資料紹介

『英名八犬士』(四) −解題と翻刻−

高 木  元
 

前号に引き続き『南総里見八犬伝』の魯文による抄録本『英名八犬士』の七編を紹介する。  

この本は最初は袋入本として出されたようで、錦絵風摺付表紙本はやや後からの出板のようであることは、既に述べた。さて、もう一種類の「曲亭馬琴著」と改竄後印された袋入本であるが、手許に欠けていた初編二編を山本和明氏のご厚意で拝見させていただけたので、以下簡単に紹介しておきたい。

書型 中本八編八冊
表紙 松葉色無地表紙に亀甲繋ぎに紋の浮出模様
外題 「曲亭馬琴著\里見八犬伝 一(〜八)
見返 「 曲亭馬琴著\里見八犬伝 全八冊\木村文三郎」
序文 「 里見八犬傳(さとみはつけんでん)の序(じよ)

房総(ほうさう)の太守(たいしゆ)安房守(あはのかみ)義実(よしさね)ハ二ヶ國(こく)の主(ぬし)たりと云へども其(その)因縁(ゐんえん)(つたな)くして業報(かうほう)(いまた)不尽(つきす)(か)愛女(あひじよ)伏姫(ふせひめ)は人界(がい)に生(せう)を得(ゑ)ながら鬼畜(きちく)に伴(ともなは)れ冨山の奥(おく)に觀音經(くわんをんげう)を力となし如是(によぜ)畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心(ぼたいしん)(これ)ぞ里見(さとみ)の八勇(はちゆう)士みなに散乱(さんらん)の根(ね)を開(ひら)くそハ故(いにしへ)曲亭(きよくてい)(おう)の妙著(みやうさく)にして皆(みな)(よの)人の知(し)る所(ところ)を今(いま)や大巻(たいくわん)を八冊(はつさつ)に綴(つゞ)り讀(よみ)(やす)からんを大全(だいぜん)と壽(す)るのみ」 (初編一ノ三オ、新刻。年記序者名なし)

内題 「里見八犬傳(さとみはつけんでん)(〜八)編 曲亭馬琴[乾坤一艸亭]
刊記 「 日本橋區馬喰町二丁目壹番地\文江堂\木村文三郎」(八編後ろ表紙見返)
備考 なお、架蔵本の他の一本(七八巻のみの端本)は同本であるが、表紙が青磁色である。

この本は、各編巻頭に付されていた序文と口絵(三丁程)を削り、そこに新たに序文(一編)と口絵(二編「 里見(さとみ)(はち)犬士(けんし)(の)(うち)\犬江(いぬゑ)親兵衛(しんべい)(まさし)」、三編「 犬川(いぬかは)荘助(さうすけ)義任(よしたう)」、四篇「 犬村(いぬむら)大角(だいかく)礼儀(まさのり)」、五編「 犬坂(いぬさか)毛野(けの)胤智(たねとも)」、六編「 犬山(いぬやま)道節(どうせつ)忠與(たゞとも)」、七編「 犬塚(いぬつか)信乃(しの)戌孝(もりたか) 犬飼(いぬかひ)現八(げんはち)信道(のぶみち)」、八編「 犬田(いぬた)小文吾(こぶんご)悌順(やすより)」)を加え、題名を「里見八犬伝」と改題した上で、角書や内題下に「曲亭馬琴著」と入木し、明治に入ってから木村文三郎に拠って出された改竄本である。なお、七編については改題後印された際に、三〜四丁、十一〜十二丁、十五〜二十丁、二十七〜三十丁、三十七〜三十八丁、四十九丁が改刻されている。

本文は基本的に原本の切り貼りに拠っているのであるが、六編迄に比べると大幅に省略が多くなり、それだけ繋ぎの部分に魯文の手になる文が挿入されている。表記の変更や振仮名の省略は以前も見られたが、訓みの難しい熟語に振仮名が施されていない反面、漢語を平仮名で表記するため却て意味が取りにくくなるなど、読み手に対する配慮は余り見られない気がする。

なお、この第七編は原本『南総里見八犬伝』の第六輯五十六回から第九輯第百三回の中途までに相当するのであるが、前編までに比べると回数から見てもかなり抄録を急いでいる様子が見て取れる。尤も、原本の九輯だけでも全体の量からいえば半分あるわけで、それを八編だけで終わらせているのではあるが……。

【書誌】

英名八犬士 七編
書型 錦絵風摺付表紙、中本一冊
外題 「英名八犬(えいめいはつけん)士\第七編」
見返 「英名八犬士第七編」
序  「于時安政四丁巳春\花笠文京誌[印]
改印 [改][巳二]安政四年二月
内題 「英名八犬士(ゑいめいはつけんし)第七輯(たいしちしう)一帙/江戸 鈍亭魯文鈔録」
板心 「八犬士七編」
画工 「一燕齋芳鳥女画」
丁数 四十九丁
尾題 「英名八犬士(ゑいめいはつけんし)第七編(たいしちへん)
板元 「東都神田松下町三丁目 公羽堂 伊勢屋久助上梓」
底本 架蔵本・国文学研究資料館本
諸本 【初板袋入本】二松学舎・服部仁(六七欠)
【改修錦絵表紙本】国文学研究資料館(ナ四−六八〇)・館山市立博物館・江差町教育委員会(四八欠)・林・高木(初二三六存)
【改題改修袋入本】国学院・向井・山本和明・高木(三〜八、七八、四)
【改題再改修袋入本】国会

【凡例】

一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣いをはじめとして、異体字等も可能な限り原本通りとした。これは、原作との表記を比較する時の便宜のためである。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、句点に限り私意により「。」を付した。
一、大きな段落の区切りとして用いられている「○」の前で改行した。
一、丁移りは 」で示し、裏にのみ 」15のごとく数字で丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時は〔 〕で示した。
一、底本には架蔵本を用いたが、架蔵本が欠損している部分の図版に限り、国文学研究資料館蔵本に拠って補った。
一、なお、図版の二次利用に関しては国文学研究資料館に利用申請を必要とする。


【七編表紙】
表紙

【見返・序】
見返・序

英名八犬士\第七編

およそ小説(せうせつ)を愛(めづ)るもの。馬琴(ばきん)を不識(しらざる)ハなく。善(よく)馬琴(ばきん)をしるものに八犬士(はつけんし)を不言(いはざる)ハなし。夫(それ)八犬士(はつけんし)の小説(せうせつ)たるや。駒谷(くこく)山人(さんじん)の合類(がうるい)節用(せつよう)に役名(やくめう)を出(いだ)せり。そのかみ犬士(けんし)の隆(さかん)なる事(こと)も亦(また)しるべし。然(しか)れども犬士(けんし)の名を見る事外(ほか)に所見(しよけん)なし。馬琴(ばきん)(ひとり)(はや)く見つけて。許多(あまた)の小説(せうせつ)に抄猟(わたり)。苦心(くしん)して一家(いつか)の大狂言(だいけうげん)と成(な)れり。馬琴(ばきん)の卓見(たくけん)(おも)ふべし。數種(すじゆ)の小説(せうせつ)なれる中に。先(まづ)八犬傳(はつけんでん)を第(だい)一とす。翁(おう)が性(せい)(すこぶ)る博聞(はくぶん)。強記(きやうき)にして。殊更(ことさら)(じゆ)も永(なが)く。八十有余(ゆうよ)(さい)を保(たも)てる事。幸福(かうふく)此上(このうへ)やあるべき。魯文(ろぶん)頃日(このごろ)八犬士(はつけんし)の鈔録(せうろく)數日(すじつ)ならざれども。既(すで)に結局(けつきよく)(ちか)しと聽(き)けり。此(この)根氣(こんき)をもて翁(おう)が年まで出精(せい)なせバ。眞(しん)の作者(さくしや)となる事(こと)。請合(うけあい)なり。嘆(あゝ)浦山(うらやま)しきかな。
  于時安政四丁巳春

花笠文京誌[印]
[改][巳二]


【口絵第一図】1
口絵第一図
 河鯉(かはごひ)權佐(ごんのすけ)守如(もりゆき)
 坐撃師(ゐあひし)物四郎(ものしらう)(じつ)ハ犬坂(いぬさか)毛野(けの)胤智(たねとも)
 毒婦(どくふ)舩虫(ふなむし)
おぼろけのかりの筆かはをみなへし あたをもつくす花のひゝき  蟹麿

【口絵第二図】2
口絵第二図
 蟇田(ひきた)權頭(ごんのかみ)素藤(もとふぢ)
 犬江(いぬえ)親兵衛(しんびやうゑ)(まさし)
 八百比丘尼(はつひやくびくに)妙椿(みやうちん)
きえぬへき露のしら玉神も手に とりてもていぬえにハふりしな  岩の屋蟹麿
しら波のよるべの磯にかひハあれと みるめあやうきあまのおこなひ  曲亭馬琴

【本文】

英名八犬士(ゑいめいはつけんし)第七編(たいしちしう)一帙

江戸 鈍亭魯文鈔録 
         ○

再説(ふゝびとく)犬田小文吾ハはからずも馬加(まくはり)大記(だいき)に抑畄(よくりう)せられ心ならずも次(つぎ)の年の三月(やよひ)中旬(なかば)に至(いた)りける頃當家(このや)の老僕(しもべ)品七(しなしち)といへる者(もの)(には)の掃除(そうじ)に來りけるが小文吾と江湖(よのなか)の物語(ものがた)りせし言(こと)の端(はし)に大記が旧悪(きうあく)の一(ひとくだり)なる千葉家(ちばけ)の忠臣(ちうしん)粟原(あひばら)(おほと)胤度(たねのり)を讒訴(ざんそ)して同藩(どうはん)篭山(こみやま)逸東太(いつとうだ)縁連(よりつら)に撃(うた)せし事を問(とは)ず語(がた)りにしたりしかバ小文吾竊(ひそか)に歎息(たんそく)す。此ころ常武(つねたけ)が家(いへ)に鎌倉(かまくら)より旦開野(あさけの)といへる女田楽(でんがく)(き)たり居けるを大記(だいき)(とゞ)め置(おき)てある日小文吾(こぶんこ)を後堂(をくざしき)に請(せう)じ酒莚(しゆゑん)をまうけ盃(さかづき)をゝめ彼(かの)旦開野(あさけの)に興(きやう)をそへさせさま%\に饗應(もてなし)〓曲(ふきよく)(はて)て後(のち)大記ハ小文吾を對牛樓(たいぎうらう)上にいざなひおのが味方(みかた)になさん」3 としけるを小文吾に耻(はぢ)しめられ心中大いに怒(いかる)と〓(いへども)(たはむ)れ言にいゝなして其儘(まゝ)に別れける。爰(こゝ)に往時(いんじ)寛正(ぐわんせう)六年冬十一月常武(つねたけ)が奸計(かんけい)の讒訴(ざんそ)に陥(おと)しいれられて籠山(こみやま)逸東太(いつとうだ)縁連(よりつら)に撃(うた)れたる千葉家(ちばけ)の一族(ぞく)の老黨(らうどう)粟原(あひばら)(おほど)胤度(たねのり)が遺腹児(のこしだね)に犬坂毛野(けの)胤智(たねとも)といふ少年あり。こハ胤度(たねのり)が妾(てかけ)調布(たづくり)といへる女首(おほと)惨死(ざんし)の後些(ちと)の由縁(ゆかり)を心あてに相模州(さがみのくに)足柄郡(あしがらこほり)犬坂といふ山里に在て件(くだん)の毛野を生(うめ)り。されども千葉家の聞えを憚(はゞか)り女の子にして養育(やういく)し世のたづき貧(とぼし)き侭(まゝ)に調布(たづくり)ハ女田楽になりて業(みすき)をし毛野をも其道に入(いら)し旦開野(あさけの)と呼(よび)なししが母(はゝ)調布(たづくり)(やまひ)に臥その枕辺に旦(あさ)毛野を近づけ親(おや)の素性(すじやう)を如此々々(しか%\)と告(つげ)馬加(まくはり)籠山(こみやま)両個(ふたり)の仇(あだ)の事までも聞へ知らし終(つい)に身まかりけれバ毛野ハ悲(かな)しく朽(くち)おしくいかでか仇(あだ)を報(むく)はんものと田楽(でんがく)の技(わざ)にかこつけて日夜武術(ふじゆつ)に心をゆだね三年に及て稍(やゝ)(じ)(とく)し」近(ちか)ごろ此地に來りしが天助(ぢよ)(むな)しからずして求ずも仇人(かたき)常武(つねたけ)が招(まね)きに應(おう)じ石濱(いしはま)の城中(じやうちう)にある事廿日あまり今宵(こよひ)の酒宴(しゆゑん)折こそよけれと心待してありける程に常武(つねたけ)(おや)子主従(しゆう%\)ハ彼此(おちこち)に醉臥(ゑひふし)たれバ一刀ひさげて潜(しの)びより常武が枕辺(まくらべ)につゝ立名乗(なのり)かけて呼覚(よびさま)し起(おき)んと駭(おどろ)く常武(つねたけ)が首をたまらず打落し嫡子(ちやくし)鞍弥吾(くらやご)其余の者をも残りなく殺(ころ)し尽し對牛樓(たいぎうらう)の傍(かたへ)の壁(かべ)に仇人(かたき)の血をもて報讐(あだうち)の事の起(よし)を五十餘言(よげん)に書誌(しる)し常武か首引提(さけ)小文吾が閉(こも)りたる一間に来り如此々々(しか%\)のゆへを告人傳(つて)に聞犬田が行状(ぎやうでう)世に稀(まれ)なる勇士ならんを捨殺(ころ)しにすべくもあらねバ相伴(ともな)ふて走り去らんと息(いき)(つぎ)あへず説示(ときしめ)せバ小文吾ハ聞事に感嘆(かんたん)し脱(のが)れ出る路(みち)を問ふ。毛野ハ首級(しゆきう)を腰(こし)につけ誘(いさ)(かう)来給へと先に立小門の笠木に飛つきて外面(とのかた)へをり立つゝ輙(たやす)く鎖(とさし)をねぢきり捨門扉(とびら)を開て」4 小文吾諸共(もろとも)馬加(まくはり)が屋敷を出城(しろ)の東(ひがし)の土手の上より用意の釣索(かきなは)を取出し其端(はし)をこなたの松に結畄(むすびとめ)て片端(はし)の索(なは)の先に付たる鋼丸(たま)を前面(むかひ)に擲(なげ)るに楊(やなぎ)の幹(みき)へくる/\とからみ付にぞさらバ向へ渡(わた)さんと小文吾を輙(たやす)く背負(せをい)て件の索(なは)に足(あし)(ふみ)かけ塹(ほり)を難(なん)なく渡(わた)り越(こゑ)(あし)ばやに墨田(すみだ)河原(かはら)に赴(おもむ)く折しも城中猛(にはか)に騒(さはか)しく人数を集(あつむ)る太鼓(たいこ)の音いとも烈(はげ)しく聞へしかバ両人これを聞つゝも早く向へ渡(わた)さんとするに舩(ふね)一艘(そう)もなかりけるに夜ハはかなくも明はなれて遥(はるか)に聞ゆる人馬の足音(あしおと)毛野(けの)小文吾ハ是(これ)を見て心いらだつ折(おり)しもあれ千住の方より柴(しば)舩の僅(わづか)に岸(きし)をはなれつゝ漕(こぎ)(きた)れるを天の祐(たすけ)と招(まね)けども漕(こぎ)よせざれバ毛野ハ怒(いか)りて丘より舩へ飛入つゝ駭(おどろ)く舩人足下に踏居(ふみすへ)漕戻(こぎもど)さんと艪(ろ)を推(お)せども箭(や)よりも早き出水の勢(いきほ)ひ思ふにも似す推流(をしなが)されて川下遠(とほ)くなりまさるを小文吾」

