『南總里見八犬傳』第二十六回


【本文】
 第(だい)廿六回(くわい) 〔權(けん)を弄(もてあそび)て墨宦(ぼくくわん)婚夕(こんせき)を促(うなが)す殺(さつ)を示(しめ)して頑父(ぐわんふ)再〓(さいじやう)を羞(すゝ)む〕

 はや暁(あけ)かたの鯨音(かねのね)に驚(おどろか)されて、両人(りやうにん)齊一(ひとしく)起出(おきいで)つ、支度(したく)(かた)の如(ごと)く整(とゝの)へて、いそしく旅宿(りよしゆく)を出(いで)しかど、有繋(さすが)(わかれ)の惜(をし)ければ、額藏(がくざう)は、天(よ)の明果(あけはつ)るまで、信乃(しの)を送(おくり)ゆかんとて、許我(こが)のかたへ進(すゝま)んとす、信乃(しの)は額藏(がくざう)を送(おく)らんとて、江戸(えど)のかたへ還(かへ)らんとす。仰慕(けいぼ)と辞讓(ぢじやう)に思はずも、東天(ひがしのそら)しらみにければ、今(いま)は送(おく)るによしなくて、そがまゝ列松(なみまつ)の蔭(かげ)に立在(たゝずみ)、額藏(がくざう)(こゑ)を低(ひく)うして、「和君(わきみ)許我(こが)へ赴(おもむ)き給はゞ、事(こと)(おほ)かたは成就(ぜうじゆ)せん。某(それがし)(かつて)(ひと)に問(とひ)しに、結城(ゆふき)里見(さとみ)の諸(しよ)大將(たいせう)は、元来(ぐわんらい)許我(こが)殿(どの)の御方(みかた)なれども、各(おの/\)自國(じこく)に在(あ)るにより、只(たゞ)鼎足(ていそく)の勢(いきほ)ひを張(は)るのみ。獨(ひとり)、横堀(よこほり)(ふひと)在村(ありむら)は、成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)の〓宰(きりもの)なり。賞罰(せうばつ)黜陟(ちゆつしよく)この人(ひと)の、隨意(まに/\)せずといふことなし、と知(し)れるものゝいひ侍(はべ)り。そこらにこゝろし給ひね」と告(つぐ)れば信乃(しの)はうち点頭(うなつき)、「某(それがし)もその事は、豫(かね)てより傳聞(つたへきけ)り。彼処(かしこ)へ参(まゐり)て由緒(ゆいしよ)を述(のべ)、亡父(ぼうふ)の遺志(ゐし)を披露(ひろう)して、この宝刀(みたち)を獻(たてまつ)り、用(もち)ひられなば留(とゞま)るべし。もし又(また)野水(やすい)(ふね)(よこたは)りて、或(あるひ)は左右(さゆう)の為(ため)に阻(こばま)れ、或(あるひ)は權臣(けんしん)(のう)を狷(そね)み、賄賂(わいろ)によりて人(ひと)を用(もち)ひば、速(すみやか)に去(さ)らんのみ。祖父(おほぢ)の後(のち)はいまだ仕(つか)へず。いにしへの明君(めいくん)は、臣(しん)を擇(えらみ)て使(つか)ふといへり。今(いま)の世(よ)は臣(しん)も亦(また)、よろしく君(きみ)を擇(えら)ふべし。用(もち)ひられずはそれまで也。身(み)を立(たて)んと欲(ほり)する地(ところ)、許我(こが)殿(との)にのみ限(かぎ)るべからず、時宜(じぎ)に任(まか)せんと思ふはいかに」と問(とは)れて額藏(がくざう)感激(かんげき)し、「現(げに)(いさぎよ)き言葉(ことば)なり。志氣(こゝろさし)あるものは、誰(たれ)もかくこそ思ふべけれ。願(ねが)ふは竊(ひそか)に消息(せうそこ)して、その進退(しんたい)をしらせ給へ。某(それがし)も遠(とほ)からず、再會(さいくわい)を期(ご)すべき也」といへば信乃(しの)は左手(ゆんで)なる、笠(かさ)を右手(めて)にとり直(なほ)し「然(さ)らばこゝにて袂(たもと)を分(わか)たん。盛暑(せいしよ)ます/\烈(はげ)しかるべし、みづから愛顧(あいこ)し給へ」と迭(かたみ)に心緒(しんしよ)(のべ)あへず、竟(つひ)に東西(とうさい)に別(わか)れけり。
