『南總里見八犬傳』第十二回


 第十二回(だいじうにくわい) 〔冨山(とやま)の洞(ほら)に畜生(ちくせう)菩提心(ぼだいしん)を發(おこ)す流水(ながれ)に泝(さかのぼり)て神童(じんどう)未來(みらい)(くわ)を説(と)く〕

 濁世(ぢよくせ)煩惱(ぼんなう)色欲界(しきよくかい)、誰(たれ)か五塵(こぢん)の火宅(くわたく)を脱(のが)れん。祇園(ぎおん)精舎(せうしや)の鐘(かね)の声(こゑ)は、諸行(しよぎやう)旡常(むじやう)の響(ひゞき)あれども、飽(あく)まで色(いろ)を好(この)むものは、後朝(きぬ%\)の別(わか)れを惜(をし)むが故(ゆゑ)に、只(たゞ)これをしも讐(あた)とし憎(にくめ)り。沙羅(さら)雙樹(そうじゆ)の花(はな)の色(いろ)は、盛者(しやうじや)必衰(ひつすい)の理(ことわ)りを顕(あらは)せども、徒(いたづら)に香(か)を愛(めづ)るものは、風雨(ふうう)の過(すぎ)なんことを妬(ねた)むが故(ゆゑ)に、偏(ひとへ)に延年(ゑんねん)の春(はる)を契(ちぎ)れり。觀(くわん)ずれば夢(ゆめ)の世(よ)、觀(くわん)ぜざるも亦(また)(ゆめ)の世(よ)に、孰(いづれ)か幻(まぼろし)ならざりける。思(おも)ひ内(うち)にあるものは、龍華(りうげ)の三會(さんゑ)に値(あ)ふといへども、凡夫(ぼんぶ)出離(しゆつり)の直路(ちよくろ)をしらず。覚(さめ)て復(また)(さと)るものは、虎穴(こけつ)龍潭(りうたん)に在(あ)りといへども、瑜伽(ゆか)成就(じやうじゆ)の快楽(けらく)(おほ)かり。斯(かく)までに世(よ)を思ひ捨(すて)て、富山(とやま)の奥(おく)に二(ふた)とせの、春(はる)とし秋(あき)を送(おく)るかな。
 扨(さて)も里見(さとみ)治部(ぢぶの)大輔(たいふ)義實(よしさね)のおん息女(むすめ)伏姫(ふせひめ)は、親(おや)の為(ため)、又(また)(くに)の為(ため)に、言(こと)の信(まこと)を黎民(たみくさ)に、失(うしな)はせじと身(み)を捨(すて)て、八房(やつふさ)の犬(いぬ)に伴(ともなは)れ、山道(やまぢ)を指(さし)て入日(いりひ)(なす)、隱(かく)れし後(のち)は人(ひと)(とは)ず。岸(きし)の埴生(はにふ)と山川(やまかは)の、狭山(さやま)の洞(ほら)に真菅(ますげ)(しき)、臥房(ふしど)(さだ)めつ冬篭(ふゆごも)り、春(はる)去來(さりく)れは朝鳥(あさとり)の、友(とも)(よ)ぶ頃(ころ)は八重(やへ)(かすみ)、高峯(たかね)の花(はな)を見つゝおもふ、弥生(やよひ)は里(さと)の雛遊(ひなあそ)び、垂髪(うなひ)少女(をとめ)が水鴨(みかも)(なす)、二人(ふたり)双居(ならびゐ)今朝(けさ)ぞ摘(つ)む、名(な)もなつかしき母子草(はゝこぐさ)。誰(たが)(かち)そめし三(み)かの日(ひ)の、餅(もちひ)にあらぬ菱形(ひしかた)の、尻掛石(しりかけいし)も膚(はだ)ふれて、稍(やゝ)(あたゝか)き苔衣(こけごろも)、脱(ぬき)かえねども、夏(なつ)の夜(よ)の、袂(たもと)(すゞ)しき松風(まつかぜ)に、梳(くしけづ)らして夕立(ゆふだち)の、雨(あめ)に洗(あら)ふて乾(ほ)す髪(かみ)の、蓬(おどろ)が下(もと)に鳴虫(なくむし)の、秋(あき)としなれば色々(いろ/\)に、谷(たに)のもみぢ葉(ば)織映(おりはえ)し、錦(にしき)の床(とこ)も假染(かりそめ)の、宿(やど)としらでや鹿(しか)ぞ鳴(な)く、水澤(みさは)の時雨(しぐれ)霽間(はれま)なき、果(はて)は其処(そこ)ともしら雪(ゆき)に、岩(いは)がね枕(まくら)(かど)とれて、真木(まき)も正木(まさき)も花(はな)ぞさく、四時(しじ)の眺望(ながめ)はありながら、わびしく處(お)れば鹿自物(ししじもの)、膝(ひざ)折布(をりしき)て外(と)に立(たゝ)ず、後(のち)の世(よ)の為(ため)とばかりに、経文(きやうもん)読誦(どくじゆ)書写(しよしや)の功(こう)、日数(ひかず)(つも)ればうき事も、憂(うき)に馴(なれ)つゝ憂(う)しとせず、浮世(うきよ)の事は聞(きゝ)しらぬ、鳥(とり)の音(ね)(けもの)の声(こゑ)さへに、一念(いちねん)希求(けく)の友(とも)となる、心操(こゝろばえ)こそ殊勝(しゆせう)なれ。
