『江戸読本の研究』第四章 江戸読本の周辺

第一節 読本の校合 −板本の象嵌跡−
高 木  元 

  一 はじめに

読本とは板本として出板されて流布した近世小説における一文芸様式の謂いである。したがって写本として流布した作品群とは、おのずから別の位相を備えているはずである▼1

この板本と写本との差異は、テキストと作者や読者との距離として計測可能である。まず読者の側から見ると、写本の読者たちは本文を読むのみならず、由緒正しい本文を校合という作業によって仮想化していく試みをしたり、逆に勝手な本文の改稿も可能であった。つまり作者と読者との立場が未分化な状態での享受が可能なのであった。そのいずれにしても、限定的な範囲の人に向けた新たな異本の作成にほかならない▼2。ところが板本の読者に許されているのは、定稿化された本文を読むことだけである。

一方作者の側から見ると、写本である限りは未定稿として放っておくことができ、気が向けばいつでも推敲を続けることが可能であった。また求められれば特定の相手に向けた異本を作成して与えることもあったろう。ところが板本として上梓する場合は、ある日限までに不特定多数の読者たちへ向けた定稿を作り上げる必要があり、一旦出板されてしまえば、作者の手による改訂はまず不可能であった▼3

このような板本と写本との差異は、大半の板本が商品として出板されたことに起因して生じたものと考えられ、作者の書く意識にも大きな相違をもたらしたはずである。板本が少なからざる先行投資を必要とする商品である以上、作者は必ずしも書きたいことを思い通りには書けなかったはずだし、何よりも板元の意向として売れる内容が要求されたからである▼4

つまり印刷という複製技術の導入が促した写本から板本へという変化は、常に定稿を求められる作者と、大多数の単に読むだけの読者とを、明確に別の立場として分節化させ、その一方で商品としての本を流通させる機構の発展を促すことになるのであった。

  二 『繁野話』の場合

いま写本の問題は措くとして、板本の制作過程と作者との関わりについて考えてみたい。写本と違って板本は制作工程に複数の人間が関与するために、筆耕の誤写や彫師の彫り損ないなど、作者の与り知らぬところで、さまざまの間違いが生じる。そこで何度かの校合を経てから、最終的に印刷製本されることになるのである。これらの修正は、板木の該当部分を削って新たに彫り直した板木を象嵌(入木)することによって行なわれた。

板本を手にして読んでいると、ところどころで明らかに象嵌したとわかる部分が見付かることがある▼5。刊記などに入木跡がある場合は神経質になるのであるが、板本の本文には異同がほとんどないという先入観からか、本文の吟味は比較的等閑視されてきた気がする。しかし、これらの修正には注意を要する場合がある。一つには作者の改稿であり、もう一つは検閲による修正である▼6

そこで板本制作の最終過程で行なわれる校合についての資料として、天理図書館に所蔵されている『古今奇談繁野話』の校合本(913.651イ41)について具体的に見ていきたい。まず書誌を記しておく。

巻冊 半紙本5巻(巻5は上下)合1冊
表紙 後補狐色表紙(唐花亀甲繋)
題簽 左肩「奇話 全[艸+繁]」(墨書)
刊記
   明和三丙戌年正月刊
    江戸 通本町三丁目  西村源六
    大坂 心斎橋筋順慶町 柏原清右衛門
       南新町壱丁目  菊屋惣兵衛

どうやら校合本を貸本屋本として使っていた本らしく、口ノ1オに「本定」(黒印)とあり、いたずら書きが多い。全丁に入紙し、天を2糎ほど截ったようで、校合の書き入れ(朱と墨)の上部が切れており、ほぼ全丁表左肩に「本屋」という3糎ほどの丸黒印が押してある。また巻5上4オの挿画の脇に「桂雪典圖[眉仙]」とある▼7。なお巻5下の3〜4丁目が落丁している。

以下、丁数行数・上部余白に朱筆(一部墨)で記された指示内容・校合本→板本という順に示す。なお不明箇所は〜で示し、推読箇所は〈 〉で括り、補足事項は「*」印の下に示した。

