『英名八犬士』(一) −解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】

 ここに紹介する『英名八犬士』は鈍亭魯文の手になったもので、安政二年春の初編から安政三年秋の八編に至るまでの全八編が伊勢屋忠兵衛から上梓された。本書は切附本と呼ばれる中本型読本の末期に位置付けられるもので、合巻風の錦絵表紙を持ちながらも読本風の本文を備えている。本来は「一冊読切」「早わかり」という特徴を持っていた切附本であったが、魯文が『国姓爺一代記』や『南総里見八犬伝』『三国志』など長編の抄録を始めるに至って、一冊読切ではなく数編の続物が出されるようになったのである。

 そもそも切附本は粗製濫造され読み捨てられていった類の出板物であり、その故に現存する資料が少ない。まして完本と呼べるものは極めて少なく、初板初摺と思しき本で表紙から最終丁まで完備している本は稀覯に属する。その意味から翻刻紹介しておく意義が存するものと思われる。

 さて、内容に関しては抄録本(ダイジエスト)であるが故に、特別に意味のある本文を提供しているわけではない。しかし、丁寧に本文を見ていくと、原作である曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』の行文を、表記を含めてかなり忠実に切り貼りしていて、新たに加えられた部分は皆無であると云っても良い程であることに気付く。量的に圧縮するために多くの修辞や説明的文辞を削り、また原作の特徴の一つである考証や蘊蓄を述べた章段は削除されている。ただ、原作に用いられている句読点は一切省かれ、かつ総振仮名であった原作に対して多くの振仮名を省いている。それも何度も登場する人物名には振仮名を残しつつ、甚だ読みにくい宛字的な漢字に振仮名を付さない箇所が多く、その意図するところが良く分らない。

 口絵や挿絵に関しては、全図が新たに描き直されている。草双紙『かなよみ八犬伝』(国芳画)の図柄に準じたものも少なくないが、基本的には一盛齋芳直が担当し、表紙や口絵の一部は直政に拠って描かれている。その画中に記された賛や書入れに関しては、新たに魯文のものに書替えられている。

 序文などで、即製であると標榜している通りに、充分な校正を経て刊行されたとは思えない。欠字や衍字などの単純なミスや、明らかな誤字なども散見する。しかし、本書のコンセプトから見れば大した問題ではなかったのであろう。何れにせよ、従来は魯文が卑下する通りの抄録本として等閑に付されてきたが、今少し〈抄録という方法〉を積極的に評価すべきだと思われる。なお、同様の方針によって抄録されたものに『校訂略本・八犬傳』(逍遙序、鴎村抄、明治四十四年九月、丁未出版社)がある。

 今回、全八編を一度に紹介することは量的に無理があるので、初編と二編のみを紹介した。なお、初編は原作の肇輯第一回から二十回まで、二編は原作二編第二十一回から二十六回までに相当する。

【書誌】
 英名八犬士 初編

書型  錦絵風摺付表紙、中本一冊(四十八丁)
外題 「英名八犬士/初編/直政画」
見返 「英名八犬士初編」
序  「安政二乙卯新春發行/鈍亭のあるじ愚山人魯文記」
改印 「寅十二」「改」(安政元年十二月)
内題 「英名八犬士初編(ゑいめいはつけんししよへん)/江戸 鈍亭魯文抄録」
板心 「八犬士」
画工 「直政」(外)、「一盛齋芳直」(口絵)
丁数  四十八丁
尾題 「英名八犬士初編(ゑいめいはつけんししよへん)終」
板元 「公羽堂 伊勢屋忠兵衛板」(四十八丁裏)
底本  架蔵本。欠損部は、国文学研究資料館蔵本・服部仁氏所蔵本を使用させていただいた。
備考  架蔵本は表紙欠、四十七丁裏以下破損。服部本は袋入本「英名八犬士 第一」(短冊題簽)、序口絵存、巻末「公羽堂 伊勢屋忠兵衛板」。館山市立博物館蔵本には袋が附されており「英名/八犬士/初編/上集/玄魚」とある。
 なお、改題後修本として袋入本「曲亭馬琴著・里見八犬伝 一(〜八)」がある。不揃いではあるが架蔵本に三種ありそれぞれ表紙の色は相違するものの、序と口絵を削り、新に口絵一図(半丁)を加え、内題に「里見八犬伝/曲亭馬琴識」と入木、八編の後表紙見返に「日本橋區/馬喰町二丁目/壹番地/文江堂/木村文三郎」とある。

 英名八犬士 二編

書型  錦絵風摺付表紙、中本一冊(四十七丁)
外題 「英名八犬士」
見返 「英名八犬士/芳直画/魯文録」
序  「安政二乙卯二月/鈍亭魯文漫記」
改印 「卯六」「改」(安政二年六月)
内題 「英名八犬士二編(ゑいめいはつけんしにへん)/鈍亭魯文抄録」
板心 「八犬士二編」
画工 「直政」(外・口絵)、「一盛齋芳直」(見返・挿絵)
丁数  四十七丁
尾題 「英名八犬士二編終」
板元 「神田枩下町 伊勢屋忠兵衛板」(四十七丁裏)
底本  架蔵本。
備考  架蔵の他一本には後表紙見返に「江戸人形町 品川屋久助梓」の広告一丁が存す。広告中に「英名八犬士 前後 八冊揃」と見えているところから、本書全八編完結後の後印本かと思われる(下図参照)
   広告

諸本 【初板錦絵表紙本】国文学研究資料館・館山市立博物館・林・松井(三四のみ、一〜二丁欠品川屋久助板)・高木(初二三六)
   【初板袋入本】二松学舎・服部。
   【改修袋入本(文江堂板)】国学院・向井・高木(三〜八、七八、四)

【袋入本表紙】         【袋入本見返】
袋入本表紙  袋入本見返

【改修本表紙】         【改修本三編口絵】        【改修本四編口絵】
改修本表紙  改修本三編口絵  改修本四編口絵

【改修本八編巻頭】        【改修本刊記】
改修本八編巻頭  改修本刊記


【凡例】

一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣いをはじめとして、異体字等も可能な限り原本通りとした。これは、原作との表記を比較する時の便宜のためである。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、句点に限り私意により「。」を付した。
一、大きな段落の区切りとして用いられている「○」の前で改行した。
一、丁移りは 」で示し、裏にのみ 」15 のごとく数字で丁付を示した。
一、明らかな欠字衍字などにも、私意による訂正を施さなかった。
一、底本には架蔵本を用い、欠損している初編の表紙・見返と四十八丁以下、および汚損破損等により図版原稿として使えない場合は、国文学研究資料館蔵本と服部仁氏所蔵本に拠って補った。

【袋・表紙】
袋  表紙

【序・見返】
見返

【口絵(序)】
序
一盛齋/芳直画[印]/犬川莊助/犬村大角/犬江親兵衛/犬山道節/犬塚信乃

序
犬飼現八/犬坂毛野/犬田小文吾/愚山人魯文記  里見義實朝臣/里見老臣杉倉氏元

子夏(しかゞ)曰。小道(せうとう)といへとも。見るべき者あり。嗚呼(あゝ)(たん)何そ。容易(ようい)ならん。原(げん)本里見(さとみ)八犬傳(でん)ハ文化甲戌の春。曲亭(きよくてい)(おう)の腹稿(ふくかう)(なつ)て。書画(しよくわ)剞〓(きけつ)の工(こう)を果し。世にあらはれし始より。看宦(みるひと)渇望(かつもう)せさるはなく。毎歳(まいさい)次編の出るを俟(まち)て。開巻(かいくわん)とる手を遅(おそし)とす。抑(そも/\)策子(さくし)物語(かたり)の長編(ちやうへん)是に及へるハなく。二十餘(よ)年の春秋經(へ)て。八犬英士(えいし)三世の得失(とくしつ)。彼(かの)延々(かいなで)の者といへとも。善悪(せんあく)邪正もらすことなく。團圓(たんゑん)(まさ)に百六巻。既(すて)に九輯(しう)に局(きよく)を結(むす)へり。言ても知るき事なから。新竒(しんき)妙案(めうあん)。法則(ほふそく)隱微(いんび)。かくまで喝采(めてたき)物の本今昔(こんしやく)前後に有へからす。實(しつ)に稗(はい)家の佛(ふつ)菩薩(ぼさつ)神仙(かみひしり)とや稱(たゝへ)なん。當時(とうし)机上(きしやう)に筆を採(とつ)て。作者と自称(しせう)の輩(ともから)ハ翁(おきな)の糟粕(かす)をねふる而巳(のみ)かは。丸呑(まるのみ)にして口をぬらす。僕(やつかれ)ことき者多かり。こもまた身養(すき)世業(よはたり)の烏滸(をこ)なる所為(わさ)を。黄泉(くわうせん)の翁ハ鼻(はな)をつまみて」おはさん。然(しか)ハあれとも原本(けんほん)の贏餘(えいよ)を慕(した)ふ蝿頭(しやうとう)(ひ)利。馬(は)(きん)の驥尾(きひ)につかまく欲(ほり)すハ。善(せん)に組するなへての情體(しやうたい)。菩提(ほたい)の道に入るに類等(ひとし)く釋迦旡二佛(しやかむにふつ)の諸経(しよきよう)をひさき」1て俗(そく)家を度する講談(たんき)(そう)か。布施(ふせ)物を得て今日の。火宅(くわたく)の苦界(くかい)を安んせると又是(これ)何そ異(こと)ならん雪梅(せつはい)(ほう)(たん)假名(かな)(よみ)草史(さうし)後日の話(はなし)數種(すしゆ)(せう)」録(ろく)皆悉(こと/\)く一體(たい)分身。王と痣(あさ)とハなしと雖(いへと)此抜象(ぬきかき)と異姓(ゐせい)の兄弟。是宿因(しゆくゑん)の致(いた)すところ善果(せんくわ)の成れる所ならんと漫(みたり)に筆を走(はせ)つゝも叙言(しよけん)の遅(ち)(ゝ)をふさくになん
安政二乙卯新春發行」2

鈍亭のあるじ/愚山人魯文記[印]」 



【初編巻頭】
巻頭

英名八犬士(ゑいめいはつけんし)初編(しよへん)

江戸 鈍亭魯文抄録 

       ○

(そも/\)里見(さとみ)(また)太郎義實(よしざね)が安房(あは)に起(おこ)るのはじめを云はゞ父季基(すへもと)ともろともに結城(ゆうき)のしろに盾(たて)こもり持氏(もちうじ)朝臣(あそん)のわすれがたみ春王(しゆんわう)安王にかしづきて京鎌倉(かまくら)の大軍(たいぐん)をひきうけて篭城(ろうじやう)三年(みとせ)におよぶまで一度も不覚(ふかく)をとらざりしが了(つい)に太刀折れいきほひつきて落城(らくじやう)の時にいたり父(ちゝ)季基(すへもと)ハ陣歿(うちじに)なし義実(よしざね)ももろ共に死(し)なんと覚悟(かくご)を究(きは)めしかど父(ちゝ)が最期(さいご)の言語をまもり老黨(ろうだう)杉倉(すぎくら)木曽助(きそのすけ)氏元(うじもと)堀内(ほりうち)蔵人(くらんど)貞行(さたゆき)と主従(しゆう%\)わづか三人にて敵(てき)の囲(かこみ)みを〓(きり)ひらき三浦(みうら)が崎(さき)に舩(ふね)をもとめて安房をさしてぞ趣(おもむ)きける。安房(あは)の國瀧(たき)田の城主(じやうしゆ)神餘(じんよ)長狹介(ながさのすけ)光弘(みつひろ)と聞へしハ安房半國を領(りやう)しつゝいきほひ隣(りん)國にならびなく心驕(おご)りて色を好(このみ)(さけ)に耽(ふけ)り玉梓(たまづさ)といふ淫婦(たをやめ)を愛妾(あいせう)とし」3家則(かそく)(みだ)れて良臣(りやうしん)ハ退(しりぞ)き佞臣(ねいしん)山下(やました)(さく)左衛門定包(さだかね)といへる者主君の室妾(そばめ)玉梓(つさ)と密通し終に主なる光弘(みつひろ)を人手をかりてたばかり失(うしな)ひ其儘國家を横領(わうりやう)なし玉梓(たまづさ)を嫡妻(ほんさい)にして昼夜淫酒(いんしゆ)に耽(ふけ)りける。

○爰に同國平館(ひらだて)の城主麻呂(まろ)小五郎信時(のぶとき)ハ館(たて)山の城主(じやうしゆ)安西(あんざい)三郎景連(かげつら)と諜(てふ)じ合せ山下定包(さだかね)を討(うた)ばやとて潜(ひそか)に館(たて)山の城に赴(おもむ)き景連(かげつら)に對面(たいめん)して軍議(ぐんぎ)區々(まち/\)なる折から里見又太郎義実(よしざね)ハ主従(しゆう%\)三騎(ぎ)(たう)城にたづね來り軍慮(ぐんりよ)竒略(きりやく)を示すといへども麻呂(まろ)安西(あんさい)ハ思慮(しりよ)(うす)く貪婪(どんらん)匹夫(ひつふ)の勇将(ゆうしやう)なれバ人を知るの才なく義実(よしざね)をして軍神(ぐんじん)を祭(まつ)る供(ぐ)の鯉魚(こひ)を釣(つり)もて來よかしと三日を限(かぎ)りにいひつくるにぞ義実(よしざね)たゞちに漁獵(すなどり)の用意して主従(しゆう%\)三人も知らぬ渕(ふち)をたづねあされども鯉(こひ)ハなし第三日と日数を經(ふ)るをり最(いと)(きたな)げなる乞児(かたい)來りて此國往古(むかし)より鯉魚(りぎよ)なしとおしゆるにぞ義実(よしざね)主従(しゆう%\)はじめて安西(あんざい)(ら)が伎倆(たくみ)なることをさとり乞児(かたい)が議論(ぎろん)(たゞ)ものならずとその來由をとひける」
挿絵
〈二侠(しけう)(こゝろ)を合(あはせ)て人喰(ひとくひ)(うま)の定包(さだかね)を討(うた)んと計(はか)る〉〈神餘(しんよ)光弘(みつひろ)侫臣(ねいしん)山下(やました)定包(さたかね)か為(ため)に狩倉(かりくら)を催(もよほ)して道(みち)に奸計(かんけい)に非命(ひめい)に死(し)す〉」4」
にこれハ神餘(じんよ)長挾介(なかさのすけ)光弘(みつひろ)か家隷(いへのこ)に金碗(かなまり)八郎孝吉(たかよし)と呼(よは)れしものゝなれる果(はて)なるよし先主光弘(みつひろ)在世(ざいせ)の折(おり)(ねい)人の讒(さん)にあひ浪々(らう/\)して諸國を巡り故主(こしゆ)の安否(あんひ)を問(とは)はやと古郷にもとりうち聞に光弘ハ横死(わうし)せられ國家(こくか)ハ山下定包(さだかね)か為に横領(わうりやう)せられしときくものから逆賊(きやくそく)定包(さたかね)を狙討(ねらひうた)んと身に漆(うるし)して乞児(かたい)となり時を窺(うかゝ)ひいたりしにはからす君に遇(あひ)たてまつりしハ轍(わたち)の鮒(ふな)の水を得し歓(よろこひ)是にますものなしと定包退治(たいち)をすゝめしかハ義実ハ孝吉と諜合(てふしあはせ)火の手をあけて里人をまねき集(よせ)逆賊(きやくそく)を打て先國主の舊恩(きうおん)に報(むく)わん事を説諭(ときさと)しこれらをのこらす味方となし手はしめに定包か股肱(ここう)の老黨(らうたう)萎毛(しへたけ)(こく)六かあつかりたる長挾郡(こほり)東條(とうしやう)に押寄(よせ)さん/\に攻なやまし終(つい)に賊将(そくせう)(こく)六を撃(うち)とり東城をのつとりたり。かくて義実は法度(はつと)を寛(ゆるく)して民(たみ)を安撫(なて)軍令(くんれい)を正して士卒(しそつ)を励(はけま)しもつはら仁慈(ぢ)を施(ほとこ)せしかハその徳(とく)(ふう)になひき従(したか)ひ招(まね)かされ」5ともまいるもの数百人に及ひけり。

○山下定包(さたかね)ハこゝろ驕(おこ)りてかくともしらす玉梓(たまつさ)と輦(てくるま)を共にし後園(こうゑん)の花に戯(たはむ)れ酒池肉林(にくりん)に斗飲(いん)し日夜淫(いん)酒に耽(ふけ)りつゝ貪(むさほ)れとも飽(あく)ことなく費(ついや)せとも尽るをしらす。かゝる所に義実(よしさね)は杉倉(すきくら)氏元(うしもと)に東條をまもらせその身ハ金碗(かなまり)孝吉(たかよし)と共に衆卒千騎あまりを引て滝田の城におしよせつゝ夜を日に続て攻る程に城(しやう)兵いたく打負て城に籠(こも)りて出合す義実檄(けき)文を書写(したゝ)め数千羽の鳩の足に結著(むすひつけ)て放にそ軍民等これを見て里見(さとみ)氏に従(まい)らんと一决(けつ)す。爰に定包(さたかね)か近臣なる岩熊鈍(とん)平妻(つま)立戸五郎の両人ハ此檄(けき)文を披閲(ひらきみ)て忽変心を生し主の定包をたはかり殺し一味の衆卒に下知をつたへ玉梓(たまつさ)をはしめ女房等を生拘(いけとら)せ城を開て降参(かうさん)をなすにそ義実(よしさね)孝吉(たかよし)城に入て倉廩をひらき米穀財宝(さいほう)を百姓等に領與(わかちあた)へ降人(かうにん)岩熊妻立の両人ハ定包か悪を佐(たすけ)州民(くにたみ)を虐(しへたけ)たる罪を攻頸(かうへ)を切て緑(あを)竹の串に貫(つらぬ)きたり。」定包(さたかね)か妻なる玉梓(たまつさ)ハ奸毒(かんとく)の淫(いん)婦にして夥(あま)たの忠臣を失ひ光弘の落命も玉梓傍(かたはら)に在て定包と竊(ひそか)に計りし賊(そく)婦なりとて孝吉外面に牽(ひき)出して首を刎(はね)たりける。さる程に杉倉(すきくら)木曽介氏元(うしもと)か使者として蜑崎十郎輝武(てるたけ)といふもの東條よりはせ参りて麻呂(まろ)信時を撃(うち)とりし合戦(かつせん)の為体(ていたらく)を巨細に聞えあけ氏元軍兵を纏(まと)めて東條へ帰陣せしに安西景連(かけつら)ハ麻呂(まろ)か采(りやう)地朝夷(あさひ)奈一郡みなおのか物とせり。さすれハ氏元(うしもと)(ろう)して功なしおん勢をさし向給はゝ先鋒をうけ給はりこの憤(いきとほ)りを散すへしと孝吉(たかよし)貞行(さたゆき)等に書簡を寄たり。金碗(かなまり)も堀内も景連(かけつら)を討給へと頻(しきり)りに勧(すゝ)めしかと義実(よしさね)思ふよしあれハ景連と合戦せすかたみに音信を通しけるにそ是よりして安西(あんさい)ハ安房朝夷(あさひな)二郡を領し里見ハ長挾(なかさ)平郡(へくり)の二郡を領し世ハ長閑やかになりしかハ杉倉氏元ハ東條(とうてう)より召かへされ君臣安堵の思ひをなし義実ハ功臣を召聚(つとへ)金碗孝吉にハ長挾半郡を裂(さき)与へて東條の城主とせん氏元」6貞行(さだゆき)にハ所領おの/\五千貫(くわん)を宛(あて)行んと手づから写(したゝ)めおかせ給ひし一通の感状(かんてう)をまづ孝(たか)(よし)に賜(たまは)れバ推辞(いなむ)こと再三(さいさん)なれ共許し給わねハ已(やむ)ことを得(え)ず手に受(うけ)て刀を晃(きら)りと引抜て彼(かの)感状(かんてう)を巻(まき)そへつゝ肚(はら)へぐさと突立(つきたつ)れバ是ハとばかり主従(しゆ%\)三人(みたり)(うち)(おとろき)つゝゆへをとふに此恩賞(おんしやう)を今更受てハ後(あと)なくなりし故主の枉死(わうし)をわが幸(さいは)ひとするに似(に)て存命(なからへ)がたき一ッなりとことばをつくせば義実(よしざね)ハあまたゝび嘆息(たんそく)し後悔(こうくわい)し給ふ事かぎりなし。かゝる折から上総國(かづさのくに)関村(せきむら)なる荘客(ひやくせう)に一作(さく)といへるもの孝吉(たかよし)旅寝(たびね)の中に渠( れ)が娘(むすめ)濃萩(こはぎ)とちぎりて産したる一子を連(つれ)てたづねきたり。いまわのきはに孝吉(たかよし)と親子一世(せ)の對面(たいめん)にこれを黄泉(よみぢ)の土産(みやげ)にして終(つい)にはかなく成りにけり。

○かくて里見(さとみ)義実(よしざね)ハ上総國(かつさのくに)椎津(しいつ)の城主(じやうしゆ)萬里谷(まりや)入道(にうだう)静蓮(しやうれん)が息女(そくぢよ)五十子(いさらこ)といへるを娶(めと)りつゝ一女一男を産(うま)し給ふ。その第一ハ嘉(か)吉二年夏(なつ)の季(すへ)に生れ給ふ時三伏(ふく)の時節(しせつ)を表(しやう)して伏姫(ふせひめ)とぞ名けらる。第二ハその次の年挙(もうけ)給ひつ二郎太郎とぞ称(せう)せらる。しかるに伏姫ハ三歳(さい)になり給ひし」
挿絵
〈里見(さとみ)義實(よしざね)金碗(かなまり)八郎(らう)と計(はか)りて神餘(じんよ)が為(ため)に義兵(きへい)を起(おこ)し滝田城(たきたじやう)の定包(さだかね)を攻討(せめうつ)〉」7」
頃むづかりて日夜うち嗄(なき)給ふのみなれバ父母心ぐるしくおぼして醫療(いりやう)を尽(つく)しか持(ぢ)祈祷(きとう)し給へども絶(たへ)て験(しるし)ハなかりけれバ安房郡(あはごほり)なる洲崎(すさき)明神(めうじん)の窟(いわや)の中に安措(あんち)せる役行者(えんのぎやうじや)の石像(せきざう)ハ霊験(れいけん)今も著明(いちしるし)と聞へしかバおん母五十子(いさらこ)ハ伏姫(ふせひめ)の為(ため)みづから彼処(かしこ)に参(まい)らしなバいかで奇特(きどく)のなからずやハと潜(ひそ)やかに姫上(ひめうへ)を洲嵜(すさき)へ遣(つか )し給ひけり。浩処(かゝるところ)に年の齢(よはひ)八十あまりの翁(おきな)一人飄然(ひやうぜん)として出來り伏姫を相(さう)して曰(いはく)此子ハ霊(りやう)の祟(たゝり)あり禳(はら)ふにかたきことハあらねどその禍(わさはい)ハ禍ならず皈(かへ)らバ義実(よしさね)夫婦(ふうふ)に告(つげ)へし。これまいらせん護身(まもり)にせよと仁義礼智(じんきれいち)忠信孝悌(ちうしんかうてい)の八字を彫(ほり)なしたる水晶(すゐせう)の数珠(しゆず)一連(れん)をとり出し伏姫の衣領(ゑり)にかけつゝ形(かたち)ハ見えずなりにけり。従者(ともびと)(ら)ハ滝田(たきた)にかへり件(くだん)の趣(おもむき)を聞えあげて数珠(じゆず)を見せ奉るに全(まつた)く行者の冥助(めうじよ)ならんと伏姫(ふせひめ)のゑりに被(かけ)させ給ひけり。

○かくて伏姫(ふせひめ)十二才に成給ひしころ同國長挾郡(なかさこほり)(と)山の麓(ふもと)の荘客(ひやくせう)の門なる犬子を只ひとつ産(うみ)けるを狼(おほかみ)來りて彼(かの)母犬を啖仆(くらひたふ)し去(さり)りぬ。雛狗(こいぬ)」 8ハ食遺(はみのこ)されて恙(つゝが)なかりしかバ不便の物と孚(はごく)めども此(この)荘客(ひやくせう)単身(みひとつ)なりけれバ昼ハ田畑の稼(かせぎ)して宿所にあらず。しかるに一疋の狸(たぬき)來りて乳(ちゝ)を吸(す)わせ孚みけるに犬ハはや大きうなりてよくあるきひとり食(くら)へバ狸(たぬき)ハ遂(つい)に來ずなりぬ。義実(よしざね)ハ此ことを聞しめしてその犬こそ逸物(いちもつ)ならめと召よして八房と名け給ひ畜たりける。伏姫(ふせひめ)二八の秋八月のころ安西景連(かげつら)が采地(りやうぶん)種物(たねもの)みのらず。そが老黨蕪戸(かぶと)訥平(とつへい)を使者として米穀五千俵(びやう)(かし)給へと里見家に乞しかバさつそく五千俵安西にぞ贈(おく)り給ふ。かくてその明の年義実(よしざね)の采地(りやうぶん)なる平郡長挾ハ荒作(くわうさく)にして景連(かげつら)が采地のみ豊作なれどさきに借たる米を返さず。滝田(たきた)ハ上下困窮(こんきう)して難渋(なんじう)に及びけり。こゝに又金碗八郎孝吉の一子ハ大介孝徳(たかのり)と名のり今年(ことし)廿歳になりぬ。生育まゝに父が志(こゝろさし)を受嗣(うけつぎ)て忠義すぐれし壮佼(わかもの)なれバ安西に借(かし)たる米を債(はた)りて窮民(きうみん)を救わんと主君に申入しかバ義実つら/\聞給ひて大助に功を立させその勸賞(かんしよう)に重(おも)く用ひんと思ひ」
挿絵
〈金碗(かなまり)孝吉(たかよし)(ぎ)を泰(たい)山に比(ひ)して自(みづか)ら刄(やいば)に伏(ふ)す/旅に病て夢ハ枯野をかけまはる/はせを〉」」9」
給ふ最中(もなか)なれハたゝちに此義をゆるし給ふにそ金碗大介孝徳ハ従者(ともびと)を将(い)て景連(かけつら)が舘に赴(おもむ)き老黨蕪戸(かぶと)訥平に對面(たいめん)し采地五穀(こく)(みの)らず難義に及べるよし主命を述(のべ)五千俵の米をぞ乞ひぬ。訥平景連(かげつら)とはかり大介を五六日逗畄させしのびやかに出陣(しゆつぢん)の用意をなすを大介曉りて大ひに驚(おどろ)き形(かたち)をやつし姿(すがた)を変(かへ)主従一人二人づゝ城中を紛(まぎ)れ出滝田(たきた)を投(さし)て走(はし)る程に訥平ハ軍兵を将て追蒐來つ撃(うつ)てとらんとひしめくにぞ大介ハ鎗(やり)引提(ひつさけ)従者(ともびと)(ら)を左右に従へ多勢の中へ突て入り面(おもて)もふらず戦(たゝか)ふたり。半時あまりの血戦(けつせん)に敵ハ三十余(よ)(き)(うた)れ躬方(みかた)ハ七人命を隕(おと)して大介ひとりになりしかどなほ一歩も退(しりぞ)かす訥平に組(くま)んとて走り遶(まは)れど敵は目にあまる大勢なり。遂に人馬に隔(へだて)られほゐ遂(とぐ)べうもあらさりけり。

