読本に於ける挿絵の位相

高 木  元 


近世期に於ける大衆小説の大半は〈絵入本〉として出板された。この本文に挿絵が添えられるという現象は日本における文学メディアの伝統であり、その顕著な特徴でもある。

古くから写本で伝来した『源氏物語』も、成立後の早い時期に絵心のある者に拠り、それぞれの場面に即した絵画が添えられて絵巻としても流布した。さらに十七世紀以降、製版本に拠る出板が普及し始めても『徒然草』などの古典は、後人の手に拠って挿絵が加えられた絵入本として陸続と出し継がれることになる。

一方、中世の勧進比丘尼等に拠って担われた〈絵解き〉は、文字の代わりに絵画を主体にして分かりにくい話柄を易しく解明かす〈語りもの〉であった。この絵解きの流れを汲んだものと想像される〈草双紙〉は、画工 (浮世絵師)が挿絵を描き、その透き間に画工自らが本文を書込んだことから始まったもので、全丁絵入で挿画と本文(詞書き)とが渾然一体となったものである。この大衆小説を代表する草双紙というジャンルは、赤本に始まり青本、黒本、黄表紙と、本としての装いを変化させながら近世期を通じて刊行され続けることになる。後に作者が画稿(下絵)を描き、画工は作者の画稿に基づいて清書するという分業制が確立し、化政期の合巻になると美麗な重摺りを施した錦絵風摺付表紙に序と口絵とを備えるようになる▼1

近代になってからの「文字だけの本が高尚なもので絵解き本(絵本・漫画)は低俗だ」という価値観から見れば、近世期の絵入本は一般向きの低俗な本であるということになろうか。何れにしても近世の大衆小説のうち絵入ではない本を探す方がはるかに困難であろう。  

ところで〈読本〉は近世文芸の中で一番格調の高いジャンルであった。式亭三馬は

読本(よみほん)ハ上菓子(じやうくわし)にて。草双紙(くさざうし)ハ駄菓子(だくわし)

(『昔唄花街始』跋)
と記しているが、馬琴が

文を旨として一巻にさし画一二張ある冊子は必読むへき物なれは画本に対(ムカ)へてよみ本といひならはしたり

(『近世物之本江戸作者部類』)

と記すように、読本とは絵本(画本)に対する謂いとして認識されていたようだ。ここで注意すべきは「一巻に挿絵一二丁ある冊子」を読本と唱えた点である。すなわち、読本とは本来的に絵入本なのであった。

『増補浮世絵類考』の葛飾為一(北齋)の項に

繍像読本の差画を多く画きて世に賞せられ、絵入読本此人よりひらけたり。(此頃画入よみ本世に流行す。画法草双紙に似よらぬを以て貴しとす、読本画とて別派とす。)

とあり、また三馬は

すべておこなはるゝよみ本を見るに、おほかたは絵の多きをめでてもとむる事とはなりぬ。

(『おとぎものがたり』伏禀(こうじやう)

と記す。つまり、読本は読む本であるにもかかわらず、挿絵の評判がその売上げを左右したのである▼2

さらに、馬琴は

よく見る人ハ、画ハないがよしと申も稀にハ御座候へども、かし本や抔ハ画を第一にして彼是申候よし。世上大かた、画を見て本文をよく見ぬが多しと見え候。(中略)画がなくて行れ候物ならバよいと、とし来京伝抔在世の折、申出候事に御座候。

(天保三年十二月八日、桂窓宛書翰)

といいながら、自作の稿本には画工に対する細かい指示をしており、とりわけ『南総里見八犬伝』では「文外の画、画中の文」(第二集巻二)など述べ、作品鑑賞には画文が相互に不可分な存在であるとも主張している。
 

そこで、本稿では読本の版式に着目することに拠って、口絵や挿絵の位相を具体的に検証しつつ、末期中本型読本と見做せる〈切附本〉や〈艶本〉などを含めた広義の読本の挿絵について考えてみたい。  

所謂〈前期読本〉とは十八世紀における上方出来の短編怪奇談集のことであるが、その濫觴となった都賀庭鐘『古今奇談英草紙(はなぶさそうし)(寛延二年九月)以降、半紙本5巻5冊に8話を収録するのが定型と成った。『英草紙』の場合、口絵は備わらず各巻に見開3図の挿絵が入れられている。具体的に挿絵の丁数が本文に占める割合を見るに▼3、巻一は16丁、巻二は26丁、巻三は21丁、巻四は22.5丁、巻五が16.5丁であり、序や目録などを除いた本文の総計は102丁であるから、各巻に3丁ずつ入れられた挿絵の割合(以下挿絵率は14.7%となる。同じく庭鐘の『古今奇談繁野話(しげ/\やわ)(明和三年正月)は5巻編成ながら巻五が上下に分冊された6冊で、96.5丁中17丁の挿絵を備えているので17.6%、同『古今奇談莠句冊(ひつじぐさ)(天明六年正月)は105丁中15丁が挿絵で14.2%となる。また、前期読本の代表作でもある剪枝畸人(秋成)『雨月物語』(安永五年四月)は本文86丁中10丁で11.6%という具合である。

