魯文の売文業

高 木  元  


要 旨 仮名垣魯文に関する研究は『安愚楽鍋』や『西洋道中膝栗毛』など著名なテキストを除いて著しく遅れていた。この数年間、国文研で組織された魯文研究会に参加した方々の努力に拠って、魯文の著編述活動の全貌が明らかにされつつある。ところが、他作の雑著に提供した序跋や錦絵の填詞、端唄本、引き札などについてはインデックスが整備されていないこともあり、その全体像は必ずしも見えていない。本稿では管見に入った資料に拠り、作家としての出発をした鈍亭時代から晩年に至るまでの魯文の文筆活動、すなわち売文業の諸相を垣間見ることにしたい。



  一 緒言

魯文の人生の軌跡やその業績を辿る時、所謂〈雑書〉の序跋類にも多くの筆の跡を見出すことに気付く。近代的な職業作家像からは遠く隔たっているかもしれないが、近世期の戯作者像から考えれば、岡山鳥や高井蘭山等を引合いに出す迄もなく、何の違和感も感じられない。小説家というよりは〈物書き〉として実に広範な活動をしていたからである。戯作者の原稿料は、所謂印税方式を採っていなかったために、甚だ安かったものと想像されるが、若き日の魯文も口に糊すために依頼された原稿は何でも引受けたに相違ないし、また与えられた仕事で能力を発揮して見せなければ、次の仕事が貰えなかったはずである。しかし、そのことが直ちに消極的な意味しか持ち合わせなかったわけではない。

魯文の場合は、安政期(万延元年以前)の鈍亭時代には〈切附本〉と呼ばれる粗製濫造された廉価な抄出本に本領を発揮する。また、この時期には慕々山人と称して艶本を多く執筆していたことも知られている。この両者に共通しているのは〈抄録〉という方法である。魯文自身は「糟粕」と表現することが多いが、長編テキストをダイジェストするには相応の学識と才能が必要であった。

例えば近世小説の雄『南総里見八犬伝』を抄出した袋入本『英名八犬士』全8編(安政2〜4)は、文字通り原文の切り貼りで作られているのであるが、その文章の繋ぎ方を丁寧に観察するに、非常に良く工夫されていることが分る。この仕事の一方で、艶本『佐勢身八開傳』(安政3年刊、中本3冊)を執筆している。艶本は著名なテキストを換骨奪胎したものが多く、この『八犬伝』のパロディも、実に魯文の戯作センスが横溢していて良くできたテキストだと思う。さらにこの時期に、合巻『當世八犬傳』(安政3年夏、芳宗画、糸屋庄兵衛板)をも手掛けており、名場面を繋ぐ形式に拠ってわずか10丁で終わらせ、世界一短い『八犬伝』となっている。後に『八犬伝』を草双紙化して長い間刊行が続いた『仮名読八犬伝』の28〜31編(慶応元〜明治元年、芳幾画、広岡屋幸助板)を担当する。という具合に、一度仕込んだネタを手を変え品を替えて利用して多くの執筆を続けていたのである。

さて、これらの抄録本類は魯文の文業の一端として扱うことが可能であり、それなりの評価も可能だと思われる。しかし、問題は自作以外の雑書に供せられた序跋類である。例えば〈画譜〉〈絵手本〉の類に魯文の序文を見出すことができる。また、〈花柳本〉や〈割烹案内〉など明治期の活字本にも序を書いている。中でも多いのが音曲関係の本で、〈都々逸本〉〈端唄本〉には数多くの筆の跡が見られる。〈錦絵の填詞〉や〈報條〉〈引き札〉、さらには調査が及んでいないが〈新聞記事〉や〈俳諧〉〈狂歌〉などに至るまで、多くの雑書に遺されている筆の跡を辿ることも、魯文研究にとって(社会史的研究としても)不可欠の作業であると言い得よう。

しかし、斯様な落穂拾いは決して楽な作業ではない。多くの場合、著編者や画工板元名以外の人名が書誌データとしてデータベース化されておらず、愚直に片端からそれらしい本を繙いて見る以外に、発見するための術がないからである。幸い国文研には全国の文庫や図書館から収集されたマイクロ資料が集積されており、これらの調査に多大な便宜を供与してくれた。ただし、今後はマイクロ化されていないコレクションなどの調査が不可欠になる。

以下、本稿では基礎資料とすべき叩台として、管見に入った冊子体資料の略書誌(所在情報)と序文を列挙してみることにする。というのも、此種の本の中味に関しては題名から知れることが多く、序跋類は様式の枠の中で書かれた戯文として、魯文の著作の一端と見做して差し支えないからである。なお、今回は序跋類に着目したため、一枚刷の錦絵や双六、報條や引札などは扱わないことにする。

甚だ不完全なものであることは承知しているが、未載の資料や、多々存するであろう不行き届きについて、大方の御教示を伏して庶幾うものである。

  注

(1) 拙稿「鈍亭時代の魯文 ―切附本をめぐって―(「社会文化科学研究」第11号、千葉大学大学院社会文化科学研究科、2005年9月)
(2) 拙稿「『英名八犬士』―解題と翻刻― 」(一)(「人文研究」第34・36・37号、千葉大学文学部、2005・2007・2008年3月)以下、四で完結予定。
(3) 国文学研究資料館2006年度秋季特別展『仮名垣魯文百覧会展示目録』に、いくらかの資料が谷川惠一、青田寿美、高橋則子、山本和明氏らに拠って紹介されている。


  二 画譜・絵手本

安政期に鈍亭号で2点、文久期に仮名垣号で1点の〈絵手本〉に序文を寄せているのが見出された。その後、慶応以降に〈漫画〉〈画譜〉〈図会〉に序文を寄せているが、これらの画譜は基本的に整版本であり、序文も整版である。

ここでは『萬國人物志』2編 (中本1冊、魯文譯、芳虎画、酉三改〔文久元年〕、山田屋庄次郎板。パリ装飾芸術美術館図書室〔Bibliotheque Musee des Arts Decoratifs / PARIS〕以下MAD〈A024〉)のような、魯文自身の編著作に記された序文(自序)は含まないことにする。

浮世繪手本(中本1冊、卯七・改(安政2・7)、一壽齋芳員、蓬左文庫蔵尾崎コレクション〈尾24-50 / S988〉)

巨瀬こせうぢうまはぎはみ雪舟せつしうねずみ縛縄ばくじやうくひきる馬沓ばくつをもつてかにとなすなど人口じんこう會炙くわいしやすれども。その事情こときはめてさだかならず。また菱川ひしがは姿繪すがたゑ春情しゆんじやううごかし。應擧あうきよ幽霊ゆうれいたましいけすなんどハ。ちと野暮やぼすぎ箱根はこねから。さきころ哥舞妓かぶき仕入じいれ吃又どもまた大津繪おほつゑハ。ひゞきたるおゝいりにて。戯場しばゐのまうけ書房ほんや徳歟國芳くによしさんが名画めいが離魂りこんその教子をしへご芳員よしかずぬしハ。當時とうじ名筆めいひつ画才ぐわさい天地てんち万物ばんもつ有非うひじやうたび筆をはしらすれバ。萬画ばんぐわたちまたいをなし。しかも初心しよしんならやすく。筆数ふでかずいらずにをせめて。細画さいぐわする浮世うきよ繪手本ゑでほん當世たうせいふうふでづかひ。ざらめやハならはざらめやハ。これぢよをせしやつがれもそろ/\まなばんとおもふにそ

 安政二

戀岱野夫  鈍亭魯文戯誌 [文] 



繪本早學 初編 (中本1冊、一光斎芳盛、20丁、上田花月〈美術166〉、国文研)

早學ゑほんはやまなび初編しよへん

そう井興せいこうゑがけりゆうぎんずごとくにして。沛然はいぜんくもをこ四明しめいそうゑがけとらうそぶ蕭然しやうぜんかぜしやうず。吾朝わがちやう古廟こびやう繪馬ゑま闇夜よるおにのせ奔走はしり畧画りやくぐわねこ。よく家鹿かろく防禦ふせぐとも丹誠たんせいしんるのめうなり。遮莫されば起伏きふく升降せうかう画法ぐわほうならやすまなひがたかり。友人とも一光齋いつくわうさい芳盛よしもりぬし。丹青たんせいがうそむるをもて。くわつぎやうとするに光陰としあり。平常つね机下きかしよくする。教弟をしへごみちびくに。そが最初はじめふでを[王民]みんこうあさきにふくませ。つい入楚につそ硯海けんかいふかからしめんとほりする随意まに/\そのみち枝折しをりともなれかしとて。寸馬すんば豆人とうじんのいとまめやかに。山川さんせん草木そうもく草画そうぐはおよび。禽獣きんじう蟲魚ちうぎよ網羅もうらもらさず。ゑがあつめし一巻ひとまきを。とみ繪本ゑほん早学はやまなびとハ題号なづけらる。かつ意匠ゐせうらうせるや井講せいこう四明しめいそうおよこととほしといへども初心しよしんためようとすなれば。ならやすまなふにちかしと」そが理解ことはり簡端かんたんじよして。填詞うめくさをかいしるすも。所謂いはゆるへびゑがいて。あしそふるすさみそやあらんかし

時維ときにこれ安政四丁巳葉月はつき初旬しよじゆん毫採于戀岱小説書屋ふでをとるれんたいのせうせつしよをくにあせす

 稗史著作郎はいしちよさらう   鈍亭魯文題 [鈍亭][呂文子] 



諸職画通しよしよくがつう初編 (中本1冊、一立齋廣重画、松林堂、MAD〈A252〉)

つぼうち天地てんちをさむる。仙人せんにんじゆつハいざ不知しらず寸楮すんちよばんもつかたちをなし。情景じやうけい目前まのあたりする事。みちまされるハあらさるべし。こゝ立齋りうさい廣重ひろしげ先生せんせい亡父ばうふこゝろ継木つぎきうめまた青軸あをぢく荘年わかうどながら。そのわささきおきなはぢいへかぜをも吹傳ふきつたえ。かんばし四方よもにかをらし。出藍しゆつらんほまれほとんどたかかり。されバ長者ちやうじや二代にだいなしと。ことはざいふめれど。楠氏なんし正行まさつら大星おほぼし力弥りきや義勇ぎゆうしやうぜしごとく。かいるの」かいるとなり。うりつる南瓜かぼちやならずと。よく鑑定みきはめ本蔵ほんさうこうもく自身じしんたくより時珍じちん評判ひやうばんのうあげたる漫画まんぐわ一帙いちじつ。これをひらけハおどろき。これをまなべバたくみかんず。嗚呼あゝこのちゝにしてこのあり。人形にんぎやうかく天窓あたまかく。寺子てらこ仲間なかまよだれくりとひとッにこんずることなかれ。また板下はんした刻成ほりあげとハ画面さうかうかはるなんどゝ。身代みがはりのにせふでならぬ筆法ひつぽう傳授でんじゆ繪習ゑならひかゞみその證人しようにんてら朋友ともだち

  文久三亥春

假名垣魯文書之 [印] 



一魁漫畫 初編 (中本1冊、一魁齋芳年筆、篤尚堂板、MAD〈A023〉)

一魁いつくわい漫画まんぐわ 初編しよへんぢよ

呉道子ごどうしあまね諸經しよきやうにわたりて地獄ぢごく変相へんそうゑが探幽たんゆううたゝしよぶつあざり百鬼ひやつき夜行やぎやうかたちたくめりされば画材ぐわさいなづくものすべじやう有情うじやうにつかひかたちなきをかたちとしせざるをそなふるをはたらきとよび滑稽こつけいといふかの雷槌すりこぎはねはへじやかさあししやうずるたぐひをさして狂画きやうぐわめづるは僧正そうじやう以来いらい好事かうずになんこゝとも一魁いつくわい主人しゆじん玄々げん/\妙手めうしゆ玄冶店げんやだな末門ばつもんぎやうおこせどそのわざ社中しやちうすへくだらず青年せいねんにして老工らうかうはぢ一度ひとたびふでふるふときんば百圖ひやくづ百象ひやくしやう紙上しじやううか一編いつへん漫画まんくわ手中しうちうあふにや諸木しよぼくさきがけ名詮みやうせん自性じぜうかんばしき年毎としごとかほらするうめつぼみふでさきひらきてはるを知りなんかし