挿絵第一図
【挿絵】〈胤智(たねとも)(あだ)人の首級(しゆきう)を引提(ひきさげ)て犬田に報讐(ふくしう)の來由(らいゆ)を告(つ)ぐ〉」5

うち見て諸肌(もろはだ)ぬぎ水中へ跳(おど)り入抜手(ぬきで)を切ておよげども流(なが)れ烈(はげ)しく波高(たか)けれバ遂(つい)に追着(をいつく)ことを得ず。いとも難義(なんぎ)に及びし折から太平駄舩一艘(そう)千住の方より漕(こぎ)來れバ小文吾ハ辛(から)くして件の舩に乗移(のりうつ)れバ舩子共ハ駭(おどろ)き騒(さは)き撃(うた)んとするを身をかはし艪櫂(ろかい)を奪(うばふ)て舩子等(ら)を打ひしがんとしつるとき我(わが)名を呼(よび)て禁(とゞむ)るものあり。これ別(べつ)人ならず豫(かね)て相識る犬江屋の依助(よりすけ)なりけれバ櫂(かい)(なげ)捨て危急(きゝう)を告(つげ)毛野が乗(のり)たる柴舩の跡を追(おは)するに往方(ゆきがた)しらずなりしかバ今ハはや詮(せん)すべなく依助等と倶(とも)に舩を市川に着(つき)犬江屋の門辺(かどべ)になづき案内(あない)につれて内に入に妙真大八もおらざれバふかく心に訝(いぶ)かりて座につくに依助ハ膝(ひざ)をすゝめ彼(かの)悪者(わるもの)(かぢ)九郎か事大八の新(しん)兵衛が神隠(かく)しになりたる訳(わけ)妙真文五兵衛ハ安房(あわ)に至りし後(のち)犬江屋の跡式を依助にゆづりたる事」6 且文吾兵衛か安房(あは)にて病死せしよしを落(おち)もなく説示(ときしめ)せバ小文吾ひたんの涙(なみだ)にくれおのが上をもつばらに告扨菩提所(ほたいしよ)に赴(おもむ)きつゝ父文吾兵衛が為にこゝにも石塔(せきとう)を建(たて)べき事と二親の追善(ついぜん)讀經(どきやう)を念頃に頼み聞へ次の日より喪(も)に籠(こも)り七日々々(/\)の佛事を弔(とむら)ひけるにはやくも五十日の中陰(ちういん)(はて)けれバ依助夫婦(ふうふ)に告別(つげまどひ)し往方(ゆくへ)も定めず出行けり。
○爰に又犬飼現八信道(のぶみち)ハ去歳(こぞ)の七月七日の急難(きうなん)に荒芽山(あらめやま)に敵(てき)を防ぎやうやく追兵(おつて)を殺退(きりしりぞ)けて辛くして信濃路(しなのぢ)さして行ども/\道節(どうせつ)(ら)に絶(たへ)てあはずやうやくに思ひ絶(たへ)て下総に赴(おもむ)き行徳(ぎやうとく)に着(ちやく)し案内知たる古那屋(こなや)の門に入らんとするに人影ハあらず。あたりの人に尋(たづぬ)るに文吾兵衛ハ安房に至(いた)りしとて詳(つばら)ならず。市川なる犬江屋の事を問にこれもおなじく安房(あは)に赴(おもむ)き家にハ畄守居のみなりと聞て現八望を失ひ且(〔まづ〕)武蔵(むさし)

挿絵二図
【挿絵】〈釣索(つりなは)を渡(わた)りて毛野(けの)小文吾(こぶんご)と倶(とも)に石濱(いしはま)の城中を遁(のが)る〉」7

(まで)退(しりぞ)きて又ともかくもすべけれとその夜の出舩に便り求めて荏土(えど)に赴(おもむ)き信濃路(しなのぢ)さして日に歩(あゆ)み夜に宿り花の洛に着つゝも旅宿(りよしゆく)を定めて犬士等をたづね巡(めぐ)るに年立て春を旅宿(りよしゆく)に迎へけり。斯て現八ハ京都(きやうと)に居て武藝(ぶげい)を人に教(をしへ)つゝこゝろともなく三年を過し又四犬士にたづね會(あは)んと扨門人の甲乙(たれかれ)にハ舊里(ふるさと)なる親族(しんそく)より猛(にはか)に招かるゝ一義ありて東國(あづま)へ帰るといゝなして頓(とみ)に行装(たびよそほひ)をとゝのへ別を告て京都を立出日を歴(へ)て下野州(しもつけのくに)真壁郡(まかべごほり)(あし)苧の里に着けれバとある茶店に休息(やすらひ)ぬるに一挺(てう)の鳥銃(てつほう)と六七張(ばり)の半弓を並べ掛たれバあるじの老人(おきな)にゆへを問バ荅るやう。こゝより五六里へだゝりて庚申(かうしん)山といへるハ妖怪(えうくわい)変化(へんげ)常に往く人の命をとる事あり。この故(ゆへ)に白昼といふとも獨行(ひとりたび)ハ路案内(みちしるべ)の者を傭(やと)ふて身の衛(まもり)にせらるゝなり。僕(やつがれ)ハ元獵師(かりびと)にて足緒(あしを)の鵙(もづ)平といへる者なるが」8 年老たれバ野(の)かせぎせず。をさ/\旅人(りよにん)にやとはれて彼(かの)(みち)案内(あんない)を仕つり。其(その)(をり)の用心(ようじん)にもてるのみ。又丸竹の半弓ハ武藝(ぶげい)を恃(〔たの〕)む一人歩の賣物に制(こしら)へおけり。抑(そも/\)赤岩(あかいは)庚申山(かうしんざん)ハ此里より行事(ゆくこと)十町あまりにしてつまさき上りの山路(やまぢ)なり。既(すて)にして登ること二十町嶺(とうげ)に至(いた)り又下ること十町なり。路(みち)の苦辛(くしん)ハいふべくもあらず。斯て又登りゆくこと大約(おほよそ)三里あまりにして第一の石門(せきもん)に到る。土俗(とぞく)これを胎内竇(たいないくゞり)とよびなしたり。是より奥(おく)へハ人みな怕(おそ)れて絶(たえ)てゆく者なかりしに近ごろ赤岩村(あかいはむら)郷士(がうし)赤岩(あかいは)一角(いつかく)武遠(たけとほ)といへる武藝(ぶげい)の達人この奥(をく)の院(いん)を見尽(きは)めんと門人等に語らふに門人衆皆(みな/\)呆れ果(はて)(ことば)(ひと)しく諫(いさむ)るやう彼(かの)山中にハ数百歳(すひやくさい)(へ)る山猫(やまねこ)あり。その猛(たけ)き事虎(とら)の如くもし山中に入る者あらバ忽地(たちまち)引裂(ひきさき)(くら)ふといへり。此事思ひ止(とゝま)り給へといふをも聞かず一角ハ其(その)(つぎ)の日の未明(まだき)より同心の高弟(かうてい)四人と倶(とも)に庚申山(かうしんやま)の第(だい)二の石橋(いしばし)の辺(ほとり)(まで)」 至(いた)りけるに門人等一角に打向ひ人の通(かよ)はぬこの山に過半(くわはん)入給ふたれバ是よりとく/\還(かへ)らせ給へと迭代(かたみかはり)に禁(とゞむ)れども一角ハいつかなきかず門人等をこゝに俟(また)せ件(くたん)の橋(はし)を渡(わた)り果(はて)て見る間に見(み)えずなりにけり。斯(かく)て俟(まつ)事二時あまりにして日(ひ)ハ傾(かたむ)けども一角ハかへり來(こ)ず。こハ平事(たゝごと)にあらじとて門人等商量(だんかう)しつゝ赤岩なる宿所(しゆくしよ)へ還(かへ)り一角が後妻(のちぞひ)窓井(まどゐ)に報(つげ)その次(つぎ)の旦(あさ)(にはか)に里人五六十人を駈催(かりもよふ)し門人等先に立て庚申山(かうしんざん)によぢ登(のぼり)(かの)石橋(いしばし)の辺(ほとり)まで來つれども怕(おそ)れて渡(わた)る者ハなく又商量(だんかう)に時を移せバ斯てはけふも事果(はて)じ翌(あす)又人数を倍加(ましくは)へ再(ふたゝ)び來りて渡(わた)らんと又いたづらに引かへし胎内竇(たいないくゞり)を出んとせし時忽地(たちまち)後辺(あとへ)に人ありて呼(よび)かくるを見かへれば是則(すなは)ち一角なり。皆々歓(よろこ)び引返(ひきかへ)し恙(つゝが)なきを祝しつゝ縁故(ことのもと)をたづぬれバ一角微笑(ほゝゑみ)いへるやう。われきのふ奥(おく)の院(いん)をおがみ果てたどる/\もかへる」9 をりから思はず足を踏辷(ふみすべ)らし渓底(たにそこ)へまろび落たり。然れども幸ひに恙(つゝが)なく藤蔓(ふちかづら)に手繰(たぐり)つき辛(からく)してよぢのぼる事半日あまり。やうやく爰にかへり來しと一五一十(いちふしゞう)を説示(ときしめ)せバ皆々聞て駭嘆(がいたん)し其高運(かううん)を相賀(あいが)して且勦(いたは)る事大方ならず。されども一角ハ氣力(きりよく)日ころに異(こと)なることなく衆(もろ)人を途(みち)より帰し門人従者(ずさ)を将(い)て宿所にかへり来にけれバ妻(つま)のよろこびいへばさらなり。先妻(さい)に生(うま)したる嫡子(ちやくし)角太郎ハ天性孝心備(そなは)りけん。今恙(つゝが)なくかへりぬる親の袂(たもと)にまつはりて問慰(とひなぐさむ)るもいと可愛(かあい)し。この一條(ひとくだり)ハ十七年の昔になりぬ。赤岩ぬしハ彼山を異(こと)もなけにいはれしかどかゝりし後もかの麓(ふもと)にて折々人の亡る事今に至りてかはらねバ登山するものありとハ聞えず。かくて赤岩の宿所にハ後妻(かうさい)の窓(まと)井その十一月より有身(みごもり)て次の年八月のころ又男子を産(うま)れしかバ牙二郎と名つけたり。一角ぬしいかなる故にや二男の生れし」

挿絵第三図
【挿絵】〈舩(ふね)を遂(お)ふて小文吾(こぶんご)舊故(きうこ)に邂逅(かいこう)す。[玉][亭]/市川の宿(やど)に依(より)助小文吾を管持(もてな)す〉」10

ころよりして前妻(さい)(ばら)なる角太郎をいと憎(にく)みぬ。この時赤岩に程近き犬邨(むら)の郷士(がうし)犬村蟹守(かもり)儀清(のりきよ)といへるハ一角の前妻の兄なるが角太郎をあはれみ我女児(むすめ)にめあはせんと六歳の時より乞(こひ)とりて文学武藝(げい)を学(まなば)せしに年十五六に至りては文武の奥義を極(きは)めたり。その後角太郎の額(ひたい)髪を剃(そり)とらし元服(げんぶく)の義を執行(とりおこな)ひ養父(やうふ)の諱(いみな)の一字を授(さづ)けて犬村角太郎禮(まさ)儀と名告せ女児雛衣(ぎぬ)と婚(こん)礼させ親ハさらなり里人等さへよき新(にひ)夫婦といゝあへり。儀清の妻ハその次の年風のこゝちとうち臥(ふせ)しが遂(つい)にむなしくなりにけり。儀清もその冬(ふゆ)より病(やむ)事二年あまりにしてこれも黄泉(よみぢ)の客(ひと)となりぬ。これより先(さき)に赤岩にて後妻(ぞい)の窓(まど)井ハ牙(が)二郎か三ッ四ッになりける時 一日(あるひ)頓死(とんし)をしたりける。これより一角は舩虫(ふなむし)といふ妾(てかけ)をもとめていたく心にかなひけん。いく程もなく正(ほん)妻に推(お)し」11 のぼしぬ。此舩虫が遺財(ゐざい)を奪(うは)はん為にしも良人(おつと)にすゝめて角太郎夫婦のものを呼とり両家(うけ)を一ッに合。こゝに雛衣(ひなぎぬ)ハ今年の夏より身おもくなりし。舩虫ハ難(なん)くせつけて角太郎に休書(さりでう)かゝせ雛衣を媒人(なかうど)が許(もと)に遣しぬ。其後角太郎をも遂に勘當なしゝかバその身の儘(まゝ)に追(おい)出され世をあぢきなく思ひにけん。赤岩と犬村の間(あはひ)なる字(あざな)を返璧(たまかへし)とか呼(よ)べる地方(ところ)に草(くさ)の庵(いほり)をむすびてをり。さばれ貌(かたち)ハ半俗(ぞく)にてその行ひハ法師も不及(しかず)と彼処(かしこ)より來ていふものあり。いと痛(いたま)しき事ならずやとしたり皃(がほ)して説誇(ときほこ)れバ現八聞て嗟嘆(さたん)に堪(たへ)ず彼弓箭(や)を買(かい)とりて茶店(さてん)の老人(おきな)に別(わか)れを告(つげ)おぼつかなくも麓路(ふもとぢ)を足(あし)に信(まか)して急(いそ)ぎけり。却説(かくて)現八ハ不知(ふち)案内の深(み)山路(ぢ)を上りつ下りつゆく程に思ひがけなく最(いと)大きなる石(せき)門のほとりに來にけり。この時現八ハ心つきこハさきに鵙(もつ)平が説示(ときしめ)せし庚申山にありといふ胎(たい)内竇(くゞり)に似(に)たりけりと驚(おどろ)き」