 是(これ)より先(さき)八房(やつふさ)は、伏姫(ふせひめ)を背(せ)に乗(のし)て、この山(やま)に入(い)りしとき、廣(ひろ)き流水(ながれ)を帶(おび)にしたる、山峽(やまのかひ)に洞(ほら)ありけり。石門(せきもん)おのづから鑿(のみ)もて彫(ゑ)れるごとく、松柏(せうはく)西北(いぬゐ)に聳(そびえ)て牆(かき)をなせり。この洞(ほら)南面(みなみおもて)にして、その裡(うち)も亦(また)(くら)からず。犬(いぬ)はこゝに住(とゞま)りて、前足(まへあし)(をり)て伏(ふし)にければ、姫(ひめ)うへはその意(ゐ)を暁(さと)りて、徐(しづか)にをり立(たち)て見給ふに、昔(むかし)も住(すみ)たる人(ひと)やありけん、裡(うち)には断離(ちぎれ)たる圓坐(わらふた)と、焼捨(たきすて)たる灰(はひ)、はつかに殘(のこ)れり。「世(よ)を捨(すて)つ、世(よ)に捨(すて)られて、この山(やま)に、山(やま)ごもりしつるもの、わが身(み)ひとつにあらざりき」とひとりごちて進(すゝ)み入(い)り、そが儘(まゝ)に坐(ざ)を占(しめ)給へば、犬(いぬ)は姫(ひめ)の傍(かたへ)にをり。滝田(たきた)の舘(たち)を出(いづ)るとき。法華経(ほくゑきやう)八軸(はちゞく)と、料紙(れうし)(すゞり)は身(み)を放(はな)さず、此処(こゝ)までも持來(もてき)給へば、この夜(よ)は月下(げつか)に読経(どきやう)して、おぼつかなくも明(あか)し給ふ。彼(かの)感得(かんとく)せし水晶(すいせう)の珠数(ずず)は、掛(かけ)て今(いま)なほ襟(えり)にあり。憑(たの)む所(ところ)は神佛(かみほとけ)の擁護(おうご)のみ。人(ひと)の言語(ことば)を大(おほ)かたならず、聞(きゝ)わきつらんと思へども、もしこの畜生(ちくせう)われを賺(すか)して、深山(みやま)の奥(おく)へ伴(ともな)ひ來(き)つる歟(か)。さらずとも、情欲(ぜうよく)の、不覚(そゞろ)に發(おこ)ることあらば、遂(つひ)にはじめの誓(ちか)ひを忘(わす)れん。婬心(たはけきこゝろ)を挾(さしはさ)みて、わが身(み)に近(ちか)づくことあらば、主(しゆう)を欺(あざむ)くの罪(つみ)(かれ)にあり。只(たゞ)一ト刀(かたな)に刺殺(さしころ)さん、と思ひ决(つめ)てはうち騒(さわ)ぐ胸(むね)を鎮(しづめ)て潜(ひそ)やかに、護身刀(まもりがたな)の袋(ふくろ)の緒(ひも)を、觧捨(ときすて)て右手(めて)へ引著(ひきつけ)て、又(また)読経(どきやう)してをはします。その気色(けしき)をや知(しり)たりけん、八房(やつふさ)は近(ちかく)くも得(え)よらず、只(たゞ)惚々(ほれ/\)と姫(ひめ)の顔(かほ)を、臥(ふし)て見つ、又(また)(おき)て見つ、舌(した)を吐(はき)、涎(よだれ)を流(なが)し、或(あるひ)は毛(け)を舐(ねぶ)り、鼻(はな)を舐(ねぶ)り、只(たゞ)(あへ)ぐこと頻(しき)り也。かくまもりつめて明(あか)しつ。