假名垣魯文誌 

※刊記「慶應二丙寅年五月發行\書林\大坂\伊丹屋善兵衛・河内屋喜兵衞・河内屋茂兵衛」、後印本。


都名所画譜 初編 (中本1冊 朝香樓芳春筆 国文研・立命館大ARC)

都名所画譜みやこめいしよぐわふ初編しよへんじよ    [行事改印]

萬物ばんもつ形象かたちあり形象かたちといへばすなはちぐわなりそのぐわとくたる一字いちじ不通ふつうともがらこれ披閲けみしそのものなるをるにいたかるがゆねんさいくわみちおこなれてこく画帙ぐわちつおゝかるなかこの一冊いつさつ友人とも一楊齋いちやうさい主人しゆじん遠境えんきやうつえはせわたせばやなぎさくらこきまぜてと和歌わかよめりしみやこ勝地しやうち矢立やたてふでしるしおけるを書肆しよしいつのひまにか探知さぐりしりけん紙魚しみすみ家をおとつれねんごろ板下はんしたもとあづさはなさかせつゝ美屋古みやこ名所めいしよ画譜ぐわふだいするはかのした画名くわめいちなはるにしきこゝろにやありけむかし

慶應丙寅\孟春

應需 假名垣魯文誌[文] 



潜龍堂画譜 魚之部 (半紙本1冊、画工・瀧澤清、萩原政之助刻、MAD〈A136〉)

潜龍堂せんりやうだう画譜ぐわふ小言せうげん

〓元英こうげんえい談叢だんさうよりとらゑがくに林木りんぼくを以てせざるを知る。それとら〓鼠へうそおそさくるをつねとす。〓鼠へうそおほ深林しんりん枝上しじやう隠栖いんせつ林中りんちうとらすぐるを見れば必ず鳴噪めいさうしてみづかおのれぬきとらたうずるにそのつくところむししやう偏身へんしんさうしやう腐爛ふらんしてつひいたる。かるがゆゑ林木りんぼくうちとら至らず。画学ぐわがく逸史いつしとらゑがくに平原へいげん曠野くわうや茅葦ばうゐ叢薄さうぼうちまじゆるもかつ林木りんぼくなさざるはまことゆゑあり。五雑爼ざつそとら林中りんちう微證びしやうあぐあゝ鳥獣ちやうじう花木くわぼくそゆるも」その好憎かうぞうを知らずしてゑがもの筆勢ひつせい活溌くわつはつたるも〓鼠へうそへるとら死画しぐわといふとも不可ふかならず潜龍堂せんりうだう画方ぐわはうよくその古実こじつわた画法ぐわはふまつたるものとす。丹精たんせいまたもつたのし。すなはこの小言せうげんしるしてじよゆ。  明治十二年極月きよくげつねん>三日武総橋ふさうきやうへん旧虎きうこ\新舗の書屋しよおく

假名垣魯文漫題 [猫印] 
※刊記「明治十三年一月出版/求古堂・松嵜半造」


暁齋鈍画 初編 中横本1冊 (国文研〈ヤ8-254〉)

暁齋きやうさい鈍画どんぐわ初編しよへん序詞じよし

よくあやしきをするもの董狐とうこしやうして古語こゞあり惺々せい/\先生せんせいひとんで画鬼ぐわきしやう なほこれ餘賛よさんして画中ぐわちう董狐とうこしやうするもまた不可ふかならずとせん先生せんせい元来ぐわんらい狩野家かのけもんあり壮年さうねんぐわふう自然おのづからその範圍かこみはなれ一運筆うんひつ縦横じうわうざいあんかしめしんおどろかすの竒形きぎやうぐわかつ陳平ちんぺい傀儡でくつくりて漢高かんかう白頭はくとうかこみ魯班ろはん木鳶もくゑんけずりてんんで三日にいたるとこれみなそのしんつうずるのゆゑなりあるひいふちやうそうえう壁上へきしやうりようゑがひとみてんずるときすなは雷電らいでんしかして飛騰ひとう兆典てうでん不動ふとうゑがくに背後はいご火焔くわゑん紙上しじやうこがすとどう一のめう先生せんせいの」手裡しゆりにあり先生せんせいる二十餘年よねんあいよりいであいよりあをきハもつところ硯池けんち波上はしやううほをど活溌くわぱつ筆勢ひつせいあに鈍画どんぐわ題號だいがうしかりとするにしのびんや今茲こんじないこくだいくわい勸業くわんげふ博覧はくらん會場くわいじやう出品しゆつひんの一ぐわその定價あたいゑんきんしかるも衆目しゆうもくつと購求かうきうきそひしを先生せんせいせい枯木こぼくしやうからすともほとんたかきをしやうするなりゆゑ此事このこと緒言しよげんとす  于時ときに明治めいぢ龍集りうしふ十四ねんだいけつ新橋しんはし竹川街京文社きやうぶんしやろうにいろは新聞しんふん校閲きやうえついとま紅塵かうぢんふかところだい

辱知 假名垣魯文記[文] 



木曾街道圖繪 後篇 (中本横本2冊、北齋門人蹄齋北馬筆、MAD〈A008〉)

蹄齋ていさい北馬ほくば老人らうじん筆頭ひつたう達者たつしやなるは。神行戴宗しんぎやうたいそう鉄脚かなずねおそしとし。おい倍益ます/\さかんなるは。東方朔とうはうさく気力きりよくをもすくなしとすべし。漫画まんが萬里ばんりふでとはし。百冨士ひやくふじ高根たかね墨水ほくすいらして登龍とうりう体裁ていさいあり。この小冊せうさつ老人らうじん木曽路きそぢふでを走て。六十九次を目前まのあたりゑがゝれたる遺墨ゐぼくちう名勝めいしようにして。眺望てうばう奇観きくわんあへすべき」ものなく。さき初編しよへんこくなりて。ついで二へん發兌はつだちかし。これしよせよともとめおうじ。木曽きそ棧道かけはしふみもぬ。ふでのかさつえとりあへず。漫書そゝろがきなるたびも。おきな達爛たつしやもやらで。わづか半丁はんてうをすぎずして。はや草臥くたびれふでやすめつ   巳の春

戯作者けさくしや抜参ぬけまゐり\假名垣小僧\魯文しるす [文] 

※刊記「明治廿七年五月廿六日翻刻印刷/同年五月廿九日發行、博文館」。初編の序は「松古山人記」。これも「尚古」に音通するので魯文ヵ。

   三 端唄・都々逸

魯文が歌澤に入門し端唄や都々逸の作者や撰者としても活動をしていたことは知られているが、具体的な魯文の活動の様相を明らかにすることは容易ではない。序文を記したものでも、単に序を寄せただけのものなのか、撰者としての撰集なのか、自作集なのかの区別が明確に出来ないからである。また、「鈍亭魯文」や「仮名垣魯文」は当然として、「仁田澤鈍通」「杉の本鈍通」「鈍通子」(元祖)や「骨董屋」「雅楽」「野狐庵」「妻恋やもめ」などという別号も使用しているようだ。ただ、他の作でも見掛ける「竹葉」「瓢亭念魚」などが、魯文自身かどうかは断定できるだけの資料が見当たらない。この手の端唄本は無数に残存しており精確な書目も備わっていないため、魯文の足跡を辿るには甚だ心もとないが、取り敢えず管見に入ったものを集めてみた。


いろはがな冠どどいつ(中本1冊、国学院高藤田小林・上田図花月・都中央〈5644-69〉)

倭漢うたよんで。たけき鬼神の心を和らげし。雲上人をくげさまハ。侍人にあふて詩を献し酒客のみに。釼菱けんびし酒札さかてをあたへし。不意まくれあたり幸福さいわひなり。雅俗かそく今昔こんじやくの人情をさつすに雅人がしんそく人をあなどりて。文盲もうよべハ俗人雅人をあさけりて。偏屈くつとな大鵬ぼう燕雀ゑんじやくわらへども。藪蚊やぶか眼毛まつげを喰ふ□むしに。へこまされたるためしもあり。すぎたるハ猶不及およばずと。吾輩じぶんの田夫へひく無益論みづかけろん。餅はもちやと發客はんもとの。主人あるじが目ざす堕落者なまけもの四十八字のどゝ一を。足下おまへ述意かくきハなゐかいなと鼻唄はなうたまじりのちうもんちやく。おつときたさと請合拍子ひやうし例のずるけの催促さいそくも。まゝよ/\て半月斗に横たにかぶりをふりなから。意趣こゝろいきとか何とか題号なづけて。金針のおれ倉卒ふつゝけにやうやく稿成た。假名いろは浄書きよがき蚯蚓みゝづののたくり涎童よたれくり頭上あたまとゝもに。かくのことし

 嘉永甲寅仲秋葉月

戀岱麓 野狐庵主人記[文]」 

うそ八百の粹個すいこ浄談泊じやうだんぱく遊戯ゆうき堂に會合くわいがうして度々どゝ一の新案あん著作つくりなすところ

鯰・晋呑・徳・魯文芳直 

つもりにしかず\かきつめて\言の葉の\にしきの衣\つゞりあけけり  半可通人

○初桜天狗の書たふみ見せん 晋子」 今昔人情不こんじやくにんしやうおなしからす
古調賀曲又新こちやうのがきよくまたあらたなり  度々逸居士

めでた/\が\三ッかさなりて\にわ鶴亀つるかめ五葉こようまつ

野狐庵主人著述」 

※「野狐庵編」「一盛齋芳直画」。巻末に16丁の「辻うら」(板心)を付す。都中央本は外題「辻宇良つぢうら都々逸どゞいつ」見返「馬四吉文板」、落丁存。


はん夕暮ゆふぐれかへうた(中本1冊、11丁、直政画。都中央〈5643-5〉〈5643-5ア〉)

端唄つれ/\草 全

夕暮序ゆふぐれのぢよ

徒然つれ%\なるまゝに日ぐらしのすゞりに向ひ。こゝろうつりゆく架空寓言よしなしごとを。著作かきつくるといひたらんにハ。どふやら高上かうしやうらしく聞ゆれど。しちの利上の覚記おぼえがきや。借金しやくきんことわり手簡てがみに、青息あほいきついたるそか折から、れい書房ほんや入來いりきたり夕ぐれの替歌かへうたぢよせよとふ。取あへず披閲ひらきみ百花堂ひやくくわだう主人あるしゑらみれり双丘ならびがおかの」兼好けんこう法師ほうし往古そのかみのわざくれハ。也哉やかな法師ほうし今様やう洒落しやらくにしかずあだころ文句の一ふしにハ。色好いろこのまざらん玉のさかづきそこぬけ上戸も。杯盤はいばん狼藉らうぜき不礼講れいかうはぢ芋喰いもくひ僧正そうぜうのむくつけきも。栗喰くりくひ娘のおてんばなるも是をまなんつうならしめ。甚九じんくおどかなへかぶりも二上リ本調子てうしの意氣なるをよろこび。爪弾つめびきおもひはこばすなど。みな此ぬしの中にいててこれや仏家の方便べん妄語もうご衆上しじやう済度さいと大通だいつう知識ちしきじつに有がたいとまうしやす元来より野暮鴬やぼうぐひす片言かたことながら文友がひにホウ補戯興ほけきようぢよする而巳のみ

 安政二\卯初夏

つま戀のやもめをのこ\鈍亭のあるじ\魯文しるす[文]」 

※見返に「元うた」を載せる。ノド「つれ/\」。「妻恋やもめ」(11ウ)

