草双紙を研究すること

高 木  元 

 草双紙は近世初期(十七世紀半ば) から明治初期(十九世紀末) に至るまでの約二百余年間、その内容と造本の趣きとを変化させながら多くの読者に親しまれてきた。おそらく、近世近代を通じて一番長い期間に渉って愛翫されてきたジャンルといって差し支えないであろう。全丁に入れられた挿絵の隙間に平仮名を主とする本文が書き込まれるという独自の板面は、草双紙が他のジャンルと一線を劃した絵入大衆小説としての特徴的な様式であった。ただ、江戸の地本としての性格を強く体現していたため、近世文学研究史に於いて、草双紙は決して所謂〈文学的〉価値の高いものとして扱われてはこなかった。多分に好事的な風俗資料として、その挿絵が関心の対象となったに過ぎなかったからである。

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 近頃、この草双紙の研究史を通覧できる『草双紙研究資料叢書』全八巻(中村正明編、クレス出版)が出た。大正末期から昭和三十年代初頭に至る黎明期の著作権切れの研究文献や研究資料を集大成した企画。しかし、本格的な草双紙研究が進捗するのは戦後になってからである。以下、大まかに年代を追って赤本青本黒本時代、黄表紙時代、合巻時代と分けて、代表的な業績を列挙して研究史を俯瞰してみよう。

 初期の草双紙はその内容から、児童文学としての研究が進捗することになった。瀬田貞二『落穂ひろい』(福音館書店、一九八二年)などがその例である。また、岡本勝『初期上方子供絵本集』(角川書店、一九八二年)という上方の子ども絵本の発見があり、中村幸彦「江戸時代・上方における童話本」(『中村幸彦著作集』第十巻所収、初出一九六○年)の童話本研究奨励とりわけ上方本への注意喚起を受けて、中野三敏・肥田晧三『近世子どもの絵本集』上方編(岩波書店、一九八五年)に現存本三百点程のリストを提示されるに至った。同時に出された鈴木重三・木村八重子『近世子どもの絵本集』江戸編(岩波書店、一九八五年)には、木村八重子氏の長年に亙る調査により確認された赤本等百三十余点が挙げられている。 他方、アン・ヘリング『江戸児童図書へのいざない』(くもん出版、一九八八年)、岡本勝『子ども絵本の誕生』(弘文堂、一九八八年)と、一般向きの啓蒙書もこの時期に刊行をみている。

 これら八十年代における初期草双紙研究の進捗には、一九七九年以来、初期草双紙を中心に研究を続けてきた東京学芸大学大学院関係者による〈叢の会〉の同人研究誌『叢 −草双紙の翻刻と解題』(現在二十七号に至る)という、継続的な解題注釈研究の持続が支えてきた研究史の厚みが不可欠であったと思われ、その途中成果は、叢の会『江戸の絵本』一〜四(国書刊行会、一九八七〜一九八九年)として公刊された。

 一方、一九九七年は収穫の多い年であった。新日本古典文学大系『草双紙集』(岩波書店、一九九七年)は、草双紙研究の水準を一気に高めたが、その解説である木村八重子「赤小本から青本まで」や棚橋正博「草双紙の時代(六)−初めは青、再板は黒」(「日本古書通信」六十一巻六号、一九九六年六月)による、黒本が青本の後印本である場合が見られるという指摘は重大で、これを宝暦以後に関して実証的に追認した神楽岡幼子『青本黒本集』(関西大学出版部、一九九七年)は、敢えてタイトルを青本黒本の順に示している。赤本青本黒本のみならず黄表紙までを含んで、草双紙の形態的相違は従来より相対的に考えるべきで併存していたのであるという問題提起は甚だ示唆的であり、承認されてしかるべきだと思う。さらに、書誌調査に必携の木村八重子『赤本黒本青本版心索引(予備版)(青裳堂書店、一九九七年)も同年の発表であった。

 なお、初期草双紙を児童文学として扱った流れは継承され、上笙一郎『江戸期の童話研究』(久山社、一九九四年)や、内ヶ崎有里子『江戸期昔話の研究と資料』(三弥井書店、一九九九年)を生み出すことにもなった。他方、高橋則子『草双紙と演劇』(汲古書院、二〇〇四年)は初期草双紙と演劇との関連を中心に新見に満ちた論考である。