 安下某生再説(それはさておき)、蟇(ひき)六亀篠(かめさゝ)(ら)は、既(すで)に信乃(しの)を出(いだ)し遣(や)りて、なかばは心(こゝろ)を安(やす)くしつ、且(まづ)共侶(もろとも)に目算(もくさん)するに、「信乃(しの)は許我(こが)まで遣(や)り著(つ)けず、途(みち)にして額藏(がくざう)が、大(おほ)かたは結果(おしかたつけ)ん。もし額藏(がくざう)が為損(しそん)じて、返撃(かへりうち)にせらるゝとも、彼(かの)一刀(ひとこし)は贋物(にせもの)なれば、許我(こが)殿(との)へ参(まゐ)るとも、何事(なにこと)をかしいだすべき。麁忽(そこつ)の罪科(ざいくわ)(のが)れかたくて、縛首(しばりくび)を刎(はね)られん。そはとまれかくもあれ、一トたび出(いで)てゆきしより、生(いき)てはかへるべくもあらぬ、信乃(しの)が事は後(うしろ)やすし。只(たゞ)便(びん)なきは、濱路(はまぢ)が病著(いたつき)也。聘礼物(たのみのしるし)を受(うけ)てより、いまだ幾日(いくか)も歴(へ)ざれども、軍木(ぬるで)ぬしが密書(みつしよ)もて、毎日(ひごと)に催促(さいそく)せらるゝに、既(すで)に信乃(しの)がをらずなりては、遅々(ちゝ)して許(ゆる)さるべきにあらず。とかくに濱路(はまぢ)を慰(なぐさ)め賺(すか)して、疾(とく)遣嫁(よめら)するにます事なし」と竊(ひそか)に商量(だんかう)する折(をり)から、又(また)五倍二(ごばいじ)が使札(しさつ)(きた)れり。蟇(ひき)六は忙(あはたゝ)しく、封皮(ふうじ)を折(くぢ)きてこれを見るに、きのふにかはらぬ縁女(えんぢよ)の催促(さいそく)、婚姻(こんいん)遅滞(ちたい)のよしを譴(せめ)たる、怒氣(どき)文面(ぶんめん)にあらはれたれば、さらに十二分(ぶん)の鬼胎(おそれ)を抱(いだ)きて、書翰(しよかん)を亀篠(かめさゝ)に指示(さししめ)し、「彼方(かのかた)ざまの性急(せいきう)なる、わが意(ゐ)を知(しら)ざるに似(に)たれども、信乃(しの)を出(いだ)し遣(や)りたれば、ともかくもなさばなすべし。われゆきて面談(めんだん)せんに、例(れい)の袴(はかま)を出(いだ)し給へ。いでいで」といひかけて、納戸(なんど)のかたに赴(おもむ)けば、亀篠(かめさゝ)は先(さき)に立(たち)て、衣櫃(きぬひつ)の蓋(ふた)とりあへず、麻衣(あさきぬ)(はかま)此彼(これかれ)と、引出(ひきいだ)しつゝうち被(き)すれば、蟇(ひき)六は帶(おび)引締(ひきむす)びて、袴(はかま)を穿(つけ)、刀(かたな)を引提(ひきさげ)、外面(とのかた)に立出(たちいで)て、五倍二(ごばいじ)が使(つかひ)を労(ねぎら)ひ「おん答(こたへ)は某(それがし)が、罷出(まかりいで)てまうすべし。誘(いざ)給へ」と先(さき)に立(たゝ)して、軍木(ぬるで)が宿所(しゆくしよ)へ赴(おもむ)きけり。
 さる程(ほど)に亀篠(かめさゝ)は、とやらん、かくやあらんとて、思ひ過(すぐ)せばやすからぬ、心(こゝろ)かゝりにいとゞしく、消(くら)しかねたる夏(なつ)の日(ひ)の、傾(かたふ)くまでに還(かへ)らぬ夫(をつと)を、いかに/\と待(まち)わびて、うち仰(あほ)ぐ天(そら)に夕立(ゆふたち)の、外(よそ)へ降(ふり)けん雲霽(くもはれ)て、横(よこ)にさす日(ひ)の影(かげ)(み)れば、遣嫁(よめいり)には忌(い)む申(さる)の時(とき)、生膽(なまきも)(ほし)ておかねども、いそしく還(かへ)る蟇(ひき)六は、汗(あせ)に塵挨(ほこり)を塗(まみ)らして、背門(せど)より入(い)るを、亀篠(かめさゝ)は、とく見て軈(やが)て出迎(いでむか)へ、「などてやかくは遅(おそ)かりし、家(いへ)にをるだに堪(たへ)がたきに、炎暑(あつさ)さこそと推量(おしはか)らる。彼方(かなた)の首尾(しゆび)はいかにぞや」と問(と)へば蟇(ひき)六微笑(ほゝゑみ)て、「彼処(かしこ)の一議(いちぎ)は甚(はなはだ)(めう)也。そは緩(ゆる)やかに譚(かた)るべし。