夕くれ 弐編 (中本1冊、11丁、直政画。都中央〈5643-5〉、蓬左尾崎〈19-107 / B480〉)

はるあきといづれじやうふかからん。まさおとりなしといふ貫之つらゆきあきかた衰情あいじやうふかくておもむおほしといへり。かつあきりつ調しらべにて。糸竹いとたけ調子てうし殊更ことさらによしといふ。されバあしたゆふべ情愛じやうあいこれにひとし。五条ごでうわたりの黄昏たそかれに。しろあふぎ夕顔ゆふがほはなもてあしらひしも。夕暮ゆふぐれごろ洗髪あらひがみあだむすめぢいさんも。夕暮ほめ下涼したすゞみすゞにつ〔チヤン・ ラン〕/\。ゆふくれいそ見世みせ出前でまへ。またみせらぬ小册しんこまでくちかゝついそがしい。好男こうだん美嬢びじやう御催促ごさいそく納涼すゝみがてらの夕暮ゆふぐれに。おん立寄たちよりとりあへず。ヘイ新板しんばんかへ唄で厶

筆顛道人述[念魚] 

業平蜆 行平鍋 」

√夕ぐれになまけ仕事しごとのすみきらずつき不自由じゆうのまず著述ちよじゆつかけたさくができぬぞへマタできぬかへするけものこれてもおにはあわせ舛   野狐庵

鈍亭魯文披閲 [文]」 

※都中央本は初二編合綴。見返「遊宇九麗貳篇」。板心「夕くれ二」。作者として「野狐庵」のほか「竹葉・念魚・筆顛・票瓜・魯国屋」などと見え、八代目・しうか・家橘の追善を載せる。


東天狗木之葉都々一あづまてんぐこのはどゝいつ (中本1冊、10丁。蓬左尾崎〈尾19-127 / B500〉)

ひとをくらまさんにもあらバこそもとより山の天狗てんぐでもなしとハ故人こじん風來ふうらい山人さんじん狂詠きやうえいなり近頃ちかごろ十把じつぱトからげの連中れんぢう三杉みすぎ四杉よすぎ杉林すぎばやしとうくわいむれをつどひておのがまに/\諸藝しよげいをつらね一番いちばんをちをとらんとするもの大都會たいとくわいいくばくぞやしかハあれどもはなたかきがゆゑたつとからずうなるをもつてたつとしとすの先言せんげんあれバもそのむれまじわりつい三熱さんねつ魔界まかい扇歌せんか和尚おしやうあとをしたひたゝ此道このみち僧正そうしやうばうとならんとほつ而巳のみ

 安政二乙卯初春

妻戀鈍亭の食客   石川亭板等 [印]」 

「常磐津・富本・清元・長唄・都々一\〔舩〕入\東天狗連\正月二日夜より\千客万来」

 見臺けんだいにつかへるはなたかみくら熱湯ねつたうのんでうなるしよ天狗てんぐ

妻こひの\やもめ [文]」 

※外題「〔新板・流行〕はうた\東天狗木之葉都々一\連中作名入\初編」、見返「東天狗この葉とゝいつ\[當世]」、末丁「石川亭板等校[栄]」。


きやりくずし かまくら 初編 (中本1冊、直政戯画、鈍亭魯文閲斧)

からうたうたへ唐人たうじんをきどり。和歌やまとうたうなれバお公家くげ声色こはいろをつかひ。端唄はうたつくれ作者さくしやだと思ふ。悉皆つかい天狗てんぐうつをせんと思へバなり。此頃このころ板元はんもと鎌倉かまくらしん文句もんくへるまゝにこいつハ大方おほかたうれるだろうてせざるハゆうなしとそばから音頭おんどとりがなく。あづますくきやりの一曲ひとふししめろやィと寿ことふきじよ

 安政二卯水無月

往事いんじ歌沢うたざわ老婆らうばもんいりて\なに天狗てんぐとハよはゝれし堕落なまけもの

鈍亭魯文述 [印] 


きやりくずし かまくら 弐編 (中本1冊、直政戯画、鈍亭魯文閲斧)

たきゝこる鎌倉かまくらくづしの唱哥せうかとりなくあづまにてきほひいさめる侠客ましらをがもてはやす事とはなりぬさるからに春霞はるがすみ三筋みすじひくなる唄女うたひめさけむしろことほぎのまどひにもこれをしもさきがけにすなるはかまくらてふ名にふさはしくてこや此道このみち大天窓をゝあたまならんかも彼地かのちうみよりいづるてふまつうをとふしともめでさらめやはあぢははざらめやは

 辰の春

鈍通子しるす[印]

※辰は安政3年。『音曲大黒煎餅〈絵入りはやり唄本廿種〉(俗謡叢書第7冊、太平書屋)所収。「いなせぶし さくらのかえ唄」も同書に載る。青田氏の御示教に拠る。


いなせぶしさくらのかえ唄

くみかはすさけにさくらもゑひやせん\かたにかゝつてもとるくち\葉唄絲竹」(見返)

〔流・行〕さくらのかえ唄 いなせぶし

大天狗連 宗匠坊 ゑらみ 

本うた

√さくらヱゝ/\きりしまさゞんかなんばのさつきか今みやかはぎぎやうさんなきくたいけんじあやめヱゝかきつはたァにおみなァへし

ハヤシたほさけ/\れんげはなさつせろにほひがすきならハツハはくほたんひィじんそうかョ 」

端唄はうた録家仙ろくかせん

しんの七けん竹林ちくりんむれをつどひておのが随意まに/\遊戯ゆうけをつくし端唄はうたの六せんハ一の語呂にもとづき替唄かへうた趣向しゆかうにたわけをつくす一けんきよほへ万看ばんかんじつうた嗚呼ああ

たいくつの口へ飛込とびこむ薮蚊やぶかかな\野慕庵

鈍通子・かな和尚・梅暮里禮・鈴亭谷峩・放心喜廓・瓢亭念魚」

√さくハヱヽ/\ 種員たねかす 種清きよ 西馬さいは魯文ろふんか万亭か あの金水きんすい 春水しゆんすい 錦鵞きんか 英寿ゑいしゆ 谷峩こくか山東さんとうあん

ハヤシたんとかけ/\合巻かうくわんよみ切目先めさきをかへ唄サツサはやく新はんうりだすこつたよ

栗毛舎 蹄里作」 

※『音曲大黒煎餅 〈絵入りはやり唄本廿種〉(俗謡叢書第7冊、太平書屋)所収


新板さくらヱ引 かへうた いなせぶし 2編 (狩野文庫)

都々一とゞいつ宗匠そうせうぼう高座かうさをくだりて以来このかた愛宕あたご鞍馬くらまむれならぬすつてんてんつく天狗てんぐれん真似まねをするからす連中れんちうみづにハおとる白湯さゆのんくちはしをとがらせつゝうたふハさくらの伊奈世いなせぶしそのうはしるをすくひ取していつも小冊こほん仕立たてたるハ梓主あつさぬし小刀こがたな細工さいく人のふとり角力すまいとる設利まうけにつよき利喜市のはやわざそのさんへん口序かうぢよにやとわれ土方とかたにはを りたるをのれ微才びりきふでのさき口さきにてわらかすくとしかなり

 弥生のころ

骨董屋鈍通子のふる[文] 

√今のヱヽ/\はやりの合巻ごうくわん繪草紙ゑぞうしハすなごの白ひやうし アレ浮世繪うきよゑハみなとよ國でにがほ國貞くにさだのいへのかぶ

√国よし/\工風の名人めいじんりやく廣重ひろしげ サヽサあづまにしきは御江戸の事だよ」

骨董屋鈍通子選\歌川登理女戯畫 

※『音曲大黒煎餅〈絵入りはやり唄本廿種〉(俗謡叢書第7冊、太平書屋)にも所収


いなせぶし新文句桜の替うた 3編 (谷村文庫〈4-29-イ-1〉)

凡例

近頃ちかごろうたおゝひ流行りうこうしてそのみちだい天狗てんぐしん文句もんくをあらそひもつは替歌かへうたもとむるゆへ筆硯ひつけんしたし風雅みやび和歌わかどり俳諧はいくわいどりなどおのがまにまに妙案めうあんつゞりなせりしがなかにそのせつきよくをしらばたゞ替歌かへうたどだいとして文句もんく補綴まとめるともがらおゝきがゆへ三弦みつのいとにかくるとき呂律□□ちがひしば/\なれバうたもののどにからまり〔つた〕はらざるもまゝありこれらずして和哥わかを」えい表則ひやうそくをもわきまへずつくるのたぐひにして端聞なまきゝきいふうのそしりまぬかれがた當時とうじ端唄はうた章本しやうほんとなふるもの大半おゝかたハみなしかうたぼんすき花王とくいたち玉石きよくせきこんずることなかれ

たとへこのうたせつきよく語呂合√さくらヱゝ/\桐しまさゞんかなんばのさつきか今みやかはきぎやうさんなきくたいけんじあやめかきつはたにおみなへしィ√〔たんぼさけ/\れんげばなさかしやれにほひが・すきならハ□□□はくぼたん□□びじんそうか□〕 ○すべてのおつあいみなその元唄もとうた曲調きよくてうたゞしてしかふしてつくらずんばかたいかな三弦さんげんかつせんこと

  丙辰夏

音曲おんぎよく長老・端唄はうた問丸といまる〉 杉の本鈍通 [文] 

※丙辰は安政3年4月


艶競端唄合奏あだくらべはうたのつれぶし 初編 (中本2冊、20丁。蓬左尾崎〈尾19-84 / B〉)

文運ぶんうんさかんなるや。九なつ夕辺ゆふべよりもかまびすしく。さるからに浄瑠璃じやうるり端唄はうたも。作者さくしや各輩おの/\ひそみならふてからやまと引書ひきごとにいと雅言体みやびたるふりもいできて。古代いにしへとハいたくことなり。かくものかはほしうつり。そがふしはかせさへ言魂ことだまたゞし。曲調きよくてうあらたむものから。記録きろく小冊こほん心氣しんきらうし。新規しんきをつくして目前めさき段取だんどり合巻かうくわん仕立したてせつけしも。画組ゑぐみおど書房ふみや脚色しくみ文章しやう句々くゝつたなきハ。孑孑ぼうふりあがりのれい濁音だみごゑ。その文運うん聲曲なきごゑも。たかきこゆることあらバ。野夫やぶ蚊もかうものとやいはまし

 丙辰九夏三伏\

音曲おんぎよく長者ちやうじや小唄こうたの問丸とひまる〉 杉廼本鈍通 [文]」 


〔口絵〕端唄はうた指南しなん歌澤うたざは於流(おりう)。 天狗連てんぐれんの會首しんうち骨董屋こつとうや雅楽がらく

 ゆふされバ門辺かどべすゞしくかぜたちて ひとそでにもよするさゝなみ\鈍亭賛 [呂文]

