『南總里見八犬傳』第十一回

【外題】
里見八犬傳 第二輯 巻一

【見返】
文化丁丑孟春刊行
曲亭馬琴著 柳川重信畫
有圖八犬傳第弐輯
山青堂藏刻

【序】書き下し
八犬士傳第二輯自序[玄同]
稗官新奇之談。嘗作者ノ胸臆ニ含畜ス。初種々ノ因果ヲ攷索シテ。一モ獲ルコト無スハ。則茫乎トシテ心之適スル所ヲ知ラズ。譬ハ扁舟ヲ泛テ以蒼海ヲ濟ル如シ。既ニシテ意ヲ得ルトキ。則栩々然トシテ獨自ラ樂ム。人之未視ザル所ヲ見。人之未知ラザル所ヲ識ル。而シテ治亂得失。敢載セザルコト莫ク。世態情致。敢冩サザルコト莫シ。排纂稍久シテ。卒ニ册ヲ成ス。猶彼ノ舶人。漂泊數千里。一海嶋ニ至テ。不死之人ニ邂逅シ。仙ヲ學ヒ貨ヲ得テ。歸リ來テ之ヲ人間ニ告ルカゴトキ也。然トモ乗槎桃源ノ故事ノ如キ。衆人之ヲ信セズ。當時以浪説ト為。唯好事ノ者之ヲ喜フ。敢其虚實ヲ問ハズ。傳テ數百年ニ〓スハ。則文人詩客之ヲ風詠ス。後人亦復吟哦シテ而シテ疑ズ。嗚乎書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信與不信ト之有リ。國史ノ筆ヲ絶シ自リ。小説野乗出ツ。啻五車而己ナラズ。屋下ニ屋ヲ加フ。今ニ當テ最モ盛也ト爲。而シテ其言詼諧。甘キコト飴蜜ノ如シ。是ヲ以讀者終日ニシテ而足ラズ。燭ヲ秉テ猶飽コト無シ。然トモ於其好ム者ニ益アルコト幾ント稀ナリ矣。又夫ノ煙草能人ヲ醉シムレトモ。竟ニ飲食藥餌ニ充ルコト無キ者與以異ナルコト無シ也。嗚呼書ハ也者寔ニ信ス可ズ。而シテ信ト不信與之有リ。信言美ナラズ。以後學ヲ警ム可シ。美言信ナラズ。以婦幼ヲ娯シム可シ。儻シ正史ニ由テ以稗史ヲ評スレハ。乃圓器方底而己。俗子ト雖固ニ其合難ヲ知ル。苟モ史與合ザル者。誰カ能ク之ヲ信セン。既ニ已ニ信セズ。猶且之ヲ讀ム。好ト雖亦何ソ咎ン。予カ毎歳著ス所ノ小説。皆此意ヲ以ス。頃コロ八犬士傳嗣次ス。刻成ルニ及テ。書賈復タ序辭ヲ於其編ニ乞フ。因テ此事ヲ述テ以責ヲ塞クト云フ。
文化十三年丙子仲秋閏月望。毫ヲ於著作堂ノ南〓木〓花蔭ニ抽
  簑笠陳人觧識
  [震坎解][乾坤一草亭]

【序】原文
八犬士傳第二輯自序[玄同]
稗官新奇之談。嘗含畜作者胸臆。初攷索種々因果。一無獲焉。則茫乎不知心之所適。譬如泛扁舟以濟蒼海。既而得意。則栩々然獨自樂。視人之所未見。識人之所未知。而治亂得失。莫不敢載焉。世態情致。莫不敢冩焉。排纂稍久。卒成册。猶彼舶人。漂泊數千里。至一海嶋。邂逅不死之人。學仙得貨。歸來告之于人間也。然如乗槎桃源故事。衆人不信之。當時以為浪説。唯好事者喜之。不敢問其虚實。傳〓數百年。則文人詩客風詠之。後人亦復吟哦而不疑。嗚乎書也者寔不可信。而信與不信有之。自國史絶筆。小説野乗出焉。不啻五車而己。屋下加屋。當今最爲盛。而其言詼諧。甘如飴蜜。是以讀者終日而不足。秉燭猶無飽焉。然益於其好者幾稀矣。又與夫煙草能人醉。竟無充飲食藥餌者無以異也。嗚呼書也者寔不可信。而信與不信之有。信言不美。可以警後學。美言不信。可以娯婦幼。儻由正史以評稗史。乃圓器方底而己。雖俗子固知其難合。苟不與史合者。誰能信之。既已不信。猶且讀之。雖好亦何咎焉。予毎歳所著小説。皆以此意。頃八犬士傳嗣次。及刻成。書賈復乞序辭於其編。因述此事以塞責云。
文化十三年丙子仲秋閏月望。抽毫於著作堂南〓木〓花蔭
  簑笠陳人觧識
  [震坎解][乾坤一草亭]

【目録】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第二輯(だいにしふ)總目録(さうもくろく)
 巻之壹 第十一回
仙翁(やまひと)(ゆめ)に冨山(とやま)に栞(しをり)す。貞行(さだゆき)(あん)に靈書(れいしよ)を獻(たてまつ)る。
 同巻 第十二回
冨山(とやま)の洞(ほら)に畜生(ちくせう)菩提心(ぼだいしん)を發(はつ)す。流水(ながれ)に沂(さかのぼり)て神童(しんどう)未來(みらい)(くわ)を説(と)く。
 巻之貮 第十三回
尺素(ふみ)を遺(のこし)て因果(いんくわ)(みづか)ら訟(うつた)ふ。雲霧(さきり)を拂(はらつ)て妖〓(あやしみ)(はじ)めて休(や)む。
 同巻 第十四回
(のりもの)を飛(とば)して使妾(つかひめ)渓澗(たにかは)を渉(わた)す。錫(しやく)を鳴(なら)してヽ大(ちゆだい)記總(ずゞたま)を索(たづ)ぬ。
 巻之参 第十五回
金蓮寺(きんれんじ)に番作(ばんさく)(あた)を撃(う)つ。拈華庵(ねんげあん)に手束(たつか)(たびゝと)を留(とゞ)む。
 同巻 第十六回
白刃(はくじん)の下(もと)に鸞鳳(らんほう)良縁(りやうえん)を結(むす)ぶ。天女(てんによ)の廟(ほこら)に夫妻(ふさい)一子(いつし)を祈(いの)る。
 巻之肆 第十七回
妬忌(とき)を逞(たくましく)して蟇六(ひきろく)螟蛉(やしなひこ)を求(もと)む。孝心(こうしん)を固(かたう)して信乃(しの)曝布(たき)に禊(はらひ)す。
 同巻 第十八回
簸川原(ひのかはら)に紀二郎(きじらう)(いのち)を隕(おと)す。荘官(むらをさ)(やしき)に與四郎(よしらう)(きず)を被(かうむ)る。
 巻之伍 第十九回
亀篠(かめさゝ)姦計(かんけい)糠助(ぬかすけ)を賺(すか)す。番作(ばんさく)遠謀(ゑんぼう)孤兒(みなしご)を托(たく)す。
 同巻 第二十回
一雙(いつそう)の玉兒(ぎよくじ)(ぎ)を結(むす)ぶ。三尺(さんしやく)の童子(どうじ)(こゝろさし)を述(の)ぶ。
統計(とうけい)二十回(くわい)(その)第一回(だいいつくわい)より第(だい)十回(くわい)に迄(いたつ)て既(すで)に于肇輯(ぢやうしふ)第一巻(だいいちのまき)に録(ろく)しつ

【口絵】
醉ぬとはいはれぬ春の花さかり/さくらも肩にかゝりてそゆく
亀篠
丁丑百八拾八番
軍木(ぬるて)五倍二(ごばいじ)
犬塚番作
