資料紹介

 明治期合巻 『里見八犬傳』 −解題と翻刻−

高 木   元 


【解題】

曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を受容史から考えるための資料として、『八犬伝』を抄録した刊行物の紹介を続けてきているが、今回は明治出来の合巻『里見八犬傳』を紹介したい。

この本は製版(木版)で中本二冊(上下巻各十丁)、錦絵風摺付表紙を備え、全丁絵入りである。近世期の合巻の造本様式を継承しつつも、挿絵の周囲を埋める本文は平仮名ではなく漢字仮名交りで、版面様式から見ると全丁絵入の切附本と同様である。

これら明治出来の合巻を〈明治期合巻〉と呼ぶことを提唱しているが高木元「十九世紀の草双紙」(隔月刊「文学」、岩波書店、二〇〇九年十一・十二月)、とにかく造りが安っぽい。表紙にアニリン性化学染料を用いた赤色やベロ藍(紫色)を多用している点に特徴があるので、明治期の出板であることは一目瞭然である。料紙も少し厚手でくすんだ色の漉き返しが用いられ、墨摺の挿絵なども綿密な描き込みは見られず、雑で大味。文字も仮名漢字混じりで大きくなり、文章自体も短くて絵の周囲に空間が多くスカスカな印象である。細かく精緻で美麗な江戸期の合巻とは印象がまるで異なるのであるが、内容や体裁から見れば、紛うことなく〈合巻〉と呼んで差支えない(同様の板面を持つ切附本は五丁一冊の意識が見られない。それに対して〈明治期合巻〉の多くは五丁一冊を二冊合綴して上下二巻(二十丁)に仕立てている。)

これらは主として明治十年代に松延堂(大西庄之介)などから出されたものが多いと推測されるが、その全貌は明らかになっていない。如何せん粗雑な冊子であるため消耗品として扱われ、大半が散逸してしまったものと思われる。少しまとまった資料を所蔵しているのが国立国会図書館であるが、明治期刊行物の中の〈絵本〉というカテゴリーで括られており、銅版絵本や活版本など混じっているので、一点ずつの確認が不可欠である。また、他の地方公立図書館などにも散見するが、その多くは未整理か郷土資料中に埋もれていることが多い。結果として、個人蔵の資料に負うところが少なくない。今回も、架蔵本中に「八犬伝もの」が見出せなかったので、山本和明氏の所蔵本を拝借した。

さて、八犬伝抄録の読切り(短編)合巻としては珍しく、発端部のみならず比較的後半部までを扱っている。単なる名場面集ではなく、つとめて筋を紹介する意図は汲み取れるものの、飛躍が目立つ乱暴な記述が多く、挿絵と合わせ見ても細かな筋を追うことは難しい。やはり初読者の早分かり用ではなく、一度読んだことのある人向きに作られたものと思われる。だが、故意か不注意か、信乃が芳流閣を目指して〈鎌倉〉に行ったり、道節が田文地蔵堂で火遁術を捨てたりと、原作と異なる箇所が見受けられる。それでも、何とか発端から里見家の再興までを描いている点の努力は認めたい。ただ、作者名も記されて居らず、誰の手になるものかは不明である。

【書誌】

『里見八犬傳』
書型 中本(十七・五×十一・八糎) 上下二冊
表紙 摺付表紙。外題と「岡田版」「\M{外題)房種筆」「上・下」
外題 「 里見八犬傳(さとみはつけんでん)
見返 なし
序   なし
改印 なし
板心 「八犬傳  一(〜二十)
作者 記載なし
画工 房種(外題)
丁数 十丁×二冊
板元 岡田版
諸本 山本和明氏蔵(底本)、個人蔵(下のみ)、架蔵(20丁欠)


【凡例】
一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣い、異体字等も可能な限り原本通りとした。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、読みやすさを考慮し、係助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、句読点は一切用いられていないが、私意により句読点を付した。
一、会話文や心中思惟の部分には括弧「 」を補った。
一、丁移りは 」5オのごとく丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時も〔 〕で示した。
一、底本の使用を許された山本和明氏に感謝致します。


【表紙】

表紙
里見八犬傳(さとみはつけんでん) 上 下、岡田版、「外題 房種筆」


【本文】

挿絵

安房上総の國主里見氏ハ、清和源氏の末孫 里見季基(すへもと)の嫡男(ちやくなん) 義実を以て安房(は)の國主(こくしゆ)となす。其頃(ころ)、宝町(むろまち)将軍(しやうぐん)義教(よしのり)公と鎌倉(かまくら)の持氏(もちうじ)と確執(かくしつ)に及び、のち持氏鎌倉(かまくら)に亡(ほろ)ぶ。此時、公達(きんたち)(はる)王安王を救(すく)ひ、結城(ゆふき)氏朝(うじとも)里見と相謀(あいはか)り、下総(しもふさ)の國結城(ゆふき)の城(しろ)に籠(こも)り、鎌(かま)くら勢(せい)を引うけて戦(たゝか)ふ事三年、兵粮(へうらう)矢種(やだね)の竭(つき)て、城兵(しやうへい)(こと/\)く討死(うちじに)に及ぶ。義実(よしさね)も城(しろ)を落(おち)ての后(のち)、「再度義兵をあげん」と打のこされし郎等を集(あつ)め、相模(さがみ)の國三浦なる矢取の入江におちのびて后(のち)、安房(あは)」1オ