発端ほつたん 薪樵たきゞこりしとゑいじけん鎌倉かまくらも、むかしさまとうつてかはりし大都会たいとくわいかねどころなにからなにまで抜目ぬけめなく行届ゆきとゞきたるじゆうるがなかにも音曲おんぎよく余興よきようながらの小唄うたさへ、いま端唄はうた一変いつへんして、三すぢいと世渡よわたりに、身過みすぎハよみと歌沢うたざはながれくみ師範しはん門札かどふだすゞしきなつゆきしたに、いと風雅ふうがなる家造やづくりして、女主人あるじのうらわかき、としも二八のぼつとりものかの笹丸〔さゝ・まる〕が教子おしへごの、ふしさへ名さへ於流おりうとて、さつはりとした愛嬌あいきようもの。「ヲヤ雅楽がらくさん、こくまさん、鈍通どんつうさん。御揃おそろい仮宅かりたくへでも御出おいでのつもりかへ」と莞爾につこりめバ、出過ですぎ鈍通どんつう「ヘヽお師匠しせうさんがひさしいもんだぜ。今日けふやうあつ仮宅かりたく出掛でかけたら、これほん日向ひなた西瓜すいくわだらう」「マァなんでもよいから、みなさんはだかになつておすゞみなはいナ。いまおつかァかへりますと葛水くずみづでもこしらへさせますからサ。そして鈍通どんつうさんが今度こんどこしらへそうまくりの端唄はうたを、今日けふ絵草紙ゑざうしとつまいつたから、雅楽がらくさんこくまさん二ッ三ッおさらいなさいましな」「ヲヽそうよ、おらァ魚辰うをたつたのまれ明日あしたばん中橋連なかばしれんすけいくつもりだから、ナント一番いちばんしん文句もんくみせつけてくれやう」「ヲヽそいつハ奇妙きめうだ。そしていまからばんまでに大概てへげへおぼへられやうかのう御師匠おつせうさん」「そりやァ御前おまはんがた端唄はうた御作おつくんなほどでありますから、造作ぞうさ御座居ございますまい」「ィャ/\さうでねへ。こと鈍通どんつうなぞハ毎日まいにち端唄はうたつくるのが商売せうばいでさへ、三味線さみせんかゝつちやァ一句いつくねへで、ぎゝ/\つかへてばつかしるじやァねへか」「ヲヤ/\、大部だいぶおれいたけるが、おれだつて『すちやらか』や『さくら』ぐれへ出来できねへでなるものか」「ヲヤ鈍通どんつうさんがすこあつくなつたやうでありますねホヽヽヽ」「アハヽヽヽヽ」

○ 聲曲端唄弦々猫   鈍通」2ウ〜3オ

脚色しこみハ歌澤うたざは画組ゑぐみハ歌川うたがは艶競端唄合奏あだくらべはうたのつれぶし 〔鈍亭魯文述・〔立川國郷・一惠齋芳幾 〕〕

    二編三編追々出板

隆達りうたつやぶれハ菅笠すげがさしめのかづらながつたはりそれかられバあふのやと一蝶いつてふ小唄こうたふしにひきつゞいての端唄はうた流行りうこう作者さくしや机上きしやう徒然つれ%\三筋みすじいと調しらべあげたる正律しやうりつ唱歌本うたぼんなり

   聲曲堂  三筋町猫新道  大吉屋利市 [共][サ]奥目録

りう「ヲヤ/\みなさんそうまくりにさらひもしないうちおかへりかェ。まァいゝじやァありませんか」「それでもあんまりふけたから、また明日あしたばんてさらひませう」こく先生せんせいハ、モウさきけへついま時分じぶん白川しらかは夜船よふねたらう。サア/\鈍通どんつうたちとしよう」どん左様さよふ/\そうまくりの全部ぜんぶハ二へんへんつゞい明日あす明後日あさつて二晩ふたばん読切よみきりじやァねへ、さらいきりとしやせう」りう「そんならあまりおそう/\でござりました。雅楽がらくさん家元いへもと御出おいでなすつたら宜敷よろしく」「ァィそう申しやせう。そんなら」とをもて立出たちいづると、八ッの拍子木ひやうしき「カチ/\/\」「まづこのへんハこれぎりつゞいて二へん御評判ごひやうばん宜敷よろしく。めでたし/\/\/\。

鈍通作 國郷画」20オウ 

北廓文唱くるわぶんしやう元地こきやう錦繍にしき東都逸どゝいつ 語絃集ごげんしゆう〔放心斉喜廓選・〔鈍亭魯文校・一惠斉芳幾画〕〕

     初編近刻

元禄げんろく五元集ごげんしゆう半面はんめん美人びじんほまたか今様いまやう語絃集ごげんしゆう板面はんめん美冊びさつ制巧たくみつくせりそがこと人情にんじやう性躰せいたい苦界くがいのあなをよく穿うがちわづか小唄こうたはらわたをゑぐるの奇冊きさつなり

   聲曲堂  三筋町猫新道  大吉屋利市 [共][サ]奥目録


※外題「聲曲堂梓\鈍亭魯文撰\立川國郷画」、見返「あだくらべ端唄はうたのつれぶし\初編上」、板心「まくり」。安政3年序、巻頭巻末を草双紙風に仕立てた端唄本。近刻広告まで載るが板元名は架空のものか。


葉歌夢はうたのゆめ浮世うきよの (中本1冊、11丁。蓬左尾崎〈尾19-83 / B457〉)

栄枯えいこ盛衰せいすいは古今にかわらすきのふハ島の御座こさ舩に扇かさす官女たちも今日はたんの浦にふねまんちうをひさき仲の町はりのおいらんも山の神とへんするあれは岡場所の賣妓はいたも御新造さんとなる事あり柳巷りうこう花街もかゝり火に焼野となりし飛鳥川きのふの渕はけふの瀬とかわつた世界かいの仮宅細見その数々の玉を拾ふて石川亭の呑公のんこうかつきたまさこの葉唄すてしまた此道のお初會なれは ハひきつけをたのまれてヘイあなたへといふことしかり

 安政三辰春

つま恋の 骨董菴主人戯誌[文]」 

※見返「はうたの\作者さくしや名入ないり」、板心「はうた」、「集者 石川亭友等校[茶]」。


端唄はうた稽古けいこ三味線さみせん (中本1冊、20丁。蓬左尾崎〈尾19-101 / B474〉・中丸)

端唄はうた稽古けいこ三味撰さみせん

さき一筆庵いつひつあん英泉えいせん稽古けいこ三味撰さみせんなづくもの一挺いつてうありそハ近江あふみうつわひとしきこえたる名作めいさくにしてそか音色ねいろたへなるや紫檀したんざほ花櫚かりんどうはなさか三筋みすじ綴絲とぢいとさつよくりう調子てうし合奏あはせ滑稽こつけい章句しやうくかつ人情にんじやうあな穿うが聴者きくものをしておとがひとかしむことじつに絃々げん/\めやうとやたゝへんそを」ほどきの師匠ししやうとして今弾習ひきならかへ三味さみせん八乳やつぢかはにハもつかぬおのれつら厚皮あつかはもてわづかかみごま二十てふやゝ張揚はりあけれい不細工ぶさいくまだ絲道いとみちもあかぬ端唄はうた稽古けいこ三味線こゝろこま無智むちをあてこゝろ猿緒さるを打励うちはげまほそ三絲さんし鳩胸はとむねよりしぼり出したる愚案ぐあんのちぶくら音〆ねじめわる安棹やすざほ根緒ねを胴係どうかけかざりをつけて海老かいろう尾美びびしく製巧したてなバ轉珍てんぢんちんと贔屓ひきゐりて書房とひやいとぐらにぎハすことのありもやせんかとうぬぼれ一寸ちよつ一撥ひとばちあてることしかり

戀岱れんたい茅舎ぼうしや端唄はうた稽古けいこのいとま 

   江戸

鈍亭魯文戯誌[文] 

維時ときにこれ安政あんせい丙辰ひのへたつ文月ふみづきたけや/\の賣聲うりごへ颯々さつ/\褊急せかれ草稿そうこうなりおなじくふゆ初旬しよじゆん刻成こくせい發市はつしす」

端唄はうた稽古けいこ三味撰さみせん

江戸   杉廼本鈍通戯述 

そも/\こゝにと話説ときいだす。時代じだいハずつと往古おほむかしものかは星月夜ほしづきよ。かまくらやまにぎはひハ諸國しよこくひと箒溜はきだめとてはうき千里せんりとふきをいとはずたみとゞま大都會たいとくはい昌平しやうへい恩澤おんたくハ。津々つゞ裏店うらだなのすみからすみまで行届ゆきとゞきたる改政かいせい仁義じんぎ八百威儀ゐぎ三千さんぜん代地だいち新地しんち門前もんぜんまして六千まちうちに。黄門通くわうもんどふり東横町ひがしよこちやうたいまる新道しんみちいへちまたに。近頃ちかごろ流行はやる歌澤うたざはながれおへ燕子花かきつばた。それがゆかり」の花菖蒲はなあやめたりや似たり仁田沢にたざはと。表札ひやうさつうつたる格子戸かうしどほそき三筋の糸渡いとわたり。こも渡世よわたり端唄はうた稽古所けいこじよ昼夜ちうや出這入いでいる好者すきしやれん中。てうしはづれの上戸じやうごあれバ。カンをはつさぬ戸もあり。ふしうまいハにんべん若衆わかいしゆにもあらず。こへさびたハ銕物屋かなものや番頭ばんとうきまらず。おや不孝の塩辛しほからごへハ。ぬかみそにひゞきてかう/\のあじかはらせ。お陀佛だぶつ胴満どうまんこへハとなりかた法華ぼつけ自我経じがぎやうをさまたぐ。あるハみゝふさ破鐘われがね梵音ぼんおん。耳をそばだつ頻伽びんが清音せいおんよきあしき混雜こきまぜかはる/\のけいこの形容さまハくちゆづりて本文ほんもんの。章々しやう/\句々くゝらまくほりせバ。かつ下回しものめぐり解分ときわくるきゝねかし。」

人の眼をくらまさんとハおもへども葉うたにさかすはなも実もなし\鞍馬山人

○ 東都 〔音曲長者・小唄問丸〕 杉廼本鈍通戯述 [印]
○ 仝  〔滑稽狂画・一流元祖〕 光盛舎佐久丸画 [印]


※外題「はうた稽古三味線」、見返「けいこ〔三味線の絵〕」、口絵第1図に「端唄 仁田沢\作丸・鈍」とあり「名もしらぬ木に風情あり帰り花\野狐丸」、口絵第二図は「遊戯ゆうげ衆人ひと%\仁田沢にたざは端唄はうたたしな」とあり「研平・玉庄・魚安・車栄・かざつな」が描かれる。画工の「佐久丸」は「光盛舎」とあることから一光齋芳盛かもしれない。


調子附てうしつき替唄入かへうたいり 端唄獨稽古はうたひとりけいこ (中本1冊、18丁。国文研〈ナ1-25〉・パリ東洋語図書館蔵 (Bibliotheque des Langues Orientales / PARIS) = BIULO〈JAPAF.125(3)〉)

端唄はうたひとり稽古けいこじよ [〓戲三弦]

神樂かぐら催馬樂さいばらは。あがりたる。のわざくれにて。榮花ゑいくは物語ものがたりの川ぞひ柳風吹バ。徒然つれ%\草のふれ/\小雪。土佐日記とさにき舩子ふなこの唄。これらハいま童謡どうえうひとしく。あらたふしはかせさだめたる。唄ひものにハあらざるべし。中興なかごろ三弦さみせん来舶わたり以来より俗謳ぞくおう小唄と一へんして。隆達りうたつ弄齋らうさい八兵衛吉兵衛おの/\一ふしもう此道このみちいよ/\さかんとなれりの一てふ朝妻舩あさつまぶねに。あだしあだなるうき名をながし。晦日の月の小紫むらさきハ。かごとりかやうらめしと。小唄に苦界くがいのはかなきをかこてり。其松のの」をちこぼれてこゝにみどりの色をあらは此頃このごろ端唄はうた流行りうこうたるや歳々にばいし月々に弥増いやましあらゆる通家つうか意匠ゐせうらうじ手をかえ品を替唄かへうた新梓しんしやう發兌はつだ先をきそふこも昌平しやうへい餘澤よたくにして萬民〓こふく餘興よきやうなるべしさればくはん喜のすゞめおどり當振あてぶりの手おどりによもたらましと上のつれ/\やつがれまただみたるこハほのめかして獨稽古ひとりけいこにはじかくになん