○却(かく)て安西景連ハ義実の使者なりける金碗大介を欺(あさむ)き畄て忍びしのびに軍兵を部(てはけ)しつ俄(にはか)に里見の両城へ推寄たり。里見の両城ハ民荒年の役(ゑき)に労れて催促(さいそく)に従(したが)はず。しかれ」10ども恩義(おんぎ)の為に命を輕(かろ)んし寄手を屑(ものゝかず)ともせざる勇士(ゆうし)猛卒(もうそつ)なきにあらねハおさ/\防戦ふものからはや兵粮(ひやうらう)に竭(つき)たるにぞ食(しよく)せさる事七日に及へり。義実いたくこれを患(うれ)ひて士卒を救(すく)ふよしもがなとなほ肺肝(はいかん)を摧(くだき)給へと輙(たやす)く敵を退(しりぞく)る謀(はかりごと)を得給はず。此折手飼(かひ)の八房(やつぶさ)ハ庭前(ていせん)にまいりつゝ主を見て尾(を)を振(ふり)けれバ義実ハ右手をもて頭を拊(なで)(なんじ)十年(とゝせ)の恩(おん)を知るや。もしその恩を知ることあらバ寄手の陣(ちん)へしのび入て敵将(てきせう)安西(あんさい)景連(かげつら)を啖殺(くひころ)さバわか城中の士卒の必死(ひつし)を救(すく)ふに至らん。よくせんやとほゝ笑(ゑみ)つゝ問(とひ)ひ給へハ八房ハ主の皃(かほ)うち見上てよくその心を得たるがことし。義実ハ戯(たはふ)れに問給ふこと又しは/\。汝(なんじ)(つとめ)て縡(こと)(な)るときハ伏姫(ふせひめ)か女壻(むこ)にせんと宣(のたまは)すれバ八房ハ前足(まへあし)を屈(をり)て拝(はい)するごとく啼聲(なくこゑ)(かな)しく聞えけれバ義実ハ興盡(きやうつき)てよしなき戯言(たはこと)(そゝろ)なりしとひとりこちて軈(やがて)(おく)にぞ入り給ふ。されバ義実ハ篭城(ろうじやう)も今宵(こよひ)かぎりと覚(かく)(ご)しつゝ妻子(うから)老黨(ろうだう)をほとり近く召聚(めしつと)へおん盃(さかづき)を賜(たまは)りつ。死(し)を究(きはめ)主従(しゆう%\)か十日の」
挿絵
〈戯言(けげん)を信(しん)じて八房(やつぶさ)敵将(てきしやう)安西(あんざい)の首級(しゆきう)をくわへ來(きた)る〉」11」
月の入汐に撃(うつ)て出んと軍令(ふれしめ)す。折から手飼(てがひ)の八房ハ敵将(てきせう)安西(あんさい)景連(かげつら)の首級(しゆきう)をくわへて縁端(えんばな)に來りしかバ士卒(しそつ)ハゆへを知るよしなけれど人ハ及バぬ軍功(くんこう)にひたすら犬を羨(うらや)みけり。義実ハ嗟嘆(さたん)してみな/\に打むかひさきに園(その)に出て犬に戯言(たはれごと)いひたりし物語り給ひつゝ只管(ひたすら)賞嘆(せうたん)し給へハ氏元(うしもと)等ハ駭然(がいぜん)として舌(した)を巻(まき)ぬ。されバ寄手の大将亡ひにけれハ敵陣(てきちん)(にはか)に乱れ騒(さは)ぐを義実下知して三百余(よ)(き)を二てにわかちて打て出寄手の陣へ突(つい)て入る勢(いきほ)ひ日來(ごろ)に百倍(ばひ)して當(あた)るべうもあらされバ敵陣ます/\辟易(へきえき)して逃亡(にげうせ)るもの半に過(すき)す。みな降参(かうさん)をしたりしかバ山の如(ごと)く積貯(つみたくは)へたる兵粮(ひやうらう)を城(じやう)中へとり入れ久しく餓(うえ)たる兵卒等に白粥(しらかゆ)一碗(わん)つゝ給はり彼(かの)兵粮の半(なかは)を散(ちら)し城外(じやうぐわい)なる民(たみ)に賜(たま)ふてをさ/\飢渇(きかつ)を救(すくひ)給へハ轍魚(てつぎよ)の水を獲(え)たる如し。かゝりし程に四郡(ぐん)一ヶ國義実管領(くわんれう)し給へハ威徳(いきほひ)朝日(あさひ)の昇(のぼ)ることく徳沢(めくみ)ハ時雨(あめ)の潤(うるほ)すごとく奸民(かんみん)ハ走去(はしりさ)り善人ハ時を得たり。此時持氏の末子(ばつし)成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)鎌倉(かまくら)へ立かへりて此時滝田(たきた)へ書を贈(おく)りて國(くに)平均(へいきん)の」12功業(こうげふ)を称賛(しようさん)し室町将軍(せうくん)へ聞えあけて義実(よしさね)を安房の國主にまうしなし剰(あまつさ)治部少輔(せうゆう)になされけり。かく歓(よろこひ)の続(つゝ)くものから義実ハとにかく心にかゝるハ金碗(かなまり)大介か事なり。われゆくりなく冨貴を受るも彼が親の資(たすけ)によれりと深く大助か存亡を索(たつね)給へと往方ハ絶(たへ)てしれさりけり。さる程に義実ハ老黨(ろうたう)士卒の勲功(くんこう)を正し勸賞(けんしやう)を行はせ給ふ。はしめに八房の犬をもて第一の功と定め美食(ひしよく)珎味をあたふれ共見もかへらす。ほかに乞もとむるもの有かことし。ヶ様の事たひかさなれハ義実ハ犬の心を推量(おしはかり)りて忽地(たちまち)(あい)を失ひて端(はし)近くハ出給はす。八房ハ哮狂(たけりくる)ひて果ハ〓(くさり)を引断離(ちきり)て禁(とゝむ)る人を啖ひ倒し縁煩(えんかは)より跳登(おとりのほ)りて伏姫(ふせひめ)のおはします後堂(おくさしき)へはしり入裳(もすそ)の上へ〓(はた)と臥すを咄嗟(あはや)とはかり見かへり給へハ則八房の犬なりけれハ姫ハおとろきおそれ給ひて頻(しきり)に人を呼せ給へハ専女(おさめ)小扈(せう)従女の童(わらは)はしり來て追やらんとすれハ八房ハ眼を〓(いか)らし牙を見(あら)はしうなれる形勢(ありさま)(すさま)しけれハ侍女們(おんなはら)ハ逡巡(あとしさり)せぬものもなし。」浩(かゝる)処に義実ハ縡(こと)はやしらせ給ひけん短鎗(てやり)引提(さけ)て來給ひつ。囓(かみ)もかゝらん形勢(さま)に怒りに堪す鎗とり直して突殺(つきころさ)んとし給へハ伏姫(ふせひめ)ハ父にすかり家尊君(かそのうし)ハ景連(かけつら)を討滅(うちほろほ)して士卒の餓(うえ)を救(すくは)ん為八房を壻(むこ)かねに許し給ふにあらすや。渠(かれ)か大功をなすに及ひて約を変(へん)し山海の珎味(ちんみ)を賜(たま)ひ事足なんとせらるゝこともし人ならハ朽おしく恨しく思ひ奉らん。皆前(さき)つ世の業報(こふほう)と思ひ决めつ。國の為子を生なから畜生(ちくせう)道へ侶(ともなは)せても政道に偽(いつわ)りのなきよしを民にしらし恩愛(おんあい)の義を断(たち)てわか身の暇(いとま)給はれかしとさめ/\とうちなき給へハ義実(よしさね)ハ聞毎に嘆息(たんそく)して返しかたきは口の過(とか)(けに)(わさはい)の門に臥犬ハ我身の仇なりきとこゝにつら/\來しかたを思へハ伏姫か幼稚(おさな)かりし時翁(おきな)か相(さう)せし伏姫の伏の字ハ人にして犬に従(したか)ふ名詮自性(めうせんしせう)斯まて祟(たゝ)る悪霊(あくれう)ハ定包か妻玉梓(つさ)ならん。さハ此犬ハ母うせて狸(たぬき)か育しものときく。狸の異名(いめう)を玉面(たまも)とよひなせハ和訓(わくん)の唱(となへ)ハたまつらなり。」13これたまづさと訓読(よみこゑ)(ちか)し。狸(たぬき)といふ字は里に従(したが)ひ犬(いぬ)に従ふよしあれハ里見の犬になる祥(さが)なりと畜狎(かひなら)し寵愛(てうあい)せしこそ悔(くや)しけれと慚愧(ざんぎ)後悔(こうくわい)し給へバ姫(ひめ)ハなみだをおしぬぐひ一旦鬼畜(きちく)に伴(ともなは)れ偽(いつわ)りなきを示(しめ)すとも人と生れてまざ/\と畜生(ちくせう)にハ穢(けが)さるべき。御心やすく思召せといひかけて俯(ふし)給へバ母上五十子(いさらご)も來給ひてこの顛(あら)(まし)をきゝ給ひて潜然(さめ%\)と泣(なき)給ふ。伏姫(ふせひめ)ハ幼稚(おさな)き時竒(あやしき)(おきな)がとらせたる水晶(しやう)の念(ねん)(じゆ)の玉の文字ハかはりて異(こと)なる文字になり侍(はべ)りしと義実(よしさね)に見せ給へバ仁義礼智(ち)忠信孝悌(ちうしんかうてい)の文字ハ消(きへ)て顕(あらは)れたるハ如是(によぜ)畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心(ぼだいしん)の八字なり。これにて因果(いんぐわ)の道理をさとり姫を八房(ぶさ)にあたへ給へバ伏姫ハかの数珠(じゆず)をゑりにかけ料紙(れうし)一具と法華經(ほけきやう)一部(ぶ)をたづさへ給ひなきゐる母君女達(ばう)になごりハつきじと八房にともなわれつゝ出給ふ。義実も五十子(いさらご)も路次の程心もとなしと蜑崎(あまざき)十郎輝(てる)(たけ)に壮士(そうし)(あまた)(つけ)させ給ひて竊(ひそか)につかわし給ひけり。八房ハ城(しろ)をはなるゝと姫を」
挿絵
〈因果(いんくわ)應報(おうほう)の道理(とうり)を悟(さと)つて伏姫八(やつ)房に伴はる〉」14」
(せ)中へのせまいらせ府中のかたへ走(はし)る事飛鳥よりもなほはやかり。輝武(てるたけ)ハ馬に鞭(むち)うちいかでゆくへを失はじと終夜(よもすがら)(はし)りつゝその曉(あかつき)に富(と)山の奥にわけ入ほどに山路に馬を乗倒(のりたを)してわれと夥兵(くみこ)と僅(わづか)に二人息吻(いきつぎ)あへずよぢ登(のぼ)り遥(はるか)に彼方を向上れバ伏姫(ふせひめ)ハ経(きやう)を背負(せおひ)八房が背に尻(こし)をかけはや谷川をうちわたしなほ山ふかく入給ふ。輝武(てるたけ)は一條(すじ)の早川に禁(とゝめ)られおん往方(ゆくへ)を見究(きはめ)ず。こゝよりかへることやある瀬踏(せぶみ)をせんとをりたちてわたしもあへず推倒(おしたを)され石に頭をうち碎(くだか)れ骸(からだ)もとゞめず成にけり。夥兵(くみこ)ハそゞろに舌を掉(ふる)ひて瀧田の城へかへりきつ。ことの趣まうしけれバ義実聞召て再(かさね)て人を遣し給はず。國中へ絢しらして彼(かの)山へ入ものあらバ必(かならず)死刑(しけい)に行はんとて嚴(けん)重に掟(おきて)させ又輝武(てるたけ)か枉死(わうし)を悼おほしてその子ともを召出し形のごとくそ扶せ給ふ。

○不題(こゝにまた)金碗(かなまり)大介孝徳(たかのり)は敵はや瀧田を囲むをしらす。僅に暁(さと)りて走還(はしりかへ)る途(みち)に訥(とつ)平」15等に追(おひ)とめられ多勢(たせい)を敵(あひ)手に血戦(けつせん)し従者(ともひと)(ら)ハ撃(うた)れたれ共わか身ひとつハ虎口(こゝう)を脱(のか)れて滝田(たきた)へかへるに両城(りやうしやう)ハ安西(あんさい)か大軍(くん)充満(みち/\)て城に入ることかなはす。今ハ悔(くへ)ともその甲斐(かひ)なし。蕪戸(かぶと)か陣(ちん)へかけ入て戦死(きりしに)せんと早る心をやゝ思ひかへして鎌倉(かまくら)へ赴(おもむ)き日ならす管領(くわんれい)の御所へ参著し急(きう)を告おさ/\救(すく)ひを乞まいらせとも義実(よしさね)の書翰(しよかん)なけれハうたかひ給ふて事整(とゝの)はす。すこ/\安房(あは)へ立かへれハ景連(かけつら)ハはや滅(ほろ)ひて一國(こく)(すて)に平均(へいきん)せり。いよ/\帰参(きさん)の便ハなし。腹(はら)も切れす時節を俟(まち)て勸解(わひ)奉らんと舊(ふる)里なれハ上総なる関(せき)村へ赴き先年身まかりたる外祖(おゝほち)一作か親族(しんそく)なる百姓の家に身を寓(よ)せ一年あまりをる程に伏姫の事灰(ほのか)に聞えて八房の犬に伴れ富(と)山の奥へ入給ひしより安危(あんき)存亡(そんはう)(さだ)かならすと聞えしかハわれ彼(かの)山にわけ登(のほ)り八房(ふさ)の犬を殺(ころ)して姫君(ひめきみ)を滝田へかへし奉らハゆるされんこと疑(うたか)ひなしと竊(ひそか)に安房へ立かへりて准備(ようい)の鳥銃(てつほう)引」提(さけ)つゝ富山の奥にわけ入て靄(もや)ふかき谷川の向ひに人ハをるかとおほしすはやと騒(さは)く胸(むね)を鎮(しつ)めて水際(みきは)についゐてつく/\と聞ハ女子の経(きやう)よむ声いとも幽(かすか)に聞えけり。