 その旦(あした)八房(やつふさ)は、とく起(おき)て谷(たに)に下(くだ)り、木果(このみ)蕨根(わらびのね)を釆(とり)て、銜(ついばみ)もて來て、姫君(ひめきみ)にぞまゐらする。恁地(かくのごとく)すること、一日(ひとひ)も懈(おこた)らず、けふと暮(くら)し、翌(あす)と明(あか)して、百日あまり經(ふ)る程(ほど)に、八房(やつふさ)はいつとなく、読経(どきやう)の声(こゑ)に耳(みゝ)を傾(かたふ)け、心(こゝろ)を澄(すま)せるものゝごとく、復(また)(ひめ)うへを眷(みかへ)らず。伏姫(ふせひめ)思ひ給ふやう、彼(かの)関寺(せきでら)の牛仏(うしほとけ)は、載(のせ)て栄花(ゑいくわ)物語(ものかたり)、峯(みね)の月(つき)の巻(まき)に在(あ)り。いはんや又犬(いぬ)の梵音(ぼんおん)を歡(よろこべ)べる事、古(ふる)き草紙(さうし)に夥(あまた)見ゆめり。佛(ほとけ)の慈悲(ぢひ)は、穢土(ゑど)穢物(ゑもつ)を嫌(きら)ひ給はず。されば天(あま)(と)ぶ島(とり)、地(ち)を走(はし)る獣(けだもの)、草葉(くさば)に聚(すだ)く虫(むし)、江河(わたつみ)の鱗介(うろくず)まで、悉皆(しつかい)成佛(じやうぶつ)せざることなし。今(いま)この犬(いぬ)が欲(よく)を忘(わす)れて、読経(どきやう)の声(こゑ)を聴(き)くを楽(たのし)み、如々(によ/\)入帰(につき)の友(とも)となる事、皆(みな)おん経(きやう)の威力(ゐりき)によれり。併(しかしながら)(をさな)き時(とき)に、吾儕(わなみ)のすくせを示(しめ)させ給ひし、役行者(えんのぎやうじや)の冥助(めうぢよ)にこそ、と最(いと)(かたじけな)く思ひとりて、いよ/\読経(どきやう)を怠(おこた)り給はず。旦(あした)にはかの珠数(ずゞ)をおし揉(もみ)て、遥(はるか)に洲崎(すさき)の方(かた)に祈念(きねん)し、又あるときは、父母(ちゝはゝ)のおん為(ため)に、経(きやう)の偈文(げもん)を謄写(かきうつ)して、前(まへ)なる山川(やまかは)におし流(なが)し、春(はる)は花(はな)を手折(たをり)て、佛(ほとけ)に手向(たむけて)(たてまつ)り、秋(あき)は入る月(つき)に嘯(うそふき)て、坐(そゞろ)に西天(にしのそら)を戀(こふ)めり。されば山果(さんくわ)(ひざ)に落(おち)て朝三(ちやうさん)の食(しよく)、秋風(しうふう)に飽(あ)き、柴火(さいくわ)(ろ)に宿(きえのこ)りて、夜薄(やはく)の衣(ころも)、寒気(かんき)を防(ふせ)ぐ。仄歩(しよくほ)(やま)(けはし)けれども、蕨(わらび)を首陽(しゆよう)に折(を)るの怨(うらみ)なく、岩窓(がんそう)に梅(むめ)(おそ)けれども、嫁(とつぎ)て胡語(こご)を学(まな)ぶの悲(かなし)みなし。姫(ひめ)はおん年(とし)二十(はたち)に満(みた)ず、容顔(やうがん)(もと)より玉(たま)を欺(あざむ)く、巫山(ふさん)の神女(しんによ)が雲(くも)となりし、夢(ゆめ)の面影(おもかげ)を留(とゞ)め、小野(をのゝ)小町(こまち)が花(はな)に比(たぐへ)し、歌(うた)の風情(ふぜい)を残(のこ)せり。金屋(きんおく)の内(うち)、鶏障(けいせう)の下(もと)に、養(やしなは)れ給ひし日(ひ)は、更(さら)にもいはず、今(いま)山居(やまこもり)(ひさ)しうなりて、衣裳(いせう)は垢(あか)つき破(やぶ)れたれども、肌膚(はだへ)は残雪(のこんのゆき)より皓(しろ)く、雲鬟(くろきかみ)(くしけづ)るに由(よし)なけれども、緑鬢(みどりのびんつら)春花(はるのはな)より芳(かふば)し。細腰(ほそきこし)いよ/\痩(やせ)て、風(かぜ)に堪(たへ)ざる柳(やなぎ)のごとく、玉指(たまのゆび)ます/\細(ほそ)りて、笆(かき)に悩(なやめ)る笋(たけのこ)に似(に)たり。その素性(すぜう)をいふときは、安房(あは)の國主(こくしゆ)、里見氏(さとみうぢ)の嫡女(ちやくぢよ)たり。心操(こゝろばえ)を論(あげつろ)へば、横佩(よこはぎ)のおん息女(むすめ)、中將姫(ちうぜうひめ)にも愧(はづ)ることなし。草書(はしりかき)、又(また)讀書(ふみよむ)ことは、おん父(ちゝ)の才(さえ)を稟(うけ)て、おのづから理義(りぎ)に怜悧(さかし)く、刺縫(ぬひはり)又管絃(いとたけ)は、母君(はゝぎみ)の手(て)に習(ならは)せられて、その調(しらべ)いと妙(たへ)也。かくまで愛(めで)たき未通女(をとめ)にてましますに、いかなれば月下翁(むすぶのかみ)に妬(ねたま)れて、非類(ひるい)の八房(やつふさ)に伴(ともなは)れ、よに淺(あさ)ましくなりゆき給へる。なほ精細(つまびらか)に、写(うつ)し出(いだ)さんとするに、筆(ふで)(しぶ)り心(こゝろ)(いため)り。當時(たうじ)の光景(ありさま)想像(おもひや)るべし。