挿絵

にわたる。或る時、日ころ愛(あい)せらるゝ八つ房といへる大(〔犬〕)に向ひて申されけるハ「なんじ畜生(ちくしやう)ながらも能(よ)く聞(きけ)よ。義実(よしざね)不運(うん)にして敗軍(はいぐん)し、今又、如何(いかん)とも為(な)す能はず。若し敵将の首をうる其時ハ、娘 伏姫(ふせひめ)を与(あた)ふべし」と戯(たわむ)れながらに宣(のたま)ひしに、犬ハ首をたれ始終の事を聞(きゝ)ゐしが、頓(やが)ての事に立あがり、二聲三聲吼(ほへ)たけり。其儘(まゝ)何処(とこ)へか馳行(はせゆき)しに、義実におひても「犬の素(そ)(ふり)合點(がてん)ゆかず」と想(おも)はれしが、其のち、氣にも畄ざりしに、ある夜、八ツ房の声(こへ)にして吼(ほゆ)る事頻(しき)りなりければ、義実にも不思(ふし)儀におもはれ灯(とも〔し〕)び片手に立いで見れバ、正(まさ)しく敵将(てきしやう)の」2オ

挿絵

首をバくわへ、うづくまりてそ居(ゐ)たるにぞ、流石(さすが)の義実も竒(き)(ゐ)の思ひをなし、尚(なほ)、首(しゆ)(きう)を改めて、弥(いよ)(/\)おどろくばかりなり。其旨(むね)、家(か)臣等( ら)へも告(つげ)もして、八つ房を深く愛(あい)し給(たま)ひしが、犬ハ頻(しき)りに吼(ほへ)たけり、何(なに)やらねだる有様(ありさま)に「扨(さて)ハ伏姫(ふせひめ)を望(のぞ)む者ならん」と胸(むね)にうなつき給(たま)ひしゆへ、息女(そくじよ)をバ片辺(かたへ)に招(まね)き見(み)(たま)ひしに、犬ハ斯(かく)と看(み)るよりも忽(たちま)ちひらりと飛(とび)あがり、姫が振袖(ふりそで)を食(くわ)へ連行(つれゆき)もせん有(あり)(さま)なれば、義実(よしさね)大ひに打(うち)おとろき、鑓(やり)取延(とりのべ)て一突(つき)と見構(かま)へあるに、姫ハ父君(きみ)にうち向(むか)ひ「仮令(たとへ)ちく生(しやう)なればとて、君の仰(あふ)せに敵(てき)の首(くび)をも取(と)りし者ゆへ、偽(いつは)りてハ其罪(つみ)(ふか)し」」3オ

挿絵

(これ)も前生(ぜんせ)の因(いん)(えん)と諦(あきら)め玉ひ、犬(いぬ)諸共(もろとも)に深(み)山に入らん」と望(のぞ)まれけるに、義実(よしさね)も呆(あき)れ給(たま)ひしが、斯(か)くと聞(きく)より、八つ房(ふさ)ハ忽(たちま)ち姫(ひめ)を脊(せ)に打のせ、宛然(さなから)(ちう)を飛(とふ)(こと)く、何國(いづく)共なく馳行(はせゆく)にぞ、義実大ひに驚(おどろか)る。此時金椀(かなまり)大輔(すけ)高〓(たかのり)ハ「某(それが)し姫の御(おん)(ゆく)(え)み届(とゝ)けん」と、馬(うま)に打のり、後(あと)を慕(した)ふて追(おひ)かけしに、途中(とちう)におひて見失(みうしな)ひ、夫(そ)れより馬(むま)を乗(のり)(はな)ち、山又やまと分(わけ)入りける。

(さて)又、伏姫(ふせひめ)ハ八つ房(ふさ)に誘(いさな〔は〕)れ、冨(と)山の奥(おく)にいたられ、讀經(どくきやう)の外(ほか)なし。此時、神童(しんどう)に逢(あふ)て因果(いんくわ)の道理(どうり)を知(し)り、居(お)らるゝ事二年。又、大輔(すけ)ハ姫(ひめ)の在処(ありか)を探(さく)り、やう/\にして冨(と)山に入り」4オ