○扨も里見治部(ちふの)大輔(ゆう)義実のおん息女(むすめ)伏姫(ふせひめ)ハ親(おや)の為國の為に信を民(たみ)に失(うしな)はせしと身を捨(すて)て八房の犬に伴(ともなは)れ富山の奥に入つゝもこの夜(よ)ハ月下に読經(どきやう)してもし此畜生(ちくせう)(たはけき)心を挾(さしはさ)みてわか身に近つくことあらハ主を欺(あさむ)くの罪(つみ)(かれ)にあり。刺殺(さしころ)さんと思ひ〓(つめ)て護身刀(まもりかたな)を引著(つけ)て読經(ときやう)しておはします。その氣色(けしき)をや知たりけん。八房ハ近くも得よらす只惚々(ほれ/\)と姫の顔(かほ)を臥(ふし)て見つゝまもりつめて明しくらしつ。その旦(あした)八房ハとく起(おき)て谷におり木果(このみ)を采(とり)て姫君(ひめきみ)にそまいらする。恁地(かくのことく)すること一日も懈(おこた)らす百日あまり經(ふ)る程に八房ハいつとなく読經(どきやう)の声に耳を傾(かたふ)け心を澄(すま)せるものゝことく復(また)(ひめ)うへを眷(みかへ)らす。伏姫思ひ給ふやう今この犬か慾(よく)を忘(わす)れて読經の声を聴(きく)を楽(たのし)み如々入帰の友となる事皆御經」16の威力(いりき)によれりといよ/\読經(ときやう)(おこた)り給はず。その年(とし)ハ暮(くれ)て明年(あくるとし)の春(はる)の頃有一日(あるひ)伏姫ハ硯(すゞり)の水を掬(むすび)給ふ止(たまり)にうつるわか影(かけ)を見給へバその骸(からた)ハ人(ひと)にして頭ハ正しく犬也けり。思ひかけねバはしり退(のき)つ又立(たち)よりて見給ふにその影(かけ)われに異(こと)なることなし。こハ心の惑(まよ)ひなりけんと思ひかへして仏(ほとけ)の名号(みな)を唱(となへ)つゝこの日ハ經文(きやうもん)を書写(うつ)し給ふに心地(こゝち)(つね)ならず。この頃よりして月水(つきのさはり)を見ることなし。月日累(かさな)るまゝに腹脹て堪(たへ)がたし。こハ脹満(てうまん)などいふものにやあらんとく死(し)ねかしとひとりこちつゝ身(み)を起し仏(ほとけ)に手向(たむく)る菊(きく)の花(はな)手折(たをら)んとてそ進(すゝ)み給ふ。浩処(かゝるところ)に一個(ひとり)の蒭童(くさかりわらは)手に一管(くわん)の笛(ふえ)をとり黒牛(くろうし)に尻(しり)をかけ流水(ながれ)をわたし伏姫と問答(もんたう)おはりてかの童の凡(ほん)ならざるを知(し)り給へバ姫(ひめ)ハ我身(わかみ)の病症(びやうせう)を問(とは)せ給へバかの童(わらは)ハ既(すで)に懐妊(くわいにん)なりと答(こた)ふ。伏姫ハ聞(きゝ)あへず吾儕(わなみ)に良人(つま)はなきそかし。何(なに)によりて有身(みごも)るへきことかと笑給へバ童子(どうじ)ハうちみてなてうおん身に夫(おとこ)なからん。既に親(おや)より許(ゆる)されたる八房」
挿絵
〈役行者(えんのきやうじや)義實(よしさね)か夢中(むちう)に現(げん)じて伏姫(ふせひめ)の安否(あんひ)を告(つげ)給ふ〉」17」
ハ何(なに)ものぞと詰(なじ)れバ姫(ひめ)ハ貌(かたち)を改(あらた)め云々(しか%\)の故ありてよに淺(あさ)ましく家犬(かひいぬ)と共に深山(みやま)に月日ハ送(おく)れどおん経(きやう)の擁護(おうご)によりて幸(さいは)ひに身を穢(けが)されず渠(かれ)も亦おん経(きやう)を聴(きく)ことをのみ歡(よろこ)へり。わが身ハ清(きよ)し潔(いさきよ)し聞もうとまし穢(けがらは)しとうち涙(なみだ)ぐみ給ふになん。童子(どうし)ハかゝとうち笑ひ夫(それ)物類相感(さうかん)の玄妙(たへ)なるハ凡智(ほんち)をもて測(はか)るべからず。おん身(み)ハ真(まこと)に犯(おか)され給はず。八房も今ハ欲(よく)なし。しかれ共おん身渠(かれ)に許(ゆる)してこの山に伴れ渠(かれ)も又おん身(み)を獲(え)てこゝろにおのが妻(つま)とおもへり。かれハおん身を愛(めづ)るゆへにその經(きやう)をきくことを歓びおん身ハかれが帰依(きえ)する所われに等(ひと)しきをもて憐(あはれ)み給ふ。この情(じやう)(すで)に相感(かん)ず。相倚ことなしといふともなぞ身おもくならざるべき。われつら/\相するに胎内(たいない)なるハ八(やつ)子ならん。しかハあれとも感(かん)ずるところ実(じつ)ならす。虚々(きよ/\)相偶(あふ)て生(なる)ゆへにその子(こ)(まつた)く體作らすこゝに生(うま)れて後(のち)に生れん。これ宿因(しゆくいん)の致(いた)す所(ところ)善果(ぜんくわ)の成る処なり。八房が前身」18ハその性ひかめる婦人なり。おん父よし実朝臣を怨ることあるをもて寃魂(れいこん)一雙(いつひき)の犬となりておん身親子を辱しむ。八房おん身を犯すことなく法華経読誦の功徳(くとく)によりてやうやくに夙怨(うらみ)を散し共に菩提心を發すか為に今この八子を遺せり。もし後々所々へ生んにその子おの/\智勇に秀里見を佐け威を八州にかゞやかさバみな是おん身が賜なり。誰かその母を拙しとせん。是則善果なり。おん身が懐胎(くわいたい)六ヶ月この月にしてその子生れん。その産るゝ時はからすして親と夫にあひ給はん。はやまからんといひかけて牛牽かへし山川を渉すと見へしか霧立籠て往方(ゆくへ)もしらすなりにけり。伏姫ハ神童(かんわらは)に説諭されても疑ひはれす。只悲しきハ畜生のその気を受て八の子を身に宿しなハいかにせん。たとひ臥房を共にせすともそれいひとくるよしなし。身おもくなりしを親同胞に見られんよりハ身をしつめ姿をこそやかくしなん。せめてハ父母に一筆の命毛」
挿絵
〈富(と)山のおくに伏姫(ふせひめ)神童(かんわらは)に會(くわい)して初(はじ)めて腹(はら)に物あるを知(し)る〉〈福竹や根ごと引きぬく男の子 野狐庵〉」19」
のこし奉らんと舊の洞(ほら)にぞ入給ふ。八房木果(このみ)の食を勸るやうすなれども伏姫ハ疎ましく絶て言葉(ことは)もかけ給はず硯に墨を摺流しわがうへ権者の示現(しけん)までいと哀れにぞ写(かき)給ふて冥土(よみち)の旅の首途にハ称(せう)名の外あるへからすと襟にかけたる数珠取て推揉んとし給ふに数とりの珠に顕れたる如是畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心の八の文字ハ跡もなくいつの程にか仁義礼智忠信孝悌となりかはりていと鮮に読れたり。かゝる奇特(きとく)を見る物からなほ疑(うたか)ひを解(とく)よしもなく末期(まつこ)の読經声高く既に読果給ふにぞ八房ハ衝(つ)と身を起して伏姫を見かへりつゝ水際(みきは)を指てゆく程に前面の岸に鳥銃(てつほう)の筒音高(たか)く響して忽地飛來る二ッ玉に八房ハ吭(のんと)を打(うた)れて煙の中に〓と仆し。あまれる丸に伏姫も右の乳(ち)の下打破られて苦と一声叫ひもあへす經巻を手に拿ながら横(よこ)さまに轉輾ひ給ひぬ。時(とき)なるかな去歳(こそ)よりして川よりあなたハ靄ふかく絶て晴間もなかりしに今鳥銃の音とゝもに拭ふが如く晴わ」20たり年なほわかき一個(ひとり)の〓人(かりうど)前面(むかひ)の岸に立あらはれ流(なが)るゝ水を佶(きつ)と見て既に淺瀬を知りたりけん。やがて岸(きし)より走りくだりて拿(もつ)たる鳥銃(ほう)(かた)にうち掛こなたを指てわたし來つ。且(まづ)鳥銃(てつほう)を揮揚(ふりあげ)て打倒(うちたを)したる八房をなほ撃(うつ)こと五六十。復甦べうもあらざれバいで姫上(ひめうへ)をと石室(いわむろ)のほとりまで進(すゝ)みよりと見れハ又伏姫も打倒(うちたを)されて気息(きそく)なし。これハと駭(おとろ)き抱き起し奉り周章(あはてふため)き薬を取出て口中に沃ぎ入喚活(いけ)奉れども全身(せんしん)(こほ)りて救(すく)ふべうも見え給はねハ壮佼バ嘆息(たんそく)しわがなす所悉(こと%\)(くひ)(ちか)ひ思ふ忠義(ちうぎ)ハ不忠(ふちう)となりて又万倍の罪(つみ)を醸(かも)せり。心ばかりの申わきにハ肚かき切て姫上の冥土(よみち)のおん倶(とも)仕らんと腰刀(こしがたな)を抜出(ぬきいだ)し手拭(てぬぐひ)に巻そへて刀尖を脇腹(ばら)へ突立(つきたて)んとする程(ほど)に誰(たれ)とハしらず松柏の林が下に弦音(つるおと)(たか)く射出す獵箭に壮佼が右手(めて)の臂(たゞむき)射削(いけつり)たり。これハとはかり思はずも拿たる刄をうち落され驚(おとろ)きながら見かへれバ樹間(このま)(かく)れに声(こゑ)(たか)く金碗(かなまり)大介早まるな且等と呼とめて里」見(み)治部(ぢぶ)大輔(たゆう)義実(よしざね)朝臣(あそん)弓箭携へ出給へバ後方(あとべ)に続(つゞ)く従者なく堀内蔵人貞行のみ主(しゆ)の左邊(ゆんで)に引そふたり。義実(よしさね)(うれ)ふる気色(けしき)にて落(おち)たる数珠を鞆に掛け遺書(をき)を見給ふに一句(いつく)一段(いちだん)こと%\く嗟嘆(さたん)せずといふことなく大(だい)介に伏姫と八房をうち殺(ころ)せし仔細(しさい)を問(と)ふに去年(きよねん)安西(あんざい)に謀(はか)られて道に追(おつ)補と血戦(けつせん)し城(しろ)に入ること竟(つい)に協(かな)はず。鎌倉(かまくら)へ推参(すゐさん)して援兵(ゑんへい)を乞(こ)ふといへども縡(こと)とゝのはず手を空しくして安房(あは)へかへれバ景連(かげつら)ハはや滅(ほろ)びて一國(いつこく)(きみ)がおん手に属(いり)ぬ。時節(じせつ)を俟(まち)て功を立帰参を願ひ奉らんまでの隠(かく)れ宅(が)にとて旧里(ふるさと)なれバ上総(かつさ)の関村に赴き祖父(おほち)(いつ)作に由縁ある荘客(ひやくせう)某甲(なにがし)が家(いへ)に身(み)をよせ深(ふか)く潜(しの)びて候ひしに姫上の事灰(ほのか)に聞へて慥(たしか)にこれを告(つく)る者(もの)あり。こハ偏に主君(しゆくん)の瑕瑾と竊に富山(とやま)にわけのぼり犬を殺(ころ)して姫上を救(すく)ひとり奉らバ帰参(きさん)のつるとしのび來(き)て神仏(しんふつ)に祈念して目をひらけバ今迄(いまゝて)も黒白(あやめ)をわかぬ川霧ハ拭ふが如(こと)く晴(はれ)わたる前面(むかひ)はるかに」21ながむれバ石室(いはむろ)のほとりに見えさせ給ふハ姫上(ひめうへ)なり。思ひしよりハ瀬(せ)ハ淺(あさ)し。既(すて)にわたさんとする程(ほど)に八房ハこなたを見てはや走(はし)り來つ。這奴(しやつ)よせつけてはあしかりなんと拿(もつ)たる鳥銃(てつほう)(とり)なほし火蓋(ひふた)を切れバ愆(あやま)たず犬ハ水際(みぎは)に仆(たを)れたり。又姫上もあまれる丸に傷(やぶ)られておなし枕(まくら)にふし給ふ。切(せめ)て冥土(よみぢ)のおん倶(とも)せんと覚期(かくこ)の折(をり)から思ひかけなくわが君(きみ)に禁(とゝめ)られ奉り死(し)ざるも天罰(てんばつ)ならん。法度(はつと)を犯(おか)しして姫うへを害(そこな)ひしハこれ八逆(はちきやく)の罪人(つみんど)なり。君(きみ)がまに/\刑罰(けいはつ)を希(こひねが)ふ外(ほか)候はず。堀内(ほりうち)ぬし索(なは)かけ給へと背(そびら)ざまに手をめぐらしてついゐたり。義実嗟嘆(さたん)大かたならず。且(しはらく)して宣(のたま)ふやう大介刑罰(けいばつ)(のが)れがたしといへども伏姫が死ハ天命(てんめい)なり。渠(かれ)もし汝(なんし)に撃(うた)れずバこの川の水屑(みくづ)とならん。蔵人(くらんど)その遺書(かきをき)を読聞(よみきか)せよとおほせに首尾(はしめおはり)まで高(たか)やかに読(よむ)ほどに孝徳(たかのり)ます/\慚愧(さんき)して伏姫の賢才(けんさい)義烈(れつ)にいよ/\麁忽(そこつ)を悔嘆(くひなけ)
挿絵
〈金碗(かなまり)大助八房(ふさ)を討(うた)んとして過(あやまつ)て伏姫(ふせひめ)をうつ〉〈のそ/\案山子もひやうとはなしけり 梶葉〉」22」
きぬ。義実(よしさね)(ふたゝ)びのたまうやうわれのみならで蔵人(くらんど)さへ神(かみ)の示現(じげん)をかうむりて只(たゞ)二人この山に登(のぼ)るものから伏姫(ふせひめ)も八房も矢庭(やには)に撃(うた)れて仆(たふ)れたり。その癖(くせ)(もの)ハ日ごろより心に懸(かゝ)りし金碗(かなまり)大介。自殺(じさつ)の覚期(かくご)ハ野心(やしん)もて姫をころせしものならずと思ひにけれバ呼止(よびとめ)たり。この禍(わざはい)の胎(な)る所因果(いんぐわ)の道理(どうり)をさとりなすにわれ定包(さたかね)を討(うち)しときその妻(つま)玉梓(たまつさ)を赦(ゆる)さんとせし時(とき)大介か父(ちゝ)八郎孝吉(たかよし)われを諫(いさめ)て頭(かうべ)を刎(はね)たり。その霊(れう)主従(しゆう/\)に祟(たゝり)をなすかと心づきしハ孝吉が自殺(しさつ)のとき女の姿(すがた)わが眼(まなこ)にさへぎりにき。うらみはこゝに〓(あき)たらず八房の犬(いぬ)と生(なり)かはり親子(おやこ)に物をおもはせつ。伏姫ハ又八郎が子に撃(うた)れたり。皆(みな)(これ)因果(いんくわ)の係(かゝ)るところひとり義実か愆(あやまち)より起(おこ)れりと叮嚀(ねんごろ)に諭(さと)し給ひわれこの数珠(じゆず)をみるに如是(によせ)畜生(ちくせう)云々(しか/\)の一句(いつく)ハさらにはじめにかへりて仁義(じんぎ)八行(かう)を示(しめ)すものから霊験(れいげん)ハ失(うせ)へからず。ことさら姫ハ淺痍(あさて)なり。縦(たとへ)命数(めいすう)」23つくるとも祈(いの)らバ利益(りやく)なきことあらん。鞆(つか)に懸たる数珠とりあけて額(ひたい)におし當只顧祈念する程(ほど)に伏姫(ふせひめ)忽地(たちまち)(いき)ふきかへし只潜然と泣(なき)給ひその父なくてあやしくも宿れる胤(たね)をひらかずハおのが惑(まよ)ひも人々の疑(うたが)ひも又いつか解(とく)へきこれ見給へと臂ちかなる護身刀(まもりかたな)を引抜て腹へぐさと突立て真一(まいち)文字(もんじ)に掻切給へハあやしむべし痍口より一朶の白気閃き出(いで)(えり)にかけさせ給ひたる彼(かの)水晶(すゐせう)の数珠(じゆず)をつゝみて虚空(なかそら)に昇(のぼ)ると見へし数珠ハ忽地弗と断離(ぎ)れてその一百ハ連(つら)ねしまゝに地上(ちしやう)へ戞と落(おち)とゞまり空(そら)に残(のこ)れる八の珠ハ粲然(さんぜん)として光明(ひかり)をはなち八方に散失(ちりうせ)て跡ハ東の山の端に夕月のみぞさし昇(のぼ)る。當是数年の後八犬士出現して遂(つい)に里見の家(いへ)に集合萌牙(きざし)をこゝにひらくなるべし。そが中に大介ハ再(ふたゝ)び腹を切(きら)んとするを義実ハ声(こゑ)をかけ伏姫(ひめ)ハ甦生(そせい)したれバ罪(つみ)一等(いつとう)を宥(なたむ)るとも掟(おきて)を破(やぶ)りて山に入おのがまに/\腹(はら)(き)る事(こと)」やある。觀念(くわんねん)せよと進(すゝ)みより孝徳が髻(もとゝり)(ふつ)と截捨給ひ親(おや)八郎ハ大功あれども賞(しやう)を獲(え)す。汝も忠あれどもその罪(つみ)に陥(おちい)るに及(およ)びてハ主尚救ふによしなきことわが子にまして哀傷(あいしやう)の涙(なみた)ハこゝに禁(とゝ)めがたし。汝(なんし)ハ又主(しゆう)(おや)の為命をたもち高僧(かうそう)智識(ちしき)の名(な)を揚(あげ)よ。諭(さと)し給へバ孝徳(たかのり)ハ辱涙に哽(むせ)びつゝ漸に頭を擡(もたけ)今より日本廻國して姫の菩提君(きみ)の武運(ぶうん)を祈(いのり)まつらん。姫上の落命(らくめい)も某が祝(しゆく)髪も皆(みな)八房(やつふさ)の犬ゆへなれバ犬といふ字を二ッにさき我名(わかな)の一字をそかまゝにヽ大(ちゆだい)と法名仕らんと申上れバ義実(よしざね)朝臣(あそん)(あはれ)いしくも申たり。今さら思へハ八房の二字(にじ)ハ則一尸八方(ほう)に至(いた)るの義なり。加旃(しかのみならず)伏姫が自殺(さつ)の今(いま)果に痍口(きすくち)より一道(たう)の白気たな引仁義八行の文字顕れたる百八の珠閃き昇り文字き珠は地に堕(おち)てその餘(よ)の八(やつ)ハ光明(ひかり)をはなち八方へ散乱(さんらん)して遂(つい)に跡なくなりし事其(その)所以なくハあるべからず。後々(のち/\)に至(いた)りなハ思ひ合する事もやあらん。」24廻國(くはいこく)首途(かどで)の餞別(せんべつ)にハこの数珠(じゆず)にますものあらじと賜(たま)ひけれハ孝徳(たかのり)ハ手に受て再(ふたゝび)三たびうち戴(いたゞ)きこハ有かたき君(きみ)の賜もの今より諸國(しよこく)編歴(へんれき)して八の珠(たま)の落(おち)たる所を索(たづ)ねもとめはしめの如く繋(つな)ぎとめん。これ今生のおん別(わかれ)そと思ひ切て申ける。かゝるところへ滝田(たきた)より女轎(のりもの)を釣臺(つりだい)に括著(くゝりつけ)谷川をわたしきつ。奥方(おくかた)五十子(いさらこ)御前の御臨終(りんじう)を注進(ちうしん)なすにそ主従泪(なみだ)にくれつゝも義実ハおんむかひの従者(ともひと)をしたがへつゝ滝田へ帰館(きくわん)あらせられ金碗(かなまり)大介孝徳ハ圓頂(えんてう)黒衣(こくえ)に容(さま)をかへヽ大坊(ちゆだいほう)と法号(ほふごう)して且(しばら)く山に畄(とゝま)りて伏姫の遺(のこ)し給ふ法華経(ほけきやう)を読誦(どくしゆ)すること一日一夜終に事はて笈(おい)を背負(せお)ひ錫杖(しやくでう)を衝鳴(つきな)らし行衛もしらず成にけり。

○話分両齣(はなしふたつにわかる)こゝに武蔵國豊嶋郡(としまごほり)菅菰(すがも)大塚の郷界(さとはづれ)に大塚番作一戍(かづもり)といふ武士の浪人ありけり。そが父匠作(せうさく)三戍(みつもり)ハ鎌倉管領(くわんれい)持氏の近習たり。永享」
挿絵
〈仁義禮智(じんきれいち)忠信孝悌(ちうしんかうてい)の八(や)ッの霊玉(れいぎよく)八方(はう)に散(ちり)て八犬士(はつけんし)出現(しゆつげん)の基(もとい)をひらく〉」25」
十一年持氏(もちう )滅亡(めつぼう)のとき主君のおん子(こ)春王(しゆんわう)安王(やすわう)両公達(りやうきんだち)を護(もり)奉り脱(のかれ)去下野國に赴(おもむ)き結城(ゆうき)氏朝に請待(しやうだい)せられてその城(しろ)に盾篭(たてこも)り寄手の大軍(たいぐん)を引受て防戦(ぼうせん)年を重(かさ)ね嘉吉(かきつ)元年四月十三日岩木(いはき)五郎が反(かへり)(ちう)より躬方(みかた)(のこ)らず討死(うちじに)し両公達ハ生拘(いけとら)る。この時(とき)大塚(おほつか)匠作(せうさく)ハ一子番作を招(まね)ぎよせわれハ孺君(わかきみ)の御先途(せんど)を見とゞけんに汝(なんじ)ハ武蔵(むさし)の大塚なるわが荘園(せうゑん)に往(ゆき)て老母(ろうぼ)と姉(あね)龜篠(かめさゝ)に赴(よし)を告(つけ)て母に仕へて孝(かう)を尽(つく)せ。是(これ)主君(しゆくん)重代(ぢうたい)のおん佩刀(はかせ)村雨(むらさめ)と名づける実(じつ)に源家(けんけ)の重宝(ちようほう)なれバ今汝に預(あつく)るかし。孺君(わかぎみ)ふたゝび世に出給ひなバ一番(ばん)にはせまゐりて宝刀(みたち)を返(かへ)しまいらせもし又撃(うた)れ給ひなハこれ将(はた)君父(くんふ)のかたみなり。努々(ゆめ/\)疎畧(そりやく)にすべからずと説示(ときしめ)し錦(にしき)の嚢(ふくろ)に納たりし村雨の宝刀をわか子にわたしけり。番作二八の少年なれともその心さま逞(たくま)しく猶(なほ)思ふよしやありけん。これをしかと」26受収(うけおさめ)ておやことも%\辛(かろう)じて城中を脱(のか)れ去(さり)(さん)%\にこそなりにけれ。かくて匠作ハ敵陣(てきぢん)に紛(まぎ)れ入縡(こと)の為体(ていたらく)を伺(うかゞ)ふに春王(しゆんわう)(やす)王のおん兄(はら)第長尾因幡介(いなばのすけ)が手に生拘(いけど)られ牢輿(ろうごし)に乗(のせ)たてまつりて京都(きやうと)へそ上(のぼ)せける。大塚匠作ハ従(じう)(そつ)になり濟(すま)し陰(かげ)ながら両君(りやうくん)のおん供(とも)し奉り道中にて竊(ひそかに)とりまいらせんと豫(かね)てはかりし事なから絶(たへ)てその隙(ひま)なかりけり。浩処(かゝるところ)に京都(きやうと)将軍より御使(つかひ)ありて両公達を路次(ろじ)にて誅(ちう)しまゐらせおん首級(しるし)をのぼせよと仰(おほせ)下されたり。長尾等ハ承(うけ給は)り美濃路(みのぢ)なる樽井(たるゐ)の道場(だうしやう)(きん)蓮寺(じ)にて長尾(を)(ろう)(どう)蛎崎(かきざき)小二郎錦織(にしこり)頓二(とんじ)二人の太刀とり両公(きん)達のおん頭顱(みぐし)をうち奉れハ匠作ハあなやとばかり警固(けいご)の武士を踏踰(ふみこへ)て矢來の内に躍(おとり)入り當(たう)の敵(かたき)と太刀どり錦織(にしごり)頓二(とんじ)を〓仆(きりた )せバ蛎崎(かきさき)小二郎大きに驚(おどろ)き矢庭(やには)に匠作をうちとる。折(をり)から匠作が一子番作ハ雑兵(そうひやう)に姿(すがた)をかへ矢來の」内に躍(おど)り入両公達(りやうきんたち)のおん首級(しるし)と匠作(せうさく)が首(くび)とりあげ頭髻(たぶさ)を口に楚(しか)と銜(くは)えて片手(かたて)なくりに腰刀(こしがたな)ぬく手も見せず蛎崎(かきさき)を乾竹割(からたけわり)に〓伏(きりふせ)てからくもこゝを脱(のがれ)れ去(さり)夜長嶽(よなかたけ)の麓(ふもと)に出て山寺(てら)にいたりて三頭(みつのかうべ)を深(ふか)く〓(うづ)めてこの道場(だうぜう)にやとりをもとめ庵主(あんしゆ)の悪僧(あくそう)蚊牛(ぶんきう)をころしてはからずも云結(いひなつけ)の井丹三(たんざう)直秀(なほひで)が娘(むすめ)手束(たつか)が危(あやうき)を救(すく)ひこゝを立去(たちさり)番作(ばんさく)が手痍(きす)養生(やうじやう)のためにとてうちつれたちて筑摩(ちくま)の温泉(いてゆ)におもむきけり。

○こゝにまた武蔵(むさし)なる大塚(つか)の郷(さと)に母もろとも潜居(しのひゐ)たりける大塚匠作(せうさく)が女児(むすめ)龜篠(かめざゝ)ハ前妻(せんさい)の子にて番作にハ異母(はらがはり)の姉(あね)なれどこゝろねじけて親(おや)同胞(はらから)の篭(ろう)城を想(おもひ)やる気色(けしき)もなく継母(けいぼ)の万苦(く)を一点(つゆ)ばかりも念(こゝろ)とせで同郷(さと)なる弥々(や ゝ)山蟇(ひき)六といふ破落戸(いたつらもの)とふかく契(ちき)りてしばしもほとりを離(はな)れじと思ふ心(こゝろ)ハ日にまして父(ちゝ)が篭城(ろうじやう)母の劬労(くろう)を幸(さいは)ひにすなれと壻(むこ)を」27招(と)るべき折にあらねバとさまかうざま思ふ程(ほど)に父匠作ハ樽(たる)井にて討死し第(おとゝ)番作ハ往方(ゆくへ)しれず継母(けいぼ)ハ病著(いたつき)次第に重(をも)りて卒(つい)にはかなく成しかハ龜篠ハ情願(のそみ)のごとく蟇六と夫婦になりて一両年を送(おく)る程に嘉吉三年の比かとよ前(さき)管領(くわんれい)持氏朝臣(あそん)の季(すへ)のおん子永寿王信濃に脱(のが)れておはせしを管領憲忠(のりたゞ)の老臣長尾昌賢(かた)東國の諸将(しよせう)と謀(はか)り遂(つい)に鎌倉へ迎(むか)とりて八州の連帥(たいしやう)と仰(あほ)き奉りて左兵衛督(かみ)成氏とぞまうしける。されバ結城(ゆふき)にて討死せしものゝ子孫(しそん)を召出(めしいた)させ給ふよし聞えしかバ彼(かの)弥々山蟇(ひき)六ハ時を得(え)たりと歓びつゝ俄頃(にはか)に大塚氏を冒(おか)して鎌倉へ参上し美濃の樽井にて討死せし大塚匠(せう)作が女壻(むこ)なるよしを訴(うつた)へけれバ僅(わづか)に村長(をさ)を命せられ帯刀(たいたう)を許(ゆる)されて八町四反の荘園を宛行(あてをこなは)れ彼地の陣(ぢん)代大石兵衛尉(のじやう)が下知を承て勤(つと)むべき旨(むね)を仰(おほせ)らる。是よりして蟇(ひき)六ハ瓦廂(かはらびさし)に衡(かぶき)門いか」
挿絵
〈悪僧(あくそう)蚊牛(ふんぎう)井之直秀(なをひで)が娘手束(たつか)をおとして戀情(れんじよう)をいどむ〉」28」
めしく造(つく)り建て奴婢(ぬひ)七八人召使(めしつか)ひ荘客們(ひやくしやうばら)を譴債(せめはた)り豊(ゆた)けき人になりにけり。不題(さても)大塚番作ハさきに手束を伴(ともな)ひて信濃の筑摩(ちくま)に赴(おもむ)きつ。こゝにて湯治(とうち)する程(ほど)に手足(あし)の痍(きす)ハ〓(いえ)たれども膕(こむら)の筋や縮(つま)りけん。是より行歩自在(じさい)ならず。なをも温泉(いてゆ)にとゝまりてはや三年にぞなりぬ。世間(けん)(せま)き身をかへり見て大塚氏の大の字に一点(てん)を加(くわ)へつゝ犬塚番作と名告(の)るをりから成氏(なりうじ)(あ )臣鎌倉の武将(ぶしやう)と仰(あほ)ぎ戦死(せんし)の家臣を召(めす)と聞て番作夫婦ふかくよろこび縦(たとへ)行歩ハ不自由(じゆう)なりとも武蔵へ赴き母と姉とに對面して直(すぐ)にかまくらへ推参(すゐさん)し両公達のおん像見(かたみ)村雨のおん佩刀(はかせ)を成氏朝臣に献りわが進退を君に任(まか)せん。然ハとて夫婦起行(かしまだち)の准備(ようい)して大塚におもむき近きほとりの白屋(くさや)に立より母と姉の安否(ひ)を問(と)ふにそ龜篠が淫奔(いたつら)女壻蟇六が行状(おこなひ)ヶ様々々(やう/\)の由緒をまうして荘園を給はり村長になりたりと叮嚀(ねんころ)に」29誨(おしへ)しかバ番作はうち驚(おどろ)き姉(あね)龜篠(かめさゝ)か為体(ていたらく)蟇六が人となりさへつばらに問(とひ)(つく)し蟇六許(がり)ハ赴(おもむ)かず故老(ころう)の里人等を音(おと)つれてわが上を落(おち)もなく告(つけ)しらせ志気(こゝろさし)を説示(ときしめ)して親の墳墓(ふんぼ)を護(まも)らん為(ため)この地に住ひせんといふ。里の老(おとな)ハ番作が薄命(はくめい)をあはれみて愉(こゝろよ)くうけ引つ。彼此(おちこち)人を召集合(よびつどへ)て件(くだん)の事をしらするに衆皆(みな/\)聞て憤(いきどほり)に得堪(えたへ)ず蟇六が面(つら)あてに番作ぬしを村中が養(やしな)ふてまいらせんとみな/\夫婦を款待(もてなし)ける。かくて件(くだん)の里人等ハ番作が為に蟇六が前面(むかひ)のふるくもあらぬ空房(あきや)ありこれ究竟(くつきやう)と購(あがな)ひ求(もとめ)て彼処(かしこ)へ移(うつ)し些(ちと)の田園(でんばた)を購(あがな)ひてこれを番作田と唱(とな)へつゝ夫婦(ふうふ)が衣食(いしよく)の料(りやう)にせり。かゝりしかバ番作ハ里人等が好意(なさけ)にて富(とむ)むにハあらねど貧(まづ)しきに苦(くるし)まず苗字(めうじ)ハ姉夫(あねむこ)に奪(うばゝ)れたれバなほ犬塚と唱(となへ)つゝ里の総角(あげまき)等に手蹟(しゆせき)の師範(しはん)して親たるものゝ恩(おん)に報(むく)ひ手束(たつか)は里の女の子(こ)(ら)に衣(きぬ)を」縫(ぬ)ふわざを教(おし)えしかバ里人等ハ歓(よろこ)びて物を贈(おく)るも多かりけり。
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○さる程に蟇六(ひきろく)龜篠(かめざゝ)ハ死(し)せりと思ひし番作か廃人(かたわ)にハなりたれども妻(つま)さへ将(い)て還(かへ)り來つ。里人等に尊仰(たつとま)れてわが家の向(むか)ひへ卜居(やうつり)せし為体(ていたらく)に妬(ねた)き事限(かぎ)りなし。しかのみならず百歩(ぶ)の間に住居(すまひ)しながら渠(かれ)一トたびも姉(あね)を訪(と)はず。今ハとて腹(はら)にすえかね人をして番作が無礼(ふれい)をとがめもしこれをしも知らずといはゞわが村(むら)に措(おき)がたし他郷(たけふ)へ立去(さり)給へとぞいはせける。番作冷笑(あざわら)ひ某(それがし)(まこと)不肖(ふせう)なれども父とゝもに篭城(ろうしやう)して戦場(せんじやう)に死(しな)ざりしは君(くん)父の先途(せんど)を見ん為(ため)なりき。されバこそ樽(たる)井にて父の仇(あだ)を撃(うち)とめ君父(くんふ)の首級(しゆきう)を隠(かく)しまいらせ女房(にようぼう)手束(たつか)に名告(なのり)あふて筑摩(ちくま)の御湯(みゆ)に手痍(きず)を保養(ほやう)しこゝに來りてしゞうをきくに姉(あね)の不孝(ふかう)淫奔(いたづら)ハ人のよくしる処なり。姉夫(あねむこ)何等(なんら)の功(こう)ありて重職(じうしよく)をうけ給はり大禄(ろく)を賜(たまは)りけん。某(それがし)父の遺命(ゐめい)」30によりて春王君(しゆんわうぎみ)のおん佩刀(はかせ)村雨丸(むらさめまる)の一腰(ひとこし)を預り奉りてこゝにあり。かくても當所を追(おは)んとならバ是非(ぜひ)の及ばざる処なり。鎌倉(かまくら)へ訴(うつた)へ奉りて公裁(こうさい)に任べしとぞ答(こた)へける。使の人立かへりて云云と告(つげ)しかバ龜篠(かめさゞ)蟇六(ひきろく)は無念腹(はらわた)を絞(しぼ)れども毛を吹疵(きず)を求(もとめ)んかと思ひかへしてこのゝちハ音もせず面を合對(あはする)ことハあれどもものいふ事ハなかりけり。犬塚番作は女房手束(たつか)を娶(めとり)てより十四五年が間(あはひ)に男子三人まで産(うま)せたれども一人として生育(そだつ)ものなし。これのみ遺憾(のこりおし)といふ夫(おつと)の述懐(じゆつくわい)(なぐさ)めかねて女房手束は夫に告て瀧(たき)の川なる弁才天(べんざいてん)へ朝(あさ)とく起(おき)て日参し三年か間懈(おこた)らず。時に長禄(ちやうろく)三年九月廿日あまりの事なるに手束(たつか)ハ時をあやまちて明(あけ)(のこ)る月影(かげ)を東(ひがし)しらみにけりと思ひて宿所を出て滝(たき)の川なる岩屋殿(いはやどの)に参詣(さんけい)し立かへる田の畔(くろ)に背(せ)ハ黒(くろ)く腹(はら)ハ白き狗(いぬ)の子の尾をふりて手束にまつはり慕(した)ひ」
挿絵
〈番作(ばんさく)惡僧(あくそう)を殺(ころ)してはからず言号(いひなづけ)の妻(つま)に會(くわい)す 呂文〉」31」
(き)て離(はな)るべうもあらざれバ将(い)てかへらんとひとりごち抱(いだき)とらんとする折から南の方に紫(むらさき)の雲(くも)たな引て嬋娟(せんけん)たる一個(ひとり)の山媛(ひめ)黒白(こくびやく)まだらの老犬(おいゝぬ)に尻(しり)うちかけ左(ゆん)手に数顆(あまた)の珠(たま)を拿(もち)て右手に手束を招(まね)きつゝ一ッの珠を投与(なけあた)へ給ふになん手束はおそる/\手をさし伸(のべ)て件(くだん)の珠(たま)を受んとせしに珠(たま)ハ手股(たなまた)を漏(もり)て輾々(ころ/\)と雛狗(こいぬ)のほとりに落しかバ其首(そこ)彼首(かしこ)と索(たづね)てもあることなし。あな訝(いぶ )しとばかりそなたの天(そら)をうち仰(あふ)げバ霊雲(れいうん)忽地(たちまち)(あと)なくなりて神女も共に見え給はず。平(たゞ)事にあらずと思へハふたゝび雛狗(こいぬ)を抱(いだ)きあげていそしく宿所に還りつゝ件の縡(こと)の赴を夫番作につげけれバ念願(ねんぐわん)成就(じやうじゆ)の祥(さが)なれバその狗(いぬ)を畜育(かひたて)給へと諭(さと)されてたのもしきこといふべうもあらず。かくて手束ハいく程(ほど)もなく身おもくなりて寛(くわん)正元年秋七月戊戌(つちのへいぬ)の日に及びていと平らかに男児を産(うみ)けり。この児(ちご)ハこれ名」32にしおふ八犬士の一人にして犬塚(いぬつか)信乃(しの)と呼れしなり。