巻一
口一オ7・〈にこり〉さす・過(よき)る→過(よぎ)
口二オ1・〜りさす・月(つき)→月(づき)
   3・〈けう〉ぎ・侠妓(けんぎ)→侠妓(けうぎ)
   5・〜りさす・軍機(くんき)→軍機(ぐんき)
   7・〜うちて〜べし・[巾+意]談→憶談
     *心偏に訂正
 一オ4・〜り〈取〉へし・遺地(いぢ)→遺地(いち)
   9・〈あ〉たま取へし・染て→染て  *上に突き出た部分を削除
   11・にこりさす・五層(こさう)→五層(ごさう)
 一ウ5・けう・興→興(けう)
   10・〜りさす・つゝ→づゝ
 二オ9・〜・人望(しんばう)→人望(じんばう)
 三オ2・〈わ〉がひ・我日→我日(わがひ)
   4・にこりさす・山かつら→山かづら
   7・〜り〈取〉へし・害(がい)す→害(かい)
 五オ2・〜ごりさす・露はかり→露ばかり
 五ウ11・〜りさす・あらされば→あらざれば
 六オ5・〜りさす・名つけ→名づけ
 六ウ4・さす・指→指(さす)
   9・〜へし・害(がい)→害(かい)
 九オ1・〜さす・実(しつ)→実(じつ)
   5・賢・監→賢
 九ウ5・〈まぬ〉か・免れ・免(まぬか)
   10・〜りさす・されば→ざれば
 十オ1・〜ごりさす・ならさる→ならざる
 十ウ2・〜し・害(かい)し→害(がい)
十一オ3・埋(うつ)む→埋(うづ)む  *本文に朱で濁点、直っていない
   3・おぎ・荻(おき)→荻(おぎ)
   7・〜りさす・肇(はし)め→肇(はじ)
   11・〜こりさす・垢(あか)つき→垢(あか)づき
十四ウ8・にこりさす/〈じゆ〉ん・順(しゆん)→順(じゆん)  *濁点部彫り残し

巻二
 一オ3・〈取へ〉し・ひ。雄(を)→ひ雄(を)
   6・〜へし・類。矢(や)→類矢(や)
   9・〜し・郎。家(か)→郎家(か)
   10・〜へし・子(し)。雪(ゆき)→子雪(しゆき)
 一ウ3・〜し・ず。夫(おつと)→ず夫(おつと)
   8・取へし・バ。何→バ何
   8・   ・く。竃(かまど)→く竃(かまど)
   8・入れる・ん妻(め)→ん。妻(め)
 二オ5・〜・ずあ→ず。あ
 二ウ11・〜こりさす・淀(よど)→淀(よど)
 三オ2・〜・面目(めんほく)→面目(めんぼく)
 四オ  *挿絵中路傍の小石の彫り残しに朱が入っており、直っている。
 四ウ3・。・ふ妻(つま)→ふ。妻(つま)
   6・許・刀祢子(とねこ)に→刀祢子(とねこ)(もと)
   7・にこりさす・臨(のそ)み→臨(のぞ)
   12・にこりさす・けにも→げにも
 五オ5・た・他(たれ)→他(かれ)
   10・。・て誠(まこと)→て。誠(まこと)
 五ウ9・〈な〉し・日として→日となし
   9・。・ず此・ず。此
   9・〈お〉き・立よせて→立おきて
 六オ2・〈とびゆ〉く・飛行→飛行(とびゆく)
   8・〜こりさす・ちり問ふ→ぢり問ふ
 八ウ10・〈ざ〉き・崎(たき)→崎(ざき)
 九オ6・〜こりさす・のかれ→のがれ
   8・〈きうし〉ん・舊臣→舊臣(きうしん)  *振仮名部に貼紙存
 十ウ2・〜をとらは〈取〉へし・徒(つき)て→従(つき)
     *突出部を削る
   11・〈せん〉りよ・千慮→千慮(せんりよ)
   12・ ・姓→姓(せい)
十一オ2・ ・根→根(ね)
   3・〜りさす・さし→ざし
十一ウ9・〜りさす・談者(たんしや)→談者(だんしや)
十六オ4・〈い〉ちぶん・一分→一分(いちぶん)
十七オ2・〈いか〉ん・如(い)何→如何(いかん)
十七ウ5・ける・?
   8・〜の/たり也・傳(つた)ん→傳(つた)