挿絵

(ひめ)と犬とを遙(はる)かに見て、准備(ようゐ)の鳥銃(てつはう)(と)るより早く狙(ねらひ)を定(さだ)めて打放(はな)せバ、犬ハ首尾(しゆび)(よく)(うち)たれど、姫(ひめ)にも最期(さいご)を遂(とげ)しにぞ、大輔(すけ)ハ驚(おどろ)き其場(ば)に自害(じがい)なさんとする時、義実(よしさね)猟矢(さつや)を飛(とば)して之(こ)れ止(とゞ)め来(きた)りて、役(えん)の行者(ぎやうじや)の告(つ)げに依(よつ)つて爰(こゝ)に来(きた)り。前世(ぜんせ)の因縁(いんへん)を物語(ものかた)らる。又大輔(すけ)の鳥銃(てつはう)に、伏姫(ふせひめ)の持(もた)れし水晶(  しやう)の数(じゆ)(す)八つの玉の八方(はう)に飛(とび)(さ)りける。

却説(かへつ〔て〕と)く、其以前(いぜん)、結城(ゆふき)へ籠城(ろうじやう)したる井の丹蔵直秀(なほひで)の娘手束(たつか)といふ者、弁天へ日参(につさん)し、帰(かへ)りに小犬を助(たす)けて伏姫(ふせひめ)の神霊(しんれい)に逢(あ)ひ、懐妊(くわいにん)して男子を産(うむ)。夫(そ)れなん犬塚信乃とて、八犬士の一人なり。又、農夫(のうふ)(ひき)六の娘 濱路(ぢ)といふ者、其実、豊嶋(とよしま)(け)の一族(ぞく)の娘なり。不幸(ふかう)にして農夫(のうふ)の養女(ようじよ)となり、「犬塚(いぬつか)信乃(しの)を婿(むこ)にせばや」と養母(ようぼ)(かめ)笹がはからひしも、其実、村雨丸の刀(かたな)をうばひ、鎌倉(かまくら)殿へ献(けん)ぜんとす。又、此家に小者で額蔵(かくさう)といふ」5オ

挿絵

后に犬川荘助とハこれなり。また信乃ハ名刀を献(けん)ぜんと准備(やうゐ)をいたし、出立(しゆつたつ)の日も近(ちか)きにより、濱路ハ深(ふか)く嘆(かこ)ちしも、信乃(しの)ハ更(さら)に心を引れず、鎌倉さして出立(しゆつたつ)いたしぬ。又、ひかみ宮六といふ者、濱路に戀慕(れんぼ)し、左母次郎といふ」6オ

挿絵

者と謀る。此時、濱路ハ夫(おつと)信乃(しの)の後(あと)を慕ひて迯出(にけいで)しが、山中(さんちう)に左母(さも)次郎(らう)に捕へられ、あはや肌(はだ)をも汚(けが)さんとする時、行者の助(たす)けを得(え)て、圖らす兄妹の名乗(なのり)に及(およ)ふ。これなん犬山(いぬやま)道節(とうせつ)なり。扨(さて)又、犬塚(つか)信乃(しの)に於(おひ)てハ、村雨(むらさめ)丸の刀、掏替られしハ知らすして古我の御所に赴き、成氏朝臣〔へ〕奉りしに、「其太刀の贋(にせ)物なり」迚(とて)ゆるし玉はず、已に縄(なは)をもかけられんとするに、信乃ハ覚(おほ)へのはやきゆへに、詞(ことば)を盡(つく)して見(み)たなれど、遁(のが)れかたきを知(し)る者から、向ふ捕手(とりて)を投(なけ)ちらし、芳流(はうりう)(かく)の屋の上に飛(とび)あがり、近(ちか)よる者を切ちらす。其働(はたら)きハいと目覚(ざま)し」7オ

挿絵

此時、一人の勇士(ゆうし)いと厳重(げんぢう)なる出立(いてたち)にて進(すゝ)み來(きた)るに、信乃(しの)〔ハ〕「望(のぞ)む敵(てき)なり」と、之れよ〔り〕両士ハ戦(たゝか)ひしが、遂(つひ)に組(く)んで坂東川(ばんどうかわ)に落(おち)、互(たが)ひに氣(き)ぜつ致(いた)せしも、古那(こな)や文吾(ぶんご)兵衛に助けられ、蘇生(そせい)の後(のち)、素生(すしやう)を語(かた)りて兄(けふ)(だい)の義(ぎ)を結(むす)ぶ。此一人が犬飼(いぬかい)(けん)八なり。