さても熱(あつ)し」と帶(おび)觧捨(ときすて)て、汗(あせ)の麻衣(あさきぬ)脱更(ぬぎかえ)つゝ、端居(はしゐ)をすれば檐近(のきちか)き、妻(つま)は團扇(うちは)をとり揚(あげ)て、背(そびら)のかたに立(たち)かゝり、あふぐを蟇(ひき)六見かへりて、「亀篠(かめさゝ)(おき)ね。殊更(ことさら)に、件(くだん)の一議(いちぎ)を急(いそが)れたれば、斯(かう)安然(あんぜん)としてはをられず。まづはやおん身(み)に歡(よろこば)せん。曩(さき)にわれ、媒灼(なかだち)(がり)(おもむ)きて、今朝(けさ)(やゝ)信乃(しの)を遠離(とほさけ)たる、豫(かね)ての苦心(くしん)を密語(さゝやき)て、且(かつ)濱路(はまぢ)が病著(いたつき)さへ、おちもなく告(つげ)しかば、軍木(ぬるで)ぬし聞(きゝ)(はて)て、かゝれば共(とも)に後(うしろ)やすし。又(また)新婦人(よめご)の病著(いたつき)は、重(おも)やかなる事とも聞(きこ)えず、婚姻(こんいん)の遅速(おそきはやき)は、わが一存(いちぞん)に定(さだ)めかたし。簸上(ひかみ)殿(との)に告(つぐ)べく思へは、且(しばら)くこゝに俟(まち)給へ。ちよと、いて來(こ)ん、と會釋(ゑしやく)して、一僕(いちぼく)を將(い)て出(いで)てゆきぬ。かくて俟(まつ)とまつ程(ほど)に、大約(およそ)一〓(ひとゝき)あまりにして、軍木(ぬるで)ぬしかへり來(き)つ、さていふやう、事(こと)の趣(おもむき)巨細(つばらか)に、簸上(ひかみ)殿(との)に告(つげ)しかば、彼(かの)(ひと)(よろこ)び大(おほ)かたならず、新婦人(よめご)は病著(いたつき)に臥(ふし)たりとも、昨今(きのふけふ)の事とし聞(き)けば、風(かぜ)ひきたるにあらんずらん。然(さ)らば疾(とく)(むかへ)とりて、医療(いりやう)看病(かんびやう)等閑(なほさり)なく、壻(むこ)が手(て)つから湯液(くすり)を勸(すゝめ)ん。これ即功(そくこう)を奏(と)るの方(みち)なり。しかはあれども、主君(しゆくん)在城(ざいぜう)し給はねば、いまだこの婚姻(こんいん)の願状(ねがひぶみ)をたてまつらず。且(かつ)わが父(ちゝ)(み)まかりて、いまだ朞月(きげつ)を過(すぐ)さゞれは、晴(はれ)なる婚姻(こんいん)は憚(はゞか)りあり。よろづ省略(せうりやく)を宗(むね)として、潜(しのび)やかなるをよしとす。卜(さだむ)るに明日(めうにち)は、真(まこと)に黄道(くわうどう)吉日(きちにち)也。よりて壻入(むこいり)を相兼(あひかね)て、翌(あす)の宵(よ)、亥中(ゐなか)の比及(ころおひ)に、われ荘官(せうくわん)の宿所(しゆくしよ)に赴(おもむ)き、竊(ひそか)に新婦人(よめご)を迎(むかへ)とるべし。かくて日(ひ)を歴(へ)て婚縁(こんいん)の免許(めんきよ)を請(こふ)とも遅(おそ)きにあらず。これは此(これ)、俗(よ)にいふ客分(きやくぶん)の新婦(よめ)なれば、そが衣裳(いせう)調度(ちやうど)なンどは、當坐(たうざ)當要(たうえう)の物(もの)をのみ、翌(あす)の黄昏(たそがれ)におくらるべし。この趣(おもむき)を疾(とく)(つた)へて、こゝろ得(え)させて給はせ、と叮嚀(ねんころ)に示(しめ)されたり。もし翌(あす)の宵(よ)に故障(こせう)あらば、独(ひとり)和殿(わどの)のうへのみならす、伐柯(なかたち)したる某(それがし)さへに、腹(はら)を切(き)るより外(ほか)はなし。かゝれば當晩(そのよ)の勸盃(けんはい)は、省略(せうりやく)に従(したがは)れよ。新婦人(よめご)を乗(の)する轎子(のりもの)は、形(かた)の如(ごと)く准備(てあて)して、時刻(じこく)を違(たが)ふべからず、といはるゝに推辞(いなみ)かたく、仰(おほせ)うけ給はり候ひぬ。さばれあまりに火急(くわきう)なり。