『南總里見八犬傳』第十八回


【本文】
 第(だい)十八回(くわい) 〔簸川原(ひのかはら)に紀二郎(きじらう)(いのち)を隕(おと)す村長(むらおさ)(やしき)に與四郎(よしらう)(きず)を被(かうふ)る〕
 應仁(おふにん)は二年(ねん)にして、文明(ぶんめい)と改元(かいげん)せらる。文明(ぶんめい)二年(ねん)、信乃(しの)十一歳(さい)、母(はゝ)なくなりて三年(みとせ)以来(このかた)、父(ちゝ)に事(つかへ)てます/\孝(こう)なり。さらぬだに番作(ばんさく)は、行歩(ぎやうぶ▼○アシモト)不自由(ふじゆう)なるものゝ、はやく鰥夫(やもを)となりしより、年々(とし/\)に気力(きりよく)(おとろ)へ、齢(よはひ)五十(いそぢ)に満(みた)ずして、歯(は)は脱(ぬけ)、頭(かうべ)(しろ)くなりつ。病(やみ)(わづら)ふ日の夛(おほ)かるに、なほ手習子(てらこ)(ら)を集合(つどへ)ては、いと囂(かしがま)しとて手本(てほん)をとらせず。さはれ年來(としころ)衆人(もろひと)の、扶助(たすけ)によりて、親子(おやこ)三人(みたり)、餓(うへ)ず凍(こゝへ)ずありけるに、その子孫(こうまご)に教(をしえ)ずして、只(たゞ)わが餘命(よめい)を貪(むさぼ)らは、人(ひと)はたこれをよしといはんや。かゝれば郷(さと)に利(り)を遺(のこ)して、彼等(かれら)が恩義(おんぎ)に報(むくは)んには、と豫(かね)てより思ひしかば、病(やまひ)の間(ひま)あるをり折(をり)に、水旱(すいかん)の准備(てあて)、荒年(くわうねん)の夫食(ぶしき)、すべて農家(のうか)日用(にちよう)の事(こと)をのみ述(のべ)しるして、是(これ)を一巻(ひとまき)とし、里老(さとのおきな)(ら)に贈(おく)りしかは、僉(みな)これを見て嘆賞(たんせう)し、「犬塚(いぬつか)(うぢ)は手迹(しゆせき)美事(みごと)に、武藝(ぶげい)をよくすと思ひしに、農業(のうぎやう)蚕養(こがひ)のうへまでも、人(ひと)のしらざる所(ところ)を得(え)たり。この書(しよ)は不益(ふゑき)の賜(たまもの)なり。写(うつ)し傳(つた)へて秘蔵(ひさう)せよ。寔(まこと)に可惜(あたら)(さむらひ)を、埋木(もれき)にすることよ」といはざるものはなかりけり。
 さる程(ほど)に蟇(ひき)六は、件(くだん)の事を傳(つた)へ聞(きゝ)て、妬(ねた)き事いふべうもあらず。はやくその書(しよ)を閲(けみ)せんとて、乞求(こひもとむ)ることしば/\なれ共、里老(さとのおきな)(ら)はこれを出(いだ)さず。「けふは某乙(なにがし)が写(うつ)してをり、写(うつ)し果(はつ)るをまたせ給へ」といはるゝにすべもなく、日(ひ)を歴(へ)て人(ひと)を遣(つかは)せは、「先(さき)より先(さき)へ枝貸(またがし)して、ある所(ところ)しれず」といふ。蟇(ひき)六ます/\腹(はら)たてゝ、「よし/\その書(しよ)見ずもありなん。一村(ひとむら)の長(おさ)うけ給はる程(ほど)のものが、さばかりの事しらざらんや。番作(ばんさく)はわかきより、田畝(でんほ)の中(うち)に浮浪(ふらう)すれども、蛭児(ひるこ)に劣(おと)る腰(こし)ぬけなれば、鍬鞆(くわがら)とりし事なくて、耕作(こうさく)の利(り)をなでふしるべき。傍(かたはら)いたき事也」と辭(ことば)を極(きわめ)て〓(そしり)しかば、里人(さとひと)(ら)はその口(くち)を憎(にく)みて、卒(つひ)にかの書(しよ)を見せざりけり。すべて蟇(ひき)六亀篠(かめさゝ)は、親族(しんぞく)他人(たにん)
【挿絵】「牝(め)を追(お)ふて紀二郎(きじらう)糠助(ぬかすけ)が屋棟(やね)に挑(いど)む」「犬塚番作」「しの」「ぬか助」
差別(さべつ)なく、能(のう)を妬(ねた)むの病(やまひ)あり。愛惜(あいじやく)ふかく心(こゝろ)(ひがみ)て、とにかく人(ひと)を譏(そし)れども、素(もと)より己(おのれ)に見識(けんしき)なければ、人(ひと)真似(まね)をする事もおほかり。
 されば番作(ばんさく)が犬(いぬ)與四郎(よしらう)は、この年(とし)十二になりしかば、里(さと)に稀(まれ)なる老犬(ふるいぬ)なれども、歯並(はなみ)(け)の澤(つや)(おとろへ)ず、氣力(きりよく)ます/\健(すくよか)なれは、一村(ひとむら)の群犬(ぐんけん)、これが為(ため)に威服(いふく)せられて、絶(たえ)て頭(かうべ)を出(いだ)し得(え)ず。蟇(ひき)六これをも妬(ねた)く思ひて、年來(としころ)とり替(かえ)(ひき)かえて、幾頭(いくひき)となく犬(いぬ)を養(か)ひしに、みな与四郎(よしらう)に囓伏(かみふせ)られ、或(あるひ)は即死(そくし)するもあり。或(あるひ)は疵(きず)を被(かうむ)りて、廃犬(かたはいぬ)となるもあれは、蟇(ひき)六怨(うら)み憤(いきとほ)りて、豫(かね)て小廝(こもの)にこゝろを得(え)させ、与四郎(よしらう)を見るときは、主従(しゆう/\)(ぼう)を閃(ひらめか)し、左右(さゆう)より打(うた)んとするに、与四郎(よしらう)は飛鳥(ひちやう)の如(ごと)く、飛退(とびしりぞ)き、走(はし)り過(すぎ)て、一トたびも打(うた)るゝことなし。逼(せまり)て打(うた)ば卻(なか/\に)、啖著(くらひつか)んず勢(いきほ)ひなれば、小廝(こもの)(ら)は竊(ひそか)におそれて、後々(のち/\)は与四郎(よしらう)が出(いで)しを見ても主(しゆう)にはつげず。蟇(ひき)六も根(こん)(つから)して、遂(つひ)に又(また)(いぬ)を畜(か)はず。是(これ)より詣來(まうく)る人(ひと)に對(むか)ひて、「犬(いぬ)は門(かど)を戌(まも)るとて、家(いへ)(ごと)に養(か)ふ物(もの)なれども、今(いま)の犬(いぬ)は物(もの)だにくるれは、主(しゆう)を吠(ほえ)て盗児(ぬすびと)に、尾(を)を掉(ふり)て狎(な)るゝもあるべし。