春風のやしなひたてしさくら花/またはるかせのなそちらすらむ
手束(たつか)

遠泉不救中途渇/獨木難〓大厦傾
奴隷(しもべ)額藏(がくざう)
犬塚信乃(しの)
いせのあまか/かつきあけつゝ/かたおもひ/あはむの玉の/輿になのりそ
一万度太麻

土田(どたの)(ど)太郎
丑五千六百三番/(山崎)
網乾(あぼし)左文二郎(さもじらう)
三保ノ谷か/しころに/似たる破傘/風にとられしと/前へ引く也
巻舒在手雖無定/用舎由人却有功
交野(かたの)加太郎
板野井太郎
雨たれの/おとしつゝして/又さらに/もるこそよけれ/軒の月影
濱路

【再識】
 この編(へん)(だい)二の巻(まき)に至(いた)りて、伏姫(ふせひめ)の事(こと)(つく)せり。かゝれは肇輯(ぢやうしふ)(だい)十回(くわい)なる題目(だいもく)は、〔禁(きん)を犯(おか)して孝徳(たかのり)(いつ)婦人(ふじん)をうしなふ。腹(はら)を裂(さき)て伏姫(ふせひめ)八犬子(はつけんし)を走(はしら)す。則(すなはち)これ也〕第(だい)十三回(くわい)たるべきもの也。しかるを前(きき)に出(いだ)せしは、發端(ほつたん)いまだ盡(つく)さずして、はやく刊行(かんこう)せしゆゑに、その大(おほ)かたをしらせんとて、物語(ものがたり)はいと後(のち)なるも、その繍像(さしゑ)さへ前(さき)にしつ。およそは七巻(なゝまき)十四回(くわい)を、前帙(せんちつ)とせまほしかりしに、書肆(ふみや)の好(この)み已(やむ)ことを得(え)ず、かくて毎編(まいへん)五巻(いつまき)を、年々(とし/\)嗣出(つぎいだ)す事になん。
 右の簡端(かんたん)なる出像中(さしゑのうち)にも、第(だい)三輯(しふ)の巻々(まき/\)にて、はじめて説出(ときいだ)すものあり。そは軍木(ぬるで)五倍二(ごばいじ)、網乾(あぼし)左文二郎(さもじらう)、土田(どたの)土太郎(どたらう)、交野(かたの)加太郎(かたらう)、板野(いたの)井太郎(ゐたらう)、則(すなはち)これ也。豫(かね)ては發端(ほつたん)のみにして、八士(はつし)のうへは定(さだ)かならぬに、書肆(ふみや)が責(せめ)を塞(ふたが)んとて、稿本(したがき)はまだ其処(そこ)へ至(いた)らず、すぢすらいまだ考起(かむがへおこ)さで、無心(むしん)にしてまづ画(ゑ)をあつらへ、後(のち)にその画(ゑ)にあはしつゝ、作(つく)りなしたるところもあれど、縡(こと)(おほ)かたはたがへるものなし。こは予(よ)が心(こゝろ)ひとつもて、ともかくもすることながら、只(たゞ)(かの)傭書(ようしよ)剞〓(きけつ)の手(て)に誤(あやまた)るゝもの夛(おほ)かるを、よくも正(たゞ)すに遑(いとま)なし。これらも例(れい)の事なれは、看官(みるひと)(さつ)し給へかし。 馬琴再識

【本文】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第二輯(だいにしふ)巻之一
  東都 曲亭主人編次
 第十一回(だいじういつくわい)  〔仙翁(やまひと)(ゆめ)に冨山(とやま)に栞(しをり)す貞行(さだゆき)(あん)に靈書(れいしよ)を献(たてまつ)る〕

 里見(さとみ)治部(ぢぶの)少輔(せうゆう)義實(よしさね)朝臣(あそん)は、山下(やました)、麻呂(まろ)、安西(あんざい)(ら)の大敵(たいてき)を滅(ほろぼ)して、麻(あさ)のごとく紊(みだ)れたる、安房(あは)の四郡(しぐん)をうち治(おさ)め、威風(いふう)上總(かつさ)の盡処(はて)さへに、靡(なびか)ぬ武士(ぶし)もなかりしかば、鎌倉(かまくら)の両(りやう)管領(くわんれい)、山内(やまのうち)顕定(あきさだ)、扇谷(あふぎがやつ)定正(さだまさ)も、〔康正(こうせい)元年、成氏(なりうぢ)滸我(こが)へ退去(たいきよ)の後(のち)、顕定(あきさだ)定正(さだまさ)、両(りやう)管領(くわんれい)たり。〕侮(あなど)りかたく思ひけん、再(かさね)て京師(みやこ)へ執奏(しつしまう)して、義実(よしさね)の官職(つかさ)をすゝめ、治部(ちぶの)大輔(たいふ)になしてけり。かやうにめでたき事のみぞ、歳々(とし/\)にうち続(つゞ)けども、義実(よしさね)はいぬる年(とし)、安西(あんざい)景連(かげつら)に攻撃(せめうた)れて、篭城(ろうぜう)困窮(こんきう)難義(なんぎ)の折(をり)、士卒(しそつ)の飢渇(きかつ)を救(すくは)んとて、思ひおもはず一言(ひとこと)の、失(あやまち)によりて最愛(さいあい)なる、おん息女(むすめ)伏姫(ふせひめ)を、八房(やつふさ)の犬(いぬ)に伴(ともなは)せ、渠(かれ)はや富山(とやま)へ入(い)りしより、絶(たえ)てその安否(あんひ)をしらず。世(よ)の聞(きこ)え人(ひと)の譏(そしり)、忘(わす)るゝ隙(ひま)もなきまでに、いと悔(くや)しくぞ思召(おぼしめ)す。然(さり)とて色(いろ)にも出(いだ)し給はず、「彼(かの)渓澗(たにがは)に路(みち)(たえ)て、わが方(かた)ざまのものにはさら也、親(おや)にも一切(つや/\)あはせずとも、もし樵夫(きこり)〓人(かりひと)に、見らるゝことのありもせば、親胞(おや)兄弟(はらから)に遭(あは)んより、八(や)しほにまして耻(はづか)しき事なるべし」、と思ひ給へば、曩(さき)には國中(こくちう)に詢(ふれ)しらして、凡(およそ)良賤(りやうせん)士庶(ししよ)をいはず、山〓(やまかせぎ)するものなりとも、件(くだん)の山(やま)に登(のぼ)ることを許(ゆる)されず、「もしこの旨(むね)に背(そむ)くものは、必(かならず)(かうべ)を刎(はね)ん」とぞ、掟(おきて)させ給ふにも、亦(また)生憎(あやにく)に、あさなゆふな、みこゝろに懸(かゝ)るものは、金碗(かなまり)大輔(だいすけ)孝徳(たかのり)なり。