挿絵第四図
【挿絵】〈網苧(あしを)の茶店(さてん)に現(げん)八鵙(もづ)平が舊(ふるき)物語(ものかたり)を聞(き)く〉」12

(あき)れて忙然(ぼうぜん)たりしがかく山深(ふか)く迷(まよ)ひ入れバ今更(さら)麓まで至らんこと輙(たやす)きにあらざれバ今宵ハ旦(まづ)この〓(やま)の〓(いはや)に暁(あか)して里へ下るべしと弓箭を引つけ坐を占(しめ)てなほ深(〔ふく〕)る夜を戌(まもり)てをれバ丑三にやと思ふ頃東(ひがし)のかたより火の光(ひか)りこなたを投(さし)て近づく随(まゝ)に現八あやしみよく見るに異形(ゐぎやう)の妖怪(えうくわい)主従(しゆう/\)三箇木魂(こだま)の馬を歩(〔うた〕)せつゝ胎(たい)内竇(くゝり)のかたに來にけり。さきに火の光りと見へたるハ妖(ばけ)ものゝ大將とおぼしき馬上の變化の両眼(がん)の燿(〔ひか〕)れるなり。現八騒(さは)ぐ氣(け)色なく大樹(き)の上によぢ登(のぼ)り程よき枝に足踏(ふみ)畄め弓に箭〓(つが)ふてひき固(かた)め矢声も猛(たけ)く發(はな)つ箭に件の騎(き)馬なる妖怪ハ左の眼をのぶかに射(い)られて馬より〓(だう)と墮(おち)しかば従(したが)ふ両箇の妖ものハ手負の手をとり肩にかけ馬を牽(ひき)つゝ逃(にげ)(〔うせ〕)けり。現八ハ樹よりをり地方(ところ)を易(かへ)て様子(やうす)を見んと胎内竇を西のかたへゆきぬけてひたすらによぢ登り十三間なる細谷橋を自若(じやく)として渡り果またよぢのほりゆく程に岩〓(むろ)の中に人」13 あれバ現八ハ妖怪ならんと弓ひき固め身構(がまへ)するにこハ素より妖怪ならず。赤岩一角武遠(とほ)が寃恨(ゑんこん)にして前に射たる妖怪ハ幾百歳を歴(ふ)る野猫の化たるなり。今年より十七年前一角武遠この深山の奥の院を見んと第二の石橋に高弟従僕(ひと)を残し置其身一己(とり)岩窟のほとりまで登るをり件の野猫が為に啖(かみ)殺され又山猫ハ一角が貌(すがた)に変じ窓井を犯(おか)して牙二郎を産(うま)し精気をへらして命を断(〔た〕ち)(いん)婦舩虫を正(ほん)妻とし角太郎を憎(にく)みひそかに殺さんと欲せども角太郎ハ身に具(そな)はる瑞玉(〔ぎ〕よく)あれバ恙(つゝが)なし。斯て後角太郎が妻雛衣ハ密夫の子を身ごもりぬといひ立られ妹〓(いもせ)の中を裂(さか)れし上に角太郎さへ追(おひ)出されし顛(もと)末を現八につぶさに語(かた)りねがふハ和殿わか児(こ)を助けて怨讐(かたき)をうたし給へかしとさめ%\として頼むにぞ現八聞て胸塞(ふたが)れ洪歎(こうたん)やるかたなかりける。その時一角の寃魂ハ一種(くさ)の短刀(の〔たち〕)とわが髑(どく)」 髏(ろ)とをとり出し證拠(せうこ)の為にわたすにぞ現八これを請とりて一角か寃魂に立別れその暁がたに山を下り返璧(たまかへし)を投(さし)てゆく程にその日巳の頃ほひに角太郎が庵に來にけれバ内のやうすをかいまみれバ主人角太郎禮(まさ)儀は無言の行に観念の眼を閉(とち)て餘念なけれバ現八ハしのびかね柴(しば)の戸けわしくうち敲(たゝ)きいくたびとなく名告(のれ)とも内にハ絶(たへ)て應(いらへ)せざれバ折戸のこなたに立在(ずみ)て行の果るを待わびけり。浩(かゝる)処に前面より角太郎が妻雛衣なるべし。年尚(なほ)わかき女房の身のさま賤(いや)しからざるが庵の外にあゆみより敵(〔敲〕)けどさらにいらへなけれバつれなき人と怨言(うらみこち)。垣にすがりて泣沈(なきしづ)み疑れたる身ごもりのその言訳(いゝわけ)ハ死してせんと思ひ訣(さだ)めてかへり行を現八始終(じう)を立聞たれバ〓(もし)雛衣が渕川へ身を投(なげ)る事もやと跡より走り著(〔つか〕)んとする時角太郎の行終り身を起(おこ)しつゝ現八がゆかんとするを呼畄め」14 折戸(おりど)を開て内に請(せう)じ初對面(しよたいめ)の口儀(ぎ)終りその来由を問程に現八ハ彼密(みつ)事をはじめより明白に告ず四方山の物語(ものかたり)して扨犬塚犬川犬山犬田犬江等の異姓(ゐせい)の兄弟六人の上をしも語(かた)り出思ふに和殿も感得(かんとく)の瑞(すい)玉を持(もち)たまはずや。その玉にハおのづから礼の字(じ)の顕(あらは)れたるものならずやと問れて角太郎駭嘆(かいたん)し某実にさる瑞(すい)玉を年来秘蔵(ひそう)したりしが一日妻(つま)雛衣(ひなきぬ)腹痛(ふくつう)苦しく百薬(やく)(しる)しなきまゝに彼(かの)玉をひたしつゝ水を飲(のま)せんとしたる折繼(けい)母舩虫(ふなむし)その玉を掻(かい)とらんとせし程に雛衣慌忙(あはてふため)きて愆(あやまつ)て水もろ共に件(くだん)の玉を飲(のみ)てけり。斯て後雛衣(ひなぎぬ)か腹(はら)しだいにふくだみ有身(みごもり)たるものに似たり。其養(やう)父の病中(ひやう )より妻と枕(まくら)を並(ならべ)し事なきに雛衣が懐胎(くわいたい)こゝろえかたしといひし言葉(ことば)に枝(えだ)いで來てさらハ密(みつ)夫の胤(たね)ならんといふものあれバうちも置れず。不便なからも離別(りべつ)して媒人(なかうと)に預(あづ)け置たり。さりながら某ハ聟(むこ)(やう)子」

挿絵第五図
【挿絵】〈諫(いさめ)を拒(こば)んで一角(かく)庚申(かうしん)山第(だい)二の石橋(いしばし)を渡(わた)る〉」15

にして雛衣(ひなきぬ)ハ養(やう)父母の女児(むすめ)なり。些(ちと)の愆(あやまり)ありとても去るべき妻(つま)にあらず。素(もと)よりその性(さが)貞順(ていじゆん)にて外心のなき事ハ某これを知(し)るといへども離別(りべつ)してかへせしハ深き情由(わけ)あることぞかしと語(かた)る折(をり)から外面に女轎子(のりもの)一挺(てう)と又一挺の辻竹輿(かご)を折戸(をりと)口に扛卸(かきおろ)せバ先に建(たて)たる轎子(のりもの)の戸を開せて出るものハ赤岩一角か妻(つま)舩虫なり。奴僕(しもべ)が呼(おとな)ふ聲(こゑ)と倶に角太郎現(けん)八を紙門(ふすま)のあなたへ辟(さけ)しめて出向ふ端(はし)に舩虫(ふなむし)ハ相伴(ともな)へる媒人(なかうど)氷六等共侶(もろとも)に後方に立せし辻輿(かご)ハ庵(いほり)の庭(には)へ舁(かき)入させ先に立つゝうち登(のぼ)れば角(かく)太郎ハ舩虫に礼をのべ父の安否(あんひ)を問けれバ舩虫(ふなむし)ハ微笑(ほゝゑみ)て否持病ハ發(おこ)り給はねど昨宵(よんべ)初心の弟子(てし)(たち)に巻藁(まきわら)を射(い)さし誨(をしへ)給ひしその折にその箭(や)あやまちて大人の左の眼(め)を大く傷(やぶ)られ給ひにきと告るに駭(おどろ)く角太郎痍(きづ)の淺深(やうす)を問ひなどする中媒(なかうど)の氷六ハすゝみ出いぬる頃より預(あづか)りたる」16 雛衣どのけふ柴榑(し〔ば〕くれ)橋より身を投(なけ)んとせられしを遥(はるか)に見つゝ走り著(つき)(とゞ)めんとすれとも禁(とゝ)まらす。其折赤岩のおん母御前日出の社へ詣(まう)て給ふかへるさに其処を通らせ給ひしかハ加勢に憑(たの)みまゐらせてやうやく諫(いさめ)こしらへて扨治(〔おさま〕)りを商量(〔だん〕かふ)せしにかう/\せはやと宣(のたま)ふをちからに同道いたしたりといへバ舩虫語を續て雛衣を角太郎に再縁させんと他事もなく諭(さと)す表皮(うはへ)の空情(あたなさけ)。角(かく)太郎ハ有旡(うむ)の答に頭(かうへ)を低(たれ)ていらへなけれハ氷六そはより勸(すゝ)め諭(さと)すにぞ左(と)も右(かく)も計らせ給へといふに舩虫よろこひて氷六にこゝろ得さし雛衣を竹輿(かご)より出し休書(さりてう)もとして舩虫もろとも家路をさしてかへりけり。されハ又舩虫かこの地へ流浪し赤岩一角の後妻となりたる來暦(れき)をたづぬるに去々歳(おとゝし)の秋の頃渠(かれ)ハ武蔵の阿佐谷(あさかや)村に在し時夫並四郎ハ小文吾に〓仆(きりたふ)され其身ハ千葉の家臣畑上語路(ころ)五郎に搦捕(からめと)られて石濱の」

