鈍亭時代の魯文−切附本をめぐって−

高 木  元 

 一 はじめに

 魯文の研究史に於ける興津要氏の業績▼1は先駆的な研究として、その功績を大としなければならないことは、今さら言を俟たない。しかし、興津氏は、習作期と位置付けられた「鈍亭」時代の魯文には、全くと云って良いほど関心を示されなかった。

 つまり、「鈍亭」時代における魯文の活動に関しては、ほとんど未開拓であったと云うことが出来るのである。その一つの理由としては、切附本きりつけぼんと呼ばれる大量消費され読み捨てられてきたジャンルに関する資料蒐集が困難であって、誰も手を付けなかったことにあるだろう。これは、所謂「実録体小説」と呼ばれるジャンルの研究が等閑に付されていたことと軌を一にする▼2。幕末から明治初期は軍談講釈が流行する時期であって、それまで写本として貸本屋等を通じて流布していた「実録体小説」は、切附本などを媒介にして広く流布し、明治期に入ると栄泉社の「今古実録」などを生み出すことになる。これら大量に流布して読まれたテキスト群を、前近代の遺物として無視することはできないのである。

 さて、江戸読本の範疇に「中本型読本」と呼ばれる、半紙本の本格的読本と草双紙合巻の中間に位置するジャンルがある。これを調べているうちに、文化期の中本型読本に、切附本の書型を先取りした例があることを知った▼3。この切附本は、中本型読本と合巻の折衷様式を持った書型で、中本型読本の末流に位置付けられると思われる。定義すれば、

 中本型読本の末期に位置付けられる小冊子。切附本という呼称は、綴代の反対側を折って残りの三方を裁った「切付表紙」を持つことに由来し、広告などに「切附類品々・武者切附本品々」という用例が見られる。合巻風摺付表紙に読本風の本文という様式を持つが体裁には揺れが見られ、文字題簽を持つ「袋入本」もある。弘化期以後、安政期を中心に明治初年にかけて、およそ二百種ほど出板された。多くは「読切」を標榜するが「続物」もある。内容的には講談に近く軍談や一代記物が多く、また実録や読本の抄録なども目に付く。鈍亭(仮名垣)魯文などを主たる作者として粗製濫造された廉価な大衆小説ではあるが、明治期の草双紙の板面を先取りしたもので、実録体小説や軍談の普及を担った一ジャンルである。▼4

と云うことになろう。

 この切附本を調べ始めたころ、偶然にも、向井信夫氏によって蒐集された大量の切附本を見る機会が得られた。それ以降、反古同然の扱いをされていて実に安価であった切附本の蒐集を意図的に進めるうちに、何とかこのジャンルの全体像を素描できるだけの資料や書誌情報が得られた▼5。現在の書目データの基礎が作られたのはこの時である。以降、切附本を調べていることが斯界に知れ、多くの方々の御架蔵本による御教示に縋って、管見に入った本をリストに加えつつ、何とか八九割は補足できたと愚考しているのであるが、現在に到っても未見だったものを知り得る機会があるので、やはり当面は書目を未定稿とせざるを得ない。また、完本に出会うことが少ないために、同一本であっても見ておく必要がある▼6

 さて、切附本史に於いて魯文は実に多くの著編作を残しており、ジャンルの展開に中心的な役割を果たした。特に安政期には全体の半数近くの標目に関わっていたと思われる。魯文が一般に知られている「仮名垣」を名乗り始めるのは安政六、七年(萬延元年)以降だと思われるが、以下、魯文の切附本を概観しつつ、切附本と云うジャンルを通じて「鈍亭」時代の魯文の活動をさぐってみたい。

 二 魯文切附本一覧(改印順)

嘉永七・安政元年(一八五四)年 甲寅

 平井権八一代記ひらゐごんはちいちたいき 鈍亭門人|編笠一界 芳宗(外) 寅七・改 鈍亭魯文序

 彦山権現利生記ひこさんこんけんりしやうき 十返舎一九鈔録|鈍亭魯文校合 寅九・改

八百屋於七やをやおしち小姓吉三こしやうのきちざ當世娘評判記まのあたりむすめひやうばんき 鈍亭魯文被閲|門人編笠一界著述 芳宗 寅十・改 新庄堂

 神勇毛谷邑孝義傳しんゆうけやむらかうぎでん 野狐庵主人 芳宗(見返) 寅十・改

 甲越川中島軍記かうゑつかわなかじまぐんき 鈍亭魯文 芳直 寅十・改

 箱根霊応蹇仇討はこねれいおういざりのあだうち 鈍亭魯文 芳員 寅十一・改

 小栗一代記全傳をぐりいちだいきせんでん 鈍亭主人 芳直 寅十二・改

 英名八犬士ゑいめいはつけんし初編 鈍亭魯文 直政(外) 芳直 寅十二・改 公羽堂

 源平盛衰畧記けんへいせいすいりやくき 鈍亭魯文 芳員 寅十二・改 新庄堂

 西國順禮娘敵討さいこくしゆんれいむすめかたきうち (鈍亭魯文) 芳直 寅十二・改 公羽堂

嘉永八・安政二(一八五五)年 乙卯

 安達原黒塚物語あだちがはらくろつかものがたり全編  鈍亭魯文 芳員 卯正・改 〔新庄堂〕

 足利勲功記あしかゞくんこうき 鈍亭魯文 芳員 卯正・改 新庄堂

 成田山霊驗記なりたさんれいげんき 鈍亭魯文 直政(外) 改・卯二 公羽堂

 浪花男團七黒兵衛なにはをとこだんしちくろべゑ 鈍亭魯文 芳員 卯二・改 新庄堂

 朝倉當吾一代記あさくらたうごいちだいき 鈍亭魯文 芳幾(外) 卯二・改 公羽堂

〈勧進調|蝦夷渡〉 弁慶一代記べんけいいちだいき 鈍亭魯文 芳員 卯三・改

 蝦夷錦源氏直垂ゑぞにしきげんじのひたゝれ 前編 鈍亭魯文 芳直(外) 卯三・改  〔伊勢久〕

 玉藻前悪狐傳たまものまへあくこでん 鈍亭魯文 芳直 卯四・改 新庄堂

父漢土ちゝはもろこし母和朝はゝはにつほん 國姓爺一代記こくせいやいちだいき 前編 鈍亭魯文 芳直 卯五・改 錦耕堂

 小夜中山夜啼碑さよのなかやまよなきのいしふみ 鈍亭魯文 芳直 卯五・改 新庄堂

 英名八犬士ゑいめいはつけんし 二編 鈍亭魯文 芳直 卯六・改 公羽堂 将門一代記  鈍亭魯文 芳直 卯八・改

 鳴呼忠臣楠氏碑ああちうしんなんしのいしぶみ 鈍亭魯文 芳幾 卯八・卯九・改

 頼光大江山入らいくわうおほえやまいり 竹葉舎金瓶著|鈍亭主人校合 卯九・改 新庄堂

 雙孝美談曽我物語さうかうびだんそがものがたり 鈍亭魯文 芳宗(外) 卯九・改

安政三(一八五六)年 丙辰

 天明水滸傳てんめいすゐこでん 骨董菴主人(序) 芳宗(外) 安政三辰孟春(序)

 英名八犬士えいめいはつけんし 三編 鈍亭魯文 直政(外) 辰二・改 公羽堂

 拔翠三國誌ぬきがきさんごくし 初編 鈍亭魯文 芳宗 辰二・改 〔新庄堂〕

 拔翠三國志(かきぬきさんごくし) 二編 鈍亭魯文 芳宗 辰三・改 新庄堂

 英名八犬士えいめいはつけんし 五編 鈍亭魯文 辰三・改 伊勢屋久助

 英名八犬士えいめいはつけんし 六編 鈍亭魯文 辰三・改 伊勢屋久助

 英名八犬士えいめいはつけんし 四編 鈍亭魯文 直政 辰四・改 公羽堂

輪廻りんゑ應報おうほう四家怪談よつやくわいだんぜん讀切よみきり 鈍亭魯文 辰四・改 新庄堂

 正安太平記せいあんたいへいき第三輯 骨董屋雅樂(序) 丙辰初夏(序)

 佐野志賀藏さのしかざう一代 鈍亭魯文 とり女(登里女) 辰八・改 當世堂

 楠公忠義傳讀切(序) 栢亭金山 芳盛(外) 辰九・改 糸屋庄兵衛 骨董屋主人漫誌序

 英名八犬士第八輯結局ゑいめいはつけんしたいはちしうけつきよく 鈍亭魯文 辰九・改 〔公羽堂〕

 蝦夷錦源氏直垂ゑぞにしきげんじのひたゝれ 後編 鈍亭魯文 芳鳥 辰十・改 伊勢屋久助

 拔翠三國志かきぬきさんごくし第三輯 鈍亭魯文 芳宗 辰十一・改 新庄堂

安政四(一八五七)年 丁巳

 英名八犬士えいめいはつけんし 七編 鈍亭魯文 芳鳥女 巳二・改 伊勢屋久助

 拔翠三國誌ぬきがきさんごくし第四輯 鈍亭魯文 芳宗 巳四・改 〔新庄堂〕

 神稲黄金笠松しんとうこがねのかさまつ 菊亭文里編次|鈍亭魯文被閲 芳盛 安政四(序) 笹屋(序)

 繍像水滸畧傳しゆうぞうすゐこりやくでん前・後輯 鈍亭魯文 國久 巳七・改

織部武広三度報讐をりべたけひろさんどのあだうち 〓井こがねい北梅 巳九・改 品川屋朝次郎・當世堂

 摘要漢楚軍談てきようかんそぐんだん 前編 鈍亭魯文 芳宗 巳九・改 新庄堂

 釈迦御一代記しやかごいちだいき 鈍亭魯文 芳宗 巳十一・改 糸屋福次郎・新庄堂

 大日坊青砥政談 鈍亭主人 巳十二・改 當世堂

 天下茶屋復仇美談てんがぢややふくしうびだん 鈍亭魯文補綴|票瓜亭念魚被閲 芳直 巳十二・改 當世堂

 成田利生角仇討なりたりせうすまひのあだうち 鈍亭魯文暗記 芳鳥 巳十二・改 當世堂

安政五(一八五八)年 戊午

 岩見重太郎一代實記いはみぢうたらういちだいじつき 鈍亭魯文(芳幾) 午二 當世堂

父漢土ちゝはもろこし母和朝はゝはにつほん國姓爺一代記こくせいやいちだいき 弐編 鈍亭魯文 國明(見返) 午五 錦耕堂

 釈迦御一代記しやかごいちだいき 第二編 鈍亭魯文 芳宗 午五 新庄堂

 釈迦御一代記しやかごいちだいき 三編 鈍亭魯文 芳宗 午九 新庄堂

安政六(一八五九)年 己未

 釈迦御一代記しやかごいちだいき 拾遺第四編 鈍亭魯文 芳宗 未四改 新庄堂

執讐信太森かたきうちしのだのもり 前編 鈍亭魯文 國周 未五改 錦耕堂

報讐信太森かたきうちしのだのもり 後編 鈍亭魯文 國周 未五改 錦耕堂

 拔翠三國志かきぬきさんごくし 五編 鈍亭魯文 芳宗(外) 未六改 〔新庄堂〕

 釈迦御一代記拾遺第五輯しやかごいちだいきしうゐたいごしふ 〔岳亭梁左編次|鈍亭魯文校訂〕 未六改

俵藤太龍宮蜃話たはらとうだりうぐうしんわ 鈍亭(假名垣)魯文 芳幾 未八改 錦耕堂

平良門蝦蟇物語たいらのよしかどがまものがたり  鈍亭魯文 芳幾 未八改 錦耕堂

傀儡太平記あやつりたいへいき 假名垣魯文 芳幾 未十改 錦耕堂

忠勇景清全傳ちうゆうかげきよぜんでん 鈍亭魯文 惠齋 未十改 錦耕堂

安政七・萬延元(一八六〇)年 庚申

〈於登美|与三郎〉 氷神月横櫛むすびがみつきのよこぐし 前編 鈍亭魯文 芳幾 申五改 錦耕堂

 拔翠三國誌ぬきがきさんごくし第六輯 假名垣魯文 芳宗 萬延元孟穐(序)〔新庄堂〕

萬延二・文久元(一八六一)年 辛酉

 英雄太平記えいゆうたいへいき 假名垣魯文 芳年 改酉二

父漢土ちゝはもろこし母和朝はゝはにつほん國姓爺一代記こくせいやいちだいき 三編 鈍亭魯文 國明(見返) 酉五改 錦耕堂

不明(安政期カ)

 利生譽仇討りしやうほまれのあだうち 金屯道人謹述 芳幾(外) 當世堂

 静ヶ嶽七鎗軍記しづがたけしちそうぐんき 初編後編 骨董軒主人

 新書太功記しんしよたいかうき 初編全一巻 骨董屋雅楽題 芳宗(外)