 さる程(ほど)にその年(とし)は暮(くれ)て、岸(きし)の小草(をくさ)(やゝ)萌出(もえいで)、谷(たに)の樹芽(このめ)も翠(みどり)をます比(ころ)、有一日(あるひ)伏姫(ふせひめ)は、硯(すゞり)に水(みづ)を滴(そゝが)んとて、出(いで)て石滂(しみづ)を掬(むすび)給ふに、横走(よこはしり)せし止水(たまりみづ)に、うつるわが影(かげ)を見給へば、その體(かたち)は人(ひと)にして、頭(かうべ)は正(まさ)しく犬(いぬ)なりけり。思ひかけねは堪(たへ)ぬばかりに、吐嗟(あなや)と叫(さけ)びてはしり退(の)きつ。又(また)(たち)よりて見給ふに、その影(かげ)われに異(こと)なることなし。こはわが心(こゝろ)の惑(まよ)ひなりけん。可惜(あたら)(きも)つぶしにけり、と思ひかへして、仏(ほとけ)の名号(みな)を唱(となへ)つゝ、この日(ひ)は経文(きやうもん)を書写(しよしや)し給ふに、胸膈(むねのあたり)くるほしくて、次(つぐ)の日(ひ)も心地(こゝち)(つね)ならず。この比(ころ)よりして又(また)月水(つきのさわり)を絶(たえ)て見ることなし。月日(つきひ)やうやく累(かさな)るまゝに、腹張(はらはり)て堪(たへ)がたし。こは脹満(ちやうまん)などいふものにやあらん。とく死(し)ねかし、と思ひ給ふに、さもなくて、春(はる)は暮(く)れ、夏(なつ)(すぎ)て、いとゞ悲(かな)しき秋(あき)にぞなりぬ。僂(かゞなふ)れば、去年(こぞ)のこの月(つき)、瀧田(たきた)の舘(たち)を出(いで)たりき。身(み)の病著(いたつき)に思ひくらべて、只(たゞ)(いたま)しきは母(はゝ)うへ也。泣(なき)つゝ送(おく)りおくられし、おん面影(おもかげ)のみ目(め)に添(そひ)て、忘(わす)れんとするに忘(わす)られず、母(はゝ)うへも如此(しか)ぞをはしますらん。かへらぬことをかへす/\も、思ひつゞけ思ひ細(ほそ)りて、病(やみ)わづらひ給はずや。家尊(かぞ)の君(きみ)、家弟(いろと)義成(よしなり)、いとなつかしく思ふのみ。おなじ國(くに)、おなじ郡(こふり)に在(あり)ながら、里(さと)遠離(とほざか)る山鶏(やまとり)の、雌雄(めを)にはあらぬ親(おや)同胞(はらから)、峯上(をのへ)(へだて)て影(かげ)をだに、見るよしもなき哀別(あいべつ)離苦(りく)、強面(つれなき)ものは、蜻蛉(かぎろひ)の、命(いのち)にこそ、と思ふ事、胸(むね)にあまりつ、百(もゝ)(つた)ふ、岩(いは)に額(ひたひ)をおし當(あて)て、一声(ひとこゑ)よゝと泣(なき)給ふ。且(しばらく)して目(め)を拭(ぬぐ)ひ、噫(あ)、愆(あやま)てり、愚癡(ぐち)なりき。棄(ぎ)(おん)(にう)(む)(ゐ)(ほう)(おん)(しや)、と仏(ほとけ)は説(とか)せ給ふなる。恩愛(おんあい)別離(べつり)のかなしみも、不二(ふじ)要門(えうもん)の意楽(ゐげう)に換(かえ)んや。かうなる事はみな親(おや)のおん為(ため)なるになつかし、と思ひ奉(たてまつ)るは罪(つみ)ふかゝり。三世(さんせ)の諸佛(しよぶつ)ゆるさせ給へ。八房(やつふさ)は求食(あさり)かねてや、嚮(さき)に出(いで)ていまだかへらず。渠(かれ)わが為(ため)に食(しよく)を求(もとめ)て、獲(え)ざるときはかへり來(こ)ず。吾儕(わなみ)(また)御佛(みほとけ)に、仕(つかふ)るこゝろ怠(おこたら)んや。露(つゆ)にはそぼつ比(ころ)ながら、深山(みやま)は草(くさ)の花(はな)も稀(まれ)也。索(たづね)て手向(たむけ)(たてまつ)らん。とひとりごちつゝやうやくに、いと重(おも)やかなる身(み)を起(おこ)し、流水(ながれ)にそふて綜麻形(そまかた)の、林(しげき)がもとの菊(きく)の花(はな)、手折(たをら)んとてぞ、二三町、裳(ものすそ)(ぬ)らして進(すゝ)み給ふ。
