江戸の出板事情
高 木  元 

いうまでもなく江戸時代の出板物の大半は木版であるが、文化9(1812)年に出板された読本に『復讐雙三弦』という板本がある。読本よみほんと呼ばれる絵入り小説は、江戸後期に出板された文学作品の中では、一番格調の高いジャンルに属する一群の読み物であった。この本の内題下には「蓬洲著作並書画」とあるが、これは作者である神屋蓬洲が挿絵を自ら描いたのみならず、板下の清書(筆耕)までも手掛けたものと受け取れる記述である。蓬洲は物好きの変わり者で彫りまで自分でやったともいわれているが、もし本当に板木彫りまで自分でしたとすれば、この本は究極の手作り本ということになる。にもかかわらず決して私家版として作られたのではなく、きちんと板元から公刊されたもので、貸本屋を通じてそれなりに読まれたものと思われる。

このように作者が画工や筆耕を兼ねて作られた本は、江戸期にあっては、とりわけ珍しく特別な例とはいえない。たとえば十返舎一九が自画作の筆耕をも兼ねていたことはよく知られていて、板元側から見れば一九などは出板に必要な経費が掛からない重宝な作者であった。また近藤淡路守家臣である島岡権六は内職として筆耕をしていたが、後に節亭琴驢や岡山鳥という名で著作を始め、歌舞伎役者名儀の草双紙のゴーストライターをして以後の役者合巻流行の端緒を開いた。この他にも筆工から実作へ転じた人として、橋本徳瓶、晋米斎、曲山人、松亭金水、宝田千町らがいる。画工では葛飾北齋や渓斎英泉が作をなしているし、志満山人こと歌川国信も草双紙を書いている。彫り師である朝倉力蔵は東西庵南北と名のって多くの合巻を書いており、さらに板元から作者に転じた人としては『児雷也豪傑譚』で有名な美図垣笑顔や、人情本の元祖を名のる為永春水がいる。このように業界の内部から作者が輩出しているのも、やはり出板界の実状に通じている上に、制作経費の掛からない手軽な人材達であったからに相違ない。

江戸時代の本屋は出板業と小売業とを兼ね、同時に古書の流通をも担っていた。現在新刊本の企画制作は出版社の編集、印刷製本は印刷会社、流通販売は取次と小売店が担当しており、一方古本には古書専門の流通機構が形成されているという具合に、印刷と出版と流通とが分業化されている。だが江戸時代においてはこれらすべてが本屋の仕事であった。もっとも江戸の地では、読本など高価で格調の高い書物を扱った書物問屋と、錦絵や草双紙などの安価な本を扱った地本問屋の区別があったが、いずれにしても板元が出板の全体を統括的にプロデュースしていた。だからそれぞれの職能集団から的確な職人を選んで使う必要があり、そこに二つ以上の役割を兼ねてこなせる人材がいれば、経済的にだけでなく本作りの上で効率的だったはずである。
 ところで江戸時代の本の流通を中心となって担ったのは貸本屋である。無数の貸本屋によって全国津々浦々に及ぶまで本が供給されていた。このことは現存する本に捺された貸本屋の蔵書印に示された地名が全国に分布していることからも明らかである。貸本屋の多くは店舗を構えていたわけではなく、特定の得意先を巡回していたものと思われる。無店舗カタログ販売という方式も、現在のように郵便や宅配業が整っていない時代には自らが巡回するほかなかったため、それほど広範囲には行けなかった。業態としては、かつてあった月刊雑誌の回覧業に似ているとも思われる。

貸本屋の営業としては単に本を貸して回るだけでなく新刊本や古本を売る場合もあった。繁原央氏が翻刻された静岡県立中央図書館蔵『鳴雁堂蔵書目録』(「常葉国文」18号所収)は、駿府の貸本屋の蔵書目録で軍記や読本や実録などを千タイトルほど掲載している。貸本屋の蔵書目録としては珍しく板本として出板されたものであるが、その国学書の箇所には「見料三割/売本にも仕候」と見えている。また山本卓氏が紹介された姫路の灰屋輔二『貸本目録』(関西大学「国文学」73号所収)は軍書・実録・読本・随筆・人情本など約260タイトルが記載された写本であるが、その一部に「沽」という印が捺されていて、あるいは売れたものを示すかとも思われる。

残念なことに残存している貸本屋の蔵書目録は少ないのであるが、一枚摺りの見立番付に「読本外題一覧」というものがあり、江戸読本や滑稽本を120タイトルほど載せる(拙稿「讀本研究」第十輯所収)。これは文化末年頃に出された「出像稗史・外題鑑」に基づくものだと思われ、資本屋の品揃えの手引きや読書案内のために作られたものであろう。なぜなら江戸読本という新しいジャンルの商品を開発しそれを流行させたのは、貸本屋だったからである。江戸読本を代表する曲亭馬琴の不朽の名作『南総里見八犬伝』は、28年間掛かって3度も板元を移しながら刊行され続けた超大作であるが、これを出板したのも実は貸本屋であった。

