。誠(まこと)に是美談(びだん)ならずや。

英名八犬畧志(ゑいめいはつけんりやくし)結局



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摺付表紙本奥目録



改刻袋入本表紙               改刻袋入本口絵
  

改刻袋入本本文冒頭


改刻袋入本刊記



#「英名八犬士(五)―解題と翻刻―
#「人文研究」第39号(千葉大学文学部、2010年3月)所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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