却説(さてまた)、犬山道節(とうせつ)忠与ハ、本郷圓塚(まるづか)山を立退(のき)てより、村雨(さめ)丸の太刀を賣(うら)んと僞(いつは)り、定(さた)正を討(うた)んと謀(はか)りしに、巨田助友の謀計(ぼうけい)に陥(お)ち、数(す)人の敵(てき)に取囲(かこ)まれしが、辛(から)くも遁(のが)れて、田文(ぶみ)の地蔵(ざう)〔に〕(しの)びし。折柄(おりから)、又、一人の若者(わかもの)が續(つゝ)ひて後(あと)より入り來(きた)りしが、暗夜(あんや)の事(こと)ゆへ、誰(たれ)なるや互(たが)ひに面躰(めんてい)の分(わか)らねど、「斯(かゝ)る處(ところ)に居(ゐ)るからハ只者(たゝも〔の〕)ならし」と思(おも)ふ者(もの)から、両士ハ太刀を抜合(ぬきあは)せ、暗(やみ)にも閃(ひらめ)く刄の稲妻(いなづま)、秘術(ひじゆつ)を盡して」8オ

挿絵

(たゝか)ひしが、何(いつ)れも劣(おと)らぬ勇士(ゆふし)と勇士(ゆふし)、勝負(しやうふ)ハ更(さら)にあらずして、暗(やみ)に紛(まぎ)れて者(もの)(わか)れにそ相(あい)(な)りたり。それより后(のち)、五犬士(けんし)ハ、白井(しらゐ)の大軍(くん)麓村(ふもと)へおしよせるの時、数(す)百の敵(てき)を引受て戦(たゝか)ひし。其勇(ゆふ)(まう)に恐(おそ)れけん、吶(どう)とばかりに敗軍(はいぐん)して、遠(とふ)く人数(にんず)を引揚(ひきあげ)し者(もの)の其後(のち)、上野(かうづけ)荒芽山(あらめやま)の麓(ふもと)に於(おい)ての血戦(けつせん)、与四郎音(おと)ねの働(はたら)きハ畧(りやく)す。此時、犬士(けんし)の一人、犬田小文吾ハ、曳手(ひくて)単節(ひとよ)の行方(ゆくへ)を追(お)ふて山路(みち)(ふか)く入りし折、大猪(ゐの)のあれきたるに、小文吾ハ避(さけ)んとなせと、手おひの猪(しゝ)ゆへ荒(あれ)(まは)り、小文(ぶん)(ご)(め)かけて飛かゝるに、「さらバ無益(むやく)の殺生(せつしやう)ながら、いで目にもの見せん」と飛來(とびく)る」9オ

挿絵

(しゝ)をやりすごし、ひらりと脊上(せ〔じ〕やう)に打またかり、拳(こぶし)を堅(かた)めて打据(すへ)れバ、さしもの猪(しゝ)も、大力の小文(ぶん)吾にうち殺(ころ)されぬ。それより小文吾ハ、宿(や〔ど〕)を求(もと)めしに、毒婦(とくふ)舟虫といへる者の為(ため)に災(〔わ〕さわ〔い〕)をうけ、石濱(いし〔は〕ま)の城中(しやう  )に引(ひき)立られ、奸臣(かんしん)(ま)(くわり)大記(き)が憎(にく)みをうけて獄(ごく)中に繋(つな)がれ、日々責(せめ)をうけるとも、更(さら)におそるゝ色をも見せず、辛(から)くも数(す)(けつ)を送(おく)りける。然(しか)るに、茲(こゝ)に來(きた)りし舞(まひ)子、乙女(おとめ)といふ者(もの)ハ、小文(ぶん)吾のむしつを知るものから、しのひより、あやふき中をすくひいだせしか、是(これ)なん犬士の一人なる犬塚(づか)毛乃(け〔の〕)胤智(〔た〕ねとも)とて、智勇(ちゆふ)すぐれし美(び)少年なり。此時、「間者(かんしや)の忍(しの)びし」とて、数多(あまた)の捕(とり)手の取囲(とりかこ)むを、毛野(けの)ハ聊(いさ〔ゝ〕)かおそれもせず、八方(はつはう)(てき)を引(ひき)うけて」10オ

挿絵

小文吾毛野(けの)の両人ハ、群(むら)がりよせる捕吏(とりて)の者、きりなびかするありさまハ、人間(げん)(わざ)とハ見へざりける。されども、取(とり)まく捕吏(とりて)の者ハ、多勢(ぜい)をたのみて者ともせず、しだい/\、おつ取包(つゝ)み、「生捕(いけとり)にせん」と犇(ひしめ)きかゝる。両士ハ必死(ひつし)の勇(ゆふ)をあらはし、十方百方相当(あた)り、爰(こゝ)を先途(せんと)と死力(しり  )をつくす奮(ふん)(げき)突戦(とつせん)、さしもに猛(たけ)き捕手(とりて)(ら)、「もはや協(かな)はじ」と迯(にげ)いだすを、両士ハ辛(から)くも城(じやう)中を遁(のが)れ出(いで)、やう/\にしておちのびられたり。」10