挿絵第六図
【挿絵】〈胎内竇(たいないくゝり)に現(けん)八妖怪(えうくわい)を射(ゐ)る〉」17

城にひかるゝ折馬加(まくはり)大記か資(たすけ)によりて辛(から)く途(みち)より逐電(ちくてん)し當國に落畄り程へて一角か側室(そはめ)になりついに後妻に執(とり)立られ角太郎夫婦を憎(にく)み讒(さん)言をのみ事として件の夫婦を追出しそか養(やう)家相傳の田畑(てんはた)家財を畄めて返さす。又一角か二男なりける赤岩牙二郎ハその心さま直からす。殘忍(ざんにん)不善の癖(くせ)者なれハ同氣ハ相求める古語(ふること)に似て舩虫ハ牙二郎をのみ愛慈(いつくし)(〔み〕)(へたつ)る心なかりけり。かゝりし程に舩虫ハ良人(おつと)の失傷(やきず)平愈の爲日出詣のかへるさに氷六(ひやう  )に呼かけられはからずも舊〓(もとのよめ)雛衣が入水を禁(とゝ)め忽地(たちまち)心にもくろみあれバいと正実(まめやか)に慰(なくさ)めて角太郎に説(とき)(すゝ)め遂(つい)に夫婦を全うしたる肚裏(はらのうち)にハ計策(はかりこと)の速に成れるを歡びやがて宿所に立帰り一角に箇(か)様と己(おの)が伎倆(たくみ)を聶(さゝや)くにぞ一角ハ大ひによろこび頻(しき)りに誉(ほめ)て已(やま)さりけり。
○夫ハ扨置角太郎ハ人々のかへりゆくを見送り果て現八を呼出し」18 雛衣を引あはすに現(げん)八ハさきに舩虫をかいまみ笑(ゑみ)の中に刄(やいは)を隠(かく)せるおもゝちあれバあるじ夫婦に殃危(わざはひ)あらん。某赤岩へ赴(おもむ)きて縡(こと)の虚実(きよじつ)を探(さく)るべしと角太郎か禁(とゝむ)をきかで庵(いほり)を出て路(みち)を急ぎ日もはや西に淪(しつ)むころ赤岩の荘(せう)に來りけり。斯て現(けん)八ハ坂のほとりに立在(たゝずみ)て裡(うち)面より人(ひ )の出るを俟(まつ)をり行装(たひよそほ)ひ苛(いか)めしき一箇(いつこ)の武士従者(ともびと)五六人を将(い)て出來り。現(けん)八か立在(すみ)たるを怪(あや)しけに見(み)かへりつ軈(やか)て赤岩一角が家に入れバ若黨(とう)はやく出向へ客(きやく)の間へ請(しやう)じけり。抑此旅の武士を甚麼(いか)なるものそと原(たづぬ)るに是則別人ならす籠山(こみやま)(いつ)東太(と〔うた〕)縁連(よりつら)也。彼(かれ)ハ十七年前主命(しゆうめい)を矯(いつは)り〓戸に近き松原にて粟(あひ)原主従(しゆう%\)を残害(きりころ)し己(おの)か宿意(しゆくい)を果(はた)すものからその折嵐山(あらし  )の尺八と小笹(ざゝ)落葉の両刀(とう)を盗賊(とうぞく)に奪(うばひ)とられしものから縁連(よりつら)(つみ)を免(のか)るゝよしなくその場(ば)より逐電(ちくてん)し赤岩一角が許(もと)にたより弟子若黨(わかとう)にて在けるを一角が吹挙(すいきよ)により」 長尾景(かけ)春に仕へけるが景(かげ)春ハ去歳(こそ)の秋より上毛(かうつけ)白井の城にありて一日(あるひ)井をほりて一口の短刀(たんとう)を得たりしかハ一角の鑒定(かんてい)を乞んと縁連(よりつら)を使者(ししや)として赤岩許(がり)つかはしけり。斯て縁連(よりつら)(しゆう)命を述携(たつさ)へ來つる木天蓼(またゝび)丸の箱をさしよせ〓(ひも)(とき)とき中より白気(はくき)立昇(たちのほ)り一角がほとりになびきて消失(きへうせ)たるを心付ずそが儘(まゝ)(ふた)をかい取(と)れバ中にハ袋のみにして彼(かの)(たん)刀ハなかりけり。縁連(よりつら)(おとろ)き憂(うれ)へつゝ身の罪(つみ)を免(のか)るへき計策(はかりこと)を問けるに一角しか%\と慰(なくさ)めてやかて酒宴(えん)を催(もよふ)しける。其時縁連(よりつら)ハ外面(そとも)にたゝすむ現(けん)八か事を思ひ出ししか%\と告(つぐ)るにそ内弟子の月蓑(みの)團吾(だんご)玉坂飛伴(ひはん)太八黨(はつとう)東太〓足(きつたり)(はつ)太郎なんどいふ壮士(わかもの)等現(けん)八を内に請(せう)じ圓居(まとゐ)の席へ伴(とも)なへば現(けん)八ハ席末(せきばつ)に列(つらな)りて今宵止宿(ししゆく)の歡(よろこ)ひを述しかバ一角比ハ乙某(なにがし)丙某(なにがし)と一箇(ひとり)々々(/\)に告しらすれバ衆皆(みな/\)齊一(ひとしく)(ひさ)を進め」19 不例(ふしき)の對面を祝(しゆく)しける。斯て時移(うつ)るまで酒宴して武藝(ふけい)に誇(ほこ)る溌(はつ)太郎東太共侶(もろとも)(けん)八に太刀筋の教(をしへ)を受(うけ)んと乞(こふ)程に現(けん)八ハ推辞(いなむ)によしなく稽古所におり立て先飛伴(ひはん)太を撃(うち)倒し續てかゝる東太團吾溌(はつ)太郎をいと目覚(さま)しく打伏るにこらへかねたる籠(こみ)山縁連(よりつら)真剱(しんけん)をもて立向ふを左へ拂ふて引組つゝ〓(とう)と揉伏(ねちふせ)(うこ)かさす。牙(か)二郎見るに口惜(おし)く刀を引提(ひさけ)て現(けん)八を撃(うた)んと進むを一角ハ制し禁(とゝ)めて再び立せす。その間に現(けん)八ハ縁連(よりつら)を扶起(たすけおこ)し引退(ひきしりそ)けハ一角ハ現(けん)八か武術を誉(ほめ)又盃を巡(めぐ)らすにぞ物の蔭(かけ)なる舩虫ハ歎息(たんそく)しつゝ退きける。
○却説(かくて)一角ハ五名(こにん)の弟子等を撃(うち)伏られしを娼(ねた)み怒れる気色なく又現八をもてなす程に夜ハやうやくに深初(ふけそめ)たれハ盃盤(はいばん)を納めさし現(けん)八か臥房(ふしど)を儲(まうけ)とく睡(ねふり)につき給へとすゝむに現(けん)八席をくたち(〔り〕)別を告て案内につれ客房(のま)に赴(おもむき)て既に臥簟(ふしと)に入りつゝも肚(はら)の裡(うち)に思ふ」

挿絵第七図
【挿絵】〈返璧(たまかへし)の柴(しば)の戸(と)に現八(けんはち)雛衣(ひなきぬ)が怨言(ゑんげん)を竊(たち)聞す[呂][文]〉」20

やう一角われをもてなしたるその奸詐(たばかり)子細(しさい)そあらん。且渠(かれ)が左の眼(まなこ)を正(まさ)しく我に射(い)られしをわれとハ認(みとめ)えず見るになほよく謀(はかり)て彼(きやつ)を退治(たいし)し赤岩犬村親子(おやこ)の爲にこの年來の冤(むじつ)を釋(とか)んと目睡もせて在けるを深ゆく隨(まゝ)にねむけさせバなほ睡(ねむ)らじと思ひつゝ何の程にか目睡(まどろみ)けん。護身嚢(まもりふくろ)の中なりける彼信(しん)の字の瑞(すい)玉の碎(くだく)る如き音(おと)せしに驚(おどろ)き覚て眼(まなこ)を開(ひら)けバしきりに胸(むね)のうち騒(さは)げハ心いよ/\安からず。そと身を起し縁頬(ゑんがは)の障子(せうし)開るに怪(あやし)むべし外方に多く物を並べ躓(つまづか)せんと操組(からくみ)たりと思ふものから臥簟(ふしど)にかへりて両刀を腰(こし)に帯(おび)又縁頬(ゑんがは)のかたに出前栽(ぜんさい)に下り立バ麻索(あさなは)を引渡(わた)してありけれバ件の索(なは)をうちこえつ。小門の鎖(とざし)を揉捨(ねぢすて)て又縁頬に立戻(もど)り障子引よせ夥(あまた)の物を元の如くに倚(よせ)かけて木立の蔭(かげ)に身を潜(ひそま)してうかゞへバ丑(うし)三時の鐘(かね)を合圖に潜(しの)び近づく八箇(やたり)の癖(くせ)者出口々々をきり塞(ふさ)きて間の紙」21 戸を蹴放(けはな)ちて閃かしたる短鎗(てやり)の刄頭(ほさき)に〓(よぎ)の上よりぐさと刺(さす)に手こたへもせずぬしもなし。扨(さて)ハ〓(すい)して逃(にげ)たるならん。疾(とく)追蒐(おつかけ)よと罵(のゝし)りつ出んとするに倚(よせ)かけ置たる物に跌(つまづ)き捫擇(もんちやく)する事大かたならず。其時縁連(よりつら)舩虫ハ現(けん)八の逃亡(にけうせ)しと聞て望(のぞみ)を失ふものから臥床(ふしど)に手首(たなくび)さし入て夜着も蒲團(ふとん)も温(ぬく)まりさめねバ必定(ひつてう)そこらに躱(かく)れてをらん。とく猟(かり)出せと下知(じ)するに心得たりと走巡(はせめぐ)るに庭に渡(わた)せし麻索(あさなは)に足を捕(とら)れてふしまろべバ現(けん)八得たりと顕(あらは)れ出先なる一人の首(くひ)打落(おと)し今一人を〓倒(きりたふ)せバ牙二郎飛伴(ひはん)太東太團吾(たんご)(はつ)太郎ハ短鎗(てやり)刀得物(えもの)/\を引提(さげ)て現八をうたんと競(きそ)ふを爰にあらはれ彼處(かしこ)に隱(かく)れ一上一下と手を尽せバ飛伴(ひばん)太溌(はつ)太郎ハ重痛(おもて)を負(お)ふて倒(たふ)れけり。牙(が)二郎東太團(たん)吉等ハ未深瘡(ふかで)を負(おは)ねども既(すで)に味(み)方を多くうたれ頻(しき)りに加勢を呼程に縁連(よりつら)弓に箭(や)をつかひ弦音(つるおと)高く射(い)かけし」

挿絵第八図
【挿絵】〈舩虫(ふなむし)奸計(かんけい)犬村(いぬむら)が閑居(かんきよ)を訪(と)ふ〉」22

かバ現八これを〓拂(きりはら)ひなほ牙(が)二郎等(ら)と挑(いどみ)あらそひ漸(しだい)/\に跡しさりして小門のほとりに近つきて左の手にて戸を開(あけ)ながら後(うしろ)さまに走り出はやく其戸を引閉(たて)つゝ大きなる葛石(かつらいし)に双手(もろて)をかけて引起し引戸へしかと倚(よせ)かけなから刀血(ちかたな)ぬくひて鞘(さや)におさめ返璧(たまかへし)を投(さし)て走り來つ。角太郎か庵(いほり)に入ありし事どもしか%\と言語(ことば)せわしく告白らすれバ角太郎夫婦(ふうふ)ハ驚(おとろ)き感(かん)じ先現八を戸棚(とだな)に隱(かく)し追來(をひく)る人を待(まつ)程に赤岩牙二郎籠山(こみやま)縁連(よりつら)若黨(わかとう)下部(しもべ)を後(うしろ)に立し柴門(しばのと)せましと込入てとく盗人(ぬすひと)を出し給へといはせも果(はて)ず角太郎こハ心得ぬぬす人呼(よば)はり。出せといはるゝ覚はあらじといふにせきたつ縁連(よりつら)(が)二郎家(や)さがしせんと奥(おく)へ進(すゝ)むをさハさせじと引戻(もど)し挑(いど)み争(あらそ)ふ折からに何の程にか舁(かき)もて來(き)にけん。庭(には)に二挺(にてう)の轎子(のりもの)の裡面(うち)より出る一角夫婦牙(が)二郎を制(せい)し禁(とめ)はや上坐(かみくら)に著(つき)しかバ角太郎夫婦ハ怕(おそ)れ敬(うやま)ひ」23 縡問(こととひ)かねてぞ畏(かしこ〔ま〕)る。一角ハ縁連(よりつら)を赤岩にかへらしめ角太郎雛衣(ひなきぬ)等に日ごろに似げなき慈愛(じあひ)の言葉(ことば)。今日(けふ)勘當(かんどう)をゆるすなりといふに夫婦(ふうふ)ハ歡(よろこ)びてひたすら親をもてなす程に一角ハ夫婦にむかひ事あらためて雛衣(ひなきぬ)が胎内(たいない)にある子をとり出し父に得させよとありければ角太郎雛衣(ひなぎぬ)ハ只呆(あき)れたる斗りなり。舩虫(ふなむし)ハ携(たづさ)へたる壺(つほ)を夫婦が間(あはひ)に居(すへ)るに一角ハきつとしていへるやう。われ一昨(おとつい)の宵(よ)(あやま)つて眼(まなこ)を傷(やぶ)られ醫師(くすし)を招きて見せけるにこの眼瘡(かんそう)にハ妙薬あり。百年土中に埋(うつも)れし木天蓼(またゝひ)の細末と四ヶ月已上の胎内(はらこもり)なる子の生膽(なまきも)とその母の心の臓(ざう)の血をとりてかの細末(さいまつ)に煉合(ねりあは)しこれを服(ふく)せバ目の玉の再(ふたゝ)び愈(いえ)て鮮明(あさやか)なりといはれにけれど二ッながらいとも獲(え)がたき薬剤(やくさい)なれハ姑(しばら)く思ひ捨たるにきのふ不測(ふしき)にかの木天蓼(わたゝび)の百年あまり土の中に埋(うづも)れたるが手に入りぬ。親の為にハ命たも」 惜(をし)まじといふ孝(かう)行にあまへて頼む薬種(やくしゆ)の調達(てうたつ)推辞(いなみ)ハせじと豫(かね)てより思へバいとゞ不便(ふびん)にこそといひつゝ拭(ぬぐ)ふ〓(そら)(なみた)を見まねに船虫(ふなむし)(はな)うちかめば角太郎ハ嗟嘆(さたん)に堪(たへ)ず推辞(いなむ)を聞かぬ無頼(ふらひ)の一角推辞(いなま)バ自殺(じさつ)なし果(はて)んと刄(やいば)を抜(ぬか)んとする程に角太郎が禁(とゞむ)るをまたで舩虫牙二郎左右より携著(すかりつき)て刀を奪(うば)へバ弱(よは)り果(はて)たる角太郎か心を汲(くみ)て雛衣(ひなきぬ)ハ只(たゝ)伏沈(ふししつ)み居(ゐ)たりしが竟(つい)にハ脱(のか)れぬ定業(てうかう)ぞと覚期(かくご)(きは)めて舩虫がさし出したる木天蓼丸(わたゝびまる)を刀尖(きつさき)(ふか)く乳(ち)の下へくさと衝立(つきたて)引めぐらせバ颯(さ)とほどばしる鮮血(ちしほ)と共に顕(あらは)れ出る一箇(いつこ)の霊玉(れいぎよく)(いきほ)ひさながら鳥銃(てつほう)の火蓋(ひふた)を切て放(はな)せし如く前面(むかひ)に坐(ざ)したる一角が胸骨(むなほね)はたと打碎(うちくだ)けバ叫(さけ)ひも果(はて)ず仆(たふ)れける。縡(こと)の不測(ふしき)に舩虫牙二郎驚(おどろ)きながら見かへりて角太郎を仇(あた)としつ殺(きり)てかゝれバ角太郎ハ戒刀(かいとう)を鞘(さや)ながらに握(にき)り持(もち)受流(うけなか)しうち拂(はら)ひ禁(とめ)ても」24 〔き〕かぬ無法の大刀風禦(ふせ)ぐのみなる角太郎ハ右手の臂(ひぢ)を一寸ばかりかすり痍負(でおひ)たる危急(きゝう)の折から戸棚の紙戸(ふすま)の間より打出す手裏釼(しゆりけん)に牙(が)二郎ハ乳(ち)の下をつらぬかれ刃を捨てぞ仆(たふ)れける。程もあらせず現八ハ衾戸(ふすまと)はたと蹴放(けはな)ちて棚より〓(だう)と飛下り逃んとうろたふ舩虫が利(きゝ)手を捕(とつ)て引かつぎ向ふざまに投(なげ)しかバ火盆の稜(かど)にあばらを打れ灰に塗(まみ)れて仆(たふ)れけり。角太郎ハこの為体(ていたらく)に駭(おどろ)き怒り親族の仇そこのきそと名告(のり)かけて戒刀(かいたう)引抜ふり揚(あぐ)る刃の下を現八ハ掻潜(かいくゞ)り捕(とり)畄めたる角太郎が二の腕より流るゝ鮮血(ちしほ)を懐よりいだす髑髏(どくろ)にしたゝる鮮血(ちしほ)の吸込如く塗(まみれ)着たる親子(おやこ)の明証(めいしやう)。竒特(きどく)に勇む現八ハ思はず聲をふり立てはやり給ふな犬村ぬし。打仆(たふ)されし一角ハ御辺の眞の親ならず。この髑髏(とくろ)こそ真の亡父赤岩一角武遠(たけとほ)ぬしの白骨(はくこつ)なるをしらざるや。告べき事多かるに怒りを」