◇は袋入本を示す。この袋入本とは、内容と版式は切附本と同様であるが、錦絵風摺付表紙を持たず、短冊形文字題簽を持つ本を指す。同じ本で双方の体裁を持つものも存在する。おそらく袋入本の方が値段が高かったものと思われる。

 この一覧表を見て気が付くことは、安政元年に開始された切附本の刊行が、萬延二年を境に途絶していることである。切附本自体は明治期まで続けて刊行されているのであるが、魯文が萬延元年から刊行を始めた『滑稽富士詣』が評判に成って以降は、加賀屋吉兵衛(青盛堂)や山田屋庄次郎(錦橋堂)などの地本問屋から合巻の注文が増え、切附本より身入の良かった合巻へと執筆の主軸を移行したためと思われる。

 また、似た話柄の本を複数出しているのも気になる。特に安政二年刊『成田山霊驗記』と、刊年未詳の『成田利生角仇討』『利生譽仇討』とは標題から判る通り、同趣向を用いている。取り分け『利生譽仇討』は「成田御利生角仇討」「成田霊験記」「成田山御利生記」の三種を合綴したもので、各内題下に「金屯道人」と見える前述の切附本とは別本である。ただし、刊年未詳の一点は序文等を削った後印本しか管見に入っていない。

 もう一点、切附本は本来は「読切り」を標榜したものであったが、『國姓爺一代記』『英名八犬士』▼7『拔翠三國誌』などは続きものであり、これら長編小説を抄出したスタイルは、板元の要請を受けて魯文が始めたものである。

 同様に、『報讐信太森』『平良門蝦蟇物語』『俵藤太龍宮蜃話』『忠勇景清全伝』『傀儡太平記』『氷神月横櫛』は、安政七年(三月一八日改元、萬延元年)に森屋治兵衛(錦森堂)から刊行された特異な袋入本であった。同一意匠の表紙(藍白地に布目風空摺りを施し下に小さく竹をあしらう)を持ち、一丁当たり八行と、化政期の中本型読本を思わせる比較的大きな字が用いられている。また、口絵には濃淡の薄墨や艶墨、さらには空摺りなどが効果的に用いられ、大層美しい中本型読本である。このような本の格調の高さから見ても切附本とは比較にならないもので、おそらく値段も高かったものと思われる。『報讐信太森』が馬琴の読本『敵討裏見葛葉』によったものであること以外、それぞれの原拠については未詳であるが、『平良門蝦蟇物語』はその前半部で京伝の読本『善知安方忠義伝』(文化三年)を利用している。

 切附本という廉価な小冊子が流行しているこの時期に、同じ板元から同じ年に六種もまとめて袋入本を出板したのは一体何故であろうか。これらの本の見返しや序などには「假名垣魯文」と署名しており、「假名垣」号の早い使用例ではないかと思われる。また、この六作品は切附本としてではなく、明確に袋入本(中本型読本)としての意識によって執筆されたものと思われる。ならば、板元の思惑を反映した魯文には、何か期するものがあったのかもしれない。

 この切附本に関しては、まだ考究の及ばない問題が残されている。特に多くを出している新庄堂や錦森堂などの地本問屋との関係や、笠亭仙果など、切附本を多数執筆している他作家との関係などについて考えてみる必要があるし、未見である完本の博捜や、あまり残存していない袋についても蒐集に努める必要があろう。また、明治期の刊記を持つ改題後印本がもっと存するはずだと思われ、また活字翻刻本が存する可能性があるが、未見である。

 以下、切附本の序を抜書きしてみよう。もとより、近世期の板本に備わる序文は、極めて形式的な文章であることが一般的ではあるが、執筆態度が知れたり伝記事項などの情報を含んでいることが多い。と同時に、流布している大半の切附本は序文と口絵(一〜三丁表)を削り本文冒頭(三丁裏)を表紙の裏側に摺ると云う改変が加えられており、序文を欠く後印本が大多数であるので、此処に管見に入った序文を書き抜いておくのも、鈍亭時代の魯文の動静を考える上で意義なしとはしないものと思われる。

 なお、引用に際して句読点を私意によって補った。原本に句読が附されている場合は、大部分が句読点の区別なく「。」が附されている。この場合は原本の儘とした。

 三 切附本の序

平井権八一代記ひらゐごんはちいちたいき   江戸 鈍亭門人 編笠一界記録

平井ひらゐ權八ごんはち事跡じせき狂言きやうげん綺語きぎよにものし。謡曲やうきよくにあやつりて。その顛末てんまつのぶることやゝひさし。しかはあれど。雜劇ざつげき院本ゐんほんには。平井ひらゐをもて。一部いちぶ脚色しくみすなれば。かれ残刃ざんにん奸毒かんどくをおしかくして。さら忠孝ちうかう義士ぎし摸偽もぎせり。こはそのあくいみきらひて。ぜんしゆとする稗家はいか洒落さくらく作者さくしや用心ようじんなきにあらねど。いさゝか眞意しんゐうしなへり。柳下惠りうかけいあめをもておひやしなひ。盗跡とうせきこれをしてとざしをあけんことをはかる。其物そのものおなじく。そのひともちゆるところよつて。善悪ぜんあく左別さべつ如此かくのごとしひとあくおのれつゝしみ。ぜんこれならはゞ。看官かんくわんなにきよきすてけがれにのぞまん。こゝ刻成こくなる平井ひらゐ傳竒でんきは。稗官者はいくわんしやりう虚談きよだんはぶき。實記じつきあげて。童蒙どうまう婦幼ふやうが。懲勧くわんちやう一助いちぢよにそなふと云云しかいふ
 嘉永七甲寅林鐘稿成

談笑だんせう諷諫ふうかん滑稽こつけい道場どうぢやう 鈍亭魯文填詞

※編笠一界については、『當世娘評判記』の項を参照。


彦山權現利生記ひこさんこんけんりしやうき   江戸 十返舎一九抄録・鈍亭魯文校合

天道てんとう正路せうろなる、これにすぎたるはなく、日月じつげつくまなく照すこれに及べるはなし。しかれども浮雲うきくものかゝりをゝひて、一旦いつたんひかりをうしなふこと、悪人あくにんときて、善人ぜんにんかくるにひとしく、これなん禍福くわふく運動うんどうにして、清明せいめいときなんそなからん。そも/\此書このしよ縮綴しゆくてつなしたる、毛谷村けやむらの六助が、とみゆうにほこらず、芳岡よしをか姉妹をとゞい孝悌かうてい暁谷きやうこく残忍さんにんにして奸佞かんねいなる、積善せきぜん餘慶よけい積悪せきあく餘殃よわう遅速ちそくはあるとも、ちかきはかならずそのむくひ、とふきはかならず兒孫じそんにむくふ、應報をうほう天理てんり彰然せうせんたる鑒誡いましめを十返舎三世さんせのあるじ、倉卒そうそつあわひ鈔録せうろくして、童蒙どうもう婦幼ふやう勧懲くわんちやう一端いつたんとす。一日たま/\書肆ふみやかど音信おとづるるに草稿さうかうなついまだぢよなし。披閲ひゑつしてすみやかに一言いちげんせよとこふ同志とうし合壁かつへき老婆心ろうばしん禿ちびたるふでをくだすといへとも取□□□してはなびらをそこね、ゑだをたわめてみきをたふすの、すさみにやあらんかし
  嘉永七甲寅孟夏稿成發兌上梓

談笑だんしやう諷諫ふうかん滑稽こつけい道場どうしやう 鈍亭魯文填□

※挿絵内に「呂文」と見える。


八百屋於七やをやおしち小姓吉三こしやうのきちざ當世娘評判記まのあたりむすめひやうばんき   江戸 鈍亭魯文披閲・門人編笠一界著述

江湖よにいひもてつた八百屋やをや阿七おしち事跡ことのあと、きはめてさだかならず。傳奇綺語きやうげんきぎよにものすなる。その始原はじめは、宝永ほうえい年間ねんかん浪花なには西にし雜劇しばゐなるあらし三右衛門がありて、あらし喜代三がつとめしとぞ。もとよりもなくなきこと編述のべしるししは、に竹本の院本じやうるりぼん趣向しゆかうにして、出雲いづもふでに成れるものなり。一日いちじつ門人もんじん一界いつかいなるもの、戀岱れんたい草菴さうあんをおとづれ、いつ小冊せうさつをたづさへきたつて校訂かうていふ。すみやかに披閲ひえつするに、今年わづかに三五の黄口くわうこう、すこしく作意さくいありといふとも、齟齬そごおやまりなき事を不得えず。いさゝか寸暇いとまたらんをり、校訂かんがへたゞしてあたへんとおもふうちに、書肆ふみやがために催促うながされて、よくも見ずそのまゝあづさにものせしと、のちにきゝて嗟嘆さたんにたへず。ありのまゝをかいつけて序詞はしがきせめをふさぐと云云しか%\
  嘉永七甲寅季秋

鈍亭魯文記 

※三十四ウ三十五オに「談笑だんせう諷諫ふうかん滑稽こつけい道場どうじやう御誂案文著作所おんあつらへあんもんちよさくどころ\妻戀坂中程 鈍亭[ろぶん]」の看板と書斎内の「赤本作者鈍亭魯文」「門人編笠一界生年十五童」が描かれる。「事物糟粕\赤本の桃ならなくにわれはまた洗澤ものゝ名や流すらん\鈍亭」「手に汗をにぎりつめけり筆の軸\編笠外史」。


神勇毛谷邑孝義傳しんゆうけやむらかうぎでん    野狐菴主人著述

楠公くすのきしゝ太平記たいへいきくわ和尚おしやう悟道さとつ水滸傳すいこでん人間にんげん血気けつきおとろへて、分別ふんべつる時にいたれば、とく彼岸かのきしちかづくなり。萬物ばんもつ造化ざうくわ巧工たくみありて、情体じやうたいすべ如此かくのごとし年歳ねんさい稗史はいし流行りうこうして小説者流さくしや/\も夛かる中に、近頃ちかごろ著述家ちよじゆつか神仙しんせん曲亭きよくてい老翁ろうおうふで黄泉かうせんに捨しより、開巻かいくわん驚竒きやうき脚色しくみなく、湊川みなとがは嗚呼あゝ忠臣ちうしん古跡こせき梁山泊りやうさんはくに忠義堂の空居くうきようかゞふにて、さらことたらぬこゝちぞすなる。こゝに合壁かつぺきとも何某なにがしなる者、一日草堂さうたう音信おとづれいへらく、さきの日、書肆しよしまゝ彦山ひこさん霊驗記れいげんき抜翠ばつすいして、いさゝか愚意ぐいをまじへつゝ草稿さうかうだつす。といへどもいまだ序言じよげんなし。ねがはくは填詞てんしせよと、元来もとより市中しちう商個しようかみやびふみけみせざれば、法則ほうそくをかつてらず。こはるゝまに/\、其席そのせき談話だんわじよとして、せめふさぐといふことしかり
  嘉永七甲寅後名月

夢借舎主人筆記 

※序文の署名の下に「尚古」という印記がある。


英名八犬士初編ゑいめいはつけんししよへん   江戸 鈍亭魯文抄録

子夏しかゞ曰。小道せうとうといへとも。見るべき者あり。たん何そ。容易よういならん。げん里見さとみ八犬でんは文化甲戌の春。曲亭きよくていおう腹稿ふくかうなつて。書画しよくわ剞〓きけつこうを果し。世にあらはれし始より。看宦みるひと渇望かつもうせさるはなく。毎歳まいさい次編の出るをまちて。開巻かいくわんとる手をおそしとす。そも/\策子さくしかたり長編ちやうへん是に及へるはなく。二十年の春秋て。八犬英士えいし三世の得失とくしつかの延々かいなでの者といへとも。善悪せんあく邪正もらすことなく。團圓たんゑんまさに百六巻。すてに九しうきよくむすへり。言ても知るき事なから。新竒しんき妙案めうあん法則ほふそく隱微いんび。かくまで喝采めてたき物の本今昔こんしやく前後に有へからす。しつはい家のふつ菩薩ぼさつ神仙かみひしりとやたゝへなん。當時とうし机上きしやうに筆をとつて。作者と自称しせうともからおきな糟粕かすをねふる而巳のみかは。丸呑まるのみにして口をぬらす。やつかれことき者多かり。こもまた身すき世業よはたり烏滸をこなる所為わさを。黄泉くわうせんの翁ははなをつまみておはさん。しかはあれとも原本けんほん贏餘えいよした蝿頭しやうとう利。きん驥尾きひにつかまくほりすは。せんに組するなへての情體しやうたい菩提ほたいの道に入るに類ひとし釋迦旡二佛しやかむにふつ諸経しよきようをひさきてそく家を度する講談たんきそうか。布施ふせ物を得て今日の。火宅くわたく苦界くかいを安んせると又これ何そことならん雪梅せつはいほうたん假名かなよみ草史さうし後日のはなし數種すしゆせうろく皆悉こと/\たい分身。王とあさとはなしといへと抜象ぬきかき異姓ゐせいの兄弟。是宿因しゆくゑんいたすところ善果せんくわの成れる所ならんとみたりに筆をはせつゝも叙言しよけんをふさくになん。
  安政二乙卯新春發行