濱路(はまぢ)がそれまでおこたるべきや、量(はかり)かたく候へ共、装(よそほ)ひもせず、化粧(けはゝ)でも、厭(いと)ひ給ふことなくは、ともかくも仕(つかまつ)らんと、承引(うけひき)て退出(まうで)たり。尓(しか)るを濱路(はまぢ)が迷(まよ)ひに惑(まよ)ふて、ゆかじといはゞ福(さいはひ)(てん)じて、禍(わざはひ)一家(いつけ)に及(およ)ぶべし。安(やす)からぬは只(たゞ)これのみ。おん身(み)(まづ)彼処(かしこ)へいゆきて、こしらへて見給へ」といへば亀篠(かめさゝ)うち点頭(うなつき)、「荘官(せうくわん)の女児(むすめ)でも、陣代(ぢんだい)殿(との)を壻(むこ)にすなれば、綺羅(きら)も調度(ちやうど)も分(ぶん)に超(こえ)たる、物(もの)の没匁(いりめ)の夛(おほ)からん、と豫(かね)て思へばこれも亦(また)、胸福病(むなふくびやう)で侍(はべ)りしに、壻(むこ)殿(との)の性急(せいきう)で、夲銭(もとで)の没(い)らぬはよけれども、今(いま)いふて今(いま)濱路(はまぢ)が、納得(なつとく)すべき歟(か)、心(こゝろ)もとなし。わらはが賺(すか)して事(こと)(な)らずは、おん身(み)(また)云云(しか/\)に、威(おど)し給へ」と耳語(さゝやけ)ば、蟇(ひき)六これを聞(きゝ)(はて)ず、「そはいはれずも胸(むね)にあり。とく/\ゆきね」といそがせは、亀篠(かめさゝ)はこゝろ得(え)(はて)て、濱路(はまぢ)が臥房(ふしど)へ赴(おもむ)きけり。
 さる程(ほど)に、濱路(はまぢ)は信乃(しの)が事をのみ、思ひは胸(むね)に結(むすぼ)れて、臥房(ふしど)ごもりに夏(なつ)の日(ひ)も、わが身(み)ひとつの秋(あき)の暮(くれ)、心悲(うらかな)しくも磬蝉(うつせみ)の、鳴音(なくね)立限(たてき)る腰屏風(こしびやうぶ)、臥(ふし)て見つ、又(また)(おき)て見つ、霎時(しばし)小〓(こよぎ)にもたれてをり。浩処(かゝるところ)に亀篠(かめさゝ)は、障子(せうじ)をさらりと引開(ひきあけ)て、濱路(はまぢ)がほとりに進(すゝ)みより、「土用(どよう)なかばに何事(なにこと)ぞ、斯(かう)垂籠(たれこめ)てたまる物(もの)かは。心(こゝろ)つきなきものどもや」といひつゝ顔(かほ)をさし覗(のぞ)き、「濱路(はまぢ)は覚(さめ)てをはするよな。食事(しよくじ)はいかに、すゝみし歟(か)。好(このま)しき物(もの)あらば、何(なに)にまれ進(まゐ)らせん。生平(つね)には嗜(たしま)ぬ酒(さゝ)也とも、かゝる折(をり)には薬(くすり)に侍(はべ)り。氣(き)を浮(うき)やかにし給はずや。信乃(しの)が起行(たびたち)にかゝづらひて、この三四日(みかよか)は事(こと)の夛(おほ)きに、疲労(つかれ)て今朝(けさ)はいぎたなく、起(おき)給はずと思ひしに、頭(まくら)あがらぬおん身(み)の病著(いたつき)、こゝろ休(やすま)る隙(ひま)もなし。なれども嚮(さき)に見つるより、湯液(くすり)の效(こう)のあらはれて歟(か)、大(おほ)かたならず色(いろ)もよし。かくては翌(あす)は〓(おこた)り給はん。すべての病煩(やみわづら)ひは、その心(こゝろ)より發(おこ)るも夛(おほ)かり。吾儕(わなみ)は醫師(くすし)ならね共、その病症(びやうせう)を猜(すい)したり。そは人(ひと)にして人(ひと)にあらぬ、信乃(しの)が痞(つかえ)になりたるならん。さでは鰒(あはび)のかひもなき、片(かた)おもひにこそ侍(はべ)るなれ。迭(かたみ)に稚(をさな)かりし時(とき)、いひ名(な)つけし事なきにあらねど、いかにせん、渠(かれ)は親(おや)の横死(わうし)を恨(うら)みて、年来(としころ)大人(うし)を〔蟇(ひき)六をいふ。〕仇(あた)とし〓(ねら)へば、心(こゝろ)に刃(やいば)を磨(と)ぐこと久(ひさ)し。