門(かど)(も)る役(やく)には得(え)たゝずして、家(いへ)の四邊(めぐり)に糞(はこし)ちらして、人(ひと)に踏(ふま)するのみぞかし。されば畜(かふ)べきものは猫(ねこ)なり。わきて農家(のうか)は穀物(たなつもの)に、鼠(ねずみ)を防(ふせ)ぐを第一(だいゝち)とす。猫(ねこ)なくはいかにせん。よりてわれは犬(いぬ)を愛(あい)せず、猫(ねこ)を養(かは)んと思ふかし。逸物(いちもつ)あらば得(え)させ給へ」と來(く)る人(ひと)(ごと)に乞(こひ)しかば、ある人(ひと)雉毛(きじけ)の肥(こえ)たる牡猫(をねこ)を、蟇(ひき)六に贈(おくり)けり。わが物(もの)となるときは、愛情(あいじやく)ふかき性(さが)なれば、蟇(ひき)六はいふもさらなり。亀篠(かめさゝ)濱路(はまぢ)これを愛(あい)して、真紅(しんく)の頸環(くびたま)かけさせて、迭代(かたみかはり)に膝(ひざ)にうち載(のせ)、或(あるひ)は抱(いだ)き、或(あるひ)は懐(ふところ)にして、半〓(かたとき)も地(した)には置(おか)ず。蟇(ひき)六は猫(ねこ)の名(な)を、何(なに)と呼(よふ)べき、と决(さだ)めかねつゝ、もの識人(しるひと)に問(とひ)しかは、その人(ひと)(こたへ)て、「むかし一條院(いちでふのいん)のおん猫(ねこ)は、命婦(めうぶ)のおとゞと召(めさ)れたり。翁丸(おきなまろ)といふ犬(いぬ)が、件(くだん)の猫(ねこ)を逐(おひ)しかば、勅勘(ちよくかん)(かうむ)りし事もあり。この外(ほか)に猫(ねこ)のよび名(な)を、物(もの)に記(しる)せしを見ざる也。主(しゆう)の隨意(まに/\)(な)つけ給へ。故事(こじ)も相性(あいせう)もいることかは」といはれて蟇(ひき)六竊(ひそか)に歡(よろこ)び、走(はし)り還(かへり)て亀篠(かめさゝ)にいふやう、「猫(ねこ)は犬(いぬ)より貴(たつと)きものなり。昔(むかし)一條院(いちでふのいん)のおん時(とき)には、猫(ねこ)に叙爵(かうふり)給はりて、命婦(めうぶ)のおとゞと召(めさ)れしとぞ。尓(しか)りとて平人(たゞうど)は、主(しゆう)(すら)爵位(くらゐ)なきものなれば、又(また)命婦(めうぶ)とは呼(よび)がたし。わが猫(ねこ)は雉子毛(きじけ)也。番作(ばんさく)が犬(いぬ)は四足白(よつしろ)なり。四白(よしろ)なる故(ゆゑ)に、与四郎(よしらう)とよぶとかいへば、わが猫(ねこ)は雉子(きじ)なる故(ゆゑ)に、紀二郎(きじらう)と名(な)づくべし。けふより奴婢(ぬび)にもこゝろ得(え)させて、この名(な)を呼(よば)せ給へ」といへは、亀篠(かめさゝ)(きゝ)て、笑坪(えつぼ)に入(い)り、「吁(あな)めでた、佳(よき)(な)也。濱路(はまぢ)も如右(しか)こゝろ得(え)よ。紀二郎(きじらう)は何処(いづこ)にをる。紀二郎(きじらう)々々(/\)々」と呼立(よびたて)て、ます/\寵愛(ちやうあい)する程(ほど)に、比(ころ)は如月(きさらぎ)のすゑなれば、牝(つま)(こひ)(さか)る友猫(ともねこ)のよび声(こゑ)に浮(うか)されて、彼(かの)紀二郎(きじらう)は尻(しり)もおちゐず、屋棟(やね)より屋棟(やね)を傳(つた)ひあるきて、或(ある)は群猫(むれねこ)と挑(いど)み〓(うな)りて、亭主(いへぬし)が長竿(ながさを)に追走(おひはしら)かされ、或(ある)は餓(うへ)て常(つね)には疎(うと)き、他(ひと)の宿所(しゆくしよ)に夜(よ)をあかし、三日(みか)四日(よか)がほど家(いへ)にしも還(かへ)らず。一日(あるひ)(くだん)の紀二郎(きじらう)は、番作(ばんさく)が背門(せど)(ちか)き、荘客(ひやくせう)糠助(ぬかすけ)が厠(かはや)の屋棟(やね)に、友猫(ともねこ)と挑(いどみ)てをり。その声(こゑ)(とほ)く聞(きこ)えしかば、亀篠(かめさゝ)(みゝ)を側立(そはだて)て、忙(いそがは)しく小廝(こもの)を呼(よ)び立(たて)、「南向(みなみむかひ)に声(こゑ)するは、紀二郎(きじらう)にやあらんずらん。とく出(いで)て見よ」といへば、小廝(こもの)(ら)はこゝろ得(え)て、一人(ひとり)はやがて番作(ばんさく)が前栽(ぜんさい)のかたに赴(おもむ)き、一人(ひとり)は糠助(ぬかすけ)が宿所(しゆくしよ)のかたへ、声(こゑ)をしるべにゆく程(ほど)に、彼(かの)紀二郎(きじらう)は友猫(ともねこ)に、いたく噬(かま)れて堪(たへ)ざりけん、滾々(ころ/\)と輾(まろ)びつゝ、厠(かはや)のほとりへ撲地(はた)と落(おつ)。時(とき)に番作(ばんさく)が犬(いぬ)與四郎(よしらう)は、匍匐(はらばひ)(ふし)て背門(せど)にをり。今(いま)紀二郎(きしらう)が落(おつ)るを見て、身(み)を起(おこ)し走(はし)り來(き)て、噬仆(かみたふ)さんと近(ちか)つけは、紀二郎(きじらう)は驚(おどろ)きながら、爪(つめ)を張(はり)つゝ与四郎(よしらう)が、鼻柱(はなはしら)を掻傷(かきやぶら)ん、と前足(まへあし)を閃(ひらめか)すを、物(もの)ともせず飛(とび)かゝりて、左(ひだり)の耳(みゝ)を引銜(ひきくはえ)、一揮(ひとふり)ふれば紀二郎(きじらう)は、耳根(みゝもと)より啖断(かみき)られ、命限(いのちかぎ)りと逃走(にげはし)れは、与四郎(よしらう)はなほ脱(のが)さじ、と驀直(まつしくら)に追蒐(おつかけ)たり。蟇(ひき)六が小廝(こもの)(ら)は、三丈(みつゑ)(ばかり)あなたより、この好景(ありさま)を見て、驚(おどろ)き騒(さわ)ぎ、吐嗟(あなや)と叫(さけ)びて、与四郎(よしらう)が、趾(あと)を慕(した)ひて喘々(あへぎ/\)、何処(いづこ)までもと追(お)ふ程(ほど)に、城〓廟(うぢかみのやしろ)のほとりに、一條(ひとすぢ)の小川(をかは)あり。