鈍亭のあるじ愚山人魯文記

源平盛衰畧記げんへいせいすいりやくき   鈍亭魯文抄録

みちのくのいわで忍ぶはえぞしらぬ かきつくしてよつぼの石ぶみ 頼朝

そも/\右大將うたいしやう頼朝よりともけうは、治國ちこく平天下へいてんが計策はかりことをめぐらし、平氏へいじうらみ舎弟しやてい義經よしつね一人にかふむらしめ、追討ついとう宣旨せんじを蒙り、ほろほされしことは、ふか思慮しりよある計畧けいりやくとそしられける。文道ふんとういちしるくして、なとか北條ほうてう梶原かちはらこときのさんもちひ給はんや。いま六百余歳よさいのち武門ふもん繁栄はんゑいこの將軍しやうくん胸中きようちうよりいてたるはかりことまたきとそおもはれける。

鈍亭魯文筆 

安達原黒塚物語あだちがはらくろつかものがたり全編   江戸著作郎 鈍亭魯文抄録

傀儡くわいらいきよく安達あたちか原は、宝暦十二壬午年の発行はつかうにして、ちか松半二か筆に成り、北総ほくそう後一こいち竹本三郎兵衛合作かつさくす。その曲、本はつ凡五段、丁數九十有余まい原文けんふん妙案いたれりつくせり。こたひ書肆ふみやもとめおうして、はつかにその大概おほむね畧抄りやくせうす。こは曲しやうと物の本、大同小異せういのけちめあつて、披閲ひえつ婦幼ふやうかわつらはしからんとおもへは、しけきをかるの老婆心ろうはしん而巳のみ
  安政乙卯新春吉旦

鈍亭魯文記 

足利勲功記あしかゞくんこうき全編   魯文作

あつめけるほとそかしこき和歌わかうら なみ/\ならぬたま数々かず/\ 尊氏

そも/\足利あしかゞ将軍しやうぐん尊氏たかうぢ朝臣あそんは、太平記たいへいきのするごとく、一生いつしやううちさま%\の戦場せんじやうにのぞみ、幾度いくたび身命しんめいうしなはんとし給ひしが、天運てんうんにかなひ、人和じんくわあつく、つひあめがしたを掌握しやうあくし玉へり。その一代いちだい闘場いくさばを、児童こどもたち見安みやすからしめんと倉卒そうそつ筆記ひつきして、書肆ふみやにあたふることしかり。
 安政二乙卯春新刻

鈍亭魯文記 

成田山霊驗記なりたさんれいげんき    江戸 鈍亭魯文謹述

ものついするに。和漢わかん両朝りやうてうといゝ。文武ぶんぶ両道りやうだうとなふ。往古いにしへ當時いまするは。てんにたくらぶるごとく。ぜんあくとを並言ならへいへは。くもどろとをろんずるなりされば相馬さうま舊事ふることを。きぬ川の新話あたらしきついし。乾坤けんこんくわんがつしたるは。泥亀すつぽんに月下駄げた焼味噌やきみそ。ふさはしからずといふもあらんが。時代じだい世話せわの一せき讀畢よみきり大小だいせう不同ふだう明王めうわうの。利益りやくは一たい 分身ぶんしんにて。前後ぜんご靈驗れいげん下總しもふさの。一國中こくちうことにしあれば。勸懲くわんちやう両全りやうぜんなるあじはひ。看官みるひとぶんつたなきを。あざけることなかれと云云しかいふ
 安政元甲寅晩冬
 同二乙卯新春上梓

 物の本作者 鈍亭魯文填詞 

浪花男團七黒兵衛なにはをとこだんしちくろべゑ   江戸 鈍亭魯文補綴

兼好けんこう徒然草つれ%\ぐさに。むくいぬおいたるとしるせしは。吾輩わがはい白癡しれものをやいふらん。やつがれ兒戯じげ策子さうしつゞりて。生涯せうがいれりとし。してすゞりうみすなどり。こゝろおりふでたがやし。虚名きよめいひさぎ野史やし自称じせうす。に著作郎さくごらうよばるれども種曲たねまくすべは不學しらずがほも。當世たうせい鉄面てつめん一家言いつかげんと。へらぐちさへ具眼ぐがんひとは。片腹かたはらいたくおもふなるべし。一日あるひ書肆ふみや新庄堂しんせうだう妻戀つまごひ稲荷いなり麓家まつしやなる。野狐菴やこあん音信おとづれて。浄瑠璃本じやうるりぼん夏祭なつまつりを。れい讀切よみきりにものせよとふ。余すみやかにうべなへば。梓主はんもとふたゝしめしいわくわれ新案しんあんんとほつせば。上手じやうづ作者さくしやはいくらもれど。看官けんぶつのおこのみにて。時代じだい世話せわの夏祭を。書作かきなをさずにと注文ちゆうもんあり。かに甲等かうらあなえらんで。足下そつかにはめた役割やくわりも。むね戯房がくや勘定かんぢやうづく。しかし紙數しすうかぎりがあり。縮綴つゞめてかく仕事しごとなれば。そこらのわざ承知しやうちならん何分なんぶんたのむとみづかとひ。自らこたへていそ/\さんぬ。
 安政二乙卯歳如月

鈍亭魯文筆記 

○此しよげん本は竹本が謡曲やうきよく直傳じきでんにして、延享えんきやうだい孟秋もうしう発行はつこうなり。作者は、並木なみき千柳三好みよし松路せうろ竹田小出雲いづもの三ひつに成り、章句しやうくあまねく人口に膾者くわいしやして、婦幼ふやうだもらざるものなし。こたび書肆ふみやもとめにおうじて、余が拙筆せつひつもて抄録せうろくをはんぬ。そが中に、きよく文のけちめあれば、煩多しげきかり簡要かんえうのこし、すこしく蛇足じやそくをそゆるといへども、いさゝかも旧意きういにたがはず。しかはあれど、ふみよみならふ幼童あげまきたらんには、えだをたはめてみきをたふすのわざなりとやあざけらんかし。

鈍亭主人再識 

朝倉當吾一代記あさくらたうごいちだいき全編   江戸 鈍亭魯文縮綴

ひろまなんきはめ真僞しんぎ穿鑿あなぐり考證かうしやうたゞすのしよは。生涯しやうがいはづか一二にさん ぼん。あるはいまだ草稿さうかうなかばに。作者さくしやぼつして匱中きやうちうひ て。紙蟲しみ住家すみかとなるものおほし。麁漏そろう〓誤たくごものほんは。書肆ふみや利潤りじゆんまくほつし。作者さくしや虚名きよめいうらまくほつせば。きよゑんかゝはらず。なすことすみやかなり。よつ脚色さくいふかからぬ。朝倉あさくら義民きみん一代記いちだいき九ツこゝのつ當吾とうご兒戲しげ物語ものかたり通天橋つうてんきやう礎趣どだいとして伊呂波いろはもみぢ假名かな策子さうし難波津なにはつなら童蒙わらべよましておとぎ夜話やわにかへつ。
 安政二乙卯新春發兌

魯文漁夫漫題 

勧進帳|蝦夷渡・辨慶一代記べんけいいちだいき全部   東武 鈍亭主人増補

勧進帳|蝦夷渡・辨慶記一代記全

自序じじよ 武蔵坊むさしばう辨慶べんけい事情ことのわけきはめてさだかならず。一本いつほん紀伊国きいのくにの住人ひと岩田いはた入道にふだう 寂昌じやくせうなんにして、叡山えいざん西塔さいたう櫻本坊さくらもとばう辨長べんちやう僧都そうづ徒弟とていにて幼名やうめう真佛丸しんぶつまるといへりとしるせり。あるひは熊野くまの別當べつたう辨正べんしやう幼名やうみやう鬼若おにわかとよび叡山えいざん西塔さいたう櫻本坊さくらもとばう昌慶しやうけい阿闍梨あじやり弟子でしともろくし、そのでん數種すしゆあつて各々おの/\ことなり。いづれの是非ぜひあげつろふは博識者ものしるひとうへにありて赤本あかほん作者さくしや僕等やつがれら辨知わきまへしるべきことにはあらず。たゞくわいきつえうつむ而巳のみ矣。
  安政二卯歳初夏

鈍亭魯文筆記 

蝦夷錦源氏直垂ゑぞにしきけんじのひたゝれ   東江 鈍亭魯文抄録

ゆきらんとして群鳥ぐんちやうあらそひてあさりかぜおこらんとして釜星かまほしはひこり。抜翠はつすゐ抄録せうろくおこなはれてごと拙筆せつひつなる。ものにはかならきざしあり。一日いちじつれい書肆しよし入来いりきたつて。義經よしつね朝臣あそん一代いちだい生立おひたちいふさらにて。蝦夷地ゑぞち渡海とかい顛末てんまつまで。小冊せうさつしるせよとふ。つら/\おもん見るに伽羅きやらたいはなおゝにらしよくして舌鼓したつゞみをうつも。おのれ/\がこのめるみちにて。また活業すぎはひにもよればなり。近頃ちかころものほんとしいへば。古人こしん糟粕そうはくならざるはなし。こゝもまた時運しうんるところ。つたなしとのみいふべからず。まい兒戲じげ策子さうしをや。われまたふかく懸念けねんせず。不日ひならずろくしてこれをあたふ。いと烏滸をこがましき所為わざにこそ。
  安政二乙卯孟春發兌

鈍亭魯文記 

玉藻前悪狐傳たまものまへあくこでん   鈍亭魯文抄録

自序
きつね千歳せんさい美女びぢよ変化へんげすといへること、唐土もろこしふみほゞのせたり。悪狐あくこの人をたぶらかすやそのせいなり。霊狐れいこの人に感徳かんとくあるや、こもまたせいによるところ。人に善悪ぜんあくあるがごとけん。此書このふみさき妖婦傳ようふでん玉藻譚ぎよくそうだんあり。いづれも大同たいとう小異せういにして、ことふりたる談柄だんへいなれども、だかき標題げたいこのましと、書肆ふみやもとめやむことを得ずそがまゝ抄録せうろくして大関目たいくわんもく利市りしにそなふ云云。
于時安政二乙卯初春人日

戀岱 鈍亭魯文漫題[文] 

玉藻前妖狐畧傳全たまものまへようこりやくでんまつたし   魯文記 芳直画
〇凡例附言 發客 新庄堂壽梓
此書このしよ浪速なには玉山ぎよくざん先生せんせいあらはされたる玉藻譚ぎよくそうだん五巻いつまきにもとづき、支那から印度てんぢく両界りやうかい談話はなしえうつみて、わが皇朝みくにことをのみもはらとし、童蒙どうもう婦女ふぢよ子の夜話やわかえてもて勧懲くわんちやう一助いちぢよとす。
假字かんなつかひざまのつたなきと、のたがへるなど、元来もとより児戯じげ策子さうしなれば、具眼ぐがんあざけりをかへりみず、さとかたきところは大かたにこゝろして給へかし。

於東都恋岱野狐庵 鈍亭再識 

父漢土ちゝはもろこし母和朝はゝはにつほん國姓爺一代記こくせいやいちだいき 前編   江戸著作郎 鈍亭魯文縮綴

唐土もろこし地外ちぐわい四夷しい八蠻はちばんあしたふくゆふべそむ代々よゝ帝王ていわう大臣だいじん胡國ここくうれひとせざるはなし。歴世れきせい匈奴けうど胡虜こりよよりおこッて中国ちうごくかすめ、中興ちうこう韃靼だつたんみんはいして中華ちうくわ北虜ほくりよのさまとへんず。そがなか一個ひとり國姓爺こくせいや成功せいこう而巳のみ泰山たいさんじんゆう兼備けんびして子孫しそん三世さんぜ東寧島たかさごじま武威ぶゐたくましうせること倭國わこく膽氣たんきたる猛雄もさにて、これなん日本魂やまとだましゐといふなるべきや。
  安政二乙卯仲夏

鈍亭魯文記 

小夜中山夜啼碑發端さよのなかやまよなきのいしふみほつたん   江戸 鈍亭魯文編

曲亭きよくていおう石言せきけん遺響いきやうは、古跡こせきさく事實ししつたつね、日をかさね月を經て、やゝ稿かうれる妙案めうあんなりとそ。この小冊せうさつかのならはす、古書こしよにもらぬ自己しこ拙筆せつひつはやいが大吉だいきち利市りいち發行はつかう二昼しちう一夜の戯墨けほくにして、勧善くわんせん懲悪てうあく應報おうほう道理たうりろくせし談笑たんせう諷諫ふうかんふけるをらぬ小夜中山。燈下とうかつゝ一夕話いちせきわ無間むけんかねあかつきかけて、ゆめとうつゝに草稿さうかうり、寢言ねこと類等ひとしわさくれながら、童蒙おこさまかたのおさまし。あめもちともし玉へや。
  安政二乙卯年新梓