挿絵第九図
【挿絵】〈勇(ゆう)を奮(ふるつ)て現(けん)八よく衆兇(しゆきやう)を挫(とりひし)[文][魚]〉」25

おさめて聞れよと突放されて角太郎ハ思ひがけなき竒特を見つ勢ひ折けて折布(しく)(ひざ)に戒(かい)刀の柄おし立てその故きかんと詰よすれハ現八ハ歎息(たんそく)して角太郎に打向ひ一昨(おとゝひ)網苧(あしお)の茶店にて鵙(もす)平が問すかたりを聞し事より庚申山に踏(ふみ)迷ひて胎内竇(くゞり)の辺にて猫に類せる怪(ばけ)物の左の眼を射たりし後岩窟(むろ)の中にて一角の亡魂(なきたま)にあひ彼山猫か事しか/\と告角太郎に對面して渠(かれ)を資(たす)けてわか仇なる假(にせ)一角等を退治して給へとて證処(せうこ)の二種をわたせし事且ハ里見殿に因縁ある八犬士の起る由來霊玉(れいぎよく)感得の事異性(ゐせい)の兄弟なる事までおちもなく語説(ものかたり)證処の二種(ふたしな)さしよすれば角太郎ハ愕(がく)然とはしめて夢の覚たる如く驚(おどろ)き耻て胸(むね)(うち)(なで)懐舊(くわいきう)悲歎(ひたん)に堪(たへ)ざりけり。
○かくて犬村角太郎ハ数行(すかう)の涙をやうやくおさめて後悔慚愧(ざんぎ)やるかたなく現八か厚意を謝し」26(つま)雛衣(ひなきぬ)をよび生(いけ)てしか%\のよし聞ゆるに雛衣(ひなきぬ)(わづか)に目を開(ひら)きよろこはしやとばかりにてそが儘(まゝ)(いき)ハ絶(たへ)にけり。豫(かね)て期(ご)したる角太郎ハ愀然(しうねん)として立かねたりしを現八ハはげまして雛衣(ひなぎぬ)が亡骸(なきから)を片(かた)よせんとする程に牙(が)二郎忽地(たちまち)(いき)出て身を起(おこ)しつゝ手裏釼(しゆりけん)を掻(かい)つかみ現(げん)八のぞんて投(なげ)かへすを柄(つか)もて丁と受(うけ)畄たり。牙(が)二郎怒(いか)りてよろめきながら敵(あい)手を擇(えら)まずうたんと進(すゝ)むを角太郎が閃(ひらめ)かす刀に細首(ほそくび)打落(おと)せバむくろハ俯(ふし)たる假(にせ)一角にうち累(かさな)りてぞ仆(たふ)れける。 物の響(ひゞき)と恩愛(おんあ )のその気や自然(しぜん)に通(つう)じけん。死(し)せしと見えたる假(にせ)一角忽地(たちまち)うめく声(こゑ)を出し双手(もろて)を張(はつ)て身を起(おこ)せバ既(すで)に年老(ふる)山猫(ねこ)のすがたをあらはす竒怪(きくわひ)の相貌(さうぼう)(きば)を鳴(な)らし爪(つめ)を張四下(あたり)をにらんで吻(つく)(いき)ハ狭霧(さぎり)となりて朦朧(もうろう)たり。角太郎ハ妖怪(えうくわい)の本體(たい)を見て些(ちつと)も騒(さわ)がず血刀(ちがたな)引提(さけ)間近(まぢか)くよせ姑(しばら)く透(すき)を窺(うかゝ)へバ後方(あとべ)に引」

挿絵第十図
【挿絵】〈腹(はら)を劈(つんさき)て雛衣(ひなきぬ)(あだ)を仆(たふ)[玉][光]〉」27

(そへ)現八も〓(もし)手に餘らバ資(たすけ)んとて等(ひと)しく心を配りつゝ寄(よせ)るを寄じと山猫(ねこ)ハ飛(ひ)鳥の如く蜚遶(とびめぐ)るを頻(しき)りに勇む角太郎ハ是首に追詰(おひつめ)彼首に攻つけうち閃かす刃に怯(ひる)まぬ妖怪(えうくわい)ます/\哮(たけ)り狂ふて窓(まど)の格(かう)子に爪うちかけ脱(のが)れ去らんとする処を、丁と撃(うつ)たる角太郎が手煉(しゆれん)の刀尖愆(あやま)たず。さしも猛(たけ)ける山猫ハ腰の〓(つがひ)を〓放(きりはな)されまろぶを得たりとのひかゝつて吭(のんど)のあたりをいくたびとなく斬貫(きりつらぬ)けバやうやく息ハ絶(たへ)にける。既(すで)にして角太郎ハ父の像(かた)見の短(たん)刀もてとゞめを刺(さ)せバ竒なる哉(かな)彼礼の字の霊(れい)玉ハ瘡(きず)口より顕(あらは)れ出しを血(ち)を押ぬぐひうち戴(いたゞ)き現八に見せしかバ現八も又よろこぶ折から籠(こみ)山逸東太縁連(よりつら)ハさいぜんかゝる騒(さわ)ぎのまぎれに息吹(いきふき)かへし迯(にけ)亡たる舩虫をいましめて牽(ひき)立來つゝ其身も腰(こし)刀をしりぞけて恭(うや/\)しく額(ぬか)をつき二犬士に身の非(ひ)を打わび縡(こと)の顛(もと)末ハさいぜん」28 よりも立聞したるに此舩虫(ふなむし)が逃(にけ)走るを矢庭に捕(とら)へて〓(いましめ)たり。某主君より預(あづか)り來つる短(たん)刀ハ假(にせ)一角がぬすみ取〓(さや)を摧(くだ)きて薬にせしとか。されど幸(さいはい)にして短刀ハあるなれバ此舩虫共侶に賜(たまは)らバ白井の城へ引もてかへりてまうしわきの種(たね)にしつべし。某おもひ足(たら)ずして両君子に強面(つれなく)あたりし罪(つみ)ハ万死に當れども免(ゆる)させ給はゞ大恩(おん)なりと哀(かなし)み告る佞弁(ねいべん)邪計(じやけい)(にく)しと思へど詈(のゝし)りせめず。乞まゝにその義を免(ゆるし)て村人等を呼(よび)つどへんとする程に月蓑(みの)團吾八黨(とう)東太ハ異類(ゐるい)のくひを携(たづさ)へて入來り。是ハ山猫(ねこ)の眷属(けんそく)なる〓(まみ)(てん)なり。山猫に相従(したが)ふて塾生(うちでし)に形(すがた)を変(へん)じ飛伴太溌(はつ)太郎と呼れたるが昨宵(よんべ)犬飼(かひ)ぬしの大刀風に殺(きり)立られ深痍(で)を負て逃(にげ)んとしけるを某等刺殺(さしころし)て首を捕(とり)たりと俺們(われ/\)も又人倫(りん)ならず。庚(かう)申山の麓(ふもと)なる土地の神と山の神也。神通(しんつう)山猫(ねこ)に及ねハ心ならずも役(かり)使(つかは)れて團吾東太」 と呼(よは)れし也。さらば/\と別(わかれ)を告庚(かう)申山の方に飛去けり。かさね%\の竒異(ゐ)怪事(くわゐ〔じ〕)に角太郎と現(げん)八ハ件(くだん)の首を引寄し見るに〓(まみ)も貂(てん)も尋(よの)常ならず只是のみにあらすして牙二郎が首も又さながら猫(ねこ)に似たりけり。斯て逸(いつ)東太縁連(よりつら)は二犬士に別(わか)れを告木天蓼(わたゝび)丸の短(たん)刀を乞うけ舩虫をわが轎(のり)物にうち乗し白井をさして走去(はせさり)けり。さる程に犬村角(かく)太郎ハ里人をつどへて妖怪(えうくわい)親子の亡骸(なきから)を焼(やき)捨させ雛衣(ひなきぬ)が亡骸と父武遠(たけとう)の白骨(はつこつ)を香華院にあつく葬(ほうむ)り石塔(せきとう)を造(つくり)立七七の佛(ふつ)事怠(おこた)る事なく犬飼(かい)(けん)八ハ其間赤岩に逗畄(とうりう)して自餘(しよ)の犬士等が事一五一十を日毎(ごと)に物語(かたり)して慰(なくさ)めけれバ角(かく)太郎ハ聞く毎に感激(かんげき)しいよゝ五犬士の慕(したは)しく忌(いみ)(はて)て後現(けん)八倶(とも)に諸國を遊暦(ゆうれき)して環會(めぐりあは)んと思ひけり。かゝりし程に中浣も果(はて)けれバ角太郎ハその田畑(はた)家庫(くら)を賣渡(わた)し二百金を香華院(ほたいしよ)に布施(ふせ)して祠堂料(しどうりやう)とし媒人(なこう〔ど〕)氷六をはじめ」29 赤岩犬村の民の貧(まづし)きに二百金を施行(せきやう)し村長里人氷六を招きて畄別(りうべつ)の酒食(しゆしよく)をすゝめ犬村大角(だいかく)礼儀と名を改めて現(げん)八共侶(もろとも)に吉日をゑらみ首途(かとで)をなしまづ鎌倉(かまくら)へ出んとて信濃路(しなのし)より上毛(かうつけ)武蔵をうち巡(めぐ)り相模(さがみの)州鎌倉に旅寐(たびね)していかでか五犬士に環會(めぐりあは)んと日々に巷(ちまた)に遊びくらしぬ。
○夫ハ扨置籠(こもり〔こみ〕)山逸(いつ)東太縁連(よりつら)ハ辛(から)く二犬士の怨(うらみ)を免れ搦捕(からめとり)たる舩虫を行轎(たびのりもの)にうち乗(のし)て白井を投ていそぐ程に信州(しんしう)沓掛(くつかけ)の駅(しゆく)に宿を求ける夜に枕辺に繋(つなぎ)たる舩虫ハ逸東太か寐(ね)息を考(かんが)へ辛くして〓(いまし)めのなは〔を〕切て彼木天蓼(わたゝび)の短(たん)刀と三十金の路(ろ)用を奪(うば)ひ何方ともなく逃(にげ)去けり。その明の旦縁連(よりつら)ハ目覚て後に駭(おどろ)き騒(さは)ぎ索(たつね)さがせど影(かげ)さへ見えねば所詮(しよせん)白井へハ還(かへ)りがたしと胸(むね)を労(やま)して思案するに計較(もくろみ)やうやく定りけれバ軈(やが)て五十子の城に赴(おもむ)き扇谷(あふぎがやつ)定正(さだまさ)に仕へける。さらハ毒婦(どくふ)舩虫ハ金と短刀(たんとう)

挿絵第十一図
【挿絵】〈妖邪を斬て禮儀亡父の怨を雪む [文][魚]〉」30

をぬすみとりその夜旅(りよ)宿を逃亡(にげうせ)て越後州(ゑちごのくに)へ赴(おもむ)き又強盗(がうだう)の妻になりてさま%\の悪(あく)事を做(な)せしが此時犬田犬川の二犬士倶(とも)に越後にめぐりあひ舩虫(ふなむし)が夫の強盗(がうだう)童子〓子(がうし)酒顛二(しゆてんじ)はしめ小〓〓(ぬすひと)を鏖(みなごろし)にせしをり又舩虫は媼(おば)内といへる手下の賊(ぞく)と辛(から)くも其処を逃(にけ)去武蔵へ逃(のが)れて司馬(しば)(はま)に程近き谷山に小屋(こいへ)を求め媼内と夫婦(ふうふ)になりて又大悪(あく)事をはたらきけるが終(つい)に二人ながら犬士等の為に牛劈(うしざき)にせられける。こハ是(これ)(のち)のはなしなり。
○爰に又犬坂毛野胤智(たねとも)ハ父の仇(あた)馬加(まくはり)大記常武(つねたけ)を撃(うつ)て小文吾と倶に石濱(いしはま)の城中(じやう  )を遁(のが)れ出墨田(すみだ)川にて犬田に別(わか)れ舊里(ふるさと)なる犬坂村に赴(おもむ)きて三年ばかり身を忍(しの)び夫より冤(かたき)縁連(よりつら)を撃果(うちはた)さんとて信濃路(しなのぢ)に流落(さすら)ひ犬田犬川二犬士にめぐりあふて初て異姓(ゐせい)の兄弟(けうたい)たる事を知りけれど未縁連(よりつら)をうたざれば二犬士に書(かき)置して再會(さいくわひ)を期(ご)し何処(いづこ)ともなく出去けり。爰(こゝ)に犬村大角(かく)31 ハ犬飼(かい)(けん)八と共侶に自餘(よ)の犬士を索(たづね)んと鎌倉に旅寐(たびね)せしかど些の便りも得ざりしかバ旅(たび)より旅に月日を送り二年を歴(へ)て武蔵(むさし)なる千住河原にて犬塚犬山に再會(さいくはい)し穂(ほ)北の郷(がう)士氷垣(ひかき)殘三夏行(なつゆき)ハ道節が故主煉(ねり)馬の一族(ぞく)豊嶋(としまの)信盛(のぶもり)に仕へたる者なりけれバ四犬士此家に帯畄(たいりう)して道節(どうせつ)が怨敵(おんてき)たる扇谷(あふぎがやつ)定正を撃(うち)とらんと五十子の城(しろ)を窺(うかゞ)ひけり。さる程に犬坂毛野ハ犬田犬川の二犬士に別(わか)れて父の仇(あだ)縁連(よりつら)をうたんとて武蔵(むさし)州豊嶋郡湯島(ゆしま)なる天満(ま)天神の境(けい)内にて放(ほう)下家物(もの)四郎と変(へん)名し坐撃(ゐあひ)を抜(ぬき)て薬(くすり)歯磨(はみかき)を賣(うり)(すがた)をやつし居ける折から扇谷定正の内室蟹目前ハ湯島(ゆしま)の神社へ詣來(まうでき)給ひしに日比より寵愛(てうあい)深き手飼(がひ)の小猿(さる)(ほだし)の紐(ひも)や緩みけん。銀杏(いてう)の梢(こずへ)に走(はし)り登り喚(よべ)どもさらに下らねバ蟹目(かなめ)前ハ奥隷(つき)の老黨河鯉(かはこひ)権佐(ごんのすけ)守如(もりゆき)に命てこれをとらゆる便直(てだて)あると問給へども数(す)丈の幹(みき)に足を掛(かけ)