こゝに至(いたり)て紀二郎(きじらう)は、途(みち)(きわま)りて慌忙(あはてふため)き、引(ひき)かへして迯(にげ)んとするに、与四郎(よしらう)はやく跳(おどり)かゝりて、猫(ねこ)の項(うなぢ)を含〓(がんぐ)とくはえて、只(たゞ)一當(ひとあて)にぞ嚼殺(かみころ)す。当下(そのとき)小廝(こもの)(ら)(ちか)つきて、「彼(あれ)よ/\」と叫(さけ)ぶのみ、手(て)に一條(ひとすぢ)の棒(ぼう)を拿(もた)ねば、小石(こいし)を把(とり)て打(うち)かけ/\、走(はし)り著(つか)んとするを見て、與四郎(よしらう)はやくも途(みち)を横(よこ)きり、何地(いづち)とはなく失(うせ)にけり。縡(こと)の騒動(そうどう)(おほ)かたならねば、彼(かの)糠助(ぬかすけ)も背(あと)より來(き)つ。蟇(ひき)六は縁由(ことのよし)を、聞(き)くとそがまゝ棒(ぼう)を引提(ひきさげ)、額蔵(がくざう)といふ小廝(こもの)の、年(とし)十一二になるを將(い)て後走(おくれはせ)に來(き)つれども、紀二郎(きじらう)ははや噬殺(かみころ)され、猫(ねこ)の仇(あた)なる犬(いぬ)はをらず。縡(こと)の趣(おもむき)を尋(たづぬ)るに、「番作(ばんさく)が犬(いぬ)與四郎(よしらう)が所為(わざ)也」と小廝(こもの)(ら)(つばら)に告(つげ)しかば、蟇(ひき)六は潜然(さめ/\)と、圓(つぶら)なる目(め)に涙(なみだ)を流(なが)して、小廝(こもの)が救(すくひ)(え)ざるを憾(うら)み、且(かつ)(いか)り且(かつ)(のゝしり)て、棒(ぼう)もて地上(ちせう)をうち敲(たゝ)き、「いかなれは彼(かの)廃人(かたはもの)、かくまでわれを侮(あなど)れる。彼奴(かやつ)が姉(あね)はわが妻(つま)なり。われは嫡家(ちやくか)を続(つぐ)のみならず、便(すなはち)(これ)村長(むらおさ)也。彼奴(かやつ)が不礼(ぶれい)をいへばさらなり。そが養犬(かひいぬ)まで主(しゆう)に做(なら)ふて、わが愛猫(まなねこ)を殺害(せつがい)し、飽(あく)までわれを辱(はづか)しむ。もし眼前(まのあたり)に犬(いぬ)を殺(ころ)して、紀二(きじ)が怨(うらみ)を雪(きよ)めずは、この熱腸(ねつちやう)を冷(さまし)がたし。汝(なんぢ)(ら)二人(ふたり)は糠助(ぬかすけ)もろとも、番作(ばんさく)が宿所(しゆくしよ)に赴(おもむ)き、彼(かの)畜生(ちくせう)を牽(ひき)ずり來(きた)れ。その口状(こうでう)は箇様(かやう)々々(/\)」と、巨細(つまびらか)に説示(ときしめ)せば、先(さき)に來(きた)りし両個(ふたり)の小廝(こもの)は、こゝろ得(え)(はて)て、遽(あはたゝ)しく、糠助(ぬかすけ)を誘引(いざなひ)つゝ、番作(ばんさく)(かり)(おもむ)けば、蟇(ひき)六は額蔵(がくざう)に、猫(ねこ)の亡骸(なきから)をかき抱(いだか)せ、なほ諄々(くど/\)と途(みち)すがら、罵(のゝしり)(や)まで還(かへ)りけり。今(いま)このわたりに掛(かゝ)れる橋(はし)を、簸川(ひかは)の猫俣橋(ねこまたばし)といふとぞ。紀二(きじ)が故事(こじ)に因(より)なるべし。
 却説(かくて)(ひき)六が両個(ふたり)の小廝(こもの)は、糠助(ぬかすけ)とゝもに、犬塚(いぬつか)が宿所(しゆくしよ)に赴(おもむ)き、番作(ばんさく)に對面(たいめん)して、紀二(きじ)(ねこ)が最期(さいご)の顛末(てんまつ)、與四郎(よしらう)(いぬ)が残害(ざんがい)の為体(ていたらく)を演説(ゑんせつ)し、「主人(しゆじん)(ひき)六この年來(としごろ)、夥(あまた)の犬(いぬ)を畜(かふ)といへども、貴所(きしよ)の犬(いぬ)に傷(きずつけ)られ、或(あるひ)は即死(そくし)しつるものあり。しかれども蟇(ひき)六は、なほ穩便(おんびん)の義(ぎ)を存(ぞん)じて、一トたびも恨(うらみ)を述(のべ)ず、迭(かたみ)に畜犬(かひいぬ)あればこそ、争(あらそ)ひの端(はし)とはなれ、寔(まこと)に能(のう)なきことなり、と思ひかへして犬(いぬ)を畜(かは)ず。婦幼(をんなわらべ)の愛(めづ)る隨(まゝ)に、ちかき比(ころ)より猫(ねこ)を養(かひ)しに、これ又(また)貴所(きしよ)の犬(いぬ)の為(ため)に、一朝(いつちやう)に失(うしな)はる。友犬(ともいぬ)の戦(たゝか)ふは、いづれをわろしと定(さだ)めがたし。猫(ねこ)は犬(いぬ)と争(あらそ)はず、見ればおそれて避(さく)るもの也。しかるをなほこれを追(お)ひ、これを殺(ころ)すは犬(いぬ)に罪(つみ)あり。件(くだん)の犬(いぬ)を給はりて、猫(ねこ)の仇(あた)を報(むく)ふべし。縡(こと)の起(おこり)は糠助(ぬかすけ)(をとこ)が、宿所(しゆくしよ)のほとりにての事なれば、證人(せうにん)として將(い)て参(きた)れり。吾儕(わなみ)に犬(いぬ)を逓与(わたし)給へ。主人(しゆじん)の口状(こうでう)かくの如(ごと)し」と辭(ことば)(ひと)しく述(のべ)(をは)れば、糠助(ぬかすけ)は我(わが)(み)ひとり、困(こう)じ果(はて)たるおもゝちにて、番作(ばんさく)にうち對(むか)ひ、「とかく村(むら)には事(こと)なかれ、と生平(つね)にも人(ひと)のいふことながら、怪有(けう)なることにかゝづらひて、心(こゝろ)くるしく思ふかし。穏便(おんびん)の返答(へんとう)なくは、吾儕(わなみ)もほと/\難義(なんぎ)に及(およば)ん。よろしき挨拶(あいさつ)(きか)まほし」といふに番作(ばんさく)うち笑(わら)ひ、「かばかりの事いかにして、和殿(わどの)の難義(なんぎ)に及(およ)ぶべき。