戀岱野狐菴主 鈍亭魯文記 

英名八犬士二編ゑいめいはつけんしにへん   鈍亭魯文抄録

それ天狗てんぐとはなんものぞ。種類しゆるゐさはにして和漢わかんいつならず。和名わめう安麻通あまつ止菟袮ととねとよび。佛家ぶつかには魔羅まら波旬はじゆんとなへり。またほしなりとししや飛天ひてんやまかみ。あるは山魅こだま寃鬼ゑんきなりとす。物子ぶつし天狗てんぐせつていにん天狗てんぐ名義めいぎかう風来ふうらい天狗てんぐべんごとき。そのぶん戯言けげん洒落しやらくすぎ事実しじつさぐるにらずとは。すで本傳ほんでん作者さくしやもいへり。ぞくいわゆる天狗てんぐとは。佛説ぶつせつ譬論たとへおなじく。放漫ほうまんほこれる者をさして。天狗てんぐとはいゝしならん。先誓せんてつ佳作かさくをさらつて。みだりめいするのつみもつとも天狗てんぐるいするわざにて。點愚てんぐ所為しよゐといはるゝのちに。いまだたかくもあらぬはなを。つまゝれなんとはぢる而巳。
  安政二乙卯二月

鈍亭魯文漫記 

将門一代記〔外題〕   鈍亭魯文補綴

魯褒ろほう神錢論しんせんろん曰失之者これをうしなふものは後にたつ得之これをうる者はまへに立。羽なくしてよくとびあしなくしてよく行と。年来としごろ黄白いびつな老人に勘気かんきをうけ、孔方兄あなあるあに離別みはなされ、風雅ふうがでもなく、洒落しやれでもなく、成業せうことなしの戯作けさく者活業とせいも、微学ほそもとでのやりくりゆへみちよつかしこからず。老舗名家おほだなむき請賣うけうりも、とく品切しなぎれとなりたれば、注文ちゆうもんあつさいらず。勘定かんぢやうあつてぜにたらぬ心地こゝちぞすなる。されば一日脚色しろもの仕入しいれ〔れ〕にまごつき、著作堂ちよさくだう主人しゆじん質屋しちやくらとむらひて利揚帖りあげでうけみするに、れいふではせたるふん家傳かでん蔵書ざうしよ一部いちぶうりて三分なくなる智惠ちゑを出し、經籍けいせき史傳しでん歌書かしよざつ書和漢わかんちん書、いたづらに紙魚しみはらこやすのみと、この一句いつくにて一句もいでず。机上きしやうふですてたりしが、また米櫃こめびつのためをおもひて、この小冊さつつゞると云々しかいふ
 安政二卯歳秋彫刻

戀岱魯文誌 

嗚呼忠臣楠氏碑あゝちうしんなんしのいしぶみ初編   荏土 鈍亭魯文縮綴

嗚呼忠臣楠氏碑あゝちうしんなんしのいしぶみ
そも/\軍法ぐんほふ秘傳ひでんは、唐土もろこし軒轅けんゑん黄帝くわうてい權輿けんよしてしう太公望たいこいぼう天地人てんちじんにのつとり、三門さんもん四種ししゆをたて、はじめ軍術ぐんじゆつ要道えうどうをひらくといへり。吾朝わがてうには、仲哀帝ちうあいてい御宇きようにわづかに三畧さんりやくしよわたるといへどもなかたえたり。其後そのこ吉備きひ大臣だいじん入唐につとうとき三畧さんりやく一部兵書へいしよつたへ、鞍馬寺くらまてら宝蔵ほうざうにおさめらる。また延喜帝ゑんぎてい御宇ぎよう勅命ちよくめいよつ大江おほえ維時これとき入唐につとうして、六〓ろくとう三畧さんりやくおよび孔明こうめい四首ししゆ八尾はちお常山じやうさん蛇勢しやせい奇正きせい傳規でんき三十余くわんをつたへて帰朝きてうありしとかや。
 嘉永八卯春

鈍亭魯文記 

頼光大江山入らいくわうおほえやまいり   東都 鈍亭主人校合・竹葉舎金瓶著

摂津せつつのかみ頼光よりみつ朝臣あそん満仲まんちうこう一男也。冷泉院れいせいいん判官はんぐわんだい正四位しやうしいじやう昇殿しやうてん伊豫守いよのかみとうしちこく受領しゆれう民部みんぶ大輔たいふ戦功せんこう竒策きしう武畧ぶりやく通人つうしんなり云々しか%\
  安政二乙卯年秋新刻

鈍亭魯文校合 

雙孝美談曽我物語さうかうびだんそがものがたり   東都戀岱 鈍亭魯文鈔録

報讐ふくしう曽我そが物語ものがたり序詞じよし
先師せんしいへることあり。わがところひとところなり。わがる處はひとみるところなり。わがかんがふる處は人のかんがふる處なり。かゝれば珍説ちんせつ異聞ゐぶんはなはだがたく、まい新竒しんき妙案めうあんはあることまれなり。今時いまどき作者さくしやしようするものたゞのみにて、意匠ゐせうらうせず、古人こじん糟粕かすをねぶりて、もつ一口いつこうをぬらす而巳のみ筆写ひつしやよばんもはぢたるわざ此条このでうるにあらねば、鈔録しやうろくもの老舗しにせとして、こゝ補集まとめる曽我そが物語ものがたり冨士ふじよりたか兄弟けうだい孝勇かうゆうどだいとして五月雨さみだれ徒然つれ%\なるまゝに、かや裾野すそのをかゝぐりて、燈下どうだい暗記くらきいつ小冊せうさつ借宅しやくたく假舎かりやふでる。
 安政二卯歳秋新鐫

鈍亭魯文填詞 

天明水滸傳てんめいすゐこでん   骨董屋主人

天明水滸傳てんめいすいこでん初編しよへん序詞じよし 筆硯萬福|大吉利市
白波はくは緑林りよくりん家鹿かろくひとしく、はま真砂まさごのかず/\なるも、その悪行あくぎやうことなることなしといへども、そがなか義賊ぎぞくあり。忠臣ちうしん孝子かうしもんりて、その貧窮まづしきうかゞものから、ぬすみたくはへたる黄金こがねわかち、とぼしきにみてるなど、いまむかしなほあるめり。こゝに何某なにがし抄録せうろくしぬる神道しんたう徳司とくしも、そがたぐひにして、悪行あくぎやう善志ぜんしあり。しかはあれども、天網てんかうつひもるることあたはず。児童じどう盗跖とうせきがことを思ふて、うかべる雲の栄花えいぐわうらやむことなかれと云々しか%\
 安政三辰孟春

骨董屋主人即題 

天明水滸傳てんめいすいこでん第弍編だいにへん總括そうくわつ序言じよし 大吉|利市
羅本中らほんちう一百八個いつひやくはつこ悪星あくせい人化じんくわしてぞくなす事跡じせき著述もうけて、三世唖をしうまれたりとかや。紫姫しき五十余でう物語ものがたり好色こうしよく艶言えんげん編綴あみつゞりて、ごく呵責かしやくをまぬかれずと、ある博識ものしり大人うじきゝにき。つら/\かんがふるに、羅氏らし脚色しくみ式部しきぶ趣向しゆかうも、おもむくところ勧懲くわんちやうの二ツにして、おのづそのあくこのみ、そのいろこのむにはあるべからず。しからば、浮屠ふと善行ぜんかう方便はうべんなん釋氏しやくしはづべけんや。本傳ほんでん作者さくしやこれをおもふて、賊傳ぞくでん筆記ひつきし、書房しよばう倉庫そうこにぎはすこと、嗚呼あゝむべなるかな稿かうなつぢよもとむ。ふたゝだいしてせめをふさぐと云。
 安政三辰孟春

骨董屋主人試筆 

英名八犬士三編   江戸 鈍亭魯文抄録

 一犬當戸鼠賊不能進乎犬乎犬乎勝於猫兒似乕
 ぬは玉の夜をもる犬は猫ならて あたまのくろきねすみはゝかる

めうなるかも本傳ほんでん九集くしう局結けつきよくまさ百六巻もゝむまき新竒しんき極至こくし意味いみ深長しんちやう善惡ぜんあく 應報おうほう勸懲くわんてうのいたるところおよそ江湖中かうこちう許多きよた稗史はいし八犬傳はつけんでんみぎいつるはあらしと思ふ。
  安政二乙卯夏

戀岱 愚山人筆記 

抜翠三國志ぬきがきさんごくし初編   東都 鈍亭魯文鈔録

梓主はんもと三度みたび草盧そうろ音信おとづれ三国志さんごくし稿かううながすとはうそかは此方こちらからみせとふらかゝせてもらふた初編しよへん一巻いつさつ、ところまだら抜翠ぬきがきながら芳宗よしむね大人うぢ高名かうめい〈孔明〉をたのみて画料ぐわれう〈臥竜〉先生せんせいたゝゆるにこそ
  安政三丙辰春

鈍亭魯文誌 

諸葛しよかつりやう字孔明あざなはこうめい臥竜ぐわりやう先生せんせいがう

抜翠三國志かきぬきさんごくし二編   荏土 鈍亭主人再譯

序詞   利市發行
劉氏りうし沛公はいこう貴坊きばう名刀めいたうつたへて白蛇はくじやれいきつ漢室かんしつひらき玉ひ、四百余年よねん静謐せいひつ忽地たちまちかはる〓燈がんだうがへし、王莽わうもう五枚ごまい草鞋わらじ青龍刀せいりうたう鐺返こじりがへしに的身あてみをくらひ、董卓とうたく銅入どういり寄太鼓よせだいこかはともやぶれ、桃園とうゑんむす本神樂ほんかぐらあれば、臥竜ぐわりゆうこうゆきおろし、親王しんわうたち曹操そう/\田樂でんがくにする司馬懿しばゐかゞり、しんとするほど見物けんぶつこひねがふと云々しか%\

鈍亭魯文戯記 

英名八犬士五編ゑいめいはつけんしごへん   江戸  鈍亭主人鈔録

唐土もろこし訓蒙きんもう圖彙づいいわく槃瓠はんくは高辛かうしんときいぬなり。そのとき犬戎けんじゆよりせめけり。そのせうくびもの婿むことせんとありけるに、いぬ将軍せうぐんくびくはへきたりければ、みかどひめあたへらる。いぬ女をおふ南山なんざんり、六人の子をうむ。その子孫しそん滋蔓はひこりたるなり云々しか%\
  安政二卯初秋稿脱

鈍亭魯文抄録 

英名八犬士六編

英名ゑいめい八犬士はつけんし第六輯たいろくしう序詞ぢよし   筆硯萬壽
これこの稗史そうし飯台はんたいの。かの稀翁まれもの膏骨かうこつにして。奴隷やつがれなんどが禿ちびたるふでもて。いみじくしきことを。みだりに鈔録ひろひかきせるは。謂所いはゆる蚊虻ぶんぼう大鵬おほとりあるをしらぬにひとし。とみとみたるものまつしきのまつしきらず。いやしきのいやしものたつときをしららす。孔子こうしせきおもひらず。たかきにのぼ〓猴みこうすら。白波しらなみよする石川いしかはこゝろらず。るからに天地あめつちあはひもの一箇ひとつとしてゑきならざるものはなし。世尊せそん厩戸うまやどいへばさらなり。だい守屋もりや造化ぞうくわ要具やうぐことはざいはく癡漢ばか賢良りこう定規てほん拙案へた高手しやうす鑑定をりかみと。理屈りくつつける自己てまへ豆蒸みそなれもせぬくせ脚色すじ文事理もじり平仄ひやうそく隠微いんびあへばこそ。一字いちじたがひに全巻ぜんくわん義理ぎりうしなふも知らずして。成刻まにさへ發兌あへよき事と。つゞよせたる荒芽あらめやま破裂ぼろはつゝめどはづかしの面伏おもてふせ縫隠ぬいかくばり素針しらいとしてかほ赤岩あかいはの。ねこ針目はりめあてたる。いぬ待針まちばりねらひよくあたるといふを幸先さいさきに。だい六編ろくへんぢよとはなしぬ。
  安政二卯秋稿晩

鈍亭魯文記 

英名八犬士えいめいはつけんし四編  江戸  鈍亭魯文鈔録

いんをおしくわとくこと走馬燈まはりとうろごと人間にんけん万事ばんじ塞翁さいをううまたりさき馬琴ばきん老翁ろうをう八犬士傳はつけんしでん妙案めうあんありそをそがまゝに抜翠ぬきがきして犬馬けんばろうにもおよばねども梓主ふみやために筆記せる者は戀岱の愚山人なりけり。