挿絵

(かへつ)て説く、犬山道節忠与(とも)ハ、田文の地蔵堂を去つて又、白井の城兵(しやう  )に囲(かこ)まれ、必死(ひつし)の難戦(なんせん)、已に其身も危(あや)ふかりしが、忽然(こつぜん)として炎(ほのふ)(もへ)あがり、道節の姿(すかた)ハ消失(きへうせ)たりしが、是なん道節の行ふ火遁の術(じゆつ)にて、白井の城兵も驚(おどろ)きしが、此后(のち)、「勇士の」11オ

挿絵

(はづ)べき事なり」とて秘書(ひしよ)を火中に投ぜし折柄、又もや捕手のかゝりしに、忠与(たゝとも)さらにおどろかす、忽(たちま)ち四方に切靡(なび)かせぬ。此時、四犬士の集合(しうがう)して、再度(ふたゝび)寄手(よせて)を切ちらしぬ。又、姥雪(おばゆき)与四郎親子(おやこ)、曳手(ひくて)単節(ひとよ)の美女(たおやめ)まで、死(し)(ふん)を尽す戦(たゝか)ひ等(とう)、いとめざまし。又、庚(かう)(しん)山の怪談(くわいだん)を聞(きゝ)て、犬飼(かい)(げん)八、僞(にせ)一角を退(たい)治し、犬村角太郎の素生(すじやう)を知(し)り、互(たが)ひに犬士(けんし)の名(な)(のり)に及(およ)ぶ。又、犬田小文吾(こ)ハ、石濱を遁(のが)れ、毛野に別(わか)れて舩(ふね)にのり、伊豆(いづ)の舩(せん)路に猛風(もうふう)に出合(であい)、諸々(しよ/\)の島をめぐりて浪花に赴(おもむ)き、北陸(ほくろく)道に下り、越後の國苅羽(かりは)郡小千谷の里に旅寐(たびね)して、天下の形勢を伺ひありしに、同國古志郡二十村に牛闘(  あはせ)の神事あるを、「見物せん」と立出しに、名にあふ名高き祭礼なれバ、近郷の者、よりあつまり、数(す)十頭(ひき)の牛を左(さ)(いう)にわけ、之(こ)れを闘(たゝか)はしむるハ、眼覚(めざま)しくも又おそろし。然(しか)る群(むれ)ゐる牛の其中にも、一層(きは)(こ)へし大牛があれいだし、角をふり立(たて)、あたるに任(まか)せ、角にかけてハ刎(はね)のけ」12オ

挿絵

(け)立、荒(あれ)にあれたる勢(いきほ)ひに、誰とて捕ゆる者もなく、人浪立てにげ出すを、小文吾斯くと見るよりも、大手をひろげて立ふさがり、「角(つの)にかけん」と飛(とひ)かゝる、牛の角(つの)を取(と)るよと見へしが、力を込(こめ)て打据(すへ)れバ、さしもの牛も堪(こら)へえず、其場(ば)に於(おひ)て捕(とら)へられたり。

(さて)又、犬塚(つか)毛野(けの)胤智(たねとも)ハ、「父の仇(あた)たる篭(こみ)山逸東太(いつとうた)をうち取(と)らん」と、日頃(ひころ)付狙(ねら)ひ居(ゐ)しが、文明十五年の正月廾一日の明がたごろ、敵(てき)、篭(こみ)山縁連(よりつら)ハ小田原(おたはら)へ使節(しせつ)と赴(お〔も〕む)くよしを聞(き)くも、「日頃(ころ)の願(ねが)ひこの時なり」と、武蔵(むさし)の國鈴(すゝ)ケ森に待受(まちうけ)て、先共(とも)の行過(ゆきすく)る折柄(おりから)、犬坂毛野ハ踊(おと)り出(いで)、「縁連(よりつら)覚悟(かくご)に及べよ」と大喝(  くわつ)一声(せい)上ると諸共(もろとも)一刀(たう)すらりと抜放(ぬきはな)ち、切(き)つて掛(かく)れバ、供(とも)人ハ、「すハ狼藉(らうぜき)」といふよりはやく、前後からして取囲(とりかこ)むを、毛野ハ進退(しんたい)飛鳥(ひてう)(こと)く、「敵将(てきしやう)縁連(よりつら)を討取(うちとら)ん」と、鬼神(しん)の荒(あれ)たる勢(いきほ)ひにて、死(し)(ふん)の働(はたら)きすさまじく、此(この)(とき)、西(にし)の方より犬田小文吾(こ)、東の方より犬川荘(さう)助、大音声(おんしやう)に名のりかけ、無二(むに)無三に切まくる。其勇猛(ゆうまう)に当(あた)り」13オ