使者(ししや)の口状(こうでう)その意(ゐ)を得(え)ず。いはるゝ所(ところ)(り)あるに似(に)たれど、そは人倫(じんりん)のうへにして、畜生(ちくせう)は五常(ごしやう)をしらず。絶(たえ)て法度(はつと)を辨(わきま)へず。弱(よは)きは強(つよ)きに征(せい)せられ、小(せう)は大(だい)に服(ふく)せらる。されば猫(ねこ)は鼠(ねずみ)を食(くら)へど、犬(いぬ)には絶(たえ)て勝(かつ)ことなし。犬(いぬ)は猫(ねこ)に傷(きずつく)れども、犲狼(おほかみ)と戦(たゝか)ふことかなはず。みな是(これ)(ちから)の足(たら)ざる所(ところ)、形(かたち)の小大(せうだい)によるもの也。もし犬(いぬ)を猫(ねこ)の仇(あた)とせば、猫(ねこ)を鼠(ねずみ)の仇(あた)とせん。そを仇(あた)として死(し)を貲(つくな)ふは、人倫(じんりん)のうへにあり。畜生(ちくせう)の為(ため)に律(りつ)をたづね、報讐(ふくしう)死刑(しけい)の制度(さた)あるよしは、わがしらざる所(ところ)也。且(かつ)(ねこ)は畜(かは)れて席上(せきせう)にあり。今(いま)そのところを失(うしな)ふて、漫(そゞろ)に地上(ちせう)を奔走(ほんさう)し、犬(いぬ)の為(ため)に命(いのち)を隕(おと)すは、みづから死地(しち)に入(い)るにあらずや。又(また)(いぬ)は畜(かは)れて地上(ちせう)にあり。亦(また)その所(ところ)を失(うしな)ひて、席上(せきせう)に起居(おきふし)せば、人(ひと)(み)て是(これ)を許(ゆる)さんや。わが犬(いぬ)足下(そくか)の宅地(やしき)に赴(おもむ)き、座席(ざせき)に到(いた)ることあらは、打殺(うちころ)さるゝとも怨(うらみ)なし。猫(ねこ)の死(し)を貲(つくな)ふ為(ため)には、つや/\犬(いぬ)を逓与(わたし)がたし。たち帰(かへり)てこれらのよしを、よろしく長(おさ)に傳(つた)へ給へ。使(つかひ)大義(たいぎ)」と鷹揚(おふよう)に、辨舌(べんぜつ)(みづ)の流(なが)るゝ如(ごと)く、理(ことわ)り逼(せめ)たる返答(へんとう)に、両箇(ふたり)の小廝(こもの)は唯々(あい/\)、と猫(ねこ)に袋(ふくろ)を被(かぶ)せしごとく、尻(しり)を〓(たか)くし、頭(かうべ)を低(さげ)、逡巡(あとしさり)して退(しりぞ)けは、糠助(ぬかすけ)は〓(あやぶ)みながら、番作(ばんさく)に辞(ぢ)し別(わか)れ、小廝(こもの)とゝもに退出(まうで)けり。
 さる程(ほど)に蟇(ひき)六が宿所(しゆくしよ)には、亀篠(かめさゝ)濱路(はまぢ)(ら)、紀二郎(きじらう)(ねこ)が、死骸(しがい)を抱(いだ)きて泣叫(なきさけ)び、犬(いぬ)を罵(のゝし)り、番作(ばんさく)を、怨(うらみ)つゝ時移(ときうつ)るまで、「今(いま)もや仇(あた)を牽(ひき)もて來(く)る歟(か)」と小廝(こもの)が音(おと)つれをまつ程(ほど)に、両個(ふたり)の使(つかひ)は糠助(ぬかすけ)もろ共、手(て)を空(むなしう)して帰(かへ)り來(き)つ、番作(ばんさく)が返答(へんとう)を、おちもなく告(つげ)しかは、亀篠(かめさゝ)(きゝ)て怒(いかり)に得(え)(たへ)ず、「姉(あね)を姉(あね)とも思はざる、番作(ばんさく)が偏僻(かたゐぢ)は、今(いま)にはじめぬことなれども、勸觧(わび)らるゝ口(くち)をもちながら、嘲(あざけ)り誇(ほこ)る非法(ひほう)の返答(へんとう)、この度(たび)は堪(たへ)かたし。汝(なんぢ)(ら)(ふたゝ)び彼処(かしこ)に赴(おもむ)き、有無(うむ)をいはせずその犬(いぬ)に、荒縄(あらなは)かけて牽(ひき)もて來(こ)よ。あな手(て)ぬるし」と敦圉(いきまけ)は、蟇(ひき)六急(きう)に推禁(おしとゞ)め、「番作(ばんさく)は足蹙(あしなえ)たれども、武藝(ぶげい)において侮(あなど)りがたし。われ一郷(いちごう)の長(をさ)として、只(たゞ)一頭(いつひき)の猫(ねこ)ゆゑに、この争(あらそ)ひを、惹出(ひきいだ)し、左右方(さうほう)(きずつ)く事あらは、理(り)ありといふとも越度(をちど)とせられん。公(おほやけ)の沙汰(さた)心もとなし。こは此まゝに閣(さしおく)とも、恥(はぢ)を雪(きよむ)る術(すべ)ありなん。渠(かれ)(すで)にみづからいはずや。彼(かの)(いぬ)もしわが宿所(しゆくしよ)に入(い)らは、打殺(うちころ)すとも恨(うらみ)なし、と口走(くちはし)らせしぞ幸(さいは)ひなる。謀(はか)りて犬(いぬ)を敷地(しきち)へ誘引(いざな)ひ、竹鎗(たけやり)をもて刺留(しとめ)なん。僉(みな)竹鎗(たけやり)の准備(ようゐ)をせよ」とほこりかに説示(ときしめ)せは、亀篠(かめさゝ)やうやくおもひかへしつ、小廝(こもの)(ら)を、と見かう見て、「糠助(ぬかすけ)は汝達(なんたち)と、共(とも)に來(き)つると思ひしが、竹鎗(たけやり)の事聞(きか)ずや」と問(とへ)ば小廝(こもの)は後方(あとべ)を見かへり、「今(いま)まで是処(ここ)に候ひし、還(かへ)るをば見ず候き」といふに亀篠(かめさゝ)(まゆ)うち顰(ひそ)め、「彼(かの)糠助(ぬかすけ)は番作(ばんさく)が、背門(せど)のこなたに住居(すまゐ)すなれは、固(もと)より親(したし)きものとぞ聞(き)く。わが良人(つま)の謀(はかりこと)、彼(かれ)が口(くち)より洩(もれ)もやせん。抜(ぬか)りにけり」と舌(した)うち鳴(なら)して、後悔(こうくわい)すれば、蟇(ひき)六は、心(こゝろ)つきて小膝(こひざ)を拍(うち)、「嗚呼(あゝ)(あやまて)り誤(あやまち)ぬ。謀(はかりこと)は密(みつ)なるを、よしとすといふものを、わろき奴(やつ)に聞(きか)れたり。遠(とほ)くはゆかじ、追留(おひとめ)よ。童(わらべ)は足(あし)いと早(はや)きもの也。額蔵(がくざう)ゆきね」といそがせは、應(いらへ)もあへず外面(とのかた)へ、裳(もすそ)を〓(かゝげ)て走去(はせさり)けり。