巻三
 一オ3・〜へし・鬼神(きじん)→鬼神(きしん)
   3・るい・類→類  *振仮名貼紙剥離跡存、直っていない
 一ウ2・〜かゆへ・故→ 故(かるがゆへ)
    ?・〜んべし・?
 二オ3・いた・傷(した)ハり→傷(いた)ハり
   3・〜・し→し。
   5・〜りさす・さま/\→さま%\
   11・〜・召具(めして)し→召具(めしぐ)
 三オ1・〜ごりさす・せさる→せざる
   5・〜・掌上(てのうち)→掌上(てのうへ)
 四オ  *挿絵中に朱で「〇ゆびふとくする」「〇カミ」
 四ウ1・〜こりさす・従者(すさ)→従者(ずさ)
   10・〜ごりさす・帯(おひ)→帯(おび)
 五ウ6・〜りさす・べからす→べからず
   6・取へし・ど。猟→と。猟
 六ウ2・〜ごり取へし・阿野(ぐまの)→阿野(くまの)
 七ウ8・〜りさす・成(しやう)→成(じやう)
十一オ5・〜ごりさす・山祇(やますみ)→山祇(やまずみ)
   7・〜りさす・物語(ものかたり)→物語(ものがたり)
十三オ5・〜・日日(ひひ)→日日(ひび)
十四オ7・引・引→引  *偏の上に点を加える
   9・〈に〉こり/見えるか・時(し)→時(じ)
十四ウ ?・〜りあり・?
十六オ11・見へず・少女(せうし)→少女(せうじよ)
十七オ  *挿絵中に朱で「女ノ目下より少シケヅル」とあり、矢を持つ指や袖の部分の彫り残しに朱で印が付けられている。
十七ウ1・〈げ〉ん・化現(けけん)→化現(けげん)
   11・見へるか・支(し)→支(し)
十八オ2・〜こりさす・業(こう)→業(ごう)
   3・〜さす・神通(しんつう)→神通(じんつう)
   6・とぐ・遂(どく)→遂(とぐ)
   ?・〜なり・?
   9・〜こり取へし・丈夫(ぢやうぶ)→丈夫(ぢやうふ)
二十オ3・〜・日々→日々(にち/\)
   5・〜ん・なへ→なん

巻四
 一ウ6・取へし・財帛(ざいはく)→財帛(さいはく)
   8・〜へし・男子。母→男子母
 三ウ  *挿絵中海の中にある砂など彫り残しに朱で印がある。
 四ウ2・〜のにごり取へし・渓水(たにがば)→渓水(たにがは)
   6・〜へし・と斗。云(いゝ)→と斗云(いゝ)
 六オ8・〜絹・物見→〓絹(たれきぬ)
 六ウ12・ん・大監(たいかん/やくに)→大監(たいかん/やくにん)
 七ウ  ?・〜なもの取へし・?
   9・〜こりさす・拒(こは)む→拒(こば)
 八オ7・取へし・に、合(あい)→に合(あい)
   7・ ・定め。ヘ家(いへ)→定め。家(いへ)
   7・う・丹二(たじ)→丹二(たうじ)
   8・〜・示(しめし)し→示(しめ)
 九オ1・び・竊候(しのと)→竊候(しのび)
 十オ  *挿絵中に朱で「〇ヒゲ取」とあり、左端の男の髭に印がある。
 十ウ1・〜し・に。待・に待
   11・鱗・眉鮮王→眉鱗王
十一ウ7・行・引べき→行べき
十二オ9・りて・さがり→さがりて
十四ウ  *上に「〜のしるし」とある。
十五ウ8・ごとし・かことじ→がごとし
十六オ10・〜りさす・さる→ざる
十七ウ尾・終・四巻■→四巻終

巻五上
 四オ  *挿絵左下隅に墨で「桂雪典圖[眉仙]」とあるが、板本には見えない。
 五オ4・〜りさす・直(しき)→直(じき)
   11・〜なし・■出さず→出さず  *彫残しを削る
 五ウ9・〜・空(ただ)→空(むだ)
   12・〜取べし・我(われハ)に→我に
 六オ4・〈あ〉たま取へし・乏しこと→乏しと
 六ウ2・〜りさす・わひしけに→わびしげに
   12・かへ・辺(とう)し→辺(かへ)
 七ウ2・〜?・財→財(さい)
   5・〜づく・憤(ふつく)→憤(ふづく)
   9・〜?・川下→川下(かわしも)
 八ウ  *挿絵上部に朱で「〜をし〜にて」、挿絵中男の両目の下に朱。
十一オ1・〜だけ・棄却(たあけ)→棄却(あだけ)
   2・底(そこ)・底→底(そこ)
   7・〜・為重(ためかす)→為重(ためかず)
十一ウ1・〜・當時(たうし)→當時(たうじ)
十二オ1・しで・仕出(して)→仕出(しで)

