黄鳥墳の世界
高 木  元 

化政天保期(十九世紀)における江戸歌舞伎の隆盛は、団十郎をはじめとして幸四郎、菊五郎、三津五郎、半四郎、菊之丞と続々と輩出した花形役者によって支えられたものということができるかもしれない。他方、演目から見ると、様々の典拠を持つ多様で変化に富んだ筋立てや魅力的な演出に負うところも少なくなかったと思われる。

さて、橋本治『江戸歌舞伎はこんなもの』(ちくま文庫)が分かりやすく説くように、江戸歌舞伎は顔見世など様々な約束事によって成り立っている。しかし、演目に変化を与えるために、その様式という器には実に多様な伝承や説話が盛り込まれたのである。とりわけ狂言の枠組は〈世界〉と呼ばれ、『世界綱目』という狂言作者に珍重されていた便覧が写本で伝わっている。これを見るに「曽我」「角田川」「道成寺」など軍記物語や説経浄瑠璃、謡曲などに基づく〈世界〉が並べられている。ところが、この〈世界〉の中には同時代に流行した江戸小説に材を求めたものもあったのである。

近世小説の中にでも読本《よみほん》と呼ばれる小説ジャンルは、漢文体の序文を備えたり、中国の白話小説を粉本として見慣れぬ漢語を用いたり、多くの史料を駆使した考証を挿入したりという具合に、やや格調の高い稗史小説であった。この傾向は馬琴読本に強く見られ、代表作として後に歌舞伎化されることになる『南総里見八犬伝』が知られている。これら馬琴読本が歌舞伎に新鮮な趣向をもたらしたのである。

曲亭馬琴は文壇史『近世物之本江戸作者部類』で

「丁卯〔文化四年(一八〇七)〕曲亭(略)『三七全伝南柯夢《さんしちぜんでんなんかのゆめ》』六巻を綴る(略)この年〔文化五年〕の秋九月、大坂道頓堀、中の芝居にて、この読本《よみほん》の趣を狂言にとり組て、名題を『舞扇南柯話《ハナシ》』といふ。九月十七日より開場せしに、看官《みるもの》日々に群聚せざることなく

と、自作の読本を脚色した歌舞伎の評判の高さを記し、流行を当て込んだ「三勝櫛」や「南柯話飛廻り雙陸《すごろく》」が売出されたこと、歌舞伎狂言の彩色絵入正本〔役者似顔を用いた挿絵入り台本風読み物〕までが出板されたことを、少なからず誇らしげに記している。この後、

秋より冬に至て、曲亭のよみ本を浪速にて歌舞伎狂言にせしもの、四座五たびに及べり、当時の流行、想像すべし。江戸にても文化年間、中村座の秋狂言に曲亭のよみ本『稚枝鳩《わかえのはと》』の復讐の段を狂言にして、瀬川仙女が烈女の五人殺をせし事あり

と、上方のみならず江戸でも同様であったと述べている。

一方、美麗な錦絵風摺付表紙を備え、全丁に絵が入り、ひらがなで書かれた草双紙(合巻)は、より広範な読者に読まれていたと思われ、『児雷也豪傑譚』や『白縫譚《しらぬいものがたり》』など評判になった作も、後に歌舞伎化されることになる。もとより草双紙は「紙上歌舞伎」と呼ばれるほど芝居とは関係が強く、草双紙の読者層と歌舞伎の観客とは重なっていたのである。

さて、歌舞伎の『昔語《むかしがたり》黄鳥墳』も、栗杖亭《りつじようてい》鬼卵《きらん》の読本《よみほん》長柄長者絵本黄鳥墳』(文化八年刊)を脚色して作られた芝居である。歌舞伎狂言の常として名題を変えながら、上方のみならず江戸でも上演され続けてきた。

作者である鬼卵は延享元年(一七四四)生まれ、若い頃は絵画や連歌、狂歌、俳諧に遊び、享和三年(一八〇三)には『東海道人物志』を出している。本作執筆時には六十七歳。自著の署名に敢えて「遠州日阪」と冠しており、遠江国佐夜之中山の西に位置する東海道日坂の宿に在住していることを主張しているが、鬼卵自身は若い頃を河内国佐太で過ごしているから、上方の出身であろう。また、読本は主として上方の板元からの依頼で執筆していた。上方読本は、中国臭があまり強くない世話物風のものが多く、口碑や説話などに基づく平易な作品や、軍記や実録の絵解きという性格を強く持った絵本読本が多い。そのせいか、鬼卵の作品も馬琴流の江戸読本とは違って、比較的平易な行文が多いのが特徴であるが、生涯に二十余作の読本を執筆しており、馬琴京伝等に次ぐ読本作者であった。一番知られているのは、歌舞伎化されたこともあり『長柄長者絵本黄鳥墳』であろう。後摺本が広く流布しているのみならず、近代に成ってから何度も活字に翻刻され出版されている。