これらの所謂前期読本が地味な縹色無地表紙を持ち、口絵を備えずに1冊あたり2〜3丁の挿絵が入れられている点などは、浮世草子の装丁を継承したものと考えられるが、挿絵率十数パーセント程度の本であるということになる。

ただ、版式からも内容からも前期読本とは見做せない吸露庵綾足『本朝水滸伝』(明和十年正月)▼4などは、縹色無地表紙を持つ大本10巻9冊であり、挿絵が各冊1〜2丁で挿絵率も4.8%に過ぎない。

また十八世紀における江戸出来の怪奇談短編集(5巻5冊)にも、前期読本の流れを汲んだ体裁を持ったものが少なくない。清凉井蘇来『怪異夜話』(天明三年秋)は79丁中に10丁の挿絵があり、挿絵率は12.7%、反故齋『怪異前席夜話』(寛政二年正月)は67.5丁中10丁で14.8%、十返舎一九『深窓奇談』(享和二年正月)は70.5丁中に10丁で14.2%という按配で、概ね各冊2丁程度の挿絵がある▼5

一方、所謂〈後期読本〉とは江戸出来の中長編稗史小説のことであるが、特に十九世紀になってから江戸の板元に拠って刊行された江戸作者の読本を〈江戸読本〉と呼び、その初作は山東京伝『忠臣水滸伝』前編(寛政十一年十一月)5巻5冊である。本書は繍像(口絵)4丁を備え、本文89.5丁中10丁の挿絵を持ち挿絵率は11.1%。しかし、後編(享和元年十一月)になると、口絵は10丁にも及ぶが、何故か本文85丁中に挿絵が1丁もなくなる。本文の書記法も変化しており前後編の差異については検討の余地が残されているが、何れにしても特異な版式である。

尤も、基本的に江戸板である〈中本型読本〉▼6のうち初期のテキストである『女敵討記念文箱』(天明三年三月)3巻合1冊や、馬琴『高尾船字文』(寛政八年)5巻5冊、振鷺亭『芳礼綿助手柄談(はうれいわたすけてからはなし)(寛政期カ)1巻1冊などは、口絵のみで挿絵を持たない。文化期に入り版式が安定してからのものは、序と口絵目録を備えるようになる。感和亭鬼武『〈奇児|酬怨〉桜池由来』(文化三年正月)3巻4冊は、本文83丁のうち挿絵が18丁で挿絵率は21.7%。馬琴『〈孤館|記伝〉敵討枕石夜話(しんせきやわ)(文化五年正月)2巻2冊は51丁中12丁で23.5%、小枝繁『〈於无女|粂助伝〉高野薙髪刀(かうやかみそり) (文化五年正月)2巻2冊は64丁中10丁で15.6%という具合である。

一方、江戸読本の版式が概ね定型化する文化四年以降には、初巻の巻頭には見返や序や目録とともに、時に重摺りが用いられた美麗な口絵数葉を備えるようになる。1巻(概ね1冊)あたり5丁程度の挿絵が入れられた全5巻(3巻)が標準となる。具体的には談洲楼焉馬『忠孝潮来府志』(文化六年正月)5巻5冊が各巻5丁の挿絵を備え、本文100.5丁中の挿絵25丁で挿絵率24.9%となっており、この時期の江戸読本の平均的な割合だと思われる。

ここで問題にしなければならないのは、「絵本」を冠した表題を持つ読本の一群である。〈絵本もの読本〉は一般に上方板に多く、その代表的な画作者である速水春暁斎の『絵本忠臣蔵』前編(寛政十二年四月)10巻10冊は276.5丁中109.5丁の挿絵が備わり挿絵率は39.6%である。同『絵本忠臣蔵』後編(文化五年)10巻10冊も248丁中86丁で34.7%で、同時期の江戸読本に比してかなり挿絵率が高い。