巻五下
 一オ4・〜・宿(とま)り→宿り
 一ウ1・〜へし・で→て
   2・もの・親の→もの
   2・〜取へし・至(いた)。る→至(いた)
   3・[人+尓](なんぢ)・〓→[人+尓]  *本文中に朱で「つめ取べし」とある。
   4・〜ごりさす・偶(あいた)→偶(あいだ)
   9・〜りさす・は→ば
   9・〜り取へし・為(だめ)→為(ため)
 二オ12・〜ひ・應承(うけかひ)→應承(うけがひ)
 二ウ11・うつ・写(つ)→写(うつ)
 五オ1・にこりさす・草紙(さうし)→草紙(さうし)  *「ざ」に直ってない
   6・〜り取へし・二層(ぞう)→二層(そう)
   9・にこりさす・小合(せうかう/こばこ)→小合(せうがう/こばこ)
 五ウ1・〜ごりさす・出せは→出せば
   6・まじ・まし→まじ
   6・〜・まじ。・そ→まじ。そ  *本文中に朱で「□□取へし」とある。
 六オ2・ 〜 志(〜ろざし) ・志→志(こゝろざし)
 六ウ3・〜・言→言(いゝ)
 10・〜・惑(まと)ふ→惑(まど)
 七ウ7・〜づかたも/〜や・宇佐美(うさみ)→九宇佐美(うさみ)
 八オ  ? ・〜かな・?
 八ウ6・にこりさす・信(つれ)→信(づれ)
 九ウ  *挿絵上部に朱で「〜か/ことし」とある。
十一オ3・〜・利貞→利貞(としさだ)
十一ウ12・〈に〉こりに/なをすへし・に。そ→にぞ
十二ウ12・〜くる・助(たすけ)→助(たすくる)
十三オ11・〜・たゝ・しく→たゝしく  *本文中に朱で「取へし」とある。
十三ウ2・と・對陣すりて→對陣とりて
十四ウ10・〜いさくはたへ/つけべし・四方かくれ→四方ニかくれ
十五オ1・にごりさす・しらさて→しらさで
十五ウ  *挿絵上部に朱で「〜の/ことし」
十六ウ1・得ず/にこりさす・得す→得ず
十七オ9・〜・偽引(をひく)・偽引(をびく)
   12・にごりさす・擧(あけ)て→擧(あげ)
十七ウ3・會(あひ)・〓→會(あひ)
   4・〜りさす・肌具(はたく)→肌具(はだぐ)
   4・   ご・堅固(けんこ)→堅固(けんご)
   4・だいが・臺尻(たいしり)か→臺尻(だいしり)
   8・〜・立しと→立じと
   9・ひらき・ひゝき→ひらき

以上の書き抜きに一瞥を加えてわかることは、校合という作業が推敲(書き換え)ではなく、濁点の有無、仮名遣い、句読点、誤刻などの訂正に留まっていることである▼8。その訂正の仕方は、「害」の振仮名「がい」を徹底して「かい」に直すなど、反切に基づいて細かく注意が払われたものである▼9。また訂正の朱筆は本文のみならず、挿絵中の彫り残しを削る指示にまで及んでいる。これらのことから、この校合が作者の手によるものと判断してよいように思う。ただ校合本には、すでに入木されていると思われる部分も見られ、事前に内校がなされたものなのか、それとも初校の校合本ではないのか判然としない。つまり当時は一般的に何回の校合が行なわれたのかもわからないのであるが、板本と比較をしてみた限りでは、この校合本が最終校であったものと思われる。

一方、技術的な側面から見ると、錦絵に見られるような、ほとんど痕跡を留めることなく象嵌を施す技術がすでに存在しながら、本文の入木に関しては、かなり雑な作業を行なったとしか思えない。もちろん匡郭際の濁点の入木などには非常に細かい作業を要したことは確かであるが、大部分が一目で入木とわかるからである。

  三 『雨月物語』の場合

さて、本文の象嵌跡が問題となる作品として安永五〈1776〉年刊の『雨月物語』がある。序文の年記が明和五〈1768〉年であることから、刊記との8年間のずれと成立時期をめぐって未解決の問題が残されている。いま、『雨月物語』の入木跡と思われる箇所を検討することによって、改めてこの問題を考えてみたい。