挿絵

(かた)く、吶(とつ)と崩(くつ)れて迯(にけ)いだすを、「得たりやおう」と犬士(けんし)の人々ます/\奮(ふん)(けき)突戦(とつせん)なすにぞ、返(かへ)し合(あは)する者も無(な)く、右(う)(はう)(さ)方に乱(みだ)れ立(たつ)。中にも篭(こみ)山逸(いつ)(とう)太ハ、しばし従者(しうしや)を指揮(しき)なしてありしが、味方(みかた)の四方に散(さん)ずるより、「斯(こ)ハ協(かな)はじ」と迯(にけ)いだすを、毛野(けの)ハ透(すか)さずおひ縋(すが)り、「縁連(よりつら)にぐる事なかれ。胤智(たねとも)尋常(しんしやう)の勝負(しやうふ)をせん」と声(こへ)かけられても、一生(しやう)懸命(けんめい)(くも)を霞(かすみ)とにげゆくにぞ、毛野(けの)ハさなから飛(とぶ)(ごと)く走(はし)り來(きた)るに、縁連(よりつら)も「最早(もはや)(のが)れぬ処なり」と大身の鑓(やり)を取(とり)のべて突(つい)てかゝるを、胤智(たねとも)ハ「心得たり」と立向ひ一上一下と戦(たゝか)ひしか、毛野(けの)か切(きり)(こむ)太刀先に、鑓(やり)の穂先(ほさき)を切折れ、たじろく処を飛(とび)かゝり、遂(つひ)に首(くび)をばあげたりける。又、扇(あふぎ)が谷(やつ)の定正(さたまさ)ハ、谷(やつ)山の伏兵(ふくへい)に「味方敗軍(はいくん)」ときくよりも、「疾(と)く援兵(えんへい)を出(いだ)さん」とせしを、忠臣河鯉(かはこひ)守之(もりゆき)これを諫(いさ)め止(とゝ)むるも聞(きか)ず。ゆへに後(のち)自害(じがい)に及(およ)ふ。又、定正(さたまさ)ハ三百余(よ)人の兵を品川に繰出(くりいだ)したるも、犬飼(かい)(けん)八、犬村大角(かく)、犬山道節(どうせつ)の三犬士が此処(こゝ)彼処(かしこ)より起(おこ)り立、獅子(しゝ)奮神(ふんじん)の勢(いきほ)ひにて、突(つき)立薙(なき)立なす程(ほど)に、定正の兵ハ」14オ

挿絵

(たま)るべき、一支(さゝ)へもなく乱(みだ)れ立をバ、定正(さだまさ)馬上(ばしやう)に立(たち)上り、声(こへ)を限(かき)りにはげませど、乱(みだ)れ立(たち)たるくせとして、踏止(ふみとゝ)まる更(さら)になし。遉(さす)がの定正も怖(おそ)れをなし、棄(すて)(むち)うちて迯(にげ)(ゆく)を、道節(とうせつ)はるかに之(これ)を見て、「敵将(てきしやう)(かなら)ず迯(にぐ)る事勿(なか)れ」と大弓(きう)に矢(や)をつかひ、切て放せハ過(あや)またず。兜(かふと)を射(ゐ)られて深手(ふかて)をうけ、あはや馬より落(おち)んとする時、河鯉(かはこひ)孝嗣(たかつぐ)に助(たす)けられ、辛(から)くも其場(ば)をおちのびたり。又、信乃(しの)ハ寡兵(くわへい)を以て五十子城(いさらごじやう)を乗取(のつと)り、金銀(きんぎん)米穀(べいこく)を分捕(ぶんどり)して、直様(すぐさま)五十子(いさらご)を立退(たちのき)、それより犬士(けんし)ハ品川を残(のこ)らず引あげたり。

(さて)また、里見(さとみ)義実(よしざね)ハ大ひに武威(ぶゐ)をふるはれ、安房(あは)上総(かづさ)こと/\く手に属(ぞく)せしが、息女(そくじよ)伏姫(ふせひめ)が終(おは)られし長禄(ちやうろく)元年より二十余(よ)(ねん)の后(のち)、始(はじ)めて冨山(とやま)に入り給(たま)ふ。され共(ども)、瀧田(たきた)の領分(れうぶん)といゝ、伏姫(ふせひめ)神霊(しんれい)の在します冨山(とやま)の事ゆへ、油断(ゆだん)せられて主従(しゆうじう)わづかに三人にて山ふかく入り」15オ