一方、江戸板にも「絵本」を冠する表題を持つ読本が少なくない。高井蘭山『絵本三国妖婦伝』上編(享和三年正月)5巻5冊は92丁中33丁で35.9%、『絵本三国妖婦伝』中編(享和四年正月)は83丁中35丁で42.2%、『絵本三国妖婦伝』下編(文化二年正月)は81.5丁中35丁で42.9%となっている。小枝繁『絵本東嫩錦』(文化二年正月)5巻5冊は、上方読本風の版式▼7であるが99.5丁中30丁で挿絵率は30.2%である。以下、具体例を挙げる余裕がないが、総じて『〈春宵|奇譚〉絵本璧落穂』や『〈絵本|敵討〉待山話』など文化期の「絵本」を表題とする江戸読本は、上方板の絵本もの読本である『絵本合邦辻』(35.9%)『絵本沈香亭』(35.6%)などと同程度に高い挿絵率を保有しているのである▼8

さらに、振鷺亭『俊徳麻呂謡曲演義』(文化五年冬月)の岡田茂兵衛板の後印本外題は『絵本俊徳丸』となっており、後印の際に「絵本」を冠する標題に変更されたものも少なくなかった。この現象も「絵本」を標榜することの貸本屋に於ける営業上の意味を暗示していると考えられる。

しかし、文政期以降、江戸読本が長編化していくと総じて挿絵率は低下するようである。馬琴『朝夷巡島記』初〜六輯(文化一二年〜文政一〇年)各5巻5冊や、春水『絵本漢楚軍談』初輯(天保一四年正月)10巻10冊では、ほぼ各巻3丁ずつとなっている。  

以上、読本の版式、とりわけ挿絵率の比較を通じて読本史に関する一問題を瞥見してきたが、読本における挿絵の位相が想像以上に大きいものであることが認識できる。と同時に、造本様式(挿絵率)は、前期読本と後期読本という観点からでは見出せない問題を顕在化した。怪奇談を扱う江戸読本が前期読本と同様の版式を持っていることから、短編怪奇談集の位置付けを見極めることや、多くの「絵本」を題名に冠する江戸読本と、上方板の絵本もの読本との比較検討が緊要であると考えられる。また、中本型読本における挿絵率は文化期の江戸読本と有意差がないことから、単に草双紙に近い軽い内容の読本という従来の説明では不十分であるという問題をも提起している。  

最後に、挿絵に見られる引用と典拠について〈画題〉という観点から触れてみたい。

『南総里見八犬伝』第二集(巻二第十三回)の伏姫の腹から霊玉が飛散する場面は、有名な水滸伝に基づく図柄であるが、『忠臣水滸伝』や『新編水滸画伝』の挿絵と比較すると奇妙なことに気がつく。飛散する胎児(?)がボカシ上げの薄墨の中に白抜きされて描かれているのである。稿本は残存していないが、間違いなく馬琴の画稿に従って描かれたものだと思われる。

ところが『八犬伝』を抄録した草双紙『雪梅芳譚犬の草紙』四編下冊(15ウ16オ)や浄瑠璃本『八犬義士誉勇猛』上冊(8ウ9オ)

切附本『義勇八犬伝』(14ウ15オ)

などでは飛散する玉(星)が描かれているのである▼9

『八犬伝』が典拠とした『水滸伝』のイメージが強かったせいであろうか。

石川秀巳氏は『通俗忠義水滸伝』上編口絵「公孫勝」の図柄を、馬琴が意識的に『高尾船字文』巻之二口絵「仁木左衛門道則」や『八犬伝』第三輯巻四「名刀美女の存亡忠義節操の環會」(25ウ26オ)に用いていると指摘されているが▼10、斯様な画像イメージを典拠として用いるという方法を意識することは、挿絵を読む場合に不可欠なことである。

『八犬伝』のみならず良く見かける〈仔牛に跨った笛を吹く少年〉という画題(イメージ)も、当然『水滸伝』に由来するものであることを知らずに近世文芸を良く読むことは難しい。  

読本の挿絵にも典拠がある場合が少なくないが、意図的な引用や抄録本にも注意すべきであろう。末期の中本型読本である切附本は既成のテキストの抄録を主眼としたジャンルであるが、本文の切り貼りと同時に挿絵の流用も多い。前出の『英名八犬士』は〈抄録家〉である鈍亭魯文に拠るものであるが、魯文は習作期に多くの艶本を書いている▼11。 とりわけ『星月夜吾妻源氏』(初編)▼12 は柳亭種彦の合巻『偐紫田舎源氏』(初二編)を翻案したもので、表紙の意匠や口絵・挿絵なども典拠の構図を踏まえている。表紙の白地に黄と褐色の小片を金砂子風に多数散らして空摺りで無数の横皺を施して檀紙の風趣に擬えている点まで利用しているのである。口絵や挿絵も明らかに原本を踏まえて二図を折り返した図柄にしたり、二場面の挿絵を一図にまとめたりしている。さらに、対応する登場人物の着ている着物の意匠までも『偐紫』と同様にしてあり、その手の細かさに驚かされる。