○却説(かくて)犬塚番作(ばんさく)ハ年來(ごろ)の志願(しくわん)(やゝ)(とげ)て男子既(すで)に出生し児(ちご)の名を何とかよばんと女房(にようぼう)に譚(かたら)へバ世に子育(そだて)なき後(のち)にて侍れバこの子が十五にならん頃まで女子にして孚(はぐゝ )バ恙(つゝか)あらじとその名を信乃(しの)となづけつゝ三四才の頃におよびて髫髪(いたゝきかみ)をおくほどにもなれバ衣裳(いしよう)を女服(ぎぬ)にせざるもなく櫛〓頭(くしかんさし)をさゝせけれバしらざるものハ女の子とそ思ひけり。されバ蟇(ひき)六龜篠(かめさゝ)ハ此為体(ていたらく)を見聞ことに妬(ねた)き事限なし。龜篠(かめざゝ)四十にあまるまで子ともひとりもなかりしかバ夫婦(ふうふ)(しきり)に商量(だんかふ)して只管(ひたすら)養女(ようぢよ)を索(たづぬ)るに煉馬(ねりま)の家臣(かしん)某甲(なにかし)といふものゝ女児(むすめ)今茲(ことし)(わづか)に二ッになるあり。親(おや)の忌(いむ)四十二の二ッ子なれハ生涯(しやうがい)不通(ふつう)の約束(やくそく)にて錢七貫文をもたらし養女(やうぢよ)に遣すへしといへり。蟇(ひき)六夫婦(ふうふ)ハ媒酌(なかたち)をして錢もろともにもらひうけつゝ生育(おひたつ)(まゝ)に掌(たなぞこ)の玉(たま)と愛(めで)つゝ世に威徳(いきほい)ある壻(むこ)な」
挿絵
〈番作(ばんさく)が異母(はらがはり)の姉(あね)亀篠(かめざゝ)(はゝ)の老病(ろうびやう)を幸(さいわ)ひに破落戸(ならすもの)蟇六(ひきろく)と密通(みつつう)をほしいまゝにす〉」33」
らてハえこそ招(と)らしと誇(ほこ)りけり。案下其生再説(それはさておき)犬塚番作か一子信乃ハはや九才になりしかバ骨逞(ほねたくま)しく膂力(ちから)あり。尓(しか)るに信乃か生るゝ頃母親か滝(たき)の川より将(い)て來(き)つる狗(いぬ)の子ハ大きくなりて背(そひら)ハ黒く腹(はら)と四足(しそく)ハ白くして馬に所云(いはゆる)(よつしろ)なれバその名をやかて四白とも又与四郎とも喚(よ)ふ程によく信乃に狎(なれ)したひぬ。されバ母の手束(たつか)は秋のころより心地(こゝち)(つね)ならす病(やまひ)の床(とこ)に臥しより鍼灸(しんきう)薬餌(やくし)の験(しるし)なく十日あまりを經(ふ)る程に細(こま)やかに遺言(ゆいげん)しつ享(きやう)年爰に四十三才睡(ねふ)るが如く生気(いき)(たへ)たり。番作か嘆(なけ)きハさら也。信乃ハ地に伏天にあくがれ声(こゑ)を得たゝす泣(なき)けるがかくてあるべき事ならねバかたのことくそ葬送(ほうむり)けり。

○應仁(おうにん)ハ二年にして文明(ぶんめい)と改元(かいげん)して信乃十一才に及ひ行歩不自由なる父につかへ孝心(かうしん)大かたならざりける。されバ番作か犬与四郎ハこの年十二になりしかバ里に稀(まれ)なる老犬なれとも歯並(はなみ)(け)の沢(つや)(おとろ)へす気力ます」34/\健(すくよか)なれバ一村の群犬これが為に威服(いふく)せられて絶(たへ)て頭(かうべ)を出し得ず。蟇六(ひきろく)ハまた牝猫を畜(かひ)て雉子毛(きじげ)なれバ紀二郎と名づけつゝます/\寵(てう)(あい)する程に如月(きさらぎ)のころ牝戀盛る友猫(ともねこ)のよび声(こゑ)に浮されて屋根より屋棟を傳(つた)ひあるきて群猫(むれねこ)と挑(いど)みつゝいたく噬(かま)れて堪(たへ)ざりけん。屋棟(やね)より下へ撲(はた)と落時に番作が犬与四郎ハはしり來て左(ひだり)の耳(みゝ)を引銜(ひきくわへ)(ひ )(ふり)ふれバ紀二郎ハ耳根(みゝもと)より啖断(かみき)られ命限(かぎ)りと逃走(にげはし)れバ与四郎ハなほ脱(のが)さじと追蒐(おつかけ)たり。蟇六が小厮等(こものら)ハあなたよりこれを見て与四郎が跡(あと)を慕(した)ひて追ゆくに紀二郎ハ途窮りて与四郎が為に嚼殺(かみころ)さる。犬ははやくも途(みち)を横(よこ)ぎり何地とハなく失にけり。小厮等(こものら)ハ縡(こと)の趣(おもむき)を主(しゆう)なる蟇六につげしかハ且怒(いかり)且罵(のゝし)りて同郷の荘官糠助(ぬかすけ)といへるものに小者額蔵(がくさう)といへるをさしそへつゝ番作が宿所に赴き彼畜生を牽(ひきづ)り來れ犬を殺(ころ)して紀二が怨(うらみ)を」
挿絵
〈信乃(しの)飼犬(かひいぬ)(よ)四郎とともに成長(せいてう)す〉」35」
(きよ)めんとかしこへぞ趣(おもむ)かせ番作にかくといはせけれバ犬塚ハうちわらひわが犬足下の宅地(やしき)に赴き座席(ざせき)に至ることあらバ打殺(うちころ)さるとも怨(うらみ)なし。猫の死を貲(つくな)ふ為にハ与四郎ハわたしがたし。たち帰(かへ)りて傳(つた)へ給へと返答に小厮等(こものら)ハ糠助もろとも帰り來つ。番作が返答を告しかバ蟇六(ひきろく)夫婦(ふうふ)ハいかれどもせんすべなくかの犬をひきいだして有無をもいはせずうち殺(ころ)さんとしのび/\に謀(はか)りけり。番作が一子信乃ハ思ふやうわが犬果して殺(ころ)されなバ父うへさぞな怒(いか)り給はん。与四郎も殺されずわが伯母(おば)夫婦(ふうふ)の恨みも散(はれ)て無異(ぶゐ)におさまる謀なからずやハと糠助ハ老実なるものなれバかれ許(がり)赴て機蜜(きみつ)を説示(ときしめ)しかの与四郎犬を誘(いざな)ひ立て糠助もろとも蟇六が門に将てゆきつ。謀りしごとく声をふり立云々(しか/\)と罵責(のゝしりせめ)て杖(しもと)を採(とつ)て与四郎を〓(はた)とうつ。犬ハ驚(おどろ)き途を失ひ蟇六が宅地(やしき)を遶(めぐ)りて背戸より裡面へ走(はし)り入り」36左手なる子舎へ、身を跳(おど)らして飛(とび)込たり。すはやと小者等ハ手配(くばり)して是首よ彼首と散動(とよめく)声外かたへ聞へしかバ糠助ハ〓惑(まど)ひて毛を吹疵を求たり。もし虚々(うか/\)と爰におらバ忽地不虞(ふぐ)の危殃あらんとて逃(にげ)給へと云もあへず跡をも見ずして逃亡(にげさり)けり。信乃は悔(くへ)どもせんすべなく今ハ救(すく)ふによしなしと宿所にかへり已(やむ)ことを得ず云々と父に告(つげ)しかバ番作ハ嘆息(たんそく)しわが姉夫婦ハこゝろ僻(ひが)めり。汝謀りて犬を打(うつ)とも渠豈(あに)それにて憤りを解ものならんや。与四郎が死ハ不便(びん)なれとも惜て詮(せん)なし。猶風聞を聴(きゝ)さためよと言葉(ことば)もいまだ訖らず件の犬ハ血に塗(まみ)れ起つ轉(ころび)つ庭門より跟々と走(はし)りかへりてそがまゝ撲地(はた)と臥(ふ)しかバ信乃ハかけよりいたはれバ番作(ばんさく)ハ信乃に云つけ薬(くすり)を痍に揮(ふり)かけて心を竭(つく)していたはれとも又生べくハ見えざりけり。

○去程に蟇(ひき)六ハ憎(にく)しと思ふ与四郎かはからず背戸より」
挿絵
〈番作(ばんさく)村雨(むらさめ)の宝刀(みたち)を我子(わがこ)に豫(ゆず)りて遺訓(ゐくん)す 呂文〉」37」
走り入て子舎へ登(のぼ)りしかバやがて小厮(もの)に門戸を鎖(さゝ)せ主従すへて五六人准備(い)の竹鎗挾み刺(さし)畄んとしつれ共件の犬ハ板屏(へい)の下突(つき)破りて外面へ出しかバ猶迯(のが)さじと追蒐(かけ)しが多く深痍を負せしかバ必ず途(みち)にて斃れなんと誇貌にのゝしり小厮(もの)等を労ひつゝそのまゝに奥(おく)へ退き龜篠と談(だん)合なしこの勢ひを脱(ぬか)ずして番作に帰伏(ふく)させ彼村雨の一腰(こし)もわが手に入れんと糠(ぬか)助をうちまねくにそ糠助ハおそる/\蟇六が宿所へゆきけり。亀篠(さゝ)ハ貌(かたち)ハ改め汝ハいかなれバ稚蒙(わらべ)を副て番作が〓(やま)犬を宅地へ追入れ人を食せんと謀りしぞ。加旃彼犬ハ子舎へ走り入り管領(れい)(け)より給はりし御教書を踏裂たり。犬ハ数ヶ所の疵(きず)を負せたれと追入れたるそなたと信乃ハ罪科(とが)(のが)れかたし。怨ずれバ糠助ハ駭き怕れて吾儕(わなみ)ばかり救ひ給へと心細げに口説(くどき)けり。龜篠ハわざと嘆息(たんそく)し」38そなたも信乃もその罪(つみ)を脱(のが)れんとなすならハ番作か秘蔵せる村雨の一腰(ひとこし)を鎌倉(かまくら)へ献り件の罪科を勸解奉らバそなたのうへに恙なく番作親子も赦されなん。それ将第か我を折て蟇六とのに手を卑ずバ誰か又この願望(ねきごと)を鎌倉へ申上べき。かくまで思ふわらはか誠を僻心に疑ひて自滅(じめつ)をとらバせんすべなし。そなたも覚期(かくこ)し給へかし。これらの事を告んとてかくハ竊(ひそか)に招(まね)ぎしと真しやかに説示(ときしめ)せバ糠助(ぬかすけ)(たましい)われにかへりてやつがれ舌(した)の根(ね)のあらん限(かき)り犬塚ぬしの心を和らげ縡よくとゝのへ候ひなん。善(せん)ハいそけと外面(とのかた)へ身を横にして出しかバ次の間に竊聞(たちきゝ)せる蟇六(ひきろく)ハ杉戸を開(ひら)きて夫婦目と目を注(あは)しつゝ莞尓(につこ)と笑て思ふまして首尾よしといふ声(こゑ)に目やさましけん臺子(たいす)のあなたに茶を挽かけて睡臥たる額蔵(がくざう)が又挽いだす臼(うす)の音に驚さるゝあるじ夫婦ハ納戸のかたへ隱(かく)れ」けり。さる程に糠助ハ慌忙きそかまゝに犬塚が宿所に赴き件(くたん)の縡のはじめより龜篠がいひつる事をおちもなくあるじに告なに事も子を見かへりてこの一議にハ折給へとことばを尽して勸(すゝむ)れども番作騒(さは)ぐ気色なくよく考(かんかへ)て返答せん。日ぐれて再ひ來給へといふに糠助やうやくに身(み)をおこしつゝかへり去(ゆく)。あとにハ信乃かすりよりてよしなや犬を救んとてかゝる難義に及ぶこと皆是吾儕が所為なりと悔て詮なきことながら御教書の事実ならバ吾身ひとつをともかくも罪なはれんこと覚期(かくご)ハすれどおん行歩も不自由なるわが父(ちゝ)に翌より誰か仕ふへきと鼻うちかめバ番作ハやをれ信乃悲むへからず。御教書の事ハ寓言なり。こハ蟇六が姉に誨へて糠助を賺しつゝ宝刀を掠畧ん為の伎倆( み)なり。抑年來蟇六か宝刀に望を被ることわれそのこゝろを猜したり。渠」39わか父の遺跡(いせき)と称(せう)して荘官(しやうくわん)にはなりたれともわれもし件(くだん)の太刀をもて家督(かとく)を争(あらそ)はゞ難義に及ん。これ一ッ。成氏(なりうし)朝臣(あそん)没落(もつら )のゝち此地ハ既(すで)に鎌倉(かまくら)なる両(りやう)管領(くわんれい)の處分(しよふん)によれり。渠(かれ)管領敵(てき)方家臣の遺跡(いせき)なれハ新(あらた)に微忠(ひちう)を顕(あらは)さすハ荘園(せうゑん)永く保(たも)ちかたけん。よりて村雨の一刀を鎌倉へ進上し公私(こうし)の鬼胎(まかつみ)を祓除(はらひのそ)きて心を安くせん為也。われ既(すて)に姉(あね)の為に荘園を争(あらそ)はす。いかて一口の太刀をおしまん。しかハあれとも件の宝刀ハ幼君のおん像見(かたみ)亡父(ほうふ)の遺命(めい)(をも)けれハこの身と共に滅(ほろ)ふ共姉夫(あねむこ)にハ賜(おくり)かたし。汝(なんし)人となるのちに件(くだん)の宝刀を成氏朝臣に献(たてまつ)らせて身を立させんと思ひにけれハ年あまた賊(そく)を禦(ふせ)きて秘(ひめ)おきつ。今宵汝にゆつるへしとうつはりに釣(つり)し大竹の筒(つゝ)をひきおろし中より取出す錦(にしき)の嚢(ふくろ)。紐(ひも)(とき)つゝも抜放(ぬきはな)すハこれ村雨の宝刀なり。番作ハ刄(やいば)をやをら〓(さや)に納(おさ)め信乃」
挿絵
〈番作(ばんさく)(とを)きおもんはかり刃(やいは)に死(し)す〉」40」
この宝刀(みたち)の奇特(きとく)をしるや。殺気(さつき)を含(ふく)みて抜放(ぬきはな)せバ刀尖(きつさき)より露(つゆ)したゝり刄(やいは)に〓(ちぬ)れハその水ます/\濆(ほとはし)りて拳(こふし)に隨(したか)ひ散落(さんらん)す。よりて村雨(むらさめ)と名つけらる。これを汝(なんし)にとらせんにそのさまにてハ相応(ふさは)しからす。髻(もとゝり)を短(みちか)くし今より犬塚(いぬつか)信乃戌孝(もりたか)と名告(なの)れかし。又御教書(けうしよ)の事わか姉(あね)の詐欺(たはかり)にもあれ糠助に汝か事を懇切(ねんころ)にいひ來されしこそ幸(さいわ)ひなれ。親(おや)か痩腹(やせはら)かき切て汝を姉に托(たのま)んず。これぞ則(すなはち)わか遠謀(えんほう)村雨の太刀も奪(うはゝ)れす。今より姉の手を借(か)りて汝を人と成(なさ)んのみ。今番作か自殺(しさつ)を聞(き)かハ里人いよ/\長(をさ)を憎(にく)みて集合(つとひ)てその非(ひ)を訴(うつた)ふることもやあらんと汝を家(いへ)に養(やしな)ひとり実(しつ)意を示(しめ)して里人等か憤(いきとほ)りを解(とく)なるへし。又この宝刀ハ姉夫婦(ふうふ)かいかはかり賺(すか)すとも素(もと)より親の遺命(いめい)あり。此ことのみハ承引(うけひき)かたしと固(かた)く阻(こは)みて常住坐臥(おきふし)に其盗難(とうなん)を禦(ふせ)げかし。このおん佩刀(はかせ)ハ君父(くんふ)の像(かた)見二君に仕(つか)へぬ番作か最期(さいこ)にこれ」41を借(かり)奉りて奇特(きとく)を見せんと村雨を抜放さんとする程に信乃〓て拳にすがり刄をとらんと喘逼れども小腕(うで)に及ぬ必死の勢ひわが子を楚(しか)と推伏て背に尻をうちかけつゝ推袒きて刄を引抜き右の袂を巻そへて腹へ突たて引遶し咽喉(のんと)を劈き俯に仆るゝ親と身を起す信乃も半身韓紅そがまゝ父の亡骸(なきから)に抱き著(つき)つゝよゝと泣。浩処に糠助ハ番作が回答(いらへ)聞んとて入來(く)るまゝにあるじが自殺(じさつ)駭きおそれて舌(した)をまき縡(こと)の趣長につけんとふためきて飛(とぶ)がごとくに走去(はせさり)けり。信乃ハ心をとり直し御遺言をそむくにはあらねと心よからぬ伯母夫婦(ふうふ)に養(やしなは)れん事望しからす。もしはかられて村雨の御刀(みたち)を奪(うは)ひとられなバ申とくへきことばはあらじ。此上ハ父上(ちゝうへ)とゝもにし出の山踰(こえ)て母御にあひ侍らん。嗚呼(あゝ)(しか)なりとひとりこち村雨の太刀とりあくる折からに檐下(のきば)に臥(ふし)たる与四郎犬は深痍(で)の苦痛(くつう)(たへ)すや有けん」長吠するに信乃ハ見かへり阿々与四郎ハまだ死ずや。いてや苦痛(くつう)を助(たす)け得させん。如是(によせ)畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心(ほたいしん)と念じつゝ閃かす刄の下に犬の頭(かうへ)ハ撲地(はた)と落濆る鮮血(ちしほ)とともに立(たち)のほる物こそあれ左手(ゆんて)を伸して受畄れバ是なん一顆の白玉なり。月の光によく見れバ玉の中にひとつの文字あり。方(まさに)是孝(かう)の字(し)なり。竒(き)なるかな妙なりけり。つら/\思ひあはすれバ母(はゝ)の説話(はなし)に聞知りぬこれ二ッなき重宝(ちようほう)にぞあらん。たとへハこれを得たりとも宝に惑ひて死を止まらんや。いざ父上に追付んずと父の死骸(しかい)に推並び諸膚(もろはだ)を推袒つと見れバわが左の腕に大きやかなる痣(あざ)いで來て形状(かたち)牡丹の花に似たり。後にけりと刄(やいは)を引抜(ひきぬき)(はら)を切らんとする程に忽地庭のこかけよりやをれ信乃まち給へとよびかけて糠助と蟇六龜篠の三人ひとしく走り入前左右(さいう)より抱止(いたきと)め稚心に似げ」42なき短慮(たんりよ)死るに及はず待ねかしとさま/\に諫(いさむ)るにぞ信乃ハ心に伯母(おは)夫婦(ふうふ)か憑(たのも)しき言葉(ことは)ハ底(そこ)に一物のあるとハしれど聞わきてやうやく死(しぬ)るを止りけり。かくて蟇六(ひきろく)龜篠等ハ小厮(こもの)等に指揮(さしづ)して番作か亡骸(なきから)をとり斂(おさ)めて蟇六ハ宿所にかへりつ。亀篠糠(ぬか)助ハとゝまりて棺(ひつぎ)に通夜(つや)して信乃を慰(なくさ)め次の日なき人を菩提(ぼたい)所へ送る程に里人等是を悼(いた)みて追慕(ついぼ)せずといふことなくこの日棺(ひつぎ)を送(おく)る者すへて三百余人也。さても蟇六亀ざゝハ番作か自殺(じさつ)を聞(きゝ)てみづからその家に赴き信乃が自殺を禁(とゝ)めし事ハ豫(かね)て番作か謀(はか)りしにたかはず。御教書(みぎやうしよ)の事ハ詐欺(たばかり)なるに犬塚親子自殺せバ里人等憤(いきとほ)りてことの破(やぶ)れになりもやせん。信乃をだに養(やしな)はゝ里人等が疑念(ぎねん)も解(とく)へくわが身に恙(つゝが)なかるへしと夫婦猛(にはか)に商量(だんかふ)して真実(まめやか)にもてなすものから信乃ハいよ/\心决(けつ)して父の先見(せんけん)明智(めいち)を感(かん)しさてハ自殺を止りき。それハさておき葬(ほうむり)のこと果(はて)しかバ龜篠ハ又蟇六と商量して信乃を召とらんといひしがせめて亡親の中陰果て後(のち)にこそ仰(おふ)せに」
挿絵
〈與四郎(よしらう)を殺(ころ)して信乃(しの)霊玉(れいぎよく)を得(う)る〉」43」
従ひ奉らめと是も理(ことは)りなれバ糠助を朝な夕なに音信(おとづれ)させ小者額蔵(かくざう)を薪水(にたき)の労(わざ)を佐(たす)けよと分付て信乃がかたへぞつかはしける。信乃ハ是さへ伯母(おば)夫婦(ふうふ)がわが本心を探(さぐ)らんとての間監(まはしもの)にやとおもひしかバ苟(かりそめ)にも心を放(ゆる)さず日來(ひごろ)額蔵が言行(たちふるまひ)に心をつくるによろず温順(おんじゆん)にして村落の小廝(こもの)に似すいと老実(まめやか)に仕へしかバ是より多くハ疑(うたが)はす。有日額蔵ハ信乃が浴(ゆあ)みする背後(うしろ)に立遶(めぐ)りて徐(しづか)に垢を掻(かゝ)んとて信乃が腕の痣を見て和君にも此痣(あざ)ある歟吾儕(わなみ)にも又似たることあり。是見給へとおし袒ぎて背を示すに現(げに)身柱(ちりけ)のほとりより右の胛(かいぼね)の下へかけて信乃が痣(あざ)に似(に)たる痣(あざ)あり。吾儕(わなみ)の痣ハ胎内(たいない)よりありとがり和君(わぎみ)も尓(しか)るやと問(とふ)に信乃ハ只笑(ゑみ)て答(こたへ)ず。浴(ゆあみ)し果(はて)てその衣(きぬ)を揮(ふる)ひしかバ忽地(たちまち)(たもと)の間(あはひ)より一顆(ひとつ)の白玉まろび落るを額(がく)蔵ハつく%\見て不審(いぶかし)やわなみにも此玉ありと膚(はだへ)なる護身(まもり)ぶくろより一顆(ひとつ)の玉をとり出せハ信乃も又訝(いぶか)りて是(これ)を掌(たなそこ)に受(うけ)つゝ見るにわが玉と一点(つゆ)(こと)なることなし。但(たゞし)その文字同じからで義(ぎ)」44の字(じ)(あざやか)に読(よま)れたり。こゝに至りてはしめて感悟(かんご)し恭(うや/\)しくその玉を額蔵(がくざう)に返(かへ)していふやう吾(われ)(とし)(おさな)く才(さえ)(たら)ざれバ足下(そこ)を認(みし)らず疑(うたが)ひき。此玉の等(ひと)しきハ必(かならず)宿因(いん)の致所一朝(いつてう)の縁(ゑん)にハあらし。先(まづ)わが玉の由來(ゆらい)を説(とく)べしと神(しん)女影向(えうかふ)のはじめより与四郎犬が〓(きり)口より再(ふたゝ)ひ玉を獲(え)たる終(おはり)まで猛(にはか)に痣(あざ)のいできしこと、父が先見(せんけん)遺訓(いくん)の趣些(すこし)も蔽( さ)ず説示(ときしめ)せバ額蔵(がくざう)ハ落涙(らくるい)を禁(とゝめ)あへず。且(しはらく)して貌(かたち)を改(あらた)め世に薄命(はくめい)なる者われのみならぬ。和君(わぎみ)がうへを聞バ後(すへ)たのもしき心地(こゝち)せり。抑(そも/\)吾儕(わなみ)ハ伊豆(いづ)の國北條(ほふてう)の荘官(せうくわん)たりし犬川衛二(ゑじ)則任(のりたう)が一子乳名(おさなゝ)(そう)之助と呼(よば)れしもの也。その頃鎌倉の成(なり)氏朝臣(あそん)許我(こが)へつぼませ給ひしかバ前の将軍(せうくん)義教(のり)公の第四男政知(まさとも)公を伊豆(いづ)の北條(ほふでふ)へ下させ給ひ諸國(しよこく)の賞罰(しやうばつ)を掌(つかさとら)せらる。政知(まさとも)朝臣(あそん)(たみ)を憐(あはれむ)の心なく不時(ふじ)の課(くわ)やくいと多かり。わが父(ちゝ)荘官(せうくわん)たるをもて旧(きう)(れい)を援(ひき)てしば/\宥免(ゆうめん)を乞(こひ)しかバ御所のおん怒(いか)り酷(はなはだ)しく誅(ちう)せらるべしと聞へしかバ父ハます/\うち歎(なげ)きて一通の書を遺(のこ)しつゝ母にもしらさで自害(じがい)せり。荘園(せうえん)家財(かざい)
挿絵
〈二童(じどう)(たま)を合(がつ)して異姓(せい)の兄弟(けうたい)なるを知(し)り義(ぎ)を結(むす)びて越方(こしかた)を物語(ものがた)る/芳直画〉」45」
ハ没官(もつくわん)せられ妻子(さいし)を追放(ついほう)せられしかバ母ハなく/\吾儕(わなみ)が手を掖(ひき)て彼此(おちこち)に身を置(おき)かね安房(あは)の里(さと)見の家臣(かしん)(あま)崎輝武(てるたけ)といふものハ母の従第(いとこ)でありしかバ母ハかしこを心あてに此(この)(さと)まて來(く)る程に路費(ろよう)を賊(そく)に掠(かすめ)とられ宿借(かる)べうもあらざれハ已(やむ)ことを得(え)ず村長(むらおさ)の宿(しゆく)所に赴(おもむ)きその夜の宿(やど)りを乞(こ)ふといへどもしらるゝごとき長(おさ)(ふう)婦うけ引べうもあらざれバ切(せめ)て一夜(や)を柴(しば)小屋の裡(うち)になりとも明(あか)させ給へとかき口説(くどく)にも許(ゆる)されす小廝(もの)して追(おひ)出させ門(かど)さへ杜(とぢ)て見かへらず。日ハはや暮(くれ)て雪(ゆき)ハふり進退(しんたい)其所に究(きはま)りて母ハ持病(ちひやう)さし重り果(はか)なく滅(きへ)てなき人の員(かず)に入しかバ空(むな)しき骸(から)にとり著(つき)て泣(なき)さけびつゝ天(よ)を明(あか)せバ長(をさ)ハ其為体(ていたらく)をはじめてしり吾儕(わなみ)を裡面(うち)へ呼(よひ)び入れて本貫(くにところ)を問(と)ひ母か亡骸(なきから)を棄(すつ)るがごとく埋(うづめ)させ其日吾儕(わなみ)を召(よび)出し一生涯(せうかい)奉公(ほうこう)にして小厮(もの)にせられて五年を送(おく)りにき。しかれども志(こゝろざし)農業(のうきやう)を願(ねが)ふことなく身を立(たて)家を興(おこ)さんと奉公の片(かた)手業(はざ)夜の深(ふく)るまで手習(てならひ)し撃剣(けんじゆつ)拳法(やはら)を試(こゝろ)みつゝ教(おしえ)なうしてとやらかうやら大刀(たち)すぢを」46暁(そらんじ)得たりといちぶの顛末(もとすへ)ものかたれバ信乃ハ聞つゝ吾儕(わなみ)ハ孤(みなしご)となりつは殿も又同胞(から)なし。今より義を結(むすび)て兄第とならんといふにぞ額蔵(がくざう)ハ大きに歡(よろこ)ひ固より願(ねが)ふ所也と天に向ひて誓(ちか)ひし水をもて酒に擬(なぞら)へ汲かはしてその約(やく)を固(かたう)し額蔵いへるハわが乳名(おさなゝ)は荘(そう)の助なり。いまだ実名(なのり)をつけられす。思ふにおんみハ孝(かう)をもて一郷に聞へあり。且其実(じつ)名ハ戌孝(もりたか)ならずや。これによりてか彼(かの)白玉に孝のじあるも寔(まこと)にきなり。又わが玉にハきのしあり。父ハ犬川衛二則任(のりたう)といへり。よりてわれハ乳名(おさなゝ)をかたどりて犬川荘助義任(よしたう)と名のるべし。しかれどもこれらのよしを人に告(つぐ)べきことにハあらず。只(たゞ)われとおん身とのみ欲(ほつ)する所義によりて名を汚(けが)さじと思ふハいかにと問れてしのハうちうなづき人めばかりハ額蔵(がくざう)と呼(よ)びもせん呼れ給へといへバ莞尓(につこと)と笑(えみ)てそハ勿論(もちろん)の事ぞかし。われ既(すで)に聞ることあり。その故(ゆへ)ハヶ様/\と糠(ぬか)助が亀さゝに賺(すか)されてかへりし時蟇六が云つる事その為体を詳(つばら)に告その時吾儕(わなみ)ハたいすの間に陽睡(たぬきねふり)してとみな聞つ」
挿絵
〈額藏(がくさう)が昔語(むかしがた)り犬川衛二(ゑじ)が妻(さい)一子を連(つれ)て蟇(ひき)六が軒(のき)に宿(やど)りを乞ふ/雪の日や犬の足跡梅の花 よみ人しらず〉」47」
(まこと)におんみの先考(なきちゝぎみ)ハ人をしるの先見(せんけん)(たか)し。おしむべし/\と頻(しき)りに嗟嘆(さたん)したりしかバ信乃も共に嘆息(たんそく)し吾儕(わなみ)ハ父の遺命にしたがひ宝刀をえて腹黒(はらくろ)き伯母(をば)の家に同居せバおん身が資(たすけ)によらずして宝刀を奪(うはゝ)れざることかたし。示さるゝことの趣その心をえて候と恭(うや/\)しく諾(うけか)ひしかバ額(がく)蔵且く沈吟(うちあん)じわれ又おんみと共に久しく爰に在んこと後々の為にいとわろし。翌(あす)ハ病(やまひ)に假托て一トたび母やへかへりなん。御身も中陰果(はつ)るを待(また)す凡三十五日にして早く伯母御に身をよせ給へ。既(すで)に義を結(むす)びてハおんみか父ハわが父なり。けふより心もに服(おり)て報恩(ほうおん)謝徳(しやとく)の信(まこと)を竭(つく)さん。何でふ女々しく花を手向(たむけ)(きやう)を誦(よむ)のみ孝とせんやと奨(はげま)しつゝ共に番作が霊牌を拝しいたむつましくかたらひけり。畢竟(ひつきやう)後の説話(ものがたり)甚麼(いかに)そやそハ二編目に抜粋(かきぬく)を看(み)給へかし。