 浩処(かゝるところ)に乾(いぬゐ)なる、重山(やへやま)の根方(ねかた)に當(あた)りて、笛(ふえ)の音(ね)(かすか)に聞(きこ)えけり。伏姫(ふせひめ)(みゝ)を側(そはだて)て、あやしやこの山(やま)には、樵夫(きこり)も入(い)らず、山児(やまがつ)も住(すま)ひせず、わがこの処(ところ)へ來(き)つる日(ひ)より、きのふまでもけふ迄(まで)も、人(ひと)にあふことなかりしに、思ひがけなく笛(ふえ)の音(ね)の、こなたを指(さし)て聞(きこ)ゆるは、草刈(くさかる)ものゝ迷(まよ)ひ入りしか。さらずは魔魅(まみ)山鬼(やまずみ)が障礙(せうげ)して、わが道心(どうしん)を試(ため)すにやあらんずらん。とてもかくても捨(すて)たる身(み)なり。何(なに)はゞかりて逃隱(にげかく)るべき。且(まづ)そのやうを見ばやとて、そなたに向(むき)て立(たち)給ふ。笛(ふえ)はます/\吹澄(ふきすま)して、間(あはひ)ちかくなるまゝに、と見れば一個(ひとり)の蒭童(くさかりわらべ)、その年(とし)は十二三なるべし。腰(こし)には鎌(かま)と〓(ふぐせ)を挿(さし)、鞍(くら)には両箇(ふたつ)の籠(かご)を掛(かけ)、手(て)に一管(いちくわん)の笛(ふえ)を拿(と)り、黒(くろ)き犢(ことひ)に尻(しり)を懸(かけ)て、林間(このま)を出(いで)てあゆませ來(き)つ、伏姫(ふせひめ)を尻目(しりめ)に懸(かけ)て、なほ草笛(くさふえ)の音(ね)をとゞめず。牛(うし)を流水(ながれ)に逐入(おひい)れて、渉(わた)さんとする程(ほど)に、伏姫(ふせひめ)は忙(いそがは)しく、「こや/\」と呼(よび)かへし、「そなたはいづれの里(さと)の子(こ)ぞ。人迹(じんせき)(たえ)たるこの深山路(みやまぢ)へ、ひとり來(く)るだもこゝろ得(え)がたきに、路(みち)に熟(なれ)たるものゝ如(ごと)し。吾儕(わなみ)をしるや」と問(とひ)給へば、童子(どうじ)は莞尓(につこ)とうち笑(え)みて、しづかに笛(ふえ)を襟(えり)に挿(さし)、「われ何(な)でふ認(みしら)ざらん。おん身(み)(かへつ)われを識(し)らず。人(ひと)のうへ我(わが)うへを、今(いま)(つまびらか)に告(つげ)まうさずは、誰(たれ)か亦(また)おん身(み)がために、この疑(うたがひ)を觧(とく)ものあるべき。抑(そも/\)この山(やま)は、樵夫(きこり)〓夫(かりひと)いへばさら也、旅(たび)ゆくものも稀(まれ)に越(こゆ)れど、おん父君(ちゝぎみ)義實(よしさね)朝臣(あそん)、おん身(み)が人(ひと)に見られんことを、恥(はぢ)かゞやかしく思食(おぼしめし)、去年(こぞ)よりしてこの山(やま)へ、人(ひと)の入(い)ることを許(ゆるし)給はず。こゝをもて人迹(じんせき)(たえ)たり。しかはあれどもおん母君(はゝぎみ)は、只(たゞ)なつかしく思食(おぼしめし)、姫(ひめ)の安否(あんひ)を訪(と)へかしとて、専女(おさめ)〓母(めのと)(ら)いく遍(たび)か、密使(しのびつかひ)に立(たて)られたれども、はじめ蜑崎(あまさき)十郎が、殿(との)の仰(おふせ)を承(うけ給は)り、しのびておん身(み)を送(おく)りしとき、この山川(やまかは)に溺(おぼ)れて死(し)せり。これにおそれて後々(のち/\)まで、渉(わた)すものなき故(ゆゑ)に、密使(しのびつかひ)はいたづらに、あなたの岸(きし)よりかへるのみ、おん身(み)の安否(あんひ)をしるに由(よし)なし。是(これ)も亦(また)(てん)なり時(とき)也。
