櫻姫全傳曙草紙等の〈清玄〉
高 木  元

 清玄の悲劇は、偶然に桜姫の姿を見てしまったことから始まった。

春爛漫の清水寺の境内、清玄の眼が艶やかな桜姫の姿を捉えたその瞬間「一陣(いちゞん)の冷風(れいふう)さと吹(ふき)おろして梢(こずへ)の花(はな)をちらし清玄(せいげん)が皮肉(ひにく)にぞつと冷(ひえ)とほる」と、清玄は深い恋の淵に陥ちてしまった。一旦その美しさに魅せられてしまった心は、どう足掻いても取り戻しようがなく、かなわぬ想いは次第に募って執愛と化し「我(わが)執着(しうぢやく)の一念(いちねん)にていづくにありともたづね出しおもひをとげておくべきか」と寺を出る。時は過ぎ、零落して鳥部山の菴室で墓守をしている清玄の前に桜姫の棺が運ばれてくる。死してもなお美しい遺体に無常を観じて流した清玄の涙が桜姫の口に入ると、姫はたちまち蘇生する。「俄(にわか)に一陣(いちじん)の冷風(れいふう)さと吹(ふき)清玄(せいげん)が身(み)うちに冷(ひえ)とほるとひとしく忽(たちまち)心中(しんちう)恍惚(くわうこつ)として再(ふたゝび)愛着(あいぢやく)の念(おもひ)を生(しやう)じ」て、かきくどく。「我(われ)日来(ひころ)恋慕(こひしたひ)つる一念(いちねん)とゞきし今日唯今(たゞいま)いかでかむなしく過(すご)すべきたとひ戒行(かいぎやう)を破(やぶ)り阿鼻地獄(あびぢごく)に堕(だ)するとも姫(ひめ)ゆゑならばいとはじ師(し)の房(はう)の怒(いかり)をうけ世間(せけん)に面(おもて)をむけがたき身(み)となりしも皆(みな)(これ)姫を思ひしゆゑなり」「いざ/\我(わが)執念(しうねん)をはらさせよ」と桜姫に迫ったその時に、たまたま居合わせた弥陀二郎に殺されて、ついに亡霊と化した清玄は「あな怖(うらめ)しや腹(はら)たちや目前(もくぜん)修羅(しゆら)の苦(く)を見るハ誰(たれ)ゆゑぞ姫(ひめ)ゆゑに生(いき)ながら地獄(ぢごく)に堕(だ)する此(この)(うらみ)み生(いき)かハり死(しに)にかハり思ひしらさでおくべきか」と、「清玄(せいけん)が姿(すがた)(やなぎ)の梢(こずゑ)にあらハれてなほもやらじとうしろ髪(かみ)を引戻(ひきもど)す」が、弥陀二郎は桜姫を連れて館へ帰る。

 この京伝読本の代表作とも称すべき『櫻姫全傳曙草紙』(文化二年刊)に描かれた清玄の救いのなさは一体何故であろうか。古浄瑠璃『一心二がびやく道』以来の清玄桜姫説話や仏教長編説話『勸善櫻姫傳』に基づいていることはもちろんだが、清玄が桜姫に眷恋したのは彼女の美しさ故であると書かれている。さらに清玄自身は何も積極的に行動を起こしたわけではなく、むしろ自らの内なる恋情をもてあまして、ただひたすら苦しみ、そして流離零落し最後には殺されてしまうのである。この悲惨な人生を悲劇と呼ばずして何と呼ぼう。
 そもそも恋とは、相手に意思にかかわらず一方的に想いを募らせ、なおかつその熱情を相手に突きつけていく過程に過ぎない。そして恋の始まりの多くが異性の容貌に魅せられたことに発するのだとすれば、外見的な美しさにこそ罪があるはずである。
 たとえば、清水の観音が桜姫の前に老僧として現れ「やあいかに櫻姫。おこと古今の美人ゆへ。人のおもひのかづつもり。罪障の山たかく。るてんしやうしの海ふかし。とりわけみやこきよ水の。せいげんが執心にて。御身夫婦もふたおやも。おつつけかれにとりころされ。死してはならくにをちいらん。」(半太夫節『櫻姫ねやのつげ』)と告げるこのテキストは、形式的には桜姫の発心譚となっているが、桜姫の罪障性を認めたものであるといえよう。
 ところで、清玄説話の一変奏として、近松半二『花系圖都鏡』(宝暦十二年竹本座)やその改作である近松半二・三好松洛・竹本三郎兵衛等『菊池大伴・姻袖鏡(こんれいそでかがみ)(明和二年九月竹本座)などの浄瑠璃に仕組まれた岩倉宗玄説話がある。早くに飯塚友一郎『歌舞伎細見』が指摘しているように、この宗玄が折琴姫に迫る庵室の場はそのまま清玄庵室の場に踏襲されているのである。一方、西沢一鳳『脚色余録』初編下に「総体清玄は清水場と庵室の場より外に狂言なく跡は執着の所作事となれば一日の趣向にたらずゆへにいつも抱合せの狂言は変るとしるべし」とあるように、基本的なプロットに変更はなかったものの、鶴屋南北『隅田川花御所染』(文化十一年三月市村座)では女清玄や加賀見山とない交ぜにされたり、黙阿弥『戀衣雁金染』(嘉永五年正月河原崎座)では雁金五人男と抱合わせにされたりしている。しかし、歌舞伎の方では清玄桜姫の前生を設定し生世話の作劇の面白さをつくした南北の『櫻姫東文章』(文化十四年三月河原崎座)が代表作であろう。
 さて、京伝の『曙草紙』に戻るが、最初の引用で気付かれたであろうか。実は「一陣の冷風」という表現によって、すべての清玄の行為は、正妻野分方になぶり殺しにされた妾玉琴の怨念に拠るものであったことが暗示されていたのである。それも直接野分方に祟るのではなく、我が子である清玄をして野分方の子どもである桜姫に恋着させるという、親子の情愛を媒介した間接的な手段を用いた復讐劇である。すなわち結末になって明らかにされる通り、清玄と桜姫は「別腹の兄弟」だったというかなり際どい設定だったのである。はたして桜姫と結ばれなかった清玄は却って救われたということになるのであろうか。
 最後に関連する作品を挙げておこう。『曙草紙』を歌舞伎化したものとしては『櫻姫操大全』(文化四年九月大阪)や奈河篤助『清水清玄廓室曙』(文化五年五月京都北側布袋屋座)があり、合巻では『櫻姫筆再咲』(文化八年刊、京伝作)や『姥櫻女清玄』(文化七年刊、馬琴作)、『朝櫻曙草紙』(文政三年刊、京山作)、『櫻姫面影草紙』(嘉永五年刊、京山作)など、読本でも『小櫻姫風月竒観』(文化八年刊、京山作)がある。このように清玄桜姫説話は〈世界〉として定型化して近世後期小説や演劇の中に長くその生命を保ったのである。


# 學燈社「國文學」1995年6月号 特集:古典の中のゴーストたち 所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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