公羽堂 伊勢屋忠兵衛板 

英名八犬士(ゑいめいはつけんし)初編(しよへん)終」48


【表紙】
二編表紙
英名八犬士(ゑいめいはつけんし)〔二編〕

【見返・序】
見返・序
英名八犬士 芳直画 魯文録

【序】

(それ)天狗(てんぐ)とハ何(なん)の物(もの)ぞ。種類(しゆるゐ)(さは)にして和漢(わかん)(いつ)ならず。和名(わめう)に安麻通(あまつ)止菟袮(ととね)とよび。佛家(ぶつか)にハ魔羅(まら)波旬(はじゆん)と称(とな)へり。又(また)(ほし)なりとし夜(や)(しや)飛天(ひてん)。山(やま)の神(かみ)。あるハ山魅(こだま)寃鬼(ゑんき)なりとす。物子(ぶつし)が天狗(てんぐ)の説(せつ)。諦(てい)(にん)が天狗(てんぐ)名義(めいぎ)(かう)。風來(ふうらい)が天狗(てんぐ)の辨(べん)の如(ごと)き。その文(ぶん)戯言(けげん)洒落(しやらく)に過(すぎ)て事実(しじつ)を撈(さぐ)るに足(た)らずとハ。既(すで)に夲傳(ほんでん)の作者(さくしや)もいへり。里(り)(ぞく)の謂(いわゆる)天狗(てんぐ)とハ。佛説(ぶつせつ)の譬論(たとへ)と同(をな)じく。放漫(ほうまん)(ほこ)れる者をさして。天狗(てんぐ)とハいゝしならん。余(よ)は先誓(せんてつ)の佳作(かさく)をさらつて。慢(みだり)に愚(ぐ)(めい)を記(き)するの罪(つみ)。尤(もつとも)天狗(てんぐ)に類(るい)する業(わざ)にて。點愚(てんぐ)の所為(しよゐ)といはるゝ後(のち)に。未(いまだ)(たか)くもあらぬ鼻(はな)を。つまゝれなんと耻(はぢ)る而巳。   安政二乙卯二月

鈍亭魯文漫記[印] 

[改][卯六]

【口絵】
口絵
犬山(いぬやま)道節(どうせつ)忠知(たゝとも)/直政画」1
犬川(いぬかは)荘助(せうすけ)義任(よしとう)/砕(くた)けてハまたまろかるや露(つゆ)の玉(たま)/戀岱野狐庵」

挿絵
節婦(せつふ)濱路(はまぢ)/蟇六(ひきろく)(さい)亀篠(かめざゝ)/干網(ほしあみ)も屠蘇(とそ)のふくろの形(かた)に似(に)ていわふ鋺子(てうし)の濱(はま)の初春(はつはる)/著作堂」2
陣代(ぢんだい)簸上(ひかみ)宮六/荘官(せうくわん)大塚(おほつか)蟇六(ひきろく)/五月雨(さみたれ)にまかり出たり蟇(ひき)かへる/晋子」

【本文】
冒頭
英名(ゑいめい)八犬士(はつけんし)二編(にへん)

鈍亭魯文抄録 

       ○

(かく)て犬塚(いぬづか)犬川の両童子(りやうどうし)ハかたみに志(こゝろさし)を告(つげ)(き)を結びて猶(なほ)行末を語(かた)らふ折荘客(ひやくせう)糠助(ぬかすけ)なる者門辺よりをとなひ蟇(ひき)六が方よりつけこしたるわらは男かゆへを問ふにぞ信乃(しの)ハ額蔵(かくさう)か心地わづらはしとてうち臥たりしよしをいふに糠助ハ聞あへす荘官(せうくはん)の母屋へいゆきてよしを告餘(よ)の人を替(かわ)らせんとあはたゝしけに出行ける。されハ又蟇(ひき)六龜篠(かめさゝ)ハ信乃(しの)か為に小者額蔵(かくさう)を遣はしみづからも音つれたれど元より愛(あい)する心なけれハ植(うゑ)つけ時のいそがしさにその事ハうちわすれ久しく訪(とひ)もせざりしにこの日糠(ぬか)助か來てしか/\と告(つげ)しかバやがて夫にかたらへハ蟇(ひき)六ハ舌(した)をうちならし一人りの老僕(おとな)とかはらすに額蔵(がくさう)ハはや帰り來にけり。」3氣色(けしき)を見るに異(こと)なることなけれバ彼(かれ)作病(さくびよう)せしならんと夫婦等(ひと)しくいきまけバ額蔵(がくそう)(ひたひ)に手をおしあて犬塚(いぬつか)どのにつけらるゝことはかりハ免(ゆる)し給へと侘(わび)にけり。夫婦ハ等しく額蔵をあるひハ吃(しか)りあるひハすかし信乃が様子(やうす)をうち聞くに額蔵答(こたへ)ていへるやう只今も申せし如(ごと)くたま/\物をいひかけて生應のみせられしかバ聞たる事ハ候はず。されとも今ハ伯母御の外(ほか)によるべなき人なれバいかでかこなたをうらみ給はん。初(はじめ)にハ似(に)ず慕(したは)しく思はるゝ事疑(うたがひ)なし。只(たゞ)僕につれなきハ氣質のあはざるゆへならん。身にとりて憎(にく)まるゝ事とて覚(おぼへ)候はすといふに蟇六うちうなづき額蔵を吃りこらし庖〓(くりや)の方へ退(しりぞ)かせぬ。跡に夫婦ハ談合(だんかう)するやう信乃ハこなたを疑ふて額蔵をつけたるハ隠しめつけならん歟とて心ゆるさぬ事もありなんとて背助といへる六十餘」
挿絵
〈糠(ぬか)助信乃(しの)か家(いへ)を訪(とふら)ふて額(がく)藏が安否(あんひ)を問(と)ふ〉」4」
の老僕(をうな)つかはして信(し)乃が虚実(きよじつ)をさぐり見んと両三日經(へ)て龜篠(かめさゝ)は信(し)乃が宿所へいたりつゝ事の様子(やうす)を窺(うかゞ)ふに信乃ハ背介(せすけ)を厭(いと)ふことなく背介も又まめやかに立ふるまはずといふ事なし。龜篠胸(むね)に物あれバ四方(よも)山の物語りに時を移(うつ)しいとま乞(こひ)してかへり來つ。夫(をつと)蟇六に打(うち)むかひそのていたらくハしか%\なりと潜(ひそ)やかに告(つけ)けれバ蟇六且(しばら)く思(し)(あん)なし信乃が心ざま尋(よの)常の少年ならねバうかと肌(はだ)へハ見せがたし。まづ額蔵を呼近(よひちか)づけ箇様(かやう)々々(/\)にこしらへ給へとしのび/\に語(かた)らふ折(をり)額蔵ハ障子(せうじ)のあなたをよぎる程(ほど)に龜篠ハ近(ちか)つけて汝(なんし)いか程(ほど)信乃につれなくもてなさるゝとも馴(なれ)近づきて聞ことあらバ竊(ひそか)に告(つげ)よ。これより汝を遣(つか)はして亦(また)背介とかわらせんといひつくれバ額蔵ハ小膝をさすり御(み)心やすく思召(おぼしめさ)れよとまめだちていらへをすれバ龜篠ハ立上りさらバわ」5なみが連(つれ)ゆかんと額蔵(かくさう)を伴ひ信乃か宿所に趣(をも)むきて額蔵か機嫌(きげん)にさかひしを勸解(わび)(ふたゝ)ひ背介(せすけ)とかわらせんことをのぞみけれハ信乃ハ是(これ)かれ聞(きゝ)あへずうち驚(おとろ)きたるおもゝちにてこハ思(おも)ひがけもなき。わびらるゝよしあらんや。親(をや)の居(ゐ)まそかりし日より薪水(しんすい)のわざにハわれもなれたり。資(たすけ)の人あらでもと思(おも)ひおもはず疎々(うと/\)しくもてなしたる歟(か)。かゝる事(こと)より御夫婦(ふうふ)の御こゝろにかけられんハ是(これ)(みな)おのが罪(つみ)にこそ。疎意(そゐ)あるべくも候はすといふに龜篠(かめざゝ)うち笑(わら)ひてしからんにハおちゐたり。中直(なかなほ)りせし事なれバ額蔵(がくざう)を畄(とめ)おきて背介(せすけ)をバ返(かへ)したまへ。これに就(つき)ても亡人(なきひと)の五七日の忌(いみ)日限(かぎ)りにおん身(み)を母屋(をもや)へ養(やしな)ひとらバ後(うしろ)やすく侍(はべ)りなん。いぬるハ否(いな)(か)いかにぞやと問(とは)れて信乃ハ嘆息(たんそく)しともかくも計(はから)ひ給へ。仰にもとり候はじとこゝろよく諾(うべな)ひしかバ龜篠(かめさゝ)ハ深く」
挿絵
〈荘宦(せうくわん)夫婦(ふうふ)額藏(かくさう)に命(めい)じて信乃(しの)が意中(いちう)をさくらしむ〉」6」
(よろこ)び額蔵(がくさう)を残(のこ)し置(をき)背介(せすけ)を連(つれ)て帰(かへ)りゆく。額蔵(がくざう)ハ外の方(かた)をうちながめ片折戸(かたをりど)をしかとたて元(もと)の所(ところ)にむかひ居(ゐ)て荘宦(せうくわん)夫婦(ふうふ)にいはれし事(こと)又わがいひつる事の趣(おもむ)き竊(ひそか)に信乃(しの)に告(つぐ)るになん。信乃(しの)ハ進退(しんたい)(きはま)りぬといひかけて嘆息(たんそく)す。額蔵(がくざう)これを慰(なぐさ)めて諫(いさ)むれバ信乃(の)ハ忽(たちま)ち感悟(かんご)して原是(もとこれ)(おや)の遺言(ゆいげん)なれハ吉凶(きつきやう)ハ只(たゞ)(うん)に任(まか)せん。軈(やが)て母屋(をもや)に移(うつ)りてハ膝(ひざ)を合(あは)して復心(ふくしん)をかたらふことハ難(かた)かるべし。猶(なほ)後々(のち/\)の事までも教(おしへ)あらハ示(しめ)し給へといへバ額蔵(がくざう)(かうべ)をなで我(わが)(さい)おん身(み)に及(およば)ねども俗(ぞく)にいふ岡見(おかみ)八目(はちもく)なり。素(もと)より智嚢(ちのう)(とみ)給へハ機(き)に臨(のぞ)み変(へん)に應(おう)じて禍(わざはひ)を避(さけ)給へ。われ又竊(ひそか)に盾(たて)となりて笑(ゑみ)の中なる刄(やいば)を防(ふせ)がん。ゆめ秘(ひ)すべしとさゝやきつ示し合する思慮(しりよ)遠謀(ゑんほう)(げ)に一双の賢童(けんどう)なり。

○さる程に番作(ばんさく)が三十五日の對夜(たいや)」7になりつ。蟇六(ひきろく)ハ一村(いつそん)の荘客(ひやくせう)(ら)を信乃(しの)か方(かた)へうちまねき饗應(けうおう)して扨(さて)いふやう番作(ばんさく)が一子(いつし)信乃(しの)いつまでか手放(てばな)して置(をく)べきハ夲意(ほゐ)ならねバ翌(あす)ハ母屋(をもや)へ迎(むか)へとりて守育(もりそだて)(むすめ)濱路(はまぢ)をめあはして大塚(おほつか)(うじ)の世嗣(よつぎ)とすべし。就(つき)てハ各々(をの/\)の購(あがな)ひて番作(ばんさく)につけられし田畑(たばた)ハ返(かへ)し申さんか。又(また)信乃(しの)に與(あたへ)ん歟(か)と問(とへ)バ皆々(みな/\)(かうべ)をもたげ親(おや)の物(もの)ハ子(こ)に讓(ゆづ)る貴賤(きせん)上下のけじめなし。件(くだん)の田畠(たはた)の主(ぬし)といふはこゝの息子(むすこ)の外(ほか)になし。よきに計(はから)ひ給ひねといふに蟇六(ひきろく)うち笑(ゑみ)てしからバ信乃(しの)が成長(ひとゝ)なるまで沽券(こけん)ハ某(それがし)あづかるなり。又此(この)(いへ)ハ床(ゆか)を拂(はら)ふて彼(かの)番作(ばんさく)(だ)の稲城(いなき)とせん。各々(おの/\)承知(せうち)せられよと信(まこと)めかしておのが田(た)へ引(ひく)とハしるや水飲(みづのみ)百姓(ひやくせう)(かほ)(み)あはしていらへ兼(かね)れバ庖〓(ほや)の方(かた)より龜篠(かめざゝ)ハ相槌(あいづち)(うた)んと進(すゝ)み入(い)りて信乃(しの)がほとりに推並(をしなら)び口(くち)にまかしていひくろむれバ百姓(ひやくせう)(ら)一同(いちどう)」に番作(ばんさく)どのゝ御子息(ごしそく)を壻(むこ)かねにと宣(のたま)はするを一郷(いちがう)の人(ひと)(おほ)かた聞(きけ)り。かくてハ何(なん)でふ疑(うたが)ふべき。件(くだん)の田畑(たばた)ハ荘宦(せうくわん)大人(うし)(しばら)く管領(くわんれう)せられん事(こと)勿論(もちろん)に候と異口(いく)同音(どうおん)にいらへしかバ蟇六(ひきろく)龜篠(かめさゝ)(よろこ)ぶ事(こと)大かたならず。斯(かく)て其夜(そのよ)初更(しよこう)のころ饗膳(きやうぜん)やうやく果(はて)しかバ皆々(みな/\)よろこびを述(のべ)いとまを告(つげ)て次第(しだい)/\にかへりゆく。その明(あけ)の朝(あさ)信乃(しの)ハ亡(なき)父母(ちゝはゝ)の墓(はか)に香花(かうはな)を手向(たむけ)んとて菩提院(ぼだいいん)へ赴(おもむ)きしに帰(かへ)るをまたで蟇六(ひきろく)夫婦(ふうふ)ハ小者(こもの)(ら)を駈立(はせたて)て犬塚(いぬづか)か家(いへ)の調度(てうど)をとり運(はこ)ばせ竈下(かまもと)の物(もの)(たゝみ)建具(たてぐ)ハ大かた賣拂(うりはら)ひてはやく明夜(あきや)にしたりけり。信乃(しの)ハかうともしらずして我(わが)宿(やど)(ちか)く帰(かへ)り來(く)る道(みち)のほとりにて額蔵(がくざう)に行(ゆき)あひて彼(かの)(おもむ)きをうち聞(きゝ)てあきれ果(はて)額蔵(かくさう)を先(さき)に立(たゝ)して我家(わかいへ)の門(かど)に立(たゝ)ずみつゝ彼(かの)(よ)四郎を埋(うづ)めたる梅(うめ)の樹(き)のほとり」8を見(み)ても只(たゝ)愛惜(あいしやく)の袂(たもと)(つゆ)けし。いでや渠が為にしも〓都婆を建(たて)んとひとりこぢて短刀(たんとう)に著(つけ)たる刀子(さすか)を抜(ぬき)とり梅(うめ)の幹(みき)をおし削(けつり)りて墨斗(やたて)の筆(ふて)を抜出(ぬきいた)し如是(によぜ)畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心(ほたいしん)南無阿弥陀佛としるし付て仏名(ぶつみやう)を十遍(へん)ばかり唱(とな)へたり。扨(さて)あるべきにあらざれハそが儘(まゝ)伯母(おば)の宿所(しゆくしよ)(いた)れハ蟇六(ひきろく)夫婦(ふうふ)ハ信乃をいざなひ西おもてなる一間(ひとま)に赴(おもむ)きこゝをおん身(み)が部屋(へや)にせんと他事(たし)もなけにそもてなしける。次の年(とし)の春(はる)弥生(やよひ)信乃(しの)ハ亡親(なきおや)の一周忌(すいき)を迎(むか)へしかバ對夜(たいや)にハ父母(ふほ)の冥福(めうふく)を祈(いの)りあけの朝(あさ)額蔵(かくさう)を従(したか)へ寺(てら)へ詣(もうて)て諸倶(もろとも)に回向(ゑこう)に時(とき)を移(うつ)し涙(なみた)そいとゞ進(すゝ)みける。斯(かく)てその帰(かへ)るさに宿所(しゆくしよ)(ちか)くなるまゝに信乃(しの)ハわが舊宅(きうたく)をつく%\ながめこれすら涙の媒なるに去歳(こそ)のその月与四郎(よしらう)が後(のち)の世の為(ため)に幹(みき)を削(けつり)て如是(によせ)畜生(ちくしう)云云(しか/\)の經文(きやうもん)を書(かき)つけたる梅(うめ)の樹(き)の殊更(ことさら)(しけ)りつゝそのきすいえ文字は滅(きえ)
挿絵
〈信乃(しの)与四郎(よしらう)が為(ため)に〓都婆(らうとば)を建(たて)る〉」9」
て青梅子(あをうめ)(おひたゝしく)(なり)にけり。主従(しう/\)ハすゝみよりてつく/\とうちなかめたるに此(この)(うめ)その枝(えた)(ごと)に八ッづゝ生(なり)ぬ。世(よ)にいふ八ッ房(ふさ)の梅(うめ)ならんと信乃(しの)ハ手(て)にとりうち見(み)て き竒(き)なる哉(かな)。こハ八ッ房(ふさ)のみにハあらず。ひとつハ仁(しん)ひとつハ義(き)この他(ほか)(れい)(ち)(ちう)(しん)(かう)(てい)の文字(もじ)あり。その実(み)(こと)に一字(いちし)づゝ顕然(けんせん)として読(よま)れたり。爰(こゝ)に至(いた)りて両(りやう)賢童(けんどう)こハ/\いかにとばかりになほ疑(うたが)ひはとけざりけり。しばらくして額蔵(がくざう)ハ肌(はだ)の守(まもり)のふくろなる秘蔵(ひさう)の玉(たま)を取出(とりいた)しこれ見(み)(たま)へかし。梅(うめ)の実(み)と此(この)(たま)とそのかたち相似(あいに)たり。その文字(もし)も異(こと)ならず。こハ故(ゆへ)あるべき事(こと)なれともさとりがたく候といふに実(げ)にもと我(われ)も又守(まも)りぶくろを秘(ひめ)をきし玉(たま)をとう出(で)てあわせ見るにそのおほきさも文字(もし)も等し。誠(まこと)に然(さ)なり。因(ゐん)歟果(くわ)歟。玉(たま)といひ梅(うめ)といひ符節(ふせつ)をあはせてます/\竒(き)なり。試(こゝろ)みに推(おす)ときハこの玉(たま)(もと)ハ八顆(やつ)ありて仁義(じんぎ)八行(はつかう)の」10文字(もじ)を具足(ぐそく)したるにや。しからバ殘(のこ)れる六ッの玉(たま)(よ)になしといふべからず。かならずしも因縁(いんゑん)あらバ後(のち)に思ひあはせんのみ。ゆめ秘(ひ)すべしとさゝやきあふてその梅(うめ)の子(み)を紙(かみ)に捻(ひね)りて玉(たま)もろともに嚢(ふくろ)に納(おさ)め荒(あれ)たる庭(には)を走(はし)り出(いで)やがて宿所(しゆくしよ)にかへりけり。