「渠(かれ)は安西(あんさい)景連(かげつら)に、兵粮(ひやうらう)を借(から)んとて、苟(かりそめ)に出(いで)てゆきしより、今(いま)にその存亡(いきしに)しれず。謀(はか)られて檎(とりこ)となりなば、果敢(はか)なく命(いのち)を隕(おと)しけん。さらずは陣没(うちじに)しつるなるべし。功(こう)ありながら賞(せう)を辞(ぢ)し、腹切(はらきつ)て亡(うせ)たりける、親(おや)孝吉(たかよし)を禁(とゝ)めあへず、末期(まつご)に誓(ちか)ひしことあれば、いかでその子(こ)を一城(いちぜう)の主(ぬし)にもせん、女壻(むこ)にもせん、と思ひしもよに化(あだ)なりき。まかせぬものは人(ひと)のうへ、盈(みつ)れば虧(かく)る月(つき)を見ても、去歳(こぞ)に今年(ことし)もかはらねど、かはり果(はて)しは渠(かれ)(ら)のみ、いかになりけん、とばかりに、人(ひと)に問(とふ)べき事ならぬ、子(こ)に迷(まよ)ふ親(おや)の常闇(とこやみ)は、われから照(て)らすよしもなく、ひとり物(もの)をぞ思ひ給ふ。
 現(げに)百万騎(ひやくまんぎ)の敵(てき)を見ても、屑(ものゝかす)とせざりける、智(ち)(じん)(ゆう)の三徳(さんとく)を、兼(かね)も備(そな)へし大將(たいせう)すら、又(また)(いま)さらに術(すべ)なくて、かくまで思ひ屈(く)し給へば、况(まいて)義実(よしさね)の夫人(おくかた)五十子(いさらこ)は、その月(つき)その日(ひ)伏姫(ふせひめ)に、別(わか)れしときの面影(おもかげ)のみ、只(たゞ)(め)にそひて泣(なき)くらし、泣(なき)(あか)し給ひつゝ、「渠(かれ)(つゝが)なくあらせ給へ、帰(かへ)り來(く)る日(ひ)にあはせ給へ」と神(かみ)に佛(ほとけ)にいく遍(たび)か、うち合(あは)する掌(たなそこ)も、指(ゆび)も細(ほそ)りて朝夕(あさゆふ)の、箸(はし)とるまでも懶(ものう)げに、御膳(ぎよぜん)もすゝませ給はねば、臂(ひぢ)ちかに使(つかは)るゝ、専(おさめ)女房(にようばう)もろ共(とも)に、おん理(ことわり)とまうすのみ、そを慰(なぐさめ)んよしもなし。「おの/\心(こゝろ)を鬼(おに)にして、冨山(とやま)の奥(おく)にわけ登(のぼ)らば、姫(ひめ)うへのおん所在(ありか)を、遂(つひ)にしるよしなからずやは」としのび/\に相譚(かたら)ひつ、「行者(ぎやうしや)の石窟(いはや)へ代参(だいさん)」といひこしらへ、さて彼山(かのやま)に赴(おもむ)きて、おぼつかなくも伏姫(ふせひめ)を、索(たづね)まゐらすることしば/\也。そが中(なか)に、志(こゝろざし)はありながら、山道(やまぢ)の凄(すさま)じさに得(え)も登(のぼ)らで、かの麓(ふもと)より還(かへ)るもあり。年來(としころ)武家(ぶけ)に給事(みやつかへ)て、心(こゝろ)ざま雄々(をゝ)しきものは、郷導者(みちびきひと)に先(さき)をうたして、辛(からく)してわけ入る物(もの)から、蜑崎(あまさき)十郎輝武(てるたけ)が、推流(おしなが)されたりといふ山川(やまかは)のあなたへは、郷導者(みちびきひと)もおそれて渉(わた)さず。固(もと)より川(かは)の向(むか)ひには、狹霰(さぎり)(とき)なく立(たち)こめて、水音(みづおと)おどろ/\しく、其処(そこ)とも見えず。こなたなる、岸(きし)の茨(いばら)に花(はな)は開(さけ)ども、針(はり)の席(むしろ)に坐(を)るこゝちして、毛骨(みのけ)いよたつのみなれば、軈(やが)て是首(ここ)より引(ひき)かへして、これらも本意(ほゐ)を遂(とぐ)る事なく、只(たゞ)如此(しか)(/\)々と告(つげ)申せば、五十子(いさらこ)は又(また)さらに、聞(き)けばきくとてなつかしき、姫(ひめ)の患苦(くわんく)はとやあらん、かくやあらんと村肝(むらきも)の、こゝろひとつにおし量(はか)る、歎(なげ)きの霧(きり)の籬(まがき)には、忍(しのば)れぬ身(み)ぞ形(あぢき)なき。「この世(よ)からなる人畜(にんちく)の、生(せう)を隔(へだて)ていつまでも、あふせのなくは誰(たれ)をかも、ともし火(ひ)による夏虫(なつむし)の、焦(こが)れて物(もの)を思はんより、われはや死(しな)ん」と口説(くどき)あへず、咳(しはぶ)きしげく泣(なき)給ふ。かゝる故(ゆゑ)にぞ後(のち)(つひ)に、ながき病著(いたつき)に臥(ふし)給へり。
 醫官(くすし)は斛火(こくくわ)壺氷(こひやう)の術(じゆつ)に、死(し)をかへさんと欲(ほりす)れども、その功(こう)杏林(けうりん)に満(みつ)るによしなく、驗者(げんざ)は両部(りやうぶ)習合(しゆがふ)の符(ふ)に、邪(じや)を禳(はらは)んと欲(ほりす)れども、その法(ほう)枯木(こぼく)に花(はな)さくの妙(めう)なし。月(つき)にまし日(ひ)にそひて、いとも危(あやう)く見えさせ給へば、義実(よしさね)はその夜(よ)さり、枕上(まくらかみ)に立(たち)よりて、みづから病苦(びやうく)を訪(とひ)給ふ。傅(かしつ)きの老女(おふな)(ら)が、「殿(との)のわたらせ給ひき」とまうすによりて五十子(いさらこ)は、女(め)の童(わらは)(ら)に扶(たすけ)られて、やうやくに身(み)を起(おこ)し、言葉(ことば)はなくて義実(よしさね)の、おん顔(かほ)、つく/\と向上(みあげ)給ふ。瞼(まぶち)おちいり、頬骨(ほふほね)の高(たか)きあたりへはふりかゝる、涙(なみだ)の露(つゆ)の玉(たま)の緒(を)も、頼(たのみ)すくなき形容(ありさま)に、義実(よしさね)もつく/\と、見つゝ頻(しきり)に嘆息(たんそく)し、「けふは心地(こゝち)のいかにぞや。