 さてわがうへを告(つげ)まうさん。われは只(たゞ)牛馬(ぎうば)の為(ため)に、芟(くさか)るものに候はず。わが師(し)はこの山(やま)の麓(ふもと)にをり、又(また)あるときは洲崎(すさき)にあり。その壽(じゆ)(いく)百歳(ひやくさい)なるをしらず。常(つね)には人(ひと)の疾病(やまひ)を療治(りやうぢ)し、又(また)賣卜(ばいぼく)して生活(なりはひ)とし給へり。もし薬剤(くすり)を投(さづく)るときは、死(し)を救(すく)ひ、壽(じゆ)を保(たもた)しめ、萬病(まんびやう)(ぢ)せずといふことなし、又(また)(めとぎ)を釆(とる)ときは、未然(みぜん)を察(さつ)し、既往(きわう)
【挿絵】「草花(さうくわ)をたづねて伏姫(ふせひめ)神童(かんわらは)にあふ」「伏姫」
(つまびらか)にす。百事(ひやくじ)(あた)らずといふことなし。けふはわれ師(し)の命(めい)を稟(うけ)て、薬(くすり)を採(と)らん為(ため)に來(きた)れり。寔(まこと)にこの山(やま)は、人(ひと)の往還(わうくわん)禁断(きんだん)なれども、程(ほど)(とほ)からず舊(もと)のごとく、山〓(やまかせぎ)を許(ゆる)さるべし。わが師(し)これをしるゆゑに、薬(くすり)を採(とら)し給ふ」といふ。伏姫(ふせひめ)(きゝ)て嘆息(たんそく)し、「現(げに)二親(ふたおや)のおん慈悲(ぢひ)ばかり、月日(つきひ)と共(とも)に照(てら)さぬ隈(くま)なし。身(み)を穢(けが)されず潔(いさぎよ)く、かくてをるとも知召(しろしめさ)ねば、如此(しか)(はから)はせ給ひけん。さればとて、わが身(み)ひとつの故(ゆゑ)をもて、蜑崎(あまさき)輝武(てるたけ)に溺死(できし)させ、樵夫(きこり)幸雄(さちを)に生活(なりはひ)の便著(たつき)を喪(うしなは)するのみならず、旅(たび)ゆくものゝ足(あし)さへに、駐(とゞむ)るは罪(つみ)ふかゝり。許(ゆる)させたまへ」といひかけて、うち酸鼻(なみだくみ)給ひけり。
 且(しばらく)して又(また)童子(どうじ)に對(むか)ひ、「そなたは名醫(めいゐ)に仕(つかふ)るといへば、人(ひと)の疾病(やまひ)を診(み)ることも、さぞおとなびてあらんずらん。今(いま)(こゝろ)みに問(とふ)べき事あり。吾儕(わなみ)この春(はる)の比(ころ)より、絶(たえ)て月水(つきのさわり)を見ず、胸(むね)くるほしく煩(わづらは)しく、月々(つき/\)に身(み)はおもくなりぬ。こは何(なに)といふ病症(びやうせう)ならん」と問(とは)せ給へばうち微笑(ほゝえみ)、「婦人(ふじん)経行(けいこう)閉塞(とゞこふり)て、後(のち)一両月(いちりやうげつ)、悪心(むねわるく)して酸(す)きものを好(この)む。俗(よ)にこれを悪阻(つはり)といふ。三四个(か)(つき)にして、その腹(はら)(すで)に大(おほ)きく、五(ご)(か)(つき)にしてその子(こ)(やゝ)(うご)くことあり。婦人(ふじん)おの/\これをしれり。これらは医(ゐ)に問(と)ふまでもなし。おん身(み)は既(すで)に懐妊(くわいにん)して、五六个(か)(つき)に及(およ)び給へり。何(なに)の疑(うたが)ひあるべき」といふを伏姫(ふせひめ)(きゝ)あへず、「ませたることをいふものかな。吾儕(わなみ)に良人(つま)はなきぞかし。去歳(こぞ)のこの月(つき)この山(やま)に、入(い)りにし日(ひ)より人(ひと)を見ず。一念(いちねん)称名(せうめう)読経(どきやう)の外(ほか)は、他事(あだしこと)なきものを、何(なに)によりて有身(みごも)るべき。あな嗚呼(をか)しや」と堪(たへ)かねて、思はずほゝと笑(わら)ひ給へば、童子(どうじ)はうち見て冷笑(あざわら)ひ、「なでふおん身に夫(をとこ)なからん。既(すで)に親(おや)より許(ゆる)されたる、八房(やつふさ)はこれ何(なに)ものぞ」と詰(なじ)れば姫(ひめ)は貌(かたち)を改(あらた)め、「そなたは只(たゞ)その初(はじめ)を知(しり)て、その後(のち)の事しらざるよ。