  やすらけき\まつりこと\三ッのとし\はしめのなつ

滑稽道場\鈍亭のあるじ\魯文しるす[文] 〔音曲・問丸〕

※見返「ひとりけいこ\光斎」、「異本洞房語園に\載る所朗細の唄」(1オ)、口絵「喜廓・わたし・[文](魯文)」、「鈴亭戯吟\五色ごしきをよめる\まだあをしろじやうるり くろめんと あかかほして なるこえ出す」、板心「調子附」、「骨董や雅楽述」(六オ)。一部分、調子が朱色で入っている。「音曲所\はうたや\糸竹のふしに端唄うたをそへて薮鴬やぶうぐひすのこえも春めく\鈍亭主人題\〔端・唄〕小本所〔梅暮里・直傳章〕・〔繪入・草紙〕音曲問屋〔本町二丁目・糸屋連十郎〕」 (18ウ)。左側に端唄本3冊の広告が載る。

BIULO本は前半の9丁のみ、外題「諸通家正律\はうた獨稽古\〔てうしつき・かへうたいり〕」。


新板やくはらひ (中本1冊 共紙表紙3丁 忍頂寺文庫〈G169/228-48-6〉・都中央〈5641-11〉)


  ○やくはらひ

戀岱/魯文記 [呂][文] 

√アヽラしぶとひな/\こんばんこよひのかきだしにみゝをそろへてはらひませうくるたひるすのあげくにハいゝわけ小わけの万八もあんまりつらのかわざいふ地蔵のかほも三年ごしまゐ月みそか十四日あしのかよひや帳めんに一年つもつた一両のはしたハ三百六十日こよひとつまる大晦日はるまでまつてくれの内もふきゝあきたなきことも口のつるぎもはわたゝぬなまくらものゝしたさきうそをつくぼうさつまたにとつたやらぬとぬかすならなべかまちやがまやかんまで此うけとりがかゐつかんで二朱の物でもかまひなくふるどうぐやへさらり/\」

  ○役しやづくし

√アヽラ見せたいな/\八百八丁の御ひゐきに役者尽してはらひませう一夜のまくあき元日の日の出にまふや杏銀いてうづる名に立花のうつまきもあい河原さき三がにち坂東の彦たんなお門をきつとながむれバ千代の竹三や万代の松本こま蔵立ならぶ若てぞろひハ江戸の花すゐ市川のかざりゑび八代目出たき座がしらハ親代/\のゆすりはやしらぎ岩井の若水をくめや粂三の按摩ハいろかをこゝに三ッ大のしらかハ當時とうじの立お山ほかにあら吉中村の福助内へ入豆の花さく所作のはなれわざはやく見たいと関三のよい評ばんを菊次郎ほめる声さへ高」しまやりかく浮世ハ色あくの葉むらやしげる森田さへいりハ大谷友右衛門人の中山文五郎あたりはつさぬ千両の富十郎ハ〓ゐ上三都にひゝく評ばんをあくまげどうのでんぼうがわる口ほざくその所へ此頭取がとんていでくびすじつかんですでんどううしろかへりや中がへりひのきぶたいの正めんからをくびやうぐちへ東西とうざい/\

  ○角力すまひづくし

√アヽラめでたいな/\角力づくしてはらひませう一夜あけたるにぎわひにうれ式守しきもりとよろこびハ人の来村もあら玉のはるに大関小柳のすがたをうつす鏡岩横づなとつて七五三しめ」かさりみなよりあふて楮王山常やま/\のめでたさにかないハいとゝ六ッがみねゆたかな御代の君かたけ四本柱の門かざり松とたけとの御用来なみのり舟や宝川恵方ひかし西のかた上にハ羽をのす鶴かみね下にハあら岩かめの介のぼる出世ハ雲龍のその名ハ四方にひゞきなた四かいがたけもしつかにてかすみたなびくいつくしまとそのきけんハ一りきの氣も荒馬やあら熊のぞうにのはらかぞうがはな黒岩あらぬくもさ山ひろきみくにの和田か原外にハあらし谷嵐天下はれてのこうぎやうハこゝがかんしん大角力なに大男しらま弓あくまけとうをかいつかみ土俵のそとへころり/\

  ○あめりかやくはらひ」

√アヽラうるさいな/\毎年渡かいの御ちそふに大筒につゝではらひませう鉄ほう玉かあらたまのはる立かへる君がよの一夜あけたる若水をもらひにきたのゑびす國とふる交易こうゑきにハとりをとつけつこうとねたりごとためしもながき長さきのとふのねむりや唐人のねごとにましるはつ夢に宝舟やらくろふねの浪のりぞめのじやうき舟いかりをヲロシヤあめりかも海路うみじはるかの恵方からともに入くる沖のかた浦賀みなとをながむれバそらに帆をのす異国せんをりてハかためけんちうにわが神こくのいさきよく世ハばんじやくのかゝみもちぐそくひらきやかち栗のかちてかぶとを七五三かざり弓ハふくろへ四かいなみおさまる御代の万ぜいらくまづ何ごとも七くさの唐土とうどのふねのわたらぬさきすととん/\とうちはやすおりからあくまのけとうじんさまたげなさんとするところをいせの神かせふくハ内おにハそと海みなそこのさかまく浪へさぶり/\」


 ※外題「新板やくはらひ/東都 鬼外堂板/作者 鈍亭魯文/景舛齋画」


大一座しりとりどどいつ (中本1冊、国学院高藤田小林)

京町きやうまちねこ揚屋町あげやまちかよひたりし元禄げんろく五元集ごげんしうハさまをよくうつせし宝晋齋ほうしんさい滑稽こつけいなり仮宅かりたく心意気こゝろいき都々一どゞいつぎせしハ安政あんせい放心齋はうしんさい洒落しやらくなりハその机下きかぞくしていろはの尻取しりとりつゞりりなせしハ所謂いはゆる尻馬しりうまのるたぐひにしてやまあざけりをまぬかれがたししかハあれども美聲びせいきみたちが三筋みすじいとにかけたらましかハつたな文唱ぶんしやうもさらにあだめくことのあらんかしも

  安政三\たつの春

出放臺\多和琴誌 [呂]」 

遊女ゆうぢよ菩薩ぼさつまゆずみしてひんみんにぎはす

画賛曰ぐわさんにいわく傾城けいせいけんなるハ この柳腰やなぎごし 色香いろかも ふかきはなの まゆずみ  戀岱 鈍通子」

○都々一ごげん集  放心齋喜廓ゑらむ \ 浮世人情\曲輪文唱  連月廿日限り」

 あかつきの ちわいとなりか あの ほとゝぎす ないて わかれの 紙ぎぬた   野狐庵
 ふみのかけはしいひよる つてにわたりかけたる こひのみち        喜くわく
 なにかしあんに きをもみ うらの ゑりにさしこむ ゆきのかほ           しら山やすら
 毒くはゞさらに ゑんりよも ないしよをあけて ゆきのあしたの ふぐとじる    鈍通子」




浮世風呂端唄入込うきよふろはうたのいれごみ (中本1冊、20丁、上田市花月〈音楽352〉蓬左尾崎〈尾19-88 / B462〉、香川大神原〈913.58 / E1110〉)

浮世うきよ風呂ふろ混雑いれこみたるや土佐とさ上下かみしも外記げきばかま半太はんた羽織はおり義太ぎだ股引もゝひきも湯へ入る時ハ賢愚けんぐろんぜず豊後ぶんご可愛かあいや丸はだかおのがさま%\種々しゆ%\ざつた端唄はうたにこつたるだい天狗てんぐすみ闇間くらまに身をひそめ都々一のうき調子てうし夕部ゆふべののろけの自問じもん自答じとう音曲おんきよく物真似ものまね声色こはいろ入湯にうとうわづか八錢はつせん八声やこへ嗚呼あゝ結構けつこういり加減かげんいつも初湯はつゆ心地こゝちこそすれ

鈍通子戯述」1オ 


浮世風呂うきよふろ端唄はうたの入混いれごみ初編
東都  野狐庵鈍通子著

そも/\錢湯せんとうとくたるや。九夏きうか三伏さんふくあつきときハ。ざつと一トひと風呂ふろ暑気しよきをはらひ玄冬げんとう素雪そせつさむき夜は。首たけしづんではだへあたゝめ。わづか八銅はつとうをなげうつて五塵ごぢん六欲りくよくあかおとし。小錢せうせん二孔にこう糠袋ぬかぶくろに。五尺ごしやくからだひかりをませり。とうはんめいいはくまことに日々ひゞあらたにして日々あらたなるまい夜の仕込しこみ長湯ながゆもあれバみじか湯もあるハさま%\世の中の。はだむづかしき湯の中にあか人の入混いれこみ群集ぐんじゆ嗚呼あゝけつこふないり加減かげん法蓮ほうれん陀佛だぶつなァまいだァと。音曲おんきよく七分しちぶ信心しんじんハ。さん仏乗ぶつしやう因縁いんえんにて。うたふもまふ乗地のりぢ聲々こへ%\。まづうたからはじまりさよふ 〔ゆをだす・拍子木〕√チヨン/\/\/\/\チヨヽヽヽヽヽ引チヨン √とうせい/\」11オウ

右端唄以通俗爲要故文字有俗文章\有戯且加流行采當盛爲小本云爾

音曲長者小唄問丸   仁田山鈍通子[杉之本] 

僕以戯作之原稿誤写不正可爲紙虫住家也

  于時安政四丙辰年

小本所  三絃堀猫新道  葉唄屋宇和吉梓」20ウ 

※見返「うきよふろうたのいれごみ」、板心「風呂」、奥目録「慶應二寅歳孟陽發兌\和泉市兵衛板」。蓬左尾崎〈 尾19-89 / B463〉は19丁迄の汚損本。香川大神原本は6〜15丁欠。なお、本書については2編と併せて魯文研究会における大橋崇行氏の行届いた報告が備わる。


浮世風呂哇入混 二編 (中本1冊、20丁。蓬左尾崎〈尾19-90 / B464〉)

浮世風呂うきよぶろ哇入混はうたのいれごみ二編にへんじよ

やつがれ前年さきのとし端唄はうた入混いれごみだいしてなか放屁おならごと編綴へんてつもなき戯言たはことあらはせしにさいはひにして大賣おほうれをとりしときゝけり板元はんもと番頭ばんとう初湯はつゆあぢをしめしよりかげんの心地こゝちよきをおぼへ今年ことし二番にばん風呂ぶろちうもんありかしこまつたと丁稚でつちまたせ〓そくせき二十にぢうてうこぎつけたるハれい早湯はやゆへきならじ

 戊午孟夏

元祖鈍通[文]」1オ 

○〔文稚丹前・筆頭侠客〕 根本 信田きつね校 [◇卍]

 人間常浴\なかの はだむづかしき の中に あかの他人たにん入込いんごみにして よみ人しらず

○〔音曲長者・小唄問丸〕 元祖 仁田澤鈍通選 [ 品]


 ※外題「浮世風呂」、見返「うき世風呂」、板心「風呂二へん」。


心意氣尻取どゝいつ (中本1冊、房種画、BIULO〈JAPAF.125(6)〉)

序換

汲かはす酒に\さくらも酔やせん\肩にかゝりて\戻るひと枝」

行者ゆくもの昼夜ちうやをすてぬ両國の橋上きやうしやうゆく水の流ハたへずしてしかももとの水にあらぬ角田川の舟遊さん吹よ川風あがれよすだれ中の藝者けいしやの一ふしハもの本末ほんばつ」あるしりとり文句とゝ逸どい/\どんぶりとともに浮たる舩中せんちう一座いちざゆさんのゆの字そはじめなるべし

ゆく水のなかれはたへぬ角田川すれちかふたる猪牙とやね舩」

隅田川棹さす月の都鳥嫦娥にまかふ舟の唄女

鈍亭」 

 ※「歌澤\[印]ろ文」


新撰はうた圖會 かしらかき心得草 (中本1冊、10丁、BIULO〈JAPAF.125(4)〉)

○是よりどゝいつ\はじまりさよふ  ろぶん

ことば アヽあんまりいしつきだろがめやをでゝどうちつとやらかそふはうたハおくびのでるほどうたつたてのちとふうをかへすバなるめへおや/\をそろしい蚊だぞうしろのかやをまへとみせてこふはいだしたところを二ばんめの口上いゝとみせるつもりだかおぼつかねア