○扨(さて)も犬塚(いぬつか)蟇六(ひきろく)ハ信乃(しの)を迎(むか)へとりてより女房(によぼう)龜篠(かめさゝ)もろ倶(とも)にいと愛(あい)々しくもてなす物(もの)から只(たゞ)外聞を飾(かざ)るのみ。心(こゝろ)に刄(やいば)を磨(とぐ)(こと)(おほ)かり。そをいかにぞと尋(たつぬ)れバ蟇六(ひきろく)(すで)に里人等を欺きて番作(ばんさく)(だ)を横領(わうれう)したれども未(いまた)村雨(むらさめ)の太刀(たち)を得(え)とらず。これを手(て)に入(い)れて後(のち)(かの)少年(せうねん)をおしかたづけん。さるときハ宝刀(みたち)によりて我身(わがみ)いよ/\なり出べく又濱路(はまぢ)にハよき壻(むこ)とりて我身(わがみ)ます/\老樂(おひらく)なるべし。しかハあれども信乃(しの)尋常(じんじやう)の童(わらべ)ならぬにはやりて事(こと)を仕損(しそん)ぜハ毛(け)を吹(ふき)て疵(きづ)を求(もと)めん。只(たゞ)まめやかにもてなして由断(ゆだん)さするにます事(こと)なしと腹(はら)の内(うち)に深念(しあん)しつ龜篠(かめざゝ)にのみ」
挿絵
〈梅樹(ばいしゆ)八房(やつふさ)を生(しやう)じて実(み)(こと)に八行(はちぎやう)の文字(もじ)を顕(あらは)す〉」11」
機密(きみつ)を告(つげ)て斯(かく)(はか)るにぞありける。かゝれバ信乃(しの)が危(あやう)きこと大かたならねど親(おや)の先見(せんけん)遺訓(いくん)あり。加るに才器(さいき)勇悍稀有の少年なりけれハ其(その)(ぜう)をよく知(し)りて片時(へんし)も心(こゝろ)を放(はな)さず村雨(むらさめ)の宝刀(みたち)ハ平常(へいぜい)(こし)に離(はな)さず守(まも)る事(こと)等閑ならねバ偸児(ぬすびと)の隙(ひま)あることなし。主客の勢(いきほ)ひかくの如(ごと)くにして一トとせあまり送(おく)りつゝ奸智(かんち)に長(たけ)たる蟇六(ひきろく)なれどもなまじひに手(て)をかけて見咎(みとが)められなバ年(とし)ごろ日(ひ)ごろ心尽(こゝろつく)しも泡(あわ)と消(きえ)て我上(わかうへ)ならんとあやぶむ程(ほど)にぬすむ心(こゝろ)の稍(やゝ)(をこた)りてことし又思(おも)ふやう村雨(むらさめ)の太刀(たち)(て)に入(い)るとも信乃(しの)が安穩(あんおん)てこゝにをらバ夫(それ)を管領家(くわんれいけ)へまいらするに由(よし)なし。よしや彼(かの)宝刀(みたち)(いま)わが物(もの)にならすとも主(ぬし)も物(もの)も爰(こゝ)にあり。遠(とほ)く謀(はか)れバ長(なが)く利(り)あり。短慮(たんりよ)ハ功(こう)をなし難(がた)しと様(やう)やくに思(おも)ひかへしつゝ龜篠(かめさゝ)にも其心を得させてしばらく盗(ぬす)むの手(て)をおさめ只(たゞ)をり/\額蔵(がくざう)に信乃(しの)が意中(しんちう)をさぐ」12らするにこれ將(はた)便りを得たるにもあらざれバ亦額蔵(かくさう)ハ件(くたん)の事をあるじ夫婦(ふうふ)に問るゝ毎に陽(うへ)にハ信乃(しの)の譏(そし)れども害(かい)なるべき事をバいはずその問れし事を答(こた)へしよしを竊(ひそか)に告ざる事なけれバ信乃はます/\由断(ゆだん)せずこれも陽(うへ)にハ伯母を慕(した)ひて小者にひとしく使れけり。かくて春と明秋と暮(く)れ流るゝ月日に委(よど)みなけれバ文明(ふんめい)も早九年になりつ。此年信乃ハ十八才濱路(はまぢ)ハ二ッ劣りにて二八の春を迎(むか)へける。この夫にしてこの婦(つま)あらんハ寔に天縁(てんゑん)なるべしとて里人これを誉(ほめ)ざるものなく荘宦(せうくわん)夫婦を見る毎にその婚姻(こんいん)を催促(さいそく)す。蟇(ひき)六夫婦ハ兼(かね)ていひつる事あれバこの返答(へんとう)に迷惑(めいわく)して害心(かいしん)爰に再發(さいはつ)し竊(ひそか)に信乃をおしかたづけんと心急ぎのせらるれども十一二歳(さい)の時だにも謀(はか)りかたき才子なるに今ハはや丈夫(おとこ)になりて身長(たけ)五尺八九寸膂力(ちから)も定て強(つよ)かるべし。」二葉にして摘(つま)ざれバ竟(つひ)に斧を用ゆるとぞいふなる。早くうしなふべかりしに悔(くや)しき事をしてけりと臍(へそ)を噬(かめ)どもその甲斐なく案事煩(わつら)ひたりける折隣郷(りんこう)忽地(たちまち)騒動(そうとう)して不慮の合戦(かつせん)起りにけり。縁故(ことのもと)を尋るに爰に武藏國豊嶋郡(としまのこほり)豊嶋の領主(りやうしゆ)小嶋勘解由(かけゆ)左衞門の尉(せう)(たひらの)信盛(ゝぶもり)といふ武士ありけり。その弟煉馬(ねりま)平左衞門倍盛(ますもり)ハ則煉馬の舘(たち)にあり。この餘平塚(ひらつか)(まる)塚の一族(ぞく)蔓延(まんえん)して栄めでたき舊(きう)家なり。信盛兄第その初めハ両管領(くわんれい)に従(したが)ひしに聊怨るよしありて遂(つひ)に胡越の思ひをなせり。しかるに此頃管領山内家の老臣長尾(なかを)判官景春(かけはる)越後(ゑちこ)上野(かうつけ)兩國を伐靡(せめなびけ)て既(すて)に自立の志あり。よりて豊嶋(としま)をかたらふに信盛(のぶもり)立地(たゝち)に一味同意していよ/\管領(くわんれい)に従がはず。さる程に山内(やまのうち)扇谷(あふきがやつ)の両管領しのび/\に軍議(くんき)を凝(こ)らし敵(てき)の威微(いきほひゞ)なるうちに先はや豊嶋(としま)を」13討(うた)んとて文明(ぶんめい)九年四月十二日巨田(おほた)持資植杉(うゑすき)刑部(ぎやうふ)千葉(ちば)自胤(よりたね)(ら)を大将(たいせう)として軍勢(ぐんせい)凡一千餘騎(よき)不意(ふい)に池袋(いけふくろ)まで推寄(をしよせ)たり。豊嶋(としま)(かた)ハ思(おも)ひ設(もう)けぬ事なれバしはしハ防(ふせ)き戦(たゝか)へども撃(うた)るゝ者(もの)(かつ)をしらず。剰(あまさへ)信盛(のぶもり)倍盛(ますもり)も乱軍(らんぐん)の中(うち)に撃(うた)れにけり。これによりて世間しばらく静(しつか)ならす。菅菰(すかも)大塚(おほつか)の里(さと)までも人の心穩(おだやか)ならねバ蟇六龜篠等(とう)ハ幸(さいはい)の事(こと)におもひてかくてハ子(こ)どもの婚姻(こんいん)も今年(ことし)ハ整(とゝの)ひ難(かた)かるべし。明年(みやうねん)波風(なみかぜ)おさまらバ必(かならず)濱路(はまぢ)を妻(めあ)はして信乃(しの)に村長(むらおさ)を讓(ゆつら)んとて里人(さとひと)(ら)にも此(この)よしを告(つげ)(まづ)一界(かい)を逃(のが)れけり。されハ又蟇六(ひきろく)が養女(やうぢよ)濱路(はまぢ)ハ八九歳(さい)のころよりして二親(ふたおや)の口(くち)づから信乃(しの)ハ夫(おつと)よ汝(なんじ)ハ婦(つま)よといひ囃(はや)したる言葉(ことば)の露(つゆ)を実(ま)ことゝ受(うけ)てなま心(こゝろ)つきしより世(よ)に耻(はづか)はしく歡(よろこ)はしくそれとはなしにその人に物(もの)いはるゝも樂(たの)しくて心(こゝろ)に入(しめ)て仕(つか)へたり。しかるに彼(かの)二親(ふたおや)ハ養(やしな)ひ娘(むすめ)といふよしを告(つげ)も」
挿絵
〈濱路(はまぢ)信乃(しの)によらんとして龜篠(かめざゝ)に隔(へだて)らるゝ/一盛齋芳直画圖〉」14」
しらせす只(たゝ)(うみ)の子(こ)のことくすなれど竊(ひそか)に告(つぐ)る者(もの)ありて実(しつ)の親(おや)は煉馬(ねりま)の家臣(かしん)某乙(なにかし)といふものにて同胞(はらから)もあるよしを灰(ほのか)に聞(きゝ)なつかし涙(なみた)に袖(そて)の露(つゆ)かはく隙(ひま)もなかりしがことし煉馬(ねりま)(け)滅亡(めつほう)し一族(いちぞく)従類(しゆるい)大かたならず討(うた)れたりと聞(きこ)えしかバ濱路(はまち)ハ哀(かな)しさやるかたなくつく%\と思ふやう心(こゝろ)の憂(うれひ)やるかたなけれどかたらふべき人ハあらず。わなみの為(ため)にハ犬塚(いぬづか)ぬしのみまた婚姻(こんいん)ハせざれども幼(をさ)なきより二親(ふたおや)の許(ゆる)し給ひし夫(をつと)にこそ。よにたのもしき人(ひと)と見(み)つれバ身(み)の憂事(うきこと)をあからさまに告(つげ)てその智(ち)を借(か)らんにハ実(まこと)の親(おや)の姓名(せいめ )もその存亡(そんぼう)もしよしありてその陣歿(うちじに)の迹(あと)をしもわが為(ため)に弔(とひ)給ふ事なからずやはと尋思(しあん)しつ。しのび/\に人なき折(おり)を窺(うかゞ)ふにある日信乃(しの)ハ部屋(へや)に籠(こも)りて独(ひとり)(つくへ)に臂(ひち)を倚(よせ)かけ訓閲集を読てをり。濱路(はまぢ)ハ竊(ひそか)に歡(よろこ)ひてつまだてほとりにいゆきてもの」15いはんとする程(ほど)にあはたゞしく來(く)るものあり。濱路(はまぢ)あなや走(はし)り出たるこれ彼の足音(あしおと)に信乃ハはしめて見かへれバ後に來つるハ龜篠(かめさゝ)なり。その時信乃ハ机を掻(かい)遣り立(たち)むかへんとしつれども龜篠からかみをあけたる儘にうちにハ入らず走(はし)りかくるゝ濱路(はまぢ)が背(せ)をいぶかしげに見送(みおく)りつ。やよ信乃よ和殿(わどの)も兼(かね)て知(し)る如く糠助(ぬかすけ)阿爺(おやぢ)が長きいたつききのふけふハいと危(あやう)く薬(くすり)も咽喉(のんど)にとほらずとあたりの人に今聞つ。むかしハ和殿が家(いへ)に隣(とな)りて親(した)しくまじらひたるものなれバ息の内に今(いま)一トたび見まほしといふとなん。訪んと思はゞ疾(とく)ゆきねといふに信乃(しの)ハうち驚(おどろ)きそハ苦々(にか/\)しき事に侍り。往(さき)に安否(あんひ)を問(とひ)しときさまでにハ見へざりしが齢(よはひ)六十に餘(あま)れる人の時疫(のけ)なれバ心もとなし。とく往(ゆき)てかへり候はんといらへてやがて刀を引提(ひ さげ)(たつ)を見かけて龜篠(かめさゝ)ハ納戸の方へ赴き」けり。

○斯(かく)て信乃ハ糠助(ぬかすけ)(いえ)に赴き枕方(まくらべ)に膝を進めて心地ハいかにと問(と)ふ程に糠助ハいと苦(くる)しけにうち咳き犬塚ぬしよくそ來ませし。年來(としごろ)あはれみをかけ給はりし報ひも得(え)せず別になりぬ。某(それがし)ことし六十一歳女房にハ後(をく)れたり。たくわへもなく氏族(うから)なけれハうしろやすきに似たれども心かかりハ在としも人にハ告さるわか子の事のみ。某原(もと)ハ安房國(あわのくに)洲崎のほとりの土民(とみん)なり。長禄三年十月下旬先妻(せんさい)に男児(をのこ)出生て玄吉となづけたり。いと健(すくよ)かに見えたるに母ハ産(さん)後の儘肥立(ひたゝ)ず乳に乏しかりけれハ児(こ)さへ脾疳(ひかん)の病(やまひ)つきて母の看病(かんひやう)その子の介抱(かいほう)耕作(かうさく)網引(あびき)を外にしてはや二とせになりしかバ物大かたハ賣(うり)つくし剰(あまつさへ)女房(にようほ)ハ終(つひ)にむなしく成にけり。迹(あと)に残るハ借銭(しやくせん)とこの年僅に二歳の稚児(をのこ)(わが)身一ッに字(はぐゝ)みかたし。いかで養(やしな)ふ人もがなとこひ」16ねかへとも貰(もら)ひ乳(ち)もて辛(から)く育(そだ)つる稚児なれハ痩(やせ)さらはひ餓鬼(がき)の如く養育(やういく)(しろ)を贈(おく)らでハ貰(もらは)んといふ人のなけれハせんすへつきたる出來ここの洲嵜(すさき)の浦(うら)は霊地(れいち)とて役行者の〓あれハ殺生(せつしやう)禁断(きんだん)せられたり。この故(ゆゑ)に介鱗(うろくず)其処(そこ)にあつまりて網代なき生洲(いけす)に似(に)たり。竊(ひそか)に網(あみ)を下すならハ一夕にして数貫(すくわん)の銭を獲(う)ること易しと思ひしかハ偽(いつは)りて稚児をしはし隣家(となり)に豫(あづ)けつ闇に紛れて彼禁断所へ舩漕(こぎ)入れしに人に知られて忽地(たちまち)に捕(いけど)られ國守(くにもり)の廰(ちやう)へひかれにけり。脱(のが)るへき路のなけれハしはらく獄舎につなかれしに折もよく其秋ハ國守(こくしゆ)里見殿の奥(おく)さま五十子(いさらご)の上またおん愛女(まなむすめ)伏姫(ふせひめ)うへの三回忌に當らせ給へバ傾(にわか)に大赦(たいしや)を行れてわなみも死罪をなだめられやがて追放(ついほう)せらるゝなり。側(すなはち)(かみ)のおん慈悲(じひ)により村長に領(あづけ)られたる小児玄」
挿絵
〈糠助(ぬかすけ)病床(ひやうしやう)にいにしへを語(かた)りて信乃(しの)に一子をたのむ〉」17」
吉を返し下されたりけれハこれを背負(せおひ)安房(あわ)を追れ上總をよきりて下總(しもふさ)なる行徳(ぎやうとく)まて來つるに親も子も餓(うへ)労れ所詮途(みち)に仆(たを)れて死耻(しにはじ)を曝(さら)さんより親子諸倶(もろとも)身を投(なげ)るこそますらめとおもひさため名も知らぬ橋欄干(らんかん)に足を踏(ふみ)かけおとりいらんとしつる折武家の飛脚(ひきやく)とおほしき人件(くだん)の橋を渡りかゝりていそかはしく抱(だ)きとゝめ懇(ねんころ)に縁故(ことのもと)を問(とは)れしかハ懺悔の為に耻(はぢ)を忍(しの)ひて一部始終(いちふしぢう)を告しかハその人聞て深く憐(あはれ)み扨ハ汝(なんじ)ハ素(もと)よりの悪人(あくにん)にハあらさりけり。われハ鎌倉の成氏(なりうし)朝臣(あそん)の御内にて小禄(せうろく)卑職のものなれとも聊(いさゝか)慈善(ぢぜん)の志願(しくわん)あり。その故ハ年今四十に餘(あま)るまて子ハ持なから子育(こそだて)なし。されハ年來(ころ)夫婦心をひとつにして神仏を祈念(きねん)し奉り又身に稱(かな)ふへき事ハ艱苦(かんく)を救(すく)はんと心に誓(ちか)ふも久しくなりぬ。しかるに汝ハ殊(こと)にして」ひとりの子をもてあまし親子(おやこ)ほと/\死(しな)んとせり。人さま%\の浮世(うきよ)なり。されバその子(こ)をわれに得(え)させよ。ともかくもして養(やしな)はんとよにたのもしくいはれしかバその時のかたじけなさ地獄(ぢこく)で逢(あい)し仏(ほとけ)歟神(かみ)歟と思(おも)へバ更(さら)に一議(いちぎ)に及(およ)ばず。そがいふまゝに承(うけ)引て只(たゞ)感涙(かんるい)を推拭(おしぬぐ)へハ彼(かの)人かさねて我(われ)ハ殿(との)のおん飛脚(ひきやく)に安房(あわ)の里見へ赴(おもむ)きたるかへさなれバ私(わたくし)に幼子(をさなこ)を携(たづさ)へがたし。このわたりにハ定宿(ぢやうやど)あれバ且(しばら)くその子(こ)を預(あづ)け置(おき)鎌倉(かまくら)へ立かへりて妻(つま)にも告(つげ)日ならず迎(むか)へとるべし。汝(なんぢ)ハけふより後(うしろ)やすく思ふて志(こゝろさ)すかたあらハとく赴(おもむ)きねと喩(さと)しつゝ路費(ろよう)にせよとて懐中(くわひちう)なる方金(ぶばん)二ッとり出し賜(たび)しかバ辞(ぢ)するによしなく受納(うけおさ)め重々(ぢう/\)の恩儀(おんぎ)を謝(しや)して玄吉(げんきち)を賺(すかし)こしらへわたせバやをら抱(いだ)きとりてもと來(き)しかたへ立戻(たちもと)るをつくづくと見送りたる。歡(よろこば)しくも悲(かな)しくて是(これ)なん親子(おやこ)一生涯(いつせうがい)の別(わか)れなれ」
挿絵
〈糠助(ぬかすけ)がさん悔話一子を捨(すて)て一子(いつし)をたすく〉」19」
ども養親(やうおや)の名(な)をも得(え)(と)はずわれも名のらず。爰(こゝ)にはじめて恩愛(おんあい)の重荷(をもに)をバおろしても竭(つき)ぬ名殘(なごり)ハ葛飾(かつしか)の行徳(きやうとく)(はま)より便舩(びんせん)していさゝか相識(あいし)る人あれハこの大塚(おほつか)に流(なが)れ來(き)て農家(のうか)に奉公(ほうこう)する程(ほど)に次(つき)の年この家の先住(せんしう)なる籾(もみ)七といふ者身まかりて後家(ごけ)に入夫をもとむるとてある人に媒約(なかだち)せられその名跡(めうせき)を續(つぎ)たるなり。さるにても玄吉(けんくち)か事のみおもひ出(いで)て恙(つゝが)なく生育(おひたて)かし人なみ/\の人になれと願(ねが)ふものから去年身まかりし妻(つま)にも告(つげ)ざるわが子の上を今臨終(しにきは)に口走(くちはし)り和君(わくん)に告(つぐ)るハ凡庸(よのつね)ならぬ信義(しんぎ)を豫(かね)てしれバなり。且(かつ)鎌倉(かまくら)の前(さきの)管領家(くはんれいけ)ハ番作(ばんさく)ぬしの主筋(しうすぢ)ならずや。されば又成氏(なりうじ)朝臣(あそん)ハ両(りやう)管領(くわんれい)山内顕定ぬし扇谷(あふきがやつ)定正ぬしと不和にして鎌倉(かまくら)のおん住ひかなはせ給はゞ許我(こが)の城(しろ)に移(うつ)らせ玉ひ其処をも追(おは)れて近(ちか)ころハ千葉(ちは)の城(しろ)にましますと」20世の風聞(ふうぶん)に傳(つた)へ聞(きけ)り。しからバわが子玄吉(げんきち)もその養親も役(やく)に従(したが)ひ下總千葉(ちば)にあらんすらん。和君(わくん)もし許(もと)(わか)殿(との)へ参り給ふ事ありてその便宜(びんぎ)をもて玄吉(げんきち)を識(し)る事あらバこれらのよしを潜(ひそ)やかに傳(つた)へてたべ。わが子ハ実(じつ)の親(おや)のあるよしをしらでをらばバ是非(ぜひ)もなし。灰(ほのか)に傳(つた)へ聞(きく)事あらバ些(すこし)ハ心(こゝろ)にかゝるべし。よしや只今(たゞいま)めぐり會(あふ)とも親子迭(かたみ)に面(をも)忘れして名(な)告よすがハあらさめれど渠(かれ)ハ生(うま)れながらにして右の〓尖(ほうさき)に痣(あざ)ありて形(かたち)牡丹(ぼたん)の花(はな)に似(に)たり。又渠(かれ)が生(うま)れたる七夜にハ祝(ことほ)きの為(ため)わが釣(つり)せし鯛(たい)を包丁(ほうてう)したりしに魚(うを)の腹(はら)に玉(たま)ありて文字(もじ)のごときもの見(み)えたり。取(とり)て産(さん)婦に讀(よま)せしにこれまことゝか訓(よ)む信(しん)の字(じ)に似(に)たるやうなりといへり。よりて渠(かれ)が臍帯(ほそのを)もろともに護身嚢(まもりふくろ)に納(おさ)めつゝ長禄三年十月廿日延生(たんじやう)安房(あわ)の住民(ぢうみん)糠助(ぬかすけ)が一子玄吉(げんきち)が初毛(うぶけ)臍帶(ほそのを)並に」
挿絵
〈糠(ぬか)助鯛(たい)を包丁(はうてう)して名玉(めいきよく)を得(え)る〉」21」
感得(かんとく)秘藏(ひざう)の玉(たま)と母(はゝ)が手(て)づから写(しる)しつけたる國字(ひらかな)にして釘(くに)のおれの曲(まが)りなりにも讀(よめ)つべし。渠(かれ)物情(ものこゝろ)を知(し)るころまで失(うしな)はずバ今(いま)なほあらん。これらを證拠(しやうこ)にし給ひてよ。紛(まぎ)れあるべくもあらずかし。又和君(わくん)とても末遥(すへはるか)なる弱冠(わかうど)でおはすれバ勉(つとめ)て發跡(なりいで)給へかしといひつゝ頻(しきり)に落涙(らくるい)す。信乃(しの)ハ彼(かの)(げん)吉が痣(あざ)の事(こと)玉の事(こと)わが身(み)に思ひ合せつゝ大かたならず感嘆(かんたん)しそのいふよしをしかと諾(うべな)ひなほさま%\にいたはり慰(なぐさ)めたりけれハ糠助(ぬかすけ)ハ掌(たなそこ)をうち合(あは)して拝(おが)むのみ。哀情(あいじやう)(むね)に塞(ふさ)がりてや復(また)いふこともなかりけり。かくてはや黄昏(たそかれ)になりにけれバ信乃(しの)ハ行燈(あんとう)に灯(ひ)を点(とも)しふたゝび湯剤(くすり)を勸(すゝめ)などしつ。別(わかれ)を告(つげ)て宿所(ひやくしよ)にかへりその夜(よ)額藏(がくざう)にのみ糠助が遺言(ゆいげん)のよしを物語(ものがた)り玄吉(げんきち)が痣(あざ)の事玉の事を告(つげ)にけれバ額藏聞(きゝ)て驚嘆(きやうてん)しこれ必(かならず)吾黨(わかとう)の」22人ならん事疑(うたか)ひなし。この身(み)が儘(まゝ)になるならバ今にも其所(そのところ)へ赴(おもむ)きて見(み)まほしくこそ候へど密話(さゝやき)あへず立別(たちわか)れ詰(あけ)の朝(あさ)とく起(おき)て糠助(ぬかすけ)を訪(とは)んとせしにその近隣(きんごう)の荘客(ひやくせう)詣來(もうき)て糠助(ぬかすけ)ハこの暁(あかつき)に身(み)まかりたるよしを告(つげ)にけれバ信乃(しの)は殊更(ことさら)にこれを悼(いた)みてしば/\蟇六(ひきろく)に説(とき)勸めて永樂銭(ゑいらくせん)七百文貸與(かしあた)へてその夜(よ)道場へ棺(ひつぎ)を送(おく)らせ日子(ひから)(へ)て其家(いへ)を賣(うる)(とき)(くだん)の七百文を返(かへ)し納(いれ)させ残(のこ)れる銭(ぜに)と最褊(いさゝか)なる田圃(たはた)は彼(かの)道場(とうしやう)へ寄進(きしん)して糠助(ぬかすけ)夫婦(ふうふ)そが代々の香花(かうげ)の料(りやう)にしたりけり。