云云(かにかく)の故(ゆゑ)ありて、二親(ふたおや)も得(え)(とゞ)め給はず、よに浅(あさ)ましく家犬(かひいぬ)と、共(とも)に深山(みやま)に月日(つきひ)を送(おく)れど、おん經(きやう)の擁護(おふご)によりて、幸(さいはひ)に身を穢(けが)されず、渠(かれ)も亦(また)おん經(きやう)を、聴(き)くことをのみ歡(よろこ)べり。縦(たとひ)證据(あかし)はなしといふとも、わが身は清(きよ)し潔(いさぎよ)し。神(かみ)こそしらせ給はんに、なぞや非類(ひるい)の八房(やつふさ)ゆゑに、身おもくなりしなんどとは、聞(きく)もうとまし、穢(けがら)はし。よしなき童(わらべ)に物(もの)いひかけて、悔(くやし)かりき」と腹立(はらたて)て、うち涙(なみだ)ぐみ給ふになん。童子(どうじ)はます/\うち笑(わら)ひ、「われはよく診(み)るところあり、又(また)精細(つまびらか)にしるよしあり。おん身こそその一を知(しり)て、いまだその二をしらざるなり。さらば惑(まど)ひを釋(とき)まゐらせん。夫(それ)物類相感(ぶつるいさうかん)の玄妙(たへ)なるは、只(たゞ)凡智(ぼんち)をもて測(はか)るべからず。譬(たとひ)ば火(ひ)をとるものは、石(いし)と金(かね)也。しかれども檜樹(ひのき)のごときは、友木(ともき)の相倚(あいよ)るをもて、亦(また)その中(うち)より火(ひ)を出(いだ)せり。又(また)(はと)の糞(ふん)、年(とし)を經(へ)て、積(つむ)こと夥(あまた)なれば、火(ひ)もえ出(いづ)。これらは寔(まこと)に理外(りぐわい)の理(り)なり。物(もの)は陰陽(いんよう)相感(さうかん)せざれば、絶(たえ)て子(こ)を生(うむ)ことなし。但(たゞ)草木(さうもく)は非情(ひぜう)にして、松竹(まつたけ)に雌雄(めを)の名(な)あり。さはれ交媾(まじは)るものにあらず、これらも亦(また)よく子(こ)を結(むす)べり。加以(これのみならず)、鶴(つる)は千歳(せんざい)にして尾(まじは)らず、相見(あひみ)てよく孕(はら)むことあり。かゝる故(ゆゑ)に、秋士(しうし)は娶(めと)らずして、神遊(たましひかよ)ひ、春女(しゆんぢよ)は嫁(とつが)ずして懐孕(はらめ)り。聞(きか)ずや唐山(もろこし)楚王(そわう)の妃(きさき)は、常(つね)に鐡(くろかね)の柱(はしら)に倚(よ)ることを歡(よろこび)びて、遂(つひ)に鉄丸(てつのまろがせ)を産(うみ)しかば、干將(かんせう)莫邪(ばくや)(つるぎ)に作(つく)れり。我邦(わがくに)近江(あふみ)なる賤婦(しづのめ)は、人(ひと)に癪聚(しやくじゆ)を押(おさ)することを歡(よろこび)びて、竟(つひ)に腕(かひな)を産(うみ)しかば、手孕村(てはらみむら)の名(な)を遺(のこ)せり。皆(みな)(これ)物類相感(ぶつるいさうかん)して致(いた)すところ、只(たゞ)目前(もくぜん)の理(り)をもて推(おす)べからず。おん身が懐胎(くわいたい)し給ふも、この類(たぐひ)なるものを、何(なに)(うたが)ひの侍(はべ)るべき。おん身(み)は真(まこと)に犯(おか)され給はず。八房(やつふさ)も亦(また)(いま)は欲(よく)なし。しかれども、おん身(み)(すで)に渠(かれ)に許(ゆる)して、この山中(やまなか)に伴(ともなは)れ、渠(かれ)も亦(また)おん身(み)を獲(え)て、こゝろにおのが妻(つま)とおもへり。渠(かれ)はおん身(み)を愛(めづ)る故(ゆゑ)に、その經(きやう)を聴(き)くことを歡(よろこ)び、おん身(み)は渠(かれ)が帰依(きえ)する所(ところ)、われに等(ひと)しきをもて憐(あはれ)み給ふ。この情(ぜう)(すで)に相感(あいかん)ず、相倚(あいよる)ことなしといふとも、なぞ身(み)おもくならざるべき。われつら/\相(さう)するに、胎内(たいない)なるは八子(やつご)ならん。