 尓(しか)るにこの額蔵(がくざう)は、年(とし)に似(に)げなく才(さえ)(たけ)て、その才(さえ)をあらはさず。志気(こゝろざし)あるものなれば、月(つき)ごろ主(しゆう)の物妬(ものねたみ)を、傍(かたはら)いたく思ふ物(もの)から、陽(うへ)にはその意(ゐ)に悖(さから)はず。この日(ひ)も件(くだん)の計較(もくろみ)を、いと嗚呼(をこ)なり、と心(こゝろ)には、思(おも)はざるにあらねども、いはるゝまゝに遽(いそがは)しく、走(はし)り出(いで)しが、遠(とほ)くはゆかず、且(しばらく)してかへり來(き)つ。「途(みち)にて追(おひ)つき候はねば、彼(かの)宿所(しゆくしよ)までいゆきて見しに、糠助(ぬかすけ)ぬしは宿(やど)へも還(かへ)らず。彼(かの)(ひと)は去年(こぞ)の秋(あき)の、貢(みつぎ)の債(おひめ)ありとか聞(きけ)り。いかでか村長(むらをさ)を敵(てき)にして、自滅(じめつ)を招(まね)き候べき。捨(すて)おかし給ふとも、口(くち)(きく)ことは候はじ、と心(こゝろ)つき候へは、先々(さき/\)までは索(たづね)候はず。なほ索(たづ)ぬべうもや」と真(まこと)しやかにこしらゆれば、蟇(ひき)六聞(きゝ)てうち点頭(うなつき)、「現(げに)(なんぢ)がいふごとく、渠(かれ)は債(おひめ)あるもの也。さればその身(み)を愛(あひ)せずに、わが為(ため)わろき事はえいはじ。よしやいふとも洩(もら)すとも、彼(かの)(いぬ)には四足(しそく)あり。主(しゆう)の番作(ばんさく)には似(に)るべうもあらず。霎時(しばし)はこれを繋(つな)ぎおくとも、日(ひ)を歴(へ)なば出(いで)あるかん。そのとき敷地(しきち)へ呼(よ)び入(い)れて、刺殺(つきころ)さんこと易(やす)かるべし。竹鎗(たけやり)の准備(ようゐ)(おこた)るな」とその手配(てくばり)を傳(つた)へさせ、與四郎(よしらう)(いぬ)がいで來(く)るを、これより日(ひ)に/\俟(まつ)なるべし。
 却説(かくて)荘客(ひやくせう)糠助(ぬかすけ)は、蟇(ひき)六が計校(もくろみ)を、番作(ばんさく)にしらせん、と思へば別(わかれ)を告(つげ)ずして、遽(いそがは)しく走(はし)り出(いで)、犬塚(いぬつか)が宿所(しゆくしよ)へいゆきて、蟇(ひき)六夫婦(ふうふ)がいひつることを、潜(しのび)やかに報知(つげしら)せ、「斯(かう)いへば仂(はした)なく、中言(なかごと)するに似(に)たれども、某(それがし)村長(むらをさ)には債(おひめ)あり、彼(かの)(ひと)わろかれとて告(つぐ)るにあらず。縦(たとひ)義絶(ぎぜつ)の親類(しんるい)ともいへ、長(をさ)の内室(ないしつ)はおん身(み)の姉(あね)也。畜生(ちくせう)の事(こと)によりて、ます/\怨(うらみ)を結(むすば)んこと、好(よし)とは絶(たえ)ていひがたし。かゝれば彼(かの)與四郎(よしらう)を、近郷(きんごう)へ遣(つかは)し給へ。犬(いぬ)だにこゝにをらずならは、人(ひと)の怨(うらみ)も自然(しぜん)と觧(とけ)なん。この議(ぎ)はいかに」と密語(さゝやけ)ば、番作(ばんさく)(きゝ)て沈吟(うちあん)じ、「今(いま)にはじめぬ和殿(わとの)が親切(しんせつ)、歡(よろこ)びこれにますことなし。然(さり)ながら、蟇(ひき)六闔宅(やうち)の智嚢(ちのう)を拂(ふるつ)て、謀(はかりこと)をめぐらすとも、われ露(つゆ)ばかりもこれをおそれず。せんすべは又(また)いくらもあるべし。只(たゞ)(うらむ)らくはわが足蹙(あしなへ)て、近來(きんらい)ます/\夛病(たびやう)也。理(り)ありといふとも争(あらそ)ひを好(この)まず。且(かつ)畜生(ちくせう)は智(ち)ありて智(ち)なし。安危(あんき)をしらざるものなれば、欺(あざむか)れて彼処(かしこ)におもむき、打殺(うちころ)されなばわが羞(はぢ)なり。和殿(わどの)よろしく計(はから)ひて、犬(いぬ)を遠離(とほざけ)給はるべし」とやうやくに諾(うけ)ひしかは、糠助(ぬかすけ)(おほき)に歡(よろこ)びて、信乃(しの)にも縁由(ことのよし)を告(つげ)、與四郎(よしらう)に物(もの)(あまた)(くは)して、その夜(よ)(たき)の川(かは)へ牽(ひき)もてゆき、彼処(かしこ)の寺(てら)へ関(あづけ)つるに、犬(いぬ)は糠助(ぬかすけ)より先(さき)にかへりて、はや番作(ばんさく)が門(もん)にをり。「こは途(みち)の近(ちか)き故(ゆゑ)なり。河(かは)を渉(わた)さば得(え)かへらじ」とて、次(つぐ)の日(ひ)は、東南(たつみ)のかたへ牽出(ひきいだ)し、宮戸川(みやとかは)をうちわたして、牛嶋(うししま)に棄(すて)たるに、其処(そこ)にもをらでかへり來(き)つ。かくの如(ごと)くすること両(りやう)三度(さんど)、五六日を費(ついや)せども、労(ろう)してその功(こう)なかりしかは、糠助(ぬかすけ)は呆(あき)れ果(はて)て、遂(つひ)に又(また)彼犬(かのいぬ)を棄(すて)ず。當下(そのとき)信乃(しの)思ふやう、与四郎(よしらう)は主(しゆう)を慕(した)ふて、身(み)に禍(わざはひ)の及(およ)ぶをしらず。この犬(いぬ)(はた)して殺(ころ)されなは、父(ちゝ)の怒(いか)り、甚(はなはだ)しく、いかなる事もやいで來(き)なん。いとこゝろ憂(う)き事なりかし。