挿絵

(たま)ふ。此時、安西(あんさい)の残黨(さんとう)(たちま)ち起(おこ)り、里見(さとみ)主従(しゆうじう)を取囲(とりかこ)めバ、仮令(たとへ)、弁慶(べんけい)の勇(ゆう)、楠(くすのき)の智(ち)ありと〓(いへど)も、遁(のが)れべくとハ見へざりける。然共(しかれとも)、強氣(がうき)の義実(よしさね)なれば、自(みづか)ら太刀を抜(ぬき)かざし立向(むか)はるゝ。其折柄、不思義(ふしぎ)や忽然(ことぜん)として一人の童(どう)子相(あい)(あらは)れ、安西(あんざい)の徒(と)にうち向ひ、「汝(なん)じら鼡輩(そはい)の分(ぶん)として里見(さとみ)の家(け)に仇(あた)なす共、天理(てんり)に背(そむ)きし者ゆへに、抔(など)か天のゆるすべし。疾(と)く降参(かうさん)を為(な)さバよし、左(さ)もなき時ハ一人も残(のこ)らず討(うち)(と)らん」と、理非(りひ)を盡(つく)して説諭(ときさと)すに、安西(あんさい)の徒(と)ハ恐(おそ)れをなし、皆(みな)降伏(かうふく)して随身(すいしん)なせしハ、是(これ)(みな)、伏姫(ふせひめ)の神霊(しんれい)、童(どう)子に乗(のり)(うつ)り、斯(か)くハ言(いわ)する者なり。是なん、犬(いぬ)江新(しん)(べ)衛仁(まさし)と名のる八犬士(けんし)中第(だい)一人となる者なり。

又、蟇田(ひきた)権頭(ごんのかみ)素藤(もとふじ)といふ者、悪逆(あくぎやく)を逞(たくま)ふし、里見(さとみ)(け)に仇(あだ)する事の屡(しば/\)なるより、義実(よしさね)ハ先に」16オ

挿絵

召連(めしつれ)られし犬江新(しん)兵衛仁といふ者、君命(くんめい)を受(うけ)て館林(たてはやし)の城中(じやう  )に到(いた)り、勇威(ゆうゐ)明弁(めいべん)を以て城兵(しやうへい)を怖(おそ)れしめ、素藤(もとふじ)を生捕(いけとり)て帰りしか、義実(よしさね)仁心(しん)を以て素藤(もとふじ)をゆるし帰(かへ)せしが、素藤(もとふじ)、女僧(あま)妙椿(めうちん)の色香(いろか)に迷(まよ)ひ、又候、逆威(ぎやくゐ)を震(ふる)ひて、舘(たて)山の城(しろ)さへ奪(うば)ひかへして、里(さと)見勢を悩(な〔や〕)ますにぞ、再度、新兵衛ハ館山城(たて  じやう)に乗(のり)(こみ)、又候、素藤(もとふじ)を生(いけ)どり、尼(あま)妙椿(めうちん)を打殺(うちころ)しぬ。此尼ハ、八つ房(ふさ)の犬に乳(ちゝ)を与(あた)へし狸(たぬき)にして、因縁(いんえん)因果(ぐわ)の物語(ものかた)りハ畧(りやく)す。

扨又、「義烈(ぎれつ)(いん)殿(でん)里見(さとみ)基秀(もとひで)の追(つひ)善」ときゝ、結城(ゆふき)の家臣(かしん)長城(おさらき)枕之(まくら )助、端利(はやとし)(かた)名、衆司(しやうじ)経稜(つねかど)、根生野(ねおひの)飛雁(ひがん)太、素(もと)」17オ

挿絵

(より)抔といふ、邪奸(じやかん)を旨とす曲(くせ)者を語(かた)らひ、其上己(おの)れの弟子(でし)堅削(けんさく)なんどを手に属(つけ)て、逸匹寺(いつひきし)の住寺徳(とく)用といふ者、其勢(せい)二百五十四人、三手に別(わか)れて法場(はふじやう)をせめんとす。斯(か)くと聞(き)くより、七犬士(けんし)ハ敵(てき)を謀(はか)りて二ケ所に分れ、道節(どうせつ)、大角(かく)、毛野(けの)ハ大庵(あん)に残(のこ)り、荘(さう)介、小文吾(ご)、現(けん)八は林の中に埋伏(まいふく)し、犬塚(づか)信乃(しの)ハ蜑崎(かにさき)十郎と共に大法師(はふし)を守護(しゆご)して立退(たちの)く事に諜(しめ)し合せ、「今や来れ」と待(まち)うけたり。斯(かく)とも知らず、悪(あく)(さう)共ハ手に/\柄者(えもの)を携(たづさ)へて、一時に吶(とつ)と押(おし)寄せ乱入なすを、待(まち)(まう)けたる人々ハ、此処(こゝ)彼処(かしこ)より起(おこ)り立、前後からして切立るに、思ひもよらぬ事」18オ