このように貸本屋が出板を手掛けたのは劃期的なできごとであった。それは読者に一番近いところで流行を敏感に察知できるという立場からの出板企画をしたからである。現代ではマーケッティングリサーチは当然の手順ではあるが、流通業者が商品開発を手掛けるという方法の先駆的現象といえよう。おそらく比較的資本を必要としない貸本屋から始めて、次に古本屋や新刊本の取次を兼業し、さらに覆刻を手始めとした出板をも手掛けるというように発展して行ったものと思われるが、戦後日本における業者のありようを先取りしていたとも考えられるのである。

さてここで少し印刷の問題に目を転じてみよう。江戸時代に普及発展した木版印刷の技術は、明治10年代半ばに活版にとって代わられ、昨今は電算写植が全盛になり、さらに紙を必要としないデジタル化へと進んでいる。このような印刷技術の進歩変遷はメディアの進化を促し、経済的文化的システムの中で、より速く大量に同一のテキストを生産するという方向で進化を遂げてきた。

日本文学におけるテキストが写本から古活字版を経て整版に落ち着いたのには、それなりの合理的な理由が存した。長い伝統を経て洗練され発達してきた木版という板木を彫って製版する技術は、とりわけ連綿体である日本語の仮名漢字混じり文や、絵入り本にとって木版は好都合の技術であったと思われる。またジャンルごとに独自のタイプフェイスが用いられているのも木版ゆえであった。象嵌による訂正や改変も比較的容易であるし、場合によっては摺ったものを板下にすれば、手軽に覆刻も可能であった。とりわけ重ね摺りの技法は、色板を用いた多色摺りを可能にし、錦絵などを生み出すことになる。だが一番大きな特性は、一度板木を作ってしまえばあとは摺るだけで本ができるわけで、板木自体が金を生み出す財産として扱われたことである。

一方活版は活字の鋳造という技術的な課題を超えた時、安価で早い大量印刷への途が開かれた。この活字メディアの急成長は、ひたすらに供給すべきテキストを要求した。その結果として、江戸時代小説の翻刻本が大量に刊行されることとなったのである。栄泉社の「今古実録」シリーズは講談種の実録を次々に翻刻したし、博文館の「帝国文庫」は二流三流作者の作品までも網羅した一大江戸文芸叢書となった。

しかし活版にとっての問題は、紙型が一般化するまで、摺る度に何度も活字を組み直すことを余儀なくされた点にあった。この非能率きわまりない新技術は、明治初期の活字本に実に多くの異版を生じることになった。だから明治初期の活字本に比べれば、むしろ江戸時代の板本の方が安定した静的な本文を維持しているのである。

木版印刷は技術的にも高度な達成を誇っていたが、場合によっては素人にもそれなりに可能であった。だが活版印刷には高価な設備が不可欠であり、素人には手の届かない手段となってしまい、その結果として活字印刷された物が一種の権威性を帯びてしまうことになった。ところがパソコンやワープロの普及が容易に美しい印刷を可能にしたことにより、誰にでも板下の作成ができるようになった。さらにパソコン通信やインターネットの普及により、テキストの流通手段さえもが容易に入手可能になったのである。これは今までに経験したことのない状況であり、あるいは出版の本質的な変容を招来するかもしれない。

ともあれ印刷技術は出板にとって不可欠の基盤ではあるが、今までのところは、本自体に商品価値を添付して流通機構に乗せなければ商売には成らない。つまり、本のコンセプトを企画立案し、それにふさわしい書き手や人気のある挿絵画家と契約し、その書型や装幀にも神経を用いて造本し、その一方で予告広告や看板にも気を配り、可能な限りの利益を上げるべく販売戦略を練る。これら一連の経済活動こそが出板にほかならない。商品の企画開発から製品化して流通に乗せるまでの手順は、本も他の商品と何一つ変わりはないのである。

このような出板の本質についての把握は、本というメディアについて考える時にとりわけ重要な意味を持っている。なぜなら、出板の主体はあくまでもプロデューサーとしての板元に存し、極論すれば、作者は本の制作に不可欠な一機能に過ぎないと考えられるからである。その結果として本に記された言説から無媒介に作者の意図のみを読み取ることは困難であり、たとえ作品論であっても出板事情に対する顧慮が不可欠である。

すなわち江戸時代における出板は、文化的営為である以前に純然たる商行為であったといわなければならないのである。


# 「日本古書通信」1996年11月号 所戴
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