現在に至るまで、最終稿ができたのは「安永五年、もしくはそれを隔ることのあまり遠くない以前」という重友毅氏の説が定説となっているようである▼10

……すなわちそれは、『雨月』の最初の稿がひとまずこの年にでき上ったことを意味するものであり、それを書肆の手に渡したというのも、単に作者の予定であったに過ぎないものを、一般序文の形式に従っていいあらわしたにとどまる。そして推敲癖のある作者は、その後数年にわたり、最初の稿にかなりの筆を加えながらも、なおかつその刊行に際しては、これを記念する意味で当初の年月をそのままにしておいたのであろう。と同時に、彼が競争相手として、その生涯を通じて敵愾心を捨て得なかった建部綾足の『西山物語』が、同じ明和五年の二月に刊行せられていたことに対する気持の拘泥が、その負けじ魂を刺戟して、あくまでも最初の稿成るの日を、そこに固執せしめたとも考えられるのである。

まず「推敲癖」というのが気になる。秋成がどのような癖を持っていようと、前述の通り板本には定稿が要求されるものである。かつ板本の出板には少なからぬ先行投資が必要とされたのであるから、常識的に考えれば板木を彫ってからの推敲は考えにくいし、まして板木のままで八年間も寝かしておくなどということは、まずありえないことだと思われる。また重友氏一流の修辞ではあるが、「敵愾心」やら「負けじ魂」やらで文学史を記述していく方法にも問題がある▼11
 ところが、中村幸彦氏が、

明和五年三月の序と、刊年の間八年の長きも、秋成の年譜を繙いて、国学に専念し、生計のために医を学び、居を転じ、実生活にも精神生活にも大いに変化のあったことを思えば、おくれたのも首肯できる。かえって、宇万伎門や庭鐘塾での教養はこの作品には幸して、頭注に示すごとく、おびただしい古典から、一文一語を得るごとに使用され、板本につけば出版直前まで入木訂正の跡も生々しく、推敲が重ねられたのである。

という通り▼12、『雨月物語』の板面は、1行が左右に蛇行していたり、一部の字が歪んでいたり、文字の大きさや太さが不揃いであるなど、一見した印象だけでも随分と汚い。京大本など保存のよい初印本を見ても墨付の違いや摺りむらが多く、入木箇所の判断に苦しむ場合が多い。もっとも、入木箇所の判断には、国会図書館に蔵する1本のように、小口が破損していて袋綴の裏側から見られる後印本が便利である。ただし、『雨月物語』には板木はもちろん稿本や校合本の所在が知られていないため、確実なことは明らかにできない。疑い出せばきりがないほどの疑問箇所が出てくるのであるが、ここでは入木跡である蓋然性が高いと判断した箇所に限って挙げてみることにする▼13

以下、丁数・行数・入木と思われる箇所を順に挙げ、振仮名の場合は括弧で括った上で「*」の下に該当する漢字を示した▼14

巻之一
 一ウ6・たる所に。土(つち)
 二ウ7・新院
   11・隔生(きやくしやう)
   11・佛果(ぶつくは)
   12・新院
 三オ1・近
   1・魔(ま)
   5・聡明(さうめい)乃聞えましませば。
   5・王道(わうたう)のことわりハあ
   11・體(とし)
   12・體(とし)
 四ウ1・皇子(みこ)の重(しげ)
   2・美福門院(びふくもんいん)が妬(ねた)
 五オ3・(きミ) *王
   9・本朝
   10・王道(わうだう)
   10・王(わ) *王仁(わに)の王
 五ウ6・天照すおほん神乃開闢(はつぐに)
 六ウ3・なるとも
   9・少納言(せうなごん)信西(しんせい)
 七オ3・して。恨をはるかさんと。一すぢにお
 七ウ4・信西(しんせい)
   4・を博士(はかせ)
   6・(あな) *坑
 八オ12・魔王
 八ウ6・敵(ども)
 九ウ7・青々(せい/\)たる春乃
 十オ1・孟(もう)
   3・里
   6・里
十一オ2・愛憐(あはれミ)
   9・赤穴(あかな)
十一ウ3・三沢(ミざは)三刀屋(ミとや)
   12・赤穴(あかな)も諸子(しよし)百家(ひやくか)
   12・わきまふる
十二オ3・赤穴(あかな)
十二ウ2・赤穴(あかな)親子(おやこ)
   5・赤穴(あかな)
   7・赤穴(あかな)
   10・赤穴(あかな)
十三オ3・赤穴
十四オ2・赤穴宗
   4・南
   7・赤穴
   9・赤穴
   11・赤穴
十五ウ2・霊(たま)
   4・赤穴
   6・赤穴(あかな)
十六オ7・見え
   12・赤穴(あかな)
十七オ2・赤穴(あかな)ハ一生を
   6・(あさ) *旦
   10・赤穴丹
   11・丹
十七ウ1・(ふうき) *富貴
   3・(まな) *斈
   8・(きさい) *竒才
   12・(がい) *害
十八オ4・(おも) *重
   5・(こつにく) *骨肉
   7・(まじ) *交
   7・(ひそか) *私
   10・(おも) *重
十八ウ2・咨(あゝ)