この読本は、加賀と河内とに佐々木源太左衛門という同姓同名の武士がいて、はからずも大井川の側に同宿し、具足櫃の取違えから遺恨を生じ、河内の源太左衛門が殺害される。遺児である源之助は佐々木家を横領した叔父(源吾)に追放され、母(渚)と共に乞食となって仇の詮索をする。ある日、長柄長者の娘(梅枝)が愛育していた鶯(唐琴)を助けたことから懸想され長者の婿になるが、長者の後妻(環)に毒殺されそうになって遁れる。その後、梅枝のみならず長者までもが環と結託した悪僧(大仁坊)に殺害されてしまう。梅枝の霊は鶯に宿って源之助の危急を助け、遂には父の仇を報ずる。また長者の養子と忠臣等も大仁坊を討ち、両家はめでたく栄えるという話柄である。二つの敵討を果たすまでの浮沈安危の様子を描いた敵討物としての枠組を持ち、題名通り鶯塚の由来譚にもなっている。

発端部では遊郭での放蕩零落譚と遊女をめぐる三角関係に始り、佐々木家の御家騒動では〈系図の巻物〉と〈旭丸の宝剱〉という小道具が使われる。宝山比丘という超越的存在が設定されて、長柄長者の過去の因果として水難を予言する。また源之助が流浪する途中では、大牡丹で有名な遠州の京丸という人外境における纐纈城(脂取)説話と、鳥目の治癒譚が挿入される。この他、没落した長者の荒屋敷における怪異、鶯や神仏による敵討ちの冥助、水魚石という奇石等々と実に多くの趣向が盛り込まれ、伝奇小説としての読本らしさに溢れた佳作である。

ところが脚色された時に、これらの読本らしい凝った趣向はみな削ぎ落されてしまった。馬琴が前述した『作者部類』で

江戸の歌舞伎作者は、当時流行の読本の趣を、その侭《まま》狂言に作ることを恥て、或《ある》は人物の姓名をおなじくせず、或《ある》は別の世界にとり易《かえ》などすなるに、江戸の俗客婦女子は読本を看《み》ぬも多かれば、その狂言の憑《よ》る所を知らずして、新奇也《なり》と思ふなるべし

としているように、本作でも「加賀」は「多賀」に、「比丘」は「和尚」に、「環」は「玉木」にという具合に呼称や表記が変えられ、筋立ても舞台での上演に都合が良いように再編され、簡潔に縮められているのである。

実は、この読本『長柄長者絵本黄鳥墳』が与えた影響は歌舞伎だけではなかった。「かな読み絵本黄鳥墳」とでも呼ぶべき抄録合巻『鶯塚梅赤本』全六編(嘉永三〜明治十四年、松亭金水・泉竜亭是正作、国政・芳虎画)や、合巻『邯鄲諸国物語』摂津の巻(嘉永四〜安政三年、柳亭仙果作、豊国・貞秀画)も読本に筋を借りたもの。人情本『鶯塚千代廼初音』全四編(安政三〜明治二年、松亭金水・山々亭有人作、芳虎画)も、同様に読本を人情本化したもの。講談の速記本でも『佐々木源之助・諏訪道仙 鶯塚の仇討』(邑井一講演、加藤由太郎速記、求光閣、明治三十年序)や、「鶯塚の仇討」(桃流舎至高口演、求光閣、明治三十四年)、『鶯塚復讐美談』(錦城齋貞玉口演、今村次郎速記、いろは書房、明治三十年)などが見出せ、刊否は未詳であるが「駸々堂発行書目神田伯龍口演・丸山平次郎速記」には「講談鶯塚/同後編長柄長者」が掲載されている。これらの講談も読本の筋を軸に語られたものであった。

このように、鬼卵の一読本が周辺諸ジャンルに与えた影響は大きく、あたかも〈世界〉を構成したと言っても差し支えないものと思われる。馬琴が吹聴した自作読本の歌舞伎化と同様に、実は鬼卵の『長柄長者絵本黄鳥墳』も文学史上見過ごしがたい作品の一つなのである。

(たかぎげん/千葉大学教授)


# 国立劇場第255回 平成十九年十月歌舞伎公演「平家女護島・昔語黄鳥墳」
# (2007年10月3日、日本芸術文化振興会)
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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