今(いま)四五日經(へ)たらんには、やうやくおこたり給はめ、と医官(くすし)(ら)はまうすなる。何事(なにこと)も心(こゝろ)つよく、氣長(けなが)く保養(ほよう)し給へ」と慰(なぐさ)め給へば、手(て)を膝(ひざ)に、措(おき)かえて頭(かうべ)を掉(ふり)、「医官(くすし)は何(なに)とまうすとも、かくまでに痩〓(やせさらば)ひて、返(かへ)らぬ旅(たび)に逝水(ゆくみづ)の、ながらふべくは侍(はべ)らぬかし。病(やみ)わづらふは誰(たれ)ゆゑならん。そはまうさずも猜(すい)し給はめ。よしや蓬莱(ほうらい)不死(ふし)の術(じゆつ)、不老(ふろう)の薬(くすり)も何(なに)にせん。とてもかくても現身(うつそみ)の、生(いき)のうちなる思ひでに、あふことかたき伏姫(ふせひめ)に、今(いま)一トたびのあふよしあらば、わらはがための仙丹(せんたん)竒方(きはう)、これにましたる薬(くすり)は侍(はべ)らず。如此(しか)まうさば淺(あさ)はかなる、婦女(をんな)の愚癡(ぐち)ぞ、僻事(ひがこと)ぞ、と諭(さと)し給はん。しかはあれど、國(くに)の為(ため)、親(おや)のために、身(み)を贄(にゑ)にして家犬(かひいぬ)に、伴(ともなは)れつゝ足曳(あしひき)の、山路(やまぢ)を指(さし)て入(いり)にし姫(ひめ)が、儔稀(たぐひまれ)なる心操(こゝろばえ)を、類罕(たぐひまれ)なる因果(いんぐわ)ぞ、とおもひ捐(すて)させ給ひなば、民(たみ)には仁義(じんぎ)の君(きみ)なりとも、子(こ)には不慈(ふぢ)なる親(おや)とまうさん。いと憚(はゞかり)あることながら、國(くに)に信(まこと)を喪(うしな)はじとて、その子(こ)を棄(すて)させ給ふとも、冨山(とやま)も君(きみ)が知(しろ)しめす、四(よつ)の郡(こふり)の内(うち)ならずや。さらば年々(とし/\)月毎(つきごと)に、安否(あんひ)を問(とは)せ、みづからも、いゆきて見もし見られもせば、迭(かたみ)に憂苦(うき)を慰(なぐさむ)る、よすがともなり侍(はべ)らんに、樵夫(きこり)炭焼(すみやき)牧童(うしかひ)(ら)まで、件(くだん)の山(やま)に入(い)ることを、禁(とゞ)め給ふはいかにぞや。よしや斎忌(ゆゆ)しき魔所(ましよ)なりとも、誠(まこと)を推(お)せば、親(おや)なり子(こ)なり。國(くに)の守(かみ)たる威徳(いきほひ)もて、今(いま)なほ姫(ひめ)は恙(つゝが)なく、彼(かの)(やま)おくにありやなしや、しらまく思召(おぼしめす)ならば、難(かた)くもあらぬ所行(わざ)なるべし、思ひたゝせ給はずや。是(これ)のみ今般(いまは)の願(ねが)ひに侍(はべ)り。心(こゝろ)つよし」と恨(うら)みつ、勸觧(わび)つ、せはしき息(いき)を吻(つき)あへず、かき口説(くどか)れて義実(よしさね)は、黙然(もくねん)たる頭(かうべ)を擡(もたげ)、「いはるゝ所(ところ)道理(どうり)なり。縁故(ことのもと)を推(おす)ときは、わが一言(ひとこと)の失(あやまち)より、子(こ)を棄(すて)、恥(はぢ)を遺(のこ)す事、おん身(み)にましていかばかり、朽(くち)をしく思はざらん。人(ひと)木石(ぼくせき)にあらざれば、恩愛(おんあい)の絆(ほだし)、断(たつ)ことかたく、執着(しうぢやく)の羈(きづな)、釋易(ときやす)からず。意(こゝろ)の駒(こま)の狂(くる)ふまに/\、こゝに煩悩(ぼんなう)の犬(いぬ)を逐(お)はゞ、公道(おほやけのみち)たえ果(はて)て、侮(あなど)り侵(おか)すものあらば、本州(このくに)(ふたゝ)び乱(みだ)るべし、と懼(おそれ)思ひて情(ぜう)を剖(さき)、欲(よく)を禁(とゞ)めて見かへらず。山児(やまがつ)(ら)まで彼(かの)(やま)に、登(のぼ)ることを聴(ゆるさ)ざりしは、姫(ひめ)が為(ため)に恥(はぢ)を掩(おほ)ひ、愛(あい)に溺(おぼ)れて法(はう)を枉(まげ)、則(のり)を踰(こえ)ざるわがこゝろを、民(たみ)にしらせん
【挿絵】「馬(うま)を飛(とば)して貞行(さだゆき)瀧田(たきた)に赴(おもむ)く」「この画(ゑ)の觧(わけ)(だい)十六張(ちやう)の背(うら)に見(み)えたり」「堀うち貞ゆき」
(ため)なれども、おん身(み)が歎(なげ)き不便(ふびん)なり。退(しりぞ)きて思慮(しりよ)をめぐらし、姫(ひめ)が安否(あんひ)をしらすべし、心(こゝろ)やすく思ひ給へ」と諾(うけ)ひ給へば、五十子(いさらこ)は、「さては御(み)こゝろ觧(とけ)給ふ歟(か)。病煩(やみわづら)はずはいかにして、よに有(あり)がたき仰(おふせ)をきかん。まつ程(ほど)は憂(う)きものなるに、そはいつ頃(ころ)に侍(はべ)るべき」と問(とは)れて霎時(しばし)沈吟(うちあん)じ、「輒(たやす)くもあらぬ所行(わざ)ながら、おん身(み)が為(ため)にいそがさば、遐(とほ)からずして吉左右(きつさう)あらん。心(こゝろ)あてに身(み)を愛(あい)し、俟(まち)給ひね」と叮嚀(ねんごろ)に、応(いらへ)て軈(やが)て義実(よしさね)は、外面(とのかた)へ出(いで)給へば、女(め)の童(わらは)(ら)がこゝろ得(え)て、後(あと)に跟(つ)き、又(また)(さき)に立(たち)て、迥(はるか)に送(おく)り奉(たてまつ)りぬ。