その大(だい)悪心(あくしん)(やゝ)發覚(あらはれ)て、人(ひと)もをさ/\いふ隨(まゝ)に、里(さと)の衆人(もろひと)に疎(うとま)れて、大塚(おほつか)の住(すま)ひ叶(かな)はず、許我(こが)へ参(まゐ)ると偽(いつは)りて、実(まこと)は逐電(ちくてん)しつるなり。さるにより前夜(さきのよ)に、神宮河(かにはかは)なる漁舟(すなとりふね)、竊(ひそか)に大人(うし)を突落(つきおと)して、その身(み)も續(つゞき)て跳入(おどりい)り、推沈(おししづめ)んとしつれども、楫取(かぢとり)の資(たすけ)によりて、大人(うし)は恙(つゝが)なかりしとぞ。こは鄙言(ことわざ)にいふ行(ゆき)がけの、駄賃(だちん)とやらんにあらんずらん。母(はゝ)がいふこと虚言(そらごと)(か)、疑(うたがは)しくは額藏(がくざう)が、還(かへ)らば渠(かれ)に問(とひ)給へ。骨肉(こつにく)の伯母(をば)、恩(おん)(たか)き、伯母夫(をばむこ)に弓(ゆみ)を弯(ひ)く、さる嗚呼(をこ)の癖者(くせもの)が、まだ一宵(ひとよさ)も倶寐(ともね)せぬ、その名(な)ばかりの妻(つま)をしも、いかにして思ふべき。虎狼(とらおほかみ)よりおそろしき、偽夫(ゑせをとこ)に操(みさほ)を立(たて)、病煩(やみわづら)ふて二親(ふたおや)に、苦労(くらう)を被(かく)るを貞女(ていぢよ)といはんや。こゝの道理(どうり)を辨(わきま)へて、疾(とく)思ひ絶(たえ)給へかし。彼(あの)畜生(ちくせう)には百倍(ひやくばい)見あぐる、美男子(よきをとこ)に遣嫁(よめら)せん。おん身(み)にはまだ告(つげ)ざりし、その壻(むこ)がねは別人(べつじん)ならず。いぬる月(つき)お宿(やど)せし、陣代(ぢんだい)簸上(ひがみ)宮六(きうろく)ぬし、夲日(そのひ)おん身(み)に懸想(けさう)して、相応(ふさは)しからぬ舅(しうと)を厭(いと)はず、枉(まげ)ておん身(み)を娶(めとら)んとて、媒妁(なかたち)をもていはせ給ひき。その媒妁(なかたち)も歴々(れき/\)たる、属役(しよくやく)の軍木(ぬるで)ぬし也。その身上(しんせう)の軽重(かろさおもさ)は、彼(かの)挑灯(ちやうちん)と洪鐘(つりかね)なれども、熟談(じゆくだん)すれば一家(いつけ)の僥倖(さいはひ)。よる年波(としなみ)の二親(ふたおや)まで、浮(うか)みあがらはおん身(み)が孝行(こう/\)。否(いな)といはるゝすぢならねども、〓々(てゝご)は昔人(むかし)氣質(かたぎ)にて、おん身(み)の胸(むね)を揣(はか)りかね、憎(にく)しと思へど信乃(しの)もをり、此彼(これかれ)に遠慮(ゑんりよ)して、再三(さいさん)辞退(ぢたい)し給へども、信乃(しの)が逐電(ちくてん)しつる事、はや告(つぐ)るものありて、軍木(ぬるで)ぬしより弥(いや)の催促(さいそく)。今(いま)は脱(のが)るゝ路(みち)もなし、已(やむ)ことを得(え)ずうけ引(ひき)給へは、婚姻(こんいん)は近(ちか)きにあらん。これに就(つき)てもその病著(いたつき)を、とく〓(おこた)りて二親(ふたおや)の、心(こゝろ)を休(やすら)へたまへかし。今(いま)の世(よ)にして三才児(みつこ)でも、慾(よく)をしらぬはなきものを、惑(まよ)ふて後悔(こうくわい)し給ふな」と辞(ことば)(たくみ)にこしらゆれは、濱路(はまぢ)は忽地(たちまち)(きも)(つぶ)れて、堪(たへ)ずやよゝと泣沈(なきしづ)む、胸(むね)は板屋(いたや)の玉霰(たまあられ)、碎(くだく)るうへに降(ふり)そゝぐ、涙(なみだ)の雨(あめ)に乾(かはか)ぬ袖(そで)の、朽(くち)なば朽(くち)よ、わが良人(つま)に、何(なに)濡衣(ぬれぎぬ)を被(き)せらるべき。いかで釋(とか)んと〓糸(わくいと)の、弱(よは)るこゝろを激(はげま)して、やうやくに頭(かうべ)を擡(もたげ)、「寔(まこと)に思ひかけもなき、仇結(あだむす)びなる婚縁(こんえん)は、こゝろ得(え)かたく侍(はべ)るかし。とばかりまうさば親(おや)の事、思はぬに似(に)て不孝(ふこう)也。