 さて、黄表紙に目を転ずる。向井信夫編『十返舎一九滑稽もの五種』(近世風俗研究会、一九六七年)や、森銑三『黄表紙解題』『続黄表紙解題』(中央公論社、一九七二・一九七四年)は黄表紙の全般的な解題研究の濫觴となった。『黄表紙・川柳・狂歌』(日本古典文学全集、小学館、一九七一年)に収められた浜田義一郎編「黄表紙題簽一覧−年代別・版元別」は、刊年と版元を表示する題簽の意匠を一覧に整理したもので、後に『板元別年代順 黄表紙絵題簽集』(ゆまに書房、一九七九年)として纏められた記憶に留めるべき業績である。

 また、水野稔『山東京傳の黄表紙』(有光書房、一九七六年)は注釈の高みを示しつつ、水野稔『黄表紙・洒落本の世界』(岩波新書、一九七六年)という啓蒙書で一般向きにその魅力を示した。これらの仕事は、小池正胤・宇田敏彦・中山右尚・棚橋正博『江戸の戯作絵本』全六冊(社会思想社、一九八〇〜一九八五年)という一般向きの全挿絵入り注釈書の文庫本での刊行を促した。シリーズ江戸戯作(桜楓社)として出された山本陽史『山東京伝』(一九八七年)、鈴木俊幸『唐来三和』(一九八九年)も同様の流れに位置する注釈研究である。一方、広瀬朝光『戯作文芸論』(笠間書院、一九八二)、井上隆明『喜三二戯作本の研究』(三樹書房、一九八三年)などの専書も刊行されたが、何よりも特筆すべきは、棚橋正博『黄表紙総覧』(青裳堂書店、一九八六年)の刊行であろう。前編、中編、後編そして索引編を経て、二〇〇四年に図録編 が出て完結した。とても個人の業績とは信じられないほどの労作で、この『黄表紙総覧』に拠って黄表紙研究は飛躍的発展を遂げた。

 九十年代に入ると、板坂耀子近世文学研究 かしおぺあ」一・二号(一九九一・一九九七年)や、清水正男・廣澤知晴『枯樹花大悲利益 注釈』(三樹書房、一九九七年)などがある。棚橋正博『黄表紙の研究』(若草書房、一九九七年)は『黄表紙総覧』の成果を踏まえた論文集。鈴木俊幸『戯作の華 黄表紙の世界』(平木浮世絵美術館、一九九九年)は、黄表紙だけ三百点を並べるという前代未聞の劃期的な展覧会の解説で、京伝黄表紙の複製翻刻付き。なお『山東京伝全集』黄表紙編は一〜四巻(ぺりかん社、一九九二〜二〇〇四年)までが出ている。さらに京伝の黄表紙の魅力を余すところなく提示した棚橋正博『江戸戯作草紙』(小学館、二〇〇〇年)も、一般へ向けられた上質な校注付きで貴重な仕事である。何れにしても棚橋氏の精力的な仕事で、京伝の黄表紙に関しては大きく認知度を高めたものと思われる。

 一方、長年にわたって継続されてきた清田啓子氏による馬琴黄表紙の翻刻は、「翻刻 曲亭馬琴の黄表紙」十五(駒澤短期大学研究紀要 第三十一号、二〇〇三年)で完了した。ただし、享和元年の九作に限っては板坂則子氏により注釈付きで翻刻されている(「群馬大学教育学部紀要」三十一〜三十五、一九八二〜一九八六年)

 さて、二〇〇〇年に入ると、化物をモチーフにした黄表紙に注目が集まった。アダム・カバット『江戸化物草紙』(小学館、一九九九年)以降、『大江戸化物細見』(小学館、二〇〇〇年)、『大江戸化物図譜』(小学館文庫、二〇〇一年)、『妖怪草紙』(柏書房、二〇〇一年)、『江戸滑稽化物尽くし』(講談社選書メチエ、二〇〇三年)と一連の出版を見た。尾崎久弥『怪奇草双紙画譜』(国際文献刊行会、一九三〇年)を、割愛された図版を総て盛り込んで『大江戸怪奇画帖 完本・怪奇草双紙画譜』(国書刊行会、二〇〇一年)として覆刻したり、近藤瑞木『百鬼繚乱 江戸怪談・妖怪絵本集成』(国書刊行会、二〇〇二年)などという企画にも通じる一種の化物ブームとなった。