正安太平記第三輯せうあんたいへいきだい  しう

古今こゝん戯流けりうつたへてもつともひさしきものすぎたるはなし。その人をまよはすこと酒色しゆしよくならべり。ゆへに木野狐と名付たり。常悦しやうえつ周弥しうやともから泰平たいへい國恩こくおんわす廣大くわうたい仁慈しんしそむき、かへつ天下てんかかたむけんとす。蟷螂たうろうおのをもて竜車りうしやむかふの所意しよいいしいたいてふちにのぞむがことく、いかでか天誅てんちうまぬかるへき。つひ木野狐もくやこためにたぶらかされ、中途はんとにして大事をあやまつ。蒼々さう/\たる高天かうてん照々せう/\として、邪曲しやきよくをおほふ事、鏡面けうめんをかざすが如けん。さき田辺たなへそれかし両輪りやうりん奸悪かんあく小巻しやうくわん二輯にしうろくしていまた結局けつきよくいたらず。やつかれ三輯さんしう次編しへんこはれて、勧懲くわんちやうまつたうす。看官みるひと前後せんこ三巻みまきかつして首尾しゆひ調とゝのへ給ふてならん。嗚呼あゝ
 丙辰初夏

骨董屋雅楽題[現金安賣]

輪廻りんゑ應報おうほう 四家怪談よつやくわいだん全讀切ぜんよみきり   東都 鈍亭魯文抄録

〈輪廻|應報〉四家よつや怪談くわいだん序詞
惡人則遠避之杜災殃於眉睫あくにんすなはちこれをゑんへきしてさいおうをびせうにふさぐトハ。すこしき奸邪かんじやの人なりとも。とをざくべしとのことにして。つゝしみに慎をかさねずんばあるべからず。伊東いとう秋山あきやま神谷かみやごときは。われからまね禍事わざはひごとなり。於岩おいわ生質せいしつ又妬なり。石尊戻やまがへりてう曲節ざれうたに。輪廻めぐり/\あひたりしは。しか四谷よつやえんによる。因果いんぐわ同士とうし貪慾どんよくと。色欲しきよく慈悲じひ交張まぜばり屏風びやうぶ取集とりあつめたる反古ほうごなか掘出ほりだしものゝ實説じつせつ写本しやほんねずみはみところをも。ひらかきしたくぎをれ画組ゑぐみをたよりに高看かうかんに。そなはんべることしかり。
 安政三丙辰歳初夏新刻

鈍亭魯文述 

楠公忠義傳讀切   松亭門人 栢亭金山録

楠氏なんし湊川みなとがは戦死せんしして、英名えいめい万天ばんてんかゞやき、ほまれを千歳せんさいのちつたゆ。太平の徳択とくたくにおよんで、古戦こせんのさまを目下まのあたりに見るは、稗史はいし小説せうせつのわざくれによれり。しかりといへども、我等の作者さくしや古人こしんでん抜翠ぬきかきするに文法ほふを知らず。わきまへす。嘲を遠近ゑんきんつたへ、はちを千歳にのこす。これなん、楠氏のいさきよきと黒白こくひやく表裏ひやうり何ぞ異ならん。よま同士としかゝぬ同士、またこれをして上梓しやうせう發客はつかあり。金聾かなつんほうかみなりをこはからず、めくらへひものにおぢざるのたくひとやいはまし。
  安政四丁巳孟春

骨董屋主人漫誌 

英名八犬士七編

およそ小説せうせつめづるもの。馬琴ばきん不識しらざるはなく。よく馬琴ばきんをしるものに八犬士はつけんし不言いはざるはなし。それ八犬士はつけんし小説せうせつたるや。駒谷くこく山人さんじん合類がうるい節用せつよう役名やくめういだせり。そのかみ犬士けんしさかんなることまたしるべし。しかれども犬士けんしの名を見る事外ほか所見しよけんなし。馬琴ばきんひとりはやく見つけて。許多あまた小説せうせつ抄猟わたり苦心くしんして一家いつか大狂言だいけうげんれり。馬琴ばきん卓見たつけんおもふべし。數種すじゆ小説せうせつなれる中に。まづ八犬傳はつけんでんだい一とす。おうせいすこぶ博聞はくぶん強記きやうきにして。殊更ことさらじゆながく。八十有余ゆうよさいたもてる事。幸福かうふく此上このうへやあるべき。魯文ろぶん頃日このごろ八犬士はつけんし鈔録せうろく數日すじつならざれども。すで結局けつきよくちかしとけり。この根氣こんきをもておうなが年まで出精せいなせば。しん作者さくしやとなること請合うけあいなり。あゝ浦山うらやましきかな。
  于時安政四丁巳春

花笠文京誌 

英名八犬士第八輯結局ゑいめいはつけんしはちしうけつきよく  江戸  鈍亭主人鈔録

難津なにはづ浅香あさか山のおさなふでもて。原傳げんでん一百八十回くわひの。一大いちだい竒書きしよなる長編ちやうへん小巻せうくわんはづか八冊に。鈔録かきぬきすなるは。鉄漿かね柄杓びしやく東溟とうめい干潟ひがたとなし。衣納きぬだち裁刀ほうちやうに南山を平田へいでんに。なさまくほりするわざひとしく。くだをもて天をうかゞふのすさみにや有けめ。さりけれともたゞ勧懲くわんてうもとうしなはず。そが面影をもかげはおぼろげながら。看官みるひとうまざることをやうとし。脚色しくみのからくみたるをときほどき。軍旅ぐんりよ闘諍とうそう交戰こうせんを。細密つまびらかにせざる而巳のみそも/\里見さとみ十世の豊栄ほうゑいふさ三州の安寧あんねいは。富山とやまたねまき伏し。ひめぐみの發生はつせいし。はなさきのる八犬具足ぐそく異胸ゐせいの因同はらからかえる。牡丹ぼたん痣子あざあざやかに。きゆ竒玉きゝよく仁義じんき八行はつかう八法はつほう永字えいじ初點しよてんの。ヽちゆだいを示す神通しんつう遊仙ゆうせん其跡あとした狗児ゑのこらも。功成こうなり名遂なとげ退隱たいいん幽栖ゆうせききよくを結びし八巻やまき讀切よみきり稿かう成名をうるゑせ作者。古人の糟粕かす〓〓まるのみに口をのりする門辺の痩犬やせいぬかげ形體かたちほへつゞく。御高評ごかうひやうを尾をふつ願奉ねぎまつるになん。
  安政三丙辰年暮秋

鈍亭魯文敬白 

蝦夷錦源氏直垂後編ゑぞにしきげんじのひたゝれこうへん   東江 鈍亭魯文編次

蝦夷錦源氏直垂後編序ゑぞにしきげんじのひたゝれかうへんのちよ
夫子ふうしいわく危邦きほうにはいらず。乱邦らんほうにはをらず。天下てんかみちあるときはあらはれ。みちなきときはかくる。そも/\げん廷尉ていゐ義經よしつねさい管仲かんちう樂毅がくきをよぶへく。呂尚りよしやう子房しぼうきわめ。かう天下てんがおほふ。しかれどもうんにしてこゝろさし事能あたはず。とほ夷島ゐとうくつすといへどもさら披髪ひはつ左社さしんうしろたつことなく。幾久きく留美王るみわう英名ゑいめい万古ばんこ不易ふゑきにして。神洲しんしう武威ぶゐ外島ぐわいとうかゝやかせり。すで前巻せんくわんにそのしゆろくし。つい後輯かうしうしてもつて結局けつきよくとす。判官はんくわん贔屓びゐき童等わらはへら書舗しよほゆつもとめよや云々。
  于時安政三丙辰初夏

鈍亭魯文記 

抜翠三國誌第三輯ぬきがきさんごくし だいさんしう   戀岱 鈍亭魯文編次

むかし桀王けつわうそのちから鈎索鉄とうさくてつひきのべ重金くろがねつち揉〓もみひろげたり。またいんの討王ちうわうは。猛獣もうじう挌殺うちころしうつばりあげ取換とりかゆる大力だいりきなり。しかれどもこれ勇力ゆうりきは。まこと天下てんかたもち四海しかいをさまるのようにたらず。たゞ道徳だうとく仁義じんぎ政令せいれいにしくことなし。呉魏蜀ごきしよくころ劉備りうび孔明こうめい漢中王かんちうわうにすゝめ玉ふも。諸葛亮しよかつりやう雲長うんちやう青龍刀せいりうたう翼徳よくとく蛇棒じやぼういさほし。これらのあらましをかきあつめて。通俗つうぞく三国志さんごくし草雙紙くさざうしにつゞることさのごとし〓。
みぎのべたる一章いつしやう鱗形屋うろこがたや蔵板ざうはん黒本くろほん通俗つうぞく三國志さんごくし簡端録かんたんにろくせしものなり。とき抜翠かきぬき三國誌三輯さんしう稿かうなついまだじよなし。以是これもつてそれかゆ
  安政四丁巳初春

鈍亭魯文識 

抜翠三國誌ぬきがきさんごくし第四輯   江戸 鈍亭魯文抄録

博陵はくりやう崔州平さいしうへい劉皇叔りうくわうしゆくかたついはくいにしへよりきはまときらんしやうじ。乱極る時は治をしやうじ。だんつくればかんかんつくればだん四時しじ相傳あいつたはるがごとし。天生てんせい天殺さついづれの時かこれつきん。にん人非いづれの日にやすまんといへり。これ三国ごくおこるゆゑんときなり。もつじよかゆ云々。

鈍亭魯文識 

※安政四年四月改

神稲黄金笠松しんとうこがねのかさまつ前編   東都 鈍亭魯文披閲|菊亭文里編次

神稲黄金笠松序しんとうこがねのかさまつじよ
杜鵑とけんはじめつぐあした戀岱れんたい鈍亭どんてい一樽ひとたるをひらき。初枩魚はつがつほ美味うまみにはからずも。七拾五日命いきのびたるゑひまぎれ。末代まつだいのこさんと。たはふれて笑談しやうだんずるに。先生せんせいわらふて曰ク。いぬよるまもにはとりは晨をつかさどる。さんいとはちみつじやうす。ひとまなばざればものにしかず。しかあればまなんで而て。ときにこれをならふてもてのちのこすべしと。一ッの短所たんしよ取出とりいだし。ふたゝしめしていへるやう。大都會おほえど書肆ふみや平林館へいりんくわん主人しゆじんは。活業なりわひひまあるをりひさぐところの和漢わかんしよまなこをさらし。たはむれ稗史はいしつゞりて。かう餘力よりよくたのしみとせられぬ。この一種ひとくさ小説せうせつは。神稲しんとうなにとかやいふにして。すなは主人しゆじん旧作きうさくなり。しかるに彼人かのひとさきとしなが旅路たびぢにおもむかれぬ。その彫板ゑりいたなかばなるを。笹屋さゝや主人あるじあがなたれば。これまし全部ぜんぶとなしなば。〓江みんこう入楚につそいたるべしと。かんでくゝめる言葉ことば枝折しをり。おつときたりでのみこむすゞめしたをきられぬ用心ようじんして。空云うそをつくばの山風やまかぜに。とんで寐所おやどかいるうたも。みずにきかずにともしをてらし。夢中むちう文面ふみづらよごすのみ。
  安政四丁巳夏

菊亭文里まじめに誌 

神稲黄金笠松しんとうこがねのかさまつ

ほんち 三世さんせをし紫式部むらさきしきぶ未來みらい堕獄だごくとも妄語もうごつみつくりと。誰彼たれかれることながら。たでくふむし好々すき%\は。うそといふ字にほこそへたるかふれる作者さくしやにならむと。茅屋ぼうおくしば/\ふは文花はな賢弟おとゝ菊亭きくていなり。此頃このごろ書房ふみやいちぐらに。うい見参げんざんの手はじめとて。古人こじん遺稿いかう編次かきつぎなしゝ。大吉だいきつ利市りし黄金こがね笠松かさまつ題号げたい縁喜えんぎ名詮めうせん自性じしやうあたりを請合うけあふはなあにとは。烏呼をこがま識者しきしやあざけりも。かへりみざる〈三猿〉ものほんばつ今板こんはんこれぎりと。結局くゝり一寸ちよつあはすになん。
  安政丁巳初夏

鈍亭魯文誌 

繍像水滸畧傳しゆうぞうすゐこりやくでん前編   東都 鈍亭主人標記

繍像水滸畧傳序[義發勸懲]
書房新庄堂主人、偶々来訪之次て、僕に謂曰く、江湖上水滸畫傳之新編有と雖も惜い哉數巻にして利市成すべからず。是を以て足下之鈔録を得て再び之を刻せんと欲す。屡辭して屡請ふ。是に於て、要を摘て繁を刪り、不日にして稿を脱し、遂に國久畫才をして之を圖せめ、凡二巻八拾頁、此の書全く畫を以て主爲なす、予は惟其の概略を標記する而巳のみ。畫成て其簡端に序す。皇〓安政丙辰仲夏皐月雨夜、研に呵して戀岱野狐菴南〓燈下に書す。