願(ねが)ふは与四郎(よしらう)も殺(ころ)されず、わが伯母(をば)夫婦(ふうふ)の恨(うらみ)も散(はれ)て、無異(ぶゐ)におさまる謀(はかりこと)、なからずやは、としのび/\に、肺肝(はいかん)を摧(くだ)きつゝ、僅(はつか)に一(ひとつ)の計(はかりごと)を生(おもひいだ)し、父(ちゝ)に告(つげ)てはその事成(な)らじ。糠助(ぬかすけ)(をとこ)に相譚(かたらは)ばや、と思へばやがて外(と)に出(いで)て、件(くだん)のをとこを索(たづぬ)るに、畑(はた)をかへして草野(のら)にをり。側(かたへ)に耕(たがや)すものなければ、折(おり)こそよけれ、と彼処(かしこ)に赴(おもむ)き、云云(しか/\)にせばやと思ふ、意中(ゐちう)の機密(きみつ)を説示(ときしめ)し、「所詮(しよせん)(かの)与四郎(よしらう)を、伯母夫(をばむこ)の宅地(やしき)(ちか)く牽(ひき)もてゆき、犬(いぬ)に對(むかひ)て罵(のゝし)りいはん。この畜生(ちくせう)よしもなく、長(をさ)が愛(あい)する猫(ねこ)を殺(ころ)して、親族(しんぞく)(うらみ)を重(かさぬ)るの禍(わざはひ)を惹出(ひきいだ)せり。よりてしば/\棄(すて)たれ共、なほこりずまにかへり來て、みづから死地(しち)に入(い)るをしらず。今(いま)はしもせんすべなし。汝(なんぢ)を殺(ころ)してわが伯母(をば)夫婦(ふうふ)の、怨(うらみ)を觧(とか)んと思ふのみ。覚期(かくご)せよ、と罵(のゝし)りて、杖(しもと)をあげて犬(いぬ)を打(うた)ば、犬(いぬ)は必(かならず)逃走(にけはし)らん。逃(にぐ)るを追(お)ふて打走(うちはし)らし、趾(あと)を慕(した)ふて宿所(しゆくしよ)にかへり、且(しばら)く犬(いぬ)を繋(つな)ぎ置(おか)は、わが伯母(をば)夫婦(ふうふ)、その声(こゑ)を聞(きゝ)、その好景(ありさま)を見て必(かならず)おもはん。番作(ばんさく)その子(こ)に犬(いぬ)を打(うた)して、猫(ねこ)を殺(ころ)せる罪(つみ)を謝(しや)せり、と了觧(りやうかい)せば怨(うらみ)も散(はれ)て、犬(いぬ)を殺(ころ)すの念(おもひ)を絶(たち)なん。与四郎(よしらう)が必死(ひつし)を救(すく)はゞ、わが父(ちゝ)に恥(はぢ)あることなく、親族(しんぞく)(うらみ)を重(かさぬ)るの歎(なげ)きなし。この事何(なに)とか思ひ給ふ」と問(とへ)ば糠助(ぬかすけ)一議(いちぎ)に及(およ)ばず、「吁(あゝ)賢哉(さかしいかな)々々(/\)、和子(わこ)は僅(はつか)に十一才(さい)、その智(ち)はむかしの楠公(くすのき)にひとし。且(かつ)その謀(はか)る所(ところ)(おや)の為(ため)、伯母(をば)を思ふの孝(こう)也義(ぎ)也。われも共侶(もろとも)にゆくべきに、とく/\」といそがせば、信乃(しの)は既(すで)に翼(たすけ)を得(え)て、こゝろます/\勇(いさ)みあり。遽(いそがは)しく走(はし)りかへりて、わが門(かど)にをる與四郎(よしらう)を、誘引立(いざなひたて)て糠助(ぬかすけ)もろ共(とも)、蟇(ひき)六が門(かど)に將(い)てゆきつ。謀(はか)りしごとく声(こゑ)をふり立(たて)、云云(しか/\)と罵責(のゝしりせめ)て、棒(ぼう)を揚(あげ)(しもと)を採(とり)て、與四郎(よしらう)を〓(はた)と打(うつ)。うたれて犬(いぬ)はこゝろを得(え)ず、生平(つね)にはあらで糠助(ぬかすけ)さへ、われを打(うつ)こと大(おほ)かたならねば、驚(おどろ)き〓(あはて)て途(ど)を失(うしな)ひ、舊(もと)の路(みち)へは逃(にげ)もかへらで、蟇(ひき)六が宅地(やしき)を遶(めぐ)りて、背門(せど)のかたへぞ走(はし)りける。信乃(しの)糠助(ぬかすけ)はこれを見て、あな便(びん)なし。そなたにあらず、こなたへ逃(にげ)よ、といはぬばかりに、途(みち)をひらきて左右(さゆう)にわかれ、杖(しもと)を揚(あげ)て追蒐(おつかく)れは、犬(いぬ)はいよ/\狼狽(うろたへ)さわぎて、走(はし)り脱(ぬけ)んとしつれ共、この処(ところ)は瓢(ひさご)のごとく、口(くち)一方(いつほう)にして、前面(むかひ)に路(みち)なし。已(やむ)ことを得(え)ず蟇(ひき)六が、背門(せど)より裡面(うち)へ走(はし)り入(い)り、勢(いきほひ)に乗(まか)しつゝ、左辺(ゆんで)なる子舎(こざしき)へ、身(み)を跳(おどら)して飛込(とびこん)たり。すはや、と騒(さわ)ぐ蟇(ひき)六が小廝(こもの)(ら)は手配(てくばり)して、後門(せど)も〓門(かなど)も〓(はた)と閉(たて)、「是首(ここ)よ、彼首(かしこ)よ」と散動(どよめく)(こゑ)、囂(かしま)しきまで聞(きこ)えしかば、糠助(ぬかすけ)は〓惑(あはてまどひ)て、信乃(しの)が袂(たもと)を引(ひき)とゞめ、「毛(け)を吹(ふき)(きず)を求(もとめ)たり。もし虚々(うか/\)とこゝにをらは、忽地(たちまち)不虞(ふぐ)の危殃(わざはひ)あらん。とく逃(にげ)給へ」といひもあへず、拿(もつ)たる棒(ぼう)を隱(かく)さんとて、懐(ふところ)へ挿入(さしい)れつゝ、走(はし)り避(さけ)んとする程(ほど)に、腮(あご)につかへ、脚(あし)にからまり、睾丸(きんたま)さへに推痛(おしいた)めて、俯(うつぶし)に跌倒(つまつきたふ)れ、吐嗟(あなや)と叫(さけび)て、棒(ぼう)を繰(く)り捨(すて)、やうやくに身(み)を起(おこ)せば、膝(ひざ)(やぶ)れ衂血(はなぢ)(なが)るゝを、見かへるに遑(いとま)あらず、面(つら)を皺(しは)め、膝(ひざ)を拊(なで)、足(あし)を引(ひき)つゝ逃亡(にげうせ)けり。
 かくても信乃(しの)は退(しりそ)かず、よしなき所行(わざ)をしつるかな、と百遍(もゝたび)(くひ)、千遍(ちたび)(くへ)ども、又せんすべはなきものから、隙(ひま)もあらば與四郎(よしらう)を、救(すく)ひとらんと思ひしかは、彼此(をちこち)に立遶(たちめぐ)りて、犬(いぬ)