 最後に合巻についても概観しておこう。古くに渥美清太郎「歌舞伎小説解題」(「早稲田文学」二六一、一九二七年十月)が、逸早く正本写に注目していることは瞠目に価する。しかし、まず挙げなければならないのは鈴木重三「合巻について」(大東急記念文庫、一九六一年)であろう。初めて合巻の史的変遷に通史的な展望を与えたもので、合巻研究にとって不可欠な基本文献である。にもかかわらず、鈴木重三『絵本と浮世絵』(美術出版社、一九七九年)には収められていないので、入手しやすい形での再公刊が待たれる。

 鈴木重三・本田康雄編『浅草観音利益仇討 雷太郎強悪物語』(近世風俗研究会、一九六七年)は、複製に翻刻解題を備えたもので、現在でも貴重なテキストとなっている。

 一方、水野稔『江戸小説論叢』(中央公論社、一九七四年)に所収されている馬琴と京伝の合巻に関する基礎的な研究や、向井信夫『江戸文芸叢話』(八木書店、一九九五年)に収められている出版界の事情を精査して見通した上での実証的な草双紙論である「草双紙合巻の作者たち」、文化期の合巻に半紙本・合巻・黄表紙と三種類の仕立てが存したことを指摘した早いものである「『十返舎一九滑稽もの五種』解説」は、長年に渉る資料蒐集による現資料に即した知見に満ちあふれたもので、草双紙研究を志す者にとっての必読文献となっている。

 さて、テキストであるが、全集として集大成されているのは『鶴屋南北全集』全十二巻(三一書房、一九八〇〜一九八八年)に所収されているものだけであろう。前述『山東京伝全集』(ぺりかん社)の合巻は、全九編中の四編まで出ている。

 八十年代になって、林美一『八重霞かしくの仇討』(河出書房新社、一九八四年)を初めとする一連の〈江戸戯作文庫〉のシリーズが、原寸大の影印に翻刻注釈解題を付して一九八七年まで出し続けられた。板坂則子「曲亭馬琴の短編合巻」一〜六(「群馬大学教育学部紀要」三十六〜四十一、一九八七〜一九九二年)、同「曲亭馬琴の短編合巻」七〜十四(「専修国文」五十二〜六十八、一九九三〜二〇〇一年)は現在もなお継続中である。鳥居フミ子編『台湾大学所蔵 近世芸文集』五(勉誠社、一九八六年)、同『ソウル大学所蔵 近世芸文集』全六巻(勉誠社、一九九八〜二〇〇〇年)は日本に所在の知られていなかった草双紙を影印版で載せている。

 九十年代に入ると、国書刊行会から〈叢書江戸文庫〉シリーズが出始め、佐藤悟『役者合巻集』(一九九〇年)、棚橋正博『式亭三馬集』(一九九二年)、板坂則子『馬琴草双紙集』(一九九四年)、石上敏『森島中良集』(一九九四年)、佐藤悟『種彦合巻集』(一九九五年)、棚橋正博『十返舎一九集』(一九九七年)などに草双紙が収められた。さらに、太平主人『大晦日曙草紙』初〜八編(太平書屋、一九九〇〜一九九五年)、『五節供稚童講訳』(太平書屋、一九九五年)、筧真理子『方言修行金草鞋木曽路巻』(岐阜新聞社、二〇〇二年)、棚橋正博他『黄表紙・川柳・狂歌』(新編日本古典文学全集、小学館、一九九九年)、高木元『山東京山伝奇小説集』(国書刊行会、二〇〇三年)と良質なテキストの刊行が続いた。とりわけ鈴木重三『偐紫田舎源氏』上下(新日本古典文学大系、岩波書店、一九九五年)は、長編合巻を代表するテキストに精緻な書誌と注釈とが附された待望の書であり、佐藤至子『白縫譚』全三編(国書刊行会、二〇〇六年)も長編全編の詳細な書誌調査に基づく完全な翻刻で、前代未聞の快挙といえよう。『明治初期文学資料集』仮名垣魯文 一(国学院大学明治初期文学研究会、二〇〇六年)は魯文の草双紙等の翻刻注釈に著作年表を備えた研究成果報告書。