○爰(こゝ)に亦(また)管領家(くわんれいけ)の浪人(らうにん)に網乾(あぼし)左母二郎(さほじらう)といふ壮佼(わかうど)ありけり。近(ちか)き比(ころ)まで扇谷(あふぎがやつ)定正(さたまさ)に仕(つか)へて扈従(こせう)たり。便佞(べんねい)利口(りかう)の者(もの)なれハ一トたひハ寵用せられて人を〓(そこのふ)こと多(おほ)かり。よりて傍輩(はうばい)に強訴(こうそ)せられ忽地(たちまち)にその非義(ひぎ)あらはれ軈(やが)て追放(ついほう)せられけり。そが父母(ふぼ)ハ往(さき)に世(よ)をさりいまだ妻子(やから)もあらされハ遠縁(とうゑん)」のものをよるべに大塚(つか)の郷(さと)に流浪(さすら)ひ來(き)つ。糠助(ぬかすけ)か舊宅(きうたく)を購(あがな)ひ得(え)て形(かた)の如(ごと)く膝(ひざ)を容(いれ)たり。されバこの左母(さぼ)二郎ハ今茲(ことし)二十五歳(さい)にして色(いろ)白く眉(まゆ)(ひいて)(ひな)にハ稀(まれ)なる美男(びなん)なり。そが上に草書(はしりがき)(つたな)からず。しかのみならず遊藝(ゆうげい)ハ歌舞(かぶ)艶曲(ゑんきよく)(なら)ひうかめずといふことなし。犬塚(いぬつか)番作(ばんさく)(み)まかりし後(のち)(さと)に手跡(しゆせき)の師匠(しせう)なけれバ左母二郎(さぼじらう)ハ毎日(ひごと)に手習子を集(あつ)めて生活(なりはひ)とし又女の子にハ歌舞(かぶ)今様(いまやう)を誨(おしゆ)るに浮(うき)たる技(わざ)を好(この)むもの都(みやこ)も鄙(ひな)も多(さは)なれバ手迹(しゆせき)にまして遊藝(ゆうげい)の弟子(をふこ)日々に聚來(つどい)つ。打囃(うちはや)し舞(ま)ふほどに是首(ここ)の少女(をとめ)彼首(かしこ)の孀婦(やもめ)と仇なる名(な)さへ立(たつ)もあれど龜篠(かめさゝ)ハわかき時(とき)より漫(そゞろ)に好(この)む技(わざ)なれば左母二郎(さぼしらう)が事としいへバをさ/\夫(おつと)に執成(とりなす)により渠(かれ)を憤(いきとほ)るものありといへとも蟇六(ひきろく)ハ聞(き)かぬふりして遂(つひ)に網乾(あぼし)を追(おは)ざりけり。かくてその年(とし)の終(おわ)りに城主(しやうしゆ)」23大石兵衞尉が陣代(ちんだい)簸上(ひがみ)(じや)太夫といふもの身まかりつ。次の年五月の頃(ころ)(じや)太夫が長男(ちやうなん)簸上(ひがみ)(きう)六亡父の職禄(しよくろく)を賜(たまわ)りて新(しん)陣代(ぢんたい)となりけれバその属役(したつかさ)軍木(ぬるで)五倍二(ばいじ)卒川(いさかは)(いほ)八等とともにあまたの若黨(わかとう)奴隷(しもべ)を將(い)て彼此(おちこち)を巡檢(じゆんけん)しその夜ハ荘宦(せうくわん)(ひき)六許(かり)止宿(ししゆく)してけり。蟇(ひき)六ハ豫(かね)てより饗膳(きやうぜん)の手あてして媚(こび)賄賂(まかなは)ずといふことなく勸盃(けんはい)すべて礼に過たり。折しも庚申(かうしん)なりけれバ龜篠(かめざゝ)ハ夫にすゝめて歌曲(かしよく)の遊樂(あそび)を催すに娘(むすめ)濱路(はまぢ)にハ花美やかなる羅衣(うすきぬ)(き)せてわりなくそのむしろに侍らせ酌(しやく)をとらせ又筑紫琴(こと)をかなでさせ左母二郎にハ例の艶曲(ざれうた)をうたわせおさ/\興(きやう)をそえにけり。かくて鶏鳴(けいめい)(あかつき)を告る程に稍(やゝ)盃盤(はいばん)をとり納(おさ)め蟇六(ひきろく)ハ宮(きう)六等(ら)に早飯(あさいひ)をすゝめ宿酒(しゆくしゆ)いまだ醒(さめ)ざれば」
挿絵
〈左母(さも)二郎荘官(せうくはん)が家(いへ)に立入(たちいり)て濱路(はまぢ)をいどむ〉」24」
各々(おの/\)よくも食(くら)はずなほ彼此(こち)を巡(めぐ)らんとて三人齊一(ひとしく)立出れば蟇(ひき)六ハいそかはしく村はづれまで送(おく)りけり。是より先(さき)に龜篠(かめざゝ)ハ日待(ひまち)月待(まち)の折に觸(ふれ)て左母(さぼ)二郎を招(まね)きつゝ艶曲(ざれうた)を聽(き)く程(ほど)に左母二郎ハいつしか濱路(はまぢ)を看(み)て思ひをこがし人目の関(せき)をしのび/\に言葉(ことば)の露(つゆ)を結(むす)びかけて淫(みだり)がはしき色を見せ或(あるひ)ハ鳥の跡(あと)を媒妁(なかだち)にて筆(ふで)に物をぞいはせたる。いかなることを書(かき)たりけん。濱路(はまぢ)ハ手にだに觸(ふれ)れずしていといたう罵辱(のりはづか)しめ後(のち)にハ網乾(あぼし)が來る毎(こと)にさけて再(ふたゝ)び面(かほ)を對(むか)へず。されバ此(この)少女(をとめ)ハその心ざま親(おや)に似(に)ず行(おこな)ひよろずに貞(たゞし)くて信(し)乃にハ親(おや)の口づから豫(かね)て許(ゆる)せしよしあれどもそれすらいまだ婚姻(こんいん)をとり結(むす)ばざる夫(おとこ)なれバ迭(かたみ)に親(したは)しく物いはず。况(まい)て浮(うき)たる風流士(みやびを)に名(な)を立らるゝ事あらバ女子の耻辱(ちじよく)この」25うへあらしと深(ふか)く念じてこれらの人を引(ひき)入たる母親(はゝおや)を心づきなしと思ひけり。濱路(はまち)ハかくのごとくなれとも母(はゝ)龜篠(かめさゝ)がこゝろは異なり。龜篠(かめざゝ)日來(ひごろ)思ふやう件(くだん)の網乾(あぼし)左母(さぼ)二郎ハ鎌倉(かまくら)武士(ふし)の浪人とかきこえていと愛(めで)たき美男(びなん)なり。渠(かれ)がいふよしを聞(き)くに鎌(かま)くらにありし日ハ食禄(しよくろく)五百貫(くはん)を宛行(あてをこな)はれしかも近習(きんしゆ)の首(かみ)に処れハ殿のおん寵(おほへ)大かたならず。出頭(しゆとう)第一(たいゝち)なるをもて傍輩深くそねみて頻(しきり)に讒言(ざんげん)したるにより身(み)の暇(いとま)を賜(たまは)りしかど原(もと)(これ)殿(との)のおん志(こゝろ)にハあらす。かゝれバ近きにめし返(かへ)さるべき御(ご)内意(ないい)あり。この里(さと)の僑居(わびずみ)ハしばしが程(ほど)にあらんといへり。この人今(いま)ハやつ/\しくともその言のことくならバ遠(とほ)からずして帰参(きさん)せん。管領家(くはんれいけ)の出頭人を吾(わが)女壻(むこ)に招(とら)ん事その時(とき)にハ及(および)がたし。今(いま)より情(なさけ)をかけんにハ後(のち)の」栄利(ゑいり)となる事あるべし。親(をや)の心子ハしらで鈍(おぞ)や濱路(はまぢ)がひたすらに信乃(しの)を良人(おつと)と思(おも)ひとりてや婚姻(こんいん)を待(まち)わびしげなる。さきにハちらと見つけし事あり。網乾(あぼし)か濱路(はまぢ)に意(こゝろ)ありとも後々(のち/\)の害(がい)にハならず。濱路(はまぢ)が信乃(しの)に情(じやう)を寓(よせ)てハ久後(ゆくすへ)さへにたのもしからず。かゝれば濱路(ぢ)に信乃(しの)か事を思ひ絶(きら)する囮(おとり)にハ網乾(あぼし)にますものあらしと思ひて世の嘲(あざけり)をも里人(びと)等が憤(いきと)りをも見かへらす。折に觸れ事に托てしば/\網乾(あほし)を招(まね)きしかバ左母(さぼ)二郎ハ懲(こり)ずまに且その親(おや)にとりいりていかでか濱路(はまち)を手(て)に入(い)れんと思ふ心(こゝろ)の色(いろ)見えて常に荘官(せうくわん)の家(いへ)に出入(でいり)へつらふ事の大かたならねバ蟇六(ひきろく)夫婦(ふうふ)ハひたすらにその佞眉(こび)らるゝを歡(よろこ)びて二なきものにぞ思ひける。

○斯(かく)て陣代(ちんだい)簸上(ひかみ)宮六(きうろく)ハさきに蟇(ひき)六が女児(むすめ)濱路(はまぢ)を見そめてより」26恋々(れん/\)の慾火(よくくわ)(とゞ)めがたくさめても寐(ね)ても忘(わす)られず媒妁(なかだち)もがなと思ふ氣色(けしき)の顕(あら)はれけれバ属役(したつかさ)軍木(ぬるて)五倍二(こはいじ)(かたはら)に人なきをり荘官(せうくわん)が娘(むすめ)を某(それがし)媒妁(なかだち)仕らん。蟇六も歡びて承引(うけひく)べし。尊意(そんゐ)如何(いか)にとさゝやけバ宮六(きうろく)大ひに歡(よろこ)ひこの義(ぎ)を軍木(ぬるで)にたのみつ。次の日種々のおくり物を七八人の奴隷(しもべ)に舁(かゝ)して五倍二を媒妁(なかだち)とし私(ひそか)に蟇六(ひきろく)か宿所(しゆくしよ)につかはしけり。さる程に五倍二(ごはいじ)ハ蟇六が許(もと)に赴(おもむ)きてやかてあるじに對面(たいめん)し簸上(ひかみ)宮六(きうろく)が濱路(はまぢ)を懇望(こんもう)の事(こと)の赴き婚縁(こんゑん)の一議(いちぎ)を述(のべ)て只管(ひたすら)に説(とき)すゝむるに蟇六(ひきろく)とみにいらへせず。且(まつ)我妻(わかつま)にかたらふてともかくも仕らんといひかけて退きしが待(まつ)(こと)半時あまりにしてやうやくにいで來(き)つ。信乃が上を云々(しか%\)とかたりつゝ彼者(かのもの)を遠(とを)さけておん承(うけ)を仕らめといはせもあへず五倍二(ごばいじ)ハ陣代(ぢんたい)の虎感(こゐ)をもてさま/\と」
挿絵
〈五倍二(ごばいじ)宮六(きうろく)か爲(ため)に濱路(はまぢ)を媒妁(なかたち)す/よし直画〉」27」
(おど)しけれバ蟇六(ひきろく)忽地(たちまち)顔色(がんしよく)(あほ)見て歯(は)ふるひしつゝ承諾(せうだく)しぬれハ五倍(ごばい)(じ)ハ面(をもて)をやはらげ陣代(ぢんだい)よりもたらしたる目録(もくろく)をわたすになん蟇(ひき)六ハ胸(むね)うちさはげと辞(ぢ)するによしなく受書(うけふみ)をしたゝめて五倍二(ごばいじ)にわたしけれバ軍木(ぬるで)ハいそぎ立帰(たちかへ)りぬ。この様子(ありさま)を額藏(かくざう)のみいつ処(こ)にかをりけん疾(とく)うかじひて立去(さり)けり。さる程(ほど)にその夜(よ)さりあるじ夫婦(ふうふ)ハ臥房(ふしど)に入て宮六(きうろく)が婚縁(こんゑん)の事をさゝやき信乃(しの)を亡(うしな)ふべき計策(はかりこと)を商量(しやうれう)す。その時(とき)龜篠(かめざゝ)いへるやうかくまで愛(めで)たき事あるべしとハしらずして彼(かの)網乾(あほし)左母二郎(さもしらう)か濱路(はまぢ)を見る目にてその情(ぜう)あるよしをバ知(し)りつ。こゝらに稀(まれ)なる美男(びなん)なれバ濱路(はまぢ)も終(つい)にハ信乃(しの)が事を思(おも)ひわすれて彼(かの)(ひと)と情由(わけ)あれかしといたづらをおしゆるにハあらねとも些(ちと)の情(なさけ)を被ておかバ彼(かの)(ひと)帰参(きさん)せん時にそれ程の利益(りやく)ハあらんとおもひしハそら」28だのめにて今ハ渠(かれ)さへ障(さはり)のその一ッになることもやあらん。男態(をとこぶり)ハよくもあれ召(めし)かへさるゝや返(かへ)されずや固(もと)より不定(ふちやう)の痩浪人(やせらうにん)いきほひをさ/\城主(じやうしゆ)に等(ひと)しき陣代(ぢんだい)殿(どの)とはひとつにハしがたし。悔(くや)しき事(こと)をしてけりと舌(した)うちならせバ蟇六(ひきろく)ハ起直(をきなほ)りて手をこまぬき嘆息(たんそく)し荘客(ひやくせう)(はら)か口かしましさに濱路(はまち)を信乃に妻(めあは)せんといゝつる事もわが一生(いつせう)のあやまり也。只(たゞ)(すみやか)に信乃(しの)を亡(うしな)ひ後(うしろ)やすくするこそよけれ。われ妙計(めうけい)を生(せう)じたり。思(おも)ふに信乃ハ頗(すこふ)る思慮(しりよ)あり。うまく渠(かれ)を計(はから)ん事苦肉(くにく)にあらざれバ施(ほと)しがたし。抑(そも/\)(まへ)の管領(くわんれい)成氏(なりうし)朝臣(あそん)ハ番作(はんさく)信乃(しの)(ら)が主筋(しゆうすち)なれバこれによらバ計りつへし。ことし成氏(なりうし)朝臣(あそん)(りやう)管領(くはんれい)とおん和睦(わほく)の議(ぎ)(とゝの)ひ許我(こか)へ帰城(きしやう)し給ひしと世の風声(ふうぶん)に隱(かく)れなし。われ今これらの事(こと)によりて信乃を云云(しか/\)と欺(あざむ)きて神宮川(かにはかは)へさそひ出さん。おん身ハ翌(あす)(ひそか)
挿絵
〈亀篠(かめざゝ)(おつと)を謀(はか)りて網乾(あぼし)をすかす/筆跡指南〉」29」
に左母二郎(さほしらう)が宿所(しゆくしよ)にいゆきて箇様(かやう)々々(/\)にこしらへ給へ。この謀(はかりこと)合期(かつこ)せハ彼(かの)村雨(むらさめ)の宝刀(みたち)をとるべし。件(くだん)の宝刀(みたち)わが手に入らハ又額藏(がくざう)にしか/\と説示(ときしめ)し途(みち)にて信乃(しの)を亡(うしなは)せん。首尾(しゆび)わが計(はか)る如(ごと)くなりて濱路(はまち)を陣代(ちんだい)へ嫁(よめ)らす時(とき)左母(さほ)二郎に口説(くぜつ)あるべし。渠(かれ)もし狂(くる)ひて妨(さまたげ)する事あらんにハ簸上(ひがみ)殿(との)に訴(うつた)へてからめ捕(とら)するもいと易(やす)し。只むづかしきハ信乃(しの)が事なり。必(かならず)(さと)られ給ふなと迭(かたみ)に耳(みゝ)を取(とり)かはしかたらひ果(はて)れハ夏(なつ)の夜のあけがた近(ちか)くなるまゝに夫婦(ふうふ)のものハ慾(よく)につかれてぬるとハなしに目睡(まとろみ)けり。されバ龜篠(かめさゝ)ハ次(つき)の日里の不動堂(ふとう)へ詣(まうず)ると偽(いつわ)りて竊(ひそかに)左母(さほ)二郎が宿所(しゆくしよ)に赴(おもむ)き對面(たいめん)し龜篠(かめさゝ)(こゑ)を低(ひくう)していといひかたき事なれともおん身が濱路(はまぢ)と情由ある事わらはは兼(かね)てしるものからわかきどちハあるまじき事にハ侍(はべ)らす。見捨(すて)てだに給はらすハ壻(むこ)かね」30にとまで思(おも)へどもいかにせん。濱路(はまぢ)と信乃(しの)が幼(おさな)き時(とき)しか%\の事ありて夫婦(ふうふ)にせんといひ号(なづけ)し言葉(ことば)ハ今さら反故に得ならず。荘宦(せうくわん)殿(どの)もこゝろにハおん身(み)を愛(あい)して信乃(しの)かなくバむこにせん。家(いへ)をも嗣(つが)せん。信乃(しの)ハ妻(つま)の〓(おひ)ながら箇様(かやう)々々(/\)のうらみある番作(ばんさく)が子(こ)にしあれバ我(わが)(ため)になるものにハあらず。いかで彼奴(かやつ)を遠(とほ)ざけておん身をむこにとかねてよりいはれしことの空(むな)しからでしか%\に計(はか)りなバ信乃(しの)ハ他郷(たけう)へ赴(おもむ)くべし。就(つい)てハ渠(かれ)が稚(おさな)き時(とき)(むこ)(ひき)出とて取らせたる荘宦(くわん)殿(どの)の秘藏(ひぞう)の一トふり世(よ)にたぐひなき名劍(めいけん)をとりかへさんと思(おも)へどもあからさまに求(もと)めてハ返(かへ)すべくもあらずかし。よりてしか%\に計(はか)りなん。おん身(み)またしか%\はからひて荘宦(せうかん)どのゝさしれうもて信乃(しの)が件(くだん)の一(ひ)卜刀(こし)をすりかへてたびてんや。事なる時(とき)ハこよなき幸(さいは)ひおん身(み)の為(ため)にも侍(はべ)ら」
挿絵
〈額藏(がくざう)(ひそか)に信乃(しの)と會(くはひ)して濱路(はまぢ)が婚姻(こんいん)の事(こと)を告(つぐ)る〉」31」
ずやそら言(こと)実事(まこと)とりまじへ辞巧(ことばたく)みにこしらゆれば左母(さぼ)二郎ハつくつくとはぢたる面色(てい)にてさつそくにその蜜事(みつじ)に一味(いちみ)せしかバ亀篠(かめざゝ)ハます/\よろこび更(さら)に額(ひたい)をうち合(あは)せてその日のあいづ事(こと)の首尾(しゆび)これハしか%\彼(かれ)ハまた箇様(かやう)々々(/\)とおちもなくさゝやきつうなづきつ思(おも)はず時(とき)を移(うつ)せしかバ龜篠(かめざゝ)いそがはしく別(わか)れを告(つげ)て走(はし)り出(いで)やがて宿所(しゆくしよ)へかへりつゝ竊(ひそか)に事の趣(おもむ)きを蟇六(ひきろく)に告(つけ)しかバ蟇(ひき)六深(ふか)く歡(よろこ)びて含咲(ほくそゑみ)して居(ゐ)たりける。

○斯(かく)て蟇六(ひきろく)夫婦(ふうふ)ハそのゆふくれに信乃(しの)を一ト間(ま)へ招(まね)きよせ云(いひ)けるやう。和殿(わどの)も濱路(はまぢ)もひとゝなれば疾(とく)(めあは)せんと思(おも)へども去歳(こぞ)ハ世間(よのなか)(しづか)ならで思(おも)ひながらに延引(ゑんいん)せり。しかるに今茲(ことし)ハ許我(こが)の御所(ごしよ)成氏(なりうじ)朝臣(あそん)(りやう)管領(くわんれい)(おん)和議(わぎ)とゝのひたるよしを聞(き)けり。依(より)て和殿(わどの)ハ祖父(おゝぢ)の時(とき)よりの主筋(しゆうすぢ)」32なれハこたびの和議(わぎ)を幸(さいは)ひに彼(かの)村雨(むらさめ)の一振(ひとふり)を許我(こが)殿(どの)へたづさへゆき祖父と父(ちゝ)との忠死(ちうし)を訴(うつた)へ大塚(おほつか)の家(いへ)を起さん事今(いま)此時(このとき)にます事(こと)なし。和殿(わとの)か許我(こが)におもむきて足を止(とゞ)むるならバ濱路(はまぢ)もおくり遣(つか)はすべし。若(もし)(とゞ)まらで立(たち)かへらバ和殿(わどの)に家(か)とくをゆつるべしと夫婦(ふうふ)(みぎ)より左(ひだり)より辞(ことは)を工(たく)みにさま/\に誠(まこと)しやかにすゝむるにそ信(し)乃ハきのふ五倍二(ごばいじ)がたのみの品(しな)%\持來(もちきた)りしを額藏(がくざう)が立聞(たちきゝ)して一部始終を疾(とく)(つげ)たれハ扨(さて)ハ我(われ)を追出(おいいだ)して濱路(はまぢ)を宮六に嫁(よめ)らすべき心底(こゝろ)なりとハ知りながら村雨(むらさめ)の宝刀(みたち)を許我殿(こがどの)へさしあくるハ亡父(なきちゝ)の遺言(ゆいけん)なれバすこしもいなます夫婦(ふうふ)が言(こと)に従(したが)ふにそ一人りの者(もの)は深(ふか)く歡(よろこ)びしからハ旅(たび)のして日柄(ひから)もよけれバ出立(しゆつたつ)ハハ明后日(あさつて)と定(さだ)め給へ。従者(とも)背介(せすけ)か額藏(がくざう)を遣(つかは)すべしといはれて信乃(の)ハかたじけなしと」
挿絵
〈苦肉(くにく)の計(はかりこと)蟇六(ひきろく)神宮川(かにはがは)に没(ほつ)す〉」33」
夫婦に一礼(いちれい)のべつゝもその身(み)の子舎(へや)に退(しり)ぞけバ折(おり)もよく額藏(がくさう)が庭(には)の草木(くさき)に水(みつ)(うち)かけ居(ゐ)たりかバ信乃(しの)ハ邉(ほと)りへ呼近(よびちか)づけ蟇六(ひきろく)(ふう)婦にいはれし事また我(わが)(おも)ふむねを語(かた)るにぞ額藏(かくさう)ハうちうなづき寔(まこと)に推量(すいりやう)し給ふごとくおん身(み)を許我(こか)へ出(いだ)しやり後(うしろ)やすく彼(かの)婚姻(こんいん)を整(とゝの)へん為(ため)なるべし。只(たゞ)(いた)ましきハ濱路(はまぢ)どのなりトいわれて信乃(しの)ハ嘆息(たんそく)し人木石(ぼくせき)にあらされとも少女(をとめ)一人りにひかされて得(え)がたき時(とき)を失(うしな)はんやといへバ額藏(がくざう)さにこそといらへてやがて別(わか)れけり。

○斯(かく)てその次(つき)の日(ひ)ハ信乃(しの)が旅立(たびたち)の用意(ようい)大かた整(とゝの)ひしかバ龜篠(かめざゝ)ハ信乃(しの)をすゝめて瀧(たき)の川(がは)の弁才天(べんさいてん)へ参詣(さんけい)に出しやりぬ。信乃(しの)ハ日ごろ祈念(きねん)なす物(もの)から一議(いちぎ)に不及(およはず)弁才天(べんさいてん)へ参詣しいそぎ我家(わがや)へ帰(かへ)らんとする道(みち)にてはからず蟇六(ひきろく)左母二郎(さもしらう)を伴(ともな)ひ背介(せすけ)に網(あみ)をかつがせ」34てこなたへ來(く)るに行(ゆき)あひぬ。信(し)乃ハその故(ゆへ)を問ふ程(ほど)に蟇六(ひきろく)うち笑て翌(あす)の肴(さかな)を獲んと思(おも)ひ網乾(あほし)生を誘引(いさない)て來つるなり。和殿(わどの)も所要(しよよう)(はて)たらん。いざもろともにと先に立(たて)ハ左母(さほ)二郎もひたすら勸(すゝ)めいさなひけり。便是(すなはちこれ)蟇六が奸計(かんけい)にてかく根(ね)づよくハ巧(たくみ)しなり。信乃は今さら推辞(いなむ)によしなく困(こう)じながらに打(うち)つれ立(たち)神宮(には)川原(かはら)へ赴きけり。蟇六(ひきろく)ハ兼(かね)て知る家(いへ)にて舩を借(か)り楫取(かちとり)土太郎(とたらう)とかいふ者を雇(やとふ)て舩(ふね)にのらんとする折割籠(わりこ)偏提(さゝへ)をわすれたりとて背介(せすけ)を取(とり)に走帰(かへ)しぬ。蟇(ひき)六ハ信乃左母(さぼ)二郎と供に件(くたん)の舩にのりうつり河中(かはなか)へこき出す。その時(とき)(ひき)六ハしゆはん一ッに腰簑(こしみの)を著(つけ)しきりに網(あみ)を打おろせバ元來(もとより)手なれわさなるゆへ獲物(ゑもの)あまたにしていと興(きやう)あり。蟇六(ひきろく)かねて巧(たくみ)しなれバ又打おろす網(あみ)と」共(とも)に川(かは)へざんぶと落入(おちいり)て溺(おぼ)るゝ体(てい)に見するにぞ皆々(みな/\)(おとろ)くそが中に信乃ハ手ばやく衣(きぬ)をぬぎ捨(すて)(なみ)をひらいて飛入(とびいり)つゝくるしむふりする蟇六(ひきろく)を救(すく)ひあげんと手をとれバ蟇六(ひきろく)もまた信(し)乃が手(て)をしかととらへて深水(ふかみ)へ引(ひい)て只管(ひたすら)に推沈(おししづ)めんとする程(ほど)に土太郎(どたらう)も又飛入(とびい)りてうへにハ蟇六を救(すく)ふがごとく底意(そこい)ハ信(し)乃を水中(すいちう)に亡(うし)なはんとしつれとも信(し)乃ハ水煉(すいれん)にたけたれハあしてにまつまる土(ど)太郎を一反(いつたん)あまり蹴流(けなが)して蟇六(ひきろく)をこわきに掻込(かいこみ)(かうべ)(あげ)て見(み)かへるに舩ハ遥(はるか)に推流(おしなが)されたれハむかひの岸(きし)におよきつき蟇六を抱(いだ)きおろせば土太郎もまたおよぎ來て信乃(しの)共侶(もろとも)に蟇六(ひきろく)をさま%\介抱(かいほう)するうちに土(ど)太郎ハ流(なが)るゝ舩(ふね)をおひとめんと走(はし)りゆく。