挿絵第十二図
【挿絵】〈舩虫謀て縲絏を脱る[文][魚]〉」32

へき處なし。其時毛野の物(もの)四郎ハ彼老樹(じゆ)に鈎索(かぎなは)を投掛(なげかけ)(すみやか)に登りゆきて猿(さる)をとらへて地上に下り守如(もりゆき)にわたすにぞ蟹目前主従ハその神速(すみやか)を感じけるが権佐(ごんのすけ)守如ハ彼物(もの)四郎をさいぜんより凡人ならずと見てけれバ蟹目前(かなめのまえ)が下向の後其身ハ此處に畄(とゝま)りて機密(きみつ)を告て一大事を憑(たの)みける。其訳ハ主君定正(さたまさ)侫臣(ねいじん)縁連を用ひ彼がいふにまかせて小田原の北條氏と和睦(わぼく)して長尾景春(かげはる)との和睦を破り上野(かうつけ)越後(ゑちご)をとり復(かへ)さんとし給ふより彼縁連(よりつら)を使節(しせつ)とし相州に赴(おもむ)かしめ給ふになん是みな縁連が奸計(かんけい)にて當家と長尾家(ながをけ)と和睦せバおのか舊悪(きうあく)あらはれんと思へバ主君(くん)を斯ハすゝめしなり。和殿いかでか今宵(よひ)より便宜(びんぎ)の處に伏かくれて那縁連(よりつら)をゑらみうちに撃果(うちはた)し給へかしと金十両と種子島(たねかしま)の小銃(づゝ)を送り頼むにぞ物四郎は異(ゐ)儀なく諾(うへな)ひ其身の本名素性(すせう)をあかし彼縁連ハ親(おや)の仇なり。」33 年來(ごろ)何所(いづこ)にありとしも面貌(おもかけ)たにも認(みし)らねハ心を苦しめ身をやつしあふを限りと思ひしに天運(うん)こゝに循環(しゆんくわん)して求めす仇(あだ)をうつに至るハ神明仏陀(ぶつだ)の冥助(めうぢよ)なり。よろこばしやと勇立(いさみ  )バ守如(もりゆき)しきりに感(かん)悦し猶も商量(だんかう)なしつゝもやかて別れて立去りける。此折犬山道節(どうせつ)ハ穂北(ほきた)の郷(がう)に諸犬(しよけん)(し)共侶(もろとも)身を忍(しの)ひつゝ其身ハ日々五十子(いさらご)の城中(じやうちう)をうかゞひけるが此日はからす爰に來かゝり守如(ものゆき)毛野が密議(みつぎ)を立聞獨(ひと)りうなづき帰りける。
○于時(ときに)文明(ぶんめい)十五年癸卯(みつのとう)の春正月(むつき)二十一日の黎明(いなのめ)に犬坂毛野胤智(たねとも)ハ多年の宿望(しゆくもう)時至り父胤度(たねのり)の仇(あだ)なりける籠(こみ)山逸東太(いつとうだ)縁連(よりつら)が主君(しゆくん)定正(さたまさ)を説(とき)すゝめて那(かの)小田原なる北条(ほうでう)(け)へ密(みつ)議の使(つかい)をうけ給はり副使(ふくし)と共に伴當(ともびと)(したが)へ五十子(いさらご)の城内(じやうない)より今朝首途(かどで)して鈴(すゞ)の森まて來にける時をまちうけて立顕(あらは)れて名告(のり)かけ携(たづさ)へたる鳥銃(てつぽう)もて先にすゝみし縁連(よりつら)か馬の」 胸頭(むなさか)打たふして若黨四人を殺伏(きりふせ)たる。そのひまに縁連(よりつら)ハ短鎗(てやり)を引提(さげ)足場をはかりて田路(みち)の方へ引退(しりぞ)けバ犬坂ハ飛(とぶ)が如くに追(おい)付てうたんとすゝむ勇士の太刀(たち)風縁連(よりつら)問答(もんだう)の遑(いとま)もなく鎗(やり)を捻(ひねつ)て亘(わた)りあふ一上一下修煉(しゆれん)の突戦(とつせん)縁連(よりつら)はやく腕(たゞむき)(みだ)れ淺痍(あさで)四五ヶ処(しよ)(おひ)ながら茲(こゝ)を先途(せんど)と戦(たゝか)ふたり。かゝりし程に縁連(よりつら)か後方(べ)に馬(うま)を歩(あゆま)せたる副使(ふくし)の二の手竈門(かまど)既済(やすなり)鰐崎(わにさき)悪四郎等ハ追々にはせつけて縁連(よりつら)を助(たすけ)んと欲(ほり)すれどゆくてハ陜(せま)き水田の畔(くろ)にて一騎(いつき)打なる進退(かけひき)不便(ふべん)安危(あんき)を茲(こゝ)に料(はか)りかねさうなくハ找(すゝ)み得ず。いかにすへきとたゆたいみれハ無慙(むざん)や縁連(よりつら)ハはや下鎗(やり)になるまでにしば/\毛(け)野に撃悩(うちなやま)されて既(すで)に危(あやふ)き光景(ありさま)なれハ鰐崎(わにさき)(あく)四郎猛虎(たけとら)ハ見るに得(え)(たえ)す馬乗放(のりはな)ち鎗(やり)(わきばさ)みて水田の畔(くろ)を足にまかして走(はし)りゆく。爰(こゝ)に縁連(よりつら)が三隊(のて)なる越杉(こすぎ)駱三(らくぞう)仁田(にた)山晋吾(しんご)ハ馬を飛(とば)して來にけれハ既済(やすなり)も又馬をよせ多勢をたのみ東西(とうさい)より」34 二手(ふたて)に別(わか)れて駈行(かけゆき)〔し〕(をり)(おも)ひがけなき藁塚(わらづか)の蔭(かげ)より一度(いちど)に突出(つきた)す鎗に越杉(こすぎ)竈門(かまど)が馬(うま)の太腹(ふとはら)ぐさとさゝれて両個(ふたり)の武士(ぶし)ハ田(た)の畔(くろ)へ仰反(のけぞり)たり。その時(とき)東西(とうさい)の掛(かけ)(わら)蹴倒(けたふ)し犬田(いぬた)小文吾(こぶんご)犬川(いぬかは)荘介(せうすけ)(あらは)れ出(いで)て犬坂(いぬさか)が後見(うしろみ)なりと呼(よば)はりて矢庭(やには)に多勢(たぜい)を打取(とり)つ。小文吾ハ竈門(かまど)荘助ハ越杉(こすぎ)を殺伏(きりふせ)けり。そが中(なか)に仁田山(にたやま)晋吾(しんご)ハ馬に鞭(むち)うち逃(にげ)たりける。是(これ)より先(さき)に縁連(よりつら)ハ毛野(けの)が太刀(たち)(かぜ)(はげ)しさに切立(きりたて)らる折(をり)からに陜(せま)き田中(たなか)の畔路(くろぢ)より鰐崎(わにさき)猛虎(たけとら)走來(はせきた)れハ縁連是にちからを得(え)てしきりにおめき閃(ひら)めかす鎗(やり)に透間(すきま)ハなけれども毛野ハ近(ちか)づく猛虎を後目(うしろめ)に掛(かけ)つゝ縁連(よりつら)が鎗のひるまき〓落(きりおと)し刀(かたな)を抜(ぬか)んとする処(ところ)を一聲(ひとこゑ)たける刄(やいば)の電光(いなづま)縁連ハ左(ひだり)の肩先(かたさき)(きら)れて尻居(しりゐ)に倒(たふ)れけり。程(ほど)もあらせず猛虎ハほうばいの仇(あだ)(のが)さじと突出(つきだ)す鎗を受流(うけなか)し十合(とたち)あまりそ戦ふたりしがこれも終(つい)に討(うた)れけり。此(この)(おり)縁連(よりつら)(われ)にかへり刀(かたな)を抜(ぬい)て立(たち)あがり又犬(いぬ)

挿絵第十三図
【挿絵】〈湯島(ゆしま)の社頭(しやとう)に才子(さいし)(くすり)を賣(う)る〉」35

(さか)に打(うつ)てかゝるを毛野(けの)ハ透(すき〔か〕)さず身(み)をかはし抜打(ぬきうち)に縁連(よりつら)が首(かうべ)を地上(ちじやう)へ打落(おと)し續(つゞひ)て近(ちか)づく敵(てき)もなけれバ亡父(ぼうふ)の位(ゐ)はひをとり出(いだ)し縁連か首を手向(たむれ)しづ/\合掌(がつしやう)する処(ところ)に犬田犬川走來(はせきた)るにぞ毛野ハいそがはしく身(み)を起(おこ)し二犬士(にけんし)にうち向(むか)ひ什麼(そも)いかにして某(それかし)かけふの仇打(あだうち)を知(し)られけん。さきに和君(わくん)(ら)の助(たすけ)あれども問(と)ふにいとまのなかりしが終(つい)に縁連(よりつら)猛虎(たけとら)ハ斯(かく)殺果(うちはた)して候なりといふに二犬士うなづきて此(この)(ぎ)ハ犬山(いぬやま)犬塚(づか)の謀(はか)りしなれどそハあしこなる茂林(もり)かげに退(しりぞき)て意衷(ゐちう)を告(つぐ)べしとく/\きませと先(さき)に立(たち)打連(うちつれ)(だち)て鈴(すゞ)の茂林(もり)(べ)に掛(おもむ)〔赴〕きけり。是(これ)より先(さき)に五十子(いさらご)の城内(じようない)にハ縁連(よりつら)に副使(ふくし)(ら)が伴當(ともびと)漸々(しだい/\)に逃(にげ)かへり中途(ちうと)の異変(いへん)を訴(うつたふ)るに扇谷(あふぎがやつ)定正(さだまさ)ハ件(くだん)のよしをうち聞(きゝ)て勃然(ぼつねん)として怒(いかり)に堪(たへ)ず我(われ)みづから追蒐(おひかけ)て彼奴(かのやつ)(ら)を搦捕(からめとり)て誅戮(ちゆうりく)せん。兵毎(ものども)はやく馬(うま)ひけと物(もの)の具(ぐ)に身(み)を固(かた)め縁頬(ゑ〔ん〕がは)(ちか)く牽居(ひきすへ)たる馬(うま)に閃(ひら)りとうち乗(のり)てはや打出(うちいで)んとせし程(ほど)に河鯉(かはこひ)(ごんの)36(すけ)守如(もりゆき)ハ今(いま)奥殿(おくでん)より走來(はせきた)り廣庭(ひろには)に走(はし)り下(くだ)り定正(さだまさ)の馬(うま)の〓面(くつわつら)を推駐(おしとゞめ)(ことば)せわしく諫(いさむ)れども定正(さだまさ)ハ些(ちつと)も聞(きか)ず罵(のゝし)りながら忽地(たちまち)に鐙(あぶみ)を抗(あげ)て〓(はた)と蹴(け)るに憐(あはれ)むべし守如(もりゆき)ハ胸(むね)を蹴(け)られて〓(だう)とふす。定正これを見(み)もかへらず兵毎(ものども)(つゞ〔け〕)けと鞭(むち)を鳴(な)らし西(にし)の城門(きど)より走(はし)らすれバ従(したが)ふ士卒(しそつ)二三百名(にん)(みな)(をく)れじといそきけり。
○却説(かくて)扇谷(あふぎがやつ)定正ハ士卒(しそつ)を従(したが)へ旗(はた)をすゝめ揉(もみ)にもんでいそぎつゝ鈴(すゞ)の茂林(もり)(へん)に近(ちか)づく程(ほど)に樹柆(こだち)の内(うち)に敵(てき)ありて顕(あらは)れ出(いづ)る軍勢(ぐんぜい)の中(なか)に二人(ふた)の大將(たいしやう)あり。威風(ゐふう)も對(つい)の両聲(もろごゑ)(たか)く來(き)たれるものハ扇谷(あふきがやつ)の管領(くわんれい)定正(さだまさ)か。先年(せんねん)池袋(いけふくろ)の戦(たゝか)ひに汝(なんぢ)が爲(ため)に滅亡(めつぼう)せられし煉馬(ねりま)倍盛(ますもり)の舊臣(きうしん)なる犬山(いぬやま)(どう)〔節〕忠與(たゞとも)がけふ復讐(あだうち)の第一陣(だいいちぢん)ハこれ異姓(ゐせい)の義兄弟(ぎきやうだい)犬飼(いぬかひ)現八(げんはち)犬村(いぬむら)大角(だいかく)(こゝ)に待(まち)しを知(し)ざるや。找(すゝ)みて勝負(せうぶ)を决(けつ)せよと大路(おゝぢ)(せま)しと立(たち)たりける。定正(さだまさ)これを打聞(うちきゝ)て原來(さて)ハ這(この)(ち)の狼籍(らうぜき)(もの)ハ那(かの)犬坂(いぬざか)毛野(けの)とやらん。只(たゞ)三人(さんにん)のみならず豊嶋(としま)