巻之二
 一オ4・(ぬし) *主
   4・(ゆたか) *豊
 一ウ2・(かへ) *代
   2・(かい) *買
   4・ゑ
   4・(おろか) *愚
   6・(ゆみすゑ) *弓末
 二オ1・(あつ) *東(ま)を除く
   3・(うへすぎ) *上〓
   4・(ミかた) *味方
   5・(いくさひと) *軍民
   6・(あす) *明
   6・(おち) *東
   8・(まて) *待
   8・(おつと) *夫
 二ウ3・(ミやぎ) *宮木
   5・(ひとり) *一人
   7・(しやう) *上
   7・(ぬしとう) *主。東
   7・(つね) *常
   8・下野
 四ウ3・き
   6・(なほ) *直
   7・(まじハ) *交
   8・(こだ) *児玉(ま)を除く
   8・と
   12・魄 *偏(白)の部分だけ
 五オ6・(ふるさと) *古郷
 七オ10・(すで) *既
 九オ11・(なげ) *歎
十一ウ10・(うご) *動
   12・(すで) *既
十二オ1・(むつ) *睦
   10・(もり) *守
   12・止(やめ)
十二ウ1・(ぎ) *義
   3・(ぎよ) *漁
   4・(こうぎ) *興義
   4・(ぎよふ) *漁父
   5・南面(ミなミおもて)
十四オ3・(いましめ) *戒
   5・(ゑ) *餌
   7・(を) *嗚
   12・(かもり) *掃守
十四ウ3・(こうぎ) *興義
   3・て
   4・(かしハて) *鱠手
   11・(なまず) *鱠
   11・(うみ) *湖
十五オ3・(こうぎ) *興義
   3・(しん) *神

巻之三
 一オ4・(たづ) *尋
   10・(べつげう) *別業
 二オ5・(あまく) *雨具
   6・(ふけ) *更
   9・(しミ) *茂
   9・(さか) *界
 二ウ7・(ぜん) *善
   12・(すミ) *栖
 三オ12・(きめう) *竒妙
 十ウ6・(おき) *起
   6・(ふし) *臥
十五ウ8・陰陽師(をんやうじ)
   9・陰陽師
   10・陰陽師
十七ウ4・陰陽師

巻之四
 二ウ4・あはれなり
 七オ5・(いた) *徒(もの)を除く
 八オ11・(したつかさ) *下司
 九オ8・(あかた) *縣
 九ウ10・(と) *外
 十ウ10・ほ
十一オ5・(まうで) *詣
十二ウ11・(まなこ) *真女児
十三ウ2・(ばう) *坊

巻之五
 一ウ8・(つミ) *罪
 二オ10・(わらハ) *童児
   12・(ひ) *終(つ)を除く
 二ウ5・(にく) *肉
   6・(じゆ) *主
 六オ8・(ね) *子
 六ウ9・(らい) *来
 七オ5・(をしへ) *教
 八オ4・堂閣(だうかく)
   5・(こけ) *苔
 十ウ6・(ふうき) *富貴
十二オ8・お
十七ウ1・五
   1・丙申

特徴的なのは巻之1、すなわち「白峯」と「菊花の約」には大幅に象嵌した跡が認められ、それも語句の訂正が行なわれていることである。これについては、つとに中村幸彦氏の指摘が備わる。

『雨月物語』の板本は、所々に入木による改訂があって、彼の推敲のあとを明瞭にとどめている。振仮名や、仮名遣いが多く、時に文章もある中で、この「赤穴丹」「丹」の文字は入木で、人名を変えた珍しい例である。「治」のみはもとのまま。この本の出た安永五年に近づくと、秋成の国学に対する関心も高まる。『弁弁道書』の著者についての噂も聞き、既に丈部は播磨の人、赤穴宗右衛門は出雲の人とした。それらに見合せて、今まで、□□□治であったを、赤穴丹治と改めたと見てはいかがであろうか。ことは仮空人物の名前であるが、この著述で、厳しく推敲を加えた秋成を物語る一証とはなる▼15