【挿絵】「怨(うらみ)をかへして蟇六(ひきろく)(こ)ものを労(ねぎら)ふ」「庄官ひき六」「かめさゝ」「小ものがく蔵」
(いづ)るを待(まつ)といへども、門(かど)の扉(とびら)を鎖(さ)されたれば、絶(たえ)て出(いつ)べき路(みち)もなし。犬(いぬ)はいと苦(くる)しげに、吠〓(ほえうめ)く声(こゑ)(きこ)えにければ、「嗚呼(ああ)与四郎(よしらう)は殺(ころ)されなん。いとをしき事してけり」とひとりごちつゝ杖(しもと)に携(すがり)て、なほ背門(せど)のこなたにをり。かくてあるべきにあらざれは、今(いま)は救(すく)ふによしなし、と思ひ絶(たえ)て宿所(しゆくしよ)に還(かへ)り、「已(やむ)ことを得(え)ず云云(しか/\)」と匿(つゝ)まず父(ちゝ)に告(つげ)しかは、番作(ばんさく)(いか)れる気色(けしき)なく、つく/\と聞(きゝ)て嘆息(たんそく)し、「汝(なんぢ)総角(あげまき)たりといへども、人(ひと)にましたる才学(さいかく)あり。その智(ち)によつて不覚(ふかく)をとりしは、人(ひと)をしらざるの失(あやまち)也。わが姉(あね)はこゝろ僻(ひがめ)り。蟇(ひき)六は能(のう)を娟(ねた)む小人(せうじん)なり。汝(なんぢ)(はか)りて犬(いぬ)を打(うつ)とも、渠(かれ)(あに)それに〓(あきた)りて、憤(いきどほり)を觧(とく)ものならんや。しかれどもこなたより、犬(いぬ)を追入(おひい)れて撃(うた)せしは、不覚(ふかく)に似(に)て不覚(ふかく)にあらず。彼(かれ)より犬(いぬ)を呼入(よびいれ)られて、殺(ころ)されなばいかばかり、われは悔(くや)しく思はなん。与四郎(よしらう)が死(し)は不便(ふびん)なれども、惜(をしみ)て今(いま)さら詮(せん)なきことなり。なほ風声(ふうぶん)を聴定(きゝさだ)めよ」といふ言葉(ことば)いまだ訖(をは)らす、件(くだん)の犬(いぬ)は血(ち)に塗(まみ)れ、起(おき)つ轉(ころび)つ庭門(にはくち)より、跟々(ひよろ/\)と走(はし)りかへりて、そがまゝ撲地(はた)と臥(ふし)しかば、信乃(しの)ははやくも見かへりて、「あな痛(いた)まし、與四郎(よしらう)が還(かへ)り候は」といひあへず、走(はし)りをりて剿(いたは)れば、番作(ばんさく)は遽(いそがは)しく、柱(はしら)に携(すが)りて、身(み)を起(おこ)し、縁頬(えんがは)に出(いで)て、とくと見て、「斯(かう)鎗痍(やりきず)を受(うけ)ながら、其処(そこ)にて斃(たふ)れず還(かへ)りしは、老(おい)ても逸物(いちもつ)なれば也。雖然(さりとても)(いき)がたし、日蔭(ひかげ)へ牽入(ひきい)れ得(え)させよ」といふに信乃(しの)はこゝろ得(え)て、縁頬(ゑんがは)の下(もと)に藁菰(わらこも)(しき)て、痍負(ておへ)る犬(いぬ)を扶臥(たすけふ)させ、「阿(あ)、與四郎(よしらう)よ、苦(くる)しき歟(か)。汝(なんぢ)に危殃(わざはひ)あらせじとて、われ如此(しか)々々(/\)に謀(はかり)しかど、汝(な)は脱路(にげみち)をとり失(うしな)ひ、怨(うらめ)る人(ひと)の背門(せど)より入(いり)て、かくは命(いのち)を隕(おと)すめり。それ將(はた)吾儕(わなみ)の愆(あやまち)なり。よしなかりき」と身(み)を責(せめ)て、水(みづ)を口(くち)に沃(そゝ)ぎ入(い)れ、薬(くすり)を痍(きず)に揮(ふり)かけて、こゝろを竭(つく)して勦(いたは)れども、又(また)(いく)べうは見えざりけり。
 さる程(ほど)に蟇(ひき)六は、憎(にく)しと思ふ与四郎(よしらう)が、はからず背門(せど)より走(はし)り入(いり)て、子舎(こざしき)へ登(のぼり)しかば、やがて小廝(こもの)に門戸(もんこ)を鎖(さゝ)せ、主従(しゆう%\)すべて五六人、准備(ようゐ)の竹鎗(たけやり)(わきばさ)み、追(お)ひ出(いだ)し、駈立(かりたて)て、刺留(しとめ)んとしつれ共、件(くだん)の犬(いぬ)は足(あし)はやくて、鎗下(やりした)を潜(くゞり)り脱(ぬけ)、路(みち)を求(もと)めて出(いで)んとするに、前後(ぜんご)の門(もん)を鎖(さし)たれば、進退(しんたい)(すで)に究(きわま)りて、数个所(すかしよ)の疵(きず)を受(うけ)ながら、吼(たけ)り狂(くる)ひて伏(ふし)も斃(たふ)れず、板屏(いたべい)の下(すそ)突破(つきやぶ)りて、外面(とのかた)へ出(いで)しかば、「彼(あれ)(にが)すな」と蟇(ひき)六主従(しゆう/\)、門扉(とびら)を開(ひら)きて追蒐(おつかけ)しが、さのみはとて引(ひき)かへす。
 當下(そのとき)(ひき)六意氣(いき)揚々(よう/\)と、小廝(こもの)(ら)を労(ねぎら)ひて、「けふの働(はたら)き抜群(ばつくん)也。恨(うらむら)くは犬(いぬ)を刺留(しとめ)ず、さはれ深痍(ふかで)を負(おは)せしかは、必(かならず)(みち)にて斃(たふ)れなん。さはあらずや」と誇貌(ほこりか)に、鎗(やり)を庇(ひさし)に立(たて)かけて、縁頬(えんがは)に尻(しり)をかくれは、亀篠(かめさゝ)は背(うしろ)より、扇(あふぎ)をひらきてあふぎ立(たて)、「けふといふけふ紀二郎(きじらう)が、讐(あた)をやうやく復(かへ)したり。思ひしにます彼(かの)畜生(ちくせう)は、猛(たけ)くもこゝに死(しな)ざりし。汝達(なんたち)は怪我(けが)せずや」と問(とへ)ば小廝(こもの)(ら)(はだ)を收(いれ)、「いな何(なに)ともつかまつらず。宣(のたま)ふ如(ごと)く猛(たけ)き犬(いぬ)にて、吾們(われ/\)が手(て)に及(のら)ざりしを、主(しゆう)の光(ひかり)りで、とやらかうやら、痛痍(いたて)を負(おは)し候」といふに蟇(ひき)六さもこそ、と鼻(はな)(たか)やかにをこめかし、軈(やが)て裡面(うち)にぞ入(いり)にける。そが中(なか)に額蔵(がくざう)のみ、小廝(こもの)(ら)と共侶(もろとも)に、立(たち)さわぐのみ、犬(いぬ)をば追(お)はず、畜生(ちくせう)に傷(きずつ)けしとて、妻子(さいし)に誇(ほこ)る主(しゆう)の皃(かほ)を、つく/\と目送(みおく)りて、冷笑(あざわら)ひつゝ退(しりぞ)きぬ。