挿絵第十四図
【挿絵】〈鈴森(すゞのもり)に伏(ひたまち)て毛野(けの)縁連(よりつら)(ら)を撃(う)[玉][舎]〉」37

煉馬(ねりま)の殘黨(ざんとう)も又(また)(かの)(むれ)に在(あ)りけるぞや。推捕(おつとり)こめて撃(うち)たれと下知(げち)に従(したが)ふ先鋒(さきて)の軍兵(ぐんびやう)(どつ)とおめいてうたんとす。其時(そのとき)現八(げんぱち)大角(だいかく)ハ鎗(やり)をひねつて近付(ちかづく)(てき)をまたたく間(ひま)に突伏(つきふせ)たる。勇將(ゆうせう)の下(した)に弱卒(じやくそつ)なけれバその手(て)の雜兵(ぞうひやう)三十許名(きよにん)(ゆう)をふるふて戦(たゝか)ひけり。尓程(さるほど)に定正(さだまさ)の後陣(ごぢん)のかたに敵(てき)(をこ)り先(さき)にすゝみし一個(ひとり)の大將(たいせう)天地(てんち)に〓(ひゞ)く聲(こゑ)(するど)くやをれ定正たしかにきけ是(これ)ハ先亡(せんぼう)煉馬(ねりま)の老臣(らうしん)犬山道策(とうさく)(が)嫡男(ちやくなん)なる犬山道節(どうせつ)こゝにあり。多年(たねん)の蟄懐(ちつくわい)けふに至(いた)れり。刃(やいば)を受(うけ)よと罵(のゝし)つて隊勢(てぜい)をすゝめ攻立(せめたつ)れバ定正が軍兵(びやう)(ら)前後(ぜんご)に敵(てき)を引受(ひきうけ)て討(うた)るゝ者(もの)(かず)を知(しら)ず。大将定正ハ辛(からう)じて僅(わづか)に一方(いつほう)を殺披(きりひら)き士卒(しそつ)八九名(にん)相従(あいしたが)へ品革(しなかは)の方(かた)へ走(はし)る程に道節ハ只(たゞ)一騎(いつき)(うま)を飛(とば)して追蒐(おつかけ)(き)つ。箭(や)ごろ近(ちか)くなる儘(まゝ)に弓(ゆみ)彎固(ひきかた)めて〓(ひやう)と射(い)る。修煉(しゆれん)(たがは)す定正の〓(かぶと)の鉢(はち)を射摧きたる。ひゞきにしのびの緒(を)ハちぎれ〓ハ地上(ちじやう)に落(おち)たりける。定正あなやと胸(むね)を潰(つぶ)し鞍局(くらつぼ)に頭(かうべ)を」38 ふし其首(そこ)ともわかず逃走(にげはし)るを道節なほもおふたりける。かゝれとも定正ハわつか死(し)を免(まぬか)れて高(たか)なは手まで落(おち)て來つ。後方(あとべ)(はるか)に見かへれバ従(したが)ふ近習(きんじゆ)ハ道に打(うた)れて只(たゞ)二個(ふたり)の近臣(きんしん)のみ死さることを得たれども数(す)ヶ所(しよ)痛痍(いたて)を負(おふ)たれは定正はじめて守如(もりゆき)の諫(いさめ)を聴(きか)ぬを後悔(かうくわい)しとく五十子(いさらご)の城(しろ)にかへり寄來(よせく)る敵(てき)を防(ふせ)がんと又八九町走(はし)りつゝと見れハ五十子(いさらご)の城(しろ)の方(かた)に黒烟(くろいけむり)(そら)を焦(こか)し兵火(ひやうくわ)(すで)に煽(さか)り也。主従(しう/\)是に又驚(おどろ)き呆(あき)れて馬を駐(とゞ)めたり。 浩処(かゝるところ)に現(けん)八大角猛卒(もうそつ)十余人(よにん)を相倶(あいぐ)して近(ちか)道をへて出(いで)て來(き)つ。定正主従(しう/\)をうたんとす。定正今ハのがるべくもあらざれバ近臣(きんしん)二人(ふたり)が戦(たゝか)ふ間(ま)に路傍(みちのへ)の阜(おか)に馳陟(はせのぼ)り腹(はら)を斫(き)らんと覚(かく)この折から忽然(こつぜん)として一手の軍兵(ぐんひやう)(おか)の後(うしろ)より走出(はせいで)たりと見れハ其勢三十餘人(よにん)又訝(いぶか)しきハ只(たゝ)一挺(いつてう)の轎子(のりもの)を雑兵(ぞうひやう)にかゝしたるそが先に小幡(はた)を持(もた)して河鯉(かはごひ)権佐(こんのすけ)守如(もりゆき)といふ大文字(もんじ)を写(しる)しけり。定正よろこひ馬乗下(のりくた)し守如救(すく)へと」呼(よば)はりて多勢(たせい)の中へ馳入(はせいり)けり。恁(かゝり)し程に道節ハ定正の近習(きんじゆ)等を一人も漏(もら)さす打(うち)はたし且(かつ)い落したる定正(さだまさ)の〓(かふと)を兵(ひやう)に持しつゝなほもらさじとおふたりける。又犬坂毛野胤智(たねとも)ハさきに荘介(そうすけ)小文吾等(ら)と共侶(もろとも)にもりの蔭(かげ)に退(しりそ)きて料(はか)らす助太刀(すけたち)せられたる縁由(ことよし)を初(はしめ)てきくに昨日(きのふ)湯島(ゆしま)の社頭(しやとう)にて守如と密談(みつだん)を道節に立聞(たちきゝ)せられふしきにたすけを得たる事及道節その折(をり)をもて君父(くんふ)の仇(あた)たる定正(さだまさ)をうたんと欲(ほり)する。けふの隊配(てくばり)又犬村大角礼度(まさのり)も同因果(どういんぐわ)の犬士(けんし)たる事都(すべ)て遺(おち)なくしることを得て感嘆(かんたん)の外(ほか)なかりしに鈴(すゞ)のもりの東方(あなた)に當りて鬨(とき)の聲(こへ)(きこ)えしかバ扨(さて)ハ犬山の計(はか)りし如(ごと)く定正の出陣(しつちん)せしとおぼえたり。さらバ力をあはせんとて三人連立(つれたち)來り(きた〔り〕)けるに味方(みかた)の戦(たゝか)ひ勝利(せうり)を得て道節等ハ北(にく)るを追(おふ)て其処におらず。又道節ハ定正を援(たすけ)の兵(つはもの)あるよしを現(けん)八大角が告(つぐ)るを聞(きゝ)ていこんに堪(たへ)すなほ追(おひ)かけんとしたりしを現八大角倶(とも)にいさ」39 めてとゞむる折から荘介小文吾毛野(けの)も來りて諫(いさむ)る程に道節やうやくに禁(とゞま)りけれバ犬飼犬村ハ毛野(けの)と初對面(しよたいめん)の口儀(かうぎ)を述(のべ)しかバ毛野(けの)も礼をかへす折から忽地(たちまち)敵の隊(そなへ)の中より年(とし)(なほ)わかき一人(ひとり)の武者へだての川の向上(ほとり)に立出(たちいで)いかに犬坂犬山の両氏にもの申(まうさ)ん斯いふハ河鯉(かはこひ)守如(もりゆき)が一子(ひとりこ)佐太郎孝嗣(たかつく)とよばるゝものなり。願(ねがは)くハ出給へとこへたかやかによばゝれバ道節(どうせつ)毛野ハ立出て名告(なのり)をしつゝ對面(たいめん)す。其とき孝嗣(たかつぐ)二犬士(にけんし)にうちむかひ我父守如(もりゆき)忠信(ちうしん)たに異(ことな)れバさきに内室(ないしつ)蟹目前(かなめのまへ)の内命(ないめい)をうけ當家の佞臣(ねいじん)縁連(よりつら)らを除(のそか)ん為(ため)昨日(きのふ)湯島(ゆしま)の社頭(しやとう)にて犬坂氏をかたらひ君の為にとどくを除(のそ)きしハ歓(よろこ)はしき事なれども君ハ只(たゝ)縁連(よりつら)を寵任(てうにん)の迷(まよ)ひ醒(さめ)給はす猛に出馬(しつば)の准備(ようい)あり。父守如これを諫(いさめ)て鐙(あふみ)にかけられその痍(きづ)(おも)く今猶(いまなほ)(ふし)て轎子(のりもの)にあり。斯て我君出馬(しつば)の後(のち)敗軍(はいぐん)の雑兵(ざふひやう)のかれかへりてこと恁々(しか%\)

挿絵第十五図
【挿絵】〈谷(やつ)山に道節(どうせつ)定正(さだまさ)か甲(かぶと)を一箭(ひとや)に射(い)る〉」40

と報(つげ)しかハとく加勢をまゐらせんと准備(ようい)にとりも乱せし折犬山氏等の義兄弟犬塚信乃(しの)戌孝(もりたか)とか聞えたる勇士の為に謀(はか)られて五十子(いさらご)の城を火攻(やきうち)せられしかバ士卒(そつ)ハ落亡(うせ)て往方(ゆくへ)をしらず。かゝる折から我父それがしを呼近(ちか)づけ我はじめ愆(あやまつ)て煉(ねり)馬の殘(ざん)黨なる犬坂(さか)に機密(きみつ)をもらしゝかバ我君の一大事(じ)に及び遂(つい)に城さへ抜(ぬか)れたり。かゝれば我忠信ハ不忠になりぬ。汝(なんぢ)ハ戦場(せんじやう)へ走(はし)りゆき我君を救(すく)ひ奉れと其意(ゐ)を得(え)たれど親(おや)を棄死(すてころし)にせんハさすがにて斯轎子(のりもの)に扶(たすけ)(のせ)こゝに來りて思ふか如く君の必死(ひつし)を救ひまいらせ死を極(きはめ)て在(あり)けるか犬坂氏ハ犬山氏の軍議を知(し)らで初戦西の言(こと)の顛末(もとすへ)聞えしかバいと訝しく此一義に及ぶのみといはれて感(かんず)る毛野よりも道節(せつ)ハうち頷(うなづ)ききのふ湯島の社頭(しやとう)にて彼密談(だん)を立聞(ぎゝ)して其仇討の趣(  き)を義兄弟等に告しらせ犬田犬川を助太刀させ犬坂が事五十子の城内へ聞へなハ加」41 勢を出す。その虚(きよ)を覗(うかゝ)ひ城を抜き仇を討んと軍議を定め隊配(てくばり)なしゝに仕合よく定正(さだまさ)(みづか)ら出馬(しゆつは)したれバ斯の仕義に及びたり。かゝれバ犬坂氏は我軍畧(りやく)を知るよしなし。定正のがれてあらずなりしに和郎等親子をうたんハ要(よう)なし。とく/\主の迹(あと)を慕(した)ふて其投(さす)方へゆきねかしといふにぞ毛野も前にすゝみ某素(もと)より犬山に内応(つう)せざりし趣を既に會得(えとく)せられし上ハ守如(もりゆき)大人(うし)に對面して我意中をも報申んに病臥(くわ)不便なるべけれど此義を許(ゆる)し給はずやと他(た)事なくいはれて孝嗣(たかつぐ)ハ轎子の戸を推(をし)開くに無慙(ざん)や守如ハ腹(はら)掻切(かきゝつ)て死(しゝ)居たれバ毛野道節ハ共に呆(あき)れて詞(ことば)も霎時(しばし)なかりけり。其時孝嗣涙(なみだ)をぬぐひ喃(なう)犬坂ぬし親の自殺(じさつ)のみならす蟹(かな)目前もこの事より刄(やいば)に伏て果給ひき。敵(てき)ながらも理義に賢(さか)しき諸犬士と刄を交(まし)えん事素より願ふ所なれバ思ひの隨(まゝ)に戦死せば親の遺訓(くん)にかなひなん。とく/\雌雄(しゆう)を决(けつ)しねと詞(ことば)雄々(をゝ)しく死を急(いそ)ぐ忠と孝義」