 このとき義実(よしさね)の嫡男(ちやくなん)、安房(あはの)二郎(じらう)義成(よしなり)は、去歳(こぞ)より真野(まの)に在城(ざいぜう)して、安西(あんざい)景連(かげつら)が殘黨(ざんたふ)を討成(うちたいら)げ、彼処(かしこ)を治(おさ)め給ふものから、「母(はゝ)うへのおん病著(いたつき)、いと危(あやう)し」と聞(きこ)えし日(ひ)より、老臣(ろうしん)杉倉(すきくら)木曽介(きそのすけ)氏元(うぢもと)に城(しろ)を守(まも)らし、瀧田(たきた)に來(き)まして母(はゝ)うへを、真成(まめやか)に看(み)とり給ふ。孝心(こうしん)等閑(なほざり)ならざれば、義実(よしざね)は更闌(こうたけ)て、竊(ひそか)に義成(よしなり)を招(まねか)せて、件(くだん)の縡(こと)の趣(おもむき)を、おちもなく告(つげ)しらし、「われ苟(かりそめ)に五十子(いさらこ)が、心(こゝろ)をやすくさせん為(ため)に、忽率(あからさま)に諾(うけ)ひしが、輝武(てるたけ)を本(ほん)にして、おそれぬ人(ひと)もなき山(やま)へ、誰(たれ)をか遣(や)りて姫(ひめ)を訪(とは)せん。よしや不敵(ふてき)のものありて、彼処(かしこ)へ使(つかひ)せんといふとも、事(こと)(え)(とげ)ずはわが威(ゐ)を貶(おと)して、その身(み)も其処(そこ)に亡(ほろ)びなん。とてもかくても難義(なんぎ)也。和殿(わどの)は何(なに)と思ひ給ふ」と問(とは)せ給へば小膝(こひざ)をすすめ、「某(それがし)もこの事は、侍女們(をんなばら)がまうすにて、はや傳聞(つたへきゝ)候ひし。絶(たえ)てひさしき姉(あね)うへの、安否(あんひ)をしらばこよなき幸(さいは)ひ、最(いと)(よろこば)しく候へども、賢慮(けんりよ)(まこと)にその所以(ゆゑ)あり。所詮(しよせん)此彼(これかれ)と人(ひと)を擇(えらみ)て、家臣(かしん)に仰付(おふせつけ)らるゝまでも候はず。某(それがし)には二人(ふたり)なき、姉君(あねきみ)の義(ぎ)にをはしませば、義成(よしなり)これを承(うけ給は)りて、富山(とやま)の奥(おく)へわけ登(のぼ)らんに、索(たづ)ねあはで、やは已(やむ)べき。縦(たとひ)(かの)(いぬ)に霊(れう)ありて、雲(くも)を起(おこ)し、風(かぜ)を喚(よ)び、人(ひと)の心(こゝろ)を惑(まどは)すとも、妖(よう)は徳(とく)に勝(かた)ずといへり。母(はゝ)の慈善(ぢぜん)を盾(たて)としつ、父(ちゝ)の武徳(ぶとく)を鎧(よろひ)として、家傳(かでん)の弓箭(ゆみや)を手挟(たばさみ)ゆかんに、絶(たえ)て障礙(せうげ)はあるべからず。命(めいぜ)させ給へ」と請(こ)ふ。言葉(ことば)せわしく拳(こぶし)を捺(さす)りて、はや打立(うつたつ)べき気色(けしき)なるを、義実(よしさね)は手(て)を抗(あげ)て、推禁(おしとゞ)めつゝ頭(かうべ)をうち掉(ふり)、「和殿(わどの)がごときは血氣(けつき)の勇(ゆう)のみ。智(ち)ある人(ひと)は事(こと)に臨(のぞん)で、おそれて謀(はかりこと)を好(この)むといはずや。父母(ふぼ)(ゐま)すときは、遠(とほ)く遊(あそ)ばず。况(まいて)(あやう)きに近(ちかづ)くをや。わが子(こ)とて夛(おほ)くもあらぬ、和殿(わどの)は家(いへ)の柱石(いしすえ)なるに、漫(そゞろ)に早(はや)りて過失(あやまち)あらば、甚(はなはだ)しき不孝(ふこう)なるべし。さればとて吾(われ)も亦(また)、祟(たゝり)をおそれてゆかざるにはあらず。生涯(せうがい)あはじ、見(み)られじとて、別(わか)れし姫(ひめ)は玉匣(たまくしげ)、まだふたとせのけふに得(え)(たへ)ず、こなたより訪(とは)せんこと、影護(うしろめた)き所行(わざ)なれば、胸(むね)くるほしく思ふかし。さりとて今宵(こよひ)に限(かき)ることかは。再(かさね)ておもはゞすべもありなん。この事侍女(をんな)(ばら)にもこゝろ得(え)さして、外(よそ)へな洩(もら)させ給ひそ」と諭(さと)して許(ゆる)し給はねば、義成(よしなり)は又(また)さらに、まうすべき言葉(ことば)もなく、畏(かしこま)りて退出(まかで)給ふ。
 義実(よしさね)はそがまゝに、臥房(あしど)に入(い)らせたまへども、寝(ねら)れぬまゝに、とやせまし、かくやせまし、と思ひかねて、はや暁(あけ)かたになりし此(ころ)、ゆくともしらず身(み)は只(たゞ)ひとり、冨山(とやま)の奥(おく)の渓澗(たにかは)の、こなたの岸(きし)に立在(たゝずみ)給ふ。當下(そのとき)(よはひ)は八十(やそぢ)あまり、百(もゝ)とせちかき一個(ひとり)の老翁(おきな)、おん背後(あとべ)より参(まゐ)りつゝ、義実(よしさね)に申すやう、「この山(やま)ふかく入(い)らせ給はゞ、おん郷導(みちしるべ)仕らん。さはれこの川(かは)はわたしがたし。右手(めて)のかたに樵夫(きこり)がかよふ、一條(ひとすぢ)の細道(ほそみち)あり。去歳(こぞ)よりしてこの山(やま)の〓(かせぎ)を禁断(きんだん)せられしかば、荊棘(ちかや)いやがうへに繁茂(おひしげ)りて、何処(いづこ)を路徑(みち)ともわかたねば、僕(やつがり)(すで)に枝(えだ)を折(をり)かけ、或(あるひ)は草(くさ)を〓(わがね)などして、栞(しをり)して候へば、其処(そこ)よりおん供(とも)仕らずとも、迷(まよは)せ給ふべうもあらず。究(きはめ)て本意(ほゐ)を遂(とげ)給はん。彼方(かなた)より進(すゝま)せ給へ」と指(ゆびさ)し誨(をしえ)まゐらする。義実(よしさね)不思議(ふしぎ)の事におもひて、その名(な)を問(とは)んとし給ふに、忽地(たちまち)に覚(さめ)てけり。是(これ)華胥國(くわしよこく)の一夢(いちむ)也。おもひ寐(ね)の夢(ゆめ)(たの)むに足(た)らず、とふかくは意(こゝろ)にとめ給はず。この朝(あした)も此彼(これかれ)と、民(たみ)の訴訟(うつたへ)を聴(きゝ)(さだ)め、やうやく裡面(うち)に入(い)り給へば、土圭(ときのきざみ)も未(ひつじ)に近(ちか)かり。