    蓼太りやうたをう句意くいならふて

√五月雨や\ある夜ひそかに\雲間をいでゝ\はれてあふのを\松の月」


※丁付は11〜20丁。頭書「都々どゞいつつくやう心得こゝろゑ當世とうせい東都一とどいつ大意たいい酒莚さけのせき騒唄さわきうた心得こゝろへくさ端唄場はうたばせき心得こゝろへ藝人けいにん座席させき心得こゝろへ・こつのくすりひろめ」。下段は各丁二句毎で「花輪蹄里・鈍太郎作……鈍通子・昌平ばし魯國屋」まで18句を収む。入集している「つまごひやもめ・骨董や雅楽・鈍通子」なども魯文の別号であろう。


柳だるをさなゑとき 第二編 (中本1冊、10丁、高橋昌彦氏蔵)

趣向しゆかうありと。いへともさくせされバ其味あちはひらず。さいにたゝんと萬巻くはん土用とやうほしに。三伏さんふくの時炎天ゑんてんはらをあぶる唐辺僕とうへんぽくあれバ。みゝかく文の知識体しつたふり。□聞風きいたふう古事こじれきぞくまよ白癡たわけあり。されバよく其中ようを。かなへるハ俳風はいふうの柳だるすぎたるハあらじ。中のぞくぞく中の□が神釈教しやくけう戀無じやう。何でも一句ひとしな十七しうしち文字もし寄取よりどり見どり花ハくれなひ。色色なる本來寓言くうけん無一物も捻華ねんげ無上に微笑おかしみたつぷり サア/\お手に開巻とつて御覧 らうしろ云云

鈍亭魯文戲誌[文] 

※見返「家内喜夛畄稚繪解 二編」、板心「川柳二」、巻末「鈍亭主人輯録[文]」。書中に「鈍通・魯文・雅楽」と見える。


大津繪ぶし (中本1冊、9丁 都中央〈5645-29〉)

大津繪ぶし

李白りはく月下に獨酌どくしやくして五言絶ごんぜつ端唄はうたうたへば紫姫しき石山に参籠さんらうして大津ぶしをうたふめり夫ハちんふん漢土かんど酔客なまえひ是ハ皇國わがくに無双ぶさうげいしやちよつと付のあだ文句もんく雲陰くもかくれにし感吟かんぎんありこゝに予がとも岳亭主しゆ人常つね遊戯いうげまいの四ッしてあまね妓院ぎいんあなをうがちそが心意氣いき端唄はうたつゞ毎度まいど書房ほんやうるほせり吾輩わがはい大天窓あたまたゝへんになんあらじ

 戊午冬のなかば

妻戀閑人題[印]」 

※丁付なし。口絵に「梁左・おねこ・魯文・中丸・さく丸」が描かれる。「芳盛□狂画」。「喰積や目だつこまめのあたまがち\魯文賛」(2ウ)。二代目岳亭は「出子散人」とも称し所謂〈頭でっかち〉だったらしく、これを揶揄している趣向の画賛である。


都々逸どゞいつうかれごま (中本1冊、10丁。BIULO〈JAPAF.125(5)〉)

獨々逸どゞいつ宇佳連うかれこま

式亭しきてい三馬さんば花押かきはんハ。意馬いば心猿しんゑんたとへへうし。とも汗亭かんてい六馬ろくば大人うしおなこゝろ戯号げがうによべり。それ六馬ろくばとハなんいゝぞ。意馬いば六塵ろくじん境界けうがいに。こゝろさるくさりはな東方とうはうさくよはひにあやかり。八千はつせんざい生延いきのびんと。金馬きんばもんにハあらずして黒門くろもんてう市中しちうにかくれ。珍文ちんぷん韓語かんごのかまくろしきハ。馬耳ばに東風とうふう聞流きゝながし。三弦みすじ手綱つなばちのむち。トテちん/\のくつはおと。ひきだすこまの合の手に。おまへと」らバ何處どこまでもと。馬士まごうたならぬいつの。唱哥せうがつくッてみづかなり。みづからひいてたのしめり。そが形勢ありさま司馬しばうじが。たんずこと調しらべにかよひ。けろりかんたる静住せいぢう座臥ざぐわうまうまづれはねものの。おなじまきなる鈍亭どんていが。これあづさのぼせんと。そばから太鼓たいこをたゝくになん

妻戀坂つまこひざかかくれなき\貝割かいわりなまけ戯作者さくしや     

   未孟夏

野狐庵魯文述[文]」 

※「外題芳盛画\六馬撰\盛光画」、見返「どゞいつうかれごま\光齋」、口絵「ころ/\とかめハころげて日のながき\恩愛のきづなをかけし三味線に娘の所作を引語りせり\岳亭梁左賛\作者六馬」、板心「とゝいつ」。「都々逸仕立所\汗亭六馬、よしもり門人盛みつゑがく\めてたし\大當り、岳亭校合」。


新ばん撰み都々逸 二編 (中本2冊)

月雪花をばすじの糸にのせてながめるあだ文句もんく   為永春水

しら紙にそめおぼろな被参候ハ戀のつぼみの筆のさき    仮名垣魯文

ねぐらさだめぬてう鳥さへも花のいろにやひかされる 松亭金水

庚申秋    應需 東琳書画」


※為永春水・仮名垣魯文・松亭金水の撰による都々逸集。『東都一節どどいつぶし文句集もんくしゆう\雪月花』(中本1冊、阪大小野文庫)は改題後印本。


洋語讀入倭度々逸 ようごよみいりやまととゝいつ 初へん (中本1冊、20丁。国文研〈未登録〉)

洋語ようごよみ入倭やまと度々とゞいつ

友人いうじん蘭奢らんしや亭香織かをる大人うしあまねく當時の流行かう究理きうりし。貴所あなたおはやう直々じき/\の。甘口あまい俗語ことばをぺけしにして漢語かんご野暮やぼをぐつと看破みやぶり。まゝ世さんどかさ横文字を。やまと言葉ことばよみ入たるハ。唐詩肴さかなの出物にひとしき。腐廃ふはいの所にあらずといへど。世に傳染でんせんうけ合なり

  辛未秋

香織が天性ばら垣のあるし\魯文題盡戯記 [呂]

※外題に「蘭奢亭薫撰\錦亀堂藏板」、見返「洋語讀入やまと度々逸 初篇\香織さく\芳春画\辻亀板」、口絵「外國人稽古之圖」(色摺)、板心「どゝ一」、奥目録「明治三庚午歳春開版目録\地本繪草紙問屋 御蔵前須賀町 錦亀堂 辻岡屋亀吉」。


葉柳どゝいつ (中本1冊 国会〈特44-173〉)

「種彦の艸菴に門人十柳子集會の圖」

柳亭・種春・仙魚・呂洲・安彦・真似彦・露照・露香・竹彦・舛彦・春彦

植こみのやなき光や朝の雨  仮名垣魯文[文]


※「浄書作丸」「岳亭春信校合\種彦門人十柳子作\一光齋芳盛画」「明治十三年四月廿三日御届\編輯兼出版人 本所區緑町四丁目五十一番地 荒川吉五郎版」

   四 地口本

〈地口|雛形〉 駝洒落早指南 初編 (中本1冊、国文研〈ヤ9-2〉)


駝洒落だじやれ早指南はやしなん初編叙

虎渓こけいに三しやうあり。苦樂くらくともおとがひときあごかけがねはづるゝをおもはず。滑稽こつけいに三笑あり。つねくちから出放題でたらめの。駝洒落をはい自己みつからよろこわらかどにハ福亭ふくていに。集會あつまる同盟なかま粋狂連すゐけうれんるゐ倶共とも%\洒落のめす。駝洒落のかずが三万三千三百三十三およべりかゝるしやういひすてに。なさんもをし山王わうの。れい櫻木さくらのきにのぼせ。苦虫にがむしくひよめいぢる。姑婆しうとにおへそでおちやわかさせ。抹香まつかうなめたる閻魔ゑんまづらを。やはらしめんと。駝洒落だじやれ開山かいさん一惠斎いつけいさい狂画きやうぐわをそへ。だじやれの問屋とひや松林堂しやうりんだうあたへてわらひの種蒔たねまき口調くてうならふやつがれ

 [改九戌] 〔文久二壬戌・季秋發市〕

仮名垣魯文戲述[文] 


   五 近代風俗本

東京粹書 初編 (野崎左文〈憑空逸史〉著・幻花女仙評、中本、活版、明治14年6月、粋文社、国会図書館(YDM27538)・実践女子短大(未見・TKB/531)


東京粹書跋

散花ちるはな觴中しやうちううかべ。照月てるつき盃洗はいせんみ。絲竹いとたけ音調ねじめあはれにをかしく。面白おもしろうたかなで。しらべの拍子へうししとやかに。立舞たちまふさま。靜佛しづかほとけおもかげうつし。今樣いまやう酒席しゆせき交際かうさい宴會ゑんくわいには。たけ丈夫ますらをこゝろやはらげ。自己おのれにはえぬ。鬼髭おにひげ逆立さかだちをもしづまらするは。悉皆しつかい奇楠とめきかを座中ざちうにほのめくゆゑにしあれば。およ社會しやくわい親睦むつみには。校書げいしや按排あんばいなくんばあるからず。たゞ花顏くわがん翠袖すゐしう徐々ぢよ/\として新道しんみち往還ゆきかひ。柳腰りうえう紅裙こうくん靡々ひゝとして棧橋さんばし徘徊たちまとふるの嬌姿けうしは。葭町よしちやう玉簪きよくしん翡翠かはせみも。扶桑橋にほんはし銀盤ぎんばん白魚しらうをも。およばさることとほくして。柳橋りうけうみどりまゆ東台とうだいはなくちびる。一まとめに心地こゝちせらるゝは。新橋しんけう南北なんぼく狹斜けうしやかうにて。府下ふか花柳くわりう粹地すゐちちういちくらゐするところふべし。すゐ」とは單純まじりなしいひにして。しよ文粹ぶんすゐあり禪機ぜんき粹菩提すゐぼだいあり。すゐ由縁ゆかりわれながらは。比翼塚ひよくづか文句もんくのこり。イヨサ粹書すゐしよザンザとは。昔時むかし小唄こうたとゞまれり。夫子ふうし鄭聲ていせいいんなりとのたまひしも。一たび淫肆いんしくつれ。そのじやうあぢはり。しかしてのち教戒いましめならん。まこと夫子ふうしつうなりすゐなり。色海しきかいなみわたり。惑溺わくできふちのぞまざれば。いづくんぞ綺羅きら叢裡そうり薫蕕くんいうべんずるにいたらん。せつ猫々めう/\道人だうじんごとき、みだり花柳くわりうかういんちかせつせず。しきりに藝妓げいぎ濫轉らんてんにくみて。つね筆誅ひつちうこととするも。絲竹いとたけふしみさをあるをさとざるに。ひとわがとも憑空ひやうくう逸史いつしは。年齒ねんしいま而立じりふとをく。これ藝妓げいぎすれば。赤襟あかえりあがりの若猫わかねこながら。天性てんせい調絃てうし自然しぜん侑醉とりなし猫爺輩めうやはいかたならべて。烏滸をこがましくねへさんぶれども。伎藝ぎげい巧拙こうせつ所謂いはゆるため」にをしへられて。淺瀬あさせわたたぐひになん。逸史いつしこのご三線さみせんのかんをぬすみ。あらたに東京とうけい粹書すゐしよあらはし。古顏ふるがほすたれをすてず。坐敷ざしきじまりのばつたのむ。嗚呼あゝこの粹書すゐしよたび廣告ひろめをなすにおよばゝ。註文つけこみのお約束やくそくふもさらなり。次編じへん後口あとぐち間斷かんだんなく。箱奴はこやにあらぬ書肆ふみや糶夫せりが。あしかふつくるにいたらん。筆硯ひつけん萬福ばんふく大吉だいきち利市りしつたな稿かうにもきりちて。逸史いつし足下そくかていすと云爾しかいふ