つまり、「白峯」や「菊花の約」に関する限り、板刻が終わってから語句の訂正が行なわれたことは確かだと思われる。それも、固有名詞を含んでおり、大きな問題を孕んでいる。しかし、巻之2以下では、振仮名の訂正が大部分を占めており、前に見た『繁野話』の例から見ても、ごく普通の校合の範囲を出ていないものと判断してよい。ならば、板が彫られたのは一体いつなのか。入木跡から得られる情報は、刊記の部分の「五」「丙申」が入木されているように見えることである。さらに、2書肆の字体や配置も心なしか不揃いである。もし、「安永」の部分が元来板木に彫られていた部分だと仮定するならば、明和8、9年に集中する予告から考えて、安永初年頃の整板を想定できるかもしれない。

残念ながら入木跡の調査から『雨月物語』の成稿時期を知る確証は得られないが、高田衛氏は、

秋成は明和八年中に火災に家を焼かれている。『雨月物語』は、その前に、「序」にあるとおりに、書肆野村長兵衛に渡され、「蔵版目録」中に近刊予告されるほどに出板準備がすすんでいた。ということは、さきに渡された『雨月物語』が、初稿(草稿)ではなくて、おおむね決定稿であったと解し得よう。ただ、「序」に記す明和五年三月から、明和七年後半の出板準備までに、約二年間の歳月がある。この間に、いったん手渡された『雨月物語』の推敲があるとすればあった▼16

と、従来の定説に対して、明和5〈1768〉年に「おおむね決定稿」が書肆に渡されたとする明和5年脱稿説を提出している。前述した通り、板本にする場合には定稿が不可欠である。板刻後の推敲を前提として草稿を渡すなどということは絶対に考えられない。しかし、問題はその時期である。そもそも、近刊予告というものは企画が固まった後はいつでも可能であるから、出板準備の進行とは関係なく入稿前に出されることも充分に考えられる。後になると〈縄張〉と称して、一種の企画の囲いこみとして、場合によっては作者に対する圧力として積極的に予告広告が利用されるようになるのである。

さらに、高田氏が右に続いて、

わたしには入木の跡は文字の訂正ていどのように見える。入木によって校正できるかぎりで、板刻の後も、推敲したことになる。

と述べている通り、少なくとも「白峯」「菊花の約」の以外の7作は、文字通りの校正なのである。逆にいえば、板木の入木跡から見る限り、推敲したといい得るのは「白峯」と「菊花の約」だけである。そして、おそらくこの修正は刊行直前になされたと考えるのが自然だと思われる。中村博保氏は安永5〈1776〉年に刊行された最大の理由として決定稿の完成を想定するが▼17、決定稿ができてから、直ちにあれだけの訂正をするのは不自然である。むしろ、旧稿がやっと上梓にこぎ付けたが、どうしても直さなければならない事情があったと考える方が自然ではないだろうか。そして、それも「白峯」と「菊花の約」とだけに限って行なわれたのである。

いま、ここで決定的な結論を出すことは不可能であるが、本としての『雨月物語』が造られた環境からも考えてみたい。『雨月物語』は執筆に際して、読本という文学様式が選び採られたわけであるが、内容的には浮世草子の気質物としての性格が色濃い。登場人物にも実在人物の面影を想起させる要素があり、これを戯画化した一種の偏執者たちを、怪異小説という幻想の方法を用いて和漢混淆文脈においてみせた作品だと見ることができる。つまり、『雨月物語』は閉じた空間の人々を第一義的な読者として想定していた気質物として読むことが可能なのである。それは『諸道聴耳世間猿』や『世間妾形気』から遠く隔たっていない時期の大坂文化壇▼18の内部における創作であることを考え併せれば、あながち誤った理解でもなかろう。このように考えてくると、やはり定稿は比較的早い時期に完成しており、何らかの理由で出板が遅延し、「白峯」と「菊花の約」に限って刊行の直前に推敲されたと見ておきたい。

  四 板本の出来

板本が出来するまでの多くの工程で、実際に何がどのように行なわれたかは、意外にわかっていない。化政期以降の馬琴の場合だけは残された資料から少し判明したが、これとてほかの作者の場合とは必ずしも同じではなかったものと思われる。

どんなに厳密に校訂を加えた活字翻刻本や、入念な影印本が整備されても、入木跡など原本の持つ情報のすべてを盛り込むことは不可能である。やはり原本に触れなければ得られないことが存在するのである。もちろん、いくら板本を見ても板木や稿本や校合本が残されていないと確実なことはいえないが、出板が板元の主導で行なわれた書物という一商品の生産にほかならないという本質を押さえておけば、本の成立に関する事情の一定程度の推測は可能だと思われるのである。