○左母(さぼ)二郎は蟇六(ひきろく)と諜(しめ)し合せしことなれバ舩(ふね)の流(なが)るゝをさひはひに河下(かはしも)へ赴(おもむ)き」35つゝ蜜(ひそか)に信(し)乃が副刀(さしぞへ)の〓)釘(めくき)を抜(ぬき)とり又(また)蟇六(ひきろく)がさしぞへのめくぎを外し此彼(あちこち)と中(なか)を入(いれ)かへ鞘(さや)に納(おさめ)んとする程(ほど)に怪(あや)しむべし信(し)乃か刀(かたな)の中刄(なかご)より水氣(すいき)忽然(こつぜん)と立沖(たちのぼ)れバ左母(さぼ)二郎大(おほ)ひに驚(おとろ)きこれなん村雨(むらさめ)の宝刀なるべし。これをわが故主(こしう)扇谷殿(あふきかやつどの)へたてまつらバ即(すなはち)帰参(きさん)のよすがならん。宝(たから)の山に入ながら他人(たにん)の物にやはすべきとひとりごちまた忙(あはたゝ)しくおのが刀(かたな)のめくぎを外(はづ)して蟇六が〓(さや)に納(おさ)めまた信乃(しの)が刄(やいば)を取(とつ)てわが刀(かたな)の〓(さや)に納(おさ)めまた蟇(ひき)六が刄(やいば)をもて信(し)乃が副刀(さしそへ)のさやに納(おさめ)るにいづれも長短(ちやうたん)(ひと)しきにより〓乎(しつくり)として恰(あたかも)(よ)し。浩所(かゝるところ)に土(ど)太郎ハ流るゝ舩(ふね)を追(おい)かけ來(き)つ。もとのほとりに漕戻(こぎもど)しそがまゝ舩(ふね)を繋(つな)き畄(とむ)れバ左母(さぼ)二郎ハ陸(くが)に登(のぼ)りて蟇六が安否(あんひ)を問ひぬ。信乃(しの)ハその中(うち)衣服(いふく)を身(み)につけ二刀(ふたこし)をたばさめバ蟇六(ひきろく)ハ獲(えもの)の」
挿絵
〈蟇六(ひきろく)左母(さぼ)二郎にはかられて村雨(むらさめ)の偽刀(きとう)を得(え)たり〉」36」
雜魚(ざこ)を魚(び)畚に移(うつ)させなほ餘(あま)れるをバ篠(さゝ)の枝(ゑた)に貫(つらぬ)きなどしてこれを蒼竹(あをだけ)の中にくゝり信(し)乃左母(さぼ)二郎の二人りにもたせ蟇六(ひきろく)ハ土(ど)太郎に何(なに)やら密話(さゝやき)(かみ)にひねりし金(かね)をにきらせ打連(うちつれ)(だち)て帰(かへ)りけり。その夜(よ)蟇六(ひきろく)夫婦(ふうふ)ハ信(し)乃を納戸(なんと)に招(まね)くに許我(こが)まての従者(ともひと)にハ額藏(がくざう)を遣(つかは)せはとて臥(ふし)たるを呼(よび)よせてこれ彼(かれ)四人うち團坐(まとひ)畄別(りうへつ)の盃(さかつき)を遶(めぐ)らしけり。既(すで)に酣(たけなは)なる比(ころ)に蟇六(ひきろく)ハ百匁(ひやくめ)あまりの金(かね)とり出(いだ)させ路費(ろよう)にとてあたへおのれ/\が臥房(ふしと)に入(い)りぬ。その時(とき)蟇六(ひきろく)ハ神宮河(かにはがは)にてうまく計(はかり)て信乃(しの)を水中へおびき入(い)れたるその事(こと)の趣(おもむき)を龜篠(かめさゝ)に密語(さゝやき)すりかへたる彼(かの)宝刀(みたち)を一見(いつけん)せんと燈燭(ともしび)をほとりへ引(ひき)よせ抜放(ぬきはなつ)に〓(さや)の内より水(みづ)(したゝ)りてたゝみの上に置(おく)(つゆ)を蟇六(ひきろく)ハ竒なりと賞(せう)し刄(やいは)を納(おさめ)てうち」37戴(いたゞ)き夫婦(ふうふ)共侶(もろとも)に打(うち)よろこひやがて臥房(ふしど)に入りにける。さる程(ほど)に信乃(しの)ハ臥房(ふしど)に入(い)りてひとりつく%\久後(ゆくすへ)を思(おも)ふ折(おり)から濱路(はまぢ)は臥房(ふしど)を脱出(ぬけいで)て〓(かや)の後方(あとべ)に伏(ふし)しづみ只(たゞ)(なき)(ふ)して居(ゐ)たりける。信乃(しの)ハ濱路(はまぢ)と見(み)てけれバうち騒(さわ)ぐ胸(むね)をしづめてそもじハ何(なん)(ら)の所要(しよよう)ありてこゝへハ迷(まよ)ひ來(き)給ひしぞと咎(とがむ)れバ恨(うら)めしげに涙(なみだ)を拂(はら)ふてなにしに來(き)つるとよそ/\しくいはるゝ迄(まで)に形(あぢき)なきたとへ妹〓(いもせ)ハ名(な)のみでも親(おや)の許(ゆる)せし夫婦(めうと)にあらすや。日來(ひころ)ハともあれかくもあれ今宵(こよひ)(かき)りの別(わか)れぞと告(つげ)しらせ給ふともおん身(み)の耻(はぢ)にハなるまじきに只(たゞ)一と言(こと)の捨言葉(すてことば)もかけ給はぬハ情(なさけ)なし心(こゝろ)つよしと怨(ゑん)ずれバ信乃(しの)ハ思(おも)はず歎息(たんそく)しそれ思(おも)はぬにハあらねども憚(はゞか)ることの有(ある)ゆへに口(くち)を開(ひら)きて告(つく)るによしなし。おん身(み)が」誠(まこと)ハよく知(し)れバ我心(わかこゝろ)をもそなたハしらん。許我(こが)へゆくとも遠(とふ)からず帰(かへ)り來(く)る日を俟(まち)給へ。と賺(すか)せバ濱路(はまぢ)ハ目をぬぐひ左(さ)のたまふハ偽(いつわ)りなり。一トたび爰(こゝ)を去(さ)り給はゞいかでかかへり來(き)給ふべき。今宵(こよひ)かぎりの別(わか)れにこそ。元(もと)わらはにハ四人(よた)りの親(おや)あり。実(まこと)の親(おや)は煉馬(ねりま)の家臣(かしん)胞兄第(はらから)もありとハ聞(き)けどその名(な)も知(し)らで過(すご)せしに風聞(うはさ)を聴(きけ)バ去歳(こぞ)の夏(なつ)(おも)ひがけなく煉馬(ねりま)の滅亡(めつほう)一族(いちぞく)郎黨(らうどう)(のこ)りなく皆(みな)(うた)れしにあるからハわらはが親(おや)と兄第(きやうだい)もかならず脱(のが)れ給はしと思(おも)へバいとゞ哀(かな)しさのやるかたもなき嘆(なげ)きしてせめておん身(み)にうちあかさバ親(おや)同胞(はらから)の名(な)をも知(し)らんと稍(やゝ)(ちか)づけバ継母(はゝご)に跟(つけ)られあはて迷(まど)ひて退(しりぞ)きしハ去歳(こぞ)の七月(ふづき)のころなりき。是(これ)より後(のち)ハ中絶(なかたえ)てかはらぬ心の誠(まこと)のみ。朝(あさ)(ゆふ)おん身(み)の恙(つゝが)なかれといのらぬ」38日とてハなきものを心つよきも限(かぎ)りあり。わらはか思ふ百分一おん身に誠(まこと)ましまさバ潜(しの)びて出(いで)よ共侶(もろとも)にと宣(のたま)はつるとも夫(つま)なり妻なり。たれが不義(ふぎ)とて譏(そし)るべき。あくかれて死(し)なんよりおん身の刄(やいば)にかけてよといとも切(せつ)なる恨(うらみ)のかず/\信乃ハその声(こへ)(よそ)にや洩(もれ)んと心くるしくておもふものから嗟嘆(さたん)しつ。やよ濱路(はまぢ)おん身か恨(うらみ)ハひとつとして理(ことは)りなけれどたとひ且(しばら)く別(わか)るゝとも迭(かたみ)に心変らずバ遂(つい)にハひとつに寄時あらん。親達(おやたち)の目覚ぬ間に疾々(とく/\)臥房にかへり給へ。出世(しゆつせ)の首途(かどで)さまたげせバ妻(つま)にハあらずといひ放(はな)されて濱路ハよゝと泣沈みこゝろの願(ねが)ひを遂(とけ)んとすれバおん身(み)の仇(あた)になるよしを諭し給ふに術(すべ)もなしさらバ道中(とうちう)(つゝか)なく許我(こか)へ参(まい)りて名(な)をも揚(あけ)家をも興(おこ)し給ひなバ風(かせ)の便(たよ)りにしらせてたべ。今(いま)より弱(よは)る玉(たま)の緒のたえなバ」
挿絵
〈なせばこそわかれを惜(お)しめ鶏(とり)の音の聞(きこ)えぬさきの曉もかな 菅家〉」39」
是をこの世のわかれ憑(たの)むハまた見ぬ冥土(よみち)のみ。二世の契(ちき)りハ必(かな)らすよ。御こゝろ変らせ給ふなと怜悧(さとく)(み)へても恍惚(おぼこ)なる未通女(をとめ)こゝろの哀れなり。信乃もさすかにうち芝折(しをれ)(なぐさ)めかねて点頭(うなづく)のみ。折から告(つく)る八声(こゑ)の鶏(とり)に信乃(しの)ハ心をおくの間なる二親(ふたおや)めざまし給はなん。とく/\といそがし立(たて)れハ濱路(はまち)ハやうやく立(たち)あがり出(いて)んとすれバ外面(とのかた)に咳(しはふき)して障子(せうし)をほと/\とうち敲(たゝ)き鶏(とり)が謡(うた)ふて候にいまだ覚(さめ)給はずやと呼起(よひおこ)す声(こゑ)ハ額藏(かくさう)なり。信乃(しの)ハ呼(よは)れて應(いらへ)をすれバ庖〓(くりや)のかたに退(しりそ)きけり。疾(とく)この隙(ひま)にと出(た)し遣(や)れバ濱路(はまち)ハ瞼(まふた)泣腫(なきはら)しなみたながらに出(いで)てゆく。斯(かく)て信乃(しの)額藏(かくさう)ハ既(すて)にしたくもとゝのへバ疾(とく)立出(たちいで)んと思へとも蟇六(ひきろく)夫婦(ふうふ)ハ宿醉(しゆくすい)(さめ)すいまた臥房を出さりけれハ千方(せんかた)もなく臥房(ふしと)に立(たち)より暇乞をつけるにそ夫婦(ふうふ)寐惚(ねほれ)し声(こは)さまにて」40ゆきね/\と應(いらへ)を聞果外面(とのかた)に退きて家内の者にも夫/\にいとま乞(ごい)してゆく夫を濱路(はまぢ)ハさすが泣顔(なきかほ)を人に見られんことのおしくて障子(じ)細目(ほそめ)におしあけて蔭(かげ)見ゆるまで見送りけり。時に文明十年六月十八日の朝まだきに犬塚(つか)信乃ハ年來(としころ)の志願やゝ時到(いた)り額藏を將て下総なる許我(こが)の御所へ赴(おもむ)かんとす。さる程(ほど)に信乃額藏(がくざう)ハこの日十三四里(り)の路(みち)を走(はし)りて栗橋(くりはし)の驛に宿とりつ。幸(さいは)ひに相宿の旅客(たびゝ)ともなかりしかバその時(とき)信乃ハ額藏(がくざう)神宮(かには)川の為体(ていたらく)おちもなく告(つげ)しかバ額藏(がくざう)聞て驚嘆(きやうたん)す。信乃また且く尋思しつ害心(がいしん)かくの如くなるに彼(かの)人年來(としごろ)懸念(けねん)せし宝刀の事を思ひ絶(たへ)て我をバ許我(こが)へ遣(や)るやらんといふかしめバ額藏(がくざう)うち聞いへるやう昨夕伯母(おば)御前歡(よろこ)び大かたならず。しからんにハ汝(なんぢ)が帯る刄(やいば)ハ切味心もとなし。」こハわが父匠作(せうさく)大人守り刀にせよかしと賜(たまは)りたる桐一文字と喟へたる短刀(たんとう)これを汝に貸(かす)べきにこれもて立ねと授(さづ)けられたり。主人夫婦の謀(はか)るところかくの如くなる時ハ和君(わきみ)を亡はんとするにあり。此桐一文字ハ和君の祖父(おゝぢ)匠作(せうさく)ぬしの像(かた)見にこそ。これ見給へとさしよすれバ信乃ハ左右の手に受(うけ)てつく%\と見て額藏(がくざう)がほとりに置て嘆息(たんそく)し祖父(おほち)ハ忠義の武士(ぶし)ときくにいかなれハわか伯母ハかくまで腹(はら)きたなき。二親の亡後ハ叔伯母(おちおは)にまして憑(たのも)しきものハなしと人ハいふにわか身ハ是と表裏(うらおもて)なり。仇(あだ)の家(いへ)に身を置(おく)ともかくまでしらねく謀(はか)られんや。さるをけふまで恙(つゝが)なきハ皆(みな)(これ)おん身の賜なり。我父末期(まつご)の教訓(きやうくん)も今此時におもひ出られる。先見かくまで灼然(いやちこ)なる大人ハ凡夫(ぼんぶ)にあらざりけり。九年同居に衣食(いしよく)(とぼ)しく所持(しよじ)の田園」41横領(わうりやう)せられてわか身に帶たるもののなけれバ彼(かの)人の禄(ろく)を食(はめ)るにあらす。今にしてこれ等(ら)の事ハ身退(しりぞ)くに潔(いさき)よく且この宝(み)刀幸(さいはひ)に護(もり)て失ふ至(いた)らねバ何(なに)か歎(なげ)き誰(たれ)をか恨(うら)まん。天運こゝに循環(じゆんくわん)して青運の志(こゝろざし)を得(え)つべき時節(じせつ)(とう)來せり。冀(こひねかはく)ハ犬川ぬし共(とも)に許我(こが)へ参り給へといわれて額藏沈吟(うちあん)し某黄童(わらはべ)のうちよりその家の小廝にせられて遂(つい)に今日に至れり。しかれども一碗の糧(かて)一領の衣(きぬ)の外(ほか)定めたる給(きう)銀なけれハその恩義ハ高からすといへともその家の糧をもて人となりてハ主従(しゆう%\)なり。非義(ひぎ)非道(ひとう)に與(くみ)せねども主(しゆ)の密事(みつじ)を承引ながら洩(もら)して和君と共に走らハわれも又不義の奴なり。和君ハ許我へ赴き給へ。某ハこの暁(あかつき)に袂(たもと)を分(わか)ちて大塚へかへりて後(のち)あからさまに身(み)の暇(いとま)を賜(たまは)り主(しう)家を辞(じ)して許(こ)我に」
挿絵
〈二犬士(にけんし)許我(こが)の旅中(りよちう)に栗橋(くりはし)の驛(えき)に一宿(いつしゆく)す〉」42」
まいらんと密語(さゝやけ)バ信乃(しの)ハ頻(しき)りに感佩(かんはい)し然(さり)ながらおん身(み)ハわれを撃(うた)ずして還(かへ)らば必(かならず)(わざはひ)あらんとあやぶめハ莞尓(につこ)と笑(ゑ)みこれらの事ハ心安(こゝろやす)かれ。某(それがし)ハ手足(あし)に少許(ちと)の傷(きず)つけて立(たち)かへりいふべきハ犬塚(いぬづか)殿(どの)をうたんとせしに敢(あへ)なくも殺立(きりたて)られてうち得(ゑ)さるのみならず斯(かく)(きつ)を負(お)ひぬと欺(あざむ)かバあるじ夫婦(ふうふ)もすべなからん。只(たゞ)(それかし)に任(まか)せ給へと他事(たじ)もなく説示(ときしめ)せバ信乃(しの)ハます/\感謝(かんしや)に堪(たへ)す。教(をしへ)にもとり候はじといふ。額藏(がくざう)(よろこ)びつゝ密談(みつだん)(すで)に果(はて)しかバその夜(よ)ハ霎時(しはし)(ねむ)りに就(つき)ばや曉(あけ)がたの鯨音(かねのね)に驚(おどろか)されて両人ひとしく起出(おきいで)つ。支度(したく)(かた)の如(こと)く整(とゝの)へていそしく旅宿(りよしゆく)を出(いで)しかど有撃(さすが)(わかれ)の惜(おし)けれバかたみにおくりおくらんと仰慕(けいぼ)辞讓(ぢじやう)に思はずも東(ひがし)の天(そら)しらみにけれハ今(いま)ハ送(をく)るよしなくて迭(かたみ)に心緒(しんしよ)を述(のべ)あへず竟(つい)に東西(とうざい)に別(わか)れにけり。」43それハ扨蟇六(ひきろく)龜篠(かめさゝ)(ら)ハ既に信(し)乃を出し遣(や)りてなかばハ心を安くしつ途(みち)にして額藏(かくぞう)が大かたハ結果けん。もし為損(しそん)じて返り撃(うち)にせらるゝとも彼(かの)刀ハ贋(にせ)物なれバ許我(こが)殿へ参るとも何事をか仕いたさん。麁忽(そこつ)の罪科(さいくは)(のが)れかたくて縛り首(くび)を刎られん。只便(びん)なきハ濱路(はまぢ)か病著なり。聘礼(たのみ)物を受(うけ)てよりいまだ幾(いく)日も歴(へ)ざれとも軍木(ぬるで)ぬしが密書(みつしよ)もて日毎に催促(さいそく)せらるゝにすでに信乃がをらずなりてハ遅(ちゝ)として許さるへきにあらず。とかくに濱路を慰(なぐさ)め賺(すか)して疾(とく)(よめ)らするにますことなしと竊(ひそか)に商量する折からまた五倍二(ばいじ)が使札(しせつ)來れり。蟇六ハあはたゞしく封皮をくぢきてこれを見るにきのふにかわらぬ縁女(ゑんぢよ)の催促婚姻(こんいん)遅滞(ちたい)のよしをせめたる怒氣(どき)文面にあらはれたれバさらに十二」分の鬼胎(おそれ)を抱(いだ)きて袴(はかま)引かけ使と共に軍木(ぬるで)が宿所へ赴きけり。

○かくて蟇(ひき)六ハ汗(あせ)にほこりをまみらして背門(せと)口より立かへり龜篠(かめざゝ)よろこべ上首尾(しゆび)なり。軍木(ぬるで)殿のいはるゝにハ簸上(ひかみ)殿の性急(せいきう)ゆへよしや濱路ハ病気(びやうき)にもせよ疾(とく)迎とりて看病(かんびやう)せんとハいへいまだこの婚姻(こんいん)願状(ねかひぶみ)を主君(くん)へたてまつらねバ晴なる婚姻(こんいん)ハはゞかりあり。幸(さいわ)ひ明日ハ黄道(くわうとう)吉日なれバ壻(むこ)入を相兼てわれ荘官(せうくはん)の宿所に赴(おもむ)き竊(ひそか)に新婦人(よめご)をむかへとるべし。よろず質素(しつそ)にし給へといわれしゆへ物入の少きを幸(さいは)ひに承(うけ)引て退出たり。尓(しか)るに濱路(はまぢ)がゆかじといはゞ禍(わざはひ)一家に及ぶべし。且彼処(かしこ)へいゆきてこしらへて見給へといへバ龜篠(かめさゝ)うち点頭(うなづき)わらはが賺(すか)して事成らすバおん身又云云(しか%\)に威し給へと耳語(さゝやけ)つゝ濱路(はまぢ)が」44臥房(ふしど)へ赴きけり。さる程に濱路(はまぢ)ハ信乃が事のみ思ひ臥房に籠(こもり)居たる所へ龜篠ハ進(すゝ)みより信乃が事を思ひきらせんとてさま%\に賺(すか)しこしらへ虎狼(おほかみ)より恐しき偽夫(ゑせをとこ)に操(みさほ)を立病煩(やみわづら)ふて二親に苦労(くらう)を被(かく)るを貞女といはんや。こゝの道理を弁へて疾(とく)思ひ絶(たへ)給へかし。彼(かの)畜生(ちくせう)にハ百倍(ばい)見あぐる美男(びなん)子に遣(よめ)らせん。おん身にハまだ告ざりし。その壻(むこ)がねハ別人ならず。いぬる月お宿せし陣代簸上(ひかみ)(きう)六ぬし。その日おん身に懸相(けさう)して相應(ふさはし)からぬ舅(しうと)を厭(いと)はず枉(まげ)ておん身を娵(めと)らんとて媒妁(なかだち)をもていはせ給ひき。〓(てゝご)にハ昔人(むかし)氣質(かたき)にて再三(さいさん)辞退(じたい)し給へども今ハ脱(のが)るゝ道(みち)もなし。婚姻(こんいん)ハ近きにあらん。その病著(いたつき)をおこたりて二親心を休め給へかしと辞巧(ことばたくみ)にこしらゆれバ濱路ハ忽地あきれ果(はて)堪ずやよゝと泣沈(なきしづ)みやうやくに頭(かうべ)を」
挿絵
〈自殺(じさつ)を示(しめ)して蟇六(ひきろく)濱路(はまぢ)を賺(すか)す/呂文/歌川芳直画〉」45」
もたげ一旦(いつたん)(むす)びし縁(えにし)あれバわらはか為に夫(おつと)といふハ犬塚ぬしの外(ほか)になし。いまだ婚姻せすといふとも夫婦ならずと誰かハいわん。犬塚ぬしが離別状(りべつじやう)を手づからわたし給はでハ親の仰(おふせ)に従(したが)ひがたし。許(ゆる)させ給へと理を推(お)していとも怜悧(さかしく)いひときし雄々(を ゝ)しき言葉(ことば)に龜篠ハ腹(はら)うち立て呟(つぶや)くのみ。せんすべなけに見へしかバ外面(とのかた)に竊聞(たちきゝ)したる蟇六ハ進(すゝ)み入りて南無阿弥陀佛と唱(とな)へもあへず刄(やいば)を抜(ぬき)て皺腹(しわばら)へ突(つき)立んとしたりしかハ龜篠ハ吐嗟(あなや)と叫(さけ)びて肘(かひな)にすがり禁(とゞ)むれバ濱路も共(とも)にとりすがるをいなかへりやよ濱路親を殺(ころ)すも殺さぬもおん身が心ひとつにあらん。禁(とゝむ)るはかりが孝行(かう/\)(か)。鈍(もどかは)しやと叱(しか)られて玉なす涙をふりはらひよしや貞女といはるゝとも又唯(たゞ)不孝の子とならバいづれ人たる道(みち)ハ缺(かけ)なん。仰(おほせ)に従(したか)ひ侍(はべ)るべしといへバ龜篠点頭(うなつき)て賢(かしこ)きものそ聞給へ信乃」46が事ハ思ひ絶(たへ)て簸(ひ)上殿へとうけ引侍(はべ)り。刄を納(おさ)め給へかしといふに蟇(ひき)六拳(こぶし)をゆるべ龜篠(かめさゝ)に目を注(くわ)して刄を納め披(ひら)きし袵(えり)をあはすれハ浮雲(あぶなき)ことやと龜篠は夫のほとりを立はなれて泣しつみたる濱路が背を掻〓つ。又湯剤(くすり)を勸て二親とも%\迭(かたみ)代りに通宵看病(かんびやう)をしたりしかバ死んと思ひ定めたる濱路ハ絶て便(たよ)りを得ずうち護(まも)られて夜を暁(あか)せバはや十九日になりにけり。されバ今宵ハ壻(むこ)殿の詣(まうて)給ふと奴婢(ぬひ)が蔭(つげ)言いひ誇らすを濱路ハはやく洩(もれ)聞てこハ浅ましや今宵のをわらはにハ猶二親の隱(かく)し給ふハ出し抜てその婚姻(こんいん)の盃(さかつき)をとり結ばせん為なるべし。とてもかくても存命(ながらへ)て仇し夫に伴(とも)なはれじとかねて思へハなか/\にうちも騒(さは)がすけふハ稍(やゝ)快き面色してみだれし〓(びん)を掻拊(なで)て臥房(ふしど)の内に結び直す髪(かみ)も此世に別れの櫛(くし)の歯(は)を挽(ひ)く如き家内の」奔走この黄昏におくりつかはす濱路が調度(てうど)のとりしらべに主従暇(いとま)なき物から龜篠(かめざゝ)ハ折/\に濱路か臥房(ふしど)に立よりて其安否(び)を問慰(なぐさ)めみづから結髪(かみあげ)せしを見て心の中竊(ひそか)に歡(よろこ)び扨ハ今宵のむこ入をまだしらせねども洩(もれ)聞て渠(かれ)こゝろまちするかやあらん。はじめの辞(ことば)に似げなきハ寔(まこと)に少女ごゝろぞかし。かくてハいよ/\後やすしとおもへハ夫にさゝやくにぞ蟇(ひき)六も又歡(よろこ)びつゝ軈(やが)て臥房(ふしど)にいゆきて見るに我子ながらに見あけたり。三國一の壻(むこ)入をしられたりともその期(ご)まで告ずもあらんと深念(しあん)しつ。又外の方へ走(はし)り去彼(かれ)ハそれせよ〓(な)ハこれせよと罵(のゝし)りつ又焦(いら)だちつ人梯(はし)かけてせめつかふ眼口に暇(いとま)なかりけり。

神田枩下町   伊勢屋忠兵衛板 


英名八犬士二編終
巻末


#「人文研究」第34号(千葉大学文学部、2005年3月)掲載
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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