 浩処(かゝるところ)に一個(ひとり)の近臣(きんしん)、廊(ほそどの)のかたよりまゐりて、恭(うや/\)しく額(ぬか)を著(つき)、「堀内(ほりうち)蔵人(くらんど)、召(めし)に應(おふ)じて、東條(とうでふ)より参上(さんぜう)せり」と申上(あぐ)れば、義実(よしざね)は眉(まゆ)うちよせて、頭(かうべ)を傾(かたむ)け、「われ貞行(さだゆき)をよびたることなし。五十子(いさらこ)が病著(いたつき)を、傳聞(つたへきゝ)てみづから來(き)にけん。そはとまれかくもあれ、われも問(とは)んと思ふことあり。よき折(をり)なるに、こなたへ召(め)せ、とく/\」といそがして、且(しばら)く左右(さゆう)を遠(とほ)ざけつ、欣然(きんぜん)として俟(まち)給ふ。されば蔵人(くらんど)貞行(さだゆき)は、ひさしく東條(とうでふ)に在城(ざいぜう)して、民(たみ)を撫育(ぶいく)の心(こゝろ)(あつ)く、一郡(いちぐん)(すで)に治(おさま)りにたれど、日(ひ)に三省(さんせう)の教(をしへ)を守(まも)りて、且(しばら)くも安坐(あんざ)せず。よろづ務(つとめ)に暇(いとま)なければ、去歳(こぞ)より滝田(たきた)へ参(まゐ)らざりしに、ゆくりなくも今(いま)こゝに、見参(げんざん)に入(い)りしかば、義實(よしさね)はほとり近(ちか)く、招(まね)きよして坐(ざ)を賜(たま)ひ、「蔵人(くらんど)(つゝが)なかりし歟(か)。汝(なんぢ)東條(とうでふ)に令(かみ)たる日(ひ)より、われ亦(また)三虎(さんこ)の誣言(しひごと)を聞(き)かず。その忠心(まこゝろ)の致(いた)す所(ところ)、歡(よろこび)びこれにますことなし。此度(こだみ)の参府(さんふ)は五十子(いさらこ)が、疾病(やまひ)(あやう)しと傳聞(つたへきゝ)て、安否(あんひ)を問(とは)ん為(ため)なる歟(か)」と問(とは)せ給へば、貞行(さだゆき)は、やうやくに頭(かうべ)を擡(もたげ)、「御諚(ごでふ)では候へども、曩(さき)に君命(くんめい)を受(うけ)し日(ひ)より、彼(かの)一城(いちぜう)を戌(まも)ること、某(それがし)が職分(しよくぶん)なるに、よしや意中(こゝろ)に見参(げんさん)を、庶幾(こひねがひ)候とも、免許(みゆるし)を蒙(かふむ)らで、参(まゐ)るべうも候はず、火急(くわきう)の召(めし)に物(もの)とりあへず、只今(たゞいま)参着(さんちやく)仕りぬ。さるを召(めさ)ず、と宣(のたま)ふは、おん戯(たはむ)れにやあらんずらん」といはせもあへず、「やをれ蔵人(くらんど)、われに心(こゝろ)の憂(うれ)ひ夛(おほ)かり。何(なに)たのしくて戯(たはふ)れに、汝(なんぢ)をはる/\と召(めし)よすべき。且(まづ)(なに)ものかわが命(めい)を、汝(なんぢ)に傳(つた)へて誘引(いざなふ)たる。證人(せうにん)ありや、覚(おぼ)つかなし」と敦圉(いきまき)給へば、貞行(さだゆき)も意得(こゝろえ)がたくおもへども、騒(さわ)ぎたる氣色(けしき)なく、「御諚(ごでふ)をかへすは恐(かしこ)き所行(わざ)也。さりながら一條(ひとくだり)、縡(こと)の趣(おもむき)を申上ん。きのふ老(おい)たる雜色(ざふしき)がおん使(つかひ)なるよしを告(のり)て、東條(とうでふ)へ來(き)にければ、出(いで)て見るに、認(みし)らぬもの也。訝(いぶか)りながら謹(つゝしみ)て、君命(くんめい)を承(うけ給は)るに、彼(かの)おん使(つかひ)、某(それがし)に告(つげ)ていふやう、此度(こだみ)夫人(おくかた)のおん願(ねが)ひにより、屋方(やかた)みづから冨山(とやま)に赴(おもむ)き、伏姫(ふせひめ)(ぎみ)を訪(とひ)給はんとて、をさ/\その用意(ようゐ)あり。さはれ晴(はれ)なることにはあらず、しのび/\の狩倉(かりくら)にて、音(おと)に聞(きこ)えし高峯(たかね)なるに、非常(ひじやう)の備(そなへ)なくンはあらず。さればとて従者(ともびと)を、夥(あまた)(い)てゆかんは不便(ふべん)也。よりて此度(こだみ)のおん供(とも)には、和殿(わどの)をこそ、と思召(おぼしめし)て、俄頃(にはか)に召(め)させ給ふになん。某(それがし)はこの年來(としころ)、洲崎(すさき)の〓(いはや)のほとりに処(を)る、名(な)もなき下司(げす)で候へども、件(くだん)の山(やま)の案内(あんない)を、よく知(しつ)たりと聞召(きこしめさ)れ。郷導(みちしるべ)にとて召(めし)よせられ、このおん使(つかひ)さへうけ給はりて、老足(ろうそく)ながら走(はし)り來(き)つ。則(すなはち)殿(との)の御教書(みぎやうしよ)とて、襟(えり)に掛(かけ)たるを恭(うや/\)しく、觧(とき)おろして逓与(わた)せしかば、某(それがし)拝見(はいけん)仕るに、翁(おきな)が口状(こうでふ)も符合(ふがう)すなれば、露(つゆ)ばかりも疑(うたが)ふことなく、件(くだん)の翁(おきな)をかへすとやがて、馬(うま)に鞍(くら)おきうち乗(のり)て、従者(ともびと)のつゞくを俟(また)ず、夜(よ)をこめ、途(みち)をいそがして、御舘(みたち)に参(まゐ)りてうけ給はれば、縡(こと)みな案(あん)に相違(さうゐ)せり。原來(さては)(かの)(おきな)こそ、癖者(くせもの)に極(きはま)れり、と思へどもまざ/\しき、御教書(みぎやうしよ)はこゝにあり。これ臠(みそなは)せ」と懐中(くわいちう)より、とう出(で)て返(かへ)し奉(たてまつ)れば、義実(よしざね)さや/\とうち披(ひら)き、これはいかに、と貞行(さだゆき)が、方(かた)に引向(ひきむけ)て見せ給へば、貞行(さだゆき)(ふたゝび)びうち驚(おどろ)き、「現(げに)(それがし)がきのふ見し、文字(もんじ)はこゝにひとつもなく、如是(によぜ)畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心(ぼだいしん)と、二行(にぎやう)八字(はちじ)に変(へん)ぜしは、竒(き)也、竒(き)なり」とばかりに、呆(あき)るゝこと半〓(はんとき)あまり、又(また)いふよしもなかりけり。