しかはあれども、感(かん)ずるところ実(じつ)ならず、虚々(きよ/\)相偶(あいあふ)て生(なる)ゆゑに、その子(こ)(まつた)く體(かたち)(つく)らず。かたち作(つく)らずしてこゝに生(うま)れ、生(うま)れて後(のち)に又(また)(うま)れん。是(これ)宿因(しゆくいん)の致(いた)す所(ところ)、善果(ぜんくわ)の成(なる)る所(ところ)也。因(いん)とは何(なん)ぞや。譬(たとひ)ば八房(やつふさ)が前身(さきのよ)は、その性(さが)(ひがめ)る婦人(ふじん)也。渠(かれ)はおん父(ちゝ)義實(よしさね)朝臣(あそん)を、怨(うらむ)ることあるをもて、冤魂(ゑんこん)一隻(いつひき)の犬(いぬ)となりて、おん身親子(おやこ)を辱(はづか)しむ。是(これ)(すなはち)宿因(しゆくいん)なり。果(くわ)とは何(なん)ぞや。八房(やつふさ)(すで)におん身(み)を獲(え)て、遂(つひ)におん身を犯(おか)すことなく、法華經(ほけきやう)読誦(どくじゆ)の功徳(くどく)によりて、やうやくにその夙怨(うらみ)を散(はら)し、共(とも)に菩提心(ぼだいしん)を發(おこ)すが為(ため)に、今(いま)この八(やつ)の子(こ)を遺(のこ)せり。八(やつ)は則(すなはち)八房(やつふさ)の八(やつ)を象(かたと)り、又(また)法華經(ほけきやう)の巻(まき)の数(かず)なり。夫(それ)萬卒(ばんそつ)はいと得(え)やすく、一將(いつせう)は輒(たやす)く得(え)がたし。もし後々(のち/\)に至(いた)らんに、その子(こ)おの/\智勇(ちゆう)に秀(ひいで)、忠信(ちうしん)節操(せつそう)、里見(さとみ)を佐(たす)けて、威(ゐ)を八州(はつしう)にかゞやかさば、みな是(これ)おん身(み)が賜(たまもの)なり。誰(たれ)かその母(はゝ)を拙(つたな)しとせん。是(これ)(すなはち)善果(ぜんくわ)也。抑(そも/\)禍福(くわふく)は、糾(あざなへ)る纏(なは)の如(ごとし)し。何人(なにひと)か今(いま)の禍(わざはひ)を見て、後(のち)の福(さいは)ひなるよしをしるべき。世(よ)の嘲哢(あざけり)は好憎(こうぞう)より起(おこ)り、物(もの)の汚穢(けがれ)は、潔白(けつはく)より成(な)る。しからば誹謗(そしり)も厭(いと)ふに足(た)らず、恥辱(ちゞよく)も只(たゞ)よく忍(しの)ぶべし。隱(かく)れたるより、顕(あらは)れたるなし。蟄(こも)れるものはかならず出(いづ)。これも亦(また)自然(しぜん)のみ。犬(いぬ)は懐胎(くわいたい)六十日、人(ひと)は懐胎(くわいたい)十月(とつき)也。人畜(にんちく)その差(しな)ありといへども、合(あは)してこゝに推(おす)ときは、おん身(み)が懐胎(くわいたい)(ろく)(か)(つき)、この月(つき)にしてその子(こ)(うま)れん。その産(うま)るゝ時(とき)はからずして、親(おや)と夫(をとこ)にあひ給はん。是(これ)より已前(いぜん)は未來(みらい)未果(みくわ)也。あまりに言(こと)を詳(つばら)にせば、天機(てんき)を漏(もら)すのおそれあり。わが後(のち)に又(また)(ひと)ありて、その子(こ)のうへをしることあるべし。今(いま)はしも是(これ)までなり。秋(あき)の日影(ひかげ)の短(みじか)きに、長(なが)ものがたり嗚呼(をこ)なりき。さそなわが師(し)のまち給はんに、はやまからん」といひかけて、牛(うし)の鼻(はな)つら牽(ひき)かへし、山川(やまかは)へさと逐(お)ひ入(い)れて、渉(わた)すと見れば玉(たま)かつら、影(かげ)は狭霧(さぎり)に立籠(たちこめ)られて、往方(ゆくへ)もしらずなりにけり。
里見八犬傳第二輯巻之一終


# 『南総里見八犬伝』第十二回 2004-09-10
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