 且(しばらく)して蟇(ひき)六は、亀篠(かめさゝ)を一室(ひとま)に招(まね)き、蒸襖(むしふすま)引立(ひきたて)させて、額(ひたひ)を合(あは)し、声(こゑ)を潜(ひそ)め、「今(いま)小廝(こもの)(ら)がいふを聞(き)くに、番作(ばんさく)が犬(いぬ)がゆくりなく、背門(せど)より走(はし)り入(い)りつるは、信乃(しの)が追入(おひい)れたればなり。そのとき件(くだん)の小孩児(こせがれ)が、犬(いぬ)を責(せめ)て云云(しか/\)、と罵(のゝし)れるを聞(きゝ)しものあり。そは信乃(しの)一人(ひとり)が所為(わざ)ならで、糠助(ぬかすけ)も共侶(もろとも)に、彼(かの)(いぬ)を打(うち)しといへば、その故(ゆゑ)なくはあるべからず。今(いま)そのこゝろを猜(すい)するに、番作(ばんさく)(うへ)には剛気(ごうき)を示(しめ)せど、みづから争(あらそ)ひがたきをしりて、さてぞその子(こ)に分付(いひつけ)て、犬(いぬ)をこなたへ送(おく)りしならん。この勢(いきほ)ひを脱(ぬか)ずして、うまく謀(はか)らは招(まねか)ずして、番作(ばんさく)に帰伏(きぶく)させ、彼(かの)村雨(むらさめ)の一刀(ひとこし)も、遂(つひ)にわが手(て)に入(い)ることあるべし。われ大塚(おほつか)の遺蹟(いせき)たれ共、家譜(かふ)も傳(つた)へず、舊記(きうき)もなし。匠作(せうさく)ぬしの長女(ちやうぢよ)たる、そなたの夫(むこ)といふのみ也。尓(しか)るに鎌倉(かまくら)の成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)は、顕定(あきさだ)、定正(さだまさ)の両(りやう)管領(くわんれい)と、中(なか)わろくなり給ひて、曩(さき)に鎌倉(かまくら)を追落(おひおと)され、許我(こが)の城(しろ)に籠(こもら)せ給ひて、合戦(かつせん)(いま)に絶(たゆ)る隙(ひま)なし。これによりて當所(たうしよ)の陣代(ぢんだい)、大石(おほいし)(うぢ)も早晩(いつしか)に、鎌倉(かまくら)へ出仕(しゆつし)して、両(りやう)管領(くわんれい)に従(したがひ)給へり。われは成氏(なりうぢ)のおん兄(せうと)、春王(しゆんわう)安王(やすわう)の傅(かしつき)たりし、大塚(おほつか)(うぢ)の後(のち)なれば、両(りやう)管領(くわんれい)へ大(おほ)かたならぬ、志(こゝろざし)をあらはさずは、始終(しゞう)の安危(あんき)(こゝろ)もとなし。彼(かの)村雨(むらさめ)の一刀(ひとこし)を、鎌倉(かまくら)へ献(たてまつ)らは、わが野心(やしん)なきよしを、しらせ奉(たてまつ)るのみならず、恩賞(おんせう)抜群(ばつくん)なるべし、と思ひにければこの年來(としごろ)、心(こゝろ)を竭(つく)し術(てだて)をかえ、件(くだん)の刀(かたな)を謀(はか)れども、番作(ばんさく)もその機(き)をしりてや、絶(たえ)てわが家(いへ)に來(き)たらず。宝刀(みたち)をふかく蔵(かくし)おき、人(ひと)にはこれを見せざれは、いかにともせんすべなく、今(いま)にわが宿望(のぞみ)を得(え)(とげ)ず。袷(かれ)といひ恰(これ)といひ、番作(ばんさく)をだに帰降(きごう)させ、件(くだん)の宝刀(みたち)を獲(え)たらんには、家(いへ)の繁昌(はんぜう)(うたが)ひなし。然(さり)とても番作(ばんさく)は、をさ/\智勇(ちゆう)に長(たけ)たるものなり。もし糠助(ぬかすけ)を使(つか)ふにあらずは、輒(たやす)くは謀(はか)りかたけん。渠(かれ)小孩児(こせかれ)と共侶(もろとも)に、犬(いぬ)をこなたへ追入(おひい)れしは、究竟(くつきやう)の事ぞかし。おん身(み)(ひそか)に糠助(ぬかすけ)を召(よび)よせて、箇様(かやう)々々(/\)にこしらへ給へ。番作(ばんさく)智勇(ちゆう)ありといふとも、進退(しんたい)其処(そこ)に窮(きわま)らば、いかでか子(こ)ゆゑに迷(まよは)ざるべき。縡(こと)十分(ぶん)に成就(しやうじゆ)せん。その謀(はかりこと)は如此(しか)々々(/\)」と耳(みゝ)を引(ひき)よせて密語(さゝやけ)ば、亀篠(かめさゝ)只管(ひたすら)感嘆(かんたん)し、うち笑(えみ)ながら頭(かうべ)を擡(もたげ)、「この謀(はかりこと)(き)なり妙(めう)なり。番作(ばんさく)は弟(おとゝ)なれども、彼(かれ)が母(はゝ)はわが母(はゝ)ならず。志(こゝろざし)さへあはずとも、百歩(ひやつほ)の間(あはひ)にをりながら、絶(たえ)て一トたび訪(とひ)も來(こ)ず、姉(あね)を譏(そし)りし、罰(ばち)をあてゝ、物(もの)おもはせんはこのときなり。さは」とて小廝(こもの)を呼(よび)よせて、糠助(ぬかすけ)(よべ)とて遣(つかは)しけり。畢竟(ひつきやう)亀篠(かめさゝ)、糠助(ぬかすけ)に、いかなる事を説出(ときいた)せる。そは又(また)(つぎ)の巻(まき)にて觧(とか)なん。
里見八犬傳第二輯巻之四終


# 『南総里見八犬伝』第十八回 2004-09-27
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