鈍亭魯文題 

※原漢文

織部武廣三度報讐をりべたけひろさんどのあだうち   東都 〓井北梅著

忠孝三度報讐記序
織部廣武事實傳于世矣今温其志考其旨計其事觀其功可謂至矣經不言乎立身行道揚名於後世以顕父母忠孝之終也既遂其終自暦應之古及安政之今而揚名於後世可謂義士也明矣聖人之道及于海内義士之功満於宇宙如此可謂為人子仁者之道至功名不朽于載而巳。

東都戀岱 鈍亭魯文題 
安政五戊午初夏

摘要漢楚軍談前編てきようかんそぐんだんぜんへん   東都 鈍亭魯文標記

摘要てきえう漢楚軍談かんそぐんだん前輯せんしうくわん序 [靜中一業]
蒲衣ほい八歳にしてしゆんたり。〓子こし五歳さいにしてたすけとなる。伯益はくゑき五歳火をつかさとり項〓こうたく七歳孔子こうしたり。いにしへ聖賢せいけんうまれながらにして神〓しんれいちやうじて狗齋くせいまこと夙惠しゆくけいれつにあらず。しかして史傳しでんのするところいとけなくしてけんなるもおいはなはだせいならず。白絲はくしそめやす孟母もうぼしは/\きようつすが如きこれ也。もしいとけなくしていにしへをしらずんはそのまよひおいとけず。此頃ごろ書肆しよし何某なにがし画者ぐわしやをして古今こゝん智將ちしやう勇夫ゆうふせしめ以黄童くわうどうくわんそなへんとす。よつふで簡端かんたんはしらす。 右題だいす序詞じよし往時いんじ享和きやうわ二歳上春著作堂ちよさくだう主人しゆじん述誌のべしるしたるきう文なり。そが遺稿いこうひさしくいへざうせり。むなし紙虫しみ住家すみかとならんをいとをしみて急筆きうひつじよかゆ云々しか%\
  于時安政丙辰秋稿成\同乙巳秋彫刻同戊午春発市

鈍亭魯文記 

摘要漢楚軍談後輯てきえうかんそぐんだんこうしう   東都 鈍亭魯文標記

摘要てきえう漢楚軍談かんそぐんだん後輯こうしう序 [義發勸懲]
孟賁もうふんいきたるうしつのぬき烏獲うくわく千鈞せんきんをあぐ。とも力量ちからいたれども、軍術ぐんじゆつ智謀ちばうある沙汰さたあたはず。夏育かいく大史たいしけき叱咤しつた勇力ゆうりき三軍さんぐんおどろかし、つひ一夫いつふためころさる。こはその力量ちからもちゆところたがふ故也。かつてきく楚王そわう項羽こううやまぬきかなへをあぐる勇猛ゆうもう古今こゝん獨歩どくほといひつべし。しかはあれども、智慮ちりようすく、笵増はんぞう鐘離昧しやうりまい謀計ばうけいいれずして、けんふしたり。それより以前さきに漢王かんわう鴻門こうもんくわいしてえんせしとき樊〓はんくわいけんぬいにくきりくらひ、數斗すとさけのみて、項王こうわう白眼にらむ目觜まなじりこと%\さけ猛勢もうせいすさまじき。とき項王こうわう樊〓はんくわいをとりひしがざるは、日頃ごろ大勇ゆう似合にあはことにて、こは樊〓はんくわいに先ンじられたる気おくれならんはた樊〓はんくわいが主の危急ききうすくはんとて、必死ひつしきはめたる忠心を、天も感應かんのうまし/\て、だい威力ゐりきそえさせ玉ひしものならん推量おしはかりるべくもあらされど、この一条ひとくだりあげつらふは、後輯こうしう稿かうなり序跋しよばつなきものから、填詞うめくさをものせんとてのわざくれなりかし。

 于時ときに安政あんせいさん丙辰ひのへたつあき文月ふみづき星合ほしあひ
 妻戀岱つまごひざか戯作舎けさくしやふで

談笑だんしやう諷諫ふうかん滑稽こつけい道場だうじやう  鈍亭魯文漫題 

釋迦御一代記しやかごいちだいき初編   鈍亭魯文抄録

前に浪花なにはなる山田のおきな舊本きうほん参考さんかうして。もて六冊に編輯へんしうせられし。釋尊しやくそん御一代記てふ物の本。江湖よのなか流布るふしてより。大恩だいおん教主きやうしゆ忝辱かたじけなきを。末法まつほう有縁うえん宗俗しうぞくやゝ概略おほむねあぢはふ物から。楞伽經れうがきやう讀誦よむにあらねど。無常むじやうぼん趣意おもむきさとり。大乗だいじやうきやうひもとかねど。未来記みらいきせつ自得じとくす。嗚呼あゝこの功徳くどく幾許いくばくぞや。ひとへ佛意ぶつゐにかなはんはた近来ちかごろ万亭まんてい主人あるじなるもの倭文庫やまとぶんこ標目げだいして。意齋いさい大人うしひそみならひ。大皇國おほみくに風俗ふううつし。小稗史くさざうし飜訳ほんやくなししに。時行じかうかなふていまいたり。年歳ねんさい時々じゝへんつぎまきかさねていまだつくせず。さるからに童蒙どうもう婦幼ふやうも。八相はつさう成道じやうだういひわたれり。おもへらくこの両氏りやうしは。まさ彼岸かのきし舩長ふなをさにて。水莖みづぐき水馴みなれざほよく四等しとうふねこきて。つひ八苦はつくうみわたさん。于時ときに書肆しよし新庄堂しんしやうだう茅舎ぼうしや訪来とひきて。かの書等ふみども伯仲はくちうすべき。小冊ものゝほん約倹つゞまやかつゞりてとみあたへよとこふ見識けんしきある著述家さくしやなりせば。糟粕さうはくそしりをはぢて。しば/\これ推辞いなむべきに。元来もとより蛇足じやそくおくせぬ。文盲もんもう不学ふがく白癡しれものなれば。胡慮ものわらひとなるを思はず。すみやかふでをとつて。釈尊しやくそん御降誕ごかうたん起源きげんろくし。稿かうだつして初しうぢつわが物顔がほあたやりつ。遮莫さは數編すへんおよべるは。ひさぐために妙ならずと。新庄堂しんしやうだう注文ちうもんあれば。わつか三輯さんしうにしてきよくむすばん。看官みるひとのちの二ぢつまちて。五妙ごめう神力じんりき涅槃ねはんつひねんまつたたち玉ひなばもの本末ほんばつある花主とくいたゝへん。かつ錯失あやまり考訂たゝすとも。杜撰づさん嘲弄あざけりすつることなかれ。
  安政丁巳秋

東都妻戀里人 鈍亭魯文記 

天下茶屋復仇美談てんがぢややふくしうびだん   江戸作者 鈍亭魯文補綴|票瓜亭念魚被閲

百行ひやくこううちかうをもて。もととしついで。忠臣ちうしん節婦せつぷ信義しんき仁智じんち禮悌れいていその本店ほんたなは。孝行かう/\子路しろ孔子かうしたまへと。魯國から大聖人せわやきまた。正直せうぢき頭上かうべにはかみのあをざし。孝子かうしたまもの忠孝ちうかうまた衆生ものならば。寂光ごくらく浄土せかい成佛ながたびは。引導あんないすると。支那てんぢく世尊おせう金言ちかひむなしからず。こゝ戲友げゆう鈍亭どんてい魯文ろぶん早志はやし兄弟けうだい事跡じせきつばらにしるしなづけ天下てんが茶屋ちやや復仇ふくしう美談びだんいふ此閲これをけみするに一々いち/\金玉きんぎよくこへありかつ空言くうげんはぶき〔き〕實傳じつでん鈔録せうろくして。兒女童蒙ひめわらはたちために。しかも見安みやすはやわかり。ことばすくなにとりがなく。吾夫あづまそだちの江戸紫むらさき式部しきぶ源氏げんじは五十四帖。そは石山いしやま施無畏せむいかく。こは小男鹿さをしか夫乞つまこひの。作者さくしやくちもまたあをき。廿五さいのほん全部ぜんぶ卅丁の讀切よみきり勸善くわんぜん懲惡てうあく首尾しゆびとゝのひそのもとみだれすへひろがりうれる請合うけあふ證文せうもん端書はしがき
 [改][巳十二]歳早春

文友 票瓜亭念魚戲題 

成田利生角仇討なりたりせうすまひのあだうち 鈍亭魯文暗記 芳鳥画

成田山利生角力仇討なりたさんりせうすもふあたうち序詞

物の本の脚色きやくしきたるや。たとふれハ相撲すもふひとしく。腹に趣向しゆかう土俵とへうをつかせ筆墨ひつほく紙硯しけんの四本柱に。引書いんしよの水引かけわたし時代したいと世話を東西の力士になそらへ入替/\年々變る勝負しやうぶ附成田の利益りやくを取組て。丁数てうすう爰に四十八手心をくたき手を碎けとまた番附の端にものらぬ。作者の中の鼻褌かつき字取の稽古けいこつまぬ上。不かくの非力をいかにせん然ハあれとも先哲せんてつの。糟粕かすをねふり趣向しゆかううはひ人の妙として」角力を取やうやくお茶をにこすものから勧進かんしん元のはん元か。贔屓ひゐきを力にうてを張。肩をいからしりきんて見ても合手のあらぬひとり角力。兼好けんこう法師に見せたなら馬鹿/\しうこそ然狂しけれと。笑はれやしつへからむ。さりとて此儘止なんも本意ほゐならす。〓江入楚みんこうにつそ功つもりて。上の口から這上り。大関とハなるなれと。知音ちいんのすゝめに鉄面皮あつかましく。場所をふんたる角力の仇討。力一杯ゑいやつと。暗記あんきの儘に稿かうたつし。若看官けんふつの評判をとる事あらハほこりかに。ひくい」はなさへ高御坐みくら團扇うちわの上つた勝角力。よしそれ迄にゆかすとも。根か草角力の作者なれハ。よいほどにあしらひ給ひて。よはひとてなけ付給はるなと。おそれみ/\あやまつてまうすになん

東都戀岱つまこひたか野狐やこ菴東をみわたまとの前  
草木の花一時に開きてかほり深き処に採毫ふてをとり

  安政三\丙辰弥生某日

鈍亭魯文誌[文]


つけいはく、天道ハ善にくみす。善ハ天理のおほやけなり。人善をよろこ所以ゆゑハ天理の自然なれバなり。人善悪邪せうを見れバ彼是とわきまへ知る。しかるをおのが上に在りてハ是非のさかひにさまよふハ所謂燈臺とうたいもとくらきたくひとやいはまし。そも/\仏の方便ほうへん通ひたるハ物のほん趣向しゆかうにてそ事を勸懲くわんてうにたくして至善をむねとしその團圓たんゑん結局をはりにいたれバ悪人あくにんほろひて善人さかへかならす道にたがふことなし。今や成田山の利生記一巻を暗記そらおほへまゝ綴して孝心かうしんたん亀鑑きかんとす。その文甚だそくにして且あやまりも少からす。しやく者のよむへきものにあらねと童蒙とうもう婦女子ふちよしまきひらかバ善をすゝめ悪をこらすの一ちよともなさバなりなんかし。

   ふでくさをつみて こゝろをつく%\し
      よしあしのみちわかんと おもへば

本傳作者再識[呂]文]

成田利生角力仇討なりたりしやうすもふあだうち大尾

品川屋久助板

國姓爺一代記こくせいやいちだいき二編   荏土 鈍亭魯文抄録

ゆたけくおさまれるすめ神國みくにのいさを灼然いやちこいともたうとくぞありける。異邦ことくにの事をしもながらにしてとるごとにしる。そもまた漢書からふみにあれば童部わらはべ姫達ひめたちよみかりければ皇朝史みくにもじにものして、そをしもまたひなぶりにときやわらげて國姓こくせい将軍しやうぐんてい成功せいこう誠心まめやか中花ちうくはたすけもとつ明朝みんすへおこしてんものと仁慈いつくしみをほどこ蒼生等あをひとくさら撫教なでさとかつはかりきたのゑびすらをほうおもふしてけがさず。しかはあれどさかへてはかならかるるのことはりさと東濘たかさごてふ孤島はなれじま高峰たかねのがれてそのをはるところをしらず。この猛者もさくし美事うまごと衆幼わこさまがたにしらせまほしくて、野末のずへぢゝ懇意まこゝろをしるす事しかり
  ■■■■■■■