 書誌書目調査として棚橋正博・播本眞一・佐々木亨・村田祐司「早稲田大学所蔵合巻集覧考」一〜三十六(「近世文芸 研究と評論」三十五〜七十、一九八八〜二〇〇六年)が息長く継続されている。近世文学読書会『東京大学所蔵 草雙紙目録』全五編(青裳堂書店、一九九三〜二〇〇一年)は図書館員の勉強会に淵源を持ち、館の業務としてではなくボランティアとして十年を費やして完成を見た文字通りの労作である。なお同書五編に収まる佐藤悟「草双紙概略」は、草双紙研究の現在的課題を手際よくまとめたもので必見である。また、大沢まこと『合巻本版元年表』(郁芸社、二〇〇〇年)は私家版ながら小説年表では落ちている版元名の総てを精査したもので、手許に常備したい参考資料である。

 棚橋正博『式亭三馬』(ぺりかん社、一九九四年)は板本の写真を多用して説いた三馬の伝記と著作解題論考。佐藤至子『江戸の絵入小説』(ぺりかん社、二〇〇一年) は合巻に関する初の専書。津田眞弓『山東京山年譜稿』(ぺりかん社、二〇〇四年) も、その生涯を合巻作家として生きた京山の著述年表として基礎的な業績である。

 草双紙全体の通史的記述となると小池正胤「草双紙の流れ」(『日本文学全史』四 近世、學燈社、一九七八年)などがあるが、木村八重子「草双紙の世界」全五十回(「中日新聞」学芸欄、二〇〇四年八月四日〜二〇〇五年七月二七日)は、図版を用いて要領よく的確に草双紙史が記述されており、必要な補筆を加えた上での単行本化が待たれる。また、この夏に叢の会編『草双紙事典』(東京堂出版、二〇〇六年)が出来した。帯の惹句に「初期草双紙(赤本・黒本・青本)の解題・研究事典成る!」と見えるこの本は、〈叢の会〉が蓄積してきた仕事の集大成である。さらに今春には、赤本四作の影印翻刻に資料と解説とを加えた『江戸の子どもの本 赤本と寺子屋の世界(笠間書院、二〇〇六年四月)を、「子どもと本をめぐる課題」を考えるためにと、参考文献一覧を添えて上梓している。これら〈叢の会〉の活動は、最新の草双紙研究の成果を、一般読者や教育関係者に対して平易な形で開示していこうという意欲に満ちたものである。

 ここまで研究史を概観してきたが、もとより雑誌論文等を細大漏らさず網羅するつもりも力量もなかったので、主として単行本を中心に見てきた。結果的に洩れている業績も多々あると思うがご容赦いただきたい。ただ、草双紙に関する研究は、基礎研究を主として着実に進捗しつつあり、所蔵機関別や作家別の研究が行われてきたことは明らかに出来たと思う。ところが、通史的な問題を俯瞰する視点からの研究としては、鈴木俊幸「草双紙論」(「中央大学文学部紀要(文学科) 」七十五号、一九九五年) や佐藤悟「草双紙とは何か」(『山東京山伝奇小説集』月報、国書刊行会、二〇〇三年) などの刺戟的な論が備わってはいるものの、さらに深化できる余地が多く残されているように思われる。

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 今回の「江戸文学」誌では津田眞弓さんと相談の上で、「草双紙」特集として、改めて草双紙の出現から明治期の草双紙終焉までを見渡し、その内容と形式とメディアとに関する通史的な視野で草双紙史を眺める企画をたててみた。草双紙の現在的な研究の水準を示すとともに、近世文学に興味を持つやや広い範囲の読者に向けて、視覚を重視するメディアとしての特徴などを抽出しつつ、草双紙というジャンルの面白さを提示してみたかったのである。と同時に、草双紙は広く他ジャンルとの関連において位置付けられるべきであり、とりわけ近代文学史を記述するのにも不可欠なジャンルであるという点を踏まえて、発生から終焉に向けた草双紙史を素描できればと考えていた。

 そこで、前述した研究史には名前が多く出てこない若手の研究者を中心にして原稿を依頼することとし、限られた紙幅ではあるが、それぞれの執筆者の関心に則した問題提起を受けつつ、最終的には「草双紙とは何か」という大きな問題に立ち向かっていく契機になればと愚考したのである。幸い、企画の趣旨に対する大方の賛同を得て、以下の通りの寄稿を得た。企画意図の何処までが達成できたかは読者諸賢の判断評価を待つしかないが、意欲的な論考を投じて下さった執筆者には心より感謝申し上げたい。