 義実(よしざね)はこの一句(いつく)に、忽地(たちまち)(さと)りて巻(まき)おさめ、「蔵人(くらんど)(なんぢ)がまうす所(ところ)、偽(いつはり)なくは不思議(ふしぎ)の事也。抑(そも/\)きのふ使者(ししや)と称(せう)して、この書(しよ)を逓与(わた)せし翁(おきな)が年齢(としばえ)、その面影(おもかげ)はいかなりし、詳(つばら)に告(つげ)よ」と宣(のたま)へば、貞行(さだゆき)(はぢ)たる氣色(けしき)にて、「件(くだん)の翁(おきな)は八十(やそぢ)あまり、百(もゝ)とせにも及(およ)ぶべし。眉(まゆ)は長(なが)うして、綿花(わたのはな)を重(のべ)たるごとく、歯(は)は皓(しろう)して、瓠核(ひさごのたね)を連(つらね)たるに異(こと)ならず。躬(み)は痩(やせ)たれども健(すこやか)也、老(おひ)たりと見れば、いと弱(わか)かり。眼光(まなこのひかり)(ひと)を射(い)て、威(ゐ)あれども猛(たけ)からず。よにいふ道顔(どうがん)仙骨(せんこつ)とは、渠(かれ)なるべし」とまうすにぞ、義実(よしさね)は思はずも、掌(たなそこ)を丁(ちやう)と拍(うち)、「こゝにも似(に)たる竒談(きだん)あり。そは疑(うたが)ふべうもあらず。洲崎(すさき)の〓(いはや)に迹垂(あとたれ)給ふ、役行者(えんのぎやうじや)の示現(じげん)也。且(まづ)はじめより告(つげ)ん」とて、夫人(おくかた)に諾(うけ)ひ給ひし、伏姫(ふせひめ)の安否(あんひ)を訊(と)ふべき事、又(また)義成(よしなり)の孝心(こうしん)勇氣(ゆうき)、思ひつかれて見し夢(ゆめ)に、富山(とやま)の奥(おく)のこなたなる、岸(きし)に遊(あそ)びて思はずに、翁(おきな)に遭(あひ)し縡(こと)の趣(おもむき)、首尾(はじめをはり)を説(とき)しらし、「夢(ゆめ)は五臓(ござう)の疲労(つかれ)に成(な)る。頼(たの)むに足(たら)らずと思ひしが、只今(たゞいま)(なんぢ)がまうしつる、翁(おきな)の面影(おもかげ)わが夢(ゆめ)に、見えつるものと彷彿(さもに)たり。加旃(しかのみならず)如是(によぜ)畜生(ちくせう)云云(しか/\)の八字(はちじ)をもて、過去(くわこ)未來(みらい)を示(しめ)せしは、伏姫(ふせひめ)(をさな)かりしとき、夛病(たびやう)にして嗄音(なくこゑ)たえず。しかるに洲崎(すさき)の〓(いはや)なる、役行者(えんのぎやうじや)の利益(りやく)によりて、後(のち)(すこやか)に生育(おひたち)にき。この折(をり)に感得(かんとく)せし、水晶(すいせう)の念珠(ねんじゆ)には、仁(じん)(ぎ)(れい)(ち)(ちう)(しん)(こう)(てい)、この八(やつ)の文字(もんじ)あり。この後(のち)篭城(ろうぜう)難義(なんぎ)の折(をり)、わが一言(ひとこと)の失(あやまち)にて、姫(ひめ)を八房(やつふさ)に許(ゆる)せし日(ひ)、件(くだん)の八字(はちじ)は消滅(きえうせ)て、いつの程(ほど)にか如是(によぜ)畜生(ちくせう)(ほつ)菩提心(ぼだいしん)、と読(よま)れたり。因(より)て思ふにわが女(むすめ)は、嘉吉(かきつ)二年(にねん)(なつ)の季(すゑ)、伏日(ふくじつ)の比(ころ)(うま)れしかば、名(な)を伏姫(ふせひめ)と喚做(よびな)せしが、後(のち)(つひ)に人(ひと)にして犬(いぬ)に従(したが)ふ、名詮自性(めうせんじせう)。それ將(はた)(のが)れぬ因果(いんぐわ)ならんに、渠(かれ)(み)を棄(すて)たる縁故(ことのもと)は、親(おや)の為(ため)、國(くに)の為(ため)、仁義(じんぎ)八行(はつこう)を世(よ)の人(ひと)に、喪(うしなは)せじとの為(ため)なれども、苦節(くせつ)義信(ぎしん)の善果(ぜんくわ)によりて、如是(によぜ)畜生(ちくせう)に誘引(いざなは)れ、遂(つひ)に成等(じやうとう)正覚(せうがく)に、入(い)れるものにぞあらんずらん、とわれもはじめて暁(さと)りにければ、敢(あへて)(また)(ひめ)を禁(とゞ)めず、渠(かれ)が望(のぞみ)に任(まか)せしより、はや二年(ふたとせ)になりぬれども、安否(あんひ)を訪(とは)ず、訊(とは)せもせず。樵夫(きこり)〓人(かりびと)(ら)まで彼(かの)(やま)に、入(い)ることを禁(とゞ)めしに、今(いま)五十子(いさらこ)が疾病(やまひ)(あやう)く、そが情愿(ねぎごと)の黙止(もだし)がたさに、姫(ひめ)の安否(あんひ)をしるよしもがな、と思へどもなほ思ひ難(かね)つる、予(よ)が夢(ゆめ)に見し翁(おきな)の面影(おもかげ)、この書(しよ)を汝(なんぢ)にとらせしといふ、そのものと一点(つゆ)たがふことなし。袷(かれ)といひ恰(これ)といひ、神変(しんへん)不測(ふしぎ)の應驗(おふげん)にて、義実(よしさね)が疑惑(ぎわく)を觧(とか)し、冨山(とやま)の奥(おく)へ導(みちび)き給ふ、行者(ぎやうじや)の示現(じげん)(うたが)ふべからず。かゝれば是(これ)法度(はつと)を復(かへ)し、我意(がゐ)を枉(まげ)て伏姫(ふせひめ)に、再會(さいくわい)の時(とき)(いた)れり。則(すなはち)權者(ごんじや)の示現(じげん)に任(まか)し、汝(なんぢ)を將(い)てわれゆかん。この事は沙汰(さた)すべからず。人(ひと)は唯(たゞ)(き)を好(この)むもの也。示現(じげん)靈應(れいおふ)(あやま)たで、われもし姫(ひめ)にあふことあらば、民(たみ)喋々(てふ/\)と竒(き)を談(だん)じて、これより鬼神(きしん)の徳(とく)を淫(みだ)さん。