▼1 たとえば、秋成の『春雨物語』は、改稿過程がそれぞれに独立した異本群を形成しており、それも定稿へ向けた軌跡として捉えることはできない。そもそも『春雨物語』という安定したテキストが存在しているわけではない。『藤簍冊子』との関連も含めて〈散文〉とでも呼ぶしかない作品なのである。これは明らかに〈読本〉という文芸様式では括れないテキストであると思われる。
▼2 手控えとして複製する場合や、資料的な価値を尊重する場合、また板本が高価で買えない場合など、借覧本を傭筆を雇って厳密に写させることも決して少なくはなかった。
▼3 馬琴の『南總里見八犬傳』には校合漏れの正誤表が付けられたことがあるが、板木に改訂を加えることはできなかった。超人気作で毎年続けて出されたという特殊事情から正誤表は掲載されたが、一般に本が出板された後は完全に作者の手の届かない存在になってしまう。
▼4 たとえ出板を前提としたと思われる稿本が現存していたとしても、それが板本として出板されなかった場合には、板本と同等に扱うことはできない。なぜなら上梓されなかったのには何らかの理由があったはずであり、商品として不特定多数に向けて出板された本と、一般に流通しなかった本とは、作品の制作と受容との両面において本質的に違う性質を帯びてしまうからである。もっとも禁忌に触れるような内容で出板できない本は、おのずから写本でしか伝わらないが、それは書本(かきほん)として貸本屋では立派に商品価値を持っていた。
▼5 象嵌箇所は影印本でもわからないことが多い。とりわけ教科書用の影印本に多く見受けられるような、板下に修正を加えた本などでは精確な判断はできない。板木が残っていない場合は、やはり摺りの違う複数の原本を比較検討する以外に確認するすべはない。
▼6 佐藤悟「読本の検閲―名主改と『名目集』―(「読本研究」6輯上套、渓水社、1992年)
▼7 『中村幸彦著述集』12巻、176頁の補記(3)に、「木村三四吾氏御教示に、天理図書館蔵『繁野話』(明和三年刊庭鐘作)の校正刷には挿絵の一葉に眉仙の署名がある。刊行されたものには削ってない」という指摘がある。
▼8 「物見」を「〓絹たれきぬ(6オ8)に直している以外の書き換えは見当らない。これは、安永9年刊の『唐錦』の校合本(天理図書館蔵)についても同様のことがいえそうである。
▼9 徳田武氏の教示。『康煕字典』には「[唐韻]何−蓋切。[集韻][正韻]下−蓋切。[韻會]合−蓋切。並孩去聲」などと見える。なお、『繁野話・曲亭伝奇花釵児・催馬楽奇談・鳥辺山調綫』(新日本古典文学大系80、岩波書店、1992年)では、シリーズの編集方針として清濁に関して補正する方針を立てている。
▼10 重友毅「『雨月物語』の知識的性格」(重友毅著作集第四巻『秋成の研究』、文理書院、1971年、初出は1938年)
▼11 同様の問題として、やはり、重友氏によって定説化された「京伝馬琴の対立抗争によって江戸読本が形成された」という立論の根本的な誤りについては本書第一章第二節で述べた。
▼12 中村幸彦「解説」(日本古典文学大系56『上田秋成集』、岩波書店、1959年)
▼13 たとえば鵜月洋『雨月物語評釈』(中村博保補、角川書店、1969年)243頁に写真が掲載されて入木だと示されている[巾+皮]の振仮名部分は、入木跡には見えない。
▼14 この一覧表の作成に当って、三浦洋美氏による10本余りの調査結果をも参考にした。ただし掲載に際しての責任は筆者に帰する。
▼15 中村幸彦「秋成に描かれた人々」(『中村幸彦著述集』6巻、中央公論社、1982年、初出は1963年)、306頁。
▼16 高田衛「『雨月物語』成立の一問題」(『上田秋成年譜考説』別論3、明善堂書店、1964年)
▼17 中村博保『雨月物語評釈』「概説」の成立の条。
▼18 長島弘明「作者・絵師・書肆・読者―秋成と綾足の物語を例に―(『日本文学講座5 物語・小説II』、大修館書店、1987年)


# 『江戸読本の研究 −十九世紀小説様式攷−』(ぺりかん社、1995)所収
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