于時ときに明治めいぢ十四ねんぐわつよひ新橋しんばし竹川町たけかはちやう京文社きやうぶんしや編輯局へんしふきよくにいろは新聞しんぶん校合けうがふ餘暇いとま走筆ぶツつけしる

猫々道人 假名垣魯文 [猫の印] 

※刊記「明治十四年五月十七日御届\同六月四■■日出板\定價金四拾錢\著者 野崎城雄\京橋區西紺屋町拾四番地\出板人 山田孝之助\同區銀座貳丁目壹番地\刊行所 粹文社\同區西紺屋町十四番地\發賣所風雅鳳鳴二新誌開新社\同區銀座貳丁目拾壹番地\東都大賣捌\新橋竹川町 いろは新聞 京文社\尾張町壹丁目 近事評論 扶桑新誌共同社(以下略)」。広告「東京日日」(明治14年5月30日、6月11日、6月13日、6月15日、8月5日)


〈開化|教訓〉 道戯百人一首 (極小本1冊、大阪府立中之島図書館〈子526〉〉、国文研〈ラ6-103〉)

それ道戯だうけとハなんもの各自おの/\みちたわむれてはなにうかれつきうそぶきようずるあれバぞくふけるあり夕顔ゆふがほだな下涼したすゞをとこハてゝら二布ふたぬの三十一文字みそひともじ風流ふうりう洒落しやれ一口ひとくち言棄いゝすてもそれ/\道戯だうけのすさみにして雅中がちう俗調ぞくてう俗中ぞくちう雅致がちいづれ風流ふうりうならざらんや乍麼そもこの道戯百人一首だうけひやくにんいつしゆ天明てんめい調てうふるきをたづ言葉ことば今様いまやうあたらしきに挿繪さしゑハ二世廣重ひろしげけいが」尊父おやごゆずりの筆軽ふでがるにさら/\さつとゑがかれし略画りやくぐわほねあり見所みどこ〔ろ〕ろある百人一首の大一一盃いつぱゐけん天皇てんわう初献しよこんれいはじまりて掛幕かけまくかしこ順徳院じゆんとくゐんうたならねど股引もゝひき腹掛はらがけ侠客いさみまじ雅俗がぞくむしろこの端書はしがき酌人ひやくにんしゆ所謂いはゆる藝妓げいぎ名代みやうたい金春こんはるちか

新橋の 猫々道人[文] 

※立齋廣重編、文盛堂梓、明治16年、猫々道人序詞、前島和橋校閲。「明治十六年二月廿八日出版御届\同年三月十日刻成 定價廿錢\編輯人 東京府平民 安藤徳兵衛[徳] 京橋區南紺屋町廿七番地\出板人 同 榊原友吉[友] 日本橋區若松町二十壱番地\発兌人 高崎修助[修] 同區濱町二町目\同 長島爲一郎[爲] 武陽□□□□」


稻葉猴雪燈新話いなばこそうせつとうしんわ (中本1冊、和装、国文研)

稻葉猴雪燈新話いなばこぞうせつとうしんわ 緒言ちよげん

稲葉小僧いなばこぞうまた因幡いなばとも〕としやうせし盜賊とうぞく武州ぶしう無宿むしゆく入墨いれずみ新助しんすけ事跡じせき概略がいりやく亡友ぼういう豐芥子はうがいし手本しゆはん稲葉小僧傳いなばこぞうでん當時そのとき公判こうはんかれ口供くちがきまた諸家しよけより届出とゞけいでぬすしな員數書ゐんすうがきとをあはせて詳記しやうきせしものほかその行事かうじさぐるべき引証いんしやうらずがいぞくそのさん武州ぶしう足立郡あだちごほり新井あらゐかたむら農家のうか一子いつしにて幼稚をさなころより窃盜せつとう掏摸たうぼ惡手僻あくしゆへきありしかその狡術かうじゆつめうしより田舎小僧いなかこぞう綽名あだなせしをなまりて稲葉いなばいひひがめしよし一説いつせつかれたび稲葉いなば美濃守みのゝかみかうあるひ因州藩いんしうはん〕の中間ちうげんたりしよしつたふれどこのことかつ本據ほんきよあらす其頃そのころ稲葉小僧いなばこぞう泥坊どろぼうでござるられるやつハべらぼでござると樗蒲暮節ちよぼくれぶしうたひそめがいぞく惡名あくめいたかきよりその行事かうじ物々もの/\しく作案さくあんせしハ岳亭がくてい定岡さだおか神稲水滸傳しんたうすいこでん」をはじめとし稗史はいし合巻がうくわん劇場げきじやう脚色しくみにも古人こじん鶴屋つるや南北なんぼく新作しんさく以來いらい近年きんねんもまた翻案ほんあんして」演劇えんげきせりしかどもそのじつとするとこ武家ぶけかたていしの單身たんしん梁上りやうじやう君子くんしくわぬすたる財寶ざいはうこと%\酒色しゆしよくためさんぜしのみその出沒しゆつぼつちう新吉原しんよしはら町の娼樓しやうろう茗荷屋めうがや遊女いうぢよ深雪野みゆきの漆膠しつかうやくありこの深雪野みゆきののち野晒のざらし阿雪おゆき綽名あだなせられ騙賊かたりげうとして新助しんすけけいせられし天明てんめい晩年ばんねんつひ磔刑はりつけとなりし顛末てんまつ詳細しやうさい著述ちよじゆつして劇場げきじやう所謂いはゆる世話物せわものてい模擬もぎせり記事きじつたなきハお馴染なじみ猫毛ねこげの頴とみゆるしありすゑながく愛讀あいどく希望こひねがふとまづ前文ぜんぶんろうかた%\だい起原おこりこゝかゝげていよ/\本文ほんもんはじまり左様さやう

  明治十六年十月

假名垣魯文記 

※摺付表紙「稻葉猴雪燈新話いなばこそうせつとうしんわ 全\二書房發兌」、見返「稲野年恒画\發行所三友社」、内題下署名「東京 假名垣魯文 戲述\孤蝶園若菜 編輯」、刊記「明治十六年十月九日出版御届\同十八年一月十二日再版御届\同十八年二月發賣\定價四拾五錢」「編輯人 若菜貞爾\出版人 鈴木喜右衛門\大賣捌 鶴聲社」。国会本刊記「明治廿一年四月廿九日印刷\同五月四日翻刻出版\隆港堂發兌」。


清元きよもと名曲めいきよくうめはる通解つうくわい (中本1冊、阪大〈G-45〉・京大)

千字文せんじもん闕書けつしよ補綴ほてつ校正こうせいまつたきをるのその鬢髪かみのけゆきいたゞきて蛍窗けいそうもとはなれし唐山人もろこしびと苦心くしんおもへバ古書こしよ摩滅まめつあり古語こゞ訛傳くわでんありその誤謬あやまり識者しきしや考案かうあんつひ校訂かうていしんそなふれども俚諺りげん俗語ぞくご下里巴人かりはじんきよくいたりてハたゞしてえきなきものとするより音曲おんぎよく諸流しよりう訛傳くわでんあやままゝかたつぎ古来こらい作者さくしや苦心くしんめつその微意びいしつすること名工めいこう往古わうご妙技めうぎ後世こうせい傭工ようこうみだ」りに瑕瑾きず修飾つくろひてかへつて原題げんたいがいするごと古人こじんせき戯述げしゆつといへども章々しやう/\句々くゝ悉皆しつかい出据もとづくところありしかれども流行りうこう古今こゝん變称へんしやう漢音かんおん呉音ごおんひゞ現今げんこん清朝せいてういたつて一へんするにひとしくわが國語こくごにして雅俗がぞく差異けぢめあり地方ちはう称呼しようこありことさら謡曲うたひものおけ傳寫でんしやあやまられ作者さくしや原意げんい漸々ぜん/\むなしからむ嘆息たんそくあまさき村田むらた正風まさかぜ常磐津ときはづ老松をひまつかうありのち高橋たかはし廣道ひろみちどうきよくせき乃扉かうありとも遺憾ゐかんじやういづこゝ文友ぶんいう風来ふうらい山人さんじんつと漢籍かんせき餘力よりよくのつとはるか洋書ようしよ深淵しんゑんさぐ蛍雪けいせつ餘光よくわう稗史はいし小説せうせつ院本ゐんほん戯冊げさつすべふるしよ雅俗がぞくはず胸裡けうりをさめ自著じちよおぎなとしごろ机上きしやううむことなく頃日このごろ燈下とうか隨筆ずゐひつ清元きよもととなきた艶曲えんきよくうめ乃春はる章句しやうくちう當流たうりう婦幼ふようはい作者さくしや妙處めうしよかいさしめんと該曲がいきよく考証かうしやうほんを」つゞな しぬそも/\かのうめ乃春はる章句しやうくたるや風調ふうてう雅俗がぞくわた竒句きく妙文めうぶん演曲えんきよくちう巨擘きよへきにして當流たうりうだい一にきも往々わう/\傳寫でんしや誤句あやまりあるを山人さんじん老婆らうば心切しんせつひろ諸書しよしよ引証いんしやう古人こじん佳作かさくまつたふせることじつ風来ふうらい承景しようけいこの強記がうきるべき而巳のみ

   明治十六年十一月

 猫々道人魯聞誌[文] 

※外題「〔清元・名曲〕梅乃春通解 全」、見返「風来山人著\〔清元・名曲〕梅乃春通解\大栄堂蔵版」、刊記「明治十六年七月十二日御届\同年十二月六日出板、編輯人・河原栄吉\出版人・加藤忠兵衛\發兌人・法木徳兵衛」。本文活版、序文は整版。


割烹店通志 (中本1冊、阪大小野文庫〈918.5-ONO-187〉)

〔酒客・必携〕割烹店りやうりやつう序言はしがき

強飯きやうはん酒戰しゆせん暴食ばうしよく無禮講ぶれいこうえんしやうじ。禮家れいか饗膳けうぜん度外どぐわいにして。かなら太平たいへいうつはにあらす。すべ飲食いんしよく節用せつようせんこと。衣服いふく居住きよぢゆうまうけより。だい一に心得こゝろうしとは。衛星ゑいせいじやうをしへにして。めいしよくにあり。しかどもそのしよくよつ健康けんかうを。がいするもまたすくなからず。ゆゑ膳部ぜんぶしき調理てうりせん古人こじん往々わう/\これべんず。けだ献立こんだてしき古今ここん異同いどうありて舊新きうしんそのせいひとしからず。かの甲陽かふやう軍鑑ぐんかんに。所謂いわゆる公界こうかい奥山をくやまの。分限ぶんげんなる百姓ひやくしやう料理りやうりするすべらず。海老ゑびしるとし。たい山椒さんしよ味噌みそあへがん白鳥はくちやう焼物やきものに。こひ菓子くわしとし。蜜柑みかんをさ」しみとせバ。よきさかなども。いづれをりてくらきやうなく。みなすて云々しか%\と。このせつこひ菓子くわしといふのみこそさもあれ。その今様いまやうに。ことなるハあらじとおもへど。献立こんだて式外しきぐわいいづるをもつて。しかいひたりしにやされバ隆盛りうせい今世こんせい山海さんかい珍味ちんみきそふて。割烹くわつはうせいます/\くわしく。會席かいせき料理りやうりしやうする食店しよくてんかたみ鮮魚せんぎよ新菜しんさい鹽梅あんばいし。佳肴かかう風味ふうみつくなかに。はやそのげふ注意ちゆういして。調理てうり饗膳けうぜん賓客ひんかくをして。喫味きつみかんおこさしめしハひと山谷さんや八百善やほぜんにあり。そのせい料理通りやうりつうほん著述ちよじゆつこれよつて。これあぢはふのすゐあれども。一せきよし不可あしひやうするのもにてかつ割烹くわつはう論窮ろんきうするの通誌つうしを」ず。東柳とうりう散人さんじん。よく府下ふか盛場せいじやうわたり。した百味ひやくみ甘辛かんしんべんじ。くち酒樓しゆろう待遇たいぐうく。昔日せきじつ京師けいしひと豆腐百珍とうふひやくちん芋百珍いもひやくちん編述へんじゆつあり。散人さんじんのぶところ。一ひん百味ひやくみとゞまらず。數家すうか調煎てうせんせい屋樓をくろう廣挾くわうさ宴席えんせき風致ふうち待遇たいぐう厚薄こうはくのせもらさずひやうしてあまさず。これなん。酒客しゆかく必携ひつけい冒頭ほうとうむなしからずして。かつ割烹店りやうりや通誌つうししんじつありとせんゆゑ賛成さんせいぜいしよとす