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 さて、巻頭の佐藤悟「草双紙に関するいくつかの疑問」では、総論として「草双紙とは何か」という大きな問題について、流通、狂言絵尽、劇場音楽、吉原風俗、絵本の諸点から論じている。在外資料を含めて大量の原資料に就いた上で帰納された意義ある問題提起である。 木村八重子「「赤本」その後」は、「赤本の世界」(『近世子どもの絵本集』江戸編)に掲出された初期草双紙のリストについて、その後二十一年の博捜を経た十三点の新出資料を含む補訂で、余人を以ては不可能な仕事である。松原哲子「『菊寿草』考」は、安永四年刊『金々先生栄華夢』以降を黄表紙とする文学史観を決定づけた『菊寿草』の記述を、言語遊戯の定型句の分析を通じて再吟味し、黒本青本が一変して黄表紙が生じたものでないことを論証する意欲作。神楽岡幼子「草双紙と演劇」は、黄表紙『両国の名取』が富本豊前太夫やその門弟等をモデルとし富本節の詞章を本文に取り込み、さらに凝った忠臣蔵の利用を深く読み取った上で、演劇に親しみ熟知した黄表紙読者を想定し、演劇と草双紙のごく近い関係性を再考すべきと説く。その手捌きは明解である。二又淳「京伝と三馬の合巻」は、三馬の様々な造本上の試みが京伝などに与えた影響と、文化十一年に西村屋与八が見返を流用している例を挙げて種彦『正本製』成立を論じ、さらに三馬が『近世奇跡考』を多用していることを指摘して、三馬と京伝の関係について再検討を加えた。 本多朱里「種彦合巻と西村屋与八」は、種彦を売出し合巻作者としての不朽の地位を得させた西村屋与八に着目し、文化期に種彦合巻の画工を多く勤めた柳川重信との関係に西与の関与を見る。その後、芝居絵が得意だった国貞と組ませて『正本製』『偐紫田舎源氏』のヒットを出した板元としての手腕を明らかにした好論。神田正行「『新編金瓶梅』の翻案手法」は、淫書『金瓶梅』の翻案に際して、第一奇書本の張竹坡評に影響を受けている点、また続書『隔簾花影』の利用や『水滸伝』にまで遡及した趣向を見出し、『美少年録』の典拠『檮〓間評』の面影をも指摘して、馬琴の勧懲を正すという強固な意志が貫かれた本作を高く評価すべきとする。津田眞弓「山東京山作『朧月猫草紙』にみる合巻の本分と戯作性」は、国芳の猫のモチーフを多用した錦絵が評判になった際の企画であることと、天保改革を夾んで見られる作風変化の跡を詳細に検討することを通じて、日常生活を平易に書き込むことを特色とする京山の草双紙に対する意識を析出している。 佐藤至子「末期の長編合巻」は、嘉永期以降の合巻が長編化するに際して、文化期以来の魅力的な悪漢や妖賊という人物形象に依拠していること、別作者の手になる嗣作は確乎たる拠るべき物語があれば難しくないことを具体的な作品に即して述べる。近世後期小説全般が長編化するに際しての方法と意味とを考察した。鈴木俊幸「豆合巻小考」は、従来の草双紙の定義から洩れている小型の草双紙に関して〈豆合巻〉という呼称を与えた上で、その無駄のない板木の利用法を具体的に解明し、さらにその流通経路が小間物問屋をも包含したものであることを明らかにし、幕末明治初期における地本の生産と流通の変容を史的に位置付けたもの。佐々木亨「『岡山紀聞 筆の命毛』論」は、明治期における活版草双紙の代表作である『筆の命毛』について、「芳譚雑誌」連載から単行本化するに際して加えられた変化を精査した上で、典拠『実録揚羽蝶』との相違を分析することによって、量産が要求されていた藍泉の情景描写を補強するという方法を明らかにした。