挿絵

なれば、悪僧(あくさう)共ハ狼狽(うろたへ)まはり、「扨こそ備(そな)へのあると見へたり。者共油断(ゆだん)すべからず」と、茲に刄(やいば)を交(まじ)へしが、何かハ以てたまるべき。〔きり〕切なびかされて乱(みだ)れ立(たつ)をバ、里見勢ハ付入/\切立るに、悪僧(あくさう)共ハ堪(たま)り兼(かね)、右方左方に迯(にげ)まよう。又、犬塚(づか)信乃(しの)ハ大法師(はふし)を守護(しゆご)して立退、左右(まで)川の辺りにて悪僧の首領(しゆれう)徳用にいで〔あひ〕(あひ)ければ、「己(おの)れを抔(など)か遁(のが)さんや」と信乃(しの)ハ太刀を振(ふり)かざし、群(むら)〔が〕り寄(よす)る賊勢(ぞくせい)を切靡(なび)かして働(はたら)きしが、僅(わづ)かに信乃(しの)が率(ひき)ゆる者ハ十人に過(すぎ)ざるより、悪僧(あくさう)ども侮(あなと)りて、又候、押取(おつとり)(かこ)むにぞ、信乃(しの)ハ単身(たんしん)縦横(じゆうわう)して大ひに戦(たゝか)ひ、徳用(とくよう)を目掛(かけ)て切かけたれバ、「心得たり」と身かまへなし、秘術(ひしゆつ)をつくして」19オ

挿絵

(たゝか)ひしが、信乃(しの)ハ名におう飛鳥(ひてう)の如(こと)く切立る其早業(はやわざ)に、徳用(とくよう)ハ已(すで)に危(あや)ふく見へたりけれバ、群僧(ぐんさう)共ハ更(さら)に新手(あらて)の者を交(まじ)へ取囲(とりかこ)むをバ切ちらし、又もや徳用(とくよう)と戦(たゝか)ひしが、焦(いら)つて切込太刀先(さき)に、長刀(なきなた)の穂(ほ)を切おとされ驚(おどろ)く處(ところ)を手を負(をは)せしが、辛(から)くも危(あや)ふき中をも遁(のが)れぬ。また、蜑崎(あまざき)十郎ハ、強勇(がうゆふ)無双(ぶさう)の端利(はやとし)が、大軍(ぐん)に取囲(とりかこ)まれ、必死(ひつし)を究(きは)めて防(ふせ)ぎしが、衆(しゆう)(くわ)何おか敵(てき)すべき。あはや討(うた)れぬ其折柄、犬江新兵衛(しんべえ)(まさし)におひてハ、葦駄天(ゐたてん)の如(ごと)く飛(とひ)(きた)り、飛鳥(ひてう)の如(こと)き働(はたら)きに、端利(はやとし)が兵(へい)ハ切立られ、討(うた)るゝ者、其数(かず)(し)れず。

此時、仁(まさし)が同行(どうかう)したる政木(まさき)高嗣(たかつく)、石亀屋(いしかめや)次團太(じたんた)(など)といへる者、長城(おさらぎ)が兵(へい)に取囲(とりかこ)まれ、空敷(むなしく)(こゝ)に討(うた)れしが、新兵衛ハ古今(こゝん)の早業(はやはざ)なれば、深(ふか)入りなせども薄(うす)手も負(おは)ず、端利(はやとし)が兵(へい)を大半(はん)討取(と)り、悪徒(あくと)ら盡(こと〔/\〕)く平(たい)らぐ。夫(そ)れより、八犬士(はつけんし)ハ皆(みな)(あつま)り、白濱(しらはま)の無量(むりやう)延命寺(えんめいじ)に里見(さとみ)季基(すへもと)の送棺(さうくわん)を営(いとなま)る。之(これ)より妙真(めうしん)」20オ

挿絵

(ひく)手、単節(ひとよ)、犬江新兵衛(しんべえ)に再會(さいくわひ)し、里見(さとみ)父子も、八犬士が軍功(ぐんこう)を賞(しやう)せられ、重(かさね)/\恩賞(おんしやう)を与(あた)へられ、里見(さとみ)(け)、爰(こゝ)に至(いた)りて、ます/\武威(ぶゐ)を輝(かゝや)かし、大平(へい)を唱(とな)へしも、再度(ふたゝび)、鎌倉(かまくら)の合戦(かつせん)相始(はじ)まるに及(およ)んでも、一騎(き)當千(とうせん)の八犬士が智(ち)(ゆう)を揮(ふる)つて衆敵(しゆうてき)を破(やぶ)るにぞ、遠近(えんきん)の諸侯(しよこう)(たれ)あつて敵對(てきたふ)者なきに至(いた)る。之(こ)れより、里見(さとみ)義実(よしざね)の勢(いきほ)ひます/\に揮(ふる)ひ、安房(あは)、上総(かつさ)一円(えん)を領(れう)して栄(さか)へたりけるとなん。

【後ろ表紙】

挿絵


#「明治期合巻『里見八犬傳』―解題と翻刻―
#「人文研究」第41号(千葉大学文学部、2012年3月)所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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