     明治十八年第三月中院

應需   好食外史   假名垣魯文叟題 

※見返「前橋栄五郎編\〔酒客・必携〕割烹店通誌\東亰 前橋書店梓」、口絵中「廣重」、内題下署名「前橋東柳戯編」、刊記「明治十八年三月九日御届\仝 年仝月廿七日出版\定價貮拾錢\編輯兼出版人 前橋榮五郎」。


【附言】 本稿は国文研における魯文プロジェクトの月例研究会や研究大会での発表に基づくものです。多くの知見を与えて下さった参加者のみなさま、取り分け資料について御教示いただいた谷川惠一氏、青田寿美氏に感謝申し上げます。




A Summary of "Robun's Literary Hackworks"

Studies of Kanagaki Robun's literary works are not advanced, with the exception of well-known texts such as "Aguranabe" 安愚楽鍋 (Sitting Cross-Legged at the Beef Pot) and "Seiyoudoutyuu; hizakurige" 西洋道中膝栗毛 (Shank's Mare to the West). The whole picture of Robun's work is only now being revealed by the efforts over the last few years of the National Institute of Japanese Literature's Robun Research Group. However, because of a lack of a proper index of Robun's minor commercial writings, such as forewords to other authors' miscellaneous books, captions for Ukiyo-e prints, handbills, flyers, and collections of short romantic ditties, much of this output remains unknown. This article therefore aims to describe Kanagaki Robun's hack writing as one part of his overall literary output, particularly from the years when he used the pen name "Dontei" to his later years, based on materials I have recently discovered.

Translated by Ms.Orna Shaughnessy. I can never thank you enough.




【追補】(活字翻刻本の序文)

化競丑満鐘戯叙ばけくらべうしみつのかねげじよ(和装中本1冊、架蔵)

理外りぐわい談ネはなし書綴かきつゞりてこの人氣じんきさそ非常ひじやう形象かたちあらは凡筆ぼんひつかこみいづわざ戲作げさく狂画きやうぐわ二個ふたつにありいふこはものたし怪談くわいだんみゝおほはずおそろしくも面白おもしろきハ土佐とさうじ百鬼ひやくき夜行やぎやうすごきハ應擧おゝきよ幽霊いうれいことあやしふでのすさみ趣向しゆかうなる文句もんくめうある十しゆ曲亭きよくてい老人らうじんかの丑満うしみつのかねてきこへしをふるてら院本ゐんほんじたて流水ながれ灌所くはんじよあかそゝぎていろど表紙ひやうしの七変化へんげ生捉物いけどりもの妖怪ばけもの退治たいぢその原本げんほん筥根はこねさききえたえなんことをおし魔性ましやう化粧けしやう製立したてばえこゝ發兌はつだ共隆社きやうりうしやふるきをした人魂ひとだまあと引出ひきだ表紙へうしいとぐたぬき和尚おしやう勧化帳くわんけちやうばけ地蔵ぢざう略縁起りやくえんぎめく叙詞じよしそえよともとめおう轆轤ろくろくび嘔吐へどながいハおそれと一すん法師ばふしみじかしる

   酉の時雨月

金花猫翁ねこまたおやぢ佛骨庵魯文[文] 
素岳書      

※「明治十八年九月廿五日翻刻御届\同年十一月出版\(定價金三拾五錢)\著作人 曲亭馬琴\翻刻出版人 東亰亰橋區銀座貮丁目六番地 千葉茂三郎\發兌所 東亰亰橋區銀座貮丁目六番地 稗史出版 共隆社\賣捌所 東京及各地方 書肆繪双紙店\東亰地本同盟組合之章[組合][証]

今古實録きんこじつろく (和装半紙本)

今古實録きんこじつろく序詞じよし

わが往古わうこ一度ひとたび文物ぶんぶつたんひらき、やゝ盛典せいてんときしも、中世ちうせい戰國せんごく乱離らんりきはめ、古書こしよ歴史れきしおほ兵燹へいせんかゝり、そのそんするもの數部すうぶけり。この年暦ねんれき文物ぶんぶつまたすたれ、學事がくじするものわづか浮屠氏ふとしすぎず。近世きんせい足利あしかゞうぢ以降いかう元龜げんき天正てんしやうころまで、武門ぶもん博識はくしきいでしもあれど、なほ干戈かんくわときなく、文學ぶんがくたま/\公卿くぎやう武家ぶけ波及はきうするのみ。とき僧侶そうりよなくんバ、平家物語へいけものがたり太平記たいへいきしよ軍記ぐんき編述へんじゆつ今世こんせいつたふるなきにいたらんゆゑに、我國わがくに軍記ぐんき史略しりやくおほ佛語ぶつごものハ、けだ釋氏しやくしなりしをもつてなり。坊間ばうかん貸本かしぼんとなふる俗書ぞくしよいまつたふるも、これまた僧徒そうと著述ちよじゆつもの數卷すくわん、その事跡じせききよはぶき、もつとじつちかきをえらみ、引証いんしやうよりて、校正かうせいまつた榮泉社えいせんしやちう藏版ざうはんおける、貸本かしぼん網羅もうらして、ほゞつくせるのこうつとめたりといふならん。こゝおいて、今古實録きんこじつろく題名だいめい目下もくか世間せけんあまねきも、またむべならずや。もつ簡端かんたんじよすると爾云しかいふ
  明治十九年第四月

佛骨庵主 假名垣魯文叟誌  

※原文に句読点なし。「小僧殺横濱竒談こぞうごろしよこはまきだん」など、今古実録の後印本に付されたもの。


梅見時むめみときはる成駒なりこま(国文研〈メ6-443〉

梅見時むめみときはる成駒なりこまじよ

春雨はるさめ楽屋がくやかぶ傀儡師くわいらいし寶晋齋はうしんさい句作くさくちなたえすゞりみづうるほ机友きいう魁蕾くわいらいむね機関からくりほとけさふとおにそふと出没しゆつぼつ自由じゆう意匠たくみいづ伊吹いぶきおろしの風謡こうたのまに/\小倉をぐら野邊のべ一本ひともとすゝきふで穂頭ほさきをひらめかしひとのこゝろに春風はるかぜさそふはなもとなる若駒わかごまあしなみすゝ行事きやうじあげ成駒なりこま贔顧ひいきかんそな体裁ていさい演劇しばゐ脚色しくみにあらねとそのでんじつ正本しやうほんなりこのおやにしてこのある福々ふく/\でんの」種蒔たねまきさんば倉卒さうそつ寸暇すんか稿かう成駒なりこま新年しんねん識筆かきぞめ草子さうしだいうり出し俳優やくしや當利あたりして大吉だいきち利市りし保証うけあふもの壮史わかて古川ふるかはつくゑならぶる両文社りやうぶんしや新富しんとみ老人らうじん

假名垣魯文述

※中本1冊。大和綴。「一名成駒屋福助詳伝」。扉「俳名中村福助之肖像\實名山本榮二郎」(石版写真)。内題下「魁蕾史閲\岩原梨園子綴」。「明治廿年十二月廿八日出版御届\明治廿一年二月十日出版發兌\定價丗五錢\編輯蒹出版人 東京府士族 岩原全勝 芝區南佐久間町二丁目十八番地\出版所 京橋區本材木町三丁目七番地\取次所 京橋區南鞘町十八番地 正文堂」


新橋藝妓評判記初編(和装横本1冊、国文研〈ム7-277〉)

藝妓評判記げいしやひやうばんき附序ふじよ

白門新柳記はくもんしんりうきの一しよ近來ちかごろ隣邦おとなりより發兌はつだして、圓儉まる小肥ぽちや支那しなさだめ、とほ別嬪べつひんきくも、ちか面貌おもてるにしかず。わが東海とうかい氏國しこくハ、もとより本塲ほんば新橋しんけう花柳くわりう奈何いかんぞ金凌きんりやう新柳しんりう歌妓げいしやはいおとらんや、と粹史すゐしふで力瘤ちからこぶに、校書かうしよ美名びめい品行みんかうひやうして、もつしよくそなふるも、おほくハ雜誌さつし部中ぶちうのせ線香せんかう本立ほんだち寧賛ねへさんならず。悉皆しつかい鋪借みせがり折半たゝきわけ等類たぐひなるを、遺憾をしむあまり、ひろ金春こんぱる縦横たてよこさぐり、ふか鴉森からすもりおくたづね、これによしあしの批評ひひやうすハ、ふる浪花なにはおこなはれし、かの八文はちもん自笑じせうをうひそみならふすさみといへども、しや評言ひやうげん微意びいあるや、猫妓ねこたいするとう筆頭ふでさき毀譽きよ褒貶はうへん混交こも%\なるを、傳傍でんばう誹譏わるち〓立見連たちみれん只管ひたすら記者きしや腦勞氣りちけ看做みなし、先生せんせいたかィ/\、と虚賛成あとぼり惡賞讚わるぼりをするもあらば、此奴こいつはなせぬやつなるし、それ位附くらゐづけしろきをッて、かみつやまも赤襟あかえりあがりの黄口くわうこう青妓せいぎ記者きしや活眼まなこ黒表紙くろべうし、」この評言ひやうげんを、ねえさんの叱〓こゞとして、宴席えんせき待仕じし酣酌かんしやくきやく應對おうたいこゝろもちひば、つひ大極だいごく上々吉じやう%\きちいゝ藝妓げいしやしゆしようされなん。あるひあてこみ俳優やくしやうわさ舞臺ぶたいにあらぬ坐敷ざしきそゝり○○○得意とくい人氣にんきうしなひて、その醜聞しうぶんねこじやにひッかきらさるゝことなかれ、とじよしやが一老猫らうめう心箱しんばこ丁代やがはりの挑灯てうちんもちころばぬさきに、モシお浮雲あぶなう、と往來わうらいらすにこそ

ときに九月すゑの三日秋雨あきさめ中止いとま蟹迺屋かにのや壯史さうし誘引いういんうながされ、烏森からすもり湖月樓こげつろうに一しやく間盃かんはいせんみづすゞりうけ
猫々道人魯文醉記 

※22丁。「明治十四年九月廿五日御届 〔定價拾三錢〕\編輯蒹出版人 東京赤坂區青山北町三丁目五十六番地 中村鉄太郎\發賣所 同京橋區西紺屋町十四番地 粹文社\大賣捌所\新橋竹川町いろは新聞 京文社・銀座二丁目鳳鳴新誌 開新社・木挽町壹丁目話の種 萬字堂・神田雉子町新聞賣捌所 巖々堂・人形町通元大坂町 同 漸進堂\此外各繪双紙店及び新聞賣捌所へ差出し置候に付御最寄にて御求の程奉願上候 板元敬白」


# 「魯文の売文業」
# 「国文学研究資料館紀要 文学研究篇」第34号(2008年2月)所収
#【追補】「化競丑満鐘戯叙」を追加 (2008年9月7日)
#【追補】「今古實録」「梅見時春に成駒」「新橋藝妓評判記初編」を追加 (2009年1月13日)
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#               大妻女子大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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