よに人(ひと)の子(こ)の道(みち)ならず、と叱(しか)らせ給ふ歟(か)しらず侍(はべ)れど、そを推辞(いなめ)るが親(おや)のため、子(こ)たるの道(みち)に侍(はべ)りなん。犬塚(いぬつか)ぬしをあしざまに、宣(のたま)はするは舊怨(きうゑん▼フルキウラミ)を、忘(わす)れ給はぬおん疑(うたが)ひの、觧(とけ)ぬ惑(まよ)ひに侍(はべ)るべし。十年(とゝせ)に近(ちか)く彼(かの)(ひと)と、ひとつ宿(やど)りに生育(おひたち)しかど、只(たゞ)(ふた)がたに疎略(そりやく)なく、進止(たちふるま)ひ給ふのみ、悪心(あくしん)ありとは見も聞(きか)ず。ひとつ宿(やど)りに侍(はべ)りぬる、わらはがしらぬ彼(かの)(ひと)の、中心(なかご)を一ツ家(いへ)にあらぬ、人(ひと)がしりつゝいふよしあらんや。そは怨(うらみ)あるものゝ、讒言(さかしらごと)に侍(はべ)るめり。さる人(ひと)ながら二(ふた)がたの、御(み)こゝろに稱(かなは)ずとて、追遣(おひやら)ひ給ふとも、一旦(いつたん)(むす)びし縁(えに)しあれば、わらはが為(ため)に夫(をとこ)といふもの、犬塚(いぬつか)ぬしの外(ほか)になし。又(また)(かの)(ひと)は故(ゆゑ)ありて、よしや逐電(ちくてん)し給ふとも、離別状(りべつのでう)を給はらで、他(あだ)し夫(をとこ)に見(まみ)えなば、其(そ)は密夫(みそかを)に侍(はべ)らずや。われ淫婦(たをやめ)に侍(はべ)らずや。譬(たとへ)ば親(おや)の仰(おふせ)也とも、夫婦(ふうふ)の道(みち)は殊(こと)さらに、重(おも)きがうへの小夜衣(さよころも)、つまをかさねて誰(た)が為(ため)に、不義(ふぎ)の冨貴(ふうき)を樂(ねが)ふべき。又(また)(かの)(ひと)は名(な)のみにて、まだ倶寐(ともね)せぬ夫(をとこ)也、婚姻(こんいん)せねば、と宜(のたま)はすれ共、初(はじめ)わらはを妻(めあは)して、職禄(しよくろく)をさへ讓(ゆづ)らん、と宣(のたま)はせしよしは、親(おや)の御(み)こゝろ一ッに侍(はべ)らで、里(さと)の衆人(もろびと)媒妁(なかたち)したる、證据(せうこ)は夥(あまた)あるにあらずや。かゝればいまだ婚姻(こんいん)せずとも、夫婦(ふうふ)ならずと誰(たれ)かはいはん。犬塚(いぬつか)ぬしが離別状(りべつのでう)を、手つから逓与(わた)し給はでは、親(おや)の仰(おふせ)に従(したが)ひがたし。許(ゆる)させ給へ」と理(り)を推(お)して、いとも怜悧(さかし)くいひときし、雄々(をゝ)しき言葉(ことは)の露(つゆ)の玉(たま)に、親(おや)の威光(いくわう)は、けおされて、亀篠(かめさゝ)は一句(いつく)も出(いで)ず、腹(はら)うち立(たち)て呟(つぶや)くのみ。せんすべなげに見えしかば、外面(とのかた)に竊聞(たちきゝ)したる、蟇(ひき)六は衝(つ)と進(すゝ)み入(い)りて、妻(つま)のほとりに〓(はた)と坐(ざ)し、潜然(さめさめ)として鼻(はな)うちかみ、「亀篠(かめさゝ)(なに)も宣(のたま)ふな。やよ濱路(はまぢ)、親(おや)(はづか)しきおん身(み)が貞実(ていじつ)、彼処(かしこ)にてつばらに聞(きゝ)つ。憖(なまじい)なる事いひ出(いだ)さして、母(はゝ)はさら也われも亦(また)、後悔(こうくわい)こゝに立(たゝ)ざりき。老(おひ)てはよろづ慾(よく)ふかく、恩(おん)をも義(ぎ)をもうち忘(わす)れて、おん身(み)が為(ため)に道(みち)ならぬ、婚縁(こんえん)を結(むす)びしと、情由(わけ)えしらねば恨(うら)みもせん。世(よ)の常言(ことわざ)に、親(おや)の心(こゝろ)を、子(こ)はしらずといふを聞(きか)ずや。総角(あげまき)より養育(やういく)せし、信乃(しの)が真(まこと)の人(ひと)ならば、何(なに)煩惱(ぼんなう)を發(おこ)すべき、歹(わろき)も好(よし)と思ひしは、夫(をとこ)と憑(たの)むおん身(み)が迷(まよ)ひ、親(おや)に女才(ぢよさい)があるべき歟(か)。