鈍亭嵜魯文填詞 

釋迦御一代記しやかごいちだいき第二編   江戸 鈍亭魯文抄録

釋迦御一代記第二輯自叙しやかごいちだいきだいにしふじぢよ
天地あめつちすで開闢ひらけ陰陽いんやう凝結こりむすんで。世界せかい各國かくこくまつたり。日月じつげつあきらかにてらし。花咲はなさきみのれるかたみ千里ちさと八千里やちさとへだち。あるは遠津とほつうみそとなるも。人情にんじやう世態せたいおもむきは。ことなことあるべうもあらずかし。いまはたこゝつゝりなす。世尊せそん一代いちだい顛末もとすへも。こと印度ゐんともうけて。ぶん和漢わかん相半あいなかばし。形相かたちがゝしむるに。もつぱ皇國みくに情景じやうけいすも。所謂いはゆる稗官者はいくわんしやりうの。用意よういにこそありけれ。
  安政戊午夏新刻

戀岱 鈍亭魯文誌 

釋迦御一代記しやかごいちだいき三編   東都 鈍亭主人編次

悉達しつた太子たいし城門じやうもんかへりみて獅子しししてちかついは
われしやうらうひやう憂悲ゆうひ苦惱くのうたゝずんば、きうかへらじ。又復また/\法輪はふりんてんずること不能あたはずんば、かならず父王ちゝわう相見しやうけんせず。まさ恩愛おんあいしやうつくさずんば、つゐかえつはゝ夫人ふじんおよ耶輪陀羅女やすたらによじと云々

傭書 鶴田真容 
  于時皇朝戊午
鈍亭魯文記 

※見返に原漢文。序は「釋迦御一代記第参輯序/安政五戊午初冬刻成/鶴亭秀賀識」。

釋尊御一代記拾遺しやくそんごいちだいきしふゐ第四輯   東都 岳亭梁左編次\鈍亭魯文校合

釋迦御一代記拾遺第四編自叙しやかごいちだいきしふいだいしへんじぢよ
正覚せうがく真正しんせい如来によらい一切いつさい衆生しゆじやう濟度さいどために。あまね天下てんが經廻へめぐり。三世さんぜ因果いんぐわしめし。説法せつぱふし玉ふこと四十九年。万亭まんていおきな童蒙どうもう婦女子ふぢよしために。倭文庫やまとぶんこ編輯へんしうして。勧善くわんぜん懲惡てうあくみちさとし。撰擇せんちやくなること四十餘編。かれ浮屠家ほとけ方便はうべんぼんこれ稗家はいか譬諭たとへくさ獅子しゝ高坐かうざ法談はふだんならねど。机上きしやうふでをとりがなく東訛あつまなまりの國字かな法談はふごも。看官みるひと聽衆きゝて里耳みゝかなへば。すなはち教化きやうげ一端いつたんならむ。さればくさ双史ざうし披閲けみするもの釋迦しやかといへば應賀おうがおもふも。團粉だんごくひ彼岸ひがんとおぼゆる。入滅にうめつ涅槃ねはん因縁いんえんに。たりや似多山にたやま〓〓まるのみの。譏謗そしりまゝかわ財布ざいふはらくださぬ用心ようじんに。つゞ三編さんへん讀切よみきり見限みかぎらで暴病ころうにも。のがれて拾遺しふゐ三冊さんさつを。ゆだねられたる追加おひかけ注文ちうもん筆硯ひつけん万福まんふく活業よわたりの。大吉だいきち利潤りしゆん早速さつそくと。はや呑込のみこみやす請合うけあひも。五衰ごすい三熱さんねつ三十日みそかまへ借金おひめ苦患くげんいとまざれば岳亭がくてい大人うし助筆たすけこふて。つゐ至宝しいはう成道じやうだう諸根しよこん稿かうだつするものから。題目だいもく序品じよほん發語いとぐちを。教主きやうしゆめかしてとくくになん。
于時ときに安政あんせいいつゝのとし。戊午つちのへうま時雨月しぐれづきすへ四日よつか愚息くそく誕生たんじやうきわのぞみ。てつぺんかけし産声うぶこゑを。書齋しよさいうちきゝながら。心約こゝろせわし採毫ふでをとる

天上てんじやう天下てんが唯我ゆいが孤獨こどく青戲個なまけもの 鈍亭魯文漫題 

※序文の筆耕は岳亭だと思われる。三丁裏「戀岱つまごひ野狐庵やこあんおい魯鈍ばか孩児おようい降誕かうたん

報讐信太森かたきうちしのだのもり前編 東都 鈍亭魯文縮編

報讐信太森前編自序かたきうちしのだのもりぜんへんじじよ
きつね五百ごひやくさいにして、よくしやうかゆるといへどもねずみ油揚あぶらげ獵夫かりうどわなのがれず。作者さくしや年歳ねんさいおもむきことにすれども、糟粕そうはくそしりをひけり。とも香味かうみ潤筆じゆんひつの、嗜慾ぎよくふけ有非うひじやうこゝあらは野干やかん一話いちわも、ばけたとおもへども、原稿もとよりうそ革衣かはごろもかの讀本よみほん抄録せうろくとは、看官けんぶつ以前せんこく承知しやうちなるべし。遮莫さばれ石佛せきぶつ美女びぢよみせ馬糞ばふん牡丹餅ぼたもちなすなんどの、意匠てぎは此方こつち肝要もちまへなれど、發端しよてから眉毛まゆげつばぬる書房とひやわな油揚あぶらげに、くひつきやすき安物やすものぞ。やつぱりあふしよくなるべし。
 于時ときに安政あんせい己未つちのえひつじのはる如月きさらぎ古歌こかえにし妻恋つまごひ里人さとびと野狐庵やこあんの主人あるじ

稗官 鈍亭魯文戯誌 

報讐信太森かたきうちしのだのもり後編   東都 鈍亭魯文縮編

報讐信太森かたきうちしのだのもり後編序
往昔そのかみ小説せうせつに。九尾きうびきつねして妲妃だつきとなるとつくり。近衛こんゑのみかど玉藻前たまものまへあひしゝことは。謡曲えうきよく滑稽こつけいにして。信田しのだもり操觚かきかへは。妻恋つまごひ稲荷いなりしやへんすめる。此道このみち老狐らうこ鈍亭どんてい長公あにき机上きしやうれり。されば紙上しじやう白面はくめんと。九尾きうび筆毛ふんでえうをなし。善惡ぜんあく邪正じやしやうおしえさとし勁松彰歳寒けいしやうせいかんにあらはれ貞臣見國危ていしんくにのあやうきにあらはるゝとなせり。ゆへ勤蠢きんしゆん変化へんくわありて。かの清明せいめい三部さんぶ秘書ひしよに。綴目とじめかたくずつるへんついだる六冊ろくさつの。大尾たいび簡端はじめ駈者かけだしものが。いとぐちひらく文象もんざうは。さきぎつねといふべきに哉。

 おなじあななる忍岡しのふがおかかの蓮池はすいけまつをかつぎて
  己未孟夏

岳亭梁左述 

ばつ
何某なにがしつましてさるとなり。童子どうじはゝ和歌わかえいじてきつねとなりしは。和漢わかん同日どうじつだんにしてかの茂林寺もりんじ文福ぶんぶく茶釜ちやがま麥搗むぎつき老婆ばゝたぬきとなると。つゞ作者さくしや虚實きよじつ腹稿ふくかううそからたるまこともあればまことからうそもあり。一日いちじつ戀岱れんたいのぼりて野狐やこあんとふらふに。信田森しのだのもり題号だいがうせる。脱稿だつかう小冊せうさつ机上きしやうにあり。これとり披閲ひえつするに。そのだん虚忘きよもういづれども。そのことまこと誠實せいじつたり。そも/\ぜん善報ぜんほうあり。あくにはかならず悪報あくほうあり。れども善悪ぜんあく新古しんこなく。勧懲くわんてう虚實きよじつなし。架空かくうしよ兔園とゑんさつ。はかなき草紙さうし物語ものがたりも。童蒙どうもう婦幼ふえうならしめば。不讀ふどく正史せいしまさりつべく。不悟ふご聖語せいごにおとらまじや。
 清真堂せいしんだう菓舗くわしみせにおゐて梅笠うめがさ陳人ちんじん

春亭京鶴誌 

抜翠三國誌ぬきがきさんごくし五編   東都戀岱 鈍亭魯文鐸

銅雀臺賦曰どうじやくたいのふにいはく
明后めいこうしたがふて嬉遊きゆうす。層臺そうたいのぼりてもつじやうたのしむ。太府たいふ廣開ひろくひらけたるをる。‥‥略‥‥ ねがはくはこのだいえいかたうしてたのし終古しうこにしておへざらんことを。
  于時皇朝安政己未初夏

日本江都民 鈍亭魯文識 

※原漢文

釋迦御一代記拾遺第五輯しやかごいちだいきしうゐだいごしふ   東都 岳亭梁左編次\鈍亭魯文校訂

三聖さんせい一瓶いつべい□□さけ□□其味そのあぢはふところいつならず。
世尊せそん苦酸くさん上に因果いんぐわといあまきにさとかつ王舎城わうしやしやう佛敵ぶつてきするもの自己みづから劍刀けんとく投捨なげすておのづから如来によらい光明くわうめうな□くこと廣大くわうだい無量むりやう法徳はふとくならめや。
こゝに予がとも鈍亭どんてい主人しゆじんそが同盟どうめい岳亭子がくていしともはかりしやくそん御一代ごいちだい概畧あらましつゞれり。々たる小冊せうさついへとも顛末もとすへ霊説れいせつじつ如来によらいはいすがごと大哉おほいなるかな世尊せそん大哉おほいなるかな世尊せそん元来もとよりふでとるさいなけれど此冊このさつひら感得かんとくあまりに、わらひいとはずこれぢよせんとするものは、陸奥みちのく草深くさふか澤間さはまよりいでいま東江とうこうみやこすめる。
  于時□□□戊午

□凉亭臥□ 

※大虫損。[改・未・六]。三丁裏に千社札の意匠で「交來」「梁左」「魯文」「ホリ竹」等。提灯に「鶴亭秀賀・鈍亭魯文・万亭應賀・大黒屋歌雀・市川家橘」。「ふだらくや枯たる木にも帰り花 京寉」

俵藤太龍宮蜃話たはらとうだりうぐうしんわ   江戸 鈍亭魯文編

俵藤太龍宮蜃話自序たはらとうだりうぐうしんわじぢよ
秀郷ひでさと朝臣あそん龍宮りうくういりは。粟津あはづ冠者くわんじや晴嵐せいらんほまれに。本据もとづく奪體たつたい換骨くわんこつところ近江あふみ瀬田せたはし夕照ゆふぐれてら蜈蚣むかで眼光がんくわうひきしぼつたるゆみづるに。つがふ矢橋やばせ帰帆きはんのぞみて。龍神りうじんよりのかづけもの巻絹まきぎぬたわら太刀たちよろひかの三井寺みゐでら晩鐘ばんしようも。その一種ひとくさうちになん。されば此話このわ父母ふぼとして。あらたにものせし小説ものがたりは。唐嵜からさき雨夜あまよ徒然つれ%\比良ひら高峰たかね暮雪ゆきならで。こゝろにつもるよしなしごとを。堅田かただおつかりがね文字もじにつらねて三巻みまきとし。刻成こくなり發兌はつだ石山いしやまの。あきつき見るころなりけり。
  棹鹿さほしか妻戀つまごひ里人さとびと

鈍亭魯文戯誌 
  安政六稔龍集己未
整軒玄魚書 

平良門蝦蟇物語たいらのよしかどがまものがたり   東都 鈍亭魯文著

平良門蝦蟇物語叙たいらのよしかどがまものがたりのぢよ
たいひとにしてかしらいぬなる槃瓠子はんくはしこともとづき、あらた作設つくりまうけたるものほんや、変化けんげめう宛轉えんてん文章ぶんしやう一家いつけをなして、万犬ばんけんかたちかげほゆ此編このへん三帙さんぢつぜん一部いちぶ上巻かしら猿島さるしま内裏たいりおこり、中巻からだ山東さんとうとらかり下巻しつぽ蛇足しやそく愚案ぐあんに出れは、ぬえ物語ものがたりともなづくべきを、蝦蟇がま物語ものがたりだいしつゝ、名詮自性みやうせんじしやう自作じさくめかして作名さくめいすること盲蛇めくらへびものおそれざる、〓蜍かひるつらにむかふみづの所為しよゐなりかし。
とき安政あんせいなゝとせ睦月むつき七日なぬか妻戀坂つまごひざか鈍亭どんてい