図1,2『偐紫田舎源氏』二編(13ウ14オ)(12ウ13オ)

図3『星月夜吾妻源氏』初編(36ウ37オ)


与えられた紙数が竭きてしまったが、読本の版式とりわけ挿絵をめぐる問題に関しては未開拓の分野が多く、本文テキストの読解以上に困難が予想されるが、造本様式や挿絵から組み立てる読本史の可能性を強調しておきたい▼13

〔注〕
▼1 これは読本の造本様式(版式)からの影響だといわれている。ちなみに本稿では草双紙を〈絵本〉とは呼ばない。挿絵に狂歌や賛を加えたものや一枚摺の錦絵など、一貫した筋を持たないものを絵本としておく。ただし「絵本」を冠した題名を持つ一群の読本があり、これについては後述する。
▼2 江戸読本における挿絵の重要性については、早くに鈴木重三「馬琴読本の挿絵と画家」(『絵本と浮世絵』、美術出版社)が指摘している。
▼3 見開き一図を1丁と勘定し、半丁の場合は0.5丁とした。
▼4 刊記には江戸と大坂の板元が一件ずつ加わっているが八軒の相板本は京都書林であり、見返に「京師書林發行」と見える。
▼5 これら宝暦期から享和に掛けての十八世紀後半に刊行された怪談奇談集や情話的な主題を持つテキストは、純粋な上方板『〈近世|正説〉会談浅間が嶽』(天明五年正月)や、江戸出来でありながら京阪の板元との相合板『〈近世|奇説〉怪異新書』(文化二年正月)など、必ずしも江戸出来の江戸作者による〈江戸読本〉ではない。したがって〈初期江戸読本〉として括るのではなく、飯倉洋一氏が説かれる如く、前期読本から後期読本への過渡的な形態として十八世紀から十九世紀初頭に見られる〈怪談奇談集〉として整理するのが有効であると思われる。
▼6 中本型読本とは近代になって研究者が定義して用いるようになった文学史用語(テクニカルターム)で、半紙本読本と比較して〈世話もの〉が多いことが指摘されている。近世期の人々(作者板元読者等)にとっては、他の中本サイズの諸ジャンル(洒落本や滑稽本人情本など)との明確な区別の意識はなく、単に「中本」と呼んでいたものと思われる。拙編「中本型読本書目年表稿」は中本サイズの読本風の版式を備えるテキストを管見の範囲で広く列挙したに過ぎない。当時の作者や読者の意向を越え、いたずらに精緻なジャンル分類をすることに何等学問的な意義を見出し得ていないので、拙稿で取り上げた一編を論って「該書は読本ではなく洒落本だ」という批判は意味を持たない。
▼7 目録に顕著な特徴が見られ「……事」という実録風の見出しを持つ。また、挿絵に書込まれている説明を挿絵目録として備える場合もある。と同時に、本文が裏丁から始まるものも散見する。
▼8 実録や古典の絵解き風のテキストが多い上方読本に比して、江戸読本の場合は必ずしも実録種ではないようであるが、詳細な検討に関しては後日を期したい。
▼9 草双紙『かなよみ八犬伝』三編上冊(8ウ9オ)と袋入本『英名八犬士』初編(25ウ26オ)下図
だけは原『八犬伝』と同様に胎児(?)として描かれている。なお、八犬伝ものの流転については高木元「八犬伝の後裔(『日本のことばと文化 ―日本と中国の日本文化研究の接点―』溪水社、2009年10月)参照。
▼10 石川秀巳「〈江戸の水滸伝〉としての『南総里見八犬伝』」(「アジア遊学」131「『水滸伝』の衝撃」、2010年3月、勉誠出版)参照。
▼11 高木元「魯文の艶本(「国文学研究資料館紀要 文学研究篇」第35号、2009年2月)参照。
▼12 現在、架蔵する魯文の艶本と切附本すべては立命館大学アートリサーチセンターのサイトで全丁の画像が公開されている。所蔵者「高木元」で検索していただきたい。また、同サイトの石上阿希編「近世艶本総合データベース」も有用である。
▼13 そのためには基礎的な書誌調査が不可欠であり、目下進行中の「読本出板書目年表」を Wiki として公開予定であるので、大方のご批正をお願いしたい。

〔たかぎげん 千葉大学教授〕



#「読本に於ける挿絵の位相」
#「國文學 解釈と鑑賞」951 (第75巻8号、2010年8月)所収
# Web版では字体や表記レイアウト等を変更してあります。
#  2011年6月補訂 マルケ氏より『英草紙』挿絵率の錯誤を指摘され訂した。マルケ氏に感謝します。
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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