渠(かれ)が事は恨(うら)むも甲斐(かひ)なし、既(すで)に信乃(しの)がをらずなりては、陣代(ぢんだい)殿(との)の懇望(こんまう)を、推辞(いなむ)に難(かた)き手詰(てつめ)の縁談(えんだん)、長(なが)き物(もの)には必(かならず)(まか)れ、巨樹(おほき)の蔭(かげ)には必(かならず)(おほ)はる。否(いな)といへば身(み)ひとつならで、忽地(たちまち)妻子(やから)に祟(たゝり)あらん。おん身(み)が心(こゝろ)はしらねども、當坐(たうざ)(のが)れに承引(うけひき)しは、けふの亭午(まひる)の事なるに、聘礼物(たのみのしるし)を、はや贈(おく)られて、且(まづ)客分(きやくぶん)にて迎(むかへ)とらん、と夲日(そのひ)を促(うなが)す縁家(えんか)の性急(せいきう)。おん身(み)が心(こゝろ)ひとつもて、今(いま)に至(いたり)て変改(へんかい)するとも、そをそがまゝに許(ゆる)されんや。壻(むこ)殿(との)は陣代(ぢんだい)なり、媒妁(なかたち)は属役(しよくやく)也。一トたび怒(いか)らばこの一邨(ひとむら)を、空巣(あきす)にせんも易(やす)かるべし。六十(むそぢ)に及(およ)びて一家(いつけ)の滅亡(めつぼう)、そも命運(めいうん)にはあるべけれど、妻(つま)を殺(ころ)され、子(こ)を殺(ころ)されて、われ亦(また)(し)しては竟(つひ)に益(ゑき)なし。されば覚期(かくご)を究(きは)めたり。聘礼物(たのみのしるし)を受納(うけおさ)めし、麁忽(そこつ)をいひとくわが皺腹(しわはら)、切(き)るより外(ほか)に術(すべ)もなし。南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」と唱(とな)へもあへず、刃(やいば)を晃(きら)り、と引抜(ひきぬき)て、腹(はら)へ突立(つきたて)んとしたりしかば、亀篠(かめさゝ)は吐嗟(あなや)、と叫(さけび)て、肘(かひな)に携(すが)り禁(とゞむ)れば、濱路(はまぢ)も慌忙(あはてまど)ひつゝ、「おん憤(いきどほり)はさる事也。且(まづ)この刃(やいば)を放(はなち)給へ」といへば頭(かうべ)をうち掉(ふり)て、「いな/\放(はな)さぬ、殺(ころ)せ/\」と狂(くる)ふをやうやく亀篠(かめさゝ)が抱締(いだきすく)めて、傍(かたへ)を見かへり、「濱路(はまぢ)は灸(やいと)を押(お)す如(ごと)く、とばかりしては事果(ことはて)ず。親(おや)を殺(ころ)すも、殺(ころ)さぬも、おん身(み)が心(こゝろ)ひとつにあらん。禁(とゞむ)るばかりが孝行(こう/\)(か)。鈍(もどかは)しや」と叱(しか)られて、玉(たま)なす涙(なみだ)をふり拂(はら)ひ、「よしや貞女(ていぢよ)といはるゝとも、又(また)(たゞ)不孝(ふこう)の子(こ)とならば、いづれ人(ひと)たる道(みち)は缺(かけ)なん。仰(おふせ)に従(したが)ひ侍(はべ)るべし」といへば亀篠(かめさゝ)点頭(うなつき)て、「賢(かしこ)きものぞ。聞(きゝ)給へ、信乃(しの)が事は思ひ絶(たえ)て、簸上(ひかみ)殿(との)へ、とうけ引(ひき)(はべ)り。刃(やいば)を納(おさ)め給へかし」といふに蟇(ひき)六拳(こぶし)をゆるべ、「尓(しか)らは濱路(はまぢ)は聞(きゝ)わきたるな。もし偽(いつは)らばわれ今(いま)(しな)ん。後(のち)に変改(へんかい)せんとならば、禁(と)めずに殺(ころ)せ」と期(ご)を推(お)せば、「そは物体(もつたい)なきおん疑(うたが)ひ、仰(おふせ)
【挿絵】「自殺(じさつ)を示(しめ)して蟇六(ひきろく)濱路(はまぢ)を賺(すか)す」「亀さゝ」「ひき六」「はまぢ」