挿絵第十六図
【挿絵】〈轎(のりもの)に坐(ざ)して守如(もりゆき)(しゆう)を救(すく)[文][魚]〉」42

そ潔(いさき)よき。毛野(けの)道節ハ孝嗣(たかつく)かいと健気(けなけ)なるを感るものから寔(まこと)にあたら壮士(わかもの)を今撃(うち)(はた)して何かハせんと此場を見遁(のか)し別れけり。
○爰に犬塚(いぬつか)信乃(しの)と犬山か軍議(くんき)を助て敵(てき)の武具(ものゝく)標幟(さしもの)を奪(うは)ひとり味方に著せて五十子の城中へまきれ入火攻にして城を抜倉庫(そうこ)を開て米錢を民に施す處に犬山犬川犬田犬飼犬村の五犬士ハ隊兵(てのもの)(したか)へ當城に來り犬塚か軍功を感激(かんけき)し有し事とも如此(しか)(%\)々と話説(ものかたり)又犬坂毛野ハ守如か知己の義を思ふの故に辞して當城へ來さりし事箇様々々と觧(とき)(しめ)し其且道節ハさきに射て落したる定正の〓(かふと)と打取たる首級を高畷(なはて)に梟首(きゆうしゆ)して五十子の城を捨諸犬士と共侶(もろとも)に爰処より舩に打乗て穂北(ほきた)をさしてそ走らせける。
○爰に又房総二州の守里見義実朝臣(あそん)ハ往(いぬ)る長録(〔禄〕)二年の秋伏姫富山に自殺の折大かたならぬ竒瑞(きすい)あり。且金碗(かなまり)入道ヽ大(ちゆたい)坊ハ其折八方へ飛去たる八箇の」43 明玉の往方を索(たつね)んとて辞(ち)し去又賢を招き士を徴(もとめ)ん為に蜑崎(あまさき)(てる)文をその投(さす)方へ遣せしに稍久しく信(おとつれ)もなきこの比より義実ぬしハ隱遁(いんとん)の情(じやう)願あり。是より後御曹(そう)子義成に家督を譲り伏姫の一周忌に義実遁世(とんせい)の宿志を果し給ひ瀧田の城内に別舘を造らし其首(〔そ こ〕)に閑居の折からハ突然(とつねん)居士(こし)と自称して敢て政事を見かへり給はす。然ハ山下麿(まろ)安西か亡ひてより上総の武士等悉く義実の威風に靡きて其掌握(せうあく)によらさるハなし。然れとも邊境にハ折々野心のものありしを義成箕裘(きゝう)を嗣(つき)安房郡稲村に在城して房総の賞罸を掌(つかさと)るに及ひいよゝます/\徳を脩(おさ)め給ひしかバ上総ハさら也下総まで既に半國服従(ふくしう)して地を廣る事甚多かり。かゝりし程に年を歴て文明十年秋七月初旬(はじめつかた)に蜑崎照文か犬江親兵衛の祖母妙真と犬田小文吾の父文吾兵衛を伴(ともな)ふて下総よりかへり來にけれハ丶大(ちゆた〔い〕)坊か」 信(おとつれ)も知られ又那(かの)仁義八行(はつかう)の玉の往方(ゆくゑ)も知るよしあり。此頃上総州(のくに)夷〓郡(いしみのこふり)舘山の城主に蟇田(ひきた)権頭(こんのかみ)素藤(もとふち)と喚做(よひなす)ものあり。その性(さか)佞姦(ねいかん)邪智(しやち)にして酒色に耽(ふけ)り奢侈(おこり)を極め朝皃夕皃といへる両個(ふたり)の美女を側室(そはめ)とし酒宴快楽(けらく)に財用の費(つひへ)をいとはす恁(かく)ても尚(なほ)(あく)ことなけれハ艶曲(ゑんきよく)歌舞(かぶ)に妙なる少女(おとめ)を京鎌倉にもとめ左右に侍らし酒席の興(きやう)をそ添にける。さる程に文明十四年の夏の頃素藤か愛(めて)おもふ朝皃夕皃の両個(ふたり)の側室(そはめ)ハ倶(とも)に時疫(のけ)に犯(おか)されてかはる%\に死亡けれハ素藤ハ左右の手に持る真璧(またま)を碎(くだ)きし如く心もだえ胸(むね)こがれ哀慕(あいぼ)の念(おもひ)やるかたなくたれ籠(こめ)てのみありけるか其頃若狭の八百比丘尼とよひなしたる一個(ひとり)の老たる女僧(あま)ありけり。うち見ハ四十あまりなれど人その年齢(よはひ)を問ハ八百餘歳といふ也。年來山蟄(ごもり)して在けるが衆生済度(さいど)の為諸國を編歴して此地に來れりとて貴賤渇仰(かつか〔う〕)44 せざるハなく雨を祷(こひ)(はれ)を祈るに感應(おう)灼然(いやちこ)なるのみならず十念(ねん)を受(うく)る時ハ死病(びやう)立地に本復(ぶく)すといへり。そが中にひとしほ竒(く)しきハ人の妻まれ良人(おつと)まれ死(し)して年を歴(へ)たりとも哀慕(あいぼ)の念ひ切にして一たひ見まく欲(ほり)する者よしを比丘尼(びくに)に乞ときハ其亡魂(たま)を煙(けむ)りの中に顕(あらは)して見するよしを素藤聞て心に悦び件(くたん)の比丘尼を城内へ招(まね)きよせて對面し過去し側室(そばめ)等を見まほしけれバ其術(じゆつ)をほどこし給へと乞程に八百比丘尼妙椿(めうちん)は一義(ぎ)に及ばす諾(うべな)ひて今宵(よひ)丑三時候(ごろ)にこそ那美女達(たち)を見せまゐらせんといふに素藤打よろこび既(すで)に其夜の深(ふけ)ゆくまゝに妙椿と倶に准備(やうい)の一間に坐(ざ)をしむれバ妙椿ハ机案(つくゑ)に對(むか)ひ香一裹( とつゝみ)とり出し口に咒文(じゆもん)を唱(とな)へつゝ香(かう)(くゆ)らすれハ怪(あやし)むべし烟の裏(うち)に忽然(こつぜん)と顕(あらは)れ出る美人あり。其容色(かたち)側室等に百倍(ばい)(すぐ)れて見へけれバ素藤(もとふぢ)ハ魂(たまし)(うか)れ心蕩(とろけ)て狂ふがことく」

挿絵第十六図
【挿絵】〈毒尼夜る返魂香を焼て逆將に婬を勸む〉」45

(いだ)き止んとせし程に形(かたち)ハ滅(きえ)てなかりけり。しばらくして素藤(もとふぢ)ハ妙椿に打對ひ彼美人の來由(らいゆ)を問に妙椿ハほゝ笑て件(くだん)の美女ハ安房(わ)の國司里見義成(よしなり)の息(そく)女濱路(はまぢ)姫が面影(おもかげ)なりと答(こたへ)にければ素藤(もとふぢ)ハ是より妙椿(めうちん)を城内にとゞめ濱路姫をめとらんと同國長柄(ながらえ)郡榎(え)夲の城(じやう)主なる千代丸圖書介(づしよのすけ)豊俊(とよとし)を頼みて安房(あわ)に至(いた)らせ里見家に言入けれど事整(とゝの)はねば大ひに苛(いら)立妙椿と計(はか)りて野心をさしはさみその次の年義成(よしなり)の嫡子(ちやく )太郎御曹司(ぞうし)義通が殿臺(とのゝだい)の辺なる諏訪(すは)の社へ参詣(さんけい)ある折伏勢をもて擒(とりこ)にし近臣多く討取(うちとり)ぬ。此事安房に聞へしかハ義成親(おや)子ハ安からぬ事に思ひ群(ぐん)臣をつどへて軍議(ぐんき)をこらし義成(よしなり)自ら三千餘騎を引率(いんぞつ)し上総州(くに)に出張(てう)ありて頓に舘山の城に推(をし)寄揉(もみ)にもんで攻立れば其時前門の城樓(やくら)の上に武者四五人立顕(あらは)れ聲(こゑ)高やかに呼はるやう抑我主君權頭(ごんのかみ)46 が義通(よしみち)孺子(わくこ)を生拘(いけとり)しハ害さんとてのわざならず。息女(そくちよ)濱路姫(はまぢひめ)を當城(とうじやう)におくり來(こ)さバ義通(よしみち)を返(かへ)すへし。惑(まよ)ひて不の字をいはれなば今(いま)面前(もくせん)に義通屠(ほふ)りて聊(いさゝか)(うき)目を見せん。回答(いらへ)(おそ)くハ親子(しんし)の別路(わかれち)よく見給ひねといたわしくも義通(よしみち)(きみ)をいましめてさるぐつわをはませしを城樓(やくら)の柱(はしら)に〓着(しばりつけ)たんびら引抜(ぬき)刃尖(きつさき)を胸前(むなさき)へ推着(おしつけ)つゝいらへ遅(おそ)しと責(せめ)たりける。然(され)バ寄隊(よせて)の諸軍(しよぐん)兵ハ乗入(のりい)らんとせし勢(いきほ)ひを今此一挙(いつきよ)に折(くち)かれて拳(こふし)を握(にぎ)り歯(は)をくひしばり城樓(やくら)を疾視(にらん)で立(たつ)たりける。義成(よしなり)これを臠(みそなは)して怒(いかり)に得堪(えたへ)ず声ふり立(たて)その義ならハ短兵急(たんへいきう)に攻破(せめやぶ)りて腹(はら)をいやさん。なまじひに義通(よしみち)を叛賊(はんそく)の手に亡(うしなは)れんより遠箭(とふや)に被(かけ)て射(い)てとらん。進(すゝ)め/\と諸卒(しよそつ)をはげまし弓とり直して箭(や)をつかひ弯絞(ひきしぼ)らんとし給ふを眤近(ちつきん)の諸侍(しよさむらひ)(おどろ)き慌(あは)て推禁(をしとゞ)めさま%\に諫(いさ)め申せバ一(ひと)(まつ)此処(このところ)を退(しりそ)きけり。〓程(さるほど)に義」

挿絵第十七図
【挿絵】〈逆將(きやくしやう)公子(こうし)を虜(とりこ)として寄隊(よせて)に非禮(ひれい)の婚姻(こんいん)を需(もと)む〉」47

(なり)ハ近臣(きんしん)(ら)に諫(いさ)められ心ならすも囲(かこみ)を觧(とか)し新戸(にひと)の陣(じん)へ退(の)き給ふてひたすら軍議(ぐんぎ)をこらす処(ところ)に瀧田(たつた)より老侯(らうかう)義実(よしさね)朝臣(あそん)のおん使として蜑崎(あまさき)十一郎照文(てるふみ)がまゐりたりと聞(きこ)えしかハ義成(なり)ハ諸臣と共にこれを迎(むか)へて来命の趣を听(きゝ)給へバ照文(てるぶみ)も恭(うや/\)しくおん使のよしを告て美酒十駝(だ)乾魚(ひを)百苞(たはら)を齋(もたらし)(つき)て戦(たゝか)ひの光景(ありさま)をも承り還(かへ)れとある。おん使にまゐりたりといふに義成恩を謝(しや)し作(〔昨〕)今城攻の赴(おもむ)き敵の挙動(ふるまひ)味方の進退(かけひき)義通(よしみち)の光景(ありさま)さへ首尾(はじめをはり)までいと詳(つまびらか)に觧示(ときしめ)せバ照文駭嘆(がいたん)してやかて御所を退(しりぞ)きけり。却説(かくて)里見義成主ハ次の日二千餘(よ)の諸軍兵(しよぐんへい)を隊部(てくばり)して未明(まだき)より舘(たて)山の城へ推(せめ)寄給ひしかど遠巻(とほまき)にして攻も撃(うた)ず城を去こと二丁あまり究竟(くつきやう)の地方を擇(えら)みて夜ハ〓(かゞり)火を焼(たき)(つゞ)け用心に懈(おこた)らずおさ/\武威(ゐ)を赫焚(かゞやか)しよく敵城(てきじやう)の咽吭(のどくび)を扼(とりしば)りて沖對(ちうたい)の堅陣(けんぢん)(こま)やかなるものから」48(たて)山の城内にも戦粟(ひやうらう)箭種(やたね)火藥(たまぐすり)にともしき事なかりしかバ氣(き)を屈(くつ)せず卒(いざ)や寄(よせ)手の奴們(やつばら)にねむりを覚(さま)させくれんずと士卒(しそつ)に下知して打出んとする勢(いきほひ)を示(しめ)しある時ハ又義通(よしみち)君を成樓(やぐら)に吊登(つりのぼし)て責(せめ)さいなむに大音(おん)なる士卒(そつ)を擇(えらみ)て罵(のゝし)らすること初の如く寄手を連(しき)りに招く光景(ありさま)に里見の士卒ハ怒(いかり)に得堪(えたへ)ず攻(せめ)(かゝ)らんとひしめくを義成(なり)(きび)しく制(とゞめ)させて〓(もし)軍令(ぐんれい)に背(そむ)く者ハ首を刎(はね)んと徇(ふれ)られしかバはやる勇士(ゆうし)も猛卒(もうそつ)も胸(むね)を鎮(しづ)めて止りけり。爰に瀧(たき)田の老侯(らうこう)義実(よしざね)朝臣(あそん)ハさきに照文(てるぶみ)を新戸(にひど)の陣所(ぢんしよ)へ遣してかしこの勝敗(かちまけ)を聞せ給ひしに始(はじめ)逆將(ぎやくしやう)素藤(もとふぢ)が義通(みち)君を城樓に登(のぼ)し責(せめ)さいなみつゝ寄隊に向ひ非礼(ひれい)の婚姻(こんいん)をもとめし事義成(よしなり)火速(くわそく)に寇(あだ)を攻す遠巻(とうまき)にして便宜(びんぎ)の折を等(また)んと宣(のたま)ひし事の赴(おもむき)(すべ)て分明なりしかバ聊(いさゝか)(なぐさ)め給ふものからそれより三十許(きよ)日を歴(へ)て二月下旬になるまでに躬(み)方に利(り)あるよしハ聞」 えず義通(よしみち)(ぎみ)の存亡(いきしに)を知るよしとてもなかりしかバつら/\思ひ給ふやう恁(かゝ)る折(をり)に那(かの)犬士們が在(お)らバ幇助(たすけ)になりぬべし。穂(ほ)北に止宿(ししゆく)と聞えしを徴迎(よびむかへ)んはさすがにて當家(たうけ)の武徳(ぶとく)ハ衰(おとろへ)たる歟と思ハれもせバ耻(はづか)しからん。とやせん斯(かく)やと胸(むね)をなやまし伏姫(ふせひめ)(きみ)の神霊(たま)の冥助(めうぢよ)を祈(いの)りておはしけり。
英名八犬士(ゑいめいはつけんし)第七編(たいしちへん)

鈍亭魯文鈔録[文]  一燕齋芳鳥女画[印]
東都神田松下町三丁目 公羽堂 伊勢屋久助上梓

巻末



#「人文研究」第38号(千葉大学文学部、2009年3月)所収
# Copyright (C) 2009 TAKAGI, Gen
# この文書を、フリーソフトウェア財団発行の GNUフリー文書利用許諾契約書ヴァー
# ジョン1.3(もしくはそれ以降)が定める条件の下で複製、頒布、あるいは改変する
# ことを許可する。変更不可部分、及び、表・裏表紙テキストは指定しない。この利
# 用許諾契約書の複製物は「GNU フリー文書利用許諾契約書」という章に含まれる。
#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
# Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU
# Free Documentation License, Version 1.3 or any later version by the Free Software Foundation;
# A copy of the license is included in the section entitled "GNU Free Documentation License".

Lists Page