又(また)(かの)(やま)に遊(あそ)ぶといふとも、終(つひ)に伏姫(ふせひめ)にあふことなくは、夢(ゆめ)を信(しん)じて影(かげ)を逐(お)ひ、假(にせもの)を認(み)て風(かぜ)を捕(と)る、義実(よしさね)が愚(ぐ)を民(たみ)に知(し)らして、世(よ)の胡慮(ものわらひ)になりぬべし。大約(およそ)此度(こだみ)の従者(ともびと)は、汝(なんぢ)が外(ほか)に列卒(せこ)十四五人(ン)たるべき歟(か)。これらも言葉(ことば)(すくな)きもの、よろづ老実(まめ)なるを擇(えら)ぶべし。翌(あす)はつとめてわれ出(いで)なん。准備(こゝろがまへ)をせよかし」と且(かつ)(しめ)し、且(かつ)(めい)じ給へば、貞行(さだゆき)ふかく感佩(かんはい)して、敢(あへて)(また)一議(いちぎ)に及(およ)ばず。既(すで)にして稟(まうす)やう、「姫(ひめ)うへ幼穉(いとけなく)をはしませし時(とき)、役行者(えんのぎやうじや)の霊驗(れいげん)利益(りやく)、彼(かの)水晶(すいせう)の珠数(ずゝ)の事は、某(それがし)も粗(ほゞ)これをしれり。此度(こだみ)の竒特(きどく)に符合(ふがふ)す、と思召(おぼしめし)(あは)されしは、亦(また)(たゞ)(きみ)が叡智(えいち)
【挿絵】「靈書(れいしよ)を感(かん)して主従(しゆう/\)(うたが)ひを觧(とく)」「如是畜生發菩提心」「よしさね」「貞ゆき」「よしなり」
(とく)。併(しかしながら)(ひめ)うへの、至善(しいぜん)節義(せつぎ)にあらざりせば、斯(かく)まで竒特(きどく)候はんや。今(いま)(うつ)(つち)は外(はづ)るゝとも、御(ご)判断(はんだん)は錯(たが)ふべからず。御(ご)遊山(ゆさん)の事しかるべし。いそがせ給へ」と應(いらへ)まうして、軈(やが)て遠侍(とほさふらひ)に退出(まかで)けり。義実(よしさね)は意(こゝろ)に秘(ひ)して、件(くだん)の縡(こと)の趣(おもむき)を、夫人(おくかた)にも告(つげ)給はず、只(たゞ)嫡男(ちやくなん)義成(よしなり)に、如此(しか)(%\)々と密語(さゝやき)給へば、義成(よしなり)も亦(また)感嘆(かんたん)して、已(やみ)給はず。父(ちゝ)に代(かは)りて彼(かの)(やま)へ、赴(おもむか)ばやと思召(おぼしめせ)ども、權者(ごんじや)の導(みちび)き給ふもの、われならざるにすべもなし。特(こと)にこの日(ひ)はおん母(はゝ)五十子(いさらこ)、いよゝます/\病(やみ)つかれて、いとも危(あやう)く見え給へば、ちから及(およ)ばず留(とゞま)り給ふ。義実(よしさね)は五十子(いさらこ)が、生前(いのちのうち)にと心(こゝろ)いそしく、その夜(よ)の暁(あく)るをまちわびつゝ、「長挟(ながさ)冨山(とやま)の麓(ふもと)なる、大山寺(おほやまでら)へ詣(まうで)給ふ」と徇(ふれ)させて、未明(まだき)より出(いで)給ふ。微行(しのびあるき)の事なれば、おん供(とも)は堀内(ほりうち)蔵人(くらんど)貞行(さだゆき)(ら)、以下(しも)廾人には過(すぎ)ざりき。
 さる程(ほど)に義実(よしさね)は、貞行(さだゆき)と二騎(にき)(うま)を並(ならべ)て、只管(ひたすら)に鞭(むち)を揚(あげ)、足掻(あがき)を早(はや)め給ひしかば、その日(ひ)のうちに乗著(のりつけ)て、はや富山(とやま)へぞ登(のぼ)り給ふ。とかくして山川(やまかは)のほとりまで來(き)給ふに、巖石(いはほ)の形状(かたち)、樹木(こだち)の光景(ありさま)、すべて見し夜(よ)の夢(ゆめ)にたがはず。試(こゝろ)みに荊棘(ちがや)をわきつゝ、途(みち)を索(もとめ)て一町あまり、右手(めて)のかたへ入(い)り給ふに、果(はた)して枝(えだ)を曲(まげ)、草(くさ)を〓(わがね)て、往々(ところ/\)に栞(しをり)ありけり。主従(しゆう%\)(いま)この栞(しをり)を見て、思はず目(め)と目(め)を注(あは)するまでに、信(しん)を増(ま)し心勇(こゝろいさ)みて、迥(はるか)に後方(あとべ)を見かへれば、貞行(さだゆき)が外(ほか)、歩立(かちだち)なれば、従者(ともびと)(ら)は遠離(とほざかり)て、続(つゞ)くもの絶(たえ)てなし。且(しばらく)して馬奴(くちつきのをとこ)(たゞ)ひとり、喘々(あへぎ/\)(のぼ)り來(き)にければ、義実(よしざね)これを御(ご)(らん)じて、「既(すで)にこの応驗(おふげん)あれば、他人(あだし)は従(したが)ふも要(えう)なし。彼(かの)ものには馬(うま)を牽(ひか)し、麓(ふもと)へかへして供(とも)まちさせよ。とくとく」といそがし給へば、貞行(さだゆき)はこゝろ得(え)(はて)て、件(くだん)の男(をとこ)を呼近(よびちか)づけ、山〓(やまひば)に繋留(つなぎとめ)たる、馬(うま)を指(ゆびさ)し、「如此(しか)(/\)々」と仰(おふせ)を傳(つたへ)て麓(ふもと)へかへし、これより主従(しゆう%\)(また)二人(ン)、栞(しをり)に途(みち)をもとめつゝ、山蛭(やまびる)に笠(かさ)を傾(かたふ)け、葛藤(かつら)に足(あし)を取(と)られじとて、迭(かたみ)に高(たか)く声(こゑ)をかけて、羊腸(つゞらをり)なる山(やま)みちを、其首(そこ)ともわかず躋(のぼ)りつ躓(をり)つ、辛(からく)して進(すゝ)む程(ほど)に、彼(かの)川上(かはかみ)を巡(めぐ)り來(き)にけん、樹(こ)の下闇(したやみ)をゆき脱(ぬけ)て、川(かは)のあなたへ出(いで)にけり。


# 『南総里見八犬伝』第十一回 2004-09-10
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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