假名垣魯文しるす 

傀儡太平記あやつりたいへいき   東都 假名垣魯文編

古人すでにいへることあり。こと%\しよしんせば書なきに不如しかずと。それ物の本の成れるや事をきよまうけじつのべもて勧懲くわんちやう一助いちちよとす。遮莫さばれきよじつうつはにして、あくぜんかゞみたり。きよもまたとるべきところあり。じついるるといれざるあり。善惡ぜんあく輪廻りんゑ両車録りやうしやろく。そを脚色きやくじき小説せうせつは、たゞ晝夜ちうや急筆きうひつにて、趣向しゆかううむいとまなければ、虚實きよじつさかひあけつらはで、そがまゝ傀儡あやつり太平記たいへいきなづけぬ。

假名垣魯文誌 

忠勇景清全傳ちうゆうかげきよぜんでん   東江戀岱 鈍亭魯文著

忠勇景清傳 叙
是歳コトシ天〓雪飄リ春寒花遅シ。偶友生ヲ撩シテ向火夜話ス。坐隅ニ一客有リ、喃々トシテ景清全傳ヲ讀メリ。乃鈍亭魯文子カ著ス所ナリ。凡ソ柱ニ膠シ管ヲ観者ハ之ヲ叩テマサニ劔ヲ按シテ目ヲ〓トス。シ燭ヲ秉リ燈ヲ剪ル人之ヲ見ハ、節ヲ撃テ頭ヲ頷ス所有ン。略其微意ヲ跡ルニ、則忠義ヲ貴テ勧善懲悪之道ヲヘ、人情ヲ冩シテ以伉儷愛慕之心ヲ著ス。維劇傀儡ノ曲胸ノ次ニ蟠リ、滑稽洒落ノ戯、毫ノ端ニ貫ク。糟粕敢テナメズ。狐ノ涎レ其レ舐ツベシ。若乃レ評林花ヲ攅テ、新鮮笑海人ヲシテ蜿シ轉ハ令ム。漢ヲ譯シテ俗ニ通シ、諺ヲ絢テ以テ詞ヲ隱。アヽ魯文子ハ誰人也ナンソヤ。蓋シ前身須狸奴白〓之精ナルヘキカ。タヽ稗宦者流之知ラザル所ヲ知ルノミニアラス。况ンヤ又辧瀾カノ慱問ニ答ベキ者ヲヤ。自在ナル矣哉カヤ。此於テ興ニ乗シテ戯ニコレカ序ヲ為ス。
  時安政庚申孟春小台麓且志菴之デコ山人〓ヲ忍川軒ニ〓ス

岳亭梁左識 

※原漢文

於登美与三郎氷神月横櫛むすびがみつきのよこぐし前編   江戸 鈍亭魯文

氷神月横櫛むすびがみつきのよこぐし前編序
婦女をんなかみよれつなには、大象だいざうもよくつながれ、ぞつと素顔すがほ洗髪あらひがみには、おぢ坊主ばうずもうつゝをぬかして、蹇車いざりぐるまをもとむるならん。女子によし自己おのれ愛歓よろこぶものゝ、ためにしも容色かたちつくれど、うきたる性質さが水鏡みづかゞみとげちぎり薄化粧うすげしやうかりいろはさめるにはやく、西〓せいしひそみ貴妃きひゑみ、うちにかくせる絡刀かみそりに、外面げめん菩薩ぼさつ長髢ながかもじは、内心ないしん夜叉やしやへびとや見ん。こゝあらは浪花江なにはえの、よしなしことよこゆく芦間あしまかに横櫛よこぐし音海おとみが、まがれるこゝろ黒髪くろかみも、むすぼれたるおもの、ゆめまこと虚説そらごとも、採混とりまじへたるのみあと口觜くちばし細筆ほそふでに、つゞまる一部いちぶ狂言きやうげん綺語ぎごすゞりうみあさくとも、悪縁えにしふか向疵むかふきつ与三よさこひこいの童謡どうえうも、時行じかうかな錦森堂ほんや注文ちうもんもつれとけ長譚ながものがたりも、二編にへんきよくをむすびがみ。その〓畧おほむね児女ひめ君子とのがたへ、つげの小櫛をぐしじよするになん。
  于時文久元辛酉

東都妻戀の里人 鈍亭魯文誌 

抜翠三國誌ぬきがきさんごくし第六輯   東都 假名垣魯文鈔録

曹操そう/\ほこよこたへてじよさけたいしてまさうたふべし。人生じんせい幾何いくばくぞ、たとへ朝露ちやうろごとし。‥‥略‥‥ みづふかきをいとはず。周公しうこう吐哺とほ天下てんかこゝろす。
  于時萬延元孟穐

糟粕外史記 

※原漢文

英雄太平記えいゆうたいへいき

英雄太平記えいゆうたいへいき叙言ぢよげん
それへい凶器きやうきなり。しかりといへども。これをもて朝敵てうてきたいら逆賊ぎやくぞくせいす。天下てんか國家こつかをさむるのようまづさきにしてぶんのちとす。そも/\此書このしよたるや。くにみだれて忠臣ちうしんあらはれ。いへほろびて孝子かうしいづ忠孝ちうかうとも國家こくか大倫たいりんたとはゝくるま両輪りやうわひとし。かるがゆゑ治乱ちらん失得とくしつ興廃こうはいそのきみとそのしんにあるべく。おゝつほかなきはてんとくなり。明君めいくんこれにていして國家こくかたもつのせすつることなきはみちなん。良臣りやうしんこれをのつとつ社稷しやしよくまもる。そのとくかくるときはくらゐありといへどもたもたず。所謂いはゆる夏桀かけつ南巣なんさうはしり。いんちう牧野ぼくやはいす。そのみちたがふときは。ありといへどもひさしからず。かつてきくてうかう咸陽かんやうけいせられ。祿山ろくざん鳳翔ほうしやうほろぶ前車ぜんしやくつがへるを見て後車かうしやいましめとし。治世ぢせいらんわすれざらしむ。かの入道にうだう常久じやうきう書名しよめいあらため。なづけ天下てんか太平記たいへいきとするものは。當代たうだいていまつるの深意いんいにして。ぼく英雄えいゆうの二字をかうふらせしは。後昆こうこんかへりみ既往きわうにいましめをとらせ。童蒙どうもう田夫でんぶをして。勧懲くわんちやう微意ひいをさとさんとおもふ。れいの老婆らうはしんにこそありけれ。
于時ときに萬延まんえん二ツのとし辛酉かのとのとり睦月むつき下旬げじゆん東都とうと妻戀岱つまこひたい南窓なんさうふんてとり繍像さしゑ填詞てんしするものは鈍亭主人どんていのあるし

假名垣魯文題 

※外題「繪本大功記」(外題芳宗画)、改印「酉二改」。全丁に一魁齋芳年の絵がある。

國姓爺一代記三編こくせいやいちだいきさんへん大尾   江戸 鈍亭魯文記

國姓爺こくせいや一代記三編序     錦森堂壽梓
古語こごいはくとらしゝかわとゞめ、ひとしゝとゞむと。むべなるかな延平王えんへいわう國朝こくてうために、生涯しやうがいその忠義ちうぎせつあらためず。威武ゐぶにもくつせず、富貴ふうきにもとらかされず、南海なんかい孤島こたうに、へいねりかうじ、猛威もうゐ逆浪げきらうきしくづすがごとく、百度もゝたびたゝかふて百度もゝたびかつ勇名ゆうめい四海しかいとゞろき、小兒せうになきを止る(とゞむ)ことはりなるかなもつ結局けつきよく簡端かんたんだい云々うん/\

鈍亭魯文記

※萬延二年五月改


静ヶ嶽七槍軍記しづがたけしちそうぐんき

それへい神速しんそくたうとむ。かるがゆへさきんずればひとせいすと。就中なかんづく真柴ましば大領たいれう兵道へいだう武事ぶじおけるや、のぞへんおうじて、進退しんたい指揮しき猿猴ゑんこうこずへつたふよりもすみやか也。一代いちだい勲功くんこうしば/\なるそがなかに、しづたけ一戦いつせんは、天下てんか分目わけめ争闘そうたうにして、名将めいしやうした弱卒じやくそつなく、七鎗いちさう三刀さんたう勇臣ゆうしんはたらきを筆記ひつきして、睡眠すいみんかゆると云々しか%\
  于時春陽吉旦
骨董軒主人 

新書太功記しんしよたいかうき 初編全一巻 骨董屋雅楽題

わが皇国すめくに六十余しう武門ぶもんせしより六百年来(ねんらい)、頼朝よりともきやう父子ふし三代(さんだい)、五代ごだい將軍しやうぐん尊氏たかうじきやう十三世、天下てんがあさごとくみだれ、英雄えいゆうはちごとおこり、兄弟きやうだい鉾楯ぶじゆんし、君臣くんしんそむけること、ふるふみどもにのせたるところあきらかにして見るべし。こゝほう殿下でんか久吉ひさよしきやうは、賤より生出なりいで給ひ、中興ちうかう一統いちどうてんにせさせ給ひしかば、四夷しゐしづかに、八蠻ばんおさまり、國風こくふうゆたかに、万民ばんみんやわらぎて、戸々こゝ千秋樂せんしうらくとなえ、家々いへ/\万歳樂ばんせいらくをうたふこと、ひとへてんに禀(うけ)、ほうせる、明將めいしやう神武しんぶなりと、その成長ひとゝなり給ふはじめより、大器たいきろくして童蒙どうもうみちびくの一端いつたんとするものならじ。
 初夏卯月仲旬
 市中商家 骨董屋雅楽題 [京][尚]


 四 抄録家魯文

 序文を通覧していくと「糟粕」が鍵語となっていることに気が付く。先行する浄瑠璃や小説実録類の抄出縮約ダイジエストを目的としたものが切附本であった。やや自嘲に過ぎる行文が目に付くが、長編を摘要するのには、まず原作を読み通さなければならず、たとえ切り貼りであっても、それなりに能力が必要であったと思われる。また、序文自体が近世的な「戯文」と成っていて、それなりに趣向を凝らしているとも考えられる。

 このダイジェストを意味する「鈔録」「抄録」「縮編」「抜翠」「縮綴」などと云う語句は、草双紙でも見られるものであり、読本等のダイジェスト合巻も少なくない。しかし、草双紙は五丁一冊全丁絵入であり、切附本とは異なった企画であると思われる。つまり、切附本は漢字混じりの本文で「早わかり」と云うのが目的であると考えるべきであろう。

 また、「披閲」「増補」「校合」と云うのも一体どの程度の関与実態を表したものであるか甚だ心許ない。取り敢ずは魯文が関わったものとして扱っておく方が無難であろう。

 いずれにせよ、鈍亭時代の魯文は抄録家として側面を強く持っていたことは疑いなく、特に曲亭馬琴を強く意識した行文が目に付いた。鈍亭時代が魯文にとっての習作時代であったことは間違いないが、もう少し積極的に「抄録」と云う行為を見直すべきではないだろうか。



▼1.「仮名垣魯文年譜」(「早稲田大学教育学部学術研究」2、1954年)、「仮名垣魯文の研究−開化期戯作の展開と変遷−」(「明治大正文学研究」16、1955年5月)、『転換期の文学』(1960年、早稲田大学出版部)、『明治開化期文学の研究』(1968年、桜楓社)など。
▼2.国文学研究が「文学的価値」なるものに呪縛されていた時代であったから、やむを得ない事情ではあった。
▼3.例えば、『熊坂伝記東海道松之白浪』2編2冊(50丁、文化元年)は黄表紙風の貼題簽が施されて合巻されている。板面は1丁当たり12行で比較的挿絵は少なく挿絵中に本文はない。この本には被せ彫りにより改題再刻され『熊坂長範一代記』(三代豊国画の合巻風摺付表紙、安政期刊カ)という切附本になっている。このように、切附本の様式や内容を先取りした合巻風中本型読本は、十返舎一九の『相馬太郎武勇籏 上』2編2冊(文化2年序)ほか、零本ではあったが、もう一点管見に及んだ。
▼4.拙稿「切附本」(『日本古典籍書誌学辞典』、1993年、岩波書店)
▼5.1985年秋の日本近世文学会で口頭発表、「末期の中本型読本−所謂「切附本」について−」(「近世文芸」45号、日本近世文学会、1986年)、「末期中本型読本書目年表稿−弘化期以降−」(「近世文芸」46号、日本近世文学会、1987年)。後に増補し拙著『江戸読本の研究(1995年、ぺりかん社)に所収。
▼6.最新情報は拙サイト「切附本書目年表稿」参照。
▼7.拙稿「英名八犬士(一)−解題と翻刻−(「千葉大学人文研究」34、2005年3月)参照。

【付記】本稿は2004年9月13日に国文学研究資料館で開催された「魯文プロジェクト」の研究会で口頭発表したものに基づいている。会場で御示教賜った佐藤悟氏、佐々木亨氏をはじめとする方々に心より感謝致します。


# 「鈍亭時代の魯文−切附本をめぐって−」
# 「千葉大学 社会文化科学研究」第11号(千葉大学大学院社会文化科学研究科)所収
# 2005-12-26 追補
# 2006-06-15 追補
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#               大妻女子大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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