 研究余滴としては、以下の四点を得ることができた。康志賢「十返舎一九の艶二郎もの草双紙」は、同主題の別作品の分析を通じて一九の本領を〈笑い〉と位置付けている。金井圭太郎「草双紙の筆耕」は、文化期以降の草双紙に筆耕名が現れる現象を網羅的に調査分析した結果から、文化四年前後の草双紙をめぐる変革を見る。磯部敦「銅版草双紙小考」は、明治十年代中頃に量産された銅版による草双紙について、その具体的な彫刻費を示す一方で、日清戦争時に子ども達に軍人の勇士を視覚的にすり込むメディアとして機能したことを述べる。クリストフ・マルケ「フランスに渡った京伝『近世奇跡考』の草稿本」は、パリ装飾美術館で発見された稿本についての報告で、フランスへ渡った経緯を明らかにしている。

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 こうして本号全体を通読してみて感じるのは、従来の文学史的な常識に対する懐疑から出発した研究が多いということである。嘗て近世文学史が叙述された時には小差を無視した概念化が不可欠であったから、切り捨てられた部分が多いのは仕方ない。とりわけ草双紙研究の現在的課題は、その切り捨てられた部分をすくい取ることに焦点が当てられているようだ。

 ジャンルという概念自体も同様で、時代区分や劃期となるテキストが強調されすぎて固定的に認識されることに対する異論は不可欠であろう。つとに問題にされている合巻しかり、そして黄表紙の成立についても同様の問題が存する。また、青本黒本についても混在している時期があるということは常識的に考えれば当然であろう。劃期的な事柄の裏側にある緩慢な変化をも文学史が視野に入れなければならない。これは、江戸と明治の間にも横たわっている問題で、草双紙と同じ顔をした切附本や絵本なども含めて草双紙の変化は考えられるべきだし、例えば、九丁三冊という形式の確立についても、まだ定説を見ていない。

 文学史の課題は、時に呼称の問題として顕在化する。当時用いられた用語に回帰するという考え方にも無理がある。「赤本」や「青」などと云う用語の意味するところは、現在使用している学術用語とは乖離したものであるし、かといって、いたずらに新語を造語して定義を厳密にしても仕方がないだろう。しかし、名前を与えなければ議論が始まらないのも確かで、〈豆合巻〉〈明治草双紙〉〈活版草双紙〉などという呼称が定着すると良いと思う。

 書誌や出板の問題も、より精密に論じられるようになったが、最近の傾向として社会文化史的な視野から流通や受容の側に力点が置かれるようになった。いうまでもないことであるが、出板とは経済活動でもあるわけで、作者や板元の思惑に対する穿鑿だけでは本質的な問題が見えない。丹和浩『近世庶民教育と出版文化』(岩田書院、二〇〇五年)でも近代の草双紙受容について触れられている。

 今回は入れられなかったが、矢野準「草双紙類の仮名遣い−石原知道浄書合巻類四種を資料として」(「国語と国文学」、二〇〇二年十一月)や、鶴橋俊宏「式亭三馬黄表紙の江戸語」・小野正弘「式亭三馬合巻の江戸語−『雷太郎強悪物語』」・矢野準「十返舎一九黄表紙の江戸語−待遇表現の階級差を中心に」・神戸和昭「十返舎一九合巻の江戸語−『金草鞋』における「ござる」を手がかりに」を収める飛田良文編『国語論究12 江戸語研究 −式亭三馬と十返舎一九』(明治書院、二〇〇六年)など、国語学の側からも草双紙を対象とする研究が見られるようになったことにも言及しておきたい。

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 美しく装いを凝らされた草双紙(合巻)は、手に取るだけで心おどり、正に愛翫して楽しむべき読みものであるが、現物を手にすることを忘れてはいけないと思う。たとえば、国会図書館がインターネットで公開を始めた〈近代デジタルライブラリー〉や、オンデマンド出版の国文学研究資料館発行(平凡社発売)〈リプリント版日本近代文学〉などで、数多くの草双紙を含む精緻な画像(影印本)が利用可能であるが、どうしても現物の持つ迫力は代えようがない。

 他方、草双紙は平仮名ばかりで読むのに骨が折れるが、書かれた(描かれた)テキストをきちんと〈読む〉必要がある。挿絵を眺め文字を追って粗筋を掴むだけならいざしらず、基本的には注釈作業なしでは読めないテキストだからである。当代の流行に敏感に反応して書かれた草双紙を読むことは、挿絵等の理解を含めて大変に難しい。些細な道具一つ取っても分からないことが多い。しかし、この注釈の苦労と読む楽しみとは、次元を異にするものではないはずだと思うのである。


# 「江戸文学」35号(ぺりかん社、2006年11月15日)所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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