活字開発史の記述
本書は、日本語タイポグラフィの第一人者である小宮山博史氏の『タイポグラフィの世界 書体編』に基づく。これはヒラギノフォントで有名な大日本スクリーン製造株式会社のウェブサイトで2005年3月より10回連載で公開されたものである。版元の誠文堂新光社は叢書化を企画しているようで「文字と組版ライブラリ」の「1」となっている。
ウェブ版の「連載開始にあたって」には、「活字書体を使う皆様の要望や批評も必要」「書体は多くの人びととともに作り、洗練させるという活字書体の当然のあり方」と記されており、フォントベンダーのサイトという限られた読者を意識して書かれたものであった。今回の刊行に際しては、やや専門家向きの内容であった第5回「書体の覆刻」と第10回「レタリング」とを割愛し、加筆修正を施した上で、配列とタイトルにも変更を加えている。つまり、本書の序で述べる「活字史の本流ではなく、傍流のちょっとしたエピソード」を広く一般の読者に伝えたいとの刊行意図に則した構成にするために、第1話「本木昌造・平野富二、危機一髪 −幕府輸送船長崎丸二号遭難始末」と第3話「移転を繰り返すミッションプレス −美華書館跡地考」との2話が加えられた。副題の「草創期の人と書体」からも編纂意図が見て取れると思われる。
オムニバス風の10話であるが、歌川(安藤に非ず)広重が描いた岸田吟香の後ろ姿から書き起こされる第7話「Meは横組み,拙者は縦組み −幕末・明治の和欧混植」は、ヘボンとの出合いから始まる『和英語林集成』出来までの経緯もさることながら、近世期にはあり得なかった書字方向が左横書きになった例はヘボンの創出だという点が興味深い。屋名池誠氏『横書き登場』(岩波新書)に拠れば、書字方向の自由度が高いのが日本語の特徴だという。結果的にその日本語の特徴が日本語を含んだ多言語混植を難しくしているわけであるが、ボディを仮想化できるようになったデジタルフォントには解決の可能性があるという。
各話に註として詳細な「用語解説」が附されて豊富な図版が掲載されている点、活字開発史に関する信頼しうる入門書となっている。この「用語解説」は、ウェブ版ではハイパーリンクに拠って快適に参照できるが、同時に公開されているPDF版ではすっきりとした脚注として組まれている。このPDF版には図版が入れられた上、ヒラギノ明朝+築地体後期五号仮名の書体見本と組見本とを兼ねており、A5判の無線綴じソフトカバーで40字詰め20行の本文に13級のイワタ明朝体オールドを用い頁の下部4分の1を空けた少しく凝った組版(双方とも向井裕一氏に拠る)の本書とは、全く別の趣きで読むことが出来る。
ところで、本年2月8日に青山ブックセンターで刊行記念トークショー「活字デザイン今昔」が開かれた。「金属活字から写真植字、そしてデジタルフォントにいたるまで、活字をささえてきたそれぞれの技術環境の中で、書体設計の現場はどのように格闘してきたのか。 今も昔も変わらぬ苦心のしどころや、新しく生まれた苦労や工夫について」字游工房の鳥海修氏との対談イベントであった。盛会裡に終了した後にはサイン会も開催された由であるが、若い人々に向けて活字の魅力を語り続けられている小宮山氏は、「活字見本」の蒐集家としても知られており、その研究成果の公刊も待ち望まれる。