(したが)ひ侍(はべ)るべし」といふも涙(なみだ)にうち曇(くも)る、声(こゑ)を飲(のみ)てぞ伏沈(ふししづ)む。しすましたり、と蟇(ひき)六は、含笑(ほくそゑみ)つゝ亀篠(かめさゝ)に、目(め)を注(くは)して刃(やいば)を納(おさ)め、披(ひら)きし袵(えり)を合(あは)すれば、浮雲(あぶな)き事や、と亀篠(かめさゝ)は、夫(をつと)のほとりを立(たち)はなれて、泣沈(なきしづ)みたる濱路(はまぢ)が背(そびら)を、掻拊(かきなで)つ又(また)湯剤(くすり)を勸(すゝ)めて、子(こ)にも求(もと)めのあり皃(がほ)に、不問語(とはずかたり)も阿諛(へつらひ)の、言葉(ことば)(たくみ)に慰(なぐさ)めけり。
 かくて二親(ふたおや)、迭代(かたみかはり)に、通宵(よすから)看病(かんびやう)したりしかば、死(しな)んと思ひ决(さだ)めたる、濱路(はまぢ)は絶(たえ)て便(たよ)りを得(え)ず、うち護(まも)られて夜(よ)を暁(あか)せば、はや十九日になりにけり。されば今宵(こよひ)は壻(むこ)殿(との)の詣來(まうき)給ふと仂(はした)なく、主(しゆう)の蔭話(かげごと)いひ誇(ほこ)らかす。奴婢(ぬひ)が口(くち)には閉(たて)られぬ、戸(と)障子(せうじ)の拭(ふき)掃除(そうぢ)、釘(くぎ)よ、紙(かみ)よと罵(のゝし)りて、粘(のり)を搨音(するおと)、鉄槌(かなつち)の、打(うて)ば響(ひゞ)くと譬(たとへ)に違(たが)はず、濱路(はまぢ)ははやく洩聞(もれきゝ)て、こは浅(あさ)ましや今宵(こよひ)の事を、わらはにはなほ二親(ふたおや)の、隱(かく)し給ふは出抜(だしぬき)て、その婚姻(こんいん)の盃(さかつき)を、とり結(むすば)せん為(ため)なるべし。とてもかくても存命(ながらへ)て、仇(あだ)し夫(をとこ)に伴(ともなは)れじ、と豫(かね)て思へばなか/\に、うちも騒(さわ)がずけふは稍(やゝ)、快(こゝろよ)き面色(おもゝち)して、紊(みだ)れし〓(びん)を掻拊(かきなで)つ、臥房(ふしど)の内(うち)に結(むす)び直(なほ)す、髪(かみ)もこの世(よ)に別(わかれ)の櫛(くし)の、歯(は)を挽(ひ)く如(ごと)き、家内(かない)の奔走(ほんさう)、この黄昏(ゆふくれ)におくり遣(つかは)す、濱路(はまぢ)が調度(ちやうど)のとりしらべ、或(ある)は饗膳(けうぜん)酒食(しゆしよく)の儲(まうけ)に、主従(しゆう/\)(いとま)なき物(もの)から、亀篠(かめさゝ)はをりをりに、濱路(はまぢ)が臥房(ふしど)に立(たち)よりて、その安否(あんひ)を問慰(とひなぐさ)め、みづから結髪(かみあげ)せしを見て、心(こゝろ)の中(うち)(ひそか)に歡(よろこ)び、原來(さては)今宵(こよひ)の壻入(むこいり)を、まだしらせねども洩聞(もれきゝ)て、渠(かれ)こゝろまちするにやあらん。はじめの辞(ことば)に似(に)げなきは、寔(まこと)に少女(をとめ)ごゝろぞかし。かくてはいよ/\後(うしろ)やすし、と思へば夫(をつと)に密語(さゝやく)にぞ、蟇(ひき)六も亦(また)(よろこ)びつゝ、軈(やが)て臥房(ふしど)にいゆきて見るに、現(げに)とり揚(あげ)し手束(たばね)(かみ)に、西施(せいし)が病(やめ)る風情(ふぜい)あり。化粧(けはゝ)ぬ夏(なつ)の冨士(ふじ)(ひたひ)は、わが子(こ)ながらに見あげたり。三國一(さんこくいち)の壻入(むこいり)を、しられたりともその期(ご)まで、告(つげ)ずもあらん、と深念(しあん)しつ、他(あだ)し事(こと)に紛(まぎら)して、又(また)外面(とのかた)へ走(はし)り去(さり)、「彼(かれ)はそれせよ。〓(な)はこれせよ」と罵(のゝし)りつ、又(また)焦燥(いらたち)つ、人(ひと)(はし)かけて譴(せめ)使(つか)ふ、眼口(めくち)に暇(いとま)なかりけり。
里見八犬傳第三輯巻之三終


# 『南総里見八犬伝』第二十六回 2004-10-17
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